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落書き帳


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[51499] 2006 年 5 月 27 日 (土) 00:29:04 k-ace さん
 東京都…

こんばんは。

[51496] 2006 年 5 月 26 日 (金) 23:32:25 たもっち さん
Q:47都道府県のうちで、その区域の中に、政令市、中核市、特例市のいずれも含まないものが5つありますが、それはどこか、答えなさい。

そのうち3つまでは、さもありなん、と思ったのですが、あとふたつが意外に感じたものですから。

島根県、徳島県、佐賀県、沖縄県…。あれ4つしかないぞ…、と思ったら、
[51498] YSK さん
東京都には
政令市も中核市も特例市もない。意外な例の1つかもしれませんが、言われてみればさもありなんという感じもします・・・。
東京都は特別区しかなかったんですね。たもっちさんのおっしゃる、あとふたつのもうひとつは沖縄県なんでしょうか?

[51498] 2006 年 5 月 27 日 (土) 00:17:03 YSK さん
 東京都には

政令市も中核市も特例市もない。意外な例の1つかもしれませんが、言われてみればさもありなんという感じもします・・・。

[51497] 2006 年 5 月 27 日 (土) 00:16:51 YSK さん
 広域行政圏の変容 46.鹿児島県

広域圏の事務内容等は、[14513]をご参照ください。
[14513]に記載された市町村構成に変更がある、あるいは広域圏の解散等がある場合について注釈していきます。
※市町村構成に変化があっても、表記上矛盾がない場合は注釈を行いません。

<市町村合併により、[14513]の市町村表記に変更のあった広域圏>
○姶良・伊佐(あいらいさ)広域市町村圏協議会
→大口市、霧島市、伊佐郡菱刈町、姶良郡湧水町 に変更(以下同じ)

○奄美群島(あまみぐんとう)広域事務組合
→奄美市、大島郡全域

○指宿地区(いぶすきちく)消防組合
→指宿市、揖宿郡頴娃町
※広域圏組合は2006.1.1の新・指宿市発足に伴い解散か?

○大隅(おおすみ)広域市町村圏協議会
→鹿屋市、垂水市、曽於市、志布志市、曽於郡大崎町、肝属郡全域

○鹿児島(かごしま)広域市町村圏協議会
→鹿児島市、日置市、いちき串木野市、鹿児島郡全域、姶良郡加治木町・姶良町・蒲生町

○川薩(せんさつ)広域市町村圏協議会
→薩摩川内市、薩摩郡さつま町

○南薩(なんさつ)広域市町村圏協議会
→枕崎市、南さつま市、川辺郡全域

○北薩(ほくさつ)広域行政事務組合
→出水市、阿久根市、出水郡長島町

<広域圏の枠組み変更・解散等>
広域圏として解散されたものはありませんが、上記しましたとおり指宿広域で広域圏事務組合が解散された公算が高いようです。情報をお持ちの方、ご教示願います。

広域圏の枠組み変更
旧溝辺町(鹿児島広域→姶良伊佐広域)

[51496] 2006 年 5 月 26 日 (金) 23:32:25 たもっち さん
 突然ですがクイズです。

Q:47都道府県のうちで、その区域の中に、政令市、中核市、特例市のいずれも含まないものが5つありますが、それはどこか、答えなさい。

そのうち3つまでは、さもありなん、と思ったのですが、あとふたつが意外に感じたものですから。
答え合わせは、こちらのページからどうぞ。拙稿[51373]でもちらっと書いていました、「ちょう」「まち」「そん」「むら」の分布図から発展した「市町村分布図」です。政令市、中核市、特例市も色分けしてみました。少し目がちかちかしますが、見て楽しい図になっていると思いますので、ぜひ一度ご覧ください。(間違いを見つけられた方はこっそりお知らせください(笑)。)

これに関連して、ひとつレスをしておきます。そのほかにもいくつかお答えしなきゃいけないものがありますが、またのちほど。

[51453]いっちゃんさん
ところで、
ちなみに、町村混合リレーの優勝チームは、山形県最上郡金山町〜長野県南佐久郡川上村で、記録は358.2kmとなっています。
ですが、
こんなところにも接続ポイントが。
に遮断機めいた棒が倒れているので走行不可能ですよ。
気付かれちゃいましたか。僕も後で気がついたのですが、時既に遅しでした。
というわけで、町村混合チームを含めたとしても、町距離走の覇者は、「豊富町〜えりも町の306.3km」ということになりそうです。
ちなみに、このことを確かめるには、上記の「市町村分布図」の「市町村分布(読み方問わず)」をクリックしていただくとよいと思います。と、ちゃっかり宣伝(笑)。

[51495] 2006 年 5 月 26 日 (金) 23:22:38 瀬戸内海 さん
 なるほど

[51493] YSKさん
[51494] 熊虎さん
政令市、中核市、特例市の指定や町村の市昇格などで適用される人口は、全て5年に1度の国勢調査の人口です。

丁寧な解説をありがとうございます。国勢調査で1回でも基準の人口を超えれば良いんですね。
岡山市と熊本市はまだなれそうにないですね・・・

[51494] 2006 年 5 月 26 日 (金) 22:24:35 BANDALGOM[熊虎] さん
 Re:政令市の人口要件

[51488]瀬戸内海さん
中核市では函館市と下関市が、特例市では小田原市が人口要件をギリギリ満たしていません。
政令市、中核市、特例市の指定や町村の市昇格などで適用される人口は、全て5年に1度の国勢調査の人口です。

函館市と下関市の中核市移行は2005年10月1日でしたが、2000年の国勢調査の人口(合併前の市町村の合計)は函館市が305,322人、下関市が301,098人でした。
2005年の国勢調査では両市とも30万人を割りましたが、10月1日時点、というよりもそれより前の中核市移行の申請が行われた時点では、2000年の国勢調査の人口しか資料がありませんから、これに基づいて中核市移行が決定されたのです。

小田原市の特例市移行は2000年11月1日ですが、この時は2000年の国勢調査の結果も出ていませんから、1995年の国勢調査の結果をもとに特例市移行が決定されています。
95年の国勢調査の結果は200,103人、2000年の国勢調査でも20万人を上回りました。

ということで、
岡山市が合併しても政令市になれるには人口があと少しということですが、きっちり70万人を超えなくてもなれるんじゃないでしょうか。
これも当然、国勢調査の人口が参考にされることになります。
今現在、まだ岡山市の政令指定都市指定に関する手続きは行われていませんから、2010年までの政令指定都市移行を目指した手続きが進められるのであれば、2005年の国勢調査の人口が参考にされることになります。

[51493] 2006 年 5 月 26 日 (金) 22:15:42 YSK さん
 かつては満たしていました

[51488]瀬戸内海さん
中核市では函館市と下関市が、特例市では小田原市が人口要件をギリギリ満たしていません。
中核市等への移行の基準となるのは、確か直近の国勢調査結果ではなかったでしょうか。函館市と下関市が中核市に移行(2005年10月1日)した際参考にされたのは2000年国勢調査の人口、また小田原市の特例市への移行(2000年11月1日)の場合は1995年国勢調査の人口だったので移行することができたのでしょうね。

ですから現行の制度上では、国勢調査ベースで一度は基準となる人口を超えたことがなければ中核市等への移行は難しいでしょう。

[51492] 2006 年 5 月 26 日 (金) 22:05:27 YSK さん
 肉薄!!!

本日付の上毛新聞に、「2市の人口差拮抗 前橋−高崎=31人」という記事が出ていました。

群馬県統計課が25日発表した5月1日現在の移動人口調査で、前橋市が31万8,353人、高崎市が31万8,322人となり、その差はわずか31人。10月1日に予定される高崎市と榛名町との合併を前に、県内人口トップの座が入れ替わる可能性が出てきた、とのことです。

[51491] 2006 年 5 月 26 日 (金) 19:42:18 88 さん
 々の読み方

[51475] 星野彼方 さん
それにしても「々」や「ゝ」はなんて読めばいいんだ?

[51489] じゃごたろ さん
記号の名称は「踊り字」というのがありますが、文字そのものの読みはないらしいですね。

ちょうど今日の昼休み、過去ログを読んでいたらこんな過去ログにちょうど出くわしました(検索したわけではありません)。
じゃごたろさんもこのログを思い出されたのでしょうか?

[51490] 2006 年 5 月 26 日 (金) 19:18:08 まかいの さん
 このロータリー忘れてた〜

ちょっと書込みが滞っていました。
地名コレを勇んで担当したものの、遅々として進んでいませんで、すみません。
実はこの週末で引越しすることになりまして、すべてがバタバタしてます。
引越しと言えども市内で転居なので、経県値どころか、認市度すらあがりませんが。。。

>たもっちさん
一昨日近くを通った際、このロータリーがあることを思い出しました。
結構きれいな形ですよ。
まだノーチェックのようですのでご報告。

一音地名訪問の報告もまだしてませんでした。もう少しお待ちを。。。

[51489] 2006 年 5 月 26 日 (金) 19:08:45【1】 じゃごたろ さん
 介良

[51485] 88 さん
・・・「介良」は「けら」なんですね。

「良」を「ら」と読むのは他にもありますが、
「すけら」→「けら」なんでしょうかねぇ。。。

[51475] 星野彼方 さん
それにしても「々」や「ゝ」はなんて読めばいいんだ?

記号の名称は「踊り字」というのがありますが、文字そのものの読みはないらしいですね。

[51488] 2006 年 5 月 26 日 (金) 17:33:36 瀬戸内海 さん
 政令市の人口要件

初めまして。このサイトのデータはとても役に立っています。

岡山市が合併しても政令市になれるには人口があと少しということですが、きっちり70万人を超えなくてもなれるんじゃないでしょうか。人口は当然増加中でしょうし。
中核市では函館市と下関市が、特例市では小田原市が人口要件をギリギリ満たしていません。

玉野市・・・「玉野区」になれたはずなのに。なんで合併しなかったんでしょう。
倉敷市・・・夢の100万都市誕生計画は昔からあるようですね。

[51487] 2006 年 5 月 26 日 (金) 14:52:39【1】 BANDALGOM[熊虎] さん
 政令市への近道

[51451]稲生さん
[51456]桜トンネルさん
[51470]hiroroじゃけぇさん

相模原市が津久井郡4町との合併で「タナボタ政令市」を実現するか、という一方、人口でも風格でも拠点性でもより政令市に近い岡山市と熊本市があと一歩で政令市になれないというのは、複雑なものがありますね。

両市が政令市になるためには、どこと合併するのが近道かですが、岡山市の場合は
ケース1:上記の早島町または吉備中央町の合併に加えて、久米郡久米南町(5,803人)を編入して、ギリギリ要件を満たす。
が一番ではないかと思います。
久米南町は「美作国エリアながら、久米郡合併への参加を見送った」「JR津山線繋がり」ということに加えて、ごく短期間ではありますが、建部町と法定協議会を設置していた経緯もあることですし。

ただ、ここでネックとなるのが、吉備中央町が合併で誕生したばかりであるという点でしょうか。
実際、岡山市が合併候補に挙げた時に、そのようなことを言っていたようですし、新町建設計画を遂行してまずは旧加茂川・賀陽両町の一体化を進めていく必要があります。
このことは、赤磐市・瀬戸内市・総社市にも当てはまることですね。

そうなると、あとは
ケース2:玉野市(67,351人)との合併をもう一度推進していく。
・・・もう一度玉野市にラブコールを送り、当初からの県南政令指定都市構想を完結させる。
必要も出てきます。

倉敷市との大同合併も、浦和・大宮(+与野)両市や静岡・清水両市の合併が実現したことを思えば、できないことはありませんが、克服しなければならないハードルが高く、2010年までに政令市を実現するためには、その手段にするのは難しい気がします。


一方、熊本市ですが、私はまず
ケース1 富合町との合併を進め、宇土市(38297人)を編入する。文句が出た場合、宇土区を設置することにする。
を考えています。
破談になったとはいえ、調印にまで漕ぎ着けた宇土市と富合町の合併協議の実績がありますし、宇土市もほかに合併相手が見当たらないことを考えれば、富合町とともに熊本市編入を模索するのが妥当かと。

あとは城南町が、同じ宇城地域の市町から袖にされて、熊本市との飛び地合併を模索したことがありますが、宇土市・富合町と一緒ならば熊本市も受け入れられるのではないかと思うところです。

あと、益城町・植木町は独立志向が強いため、合志市は吉備中央町などと同じ理由で当面は難しいように思いますが、菊陽町は熊本市との合併を望む住民も多く、かつ「東熊本市」構想が破談になったこともありますし、菊陽町との合併は検討に値すると思います。

[51486] 2006 年 5 月 26 日 (金) 13:54:54 BANDALGOM[熊虎] さん
 合併議案可決&報告

でるでるさんへ

木津・加茂・山城3町が合併関連議案を可決し、6月2日に京都府知事に合併申請を行うことになりました。

本宮町・白沢村は24日に第14回合併協議会を開いており、そろそろ調印式の日取りも話し合われたのではないかと思いますが、現在のところ関連報道や協議会HPの情報更新もありません。


さて、17〜21日、韓国の大学院の先輩一行が来日し、蘇我駅前のホテルに一緒に泊まって千葉県内を案内しました。
18日は勝浦の朝市、海中公園&海の博物館、鵜原漁港&理想郷を案内し、19日は鴨川で、二手に分かれてシーワールドと太海フラワー&磯釣りセンターへ行き、安房鴨川駅で合流して「みんなみの里」へ、そして20日は富津市の「TEPCO新エネルギーパーク」へ行ってきました。

一行は慶尚北道の「東海」沿岸にある過疎地域の活性化プロジェクトに取り組んでいて、その先進事例を視察に来たわけですが、海中公園&海の博物館、太海フラワー&磯釣りセンター(特に磯釣り施設)、TEPCO新エネルギーパークは参考になったとのことでした。

今回、勝浦市と鴨川市は最高が○のため、変動はありませんが、千葉市および中央区が●→○に、富津市が△→●に昇格となりました。

[51485] 2006 年 5 月 26 日 (金) 06:25:41【2】 88 さん
 高知県長岡郡介良村の件について

まずは問題。「介良」はなんと読むでしょう? 答えは本稿末記。

[51481]がっくん さん
ご指摘ありがとうございます。
私が直接参考にしている文献の「全訂 全国市町村名変遷総覧」(1991年8月) 自治省行政局振興課監修 日本加除出版では、
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
1959年(昭和34年)10月7日、長岡郡介良「町」(大字伊達野の大部)を南国市へ編入
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
となっていました。しかし、
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
1972(昭和42年)2月1日、長岡郡大津村、介良「村」を高知市へ編入
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
とあり、他のページを見ても介良「村」が介良「町」になった記載もなく、またその逆もありませんでした。

次に、「角川日本地名大辞典 39高知県」を見てみました。介良「村」でした。介良「町」になった事実は、どこありませんでした。

結論。介良「町」は、上記「全国市町村名変遷総覧」が誤りで、介良「村」が正のようです。該当箇所は訂正しておきました。ご指摘ありがとうございました。

なお、この変更情報は「編入」と記載していましたが、自治体の数の減少を伴わないので、地方自治法上は正確には「編入」とは言わず「境界変更」となるようです。[51138]拙稿では
表現を「編入」から「境界変更」に順次訂正したいと思います。
と書きましたが、「市町村合併情報」では「合併」を中心と記載したいのと、境界変更は数が多すぎて結果的に「合併」情報が目立たなくなる、などの理由により、境界変更は追ってデータから削除する方向です(最近私が追加入力しているものは、この「境界変更」に該当するものは割愛しています)。よって、ご指摘のこの件も、いずれはデータ自体を削除する予定ですので、よろしくお願いいたします。別途、「境界変更」に限定した資料は作るかもしれませんが・・。


・・・「介良」は「けら」なんですね。この稿を書くために調べていて、初めて知りました。

[51484] 2006 年 5 月 26 日 (金) 00:10:55 YSK さん
 もみ消された村

一見して多くの大字が残存していると思われる太田市域ですが、住所表記に現れない旧大字もあります。1つは現在は「緑町」となった大字古氷、もう1つは住居表示等で姿を消した大字太田です。さらに旧新田町に目を転じれば、かつて藩政期に「四軒在家村」があったようなのですが、大字地名としては残っていませんね。現在の町名と照合しますと、逆に藩政期には村名としてなかった新田市野倉町があることから、この地域がかつての四軒在家村であるのかもしれません(情報をご存知の方、お知らせください!)。

そして、実はもう2つ大字として残らなかった藩政期の村があります。東今井村と上浜田村です。この2つの村は1889(明治22)年の市町村制施行前の明治9年に太田町に編入されています。上浜田村は対となる「下浜田村」が「下浜田町」として残っているほか、市役所のある「浜町」にその名残を残しています。太田宿に近接して市街化が進んでいた上浜田村は通称で「浜町」と呼ばれていたことから太田町に編入されて、大字太田の小字である「浜町」に変貌していたのでした。東今井のほうは残念ながらその痕跡はまったく残っておりません。現在の浜町の西部一帯のエリアであったようです。伊勢崎市に「境西今井」という住所がありまして、これは元をたどりますと境町時代、世良田村時代と遡れまして、もともとは「新田郡西今井村」でありました。消滅してしまった「東今井村」も新田郡だったでしょうから、もしかしたらこの「境西今井」こそ、この幻の地名「東今井」と対をなすものであったのかもしれませんね。

[51483] 2006 年 5 月 25 日 (木) 23:23:38 YSK さん
 大字から分離した字?

[51473]千本桜さん
この大字と字の関連のお話については、これまで熱心にお話をされてきたことと関連があるものと思います。
参考記事:大字大河原と大字大谷

結論から申し上げますと、あまりに太田市内における状況と異なっていますので、感想が沸かないというものです。せっかく太田市内に実在する地名を活用してフィクションを作成していただいたのですが、太田市ではそもそも「字」を住所に書くことはまったくありませんから(私は現住所の「字」が何なのかも知りません。親に聞いたのですがやはり分からないそうです)、たとえば「字○○が大字から分離して単独の字になる」ということがどういうことなのか実感として沸かないんですよね・・・。

感想がこれだけではあまりにひどいですので(汗)、私なりに感想をひねり出してみました。以下にまとめてみます。

実は、上に記した「日常生活で「字」を意識するかしないか」ということが大字が他の大字を侵食することと大いに関連があるのではないかと考えました。推察するに、大河原町では「大字」単位ではなく、「字」単位に地番がふられているのではないのでしょうか。なので、大字の中に複数の1番地があることから、「字」を書かないと住所を特定できないため、「字」の名が今日まで日常的な住所地名として存続しているのでは?

