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落書き帳アーカイブズ 広大な大地、厳しい自然環境、大自然など、さまざまなイメージでもって語られる北の大地について寄せられたメッセージ集です。北海道に「地理アドバイザー」を擁して北海道方面の地理情報に造詣の深い三丁目さんのお話は、とても貴重ですね。

シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−



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記事数=51件 更新日:04年05月23日
記事#記事日付
記事タイトル
発言者
[6905]2002年12月24日
日本最北端に行くには 夜鳴き寿司屋
[7554]2003年1月10日
中標津町 開陽台
[7686]2003年1月14日
緊急思い付き企画/路線区分変更計画/JR北海道編 深海魚
[11008]2003年3月11日
北海道の桜 三丁目
[11539]2003年3月20日
函館と旭川 三丁目
[11865]2003年3月26日
旭川ご紹介、、、になってますか? 三丁目
[12383]2003年4月3日
北海道の東半分のお話 三丁目
[12717]2003年4月8日
でえたんち、釧路?、北海道限定の話題です。 三丁目
[12876]2003年4月11日
釧路について ペーロケ
[13553]2003年4月20日
北海道の町村立高等学校 だんな
[13648]2003年4月21日
小樽の無念 三丁目
[14009]2003年4月25日
小樽、ニシン編 三丁目
[14137]2003年4月27日
ニシン、補遺編 三丁目
[14256]2003年4月29日
歌志内と芦別 三丁目
[14287]2003年4月29日
空知市構想 でるでる
[14858]2003年5月7日
太白さんからの戴き物(その1) 三丁目
[14940]2003年5月8日
釧路、ホイホイ編 三丁目
[14992]2003年5月9日
小樽市、市境変更編 三丁目
[15273]2003年5月15日
3市広域行財政検討会(室蘭市、登別市、伊達市) 三丁目
[15543]2003年5月20日
道央(札幌)から道東(帯広、釧路)へのルートの変遷 三丁目
[15652]2003年5月21日
富良野(太白さんからの戴きもの編) 三丁目
[15742]2003年5月23日
や〜れん、そ〜らん、ほっかいどう〜♪ ペーロケ
[16067]2003年5月28日
国道五号線 深海魚
[16199]2003年5月31日
旭川の観光スポットfrom地元からの情報 三丁目
[16340]2003年6月5日
uttさんからの預かりもの 三丁目
[16367]2003年6月6日
Re:国道五号線 三丁目
[16368]2003年6月6日
Re:国道五号線、の続き 三丁目
[16580]2003年6月10日
ニックネーム国道 三丁目
[16582]2003年6月10日
Re: ニックネーム国道 NS
[16624]2003年6月11日
Re:♪どぉこかぁらぁ来るのかぁ、黄金道路! 三丁目
[16655]2003年6月12日
北海道大学構内の地名 N-H
[16672]2003年6月12日
北海道最大の島 ペーロケ
[16747]2003年6月14日
「北海道」という呼称 三丁目
[16819]2003年6月15日
中心市町って? 三丁目
[17110]2003年6月21日
沙流3町 三丁目
[17368]2003年6月26日
ガンバレ!穂別!(沙流3町、続編) 三丁目
[17376]2003年6月26日
沙流3町、鵡川、穂別 NS
[17381]2003年6月26日
さっ。。。沙流3町プラスアルファ、にレスを頂けるとは・・・テンテンテン。 三丁目
[17752]2003年7月3日
旭川整備事業 special-week
[17755]2003年7月4日
旭川のイメージ faith
[17758]2003年7月4日
Re: 駅の片側にしか街がない&旭川のイメージ NS
[17867]2003年7月6日
「観光圏」て、初めて聞きました。 三丁目
[17970]2003年7月7日
たまに「新規書込」と「書込訂正」をクリックし間違えて、オオッとなることがあります。 三丁目
[17977]2003年7月8日
北海道、オススメポイント スナフキん
[17983]2003年7月8日
Re: 北海道、オススメポイント NS
[17984]2003年7月8日
北海道へGO!! ペーロケ
[18029]2003年7月8日
レンタカーと取り締まりのこと スナフキん
[18079]2003年7月10日
北海道三大秘湖 今川焼
[19510]2003年9月1日
胆振国虻田郡倶知安町 Issie
[22999]2003年12月23日
北海道へのあこがれ seahawk
[25993]2004年3月10日
コラム 夕張 TN



[6905] 2002 年 12 月 24 日 (火) 01:38:28 夜鳴き寿司屋 さん
 日本最北端に行くには
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[6900]start さん

>突然ですみませんが質問させてください。
>北方領土を除けば日本最北端は稚内の弁天島ですが、
>ここには一般人が行くことはできるのでしょうか?

 いろいろホームページ上にある北海道の旅行記について検索してみたところ、実際に渡った方の体験記にはヒット出来ませんでしたが、それら皆さんの話を総合すると個人でも可能だそうです。ただ定期便はない(お盆までなら季節限定でやっている?)らしく、民宿で5人以上で渡し船を催行してくれるところもあるそうですが、海鳥が住む岩礁に過ぎないので特にすることは魚釣りと日本最北端に行けた満足感だけだと思います。費用がどの程度掛かるかは判らないですが、個人で稚内などの漁港で漁船をチャーターすれば確実にいけると思います。

[7554] 2003 年 1 月 10 日 (金) 23:05:46 開陽台 さん
 中標津町
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[7544] 白桃さん

北海道標津郡中標津町

人口2万3千人ほどで、その大半が中標津市街に集中し、市街に隣接して空港があります。
市街地は標津川中流の河岸段丘上に形成され、街路は北海道らしい碁盤の目状です。
本州ほど建物が密集していないため、人口の割に市街地が広くなっています。
そして、市街地を抜けると広大な牧草畑が広がっています。

現在の中心地は鉄道の結節点となったことを契機に拡大していきました。
標津線の開通は昭和になってからですから、北海道でも新しい市街地です。
残念ながら、鉄道は東京直行便就航と前後して廃止になりました。
釧路に直行しておらず、既に車社会であったため、廃止の影響は軽微だったと思われます。
現在、駅跡には立派なバスターミナルと文化会館が建っています。

基幹産業は農業と建設業、商業です。
農業は、酪農がメインで、牛の頭数は人口を超えています。
建設業は、地震とムネオ効果で、ここ10年は景気がよかったほどです。
(国道272号の立体交差は無駄の極みでしょうが...)
商業的には、周辺地域の中心であり、1人あたりの小売販売額は全国有数です。
ただ、この数値は自動車販売(周辺ではここにしかディーラーがない)の影響が大きいようで、
近年では釧路の郊外型大型店(国道を飛ばして1時間強)の吸引力が強くなり、地元商店街は苦戦しているようです。

この掲示板的に興味深いのは、人口が微増していることではないでしょうか。
北海道は、過疎化が深刻で、都市近郊以外で人口増となっているのは極めて珍しいと思います。
これは、Uターン率が比較的高く、周辺から移り住む人もいるため、社会減が少なく、
高齢化が比較的進んでいないため、自然増が社会減を上回っていることが主因でしょう。

適度な利便性と恵まれた自然環境のため、都会出身の田舎好きには好評のようですが、
産業面で弱いため将来性には乏しいかもしれません。

[7686] 2003 年 1 月 14 日 (火) 17:39:13 深海魚[雑魚] さん
 緊急思い付き企画/路線区分変更計画/JR北海道編
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

路線別の収支係数算定や国土交通省の規定、各種表示の変更の手間隙などを考えると、必ずしも
現実的な発想ではありませんが、各種列車運行状況や利用実態に鑑みて、路線区分を以下の様に
改めると判り易いかな、という視点に基いた区分変更および改称案を以下に示します。異論も多いと
思いますが、それ以前に命名のセンスが問われそうです。(笑) 第一弾としてJR北海道。

(区分)(現行名)(起点)(終点)(改称名)(備考)
幹線函館本線大沼鹿部線鹿部経由区間
函館本線長万部小樽後志線
長万部小樽後志線
小樽札幌札樽線
札幌旭川道央本線
室蘭本線長万部沼ノ端函館本線
室蘭東室蘭室蘭線
沼ノ端岩見沢追分線
千歳線沼ノ端白石函館本線
新千歳空港南千歳千歳線
石勝線南千歳新狩勝(信)釧路本線
新夕張夕張夕張線
根室本線滝川新狩勝(信)空知川線
新狩勝(信)釧路釧路本線
釧路根室根室線
地方交通線海峡線新中小国(信)木古内青函線
江差線木古内五稜郭青函線
日高本線苫小牧様似日高線
留萌本線深川増毛留萌線
釧網本線網走東釧路釧網線
石北本線新旭川網走石北線
宗谷本線旭川稚内宗谷線

[11008] 2003 年 3 月 11 日 (火) 22:23:27 三丁目[YJ3] さん
 北海道の桜
ARC 春爛漫 桜を見に行こう ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[10904]special-weekさん
各地の桜自慢もいいかなあ
北海道は、本州以南の地域と異なり、ほとんどサクラサク状態にはなりません。けれど、special-weekさんがあげられていた静内は、道内ではつとに有名なのでした。それで私は、五稜郭公園をあげたいと思います。千鳥が淵ほど水面が低いわけではありませんが、お堀端らしい、よい風情ですよ。北海道生活1年目のとき、GW中に行きましたが、北海道には一面満開の桜はないのかな、と思っていたので、驚きはなおさらでした。

函館在住経験があれば、もう少し詳しくご紹介できるのでしょうが、簡単に、ここもありますよ、という耳ヨリ情報ということで、ご勘弁ください。

[11539] 2003 年 3 月 20 日 (木) 20:11:40 三丁目[YJ3] さん
 函館と旭川
ARC いざ対決!ライバル都市 ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

函館と旭川は北海道第2の都市を争っていた記憶がある、と友人からのメールにあり、ン?と思い、しばらくメールのやりとりをしました。私は、道内都市の人口の順は、札幌、旭川、函館、釧路で固定状態と思っていました。調べてみると、人口が都市に急速に集中した1960年代に都市間競争、というか、人口面で「抜きつ抜かれつ」ではなく「抜かれて抜かれ」があり、その頃に、現在の順が固定したのでした。

見聞した情報は函館が多いのですが、旭川出身の友人からの情報等で知識を少しは補強したので、両市を簡単にご紹介したいと思います。

函館は、古くは室町時代、松前藩の時代から、そして幕末に開港した5港の1つであり、北海道では数少ない、日本史にその名が出てくる都市です。「天然の良港」だったため、港町としても発展しました。飛行機が庶民の足でなかった連絡船の時代には、函館は北海道の表玄関であり、函館の人(お年寄り?)は、函館以遠(札幌など)を「奥地」と呼ぶと聞きました。

世界3大夜景の1つとして有名で、行ってみたい観光地によくあげられるところです。かつて道内ナンバー1だった人口が、道都札幌に抜かれたのは仕方ないにしても、旭川にも抜かれナンバー3になってしまい、函館市民には、人口は抜かされたけど歴史は道内一古いもんね、という思いがあるようです。

一方、旭川。戦前は陸軍の駐屯地として北方日本の守りの要衝でしたが、人口が急速に増えたのは戦後です。1960年代に函館、小樽を抜き、道内人口第2位となりました。道北・道東(網走・北見等)地域の商業・流通の拠点として発展しました。2000年には、道内初の中核市となったところです。

実は、私は、旭川がどうして36万もの人口を擁しているのか、イメージがわきませんでした。旧市がわずか42平方kmだったのに、江丹別村(1955年)、旧神居村(1955年)、旧永山町(1961年)、旧東旭川町(1963年)、旧神楽町(1968年)、旧東鷹栖町(1971年)と合併し、面積は747平方kmと、17倍以上になりましたから、合併で人口が増えたのかと思いました。地区別人口でも、江丹別を除いて、それぞれ合併時よりも人口が増えてますから。しかし、メールでの意見交換や資料を見ると、合併だけが旭川市の人口増の要因ではない、と考えるようになりました。

簡単に説明すると、都市に人口が集中し始めた高度成長期、求心力のある中心市に周辺町村から人が集まり人口が増えた、全国で見られた現象が、道北では旭川だった、ということのようです。例えると「道北の札幌」に該当するでしょうか。札幌は、現在も道内への求心力で人口が増え続け、リトル東京化が進んでいます。ま、札幌が全国区で観光イメージもある巨大都市であるのに比べ、旭川の地味な印象はぬぐえませんが。

このことは、観光で有名な道内の「都市」は、札幌、小樽、函館で、イメージもそれぞれ伝わるものの、
[10608]uttさんの
北海道は何故か地域性を感じにくいですね。
と、道外では感じられるのでしょう。私が旭川のイメージがわかなかったことと、同様かもしれません。前述の3市は、それぞれ、古い建築物が市内にあり、観光イメージの向上につながっていると思いますが、それらを除くと、どちらかといえば、観光は、都市よりはまわりの自然が売りですしね。なんて言うと、観光に力を入れている市町村の担当者から怒られそうですが。

以前、亀田市域が[6083][8406]等で話題に上がってましたが、友人は、旭川在住だったにもかかわらず、函館を意識していたから、亀田市域を知ってました。五稜郭周辺より北の平野部はかつては亀田市で、函館市は室蘭市と同じく、半島部だけの狭い行政範囲だったのに、合併で人口を増やしてズルイ、と思ったそうです。たしかに、国勢調査ベースで1970年と1975年の間の函館市の人口急増は、亀田市との合併が効いてますね。ちなみに、合併直前(1973年11月末)の亀田市の人口は67,007人でした。

ついでの情報として、函館市と合併した市町村は、湯の川町(1939年)、銭亀沢村(1966年)、そして亀田市(1973年)です。

今は、それぞれの道を歩んでいる函館と旭川ですが、かつてライバルだったということで、ご紹介を終わりたいと思います。オマケとして、国勢調査ベースの道内最古参6市(1922.8.1市制施行)の人口推移をのせときます。打ちミスはないと思いますが。

(単位:人)札幌函館小樽旭川室蘭釧路
1920年102,580144,749108,11354,93156,08239,392
1925年145,065163,972134,46964,99150,04042,333
1930年168,576197,252144,88776,54155,85551,586
1935年196,541207,480153,58783,68365,09556,170
1940年206,103203,862164,28287,514107,62863,180
1947年259,602211,441164,934107,09096,72261,368
1950年313,850228,994178,330123,238110,44393,357
1955年426,620242,582188,448163,483123,533119,536
1960年523,839243,012198,511194,621145,679150,624
1965年794,908243,418196,771257,206161,252174,105
1970年1,010,123241,663191,856300,593162,059191,948
1975年1,240,613307,453184,406321,969158,715206,840
1980年1,401,757320,154180,728352,793150,199214,694
1985年1,542,979319,194172,486365,036136,208214,541
1990年1,671,742307,249163,211362,453117,855205,639
1995年1,757,025298,881157,022362,959109,766199,323
2000年1,822,368287,637150,687364,093103,278191,739

追伸

拙稿[11075]で苫小牧市は順調に人口が伸びている、と書きましたが、地元紙(苫小牧民報、室蘭民報)を読むと、12月末現在で、2001年に続き、2002年も人口が減り、人口が減少したこと自体、市制施行以来、初めてなのに、2年連続なので危機感があるようです。人口動態別に見ると「社会増加」での減少が止まらないことから、対策を検討しているようです。

また、[9574]で室蘭市の人口が18万を超え、と書きましたが、国勢調査ベースでは16万人強なので、気になって室蘭市役所に聞いてしまいました。というのも、私の在住当時に聞いた話で、データとして確認してなかったからです。結論としては、1969年7月の住民基本台帳ベースで、183,605人だったのがピークでした。国勢調査の方が少なめになりますから、とのことでした。

室蘭市の人口密度が道内1位だったという話も、併せてお聞きしたのですが、対応してくださった職員の方も聞いたことがあるそうです。が、データ的には確認できませんでした。ただ、人口が多い他の市に比べ、面積が圧倒的に小さい(80平方km)ことから、人口がピークだった頃にトップだったことは、まず間違いないと思います。

[11865] 2003 年 3 月 26 日 (水) 17:51:10 三丁目 さん
 旭川ご紹介、、、になってますか?
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[11575]白桃先生へ、遅くなりましたが宿題を提出します(笑)。

まず最初に、旧市域と、合併した旧町村の、合併直前と2002年9月末との人口を比べてみました。時点を書かなかったものは、全て2002年9月末のデータです。

旧市域:149,903人(1954年)〜158,497人

東鷹栖:8,307人(1970年)〜31,514人
神 楽:20,488人(1967年)〜38,452人
東旭川:17,038人(1962年)〜54,979人
永 山:10,543人(1960年)〜43,841人
江丹別:3,020人(1954年)〜485人
神 居:8,040人(1954年)〜35,437人

合併町村の人口計:67,436人(時点はグチャグチャ)〜204,708人

考察するには手がかりが乏しすぎるので、地区別人口で示されている地区名と旧町村名が一致しているのか、確認がてら、旭川市役所に以下の2点も聞いてしまいました。
(1周辺の田んぼを宅地化したことで人口が増えたのか。
(2)旭川旧市域と周辺町村の市街地が一体化したことによる、自然な合併だったのか。

(1)については、宅地化が進んだのは1960年代のことで、少なくともここ数年ではない、とのことです。
また、(2)も1960年代の話だから、合併が自然かと聞かれると、はてさて?ということでした。
合併旧町村と現在の地区が、旧神楽町=神楽+西神楽とは、厳密には異なるのですが、傾向を見るためなので、この場合は同じものとして考えました。また、他にも若干の相違があるようですが、それは誤差の範囲ということで、ご容赦ください。(論文のためなら、テッテー追求するとこですけども。)

周辺市町村から人が集まって来て、市域=住宅地が拡大し、合併することで「旭川市」の市域も増え、人口が増えた、が私の考えた考察結果です。(このことは、自然な合併だったと言えるかもしれませんね。)少しクドクて申し訳ないのですが、旧市域も1954年に比べれば人口が増えてますから、合併だけが人口増の要因ではないものの、市域の拡大は「旭川市」としては人口増につながっていること、人が集まることで第3次産業が雇用を創出し、人口増の好循環を生んだ、と考えます。本来であれば、各地区別の人口推移を、1954年当時から調べると良いのですが、今回はそこまでの調査はしておりません。ごめんなさい。ペコリ。

ご参考までに、旭川市のHPに、地区別人口推移が1994年から載っていましたから、2002年と比べると、
旧 市 域:165,175人から158,497人へ
合併地区:197,733人から204,708人へ
と、旧市域の人口が減少傾向なのに対して、合併地区の方は増えていますから、いつからかはわかりませんが、スプロール化は進んでいると思われます。

なお、合併した旧町村の中で、江丹別だけ桁違いに減少しています。これは、友人に理由を教えてもらいました。他の地区は全て上川盆地に面しており、時期的な差はあれ、旭川郊外を住宅地化しました。地区の中に山間農村部もありますが、宅地化された地域の、プラス分の方が多かったようです。しかし、江丹別は完全に山間部だけの地区であるため、農家が転出していく一方だったのでしょう、とのことでした。

もともとは、製紙工業がメーンであれば工業都市の苫小牧や室蘭、あるいは工業都市ではありませんが北見、帯広ほどの人口にしかならないだろうから、なぜ旭川市が36万もの人口を擁しているのか、の理由を知りたい、が発端でしたけれどだけ、考えるきっかけを頂いたことには、感謝しております。ちなみに今思っている例えは、旭川が道北の札幌で、北見は道東(道北でもある)の旭川、、、ますますわかりにくい例えになりましたか?すいません。

最後に、友人が、旭川の産業を教科書のように解説してくれたので、あわせてご紹介したいと思います。ホントは、旭川のためには名物、観光紹介の方がいいんだけど、と言ってましたが。

旭川地方の第一の産業は,稲作農業です。
上川盆地は,広く平坦で川が多い地形と,夏の高気温と冬の豪雪の気候条件から,開拓当初から稲作が行われた適地で,上川百万石と称される大米作地帯です。(上川盆地とは,旭川市,鷹栖町,比布町,愛別町,当麻町,東川町,東神楽町に亘る平地一帯のこと)

上川米を利用した第2次産業が,酒造,醸造業です。現在は男山酒造が全国的に有名ですが,かつては大雪山の名水を原料とした酒蔵会社が多くあり,また味噌,醤油の製造も盛んに行われました。

第二の産業は,木材加工業です。
現在は旭川家具のブランドで有名になりましたが,大雪山系の豊富な森林資源を生かして,製材,家具製造,民芸品加工などの木材加工業が盛んに行われています。

森林資源によって最大の工業生産高を上げているのが,日本製紙(株)旭川工場です。市内随一の高煙突で煙を上げているパルプ工場は,1事業所としては道北最大の従業員を抱える大工場です。しかし,近年,原料は海外産になり,林業,製材業は衰退ぎみです。

また,旭川は道北,道東への物流,交通の要衝であることから,国鉄旭川鉄道局は北海道一の規模を誇り,国鉄工場がひとつの産業と呼べるほどの,機械加工業の裾野を広げていました。しかし,最近は札幌への移管で衰退してます。(以上で、宿題?はオシマイです)

[12383] 2003 年 4 月 3 日 (木) 20:06:49 三丁目 さん
 北海道の東半分のお話
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[11974]utt さん
あと、北見市は網走支庁の中心に位置しており、圧倒的に人口も多いのに、
なぜ網走に支庁が設置されたのでしょうか??

