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[67299] 2008年 11月 18日(火)00:31:31EMM さん
エスカレーター関係レス
[67297] ペーロケさん
すみません。私はほぼ毎朝、追い越しレーンで歩き、エスカレーターを傷め付けています(苦笑)。時間にもっと余裕を持たなきゃいけないことは分かっているんですけど、なかなかね。。。
まぁ私も某イベント会場以外では気が急いているとエスカレーターを駆け上がっていますので(駆け下りはほとんどしませんが…)、実際には大きな事は言えないのでありまする(瀑汗)。
いっそのこと、3列乗れるエスカレーターなんて開発したら面白いかも?>メーカーの皆さん。
その逆で、追い越しができないかたちの1列幅のエスカレーターはありますね。
いや、本来の目的は「幅の狭いところに設置する」為のものなのでしょうが。
3列以上のものは「真ん中の人の補助となるものが無い」のでよろしくないのと違うか?と思ったのですが。
[67298] 2008年 11月 18日(火)00:13:35【2】EMM さん
「和文通話表」多方面調査結果(2)防空通信編「才ノオ」
「和文通話表」の調査結果に関する投稿の(1)を旧盆前の[66021]で書いて以降なかなか次に手を付けられないでいたのですが、できればオフ会前には書き上げたい…と言うことで3ヶ月ぶりに続きを書いてます。
この件について調べ物をした経緯などについては前稿をご参照ください。

さて、戦前の和文通話表に関する資料として見つけたもののうち1つは金沢市の玉川図書館にあった「電信電話法令集」でしたが、もう1つはネット検索によって見つけました。
それは、広島市HPにある「広島原爆戦災誌 第五巻資料編(昭和46年12月8日刊行)」のpdfファイルです。
この中に収録されている「広島市永年防空計画」に和文通話表について触れた部分がありました。
この計画、作られた時期がはっきりとは分かりませんが、条文中に出てくる法律などの日付を見る限り昭和14~15年頃に作られたものではないかと考えられます。
で、本文中の「第四章 防空通信 第一節 通則」の中で次のように触れられています。
(前稿に引き続き、旧字体は適宜新字体に変換)

第四十六条 防空通信ノ通話ノ際意味通セサルトキ、別紙第四号和文通話表ニ依ルモノトス

そして、その別紙第四号に、現在の無線運用規則にある和文通話表のルーツと思われる通話表がでていました。
内容的には8割方現在のものと同じで、一部が[65418]hmtさんが触れているものであった…と言うことなのですが、漢字とひらがなの違いなんかも見られるので、こちらも抜粋しておきたいと思います。

朝日ノ アイロハノ イ上野ノ ウ英語ノ エ才ノ オ◎
為替ノ カ切手ノ キ車ノ ク◎景色ノ ケ子供ノ コ
桜ノ サ新聞ノ シ雀ノ ス●世界ノ セ算盤ノ ソ●
煙草ノ タ千鳥ノ チ●鶴亀ノ ツ●手紙ノ テ富山ノ ト◎
名古屋ノ ナ日本ノ ニ沼津ノ ヌ鼠ノ ネ●野原ノ ノ
葉書ノ ハ●飛行機ノ ヒ富士山ノ フ平和ノ ヘ保険ノ ホ
燐寸ノ マ●蜜柑ノ ミ◎無線ノ ム明治ノ メ紅葉ノ モ●
大和ノ ヤ弓矢ノ ユ吉野ノ ノ
ラヂオノ ラ林檎ノ リ●留守居ノ ル●蓮華ノ レ●ローマノ ロ
蕨ノ ワ●井戸ノ ヰ●鉤ノアル ヱ●尾張ノ ヲ
オ終ノ ン●

◎は無線運用規則と内容が異なるもの、●は無線運用規則ではかな書きになっているものです。
現在と内容が異なるのはお・く・と・みの4つ。
それ以外は(漢字とかな書きの差はあるとはいえ)一致していますから、やはり[66021]で挙げた託送電報発受心得の和文通話表ではなく、こちらの方が無線運用規則の和文通話表との関連性が高いと考えて良いのではないでしょうか。
ただ、この広島市永年防空計画が上記和文表の大元、と言うことではないと思います。
この計画自体が広島県防空計画を元にして作ったもののようですし、そこここに「関係法令に基づいて」みたいなことが書かれてますし。
「第四章 防空通信 第一節 通則」の中にもこういう条文があります。
第四十条 防空通信トハ防空ノ実施ニ直接必要ナル通信ニシテ関係陸海軍官憲、関係官公署及之等ノ命ヲ受ケ防空ノ実施ニ従事スル若相互間ニ発受スルモノヲ謂フ
第四十一条 防空通信ヲ分チ左ノ三種トス
一 警報
二 情報
三 指揮連絡報
第四十二条 防空通信ハ通信電話(電報)ニ依ル場合ハ防空通信規則(昭和十三年一月二十八日通信省令第九号別紙第六号参照)及防空通信取扱規程(昭和十三年一月二十九日公達第百二十五号)警察電話ニ依ル場合ハ広島県警察電話防空通信取扱規程(昭和十三年二月十五日訓防第一○八号別紙第七号参照)鉄道電話又ハ其ノ他ノ電話ニ依ル場合ハ其の定ムル所ニ依ルモノトス。
四十二条に出てくるいくつかの規則・規程がどうも怪しそうです。
この中で、防空通信規則は官報で調べる事ができます。
で、その「昭和13年1月28日の官報」を石川県立図書館に行って見てきたのですが(初めてマイクロフィルムを使いました)………防空通信規則の本文はでているのですが、肝心の「別紙」が無かったのです(滝涙)。
前後の日付を見渡してみましたが別紙はやっぱり無かったです。当時は別紙は残さなかったのかもしれません。
で、この線の金沢での調査の糸はとぎれてしまったのですが、どうも四十二条を読む限り防空通信規則か防空通信取扱規程が上記の和文通話表の出所であるのではないか、と考えています。
ただし、さらにほかの法令や告示などが出所である可能性がありまして…防空通信規則の本文中には関連する法令・規則として電信法・無線電信法・官庁用電信電話規程・官庁用無線電信電話規則の名が登場します。
このうち電信法・無線電信法には通話表が出てこないことは確認済ですが、残る2つの官庁間の通信を定めたもの…こいつらも臭そうな気がします。
そう思う理由としては、上記の和文通話表のうち、地名を使っている部分に関しては託送電報発受心得ときれいに一致している、と言うことです。
これはあくまで私の仮説ですが、戦時下で官庁間の連絡手段を統一する必要が出てきたため、それまで各省庁(あるいは省庁内の各部署)で使われていた別々の通話表の中からそれぞれいくつかの用語を抜粋してつなぎ合わせてできたのが上記の和文通話表であり、その元となったものの1つに託送電報発受心得があるのでは…と言うことを考えています。
本当にそうなのかどうかは分かりませんが、とにかく上記の和文通話表の元々の出所を探るには「防空通信規則の別紙」「防空通信取扱規程」「官庁間電信電話規程」「官庁間無線電信電話規則」についての調査が必須のようです。
でも金沢にいる限り、このラインではここまででお手上げ…。ここから先に進むとすると…についてはさらに次稿で。

