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落書き帳アーカイブズ 北海道亀田市、長野県篠ノ井市、兵庫県飾磨市、岡山県西大寺市、広島県松永市、大分県鶴崎市、鹿児島県谷山市など、合併によって1つの市でなくなった自治体の市街地は、その後どのような変遷を経ているのでしょうか?

合併により消滅した市のその後



★推奨します★(元祖いいね) YSK 実那川蒼 BANDALGOM ken まるちゃん なお グリグリ スピカ 北神 geo 播磨坂
編集:YSK

記事数=23件 更新日:04年01月31日
記事#記事日付
記事タイトル
発言者
[6083]2002年12月7日
丸の内線など ケン(地理好き)
[6405]2002年12月13日
広域化の要請 再 TN
[6410]2002年12月13日
函館市など ケン(地理好き)
[6414]2002年12月13日
京都市(一言レス) NSK
[6420]2002年12月13日
旧谷山市、旧伏見市 TN
[6436]2002年12月13日
re.6419 ケン(地理好き)
[6445]2002年12月14日
市街地の連続について なお
[6829]2002年12月23日
合併により消滅した市のその後 YSK
[6836]2002年12月23日
陽はまたのぼる(夜明けのレスキャット) 白桃
[6838]2002年12月23日
岡山の学校事情 深海魚
[6840]2002年12月23日
篠ノ井市の場合 Issie
[6880]2002年12月23日
消滅した市関連レス YSK
[6887]2002年12月23日
妹尾と西大寺 白桃
[6906]2002年12月24日
妹尾と西大寺レス YSK
[6926]2002年12月24日
飾磨市 らるふ
[7034]2002年12月26日
感謝 TN
[8109]2003年1月24日
市街地の連続・不連続 まがみ
[8133]2003年1月24日
合併した市同士の市街地の連続、不連続 てつ
[8155]2003年1月24日
松代市を考える special-week
[8157]2003年1月25日
松代町 YSK
[8177]2003年1月25日
松代 Issie
[8455]2003年1月30日
白桃おじさんの岡山・西大寺再訪紀行(後編) 白桃
[8469]2003年1月30日
西大寺補足 白桃



[6083] 2002 年 12 月 7 日 (土) 23:06:30 ケン(地理好き) さん
 丸の内線など
ARC 合併により消滅した市のその後

丸の内線の車両は八王子市のこども科学館にありました。
亀田市は市制施行からわずか3年で函館市に合併され消滅しました。亀田市は五稜郭の北側に市域がありました。

[6405] 2002 年 12 月 13 日 (金) 12:53:55【2】 TN さん
 広域化の要請 再
ARC 生活圏の広域化と市町村合併 ARC 合併により消滅した市のその後

[6380]YSK さん
 市町村行政の広域化の要請

(1)その広域化が要請される要因は何なのでしょうか?
(2)その要請を行っている主体はどのようなものでしょうか?
(3)その要請に答え得る唯一の手段が合併であるとその主体がする理由は何なのでしょうか?

1:モータリゼーションの進展による生活圏の実態と行政単位の乖離、その他、行政サービスや国からの機関委任事務を低コストで行なう、つまり金の節約(訂正:国の機関委任事務は廃止され、自治事務・法定受託事務に整理されました、また事務自体が廃止されたものあり)
2:国(総務省)、将来の道州制を見越して「州ー広域化した市町村」のラインをつくる、つまり県の廃止(事務権限の委譲が行なわなければ、単なる県合体に終わる危惧あり)
3:広域行政制度(広域連合・一部事務組合)の未普及、つまり事務権限委任の内容がはっきりしない、「都道府県ー(広域連合)ー市町村」という屋上屋を首長が嫌うなど広域行政が手詰まりの為、合併を唯一の手段とする

訂正その2:広域化すればコストが低減する、という考えは違いますね。ITの進化を割り引いても広域化によって移動のコストが増える場合もありケースバイケースなのですから、この書き方は誤解がありますね。

これらが私の認識なのですが、間違いあるかもしれません。(訂正したことからもお分かりのように、私もそんなに理解しているわけではないです、あるいはもっと違う次元の事をお尋ねだったでしょうか。)


YSKさんのお話で、ふと思ったのですが、合併により消滅した市のその後が興味あります。といっても、北海道函館市と昭和48年に合併した旧亀田市は一体的な市街を形成しているのでそれほどでもないのですが
例えば、
長野県篠ノ井市、茨城県那珂湊市、岡山県西大寺市、広島県松永市、大分県鶴崎市、鹿児島県谷山市などの人々はその後後悔していないのでしょうか・・・。
私が長野県の小布施町にいった時の印象では、単独のままでよかったね、という感じでした。(第三者かつ一観光客の印象)
私の場合どうしても中心市街地に興味が湧くのですが、もちろん郊外地域はそれとは違う問題があるのは承知してますし合併の経緯にそれなりの事情があったことも想像できますが、魅力ある自治体を造るうえではどうしても中心地に資本投下を集中させなくてはなりませんので、広域化して多極になった場合特にこれらの8対2的な市街地はその魅力を殺されてしまったのではないかと余計な心配をしております。

[6410] 2002 年 12 月 13 日 (金) 17:30:46 ケン(地理好き) さん
 函館市など
ARC 合併により消滅した市のその後

函館市と旧亀田市は市街地が一体化しているようですが、ほかにも広島市と府中町、海田町、釧路市と釧路町、鹿児島市と旧谷山市、富士市と旧吉原市、那覇市と旧首里市、旧真和志市などが市街地が一体化されています。
合併によって誕生した市は市街地が分散されているところが多いです。
市で増加率1位の浦安市は単独維持を表明されています。町村で減少率1位の長崎県外海町は周辺市町村と合併構想があります。

[6414] 2002 年 12 月 13 日 (金) 18:20:35 NSK さん
 京都市(一言レス)
ARC 合併により消滅した市のその後

[6405]TNさん
[6410]ケン(地理好き)

