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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

北欧、バルト諸国について語る

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記事数=15件/登録日:2003年6月20日/編集者:YSK

森と湖、そしてフィヨルドなどのイメージがある北欧、そしてバルト海に面したリトアニア、ラトビア、エストニアのバルト3国。これらの魅力的な国々におけるメッセージを集めました。

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★推奨します★(元祖いいね) YSK ニジェガロージェッツ 般若堂そんぴん 三丁目 北神

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[11654]2003年3月22日
三丁目
[11671]2003年3月22日
夜鳴き寿司屋
[11684]2003年3月23日
ニジェガロージェッツ
[11686]2003年3月23日
Issie
[11690]2003年3月23日
三丁目
[11693]2003年3月23日
太白
[11697]2003年3月23日
般若堂そんぴん
[11705]2003年3月23日
太白
[11725]2003年3月23日
touhemboku
[11746]2003年3月24日
f
[11825]2003年3月26日
Issie
[11841]2003年3月26日
ken
[11842]2003年3月26日
Issie
[11862]2003年3月26日
三丁目
[12096]2003年3月30日
三丁目

[11654] 2003年 3月 22日(土)17:42:36三丁目[YJ3] さん
フィンランドって枢軸国?
[11558]夜鳴き寿司屋さん
日本には「旧敵国条項」が規定されておりドイツ、イタリア、フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなど枢軸国にかつてついた国が規定されています。
どうにも、フィンランドへの誤解?をときたいという気持ちにかられてしまい、書き込む次第です。親フィンランド派のワタクシとしましては。

簡単に、フィンランドのことをご紹介したいと思います。敵国?枢軸国側だったフィンランド?と理解されては、親日的なフィンランド国民に申し訳ないと思いましたので。ホームステイさせてもらったこともあるし。敵国条項に該当する国の中で、私が経緯を知っているのは、フィンランドだけ、というのも理由ではあるのですが、歴史を語って申し訳ありません。

現在の、フィンランド地域には、東方からフン族が民族大移動により住みついてきたという説が有力です。フン族は、もともとアジア系でしたが、移動の途中の様々な交流の中で、現在の金髪碧眼になりました。フィンランド語は、母音が多く、そのままローマ字読みすれば、とりあえず日本人でもそれらしく発音することはできます。

しかし、12世頃にスウェーデンが東方に進出してきたことにより、その支配下に組み入れられました。長らくその状況が続いた後、北方戦争で敗れたスウェーデンが、1809年、ロシア(当時)に、フィンランド地域を割譲しました。それで今度はロシアの支配を受けたわけですが、1917年に、ロシア革命のさなか、独立を果たしました。フィンランドでの公用語が、フィンランド語とスウェーデン語なのは、長いスウェーデン支配の名残です。

フィンランドの独立前に、日本が日露戦争で大国ロシア(当時)を破ったことは、民族を勇気づけ、当時生まれた子供に、トーゴーあるいはノギと名づける人がいたほどでした。ちなみにフィンランドにはトーゴービールがあるそうですが、私がフィンランド滞在中には、飲んだことがありません。だって、アルコールは値段が高いですから。

話がそれましたが、フィンランドが独立を果たした1917年前後は、国際情勢としては不安定な時期でした。その後、ロシア革命を果たしたソ連から、レニングラード防御のためとして、フィンランド領土の租借・割譲要求がありました。しかし、それを断ったフィンランドは、侵攻してきたソ連と冬戦争(1939~40年)を戦いましたが、最終的には、カレリア地方を割譲することで終結しました。この戦いは、小国が大国ソ連と互角に戦ったとして、世界中から賞賛がよせられました。

しかし、冬戦争が終わった1940年当時と言えば、既にドイツが1939年にポーランドへ侵攻し、その2日後に英仏がドイツへ宣戦布告していたなどの情勢でした。そんな中、フィンランドはいろいろな道を模索したものの、最終的には、2大勢力のドイツ又はソ連のどちらかを選ばざるを得ない状況になってしまいました。ドイツもまだ、破竹の勢いでしたし。

それで、1941年のドイツのソ連侵攻にくみして、フィンランドは対ソ連との継続戦争に入っていったのでした。しかし、日独伊のような同盟とは異なり、手段としてナチスドイツと組まざるを得なかったので、独ソ戦の趨勢が見えてくる過程の中で、フィンランドは1944年にソ連の和平条件を受諾し、領土をソ連に割譲することで、継続戦争は終わりました。

この結果、フィンランド国内に残っていた20万ものドイツ軍を国外へ追い出すことが必要になり、6~7ヶ月かかって、やっと成功しました。しかし、せっかく冬戦争で得た賞賛は、「ナチスと組んで連合国に戦争をしかけた」ことで、吹き飛んでしまいました。これが、現在の国際連合で、敵国条項が適用されている理由です。

