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落書き帳


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[54399] 2006 年 10 月 10 日 (火) 14:32:34 eiji_t さん
 RE:茨城の公共交通事情

[54393]みかちゅう さん
私の簡単な記事に、精細なレス有難うございます。そこで私も補足を。

・茨城交通
赤字の要因の一つにかつては終着駅の近くの阿字ヶ浦海岸の海水浴客が県内一、関東でも有数だったのが現在は激減した事にあります。一年分を一夏で稼ぐと言われたとか…原因は海岸侵食で2kmに渡った砂浜が細り、砂利や石が露出しかつてのビーチの見る影もありません。(海岸侵食の問題は全国規模で、茨城県でも阿字ヶ浦だけではありませんので別立てで…何時になるか?)

・鹿島鉄道線
自衛隊百里飛行場の燃料輸送という安定した収入源があったからでした。これも平成13年に打ち切られ、その時にも鉄道廃止の話が持ち上がったとのことです。
東京新聞茨城版5月29日に、救済案として行方市長が百里基地への燃料輸送を米軍再編問題に絡めて提案した、とありました。しかしこの記事にフォローが無く、立ち消え?
また、この間に沿線自治体の市町村合併があり沿線から遠い旧町村との温度差で保存の足並みが揃わないという事もあったようです。

・その他
関東鉄道常総線の取手〜水海道と竜ヶ崎線を除くと利益が上がっているとは言えない状況
朝日新聞茨城版2005/10/14の「乗って残すぞ竜ケ崎線」と言う記事で、
>県内の私鉄が苦境に立たされている。竜ケ崎線も例外でない。竜ケ崎市では「竜ケ崎線ルネサンス会議」を立ち上げた。
現在かろうじて黒字でも、乗客の減少傾向が続けば経営危機は避けられないそうです。
一方で県南には路線バスの空白地帯も目立ちます。…最低限の交通手段の確保すら怠っている
県南の事情に暗い私は、この事を最近新聞で知って、ショックを受けました。

[54398] 2006 年 10 月 10 日 (火) 11:40:03 matsu さん
 きのうの渋滞はいったい?

昨日、東名高速上り線は、随分な渋滞をしてましたが、いつもとはちょっとずれて?いました。
私がのったのは、午後7時半ごろ裾野インターからでしたが、その時の電光掲示板は、「厚木−御殿場 渋滞45キロ」となっていまして、うわっこれは凄いことになっているなと思いましたが、案の定、家にたどり着いたのは、日付が変わる頃になってしまいました。
普段、日曜祝日夜の上りの渋滞は、横浜町田IC前後が先頭で、厚木IC前後くらいの間が一番凄くて、25キロくらいなのですが、昨日の渋滞は御殿場ICを過ぎた辺りからはじまり、途中完全に停止してしまうこともしばしばでした。そして渋滞の先頭はといえば、海老名SAのあたり、その先は「大和トンネル」も「綾瀬バス停」も特に渋滞がなくあとはスムーズに流れていました。
きのうは、渋滞中にオカマをほった車が随分あったようで路側帯が繁盛してました。それと割と目に付いたのが、「わ」ナンバーの車。かなりの数見かけましたが、車の保有台数って減少してるんでしょうかね〜?

稲生 さんも、[54380] で東名の集中工事のことをご指摘されていますが、厚木ICが12月2日20時から、12月3日6時まで閉鎖されるようです。こちら方面へおいでの方はお気をつけください。(東名本線通行には支障ないようです)

ではでは。

[54397] 2006 年 10 月 10 日 (火) 03:07:08 太白 さん
 Re: 中央自動車道富士吉田線^3

[54353] じゃごたろ さん
[54354] 逆太郎 さん
[54394] futsunoおじ さん
 私も、中央自動車道の開通実績をみて、大月JCTの形状からみると「支線」にあたる富士吉田線が、甲府方面より先に開通したことがずっと疑問で、「まさか富士山観光用?」などと思っていたので、一連の書き込みを興味深く読みました。
 相模湖−富士吉田間の開通(昭和44年)は一応、改正後の「国土開発幹線自動車道建設法」に基づき開通したのではないかということで、ルート変更を少し検証してみました。

[54354] 逆太郎 さんご指摘の、「国土開発縦貫自動車道建設法」ですが、井川(赤石山脈)経由が諏訪経由になったのは、昭和39年の法改正です。詳細は国会議事録をお読みいただければ分かりますが、赤石ルートの技術的な問題というよりは、諏訪ルートのコスト面での優位性にあったようです。諏訪ルートの方が若干距離は伸びるがさほどの差ではなく、いくつかの都市を経由でき、工費・管理費も安いといった説明がなされています。参考人(日本大学の桑原教授)の発言を抜粋します。

トンネルを掘るほうではまず問題ないと思っております。問題ないというよりも、むしろ、楽じゃございませんけれども、できないことじゃないので、しかも、無理があるわけじゃないと思っておりますし、換気もできることはできますが、換気設備がうんとかかるということと、あとの装置を動かすのに非常に金がかかるわけであります。コスト的に見ると合わないのじゃないか、赤石線のトンネルが大体五十キロぐらいある、それに対して、諏訪線は二割ないし三割程度に減るわけでございますので、その点非常に楽だと思っております。

このルート変更にもかかわらず、大月〜富士吉田間が残った経緯はどうでしょう。上記の法律が昭和41年に大幅に改正され、現行の「国土開発幹線自動車道建設法」となった際の国会審議(1966年4月6日の衆議院建設委員会)では、改正後の法律で、中央道の富士吉田から先について、何ら触れられていないのは問題ではないか、静岡・清水あたりとつなげるべきと議論になり、以下の発言がなされています。

○瀬戸山国務大臣 その問題は、前の縦貫自動車道法の一部改正をいたしました際に、富士吉田、静岡県の井川地区を通っておりました、いわゆる中央道の路線を変更して、諏訪回りにいたしまして検討をいたした問題でございます。今度のこの路線網でも、富士吉田までは少なくとも四十三年度開通のめどを立てていませっかく工事中でありますから、そのままにして、諏訪回りは大月からおりるという、これは地形上の問題もありますが、そういう線を採用いたしました。そこでしり切れトンボになっておりますが、静岡地区との問題は地元ともよく話し合いをいたしまして、あそこに国道が二本北上いたしておりますが、それとどうつなぐかという問題が先決である、こういうことであります。と同時に、清水付近からいまお話しのように高速道路を中央道の富士吉田あたりでつなぎたい、こういう考え方もあるわけでありますが、それは別途に、場合によっては公社等でやりたい、こういうお話等もありまして、現在は北上いたしておりますが、日本の国道あるいはそれとつながらない部分がありますから、国道を五カ年計画再改定の際に、この富士吉田につなぐ道路をつくるかどうか、こういう点を検討いたしておりまして、そういう意味でここに抜けておる、こういう状況でございます。

というわけで、ルート変更がなされたのは1964年(昭和39年)だったが、この時点で、富士吉田までは工事に着手していたので、支線として作ったということですね。

ちなみに、上記瀬戸山大臣の答弁に対する議員の発言が、我々の気持ちを代弁していますので、最後に引用します。
○金丸(徳)委員 中央道が途中で路線変更になりましたために、これはまだ公式には承っておりませんけれども、この図面によりますと、大月から入るようであります。したがって、富士吉田までの既定の路線はすでに工事中でありまして、これが中途はんぱな形になって、この図面の上に載っかっております。全然知らない人がここを見ますと、一体これは何であろうか、盲腸みたいな形になって、首をかしげるところだと思うのであります。

[54396] 2006 年 10 月 10 日 (火) 02:29:06 ニジェガロージェッツ さん
 食パンの切厚戦略

[54367] eiji_t さん ,[54369] YSK さん ,[54373] inakanomozart さん ,[54374] かすみ さん ,[54376] オーナー グリグリ さん ,[54379] ワカメ さん
食パンの切り厚についてのレス有難うございます。
まだまだ関東では8枚切りが健在と知り、嬉しくなりました。オフ会か何かで東へ行くことがあれば、絶対8枚切りを買って帰ろうと思います。
そういえば、小生の通っていた神戸市立小学校の給食では食パンが低学年で2枚、高学年で3枚出た記憶があります。いずれも昭和40年代の話ですけれども、5枚切りを3枚も食べさせるというのはちょっと多すぎるのでは。今にして思えば、あれは8枚切りだったのではないか?
[54373]inakanomozartさんのおっしゃる様に、当時はこちらでも街中至るところに小さな駄菓子屋兼パン屋さんがあって、食パンを切ってもらっていましたが、給食パンの厚みに違和感を感じなかったことからすると、昔は案外こちらでも8枚切りが主流だったかも知れないですね。

[54376] オーナー グリグリ さん
特売などの場合、8枚切りがいつも先に売り切れてしまいます。私には、需要が6枚切りに移行したと言うよりも、市場を6枚切りに移行させようとしているように感じられます。
なるほど!大いに有り得る話ですね。そういえば今では結構見かける4枚切りは以前はなかったように思います。
8枚→6枚→5枚切りと食パンの厚みの変化には、冷徹なメーカーの販売戦略が絡んでいたとは、妙に納得です。
純粋に東西の食文化の差だと思っていたのですが、勿論そういった側面はあるでしょうが、それだけではないようですね。

[54395] 2006 年 10 月 10 日 (火) 01:50:04 でるでる さん
 合併情報レス

こんばんは。でるでるです。

最近、公私ともに多忙だったために、落書き帳を見るのは約1週間ぶりです。

その間に合併情報で発生したデータ不都合(兵庫県など)や、合併情報に関する落書き帳・メールでのご指摘や問い合わせへの対応、合併情報の更新が遅くなってしまいまして、申し訳ございませんでした。
また、落書き帳やメールにてお知らせいただいた皆さん、復旧作業や問い合わせへの対応をしていただいたグリグリさん、88さん、どうもありがとうございました。

先ほど、久々に合併情報を更新しました。
落書き帳やメールにていただいた情報については多分反映出来たとは思いますが、もし洩れがあるようでしたら、お知らせいただけると助かります。

合併情報の更新や、リニューアル作業も、ボチボチと再開していきますので、今後とも合併情報を楽しみにしていて下さいね!

[54394] 2006 年 10 月 10 日 (火) 01:08:56 futsunoおじ さん
 Re: 中央自動車道富士吉田線

[54353] じゃごたろ さん

この法律の別表にある中央自動車道の予定路線を見ると
起点 : 東京都
終点 : 吹田市
重要な経過地 : 神奈川県津久井郡相模湖町附近 富士吉田市附近 静岡県安倍郡井川村附近 飯田市附近  (以下省略)

しかし当初のこの計画ですが、南アルプスを突き抜けるというものです。  (途中省略) ですがこのルートは、五十年近く経た現在でも無謀な計画だと思うのですが。。。


 私も長年の疑問が氷解しました。
 井川村(現・静岡市)が経過地ということは、南アルプス中央部を貫くというより、その高山域の南側を迂回するルートと考えられます。 従って当時でも極端な長大トンネルを考えなくとも計画が立てられたのではないでしょうか。
 だだし、トンネルと橋の占める割合は相当大きくなりますから、工事費等を考えたら現在のルートが容易だったでしょう。

 当初の案では、井川村附近が重要な経過地であったとは!! 中央道がこの案で作られていたとしたら、富士山北〜西山麓,身延山,寸又峡などの観光地としての賑わいは違ったものになったことでしょうね。

[54393] 2006 年 10 月 10 日 (火) 01:07:49 みかちゅう さん
 茨城の公共交通事情(鹿島鉄道・茨城交通)

[54385]eiji_tさん
茨城県内の中小私鉄は鹿島鉄道・茨城交通のほかにも関東鉄道(常総線・竜ヶ崎線)・真岡鉄道・鹿島臨海鉄道がありますが、関東鉄道常総線の取手〜水海道と竜ヶ崎線を除くと利益が上がっているとは言えない状況です。つくばエクスプレスの開通で関東鉄道の稼ぎ頭であった高速バスが大打撃を受けているのも事実であり、そうなると鉄道の部分廃止も考えられなくはないわけで…。
一方で県南には路線バスの空白地帯も目立ちます。複数の自治体をまたぐ路線ですら散々な状態の場所も多く、自治体単位の福祉バスの類も週1・2回程度の運行です。これでは通学にすら使えず、最低限の交通手段の確保すら怠っているとしか考えられません。要するに自家用車を使え、ということですね。同様に鉄道に対しても冷たいようで、「車社会だから廃止やむなし」と考えられても仕方がないことなのでしょう。
確かに、鉄道を廃止しても当面の間は代替バスが走ることになるはずです。が、代替バスになって乗客が大幅に増加するということが考えられないことは明らかです。運賃の上昇、所要時間が長くなるうえに定時性がない、駅と違って軒下で待てない…といった理由で鉄道の乗客がそのままバスに移行するということはありえません。結局、乗客が減る→減便→乗客減という悪循環をたどって代替交通の存続さえ怪しくなるのが想像できます。

さて、具体的に実態を見ていきましょう。茨城交通は沿線で人口がある程度ある那珂湊から水戸に向かうには自家用車を使わないにしろ、バスで直接水戸に向かうというのが主流のようです。那珂川をわたる橋で渋滞するのを考慮したとしても勝田回りよりは便利そうです。現状でも勝田〜那珂湊も水戸〜那珂湊も40分毎にバスが運行されていることを考えると、鹿島鉄道よりもむしろ存続は厳しいくらいかもしれません。これを「まだまだ公共交通も見放されていない」と捉えて存続させるという考え方もありだとは思いますが、思い切って路面電車並みに乗降場を設置するといった方策にでも出ない限り厳しいと思います。富山港線ではこの方法を用いたら乗客数が上向いたとのことですが、中心部である水戸まで直通していない茨城交通でこの方法をとって効果があるかは疑問です。
また、鹿島鉄道がここまで廃止されずに残ってきたのは自衛隊百里飛行場の燃料輸送という安定した収入源があったからでした。これも平成13年に打ち切られ、その時にも鉄道廃止の話が持ち上がったとのことです。そのときは当面は自治体や親会社の関東鉄道が支援するということで存続したのですが、関東鉄道がつくばエクスプレス開業で打撃を受けたために支援を打ち切る模様です。こうなると沿線自治体がカネを出すかにかかっているわけですが、どうも望み薄です。百里飛行場の民間共用化による乗客増にかけようという動きもありますが、飛行場には駐車料金がタダ同然の駐車場を造るでしょうし…。残念ながら先行きは暗いとしかいいようがありません。こうしてみると代替バスにしたからといって解決しないと述べながら、鉄道廃止はやむなしという結論になってしまいます。悔しいですが、「最低限の足を確保するだけならバスにしたほうが安上がりだろう」という消極的な理由で廃止に傾きそうに思います。

[54392] 2006 年 10 月 10 日 (火) 00:51:55 YSK さん
 あなたの市の4枚

突然ですが、あなたの市を4枚の写真のみから紹介する場合、みなさまはどのような写真を選択されますか?

ご案内のとおり拙ページでは4枚(原則)の写真から撮影地の市名を当てるクイズを掲載していますが(現在までに69市を掲載)、クイズとして成立し、かつ簡単には分からないように、でも難しくしすぎないように、写真を選ぶのはけっこうたいへんです。

今後の問題作成の参考とさせていただければとも考えますので、情報提供をいただけますと幸いです。

※さらにお願いです。
イントロクイズ#65(正答ページ)として出題した佐賀市ですが、問題に採用したJR佐賀駅の写真が北口のものか南口のものか記憶があいまいではっきりといたしません・・・。私は南口のつもりだったのですが、北口とするご意見もいただいております。佐賀駅にお詳しい方のご意見をいただけますとうれしく存じます。

[54391] 2006 年 10 月 10 日 (火) 00:42:04 YSK さん
 埼玉スペシャル、栃木強化月間に続き・・・

ここのところ仕事等でなかなか出かけられないでおりましたが、月曜日(昨日)久しぶりにフィールドワークに出かけてきました。7月中の埼玉スペシャル、大フィールドワークを挟んで(8〜)9月の栃木強化月間に続き、新たな展開へと移行しています。

なんだかんだ言ってももう若いとはいえない年代になってきていますので、時間があればなるべく多くの地域を目にして記録に残したいと強く思うようになってきています。

[54390]白桃さん
お気遣いありがとうございます。

[54390] 2006 年 10 月 9 日 (月) 23:52:41 白桃 さん
 足助(あすけ)

本題の前にお詫びです。
[54359]YSKさん
同じ内容を、6日前に[54313]揖斐の山さんが既に的確に指摘されています。
これは、大変失礼致しました。揖斐の山さんにもお詫び申し上げます。

ついでに
[54371]EMM さん
ところで白桃さん、ホテル、無事にチェックイン受け付けてもらえたんでしょうか??
手続きは集合場所に行く前に終えていたので問題はなかったのですが、朝6時少し前に入ろうとする酒臭きオッサンに対し「今からお泊りになられるんですか?チェックアウトは10時ですけど」と、係りの方から憐れみのお言葉を頂きました。

さて、本題です。
業務で、一昨日から名古屋に行ってまいりました。
本来の仕事は、今日だけなんですが、一昨日はその関連で人口日本一の「町」、三好町に行きました。
昨日は全く何もすることがありませんでしたので、前々から興味のあった足助に行ってきました。ちょうど秋の大祭をやっていた関係で、東岡崎駅から乗ったバスもほどなく足助の町というところで大渋滞にあい、ついにバスを降り3キロほど歩いてしまいました。足助八幡では、若い衆が鉄砲をカワリバンコに秋空にむかって発射するという、私の目には一風変わったお祭りの最中でした。香嵐渓では、紅葉の頃はそれなりの雰囲気があるのだろうな、と想像したり…。町並みは思っていた以上に整備されておりました。さすが、観光による町おこしの先進地ですね。長く伸びる商店街も往時を偲ばせるものでした。
町を散策する観光客も結構多かったのですが、でも、やっぱり、観光客がどれだけ足助にお金を落としていくのでしょうか?そういう私も、足助の町には期待していた以上の感動を受けましたが、自動販売機で缶ジュースを2本買っただけなんですね。帰りは「さなげ足助バス」で愛知高原を縫い縫い猿投に出ましたが、豊田市の中心から足助に行くバスが極端に少ないようで、なんでココは豊田市と合併したの?という気持ちが強いです。
夜は、正面に金華山を眺めながら長良川河畔でご馳走になっておりました。ご馳走になったから、という訳ではありませんが、昨日は「充実の一日」でした。

[54389] 2006 年 10 月 9 日 (月) 23:40:02【1】 ぺとぺと さん
 茨城・福島(水郡線)紀行

こんばんは。
2年連続夏休み返上+振替休日未消化のうっぷんを晴らすべく(笑)、3連休を利用して以前から憧れだった水郡線に乗ってきました。

初日は、つくばエクスプレス、関東鉄道、水戸線を乗り継いで、下妻、結城の街歩きと「常陸秋そば」を楽しんだあと、水戸に宿泊(もち経県値アップ狙い)。常磐線は大雨の影響でえらいことになっていたみたいですが、水戸線は一部運休こそあったものの、車内に缶詰という事態までには至りませんでした。水戸では駅前の映画館で夜のピクニックを鑑賞しましたが、ご当地(モデルとなった高校&ロケ地が水戸)にもかかわらず、客は私含めたったの8名。
思わずEMMさんがオフ会のときにおっしゃっていた話
[54355]
約1年ぶりに通った香林坊の旧映画街(下見時には通らず)の元映画館が全部取り壊されて駐車場に変貌していたのはショック大でしたが。
を思い出し、主人公達の行く末以上に、映画館の行く末が気になってしまいました。

2日目は、お目当ての水郡線に乗って、日本3大名瀑の一つ「袋田の滝」を拝んだあと、大子町で奥久慈シャモをいただき郡山経由で会津若松へ。この日も強風の影響で、一時磐越西線の猪苗代〜会津若松間が停電で不通となり猪苗代から代行バス輸送と聞いていたのですが、幸い私が乗車した列車は遅れこそしたものの何とか会津若松まで無事到着。
行ってみてはじめて知ったのですが、福井([53847]なると金時さん、[54102]熊虎さん)、駒ヶ根([33645] かすみさん)、群馬([33647] 烏川碧碧さん、 [33651] [33651] EMMさん、[33666] 猫使いさんなど)だけでなく、会津もどうやらソースカツ丼地帯みたいです。なかなかうまかったですよ。
あ、ちなみにキャベツありでした。

3日目は早朝から会津若松市内を散策後、喜多方に行きラーメン屋を梯子(想像通り東京で食べる喜多方ラーメンと同じ味でした)。磐越西線〜会津鉄道〜野岩鉄道〜東武日光線経由で栗橋まで行き、湘南新宿ラインで二宮まで8時間かけて帰ってまいりました。

なんだかとりとめのない旅日記になってしまいましたね。ご容赦のほどを。

#誤字訂正(経験値→経県値)

[54388] 2006 年 10 月 9 日 (月) 23:38:56 hmt さん
 神奈川・横浜(2)神奈川奉行所・条約改正
hmt 横浜1 開港前後

居留地の外、すなわち「関外」に目を転じます。
「御開港横浜正景(YOKOHAMA CHART)」や「御開港横浜大絵図」などの絵図[54351]で、帆船の浮かぶ海の手前に描かれた神奈川宿は、Mapion では上方に現れます。

絵図の右上、入り江を隔てて居留地を見下ろす戸部の丘の上には、「御奉行所」が描かれています。 Mapionでは桜木町駅の北西、市教育会館という文字のあたりです(西区紅葉ケ丘)。開港場を管轄する役所が、横浜の外、しかもわざわざ急な坂を登った上にある通称「戸部役所」であるという姿は、当時外交姿勢を窺わせる姿です。

神奈川奉行所 の設立は、安政6年の開港と同日。5人の外国奉行 のうち水野忠徳と堀利煕とが神奈川奉行を兼任しました。

慶応4年(1868)になると、明治政府の「進駐軍」がここに入り、幕府の神奈川奉行から事務を引き継いだ東久世通禧 (みちとみ)が「横浜裁判所」総督に任じられますが(3月19日)、1ヶ月後の4月20日には「神奈川裁判所」になっています。
開港地は「横浜」だと思っていた新政府が、条約の建前上「神奈川」で押し通した幕府を引き継ぐ立場にあることに気が付き、その結果の朝令暮改ではなかろうかという推測を、[20917]で記したことがあります。

この神奈川裁判所が、「神奈川府」を経て明治元年と改元された9月に「神奈川県」と変わり、これ以後も、横浜区や横浜市が生まれた後までずっと、横浜は神奈川県の管内ということになっています。
なるほど、こうして「横浜は神奈川の一部」ということにしておかなければ、外国に対して“条約に定めた通り「神奈川」を開港した”と主張することができません。

樋口雄一氏 によると、東久世日記(慶応4年6月26日)に、“此迄横浜県と唱来候処、爾来神奈川府と被改候”と書かれているものの、公文書には「横浜県」の名は見えず、「横浜県」は慣用的なものとされています。
たしかに、「神奈川開港」という条約の建前からすると、県の名前まで、横浜にするわけにはゆかなかったのですね。

兵庫県庁が神戸に移っても、神戸区や神戸市が生まれても、県の名前まで神戸県にするわけにはゆかず、あくまでも「兵庫」県というのも、同じように安政条約による足かせということになります。

言うまでもないことですが、横浜県や神戸県になれなかったことは派生的な問題であり、安政条約の本質的な問題点は、「治外法権」という言葉に代表される当事国の不平等関係にありました。

締結当時の国際常識からすれば、安政条約は驚くほど日本に有利な“外交史上の奇跡”だったとする評価もありますが、明治になってみれば「治外法権」が問題になったのは当然であり、長年にわたる条約改正交渉の末、日英通商航海条約が調印されたのは1894年でした。

日英通商航海条約 第二十条
本条約ハ其ノ実施ノ日ヨリ両締盟国間ニ現存スル…安政五年七月十八日…締結ノ修好通商条約…ニ代ハルヘキモノトス。而シテ該条約及諸約定ハ右期日ヨリ総テ無効ニ期シ、随テ大不列顛カ日本帝国ニ於テ執行シタル裁判権及該権ニ属シ、又ハ其ノ一部トシテ大不列顛国臣民カ享有セシ処ノ特典、特権及免除ハ本条約実施ノ日ヨリ別ニ通知ヲナサス全然消滅ニ帰シタルモノトス。而シテ此等ノ裁判管轄権ハ本条約実施後ニ於テハ日本帝国裁判所ニ於テ之ヲ執行スヘシ。

他の列強もこれに続き、5年後の1899年7月に居留地が返還され、わが国の裁判権が開港場にも及ぶことになり、日本はようやく一人前の独立国になったのでした。

# Great Britainに「大不列顛」という字をあてています。[40148]ではAngliaに「諳厄利亜」という文字を当てた時代もあったと記しましたが、その一例は後にシーボルト事件に巻き込まれた高橋景保が吉雄忠次郎に翻訳させた「諳厄利亜人性情誌」(文政8年・1825)です。

[54387] 2006 年 10 月 9 日 (月) 22:51:38 88 さん
 下坂本村 or 下阪本村 (最終回?)

