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[61500]〜[61599]



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[61599] 2007年 10月 7日(日)21:04:14運び屋A さん
【第十七回】全国の市・十番勝負
問四:岡山市

こいつはメダルが懸かってるので見切り発車。想定解数も合ってそうだし・・・
[61598] 2007年 10月 7日(日)21:00:25ぺとぺと さん
第十七回 十番勝負
問七:糸魚川市

だから近江八幡はだめなのね。
[61597] 2007年 10月 7日(日)20:57:33【1】オーナー グリグリ
十番勝負解答時のお願い
[61588] 2007 年 10 月 7 日 (日) 20:33:33【1】 ドラえもん さん
誤解を招きますからルール通り訂正は行わないようにしましょう。

>EMMさんほか
回答の市名のうしろにピッタリくっつけて「?????」といった文字はできれば付けないでください。採点の際に邪魔になりますし、他の解答者が見分けやすくするためにもシンプルにご回答ください。よろしくお願いいたします。
[61596] 2007年 10月 7日(日)20:50:08ぺとぺと さん
第十七回 十番勝負
問八:碧南市

むむ・・・、やられた。
[61595] 2007年 10月 7日(日)20:46:16【1】北神[ドラえもん] さん
気をつけます
[61561]ニジェガロージェッツ さん
[61590]Issie さん
を削除された上で、私へのレスを書かれておられますが、このような記事の訂正は混乱を招く恐れがあります。この場合には、Issieさんへのレスも含め、新たな記事として投稿されることをおすすめします。
一日二回と自分で決めていたものですので、十番勝負が始まっていないだけにこんなことをしてしまいました。これからは翌日返事にするか、この場合だけ三回以上ということにします。
そしてIssie さんの言われたとおりレスがついた後は訂正しないよう心掛けます。
そして、大幅な訂正も避けたいと思います。

この場合「行けない」と書いては「いけません」。
はい、漢字変換でどうしても「行けない」と書いてしまうのですが、これからあせらずに「いけない」を書くようにしたいです。(普通の人なら書けますよね。)

レスが付いていないので訂正しますが・・・
問五の訂正は「「ふぅ→十番勝負」回答」→「「ふぅ→十番勝負回答」」でした。
変なミスばかりすみません。
[61594] 2007年 10月 7日(日)20:43:16cody さん
十番勝負
問八:春日市
[61593] 2007年 10月 7日(日)20:41:48【2】桜トンネル さん
ブレイクタイムその1&藤井寺市、松原市
早くも行き詰っている桜トンネルです。

今まで5問解答しておりますが、乱射ではありません。ちゃんと基にした資料はあります。でも、問七、問十以外はまったく自信がありません。問七は88さんの解答で自信がつきました。(ちなみに、これは共通項だと思って調べてみたものが共通項でした。)どうか2個目(5大会ぶり)の金メダルでありますように!!
問十は星野彼方さんの「金沢市」で自信がつきました。でも、問題の中にある1市が良くわからない・・・。今それについて想定解を数えているところです。まぁ、問十さえ答えておけば、後は想定解数が多いものばっかりなので、一安心しております。・・・と書いたのですが、お題の中の1市を調べていくうちにどんどん自信がなくなってきました。
一問、間違えてる!!○○があったので、○○もあると思って調べてみると・・・(泣)。あぁ~。ということで今からその問題の想定解の検証をします。

#予想問題が一個も出なかったのは寂しいなぁ(泣)

訂正【1】:文を追加しました。
訂正【2】:[61500]星野彼方さんに指摘された箇所を訂正しました。
[61592] 2007年 10月 7日(日)20:41:36スピカ さん
十番勝負
帰宅しました。ケータイからでもうまく書きこめて良かった♪

問九.千葉市
[61591] 2007年 10月 7日(日)20:39:13【1】北神[ドラえもん] さん
十番勝負回答
問四の訂正はタイトル名だけでした。

問五:三田市

「ふぅ→十番勝負回答」です
[61590] 2007年 10月 7日(日)20:38:36【1】Issie さん
いけない
ドラえもんさんへ

昔,インターネットが普及する前,NIFTY-Serve というパソコン通信サービスがありました。そこには「電子会議室」という,ここでいう「落書き帳」のような掲示板が用意されていました。
その会議室では,発言者が一旦投稿した後,自分で記事を訂正することができましたが,その発言にレスがつくと,その時点から発言者自身,自分の発言を訂正することができなくなるような仕様でした。

[61561] ニジェガロージェッツ さん
拙稿[61555]を受けて、訂正機能を利用して貴稿[61547]の引用部分
(まだ決着はついていないようですけど。)
を削除された上で、私へのレスを書かれておられますが、このような記事の訂正は混乱を招く恐れがあります。

という事態を避ける配慮であったように思います。

私自身,ずいぶんと 訂正機能 を利用して書き落としたことの加筆なんかをすることが多いのですが,とりあえず自分の発言にレスがついて以降は削除も訂正もしないことにしています。
元発言があって,それに対するレスがあるわけですから,その元発言がなくなってしまったり,趣旨が大幅に変わっていたりしたら,そのレスが何を意味するのかわからなくなってしまいます。
だから,最も望ましいのは,削除も大幅な訂正も必要ないよう書くことだし,一旦書き込んだことに対しては軽々しく書き替えることなく,最終的に責任を持つことだと思います。
これは,自分への戒めも含めて…。

[61547] ドラえもん さん
それでも間違っていたら行けないことですが

[61451] でも書いたのですが(これも元発言が消えていますが),この場合「行けない」と書いては「いけません」。語源をたどれば「行ける」に行き着くようですが,今はこの場合,漢字で書く習慣ではありません。
私が国語のテストの採点者だったら,減点しちゃいますよ。

※…と言ったそばから加筆。

[61560] EMM さん
この御仁

ああ,名前は聞いたことがあるけれど……。
[61589] 2007年 10月 7日(日)20:36:09なると金時 さん
十番勝負
帰ってきました。
問六:人吉市。
こういうのは厳しい。
[61588] 2007年 10月 7日(日)20:33:33【1】北神[ドラえもん] さん
十番勝負回答
敢えて問十は最後に!

問四:神戸市

よく考えると全部兵庫県だ・・・
[61587] 2007年 10月 7日(日)20:32:22EMM さん
全国の市十番勝負(第十七回)の解答
問二:大和高田市??

う~ん…

#問八はまずったかも。
[61586] 2007年 10月 7日(日)20:31:15星野彼方 さん
第十七回 十番勝負
問十:金沢市

???
[61585] 2007年 10月 7日(日)20:29:13北神[ドラえもん] さん
十番勝負回答
早くも問三です。

問三:養父市

さて、出来るだけ最初の方に正解を多くしておきたい・・・
[61584] 2007年 10月 7日(日)20:28:5388 さん
第十七回 十番勝負
問七:浜松市

会心。だけど銀メダル!?
[61583] 2007年 10月 7日(日)20:27:00今川焼 さん
【第十七回】体育の日記念 全国の市・十番勝負解答
問六:赤穂市

ざっとの検証ですが、やっぱりこれか。
[61582] 2007年 10月 7日(日)20:25:31北神[ドラえもん] さん
十番勝負回答
残されている席が・・・

問二:豊岡市

問一から順に・・・
[61581] 2007年 10月 7日(日)20:24:20cody さん
十番勝負
問六:福岡市

今回は完答を目指したいですね。
[61580] 2007年 10月 7日(日)20:24:09桜トンネル さん
第十七回全国の市・十番勝負&枚方市
問十が気になるなぁ・・・。といいつつ、問十を解答(笑)

問十:神戸市

だいたいそのような数になりました。そうだとするとなんてラッキー!!
[61579] 2007年 10月 7日(日)20:21:40油天神山 さん
十番勝負
はじまりましたねえ。では早速参ります。

問二:春日市
[61578] 2007年 10月 7日(日)20:21:00EMM さん
全国の市十番勝負(第十七回)の解答
問八:宜野湾市??????????

これまた他の方の発送に便乗しました。やっぱり未検証。
でもあってれば銅か?
[61577] 2007年 10月 7日(日)20:20:21桜トンネル さん
第十七回全国の市・十番勝負&枚方市
う~ん・・・。

問九:高岡市????

だいたいそのくらいの数に確かになりそうなんだけど・・・???
問七しか自信が無いってどんだけぇ~。
[61576] 2007年 10月 7日(日)20:20:06星野彼方 さん
第十七回 十番勝負
問二:北名古屋市
[61575] 2007年 10月 7日(日)20:15:20今川焼 さん
【第十七回】体育の日記念 全国の市・十番勝負解答
問八:宇治市
今回もどうぞよろしく。イチかバチかです。
[61574] 2007年 10月 7日(日)20:14:46桜トンネル さん
第十七回全国の市・十番勝負&東大阪市
見切り発車ばっかり・・・。

問八:前橋市?????

これで本当に良いのか?ちょっと想定解が多いような・・・。
[61573] 2007年 10月 7日(日)20:14:27星野彼方 さん
第十七回 十番勝負
問八:曽於市

想定解、もっとありそうだけど…
[61572] 2007年 10月 7日(日)20:14:05EMM さん
全国の市十番勝負(第十七回)の解答
問六:金沢市??????????

皆さんの発想に便乗します。まだ検証してません。
[61571] 2007年 10月 7日(日)20:13:54KAZ-D さん
第十七回 十番勝負
こんばんは。
問六:丸亀市
[61570] 2007年 10月 7日(日)20:13:48北神[ドラえもん] さん
十番勝負回答
初の十番勝負どうなるかな?

問一:西宮市

レスはまた今度で
[61569] 2007年 10月 7日(日)20:13:07スピカ さん
十番勝負
ケータイからです。

問六.小田原市
[61568] 2007年 10月 7日(日)20:11:02桜トンネル さん
第十七回全国の市・十番勝負&阪南市
立て続けに申し訳ありません。次も行ってみます。

問六:甲府市

やっぱりこれも予想問題なのかな?
[61567] 2007年 10月 7日(日)20:10:05ぺとぺと さん
第十七回 十番勝負
今回もよろしくお願いいたします。

問六:恵那市
[61566] 2007年 10月 7日(日)20:08:37右左府 さん
十番勝負
問六:根室市
[61565] 2007年 10月 7日(日)20:06:51星野彼方 さん
第十七回 十番勝負
問六:篠山市 

ひっかかったかな?
[61564] 2007年 10月 7日(日)20:06:33桜トンネル さん
第十七回全国の市・十番勝負&寝屋川市
こんばんは、桜トンネルです。今回もよろしくお願いします。

問七:豊岡市

今回は調子が良いかも!!でも想定解がなぁ・・・。

ちなみに、「そんなの関係ない」というのは“小島よしお”という若手芸人がしているネタです。最近は結構テレビにも出ているような気もしますが・・・。学校でもはやっています。

これからは羽曳野市、阪南市、東大阪市、枚方市、藤井寺市、松原市、箕面市、守口市、八尾市、和歌山市と行く予定です。ただし、十番勝負のため、順序が入れ替わりする可能性はあります。
[61563] 2007年 10月 7日(日)20:01:21k-ace さん
第十七回・十番勝負
こんばんは、k-aceです。
早速十番勝負の解答をば。

問四:光市

でどうでしょう?
[61562] 2007年 10月 7日(日)19:59:58【5】オーナー グリグリ
【第十七回】体育の日記念 全国の市・十番勝負(問題)
それでは第十七回全国の市十番勝負を始めます。先程予告したとおり今回は難易度が高いのではないかと思います(全ての問題と言うことではありません)。また、問十は想定解数が16市と少なくなっていますが、難易度はかなり高いはずです。なお、明日の採点は午前9時頃と午後9時頃を予定しています。明後日の火曜日からは午後10時から翌午前1時頃の間に一日一回の採点を行う予定です(週末の採点は時間と回数を変更する予定)。

【問題】
以下の各問に列挙した市にはある共通する特徴があります。同じ特徴を持つ市を一例(一市)だけ挙げてください。
なお、解答に当たっては以下の注意事項を必ずお守りください。

【注意事項】
1.共通する特徴は解答しないでください。何人もの方が答えられるようにするためです。
2.解答の書き込みに対する後からの訂正や追加はご遠慮ください(解答順が前後する恐れがあるためです)。
3.解答は一問につき一人一解答でお願いします。採点で誤答となった場合は再度解答していただいて構いません。
※ただし、すでに他の人が解答済みの市や問題となっている市を誤ってあるいはタッチの差で解答してしまった場合は、採点を待たずに再回答しても構いません。その場合は再回答の理由(既解答、問題の市)を付記してください。
4.問題は2007年10月7日現在のHP情報・データを基にしています。
5.十番勝負は、あなた自身だけでなく、あなたの周りの人に悪影響を与えることがあります。参加の際には、周りの人の迷惑にならないように注意しましょう。人により程度は異なりますが、十番勝負への依存が生じる場合があります。

問一(想定解数:52市)多賀城市、稲城市、新城市、伊勢市、四国中央市
問二(想定解数:56市)多賀城市、北本市、稲城市、清須市、豊見城市(該当しない市:小平市)
問三(想定解数:98市)香取市、葛城市、宇城市、宮崎市、都城市
問四(想定解数:58市)京都市、柳井市、大野城市、小城市、長崎市
問五(想定解数:53市)安城市、四日市市、城陽市、大野城市、南城市
問六(想定解数:87市)弘前市、松本市、犬山市、姫路市、神埼市
問七(想定解数:50市)弘前市、仙台市、日野市、四日市市、大分市(該当しない市:近江八幡市)
問八(想定解数:45市)仙台市、小山市、岡崎市、豊田市、八代市
問九(想定解数:93市)弘前市、会津若松市、宇都宮市、松本市、四日市市
問十(想定解数:15市)仙台市、水戸市、名古屋市、大阪市、熊本市

★訂正記録
問四:想定解数を訂正(57市→58市)
問三:想定解数を訂正(96市→98市)
問十:想定解数を訂正(16市→15市)

【免責】
出題に当たってはできる限りの調査を行っておりますが、確認漏れや問題の不備ならびに想定解の見落としなどが発覚する可能性があります。その際にはできるだけ妥当な救済措置を行うよう努力いたしますが、不手際などありますことをあらかじめご了承ください。

解答状況の確認ページ:【第十七回】体育の日記念 全国の市・十番勝負(解答状況)
[61561] 2007年 10月 7日(日)19:50:12ニジェガロージェッツ さん
再決着
[61556] Issie さん
ドラえもんさん が「決着がついていない」と感じているなら,それはそれで悪いことだとは思いませんよ。

確かに、おっしゃる通りです。
ただ、例えば[61535]について、人口数についての問題だけであれば、その数値だけを書いて、出典へのリンクを添えておけばそれで済む事です。
ですが、[61535]を書くに当たっては数値そのものよりも、その数値の導き方(つまりネットでの見つけ方)と、その数値の背景(どのような性質の数値か。外務省はどうやって調査したか)に重点を置いて、ややしつこいほどの説明させていただいたつもりです。
それを、ドラえもんさんは[61537]にて、全体の数値にのみコメントなされ、さらに[61547]にて「まだ決着がついていない」とこられましたから、私としては、大人げないのですが、「いったい何が?」と感じた次第です。

ドラえもんさんへ
拙稿[61555]を受けて、訂正機能を利用して貴稿[61547]の引用部分
(まだ決着はついていないようですけど。)
を削除された上で、私へのレスを書かれておられますが、このような記事の訂正は混乱を招く恐れがあります。この場合には、Issieさんへのレスも含め、新たな記事として投稿されることをおすすめします。
なお、書き足された拙稿[61555]に対してのレスの趣旨については、了解です。
時間は掛かってもかまいませんから、急がずに、これからも頑張ってください。
[61560] 2007年 10月 7日(日)19:47:05【1】EMM さん
敢えて地雷原に飛び込んでみる
[61492] スピカさん

白山神社に関しての記述に関して、2点ほど。
まずは当たり障りの少ない方から。
以前[46241]にて白山信仰の拠点は元来3つあった旨書かさせて頂いています。
関東地方は歴史的に美濃馬場の勢力の強い地方のはずなので、お示しの白山神社は白山市の白山比め神社ではなく郡上市の白山長滝神社より勧請されたものと推測します。
もしかしたら現地の神社の縁起に白山比め神社の事が書いてあるのかもしれませんが、それはおそらく明治以降に書き換えられたものです。
江戸時代以前は、加賀は白山本宮(現在の白山比め神社)、美濃は白山本地中宮長滝寺(現在の白山長滝神社)、越前は平泉寺(現在は勝山市にある平泉寺白山神社)が信仰集団の中心となっていました。
この中で加賀と越前は一向宗との勢力争いの最前線であり、美濃馬場が最も他所での勢力拡大を勧めていたようです。
ところが、明治の神仏分離令の際、かつての延喜式に載っていたのが白山比め神社で、その直系が白山本宮であったことから全ての白山神社の総本宮となってしまいました。
(この時に白山本宮から白山比め神社に名を改めています)
その際に美濃馬場系・越前馬場系の白山神社で勧請元を白山比め神社に書き換えたところがあったようです。

次は、かなり当たり障りのある話です。
これを書くべきかどうかかなり悩みましたが、白山のお膝元としては書かずにおられず筆をとった次第です。
スピカさんは書き込みの中で白山神社を「何かを連想させるキーワード」として使っていらっしゃいます。
私が過去にしらやまさんの書き込みをした際、いろいろ調べ物をしているとその「何か」について触れたサイトをいくつも目にすることになり、非常に当惑したものです。
しかし、それらのサイトを見ていて分かったのは、「その事実」がとある地方限定であること、さらにその地方でも「その事実」とは全く関係ない白山神社が多数あることでした。
これは、その地方の「その歴史」と白山神社との関係が、上からの押しつけでないらしい事によるもののようです。
ところが、それを知らずに白山神社が全て「その歴史」と結びついている、と思っている人もいるらしく、加賀人としては憤慨しきりなのであります。
そもそも、「その歴史」自体がかなりデリケートなものであり、記述するにも慎重を期するべき話題と考えます。
スピカさんがどこまでの情報を持っていて書かれているのか分かりませんが、「それ」に本当に関係があろうが無かろうが慎重に扱うべき内容であります。
また、白山神社を「それ」を匂わせるキーワードとして使うのは上記に書いた理由により極めて不適切であり、こちらも慎重な取り扱いを望みます。


#とはいえ、地名を扱っていると「その歴史」どこかでかち当たる可能性があるんですよね。地名コレクションを担当している中でも、自分で認識しているものだけでも直接的に1回、間接的に1回それらしい話題に行き当たったことがあります。
大字名の変更や改廃の中にも「その歴史」にジャストミートしている事例もある可能性はある訳で…



おまけ:
[61556] Issieさん
[61559] オーナー グリグリ様
私は直接やっているところを目にしたことは少ないのですが、ほかから情報が飛び込んでくるんです。
この御仁の持ちネタです。
[61559] 2007年 10月 7日(日)19:34:03オーナー グリグリ
十番勝負予告
あと30分ほどで十番勝負を開始いたします。ようやく準備ができましたが今回は問題の出来が悪いかも、とあらかじめ断っておきましょう。おそらく前回よりも難易度が高くなっていると思います。また、問十については想定回数が16市で回答可能数が11市です。完答を目標としている方には申し訳ないのですがあらかじめご了承ください。ただし、問十はかなり難易度が高いはずです。開始時間は20時丁度を予定していますが、最近は待ち構えている方が多く再読込みを一斉にされるようで、丁度スタートができない可能性があります。多少のズレはご容赦ください。

[61556] 2007 年 10 月 7 日 (日) 18:59:32 Issie さん
[61546] なると金時 さん
そんなの関係ねえ~!

