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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

地名と姓名の遥かなる関係

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記事数=31件/更新日:2005年6月1日/編集者:YSK

栃木県発祥の「宇都宮さん」が、実は愛媛県に多い、東北の南部地方の礎を築いた南部氏の発祥は山梨県南部町付近、など、地名と姓名との間には歴史を越えたタイトな関係があるようです。みなさんも、苗字のルーツの遥かなる世界に浸ってみませんか?

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★推奨します★(元祖いいね) 今川焼 BANDALGOM ken 出石隠 笠津前浜 hmt 右左府 伊豆之国

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[935]2002年2月19日
Issie
[947]2002年2月20日
Issie
[1695]2002年6月1日
Issie
[1703]2002年6月1日
Issie
[5896]2002年12月4日
Issie
[9983]2003年2月28日
KMKZ
[10230]2003年3月2日
グリグリ
[10300]2003年3月3日
ken
[10303]2003年3月3日
KMKZ
[10308]2003年3月3日
BANDALGOM
[10312]2003年3月3日
えっす
[10317]2003年3月3日
KMKZ
[10323]2003年3月3日
Issie
[10324]2003年3月3日
ken
[10327]2003年3月3日
Issie
[10406]2003年3月4日
Issie
[10568]2003年3月6日
ken
[10615]2003年3月7日
ken
[10622]2003年3月7日
KMKZ
[10624]2003年3月7日
ペーロケ
[10629]2003年3月7日
ken
[10640]2003年3月7日
ken
[10647]2003年3月7日
KMKZ
[10690]2003年3月8日
でるでる
[10691]2003年3月8日
でるでる
[13646]2003年4月21日
ken
[18871]2003年8月5日
Issie
[18888]2003年8月6日
ken
[18889]2003年8月6日
Issie
[40956]2005年5月9日
トライランダー
[41805]2005年6月1日
hmt

[935] 2002年 2月 19日(火)22:29:16Issie さん
相馬と南部
> 以前、相馬野馬追祭を特集したNHK番組で「千葉県流山に相馬藩の飛び領が在った」と仄聞しました。

これは,相馬藩主の相馬氏の出身地が下総の「相馬郡」であるからです。
相馬氏は,もともと下総北部の豪族で,現在の茨城県取手市や千葉県我孫子市のあたりを領域とする下総国相馬郡,あるいは相馬御厨(みくりや)を“苗字(名字)の地”,つまり発祥としています。
伝承の上では,常総地域を本拠に「反乱」(京都から見たら)を起こした平将門(“相馬の小次郎”という通称があった)を祖先とする,と言っているのですが,これはまあ,怪しいものですね。

この相馬氏が源頼朝の奥州征伐(奥州藤原氏を滅ぼした)に参加し,その恩賞として陸奥南部の行方(なめがた)郡が与えられてこの地に移住しました。以来,相馬氏は隣りの宇多郡を含めた地域の領主として幕末,そして廃藩置県に至ります。
そうして,行方・宇多両群にわたる相馬氏の領地が「相馬領」または「相馬藩」と呼ばれて定着しました。
明治半ば,郡制施行のためにこの2つの郡が統合されたとき,新しい郡の名称として「相馬郡」という名前が“初めて”採用され,現在に至るのです。
つまり,もともとここに「相馬」という地名があったのではなく,領主の相馬氏が下総から“持ってきた”ものなのです。

下総の相馬郡は明治に入ると利根川を境に茨城県と千葉県とに分割され,茨城県側は「北相馬郡」,千葉県側は「南相馬郡」となりました。そして,南相馬郡は郡制施行の際に東葛飾郡に編入され,茨城県の「北相馬郡」だけが残りました。

実は江戸川に面した流山の市街地はもともと(東)葛飾郡に属していて相馬郡の一部あったことはないのですが,流山市の一部が相馬氏の勃興期に“相馬御厨”の一部あったことはあるかもしれません。

南部氏の場合も,本来は有名な武田氏と同族の「甲斐源氏」の一族であり,甲斐国巨摩郡南部郷(現・山梨県南巨摩郡南部町)を“名字の地”とする一族です。
こちらも,中世以来,出身地の甲斐国ではなく,もっぱら奥州北部に勢力を拡大し,戦国末期までにその支配地域について「南部(領)」という呼称が定着しました。
やはり,甲斐出身の南部氏が「南部」という地名を甲斐から持ってきたのです。

> 青森県八戸市一帯が南部藩に属した必然性です。

これは話が逆で,戦国時代までは現在の青森県の領域,「南部」に属する下北半島だけでなく「津軽」の半島先端まで,その全域が南部氏の支配下にあったのです。
“津軽氏”はもともと南部氏の一族であり家臣であったものが戦国時代に自立し,それが豊臣政権によって認められ,続く徳川政権もそれを継承したのです。
南部氏(南部藩)としては本来“家来筋”にあたるはずの津軽氏が勝手に独立したわけで,当然認められるものではありません。言ってみれば,今の中国(北京政府)にとって台湾の政権が勝手に独立を志向しているようなものです。
一方,津軽氏(津軽藩)から見れば,盛岡の南部本家だけでなく八戸の分家(八戸藩)その他の分家(支藩)との間にかなり複雑な事情があったようです。

ともかく,「南部」の方から見れば勝手に独立した「津軽」に対していい感情は持たないし,反対に「津軽」からすれば独立後も陰に日に意地悪をしつづける「南部」を敵視したくなるのは人情と言うものでしょう。
恐らくは,府県の大きさを“適正規模”に整理していく過程で,旧津軽領(津軽5郡)に旧南部領(支藩を含む)北部(下北・上北・三戸八戸)で「青森県」の領域が確定するのですが,「津軽」と「南部」の地域対立はそう簡単には解消しない,ということなのでしょうね。
[947] 2002年 2月 20日(水)20:57:06Issie さん
南部氏と安藤氏
前言を少しく(いや,“大幅に”かな?)訂正します。

奥州藤原氏の滅亡後,鎌倉時代から戦国時代にかけて津軽を中心に現在の秋田県北部から北海道の渡島・檜山地方の南部にまたがる地域に勢力を広げたのは「安藤(安東)氏」でした。
前九年の役で滅ばされた安倍氏の末裔を自称していますが,本当のところはどうでしょうか。ただ,少なくとも蝦夷(えみし)の系統に連なるものであったことは確かなようだし,いろいろな意味で奥州藤原氏の遺産を引き継いだ一族ではあったようです。

一方,奥州の太平洋側の地域には関東から多くの鎌倉御家人が領地を得て移住してきました。
甲斐出身の南部氏もそうだし,現在の仙台市周辺に勢力を広げ戦国末期に伊達氏の支配下に入った国分(こくぶん)氏(名字の地は,現在の千葉県市川市国分[こくぶん]。つまり,下総の千葉氏の一族)などもそうです。
特に,現在の盛岡周辺に勢力を広げたのは足利氏でした。足利一族の“斯波氏”の名字は,盛岡市南方の「斯波=紫波郡」に由来します。
鎌倉幕府内での執権北条氏による独裁体制が確立していく中,奥州はその北条氏の支配下に置かれていたのですが,鎌倉幕府が衰退から滅亡に向かい南北朝の混乱期に入ると,かつて北条氏の被官(家来)の地位にあったこれらの豪族が抗争を繰り返すようになりました。
その中で頭角をあらわし,奥州北部の糠部(ぬかのぶ)郡(一戸~九戸に分割される)を統一したのが南部氏でした。
南部氏は北奥羽における支配権を室町幕府から承認され,今の八戸周辺を中心に南の北上川上流域へ勢力を延ばしていくことになります。

安藤氏や南部氏だけでなく中央の足利氏や斯波氏・細川氏など,室町時代前半までは分割相続が一般的でしたから,勢力のある一族ほど多くの家系に分かれていました。細川氏のように割と遅くまで一族全体の統率がとれていたものもありましたが,多くの一族では同族内での抗争が頻発しました。応仁の乱の原因となったのは斯波氏と畠山氏の同族内での抗争です。
結局こうした抗争を通じて室町時代までの有力大名のほとんどが滅亡し,“大名の総取っ替え”を経て江戸時代の幕藩体制が確立します。

