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落書き帳アーカイブズ 淡路島はその歴史の中で、政府の意向によって所属を変えられた経緯を持つ。風土、慣習、文化的には徳島県よりの色を持っているが、いまだその所属は兵庫県である。淡路島の趨勢はどのようなものだったのか?

淡路島の所属 ―兵庫県なのはどうして?徳島県じゃないの?―



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編集:special-week

記事数=7件 更新日:03年04月24日
記事#記事日付
記事タイトル
発言者
[730]2002年1月26日
支庁 Issie
[2713]2002年8月22日
Re: あわじ市 実那川蒼
[2737]2002年8月23日
Re^2: あわじ市 Issie
[4046]2002年10月21日
奄美県 桃象
[11980]2003年3月27日
淡路島の所属 special-week
[11989]2003年3月28日
[11980] 2003 年 3 月 27 日 (木) 22:53:38 special-week さん ken
[12002]2003年3月28日
淡路島の所属 special-week



[730] 2002 年 1 月 26 日 (土) 22:50:39 Issie さん
 支庁
hmt 県の下位区分 ARC 支庁は北海道の専売特許か?−支庁とその制度について考える− ARC 淡路島の所属 ―兵庫県なのはどうして?徳島県じゃないの?―

設置された手続きを考えると,北海道の「支庁」とほかの府県(東京“府”も含めて)の「支庁」とは違うものなのかもしれません。もっともそれは,北海道が「府県制」の施行されている本州以南とは違った制度下にあったのだから,ある意味当然なのでしょうが。
とはいっても,離島や山間僻遠で県庁所在地との交通のきわめて不便な地域に「支庁」を置くという意味では同じでしょうかね。

明治・大正期の「支庁」についてはまだ資料が確認できていないのですが,現行憲法・地方自治法施行以前の昭和前期の「支庁」については,1925年に出された以下の“大正15年内務省告示第82号”が根拠になっています。

府県支庁ノ名称,位置及管轄区域別表ノ通定メ大正十五年七月一日ヨリ之ヲ施行ス
大正十五年六月五日  内務大臣 浜口雄幸

別表に挙げられたのは以下の25支庁。

東京府 大島支庁,八丈支庁,小笠原支庁
長崎県 南松浦支庁,壱岐支庁,対馬支庁
新潟県 佐渡支庁
三重県 南牟婁支庁
岐阜県 飛騨支庁
福島県 南会津支庁
岩手県 下閉伊支庁,九戸支庁
石川県 珠洲支庁
島根県 隠岐支庁
岡山県 阿哲支庁
広島県 神石支庁
和歌山県 東牟婁支庁
愛媛県 宇和支庁
高知県 幡多支庁
熊本県 天草支庁
宮崎県 西臼杵支庁
鹿児島県 熊毛支庁,大島支庁
沖縄県 宮古支庁,八重山支庁

このうち,岩手県九戸支庁,石川県珠洲支庁,岡山県阿哲支庁,広島県神石支庁の4つは1932(昭和7)年4月1日に廃止されています。
また,三重県南牟婁支庁,岐阜県飛騨支庁,福島県南会津支庁,岩手県下閉伊支庁,和歌山県東牟婁支庁,熊本県天草支庁,宮崎県西臼杵支庁の7つは1942(昭和17)年12月1日に廃止されて,この年の7月1日に北海道を除く全国にわたって(以前に“行政区画としては”廃止された)旧郡の区域に設置された「地方事務所」に改編されました。つまり,“通常の郡”と同格になった。
逆に東京府では1943(昭和18)年4月1日に大島支庁から三宅支庁が分離し,兵庫県では敗戦間際の1945(昭和20)年6月6日に津名地方事務所と三原地方事務所の管轄区域をもって淡路支庁が新設されました。
戦後の1946(昭和21)年12月1日に愛媛県宇和支庁が廃止され,北宇和地方事務所・南宇和地方事務所が新設されています。

