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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

修学旅行で、どこに行きましたか?

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記事数=17件/更新日:2003年7月20日/編集者:YSK

みなさんの個性溢れる、珠玉の旅行記を集めてみました。旅情に満ちた旅行記をお楽しみください。

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★推奨します★(元祖いいね) BANDALGOM なお 深海魚 夜鳴き寿司屋 スピカ おがちゃん 桜トンネル

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[1764]2002年6月6日
あっちゃん
[1767]2002年6月6日
なお
[1770]2002年6月6日
深海魚
[1773]2002年6月6日
f
[1784]2002年6月7日
夜鳴き寿司屋
[1796]2002年6月8日
miki
[5766]2002年12月2日
深海魚
[5771]2002年12月2日
般若堂そんぴん
[5773]2002年12月2日
深海魚
[5776]2002年12月2日
深海魚
[5784]2002年12月2日
Issie
[5827]2002年12月3日
深海魚
[6489]2002年12月15日
YSK
[14071]2003年4月26日
なお
[14116]2003年4月27日
SANUKI-Impact
[14273]2003年4月29日
BANDALGOM
[14279]2003年4月29日
SANUKI-Impact

[1764] 2002年 6月 6日(木)16:41:01あっちゃん[実は小学生] さん
修学旅行の長ったらしい話&すみませんでした。&ちょっと要望
KNさんと一緒で、5月30日~31日まで東京に修学旅行に行ってきました。
生まれてからずーっと静岡のド田舎の地方の生まれなので、
憧れの大都会・東京に行ってすごく興奮してしまいました。(班長ですけど)
充実して楽しかったと言える修学旅行ではありませんでしたが、
自分達だけの力で電車に載ることや乗り換えなど無事できたことが良かったです。
それにしても、僕の住んでいる地方は東海道本線しか通っていなくて、
時間も約20ぷんおきぐらいに来るので、東京の電車って次の駅までの時間が早いし、
電車もちょっとまでばすぐ来るので、便利だな~と思っていました。

地方によって多少違ってくるようですが、みなさんは小学校の修学旅行は
いつの季節にどこへ行かれましたか?教えてください。

それと、グリグリさん、アーカイブスの新規ネタの件で、
連絡を頂いてからまだ一回も投稿していませんでした。すみませんでした。
それと、わがままかもしれませんが、少し書き込みのタイトルバーの色が
暗っぽい色が多いような気がするのですが、
もう少し明るい色の組み合わせを作って頂けないでしょうか? お願いします。
[1767] 2002年 6月 6日(木)17:11:45なお[KN] さん
お答え
一様僕は田舎の県に生まれたのに大分市鶴崎(別保地区)の住宅地で生まれました。坂ノ市に住んでも
支所一人口密度を持っている地区にでした。
別保小学校は入学した頃は1300人だったのですが今では986人と今年からマンモス校ではありません。

僕は(副班長でした)1日目100万人をこの前割った北九州市のスペースワールドに行って長門市湯本に泊まりました。そして翌日は国立公園秋芳洞、秋吉台にいきました。そして、福岡市の博多観光会館と博物館に行きました。

後、竹田市&荻町が合併した場合については合併特例法で市になれます。(人口約21000人)
後、竹田市と直入郡で確か合併協議会が出来てたような気がします。(人口約28000人)
後、去年の夏に東京に3日間家族旅行に行きました。後、10年前ぐらいに、各所修学旅行ちが替わったようです。

後、大分駅では東京よりか1分遅い5分おきで坂ノ市駅は8分おきなのですが、電車より高速道路の使用が多いです。

昼間人口は4000人しか増えず45万人でした。
一応大分市は豊肥線、日豊線が通っています。

雑魚さん

そういえば1年ぐらい前に羽合町の話が出たような気がします。
[1770] 2002年 6月 6日(木)18:09:13深海魚[雑魚] さん
修学旅行について
高校時代まで水戸市近郊に居た私の場合、小学校の時は東京に日帰りでした。
常磐道など全然開通して居なかった当時、国道6号線往復はとにかく時間が
掛かりましたっけ。東京での見学先は、皇居前広場、羽田空港、交通博物館、
NHK放送センターと記憶します。時期は五月だったかな。

中学時代は二泊三日の伊勢、奈良、京都方面。初日に新幹線から近鉄特急に
接続して鳥羽に赴き、バスで真珠島や伊勢神宮を見物、二見ヶ浦近所に投宿。
翌日は近鉄特急で大和八木に向い、バスで薬師寺、東大寺を見物。宇治から
瀬田川の谷を経由して大津に入り比叡山根本中堂、そして京都へ下りました。
その晩が唯一の班別自由行動で、新京極を散策。最終日は清水寺に寄った後、
混雑が酷かった二条城を諦め、太秦東映映画村、嵐山を回り新幹線で帰途に
就きました。三日間で使った小遣いは 427円ナリ。(ケチですねぇ) これは
六月の話です。

高校時代は・・・・・・・無かったんです。戦前の不祥事(内容不明)とやらの為。
その代り毎年秋、全校約一千名が参加する「歩く会」と云う迷物行事があり、
遠隔地にバス等で移動して学校を目指したり、水戸近郊を周回したり、総計
約70kmを、仮眠を含めて一昼夜で歩破(最後の 20kmはマラソン)しました。
とにかく体力勝負の行事なので、夏以降の体育の授業はひたすらマラソン。

ちなみに常陸太田の高校に居た友人の話では、広島、宮島、萩、津和野等を
班別行動で回ったそうです。大学で一緒だった、都内某有名私立高校出身の
仲間は欧州と言ってました。高校だと二年生の秋でしょうか。ちと羨ましい。
[1773] 2002年 6月 6日(木)19:38:09f さん
Re: 修学旅行の長ったらしい話
修学旅行とは懐かしいですねえ。私の場合はずいぶん昔のことでだいぶ忘れてしま
いましたが、広島、岩国方面に行きました(周りのたいていの小学校は伊勢に行く
ことが多かったようですが)。原爆ドームにいった次の日に岩国の米軍基地に行く
なんて、なかなか面白いコース設定でしたよ。