これに対し、太田市の場合は地番は「大字」単位に付番されています。「1番地」は大字の中に1つしか存在しません。したがって、わざわざ「字」を住所に書かなくとも場所は特定されます。

この地番をふる単位地域が「大字」か「字」かが、千本桜さんのおっしゃる「大字による他の大字の侵食」に対して決定的な差となって作用します。

「字」単位の地番の場合、字の名前がだぶらない限り「大字」部分の地名を他の既存の大字に変えても住所として使用するには差支えがないので、簡単に大字変更を行えます。

一方で、「大字」単位に地番がふられている場合、大字を他の既存の大字に変えようとすると、地番同士が重なってしまうケースが生じる可能性があることから、そのだぶり具合をいちいち精査し、重なる地番については「甲乙」を地番につけるとか、5000とか10000とか絶対に重ならない数字の地番に変換するなどの作業を行わなければならず、煩雑な事務作業が要求されます。太田市内において大字が大きな変動を伴うことなく今日まで存続してきている大きな要因は、この地番の問題が大きいと考えられます。

細かいことを言えば、この場合でも小字を用いれば判別は可能なのかもしれませんが、既に日常生活からかけ離れた小字を、特定の地域にだけ正式住所として復帰させることは馴染まないのでしょう。現に10数年前に太田市内で大字を町名に変更する大がかりな事業が実施されたのですが、金山丘陵周辺に飛地的に残っていた「大字太田」を隣接する他の大字に編入する際、上記の地番の操作が行われたようです。

このように、大字単位で地番が付された地域は、領域としての「大字」の原型が保存されやすい反面、大字以下のミクロな地名は行政区名で用いられているわずかなケースを除いてはほとんど日常生活から姿を消してしまい、役所にある地籍図などを参照しなければ分からないようにまでなってしまいました。

一方、「字」単位に地番がふられている地域の場合は住所表記に不可欠ということから字地名が残存しやすいという傾向がありますね。その副作用として、逆に藩政期から続く村の名前である「大字」が軽んじられてしまうきらいもあるということは、大河原町における事例が示すところですね。

あちらを立てればこちらが立たず、地名を保存していくことはなかなか難しいのですね・・・。

[51480]88さん のお話もアップされましたね。併せてお読みいただけますと幸いです。

[51482] 2006 年 5 月 25 日 (木) 23:08:08 稲生 さん
 Do&Do

なにやら、[51414]EMMさんのをパクッたようなタイトルですが、
一音地名 静岡市清水区土および静岡市葵区渡の取材レポートが、たった今完成しましたので、お知らせいたします。
題して、
一音大字・静岡県静岡市『土』&『渡』訪問記
1.静岡市清水区土
2.静岡市葵区渡

通常の拙HP内の手法では、画像を貼り付けるばかりで、説明が少ないことが多く、これでは、たもっちさんの一音地名探訪記の掲載基準に達していないと、お叱りを受けそうだったので、今回は先の方々の作品を参考にしつつ、私なりに精一杯説明文を書いてみました。

それから、一音地名探訪記の目次となる日本地図内でのことですが、滋賀県内の「よかごすたい」と千葉県内の「かきねイロハイロハ」は、なんかいい感じなセリフですね。

>たもっち様
こんな感じで一応完成しましたが、審査の方、よろしくお願いいたします。

追記:いつの間にか書き込み数が500を越えました。本当は350件ほどのところで、永久追放されかかったのですが、いつの間にか復帰を果たし、書き込みを増やすことができました。
これもひとえに、暖かな心をもった皆様のおかげと感謝しております。

[51481] 2006 年 5 月 25 日 (木) 23:04:03 がっくん さん
 物好きなもので・・・

5月上旬に行ったばかりなのに、今月31日に再び高知へ行くことになりました。でも今度は公共交通機関(高速バス)を利用してですが・・・。前回見られなかった高速道路のカントリーサインでも見てきます。

ところで、高知県つながりで、市町村合併情報(履歴)を見ていて気になった点が。
16  1959.10.07    南国市    編入         南国市, 長岡郡 介良町の一部
これなんですが、長岡郡介良村ではないかと・・・
88さん、確認よろしくお願いします。

[51480] 2006 年 5 月 25 日 (木) 22:46:24【1】 88 さん
 大字を大事にしよう・・・

[51473]千本桜さん
ご指名ではありませんが、勝手にレスします。

こういうお話にはぜひ参加したいものです。私は、「都道府県市区町村」「落書き帳」を知る前から、藩政村(それ以前からの郷名も含む)、大区小区制、明治・昭和・平成の大合併に伴う(自治体名はもちろん)町・大字名の変遷を、表にまとめ、また地図に表したいなあ、と思い、少しずつですが整理して来ました。もっとも、地元香川県内だけですが。既存のデータがあったので、[51038][51040]はすぐに対応できたわけです。むじながいり さんのつかんぼやとのような地図で、しかも現在の町・大字の区分を藩政村と比較して表したいのですが、私にはそのへんの技術は持ち合わせておりません・・。

さて、今回のレスの前段にもう一言。私も順次過去ログを読んでいるのですが、千本桜さんの六本木は三本木より2倍も田舎のはずなのにのシリーズも最近興味深く拝読したところです。そういうタイミングで、今回の[51473]を拝見しました。千本桜さんの意見の根底には、もちろん、大河原町の大字が変わる!?(勝手にタイトルつけました)があってのことでしょうが。

本題。私の意見は、(千本桜さんと似ているとは思いますが)基本的には、延喜式の頃からの1000年以上の歴史のある藩政村を現在の町・大字名にするのがよいのではないか、というものです。そういう観点からいくと、私も、大河原町で起こりそうになった件については、抵抗があります。私は、「郷」、「郡(明治の郡再編前のものに限る)」、「藩政村」(大字)、「小字」を主として地名を考えること、という意見です。このため、大河原町での実例でも、今回の両毛市の仮定の例でも、まったく違う地域の「大字」にまで侵食するのは解せません。もちろん、まったく別の「地名」らしきものを創作することも、私は抵抗が大きいです。
(住居表示実施には直接関係ないにもかかわらず、それにあわせて(小さめの)町名・大字名が消えてしまう件も抵抗があるがそれはまた別稿にて)

ちなみに、[51036] でも話題になった「消滅した大字の有無」については、香川県に関しては冒頭で述べた資料の整理の進捗にあわせてお知らせします。ほんの少し、香川県内にも藩政村や大字が消えた例があるのは発見しているんですけどね・・。

(書き始めると、私の地名へのこだわりがギラギラした文章になっってしまい、見苦しくなったので、その部分は次回以降に再推敲後投稿します。)

[51479] 2006 年 5 月 25 日 (木) 22:36:39 作々 さん
 南風〜本請求〜

お疲れ様です。

MBCニュースによると、本日、菱刈町の住民が大口市との合併協議会の再設置を求めて、町に本請求書を提出したようです。
また、これとは別に、この春から大口市と菱刈町では、合併に向けた事務レベルでの協議 が時始まっているとのことです。

[51477] 2006 年 5 月 25 日 (木) 20:03:58 YSK さん
 広域行政圏の変容 45.宮崎県

広域圏の事務内容等は、[14512]をご参照ください。
[14512]に記載された市町村構成に変更がある、あるいは広域圏の解散等がある場合について注釈していきます。
※市町村構成に変化があっても、表記上矛盾がない場合は注釈を行いません。

<市町村合併により、[14512]の市町村表記に変更のあった広域圏>
○宮崎東諸県(みやざきひがしもろかた)広域市町村圏協議会
→宮崎市、宮崎郡清武町、東諸県郡全域 に変更

<広域圏の枠組み変更・解散等>
○都城北諸県(みやこのじょうきたもろかた)広域市町村圏事務組合(解散)
2006.1.1に三股町を除く組合構成市町が合併して新・都城市が発足したことに伴い、合併前日に組合を解散、組織機構を新市に受け継いだ。三股町は事務委託で組合業務を対応しているものと見られます。なお、広域圏としては「都城市・北諸県郡三股町」の枠組みで存続。

波乱万丈の大分県とは対照的な結果です・・・。

[51476] 2006 年 5 月 25 日 (木) 18:18:43 YSK さん
 ふたつの韮川村

[51473]千本桜さん
大字の領域変更に関するお話は稿を改めたいと思いますが1つ事実と異なる部分がありますのでお知らせいたします。

明治22年に太田町と大島村の一部が合併して太田町が誕生。同年、東長岡村、台之郷村、安良岡村、東金井村、上小林村、石原村および太田町の一部が合併して韮川村が誕生しています。この合併史と各村の地理的位置関係は事実に基づきますが

実は韮川村の部分は事実に基づかなかったりします・・・。
このとき誕生した韮川村はもっと広い範囲でして、後に矢場川村、休泊村となる範囲も含めた範囲が「韮川村(第一次)」として発足しました。後に広範囲すぎたからか、1893年7月15日に(第一次)韮川村から矢場川村と休泊村が分立し、残った範囲で(第二次)韮川村が編成されました。

なお、現在の行政区の集合体としての「韮川地区」は、この(第二次)韮川村に、矢場川村(一部)の範囲(大字矢場・植木野が該当します)を加えた範囲となっています。

以上のことにつきましては、Issieさんのページ市町村変遷(群馬県山田郡)に詳しいです。

[51475] 2006 年 5 月 25 日 (木) 17:31:50 星野彼方 さん
 繰り返し記号レス

[51468] 倉田昆布 さん

星野彼方さんが見たのはこれでしょうか?

どうやら私が見たのは北秋田市の多多良沢です。よく見つけてくださいました。

「々」を使用しない重複文字地名けっこうありますね。この分ならまだまだありそうです。「々」コレに入れるよりは別コレクションにした方が良さそうです。倉田昆布さんどうです?あ、私が聞いちゃだめか。EMMさんどうです?

かわりに「つゝじ山」は「々」コレで採用しようと思います。もうしばらくお待ち下さい。それにしても「々」や「ゝ」はなんて読めばいいんだ?

[51474] 2006 年 5 月 25 日 (木) 13:48:47 スナフキん さん
 環八のこと

[51466]TNさん
タイトルの本題はともかく…
肺が菌に侵され
とてつもない難病に見えるのですが…心配です。でも、PCに向かって文字は打てているから、大丈夫なのかな?

線路際まで開削し、トンネル断面の外縁にパイプを挿入したのちにくり抜く、といった手法が想像されます。
実は私も21日、現地に出撃(汗)したのです。自分で地図帳に赤線を引いて訂正しておきながら、こんな大幹線の開通に知らんぷりはできません(笑)。ここにも直後にそのことを書き込もうかと思ったのですが、自分のブログで「これでもか!」というくらいにみっちり書き込んでしまったのでまあいいやと、サボってしまいました。

私が向かったのは練馬区北町〜板橋区相生町区間であり、こちらでは残念ながら笹目通りとの分岐部にかかる資料を一緒に入手することはできませんでしたが、東武東上線交差部にかかる資料などはゴッソリ入手できました。それには、専門用語を連発して恐縮ですが「開削工法の応用で築造した」旨の記述が見えました。線路際までオープンカットで構築し、線路直下のみ現地で築造したボックストンネルをスライド挿入した、とあります。これには線路部分の地盤を支えるための補助工法が当然必要なはずですが、それについては記載がありません。日刊建設工業新聞にも南田中トンネルの詳細は掲載されましたが全体的に図面が少なく、そもそも北町若木区間の詳細は載っていませんでした。開通式がこれからなので、新聞記事をもう少し注意して見てみることにします。

あまりの突貫工事ぶりに見ていて気の毒です。
当日も、注意深い人ならば突貫工事ぶりが足を踏み入れただけで分かったはずですね。ブログの記述と重なりますが、明かり部分は前日の豪雨で洗い流されていたとは言え、覆いのあった部分の舗装は歩いていてもまだべとつきが分かるほどでした。アスファルト舗装に「生乾き」という概念があるのかどうかは分かりませんが、たぶんそういう状態で日曜日の当日を迎えたんだろうと思います。

首都高中央環状線に対しても、渋滞緩和の効用についてそれほど期待を抱いておりません。
現状では首都高速中央環状線のうち王子区間が完成していますが、これも開通後の効果として大々的に報じられた渋滞の解消が思ったほどに現れていないのでは?と私も感じています。池袋線から中央環状線への流量よりも、東北道・常磐道方面から池袋線への流量の方が上回っている印象で、渋滞情報を聞いていても開通後はかえって竹橋を頭にした5号池袋線の渋滞が伸びてしまったように思います。従来はいくつものJCTを経なければ到達できなかった山の手エリアへよりスムーズに行けるようになったことが、かえって交通量のアンバランスを招いてしまったともとれ、道路建設計画の難しさを感じます。

余談ですが、私のブログのアクセス記録を見ると、環八をタイトルに据えて記述した記事だけが、他記事のアクセス数の6倍近くに達しています。一地図屋の書いている戯言にも関わらず、世間一般の関心は非常に高いようです。

[51473] 2006 年 5 月 25 日 (木) 06:49:40 千本桜 さん
 大字が変更されるとき

[51207]YSK さん
太田市の行政区名・町名の現況を拙ページ内にまとめてみました。
拝見いたしました。大変解りやすく出来ていますね。太田村を除いては、藩政期の村=現行政区の構図のようですから、住民にとっても地区把握がしやすいのではないでしょうか。我が町とは異なります。ところで、これから架空の話を書きますが、これが現実となった場合、YSKさんはどのように感じるのかをお聞かせ下さいますか。
明治22年に太田町と大島村の一部が合併して太田町が誕生。同年、東長岡村、台之郷村、安良岡村、東金井村、上小林村、石原村および太田町の一部が合併して韮川村が誕生しています。この合併史と各村の地理的位置関係は事実に基づきますが、以後すべてフィクションです。

フィクションです。昭和の大合併で太田町と韮川村が合併し太田市が発足しました。それまでの大字(太田、大島、東長岡、台之郷、安良岡、東金井、上小林、石原)は新市に引継がれ、太田市大字東長岡字○○、太田市大字台之郷字○○と表記するようになりました。ところが、大字太田は市名と同名を理由に省略が許され、太田市大字太田字○○は太田市字○○と表記するようになりました。つまり、大字太田が消滅したわけです。また、10年前には大字東長岡字田ノ草周辺の土地区画整理事業が完工し、大字東長岡を冠しない太田市字田ノ草町が誕生しています。字田ノ草町は周囲を大字東長岡に囲まれた浮島のような位置にあります。整理します。太田市には大字を冠しない地区が2箇所あります。旧太田町大字太田の全域と、10年前に大字東長岡から分立した字田ノ草町です。ところが訳あって、この地域に再び大字を冠する必要が生じました。さて、太田市はどうするのでしょう。

【第1段階】
平成の大合併が進む中、太田市と足利市は合併して両毛市になる予定です。大字町丁名の取扱い審議に入った太田市は、選択肢を三つに絞り込みました。
【A案】新市名と大字名の間に現行市名を配する--------------【例】両毛市太田東長岡字○○
【B案】新市名の後には大字の字句を冠した大字名を配する----【例】両毛市大字東長岡字○○
【C案】新市名の後には大字の字句を省いて大字名を配する----【例】両毛市東長岡字○○
審議の結果、C案が選ばれました。つまり、両毛市の後には大字の字句を省いた大字名を配置するという案です。しかし、太田市には大字を編成しない区域が2箇所あります。審議会はその区域に現行市名に由来して「太田」を冠することにしました。その結果、住所表記は下記のようになりました。
現行合併後
太田市大字台之郷字○○→→→両毛市台之郷字○○
太田市大字安良岡字○○→→→両毛市安良岡字○○
太田市大字東金井字○○→→→両毛市東金井字○○
太田市大字なし字○○→→→両毛市太田字○○
YSKさん。両毛市太田字○○の太田は、太田市に由来する太田に見えますか。私には太田市由来の太田に見えません。市名と同名であるために消滅した大字太田由来の太田に見えます。
理由その1: 現行太田市に由来した太田なら、台之郷、安良岡、東金井などにも等しく太田を冠するのが道理であろうに、それをしていない。
理由その2: 両毛市太田が両毛市台之郷と同列に配されていることからして、台之郷などと同様の経緯を持つ地名と考える方が自然。つまり、藩政期の太田村を継承した大字太田の意であり、太田市の意ではない。
結局のところ、審議会は大字ナシの小字には現行市名の太田を冠するとしましたが、それよりも、消滅している大字を復活させた方が自然ではないかと私は思うのです。YSKさんはどのように感じとられましたか。

【第2段階】
大字ナシの小字は現行市名を冠することになり、大字東長岡から分立した字田ノ草町も太田を冠することになりました。あら不思議。10年前は大字東長岡字田ノ草だったのに、蓋を開けたら太田字田ノ草町に化けています。まるでマジック。知らず知らずの太田による東長岡への地名侵食。無意識の中の地域強奪。しかも、太田字田ノ草町は周囲を東長岡字○○に囲まれて孤立状態になっています。全ては、大字ナシの小字に現行市名の太田を被せたことによって発生した不条理です。字田ノ草町は大字東長岡から分立したのですから、東長岡に戻してやるのが筋道ではないでしょうか。両毛市太田字田ノ草町ではなく、両毛市東長岡字田ノ草町がふさわしいと私は思います。YSKさんはどのように思われますか。

【第3段階】
東長岡村または韮川村が現存していたなら太田の侵食を許しはしなかったでしょう。しかし、太田市の一部となった今では東長岡側に立って声を上げる主体も無くなりました。古くからの東長岡住民の中には、田ノ草町が太田だなんて有り得ない。あそこは昔から東長岡だと主張する人もいましたが審議員の耳には届きません。それどころか、新住民、特に学区を気にする教育ママから予期せぬ声が挙がりました。田ノ草町だけでなく東長岡全域を太田にして欲しいとの声です。太田市ではどの地名よりも太田という地名がステータスだからです。住民の要望を受けた審議会は、太田市街が大字東長岡地区にも拡大し一体化が進んだとして、両毛市東長岡字○○になる予定の区域を全て両毛市太田字○○にするとしました。住居表示と違って大字と言うものが、そのような理由で変更されて良いものなのでしょうか。そのような事例は多々あることなのでしょうか。平成の大合併のどさくさに紛れて大字東長岡が消されようとしています。
YSKさんはこのような流れで地域が変化していく事をどう思われますか。私はこの領域変更に待ったを掛けたいと思います。単に地名の変更だけなら、東長岡が南新潟になろうが長岡峡になろうが目を瞑っても構いません。しかし、太田と東長岡を統合する大掛かりな領域変更は、地域の生立ちを解り難いものにすること間違いなく、それを埋めて余りあるメリットが得られるとも思えません。住民の要望があるとは言うものの、1パーセントに満たない住民が要望しているだけです。しかも残念なことに、要望している人たちのほとんどが地域の町村合併史のフローチャートを描けません。太田や東長岡の生立ちをフローチャートに表せる人たちは、東長岡を太田の一部にしてくれとは言いません。

【第4段階】
審議会は大字東長岡を廃して太田に組み込むことにしました。そこで、ある問題が発生しました。太田と東長岡に同名の字渋谷新宿という小字が有ることが発覚したのです。そこで審議会は次のように処理することに決めました。
太田の字渋谷新宿→→→→両毛市太田字渋谷新宿
東長岡の字渋谷新宿→→→両毛市太田東長岡字渋谷新宿
おー!なんと、太田東長岡という新しい大字が出現したではありませんか。しかも太田東長岡という大字に含まれる小字はただ一つ。住民わずか28人、面積200メートル四方の字渋谷新宿だけです。YSKさんは当然、太田、韮川地区の合併史フローチャートが描けますね。でも、東長岡が消滅し、太田が拡大し、さらに太田東長岡なる新しい大字が出現したフローチャートを描けますか。私は描く気になれません。こんな、こんがらかった地域なんて懲り懲り・・・。

♪「だから云ったじゃないの」と松山恵子さんがあの世から叱咤激励してくれてます。松山恵子さんは、「だから、大字ナシの小字に大字を冠する必要が生じたら、現行市名じゃなくて、消滅させた大字を勇気をもって復活させて」と云っているのです。お恵ちゃんのご冥福お祈りいたします。また一つ、昭和30年代が消えて行きました。♪未練の波止場〜〜・・・

