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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

「いわき市」について語ろう

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記事数=20件/登録日:2003年9月20日/編集者:YSK

ひらがな市名の走りとして、また広域合併によって広大な面積と複数の中心市街地を擁する、福島県いわき市についての話題を集めました。ひがらな・カタカナ自治体名について、広域合併について、さかんに議論されている昨今ですが、その動きの先例と目される「いわき市」について理解を深めることが、重要な示唆になるのかもしれませんね。

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★推奨します★(元祖いいね) 太白 三丁目 林檎侍 北神

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[1250]2002年4月13日
たけもと
[1251]2002年4月13日
深海魚
[1254]2002年4月14日
Issie
[1258]2002年4月15日
深海魚
[1261]2002年4月15日
Issie
[2292]2002年7月22日
だいてん
[2668]2002年8月19日
だいてん
[2755]2002年8月24日
深海魚
[5840]2002年12月3日
いな
[5845]2002年12月4日
Issie
[5897]2002年12月4日
いな
[6829]2002年12月23日
YSK
[11672]2003年3月22日
白桃
[11984]2003年3月27日
蜜蜂
[13365]2003年4月17日
ken
[13556]2003年4月20日
三丁目
[13565]2003年4月20日
Issie
[17178]2003年6月22日
般若堂そんぴん
[18215]2003年7月12日
ごろごろ
[19500]2003年9月1日
ken

[1250] 2002年 4月 13日(土)21:48:16たけもと さん
駅の改名
自治体からの強い要望(+お金を出す^^;)があれば鉄道会社も動くようですね。

自治体名を含む駅名に改称した最近の例だと、初鹿野→甲斐大和、別田→春日居町、平→いわき、陸中花輪→鹿角花輪、楯岡→村山、糠ノ目→高畠、羽前向町→最上
などがありますね。
[1251] 2002年 4月 13日(土)23:35:44深海魚[雑魚] さん
駅の改称の是非
少し前だと、東都城→三股、北福岡→二戸とかも有りましたね。
最近の様に自治体の再編が進んで改称が増えて来ると、駅名が
それに追随する必要が有るのかどうか、判らなくなって来ます。
それでも矢張り、全国的な路線網を持つJRの場合、或る程度
考慮する必要は出て来て居る様で、特にいわきは、遠来からの
利用者にとって判りにくい、との声が高まった結果だそうです。
極端な例だと、小倉=北九州市、博多=福岡市と云う図式すら
判らない御仁が知己に実在しますので。まあ、当頁を閲覧する
方なら先ず問題にならない話ですが。(博多の場合は、合併時
対等性のバーターとして、市名と駅名を折半した結果とか?)

路線網が限定的な私鉄の場合は、この限りではありませんね。
JR大阪駅周辺の私鉄駅が「梅田」を名乗るのはその象徴か。
[1254] 2002年 4月 14日(日)11:11:24Issie さん
Re:駅の改称の是非
私の考えはむしろ逆。
北九州市のようにはっきりした個性を持った都市が合体したようなところでは「北九州駅」と言われてどこへ行くのか不安になってしまう。そこは「門司」なのか,「八幡」なのか,「戸畑」なのか。もっとも,新幹線の駅は「小倉」にしかないけれど。

「いわき」の場合,合併前に「磐城市」を名乗っていたのは小名浜でしたね。幸い,小名浜には常磐線の駅がなかったのですが,合併後40年が経過して「磐城市」の記憶が薄れたことと,平の地位がゆるぎないものになって初めて可能になったのでしょう。
でも,私は「平」を残してほしかった。

実は,習志野市の場合,埋立地に新設された京葉線の駅は「新習志野」と言うのです。“習志野”と思って下車した人は面食らうことでしょう。“本来の習志野”へ行くためには一旦バスで津田沼駅へ出て,そこからまたバスか新京成を利用しなければならない。
「尻内」にある「八戸駅」,「麻里布」にある「岩国駅」,「上井(あげい)」にある「倉吉駅」…
今,そういう名前になっている駅には,それぞれの事情があるのですよね。でも,これが旅行者にとってわかりいいかどうかは状況により答えが分かれるように思います。
町そのものが「北見」になってしまった「野付牛」なら,わかりやすいけど。

下の発言の通り,私は地名や駅名は“歴史的な産物”だと思っています。だから,安易な改称はしてほしくない。
ただ,決して変えるなとは言いません。改称された,というのも「歴史の積み重ね」の1つです。
でも,最近のように地域の実情を考慮したものかどうか甚だ怪しい,ただの数合わせのように思えてしかたのない無節操な合併構想が横行して,毎回がっかりさせられるような新自治体名が乱造されているとき,せめて駅名には元の地名を残しておいてほしいと思います(たとえ,それが「明治の大合併」の時の“粗末な地名”であっても)。

そして何より,自治体名にせよ,駅名にせよ,その地名に毎日向き合っていやでも使用していかなければならないのは地元の住民ですから,せめてその住民の納得のいくものであってほしい,と切に思います。
[1258] 2002年 4月 15日(月)16:06:21深海魚[雑魚] さん
>>1254
駅名や地名を、歴史的経緯や文化的側面から考えるなら、貴兄の
仰せの通りです。今後、自治体の再編が更に進み、新興住宅地や
学校名に於ける「○○ヶ丘」「○○台」の様に、当世風なれども
妙に画一化されては無粋の極みですし。