●京都市の場合
京都市と旧伏見市(伏見区)は、市街地としては一体化していませんが、旧深草町(伏見区北部)を介してかろうじて連続しています。
さらに、旧久世村(南区)、向日市、旧大原野村(西京区)は市街地が一体化していますが、旧久世村と南区本体、旧大原野村と西京区本体は一体化していません。

[6420] 2002 年 12 月 13 日 (金) 19:55:32 TN さん
 旧谷山市、旧伏見市
ARC 合併により消滅した市のその後

[6410]ケン(地理好き) さん
>函館市と旧亀田市は市街地が一体化しているようですが、ほかにも広島市と府中町、海田町、釧路市と釧路町、鹿児島市と旧谷山市・・・

谷山地区ですが、1967(昭和42)年の合併当時4万だった人口が現在では16万人だそうで、山間部が鹿児島市のベッドタウン、港湾は鹿児島港の機能の一翼を担うなど副都心として発展することが期待されている、と関連HPにて説明されておりました。
私は、そこまでだとは正直思っていませんでしたので、認識を新たに致しました。
現在、中心市街地の活性化が模索されているようです。↓
http://www.taniyama.or.jp/annai/mirai.htm

[6414]NSK さん
旧伏見市(伏見区)や名古屋市の守山区(旧守山市)、仙台市の泉区(旧泉市)などの事例はこれからも我々に示唆を与えてくれそうですね。

追伸:YSKさんへ
「消滅した市の今を考える」というのはいかがですか。

[6436] 2002 年 12 月 13 日 (金) 22:43:29 ケン(地理好き) さん
 re.6419
ARC 合併により消滅した市のその後

福山市街と旧松永市の市街地が離れているのは、もともと別の町だったことと、福山市街が深安郡、旧松永市が沼隈郡に所属していたからです。
ほかにも倉敷市街と旧児島市の市街地と旧玉島市の市街地が離れています。
姫路市と旧飾磨市、浜松市と旧可美村は市街地が一体化されています。大分市と旧鶴崎市はわかりません。
西舞鶴と東舞鶴は別の町でした。

[6445] 2002 年 12 月 14 日 (土) 08:26:38 なお[KN] さん
 市街地の連続について
ARC 合併により消滅した市のその後

大分市の方は旧鶴崎市から大在、坂ノ市の北部は市街地が連続しています。
旧大分市の方も当時はわかりませんが現在は繋がっています。

[6829] 2002 年 12 月 23 日 (月) 00:38:05【2】 YSK さん
 合併により消滅した市のその後
ARC 「いわき市」について語ろう ARC 合併により消滅した市のその後

[6405]TNさん
>合併により消滅した市のその後が興味あります。北海道函館市と昭和48年に合併した
>旧亀田市は一体的な市街を形成しているのでそれほどでもないのですが、例えば、長野
>県篠ノ井市、茨城県那珂湊市、岡山県西大寺市、広島県松永市、大分県鶴崎市、鹿児島
>県谷山市などの人々はその後後悔していないのでしょうか・・・。
そうですね。亀田市や松永市、谷山市については、皆さんからレスがあったようですし、私も行ったことがないのでレスをすることはできませんが、もし合併によってこれら消滅した中心市街地への資本投下が減少するなどして中心市街地の活力がなくなったり、地元のまちづくりについての意見が市当局に反映させにくくなったりするといったことがあれば、これらの市の住民にとっては何のための合併だったのか、といった問題にもなりかねませんね。

私が生活した地域の中で、この「合併により消滅した市」にあたる地域が旧泉市(宮城県、現在の仙台市泉区)ですね。ここの場合、仙台都市圏の拡大に伴い人口が急増する中で、無秩序な都市化が進行しつつありましたが、市独自に団地の造成要項を設けて市街地化をうまくコントロールしてきたという実績がありました。また、公共料金や行政サービスについても、仙台市より優れていたものも多かったこと、もともと水系を異にし一体的な地域という土壌はうすかったこと、などから仙台市との合併に対しては、かなりの反対意見があったと聞きます。
合併後の泉区では、そのような地域感情に配慮し、さまざまな都市基盤強化策が実行に移されました。仙台市営地下鉄南北線の開業(87年の当初の開業時は1つ南の八乙女駅までの営業でしたが、92年に泉中央まで延伸された)、同地下鉄泉中央駅付近の再開発、仙台スタジアムの建設などです。私が仙台にいた93年から99年までの間に、泉中央地区はめざましく成長し、現在では仙台市北部の副都心的な色彩すら感じさせる地域へと成長しています。
その一方で、旧仙台市内の若林区などでは、相対的に資本投下が停滞し、被編入地域への過大な資本投下に対し、羨望と批判とが渦巻いたとも聞いています。

>私の場合どうしても中心市街地に興味が湧くのですが、もちろん郊外地域はそれとは違
>う問題があるのは承知してますし合併の経緯にそれなりの事情があったことも想像でき
>ますが、魅力ある自治体を造るうえではどうしても中心地に資本投下を集中させなくて
>はなりませんので、広域化して多極になった場合特にこれらの8対2的な市街地はその
>魅力を殺されてしまったのではないかと余計な心配をしております。
手許に、市町村合併とその後の都市地域構造とを分析した文献 片柳勉(2002)『市町村合併と都市地域構造』古今書院 がありますので、そこでのケーススタディから、いくつかの地域の事例について簡単にご紹介します(相対的に規模の大きい自治体に編入された旧市の事例ではありませんが)。

(1)富士市(旧富士市、旧吉原市、旧鷹岡町の合体により発足)のケース
合併の際に、新市の名称や新庁舎の位置等で旧富士市と旧吉原市とで確執があった。新市の新しい中心市街として、富士地区と吉原地区との中間の地域が区画整理され、新市庁舎をはじめとした多くの施設が立地した。そのため、旧富士市、旧吉原市それぞれの既成市街地の中心性は相対的に小さくなった。