[54378] むっくん さん
まず、最初に。むっくんさんの詳細なる調査に敬意を表します。ありがとうございます。私が証拠集めを依頼した(圧力をかけた?)のが発端のようでもありますので、気兼ねもしておりました。お手数をかけました。

さて、じっくりと[54378]を読ませていただきました。
むっくんさんの書き込みを拝見すると、結論から言うと、私もむっくんさんと同じく、M22.4.1の市制町村制時に誕生し、S26.4.1に大津市に編入されるまで存続したのは「下阪本村」であると思います。また、M22.3.31まで存在した藩政村は「下坂本村」であると思います。

むっくんさんご指摘のように、官報の総理府告示が一番のネックになるかと思います。確かに、S26.4.28付け総理府告示第91号の、大津市への編入の告示では「下坂本村」です。参考までに、この合併告示以外の、この頃の各省庁の各種告示では「下阪本村」「下坂本村」が混在しています(これらは、合併を示すものはないのでこれらを証拠としては採用しにくいのですが)。
また、むっくんの示唆された「官報の正誤表で『下坂本村』から『下阪本村』に変わっていないか」の件ですが、検索した範囲では発見できませんでした。この頃は正誤表(訂正)がないわけではないのですが、戦後の混乱期で、正誤表はあと回し(あまり重きをおかれていなかったのでは?)と思います。もっとも、今の時代であれば、間違いなく正誤表が出る内容だとは思いますが。[54128] でも述べた、「公定力」の問題はあるのですが、なんせ昭和26年のことでもあり、当時としては時代背景からしてやむを得ないものだと思います。当時の総理府の担当者の原稿誤りか、印刷段階での校正ミスか、いずれにせよ、滋賀県担当者の報告ミスとは考えにくいですね。
というわけで、遅ればせながら、滋賀県の合併情報を修正しました。ご確認いただければと思います。

合併等の履歴情報は、現在、1934年(昭和9年)あたりを追加入力中です。この頃になると、資料間の相違もさらに増えてくるかと思いますので、お気づきの点がありましたら、お知らせください。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

[54386] 2006 年 10 月 9 日 (月) 22:14:35 YSK さん
 群馬県紋章

[54384]じゃごたろさん
群馬県の県章の部分にパッチが当ててあります。群馬県の県章って変更になったことがあるためでしょうか?
嬬恋村への遠征お疲れ様でした。草津の標高の高いところなどでは既に紅葉が見頃となっているようですが、いかがでしたでしょうか。

さて、ご指摘の内容です。群馬県では「県紋章」と呼んでおります。県紋章は、ぐんまキッズページ|県のシンボルにもありますとおり(キッズページ以外の県のシンボルを紹介するページには制定年月日の記述が無いのでこちらを引用しました)、1926(大正15)年10月1日制定とたいへん歴史のあるものです。ここ数年で変更になったなどということはありません。 

この下に何があるのかわからないのですが
県紋章の図柄にミスがあったのか、あるいはもしかしたら当初は県紋章ではなく県旗(上記リンクで見られます)がデザインされていたのかもしれません。うろ覚えですが、後者の可能性が高いように思います。

[54385] 2006 年 10 月 9 日 (月) 16:40:58 eiji_t さん
 廃線、廃線、廃線?

茨城県ではTXの開通の一方で
2005年に日立電鉄線が廃止、2007年春には鹿島鉄道線が廃止になるか、10月中にも結論が出るというのを見守っていたら…
9月の各新聞の茨城版で、茨城交通湊鉄道線の廃止を茨城交通がひたちなか市に打診していた事が分かったとの報道がありました。早ければ2008年春。
これが実現すると前身の湊鉄道の開通が1913年ですから95年余りで茨城交通は完全に鉄道事業から撤退という事になります。因みに茨城交通水浜線は1966年、茨城交通茨城線は1971年廃線。

こうも連鎖反応のように廃線が打ち出されると鉄分の少ない私でも沈んでしまいます。車社会の前に詮方ないことなのでしょうか?何か妙案は……思いつきません。

[54384] 2006 年 10 月 9 日 (月) 16:16:19 じゃごたろ さん
 白銀の北アルプス

こんにちは、じゃごたろです。
三連休、皆さんいかがお過ごしでしょうか。今朝はとうとう初ストーブの朝でした。昨日北信方面活動に出た際、山々の頂を覆うような雲の表情が雪雲のように感じていたのですが、北アルプスは大荒れだったようで、本日の青天の下には北アルプスが白く輝いて見えるのでした。

ところで、

[54310] 桜トンネル さん
那須ナンバー、諏訪ナンバーはいいと思います。ですが、不快に思っている方がいらっしゃるのですね・・・。

明日から、諏訪ナンバーが始まります。
まあ不快というよりも、あまりにあからさますぎて、「諏訪」の看板を背負いたくないというの思いの人も結構多いのです。それと「松本」という、この地名らしくないないナンバーが、意外と人気があるというのもその一つです。


も一つ。
昨日の活動で嬬恋村方面に行ってきました。その際にふと思ったのが群馬県のカントリーサインです。こちらは国道144号のもの、こちらは県道94号のものですが、群馬県の県章の部分にパッチが当ててあります。この下に何があるのかわからないのですが、群馬県の県章って変更になったことがあるためでしょうか? >YSKさん

[54383] 2006 年 10 月 9 日 (月) 09:49:30 YSK さん
 初オリオン

土曜、日曜と各地で強風・大雨をもたらした低気圧の影響が残って、風が吹き荒れていた当地でした。昨晩は夜遅い帰宅だったこともあり、夜11時30分頃、東の空に上がってきたばかりのオリオン座を今シーズンはじめてみました。冬ももうすぐやってくると実感する瞬間です。夏の大三角も天頂やや西に傾き始めています。

[54381]ペーロケさん
いいえ、そんな細かいところまで見ていません。単に数え方の問題でした。「Y字を3本」というルールを見通すことができなかった、それだけのことです。

[54382] 2006 年 10 月 9 日 (月) 02:53:44 般若堂そんぴん さん
 見落とし

[54381]ペーロケさん
東田川郡 庄内町-三川町
あ,これを見落としておりました(冷汗).

[54381] 2006 年 10 月 9 日 (月) 01:23:25 ペーロケ さん
 想定解

 私も忙しいのでなかなか採点できませんので、ここで[54259]の想定解を発表します。

 答えは、「同一郡内の町村境本数」でした。

 広島県を入れたのは、想定解に政令指定都市の区境を入れないことで「細い一点鎖線の本数」という別解を回避するためで、滋賀県を入れたのは、Y字の三つ巴を「3本」と数えるとともに、ファンキーなスポットおよび飛び地を無視するといったルールを明らかにするためです。

[54333]YSKさん
群馬県の場合どう数えていいかわかりません・・・。吾妻郡あたりが微妙です。
おそらくここの扱いで悩まれておられるのでしょうか。草津町と嬬恋村の境界が尾根沿いになっているとも言いがたいですし、実に悩ましいスポットですが、個人的には嬬恋村と六合村は境界線が明確に存在していないためにカウントしないほうがいいと思います。

[54337]般若堂そんぴんさん
山形県:12本……で良いのかな?
残念ながら、私が数えたところ、13本になりましたよ。間違っていたらご指摘ください。

東村山郡中山町-山辺町
西村山郡西川町-大江町
大江町-朝日町
西川町-朝日町
最上郡最上町-舟形町
舟形町-大蔵村
大蔵村-戸沢村
戸沢村-鮭川村
鮭川村-真室川町
真室川町-金山町
東置賜郡川西町-高畠町
西置賜郡小国町-飯豊町
東田川郡庄内町-三川町

 さて、当然ながら市町村合併の進んだ地域では激減しております。逆に最も多いのはどこでしょうね??(相変わらず他力本願)

[54380] 2006 年 10 月 9 日 (月) 00:47:43 稲生 さん
 東名集中工事

稲生です、こんばんは。

10.10から平日の2週間にわたって、東名高速の集中工事が行われます。道路族の稲生にとっても迷惑なことですが、静岡県内のバス業者などにとっても、一番の書き入れ時に大変困ったイベントです。なにしろ静岡県からは、東名高速なくしては西も東も遠出はできません。こんな時、すでに所々でその姿を現している第二東名が一部供用開始されないかなと、思ってしまいます。

実は、昨年は11.28から12.9に実施され、初めて観光シーズンを外して行われたので、私としては、道路公団も民営化されて、皆の意見も聞くようになったのだな、と思ったのですが、世の中いろいろな視点から見ていかなくてはならないもので、師走にこのような工事を持ってきたために流通業にとって、多大な悪影響を及ぼしたようで、相当な苦情があったようです。
そんな訳で、また従来の10月に戻ってしまったようですが、何か妙案はないものでしょうか?

[54379] 2006 年 10 月 9 日 (月) 00:26:10 ワカメ さん
 何枚切り?

関東では8枚切りとずっと聞いていましたが、6枚切りが主流になっているんですねー、知らなかったぁ。

ちなみにウチの母はパン屋でパートしとりますが、4枚切りか5枚切りの売れ行きがいいらしいです。関西では分厚い派ですね。

僕は薄いパンをこんがり焼いて“パリッと食べる”がいいのですけどね。

[54378] 2006 年 10 月 8 日 (日) 18:59:17【2】 むっくん さん
 Re:下坂本村 or 下阪本村(その3)

こんばんは。むっくんです。前回[53970]以降、数度にわたり図書館にて大津市の坂本学区&下阪本学区関連の文献調査を行いました。

#明治22年(1889)〜昭和26年(1951)まで存在した『坂本村』『下阪本村』の“さか”の字についての議論です。
#議論の詳細は[53877]むっくん、[53887]88さん、[53888]むっくん、[53915]88さん、[53970][54042]むっくん、[54060][54128]88さんを参照願います
#ここでは『坂本村』『下阪本村』に加えて『坂田郡』の“さか”の字の調査結果も記しておきます。

以下に時系列で昭和30年までに出版された書物等の調査結果を記します。

1.明治18年7月1日連合戸長役場制以前の名称

(1)国の場合
『明治前期全国村名小字調査書第三巻(内務省地理局編纂善本叢書32)(著:内務省地理局編纂物刊、出版:ゆまに書房、昭和61年)』によると、
『坂本村』『下坂本村』『坂田郡』
です。
この本は、(a)内務省地誌課が明治7年4月に各府県に村名の調査を命じ、これを受けて明治7年5月27日には提出された『各府県村名調査報告』と、(b)内務省地理局が明治14年11月26日に各府県へ宛てて町村の字小名を照会した『各町村字小名取調書』『各町村字名称調』等のうち現存しているものを影印複製されたものですのです。
滋賀県の滋賀郡の記載は、明治7年5月2日以降〜同年10月7日より前に書かれたものと読み取れることより(∵粟津村が存在し上栄町が存在しない)、(a)の『各府県村名調査報告』によるものであると考えられます。

(2)滋賀県庁の場合
『近江国滋賀郡史(編:滋賀県庁、出版:昭和53年(明治16年発刊の復刻版))』によると、
『坂本村』『下坂本村』『坂田郡』
となっています。
滋賀県の滋賀郡の記載には、明治7年5月2日〜明治14年3月7日までしか存在しなかった粟津村の記載があることより、この間のものと思われます。

2.明治18年7月1日連合戸長役場制施工後、明治22年4月1日新町村制施行前の名称

○国の場合
『地方行政区画便覧(上)(中)(下)(明治地理叢刊2)(編:内務省地理局、出版:雄松堂、昭和42年(明治20年(忠愛社)刊の複刻版))』によると、明治19年1月当時は
『坂本村』、『下坂本村』、『坂田郡』
です。

3.明治22年4月1日新町村制施行後、昭和26年4月1日の編入合併前の名称

(1)国(明治時代)の場合
官報第一七四七號(明治二十二年四月三十日)では
○町村制施行
滋賀懸ニ於テハ去ル一日ヨリ町村制ヲ施行セリ今其町村等ノ數ヲ擧クレハ六箇町百八十九箇村合計百九十五箇町村ニシテ役場ノ數ハ百九十五箇所ナリ之ヲ從來ノ町村ニ比スレハ二百七十六箇町千二百四箇村ヲ滅シ又役場ハ四箇所ヲ滅少セリ
としか記載されておらず、ここからは『坂』or『阪』なのかが分かりません。

(2)第二次世界大戦前に書かれた書物の場合
  (ア)『阪本村』、『下阪本村』、『阪田郡』
  (イ)『坂本村』『阪本村』の両方の記載、『下阪本村』、『坂田郡』『阪田郡』の両方の記載
  (ウ)『坂本村』、『下阪本村』、『阪田郡』
  (エ)『坂本村』、『下阪本村』、『坂田郡』
の4通りの表記方法に分かれました。(ア)〜(エ)はそれぞれ
(ア)…民間で発行された書物・パンフレット
(イ)…明治期の滋賀県発行の書物(e.g.『滋賀県沿革誌(著:滋賀県、明治44年発刊)』)
(ウ)(エ)…昭和期の滋賀県発行の書物(e.g.(ウ)…『滋賀県史第四巻最新世(著:滋賀県、昭和3年発刊)』、(エ)…『選挙粛正運動要録第二巻(著:滋賀県、昭和13年3月発行)』)
です。

(3)第二次世界大戦後に書かれた書物での表記方法を次に見ます。

(3−1)大津市役所の場合
昭和26年3月に作成された大津市役所の合併の公式文書『合併{大石村,坂本村,下阪本村,下田上村,雄琴村}に関する書類綴』の写真が、『(ふるさとの想い出)写真集 明治大正昭和 大津(編:徳永真一郎、出版:国書刊行会、昭和55年)』のp119に写っていました。
この写真より大津市役所の表記方法は『坂本村』『下阪本村』であることが分かります。

(3−2)滋賀県庁の場合
滋賀懸公報号外昭和二十六年三月二十六日p4の記載によりますと、
○滋賀懸告示第百二十四號
地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七條第一項の規定により、昭和二十六年四月一日から栗太郡大石村、滋賀郡坂本村、同郡雄琴村、同郡下阪本村及び栗太郡下田上村の各村を廃し、その區域を大津市に編入する。
昭和二十六年三月二十六日
滋賀県知事 服部岩吉
とあり、滋賀県庁の表記方法は『坂本村』『下阪本村』であることが分かります。
これは[53877]拙稿での大津市例規集の滋賀県告示第124号の記載と当然ながら一致しました。

(3−3)国の場合
官報第7289号(昭和26年4月28日)によりますと
○総理府告示第九十一号
市村の廃置分合
地方自治法第七條第一項の規定により、昭和二十六年四月一日から、滋賀県栗太郡大石村、同郡下田上村、滋賀郡坂本村、同郡雄琴村及び同郡下坂本村を廃し、その区域を大津市に編入する旨、滋賀県知事より届出があった。
昭和二十六年四月二十八日
内閣総理大臣 吉田茂
とあり、国の表記方法は『坂本村』『下坂本村』であることが分かります。
(大津市公式文書・滋賀県公報告示『下阪本村』と国の官報告示『下坂本村』で表記に食い違いがあることが分かります。)

(3−4)おまけ
合併の翌年に作成された『市史編纂年表 昭和22〜昭和27年(著・出版:大津市役所、昭和27年)』でも、
昭和26年4月1日に大石村,坂本村,下阪本村,下田上村,雄琴村と合併
と書かれています。

4.仮説・結論

(1)仮説

まず昭和26年の大津市と五ヶ村(大石村・坂本村・下阪本村・下田上村・雄琴村)合併の決定は大津市・大石村・坂本村・下阪本村・下田上村・雄琴村→滋賀県、滋賀県→国と伝わったと考えられます。
まず、滋賀県は滋賀県公報と同じ『坂本村』『下阪本村』と国に伝えたものと考えられます。
滋賀県は直接『坂本村』『下阪本村』から報告を受けたものと考えられますから、滋賀県が自治体の名称を誤るとは考えにくいと考えられます。『坂本村』『下阪本村』と大津市が合併する計画を最初に(昭和初期に)立てたのは滋賀県なのですから、なおさら自治体の名称を誤ることはないでしょう。

となれば、国が『坂本村』『下阪本村』ではなく『坂本村』『下坂本村』と誤って官報に記載したものと考えられます。その理由としては(I)官報への転写ミス、(II)滋賀県からの報告がミスしているものと判断、の2通りが考えられます。
(I)の場合ですが、発行された官報第7289号総理府告示第九十一号を見て大津市役所なり滋賀県庁が官報の誤りを指摘しているでしょうから、もし(I)の理由であるならば官報に訂正記事が出ていることでしょう。[54079]にまんさんによると、
官報の訂正記事って珍しくないですよ。今日も出てましたし、2日から3日に1回は出ているかと思います。多いときは一度に一段くらい使ったのも出てますから。
とのことですから。ただ、昭和26年当時には訂正記事を出すこと自体が珍しかった可能性はありますが。
次に(II)の場合ですが、一番考えられるのは明治22年当時に『坂本村』『下阪本村』という村名を国が受理せずに『坂本村』『下坂本村』としたケースです。そもそも明治時代における地方自治とは現行憲法の【政治上の自治(憲法92条による住民自治・団体自治)】ではなく、【人民に行政の公務に参与する名誉を与えるもの】に過ぎませんでした。それが、[53888]拙稿の
「上坂本」と「下坂本」の双方の村で合併話がもつれたことでしこりが出来たことより、(明治21年施行の市制町村制による)村制施行では「上坂本」は「坂本村」とし、「下坂本」では従来の「下坂本」を用いずに村名を「下阪本村」とした
という隣村間の感情のわだかまりだけのために自治体名を変えるということは人民に【政治上の自治】に与えたともみなされかねないので正式には『坂本村』『下坂本村』という形で受理したケースです。ただ、この考えでは国の手足に過ぎない県が発行した書物『滋賀県史第四巻最新世(著:滋賀県、昭和3年発刊)』や『選挙粛正運動要録第二巻(著:滋賀県、昭和13年3月発行)』が『坂本村』『下阪本村』という村名を採用している理由が説明できないので無理があります。

うーん、上手く説明できそうにありません。もしかして、上記の(I)(II)のどちらでもなく(III)官報の告示に訂正の記載がなされているが発見できていないだけ、というのが本当なのかもしれません。ただ[54128]88さんによると、過去の告示に訂正があるかないかを探すのは
確かに紙ベースでは困難です。ただし、官報情報検索サービスであれば、検索機能が十分に機能していると思えますので、完全でないとはいえ、ほぼ可能です。
とのことなので、発見できていない可能性もかなり低そうです。
以上(I)(II)(III)の理由付けではいずれも説明に困るところです。

(2)結論
そこで、昭和26年3月に作成された大津市役所の合併の公式文書『合併{大石村,坂本村,下阪本村,下田上村,雄琴村}に関する書類綴』はおそらく『坂本村』『下阪本村』の協力を得て作成されているはずで、当該自治体の職員が自分の所属する自治体の正式名称を間違えることは考えにくいので、官報の表記に誤りがあったのでしょう、と結論付けておきます。

(おまけ)
#昭和26年の大津市の合併の経緯

#昭和25年12月の大津市議会で「大大津市建設に関する意見書」が可決。
#その中身は、昭和4年都市計画区域の町村(瀬田町・坂本村・下阪本村の区域)に加えて四ヶ村(上田上村・下田上村・大石村・雄琴村)とも合併するという考え。
#財政豊かな瀬田町(大津市が最も熱望した合併相手)、瀬田町と関係の深い上田上村とは合併できず五ヶ村(大石村・坂本村・下阪本村・下田上村・雄琴村)とのみ合併することとなる。
#昭和26年3月31日合併調印式
#昭和26年4月1日新大津市発足

訂正
【1】論理の流れを明確にして読みやすくしました。
【2】4.(1)仮説に理由(III)を追記。

[54377] 2006 年 10 月 8 日 (日) 15:15:29【1】 オーナー グリグリ
 ezekielさんへ

[54258] 2006 年 9 月 30 日 (土) 11:25:30 ezekiel さん
[53879]のグリグリさんへのコメントでも触れていますが、[53720] &[53619]
ペンディングのままになっています。
う〜〜ん、該当記事と関連記事を見返してみたのですが、何がペンディングになっているのかよく分かりません。[53720][53619]のezekielさんのご質問には私の[53726]ですべて回答していると思います。星野彼方さんから追加回答する必要はないと思いますがいかがでしょうか。それでもまだご納得いただけないようでしたら、お手数ですが具体的に何がペンディングになっているのか再度書き込んでいただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
このような状態ではメンバー登録は考えられませんので、「神戸コレクション(仮称)」の編集は、どうぞ適任の方にお声掛けして下さい。
コレクションの編集を引き受けるかどうかは別として、メンバー登録に関しては当サイトのガイドラインに従っていただき、書き込みをお続けになるのであれば登録をお願いいたします。

落書き帳はメンバー登録制です。書き込み制限までは行っていませんが、書き込みが10件を超えた場合にはメンバー登録をお願いしております。メンバー登録制としている理由は、ガイドラインの(2)(3)にあるとおりです。

なおついでで申し訳ありませんが、ezekielさんの書き込みは改行を途中に挿入されていますが、ガイドラインの(11)にもありますように、単に文章を細切れにするという目的だけでの改行挿入は不要であり、ブラウザの自動改行に任せるようにしていただければ幸いです。

[54299] 2006 年 10 月 1 日 (日) 23:40:43 ezekiel さん
また、雑記帳のcgiの機能の便利さも、凄いなあ〜と感心しています。
更についでで申し訳ありませんが、雑記帳ではなく「落書き帳」です。お見知りおきのほど。

いろいろと注文が多くて申し訳ありませんが、ちょっぴりオーナーのこだわりをご理解いただければ幸いです。

[54376] 2006 年 10 月 8 日 (日) 15:11:28 オーナー グリグリ
 8枚切りは計画的な品薄?

