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落書き帳アーカイブズ 広島県の瀬戸内海に浮かぶ、江田島、東能美島、西能美島は、陸続きなのにそれぞれに別個の名称がつけられているように見えます。この島にある町の合併で発足する新市の名称で一悶着もあった、この島の名前について迫ります。

陸続きの江田島、東能美島、西能美島 −なぜ別の名前なのか−



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編集:YSK

記事数=6件 登録日:04年02月23日
記事#記事日付
記事タイトル
発言者
[3009]2002年9月11日
Re: 江田島市について ゆう
[12734]2003年4月9日
能美島と江田島 ゆう
[18615]2003年7月25日
島の名前って不思議!! ペーロケ
[18638]2003年7月27日
エト瀬戸ラ ゆう
[18767]2003年8月2日
本流〜支流、湾〜灘、江田島〜東能美島〜西能美島 ペーロケ
[19289]2003年8月25日
能美島ひがしにし ゆう



[3009] 2002 年 9 月 11 日 (水) 05:22:14 ゆう さん
 Re: 江田島市について
ARC 陸続きの江田島、東能美島、西能美島 −なぜ別の名前なのか−

私の祖父の話では、江田島と能美島はもともとは別の島で干潮時には浅瀬を岩伝いに跳んで渡ったとのこと。
完全に埋めたてられた現在も「飛渡瀬」の地名が残ってます。

「江田島」の名称の由来は「能美島(幹)に対する『枝』島」という説が有力だそうですが、さらに遡れば地続きだった時代もあったかもしれません。
新市名では、枝が幹を抑えようとしている不思議さを感じます。

[2979]雑魚さん
>地元自治体が 「江田島」 の名称の存続にこだわる事情
新市名の2者択一全国アンケートで海軍兵学校関係者が「江田島」に組織票を投じたという説があります。
地元よりもむしろこちらの方々にこだわりが強いのかもしれません。
この説の真偽がどちらにしても、「南広島」はこの落書き帳では人気なさそうな気がしますね。
強力な対案があれば結果は変わっていたでしょうか。

[2970]KNさん
>しかし、江田島町側(会長)は
念のために。会長は平口・大柿町長です。

[12734] 2003 年 4 月 9 日 (水) 00:27:11【1】 ゆう さん
 能美島と江田島
ARC 陸続きの江田島、東能美島、西能美島 −なぜ別の名前なのか−

[12698]なきらさん
最近「もともと3つの島が1つになった」という記述(この落書き帳でなく)を読みました。昔は離れていたんでしょうか。そんなことないですよね。
案外島は付いたり離れたりするものではないでしょうか。志賀島や桜島が今でも「島」と呼ばれていますね。
東能美島と西能美島とが別の島だったというのは初耳なのですが、能美島と江田島がもとは別の島だったという話は聞いたことがあります。
拙稿[3009]もご参照ください。祖父からの伝聞は4月1日ではなかったと思いますが、真相やいかに。

江田島町は安芸郡、能美島3町は佐伯郡なのですが、江田島町の津久茂地区は合併前は佐伯郡だったそうです。地形図を見ても陸繋島であるように見えます(http://mapbrowse.gsi.go.jp/cgi-bin/nph-mm.cgi?mesh=5132332 の左下(南西)寄り)。
そういう意味では「もともと3つの島だった」のかもしれません。

[18615] 2003 年 7 月 25 日 (金) 17:06:03【1】 ペーロケ[utt] さん
 島の名前って不思議!!
ARC 陸続きの江田島、東能美島、西能美島 −なぜ別の名前なのか−

 [18561]地球人さん[18608]U+3002さんなど、瀬戸ネタから転じて、長崎県に関する議論が盛んですが、個人的には狭い針尾瀬戸や早岐瀬戸にて外洋から一定の独立性が感じられる「大村湾」が海で、同じように湾と称する「久美浜湾」や開口部が大きい「厚岸湖」が湖扱いであることに多少違和感を感じていますが、またまた不毛な議論となりそうなのでこのへんで。。。(苦笑)。まあ、詳しくは以下アーカイブを参照くだされ。
(湖、池、沼、浦、湾、・・・水面を表すことばの定義について) http://uub.jp/arc/arc123.html

 拙稿[18471]の備考欄には、対馬の欄に「便宜上、南北で区別しました」と書きましたが、この意味は、対馬は南北の島をそれぞれ、「個別の島」として区別する言い方が一般的でなく、二つセットで「対馬」なのかなと思ったのですね。因みに、国土地理院の「島面積」のページには、対馬の面積は696.24km^2と、淡路島(592.10km^2)よりも大きい島として記載されているのです。やはり二つで一つの島なのでしょうかねぇ〜??