(2)上越市(旧高田市、旧直江津市の合体)のケース
高田と直江津の既成市街地に引き続き資本投下が行われるとともに、両市街地の間の春日山駅周辺地区と関川東部地区(上越IC付近)とが優位的に資本投下を受けて(市庁舎もここに立地)発展し、都市構造は結果として分散化した。高田市街地の南部地域などは、相対的に資本投下が少なく、不公平感を生む結果ともなる。

(3)いわき市(旧平市、旧常磐市、旧磐城市、旧内郷市、旧勿来市を中心とした広域合併)のケース
新産業都市の指定を受けて都市基盤の強化が行われた(主に住宅地と工業用地の拡大)が、官公署等の行政・文化の拠点となる施設は主に平地区に配置されて拠点化する一方で、小名浜地区や常磐地区等では観光機能を強化する施設配置がみられた(小名浜地区には、一部港湾関係の官公署も立地)。その結果、対等合併であったものの、その後の施設配置は、平地区の拠点性を強化させる方向であった。

※その他、いくつかの中心地が対等合併することによって市制を敷いた事例として佐久市と南陽市が分析されています。佐久市は、岩村田、中込、野沢という中心地に、中込と岩村田との間に新たに中心地が形成されて市街地の多極化が進み、一方の南陽市では既存市街地である赤湯と宮内(もともとの東置賜郡の中心地)との間に市庁舎が建設され両市街地の一体化が企図されたが、赤湯地区が中心地区としての拠点性を高める中で人口の停滞などから新市街地の形成もうまく立ち行かず、宮内と赤湯との較差が広がりつつある、とのことでした。

[6836] 2002 年 12 月 23 日 (月) 09:04:24【2】 白桃 さん
 陽はまたのぼる(夜明けのレスキャット)
ARC 合併により消滅した市のその後

今日からまた日が長くなるとのこと。
どちらかというと長日性生物の白桃にとっては良いことである。

[6824]YSKさん
 「行政の広域化」に関して、白桃も同様の考えです。ただ、YSKさんの如く自分の考えをうまく言い表せません。(泣)

[6825]でるでるさん
 キャプテン翼の香川県代表は「石田中学」でしたか。他と同様架空の学校と思いますが、実は石田高校というのは実在します。今の「さぬき市」の中の「旧寒川町」は、旧石田村と旧神前村が合併してできたのですが、旧石田村に石田高校があります。この地区の中学は「天王中学」です。山の上にある学校で高徳本線造田/神前間でよく見えます。(マイナーな話題で誠に恐縮です。)

[6826]ニジェガロージェッツさん
 お帰りなさい。また、よろしくお願いいたします。

[6829]YSKさんに追加
旧西大寺市の場合
 岡山市街と西大寺市街に連たん性?は認められません。白桃が岡山にいた頃はもうすでに合併しておりましたが、親戚がいると聞いてもたった一回だけしか行ったことがありません。鹿児島・谷山のような関係であれば、いかに不精者でもたった一回ということはなかったと思います。往きは両備バス、帰りは国鉄?を利用したと思います。赤穂線は今でも本数が少なく不便です。岡山のデパート天満屋のバスターミナルからは結構本数があると思います。西大寺は門前町及び吉井川の河口港として栄え、町の歴史は宇喜田直家が入城後に開けた岡山より古いのではないかと思います。直家は岡山の町を開くにあたり、西大寺や福岡(当時、備前の中心地)から商人を集めたようです。岡山の繁華街に西大寺町というのがありますが、そのことを物語っているのでしょう。
 さて、肝心の旧市の実情についてですが、誠に申し訳ないことによくわかりません。新年早々、岡山に行く機会があると思いますので情報収集と若干の地域調査に努めたいと思います。ただ、岡山市は倉敷市と合併競争に明け暮れていた時代(1970年頃)があり、当時さほど岡山市の影響が及んでいなかった西大寺を取り込むために何かしらの手土産はあったかもしれません。先に述べましたように、西大寺は岡山よりも歴史が古く、現在の生活圏もすべてが岡山の中心市街地を志向しているような状況ではないようです。地元には西大寺高校というかなりの進学校もあり、わざわざ、朝日、操山に行かなくてもよろしいのでは。(これは推測)
 参考 旧西大寺市の国勢調査人口
  1955年 44020
  1960年 45984
  1965年 46868
  (2002年)67443(10月末現在 西大寺支所住民登録数;含む外国人)

[6838] 2002 年 12 月 23 日 (月) 10:12:14 深海魚[雑魚] さん
 岡山の学校事情
ARC 合併により消滅した市のその後

[6836] 白桃さん
>今日からまた日が長くなるとのこと。
夏至と冬至の日の出、日没時刻が三時間差程度として、一日平均一分ずつ延びて行く計算かな。

>地元には西大寺高校というかなりの進学校もあり、
西大寺の地勢を反映してか、そろそろ創立百周年を迎える古豪ですが、詳細は不明。何が何でも
岡山の街中を志向するといった構図ではないのですね。

>わざわざ、朝日、操山に行かなくてもよろしいのでは。(これは推測)
岡山市内では、旧制史を持つ朝日 (一中+二女) や操山 (二中+一女) の人気は高いでしょうね。
恐らく白桃さんが現役大学生の頃は、両校出身者が圧倒的に多かった事と思います。この両校に
大安寺 (1963年創立)、芳泉 (1974年創立)、一宮 (1980年創立) の新設校を加えた総選制度や、
確か全県受験が効き人気も高いらしい城東 (1987年創立) を併せて、岡山市内の公立進学校は、
正に群雄割拠の様相と拝見します。一方、総選制度自体は 1996年に廃止されたとの記述もあり、
芳泉の単位制化、操山の中高一貫化など、各校が独自色を模索し始めた感じですね。二中系の
一貫制といえば、浜松二中系の浜松西高を連想します。

[6840] 2002 年 12 月 23 日 (月) 11:15:38 Issie さん
 篠ノ井市の場合
白桃 衛星都市を馬鹿にしちゃいけません ARC 合併により消滅した市のその後