一方、いわき駅に限って申し上げますと、あれだけの広域都市の
中心駅名と自治体名が異なって居た事に付いては、比較的近所の
出身である私自身の感覚は素より、いわき市近郊の知己にしても
或る種の違和感は否めなかった様です。在京当時、いわき市にて
開かれた学会に出席する畿内出身の同僚が「いわき市とは何線の
何駅で下車すれば良いのか?」等と戸惑って居ましたが、幹線の
特急多数が折り返す様な要衝の場合、そうした点を考慮した方が
良いのではないか、との一例かと存じます。勿論、最終的には、
地元住民多数の方々の理解が得られなければなりませんが。

市名の「いわき」が平仮名表記であるのは、小名浜地区に有った
旧磐城市との混同回避の他、聖徳太子が制定した17条憲法宜しく
「以和貴」の語呂合わせも在るそうですね。因みに市内の複数の
伝統的高校が旧制時代から「磐城」を名乗って居た点からしても
磐城地方(=浜通り地区?)の中心たる自負は強かった様ですね。
但し廃藩置県直後の県名は「磐前」だそうですが、その意味は?

いわき序でに福島県に関する疑問を挙げますと、福島ナンバーと
いわきナンバーの領域が良く判りません。単に浜通りと中通りの
区分ではなさそうです。其れと、不人気とされる旧岩代国の範囲。
二本松近郊に有る岩代町の存在や、磐梯熱海の旧称「岩代熱海」
廃止された「岩代川俣」等の駅名に鑑み、中通りと会津に跨って
居た模様ですが。
[1261] 2002年 4月 15日(月)21:37:54Issie さん
岩代国
「習篠原」とか「以和貴市」なんていうオヤヂギャクそのものの,デキの悪い語呂合わせは私自身は穴に入りたいくらい恥ずかしくて大嫌いなのですが,名づけた人は真剣なのだろうから(その伝説が本当なら)それ以上は言いますまい。

さて,「岩代国」。
これそのものは,1868年にそれまでの「陸奥国」が分割されて 磐城・陸前・陸中・(新)陸奥 とともに新設された区画ですね。同時に旧出羽国が 羽前・羽後 に分割されています。
「岩代」と「磐城」の領域は,設置直後にお互いの入れ替えがあるようですが,最終的には
【岩代国】
岩瀬・安積・安達・信夫・伊達・会津(分割→北会津・南会津)・大沼・河沼・耶麻
【磐城国】
西白河・東白川・石川・田村・菊多・磐前(いわさき)・磐城(以上3郡合併で石城[いわき])・楢葉・標葉(しねは:以上2郡合併で双葉)・行方(なめがた)・宇多(以上2郡合併で相馬)・亘理・伊具・刈田(かった)
の各郡となっています。
「中通り」は見事に「岩代」と「磐城」に分断されていますね。

「浜通り」「中通り」という地域呼称がいつ成立したか私はわからないのですが,戦国末期から江戸時代を通じて「海道筋(古代東海道の延長,勿来関の先)」・「仙道筋(古代東山道の延長,白河関の先)」という呼称があったようですから,独立性の強い「会津」と一緒に,奥州南部を3つの地域に区分する方法は割と古くからあったのでしょう。

「岩代国」「磐城国」そのものは明治初めに新設されたといいつつ,そのルーツは奈良時代に短期間,「陸奥国」から分離して設置された「石背(いはせ)」「石城(いはき)」にあります。それぞれの領域を当時の郡で示すと
【石背国】
白河(→西白河・東白川・石川)・石背(→岩瀬)・安積(→安積・安達・田村)・信夫(→信夫・伊達)・会津(→会津・大沼・河沼・耶麻)
【石城国】
石城(→磐前・磐城・楢葉)・標葉・行方・宇多・亘理,および常陸国から菊多
ということになります。
白河/白川(表記が2つあるのは“東”白川郡が一時別の名前で呼ばれていたことがあるせいのようです)郡や田村郡など,奈良時代と明治とで領域に微妙な違いがありますね。

「いはき」の方は陸奥への再統合後も「磐城郡」として残って,近世にも「磐城平(藩)」のような形で使われてそれなりに定着しているのですが,「いはせ(いはしろ)」の方はどうでしょう。同じく「岩瀬郡」という郡名は残されたけど,「磐城」に比べるとマイナーな感じは否めません。
明治になって「岩代」が使われているのも,国鉄の駅名や郵便局名などと主に官庁系の機関での同名回避のための使用,という感じが強い気がしますね。「岩代町」というのも合併自治体にありがちな“無難な命名”という感じで。
地元にはどれくらい定着しているのでしょう。
[2292] 2002年 7月 22日(月)16:09:16だいてん さん
お久しぶりです
我が家のパソコンが天寿を全うしまして、しばらくぶりの書き込みです。

>[2270]
私の知人が住んでいる東京18区では22区との交換があります。
人口格差を縮めるため、18区の三鷹市と22区の府中市が入れ替わります。
確かにこれで22区は格差2倍以下になるのですが、いかにもおかしな形になります。
新22区内の府中市と稲城市など、地理的なつながりはないかと思います。
でも、これは小選挙区である限り続くことなんでしょうね。
私の地元は新区割りで人口最大=1票が最も軽い選挙区になってしまいましたが、15万~20万程度の都市が乱立しているこの地域では、さぞ区割りも難しかろうと思います。

>[2285][2290]
あとはむつ市、和泉市、摂津市、長門市といったところでしょうか。
まあこれは雑学のページにもあることですね。

>[2291]
むつ市、いわき市、ひたちなか市、さぬき市、えびの市は常用漢字に配慮したということで説明できますね(つくば市も常用の読みではないのかな?)。
さいたま市は「彩の国さいたま」という意味をこめたかったとか、行田市からの反対とか、理由がいろいろあるようです。
では、あきる野市はなぜなんでしょう?
秋留台地という地名は以前からあったようですし、東秋留なんて駅名もあります。
どなたかご存知の方、いらっしゃいますか?