しかしながら、旧ソ連と陸続きの長い国境線を接しながら、自由主義陣営(今となっては古い言葉ですが)の一員として、1952年にはヘルシンキオリンピックを開催するまでに復興し、経済成長には紆余曲折があったものの、現在は、成長分野の通信産業ががんばっている、きょうこの頃です。ちなみに人口は500万強です。

当時の複雑な国際情勢を、相当端折って書いてしまいましたが、大雑把にするとこのような感じです。参考文献としては、「嵐の中の北欧」武田龍夫著(中公文庫)をベースとして、他にもいくつか読んだものを切り貼りしてます。日本では、北欧と聞くと、スウェーデン、ボルボ、サーブ、エリクソン、そしてフィンランドのノキアがあがるくらいで、あまりイメージがわかないかもと思ったものですから。

ちなみに、フィンランドでは、お客さんを家族全員で素っ裸になってサウナに入ってもてなすと、観光ガイドで読んでたので、ホームステイのときにドキドキしてました。私がお世話になったお宅には、18歳のお嬢さんがいたからです。残念ながら?私が期待したようなことはなく、タバコのヤニくさいお父さんと2人でサウナに入りました。

最後に付け加えるようで申し訳ないのですが、白桃さんへ。もっと前の書き込みでお礼申し上げるべきだったのに、今さら気づいたものですから。私の書き込んだ国勢調査のデータをチェックして頂き、ありがとうございました。
[11671] 2003年 3月 22日(土)22:50:03夜鳴き寿司屋 さん
ムーミンのふるさと フィンランド
[11654] YJ3 さん
敵国条項に該当する国の中で、私が経緯を知っているのは、フィンランドだけ、というのも理由ではあるのですが、歴史を語って申し訳ありません。
 そうですね、あなたがおしゃったとおりのフィンランドの歴史は把握していたのですが、話をへし折ってしまいすいませんでした。むしろ何故敵国条項が適用されたのが理不尽だと思いますが、そこは複雑な国際社会の狭間に落ちたとしか思えないですね。

 中欧のほかの3カ国はファシスト政権が成立しており(他にもノルウェーやクロアチアにも傀儡ファシスト政権あり)積極的に参加したともいえるのですが、民主的な共和国だったのにフィンランドは枢軸国と連合国双方から被害を受けた悲惨な国です。特にソ連のスターリンの行為は侵略戦争であるのにナチスとの関係から敵国よばわりされたのは現在でも不本意だと思います。

 YJ3 さんはフィンランドに行かれた事があるのですね。夏でもあまり暑くはならないのでしょうね。ちなみに私が見たことがあるのに関西空港から離陸するフィンランド航空のDC10型機を見たことがあるのですが、日本からの航空路でロシアを除けば日本に一番ちかい国なのに思い付く事といえばムーミンと森と湖の国ぐらいですが、北欧の落ち着いた雰囲気の国だと思います。
[11684] 2003年 3月 23日(日)02:46:47【1】ニジェガロージェッツ さん
ソ芬国境の変遷とカレリア共和国
[11654]YJ3 さん
スウェーデンが、1809年、ロシア(当時)に、フィンランド地域を割譲しました。それで今度はロシアの支配を受けたわけですが、1917年に、ロシア革命のさなか、独立を果たしました。

その後、ロシア革命を果たしたソ連から、レニングラード防御のためとして、フィンランド領土の租借・割譲要求がありました。しかし、それを断ったフィンランドは、侵攻してきたソ連と冬戦争(1939~40年)を戦いましたが、最終的には、カレリア地方を割譲することで終結しました。

それで、1941年のドイツのソ連侵攻にくみして、フィンランドは対ソ連との継続戦争に入っていったのでした。しかし、日独伊のような同盟とは異なり、手段としてナチスドイツと組まざるを得なかったので、独ソ戦の趨勢が見えてくる過程の中で、フィンランドは1944年にソ連の和平条件を受諾し、領土をソ連に割譲することで、継続戦争は終わりました。