[6405] TN さん,[6829] YSK さん,[6836]白桃 さん

では,長野県の旧・篠ノ井市の場合。
「篠ノ井市」は1959年に更級郡篠ノ井町と塩崎村とが合体して発足しました。善光寺平(長野盆地)の南西隅から,合体市制以前に篠ノ井町が編入していたは犀川南側の丘陵地帯までを領域としていました。1966年に,同じ更級郡の川中島町ほか2村,埴科郡の松代町,上高井郡から1村,上水内郡から1村,そして長野市と合体して,いわゆる「大長野市」となりました。
したがって,単独の「市」であったのは,わずか7年間だったということになります。

さて,目で見た限り,合体したそれぞれの旧自治体どうしに市街地の連続は見られません。
基本的に,合体以前の旧長野市がそれなりの広さを持っていて,旧市域の周縁部の市街化も進んでいないからです。ただし,長野駅南側の芹田地区では紡績工場(現在は廃業)や大学(信大工学部)が進出したこともあって,旧市境の犀川岸まで市街地が形成されており,北国街道(国道18号旧道)の丹波島橋をはさんだ対岸の旧更北(こうほく)村丹波島地区に市街の連続性が見られないこともありません。とはいっても,犀川の存在自体が市街地の連続性を断ち切っています。
さらに都心部から離れた篠ノ井や松代は,市街地としては完全に長野から独立しています。

人や車の流れから見れば,県都・長野の吸引力は圧倒的なものがあると思われます。
かつて,篠ノ井と長野都心部の間には国道18号の旧道(県道:旧北国街道)と新道(現在の国道旧道)とをそれぞれ経由する川中島バスの路線が頻繁に運行されていました。現在では本数はかなり削減されていますが,それはバス利用者が自家用車に移転したからです。
国鉄/JRの信越線は長い間ローカル輸送にはあまり積極的でなかったこともあって,大都市の路線や,あるいは長野電鉄にもわずかに仄見える通勤輸送へのシフトは明白ではなかったのですが,それでもこの区間の通勤・通学輸送需要も小さくありません(もっとも,そのうちの少なくない部分は“篠ノ井発”ではなくて,より遠方の上田方面からのものが占めています)。
全般的に,篠ノ井は長野市との合体以前から県都・長野の衛星都市的な性格の強い都市でした。

一方で,篠ノ井には長野とは逆方向,千曲川をはさんだ屋代(更埴市)との結びつきもあります。
もともと篠ノ井は「更級郡役所」(戦時中は更級地方事務所)が置かれていたこともあるように,更級地域の中心という機能も持っていました。県立更級農業高校の存在がそれを象徴しています。
千曲川をはさんだ埴科郡では藩政時代の城下町・松代にかわって,北国街道・信越線という交通幹線場に位置する屋代が郡の中心として浮上し,お互いに隣接する篠ノ井と屋代が結びつきを深めました。実は,“見た目”で市街地が連続して見えるのは千曲川をはさんだ篠ノ井・屋代間の方です。
長野県では更級地域と埴科地域とをまとめて「更埴(こうしょく)地域」と呼ぶことが多いのですが,この2郡は地勢上,善光寺平の南半分を占める“北部”(篠ノ井・川中島・松代ほか)と,上田盆地への回廊を構成する“南部”(屋代・戸倉・坂城・稲荷山・上山田ほか)とに分けられます。そして,“北部”は県都・長野の成長とともに多くの面で長野都市圏に吸収されていきました。
一方“南部”はその位置から,長野を中心とする「北信」と上田を中心とする「東信」とに時に応じて所属を変えながら,両都市圏とは一定の距離をおいてきたように思われます(…というよりは,両都市圏に同時に属していた)。そして,“南部”の中では屋代への集中度が高まりました。
篠ノ井をはじめとする“北部”の「大長野市」への合体は,この流れを強めます。“北部”が「長野市」になってしまった結果,「更埴地域」とは“南部”をさすことになりました。すでに1959年には埴科郡の屋代町と更級郡の稲荷山町その他が合体して「更埴市」が発足し,(建前では屋代と稲荷山の対等合併でありながら)屋代の中心都市としての地位が固まります。
で,篠ノ井の場合,長野市になった以降も屋代とのつながりは相変わらず強いように思われます。
若干,別のファクターも関連して,本当は例として適当ではないのかもしれませんが,篠ノ井地区からは県立長野高校への流れ以上に県立屋代高校への流れのほうが大きいような感じを受けます。だって近いからね。

結論。
旧篠ノ井市の場合,人や車の流れという一瞥しただけでは判断できない現象は別にして,目で見る限り,長野都心からの独立性は相変わらず強く残っているように見えます。篠ノ井には市民会館があるのですが,これは「独立・篠ノ井市」の遺産ですね。
(ところで,ここでは商業機能にはあえて踏み込みませんでした。元々,篠ノ井は商業機能という点ではあまり大きな都市ではないのです。更級地域の商業中心としては,犀川丘陵一帯を後背地にもつ稲荷山の方が優位だったのです。もっとも,ここは高度成長期以降,急激に衰微しました。)

なお,モータリゼーションの進展と1980年代後半の国道18号(新)バイパスの開通,そして1998年のオリンピックの開催はこのあたりの地域構造に大きな変化を与えつつあります。
具体的には新バイパス沿線への郊外型大型店舗の進出と,信越線の篠ノ井−川中島駅間に新設された今井駅前のオリンピック村を転換した大規模住宅団地,などなど。
結局のところ,篠ノ井は明らかに長野都市圏の中にしっかりと組み込まれています。

[6880] 2002 年 12 月 23 日 (月) 18:16:57 YSK さん
 消滅した市関連レス
ARC 合併により消滅した市のその後

[6836]白桃さん
レスありがとうございます。西大寺市関連のお話興味深く拝見いたしました。
総合すると、現在の西大寺地区は、岡山市という大枠の中で緩やかに岡山の中心地区と結合しながらも、相対的に独自の生活圏を形成する有力な一中心地という評価ということになるでしょうか。

岡山市や倉敷市は、広域合併が起こった結果、西大寺地区のような、相対的に独自の生活圏を持つローカル中心が多いように見受けられますね。倉敷市玉島や同市水島は言うに及ばず、岡山市妹尾などもそういった中心の1つのように思われますが、いかがでしょうか?

