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[52000]〜[52099]



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[52099] 2006年 7月 9日(日)00:58:37【1】EMM さん
続・続々々ロ~カルデパ~ト
八木橋とさいか屋を持ち出した張本人です。
タイトルは[52049][52050]ぺとぺとさんのタイトルが拙稿[52046]に続けてあるようなので、さらにその続きと言うことで…


[52097] ズッキーさん

棒二森屋・三春屋は現在福島県の「中合」の傘下に入っているようです。
木内は百貨店協会脱退後に大幅に経営規模を大幅縮小したそうで、現在は1フロアのみでの営業だとか。一方の本金西武は西武の直営になるとかならないとか…

よーく考えると昨年木内の前も通ってるんだった…(バス停でバスに置いて行かれたことばっかり覚えていて、店の方はあんまり目に入ってませんでしたが)


※改行ミスを修正
[52098] 2006年 7月 9日(日)00:48:11ズッキー さん
住込み社長。
[52067] N-H さん
扇屋は昔からデパートというよりは呉服屋+雑貨屋の大規模なもののような印象があります。
千葉市の店はその後パルコになったと記憶しています。茂原市の店はもろに呉服屋だったような。
扇屋の本店は、扇屋ジャスコのまま、閉店しました。パルコは元、田畑百貨店で、昭和39年開店して46年に火災により閉店、社長の義弟が西武関係者だったため、伊勢丹と提携していたにもかかわらず、西武グループが買収しパルコになりました。
[52097] 2006年 7月 9日(日)00:34:11ズッキー さん
追伸っていうか本文
[52032] TN さん
分かりました~とかいって、なにも書かずに、終ってました・・・

藤丸 数年前まで勝組だったのに、急激に市街地の空洞化にやられて、赤字決算が続いてます
棒二森屋 金森森屋とボーニストアが合併して、今の社名に、旧店舗には今、北島三郎記念館が!!
三春屋 2008年には、創業450周年を迎える、松坂屋を抜いて、日本一古い
マルカン 旧ニチイの百貨店連合をソデにした実力!最近はスーパー部門に主力を移してますが。
木内 消費税内税(実質3%値引き)で、県民の絶大な信頼を勝ち取り、本金西武を追込む
イコーレ 失敗しがちな地元出資地元経営百貨店の稀有な健闘例
矢尾 閉鎖商圏の勝利!!
梅屋 イトーヨーカドーの創業者の恩師だそうですが、テナントビル収入の方が多そうです
岡島 バブル期に本業以外でコケた、代表百貨店
まるみつ 本店格の長野店をそごうに押し付けたのに、ゆっくり崩壊
ヤナゲン 珍しい、女性オーナー社長がバブル期の過剰投資でコケる
藤井大丸 大きく稼いで丸持ち(金持ちの意味)になるという意味の大丸
やよい 境港店は、日本海と中海のあいだに、ドーンと立っていて、結構びっくりした。
ちまきや バブル崩壊後なのに、無謀な大規模増床・・・整理回収機構行き 
リウボウ 移転増床で一気に一番店になったが、支援したのは西友

丸三鶴屋 かつては北見にも支店がありました。
正札竹村 あの立地で、あの競合状態で、持った方でしょ
赤トリヰ 実質的には移転で、無くなったわけじゃないのぉ
小網屋 本店がなくなった後、支店だけでしばらく運営してた意味は?
扇屋 互栄会主催企業(衣料品の有力店が加盟)ここから、岡田屋・伊勢甚・籐五などが百貨店になる
志澤 西武に食われた、代表的企業
丸正 みっともない閉店の仕方をした百貨店として日本有数
丸新 徳島そごうのビルには、丸新が出店するつもりだった。
山城屋 イカリソースの九州地区販売代理店が親会社。ともに廃業
松屋  井筒屋にタッチの差で勝つ
[52096] 2006年 7月 9日(日)00:27:59右左府 さん
市町村章情報
5月24日、福島県喜多方市の市章が決定しました。(喜多方市HP
6月3日、新潟県五泉市の市章が発表されました。(五泉市HP
6月30日、和歌山県有田郡有田川町の町章が発表されました。(有田川町HP

*****************************************************

 昨年10月の[45337]の書き込み以来、私が確認できた市町村章決定情報をお知らせしてきましたが、3月の[49782]を最後に途絶えていました。これ以降にも市町村章の決定情報はいくつか入手していたのですが、掲載しそびれていました。申し訳ありません。
 尚、上記の二つの他にも、埼玉県深谷市ふじみ野市、千葉県匝瑳市、長野県伊那市、佐賀県小城市、宮城県本吉郡南三陸町、兵庫県佐用郡佐用町、宮崎県東臼杵郡美郷町の市町章が決定されたのを確認しています。いずれも決定・発表から時間が経ってますので、上記の二つとは分けておきました。

 ここのところ、市町村章の公募もお休み状態だったのですが、[52024](逆太郎さん)にもある弘前市章に挑戦しようと思います。前回の五泉市の公募ではまたも敗れて(?)しまいましたが、今度こそは……。(ただ、最近公募が少ないせいか、どの市町村章も応募数が軒並み上昇。より狭き門になりつつありますね……。)
[52095] 2006年 7月 9日(日)00:27:36【1】Issie さん
あんぱん
[52088] みかちゅう さん
あんぱん化現象ってきちんとした用語だったの?

[52090] むっくん さん
実は“あんぱん化現象”という言葉は一昨日の夕方のニュースで知りました。

google で検索してみたら,少しだけヒットしました。
とは言え,「用語として定着した」と見るには時期尚早のような気がします。今の段階では「ちょっと面白そうな新語(候補)」というところかな。
ただ,面白い表現であることは確かですから,みんながいろいろなところで使うようになれば用語として定着することとなるでしょう。きっと「ドーナツ化現象」だってそうだったのだろうから。

[52062] むっくん さん
沖縄県の場合、他の都道府県と異なり経済がかなりの部分を米軍基地関係に依存しているために完全には経済自体が自立していません。

ふと思ったのですが,沖縄は「本土」で吹き荒れて“その後の姿”を大きく変えることになった2つの出来事を経験していないのですよね。
1つは,「昭和の大合併」。1つは,「高度経済成長」。
「昭和の大合併」の嵐が吹き荒れた1954年,沖縄は米軍統治下にありました。ようやく本土に「復帰」した1972年,高度経済成長は終焉を迎えようとしていました。
高度経済成長による重化学工業化が日本の社会と環境に与えた「負」の側面は非常に大きなものがあったけれど,基地機能の維持には関心を持っていた米軍は沖縄の産業育成には無関心であった(妨害さえした)から,製造業の発展という点で沖縄は本土から大きく遅れをとった。そして,「復帰」後の経済投資も第2次産業よりも第3次産業に重点が置かれてしまう。
「本土」では(地方・地域による格差があるけれども)“プラス・マイナス”両面にわたって重化学工業化の結果を味わってから石油ショック後の「脱工業化」に向かっていったのに対して,沖縄はその“果実”を味わうことなく,ポスト高度経済成長下の日本に「復帰」した…。
沖縄県の経済・社会を考えるときに,気にしておいた方がいいことではないかと思います。

[52044]瑠璃 さん
過密地域(大阪)の過密の改善策
『どうすれば過密の状態を解消できるか』

まだ来てるかな?
私,職業柄(←ここを見てね),こういう質問にはとても意地悪なんですけどね,

まず,「過密」とはどのような状態を指すのでしょう?
そして,現状として大阪は「過密」状態にあるのでしょうか? …というのは,大阪に限らず,東京でも都心部では別の面で「過疎」が問題となってもいました。同時に,同じ場所で「過疎」と「過密」の両方の問題が表れている,というやや複雑な状態にあるのです。
では,「大阪の過密」で,問題となっているのは何でしょう?
『どうすれば…』に答えるヒントは,そのあたりから見えてくるような気がします。

…でもね,答えは簡単に見つからないかもしれません。すぐに見つかっては「調べ学習」の意味がない,と私の立場では思っています。
[52094] 2006年 7月 9日(日)00:26:26BEAN さん
百貨店といえば「日本橋五階百貨店(詳細はGoogleで)」
[52056]かすみさん
万代百貨店の話でもしますか?
デパートとスーパーの間にはあいまいな部分もありますが、万代は百貨店を名乗りながらどこから見ても百貨店ではありません。

なんてのは別にすると、百貨店のない人口最大の市は市川市のようです。
…京成八幡駅で「京成百貨店」の看板を見た記憶があるのですが、そこにあるのは京成ストア(スーパー)です。
そして、地元資本の百貨店がない最大の都市は、と考えてみると、なんと(地元の定義によっては)神戸にはないということに気付いてしまいました。

[52059]Issieさん
実は「ジャスコ」が千葉の資本だとばかり思っていました。

現在、イオンの本社は千葉(幕張)にあるんですよね。

[52083]千本桜さん
東北地方では県内2番手以下の都市にも百貨店が結構あったようですね。ハレの感覚を大切にする土地柄ということでしょうか。
[52093] 2006年 7月 8日(土)23:56:22【1】稲生 さん
「三ケ日」から「三ヶ日」へ
稲生です、こんばんは。

まずは、記事番号52000達成、おめでとうございます。

私・稲生としては、最後の投稿から3週間が過ぎてしまいました。
スナフキんさんではありませんが、私の方こそ浦島太郎状態です。

近況報告としては、一昨日の7.6に“湘南ひらつか七夕まつり”に紛れ込んできました。
それから来週は、愛知・三重・岐阜・滋賀・福井の5県をまたぐ郵便局めぐりをしようかと計画しております。太平洋(伊勢湾)から日本海(敦賀湾)までの、日本縦断の旅です。一応。

ここらで、ネタを一つ。
少し前の静岡新聞に載っていた記事ですが、
「三ケ日」から「三ヶ日」へ 「昔の名前に」住民要望に市が表記変更の方針
本文は会員登録しないと閲覧できないようなので、引用しますが、
三ケ日ミカンで知られる「三ケ日」の真ん中の字が変わる―。浜松市は27日、三ケ日地域の字(あざ)名表記を大きな「ケ」の「三ケ日」から小さな「ヶ」の「三ヶ日」に変更する方針を明らかにした。同日開かれた三ケ日地域協議会に諮問し、了承を得た。9月の定例市議会に提案する。
 三ケ日総合事務所総務課によると、表記の方法をめぐっては、古くから小さな「ヶ」が使われてきた。旧町が誕生した昭和30年3月、総理府(当時)が「三ケ日町」と告示したことなどから、大きな「ケ」と両方が混在し、あいまいなままになっていたという。
 かつての地名に統一しようという動きが住民の間に広がったのは、浜松市との合併協議が進められるさなか。住民懇談会の席上で、「多くの町民が『三ヶ日』と認識している」「正しい地名を後世に引き継ぐべき」などの意見が挙がり、当時の鈴木浩太郎町長も変更に向けた手続きを進める方針を町議会に明言していた。
 今後、市議会の議決や県知事への届け出などの手続きを経て、来年2月の正式決定を目指す。
 同課は「住民に影響が出るため、十分な告知を徹底したい」と説明している。

「ケ」と「ヶ」の見識者であるHiro(&TOKO) さんが [50043]にて、
公式見解は「三ケ日」とされた時に、私は口には出しませんでしたが、違和感を感じておりました。これで、地元民のもやもやが解消することになりそうです。
[52092] 2006年 7月 8日(土)23:48:13右左府 さん
アンパン化
[52062] むっくん さん
[52088] みかちゅう さん
 私が「アンパン化現象」という文字を初めて目にしたのは約4年前、中学校2年の時でした。学校で使用していた地理の資料集にちょこっと載ってましたね。(ちなみにこの資料集は“2002年2月5日印刷”となってます。)
 以下、該当部分を引用します。

ドーナツ化からアンパン化へ
 大都市地域では、周辺の郊外に住宅が集中するドーナツ化現象がみられる。ところが、最近、郊外から都心に移り住む都心回帰の現象がおきている。これはアンパン化現象とよばれる。都心部の地価の下落や、医療の充実、交通の便が魅力となっているようだ。

 “きちんとした用語”と捉えて大丈夫でしょうね。

▼余談▼
 この「アンパン化」が掲載されていた次のページに、ドーナツ化現象を詳しく扱ったコーナーがあったのですが、そこに台東区立坂本小学校の「最後の卒業式」の写真があって、ちょっと衝撃を受けたのを覚えています。
 この小学校は、1996年3月に8人の卒業生を送り出したのを最後に廃校となったそうです。生徒数現象による廃校なんて山間部や離島のみにあるものだと、当時の私は思っていたのですが、ドーナツ化現象によって都心でも起こり得るものなんだという事を知り、とにかく驚きでしたね。
[52091] 2006年 7月 8日(土)22:59:54スナフキん さん
浦島太郎化(?)予告
ここのところ書き込み頻度が落ちていたところへ、明日からは北海道旅行も重なるので恐らく落書き帳上では「浦島化」確実です(泣)。しかもここへきて、百貨店ネタで物凄いスピードで記事数が進んでいるし、あぁ…。

仕事が仕事なので、例えローカルであろうとも百貨店の名前くらいは大半を覚えているつもりでしたが…

[52032]TNさん
丸広東飯能店がいつの間にか閉鎖となっておりました。
へっ、閉店情報は、知らなかった…。私は過去に、飯能の2店舗は共存可能ではという趣旨の書き込みをしたはずですが、転覆によって私の書き込みは「ガセ」化してしまいました、ひ~。仕事上問題にはならないと思いますが、何だか地元ネタがお留守になっていたようでショックです。文字通りの「灯台元暗し」ですねぇ、困ったものです。あんな大きな建物、放っておくのは勿体ないですね。ランクの落ちる駅とは言え東飯能駅直結ですし、どこかが触手を伸ばしてきそうに思いますが、どうなるでしょうね?