という書き込みを書いている最中にも、市りとりを考える私・・・
38市を超えられません。

最後にオーナーグリグリ様、遅くなりましたが色指定ありがとうございました。
結構予想外の色だったのでおもしろいです。
[2668] 2002年 8月 19日(月)23:32:24だいてん さん
ひらがな市と合併自治体間の対立との関係
[2657]
>この記事の中に
>「ひらがな市」の誕生が相次いでいるのも、
>合併自治体間の対立を避けようとする試みの結果だ。
>とありますが、さいたま市以外は本当にそうなんでしょうか?

>ひらがな市と合併自治体間の対立を避けようとすることとは
>関係あるんでしょうか?

いわき市なんかはそうでしょうね。
合併自治体の中に「磐城市」という市がありました。
もし合併後も「磐城市」としてしまうと、他の自治体が磐城市に吸収されてしまうように感じてしまいますからね。
まあその他の理由として、「以和貴」という意味が含まれていたなんてのは何度もここで紹介されていることですね。

ところで・・・「さいたま市以外は」とありますが、さいたま市が合併自治体間の対立によってひらがなになったかというと、ちょっと違うと思います。
さいたま市が「埼玉市」にならなかったのは、「彩の国さいたま」→「彩玉市」という意味を含めたかったというのと、埼玉という地名発祥の地を主張する行田市から埼玉の名称を使わないよう要請があったからです。
まあ、旧大宮市が新市名に「大宮市」を主張したことを考えれば、合併自治体間に対立があったのは確かですけどね。
[2755] 2002年 8月 24日(土)15:54:20深海魚[雑魚] さん
大分といわき
[2754]
郡山市や福島市を擁する阿武隈川流域の中通地区と、いわき市を擁する沿岸部の浜通地区は、
面的に展開の大きい阿武隈山地が横たわり、磐越道が開通する数年前までは、要路といえば
精々国道49号線程度という具合に隔たりが大きかった為、両地区が相互補完的に都市機能を
分担していたという印象は薄いですね。

私が述べた感覚を福島県の地勢に求めるなら、やはり広域合併の典型例とされるいわき市の
内部という事になりますか。何しろ合併前は、市だけでも平、内郷、磐城 (小名浜地区)、
常磐 (湯本地区)、勿来と分布しましたから。(うろ覚えなので違っていたら済みません。)

どの様に機能分化していたかといえば、多分に複合的で一概には言えないと思うのですが、
極めて大雑把に見ると、平が城下町、磐城が漁港改め産業港&工場地帯の港湾都市、常磐が
温泉街、勿来と内郷が鉱業の街、という事になるのかな。 (それにしても内郷は、独立した
市だったのに、停車パターンが細分化している常磐線特急が全く停車せず、妙な感じです。)

日豊線の杵築から幸崎までを大分市の近郊圏と考えると、城下町にして行政の中心の大分、
工業地帯の鶴崎、温泉街の別府という感じですかね。更に久大、豊肥の両沿線は、地形上、
宅地開発が難しい日豊線沿線に代わる地域、と考えているけど、どんなものでしょうか?

幸崎以南で険しい海岸線を行く日豊線に対して、国道10号線が内陸部を迂回しているのは、
偏に地形の為と思われますが、その結果、国道の要衝となった犬飼町が、大分市南部域で
一定の求心力を持つ町かと思ったら、あの辺で商業集積度が高いのは三重町だそうですね。
そういえば、豊肥線急行が特急に昇格した際、犬飼は通過扱いに変更されましたっけ。
[5840] 2002年 12月 3日(火)22:02:51いな さん
ありますよ~
[5830] ken さん
>他の旧国名利用地名では、ちょっと考えられない現象だと思うのですが、
>あまり疑問に思う人はいないようですね。

これが、あったんですね~~。
豆州(伊豆の国)の東に、伊東市が・・・

なお・・・周南は、
1962年の工業整備特別地区整備促進法時点ですでに使われています。
 ・鹿島(茨城) ・東駿河湾(静岡) ・東三河(愛知)
 ・播磨(兵庫) ・備後(広島・岡山) ・周南(山口)
この時の名称って、鹿島以外は旧国名ばっかりじゃん。
広域表現をしようとすると、結局のところ旧国名に頼ってしまうんですかねえ・・・

このとき同時に新産業都市が制定されたが、その名称は
 ・道央(北海道) ・八戸(青森) ・仙台(宮城) ・秋田湾(秋田) ・常磐(福島)
 ・新潟(新潟) ・松本諏訪(長野) ・富山高岡(富山) ・中海(鳥取・島根)
 ・岡山県南(岡山) ・徳島(徳島) ・東予(愛媛) ・大分(大分)
 ・日向延岡(宮崎) ・不知火有明大牟田 (熊本・福岡)
こっちほうは、そうでも(旧国名)ないんじゃん。 <だから?こっちのほうが狭い?
(常磐は、五市合併前ですからこの名前なんですね・・・<狭いなあ)