引用部分が長くなり、申し訳ございません。

小生もロシアとフィンランドの領土問題では、親フィンランド派ですが、ソ連とフィンランドの国境(ソ芬国境)の変遷について、ロシア側の資料から詳しく見てみましょう。

まず、1809年のロシアによるフィンランド併合(スウェーデンからの割譲)以前の国境線の南部は、現在の国境線よりさらに西(フィンランド側)に食い込む形で、ちょうど現在のキュミ州 (面積10,783平方キロ、1992年人口335,000) がロシア領になっていました。この旧国境線は1721年8月の北方戦争終結時の「二スタット和約」によって確定されたものでした。
ロシアは1809年の併合後、新領土フィンランドにオウル、ヴァーサ、クオピオ、ヘルシンキ、ミッケリの5県を設け、さらに1721年に獲得したカレリア地域のヴィボルグ県を “返還” し、6県からなる 「ロシア領フィンランド」 としました。この “返還” はフィンランド人を懐柔するための温情だといわれています。
そして、1917年のロシア革命のさなか独立を果たした際には、この6県全域に、現在のムルマンスク州東端のバレンツ海に面するペチョンガに至る回廊を加え、フィンランド新国家の領土としてスタートしました。
ヴィボルグ県がフィンランド領となったため、現在のサンクト・ぺテルブルグ都心から僅か30キロのところのセストロレツクが国境線となり、今ではサンクト・ペテルブルグ市内になっているゼレノゴルスク市([8536]に人口データ)などやラドガ湖北岸一帯がフィンランド領となりました。

この後のソ芬戦争の推移については、[11654]YJ3さんが詳しくお書きになっておられます。
ところで、1940年の「冬戦争」終結において、ソ連に奪われたフィンランド領土は
(1)南部国境線のカレリア地峡(フィンランド湾岸のヴィボルグ市や、ラドガ湖北岸を含む)
(2)中部国境線のクオラヤルヴィ村一帯
の2箇所です。
それに先立つ1920年7月25日、ロシア(後のソ連)ではフィンランド国境一帯に「カレリア自治共和国」を創設しており、1940年3月31日には「冬戦争」で獲得した上記の(1)(2)の領土をその版図に加えて「カレロ・フィン共和国」とし、連邦構成共和国に格上げしました。

1944年の継続戦争終了後には、更に
(3)北部国境線のペチョンガ回廊
を割譲させムルマンスク州に編入し、フィンランドはバレンツ海(北極海)への出口も失いました。(結果、ソ連はノルウエーとも国境を接することに)
これが、現在のロシア・フィンランド国境です。

その後、「カレロ・フィン共和国」は1956年7月16日に再び「カレリア自治共和国」に格下げとなり、ヴィボルグ市を含むカレリア地峡はレニングラード州に移管されています。
ソ連解体以降は「カレリア共和国」となり、カレリア地峡はレニングラード州と一部がサンクト・ぺテルブルグ市クロールト区に属しています。

さて、1989年のソ連国勢調査でのカレリア自治共和国の民族構成は
民族カレリア自治共和国首都ペトロザヴォ―ツク市首都以外の地域
全人口790,150100.0269,581100.0520,569100.0
カレリア人78,92810.014,2355.364,69312.4
フィン人18,4202.39,3373.59,0831.7
ロシア人581,57173.6218,67781.1362,89469.7
となっており、ロシア人が圧倒的多数を占めています。
歴史にIFが許されるなら、もし「カレロ・フィン共和国」が第16のソ連構成共和国のままで、1991年のソ連解体を迎え、他の連邦構成共和国のように独立したとしたら・・・。
フィンランドと合体するか、またモルドヴァようにルーマニアと合体せずに存在する独立国となったのか?
[11686] 2003年 3月 23日(日)11:01:05【3】Issie さん
エストニア
[11654]YJ3 さん
[11684]ニジェガロージェッツ さん

バルト三国の1つのエストニアも,フィンランドと同じときにロシアから1度独立していますが(第2次大戦中にソ連に占領され「ソヴェツキー・ソユーズ(ソビエト同盟=ソ連)」に“参加=編入”。ただし,この間の経緯は外の2国:ラトビア・リトアニアやフィンランドの場合と同じく大変に複雑),ここの本来の住民であるエストニア人は言葉の上でも民族的にもフィンランド人に大変近いとされていますね。実は,独立時に採用された国歌も,フィンランドと同じ。
とは言っても,フィンランドとは若干違った歴史を歩んできたせいか,ソ連からの再独立後も統合の道を選んではいないようです。
前述の通り,フィンランド語とエストニア語は大変よく似ているのですが,正書法には若干の違いがあるようです。

ところで,フィンランド人が「フン族」までさかのぼれるかどうかは, 本当のところはわかりません。
“確実”だろうと思われているのは,彼らの祖先がボルガ中流からウラル山脈にかけての地域から移動してきたであろうことまでです。現在ロシア連邦内で独自の「共和国」を持っているウドムルト人やコミ人などと同系と考えられています。
同じく,しばしば「フン族」が語源だと言われている「ハンガリー」という呼称も,そうではなくて,同じくボルガ中流域から移動してきたマジャール人が途中で接触したブルガリアの「オノグル族」に由来するという説の方が受け入れられているようです(ただし,西ヨーロッパに広がっていく過程で,「フン」が彼らに投影されたことはあるかもしれません。また,ブルガリア人の祖先は中央アジアから移動してきたトルコ系遊牧民で,現在のブルガリアに定着して地元のスラブ人に同化しました)。
ともかく,マジャール人(ハンガリー人)とフィンランド人とは同じ系統に属する人々であると考えられています(全部ひっくるめて,言語的には「ウラル系」とされる)。