当然,安藤氏や南部氏も御他聞に漏れず,一族内での抗争を繰り返しています。さらに安藤氏と南部氏との間の抗争もやはり激しいものでした。やがて,津軽では南部氏が安藤氏を圧倒し,ここに一族の“大浦氏”が送り込まれました。この大浦氏が戦国末期に南部氏から自立して“津軽氏”となったのです。
一方,安藤氏はこの抗争によって大きく勢力を後退させ,結局は出羽北部に勢力を持っていた“檜山安藤氏”が一族内での支配権を確立し,津軽海峡を渡った渡島・檜山地方では若狭守護家の出身と言われている武田信広が安藤氏の一族である蛎崎氏に“婿入り”し,この地方の支配権を継承しました。
南部氏の中では,いまだ抗争の種を残しつつ三戸南部氏が支配権をほぼ確立します。

この状態で豊臣秀吉による全国統一を迎え,蛎崎氏・檜山安藤氏・三戸南部氏・大浦氏それぞれの支配権が中央政権によって承認されました。
蛎崎氏はその本拠地から「松前氏」,檜山安藤氏は秋田地方に本拠地を置いて「秋田氏」,そして大浦氏は弘前城下町を整備して「津軽氏」を名乗ることになりました。三戸南部氏も1600年頃に名前の通りの三戸地方から盛岡に本拠地を移して,北奥羽の勢力地図が一応確定しました。
しかし関ヶ原の戦いの後,徳川家康は関東の中で徳川氏に敵対していた常陸水戸の佐竹氏を秋田へ遠ざけ,変わって秋田氏を南奥州(現福島県)の田村郡に移して(三春藩),これが江戸時代を通じて北奥羽の大名配置となったのです。
[1695] 2002年 6月 1日(土)10:46:26Issie さん
毛利
少し前の話題を蒸し返してしまうのですが,
広島県高田郡の合併話。

あそこで「毛利」という自治体名が出てきたら,きっと萩が猛反発するでしょうね。もしかしたら厚木も。
だって,あそこが「毛利」と呼ばれたことはないから。

「毛利藩」といえば誰だって「長州藩」とイコールと考えるでしょうね。それも「山口藩」ではなくて,やはり「萩藩」。
長州のイメージが強すぎて,毛利氏が安芸の戦国大名だと知らない人も多いのではないかな。毛利元就は山口県の戦国大名と思っているのでは(もっとも,山口の大内氏を滅ぼした陶晴賢を滅ぼして大大名になったんですけどね)。

まして,毛利氏がもともとは相模の出身で,さらに元をたどれば,菅家(かんけ:菅原氏)と並ぶ「学者の家」である江家(ごうけ:大江氏)という平安貴族の直系であることなど,知る人ぞ知る,というところなんでしょうね。
毛利氏の祖である大江広元が源頼朝にスカウトされて鎌倉へ来たことが始まりなんですけどね。
本家はちゃんと都で貴族をやっています。
[1703] 2002年 6月 1日(土)18:09:19Issie さん
北条
> また戦国大名といえば岡山県の井原鉄道の駅にも戦国大名、北条早雲の生誕地にちなみ
> 「早雲の里荏原」という駅名がありますが、北条早雲が流浪の末に小田原の領主に
> なったのは知っていたのですが、まさか岡山の出身とは知りませんでした。

どんなものなんでしょうね。
北条早雲は,美濃の斎藤道三とならぶ「出自不明」の戦国大名ですからね(もっとも,斎藤道三は最近の研究では親子2代の話を1代の「国盗り物語」にしたらしい,という説が強いようです)。
実は北条早雲自身は「北条」という名字を名乗っていないのですよね。彼が名乗った名字は「伊勢」。室町幕府の「書記官長」みたいな役割を担当していた一族の名字です。
「北条」というのは彼の後継者たちが,相模の大名にふさわしく,かつての鎌倉幕府の執権・北条氏にならって勝手に名乗ったものです。「出自不明」の後ろめたさに,ハクづけのために関東の名族の名字を名乗ったのですかね。もともとは伊豆の田舎武士なんですけどね。
そんなわけで,戦国時代の(後)北条氏と鎌倉時代の執権・北条氏は全く関係がありません。


> 愛媛県北条市や鳥取県北条町或いは兵庫県加西市の中心を成す北条町は関係無いのかな?

もともと「北条」というのは,そこらじゅうにある,それ自体には何の由緒もない地名です。
単純に中世の荘園が分割されたときに,その“北部分”を「北条」と呼んだだけです。
「西条」「東条」「南条」も同じ。「上条」「中条」「下条」という分け方もありますね。
「北条」には“音”で「ほうじょう」または「ほくじょう」と読む地方と,“訓”で「きたじょう」と読む地方とがあります。ほかの「西」「東」「南」「上」「中」「下」も同様。

執権北条氏の場合は,伊豆の穀倉地帯である狩野川沿い(田方郡)の荘園の管理人をしていて,その北部の呼称である「北条」を名字にしたんでしょうね。
戦国時代の後北条氏がそれを僭称したのは先述のとおり。
てなわけで,意味は同じなんでしょうが,伊予の北条も,伯耆の北条も,播磨の北条も,北条早雲とは何の関係もないでしょう。全く。全然。
[5896] 2002年 12月 4日(水)21:57:13Issie さん
千葉と宇都宮
[5858] YSK さん
>それと、雑魚さんの書き込み文字数が、ついにIssieさんを上回り第1位に!

[5861] 雑魚 さん
>何やら神聖な禁忌を冒してしまった様で慙愧に堪えません。(笑)

あらあ,そうなんですねぇ。おめでとうございます。
私はこのままのペースでとりとめもなく…,と行くつもりですので,お気兼ねなく。

[5881] 関西人 さん
>趣旨がちょっと違うのかもしれませんが、昔の大名の名が地名になってるってところ多いですよね。
>たとえば、千葉とか宇都宮が有名ですね。

これは逆で,地名が先です。
「千葉氏」は坂東平氏の一派である平忠常の子孫が下総の千葉郡を本拠地とし,下総国府の現地役人(在庁官人)として代々称していた「千葉介」が名字化したものです。
これの同族に,上総の市原郡を本拠に上総国府の現地役人として「上総介」を称した「上総氏」があります。
相模国三浦郡の「三浦介 → 三浦氏」など,このパターンは結構多くあります。

「宇都宮」もここにある二荒山神社の別称で,この神社関係者(社家)の一族が武士化して「宇都宮」を名字としたものです。

前にも触れたことがありますが,
「大名が地名を持ってきた」代表的な例は,
・福島県相馬地方(相馬氏 ←下総国相馬郡:千葉県我孫子市・茨城県取手市周辺)
・岩手県・青森県南部地方(南部氏 ←甲斐国巨摩郡南部荘:山梨県南巨摩郡南部町)
なんてのがすぐに思い浮かびますね。
[9983] 2003年 2月 28日(金)12:42:38KMKZ さん
RE:都道府県名=市町村名=町名
以前からROMしてましたが、私でもレスできる話題でしたので、初めて書き込みさせていただきます。

[9979] 太白さん
都道府県・(郡)・市町村・字または町名が同じという例は他にもあるのでしょうか?

国宝・金錯銘鉄剣が出土した稲荷山古墳がある埼玉(さきたま)古墳群一体は1954年に行田市に編入されるまでは埼玉県北埼玉郡埼玉村大字埼玉(村名、大字名はさきたまと読むらしい)だったそうです。そしてこの事実から行田市は埼玉県名発祥の地とされ、浦和・大宮・与野の3市合併では新市名を埼玉やさいたまとするなとクレームをつけたそうですが、結局はさいたま市になってしまいました。

ところで大学の時に埼玉という苗字の方がいました。やはり御先祖はここの出身だったのでしょうね。千葉さんは多いですが、埼玉さんはかなりの珍名だと思います。
[10230] 2003年 3月 2日(日)19:12:54【1】オーナー グリグリ
市区町村雑学 久々の更新
市区町村雑学に以下の2テーマを追加しました。面白データベース検索で抽出できるものを雑学テーマとして切り出したもので、前々から懸案だったテーマです。なお、テーマの並びも見直しました。
■ 高崎市をひっくり返すとどうなる?(逆さま読みの市区町村)
http://uub.jp/zat/takasaki.html
■ 上から読んでも下から読んでも同じ町?(回文名称・読みの市区町村)
http://uub.jp/zat/shibushi.html

★市区町村雑学のトップページはこちらです。
http://uub.jp/zat/
まだご覧になっていない方は一度目を通していただけると、この掲示板での議論にも厚みができること請け合いです(ほんまかいな)。つい最近話題になった数字の入った自治体、短命の市、消滅した市、平仮名自治体、同名自治体、動物名自治体等々、主として自治体名を題材とした雑学をまとめてあります。

[9983] KMKZ さん
ところで大学の時に埼玉という苗字の方がいました。やはり御先祖はここの出身だったのでしょうね。千葉さんは多いですが、埼玉さんはかなりの珍名だと思います。
こういう話題も任せてください。「山口県って山口さんがいっぱい?」と題した都道府県名の苗字分析です。
http://uub.jp/zat/myoji.html
このページの分析によれば「埼玉」さんは全国で103人、「千葉」さんは 196,250人と推定しています。
[10300] 2003年 3月 3日(月)18:20:52ken さん
re:千葉ちゃん
[10294] 地理好きのケン さん
[10289] 地域研究家 さん
「千葉」さんは千葉県ではなく、東北地方に多いというのがまた興味深いところです。

千葉姓が東北に多いのは、源頼朝の奥州藤原氏征伐に遡るお話のようですね。
http://members.jcom.home.ne.jp/bamen/index.htm
をご参照。

岩手県とか、確か千葉姓は、ベスト10に入るんじゃなかっでしたけ?