こうやってみると、今回の平成の大合併ではすべての地域で広域化していくわけだから
旧国名・郡名が今以上に多く使われるようになるかも知れないですね・・・
(消滅した郡名まで再浮上の可能性だって・・・<碧海市)
[5845] 2002年 12月 4日(水)00:04:34Issie さん
常磐炭田
[5840] いな さん
>(常磐は、五市合併前ですからこの名前なんですね・・・<狭いなあ)

これは「常磐市」というより,「常磐炭田」に由来するのではないのかな。
「石狩炭田」「常磐炭田」「筑豊炭田」…。私たちはまだ,小学校の社会科の時間に教わりました。
“炭田”の方ならば,福島県の石城(いわき)地方だけでなく,茨城県の多賀地方北部まで含む広域地名ですね。

>豆州(伊豆の国)の東に、伊東市が・・・

地名としては現在残っていないのですが,
房州(安房)の「安西」「安東」というのも,このパターンですね。
ただしこの名字(地名)には安房の荘園名由来のもののほかに,駿河の「安倍郡」由来のものとか,奥羽の「安倍氏」由来のものもありますが。

「両毛」と言った場合には,上(毛)野・下(毛)野両国にまたがる地域(どうも,上野・下野“全域”というイメージはないですね)をさすわけですが,「東毛」「北毛」などという言い方をするの,もっぱら「上野」の方だけですね。
つまり,「上州」という言い方とは別に「毛」も使われる。
そういえば,「野州」「東野(とうや)鉄道」のように「野」を使うのは,もっぱら「下野」の方でした。
[5897] 2002年 12月 4日(水)22:08:51いな さん
常磐は超広域名でした・・・
[5845] Issie さん
>これは「常磐市」というより,「常磐炭田」に由来するのではないのかな。
その時期(1962)だったらすでに石炭産業は先が見えていて、いまでいうバックアップとしての意味での
跡地活用のための指定でしょうかねえ。

新産業都市・常磐地区(当時の構成)
 平市、常磐市、磐城市、内郷市、勿来市、郡山市、須賀川市、
 石城郡 遠野町・四倉町・小川町・田人村・好間村・川前村・三和村、
 双葉郡 久ノ浜町・大久村
 安積郡 安積町・富久山町・日和田町・熱海町・三穂田村・逢瀬村・片平村・喜久田村・湖南村、
 安達郡 本宮町・大玉村・白沢村、
 岩瀬郡 鏡石町
 田村郡 三春町・田村町・小野町・滝根町・大越町・常葉町・船引町・西田村・中田村・都路村、
 石川郡 石川町・浅川町・玉川村・大東村・平田村
 東白川郡 古殿町
となっていましたから、常磐炭田あるいはそれ以上の範囲なのでしょうか?

狭いと言ったのは間違いでありました。今となっては広く感じないという主旨での発言でありました。
いわき市の1/5構成の常磐市と受け取ったからなんですね。
常磐とは、常陸と磐城の合成の広大な地域のことだったのに・・・大きな勘違いをしておりました。
訂正します。

なお、この新産業都市と工業整備特別地域の財政上の特別措置は、昨年3月末で法案廃止になっています。
[6829] 2002年 12月 23日(月)00:38:05【2】YSK さん
合併により消滅した市のその後
[6405]TNさん
>合併により消滅した市のその後が興味あります。北海道函館市と昭和48年に合併した
>旧亀田市は一体的な市街を形成しているのでそれほどでもないのですが、例えば、長野
>県篠ノ井市、茨城県那珂湊市、岡山県西大寺市、広島県松永市、大分県鶴崎市、鹿児島
>県谷山市などの人々はその後後悔していないのでしょうか・・・。
そうですね。亀田市や松永市、谷山市については、皆さんからレスがあったようですし、私も行ったことがないのでレスをすることはできませんが、もし合併によってこれら消滅した中心市街地への資本投下が減少するなどして中心市街地の活力がなくなったり、地元のまちづくりについての意見が市当局に反映させにくくなったりするといったことがあれば、これらの市の住民にとっては何のための合併だったのか、といった問題にもなりかねませんね。

私が生活した地域の中で、この「合併により消滅した市」にあたる地域が旧泉市(宮城県、現在の仙台市泉区)ですね。ここの場合、仙台都市圏の拡大に伴い人口が急増する中で、無秩序な都市化が進行しつつありましたが、市独自に団地の造成要項を設けて市街地化をうまくコントロールしてきたという実績がありました。また、公共料金や行政サービスについても、仙台市より優れていたものも多かったこと、もともと水系を異にし一体的な地域という土壌はうすかったこと、などから仙台市との合併に対しては、かなりの反対意見があったと聞きます。
合併後の泉区では、そのような地域感情に配慮し、さまざまな都市基盤強化策が実行に移されました。仙台市営地下鉄南北線の開業(87年の当初の開業時は1つ南の八乙女駅までの営業でしたが、92年に泉中央まで延伸された)、同地下鉄泉中央駅付近の再開発、仙台スタジアムの建設などです。私が仙台にいた93年から99年までの間に、泉中央地区はめざましく成長し、現在では仙台市北部の副都心的な色彩すら感じさせる地域へと成長しています。
その一方で、旧仙台市内の若林区などでは、相対的に資本投下が停滞し、被編入地域への過大な資本投下に対し、羨望と批判とが渦巻いたとも聞いています。

