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落書き帳アーカイブズ 埼玉県鳩ヶ谷市(川口市から分立)や山口県小郡町(山口市から分立)など、一旦別の市町村と合併しながらも、再び自治体として分立した市町村の実例についてまとめました。

分立した市町村の実例



★推奨します★(元祖いいね) ペーロケ ken だいてん BANDALGOM 美濃織部 林檎侍 Hiro_as_Filler むじながいり トミ グリグリ がっくん 桜トンネル スピカ おがちゃん
編集:YSK

記事数=22件 更新日:05年06月01日
記事#記事日付
記事タイトル
発言者
[950]2002年2月21日
分割設定と分立 紅葉橋律乃介
[1070]2002年3月10日
戦後、分立した後に市制施行した市って、 他力本願
[1756]2002年6月6日
渋谷村 Issie
[5144]2002年11月20日
市町村分割した自治体 NSK
[5162]2002年11月21日
頭ぼんやりモーローレス 白桃
[5166]2002年11月21日
情報ありがとうございます(市町村分割) NSK
[5209]2002年11月22日
長野県上伊那郡宮田村 夜鳴き寿司屋
[5272]2002年11月23日
レスです。 YSK
[6729]2002年12月20日
山口市と小郡町 N-H
[11560]2003年3月21日
市制施行の裏技論 まがみ
[25055]2004年2月20日
合併→分離→合併? 美濃織部
[25065]2004年2月20日
2度目の合併など まるちゃん
[25394]2004年2月26日
くっついたり,離れたり・・・と,「へそ」 みやこ♂
[28051]2004年5月8日
戦時中に合併したが戦後分立した自治体 林檎侍
[31344]2004年8月3日
牛堀町のゆくえ 紅葉橋律乃介
[32407]2004年9月1日
草津町と六合村(質問) Hiro_as_Filler
[32422]2004年9月1日
分割のなぞ 紅葉橋律乃介
[32431]2004年9月2日
着実に進級を/草津村はどこ? Hiro_as_Filler
[32467]2004年9月2日
町村の廃止:高座郡渋谷町の場合 Issie
[32489]2004年9月3日
続・草津村のこと スナフキん
[41814]2005年6月1日
再び同一市町村へ 右左府
[41818]2005年6月1日
旧淡路町の飛び地と再合併 ニジェガロージェッツ



[950] 2002 年 2 月 21 日 (木) 17:05:19 紅葉橋律乃介[もみじばし銀之助] さん
 分割設定と分立
ARC 分立した市町村の実例

日本加除出版の分厚い本(タイトルは何とか「総覧」でした)を見ますと、「分立」とは別に「分割設定」という言葉がありました。
行政区の分区は「分割設定」でしたね。官報を確認し忘れたのですが、「分立」は「○○の区域を分かち云々」、「分割設定」は「○○を廃し、○○及び××を云々」と考えて宜しいのでしょうか?

釧路町と札幌村の違いは、「釧路村」ほかが合併してできた釧路町が、区制施行の際に新たな「釧路村」が分離した、札幌村は町村制の前から存在した、ということです。
他の府県はまだ見てませんが、後から「上」やら「下」やらが冠に付いた町村がたくさん出来てますね。
今でも「上川郡下川町」というわかり難い町がある。富良野は大変です。

「樺太庁」の廃止…。廃止されたんでしたっけ。「実効性喪失」だったような(「樺太庁官制」)…。

[1070] 2002 年 3 月 10 日 (日) 07:43:19 他力本願 さん
 戦後、分立した後に市制施行した市って、
hmt 戦時合併 と その解体 ARC 分立した市町村の実例

埼玉県鳩ヶ谷市(川口市から)
神奈川県逗子市(横須賀市から)
富山県新湊市(高岡市から)
山口県新南陽市(徳山市から)

他にもあります?