[11983]Issieさん
内陸の北見市(旧称:野付牛)が都市として発展したのは比較的に新しかったのではないでしょうか。北海道に「支庁制」が実施されるのは1897年のことですが,この段階では網走の方が大きな集落だったのでは。

[12033]uttさん
やはり、(以下略)

で、お話は終わっていますが、私自身がかねてから気になっていたことでもあり、調べておりました。そもそもの興味は、なぜ北見市に11万もの人口があるのか、でしたけれど。旭川市が36万であるのと、同様の興味なのでした。以前も書きましたが、物流の集散地として、道北の札幌が旭川であり、道東の旭川が北見、が私の最終的な理解の仕方ですけれども。

Issieさんがふれられている話と一部ダブリますが、公式に出ているものを、簡単に年表風にしました。なお、内陸の開拓は、道路網が整備されてから本格化していますから、沿岸だった網走市よりも、内陸の北見市の方が開基は遅いのですね。ちなみに、旧北見国のうちで最初に市となることから、北見市と改称したそうです。

1872年:アバシリ村開基。
1886年:北海道庁設置とともに、網走に郡役所設置。
      (それ以前から郡役所はありましたが、道庁組織ということで)。
1889年:札幌〜旭川間「上川道路」開削。
1891年:旭川〜網走間「北見道路」開削。
1897年:5月、野付牛村(現北見市)開基。
      11月、郡役所を廃止し、19支庁の1つとして網走支庁設置。

国勢調査による市別人口推移のオマケ
(半角数字の単位:人)網走北見紋別帯広釧路根室
市制施行年194719421954193319221957
1920年27,89930,1526,97216,08139,39224,770
1925年24,48623,3928,84520,20842,33328,890
1930年26,94627,76610,42128,13551,58629,986
1935年31,66831,12916,12035,69556,17032,012
1940年32,73232,84919,85436,55563,18035,543
1947年34,85040,98917,86346,77461,36826,047
1950年39,21845,95223,04651,79493,35729,934
1955年42,96152,98837,38870,027119,53635,799
1960年44,05266,93240,281100,915150,62442,740
1965年44,19574,84140,389117,253174,10545,149
1970年43,90482,72735,110131,568191,94845,381
1975年43,82591,51932,825141,774206,84045,817
1980年44,777102,91533,860153,861214,69442,880
1985年44,283107,28132,163162,932214,54140,675
1990年44,416107,24731,078167,384205,63936,912
1995年44,176110,45230,137171,715199,32334,934
2000年43,395112,04028,476173,030191,73933,150

オマケのオマケ(第1回国勢調査以降の動き)
網走市:1921年、女満別村(当時)が分村、1947年、東藻琴村が分村。
北見市:1956年、かつて分村した相内村と合併。
紋別市:1954年、紋別町(当時)が上渚滑村、渚滑村と合併。
帯広市:1957年、川西村、大正村と合併。
釧路市:1949年、鳥取町と合併。
根室市:1957年、根室町(当時)が和田村と合併、1959年歯舞村と合併。

uttさんへのレスとして、釧路市の話を一緒にまとめようかと思ったのですが、長くなりましたので、分けることにします。

[12717] 2003 年 4 月 8 日 (火) 21:15:03 三丁目 さん
 でえたんち、釧路?、北海道限定の話題です。
ARC 「平野」とはどのような地形か? ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[11974]uttさん
釧路川の北側は湿原の泥炭地帯が広がっていた

泥炭地だとよく聞いていたのは、石狩平野の一部や、サロベツ原野などだったので釧路?泥炭地?と思いました。確かに、釧路市には炭坑がありますけれども。それで、調べた結果をご紹介します。

現在の釧路市平地部と釧路町、標茶町、鶴居村にわたる釧路湿原の低地一帯は、内陸部の丘陵地に縄文期の貝塚遺跡が発見されていることから、数千年前までは海湾であったと推定されます。それが現在の海岸線付近に砂洲ができたことで汽水の潟湖となり、海面の低下により浅い湖沼となって、水草の沼沢地に変わっていったと考えられています。

北海道のような寒冷地では、こうした低層湿原の湖底には、枯草が腐敗せず泥として堆積することにより、泥炭層が形成されています。つまり、釧路の地質は、釧路川左岸の丘陵地は、数万年前から陸地だった岩盤または火山灰地であり、釧路川右岸は河口から大楽毛に至る海岸線は、1〜2キロメートルの幅で砂丘地で、それにより内陸部は泥炭地(低湿地)ということになります。

オマケの情報。
今回調べていく中で、私は初めて知ったのですが、根釧台地は、根室支庁の別海町、中標津町を中心として、一部が釧路支庁の浜中町、厚岸町、標茶町にわたっている地域のことで、根室市域も釧路市域も入っていないのですね。おそらく旧国名で、根室国と釧路国にまたがる台地なので、そう命名されたのでしょうけど。

自分が知らないことを調べる、って面白いですね。久しぶりに、感じました。。。イエイエ、ワタクシが何もかも知っている、ということでは、ありませぬのですよ。逆に、こちらの掲示板では教えて頂くことばかりです。

[12876] 2003 年 4 月 11 日 (金) 15:45:19【1】 ペーロケ[utt] さん
 釧路について
ARC 「平野」とはどのような地形か? ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[12717]三丁目さま
釧路市の歴史についての詳しい解説、ありがとうございます。

泥炭地だとよく聞いていたのは、石狩平野の一部や、サロベツ原野などだったので釧路?泥炭地?と思いました。確かに、釧路市には炭坑がありますけれども。
九州は炭鉱は多いけど泥炭なんてものは存在しないように、実は、炭鉱と泥炭はあまり関係がありません。
石炭とは、有機物が地中で非常に長時間の高温、高圧を受けて形成されたものです。
一方、泥炭とは、三丁目さまのおっしゃったとおり、
草や木などの植物が湖沼や湾などの底で腐敗せずに堆積したものです。
普通は植物は腐りますが、北海道は寒冷地なため腐敗速度が遅く、
腐敗しきらない生のままで堆積していくようです。
そう、腐敗しないので、掘ったら大昔の大木の根っこがそのまま出てくることもあります。
だから、簡単にいえば、湿ったおがくずの上に乗っているような感じです。
北海道の沖積平野では、石狩平野やサロベツに限らず、ほとんど泥炭層であります。
ただ、上記で「あまり関係がない」のは、寒冷地での石炭形成には、植物の泥炭化が関わっている、
との学説があるようです。
話は変わりますが、十勝川温泉とか塘路温泉などの「モール温泉」も泥炭由来とか聞いたことあります。
肌がスベスベというより、ヌルヌルの膜が付いた変な感じでしたけど、
まさか、そのまま石炭化しないでしょうね(苦笑)

あと、根釧台地の範囲に厳密な定義はあるのでしょうか??
釧路川左岸の丘陵地は、・・・
とおっしゃっているように、釧路市域にも台地が広がっており、
幣舞橋の坂を登ったあたりも、「根釧台地の端くれ」だと思っていたのですが。。。違うのかな??

[12545]社会科で習ったのは「根釧」台地として、記憶にある音は「コンセン」ですが、地元では「センコン」と言うそうです。
ちなみにinfoseekで調べたところ、「釧根」では499件、「根釧」では1049件ヒットしました。
農林業関係では、根釧を使うことが多いようです。

フリーズドライされるのでしょうね。
あまり見たくありませんね(苦笑)
釧路は冬は雪が少ないぶん、体感温度は放射冷却で余計に寒いそうです。

根室本線が釧路まで開通し,終着駅だった当時は,釧路川北岸はまだ市街地ではなく,・・・
以前、札幌の図書館にて、当時の釧路の古地図を見た経験がありますが、
鉄道開通当時の市街地は南大通周辺に限られていて、
幣舞橋北部はポツポツと人が住み始めた程度で、ようやく区画整理に手をつけられたとか何とか。。。
それと、漁業のまちとの印象から、南のほうが先行して発展していたと思っていたのですが、実際は
2市街地が両立発展してきたのが,1960年代頃までの釧路の歴史だと考えられます。
なのですね。

1970年代後半から,漁業と炭鉱の衰退によって,南地区の人口が減少したことと,・・・
海の男は大金を持っているものの、それを使える時間(陸にいる時間)が限られているため、
それはそれは豪快に使った、とのこと。それで、南大通では道東一の歓楽街になっていたそうで。。。
(タクシードライバー談)
しかし、今の南大通には当時の繁栄を物語る面影もないですね。
幣舞橋のロータリーも南大通よりも、昆布森地区に繋がる道路の方が圧倒的に交通量が多かった気がします。

[13553] 2003 年 4 月 20 日 (日) 18:22:42 だんな さん
 北海道の町村立高等学校
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[13220]三鈴さん
北海道では、町村立の高校も結構あるようですね。どうして道内では町村立高校が多いのか、そして、経営的にはどういうことになっているのか、気になります。

すこし日があいてしまいましたが書きますね。
現在北海道には町立21校、村立5校の計26校あります。
所在地は下記のとおりです。

知内町    知内高等学校
恵山町    恵山高等学校
大成町    大成高等学校
瀬棚町    瀬棚商業高等学校
ニセコ町   ニセコ高等学校※
真狩村    真狩高等学校※
留寿都村   留寿都高等学校※
幌加内町   幌加内高等学校※
南富良野町  南富良野高等学校
剣淵町    剣淵高等学校
音威子府村  おといねっぷ美術工芸高等学校
羽幌町    天売高等学校※
東藻琴村   東藻琴高等学校※
遠軽町    遠軽郁凌高等学校
洞爺村    洞爺高等学校
壮瞥町    壮瞥高等学校
日高町    日高高等学校※
えりも町   えりも高等学校
士幌町    士幌高等学校
浜中町    霧多布高等学校
中標津町   中標津農業高等学校

※は定時制

というわけで交通の便が悪く周辺の高校に通いにくいところが多いようです。
また定時制の学校が多いのはふだん農作業などで働きながら通うケースが多いのかもしれません。
ただ近年は過疎化・少子化でどこの高校も定員割れのようです。ですので生き残りをかけて努力しているようです。
たとえば北海道で一番人口が少ない音威子府村にあるおといねっぷ美術工芸高校は木材工芸を専門学べる高校として道内外から生徒を募集し、村外から来た生徒は全員寮生活をしています。これで人口増加にもつながり一石二鳥です。

私は教育委員会に所属しているので、多少事情がわかるところもあるんですけど、市町村立高校の経営は都道府県によってどうなのかはわかりませんが、基本的に補助金はほとんどありません。ですので小規模自治体にとってはかなりの負担だろうと思います。

[13648] 2003 年 4 月 21 日 (月) 19:23:22【1】 三丁目 さん
 小樽の無念
ARC 銀行は都市商業の象徴  ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

今回の無念のテーマは、日本銀行小樽支店が閉鎖されたことについて、です。というのも、日本銀行は、日本の経済・金融活動の拡大に伴って、各地に支店、又は事務所を配置してきました。これまでは、事務所から支店へ移行したことはありましたが、支店から事務所への移行はありません。そういう点で、支店、又は事務所を廃止したのは、日銀史上、初めてのことなのです。私が北海道にいた頃から、支店廃止反対運動がありましたので、気になってはいたのですが、ついに、2002年9月16日に廃止されました。

もともと、日本銀行小樽支店は、1893年(明治26年)に日本銀行派出所として設置されました。その4年後には出張所となり、1906年(明治39年)に支店になりました。現在は、2003年5月14日に「日本銀行旧小樽支店金融資料館」として開館すべく、準備が進められているところです。皆さんも、小樽観光の際には、ぜひお立ち寄りください。いかにも明治の建物らしい、重厚感がドッシリときます。

小樽市HPによると、小樽は、1865年(元治2年)に「幕府は「オタルナイ」を村並とする。」とあり、1965年に開基100年式典を実施したとあります。道内でも最も早い時期から入植が進んだ地域です。また、北海道最初の鉄道が、手宮(小樽)〜札幌間に開通したところでもあります。

簡単に小樽市の歩みをご紹介しますと、開拓の本府が札幌に置かれると、北海道開拓の最も重要な港湾として位置づけられて、商業港湾都市として急速に発展しました。やがて、中央の金融機関が多数進出してきて、通称「北のウォール街」と呼ばれた銀行街を形成するようになります。これらの建物が、現在、市内で歴史的建造物としての街並みになっています。

以前、拙稿[13312]にて道内の都市(札幌、函館、小樽、旭川、室蘭、釧路)に区制が施行された順、また[11539]ではその6市の国勢調査による人口推移をご紹介しておりますので、ご興味をお持ちになられた方は、併せてご参照くださいませ。

最後に、日本銀行の支店、事務所所在地をオマケに載せておきます。先般は、ナマモノの「血」にかかる血液センター所在地をご紹介しましたが、今度は経済の「血」ということで。カッコ内は、日本銀行が所在する都市名です。事務所の記載順は、日銀のHPのとおりですが、地域・管轄別という形には分かれていませんので、私が見やすいように、勝手に改行しました。

本店(東京都中央区)

札幌支店(札幌市中央区)、函館支店(函館市)、釧路支店(釧路市)

青森支店(青森市)、秋田支店(秋田市)、仙台支店(仙台市青葉区)、福島支店(福島市)

前橋支店(前橋市)、横浜支店(横浜市中区)、新潟支店(新潟市)、金沢支店(金沢市)、甲府支店(甲府市)、松本支店(松本市)、静岡支店(静岡市)、名古屋支店(名古屋市中区)

京都支店(京都市中京区)、大阪支店(大阪市北区)、神戸支店(神戸市中央区)

岡山支店(岡山市)、広島支店(広島市中区)、松江支店(松江市)、下関支店(下関市)

高松支店(高松市)、松山支店(松山市)、高知支店(高知市)

北九州支店(北九州市小倉北区)、福岡支店(福岡市中央区)、大分支店(大分市)、長崎支店(長崎市)、熊本支店(熊本市)、鹿児島支店(鹿児島市)、那覇支店(那覇市)

水戸事務所(水戸市、常陽銀行本店別館内)
帯広事務所(帯広市、帯広北洋ビル内=旧北海道拓殖銀行ビル内)
旭川事務所(旭川市、旭川北洋ビル内=旧北海道拓殖銀行ビル内)
盛岡事務所(盛岡市、岩手銀行本店内)
山形事務所(山形市、山形銀行本店内)
富山事務所(富山市、北陸銀行本店内)
福井事務所(福井市、福井銀行本店内)
長野事務所(長野市、八十二銀行本店内)
鳥取事務所(鳥取市、山陰合同銀行鳥取営業部内)
徳島事務所(徳島市、阿波銀行本店内)
佐賀事務所(佐賀市、佐賀銀行本店内)
宮崎事務所(宮崎市、宮崎銀行本店内)

ニューヨーク事務所、ワシントン事務所、ロンドン事務所、パリ事務所、フランクフルト事務所、香港事務所

日本銀行は、日銀短観を発表しているわけですから(役割はそれだけではありませんが)、経済活動の拠点地域から、直接現場で情報を収集するためもあるのだろう、と思っています。もしかしたら、支店や事務所の設置基準があるのかもしれませんが、それは確認しませんでした。

ちなみに、地図上で見ると「日銀」と表示されていますから、私が知っている限りでは、全て独立した建物だろうとは思っていたのですが、念のため一般広報部とやらに、電話して聞いてしまいました。支店は、それぞれ1つの独立した建物だそうです。サスガは、日本銀行ですね。

長野県が、長野「事務所」と松本「支店」に分かれているところは、興味深いものを感じました。また、面積が圧倒的に広い北海道を除くと、2つあるのは、長野県と福岡県だけですからね。北九州市には、小倉市の時代(明治時代)から支店があったことと、福岡都市圏からは距離も離れているし、独立した経済圏であることから、そうだろうな、と思いました。

このお話。先週からのんびりと調査していたのですが、ちょうど本日書き込もうと思っていたら、太白さん[13623]から銀行のお話が。。。おぉっ、とあまりのタイミングの良さに驚いてしまいました。

[14009] 2003 年 4 月 25 日 (金) 15:05:05【1】 三丁目 さん
 小樽、ニシン編
ARC 鮮烈に存在した「日本海沿岸交流圏」 −北前船の交易を中心に− ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

私が、鰊漁といえば、鰊御殿がある小樽市のイメージがあるんだけど、と釧路在住友人にメールで書いたところ、「ソーラン節で知られる、江差を中心とした檜山地方のイメージがある」との返事が返ってきました。友人は旭川出身ですから、地元的には、留萌地方というイメージもあるんだけどね、とのこと。
(注:正確を期すと、ソーラン節は、積丹半島方面が発祥とされていて、余市町等が、我町こそがふるさとである、と諸説入り乱れているところです。檜山方面の歌としては、1963年から全国大会が開催されている、江差追分が有名です。)

その後、しばらくメールのやり取りを続けたのですが、鰊については、若干の調査を踏まえて、少々、補足したくなりました。

というのも、小樽で鰊漁が栄えて、そのなごりが鰊御殿だということは、間違いではありません。しかし、鰊漁と言えば小樽のことで、小樽を中心に栄えたと理解されるとなると、檜山方面の郷土愛好家の方々にしてみれば、納得がいかないのではないだろうか、ということなのです。

現在残っている鰊御殿は、かつての鰊漁の繁栄ぶりを示す文化遺産ではありますが、維持管理している市町村等からみれば、観光資源の1つとなっています。元々は、網元と呼ばれた豪商と、その使用人の住居だった鰊御殿は、鰊漁が衰退していくとともに傷んでいった建物を譲り受け、市町村等がお金をかけて修復し、維持管理しているのが、現在の姿でしょう。

小樽には観光客が多く、現存する最大規模の鰊御殿が、市内祝津の高台にあり、目立ちますから、鰊御殿&鰊漁=小樽というイメージにつながりやすいのですが、後志、檜山の昔を知る人に言わせれば、元はこちらにたくさんあったのに、という感じでしょうか。

それで、ご参考までに。私が確認した、道内での鰊御殿です。
[檜山地方]
旧中村家(檜山郡江差町。)
横山家(檜山郡江差町。ただし、横山さんが現在もお住まいなので、全部を見学できるわけではありません。)

[後志地方]
鰊御殿(旧青山別邸)(小樽市。現存する中で最大規模を誇る建物。泊村から移築。)
もと鰊御殿「銀鱗荘」(小樽市。現在は、旅館として営業しています。)
もと鰊御殿(泊村郷土館)(古宇郡泊村。)
もと鰊御殿「お宿鰊御殿」(寿都郡寿都町。現在は、旅館として営業しています。)

[留萌地方]
留萌旧佐賀家漁場(国指定史跡)(留萌市。)
花田家番屋(国指定重要文化財)(留萌郡小平町。)
岡田家にしん番屋(苫前郡苫前町。)

なお、留萌地方については、北海道人という道庁が運営するサイトの「留萌のニシン街道」としてまとめられており、参考URLは、http://www.hokkaido-jin.jp/heritage/01.html となります。

と、ここまで書いたところで、念のため、「鰊御殿」の検索結果を、もう一度丁寧に見ていったところ(だって1000件以上出てきて、大変なのですから)、リンクフリーのURLを見つけました。鰊御殿については、このURLをスクロールすると、「ニシン漁」のところに記述されています。せっかくたくさんタイプしたのに、その文章を破棄するのは悔しかったので、最後までお付き合いさせてしまって、申し訳ありません。
http://www.onitoge.org/nyumon/rekishi9.htm
こちらは、個人の方が作成されていますが、全体を読んでいくと、北海道のことが、全般的にわかるようになっています。

