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福島県の熱きバトル

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記事数=22件/更新日:2004年4月21日/編集者:special-week

福島県の県庁所在地はいわずと知れた福島市。ところが、郡山市こそ、県庁所在地に相応しい!と主張する人もいる。会津若松市の急追も激しく、大型合併で注目を浴びたいわき市などもあり、福島市としては安穏としていられない。そんな都市間競争の激しい福島県内の熱いバトルに迫ってみた。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[960]2002年2月24日
深海魚
[961]2002年2月24日
Issie
[963]2002年2月24日
Issie
[965]2002年2月24日
深海魚
[3383]2002年9月28日
ウロ
[3390]2002年9月28日
深海魚
[3398]2002年9月28日
YSK
[3408]2002年9月29日
ゆう
[4510]2002年11月4日
akira
[4515]2002年11月4日
白桃
[7893]2003年1月19日
YSK
[23085]2003年12月25日
Pachi
[23114]2003年12月26日
地図を見て育ちました
[23116]2003年12月26日
faith
[23137]2003年12月27日
Pachi
[27054]2004年4月8日
千本桜
[27056]2004年4月8日
YSK
[27061]2004年4月9日
美濃織部
[27075]2004年4月9日
千本桜
[27078]2004年4月9日
スナフキん
[27493]2004年4月18日
サブロー
[27582]2004年4月21日
千本桜

[960] 2002年 2月 24日(日)09:45:04深海魚[雑魚] さん
福島県の謎
いい加減国内ネタに戻りまして、次なる謎は福島県。

郡と云う単位が、政治経済的に或る程度一括りに出来るものと考えると
福島県の大沼郡や南会津郡も結構謎ですね。同じ阿賀野川水系ですが、
大川と只見川で地域が二極化されて居る様に思えます。分水界は相応の
峠で隔てられて居るだろうに、同じ郡に属する必然性は何でしょうか?
又、只見川の上流部が新潟県湯之谷村や群馬県片品村に接して居るのも
特異な印象を受けます。水利権の問題でしょうか?

そしてもう一点は中通の主要都市、郡山と福島の沿革です。この一帯は
歴史的には白河や二本松と云った城下町が古参と思え、戊辰戦争絡みで
色々あったのかな、とも思います。又、街の位置や交通網を勘案するに、
郡山県都論も少なからずあったと推察しますが、その辺御教示賜りたく。

当該掲示板の情報では、島嶼を含めて新規の市政施行予定が目白押しの
様相ですが、先ず人口要件ありきで、従前の感覚で求められたであろう
核となる市街地の存在は余り問題ではなくなったのかな、という印象も。
換言すれば、市と郡部の境界がぼやけて来たというか。私も山間郡部の
住人だけど、その内「市民」になるのかな?(そう云えば以前、とある
野党々首が、日本の自治体構成は数百の市に収束されるべきだ、とする
趣旨の発言をしてましたね。)
[961] 2002年 2月 24日(日)11:29:48Issie さん
Re:福島県の謎
平安時代半ばの「延喜式」によれば,「会津地方」には当時“会津郡”と“耶麻郡”しかありませんでした。
つまり,阿賀野川-日橋川を境に以北が耶麻郡,以南が会津郡。
これはごく自然で,耶麻郡の領域は現在もこのままですね。

“大沼郡”と“河沼郡”は中世以降,地方区画に関して中央の統制の利かなくなった後に“会津郡”から分かれたものです。
14世紀に芦名氏(相模三浦郡の出身)が会津での支配を確立して以来,後に「若松」と呼ばれることになるあたりが会津の中心となります。
で,若松を中心にここからの交通路を考えれば,河沼・大沼・(南)会津3郡の領域も何となく納得がいくように思います。
現在の感覚では,只見線(旧会津線)があるせいで“只見川ルート”を一本に考えてしまいがちなのですが,若松から大沼郡西部へ行くには只見川へ出ない方が行きやすいようですね。
只見の場合も通ってみた感じでは,只見線ルートよりも同じ南会津郡の田島から行くほうが途中の山越えも楽な気がしました(若松から田島への峡谷部はやはり大変なのですが,こちらは白河や日光へ抜ける“幹線ルート”ですから)。

> 郡山と福島の沿革

郡山への移庁論は,やはり何度も出ているようですね。
ただ,少なくとも現在の府県が確定するまでの明治前半の段階では,都市の規模や機能の点で郡山は福島の“敵”ではなかったようです。