昭和の大合併に逆らってまで(時期的に直前ですが)分立した理由って、
戦時中の軍部の強い要請による強制合併の解消ということでよいのでしょうか。

[1756] 2002 年 6 月 6 日 (木) 00:24:02 Issie さん
 渋谷村
ARC え!そんなことあるの?市町の降格 ARC 分立した市町村の実例

> 群馬県万場町と中里村の合併の件のことですが、過去に村へ格下げられた町はありました。
> 神奈川県渋谷村(現・大和市)と長野県宮田村です。

この2つは単純な「格下げ」ではありません。

神奈川県渋谷村の場合,これは従来の「高座郡渋谷町」(1944.11.3 町制)が「昭和の大合併」に遭遇したとき,藤沢市への編入を是とする南部の長後・高倉地区と,北部のそれ以外の地区との意見が分かれた結果,一旦「渋谷町」を“解体”した上で南部は藤沢市に編入し,残った地区(福田・下和田・上和田)で「新規の自治体」を編成したものです。「町」としての要件を満たしていなかったので「村」となり,以前この地域に存在した自治体の名を採って「渋谷村」としたけれども,形式上は昔の「渋谷町」をチャラにし上で,「全然関係のない」新自治体が編成された,ということになるのです。
もちろん,現実には旧渋谷町の組織を引き継いでいるのでしょうが。

長野県の宮田村の場合,1954.1.1 に「町」になった後,同じ年の 7.1 に隣接1町2村と合体して「駒ヶ根市」となり,一旦“消滅”しています。その後,1956.9.30 に旧宮田町地域が駒ヶ根市から分離して,やはり「全く新しい自治体」として新「宮田村」が編成されています。
建前上ではやはり,旧・宮田町と現・宮田村とは「全く別の自治体」です。
何で再分離したときに「村」になったのか,役場のHPには書いてないんですけどね。

そのような観点からは,一旦「町」になった自治体が“そのまま”「村」になったり,一旦「市」になった自治体が“そのまま”「町」に還った例はありません。
相撲の横綱と同じ。一旦なってしまったら「格下げ」は現実の例としてはないのですね。

[5144] 2002 年 11 月 20 日 (水) 22:46:30 NSK さん
 市町村分割した自治体
hmt 戦時合併 と その解体 ARC 分立した市町村の実例

はじめまして。
私は現在茨城県に住む、日本地理大好き人間です。

早速質問なのですが、
今全国的に市町村合併が大流行ですが、過去には一度合併しておきながら、分割した例もあるようですね。
私が知っている例では、

山口市→山口市+小郡町+阿知須町

があります。
このような事例は、他にもありますか?

[5162] 2002 年 11 月 21 日 (木) 01:07:07 白桃 さん
 頭ぼんやりモーローレス
hmt 戦時合併 と その解体 ARC 分立した市町村の実例

[5148]ゆうさん
 有難うございました。
[5145]YSK さん
 呑龍さん。なかなか良いところですネ。
 いつもどなたにでも品の良いメッセ―ジ、お世辞抜きで感服しております。
 ところで、YSKさんと、全角で打つといけないのですよネ。
[5144]NSKさん
 思いつくところで、
 徳山市→福川町、富田町
 川口市→鳩ヶ谷町
 相模原町→座間町
 横須賀市→逗子町
 高岡市→新湊町
[5138]ヒロオさん、[5133]いなさん
 仕事柄、観光あるいは観光地の問題は看過できないので、お二人のメーッセージに関心をもっております。白桃もこの件につき書き込みたいのですが、妻に「早く寝ろ」とおこられましたので又の機会にさせていただきます。今後もこの問題に関して書き込みをしていただければ幸いです。

[5166] 2002 年 11 月 21 日 (木) 01:52:34 NSK さん
 情報ありがとうございます(市町村分割)
ARC 分立した市町村の実例

[5146]夜鳴き寿司屋さん
[5162]白桃さん
情報ありがとうございます。

・福川町、富田町
これって、現在の新南陽市ですよね?
もし福川、富田が徳山から分離されなかったら、飛び地(新南陽市和田地区)も存在していなかったのかも。

・鳩ヶ谷町
三方を川口市に囲まれていますね。
なぜ鳩ヶ谷市が川口市に合併されないか、不思議です。
つい最近まで、東京23区(足立区)と接していたのに、鉄道すら通っていなかったですからね。

・逗子町
これは意外でした。
横須賀中心部と逗子は直接な結びつきは薄そうなので・・・
挟まれた葉山町は横須賀市に合併されなかったのでしょうか?