オマケの情報
検索結果の中には、「純米大吟醸、鰊御殿(にしんごてん)製造元、北の誉酒造株式会社」というのも、出てきました。飲まれた方ぁ、おいしかったですかぁ?(-.-)凸

[14137] 2003 年 4 月 27 日 (日) 20:37:52【1】 三丁目 さん
 ニシン、補遺編
ARC 鮮烈に存在した「日本海沿岸交流圏」 −北前船の交易を中心に− ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

先般、拙稿[14009]で、鰊御殿をご紹介いたしましたが、ネット検索では私が見落としている可能性があると思ったものですから、念のため、檜山支庁、留萌支庁、後志支庁に電話して聞いてみました。檜山支庁は、資料を送りますよ、と向こうから言ってくれました。留萌支庁は、参考URLを教えてくれました。後志支庁は「小樽、泊、寿都以外にありますか」という私の質問に「それで全部です」でした。

対応してくださった方の性格?によるところもありますが、支庁が再編される可能性があるところは、観光や地域振興のためでしょうけれども、いろいろと教えて頂けたなぁ、と思いました。

それで、私が鰊御殿は檜山支庁管内では、「旧中村家」「横山家」以外にありますか?とお聞きして、送って下さった資料は、
(1)旧中村家住宅のパンフレットのコピー
(2)「江差」(旧中村家住宅が所在する江差町の概要パンフレット)
(3)「ひやま」(江差町が所在する檜山(北海道南西部)の概要パンフレット)
です。せっかく資料を頂きましたので、そのご好意にお応えせねば、と思い、少々檜山地方をご紹介、ということで。(1)、(2)、(3)の順でだんだん範囲が広がるようにして頂いているのは、丁寧だなぁ、という印象を持ちました。

さて。江戸時代に、松前藩は、寒冷地ということもあり、米がほとんどとれませんでした。しかし、多量に獲れる鰊によって、藩の経済は支えられていました。だから、「ニシンは魚に非ず、米である」とのことで「魚編に米」と書いて「鯡」と表していました。なお、上記に資料一覧を書きましたが、面白いことに「江差」の中では、全て「鯡」で表記が統一されています。

文政の頃(江戸時代後期)には、3港の戸数、江差2千戸、福山(現松前町)3千戸、箱館1千戸と言われ、「江差の5月は江戸にもない」と言われるほど、盛んでした。5月になると海が安定し、獲れた鰊等の海産物を取引するために、北前船が多く出入りしていた様子を表現したものです。

しかし、鰊の回遊が見られなくなり、やがて鰊漁は衰退してしまいました。ちなみに、資料には1913年(大正2年)を最後に回遊が見られなくなった、とあり、江差方面が道内では最も早い時期に獲れなくなったところです。鰊は、だんだん北の方へ移動し、留萌方面では、1950年代までは獲れた、と聞きました。

ところで、「ひやま」には「北海道南部に位置する檜山は10町で構成され、北海道で最も古い300年の歴史を持つ地域です。北海道のイタリアと呼ばれ…」とあったので、えっ???イタリア?たしかに伊達市は、北海道では比較的温暖なので「北海道の湘南」、とは耳にしたことがありましたが、イタリアとは。これわオドロきました。ということで、さっそく我が地理アドバイザーにご意見を伺ったところ、やっぱり聞いたことない、とのことでした。

個人的な感傷を少々述べますと、檜山支庁管内では、奥尻島のことが気にかかっています。私が北海道にいた当時、奥尻島で地震が起こり、津波によって青苗地区が壊滅的な被害を受けました。ちょうど阪神・淡路大震災のときのように、お手伝いに行く話があったのですが、私事都合により、そのときはお断りせざるをえませんでした。だから、その後の復興状況を知りたかったのですが、首都圏ではなかなか情報が入ってきません。ネットの北海道新聞では、過去記事の検索が有料なのですよねぇ。ウ〜ラ〜メシヤァ。室蘭民報、苫小牧民報でさえ、無料なのにぃ。。。あ、今気づいたのですが「ひやま」の裏に「北海道南西沖地震。全国通々浦々の皆様方の暖かいご支援と励ましのお言葉。そして、今、檜山は元気になりました。」とあるから、もう、お元気なのでしょうか。

最後になりましたが、「北海道檜山支庁商工労働観光課観光振興係」様、資料を送って頂き、ありがとうございました。と、この場をお借りして、お礼申し上げます。

[14256] 2003 年 4 月 29 日 (火) 08:55:05【1】 三丁目 さん
 歌志内と芦別
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[14050]太白さん
○芦別の無念:富良野は観光開発に成功したのに、カナディアンワールドはどうして倒産したのか?
○歌志内の無念:コメント不要かも。今、ここの主要産業は何なのでしょうか…。
この話は、職場で友人とメールのやりとりをしていた中で、若干ふれていたので、昨日は出勤しましたから、ちょっとご紹介します。

というのも、旧炭鉱町を大合併した「空知市」構想が、あったらしいのです。ただし、相当以前に、我が地理アドバイザーが、新聞かなにかで見たくらいなので、正確な記述ができません。というか、これをテーマに調査しようと思っていたのですが、信憑性、具体性があまりに乏しく、話が膨らまなさそうだったので、途中でやめていたのです。それで。

人口も面積も小さい歌志内市、上砂川町などは、砂川市と合併するのが現実的なのですが、どうせするなら、赤平市、芦別市、三笠市、夕張市もと、面積ばかりが広がってしまい、どこが中核になるかで収拾がつかなくなってしまったのではないか、と、詳しい資料を見つけられない中では、思いました。

いわき市のように、大きな市へと合併していくのが最適な道だったのではないか、と私は思います。構想はあったようですが、具体的な動きはこれまで見受けられません。現在ある、中空知地域任意合併協議会(赤平市、滝川市、砂川市、歌志内市、奈井江町、上砂川町、浦臼町、新十津川町、雨竜町)も、はてさて、どうなることやら。

そもそも各市町は、交通・流通がそれぞれが滝川、砂川、岩見沢などの函館本線沿線から櫛状に東西に連絡していて、地形的にも各地域同士の南北のつながりが(たぶん)薄かったのではないでしょうか。また、旧炭鉱会社も芦別が三井、赤平が住友、歌志内が北炭、上砂川が三井、夕張が北炭と三菱、などのように、歴史的にも交流が少なかったことが、連携が進まなかった要因と考えられます。

なお、歌志内市HP>歌志内の概要>人口、で、簡単に歌志内市の人口盛衰がわかります。また、市HP>PDFファイル(下の方にあります)>PDFファイルのダウンロード、からダウンロードすると、P.7〜9にかけて、産業・経済がありますから、ご参照頂けますか。企業誘致に頑張っているようですよ。

それで、芦別市のカナディアンワールドについてですが、現在は、同名の公園になっているのですね。
[14171]で紅葉橋瑤知朗さんがおっしゃられているように、不人気だったから破綻した、につきてしまうと思うのですが。結論としては、当たり前過ぎて、面白くないですか?
念のため「破綻した第三セクター」で検索しましたが、50件と出てきませんでした。いくつか見ると「今日実質的に破綻している苫小牧東部開発もその一例である。」なんて記述もありました。

ノホホンとしていたら、[14221]でYSKさんが広域市町村のエリア北海道編をご紹介されていますね。その中の中空知広域市町村圏組合が、現在の合併協議会とほぼ同じですから、これが我が地理アドバイザーがどこかで見たという「空知市」構想だったのかもしれません。

また、忙しいとおっしゃっていた太白さんも、[14250]にて書き込まれていて。今晩あたりノンビリと書き込もうと思っていたのですが、急遽、朝にリリースします。

[14287] 2003 年 4 月 29 日 (火) 19:34:31 でるでる さん
 空知市構想
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[14256]三丁目 さん

いつも三丁目さんの北海道ネタ&「無念」シリーズを、興味深く拝見致しております。三丁目さんと謎の?地理アドバイザーの方とで(笑)調べあげている、三丁目さんならではのコアな話題に、今後とも期待しておりますよ(*^^*)

旧炭鉱町を大合併した「空知市」構想が、あったらしいのです。ただし、相当以前に、我が地理アドバイザーが、新聞かなにかで見たくらいなので、正確な記述ができません
「空知市」構想について、私の知っている構想と、三丁目さんのお知り合いの地理アドバイザーの方が見掛けたという「空知市」構想と同一なものかは、ちょっと自信が無いのですが、合併情報に少しばかりかじっている私(笑)の知っている範囲で。

歌志内市にある空知炭鉱の閉山決定を機に、平成7年2月24日に産炭地5市1町(赤平市・三笠市・歌志内市・芦別市・夕張市・上砂川町)で設置された諮問機関「空知地域振興基本構想策定委員会」により、5市1町の合併構想が提言されました。まだこの時点では各自治体とも市町村合併に対し慎重な姿勢であったため、提案には「合併」という文言は盛り込まれなかったのですが、構想としては、この5市1町案の他、地理的に離れた夕張市と三笠市を除く3市1町案や、滝川市と砂川市を含めた7市1町案なども想定した内容だったそうです。

これらのいずれの自治体も、石炭産業の斜陽化・炭鉱の閉山に伴って人口が急減し、また今後も過疎化の進行が予想されたため、同様の課題を持つ地域での広域合併による体力の回復が不可欠と判断したのと、当時に成立予定だった改正市町村合併特例法の適用の第1号にしたいとの意向もあったとのこと。

この後、同年(平成7年)9月に、赤平市議会において歌志内市との対等合併推進について取りあげられ、住民レベルでも歌志内市との合併を求める動きがあったようです。この赤平市の動きに伴い、歌志内市でも市と市議会による「合併問題検討会」が設置されるなど、合併に対する機運が一時的に盛り上がったようなのですが、結局その後は具体的な合併論議までには到らなかったそうです。

その中の中空知広域市町村圏組合が、現在の合併協議会とほぼ同じですから
当初の5市1町の「空知市」構想が事実上消えてしまったあとに、この地域の広域組合「中空知広域市町村圏組合」の構成自治体(滝川市・砂川市・赤平市・芦別市・歌志内市・浦臼町・奈井江町・新十津川町・上砂川町・雨竜町)によって、将来的な市町村の合併も選択肢として検討しようと平成13年11月22日に首長間における合併検討組織「中空知地域づくり懇談会」が設置され、その後今年の1月24日に任意協議会に移行(芦別市は合併協議から離脱)して、現在5市4町で合併協議が行なわれております。

[14858] 2003 年 5 月 7 日 (水) 18:40:46【1】 三丁目 さん
 太白さんからの戴き物(その1)
ARC ものづくりに生きる! ―世界に轟く町工場― ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[14050]太白さん
○苫東の無念:特に、今この場所がどうなっているのか気になります。
以下、我が地理アドバイザーが、一言もの申したいそうです。
というのも、私がコメントした「苫東は原野のまま」ではちょっと大雑把すぎる、との指摘がありました。私も仕事の関係で走り回っていた地域ですから、言われれば、ああそうだったなぁ、とイメージが沸いてくるので、せっかく書いてくれた友人の丁寧な原文に、若干の加除修正を加え(もちろん本人の了解を得ましたが)ご紹介したいと思います。それで。

苫東工業地帯は大きく3つのエリアに分けると説明しやすい、と友人は申しております。(行政的には6つに分かれ、臨空柏原地区、臨空東地区、臨海臨港地区、臨海東地区、臨海北地区、臨海西地区、となりますが、以下は原文を尊重します。)

1つめは苫小牧市街地に最も近い勇払北部の地域で、ここにはいすヾ自動車が早くから工場進出しています。

2つめは、苫小牧東港付近の浜厚真地区で、北海道電力の苫東厚真発電所と共同石油備蓄基地が早くから進出しており、近年はリサイクル施設や、サニックスという廃プラ燃料発電所も建設されています。また、東港にはフェリーターミナルができて流通拠点になりつつあり、海洋レジャーの普及から、マリーナ構想もあるとも聞いています。

3つめは、早来町遠浅に近い北部の柏原地区で、新千歳空港に近いという利便性から臨空工業団地として、自動車部品工場や、ハイテク関連の工場が進出しており、最も工業団地らしい体裁を見せています。

全体としては、重厚長大産業を意識した臨海部の広大な用地は、ほとんど空地のままで、内陸の一部地区だけが、臨空工業団地としてそこそこの発展をしている、といったところではないでしょうか。

なお、今の風景は、元々の原野が開発に失敗したためそのまま残っている、という印象がありますが、苫東構想以前には、既に開拓された土地だった部分もあります。だから、必ずしも手付かずの原野が、以前の姿のまま残っている、というわけではないようです。申し訳ありませんが、どのあたりが買収された土地で、どのくらいの割合か、等の詳細については、苫小牧市立図書館で調べる必要があるものですから、この程度の記述にとどめさせて下さい。

太白さん、重ね重ね、ありがとうございました。頂いた塩をかじりながら、書き込み日数を長らえているところです。[14732]uttさんには申し訳ないのですが、用意している胆振・日高関係は、書込めるまでにもう少し時間を頂けますか?そのかわり、4週間ほどの間に熟成?してくるはずですので。

[14940] 2003 年 5 月 8 日 (木) 19:57:30【1】 三丁目 さん
 釧路、ホイホイ編
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[14259]uttさん
○釧路の無念・・・鈴木宗男事務所は今、どうなっているのだろうか??ムネオ道路(春別道路)は、どうなるのだろうか??
釧路市の概況、現況については、ご紹介したURLをご覧になって頂けましたでしょうか?
あぁ、そうそう。。占冠村の件については、最初はなんだろう?と思ったのですけれど、もしかしたら、私が準備中だった原稿が、それについてのお返事になるのかもしれません。もう少し、調査するお時間を下さいね。

それで、実は以前、友人とのメールのやり取りの中で、ムネオ君のことにふれていましたから、「久しぶりに鈴木宗男ネタに触れられて、光栄でござりまする」との返事が、やっと到着しました。ということで、以下のほとんどは、原文のとおりです(落書き帳には合わないと私が思う、政治が絡んでいるコメントが、多々ありましたから、半分以上カットしちゃいましたけど)。

鈴木宗男事務所は,今も健在です。釧路市役所のすぐ横の,5,6階建ての小さなビルの2(3?)階の窓にクマの絵のシンボルステッカーが貼ってあり,以前と変わらず鈴木宗男事務所が入居しています。

ムネオ道路(春別道路)とは,国道272号のことだと推定します。この国道は,釧路町別保から別海町上春別,中標津町を通って,標津町までの道路で,釧路から中標津に行く幹線道路としてよく利用されています。この国道のうち,ちょうど別海町域に当たる西春別〜上春別の区間だけが,近年特に整備されていて,ちょうど鈴木宗男氏が北海道開発政務次官だった頃ですから,ムネオ道路と呼ばれる所以のようです。

数箇所の交差点で,国道を掘り下げ,交差道を陸橋にしてランプを設けた立体交差ができていて,交通量の少なさを考えると,目を見張る立派さです。工事は今も続けられていて,まだ2,3箇所の立体交差化が進められるようです。地元では,ムネオがどうのこうのではなく,この不況下でありがたい雇用対策として,必要な工事と受けとめているのではないでしょうか。

[14992] 2003 年 5 月 9 日 (金) 21:02:34【1】 三丁目 さん
 小樽市、市境変更編
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今回は、のっけから歴史のご紹介からのスタートで失礼しますが。
石狩市のあゆみ(石狩市HPから、かなり抜粋して引用)
1882年(明治15年):樽川村、開村。
1902年(明治35年):親船町ほか9町と生振村が合併して石狩町に、花畔村と樽川村が合併して花川村になる。
1907年(明治40年):石狩町と花川村が合併して、石狩町になる。
1968年(昭和43年):石狩町、開基300年、開町100年記念式典。
1973年(昭和48年):石狩湾新港が重要港湾に指定され、港湾工事に着手。
1975年(昭和50年):石狩町と小樽市との境界変更施行。
1982年(昭和57年):石狩湾新港入船式典(一部伴用開始)。
1996年(平成8年):市制施行(石狩市誕生)。

昔の地図では、小樽市の領域は銭函から大浜海岸までで、市町境は、新川に注ぐ支流の清川と新川河口により定められており、河川による自然境界となっていました。当時は、新川河口より北側は石狩町大字樽川村でした。

これに比べて、現在の地図では、小樽市の領域は新川よりも北の石狩新港地区まで伸びていて、小樽市銭函4、5丁目となっています。旧来の銭函地区からは離れていますが、新たに小樽市域となった地区とはいえ、住居表示には、銭函が採用されています。

現在も、石狩市には樽川地区があり、市の南西側の3市境にあります。ちょうど手稲通りを挟んで、北西側が樽川地区で、南東側が花川地区になります

経緯を詳細に記述することは、避けたいと思いますが、小樽市が発展してきた経緯、そして石狩新港構築の決定等の前後の流れから、ご想像くださいませ。ちなみに、小樽市HPの「小樽市のあゆみ」には、1975年の欄はありますが、境界変更については、記述されていませんでした。

なお、「樽川村」で検索すると、50件ほど出てきます。長野県木曽郡の、あるいは映画「およう」関連ではない樽川村を見て頂ければ、見る件数は、相当絞れます。私の記述でスッキリしなかった方は、ご自身で検索なさってみてください。

念のため「市境変更」「境変更」で検索してみたところ、小樽市と旧石狩町の話は見つけられませんでした。

ちなみに、検索で出てきた神戸市と明石市の間には、市境変更が何度も行われているのですね。明石市HPに出ていた市域の変遷に関するデータだけでも、1966年、1971年、1972年、1977年、1984年、1986年、1992年、と7回もあったので、驚きました。調べてみたい誘惑にかられたのですが、ニジェガロージェッツさんのお膝元に手をつけるのは、たとえ私が大学生活を送った街とはいえ、地元の図書館で調べないとわからないかもしれない、と思いましたから、やめました。

なお、明石市HP>市のプロフィール>統計情報>明石市統計書 平成14年版(2002年)の中の「土地及び気象」PDFファイルP.3の<地勢>欄に出ていますが、神戸市HP側からは、この情報を見つけることはできませんでした。市境付近で、どちらに帰属するか、区画整理も絡んだ話らしく、両市間で何度か協議されているようですが。詳細は不明です。

町田市と八王子市の市境変更についても、検索結果として出てきたのですが、こちらはよくわかりませんでした。たぶん、変更していないのではないでしょうか。

[15273] 2003 年 5 月 15 日 (木) 20:05:13【2】 三丁目 さん
 3市広域行財政検討会(室蘭市、登別市、伊達市)
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3市広域行財政検討会が平成14年に設置されましたが、各市のHPを見ると、トップページで市町村合併がすぐにわかるようになっているのは、室蘭市くらいで、登別市、伊達市のHPではどこにあるのか、見つけられませんでした。

そもそも、この3市が合併して「西いぶり市」(ワタクシの案)になるかというと、はてさて。というのも、室蘭市と登別市は、隣接する地区同士で、平坦地で一体となった市街地を形成しています。しかし、室蘭市から伊達市方面へ向かうと、ちょうど崎守のあたりから高くなり、白鳥台があって、黄金、稀府と地形的な制約を受けていることもあり、集落が途切れているのです。
ということで、登別市は細かくご紹介しますが。

1873年(明治6年)幌別郡村名布告、登別村・幌別村・鷲別村の3村となる。
1874年(明治7年)幌別郡各村戸長役場を幌別村に設置。
1919年(大正8年)三か村を大字とし、幌別村発足。(合併、と言うことでしょうね。)
1950年(昭和25年)幌別村開基80年記念式典。
1951年(昭和26年)幌別町制施行。
1961年(昭和36年)幌別町を登別町に改称。
1970年(昭和45年)登別市制施行。

この経緯から見ると、幌別がこれら地域の中心的な存在(行政的にも、郡名にあるくらいですし)だったから、幌別村になったのだと思われます。それが、全国的に有名な登別温泉の名を自治体名に使用することで、知名度のアップを図ったのでしょうか。

以前、白桃さんが[12140]で、幌別町と書かれていたことから、初めて登別市が幌別町であったことを私は知った、と書きましたが、それでも人口(今回はご紹介していませんが世帯数も)は、下記データのとおり、鷲別地区の方が多いです。ここは、室蘭市と隣接して、一体となった市街地を形成している地域です。かつては、幌別地区の方が人口が多かったのですが、1960年頃から鷲別地区内で区画整理が始まったことで、人口が増えました。