(参考、九州の島面積) http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/200304/shima-kyu.htm
(本州の島面積) http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/200304/shima-hon.htm

 一方、江田島、東能美島、西能美島は同じ島なのに、部分によって別の名前が付けられていますよね?これは昔は別の島だったなんてことは考えにくいのですが、経緯が気になります。因みに[18558]U+3002さんの
佐世保湾はもう一つの湾口で東シナ海に通じていますが、大村湾は袋小路なので、潮流が通りぬけることはできません。
でいわんとする事象は、針尾瀬戸ではなく、津久茂瀬戸で該当すると思われます。まあこれも拙稿[18471]にて備考欄に「同じ島」と記載しましたが。。。

(マピオン) http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=250000&el=132%2F26%2F01.483&pnf=1&size=500%2C500&nl=34%2F14%2F45.511

 そういえば同稿の備考欄に書いた「金華山」も気になります。国土地理院の本州のページでも「金華山」という名前なのですが、地元では「島の名前」として定着しているのでしょうか??

[18638] 2003 年 7 月 27 日 (日) 02:07:00 ゆう さん
 エト瀬戸ラ
ARC 陸続きの江田島、東能美島、西能美島 −なぜ別の名前なのか−

昨日は別件で図書館に行ったのですが、決め手の資料は見つけられませんでした。ああ上福岡。
そこで、ついでにみてきた瀬戸関連のお話です。


[18514]らるふさん
「瀬戸」と「海峡」って、どう違うんでしょうね?
「せとぎわ」などの言葉があることを考えると、「海峡」の最狭部が「瀬戸」なのかなと思いますが、「××瀬戸」と名前がついている海域を見ると必ずしもそうでもないですね。

ところで、愛知県瀬戸地方の「瀬戸」の由来は諸説あるようですが、海とは関係ないようです。
・「陶戸(すえと)」(陶器の産地から)
・「狭門(せと)」(山あいの地形から)
・「迫(せこ)」→「瀬戸(せこ)」(山あいの地形から)


[18525]uttさん
「灘」と「湾」の違いも気になりますね。
私の認識では、「灘」は沖合い、「湾」は入り江、です。


[18615]uttさん
江田島、東能美島、西能美島は同じ島なのに、部分によって別の名前が付けられていますよね?これは昔は別の島だったなんてことは考えにくいのですが、経緯が気になります。
[3009][12734]にも書いたのですが今回は図書館で調べました。祖父は嘘をついてませんでした。
平凡社「広島県の地名」から孫引きした「国郡志下調書出帳」によれば、江田島と能美島とはもともと別の島だったようです。経緯をまとめますと、
 (1)もともとは別の島だった
 (2)海峡が潮流の堆積作用により海が浅くなったので、海底を浚って船を通した→「堀越ノ瀬戸」と呼ばれた。
 (3)さらに堆積が続き、飛び石を伝って行き来できるようになった→「飛渡瀬戸」と呼ばれた。
 (4)ついには連接した→「飛渡瀬」の地名が残った。
 (5)江田島町「飛渡瀬」は大柿町「飛渡瀬」と区別するために、江田島町「江南」に改称した。
ただし、大正生まれの祖父自身は飛渡瀬戸を跳んで渡ってはいないはずです。

一方、東能美島と西能美島とが別の島だったという記録は見つけられませんでした。これらは島内を細分する地域呼称に過ぎないような気がするのですが、だとすれば何故に国土地理院が島の名前として両方とも採用しているのかが不思議ですね。