これ,何? 流行しているのですか?
同じく、これ、何? 恥ずかしながら私も知りません?
[61558] 2007年 10月 7日(日)19:31:47運び屋A さん
経県値UP&無料道路
先週国体観戦に秋田へ行って来ました。当初は日曜日帰りの予定が朝一の飛行機でも試合開始に間に合わない(恕)青森前泊も考えましたが、出発前日に秋田市内の廉価旅館に空きが出来たお陰で当日の朝はゆっくり出来ました(まぁ、部屋で寝てるしか無かった状況ではありましたが・・・)いずれにせよ経県値が1ポイント上がったんで更新かけたんですが、昨日の段階で幕ジリ(爆)今日見たら抹消されている(激)。とりあえづ十番勝負前には復活させとかんと・・・

[61541]じゃごたろ さん
全国にある○○△△道路

この話で思い出したんですが、千葉の松戸野田有料道路(県道松戸野田線〔=流山街道〕バイパス)が30年間の料金徴収期間終了ということで今月から無料開放となりました。これまで流山街道の東深井から運河駅前にかけては慢性的に渋滞が発生していましたが、仕事でバイパス・旧道とも使うことが多い身としては車の流れが分散されてくれれば良いのですが。ていうか、個人的には松戸三郷有料道路の方が早く無料道路になってほしい・・・(こちらは2010年3月償却完了だそうで)。

さて、風呂入ってスタンバるかな。。。
[61557] 2007年 10月 7日(日)19:13:06【1】faith さん
地名の決定権
[61551] 千本桜さん
[61545] 88 さん
転居してきてまだ5年とか、地区の生い立ちを知らないとか、地域全体の中における地区のアイデンティティーを考えたことがないとか、そういう類の町民を含んでの住民意識調査結果を楯に、住民から多数要望があったとして地名変更を画策した某町のやりかたに、疑問を超えて憤怒を覚えるのです。
心情的には理解できますし、昔から伝わる地名を理由もなく変えて欲しくないと私も個人的に思っていますが、ここまでくると、(不穏当な言葉かも知れませんが)「選民意識」というものに近く、私には受け入れにくいものを感じます。
どのような人の意見だったら「正しい」のですか。

地元の人だったら嫌がるだろうなと思う名称が、(おそらく他地域にお住いの方から)無邪気に提案されているのを見たこともあります。
もちろん、地名の歴史についての啓蒙はなされるべきですが、地名については、その地域で実際に生活して、納税して、地名の影響を直接に受ける、当の住民たちに最終決定権があると私は考えます。
それに、1000年前の地名だったら正しく、今の人が自然と思う名前より優先されるべき、というのも、考えておられるほど、万人に通用するロジックではないように思います。
いつの時代も、人々は自然と思う名前で周囲の土地を呼んできたはずです。狭い範囲の地名がいつの間にか広い範囲に転用されることなどいくらでもあったでしょうし、いつのまにか範囲がずれていることだってあったはずです。似たことが、少々違った形ではありますが、現代に起きているということではないでしょうか。

###こういう意見の方がこの掲示板では勇気が要りそうですが(笑)

矛盾と思われるかも知れませんが、[61545] 88 さんの
「地名」を、長い歴史の中でたかだか100年しか存在しない「現在の住民」に、恣意的に決定する権利があるのかどうか、個人的には大いに疑問を持っています。
自体は、深い洞察を含んでいるように思われ、一概に否定するわけではありません。

※第1センテンスの表現を少し改めた。「いつの時代も…」以下を追加。[61545]への言及を追加。
[61556] 2007年 10月 7日(日)18:59:32Issie さん
決着
[61555] ニジェガロージェッツ さん
「まだ決着がついていない」とは何についての決着がついていないのでしょうか。

ああ,これは ドラえもんさん に悪いことをしたかも。[61544] の私の言い方に単純に応答しただけかもしれませんから。
いや,ドラえもんさん が「決着がついていない」と感じているなら,それはそれで悪いことだとは思いませんよ。

[61547] ドラえもん さん
早速今から調べます。

[61544] でも言ったけれど,今すぐ答えを出さなくて結構です。別にここで答えてくださらなくても構いません。
長い時間かけて,ゆっくりと,自分で調べ,自分で考えてください。

五合目からの歩行距離

私は登山をすることもないし,富士山に登ったこともない(中学校のとき,精進口の五合目[富士スバルラインの終点]から青木ヶ原方面へ“下りた”ことはあるけれども)のですが,平面上の水平距離だけを考えても,また不足だと思います。
たぶん,水平距離と標高差,所要時間,その他もろもろの要素全体を合わせた上での「○合目」表現だと思いますよ。[61550] で 淡水魚さん が触れている「空気の薄さ」なんていうのも大きな要素かもしれませんね。

[61546] なると金時 さん
そんなの関係ねえ~!

これ,何? 流行しているのですか?
[61555] 2007年 10月 7日(日)18:36:18ニジェガロージェッツ さん
まだ何か不足ですか?
[61547] ドラえもん さん
(まだ決着はついていないようですけど。)

これは人口についての話について言っていますか?
私としては、日本在住の外国人の人口については[61478]にて、海外在住の日本人人口および内外日本人総人口については[61535]にて決着をつけたつもりですが、「まだ決着がついていない」とは何についての決着がついていないのでしょうか。

それとも[61478][61535]については、大半の落書き帳のメンバーにはわかりきっていると思われる事を、できるだけ丁寧に述べたつもりですが、それでもご理解いただけないと解釈してよろしいでしょうか。

私としては、この件、これ以上の書き込みをする意志はありませんので、ご自身のご納得いく形で、ご決着をつけて頂ければと思います。
[61554] 2007年 10月 7日(日)18:32:34EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第139号
またまた間を空けてしまいました。
先日来振り回されている仕事の山場が25日の週と7日の週で大きな峠を2つ越えまして、とりあえず「あとは結果待ち」となりました。ようやく普段の仕事に戻れる状況になりつつあります。
ただその間に夏バテ→風邪→異様に眠いの連続コンボに見舞われるは、パソコンの不調はぶり返すは(結局LANカードを新調した)で人間様もパソコンもへろへろで、ちょっとした作業までは手に付くんですが、書き込みをするところまでは至りませんでした。
(この間の月曜に1度だけ書き込みしようとしたのですが、その時はいつもと違うところでcgiエラーが出て、書いた内容が全部吹っ飛んでしまったのでふて寝してしまいました)
本調子を取り戻すのは十番勝負で、という事になりますが、その先にまずは地名コレクション編集業務から行っておきましょう。

まずは書き込みしてない間に行った作業から。
これまで4月と10月に地名コレクション案の一覧を整理して落書き帳の記事として投稿する、と言うことをしていた訳ですが、半年に1回では忘れてしまいそうになる、記事がどんどん大きくなっていく…等々あることから、地名コレクションのシステムを利用してこのようにまとめてみました。
あくまでコーナーの備考、と考えていますので、データは全てカウントから除外しています。
また、コレクション案の追加に際しては必ず編集メモで触れていますので、更新履歴も残さないつもりです。
とりあえずはこの形で試行していきたいと思っています。
なお、この作業に付随して、トップページの説明文も少し書き換えてあります。

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[61274]  k-aceさん
#今気付いたんですけど、油谷コレクションのURLは「あぶらたに」なんですね…。
これも読みがバラバラなのでどうするか悩んだのですが、結局身近で見る読み(金沢周辺に油谷という名字の人が時々いて、たいていが「あぶらたに」か「あぶらだに」なので)にしてしまいました。
URLの決め方はその時々でけっこう適当なので、あまり深くは気にしないで下さい(汗)・

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[61284]  伊豆之国さん

まず、地名コレクションにの作成については、通常はどなたかが手を挙げて頂くのを待つことにしています。たまに今回のように私からはたまにお声掛けすることがありますが、その場合も基本的にはご本人の意志に従います。
なお、新規の地名コレクション案一覧の説明文にも書いてありますが、一覧中に挙げてあるコレクション案の名称は、その案をご提案頂いた方のイメージをそのまま表現したものです。
ただし、実際にコレクション化しようとすると範囲が広すぎるとか、数が多くなりすぎるとか言う場合も多々あります。
こういう場合は、コレクション案の名はそのままにしておいて、備考で「範囲を絞った方が良い」とか「分割した方が良い」とか言ったコメントを付けることにしています。
で、このような限定や分割に関するコメントの付いたコレクションは、どなたかが手を挙げて頂いた場合でも編集長としてそのままお受けすることはなく、必ず収集範囲の限定・分割をお願いすることになります。
最近の例としては「気象系」の提案に対して分割・限定をお願いし、結果として「天気名」として登録した、と言うことがありました。
翻って「神社由来町名」ですが、そのままでは数が多くなりすぎること、すでに「○宮」コレがあること、春日神社に由来する地名がほとんど「四季」コレに収録されていること、サービスイン前の「旧国名町名」コレに出雲神社由来の町名字名が収録されて来るであろうこと…等々から、これもわたし的にはこのままで登録することは絶対になく、八幡なり日吉なり住吉なり限定した範囲のもののコレクションのみお受けする事になるでしょう。
また、そう言うコレクションにする場合はあくまで共通名系的なとらえ方をして集める方がよいかと思っています。つまり、その言葉さえ入っていれば全て集めておき、由来のはっきりしたものは鼻孔でその旨触れる、と言う形が作業しやすいだろうと思います。
「寺町」コレがそんな感じで作業中です)

#住吉の場合は神社由来であることを切り離したくて「すみやすいように」とか言っている場合が多そうな気がします。「築港八幡町」は八幡製鉄所由来でしょうが、そうすると社名の由来は福岡県の八幡であり、その八幡の由来はどうやら八幡神社であるようで…とたどっていくと間接的に神社由来と言えなくもありません。


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[61286]  k-aceさん
地名コレクション案として「○分一」コレクションはいかがでしょう?>EMM さん
「○分一」コレクションが採用されたとしても、私は今のところ立候補する予定はありません。
了解しました。コレクション案に入れておきました。

ところで、上記に関連した[61305]日本人さんの書き込みに関して一言申し上げさせて頂きたいのです。
類似の投稿があった時に常々考えていて、敢えてこれまで書かずにいたことです。
それは、「そこまでやったんならぶっ放しにしないでコレクション化してほしい。そうでなければ、このあと手を挙げてくれるかもしれないどなたかのために調べる楽しみを残しておいてあげてもらえないだろうか?」と言うことです。
EMMは編集長である前に一編集者でありまして、その編集者EMMは「どんな地名があるか調べるのが楽しくて」地名コレクションの作成に取り組んでおるのです。
他の編集者の方も、大なり小なりそう言う感覚を持っていらっしゃるだろう、と思っています。
今後はちょっと考慮して頂ければ幸いです。

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[61298] スピカさん
ところで、k-aceさんに対抗するわけではないのですが、「根小屋・根古屋」コレクションと「土居」コレクションなんてのはいかがでしょうか。
片方はもうすでにリリース済なのであれですが、登録してありますのでよろしくお願い致します。
ところで、数を競うような形ではなく、あくまで内容の充実に念頭をおかれますようお願い申し上げます。
そうでないと、一度作業が滞ると私のようになかなかペースが取り戻せないようになりますゆえ(汗)。

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[61460] むっくんさん
話は変わりますが、この議論がなされていたのは地名コレクションの黎明期で、地名コレクションの方向性もまだ定まっていないときだったから地名コレクション化されていないのでしょうね。もしも今同じような話題が続いたならば、地名コレクションの候補とおそらくなるのでしょう。
似たような感じのあった「来○」を案の一覧から抜いてしまったのでどうしようかちょいと思案しましたが…
つまるところ、採用基準のラインをどこに置くか、にかかってくるかな、と考えます。
はたしてその「○都」という名称がどこまで一般化し、使用されているのか…と言うところを何を持って決定するか、と言うことですね。
さしあたりはアーカイブズとしてまとめ、量があるようなら次の展開を考えるのがよいと思います。
内容的には市区町村雑学向けかも?とも思いました。

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[61485] むっくんさん
拙稿[60588]で書いていた「峠コレクション」について立候補いたします。
見学者モードで実験して頂いた、と言うことですね。
ご報告頂いた挙動を考慮すると、やはりそのままでは苦しい件数です。
が、しかし、3000件超をとりまとめて頂いた事に敬意を表し、何とかして採用を図りたい。
と言うことで、「地方別に分割+山頂っぽいのはそれだけで独立」という形ではいかがでしょうか。
例えば東日本と西日本と言った形で2分割すれば1コレクション2000件台で収まりそうですが、稜線が県境になっている場合が多いことを考えると、境目に跨るのをどうするか、と言うことで悩まなければなりません。
ならば北海道・本州・四国・九州で分けるのも手かもしれません。
(離島は所属する都道府県のあるところに入れる)
いかがでしょうか?

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[61517] 桜トンネルさん
実は立候補したいな、という地名コレクションがいくつかありますが、「神代コレクション」の完成、「天気名コレクション」の半分ほどが完成した時点で立候補しようかなと考えております。
EMM自身のことを考えると、「天気名コレクション」を完成させてから新たなコレクションの立候補を考えて頂くのが良いのでは、と考えます。
新規の地名コレクション案があるのですが、「瀬戸コレクション」なんていうのはどうでしょうか?ウオッ地図で検索してみると765件と意外に多かったのですが、重複などを除くと700件程度で収まるかと・・・。
?????
「瀬戸」コレクションはすでにある訳ですが…地形名ではなく町名字名としてのご提案でしょうか?共通名だとダメですよ?

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[61534] 伊豆之国さん
これだけでもコレクションができそうですが、EMMさんのコレクション案には載っていませんでした‥
地名コレクション案はどなたかからご提案頂いて初めて一覧に載せることにしています。
載ってない、と言うことはこれまで話題にあがらなかった、と言うことです。
(一覧の中には提案された記事の書いてないものがありますが、一覧自体が元々グリグリさんのとりまとめたものを引き継いで加除しているものでして、つまり無印はグリグリさんが提案者であると考えて頂ければよいです)
今回の記事を元にコレクション案に入れさせて頂きました。

#ちなみに、羽咋市の三軒茶屋は柴垣町の小字名(集落名かも)でして、地元の人以外はあまり使わない名称だと思います。

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EMMの担当コレクション宛の書き込みに関するレスは十番勝負終了後、ないしは途中で煮詰まった時にさせていただくと言うことでご了承下さい。
[61553] 2007年 10月 7日(日)18:28:57紅葉橋律乃介 さん
大津と聞いて思い出すところは?
[61520] 10 月 6 日 (土)00:16:00【2】 スピカさん
ゆうゆう窓口は実は事業会社の管轄なので(窓口営業時間帯は小包の扱いなど)

 分かりにくいんですが、「ゆうゆう窓口」は窓口営業時間中も取り扱いがあるんですね。
 と言うのは、たとえば配達して不在だった場合は郵便局へ取りに行くことが出来ますが、配達したのは「日本郵便」の支店であり、受け取る際も、当然支店へ出向くことになりますから(ただし、郵便局の窓口ではなく、日本郵便の支店窓口=ゆうゆう窓口)。

局会社の封筒も白で、下の方がテーマカラーのオレンジに白抜きでマークが入った物です。

 お知らせありがとうございます。日本郵便の場合は赤色ですから、会社ごとにシンボルカラーが違う封筒を新製したのでしょう。赤い封筒は支店から、オレンジの封筒は郵便局からのお知らせ…ということで。


[61513] 10 月 5 日 (金)08:37:49 地名好きさん
支店名称の同名回避の結果、消印が変化したと考えたほうが良いと思いますけど。

 どちらが先かはともかく、今回の依頼で「大津」局から返ってきました。これは大津郵便局(熊本県)からの返信ということで、滋賀県の大津中央郵便局(大津支店)とは関係ありません。でも、紛らわしいですね。下線が入ってる方は熊本県の郵便局、入ってない方は滋賀県の支店から…な訳で。

郵便局名と支店名が異なるところは、郵便局が支店に合わせて改称するのではないかと先読みしていますが、本当にありそうな気が。先読みのし過ぎでしょうか。

 そうすると中央郵便局がなくなりますね(笑)。それはともかく、一方ではなく、できれば両方とも都道府県名なりを付けて欲しいですね。

※支店の名称が変更された場合、「郵便局からのお知らせ」に載るのかどうか心配です…。
[61552] 2007年 10月 7日(日)17:08:12おがちゃん[日本人] さん
書き込み
[61499] 2007 年 10 月 3 日 (水) 22:47:26 オーナー グリグリさん
書き込みを一日一回以下と自主規制してみてはどうでしょうか(一日一回ではありませんよ。一回かゼロ回です)。そうすれば書き込む際には慎重になるでしょうし、皆さんの書き込みもじっくり読むことができると思います。また、書き込む際には最低三回はプレビューで読み返しを行って
夜中心の書き込みになると思いますが、落書き帳をきれいにしたいのでそうします。訂正はあまり使わないようにしたいと思います。十番勝負以外1回以下にしたいと思います。(十番勝負の書き込みはノーカウント)みんなの書き込みを読んでから書き込みたいと思います。すみませんでした。

十番勝負はいられるかいられないかが微妙です。頑張ります。
[61551] 2007年 10月 7日(日)16:41:05【1】千本桜 さん
道路案内板および大字変更問題
[61540]ペーロケ さん
交差点の交通量が多いとの事。ひょっとしたら、あふれる右折車両を短い青信号時間の中ではとても捌き切れないために、意図的に分散させようとしているのかもしれません。
現地の様子からすると上記の理由は考えにくいのですが、
「予算が余っていたから付けてみた」ってやつでしょうか?
という理由は、無きにしも非ずと薄々感じています。なぜ、このような考えを抱くかというと、案内板の建て替え、書き直しが多すぎるからです。吟味して設置すれば直さなくて済むのに、無駄なことをしているなと感じます。何年前か忘れましたが、白石市の国道4号で「→南蔵王」と表示された案内板を見て、「これは まずい」と直感したことがあります。南蔵王という地名が広域すぎて、的を絞り込めないからです。案の定、現在は「→鎌先温泉」に書き換えられています。書き換えに要した費用はどれほどなのか知りませんが、当初に地名選択を吟味すれば出費しないで済んだ費用です。

