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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

西と東、舞鶴市の変遷史

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記事数=6件/更新日:2005年5月2日/編集者:YSK

西舞鶴と東舞鶴、2つの市街地を持つ京都府舞鶴市ですが、その成り立ちを調べますと、興味深い事実が結構あるようです。そんな舞鶴市についてのお話です。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[764]2002年1月31日
miki
[769]2002年2月1日
miki
[770]2002年2月1日
miki
[20145]2003年9月21日
グリグリ
[20221]2003年9月23日
ken
[40507]2005年5月2日
たもっち

[764] 2002年 1月 31日(木)19:13:48miki さん
舞鶴市
京都府舞鶴市のケース
市役所に質問したところ、市制施行日は舞鶴、東舞鶴合併の1943.5.27という回答がありました。
しかし、地名総覧では最初に市制施行した日という事で1938.4.1にしています。
...この矛盾をどうするべきなのでしょうか?
[769] 2002年 2月 1日(金)08:38:51miki さん
舞鶴と東舞鶴
...自分でも分からなくなってきました。(^_^;
雑学(「東京市」)のページでは「1938.8.1に東舞鶴市が市制施行した」と書かれていましたが...。
...本当に頭が痛くなりそうです。
[770] 2002年 2月 1日(金)09:29:51miki さん
舞鶴と東舞鶴・2
...ふーん。そうだったんですか?
舞鶴と東舞鶴は市制施行日が同じというわけなんですか?
分かりました。
以後気を付けます。
[20145] 2003年 9月 21日(日)22:28:29オーナー グリグリ
富士市と舞鶴市の市制施行日を変更しました
[19549] 自己レス
ところで、上記アーカイブにも入っている [767] にも書きましたが、富士市の市制施行日についてはやはり吉原市の市制施行日に改めようかと思っています。
この件、相当悩んだのですが、結局、吉原市(1948.4.1)、旧富士市(1954.3.31)のいずれの市制施行日でもなく、旧富士市が吉原市と鷹岡町と合体した1966.11.1を市制施行日とすることにしました。このケースはどちらかというと新しい富士市を3市町で始めるという合体であったように思います。たまたま新市名を旧富士市と同じ名前を採用したという解釈です(富士と言う名が捨て難かったのでしょう)。決め手となったのは富士市の公式HPに11月1日を市制施行記念日とする記述があったことです。

となると、舞鶴市、倉敷市、福山市なども微妙になってくるのですが、長野市なども含め公式HPを確認してみました。舞鶴市の場合はやはり東舞鶴市と合体した日を市制施行日としているようです。倉敷市、福山市、長野市などは合体以前の各々の市が最初に市制施行した日を市制施行日としているようです。

ということで、舞鶴市についても市制施行日を1943.5.27としました。
#何か長年のもやもやがすっきりした気分です(f^^;
[20221] 2003年 9月 23日(火)21:10:07ken さん
re:舞鶴
[20218] TKS-H さん
[20189] 深海魚 さん
[20174] TKS-H さん
西舞鶴(旧・舞鶴市)には加佐郡の中心、城下町として歩んできた伝統があり
とはいえ、「地名」としての舞鶴は
Issieさんの
http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/huken/h-iten.htm#tokugawa
にあるとおり、明治初年まではこの城下町の名前は「田辺」で、新政府による紀伊田辺藩との同名回避政策のために、田辺城の愛称だった「舞鶴城」の名を取って、田辺を舞鶴に改めたもので、
城下町としての伝統は確かにあるのですが、それは「田辺」としての歴史で、「西」にとっても、地名「舞鶴」は新出来であり、軍港の「東」と、比べて地名「舞鶴」という意味では、それほど大きなアドヴァンテージがあるわけでは、ないのですけどね。
「舞鶴城」が「西」である「田辺」にあった、という意味では、「舞鶴」は確かに「西」にオリジンがあるわけですが。
[40507] 2005年 5月 2日(月)12:56:12たもっち さん
RE:まぼろ市?
暦通りに出勤しております。しかし、全然やる気が出ません(笑)。

[40489] 紅葉橋瑤知朗 さん
「分離独立しようとして果たせなかった市町村」
舞鶴市が、戦時中に舞鶴市と東舞鶴市とが合併してできた市だというのは、ここの方々には有名な話だと思いますが、戦後に分離を求める動きがあったそうです。うろ覚えできちんとしたことが書けなくて恐縮ですが、確か、「西」(旧・舞鶴市)のほうが分離したがったと聞いたように思います。
ご存知のとおり、元々舞鶴と呼ばれていたのは「西」の城下町でした。それに対し、「東」はかつては一介の漁村に過ぎなかったのが、海軍の鎮守府が置かれたことで急速に発展してきた、成り上がりの町でした。戦時中、その軍事的重要拠点の体質強化のために、半ば強制的に合併させられたことに対する不満があったということですが、結果的には分離は叶わず、東西が合わさったままの形で今に至っています。

舞鶴は実は僕の妻の実家がある町です。先週末にも行ってきたところです。今の舞鶴人の中にも東と西とでライバル意識があったりするのか、また妻に聞いてみます(笑)。ちなみに、「東」のまた東の外れに実家があります。
そんなわけで、よそものではありますが何十回と訪れた者の感想としては、確かに間にちょっとした山がはさまっていて、市街地としては連続していないものの、東と西はひとつの街としてまとまっているように思います。ちょっとご飯を食べに、「西」まで行こうか、ということもよくありますし。妻の実家から東に向かうと福井県も近いのですが、そちらへ向かうよりも抵抗は少ないような気がします。

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