・新湊町
高岡市と新湊市の形状も、複雑怪奇。
新湊市の七美地区から市役所へ行くには、高岡市を通らなければ行けないんですね(地図で確認しました)。
余談ですが、新湊市は、珍しい苗字が多いことで有名ですね。

・山口村
先に岐阜県の自治体と合併したというのは、現中津川市神坂地区でしょうか?
地図を見ると、なぜ岐阜県じゃないのか、不思議ですね。
長野県で唯一隣り合わせの南木曽町とはつながりなさそうだし・・・


探せば市町村分割された自治体は日本各地にありそうですね。

[5209] 2002 年 11 月 22 日 (金) 01:38:34 夜鳴き寿司屋 さん
 長野県上伊那郡宮田村
ARC 分立した市町村の実例

[5201]NSK さん

・宮田村
>ここも地図を見ていると駒ヶ根と合併していても不思議でない場所ですね。
>ところで、これまで挙がった(分離した)自治体は、戦時中に合併して戦後に分離したケースがほとんどですが、宮田村は>1954年合併、1956年分離と、不可解ですね。

駒ヶ根市から分離した宮田村ですが、駒ヶ根市(新設合併)に合併する前は宮田町(町制1954年1月1日施行)でした。1954年7月に駒ヶ根市は宮田町のほか赤穂町、中沢村、伊那村と2町2村と合併して成立したのですが、江戸時代の幕藩体制では領主が異なっていたため、赤穂町主導の合併に反発していた宮田町側では分市運動が既に合併前から続いており、結局1956年9月30日に分離して現在の宮田村になりました。

 そのため合併に宮田町が参加したのは、市制用件である人口3万人(当時)を達成するための合併であり、駒ヶ根市成立後に分離して人口が大幅に減少しても、一度昇格した市が降格にならない盲点をついた分離です。そのため一部には合併後分離する密約説があったのではないかと言われています。

 真偽の程は不明ですが、日程が決まったあとも新市名決定などで揉めていたのは事実で、新市名が高校生などの意見から、「駒ケ岳の根っこにある市」ということで駒ヶ根市に決定したのは申請2日前だったそうです。(元祖「南アルプス市」のような命名法ですが)

 宮田村の住民にしてみればわずかの期間に「村→町→市→村」のサイクルを体験したわけです。現行法規では認められているとは思われるので、もしかすると今後も市制施行に協力するための合併、そして達成後の分離独立のケースも出てくるかもしれません。

[5272] 2002 年 11 月 23 日 (土) 16:53:15 YSK さん
 レスです。
ARC 分立した市町村の実例

[5270]関西人さん
そういえば、仙台では仙台中央局980、仙台北局981、仙台南局982、仙台東局983、若林局984、 という番号割り当ててで、981と984は、集配上位局の設置に伴って順次再編成されてきたものです。

自治体分離について・・・
岐阜県笠原町も、1951.4.1に一旦多治見市に編入されましたが、1952.4.1に、一部地域を多治見市に残して分立しています。

[6729] 2002 年 12 月 20 日 (金) 20:06:55 N-H さん
 山口市と小郡町
hmt 戦時合併 と その解体 ARC 分立した市町村の実例

[6718] uttさん
>まさか、ここも分離したのかな?

ご明察。山口市と小郡町は1944年に一旦合併、戦後1949年に分離しています。
このように戦時中に強制的に(?)合併させられた市町村が戦後分離した
例は他にも結構あります。たとえば、
・川口市と鳩ヶ谷町(市)
・横須賀市と逗子町(市)
などです。横須賀市はこのせいもあって、首都圏にありながら戦時中の人口と現在
の人口がほぼ同じという不思議なことになっています。まあ理由の多くは戦時中は
軍港都市として多くの軍人とその家族が横須賀市民だったことによりますが。

すごいのは埼玉県の志紀町で、戦後志木町、宗岡村、水谷村、内間木村と4分割さ
れました。結局このうち志木町と宗岡村は再合併して現在の志木市へと至るわけ
です。

[11560] 2003 年 3 月 21 日 (金) 02:10:41 まがみ さん
 市制施行の裏技論
ARC 分立した市町村の実例

[1119]だいてん さん
例えば先の東海村が、一度村の一部を分離し、直後に合併した場合も市制施行できるんでしょうか?
[2985]でるでる さん
理論上は可能の様な気がしますが、合併特例法の意義(合併推進)からすると、やはり無理かな。