当時の福島のライバルは,やはり二本松。
どちらも「賊軍」という点では同じですが,福島藩板倉氏が3万石の小藩なのに対して二本松藩丹羽氏は10万石。意外に規模の違いは大きいですね。
実際,廃藩置県4ヵ月後の府県統合の際,“浜通り”は平(磐前県),“会津”は若松(若松県)と問題なく県庁所在地が決まったのに,“中通り”は初めに「二本松県」で統合されたものの,わずか半月で「福島県」へ変更されています。かなり微妙な問題があるのでしょうね。

当時の郡山はごくありふれた小宿場町。江戸と会津を結ぶメインルートはさっきの大川沿いのルートですから,ここに分岐点としての機能はあまりありません。
ここが都市として発展するのは明治後半に東北線と岩越線(現磐越西線)の分岐駅となり,繊維産業が進出してからのことです。
(戦後の“インフレ”で価値が暴落する前の)「市」になったのは,ようやく1924年のことです。
[963] 2002年 2月 24日(日)12:03:36Issie さん
郡山
後で気になって確認してみたら,それでも郡山市は福島県で3番目の「市」なんですね。
1.若松市:1889年
2.福島市:1907年
3.郡山市:1924年
4.平市:1937年
敗戦までに福島県で市になったのはこの4つ。

つまり“どんぐりの背比べ”状態で,多くの人口を集積させた都市が少なかった。
「県都」の福島への集積度も低かったんでしょうねぇ。
何しろ,若松よりも米沢,平よりも仙台の方が近いポジションですから。
折に触れて郡山が浮上する所以です。

でも結局,府県制施行以来,県庁が移転したことはないんですよね(もっとも,最近同一市内での県庁移転が盛んですが,明治半ばの行政区画では全く別の市町村になってることが多いんですけど)。
[965] 2002年 2月 24日(日)14:36:12深海魚[雑魚] さん
>963、961
御指摘の点から推すに、「福島」の県名は県都の福島市に由来すると
考えて良いのですか? 現県庁は城址の立地と聞いた事が在りますが、
二本松に比肩する有力処だったのですか? 又、福島遷都の背景として
戊辰戦争の遺恨で、なるべく会津から遠ざけるとの意向も作用したと
聞いた事がありますが、若松県の存在を考えると、良く判りません。

郡山市に付いては、東北線が到達する数年前に、文教政策の要となる
尋常中学(現安積高校)が開校して居ますが、いわゆる県立一中が
設置された辺り、郡山には何か必然性が有ったのかな、とも思います。

以前、会津高原駅から高杖スキー場に抜けた際、途中の峠は結構な
難所でしたが、他はそうでもないのかな?
[3383] 2002年 9月 28日(土)01:21:56ウロ さん
県庁所在地より優れた都市
地元ネタですが、郡山市は福島市より人口、面積、経済力、交通、
接続都市ともに優れているのに何故県庁が置かれなかったのか?
現在の福島県は福島市と郡山市の分散化で企業進出もまちまちである。
仙台のように一極集中化を図れば郡山市は将来的に東北の中心地として栄えたはずである。
この例のほかにも同じような現象があったら教えて欲しい。
[3390] 2002年 9月 28日(土)10:56:50深海魚[雑魚] さん
郡山vs福島
[3383]
福島と郡山の関係は、長野と松本の関係と同様、当掲示板でも色々と話題になりましたね。浜通りや
会津に至る磐越道、国道49号線、JR磐越東西線の軸との接続や県央部という地勢から考えれば、
福島より有利性が推定されなくもないのですが、歴史的経緯を勘案すると、微妙な点が多く、良く
判らない感じです。

まずは福島市の沿革。県庁舎が城址らしいのですが、中通りの主要城下町といえば、白河と二本松。
Issieさんによれば、廃藩置県直後は、一瞬 「二本松遷都」 があったと言いますが、当事の福島は
県都たり得る程の街だったのかどうか。

一説によれば、福島遷都は戊辰戦争で賊軍となった会津地方から県都を遠ざける牽制策の結果と
言われますが、廃藩置県直後は若松県も設置されていますね。福島県への帰属はいつだろう?

元々は二本松藩の小さな商業街だった郡山が発展したのは、「開成社」 の下、官民挙げての一大
開拓事業 (安積疎水の整備もこの頃?) 以来の事だそうで、 [2753] で言及した様に、県内最古の
中等学校が 1889年に福島から当事の安積郡桑野村に移転したのは、開発の目玉と位置づけた
政治的戦略の可能性も考えられます。そうして見ると、郡山が明治初期より県都候補地たり得た
必然性は薄いのかも。

なお、阿武隈川流域の平坦地は明らかに郡山の方が広いですね。福島の場合、市南部の本流は
渓谷の趣をも呈し、ちょっとした 「気候帯」 の境界となる東北道の福島トンネルの前後における
地形差は結構大きいし。(ここは宮城県堺の国見峠と同様、荒天時の運転では要注意箇所です。)
東北線撮影地のロケハンという個人的事情に加え、福島大移転やニュータウン開発の進捗を
考慮すると、[1538] で言及した様に、松川PAあたりにICがあっても良い様に感じます。