>私の場合どうしても中心市街地に興味が湧くのですが、もちろん郊外地域はそれとは違
>う問題があるのは承知してますし合併の経緯にそれなりの事情があったことも想像でき
>ますが、魅力ある自治体を造るうえではどうしても中心地に資本投下を集中させなくて
>はなりませんので、広域化して多極になった場合特にこれらの8対2的な市街地はその
>魅力を殺されてしまったのではないかと余計な心配をしております。
手許に、市町村合併とその後の都市地域構造とを分析した文献 片柳勉(2002)『市町村合併と都市地域構造』古今書院 がありますので、そこでのケーススタディから、いくつかの地域の事例について簡単にご紹介します(相対的に規模の大きい自治体に編入された旧市の事例ではありませんが)。

(1)富士市(旧富士市、旧吉原市、旧鷹岡町の合体により発足)のケース
合併の際に、新市の名称や新庁舎の位置等で旧富士市と旧吉原市とで確執があった。新市の新しい中心市街として、富士地区と吉原地区との中間の地域が区画整理され、新市庁舎をはじめとした多くの施設が立地した。そのため、旧富士市、旧吉原市それぞれの既成市街地の中心性は相対的に小さくなった。

(2)上越市(旧高田市、旧直江津市の合体)のケース
高田と直江津の既成市街地に引き続き資本投下が行われるとともに、両市街地の間の春日山駅周辺地区と関川東部地区(上越IC付近)とが優位的に資本投下を受けて(市庁舎もここに立地)発展し、都市構造は結果として分散化した。高田市街地の南部地域などは、相対的に資本投下が少なく、不公平感を生む結果ともなる。

(3)いわき市(旧平市、旧常磐市、旧磐城市、旧内郷市、旧勿来市を中心とした広域合併)のケース
新産業都市の指定を受けて都市基盤の強化が行われた(主に住宅地と工業用地の拡大)が、官公署等の行政・文化の拠点となる施設は主に平地区に配置されて拠点化する一方で、小名浜地区や常磐地区等では観光機能を強化する施設配置がみられた(小名浜地区には、一部港湾関係の官公署も立地)。その結果、対等合併であったものの、その後の施設配置は、平地区の拠点性を強化させる方向であった。

※その他、いくつかの中心地が対等合併することによって市制を敷いた事例として佐久市と南陽市が分析されています。佐久市は、岩村田、中込、野沢という中心地に、中込と岩村田との間に新たに中心地が形成されて市街地の多極化が進み、一方の南陽市では既存市街地である赤湯と宮内(もともとの東置賜郡の中心地)との間に市庁舎が建設され両市街地の一体化が企図されたが、赤湯地区が中心地区としての拠点性を高める中で人口の停滞などから新市街地の形成もうまく立ち行かず、宮内と赤湯との較差が広がりつつある、とのことでした。
[11672] 2003年 3月 22日(土)23:31:19【2】白桃 さん
昭和の大合併で生まれた市について(1.北海道/東北)
 いわゆる昭和の大合併時(1950~1955)に市制をしいた市の数は243です(沖縄の真和志市を含む)。これらの中には単独で市制施行した市もありますが、多くは周辺部を合併して成立したもので、1950年までに市制を行っている都市よりグレードの低いところがほとんどです。このような市の人口変動を探ることは、平成の大合併により成立する市の行く末を展望するうえで大きなヒントになるような気がします。なお、1950年の町村名は市の中核となった自治体であり、市を構成する旧自治体の中で必ずしも人口が1番多いところではありません。

1950年人口合併詳細1955年人口編入等2000年
芦別町58547単独芦別市6809121026
赤平町50371単独赤平市5365615753
内郷町37082単独内郷市40017いわき市
江別町31647単独江別市35185123877
湯本町283631町1村常磐市42631いわき市
横手町269881町4村横手市42736金沢町40521
小名浜町266083町1村磐城市54843いわき市
須賀川町250951町5村須賀川市47836大東村66747
大館町234442町6村大館市55790花矢町66293
紋別町230461町2村紋別市3738828476
花巻町223881町6村花巻市6172872995
気仙沼町213132町4村気仙沼市5371561452
中村町209201町7村相馬市4286438842
士別町208801町3村士別市3919123065
三本木町203521町3村三本木市42827十和田市に改称63363
本荘町191431町6村本荘市3912845724
水沢町189241町5村水沢市4363760990
白石町177921町6村白石市41817小原村40793
喜多方町177671町7村喜多方市4369237495
古川町 176681町9村古川市 5476072897
湯沢町174652町5村湯沢市4159634963
原町174041町3村原町市32161石神村48750
船川港町168653町4村男鹿市4856330469
勿来町168393町2村勿来市50187いわき市
上山町162221町5村上山市36941山元村36886
黒沢尻町160141町6村北上市42088和賀町、江釣子村91501
大曲町153252町5村大曲市4111939615
寒河江町149802町5村寒河江市4141443379
長井町134401町5村長井市3653531987
五所川原町123931町6村五所川原市37785七和村49193
黒石町106911町4村黒石市3945239059
楯岡町106821町7村村山市4085829586
久慈町103152町5村久慈市3588236796
遠野町 96671町7村遠野市3708827681
大船渡町 80082町5村大船渡市3371536570
高田町 64613町5村陸前高田市3283325676
 今回は北海道/東北地方の36市です。今回は合併せずとも単独で市制施行可能な人口を擁した北海道及び常磐の都市が含まれているのではっきりしたことは申せません。が、男鹿市や陸前高田市のように3町が合体(または編入)して成立した市はその後大幅な人口減になっております。要するに、中心地が分散している(どんぐりの背比べ状態)ところは、市全体からみるとあまり具合の良いものではない、というのが白桃の仮説です。
[11984] 2003年 3月 27日(木)23:57:15蜜蜂 さん
参加市町村数の大きい合併
[11757] KN さん
新潟市の合併について(中略)合併の歴史にもない大きな編入合併かとは思ったんですけど、どうでしょうか?