まずは合併特例法見ますと、
------------------------
市町村の合併の特例に関する法律(いわゆる市町村合併特例法)
第2条 この法律において「市町村の合併」とは、二以上の市町村の区域の全部若しくは一部をもつて市町村を置き、又は市町村の区域の全部若しくは一部を他の市町村に編入することで市町村の数の減少を伴うものをいう。
------------------------
この条文をどう解釈するか、っていうことでしょうね。政府の合併推進の立場からみて、いったん分立または分割した直後に合体または編入するというのは無理だと思われますが、それについて理論的な補強を行なうとすれば、

1.法律の制定趣旨
 同法第1条に「市町村行政の広域化の要請に対処し、自主的な市町村の合併を推進」とあり、
 この法律は市町村の広域化を目的としている。少なくとも面積が変わっていないので本法の適用なし。
2.第2条の解釈
 いったん分離後に再び合併するのは、分離と合併を一体としてみると市町村数は変わっていないので、
 第2条の「市町村の数の減少を伴うもの」に当たらない。だからこの法律の適用はない。

なんてことが考えられそうですね。
もちろん、これだけ市町村合併が推進されているご時世に、市町村の分立・分割が都道府県議会で議決されるかどうかも疑問ですが。

ちなみに、
分立A市の一部が分離して新たにB市となり、もとのA市はそのまま存続
分割A市をいったん廃止して、その一部をもってB市・C市を設置
という区別があります。法人格が一度消滅するか否かによる区別で、分立と編入、分割と合体がそれぞれ対応する概念になります。

[25055] 2004 年 2 月 20 日 (金) 15:34:08 美濃織部 さん
 合併→分離→合併?
ARC 分立した市町村の実例

[25031]もよ〜ん さん

はじめまして。

東濃西部3市1町は法定協議会解散の後、どうするのでしょうか?

多治見市と笠原町は、かつて合併して滝呂地区だけ多治見市に残して分離したという過去があるので、また合併するということもありえますね。(同じ自治体と2度合併って、前例あるんですかね?)

土岐市と瑞浪市の合併ですか…瑞浪市の市制施行前の名称である「瑞浪土岐」が復活したりして。

ちなみに、私のニックネームは、東濃西部3市1町の新市名に応募したものです。見事に落選しましたが(> <)

[25065] 2004 年 2 月 20 日 (金) 17:36:20 まるちゃん さん
 2度目の合併など
ARC 分立した市町村の実例

[25055] 美濃織部 さん
多治見市と笠原町は、かつて合併して滝呂地区だけ多治見市に残して分離したという過去があるので、また合併するということもありえますね。(同じ自治体と2度合併って、前例あるんですかね?)

これは周南市の前例がありますね.
[5162] 白桃 さん
徳山市→福川町、富田町
とあるように,徳山市から分離した,福川町と富田町は後に新南陽市となり,現在は徳山市,熊毛町,鹿野町と合併した周南市になっています.
ただし,現周南市と旧徳山市の市域は異なります.

[5144] NSK さん
山口市→山口市+小郡町+阿知須町
[6729] N-H さん
山口市と小郡町は1944年に一旦合併、戦後1949年に分離しています。
とあるように,山口市から分離した過去のある,小郡町と阿知須町も,山口県央部合併が成立した場合は,山口市と2度目の合併になりますね.

[25041] [25042] faith さん
ずいぶん詳細な解説ありがとうございます.
広島大学も弘前大学のケースも,戦争による被害が移転には大きく影響しているようですね.