ところで、東北線は 1887年夏に郡山に到達し、同年末に福島、仙台を経て塩竃まで延びました。
という訳で、鉄道の有無による地勢の優劣は、郡山と福島の間では無かったものと考えられます。
ここで云う塩竃とは、仙石線本塩釜駅付近にあった貨物駅の事と思われ、現在の利府支線経由で
岩切-盛岡が開通したのが 1890年ですから、当事の塩竃港の要衝性が推定されます。ちなみに
この貨物駅は確か大型店舗の駐車場に化けましたね。 (それにしても、あの辺の国道45号線の
クランクはどうにかならないのかな。)

景観で郡山と福島を比較すると、前者は猪苗代湖南端の舟津浜から見る磐梯山、後者は盆地から
仰ぐ吾妻連峰が、それぞれ冬晴れの冠雪時期に見事で、甲乙をつけ難いですね。舟津浜の場合は、
GWに訪れたところ、意外や喜多方北方の飯豊連峰まで見えました。この一帯は、郡山方面からの
湖水浴客が多いらしく、という事は三森峠の屈曲区間は改善されたのかな。安積疎水と繋がるも
水系的には日本海側に属する猪苗代湖畔にあって、この湖南地区が阿武隈川流域を中心域とする
郡山市に属する必然性として、猪苗代町とは間の湖岸が急峻で、断絶性が高かったと思われる点や
こうした行楽需要の所産が挙げられるかも知れません。

[3384]
直接ジャスコと関係無い、遊園地や温泉施設などの近接性を加味した商業集積度でいうと、数年前、
三八上北地区全域を商圏として見据えた立地と思われる、青森県下田町 (だったかな?) の店舗が
元気印の企業を紹介する特集として、 「ブロード・キャスター」 で紹介された事がありましたね。
ある幹部が 「敢えて山林などの郊外地に造る。」 とインタビューに応えていたのが印象的でした。
[3398] 2002年 9月 28日(土)21:39:25YSK さん
福島と郡山論
[3390]
[3396]と同様に、福島と郡山の企業支店について調べて論文では、

福島・・・建設業がやや多い。
郡山・・・運輸通信業、卸売業など、全業種にわたって多い。

という結果でした。郡山には、福島の約3倍の支店が立地していたのでした。
※ちなみに、前橋と高崎は前橋の方が多かったもののほぼ同数。

県庁があっても前橋が県の中央部にあって高崎と同規模の支店立地を見ているのに対し、福島は北に偏った位置のため、郡山により多くの支店が集ったものと思われます。
[3408] 2002年 9月 29日(日)09:32:46ゆう さん
Re: 県庁所在地より優れた都市
[3383]ウロさん
>地元ネタですが、郡山市は福島市より人口、面積、経済力、交通、
>接続都市ともに優れているのに何故県庁が置かれなかったのか?
まちの優劣という考え方はあまり好きにはなれませんが、雑魚さんも[3390]で述べられてますが、郡山市の都市化は福島県設置より後のようですね。

>仙台のように一極集中化を図れば郡山市は将来的に東北の中心地として栄えたはずである。
仙台に比べて郡山はかなり南に位置しています。青森まで含めた東北地方の中心になっていたかどうかは難しい問題です。