#ちなみに、ネット検索で戦前の和文通話表を見つけたのは広島市HPのものだけでしたが、それ以外に国立公文書館のデジタルアーカイブシステムを検索したら1件だけ同じ和文通話表が引っかかってきました。
それがこちら
これが収められている簿冊は「公文書>警察庁>内務省警保局文書>種村氏警察参考資料第68集」となっており、おそらく戦前に警察官だった方が持っていた当時の文書・資料を寄付したものではないかと思われます。
肝心の通話表はそれだけを印刷したものか、あるいは何かの冊子・書面からその部分だけはぎ取ったもののようで、年代が分かりません。
ついでに関連しそうなキーワードについてデジタルアーカイブシステムで検索してみたのですが、これと言ったものが出てこないか、何となく気になるものが出てきてもデジタルデータ化されてないか…でした。

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ついでにもう1件、実は電話帳についても調査を行いました。
とは言っても大げさな話ではありませんで、金沢市立玉川図書館にあった一番古い電話帳を見せてもらったのです。
昭和55年の金沢版でした。(あれ?53年だったかな?)
が、このころの電話帳って住所氏名電話番号しか出てないんですよね。
現在のハローページの冒頭にある電話に関する各種案内とか電報の出し方とかいったものは別冊の電信電話ガイドと言うのに載ってたんですよね。そう言えば何となくそんなのもあった覚えがあります。
で、そっちは昭和54年のものがあったので当然見てきました。
結論から言うと、「この年代の電話帳には和文通話表は出ていなかった」。
念のため能登版も見せてもらいましたが同様でした。
とりあえず「この電話帳」ではなく「この時代の電話帳」と言い切ってしまいます。
本当に言い切るには他の地方の同年代の電話帳を見る必要がありますが…もしかしたら地方によって電話帳の構成が違ったのでは?と言う可能性もありますが、当時は「国の機関」であったわけですから紙面の構成にそんなに差が出るとは思えないので、多分そうなんだろうと思う訳でして。
ただ、これ以上の情報を集めようとするとやはり金沢ではここまでな訳です。
ここからより深いところに進めるか否か…についても次稿で触れたいと思うのですが、この線からもっと深いところにつっこもうと考えた場合には条件を絞った上で進める必要があると思うのです。何せ資料が「名簿」なもんですから。
(玉川図書館では「調べたい内容」をきちんと伝えた上で見せてもらいました)
[65471]hmtさんや[65476]inakanomozartさんから「昔の電話帳に通話表が出ていた」と言う書き込みがあった訳ですが、少なくとも「約30年前の、石川県関係の電話帳」には出ていなかった。
そうなると、「より具体的な年代」か「その電話帳を見た地域」が必要になってくるかな、と思うのです。
[67297] 2008年 11月 17日(月)22:50:25【2】ペーロケ さん
エスカレーターと、ロータリー
 今週末は寒そうですね。何故か週末の秋田県の天気が気になります。そういや、飛び入り歓迎ですか。。。いえ、他意はございません。

[67262]EMMさん
実は駆け上がったり駆け下りたりするのもエスカレーターにとっては優しくない行為です。
 すみません。私はほぼ毎朝、追い越しレーンで歩き、エスカレーターを傷め付けています(苦笑)。時間にもっと余裕を持たなきゃいけないことは分かっているんですけど、なかなかね。。。

ただ、「例のエスカレーター」が使えなかったのはともかくとして、会場や警察からの要請で「導線的に代替できる階段や通路がない、どうしてもやむを得ない一部のもの」を除きすべてのエスカレーターの使用が中止されてしまったのには参りました。
 それは災難でしたね。事故の直後ということもあり、警察もエスカレーターを稼働させにくかったのでしょうね。
 一方で、今流行りのサンダル、エスカレーターでの事故が相次ぎ、サンダル売り場、エスカレーター、両方で警告の注意書きを見るようになりました。発売禁止と製品の回収が一番の再発防止だと思いますが、今のところ、ヒット商品を手放す動きはないようですね。「こんにゃく入りゼリー」は発売禁止になったというのに。。。エスカレーターの危険を回避するという動き、なんとなく中途半端で業界寄りの何か恣意的なものを感じてしまいます。

「駅構内のエスカレーターの片側あけが良いのか否か」についても、機械へのダメージだけでなく、駅構内での人波の滞留抑制に効果があるのかどうかとか言うことも検討した上でどうするのが良いのか考える必要があるのでしょう。
 機械へのダメージという点では、偏る荷重を予想し、片方だけ部品を強くする等、技術的なことで解決できそうですね。渋滞全体で言えば、おそらく2列の方が早いんでしょうが、早く行きたい人から見れば、空けてもらった方が断然早いわけで、それは自分の疲れ具合と、急ぎ具合の勘案で選択の自由がある方が優れているようにも思います。
 反対論者の意見としては、他に、身障者でやむを得ず右あるいは左手でしか手すりをつかめない人もいるということ、それと、親子連れで小さい子供は親の横に並ぶのが一番安全で自然だとする意見もあります。まあそういう事情もあり、どちらかに強制するのではなく、ケースバイケースで考えていかねばならない問題なので、京都市営地下鉄で「右をおあけください」の看板が撤去されたのでしょうね。
 ただ、今後は大江戸線のように大深度地下の鉄道も増えるでしょうし、ラッシュ時にエスカレーターを「歩けない」のは、忙しいサラリーマンにとっては拷問でしょう。また、一方に譲る行為はもはや文化になりつつあると言ってもいいくらい定着していますし、今更2列に並べと言う方が無理がありますね。左派、右派(と言ったら語弊があるかも?)急いでいる人、疲れている人、いろんな人がエスカレーターに乗るんで、左にずらーっと並んでいる中で右にぽつんと立ち止っている人がいても、「邪魔だ。どけ」ではなく、「すみません、急いでいるんですけど、追い越していいですか?」と声をかけられる、そして、急いでいる人に譲り合える社会が理想だと思います。

 いっそのこと、3列乗れるエスカレーターなんて開発したら面白いかも?>メーカーの皆さん。

たもっちさんへ
 所要のためうろうろしてたら、広島市西区鈴が峯町にてロータリーを見つけました。地図サイトでロータリーがうまいこと表現されているサイトを発見できなかったのですが、航空写真で辛うじてロータリーの様子が分かるかと思います。
[67296] 2008年 11月 17日(月)22:03:36【1】じゃごたろ さん
アイデンティティ
こんばんば、じゃごたろです。

[67294] とんかち☆ さん
出身地って・・・??

はじめまして。
これについては完璧な答えがないと思いますし、過去ログを読まれているようですから、いろいろと自分なりの答えを見つけて、ユーザー登録する際にはそれをもとにして登録すればいいと思います。

個人的には、「自分のアイデンティティ」に影響があった地が出身地として一番重要じゃないかと思います。一年くらいでほとんど記憶のなく離れてしまった「出生地」よりは、幼少自体を過ごして「自己を認識した地」の方が「出身地」としてはふさわしいのではないかと思います。私は高校卒業まで同じ地で生まれ育ったので、なかなかそういう迷いはないのですが。。。


さらに、

[67284] 日本人 さん
#ここ最近、落書き帳のネタについていけません。道路だけではなくもう少し入れる話を広げたほうがいいのかな???
道路族と言えば私がその先鋒でしょうから、一応レスします。

道路関係といっても一応その辺は気にして、できるだけ地形や地名に関係するような話題の提供の仕方をしているつもりです。ですから道路標識等の地名・自治体名や地理的位置関係、地理に関係ありそうな道路の線形に対する地形的な関係などを選んでおり、道路の構造とか材質とかなどは極力避けています。