対等合併であれば、いわき市の14市町村の合併(5市4町5村)というのがありました。
過去に14市町村以上の合併はないのでしょうか?

編入合併で、新潟市で検討中の12市町村(4市4町4村)が最大多数となるかは、弘前市・浜松市・津島市次第ではないでしょうか、何れもまだ予定ですけど。

【主な大型合併候補(10市町村以上参加)】(グリグリさんの市町村合併情報から)
主な先(県名)参加数(市,町,村)合併後人口合併後面積合併方式
浜松市静岡14(4,9,1)855,8071,579.72未定
弘前市青森14(2,7,5)344,3301,729.80未定
津島市愛知13(1,8,4)327,232208.26未定
新潟市新潟12(4,4,4)771,988613.81編入
今治市愛媛12(1,9,2)178,948419.56新設
沼津市,三島市静岡11(4,6,1)624,332870.00未定
高崎市群馬11(3,7,1)525,911889.20未定
豊中市,高槻市大阪10(7,3,0)1,736,165488.97未定
飯塚市福岡10(2,8,0)197,927369.38未定
上越市新潟10(1,3,6)173,200756.01編入
長浜市滋賀10(1,9,0)134,282557.52未定
牛渡市(新名:天草市)熊本10(2,8,0)100,867682.82新設
高山市岐阜10(1,2,7)97,3382,179.35編入
両津市(新名:佐渡市)新潟10(1,7,2)70,674854.88新設

弘前、浜松、高山の面積広い・・・・・(新)静岡市(1,373.85㎡)のトップも長くなさそう。
けど、浜松市は面積まで静岡市に負けたくないのか、凄い価値観だ・・・・
[13365] 2003年 4月 17日(木)23:18:10ken さん
RE:ひたちなか市
[13344]売れ残りのねぎ さん
自分色の登録をしました。
おめでとうございます。よろしくお願いします。
前はなんていう名前の町、もしくは村だったのですか?
既に[13345]special-week さんがお答えいただいてますが、このような疑問があるときは、Issieさんのホームページの市町村変遷のコーナーを訪問されると良いですよ。
茨城県はもう出来てます。眺めているだけでも楽しいです。

ひたちなか市は、常陸が、まあ普通の字としては「難読」だったのと、那珂を漢字にすると、勝田・那珂湊の両市の「那珂湊」側の色合いが濃くなるのを、ひらがなにすることでぼやかした結果ではないでしょうか。

平市、内郷市、常磐市、勿来市、磐城市、遠野町、小川町、四倉町、田人村、好間村、三和村、川前村、久之浜村、大久村が合併した福島県の「いわき市」も磐城市があったにも関わらず、いわきの名を生かしつつ、なおかつ磐城市とは別物というニュアンスをということで、ひらがな市が誕生しましたから、ちょっと似てますね。

しかし、面白いというか、当然なのかもしれませんが、「磐城市」で、検索をかけると、旧磐城市ではなく、現「いわき市」のことを語った中国語のサイトが沢山掛かります。
中国では磐城市と表記しているのでしょうか。
以前、南アルプス市の中国語表記が話題になりましたが、ひたちなか市やあきる野市は、どうなんでしょうね。

雑魚さんがどう思われているか、不明ですが、私は勝田市は当時既に水戸市と市街地が連続してましたし、那珂湊市、勝田市とも、一気に水戸市と合併して、宇都宮と肩を並べる40万都市になっても良かったかな、と思ってます。
[13556] 2003年 4月 20日(日)18:52:26【2】三丁目 さん
JR東日本殿、ごめんなさい。陳謝いたします。
拙稿[12833]にて、「楯岡駅が改称されたのは、JR東日本からの働きかけだったという話を耳にしました。真偽のほどはわかりませんが。」と書きましたけれども、それは誤りだったようです。

その件に関連して、平駅が、いわき駅へ改称したケースを調べていたのですが(楯岡駅が、山形新幹線延伸に伴う改称と同事例として、どのようなタイミングで改称したのか?)、平成7年に福島国体が開催されるのにあたり、「JR線活性化推進協議会」から、いわき市をアピールしたいとの要望があったため、JR東日本は平成6年12月3日に改称したとのことです。念のため、JR東日本広報部にお聞きしたら「駅名の改称は、地元からの要望がない限り、行いません。」との回答を頂きました。
謹んで、お詫び申し上げます、JR東日本殿。

それで、せっかくいろいろと調べて用意していたものですから、ただではコロバナイ三丁目としましては、いわき市のデータだけ、淡々と、ご紹介したくなりました。タイプするのも疲れましたが、これだけの経緯があって、よくぞ大合併に至ったものだと感心しました。現在の広域合併(平成の大合併)の、まさにお手本ですよね。全国から視察は来ているのでしょうか??