>この例のほかにも同じような現象があったら教えて欲しい。
福島の他に、群馬・三重・山口が既に示されていますが、2番目の極がそれなりの存在感を持っているのはこんなところでしょうか。
青森-八戸・水戸-日立・静岡-浜松・鳥取-米子・岡山-倉敷・福岡-北九州
[4510] 2002年 11月 4日(月)11:53:54akira さん
福島県
 福島県の地図を見て思ったのですが,よく見ると,県庁所在地の福島市は県北部に位置しています. 県庁所在地といえば国で言えば首都です.福島県以外の者からみれば,そのような大事なものがどうして,県中部の郡山市にないのか疑問です.どなたか,わかりません?
 それと,福島県の全国地方公共団体コードのことですが,市制施行が明治32年の会津若松市より同じく明治40年と遅い福島市のほうが,番号が若いのはどうしてですか?
 2つとも素朴な疑問ですいませんが,おわかりの方,教えてください.
[4515] 2002年 11月 4日(月)14:12:33白桃 さん
Re:福島県
[4510] akiraさん
答えになっていないのは承知で、私の推論を述べます。
 ほとんどの県庁所在地は幕藩体制時代の城下町で、福島もそうです。が、福島は幕末頃から
養蚕をはじめとする商品作物の集散地として城下町というよりは商業の町として展開してきた
フシがあります。そしてなにより、戊辰戦争では、幕府方につくことが多かった東北諸藩の中
では珍しく中立的立場を保ったようです。ですから、明治9年(1876年)若松、二本松、
平の3県が合併して福島県が成立したときに、妥協の産物として県庁所在地になったのでは
ないでしょうか。(参考:県庁所在地名と県名が一致していない県は、新政府にはむかった
ところがホトンド・・…誰かが言っていました。)
 では、なぜ、郡山ではなく、福島であったのかというと、人口規模でなかったのかと推測
します。
明治31年(1898)
 若松町 29200
 福島町 20624
 郡山町 不詳(2万いなかったことだけは間違いなし)
明治36年(1903)
 若松市 32534
 福島町 27233
 郡山町 不詳
明治41年(1908)
 若松市 39265
 福島市 33493
 郡山町 不詳
大正02年(1913)
 若松市 41828
 福島市 33981
 郡山町 21786
と、大正になってからはじめて、郡山は2万人を超えるようになりました。(何かの本で、「須賀川
は鉄道を通さなかったばかりに、郡山と差がついてしまった。」と書かれておりましたので、明治
の初年当時、郡山は須賀川並みの小さな町だったのでしょう。安積疎水開削も明治12年ですし。)

 地方公共団体のコードのことはよくわかりません。

 どなたか、明治時代に鹿児島県には鹿児島市以外に、町が1つ(加治木)しかなかったのか教えて
ください。(西南戦争の影響かな。)

(そろそろ、下総生協が来るので、 実は小学生さん に習って偽装外出をする白桃でした。)
[7893] 2003年 1月 19日(日)00:21:54【1】YSK さん
郡山市について
[7884]C.c さん
仙台市vs郡山市

そうですね。郡山市が駅前を中心に再開発に邁進しているすがたは、福島県の中心としての地盤固めという思惑以上に、仙台市への対抗意識ととる向きもあるのかもしれませんね。
郡山市は、福島県のほぼ中央、南北の交通軸と東西の交通軸との結節点に位置していて、中枢性から判断すれば、福島県の県域中心都市としての地盤は固めていると、個人的には考えます。

行政中心としての、福島市の基盤も無視できないですし、多くの方が指摘されましたとおり、会津若松やいわきなどの有力都市群もありますが、中枢性の観点からは、郡山がやや突出しているように感じますね。

7年前になりますが、会津を中心に大学の野外実習に出ましたが、そのカリキュラムの1つとして、郡山市街地を歩きました。その中で、古くからの商店街がある中で、駅前の再開発も同時に進捗する、郡山の趨勢を目の当たりにしたことを今でも覚えていますね。

それ以来、郡山の町は歩いていないですが、確か駅ビルの中に学校をつくったとか、そんなこともされていたような気がしますが、どなたかご存知の方おられましたらお教えください。
もし首都機能移転が実現すれば東北の中心都市が郡山市に移行するのでは?
その可能性も、ありかもですね。仙台は自分の地位にあぐらをかいてながらく都市の魅力醸成への努力を怠り、「支店経済」を追い求めるような政策を続けてきたような感がありますので(駅前のオフィスビル“アエル”には、テナントちゃんと入っているのでしょうか)、仙台にとってもいい刺激になるのではないでしょうか(個人的意見です。念のため)。
東北地方のますますの活性化のためにも、郡山の成長は重要な要素になるはずです。期待大ですね。
[23085] 2003年 12月 25日(木)20:33:44【1】Pachi[ペナルティキック] さん
力関係かぁ
[23082]地図を見て育ちましたさん
福島と言えば“会津若松”“福島”“郡山”“いわき”といった顔ぶれがまず思い浮かびます。簡単に言えば力関係でしょうか。
力関係は個人的な意見では
郡山(含む須賀川)>>福島(含む二本松)>いわき=会津若松(含む喜多方)>>>>白河>原町>相馬ってところです。
 上位4都市と下位3都市の間には結構大きな差があります。

全県的に(経済的な)影響力をもちえる都市は福島県内では郡山だけです。しかし、最近は東京や仙台との競合、更に郊外でのショッピングセンター開業などの追い上げに遭い疲弊している為、以前ほどの力強さは消えかかっています。次に(会津地方の中心である事から)影響力が強いのは会津若松ですが、如何せん若松周辺の盆地以外は山間部が占める割合が高く、県内で最も過疎の影響を受けています。福島は県庁所在地ではあっても伊達郡や二本松市、安達郡北部までしか影響力がなくなってきています。確かに福島は県庁所在地なのですが、普段の生活で影響があるかというと、また疑問です。いわきは県内で最も広い面積を抱えるが故に、経済圏と市域がほぼ重なっており、双葉郡や北茨城市の一部にしか影響を及ぼしていません。