[61541]じゃごたろさん
それまでは矢印のみだった青看板にいつの間にか県道番号を示すヘキサのパッチがあてられたり
そのとおりです。例の、直進「福島・仙台」、右折「大河原・角田」にも県道番号が付してありました。昨日たまたま知人と道路標識の話になったのですが、「6号線の相馬から亘理までの区間は、どの交差点も左折すると至・角田だなや」と話していました。どこを通っても至・角田なら案内表示は要らないべ、ということなんです。その打開策として、
1・行先地名は市町村名至上主義を改める。
2・経由地を表示する。
3・道路番号を表示する。
などが考えられます。そのような理由からして、県道番号が表示され始めたのはありがたいことです。しかし、例の案内板で最初に目に飛び込んできたのは行先地名であり、走行中に道路番号まで判読するのは困難かもしれません。

[61545]88さん
「地名」を、長い歴史の中でたかだか100年しか存在しない「現在の住民」に、恣意的に決定する権利があるのかどうか、個人的には大いに疑問を持っています。
全く以って同感です。反感を喰らうことを覚悟で書けば、転居してきてまだ5年とか、地区の生い立ちを知らないとか、地域全体の中における地区のアイデンティティーを考えたことがないとか、そういう類の町民を含んでの住民意識調査結果を楯に、住民から多数要望があったとして地名変更を画策した某町のやりかたに、疑問を超えて憤怒を覚えるのです。

訂正機能で助詞を1字訂正
[61550] 2007年 10月 7日(日)16:22:37淡水魚 さん
1合 ほか
[61529] Issie 先生
明治以降の尺貫法では 1合=180.39ミリリットル,およそ(普通の)コップ1杯。
某飲み屋さんでは、1合の熱燗をたのむと枡にコップが入って出てきます。そしてお姐さんがヤカンからコップに熱いやつをドバドバと注いでくれて、コップからあふれ出た分は枡の中にたまります。コップの酒から飲むべきか、枡を空ける方が先か?判明しないまま今に至っております。
20年ほど前に家族で富士登山をしたときは、富士宮口の五合目から登りました。父が若いころは二合目から登ったそうです。七合目あたりで嘔気がこみ上げてきました。当時は携帯用酸素は売っていなかったものと思います。上に行けば行くほどキツイです。というわけで、○合目というのは登る人の体感距離じゃないかと思ってました。

昨日のことですが、勤務先の旅行で勝沼のぶどう祭りに行ってきました。焼津から東名、富士ICから西富士道路を走って国道139号、精進湖で左折して国道358号(精進ブルーライン)、右左口の交差点で広域農道に曲がって勝沼まで、というルートです。曇り気味でしたので、朝霧高原から薄紫の富士山が見えました。我が家からウインズ石和行きにはいつも52号経由なのですが、大型バスでは139号の方がカーブが少なくて良いとのことです。ただし渋滞にはまる危険有り。
[61549] 2007年 10月 7日(日)14:08:30hmt さん
100年前、国有化の頃の鉄道(16) 都市間電車
前回[61533]では行楽電車として登場した「大師電気鉄道」(1899)ですが、その起点の六郷橋が、東京と横浜の真ん中という立地であることから、この会社は都市間電車の第1号に変身します。

六郷橋から北と南へ路線を延ばし、1905年には品川-神奈川間が完成。1904年に品川に達した時は、東京市内電車と同じ 1372mm軌間に改めて直通運転を狙いました。
一部に路面区間もあるものの、ボギー電車を使用するなど、「鉄道的な高速電車」の先駆でもあり、ゆくゆくは東京・横浜の市電に直通する構えとなると、官鉄にとっても強敵です。

官鉄は当面は快速列車の運転で対抗し、更には京浜間電車線の新設ということになったのですが、その完成試乗会の際(1914)に大失態を演じたことは、[39140]で記しました。

目を西に転じると、同じ 1905年には、「阪神電気鉄道」が、京浜間よりも長い阪神間の全線を一挙に開業しています。
ターミナルの立地に優れた「待たずに乗れる阪神電車」は、京浜よりも更に業績を挙げ、官鉄にとっては、更に強烈なライバル出現です。

鉄道国有化に少し先立って、名目上は「軌道」でも、完全に「鉄道」のライバルであり、「100年前、国有化の頃の鉄道」を語る上で無視することのできない都市間電車が出現したというわけです。
なお、「軌道」として開業した京浜や阪神は、当初は時速8マイルに制限されたということも伝えられます。軌道条例にはそのような規定はありませんが、特許条件だったのでしょうか。もっとも、速度向上は間もなく実現したようです。

このように、実質は鉄道なのに「名目上は軌道」にして鉄道国有法などの縛りを免れる手法は、鉄道国有が実施された後にも、明治末期から大正初期に開通した電車路線、例えば箕面有馬(現・阪急)、京阪、京成、京王、大軌(大阪電気軌道、現・近鉄奈良線など)と後まで続きました。
「鉄道でない」証拠なのか、1435mmや 1372mmの軌間を採用し、僅かな路面区間があったりしました。
[10820] まがみ さんは、これを“軌道もどき”と呼んでいます。

都市間電車は、1924年になっても福岡-久留米間(筑紫電気軌道、現・西日本鉄道)で、「軌道」としての開業が続けられていた一方、名古屋地区では早くも1912年から新たな会社が、まともに都市間の「鉄道」として開業するようになります。愛知電気鉄道と名古屋電気鉄道(名古屋鉄道、名岐鉄道)。

関東・関西でも1920年代に新たに開業した会社は、都市間電車を「鉄道」として開業しました。新京阪鉄道(現・阪急京都線)、目黒蒲田電鉄など現・東京急行の各線、小田原急行鉄道、阪和電気鉄道、参宮急行電鉄がその代表例です。
現・近畿日本鉄道の大阪線は、軌道で開業した「大軌」(奈良線)から分岐したために、1927年までに作られた八木以西は軌道でしたが、八木-桜井間(1929)は鉄道で開業しています。“軌道もどき”の尻尾を引きずっていた都市間電車も、実体に合わせて鉄道とする方針に転換し、先ず新線部分から実行されたようです。

既存の“軌道もどき”も、この方針を受けて、大部分が鉄道に変更されました。主な私鉄の変更年です。
九州鉄道(現・西鉄)(1938年)、旧「大軌」の関西急行鉄道(1942年)、東京急行電鉄の旧「京浜」路線(1943年)、旧「京王」路線(1945年)、京成電気軌道(1945年)、阪神電気鉄道(1977年)、山陽電気鉄道(1977年)、阪急電鉄(1978年)、京阪電気鉄道(1978年)。結構時間がかかっています。

京浜・阪神から“軌道もどき”を追跡して、鉄道国有の時代を離れてしまいましたが、蒸気鉄道として開業した路線は、電化開業した新線を含めて、当然に都市間電車鉄道になりました。既報の南海[61516]、鉄道院(京浜間電車線)のほかに、現在の西武、東武など。

鉄道国有の 1906年当時は「軌道」として営業していた路線だが、現在は「鉄道」に変身している路線は、上記の京浜電気鉄道、阪神電気鉄道のほかにも、この記事に2社登場しています。

江ノ島電気鉄道(藤沢-極楽寺)。1910年鎌倉まで延長。1945年鉄道に変更。江ノ島鎌倉観光を経て江ノ島電鉄。
小田原電気鉄道(国府津-湯本)。日本電力を経て1928年 箱根登山鉄道。1919年箱根湯本から先の登山鉄道を開業した後、1935年に小田原-箱根湯本間も鉄道を開業し、軌道は廃止。
# 国府津-小田原間は、1920年に鉄道省の熱海線が開通し、既に同社の軌道は廃止されています。
[61548] 2007年 10月 7日(日)13:25:12【1】アルバトロス さん
真田太平記
遅レスです。

[61474] Issie さん 他の方
が触れていた「真田太平記」、NHKの大河ドラマ「風林火山」に真田幸隆が真田幸村の祖父に当たるということに興味を持ち、完本池波正太郎大成の中の「真田太平記」3巻分2700頁余を、図書館から借りて、7月から9月の3ヶ月をかけて読みきりました。自分と同じく興味を持って借りている方が何人かいた様な気がします。
真田信之と真田昌幸・幸村が徳川方と豊臣方に分かれたこと、関ケ原に向かう徳川秀忠軍が「上田」で真田昌幸・幸村軍に足止めさせられて遅参したことは、有名なことで知っていましたが、結末の真田信之が「松代」へ移封され真田家が幕末まで続いたとは知りませんでした。”真田=「上田」”のインパクトが強いのでしょう。勉強不足でした。
「松代」は先の大戦末期の大本営移転のことと、昭和40年代にあった松代群発地震の事しか頭になかったです(歳がばれるな)。
大河ドラマ「風林火山」は原作をかなり脚色していますね。読み直して感じました。
[61547] 2007年 10月 7日(日)12:13:46【4】北神[ドラえもん] さん
歩行
[61544]Issie さん
だから,標高は関係ないんだって…。
出発点が一番低いのは富士宮だと思いますよ。ほかはみんな「高原」が出発点です。
もっとも,今では大抵,五合目まで車やバスで上がってしまうから,実際に歩いて登のはその先だけなんですけどね。
登山道の始まりは、一番低いのは富士宮口の登山道でした。
五合目なら富士宮口が一番高いですが、標高は関係ないということで五合目からの歩行距離で比べてみることにします。(歩行距離は上りの距離)(長い順から並べます)

五合目からの歩行距離
御殿場口 11.0km
須走口   7.8km
河口湖口 7.5km 
富士宮口 5.0km

この歩行距離を比べるとやはり富士宮口が一番上るのが良さそうでした。(標高関係無しの場合でも)それでも、急だったらもしかすると御殿場口より時間がかかるかもしれないということで、平均の時間を比べます。(これも上りの時間のみ)(時間がかかる順から並べます)

五合目からの所要時間
御殿場口 7時間半
須走口   5時間半
河口湖口 5時間半
富士宮口  5時間

時間も歩行距離とほとんど同じ順位でした。(時間差関係もいいところですね。特に須走と河口湖歩行距離もほとんど同じですし、所要時間もほとんど一緒です。)これは標高順位、歩行距離順位、所要時間順位のランキング全てが一致しました。(標高は関係無いですが、順位はは一致したですね。)

人口数の話に決着がついてからでいいですから,ぜひ2つのことを考えて欲しいと思っています。
この機会に是非調べようかと思います。アドバイス有難うございます。
早速今から調べます。

♯ちょっと未来の話になってしまいますが・・・。

[61555]ニジェガロージェッツ さん
これは人口についての話について言っていますか?
私としては、日本在住の外国人の人口については[61478]にて、海外在住の日本人人口および内外日本人総人口については[61535]にて決着をつけたつもりですが、「まだ決着がついていない」とは何についての決着がついていないのでしょうか。
不足ではございませんでした。
どうやら誤解していたようでした。(自分が誤解です。)
Issie さんが「決着をつけたら」、と言われたのでまだ付いていないのかと思っていただけです。
変な勘違いをしてしまいました。(自分で考えないといけませんでした。)

♯勿論、Issie さんが悪いと言うことでもございません。

[61556]Issie さん
ああ,これは ドラえもんさん に悪いことをしたかも。[61544] の私の言い方に単純に応答しただけかもしれませんから。
いや,ドラえもんさん が「決着がついていない」と感じているなら,それはそれで悪いことだとは思いませんよ。
う~ん、自分の考え方はいつも間違っているようで敢えてこう言ってしまいましたね。(つまり、単純にと)これからは人の考え方に頼らず自分では決着がどちらを感じているかを書いたほうがいいですね。(まぁ、それでも間違っていたら行けないことですが。それと単純過ぎるのも良くないのでこれからはその部分を直さないと行けません。)
[61546] 2007年 10月 7日(日)10:09:06【1】なると金時 さん
久闊を叙す
[61540]ペーロケさん
今年の流行語は「そんなの関係ねえ」かな?
あの人の芸がおもしろいかどうかは別としてwあのフレーズは今後も残るでしょう。
私も生活の中でそう言いたくなる瞬間が何度もあります。
皆さんも、落書き帳の中でそういうときがあるかもしれません。

本日夕方から出かけるので、またもや出遅れます。メダル残しといてください。え、それは無理?

そんなの関係ねえ~!
[61545] 2007年 10月 7日(日)09:29:37【2】88 さん
大字の復活
レスが遅くなりました。

[61194] 千本桜 さん
大字の大内の件、初耳でした。
「ひょっとすると『大内』は通称で、あくまで正式には『松崎』ではないか」と、淡い期待を胸にインターネット登記情報サービスで確認してみたのですが、残念ながら正式なものでした。例に挙げて日付を確認すると、
年月日地番
H15(2003).3.24 まで大川郡大内町松崎200番1
H15(2003).3.25~H15(2003).3.31大川郡大内町大内200番1
H15(2003).4.1~東かがわ市大内200番1
でした。小字はありません。この土地は、大内町土地開発公社が元は所有していましたが、現在では企業に売却済でした。
それにしても、東かがわ市発足とは同時ではなく、大内町の時代に変更していたのですね。もちろん、引田町・白鳥町・大内町合併協議会の第2回協議会会議資料(pdfファイル)の12/23ページ「町、字の区域及び名称の取扱い」には記載がなく、他の2町には関係なく、旧大内町が独自で決定したものと思われます。この「大字『大内』の設定」の香川県告示については、ネット上には存在せず未確認ですので、図書館へ行く機会に見てみたいと思います。
あの場所のあの区域に大内と言う地名の継承を委ねるのは地理的・歴史的にいかがなものか
(中略)
一般住民は藩政村名と現行町名の係わりを知らないでいること。そして、もしかすると地名決定権を持つ人たちも知らないでいるか、知っていても そのことに重要性を感じないでいることです。
私の今までの主張からみると述べるまでもないとは思いますが、同感です。この考えは、大内に限らず、他地域においても同じです。
藩政村≒大字は、大多数のものは1000年以上の歴史を重ねてきています。明治の大合併時に「(例えば合成して)人為的に作られた」100年少々の期間しか存在していないものや、昭和の大合併時に作成された50年ほどの期間のものとは異なります。ましてや、藩政村の名前は、地元住民による自然発生的なもの(=これこそ本来の「地名」と言えると思う)によるものが多いのではないでしょうか。「○○村にしよう」と、人為的・行政的に新たに造り出したものとは異なると思います。
また、「地名」を、長い歴史の中でたかだか100年しか存在しない「現在の住民」に、恣意的に決定する権利があるのかどうか、個人的には大いに疑問を持っています。「現在の」住民の感覚で判断するからさまざまな誤解が生じるのではないか、と。その地名の対象範囲に拘らず、今回のように「どこでもいいから名称だけを残せばいい」という発想など・・・。
「地名」は、ブランド名・商品名などのように、一時的に流行を追うことを可とする(流行らなくなれば次の名称に置き換えればよい)ものとは本質的に異なるものだと思います。
・・・・・・と、この話は始めると熱くなってしまうので、今回はこのくらいで。

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実は、試行品は、他の箇所にも要修正箇所がありました。東かがわ市で現行の大字に継承されていない藩政村があったのです。「塩屋村」です。「角川日本地名大辞典 37香川県」(角川書店)によると、現在の東かがわ市引田の一部で、小海川東側の沖積地、由来は当地に安戸新田の塩釜が設けられていたことによる、とのことです。このあたりになるでしょうか。M8年には塩屋村は戸数56、人口345、反別17町余、です(前掲書、「梶山家文書」よりの孫引き)。現在は小字になっているか、単なる通称かは未確認ですが。
「香川県史」の情報を加えて変遷をたどります。
変更年月日変更種別郡名自治体名変更対象自治体名
M11(1878).12.16編入大内郡引田村大内郡引田村,塩屋村
M23(1890).2.15村制大内郡引田村大内郡引田村(市制・町村制施行)
M42(1909).10.1町制大川郡引田町大川郡引田村
S30(1955).4.1新設大川郡引田町大川郡引田町,相生村,小海村
H15(2003).4.1新設/市制東かがわ市大川郡引田町,白鳥町,大内町
塩屋村は市制町村制・明治の大合併に先駆けて引田村に編入され消滅しました。市制町村制時にはこの引田村が単独で村制し、旧引田村も旧塩屋村も「大字なし」地域です。S30年の合併で旧塩屋村も含めて大字引田となり、現在は「東かがわ市引田」となっています。現在に至るまで、「大字塩屋」は存在しておりません。大字の復活でも、「この旧塩屋村の範囲を大字の塩屋として復活させよう」と言う主張ならば私も賛同できるのですが。
同じM11.12.16付けで、すぐ近隣で8村が合併して大内郡丹生村が誕生しています([49209]拙稿)。この8村については、昭和の大合併時に藩政村名が「大字」として復活し、現在も大字として現存されています。塩屋とはすぐ近くなのに対照的です。
ちなみに、この塩屋村の件は、1年半ほど前に千本桜さんと議論した、高知県高岡郡七里村(現四万十町の一部)についてと同じような例ですね。市制・町村制に先駆けて合併したために、大字引田の範囲が恰も藩政村の引田村であったかのような様相を示しています。

なお、同様に藩政村が明治の市制町村制に先駆けて合併し、現在に至るまで大字としては使用していなかったものが、平成の大合併で復活した例があります。現在の香川県仲多度郡まんのう町です。先に関係部分の変遷の抜粋を記します。
変更年月日変更種別郡名自治体名変更対象自治体名
M7(1874).9.28新設那珂郡十郷村那珂郡生間村,後山村,追上村,大口村,買田村,新目村,
山脇村,宮田村,帆山村,福良見村
M23(1890).2.15新設/村制那珂郡十郷村那珂郡十郷村,佐文村
新設/村制那珂郡七箇村那珂郡七箇村,塩入村
S30(1955).4.1新設仲多度郡仲南村仲多度郡十郷村,七箇村
S45(1970).1.1町制仲多度郡仲南町仲多度郡仲南村
H18(2006).3.20新設仲多度郡まんのう町仲多度郡琴南町,満濃町,仲南町
琴南町・満濃町・仲南町合併協議会第6回協議会議事録(pdfファイル)の9/46ページ(議事録のフッダページ数ではp.5)に、大字十郷内においては従来の小字の一部(帆山,後山,大口,新目,山脇,追上,宮田,買田,生間)を大字とする(ただし「大字」の冠称はしない)とあります。
資料(pdfファイル)の16/99~24/99ページ(資料のフッダペ-ジではp.19~p.27)に詳細があります。
  合併前:仲南町大字十郷字帆山東原○○番地
  合併後:まんのう町帆山字東原○○番地
藩政村である、「生間」「後山」等の(福良見を除く)9村の名称が、小字の一部が大字として復活しました。従前の小字名を設定するときに、大字にならなかった旧9村の名称を小字名に冠して称したようです。この理由として、議事録では
大字十郷には・・9つの字のグループが存在・・それぞれのグループごとに土地地番が付けられて・・土地標記には必ず字名の表示がなければわからない状態・・現在の自治会の名称も、帆山、後山、大口、新目など
とあります。欲を言えば、「もともと藩政村は帆山、後山等であった。『塩入』『造田』などに相当するのは十郷ではなくこれらものである」と言って欲しかったところではありますが。
そういえば、ある知人が住所を通常は「仲南町宮田○○番地」と標記していたことを思い出します。敢えて「十郷」を省いていたようです。いまは晴れて「まんのう町宮田○○番地」と標榜しているとは思いますが・・・。