ご紹介が遅れましたが、登別市は大きく4地区に分かれ、ちょうど室蘭本線の駅と、概ね一致します(富浦駅周辺は、登別地区になります)。地区別の人口推移は、各年の9月末現在での住民基本台帳ベースになりますが、

地区名平成12年平成13年平成14年平成12年から14年へ減少した率(単位:%)
温泉地区1,9171,8281,7458.97
登別地区5,2995,2235,1383.04
幌別地区23,17922,99623,0970.35
鷲別地区25,29325,16025,0131.11
全市計55,68855,20754,9931.25

本当は、登別市HPによると1983年(昭和58年)時が最盛期人口59,481人ですから、それと比較すれば、差がわかりやすいのではないかと思いましたが、今回は、簡易な調査で済ませています。この3年間での推移だけでも、温泉地区での減少が顕著ですね。斜陽都市と言われると引っかかるところはありますが、人口が減少傾向にあることには間違いありません。

登別市から他市町村への就業者のうち、室蘭市へ向かう人は89%、伊達市のそれは49%です。また、通学者のそれは、登別市から室蘭市が92%、伊達市のそれが56%と、いずれの割合も、登別市と室蘭市の結びつきは強いです。大雑把に言うと、伊達市の室蘭市との親密度は、登別市の半分くらい、という感じです。(いずれも平成12年の国勢調査による)

それで、仮に3市が合併するとなると、どうなるでしょうか。
まず、伊達市は、地名・歴史へのこだわりが根強いのでは、という印象を受けました。伊達市HP>まちの歴史>伊達誕生記、を見ると、市町村の公式HPで、こんなに長く歴史を紹介しているところを、見たことがありません。開拓の祖伊達氏の起こりとして、12世紀から書き始めて長々と。とりあえずA4で打ち出してみたら、18ページにもなりました。とても、全部には目を通す気になりませんでしたよ、私は。だから、伊達市は、3市合併には加わらないのではないでしょうか。どちらかというと、虻田町、壮瞥町、洞爺村の方へ目が向いているようです。

と、だいぶ前からこの原稿を用意していたら、昨日(5/14)の北海道新聞に「伊達市に隣接する4町村(虻田町、壮瞥町、洞爺村、大滝村)が、伊達市への合併に動き始めた、と載っていました」との情報が、我が地理アドバイザーから寄せられました。私もネット道新を早速見ましたが、紙でパラパラと読むのとは違うから、この情報は見つけられませんでした。

なお、室蘭市については、新しく加える記述も特に浮かばないため、記憶だけで書いた拙稿[9574]、それを[11075]にて補足しましたから、もしよろしければご参照下さい。

ということで、合併の可能性があるとすれば、室蘭市・登別市ではないかと、私は思っています。「登別・室蘭合併協議会設置を求める市民の会」というのもできましたしね。もともと、両地域の市外局番も0143で共通でしたし。そうなると、新・室蘭市の誕生でしょうか。

でも、いろいろと調べてみると、登別市民にもいろいな思いがあるようです。室蘭市との合併に前向きな意見がある一方で、「なぜ室蘭市と一緒になるのか、白老だってある」など、合併相手を室蘭市に限定することに、慎重な意見の方が多いみたいです。そもそも、昭和の大合併時に、やはり登別・室蘭での合併話が浮かんだそうですが、当時は、日の出の勢いの室蘭市と、町制施行から日が浅い幌別町という関係でも、結局、立ち消えになってしまいました。

現在も、室蘭市議会では、登別・室蘭合併協議会設置を可決したのに、登別市議会は、この3月に否決しました。室蘭との合併しか考えられない、ではなく、広域的な視野で検討したいから、が理由だそうです。室蘭側からすると、4月の選挙を受けて、登別側がどう変わるかなぁ、という感じのようです。

元登別市民のワタクシとしましては、鷲別地区に住んでいたからかもしれませんが、室蘭市との合併がスムーズだと思うのですけれどねぇ。登別市と白老町とでは、ちょうど室蘭市・伊達市が地形的に一体でないのと同様に、市街地が途切れていますから。ちなみに、私のコア(笑)な調査によると、登別市内での4地区では、室蘭市との一体感に、温度差がある、と聞きました。そのあたりが、登別市内で、一体となって室蘭に目を向ける、という感じになっていない理由のようです。

[15543] 2003 年 5 月 20 日 (火) 00:21:24【1】 三丁目 さん
 道央(札幌)から道東(帯広、釧路)へのルートの変遷
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

現在は、国道274号線(石勝樹海ロード)で、札幌から一気に道東方面へ行けますが、始めは違いました。まさに、北海道開拓の歴史(比較的最近のこと)、と呼ぶにふさわしい、ルートの変更がありましたから、ご紹介したいと思います。

道東方面へとつながる道路の最初の整備は、狩勝峠越えで、滝川〜富良野〜帯広へと、1897年(明治30年)に開通しました。ただし、この道路は、現在の狩勝峠越えよりも6km南の別ルートで、馬車の通行もままならない狭路だったため、現在の狩勝峠に道路開削されたのは、1931年(昭和6年)です。

このルートが、最も低い標高で山を越えられるためで、国道38号線として、最初の道東への幹線道路でした。この道路は、札幌から国道12号線で北上し、滝川を起点としてここで東へ曲がり、芦別、富良野、南富良野(幾寅、落合)から狩勝峠を越えて、新得、清水、芽室を通って帯広、釧路へと続きます。

札幌から帯広への最短コースは、夕張市、清水町、と抜けていく山間部ルートですが、その一部として、日高町から清水町までの日勝峠ルート(国道274号線)ができます。これは1965年(昭和40年)のことです。このルートは、札幌〜(国道36号線)〜苫小牧〜(国道235号線)〜富川〜(国道237号線)〜日高町〜(国道274号線)〜帯広、と大きく南を回るため、札幌〜帯広間は、札幌〜滝川〜帯広(国道12、38号線)ルートに比べると、43kmの短縮にしかなりませんでした。

次に、夕張市から穂別町までの山間ルートが、道道から国道274号線へと1970年(昭和45年)に移行し、苫小牧を回らずにすむようになったことから、札幌からの経路は国道274号線の札幌市・厚別〜長沼〜由仁〜夕張(川端、紅葉山、楓)のコースに変わりました。この時は、夕張から山越えした後、一度穂別町稲里で現道道74号で南下し、穂別町の中心を通り、現道道131号で穂別町富内を通って、平取町幌毛志、振内に出ます。ここから国道237号線で、日高町まで行くというルートです。

1985年(昭和60年)、国道274号線は、穂別町福山まで開通しました。このときは、国道274号線で福山まで行き、そこから現道道610号で南下して穂別町富内まできて、それから現道道131号で幌毛志に出て国道237号線を北上と、このあたりは先述のルートと同様です。たぶん、私が通ったのがこのルートだと思うのですが、片道1回しか通っていないので、記憶に自信がないのです。また、道道の状況から考えると、冬場はたぶん、穂別町福山まで東進はせず、穂別町稲里で南下したと思います。

そして、1991年(平成3年)に、夕張から日高町までの通称石勝樹海ロード(国道274号線)が全線開通し、札幌〜夕張〜日高町〜日勝峠〜清水町〜(国道38号線)〜帯広の最短コースが、道東への主要幹線になりました。最後に完成した、穂別町福山〜日高町の区間は最も難所で、長いトンネルと谷間橋が連なる、近代土木技術ならではのルートです。

その後、道央自動車道の恵庭、千歳間のジャンクションから夕張まで高速道路ができ、清水町から池田町までの道東自動車道もできましたが、石原行革担当大臣をして、熊しか通らないと言わしめた、「閑」線道路となっております。

ちなみに、道央から帯広・釧路方面への鉄道ルートは、1907年(明治40年)に、札幌〜旭川〜富良野〜落合〜帯広経由として開通しました。それが、1913年(大正2年)に滝川〜富良野間が開通したことにより、長らくそのルート(現根室本線)による輸送が続きました。それから遅れること約70年、1981年(昭和56年)に石勝線が開通したことで、ようやく現在の鉄道体系ができあがったのでした。以後、札幌と帯広・釧路とを結ぶ特急列車は、滝川・富良野経由から、すべて石勝線経由に変更されて、所用時間が1時間余り短縮されました。

かつて、陸の孤島と呼ばれた占冠村は、石勝線開通以前は、根室本線・金山駅から、または旧富内線・日高町駅から峠を越えていくか、しか交通がありませんでした。しかし、同線開通後は、石勝高原駅(現トマム駅)、占冠駅が特急停車駅となり、日高町は富内線の廃線で、立場が逆転してしまいました。

日高町も、その後の石勝樹海ロード開通のおかげで、陸の孤島にはならなかったものの、鉄道を利用して札幌へ行くためには、バスで占冠に行ってJRに乗り継ぐのが最短コース、という状況なのと、バスで札幌へ行く場合の直通の本数が多くないことから、立場の低下は否めません。ただ、札幌から帯広へ向かう観光バスは、「夕張市紅葉山から清水までの長い山岳区間のうち、町らしい町は、ほぼ中間の日高町だけであるため、道の駅・日高は、行楽シーズンには、トイレや売店レジに行列ができる大盛況です。」とのコメントも、我が地理アドバイザーからもらっています。

どちらかというと、占冠村は躍進、日高町はそこそこ、穂別町は無念(主要幹線から町の中心がはずれた)、なのではないでしょうか。

[14259]uttさん、
○占冠の無念・・・石勝線は通っているものの、なぜ石勝樹海ロードのコースから外れたのだろうか?峠の高さから見て、占冠〜トマム経由のルートの方が経済的で維持(除雪)も容易と思われるのだが。
ということで、国道274号線のルートの経緯、そして鉄道の石勝線開通とあわせると、前述のように、私には思えたのですが、いかがでしょうか?

[15510]seahawkさん
道東自動車道
工事の難所でも札幌とつなげなければ意味がないと思います。もし道央道とつながれば、道東は農業、漁業がさかんなのである程度のメリットは期待できるのではないかと思います。
このお話しがありましたので、この原稿を繰り上げ書き込みしましたが、「熊の道」がそれほど改善されるとは、私には思えないのですけれど、ね。まっすぐな道でトンネルが山を貫くルートばかりだと、冬場の利用は少しはマシかもしれませんけど。でも、それだと建設費がかなり高くつきますよね。

[15652] 2003 年 5 月 21 日 (水) 18:35:50【2】 三丁目 さん
 富良野(太白さんからの戴きもの編)
ARC 日本及び各都道府県の「中心」はどこか? ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編− ARC 北海道、富良野・美瑛紀行

[14604]太白さん
むしろ、富良野が観光開発に成功したのは何故かが若干気になります。ソフト面で成功したのか、あるいは「北の国から」効果か…(例えば、大河ドラマの舞台となった街は観光客が増えると聞きますので)

この件に係るお答については、我が地理アドバイザー(旭川出身だから、自分の庭のようなものと豪語してますが)からの情報をメインに進めます。それで、結論からすると、なんといっても、「北の国から」効果が大きいと思われます。

大河ドラマならば1年限りで、観光ブームもすぐに冷めてしまいますが、「北の国から」は、20年にわたって何年かおきに続編が放送されるという、一地方を舞台とするTVドラマとしては異例に長いシリーズであったため、富良野は長い間、観光客に忘れられることなく、ネームバリューを保ち続けることができたのでしょうね。倉本聡サマサマです。

上富良野町のラベンダー、中富良野町の富田ファーム、富良野市の麓郷の森(北の国からのロケ地)と、1日コースで回れる一連の観光の目玉が、特に若い女性にウケたことと、フラノスキー場周辺に、ホテル、ペンション街が発展し、宿泊客の収容力となって、多くの観光客が訪れることとなりました。

また、北海道の真ん中という地理的条件も、発展の一因と思われます(富良野市自称、北海道のヘソ)。古くからの観光地である、登別温泉・洞爺湖地域と、阿寒湖・摩周湖地域からは距離が遠いため、同様な立地であるトマム(占冠村)、サホロ(新得町)などとともに、その中間宿泊地点にあたります。これら二つが山岳リゾートなのに対して、富良野は、広大な田園風景が特徴的だったために、異なった風景を持つ魅力が、アピールしたものと考えられます。

北の国からシリーズが始まった頃は、ちょうど石勝線が開通した時期(拙稿[15543]をご参照下さい。)と重なり、それまで道東行きの特急列車が停車していた富良野は、スキー客も観光客もトマム等に奪われ、今後さびれてしまうのではないか、と悲観されていましたが、良いタイミングで「北の国から」が始まったものですね。

かつては、スキー場の名は「北の峰スキー場」でした。それがフラノと改称され、本州からもスキー客が押し寄せる、一大スキーリゾートに発展しました。また、ワールドカップが開催されたことも、ゲレンデのイメージアップにつながっていると思います。スキー場の知名度としては、トマム、サホロも躍進したのですが、いかんせん夏の観光目玉に乏しかったために、通年観光客を引き付けることができた、富良野の方が、成功しているのではないでしょうか。

そうはいっても、観光イメージを保ちつづけることは難しいですから、「北の国から」が終わってしまった今は、富良野はこれからどうしようかと、模索しているところのようです。と、地理アドバイザーは申しておりますが、私は、一度よい観光イメージが植えつけられれば、大きなマイナス要因でも発生しない限り、そこそこやっていけるのではないか、と考えております。皆さんは、どう思われますか?やっぱりいずれは、斜陽都市の仲間入り、ですか?

なお、北海道のヘソの話の蛇足として、富良野市では「北海へそ祭り」が、毎年7月に開かれています。HPを読むと、市制施行時に制定された富良野市民憲章に由来するそうで、そういえば、私の先輩社員が富良野在勤時に、この祭りに参加させられた、と言ってたことを思い出しました。

[15742] 2003 年 5 月 23 日 (金) 00:17:29 ペーロケ[utt] さん
 や〜れん、そ〜らん、ほっかいどう〜♪
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

 北海道でお世話になった某安宿のオーナー、東京でサラリーマンをやっていたけど退職し、彼曰く「全国をまわった結果、物価も安く気候もよく職もそこそこある、日本で一番住みやすい街だった」という松山で数年間お金を貯めて、単身北海道に乗り込んだとか。当時松山市民だった私はその話にすごく身近に感じたものです。好きなことで飯を食うって言うほど簡単なことではないでしょうが、住む街を選べる生活なんて、非常に憧れるものです。また、遠く北海道で同郷の人に出会ったら、郷に帰ってからすごく仲良くなるのも、旅の魔力でしょうか。不思議なものです。

[15711]kenさん
新富良野プリンスに泊まると、ロビーや客室廊下にずっとあの曲がかかってて(さすがにインストですが)刷り込まれますよお。
あの曲は歌詞がないのに、頭に残りますよね?まあ、さだまさしが歌うと名曲なんですが、さすがにカラオケで歌うのやめて欲しいです>我が上司

美幌峠、屈斜路湖、摩周湖、弟子屈の何て言ったか360度眺めの良いところ、
おそらく九○○高原ですね?バイクで一周した頃、途中で立ち寄って、絶景に感動したものです。ライダーの中では有名な「開陽台」よりダンゼン穴場かも!

「夕食は皆揃って、食後もラウンジでお客様皆様で歓談しましょう」というノリのペンションでした。
ええ、kenさんもですか?何を隠そう、私も何度か叱られました(苦笑)。

内地の時間感覚よりも日が早く暮れる(特に道東)。季節にもよりますが、17時は夜、と思った方が良い。集落間距離が内地の3倍あると思った方が良い。余裕を持った時間設定を。
道が空いているからって、あれもこれもと欲張ると走行距離が凄いことになって、時間もかかりますよね??これぞ北海道マジック。また、夏は朝の3時には明るくなり、冬は3時半日没と信じられない時差を感じましたね。

20年昔なら、鉄道の乗りつぶしの旅も絶対お薦めだったでしょうけれど。
ほんと、鉄道は不便ですよね?18切符で行ったときは、さすがにしんどかったです。便が少なく、しかも遅いのですから。。。

[15701]雑魚さん
空知−道東の旅客需要が当時の国鉄でどの様に評価されていたのか、
富良野に住む友人曰く、富良野から滝川に至る国道38号より旭川に至る国道237号の方が交通量が多いようで、どちらかと言えば旭川-道東間の方が需要があるようですね。

必ずしも御約束の場所でなくとも、色々歩き回って、自分なりのポイントを確保して風景を楽しむ趣向が良いですね。
そうそう、その心こそ、真の旅人の姿でしょう!

個人的には、麓の平坦地のヒキを重視しているので、そうなると羊蹄山あたりかな?
私も冬の羊蹄山は好きですね。しかし美瑛から見た旭岳も捨てがたい。。。

[16067] 2003 年 5 月 28 日 (水) 14:14:01 深海魚[雑魚] さん
 国道五号線
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

見ていると何となくもどかしさを感じる経路を採る国道としては、宮城県塩釜市内の 45号線や、東京都青梅市内の 411号線が挙げられますね。(笑)

ところで、国道の経路を考えると、番号一桁台の主要路は従前からの街道を踏まえた必然性を伴うのが一般的ですね。(http://www.kinkiroad.org/soudan/ によると、法令に基く国道の制定時期は、明治時代に遡る様です。) 現在の一桁台主要道の区間確定時期は不明ですが、(1952年施行の道路法かな?) 函館と札幌を結ぶ 5号線の経路選定については、その必然性において少々微妙なものを感じます。

鉄道基準で見た場合、函館−札幌の幹線機能が、小樽経由の 「山線」 から東室蘭経由の 「海線」 に移行したのは、道内初の特急が設定された 1961年の改正以降だそうです。当時の マイカー普及状況や、山越え数箇所を擁し、かつ 36・37号線に比べて沿道に街が少ない事に鑑みると、若干の短絡性 (鉄道で札幌−長万部の距離を比較した場合、「海線」 は 206km、「山線」 は 174km。 ) や小樽の重要性を勘案して、どの程度の往来需要があったのか、いやむしろ、街を通らないが故に、高速開通前に札幌−渡島地方の バイパスとして機能したのでないか、そうした相反する勘繰りが去来するのですが、実態やいかに?