必ずしも、皆が千葉氏の子孫というわけでなく、家臣、領民にも褒美として姓を許すということも多かったようですので、東北の千葉さんの系図が、皆、千葉介常胤に繋がるわけではありません。
が、千葉氏の影響度の尺度にはなりますね。

香川氏については、過去ログがあったような気がしますが、出元は香川県ではなく、相模国の相模線に香川という駅がありますが、そこですね。
この相模香川氏が、西讃岐三郡を拝領し。。。。。今の香川の地名に繋がる。

甲斐氏は、九州の名流、菊池氏の支流ですね。
菊池氏の内紛によって、菊池武本が甲斐に逃れたが、やがて時を経て、菊池重村の時に足利尊氏の九州下向に属し、再び九州へ、このとき、菊池重村は故地に因んで甲斐姓を名乗り、大友氏とともに肥後に進出。しかし、菊池宗家の武重と袂を分かち、敗れて、甲斐重村は日向鞍岡の地に逃れて土着したという。

有名なのは戦国武将の甲斐宗雲ですが、彼は、阿蘇神社大宮司家阿蘇氏に仕えて、阿蘇地方に影響力をもちますが、島津氏との攻防にやぶれ、衰亡。
甲斐宗雲家の嫡流は佐々成政の肥後領有の時に、召し出され、復活するかに思いきや、佐々成政切腹の原因となった肥後一揆側に属して、敗死。

いずれにしても甲斐姓が宮崎県などに多いのはこのためか。
[10303] 2003年 3月 3日(月)19:04:15KMKZ さん
関東の地名に由来する苗字
[10289] 地域研究家 さん
[10294] 地理好きのケン さん
[10300] ken さん

平安末期から武士は自分の所領の地名を名乗るようになり、爆発的に苗字の数が増えたそうですが、その後、鎌倉幕府の成立で関東武士が守護・地頭として全国に進出したり、南北朝の動乱時に、他の土地に移住していったので関東の地名に由来する苗字が全国に散らばったと言う話を聞いたことがあります。

毛利元就の毛利氏、大友宗麟の大友氏は、共に相模(神奈川)の地名に由来するそうです。
大河ドラマ「北条時宗」の最初の回に時宗の母方の祖父として毛利季光と言う人が登場しましたが、この人が初代毛利さんですね。子孫が毛利元就。以下のHPに詳しい説明があります。
http://www.mmjp.or.jp/askanet/motonarikiko-houjo&mouri.htm

源平の合戦で活躍した熊谷次郎直実の熊谷氏は武蔵(埼玉)の熊谷に由来しますが、熊谷氏は鎌倉幕府で力を失ったので、やはり、地方に多く、確か、離島を除くと日本一人口の少ない愛知県富山村は熊谷次郎直実の子孫の村で熊谷さんばっかりとか。熊谷さんの場合は現在の地名が「くまがや」で苗字の場合は通常「くまがい」ですが、これは、元々は同じだったのが、熊谷氏の先祖が武蔵を離れた後で、どちらかが変化した為でしょうか?多分、地名の方が変化したと私は思いますが、実際はどうなのか。

九州、特に大分県は、関東武士が多く移住したらしく、その為に、九州の他の県に比べて関東風の苗字が多いという話を聞いたこともあります。掲示板の10000番GETのKN さんは大分の方だそうですが、関東風の苗字なのかな?
[10308] 2003年 3月 3日(月)19:55:48BANDALGOM[地域研究家] さん
甲斐発祥の奥州南部氏
[10303]KMKZさん
毛利元就の毛利氏、大友宗麟の大友氏は、共に相模(神奈川)の地名に由来するそうです。
毛利氏が相模の豪族だったというのは、高校だか予備校の日本史の先生から聞いた覚えがありますが、大友氏もですか。

あと、関東といえるかは議論が分かれるところですが、去る1日に合併した山梨県南部町は、奥州南部氏の発祥の地ですね。
単に山梨県の南部だから「南部町」を名乗ったのかと思いきや、意外や意外。
でも氏が先なのか、地名が先なのかはわかりません。


[10300]kenさん

東北地方の「千葉」姓の中で、印象深い人物として、千葉十七の名を挙げたいと思います。
1909年10月、日本陸軍憲兵として旅順に駐屯していた彼は、図らずも安重根の看守となるわけですが、安重根と接しているうちに「敬愛する伊藤公を殺した」ことへの怒りの感情も消えてゆき、その考え方に感銘を受け、日本軍憲兵という立場にありながら、安重根の前で日本の侵略行為を謝罪したというのです。

そして安重根が刑場の露と消える日の朝、彼が書き残した遺墨を、千葉十七は生涯供養し続け、その遺墨は79年、千葉十七の姪の手によって韓国に返還されています。
その後、宮城県栗原郡にある、千葉十七が眠る寺の境内には「安と千葉の記念碑」が建てられ、日韓合同の慰霊祭が行われたりしたようです。

日韓両国でもっと知られるべき人物ですが、「愛の黙時録」の田内千鶴子などのように知られてはいないのが心残りですね。
[10312] 2003年 3月 3日(月)20:18:52【1】えっす さん
旧国名と苗字
題名の通り、旧国名の苗字を調べました。
もしかしたら過去ログにあったかもしれません。

旧国名苗字データ
旧国名順位世帯数
蝦夷地
蝦夷なしなし
東山道
陸奥4353514
出羽4186687
下野なしなし
上野なしなし
信濃9116213
飛騨1700477
美濃28961150
近江13663049
東海道
常陸9201210
下総11199152
上総9538198
安房1717075
武蔵4019733
相模6993324
甲斐30717733
伊豆3882711
駿河5040520
遠江なしなし
三河3278980
尾張5398473
伊勢11973643
志摩32271005
伊賀16182433

一旦、これだけを書き込みしておきます。
後日、続きをアップしたいと思います。
間違いなどありましたらどんどん指摘して下さい。
[10317] 2003年 3月 3日(月)20:48:26【1】KMKZ さん
RE:甲斐発祥の奥州南部氏
[10308] 地域研究家 さん

毛利氏が相模の豪族だったというのは、高校だか予備校の日本史の先生から聞いた覚えがありますが、大友氏もですか。

不安になって調べて見たところ、以下のHPを見つけました。
http://www2.harimaya.com/sengoku/bk_serch.html 戦国武将出自辞典
ここには「相模国大友郷を所領として、その土地の名をとって大友氏」と書いてあります。でも相模国大友郷って神奈川県のどこですかね?
毛利の方は大河ドラマの「毛利元就」で現在の神奈川県厚木市毛利台と紹介していました。青山学院大学があった森の里の東側ですね。

図らずも安重根の看守となるわけですが、安重根と接しているうちに「敬愛する伊藤公を殺した」ことへの怒りの感情も消えてゆき、その考え方に感銘を受け、日本軍憲兵という立場にありながら、安重根の前で日本の侵略行為を謝罪したというのです。

そして安重根が刑場の露と消える日の朝、彼が書き残した遺墨を、千葉十七は生涯供養し続け、その遺墨は79年、千葉十七の姪の手によって韓国に返還されています。
この話を聞いたことがありますが、千葉十七と言う方でしたか。
[10323] 2003年 3月 3日(月)22:39:02Issie さん
相模国足柄下郡大友郷
[10317] KMKZ さん
でも相模国大友郷って神奈川県のどこですかね?