少し横道に入ります。資料は前掲の「角川日本地名大辞典」から。
「福良見」は・・・国土地理院の25000分の1の地形図の図幅名にもなっており、馴染みのある方も多いかもしれません。このあたりはちょっと歴史が複雑なので説明を。十郷の説明をするには「七箇村」に触れないといけません。
「七箇村」の地名の由来は、7つの村という意味に加えて「多くの村々」の意味があります。戦国末期頃には七箇村と呼ばれていました。「寛永17年生駒氏惣高覚帳」(生駒氏は松平頼重(徳川光圀の兄)の前の高松藩主)では、
  七ヶ村西分:新目・山脇・大口・追上・宮田・生間・買田
  七ヶ村東分:本目・春日・小池・照井・帆山・後山・福良見
としています。福良見はこのとおり高松藩領でしたが、寛永18年に丸亀藩が成立した際に、七ヶ村西分7村と、七ヶ村東分のうちの帆山・後山・福良見の一部(西北部の17石余)で丸亀藩の七箇村(総称、西七箇村とも)となり、福良見村は丸亀藩の領地の一部として引き続き存在しました。一方、高松藩側は、七ヶ村東分の4村と福良見村の残余で七箇村(東七箇村とも)となり、残余は福良見村との名称は残らなかったようです。丸亀藩の総称の(西)七箇村(実態は10村)は前掲のようにM7年に十郷村となりました。
十郷村は合併数地名と言えますが、七箇村はそうとは単純には言えないようです。
丸亀藩領となったの福良見村(→十郷村)は、おそらくなのですがこのあたりで、過小のため旧帆山村と一体化したと思われます。現在はまんのう町帆山の一部です。
高松藩領の旧福良見村(→(東)七箇村)はこのあたりで、現在はまんのう町七箇(字福良見)です。昭和の大合併で、寛永から昭和へと約300年ぶりで同じ村になったことになります。
十郷村の各村は今回大字として復活した一方、(東)七箇村の各村(本目・春日・福良見等)が復活しなかったのは、この経緯の違いもさることながら、先述の議事録にもあるような「地番区域」の設定の相違が大きいのでしょう。十郷と異なり、七箇は本目・春日等の単位ではなく、七箇全体が不動産登記法の地番区域です。七箇は「七箇○○番地」で住所は特定できます。十郷は「十郷○○番地」では特定できず、「十郷帆山○○番地」「十郷新目○○番地」としなければ特定できません(純粋な小字(帆山『東原』など)は表記しなくても特定可能)。本目・春日等を冠しなくても土地を特定できたため、大字名としての復活には障害とはなったのかもしれません。当地域(香川県内)では、地番区域はほとんどが大字単位であり、そのためもあって小字を普段意識することはあまりありません。
不動産登記法の地番区域については、拙稿[41581][48881]をご参照ください。

ついつい長文になり、失礼しました。
[61544] 2007年 10月 7日(日)08:40:46Issie さん
永住
[61537] ドラえもん さん
上る場合は富士宮口が一番いいってとこかな?

だから,標高は関係ないんだって…。
今ちゃんとしたデータを持っていないので「恐らく」というところですが,御殿場と須走と河口湖と富士宮と,ついでに富士吉田と比べてみて,出発点が一番低いのは富士宮だと思いますよ。ほかはみんな「高原」が出発点です。
もっとも,今では大抵,五合目まで車やバスで上がってしまうから,実際に歩いて登のはその先だけなんですけどね。

日本に住んでいる外国人人口の数は海外にいる日本人人口倍ぐらいになりますが。

人口数の話に決着がついてからでいいですから,ぜひ2つのことを考えて欲しいと思っています。

1つは,もしかしたら今ここでは何気なく使っているだけかもしれない「日本人」とは,どういう人を指すのか。これについて,人口統計上はきとんとした定義がしてあって,それはたいてい統計内容の説明の始めの方に書いてあるはずなのですが,それでは「日本人」が「日本人」でなくなるのは,どういうときか。
さらに,統計を離れて,もっと一般的に,私たちはどんな人を「日本人」と考えているのか。

2つめは,なぜ日本にそれだけの数の「外国人」が住んでいるのか。その中で多くを占めるのは,どういう「外国人」なのか。なぜ,その人たちは「帰ら」ないのか。

どちらも,簡単に答えの出る問題ではありません。じっくりと,何年もかけて考えていくべき問題ですが,日本の(特に近代以降の)歴史と社会を考える上で決して素通りをしてはいけない問題です。
特に2つ目の問題,この人たちにしばしば投げかけられる「国へ帰れ」などという言葉がどれほど愚かなものか,よく考えて欲しいものです。
[61543] 2007年 10月 7日(日)02:47:45【3】faith さん
島嶼部の旧富士銀行支店
[61400] ぺとぺと さん
[61375] KK さん
旧富士銀行の支店について、同行発行の「富士銀行の百年」(以下「百年史」)にて調べることができたので報告します。
百年史には以下のようにあります。
築地支店大島出張所 大島町元町四丁目
昭25・7 築地支店大島派出所を設置 昭31・9 大島出張所として開店
浜松町支店八丈島出張所 八丈島八丈町三根
昭39・11 芝浦支店八丈島出張所として開店 昭45・3 浜松町支店八丈島出張所
富士銀行の1998年版ディスクロージャー資料INFORMATION2--組織・ネットワーク(PDF/300KB)
にある大島特別出張所、八丈島特別出張所とは住所が一致していますので、これが富士銀行ではこの時点まで引き継がれていたものと思われます。

なお、八丈島出張所については現在のもの(八丈町大賀郷)と住所が異なっています。
富士銀行の2000年版ディスクロージャー資料DATA FILE Part 1(PDF/233KB)では、住所は表示されていませんが、
町役場前
とあり、このあたりで移転したようです。
三宅島の方の出張所については百年史では記述が見当たりませんでした。

八丈島出張所が新設された背景については、百年史には以下のようにあります。
こうした情勢(faith注:都市周辺部の発展を指す)をふまえて、大蔵省の店舗行政はさらに弾力的になった。三十七年度からは普通支店、三十八年度からは出張所の新設を認めることになった。このあと四十年の不況によって四十一年度に店舗行政は抑制に転ずるが、それまでの四年間に当行は次の支店と出張所の認可を受け出店した。
(中略)三十九年に小金井、小松川、経堂、府中、成増、金山橋の六支店と、東京中央市場内、八丈島の二出張所(略)

なお、
出張所(三宅島)と、特別出張所(大島、八丈島)の違い
については私も良く分かりませんでした。
他行でも、出張所、特別出張所が双方存在するところがあります。母店が本店であるか支店であるかに関連しているというわけでもなさそうですし、他行の例ですが、特別出張所だから母店が存在しないというものでもなさそうです。
三菱東京UFJ銀行 東松原特別出張所
東京三菱UFJ銀行がわずか5店だけ特別出張所を残しているところを見ると、行政的には意味のある区別なのでしょうか。

※「なお、八丈島出張所については…異なっています。」を追加
※※「最後まで」→「この時点まで」
※^3 誤字、脱字訂正。最後の引用部分を縮小。
[61542] 2007年 10月 7日(日)02:35:31じゃごたろ さん
主要地方道白石柴田線
続けざま失礼をばいたします。

[61540] ペーロケ さん
[61522] 千本桜 さん

この件について私の想像ですが、これも案内標識を整備するために発生した副産物というものだと思います。

北白川駅から例示された交差点までは主要地方道白石柴田線(県道50号)と一般県道北白川停車場向山線(県道112)号の重複区間であり、その交差点で分岐するという路線となっているものと思います。

さて、確か平成19年度内をメドに県道を含めて、路線の案内標識を整備する計画があったはずです。ですからそれまでは矢印のみだった青看板にいつの間にか県道番号を示すヘキサのパッチがあてられたり、交差点に「そとば」とよばれる矢印がいつの間にか設置されたりしていたりします。

で、その交差点にお話を戻すと、直進すると県道112号であり、右折すると県道50号であることを示すことになったのでしょう。そこでは「そとば」ではなく、青看板が設置されることとなった。さて右折する県道50号はどこに行くかというと大河原町。直進すると国道4号に突き当たり福島市や仙台市に行くことができる。ということで千本桜さんのご紹介された青看板ができあがり。といったところではないでしょうか。

この標識の妥当性についてはなんともいえません。
[61541] 2007年 10月 7日(日)02:16:33じゃごたろ さん
海南湯浅道路
こんばんは、じゃごたろです。
これから西に向けて出発しようかと準備中です。なぜ今頃か、というとETCの深夜割引を有効に利用するためです。。。

[61536] k-ace さん
#いつの間にやら、海南湯浅道路という名称が地図上から消滅していることに今気付きました。

はい、そうですね。海南湯浅道路は平成15年に阪和自動車道に編入され、その名前が消えてしまいました。

何が変わったかというと、道路の償還に関する事柄が変わりました。阪和自動車道は高速自動車国道、海南湯浅道路は阪和自動車道に直結しますが、あくまでも一般国道の有料道路という扱い。ですから海南湯浅道路の区間の償還が済めば、その区間だけが無料になるはずでした。一方高速自動車国道は今のところ半永久的に有料という状態。ということで阪和道に編入された方がいいか、編入されない方がいいか、ということ。

以前にも書き込んだ湯浅御坊道路とか米沢南陽道路など、全国にある○○△△道路というのもそうです。その中で典型的なのが、山陽自動車道の中にある広島岩国道路です。これも山陽道に並行する一般国道2号の有料道路、ということであくまでも山陽道ではありません。この区間を山陽道に編入しようといたところ、裁判沙汰となった顛末まであります。それもこれも償還という、お金が絡むお話だからです。
[61540] 2007年 10月 7日(日)02:11:04【1】ペーロケ さん
合理的なルートを案内しない案内標識
[61522]千本桜さん
県道だから案内標識を設置したい。そして、指針に従えば行先地名は「大河原」になる。設置者は当然のことをしたのでしょうが、事務的で現地のシミュレーションが足りません。
 私は当該交差点の状況を詳しく知りませんので、あくまで推測でしかありませんが、交差点の交通量が多いとの事。ひょっとしたら、あふれる右折車両を短い青信号時間の中ではとても捌き切れないために、意図的に分散させようとしているのかもしれません。(かといって、離合もままならない細い道に誘導するのもどうかと思いますが。)あるいは担当者の頭の中では「交通量が増える」→「渋滞が発生」→「予算要求が通る」→「拡幅」のストーリーを考えているのかも?まあさすがに案内標識でそこまでは考えられないか(苦笑)。となると、お役所の得意技、「予算が余っていたから付けてみた」ってやつでしょうか?(これが一番信憑性が高かったり。。。)

 実は案内標識の中には、騒音や交通分散のために、最も合理的ではないルートにあえて誘導しようとすることがあります。最近の事例では、三原バイパスが今年の5月に時広ランプまで延伸しました。こちらの3ページ目によると、
渋滞が慢性的な国道2号古浜橋東詰交差点付近の交通量が約3割減少
と事業効果を予測されております。つまり、「せっかく作ったんだから、並行する現国道2号から三原バイパス部分開通の方にシフトして欲しいなあ」っていう意図が暗に読み取れます。もちろん、事業効果が厳しく問われる時代、交通量が多く流れた方が今後の事業継続の必要性を説明しやすいので、当然といえば当然です。しかし、この延伸後、思わぬ事態が発生しました。時広ランプから現国道2号へのアクセス道路は国道色に着色されていません。つまり、一般の市道であり、それまで周囲は静かな住宅地だったようですが、当然ながら大型車を含めて交通量が激増したために騒音問題、あるいは通学などに危険が生じ、住民から苦情が出たようです。そこで国道2号の道路管理者(国交省福山河川国道事務所)は、なんと、福山方面からアクセス道路に入ろうとする入り口(古浜通り1交差点)にせっかく作った案内標識から「→三原バイパス」の文字を消しちゃいました。これが何を意味するかというと、先ほどの事業効果と矛盾し、新しく作った三原バイパスではなく、旧来の渋滞の名所である古浜橋東詰交差点方向へと誘導しています。結果的に、「三原バイパスの時広~中之町間をまだ使わないで、全部開通するまで待ってね」と言っているようなもの。
 まあ罰則がありませんし、土地勘がある人はみんな右折しますので、この「削除」がどれだけ「三原バイパス延伸部分」の交通量削減(?)に貢献したのかは不明ですが。。。また、「大型車は直進してください」との文字が、私の性格上、逆に右折あるいは左折してみたくなります。ちなみに、地図の読解力が卓越された皆さんなら容易に想像できると思いますが、左折も渋滞の抜け道だったりします。

 (余談)今年の流行語大賞のノミネートは何だろう?「代打オレ」「がばい旋風」「JP」「第4回」「福博」。。。あっ、独り言です。(苦笑)
[61539] 2007年 10月 7日(日)01:48:11【1】いっちゃん さん
あれっ!
1軍のメンバー紹介から名前が消えてるうっ・・・。

で、復活させるためだけに?書き込みます。
忙しすぎ&自宅(北斗市)がネット環境に無いため、こんなことになってしまいました(今日は八潮市の家族宅)。

今回の十番勝負ですが、7日の開始後に時間があれば参戦したいと思っています。8日は日中はたぶん無理で、その日の北斗星で北海道に帰るので夜も×。9日は予定びっしりで10日は東京日帰り出張。11日以降も状況は厳しいまま。翌週は韓国出張(予定)で絶望的。その翌週はシンガポールと台湾からの来客(それぞれ別の案件)の準備とお世話でこれまた厳しい。
と言うことで、開始直後(たぶん家族サービスが優先されるでしょうが)に時間が取れるかどうかが完答のカギです。

て言うか、これがフツーのサラリーマンなのかも・・・(汗)。
[61538] 2007年 10月 7日(日)01:08:25ぺとぺと さん
四季コレレスなど
[61371] きまぐれさん
いつも四季コレクションへの情報提供ありがとうございます。いただいた情報を吟味しコレクションを増やしていくのも、地名コレクション編集の醍醐味のひとつです。
さて、ご提供いただいた佐賀県の春日山ですが、もちろん採用させていただきます。リンクをつけていただいたMapion以外の地図では「春日山」の文字を探すことができませんでしたが、佐賀県のこのページに、
佐賀平野中央北部で嘉瀬川中流の東方春日山中腹に、春日山高城護国禅寺がある。
との一節がありました。
一方の春日野園地ですが、こちらは非常に微妙ですね。見たところ「○○公園」などと同様の使われ方をしているようにも思われますし、一旦は見送りとさせてください。
ところでこの春日野園地、なら燈花会の会場なのですね。一度行きたいと思いつつ、行きそびれている夏のイベントです。

[61452] スピカさん
小田原で震度5弱の地震があったそうですが、全然気づきませんでした。「神奈川県西部地震」と呼ばれていて、不思議な気分がしました。お近くのぺとぺとさんは大丈夫でしょうか。
気にかけてくださり、ありがとうございます。にもかかわらず、返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
言い訳しますと、今週は業務多忙で丑三つ時の帰宅が続いたため、書き込む気力が湧きませんでした。(久しぶりに2日間ぶっ通しの勤務も経験しましたがこの歳になるとさすがに辛かった)
かの地震には驚きましたが、小田原や箱根在住の同僚からも被害に遭ったとの声は聞かれず一安心でした。

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話題は変わって今回の十番勝負、白桃師匠には申し訳ないのですが、またまた運よく初日から参戦することができそうです。
明日(日付上は今日)も出勤なのですが、20時のスタート前には何とか帰宅できそうです。しかも、仕事が忙しいせいで10月の休日はまったく予定を入れておらず、明後日は終日フリー。
平日考える余裕がない分、スタートダッシュといきたい所ですが、のめり込んで休みが休みでなくなる懸念も・・・。嗚呼。
[61537] 2007年 10月 7日(日)00:25:20【1】北神[ドラえもん] さん
変わり
[61529]Issie さん
それよりも,須走口の「本五合目」が突然「(新)六合目」と変わってしまうところが,「おやおや」という感じ。
というわけで,ルートの違いを無視して「○合目」の数だけで並べてみても,それだけでは無意味なのです。
そうだったんですか。それで、六合目で無く「新六合目」だったんですね。(元々六合目が存在していた。というのも有りますけどね)ルートが違うと、高さがずれてくるんですね。(須走口なら須走口だけで比べないと・・・)まぁ、高さを基準にして「○合目」を付けてるわけじゃないんですしね。

 各五合目の標高
御殿場口  1440m
須走口    2000m
河口湖口  2305m
富士宮口  2400m

これを見ると高低差は最高960mも有りますね。
(上る場合は富士宮口が一番いいってとこかな?)
ちなみに、標高は全ての標高が同じページに出ているところから取り出しました。

[61535]ニジェガロージェッツ さん
3ヵ月以上の長期滞在 735,378人、永住 328,317人、合計 1,063,695人と出ています。
3人に1人の方が永住ですか。(短期滞在の方を入れるとどうなるだろう?)ずいぶん多いようですね。(ちなみに自分の場合は短期滞在どころか外国へ行ったことも有りません。)
これを見ると去年の海外旅行者数は1,753万人です。(10人に1人の割合より多い)
よく見ると訪日外国者数は日本人海外旅行者数の半分にも及びませんね。
日本に住んでいる外国人人口の数は海外にいる日本人人口倍ぐらいになりますが。
それでも毎年じわじわと訪日外国者数の数は増えているようですね。
[61536] 2007年 10月 6日(土)23:57:57k-ace さん
IC(インターチェンジ)の名称変更
こんばんは、k-aceです。
気付けば前の書き込みから早2週間弱経ってしまいました。
明日からいよいよ十番勝負ですね。
さて、十番勝負開始前日の今日、「別所」コレクションをリリースいたしました。時間がありましたら、ぜひご覧ください。