あぁ、百貨店ネタならもっといろいろ書けそうですが…旅立ち前日なのでこの辺で切り上げます。
[52090] 2006年 7月 8日(土)22:31:45【4】むっくん さん
Re:re: 過疎・過密
[52086]じゃごたろ さん
果たしてそうかな、という気がしますが。。。過密地域も人口が減少していても、過疎の地域はそれ以上に人口が減少したら、過密と過疎の差は広がるばかりです。
確かに、じゃごたろさんがおっしゃるとおりだと思います。ただ、私は頭の中で、
日本社会の少子化が進んでいる。一人の女性が一生のあいだに生む
子供の数を示す合計特殊出生率は、過去30年間下がり続けており、
2004年には1.29になってしまった。
主要国ではギリシャに次ぐ低さである。この状態が続くと日本の人口は、
3000年にはなんと27人になってしまうのだ。
(三菱ふそうトラック・バス株式会社のFUSO6月号NEWS NOWを引用させていただきました)
という1000年単位の事象を思い浮かべていたがゆえに、[52062]むっくんで
何もしなくても自然と過密の状態は解消されますね。
と述べたのです。もちろんこのことが[52044]で瑠璃 さんが尋ねられていることに対しての解答であるとは思っていませんので、あらかじめ[52062]むっくんにおいて
極論を言えば
と断りをいれています。
ちなみに、私も短期間で本気で自然と過密の状態は解消されるなんてことは考えていません。私の考えも[52088]みかちゅう さんの
確かに日本全体の人口密度は人口減少とともに低下します。が、[52086]でじゃごたろさんが触れていらっしゃるように、何事も人口集積地を優先的に行います。したがって便利な都市部に人口が集まるのは当然の成り行きであり、高層住宅の再開発や工場用地の住宅化などで都心回帰も進んでいますね。ま、大都市圏の人口密度が減少に転じるのは、日本全体の人口減少に転じてからもだいぶ先だと思います。
という考えと同じです。
まさか、この部分がつっこまれるとは思っていませんでした。

[52088]みかちゅう さん
あんぱん化現象ってきちんとした用語だったの?
実は“あんぱん化現象”という言葉は昨日の夕方のテレビのニュースで知りました。ただ、テレビのニュース番組で紹介された用語なので、私の頭の中では一応きちんとした用語ということにしています。
ただ当然のことですが、江東区のマンション規制条例の騒ぎもあったこともあり、都心においてはドーナツ化現象の逆の現象が起こっているということは以前より知っていました。
[52089] 2006年 7月 8日(土)22:26:20かすみ さん
エースは不滅です!?
今日はロケ地が鎌倉&横浜の映画「タイヨウのうた」を観て来ました。
切ないけれど爽やかな気持ちになれるステキなストーリーでした。(また目を赤くしてしまいました)


[52080]小松原ラガーさん

エースはスーパーですよ。^^;
わたしたちの思い出のエースは以前に書き込んだと思いますがマンションになりました。

(すんません。超ピンポイントで特定の人にしかわからないこと言って。)
ふふふ、そんなことないかもですよ。( ̄ー ̄)
エースは今や西日本だけのものではないんです。向こうではちょっと名称が違うようですが。
[52088] 2006年 7月 8日(土)21:54:52みかちゅう さん
あんぱん化現象ってきちんとした用語だったの?
[52062]むっくんさん
最近の都心のマンション建設によるあんぱん化現象
塾の社会科の授業で先生が「都心部の人口が減って、周辺部に人口が集まる現象をなんと言うんだっけ? 1、ドーナツ化 2、アンパン化 3、コロッケ化。」 もちろん私達ガキどもは「なんじゃいそりゃ~ しょうもない選択肢だ~」と盛り上がったものです。「アンパン化現象」ってきちんとした用語だったとは…。さすがにコロッケ化現象ってのはないですよね?

極論を言えば、日本は人口減少時代に突入しているので、何もしなくても自然と過密の状態は解消されますね。
確かに日本全体の人口密度は人口減少とともに低下します。が、[52086]でじゃごたろさんが触れていらっしゃるように、何事も人口集積地を優先的に行います。したがって便利な都市部に人口が集まるのは当然の成り行きであり、高層住宅の再開発や工場用地の住宅化などで都心回帰も進んでいますね。ま、大都市圏の人口密度が減少に転じるのは、日本全体の人口減少に転じてからもだいぶ先だと思います。

[52074]k-aceさん
東西南北の端っこ、さすがに簡単ですよね。ただ、学校などで配布される地図で調べるのは意外とできなかったり…。私の周りの連中が「使えない」奴なのかもしれませんが。

ところで、「蕊取村」と「蘂取村」のどちらが正しいのでしょうか?
異体字の関係でもあるのでどちらが正しいと言い切るのは無理ではないでしょうか。まして字体に関しては比較的許容範囲が広かった戦前の話ですから。ヤフーの地図は「蘂取」と表記されていました。
[52087] 2006年 7月 8日(土)21:33:30じゃごたろ さん
re: 出羽は北の果て,陸奥は東の果て
[52022] Issie さん

これも単刀直入に。

津軽が歴史上、日本(大和朝廷)に編入された以来、基本的には津軽は糠部や南部の支配地であり、津軽が独立していたのは比較的新しい、ということではなのではないか、と思うのですがどうでしょうか。

秋田と津軽って意外と隔絶されていますし。
[52086] 2006年 7月 8日(土)21:25:49【3】じゃごたろ さん
re: 過疎・過密
[52062] むっくん さん

何もしなくても自然と過密の状態は解消されますね。

果たしてそうかな、という気がしますが。。。過密地域も人口が減少していても、過疎の地域はそれ以上に人口が減少したら、過密と過疎の差は広がるばかりです。

思うところ今の「物質至上主義」の風潮が続く間は、過密と過疎の格差は開くばかりでしょう。人口の多い方が色々なインフラが優先的に整備されます。今では全国遍く広がった、携帯電話やADSLもそうですし、2011年でアナログ放送が無くなるハメになった、地上波デジタル放送とか、基本的には三大都市圏が優先されます。それ以外のものも含め、そういうインフラを享受できる立場にある地域がそうではない地域よりも優れている、と思うような人々が少数派にならない限りは今のままでしょう、と思うのですね。

地価が高かろうが、家賃が高かろうが、物価が高かろうが、そういう価値観の方が勝ってしまうのですね。
[52085] 2006年 7月 8日(土)21:21:02小松原ラガー さん
年がばれ・・・ているか・・・
小松原ラガーです。

[52081] 作々 さん
小松原ラガーさんがいらっしゃったころは、まだ丸屋デパートだったころでしょうか?

そうそう、確かそういう名前でした。建物の中にはほとんど入ったことがありませんが、1Fにマ○ド○ルドがあり、毎週のように谷山から自転車で買いに行ったものでした。(って、そこの店頭のお姉さんがかわいかったからだなんて、口が裂けても・・・言ってしまっていますが・・・^^;まぁ本当は当時は鹿児島市内にはマ○ド○ルドはそんなにたくさんなかったもので、物珍しさに毎週のように行ったということでご勘弁を。)
さて、実は[52080]を書いた時には、その「丸屋」の名前が出てこなかったのです。地図を見ながら、「三越?あれぇ?そんな名前だったかなぁ?」との思いで「ここ」という表現を使わせて頂きました。と言うことなのですが、1984年ですが、三越になったのは。もう少しでかぶっているところだったのに、惜しいところです。いずれにしても作々さん、記憶を呼び戻して頂き有難う御座いました。
[52084] 2006年 7月 8日(土)21:07:37【1】じゃごたろ さん
論拠
単刀直入に。

別にどちらに肩入れするつもりもありませんが。。。

官報告示、その他公の情報が全て正確、正しい情報だとお考えですか?

統一した「論拠」という点ではそれもありだと思います。ただそれが「正しい」かどうかは別ですが。。。。。。。。。
[52083] 2006年 7月 8日(土)20:46:49千本桜 さん
コブラVSマングース
昭和時代のデパートは日常とはちょっと違う「ハレ」の場だったのではないでしょうか。物品販売だけでなく、シュークリームの中にクリームを詰める実演ショーからコブラとマングースを対戦させる見世物に至るまで、とにかく催し物が多彩でした。それに、大食堂と屋上遊園地もデパートの思い出で、特に屋上から街を見渡すのは大好きでした。ところで、青森県の五所川原にはデパートが3店もあったのですが、人口4、5万の市でこんな所は他にあったでしょうか。
[52082] 2006年 7月 8日(土)20:44:08瑠璃 さん
むっくんさんへ。
レス、ありがとうございます。
初めて「あんぱん化」をお聞きして、今の都心はこうなのか!と、思いました。
確かに、解消の方法も年齢層によって違ってきますからね。
しっかり今後、まとめて発表まで頑張ります。
もちろんのこと、booさんにもこのレスを教えてあげます。

むっくんさんも、熊虎さんも、本当にありがとうございます。
では、用件のみに終わってしまいましたが、これで失礼します。
[52081] 2006年 7月 8日(土)18:29:53作々 さん
丸屋デパート
[52080] 小松原ラガー さん
いや、もう一箇所ここあたりか。
小松原ラガーさんがいらっしゃったころは、まだ丸屋デパートだったころでしょうか?
丸屋が鹿児島三越になったのは1984年のことらしいです。
[52080] 2006年 7月 8日(土)17:33:42小松原ラガー さん
エース・・・
小松原ラガーです。

[52056] かすみ さん
これをスーパーにまで広げると面白いけど収拾がつかなくなるかも?

無謀なことはやめましょう。「エース」なんてやつが出てくるかも。(笑)
あれ?エースってスーパー?百貨店?わたしゃスーパーと思っていましたが・・・
(すんません。超ピンポイントで特定の人にしかわからないこと言って。)

話は変わりますが、私の少年時代(?)の居住地では、百貨店と言えばやはり「山形屋」かなぁ。あとは天文館の「タカプラ」こと「高島屋プラザ」くらいか。(いや、もう一箇所ここあたりか。)
スーパーとなると、同じく系列で「山形屋ストア」、「ダイワ」あたりか。でもダイワの店内で流れていた宣伝音楽は「♪ショッピングデパート ダ~イ~ワ・・・」だったので、あれはスーパーではなくデパート?あれ?じゃ、デパートと百貨店の違いは?
#♭∴$★◎☆■・・・完全に爆発状態です。
[52079] 2006年 7月 8日(土)16:56:02南房総市民 さん
南房総市
本市に是非来てね
[52078] 2006年 7月 8日(土)16:43:45いっちゃん さん
休日出勤中
地場百貨店ネタ、面白いですね。埼玉ですと丸広百貨店でしょうか。

[52055]まっすーさん
はじめまして。
さて、小生が今住んでいる場所の地場百貨店といえば、「福田屋」でしょうか。「上野」無き
後、いつまでも頑張って欲しいです。
ホントは埼玉の百貨店ではなく、この2つについて書きたかった・・・。

[52058]88さん
本日の入力分で、「さかのぼり」は、1954(S29)/10/1まで完了いたしました。
これは、ここまでの全ての合併情報の入力を完了したということでしょうか?
それとも、最も古い情報がこの日まで遡ったということでしょうか?
[52077] 2006年 7月 8日(土)16:37:14地名好き さん
地名コレクションの件
[52015]EMMさん

山頂系以外の4件(平野、瀬戸、大島、定期市)と言うことでよろしいでしょうか?
地名コレクションの件、ゆくゆくは全てのものを他の方にお願いしたいと思います。
手が回らないというのが本当のところです。ご迷惑お掛けしますがよろしくお願いします。
決まるまでは、可能な限り編集いたします。
[52075] 2006年 7月 8日(土)14:45:5388 さん
引き続き、尊重すべき「地名」とは
[52064] 地名好き さん
地元に根付いてる習慣を無視してまで、官報告示、その他公の情報が全て正確、正しい情報だとお考えですか?