[54366] 2006 年 10 月 8 日 (日) 02:39:47 ニジェガロージェッツ さん
オフ会にて「今や関東でも6枚切が主流で、8枚切はあまり見かけない」とお聞きしました。
ぬぬっ、どなたがおっしゃっていたのでしょう。確かに6枚切りが優勢になりつつあるというのは感じられますが、
[54367]eiji_t さんもおっしゃっているとおり、8枚切りもまだまだ主流です。ただ私の周辺の店では、意図的かどうか分かりませんが6枚切りをメインにしているように感じられます。特売などの場合、8枚切りがいつも先に売り切れてしまいます。私には、需要が6枚切りに移行したと言うよりも、市場を6枚切りに移行させようとしているように感じられます。勘繰りすぎかもしれませんが、メーカにとっては6枚切りが売れる方が出荷量は増えるでしょうから。ちなみに私は以前は厚切りが好みでしたが、最近食が細くなったこともあり8枚切りを買っています。

[54375] 2006 年 10 月 8 日 (日) 15:01:39 オーナー グリグリ
 合併情報(兵庫県)の修復を行いました。

[54313] 2006 年 10 月 3 日 (火) 00:35:06【1】 揖斐の山 さん
[54358] 2006 年 10 月 7 日 (土) 07:01:19 白桃 さん
[54360] 2006 年 10 月 7 日 (土) 14:02:00 k-ace さん
上記書き込みでご指摘いただいた(揖斐の山さんからはメールでも何回か)合併情報のデータ不具合の件、先程修復を行いました。皆さん、ご指摘をいただきありがとうございました。具体的なご指摘により欠落部分の特定と欠落範囲を比較的簡単に推定することができました。他の都道府県の確認は行っていませんが、データの欠落があったのは兵庫県の55件のデータと「赤穂市, 赤穂郡 上郡町」のデータの一部崩れだと思われます。なお、兵庫県以外のデータに関してもおかしな点がありましたらご指摘ください。よろしくお願いいたします。

ところで、不具合の発生原因は不明のため、今後も同様の不具合が発生する可能性もあります。バックアップデータの残し方を今よりももう少しましな方法に変更し、万一に備えたいと考えています。

以上、対応が遅くなり皆様には大変ご迷惑をお掛けしましたことを深くお詫び申し上げます。でるでるさん、88さんにもご迷惑をお掛けし申し訳ありませんでした。本件の対応経緯と今後の対策に尽きましては、別途ご相談させてください。

[54374] 2006 年 10 月 8 日 (日) 13:31:38 かすみ さん
 Re.食パンの切り厚他

雑談のように入り込んで、わたしの場合などを・・・。(笑)
わたしが小学生の頃は6枚切以外は食べたことがありませんでした。
思うに、当時愛用していたポップアップ式のトースターでは6枚切の厚みがちょうどよかったのだと。
パン屋さんで「おばちゃ〜ん、6枚に切って!」と頼んでいつもその場で切ってもらってましたね。
(懐かしい!)
大人になって、オーブントースターで表面を軽く焼いただけでバターを塗ったトーストのおいしさに
目覚めたわたしは5枚切しか買わなくなりました。いや、4枚切でもいいくらいです♪
わたしも現在関東圏では8枚切が主流だと思っていた人の一人ですが、
(実際ネット上に氾濫する情報でもほとんどがそのような記載でした)
過去のことになりつつあるのですね・・・。


[54372]88さん
山梨 0.5
こ、これはわたしが言うより早く、周りが・・・!(爆)
山陰 0.5
鳥取、島根狙いの人がいるかなぁと思ってのことだったんですけどね。
(と言えば、誰が発言したかバレバレですね〜苦笑)

[54373] 2006 年 10 月 8 日 (日) 13:01:21 inakanomozart さん
 静岡食パン事情(きわめて主観的)

[53906] 2006年 9月 11日(月) 02:13:59  ニジェガロージェッツさん
静岡では、6枚切:8枚切:5枚切:4枚切で、5:4:2:1(だったかな?)という面白い記事を拝見した記憶があるのですが・・・・
その昔、イン ストア ベーカリーのようなしゃれたパン屋などなく、小さな普通のパン屋さんが町のあちこちにありました。
そういう店では、お店の方に頼んで切ってもらって買った記憶があります。
切り方は、黙っていれば半斤を4枚(つまり8枚切り)に切ってくれました。
それ以外に切ってほしいときは、「ちょっと厚めに」とか「サンドイッチにするから薄めに」あるいは「何センチぐらいに」と言った頼み方で、「何枚切り」と言った言い方は少なくとも私の周囲には存在していませんでした。
これは、8枚切りが当たり前なので、あえて「何枚切り」という言い方をする必要がなかったからではないかと思われます。

静岡あたりでも、8枚切り以外のパンが売られるようになったのは、オーブン トースターの普及と、大手の製パン会社のものが大量にスーパー等で売られるようになったことと関係あるように思われます。
その結果、静岡でも6枚切りのおいしさが認知され、いまや主流になったということだと思われます。

私はというと、実はフランスパンの方が好きなのですが、食パンも冷凍してストックしてあります。
ピザトーストやサンドイッチ用には8枚切りの方が好みなので、そればかりですが・・・・

[54372] 2006 年 10 月 8 日 (日) 11:29:05 88 さん
 第3回公式オフ会in金沢 次回公式オフ会の開催希望地アンケート

[54371] EMM さん でもご紹介がありましたが、第3回公式オフ会in金沢で、次回公式オフ会の緊急アンケートを行いました。
これは、バッカス白桃さんのご発案です。
2次会の席上ですので、今川焼さんと葵区さんが帰られたあとの16人です(お二方、ごめんなさい)。個人的事情のある方、行きたいところを挙げた方、経県値を上げようと考えた方、さまざまですが、参考までに。

まずは、16人の現居住地の分布を示します。
北海道1
埼玉県1
千葉県3
東京都2
神奈川県2
石川県1
静岡県1
京都府1
兵庫県3
香川県1
16
なお、転居予定をカミングアウトされたお一方につきましては、予定を先取りしてあります([54329])。

さて、アンケート結果です。
1人あたり1票ですが、複数回答の方につきましては、私の感覚で按分させていただきました。私のメモですので、誤りがあればお許しを。また、個人ごとの回答は伏せさせていただきました。都市、地方、県、いろいろ混じってますが、傾向をつかむ趣旨ですのでご容赦ください。
函館1.0
南東北1.1
仙台0.6
福島1.1
茨城0.5
北関東1.0
埼玉0.5
千葉0.5
甲信越0.1
山梨0.5
東海0.1
静岡1.0
浜松1.0
東京−大阪間から近いところ1.0
名古屋1.0
山陰0.5
福岡1.0
宮崎1.0
沖縄以外0.5
那覇1.0
沖縄1.0
16.0
かなりバラバラですが、強いてまとめると、多いのは南東北、関東、東海、九州・沖縄、でしょうか。

落書き帳メンバー193人に比してみると1割にも満たず、過去60日間に書き込みのあるメンバー 94名に比べても2割弱なのですが、参考までにご紹介させていただきました。

[54371] 2006 年 10 月 8 日 (日) 10:25:31 EMM さん
 遅ればせながら、金沢オフ会報告その2:2次会〜散会まで

[54355]の続き、2次会から先をお送りします。
2次会以降はC2H5OHが入っていて記憶が微妙な部分もあるので、間違い等ありましたらご容赦下さい。


5:2次会
当初の予定より15分遅れで到着した2次会会場は1次会とは打って変わって比較的最近できたとおぼしきダイニングバー、「Kitchen&Bar VOO-DOO」。
(遅れる旨は先に電話連絡してありましたので念のため)
入り口の看板があっさりしていて、うっかり見落とすところでした。
店の中はウナギの寝床見たいな細長い作りで、その一番奥にある団体席?へと案内されました。
なんかチラッと見てるとこの店の客層は若い女性が中心のようで、入っていった時の店員の反応から見ても我々は「普段にない異色な客」だったような感じなのですが、案内された席は完全な個室ではなかったものの他の客席からは見えにくい様になっていたので他の客から「浮いた感じ」に見られることはなかった、のかな?
(でも、ちょっと狭かったですかね…あと照明が暗めだったのが良かったか悪かったか)
2次会の進行はいっちゃんさんの指名で88さんに行って頂くことになりました。
futsunoおじさんの音頭による乾杯の後、歓談の再開です。
ちなみにテーブルが2つ用意されていたのですが、これが4人掛けと12人掛けというアンバランスな状態。
[54366]ニジェガロージェッツさんの書かれている
金沢は西日本か東日本か
の話題は12人掛けのテーブルで出たようで、4人掛けのテーブルにいた私は残念ながら加わっておりません(悲)。
なお、途中でプチ企画(?)として1次会でいっちゃんさんより出されたクイズの解答探し(星野彼方さんが正解したんでしたっけ?何か商品もらってましたよね)、次会の公式オフ会の開催希望地アンケートが行われています。
2次会は21時半頃までの予定でしたが、15分遅れで開始したこともあり、21時45分頃に星野彼方さんの一本締めを以て終了といたしました。
(電車・バスの時間の都合でfutsunoおじさん・かすみさんが21時半頃に店を出られています)
店を出たあと、いっちゃんさんのみ電車の都合でタクシーで、残りのメンバーは片町バス停から北鉄バスに乗ってそれぞれ金沢駅へと向かいました。
(私は北鉄バスのICaを使って乗り込んだのですが、続いて乗ってこられた方がICaのセンサーに「手のひら」を当てているのを見て思わず笑ってしまいました)
金沢駅前で星野彼方さんとお別れし、残った11人で3次会会場へ。


6:3次会
3次会会場として選んだ台場金沢駅前店は金沢都ホテルの1Fにある店。
ここを選んだ1番の理由は「金沢駅東口のバスターミナルに凄く近い」こと。
夜行バスで帰宅予定のたもっちさんより「3次会はバス時間ギリギリまでは参加したい」とのご連絡を戴きましたので、ならば近い店が良かろう…と言うことで決めました。
(あと、個室があることと、地元のチェーン店であることもポイントとなっています)
22時過ぎにスタートした3次会は完全に歓談の場。
1・2次会で食べる方は十分だったのか、皆さん注文されたのは飲み物だけでしたし。
(さすがに突き出しだけというのも寂しかったので、五郎島金時のサイコロ揚げ?は追加しましたが)
細長い造りの部屋だったせいか、歓談の方はいつの間にか「スナフキんさんの持ってきた古い地図を見ながら語らうグループ」と「白桃さんを中心に人口の話題やら十番勝負の話題やらで盛り上がるグループ」に分かれてました。
途中22時50分頃にたもっちさんがお帰りになられましたが、そのあとも歓談は閉店時間までとぎれることなく続き、0時50分に店を出ています。


7:4次会〜散会まで
3次会終了を以てほとんどの皆さんは宿泊先のホテルへと戻られましたが、ニジェガロージェッツさんは宿が取れず、どこかで時間を潰しつつサンダーバードの始発まで過ごされる御予定となっていました。
そこに白桃さんと私がおつきあいする形で4次会へと突入。
場所は金沢駅近くに昨年できたパチンコ店の3階にあるカラオケボックス。
最初は「百万本のバラ」「加賀の女」からスタートしたものの、徐々に選曲が暴走し、なんだか凄い曲のオンパレードとなりました。
しまいには仮面ライダーやら、月光仮面やら、アイアンキングやらの主題歌が…(注:この3曲、選曲者は別々です)
ちょっと残念だったのはこのカラオケボックス、閉店が2時半だったこと。
いよいよこれから、と言うところで時間が来てしまいました。
しかしながらサンダーバードの始発までにはまだ3時間ちょっとある…と言うことで近くにあるすかいらーくに移動。
ニジェガロージェッツさんは軽い食事、白桃さんはビール。
私はガーリックトーストとドリンクバー…だったはずなのに私のグラスの中に入っていたのはなぜかビール…??
ここではそれぞれの人生経験にまで踏み込んだ深い内容の会話が交わされていますが、深いだけに内容はオフレコと言うことで…
結局5時15分にすかいらーくを出て、5時半に金沢駅の改札口でニジェガロージェッツさんをお見送りして散会となりました。
ところで白桃さん、ホテル、無事にチェックイン受け付けてもらえたんでしょうか??



以下余談。
[54356] いっちゃんさん
あの〜、決して「二人とも既に飲んだくれていました。」って言わないでくださいね。(笑)
ああっ!せっかく書かずに置いたったのに(笑)
でもよーく考えると、酒仙人様は最初から最後まで飲んどられたっちゅうことになりますね…

[54370] 2006 年 10 月 8 日 (日) 10:06:56 オーナー グリグリ
 メールによるお問合せの際のお願い

オフ会以来、久しぶりになります。合併情報などいろいろ問題起きていますが、状況把握をしていますのでしばらくお待ちください。なお、今週から来週に掛けてしばらく不在になりますので、その間、ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いいたします。

ところで、メールでのお問合せをたくさんいただきますが、署名のない方が多く、メールアドレスだけではどこのどなたか分からない場合が結構あります(メールアドレスでは管理しておりません)。問い合わせ内容を読んでもどなたか特定することができない場合も時々あり、落書き帳の書き込みなどと対比して目星を付けるなど手間が掛かる場合があります(都道府県市区町村以外のメールも多数あるため、そもそも落書き帳のメンバーかどうかすら分かりません)。

メールでの連絡の際には、本文冒頭に「落書き帳の○○○です」(○○○はニックネーム)と一言書き添えていただきますよう、よろしくご協力をお願いいたします。

[54369] 2006 年 10 月 8 日 (日) 09:13:11 YSK さん
 Re:食パンの切り厚

今日は昨日以上によい天気に恵まれました。しかし、風が相変わらず強いですね。
昨晩は一日遅れの名月がきれいに観られました。十六夜の月ですね。今年の場合実は昨晩の月が天文学的には満月だったんだそうです。そして本日は二十四節気の1つ「寒露」。山の木々の葉も色づき始め、朝夕の冷気が草の葉に露を結ぶ季節という意味だそうです。だんだん季節も移ろい変わってまいりますね。

さて、食パンの枚数ですが、当地では6枚切、8枚切、ほぼ半々くらいで売られています。そのほかの枚数はごく少数派です。

[54368] 2006 年 10 月 8 日 (日) 07:25:05 ezekiel さん
 神戸を巡って 〜湊川河口付近

[54365] ニジェガロージェッツ さん、
確かに江戸期の豪商・高田屋嘉兵衛の店や邸は西出町にありましたが、この西出町は東隣の東出町とともに「湊西」に含まれます。確かに兵庫津全体の中では、湊川河口に向かって東に突き出た部分に位置していますが、それゆえ「出町」と名付けられ、後に東出・西出に分かれたのでしょう。しかし、湊川を越えて東には出ておらず、実際、幕末期の兵庫津において湊川の東、つまり「湊東」に位置していたのは、東川崎町と相生町の2町だけです。
後に神戸区、更に神戸市と発展するにつれて、兵庫湊東の範囲も拡大していきました。

 湊東という言葉を使ってしまいましたが、かえって指し示す地域がブレてしまった
ように感じます。それと、私自身の中でも西出町、東出町の位置を指し示す言葉に
ブレがあって、

[54363]ezekiel、
湊川の河口近くの左岸、湊東とよばれる地域

[54340] ezekiel、
湊川左岸に関しても、兵庫の町が発展、膨張して、西出町や東出町、東川崎町、相生町が

 私自身も、かなり漠然としたピンボケ状態で捉えていましたので、ニジェガロージェッツさん
との間で齟齬が生じたと思います。おっしゃるように、西出町&東出町と、相生町とを
私がひとくくりに扱ったのが問題だと思います。

 私の視点としては、江戸中期頃からの兵庫の町の拡大が東進して、湊川右岸の河口
近くが北限(東限)だった町の範囲が、河口を中心に湊川左岸に喰い込み、後に湊東
という名称になる地域まで兵庫の町が膨張した経緯に注目したわけです。

 今スポットを照らしているのは、国道2号線が中央区から兵庫区に入って、国道が
右折で、直進すれば高松線に入る七宮神社辺りのポイントを中心とする半径300m
ぐらいの範囲の地域になると思います。旧西国街道は、七宮神社の西から現・高松線の
数十メートル西を兵庫の町を貫通しながら現・中央卸売市場の南辺りから西に向かう
経路だったことになると思います。今は廃止されましたが、市電が概ね西国街道沿い
に走っていたことになるのかなあ〜と思います。

 ちょっと余談になりますが、神戸駅の位置は多少は移動しましたが、もし山陽線との
接続を見据えて、元町から直進して湊川神社の北を通る経路にすれば、神戸の町の様子も
随分変わっていたかもしれませんね。東西に細長い神戸の街にあって、JR神戸駅は、ほぼ
ホームが南北方向になっています。当時は港との接続が重要であったので当然のこと
だったと思いますが、旧神戸駅を港専用にして、後の山陽線との接続の為に湊川神社の
北に新神戸駅が出来ていれば、現・山陽電車はなかったかもしれませんし、地下鉄の
経路が大きく変わっていたかもしれません。JR神戸駅の西(正確には南)の急カーブは、
全線に渡って線形が良いとされている東海道線及び山陽線のなかで特異点のようですね。

*

 私自身、どうしても明治期以降の地理的な(行政的な)前提で、兵庫から生田川右岸の
地域を考えてしまいがちですが、ニジェガロージェッツさんのおっしゃるように、
西出町や東出町というのは、どこの村にも属していないような河口の中洲を築地して
出来た出島のような場所だったのかもしれません。当時は田んぼに関しては、厳密に
検地されていたことと思いますが、江戸期のムラとムラとの境界線って、それほど厳密では
なかったと思います。山は入会地で、海岸の多くは入会のような感じだったのかも
しれませんね。江戸初期には、まだ生田の森も随分広大だったような記述も見受け
られますので、当時の“ムラ”というものを、私自身もっと正確に捉え直さないと、
神戸のルーツを見誤るかもしれないなあ〜と痛感しています。生田村の件も同じですが、
湊川の左岸、河口付近の海岸線沿いの地域に関しても、しっかりと調べたと思います。

[54367] 2006 年 10 月 8 日 (日) 05:15:24 eiji_t さん
 RE:食パンの切り厚

[53851]ニジェガロージェッツさん
関東では8枚切がよく売られているそうですが
[54366]ニジェガロージェッツさん
オフ会にて「今や関東でも6枚切が主流で、8枚切はあまり見かけない」とお聞きしました。

私のところは北関東ですが、6枚切と8枚切の割合は6:4ぐらいで、まだまだ8枚切見られますよ。そういえば昔は8枚切りが主流でしたね。段々と6枚切りの割合が増えてきたような気がします。関西で主流だと言う5枚切りもボチボチ見かけます。これも関西の文化が流れ込んできたのでしょうかね?
自分では朝食に6枚切り1枚が丁度いい分量なので6枚切りを買っています。前は8枚切り2枚でした。

[54366] 2006 年 10 月 8 日 (日) 02:39:47 ニジェガロージェッツ さん
 先週の今ごろは・・・

金沢オフ会の四次会のカラオケボックスで叫んでいました。(笑)
もうあれから1週間。時間が経つのは早いものです。
オフ二次会では金沢は西日本か東日本かの話題が盛り上がり、地元出身のグリグリさんは「金沢は西だ!」と断定されていました。更に高岡は西、能登は東、富山は東、という線引きに、北陸に土地鑑のない小生には新鮮な驚きでした。
ということで、去年の神戸に続き2年連続でオフ会は西で開催されたことになります。では来年は東でしょうか。具体的には南東北などが候補に上がるかも??
そうなると、関西在住のメンバーは参加が難しいかも?

[54276] 今川焼 さん
いつか、関西プチオフやりましょう。
是非やりましょう。大賛成です。小生は下戸で、元来宴席は好きではありませんが、落書き帳メンバーだけは別です。過去のプチオフも含めて、本当に有意義で楽しいひと時でした。昨年の神戸オフ会のときよりも関西在住メンバーは増えていますから、楽しみ倍増です。
さて、来年の「第4回公式オフ会」の開催時期を外して、いつ頃やるかですが、・・で、誰が音頭取りを???

[54271] らるふ さん
オフ会の土産話を楽しみにしています。
個人的には誰よりもご一緒したかったのが貴兄でした。またの機会を楽しみにしております。

さて、明治初期の神戸についての投稿で力尽きて、今更ながらのレスで申し訳ありませんが・・・
その前に、食パンの切り厚についての拙稿[53851]
関東では8枚切がよく売られているそうですが
と書いていましたが、オフ会にて「今や関東でも6枚切が主流で、8枚切はあまり見かけない」とお聞きしました。「関東=8枚切」という小生の思い込みか、情報が古いのかですが、知識不足失礼致しました。8枚切はトーストにするとカリカリ感が楽しめそうで小生には魅力的に映ったのですが、関東で消え行くとなると絶滅かな? ちょっと残念。

[54256] むっくん さん
名古屋の『しのだうどん』とは、お揚げ(醤油で軽く味付けしてある)を短冊状に切ったものとねぎが入ったうどんのことで、関西での『きざみうどん』とほぼ同一のものだと思います。
やはり名古屋には「しのだ」が存在すると知って嬉しくなりました。ただ「きつねうどん」とは同義語ではないようで、奥が深いと感じました。

[54263] 油天神山 さん
消費量で言うと、濃口:淡口が8:2くらいかと思います(我が家の話ですよ)。
小生の家も同じくらいの割合でした。
恥ずかしい話ですが、日常生活では濃口醤油が普通なのでこれを濃口と認識せず、小生は数年前まで濃口醤油とはたまり醤油のことだと誤解していました。

[54317] 星野彼方 さん
家島町は宿泊経験があります。これは結構貴重かも。でも、ニジェガロージェッツさんの舳倉島がうらやましい(オフ会でそういう話題が出た)。
家島町には小生も渡った事があります。1998年ごろの話ですが、島内は原付自転車の「無法地帯」で、2人乗りやヘルメット非着用が当たり前の世界にはショックでした。
石川県最北端の舳倉島に渡ったのは1982年の夏でした。当時はまだ学生で、友人と図書館に集まって夏の旅行の計画を立てるのに地図帳を見ていて、たまたま中部地方のページが開いていたので、冗談で「ここへ行こう」と端っこに載っていた舳倉島を差したのが、本当に行ってしまったという嘘のような話です。絶海孤島の岩だけの島でしたが、それでも船着場があり、5軒ほどの建物がありました。夏季のみ人の住む、海士さんの島と聞きました。

[54365] 2006 年 10 月 8 日 (日) 00:18:03 ニジェガロージェッツ さん
 湊東区は兵庫湊東・坂本・荒田より

[54363] ezekiel さん
幕末〜明治初期の神戸についての詳細レス、引き続き有難うございます。
様々な角度からスポットを当て、神戸のルーツについてのご考察をお聞きし、こちらも大変勉強になりました。
ezekielさんより「湊東の興隆」という記事をいただき、此度は後に戦前の神戸市の中心となる湊東区を中心にこちらからもレスさせていただきます。