ちなみに、61年以降、旭川、釧路、網走方面発着で設定されたと思しき道内特急は、何れも函館始発で、青函連絡船を基準とした交通体系が主流だった事を窺わせます。千歳線が電化に併せて千歳空港駅を設置したのは、1980年の事でした。

長万部−小樽の 「山線」 も、今や冬季に スキー特急が入る程度で、非常に地味かつ閑散とした雰囲気となりましたね。学生時代、両区間を乗り比べるべく、往路は特急 「北斗」、復路は急行 「ニセコ」 と使い分けた時分が懐かしい限り。長万部−蘭越の定期旅客列車は、一日七往復の鈍行のみという事で、何度か廃止の噂も出た様ですが、2000年の有珠山噴火の際に 「山線」 が緊急迂回路として機能した点は考慮するべきでしょうね。

「海線」 経由で函館−札幌の経路を広域的に概観すると、やはり内浦湾に関わる迂回の度が大きいですね。財源に鑑みて、今のところ夢物語の域を出ないと思われますが、技術的に砂原か森あたりから室蘭まで海上橋を通す事は技術的に可能だと、専門誌で一読した記憶があります。何かの天変地異でこれが実現すれば、JR北海道にとっては主要幹線の画期的な時短効果が発生する一方、鉄道の要衝である長万部をはじめとする前後の湾岸自治体は、心中穏やかではないでしょうね。一方、新幹線の計画線は、長万部から山中を短絡して札幌に至る経路と聞きますから、これが具現化すれば、胆振地方が落ち着かないのかな。

それ以前に、そういった計画が本気で取り沙汰される程に地元経済が元気であって欲しいですね

[16199] 2003 年 5 月 31 日 (土) 10:44:33【2】 三丁目 さん
 旭川の観光スポットfrom地元からの情報
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[15725]TACOさん
旭川市の有名な観光名所はどこがありますか?もしかしたら行くかもしれないので・・・
もう、だいぶ出揃った感がありますが、富良野の話のついでに、旭川観光の話もオマケに我が地理アドバイザーへ送ったら、予想していた通りに返事が返ってきました。旭川出身ですから、黙っちゃいられないだろう、と思ったからなのですけどね。
「別に投稿を要求するわけじゃないけど」と書き添えられていましたけれども、私には要求されたように感じられましたから、ご紹介しますね(寄せられた情報を、正確に記述するための確認作業に手間取りました)。。。私自身は、旭川観光といえば優佳良織工芸館と常盤公園くらいしか、思い浮かばなかったのですが、市内には結構あるのですねぇ。一部既出の観光スポットと重なり、亀々レスですが。

駅から歩いて回る、となると買い物公園、常盤公園くらいの範囲に限られてしまうので、車で回ることをお勧めし、それを前提にご紹介します。

高速道路で来た場合には、旭川鷹栖ICから近い場所に、アイヌ記念館、井上靖記念館、彫刻美術館があります。

アイヌ記念館とは、「川村カ子トアイヌ記念館」が正式名称で、昔のアイヌ部落を再現した施設です。文字どおりアイヌ民族の伝統芸能のお勉強と、工芸品のおみやげ購入に最適です。

井上靖記念館と彫刻美術館は同じ公園内にあります。彫刻美術館の建物は、かつては市立博物館、その昔は旧日本陸軍の旭川偕行社だった歴史的建造物で、国指定重要文化財です。白樺に囲まれた静かな公園で、文学と美術の世界に浸るのに最適です。

国道12号線で来た場合は、旭川市街地の平地に下りる手前の丘の上に、北海道伝統美術工芸村があります。優佳良織工芸館、雪の美術館、国際染織美術館の3館から成り立っており、アイヌ伝統の織物、工芸品のおみやげ購入ができますが、地味ながらお奨めは「雪の美術館」ですね。あまり広くはありませんが、北大低温研究所での雪や氷に関する研究成果の展示や、いろんな形の雪の結晶を観察できて、理科系人間(注1)にも楽しめる施設です。

お酒好きの方には、北見方面へ向かう途中、国道39号線沿いの永山に、男山酒造り資料館があります。銘酒男山の酒造工場の事務所内にあり、ドライバー以外の方ならば、日本酒の試飲もできます。

こうした施設は、定期観光バスのコースにも入っているでしょうが、郊外への移動があると、時間的制約で全ては回れないかもしれません。どれかをメインに絞って、選ぶのがいいかと思います。

「アイヌ記念館」で検索していたら、こんなURLが見つかりました。旭川の個人タクシー組合?作成で、観光ルート等、いろいろ紹介しています。
http://potato3.hokkai.net/~kei-moko/cousu.html
亀々レスだったから、旭川に行かれるまでに、間に合いましたでしょうか。いささか心配ではありますが。

注1:我が地理アドバイザーは、ちりたまさんと同窓の電気専攻出身ですから、かくいう発言があったものと思われます。
注2:書込み訂正作業をしたら、オーナーグリグリさんの[16198]が目にとまり、キュッキュッー狙いもいいのかな、と思い、本書込みを急遽アップしました。そうすると、16100〜16199を見たときに、一番最初に表示されるのは16199ですから、旭川観光紹介がアピールできるかな。へへへ(^O^)y

[16340] 2003 年 6 月 5 日 (木) 22:00:45【2】 三丁目 さん
 uttさんからの預かりもの
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[14259]uttさん
○大樹の無念・・・やはり雪印のイメージが。。。今はどうなっているのだろうか??
大樹町は、広大な十勝平野の南部一帯を占める。夏は海霧がかかりやすく、冬は寒さが厳しい気象条件のため開拓の初期から酪農経営の基盤づくりが進められた。第二次世界大戦中は軍馬の生産地として知られた。戦後は1964年(昭和39年)と1966年の2度の大冷害をきっかけに、豆中心の農業から酪農への転換がはかられた。(以上の記述は、「北海道大百科事典」北海道新聞社1981年発行からです。)

なぜ酪農が中心なのだろう?と思っていましたから、やっと関連する記述を見つけました。後は、我が地理アドバイザーからのコメントから、極秘ルート情報等を除いたために、原文を半分くらいにカットしましたけど、ほとんど雪印ネタですね。

酪農を基幹産業とする道東地域(十勝・釧路・根室地方)では、生乳を集荷する加工工場が各地に点在しており、最大手の雪印乳業は、大樹町、標茶町、中標津町、別海町で工場を操業しています。

同社大阪工場製品により発生した食中毒事件で、大樹工場から出荷された脱脂粉乳が、原料だったことが、警察の原因究明捜査で大きくクローズアップされ、地元では工場存亡の危機かと不安がられました。

しかし、道東の雪印乳業工場は、全て以前のまま操業しているようです。生産減による多少の人員削減はあったでしょうが、地域経済に大きな打撃を与えるほどの、工場縮小問題には、幸いにしてなっていません。

大樹工場は、チーズ製造が主力のようで、ワインブームによって好調な生産を続けているように見受けられますから、ご心配ご無用かと思われます。

[16332]uttさん
全て、きちんと調べてリリースするあたり、本当に頭が下がります。
たいしたことは、しとらんとですたい。この程度でごわす(苦笑)。それに、地理アドバイザーもアッシも、お互いに好きでしとうけぇねぇ。実は、アドバイザーからはuttさんが書き込まれてから、早々に回答をもらっていたのですが、私としては、冒頭の3行の記述がほしかったのです。大樹町HPはつまらないし、角川地名辞典の記述もワタクシ的には全然面白くなかったから、北海道大百科事典が届くのを楽しみにしていました。決して、調べるのに手間取ったわけではなかったのです。したっけ、待った甲斐があったべさぁ。これでおもろうなかったら、ガックシやったけんね。気が向いたので、いろいろ転調?してみました。西日本がほとんどだったかな?

[16367] 2003 年 6 月 6 日 (金) 19:41:10 三丁目 さん
 Re:国道五号線
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[16067]雑魚さん
ところで、国道の経路を考えると、(中略) 函館と札幌を結ぶ 5号線の経路選定については、その必然性において少々微妙なものを感じます。(中略)鉄道基準で見た場合、(以下、省略)
国道5号線は、道内唯一の1ケタ国道であり、函館〜小樽〜札幌と、最も早くから区制が施行された三都をつなぐ主要な道路ですから、ご興味を持たれるだろうな、と思います。でも、私自身は、初めての北海道旅行の時の、片道1回しか通ったことがありませんねぇ。なぜなら、函館から札幌へ一般国道で向かう場合、国道5号線〜長万部町〜37号線〜豊浦町〜230号線、が現在の最短ルートだからです。難しかった中山峠越えも、近代土木技術(定山渓トンネルより札幌側の無意根大橋、渓明大橋等)によって、通行が容易になりましたから、ね。

なお、我が地理アドバイザーからは「鉄道だと、山ルートは登りが厳しく、それに伴いカーブもきついことからスピードが極度に落ちるけれど、自動車だとその影響は小さく、狩勝峠よりも険しい日勝峠の方が短時間で着けるように、距離最短が第一だと思われます」とのコメントをもらいました。私は思いつかなかった話でしたが、ナルホドと納得しました。

ということで、以下は北海道道路史(参考文献も同名)になってしまいますから、もしなんであれば、飛ばしてくださいな。鉄道には、少〜しだけふれます。

函館から札幌への陸路は、1870年(明治3年)から翌年にかけて開削された、本願寺街道が、開拓最初期の道路です。このときのルートは、軍川(七飯町)から砂原6里半(25.5km)の道路を開通させ、海(内浦湾)を渡って長流(伊達市)から、壮瞥、尻別(喜茂別町)、定山渓を経て平岸(札幌市)に至る26里10町(103.2km)です。現在の国道230号線に近いルートなのですが、厳密に言えば、230号線の起点が虻田又は豊浦なのに対して、本願寺街道は伊達を出発点として、洞爺湖を東回りで留寿都村に上っています。また、札幌市内を石山から豊平川左岸、石山通りが230号線ですが、本願寺街道は豊平川を渡らず真駒内を通って平岸に着いているあたりが異なります。

次に着手されたルートが、札幌本道です。初めは本願寺街道ルートと同様に考えられていましたが、変更されました。函館から森に出て、森から内浦湾を船で渡ってトキカラモイ(室蘭市海岸町)に上り、そこから苫細(苫小牧)を経て札幌・豊平橋に至るルートをとることとなりました。1873年(明治6年)に竣工し、幅員44尺(13.3m)ないし22尺(6.7m)の西洋式馬車道が完成しました。もう少し詳細にルートを記述すると、函館〜亀田〜峠下〜森〜(内浦湾)〜室蘭港〜登別〜苫小牧〜千歳〜札幌、となります。

1885年(明治18年)の内務省告示によって、全国で44の国道が指定され、
6号「東京ヨリ函館港ニ達スル路線:東京〜宇都宮〜郡山〜仙台〜盛岡〜青森〜函館港」
42号「東京ヨリ札幌県ニ達スル路線:東京〜6号・函館港〜七飯〜森〜室蘭港〜苫小牧〜千歳〜島松〜札幌」
となりました。大雑把に言うと、現在の国道5号線〜(内浦湾)〜36号線という感じですね。

その後、札幌本道以外の道路も開削が進められ、1888年(明治21年)から森〜長万部の道路工事に着手し、1894年(明治27年)頃までに礼文華山道(長万部〜虻田)の改良が行われました。また、札幌〜定山渓〜虻田の旧本願寺街道も、1894年(明治27年)に改良・開通しています。しかし、車が未発達の時代にあっては、内浦湾の交通による船の方が速くて安価だったために、道路はあまり利用されず、1904年(明治37年)の小樽〜函館間、1914年(大正3年)の伊達〜長万部間の鉄道開通以降は、陸上輸送の主役は鉄道に譲ることとなりました。

なお、1907年(明治40年)内務省告示により国道が改正されて、
42号「東京ヨリ北海道庁ニ達スル路線:東京〜6号・函館〜森〜長万部〜蕨岱〜倶知安〜小沢〜小樽〜札幌」
43号「東京ヨリ第七師団ニ達スル路線:東京〜6号・青森〜室蘭〜植苗〜早来〜追分〜岩見沢〜滝川〜神居古潭〜旭川」
と、この時に、現・国道5号線の全ルートが、主要国道として登場しました。

1918年(大正7年)に旧道路法が成立し、1920年(大正9年)の内務省告示で国道が指定されました。
4号「東京市ヨリ北海道庁所在地ニ達スル路線:東京〜青森〜函館〜森〜長万部〜倶知安〜小樽〜札幌(北3条西5丁目)」
27号「東京市ヨリ第七師団司令部所在地ニ達スル路線(甲):東京〜4号〜札幌(北1条西4丁目)〜岩見沢〜旭川(4条通7丁目)」
28号「東京市ヨリ第七師団司令部所在地ニ達スル路線(乙):東京〜4号・青森〜室蘭〜苫小牧〜栗沢〜岩見沢・27号」
と、この段階でも、まだ長万部〜室蘭間のルートは主要国道としての要件を満たしていなかったようですね。

1952年(昭和27年)の道路法改正により、多くの幹線道路が国道に昇格し、一級国道、二級国道が指定され、北海道での一級国道は、以下の8路線でした。(注)
(1)札幌〜余市〜倶知安〜長万部〜八雲〜森〜函館
(2)札幌〜岩見沢〜滝川〜旭川
(3)室蘭〜苫小牧〜早来〜岩見沢
(4)旭川〜名寄〜音威子府〜天塩〜稚内
(5)滝川〜富良野〜狩勝峠〜帯広〜釧路〜根室
(6)旭川〜上川〜白滝〜遠軽〜留辺蕊〜北見〜美幌〜弟子屈〜別海〜根室市厚床
(7)長万部〜虻田〜室蘭
(8)札幌〜千歳〜苫小牧市植苗

その後、主要幹線の拡幅・舗装改良が進められ、1955年(昭和30年)札幌〜小樽間、1961年(同36年)に現・国道36号線全線、1967年(同42年)に国道37号線の舗装、1970年(同45年)には国道5号線全線が舗装されました。

また、冬季は雪崩の危険から通行途絶となることが多かった、国道5号線の小沢〜仁木間の稲穂峠は、1962年(昭和37年)に稲穂トンネルが開通、1965年(同40年)までに改良、舗装完成し、走行性が飛躍的に向上しました。これと並行して、1965年(同40年)に、礼文華峠のトンネルが開通したことで、国道37号線ルートもかつての難所が克服され、高速走行が可能となっています。

一方、二級国道だった札幌〜虻田間の現・国道230号線は、1957年(昭和32年)から改良、舗装工事が行われ、最大の難所である中山峠は、大規模な橋が連なる近代的な道路(先述のとおりです)に生まれ変わり、1969年(同44年)に完成しました。これによって、札幌から函館への自動車ルートは、この国道230号線経由が距離、時間ともに最短となり、主役の座を奪うことになったのでした。ちなみに、現在の豊浦町から北へ行くルートは、かつては国道230号線ではなかったのですが、有珠山の噴火に伴い寸断された経路の迂回ルートとして、設定されました。もともと道道だった時代から、函館〜札幌の近道として使われていました。

5号線なのか、37・36号線なのか、じゃなくなってしまいましたね。スイマセン。鉄道ルートは、小樽の地位低下を考えると、室蘭・苫小牧・千歳回りが経済的に、優先されるのでしょうね。特に、千歳空港駅(現・南千歳駅)の開業(1980年)と石勝線開通(1981年)が、決定的だったと思われます。

注:現在の国道と一致するのは、(1)=5号、(2)=12号、(4)=40号、(5)=38号+44号、(7)=37号だけで、(3)は室蘭〜苫小牧が36号の一部+苫小牧〜岩見沢が234号、(6)は旭川〜上川が39号+上川〜留辺蘂が273号と333号と242号+留辺蘂〜美幌が39号+美幌〜根室が243号、(8)は36号の一部です。
さらに留意点としては、国道39号の上川〜留辺蘂の区間は、現在の石北峠ではなくて、鉄道と同じ北見峠ルートだったことです。また、苫小牧から早来までの区間は、現在の沼ノ端ではなく、植苗が分岐点だったことが、異なっています。

[16368] 2003 年 6 月 6 日 (金) 19:41:25【2】 三丁目 さん
 Re:国道五号線、の続き
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ところで、道路関係をいろいろと見ているうちに、直線道路(北海道大百科事典)についての記述が目にとまりました。
北海道に多い直線道路の中で、日本一長いのが国道12号の美唄市光珠内跨線橋から砂川市空知太橋の間27.7kmの道路。これを上回る直線道路を造ろうとしても、地形や土地利用状況などから困難であること、直線道路はドライバーにとって単調であり、クロソイド曲線などの連続的な曲線道路が望ましいことから、可能性は少ない。
と、ありました。「クロソイド曲線」の専門的な意味はよくわかりませんでしたが、安全に高速運転するための理想的な曲線、という感じでしょうか。「数学的に滑らかでも、人間的には滑らかではない」という記述を見つけましたから、何やら、黄金比みたいなものかも、とも思いましたが。
この、直線道路の話を我が地理アドバイザーに紹介したら、そういえば、鉄道の日本最長直線区間は、室蘭本線の苫小牧?〜白老?だったっけ、てな話になりました。いかんせん、私たち、鉄分不足なものですから。

[16580] 2003 年 6 月 10 日 (火) 19:04:30 三丁目 さん
 ニックネーム国道
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北海道大百科事典の項目の1つに、標記件名がありました。私は、名前で呼ばれるよりも、国道ナンバーで言われたほうが、ピンとくる方なのです。例えば、
国道122号線:北本通り
国道254号線:川越街道、などです。
明治通り、目白通り等に至っては、私にはどの道路のことを言っているのか、サッパリイメージがわきません。また、
第一京浜:国道15号線
第二京浜:国道1号線
第三京浜:一般有料道路(世田谷区玉川IC〜横浜市保土ヶ谷IC)
以前、国道15号線近くに住んでいましたが、私はこの第一から第三までの区別が覚えられなくて、必ず国道15号線、と説明していました。でも、15号線と言った方が、わからない人が多いように私には感じられました。海側から1、2、3と付けたんじゃないの、と職場の人は言ってましたけど。ぢゃあ、なぜ東名高速道路のことを第四京浜と呼ばないの?と、私は声を大にして言いたい!横浜ICだって、しっかりあるのに。。。ま、どうでもいいから、この話はこのくらいにして。

それでいよいよ?北海道のお話。
北海道で最も有名な(全道で知られているという意味で)ニックネーム国道と言えば、黄金道路(国道236号線)ではないか、と私は思っています。我が地理アドバイザーによると、小学校で習った、と言ってました。私は、この道路を通ったときに、小樽出身の人から教えてもらいました。ちなみに、黄金道路の由来は、この道路の建設に膨大な費用がかかったことから、黄金を敷きつめたような道路だ、ということからです。

また、札幌圏の人にとっては、石山通り=国道230号線も知られているでしょうね。実は私は、由来を知らなかったので、「まさか石山本願寺絡みで、本願寺街道(拙稿[16367]をご参照下さい)から石山通りと呼ぶの?」と地理アドバイザーに聞いたら、「そりゃまた本願寺つながりで、ずいぶん遠大な推論ですな。単純に石切り山があったから石山という地名になっただけだと思ってましたが」だそうでして。札幌市南区のHPに石山が出ていました。
http://www.city.sapporo.jp/minami/ トップページの左側にある「知っていますか南区の歴史」です。

他にも、私は知らなかったのですが、国道240号線のことを「まりも国道」と呼ぶのは、地元で知られているようですね。地理アドバイザー情報によると、道路標識にも示されているそうです。手元の最新版北海道マップルを見ると、いろいろと○○街道とか○○国道と表示されているので、ニックネームを付けたのが、増えたのか?それとも、積極的に表示するようになったのか?ハテナ?

さて、事典を見ていると、弾丸道路=国道36号線の札幌〜千歳間、と出ていました。初めて聞きましたが、地理アドバイザーが調べていた資料でも出てきたので、なんだろうと思いましたが、これはあっさり判明しました。アドバイザー殿の父君が「昔は弾丸道路って言ったんだ」とおっしゃられていたそうでして。かつてはそう呼ばれてましたが、どうやら高速道路が出来ている時代(現代?)では、もう死語になっていたためのようです。

第三京浜道路のことが話題に上がったから、急遽アップした書込みです。でも、流れとは全然違う話でしたね。これが三丁目テイストなのかな?へへッ(^◇^;)。

[16582] 2003 年 6 月 10 日 (火) 19:56:11 NS さん
 Re: ニックネーム国道
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[16580]三丁目さん
北海道で最も有名な(全道で知られているという意味で)ニックネーム国道と言えば、黄金道路(国道236号線)ではないか、と私は思っています。
黄金道路は昔は確かに236号線でしたが、広尾町豊似〜野塚トンネル〜浦河町日高幌別という日高山脈越えルートの開通に伴い、
山脈越えルート→国道236号線(天馬街道)
黄金道路→国道336号線
と変わり現在に至っていますね。

道内の他の有名なニックネーム国道といえば、やはり
国道274号線(夕張〜十勝清水)石勝樹海ロード
国道241号線(阿寒湖〜弟子屈)阿寒横断道路
国道334号線(ウトロ〜羅臼)知床横断道路
国道243号線(美幌峠〜別海)パイロット国道
あたりでしょう。また、複数の国道等にまたがるルートとしては
日本海オロロンライン小樽〜石狩〜留萌〜天塩〜稚内
追分ソーランライン小樽〜積丹〜岩内〜瀬棚〜江差〜松前〜函館
などでしょうか。

そういえば、国道36号線は弾丸道路の他に「棺桶街道」という別名もあったと聞きますが・・・。

[16624] 2003 年 6 月 11 日 (水) 19:01:04【1】 三丁目 さん
 Re:♪どぉこかぁらぁ来るのかぁ、黄金道路!
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ワタクシ的には「おぉごんどおぉぉぉ、ろっ」としたいところですが(笑)。
[16589]雑魚さん
開通以前、浦河、えりも界隈と十勝方面との相互往来需要は皆無に近かったのか、または船舶を介していたのですかね。
北海道大百科事典(北海道新聞社、1981年)の「黄金道路」の記述から、以下、引用しますが、

帯広―浦河間の国道236号のうち、十勝支庁広尾町広尾橋から日高支庁えりも町庶野市街間約31.7kmの別名。この間に初めて道路が造られたのは1798年(寛政10年)で、幕府勘定支配近藤重蔵が東蝦夷地の巡視の帰路、広尾から幌泉に至るが、海路が危険なため自らの資金でルベシベツ―ビタタヌンケの山道10km弱を開削した。北海道における道路築造の初めでもある。その後幕府は国防の見地から様似山道、猿留山道などを造った。(中略)1891年(明治24年)にルベシベツ―タニイソ間の海岸沿いの難所を開削した。(中略)1927年(昭和2年)に現道に近い所に8年の歳月をかけて広尾橋からビタタヌンケまでの16.3kmが完成した。