[6840]Issieさん
レスありがとうございます。篠ノ井地区と、長野市の中心地区、松代地区、更埴市域内の中心地(屋代地区、稲荷山地区)について、よく理解できました。
行政地域としては、複数の地域中心を包括する形で再編が行われて、それらの間で若干の拠点性の盛衰があったかもしれない状況下でも、それぞれの中心地はそれぞれの地勢の中で独自性を維持し、存在しつづけているというのは興味深いと思いました。

[6887] 2002 年 12 月 23 日 (月) 21:46:02【1】 白桃 さん
 妹尾と西大寺
ARC 国勢調査等の人口データ秘蔵館 ARC 合併により消滅した市のその後

[6880]YSKさん
 岡山市と倉敷市の合併競争については、その記録を辿るだけでも大変ですが、そもそもは白桃が幼少のみぎり岡山県知事であった三木さんの岡山県南百万人都市構想が出発点だったと思います。彼は長く知事を勤められており、香川県民だった白桃も印象に強く残っております。もっとも、当時のNHKのローカルニュースが岡山・香川一緒にやっていた点も白桃の記憶を助けているものと思いますが。百万人都市構想で三木知事の評価も大分下がったようです。結局、百万人都市構想は陽の目をみなかったのですが、高度経済成長期に岡山県南が新産業都市に指定され、水島を中核に「公害を撒き散らす新産都の優等生」として地域経済構造の変化に伴う地域再編が行われました。すなわち、児島、玉島、倉敷の3市の合併による新倉敷市の誕生です。話がややこしくなるので詳細は省略しますが、この3市も過去にそれぞれ合併を繰り返しております。玉島は明治後半から大正時代に港町として県内では岡山に次ぐ人口を擁していました。児島は昔からの港下津井と味野が一緒になり、それに琴浦が加わるという複雑さ(本当はもっとややこしい)で、今尚.市街地が分断されております。この地域は、学生服の生産で一時期繁栄しておりました。天領倉敷も連島、西阿知等を合併しております。最新の合併は茶屋町の吸収合併です。水島コンビナートが出来る前のこのあたりといえば、いぐさ(たたみ表)栽培地域として香川県からも季節労働者を出す労働集約性の高い農業、紡績等軽工業の盛んなところというイメージでしたが。このような倉敷の拡大におびえ、あせった岡山が西大寺をはじめ、妹尾、足守、吉備(撫川、庭瀬)、高松といった昔からの小都市を吸収していきました。
 ですから、岡山の場合、西大寺とはどうしても合併したかったのではないでしょうか?しかし、人口規模の小さい妹尾は岡山からみたとき、そんなに必要でもなかったかもしれません。妹尾との合併は西大寺より後だったということが何よりの証拠でしょう。昔の児島湾の影響で湾曲に連なる宇野線沿線の小都市群(茶屋町、早島、妹尾)はそれぞれ、現在所属するところが違いますが、妹尾は距離的にも岡山に近く岡山との合併は必然的であったかもしれません。

   (ご参考)妹尾町と西大寺町(市)の人口(国勢調査)
          1920     1950     1955    1965
   妹尾    7262人    9695人   9768人   9648人
   西大寺   5825人   14653人  44020人  46868人

[6906] 2002 年 12 月 24 日 (火) 02:04:09【1】 YSK さん
 妹尾と西大寺レス
ARC 合併により消滅した市のその後

[6887]白桃さん
レスをありがとうございます。
岡山県南部に100万人都市を築こうとする構想の影響と、岡山市と倉敷市の広域合併の流れ(あるいは旧玉島市や旧水島市の合併も含めて)中で、付近の自治体が淘汰されてきたということでしょうか。

倉敷市が旧玉島市や旧水島市を合併して拡大していく動きに呼応するように、岡山市としても一定の都市規模を持つ旧西大寺市をどうしても合併しておきたかったということなのでしょうね。

とはいえ、以上に挙げた中心地間は、市街地は連接せず、独立した中心地であることには変わりは無いようですね。 [6840]にてIssieさんにご解説をいただきました長野市周辺の中心地群の現況と同じように、この地域においても、岡山、倉敷という2大中心地との結合関係を持ちつつ、相対的に独自性を維持する中心地群を形成しているということなのでしょうか。

岡山市や倉敷市はいまだ通過しただけの土地ですので、そのあたりの情勢もぜひ確かめてみたいですね。

[6926] 2002 年 12 月 24 日 (火) 18:54:01 らるふ さん
 飾磨市
ARC いざ対決!ライバル都市 ARC 合併により消滅した市のその後

アーカイブズが見事に編集されましたね。ご担当いただいた方々、お疲れ様です。
そこで、姫路市との合併で消滅した市「飾磨市」について少々。
姫路と飾磨の市街地をつなぐ山陽電鉄沿線は国鉄飾磨港線の廃線跡、卸売市場、旧街道と狭い道路に旧家が並び、山陽電鉄の古びた駅に狭い駅前などもあいまって「昔からつながっていた」と感じさせられるものです。
その少し東には、姫路駅の南口から飾磨を結ぶ駅南大通がとおり、姫路バイパスと交差し、周辺は道路も整備され、市役所もここ(ちょうど姫路・飾磨の旧市街の中間)に移転しました。このあたりは、農地だったのを市街化したところで、建物も多いのですが、開発の余地もあると言った感じです。
まあ、そう言った新旧のつながり具合で、まだまだ発展の余地があるところが姫路市の強みかも知れません。10年ほど前、関西では和歌山市と姫路市がほぼ同じ人口規模でライバル的な感じもありましたが、今では10万人近く姫路市の方が多くなりました。
1946年、姫路市に飾磨市・広畑町などの7市町を吸収する大型合併だったようで、当時合併した旧町村名を行政区でもないのに姫路市○○区という名前で残すような特別な扱い(?)でした。