[25394] 2004 年 2 月 26 日 (木) 12:01:46 みやこ♂[みやこ] さん
 くっついたり,離れたり・・・と,「へそ」
ARC 分立した市町村の実例

すみません,ちょっと横レスなのですが,[25065] まるちゃん さんの「2度目の合併など」を拝見して,「おや,我らが両毛地区にもたしか・・・」と思いなんして調べました。
以下,旧足利郡の名草村の沿革を記します。
江戸期〜明治22年 名草村
明治22年       他の7村と合併し,北郷村大字名草となる
大正11年       名草地区のみ北郷村から分離・独立し,足利郡名草村となる
昭和29年       北郷村とともに足利市に編入,名草上町,名草中町,名草下町となる
平成○年       足利市は佐野市とともに栃木県から分離独立・・・おっと筆が滑った,明治・大正と続いたので・・・

[25389] いっちゃん さん
「へそ話」です。今度一緒に佐野市になる栃木県安蘇郡田沼町ですが,最近のキャッチフレーズが「どまんなか・たぬま」であります。どうやって“どまんなか”にしたかというと,まず,北海道北端と九州南端から等距離にある太平洋側と日本海側の海岸ポイントを押さえ,そこを結んだ線分の中点が田沼町の中にある,からだそうです。で,そこは山ン中だし傾斜も急で,とてもぢゃないが気楽に行けないので,すぐ近くの蓬山ログヴィレッジという施設の中に「へそ」附近からわざわざ運んできた巨石と,説明の看板が立ってます(←という話でよかったんでしょうか?)。

[28051] 2004 年 5 月 8 日 (土) 10:44:17 林檎侍[花笠カセ鳥] さん
 戦時中に合併したが戦後分立した自治体
hmt 戦時合併 と その解体 ARC 分立した市町村の実例

[28038]夜鳴き寿司屋 さん
 また、かつては戦時中に強制合併された市町村の分離も1948年から2年間だけ住民投票で決着できる法律があったそうで、実際に全国で33件が実施され、そのうち28件の分離が住民投票で決定になったようです。(個々のリストも欲しいところですが、どなたかアップして下さい。お願いします)
私が、10年以上前に、図書館で緑色の厚い本(タイトル失念)を見て調べた内容のうち、アーカイブズ未収録のものを書きます。

秋田県大久保町、飯田川町、豊川村が17/4/1合併→25/7/1豊川村分立→25/10/1飯田川町分立
31/9/30昭和町、豊川村合併により昭和町

秋田県和田町→17/4/1豊島村を編入→25/7/1豊島村を分立→30/3/31和田町、豊島村、岩見三内村合併により河辺町

埼玉県皆野町、三沢村、国神村、日野沢村、大田村、金沢村18/9/8合併→21/12/1分割→
皆野町、国神村、日野沢村、金沢村30/3/1合併→三沢村32/3/31編入

埼玉県騎西町、種足村、高柳村、田ヶ谷村、鴻茎村18/4/1合併で騎西町→21/5/1分割→29/10/1高柳村以外再合併→30/3/20高柳村を編入

埼玉県栗橋町、静村、豊田村19/4/1合併→24/10/1分立→32/4/1再合併

岡山県加茂町、東加茂村、西加茂村17/5/27合併→新加茂町26/1/1分立→加茂町、新加茂町、上加茂村29/4/1合併により加茂町

高知県山南村、徳王子村、富家村、香宗村17/4/1合併大忍村→23/4/1分立→現在の香我美町、野市町

高知県宇佐町、新居村17/4/1合併で新宇佐町→新居村と宇佐町に24/4/1分立→高岡町、宇佐町、新居村
33/4/1合併で高岡町→34/1/1土佐市

ただし、これらは官報を調査していませんので、告示日などはわかりませんのでご了承下さい。
また、全都道府県を調査したものではありません。
ですから、他の実例を持っている方、追加をお願いします。

[31344] 2004 年 8 月 3 日 (火) 20:43:24 紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
 牛堀町のゆくえ
ARC 分立した市町村の実例 ARC 市制施行日に明確な定義はあるか?