ところで今時の小学生は電車に自分だけで乗ったことがないのが一般的なんで
しょうか?8歳から10歳くらいになれば十分できそうな気がしますし、実際に
自分もそうでした。夏休みに時刻表を片手に、自分の家から祖父の家まで...
なんてありがちなパターンじゃないですか。
[1784] 2002年 6月 7日(金)14:41:37夜鳴き寿司屋 さん
修学旅行の思い出といえば。
 今が修学旅行という学校が多いようですね、修学旅行といえば
小学校の時に、電車にも乗ったことの無い児童が多いからと
新幹線の停車時間内に全員が乗り込めるように、6学年全員
が運動場で新幹線車両の乗り降り練習した事があります。
 中学校の時に阿蘇の旅館の従業員に「福山」と言ったら
何県にあるのかと逆に聞かれました。まあ一度も言った事の無い
地名を聞いても普通の人はわからない毛のは無理もないけど。
 また高校の時には広島県から京都まで新幹線に乗り、そこから
福井の東尋坊、富山・長野間の立山アルペンルート、長野、山梨、
名古屋の間を3泊4日の行程でバス移動し名古屋から新幹線で
戻るという中部地方循環旅行をしました。
 皆さんの中にはトンデモないコースの修学旅行をされた方は
おられないでしょうか。レスをお願いします。
 また最近、高校の修学旅行は引率の教師の負担(夜中に宿舎を
抜け出さないように監視したりする)を軽くするためにスキーの
修学旅行が多いと聞きますがいかがなものでしょうか?
[1796] 2002年 6月 8日(土)09:54:44miki さん
>1791&修学旅行の思い出
中学の時に九州に修学旅行に行きました。
私のつまらないギャグが飛びまくっていました。(笑)
1.阿蘇山にて
「あっ、阿蘇山だ!」「あっそー。」
2.九重山にて
「大分で転んだらおー痛!」
3.別府駅にて
「別府の北は北別府」
4.宇佐駅を通り過ぎる列車内にて
「宇佐はUSA...アメリカの飛び地じゃ。」
[5766] 2002年 12月 2日(月)11:25:15深海魚[雑魚] さん
私の旅シリーズ/修学旅行/小学校編
軽い気持ちで言及した 「セーラームーン」 ネタですが、殊の外に反応がありまして、有り難い由。
松戸さんの世代ですと、正に 「旬」 のネタだった訳ですね。最近は宝塚ミュージカルの演目にも
なっているそうですが、あの作品をどの様に料理したら 「実写版」 になるのだろう? その一方で、
西田敏行主演の実写版の印象が強い 「釣りバカ日誌」 は最近アニメ版が放映されていますね。
奥さんの顰蹙を買いつつも太公望三昧の浜ちゃんの生き様、釣竿をカメラと三脚に、海や河川を
線路際に置き換えると、何となく共感できる様な。(笑) 勤務先の社長にスーさんの様な鷹揚さは
残念ながら無いけれど。

余計な御喋りはこの辺にして、以前盛り上がった修学旅行ネタについて申し上げたいと存じます。
先ずは第一弾として小学校編。修学旅行とは称してもバスを仕立てての東京日帰り旅行ですが。
上京というだけで嬉しくて前夜眠れず、肝心の当日は寝不足気味という御約束のパターンでした。

当時は常磐道はおろか、向島以北の首都高や国道6号線の土浦バイパスも全く開通しておらず、
車での上京は些か耐久レースの観があり、その分車中からの鉄道ロケハン・ネタは以下のごとく
豊富な陣容でした。車窓風景に夢中になっていると、なぜか当時学級委員職を拝命していた手前、
カラオケの先陣を要求されるも、さっさと済ませ趣味に没頭したい私は 15秒以下の童謡で御茶を
濁して逃げ、クラス中の顰蹙を買う事しきり。

○ 石岡の陸橋から俯瞰する常磐線と関東鉄道鉾田線 (当時) の分岐点。
○ 新土浦駅付近での関東鉄道筑波線 (廃止) の踏切。
○ キリンビール取手工場の専用線。
○ 葛飾区金町の先で、京成金町線や小金貨物線と連続する踏切。(前者は現在高架橋化)

都内の見学先は皇居前広場、羽田空港、NHK放送センター、交通博物館の他、国立競技場や
竹下通りをかすめた程度です。当時の羽田空港の売店は、現在の 「ビッグバード」 に比べれば
かなりおとなしい陣容でしたが、確か国際線発着枠が残っていた頃で、友人達と、パンナム機や
ルフトハンザ機の離発着に歓声を上げた記憶があります。一人が購入したところ、連鎖的に皆が
続いた切替式12色ボールペンが懐かしく思い出されますが、昨年、久慈郡山中の鄙びた商店で
同様のアイテムを発掘した時は感涙物でした。

NHK放送センターでは、大河ドラマの撮影セットなどを見物しましたが、この時私の心をガッチリ
掴んで放さなかったのは新幹線の腰掛を配したスクリーン。白黒映像ながら実際の車窓風景が
放映されていました。今でこそ車窓展望を扱った市販メディアは珍しくありませんが、一般家庭に
ビデオが一般に普及する以前の話なのでこれは衝撃的。確か京都付近の映像で、暫く見入るも
「もう集合時間だから、さっさと来なさい。」 と引率教師に叱られ、後ろ髪の抜ける思いでその場を
辞したのでした。

交通博物館では、オタクとして看過できない単行本を売店で見つけ、是非に欲しかったのですが、
決められた小遣い額を逸脱する価格で、(おやつは 300円まで。) 泣く泣くその場は諦めました。
今思うと、当時の私は真面目で純朴だったんですねぇ。(笑)