城下町「姫路」としては港町「飾磨」と合併することはかなり重要だったことでしょう。

[7034] 2002 年 12 月 26 日 (木) 23:40:41 TN さん
 感謝
ARC 合併により消滅した市のその後

アーカイブズに関しまして。

>編集:YSK
>北海道亀田市、長野県篠ノ井市、兵庫県飾磨市、岡山県西大寺市、広島県松永市、大分県鶴崎市、鹿児島県谷山市など、合併によって1つの市でなくなった自治体の市街地は、その後どのような変遷を経ているのでしょうか?
>合併により消滅した市のその後

お礼遅くなりましたが、私の我儘を聞いてくださり何と申したら良いのか・・・。
在り来たりですが、ありがとうございました。

意図的な都市計画で両市街を結合させようとした事例
[6829] YSK さん
>新市の新しい中心市街として、富士地区と吉原地区との中間の地域が区画整理され、新市庁舎をはじめとした多くの施設が立地した。(富士市)
>両市街地の間の春日山駅周辺地区と関川東部地区(上越IC付近)とが優位的に資本投下を受けて(市庁舎もここに立地)発展し、都市構造は結果として分散化した。(上越市)
>中込と岩村田との間に新たに中心地が形成されて市街地の多極化が進み(佐久市)
>既存市街地である赤湯と宮内(もともとの東置賜郡の中心地)との間に市庁舎が建設され両市街地の一体化が企図された(南陽市)
[6926]らるふ さん
>姫路駅の南口から飾磨を結ぶ駅南大通がとおり、姫路バイパスと交差し、周辺は道路も整備され、市役所もここ(ちょうど姫路・飾磨の旧市街の中間)に移転しました。(姫路市)

物理的に市街が連担していない事例
[6419]夜鳴き寿司屋 さん
>現在では福山市の一部になっている旧松永市ですが、福山市街とは現在でも一体化はしていません。(福山市)
[6836]白桃 さん
>岡山市街と西大寺市街に連たん性?は認められません。(岡山市)
[6840]Issie さん
>目で見た限り,合体したそれぞれの旧自治体どうしに市街地の連続は見られません。(長野市)
[6887]白桃 さん
>玉島は明治後半から大正時代に港町として県内では岡山に次ぐ人口を擁していました。
>児島は昔からの港下津井と味野が一緒になり、それに琴浦が加わるという複雑さ(本当はもっとややこしい)で、今尚.市街地が分断されております。(倉敷市)

スプロールによって市街地が連担した事例
[6410]ケン(地理好き) さん
>函館市と旧亀田市は市街地が一体化しているようですが、鹿児島市と旧谷山市、那覇市と旧首里市、旧真和志市などが市街地が一体化されています。(函館市、鹿児島市、那覇市)
[6414]NSK さん
>●京都市の場合
京都市と旧伏見市(伏見区)は、市街地としては一体化していませんが、旧深草町(伏見区北部)を介してかろうじて連続しています。(京都市)
[6445]KN さん
>大分市の方は旧鶴崎市から大在、坂ノ市の北部は市街地が連続しています。(大分市)
[6829]YSK さん
>ここの場合、仙台都市圏の拡大に伴い人口が急増する中で、無秩序な都市化が進行しつつありましたが、市独自に団地の造成要項を設けて市街地化をうまくコントロールしてきたという実績がありました。(仙台市)

皆様の情報提供から感じますに、やはりわが国においては都市の成長管理に哲学が感じられないという点が一点(再確認)。そして、自治体への帰属がどれ程の意味を持つのかという点。

広域化の結論にはなりませんが、
市名人口面積人口密度
埼玉県蕨市71,1725.1013,955.29
福島県いわき市359,0371,231.13291.63

最近反応したいネタに反応できないのは、以下のせいです。
失礼な私をお許し下さい・・・。
http://www3.ocn.ne.jp/~ksmdi/

[8109] 2003 年 1 月 24 日 (金) 00:41:01 まがみ さん
 市街地の連続・不連続
ARC 合併により消滅した市のその後

連続書込み恐縮。

[7034]TN さん ほか「合併により消滅した市のその後」

あまり話題に上っていない市では、

門司市、小倉市、若松市、八幡市、戸畑市・・・現在の北九州市
守山市(愛知)・・・現在の名古屋市守山区
田無市、保谷市・・・現在の西東京市
布施市、河内市、枚岡市・・・現在の東大阪市

これらの市はいずれも市街地が連続しています。

北九州市は、港町の門司、製鉄の八幡というように、各々の都市のイメージがはっきりしているので、市街地も分散しているのかと思いましたが、いろいろとネットで調べてみたところ、当時から市街地はわりと連続していた印象を受けました。もっとも、現在では小倉への集中の度合いが高まっているようですね。

ちなみに、[169]前田 宏治 さんの書込みにありますが、戦前の福岡県は最も市の数が多い道府県でした。

東大阪市は、市役所の位置を、合併前に最も規模の大きかった布施市ではなく、市の中心部にある河内市役所を新しい東大阪市庁舎にしました(建物が比較的新しかったからという話があります)。現在、新しい市役所庁舎を中央大通(=阪神高速東大阪線)と中央環状線(=近畿自動車道)の交点付近に建設中ですが、[7034]TN さんの分類で言えば、「意図的な都市計画で両市街を結合させようとした事例」に当てはまるのかもしれません。

市街地分散型といえば、消滅都市とは関係ありませんが神戸市北区を挙げたいと思います。区役所のある 鈴蘭台 と、北神ニュータウンの中心地 岡場 とでは、市街地は連続していません。それから、神戸市須磨区も、南部と北部の間では急峻な山々が行く手を阻んでいます。

[8133] 2003 年 1 月 24 日 (金) 19:08:27 てつ さん
 合併した市同士の市街地の連続、不連続
ARC 合併により消滅した市のその後

鹿児島市は昔谷山市と合併し現在では都心を天文館付近、副都心を谷山地区としているそうですが両地区の間は凡そ15kmはなれてます。天文館付近から谷山地区まで市街地は連続しているのでしょうか?