最近では、案内標識における新旧自治体名の話題だと思いますが、これはあくまでも道路そのものの話題ではなく、新旧自治体名がどのような扱い方をされているかという話題として認識していただき、地図を見ながら私を含めた他の方々の書き込みを読んでいただければ、必ずしもまったく理解できない話題ではないと思いますよ。
[67295] 2008年 11月 17日(月)20:53:54【1】敷守ほむら さん
新潟モノレール構想
こんばんは。久々に書き込みます。

今年に入ってから、新潟の地元情報紙である「財界にいがた」に、新潟モノレール構想に関する記事が出るようになりました(2008年7月号と11月号)。
記事の内容によると、2008年5月26日に開かれた「新潟市の公共交通システムを考えるシンポジウム」(参照:国土交通省北陸地方整備局 新潟港湾・空港整備事務所 越佐みなと通信(PDFファイル))において、財団法人亀田郷地域センターによるプレゼンテーションが素晴らしかったので特集を組んだとのことで、構想では、新潟空港、新潟西港、新潟駅、日本海東北自動車道新潟亀田インターチェンジを軸にしてモノレールでつなげる提案をしています。

財団法人亀田郷地域センターのホームページ内のモノレール構想について触れているページです。
財団法人亀田郷地域センター 国際都市 新潟のスポーツ・観光拠点づくり

現在、新潟市はオムニバスタウン指定など、バスを中心として市内の交通網を整備しようとしている状況なのですが、今後、モノレール構想が進んでいったらいいなと思っています。最終的にどういう路線になってどこに駅ができるのか、とか、いろいろ夢がふくらみますし。

※訂正【1】 記述に舌足らずな箇所があったため補強しました
[67294] 2008年 11月 17日(月)20:15:27とんかち☆ さん
出身地って・・・??
今日、メンバーのみなさまの紹介文などを読んでいてそれぞれの方の紹介の最後に「出身地」と「居住地」が書いてありますよね??
その「出身地」ってどこのことを言うのだろうと、ふと疑問に思ってしまいました。
それって「出生地」のこと?それとも一番長く住んでいた場所?などと考えだしたらキリがなくなっちゃいました・・・。

みなさまに聞く前に落書き帳の検索機能を使って調べてみました。
「出身地」だけですと余計なものが検索されてあまり使い物にはなりませんでしたね(笑)
なので、ダメもとで「出身地」と「出生地」の組み合わせでやってみました。

結果は人によってまちまちでしたが、やはり出身地=出生地の方か出身地=一番長く住んでいた場所っていう方が多かったですね。
そういえば、最近日本テレビ系でやっている県民性に関する某テレビ番組(一応、番組名は出さないでおいときます)においての芸能人の出身地は生まれた場所ではなく一番長く住んでいた場所で判断されていたような気がします。
司会者のツッコミからの推測ではありますが・・・。

私個人の考えは、ついこの間までは出生地=出身地と思っていました。
しかし、最近「やっぱり一番長く住んでいる場所だよなぁ~」と思うようになりました。
私は母の実家(神奈川県小田原市)近くの病院で生まれたのですが、すぐに両親が暮らしていた家(埼玉県坂戸市)に帰って(?)きました。
で、小学校3年生の時に今の家(埼玉県鶴ヶ島市)に引っ越しました。
つまり・・・小田原市(1ヶ月ほど)→坂戸市(約9年)→鶴ヶ島市(約20年)と暮らしているので、私の出身地は小田原市ではなく今の鶴ヶ島市かなぁ~と思っています。

だからなんだ、って話ですが、かなり前からの疑問だったものでふと思い出したように書かせていただきました。
昨日の書き込みに対するレスを頂いているようですが、そのレスは次回以降の書き込み(おそらく今週末)でさせていただきます!!
[67293] 2008年 11月 17日(月)09:34:20【1】アルバトロス さん
相模原市の市外局番統一 パート2
お早うございます。アルバトロスです。

[67247] 2008 年 11 月 10 日 Issie さん
アドバイスありがとうございました。

[67273] 2008 年 11 月 15 日 Issie さん  他のみなさん
相模原市の区名募集もおわり、25日(火)に各区5件の候補が決る予定です、どんな区名がでるかたのしみです。

本題に入ります。相模原市では毎年、市政に関する世論調査を行っています。今年も実施した結果が、広報さがみはら11月15日号市政に関する世論調査結果に載っています。そのなかに、「市内の市外局番の統一」についてのアンケートがありました。その結果は、次の通りです。
統一してほしい 26.6%
統一してほしくない4.4% 
どちらでも構わない66.5%
無回答2.4%

[55695]でも書き込んでいますが、相模原市は、合併により現在3つの市外局番(MA=メッセージエリア)に分かれています。
八王子MA042-  相模湖町、藤野町地域
相模原MA042-  津久井町、城山町、旧相模原市の大部分の地域。町田市を含む。
厚木MA046-   相模原市の相武台、新磯地域
すなわち、3地域の相互通話は、市外通話になるわけで、市内通話でないのです。(当たり前ですが料金が余分に掛かる)

今回のアンケート結果によると、「統一してほしい」 と回答した方は26.6%、市外局番の統一を総務省に上申するには全加入者の合意が必要の前提ということになれば、50%以上の賛成が必要とおもいますが、相模原市はこの結果で市外局番の統一にどのように取り組むのか見守っていきたいです。
それにしても、電話の3地域の相互通話に不便を感じないということは、相互通話を掛ける機会が少ないということでしょうか。
携帯が増えて、0から掛けるのが苦にならなくなった等が考えられますが、どうなんでしょう。
[67292] 2008年 11月 17日(月)00:53:48futsunoおじ さん
しわさんざん
みやこ♂さん

[67280] にて「志波三山」(箱ヶ森、南昌山、 東根山)については、「志和三山」との表記も・・と書きましたが、紫波郡/紫波町にあることから「紫波三山」も疑って検索したところ、やはりありました。表記名が3つもあると本当はどれかと問いたくなりますね。
[67291] 2008年 11月 16日(日)22:39:40むっくん さん
メンバー紹介
[67281]かぱぷう さん
[67284]日本人 さん
メンバー紹介の文章作成作業、お疲れ様です。独自の視点と味わいのある文体が絡み合い、とても素晴らしい文章であると私は感じました。

さて、一点見落としと思われる箇所があります。
mikiさんの紹介文での、「アーカイブズ編集スタッフを勤める」との記載は現状とあっていませんので、この点は修正された方がよろしいかと思います。
以上、報告でした。

#それにしても、2日に1人以上のペースで更新作業を進めての、この仕上がり具合とは神業と言っても過言ではないと私は思います。
[67290] 2008年 11月 16日(日)21:06:03伊豆之国 さん
風のたよりに~瞼の祖父を訪ねて木の国へ~
今日は、TV東京の「田舎に泊まろう」という番組の話。私は時々見ることがあるのですが、今日の後半の舞台は三重県御浜町のこの辺り。一帯は蜜柑の特産地として知られ、また近くに「風伝峠」というところがあって、ここにかかる朝霧は「風伝おろし」と呼ばれる奇勝だそうです(御浜町HPより)。この一帯の旧村名「尾呂志」や、「尾呂志川」もこれと関係ありそうです。この「尾呂志」という場所、私の母方の祖父の故郷なのです。といっても私が生まれる前に極楽浄土へ行ったため、仏壇の写真でしか見たことがありません。私は今から11年前に南紀周遊の旅(このとき勝浦温泉の「洞窟風呂」のホテルにも泊まっています‥[66626])をした際に、まず最初に熊野市で特急を降りてタクシーを飛ばし、「鬼が城」などを見たあと、この辺りを見ていくことにしました。私の祖父は若い頃に故郷を出て関西に行ったため、もうこの地には親族も全く見当たりませんが、このとき見た山間ののどかな風景、今日のTVを見てそのときの旅のことを思い出しました‥。
ところで、「虎党」を自認する熊虎さん[67277]ですが、御浜町は元阪神・藪恵壹投手の故郷。米国に渡って苦闘を続けているようですが、何とかもう一花咲かせたいものですね‥
[67289] 2008年 11月 16日(日)20:10:21おがちゃん[日本人] さん
大丈夫です!!
こんばんは。日本人です。