平市を除いて、1950年代の合併に限定してご紹介することにしましたが、それだけでもたいした量です。古地図があると、楽しめるのですけれども、現在の地域名を見るだけでも、十分面白いかもしれません。いわき市になる直前は、下記の5市4町5村です。最初は全部「旧」を付けたのですが、あまりにうるさくなってしまったので、駅名紹介の方にだけ、残しました。

平市(1937年市制施行:平町と平窪村が合併)
   1950年に飯野村・神谷村と合併
   1954年に夏井村・高久村・草野村・豊間町と合併
  1957年に赤井村の一部(大字赤井)と合併
内郷市(1954年市制施行:内郷町が単独で移行)
  1955年に箕輪村の一部(大字高野)と合併
常磐市(1954年市制施行:湯本町と岩崎村が合併
  その前段として、1954年の市制施行2日前に湯本町と鹿島村の3部落が合併
磐城市(1954年市制施行:江名町、泉町、渡辺村、小名浜町が合併)
  その前段として、1953年に鹿島村と小名浜町が合併、半年後に鹿島村の3部落が分離し湯本町と合併
勿来市(1955年市制施行:植田町、錦町、勿来町、川部村、山田町が合併)
石城郡遠野町(1955年町制施行:上遠野村と入遠野村が合併)
石城郡小川町(1955年町制施行:赤井村の一部と上小川村、下小川村が合併)
石城郡四倉町(1955年町制施行:大野村、大浦村、四倉町が合併)
石城郡好間村(1955年に箕輪村の一部と好間村が合併)
石城郡三和村(1955年に永戸村、沢渡村、三阪村が合併)
石城郡田人村、川前村
双葉郡久之浜町、大久村

それで、もともとは駅名を調べていたので、こちらもご紹介しますと、
常磐線
勿来駅(旧勿来町~旧勿来市~いわき市)
植田駅(旧植田町~旧勿来市~いわき市)
泉駅(旧泉町~旧磐城市~いわき市)
湯本駅(旧湯本町~旧磐城市~いわき市)
内郷駅(旧内郷町~旧内郷市~いわき市)
いわき駅(旧平駅:旧平町~旧平市~いわき市)
草野駅(旧草野町~旧平市~いわき市)
四ツ倉駅(旧四倉町~いわき市)
久ノ浜駅(旧久之浜町~いわき市)
末続駅(旧末続村~旧久之浜村~旧久之浜町~いわき市)

磐越東線
赤井駅(旧赤井村~旧平市・旧小川町~いわき市)
小川郷駅(旧上小川村・旧下小川村~旧小川町~いわき市)
江田駅(もともとの字名~いわき市)
川前駅(旧川前村~いわき市)

ちなみに、いわき市未来づくりセンター(電話0246-22-7408)というところが「いわき市内地域別データファイル2002」(572円プラス税)を発行しており、こちらに詳しく載っています。

本来、引用は前段に持ってくるべきではと思ったのですが、構成上、コメントを最後にしたかったものですから、失礼ながら。

[1254]Issie さん
「いわき」の場合,合併前に「磐城市」を名乗っていたのは小名浜でしたね。幸い,小名浜には常磐線の駅がなかったのですが,合併後40年が経過して「磐城市」の記憶が薄れたことと,平の地位がゆるぎないものになって初めて可能になったのでしょう。
でも,私は「平」を残してほしかった。

[6829]YSKさん
(3)いわき市(旧平市、旧常磐市、旧磐城市、旧内郷市、旧勿来市を中心とした広域合併)のケース
新産業都市の指定を受けて都市基盤の強化が行われた(主に住宅地と工業用地の拡大)が、官公署等の行政・文化の拠点となる施設は主に平地区に配置されて拠点化する一方で、小名浜地区や常磐地区等では観光機能を強化する施設配置がみられた(小名浜地区には、一部港湾関係の官公署も立地)。その結果、対等合併であったものの、その後の施設配置は、平地区の拠点性を強化させる方向であった。

[11984]蜜蜂 さん
対等合併であれば、いわき市の14市町村の合併(5市4町5村)というのがありました。

[13365]ken さん
平市、内郷市、常磐市、勿来市、磐城市、遠野町、小川町、四倉町、田人村、好間村、三和村、川前村、久之浜村、大久村が合併した福島県の「いわき市」も磐城市があったにも関わらず、いわきの名を生かしつつ、なおかつ磐城市とは別物というニュアンスをということで、ひらがな市が誕生しましたから、ちょっと似てますね。

はぁ。。。いわき市のように注目されている市は、皆さんいろいろ書きこまれているのですねぇ。過去ログを調べたらずいぶんと多かったので、私のようなものが立ち入るジャンルじゃなかった、と後から反省しました。最初は「平も無念、なのかな?」で、原稿を用意し始めたのですが、トーンをだいぶ変えました。Issieさんも、残念がっておられますし、ね。

平は、私が調べた限りでは「平藩」(ということは、地名としては、それより相当以前に遡ることができるはずですが)、あるいは勿来の関など、いろいろありましたけれど、ご興味を持たれた方は、ご自身でお調べくださいませ。なにせ、平藩だけでも、たいへんだったので、私は途中で、やめてしまいました。内郷市も、常磐炭田の中心地だった、等いろいろ見つかりますよ。

本当は、いわき市の話題が出た直後に書き込もうと思って、急遽、調査スピードを上げて(もうひとつ用意していたものよりもこちらを優先して)、職場から自宅に送っておいた原稿なのですが、私事「不」都合により、本日の書き込みとなりました。しかし、「いわき市」だけで、一つのアーカイブができそうなくらい、皆さん、たくさん言及されているのですねぇ。