さて、西日本高速道路会社が有田川町(旧吉備町)の阪和自動車道「吉備IC(インターチェンジ)」を「有田IC」に、湯浅御坊道路「吉備南IC」を「有田南IC」に名称変更することが明らかになりました。11月3日に変更になるとのことです。市町村合併に伴うICの名称変更は全国初とのことです。
有田川町や有田市が名称変更を要望して、このたび実現したようですが、名称変更要望理由は「合併で吉備の地名がなくなったうえ、岡山県の吉備と紛らわしい」などだそうです。
(改称経費は西日本高速道路会社が負担するんですね。)
産経新聞

今後このようなケースが増えるのかどうか、気になるところです。

#いつの間にやら、海南湯浅道路という名称が地図上から消滅していることに今気付きました。
[61535] 2007年 10月 6日(土)22:26:35【1】ニジェガロージェッツ さん
内外日本人総人口
[61501] ドラえもん さん
外国在住の日本人の人口について、だいたいの結果が出たようですね。データの収集お疲れ様でした。
[61510] 中島悟 さん
適切なフォロー有難うございました。お手数をおかけしました。

小生からもこの辺りで、この件を「総括」と言うほど大袈裟ではありませんが、おさらいしておきたく存じます。

元々は拙稿[61343]に引用した「日本人人口」について、総務省統計局から公表されている平成18年10月1日現在推計人口のうち、日本人人口男女計総数 126,154千人をそのまま引用したことから、果たしてこの数値に外国に住んでいる日本人は含まれているのかどうかという疑問をドラえもんさんが持たれたことに始まりました。
そもそも「日本人人口」と言うからには、日本人は日本国内にのみ住んでいる訳ではなく、外国にも数多く住む日本人を含まないデータでは不正確ではないかと言うことでしょう。
地理好きであるならば当然の疑問で、ドラえもんさんの問いかけには敬意を表します。

で、確かにその通りなんですが、小生は[61343]を書くに当たって、それぞれの数値(人口)は一つの出典からのみのデータにしようと決めていました。
これは、国内のみを対象とした平成17年国勢調査をベースにした国内の推計人口と、外務省が各国に配置している大使館や領事館を通じて把握している在外邦人の人口数という、全く性質が異なると思われる2つのデータを合計したところで、これまた正確なデータとはいえないとの判断からでした。
*(本稿の最後に、この判断を覆します)

[61441] ドラえもん さん
その人口調査には日本人人口は外国にいる日本人の人口は含まれているんですか?
この人口調査は平成17年国勢調査をベースにした国内の推計人口ですから、外国にいる日本人の人口は含まれていません。
但し海外滞在期間が90日以内の出入国者は、外国に居る者とは見なさずに日本に常住していると見なされ、仮にその調査時点で外国に居住していても、日本国内の人口としてカウントされています。

このように、国内の日本人人口は前出の2005年10月1日現在のものは「平成17年国勢調査」、2006年10月1日現在のものは「平成18年10月1日現在推計人口」に出ています。但し平成17年国勢調査の日本人人口には[61459]にも書きましたが、年齢不詳人口が含まれていません。

では、外国に住む日本人の人口のデータはどこにあるのか。
[61501]にてドラえもんさんは外務省の平成12年の海外在留邦人数調査統計に行き着き、既にお気づきとは思いますが、外務省にデータがあります。

海外に3ヵ月以上滞在する場合は、その国にある日本外務省の出先機関である大使館や領事館に在留届を提出する義務があります。小生もロシアのニジニノヴゴロド市に住んでいたときは、そこを管轄するモスクワの在ロシア大使館に在留届を提出しておりました。
もちろん、在留届の存在を知らなかったり、届出を怠る人もいるでしょう。その人の場合は外務省の認知外のこととなってしまい、その国にその人が住んでいることは知られませんから、原則的には滞在者人口のデータには上がらないことでしょうが、外務省では調査に際して
在留届を提出していない邦人もいるので、日系進出企業、日本人会、邦人研究者・留学生が在籍する大学、研究機関、各種学校に調査票を配布し、協力を求めた。
とあり、世界各地に在留する邦人の実態について大部分を把握したと考えられています。

そのようにして推計された海外の日本人人口は、
外務省のHPから、
→「渡航関連情報」→「統計」→「海外在留邦人数統計」を辿って詳細なデータを入手することが出来ます。
それによると今現在の最新のデータは、2006年10月1日のデータで、
3ヵ月以上の長期滞在 735,378人、永住 328,317人、合計 1,063,695人と出ています。

さて、この 1,063,695人というデータは
(1)2006年10月1日のデータである。
(2)3ヵ月以上の長期滞在と永住者のもので、3ヵ月未満の短期滞在者は含まれていない

ということは、日本国内の日本人人口として[61343]にて引用した 126,154,000人というデータも
(1)2006年10月1日のデータである。
(2)海外滞在期間が90日以内の短期出入国者は、日本国内の人口

ですから、この2つのデータはその趣旨は全く異なるものの、性質としては概ね一致しており、この2つを合計してもそれほどの不都合があるようには感じられません。

ゆえに、2006年10月1日現在の内外日本人総人口は、推計人口の有効数字千人に合わせて、
国内 126,154千 + 海外 1,064千 = 127,218千人 と推測されます。


蛇足ですが、[61459]にて総務省統計局の概要を引用したように、日本の人口は
総人口は1億2777万人となっており,前年に比べ2千人(0.00%)の増加
日本人人口は1億2615万4千人で,前年に比べ5万1千人減少
とあることから、この1年前の2005年10月1日現在の内外日本人総人口は
国内 126,205千 + 海外 1,013千 = 127,218千人 と推測されます。

ということは、日本は2005年に人口減少社会に突入したと言われていますが、実際には2006年10月までの1年間では
・日本国の総人口は(国内日本人の減少があるものの外国人の増加により)2千人の増加
・内外日本人人口総数は(国内日本人の減少と海外在留者の増加が相殺され)±0
であると、ニジェ的には推測します。
[61534] 2007年 10月 6日(土)21:27:42【1】伊豆之国 さん
江ノ島鎌倉観光&浜松、玉電&仙台
今月最初の書き込みですが、気がついていたら前回までの書き込み字数が5万字を超えていました‥。
まず最初は洞穴探検。
[61430]スピカさん
江ノ島の岩屋洞窟はいかがでしょうか。行ったことがありますが、人の手が入りすぎていますし、洞窟の中とは思えない(人工的な)明るさなので、あまりお勧めできる観光スポットではないのですが。
江ノ島の「岩屋」は、かつて落盤事故のため、崩落の危険があるとして長い間立ち入り禁止になっていました。岩盤の修復が終わり、一般公開を再開したのは今から10年ほど前だったと思います。
ところで「洞」コレクションの中に、我が親父の田舎・静岡県西伊豆町の堂ヶ島にある天窓洞地図)があります。この洞窟を巡る観光船が出ており、何回か乗ったことがあります。このとき「天窓洞は江ノ島の洞窟とつながっている」という話を聞いたことがあります。本当か嘘か知りませんが。
[61450]YASUさん、[61524]稲生さん
ところで、静岡県浜松市の江之島の海岸は、やっぱり遊泳禁止でしょうか。(私は3年前の浜名湖花博のとき、浜松祭りの大凧揚げを見にすぐ近くの中田島砂丘まで行きましたが‥)
浜松・浜名湖方面には何回か行ったことがありますが、以前仕事で行ったとき、地元の業者の担当者に歴史に詳しい(興味のある)人がいて、三方原合戦にまつわる「小豆餅」「銭取」「布橋」などの地名の由来を得意げに話していたのが印象に残ったことがあります。
さて、江ノ島とくれば鎌倉ですが、
[61365]音無鈴鹿さん
鎌倉に本店があるからでもなければ、社長の名前が鎌倉さんだからでもありません。
「鎌倉」という苗字もあります。全国に3000件近くあり、全国ランク1200位台ですからそれほど珍しくはありません。長野県と四国に多く見られるようです。長野県では飯田市と原村に特に多く、「信州の鎌倉」と呼ばれる上田市には少ないです。
なお、「鎌倉」という地名は東京都葛飾区にもあります。地名の由来は「相模鎌倉から来た源右衛門という人が新田を開いた」とも、「源右衛門が鎌倉鶴岡八幡宮の分霊を祭った八幡神社を建てた」とも言われているようです。(注1)
次に、[61498]千本桜さん
岩沼市(中略)の通称名・三軒茶屋
「三軒茶屋」といえば、言うまでもなく東京・世田谷でしょうが、ここもかつては通称地名だったようです。正式に町名になったのは昭和7年の世田谷区発足のときで、駒澤町の大字上馬の一部が独立したものだそうですが、当時の地元住民の中には「お茶屋ではねぇ」(元駒澤町議)と敬遠する向きもあったようです。(注2)
 ※(注1,注2)‥朝日文庫「東京地名考」(昭和61年)より引用
ところで「○軒茶屋」という地名や駅名は、「二軒茶屋」(京都市左京区)、「七軒茶屋」(広島市)などほかにもいくつかあります。そこで過去ログにないか調べたら、
[25717]湾岸太陽族さんの書き込みに載っていました。
この記事に載っていないのですが、石川県羽咋市に「三軒茶屋」というところがありました。(地図
「○軒茶屋」以外にも「茶屋」の付く地名や駅名は各地にあります。私がすぐ思い浮かべるものだけでも
「天下茶屋」「萩之茶屋」(大阪市西成区)、「高茶屋」(三重県津市)、「木場茶屋」(鹿児島県薩摩川内市)、「古賀茶屋」(福岡県久留米市)、「茶屋町」(岡山県倉敷市)‥
これだけでもコレクションができそうですが、EMMさんのコレクション案には載っていませんでした‥
いろいろ調べたら、こんなのも出てきました。「別れの茶屋踏切」(広島電鉄)‥これは「別れ」コレクションにも載せられそうです。
ここで「三軒茶屋」に戻りますが、仙台周辺の地図を見ると、仙台市には「若林区」があり、新駅「太子堂」も。何か世田谷線を連想してしまいそうです。そしたら少し南を見ると「山下」駅(山元町)も‥
 ※1:堂ヶ島天窓洞及び観光船の映像(西伊豆町HPより)のリンクを追加
 ※2:駒澤村→駒澤町、「葛飾区鎌倉」「世田谷区三軒茶屋」の由来についての記事の引用元を明記
[61533] 2007年 10月 6日(土)20:17:14hmt さん
100年前、国有化の頃の鉄道(15) 市内電車と行楽電車
東京は、大都市内の公共交通機関として最初の馬車鉄道を誕生させ、試験的ながら 1890年に電車の運転[61516]もあり、企業計画も早くから進みました。しかし、民営を許すか市営にするかなどの方針で当局の意見が決まらず、政争もからんで特許が大幅に遅れました。

東京がモタモタしている間に、官民一体で推進した 京都[61516]は、電車の営業線で先を越しました。
狭軌民営でスタートした会社は、1912年から標準軌の市営電車との競争になり、経営が苦しくなって 1918年に市営に統合されました。市営電車は、1957年度 77kmをピークに 1978年全廃。

次いで市内電車が走った名古屋(1898)も狭軌民営でしたが、1922年に市営化。1960年度 107km。1974年廃止。

大阪は最初から市営の方針で標準軌。1903年に開業した築港線は、魚釣り電車と呼ばれたくらいで、市内電車というよりも、当時としては郊外電車的な性格かもしれません。二階建て電車も存在。1954年度111km。1969年には他の大都市に先駆けて市内電車全廃。

東京では、「軌道」の元祖になった東京馬車鉄道が 東京電車鉄道、通称「電鉄」という名で電化を計画。これに対して、新線建設の三派は合併して 東京市街鉄道「街鉄」に一本化。両社共にやっと特許を得て、大阪と同じ 1903年に電車が営業開始しました。翌年には 東京電気鉄道「外濠線」も開業。
3年前の 電車唱歌で巡る100年前の東京 は、この3社鼎立の時代です。軌間は馬車鉄道から引き継いだ1372mmに統一。
1906年には3会社統合して東京鉄道となり、1911年に買収されて東京市営になりました。1943年、東京都営。

路線長は民営時代の末期に 95km、昭和になった頃 163kmと延び、1941年に「王子電車」と「城東電車」[39140] を買収して 200kmを越えました。
しかし、発祥の地であった銀座通りの路線も 1967年に廃止され、1972年からは旧・王子電車の路線だった荒川線を残すのみになっています。
「市内電車」というより路面区間が少ない「郊外電車」に近い路線だったために残された都電荒川線ですが、一応「鉄道」とは一線を画した軌道として、存在し続けています。

残る六大都市のうち、横浜市内電車の軌間は東京と同じ 1372mm。1904年に民営でスタート。1921年市営。1956年度 52km。1972年度廃止。
神戸市も1910年に標準軌民営でスタート。1917年市営。1946年度 36km。1970年度廃止。

電車は、大都市内だけでなく、特殊な交通需要の或る地方交通の分野でも利用され始めました。
その一つである、参詣・行楽鉄道のうち、東京にも近い川崎大師へは、1899年に六郷橋-大師(現・川崎大師)間を大師電気鉄道が開業しました。欧米の標準軌間である 1435mmを日本で最初に採用した路線です。

翌 1900年に馬車鉄道を電化した小田原電気鉄道は、官設鉄道の国府津から小田原を経て箱根湯本までを結んでいました。最初は馬車ゲージでしたが、1435mmに改軌。この会社は電力事業も営んでいたので、関東進出を図る日本電力[28294]に買収され、子会社の箱根登山鉄道になりました。電力と鉄道の分離により五島慶太の手に。現在は箱根湯本までの区間は狭軌に変わり、小田急の延長線の形になっています。

大分-別府間の豊州電気鉄道(後の大分交通別大線)も、同じ 1900年開業。狭軌新設軌道。これも九州水力電気という会社の直営になった時代があります。
江ノ島・鎌倉も東京近くの参詣・行楽地で、江ノ島電気鉄道は、1902年の藤沢-片瀬から、1904年極楽寺へと進んだ狭軌の新設軌道でした。一時は横浜電気→東京電燈の子会社でしたが、やがて別系統に。

1903年、東京の「電鉄」と「街鉄」、それに大阪の「市電」が開業した同じ年、参宮鉄道の山田(伊勢市)から二見への電車が走り出し、やがて宇治の内宮方面へも通じます。この電車は、会社名がいろいろ変遷していますが、1939年に 東邦電力[19892]から分離されるまでは電力系です。分離後の名は 「神都交通」→三重交通神都線で、1961年廃止。
[29157] 今川焼 さんが挙げている“神都・伊勢”の実例です。

1904年になると、地方都市では初めての市内電車「土佐電気鉄道」が高知市内で開通します。[61516]では書き落としていましたが、この「とでん」は横浜より先でした。
高知は別格として、1909年には和歌山、岩国、呉に電車ができます。岩国は、1890年に東京上野公園で日本最初の電車運転を実現した東京電燈技師長・藤岡市助の故郷です。

福岡では、1910年開業した、福沢桃介と松永安左エ門が組んだ東邦電力による「福博電気軌道」と、翌年開業した地元設立の「博多電気軌道」との2社が誕生。後者は、別大線でも登場した九州水力電気の支配下になり、競合した結果、ようやく 1934年に「福博電車」に一本化されたそうです。
九州における東邦電力と九州水力電気との争いについては、かつて周波数がらみの話題で、[28405] TGRS さんの記事がありました。

東京の3社合併(1906)を別とすると、同一の市内で2社が争った例は、福岡のほかに京都[61516]があり、市内電車第1号の歴史を持つ会社が市営に敗れて統合されました。また、道後温泉への客を争った松山の事例[61378]にも触れました。

現在、市内電車が運行中の都市における最初の開業年を見ると、岡山・広島が1912年、長崎1915年、熊本1911年、鹿児島1914年。函館(馬車鉄道1897)の電化は1913年、札幌は(最初馬力で)1918年電化。富山 1913年、豊橋 1925年で、廃止された岐阜が 1911年と、1910年代前期に集中していました。
[61532] 2007年 10月 6日(土)20:12:48きまぐれ さん
お礼&横須賀市の海岸
[61519] まかいのさん、早速「赤平金剛」を採りあげ下さいまして有難うございました。

牛山牛太郎さん
音無鈴鹿さん
海水浴シーズンを過ぎ、時機を失しましたがこの地図は三浦半島の地図です。赤い三角の旗は海水浴場に適した「○○海岸」です。これを見ると横須賀市内の「猿島」と「観音崎」が「海岸コレクション」に未収録である事がお分かりになると思います。なお「野比海岸」と「久里浜海岸」(湾内)は遊泳禁止ですが釣りなどが楽しめます。
それから収録されている「北下浦海岸」は、野比から長沢、津久井と続く旧北下浦村の海岸の総称です。
さらに「浜コレクション」にのみ収録されている長浜海岸(遊泳可)は、隣接の和田海岸(遊泳可)と砂浜が完全に連続しています。しかし所在する自治体(和田海岸は三浦市)が相違するため、三浦市側は別名になっています。「長浜を和田長浜とも」と注記するのは誤解をまねきます。「和田海岸とあわせて和田長浜とも」が適当かと思います。
さらに、既に「々コレクション」に収録済みの横須賀市鴨居の「多々羅浜」もよろしく「浜コレクション」にご配慮ください。
[61531] 2007年 10月 6日(土)19:19:19inakanomozart さん
きょう富士山が初冠雪
夏の間は静岡市からも富士山は見えづらいのですが、このところよく見える日が続いているようです。
10月4日の静岡市からの富士山

[61529] 2007 年 10 月 6 日 (土) 17:15:29   Issieさん
富士山に登る,というのは元々は山岳信仰に基づく宗教的行為だったのです。「合・勺」という表現が使われるのも,そうした山岳信仰とかかわりがあるのでしょうね。
NHK静岡の富士山を紹介するローカルニュースで「5号目」などと表記していました。
住居番号ではないんだからと言いたくなりますが、まあ、うっかりミスなのでしょう。
それにしても、山岳信仰とのかかわりなどが頭のかたすみにほんの少しでもあれば防げたミスなのかもしれません。
[61530] 2007年 10月 6日(土)18:51:52おかやまりゅうせい さん
どうも
どうも、こんにちは、現役小学生6年生のおかやまりゅうせいです

僕も地理&地図が好きで道路地図なんか見ています(汗)このサイトも見るのを12回目

これからもよろしくお願いします
[61529] 2007年 10月 6日(土)17:15:29【1】Issie さん
酔った酔ったよ五勺の酒で …… でもルンペン呑気だね
[61526] ドラえもん さん
○合○勺は本来はどういう意味で使っているのか知らない