「フン」は古代中国史に登場する北方遊牧民「匈奴」と同じ集団だとする説が有力ですが,そうすると彼らはこの地域を元々の居住地としていたトルコ(チュルク)系の人々と同じような言葉を話していたのではないかと思われます。
ところが,フィンランド語にしろハンガリー語にしろ,文の組み立て方はトルコ系諸言語(やモンゴル語や朝鮮/韓国語や日本語…)に似てはいるけれども,「言語的にお互いに同系統である」とまでは確証されていません。
ボルガ中流域に定着した「トルコ化したモンゴル」の末裔であるタタール人の言葉はもちろんトルコ語によく似ているのですが,ウラル系の言葉とはそれほど似ていません。

ただ,事実がどうかは別にしてフィンランド人やハンガリー人がフン族に連なるとしばしば信じられていることは確かです。

もう1つ。
言語的には同系統であるとしても,じゃあ,「血のつながり」の上でも同系統であるかというと,これもそうとは限りません。その地域に元から住んでいた人々が移住者の言語や文化を受け入れるというのはよくあることです。もちろん,混血する場合もありますが,血は交えずに言葉と文化だけを受け入れることも少なくありません。
フィンランド人やハンガリー人は,アジア人のわれわれから見れば明らかに「ヨーロッパ人」ですね。もっとも,「アジア人」「ヨーロッパ人」の意味が甚だ不明確ですが。
それよりも,レーニン(ウラジーミル・ウリヤノフ)がそうであるようにロシア人の中にずっと「アジアっぽい」顔立ちをした人がたくさんいるようです(そもそも,レーニンはタタール人と関係の深いボルガ中流域の出身です)。
[11690] 2003年 3月 23日(日)11:40:30【1】三丁目[YJ3] さん
ノルウェーって、フィヨルド以外にイメージわきますか?
[11671]夜鳴き寿司屋さん
フィンランドの歴史は把握していたのですが(中略)
中欧のほかの3カ国はファシスト政権が成立しており(他にもノルウェーやクロアチアにも傀儡ファシスト政権あり)

[11684]ニジェガロージェッツさん
小生もロシアとフィンランドの領土問題では、親フィンランド派ですが

私が書き込める話は少なくなりつつあるかも、と思っていたこの頃、反応したくなる話題を提供して頂き、ありがとうございます。日本で北欧と言うと、スウェーデンの印象が強いし、スウェーデン関係の本がほとんどなので、フィンランドの経緯をご存知の方が他にもいらっしゃることを知り、驚きました。ニジェガロージェッツさんは、ロシア側からのご賢察でご存知かも、とは思っておりましたが。

北欧を5カ国(フィンランド、アイスランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)と表現するときが、最も国数が多いわけですが、その中で、フィンランドは拙稿[11654]にてご紹介したように、民族も違えば言語も違います。アイスランドは、私が持っている資料では「われら北欧人」(東海大学出版会)で簡単にふれられている程度で、ご紹介できるほどのデータを持ち合わせていませんので、お詳しい方のフォローをお願いしたいと思います。それ以外の3カ国は、共同でスカンジナビア・エアを運行するなど密接な関係で、特に言語の関係は、おもしろいです。

ノルウェー人にとって、デンマーク語を読むのは容易だが、聞く方は読むほどに理解できない。スウェーデン語は読むのは困難だが、話されるとよくわかる。デンマーク人に言わせると、聞く分にはノルウェー語とスウェーデン語の違いがわからない、とのこと(以上は、古~い「地球の歩き方」から引用)。日本語で強引に例えると、各地の地域言葉どうしのような関係、といったところでしょうか。

と、引用とは関係のない書き出しになってしまいましたが、ノルウェーのこと。親ナチスの政権が樹立されたのは事実とはいえ、親ノルウェー派の私としては、若干ご説明したくなりました。

ノルウェーは、11世紀に国内を統一しました。1397年に、スウェーデン、デンマークとの同君連合(カルマル同盟)を結成しましたが、次第に主導権がデンマークへ移っていきました。しかし、1523年にカルマル同盟は解体し、1536年にはデンマークがノルウェーを併合しました。しかし、1814年のデンマークとスウェーデンのキール条約により、今度はスウェーデンの支配下になりました。しかし、ノルウェーはこれを受け入れず、同年、ノルウェー憲法を制定しました。スウェーデンは、その独立と新憲法を認めつつも、スウェーデン王がノルウェー王を兼ねる、という形になりました。