YSKさん名指しで書き込んで、ごめんなさいね。でもYSKさんなら、乾いた地名としてではなく、今現在、地域に根ざして熱く流れる地名を感じて下さるような気がして・・・。

[51472] 2006 年 5 月 25 日 (木) 00:59:09 敷守ほむら さん
 昔ばなしレス

こんばんは。

[51425]にまん さん
どちらも、間違いと断定するには根拠が弱い気がします。
熊野三山を熊野大社と通称することは珍しくないのではないでしょうか。
にまんさんの書き込みを見てから、確かに、Web上では探しきれなかったけど、現地の方に聞いてみたら熊野三山を熊野大社と呼ぶのかもしれない、と思い、今週頭に和歌山県田辺市にメールで問い合わせてみることにしました。返事はまだありませんが、なにか分かりましたら追ってお知らせしたいと思います。
犬吠森についても、「地図に記載がない」=「そのような地名がない」とすることは危険だと思います。
地図を見たところでは、犬吠森の南東に三戸に抜けるには丁度よさそうな峠(犬吠峠かどうかは不明ですが)もあるにはありますし、山頂付近よりこの辺りのほうが三戸方面の見通しも良さそうです。敷村ほむらさんはおそらく鹿角市のホームページから
「さだ六とシロ」のお話に出てくる地名は「犬吠峠」ではなく、「犬吠森」だということが分かりました。
とされたのでしょうが、昔話なんていろいろなバージョンで伝承されているでしょうから、「犬吠森」とする話があるからといって、「犬吠峠」とする話がないとは言い切れないと思います。
にまんさんの仰るとおり、最終的に鹿角市のホームページから「犬吠森」だと判断しました。
Web上では、「犬吠峠」に関しては、まんが日本昔ばなしの話題で「犬吠峠」と書いている方と、あと、この「さだ六とシロ」の話に関して「犬吠峠」の場所を問い合わせている内容の書き込みだけでした。もとの「さだ六とシロ」の物語について調べていくうちに、「犬吠森」および「老犬神社」なるキーワードを見つけて、鹿角市のホームページにたどり着きました。
ただ、これも、Web上では探しきれないことを現地の方が知っていることもあると思い、秋田県鹿角市にメールで問い合わせをいれています。こちらも追って。

鹿角と三戸って「同じ国」になりませんか?
[51430]矢作川太郎 さん
Wikipediaのページに有るように鹿角郡は陸中、三戸郡は陸奥とそれぞれなっています。しかし
明治元年 (1868年) 12月7日に、陸奥国を分割して設けられた。
とあります。ですので、明治元年以前には同じ国であると言えるのです。昔話の類のものが明治時代に発祥したとは考えにくく、やはり前述の通りであるといえます。
昔ばなし中では、三戸と鹿角がとなりの国という表現を使っていて、三戸領、鹿角領という言い方をしていたのですが、となりの領というのをとなりの国と表現していたのかな?ちょっと分からないです。(これはどこに問い合わせを入れればいいんだろう???)

[51471] 2006 年 5 月 25 日 (木) 00:58:11 ニジェガロージェッツ さん
 TNさん、どうぞご自愛ください

[51466] TN さん
ご健康を害されておられる様で心配です。お仕事ご家族のことなど、何かと気懸りでしょうが、どうぞしっかりと治療され、一日も早い全快をお祈りします。

前言は撤回しないとはいうものの、六甲行は何時の事になるやら・・・。

どうぞご無理の無いように。六甲の全縦大会は神戸市の不滅のイベントです。何十年先でも六甲が崩落しない限り、開催されることでしょう。(笑)
それより、先の拙稿でTNさんの古い「公約」をほじくり返してしまった形になり、変なプレッシャーをかけてしまったのではないかと反省しております。
小生は六甲全縦大会に83年と84年の2度参加し、いずれも宝塚まで完走しましたが、あれは半端ではなく、本当にきついです。
小生の完走経験とはいっても、今より20キロ以上体重が軽かった20年以上前の話で、今の体力と体型と血圧(ちなみに上190の下130です)では、とてもではありませんが完走など出来ません。本来ならTNさんとお供できれば宜しいのですが・・。

そんなことより、どうぞお身体をご自愛いただければと願います。

所蔵物の中に更にワラヂヤ関係の物がありました。「紀元二千六百年記念版 最近調査大日本分縣地図併地名総攬」発行所が国際地学協会で著作兼印刷発行者が日下伊兵衛、というものです。
いいですねえ!こういう書籍。何やら朝鮮や台湾の地名まで網羅していそうですね。当時の日下和楽路屋書店も結構この分野では大手だったのかと思うと、時代の流れとはいえ、ワラヂヤの破産は残念でなりません。

資金を募り、空き店舗を借りる。そして、各人の蔵書を持ち寄り会員制の地図図書館を開く。
落書き帳で募れば恐ろしい地図図書館が出来そうですね。
小生が提供できるとすれば、昭和50年代の和楽路屋の神戸市区分地図でしたら、ほぼ毎年のものが揃っています。
あとは、ロシアの第439中央実用軍事地図工場で出版された地図帳が幾冊かありますが、いらんですね。(笑)

[51470] 2006 年 5 月 25 日 (木) 00:44:03 hiroroじゃけぇ さん
 初めてですが

はじめまして。岡山人のhiroroじゃけぇです。以前から、拝見はしていましたが、書き込みは初めてです。みなさんの知識をおそそわけくださいませ。
[51451]稲生さん
ケース1:上記の早島町または吉備中央町の合併に加えて、久米郡久米南町(5,803人)を編入して、ギリギリ要件を満たす。
・・・美作国エリアながら、久米郡合併への参加を見送った同町を、御津町・建部町に続く、JR津山線繋がりで市域に編入する。

久米南町との合併は、以前検討されるのではとささやかれていましたよ。ただ、リンクできるものがないので、公式なものではなさそうですが。

ケース4:本当の意味で、お隣である倉敷市(466,416人)との大同合併を敢行する。
・・・昭和40年代以来続いていたライバル対決を一挙解決させる、究極の合併にして禁断の一手。この合併が成就した際には、岡山県全体の59%の人口を誇る大都市の誕生となる

児島人の自分にとっては、倉敷市から児島地区だけでも、岡山市に移してもらいたいものです。鉄道利用だと岡山のほうが格段に早いですし、遊びに行くのは岡山が主なので。

また、岡山人にとってうれしいことがありました。JR西日本の発表によると、ICOCAが岡山地区にも導入されるようです。

http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/pdf/k060524.pdf

長々しましたが、今後よろしくお願いします。

[51469] 2006 年 5 月 24 日 (水) 23:00:57 futsunoおじ さん
 最近は余裕が無くって ・ ・

[51445] みやこ♂ さん
futsunoおじ さん からの「三峰」に対するお返事もまだですが・・・m(_ _)m

当方も、物事が思うように進んでませんので、気長にごゆっくりどうぞ。

[51468] 2006 年 5 月 24 日 (水) 22:39:25 倉田昆布 さん
 繰り返し記号

[51398]牛山牛太郎さん
「々」を使用しない、重複文字地名ってどれくらいあるんでしょうね?
これを見てすぐに思い浮かんだのは国後島の「爺爺岳」でした。が、北方領土…
そこでざっと探してみました。まだあると思います。

野野上岳奈良県奈良市
多多良沢青森県五所川原市([51464]星野彼方さんが見たのはこれでしょうか?)
多多良沢秋田県北秋田市
下下平青森県青森市
小小島愛媛県宇和島市(ちょっと意味が違うかも)


ところで、地名に「々」を使ったものは沢山ありますが、「ゝ」は珍しいと思います。
小字だとそれなりにあるようですが、自然地名だと一つしか見つかりませんでした。

つゝじ山  長野県長野市


それともう一つ、小字名ですがカナに「々」を使った例を見つけました。

愛知県豊田市大内町ト々ロ

[51467] 2006 年 5 月 24 日 (水) 17:37:59【1】 YSK さん
 広域行政圏の変容 44.大分県

広域圏の事務内容等は、[14511]をご参照ください。
[14511]に記載された市町村構成に変更がある、あるいは広域圏の解散等がある場合について注釈していきます。
※市町村構成に変化があっても、表記上矛盾がない場合は注釈を行いません。

<市町村合併により、[14511]の市町村表記に変更のあった広域圏>
○宇佐・高田地域(うさたかだちいき)広域市町村圏事務組合
→豊後高田市、宇佐市 に変更(以下同じ)

○大分地域(おおいたちいき)市町村圏協議会
→大分市、由布市

○日田玖珠(ひたくす)広域市町村圏事務組合
→日田市、玖珠郡全域

○別杵速見地域(べっきはやみちいき)広域市町村圏事務組合
→別府市、杵築市、速見郡日出町

<広域圏の枠組み変更・解散等>
○大野(おおの)広域連合(解散)
2005.3.31に、野津町を除く広域連合構成町村が合併して「豊後大野市」となったことに伴い、合併前日に広域連合を解散、組織機構は新市に受け継がれた。

○佐伯地域(さいきちいき)広域市町村圏事務組合(解散)
2005.3.3に組合構成市町村が合併して新・佐伯市となったこと伴い、合併前日に組合を解散、組織機構は新市に受け継がれた。

○竹田直入(たけたなおいり)広域連合(解散)
2005.4.1に広域連合構成市町が合併して新・竹田市となったことに伴い、合併前日に広域連合を解散、組織機構は新市に受け継がれた。

○中津下毛地域(なかつしもげちいき)広域市町村圏事務組合(解散)
2005.3.1に組合構成市町村が合併して新・中津市となったことに伴い、合併前日に組合を解散、組織機構は新市に受け継がれた。

○東国東(ひがしくにさき)広域連合(解散)
2006.3.31に、姫島村を除く広域連合構成自治体が合併して「国東市」が発足したことに伴い広域連合を解散、組織機構は国東市へ受け継がれた。姫島村は事務委託で対応しているものと見られます。なお、「東国東広域圏」としては、「国東市・東国東郡姫島村」の枠組みで存続。

広域圏の枠組み変更
旧大田村(宇佐・高田広域→別杵広域)
旧野津町(大野広域→臼津広域)

合併が大きく進展した大分県では、広域圏の解散・構成自治体の減少が高度に進んでいますね。

[51466] 2006 年 5 月 24 日 (水) 17:16:41 TN さん
 レス

[51376]ニジェガロージェッツ さん
ご無沙汰しております。
ご指摘の「六甲全山縦走マップ(六甲山系ハイキング)」 確かにワラヂヤ納と記されておりました。それぞれの出版社に対する皆様の思い入れというのも、なかなかに興味深いものですね。
私事で恐縮ですが近況を申し上げますと、肺が菌に侵され二月ごとに清瀬市にある旧国立療養所に通院、という状況のため六甲はおろか新宿区にある箱根山(標高44m、23区最高峰)が関の山ではないかと。前言は撤回しないとはいうものの、六甲行は何時の事になるやら・・・。
さて、所蔵物の中に更にワラヂヤ関係の物がありました。「紀元二千六百年記念版 最近調査大日本分縣地図併地名総攬」発行所が国際地学協会で著作兼印刷発行者が日下伊兵衛、というものです。
以下妄想。
資金を募り、空き店舗を借りる。そして、各人の蔵書を持ち寄り会員制の地図図書館を開く。
できればそこの管理人になって、あくせくせずに暮らしたい・・・。

[50639]スナフキん さん
[24938]にて、「数年の辛抱かと」と書いてから早いものでもう二年以上の月日が・・・。
21日の施設見学会に参加してきたのですが、前夜も大型のバックホウを使用して作業をするなど、あまりの突貫工事ぶりに見ていて気の毒です。工事関係者にとって、プレスリリースはさぞ恨めしかったことでしょう。
東武東上線直下の北町若木トンネルは、線路に直接影響させることなく掘り抜いてしまいました。どういう工法でやったんだろう? 
線路際まで開削し、トンネル断面の外縁にパイプを挿入したのちにくり抜く、といった手法が想像されます。最近JRで線路の盛り上がり事故例が多数報告されている例の工法に近いのでは。
ところで、某知事が環状道路の効用を喧伝しておりますが、都心に集中する交通を横方向に分散させる意義よりもむしろ、「見えがくれする都市」(SD選書162 槇 文彦、若月幸敏、大野秀敏、高谷時彦 共著 鹿島出版会)に記されているように、環状道路の内外を分節させる役割のほうが大きいのではないか、と思うのです。今後開通する首都高中央環状線に対しても、渋滞緩和の効用についてそれほど期待を抱いておりません。

[41457]ふぁいん さん
確かに川口の駅前(特に東口)は変貌を遂げ、隔世の感がありますね。サッポロビール跡地再開発や駅前再開発が一段落したと思いきや、現在もタワー型マンションが二棟建設中であり、川口駅の朝ラッシュ時の負担は平気なのでしょうか(余計なお世話)。埼玉高速鉄道が川口駅に接着していないのはむしろ良い事なのか・・・。人口面では、まもなく50万人を超えそうで、川口市単独での中核市移行が視野に入ってきたのではないでしょうか。
23区を出た最初のJR駅、川崎・吉祥寺・川口・松戸・市川・舞浜(新川崎は割愛)のなかで市川がいまいち盛り上がりに欠けるような気が致します。

[51465] 2006 年 5 月 24 日 (水) 15:44:54【1】 YSK さん
 広域行政圏の変容 43.熊本県

広域圏の事務内容等は、[14510]をご参照ください。
[14510]に記載された市町村構成に変更がある、あるいは広域圏の解散等がある場合について注釈していきます。
※市町村構成に変化があっても、表記上矛盾がない場合は注釈を行いません。

<市町村合併により、[14510]の市町村表記に変更のあった広域圏>
○阿蘇(あそ)広域行政事務組合
→阿蘇市、阿蘇郡全域 に変更(以下同じ)

○天草(あまくさ)広域連合
→上天草市、天草市、天草郡苓北町

○菊池広域連合
→菊池市、菊池郡全域(菊池郡2町は、広域圏としては熊本中央広域に所属)
※2005.3.22の新・菊池市発足に伴い、旧菊池市・旧七城町・旧旭志村・旧泗水町によって結成されていた「菊池広域市町村圏」は消滅。

○熊本中央(くまもとちゅうおう)広域市町村圏協議会
→熊本市、合志市、菊池郡全域、上益城郡全域

○八代(やつしろ)広域行政事務組合
→八代市、八代郡氷川町

○山鹿植木(やまがうえき)広域行政事務組合
→山鹿市、鹿本郡植木町
※2005.1.15の新・山鹿市発足に伴い、組合名称を「山鹿鹿本広域行政事務組合」から「山鹿植木広域行政事務組合」に変更。

○宇城(うき)広域連合
→宇土市、宇城市、下益城郡全域

<広域圏の枠組み変更・解散等>
上に記しましたとおり、菊池広域は広域圏としては消滅しています。

[51464] 2006 年 5 月 24 日 (水) 10:15:14 星野彼方 さん
 地名コレレス

5月に入ってから自宅のPC、というよりモデムの銚子がおかしく、書き込み頻度が減っている星野彼方です。早く修理か交換かしないといかんな。もっとも今回レスが遅いのは月曜まで実家に帰っていた為なんですが。

[51398] 牛山牛太郎 さん
返事が遅くなって申し訳ありません。結論から言いますと、父父山はどうやら豊田市新盛町の小字名のようです。従って残念ですが、採用は見送らせていただきます。私も、どこかで多多羅なんとか(沢か谷だったと思う。どこだったか忘れてしまった)という地名をみつけどうしようかなぁ、と思ったことを思い出し、どういう項目にするか考えるくらい採用に前向きだったのですが、試しに「父父山」でググってみると1件しかひっかからない。もちろん牛山牛太郎さんの記事(いまならこれを含めて2件)。「父々山」では30件あまりひっかかり、悩む必要ないじゃんっと思ったのですが、内容は豊田市新盛町(父々山)と小字であることを示すものばかり。う〜ん残念。

なお表記もぶれていますが読みもサイトによって「ちぢやま」と「じじやま」とぶれています。

[51401] ぱふぁ さん
[51461] EMM さん
交通由来地名に拓鉄追加いたしました。情報ありがとうございました。またよろしくお願いいたします。EMMさんもありがとうございました。

[51463] 2006 年 5 月 24 日 (水) 08:43:11 YASU さん
 両極化

[51452] スナフキん さん
メガライナー、やっと転用ですか。私が昨年12月に乗車した時、5人ほどしか乗車していなかったので、すぐにでも転用されるのではないかと思っていました。運行経路の調査や認可に時間がかかったのでしょうね。大阪駅の桜橋口に入れるのかなあ。もしかして新大阪止にして、新御堂筋上で乗降とか?
あのシートで東京−大阪間はちょっと耐えられないのですが、「安かろう、悪かろう」も支持される世の中なんですね。日本も、エアコン、リクライニング付一等車から板張りベンチシートの三等車まであるような国に向かいつつあるのでは、とちょっと不安になってきます(さすがに下はそこまで悪くはならないでしょうが)。

[51454] いっちゃん さん
枕崎駅解体
鹿児島交通の廃線から20年以上も、JR利用者のために自社所有の駅舎を貸していたんですね。いよいよ再開発してホームセンターが移転オープンするようです。
私も乗り換えの時に1回だけ利用しました。立派な駅だった記憶があります。

明日夜から香川方面に出かけます。目的は別のところにあるのですが、時間があれば「話題の」東かがわ市にもお邪魔したいと思います。さぬき市の志度、長尾までは行くのですが・・。

[51462] 2006 年 5 月 24 日 (水) 07:34:33 YSK さん
 まとめてレス&お知らせ

ローカル菜っぱについていろいろとメッセージを頂きましてまことにありがとうございました。興味深く拝見いたしました。さらなる情報を賜れますと幸いです。

[51407]EMMさん
あれ書くのに1時間以上かかってるんですよ…
投稿そのものを遠慮してほしいという意味ではありませんよ、引用部分に際して配慮をお願いしたいということです。
ちょっときつい言い方になってしまいますが、1時間以上タイムラグがあったのでしたら、やはりご投稿前にリロードして最新の投稿内容に沿った引用をお願いいたします。相手が書き込みを訂正するということは、少なからず消された部分は衆目にさらされたくないという思いがあるはずです(少なくとも私にはそういう思いがあり、消した「はず」の部分を引用されてしまったことはたいへんショックでした。しかも投稿後まもなくのレスならともかく、1時間以上間を置いていたにも関わらず確認をされていないなんて、そのショックは大きいものでした・・・)。場合によっては記事そのものすら削除されてしまっているかもしれません。記事を訂正した側の責任に帰する部分も大きいとは思いますが、重ねてご協力のほど、お願い申し上げます。

[51421]ゆうさん
いつもお世話になっております。
鳥取市内における高速道路表示板のお話ですが、確かに高速までの道のりが長いことをアピールするものではないと思います。ただ私がこのことを知ったのは、数年前、道路公団の民営化が議論されていたときに高速道路の採算性と必要性についてのテレビの特集を観たためです。通常の高速道路が延伸されてきていない鳥取市内のレポートの中で地元の経済団体の代表が件の看板の下でインタビューに答えて、「高速まで70kmなんて看板、高速道路がない地域ですといっているようなもので複雑な思いだ。地元としては不採算路線でも高速道路を延伸してほしい」といっていたのが印象に残ったためでありました。

最後に、未明に新しい地域文長崎を“さるく”をアップしましたのでお知らせいたします。これにより、昨年8月の広島・長崎フィールドワークの成果を地域文にする作業に一定の区切りがつきました。ご覧いただけますと幸いです。

[51461] 2006 年 5 月 24 日 (水) 05:24:47 EMM さん
 交通由来町名コレ・ご提案

>星野彼方さん

ふと思ったのですが…
[51384]ばふぁさんの「北海道上川郡新得町拓鉄」は企業由来町名コレへの投稿ですが、もともと私鉄を運営していた会社の名前ですから交通由来町名にも当てはまるのでは無いでしょうか。
どうでせう?