「返答無用です」と書いていらっしゃいますが、返答します(返答以上のことも述べてしまいますが)。地名好きさんの趣旨を取り違えているかもしれませんが。

[48333] 拙稿で
もちろん、日常会話等で通称地名を否定するものではありません。
と述べたように、あくまで「地方自治法では」「告示では」こうなっている、ということを述べているつもりです。
というのは、「○○と呼んでいます」「Web地図で○○があります」はもちろんそれでいいんですが、「△△という字があります」「いやそこは××と呼んでいます」との議論になると、話題のもとにしているものが異なりますから、同じ土俵で議論するためには「そこの字は(地方自治法では)□□です」といった整理が必要になると思っています。そういう観点での話題のつもりです。ですから、地元に根付いている習慣を無視しているつもりはありません。

あと、[52043]拙稿で述べた趣旨は、繰り返すと次のとおりです。
自治体名や大字名は、命名時点では馴染みがなくても、「行政名」から「地名」へと変わっていくのが現実です。
例えば長崎県南高来郡有明町の例では、島原市に合併する前の時点で見た場合、「湯江」は大字として現存していますが、[52045] [52048] EMM さん によれば「大野・三之沢・大野」は大字名としては「大三東」となって消滅し、大野等の藩政村名は地名としては郵便局や駐在所としてはあるものの少なくなっていそうです。直前の自治体名であり「借り物」である「有明」を大事にするということは、「湯江」「大野」等を相対的に軽く見ることになります。さらに、仮に50年後に長崎市や島原市等が「(大)長崎市」となると仮定する場合、残そうとするのは「島原」ですか?「有明」ですか? 私は、「湯江」「大野」等を残そうとするのが、優先順位からすると地域・歴史を本来どおりに理解する「原則」であると思います。これに最後まで固執するかどうかはさておき、少なくとも経緯を理解しておくべきであろうと。その上で、「有明」という名前のあり方を考えて欲しいと思います。地元に根付かせる「元」にもなりうるわけですから。
昭和の大合併では、この「原則」に近い町名・大字名をつけた例(明治の大合併の自治体名をはずし、大字名をそのまま継承する例)が多かったように感じます。しかし、今回の平成の大合併では、直前の自治体名(昭和の大合併で生まれた自治体名)を残し、前の大字名も併記する例が増えたように感じます(統計的に調べたわけではありませんが、合併協定項目等を見た実感です)。

なお、私自身のデータ整理にあたっての注意事項です。私が主として参考としている、「全訂 全国市町村名変遷総覧」(1991年8月、自治省行政局振興課監修、日本加除出版)については、、[51485]拙稿で書きましたが、誤字、漏れ等があるようです。また、もう一つの参考資料として活用している官報情報サービスを見ても、特に古い告示など明らかな誤字があるようです(その後の正誤表も出ていない)。こうしたことから、極力、2つ以上の資料を見るようにはしています(見るつもりでいます)。
[52074] 2006年 7月 8日(土)14:42:38【2】k-ace さん
ローカル百貨店!?
こんにちは。
最近流行っているローカル百貨店ネタですが、私には地元・播州にあるヤマトヤシキしか分かりません。それ以外の百貨店はどこにあるのか見当もつきません。
ローカル百貨店ネタにはついていけないため、こちら(以下の件)でも答えておきますか…。
[52053] みかちゅう さん
日本の東西南北の端は、どこの市町村に属するでしょう?
東…東京都小笠原支庁小笠原村(南鳥島)。
西…沖縄県八重山郡与那国町(西崎)。
南…東京都小笠原支庁小笠原村(沖ノ鳥島)。
北…北海道蕊取郡蕊取村(カモイワッカ岬)。別海(嘘):北海道稚内市(弁天島)(爆)。

で、あってたはず。

#ところで、「蕊取村」と「蘂取村」のどちらが正しいのでしょうか?
#(またまた)ところで、播州赤穂駅がありますが、なぜ「播州」がついているのか、わかる方、教えてくださいm(_)m
[52073] 2006年 7月 8日(土)12:27:49般若堂そんぴん さん
山形県の地元百貨店
山形県では大沼百貨店が唯一の地元資本の百貨店だそうです.
米沢市では,寂れつつある中心街である「平和通り商店街」活性化のために大沼デパートを含む再開発の計画が持ち上がったのですが,大沼側が不参加の意向を示したために流れてしまいました.

また,かつては引用した地図の中の「市民文化会館」と「ホテルサンルート米沢」の間に「米沢ファミリーデパート」がありましたが,これは法的には百貨店ではなかったかもしれません.後に「サンホーユー米沢店」に変わり,1994年3月に閉店,それを受け継いだのが「米沢サティ」です.サンホーユー跡地は「まちのひろば」と名付けられました.
[52072] 2006年 7月 8日(土)11:16:31YSK さん
スーパー大好き
ローカル百貨店といえば、身近なのがどなたかがふれられていた熊谷市の八木橋。1階フロアを旧中仙道のルートが突き抜けているのが有名で、そのルートを辿るために1回だけ入ったことがあります。

あと、群馬県関連では「スズラン」も百貨店らしいです。こちらには一度も行ったことがありません。

ていいますか、私自身百貨店って敷居が高い気がしていて、入ったところで田舎者がいるべき場所ではないと感じられ、まったく足が向きませんね。在仙時も藤崎はじめデパートには所用で入らざるを得なかった場合を除けば、まったく行ったことはございません。

やっぱり気楽に入れるスーパーマーケットが大好きですね。イオン太田は身近にあるため頻繁に出入りしております。
[52071] 2006年 7月 8日(土)11:00:04YSK さん
渋川地区の動向
渋川の町名問題ですが、昨日付けの上毛新聞に、住民が慣用町名を正式な町名とするよう請願を行ったとする記事が掲載されました。

これに対し、市側は
(1) 町名は大局的な見地で検討することが必要。合併協議会の決定事項でもあり、『渋川市渋川』の地域だけ地名を細かくするのはどうか。渋川地区の下ノ町、中ノ町、川原町、裏宿などは人口が200人に満たず面積も小さい。
(2) 町名変更のために1億円の経費がかかる。
などの点から変更には慎重な構え。

市では、請願を踏まえ、市民生活課で適切な方法を検討するとのことらしいです。

渋川地区の20の自治会では町名に関するアンケート実施し、83%が「大字『渋川』になって不便を感じる」、73%が「『渋川』以外の地名を付けるべき」と回答。「郵便や宅配便の誤配がある」「町名は歴史や文化そのもの」などと、慣れ親しんだ通称町名を要望する声が多かったとのことです。

ここからは私見ですが、自治会があるということは、上記慣用町名は自治会名として生きているものと思われます。現実的な解決法としては、渋川地区に自治会単位に郵便番号を割り振るなどの方法が考えられますが、いずれにしても難しい問題が多そうです。
[52070] 2006年 7月 8日(土)09:21:17【1】白桃 さん
十和(とうわ)デパート無残
皆様の百貨店談義に触発されて、「あの」デパートを検索してみると、
約六十五店舗が加盟する、香川県東かがわ市三本松の三本松商店会は恒例の土曜デーを開催する。
呼び物は、旧十和デパート一階の空き店舗を利用した「おばけ屋敷」、二十八日に会員らが設営を終了した(入館料は百円)。
(「四国新聞ニュース」より、一部割愛)
いいアイデアというか、手を加えなくてもそのままお化け屋敷という手抜き発想というか、なんと言うか、いと侘びし(涙)
88さん、もし今日お暇でしたら覗いてあげてくださいまし…。(入館料プラス高徳線往復運賃と特急料金は白桃につけといてください:笑)
[52069] 2006年 7月 8日(土)09:09:3788 さん
市町村合併情報 修正事務連絡
[52068] 桜トンネル さん

1 神崎町の件
単なる変換ミスでした。
1955/3/31は、佐賀県神埼郡神埼町と、兵庫県神崎郡神崎町が同日付けで合併しているんですね・・。

2 神南町の件
ご指摘のとおり、姫路市との合併時は神南村ではなく、神南町が正当でした。


ご指摘ありがとうございました。当該箇所は修正しておきました。今後とも、何かお気づきの点があればお知らせください。
[52068] 2006年 7月 8日(土)08:39:15桜トンネル さん
日置市&合併情報
1 合併情報の都道府県一覧で兵庫県の32番目の「神埼町」ですが、これは佐賀県にあった旧町名で、兵庫県にあった「かんざきちょう」は「神崎町」です。

2 これも兵庫県で66番目には「神南町」とありますが、89番目では「神南村」となっています。僕はどちらが正しいのか分かりませんので、詳しく指摘することはできないのですが・・・。

では、よろしくお願いします。
[52067] 2006年 7月 8日(土)07:35:10N-H さん
百貨店協会
お久しぶりです。
さて、地方のデパートの話題で持ちきりですが、アーカイブズ生まれ変わる百貨店をお忘れでは?
あと、百貨店協会のウェブはなかなか充実しており、どこが会員百貨店か、一目でわかりますね。
[52059] Issie さん
その昔,扇屋と奈良屋が千葉を代表する百貨店であったと聞いています。
おお、あまりに懐かしい。
扇屋は昔からデパートというよりは呉服屋+雑貨屋の大規模なもののような印象があります。
千葉市の店はその後パルコになったと記憶しています。茂原市の店はもろに呉服屋だったような。
奈良屋こそは、私の子供の頃のデパートの原体験。
買い物も千葉に行くようになった頃には「セントラルプラザ」という名前になっていて,「奈良屋」の名前はむしろ「千葉そごう」の隣りの「ニューナラヤ」に引き継がれていました。
この奈良屋、古い建物で、今でも日本橋三越や横浜松坂屋などに残っているタイプのエレベーターが現役でした。その後移転してニューナラヤになってからはぱっとせず、千葉三越になってしまいました。

[52053]みかちゅうさん
[52055] まっすー さん
さいか屋
さいか屋のお店そのものにはめったに行くことはありませんが、私の現勤務先の売店はこのさいか屋直営なのです。
ですから、いやおうなしにちょくちょくさいか屋でジュース買ったりおにぎりを買ったりすることになってます。
[52066] 2006年 7月 8日(土)07:18:38inakanomozart さん
はじめに地名ありき
[52064] 2006年 7月 8日(土)03:13:22  地名好きさん
「地方自治法」「不動産登記法」は、「出資法」「利息制限法」と同じような矛盾ありですよね。

私が何となく感じていながら、うまく表現できずにいたことでした。
[52065] 2006年 7月 8日(土)07:08:16【1】inakanomozart さん
年寄りはデパートが好き
[52032] 2006年 7月 7日(金) 16:34:03 TNさん
丸井川越店も今月に閉鎖となります。

[52049] 2006 年 7 月 7 日 (金) 22:47:09 ぺとぺとさん
丸井小田原店も平成14年4月に閉鎖されました。

「丸井」は百貨店ではないですよね!
もっとも、その昔は「月賦百貨店」と揶揄されていましたが・・・

[52059] 2006年 7月 8日(土) 01:38:44【1】 Issieさん
私には「百貨店」とは言ってみれば「昭和を象徴するもの」の1つのようにも思えます。今,郊外型SCに比べたときの百貨店の存在意義を探すとなると相当苦しいような…
でも、全国が「岡田洋品店」と「伊藤洋品店」ばかりになるのは、なんかおもしろくないような・・・・

私,この約20年間,百貨店で物を買ったことはほとんどありません
私の場合は、百貨店が徒歩圏にあるので毎日のように行きます。
クレームに対する対応など接客・接遇の洗練さは、スーパーとはまったく違いますし・・・
それに、幼いころから両親に連れられて頻繁に出入りしてましたから、なじみがあって敷居が高いと感じたこともありません。(しょせん田舎デパートだからだろうと言われそうですが)どちらかと言うと、専門店の方が敷居が高いです。
あれも欲しいこれも欲しいというより、多少高くても気に入ったものをという私のような『年寄り』には百貨店がぴったりなのかもしれません。
[52064] 2006年 7月 8日(土)03:13:22地名好き さん
返答無用です(結論は出ませんから)
88さん
「地方自治法」「不動産登記法」は、「出資法」「利息制限法」と同じような矛盾ありですよね。
地元に根付いてる習慣を無視してまで、官報告示、その他公の情報が全て正確、正しい情報だとお考えですか?
一応告示重視で作成の私のサイト、官報欄と変更事由欄がありますが、無記入公開なのはそのためでありますが。
[52063] 2006年 7月 8日(土)02:49:14むっくん さん
百貨店レス
[52032]TN さん
藤丸 棒二森屋 三春屋 マルカン 木内 イコーレ 矢尾 梅屋 岡島 まるみつ ヤナゲン 藤井大丸 やよい ちまきや リウボウ
私が知っているのは現住地にある藤井大丸だけですね。それにしてもいろいろな百貨店があるもんですねぇ。

[52059]Issie さん
私には「百貨店」とは言ってみれば「昭和を象徴するもの」の1つのようにも思えます。今,郊外型SCに比べたときの百貨店の存在意義を探すとなると相当苦しいような
私もそう思います。
「百貨店」とはいっても、どれも中途半端な品揃えで肝心なものがないんですよねぇ。
例えばチーズ一つとってみても、近所のスーパーのほうが種類が多くてチーズの種類の解説も丁寧に書いてあって分かりやすいですし。
[52062] 2006年 7月 8日(土)02:44:30【3】むっくん さん
過疎・過密
boo さん、瑠璃 さん、こんばんは。
[52030]熊虎 さんと同世代の私も、過疎・過密については教科書には出ていましたが、授業ではさらっと教わっただけでした。
さて、個人的には義務教育中の学生さんにとって「過疎」「過密」というのは深く調べるのには難しいテーマであると思います。
そこで、困っておられる御二方へ私から考える視点?を少々。

[52009]boo さん
沖縄県の過疎化改善策
沖縄県の場合、他の都道府県と異なり経済がかなりの部分を米軍基地関係に依存しているために完全には経済自体が自立していません。そこで過疎化改善策と沖縄県全体の地域振興策を完全に区別するのは難しいと考えられます。
そのため沖縄県の純粋な意味での“過疎化改善策”を調べるのはかなり難しいと個人的には思います。もし出来るのであれば、他の都道府県においての過疎化改善策を調べたほうが良いと思います。

参考:沖縄県のホームページ内の平成18年度重点施策

[52010]瑠璃 さん
[52044]瑠璃 さん
過密地域(大阪)の過密の改善策
『どうすれば過密の状態を解消できるか』
極論を言えば、日本は人口減少時代に突入しているので、何もしなくても自然と過密の状態は解消されますね。でも、おそらくこれが課題の解答ではないでしょうが・・・。


思考の方向性ですが『どうすれば過密の状態を解消できるか』を議論する前に、最近の都心のマンション建設によるあんぱん化現象(ドーナツ化現象の逆で都心の地価の下落に伴い都心に人が移り住む現象)を食い止める方策を考えないといけないのではないでしょうか。

参考:日本政策銀行 Kansai Topics 都心回帰の光と影(PDF)

次に、(もし課題の解消策を最初から自力で考えるとするならば)私ならば過去・現在・将来の人口推移・年齢構成・世帯構成を考えることで、改善策をひねり出すんでしょうね。(現在及び将来の大阪市市民の主要な層が若者なのか中年なのか老人なのかによって過密の状態を解消する方法が変わってきますからね。)