ちなみにノーベル賞が創設されたのは1901年。まだ、ノルウェーがスウェーデンの支配下にあった頃で、平和賞だけノルウェーなのは、その関係です。1905年には、平和裏にスウェーデンからの独立をはたし、第一次対戦中は中立を保てましたが、第二次大戦時にはドイツにあっという間に占領されてしまいました。占領前から、ノルウェー国内にはクィスリングを党首とする親ナチスの政党があってナチスとは連絡を取り合っており、そういう意味では、「一部の」ノルウェー人がナチスを招き寄せ、傀儡政権を樹立させた、という表現が正しいかもしれません。

このときに、ノルウェー国王が、スウェーデンへの受け入れを要望したにもかかわらず拒否され、イギリスに行かざるをえなかった、という事実は、その後の国民感情に影響を与えているようです。あまり、スウェーデンのことを悪く言いたくない(私が好きだった女性の母国だから)のですが、フィンランドとの関係でも、スウェーデンがフィンランドとの同盟に合意していれば、フィンランドはドイツとくみすることがなかったかもしれない、と思います。現実に、スウェーデンはドイツ軍の資材、兵器輸送を1940年に承認しているのですから。

勢いでもう少し付け加えると、パワーポリティクスの中で、スウェーデンはしたたかであり、それによって近世の200年弱も中立を保ってきました。北欧の強国だからできたことでしょうが、では、かつて支配下にあった小国(フィンランド、ノルウェー)はどうすればいいのか???自国スウェーデンのためなら関係ないと言い捨てるのか???とたぶんに政治学的になりがちなので、この話はここで終わりにします。このあとに、実はだいぶ書き加えたのですが、考え直して削除しました。

ノルウェーの話に戻りますが、そのような経緯があったものの、反ナチスへの国内でのレジスタンス運動は盛んで、ドイツの降伏により、ようやく独立を回復しました。それで、そのような経緯があったため、第二次大戦後は、すぐにNATO(ネイトオゥ)に加盟しました。余談ですが、フランス語ではOTANとつづりが全く逆になることを、昨今のニュースで初めて知りました。ちなみに、1945年7月8日にノルウェーは対日宣戦布告してますが、枢軸国側に宣戦布告したかどうかが、敵国条項適用可否の判断につながっているのですか?そうだとすれば、あまりに酷い判断基準です。

実は、ワタクシ、ムンクの絵(特に色づかい)が好きでして、それでノルウェーのことを調べたのでした。日本でムンクと言うと「叫び」の印象が強すぎて、好きというとエェッ?と引かれてしまうのですが、叫びだけではありませんので、念のため。実はホームステイしたことがありますが、ムンクが好きと言うと、皆さん快く迎え入れてくれたような気がします。他にも作曲家グリーク、作家イプセン、そして彫刻家ヴィーゲランが有名です。

ちなみに、私が行ったことのある北欧は、11月中旬から1月中旬まででして、なんといっても日が出ている時間が短い。ぜひ、夏のトップレス北欧を見たいと思いつつ、その願いは、なかなか叶いません。ノルウェーで泊めていただいた家の女性は、たいへん心根の優しい女性で、私が親ノルウェー派になった一因でもあります。

ノルウェーの紹介というよりは、私情を含めてスウェーデンを絡めた話になってしまいましたが、以上でお話をおわりたいと思います。
[11693] 2003年 3月 23日(日)12:57:41【2】太白 さん
アメリカ大陸を発見したのは誰?
 上の質問に対して、「コロンブス」と答えるのは間違いですね。コロンブスのアメリカ(正確にはカリブ海の島)到達前に、北アメリカにはネイティブインディアンが、メキシコや南米には高度な文明を有するインディオの人々が住んでいたわけですから。

 では、「ヨーロッパ人で初めて、アメリカに到達したのは誰?」という問いなら、答えは「コロンブス」でしょうか?

 …最近の研究によれば、これまた違うようです。

 ノルウェーなどの北欧の人々は、8世紀ごろから主にイギリスやフランス、バルト海などの沿岸で海賊行為を行うと同時に、貿易商人として活躍しました。交易の範囲は、遠く東ローマ帝国の首都、コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)にも及んだそうです。彼らに対する呼称が「バイキング」(入り江の民)です。ノルマン人(北の人)、デーン人とも呼ばれますね。
 南下した一派が定着したフランス北部地域は「ノルマンディー」と呼ばれるようになりました。ここを本拠に11世紀にイギリスに攻め込み、イギリスにノルマン人の王朝が成立(ノルマン・コンクエスト)したのは、世界史の分野では有名です。