[5755] てへへさん
御教示恐れ入ります。是非、アーカイブズに登録して頂きたいですね。

[閑話休題]
東北新幹線八戸延伸について、現地の知人から昨日付の岩手日報の特集を送って貰いました。
カラー写真をふんだんに使い、折込み式の頁を綴じ合わせた紙面四枚分の見開き広告もあり、
初めて見るその演出に、現地の新幹線に対する、並々ならぬ期待を感じました。岩手県北部の
名所が紹介される一方で 「はやてに乗って東京へ行こう。」 とのキャッチコピーの下、TDRなど
首都圏の観光PRが載っていたのも印象的でした。折しも埼京線と東京臨海高速鉄道の一体的
運転も開始され、線路は繋がっている新木場での直通枠の確保次第で、ますます好立地となる
TDRの権勢たるや、何をか言わんをや。

(次号予告/中学校編)
[5771] 2002年 12月 2日(月)15:07:31般若堂そんぴん さん
修学旅行あれこれ
[5766]雑魚さんの文を読んで修学旅行について思い出そうとしたのですが,大したものはありませんでした.
小学校3年は日帰りの社会科見学で米沢巡り,4年は同じく山形巡り,5年は同じく福島巡りです.小学校6年の時は一泊二日の松島旅行でしたこれが修学旅行らしい修学旅行の最初です.塩竃神社,松島水族館,瑞巌寺などを回ったと記憶します.街の中に魚の匂いが満ちていたのは塩竃だったのでしょうか? 最近の小学校修学旅行は日光に行くようです.
中学2年の時は二泊+列車内一泊の東京旅行.ウィスキーのミニチュア瓶1本と缶入りペプシコーラ1本にしか小遣いを使わなかった私は例外的存在で,他のほとんどの生徒が制限以上の小遣いを使ったそうな.二重橋前,羽田空港,その他,おきまりのコースを回ったはずなのですが特に強い印象もなく,鎌倉の八幡宮で着生植物の観察をしたこと,江ノ島で「本州(伊豆諸島),四国,九州の特に海岸の岩の隙間にまれに見られる」とされていた植物が野生状態で群生しているをみて興奮したこと(現在,その植物は神奈川県各地で見られ,千葉県,東京都でも発見されています)が記憶に残ります.
高校では修学旅行というものが無く,学年ごとの学校登山というものがありました.1年は白布温泉から若女平を経て西吾妻,人形石付近から天元台を経て白布温泉に戻り,一泊です.2年は東吾妻を歩き,五色温泉に一泊.山小屋のトイレの鍵がかからず,閉口しました.3年は安達太良山登山でした.他の皆がただひたすらに先を急ぐ中,霧の晴れ間からのぞく景観に見とれていました.確か岳温泉に泊まったのではなかったかな?

[5732]いなさん,「はんにゃどう」は「般若湯」に由来するかも.
[5773] 2002年 12月 2日(月)16:01:30深海魚[雑魚] さん
私の旅シリーズ/修学旅行/中学編
六月に伊勢、奈良、京都を三日間で回った中学三年時の修学旅行は、水戸を団体臨時列車で発つ
ところから始まります。ボックス席の客車編成に他校の生徒も乗り合わせるいわゆる 「集約臨」 で、
最近まで成田山参拝講でも見られた光景です。

新幹線は確か、定期便を運休扱いとし、集約臨に充当したものだったと記憶します。仲間の大半は
初めての新幹線なので浮ついた雰囲気。一方、四回目を数える私は余裕な訳で、君達、何を一体
そんなに騒いでいるんだい。高が新幹線じゃないか。もう少し僕の様に優雅に振舞えないのかい、と
ハナワ君状態。その内、冗談でなく煩くなって来たので、カメラ片手にデッキに引き篭もる雑魚でした。

名古屋から近鉄特急で鳥羽へ移動。ビスタカー編成の甲種特急で、学校側が作成した旅のしおりに
「近鉄特急の二階席はみんなで交代して楽しみましょう。」 一方、駅通過時の良からぬ目論見の下、
あえて一階席に篭る一部男子生徒もおりました。で、私は車内検札が無いのを良い事に、貸切枠を
外れたガラガラの先頭車でカブリ付き。 (私は当時から協調性に欠けていたんですねぇ。)

「本当は終点の賢島まで乗りたい。」 と後ろ髪の抜ける思い (当時は坊主頭でした。) で下車した
鳥羽で真珠島を見物した後、貸切バスで伊勢神宮内宮へ。この日はここで最も多くの時間を割き、
五十鈴川の流れを存分に堪能しました。確か外宮は省略して、速攻で二見ヶ浦の夫婦岩を見物し、
その近所に投宿。夕食時、話をした仲居のおばさんの言葉は明らかに関西系で、三重県の地勢を
実感した一幕でした。

二日目は宇治山田から乙種特急で大和八木へ移動。前夜、児童には非常に刺激的な深夜番組が
あったらしく、男子生徒の大半は不摂生から爆睡状態。おかげで、ロケハンに精を出す雑魚でした。
構内で近鉄線同士が交差する構造で、連絡線を二系統擁する大和八木駅の構造に魅了されるも、
貸切バスは無情にも短時間で発車。

まずは法隆寺へ。社会科の教科書で御馴染みの寺院が眼前にあるという臨場感で歓声を上げる
仲間をよそに、沿道でみかけた 「斑鳩町」 の表記の読み方が、引率教師に聞いても判然とせず
悶々とする雑魚でした。次に赴いた薬師寺は、当時御住職 (?) の 「ガンダム説法」 が有名やに
聞いていましたが、私は専ら、寺院裏手の近鉄西ノ京駅の方ばかり見ておりました。

御約束のセンベイで鹿と戯れた東大寺。木立の下には生後間もないバンビもいて、女子生徒が
「きゃー、かわいー♪」 と歓声を上げ近づくも、「親鹿を刺激するから近づかない様に!!」 と、鋭く
制するガイドさん。後年、金華山で非常に怖い思いをした手前、納得できるところです。ところで、
東大寺と言えば超有名進学校である東大寺学園を連想しますが、学校自体は新興著しい近鉄
京都線高の原駅近くで、どちらかと言えば 「西大寺学園」 ですな。(笑) 一応分水嶺の丘陵で
隔てられていますが、奈良市と京都府の木津・精華両町は、ボーダーレスで街の開発が進んで
いる様に見受けられますね。

