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落書き帳アーカイブズ 仙台は、「杜の都」と呼ばれます。市街地の青葉通や定禅寺通のケヤキ並木が連想されるところですが、仙台が杜の都たる所以は、もっと別のところにありそうです。

なぜ仙台は「杜の都」と呼ばれるのか?



★推奨します★(元祖いいね) Pachi YSK 北神
編集:YSK

記事数=8件 更新日:03年04月19日
記事#記事日付
記事タイトル
発言者
[4833]2002年11月12日
「杜の都」の真実 YSK
[12666]2003年4月7日
仙台のペデストリアンデッキ YSK
[13308]2003年4月16日
杜はどうなる ちりたま
[13316]2003年4月16日
杜は本当にどうなる ちりたま
[13317]2003年4月16日
修正 ちりたま
[13464]2003年4月19日
青葉通のケヤキ並木に見る「杜の都」の現状 YSK
[13466]2003年4月19日
杜の都、追加 YSK
[13469]2003年4月19日
青葉の森レス ちりたま



[4833] 2002 年 11 月 12 日 (火) 21:32:48 YSK さん
 「杜の都」の真実
ARC なぜ仙台は「杜の都」と呼ばれるのか?

[4818] 雑魚さん
仙台駅西口を出て、ペデストリアンデッキに面して入口のあるアイエ書店は、よく行っていましたよ。今では、程無いところにあるイービーンズ内のジュンク堂書店が仙台一の規模を持つ書店だと思います。
私が愛読する司馬遼太郎「街道をゆく」シリーズ26巻「嵯峨散歩、仙台・石巻」の中に、以下のようなくだりがあります。

司馬氏は、宿泊先のホテルで朝食を注文し、窓の外に見えるペデストリアンデッキの景観に好感を抱いています。
(以下、引用)
私は、体をうごかして、この景観を楽しもうと思い、朝食の注文をしたまま、ホテルの玄関を出、すぐそばにある階段をへて宙空の路面へのぼった。歩くと、ここちよい。上に街があるという感じである。つまりべつのビルにこの宙空歩道が接している。たとえばその路面のレヴェルのまま本屋さんの入口が開口していた。自然、店内に入って本棚をながめるうちに(以下略)

紛れも無く、司馬氏が入った店こそ、この「アイエ書店」であると思われ、更に言うと宿泊していたのは仙台ホテルではないかと推察されます。

仙台が「杜の都」と呼ばれるようになったのは、1910年代頃であったといわれています。それには、藩政時代から受け継がれた市街地の屋敷林の緑に加えて、市街地外縁部の青葉山や八木山、鶴ヶ谷付近の丘陵地の緑が、市街地の借景として重要な役割を果たしていたといえます。古くは、仙台駅前からもこういった市街地内部の緑地や周辺の山の緑が望まれ、そういった風情が、仙台をして「杜の都」と言わしめた最大の要因だったのです。

戦後は、空襲や市街地化に伴い市街地内部の緑地が減少したのに加え、八木山や鶴ヶ谷の市街地近隣の丘陵地がことごとく団地として開発されてしまいました。今、仙台を訪れると、青葉通や定禅寺通のケヤキ並木が「杜の都」の象徴として旅行者を迎えてくれますが、もちろんこれらの街路樹は戦後の都市計画の産物なので、現在の「杜の都」の象徴とはいえ、「杜の都」もともとのオリジンではないのです。仙台は、政令指定都市の中でも道路の街路樹率の低い都市であると聞いたことがあります。

かつての「杜の都」仙台を味わいたい方にお勧めの散歩スポットをご紹介します。

(1)青葉区片平
 仙台高等裁判所、市立片平丁小学校、東北大学本部の西に、広瀬川に沿って南東に伸びる道路が「片平丁」と呼ばれる街路です。裁判所や小学校の敷地が、かつては仙台藩の重臣の邸宅跡で、今でも往時を偲ばせるゆたかな緑が残っています。また、ところどころ広瀬川の眺望に優れた場所があり、青葉山丘陵の緑や広瀬川の清流も味わえます。八木山方面へのバス通りとなっているため車の量は多いのですが、ゆたかな都市景観の残る、仙台市街地では一押しのスポットです。