ということで、上記の記述から推測すると、道路開削以前から、江戸時代には既に、海路による往来があったようですね。

また、昨日は何らの疑問も抱かずに、[16582]NSさんの書込みを読んでいたのですが、「黄金道路」という呼称が、国道236号線から336号線に変わった、というのは、考えてみたら不思議じゃないですかねぇ。「本家」黄金道路が、別称を付けられて、由緒正しい名称を奪われてしまっただなんて。とはいえ、私自身は、336を黄金道路と聞きましたし、手元の地図でもそのように表示されているから、違和感はないのですが、なんとなく236が不憫に思えて(涙)。

[16655] 2003 年 6 月 12 日 (木) 10:21:17 N-H さん
 北海道大学構内の地名
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アーカイブズ『北海道の「○条〜丁目」』の中でも説明されていますが、札幌市中心部の「碁盤の目」地域では、南北に走る道路で「丁目」、東西に走る道路で「条」が区切られ、その四角形の中の領域が「○条〜丁目」となっているのが原則です。
ところで、この区域の中でも、場所により道路がゆがんでいたり、曲がっていたり、途中で道路が途切れているところもあります。
そういう箇所ではある丁目を飛ばしたりして対応しているようです。
ところが、大きな公園など、碁盤の目が数区画寄せ集まって間に道路がないような場所など(植物園、知事公舎など)、あたかもそこに道路があるかのごとく仮定して強引に原則どおり「○条〜丁目」をふっているのですね。
ですから北海道庁旧庁舎などは庁舎の真ん中で4分割されているように見えます(北3条西5丁目、北2条西5丁目、北3条西6丁目、北2条西6丁目)。
これがすさまじいのは、札幌駅北西部に広がる北大の構内です。
西5丁目通りから西側、北大構内になると突然、構内にどのような曲がりくねった道路が走っていようが遊歩道があろうがポプラ並木が斜めに走っていようが、画然とそれより東側の区割りをそのまま延長した形で整然と碁盤の目で所番地が振られているようです。
これはすごい。すさまじく人工的な地名の決められ方です。
一方これより西側にある札幌競馬場の大きな区画は、このように分割されること無く全体が北16条西16丁目になっています。
世の中整然と地番を決めたら決めたで色々とめんどくさいことも生じているということのようです。

[16672] 2003 年 6 月 12 日 (木) 18:02:00【1】 ペーロケ[utt] さん
 北海道最大の島
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[16657]あんどれさん
「利尻町や礼文町は北海道であるが、○○○(島の名前)ではない」という文章を仮定します。
 まあ、これを愛媛で当てはめると、「伯方島は愛媛であるが四国ではない」になり、矛盾は全く感じなくなるのが不思議ですね。これも「北海道」が「自治体名」であると同時に、「北海道という島」の名前だからなのでしょう。
 試しにgooで「北海道最大の島」で検索して見ました。そうしたら、「利尻」〜2件 「奥尻」〜2件、よくわからないのが1件ヒットしました。「北方領土はどこに」など、怖い人に何か言われそうですが、これは検索結果なのでどうしようもないのですが。。。

 ちなみに、国土地理院によれば、

島名平成14年面積(km2)......摘要
択捉島3182.65
国後島1498.56
色丹島250.16
利尻島182.12
奥尻島142.74
礼文島80.95
志発島59.5
水晶島13.71
多楽島11.69
勇留島10.63
大島9.73松前町
中島5.79弟子屈町(屈斜路湖)
天売島5.5
焼尻島5.21
中島4.85壮瞥町,洞爺村,虻田町(洞爺湖)
秋勇留島2.73
ユルリ島1.97
大島1.55色丹村
小島1.54松前町
大黒島1.08
小島1.01色丹村

もちろん、北方領土が上位を占めています。ロシアが実効支配している北方領土を除くと、利尻島がやや奥尻島を上回っています。まあ、奥尻島を「北海道最大の島」と称したのは、いづれも奥尻島の水産会社なのですが、商売の宣伝のための誇張との意味合いもあるのでしょうか。利尻島からの密告により、誇大広告だ〜って「JARO」に訴えられなければいいのですが(苦笑)。
 ところで、ランキングを見ていくと、なんと、屈斜路湖や洞爺湖に浮かぶ島「中島」もカウントしているのですね!!ところで、本島である「北海道」は載っていないので、大陸扱いなのでしょうか??

http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/200304/shima-hoku.htm

[16653]スナフキんさん
都庁が新宿に移転してから問題が表面化してしまいました。
 え?地図を作る業界でも、首都の位置は、厳密に言えば「都庁の位置」なのですか??私は個人的には、いくら「東京都」が日本の中で強力な影響力を及ぼすことになろうとも、「都庁」はあくまで一地方自治体である「東京都」の司令塔に過ぎず、国の機関とは区別されるべき、との認識にあります。なので、都庁が八丈島に移ろうとも、八王子に移ろうとも、首都は首都機能がある「東京」であり、国会議事堂や霞ヶ関にある省庁が八丈島に移って初めて、「首都が八丈島に移転した」と言えると思うのですが、いかがでしょうか??まあありえない話ですが(^^;;)

[16747] 2003 年 6 月 14 日 (土) 05:13:44【1】 三丁目 さん
 「北海道」という呼称
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[16672]uttさん
「北海道」が「自治体名」であると同時に、「北海道という島」の名前だからなのでしょう。
自治体名(都道府県名)=都道府県という行政機関の名称=都道府県庁。それに加えて、「関東、東北、中部等と同列の、地方ブロック名」としての3つめの意味もありますね。ですから、なおさら、混乱しやすいのではないか、と思います。

なお、「道(どう)」を、日常的に「道の機関」「道の職員」「道の指導により」「それは道の権限で」等、「道庁」の意味で使っています。あえてこの言葉を使う理由は、「道庁」と言うと、札幌の本庁に限定した意味に取られかねないので、支庁も含めた北海道の機関、組織を指し示すためではないか、と思っていました。

ちなみに北海道独自の言い回しだなぁ、と思っていたのは「全道」です。「全県」とは、あまり使わないと思いませんか?「全都」「全府」は聞いたことがありません、少なくとも私は。。。それで、「全道では」「全道的に晴れです」等よく耳にしましたが、県で該当する使い方は、「本県」又は「県内」かと思っていました。「全道大会」に該当するのは「(全を付けない)県大会」でしょうか(なお、本都、全都、本府、全府も、使わないですよね。)。「北海道」を表す地域ブロック名として使っているから、「全」を付けるのかな、と思っていました。語呂の問題もあるのかもしれませんが。

この話は、書込むのを止めようと思っていたのですが、あまりの蒸し暑さに寝苦しく、目が覚めてしまったために、発泡酒を飲みながら、ツラツラと書いてしまいました。梅雨を実感するこの頃です。
6月の北海道は、梅雨のない季節だからサイコーダと聞きました。暖かい季節へ向かうときは、ちょうど本州よりも1ヶ月遅れ、と理解して頂ければ、と私は思っていました。(この場合は島の名称であるとともに、ブロック名としてのダブルミーニングで、使ってますかね?)

[16819] 2003 年 6 月 15 日 (日) 07:33:09 三丁目 さん
 中心市町って?
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

拙稿[12025]で、北海道の支庁再編案をご紹介し、その中の最も細かい区分として、20に分けられた広域市町村圏にふれました。ところで、北海道大百科事典を見ていたら、「広域市町村圏」という項目でその圏名ごとの中心市町が載っており、私にはたいへん興味深かったので、一部重なりますが、ご紹介いたします。また、[14220][14221]両毛人さんとも、ダブッて恐縮ですが。

圏名市町村数中心市町支庁所在地支庁
札幌10札幌市札幌市石狩
渡島17函館市函館市渡島
檜山10江差町江差町檜山
後志20倶知安町倶知安町後志
南空知11岩見沢市岩見沢市空知
中空知10滝川市岩見沢市空知
北空知 6深川市岩見沢市空知
富良野 5富良野市旭川市上川
上川中部 9旭川市旭川市上川
上川北部10士別市旭川市上川
留萌 9留萌市留萌市留萌
宗谷10稚内市稚内市宗谷
北網14網走市網走市網走
遠紋12紋別市網走市網走
西胆振 8室蘭市室蘭市胆振
東胆振 7苫小牧市室蘭市胆振
日高 9静内町浦河町日高
十勝20帯広市帯広市十勝
釧路10釧路市釧路市釧路
根室 5根室市根室市根室

この中で、上川北部の中心市町が士別市。エッ?どうして名寄市じゃないの?でして、しばらく我が地理アドバイザーと意見交換しました。2人の意見は、都市の規模・歴史・風格からして名寄だよねぇ、で一致しました。静内町については、それもアリだろう、と思いましたので。。。それで、道庁に問い合わせたら、あっさりわかりました。ちなみに、[14221]両毛人さんのデータでは会長(名寄市長)、副会長(士別市長、剣淵町長)とご紹介されていますが。

そもそも、この「広域市町村圏」両毛人さんがおっしゃられている通り、1969年(昭和44年)がスタートですが、現在は、H12.3.31自治振興第53号自治事務次官通達「広域行政圏計画策定要綱」(その後2度改正)に基づき策定されているもので、構成する市町村間で話し合われ、どこに事務局を置くか等、ということなのでした。そのため、上川北部の「事務局が置かれている所」を「中心市町」と表示しており、それは士別市、ということなのでした。

なお、アドバイザーコメントとして「過疎化は士別も名寄と同じですが、元の発展が名寄ほどではなかった。あら、アンタも私と同格まで落ちぶれたのね、みたいな感じ。『名寄=根室、士別=中標津』の図式に近いのかしらん。」をもらっています。[10424]uttさん以外の方には、わかりにくい例えだったかもしれませんね(汗)。ちなみに、uttさんの書込みを教えていないにもかかわらず、根室市、中標津町の例えが出てきたことに、私は驚きました。道東では、この構図は常識なのですかねぇ。

参照URLは  http://www.soumu.go.jp/pdf/k_youkou.pdf で、先述の事務次官通達が出てきます。

[17110] 2003 年 6 月 21 日 (土) 11:05:17【1】 三丁目 さん
 沙流3町
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

沙流川沿いに位置する3町(日高町、平取町、門別町)の、合併問題調査研究会が、平成14年から始まりました。もともと3町は、門別村として始まっています。沿岸から内陸へ開拓が進むにつれ、入植者が増えていき、平取村、右左府村へと分村していきました。町制を施行していったのも、沿岸部の村からです。公式HPからの情報では、経緯は以下のようになります。
沙流郡各村戸帳役場門別村門別町(1952年町制施行)
平取村平取町(1954年町制施行)
右左府村日高村日高町(1962年町制施行)

ですから、この3町が合併するとなれば、元のさやに収まるだけですから、実に分かりやすい研究会だと思っておりました。
ところが、ここに穂別町が、加わったのです。最初は、沙流3町プラスアルファ、で原稿を進めようと思って書き始めたのですが、記述が長くなってしまったため、稿を分けます。穂別町、鵡川町が加わった日高町・平取町・門別町・穂別町・鵡川町任意合併協議会については、次回ということで。

それで、まずは門別町からですが、もともと役場は、以前は富川地域にありましたが、1889年(明治22年)に佐瑠太(富川の古い地名)戸長役場、佐瑠太警察分署(浦河警察署門別分署)が門別(本町)に移転し、現在の本町地域にあります。100年以上前に移転した話ですから、今となっては、理由はよくわかりませんが、本町地域の方が発展すると考えられたからでしょうか。

実は、これは私の認識不足だったのですが、富川は知っていたし、門別も紋別と違うということは知っていましたが、富川が門別町の中の一地名とはつゆほども思っておりませんでした。というのも、富川は、苫小牧方面から国道235号線で来ると、そのまま静内町・浦河町・えりも町方面へ続く街であり、また国道237号線で平取町、日高町方面と分かれていく交通の要衝として、人口も本町地区より多いのです。

付け加えますと、平成14年3月末現在の門別町の地域別人口は、富川地域(7653人)、門別本町地域(3405人)、厚賀地域(2248人)です。なんと、富川地域には門別本町地域の倍以上の人口があり、それだけ大きな市街地(集落)が形成されているのです。

だから、一般的にも、富川という町があるように誤認するのも、やむをえなかったかな、と自己弁護。ちなみに、門別町HPに載っていた、字別世帯人口が富川東、富川西、富川駒丘、福満……と細かく分かれていたので、なんだかよく分からなかったものですから、大きな括りを町役場に聞いてしまいました。それで、先述の3支所(富川、本町、厚賀地域)を教えて頂きました。ついでに、私が富川町があると誤認していた、と言うと、「えぇ、町外ではそう思われている方も結構いらっしゃるんですよねぇ」とのことで、私だけではないようです。一応。

それで、苫小牧〜鵡川〜富川〜門別本町とつながっていく景色を、簡単にご紹介しますと、
国道235号線を車で走っていくと、苫小牧から鵡川までは、平坦な原野、湿原が広がっています。そして、鵡川町の市街地から鵡川橋を渡ると、田園風景が広がってきます。しばらくすると丘を登り、一旦は牧場風景になるのですが、すぐ丘を下って沙流川河口に面する富川市街地に出ます。沙流川河口近くの平地は田園地帯で、鵡川ほど平地が広くないものの、似たような風景です。

沙流川橋を渡るとまた丘を登り、それ以降はずっと牧場風景が続きます。富川から静内・浦河方向へ走ると、気をつけていないと、門別本町には気づかずに通り過ぎてしまいます。富川を過ぎて丘に登ってから集落が途絶え、海岸線に降りてきたところが門別本町となりますが、役場と駅のある市街地は国道から横道にそれたところにあるのです(現道路は、バイパス新道と思われます)。

風土として、富川は沙流川流域の稲作地帯であり、平取町や鵡川町と似ているのに対して、門別本町は漁港と馬産地なので、新冠以東の日高地域と似ているように、私は思います。苫小牧から静内へ向かうと、鵡川、富川までが胆振地方という印象があるのに対し、門別本町近郊に入ってから、あぁ、日高に来たな、と感じられると思います。つまり、富川と門別本町付近とは、違う町だ、という印象を受けるのです。

今度は、富川から沙流川沿いに北方へ曲がり、国道237号線を上っていくと、平取町に入ります。まず思い浮かぶのは、二風谷アイヌ文化博物館です。同様な施設としては、白老町の、ポロトコタンもあります。
また、義経神社があること、それと振内に鉄道記念館があることでしょうか。廃止された富内線のことを、私はなぜか振内線と記憶していたのですが、鉄道記念館のイメージがあったからかもしれません。紫雲古津という地名も、きれいな字を当てたものだ、と妙に記憶に残っています。

さらに進むと、日高町に到着します。ちょうど、国道274号線と合流する近くに町役場があり、町の中心部となります。日高町は、もともとは、日高山脈の木材の切り出し地として発展しましたが、当時の木材の運搬方法は、沙流川を流したそうです。

でるでるさん、TNさん、はやいち@大内裏さん、はじめ合併情報にお詳しい皆さん。合併についての話は、次の稿でもふれますから、ちょっと待ってて下さいね。(ちなみに、今回TNさんをニックネーム検索して、半角「TN」では出てこなかったので、全角なのに初めて気づきました。)

なお、人事異動により勤務地が変わることとなり、角筈も遠くなりますので、今までのような余裕がなくなりそうでして、連載?系は、次の長文書込みをもって、終わりになる予定です。

[17368] 2003 年 6 月 26 日 (木) 18:30:13 三丁目 さん
 ガンバレ!穂別!(沙流3町、続編)
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

穂別町のHPを見ていたら「胆振のチベットなんて言われたりもします」と書いてあったので、笑ってしまいました。私は聞いたことがありませんでしたけれども、自分から言いなさんなよ、と思いました。我が地理アドバイザーに聞いてみたら、「自分でボケといて、つかみはオッケーみたいなギャグじゃないの」と言ってましたが。(町公式のHPなのですけどね・・・)

それで、拙稿[17110]でご紹介した、沙流3町合併問題調査研究会には、第3回から穂別町と鵡川町が、第4回には新冠町もオブザーバーとして参加し始めました。ただし、新冠町は、現在の任意合併協議会には結局入らず、5町で進められているところです。

合併協議の経緯を見ると、穂別町は初めから、沙流3町合併に関心を持っていたという印象を受けました。3町での合併協議会への参加を穂別町、鵡川町が同時に打診を受けたときも、鵡川町より1ヶ月早く参加する旨の回答をしています。実際に現在の5町のHPを見比べると、トップページで合併協議会のことを目につくように紹介しているのは、穂別町だけ、という点からも、その熱意を私は感じました(一応、門別町HPにも下の方に小さく出ています)。

それで、今回のお話も、沿岸から進めたほうが話としてはスムーズなので、まずは鵡川町を含めた2町の経緯は、以下のようになります。
苫小牧外15ヶ村戸帳役場鵡川村戸長役場鵡川村鵡川町(1953年町制施行)
似湾村外3ヶ村戸帳役場似湾村穂別村穂別町(1962年町制施行)
これまた、沙流3町が、現門別町〜現平取町〜現日高町へと分村していったように、現在の鵡川町から穂別町が分村しています。蛇足の話としては、穂別町から占冠村が分村しています。

鵡川町といえば、なんといってもシシャモが有名です。そういえば最近、魚の名称として、外国産の魚に「シシャモ」を使うことに抗議があったことが、私の記憶にはあります。また、5月下旬から6月上旬にかけての、黄色いじゅうたんを敷き詰めたような、タンポポフェスティバルは、きれいですよ。

それで、穂別町なのですが、私が知っていたのは、穂別地球体験館(行ったことはありません)があることくらいでしょうか。正直なところを申し上げてしまうと、私が受けていた印象は、非常に薄いです。というのも、町の中心部を国道が通っておらず、鉄道も廃止されたから、国道274号線でどこかへ行くために穂別町を通ったとしても、大きな集落を通ることがないから、街中を通ったという記憶が残らないためなのです(拙稿[15543]をご参照下さい)。

ここで、ちょっと廃線された鉄道の話に簡単にふれますが、鵡川〜豊城間に旧富内線となる鉄道が新設されたのが1943年(昭和18年)のこと。それから序々に延伸され、終点の日高町まで開通したのが1964年(昭和39年)と、比較的新しい路線だったのです(当初の計画案に比べれば、それでも短かったのですが)。それが、1986年(昭和61年)に廃止されました。

駅名を書くと、最初は鵡川(川の名前)沿いに、鵡川〜豊城〜春日〜旭岡〜栄〜豊田〜穂別〜富内〜幌毛志〜振内〜仁世宇〜岩知志〜日高岩内〜日高三岡〜日高町となります。現在の集落名として、私の地図やネット地図等で見つけられなかったのは日高岩内だけでしたが、大体のルートはお分かりになりましたでしょうか。

旧穂別駅は、穂別町役場と道道74号線を挟んで反対(南東)側で、鵡川(川の名前)よりは北西で、現在はふれあい公園となっている場所にありました。駅の位置は、市街地の南端付近ではありますが、かつては一体となった市街地が形成されていたようです。

鉄道の廃止は、穂別町にとっては大きなショックだったと想像され、今まで、穂別町について述べたことから自称「胆振のチベット」が出てきたのかな、と思いました。昔は鉄道による、胆振・鵡川との交通がメインでしたが、今は夕張〜日高間の国道274号線が経由するようになったために、日高町とのつながりが重要になっていると考えられます(もちろん鵡川町に出るバス便もありますが)。それで、現状での胆振支庁管内では合併相手を探すこともままならず、空知支庁、上川支庁方面とのつながりは薄いし、隣接する日高支庁管内の沙流3町へ関心が向いたのでしょうか。

私は、沙流3町プラス穂別町であれば、穂別町の熱意にほだされて、合併の可能性はあり得るかもと思っていたのですが、鵡川町まで加わったことで、はたして足並みがそろうのかしら?と訝っているところです。

ガンバレ!穂別!