[51460] 2006 年 5 月 24 日 (水) 05:03:50【1】 EMM さん
 Re:マリナーゼ

[51450] 白桃 さん
先週の土曜、テレビ東京の番組「アド街ック天国」で地元、新浦安が紹介されました。その中で「マリナーゼ」という耳慣れない言葉が頻繁に出てきましたが、
うちの県ではだいぶ放送が遅れている上に、最近は放送時間が金曜の午前中(昔は土曜の午前中)なんかだったりするのでおいそれと見られなくなってしまいましたが、毎週HPはチェックしています。
さて、私も「マリナーゼ」というのを見て「なんじゃ、そりゃ?」と思った口ですが、何をイメージしたかというと「酵素の名前」。
化学(これの場合は生物か?)の世界では物質名の命名の規則がありまして、酵素の場合は語尾が「○○ase」となり、これのドイツ語風読みが「○○アーゼ」(英語風だと「○○エース」)なので、「マリナーゼ」だとまんま酵素風の名前だったりするのです。

ところで、「マリナーゼ」は本のタイトルに使われているそうで、そのためネット検索の結果もそれなりの数がありました。
でもその中で私と同じ発想の方々もチラチラといらっしゃるようです。
さて、2番目の検索結果のトップに引っかかってくるブログにさらに謎の言葉が。
海側がマリナーゼで、浦安側がリバーゼと言うとか…本当に言うんか〜?
試しに検索してみると、出てくるものはことごとく油脂の分解酵素の話。
でも…油脂の分解酵素ってリバーゼじゃなくてリ「パ」ーゼ(Lipase)なんですけどね。
誤字とOCRミスと混ざってるようです。
浦安関係は2件ぐらいしか無さそうな感じ。


※今日明日と県外出張で、6時半には家を出なきゃならないので早起きしました。そろそろ準備しなきゃ。
今年度の経県値は増えますが、生涯経県値には影響無し。

[51459] 2006 年 5 月 24 日 (水) 01:51:50 みかちゅう さん
 3度目の投稿

[51446]花笠カセ鳥さん
ちょっと見た感じですが休日は運休という路線も結構あるようで、「休日版」の路線図があれば真っ白になってしまう地域がありそうです。それにしても市域が連続している奥羽線沿線でも路線が途切れているとは…。概略のみの路線図ではわかりにくいので、道路地図にきちんと路線を書き込んでみないと路線の空白地域はわかりませんね。

[51462]スナフキんさん
メガライナーは夜行バスに転用されることが決まったようですね。私は東京〜鹿島線が有力かと述べていましたが見事に外れました。いくら安くても身動きの取れない高速バスで6時間も、というのでは選択する気になれません。

[51458] 2006 年 5 月 24 日 (水) 01:23:54 かすみ さん
 東京に来ています(はみ出し有り)

こんばんは。土曜から例の件で東京に滞在しています。
ほとんどを銀座で過ごしていますが週末の人の多さといったら毎度すごいですよね。
お茶さえ並ばないといけないなんて。平日の銀座の方が好きです。(笑)

それでも1泊だけはと昨日は友人と足を伸ばして鬼怒川温泉で湯につかり、ご馳走を食べ、
今日は日光東照宮へ。初めて栃木県で観光をしました。おかげで生涯経県値と今年の経県値が上昇したのでした。
でもどうして足を伸ばすのに鬼怒川温泉がまず頭に浮かんだのか?
それはきっと、電気グルーヴ×スチャダラパーの『聖☆おじさん』のビデオクリップで
鬼怒川や日光でバカ騒ぎする彼らの姿とおかしな歌が1年経ってもこびりついていたからでしょう。(苦笑)

今夜は東京に戻ってきて、激安超狭ビジネスホテルでぼんやりと過ごしてます。

[51457] 2006 年 5 月 23 日 (火) 22:57:13 みかちゅう さん
 珍標識〜並進可

[51456]桜トンネルさん
免許の更新をするときに渡される運転の教則本には標識が各種載っていますが、「こんなの見たことないぞ」っていうのがいくつか含まれていますね。やはり気になる人は結構いるようで、「珍標識」あたりで検索するとそれなりにヒットすると思います。

さて、お尋ねの「並進可」の標識ですが、霧に走る 〜道路標識と道路のページ〜の中の14番に写真があるのでご覧ください。これとは別に中主町(現・野洲市)の写真が道の顔・標識写真館に載っているので併せてどうぞ。他には…「同業者」のサイトがいくつもある中で新居浜と野洲以外の情報は見つかりませんでした。

急勾配や高さ制限などの話題でも道路標識は落書き帳で今までにも出ています。詳しくはひょーしき選手権をどうぞ。かがまないと通れないガード下や、自転車に乗って見下ろすと怖いくらいの急坂などなど。面白いこと間違いなしです。

[51456] 2006 年 5 月 23 日 (火) 19:58:49【1】 桜トンネル さん
 豊見城市

[51444]小松原ラガーさん

最終的な判断はたもっちさんに委ねたいと思いますが、ここは2つの理由で×だと思います。
1)ルール上、ロータリーコレクションに駅前ロータリーとかバスロータリーとかは含めない。御指摘の場所、もろに駅前ロータリーです。
2)御指摘の場所は一見ロータリーっぽくなっていますが、厳密には「皿」の字の中の縦棒がない形になっていて、道路としては南側の道は東方向から来た場合には意識的に右折しないと、この「一見ロータリー」には入れず、そのまま西へ抜けていってしまいます。(逆に西から来ても、意識的に左折しないとそのまま東に抜けてしまいます。)
図で書けば分かりやすく、言葉で説明するとなるとややこしいのですが、「皿」の字から中の二本の棒を取り去り、更に下の横棒を取り除いた部分、丁度「ワ」冠っぽくなった部分が西南端から北向き、東向き、南向きの一方通行になっています。より厳密に言うと私の表現も誤りで、「ワ」の字をもっと角を取って滑らかに、そう、「Ω」型に、いやオメガの上半分型になっています。(蛇足ですが、北西側へは線路沿いに抜ける道、北東側からは線路沿いに入ってくる道があります。これぞ本当に「蛇足」ですが・・・)

近隣のJRだけでも六甲道、住吉の南北側、灘の南側、甲南山手の北側などロータリーラッシュです。ほとんど駅ごとにロータリーがあるのではないでしょうか。

そうですか・・・。ここもだめですか・・・。ちなみに、阪急御影駅南側、夙川駅南側、JR芦屋駅南側(ここはちょうっと微妙ですが・・・。)
これで2回目の失敗(??)となってしまいました。3度目の正直とリベンジを兼ねてロータリーをがんばって見つけました。しかし、ロータリー的な動きをするかどうかは分かりません。今回は兵庫県ではなく、愛知県へいってみました。
そのままつながるようにしたいのですが、出てこないので、住所を書いておくので後はよろしくお願いします。

愛知県名古屋市南区泉楽通1丁目付近。場所で調べるときは南陽通郵便局の前の交差点です。

[51445]みやこ♂さん

今月号のJAF Mate(2006年6月号)の「ユニーク標識・看板展覧会」に,熊本県の16歳の方から「七差路標識」が投稿されていました。いったいどこの標識なんだろう!!興味津々,津々浦々でございます。
ちなみにその下は「上中下」という珍名バス停の写真でした。

私も標識についてはとても大大好きです。2年生か3年生のときの夏休みの自由課題は標識集めでした。ほかにも4年生のとき(だったかな?)はSAPAのことについてしました。5年生のときは・・・覚えていません。6年生のときは市町村大合併のことについてしました。そのときこの「都道府県市区町村」の「市町村合併情報」を使わせていただきました。ところで、そういう珍しい標識は集めているので、1度でも見てみたいです。あと、愛媛県にある並進可の標識を見てみたいのですがどこにあるか分かりますか?あと、優先道路の標識も見てみたいです。(本山交通公園で見たことはありますが、写真ではとっていません。)あと、軌道敷内通行可の標識もとりたいです。あと警笛鳴らせの標識もとりたいです。(実は高知に行ったとき黒潮町で発見しましたが、汚くて断念。)
つまり並進可の標識、優先道路の標識、軌道敷内通行可の標識、警笛鳴らせの標識がどこにあるか知っている人は教えてください。

[51451]稲生さん

この合併により、人口は684,729人(データはもちろん、市区町村プロフィールより)となり、政令指定都市の人口要件70万人(めやす)に、あとほんのわずかとなりますね。

岡山市が政令指定都市となると、区分けすることになりますね。何区ができて、いくつの区ができるのでしょうか?(先走りすぎましたか・・・。)
実はもうひとつ政令指定都市になろうとがんばっている都市があります。それは熊本市です。現在人口は670945人。あと3万人なんですが、熊本市付近の市町村は合併に意欲的ではないので、当分無理か?とも思われます。しかし僕も熊本市はどこと合併するかを考えてみました。(パクっています。)

ケース1 富合町との合併を進め、宇土市(38297人)を編入する。文句が出た場合、宇土区を設置することにする。
・・・富合町の取り合い(?)を熊本市としていた宇土市を編入し、政令指定都市となる。

ケース2 富合町との合併を進め、菊陽町(30938人)と益城町(32757人)を編入する。(片方だけでもよい。)
・・・JR豊肥線と熊本空港と熊本市のペットタウン化の関係で菊陽町、益城町を編入する。

ケース3 富合町との合併を進め、合志市(51487人)を編入する。
・・・熊本電鉄と熊本市のペットタウン化の関係で合志市を編入する

ケース4 富合町との合併を進め、嘉島町(8381人)と城南町(19866人)を編入する。
・・・嘉島町と城南町の中心部は熊本市街地に近く、ペットタウン化ができる。

ケース5 富合町との合併を進め、植木町(31054人)を編入する。
・・・植木町の中心部から熊本市の中心部まではJR鹿児島本線で結ばれていて、ペットタウン化が可能。

これくらいだと思います。すべてのパターンに共通するのは富合町と合併することです。ほかにも玉名市などとの合併も考えられますが、それよりさきに周辺市町村の編入が優先されるでしょう。玉東町と熊本市の合併はあまりいわれていないので、合併する確立は低いと思って載せませんでした。

[51455] 2006 年 5 月 23 日 (火) 19:28:01 88 さん
 明治期の人口の集中化に関して

私がこういう話題をするのは非常に珍しいのですが、読んでいる本から興味深い記述を見つけたのでご紹介します。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
・・・1870年代末(明治10年代)からの急速な工業化は、富の特定地域への集中化をもたらした。農業の富は土地の広さに制約されるので、農業の生む富は必然的に地方分散的に形成される。ところが工業の生み出す富は土地の広さに制約されないので、富は少数の工業都市に偏在的に形成されることになる。このことは地方の豪農、富農層に大きな不安を与えた。
この不安を示すものとして、たとえば、明治以来の工業化がもたらした人口移動がある。明治の初期に一番人口の多かった県はコメどころの新潟県である。コメの収穫量で人口が決まることをこれほど明らかに示す事例はないであろう。1878年(明治11年)に日本を旅行したイサベラ・バード女史は、コメどころの中心地である新潟市、山形県の米沢盆地、秋田市などの繁栄を伝えている。「(秋田市について)このように何マイルも続く快適な『郊外住宅』を見ると、静かに自分の家庭生活を楽しむ中流階級のようなものが存在していることを思わせる」とまで書いている(『日本奥地紀行』平凡社東洋文庫、1973年)。ところが、1910年(明治43年)には、新潟県の人口は第一位から第五位に低下してしまう(梅村又次他『長期経済統計13 地域経済統計』東洋経済新報社、1983年)。人口の不均一と工業都市への集中が生まれているのである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「世相でたどる日本経済」(原田泰著、日経ビジネス人文庫、日本経済新聞社)(原題は「テラスで読む日本経済の原型」(1993年))からでした。


人口について一家言をもつ方、上記地域の地元の方も多いと思いますので、ご参考までに。

[51454] 2006 年 5 月 23 日 (火) 19:23:02【1】 いっちゃん さん
 傷心

今日知った話ですが、5月1日から枕崎駅が100メートルほど指宿寄りに移ったとのこと。
それだけなら傷心しなかったのですが、旧駅を何度も利用した身にとって新枕崎駅の写真を見たらいたたまれなくなりました。

[51453] 2006 年 5 月 23 日 (火) 13:04:22 いっちゃん さん
 矛盾???

[51373]たもっちさん

町距離走大会の最新情報をご提供いただいておきながら、御礼が遅くなって申し訳ございません。
かなり短くなってしまったことに寂しさを感じてしまいます。

ところで、
ちなみに、町村混合リレーの優勝チームは、山形県最上郡金山町〜長野県南佐久郡川上村で、記録は358.2kmとなっています。
ですが、
こんなところにも接続ポイントが。
に遮断機めいた棒が倒れているので走行不可能ですよ。

[51452] 2006 年 5 月 23 日 (火) 09:11:21 スナフキん さん
 やはりメガライナーは転用…

昨年8月に秋葉原〜つくば間に首都圏新都市鉄道<つくばエクスプレス>が開業し、その後減便などの改定を経て去就が注目されていた常磐道高速バスつくば線の巨大車両「メガライナー」ですが、どうやら第二の人生が決定したようです。知り合いからの情報では、今月中にもつくば線からは撤退し、整備及び国土交通省の特認が下り次第、現在はダブルデッカーでの運行が定着した東京〜大阪間の「青春ドリーム号」に回って席数を増加させる方針なのだとか。高速道路の走行はともかく、東京や大阪の一般道路の通過に問題はないのか、疑問が残りますが…。私が予想した「鹿島線転用説」はものの見事にひっくり返されました(大汗)。

それにしても、決して夜行バスとしては設備が恵まれているとは言いがたい「青春ドリーム号」、設定当初は定着するのか首をかしげていたものですがいつの間にか、2階建てバスを投入するほどに利用者が増えていたんですね。昨今は東京〜大阪ですと航空運賃が叩かれ気味なところへ、新幹線も割引手段を増やすなど全般的に運賃が低廉化する傾向にあるようですが、そのさらに下を行く激安夜行バスがここまで支持されているとは…こんなところで景気って、本当に回復基調にあるんだろうかと疑問に思ってしまう今日この頃です。

[51451] 2006 年 5 月 23 日 (火) 08:33:04 稲生 さん
 政令指定都市・岡山市

[51438] mikiさん
岡山市・建部町・瀬戸町合併調印式

この合併により、人口は684,729人(データはもちろん、市区町村プロフィールより)となり、政令指定都市の人口要件70万人(めやす)に、あとほんのわずかとなりますね。

岡山県南政令指定都市構想から玉野市が離脱した今、残る合併候補先は早島町(11,987人)と吉備中央町(14,085人)ですが、片方だけでは、70万人の大台に本当に少しだけ足りません。(例えていうなら、あとスプーン小さじ一杯分といったところ)
今後の可能性として、ちょっと暴走気味ながら、いくつかのケースを考えてみました。

ケース1:上記の早島町または吉備中央町の合併に加えて、久米郡久米南町(5,803人)を編入して、ギリギリ要件を満たす。
・・・美作国エリアながら、久米郡合併への参加を見送った同町を、御津町・建部町に続く、JR津山線繋がりで市域に編入する。

ケース2:玉野市(67,351人)との合併をもう一度推進していく。
・・・もう一度玉野市にラブコールを送り、当初からの県南政令指定都市構想を完結させる。

ケース3:赤磐市(44,282人)・瀬戸内市(39,369人)・総社市(66,618人)との合併を目指す。
・・・東へ西へと合併候補先を探し、歩調の合ったところとの合併を成就させる。

ケース4:本当の意味で、お隣である倉敷市(466,416人)との大同合併を敢行する。
・・・昭和40年代以来続いていたライバル対決を一挙解決させる、究極の合併にして禁断の一手。この合併が成就した際には、岡山県全体の59%の人口を誇る大都市の誕生となる。

以上のようになりました。

我が静岡県の静岡市・浜松市は、人口ではいつも岡山市の後塵を歩んでまいりましたが、ここへきて両市ともに、政令指定都市の道を歩むことになりました。夢にも思っていなかった岡山市の足踏み状態に対して、若干のもどかしさを感じながら、思いをめぐらしてみました。
(おことわり:‘政令指定都市になること’=‘都市の風格を上げる’と考えているわけではありません。 )

追記:岡山県内は、いつのまにか、ほとんど1郡1町になってしまいましたね。

[51450] 2006 年 5 月 23 日 (火) 07:25:37【1】 白桃 さん
 マリナーゼ

先週の土曜、テレビ東京の番組「アド街ック天国」で地元、新浦安が紹介されました。その中で「マリナーゼ」という耳慣れない言葉が頻繁に出てきましたが、
1.夫の年収1千万以上
2.30代?
3.新浦安駅周辺の高層マンションに住む
マダムを指す造語らしく、残念ながら私の妻は、1.2に該当しないようです。
確かに新浦安は、どこへ行くにしても便利です。晴れた日に歩いていると、カリフォルニアと勘違いするかもしれません。リゾートっぽいホテルあります。「湯めぐり万華鏡」なる銭湯も出来ました。
でも、シロガネーゼ(白金)やアシヤレーヌ(芦屋)みたいな層ばかりが住んでいる地域でもありません。
マリーナイーストという地区もありますが、マリナーゼはやはり、シアトルに住むマダムですよ。シアトルマリナーゼ?(あんまり、落ちなかった)

[51449] 2006 年 5 月 23 日 (火) 07:06:01【1】 みかちゅう さん
 自治体バス〜増便試行

[51431]役チャンさんのおっしゃる増便試行ですが、昔からずっと1日5本以下で「町」から山間の集落へ入っていくだけという路線での乗客の増加は難しいかな、と思います。しかし、ちょっと昔(20年前ぐらい?)には1時間に1本以上あって地域の核となる都市間を結ぶ急行バスが走っていたという地域には本数しだいで乗客が出る望みもあるでしょう。要するに、鉄道に並行しているか街道をひたすら走る路線が該当するわけです。