(2)青葉区上杉(かみすぎ)
 仙台駅西口を西に進み、程なく南北の通り「愛宕上杉通」に行き当たります。この道を北へ、国道45号線、定禅寺通を横断して更に歩くと、右手にNHK仙台放送局が見えてきます。このあたりから、上杉地区になります。この「かみすぎ」という少々珍しい読み方をする地名は、もともと「上杉山」が正しい言い方で、字の通り、杉の木の豊かな都市近隣の緑地の卓越した地域でした。今でも、北四番丁通に面したところにある勝山公園や、宮城教育大学付属中学校付近に杉林が残り、かつての仙台市中の緑の豊かさに思いをいたすことができます。今では、閑静な高級住宅地の趣で、どこか懐かしい雰囲気のある町です。

(3)青葉区台原(だいのはら)森林公園
 仙台市営地下鉄台原駅を下車すると、目の前にこんもりとした豊かな森が現れます。これが、団地開発の嵐の中、この地域で唯一残されたかつての丘陵の緑の残骸、「台原森林公園」です。地下鉄の次の駅旭ヶ丘まで歩けば、心ゆくまで杜の都の雰囲気を堪能できます。
 なお、仙台市営地下鉄は、台原〜旭ヶ丘の区間で西側が開口し、この豊かな森が車窓から見える構造になっています。この粋な演出も、ぜひ経験してみてください。

最後に
仙台の大学は、ご指摘の東北大学、宮城教育大学以外の大学も、すべて丘陵の上にあるんですよ。市街地付近に居住地を確保できる学生はごく少数で、たいていの学生が住む場所は八木山や北山など、丘陵地にあるリーズナブルなアパートになります(条件の良い地域の物件はすでに上級生によって占拠されていることが多く、新入生の多くがこの不便さを味わいます)。私の周囲では、仙台に好印象を持つ学生は多くありませんでしたが、このあたりも影響しています。仙台が坂が多い町かどうかのお話は後ほど。

[12666] 2003 年 4 月 7 日 (月) 23:35:19【1】 YSK さん
 仙台のペデストリアンデッキ
ARC ペデストリアンデッキのある駅前 ARC なぜ仙台は「杜の都」と呼ばれるのか?

私も、仙台に最初に来た時は、駅前のペデストリアンデッキに「都会」を感じましたね。駅前にはすぐ側まで道路が接近していて、車両がひっきりなしに行き来しているのですが、駅の利用者はそれらにまったく惑わされること無く、仙台駅に到達することができますね。仙台駅も2階部分が改札口になっているので、駅から出て、段差無くペデストリアンデッキに達することができます。

駅前から伸びる青葉通のケヤキですが、JR仙石線の地下化によって「あおば通駅」が開業した時にかなりの本数が伐採されていたように思います。駅前から東五番丁(愛宕上杉通)までの間は、ほとんどケヤキがなくなってしまいました。

市街地のケヤキ並木は現代の杜の都の象徴といえますが、仙台が「杜の都」と呼ばれた本来の所以は市街地における大名屋敷を受け継いだ敷地の広い宅地等における屋敷林と、青葉山や八木山、上杉や北山あたりの丘陵地における雑木林の緑が、町を覆っていたことによるものだと思っていますので、それらの緑を戦後の都市化によって失ってしまった仙台としては、街中の借り物の並木に「杜の都」たるよすがを見せていたのですが、私としては、それを保存することも大切であると思う以上に、かつての「杜の都」を構成した、総体としての緑をいかに育成するかをより大切にしたい気持ちです。街中の並木を保存したことだけによっては、「杜の都」の伝統を守ることはできないと感じます。

それはそうと、ペデストリアンデッキですが、一応術語としては「歩行者回廊」なる日本語訳があるようです。「歩道橋」とどこか違うのかとも思うのですが、都市の設計者側にとって見れば、その「橋」の役割によってそれぞれに専門の術語が無ければ不便であるということなのでしょうか。

[13308] 2003 年 4 月 16 日 (水) 21:57:42 ちりたま さん
 杜はどうなる
ARC なぜ仙台は「杜の都」と呼ばれるのか?