なお、北海道大百科事典(北海道新聞社1981年発行)によると、穂別町の項目の記述に「千歳空港、苫小牧市に近く、国道274号線と国鉄石勝線が開通すると道央、道南、道東を結ぶ交通の要衝となる。」だそうでして、石勝線開通前と記述が古いですからね。素通りされてるだけなのに。期待が大きかったのでしょうか。

追伸:今まで、市レベルの話を続けてきましたが、最後なので、思いっきりレベルを落とし(失礼かな?)道外ではあまり知られていないかも知れない、町を取り上げてみました。なお、この書込みにて、私の連載?系は、たぶんオシマイです。今まで長々と、大変失礼いたしました。これからは、ショートショートで勝負したいと思います。

[17376] 2003 年 6 月 26 日 (木) 20:45:31 NS さん
 沙流3町、鵡川、穂別
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[17110]三丁目さん
役場は、以前は富川地域にありました(中略)本町地域の方が発展すると考えられたからでしょうか。
 やはり、東端に位置する厚賀地域(厚別川流域等)の存在を考慮した地理的なバランスということでは?
富川と門別本町付近とは、違う町
 門別本町地域は門別川の河口に位置しますが、門別川自体が沙流川と比較してさほど平野部が広くないというのも影響しているのかも知れませんね。

[17368]三丁目さん
鵡川町といえば、なんといってもシシャモが有名
 そうですね。
 さらに、昨年春のセンバツ高校野球大会で、鵡川高校が小規模校ながら道大会8強という話題性から21世紀枠で出場し1勝を挙げたことで、一躍全国的に有名になったのではないでしょうか?
(もっとも、前任の砂川北時代に春1度・夏2度の甲子園出場を果たしてきた佐藤茂富監督の手腕に惹かれて道内各地から集まってきた有力選手、さらに監督以外にも甲子園経験者の小池部長(元旭川竜谷、現旭川南監督)・山本副部長(元中標津、現函館中部監督)という名将が揃ったことが大きかった訳ですが・・・)

穂別町については、
沙流3町合併に関心を持っていたという印象を受けました
 旧富内線沿線に、平取町北部(幌毛志〜振内〜仁世宇〜岩知志)が含まれており一定の交流があったことが一因でしょうか。
千歳空港、苫小牧市に近く、国道274号線と国鉄石勝線が開通すると道央、道南、道東を結ぶ交通の要衝となる
 石勝線は信号場のみ(それもかなり山奥)、国道も市街地からかなり外れているのは確かですが、穂別市街地と新千歳空港を結ぶ都市間バスが通っていますので、自家用車による往来および新千歳空港との関係という点ではそれなりに的を射ていると言えるかも知れませんね。(稲里・福山両地区が寂れ切ってしまったのが痛いと言えばそれまでですが・・・)
現状での胆振支庁管内では合併相手を探すこともままならず、空知支庁、上川支庁方面とのつながりは薄いし、隣接する日高支庁管内の沙流3町へ関心が向いたのでしょうか。
 確かに、鵡川町市街地からの距離が相当ある(穂別市街地まで30km以上?)というのは大きなネックですね。ただ、
私は、沙流3町プラス穂別町であれば、穂別町の熱意にほだされて、合併の可能性はあり得るかもと思っていたのですが、鵡川町まで加わったことで、はたして足並みがそろうのかしら?と訝っているところです。
 その前に、沙流3町の中でも日高町や平取町北部(貫気別・振内地区など)は平取市街地からですらもかなり遠いところにあるだけに、全体の面積的な問題もさることながら、沙流郡だけですら(もっと言えば平取・門別の合併ですら)単一自治体としてやっていけるのか?とも私としては訝りたくなりますね。実際、日高町からだと石勝線が通る交通の要衝・占冠村の方が平取市街地よりも近く魅力的でしょうし(この2町村合併の是非は別としても)。
 ましてや、それに支庁も川筋もMAも(その他諸々を含めて)違う、鵡川・穂別両町を含めようというのはさらに厳しいんでは?という気が致しますが・・・。
ガンバレ!穂別!
 これについては同感ですね。ただ、私としては何とか『単独で』生き残って欲しいと切に願っていますが。

[17381] 2003 年 6 月 26 日 (木) 21:44:28【1】 三丁目 さん
 さっ。。。沙流3町プラスアルファ、にレスを頂けるとは・・・テンテンテン。
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[17376]NSさん
>富川と門別本町付近とは、違う町
門別本町地域は門別川の河口に位置しますが、門別川自体が沙流川と比較してさほど平野部が広くないというのも影響しているのかも知れませんね。
そう「かも」としか、私も言いようがないですね。ただ、少なくとも私が勤めていた会社の事業所は「富川」でしたから、私は富川町があるのかな、と誤認しておりました。

沙流3町の中でも日高町や平取町北部(貫気別・振内地区など)は平取市街地からですらもかなり遠いところにあるだけに、全体の面積的な問題もさることながら、沙流郡だけですら(もっと言えば平取・門別の合併ですら)単一自治体としてやっていけるのか?とも私としては訝りたくなりますね。
ま。私も。胆振・日高はそこそこわかりまっせぇ、という程度でありまして、元のさやに戻るのなら、えぇんでねえですかい、という程度の認識なのです。個人的には、厚真(あつま)ジンギスカンが、松尾ジンギスカンのように、有名になればいいなぁ、程度なのです。ちなみに、地元では「あずま」と言いますが。

[17752] 2003 年 7 月 3 日 (木) 23:49:26 special-week さん
 旭川整備事業
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[17750]
faith様

もっとも最近の旭川がどうなっているのかは知りません。バブル期にさすがに誰かが着目して開発に着手したのかも知れません。

 そのまったく開発されていなかった旭川市の南方(神楽地区)の開発が着工されたのは、ごく2、3年前と最近です。北海道第二の都市を目指したということですが、旭川市はこの整備事業を受けて、都市の愛称を募集いたしました。その愛称が“北彩都”。まあ、みなさんご存知かとは思われますが、“彩都”は埼玉県の愛称ですね。北彩都のネーミングは公募されたそうですが、やはりこの名前を応募してきた人は埼玉県在住の方だったそうです。

 整備事業はまだ完了しておりませんので、ところどころ荒涼としている土地はいまだに残っています。

[17755] 2003 年 7 月 4 日 (金) 00:09:28 faith さん
 旭川のイメージ
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[17752] 2003 年 7 月 3 日 (木) 23:49:26 special-week さん

 そのまったく開発されていなかった旭川市の南方(神楽地区)の開発が着工されたのは、ごく2、3年前と最近です。

情報ありがとうございます。よくバブル期に手つかずだったものですね。

北海道第二の都市を目指したということですが、旭川市はこの整備事業を受けて、都市の愛称を募集いたしました。その愛称が“北彩都”。

確かに旭川は、北海道第二の都市の割にはイメージが地味な気がしますね。
旭川といえば、本州の一般人は旭川電軌のノーシル・ノーヘッダーの車両しか思い浮かばないという現状を、何とか打破しようという関係者の意図は理解できます。(そんなわけない)

というのは適当に書いたのですが、実際、遠く関西にいる私にとって、函館とか小樽とか室蘭のような、強いイメージが旭川にはないのは事実です。確か陸軍師団が置かれてたのですよね。

[17758] 2003 年 7 月 4 日 (金) 00:40:32 NS さん
 Re: 駅の片側にしか街がない&旭川のイメージ
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[17750]faithさん
私が思いついたのは旭川だけですが、北海道だとこの手の街は他にもありませんかね?
 北海道の場合は、基本的に片側にしか出口がないところが普通で、むしろ出口が両側にある駅の方が例外的と言えます(札幌および近郊を除けば、両側に出口がある主要駅は苫小牧・東室蘭・帯広・釧路くらいでしょうか)。

[17755]faithさん
函館とか小樽とか室蘭のような、強いイメージが旭川にはないのは事実です。
 確かにこれらの諸都市と比べると、インパクトは弱いかも知れませんね。
 ただ、旭川については、この掲示板においても、
[16199]三丁目さん
[15773]kenさん
[15769]太白さん
[15764]N-Hさん
[15745][15768][15774][15783][16201]
[15739]special-weekさん
[15737][15779]雑魚さん
などの書き込みがあります。特に、旭川出身の地理アドバイザーの助言に基づいて書かれた三丁目さんの[16199]は一読の価値ありと思いますので、是非とも参考にされては如何でしょうか?

[17867] 2003 年 7 月 6 日 (日) 06:17:42 三丁目 さん
 「観光圏」て、初めて聞きました。
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

以下、北海道大百科事典(北海道新聞社、1981年発行)の記述から引用です。
北海道は広大で地理的気象条件などの差異から、地域によって自然景観や産業風景などが大きく異なっている。このため北海道を五つの観光圏に大別し、それぞれの地域特性が生かされた観光圏の形成を図ることにしている。
初めて見る分け方でした。しつこく、北海道を圏域に分ける話のご提供で、恐縮ですが。

観光圏支庁中核拠点
道南観光圏渡島、檜山函館市
道央観光圏後志、石狩、胆振、日高札幌市
大雪山観光圏空知、十勝、上川旭川市、帯広市
道東観光圏釧路、網走、根室釧路市、網走市、帯広市
道北観光圏留萌、宗谷旭川市、稚内市

道北観光圏についてだけは、該当する支庁についての記述がなかったのですが、私の方で名前が挙がっていなかった残りの支庁、をとりあえずはめ込んでみました。でも、上川、網走支庁の一部も含まれそうですね。興味深かったのは、大雪山観光圏として、十勝と上川が一緒になっていたことです。石勝線開通前の分け方(根室本線による道央と道東のつながり)だからかな、と思いましたが。

もしかして、まだ使われている分け方なの?と思ったので、道庁に聞いてみました。少なくとも現在は使っていないそうでして、今は地域生活経済圏ベースなのだそうです。電話での聞き書きをメモしたのですが、よくよく考えてみたら、これは拙稿[12025]「支庁の再編」でご紹介済みでした。

既出データをダブッて書込むのは、少々ためらいがあるものの、記事リンクで読んで下さい、も、お手間かな、と思いましたので、支庁ベースで改めて。
道央圏:石狩、後志、空知、胆振、日高
道南圏:渡島、檜山
道北圏:上川、留萌、宗谷
オホーツク圏:網走
十勝圏:十セ
釧路・根室圏:釧路、根室

以前は気づかなかったのですが、地域生活経済圏だけを聞くと、面白いですね。十勝圏を独立させているめに、道東圏という呼称が使えなくなってしまい、「釧路・根室圏」となっています。支庁名を採用するしかないのでしょうが、支庁同士は立場として優劣はないから、「釧根圏」にもせずに、対等に並べるしかなかったのでしょうね。いずれ、根室が、釧路の軍門に下り「釧路圏」となる日が来るのでしょうか?

[17970] 2003 年 7 月 7 日 (月) 22:36:03【1】 三丁目 さん
 たまに「新規書込」と「書込訂正」をクリックし間違えて、オオッとなることがあります。
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

今がそうでしたが、ボーッとしてると、間違えるのですよねぇ(私だけですか?)。

[17918]かつさん
マニアックで興味深いスポットをご存知なのではなのではないかと思い,
[17948]uttさんがレスを書かれているので、初めて気づきました。私の得意ジャンルが含まれているではありませんか(笑)。以前も書きましたが、マイナーではないものの、メジャーでもない、クッタラ湖が私は好きです。また、仕事で洞爺湖へ行ったときに、温泉街から中島の向こうに羊蹄山が見えたときは、感動モノでした。条件がよくないと、見えないと思います。私は6月のある1日だけ、見たことがあります。洞爺湖は、何度となく行ったことがありましたけれど。また、オロフレ峠越も、私は好きです。
国道276号線の、苫小牧〜支笏湖は、私のお気に入りの道路でした。道東の、幅が広い一直線国道ほどではありませんが、まっすぐな部分があるし、両側から木々が覆いかぶさっているわで、「森の中の国道」という趣があります。また、私は知りませんでしたが、支笏湖の北西にオコタンペ湖というのがあり、北海道三大秘湖の一つなのだそうですね。職場の北海道フリークな人が言ってましたが、地元だった私は行ったことがありません。そんなの観光客が行くところだ、と私は反論しましたが。
東室蘭駅〜糸井駅くらいまでは、国道36号線と室蘭本線が平走している区間が多く、たまに北斗星と競争していました。もちろん、車の私が勝つはずもありませんでしたが。
国道36号線で白老町を通り抜けるときの、製紙工場からのパルプの臭いも楽しんでください。私は、何度嗅いでも、アレには慣れられませんでした。まだ、思いついたら、また書き込みます。

[17948]uttさん
二股ラジウム温泉(中略)地元の人しか行かない所なので
知られてはいないのですか?私は、温泉好きでもない自分が知っているくらいだから、そこそこ知られているのかと思っていました。長万部近郊では、「ドライブインかなや」が大きいから目にとまりますが、たしか、長万部駅東側に、駅弁を出しているお店があったような。記憶が定かではありませんが。
七飯の松並木
とは、国道5号線沿いの景色のことですかね。あまり七飯と意識したことはなかったのですが、北海道には珍しい松並木だ、と聞きました。また、並木のおかげで、国道が拡幅できないとも聞きました。たしか、このあたり(函館方向へ向かって)から、函館の裏夜景を楽しめたはずですから、それは、函館で確認された方が良いでしょうね。
長谷川ストアの焼き鳥弁当
これは、私も聞きました。食べたことがあるような気もしますが、思い出せないですねぇ。住んでいて道内各地へ行っていたときの私の感覚は、観光、というよりもそこへ遊びに行く、という感じでしたから。
支笏湖にある苔の洞門
ここは、私も好きなスポットの一つですね。正確な場所は、かつさんご自身でご確認くださいませ。先述の国道276号線から、支笏湖の南側、樽前山方向です。

なお、拙稿[17867]を読み直していたら
十勝圏:十セ
タイプミスしてたかな、と思い、元原稿を見ましたが、正しく「十勝」になっています。出勤前の慌しいときに、コピペして書込んだだけなので、余計なキーはさわっていないはずなのです。なぜ文字が変わってしまったのか(文字化け?)フ・シ・ギ。

ということで、[17955]mikiさんへ。
>私は、○パーセントの割合で、書込みを読み飛ばしています。
何%ぐらいですか?1ケタではないようですね。30%ぐらいですか?
一時は読み飛ばしても、気が向いたらもう一度読み直したり、他の方が引用されて、白抜きになって初めて気づいて、該当記事を読んだりと、マチマチです。自分でどれくらいの割合が平均なのかさえ、わかりません。

さて、今回の書込み訂正にて、(笑)を入れました。それはどこでしょう?(あまりに、つまらない訂正ですし、質問でもありますから、テキトーに流して頂ければと)

[17977] 2003 年 7 月 8 日 (火) 00:06:53 スナフキん さん
 北海道、オススメポイント
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

旅行の成果はさておき、まずはレスを。
[17918]かつさん
行ってきたばかりの私から、(過去も含めて)行った結果を踏まえて少しアドバイスを。まず渡島半島をどうたどるかがキーですね。駒ヶ岳と大沼の景観はオススメですが、それは汽車での話。ドライブ中に余所見はいけません(汗)。むしろ、あえて非常に遠回りになっても恵山回りはいかがでしょうか。恵山そのものが火山なので、国道278号沿いは温泉には事欠きません。満潮時に海没する水無海浜温泉を筆頭に、間欠泉があり湯量も豊富な鹿部温泉、小ぢんまりとした中にも歴史があり、露天風呂もある大船温泉など、ツウもうなる温泉が目白押しです(偉そうに言うスナフキんですが、こちらを車で回ったことはないです、常に気になるエリアですが…)。ただ、大沼経由で森町へ出る常套ルートよりも2倍以上の距離がありますから、よほど日程に余裕がないと残りの登別までの行程を走りっ放しということになりかねず、これではしんどくなってしまいます。また国道278号にも未改良区間が残存していたと思います。2車線は確保されているとしても、崖下の区間が多いですから、神経を余計に使うかもしれません。森〜長万部にかけては濁川・銀婚湯の評判が高いですね。しかしいずれも火山帯から微妙にずれているため、あるいは冷鉱泉・沸かし湯だったかもしれません。また、国道5号からは相当内陸に入る立地で、恵山もここも、だと欲張り過ぎになるし、湯あたりの心配が…(苦笑)。5号は海岸沿いを走る区間が長い上、時々高台をパスしたりもするので、かなり横風が強い時があります。ひどいときには普通乗用車でもハンドルを取られるくらいになることもあり、ハイペースで走れる区間ではありますが道警もこの時期は増収に精を出すことですし(苦笑)、くれぐれもスピードは控えめに…。森ではぜひ、名物「いかめし」をどうぞ。確か道の駅でも販売していたような話を聞いたことがあります。二股ラジウムを押す声もありますが、ルートからはかなり逸脱します、もちろん行く価値のある温泉だとは思いますが、日程が許すかどうか。

あまりまた聞き話ばかりでも信用を落とすので、自分の訪れた地からオススメをピックアップ。有珠山、ことに西山火口は、駐車場代を取られますがぜひ行ってください。虻田町内に入れば、あちこちに立て看板が立っているのでそれに従って行けばまず大丈夫です。大地の息遣いが自分のすぐ足元で感じられます。日によって量は変動しますが、現在でも時折激しく水蒸気を上げる火口が残存しており、すごい迫力に圧倒されること間違いありません。そして、洞爺湖温泉街にある火山博物館も入館料を払って入るだけの価値はあります。最新の噴火記録も付けられていますし、興味深い展示がいっぱいです。2000年の噴火で被災した地域は、意図的に被災したそのままの景観を保存してあります。噴火口近くにはぺしゃんこになった乗用車が放置されたままになっていますし、虻田町営浴場「ふれあいの家」や洞爺湖温泉小学校は、火山弾でぼこぼこに穴のあいた壁や窓ガラス、昨年はそのままになっていました。さらにその後、昭和新山三松正夫記念館に立ち寄れば、大地の胎動の力強さをより深く知ることができると思います。あまり明かすと行く面白みはなくなってしまいますが、1つ行く前に知っておいてほしい予備知識があります。昭和新山という有名な活火山、国の特別天然記念物にして、全山個人所有の山なのです。その所有者が、昭和新山の成長過程を克明に記録した「ミマツダイヤグラム」(今も手元にあります)で世界的に知られる「三松正夫氏」なのです。中腹にあたる駐車場から山を望む人は数多くいるのですが、恐らくそのことを知ってこの地を離れる人はほとんどいないはずです。ぜひ記憶の片隅にとどめて、昭和新山を眺めてみてください。また、これも日程に余裕があればですが、室蘭市内はそのまま鉄道沿いを通らず、一旦白鳥大橋(ナント無料!)で室蘭港をひとまたぎすることをお勧めします。東日本最長のつり橋を渡る快感は何とも言えませんよ。もちろんわき見はいけませんが、気分はスカッとするはずです。登別ではぜひとも、地獄谷の遊歩道を自分の足で歩いてみてください。投げ込んだお賽銭が温泉成分でドロドロに溶けている様子も見えるはずです。カルルスもいいらしいのですが…自分は行っていません。白老ポロトコタンは、十分時間を取ったスケジュールが組みたいところ。アイヌの伝統的舞踊を生で見ることができる、数少ない施設です。ここに寄ればこの後、苫小牧から三丁目さんご推奨の樽前国道を走ることができます。ちなみに、昨年5月に訪れた際には「苔の洞門」は歩いて行くことができていたようです。海岸沿いが単調なようなら、オロフレを越えて壮瞥町に入り、大滝村から札幌を目指すのもオツ。支笏湖を半周するもよし(途中の道の駅で、きのこ汁が100円だか150円だか…激安)、喜茂別から有名な中山峠越えをして定山渓ルートも味がありますね。他のルートだと…相当遠回りでタイトなスケジュールどりを強いられそう。

やたらに長ったらしいレスになってしまいましたが、こんな程度でよろしいでしょうか?