[18618]U+3002さん
対馬(略)を分ける2つの「瀬戸」(略)が自然の水面ではなく、それぞれ江戸時代(1672)、明治(1900)に掘削された運河だそうです。
広島県の「音戸の瀬戸」は12世紀に平清盛がひらかせたという伝説が残っています。とはいえ、清盛がこの海域に手を加えたのは事実として、それ以前に倉橋島が本土とが地続きだったかどうかは怪しいです。浅く狭い瀬戸を深く広く拡張したというところではないでしょうか。


ところで、グリグリさんへ
上述「広島県の地名」には音戸の瀬戸の本土側を「休山(やすみやま)半島」としていました。

[18767] 2003 年 8 月 2 日 (土) 01:43:48【1】 ペーロケ[utt] さん
 本流〜支流、湾〜灘、江田島〜東能美島〜西能美島
ARC 陸続きの江田島、東能美島、西能美島 −なぜ別の名前なのか−

愛媛代表、今治西。実は県内でも松山東に次ぐ進学校で有名な高校です。文武両道って素晴らしい!!

[18691]太白さん
日本国内で、本流より支流の方が長い(または、流域面積が大きい)川の例はあるのでしょうか。もし例外があれば、どうしてそうなったのでしょうか。
確かに揖斐川より長良川の方が長そうですが、合流後は「揖斐川」と称していますね。(国交省河川局によれば、共に木曽川水系だそうですが。。。)

(国交省) http://www.mlit.go.jp/river/jiten/nihon_kawa/data/tyuubu/kisogawa/kisogawa.html

「RVW」さんと「静岡県南葛市長」さんは、某常連さんと文体が同一のようですね…。
私も、あの方を彷彿とさせるものを感じました。

[18638]ゆうさん
私の認識では、「灘」は沖合い、「湾」は入り江、です。
 おお、そう考えれば分かりやすいですな。もちろん島原湾のような例外もありますが、「湾」の方が閉鎖性の強い地形でがんじがらめにされていて、「灘」は湾に比べてそれほど厳密に区分されるでもなく、ただなんとなく島がなく水面が広がっている空間に対して名付けた、といったところでしょうか。だから伊予灘と周防灘のように、どこから区分されるかといった明確な線は引けないものなのでしょう。もしかしたら、灘とは線を引くものではなく、同じ海域を山口や九州側から見たら周防灘、愛媛から見たら伊予灘、と呼ぶような気もします。そういや大分では「豊後水道」と呼ばれている海域は、愛媛では「宇和海」と呼ばれています。その線も明確には引けませんね。(少なくとも地図を眺めているだけでは。。。経験豊かな漁師さんは潮の流れで明確な区別をしているかもしれませんが。。。)

江田島と能美島とはもともと別の島だったようです。
 江田島町と大柿町の境界を形作っている地峡は狭く、海であったと言っても不思議ではないですが、能美島を東西に分ける地峡はそんなに狭くなく、ある程度の標高差があって峠のような地形になっていた記憶があるので、東・西能美島が海で隔てられていたと考えるには、なんだか不自然ですね。

広島県の「音戸の瀬戸」は12世紀に平清盛がひらかせたという伝説が残っています。
 確か、わずか一日で開いたとか。。。もちろん当時の土木技術を考えれば、かなりの尾ひれがついているでしょうが。。。

[19289] 2003 年 8 月 25 日 (月) 02:00:40 ゆう さん
 能美島ひがしにし
ARC 陸続きの江田島、東能美島、西能美島 −なぜ別の名前なのか−

[18767]uttさん
能美島を東西に分ける地峡はそんなに狭くなく、ある程度の標高差があって峠のような地形になっていた記憶があるので、東・西能美島が海で隔てられていたと考えるには、なんだか不自然ですね。
現在東・西能美島の境界は大柿町と能美町の境界とされていまして、つまりは稜線を多く含みます。
能美町史や大柿町史を読むと、「能美島ひがし」「能美島にし」と呼ばれていた時代もあるようで、鹿川地区は東能美島から西能美島へ所属がえがあったという記録もありました。以上から、これらは島の名前ではなく、島内の地域区分名称のように思えます。

1:25,00地形図にはどうして「東能美島」「西能美島」が島の名前のように扱われているのか、国土地理院に問い合わせたのですが、
この詳細な理由等については国土地理院でも把握できておりません
とのことでした。ただ、江田島も含めたこの「島」に統一された島の名称がないことにも原因があるような言い回しでした。



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