参考:大阪市立大学インターネット講座2006「居住環境最前線PART2 -10の課題-」第2回
[52061] 2006年 7月 8日(土)02:13:17【1】かぱぷう さん
嗚呼、山城屋
[52032]TNさん
そうです。私が勤務するその某百貨店は「北九州では」独壇場です。
博多駅ビルに入居する子会社『博多井筒屋』は、JR九州の新・博多駅ビル建設に伴いすったもんだの上来年に撤退が決定。これにはいろいろと内部事情やら憶測やらありますが、ここで書くのは問題ありありなのでやめときます…

さて、問題ですが

問1)三春屋・マルカン・木内・イコーレ・矢尾・梅屋が分かりませんでした。やっぱり東北が弱し。

問2)これは厳しいです…分かったのは丸正・山城屋・松屋のみ。

TNさんのこの書き込みを拝見して思わず「おっ、山城屋!」とつぶやいてしまいました。私の出身地の百貨店で、子供の頃に5階の食堂でお子様ランチを食べたこと、思い出です。
山城屋のシンボルマークも好きでした。『山』の字を図案化したものとカモメを図案化したものを組み合わせている様で、子供心に「さすが港町のデパートやな」と感心しておりました。
私が高校1年のときに残念ながら倒産。もう福岡市に住んでいたので買い物に行くことは無かったのですが、県内の百貨店が倒産したということで大きく報じられ、あ~あとため息をついたのを覚えています。跡地はしばらくゴーストビルでしたが近年取り壊され、日本一のバス会社がデベロッパーとなり分譲マンションを建設しております。

【おまけ】勤務する某デパートの入店研修のひとコマ。
「上野・大黒屋・松菱(浜松)・丸正・松屋(大牟田)の発行した百貨店共通券は現在使用できませんので、受け取らないでください」
「なお、津・松菱と銀座・松屋は無関係ですので使えます」
実際にレジ研修をする際、ご丁寧にも上野百貨店の百貨店共通券の見本が用意されていて、お客様役の人がレジでそれを使いレジ役の人がそれを受け取ろうとすると、研修スタッフから「あ、それは使えないとお客様に説明しないといけませんよ」なんてツッコミが入るのです。そんなこと言われても一般ピープルは分からんって(^^;
[52060] 2006年 7月 8日(土)02:10:57hiroroじゃけぇ さん
百貨店=高級≠地方イメージって「おえん?」
私の知っているのも、
「藤井大丸」:現在同じ市内に住んでいる。
「ヤマトヤシキ」:○快速に乗っていると見かけたような
ぐらいですね。

で、わいの思いつく地場百貨店は、やっぱり「天満屋」じゃね。そう、あの駅伝のじゃ。まぁ、それ以外はなんとも・・・。やはり、百貨店過疎地域の備讃ではしょうがないんじゃろうか。岡山・高松・福山のトライアングルにある百貨店は、
高島屋岡山店、三越高松店、天満屋岡山・倉敷・高松・福山・(府中)店ぐらいじゃけんなぁ。人口の割りに、これといって百貨店のない地域じゃけん。逆にスーパーはぼっけえ密集しておるがのう。

と、なぜか岡山弁で書き込みしてみました。
[52059] 2006年 7月 8日(土)01:38:44【1】Issie さん
野沢屋
[52032] TN さん
松本市の由緒ある百貨店「井上」を知る方は以外に少ないのでは。

「由緒ある」ことは知っているけれども,私の知っている四半世紀ほど前には既に松本駅近くに移転してきていて,しかもバスターミナルもあるイトーヨーカドー(当時)の陰に隠れるようなロケーションで,私は余所者ですが,あまり煌びやかな印象はありませんでした。…そんなこと以前に,貧乏学生の行く店ではなかったというのが,正解。

扇屋

これって,千葉の「扇屋」でしょうか?
私は千葉のネイティブではないのですが,その昔,扇屋と奈良屋が千葉を代表する百貨店であったと聞いています。
私には「扇屋」よりも「ジャスコ扇屋」(扇屋ジャスコ)という名前の方が親しくて,実は「ジャスコ」が千葉の資本だとばかり思っていました。まさか三重県の“岡田さん”とはね…。「奈良屋」は,私が千葉の中学校へ通うようになって,買い物も千葉に行くようになった頃には「セントラルプラザ」という名前になっていて,「奈良屋」の名前はむしろ「千葉そごう」の隣りの「ニューナラヤ」に引き継がれていました。
そうそう,「千葉そごう」のあまりに強い印象のせいで,小学生の頃は「そごう」も千葉資本だと思っていました。

私は,横浜ネイティブでもないのですが,
かつて横浜を代表した百貨店といえば伊勢佐木町の「野沢屋」だったそうですね。
昔の横浜を回顧する写真に必ず登場する百貨店ですが,今の地図を見ても見つからない。
今では 松坂屋 に合併されて,「横浜松坂屋」となっているのですね。
ある意味,「野沢屋」でなくなってしまったことが今の伊勢佐木町を象徴するような気もするのですが,そのあたりの印象は横浜ネイティブの方とは違うかも…。

[52053] みかちゅう さん
お客さんの平均年齢がかなり高いように感じます。昔からの「百貨店に行く」習慣はそう簡単には消えることがないのでしょう。

このあたりの感覚は世代によって違うのかもしれませんが,私には「百貨店」とは言ってみれば「昭和を象徴するもの」の1つのようにも思えます。今,郊外型SCに比べたときの百貨店の存在意義を探すとなると相当苦しいような…(もっとも,郊外型SCについては昨国会での法改正で規制が加わりましたが)。
実際,私,この約20年間,百貨店で物を買ったことはほとんどありません。
[52058] 2006年 7月 8日(土)01:35:0788 さん
合併情報引き続き増殖中です。
[52054]揖斐の山 さん
1954/10/01の合併(兵庫県)で、浜坂町の表の内、合併要因が「新設/市制」となっておりますが。これは「新設/町制」なのでは。
ご指摘ありがとうございます。修正いたしました。「新設」が正当でした。というのは、大庭村, 浜坂町, 西浜村の新設合併で、元々「町」を含んでいたので、新たな「町制」ではないからです。今後ともよろしくお願いいたします。

本日の入力分で、「さかのぼり」は、1954(S29)/10/1まで完了いたしました。引き続き、順次追加入力予定ですので、皆様、お楽しみに。
[52057] 2006年 7月 8日(土)01:22:4488 さん
十干
[52048]EMM さん

引き続き、佐賀県旧有明町の大字?確認をありがとうございました。
郵便局や駐在所、農協などは、合併前の自治体単位で設置したことも多かったと記憶していますが、その名残かもしれませんね。

なお、旧自治体名を残さずに、新しい町名・大字名プラス甲・乙などの十干で表して区別する例は、全国的に珍しくないのでしょうか。というのは、[51562] 拙稿で、 [51546] 千本桜 さん の質問(「甲」「乙」のつけ方)に関して解答する際、以下のような文章を準備して、投稿せずにいたものがありました。おかげさまで、今回、日の目を見ることができました。

高松市仏生山町における、甲・乙の例です。高松市例規集の「第1編通規、第1章通則」の「公称町名一覧表」にあるように、正式には、 「高松市仏生山町」が公称町名です。昭和30年(1955年)9月30日に香川郡仏生山町を高松市に編入する際に、昭和31年9月30日の高松市告示第105号の5にあるように、高松市仏生山町とするときに、
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
旧仏生山町大字百相の区域の地番に甲を付し、旧仏生山町大字出作の区域の地番に乙を付する。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
としました。経緯を整理すると、
藩政村明治の大合併後昭和の大合併後
香川郡出作村(北部)香川郡多肥村大字出作高松市出作町
香川郡出作村(南部)香川郡仏生山町大字出作高松市仏生山町乙
香川郡百相村香川郡仏生山町大字百相高松市仏生山町甲
ということですね。「甲」「乙」を、元の藩政村の区別として利用しています。
「大字百相」が消えてしまっていますが、これらは、「消えた大字」の例になりますかね。(<千本桜さん)
[52056] 2006年 7月 8日(土)01:22:02【1】かすみ さん
百貨店とか
今熱い話題、地場百貨店(?)の話に乗っておかねば~。

地場百貨店と聞いて、なぜか、一畑が真っ先に浮かんでしまいました・・・。
わたしの場合、藤井大丸と岡島とまるみつはいくらなんでも知ってないとまずいでしょう。
あ、ヤマトヤシキもですね。(笑)
特にここ数年は生活圏を超え、まるみつに何度もお世話になっています。
バスに乗車する前にちょうどいい存在なので。でも全国で唯一の温泉にはまだ入ったことないんですよね。
駅の足湯は利用していますが。

これをスーパーにまで広げると面白いけど収拾がつかなくなるかも?
地域密着型だと、オークワとか関西スーパーとかいちやまマート(イッツモア)とかが
浮かびますが、平和堂(アルプラザ、フレンドマート)は滋賀、北陸を飛び出し、快進撃ですね。
実質的にヤナゲンも買収(事業譲渡)しちゃいましたし。
[52055] 2006年 7月 8日(土)01:07:29まっすー さん
地元百貨店レス
はじめまして、まっすーと申します。
昔からこのサイトを拝見していましたが、初めて投稿させて頂きます。

さて、地場百貨店ネタでもりあがっていますが、小生が知っているのは、

「梅屋」…小生の出身地の隣の市ですね。小学生の頃、バスに乗ってよく遊びに行きました。

「さいか屋」…こちらは県内に何箇所か支店があったと思いますが、やはり出身地の隣の市
 (さっきとは別)の店にはよく遊びに行きました。そういえば、この駅の線路をはさんで
 反対側にあった「E電百貨店」も地場といえば地場ですね…(今は名前が変わりましたが)

「ヤマトヤシキ」…こちらはつい最近まで住んでいた(単身赴任していた)地方の百貨店です
 ね。小生の勤務していた工場の盆暮れの贈答品はここで買っていた気が…

さて、小生が今住んでいる場所の地場百貨店といえば、「福田屋」でしょうか。「上野」無き
後、いつまでも頑張って欲しいです。
[52054] 2006年 7月 8日(土)01:04:56山野[揖斐の山] さん
市制?
1954/10/01の合併(兵庫県)で、浜坂町の表の内、合併要因が「新設/市制」となっておりますが。これは「新設/町制」なのでは。
[52053] 2006年 7月 8日(土)00:39:01みかちゅう さん
地場の百貨店
日本の最南端・最西端はどこの都道府県に属するでしょう?って話、仕事場で話題になったんですが知ってる人は誰もいませんでした。地図で調べようとしても分からなかった様子で、結局私のところに回ってきました。仕事柄、知っていてほしいんですがねぇ…。
落書き帳メンバーなら簡単すぎると思うので、追加問題。日本の東西南北の端は、どこの市町村に属するでしょう?

さて、地元の老舗百貨店ですが、さっぱり分かりません。どこの百貨店も市中心部の空洞化で苦戦しているといわれていますし、駅前ではなく旧市街にあることが多いのでよそ者にはなかなか知られていませんね。
で、神奈川県のでは「さいか屋」。横須賀のが私の家にも新聞折り込みチラシを入れてきます。物産展のチラシはけっこうセンスがいいので購買欲をそそられるのですが、実際に行ってみるとやはり横浜のデパートに比べるとショボイのが現実です。また、お客さんの平均年齢がかなり高いように感じます。昔からの「百貨店に行く」習慣はそう簡単には消えることがないのでしょう。
[52052] 2006年 7月 7日(金)23:03:05紅葉橋律乃介 さん
老獪百貨店
[52046] 21:50:17【1】EMMさん
2005年11月の一覧には棒二森屋、三春屋、マルカン、木内、イコーレ、矢尾、梅屋、やよいが見あたりません。
 もしかしたら、今は「棒二森屋」という店名ではないのかも知れません。聞いたことはありますが、“地元”ではないので。

 一方で、
丸ヨ池内、タカヤナギ、うすい百貨店、八木橋、さいか屋、丸榮、松菱、ヤマトヤシキ
 「丸ヨ池内」は地元です。これはさすがに知っています。


[52049] 22:47:09 ぺとぺとさん
丸井今井、藤崎、岩田屋、井筒屋

 う~ん、「丸井今井」しか分からないですねえ…。

 今は亡きと言えば、
 たんざき屋、くにい とか。規模が小さすぎますか。

 全く関係ないところで、オノデンとかソフマップ…ってもはや百貨店でもない(笑)。
[52051] 2006年 7月 7日(金)22:58:32山野[揖斐の山] さん
でるでるさんへ
鹿児島県の天城町、伊仙町の合併協議会「天城伊仙町」(休止中)のHPが閉鎖されました。(修正お願いします)
[52050] 2006年 7月 7日(金)22:55:10ぺとぺと さん
続々々・ローカルデパート
[52046]EMMさん
丸ヨ池内、タカヤナギ、うすい百貨店、八木橋、さいか屋、丸榮、松菱、ヤマトヤシキ…

これも以下3つしかわかりません。
●丸ヨ池内=かつて住んでいたところにあるのですが、当時はあまりデパートという感覚で見ていませんでした。
●うすい百貨店=数年前産業再生機構の支援第一弾ということで盛んに報道されていましたね。立ち直られたのでしょうか・・・。
●さいか屋=現住所の地元といえば地元ですが、行ったことはありません。
[52049] 2006年 7月 7日(金)22:47:09ぺとぺと さん
続々・ローカルデパート
[52032]TNさん
藤丸 棒二森屋 三春屋 マルカン 木内 イコーレ 矢尾 梅屋 岡島 まるみつ ヤナゲン 藤井大丸 やよい ちまきや リウボウ
私は岡島と藤井大丸とリウボウしかわかりませんでした。
ローカルデパートと言われてぱっと思いつくのは、丸井今井、藤崎、岩田屋、井筒屋くらいです・・・。