当時は非電化だった国鉄奈良線沿いに宇治まで北上、平等院脇から瀬田川の谷へ。一転して
急に山間に入り、一体どこに行くのかと少々不安になってふと気づくと、バスの車内は運転手と
私を残して皆さん御昼寝。ガイド嬢の寝顔に色気を感じつつ、運転手と過ごす二人だけの時間。
倒錯した連帯感の下、バスは風光明媚な渓谷を上流方向へ進むのでした。これが琵琶湖から
流れ出る主要河川である事を認識したのは後年の話。

石山寺通過時のアナウンスで皆起き出すも、私が注目したのは京阪電鉄の石山寺駅。一頻り
湖岸を走った琵琶湖を、比叡山ドライブウェイから俯瞰して感極まったところで根本中堂に到着。
伝教大師のキャラクターを重んじての事か、やたらオッカナイ面持の御坊さんから説法を受け、
その後は田ノ谷峠から京都市左京区の出町柳へと山を下り投宿先へ。具体的な場所がどうも
判然としないのですが、夕食後、グループ別行動で、新京極に徒歩で赴いた記憶があるので、
阪急の河原町駅周辺だった様な気もします。

そして最終日、当時は地上線だった鴨川沿いの京阪本線を四条駅の踏切で越え、まず清水寺。
次に二条城に向かうも 「駐車場が異様に混んでいるので止めます。」 とあっさり省略。一応は
受験生なので寄って欲しかった北野天満宮の前をかすめ嵐山の渡月橋へ。ここでグループ別
行動となり暫く散策。本当は保津峡寄りの竹林を散策したかったのですが、友人の御目当ては
当時既に何店か進出していた タレント・ショップで、ちょっと腐った雑魚でした。ここで家族への
土産として購入した西陣織の財布 ¥427 が、当該修学旅行での支出の全てでした。(← ケチ)

最後に寄ったのが太秦映画村。漫画好きの私は楽しめましたが、ドラマには疎かった為、友人の
話に今一つ付いて行けず、ちと歯痒い感じ。そして午後の新幹線で帰途に就き、今度は最初から
デッキで孤高の吟遊詩人を気取る雑魚でした。車室内では疲れた同級生達が死屍累々。しかし
どさくさに紛れラブラブ状態で寝ているカップル (その後結婚) もいて、青春ですなあ。

後日、学校側から修学旅行に関するアンケート用紙が配られ、無記名で思いの丈をブチ込んで
参りました。しかし内容柄、あっさり私だと特定された事は言うまでもありません。

○ 名古屋からの近鉄特急は、終点の賢島まで乗りたかったです。
○ 宇治山田からの近鉄特急は、終点の難波まで乗りたかったです。
○ 模試の結果がちょっとヤバいので、北野天満宮に寄りたかったです。
○ なんで梅小路機関区に行かなかったのですか。(怒)
○ □□君や△△君と一緒のグループはもう嫌です。(笑)
○ ガイドさんは美人でしたね。(嬉)

(次号予告/高校編)
[5776] 2002年 12月 2日(月)18:13:34【2】深海魚[雑魚] さん
私の旅シリーズ/修学旅行/高校編
今回は高校の修学旅行についての話です。しかし [1770] で既述した様に、実は私の出身校には
正式な修学旅行がありません。戦前、在校生の余りの血の気の多さに、時の校長が戒めの意味で
無期限中止として以来の事らしく、その原因となった、傍若無人なる振舞いとしては、投宿先の畳を
全滅させた、投宿先を半壊させた、投宿先の厨房で脱糞した、などの未確認伝説があるのですが、
こうした背景から修学旅行を中止した例は、少なくない様です。

その代わり、行事の開始時期から考えて、軍事教練がルーツと思われる長距離遠足があり、毎秋、
総計約70kmの行程を全校生徒が一昼夜かけ歩破します。コースは、バスで移動した遠隔地から
水戸を目指したり、水戸を発ち周辺地区を一周してから水戸に戻ったりと様々です。そんな中私が
体験した最も印象深い奥久慈コースについて以下に記します。

出発地は福島県矢祭町の矢祭山。学校からバスを仕立て移動し、一部生徒は水郡線で現地集合。
出発式を経て、応援団のエールの下、クラス毎に集まり、各々意匠を凝らした幟を立て昼頃に出発。
この応援団、旧制からの伝統の常で、むくつけき 「漢の城」 的な意識を長らく良しとして来ましたが、
女生徒の比率増加に伴い、最近は自ら学ランを着る女性団員も増えて来ました、実際に目にすると、
宝塚よろしく中々凛々しいものです。

序盤は、風光明媚な奥久慈の自然を愛でつつ、時々、直近の模擬テストの解法とか論じ合う嫌味な
奴もいますが、総じていかにも遠足らしい談笑の輪。数kmごとに休止を取っての行軍となりますが、
何せ全校生徒数が一千名少々おり、一列渋滞だと先頭と最後尾が 2kmは空くので、統制の号令も
実行委員のスタッフが無線を介しながらの仰々しいものとなります。

次第に皆の口数が少なくなり、陽が傾いて来た頃、水郡線上小川駅付近の小学校の校庭で中休止。
ここで持参した弁当を平らげ、地元父兄が手伝って、ちょっとした温かい物の差し入れ。これが旨い。
足マメ対策のテーピングなど、めいめいに夜間に備えた対策を施して、二時間ほど休憩します。

そして日没後に出発。温かいものを食べるなどして、ある程度は回復するのですが、水郡線の下り
最終列車を見送った野上原付近から、足の変調を訴える者、ハイになる者が続出します。この頃に
自宅付近を通過した際、 「御町内の皆様、只今、地元の星○○君が通過中です。」 と囃し立てられ、
その後一箇月は近所に顔向けできなかった気の毒な生徒もいました。地元警察が警備に出向いて
下さる一方、週末の深夜という事でファンキーな御兄様方との邂逅もあります。「何だおめら? あぁ、
○○高校の遠足げぇ。こんだ寒い夜に御苦労さんだね。こんな事して楽しいべか? ま、頑張れや。」
(そして 「ゴッドファーザー」 の主題曲を高らかに流しつつ颯爽と去って行く。)