ここまでは明治憲法下で,地方官制としての地方制度を定める権限は天皇大権として,実際には政府が持っていました。だから全国一律の制度が行われました。
けれども,1947(昭和22)年5月3日に現行憲法と地方自治法が施行されて,“県の出先機関”としての「支庁・地方事務所」の設置権限は,その呼称も含めて都道府県の方に移りました。ついでに,「東京都」も「北海道」もほかの府県と“同じ制度”の下に置かれることになったので,それぞれの「支庁」にも“違い”はなくなりました。
そして,出先機関については各都道府県で別々の道を徐々に取り始めることになります。多くの県では少なくとも「地方事務所」という呼称をやめています。新潟県のようにこのような出先機関自体を全廃してしまったところもあります。

“大正15年告示”に挙げられていた支庁でそれを引き継ぐ形で今現在も存続しているのは,
東京都の4支庁,島根県隠岐支庁,長崎県五島支庁(←南松浦支庁)・壱岐支庁・対馬支庁,宮崎県西臼杵支庁,鹿児島県熊毛支庁・大島支庁,沖縄県宮古支庁・八重山支庁
の13支庁です。
(ただし,鹿児島県大島支庁と沖縄県の2支庁は米軍統治下では全く違った制度下に置かれていたので昭和前期のそれとは連続しないのですが。)
もちろん,北海道の支庁は1897(明治30)年に設置された「北海道庁」の支庁を引き継ぐものです。

千葉県の「支庁」は1942年設置の「地方事務所」を改称したものでしょうね(いつのことか確認できていないのですが)。
また,山形県は2001年4月1日にそれまで郡ごとに設置されていた地方事務所その他を統合して「村山」「置賜」「庄内」「最上」の4つの「総合支庁」を新設しています。

いやぁ,長くなっちゃって…。ごめんなさい。

[2713] 2002 年 8 月 22 日 (木) 02:17:24 実那川蒼[あんどれ] さん
 Re: あわじ市
ARC 淡路島の所属 ―兵庫県なのはどうして?徳島県じゃないの?― ARC ひらがな・カタカナが使われる市町村名についての発言集

[2691] [2695]
「あわじ市」というと、以前カナモジカイ(日本語をカタカナで書き表そうという運動を起こしている団体)
関連の資料で見たのですが、淡路に限らず日本の地名の多くは当て字であって、
「阿波(これも当て字)への通り道」という意味である「あわじ」に「淡路」という漢字を当て、
甚だしくは「淡」だけを取り出して「北淡町」・「西淡町」・「南淡町」という地名を作り、
なおかつ「淡」を音読みして「ダン」と読んでいることを批判していました。
「ダン」という読みは元の和語の「あわじ」とはまったく関係ないからです。

こういう説を読むと、一概に「漢字がよくてひらがながよくない」ということはいえないのだと感じました。

現在のカナモジカイのページからは当該資料が見つからなかったので、URLは載せられないことをご容赦ください。

[2737] 2002 年 8 月 23 日 (金) 00:33:55 Issie さん
 Re^2: あわじ市
ARC 淡路島の所属 ―兵庫県なのはどうして?徳島県じゃないの?― ARC ひらがな・カタカナが使われる市町村名についての発言集

[2713]
どうなんだろ。

“当て字”ってのは初めから十分わかっているのでは。
この理屈では「信州」も「甲州」も「奥州」も「長州」も地名として成立しません。信・甲・奥・長という漢字に何の意味もないのだから。
「甲府」「防府」なんて地名もそうだし,(きわめて人為的な地名だけど)「紀淡海峡」なんてのもそう。
郡制施行に際して統合された郡の名前の多くは,もともと当て字である旧郡名の一部を組み合わせたものですね。
「淡」が当て字だから意味がない,と言ってしまえば,日本の地名のかなりのものは成立しなくなってしまいます。
だから“かな”で書け,というのは何とも乱暴な。

「淡路」はもちろん語源的には当て字だけど,この表記が使用され定着した結果,「あはぢ」と呼ばれる地域の地名と不可分になっているはず。だから,「淡」という字で「淡路」を代表することもできるし,「淡州」なんて表現も成立する。そして「北淡町」という地名も導き出されるのです。この町名の地名としての出来の良し悪しは別にして…。
(語源を反映する旧かな表記「あはぢ」ならともかく,表音主義の現代仮名づかいで「あわじ」と書いても,語源的にはやはり無意味です。そもそも旧国名の「あは」って,どういう意味?)