 …話を大西洋方面に戻します。

 バイキングの一部は大西洋を渡り、870年に北極圏の火山島、アイスランドに入植し、牧畜などを始めました。彼らはスカンジナビアの本国との間を頻繁に航海していましたが、中には遭難するものもあり、そのうちの一隻がアイスランドから西に流され、氷河におおわれた大きな島を見つけました。こうした中で、982年、「赤毛のエリック」という男が、放牧牛をめぐり隣人を殺害したため、罰として、3年間島から追放されると同時に、この未確認の島を調査するよう命じられました。

 エリックは3年の探検の末、大きな島を見つけ、「グリーンランド」と名づけて帰島しました。氷河に覆われ、冬季は極寒の地に「緑の土地」と名付けたのは、彼自らがグリーンランドの指導者となって新しい入植地を作ろうと考え、入植希望者を増やそうとするPR作戦だったそうです。

 986年夏、最初の入植者が25隻の船に分乗し、グリーンランドに向かい、約半数の14隻だけが、厳しい航海を終えて無事に目的地に到達しました。今はグリーンランドの多数を閉めるイヌイットが本格移住するより200年ほど前になります。

 グリーンランドへの航海中、漂流した一部の船が西にかなり流され、そこで新たな別の大きな島を発見しました。現在のカナダ・バフィン島と考えられていますが、この発見は彼らを新たな冒険へと駆り立てました。

 997年、エリックの長男のレイフ・エリクソンが探検に出発し、バフィン島を発見し「ヘルランド」と名づけた後、南下して別の陸地を見つけ「マークランド」(カナダ北東部・ラブラドル地方と推定)と命名しました。その後、エリクソンはさらに南下し「ヴィンランド」を発見し、そこに前線基地を作った後、グリーンランドへと戻りました。

 この「ヴィンランド」の前線基地跡は、ニューファンドランド島の最北端にあり、バイキングの女性が使う糸車、鍛冶屋の跡(インディアンには製鉄技術がなかった)などが発見されています。現在、ランス・オー・メドー国立歴史公園として世界遺産に指定されています。
http://www.tbs.co.jp/heritage/19981129/outline.html

 エリクソンがグリーンランドに帰還したのは、ちょうど西暦1000年。すなわち、コロンブスの「地図上の発見」(1492年)より約500年も早く、バイキングが、ヨーロッパ人として初めてアメリカ大陸の地を踏んだことになります。

 エリクソン帰還後、グリーンランドから第2次隊が、ヴィンランドの前線基地へ進出しました。しかし、すでに「先客」であるインディアンがおり、数度の紛争の後、バイキングはグリーンランドに撤退しました。

 ちなみに、グリーンランドの入植地は約400年間維持されましたが、15世紀になると、気象変動によりこの地域の気温が低下し、農業の維持が困難となったことから放棄されました(入植地の遺跡はグリーンランドに残っています)。

そんなわけで、私見では、コロンブスによる「新大陸発見」は、その後のヨーロッパ諸国による南北アメリカ大陸進出の端緒となったわけで、世界史上の一大事件と評価することは出来ますが、「一番乗り」という意味での意義はないですね。

 以上、ちょっと長くなりましたが、北欧関係の書き込みが続いているので反応してみました。
[11697] 2003年 3月 23日(日)13:49:00般若堂そんぴん さん
ヴィンランド
[11693]太白さん,「ヴィンランド」という地名の意味するところが初めて分かりました.ありがとうございます.

「vinlandica」という種小名を持つ植物があります.
また,アメリカ合衆国のバンド(ゴシック・メタルなどと呼ばれる)Type O Negative(18歳未満の良い子の皆様は聴いてはいけませんよ)のアルバム「October Rust」(1996)の中に「The Glorious Liberation of he People's Technocratic Republic of Vinnland by the Combined Forces of the United Territories of Europa」という短い奇妙な曲が収められており,同アルバムのバック・インレイにはノルウェー国旗によく似た旗(ノルウェー国旗では赤である地の部分は黄みを帯びた緑,青である十字架部分は黒)と共に「PRODUCT OF VINNLAND」と記されています.
その vinland または Vinnland とはいったい何処なのか,気になっていたのでした.
[11705] 2003年 3月 23日(日)16:56:21【2】太白 さん
Re: ヴィンランド
[11697] 般若堂そんぴん さん

 レスありがとうございます。
 ヴィンランドは当初、どこにあるか分からなかったため、その位置を推定するに当たり、その名称から「ブドウの里」と解釈し(例えば、フランス語では"Vin"はワインを意味する)、野ブドウが採れる地域として、アメリカ東海岸のニューヨークから北にかけての地域だと推定されていたそうです。しかし、該当する遺跡は見つかりませんでした。

 そうした中、1960年、ノルウェーの考古学者が、17世紀のアイスランドで作られた地図の西端(ニューファンドランド島)に「ヴィンランドの岬」という地名が書かれているのに気づいたそうです。そして、VinlandのVinはブドウという意味ではなく、北欧の古語で牧草地を表わしており、寒くてブドウが採れないニューファンドランド島がヴィンランドではないかと推定しました。