小田原市に「西大友」「東大友」というところがあります。ここのことでしょうね,たぶん。
1889年の“明治の大合併”で周辺の村と合併して「足柄下郡上府中(かみふなか)村」となり,1954年の“昭和の大合併”で小田原市に編入されました。

神奈川県厚木市毛利台

こちらは“明治の大合併”で「愛甲郡南毛利(みなみもり)村」となり,1950年に相模川そばの厚木町その他と合体して「厚木市」となりました。
「北毛利村」というのは編成されていません。いずれにせよ,厚木市の中心市街地の西側の丘陵地域が中世の「毛利荘」と考えられています。

毛利氏の同族には横須賀市長井を“名字の地”とする「長井氏」があります。
この長井から相模湾の海岸に沿って葉山方面へ向かう途中にある「横須賀市芦名」は,戦国時代に会津を支配し伊達政宗に滅ぼされた葦名氏の名字の地です。
同じく室町時代の名族で各地に配置された二階堂氏の名字の地は「鎌倉市二階堂」ですね。

[10300]ken さん
千葉姓が東北に多いのは、源頼朝の奥州藤原氏征伐に遡るお話のようですね。

戦国時代に現在の仙台地域を支配していて,伊達氏が現在の宮城県方面へ勢力を拡大していく中でその傘下に入った国分(こくぶん)氏も千葉氏の同族であると言われていますね。そうだとすると,その名字の地は現在の「市川市国分(こくぶん)」だと思われます。

[10303]KMKZ さん
熊谷さんの場合は現在の地名が「くまがや」で苗字の場合は通常「くまがい」ですが

「くまがえ」さんと読む人もいます。「磯谷=いそがい」さん,「行谷=なめがい」さん,という読み方もありますから,姓の場合は「谷」が「や → い」と変わる習慣ができあがっているのかもしれませんね。
「熊谷」さんという姓は,長野県側でも下伊那郡南部で特に多い姓の1つです。
[10324] 2003年 3月 3日(月)23:11:48ken さん
歴史ネタに寄ってますが
[10317] KMKZ さん
でも相模国大友郷って神奈川県のどこですかね?
http://www.ne.jp/asahi/amato-network/musica/otomo-go.htm
ここのようですよ。
大友氏については、このページ詳しいですね。
http://www.ne.jp/asahi/amato-network/musica/

相模地名起源の大名は会津の葦名氏もそうですね。
葦名氏は、三浦氏の支族で、横須賀市芦名
http://www.fsinet.or.jp/~comp/beach/miura/ashina-m.html
にちなんで芦名葦名姓を名乗るようになりました。

奥州の葛西氏とかもそうですが、要は、源頼朝を助けた豪族は、相模、伊豆、武蔵など関東の小領主だったものが、頼朝を担いで政権を取らせ、それらが鎌倉幕府守護大名となっていきますので、相模など、関東の小地名が、全国区の名前になって幅を利かせているものが多いですね。
そもそも、足利氏&新田氏自体がそうですね。
宇都宮氏も全国各地に広がっていきますし。
武田氏は常陸の武田郷=ひたちなか市武田が起源のようですね。
http://www.intacc.ne.jp/HP/oma/kaigenji-3.htm

甲斐起源では、南部氏もそうですが、後に小倉城主などになり、江戸幕府の譜代大名となる小笠原氏も甲斐国中巨摩郡小笠原村、起源。

伊達氏も奥州藤原征伐の勲功で、伊達郡をもらう前は、下野真岡の中村が本貫地で、中村朝宗と称していたのが、伊達郡を拝領して、伊達に改姓してたり。
[10327] 2003年 3月 3日(月)23:50:59Issie さん
続・大友郷
[10324] ken さん
あっ,話がカブっちゃいましたね。

で,そのページをのぞいてみたのですが「足上郡」=足柄上郡となっていますね。
ここはちょうど「上郡」と「下郡」の境で,明治時代には「上府中村」に統合されたこのあたりから南側が「下郡」で,「曽我」の方は「上郡」であったようです。
近世をはさんで,中世と近代とで郡境に移動があったのでしょうね。

源頼朝を助けた豪族は、相模、伊豆、武蔵など関東の小領主だったもの

神奈川県で就職して以来,「大庭(おおば)」さんとか,「梶原」さんとか,「土肥(どひ)」さんとか,源平合戦に登場する姓の人に多く出会ったりして,「なるほど頼朝創業の地」と思ったりすることがよくあります。
もっとも,そういう姓だからといって,別に相模出身とは限らないんですけどね。
[10406] 2003年 3月 4日(火)20:19:31Issie さん
毛利
[10352] KMKZ さん
「毛利」は万葉仮名のようですから「もり」が本来の読みでしょうか?

そうですね。それぞれがひらがなの「も」と「り」の元になった漢字ですから,「もり」に通じるのかもしれません。
「毛利台」というのは,もちろん,このあたりの丘陵地域が造成されて名づけられた新地名ですが,ここを発祥の地とする毛利氏を意識したものではあるかもしれませんね。
ちなみに,安芸の小大名であった頃の毛利元就が当主の地位についたときに催された連歌会の発句として歌ったものに

 毛利の家 わしのはをつぐ脇柱

というのがあります。ここでは「もり」と読んだ方が字数が合いますね。ま,“字余り”だって全然構わないのですが。
で,ここの近くの「森の里」という新地名も,すくなくと「毛利」を意識しているのではないか,と勝手に思っているのですが,確認はしていません。

それにしても,考えてみれば「毛利氏」ってすごく地味ですよね。
幕末長州藩の思想家や活動家は掃いて捨てるほどいるけれど,お殿様の顔は全然見えてきません。
この点,同時期のライバルである薩摩の島津斉彬・久光兄弟とは雲泥の差です。
そもそも,戦国大名として大成した毛利元就自体が「三本の矢」などという修身の教科書ネタになるような地味~~~なキャラクターで,孫の輝元も関ヶ原で「西軍の総大将」といいつつ何もしなかった,という点で,甚だ「キャラの立たない」存在です。

もしかしたら,厚木に住んでいる人にさえ,自分のところが「あの長州藩」の毛利氏と因縁のあるところだということが知られていないかもしれませんね。
[10568] 2003年 3月 6日(木)18:37:34【1】ken さん
越智さん
[10542] uttさん
[10561] KMKZ さん

戦国時代の伊予の武将で河野水軍で有名な河野氏がありますが、越智氏は河野氏の支流ですので、伊予の姓ですね。
河野支流には、江戸時代に老中などを勤めた稲葉氏がメジャーですが、得能氏、土居氏などがあります。
稲葉さんも、家紋を聞くと「折敷に三の文字」紋の方が多いと思います。
河野氏も源頼朝の挙兵に功績があって、伊予の所領を安堵され、伊予惣領職に任じられてますね。

で、越智さんですが、電話帳の登録人数では、以下のようになってます。電話帳ですから、一世帯1レコードだと思いますので、実際にはご家族を入れるともう少し多いと思います。
明らかに愛媛県の姓ですね。
特に、隣県には少なく、大都市、北海道などに多いという傾向は、元々越智姓が愛媛特有の姓であることがわかると思います。

今日は、越智さんだけで力尽きましたが、宇都宮さんも明日あたりやってみたいと思います。

都道府県名越智さん越智さん率総人口(人)
北海道5690.010%5666539
青森県70.000%1467788
岩手県60.000%1408079
宮城県210.001%2370280
秋田県40.000%1175855
山形県20.000%1235870
福島県250.001%2119382
茨城県490.002%2992538
栃木県330.002%2010507
群馬県150.001%2031975
埼玉県1970.003%7007036
千葉県2270.004%6001020
東京都4580.004%12279778
神奈川県4010.005%8628787
新潟県90.000%2463961
富山県30.000%1118518
石川県100.001%1180565
福井県100.001%828285
山梨県140.002%888838
長野県120.001%2216006
岐阜県370.002%2113611
静岡県600.002%3785811
愛知県1890.003%7122252
三重県340.002%1862539
滋賀県580.004%1359773
京都府1250.005%2645157
大阪府9490.011%8824033
兵庫県5450.010%5580858
奈良県1410.010%1437611
和歌山県280.003%1061646
鳥取県160.003%612457
島根県110.001%756657
岡山県1500.008%1951213
広島県6440.022%2878219
山口県1460.010%1517219
徳島県200.002%820891
香川県990.010%1021698
愛媛県54960.370%1485557
高知県410.005%810237
福岡県3850.008%5042991
佐賀県140.002%873886
長崎県570.004%1506417
熊本県400.002%1858070
大分県550.005%1219058
宮崎県380.003%1165494
鹿児島県260.001%1778687
沖縄県80.001%1337974
全 国114840.009%127521623
[10615] 2003年 3月 7日(金)10:16:12ken さん
re:越智さん
[10608] utt さん
どこでそんな資料を調べたのですか?
それは秘密です。