この組織の主張と“ひらがな自治体名”の是非とは次元の違う問題だと思います。話は噛み合わないでしょうね。

[4046] 2002 年 10 月 21 日 (月) 11:35:48 桃象[桃象@国仲涼子ファン] さん
 奄美県
ARC 沖縄・奄美情報交差点 ARC 淡路島の所属 ―兵庫県なのはどうして?徳島県じゃないの?―

[4027]
てへへさん,ご丁寧な説明をありがとうございました。

>一つの文化圏であっても、都道府県が行政区分である以上、
>奄美群島が鹿児島県に所属したことは必然と思われます。
>なお所属する都道府県の変更については以前に[3866][370]で論議があったとおりです。

当時の状況を省みれば,確かに奄美諸島が鹿児島県に帰属することになったのは,自然な事であっただろうとも思います。しかし,現在は平成の大合併と後日記録されることになるであろう市町村合併の動きが喧しい状況下にあります。その中でやはり大きな問題の1つになっていることは,行政区分と生活・文化,経済圏の乖離が目立つ箇所が少なくなくなっていると言うことです。地方自治意識が一時代昔に比べて相当に高くなっていると思われる現在,例え思いつき的な話にせよ,行政区分の由来や将来像等を自由に話し合ってみることは決して無駄ではないのではと思います。そういう意味でも,私個人は,将来は道州制か連邦制を施行し,その上で,奄美県を新しく作るのが,奄美地方の人たちにとって最も良いのではないかと思う次第です。(もちろん,そのためには自治制の仕組みの抜本的な改革等が必要になるでしょうし,大変なエネルギーが要求されることでしょうね)。

それは北海道の場合にも言えると思います。北海道の中に新たな県を設けるべきなのか,現状で特に不都合がなければ支庁制のままでいいのか,そういう話し合いも北海道住民の間でなされるべきではと思っています。

また対馬,壱岐や佐渡島,淡路島の例にも見られるように,1島1自治体の形を求める動きも垣間見られますが,離れ島における自治体のあり方も生活・文化圏と行政区分の関係を考える上では決して無視はできない問題であろうとも思います。特に,沖縄県が発表した合併案では「新・那覇市」は多くの離れ島を合併することになっています。また石垣市が八重山諸島の島の自治体と合併する案はどうなのか。もちろん,住民の意向が大切なことは言うまでもありませんが,雑魚さんの雄大な構想の例にも見られるように,外の目からの意見と言うものも傾聴に値するものであろうとも思う次第です。

==

[11980] 2003 年 3 月 27 日 (木) 22:53:38 special-week さん
 淡路島の所属
ARC 淡路島の所属 ―兵庫県なのはどうして?徳島県じゃないの?―


 淡路島は兵庫県です。
 しかしよきょく考えてみると徳島県鳴門市に橋がかかっており、どう考えても徳島県に所属するのが筋のような気がします。淡路島全域としては兵庫県、徳島県どちらに地域色が似ているのか?生活圏はどちらを起点としているのか?と疑問が沸きます。
 明石海峡大橋の開通によって、また兵庫県とのつながりが強くなったとは思いますけども実際はどうなんでしょう?それともフェリーのつながりを重視した結果、兵庫県なんでしょうか?
 明治維新後、どうして淡路島は兵庫県に属したのでしょうか?分かる方いらっしゃいましたらご教授お願いいたします。
 私が淡路島を旅したときは、まだ明石海峡大橋が開通する前だったのでどちらかといえば、徳島県色が強かったような気がします。

[11989] 2003 年 3 月 28 日 (金) 01:00:23 ken さん
 [11980] 2003 年 3 月 27 日 (木) 22:53:38 special-week さん
ARC 淡路島の所属 ―兵庫県なのはどうして?徳島県じゃないの?―

[11980]special-week さん
明治維新後、どうして淡路島は兵庫県に属したのでしょうか?
ある意味、徳島藩への懲罰ですね。
淡路は江戸時代を通じて徳島藩領でしたので、当然、歴史的には阿波との結びつきが強いです。