時間を追う毎に過激化する一行は、特定教諭に対する悪口雑言の替え歌や成人ネタ的歌の大合唱、
部活動等の都合で欠席した仲間を 「あん野郎は今頃、枕元に○○本置いて、暖けぇ布団で惰眠を
貪ってるに違ぇあんめぇ !!」 などとコキおろす中傷誹謗でヤケクソ的に盛り上がります。小休止毎に
国道のセンターラインの上に仰向けになる者、地勢を知る地元の生徒に対する 「あと、どれくれぇで
大休止地さ着ぐのげ?」 という質問の嵐、そろそろ限界、もう駄目だ、という頃に、常陸大宮駅近くの
小学校に到着し、クラス毎に教室や体育館で仮眠。教室の黒板には小学生の書いた歓迎メッセージ。
「○○こうこうのおにいさん、おねえさん、おつかれさまでした。あしたもまた、がんばってくださいね。」
「…… 俺達、男子クラスなんだけど ……」 誰かがぽつり。嗚呼、トドメの一言。時は既に午前様。

翌朝未明、スタッフの無慈悲な起床号令がかかります。皆、むさくるしい顔で起き出し、ラジオ体操を
済ませて、いよいよ最大イベント。残り20km余はマラソンです。一位でゴールした者にはラジオ茨城
放送のインタビューという栄冠。当然、体育会系はノルマを課せられるので、必死に走ります。「なお、
1000番丁度狙いなんて低い志でキリ番ゲットした奴は過去いないからな !!」 という教諭の釘刺しに
私を含む少なからぬ輩がギクリとしつつも一同大爆笑。そして午前六時頃、スタート。

必死に走りますが、いかんせん、マメが潰れた足が嘲笑しています。「雑魚君、お先にね ♪」 隣の
クラスの女子集団に抜かれました。ナイスミドルの教諭陣にも集団で抜かれました。教頭先生にも
抜かれました。しまいには校長先生にも抜かれました。校長、定年間際なのに御元気ですねー (泣)

この極限状況ですから、どこを走ったかコースは定かではありませんが、確か那珂川東岸の県道と
記憶します。国際マラソン大会宜しく、沿道の父兄が飲み物を用意して待っていてくれます。ゲットに
三回失敗しました。「ほーんと、あんたらしいドン臭さよね。」 (女房) このコースだと、比較的手前から
水戸の街が見えます。しかし中々着きません。蜃気楼状態です。伴奏していた友人が体調を崩して
リタイア、後続のバスに収容されます。貴様ァ、こんな所でくたばるんじゃない !! 傷は浅いぞ !! さあ、
一緒に水戸へ帰ろう !! (涙声)

最後の最後に 「心臓破りの坂」 を駆け上がって校門に辿り着くと、そこでヘタリ込む事暫し。そこへ
先刻追い抜かれた女生徒集団が 「あら雑魚君、遅かったのね。あたし達もう帰るから。じゃあね。」
股関節の異常で、通常は 10分弱の駅までの道中が、この時ばかりは実に 20分以上を要しました。
その後、常磐線で高萩に帰る友人が疲労困憊で平 (現いわき) まで寝過ごしてしまった事を、誰が
責められましょうか。

(次号予告/大学編 ← え?)
[5784] 2002年 12月 2日(月)21:03:15Issie さん
遠足と修学旅行
はやってるみたいなので,ちょっとふりかえってみましょう。

※特に注記のないのはバス利用。
【小学校】所在地は習志野市
小1上野動物園学校→(徒歩)京成津田沼→(京成電車)博物館動物園前→(徒歩)上野動物園
※水族館にも行ったかな。帰りはこの折り返し。
小2落花生掘り学校→幕張IC→京葉道路・東関道→四街道IC→印旛郡四街道町大日付近
※帰りはこの折り返し。
小3マザー牧場学校→R14→R16(産業道路)→R127→マザー牧場
※帰りはこの折り返し
小4佐原・銚子学校→幕張IC→京葉道路・東関道→?→R51→佐原:両総用水揚水場
→現R356→銚子:ヤマサ醤油・銚子漁港・犬吠埼→R126(東金・千葉)→R14→学校
小5京葉工業地帯学校→R14→R16(産業道路)→東電袖ヶ浦火力発電所→新日鉄君津製鉄所
※帰りはR16→R14で帰校
小6修学旅行(日光)学校→R14→花輪IC→県道船取線→R16→R4→日光宇都宮道路
→杉並木→東照宮→華厳の滝→日光湯元(泊)
日光湯元→(徒歩)湯滝→杉並木・R4・R16→(八千代市下市場・実籾)→武石IC
→幕張IC→学校
社会科見学学校→花輪インター→京葉道路・首都高7号→国会議事堂・科学技術館・読売新聞社
→首都高7号・京葉道路→幕張IC→学校
*4年以降は毎年,習志野市が君津市の鹿野山に設置していた「少年自然の家」で“セカンドスクール”が行われていました。ルートは基本的に学校から国道14号・16号を経て富津市の佐貫地区または君津市の清和地区から鹿野山に登る,というもの。
ルートは毎年同じでも国道16号(産業道路)と旧道の合流点は年毎に前進していきました。確か,3年でマザー牧場に遠足に行ったときは,産業道路は市原市と袖ヶ浦町(当時)の境辺りでおしまい。バスは内房線の長浦駅前(山側)を通過しました。それが6年生の時には産業道路はずっと前進していて,現在のように奈良輪の手前で内房線を越えてここで旧道と合流するようになっていました。
*ほかに,何かの折に八千代市の米本団地近くの新川べりで弁当を食べた記憶があるのだけど,どこへ行ったんだろう。