 一方で下位の3都市はというと、原町、相馬は双葉郡の北部と共に(徐々にではありますが)仙台の経済圏へと移行が進んでいる地域です。ただ単に隣合わせの福島の都市圏よりも、(多少遠くとも)鉄道で繋がっている仙台との繋がりの方が強い印象があります。白河は白河で東京方面へのベッドタウンとしての一面もあります。ただ、白河は意外と影響の及ぶ地域が広い(または、広くなりそう)です。現時点では東西白河(川)郡と石川郡の石川町や浅川町、古殿町ぐらいですが、現在工事中の国道289号線甲子トンネルが開通し、下郷町と直接繋がると、首都圏から尾瀬への短縮効果が高いので、白河が南会津への玄関口となります。(只見町を除く)南会津郡を影響下に置く事になるかも知れません。

福島県は確かに分散型の都市構造をしていますが、県の枠を超えた都市になろうとする時に他県都との競争力に乏しい事が最近になって露見してきました。バランスの取れた分散型都市構造を目指すにしても、県内のどこかに50万人程度の都市は必要かもしれません。

※幾つか文章追加。
[23114] 2003年 12月 26日(金)23:03:25地図を見て育ちました さん
遅くにご免なさい、とても参考になりました。
[23085]ペナルティキック さん
 東京と尾瀬への玄関と考えれば白河に地の利を感じます。少しだけ勉強しましたが、歴史的背景からみれば周辺地域との繋がりも強いのでしょうね。反面、規模も知名度もあるのに周辺から嫌われてる街をいくつか知ってます。
 郡山のことは“うすい百貨店”の件でチョッと気になってました。ヨークベニマルで一世を風靡した郡山もやはり中心市街地は時代に後れてしまったのでしょうか。
 県都もありそれなりの人口を持ちながら福島は影が薄いのは不思議ですね。なんでだろう?。
 いわきはどーしても倉敷とダブってしまいます。複数の街が合併して正解だったのは北九州だけではないかと思います。インフラ投資がどうしてもバラマキ型になってしまい、核が育たないのでしょうね。
 会津若松は予想どうりです。生き残るには観光か、文化か、内陸型産業の育成か?。会津大学に期待してます。

 最後に、ペナルティーキックさんは気分を害するかもしれませんけど。福島県に中核都市を作る早道は、県都・県内主要企業の本社・報道機関の本社・福島大学・裁判所など、主要な機能や人材をすべて郡山に集めることだと思います。福島には期待できそうにないので。



[23116] 2003年 12月 26日(金)23:49:34faith さん
福島県について
[23114] 地図を見て育ちました さん
福島県に中核都市を作る早道は、県都・県内主要企業の本社・報道機関の本社・福島大学・裁判所など、主要な機能や人材をすべて郡山に集めることだと思います。福島には期待できそうにないので。
官公庁はともかく、企業の本社を集めることがどうやって可能なのかは知りませんが、それは別として…
福島県の人が一応不自由なく暮らせているのであれば、おっしゃるような一極集中型の「中核都市」がなくても別に構わないのではないでしょうか。
県庁所在地と拮抗する都市が存在しているのはある意味では長所だと思います。
[23137] 2003年 12月 27日(土)22:32:34【2】Pachi[ペナルティキック] さん
分散か集中か
[23114]地図を見て育ちましたさん
規模も知名度もあるのに周辺から嫌われてる街
白河市は少しその気があります。借金抱えすぎなんです。もっともっと借金が少なかったら、今ごろ西白河郡全域と合併してます。(トホホ)

郡山のことは“うすい百貨店”の件でチョッと気になってました。
 この一撃は郡山ひいては福島県全体に与えたダメージはかなりでかいです。(全館リニューアルで)下手に高級化路線に移行したらその流れに市民がくっ付いて来なくて、待ってる間にギブアップ(民事申請)してしまった様です。

会津若松は予想どうりです。生き残るには観光か、文化か、内陸型産業の育成か?。会津大学に期待してます。(中略)
福島県に中核都市を作る早道は、県都・県内主要企業の本社・報道機関の本社・福島大学・裁判所など、主要な機能や人材をすべて郡山に集めることだと思います。福島には期待できそうにないので。
 会津大学はコンセプトそのものは間違っていないのですが、起業支援や企業誘致の点で、まだまだ足りていないです。学校がここにあるから4年間滞在しただけの街に成ってしまっては意味が無いのですがね。
 福島市が期待できるかどうかは別にしても個人的に県庁の移転には反対はしていません。福島市と郡山市の両方が都市規模に於いて頭打ちとなってしまった時に、福島県は東京と仙台へ人材を流出させるだけの草刈場になってしまう恐れがあると感じています。そうならないための手立てとしては有効だと思います。
 そもそもどこかの都市が伸びるということは、近隣の都市を押しのけて成長することですから。