幕末維新時の淡路は、それだけで一つのドラマになるくらい、劇的な経緯があるのですが。
かいつまんでいうと、
江戸時代、淡路一国は、戦国時代には蜂須賀小六と同僚だった稲田大炊助を祖とする、徳島藩筆頭家老稲田家が預かり地として、家老とはいえども、1万4千石、一国一城の主となっていました。
幕末、倒幕、佐幕の態度がはっきりしなかった、徳島本藩の動きに対して、稲田家の家中では、本藩の動きとは別に、倒幕論が台頭。
それと同時に、洲本藩の徳島本藩からの分離独立の運動も出て、岩倉具視などと通じる動きもあったりします。態度のはっきりしない徳島本藩と切り離して、稲田家を倒幕側に、という思惑も岩倉などにはあったようです。
しかし結局、徳島本藩も倒幕に固まり、戊辰戦争では、相応の活躍をします。
ですが、淡路分藩の気分は底流として、残ります。

版籍奉還時、基本的には旧領をそのまま、旧藩主が旧領の藩知事に任命される中で、淡路のうち津名郡43カ村が兵庫県の管轄に移されるという異例の事態が起きます。
また、版籍奉還で、武士の身分が廃止されるに及んで、徳島藩家臣は士族ということになるが、淡路稲田家1万4千石、3千人の家臣がいるが、徳島藩本藩家臣なのは、家老の稲田邦稙ただ一人。稲田家の家臣は陪臣なので、士族にはなれない、という事態に直面。
これを契機に、淡路稲田家の分離独立運動は、ついに武装蜂起となり、洲本でも徳島でも、稲田家臣と本藩家臣の武力衝突が起きます。

東京に蜂須賀茂韶と稲田邦稙が召喚され審問を受けるが、東京での空気は稲田家に同情的。

こんな中で廃藩置県が行われたが、稲田家の処分を蜂須賀家に任せたくない、という新政府の姿勢から、3府72県に整理された段階で、本来、統幕参加藩は、旧藩庁所在地を県名に冠するのが、許されるのが普通だが、敵国待遇ともいうべき、藩庁所在地名を県名としない名東(みょうどう)県とされた。このときには、淡路は名東県に含まれ、兵庫県の所属であった津名郡も名東県に戻る。このまま行けば、阿淡二ヶ国は元通り一つの県になるはず、と思われたが、そのわずか5日後、津名郡は再び兵庫県の管轄に移される。
このあたりは、新政府の徳島藩の淡路政策に対する、不信があると思われる。
そして、明治9年のさらなる県統合で、なんと名東県は廃され、阿波は高知県に、淡路は兵庫県に統合されてしまいます。
明治13年になって、ようやく徳島県の高知県からの分立がなるが、そのときには、既に淡路は兵庫県としての結びつきを深めていた、という。

ちょっと限られた時間と字数で説明するのに無理がありましたね。
意味わからないと思います。すみません。
要は、淡路は、色々な思惑から、政治の道具としてもてあそばれた、ということで、ご理解いただければ、大まかには間違いではないかと。

[12002] 2003 年 3 月 28 日 (金) 10:18:05 special-week さん
 淡路島の所属
ARC 淡路島の所属 ―兵庫県なのはどうして?徳島県じゃないの?―

[11990]
ken様

 詳しい解説ありがとうございました。
 いろいろと確執の歴史があったのですね。それでもまだまだ疑問が残ります。戦後新政府下のもとで徳島県側に組み込まれなかったのはなぜか?昭和の大合併を機会に徳島県に戻る機会はあったはなのにどうして?とか。
 けど、これは簡単に想像できそうですね。一度兵庫県に属してしまうと元に戻すのは難しいですからね。きっと兵庫県側が譲らないのだという感じだと思いますけども。
 淡路島の天気予報は兵庫県のニュースで扱われるのかな?(兵庫県だから当然か)しかし兵庫県から淡路島に行くのにはお金がかかるけど、徳島県側から行くのにはお金がかからないですよねえ。これだと完全に徳島県側とのつながりが強くなる気がするんですがねえ。

 よく上沼恵美子が「淡路島は私の持ち物」的発言をしますが、やはり関西圏とのつながりが大きいのかな〜



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