その前に、まず事実確認から
そして北前船で有名な高田屋嘉兵衛の拠点は、昔からの兵庫津ではなくて湊東の西出町でしたし

確かに江戸期の豪商・高田屋嘉兵衛の店や邸は西出町にありましたが、この西出町は東隣の東出町とともに「湊西」に含まれます。確かに兵庫津全体の中では、湊川河口に向かって東に突き出た部分に位置していますが、それゆえ「出町」と名付けられ、後に東出・西出に分かれたのでしょう。しかし、湊川を越えて東には出ておらず、実際、幕末期の兵庫津において湊川の東、つまり「湊東」に位置していたのは、東川崎町と相生町の2町だけです。
後に神戸区、更に神戸市と発展するにつれて、兵庫湊東の範囲も拡大していきました。
神戸市に区政が敷かれ湊東区が誕生するのは昭和6年9月1日ですが、明治期には既に「湊東区」という区域分けが為されています。
その範囲は前出の2町に加え、明治5年に兵庫津に編入された坂本村南部の仲町部、新福原、明治12年に神戸区となった坂本村残存部、明治22年に神戸市となった荒田村でした。
湊東区は神戸市一の「ミニ区」で、面積わずか2.04km2でした。(人口では湊区の方が少なかった。拙稿[3421]
町名を全部列挙してもしれているので、範囲の確認のために記しておきます。
湊東区の町名備考湊東区廃止後
東川崎町1〜7丁目もと兵庫津の1町、1丁目は神戸停車場に生田区東川崎町1〜7丁目
相生町1〜5丁目もと兵庫津の1町生田区相生町1〜5丁目
古湊通1〜4丁目もと仲町部生田区古湊通1〜2丁目、*兵庫区西古湊通1〜2丁目
中町通1〜6丁目もと仲町部生田区中町通1〜4丁目、*兵庫区中町西通1〜2丁目
多聞通1〜8丁目もと仲町部生田区多聞通1〜6丁目、兵庫区西多聞通1〜2丁目
橘通1〜6丁目もと仲町部生田区橘通1〜4丁目、兵庫区西橘通1〜2丁目
上橘通1〜4丁目もと仲町部*生田区上橘通1〜2丁目、兵庫区西上橘通1〜2丁目
福原町新福原、旧福原が移転[5887]兵庫区福原町
楠町1〜8丁目もと坂本村生田区楠町1〜8丁目
荒田町1〜4丁目もと荒田村兵庫区荒田町1〜4丁目
*印は現存しない町名です。(昭和49〜50年:新開地1〜6丁目の新設、昭和55年:上橘通を橘通に統合)

私のイメージ(思い込み)では、西国街道の北側に、西から荒田村、坂本村、宇治野村、花隈村というような位置関係で捉えていました。

全くそのとおりで、まず間違いないでしょう。(花隈村の表記については、「花熊村」としている資料が多いようですが、これはどちらでも良かったのでしょう。)
ここで問題となるのは、元来の坂本村の範囲が海岸まで達していたかどうかですが、これは極めて疑問です。史料となる江戸期の地図を持ち合わせていないので断言は控えますが、小生は海岸には至っていないと思います。神戸に属する走水村についても海岸に接していたかどうか?
また、仲町部として整備された古湊通から上橘通までの区域のうち、その西部(荒田村の南方にあたり、現在は兵庫区内)も坂本村域ではなく、兵庫港地方に属していたかもしれません。

さて、ここからが本題ですが、ではなぜ兵庫の地をわざわざ湊川を境に「湊西」と「湊東」に2分する必要があったのでしょうか。
#ここから先の話は小生の主観が強く入るので、史実とは異なるかも知れません。「こう思っている人も居るんだ」という程度に聞き流して下さい。

結論から言えば、湊西を兵庫の街として残す(整備する)一方で、湊東は神戸の新都心として建設しようとしたのではないかと推察します。
湊東区のうち、元々の兵庫津の町は東川崎町と相生町の2町のみですが、両町とも神戸停車場の建設予定地に組み込まれ、坂本村南部の仲町部に新市街を整備し移転、福原遊廓も神戸停車場敷地より移転、神戸駅開業、仲町部多聞通・橘通に湊川神社を新設・・・などなど、自然拡大的な市街化ではなく、おおよそ大部分を計画的に「神戸の顔」強いては「日本の玄関の顔」として造っている印象を受けます。
小生は坂本の名の消滅について、旧坂本村が単に兵庫と神戸の「接着剤」としてではなく、まさに兵庫・神戸を統合した新しい神戸の都心として整備されたからこそ、旧村名を神戸市の町名として残さなかったのではないかと思っています。

今でこそ神戸の都心は三宮周辺となっていますが、これは戦後、特に昭和30年代のはじめ、所謂「三宮トリオ」(=神戸市役所、神戸国際会館、神戸新聞会館)が建設されたことにより加速しました。戦前の三宮地区は、神戸の「東のターミナル」という位置付けであり、都心は神戸駅前の旧仲町部周辺にあり、神戸最大の商業地は湊東区と湊西区の境、旧湊川河川敷を整備した新開地本通でした。

なお、前出の「三宮トリオ」は平成7年の大震災で揃って倒壊しましたが、神戸市役所は震災前に高層の新1号館が完成し、「トリオ」の建物2号館は、倒壊した上層階を撤去して使用、神戸国際会館は1999年に再建し、最後に残った神戸新聞会館はつい先日、10月4日に複合商業ビル「ミント神戸」として復活しました([54330]小松原ラガーさん)。

最後に、hmtさんの兵庫開港に至る日本史からのグローバルな視点、ezekielさんの神戸村と二ツ茶屋村の関係と庄屋・生島四郎の存在など、色々と新たな勉強になりました。重ねて深く御礼申し上げます。

「食パンの切り厚がどうだ」とか軽い話題の場合は別ですが、まじめに長文の投稿をする場合には、自分自身が以前より持っている知識が、実は「知識」ではなく単なる「思い込み」である場合も考えられ、出来る限り参考となる書籍などの資料の裏付を取るように心掛けています。それでもどうしても確証のもてないものは「思う」「推察する」「小生の主観」などの語句を添えるようにしています。
今回の一連の神戸に関する投稿に際し、裏付に使用した文献は角川書店「兵庫県地名大事典」、神戸新聞社「神戸の町名」、葺合区役所「葺合ものがたり」、神戸市中央区役所「中央区歴史物語」、兵庫区役所「由緒あるまち兵庫」、(財)日本地図センター「地図で見る神戸の変遷」などです。ご参考まで。

[54364] 2006 年 10 月 7 日 (土) 22:13:44 小松原ラガー さん
 ・・・(弁解の余地なし)・・・

小松原ラガーです。

[54361] 油天神山 さん
はい、しつも〜ん!

非常によい質問です。^^;
線路とホームの関係ですが、お察しの通り、

------------------上り急行線
------------------上り緩行線
    ■■■■
------------------下り緩行線
------------------下り急行線

です。甲南山手駅もそうですが、他の3つの建設中の新駅すべてこの形です。というか、正確に言うとこの形になりそうです。もっとも、鷹取〜須磨間の新駅は下り急行線の位置が異なりますが、上りと下りの緩行線の間という意味では同じです。

で、柵のなぞですが、ひじょ〜〜によい質問です。^^;^^;
が、、、すみません、

仮説4
 酔っ払っていた(かどうかは定かではナイ)小松原ラガーさんの見間違い。

が正解です。私もおかしいなぁと思ったのですが、暗かったのでよくわからなかったのも事実です。(と、散々、思い切り、十分、かつ、もったいつけるほど弁解しておいて、)本日、昼間の明るい時間帯に再度確認出来たのですが、私がホーム柵だと思ったのは、何のことはない、ホームの東端にあった工事用の柵でした。東端はまだホームが完全に出来上がっているわけではない模様で、そこに工事用の機器を格納しておく場所なのか、柵を設けた区域があり、どうやらその部分の柵をホーム柵と見間違えた模様です。いや、暗かったもので、、、、と何度言っても、やはり「酔っ払っていて見間違えた。」というのが真相です。と、ほ、ほ・・・
(飲酒運転ならぬ飲酒乗車による見間違い事故です。以後気をつけます。)

[54363] 2006 年 10 月 7 日 (土) 17:20:13 ezekiel さん
 神戸を巡って 〜 湊東の興隆

[54357] ニジェガロージェッツ さん、
ここで仰る「走水村」とは、実のところ「坂本村」ではないでしょうか。
走水村は宇治川左岸(東岸)までで湊川左岸一帯にまでは達しておらず、また兵庫津の市街が宇治川を越えて走水村を侵食したとも考え難いと思います。

 詳細なコメントをありがとうございます。

 私自身、神戸という一村名が、100万都市の名称になった経緯に興味を持って、いろいろ
調べたに過ぎず、スコープが限られています。いただいたコメントを読んで、坂本村の件に
関しては、多分に思い込みがあったのかなあ〜と反省しています。

 まず、私自身、江戸初期の兵庫や神戸辺りの地図が手元にありません。ですから湊川の左岸、
湊東とよばれる一帯が、元々何処の村に属していたのかは、走水村だと思い込んでいただけで、
実際に調べていませんでした。

*

 ニジェガロージェッツ さんの書き込みを元に考えると、湊川右岸に兵庫の町があり、湊川
左岸の河口付近から宇治川辺りの地域は、元々は坂本村だったのでしょうか?そして西国街道の
北部が荒田村という位置関係で、坂本村と宇治川を挟んだ東側に走水村というような位置関係
だったのでしょうか?

 私のイメージ(思い込み)では、西国街道の北側に、西から荒田村、坂本村、宇治野村、
花隈村というような位置関係で捉えていました。

 私は、兵庫vs神戸という構図が出発点だったので、兵庫の町、走水村、二ツ茶屋村そして
神戸村にフォーカスを絞ってしまっていました。時代を遡って、生田村に関しても調べたいなあ〜
と思っていたのですが、坂本村も要チェックですね。

*

 兵庫のまちの発展を見る中で、江戸中期以降に物流のメインが海運になり、廻船の存在が
大きくなることが見逃せないように思います。そして北前船で有名な高田屋嘉兵衛の拠点は、
昔からの兵庫津ではなくて湊東の西出町でしたし、廻船にのみ注目すると、意外にも兵庫津
以上にニツ茶屋村が多くの廻船を持っていたようです。もちろん兵庫津が中心であることに
変わりはないのですが、江戸中期以降に海運の主流が廻船になってきた時に、湊川左岸の
相対的な位置関係が高くなっていたように思います。

 湊川の河口近くの左岸、湊東とよばれる地域(走水村ではなくて坂本村)は、兵庫の町に
隣接する故に兵庫の町に呑み込まれてしまいましたが、二ツ茶屋村や神戸村は、兵庫の町から
微妙な距離を持っていた故に村として存続しながら近代化や産業化によって実力貯え、幕末
には蓼場が出来、海軍操練所が出来、そして兵庫津からの微妙な距離故に国際港の開港に
至ったと考えると、坂本村は、兵庫の町に近過ぎた為に、地名としては残ることが出来な
かったのかもしれませんね。

[54362] 2006 年 10 月 7 日 (土) 17:07:27 ezekiel さん
 神戸を巡って 〜 横浜とのアナロジー

[54351]hmt さん、“神奈川・横浜(1)横浜の居留地は、文字通りの「関内」だった”

 神戸と兵庫を巡っての雑記帳でのやりとりが比較的多いのに対して、神奈川と横浜との関係に
ついての書き込みは、このサイトの中ではhmtさんの[20917]ぐらいでしたので、ちょっと淋しいなあ〜
と思っていました。神奈川と横浜との関係に関する詳しい経過、ありがとうございました。

中世文書に神奈河として現れる神奈川(金川)は、近世には東海道でこの付近で最も大きな宿場町として繁盛していました。
神奈川港もあり、三浦方面の産物を江戸に運ぶ中継地でもありましたが、貿易港としての長い歴史を持つ兵庫津には及ぶべくもない、ローカルセンターという程度の存在でしょう。
&
神奈川宿と海を隔てた横浜村は、大岡川低地の前面をふさぐ砂洲の上の漁村でした。横浜村の漁師が、対岸の神奈川宿に船で魚を運び、納めていたという関係でしょう。

 神奈川がクローズアップされるのは、中世の鎌倉との関係の中で神奈川湊が、近海の海運の
拠点になったことで、その後は江戸期に神奈川宿として東海道の宿場町となって栄えたようで、
兵庫の津とのアナロジーを感じます。

 一方横浜という地名は、神戸と同様に幕末までは一村名に過ぎず、歴史の表舞台に立つ
ことはなかったようですが、黒船来航という大きな史実に直接対峙して、(語弊があるかも
しれませんが、結果として良い意味で)歴史の流れに翻弄されたような気がします。

 神戸村が近隣の兵庫津の影響で、二ッ茶屋村程ではなかったようですが廻船を多少所有して
いたようですし、酒造に関しても灘や西宮程ではなかったようですが商品としての清酒の製造
もしていたようですし、幕末近くには西国街道沿いには商家も多少はあって、近代化、産業化
されていたようです。その上、船蓼場を神戸村が誘致するような形になって、そのことが神戸
海軍操練所へとつながり、それらのことが結果的には神戸港開港の礎になったと捉えることも
出来るのですが、横浜村の場合は、一寒村が突然国際港となって脚光を浴びたようなイメージを
持っています。

*

条約文の「神奈川」の解釈を巡って、米国総領事ハリスは、商売上の見地から東海道神奈川宿を主張しましたが、幕府は横浜村を出島化して外国人を隔離しようと対立します(安政6年「神奈川宿本陣対話所」)。
結局のところ、幕府は外国側の反対を無視して横浜に開港場の建設を開始し、既成事実化してしまいました。

 開港に際しても、神戸と横浜では事情が違うようですね。そして県庁所在地となった経緯も
兵庫と神奈川との絡みを見ると、事情が異なるような気がします。

 横浜村が横浜町になったのは1860年、開港の時期が違うのもあるのですが、神戸町の
誕生が3村の連合体とも捉えることが出来る側面を持ち、神戸村の庄屋・生島四郎という
地元の実力者の存在を見逃せないのですが、横浜町の発足というのは、完全な「お上主導」
であったようなニュアンスを感じてしまいます。黒船来航から5年後には開港、翌年には
関内に横浜町と太田町が出来て、安政5年から7年に掛けての2年間で、横浜村は歴史の
大きな“うねり”の波をモロにかぶった大激変を経験したようですね。

 横浜村は、開港と居留地のからみで横浜町となったようですが、今の町村制とは違いますし、
この場合の横浜町って、港町という位置付けだったのか、或いはかなり特異な町という位置付け
だったのか、町としての基盤がない寒村に港が出来て、官民多くの人が雪崩れ込んで、
まさにいアメリカ西海岸のゴールドダッシュで突如生まれた町のようなイメージで当時の
横浜を捉えるのが、良いのかもしれないなあ〜とも思います。

[54361] 2006 年 10 月 7 日 (土) 15:50:03【1】 油天神山 さん
 柵の謎

[54345]小松原ラガーさん

 はい、しつも〜ん!
 JR京都線・神戸線を通勤に利用しているけれどもJR夙川(仮称)駅は通らない私としては興味津々のネタなんですが、

仮称JR夙川こと、西宮〜芦屋間の新駅、ホームに柵らしきものが設置されていました・・・あれ、この新駅、島式ホームだしホームの柵は必要ないはず。

 JR神戸線は複々線ですが、ここの島式ホームは上下線の間に設置されているのでしょうか?
------------------上り急行線
------------------上り緩行線
    ■■■■
------------------下り緩行線
------------------下り急行線

 それとも上り線の間と下り線の間に一面ずつ設置されているのでしょうか?
------------------上り急行線
    ■■■■
------------------上り緩行線
------------------下り緩行線
    ■■■■
------------------下り急行線

(-----は線路、■■■■はホームとおぼしめせ)

 後者なら、JR京都線・神戸線の各駅停車しか止まらない駅では大抵急行線(この表現で合ってますかしら)側に柵が設けてありますので、この近辺では別に珍しくない形です。
 もちろん小松原ラガーさんはそんなこと先刻ご承知でしょうから、きっと前者なのでしょうが、それだと確かに奇妙ですね。柵は必要ないどころか邪魔になりますね。

仮説1
 乗車扉の位置だけ空けて設置している。
仮説2
 かつての阪神春日野道駅みたいに、列車風に煽られても大丈夫なようにホームの真ん中に設置している。
仮説3
 現場作業員の列車接触防止用に、工事期間中だけ設置している。
仮説4
 酔っ払っていた(かどうかは定かではナイ)小松原ラガーさんの見間違い。

 個人的には仮説1を推しますね。最近こういうタイプの柵を設置する駅が増えているように思います。
 仮説2はないでしょうね・・・地上駅ですし、安全面での批判にさらされているときに、JR西日本があんな狭いホームを設置するとも思えません。
 仮説3もあまり可能性はなさそうな。工事用の柵なら、ひと目でそれと分かるような物になるような気がします。
 仮説4については何とも申し上げられません。(笑)

 再確認の結果、ぜひ教えてくださいませ。

修正履歴
【1】誤字の訂正(仮設4→仮説4)。

[54360] 2006 年 10 月 7 日 (土) 14:02:00【2】 k-ace さん
 続・合併情報の件(兵庫県)など

こんにちは。

既に[54313](揖斐の山 さん)、[54358](白桃 さん)でも触れられていますが、1975年以前にも加西市の新設/市制(1967年)が飛んでしまっています。
もしかしたら、加西市新設合併の件以外にも1975年以前の情報が飛んでいる恐れがあることをお知らせしておきます。
あと、今年では洲本市と姫路市の間にあるはずの加東市も飛んでしまっています。
揖斐の山 さんの指摘時期範囲外では以上の件ぐらいでしょうか?


あと、加西市から乗り換えなしで行ける市の訂正版を載せ忘れていたので、今回載せておきます。
鉄道…小野市(バスでも到達可能)
バス…京都府京都市、大阪府大阪市、吹田市、高槻市、兵庫県姫路市、加古川市、高砂市、西脇市、加東市、宝塚市、西宮市、神戸市(北区)、三木市、宍粟市、岡山県美作市、津山市

計17市

ではまた。

(訂正)
【1】…加西市から乗り換えなしで行ける市の訂正版を追加。
【2】…【1】で追加部分の一部文章を修正。

[54359] 2006 年 10 月 7 日 (土) 09:20:28 YSK さん
 野分の朝(あした)

昨日は終日雨でいたるところで道路が水で溢れていました。沿岸地域では強風も伴ったとのことで、たいへんでした・・・。今朝は雨はあがったものの、強い風が吹いています。皆様ご自愛くださいね。

[54358]白桃さん
同じ内容を、6日前に[54313]揖斐の山さんが既に的確に指摘されています。それだけ注目度の高い合併情報ですが、ご担当の皆様は無理なく作業を進めていただけますよう、よろしくお願いいたします。
 

[54358] 2006 年 10 月 7 日 (土) 07:01:19 白桃 さん
 合併情報の件

法定合併協議会都道府県順一覧の兵庫県がおかしいです。
今掲載されているのが、「相生市・上郡町合併協議会(休止中)」なのですが、先日まで「赤穂市・上郡町」ではなかったですか?
「上郡は、赤穂と相生のどっちを選ぶんや?」と前々から気になっていたので注意していたのですが。何よりオカシイのは、相生市・上郡町合併協議会の詳細を開くと、後半部分が「新温泉町」のことになっていることです。

この連休は、今日から出張で名古屋です。先週も金沢だったので、床屋にも行けず、人口整理もできず。
(金沢、名古屋、セビリアにも床屋はあるか…)

[54357] 2006 年 10 月 7 日 (土) 01:17:39 ニジェガロージェッツ さん
 明治初期の坂本

[54322][54339] hmt さん、[54340] ezekiel さん、神戸黎明期ついてのレス諸々、有難うございます。
拙稿は神戸地元からの視点に終始しており、幕末の神戸を取り巻く情勢について日本史からの視点は大きなフォローとなります。深く御礼申し上げます。

さて、タイトルの「坂本」ですが、先般「落書き帳」で話題となった大津市の坂本のことではございません。
兵庫神戸ど真ん中の坂本のお話です。

明治初期の兵庫と神戸の統合期、両者の融合に大きな役割を果たすこととなった坂本ですが、残念ながらその地名は明治28年を最後に消滅してしまいました。
明治12年の郡区町村編制法による「神戸区」誕生について、「神戸町、兵庫津、坂本村が合併」とありますが、「坂本村ってどこ?」というのが第一の印象ではないでしょうか。
坂本村はまさに兵庫と神戸の中間に位置し、兵庫津岡方の1町「相生町」の北に接し、西は荒田村に、東は宇治川右岸(西岸)を境としていました。

[54340] ezekiel さん
とにかく、明治7年開業の
初代神戸駅の位置というのは、当時の兵庫(相生町)と神戸(旧・走水村)の境界地帯で
あったようです。
(中略)
湊川左岸に関しても、兵庫の町が発展、膨張して、西出町や東出町、東川崎町、相生町が
湊川左岸の走水村を徐々に侵食していったのかなあ〜と。

ここで仰る「走水村」とは、実のところ「坂本村」ではないでしょうか。
走水村は宇治川左岸(東岸)までで湊川左岸一帯にまでは達しておらず、また兵庫津の市街が宇治川を越えて走水村を侵食したとも考え難いと思います。

兵庫津の最北東端の相生町は西国街道に面した街路町である様子が、明治5年の「兵庫神戸実測三千分箇之縮図」より伺えます。
明治7年の神戸駅の開業に先立つ明治3年6月、相生町一帯が神戸停車場敷地となることが決まり、この一帯の住民の代替土地を北に隣接する坂本村南部の田畑地帯に求め、新たに「仲町部」として市街造成が行われました。現在でも神戸駅北側(実際には西側)の街区に「中町通」という町名が残っています。
坂本村南部に整備された新市街「仲町部」には、兵庫と神戸の中間に位置するため、両者の統合を物語るように、新たな「神戸」の都心としての街並みが整備されていきました。
明治5年には楠木正成の墓地に湊川神社を造営し、同年、坂本村仲町部は兵庫津へ編入となり町名が付けられ、上橘通、橘通、多聞通、仲町通、古湊通となりました。このため、明治22年の神戸市成立以降はこれらの町名には「兵庫」を冠していました。

拙稿[54321]に提示した略図は、神戸市中央区役所発行「中央区歴史物語」(1990年12月)に収録されている図を参考に打ちましたが、坂本村の範囲については明治5年の仲町部の兵庫津への編入後のようにも見えます。幕末期の村々の位置図としては坂本村が小さいと言えるでしょう。明治5年以降の地図だとすると、明治元年には走水村、二ツ茶屋村、神戸村が統合し神戸町となっているので無理がありそうです。

[54356] 2006 年 10 月 7 日 (土) 00:29:48 いっちゃん さん
 オフ会のおはなし

[54355]EMMさん
先ほどバスの中から見た「テーブルに座っている人」はいっちゃんさんと白桃さんでした。
あの〜、決して「二人とも既に飲んだくれていました。」って言わないでくださいね。(笑)

とにもかくにも、EMMさんのご報告の通り、なんだかんだ(なんやかんや)と準備段階から楽しませていただきました。

[54355] 2006 年 10 月 6 日 (金) 23:35:13 EMM さん
 遅ればせながら、金沢オフ会報告その1:準備期間〜1次会まで

オフ会から早くも1週間が経ってしまいました。
本当なら翌日の日曜にでもレポートを、と思っていたのですが、オフ会終了と共に9月中の疲れが一気に出てしまい半沈没気味となった上、水曜に仕事上の大きなヤマを抱えており、さらに来週出張があるため週の後半は締め切りのある仕事を片づけねばならず…等々が重なってしまい、数日書き込みが手に付かない状態でした。
週末まで来て、やっと書き込みに手をつけられた…と言うことで少々間があいてしまいましたが、金沢オフ会のご報告をさせて頂きたいと思います。


まず、今回の会場は次の通りとなっております。

1600〜17250次会(16名)市内散策(武蔵ヶ辻尾山神社長町武家屋敷跡香林坊・旧映画街片町スクランブル
1730〜19451次会(18名)赤玉本店(片町2丁目
2000〜21452次会(16名)Kitchen&Bar VOO-DOO(木倉町
2200〜00503次会(11名)ご馳走魚菜と北陸の地酒 台場 金沢駅前店(此花町
0100〜02304次会(3名)カラオケパラダイス(堀川町
0245〜05155次会(3名)すかいらーく金沢駅前店(昭和町