[23116]faithさん
福島県の人が一応不自由なく暮らせているのであれば、おっしゃるような一極集中型の「中核都市」がなくても別に構わないのではないでしょうか。
県庁所在地と拮抗する都市が存在しているのはある意味では長所だと思います。
私の所は一応不自由しておりません。
その拮抗する都市同士が喧嘩さえしなければいい方向に働くと思います。そういう意味じゃ高崎と前橋は微妙な関係ですね。
[27054] 2004年 4月 8日(木)22:36:45千本桜[軒下提灯] さん
郡山VS福島
[27032]YASUさん
両市に在住の方は、相手の市をライバル視しているのでしょうか?
郡山市と福島市は互いにライバル視していると思いますよ。前橋と高崎、長野と松本、静岡と浜松、鳥取と米子のように、同じような規模の都市間ではライバル意識が燃え上がるのも仕方ないことだと思います。特に地元経済界の間では・・・。

福島県の場合、郡山市への県庁移転論がいつもくすぶっています。それが実現可能かどうかは別として、そのような風潮と危機感に福島市は晒され続けていますから、おのずと郡山市を意識するはずです。県庁移転はそう簡単に運ばないでしょうが、民間企業では福島県全域をカバーする福島支店や福島営業所を郡山市に置いているものが多々あります。

インターネットタウンページで郡山市にある福島支店を検索すると88件が引っ掛かってきます。この中から重複掲載しているものや福島支店郡山営業所といったものを削除すると、郡山市に所在する◯◯会社福島支店は66件になります。この数は浜松市にある静岡支店よりもずっと多いものです。

郡山市の福島支店66件。高崎市の群馬支店53件。松本市の長野支店23件。浜松市の静岡支店5件。米子市の鳥取支店3件。この事をもってしても、福島県域において郡山市と福島市が激しく競合している様子がうかがえます。
[27056] 2004年 4月 8日(木)23:04:17【1】YSK[両毛人] さん
福島と郡山論リターンズ
[27054]軒下提灯さん
福島市と郡山市とにおける支店の集積度合いについては、拙稿[3398]に書いたことがあります。私の手許にある1988年における両市の支店の集積量(電話帳で把握したもの)をご紹介しますと、郡山市1449、福島市788とあります(3倍というのは大げさでしたね。どこの資料を引用したのでしょう・・・汗)。

いずれにいたしましても、中枢管理機能に着目した場合、郡山と福島は対等な関係ではなく、郡山が県域中心都市として福島市を大きくリードする都市であり、前橋と高崎のような競合関係にはないもの、という理解があり、東北の大学で地理学を学んだ私も、同様の内容の講義を受けました。あれから5年以上の時間が経過していますが、この趨勢に大きな変化はないものと考えています。

両都市とも、ここ数年市街地を歩いたことが無いので、はっきりしたことは申し上げられません・・・。「隣県」の都市ですし、初夏にでも出かけてみようかな、と思いました。
[27061] 2004年 4月 9日(金)00:03:49美濃織部 さん
自分色登録しました!
まだまだ未熟者なんですが、自分色登録をしました。99人目です。栄えある100人目はだれの手に…

[27054] 軒下提灯 さん
郡山VS福島

手元に支店のテリトリーという資料がありまして、これからも郡山と福島のライバル関係がわかります。
テリトリー郡山福島
県全域57.4%41.2%
県内部分地域21.7%28.2%

県庁所在地の福島市よりも郡山市のほうが、県全域をテリトリーに持つ支店が多いのは、移動効率を考えてのことだと思います。


今後もよろしくおねがいしますm(_ _)m
[27075] 2004年 4月 9日(金)09:32:29千本桜[軒下提灯] さん
Re:福島と郡山論リターンズ
[27056]両毛人さん
中枢管理機能に着目した場合、郡山と福島は対等な関係ではなく、郡山が県域中心都市として福島市を大きくリードする都市であり
こういう話題には飛びつきたくなります。もうすでに飛びついていますが・・・。
民間企業の支店集積を見ると確かに郡山市が福島市を凌いでいるでしょう。ただし、それをもって郡山の中枢管理機能が福島市を大きくリードしているとするのは、ちょっと待った方が良いのではないかと思います。都市の中枢管理機能を構成する要素として、経済機能の外に政治行政機関の集積を加味した場合、郡山と福島の関係はどうなるでしょう。企業支店集積で郡山に差をつけられた福島が、行政機能集積の力でその差を埋めてくるように思われます。非常に曖昧でいい加減な感覚的とらえかたですが、私は郡山と福島の中枢管理機能は郡山100:福島85または90程度ではないかと感じます。
「隣県」の都市ですし、初夏にでも出かけてみようかな、と思いました。
福島市を歩かれるなら、ぜひ信夫山も散策して下さい。一周道路がありますから車でも回れますし、歩いて登れば登山気分を味わえるコースもあります。信夫山西端の切り立った烏ヶ崎から市街地を俯瞰するのもスリリングですよ。目眩がするほどスリリング。