[12243]松戸さん
せっかくの街路樹を伐採するとの噂

ぉう!?私街路樹って大好きなんです!!伐採するな〜!!!せめて私が行くまで!!
ってそのあとも残しとけ〜!!
東西線の整備に伴い、青葉通りのケヤキ並木の3分の1に当たる77本が伐採もしくは移植されます。また仙台市の保存樹木にも指定されている樹齢約270年の西公園の大イチョウも動かされる予定です。
・・・3分の1という数字をどうみるか、ですね。

[13316] 2003 年 4 月 16 日 (水) 23:29:23 ちりたま さん
 杜は本当にどうなる
ARC なぜ仙台は「杜の都」と呼ばれるのか?

[13302]
東西線整備では広瀬川や竜ノ口峡谷に地下鉄専用の橋を架けるらしいです。これは実際に行われたアンケートの結果です。

地下鉄東西線の利用目的は?
目的割合(%)
レジャー29.2
買い物27.0
飲食4.9
仕事3.6
通勤3.4

また便利になる駅として「仙台」「一番町」「動物公園」がおもに挙げられています。
以上のデータからレジャーや買い物のために使うという傾向が強く見られます。それはほぼ毎日「しょっちゅう」使う路線ではないということを示しています。今のように消費が低迷しているときに採算がとれるのかという不安がでてきます。地下鉄の運賃の高さもかなりネックになりそうです。現に運賃がもっと安ければ南北線の利用を考えると言う人が多いですから・・。
仙台市の利用者予測は甘いという人がいますが、これらのデータを見る限り私もそう思います。前述の広瀬川架橋をするなら環境や景観に配慮をしてほしいという意見も多いです。環境を破壊してからでは遅いのでここはひとつ冷静になって何のための東西線かを考える必要性があるように思えます。

[13317] 2003 年 4 月 16 日 (水) 23:39:42 ちりたま さん
 修正
ARC なぜ仙台は「杜の都」と呼ばれるのか?

[13316]
環境を破壊してからでは遅いのでここはひとつ冷静になって何のための東西線かを考える必要性があるように思えます。
「環境を破壊してからでは遅いので」を「環境が一度破壊されると取り返しがつかなくなるので」に変えて読んでください。すみません。

[13464] 2003 年 4 月 19 日 (土) 17:22:21【2】 YSK さん
 青葉通のケヤキ並木に見る「杜の都」の現状
ARC なぜ仙台は「杜の都」と呼ばれるのか?

[13316][13308]ちりたまさん
東西線の整備に伴い、青葉通りのケヤキ並木の3分の1に当たる77本が伐採もしくは移植されます。また仙台市の保存樹木にも指定されている樹齢約270年の西公園の大イチョウも動かされる予定です。
昨年末に仙台を訪れた時、かつては仙台駅のすぐ側まで威勢のよい樹冠を繁茂させていた青葉通のケヤキ並木が往時の面影もなく、数が少なくなっていましたね。おそらく、JR仙石線の地下化工事とあおば通駅の新設に伴う措置であったものと思います。
そして、この青葉通の下をメインのルートとして通過する予定の地下鉄東西線の建設によって、青葉通のケヤキ並木も帰路に立つことになるのですね。

思えば、確か地下鉄南北線の建設の時も一部のケヤキが移植されていたように思います。

地下鉄東西線の建設の是非についてはひとまず置くといたしまして、青葉通のケヤキ並木も1946年に戦後の復興都市計画の中で「青葉通」などが割り出されたのと期を一にして生まれていますから、多くの木々が樹齢50年を過ぎ、都心の劣悪な環境のもとにありますから、地下の構造に重大な変容を及ぼす懸念のある地下鉄工事に際しては、移植もしくは伐採という道はある程度はやむを得ないのかなと考えています。