最終的には5時半頃金沢駅にて散会となっております[54280]
4次会以降は参考データかなぁ…(爆)。



続いて全体の流れを、時間に沿ってご紹介したいと思います。


1:準備期間
[53569][53711][53718][53789]にある通り、9月3日に金沢市内にていっちゃんさん・だんなさん・私で1次会の大まかな打ち合わせを行いました。
いっちゃんさんより「グリグリさんが少し早め(午後3時〜4時頃)に始めるのがよいのではないか?とおっしゃっている」という話が出たため、だんなさんが持ってきて下さったHot Pepperを見ながら良さそうな店を探しましたが、宴会のできるような店ってほとんど夕方5時〜6時開店なんですよね。
どうしたもんか、と悩んでいたらいっちゃんさんから「例えば武蔵ヶ辻を出発して尾山神社とか武家屋敷あたりとかを散策して、それから宴会に突入しても良いのでは?」というご意見を戴きました。
また、だんなさんが「金沢はおでん屋の数が多く、おでんが隠れ名物(?)である」「おでん屋の中でも赤玉は昭和初期から続いている老舗である」と言う話をされるとこれがいっちゃんさんの琴線に触れたようで、1次会会場の第1候補は赤玉にしよう、と言う事になりました。
あと、予約交渉は私が行う事となりました。
その後紆余曲折あったのですが、結局市内散策〜1次会の流れは9月3日の打ち合わせの時の話ほぼそのままになりました。
(市内散策のコースについては休日にひがし茶屋街〜梅の橋〜並木町〜主計町〜久保市乙剣宮〜武蔵ヶ辻・近江町〜尾山神社〜長町武家屋敷跡〜片町スクランブル交差点〜犀川大橋〜寺町・忍者寺付近を実際に歩いてみて、その時の所要時間から決定しています)
また、市内散策についてはいっちゃんさんのご提案により観光ボランティアガイド“まいどさん”にガイドを行ってもらうことになりました。(こちらの折衝のみいっちゃんさんが行っています)

2次会についてはオフ会直前の火曜日に店を予約しました。
1次会が片町なので、2次会は旧町名復活の舞台である木倉町か柿木畠にしたいと考えてましたが、なんだかんだ言っても土曜日の8時頃の話なのでなかなか空いてない。
結局予約が取れたのは3軒目だったのですが、当初の思い通り木倉町の店が取れたので良かったです。

3次会は最初成り行きで行ってまえ、と思っていたのですが、確認したところ参加希望者が10名前後であったために席だけ予約することにしました。
片町方面にするか金沢駅前にするか悩みましたが、お泊まりの方の宿が全て金沢駅周辺だったのと金沢駅発のバスで帰られる方があったことから駅前にしました。

以上、ここまで場所を決めた上で当日に臨みました。
(4次会以降は成り行きで決めることにしましたが、[53749]に書いたことを念頭に置いて片町パターンと駅前パターンは考えてありました)


2:集合場所にて…
さて当日です。
市内散策の集合場所は武蔵ヶ辻・めいてつエムザ前歩道、集合時間は16時。
私は15時ちょっと前に武蔵ヶ辻に到着したのですが、バスの中から集合場所を見てみたら想定していなかったテーブルと椅子が歩道に置かれていて、何人か休憩している人がいるのが目に入りました。
実は当日はめいてつエムザのセールをやっていて、その一環で屋外で生ビールを販売していたためにテーブルが置かれていたらしいのですが、単に休憩のため座っていても特に怒られることはありませんでした。
とりあえずバス停近くの店を回って新しいHot Pepperを確保し、さらにエムザ地下の本屋でネタになりそうな本を買い込んでから集合場所に行くと南砺、先ほどバスの中から見た「テーブルに座っている人」はいっちゃんさんと白桃さんでした。
14時頃から座っていたそうで…
その後グリグリさん、星野彼方さんが到着し…そのあとの順番は忘れてしまいましたが、昨年の神戸駅と同様、徐々に「妖しげな集団」が形成されていきました。
初参加の皆さん、さらには案内をお願いしてあった“まいどさん”も我々の「妖しげさ」に引かれて声をかけて来たような??
一番最後にいらっしゃったのはたしかぺとぺとさんでした。

#余談ですが、過去2回のEMMの目印はヤンキース帽子でした。しかし、2個持っていたのを沖縄旅行と8月の某イベント参加時に無くしてしまったため、今回は開き直って背広とネクタイで参加してます。途中白桃さんに何回も「なぜ背広なのか」聞かれましたが、あまり深い意味はありませんでした(^^;;;。と言いつつも、こんなネクタイをわざわざ買ってきて締めておりましたが…おや?どこかで見たような方言も…


3:市内散策
15時55分に予定の16名が集合したので、予定より5分早く市内散策スタート。
スナフキんさんより昭和35年当時の金沢市内の地図が配られ、それを見ながらの散策となりました。
案内して下さった“まいどさん”は柳田さんと言うおじいさん。
事前にいっちゃんさんから柳田さんに「地理・地図・地名などに異常な関心を持っている人たちの集団である」「石川県出身者や金沢市在住者も混ざっている」と言うことが伝えられてあったため、普段の案内時にはしないような「豆知識」的な話も織り交ぜて案内して頂きました。
(APAグループの社長の家なんて、普通案内しませんよね…。あと、香林坊の名の由来である香林坊家が薬屋であったことにちなんで植えられたメグスリノキの看板の位置が悪くて誰も気付かない、とか…)
金沢の町中を歩くのが数年〜数十年ぶりという方が多く、集合の前に通ってきた金沢駅周辺と合わせて変貌の様子に驚いた方が多かったようです。
かくいう私も、約1年ぶりに通った香林坊の旧映画街(下見時には通らず)の元映画館が全部取り壊されて駐車場に変貌していたのはショック大でしたが。
最後は片町スクランブル交差点にある「芭蕉の辻」の石碑の前で柳田さんとお別れし、横断歩道を渡った先にある1次会会場・赤玉へと向かいました。


4:1次会
赤玉本店到着は17時25分頃。
5分ほどして別途市内散策されていたかすみさん、医王山散策(登山?)をされてきたfutsunoおじさんが到着され、ほぼ予定時刻(5時半頃)に1次会スタートとなりました。
グリグリさんのご挨拶、白桃さんによる乾杯に続き、恒例の自己紹介。
進行役のJOUTOUさんにより初書き込み年月日、書き込み記事数、1記事あたりの平均文字数、紹介文が読み上げられたあとに名前が呼ばれ、自己紹介…と言う形だったのですが、皆さん初書き込み年月日と記事数で自分であることが分かってしまい、名前を呼ばれる前にすでに立つ準備をしていましたですね。
一渡り自己紹介が終わったあとは、今回は特に大きな企画は用意せず、時間が来るまで歓談タイム。
最初は固さも見られましたが、徐々に話題の花が咲きました。
(なお、完全に企画がなかった訳ではなく、2次会の宿題としていっちゃんさんから1問だけクイズ([54266]参照)が出題されています)
歓談のみでもあっという間に時間が経つものです。2時間って短い。
と言いつつも、当初1次会は7時半頃終了を予定していましたが、料理が出てくるのが若干遅れ気味だったため、実際には皆がデザートを食べ終えた7時45分頃に閉会しています。
赤玉本店と2次会会場は300mほどの距離だったので、歩いて移動。途中の片町バス停で葵区さん・今川焼さんとお別れした後、2次会会場のある木倉町へと向かいました。


長くなったので、2次会以降は別稿にて。

[54354] 2006 年 10 月 6 日 (金) 22:58:07 逆太郎 さん
 RE:中央自動車道富士吉田線

[54353] じゃごたろ さん

中央自動車道富士吉田線については、私も昔から不思議に思っていました。Wikipediaでもこのあたりの事情には触れられていなかったので、ようやく長年の疑問が氷解してほっとしています。

昭和32年に制定された『国土開発縦貫自動車道建設法』は昭和41年に大幅に改正され、現行の『国土開発幹線自動車道建設法』に引き継がれています。衆議院のサイトに制定時点大幅改正時点(国土開発縦貫自動車道建設法の一部を改正する法律)の全文と別表が掲載されています。昭和32年時点と現在でルートが変わらないのは東北自動車道と中央自動車道だけで、九州自動車道は福岡市から日田市経由で熊本市に向かうルートを想定していたようです。ちなみに相模湖IC〜河口湖ICが開通したのは1969年3月ですから、この区間については旧法規に基づき建設されたことになりますね・・・
昭和41年時点の別表にある路線で現在も未開通なのは、北海道を除けば
  ・東海北陸自動車道の飛騨清見JCT〜白川郷IC間
  ・近畿自動車道の関JCT〜天理IC間(名阪国道と並行)
だけのようです。

[54353] 2006 年 10 月 6 日 (金) 20:08:14 じゃごたろ さん
 中央自動車道富士吉田線

こんばんは、じゃごたろです。
だいぶ寒くなってきました。そろそろ暖房がほしいです。。。。。。

京奈和自動車道の話題がでましたが、私は中央道で。

実は前々から、富士吉田市へ行く中央道の盲腸線のような路線が少々疑問に思っていました。確かに観光地ではあるのでしょうが、なんでこんな風に途中までの路線なんだろうかと。ですが最近ようやくそれが氷解してきました。それは昭和32年の『国土開発縦貫自動車道建設法』にあります。

この法律の別表にある中央自動車道の予定路線を見ると

起点 : 東京都
終点 : 吹田市
重要な経過地 : 神奈川県津久井郡相模湖町附近 富士吉田市附近 静岡県安倍郡井川村附近 飯田市附近 中津川市附近 小牧市附近 大垣市附近 大津市附近 京都市附近

となっています。つまり富士吉田市は当初からの経過地であり、そのルートは現在とは大きく異なったものであるのでした。その後富士吉田市まではこの計画通りに建設されるものの、小牧市までは結局現在の路線にルート変更されたということです。

しかし当初のこの計画ですが、南アルプスを突き抜けるというものです。人煙稀な地域を縦貫する(地図で見ると横断ですが、列島に沿うルートを縦貫軸といいます。)この路線、東京と中京・関西を結ぶことしか考えていないのでしょうね。ですがこのルートは、五十年近く経た現在でも無謀な計画だと思うのですが。。。でもリニア新幹線は、今でもこの路線に近いですよね。

昔の事を調べると、いろいろと面白いことを知ることができます。

[54352] 2006 年 10 月 6 日 (金) 19:15:32 N-H さん
 中村川と堀川について
hmt 横浜1 開港前後

[54351] hmt さん
首都高速道路の石川町JCTから海岸までの間が堀川の跡、石川町JCTから桜木町駅の少し南までが派大岡川の跡で、島状の横浜居留地の形がわかります。
「堀川の跡」と書かれていらっしゃいますが、堀川は石川町JCTから山下埠頭の南側の海まで、高速の下を現在も流れております。
現在の横浜観光ガイド風にわかりやすく言いますと、元町商店街と中華街とを隔てる川が堀川です。
元々は大岡川から分かれた中村川が、石川町JCTのある地点から桜木町の方向に向けて派大岡川として急旋回していたものを、そこから東北東へと自然な形で海岸まで掘って行ったのが堀川。
その後、派大岡川は埋め立てられ、その場所を高速道路が掘割のような形で桜木町手前の大岡川にかかる桜橋付近まで通ったために、現在はあたかも中村川の下流が堀川と単に名を変えたように見えます。

なお、大岡川から派生した川としては、堀川とまぎらわしい掘割川というのがあります。
これは中村川と吉田川(市営地下鉄建設時に埋め立てられ、上は大通り公園となっています)との分岐地点からほぼ国道16号線沿いに磯子まで流れて海にそそぐ川で、こちらは中村川・堀川との間は中洲のような平坦地ではなく、山となっています。
もちろんこの掘割川も人口水路です。明治にはいってからの掘削です。

[54351] 2006 年 10 月 6 日 (金) 18:36:27【1】 hmt さん
 神奈川・横浜(1)横浜の居留地は、文字通りの「関内」だった
hmt 横浜1 開港前後

兵庫開港と神戸との関係について[54297]「兵神市街之図」、[54322] [54339]兵庫開港の3編を記しました。
関連して、「神奈川」開港と横浜との関係について続けます。
[54340] ezekiel さんの
神戸の場合と横浜の場合との相似と差異とを比較すると面白いだろうなあ〜と思います。
の趣旨にも沿うものになるかどうかわかりませんが。

最初に、「神奈川」(実際は横浜)開港の日付から。
日米修好通商条約による「神奈川」の開港日は、条約締結の翌年・1859年の7月4日(米国独立記念日)となっていましたが、続いて締結されたロシア・イギリスとの間の修好通商条約において、切りのよい7月1日開港とされたので、最恵国条項により3日繰り上がりました。当時の暦では安政6年6月2日。
横浜開港記念日は、7月1日(西洋流の日付)だったものが、わざわざ6月2日(日本流の日付)に変更されたのですね。

「兵庫」(実際は神戸)開港は、[54322]で詳しく記したように8年半後の1868年1月1日。明治になる直前とも言える時期で、この間に、政局も治安の状態もも激変しています。

さて、地形条件に目を向けると、もちろん横浜と神戸とは大幅に異なります。

中世文書に神奈河として現れる神奈川(金川)は、近世には東海道でこの付近で最も大きな宿場町として繁盛していました。
神奈川港もあり、三浦方面の産物を江戸に運ぶ中継地でもありましたが、貿易港としての長い歴史を持つ兵庫津には及ぶべくもない、ローカルセンターという程度の存在でしょう。

神奈川宿と海を隔てた横浜村は、大岡川低地の前面をふさぐ砂洲の上の漁村でした。横浜村の漁師が、対岸の神奈川宿に船で魚を運び、納めていたという関係でしょう。
かつて砂洲の内側に入り込んでいた入り江は、江戸時代後期に干拓されて、横浜新田・太田屋新田・吉田新田などが開発されていましたが、本土との間には水路が残り(派大岡川)、ここに大岡川の分流の中村川が流れ込んでいました。現在の横浜市中区に、太田町1丁目〜6丁目、吉田町という名を残しています。

条約文の「神奈川」の解釈を巡って、米国総領事ハリスは、商売上の見地から東海道神奈川宿を主張しましたが、幕府は横浜村を出島化して外国人を隔離しようと対立します(安政6年「神奈川宿本陣対話書【誤記訂正】」)。
結局のところ、幕府は外国側の反対を無視して横浜に開港場の建設を開始し、既成事実化してしまいました。
パークスの賛同[54339]を経て神戸に建設された「兵庫居留地」とは大きな違いです。

万延元年(1860)、幕府は中村川の川尻から海岸までを直結する長さ580間の堀川を開削。
これによって居留地は、北を海、西を内海(大岡川末端部)、南西を派大岡川、南東を堀川に囲まれた「出島」になりました。
派大岡川の大岡川への合流点の南側にある吉田橋などには木戸門と見張番所が設けられました。
このような関門に囲まれた内側が「関内」、外側が「関外」です。

[54297]で参照した講談社「日本の古地図7」(1976)には、横浜も収録されていますが、安政6年の「横浜御開地明細之図」では堀川が未開削の時代、また文久の頃と思われる「御開港横浜正景(YOKOHAMA CHART)」や「御開港横浜大絵図」では、堀川開削後の島状になった横浜居留地が描かれています。

現代の地図 では、首都高速道路の石川町JCTから海岸までの間が堀川の上を覆い、石川町JCTから桜木町駅の少し南までが派大岡川の跡で、島状の横浜居留地の形がわかります。

【1】 N-H さんのご指摘[54352]により、“堀川の跡”を“堀川の上を覆い”と修正

Mapionの中心・神奈川県庁の位置には、絵図で「御運上屋舗」があり、その南側・横浜新田の中には、目立って大きく外国人向けの遊郭街(岩亀楼など)が描かれています。現在の横浜スタジアムの位置でした。開港神戸之図にも福原町遊郭がありました[54297]

そうそう、[54297]に、明治13年の地図で“兵庫県庁の海側には「神戸市役所」らしい文字”と書いた部分がありました。実は印刷の解像度が低くてよく読めないものの、この年代には、もちろん「神戸市」ではあり得ません。「神戸区役所」と書くべきところを、誤記していました。

兵庫と神戸の間には、湊川や宇治川があるだけで、神奈川と横浜のように、複雑な地形条件によって隔てられるということはありません。
兵庫開港の時代には、「居留地」とは言っても、警備の厳重な「関内」を作る必要性も少なくなっていました。居留地造成工事の遅れが理由ですが、臨時の措置として「雑居地」が設定され、しかも居留地完成後も既得権として存続を望んだ外国側に応えて混住状態が維持されたくらいです。
「関内」という言葉に象徴される横浜と、特有の「雑居地」を生んだ神戸では、外国文化の流入に違いが生じたはずです。

[54350] 2006 年 10 月 6 日 (金) 17:58:53 みやこ♂ さん
 夜コレクション

今日は中秋の名月・・・のはずが(この辺では)大荒れになっちゃいました。わたくしの住まいあたりでも,スギ・ヒノキの梢が稲穂の如く揺れておりました。さぞやタヌキたちも残念がっていることでしょうね。
というわけで「月夜」ならぬ「夜(プチ)コレクション」としゃれ込んでみました。Yahoo地図から,自然地形名限定でお送りします。

留夜別岬北海道留夜別村(国後郡)
夜沼岩手県 八幡平市
夜沼川岩手県八幡平市
十二夜森岩手県岩手町(岩手郡)
小夜鳥島宮城県東松島市
大夜鳥島宮城県塩竈市
夜討坂宮城県角田市
一夜島秋田県小坂町(鹿角郡)十和田湖内の島
夜明島川秋田県鹿角市
夜蚊鳥屋山山形県小国町(西置賜郡)
木地夜鷹山福島/新潟県 阿賀町(東蒲原郡)夜鷹山のとなり
夜鷹山福島/新潟県西会津町(耶麻郡)木地夜鷹山の隣り
夜越川茨城県潮来市
夜後沢群馬県みなかみ町(利根郡)
月夜ヶ鼻東京都八丈町
月夜見山東京都奥多摩町(西多摩郡)
月夜見沢東京都檜原村(西多摩郡)月夜見山から東流
夜明山東京都小笠原村父島
六夜山新潟県上越市
月夜棚長野県白馬村(北安曇郡)
夜間瀬川長野県中野市/山ノ内町(下高井郡)
夜滝瀬川長野県中野市夜間瀬川の別名か?同じ流れ
一夜山長野県長野市昔の鬼無里村
一夜山長野県白馬村(北安曇郡)
月夜沢峠長野県木曽町(木曽郡)
月夜沢長野県松本市次の月夜沢と月夜沢峠を介して同名
月夜沢長野県木曽町(木曽郡)
夜ノ池長野県長和町(小県郡)
夜烏山長野県阿智村(下伊那郡)恵那山東方
月夜立岩長野県栄村(下水内郡)
月夜の段山梨県南部町(南巨摩郡)
二十六夜山山梨県上野原市
夜叉神峠山梨県南アルプス市
夜子沢川山梨県身延町(南巨摩郡)
二十六夜山静岡県南伊豆町(賀茂郡)
夜泣石静岡県掛川市
当夜坂石川県輪島市
久須夜ヶ岳福井県小浜市
夜叉ヶ池福井県南越前町(南条郡)
夜泣峠京都府京都市左京区
夜久野ヶ原兵庫県朝来市
夜鷹山兵庫県神河町(神崎郡)
通夜島和歌山県串本町(東牟婁郡)
暗夜峠和歌山県有田川町(有田郡)
夜母瀬来島根県隠岐の島町(隠岐郡)
夜市川山口県周南市
五夜嶽香川県坂出市
夜明峠愛媛県西条市
夜昼峠愛媛県八幡浜市
夜鳴川愛媛県久万高原町(上浮穴郡)
夜須川高知県香南市
夜峰山熊本県南阿蘇村(阿蘇郡)
夜狩川熊本県八代市
夜星川鹿児島県さつま町(薩摩郡)
夜萩浦鹿児島県薩摩川内市

[54349] 2006 年 10 月 6 日 (金) 15:51:16 アルバトロス さん
 相模原市城山町合併議案可決

お久しぶりです。アルバトロスです。
神奈川県議会は、本日の9月定例会最終日に、相模原市城山町合併議案を可決しました(ライブ中継で確認)。今後、県から総務省へ上申、官報告示されて正式決定、来年3月11日藤野町と共に、相模原市に合併、人口70万余人になります。
よって、津久井郡は、消滅します。次に、相模原市は、政令指定都市を視野に入れているようです。

[54348] 2006 年 10 月 6 日 (金) 01:23:08 ワカメ さん
 続、京奈和自動車道

[54334]むっくんさん
貴重なご意見ありがとうございます。確かに市内に高速道路を走らせると、かえって渋滞を招いたり景観の悪化、騒音など様々な問題が発生してしまいます。それはもちろんこれから京奈和自動車道を計画するにあたって考えなければいけない問題です。

しかし、ここで私が言いたかったのは、“あまりにも奈良の道路整備が遅れている”ということです。
十数年前までは、奈良には「高速道路」と呼べるようなものは、西名阪自動車道とそれに続く名阪国道ぐらいで、高規格道路としては、24号線バイパス、369号線の大宮通、県道1・8号の阪奈道路のものでした。奈良県は片道2車線道路の整備が最も遅れているらしく、奈良ではどの道路も狭いため、JAFへの呼び出し要因のトップは“溝にタイヤが落ちる”だそうです(ほかの都道府県はたいがいエンストやガス欠らしい)。これは狭い道路が多いためであるとされています。
最近になってようやく第2阪奈道路、南阪奈道路、中和幹線(未完成)などの高規格道路が整備されるようになりました。

そして、今私が議題にしている京奈和自動車道が全線開通すれば、京都〜和歌山間が90分でアクセス可能となるではありませんか。

私は奈良で生まれ、育ったので交通渋滞はいやになるほど見てきました。
これから奈良県では人口は緩やかに減少するため自動車台数も増えることはないとは思いますが、それでも京奈和自動車道の全線開通は奈良県民の長年の悲願なのです。

[54347] 2006 年 10 月 6 日 (金) 00:22:38 般若堂そんぴん さん
 盛り上がる河川?

[54341] eiji_t さん
サンプルを見るとモニター上のせいか凹凸が逆転して見える(特に東京)のは私だけでしょうか?
あっ,本当だ.「大阪」「名古屋」ではほとんど凹凸が感じられませんが,東京は河川が浮き上がって見えますね.まるで両眼立体視で平行法と交差法とを間違えたような感じ.

[54346] 2006 年 10 月 5 日 (木) 23:50:49 林檎侍[花笠カセ鳥] さん
 また買ってしまった。

昨日仙台へ行きまして、帰りがけにブックオフへ寄ったところ、県別マップル香川県が600円だったので買ってしまいました。1997年10月発行なのでさぬき市や東かがわ市はありません。
瓦町のコトデンビルはありました。

今回香川県を入手し、兵庫、岡山、広島、山口、福岡、大分、愛媛の各県は既にあるので、瀬戸内海沿岸を制覇したことになります。しかも、福岡県以外は中古で(笑)

あの牛丼を久しぶりに食した花笠カセ鳥でした。

[54345] 2006 年 10 月 5 日 (木) 23:16:37 小松原ラガー さん
 お先で〜す^^;

小松原ラガーです。

[54336] かすみ さん
あ、あ〜、そのネタ、先を越されました!
毎日眺めるものだけに気になって仕方ないですよね。(^^;

ふ、ふ、ふっ。どうだ。
な〜んちゃって、お先に失礼しました。というか、まさかあんなローカルネタ、しかも鉄分たっぷりのネタ、誰も反応しないのでは、なんて思いながら投稿してたりしました。因みに、本日も気が付いたのですが、仮称JR夙川こと、西宮〜芦屋間の新駅、ホームに柵らしきものが設置されていました・・・あれ、この新駅、島式ホームだしホームの柵は必要ないはず。夜の暗い時間帯だっただけに見間違いかな。もう一度確認しておきます。

#そう言えばかすみさんは高槻〜山崎間は日常生活の範囲内では?