[27061]美濃織部さん
手元に支店のテリトリーという資料がありまして、
その資料、もっと詳しく知りたいのですが、どうすれば入手できますか?、教えて下さい。

[27068]白桃さん
年長組と年少組に分けましょうか。hmtさん、なきらさん、白桃の3人はもちろん年少組です。軒下提灯さんは年長組です。
hmtさん、なきらさん、白桃さんの御三方は年少組というより燃焼組がふさわしいような・・・。ところで、なきらさんは最近お見えになりませんが、燃焼し尽くしてしまったのでしょうか。心配です。
[27078] 2004年 4月 9日(金)10:26:35スナフキん さん
郡山市と福島市のこと
私が全面的に制作に携わった地図が掲載されている刊行物が、続々と世に出されています。売れ行きによって私に何らかの物質的見返りがあるわけではないですけど、やっぱり売れ行きは気になるものです。評判が良ければいいなと思う反面、「なんじゃあ、これは」と言われやしないかとビクビクしたりもします。スナフキんは幼少の頃から臆病・小心者でノミの心臓の持ち主なのです(汗)。

さて、本題です。郡山は私が合宿で免許を取得した地、福島は妹が現在でも居住している地でちっとも無関係でないので私の認識範囲内で書き込みを。

両毛人さんも指摘しているように、私は「両者は明らかなライバル関係にはない」と考えています。むしろ郡山は会津との軋轢が今なお根強いというウワサを耳にすることがあります。遡れば、戊辰戦争に端を発する歴史的なものであるとか。どこまで本当か分からないですが、入社前に社員旅行で会津に行った人の話によれば、会津の人は表面は平静を装っていても、陰では今だ中通りによい印象を持たない人がいるような話を聞きました。あっちの人間は、昔は…みたいなことを言ったとか、言わないとか。翻って郡山と福島では、都市の性格が大きく異なる気がします。それが歴史的に脈々と培われてきた結果かどうかまでは私も分かりかねますけど、福島は「公共業務都市」、郡山は「交通商業都市」の性格を帯びている点では間違いないと思います(軒下提灯さんも言及していますが)。このように機能分化している都市同士がライバル関係を持つことはちょっと考えにくいですね。各々の存在を意識することはあっても、火花を散らすまでにヒートアップはしないと思うのです。

福島県を面的に捉えた場合、重心は確かに郡山市にあったほうが都合がよく思えます。ただ、それは福島県内だけを捉えたらの話。隣接県との関係を総合的に考えた場合は、やはり今の福島市の位置はそれなりに意味のあるものだと考えています。もっとも、仮に郡山市に県の中枢を置こうものなら上記の通り会津地域が黙っているとは思えません。県を二分しかねない事態を回避するという意味だったのかも…などと考えると青森県と妙な共通認識を持ってしまうスナフキんです。妹がちょっとほのめかしていた話を引用すれば、患者さんの中には県境を越え、山形県から通院する人もいるのだとか。そう言えば般若堂そんびんさんも病院までいらした経験がおありだそうで…実は意外なところで、知らないうちに繋がっていたりして(笑)。

福島市と仙台市との関係も見逃せません。つい数年前までは在来線で県境の国見を越える列車が日中2時間に1本しかなく、同区間を走る都市間高速バスの本数とは不釣り合いで、これは決して両都市間の潜在的な移動需要を示していないな、それほどこの間の鉄道利用は新幹線依存が強いのかと不思議に思ったものでした。東北一人旅ではここが鬼門となり、並行する阿武急で槻木~福島を別払い承知でつないだ記憶も残っています。しかしさすがに好調が伝えられる高速バスを、JRが指をくわえて見ている訳にはいかなかったのでしょう。新幹線八戸延伸時の改正で日中の時隔がほぼ1時間程度となり一部時間帯では速達使命を持たせた快速便も設定され、この春の改正ではとうとう、日中時間帯に両都市間を直接結ぶことを最優先にしたさらなる速達便(停車駅はわずか、岩沼・白石のみ!)が、臨時列車扱いながら設定されてきました。高速バスを上回る1時間程度の所要時間を誇り(新幹線には遠く及ばないですが)、高速バスより数百円高い運賃をリカバリーしそうな勢いです。逆に当初設定されていた速達便は軒下提灯さんテリトリーの大河原・槻木以外に船岡にも停車するようになり、両都市間を結ぶだけでなく途中駅からの利便性を高める使命も負うようになっています。こと鉄道に関して言うならば、従来から時間当たり2本が確保されていた福島~郡山間の利便性に、対仙台の利便性が在来線ベースで確実に並びつつある印象です。