[8155] 2003 年 1 月 24 日 (金) 23:58:21 special-week[ヒロオ] さん
 松代市を考える
ARC 合併により消滅した市のその後

 毎度、非現実的なことばかり考えているな〜と思われるかもしれませんが、長野市ってどうにか分割できないかなあと思うんです。


 長野市は以前、篠ノ井市を編入したわけですが、まずこの篠ノ井市を元に戻しましょう。そしてもう一つ、長野市内には松代という地区があるのですが、江戸時代はここに松代藩がありましたし、太平洋戦争時下には、松代大本営が置かれた場所でもあります。
 ところが、この松代。もともと長野市なのです。
 地図を見た上では、地形的にさほど長野市とそれほど近いわけでもなく、松代市というのがあってもよかったんじゃないか?とも思うのですが、ここらの歴史的経緯が不明です。詳しい方、いっらしゃいませんでしょうか。Issieさんあたり、ご存知なのかもしれません。

 それにしても、市町村合併が盛んな時流の中で横浜市を分市したいとか、吉祥寺区を新たに設置せよとか、長野市を3分割したいなどとほざく私は「時代遅れ」の男ですなあ・・・

[8157] 2003 年 1 月 25 日 (土) 00:13:59 YSK さん
 松代町
ARC 合併により消滅した市のその後

[8155]ヒロオさん
松代町は、1966.10.16に、旧長野市、篠ノ井市、川中島町などともに対等合併し、現在の長野市になっているようですよ。

詳しくは、アーカイブズ内
合併により消滅した市のその後
http://uub.jp/arc/arc63.html

に収録されている、Issieさん[6840]を参照いただけると、善光寺平の中心地構造のようすがよく理解できます。

松代や篠ノ井、川中島などが、“大長野市”となる選択をしたわけですが、その経緯や、もしそうでなくこれらの中心地が単独の自治体であった場合などを、注釈していただけないでしょうか、Issie先生。

[8177] 2003 年 1 月 25 日 (土) 12:02:08【2】 Issie さん
 松代
ARC 長野県の主要拠点都市はどっち? 長野市VS松本市 ARC 合併により消滅した市のその後

[8155] ヒロオ さん,[8157] YSK さん
何かご指名のようですが…

まず一般論として,自治体の合併や分割には当該地域の中での結びつきや地域構造といった“客観的”な条件だけではなくて,その地域内から都道府県単位,国レベルまで,それぞれの段階の住民や政治家の思惑や期待,そしてそれを実現できるだけの政治力といった条件がそろわなければ実現できません。机上でパズルの組み換えをやっているだけでは,“知的ゲーム”としては面白いけれども,現実には何の意味もないのです。

ところで「松代」ですが,現実の政治の場でどのような動きがあったのかは私にはわかりません。ただ,おそらくは1965年の「市町村の合併の特例に関する法律」(昭和40年法律第6号)の制定が直接のきっかけになっているだろうとは思います。
福島県石城(いわき)地域の大合併(1966年10月1日),岡山県児島市・玉島市と倉敷市(1967年2月1日),西大寺市と岡山市(1969年2月18日),広島県松永市と福山市(1966年5月1日),鹿児島県谷山市と鹿児島市(1967年4月29日)など,同時期に行われた市どうしの合併と同じ流れに属するのでしょう。新潟県上越市(1971年4月29日)の成立と,北海道亀田市の函館市への編入(1973年12月1日)も含まれるのでしょうね。大分県鶴崎市と大分市の合併(1963年3月10日)の場合は,前身の法律である「市の合併の特例に関する法律」(昭和37年法律第118号)によるものと思われます。

藩政時代から明治期まで,松代は確かに善光寺平の中での主邑的な位置にありました。けれども,これはひとえに松代藩10万石の城下町であったことによるものでしょう。
松代は,善光寺平の支配権をめぐって武田氏と上杉氏が川中島で対峙した中で,武田側の戦略的要地として浮上してきました。千曲川に面して築城され,それがその後もこの地域の支配拠点として江戸時代に至り,1622(元和8)年に真田信之が上田から移転してきて真田家の支配の下,明治維新を迎えるわけです。
そもそも松代城が千曲川に面して築城されたのは敵に対する防御という面だけではなくて,千曲川舟運もあてにしたものでしたから,こちらが物資輸送の主役であった時期には松代のロケーションはさほど悪いものでありませんでした。
ただ,陸上交通の面で見ると,屋代から松代を経て須坂,中野と続く谷街道が通っているわけですが,屋代から雨宮の渡しを渡って善光寺宿(長野)から高田方面へ抜ける北国街道に比べて支線的存在であることは否めません。それはそのまま,現在の信越線と長野電鉄河東(かとう)線の違いに現れています。
松代城下町は背後の山地から千曲川へ流れ出す中規模河川の扇状地上に位置するのですが,この河川の奥行きは深いものではなく,したがって松代市街は後背地というものをほとんど持ちません。先述の通り,谷街道で屋代や須坂と結ばれてはいますが,千曲川は善光寺平では盆地の南東側の縁に偏って流れ(これは犀川が作る大きな扇状地に押し出されてしまったのでしょう),そのせいで松代は千曲川にせまる山によって屋代とも須坂方面とも分断されて孤立したような位置にあるのですね。
だから,千曲川舟運が廃れてしまえば松代単独での発展は難しいロケーションにあるのです。
松代藩が廃止され,県庁が長野に置かれてしまえば,松代の地位が下落するのは止むを得ないことでしょう。
「埴科郡の中心」という地位も,そもそも郡内の北東端に孤立して位置するわけですから,北国街道に沿い,のちに信越線の駅も設置された屋代にその地位を奪われたのも蓋然的です。