というわけではなく
http://www.nipponsoft.co.jp/products/bldoko/
このソフトです。
私が持っているのはVer.4で、だいぶ古いですが。

プライバシー的には、やや不安
な、ソフトですが、特に社会問題化もせず、新Ver.が発売され続けてますね。
越智さん調べでは、人数カウントの機能だけを使いましたが、要はハローページの全データが入ってますから、下の名前も住所番地までもわかるんです。
もっとも最近はハローページに載せない人が多いですから、だんだん使えない内容になっていくと思いますが。
ソフト名の無茶苦茶な当て字通り、興信所や、探偵事務所とかしか、需要ないと思うんですが。
でも、結構遊べるソフトです。

uttさんに出所を聞かれて、私もこのソフトのサイトを久々に見たわけですが、Ver6の新機能として、「2003年度 最新データから苗字ランキング及び件数分布図・密度分布図を作成しました。 」と書いてありますねえ。気になりますネエ。
[10622] 2003年 3月 7日(金)12:36:53【1】KMKZ さん
愛媛の仙波さんのルーツは川越!?
[10612]への自己レスです。

中世の武蔵に仙波氏がいました。
http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/ken/k_kanto.html 県別・日本の姓氏 関東
このHPの中に中世の武蔵で活躍した武士団の武蔵七党の表があり、その中の村山党に仙波氏が入っています。

現在の地名で関連ありそうな地名を調べてみると、西武線の奥の方、埼玉県南西部から東京都北西部の地名ばかりで、村山党は中世にこの一帯で活躍した武士団のようですね。

村山 東村山市、武蔵村山市
大井 入間郡大井町
山口 所沢市山口、上山口
仙波 川越市仙波町、小仙波町、大仙波
金子 JR金子駅(飯能市)

中世の武蔵に仙波氏がいたとして伊予の仙波氏とはどう繋がるのか?どのように調査したら良いのだろう?
[10624] 2003年 3月 7日(金)12:47:42ペーロケ[utt] さん
越智さん、仙波さん
越智さん、仙波さんネタが予想以上に白熱しているため、
ひょっとしたらアーカイブ化されるかもしれませんね。
ああ、最近まとめレスばっかりだったので、ちょっと反省します。

[10622]KMKZさま
中世の武蔵に仙波氏がいたとして伊予の仙波氏とはどう繋がるのか?
私はなんとなく水軍由来の名字だと思うのですが。。。
さあ、どうなのでしょう??

ところで、[10612]での日本人の名字、
やはり愛媛での越智さん度、高いですね。。。あれ?仙波さんが居ない。
あまりにインパクトがあるので目立つのでしょうか??
あと、沖縄はスゴイですね(笑)

[10615]kenさま
興信所や、探偵事務所とかしか、需要ないと思うんですが。
そういえばよく、「あの人に会いたい」などのテレビ番組で登場しますね。

「2003年度 最新データから苗字ランキング及び件数分布図・密度分布図を作成しました。 」
なんだか欲しくなりました。そう思うと、8800円は安いですね?
[10629] 2003年 3月 7日(金)13:31:31ken さん
宇都宮さん
宇都宮氏は、結果から言うと、単純明快、明らかに愛媛県、若干大分県、の姓ですね。

しかし、その由来を考えると、何故ここまで、伊予に特化したか、謎です。

宇都宮氏は、その名の通り、鎌倉幕府成立以前から、下野宇都宮を根拠地とした下野きっての有力豪族。戦国期には宇都宮広綱・国綱父子などの戦国大名が、反北条勢力として戦い、秀吉の小田原征伐時も、反北条方=秀吉方ですので、残るのですが、浅野長政から長政の子を世継に押し付けられるのを断ったため、その軋轢から、改易。
しかし、朝鮮の役にお家再興を賭けて従軍したりしますが、秀吉の死によって、お家再興は、立ち消え。
しかし、滅亡とか言って歴史の表舞台から消えても、名家というのは、なかなか完全には滅びません。
宇都宮家嫡流は、水戸徳川家家臣となって、幕末まで続いていますね。

一方、伊予宇都宮氏は、下野宇都宮氏の支流で、承久の乱の時の功で、下野宇都宮氏に伊予守護職が与えられ、一族が赴任したことに発してます。
宗家同様、戦国末期、長曾我部元親に制圧されるまで、伊予大洲を根拠に続きますが、下野の本家とは、養子のやり取り含め、鎌倉・室町期通じて、終始深い関係をたもってますね。
また、同様に豊前宇都宮氏も下野本家から分かれ、豊前国城井郷の地頭になってますので、大分県にも宇都宮姓が、やや多い根拠かと思います。

で、謎なのは、現在の宇都宮姓の分布ですが、分家の方の伊予、及び若干大分で、宇都宮姓が多く、本家の下野の方は、嫡流宇都宮家が水戸藩家臣として続いているにも関わらず、それほど多くないという点ですね。栃木県の宇都宮さん率は全国平均の宇都宮さん率を下回ってますから、「多くない」というよりも、むしろ少ない。

まあ、その姓を名乗っているからと言って、全部が全部、鎌倉時代以前に遡る宇都宮家の子孫というわけではありませんから、成り行き上、偶々そうなった、ということなんだと思いますが、それでもある程度傾向は出るものだと思っていて、もう少し、北関東にも強く出るか、と思っていましたが意外。

果たしてこれが地理ネタか?、は、まあ、興味を持っていただいている方がいらっしゃるようなので、ご勘弁いただいて、お付き合いください。

宇都宮さん都道府県別分布

都道府県名宇都宮さん宇都宮さん率人口(人)
北海道850.002%5666539
青森県130.001%1467788
岩手県650.005%1408079
宮城県410.002%2370280
秋田県60.001%1175855
山形県00.000%1235870
福島県120.001%2119382
茨城県530.002%2992538
栃木県180.001%2010507
群馬県120.001%2031975
埼玉県1210.002%7007036
千葉県1230.002%6001020
東京都2850.002%12279778
神奈川県2140.002%8628787
新潟県60.000%2463961
富山県80.001%1118518
石川県200.002%1180565
福井県580.007%828285
山梨県30.000%888838
長野県1000.005%2216006
岐阜県400.002%2113611
静岡県340.001%3785811
愛知県1540.002%7122252
三重県240.001%1862539
滋賀県200.001%1359773
京都府830.003%2645157
大阪府5550.006%8824033
兵庫県2780.005%5580858
奈良県400.003%1437611
和歌山県220.002%1061646
鳥取県80.001%612457
島根県730.010%756657
岡山県460.002%1951213
広島県2250.008%2878219
山口県770.005%1517219
徳島県80.001%820891
香川県330.003%1021698
愛媛県19110.129%1485557
高知県560.007%810237
福岡県4370.009%5042991
佐賀県170.002%873886
長崎県380.003%1506417
熊本県1540.008%1858070
大分県4770.039%1219058
宮崎県1370.012%1165494
鹿児島県830.005%1778687
沖縄県50.000%1337974
全 国62780.005%127521623

次、仙波さんもやります。
[10640] 2003年 3月 7日(金)16:11:26ken さん
仙波氏
[10622]KMKZさん
中世の武蔵に仙波氏がいたとして伊予の仙波氏とはどう繋がるのか?
[10624]uttさん
私はなんとなく水軍由来の名字だと思うのですが。。。

伊予に多い仙波姓、伊予河野家の家臣仙波氏は、なんと、村山党の仙波氏とは関係なく、下野葛生の仙波に由来する名前でした。
川越に村山党の仙波氏の館跡が残っていますが、
http://members3.tsukaeru.net/penguink/musashi/saitama/senba/senba.html

松山氏北久米にも仙波氏館があり、その説明によると
http://sty.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~a022ce/tyougai.htm
<仙波氏は鎌倉幕府の御家人結城朝光の裔とされ代々下野国(栃木)仙波に住したが、(武蔵村山党の仙波氏とは異なる)応永年間(1394~1428)仙波朝宗が伊予に移り河野家に従ったことに興る。>とのこと。