埼玉県下有数の商店街入り口にある丸井川越店も今月に閉鎖となります。
随分前の話になりますが、丸井小田原店も平成14年4月に閉鎖されました。郊外の鴨宮周辺の工場跡地に広大な駐車場を備えた大規模ショッピングセンター(ロビンソン百貨店、イトーヨーカドー)が出来てから、小田原駅前は寂れる一方です。
[52048] 2006年 7月 7日(金)22:28:51EMM さん
大三東
[52047] 88さん

Yahoo!地図やYahoo!電話帳で確認したところ、東空閑簡易郵便局(丙)や三之沢駐在所(甲)があるようですね。
大野はYahoo!地図やYahoo!電話帳ではそれらしいものが見あたらないのですが、ウオッちずを見ると有明町大野名(ありあけちょうおおのみょう)と言う字名が記載されています。
となると住所としての「大字大三東」とは別に東空閑・三之沢・大野が地区名や慣用的な小字名として通用しているものと思われます。

なお、ウオッちずには有明町○○名という字名がいくつか記載されています。
Yahoo!地図での甲乙丙丁戊(戊までありました)と近しい場所に書いてあるので、この区域分けと何か関係ありそうな…
地図上の位置関係はおおむねこんな感じです。
(Yahoo!地図≒ウオッちずで並べました)
大三東甲≒有明町松崎名
大三東乙≒有明町小原名
大三東丙≒有明町浜口名
大三東丁≒有明町雁木名
大三東戊≒有明町大野名
おおむね近い位置に書かれていると言うだけで本当にイコールなのかどうかは分かりませんが、もしかしたらこの辺りは藩政村名・集落名・大字名の関係が複雑なのかもしれません。
[52047] 2006年 7月 7日(金)21:54:3788 さん
「有明」つづき
[52045]EMM さん
失礼しました。行政区画変遷一覧表の存在を失念しておりました。1888/4/1(M23.4.1)に「大三東村=大野村+三之沢村+東空閑村」なのですね。[52043]はそのまま晒しておきます。ありがとうございました。

とすると、大字「大三東」(甲、乙、丙、丁)とするのならば、何ゆえに、「大字大野」「大字三之沢」「大字東空閑」としなかったのか(「甲、乙、丙、丁」の範囲が不明ですけどね)。私のような誤解をする例がある、という見本になってしまいました。

[52043]拙稿
(注:「大字」から、藩政村であると推測しました。市制町村制直前に合併した事実があれば失礼)。
との予防線が役に立ってしまいました(恥)。

#将来は、市町村合併情報でも、うまく整理したいです(実感)。
[52046] 2006年 7月 7日(金)21:50:17【1】EMM さん
続・ロ~カルデパ~ト
[52036]で触れた全国百貨店共通商品券のご利用店一覧を見てますが…

加 盟 し て い な い 店 が 問 題 に 含 ま れ て い る !

見逃しがなければ、2005年11月の一覧には棒二森屋、三春屋、マルカン、木内、イコーレ、矢尾、梅屋、やよいが見あたりません。
めいてつエムザ=金沢名鉄丸越みたいな手合いだったりしませんよね?

上記の一覧を見ていて、これもその地方の人以外には分からないと思ったところ。
丸ヨ池内、タカヤナギ、うすい百貨店、八木橋、さいか屋、丸榮、松菱、ヤマトヤシキ…

いくつかの大手を除けば地元密着な分その他の地方に行くと全く知られていない、っちゅう事ですかね。


※脱字訂正
[52045] 2006年 7月 7日(金)21:35:30EMM さん
明治の大合併…
[52043] 88さん

明治の大合併に関しては、行政区画変遷一覧表でおおむね確認可能であります。
とりあえず長崎の有明町関連で行けば、大三東村は大野村・三之沢村・東空閑村の合成地名です。
合成地名コレクションにも収録されてます)
[52044] 2006年 7月 7日(金)21:27:55瑠璃 さん
熊虎さんへ。
レス,ありがとうございます。
確かにちゃんと見直していれば防げたミスですね。申し訳ないです。
私の場合は、過密地域(大阪)の過密の改善策としか話し合ってなかったからですね。
具体的かどうか分かりませんが(だったら意味ないですね。すいません。)『どうすれば過密の状態を解消できるか』ということです。
本当にこればっかりは申し訳ないです。

過疎化改善法のHP,次の社会の時間にでも教えてあげようと思います。
本当にありがとうございます。

では、乱文ですがこれで失礼致します。
[52043] 2006年 7月 7日(金)21:24:0288 さん
尊重すべき地名とは
[51986] 松 さん
消えゆく町の名前:有明町
市の誕生日の話ですが、結果的に生き残った市名の市(町)の歴史が中心となって、編入にせよ対等にせよ、消えゆく町の歴史は名前とともに記録に残るだけです。九州の地図をご覧になるかた、有明海をご存知ですか。実は九州には「有明町」がいくつかあったんですが、このたびの平成の大合併で全て消滅してしまったんです。有明海そのものも、今諫早湾干拓という歴史に汚点を残す事業で死の海になりつつあり、国は反省どころか、次の世代に負の遺産を残すことに満足しています。

以下の文章は、「有明」を例に記述しましたが、同様のことは全国どこにでもあると思いますし、「有明」に他意はありませんので、先に申し述べておきます。

佐賀県、長崎県、熊本県の3県の有明町の沿革です。鹿児島県曽於郡有明町は有明海に面していませんので、省きました。

佐賀県杵島郡有明町
年月日新自治体名変更種別変更対象自治体名
S37.10.1有明町町制杵島郡有明村
S30.9.30有明村新設杵島郡南有明村,有明村
S30.4.1有明村新設杵島郡錦江村,龍王村
(大字名から推測すると、おそらく明治の大合併があるが、現在手元に資料なし)

長崎県南高来郡有明町
年月日新自治体名変更種別変更対象自治体名
S36.11.3有明町町制南高来郡有明村
S30.4.1有明村新設南高来郡大三東村,湯江村

熊本県天草郡有明町
年月日新自治体名変更種別変更対象自治体名
S33.1.1有明町町制天草郡有明村
S31.6.1有明村新設天草郡楠甫村,大浦村,須子村,赤崎村,上津浦村,下津浦村,島子村

(参考)
年月日新自治体名変更種別変更対象自治体名
S17.4.1荒尾市新設/市制玉名郡荒尾町,平井村,有明村,八幡村,府本村

「有明海」と、佐賀県、長崎県、熊本県の「有明町(有明村)」は、本来別のものです。それぞれ、自治体が合併した際に、(観光客の誘致等を見越したこともあるとは想像しますが)それぞれの地域を”地名として”「有明」と呼称した歴史は過去にはまったくなく、有明海にあやかった、その「行政地名(自治体名)」を「有明」とし、年数を経るにつれて、その自治体の地域を「有明町」と”地名として”呼ぶようになった、ということに過ぎないのだと推測します。この「有明海の『あやかり』」を、3件の「有明町(有明村)」が同様に行った、「没個性」の結果でしょう。熊本県の現荒尾市にも過去に「有明村」があったことからも明らかだと思います。有明海に面した自治体であれば、どこであっても「有明町」を名乗る「資格」はあり、「早い者勝ち」とも思ったのでしょうか。

長崎県の有明町に関しては、昭和30年以降の約50年の歴史に過ぎません。「有明町」の名を残すことよりは、大字名であり藩政村でもある「大三東」「湯江」こそ、少なくとも数百年、または延喜式以来の千年以上の歴史を有し、個性・独自性を持った地名であり、「大三東」「湯江」を残す方がはるかに地域の歴史を正しく理解し、重要であると考えます(注:「大字」から、藩政村であると推測しました。市制町村制直前に合併した事実があれば失礼)。
もちろん、「有明」は、「有明海」として、今後も残していけばよいのです。「現島原市に、過去あった『有明町』として残す」とは、本質的に異なることだと思います。

もちろん、市町村合併の是非と混同することも避けるべきだと思います。「直前の数十年の歴史しかない自治体名=大事な地名」であると誤解して、「有明の地名がなくなるから合併に反対」という観点は避けて欲しいです。個性・特定性にかける「地名(?)」に固執することが、かえって数百年来(またはそれ以上)の歴史を有する本来の「地名」を相対的に軽視することになるのではないか、と懸念しているのです。「合併にかかわらず、由来の確かな、歴史のある地名を正しく見極め、それを残すように努める」ことが肝要と考えます。


#以下は正式な「大字」と、それを特定する参考資料です。
旧佐賀県杵島郡有明町の大字
大字牛屋、大字新明、大字戸ケ里、大字坂田、大字田野上、大字辺田、大字深浦、大字新開
白石・福富・有明3町合併協議会資料(pdfファイル)

旧長崎県南高来郡有明町の大字
大三東甲、大三東乙、大三東丙、大三東丁、大三東戊、湯江甲、湯江乙、湯江丙、湯江丁
島原地域合併協議会資料(pdfファイル)(p.29)

旧熊本県天草郡有明町の大字
大字楠甫、大字大浦、大字須子、大字赤崎、大字上津浦、大字下津浦、大字小島子、大字大島子
天草合併協議会資料
[52042] 2006年 7月 7日(金)21:16:57ズッキー さん
岐阜は丸物・山勝・丸宮!
問1)この百貨店は何市にあるでしょうか。
問2)今は無きこの百貨店は何市にあったでしょうか。
もちろん、全問正解できましたです~無駄な知識として、墓場まで持っていくのかと思ってたのに・・・
イコーレだけ、ちょっと?って考えましたけどね~。
[52041] 2006年 7月 7日(金)20:44:42音無鈴鹿 さん
地場百貨店
[52032]TNさん
問1)この百貨店は何市にあるでしょうか。
藤丸 棒二森屋 三春屋 マルカン 木内 イコーレ 矢尾 梅屋 岡島 まるみつ ヤナゲン 藤井大丸 やよい ちまきや リウボウ

全滅っぽいです。藤井大丸ってごく最近どこか西のほうでみたような気がするんですが…どこだったかな?地場百貨店っていうと真っ先に思いつくのは「藤崎」とか「さくらの」だったりします。藤崎とか地元のデパートって感じがしてちょっといい雰囲気です。もっとも私のお目当てはここで取り扱いのある白兼というかまぼこ屋なんですけどね。

問2)今は無きこの百貨店は何市にあったでしょうか。
丸三鶴屋 正札竹村 赤トリヰ 小網屋 扇屋 志澤 丸正 丸新 山城屋 松屋
丸正は新宿地場のスーパーマーケットしか思いつきませーん。

当該のお店が地元にある方はそのお店はわかるのでしょうけれど、この問題を完答できる方ははたしていらっしゃるのでしょうか?
[52040] 2006年 7月 7日(金)20:31:37なると金時 さん
♪おかいもの おかいもの
今年の「おかいものクマ」は阿波踊りVer.です。人形買おうかな。

現在、徳島市の百貨店は、駅前のそごうしかありません。
かつて新町商店街に存在していた百貨店は「丸新」といいまして、
[52032] TN さん が問2で挙げているのはそれかもしれません。
[52039] 2006年 7月 7日(金)19:10:16YASU さん
続:ローカルデパート
[52032] TN さん
棒二森屋 岡島 ヤナゲン 藤井大丸 リウボウ 位しかわからなかったです。

昔は多くの地場百貨店があったと思いますが、大手系列に吸収されたり、廃業してしまったりしてずいぶん減ってしまいましたね。

近くにあり行ったことのあるのは、丸物(地場ではないか)、松菱、田中屋あたりかな。
[52038] 2006年 7月 7日(金)19:04:45小松原ラガー さん
百貨店レス
小松原ラガーです。

[52032] TN さん
藤丸 棒二森屋 三春屋 マルカン 木内 イコーレ 矢尾 梅屋 岡島 まるみつ ヤナゲン 藤井大丸 やよい ちまきや リウボウ

私も棒二森屋と藤井大丸しかわかりません。
今はなき・・・のほうは全滅です・・・グスン...
[52037] 2006年 7月 7日(金)18:43:12miki さん
地場百貨店レス
[52032]TNさん
...私はちまきやしか分かりません...。
ちなみに広島ではやっぱり福屋ですね。
[52036] 2006年 7月 7日(金)18:20:48EMM さん
ロ~カルデパ~ト
[52032] TNさん

先週うちの親父が大和とめいてつエムザ(金沢名鉄丸越)発行の全国百貨店共通商品券を引っ張り出してきていまして、そのときに「使用可能店舗の一覧」をもらったりしてます。
(上記2つが問題にないのは私を含め時々書き込みで触れる人がいるからかな、とか思ったり)
なので、家に帰れば現役の方はすべて一目瞭然なのですが…答えを見て回答しちゃ何なので見ないで分かるところを一発。
先月リウボウの真横を何回も通りました。
ただし、香林坊大和が「香林坊アトリオ」と言うショッピングビルとなっているのと同様、そのリウボウも建物自体は別の名で通用しているため、そのときはそこが「リウボウ」という百貨店だと言うことは認識しておりませんでしたです、ハイ。
[52035] 2006年 7月 7日(金)17:41:03ケン(地理好き) さん
re.52021
渋川市渋川のことですが、住居表示実施で慣用町名から正式町名にするのがふさわしいと思います。
[52034] 2006年 7月 7日(金)17:34:03たもっち さん
RE:ローカルデパート
[52032]TNさん
藤丸 棒二森屋 三春屋 マルカン 木内 イコーレ 矢尾 梅屋 岡島 まるみつ ヤナゲン 藤井大丸 やよい ちまきや リウボウ
僕は藤井大丸しかわかりません。

[52033]紅葉橋律乃介さん
地元では結構な知名度なんでしょうね。
ですよ(笑)。
[52033] 2006年 7月 7日(金)17:00:31紅葉橋律乃介 さん
ローカルデパート
[52032] 16:34:03 TNさん
藤丸 棒二森屋 三春屋 マルカン 木内 イコーレ 矢尾 梅屋 岡島 まるみつ ヤナゲン 藤井大丸 やよい ちまきや リウボウ