そもそも旅客流動があるはずなのに鉄道に並行する路線がそっぽを向かれた理由は何なのでしょうか。そこからまずは考えてみましょう。

1、鉄道の利便性向上
国鉄が民営化されJRになり、鉄道も本数の増加や気動車化・電化による所要時間の短縮といった積極的な営業政策をとってきます。その結果「市」までバスに乗っていくのはやめ、最寄り駅まで徒歩や自転車で行くなり車で送っていくなりしてもらって鉄道に乗り換えるという「都市型」の移動様式に変わりつつありました。
2、交通渋滞の深刻化
人口増による車の増加に道路整備が追いつかず、朝夕のラッシュ時には通常の倍以上の時間がかかることも珍しくありません。渋滞でイライラしたり所要時間が余計にかかったりするのは自家用車でも同じですが、バスの到着時間がわからず停留所で立ちっぱなしなのにうんざりして自家用車に流れたのは容易に想像できます。そのうえバスに乗っても座れないとバスに乗る気などしなくなるのは当たり前です。
3、(想像ですが)自治体の財政支援が少なかった
支線系統は廃止されると直ちに困る人がいるので補助金を出すことはやむをえないことだと考えられています。鉄道並行系統ではバスが廃止されても駅までせいぜい4km程度であり、徒歩や自転車で十分という考えができます。たとえ最寄り駅までタクシーに乗っても1000円もしないでしょうし。すると行政側でも「わざわざ金出してまで存続を頼む必要はない」ということになり、あっさり廃止されてきたのでしょう。

以上の要因が重なり合って衰退の一途をたどってきたのでしょう。が、状況しだいでは復活する見込みもあると考えています。例えば本数を鉄道より多くする、運賃を鉄道と同程度に抑えるといった手段が考えられます。停留所での待ち時間のイライラ解消は…難しいですね。到着の15分ぐらい前に携帯電話にメールが入る、なんて仕組みになればいいんですけど。都市部ではバスの現在位置を知らせるといったサービスが実施されていますが、地方の事業者には先行投資をする余裕などないでしょうし…。

[51448] 2006 年 5 月 23 日 (火) 03:29:29 文京移民 さん
 失礼しました

常盤台は既出でしたね…。確認を怠り申し訳ありません。

[51447] 2006 年 5 月 23 日 (火) 03:17:28 文京移民 さん
 ロータリー/銀座について

はじめまして。ここまで地理好きの専門家(?)が集まる場所を知って嬉しくて書き込んでしまいました。どちらかというと僕は歴史の方が専門なのですが、楽しく読ませて頂きました。
今後も来るかと思いますが、どうぞ宜しくお願いします。


・ロータリー追加

 東京都板橋区常盤台には複数のロータリーがあります。(マピオンでも確認できました。)
常盤台は主に東武鉄道の資金により、戦前の「田園都市」ブームの中で一体的に開発された住宅街であり、当時としては非常に先進的なクルドサックなどの理論を取り入れたすばらしい計画がなされています。
戦前は田園調布や阪急沿線と並び、計画的田園都市の理想として賞賛を集めました。
東京に移住したからには一度見なければ、と思いつつも、まだ実際に見たことはありませんが。
常盤台のロータリー誕生時にはまだ設計基準も前例も無く、若手の技師が自ら車のカタログを取り寄せ、軌跡を作図して最小回転半径と道路幅を求めた、という逸話があります。日本のロータリーを語る上で外せない重要ポイントだと思います。(詳しい記述は越沢明氏の「東京の都市計画」という本に出ています。)

 また、実現しなかった計画案ではあるものの、明治初期のベックマンによる「官庁集中計画案」はロータリーの史上最重要に挙げられるでしょう。外相井上馨が推し進めたプロジェクトで、現在の日比谷・新橋付近に直径200mの二重のロータリーを造り、東京をパリのようなバロック都市に改造する、という案です。もし実現していたら…どうなっていたことでしょう?霞ヶ関の国会前交差点、財務省上交差点に現存するロータリーもどきはこの官庁集中計画の名残と云われています。(藤森照信著「明治の東京計画」をご参照下さい。)


・銀座について
 いま手元にないのですが、工学院大学の初田亨教授(建築史・都市史)が日本各地の「銀座」をリストアップしています。どの本だったか記憶が定かではありませんが…。見つかり次第リストを出します。

 ちなみに台湾南部、高雄市の北東約100km附近に、「台南市」というオランダ・清王朝時代からの古都が位置します。この台南市の中心部に民生緑園というロータリーがあるのですが、昔その周辺はなんと「台南銀座」と呼ばれていました。銀座は日本以外にもあったのです!
 もちろんご察しの通り、日清戦争後の下関条約で台湾が日本領となり、日本の技術者による都市計画が行われ、百貨店を中心とした日本人のショッピングストリートが建設されたことが命名の理由なのですが。
 銀座はともかくとして、ロータリーは総督府の手によって台湾で盛んに建設されました。日本の事例と比較して考えると色々と見えてきそうです。

では、長くなりましたが、また。

[51446] 2006 年 5 月 23 日 (火) 00:15:04 林檎侍[花笠カセ鳥] さん
 路線バスの凋落

一週間前の書き込みへのレスになりますが、
[51351]みかちゅう さん
山形交通の路線で支線系統の廃止はここ数年ではなくかなり前と聞いたことがあるのですが、どうなのでしょうか。複数の自治体にまたがる幹線系統すら廃止されるあたりには相当乗客離れが進んできることが伺えます。
これが山交バスの路線図なのですが、最近は支線系統ばかりか、幹線系統の廃止も進んだ結果、ローカル系統に限れば路線図が三分割されています。
また、現存路線でも最低限の本数(一日5本以下)しかない系統が珍しくありません。(特に新庄周辺)
県外、特に仙台発着の系統は好調で、山形仙台線は一日70往復あるのですが…

[51445] 2006 年 5 月 22 日 (月) 23:08:30【1】 みやこ♂ さん
 七差路標識の写真

[51324] futsunoおじ さん からの「三峰」に対するお返事もまだですが・・・m(_ _)m

今月号のJAF Mate(2006年6月号)の「ユニーク標識・看板展覧会」に,熊本県の16歳の方から「七差路標識の写真」が投稿されていました。いったいどこの標識なんだろう!!興味津々,津々浦々でございます。
ちなみにその下は「上中下」という珍名バス停の写真でした。

[51444] 2006 年 5 月 22 日 (月) 22:03:35 小松原ラガー さん
 駅前のものはアウトではないでしょうか・・・

小松原ラガーです。

[51441] 桜トンネル さん
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.43.15.425&el=135.16.30.250&la=1&sc=3&CE.x=405&CE.y=163

ですが、そこを少なくとも数百回通ったことのある人間として述べさせていただきます。
最終的な判断はたもっちさんに委ねたいと思いますが、ここは2つの理由で×だと思います。
1)ルール上、ロータリーコレクションに駅前ロータリーとかバスロータリーとかは含めない。御指摘の場所、もろに駅前ロータリーです。
2)御指摘の場所は一見ロータリーっぽくなっていますが、厳密には「皿」の字の中の2本の縦棒がない形になっていて、道路としては南側の道は東方向から来た場合には意識的に右折しないと、この「一見ロータリー」には入れず、そのまま西に抜けていってしまいます。(逆に西から来ても、意識的に左折しないとそのまま東に抜けてしまいます。)
図で書けばわかり易く、言葉で説明するとなるとややこしいのですが、「皿」の字から中の2本の縦棒を取り去り、更に下の横棒を取り除いた部分、丁度「ワ」冠っぽくなった部分が西南端から北向き、東向き、南向きの一方通行になっています。より厳密に言うと私の表現も誤りで、「ワ」の字をもっと角を取って滑らかに、そう、「Ω」型に、いやオメガの上半分型になっています。(蛇足ですが、北西側へは線路沿いに抜ける道、北東側からは線路沿いに入ってくる道があります。これぞ本当に「蛇足」ですが・・・)

ということで、上記2つの理由から残念ながら御指摘の場所はコレクション入りは難しいと考えていますが、たもっちさんいかがでしょうか。

P.S.
御指摘の場所は当然気づいておりました。ただ、これがセーフなら、近隣のJRだけでも六甲道、住吉の南北側、灘の南側、甲南山手の北側などロータリーラッシュです。ほとんど駅ごとにロータリーがあるのではないでしょうか。

[51443] 2006 年 5 月 22 日 (月) 21:38:14 穴子家 さん
 ロータリーコレに推薦します。

こんばんは、穴子家です。

>たもっちさんへ
わが地元、今治市のロータリーを紹介したいと思います。
今治市にはロータリーと呼ばれるものが3つあります。

海側から順に紹介していくと、一つ目は今治港のすぐそばにあります。ここは一見すると三叉路に見えますが、実は四差路なんです。海に並行して走る道は、南東側は一方通行で片側二車線の道路が駐車場をはさんで並んでいるのですが、北西側は両側二車線の道路が二本並んでいるのです。つまり北西に伸びる二本の平行した道路はどちらともロータリーから進入できるのです。個人的には危険な気がするのですが。

二つ目は[42999]愛比売命さんが既にご紹介された市役所前のロータリーです。ここはロータリーらしいロータリーだと思います。ですが、免許を取って間もない者には運転しづらいところです。

三つ目は今治駅前にあります。中央には何だかよくわからない塔が立っています。このロータリーに沿って駅側はバスターミナルとなっていますがバスが停車していても通行には支障のない道幅が確保されています。ロータリー内に車線などは特に引かれていませんが実質一車線です。

駅前にはロータリーらしきものが他にもありますね。こちらはタクシー乗り場なので一般車は入ることはありません。

と、ここまで書いたところで気づいてしまいました・・・。駅裏にもロータリーがあるじゃないですか。そうです、今治駅裏にも再開発によって新たなロータリーが生まれたんです。線路沿いの二本の道(確か北側の道は北向き一方通行だったと思います。)と駅から西に伸びる道路の交差点としてのロータリーといえないこともないのですが、駅前ロータリーとしての色合いが強い気がします。それにここのロータリーはまだ多くの今治市民には定着していないと思います。できて四、五年ぐらいはたったと思いますが、「今治のロータリーは3つじゃわい!」と思っている市民が多いと思います。私を含めて。(笑)

以上、うまく説明できていないかもしれませんが失礼しました。

[51442] 2006 年 5 月 22 日 (月) 20:22:43 YSK さん
 広域行政圏の変容 41.佐賀県/42.長崎県

佐賀県と長崎県は両県にまたがる広域圏が存在するため、一括してご紹介いたします。

広域圏の事務内容等は、佐賀県は[14503]を、また長崎県は[14504]を、それぞれご参照ください。
[14503][14504]に記載された市町村構成に変更がある、あるいは広域圏の解散等がある場合について注釈していきます。
※市町村構成に変化があっても、表記上矛盾がない場合は注釈を行いません。

<市町村合併により、[14503][14504]の市町村表記に変更のあった広域圏>
(佐賀県)
○杵藤地区(きとうちく)広域市町村圏組合
→武雄市、鹿島市、嬉野市、杵島郡全域、藤津郡太良町 に変更(以下同じ)

○佐賀(さがちゅうぶ)広域連合
佐賀市、多久市、小城市、神埼市、佐賀郡全域、(神埼郡吉野ヶ里町)
1999.2.4 広域連合設置
2003.4.1 佐賀地区広域市町村圏組合を統合
※吉野ヶ里町は広域連合の構成市町の1つだが、広域圏としては鳥栖地区広域に属する。

○鳥栖地区(とすちく)広域市町村圏組合
→鳥栖市、神埼郡吉野ヶ里町、三養基郡全域

(長崎県)
○県央地域(けんおうちいき)広域市町村圏組合
→諫早市、大村市、雲仙市(旧吾妻町・旧愛野町・旧千々石町・旧小浜町・旧南串山町の区域)

○佐世保地域(させぼちいき)広域市町村圏組合
→佐世保市、西海市、北松浦郡佐々町・小値賀町、東彼杵郡全域

○島原地域(しまばらちいき)広域市町村圏組合
→島原市、雲仙市(旧国見町及び旧瑞穂町の区域、一部業務は全市)、南島原市

(佐賀県・長崎県)
○伊万里・北松地域(いまりほくしょうちいき)広域市町村圏組合
→伊万里市・西松浦郡有田町(佐賀県)、平戸市・松浦市・北松浦郡江迎町・鹿町町(長崎県)

<広域圏の枠組み変更・解散等>
(佐賀県)
○唐津・東松浦(からつひがしまつうら)広域市町村圏組合(解散)
2005.1.1に七山村、玄海町を除く組合構成市町村が合併し、新・唐津市となったため、合併前日で組合を解散、組織機構は原則として新市に受け継がれた(七山村は2006.1.1に唐津市と合併)

(長崎県)
○壱岐(いき)広域圏町村組合(解散)
2004.3.1に組合構成自治体が合併し「壱岐市」となったことに伴い、合併前日に組合を解散、組織機構を新市に受け継いだ。

○上五島地域(かみごとうちいき)広域市町村圏組合(解散)
2004.8.1に、組合構成自治体が合併し「新上五島町」となったことに伴い、合併前日に組合を解散、組織機構を新町に受け継いだ。

○下五島地域(しもごとうちいき)広域市町村圏組合(解散)
2004.8.1に、組合構成市町が合併して「五島市」となったことに伴い合併前日に組合を解散、組織機構を新市に受け継いだ。

○対馬(つしま)総町村組合(解散)
2004.3.1に組合構成自治体が合併して「対馬市」となったことに伴い合併前日に組合を解散、組織機構を新市に受け継いだ。

○長崎地域(ながさきちいき)広域市町村圏協議会(解散)
2005.1.4に、長与町・時津町・琴海町を除く組合構成町が長崎市に編入されたことに伴い、同日付で協議会は解散された(琴海町は2006.1.4に長崎市と合併)。

広域圏の枠組み変更
長崎県旧大瀬戸町(長崎広域→佐世保広域)

[51441] 2006 年 5 月 22 日 (月) 18:16:03【3】 桜トンネル さん
 南城市

[51428]たもっちさん

桜トンネルさんだけが頼りです。また適当に確認をしていただければと思います。全く急ぎはしませんので、暇ができたらで結構ですが。

ということなので、適当に調べておきます。今週は無理なので来週(??)になるかも分かりませんが、調べておきます。
[51284][51287]小松原ラガーさん[51295][51303]たもっちさん[51310]小松原ラガーさん[51332][51413]小松原ラガーさん[51418][51428]たもっちさんで述べられているロータリーを東灘区で発見しました。(まだ灘区のほうは解決していないのにと思ってしまいますが・・・発見してしまいました。)ここはロータリーの基本(??)の駅前です。地図で出そうとしたのですが、ここもまた載っていなくて・・・。航空写真で出そうとしたのですが、マンションの陰になってになって確認できず。(しかしロータリーの中心部にある公園みたいなのところは少しだけ見えます。)つまり、また誰かに現場確認をしてもらわなければならないのか!?まぁこんなところばっかり見つける僕も僕なのですが・・・。そのときはそのときでよろしくおねがします。(確認できないので・・・。)

http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.43.15.425&el=135.16.30.250&la=1&sc=3&CE.x=405&CE.y=163

[51078] 僕 「神戸市」
[51258] 僕 「宮若市」
[51295] 僕 「那覇市」
[51332] 僕 「石垣市」
[51359] 僕 「宮古島市」
[51418] 僕 「糸満市」
[51441] 僕 「南城市」

ロータリーのところに糸満市やら石垣市やら那覇市・・・。カントリーサインの話のときでは宮古島市・・・。と謎に思っている人もいると思いますが(いるのかな??)、これは全市を書き込んでいこうという壮大(?)な計画です。全市を書き込んでいくと779回書き込んだことになります。(けど、途中からはじめた企画ですので、779回以上になります。それにまだ合併があって、本宮市、みやま市、木津川市、揖宿郡と川辺郡が合併してできる○○市など追加していかなければなりません。)この企画が終わったら、区町村へいきたいと思っております。(区は市の中でするかも・・・。)それも終わってしまうと(何年後になるやら・・・。しかもそのころまで続けれるかどうか・・・。)平成の大合併で消滅した市区町村、または消滅したシリーズで行こうと・・・。まずは全市を書き込もう!!
これでちゃんと説明できたかな??

つまり、次は豊見城市、浦添市、宜野湾市、沖縄市、うるま市、名護市そしてそして鹿児島県の鹿児島市といきます。(予定なのであしからず・・・。)

[51440] 2006 年 5 月 22 日 (月) 15:17:11 般若堂そんぴん さん
 自動車道雑感

[51436] 今川焼さん
道路の建設費を全額借入金で賄い、通行料金で償還していくというやり方なら分かりやすいのですが、多額の税金が投入されながら割高な通行料金を徴収するのために十分活用されない道路は税金の無駄遣いだと思います。
「割高な通行料金を徴収」しないことによって道路の利用度を高め,運輸・流通・生活道路の安全などに寄与する,そのために税金を投入しても良いのではないか,ということです.文字通りの「フリー」ウェイにするという発想はどうだろう,と.
ものごとが互いに関連し合って存在しているという当然の事(仏教でいう prati_tya-samutpa_da「縁起」)をふまえれば自動車道の整備によって恩恵を受けるのは必ずしも利用者だけではないはず.とすれば「道路の建設費を全額借入金で賄い、通行料金で償還していくというやり方」は,その負担だけを直接の利用者にのみより多く押し付けているだけのようにも見えます.

もちろん、なんでもかんでも税金で造ればよいというわけではありませんが、お金は有効に使っていただきたいものです。
仰る通りですね.

米沢南陽道路も,低料金あるいは無料であれば13号線の渋滞解消・住民の安全に寄与するでしょう.

【予告】
米沢のローカル野菜と言えばやはり古志田の……(以下次号……本当か?)

[51439] 2006 年 5 月 22 日 (月) 10:03:18 稲生 さん
 伏見区の分区関連&旧京北町の所属区関連

伏見区関連
[51415]小松原ラガーさん
[51417]ニジェガロージェッツさん

伏見区の分区関連&旧京北町の所属区関連
[51428]たもっちさん

旧京北町の所属区関連
[51433]suikoteiさん
[51435]今川焼さん

皆様
よそ者のちょっとした疑問に対し、それぞれ、ご丁寧な解説ありがとうございました。

伏見区の分区関連につきましては、アーカイブス 行政区が分区する時が編集されておりましたので、さっそく推奨させていただきました。

旧京北町の所属区関連につきましては、現地を取材(結局は郵便局めぐり)に、行こうかと思っております。いろいろ予備知識をいただきまして、ありがとうございました。

追記:たもっちさん
私が勝手にご指名してしまった中で、さっそくお調べいただいたものを、一度ボツにしてしまったそうで、貴重な休日の大事なお時間をつぶさせてしまって、申し訳ありませんでした。
例の一音地名コレの取材の件、今週の水木の天候が良い方へ向かいそうですので、行ってこようかと思います。

[51438] 2006 年 5 月 22 日 (月) 09:12:18【1】 miki さん
 岡山市・建部町・瀬戸町合併調印式

5/21に岡山市・建部町・瀬戸町の合併調印式が予定通り行われました。
順調に行けば御津郡と赤磐郡が消滅しますね。

[51437] 2006 年 5 月 22 日 (月) 07:24:42【1】 じゃごたろ さん
 下条村 or 下條村、駒ケ根市 or 駒ヶ根市

おはようございます、じゃごたろです。
今日もまだよい天気ですね。

[51434] 笠津前浜 さん
連休中は予備知識なしに移動していたので、見慣れない市町村標識に旅の醍醐味を味わいました。

昨日は長野・愛知・静岡県道1号を完走してきました。三遠南信地方を飯田市から浜松市佐久間町まで縦走するこの県道、なかなか楽しめました。道中には、先日来話題に挙がった、豊根村の富山地区も通ってきました。まあ県道の名前が、「飯田富山佐久間線」ですから当然ですね。

その帰りには国道を通って、カントリーサインの収集も実施。

さてそのカントリーサインの表記が、自治体の表記とは異なっているものもありました。こちらはまだ拙サイトではまだ未公開のものですが、国道151号国道153号のカントリーサインです。下條村は「下条村」、駒ヶ根市は「駒ケ根市」との表記。正確性よりも見易さを認識したものでしょうね。

こう並べてみると収集のいがいがありますね。しかし伊那地方は標識のカラー化がかなり進んでいることに気が付きました。一方で国道418号はこんなかんじ。まあ通行量があまりなので、こんなものでしょうね。もともと「南信濃村」の標識の上に「飯田市」を貼り付けたものでした。

[51436] 2006 年 5 月 22 日 (月) 06:22:09【1】 今川焼 さん
 「薄皮有料道路」

[51427] 般若堂そんぴん さん
「自動車の走らない自動車道」がしばしば例に出されますが,そうした中にも「フリーウェイ」にすればかなりの通行量が見込め,生活道路との分離によって運輸・流通などに好影響をもたらす路線があるのではないか,とも思います.