ネット検索を、最初は平市で行っていたのですが、赤「平市」と小「平市」にやたらと多く引っかかったため、磐城市、常磐市、内郷市、勿来市での検索に切り替えました。

最後になりましたが、Issieさん。貴兄のHPで、地理>市一覧表>福島県の「いわき市」合併前の市町村のうち、久之浜が「村」になってますよぉ。あれ?蜜蜂さんがおっしゃられたように5市4町5村の合併だったのですが、kenさんも久之浜村と記述されてますね?少なくとも、合併直前は「町」だったはずですが。資料を職場に置いてきてしまったため、今、手元では確認できないのですけれども。合併直前の町制施行だったのかな?
[13565] 2003年 4月 20日(日)20:19:36Issie さん
国公立の短期大学
[13558] special-week さん
国立短期大学(もしくは短期大学部)は全国に2つしかありません。

そうではなくて,最近になって多くが大学(または大学の学部)に“昇格”したものだと思います。
私の記憶では,20年ほど前の長野県には「国立の短期大学部」が存在していました。…と思って確認してみたら,今もありますよ…。

ついでに
[13556] 三丁目 さん
久之浜が「村」になってますよぉ。

ああ,これは [13563] 紅葉橋瑤知朗 さん の書き込みにあるように,単純な間違いですね。
直しときましょ。
[17178] 2003年 6月 22日(日)19:34:31般若堂そんぴん さん
合併により交通の便が悪くなる話
[17167]地球人さん
現在は市と町を繋ぐ航路については、県から赤字の半分の補助があるのですが、合併してしまうと、自治体内の航路となることで、県の補助がなくなります。
バスでも似た例があるらしいですね.以前は長距離路線に対して補助があったのに,同一市町村内の路線に対しては補助が無くなってしまったため,路線を廃止せざるを得なくなった……いわき市における例として昨年だったか(記憶が曖昧ですみません)報道されていました.医療機関に通う高齢者などが困っているそうです.
合併促進によって同様の例が増えることは確実ですね.平成の「改革」とはこんなものなのでしょうか……
[18215] 2003年 7月 12日(土)17:02:14【1】ごろごろ さん
新市名
[18186]雑魚さん
いわき市の場合は、合併前の小名浜地区が磐城市を名乗っており、憲法十七条よろしく 「以和貴/いわき」 という語呂をも勘案した結果だそうです。
当時、磐城市を名乗っていた小名浜地区は市名より小名浜という中心集落の地名のほうが知名度が高いと思います。合併時、吸収合併というイメージととらわれない様に考慮してひらがなにしたという経緯もありますが、現在では小名浜地区が磐城市を名乗っていたということも薄れてきたような気がします。

諏訪地区の合併でも諏訪市と名乗っている市があるので、ひらがなのすわ市という市名で吸収合併というイメージをとらわれないようにするということで、すわ市も候補に入れたと思いますが、中心集落も上諏訪ですし、何年か後にはここが諏訪市を名乗っていたというイメージも薄くなっていくと思われます。よって諏訪地区の新市名は諏訪市を推したいです。

広域地域と同じ市名、郡名と同名の町村名は中心集落と市名が異なる場合が多いのでわざわざひらがな名称などにする必要性はないと思います。

[18202] はやいち@大内裏さん
「西彼杵市」と「西海市」に『西そのぎ市』を加えた3案から
次回協議会か、それ以降に決定されます。
個人的には西海市が良いと思いますが、郡名から西彼杵市になるかも知れません。西海市か西彼杵市で決まりかと思っていたら、一回候補から外れた西そのぎ市が再び新市名候補に挙がりました。これも同様にわざわざひらがなにする必要性はないと思います。確かに難読地名ですが、ひらがなだと地名のイメージが浮かんでこないですし、広い目で見れば難読地名は沢山あるので西彼杵と西そのぎなら西彼杵を推します。

[18154]はやいち@大内裏さん
岐阜県下呂市 です。
この3候補なら知名度からして下呂市が妥当だと思いました。萩原町と新庁舎を巡って対立していましたが、新庁舎は県の出先機関が集中する萩原町に建てたほうが良いと思います。
豊岡地区の新市名公募結果上位5点です
豊岡市、但馬市、こうのとり市、北但市、城崎市
豊岡市でもかまいませんが城崎郡や出石郡にも考慮して但馬市でも構わないと思います。
[19500] 2003年 9月 1日(月)15:18:53ken さん
千曲市誕生に思う
[19466] KN さん
更埴の名前がなくなるのが少しさびしいです。
そうなんですよね。

しかし、考えてみれば、「更埴」自体も随分強引なネーミングだったわけですが、それでもやはり惜しまれる名前にはなっていくんですね。
更埴くらい、熟した名前になると、千曲市内の通称区域名としても、屋代が復活することはなく「更埴市街」、「更埴へ行く」などという概念は残っていくんでしょうかね?

いわき市などでも、小名浜、平は地名として残れるけれども、常磐市、磐城市等は、概念上は消滅しちゃいますよね。
周南市でも、徳山は安泰でしょうが、新南陽はどうでしょうか?。新南陽は駅があるから、無くならないのかな?
駅名があるかどうか、は大きいでしょうね。

今次合併で消失する自治体名の中でも、「地名」としては生き残れるところ、地名としても忘れ去られるところ、とありそうですね。
旧市町村名が、広域名称、抽象名称、合成名称で、中心集落名と自治体名が一致してないところは、地名レッドデータブック入りでしょうか?

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