 その学者は、今は世界遺産になっているニューファンドランド島北部の漁村ランスオーミドー(L'anse aux Meadows=「牧草地がある入り江」)を訪れ、8軒の家の跡からなる遺跡を調査しました。この遺跡は従来、インディアンの居住地跡と思われていましたが、グリーンランドに残るバイキングの入植地とそっくりで、発掘品から、ヴィンランドの前線基地であると判断されたそうです。

P.S. 般若堂そんぴんさん、500書き込みおめでとうございます。
 書き込みランキングを見ていたら、書き込み文字数が人口ランキングのように見えてきました…。
[11725] 2003年 3月 23日(日)22:32:10touhemboku さん
ノルウェーと言えば。。。
[11690]YJ3さん
ノルウェーって、フィヨルド以外にイメージわきますか?
魚屋的に言うならばノルウェーと言えばやっぱり魚でしょうね。
そういえば、昨年は日本でもクヌート・エーリク・イェンセン監督の
「うたえフィッシャーマン」という
ノルウェーの漁師の合唱団をかいた映画がありましたが。
ノルウェーサーモンを代表として鯖、鰯、鮪などなどたくさんあります。
特にここ数年日本では鰯と鯖が極端にとれないという事態が発生していて
その影響でノルウェー産の鯖などはかなりの量が市場に出回っているのではないでしょうか。
また、それらの魚が開きや文化干し、灰干しに加工されるとき例え外国産の魚でも
その加工地の名前が付けられています。
だから例えば外国産の鯵を使っていたとしてもそれを加工(開いて干す)する場所が
沼津や小田原ならば、そのまま「沼津産鯵の開き」「小田原産鯵の開き」として売られています。
実際に私が以前働いていた魚屋では「銚子文化鯖」と言うのがあったのですが
その鯖は何処で取れたかと言えばノルウェーでとれたものです。
ノルウェーも日本も魚民族の仲間としてこれから益々親交を深めていけたらいいですね。
[11746] 2003年 3月 24日(月)09:38:40f さん
Re: ノルウェーと言えば。。。
[11725]
日本のノルウェーからの輸入品といえばたしかに魚介類が一番ですが、ノルウェーの輸出品で考えると
一番は石油、天然ガスです。なんといっても原油の生産量でノルウェー以上であるのは、ロシア連邦、アメリカ
合衆国、サウジアラビア王国くらいでイラン・イスラム共和国、メキシコ合衆国、中華人民共和国と同程度
なのですからその規模がわかるでしょう。
[11825] 2003年 3月 26日(水)00:01:15【1】Issie さん
バルト史
[11811] 三丁目 さん
バルト3国について、詳しい資料をご存知でしたら、併せて、いくばくかの解説をご教示頂けると幸いです。

とりあえず,この地域の通史として一番に手に入れやすく,それなりに読みやすいものとして

 伊東孝之・井内敏夫・中井和夫 編 『新版 世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史』,山川出版社,1998年
(ちなみに,本文で全434ページ)

というのがあります。受験生にはおなじみの「例の山川出版社」ですね。
ちなみに,フィンランドを含めた北欧諸国については,姉妹編の『21 北欧史』というのが出ています。
[11841] 2003年 3月 26日(水)11:49:01ken さん
フィンランド語とエストニア語
[11686]Issieさん
[11811]三丁目さん
フィンランド語とエストニア語が似ているという話は、私も読んだことがあり、興味を持っておりました

基本的には通訳無しで会話できるようで、ソヴィエト時代、エストニアの人が、密かにフィンランドのテレビを見ていた、とい話もありますね。

エストニアが独立してからは、さらに両国の関係は緊密になっているようですね。

良くわからないのですが、リトアニア語とポーランド語とかも似てるんじゃないでしょうか?

例えばトルコ語も、チュルク系の言葉はトルコ共和国の人と、ウズベク、カザフ、キルギス、新疆ウイグル自治区のウイグル族の人たちなどは、支障はあるものの、何となく意思疎通できるそうで、日本人から見ると不思議な感じがしますね。

日本はその意味では孤立していて寂しいでが、インターネット時代を迎えて、中国語の字体統一や、朝鮮半島での漢字使用のさらなる加速、果てはベトナム語での漢字の復活まで、呼びかけ、コンピュータ上での標準化など、ネット時代の文字による漢字文化圏の再構築を進めようという、活動をしている日本の団体が、以前、新聞に紹介されていて、現実離れしてはいますが、発想としては面白い話だなと、思いました。