結城氏の末裔で、下野葛生の仙波が由来とは、意外。

この伊予河野家家臣仙波氏は、河野通直配下として、秀吉の四国征伐で、秀吉の命で伊予平定に来襲した小早川隆景軍と戦ってますね。

で、仙波姓の分布は以下。
こちらは、宇都宮氏と違って栃木県に痕跡を留めています。仙波さん率0.01%以上は栃木県と愛媛県。ですが、それでも、やはり、圧倒的に愛媛県の姓ですね。
というわけで、越智、宇都宮、仙波と見て参りましたが、由来はそれぞれですが、愛媛の姓、ということができると思います。

都道府県仙波さん仙波さん率人口(人)
北海道410.001%5666539
青森県10.000%1467788
岩手県30.000%1408079
宮城県90.000%2370280
秋田県360.003%1175855
山形県00.000%1235870
福島県570.003%2119382
茨城県1550.005%2992538
栃木県1920.010%2010507
群馬県100.000%2031975
埼玉県1110.002%7007036
千葉県730.001%6001020
東京都1860.002%12279778
神奈川県1230.001%8628787
新潟県30.000%2463961
富山県20.000%1118518
石川県20.000%1180565
福井県20.000%828285
山梨県10.000%888838
長野県60.000%2216006
岐阜県110.001%2113611
静岡県130.000%3785811
愛知県510.001%7122252
三重県50.000%1862539
滋賀県500.004%1359773
京都府310.001%2645157
大阪府1140.001%8824033
兵庫県440.001%5580858
奈良県190.001%1437611
和歌山県30.000%1061646
鳥取県20.000%612457
島根県00.000%756657
岡山県130.001%1951213
広島県410.001%2878219
山口県80.001%1517219
徳島県40.000%820891
香川県180.002%1021698
愛媛県8710.059%1485557
高知県110.001%810237
福岡県340.001%5042991
佐賀県10.000%873886
長崎県40.000%1506417
熊本県210.001%1858070
大分県210.002%1219058
宮崎県240.002%1165494
鹿児島県10.000%1778687
沖縄県10.000%1337974
全 国24290.002%127521623
[10647] 2003年 3月 7日(金)17:45:31KMKZ さん
RE:仙波氏
[10640] kenさん

仙波氏まで調査していただき、有難うございました。

越智さん、宇都宮さん、仙波さんと続いた愛媛の苗字の調査、最後の仙波さんのルーツが下野の葛生とは、あまりにも意外なオチでした。葛生町といったら父の実家の足利市のすぐ近く、ここから、室町時代に伊予に行き河野水軍の大将となった一族がいたとは。。。

葛生町の仙波、さっそく、地図で確認しました。葛生町の中心街の北方に、確かに「仙波」がありました。

宇都宮さん、仙波さんのルーツは栃木と知り、愛媛県が身近に感じられます。
いつか愛媛を訪れて仙波氏の館跡にも行って見たいものです。
[10690] 2003年 3月 8日(土)01:43:58でるでる さん
仙波地区
[10640]kenさん
下野葛生の仙波に由来する名前でした
[10645]uttさん
逆に仙波さんの方は、愛媛が圧倒的ながら、栃木県にもけっこういらっしゃるようで。。。
[10647]KMKZ さん
葛生町の中心街の北方に、確かに「仙波」がありました。

私の苗字も比較的珍しい方ということもあってか、苗字については結構興味がありまして、今回 kenさんが紹介してくださった「越智」「宇都宮」「仙波」の苗字のルーツや、各都道府県別の分布数については、私もとても興味深く拝見致しました。kenさんどうもありがとうございました。

「仙波」という苗字の由来は、葛生町の「仙波」地区だったとは、正直驚きました。というのも、私の母校(高校)がすぐ近くにありまして、仙波地区に住んでいる同級生も何名かおりましたし、実際私も仙波地区に行ったこともあります。で今回、仙波地区が「仙波」という苗字の由来の地と知って、気になって卒業アルバムで調べてみたのですが、私の同級生(約600人強)の中には残念ながら?「仙波」さんという方はいませんでしたが。ただ私の職場に「仙波」さんがいらっしゃるので、今度出身地でも聞いてみようかな。

仙波地区に限ったことではありませんが、葛生町といって私が真っ先に思いつくのは石灰工場ですね。今では廃止されてしまったようですが、私の高校時代にはまだ、東武佐野線の葛生駅~東武会沢線上白石駅(貨物駅)までの貨物線が健在であったように記憶しております。また「『鉄道廃線跡を歩くⅤ』JTB刊、宮脇俊三氏編著)」によると、その上白石駅から日鉄鉱業羽鶴専用鉄道の石灰・セメント運搬用の貨物線(現在は廃止)が、仙波地区の石灰工場や石灰鉱山まで延びていたそうですね。現在では石灰やセメントはトラック輸送に変わっておりまして、町内の国道293号線ではダンプカーの通行量が非常に多く、駅から高校までの通学時には結構ヒヤヒヤしたものですよ。

あと葛生町といえば「葛生原人」でしょうか(笑)町内の石灰岩から発見された人骨が、約50万年前のものであるとして、「葛生原人」として観光の目玉にして、毎年夏には「原人マラソン大会」が開催されたり(私も高校時代に参加して、今でもその時の記念キャップを持っております)、「火熾しセット(約700円)」や「原人スティック(=フランクフルト)」なる商品がお土産物として売っておりました。とはいえ、確か「葛生原人」だと思われていた人骨は、結局比較的最近のものであったと、昨年あたりに報道されていたような・・・。

そういえば、仙波地区は栃木市出流町の出流川を挟んで、飛び地になっておりますね。

葛生と聞いて、懐かしさのあまり、つい書き込んでしまいました。
[10691] 2003年 3月 8日(土)03:20:39【1】でるでる さん
愛媛県の苗字
[10542]uttさん
愛媛の名字としては、「仙波」「越智」「鎌田」が多いような気がします

私の手もとに「『日本の苗字ベスト10000』新人物往来社刊、村山忠重著」という、全国の苗字の上位10,000位までと、各都道府県別の上位200位までが紹介されている本がありますので、それを基に調べてみました。
このHPの雑学コーナー「山口県って山口さんがいっぱい?」
http://uub.jp/zat/myoji.html
で紹介されているHPの数値とほぼ同じです。(多少の差異はあります)

苗字順位(愛媛県)推定人口(愛媛県)全国順位推定人口(全国)比率(愛媛県/全国)
越智422,50043047,40047.5%
宇都宮357,40076725,00029.6%
仙波923,5001,59010,00035.0%
鎌田1372,400181115,5002.1%

kenさんがご紹介されたデータ[10568][10629][10640]でも判る通り、「越智」「宇都宮」「仙波」の苗字は、やはり愛媛県らしい苗字と言えそうですよね。なお「仙波」と「宇都宮」は、栃木県の苗字上位200位には入っておりませんでした。その代わり「宇都宮」の苗字は、大分県(121位,推定人口2,000人)が目立つところでしょうか。

「鎌田」は特別愛媛県らしい苗字という訳ではないようですが、北海道・東北地方や四国、南九州に多い苗字のようです。「鎌田」の苗字が目立つ都道府県を下の表にまとめてみました。

「鎌田」の苗字が上位の都道府県
都道府県名順位推定人口比率(各都道府県/全国)
北海道6313,50011.7%
青森514,6004.0%
岩手424,8004.2%
宮城416,7005.8%
秋田1810,7009.7%
千葉1715,4004.7%
徳島522,7002.3%
香川852,5002.2%
愛媛1372,4002.1%
宮崎1012,1001.8%
鹿児島963,4002.9%
全国137115,500

ということで、「鎌田」の苗字は北海道と秋田では10,000人(推定)を越えており、両道県だけで全国の「鎌田」姓の約2割を占めております。
[13646] 2003年 4月 21日(月)19:01:22ken さん
「の戸さん」の分布
四戸を調べていたら人名が結構引っ掛かるので、他はどうなんだろうと、思わず調べてしまいました。
結果的として、