道路の建設費を全額借入金で賄い、通行料金で償還していくというやり方なら分かりやすいのですが、多額の税金が投入されながら割高な通行料金を徴収するのために十分活用されない道路は税金の無駄遣いだと思います。般若堂そんぴんさんの身近な例ですと米沢南陽道路がそうではないでしょうか。こちらのサイトを見ていただくと、米沢南陽道路は、通行料金で管理費を賄うのがやっとで、まったく建設費の償還はできていません。さらに、こちらのページを見ると建設費の92.5%を税金で造っていることがわかります。(こういう道路を薄皮有料道路というそうです)つまり残りの7.5%(32億円)を償還するために有料としているものの、通行台数が少ないためそのための管理費用が賄えていないのです。もしこの7.5%(32億円)を税金で賄うことができれば無料で供用できるわけで、現状では92.5%(392億円)の税金が活かされていないと思います。将来、東北中央道が福島から横手まで開通すればその一部となって採算がとれるとの計画かもしれませんがいつになることやら、ですね。

[51421]ゆうさん でふれておられる、中国道の佐用と鳥取を結ぶ建設中の自動車道は全線無料で供用されるようです。もちろん、なんでもかんでも税金で造ればよいというわけではありませんが、お金は有効に使っていただきたいものです。
ところで
#余談ですが、県境のトンネル部は「青色標識の一般道路」で歩行者も通ります。自動車専用のトンネルさらに掘ることになるのか興味のあるところです。
鳥取河川国道事務所Q&Aによると、新たなトンネルは掘らず、一般道のトンネルを自動車専用道が挟む形になるようです。

※地図リンク追加

[51435] 2006 年 5 月 22 日 (月) 05:22:55 今川焼 さん
 周山街道と旧京北町の所属区

[51410]稲生さん
[51428]たもっちさん
[51433] suikotei さんが紹介されている京都市・京北町合併協議会の議事録を読むと、京北町の所属区の問題より、むしろ北区の小野郷・中川地区の位置づけの方が議論されていることが興味深いですね。

この問題、以前にも話題になっていて、その時レスしようと思い書きかけていた原稿が残っていました。
読み返してみると、だいたい、たもっちさんと同じような内容なのですが一部引用します。

「もともと京北町を通り若狭へ通じるメインの街道は、高雄を通る現国道162号線ルートではなく、京七口の一つの長坂口(北区の千本北大路上る鷹が峰光悦寺付近)を起点に京見峠を屈曲の多い細い道で越え旧小野郷村・中川村へ通じていました(山国街道と呼ばれたようです)。(参考)両村が編入された昭和23年の時点で高雄経由、京見峠経由のどちらがメインになっていたのかはよくわかりませんが、歴史的に見ればもともと町外れだった現右京区よりも京の街の中心部へダイレクトに向かう京見峠が重用されてきた、その結果としてつながりが強かった上京区への編入だったのではないでしょうか。」

また、北区のサイトの小野郷学区中川学区紹介のページにも、周山街道(国道 162号)が開通するまでは京見峠経由で京都市街と結ばれていたことが書かれています。

結局、もし小野郷村、中川村が平成の時代まで京都市に編入されずに独立を保っていたら、京北町ともども京都市右京区へ編入されていたかもしれませんし、また、もし国道162号線が高雄経由でなく、京見峠をトンネルでぶち抜いて建設されていたら、京北町は北区編入となっていたかもしれない、ということなのではないでしょうか。

ところでこの国道162号線ですが、京都市街から旧京北町中心部までの間に峠が3つ、走ってみると一応2車線で整備されていますがカーブだらけで、ここを毎日クルマで通勤したらさぞや腕力、握力が鍛えられるだろうなぁ、というなかなかハードな道ではあります。

[51434] 2006 年 5 月 22 日 (月) 01:43:24 笠津前浜 さん
 国東市、天草市、南島原市、宮若市、朝倉市、南阿蘇村、阿蘇市、山都町、宇城市、美里町

連休中は予備知識なしに移動していたので、見慣れない市町村標識に旅の醍醐味を味わいました。

[49535] 2006 年 2 月 28 日 (火) 18:12:16 白桃 さん
1.島原の乱後に移住してきた人々のこと
郷土史等には、何々町の何々家はどこそこ島から移住したとわかっている例がでています。しっかり裏をとったのではないのですが、当初は移住がなかなか進まず、年貢を軽減するという触れをだしたところ希望者が大勢出てしまって大変だ、といった話を聞いたことはあります。出身地ごとにかたまったかどうかは、どうなんでしょう・・・。

2.構成8町は今まで合併をほとんど経験していないこと
合併の枠組みが、たまたまこの8町になったのですね。学生時分までしかいなかった私としては、相変わらずよその町にしか過ぎません>他の7町。しかし、公共事業などは取り合いになるだろうことは容易に想像がつきます。首長が一人になり、金の流れが一箇所からとなれば、合併の成果が出てくるのでしょう。

3.島原市より人口が多くなること
南島原市は「方角地名」です、ネームバリューにおいて本家を超えることはありませんので、島原市のプライドも保てる、ということで(^_^;

[51433] 2006 年 5 月 22 日 (月) 01:36:52 suikotei さん
 旧京北町の所属区

[51410]稲生さん
[51428]たもっちさん
旧京北町がどの区に属するべきかにつきましては、京都市・京北町合併協議会の第2回協議会で議論されています。(国立国会図書館のWARP収集の協議会HP
会議録によりますと、小野郷地区の孤立を懸念し「北区」を望む少数意見はあったようですが、交通の便、区役所との距離、衆議院小選挙区が同じこと(右京区と旧京北町は4区、北区は1区)、などを理由に大勢は「右京区」を支持し、決まったようです。

[51432] 2006 年 5 月 22 日 (月) 01:22:58 とむ さん
 過疎地の公共交通と自家用車

3回目の投稿です。ROMってはいましたが。

[51431] 役チャン さんの記事、大変興味深く読ませていただきました。

実験、面白そうです。
稼働率が上がりそうな所はどんどん取り入れるべきかとは思うけど、過疎地こそ、自家用車がないとやっていけません。
私の友人が浜松市北部に沢山いますが、バス路線、全ての道路に作れませんよね。最寄りのバス停まで自家用車で送迎します。
中学校が統合してしまって、スクールバスが新規にできたんですが、やっぱりバス停まで自家用車で送迎です。そういった家庭がとても多いようですよ。
JRバスが撤退して、仕方がないから遠鉄バスが路線を継承してくれたけど、採算面でどうでしょうか?自主運行バスといって、遠鉄バスが運行しているけど、赤字を自治体が補填している路線が他にも何本かあります。走らせるほど赤字。でも、廃止できない。
他の地域の山間部ではどうでしょうか?
自治体コミュニティバスも各地区で増えてきたけど、用事があるのはバス路線の向かう方向じゃないし、たいがいくねくねした路線(時間よりも乗れること重視?)なので、かえって乗らないみたい。

なんか、いいアイディアあるといいんですけどね。

[51431] 2006 年 5 月 22 日 (月) 00:39:40 役チャン さん
 過疎地の公共交通と自家用車

[51378]YASU さん
[51367]YSK さん
[51363]みかちゅう さん
[51351]みかちゅう さん
[51347]地球人 さん
[51344]花笠カセ鳥 さん
[51342]YSK さん

皆さんのご意見を楽しく拝見させていただいております。
そしてもう少し私の考えを述べさせていただきます。

全くの私の推測ではありますが、地方の過疎地であっても適切な代替手段があれば自家用車の利用が減るのではないかと思っています。

自家用車の利便性は数えきれないほどありますが、逆に車を使うことの問題点もあります。地域全体の環境問題などは別にして、利用者からすればガソリン代、酒が飲めない、交通事故の確率が高い、都会へ行ったときの駐車場の費用などでしょうが、それよりも大きいのは皆さんもご指摘の通り車を持つことの固定的経費、すなわち家計への負担が大きいことです。1家に最低1台の車は必要としても、父さんが使っているときは母さんはバスに乗る、と言えるくらいの代替手段が用意されていれば無理して2台目を買わないのではないか。逆に今は1家に複数台の車を持たなければならないほどに公共交通が期待されていない、と言えるのではないかと思うのです。

仮に1時間に1本程度のバスが走り、しかも自分の家から2〜300メートル以内にバス停があればどの家も果たして2台目、3台目の車を買うでしょうか。私が自家用車に対して競争力のある公共交通というのは、最低でも1時間に1本程度の頻度が必要と述べたのはこういうことからです。しかしこれは全くの推測であり、本当にそうかどうか、どこかである一定期間実験をしてみたらどうかと思うのです。

候補地はいくらでもあります。先日行った長野県南部、飯田市郊外に阿智村、浪合村(2006.1.1阿智村と合併)、平谷村、根羽村の旧4村で共同運行している西部コミュニティ・バスという自治体バスがあります。阿智村・根羽村間片道50分ほどの路線に2台のバスを平日は5往復走らせています。仮に航空機やフェリー並みの稼働率で運行させれば理論的にはこの2台で1時間ヘッドのダイヤは組めます。運転手の休憩時間などを考慮しなくてはいけませんが、燃料代、運転手の人件費という追加の変動費のみで多頻度運転の実験ができると思います。

なお、このバスにはもうひとつ驚かされたことがありました。料金は距離に関係なく1乗車200円です。最長距離の阿智村・根羽村間は民間バス時代は1300円くらいしていたそうです。運転手の話によればそれでも最大に乗車する区間・時間帯でも通学生が20人もいないということで、これだけ低料金にしても利用されない、ということでした。この事実を知ると実験などを考えるのも虚しくなってきます。

それでも車庫で寝ている時間の多い稼働率の低いバスというのを他でも何度も見ていますので、どこかが手を挙げてくれればいいがと思います。

[51385]みかちゅう さん
1世帯に2台以上車を所有している場合、ぜいたくなので自動車税を5倍にする
5倍はともかく税制で交通の最適化を促すという政策も考えられますが、わが国が自動車生産国であり自動車の販売台数がGDPを押し上げ、それにより関連業界も含めて雇用が保たれていることも一方で事実ですから、自動車台数を減らすことがマクロ経済上正しいことかどうかという別の角度からの議論もあるでしょう。ですからここは強制的に自家用車を減らすということではなく、自家用車を複数台持たなくても済むような、公共交通側からの最後の働きかけが必要だと思います。どこかで2〜3年、実験だけでもを行なってみる価値は十分あると思っています。

[51430] 2006 年 5 月 22 日 (月) 00:29:21 矢作川太郎 さん
 奥州街道→陸羽街道

[51425]にまんさん
鹿角と三戸って「同じ国」になりませんか?
実は違う国だと今さっきまで思い込んでた矢作です。(笑)
Wikipediaのページに有るように鹿角郡は陸中、三戸郡は陸奥とそれぞれなっています。しかし
明治元年 (1868年) 12月7日に、陸奥国を分割して設けられた。
とあります。ですので、明治元年以前には同じ国であると言えるのです。昔話の類のものが明治時代に発祥したとは考えにくく、やはり前述の通りであるといえます。

では何故、鹿角郡が陸中とされたのかについて、一つ仮説を立ててみます。多分今でも有ると思いますが、青森県(陸奥国)内において南部地方と津軽地方とは藩政期から別個の物であるという意識があるようです。当然、それぞれの主要都市である弘前、八戸への交通路は途中で分岐していたのでしょう。(東北・八戸両自動車道が分岐しているように。)八戸へ向かう際には奥州街道を道なりに行けば辿り着けます。(その延長に竜飛崎始め、東津軽郡の宿が有ることから東津軽郡も他の津軽郡からすれば違う地域だと認識されたのでは無いでしょうか。)一方、弘前へは奥州街道から大釈迦峠を越えるルートは遠回りになります。ですから、奥州街道とは別の鹿角街道(津軽街道)が利用されたのでは無いでしょうか。(そのルートは東北自動車道のルートにもなっています。)ですから、後の陸中国(盛岡を中心とする地域)にしてみれば、鹿角は弘前に向かう際の道沿いの奥の方となるので、陸中の延長と見なされたのでしょう。そして明治元年の陸奥国分割に際して陸中国と位置付けられたのでしょう。(まあ、山向こうの他の水系の最上流部がこちら側の郡或いは国に属するのは良くある事例です。)しかし、二戸郡の区域は鹿角街道(津軽街道)沿いとは認識されず、(端っこをかすめているだけだからか?)奥州街道沿い、もしくは(安比川→馬淵川)沿いと認識されたのではないでしょうか?

*タイトルの奥州街道→陸羽街道への変更は1873年(明治6年)行われたそうです。(陸奥・陸
 中・陸前だけではなく羽後・羽前にも通じている事を表したかったのか?それとも、日本海
 経由が一般的では無かったからか?悩ましい・・・)

[51429] 2006 年 5 月 22 日 (月) 00:28:07 林檎侍[花笠カセ鳥] さん
 目的外使用?

経県マップを使ってこんなものを作ってみました。
名付けて「花笠カセ鳥の出陣領土地図」。今までに合戦や武者行列系の祭りに参加した地域を表示した地図です。
しかし、「出陣」という項目はないので(笑)「宿泊」で代用しました。いずれはこの地図を真っ赤に…

ところでこの地図、居住を入れないでプレビューすると真っ白に。最低一つは居住を入れないとエラーになるのか?

[51428] 2006 年 5 月 22 日 (月) 00:08:59 たもっち さん
 Re:京都市右京区京北○○町 その他

[51410]稲生さん
実は今日の昼間にお返事を書いたのですが、間違ってウインドウを閉じてしまい、投稿寸前の文章が全部パーになってしまいました(泣)。思い出しながらもう一度書きます。ちくしょーめっ!

一日目は、雨の中を滋賀・三重・奈良・京都・大阪の5府県駆け抜け‘局メグ’に挑戦。
拝見しました。藤森にもいらしたんですね。ここの郵便局は、かつての職場の最寄郵便局だったので、よく昼休みにお小遣いをおろしに行ったりしたものです。ただ、どんな局だったかは、あんまり記憶に残っておらず、掲載されている写真を見ても、「こんなんだっけ〜」と、ピンと来ない状態でしたが(笑)。ここは前の道が一方通行の狭い道で、駐車場もなかったような気がしますので、少し苦労されたかもしれませんね。お疲れ様です。

さて、本題です。
昨年4.1より北桑田郡京北町が京都市に編入合併されたのですが、右京区に所属となったようですね。この京北町と右京区は 実質的飛び地となっており、北区の小野郷地区を通らないと右京区中心部へ行くことができませんね。ここは小野郷地区との繋がりで北区所轄となる方がよかったのではないかと考えた次第です。
ご尤もな疑問だと思います。
僕の考えを述べる前に地理関係等を整理しておきましょう。(下記は引用ではないけど、敢えて目立たせておきます。)
・昨年4月に京北町が京都市に合併されました。
・元々京北町は京都市と、右京区、北区、左京区の3つの区と接していました。
・旧京北町でひとつの区とするほどの人口はなかったために、どこかの区に編入されることとなり、結果は右京区への編入となりました。
・旧京北町から京都の中心部へのメインルートは国道162号線(周山街道)です。JRバスの路線もあります。
・周山街道は、旧京北町から、一旦、北区の小野郷地区等を入ってから、旧右京区域に入ります。
・小野郷地区と北区の中心部との間を直接結ぶ道は、府道西陣杉坂線ほか、貧弱な道のみで、周山街道利用(=右京区経由)のほうがメインと思われます。
参考地図もご覧ください。
 ・国道162号線沿いの小野とその北の大森が小野郷地区です。ここでは、その南東の中川地区(中川、杉坂、真弓)も含めた話としておきます。
 ・そこから北西の笠トンネルを抜けた先が旧京北町です。逆に南に行くと右京区の中心部へ向かいます。
 ・地図の中心から南東方面へ向かい、鷹峯へ出る道が西陣杉坂線です。
 ・地図中の「小野」とその北東の地名を一緒に見ると、数年前に某金融会社のCMでブレイクした女性タレントを思い出してしまいますが、今は忘れてください。
長くなってしまいました。
確かに、稲生さんが仰るとおり、旧京北町から直接右京区の中心部へつながる道は実質皆無で、北区を通る道を通る住民がほとんどです。ただし、その通過する北区の地域にはホンの小さな集落しかありません。かつて、今より林業が盛んだった頃は、ともに北山杉の産地としてそれなりに強いつながりがあったかもしれませんが、今では、ほとんどの住民は、北区の存在をあまり意識することもなく通り過ぎてしまうのではないかと思われます。それに、それぞれの区役所のどちらに行きやすいかと言えば、やはり右京区役所になるでしょう。2年後には、右京区役所が、国道162号線からも程近いこのへんに移転する予定なので、その優位性はますます強くなりそうです(実際には、旧京北町の住民は、京北出張所で大体の用事は済むと思うので、本所に出向く必要はほとんどないと思いますが)。というわけで、北区とくっつくメリットはほとんどないと判断されたのだと思います。いろいろと並べ立てた割には、結局たもっち個人の推測でしかないのですが、いかがでしょうか。
余談ですが、京北町の編入が決まった頃には、僕はまた違った疑問を持っていました。それは、「小野郷・中川地区は、なぜ、右京区じゃなくて北区なんだろう」というものでした。上で見てきたとおり、旧京北町同様、北区よりも右京区とのつながりのほうが強くても不思議ではないと思えたからです。そこで、少し調べてみたところ、これらの地区が上京区に編入(その後北区へ分区)された昭和23年当時は、周山街道も今ほど整備されたおらず、やはり貧弱な道だったようです。かと言って、西陣杉坂線がメインだったかどうかまではわかりませんが、今よりは相対的に重要なつながりを持つルートだったのかもしれません。もちろん、判断材料はそれだけではなかったでしょうが、とにかく、上京区とのつながりのほうが重要視された結果の上京区編入だったのでしょう。
ちなみに、さらに昔に遡ってみると、右京区の中心部と小野郷地区等はともに葛野郡に所属したいましたが、現在の北区はほとんどが愛宕郡でした。つまり、これらの郡界が定められた時代の状況は、おそらくは、周山街道のほうが開けていたのかもしれません。だとすると、小野郷地区にとって、より強いつながりを持つ地域は、(現在でいうところの)右京区→北区→右京区と揺れ動いてきたことになり、もっときちんと調べてみると、興味深い話がいろいろと出てきそうな気がしますが、取り留めのない話になっていきそうなので、とりあえず、このへんで留めておきます。
長々とお付き合いさせてしまい、すみませんでした。