以上、ちょっと酔っ払っている、かつ、居住地神戸をしばし離れて出身地の尼崎から投稿している小松原ラガーでした。

[54344] 2006 年 10 月 5 日 (木) 23:13:08 山中鹿次 さん
 奈良に思う

高速道路の木津方面については、住宅街の反発あるでしょうが、西大寺より東から北に抜ける選択が賢明でしょう。高架でというのは、場所が今の24号沿いだと、西の京から、若草山の景観が変わり、観光アピールで賢明ではない。奈良が宿泊少ないのは、夜の飲食店が早く閉まる指摘多いですが、朝の奈良公園など、朝のすがしがしさが売りでもある。それに反する部分もある。後はJRと近鉄の駅の周囲で温泉入浴施設があると喜ばれるのでは、公園でハイキングしたり、ジョギングする人が多いので。

[54343] 2006 年 10 月 5 日 (木) 22:14:04 miki さん
 高崎市神戸町

[54221]たもっち さん
神戸 ごうど 群馬県群馬郡榛名町
10/1の高崎市への編入で
高崎市神戸町(ごうどまち)
に町名変更しましたね...。

<おまけ>
高崎ナンバーをはじめご当地ナンバー誕生おめでとうございます!
ですが、私はまだまだ見ていません...。
http://www.k5.dion.ne.jp/~nplate/misc/map/mg00.html

[54342] 2006 年 10 月 5 日 (木) 22:04:58 miki さん
 10/1・大規模な小学校名変更(高崎市)

群馬県榛名町が高崎市に編入された際、小学校名も変更されたそうです。
第一小→下室田小
第二小→中室田小
第三小→室田小
第五小→里見小
第六小→久留馬小
第七小→下里見小
第八小→宮沢小
※第四小は今年閉校されたみたいですが...。
http://www.center.gsn.ed.jp/school/shochu/takasaki.html
...ナンバースクール→普通の校名というのは珍しいパターンですよね。

[54341] 2006 年 10 月 5 日 (木) 21:21:55 eiji_t さん
 デジタル標高地形図

1:25,000デジタル標高地形図(東京、大阪、名古屋)が作成されたそうです。
“航空レーザ測量によって整備した「数値地図5mメッシュ(標高)」の標高データを用いて作成した陰影段彩図の上に2万5千分の1地形図を重ねた地図”だそうで、“現況としてみても歴史的な目で見ても非常に興味を引かれる”とあります。

http://www.jmc.or.jp/map/jmc/digital_hyoko.html

のサイトでサンプルを見るとモニター上のせいか凹凸が逆転して見える(特に東京)のは私だけでしょうか?
実物を見たいけれど、近所の書店では取り寄せとの事。
どなたか、実物を見た、又は購入されたという方、ご感想をお聞かせください。

[54340] 2006 年 10 月 5 日 (木) 20:45:05 ezekiel さん
 神戸を巡って 〜 06oct2006  

[54321] ニジェガロージェッツ さん、“明治初期の神戸”
[54322] hmt さん、“兵庫・神戸(2)兵庫開港、そして開港場の地名「神戸」について"
[54339] hmt さん、“兵庫・神戸(3)開港場は、約束した兵庫でなくて神戸でも「ええじゃないか」"

 興味深い内容や、ご示唆を大変面白く読まさせて頂きました。

 私自身、「神戸って?」という、素朴な疑問から調べていまして、ちょうど桜トンネルさんが、

[54163] 桜トンネル さん
三重県には飯南郡神戸村、名賀郡神戸村、安濃郡神戸村(神戸村が消滅したときは安濃郡、今は安芸郡)、河芸郡神戸町(神戸町が消滅したときは河芸郡、今は安芸郡)の4つの神戸村または町があったのですが、なぜこんなにあるのでしょうか。群馬県でも5つの東村がありましたが・・・。

 神戸という地名の発生、由来に関するようなことに疑問を持たれていたような内容に、私も
興味を持って、全国の神戸の地名と由来を調べたことがありました。また、この神戸という
地名が、私の今住んでいる市町村名になった経過にも興味を持って、続けて調べたことが
ありました。いろいろ調べると面白い話も多く、かなりブレを楽しみながら、現在進行形です。

 一村名でしかなかった神戸が、港町、県庁所在地の市名になった原因として次の3つでは
ないかなあ〜と、今現在は考えています。

[54182]ezekiel、
 “神戸”という地名が、県庁所在地・政令指定都市の名前になったのは、
(1) 五畿内の港町の兵庫(大輪田泊)に隣接した位置
(2) 勝海舟が神戸海軍操練所を設置
(3) 幕末に兵庫開港し、神戸村に外国人居留地

 神戸の地名の発端は神社であり、それを支える神戸であって、村名としてのルーツは
きわめて農耕型のような気がします。その村名の神戸が、大都市の名前になった経過には、
港や海運がらみのことが多く、海事型であるような気がしています。

*

 神戸という一村名が、後の大都市の名前になったルーツ中のルーツは、兵庫という近隣の
港町の存在ではないかと思っています。上に挙げた(2),(3)は、兵庫という港町に隣接した
位置の故のものであって、今の神戸の街のルーツは兵庫なんだろうなあ〜と感じています。

 ただ、兵庫の近隣の地名の中で、「何故神戸?」を考える時に、その理由を幕末の十数年に
集約出来るのではないかなあ〜と思うようになりました。そのトリガーとなったのは
ニジェガロージェッツ さんの神戸駅の開業にスポットをあてた書き込みでした。

[54253]ニジェガロージェッツ さん、
今でこそ神戸駅周辺を「神戸」ではなく「兵庫」の一部だと思っている人は少ないと思いますが、神戸駅のある現在の「中央区相生町」は神戸市誕生当初より1931(昭和6)年の区政施行までは「兵庫」を冠し「兵庫相生町」でした。(区設置以前の神戸市の冠称については拙稿[51105]に記述)

 実は、この書き込みが気になって、改めて兵庫vs神戸という図式をじっくり考え直した
のですが、その中で次の2点が浮かび上がってきました。
(1) 「兵庫というまち」の範囲の変遷
(2) 「神戸」という地名の指し示す地域の変遷

 兵庫の町は繁栄と共に膨張したようで、元禄年間頃には、すでに湊川の左岸にまで及んで
いたようです。そして幕末には、湊川の左岸の西国街道沿いに相生町という兵庫の町が存在
していたようです。詳しいことが未だわからずにいるのですが、とにかく、明治7年開業の
初代神戸駅の位置というのは、当時の兵庫(相生町)と神戸(旧・走水村)の境界地帯で
あったようです。

 ただ、この時の神戸は神戸村のことではなくて、走水村、二ッ茶屋村、神戸村の3村の
連合体としての神戸町です。神戸という地名が、幕末には兵庫の東隣、湊川から生田川までの
地域を指し示すようになっていたように思います。しかし生田という古い地名も存在して
おり、兵庫vs神戸と共に、生田vs神戸という構図にも興味を持った次第です。

 神戸という地名が脚光を浴びた(?)時期が、明治に入っての数年間であったと思って
いたのですが、実は、もうちょっと手前の明治に入る前の数年間ではなかったのかなあ〜と、
ここ数日で、考えが変わってきています。

 前置きがひじょうに長くなりましたが・・・

 *

 10C頃には、西から八部郷、宇治郷、神戸郷、生田郷という地名が存在したようで、
まだ兵庫という地名はなかったようです。古代から中世の時代には、生田という地名が
この辺り一体を指し示す名前であったようで、神戸という地名は、その中の一集落の
名前に過ぎなかったのではないかなあ〜と思っています。(私自身、古文書を直接
読めないので、入手にした2次資料の範囲だけですが・・・)当時の神戸郷と生田郷の
位置や範囲の詳細はわからないのですが、神戸という地名が、ムラの名前を指し示す
(御幣があるかもしれませんが)行政的な地名であった時代が、江戸末期まで続いて
いたように思います。

 兵庫のまちに関しては、12C以降、興亡を繰り返していたようで、港町として、
そして宿場町として整備されるのは16C以降、特に江戸期に入ってからのようです。
元禄年間には、湊川右岸の南西一帯に町が広がっていたようです。ただ、この時期には
湊川の河口左岸に兵庫のまちが膨張して、西出町や東出町の基になる町並みが出来つつ
あったようです。その後に東川崎町も出来て湊川左岸に兵庫の町がはみ出していた
ようです。前述したように幕末頃には、西国街道沿いの湊川左岸に相生町が存在して
いたようです。

 この辺りのイメージが、どうも今の市町村制で捉えてしまいがちなのですが、神戸の
地名のルーツを探る中で、江戸期の“まち”って一体何なんだろうかなあ〜という疑問を
持ったのですが、未だわからないままです。江戸の町が典型的だと思うのですが、近隣の
村が江戸の町に飲み込まれて消滅したケースもあると思うのですが、これは今風の
町村合併とは違うでしょうし、実質的に町が村を侵食していったのかなあ〜と
イメージしています。

湊川左岸に関しても、兵庫の町が発展、膨張して、西出町や東出町、東川崎町、相生町が
湊川左岸の走水村を徐々に侵食していったのかなあ〜と。(江戸期のまちと村に関しては、
じっくり調べたいと思います。)

*

[54322] hmt さん、
「神戸」という地名が、世界的なブランドになったのは何故か?という問題を解くキーの一つとして、上記のように居留地になった場所に存在した「神戸海軍操練所」の存在にもご注目ください。

 神戸海軍操練所が何故神戸村に出来たのかは、二ッ茶屋村出身の網屋吉兵衛の蓼場
建設が大きいようですね。そして、蓼場の建設をバックアップしたのが神戸村であり、
当時の神戸村の庄屋の生島四郎の存在がキーポイントになるのかもしれません。そして
走水村、二ッ茶屋村、神戸村の3村をリードして神戸町の誕生に導いたのも、“神戸”という
一村名を、兵庫のまちと互角の位置関係にまでアップさせた功績があるように思います。

 資料を見ていると、村の規模としては神戸村が、二ッ茶屋村や走水村よりも大きかった
ようですが、でも財政力としては二ッ茶屋村が上回っていたのではないかと思っています。
神戸村が農村型であったのに対して、二ッ茶屋村には大きな廻船が多数あったようです。
ただ走水村は、兵庫のまちが湊川河口左岸の海岸部まで膨張したためか、村としての規模は
二ッ茶屋村、神戸村に比べると、小さいように感じます。

 もし、網屋吉兵衛の蓼場が、出身地の二ッ茶屋村に出来ていれば、そして、神戸村の庄屋
生島四郎の存在がなければ、神戸ではなく二ッ茶屋の地名がクローズアップされ、明治元年
に二ッ茶屋町が生まれて、区名になってそして市名になっていたかもしれません。


[54321]ニジェガロージェッツ さん、
兵庫開港に際し兵庫津ではなく、実際には北へ離れた神戸村の浜辺を開港場として以来、兵庫港と神戸港が並存していました。

 これに関しては、[54339]で hmt さんも触れられておられますが、神奈川と横浜との
アナロジーで捉えて、神戸の場合と横浜の場合との相似と差異とを比較すると面白いだろう
なあ〜と思います。形式原理では兵庫港なのですが、実質的に明治の初期には既に神戸港
であったように思います。ただhmtさんも触れられておられるように、勅許を得て開港した
港は、日本側での公式的な扱いは、しばらくは兵庫港であったはずではないかなあ〜と
思います。

[54321]ニジェガロージェッツ さん
まず元来「生田」の地名は生田川を東界とする摂津国八部郡に属していましたが、川の流路の変化もあったのでしょう、いつしか村落は摂津国菟原郡に、生田神社は八部郡と分かれてしまいました。

[54322] hmt さん、
たしかに、この近くには「神戸」の名の由来でもある生田神社が存在しますが、そこの近世の村名は内陸の「生田宮村」(海岸の神戸村と共に八部郡)であり、「生田村」は生田川の東岸・菟原郡でした。従って、新しい開港場の名前とし、港に直結する村名「神戸」の方がより適切だったのではないかと考えます。

 生田という地名に関しては、もう少し調べたいと思います。天領になった以前の尼崎藩の時代
に遡ることになるかもしれませんが・・・

[54339] 2006 年 10 月 5 日 (木) 19:08:53 hmt さん
 兵庫・神戸(3)開港場は、約束した兵庫でなくて神戸でも「ええじゃないか」

[18378] ニジェガロージェッツ さん
兵庫の町は中世から続く古い街で外国の商館や居留地を設けることは土地的に余裕はなく、また治安の面からも当時は幕末の騒然とした時代で攘夷論もやかましく、古くからの因習に満ちた兵庫の住民と、西洋諸国の居留民との間で衝突の懸念もありました。
そこで、兵庫港から北北東へ約2キロ離れた神戸村の浜辺を「兵庫港」の名のまま開港場としました。

ここに挙げられたように、土地的条件と警備面が理由であるとすると、「兵庫」の名で開港したのが神戸になったことは、「神奈川」の名を使って横浜を開港した手法を繰り返したように思われます。
[20917] hmt 参照
安政5年(1858)の日米修好通商条約で開港を約束した5港のひとつは「神奈川」でしたが、幕府は警備上の理由から開港場を横浜村に変更し、外国に対しては「横浜は神奈川の一部である」という強引な論理で押し通しました。

しかし、「神奈川」の名を使いながら実際の開港場を横浜に変えたのは、まさに日本側(江戸幕府)の都合であり、商売上から神奈川宿を主張した外国側の意向を無視して強行したのに対して、条約上の開港場が「兵庫」であるにもかかわらず、実際の開港場を神戸に変えたのは、外国側の同意を得たものであったようです。

国土交通省近畿地方整備局神戸港湾事務所の 神戸港の歴史(幕末から明治へ) によると、当初は兵庫の市街地に近い和田岬から妙法寺川尻に至る臨海部を外国人居留地とし、沖合いに防波堤を築いて内側を開港場とする計画だったようです。

しかし、結局のところ前記の理由により、居留地は神戸村に選定。
この兵庫外国人居留地規定に英国公使パークスが賛同した(慶応3年4月14日)ことにより、各国代表もこの取り決めを承認しました。
パークスは、英米蘭仏4ヶ国連合艦隊が下関を砲撃した翌年(1865)に着任していますが、この年に艦隊が兵庫に来航した[54322]際の測量結果から、“天然のすぐれた投錨地となっている小さな湾”(神戸の入り江)の方が、兵庫津よりも港に適していると判断したのだそうです。

パークス曰く
開港場は、約束した兵庫でなくて神戸でも「ええじゃないか」[54322](冗)。

開港場は神戸になりましたが、勅許がようやく得られた後の慶応3年7月に「兵庫奉行」が任命され、開港後も公文書には「兵庫居留地」と記されています。

開港後間もない慶応4年4月の「開港神戸之図」[54297]が示しているように、「神戸港」の名は最初から使われていたのでしょうが、「神戸港」の名が公的にも現れたのはいつからでしょうか?

ずっと後のものですが、明治17〜20年に、「二万分一仮製地形図」が測量されています。平凡社の「兵庫県の地名」に付いている復刻版(集成縮小図)を見ると、ニジェガロージェッツ さんの略図[54321]と同じ位置に「神戸港」、「兵庫港」の文字が入っています。
これよりも更に後の、明治25年9月15日勅令第77号「神戸港船舶碇繋所区域拡張ノ件」によって、兵庫港域も「神戸港」に統合されました。

[54338] 2006 年 10 月 5 日 (木) 16:51:00 スナフキん さん
 訂正とお詫び

[54306]に関して、私自身に事実誤認がありました。

本日、国際地学協会の倒産に関して説明会があったようで、出席した上司によれば「会社更生法」ではなく「民事再生法」の適用なのだそうです。少し早まった書き込みをしてしまい、大変失礼いたしました。

ただいずれにせよ、かなりの負債を抱えて経営がいき詰まったことには違いなく、今後出版業務は取りやめるそうです。つまり、本屋に「国際地学協会」の本が新たに並ぶことはもうない、ということです。従業員も大幅削減するそうですが、果たして今後の業務がそれで成り立つのかどうか…。

大幅な赤字収益に陥った要因として、高速道路リーフレットの受注見送りがあるという説明なのだそうですが…。

[54337] 2006 年 10 月 5 日 (木) 15:08:12 般若堂そんぴん さん
 Re:緊急企画

[54259][54331]ペーロケさん
山形県:12本……で良いのかな?
「Y」型の場合,3本と数えたのですが.
(蛞蝓のようにのろまな私……)

[54336] 2006 年 10 月 5 日 (木) 12:16:40 かすみ さん
 訂正です

[54218]hmtさん
[54189]スナフキんさん

岩立湖でなく立岩湖であったと報告がありましたのでお知らせしておきます・・・。(笑)
一番遠いであろう場所はしばらく許可が下りない(もしくは許可されない)ので
今のところは立岩湖が一番海から遠いシーカヤックの出来る場所となります。


[54330]小松原ラガーさん
あ、あ〜、そのネタ、先を越されました!
毎日眺めるものだけに気になって仕方ないですよね。(^^;

[54335] 2006 年 10 月 5 日 (木) 09:01:09 星野彼方 さん
 Re:敦賀駅 など

[54323] むっくん さん
敦賀駅の情報ありがとうございます。イメージ図から橋上駅舎ではないことはわかったのですが、跨線橋は気付いていませんでした。これなら乗換もしやすくなるでしょう。また、小浜線から北陸本線への直通となると、521系での小浜〜福井間直通運転などを期待するのですが、どうなるかな。

[54331] ぺーロケ さん
銀メダルありがとうございます。はじめは「0」のところを探したのですが、発見できず、それじゃぁ多いところと思ったら、本当に100以上ありそうなほどあり、結局無難なところに落ち着きました。

[54334] 2006 年 10 月 5 日 (木) 06:53:48 むっくん さん
 奈良の観光

[54314][54332]ワカメさん

はじめまして。むっくんと申します。
2010年には平城京遷都1300年の記念祭が催され、それにむけて10年前からプロジェクトが始動しています。インフラ整備として、奈良線では西大寺と新大宮の間にその期間中のみ平城宮跡前に駅を新設するようです。道路も早々に整備(特に京奈和自動車道)しなければならないのではないでしょうか?
私は奈良に生まれ20年ずっと住んでいますが、どうも観光都市としては中途半端な気がしてなりません。この1300年記念祭で成功しなければ、この先一生奈良は観光都市としてはやっていけないと考えます。
まず初めに、市内中心部に高速道路を建設することがそもそもプラスになるかどうかは実は分からないと思います。
奈良の現状を知らないのでなんともいえないのですが、名古屋市では都市高速を作ったことでかえって渋滞が酷くなったとも聞いたことがあります。また、私の住む京都では紅葉シーズンにはいつも市内交通が完全に麻痺してしまうために(ここ数年は一部地域のマイカー規制で若干はましになりましたが)、市内中心部を通過するだけの車を減少させる方向の道路建設(新十条通京滋バイパス(瀬田東IC〜大山崎JCT))がなされていたりします。

次に、本題の奈良市の観光に入ります。
奈良県の1300年記念祭プロジェクトを私も知っていますが、失礼ですが、このプロジェクトのグランドデザインはハード面からのアプローチがメインであり、ソフト面からのアプローチはあまり考えられていないのではないかと思います。

現在の奈良の状況(昼のみに観光、宿泊は他所で、という観光客の行動パターン)は、実は今から十年前の京都嵐山に酷似していると思います。
嵐山では約8年前から、採算度外視で店を夜まで開ける、ライトアップを行う、温泉を掘り当てる、等の施策を地道に嵐山の店店と京都市が共同で行ったことで、今では嵐山は夜でも“一応は”楽しめる,“一応は”泊まるに値する街となりました。

#嵐山や大原を筆頭に市内中心部でも町屋・伝統芸能体験などのソフト面の強化を図ることで京都市の観光客はここ十年で約八百万人増加しました。(参照:京都新聞

私見ですが、奈良においても京都嵐山同様のソフト面の充実なしには、『如何に奈良に宿泊してもらえるのか』、『奈良に再び来てもらえるような街づくりをするのか』という本当の課題を克服できないのではないかと思います。
このままですと、言い過ぎかもしれませんが、現状の、奈良に昼に観光に来て、大阪もしくは京都に宿泊せざるをえない観光客が少々増えるのみにとどまるに過ぎないのではと思います。


初めて(?)の奈良県民の落書き者
この落書き帳に集うメンバーの居住地・出身地の都道府県分布によりますと、少なくとも奈良県に居住されている方は二人おられるようなので、残念ながらワカメさんは初めての奈良県民の落書き者ではないようです。

[54333] 2006 年 10 月 5 日 (木) 05:49:09 YSK さん
 おはようございます

朝晩本当に涼しいというか寒くなってまいりましたね。ご自愛ください!

[54331]ペーロケさん
メッセージありがとうございます。分かったような気がいたしますが、群馬県の場合どう数えていいかわかりません・・・。吾妻郡あたりが微妙です。

[54328]稲生さん
郵便局めぐりお疲れ様です。現在両毛にいらっしゃるのですね。太田市はスルーされてしまうのですね・・・(行程上やむを得ませんね)。太田市北部の毛里田(もりた)郵便局などは、旧国道50号からも比較的近いですから、1局だけでもいかがでしょうか?