尺貫法の単位ですからね。
「九合五勺」は「きゅうごう・ごしゃく」。もうちょっと(あと五勺)で一升です。
「合」の方は,「二合徳利(にごうどっくり)」とか「四合瓶(よんごうびん)」とか,まだ痕跡的に使う場面はあるけれども,1合の10分の1の「勺(しゃく)」は,もうほとんど使わないからねえ。
…というわけで,別にお酒に限らず,液体の量(容積)を量る単位です。蛇足ながら,

 1勺 < 10勺=1合 < 10合=1升 < 10升=1斗 < 10斗=1石

という関係になります。メートル法にリンクした明治以降の尺貫法では 1合=180.39ミリリットル,およそ(普通の)コップ1杯。
だから,本来は容積の単位である 合・勺 を,高さ(…というより“道のり”と捉えたほうがよいように感じますが)の表現に使うという点で,富士山での用法はものすごくイレギュラー(通常の使い方ではない)のですね。

「こんなページ」にも,そこはかとなく書かれていますが,富士山に登る,というのは元々は山岳信仰に基づく宗教的行為だったのです。「合・勺」という表現が使われるのも,そうした山岳信仰とかかわりがあるのでしょうね。
だから「○合」の“高さ”に「正確」も「本来」もないのです。そもそも“高さ”ではないのだから。
もう1つ言うと,「○合目」というのは,それぞれの登山ルートごとに決められているものですから,ルートが違えばたとえば「六合目」の標高が違っていても不思議ではないし(むしろ,同じほうが不思議),本五合目(須走口;2,450m)と新六合目(2,400m;どこ?)とが逆転していても別に変なことではないのです。
それよりも,須走口の「本五合目」が突然「(新)六合目」と変わってしまうところが,「おやおや」という感じ。
というわけで,ルートの違いを無視して「○合目」の数だけで並べてみても,それだけでは無意味なのです。
[61528] 2007年 10月 6日(土)16:07:40【1】じゃごたろ さん
re: 「法定」が連休の楽しみを奪う
こんにちは、じゃごたろです。
明日から経県値の上昇を含め、山陰方面へ出かける予定なのですが、明日はともかく天気がこころもとないです。

[61527] 白桃 さん

残念ですが、こればかりは諦めていただくほかありませんね。車に車検があるように、保全目的で停電を伴うメンテナンスが法律で定められているわけですから我慢するほかはありません。この様なメンテナンスは、時間的な余裕のある長期連休に行われるのが普通です。しかしGWやお盆や年末年始などは業者さんもお休みというケースも多いわけで、このような三連休に行われることもままにしてあります。

ほったらかしてそれ以上のサービスの低下を招く事故が発生しては元も子もありませんし、巷で発生している企業の事故は、そういうものを無視した結果であった場合も多いわけでして、仕方ありません。
[61527] 2007年 10月 6日(土)15:27:14白桃 さん
「法定」が連休の楽しみを奪う
「法定」という言葉で私が思い浮かぶのは、まず法定合併協議会ですが、この三連休は国立国会図書館が「法定停電」とかで、楽しみにしていた「近代デジタルライブラリー」の利用ができません。
オマケに、連休最終日は「旅行業法第二十五条の二第一項」の規定により、「旅行業法施行規則五十一条第二項」で決められた「法定?業務」に終日つくため、十番勝負の「勝負の2日目」を覗くこともできません。それに、日曜午後八時というスタートは、家庭の団欒を最重視する私にとっては極めて不利。(家庭のダンラン云々はもちろん大嘘ですが・・・)
今回は万全の体制で望めそうもなく、どうやら「高みの見物」で終わりそう・・・

地理ネタ無くて、後免なさい。
[61526] 2007年 10月 6日(土)13:28:40【2】北神[ドラえもん] さん
富士山
[61525]Issie さん
数字を出してみてお分かりだと思いますが,これは標高に対する正確な割合ではありません。
数字を出すまでは五合目は何mだの、六合目は何mだの、ということを知らなかったので標高で決められていたのかと思っていましたが、かなりずれていたので正確な割合では無いと言うのがわかりました。
水準測量が行われるようになった明治以降のことですから
ということは○合目という言い方はかなり昔からあるのですね。
もし正確にするとなると・・・
      「正確」 「本来」
頂上    3776m 3776m
九合目  3389m 3600m
八合目  3021m 3350m
七合目  2643m 3100m
六合目  2266m 2450m
五合目→1888m 2000m←新五合目

になりますね。(九合目、八合目、七合目、六合目は四捨五入です。)
五合目と新五合目の違いは特に無いです。(同じ須走口)
ちなみに,「九合五勺」って読めますか? そして,これが本来,何の単位だか知ってますか?
読めませんし、本来何の単位だかも知りませんでした。(富士山で使われるという意味ではだいたい分かりますが。)
たとえばこんなページで説明されています。
○合○勺は本来はどういう意味で使っているのか知らないので、参考にさせてもらいます。
教えてくださって有難うございます。

書込訂正
引用の際、「こんなページ」を引用すると、そのアドレスへ行けなかったので行けるように訂正。
[61525] 2007年 10月 6日(土)12:40:32【2】Issie さん
奪はれた駅名
[61520] スピカ さん
新子安は京急の方が先だったのに。

省線(国鉄)の「新子安」駅の開設は1943年。戦時中のことで“お上”には逆らえなかったのでしょうね。
奪われた駅名として「相模原」を何度も話題にしたことがありますが,小田急と横浜線とで全く違う場所にあってしばしば混乱を引き起こす「相模原」に対して,京急と京浜東北線とでお互い目の前に相対する「新子安」は場所の混乱はないけれども,“奪われた”側としては複雑な気持ちがあるのかもしれないですね。
ところで1943年,京浜電鉄はすでに前年の1942年に東横電鉄などと合併して「東京急行(東急)」になっていました。でも,「東急新子安」ではなかったのですね。

京浜電鉄時代から相互乗り入れをしていた黄金町以南の旧湘南電鉄と合併して「京浜急行」として再発足したのが1948年。その後,旧湘南電鉄区間の駅名の頭についていた「湘南」が「京浜」に変えられ,さらに「京急」に変更されるわけで,同じく後からできた省線(横須賀線)の駅に名前を奪われた「久里浜」駅も,「(無印)」→「湘南」→「京浜」→「京急」と変化しています(やはり,「東急久里浜」ではなかった)。

今だったらどうなんでしょうねえ。「湘南」と「京浜」と「京急」のうちで,どれが“ブランド”として一番良いか。
…とはいえ,三浦半島なら何とかなっても,横浜以北,まして多摩川以北で「湘南」はないか。

逆に国鉄総武線が京成から駅名を奪わなかった「八幡」と「検見川」。
1935年開設の「本八幡」は少し前に話題になりましたが,1951年に開設した「新検見川」は京成の駅名を奪わなかったばかりか,「新」をつける奥床しさ…。戦後のことだし,確かに千葉街道(旧道)沿いの検見川旧市街地から遥か離れた場所にあって,近くに新興住宅地が造成された駅とあれば「新」の方がふさわしいのでしょうね。
私は,複々線化される前の新検見川駅の駅舎やホームのたたずまいが好きでした。

[61512] ドラえもん さん
富士山には標高により「本○合目、○合目、など」の言い方をしますが

数字を出してみてお分かりだと思いますが,これは標高に対する正確な割合ではありません。
そもそも,分母の 3776 という数字が正確に求められるようになったのは,水準測量が行われるようになった明治以降のことですから,あまり正確な数字にこだわっても意味がないのですね。
ちなみに,「九合五勺」って読めますか? そして,これが本来,何の単位だか知ってますか?
なんでそんな単位を使って表現するのかも含めて,たとえば こんなページ で説明されています。
[61524] 2007年 10月 6日(土)12:18:09稲生 さん
ゆうちょ銀行横須賀店
[61521]N-H さん
私が横須賀を訪問した10/2には、民営化にともなう組織形態の変更について理解していませんでした。というわけで、ゆうちょ銀行横須賀店の窓口では、「局のゴム印は押してくれないのですか?」などという要請をしたわけですが、後方から上席が出てきてひとしきり説明してくださったのですが、その場では、判ったような判らなかったような?
「それなら、ゆうちょ銀行横須賀店のゴム印を押してください。」とも頼んだのですが、それはありません、とのつれない返事でした。
まあ、民営化早々に訪問した私のタイミングが悪かったのでしょうね。横須賀店も、そろそろゴム印を発注していることでしょう。趣味で廻っているのですから、ゴム印を押してくれなかったら、自分で手書きで書き込めば済むことです。ゴム印の押印にこだわっていることはありません。

ところで、10/9から平日の2週間、東名高速の集中工事が始まります。去年の今ごろも嘆いていたような気がしますが、自動車族の私にとって、東名高速が渋滞するとなると東も西も遠出することができません。下道でいくことのできそうな近場の郵便局は、すべて廻りつくしてしまったので、北を目指すか、南を目指すか?去年は期間中は活動を中止していましたが、こんな爽やかな気候の最中に自粛することは、結構つらいものがあります。
そこで結論として、
1週目は、東海北陸道を利用して日本海を目指す。
2週目は、伊勢湾から船に乗り、鳥羽の離島めぐりをする。
という予定を立ててみました。

以上、ブログ風にて、失礼いたしました。
[61523] 2007年 10月 6日(土)12:06:40【2】北神[ドラえもん] さん
今季は・・・
今季は・・・もしかすると、今年の季節の経県値で最高点になるかもしれないです。
(もしかすると、山梨を訪問。)
まずは月ごとの経県値(秋の分だけ。)
2007年10月の予定経県値(最高&最低)12点
2007年11月の予定経県値(最高&最低)5点
2007年12月の予定経県値(最高の場合)27点
2007年12月の予定経験値(最低の場合)23点
という感じです。変動があるのは12月のみですね。
秋は今の場合というのを書いてみました。(秋全体と秋毎月ごとはすべて同じ点数なので月ごとには書きませんでした。)
2007年秋の予定経県値(最高の場合)31点
2007年秋の予定経県値(最低の場合)27点
2007年秋の経県値:(今の場合)5点
どちらでも、最高点には変わりないですね。(4点差)山梨を訪問するかしないか&奈良へ墓参りに行くか行かないかの違いです。
もし、訪問すると?訪問しないと?
2007年の予定経県値(最高の場合)36点
2007年の予定経県値(最低の場合・今の場合)33点
となります。今のままでも33点ですので、あまり変わらないようです。(今年はすでに奈良へ墓参りしているので、山梨へ訪問するかしないかの差です。)
そして生涯予定の経県値だと・・・?
生涯予定経県値(最高の場合・年末まで)52点
生涯予定経県値(最低の場合・今の場合・年末まで)49点
これも、山梨を訪問するかしないかの違いなのであまり変わりません。

♯これはあくまでも予定の最高・最低なので、これを下回ったり上回ったりする可能性は有ります。(2007年の予定(最低)、生涯の予定(最低)は今の経県値と同じなので下回ることは有りませんが。)

♯富士山に登ることは無いかな?(秋と言ってもほぼ冬なので、まず新五合目も無理でしょうか。それと、もしかすると富士行きは来年になるかも・・・。大阪も微妙ですね。でも、まぁ3連休あったら行くぐらいだから多分、今年中にいけるかな?)

♯う~ん・・・投稿後に色々訂正の面が思いつくな・・・(何度プレビューしても)これからは訂正しないといけない場所でも3回以内にしよう。

書込訂正
2007年秋の予定経県値(最高の場合):経県値表記ミス訂正。
2007年秋の予定経県値(最低の場合):経県値表記ミス訂正。
2007年秋の予定経県値(最高の場合):30点→31点
2007年10月の予定経県値(最高&最低)追加。
2007年11月の予定経県値(最高&最低)追加。
2007年12月の予定経県値(最高の場合)追加。
2007年12月の予定経県値(最低の場合)追加。
[61522] 2007年 10月 6日(土)09:33:50千本桜 さん
無ければ困るが 有ればあったで困るもの
県道を走行して北白川駅前を通過しました。白石川を渡ると直ぐ国道4号にぶつかります。この交差点はT字路で、左折「福島・白石」、右折「仙台・大河原」の案内標識があります。まわりは田舎の風景ですが、朝夕の通勤時間帯は交通量が多く、結構な数の車輌が右折して大河原方面に流れ込みます。日本各地どこにでもある普通の光景で、案内標識の行先地名も妥当な表示です。ここで、大河原方面に向かう人の大多数は、この道を通ることを頭に入れて欲しいのです。

一週間ほど前の出来事です。県道を走り北白川駅前を通ってこの地点に差し掛かったところ、新しい案内板が目に飛び込んできました。そこに表示された直進「福島・仙台」、右折「大河原・角田」を見て、思わず急ブレーキを踏んでしまいました。なに!、大河原方面へ行く人は、ここで右折しろと言うのか。いやだ!。対向車が来たら擦れ違えないような悪路を通って大河原などに行くものか。確かに、この道は大河原に到達しないわけではありません。しかし、この道を通る必然性のある人は、大河原は大河原でも、その一画の大谷地区に向かう人だけです。それに対して「大河原」と表示するのは、混乱を生んで迷惑です。

でも、この道はれっきとした県道(主要地方道)なんですね。県道だから案内標識を設置したい。そして、指針に従えば行先地名は「大河原」になる。設置者は当然のことをしたのでしょうが、事務的で現地のシミュレーションが足りません。私は思うのですが、一口に国県道とは言っても、長距離移動に利用されているものばかりとは限りません。まるで市町村道のように短距離移動の役割しか果たしていない国県道もあります。この性格の違う二者に対して、同じ指針による行先地名を表示していることに問題があるのです。案内板設置指針から見えるものは、万人共用の地名は市町村名であり、集落名は万人向きでないから排除するという馬鹿げた地理観です。それは長距離移動用の国県道に適しても、短距離移動用の国県道には適さないことに気づくべきです。
[61521] 2007年 10月 6日(土)07:04:49N-H さん
ゆうちょ銀行
[61484] 稲生さん
横須賀郵便局では、局のゴム印を押してもらえませんでした。理由は貯金窓口が、ゆうちょ銀行の直営店であるからだそうです。

稲生さんに質問ですが、稲生さんはゆうちょ銀行の直営店においても、どうしても「郵便局」のゴム印でないと納得がいかないということでしょうか? あるいはゆうちょ銀行の支店のゴム印でも押してもらえればそれでよしとされますでしょうか。
別のコミュニティの他の方からの情報を加味すると、ゆうちょ銀行の横須賀店では稲生さんが行かれた日には、どうやらまだ銀行のゴム印の配備が間に合っていなかったとのことで、他の数多くの銀行直営店では「ゆうちょ銀行○○店」のゴム印を押していただけているようです。もっともなかには「銀行業務にゴム印は特段必要がないので、配備の予定は無い」といわれてしまった支店もあるにはあるらしいですが、ゴム印の配備などたいした予算をつかう話でもないので、そうした支店でもそのうちゴム印が出てくる可能性が大きいとふんでいます。

で、もし、稲生さんが前者、すなわちどうしても銀行ではなく郵便局のゴム印でなくてはだめだとこだわられるのであれば、それはどう考えても到底無理なことです。稲生さんが行かれて貯金をされたのはゆうちょ銀行の支店であって、郵便局ではないのですから。

というわけで、[61517] 桜トンネルさん、「ゆうちょ銀行」のゴム印は原則押していただけるようなので、さほどの心配はいりませんよ。
[61520] 2007年 10月 6日(土)00:16:00【2】スピカ さん
郵便 「下」ネタ(?) Oh塚
「根小屋・根古屋」コレクションをリリース致しました。是非ご覧ください。

今日は消印を2000通以上して辛かったです。腱鞘炎になりそう…。


[61479] 2007 年 10 月 3 日 (水) 01:26:47 みかちゅうさん
最後に戸別配達をするのが集配センターということになっています。
そうなんですか!!うちでは第○集配課と呼んでいるのでそんな名前が付けられたなんて知りませんでした。取集が外注業者、押印・区分が郵便課、配達順に区分するのが集配課で分かれています。したがって集配センターも郵便事業会社…になりますよね?
従って「複数の集配センターを1つの郵便事業会社の支店が管轄する」ということが結構あるということになります。
これは山間部などのケースを考えていました。人口が少なくてもやたらと集配局が多い自治体(北杜市など)がありますから。戸塚3区はもう少し様子を窺ってみます。すべての管轄が泉支店なら調査が面倒だなってのが本音ですが…。まだ26本です。


[61487] 2007 年 10 月 3 日 (水) 11:40:14 N-Hさん
ニアミスあり得ます。電車とかで…?! と言うのも…。
京浜急行もかつては駅名に京浜○○とつけていたものを、あるときに一斉に京急○○にかえましたし、スーパーをはじめとする系列会社も京浜ではなく京急を名乗るようになりました。
鶴見や川崎などJRの駅前にあるのに律義に会社名を付けていますよね。新子安は京急の方が先だったのに。その京急新子安ですがR15に「京浜新子安」の看板があるらしいですね。
京急ストアってもとは京浜ストアだったんですね。


[61503] 2007 年 10 月 4 日 (木) 00:53:04 今川焼さん
ところで、今日になって気がついたことなんですが、消印も「丹波」になっているのですね。消印を郵便事業会社の支店名に合わせるのは当然といえば当然(?)なのかもしれませんが、9月30日までの消印は「兵庫柏原」で、大阪の柏原局とはすでに同名回避していただけにこれはちょっと意外でした。
[61506] 2007 年 10 月 4 日 (木) 21:54:31 紅葉橋律乃介さん
郵便局の窓口では現在でも「兵庫・柏原」と記されています(年号に下線入り)。「丹波」は収集した郵便物に記されているはずです。
支店は郵便事業会社の管轄なので支店名の「丹波」、窓口は郵便窓口会社の管轄の柏原郵便局なので「兵庫・柏原」になるんですよね。かなり紛らわしいのです。窓口で渡してもすべてがその段階で消印されるわけではないので、事業会社の消印になる事もあります。ゆうゆう窓口は実は事業会社の管轄なので(窓口営業時間帯は小包の扱いなど)、窓口営業時間帯以外なら「丹波」が押されるのでしょう。

日本郵便では専用の白い封筒も用意しているようです(局会社は?)。
 〈紅葉橋律乃介さん〉
局会社の封筒も白で、下の方がテーマカラーのオレンジに白抜きでマークが入った物です。