 棒二森屋しか分からない…。大丸藤井という文具会社は札幌にありますけど。

 百貨店と言うくらいですから、地元では結構な知名度なんでしょうね。
[52032] 2006年 7月 7日(金)16:34:03TN さん
地場百貨店
[51817]かぱぷう さん
松本市の由緒ある百貨店「井上」を知る方は以外に少ないのでは。
北九州市の某デパート
関連会社の運営ですが、博多、久留米、宇部、飯塚にも店舗があるそうですね。かつては、若松(区)、中津、大牟田にもあったとのこと。ライバルが去った今、小倉駅前にある提携先を含め北九州では独壇場の印象を受けます。
地場の百貨店で最近あった動きとして、水戸京成百貨店の移転(国道50号を挟んで旧店舗の正面)増床(売り場面積33500平方メートル)は中心市街地にどのような変化をもたらすか注目に値するのではないでしょうか。
暗めの話題になってしまいますが地元方面のことに触れますと、丸広東飯能店がいつの間にか閉鎖となっておりました。ついでなので言っておくと、埼玉県下有数の商店街入り口にある丸井川越店も今月に閉鎖となります。

私からも問題を出してみます。
問1)この百貨店は何市にあるでしょうか。
藤丸 棒二森屋 三春屋 マルカン 木内 イコーレ 矢尾 梅屋 岡島 まるみつ ヤナゲン 藤井大丸 やよい ちまきや リウボウ

問2)今は無きこの百貨店は何市にあったでしょうか。
丸三鶴屋 正札竹村 赤トリヰ 小網屋 扇屋 志澤 丸正 丸新 山城屋 松屋
[52031] 2006年 7月 7日(金)16:33:45TN さん
お礼など
[51471]ニジェガロージェッツ さん
[51474]スナフキん さん
お気遣い、感謝申し上げます。スナフキんさんが仰る様に、PCに向かって文字は打てているから大丈夫です。「すぐには死なない」と言った医者の言葉がやや引っかかるのですが。ニジェガロージェッツさんは血圧が高めのご様子で、夜更かしにはお気をつけ下さい。
 
[52030] 2006年 7月 7日(金)15:54:46BANDALGOM[熊虎] さん
Re:初めまして。
[52010][52017]瑠璃さん
[52009]booさん

難しいテーマを調べているのですね。
私が中学生の頃、過疎、過密については教科書には出ていましたが、あまり詳しくはなく、授業でもさらっと流すだけで、調べるなんてことはありませんでしたから。

質問の内容ですが、率直にいうと漠然としていて、一番聞きたいことが何なのかが分からないため、レスがついていないのだと思います。

単に沖縄県の過疎化改善策、過密地域の対策法といっても、非常に奥が深いです。
検索で資料が見つからないということですが、過疎対策ということであれば、以下のようなサイトがあります。
総務省過疎対策室
全国過疎地域自立促進連盟

あとは、県や市町村立の図書館に行ってみるとか、あるいは県庁に問い合わせてみてもよいと思います。
[52029] 2006年 7月 7日(金)09:40:25hmt さん
♪こんにちは赤ちゃん(1963年)の頃は、2.1 前後で安定していた合計特殊出生率
[52013] ヒラリーマン さん
上司から少子化対策の課題をもらってかなり悩んでおります。市町村レベルで「合計特殊出生率」の高い処がどんな対策をしているか…
私も各都道府県までは調べられましたが、市町村レベルでは困難で…

了解。上記のような趣旨を最初の[51921]に書いておけば、
ランキングを作ってくれる人はいませんでしょうか
という言葉から、いかなる理由に基づく関心をお持ちなのかについて、疑問を抱かせることがなかったでしょう。

ともあれ、そのような趣旨で、知りたい対象が「ランキング上位の市町村」ということならば、探すべき本道は、厚生労働省の統計資料です。
「少子化対策」という政策からすると、内閣府 の資料も調査すべきでしょう。

しかし、せっかく「都道府県市区町村落書き帳」に目をつけたのですから、この落書き帳の中を「市町村別 合計特殊出生率」で記事検索してみましょう。

検索してみると、作々 さんの記事[28320] が一発で出てきます。
そして、その中には、少し前(平成10年~平成14年と平成5年~平成9年)のデータですが、 市区町村別にみた合計特殊出生率の上位・下位30位 が引用されています。
これが求める資料でしょう。

もっと新しいデータを求めて、厚生労働省の 平成17年度「出生に関する統計」の概況 を見ましたが、市区町村別の合計特殊出生率は見当たらないようですね。

参考までに、合計特殊出生率の話題や、「産めよ殖やせよ」政策をとった時代の問題などに関する発言を 人口問題 として集めておいたので、ご覧ください。

本題のデータ蒐集もさることながら、「上司からの課題」というだけでなく、自らが コトの本質とその原因とを見極め、「いかにすべきか」、又は「すべきでないか」を、自分の頭で考えてみてください。


[52025] にまん さん
母数が小さいと特殊要因によるブレが大きい

前記統計が5年単位なのも、ブレを防ぐためでしょうね。
長野県下伊那郡下條村の場合、1993-1997が1.80で全国17位、1998-2002も1.97で長野県の首位ですから、一応安定しているようです。
それでも、長期的な人口維持の目安とされる 2.08 には及ばない。
[52028] 2006年 7月 7日(金)01:02:4588 さん
「町」「字」について
書き込みが2週間ほどご無沙汰でした。
「町・字の話題が出ているのに、こだわっているはずの88の書き込みがないなあ。どうしたのかなあ」と思った方が、2人もいらっしゃったらうれしいです(謝)。

さて、いつものことながら、(私も含めて)皆さんが「町」「字」の話題で苦労するのは、以下のような理由があると思います。
1 「正式なもの」と「通称」が、実社会でも資料でも混在している
  (しかも、通称の方がよく使われることもある)
2 「地方自治法」の正式なものと、「不動産登記法」の正式なものの定義が異なる([41581]拙稿)
  (「住居表示に関する法律」もあり、住居表示実施地域ではさらに混乱する)

さらに、正式なものに関しては、
3 「町」と「字」の区別がつきにくい
  「町」の語句があっても「字」だったり、「町」の語句がなくても「町」だったりする([48565]拙稿)
(例)
町:「○○町」「○○」「○○町△丁目」「○○△丁目」「○○町□□」などと書かれる
字:いわゆる「大字」と「小字」があり、区別がつきにくい
  大字:「大字○○」「字○○」「○○」「○○町」「○○町△△」などと書かれる
  小字:「字○○」「○○」「第○○地割」([48333]拙稿)などと書かれる

上記2に関連して、「○○町△丁目」とあった場合、上記1の正式なものの場合、一般的には、
地方自治法「○○町△丁目」をひとまとめにして「町」
不動産登記法「○○町」:「町」、「△丁目」:「字」
です。

平成の大合併では、合併協議会の協議の中で「町」「字」についての協議・資料がHPで示されているものが多く、都道府県の公報とともにこれらを見ることをお勧めします。
[52027] 2006年 7月 7日(金)00:02:03矢作川太郎 さん
そして遅すぎた御礼-字関連
[51973]EMMさん
貴重なお時間を使わせてしまいすみません。
なのに、3日もレスを空けてしまって(言い訳は言いません。(笑))

もしかして矢作川太郎さんはYahoo!地図orマピオンしかご覧になってないのでしょうか。
うっ、痛いところを衝かれましたね~。図星です・・・
でもこれで、小字化された大字や小字界に埋没した大字界が解るようになりますね。ところで都道府県公報の事にも触れて置きましょう。以前私は市町村以下の住所変更に関する資料の行方が分からず途方に暮れていました。第一、国が出している官報告示の資料は市町村の変更については分かるもののそれ以下については全く書かれていません。(所轄が違うのだから当然ですが。)そこで、[51631]の様な質問をした訳です。そこでそう言えばキチンとした御礼をまだ言っていないことに今更ながら気付いたのですが・・・EMMさん本当にありがとうございました!!(Its-mo GuideとMap Fanの件も併せて御礼申し上げます。)

あと、
小字全件を拾い出そうと言うことになるとネット上の地図サイトの住所一覧は必ずしも適切な資料とは言えないと思います。
ほかの手を考えなければならないでしょう。
についても考えていかなければいけませんね。(厳格に公図及び17条地図で調べる気は私には有りませんが。)一応、私は色々な地図サイトを行脚してみます。

そして、ご紹介の
過去ログ中の字名・町名に関する一般論的な話題は落書き帳アーカイブズ町名、字名(大字、小字、字)、丁目とは何か?にまとめられています。
も、一度読んだような気がしますが、読み返してみますね。
[52026] 2006年 7月 6日(木)23:43:54佐賀県 さん
RE:消えゆく町の名前:有明町、佐賀市の合併
[51986] 2006 年 7 月 4 日 (火) 12:16:28 松 さん
 はじめまして。お隣の佐賀県に住む、その名も「佐賀県」と申します。
実は九州には「有明町」がいくつかあったんですが、このたびの平成の大合併で全て消滅してしまったんです。
 そうなんですよね~。私の住む佐賀県にも有明町がありましたし、長崎、熊本、鹿児島もあわせて九州内に4つあった「有明町」の全てが消滅したことも、もちろん知っていました。
 落書き帳のメンバーの多くも、そのことはご存じだと思います。
 この件については、誰かが書き込み済みだと思っていましたが、過去ログを検索しても全て消滅した(する)ことについての書き込みは発見できませんでした。(白桃さん[26930]、佐賀県[36416]、ふかみさん[49486]といった書き込みはありましたが。)

 長崎、熊本、鹿児島の3県の有明町については、合併により市の一部になったこともあり、「○○市有明町××」のように地名に残されているようですが、合併後も町のままである佐賀の有明町については、以前[34853]で書き込んだとおり、地名(これだけが地名では内でしょうけど)からも消滅してしまっています。

 こうした例は挙げるときりがないと思いますが、佐賀県内にあった5つの村の名前がどうなったかをまとめてみました。

 平成の大合併によりもともと佐賀県にあった5つの村は、現在では3市1町の一部になっていますが、それぞれの村名が合併によりどうなったか、それぞればらばらです。

○佐賀市の一部となった「三瀬村」
→そのまま「佐賀市三瀬村」として残った。([41815]で中島悟さんが既に触れられています。)

○唐津市の一部となった「七山村」「北波多村」
→それぞれ「村」がなくなり、「唐津市七山」「唐津市北波多」となった。
 ※注 唐津市の一部となった他の町は、「東松浦郡浜玉町→唐津市浜玉町」のように、全て「町」が残されている。

○神埼市の一部となった「脊振村」
→「村」が「町」に置き換わり、「神埼市脊振町」となった。

○吉野ヶ里町の一部となった「東脊振村」
→「東脊振村」という地名はなくなった。
 (例)神埼郡東脊振村大字三津 → 神埼郡吉野ヶ里町三津

 合併後の村名がたどる運命は、この4つのパターンが主なものではないかと思います(他にはどんなパターンがあるのでしょうか?)が、1つの県でこれだけばらばらというのもおもしろいと思います。
 これを見てみると消滅したのは「東脊振」のみのようですが、「脊振」が残っているので、完全になくなったとは言えないでしょうね。

 ところで話題は変わりますが、現在、佐賀県内で唯一合併の話が動いている佐賀市・佐賀郡1市3町の合併ですが、去る6月29日に関係4市町長により任意合併協議会の設置が了承され、7月11日に第1回の協議が行われる(佐賀市ホームページ)ようです。
 リンク先にも書かれていますが、任意合併協議会の設置は6月29日となっているようです。
 でるでるさん、市町村合併情報の情報更新をお願いします。
※ この合併が成立すれば、佐賀県内の「まち」は江北町だけになってしまいます…。
[52025] 2006年 7月 6日(木)23:06:02にまん さん
合計特殊出生率
[51921] [52013] ヒラリーマン さん

下條村の事情についてはよく知らないのですが、日本一が村ということで、一点気になったので、コメントします。

合計特殊出生率ですが、一般にはヒラリーマンさんが書かれているように
女性が一生のうちに出産する人数
と言われますが、計算式は、
各年齢ごとの女性人口を分母にその年齢の女性がその年に生んだ子供の人口を分子にした率を、15歳から49歳までの各階層で計算し合計する
というものです。これではさすがに分かりにくいので、計算例を書いてみます。
計算が面倒なので、24歳以下と30歳以上の女性は子供を産んでないとしてまとめてあります。(そのせいで合計特殊出生率が以上に低く出てますがご了承ください)

年齢女性人口(a)出生数(b)b/a
15~2410000.000
251010.100
26810.125
271200.000
281020.200
291230.250
30~4919800.000
合計45070.675

で、ここで28歳2人、29歳3人のところを、28歳3人、29歳2人として計算しなおすと、

年齢女性人口(a)出生数(b)b/a
15~2410000.000
251010.100
26810.125
271200.000
281030.300
291220.167
30~4919800.000
合計45070.692

と子供の数は変わらないのに、合計特殊出生率は0.017増加しました。

何が言いたいかというと、統計一般にいえることではありますが、母数が小さいと特殊要因によるブレが大きいのでその数字を使う際には注意が必要であるということです。
調べてみると、下條村の15歳~49歳の女性人口は800名弱程度ですので、正直いって母数が十分な大きさかどうか疑問があります。ただ、過去3年連続して日本一だとか、2位をぶっちぎっているとかであれば、母数の少なさを割り引いても日本一といえるんでしょうけど。。。
[52024] 2006年 7月 6日(木)23:01:22逆太郎 さん
弘前市の新市章デザイン公募
今年2月27日に誕生した新しい弘前市の市章デザインの公募が始まりました。
http://www.city.hirosaki.aomori.jp/kakuka/HSC01-0000000071/index.html
http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000000607060003
市外からも応募できます。旧市町章を応募することも可能だそうですが、賞金はもらえないそうです・・・