確かにハノイが「河内」だということがわかると、その地名の由来などもなんとなくわかり、遠い言葉のように思えるベトナム語も、「わかる部分もある」ということがあって、漢字の表意文字としてのメリットは、もっと活用の余地がありますね。

久しぶりの書き込み。
引越しで、ROMだけで精一杯でした。
まだ、ダンボールの山の中で生活してます。
[11842] 2003年 3月 26日(水)11:58:38Issie さん
自称と他称
[11811]三丁目 さん
彼ら自身の言葉ではSuomiですから

国や民族の名前の自称と他称が一致しないというのはよくあることですね。
ドイツ人などは,まわりから「ゲルマン人」(英語)だの,「アレマン人」(フランス語)だの,「口の聞けない連中」(スラブ諸語)だの,好き勝手な名前で呼ばれていますね。

「スオミ」というのは,本来はフィンランドの南西隅,スウェーデン時代の主都であったトゥルク(スウェーデン語名:オーボ)を中心とする割と狭い地域の呼称でした。これが,カレリアや北部のサーミ(ラップ)人地域も含む「フィンランド」全域の自称となったものです。

ところでシベリウスですが,実は彼はフィンランド語が下手だった,という話があります(極端な場合は「フィンランド語が理解できなかった」とも)。
シベリウス自身がそうであったかどうか,本当のところを私は知らないのですが,一般的な話として,19世紀までのフィンランドではトゥルクをはじめとする都市の住民の言語はスウェーデン語が優勢であったのは事実でした。フィンランド語は「田舎の農民や牧民の言葉」と意識されていたようです。
現在のフィンランド語は,19世紀半ば,レンリョートの「カレワラ」研究の成果を下敷きに各地の方言の要素を取り込みながら,文章語としていくぶん人工的に形成されたものです。19世紀後半の世界的な民族意識の高揚の中,フィンランドではロシアからの独立運動が盛んになっていく中で,フィンランド語もそれまではスウェーデン語社会に属していた知識人層に浸透してゆきました。
フィンランドの公用語にスウェーデン語も指定されているのは,現実にスウェーデン語で生活している人々のコミュニティーがあることも理由の1つなのですが,このような経緯があるせいでもあるのです。
[11862] 2003年 3月 26日(水)17:18:01三丁目 さん
Re:バルト史
[11825]Issieさん
『新版 世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史』,山川出版社というのがあります。

Issieさん、ご教示下さり、ありがとうございました。さっそく図書館へ行き、探してみようと思います。実は、先般紹介した「嵐の中の北欧」武田龍夫著(中公文庫)で、バルト3国についても若干ふれられていたので、流れの中で皆様にご紹介したい誘惑にかられたのですが、あまりに情報が少なすぎるので、思いとどまった次第です。これで知識を補強したいと思います。

バルト3国と聞くと、日本では、旧ソ連から久しぶりに独立をはたした国、程度のイメージしかないのでは、と自分自身がそうでしたし、思っていましたから、ご紹介したくなったのです。それに3国は、まとめられてしまってますし。親フィンランド派の私としては、特に、エストニアに興味があったものですから。

また、駄文を続けると、なぜ日本では北欧と聞くとスウェーデンのイメージがわくのか、先日、立ち読みして初めてわかりました。スウェーデンを、日本の進むべきモデルとして研究されたからなのだそうですね。すなわち、(1)高福祉先進国家、(2)200年弱もの中立国家、として、とある本に書かれていました。人口800万人強と、北欧最大ですから。

でも、この800万という数字すら、ご存知の方は、どれくらいいらっしゃるかなあ、と思ってしまいました。人口だけが全てではないですけど。

最後に蛇足ですが、本日は、現場からの直帰ということで、かような時間でも、自宅から書き込めるのでした。
[12096] 2003年 3月 30日(日)09:41:31三丁目 さん
「ふぃ」の国
北欧滞在から帰国して写真を現像に出したときに、以下のような会話があったのを思い出しました。

お店の方:まあ、ずいぶんフィルムが多いですね。
ワタクシ:ええ、フィンランドとノルウェーに行ってきたものですから。
お店の方:それはそれは。寒いところと暑いところへ、まとめて行くなんて大変ですね。
ワタクシ:??

フィンランド(Finland)ってどんな国?と聞かれて、「フィ」が同じというだけで「フィリピン(Philippine)」と混同している人もある、と、あるガイドブックに書かれていました。先般、久しぶりに北欧の国を書き込むに際し、いくつかの本を読み直して、日本でのスウェーデン以外の北欧諸国の認知度の低さを具体的に、思い出しました。

こちらにいらっしゃってる皆様方には、そのような勘違いがないのはわかるのですが、つい、強い思い入れを込めた文章を書いてしまい、話の流れの中で「特定のキーワード」に引っかかったかもしれないことを、反省しているこの頃なのでした。

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