[61511] 2007 年 10 月 5 日 (金) 06:49:41 千本桜さん
つらつら思うに、榎下の「下」、後山田の「後」を嫌っての改称ではなかったか。上猿山の「猿」は「去る」に通じるから上山に改称したという土地柄ですから、有り得なくもない話です。どうも、当時の横浜には語感・字面に鋭敏すぎる人がいて、地域の史実を曲げてしまったような気がします。
確かに「下」はことごとく消されていますよね。
「下」を使った大字を並べてみると、
編入大字町名(~町)編入大字町名(~町)
S2.4.1笹下明治初期に「下郷○村」が3つ合体S14.4.1下川井
下大岡大岡下谷本
下末吉下白根白根
下菅田菅田榎下新治
下星川星川下猿山白山
S11.10.1下野庭野庭上野庭の領域と合わさる下倉田
下柏尾柏尾
下飯田
14のうち8も変えていますね。やはり千本桜さんの推測のようですね。でも、「北」はそのままってのが引っ掛かります。偶然でしょうか。


あれ!、大塚って宿場じゃなかったの?。(中略)ところで、国分宿って、海老名の国分のことですか?。
他の街道はどうなのかはよく分からないのですが、矢倉沢往還には「大塚」という通称の土地(土地と言うよりも特定の場所、スポットといいましょうか)がいくつかあるようです。それって一里塚の様な気もするのですが…。江戸からだと柏ヶ谷村まで12里余り、国分村まで14里だそうで。海老名市は丘陵の周辺部が削られて大きな塚状のなったとしています。(参考)
国分宿は海老名市の国分です。現在市の中心地は海老名駅の南から南西方向ですが、鉄道が通ったころは駅の東の大字国分の国分寺跡地に海老名村役場が置かれたそうです。役場なのに“郡役所様式”の建物だそうで、現在は「温故館」となって保存されています(なお、現在は耐震強度の問題から中には入れません)。


[61517] 2007 年 10 月 5 日 (金) 21:52:30 桜トンネルさーん(?)
早速のリンクをありがとうございます。
中央佃局ver.は都会なのに都会ぽっさを感じさせない、つまり下町的な雰囲気を出しています。演出が巧いですよ。



【1】海老名市に関する記事を訂正。(10:50)


------------------------------------------
その後の調べで矢倉沢往還に大塚という宿場があった事が分りました。大塚屋などの宿があったそうです。このような伝承も。それにしても大塚~国分は近いですね。
大変失礼しました。

【2】-以下を追加。(11:07)
[61519] 2007年 10月 5日(金)23:48:31まかいの さん
眩いばかりのダイヤ
[61514]きまぐれ さん
今日は岩手県山田町船越半島で、赤平金剛と言うダイヤモンドを拾いましたのでお届けします。

これはまたでかい!検定も何も文句の付けようはありません。
海金剛同様、地名検索では引っ掛かってこなかったため、見逃していました。
住所系コレとは違い、景勝地関係では隠れた財宝がまだまだありそうですね。
ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
[61518] 2007年 10月 5日(金)22:37:59【2】山野[揖斐の山] さん
HPの移転
でるでるさんへ
事実上破綻した茂原地区合併協のアドレスですが http://www.city.mobara.chiba.jp/info/gappei/index.html に変更となりました。
以前の http://www18.ocn.ne.jp/~chosei-g/ はリンク切れとなりましたので変更お願いします。
それと、旧合併協のアドレス http://www18.ocn.ne.jp/~chosei-g/old_site/ も同様にリンク切れとなりました。
それともう1件、既に解散となりましたが水戸地区合併協のアドレスも移転となっております。
旧アドレス http://www.m-i-gappei.com/
新アドレス http://www.city.mito.ibaraki.jp/html/galtupei/m-i-g/
別地区(不成立)こちらは単にリンク切れの話 http://www.city.omihachiman.shiga.jp/gappei/
上記の3件更新お願いします。
[61517] 2007年 10月 5日(金)21:52:30桜トンネル さん
郵便局めぐり復活!!&富田林市
10月は早く終わる日(午前中まで)が多いので、午後からは郵便局めぐりをすることができるようになります。ひとまず、来週の水曜日には西宮市~尼崎市付近に行こうかと計画しております。再来週には4日連続で午前中に終わる日があるので、山の方にある局(坂がきつくて、断念した局)を電車・バスなどの交通機関で訪問しようと考えています。さて、問題はゆうちょ銀行の支店(東灘局とか)をどうするかだなぁ・・・。ひとまず、近くのゆうちょ銀行の支店に行ったときに決めることにします。

#実はこれが297件目の書きこみなんですが、十番勝負の予想問題作成に予想以上の時間がかかってしまったので、からみリストなんて作っていません。10月下旬あたりに発表できれば良いけど・・・。しかも、300件目の書きこみがもしかしたら、十番勝負の解答になってしまうかも・・・。

#ちなみに、地名コレクションの方を書かせてもらいますと、「神代コレクション」は9月24日にリンクの更新をして終わっているので、来週中にまたリンクをちょっと貼ります。「天気名コレクション」は「晴」の地名を東北あたりまで調べ終わりましたが、「見晴」の地名が半分くらい占めていました。と言うことで「天気名コレクション」の完成はもうしばらく(来年の春ごろ?)かかりそうです。実は立候補したいな、という地名コレクションがいくつかありますが、「神代コレクション」の完成、「天気名コレクション」の半分ほどが完成した時点で立候補しようかなと考えております。

>EMMさん

新規の地名コレクション案があるのですが、「瀬戸コレクション」なんていうのはどうでしょうか?ウオッ地図で検索してみると765件と意外に多かったのですが、重複などを除くと700件程度で収まるかと・・・。

[61452] スピカさん

民営化のTVCMは「利別郵便局(北海道)」、「中央佃郵便局(東京都)」、「三波簡易郵便局(石川県)」、「大宮郵便局(高知県)」、「竹富郵便局(沖縄県)」の5つのバージョンがあります。

「利別郵便局」と「三波簡易郵便局」、「大宮郵便局」、「竹富郵便局」のコマーシャルを見ることができました。でも、「中央佃郵便局」のものは見た覚えが無いのです。おまけにこちらでは「竹富郵便局」のコマーシャルがよく流れているような気がします。その次に「三波簡易郵便局」あたりのコマーシャルが流れているような気がします。

[61453] かぱぷうさん

 >公社が運営していた「郵便局の開局情報」のホームページは終了
 >今後は郵便局株式会社のホームページの「お知らせ」欄へ掲載というかたちで対応

「開局情報」が無くなってしまうのはやはり悲しいですね。結構、開局情報のことをあのページで確認していましたから。僕も、スピカさんが心配しているように、ちゃんとすべての情報を載せてくれるかどうかが気になります。それよりも僕が気になっているのは「簡易郵便局」のことです。ひとまずは残す方針ではいるみたいですが、訪問する前に、すべて簡易局廃止・・・だなんてことになったら困ります。
現在の「改廃情報」は「郵便局の開局情報」よりも、丁寧になっているような感じがするのですが・・・。例えば、前の「開局情報」ではただ出されていただけでしたが、今の「改廃情報」には「お客さまには大変ご不便をおかけいたします。」などと、文頭に書かれています。やはり、民営化の影響?

[61484] 稲生さん

横須賀郵便局では、局のゴム印を押してもらえませんでした。理由は貯金窓口が、ゆうちょ銀行の直営店であるからだそうです。

う~ん・・・困ったなぁというのが本音です。まぁ、だいたい(ゆうちょ銀行の支店があるような)大きな郵便局には風景印があるので、そちらで訪問したことが分かるのは分かるのですが、貯金の方では、局名印が唯一の分かる手段だったので悲しいです。まぁ、これくらいのことはだいたい想像はしておりましたが・・・。
[61516] 2007年 10月 5日(金)20:47:54hmt さん
100年前、国有化の頃の鉄道(14) 電車の登場
本来の鉄道国有の話題から逸脱してきましたが、馬車鉄道から市内電車、そして都市間電車への変化も、この時代に起こった大きな出来事なので、ご容赦ください。

頻繁運転、乗降の便利を求められる都市交通機関として、1882年に東京馬車鉄道ができました [61502]。しかし、たくさんの馬を管理するのは大変で、動力の近代化が必要になります。東京の場合、最盛期には二頭引きの車両 300両に馬が 2000頭とか。なんでも、乗務員は2交替制で働いたが、馬のほうが優遇されて3交替制だったとか。

内燃機関の発達していなかった時代、欧米の大都市で最初に試みられたのは、スチームトラムとケーブルカーでした。
後者は、線路に沿う溝の中を走るエンドレスケーブルを車両からのグリップでつかんで進む方式で、1873年にできた サンフランシスコ が有名です。

1887年、Frank Spragueが架空線(トロリー)から集電した電力で自走する方式の電車を発明。これが都市交通機関の決定版として、アメリカやドイツの都市で馬車鉄道に代って実用化されました。

日本における電車導入の計画もその直後から動きはじめ、1890年に東京上野公園の博覧会での展示運転によって、電車の実用性が一般の人々にもある程度認識されましたが、建設計画の申請は認可されるに至りませんでした。

そのうちに、平安遷都1100年記念の博覧会が開かれた京都で、最初の電車が営業を開始しました(1895年、京都電気鉄道の伏見線)。琵琶湖疏水、蹴上水力発電所、電車の運転という一連の大事業は、京都市近代化の証明であり、官民一体で推進されたものでした。
1918年に京都市電が買収統合。その後、堀川線だけが改軌されずに、狭軌線(N電)として残っていました。博物館明治村の車両

ところで、1890年の軌道条例[61502]では、“馬車鉄道に準ずべき軌道”という規定がありました。「人車鉄道」[61507]がこれに該当することには異論がないとして、京都のような「電車」は「鉄道」なのか「軌道」なのか、これが問題になりました。

結局のところ、路面上を1~2両で低速運転することで、京都の電車は「軌道」として認められました。

一旦、規制のゆるい「軌道」で認められた実績ができると、1898年に名古屋、1899年に川崎大師、1900年に国府津-小田原-湯本[61507]や大分-別府、1902年に江ノ島、1903年に東京、大阪、伊勢、1904年に横浜、1905年に阪神間という具合に各地で走り始めた電車は、殆んどが「軌道」になりました。

しかし、1904年に蒸気鉄道だった甲武鉄道の線路上を走り始めた電車[35062]は、電車専用区間も含めて「鉄道」という扱いで、国有になった後の1909年に登場した山手線電車も「鉄道」でした。
私設鉄道では、南海鉄道が1907年から電化に着手、4年後には全線完成して「鉄道」である都市間電車が難波・和歌山市間64kmもの距離を結びました。

このように、馬車鉄道の電化や新設の場合は「軌道」、蒸気鉄道の電化は「鉄道」という図式ができたようです。
[61515] 2007年 10月 5日(金)19:59:33はやいち@大内裏 さん
サイニングセレモニー
伊佐地区で調印式が行われました。

東京水上署廃止&東京湾岸署設置も本日都議会で可決されました。
[61514] 2007年 10月 5日(金)09:00:18きまぐれ さん
赤平金剛
まかいのさん
EMMさん
きまぐれです。この年になると、体力気力のいる散歩も億劫になりますが、そのてんで地図の散歩は気楽です。地図の散歩は気力は必要でしょうが、体力はそれほど必要ありません。何より楽しいのは、道草・寄り道・脇道・出合・大休憩・前途放棄・一足飛び等など自由ですからね。
そんなわけで、ちょくちょく、きままに地図散歩を楽しんでいます。一昨日は大分県で弁天様に出会いましたが、今日は岩手県山田町船越半島で、赤平金剛と言うダイヤモンドを拾いましたのでお届けします。
どんなものか 検定して、上等品でしたら、「金剛コレクション」「希少地名(海岸)」に仲間入りさせて下さいね。

マピオン地図、ヤホー地図ともに「赤平金剛」の記載がありませんでしたので、ウォッ地図のリンクとしました。
[61513] 2007年 10月 5日(金)08:37:49地名好き さん
支店同名回避
[61506]紅葉橋律乃介さん
消印上の同名回避はともかく、支店名称の同名を回避しているのかも知れません。
支店名称の同名回避の結果、消印が変化したと考えたほうが良いと思いますけど。

平成2年だったでしょうか。北海道の胆振千歳局と石狩深川局、東京の下谷局が改称して、千歳局、深川局、上野局になった際、東京の千歳局、深川局、三重の上野局と同名になりました。これら千歳、深川、上野の6局は、6局全て「県名・○○」の表示になったことを思い出しました。このときは優劣を付けずに全てに都道府県名を表示させたのです。今回の支店の件は、伊賀上野支店、東京千歳支店、北海道深川支店となりましたが、優劣をつけた訳ではないのでしょうが、認知度によって決められたと考えても、さほど間違っていないように思います。上野というと上野駅や上野動物園を連想させ、新千歳空港という日本国内の代表的な空港所在地の千歳、北海道の深川よりも東京の深川のほうが都会ですし(認知度には関係ないっか…)
容易に区別する為に、一方を都道府県や国名を冠称し支店名にしたのでしょう。それを単純に消印の表示にしたのだと思います。
郵便局名と支店名が異なるところは、郵便局が支店に合わせて改称するのではないかと先読みしていますが、本当にありそうな気が。先読みのし過ぎでしょうか。
[61512] 2007年 10月 5日(金)07:55:40【5】北神[ドラえもん] さん
なるほど
[61510]中島悟 さん
ニジェさんが出した数字は2005年、ドラえもんさんが出した数字は2000年、
この間に総人口は約80万人増えています。
この20万人は国勢調査に入っていないことになります。これで100万人です。
なるほど、この100万人の差には2つの理由があったわけですね。
(短期の人を抜いていませんでした。)(これでモヤモヤしていた謎も解けましたね)
有難うございます。
国内日本人 12540万人
内外日本人合計 12620万人
2000年の国内日本人人口:約1億2,524万人
2000年の内外日本人人口:約1億2,605万人と比べると15万人前後のズレでしたね。
(ここも短期の人を抜かないからこうなったんですね。)

20万人を足すと・・・
2000年の国内日本人人口:約1億2,544万人
2000年の内外日本人人口:約1億2,625万人ということでズレが少なくなりましたね。(一の位を四捨五入、切捨て、切り上げをしているからまだズレがあるのかも。)

♯朝書くつもりだったのを忙しくて断念してしまったため、今書きます。
富士山には標高により「本○合目、○合目、など」の言い方をしますが、その高さと○合目はどれだけズレがあるかを比べて見ます。本○合目、○合目だとどっちが正しい?「高さ」は10%で一合目という割合です。標高や高さに2つ数字が書かれていますが、調べると全く違う数字も出てくることがあるので、一応2つまで書くことにしました。(九合五勺が調べてなかなか出てこない・・・)

        富士山の高さ表
「○合」       「標高」    「高さ」
頂上     3776m(3776m) 100%(100%)
九合目    3600m(3580m) 95% (95%)
八合五勺  3500m(3450m) 93% (91%)
本八合目  3400m(3360m) 90% (89%)
八合目    3350m(3270m) 89% (87%)
本七合目  3250m(3150m) 86% (83%)
七合目    3100m(2920m) 82% (77%)
本六合目  2700m(2740m) 72% (73%)
六合目    2450m(2630m) 65% (70%)
新六合目  2400m(----m) 64% (--%)
本五合目  ----m(2420m) --% (64%)
砂払五合目 2300m(2230m) 61% (59%)
新五合目  2000m(1970m) 53% (52%) 

と、なりました。
「標高」は友達に聞きました。(友達が富士山話を・・・)「高さ」は「標高÷3776×100=高さ」と言う風に出しました。「○合」は「○合×10=高さ」になります。(富士山の高さ表ではなりません。基準です。」と、なるといかにも、標高(高さ)と○合がかなりズレているのが分かります。(新六合目、新五合目はズレが少ないほうかな?)(新六合目と本五合目の()の標高を比べると変なことに・・・何故?まぁ、どちらかが間違っているのだろうな。)

♯新五合目以下は無いようです。(四合目、三合目など)

書込訂正:「○合」、「標高」、「高さ」の数を増加。
[61511] 2007年 10月 5日(金)06:49:41千本桜 さん
大字の改称
[61492]スピカさん
新治村が横浜市に編入された当時、新治村役場が置かれたのは大字中山で、編入後は港北区役所新治出張所となって行政機能を残しました。
新治村という自治体が存在したこと後世に伝えるためなら、役場所在地の大字中山を大字新治に改称するのが常識的ですよね。でも、それをしないで大字榎下を大字新治にしたのは何故か。あれこれ推理していたら、本当は榎下を消したかったのではないかという疑念が生じてきました。ヒントはスピカさんの次の書込みにあります。
この編入と同日に鎌倉郡川上村も編入し、こちらも大字後山田を川上町に置き換えていますが、こちらも後山田に拠点性はなく、川上川の最上流部と云う意味合いだけで、無理矢理藩政村の地名を抹消している感も否めません。
地形図で大字後山田の場所を確認しました。確かに、川上村の中枢部ではなかったようです。消え行く村名を継承するにふさわしい大字とは思えません。それなのに、何故このような改称が行われたのだろう。つらつら思うに、榎下の「下」、後山田の「後」を嫌っての改称ではなかったか。上猿山の「猿」は「去る」に通じるから上山に改称したという土地柄ですから、有り得なくもない話です。どうも、当時の横浜には語感・字面に鋭敏すぎる人がいて、地域の史実を曲げてしまったような気がします。

大山街道の宿場は下鶴間宿(大和市)-国分宿(大和市)では…?
あれ!、大塚って宿場じゃなかったの?。よく調べないで先入観で書いたので間違えたようです。ところで、国分宿って、海老名の国分のことですか?。
[61510] 2007年 10月 5日(金)06:05:11【1】中島悟 さん
一応、振った責任ということで
[61501]ドラえもんさん、お疲れさまでした。
約100万人の差が出来てしまいます。
これも、性質の違いにより、差が生じたのかと思いますが、
ここの所、フォローしておきます。

ニジェさんが出した数字は2005年、ドラえもんさんが出した数字は2000年、
この間に総人口は約80万人増えています。

そして、[61478]で書かれている通り国勢調査では
短期滞在の外国人は調査の対象になっていない
2000年での永住・長期・短期の比率は分かりませんが、5年間で短期だけが大きく増えたとすると
  永住・長期 150万人
  短期 20万人
この20万人は国勢調査に入っていないことになります。これで100万人です。

つまり、2000年の時点でおよそ
国勢調査12690万人
国内日本人12540万人
外人(永住長期)150万人
外人(短期)20万人
海外日本人80万人
内外日本人合計12620万人
大雑把ですが大体これくらいになります。
[61509] 2007年 10月 5日(金)01:29:47じょにー さん
登録ありがとうございます。
一番初めの書き込みから7年。ようやく登録させて頂きました。
これからもよろしくお願いします!