他県との県境が近いことで、広域的な見方からすれば様々な資料から導き出される数値データの裏づけ以上に、福島県内における福島市の存在は大きいのではないかなと思ったりします。

あぁ、勤務時間をだいぶ使ってしまった…(大汗)。
[27493] 2004年 4月 18日(日)19:39:28サブロー さん
福島VS郡山(福島市擁護派)
福島と郡山のライバル関係については、常々気になっていたので参加させてください。仕事の都合上福島市の方が多く滞在するので意見が偏ってますがご勘弁を・・・。

さて、県庁移転論は昔からありますが表面化してきたのは、福島県知事である佐藤氏が当選したあたりからです。当時演説の中で県庁移転論を掲げ、福島市と郡山市で票が割れたように記憶しています。

確かに企業の支店・営業所での数的には郡山の方が多いですが、やはり公的機関は圧倒的に福島市のほうが多いです。現実論として郡山への移転は不可能でしょう。県庁だけが移転すればいいのではなく、それに付随する各機関も一緒に動かなければなりません(県警本部など多数)そして外郭団体なども多数それに伴い移転しなければならないような事態も考えられます。現に福島市には県の各機関が集中し、国の機関もそれに付随し整っています。
それらを莫大なお金をかけて郡山へ移転するメリットは今のところないように思えます。

私は隣県在住ですが、実際両市にはよく行きます。郡山はどうしても昭和40年代のようなゴミゴミした印象を受けてしまいますが、福島市の方は街としての魅力を感じます。信夫山や花見山、東日本最大の温泉郷である飯坂温泉、スカイラインといった観光地など人を呼び込むハードはそろっています(ハードがあってもそれを生かす努力が福島市には足りない)し、市街地の大きさも程よく、いい意味でコンパクトにまとまっています。実際生活基盤として考えた場合は福島市の方が住み易いのではないかと思います。
郡山は交通の要衝ではありますが、それは隣県や他都市へのアクセスであって、福島市の場合は福島交通や阿武隈急行が北部、東北部を走り市内移動をある程度容易にしています(首都圏に比べれば微々たるものですが)道路の整備状況も県内ではよい方ですし、東北の中でも先駆けて駐車場案内システムなるものも導入されました(今ではナビが普及し必要性が薄れていますが)公共整備の資本投下は、やはり県庁所在地である福島市の方が優先されているように思えます。

福島市は最近全国に先駆けて、民間建設のマンション等を借上げて市営住宅にする「借り上げ住宅制度」のもと、実際中心部に建設中も含め5棟ほどの高層市営住宅が誕生しています。また市街地でのマンション等の住宅建設の伸び率は国内でもトップクラスの福島市は現在中心部の人口回復に躍起になっておりマンション建設ラッシュです。現在のような日本の状況下では、公的な開発と民間開発がうまく融合する福島市の方が今後は延びるのではないかと思います。
行政都市としての福島と経済の郡山がお互い足を引っ張るのではなく、刺激し合ういい意味でのライバルであってほしいです。
[27582] 2004年 4月 21日(水)22:30:26千本桜[軒下提灯] さん
Re:福島VS郡山(福島市擁護派)
[27493]サブローさん
信夫山や花見山、東日本最大の温泉郷である飯坂温泉、スカイラインといった観光地など人を呼び込むハードはそろっています(ハードがあってもそれを生かす努力が福島市にはたりない)し、
福島市全体として人を呼び込む努力が足りないかどうかは考えたことが無いので分かりませんが、信夫山を見る限りでは同感です。あんなに良い山なのに、さほど観光宣伝する訳でも無く、市民の憩いの場に終わらせているのは何故でしょう。信夫山から見下ろす福島市街の夜景は、東北地方の夜景の中で一番の美しさなのに勿体ないと思います。
市街地の大きさも程よく、いい意味でコンパクトにまとまっています。
同感!。実は私も、福島の街を歩いていると「コンパクト」という言葉がひらめくのです。小さいけれども県都であるがゆえに高次都市機能が詰まっていて、使い勝手が良さそうに思えます。

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