1.基本的には二戸さんを除いて青森県の姓である。
2.岩手県にも、もう少し多いはずと思っていたが、特に多い分布を示していない。
3.二戸姓は山形県に集中。
4.この原資料はハローページで読み方はわからないので、例えば三戸さんは「さんべ」さん等である可能性もある。
岐阜・愛知などに見られる三戸や、広島・山口・福岡に分布する、三戸は「さんのへ」ではない可能性もある。特に広島・山口・福岡は「さんべ」さんかもしれない。
5.九戸政実の乱などで、著名な九戸姓は、意外と珍姓であることがわかった。
7.佐賀、長崎の八戸さんも謎の分布である。
8.地名としては消滅した「四戸」は姓としては9個の「の戸」うちではメジャーな方であった。
9.地名の「の戸」の並ぶ順番と、姓の青森-岩手間分布には、関連性が見出せなかった。
10.とはいえ、全ての「の戸」さんが揃っているのは、青森・岩手の2県。

都道府県人口一戸さん二戸さん三戸さん四戸さん五戸さん六戸さん七戸さん八戸さん九戸さん
北海道56665394984181106601231000
青森県14677881441223526415362401866
岩手県140807962351163457121
宮城県23702802716718311270
秋田県117585526075900620
山形県1235870510114161140
福島県21193829352501400
茨城県299253823426803860
栃木県201050718149210000
群馬県20319751143100300
埼玉県7007036792445246036221
千葉県6001020722359257121140
東京都12279778158301174013128250
神奈川県86287871372668375032291
新潟県2463961344010000
富山県1118518101000000
石川県1180565403000000
福井県828285101100000
山梨県888838201100000
長野県2216006613000020
岐阜県21136118071001130
静岡県378581121220610540
愛知県7122252240661330050
三重県1862539405000200
滋賀県1359773212200020
京都府26451575014310320
大阪府8824033201054530140
兵庫県55808583149030050
奈良県1437611108100000
和歌山県1061646101100010
鳥取県612457000000010
島根県756657206000000
岡山県19512132020100200
広島県287821910220000010
山口県151721911385000021
徳島県820891000000000
香川県1021698101000000
愛媛県1485557003000010
高知県810237002100100
福岡県504299110154100130
佐賀県8738860020000180
長崎県15064172080000280
熊本県1858070704000040
大分県1219058206000010
宮崎県1165494002000010
鹿児島県1778687110000000
沖縄県1337974000000200
全 国127521623270127618996952251958949510
[18871] 2003年 8月 5日(火)20:14:07【1】Issie さん
羽州仙北郡
[18850] 今川焼 さん
仙北平野のある「仙北郡」という地名も気になります。仙南郡?という地名もありませんし。

現在「仙北郡」と呼ばれる地域は,古代には「山本郡」と呼ばれていたようです。
これが中世には「山北郡」と呼ばれるようになり,「せんぼく郡」と読まれ始めたらしい。
やがて「仙北郡」と表記されるようになります(「中山道/中仙道」のペアーと同様,この場合の「山」と「仙」とはお互い自由に交換の可能な漢字です)。
一方,出羽最北部の「秋田郡」のうち北部沿岸部が別の郡として立てられるようになり,「山本郡」はこの地域の呼称へと“移転”しています。
経緯としては「仙○」のような名前で呼ばれていた地域が南北に分割されて「仙北/仙南」となったわけではないようです。だから「仙北」だけで「仙南」がないのでしょうね。
17世紀にはじめて現れる奥州宮城郡の「仙台」とまったく関係がないのは言うまでもない,…ことでしょう。

「大崎」

宮城県仙北地域の伝統的な地域呼称としては,西部の「大崎」と並んで東部には「葛西」というものがありますね。どちらも単独の郡ではなくて,数郡にわたる地域の呼称ですから,郡名としては現れてきません。
で,どちらも中世後期にそれぞれの地域を支配した領主が「持ち込んできた」外来の地名という点で共通するというのが面白いですね。
「葛西」とはもちろん,下総葛飾郡の西部,(古)利根川と太日川(渡良瀬川下流=現江戸川)にはさまれた,現在の埼玉県北葛飾郡から東京都旧南葛飾郡にまたがる「葛西」のことです。
明治半ばの郡制施行に際して多くの府県で郡の統合が行われましたが,宮城県ではそれが行われませんでした。
福島県では「宇多郡+行方郡」の統合で,やはり中世以来の領主が持ち込んだ外来地名による「相馬郡」(ルーツは現在の茨城県北相馬地域から千葉県の我孫子市周辺[旧南相馬郡])が誕生していますから,たとえば「加美郡+玉造郡」とか「桃生郡+登米郡」あたりの統合が行われていれば「大崎郡」や「葛西郡」が登場したかもしれません。
ついでにいえば,「大崎」「葛西」「相馬」のいずれもが本来は下総の地名という共通点も興味深いものがあります。

宮城県の「仙南」「仙北」という地域呼称には,どうも県が設定した行政上の地域区分,という匂いがするような気がします。
近世,藩政時代には「伊達領」「南部領」という呼び方の方が自然であったように思われるし,「伊達領」内には「大崎」なり「葛西」などといった伝統的な地域呼称があるわけですから。
「仙南」「仙北」が登場するのは,早くても「宮城県」の領域が固定する1876(明治9)年以降のことではないか,と思っています(「宮城県」の領域と「伊達領」のそれとは一致しませんよね)。

※そういえば,「伊達領」も「南部領」も,やっぱり藩主がよそから持ってきた地名でしたね。
[18888] 2003年 8月 6日(水)11:22:40ken さん
奥州千葉一族
[18871] Issie さん
「大崎」「葛西」「相馬」のいずれもが本来は下総の地名という共通点も興味深いものがあります。
むむ? 「大崎氏」に関しては、下総の地名由来というのが確認できないのですが・・・?。

頼朝は、安房に逃れ、再起し、千葉常胤を中心とした、葛西氏などを含めた、いわゆる千葉一族の支援で、頼朝は鎌倉入りを果たしますので、鎌倉幕府では重きをなしますね。

地名にはなってませんが、市川市の国分を家名由来とした国分氏も奥州の千葉一族ですね。
「独眼流政宗」では、イッセー尾形が、政宗の叔父で、国分氏に政略養子(乗っ取りですが)に出された国分盛重を演じておりました。

奥州藤原氏征伐があって、その功績で奥州の地を与えられたものが多いのですが、元からの名前を持ち込んだ家と、新任地の地名を家名にしたところがありますね。

ところで「大崎氏」は斯波氏支流ですが、織田信長の時の尾張守護としても登場する斯波氏は、陸奥斯波郡を領したことに因む名で、その支流の「大崎氏」は
http://www5b.biglobe.ne.jp/~yoropara/tishiki/ks00065.htm
などでは、
陸奥国大崎五郡(志田・玉造・賀美・遠田・栗原)を本拠地としたことから「大崎」姓を名乗った、とされる。
となってまして、地名先行説もあるのですが、Issieさん、大崎の由来は、別説をお持ちでしたら、ご教示下さい。

いずれにしても、東北地方に千葉姓が多いこととも、これらの案件と無関係ではなく、奥州藤原氏征伐に従って、領主となった関東地方出身の領主が多いですね。
例えば会津の芦名氏も三浦氏の支流で、三浦半島の地名、現横須賀市芦名が由来ですね。

千葉氏と祖を同じくする秩父氏支流、畠山氏も武蔵国男衾郡畠山庄、現大里郡川本町畠山由来ですね。
畠山氏の一族は二本松畠山氏のように畠山氏のままの家もありますが、畠山氏支流浄法寺氏のように任地の地名を名乗っている家もあります。

南部地方のように、広域地名にまでなっている甲斐源氏南部氏の名が、甲斐南巨摩郡南部町由来であることや、厚木の地名由来の毛利氏、伊豆の伊東の名を持って、日向の領主になっている伊東氏や、遠江相良由来で肥後人吉の領主となる相良氏など、地名と領主人名の繋がりを紐解いて行くと、これはまたこれでなかなか面白い切り口です。
山陰の雄、尼子氏も、京極氏や六角氏と同じ近江源氏の出で、近江国犬上郡尼子郷(現甲賀町)が由来だったりします。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&nl=35/12/34.606&el=136/15/16.210&grp=all&coco=35/12/34.606,136/15/16.210&icon=mark_loc,0,,,,&

他にも意外なところでは、応仁の乱の山名氏は新田義重の子義範が上野国多胡郡山名に住したことに由来。(ですが、現高崎市山名は多野郡のうちでも、多胡郡ではなく緑野郡ですね?)
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&nl=36/16/33.358&el=139/01/54.559&grp=all&coco=36/16/33.358,139/01/54.559&icon=mark_loc,0,,,,&