旧弘前市の市章が「卍」だったことはよく知られていますが、かつての津軽藩の旗印を引き継いだものだとは知りませんでした。初めて弘前を訪れたときにそこいら中に「卍」のマークがあって不思議に思ったものですが。
[52023] 2006年 7月 6日(木)22:49:29YSK さん
津軽から陸奥へ
[52022]Issieさん
[52011]BEAN さん
[52002]Issie さん
メッセージありがとうございました。興味深く拝見いたしました。

出羽は北の果て,陸奥は東の果て
たいへんおもしろい視点だと感じます。鹿角郡のことも含め、地域区分には区分された当時の主要な交通ルートが大きく影響していたのかもしれない、ということですね。

現在の上北郡と下北郡とがかつて「北郡」であったことも初めて知りました。貴ページ郡の変遷の記述と併わせて、当該地域への理解がより深まったような気がいたします。
[52022] 2006年 7月 6日(木)22:33:14【1】Issie さん
出羽は北の果て,陸奥は東の果て
[52011] BEAN さん
では、なぜ津軽は出羽国ではなく陸奥国なのでしょう。

なぜなんでしょうね。

ところで,古代の“みやこびと”の地理感覚からすると,太平洋側の 陸奥 と,日本海側の 出羽 とではかなり“方角”の違う地方と意識されていたような気もします。
陸奥へ向かう道は,都(奈良,もしくは京都)から「東」へ向かう 東山道。その「道の奥」が 陸奥 なわけで,都から見れば「東の果て」。
出羽へ向かう道は,都から「北」へ向かう 北陸道(ほくろくどう)。元は 越後 の最奥部の1郡から発展したのが 出羽 で,都から見れば「北の果て」。
なので,陸奥で“まつろわぬ”連中は「夷」,出羽でまつろわぬ連中は「狄」。多賀城や胆沢城,そしてそれを守備する(鎮守府)“将軍”は「夷」への備え。秋田城と,それを守備する (秋田)城介(じょうのすけ)は「狄」への備え。
日本列島,というより本州が“ああいう形”をしているせいで「東の果て」と「北の果て」が隣り合ってしまっているけれども,都に視点を置いたとき,この違いは結構大きそうな気がします。もちろん,現実の位置関係は都人もわかっているわけで,“七道”の区分においては 出羽国 は 陸奥国 と同じ「東山道」のくくりに入るのですが。

日本において律令制が最も「成熟」した平安前期(10世紀初め),その日本化された律令法制の“施行細則集”である「延喜式」に掲載された 郡 の一覧には,陸奥では 胆沢郡,出羽では 秋田郡 までが収録されているようです。裏返すと,胆沢郡つまり胆沢城と,秋田郡つまり秋田城とが,当時の日本の直接統治下に入っていた東と北の果てだったのでしょう。この一覧には,出羽に「山本郡」が収められているのですが,これは現在の「山本郡」ではなく「仙北郡」だと考えられています。当時の「秋田郡」は現在の「南秋田郡」だけでなく,「山本郡」も含めて,漠然と出羽の北の果てを指したものと思われます。

問題は,胆沢・秋田以北の地が「日本に“編入”された」ときにありそうですね。
ポイントは奥州藤原氏の支配と,源頼朝によるその征服あたりかも。

延喜式の少し後,陸奥ではもう少し“奥”まで建郡が進んで,その「奥六郡」(岩手・稗貫・紫波・和賀・江刺・胆沢)を支配する安倍氏。出羽の「山北(せんぼく)三郡」(雄勝・平鹿・山本[仙北])を支配した清原氏。両氏の抗争に源頼義・義家父子が絡んだ 前九年・後三年の役 を経て,奥州磐井郡平泉に本拠を置いた奥州藤原氏の支配領域を縦貫する大道は,東山道(仙道筋)の白河から平泉を経て,鹿角・比内から津軽地域(平賀郡・鼻和郡・田舎郡・山辺郡)を通って青森湾の 外ヶ浜 に至るルートであったようです。
平泉から津軽地域へのアプローチは,こちらがメインでありそうですね。

奥州藤原氏を滅ぼしてこれを支配下に編入した鎌倉政権にとっての本州北端へのアプローチも,それまでの 白河→平泉→鹿角→外ヶ浜 ルートであったように思われます。
比内地方はやがて出羽の 秋田郡 に含まれるようになって,現在の「北秋田郡」になるわけですが,このあたりに鹿角郡や,現在の青森県が「陸奥」であることにつながるのでは,…なんて思うのですが,

自分で何書いているか,わからないや。
[52021] 2006年 7月 6日(木)22:20:40YSK さん
渋川市渋川
大字・小字のお話に関連するかもしれない話題です。

合併により新たに発足した住所「渋川市渋川」について、分かりにくいことから町名設定をしたらどうかとする意見が最近持ち上がってきているようです。

今年2月20日に渋川市ほか5町村が合併して新・渋川市が誕生したことに伴い、旧市では大字のなかった(公式には「渋川市○○番地」等の住所だった)かつての渋川町の区域については、「渋川市渋川」という新しい町名を設定することで対応がなされました。しかしながら、当該地域内では「本町」や「坂下町」などの慣用的な町名が日常的に使用されていまして、合併後これまでまったく使ったことのなかった新町名「渋川」が出現したことにより、「渋川市渋川○○番地」と公式には書かなければならなくなって、慣用町名が使用しづらいことからかえって場所が分かりにくくなったとする意見が多いとのこと。

今後、慣用町名を正式に町名として設定するかどうかも含めて何らかの見直しがされるようです。
[52020] 2006年 7月 6日(木)21:51:03でるでる さん
発見!
[52019]揖斐の山 さん
多治見、土岐、瑞浪、笠原の合併協もリンク切れ
今まで代用していた多治見市HPの市町村合併コーナーに代わり、な、なんと東濃西部合併協議会の公式HPそのものを発見しちゃいました(嬉)
あとで更新しておきます。こちらこそありがとうございます!
[52019] 2006年 7月 6日(木)21:20:04山野[揖斐の山] さん
感謝
でるでるさんへ
本日の朝、報告しましたリンク切れの件についてお手数掛けてすみません。
これから再検討されていくかと思いますが、もう1件ついでに、多治見、土岐、瑞浪、笠原の合併協もリンク切れ。
(岐阜県民なので気になりました。)
[52018] 2006年 7月 6日(木)21:05:06【1】でるでる さん
合併情報(リンク情報)
[52008]揖斐の山 さん

リンク先について、下記の通り修正しておきますので、更新前ですが先にお知らせしておきますね。

<アドレス変更>
両磐地区合併協議会
一関地方市町村合併協議会
未来都市づくり研究会(塩竈市HP)

<リンク削除>
東和町・宮守村広域行政研究会
水沢市・前沢町・胆沢町・衣川村任意合併協議会
水沢市・江刺市・前沢町・胆沢町合併検討会議

未来都市づくり研究会については、現在も合併だけではなく広域行政関連も含めて活動中(協議中)であるようですので、解散情報から予定情報への移行もしておきます。

#未来都市づくり研究会についての記述を追加
[52017] 2006年 7月 6日(木)21:01:06瑠璃 さん
初めまして。
初めまして。52010番でも書き込みしました瑠璃と申します。。

今回、私たちが調べているテーマが、過密地域と過疎地域についてなのですが、
過密地域について(出来れば過密地域の対策法)のことをご存知の方、教えて下さい。
また、52009番のbooさんも、この調べ学習をしているので(クラスが同じなので)何か知っている方は教えてください。
因みにbooさんは、沖縄県の過疎化改善策だそうです。

くどいようですが、よろしくお願いします。
では、また用件のみになってしまいましたが、これで失礼します。
[52016] 2006年 7月 6日(木)20:03:29でるでる さん
合併情報
今日はまだ皆さんが起きている間に(笑)

[52008]揖斐の山 さん
合併情報(不成立)内でリンク切れのページがありましたのでお知らせします
お知らせいただき、ありがとうございます。後ほど調査の上対応しておきますね(アドレス変更の場合もあるため)。
今更とは思いになるかもしれませんがリンクが切れたところはできるだけ早めに削除して頂けるといいのですが
いえ、リンク切れ情報は本当に助かります。なお、リンク切れやアドレス変更などの情報については、他の合併情報とは違ってリンク切れの報道があるわけでもないので(笑)、常に最新の情報に保っておくというのは私一人の作業では困難というか、ほぼ不可能な状況です。もちろん、出来るだけきちんとした情報を保っておきたいので、リンク切れなどの調査やメンテナンスは合併情報の編集と同時にするなど今でも随時行なっておりますが(履歴情報をご覧いただければご納得いただけるかと)、落書き帳や合併情報メールによる皆さんからの情報提供が頼りでもあります。

そういった状況ですので、どうかご理解を頂きたいのと、また気が付きましたら今後ともお知らせいただけると大変ありがたいです。よろしくお願いいたします。

#今ごろになってリンクが復活する場合もありまして、島根県の松江・八束合併協議会も本日の更新で復活しております。(メールどうもです!)


[52012]k-ace さん
「市町村合併情報 更新履歴」のページの本日分で「履歴情報」の「宮古島市」と「解散情報」の「宮古市」についてですが、同じものがそれぞれ2つ表示されています。修正お願いしますm(_)m
もしかしたら、2回更新しちゃったかな?まあ、同じ情報が(履歴情報に)2件表示されていても特に問題はないと思いますので(おいおい)、まあこのままということで(笑)。k-ace さん、お知らせいただきありがとうございます。


[52014]熊虎 さん
山梨県議会が5日、笛吹市と芦川村の廃置分合議案を可決しました
これで合併ヲッチャーとしては一安心ですね(笑)。更新しておきます。

「宮古5市町村合併推進協議会」「中城村・北中城村合併協議会(2005/2/28解散)」のHPが閉鎖されています
あれー、これは昨晩修正したつもりだったんだけど・・・作業中にPCがフリーズして再起動したときに、直すの忘れちゃったかも。
「中城村・北中城村」はリンク切れ、また「宮古5市町村合併推進協議会」はアドレス変更ですので、修正しておきますね。情報いつもありがとうございます(^^)
[52015] 2006年 7月 6日(木)17:32:27EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第97号
[51999] 地名好きさん
EMMさんどうでしょう…
正直なところを言えば引き続き担当していただけるのが一番ありがたい、と言うのが本音です。
が、昨年春に愛比売命さんから担当を引き継いでいただいた際に途中で担当件数を増やしてくださったという経緯もありますし、現状&当面のご負担も大きいようですから、編集を引き継いでいただける方の募集をかける方向で行きたいと思います。
(落書き帳上での呼びかけ、並びに地名コレクショントップページ説明文への募集中の文章の記載を行う予定)
山頂系以外の4件(平野、瀬戸、大島、定期市)と言うことでよろしいでしょうか?


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別件ネタをもう1件。
(と言うか地名コレクションに限った話ではないので別稿にした方が良いかもしれない内容ではあるのですが。)

[51907]でかすみさんよりYahoo!地図のリニューアルについての書き込みがあり、
わたしの地名コレのリンクをいろいろと確認しましたが、
切れてはなくレイアウトや表示の仕方が変化しただけで問題はないようです。
とのご報告を頂いていますが、いろいろ見てみたところ、リンクの仕方によっては元々図示していたポイントより若干西に表示がずれてしまっているようです。
主に発生しているのは1/8000で、ほとんどのもので地図上の距離で200mほど位置がずれてしまっています。
1/21000・1/75000はほぼ大丈夫ですが、ごく一部同様のずれが生じているようです。
(その他の縮尺については確認していませんが、1/21000・1/75000と同様ではないかと推測されます)
特にピンポイントな表示を意図してYahoo!地図をリンクしている場合、当初の意図とはかけ離れた表示になっている可能性がありますので、地名コレクションに限らず、Yahoo!地図で1/8000の地図をリンクしている方はチェックが必要だと考えます。


#自分の担当で言えば、岬めぐりシリーズの3コレクションはほぼ全滅。
4~5月に市町村合併対応の再確認の1周目をすませて後しばらくコレクション編集に手が付けられない状態が続いているため、次の十番勝負が終わったらぼちぼち残っている調査を再開しようかと思っていたのですが…市町村合併対応の再確認の2周目にプラスして地図リンクの修正をしなきゃならないので、再開はもう少し遅れそう…
[52014] 2006年 7月 6日(木)17:06:15BANDALGOM[熊虎] さん
県議会可決&HP閉鎖
でるでるさんへ

山梨県議会が5日、笛吹市と芦川村の廃置分合議案を可決しました。

また、「宮古5市町村合併推進協議会」「中城村・北中城村合併協議会(2005/2/28解散)」のHPが閉鎖されています。

以上、よろしくお願いします。
[52013] 2006年 7月 6日(木)14:45:06ヒラリーマン さん
合計特殊出生率
 hmt様。いろいろと有難うございました。私も各都道府県までは調べられましたが、市町村レベルでは困難でここの落書き帳にすがった次第です。
 私は今、上司から少子化対策の課題をもらってかなり悩んでおります。市町村レベルで「合計特殊出生率」の高い処がどんな対策をしているか分かればよいのですが・・・。
 もちろん地域性や色々な要素によっても大幅に変わってくるのは重々承知です。hmt様今後ともよろしくお願いいたします。
[52012] 2006年 7月 6日(木)14:35:22【4】k-ace さん
業務連絡&(阪急)夙川駅
こんにちは。約一週間ぶりの書き込みです。

~業務連絡(でるでるさんへ)~
「市町村合併情報 更新履歴」のページの本日分で「履歴情報」の「宮古島市」と「解散情報」の「宮古市」についてですが、同じものがそれぞれ2つ表示されています。修正お願いしますm(_)m

~夙川駅関連~
[51951] 小松原ラガー さん
10月からの夙川への特急停車に向けて、朝ラッシュ時の10連対応と思われるホームの延伸工事が進められていました。下り(三宮方向)のみしか確認していませんが、大阪寄りに延伸ホームの形ができつつありました。まだ、既存ホームとは段差がある(高さが違う)状態でしたが・・・

因みに、駅のホームには「10月より特急停車」と大きな看板(パネル?)がありましたが、当の夙川駅では既に割りと盛り上がっているのかなぁという感じでした。

昨日、(阪急)夙川駅に行って、自分の目で確認してまいりました。上り(梅田方向)、下り(三宮方向)の両方ともの梅田(大阪)寄りにホームの延伸工事が進められていました。例の大きな看板(パネル)も確認しました。例の大きな看板は、夙川駅以外にはたぶんないと思います(岡本、御影、三宮の各駅で探してみたんですが、ありませんでした。もし他の駅であったらごめんなさいm(_)m)。
延伸ホームと既存ホームとの段差は、たぶんなかったと思います。
[52011] 2006年 7月 6日(木)10:29:06BEAN さん
北辺の謎
[52002]Issieさん
また,一般に津軽の中心と認識されていたであろう弘前平野へは,野辺地廻りのルートではなくて,鹿角廻りのルートの方が“順路”であったと思います。だから,鹿角郡は秋田県なのに,陸奥国を経て陸中国なわけで。

これに加えて、秋田方面からのルートも古くから重要であったと思われます。現在の国道7号線、奥羽本線です。京都を起点とすると、日本海側の方が近いわけですから。
では、なぜ津軽は出羽国ではなく陸奥国なのでしょう。どさくさにまぎれて(それじゃ説明になってないか)ですかね?