【中学校】所在地は千葉市(現稲毛区)
中1宿泊研修学校→R126→東金:雄蛇ヶ池・八鶴湖→九十九里町(泊)
九十九里町→R126→泉自然公園→学校
中2宿泊研修学校→京葉道路・首都高・東名高速→富士IC→白糸滝→精進湖→富士緑の休暇村(泊)
富士緑の休暇村→富士山五合目→(徒歩:精進口登山道)→富士緑の休暇村(泊)
富士緑の休暇村→R139・R358(?)→御岳昇仙峡→R20→大月IC→
中央道・首都高・京葉道路→穴川IC→学校
中3修学旅行国鉄津田沼駅集合→(総武快速)→東京→(新幹線)→京都→(近鉄)→近鉄奈良
→東大寺ほか→奈良:猿沢池端(泊)
奈良→飛鳥寺→(徒歩)→石舞台古墳→京都→三十三間堂・銀閣寺→三条(泊)
京都三条→大徳寺大仙院→大原三千院→京都→(新幹線)→東京→国鉄津田沼駅解散(?)
社会科見学学校→千葉港→(千葉木下街道・木下)→房総風土記の丘→R51→佐原:伊能忠敬記念館
→R51→「三里塚軍事空港」=成田空港→R51→学校
*修学旅行の東大寺大仏殿は「昭和の大改修」の最中。つまり工事中だった。
*成田空港はちょうど「襲撃」されたばかりで開港が延期された頃。だから,まわりを遠巻きに見ただけ。この頃の総武線はよく「爆弾が仕掛けられて」停まりました。でも実際に爆発することも爆弾があったこともないのですが。ここが最近のイスラエルと違うところです。

【高校】所在地は市川市
高1遠足?神宮外苑・国立競技場集合→首都高・東名高速・小田原厚木道路→箱根園
→小田原厚木道路・東名高速・首都高→解散地:忘れた
高2修学旅行東京駅集合→(新幹線)→新下関→関門橋→博多(泊)
博多→唐津→有田→伊万里→平戸(泊)
平戸→佐世保→西海橋→長崎:原爆公園-->班別自主行動-->長崎(泊)
長崎→雲仙地獄→島原城下町→(フェリー)→三角→熊本:熊本城-->熊本(泊)
熊本→太宰府天満宮→博多→(新幹線)→東京駅解散

まあ,こんなところかな。
幼稚園のときにも習志野市のバスに乗って結構遠足に行っていた記憶があります。
おぼえているのは,
 上野水族館,交通博物館,八柱霊園(松戸市),梨もぎ(松戸市?),泉自然公園…
もっとあったはず。

ほかに,前にも言ったように,
小学校では毎年秋に谷津遊園へ写生会にいっていました。これは学校から歩く!
[5827] 2002年 12月 3日(火)17:50:44【2】深海魚[雑魚] さん
私の旅シリーズ/大学卒業旅行編
卒業試験も終了した大学四年の二月中旬、追試の可能性に怯える友人を含む数名にて、雪祭の
見物方々、卒業旅行で北海道を回りました。私にとっては四度目の渡道。しかし冬は初めての事。
いつもはワイド周遊券による貧乏旅行が定番だった我々ですが、この時ばかりは、分不相応にも
グリーン車用の周遊券を使用しました。

午後、新幹線で上野を発ち、「はつかり」 を経て夕方の連絡船を利用。遠からず海峡線の開業を
控える中、グリルで名残りを惜しみ 「海峡ラーメン」 を食べ、一杯引っ掛け カーペットでゴロゴロ。
函館からは臨時寝台急行 「すずらん」。グリーン周遊券なので B寝台利用です。しかし三段式は
実に狭い。船乗りを生業とする方々の御苦労が偲ばれる思いです。

翌朝降り立った札幌は、初めて味わう北海道の寒さでした。加えて、用心はするものの、凍結した
路面での歩行がおぼつかない。一方、地元住民は何気なく往来し、ストレンジャーとしての自分を
感じた次第。この日は大通公園と真駒内会場の双方で雪祭を見物。初めて見る雪像群は中々の
迫力でしたが、ブラック・ユーモア的な出し物を期待していた私には、ちょっぴりスパイス不足気味。
ミリタリーおたくでもある友人は、真駒内会場で発売されていた自衛隊グッズの見立てにも御執心。
そして札幌の御約束と言えば、雪印パーラーで食べる 「リトル・ロマンス」。例の食中毒事件後に
渡道した時も食べた定番です。この夜は 「大雪」 泊。やはりB寝台ですが今度は二段式。通常は
三段式とは千円差ですが、この頭上空間の余裕の有無は大きいですね。

翌朝、先ず向かったのは釧網線の北浜駅。目当てはもちろん流氷ですが、日頃の行いが悪いのか
この日の前後数日間に限り、沖に後退していたそうです。暫くホームで海を眺めるも、やはり真冬の
オホーツク海岸の寒さは半端ではなく、後続列車を待つ間、駅併設の喫茶店に避難。結局、流氷は
見られませんでしたが、一面雪化粧した涛沸湖も中々の味わいでした。

次に向かったのは茅沼駅。丹頂鶴の飛来を期待して、駅近くの雪原でカメラを構える事、二時間弱。
来ない、寒い、眠い、ひもじいと四重苦に苛まれ、ここも空振りかと、三脚を片付け始めた後続列車
到着十分前にやっと来ました。それもペアで。慌てて三脚を建て直し、慌てて撮りまくり、慌てて
列車に飛び乗り、一路釧路へ。

「おおぞら」 で札幌に直行。一度乗って見たかった パノラマ窓にしてハイデッカー仕様のグリーン車。
中々贅沢な気分です。厚内まで断続的に続く、荒涼たる太平洋の車窓風景に興も乗に、弁当や酒と
妙に車販に貢献した我々でした。石勝線に入ると一面の雪景色。眼前にスキー場が迫るトマムでは、
思わず下車したい衝動に駆られました。この晩も大通公園を散策した後、「利尻」 二段式B寝台泊。

四日目朝、稚内に到着した我々は、まず稚泊航路にも供されたドーム付き岸壁を散策。海風が酷く
ドームの意味を実感しました。バスで赴いた宗谷岬、小高い丘の上は異様に厳しい寒風を遮る物が
何も無く、三分と持たなかった記念碑で、ある友人が息も絶え絶えに 「に、人間の住む所じゃねぇ」。
(そんな事では、ニジェガロージェッツさんに 「修行が足りん !!」 と一喝されそうですね。)