 今ごろですが、官報で市町村異動の告示を見てきました(昭和62〜平成13年)。
 編入合併を1町村ずつ告示してるのも変な話ですが、分かりにくいものもありました。

 平成13年3月26日付け、「茨城県行方郡牛堀町を編入する潮来町を市とする…」と。既に12年12月11日に編入の告示は出てますが、ここでわざわざ「牛堀町を編入する潮来町」とことわっています。
 普通に考えれば、「編入して即日市制」と思われますが、「編入をした瞬間に市に変化する」とも読み取れるんですが…。


 告示とはちょっと離れますが、以前話題が何度か出た「分割」の件。これは新設合併のいわゆる「合体」の反対パターンですが、「合体」では首長は選びなおし。これはいったん関係市町村が廃される訳ですから当然のこと。
 それならば、「分割」でも同じことなのではないか、と思いまして、地方自治法施行後に「分割設定」を経験した、“改めて同じ名前の町村が設置された(と思われる)”町村史を読み、首長の任期がどう書かれているか調べてみました。
 北海道では、昭和22年9月1日に大正村(同村・中札内村・更別村)、23年4月1日に佐呂間村(同村・若佐村)、24年8月20日に上士別村(同村・朝日村)、大樹村(同村・忠類村)の4例ありました。
 現在も残るのは佐呂間と大樹ですが、『新佐呂間町史』には、分村後のページに佐呂間村長(23年4月1日〜)の任期があります。歴代をまとめて載せているわけではないので、正確かどうかは不明です。

 『十勝大百科事典』(1993年・北海道新聞社刊)という本にも当たってみました。管内の市町村の系図がありましたが、町村制施行以後も含め、分村は全て両村名併記(一方からの枝分かれではなく、トーナメント表を上から下に見るような形)で書かれていました。

 なんだか、余計分からなくなった気が……。

[32407] 2004 年 9 月 1 日 (水) 12:58:28【1】 Hiro_as_Filler[Hiro(&TOKO)] さん
 草津町と六合村(質問)
ARC 分立した市町村の実例

今、市町村の変遷についてちょっと調べてまして、疑問が出てきたのでここの皆さんに教えていただけたらと思いまして、書き込みします。

草津町と六合村の関係なのですが、群馬県東京事務所のページによると、六合村のところに
M33.7.1 草津村から大字赤岩・小雨・生須・太子・日影・入山が分立して六合村となる
とあります。草津村の6大字が分立して六合村になったということでこれは納得できるのですが、草津町のところにも
M33.7.1 草津村大字草津・前口が分立して町制
とあるのです。分立とは、元ある市町村の一部が独立して新たに法人格をもつことと解釈していたので、草津町は分立ではなく、草津村の残った地域が町制施行したと私は解釈していたのですが、他の文献でも、両方とも分立とありました。
もうひとつの考えとして、草津村を分割して(一度法人格が消え)六合村と草津町を新たに設置したという方法(分割設定?)もありそうですが、それも違うような気がするし。。。

これってどういう手続きで2つの町村になったのでしょうか?ご存知の方、是非教えてください。
(当時の告示とか知っている方いらっしゃいますか?)

[32422] 2004 年 9 月 1 日 (水) 22:50:59 紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
 分割のなぞ
ARC 分立した市町村の実例

[32407] 2004年 9月 1日(水)12:58:28【1】 Hiro(&TOKO)さん
草津村を分割して(一度法人格が消え)六合村と草津町を新たに設置したという方法(分割設定?)もありそうですが

 当時、町村の告示は官報には記載されていなかったようですから、県の公報を当たれば見られるかも知れません。
 手持ちの資料には、いわゆる「合体」と「分割設定」を抜き出したものがあります(だいたい平成初年まで。『新版 全国市町村名変遷総覧』平成10年 日本加除出版刊より)。

 例によって原文ではありませんが、
 草津村より草津町、六合村
 とあります。
 記載を簡略化するためにこう書いてありますが、分割設定なら
 草津村―○町、六合村
 と書いてあるはずなんです。

 これを見るかぎり、「草津村」より「草津町」と「六合村」がそれぞれ分立したということになります。良く見ると、もとの「草津村」はどこへ行ったの…?

[32431] 2004 年 9 月 2 日 (木) 05:56:59 Hiro_as_Filler[Hiro(&TOKO)] さん
 着実に進級を/草津村はどこ?
ARC 分立した市町村の実例

[32412] いっちゃん さん
とりあえず、着実に中学に進学できたらと思います。

いっちゃん中学校:小山市
------------------------------------
[32422] 紅葉橋瑤知朗 さん
早速資料を見ていただきありがとうございます。^^
「草津村」より「草津町」と「六合村」がそれぞれ分立したということになります。
そうですよね。。。私の手元の資料でも、「六合村」(分立)「草津町」(分立町制)みたいにあるんです。(コピーしたものなので、どの本か忘れてしまいましたが)
良く見ると、もとの「草津村」はどこへ行ったの…?
そうなんです。私も同じ疑問を抱いているのです。
ある自治体から、ある自治体が分立した場合は、そこには法人格が存続する自治体があると思っていたので、それでは「草津村」はどこ?って話になりますよね?