#書き終わってみたら、昼間書いたのと全然違う文章になってしまいました(苦笑)。


それからもうひとつ、伏見区は市内南部にして人口急増の地区、人口28万人を超えているのですが、分区する計画はないのでしょうか?
皆様が既に返信されている通りですが、何度も分区の話が持ち上がっては消えるということを繰り返しているようです。ニジェさんご紹介の[3419]京都市伏見区民さんの投稿に、
ちなみに伏見区内には区役所本所以外にも深草支所、醍醐支所、神川出張所、淀出張所があり、名目的には1つの区でありながら実態は5つの行政区の寄り合い所帯です。
という文がありますが、そのうち、2つの出張所管内は人口も数万程度で、分区の話が出たことはないと思いますが、深草、醍醐については、分区を前提とした支所の配置だったのではないでしょうか。ただ、その後、思ったほど人口が伸びていないことや、その他の事情があって、実現には至っていません。
ところで、かつては、中京区でも分区の構想がありました。時期はよくわかりませんが、かつて、中京区に朱雀支所(朱雀第一〜第八学区を管轄:参考図あり)というのがあったのですが、上記の深草支所等と同様、いつか人口がある程度増えた時点で分区する予定だったそうです。それがいつしか、高度経済成長が落ち着いて、京都に限らず都心のドーナツ化現象によって、人口の増加が止まり、逆に減少に転じてきたために、支所は統合されてしまい、今の場所に新しい中京区役所が建てられたのだそうです。その前の区役所は東洞院六角下るにあったとのことなのですが、おそらく、現在、ウイングス京都という、市の関連団体の施設がある場所だと思います。ここだと確かに、朱雀のほうからは不便だったかもしれません。
ところで、こちらの分区が実現していたら、区名はどうなっていたでしょうね。「朱雀区(しゅじゃくく)」でしょうか?恐ろしく言いにくいですね(笑)。

追記:たもっちさん、inakanomozartさんにメールにて予約していた一音地名コレクションの現地取材は、自分の休みと天気との兼ね合いがいい日に実施する予定です。よろしくどうぞ。
いつでも構いませんよ。
一音地名と言えば(ついでに思い出したみたいな言い方ですみません(笑))、[51414]EMMさんの3箇所につきまして、リンクをはりましたので、ご確認ください。
EMMさん、なかなかよい出来ですね(笑)。たもっち的には、「土洞門」などが気に入りました。パッと見は、この3文字で何かの用語になってそうで、まさか、「土」が地名だとは思われなさそうです。

#「土洞門」で思わず焼肉屋さんを思い出すのはやっぱり関西人だけなんでしょうか。いや、何でもないです。気にしないでください。


[51413]小松原ラガーさん
[51418]桜トンネルさん(投稿がダブってますよ)
ロータリー探索お疲れ様でした。やはり見つかりませんでしたか。となると、あとは、桜トンネルさんだけが頼りです。また適当に確認をしていただければと思います。全く急ぎはしませんので、暇ができたらで結構ですが。

#ラガーさんの投稿に出て来た葺合高校、ここでセンター試験を受けました。
#近所の高校はみんな神戸大学なのに、なぜかウチの高校だけがそこで、
#朝の電車で、ほとんどの受験生が六甲駅で降りてしまったのに、僕らだけ王子公園まで行ったのを思い出しました。

[51427] 2006 年 5 月 21 日 (日) 23:19:44 般若堂そんぴん さん
 散漫なレース,二題(10万石,自動車道)

[51408] 千本桜さん
この棚倉は10万石の城下町なのに現在は1万5千人の町。石高と現在人口の比から受ける都市停滞ぶりには、かの米沢市民ものけぞってしまうのではないでしょうか。
[51416白桃さん
しかし、10万石とは名ばかりのようで、実高は少なかったようです。支配家
地図で見ても,置賜盆地を擁する米沢と比較して10万石には力不足に思えますね.たしか現在の棚倉には京セラ関連企業がある(あるいは,あった)のではないでしょうか.
いずれにしろ、「かの米沢市民」にイナバウアをやっていただくほどのことでもないでしょう。
腰痛が心配,という以前に内臓脂肪が……

[51421]ゆうさん
その一般道は生活道路でもあり、そこそこのスピードで走る車が危険な箇所もあります。渋滞頻発箇所もあります。建設の優先度は低くなるのはある程度仕方ないとしても自動車専用道路は必要だと思います。
鳥取県以外でもそうした事情を持つ地域はあるでしょうね.自動車道建設を単純に「無駄な公共事業の典型」と見なす傾向がありますが,そう言い切ってしまうのは乱暴ですね.「自動車の走らない自動車道」がしばしば例に出されますが,そうした中にも「フリーウェイ」にすればかなりの通行量が見込め,生活道路との分離によって運輸・流通などに好影響をもたらす路線があるのではないか,とも思います.

おっ,ローカル野菜と言えば……(以下次号)

[51426] 2006 年 5 月 21 日 (日) 23:16:04【2】 EMM さん
 「Let's us」って名前のMSXパソコンがあった記憶が

[51425] にまんさん
以前から気になっているのが「ちしゃ」
ちしゃ(萵苣)ってのは、平たく言ってしまうとレタス・サラダ菜の仲間になります(参考)。
この仲間にも色々な形のものがあり、茎が伸びるタイプで葉を下のほうから掻き取って食べていくものを「掻きちしゃ」と言います。
韓国料理で使われる「サンチュ」は掻きちしゃの仲間なので、にまんさんが書かれている「山口のちしゃ」は掻きちしゃの仲間であろう、と推測しました。
…と、その上で「ちしゃ 山口」でネット検索してみるとこの通り
推測通り掻きちしゃのようですね。

ちなみにレタス・サラダ菜は「玉ちしゃ」(レタスは結球が堅い・サラダ菜は緩い)、サニーレタスは「葉ちしゃ」になります。
このほかに茎を食べる「茎ちしゃ」・白菜みたいな形になる「立ちしゃ」があるのですが、日本ではあまり食べられていないような…

[51425] 2006 年 5 月 21 日 (日) 22:39:47 にまん さん
 ローカル野菜と昔話と

[51402] YSK さん
野沢菜とかメジャーになった菜っぱもありますがこのようなローカルな菜っぱって、どんなのがあるんでしょうね。気になります。
ローカルかどうかわからないのでですが、以前から気になっているのが「ちしゃ」
出身の山口では非常にポピュラーな野菜ですが、関西や首都圏にき出てきてからはあまり見かけないので、どの程度ローカルな野菜なんでしょうか。。。
そして、最近は「サンチュ」という名でかなり似たものを見かけるのですが、もしかして同じもの?

話は変わりますが、話題の小松菜はうちの市の特産品らしいです。小松菜煎餅とか小松菜パンもあるらしいですが、食べたことはまだありません。

[51375] 敷守ほむら さん
どちらも、間違いと断定するには根拠が弱い気がします。
熊野三山を熊野大社と通称することは珍しくないのではないでしょうか。
犬吠森についても、「地図に記載がない」=「そのような地名がない」とすることは危険だと思います。
地図を見たところでは、犬吠森の南東に三戸に抜けるには丁度よさそうな峠(犬吠峠かどうかは不明ですが)もあるにはありますし、山頂付近よりこの辺りのほうが三戸方面の見通しも良さそうです。敷村ほむらさんはおそらく鹿角市のホームページから
「さだ六とシロ」のお話に出てくる地名は「犬吠峠」ではなく、「犬吠森」だということが分かりました。
とされたのでしょうが、昔話なんていろいろなバージョンで伝承されているでしょうから、「犬吠森」とする話があるからといって、「犬吠峠」とする話がないとは言い切れないと思います。
個人的には
・隣の国、三戸(さんのへ)まで来てしまいました。
こっちの方が気になるんですが、、、
鹿角と三戸って「同じ国」になりませんか?

[51424] 2006 年 5 月 21 日 (日) 21:45:53 北の住人 さん
 シレトコはどのあたり?

[51334][51330]の続報です。
かつて、知床半島の町が合併しようとした時、その名称の範囲が話題になったかと思いますが、松浦武四郎が活躍した時代はかなり狭かったようです。

松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調紀行−知床日誌」の現代解読版(「松浦武四郎 知床紀行集」や「知床日誌 現代語訳」)を調べたところ「ヲフイ岳 また知床岳ともいう」などとなっていました。前後の地名から考えると、「シレトコ」の上部にある山が「ヲフイ岳」 で、その別名が「知床岳」です。

この「知床日誌」は「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌−志礼登古誌」(以下「戊午日誌」)などをもとに出版された、一般向けダイジェスト版と考えられており、「戊午日誌」解読版の該当個所は次の様になってます。(カッコ内は私の注記)
 (岬を西方に回った場所でシレトコの湾内にある坂道を上った)
 「其上に山有、是を シレトコ岳 と云り。惣てシレトコは此辺の惣名哉」
 (シレトコをしばらく過ぎて、キヤルマイ、本名ヒヤリマイ−今のヒヤラモイ・窓岩か?)
 「其上を ウイノホリ と云。是則遠方より見てシレトコノホリと云(中略)本名ヲフイ岳のよし。判官様軍勢をよせるしらせの為に火をつけて焼玉ひしと云也」

この松浦武四郎が訪れた時(安政5年)の「シレトコ」は、今の知床岬の西側にあった小さな集落(通行屋と家3軒)を指していたようで、その場所は知床博物館の現地調査によると、文吉湾とアブラコ湾の間にある「啓吉湾」となっています。「戊午日誌」の「シレトコ岳」は「シレトコ」集落の山ということになり、「戊午日誌」解読版によると、今の「ウイーヌプリ」にあたる山としています。
今の「知床岳」は「シレトコ」からかなり遠いですから、当時は「シレトコの山」とは見なされていなかったと思います。少なくとも、当時の「知床岳」と今の「知床岳」は別のもののようで、今の「ウイーヌプリ」が当時の「知床岳」に限りなく近いです。

なお、「戊午日誌」によると、「ホロムイノホリ」が「ウイノホリ」西方に並んでおり、さらに西方「カシユニエンルン」(「カシュニの岩」「カシュニの滝」の辺りか?)などを過ぎてから「チヤラセホロノホリ」がでてきます。解読版では、「ホロムイノホリ」=「763m峰」、「チヤラセホロノホリ」=今の「知床岳」としています。

また、「ウイノホリ」には義経伝説があるようですが、「戊午日誌」には他にもいくつか伝説が書かれており、「キヤルマイ」は、弁慶が蝮を踏み潰す時に、それを弁慶の妹が穴の中から見ていた岩だ、という話しです。

[51423] 2006 年 5 月 21 日 (日) 21:35:22 いっちゃん さん
 サザエでございま〜す!

どなたも触れられていないようなので・・・。

茶の間に居ながらにして季節ごとに違った日本の名所を訪れることができるサザエさんのオープニングですが、現在放映中のものは宮城県です。
で、タイトルにある台詞の部分、即ちそのドアタマ=トップを飾っている名所は他でもない「一目千本桜」です!

専門学校で観光地理を教えていた頃、このオープニングだけを集めたビデオ(DVD)があればかなり役に立つと思っていましたっけ。

[51422] 2006 年 5 月 21 日 (日) 21:28:09 打吹 さん
 リアルでちょっと忙しめ

地名コレ1個かかえてながらもたついててすみませんです。

主に中国自動車道関連のIC関連の話になってますが、この手で個人的に印象的なのは青谷羽合道路の泊東郷IC。
うろ覚えですがこちらの案内にも『倉吉』と書かれていたと思います。
そういえば青谷羽合道路の3つのIC、見事に鳥取、倉吉、米子の3方向に向いてますねぇ……

[51260]ただけんさん
もっとも、津山=鳥取というルートを走ったことがないので、道路事情がいいのか悪いのかわかりません。
ある意味恐ろしい発言かもしれませんが、私この国道53号、鳥取−津山間は全部歩いたことがあります(勿論分割してですが)。
勿論奈義のループも歩きましたよ。
悪い道ではないのですが智頭町の奥でかなりぐねぐね曲がっているので、ひたすらまっすぐな志戸坂にはかなわないかなぁ、というのが感想です。

とはいえ、岡山・広島方から鳥取に来るには他の選択肢も無いよなぁとも思いますけど。
鉄道は智頭急行の線の良さで佐用経由が主流となってしまいましたが、道路だとそこまでの差もありませんし。

津山・佐用の他に山崎で乗るという国道29号ルートもありますけど、今では完全に裏ルートとなってしまったようですね。
姫路−鳥取間の移動ならわざわざ高速に乗らずにこのルートを使うのかな?


余談。
昨年日南町に出来た生山道路にある『かすみIC』。
平仮名化するだけでこんなに地名の印象が変わってしまうとは……

[51421] 2006 年 5 月 21 日 (日) 20:02:34 ゆう さん
 鳥取の道路事情

ご無沙汰してます。

[51224]笠津前浜さん
中国自動車道三次ICの案内板は「三次 松江」(上り)「三次 出雲」(下り)とありました。
[51226]桜トンネルさん
100キロも離れていては行く気があまりありませんよねぇ。
確かにぶらりと立ち寄る人は奇特でしょうが、最終目的地となれば話は別です。広島以西から島根県東部方面へ向かう場合、三次ICを利用するのは妥当かつ有力な経路のひとつです。

[51240]ただけんさん
(2)中国道(上り)   「津山 鳥取」
その他では
・湯原IC「湯原 倉吉」(下り線)
・院庄IC「院庄 倉吉」
・作用IC「作用 大原 鳥取」(下り線)
・山崎IC「山崎 安富 鳥取」(下り線)
などがあります。

[51412]こんちゃんさん
品川から夜行バスでいったんですが、
その道程は確かに 鳥取県内 高速道路は通りませんでしたね^^
夜行バス「キャメル号」でしたら智頭町内で「緑色標識の自動車専用道路」を通ります。「志戸坂峠道路」(地図)といい、将来鳥取自動車道の機能を肩代わりすることになる見込みです。
#余談ですが、県境のトンネル部は「青色標識の一般道路」で歩行者も通ります。自動車専用のトンネルさらに掘ることになるのか興味のあるところです。

[51241]YSKさん
鳥取市内には「中国道まで70km」のような案内板(キロ数は正確ではありません)
[51247]くはさん
「津山IC 71km 佐用IC 74km」となっています。遠いですね。
前述の志戸坂峠道路開通前は、作用ICではなく山崎ICが案内されてたような記憶があります。それから、だいたい複数のICが並べて案内されているようです。
つまり、このての標識は高速道路から遠いことをアピールする意図のものではないと考えます。目的地によって利用するICを選択する際に、ICの70〜80kmも手前で道が分かれる場合もあるのです。

[51260]ただけんさん
「延びていない」というのは、そこそこのスピードで一般道が走れるから高速の優先度が低く、わざわざ新たに建設する必要がないのではと考えていたことによります。
その一般道は生活道路でもあり、そこそこのスピードで走る車が危険な箇所もあります。渋滞頻発箇所もあります。建設の優先度は低くなるのはある程度仕方ないとしても自動車専用道路は必要だと思います。

[51206]がっくんさん
これは将来室戸まで高速道を伸ばすことを意識してのものかもしれません。現に計画はあるそうです。
標識で案内するほどの利用があるから、高速道路が計画されるのだと思うのです。

[51420] 2006 年 5 月 21 日 (日) 19:35:11 まっち さん
 銀座コレクション

こんにちは。烏川碧碧さんの「銀座コレクション」に追加です。

銀座通り/愛知県幡豆郡一色町/Mapion地図
地図に表示されているバス通り沿い(アーケード付き)の一部です。
大宝橋西の信号から一色本町信号のあたりまでが「本町」、一色本町信号から次の十字路あたりまでが「中町本通り」、そこから一色下乾地信号あたりまでが「銀座通り」と呼ばれているようです。
正式な地名(字名)ではありませんが、地元では慣習的に広く呼び習わされているようです。こういう通称地名って味があっていいですね。

[51418] 2006 年 5 月 21 日 (日) 19:27:18 桜トンネル さん
 糸満市

[51413]小松原ラガーさん


五毛天神から野崎通り三丁目までの区間で王子公園の北側の道ではロータリーらしきものは発見できませんでした。五毛天神の交差点は以前にも書き込みしましたが六差路、その少し西側にも同様に六差路がありますが、いずれもロータリーはありません。

そこはロータリーというか三角形(中心部が)になっているので、おそらく違うと思います。(この現場確認のことでそう思い始めました。)私はその六差路のところのどちらかだと思います。
自転車での現場確認ありがとうございました。

[51395] 穴子家さん

四国の高速道路は四県の県庁所在地の名前がつけられています。したがって愛媛自動車道ではなく松山自動車道です。

すみません。そうと分かりながら、なぜか「愛媛自動車道」と書き込んでしまいました。しかもその後もその間違いに気づきませんでした。

松山自動車道ではカントリーサインは市町村名の部分だけの対応で済ましているようです。その結果四国中央市内の土居町→伊予三島市のようなところには、絵柄だけで市町村名の表示のないカントリーサインがあって不思議な感じがします。
このような例はほかにもあります。旧五十崎町→旧内子町、旧中山町→旧双海町、旧双海町→旧伊予市、旧重信町→旧川内町、旧丹原町→旧小松町、旧小松町→旧西条市、旧土居町→旧伊予三島市、旧伊予三島市→旧川之江市。
これだけあげてみました。愛媛県は合併がすごかったからか・・・。

[51417] 2006 年 5 月 21 日 (日) 15:40:57 ニジェガロージェッツ さん
 Re:深草区、醍醐区、・・・

[51410] 稲生 さん
分区する計画はないのでしょうか?
[51415] 小松原ラガー さん
分区の話(というか噂?)は20年程度前から出ている模様です。

京都市伏見区の分区のお話ですが、以前に[1569]みゆりんさんに対して、地元の京都市伏見区民さんより詳細な書き込み[3419]がありました。ご参考までに。

[51416] 2006 年 5 月 21 日 (日) 14:56:53 白桃 さん
 棚倉町

[51408]千本桜さん
この棚倉は10万石の城下町なのに現在は1万5千人の町。石高と現在人口の比から受ける都市停滞ぶりには、かの米沢市民ものけぞってしまうのではないでしょうか。
棚倉という町は、1889年(明治22年)に市町村制度が始まったときに、(当時県内に市が存在しなかったとはいえ、)福島県の筆頭に置かれていますね。しかし、10万石とは名ばかりのようで、実高は少なかったようです。支配家が目まぐるしく交代したこと、しかも、見せしめの転封対象地としての性格も強かったことも、そのあたりに関連してくるのではないでしょうか。それにしても、立派な城下町がその後の国勢調査史において、一度も2万人を超えることがなかったというのも解せませんが…。
いずれにしろ、「かの米沢市民」にイナバウアをやっていただくほどのことでもないでしょう。

[51415] 2006 年 5 月 21 日 (日) 14:19:58 小松原ラガー さん
 深草区、醍醐区、・・・

小松原ラガーです。

[51410] 稲生 さん
それからもうひとつ、伏見区は市内南部にして人口急増の地区、人口28万人を超えているのですが、分区する計画はないのでしょうか?