[67287] とんかち☆ さん
今から過去ログを読むのは大変ですよ(笑)
大丈夫です。僕は、小学生と言う「暇人」ですので、過去ログの量は気にしないで読み続けています。それに、2度目ですし、安心して読めます。(どこが?)
もう一度読むことを決意してから、1ヶ月かけて、過去ログを10000件読みました。
初めてやってきた方で過去ログを読破する方は少ないらしく、同じような質問が書き込みしてあったりでちょっと笑えます。
そうなんです。さすがに、67000を数える過去ログを読もうとする人はあまりいないのでしょう。数ヶ月かかりますし、「面倒」なのでしょう。

それから、とんかち☆さんの初書き込みの、
私はそのうちの一つの鶴ヶ島市民でございます・・・。
が、僕ととんかち☆さんの共通したところを見つけてしまいます。詳しくはメンバー紹介文をご覧ください。
これからもよろしくお願いします。

ではでは。
[67288] 2008年 11月 16日(日)20:07:54Issie さん
お堀の下
[67287] とんかち☆ さん
前は「皇居のお堀は宮内庁に関わるから地下を掘ってはいけないんだ」と思ってましたが、実際は違う理由があったんですよね。

東西線や有楽町線は「いと畏き所」のすぐそばのお堀の下を通っていますから(東西線:大手町-竹橋間,有楽町線:桜田門-有楽町間),「宮内庁…」というのはあまり関係ないでしょうね。市ヶ谷-飯田橋間の外堀の下には有楽町線と南北線が仲良く並んで通っています。
丸ノ内線が2度,外堀を横切る時に地上に顔を出すのは,地下の浅いところを走っているので急にお堀の下まで潜り込むことができないからじゃないかと思います。御茶ノ水駅なんか,外堀(神田川)側のホームの水面からかなり高い所に窓が開いていたりしますから,そこから川底をくぐれる深さまで潜るのはまず無理でしょう。ならば,川の上を通ってしまう方が簡単。川を渡って,中央線の線路下のトンネルに入ったら,すごい勢いで地下に潜り込んでいますね。

昔,「ソ連」に旅行に行ったときに乗ったモスクワの地下鉄も,郊外でモスクワ川(…だったかな?)を渡る時に地上に出ていました。
東京でも,新宿線は荒川を渡る所だけ地上に出ていますね。
要するに,川の下にトンネルを掘るよりも,地上に出て橋を架ける方がいろいろな意味で「楽」だったのでしょう。
[67287] 2008年 11月 16日(日)18:40:36とんかち☆ さん
レス、レス
やっぱり私にはレスするくらいしか能がないようです(笑)
新しい話題とか質問とか出てきませんもん・・・。
スイマセンです。



[67254] 淡水魚さん

さて、回答です。その前にお詫びをば。タイムオーバーで訂正もできなかったので…。最終設問の川はDではなくEでした。混乱させてすいません。

そうだったんですか・・・。
私はEの問題に気がつきませんでした(笑)
よく読んでいなかったんですねぇ。
やはり、B以外は正解だったようです!!
よかった・・・。
「ムーンライトながら」は聞いたことはあるのですが、実際にどこからどこまで走ってるのか分かってませんでした。
調べれば分かったのでしょうが・・・。


ソウルの地下鉄は、漢江(E)を越えるときは地上に出て橋を渡っていました。

ソウルに限らず、日本(東京)の地下鉄でも皇居のお堀部分は地上に一回出ていますもんね。(特に丸ノ内線)
前は「皇居のお堀は宮内庁に関わるから地下を掘ってはいけないんだ」と思ってましたが、実際は違う理由があったんですよね。
それが何だったのか忘れてしまいました・・・。
どっかで(この落書き帳の過去ログなのかもしれません)読んだような気がしたのですが。



[67284]日本人さん
今から過去ログを読むのは大変ですよ(笑)
読破中の私が言うことではないですが・・・。
合間、合間に読んでるので全部読み終わるのにはまだまだ先の話ですが、けっこう楽しかったりします。
初めてやってきた方で過去ログを読破する方は少ないらしく、同じような質問が書き込みしてあったりでちょっと笑えます。
って、なんか感想みたいなことを書いてしまいました(笑)



私もいつかは新しい話題や質問などを書き込めるように頑張ります!!
って、何をだろう・・・。
[67286] 2008年 11月 16日(日)17:26:51【1】hmt さん
国土面積統計の変遷(13) 境界未定・所属未定・帰属未定
2003年の面積データ記事 を見ていたら、「境界未定」・「所属未定」・「帰属未定」と3種類の言葉が使われていることに気がつきました。
国土地理院の「面積調」における用例を参照しながら、これらの用語について考察しておきます。

まず「境界未定」とは、陸地内に引かれるべき自治体境界線(の一部)の位置が、双方の主張の相違などによりこれを確定することができず、従って自治体の 形状も面積も 共に確定し難い状態であると考えます。

しかし、陸水部の 水面の境界 のみが「境界未定」である場合は、「面積調」は例えば次のように記し、実質的には水涯線を境界とみなしているようです。
霞ヶ浦は、水面が境界未定のため、沿接する次の市町村の面積には含まれません。(9市町村を列挙)

これに該当する事例は、然別湖・風蓮湖・十和田湖・八郎潟調整池の一部・霞ヶ浦・北浦・荒川河口部の一部・本栖湖・浜名湖・阿蘇海・児島湖です。(東郷池は合併により境界未定水面でなくなった。)

2006年面積調までは琵琶湖もこの仲間でしたが、水面の境界線が確定した2007年から、沿岸14市町村のうち11市町村の面積から「境界未定」の表記が消え、従来の参考値に水面の面積が加えられた新しい「平成19年面積」が記されています[66635]。守山・野洲・米原の3市は陸上の境界未定が残りました。

十和田湖も2009年面積調の基準時点までには、北岸御鼻部山との間の陸地(国有林)を含めて、「境界確定」[67279]となるでしょう。

陸部の境界線を確定することができない場合、「面積調」では、市町村面積欄に“境界未定”と記し、参考値欄には便宜上の概算数値を記載しています。
これに該当するケースが多数あることは、既に記しました。

島嶼や埋立地の「所属未定」は、「境界未定」とは区別して使われています。
こちらは、形状も面積も水涯線により確定できます。しかし、文字通り、どの市町村に所属するか定められていない地域です。
つまり現状は市町村については「無所属」ということになります。

平成19年面積調で「所属未定」とされているのは、4箇所あります。
1 東京湾の中央防波堤内側埋立地と中央防波堤外側廃棄物処理場。通称 「中防」
2 鳥島・ベヨネース列岩・須美寿島・孀婦岩。勝手に「南方四島」[22460]と命名。
3 名古屋港口埋立地 名古屋港湾事務所 によると、「ポートアイランド」の第3期までの広さは2.57km2に拡大。具体的な使用計画は未定。
4 鹿児島県鷹島(甑島南方)と 更に13kmほど南の 鹿児島県津倉瀬(宇治群島北東方)