足利家の領地は三河に多いので、足利一族、吉良氏、一色氏、など三河の地名由来ですが、応仁の乱のもう一方の相手、細川氏、後の熊本藩主、さらに後の首相の細川家も、同様に足利一族で三河額田郡細川に因むものですね。現岡崎市域の北端、矢作川を遡って行ったところ。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&nl=35/01/20.549&el=137/10/31.119&grp=all&coco=35/01/20.549,137/10/31.119&icon=mark_loc,0,,,,&

などなど切りがありませんので、この辺で。
[18889] 2003年 8月 6日(水)18:04:51【1】Issie さん
繁栄する足利氏
[18888] ken さん
むむ? 「大崎氏」に関しては、下総の地名由来というのが確認できないのですが・・・?。

[18850] で 今川焼 さんが紹介されている
宮城県 大崎地域広域行政事務組合
http://www7.ocn.ne.jp/~o-saki/
によれば

「大崎」の姓を名乗るのは、3代4代頃からで、先祖が下総国香取郡大崎荘(千葉県佐原市)を領地としたことから、斯波姓から大崎氏に改めたと言われています。その大崎氏が12代に渡って治めた地方なので、以後、この地方を「大崎」と呼ぶようになりました.

ということなのだそうです。この場合の「大崎」も,地名よりも名字が先であったようですね。

それにしても足利一族,上州起源(渋川,桃井[もものい])あり,武州起源(畠山)あり,三州起源(細川,一色,吉良)あり,奥州起源(斯波)あり,と大変な繁栄ぶりですね。
高氏(尊氏)が北条一族の赤橋氏から嫁を迎えるよりも前にすでに次代の主役が約束されていたかのようにも見えます。もちろん,これは後の展開がわかっている現代から見た後知恵ですが。
そして,戦国以降の没落ぶり。
結局,知藩事として明治初めの廃藩置県を迎えることができたのは管領細川氏の支流である(つまり管領家そのものではない)熊本藩知事と,そのさらに分家の下野茂木藩知事だけ…,かな?
明治になって「足利」姓を名乗ることになる下野喜連川藩知事(古河公方の系統)は,廃藩置県の直前に「藩」を解体してしまっています(日光県へ編入)。

千葉一族などは地元下総でも,足利氏よりも先に没落していますが…。

ですが、現高崎市山名は多野郡のうちでも、多胡郡ではなく緑野郡ですね?

中世までは多胡郡とされていたものが,戦国あたり以降は緑野郡所属となったようです。
…私はてっきり遠江の山名郡(現磐田郡)だと思い込んでいました。

※蛇足ながら,奥州斯波郡はその後「紫波郡」という表記が一般的となり,「しわ郡」と読むようになって近代に至ります。
[40956] 2005年 5月 9日(月)18:29:36トライランダー さん
苗字の話
[40953] ケン(地理好き) さん
珍名に見える苗字のことですが纐纈は岐阜・愛知、阿比留は千葉・九州(特に長崎県対馬)に多いと思います。

纐纈(こうけつ)は確かに中部地方にそれなりに多いですね。名古屋市の守山にいた時、同じ学年に2人いたような記憶があります。
阿比留は確かに対馬に多いですね。九州の場合対馬以外では聞いたことがありませんので、九州全般に多いわけではありません。
ちなみに対馬という名字は、何故か津軽に多く、対馬には1人もいません。
離島つながりで。元々同じ琉球だった奄美諸島は、沖縄風の名字は殆どいなくて、1文字姓が多いです。
[41805] 2005年 6月 1日(水)18:45:36hmt さん
三浦半島の小地名→三浦一族の名字→相模川上流に津久井城→そして「津久井県」などの地名
[41743] 百折不撓 さん
少なくとも、信長以前の姓で地名と同じ場合は、地名が先と考えるのが妥当なのではないでしょうか。

征服した各地にアレキサンドリア(アラビア語でイスカンダル[7333]、アフガニスタン戦争の時にニュースに出たカンダハルも同じ)という都市を作りまくった「歴山大王」の伝統を受け継ぐ西洋と異なり、日本人は概して、地名に人名を付けることには慎重でした。
地名由来の名字が多いのに比べて、人名由来の地名は少ないようです。

そんなことを考えながら過去ログを見ていたら、アーカイブズ地名と姓名の遥かなる関係に行き当たりました。
その中には、下総相馬郡出身の相馬氏が、源頼朝の奥州征伐に参加して、与えられた領地が「相馬領」と呼ばれて定着したとか、甲斐国巨摩郡南部郷から出た南部氏が奥州北部で頭角をあらわし、その地の地名を生んだというような Issie さんの記事がありました。

このように、「地名→人名→別の場所の地名」 という類型があり、hmt として身近な実例は「津久井」です。
改めて過去ログを探ると、さすがに
[1617] Issie さん が
小さなところでは神奈川県の「津久井郡」は中世領主の津久井氏に由来するけれど,津久井氏は三浦半島南部の津久井庄(横須賀市)が本来の領地だった。
と、既に言及されています。
せっかくなので、津久井氏の出自である三浦一族のことなど。

12世紀、鎌倉幕府ができる少し前の東国の武士に、三浦義明という人物がいました。官職は「相模介」ですが「三浦大介」(みうらのおおすけ)で通っています。
この三浦大介義明は、弟や息子などの一族を三浦半島の各地に配し、彼らは、名字としてそれぞれの地名を名乗りました。三浦氏の惣領家の三浦義明の部を見ると、三浦の他に、杉本、和田など地名からの名字が多数出ています。後に鎌倉幕府侍所別当になったが、北条義時と対立して滅ぼされた和田義盛と、和田合戦の時に北条方についた三浦義村は、いずれも義明の孫です。
大介義明の弟、津久井次郎義行も、三浦半島の津久井庄(現・横須賀市)由来の名字です。これも地名先行の例。

ところが、津久井次郎義行の息子・為行(津久井太郎次郎義胤)が、現在の津久井町根小屋の宝ヶ峰に築城し、付近一帯を津久井領としたのが「津久井」の地名の起源と伝えられます。今度は人名先行です。

この城が歴史の舞台に登場するのは戦国時代。小田原北条氏が甲斐の武田氏に備えて、内藤景定を城主として「津久井衆」という家臣団を編成した後のことです。1569年には、付近の三増峠で両軍の激突がありました。その後、秀吉の小田原攻めの際(1590)には、「小田原評定」を続けている間に、津久井城も落城。

江戸時代初期には、「慶安三年(1650)相州津久井領絵図」が示すように「津久井領」と呼ばれていましたが、元禄4年(1691)に愛甲郡と高座郡とに分属していた津久井領が両郡から独立した際に、「津久井県」と命名されました。
命名者である代官・山川金衛門貞清は、漢学者だけに、この地は、郡と称するにはあまりに弱小と考えたのでしょう。
[1196]Issie さん や、森鴎外の「寒山拾得」にもあるように、
本来は「県」よりも「郡」の方が大きい区画です。

実際問題としては、日本にはミニサイズの郡がいくらでもあったので、わざわざ「津久井県」を名乗る必要もなかろうと思いますが、とにかく「津久井県」は「近世日本で唯一の県」になり、この公式名称は明治3年に「津久井郡」になるまで続きました。
「津久井町」は、1955年昭和合併の産物。

最初に挙げた三浦大介義明のエピソード。
彼は、治承4年(1180)に源頼朝の挙兵に応じ、平家打倒に立ち上がりましたが、両軍が合流を果たす前に、頼朝が石橋山で敗れてしまったので、衣笠城に引き返して平家の追撃を防ぎ、一族を脱出させました。89歳の大介はその際に討死しましたが、三浦一族は頼朝軍に加わって功績を挙げ、鎌倉幕府の要職につきました。
大介の死後17年、頼朝は、義明の功績をたたえて生けるが如くに扱ったので、三浦大介は 89+17=106歳までの長寿を保ったとされるようになりました。

厄払いに曰く。
「アーラ目出度いな目出度いな。目出度きことにて払いましょう。
鶴は千年、亀は万年、東方朔は九千年、浦島太郎は三千歳、三浦大介百六つ。」
川柳の “厄払い さて短命は三浦なり” は、このセリフを踏まえています。
#東方朔は、漢の武帝の宮廷にいた人物。西王母の桃を三つ盗み食いしたので長命との伝説あり。

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