それとも、昔はそんなに厳密じゃなかったのかなぁ。。。

[32467] 2004 年 9 月 2 日 (木) 20:22:40 Issie さん
 町村の廃止:高座郡渋谷町の場合
ARC 分立した市町村の実例

[32407][32431] Hiro(&TOKO) さん
[32422] 紅葉橋瑤知朗 さん
[32458] 烏川碧碧 さん

紅葉橋瑤知朗 さんの言われているとおり,明治憲法下の「市制・町村制」では「市」の異動だけが「内務省告示」として官報に掲載されていて,町村の異動については府県の方に当たらなければならないようです。

こちらは「草津村」の場合とは違って,現行憲法・地方自治法下でのことですが,1955年4月に 神奈川県高座郡渋谷町 が「分割」されて,北半分が「高座郡渋谷村」という“新しい”自治体に,南半分が藤沢市に編入される,というできごとがありました。

大和市のHPをのぞいてみたら「例規集」に,次のような「総理府告示」が掲載されていました。

-----------------------------------------------------------
○町村の廃置分合
昭和30年4月4日
総理府告示第1112号
地方自治法第7条第1項の規定により、神奈川県高座郡渋谷町を廃し、渋谷町大字福田、上和田、下和田及び本蓼川の区域をもって渋谷村を置く旨、神奈川県知事から届出があった。
右の廃置分合は、昭和30年4月5日からその効力を生ずるものとする。
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残念ながら藤沢市のHPには,もう半分の 大字長後・高倉 を藤沢市が編入した件についての告示が掲載されていないので,こちらがどのような文言なのか今この場で確認することができないのですが(恐らく「昭和30年」の告示第1111号か,第1113号のどちらかがそれに当たるのでしょう),
ここでは「渋谷町」が一旦「廃止」された旨が記載されています。

新しく設けられた「渋谷村」はこの「渋谷町」を直接継承したものではなくて,これを分割して「新・渋谷村」と「藤沢市」のそれぞれに“引き取られた”と理解したらいいのだろう,と考えています。

少なくとも,元の「渋谷町」と新しい「渋谷村」とは,たまたま同じ名前であるだけの別個の存在で,よく誤解されているような「“町”から“村”への“降格”」という措置であったわけではないだろう,と思っています。

[32489] 2004 年 9 月 3 日 (金) 13:15:39 スナフキん さん
 続・草津村のこと
ARC 分立した市町村の実例

以前の書き込みのあと、資料室長が1967年の六合村村勢要覧を持ってきてくれました。この冊子中、沿革の項に興味深いことが書いてあります。

明治33年7月1日草津村を廃し、大字草津村・前口村を以つて草津町、大字入山村・小雨村・太子村・日影村・赤岩村・生須村の6大字を以つて六合村と称し現在に至る。
(原文ママ、但し一部句読点を置換)

と、明確に「草津村がなくなった」ことが記述してありました。[32458]で烏川碧碧さんが紹介して下さったものの古いタイプとも言え、数十年にも渡って表現が変えられていないようです。以前にも書いたように、編集担当にどれほどの知識があったのかどうかが推し量れないのでイマイチ正確性には欠けますけど、それでも当事者であるところの六合村が発行する、限りなく公的文書に近い存在の村勢要覧での記述です。しかも、言い回しに何とも官報からそのまま抜粋、みたいな雰囲気があり、一つの参考資料にはなるかと思います。他方、草津町の要覧も手元にあるのですが、こちらは核心部分の表現が玉虫色になっていてはっきりしないので、あえてここで抜粋はしません。Issieさんご指摘の例もあるように、明治時代はひょっとすると昨今の情勢とは異なり、自治体の分割が行われること自体がちっとも不思議でなかったのかも知れませんね。今なら例えば、上九一色村の例を出すまでもなく、限りなく不可能に近いとは思いますが…。