[22560] オーナー グリグリさんが帰属未定地として挙げた6箇所(東京都を2とする)のうち、三重県の島嶼と沖縄県の埋立地は、面積調において(所属未定でなく)境界未定と記されているので除いてあります。

[22560]でご質問を受けた際は理解不足で、[22569]は的確な回答でなかったかもしれませんが、現在は「境界未定」は陸地内境界線の不確定、「所属未定」は(境界線に関係しない)島ぐるみの無所属と区別して考えています。

南方四島が「わが国で唯一」であるのは、東京都(八丈支庁)直轄であることが明確に規定されている点でしょう。
東京都組織規程別表四(第三十四条関係)
東京都八丈支庁 (所管区域)八丈町及び青ケ島村の区域並びに鳥島、須美寿島及びベヨネイス列岩
# おやおや。孀婦岩[19728][19806] が無視されて、南方三島になっていますね。

市町村に所属しないで放置されている無人島という点で、南方四島と最も類似した存在は、鹿児島県の鷹島と津倉瀬[22678] でしょう。沖ノ鳥島や尖閣列島のような国境警備の話題にもならず、日本中で最も忘れられた島?

東京港の「中防」は環境事業用地として活用中。北の江東区と結ぶトンネルには都営バス「波01」系統も運行。西の大田区ともトンネルで結ばれています。当面は都の直轄になっているが、将来の所属は決めかねている状態?
名古屋港の「ポートアイランド」も、将来は何かに利用されるでしょうが、現在のところ工事関係者以外は立入禁止。釣り人の侵入はあるようです。

「帰属未定」という言葉は、面積調では使われていません。所属未定とほぼ同じ意味でしょうが、本来はどこかの市区町村に帰属すべきものだが、ペンディングであるというニュアンスが強く感じられます。その典型的な例が東京港の「中防」です。
[67285] 2008年 11月 16日(日)14:37:25YT さん
メンバー紹介記事について
[67281]
メンバー紹介記事を書いていただきありがとうございます。

先週より本業の方が忙しくなってしまったため、文献漁りの作業を中断してしまっていますが、
一段落ついたら仙台と鹿児島の過去の人口調査をまとめたいと思います。

生活スタイルに関しては確かにご指摘の通り、本業が朝遅くに始まり深夜に帰宅後こちらに書き込むという、極めて不健康な独身生活をしております。
[67284] 2008年 11月 16日(日)09:48:57おがちゃん[日本人] さん
終わりました。
おはようございます。日本人です。

[67281]にて、かばぷうさんが書き込まれましたが、とうとう、メンバー紹介文が書き上がりました。
僕が、立候補したのは、グリグリさんの[66549]の直後でした。そして、実際にメンバー紹介文を編集することになったのは、[66636]からでした。それから2ヶ月、メンバー紹介編集に力を入れていました。ただ、1ヶ月ほどパソコンを扱えない状態が続きましたが、その時は、かばぷうさんが1人で編集してくださいました。感謝します。

また、これからも、メンバー紹介文編集をがんばりたいつもりです。よろしくお願いします。



[67228] とんかち☆ さん
過去ログ読破を目指してる私には大変ありがたいご指摘でした。
全部読むには時間がかかりますが、知りたかったことや初めて理解できたことなどが増えていいんですよね。
そんなことないですよ。僕が書いたのはほんの少しです。ただ、過去ログを読むことはとてもよいことだと思います。前書いたこと以外でもよいことがあります。それは、「世界が広がる」ということです。意味は想像してみてください。また、僕は、もう一回過去ログを読むことにしました。結構話の流れがつかめてきたので、もう一度最初から読むことにしたのです。


#ここ最近、落書き帳のネタについていけません。道路だけではなくもう少し入れる話を広げたほうがいいのかな???
[67283] 2008年 11月 16日(日)08:21:23オーナー グリグリ
Re:メンバー紹介文 リリース完了(暫定)のお知らせ
[67281] 2008 年 11 月 16 日 (日) 02:08:49 かぱぷう さん
9月上旬より順次行なっておりましたメンバー紹介ページの紹介文編集作業、おかげさまをもちまして一段落つきましたのでご報告いたします。
(中略)
文章作成・更新作業そのもの(文責)は私が受け持ちましたが、日本人さんにも多くのアイデアを出していただき「合作」で仕上げております。
かぱぷうさん、日本人さん、更新作業をありがとうございました。お二人の合作により、メンバー紹介企画立ち上げ時からの洒落た味付けが継承されつつも、メンバーの書き込み分析が緻密になりより味わい深くなっていると感じます。本当にご苦労様でした。今後ともよろしくお願いいたします。

編集作業に当たって、改善ポイントなどありましたら遠慮なくお知らせください。また、皆さんも、今回の更新内容をご確認いただければ幸いです。さらに、メンバー紹介企画への面白い味付け提案などもお待ちしています。
[67282] 2008年 11月 16日(日)02:13:00EMM さん
三山コレクション追っかけ情報提供
[67280]futsunoおじさんの投稿を見て、「そう言えば最近何かで三山がどうしたとか言うのを見たような」というのを思い出しました。
が、具体的になんだったかが思い出せなかったのでちょっと調べたらすぐに出てきました。
石川県観光連盟が主催している加賀百万石ウォークのコースの1つに「能登の名山宝立三山巡り」と言うのがあるのです。
どこかで加賀百万石ウォークのパンフレットを見た時に目に入っていたのでした。
ただ、パンフレットやサイト上の案内文ではその三山がどこなのか分からなかったのですが、さらに調べていったら中日新聞のサイトに具体的に触れた記事がありました(参照記事)。
宝立山を形作る宝霊山丸山黒峰山の3つの峰を宝立三山と言うようです。
みやこ♂さん、こちらもご検討よろしくお願いいたします

#ちなみに、上で丸山として図示した地点には三角点がありますが、その高さは約469m。
Yahoo!地図では471mと書いてありますが、実際に471mなのはこのあたり
[67281] 2008年 11月 16日(日)02:08:49かぱぷう さん
メンバー紹介文 リリース完了(暫定)のお知らせ
メンバーご一同様

9月上旬より順次行なっておりましたメンバー紹介ページの紹介文編集作業、おかげさまをもちまして一段落つきましたのでご報告いたします。今回リリースいたしましたのは、「原稿準備中」となっていたメンバー様のうち過去60日以内に書き込み実績のある方(メンバー紹介ページを開いた最初のページに掲示される方)です。あわせて、すでに紹介文がアップされている方で実態と乖離が生じていた方についても更新を行なっております。

文章作成・更新作業そのもの(文責)は私が受け持ちましたが、日本人さんにも多くのアイデアを出していただき「合作」で仕上げております。拙い文章でございますが、ご笑覧ください。

作成に当たっては皆様の書き込みのみを頼りに肉付けをいたしております。
ご意見ご感想、「ここは違いますよ」といったご指摘等ございましたら、お気軽になんなりと書き込みにてお知らせくださいませ。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
[67280] 2008年 11月 16日(日)00:56:25futsunoおじ さん
三山コレクション情報
みやこ♂さん