[54324]eiji_t さん
こちらこそ、よろしくお願いいたします。

[54332] 2006 年 10 月 5 日 (木) 01:51:44 ワカメ さん
 京奈和自動車道

2度目の書き込みになります。今日は京奈和自動車道のことについてです。
いつ頃からの計画かは知りませんが、2002年までに京都側の城陽〜木津間は完成し、暫定対面通行で供用しています。そして、今年4月に自動車専用道路(郡山〜橿原北)(五條〜橋本)ができました。しかし、それ以外の部分、特に奈良県内の木津〜郡山、橿原北〜五條までは一切建設の見通しは立っていません。

奈良市内は世界遺産や重要文化財が多数あることもあり、観光都市として成功させたい、そうしたことから景観を害する高架道路の建設案は認められない、との見解が示されています。一方地下トンネルを通す案は、地下の帯水層を分断してしまい、まだ地中に埋まっている木簡などの保存が危うくなってしまう、との見解により、どちらの案も平行線のままです。

私の考えでは、高架の建設のほうを支持します。というのもインフラ整備での多少の景観悪化は必要悪であると思うからです。
近鉄奈良線はその典型例ではないでしょうか?確かにまだ歴史的建築、遺跡の保存には力を入れていない戦後まもなくでしたから、平城宮跡を分断するように鉄道は敷設されました。しかしそのおかげで、奈良の中央と西部、さらには大阪へのアクセスが便利になったのは事実です。もう一方の地下案は保存という観点からも、またコストの面からもあまり良策とはいえません。

2010年には平城京遷都1300年の記念祭が催され、それにむけて10年前からプロジェクトが始動しています。インフラ整備として、奈良線では西大寺と新大宮の間にその期間中のみ平城宮跡前に駅を新設するようです。道路も早々に整備(特に京奈和自動車道)しなければならないのではないでしょうか?
私は奈良に生まれ20年ずっと住んでいますが、どうも観光都市としては中途半端な気がしてなりません。この1300年記念祭で成功しなければ、この先一生奈良は観光都市としてはやっていけないと考えます。

長々とつたない文章で申し訳ございませんが、コメントをいただけたら幸いです。

[54331] 2006 年 10 月 5 日 (木) 01:37:29 ペーロケ さん
 - ・ - ・ -

 最近は半徹夜状態だったため、採点が遅れてしまい、申し訳ありません。

[54316]suikoteiさん
兵庫県:3
 正解です。鮮やかな金メダルです!!おめでとうございます。案外アルコールが入ったほうが、ふっとひらめいたりするものかもしれませんね(笑)

[54317]星野彼方さん
石川県:2
 こちらも正解。銀メダルです。石川県も数えやすい県の一つですね。

[54319]k-aceさん
いまだになんのことだか見当もつかない…(汗)
[54320]YSKさん
反応させていただきたいものの答えが分かりません。申し訳ありません、ギブアップです。
 すみません。ちょっと難しかったようですね。もう一つヒントですが、公的な出版物では、タイトルのように表示されます。

 ひと昔前では当たり前のようにあったのですが、急激な減少は全国的な傾向でして、今ではすっかり希少な存在になってしまいました。とはいうものの、ひょっとしたら現在でも100以上ある道府県があるかもしれません(検証はしていませんが)。

[54330] 2006 年 10 月 4 日 (水) 23:24:36 小松原ラガー さん
 鉄分ですみません

小松原ラガーです。

オフ会に参加できなかったショックで暫く寝込んでおりました。というのは、全くのうそで(m_o_m)ここのところ毎日夕方前に「これ明日までにお願い。」てな具合で仕事がやってきて、ちょっと参った状態でした。

さて、

[54013] 小松原ラガー
3)西宮〜芦屋間のここ
以前にも触れましたが、線路の下を南北に直交する道路が建石筋。この西側部分だけでなく、東側部分でもホームの姿がだんだん明らかになってきました。ホームの屋根も西側部分を中心に着々と建設されていっています。

建石筋をはさんで西側と東側に分断されていたホームがついに繋がっています。あと、[54013]ではこの他に、西大路〜向町間、山崎〜高槻間、鷹取〜須磨間の合計4箇所について述べさせていただきましたが、電車の中、ドアの上部に取り付けられている路線図での扱いが微妙に異なることに気が付きました。山崎〜高槻間以外の3箇所の新駅については、既に路線図の中で、

尼崎
立花
甲子園口
西宮
(スペース)
芦屋
甲南山手
摂津本山
住吉

(投稿の都合上、縦にリスティングしましたが、実際には横に並んでいます。)

などのように新駅開業に合わせて駅名の追加が出来るようにスペースがあけてありました。過去の例から言って、新駅開業時はここに「JR夙川」などのように新駅を貼り付けて「はいできました。」とするのでしょうが、なぜか山崎〜高槻間の新駅のみはこのような対応がなされておらず、進捗がまだまだなのが如実に感じられました。ただ、その他の3つの新駅が同時に開業するわけでもなく、山崎〜高槻間の新駅のみえらく肩身の狭い思いをしております。(工事進捗という意味では鷹取〜須磨間の新駅も山崎〜高槻間とそんなには変わらないのですが・・・)

あと、鉄分を離れると本日10月4日に神戸は三宮のここがオープンしています。元々新聞会館があった場所ですが、震災後ようやくリニューアルオープン。人の流れがフラワーロードの西側だけでなく東側も増加、というか三宮周辺の東西の人の流れが活性化するとのことで、地元商店街等はかなり期待している模様ですが、私にしてみりゃJR三ノ宮駅の東改札口が込み合うのは何とかしてほしい、というのが正直なところですが。しかもJR三ノ宮の場合、東改札口と中央改札口は何のことはない、高架のホームから1Fに降り、東に出れば東改札口、西に出れば中央改札口というだけの構造でコンコースが共通なので、ホームから1Fに降りた改札の中、コンコースの部分がやたら込み合う格好となります。たまたま本日は私用で朝9時半頃に三ノ宮にいましたが、オープン記念イベントやらで人はいっぱいだし、空には報道機関のものと思しきヘリコプターは旋回していてうるさいし、でちょっといやな三ノ宮でした。

と、言いながら、Mint神戸には今度探検に行こうとは思っていますが・・・
(この優柔不断さ、ごめんなさい。)

[54329] 2006 年 10 月 4 日 (水) 22:26:13 いっちゃん さん
 経県

オフ会では触れたのですが、公けにしていなかったのでここで改めてカミングアウトします。
10月1日付で函館へ異動となり、本日、函館での会議で16日の着任を要請されました。
と言うことで居住地が1つ増えることになりました。
これが何を意味するかと言えば、自分から言うのも気が引けますが、つまり、岐阜での宿泊経県を残しながら、経県ランキングのトップになってしまうらしいのです・・・。

アマリウレシクアリマセン・・・。

いや、北海道に住むのが嫌だと言っている訳ではありません・・・。(汗)

[54328] 2006 年 10 月 4 日 (水) 20:24:58 稲生 さん
 関東6都県“局メグ”

かねてから、計画していた関東6都県“局メグ”を終えて、栃木県某所からの書き込みです。

いっちゃんさんのように、日本をまたに駆けて東奔西走することができないので、一日に可能な限りの“局メグ”を試みてみました。

5/17に関西5府県駆け抜け“局メグ”[51410]参照)を実施して気をよくしたあと、
7/12に太平洋側から日本海側の中部5県またぎ“局メグ”を行ったり、
8/30の東海北陸4県またぎ“局メグ”[53787]参照)を行ったりして研鑽を積んできましたが、
本日とうとう東京・埼玉・千葉・茨城・栃木・群馬の6都県の局メグを実施することができました。
通過した地点は車両ナンバーで言えば、足立・春日部・野田・土浦・とちぎ・群馬です。
明日は、あいにくの雨の予報が出ておりますが、とちぎ・群馬・熊谷ナンバー地域を経由して雁坂トンネルを経て帰浜する予定です。

どうやら私の経県値も8点アップして115点から123点になったようです。(82位から77位タイへ)

[54327] 2006 年 10 月 4 日 (水) 18:54:04 桜トンネル さん
 Re:10月2日&唐津市

[54319]k-aceさん

[53078](桜トンネルさん)の記事を見てみると、淡路地域はすべて、少なくとも通過はしていますね。行っていない=未踏破及び通過ということなんでしょうか。

[53078]のときは、山陽自動車道→瀬戸中央自動車道→高松自動車道→徳島自動車道という過程で行ったのですよ・・・。ってこれは冗談です(笑)。
踏破という言葉を電子辞書(広辞苑)で調べてみると、「踏み歩くこと」、「歩きぬくこと」と出たので、訪問以下かなぁと思ってしまい、通過及び接地を未踏破の中に入れてしまいました。兵庫県内にある市町をすべて訪問以上にするのはちょっときついなぁ・・・。
ちなみに、神戸淡路鳴門自動車道で淡路地域を通過したとしても、旧津名郡五色町は通過することができません。
そういうことで、接地及び通過を入れて未踏破の市町を調べてみました。

但馬地域(1市17町のうち4町)

旧美方郡美方町 旧出石郡但東町 旧養父郡大屋町 旧朝来郡山東町

西播磨地域(4市21町のうち14町)

旧宍粟郡一宮町 旧宍粟郡波賀町 旧宍粟郡千種町 旧宍粟郡山崎町 旧宍粟郡安富町 旧佐用郡佐用町 旧佐用郡上月町 旧佐用郡南光町 旧佐用郡三日月町 赤穂郡上郡町 旧揖保郡新宮町 旧飾磨郡家島町 旧飾磨郡夢前町 
旧神崎郡大河内町

東播磨地域(7市11町のうち1市5町)

旧西脇市
加古郡稲美町 旧多可郡黒田庄町 旧多可郡中町 旧多可郡加美町 旧多可郡八千代町

丹波地域(10町のうち5町)

旧氷上郡青垣町 旧氷上郡氷上町 旧氷上郡柏原町 旧氷上郡山南町 旧多紀郡今田町

阪神地域(8市1町のうち1町)

川辺郡猪名川町

淡路地域(1市10町のうち1町)

旧津名郡五色町

ということで、91市町のうち31市町にはかすってもいないということになります。北播磨西部(宍粟・佐用付近)や北播磨東部(西脇・多可付近)に全然行っていません。兵庫県で一回も行ったことのない市がなんとありました。そのものずばり西脇市です。へその公園などがあるため有名(?)な市ですが・・・。一度行ってみたいですねぇ・・・。
あとちょうっとで稲美町も通過に入っていたのに・・・。おしい!!

[54326](すみません。漢字を出そうと思って調べたのですが、出てきませんでした。僕の見過ごしかもしれませんが・・・。本当に申し訳ありません。)

ご当地ナンバーのことなんですけど、実際に実現するところは、あるのでしょうか?


ここを見るといいですよ。前に[54245]音無鈴鹿さんや[54246]じゃごたろさん、[54257]YSKさん、[54273]hiroroじゃけぇさんなどが述べられていますが、「那須ナンバー」、「諏訪ナンバー」、「高崎ナンバー」、「倉敷ナンバー」以外にも「仙台ナンバー」などがあるので、見てください。

[54326] 2006 年 10 月 4 日 (水) 16:58:23 稍 さん
 ご当地ナンバー


 久しぶりです。

 ご当地ナンバーのことなんですけど、実際に実現するところは、あるのでしょうか?

 那須ナンバーのように住民投票で、否定的なところが多いんじゃないかと思います。

 

[54325] 2006 年 10 月 4 日 (水) 11:08:43 N-H さん
 小松駅

[54317] 星野彼方 さん
オフ会の帰りに小松駅で久しぶりに白山そばを食べたのですが、確かに関西風でも関東風でもなく甘かったです。
ここだけ反応。
私も金沢からの帰り、小松まで列車で行き小松からバスで空港に向かいましたが、やはりその小松駅で白山そばを食べましたです。
実は前日金沢駅にて白山そばを見かけたときにちょっと食指が動き、迷った末にやめたのですが、帰りの最後に小松駅で見たときには誘惑に負けました。
個人的にはわりといけました。富山駅の立山そばにもちょっと似て、かまぼこがはいっているのが印象的でした。
ともに県を代表する名山を名前にしているところからも、なにか関係があるのでしょうかね。

[54324] 2006 年 10 月 4 日 (水) 07:34:34 eiji_t さん
 復帰の挨拶&御礼

10月1日にほぼ1年ぶりに復帰しましたが、過去記事を見てみますと以前私が提案したアーカイブや地名コレクションが採用されていたり追加されていたり、私の過去記事に言及されていたりしたのを見つけ、遅ればせながら御礼申し上げます。
[49129]YSKさん
[49925]EMMさん
[49972]SANUKI-Impact[讃岐の民]さん
[51618]右左府さん

落書き帳は私にとって常連客で盛り上がっているお店のようで、一寸行きそびれると敷居が高い感じになってしまうのです。これからはあまり意識せずちょくちょく覗いて、ゆるゆる参加させていただきたいと思います。暫くは亀レスばかりになる予感…
これからもよろしくお願いします。

[54323] 2006 年 10 月 4 日 (水) 01:11:38【1】 むっくん さん
 敦賀駅

[54317]星野彼方さん
敦賀駅舎の改築はいいのですが、小浜線ホームから北陸本線への乗換をしやすく構内も改善して欲しいのですが、そのへんはどうなんでしょう?
まず現状での構内改善なのですが、乗換え通路の構造上の問題よりエレベーター設置等による改善は極めて難しいようです。(参照:敦賀市建設部駅周辺整備課の広報誌『走れ!新快速』(第2号)p3(PDF))
そこで、駅舎の改築と共にバリアフリー化する案が出され、約4年後に完成が予定されている駅舎改築によって改善されるみこみです。
具体的には新駅舎3階の改札口から延びる跨線橋で各ホームにアクセスする形式に変更され、その時に跨線橋〜ホームと駅舎1階〜3階にエレベーターの設置がなされるようです。
拙稿[54249]で紹介した朝日新聞のイメージ図にも実は跨線橋は描かれていたりします。
このことは、Wikipediaにも書かれていますね。

ただ、『走れ!新快速』(第3号)p1(PDF)によると、北陸本線から小浜線ホームへの発着を可能にする分岐器も設置されたようなので、今月の直流化によるダイヤ改正により乗換えの手間が省けるようになるかもしれません。

私は帰りに見た長浜駅の変わりように(まだ変わってはいないのですが)びっくりしました。木ノ本駅や余呉駅など、あの辺はどこも大きく変わりそうです。
湖北地方の駅舎・駅周辺整備計画は滋賀県交通政策課のHPにあるように、長浜駅を除いてはほぼ完成済みですね。
高月駅の現行&直流化完成後の比較の時刻表(PDF)を見ても分かるように相当京阪神からのアクセスが容易になるので、あとは観光客が来るのを待つのみ?なのでしょう。
湖北地域振興局地域振興課のHP上の「琵琶湖環状線開業記念誌」で『直流化記念イベント情報(PDF)』や、『湖北・湖西地域情報(PDF)』が紹介されていたりします。

鉄分たっぷりの書き込み&乱文となってしまい失礼いたしました。

[54322] 2006 年 10 月 3 日 (火) 23:47:28 hmt さん
 兵庫・神戸(2)兵庫開港、そして開港場の地名「神戸」について

[18378] ニジェガロージェッツ さん
旧幕府は安政の条約で兵庫津の開港を諸外国と約束しましたが、(中略)
そこで、兵庫港から北北東へ約2キロ離れた神戸村の浜辺を「兵庫港」の名のまま開港場としました。

兵庫開港の時期については、安政条約では「1863年1月1日(文久2年11月12日)」とされていました。
しかし、安政6年に神奈川などで貿易が始まってみると、物価高騰や攘夷運動が激化。この政情不安を沈静化させるため、兵庫・新潟の開港の延期を求めることになり、難交渉の末、5年間延期させることに成功しました。
一方、外国側もイギリス艦隊による鹿児島砲撃(1863)、4ヶ国連合艦隊による下関攻撃(1864)で開港反対派の薩長をたたいた後、1865年にはその連合艦隊が兵庫沖に現れ、早期開港を迫りました。

薩長には、幕府直轄領・兵庫での開港による貿易独占に対する警戒があったのでしょう。もちろん、公家たちが、都に近い兵庫の開港を嫌う気持ちもありました。孝明天皇は、異人に対する生理的な嫌悪感の持ち主だったようです。

期限の慶応3年12月7日(1868年1月1日)が近づいた3月、徳川慶喜は兵庫開港の勅許を奏請し、反対派の抵抗はあったものの、イギリスなどの外圧に耐えきれず開港に踏み切ることになり、5月24日ようやく勅許が得られました。

開港準備は勅許前から進められ、4月には(旧)生田川の川口西岸・神戸村に居留地が設置されることが決まりました。
[54297]で触れた慶応4年(1868)「開港神戸之図」には、生田川口右岸に「外国人居留地」や「御運上所」が見えます。現在も、まさに運上所の後身である「神戸税関」の存在する地ですが、ここは、文久3年から翌元治元年(1864)にかけて勝海舟の 「神戸海軍操練所」 が建設された所です。[54297]で触れた和田岬砲台と同じ時期です。

このようにして、ともかく予定通りの慶応3年12月7日に兵庫開港を迎えました。
時代背景を見ると、8月に名古屋付近から始まった「ええじゃないか」が京畿にも拡大してきた真っ最中であり、兵庫開港式にも乱舞する村人がなだれ込んだとか。

そして、2日後の12月9日に王政復古の大号令。年が改まった慶応4戊辰年、1月3日の鳥羽伏見の戦いに敗れた幕府は江戸に引き揚げてしまい、兵庫・神戸は統治者不在状態になりました。
これより後は朝廷側の統治になり、閏4月の政体書 によって「県」の制度ができると、兵庫裁判所は「兵庫県」になりました。初代「知県事」に任命されたのは伊藤博文(慶応4年5月23日)。

本題に戻ると、外国人居留地の造成は、開港に間に合わず、明治政府に引き継がれた後の慶応4年6月に完成。
そのために、新政府は生田川と宇治川の間を指定した雑居地に、外国商人の居住を認めざるを得ないことになりました。

[54258] ezekiel さん
江戸期の幕末前夜までは“一集落の地名”でしかなかったが「神戸」という地名が、明治の区名に選ばれ、市名になり、日本の重要な港名になり、国鉄の停車場の名前に選ばれた理由。

「神戸」という地名が、世界的なブランドになったのは何故か?という問題を解くキーの一つとして、上記のように居留地になった場所に存在した「神戸海軍操練所」の存在にもご注目ください。
歴史のある「兵庫津」から少し離れたこの地「神戸」は、幕末前夜から開港までの10年余の間に“一集落の地名”を脱して、幕府時代に設置された公的機関の名に使われた地名になっていたのです。

隣接する「生田」であっても良かったわけです。

たしかに、この近くには「神戸」の名の由来でもある生田神社が存在しますが、そこの近世の村名は内陸の「生田宮村」(海岸の神戸村と共に八部郡)であり、「生田村」は生田川の東岸・菟原郡でした。従って、新しい開港場の名前とし、港に直結する村名「神戸」の方がより適切だったのではないかと考えます。

なお、生田川の流路は神戸開港後の明治4年に付け替えられ、明治13年(1880)「兵神市街之図」[54297]では既に東側に移っています。この1.9kmの付替工事の請負人・加納宗七の名は、新神戸駅から三ノ宮駅至る大通り(フラワーロード)に沿った町名(加納町)として残っています。ここが「神戸区」時代にも市街地の東端だった(旧)生田川の流路跡で、付替工事の後で彼に払い下げられたのですね。

[54321] 2006 年 10 月 3 日 (火) 23:41:20 ニジェガロージェッツ さん
 明治初期の神戸

[54258] ezekiel さん、[54297] hmt さん、レス有難うございます。
特にhmtさんの「兵神市街之図」についてのお話は、大変面白く拝読させて頂きました。いつもながら的確なフォローに深く感謝致します。

[54258] ezekiel さんの神戸に関するご考察、生田への関連も含めて大変興味深いものがありますが、その前に確認までに少し。
兵庫港が神戸港に改称したのが明治25年。
これを「改称」と言えるかどうかですが、兵庫開港に際し兵庫津ではなく、実際には北へ離れた神戸村の浜辺を開港場として以来、兵庫港と神戸港が並存していました。明治25年に起こった事は両港の統合であり、神戸港内に含まれる兵庫港となったことです。

先の拙稿[54253]の書き込みの主旨は、2つの都市「兵庫」と「神戸」との勢力の逆転について、その逆転時期を考える上で、「神戸駅の開業」というイベントにスポットを当ててみたかったいうものでした。
[54297]hmtさんの仰るように、鉄道建設の経緯からして「神戸港」に隣接している駅名が「神戸」であるのは当然でしょう。
生田川河口から和田岬に至る海岸線は、湊川の河口を頂点に二つの扇が連なった形状をしています。
湊川河口「南側の扇」が兵庫港、「北側の扇」が神戸港と言うわけです。
ところが、兵庫の陸上での境界は「北側の扇」の中程にある宇治川です。この「陸海境界のずれ」が兵庫の地に在りながら「神戸駅」との名称になったとすれば、海岸線という地形の為せる悪戯でしょうか。

江戸期までは、どちらかというと「生田」の地名の方が通りが良かったのでは
ないかなあ〜と思います。神社の名前は生田神社、その附近は生田の森で、
山手からの流れは生田川、神戸と生田では、生田の方が地名としては優勢の
ような気がします。

生田に関して言えば、「神戸」という地名が生田神社の「神封戸」を由来とするのであれば、古来は確かに「生田」のほうが格上の地名と言えるでしょう。
しかし、開港を迎えた幕末期では状況が違っていたはずです。
まず元来「生田」の地名は生田川を東界とする摂津国八部郡に属していましたが、川の流路の変化もあったのでしょう、いつしか村落は摂津国菟原郡に、生田神社は八部郡と分かれてしまいました。
江戸期には生田村は菟原郡、神社のある生田宮村は八部郡に所属しています。
この場合、「神戸」に対抗する「生田」と言えば、同じ八部郡に所属し隣接する「生田宮村」の方でしょうか?
しかし、この村は「社官と寺僧の家居ありて、村とは単に名のみ」と言われ、天明8(1788)年には家数3・人数18を数えるに過ぎず、幕末に至ってもこの様子は変わらなかったと言います。
一方、後の明治9年に合併して葺合村の一部となる「生田村」については、生田川を挟んだ反対側の菟原郡にあり、あくまで私見ですが開港場となった神戸村の名称とするには、無理があったのではと思います。

以下、明治初期に神戸村→神戸町→神戸区→神戸市と発展していく過程で、神戸に吸収されていった村々を簡単ではありますが略図で表してみます。
|===========△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△尾尾筒筒筒==原田=|
|============△△△△△△△△△△△△△△△△△△△尾尾尾筒筒筒====|
|============△△△△△△△△△△△△△△△△△滝尾尾尾尾筒筒筒====|
|=============△△△△△△△△△△△△△△滝滝滝滝滝尾村筒筒筒筒筒==|
|=============△△△△△△△△△△△北北北生熊熊熊熊村村村筒脇脇脇==|
|==============△△△△△△△△△△北北北生生熊熊熊村脇脇脇脇脇脇脇=|
|==============△△△△△△△△北北北北生生生生生脇脇脇脇脇脇脇脇―-|
|==============△△△△△△△中北北北北生生生生生脇脇脇脇脇脇――――|
|=============△△△△△△中中中北北北生生生生生生脇脇脇脇―――――-|
|=======奥平野===△△△宇中中中中中中北宮宮生生生小小脇脇脇―――――――|
|===============宇宇花花花中中中宮宮神生小小小小脇脇―――――――-|
|===石井==★=★=====宇宇花花花花花中神神神神小小小小小小――――――――|
|=======★★=荒==宇宇宇花花花花花神神神神神神神小小小小――――――――-|
|========★荒荒荒=坂宇宇宇花花走茶茶神神神神神神神小小小―――――――――|
|夢野=====地★荒荒坂坂坂坂宇宇走走茶茶茶神神神神神神神小――――――――――-|
|=======地★荒荒荒坂坂坂坂兵走走茶茶茶―――――――――――――――――――|
|====地地地地★荒荒荒兵坂坂兵兵兵茶茶――――――――――――――――――――-|
|====地地地地地★荒兵兵兵兵兵兵兵兵兵――神戸港――――――――――――――――|
|==地地地地地地地★★★★兵兵兵兵兵兵兵――――――――――――――――――――-|
|===地地地地地地兵兵兵兵★★★★兵兵兵兵兵―――――――――――――――――――|
|==地地地地地地兵兵兵兵兵兵兵兵★★★★兵兵――――――――――――――――――-|
|===地地地地地兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵★★兵兵―――――――――――――――――|
|===地地地兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵★―――――――――――――――――-|
|====地地兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵――――――――――――――――――――――――|
|=====地兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵――――――――――――――――――――――――-|
|=======兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵――――――――――――――――――――――――|
|===========兵=兵兵兵兵――――兵庫港――――――――――――――――-|
|==============兵兵兵兵―――――――――――――――――――――――|
|==========御崎====兵兵――――――――――――――――――――――-|
|====東尻池==========兵兵兵―――――――――――――――――――――|
|============今和田=兵兵兵兵兵―――――――――――――――――――-|
|========吉田========兵兵兵兵兵――――――――――――――――――|
|――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――-|
|-――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――|
|△は山域、★は湊川を示します。