[17983] 2003 年 7 月 8 日 (火) 01:15:02 NS さん
 Re: 北海道、オススメポイント
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[17977]スナフキんさん
いくつかレスを。
森〜長万部にかけては濁川・銀婚湯の評判が高いですね。しかしいずれも火山帯から微妙にずれているため、あるいは冷鉱泉・沸かし湯だったかもしれません。
 「冷鉱泉・沸かし湯」ってことはないです。何と言っても、濁川地区には道内唯一の地熱発電所があることですし。
虻田町営浴場「ふれあいの家」(中略)昨年はそのまま
 「やすらぎの家」ですね(現在は月浦地区に移転)。「野猿」のテルリンこと平山晃哉(てるちか)さんの実家としても有名です(被災後、町やテルリン出演の番組にはファンからの激励メッセージが殺到しました)。
昭和新山三松正夫記念館
 これのある壮瞥町に立ち寄るのなら、相撲好き&時間の余裕があれば、横綱北の湖記念館もお薦めですね。
大滝村から札幌を目指すのもオツ
 もしこのルートを採るのなら、是非とも三階滝公園への立ち寄りをお勧めしたいですね。
支笏湖を半周するもよし
 温泉好きならば、宿泊施設が整った支笏湖畔温泉もさることながら、丸駒温泉・伊藤温泉など、北岸の露天風呂をお薦めしたいですね。

[17984] 2003 年 7 月 8 日 (火) 01:28:54 ペーロケ[utt] さん
 北海道へGO!!
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

 本日の山口県地方は朝方、大雨洪水警報が出ており、昼間は晴れ、3時ごろにちょろっと雨が降ってすぐ上がり、今は再び雨です。天気予報でどれを言っても「当たり」になるのかな??なんだか変な天気です。
 ああ、この時期だけは、梅雨の無い北海道に移住したいと思うのですが、いっそのこと、北海道と沖縄に別荘を作って、夏は北海道、冬は沖縄といった贅沢な渡り鳥生活といった老後設計でも夢見ようかな(笑)。

[17970]三丁目さん
私の得意ジャンルが含まれているではありませんか(笑)。
そうそう、お引越しで忙しかろうと、得意分野を読み飛ばしてはいけませんね(笑)。

クッタラ湖が私は好きです。
私は行った事ないのですが、地図で見ると、どの湖よりもまん丸ですよね。小さな摩周湖みたいな感じと聞いたことあります。

温泉街から中島の向こうに羊蹄山が見えたときは、感動モノでした。
そうですね。羊蹄山は遠いですからね。しかし、留寿都スキー場から太平洋が見えた記憶がありますが、ひょっとしたら羊蹄山からも。。。角度的には見えそうですよね?

オロフレ峠越も、私は好きです。
またまたコアな峠ですね(笑)。峠の中で感動したのは、かつさんのコースから外れますが、美幌峠から見た屈斜路湖が印象的ですね。

「森の中の国道」という趣があります。
そうそう、周りは樹海が広がり、道路はまっすぐで勾配もそんなにきつくないので運転しやすい道路ですよね。

支笏湖の北西にオコタンペ湖というのがあり、北海道三大秘湖の一つなのだそうですね。
 名前は聞いたことはあったのですが、場所までは私も知りませんでした。こんなところにあったとは。。。三大秘湖のほかの二つはどこでしょうか?名前はわかりませんが、日高の森の中に、ハート型の湖があるそうで、それもあまりに小さいのでロードマップでは載っておらず、探すには2万5千が必要だとか。。。

そんなの観光客が行くところだ、と私は反論しましたが。
私と同じ旅行哲学をお持ちのようで(笑)。やっぱり、観光地っぽい所って面白くないですよね??

東室蘭駅〜糸井駅くらいまでは、国道36号線と室蘭本線が平走している区間が多く、たまに北斗星と競争していました。
 長万部〜八雲あたりも並走してましたよね??信号もなく、バトルには最適な環境だったような気がします。ただ一箇所だけオービスには気をつけないと。。。函館の友人は1枚8万円の高額な記念撮影をしたそうです(苦笑)。

 そうそう、一つ思い出しました。長万部と八雲の間にある「国縫漁港」。ここもなかなかコアなスポットですよ。日本でここだけしかない、ワイングラスの形をした漁港なのです。入り口の橋から見た全景は本当に美しいですので。。。

『二股ラジウム温泉』知られてはいないのですか?
 おお、マニアしか知らないような秘湯だと勝手に思っておりましたが、そこそこ知られた観光地なのですね(苦笑)。

また、並木のおかげで、国道が拡幅できないとも聞きました。
 今は高規格道路の「函館新道(函新)」が東側にできたおかげで、交通量がそちらの方にシフトしているようです。函新から見た裏夜景もなかなか綺麗でしたよ。

『長谷川ストアの焼き鳥弁当』これは、私も聞きました。食べたことがあるような気もしますが、思い出せないですねぇ。
 長谷川ストアって函館にしかないコンビ二なんですが、初めは馬鹿にしていたのですが、私も匂いにつられてつい買ってしまい、これがなかなか香ばしくて美味しいんですよね!!

『支笏湖にある苔の洞門』ここは、私も好きなスポットの一つですね。
 私が行ったときは(ちなみに去年の秋ですが)土砂崩れのため立ち入り禁止で、入り口だけしか見ることができませんでした(涙)

[17967]かつさん
回転寿司はこれまた寿司好きなので行きたいです!魚介類がうまそうですね。
 湯の川温泉に宿泊ですか。それならば、同じ海沿いなので近いですよ。タクシーで「かんたろうまで」と言ったら、10分くらいで着きそうな距離ですので、ぜひぜひ!!
 ああ、寿司が食べたくなってきました。その上、[17977]スナフキんさんの興味深いお話まで聞いて(読んで)しまったので。。。今年も北海道行こうかな(笑)

[18029] 2003 年 7 月 8 日 (火) 23:56:34 スナフキん さん
 レンタカーと取り締まりのこと
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

かつさんは北海道での車運転は初めてでしょうか? もし経験がおありなら余計なお節介ですが、取り締まりの話が[17990]kenさんや[17984]uttさんなどから出ているので、ちょっとそのお話を。なお、以下の記述は速度超過という法律違反について、それを促すものでも、抜け道を探るものでもありません。あくまでも自分の経験・見聞に基づき取り締まりの手法や実際を書き記すものです。

この時期(夏休み期間)は特に、内地からの北海道慣れしていない未熟なドライバー(道警からすれば「カモ」と言えるでしょうけど)が大挙して北海道に渡るので、道警としても「掻き入れ時」と言わんばかりにしこたま取り締まりをする傾向があります。恐らくは、ここで捲き上げた違反金のかなりの部分を計測機器の充実に充てているのではないでしょうか、道警は全国でもレーダーを始めとする探知機器類の精度はトップクラスと聞きます。そうでなければ、「8kmオーバーで捕まる」といったこともないはずなのですが、現実にそういう話もあるところを見ると相当に精度は高いと言えそうです(捕まった本人にしてみれば、ひたすらに「運が悪い」ということに尽きますが)。

その手法ですが、全国共通で行われている「オービス」による自動取り締まりの他に、交通量の多い道路では移設式のレーダーを道路端に置いて取り締まる手法もよく見られます。ただ北海道は概して車の速度が高いため、レーダーを取り締まりポイントの500m〜1kmと相当に手前から設置しているのが普通のようです。すごいのになると、対向車線を走るパトカーがレーダーを積んでいて、すれ違いざまでもかなりの精度で速度を検知して取り締まる手法や、上空からヘリでレーダー照査をかけられ、地上のポイントに無線で連絡を入れて取り締まりされることもあるそうです。逆に、そこまでして取り締まろうとしているのが道警の姿です(というように、私には映ります)。

「オービス」は定点取り締まりですから、設置点さえ分かっていれば免れることはできますが、ゲリラ的にレーダーを置かれる取り締まりは道内の人でも簡単に引っかかってしまうこともあるとか。今まで10回弱、レンタカーを借りて車を走らせ、それでも捕まらずにいる私が、ユースで得たいくつかの「取り締まり傾向」などをもとに書き記しますと、場所としてはまず、一直線の制限表示なし(いわゆる60km)道路がポイントになることが多いようです。そして、見通しの利く水田地帯や牧草・畑作エリアなどよりも、変に背の高い雑草が生える荒れ地、レーダーを隠せる葦原などになりやすい湿地帯、概して両脇の見通しが利かない樹林帯などがアブないとか。また、大都市近辺は碁盤目状の交差点にかなりの頻度で信号があったりして、全体的にそれほど速度は高くならないので取り締まりも速度面ではあまり実施されていないようですが、そういうエリアを抜けてからの60km道路はスポット的にある集落内で、一時的に制限速度が設定されることがよくあります。さすがに設定地点直後で取り締まるという姑息なことはしないでしょうが、制限速度の終わりが近づいた辺りで張っていることもあります。これ、結構標識に気が付かずに今まで同様の速度で走ってしまう人が多いらしく、かなりひっかかってしまうようです。また、「追い禁」の場所でもよくやっているのを見かけます。これにはkenさんが実際に引っかかったとの報告をされていますね。基本的に、道路そのものがカーブなどで見通しの悪い場合はまず取り締まりをやっていることはありません。みんな、今までと同じ速度で通過することができないので速度を落としますし、かえってこういう所で取り締まると危険になるからです。

で、上記現実を踏まえ、私スナフキんが心がける北海道運転心得をいくつか披露してみますね。
1.速度は「本則+10まで」(鉄道みたいですが)を念頭に置いて運転。
これは内地にも共通して言えるのですが、10km以内ですと機器の誤差の範囲内で収まることもあるので、大概は取り締まらない(取り締まれない)となるようです。ただこれも運が悪いと上記のように「8kmオーバーで捕まる」といったこともあるので、抑えめに走るに越したことはありません。道内の人はこれでもまだるっこしいらしく煽られることもありますが、その際にはちょっと路肩に寄るなどして(北海道は道路幅に余裕があるので普通は難なく寄せられます)アクセルから足を離せば、向こうが勝手に抜いていってくれます。「追い禁」の場所でそれをやることはありませんが、そんなのお構いなしに抜いていく車もいますからそういう素振りを後続車が見せたら加速をやめればいいのです。後は野となれ山となれ、抜いていった車が捕まろうがどうしようが、こっちの知ったことではないのですから。なお、道東・道北・山間地などでは冬場の凍上現象により、舗装にひびが入っていて見た目以上に路肩が弱っていることがあります。あまり寄りすぎると脱輪や腹摺りに至ることもありますので、抜かれる際には左方向指示やハザードを出しながら走ればまず安心です。

2.自分でペースを作ろうとしない。
とにかくのろめの車がいたら、まず抜こうと考える前に少しその車に付いてみます。しばらく付いてみて、それでも後続車が2台まとめ抜きをどんどんしてくるようなら、自分も追い越しを考えればいいのです。交通量が少ないですから、そういうことをする車もかなりいますよ。自分が車列の先頭にいると、どうしても後ろの存在が気になって速度を上げがちになります。また、レーダーも先頭の車に照査をかけてくることが多いので、余計に取り締まりに引っかかりやすくなります。本則+10を崩し、捕まりそうな速度で疾走してまで車列の先頭に居座る特権は何もありません。どうしても急ぎで…というのであれば、地元ナンバーの営業系車両の後ろにぴったり付くのが無難ではありますが、それとて速度超過には違いないですからお勧めはできません。また、車は列になっているのに自分の車だけ突出して前を走っているのは要注意です。地元の車ほど「張りやすい場所」を知っているので、周りのペースに気を配る余裕があると取り締まりはかなりの確率で回避できるはずです。逆に、自分同様のレンタカー(「わ」・「れ」ナンバーですぐ分かります)や、明らかに内地ナンバーの車に付いて走るのは、巻き添えを食う可能性が大です。

3.内地以上に、標識を気にして運転する。
先にも述べたように、北海道の道路では点在する集落や介在するカーブ部分、見通しの利かない部分に制限速度標識や追い越し禁止標識が、スポット的に設置されている区間が多数あります。これを意識しないで走り続けると取り締まりの網にかかってしまうことがよくあるようですから要注意。特に、集落内に一定数以上の商店街が形成されていたり、幼稚園や小学校といった教育機関が立地している集落は40km制限までかけられる場所も決して少なくありません。こういう所を、周りと同様に60kmのまま通過しようとすればそれだけで20kmオーバーになってしまいます。また、意外に数が多すぎて見落としがちなのが「動物注意」。北海道の場合はその大半が「エゾシカ」マークですが、この標識が出ているところはいつ動物が飛び出してきてもおかしくないと考えておいた方がいいです。相手の大きさや接触の状況によっては車が転覆してしまうケースもあるので、たかがシカと侮れません。

4.プランニング、当日の走行スタンスは余裕を持って。
これはむしろ運転前の心得ですが、1日に欲張って長距離を走らせようとするプランは非常に危険です。寄りたいところができて時間をロスしたり、食事の時間に思いのほか手間取ったりと予定通り事が進まなくなった場合、それを取り返すのが容易でなくなります。で、心が急く余りに速度オーバーして罰金、ではちっとも面白くない旅になってしまって後味も悪くなります。私の場合、プランニングの段階で1日の移動距離の最大限界を250〜300kmで設定し、その範囲内で動くようにしています。僻地であっても得られる平均速度はせいぜい時速50〜60km、それを5〜6時間運転するのがやはり1日の限界であり、実際それに観光や食事を加えるともっと距離は短く取った方が安全です。また、途中に大都市の通過を挟む場合はもっと平均速度は落ちると見ていいでしょう。

5.余所見をしたくば、まず停車。
先にも書いたように、北海道の道路は大概幅に余裕を持って作られています。ここぞ!という景色に走行中巡り会ったなら、高速道路でなく駐停車禁止でない限り、路肩に車を寄せるなどして立ち止まることをお勧めします。また、しかるべきビューポイントには駐車場が整備されていることも少なくありません。それに様々な付帯施設が併設されているものが「道の駅」であるわけですが、こと北海道は道の駅に関して、他の地方にもまして地域性を出そうとしている様子がうかがえ、訪れてみるのも楽しいものです。こういった施設類をなるべく活用し、余裕のあるドライブプランを楽しめるのが北海道ドライブの醍醐味です。間違っても走りながら余所見、は危険すぎますからやめましょう。内地よりも速度が出ていますから、ちょっとした余所見による不注意が大事故に繋がりかねません。

相当の長文になってしまいましたが、何かの参考になれば幸いです。

[18079] 2003 年 7 月 10 日 (木) 00:53:21 今川焼 さん
 北海道三大秘湖
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[17984]uttさん
[17970][18039]三丁目さん
北海道三大秘湖のもう一つは日高南部にある豊似湖だと思います。私も秘境探訪の趣味はないのですが、昔えりも岬YHに泊まったとき、翌日なかば強引に「豊似湖ツアー」なるものに参加させられたことがありました。そのとき確かそう聞いた記憶があります。その豊似湖ですが、えりも岬から広尾方向へ海岸ぞいの国道(黄金道路)を行き、途中から山の方へ地道を上って行ったと思います。今、手もとの二十万分の一の道路地図で見ると、米粒の十分の一くらいの大きさで描かれています。(う〜ん、ハート型かなぁ)まあ湖というより山あいのため池のような雰囲気でした。しかしさすがに秘湖というだけあり観光地化されておらず自然豊かで、エゾシカ、シマリス、エゾサンショウウオ、渓流を遡上するサケ、それにヒグマの糞(冷汗)などにも遭遇しました。北海道の人には珍しくもないでしょうが、当時、鉄道に乗るばかりで阿寒湖も洞爺湖も見ずじまいという旅行をしていた私にとって、貴重な体験でした。もっともそのおかげでその日乗る予定だった富内線を乗り残すという結果にもなったのですが(汗)。
北海道三大秘湖と聞いて思い出した20年くらい前の話でした。

[19510] 2003 年 9 月 1 日 (月) 20:21:15 Issie さん
 胆振国虻田郡倶知安町
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[19488] またーり さん
後志支庁の虻田郡も旧胆振国

そうですね。「虻田郡」は“今現在も”「胆振国」に属します(←現在形)。

北海道で郡単位の所属国の異動があったのは2例だけ。
 1:1881年7月に「北見国網走郡」に統合された「釧路国網尻郡」(現美幌町・津別町)
 2:1885年に「根室国花咲郡」から分立した「色丹郡」が,1886年に「千島国」に所属変更
戦後の1948年10月に「足寄郡」が「釧路国支庁(当時)」から「十勝支庁」に所属変更となっていますが,今さら「国」の異動などは行われず,現在も「釧路国」に所属したままです。

だから,「虻田郡」に属する倶知安町は「胆振国」に属するわけで,つまりは「後志国」に属さないのです。なのに「後志支庁」とは?…と,国郡区画にこだわる向きからは疑問に思えてきそうですね。
「後志支庁」は1910年3月にに「小樽・岩内・寿都」の3支庁を統合して設置したものですが,要するに既にこの段階で「国」という区画が北海道ではあまり意味を持たなくなっていたことを示唆するように思います。
「後志」といえば,「後志国」の範囲に限定されることなく,「日本海側のあの辺り」という捉え方で十分なような気がします。

国郡区分と地域呼称のズレといえば,以前,「石狩炭田」という呼称に一瞬疑問を感じたことがあります。
石炭産業の盛んであった当時,「石狩炭田」といえばわが国の「4大炭田」の1つ(残りは,常磐・筑豊・三池,…だったかな)で,南の夕張炭田から幌内,歌志内,芦別,等々々…
ん? みんな「石狩支庁」ではなく「空知支庁」に属するではないか(本来,「支庁」の管内に「市」の区域は含まれないのですが。たとえば,「夕張市」や「岩見沢市」は「空知支庁」の管轄外です)。

でも,よく考えれば,「夕張郡」も「空知郡」も「石狩国」に属するのでした。
要するに,上川盆地も富良野盆地も含めて,石狩川とその支流の流域全体が「石狩国」(唯一の例外が,千歳川流域の「胆振国千歳郡」)。
「石狩炭田」というのは,この国名に由来する呼称なのでしょう。
でも,今さら「石狩国」という枠組みも,何だか…。
とはいっても,今や「石狩炭田」は遠に実体を失っていますから,まあ,いいのかな。

[22999] 2003 年 12 月 23 日 (火) 18:21:34 seahawk さん
 北海道へのあこがれ
ARC シリーズ・地域の地理雑学−北海道編−

[22960]なおさん
「北の国から」は僕も見ました。
純くんが98年の女性を降ったのはちょっと残念です・・・
70・80年代のが見たいです・・・
なおさんも若いですから、昔の「北の国から」はわからないですよね。
最近、富良野はもちろん、「’98 時代」での恋人シュウの故郷である上砂川や「2002 遺言」で純が住んでいた羅臼などにも行けたらいいなと思っています。いわゆる、ミーハーってやつですね。


この間、富良野近辺の歴史というものに興味があってインターネットで調べていたところ、少しおもしろいことに気がつきました。北海道の開拓の時代、そのときには現在の富良野盆地の市町村をはじめ、空知地方の滝川といった地区まで一つの自治体であったということです。
明治30年7月1日に富良野村が滝川村から分村、明治36年に上富良野村(現在の上富良野町と中富良野町)、下富良野村に分村しています。
その後下富良野村は南富良野村と分村し、南富良野村は南富良野町に、下富良野村の残りの地区は富良野町を経て富良野市になっています。
参照:上富良野町ホームページ
http://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/gaiyou/keitou.html

こうして今、平成の大合併の流れを受けて、かつて富良野村だった4つの市町村と占冠町を含めた市を合併して作ろうとしているのです。まさに、逆戻り減少が起ころうとしています。

[25993] 2004 年 3 月 10 日 (水) 01:14:07 TN さん
 コラム 夕張
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過去ログでも指摘されているが、石勝線の楓駅が12日で営業を終了する。はじめに断っておくが、私は北海道の鉄道に乗車した経験は無い。では、なぜ楓駅なのかというと、その小駅の斜め前にあるドライブインでの記憶が、営業終了の知らせと共に蘇ってきたからである。
そこは、石勝樹海ロードを占冠方面へ走行していると突然現れた。広大な駐車場である。吸い込まれるようにして入る。ところが、私が車を止めたその時、自衛隊の面々が続々と入ってきてしまった。出ようかとも思ったがそこで食事をすることにした。ここを逃すと店が当分無いような気がした。私は「バリバリラーメン」というものを注文した。自衛隊も男女問わず「おれもね」「あ、わたしも」とバリバリラーメンを注文する。彼らの風貌とバリバリの持つ語感に妙な感覚を覚えた。そして私は、迷彩服に囲まれながら、夕張のばりから命名したというとんこつラーメンをほおばった。

行くことができなかった場所のことを書いておきたい。

夕張市役所のホームページには、「北海道に数ある元・炭鉱の街の中で、最も活性化された街として注目されています」とある。確かに注目に値するだろう。でも、ひねくれ者の私が注目するのは、ダム再開発によって水位の上昇するシューパロ湖に沈む鹿島(大夕張)の町である。かつて、山の中に街があり、2万の人々が暮らしていた。地図にもしっかりと刻まれている。炭鉱の閉山後人々は去り、ダム建設計画が追い討ちをかけた。建物のあった所には草が繁茂しているらしい。夕張シューパロダムの建設によって、現在稼動している大夕張ダムも、日本でここだけという「三弦橋」も沈むという。時代は変わっているのか、そのままなのか、わからない今日この頃である。



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