「三山コレクション」で岩手県に関係する情報です。ご検討ください。

盛岡の南東約10kmに「乙部三山」(朝島山 607m、鬼ヶ瀬山 724m、黒森山 837m)があります。
また「志波三山」(箱ヶ森、南昌山、 東根山)については、「志和三山」との表記も多く用いられているようです。
以上は検索でも相当数引っ掛かります。
[67279] 2008年 11月 15日(土)19:01:35hmt さん
国土面積統計の変遷 (12) 十和田湖の秋田・青森県境確定
[66535] オーナー グリグリさん
十和田湖の境界も確定する見込みなので、これを記念して(?)十和田湖近辺の秋田県での一泊オフ会を考えました。

秋田県鹿角郡小坂町と青森県十和田市とにかかる十和田湖の境界が確定し、青森県知事が、昨日(11月14日)総務大臣に届け出たとのニュースが入りました。総務大臣告示による効力発生は本年12月下旬の見込みとか。

東奥日報2008年11月14日
本県(青森県)と秋田県にまたがる十和田湖の県境問題で、本県は十四日、境界決定が同日確定したことを文書で総務大臣あてに届け出た。順調に進めば総務大臣が十二月下旬に官報告示し、正式に県境として認められる。

秋田さきがけ2008年10月15日 によると、行なわれた手続きは次の通りです。
県境決定事務を管理する三村青森県知事が関係市町議会に意見を聴き、小坂町議会は、両市町の決定に異議がないことを10月10日に議決。十和田市議会も14日に議決。同日境界決定書が交付されました。
かくして異議申し立て期間(30日)を経た11月14日に上記の届け出がなされました。

告示は年内に行なわれるとしても、国土地理院が2009年2月1日頃に発表すると思われる「平成20年全国都道府県市区町村別面積調」(10月1日現在)には間に合いません。
地方交付税増額が1年遅れるのはやむをえないとして、「都道府県市区町村」の面積データの修正も、同様に遅れるのでしょうか?
市町村の廃置分合と違い、面積調の数値の足し算で処理するわけにゆかないので、仕方がないか。

参考までに、琵琶湖水面の境界確定スケジュールも示しておきます。県政eしんぶん による。
滋賀県および関係市町で合意文書締結 2007年5月16日
滋賀県が境界を決定、関係市町へ決定書を交付 2007年7月23日
滋賀県知事から総務大臣への届出 2007年8月24日
総務大臣告示(効力の発生) 2007年9月28日
国土地理院が平成19年全国都道府県市区町村別面積調を公表 2008年1月31日
オーナー グリグリさんが面積データを更新 2008年10月5日[66937]
[67278] 2008年 11月 15日(土)18:47:13【1】Issie さん
C区
[67277] 熊虎 さん
相武台は大野地区ではなかったのですね。

そですね。
相武台地区は旧大野村ではなく,旧新磯(あらいそ)村。現在の「相武台出張所」は,新磯出張所から分立したものだったと記憶しています。

小田急相模原駅 から 国立相模原病院 へ延びる道路が旧大野村と旧新磯村・麻溝(あさみぞ)村の境で,ここから 相模原ゴルフクラブ の東縁の道路を結ぶ線が,おおよそ旧大野村の西縁でした。つまり,C区のうち旧大野村だったのは東半分だけ。西半分のうち北側が 旧麻溝村,南側が 旧新磯村 となります。「麻溝台」と「新磯野(あらいその)」の境が,おおよそ両旧村の境ですね。
もともと 新磯村 は,陸軍士官学校の移転を控えて南隣の 座間村 との合併話が持ち上がったほど,座間とのつながりが強い地区なんですよね。もっとも,このときには新磯村側がグズグズ言っているうちに,座間村が単独で“町”になってしまったのですが。
「相武台」が,相模原市と座間市にまたがっているのもムベなるかな。
小田急の 相武台前駅(開業当初は「座間駅」)も,相模線の 相武台下駅(開業当初は相模鉄道の「座間新戸(ざましんど)駅」)も,相模原市(旧新磯村)と座間市の境近くにあります。
ちなみに「新磯村」の「新」とは「新戸(しんど)」のこと。つまり,相鉄の「座間新戸」という駅名は,境をはさんでまたがる両村の地名をつなげただけなのですね。

まぁ、市外の人間にとって「相模大野」の持つインパクトがそれだけ大きいということで

でもま,このC区全域を管轄する公共機関のほとんど全部が相模大野駅周辺に集中しているから,この感覚は正しいと言えるでしょう。
県の合同庁舎なんか,中央地区の市役所そばにある「相模原合同庁舎」が機能の多くを市に吸収されてしまったせいか建物の中がスカスカになってしまっているのに対して,相模大野にある「高相(こうそう)合同庁舎」は,今でも盛況です。ちなみに「高相」とは,(「湘南」の藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町を除く)高座郡+相模原市,という意味ですね。

この大事な時期に、今週初めから風邪を引いています。喉の痛みが治まったかと思いきや、今度は鼻水です。

私は先月の初めにひいた風邪がもとで“副鼻腔炎”になってしまい,今だに尾を引いています。実に35年ぶりに耳鼻科なんぞに行ってしまいました。
お身体には気をつけて。
[67277] 2008年 11月 15日(土)17:44:58BANDALGOM[熊虎] さん
ありゃ・・・
[67273]Issieさん
「相武台区」としてもよかったのですが,それでは現に存在する「相武台」地区が前面に出てきて,「(相模)大野」がC区全体を代表できない,というのと同じ問題が生じてくる。
相武台は大野地区ではなかったのですね。全く気がつきませんでした。
応募フォームにも「概ね大野地区が範囲」って書いちゃったし、ああどうしよう・・・。
まぁ、市外の人間にとって「相模大野」の持つインパクトがそれだけ大きいということで、弁解することにします。
[67276] 2008年 11月 15日(土)17:31:55BANDALGOM[熊虎] さん
相模原市区名
いよいよ明日でオフ会1週間前となりますが、私はもう出発まで1週間を切りました。
1週間後の今頃は羽越本線を北上しています。

しかし、この大事な時期に、今週初めから風邪を引いています。喉の痛みが治まったかと思いきや、今度は鼻水です。
まぁ、まだあと1週間あるのが不幸中の幸いというところでしょうか。

さて、表題の件ですが、昨日午後、ギリギリでしたが応募しました。

A区については、[67273]Issieさん、[67272]ソーナンスさんと同じ名前になりました。
理由もお2人とほぼ同じです。

やはり、旧津久井郡4町だけなら迷わず「津久井区」にしたところですが、橋本地区と一緒では難しいものがあります。
ただ、ここに関しては方角区名は全く想定せず、「緑区」でいくことに決めました。
ありふれた区名ではありますが、甲斐の国へつながる山々のイメージがまず第1にあり、また橋本地区も含め全体的に緑豊かな地域というイメージがあったのが理由です。

B区は「中区」、C区は「大野区」にしました。
「中区」はありふれていますが、市の中心部という以外に地域的特徴を表わす区名が浮かばないというのが正直なところです。
「大野区」は概ね大野地区が範囲となりますし(B区に入る「大野北」の問題はありますが)、「相模大野」のネームバリューを重視しました。
[67275] 2008年 11月 15日(土)09:45:14【1】Issie さん
相模原市の政令市移行/議会各派の違い鮮明
今朝(15日)の朝日新聞「さがみ野」版(13版)トップ記事。