さて、2002年12月から書き込みが無いようですが、ここでもう一回。
落書き帳アーカイブスの「終戦後の沖縄に生まれた市」にも書き込みしていますが、
その他にも市が有ったので書き込みします。

以前にも書き込みのある「久志市」は1945年9月末に「大浦崎市」から名称変更しています。
その大浦崎市は1945年9月に成立(久志、辺野古、豊原、真平の各地区から構成)しており、
実質一ヶ月弱しか存在していなかったようです。
その久志市も
成立前30566人
10月29027人
翌1月8107人
と推移し、1946年1月に瀬嵩市と合併しています。

その瀬嵩市も久志市と合併する前に8市と合併しています。

瀬嵩市のあった瀬嵩地区は人口の増大に伴い1945年7月に瀬嵩市を含む9市が成立し、市長も
おかれました。
嘉陽市4831人
大浦市2544人
安部市1297人
大川市4170人
三原市1445人
二見市2768人
汀間市4177人
東喜市2330人
瀬嵩市6669人
29899人
の9市です。
(人口は1945年8月1日現在。東喜は二見から分かれた地区)

これらの9市も9月20日に全て合併され瀬嵩市となり、各市はそれぞれ、嘉陽区、大浦区、安部区
大川区、三原区、二見区、汀間区、東喜区、瀬嵩区と、名称変更されています。
その後、翌1946年1月15日には瀬嵩市の人口は10698人まで減少し、同年3月の瀬嵩市を廃し、
久志村に改称されています。

これらの市は、瀬嵩地区司令部直轄のもとにそれぞれ独立した市を形成していたが、これらの市も、人口が多いというだけのことで、行政的には市の形態を備えながらも、政治的には組織も機関もなく政・行一体の形でただ住民の生活保護単位という形にすぎなかったようです。

ちなみに、以前にも書き込みのある「胡差市」は、当初は「古謝市」とも字をあてたそうです。

これらの内容は、読谷村史「戦時記録」下巻に詳しく掲載されております。
[61508] 2007年 10月 4日(木)23:03:48【1】faith さん
奈良電&金沢
[61500] 2007 年 10 月 3 日 (水) 22:47:28 KK さん
近鉄に吸収された奈良電が京都線になったのは、
単純に、近鉄にはすでに奈良線があったから、
ではないでしょうか?
[61482]にも書いたように当時の事情は分からないのですが、おっしゃるようにすでに「奈良線」がある以上、旧奈良電の路線が「奈良線」と命名されるはずもありません。
[61482]では、そういう当時の社内的な事情についてではなくて、命名法としては近鉄京都線も、旧国鉄奈良線も、近鉄、旧国鉄それぞれの路線名の命名システム内では整合性が取れているのではないでしょうか、ということを言いたかったのでした。


[61485] むっくん さん
[61496] だんな さん
まさかここまでの学都であったとは。認識を新たにした次第です。
私も実は驚きました。正直に書きますと、最初は「金沢って学都?それは戦前のことじゃないの?」と思いつつ、一応現状を調べてみたら実は今でも「とっても学都」でした、恐れ入りました、というところです。
こういう特色を持った有力な地方都市があるのはとても好ましいですね。

※誤記訂正(「近鉄奈良線」→「近鉄京都線」)
[61507] 2007年 10月 4日(木)22:23:38hmt さん
100年前、国有化の頃の鉄道(13) 人車鉄道
「陸蒸気(おかじょうき)」(1872)に遅れて登場した馬車鉄道(1882)[61502]も「動力近代化」に逆行するものでしたが、更なる逆行現象がありました。
それは、人力で動かす「人車鉄道」です。最初の事例は、馬車鉄道から更に9年後の1891年 藤枝焼津間軌道 とか。

明治初年の日本の都市で、駕籠に代って爆発的に普及した フロントドライブの人力車は、「リキシャ」の名と共に、中国・インド・東南アジア諸国に広く輸出された大発明でしたが、軌道を使う リアドライブの「人車鉄道」は、さほどのインパクトはなく、日本独自の乗り物に終始したのではないかと思われます。

最も有名な存在は、小田原-熱海間の「豆相人車鉄道」です。
幹線鉄道のルートが中山道から東海道に変わり(1886)、横浜からスイッチバックして建設が始まった東海道鉄道は、翌明治20年には国府津までが開通しました[49808]。更に翌年には、小田原・湯本までの馬車鉄道も国府津から開通しました(1888)。
箱根に向かう客を横目に見て、自分たちも鉄道で客を呼ぼうというのが、温泉地・熱海の目算です。

しかし、1889年に願書を出した鉄道は、資金が集まらないので着工できず、とうとう「安かろう悪かろう」を知りながらも、やむを得ず手を出して 1895年にやっと開業したのが「人車鉄道」でした。
610mmゲージの小型客車(復元)を押す人夫の苦労は言わずもがな、25.5kmもの距離をガタガタと運ばれる乗客にとっても、決して快適な乗り物ではなかったでしょう。

尾崎紅葉の死去で未完に終わった小説「金色夜叉」が読売新聞に連載されたのは1897~1902年ですから、豆相人車鉄道にとっては、良いタイミングだったと思われます。
# 個人的な記憶としては、教科書で 塩原 の「美文」に出会い、この小説を読みました。上野から西那須野まで日本鉄道で5時間とは遠い。

豆相人車鉄道は、1907年に762mmの蒸気軌道に改良され、雨宮の大日本軌道を経て、関東大震災で被害を受け、鉄道省の熱海線全通を前に廃止されました。熱海駅前の機関車

もっと短距離の人車鉄道ならば、東日本の各地にありました。
東京では、日本鉄道土浦線(常磐線)の金町駅から柴又帝釈天への参詣用に作られた「帝釈人車軌道」(1899)。距離は僅かに1.2kmです。これは、京成の経営に移った翌年(1913)電化。

早くから蒸気の軽便鉄道で成功した伊予鉄道の事例 [61378]があった西日本では、人車鉄道は殆んど作られませんでしたが、1907年度末に営業していた人車鉄道は全国で11社(馬車鉄道は37社)だそうです。

これよりもずっと後(1922)の開業ですが、車両の実物が残っているのが宮城県(現・大崎市)の 松山人車軌道 2.5kmです。同様の客車が万世橋の交通博物館にもありましたが、鉄道博物館の収蔵資料 には見当たらず、大宮で見ることはできないようです。
[61506] 2007年 10月 4日(木)21:54:31紅葉橋律乃介 さん
遅ればせながら・・・
[61455] 10月 日(火)01:20:03【1】 みかちゅうさん
原則的には「窓口会社の支店名」=「郵便事業会社の局名」となるのですが、上記の通り「○○中央局」など一部では支店名と局名が異なることになりました。

 「歴史的な記念」ということで、局名と支店名が異なる各局に郵便で押印依頼をだしておりました。さすがに67局もあると、準備が大変でありました。

※今さらで済みませんが、郵便局会社(窓口会社)は「郵便局」、郵便事業会社(日本郵便)は「支店」と呼称しています。日本郵便では専用の白い封筒も用意しているようです(局会社は?)。

北海道 深川(郵便局) 北海道深川(支店)

 ここで注目したいのは、北海道にある深川郵便局は「北海道深川」支店になったことです。都道府県名が付いただけで珍しくも何ともないようですが、和文の表記では、局会社「北海道・深川」・事業会社「北海道深川」とたいした変化がないのに対し、欧文の表記(支店名)は「HOKKAIDO FUKAGAWA」となっています。

 「北海道」というのは道名にしか存在しない不思議な地名なわけですが、この欧文表記を見ると、「HOKKAIDO」はおまけではなく、存在しているんだ! と主張しているように見えなくもありません。


[61484] 10 月 3 日(水)04:11:06 稲生さん
理由は貯金窓口が、ゆうちょ銀行の直営店であるからだそうです。

 これもややこしい話なんですが、通常の郵便局は、窓口業務は各事業会社(郵便事業会社、ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険)が郵便局会社に委託しているわけですが、ゆうちょ銀行やかんぽ生保も一人前(?)の会社なわけで、わずかながら支店を設けています。
 稲生さんが貯金をされたのは、「横須賀郵便局」に入っているゆうちょ銀行「横須賀支店」ということになります。もう横須賀局は貯金を扱ってない計算になりますね。


[61503] 10 月 4 日(木)00:53:04【1】 今川焼さん
消印も「丹波」になっているのですね。消印を郵便事業会社の支店名に合わせるのは当然といえば当然(?)なのかもしれませんが、9月30日までの消印は「兵庫柏原」で、大阪の柏原局とはすでに同名回避していただけにこれはちょっと意外でした。

 「柏原」を「かしわばら」と読んでしまったのは内緒にして(笑)、郵便局の窓口では現在でも「兵庫・柏原」と記されています(年号に下線入り)。「丹波」は収集した郵便物に記されているはずです。
 消印上の同名回避はともかく、支店名称の同名を回避しているのかも知れません。そういった事情に詳しい方は…?


 民営になったからといって、当面は大きな変化はないでしょう。でも、これは“わたしたちが選んだ”結果なのですから、まずは長い目で見ていきましょう。


※小為替の手数料が10倍になったのは文句を言いたい
[61505] 2007年 10月 4日(木)16:17:22【1】N-H さん
Re:何かよいこと
はい、私がお答えしましょう。

これまでの公社だと、一般法人が支払うべき各種税金は支払わなくてもよかったわけです。
そりゃ、国庫から国庫への内部の資金移動にしかなりませんからね。
そこで、民営化すると、印紙税、法人税、固定資産税などなど国としては各種税収が見込め、かなり国庫がうるおいますね。

というわけで、お国にとってよいことですね、これは。

で、一方郵政会社としては、その増えた税金分を「適切にお客さまにご負担いただく」ことになり、いくつもの手数料が上がります。

というわけで、どう考えても結局は増税したのと同じことになるような気がするのですが、私、間違ってますか?

あれ、「利用者にとってよいこと」でしたか、もとのお題は。失礼しました……
[61504] 2007年 10月 4日(木)07:19:24inakanomozart さん
何かよいこと・・・
[61434] 2007 年 10 月 1 日 (月) 02:09:26  般若堂そんぴんさん
本日から民営化.黒字経営の郵政公社を民営化して何か利用者にとってよいことがあるのかな?
某大臣によると、民営の銀行の従業員は不正をするものなど皆無であるが、旧地方事務官や市町村役場の窓口に座っているような末端の下級コームインは、不正ばかりする信用ならない不ていのヤカラばかりであるということです。
ということは、郵政民営化により少なくとも郵政公社からは不ていのヤカラのコームイン(本当は公社職員なのに、コームインと言うのがハヤリらしい)を一掃でき、めでたしめでたしということになるでしょう。
これがよいことでない訳ないですよね。
(それにしても、自分や直属の部下の管理能力の欠如を子会社の社員のせいにする民間会社の社長っているのかなあ・・・)
[61503] 2007年 10月 4日(木)00:53:04【1】今川焼 さん
消印が変わった
郵政民営化の話題も一段落のようですが、遅ればせながら気がついたことを…。

1日、たまたま通りかかった丹波市内の郵便局に「丹波支店○○集配センター」の文字があったのは気がついていました。翌2日に[61455]みかちゅうさんの書き込み
兵庫  柏原  丹波  大阪府柏原市  支店名が市名と一致
を拝見して、なるほど同名回避のための変更なんだと納得。(変更前の局名の文字を含まないまったく新しい支店名がつけられたのは丸の内支店と丹波支店だけなんですね)

ところで、今日になって気がついたことなんですが、消印も「丹波」になっているのですね。消印を郵便事業会社の支店名に合わせるのは当然といえば当然(?)なのかもしれませんが、9月30日までの消印は「兵庫柏原」で、大阪の柏原局とはすでに同名回避していただけにこれはちょっと意外でした。
丹波という市名は、まだまだ地名として馴染んではいませんが、いずれ地名としても違和感はなくなるとの先読みなのでしょうか。単なる事業所名だけではなく、文字どおり全国発信される消印への採用だけに市名の地名化への長い道のりの一歩が始まった感があります。
[61502] 2007年 10月 3日(水)23:00:00hmt さん
100年前、国有化の頃の鉄道(12) 馬車鉄道
100年前、国有化の頃の鉄道。今回は「馬車鉄道」を取り上げます。
ヨーロッパでは蒸気機関車が実用化される前の19世紀初頭に出現した馬車鉄道ですが、日本では、「陸蒸気(おかじょうき)」に遅れて登場。その呼び名にも関わらず、法令上は「鉄道」ではなく、「軌道」という別の範疇に入れられた日陰の存在。

このシリーズの過去記事においても、かつて「鉄道」だった伊予鉄道の道後線が、現在は「軌道」として存在している関連でやむを得ず触れた箇所[61378]以外は、これまで「軌道」に言及するのを意識して避けてきました。

その理由は、「軌道」が このシリーズを書く発端となった鉄道国有の対象でないからです。

しかし、2ft6inゲージ(いわば軽便規格)であったために32社買収案にも含まれなかった鉄道(伊予・青梅・上野・龍崎各社)も含めて、結果的には 1906年当時の「すべての」鉄道をカバーする記事を書いてしまった現在、「当時は軌道だった」という理由で除外した路線について、「これで良いのか?」という疑問が残ります。

法令は、同じようなものを何故「鉄道」と「軌道」とに区別するのか?

最初は、個別に認可していたものと思われます。
東京では、新橋をターミナルとする官設鉄道開業(1872)の10年後、明治15年(1882)に新橋-日本橋間の銀座通りの路上に「東京馬車鉄道」が開業しました。日本における私鉄第1号の栄誉は、この路線であるとも言えます。

これが東京府の命令書で認許されたということは内務省の監督下であり、当時の工部省鉄道局とは別系統の、道路交通行政の一環として認められたということでしょう。4ft6in(1372mm)という特異な軌間(いわゆる馬車ゲージ)が使われてしまったのも、東京市内という限られた地域の道路交通手段に対しては、軌間を鉄道に合わせる必要など、なかったためでしょう。

明治14年の特許条約 に基づいて明治16年に上野から北へ向けて開業した日本鉄道には、もちろん官鉄と同じ3ft6in(1067mm)が採用されました。
しかし、1885年開業の阪堺鉄道となると2ft9in(838mm)と、またゲージが違います [61344]

このような経過を経て、政府も鉄道建設に統一的な基準が必要なことを認識し、1887年の 私設鉄道条例[61226]で, 全41条の詳細な規定が作られました。
私設鉄道條例 明治20年勅令第12号(官報5月18日)
第一條(第2項) 馬車鉄道は本条例定むる所の限にあらず
第七條 軌道の幅員は特許を得たる者を除くの外総て三呎六吋とす
これが三呎六吋の「鉄道」と、似て非なる「馬車鉄道」とを区別した最初の法令でしょう。

その3年後に 軌道条例 が制定され、馬車鉄道に加えて“其他之に準ずべき軌道”を含むように拡大された、「軌道」という新たな範疇が生まれました。軌道条例の条文は僅か3条で、軌間の定めもありません。
軌道條例 明治23年法律71号(官報8月25日)
第一條 一般運輸交通の便に供する馬車鉄道及其他之に準ずべき軌道は起業者に於て内務大臣の特許を受け之を公共道路上に布設することを得

軌道は、内務大臣の特許となっています。(この時点では、たまたま鉄道庁も内務省に所属していましたが、3年後に逓信省に移りました。)1921年の軌道法でも同様でした。現行法 は、建設大臣から国土交通大臣に改定されているので、鉄道との所管の違いがわかり難くなっています。

馬車鉄道は、都市交通機関及び小規模な地方交通機関として、日本各地で採用されましたが、最も初期のものは、電化(東京や小田原)や鉄道開通(碓氷や佐野)で1906年より前に消滅しています。

甲府付近(石和・鰍沢)や佐賀県の祐徳稲荷・武雄間など、やや長距離の路線もあり、昭和初期まで存続しましたが、殆んどは短距離路線です。同一事業者に限定しなければ、大月-富士吉田-御殿場間約55kmの馬車鉄道ルートがありました。このうち、現在も富士急行の鉄道路線(1929)がある大月-富士吉田間は、遡れば鉄道敷設法の「中央線」のルート[61108]として検討された1案です。御殿場から籠坂峠経由富士吉田も中央線の検討路線。いずれの案も、富士吉田から先は御坂峠経由で甲府盆地に出る計画でした。
トンネル技術の進歩で、中央線の笹子経由が実現し、鉄道から取り残された郡内地方の人々が、せめて作ったのが馬車鉄道だったのでした。
[61501] 2007年 10月 3日(水)22:53:41【5】北神[ドラえもん] さん
在外日本人
[61470]中島悟 さん
調べるとやっと在外日本人の人口を見つけることが出来ました。
ここです。
このページは、国内日本人人口を算出したページとは関連しませんが、(関連するページでは在外日本人は書いていませんでした。)この人口に国内日本人人口を足します。(この場合も2000年、日本国内人口は万単位切り捨て。)

日本国内日本人人口:125,240,000人
海外在外日本人人口:  811,712人
内外合計日本人人口:126,051,712人となります。

つまり・・・
2000年の国内日本人人口:約1億2,524万人
2000年の内外日本人人口:約1億2,605万人と、なりました。

しかし、ニジェガロージェッツ さんは、「日本国内の日本人人口(有効数字千人まで)」と書きながら、
日本人人口=125,730,148+482,341×125,730,148÷127,285,653=126,206,595人
を書かれているので、このニジェガロージェッツ さんの算出された人口(国内)と自分の算出した、人口(国内)を比較してみると、約100万人の差が出来てしまいます。
これも、性質の違いにより、差が生じたのかと思いますが、
まだ、日本人人口や外国人人口については未熟なので、これからも勉強していきたいです。

[61424] [61499]オーナー グリグリさん
ドラえもんさんへ
[61470]で中島悟さんが言われているように、当初からすると随分良くなって来ました。皆さんのアドバイスを良く噛み締めてさらなる向上を目指してください。
有難うございます。これからも、慎重な書き込みを行うように努力します。それと、最近は書き込み数が皆さんと比べて多すぎるのでは無いかと思うのでそこのところも出来るだけ、1つの投稿にまとめて、少なくするよう(多くても1日2回以内程度で・十番勝負の時は3回以上行ってしまいますが)努力したいと思います。訂正の面も、最近長い文を良くようになりましたが、長い文であれば長い文であるほど訂正の回数も増えてしまうので、
最低三回はプレビューで読み返しを行って以下の点をチェックするように心掛けてください。
ここのプレビュー確認の点も出来るだけ、訂正回数を減らすために(ゼロにするために)意識していきたいと思います。

そして、もうすぐ十番勝負ですね。初の十番勝負は楽しみです。
10月10日~10月11日の間は、伊勢・鳥羽・志摩辺りへいるので、最初の3日間で出来るだけ正解を答えたいですね。(多分、帰ってきてからも答えれる可能性はあるかな?)
[61500] 2007年 10月 3日(水)22:47:28KK さん
奈良電
[61482] faith さん

関西の事情はよくわかりませんが、
近鉄に吸収された奈良電が京都線になったのは、
単純に、近鉄にはすでに奈良線があったから、
ではないでしょうか?


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