稚内から急行 「天北」 で札幌に戻りました。「利尻」 の折り返し運用となる客車編成で、自由席の
一部が寝台車両。列車名の通り天北線経由なのですが、私は今日に至るまで音威子府―幌延―
稚内を昼間乗った事が無く、抜海で利尻水道越しに臨む利尻富士の勇姿を見た試しがありません。
「天北」 とは 「手塩」 と 「北見」 の合造語と思われますが、「北見」 と聞くと、網走支庁の北見市を
連想しますね。(廃止された興浜北線の終着は北見枝幸。) 浜頓別までは茫漠たる雪原が広がり、
北海道らしい情景を感じます。仲間内で評価の高い音威子府の駅ソバを食した後、体調が悪化し
意識が朦朧とし始め、せっかくのソバを戻してしまい、訳が判らぬ侭に気がつくと札幌の宿でした。
どうやら、馴れぬ寒冷地の旅行に体がついて行かなかった様です。

結局、同夜のすすきの遠征も翌日の函館観光もおぼつかず、「北斗」 から連絡船に乗り継ぐのが
精一杯。青森から 「八甲田」 で帰京する仲間を尻目に、「あけぼの」 の寝台で単身死ぬのでした。
学生最後の思い出作りが、終盤になってこの様です。(涙)
[6489] 2002年 12月 15日(日)14:57:52【1】YSK さん
群馬県の修学旅行事情
[6477]黒髪 さん
>中学校の修学旅行がすごく近場のようですね。
そうですね、最近では中学校でも京都ならあたりまで位(ひょっとしたらもっと遠くへ?)行く時代なのに、本当に近場で片付けられていますね。(泣)

>これだと、小学校の修学旅行はどこになるのですか?
小学校で修学旅行は、ありませんでした。おそらく現在でも変わらないものと思います。
[6471]
>>11 新潟 出雲崎町の東毛臨海学校に行く(学校行事)
が、強いて言えば修学旅行のようなものでしたね。広域圏立の臨海学校が新潟にあり、小学校6年になると、ここへ集団生活の訓練も兼ねて行きます。1970年台中葉に、広域市町村圏が相次いで設立されたときに、その広域圏の持つ事務の1つとして、広域圏ごとに臨海学校を設立し、海なし県である群馬県の子供にも海水浴をさせようという指導のようなものが群馬県ではあったと聞いています。
しかしながら、現在では海なし県とはいえ、小学校6年になるまで海水浴に行ったことがない子供なんてほとんどいないに違いない。こういう意味でも時代錯誤的な面もあるのかもしれませんね。
[14071] 2003年 4月 26日(土)20:48:15なお[KN] さん
小学校時代の修学旅行
[13916]mikiさん
長門市の湯本温泉も忘れないで下さい。
私が小学校の修学旅行で泊まった所ですから。
僕も、去年の修学旅行では、長門市湯本の湯本HLホテルに泊まりました。
内容は下に書きます。

行動時間帯見学・体験場所
1日目10時~16時スペースワールド(北九州市小倉北区)
1日目17時~24時宿泊
2日目0時~9時宿泊
2日目10時~11時秋吉洞(山口県秋芳町)
2日目12時~13時昼食・お土産購入(福岡市博多区)
2日目13時~15時福岡市博物館

というもので、
地方ブロックを超えています。
大分市郡・北海部郡はすべてこの地域に行きます。

ほとんどの人がスペースワールドで楽しみました。(僕もその1人)
秋芳洞のほうもきれいでした。関門海峡では写真撮影もあり、観光だけではなく、
アトラクションに乗るなどテーマパークも行ったので、かなりの迫力がありました。

中学校では話によると、京都を所持金内で班ごとの観光、ユニバーサルスタジオ、奈良の東大寺
に行くことのことです。これも小学校と同じ大分管区全てこの場所に地域に行くようです。


[14116] 2003年 4月 27日(日)14:12:19SANUKI-Impact[TACO] さん
レス諸々
[14075]YSKさん
[14077]Firoさん
[14082]KMKZさん
レスありがとうございます

[14083]ニジェガロージェッツさん
そのとおりです。ロシア側から見て、
「当該諸島を含む南サハリンとクリル諸島は、1946年2月2日に“正式に”ソビエト連邦に編入されました。」
だからこそ、いくら日本から領土返還を要求しても、ロシア国内的にも説明が付かず、そのことが、現在に至るまで(おそらく、将来的にも)返還が実現していないことの一因です。
因みに、サハリン州の行政区画では、国後・歯舞・色丹の3島は「南クリル地区」とし、択捉島は、それ以北の得撫島から新知島までの「クリル地区」に属し、「4島」の概念はありません。
 やはりそうですか。そのために北方領土の問題が今日に至っても解決しない理由が分かったような気がいたします。それにサハリン州の行政区画では択捉と国後・歯舞・色丹で地区が違っているということも知りませんでした。では新知島からシュムシュ島までの間は何地区となってるんですか?
 ところでクリル諸島とは千島列島のことですよね?

[14106]グリグリさん
リニューアルの作業大変お疲れ様です。

[14111]カッパーさん
ちなみに僕の中学時代の修学旅行の日程は
1日目  瀬戸中央道を通り岡山へそこから新幹線で博多へ
    博多からバスで九州道・長崎道と走り佐賀県の吉野ケ里遺跡へ
    それから再び長崎道・西九州道を走り有田ポーセリンパークへ
    んで三度長崎道を走り長崎市内へ・・・某ホテルで宿泊

2日目  午前中は長崎市内観光
     午後から長崎市を後にして一路島原市へ・・・
     そこで船に乗り熊本市へ渡る
     そして国道57号を通り阿蘇へ
     阿蘇の内牧温泉の某旅館で宿泊

3日目 午前中に阿蘇の中岳の火口へ・・・それから草千里で昼食
    再びバスで熊本市へ
    そこから九州道に乗り太宰府市へ
    大宰府天満宮で合格祈願のお守りを買い福岡市へ
    福岡ドームの隣の某ホテルに宿泊