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10年4月の政令指定都市移行に向け,相模原市が18日に県と基本協定を締結することについて,同市議会(定数52人)の野党会派の市民連合,無所属クラブ,共産などの市議有志13人が14日,加山俊夫市長に対し,締結見送りを求めた。(以下,略)
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市議会の中小会派の議員さんたちが要請したのですね。急速に悪化する経済情勢の中で,政令市移行のための財源確保が不透明となった,ということを理由の1つとしているようです。
これに対して,最大会派で“与党”の保守系会派「新政クラブ」(19人)は,予定通りの基本協定締結を求める声明を出し,同じ与党の「公明」(8人)も同調する意向。
“野党”で第2会派の「民主クラブ」(9人)は中小会派とは別に,「市税収入の悪化などからも,移行時期を延期して更につっこんだ議論が必要」と,議会での十分な議論を求める要望書を市長に出したそうです。こちらは,移行の先送りも「あり」と,一応言ってみることにしたのでしょうか。
ま,議会はバラバラなようです(…とも見えるけど,特に会派に群れているときの議員さんたちの行動は単なるポーズだけで,今イチ信用できないこともままあることで)。

最初の中小会派の理由づけの中に,「道州制推進の議論も活発になるなど指定市の位置づけが不透明になった」というのがあるようです。
これもまあ,単なる理由づけ程度にしか感じられないのだけれども,もし「本気で」道州制を議論するつもりがあるのなら,相模原市の指定市移行のような個別具体の案件とは別に,「基礎自治体」である(一般)市町村と「地方政府」である道州に統合されるべき都道府県の間にはさまった「政令指定都市」という“鵺(ぬえ)”のような制度について,その位置づけをきちんと議論するべきです。道州の区割りとか,州都をどこに置くかなどという議論は,それが全部済んだ一番最後で結構。
ま,私自身は,これまでの歴史や現在の議論の進み方を見ていると,「革命」でも起こらない限り「道州制」が実現する可能性は限りなく低い,と思っているのですが。

例によって,朝日新聞のインターネット版に記事の掲載はありません。横浜総局の記事は掲載しても,厚木支局の記事は載せないのかしら。
[67274] 2008年 11月 15日(土)06:27:31山野[揖斐の山] さん
合併有りきな方向へ向っているような…
ここ最近、某掲示板の枝別れにて豊橋市を中心とした東三河の構想話で盛り上がっている訳だが、
この間の市長選にて現職を破り初当選した新市長が、合併について東三河合併の先導役にと発言し、
その部分を抜き出すと以下の通りとなる。
豊川流域市町村は、一緒に生きていくのが自然。行政の効率化にもつながる。
各地域が互いにかばい合うべきだ。人口の半分以上を占める豊橋が、リーダーシップを取っていきたい。
以前何かで見たこの構想の枠組みは、以下の市町村。
「豊橋市・豊川市・田原市・新城市・蒲郡市・(宝飯)小坂井町・(北設楽)設楽町・東栄町・豊根村」の計9市町村。

実現するとは思ってはいない。あくまでも構想だから。(個人的には無謀な気がするけどねえ)
前からあるが、何で期限が近づくと、こうも無謀で巨大な合併をしようとするのかねえ
ここ(東三河)と、他に足柄・置賜 等。(合併有りきでなく広域行政という手もあるのに…)

所変りまして、橋本市から断られた例の九度山町ですが合併を断念し単独町制を継続するそうです。
[67273] 2008年 11月 15日(土)01:38:31【1】Issie さん
相模原市の区名募集:たね明し
さて,今年も残すところあと1ヵ月半となり,相模原市の区名案の募集も締め切られました。

[67060] Я
どういう区名にしたかは,秘密。

…と書いたのですが,募集期間も過ぎたので種明かし。

津久井と橋本を分ける「4区案」であったなら,迷うことなく「津久井区・北区・中央区・南区」とするつもりでした。

[67157] アルバトロス さん
投票してから、市の地図を見たら、A区の南端はC区より南に位置しますね

…のとおり,旧津久井郡4町の南北の広がりは旧市域よりも広く,つまり,橋本地区に旧城山町を加えても「北端の区」とはならないのですが,地図上の位置や形にこだわる必要なないだろうと思います。合併後も“旧市域”の中での位置関係を引きずるのもどうかとは思うのですが,やはり私の感覚では,「橋本は“北”」なのですね。

ところが,決まった区割りは「3区案」。
要は,津久井と橋本が一緒になった「A区」が問題なわけで,応募ページに掲載されていた地図を見て,さすがに「北区」とするのには躊躇し,迷いが出てしまったのでした。
では,「西区」がいいか,というと,私にはまだ「津久井が“西”にある」という感覚が持てていません。もちろん地図を見れば一目瞭然だし,実際,最近では津久井地域を「相模原市西部」と表現する例もチラホラ見え始め,やがては定着するのだろうけれど,私には「“北”の橋本の延長にある」という感覚が強いのですね。ちょうど,京都から見た“東の果て”に 陸奥 がある(“北”ではなく),というのと同じ感覚でしょうか。
というわけで,私の中では「西区」は,却下。
「津久井区」も「橋本区」もA区全体の呼称としては無理があると考えたのは,[67035] のとおり。
そこで,何か“気の利いたもの”を…,と考えたのですが,
たとえば,A区には,神奈川県内にある5つのダム湖(「やまなみ五湖」などと呼んでいる)のうち4つ(相模湖,津久井湖,奥相模湖,宮ヶ瀬湖)までもが含まれるから,これを使ってみようか,あるいは相模川にちなんで「湘」の字を使ってみようか。そもそも,本家・中国で「湘」とは沿岸部の地名ではなく,内陸の,毛沢東の故郷である湖南省の地名だし,“本朝”において「湘南村」が存在した(1889~1955年)のは相模湾岸などではなく津久井郡の,まさにA区なのだから(今でも「市立湘南小学校」があるのは,藤沢市でも茅ヶ崎市でも平塚市でも,もちろん鎌倉市や逗子市でもなく,ここ),堂々と「湘南区」を名乗ってもよいのだが,相模川の北側にも広がっているとなると,それも無理か…と思い付かず,
結局,台地上にひろがるB・C区との最大の違いである,丹沢・高尾・陣馬の山々にちなんで…

A区:緑区

としたのでした。

B区は「中央区」。
「中区」でないのは,現に使われているのが「中央小学校」「中央中学校」という形だし,そもそも市役所の所在地(旧大字:清兵衛新田)の現町名が「中央」だから。

C区は「南区」。
これも,警察署をはじめ,多くの公共機関で(民間でも)「南」という呼称が現に使用されているから。
…でも,これだけではつまらないので,C区についてはもう1案。

「相武区:そうぶく」。

[67035] で書いたとおり,私は「相武台」という地名(本来は,ここに移転した陸軍士官学校の別称,つまり施設名だったのだが)を捨てがたく思っています。1941年の合併当時,“新市名”の候補の1つにも挙がったこともあるし(この時は,陸軍の反対で却下され,いくらかの曲折を経て「相模原市」となることになった,とされています。ところが,内務省から「どこにも市街地がないじゃないか!」とクレームがついて“市”になれず,「相模原町」として発足したのでした)。
というわけで,「相武台区」としてもよかったのですが,それでは現に存在する「相武台」地区が前面に出てきて,「(相模)大野」がC区全体を代表できない,というのと同じ問題が生じてくる。
そこで,少しだけ手を加えて,かつて「相摸国」(←“木へん”ではなく“手へん”の「摸」)成立以前に,その東半分にあたる相模川流域を支配していたとされる「相武国造(さがむのくにのみやつこ)」にも通じる「相武(そうぶ)区」としてみたのでした。
もっとも,士官学校移転当時の陸軍大臣・杉山元は,“昭和天皇御製”の「相武台」の名前の意味を「武を相(み)る台」と解説していて,「相武国造」とは一応関係ないことになっています。