アーカイブズ内拙稿「シリーズ・クローズアップ仙台」の中で度々言及させていただいておりますが、仙台が「杜の都」といわれる所以は、この青葉通と定禅寺通のケヤキ並木があるからではなく、大正期から昭和初期に、城下町の広い屋敷を受け継ぎ、屋敷林が比較的多かった市街地の佇まいと、市街地を取り囲む青葉山、北山、台原方面、八木山方面などの丘陵地のゆたかな緑とが織り成す仙台の景観から呼称されるようになったといわれています。これらのうち、市街地の緑は戦災で大打撃を受けた上に戦後の高度成長の影響で減少し、また丘陵地の緑も多くはやはり高度成長による宅地開発の波の中失われていきました。

多くの人々が「杜の都」に市街地のケヤキ並木を見るということは、裏を返せば、本来の「杜の都」という言葉がさしていた緑の多くが、現在の仙台には存在しない、ということなのだと思います。

ですので、私は市街地の並木の保存(もちろん、戦後仙台の象徴として重要な事物ですので、保存は必要と考えてはいますが)という単一の事象のみから「杜の都」を考えるのではなく、もっとトータルな視点から仙台市の緑地環境を考えて、保存・整備していくことが必要なのかな、と考えています。

仙台市建設局緑地整備課では、昨年に「青葉通ケヤキ街路樹等に関する方針<素案>」を策定し、東西線建設などで転機を迎えつつある青葉通のケヤキ並木の扱いや保存の方向性に関する方針案を発表して審議会に諮問するとともに、市民からも広くパブリックコメントを求めました。

青葉通ケヤキ街路樹等に関する方針<素案>
http://www.city.sendai.jp/kensetsu/ryokka/keyaki-ima/houshin.html

「青葉通ケヤキ街路樹等に関する方針<素案>」に関するご意見(パブリックコメント)
http://www.city.sendai.jp/kensetsu/ryokka/keyaki-iken/index.html

市の方針は、ちりたまさんご報告のとおり3分の1ほどのケヤキを移植もしくは伐採し、ケヤキに影響のない範囲内において新たケヤキを植栽するとされています。
一方、市民の意見としては、ケヤキ並木を保存すべきとするうえで、劣悪な都市環境下に置かれたケヤキについて懸念する意見から、移植する場合に根づくかどうかを心配する意見や、戦後仙台の象徴的な存在であったケヤキに敬意を表して、仙台市が建設を計画している能楽堂の用材として用いたらどうか、といった意見まででていました。市民の意見は環境のよくない場所で50年間育ってきたケヤキの健康状態を心配する視点からのものが多かったように思いますね。

たとえ、「杜の都」のオリジナルではないにしても、青葉通のケヤキは「現代の杜の都」を象徴として欠かせないものであることは大方の意見の一致を見るものと思います。伐採・移植された後にも新たにケヤキが植えられるのだとおもいますが、そこから始まる新たな50年が、ケヤキにとっても、仙台の町にとっても健康的な時間であるよう、精一杯の取り組みが求められるのではないかと思います。

戦後間もなく都市計画で突如出現した広幅員の道路は、舗装もされておらず、風の日は砂塵が舞い、雨の日はぬかるみ、「仙台砂漠」などと揶揄されていたのだそうです。その傍らで、ひっそりと植えられていた幼いケヤキたちは、今仙台の町をゆたかに彩っています。

[13466] 2003 年 4 月 19 日 (土) 17:36:12 YSK さん
 杜の都、追加
ARC なぜ仙台は「杜の都」と呼ばれるのか?

市街地の屋敷林、市街地の周辺の緑に加えて、後背地における集落を取り囲む屋敷林(イグネと呼ばれます)の緑、広瀬川の緑なども、「杜の都」の重要な構成要素ですね。

[13469] 2003 年 4 月 19 日 (土) 17:53:16 ちりたま さん
 青葉の森レス
ARC なぜ仙台は「杜の都」と呼ばれるのか?

[13464][13466]YSKさん
レスありがとうございます。今仙台市内(東北道より東のエリア)で森が保存されているところは多くはないですから・・。東北大の青葉山移転もどのような影響を及ぼすか気になるところです。



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