凡例および初代神戸市域(明治22年成立)の村々の統合経緯
略号村名明治元年明治5年明治9年明治12年明治20年明治22年
【菟原郡】
筒井村葺合村神戸市
中尾村葺合村神戸市
滝寺村葺合村神戸市
熊内村葺合村神戸市
生田村葺合村神戸市
中村葺合村神戸市
脇浜村葺合村神戸市
小野新田葺合村神戸市
【八部郡】
神戸村神戸町神戸区神戸市
二ツ茶屋村神戸町神戸区神戸市
走水村神戸町神戸区神戸市
生田宮村神戸町神戸区神戸市
北野村神戸町神戸区神戸市
中宮村神戸町神戸区神戸市
花熊村神戸町神戸区神戸市
宇治野村神戸町神戸区神戸市
坂本村神戸区神戸市
兵庫津神戸区神戸市
兵庫港地方神戸区神戸市
荒田村神戸市

[54320] 2006 年 10 月 3 日 (火) 20:34:02【1】 YSK さん
 秋の風

昨日までの雨で散ってしまったかと思われた金木犀ですが、今日になってまたかぐわしい香りを漂わせています。けっこうしぶといです。

[54304]ペーロケさん
私の回答の種明かしありがとうございました。ご出題のクイズですが、反応させていただきたいものの答えが分かりません。申し訳ありません、ギブアップです。

今月から来月あたりは個人的な事情で多忙となり、ネット接続もままならない可能性もあるため、参加表明していた次回十番勝負は参加しない可能性が高くなりました。オフ会についても参加することはないでしょう。皆さんとお会いすることももうないと思います。いろいろな理由がありますが、最大の理由は私が大人数の会合が苦手なためです。ただ、「落書き帳」は大好きですので、ガイドラインを遵守の上、今後とも参加してまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

[54319] 2006 年 10 月 3 日 (火) 19:39:33【4】 k-ace さん
 タワゴト&祝・携帯から落書き帳閲覧可能

こんばんは。

[54259] ペーロケ さん
いまだになんのことだか見当もつかない…(汗)

[54279] ezekiel さん
でも村岡町、一宮町、安富町、三日月町は通過だけの記憶しかありません。
通過のみの旧自治体は氷上郡春日町、市島町、津名郡津名町、北淡町、一宮町、三原郡緑町、西淡町、三原町、南淡町です。淡路島は、洲本市、津名郡淡路町、東浦町しか訪問(ただし散策のみではありません)していませんので。
(最近は、散策(そして、訪問という範疇にいれている)して未踏破・通過・接地自治体を減らしていますが…。)

[54310] 桜トンネル さん
全体の3分の2くらいは未踏破では・・・。ちょっと気になったので調べてみました。
(以下省略)
[53078](桜トンネル さん)の記事を見てみると、淡路地域はすべて、少なくとも通過はしていますね。行っていない=未踏破および通過ということなんでしょうか。


54100番台でひそかに話題になった境界の駅ですが、1件思い出しました。
胆振支庁(虻田郡豊浦町)と渡島支庁(山越郡長万部町)にまたがり、秘境駅としても名高い小幌駅(所在地:北海道虻田郡豊浦町)です。

#10月1日より私の携帯(SoftBank第2世代)からYahoo!ケータイからの検索で落書き帳の記事閲覧が可能となりました(どこまで閲覧できるかは不明ですが)。
記事書込・記事訂正は、なぜかできない…。

(訂正)
【1】…携帯から落書き帳閲覧可能の記事を追加。
【2】…タイトル&一部の文章を修正。
【3】…一部の文章を修正。
【4】…誤字を訂正。

[54318] 2006 年 10 月 3 日 (火) 15:27:25 eiji_t さん
 県境を2度越える橋

[54312]Hiro(&TOKO)さん
(岐阜)→「合掌大橋」→(富山)→「合掌大橋」→(岐阜)というような感じになります。
早速の回答有難うございます。
やはりそうでしたか。そうすると次の疑問が沸いてきました。

「合掌大橋」の他に県境を2度越える橋はあるのでしょうか?

Hiro(&TOKO)さん
あの記事を書かれた方と友人でしたか。「Excite Bit コネタ」は好きで時々見ています。実はあそこに注目している記者がもう一人います。

[54317] 2006 年 10 月 3 日 (火) 09:08:04 星野彼方 さん
 お疲れ様&いろいろレス

ちょっと遅くなりましたが、オフ会に参加した皆さんお疲れ様でした。特に準備に奔走して頂いたいっちゃんさん、EMM さん御苦労様でした。

オフ会では金沢駅の変貌に皆さん驚いていたようですが、私は帰りに見た長浜駅の変わりように(まだ変わってはいないのですが)びっくりしました。木ノ本駅や余呉駅など、あの辺はどこも大きく変わりそうです。

[54289] 白桃 さん
通過した野々市、松任の駅前が「なんじゃ、これ」という寂しさ。極め付きは小松。

野々市は中心部からはずれた位置に駅があるので仕方ないのですが、松任は以前にも書いたことがあるのですが、見るも無惨な状態です。小松は高架化直後の駅前すべて更地状態よりは「まし」にはなったかな。そうそう、オフ会の帰りに小松駅で久しぶりに白山そばを食べたのですが、確かに関西風でも関東風でもなく甘かったです。昔はそうは思わなかったんだけどなぁ。


[54249] むっくん さん
敦賀駅舎の改築はいいのですが、小浜線ホームから北陸本線への乗換をしやすく構内も改善して欲しいのですが、そのへんはどうなんでしょう?

[54259] ぺーロケ さん
石川県:2 でいいのかな?

[54310] 桜トンネル さん 他
兵庫県内の未踏市町村ですが、わたしは平成の合併前の旧市町村全てで少なくとも通過はしています。通過だけはかなり多い(旧多可郡各町、安富町、夢前町など)ですけど。家島町は宿泊経験があります。これは結構貴重かも。でも、ニジェガロージェッツさんの舳倉島がうらやましい(オフ会でそういう話題が出た)。

[54316] 2006 年 10 月 3 日 (火) 01:35:02【2】 suikotei さん
 出身地の兵庫県で

[54259]ペーロケさん

ほろ酔い加減ですので、間違いかもしれませんが、もしや金メダル(!?)かもしれないと思いつつ、解答します。

兵庫県:3

愛媛県のかつての「40以上」まではカウントしませんでしたが、設問の条件には合致しているようでしたので。

【訂正】安直な回答かとも思ったのですが、他県を見ると他にももっと「安直」な解答があるようなので、1行削除しました。

[54315] 2006 年 10 月 3 日 (火) 01:29:56 futsunoおじ さん
 9月30日の行動報告

石川・富山県境の医王山(いおうぜん)の散策をしましたので、その報告を!

 金沢駅西口8:10「湯涌温泉」行きで、終点一つ手前の「芝原」下車。 「栃原」集落跡まで1時間の車道歩きです。 集落跡といっても、しっかりした家がまとまって何軒かあり、人がおり犬も吠えていました。

 その少し先から山道になりますが、特に特徴のある所もなく展望もないコースです。 途中ガクンと下って沢に入る場所がありましたが、上から下ってきた場合、迷いやすい所のようです。 途中展望台から南の方向が見渡せますが、少し靄がかかってきていて送電線の鉄塔だけが目につく感じでした。 最後に沢の中を歩く道が斜面を登るようになると奥医王山に到着。 登山道に入って1時間45分です。(時間はすべて休息等を含まない時間です。)
 過去数日の天候にもよりますが、湿地帯といわれている所も歩きにくい印象はありませんでした。

 頂上には富山側の福光(現・南砺市)の石碑があり、そこには「939.16記念事業」として次の数字が記されています。
「(奥医王山の)標高 939.16m」, 「(福光の)郵便番号 939−16」, 「(石碑の)設置日 1993.9.16」。
 但し近くには平成10年5月に福光町が立てた標識柱もあり、こちらには標高が939.13mとなっております。

 頂上を後にして「夕霧峠」に下り着くと舗装道路が交差し、富山側はスキー場として開発された斜面が目に入ります。 進行方向の「白兀山(しらはげやま)」へ続く登山道を探すため観光案内板の前で少々立ち止まることに。
 奥医王山から白兀山へは50分かけて到着しました。 この山域の最高峰は奥医王山ですが、医王山頂上というと白兀山を指す場合も多いようです。 金沢市内からは東の方向に双耳峰とまではいきませんが、2つ並んだ山並みが望めるようです。

 今回経県値の変動はありませんでしたが、歩いた区間では、奥医王山〜夕霧峠北方のピークまでの約1.2kmが石川・富山の県境ですから、歩いた県境が1カ所増えたことになりました。 また石川県が接する他の2県との県境はすでに歩いているので、石川県分は一応歩いたことになりました。 (私的には経県値よりこちらが重要です。)


 白兀山からは見上峠までほばゆるやかな下りで1時間10分かかりました。 この間は登山道の左手に常に舗装道路が見えるような状況で、面白味はには欠けます。 見上峠からは5分でバス停のある、「医王山スポーツセンター」に到着です。
 途中すれ違った登山者は約10名程で思ったより少ない感じです。 ただ、その中の多くの人が熊よけの鈴を付けていたのには感心(?)しました。
 バスの時間まで1時間以上あったので、ダメらしいとわかっていましたが建物の2階にある一般利用者受付で、利用できるシャワー等はないか聞いてみました。 (やはり、ダメ!)
 ロビーに上がって、しばし休憩させてもらうことに。 内部に風呂はありましたが、利用時間をみると、あくまで宿泊者用ですね。

 バスはほぼ時間通り発車し、乗客はしばらく2人だけでしたが途中から徐々に増えてきて、金沢中心部には5分遅れで到着に。 その後、某会合に出席。 今回は、壁に地図が見あたらなかった。 また、「馬」や「猫」の話題も特になかったようで ・ ・ ・ 。

[54314] 2006 年 10 月 3 日 (火) 01:22:56 ワカメ さん
 はじめまして

はじめまして。ワカメと申します。奈良県北葛城郡広陵町という所に住んでいる、20歳の大学生です。

2年ほど前からずっと拝見しているのですが、このたびマイパソコンを購入したので、書き込みに参加させてもらった次第です。

私はものすごく地理、特に日本地理が好きで、小学校の頃からそばには地図がある生活をしてきました。そしてこのサイトを知って以来、しょっちゅう自分の雑学を増やそうと拝見しています。しかし皆さんの知識の豊富さにはかなり驚いています。

長々と挨拶させてもらいましたが、初めて(?)の奈良県民の落書き者として参加させてください。お願いいたします。

[54313] 2006 年 10 月 3 日 (火) 00:35:06【1】 山野[揖斐の山] さん
 グリグリさん、でるでるさんへ

休止中の相生市、上郡町の詳細でここを開きますと何故かしら昨年誕生した新温泉町の詳細が途中から混ざってしまっています。それと一方の赤穂市、上郡町の法定協のページといいますか詳細までも合併予定一覧表から消えてしまっていますが、訂正お願いできませんか。それともう一つ鹿児島県の天城町、伊仙町の法定協9/27に解散したんですか?一覧では解散予定としか書かれていないのですが。

一部訂正、追加ですがよく見ますと兵庫県の合併情報(予定とかの方)1975/03/28からいきなり2006/02/11に飛んでしまっています。(平成の合併分が吹っ飛んでます)何故に?

[54312] 2006 年 10 月 2 日 (月) 21:55:26 Hiro_as_Filler[Hiro(&TOKO)] さん
 Re:飛越七橋

こんばんは。またまたお久しぶりです。^^
横からですが、飛越七橋についてのレスをば。
実は私、ここを9月上旬に通過しております。

[54293] eiji_t さん
下記のエントリーでは7回県境をまたいでいるとあります。そこの地図を見ると7橋全部が県境を越えるように見えますが、もしかして地図の一番下の合掌大橋は一つで県境を2回越えて、県境を越えない7番目の橋が地図の上か下にあるのでしょうか?
そうだとすると、合掌大橋は珍しい橋になりますね。

参考:Excite Bitニュース/コネタ/橋を渡るたびに県境を越える場所
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091105958228.html

えーっと、まず友人の記事の紹介をしていただきありがとうございます。(^^)
非常に多趣味でいろいろなコネタを探求している人なので、以後お見知りおきを。(^^)

さて、飛越七橋ですが、eiji_t さんご推察の通り、下流側に県境をまたがない「楮橋」があります。
(富山)→「楮橋」→(富山)→「火の川原橋」→(岐阜)→「宮川原橋」→(富山)→「小白川橋」→(岐阜)→「成出橋」→(富山)→「飛越橋」→(岐阜)→「合掌大橋」→(富山)→「合掌大橋」→(岐阜)
というような感じになります。

[54311] 2006 年 10 月 2 日 (月) 21:02:09 山野[揖斐の山] さん
 桜トンネルさんへ

上から22行目の猪名郡猪名川町って書かれているようですが、川辺郡猪名川町の間違いでは?

[54310] 2006 年 10 月 2 日 (月) 19:37:57【2】 桜トンネル さん
 10月2日&鳥栖市

オフ会に参加した方々、どうもお疲れ様でした。
今日はのじぎく国体のため、学校は休校になりました。

[54265]k-aceさん

兵庫県の未踏破旧自治体は家島町と五色町の2町となりました。

少ないですねぇ。僕なんかとても多いような気がしますが・・・。全体の3分の2くらいは未踏破では・・・。ちょっと気になったので調べてみました。

但馬地域(1市17町のうち8町)

旧美方郡浜坂町 旧美方郡美方町 旧城崎郡城崎町 旧出石郡但東町 旧養父郡八鹿町 旧養父郡大屋町 旧朝来郡山東町
旧朝来郡朝来町

西播磨地域(4市21町のうち3市20町)

赤穂市 相生市 旧龍野市
旧宍粟郡一宮町 旧宍粟郡波賀町 旧宍粟郡千種町 旧宍粟郡山崎町 旧宍粟郡安富町 旧佐用郡佐用町 旧佐用郡上月町 旧佐用郡南光町 旧佐用郡三日月町 赤穂郡上郡町 旧揖保郡新宮町 旧揖保郡揖保川町 揖保郡太子町 旧飾磨郡家島町 旧飾磨郡夢前町 旧神崎郡大河内町 旧神崎郡神崎町 旧神崎郡香寺町 神崎郡市川町 神崎郡福崎町

東播磨地域(7市11町のうち3市8町)

三木市 加西市 旧西脇市

加古郡播磨町 加古郡稲美町 旧加東郡社町 旧美嚢郡吉川町 旧多可郡黒田庄町 旧多可郡中町 旧多可郡加美町
旧多可郡八千代町

丹波地域(10町のうち9町)

旧氷上郡青垣町 旧氷上郡氷上町 旧氷上郡市島町 旧氷上郡春日町 旧氷上郡柏原町 旧氷上郡山南町 旧多紀郡今田町 旧多紀郡西紀町 旧多紀郡丹南町

阪神地域(8市1町のうち1町)

川辺郡猪名川町

淡路地域(1市10町のうち1市7町)

旧洲本市
旧津名郡淡路町 旧津名郡北淡町 旧津名郡一宮町 旧津名郡津名町 旧三原郡緑町 旧三原郡西淡町 旧三原郡南淡町

ということで91市町中60市町には行っていないということになります。それを詳しく分析すると、丹波・播磨・淡路がとても多い!特に丹波はひどいですなぁ。10町のうち9町が訪問以下なのですね・・・。もうちょっと訪問箇所を増やさないと・・・。
これをしていて思ったのですが、兵庫県内にある(あった)郡の名称をあまり知らないことに気付きました。兵庫県民なのに・・・。

[54245]音無鈴鹿さん

僕はご当地ナンバーを良いと思っているので、那須ナンバー、諏訪ナンバーはいいと思います。ですが、不快に思っている方がいらっしゃるのですね・・・。
今回、ご当地ナンバーとして出るのは、仙台、会津、つくば、那須、高崎、柏、成田、川越、金沢、諏訪、伊豆、豊田、一宮、岡崎、鈴鹿、堺、倉敷、下関です。
ご当地ナンバーの密集地となる愛知県。今回のを含めると、尾張小牧、名古屋、豊橋、三河、豊田、一宮、岡崎と7つもあります。すごい量になりますね・・・。こんなに必要でしょうか?
ナンバープレートのことについて無頓着になっている間に、「とちぎ」ナンバーとか出ているし・・・。まぁ名神を通っていたときに見れたのでいいですが。

訂正【1】[54311]揖斐の山さんが指摘してくださった「猪名郡猪名川町」を「川辺郡猪名川町」に訂正。
訂正【2】文を少しだけ追加しました。

[54309] 2006 年 10 月 2 日 (月) 18:43:35 YASU さん
 日本司法支援センターの事務所

身近な法的トラブルを解決するための窓口となる日本司法支援センター(愛称・法テラス)の業務が本日よりスタートしました。で、いつものように私が気になるのは、事務所の所在地です。当然地裁がある都市(県庁所在地)にはありますが、意外な場所にもあるようです。
まずは北海道から、札幌、旭川、函館、釧路ときて江差にあります。帯広や北見にはないのに。
次に関東、佐渡にあるのは「全国あまねく」の主旨にかなうのですが、下妻はちょっと意外でした。
やはり長野県には長野と松本、静岡県には静岡、沼津、浜松にあります。
中国、四国では、米子ではなく倉吉にあることと、須崎にあることが注目点です。
九州では、順当な佐世保のほかに壱岐、鹿屋にもあります。

先日のオフ会では、いっちゃんさん、EMMさん、JOUTOUさんには大変お世話になり、ありがとうございました。

[54308] 2006 年 10 月 2 日 (月) 17:22:09 miki さん
 名称変更ラッシュ 10/1・鹿児島県警

<鹿児島県警・名称を変更する警察署>
加世田署→南さつま署
伊集院署→日置署
串木野署→いちき串木野署
川内署→薩摩川内署
宮之城署→さつま署
国分署→霧島署
大隅署→曽於署
高山署→肝付署
大根占署→錦江署
名瀬署→奄美署

なお、詳しい管轄区域はこのPDFを参照して下さい。
http://www.pref.kagoshima.jp/police/kankatu/kankatu-ikenkekka.pdf

[54307] 2006 年 10 月 2 日 (月) 15:22:19 スナフキん さん
 日本地図センター、新サービスを開始

連続書き込みで失礼します。

本日より、日本地図センターのweb上で新たなサービスが開始されました。「地図インフォ」なるサービスで、トップページには10月2日より全国サービスを開始とあります。ひょっとするとそれ以前に一部地域を絞っての限定公開をしていたのかもしれませんが、いずれにしても本日より本運用となっているみたいです。

「全国の地域情報を閲覧できます」ということなので、ここに出入りしている皆さんなら興味があるかな、あるいはもう知っているような内容で別にいらないのかな、とも思えますが一応アナウンスだけしておきます。

「地域情報って漠然としてるけど、何よ?」と思って試しにいじってみると、どうもMacでは動作に難があるみたいです。Winでも電子国土プラグインのインストールが必須みたいだし、それなりに面倒。で、画面を出してみると町名ごと(丁目数字まで)の<基本統計情報>として「世帯数」「人口」「人口密度」「面積」が出てきました。また推計人口構成比として年齢別構成比のパーセンテージも表示されるほか、土地に関する情報として「郵便番号」「緯度・経度」「標高」も表示されます。データ好きな方は結構ハマるかも…。

他カテゴリでは<周辺施設情報><最寄り駅情報>で該当施設名と距離が、<気象情報>では過去のデータまで表示が可能で、<Google Mapへのリンク>も設けられています。

と、散々引っ張って興味を引いてしまいましたが、扱ってみるとまだリリース直後のためか動作があまり安定していません。私のマシンに起因しているのかもしれませんけど、FlashとJava Scriptの挙動がどうもおかしく、時折地図部分が表示できない警告が出てしまいます。また丁目全体、一つ上のまとまりデータが整備されていないのにも不満が残るところ。いじり倒してみるにはまだそれほど堅牢なシステムではないようですので、閲覧および利用は自己責任でお願いしますね。

[54306] 2006 年 10 月 2 日 (月) 11:48:28 スナフキん さん
 地図会社がまたひとつ…

自分がオフ会参加のために北陸へ行っている間に、地図出版中堅の「国際地学協会」が会社更生法の適用を受けることが決定した模様です。昭文社やゼンリンなど大手だと大騒ぎになるのでしょうが、規模が国際地学クラスだと影響がさほどでもないのか、関連情報はマスメディアにも出てきていないようです。

以上、簡単ですが情報まで。

[54305] 2006 年 10 月 2 日 (月) 09:09:41 miki さん
 八女市、過疎地域とみなされる!?!?

10/1の福岡県上陽町の編入で、八女市が過疎地域とみなされてしまいました...。
http://kanpou.npb.go.jp/20061001/20061001t00020/20061001t000200001f.html

[54304] 2006 年 10 月 2 日 (月) 00:07:15 ペーロケ さん
 失礼

[54303]いっちゃんさん
やはり、反則でしたか。しかし、[54270]YSKさん回答の「小松島市」。
小松市+志摩市=小松島市 という単純な「た市算」の中に、津市、津島市が隠れているなということは分かりましたが、あと一つはどこだろう??ってしばらく考えて、あ、「つしま」市って二つあったんですな。。。よく出来た問題です。

[54303] 2006 年 10 月 1 日 (日) 23:51:04 いっちゃん さん
 反則ルール

[54302]ペーロケさん
つくばみらい市の中に井原市や津久見市を発見しましたが、反則でしょうね。。。
昨日のオフ会での出題時には、大阪狭山市は「大阪」と「狭山」はあるが「笠間」はNGというルールをちゃんとつけておきました・・・。(苦笑)

[54302] 2006 年 10 月 1 日 (日) 23:42:29【1】 ペーロケ さん
 ヒント

 [54259]で問題は出したものの、[54268]がっくんさんしか反応がありませんので寂しい限りです。不人気だなあ(苦笑)。。。

ヒント:2003年始めから現在までの間に、愛媛県では40本以上も減少しました。この間に何があったんでしょうね??

[54266]グリグリさん
オフ会の中で出題されたいっちゃんクイズです。
市の読みの中にその市以外の市名が一番たくさん含まれている市はどこでしょう。
最大は5市で該当する市は2市あります。
 つくばみらい市の中に井原市や津久見市を発見しましたが、反則でしょうね。。。
津久見市+井原市=つくばみらい市。なんちって(苦笑)

[54301] 2006 年 10 月 1 日 (日) 23:41:49 オーナー グリグリ
 訂正

[54294] 2006 年 10 月 1 日 (日) 22:21:03 miki さん
[54296] 2006 年 10 月 1 日 (日) 22:47:58 右左府 さん
ご指摘ありがとうございました。修正しましたのでご確認ください。

[54300] 2006 年 10 月 1 日 (日) 23:40:49 ズッキー さん
 越峠合併?

[54264] hmt さん
1958年10月15日 福井県大野郡石徹白(いとしろ)村が、岐阜県郡上郡白鳥町に編入(現・郡上市)[31291]
九頭竜川水系の村が、中央分水嶺を越えた長良川の方に鞍替え。どんな事情があったのかな?

石徹白村から福井方面に行っても、何十キロも山間部で、生活にならないけれど、桧峠を越えればすぐに、旧北濃村の集落そして数キロで白鳥町市街地と言う事で、石徹白村の場合は、生活上、白鳥町との合併が、一番だったようです。
桧峠に詳しく載っています


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