4日目(最終日) 福岡市を後にし、九州道で北九州市へ
        スペースワールドで豪遊
        小倉駅から新幹線で岡山へ
        岡山から瀬戸中央道で高松市内へ
        そして学校到着・・・

 カッパーさんの小学校はいいですね、修学旅行が2泊3日だから。僕の学校では1泊2日でしたからね。
[14273] 2003年 4月 29日(火)17:10:37BANDALGOM[月の輪熊] さん
修学旅行
[14116]TACOさん

私も小学校は1泊2日でした。
中学校は2泊3日、高校は3泊4日と、1日ずつ増えていますね。

私もネタをふった以上、修学旅行の日程について書きます。

まずは小学校から。

1日目
学校から柏駅まで歩き、柏駅から東武線の団体専用列車「たびじ」号(当時はかつて特急で活躍した5700系?)という旧型電車)で一路日光へ。
東武日光駅から東照宮、輪王寺、二荒山神社、湯の滝と回って、日光湯元温泉の某ホテルに宿泊。

2日目
朝、日光湯元温泉の源泉と「温泉寺」を散策。
朝食後、戦場が原、竜頭の滝を散策し、中禅寺湖遊覧船に乗船。
華厳の滝を見学し、昼食後「たびじ」号で一路柏駅へ、駅から学校まで歩いて解散。

次は中学校です。

1日目
柏駅に集合し、上野駅から東北新幹線で一路盛岡へ。
盛岡駅前からバスに乗り、早坂高原を経て、龍泉洞を見学し、田野畑村の海岸にある村営ホテルに宿泊。

2日目
午前中は田野畑村でクラス別体験学習(私のクラスはスモークサーモン作り)。
昼食(ジンギスカン)後、田老町真崎から遊覧船に乗り浄土が浜へ。
浄土が浜からは区界高原を経由し、盛岡南インターから東北自動車道を通って花巻へ。
花巻温泉の某ホテルに宿泊し、夕食時に鹿踊りを見物。

3日目
午前中は宮沢賢治記念館を見学し、それから東北自動車道で平泉へ。
中尊寺を見学後、レストハウスで昼食。
一関駅までバスで移動し、東北新幹線で一路上野へ。
常磐線快速に乗り換え、柏駅で解散。

最後に高校です。

1日目
東京駅動輪広場に集合し、新幹線で名古屋へ。
名古屋駅から近鉄特急で鳥羽へ、鳥羽駅からはバスで志摩郡浜島町の「合歓の郷」へ。
合歓の郷到着後は体育ジャージに着替え、夕食時まで自由時間。
夕食後はロックコンサート、

2日目
朝、合歓の郷を後にして、バスで鳥羽駅へ、鳥羽からは近鉄特急で大和八木へ。
大和八木からはクラス別行動で、奈良、吉野や秋篠寺へ行ったクラスもあったが、私のクラスは奈良を素通り、一路宇治平等院へ。
その後伏見桃山城、平安神宮を見学し、京大近くの某旅館に宿泊。

3日目
午前中は京都で班別行動。
銀閣寺から哲学の道を南禅寺まで歩き、南禅寺近くで湯豆腐を食す。
南禅寺からはクラス別行動で、太秦映画村を見学後、嵐山をバスで素通りし、京大近くの某旅館へ。
夕食後、京都タワーを見学。

4日目
午前中は二年坂、三年坂を上って清水寺を見学。
清水寺からは京都駅へ直行し、新幹線で一路東京へ。
東京駅で動輪広場で解散。

以上、私の修学旅行の概略でした。
[14279] 2003年 4月 29日(火)18:21:58SANUKI-Impact[TACO] さん
レス諸々
[14149]ニジェガロージェッツさん
「計吐夷(ケトイ)島から、占守(シュムシュ)島まで」
「北クリル地区」ですね?

[14153]kenさん
レスありがとうございます。僕の考えとしてはおそらく北方領土全島返還はないと思います。仮にあったとしても歯舞・色丹の2島(正しくは2島ではないですが)の返還となるでしょう。

[14236]uttさん
そうそう、私は去年の四国4校が全て出場する準々決勝から全試合を、
甲子園にて観戦しました。もちろん四国チーム側のアルプススタンドで。
アルプススタンドは、在校生と一緒に応援できるので、贔屓のチームがあるなら、おすすめですよ。
羨ましいですね。僕もぜひ一度甲子園に足を運びたいとは思っているんですが、どうも時間がなくて・・・。

ああ、球児たちは今年はどんな感動を見せてくれるのでしょうか??
今年の夏の甲子園も楽しみです。ちなみに今年は85回の記念大会です(ほんとかな?)

[14273]月の輪熊さん

僕の小学校の修学旅行(1泊2日)のルートも発表いたします。

1日目  学校を出発して徳島県へ
     鳴門IC(この頃はまだ高松道の東側は未完成)から神戸淡路鳴門自動車道を通り神戸市へ
     神戸市内の須磨海浜水族園(正しくないかも)を見学
     神戸を後にして大阪府へ
     万博公園内の国立民族学博物館を見学
     近畿道などを通り奈良市内へ
     東大寺を見学・・・奈良市内の某ホテルで就寝

2日目  ホテルを出発 京奈和道を通り京都市へ
     清水焼工房等を見学
     映画村で昼食
     金閣寺へ行く
     名神道・中国道と走り神戸淡路鳴門道へ
     鳴門IC到着・・・
     学校到着

僕の、中学校のときの修学旅行は3泊4日でしたね。(既出ですが)。
 その他には中2のときは五色台(高松市と坂出市の市境の山々一帯の地域)へ宿泊学習に行きました。(これも3泊4日)。みんなでカレーを作って食べたり、キャンドルサービスをしたり、オリエンテーリングをしたりしました。そこで出る食べ物もおいしかったのですがそのとき僕は舌にけんびきができていたのでトマトなどが出たら地獄でした。


[14122]わたらせGさん
住所地名三冠などは全国まだまだたくさんありそうですね。教えてくださいなっ!!
香川県香川郡香川町があります



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