この点,石高に関しては松代よりも小さな松本や上田,飯田などが地域の中心として圧倒的な位置にあるのと大きな違いがあります。
真田信之が上田から松代への転封を命ぜられたとき,名目上は9万5千石から13万5千石へという「加増転封」でありながら,父祖以来勢力を扶植してきた小県(ちいさがた)郡を奪われて,犀川扇状地を流れる荒れ川をかかえた善光寺平への移転を命ぜられたことに家中では大きな不満があったとも言われます(関ヶ原に向かう途中で足止めを食らわされ大恥をかかされた将軍秀忠の真田家への意趣返し,なんてことを言う人もいますね)。

かくて,松代は善光寺平の中のほかの地域がそれぞれに発展をしているのに対して,どうもそのような流れから取り残された存在として,松代小盆地内の商業小中心の地位に甘んじているように思います。そして,広域的には善光寺平の中心である長野の影響圏下にある。合併当時,松代とほかの地域を結ぶ最も太いパイプは,川中島平を横断して長野と結ぶバス路線でした(これは今でも同じ)。
このような状況の中で,善光寺平西半部を“1つの自治体”に統合する「大長野市構想」に,松代町も参加することを選択したのだと思います。

[8455] 2003 年 1 月 30 日 (木) 00:48:00【1】 白桃 さん
 白桃おじさんの岡山・西大寺再訪紀行(後編)
ARC 合併により消滅した市のその後

備前岡山

深酒のせいで目覚めはなんと、10時近くになってしまいました。こんなに朝の遅い日曜は初めてかもしれない。ひげもあたらず、着の身着のまま、入れ歯を装填すればあとは…。岡山駅近くのホテルを出て、高島屋の前から一番街(中四国随一と思われる地下街)に降りました。朝食(昼食?)の店を探しましたが、中途半端な時間なのでほとんど準備中。ただ、喫茶「白桃」は開いてましたが…。岡山の街を歩くには、「白桃」「天満屋」「ベネッセ」「林原」、この4つの単語を知らなければなりません。(今回は言及する時間がありませんので省略)岡山の地上の繁華街といえば天満屋がすぐ傍の表町でしょうね。駅近くに駅前、西口に奉還町というアーケード街もありますが、全くたいしたことはありません。市内には路面電車が走っておりますが、前編でも触れたような状況で、公共交通機関はバスですね。そういえば、学生時代には西大寺−岡山−倉敷−水島の地下鉄建設を勝手に妄想してました。西大寺に行くのもバスが便利。1時間に6〜7本出ております。でも、ほとんどが天満屋のバスステーションを経由しますので、天満屋にご用のない方には本当に迷惑ですね。駅前のバスターミナルを西大寺に向け両備バスがスタート。高層ビルが少ない岡山ですが、それでも最近NTT、ベネッセ本社、中国銀行本店などが建ちました。あと、高層とはいえないけれど、シンフォニーホールが目立ちます。これなんかは岡山市民も誇ってよろしいのでは。
天満屋に忠実なバスはそのあと県庁前を通過します。後楽園、烏城を左に見ながら東山にはいります。東山は旭川を越えた地区で路面電車の終点にもなっております。もう、このあたりから閑静な(好意的な言い方をすれば)街並となります。東山峠を越えると、またしばらくスプロール化されたありきたりの郊外住宅地が続きます。


西大寺

百間川を渡ると旧西大寺市の地域に入ります。岡山駅を出てから約40分で西大寺のバスセンターに到着しました。結局、バスが走る道沿いには東山峠、百間川の橋の区間を除き市街地はとぎれることなく続いておりました。でも、民家のすぐ後ろは田畑というところも多く、これでは市街地の連続性は認められないといった方が正解でしょう。
バスセンターから参道商店街を勘を頼りにあるいて行きましたが、日曜である事を割り引いても商店街の侘しきさま。30年前はもっと賑やかだったような。勘が正しかったのか、西大寺観音院にたどりつきました。2月の第3土曜日に行われる西大寺会陽「はだかまつり」は全国3大奇祭として有名です。観音院の後ろは吉井川で、すぐ川下には港町の面影をしのばせる街並もあります。観音院をあとにし、JR西大寺駅方面にむかう途中、西大寺はやはり門前町だったのだなぁ、と納得させるような町筋がいくつか。でも町全体が活気がなくセピア色。岡山市の小売販売額を地区別にみると、西大寺地区は本庁に続き、妹尾地区以下を押さえてはいるのですが、零細商店が多いようです。財務省印刷局岡山工場以外は大きな職場もないようですね。
西大寺は、岡山市に合併されたあと、生気が失われたか奪われたのではないかと考えてしまうほど,静かな町でした。バスセンター、観音院、JRの駅がよそよそしく離れているのも…。宴のあと、旅の終わりはいつも物悲しいものですが…なんとなく釈然としないまま、西大寺をあとにしました。

                                    おしまい

[8469] 2003 年 1 月 30 日 (木) 10:05:33【2】 白桃 さん
 西大寺補足
ARC 合併により消滅した市のその後

[8461]YSKさん
やはり、YSKさんや雑魚さんのように読みごたえのあるものは出来なかったです。(トホホ)
ところで、
この統計は、商業の集積する地区を抜き出して、その中だけのものでしょうか?それとも旧西大寺市域全体を対象としたものでしょうか?
たしかに説明不足でしたね。後者のものです。
1997年の岡山市の地区別小売業は次のとおりです。
地区商店数従業者数販売額(億円)
本庁4875285106500
西大寺6123331584
一宮12370798
津高106731168
高松12756387
吉備1631042209
妹尾1671045264
福田72558161
上道145969208
興除7728139
足守8828444
藤田94489141
西大寺市街のはずれには、「天満屋ハッピータウン」なる天満屋の出店があります。
なお、この統計は岡山大学文学部行動科学科地理学教室の学生が調査したものを無断借用しております。



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