計画というか、そういう話は以前からある模様です。
深草区・・・伏見稲荷、藤森周辺、現在の伏見区の北部
伏見区・・・現区役所周辺から南部、南西部
醍醐区・・・六地蔵、醍醐方面、現在の伏見区東部
大まかには上記のような感じでの分区の話(というか噂?)は20年程度前から出ている模様です。ただ、実際に役所の方の話を聞いたわけでもなく、周辺住民からの情報ですが。尚、醍醐区に関しては山科区の一部(当然山科区南部)も含めて成立する可能性もあるようですが・・・

#東山区から山科区が分区し、その山科区から醍醐区が分区となれば「孫」ができる格好になりますね。

[51414] 2006 年 5 月 21 日 (日) 14:09:05 EMM さん
 No&Do

、と書くと何やら英文のようですが…

>たもっち様

先日お伝えした越前町野に続いて、富山市土飛騨市神岡町土のレポートも完成しました。
毎度の如くで恐縮ですが、これらのレポートも良かったら使ってやって下さい。

#2か所の土については、当日うっかりカメラを忘れたまま出かけてしまって携帯電話のカメラで撮影する羽目になってしまいましたが、何とか格好になりました。

[51413] 2006 年 5 月 21 日 (日) 14:05:17 小松原ラガー さん
 現場確認してきました。

[51332] 桜トンネル さん
あと僕の、言葉不足で勘違いをさせてしまったようで・・・。「この道沿い」というのは五毛天神東の交差点から野崎通3丁目の交差点まで道のことを言いたかったのですが。(これだけでは2つ道があるので詳しく言うと王子公園の北側の道で、102系統のバス道のことです。)つまり「六甲登山口南」の交差点のところではありません。

現場確認してきました。車で確認するよりも、より確実にということで自転車で確認してきました。(わかっていましたが、坂があり、結構きつかったです・・・^^;)

で、結果ですが、やはり五毛天神から野崎通り三丁目までの区間で王子公園の北側の道ではロータリーらしきものを発見できませんでした。五毛天神の交差点は以前にも書き込みましたが六差路、その少し西側にも同様に六差路がありますが、いずれもロータリーはありません。更に西に進んで王子公園と海星女子学院と葺合高校の交差点のところ、道が段違いになっているのですが、ここに何かできたのかと思って確認しましたが、ここにも何もなし。ということで、野崎通り三丁目まで変化なしのロータリーなしの状態でした。

ただ、102系統のバス道ということなら、ひょっとしたらここら辺りにある可能性がまだ残ります。が、なにぶん自転車だったのでそこまで確認はできていません。(結構な坂なので、ご勘弁を。)地図で見る限り、割と太い線で山麓線までつながっていますが、私の記憶ではこの西郷川沿いの道、赤坂通の部分はともかく、上野通の部分については結構細い道になっていたはずです。ここまで太い線で書かれているということは、道路拡張工事がされた可能性があります。(単なる地図上の表記としてそうなっているだけかも知れませんが・・・)いずれにしても、少なくとも「今度は車で」確認しておきます。

[51412] 2006 年 5 月 21 日 (日) 11:52:44 こんちゃん さん
 興味深い情報 多いですね

[51260] さん
昨年2月に 鳥取へ行きましてね、 鳥取市の友人宅から三朝温泉へ行くのに
緑色のあの高速標識に習っていきましたよ^^
品川から夜行バスでいったんですが、
その道程は確かに 鳥取県内 高速道路は通りませんでしたね^^

[51411] 2006 年 5 月 21 日 (日) 11:30:19 こんちゃん さん
 はじめまして^^

埼玉に住んでるこんちゃんっていいます
以前からこのサイトはよく利用していました。 
小学生の頃から 旅するのが好きで、
仲間といったり 一人で放浪したり。。
もっと様々な情報 知りたいと思ってます^^

[51410] 2006 年 5 月 21 日 (日) 10:49:22【1】 稲生 さん
 京都市右京区京北○○町

五月初旬のGWに一生懸命働いた自分へのご褒美として、先週の水曜木曜と、京都‘局メグ’三昧の旅をしてきました。
本当のGWは、よく晴れた日が多く、仕事もかなり忙しかったのですが、マイGWはあいにくの雨でした。(それでも、二日目は曇りで、湿度も高くなく郵便局めぐり日和でした。)

一日目は、雨の中を滋賀・三重・奈良・京都・大阪の5府県駆け抜け‘局メグ’に挑戦。
手持ちの地図が十万分の一レベルの小縮尺しかなく、苦労しながらも、6局・5局・4局・3局・4局の計22局をまわりました。
二日目は、京都市内南区・伏見区・山科区をまわりましたが、東寺・伏見稲荷・伏見桃山城・醍醐寺と近くを通りながらも立ち寄ることはなく、ひたすら‘局メグ’に励んだ結果、自己最高新の36局をまわることができました。
すなわち、満足の二日間を過ごすことができました。
(参考:稲生の郵便局めぐり・目次  当日のコメント等

ところで、突然のマイブームとして京都市内について思いをめぐらしていると、ひとつの疑問が沸きましたのでお尋ねします。
昨年4.1より北桑田郡京北町が京都市に編入合併されたのですが、右京区に所属となったようですね。この京北町と右京区は 実質的飛び地となっており、北区の小野郷地区を通らないと右京区中心部へ行くことができませんね。ここは小野郷地区との繋がりで北区所轄となる方がよかったのではないかと考えた次第です。
地元のたもっちさん、どうでしょうか?
それからもうひとつ、伏見区は市内南部にして人口急増の地区、人口28万人を超えているのですが、分区する計画はないのでしょうか?

追記:たもっちさん、inakanomozartさんにメールにて予約していた一音地名コレクションの現地取材は、自分の休みと天気との兼ね合いがいい日に実施する予定です。よろしくどうぞ。

[51409] 2006 年 5 月 21 日 (日) 09:24:52 miki さん
 ローカル野菜

[51402]YSKさん
広島にもローカル野菜はあります。
広島菜がそうですね。
そのまま出荷せず、漬物にして「広島菜漬」として出荷します。
それに広島菜漬のお茶漬けも出回っていますよ。

[51408] 2006 年 5 月 21 日 (日) 08:31:56 千本桜 さん
 人口、圏域

[51392]白桃 さん
「千」厩が「一」関の支配下になり可愛そう。(謎)
確かに可愛そうですが、厩に関所があるより、関所に厩がある方が自然の成行きなんでしょうね。この千厩ですが、東磐井郡の中心地だけあって、商業の郊外化が始まる以前はそれなりに立派な商店街を形成していました。なにしろ、東愛デパートという百貨店があったのですから。千厩の中心街の特徴はメインストリートが鈎型に折れ曲がっていること。千厩と同規模の街で、郡の中心地という性格も似ていて、しかもメインストリートが折れ曲がっているところまで似ているのが福島県棚倉町の中心街。この棚倉は10万石の城下町なのに現在は1万5千人の町。石高と現在人口の比から受ける都市停滞ぶりには、かの米沢市民ものけぞってしまうのではないでしょうか。

[51393]Zzz さん
「人口」という熟語も漢語由来なのではないでしょうか?
[51397]Issie さん
前漢代の哲学書『淮南子(えなんじ)』の巻8「本経編」の註に 「会計計人口数」 という用例があるようです。新字鑑では「ひとかず。あたまかず。=人員・人数・人頭」という注釈がついています。
ま,2千年以上の歴史がある,ということでしょうね。
ありがとうございました。人口から人足という言葉を思い出しました。今は亡き父は仕事柄、人足という言葉を多用していました。ちょっとした仕事が入ると母は人足集めに奔走したものです。忘れもしません。結婚式の招待客を数えるのに、父はいつもの癖で「人足は何人」と言ってしまったのです。当然ながら、「招待客を数えるのに人足はないでしょう」と母に怒られていました。今となっては懐かしく遠い想い出。

[51398]牛山牛太郎 さん
ガーーーン!!。とてつもない衝撃のあまり、もう、寝込んでしまいそうです。
ここまで、地盤沈下が進んでいたとは・・・。
柴田町の商圏喪失の直接原因は、村田町の仙台太白区指向が強まり、柴田町の二次商圏から離脱したためです。でも、寝込んだりしないで下さい。ここで言う商圏とは家電、紳士服などの買回品を対象にしたものです。食料品などの最寄品に関してはスーパー激戦区の柴田町が相変わらず強いようです。それより、心配なのが名取市(巨視的には仙台市の一部)へのダイヤモンドシティの進出。岩沼市、亘理町ばかりか、柴田、大河原両町も直撃を受けそうです。仙南地域の心臓部を狙われては圏域全体が危うくなります。仙台まで30分程度で到達できる柴田、大河原両町民の中には、仙南地域という圏域を不要とする人もいます。仙台の都市機能におんぶすれば良いと考える人たちです。でも、それは仙台の恩恵を受けやすい柴田、大河原だから言えることで、遠隔地の丸森町、七ヶ宿町などにとっては仙南地域という圏域とその「へそ」が必要なのではないでしょうか。医療、教育は当然として、商業においてもヘソ無し仙南に「ヘソ」が必要と考えます。

[51407] 2006 年 5 月 21 日 (日) 06:59:07 EMM さん
 例えば、信州では谷毎に異なる菜っ葉や大根が作られていたとか

[51406] YSKさん

まぁ、[51405][51402]に掛けても良いんですけれどもね。
あれ書くのに1時間以上かかってるんですよ…

さて、原産地の事まで考えてしまうと、ローカルなものってのはほとんど無くなっちゃうでしょうね。
実は日本原産の野菜ってのはごく限られたものしかないのです(参考)。
どこから入ってきてどう移動したにせよ、その野菜がある地域に一度定着してしまうとその地で代々種子が継代されて作り続けられていった訳です。
その際、種を採るための「良い株」の選び方がそれぞれの地域で異なってくるため、それを何代も何代も繰り返すとやがて元のものとは異なる特徴を持った系統ができあがるのです。
(知らない間に「系統選抜」という育種方法を実行していたことになります)
これが、もともとは集落単位で行われてましたし、つい数十年前でも地域単位でしか種が出回っていない野菜の品種の方が主流だったんです。
だから、ローカル野菜の中にも1000年以上の歴史を持つものもあれば、できてから数十年(極端なものになるとまだ数年)と言うものも多数あります。

#小松菜ほど広まっちゃうともうローカル野菜とは言えないかもしれませんが、名前はまるっきりローカル品種特有の名前ですし、元々の産地周辺が未だに全国有数の産地ですし、ローカル野菜としての色は残っているという事で。
と言うか、ローカル野菜がローカルな名前を持ったまま全国を席巻してしまった代表と言っていいかもしれません。
現在流通している色々な野菜のF1品種も育種親の多くがローカル品種ですが、名前は残ってない方が多いですし…

##約2年前に拙稿[28384]で一度触れていますが、三浦大根は練馬大根が三浦半島の方で改良されてできたものです。
さらについでですが、野沢菜は元々大阪で作られていた天王寺蕪が信州の気候風土の元で形状が変化したものだそうです(参考)。

[51406] 2006 年 5 月 21 日 (日) 05:00:44【1】 YSK さん
 ミステリー、小松川の怪

[51405]EMMさん
情報ありがとうございます。その前に・・・ 
ミステリー、修正がないことに「なっている」[51404]から引用された文章が[51404]を見ても書かれていない・・・不思議ですね。

実は一度投稿後に削除してしまった幻の[51404]が存在していたのでした。ご迷惑をおかけし申し訳ありませんでしたが、投稿前に更新して最新の状態のご確認もお忘れなく。

小松菜、もちろん真っ先に思いつきますよ。ただし江戸川区産業情報ネットワークのホームページのこちらに、「原産地は南ヨーロッパ地中海沿岸で、それが中国などを経て、鎌倉時代に江戸川区に来た」と書かれていたのでご紹介しなかった、というわけです。こういったケースの場合も「ローカル菜っぱ」と捉えてもいいのですね、勉強になりました。練馬大根もそのカテゴリーの1つだったことも知りませんでした。

ご紹介のページおもしろいですね。ちなみに、群馬県のところに出ている「宮内菜」がかき菜の改良種にあたるものなのだそうです。宮内さんが作ったらしい・・・。

[51405] 2006 年 5 月 21 日 (日) 01:20:53 EMM さん
 ローカル野菜

[51404] YSKさん
三浦大根とか、練馬大根とか、金町小かぶとか、なんかいろいろ思い出しましたが、できれば蔬菜系の情報があるといいなと思います。
とりあえず、JA全農のサイト内にあるこのページあたり参考になると思います。
内容に多少間違いもあるみたいですが、結構な数が出ています。
(かき菜は栃木県に出てました。複数の県にまたがるような品種は、一覧の先に出てきた県が優先されてるのかもしれません)
でも、実際のローカルな野菜の品種って、ここに出てくるのの何倍もあると思います。
かなり広い範囲に広まっているものもありますが、1つの集落だけとか、もっと凄いのになると1軒の農家だけで細々と作り続けられている「名もない」品種が意外とたくさんあるからです。
(むろん、いつの間にか失われてしまった品種はさらにたくさんあるんでしょうけれども)
そのような品種が何かの機会に世に出た時、作られていた集落名や地区名がそのまま品種名になる事が多々あります。
知名度の高いものにしても、練馬大根なんかも本来なら「練馬村の大根」と言う事ですから。
(京野菜も多くは同様ですね)
そうでないネーミングのものもたくさんありますが、野菜の地方品種は地名と深い関係にあると言っていいでしょう。

とりあえず話題を菜っ葉類に絞ると、ローカルな品種で一番全国的に名をはせたのが野沢菜、と言いたいところですがもっと上手があります。
それは小松菜。
元々の産地は現在の東京都江戸川区小松川周辺です。
徳川吉宗がこの地に鷹狩りに訪れた際に食事に出た菜っ葉を食べたらたいそう美味で、その菜っ葉に名前がない事を聞き「小松川の菜だから小松菜と命名せよ」と言ったとか。
(その時に小松菜の料理を出した家の子孫の方が、今でも小松川にお住まいだそうです)
今でも江戸川区は小松菜の大産地で、農林水産省の統計によると東京都は小松菜の生産量全国第2位となっています。
(その小松菜が全国に広まったきっかけは何なのかは知らないのですが、全国各地のローカル菜っ葉を危機に陥れた主力の品種が小松菜であったりするので、この書き込みの主題から考えると「憎い相手」でもあるんですよね)


#ついでに石川県の話も書いておくと、加賀蓮根、五郎島金時、源助大根、加賀太キュウリなど金沢を中心として作られている固有の野菜(かなり古いものから、明治〜昭和初期に育成されたものまで幅はありますが)15品目を加賀野菜として選定し、色々な取り組みが行われています。
(でもこれ主なところは金沢市が独自に取り組んでるんですよね。金沢の取り組みなのに「金沢野菜」ではなく「加賀野菜」なので、ちょいと書きづらいいろんな事があったりします)
金沢以外のローカル野菜で一番栽培面積の大きいのは能美市(旧根上町・寺井町)や白山市(旧鶴来町・鳥越村など)で作られている加賀丸芋
(でも金沢で作ってないから加賀野菜には入ってません。まぁ産地の人からすればわざわざ入れてもらう必要もない、と言うところかもしれませんが)
あと、近年知名度が上昇しているのが旧鹿島郡中島町で作られている中島菜です。

##加賀野菜の1つである加賀太きゅうり、昨年キリンビールのCMで佐藤浩市氏が食べる全国の食材の1つとして放送された事がきっかけで全国から注文が殺到したそうです。
ところが、ここで1つ問題が。
CMでは水で冷やした太きゅうりを丸のまま「ポリッ!」とかじっているのですが、地元ではそんな食べ方することはほとんどありません。
主に酢の物かあんかけの煮物です。
実は、身が大きいだけでなく、皮も厚いんです。しかもちょっと硬い。
なので、皮をむいて(全部向く時と、半分ぐらい残して食感を残す時とありますが)調理します。
ところが、CMを見て同じように生のままかじりつく人が続出し、結果として「硬い」「おいしくない」というクレームが続出したとか、しないとか…
そりゃあ、「本来はやらない」食べ方してるんですもん。
まさにCMの功と罪、といったところでしょうか…

[51404] 2006 年 5 月 21 日 (日) 00:11:47 YSK さん
 京野菜

京野菜いいですよね〜。いろいろあって楽しいです!私はやっぱり「すぐき菜」です!京都に行った際は必ず買って帰ります!!

滋賀県の日野あたりの「日野菜」を思い出しました。細長い小型の大根のような菜っぱ(根に赤みがある)なのですが、京都でもよく目にしたような気がします。

情報ありがとうございました〜。

[51403] 2006 年 5 月 20 日 (土) 23:20:55 たもっち さん
 Re:ローカル菜っぱ

野沢菜とかメジャーになった菜っぱもありますがこのようなローカルな菜っぱって、どんなのがあるんでしょうね。気になります。
「京野菜」はいかがですか?
関西以外でどれほど名前が知られているかわかりませんが、京都の地名がついたものとして、「壬生菜」「九条ねぎ」「聖護院だいこん」「賀茂なす」などいろいろなものがあるようです。もっとも、品種の名前のようなものですので、YSKさんが思ってらっしゃるのとは少しずれるかもしれません。
さいさい京野菜倶楽部というサイトを見つけましたので、ご参考まで。

[51402] 2006 年 5 月 20 日 (土) 23:06:03 YSK さん
 ローカル菜っぱ?

当地は朝は雨が降ったものの日中は日も射して洗濯をしたりしたのですが、午後3時過ぎにすさまじい雷雨があり肝を冷やしました・・・。本当に不順な天候が続いていますね・・・。

さて、本日は我が家で栽培している「かき菜」という菜っ葉が成長して旬が終わったため根こそぎ抜き取る作業をしました。かき菜とは、当地では春先からゴールデンウィークくらいまで食されるアブラナ科の菜の花の一種でして、季節限定の味覚です。食用にするのはやわらかい新芽の部分で、掻っ切っても次々と新芽が出てくることからとか、手でかいて収穫するから「かき菜」の名前があるようです。炒め物とかペペロンチーノの具とかにも向きそうですが、うちではもっぱらおひたしor 胡麻和えで食べてます。詳しいことはよく分かっていないのですが、北関東エリア、特に両毛周辺を中心に栽培されるローカルな菜っぱのようです。最近では佐野あたりでブランド化の取り組みが行われているらしく、ひょっとしたら名前をご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。

野沢菜とかメジャーになった菜っぱもありますがこのようなローカルな菜っぱって、どんなのがあるんでしょうね。気になります。

公共バスのお話、いろいろ参考になる部分もありよい議論になったと思います。ガソリンのリッター単価が安いといわれる当地でも最近130円を超えはじめました・・・。

[51401] 2006 年 5 月 20 日 (土) 21:12:02 ぺとぺと さん
 企業由来町名コレレス

[51384]ばふぁさん

はじめまして。
企業由来町名コレクション担当の「ぺとぺと」と申します。
新得町拓鉄の情報提供ありがとうございます。北海道らしい町名ですね。
早速コレクションに追加させていただきました。
私もかつて北海道に4年間在住しておりましたが、北海道拓殖鉄道という鉄道が存在していたことは初めて知りました。
今後ともよろしくお願いいたします。

[51400] 2006 年 5 月 20 日 (土) 17:56:46 地図大好き さん
 お初です

はじめまして、今日このHPを知りました。
僕も地理は好きです。小さい頃から地図が大好きで、
絵本より地図をねだっていました。

こんなに地図好きな人がいてうれしい気持ちです。


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