ちなみに、鹿角付近の中央分水嶺は県境より西側(秋田側)ではなく東側(岩手側)にずれています。
[52010] 2006年 7月 6日(木)10:16:41瑠璃 さん
はじめまして
はじめまして。瑠璃と申します。
今回は、社会の調べ学習のために、書き込みさせていただきます。

今回、私たちが調べているテーマが、過密地域と過疎地域についてなのですが、
検索をかけてもなかなか資料が見つからず、ここに飛んできました。
どなたでも構いません。過密地域について(出来れば過密地域の対策法)のことをご存知の方、教えて下さい。
御忙しいとは思いますが、よろしくお願いします。

では、用件のみですが、これで失礼させていただきます。
[52009] 2006年 7月 6日(木)10:16:18boo さん
過疎化について
こんにちは。
沖縄県の過疎化改善策に付いて知りたいのですが,
知っている方は教えていただけませんか。
どうぞ、よろしくお願いします。
[52008] 2006年 7月 6日(木)07:30:53山野[揖斐の山] さん
訂正屋
ちょっと横から失礼します。合併情報(不成立)内でリンク切れのページがありましたのでお知らせします。まず、宮城県・岩手県の両県で新市名「平泉市」と書かれている一関の合併協、一関地方市町村合併協議会のページ、宮守村のHP、
東和・宮守広域行政のページ、水沢、前沢、胆沢、衣川の任意協、水沢、江刺、前沢、胆沢(合併検討会)、未来都市づくり研究会(塩竈市HP←開くとエラーが)これらのHPがすでリンク切れとなっています。
ここの管理者はでるでるさんでしたっけ。今更とは思いになるかもしれませんがリンクが切れたところはできるだけ早めに削除して頂けるといいのですが。
                  (また見つかりましたら報告するかもしれませんので)
                                ご検討をお願いします。
[52007] 2006年 7月 6日(木)06:59:21KMKZ さん
関東は小藩だらけ
[51992]YSK さん
埼玉県内では大藩が設置されず
これは埼玉に限らず関東全体に対して言えることですね。
関東は幕府直轄地である天領、旗本領が多く、その中に小藩の領地が複雑に分布しているような状態だったそうです。

kenさんの江戸三百藩HTML便覧で各藩の石高がわかります。

関東で最大なのは御三家の水戸藩領35万石で、これは全国の藩の中でも高い石高ですが、関東平野は広いので関東全体の石高に比べれば、大したことはないと言えます。
家康が秀吉の命により江戸に入り、常陸と下野の大部分を除く関東を領有することになりましたが、その時の石高が240万石といわれています。

藩の石高は江戸時代を通じて一定ではありませんが、埼玉の川越藩の石高が最大だった時は17万石に達し、関東では2番目だったようです。現在、北関東で中核都市となっている宇都宮の7.7万石、高崎の5.2万石よりも多かったのです。
川越藩が17万石だった時期は、利根川による水害で前橋城が崩壊し前橋の殿様が川越に移っていた時期であり、前橋は川越藩領になっていました。
幕末に前橋城が復旧され前橋藩15万石が復活するのですが、もし、前橋藩が再興されなければ、高崎が群馬の県庁所在地になっていたのかもしれませんね。
[52006] 2006年 7月 6日(木)01:33:19hiroroじゃけぇ さん
JR関西?って感じですね
最近話題の「JR夙川駅」ですが、私も新快速の中からちらり。「JR桂」よりも少し早いのかなという感じですね。一方の「JR島本」は、下り内・外線移設用のふくらみ部分ができてきてますね。それにしても、関西は進展のスピードが急ですね。一方の、我らが「岡山」駅も橋上部はけっこう出来あがっています。しかし、悲しいことに、宇野線の複線化はなかなか進みません。児島地区から岡山に自動車で行く人の中には、扉が開かないのに停車する、いわゆる「運転停車」が嫌いで列車を選択しないと言う人も。地方の公共交通ももっと見直してもらいたいものです。更に、高島-岡山間の新駅も、名称の問題でなかなか着工されません。地元は、「就実大学前」でいいと言っているのに、JR側は認めたくない。鉄道の駅名、特にJRの駅名はその地区の代名詞になるので、「JR○○」という駅名と供に、住民の意見を参考にした方がいいのではと思います。ちなみに、新駅予定地は、岡山市の西川原地区です。

さっき、Wikipediaで「倉敷市」を検索してみたら、前回の書き込みと似ている部分があって驚きました。履歴を見てみると、更新は向こうの方が先なので参考にして下さい。また、「市町村分離」よりも「市町村分割」の方が正確ですね。重ねて訂正いたします。
[52005] 2006年 7月 6日(木)00:23:03桜トンネル さん
垂水市&続報2「夙川駅」
[51971]
[51941]で今週中にJR夙川駅を見に行くと書き込んでいましたが、ちょっときつくなってきました。

とこんな感じで書き込んでいましたが、おそらく行けると思います。ですが、その日は雨・・・。自転車で行こうと思っていたので残念です。というか、雨が降ったら(自転車でいけなくなたら)この計画はまた後日ということに・・・。電車に乗っていくという手もあるのですが、ちょっと最近財布がさびしくなってきているので、あまり使わないようにしないといけないのです・・・。

では早速本題へ。

[51987]小松原ラガーさん

これまでと異なる種別の列車を停車させるためにホームを延伸すると言うのはそんなに珍しくないかと思います。桜トンネルさんの近隣ではJRの住吉なんかがよい例ではないでしょうか。かつて各駅停車しか停車しなかったときと比べて東に延伸させれているはずです。舞子や西宮も快速電車に合わせて延伸させているはずです。夙川の場合は朝のラッシュ時に特急が10連(10両編成)で運転させているため、今の長さでは8連にしか対応できないことにもよるでしょう。

(中略)

ホームの高さが違うのは、ちょっと私の書き方も悪かったですが、単に工事中だからです。基礎部分にコンクリートのパネルを並べた段階で、これから従来のホームとつながるように均していくはずです。

JRの住吉駅でも延伸工事が行われたとは知りませんでした。おまけに、舞子や西ノ宮まで延伸工事が行われていたとは・・・。ただ単に僕があまり、まわりの駅のことについて詳しくないだけかもしれませんが・・・。夙川では、あの長さでも8連しか対応できないのですか。特急や快速電車を停車させるだけでも、ホームを延伸したり、ダイヤを改正したりといろいろ大変なことが多いですね。
ところで、もう、夙川駅のホーム(延伸部分)ができていると勘違いしてしまった僕のほうが悪いです。文の意味を勘違いしてしまった僕に、詳しく説明してくださりありがとうございました。
[52004] 2006年 7月 5日(水)21:06:43作々 さん
南風~お断り~
お疲れ様です。

MBCニュースによると、頴娃、知覧、川辺の3町は、本日の協議会で、枕崎市の参加は見送り、3町で法定協議会へ移行することを確認したとのことです。
枕崎市との協議は、早くても3町合併後ということになりそうです。
[52003] 2006年 7月 5日(水)12:09:49ジャスティンK さん
いやいや
返事が遅くなりましたが。
[51919] かつ さん
どういたしまして。
他の人の書き込みの動きの中で、これであってるのか不安だったのであっていてほっとしました。
[52002] 2006年 7月 5日(水)01:19:06Issie さん
津軽と南部
[51993] YSK さん
やはり青森と浪岡との間の丘陵よりは、夏泊半島東の南部エリアとを分かつ丘陵地のほうがより急峻であるからなのでしょうか。

たぶん,近くは藩政時代以来の「津軽」と「南部」の境界を反映しているのでしょうね。しかも,津軽藩は豊臣・徳川初期に南部藩から「独立」した。その縄張り。

もう少しさかのぼって,陸奥国の最北部まで日本の中央政権の直接支配が及ぶようになって,「郡」の編成がなされるようになった頃(既に律令時代はずっと昔に終わりを告げて,最早“中世”になっています),明治以降「東津軽」と呼ばれることになる青森湾沿岸地域へのアプローチは恐らく,現在の野辺地方面から入るわけで,そのときに夏泊半島南部の丘陵地が境界と認識されて,以西を「津軽郡」としたのかなあ,などと思っています。
「南部」という地名は,甲斐の“南部”(←あまりに,そのまんまの地名)発祥の 南部氏 が鎌倉時代に移転してきて“初めて持ち込まれた”外来の地名ですが,現在の青森県東部は「糠部郡」を経て,その北部がやがて「北郡」という名前になりますね。明治になって「上北郡」「下北郡」に分かれますが,「北郡」という命名はドンづまりのイメージを抱かせます。そこから西へヒョイとそれる夏泊半島以西は,「糠部」や「北」とは違った領域という感じがしたのかもしれません。

なお,津軽地域は「津軽郡」1郡にまとめられる前に3つほどの郡に分かれていたようです。また,一般に津軽の中心と認識されていたであろう弘前平野へは,野辺地廻りのルートではなくて,鹿角廻りのルートの方が“順路”であったと思います。だから,鹿角郡は秋田県なのに,陸奥国を経て陸中国なわけで。
[52001] 2006年 7月 5日(水)01:01:47hiroroじゃけぇ さん
消えた街の住民より
まず、記事番号52000達成おめでとうございます。閲覧することは多くても、なかなか話題に入れないので、貢献できてはいませんが・・・。

[51986]松 さん
市の誕生日の話ですが、結果的に生き残った市名の市(町)の歴史が中心となって、編入にせよ対等にせよ、消えゆく町の歴史は名前とともに記録に残るだけです。

確かに、多くの人にはその存在を忘れられてしまいます。でも、住民は違うということは知っていてください。私は、児島人ですが、「児島」をどれだけの人が知っているでしょうか。最近では、瀬戸大橋の児島-坂出ルートを「倉敷(児島)」-坂出ルートとされ、ひどい場合は、(児島)ですら表記はありません。しかし、住民は児島と倉敷は別の街として今でも捉えています。現に、児島人の多くは、旧児島市(実際は福南山と龍王山、王子ヶ岳に囲まれた地域)を「市内」、旧倉敷市を「倉敷」として区別しています。同じことは、岡山市と西大寺、倉敷市と玉島市(水島地区にもこの傾向はあり)にも当てはまりますよ。また、これらの地域は独自の商工会議所を持ち、警察署や消防署もあるので、独自のコミュニティが壊れることはないと考えています。更に、当番医も別々。だから、合併で古くからの市町村が消えると卑下しないでください。新しい名前になるのも、また同じ歴史なのですから。

[52000] 右左府 さん

浪岡でも、不満がすでに出てきているんですね。政府は、「市町村合併」ばかりに力を入れていますが、本当の意味での地方自治を目指すなら、「市町村分離」も考えるべきだと思います。やっぱり、「児島市」復活も願わざるを得ません。
[52000] 2006年 7月 5日(水)00:37:13右左府 さん
浪岡
 青森市と浪岡町の話が出ていますが、これに関連して。

 現在青森市では合併に絡んだ新たな問題が起きています。少し前から、合併後初の市議会議員改選を前に、議員定数を合併協で決定した46から41に削減するという条例改正案が出ていたのです。住民団体などが反対の動きを活発化させながらも、先月23日にこの改正案は可決。その後住民団体が「定数削減を再議に付すべき」と申し入れるも、市長は「再議不要」と回答しました。
 法定協議会で決定した定数で一度も選挙をせずに、削減された定数で改選を行う事の是非が問われています。勿論、定数減により浪岡地区が不利益を被るのは目に見えており、旧浪岡町長は「青森市は中核市移行のため、浪岡町をペテンにかけた」と憤慨。いやはや、どうなるんでしょうかねぇ。

 尚、浪岡町では合併前から増館若柳地区の常盤村(現藤崎町)編入を求める声がありましたが、同地区の住民が出した請願が同じく先月23日に採択され、実現に向けようやく動き出しました。
 この編入は、「分市」ではなく「境界変更」になるとの事です。


 これらの関連ニュースは、「Web東奥・特集/市町村合併」にて。


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