角川の地名辞典には、分離の理由として
地域が広すぎること、温泉と農林業では生活習慣も違うこと
を挙げています。穏やかな表現に見えますけど、両町村はどうも「ケンカ別れ」的に分離したようにも見えます。ひょっとしたら再びそのケンカの火種になるのを恐れて、何だかよく分からないグレーな表現ばかりが見えているのでは…とか勘ぐってみたくもなります。

ちなみにこの村勢要覧の沿革下、「部落を行く国鉄長野原線(長野原〜太子間)」なるタイトル付きの写真が掲載され、1両のディーゼルカーがポツンと走っています…うわ、萌え(汗)。

結局のところ、やっぱり分からないままなのですが(大汗)。

[41814] 2005 年 6 月 1 日 (水) 22:40:12【1】 右左府 さん
 再び同一市町村へ
ARC 分立した市町村の実例

[41812] ケン(地理好き) さん
一番に思いつくのは「安平町」「枝幸町」ですね。いずれも北海道に誕生します。特に、安平町はこの「分村後再び合併」というのを前面に出しているように思われます。(早来・追分合併協議会HPのトップページ参照。)又、両町とも分村前の村名を新町名に採用しました。
あ、枝幸町は「昭和の大合併」の時期から外れている?すみません、昭和の大合併の時期がどの様に定義されているのか良く分からないもので……。
では、2町の分村以降の経歴を。

安平町
昭和27年8月1日安平村の一部が分立、追分村誕生。
昭和28年10月1日追分村が町制施行、追分町となる。
昭和29年10月1日安平村が早来村に改称。
昭和32年1月1日早来村が町制施行、早来町となる。
平成18年3月27日早来町・追分町が合併、安平町となる。

枝幸町
昭和14年9月1日枝幸村が枝幸村・歌登村に分割。
昭和22年10月1日枝幸村が町制施行、枝幸町となる。
昭和37年1月1日歌登村が町制施行、歌登町となる。
平成18年3月20日枝幸町・歌登町が合併、枝幸町となる。

他にも、士別市と朝日町が合併して士別市となりますが、この場合はちょいと複雑です。大正まで遡りますが、ご参考までに。

大正2年4月1日士別村が士別村・上士別村に分割。
大正4年11月1日士別村が町制施行、士別町となる。
昭和24年8月20日上士別村が上士別村・朝日村に分割。
昭和29年7月1日温根別村・士別町・上士別村・多寄村が合併・市制施行し、士別市となる。
昭和37年1月1日朝日村が町制施行、朝日町となる。
平成17年9月1日士別市・朝日町が合併、士別市となる。

北海道のみですが、いかかでしょうか。北海道ではこのようなケースが他にもいくつか見られます。再び合併した時期が昭和の大合併の頃のものに至っては沢山あるでしょう。全国では、終戦前後の短期間に分村・合併となった所が数え切れませんね。

[41818] 2005 年 6 月 1 日 (水) 23:32:18 ニジェガロージェッツ さん
 旧淡路町の飛び地と再合併
ARC 分立した市町村の実例

[41812] ケン(地理好き) さん
昭和の大合併により一度は一緒になり、後に分町し、平成の大合併で再度合流した例として、兵庫県には淡路市の例があります。

[5211]拙稿、[39331]逆太郎 さん、[39392]EMMさんからの記事に、旧淡路町からの東浦町の分町に際し生じた淡路町の飛び地問題も含めて詳述されています。ご参考まで。

ところで、旧飛び地の郵便番号は

大字本体(東浦町)飛び地(淡路町)現在(淡路市)
釜口656-2334656-2371656-2334
仮屋656-2331656-2361656-2331
楠本656-2301656-2341656-2301
久留麻656-2311656-2351656-2311

となっていました。旧淡路町は656-2400がベース、旧東浦町656-2300がベースとなっていたので、東浦町内に点在した飛び地はいずれも東浦町の656-23ですが、末尾二桁で本体と区別されていたのが興味深いところです。
再合併による淡路市(旧淡路、東浦、津名、一宮、北淡の5町)の成立により飛び地は解消され、結果旧飛び地の郵便番号も無くなったようです。



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