さて,開票結果,そして最終的に選ばれるのはどんな区名であるのやら。
…その前に,「政令市移行」の賛否を問う住民投票が成立すればよいのですが。
[67272] 2008年 11月 15日(土)01:10:58ソーナンス さん
相模原市区名
すごく久しぶりに書き込みします。

さて、相模原市の区名募集が昨日で終了しましたね。
僕もギリギリになりましたが応募してみました。




3区の名称はそれぞれ、

A区…緑(みどり)区
B区…要(かなめ)区
C区…栄(さかえ)区

で応募。


まずA区。
旧市域の北部と旧津久井郡が範囲。
ともすれば北区や西区に落ち着きそうな感じだが、個人的に方角区名が嫌なので別の名称をつけようと。
区域のほとんどが旧・津久井郡なので津久井区とするのも有りだが、
それでは区役所の置かれる橋本地区の住人が黙ってないだろう。
ならば合成地名で津久本区か?
いや、その場合住所が神奈川県相模原市津久本区となってしまい
県・市・区が全て3文字になってしまい長ったらしい。
なのでここは一文字の区名にしようと考えた。
そうするとここの区は山地が多い、すなわち緑が多いので緑区にしました。


B区。
A区を一文字の区にしたので同様の理由でここも一文字にしようと。
区域は旧市域の中央。市役所も存在している。
ならば中区か?
いや、A区が“ひらがなで3文字”なのでここも揃えようって事で、
中心を意味する3文字の読み仮名の漢字を考えました。
その結果出てきた文字が「要」というわけでした。


C区。
これも同様に一文字の漢字で読み仮名が3文字の漢字をつけよう。
南区でも3文字の読みだが方角区名は嫌なので他の漢字を探す。
地図を見てみると交通の便はよさそうだ。
…こっちが「要」でも良かったかも知れんw
とりあえず交通の便が良いって事は栄えてるわけだ。
ならば栄区でいいじゃないかw というわけで決定。






まぁおそらく方角区名になるとは思いますけどね^^;;
[67271] 2008年 11月 14日(金)13:50:47hmt さん
国土面積統計の変遷 (11) 地方交付税・全国市町村要覧
境界に一部でも未定部分のある自治体については、国土地理院としては、確定面積の出しようがありません。
しかし、このような自治体についても、単独の面積データが必要になることはあります。
その一例が統計で、統計局は、5年ごとの国勢調査で、人口密度を計算するために推定を必要としました。

しかし、地方自治体の面積は、誰よりも地方自治体自身にとり、身近な数値であることは言うまでもありません。
特に切実なのは、地方団体の面積が地方交付税算定の根拠の一つになることです。これに関しては[9293][9391] ぷりぷりさん の記事で紹介されています。
地方交付税法 第12条2項と5項別表第二【数字は下記のように改定】
------------------------------------------
地方行政に要する経費のうち個別算定経費以外のものの測定単位は、道府県又は市町村ごとに、人口及び面積とする。
道府県 人口1人につき11,860円、面積1km2につき1,130,000円
市町村 人口1人につき22,600円、面積1km2につき2,334,000円
------------------------------------------
面積については、第12条3項で“国土地理院において公表した最近の当該地方団体の面積”と記され、境界未定地の取扱いについては何も触れていません。

既に言及されているように、境界未定地のある自治体について国土地理院の「面積調」で公表されている面積は、1都22県については境界未定地を除いた面積であり、市町村については“境界未定”と記入されて数値がありません。
いずれの場合も「参考値」の記載があり、“総務省自治行政局発行「平成19年全国市町村要覧」の面積”とされています。

実務としては、「参考値」も法第12条3項で規定された公表面積であるという解釈をとり、これが地方交付税の計算に使われていると思います。どうやら、法律上“地方団体の面積”を公表する責任のある国土地理院は、境界未定地の面積配分を総務省自治行政局に「丸投げ」しているようです。

そして「全国市町村要覧」の凡例に記された収録事項の出所によると、[22560] オーナー グリグリ さんの記事にあるように、
境界未定の市区町村の面積値については、都道府県に照会
とあるので、結局のところ境界未定地の面積を各市町村に按分したのは、実質的には都道府県であろうと思われます。

ところで、「面積調」 に記された“総務省自治行政局発行「平成19年全国市町村要覧」”という政府刊行物。第一法規が発行している 「全国市町村要覧 (平成19年版)」 との関係が気になります。
後者の編者は「市町村自治研究会」[50649]となっており、平成20年版では「市町村要覧編集委員会」ですが、第一法規の「要覧」を開いてみても、その編者と総務省自治行政局との関係がわかりません。

国立国会図書館の蔵書で「全国市町村要覧」を検索すると、昭和38年から昭和60年版まで自治省行政局振興課。昭和56年版には出版社=自治省行政局振興課のものと、出版社=第一法規出版(自治省行政局振興課編集)のものとがあります。
もっと新しい版がないという謎はさておき、他の図書館のデータ(一致せず)とも合わせて考えると、どうやら昔は自治省が自ら刊行・市販していたが、後に市販品は第一法規出版(第一法規)の発行になり、編集者も 国の機関でないが役所の中にある[22796] 「市町村自治研究会」 に変化したように思われます。
# 「面積調」の記載から、民間が介在しない刊行物も(少なくとも政府の内部には)現存すると思われます。

なお、平成14~15年の「面積調」では「参考欄」に要覧による数値と市町村による数値とが併記されており[22796]、自治体がそれぞれ独自の方法により公表した面積を合計しても、国土地理院の計測値と合わないことを断っています。

「面積調」において「参考値」という名が現れるのは平成16年からであり、平成18年からは面積異動があった市区町村については、境界未定地域の合計値と合致するよう参考値を調整している旨の記載があります。
[67270] 2008年 11月 14日(金)09:26:03JOUTOU さん
ついに雪だるまが登場!
みなさんご無沙汰しております。第5回OFF会(in湯瀬温泉)開催まで一週間余となり、当日に向けベストコンディションで臨むため、今からひたすら体調管理に勤しんでいるJOUTOUです。(笑)

が、しかし、ついに気象庁の週間予報(11月20日まで)にも本州の日本海沿岸に雪だるまがちらつき始めました。しかも秋田県の内陸を見ると、19日・20日の予報が「曇一時雪か雨」、「降水確率80~90%」、「最高気温/最低気温は6~7度/0~2度」といった塩梅になっております。参加される皆さま、くれぐれも寒さ対策は怠りなきよう・・・。

そうは書き込んだものの、この落書き帳メンバーにそんなことは言うまでもなく、いらんお世話以外のなにものでもないかも知れませんが(^^;

わたしはさすがに雪道をノーマルタイヤで運転する勇気はないので、当日になって移動手段変更を余儀なくされるかも、そうなったら辿り着くまでの経路がおもしろくなくなるな~なんて考えています。

それ考える時点でわたし自身も普通のトラベラーじゃないなとも思ったりして・・・(苦笑)
[67269] 2008年 11月 14日(金)00:47:59【1】山野[揖斐の山] さん
合併関連情報3件
(栃木県)
岩舟町からの申し入れを受けていた佐野市は2市町の協議について受諾する方針を示した。
(神奈川県)
動きが鈍い足柄地区の県西地域検討会ですが来年2月に研究会を設置するとの事です。
(滋賀県)
安土町は近江八幡市に合併を申し入れた後、アンケートを取った所、反対が85%もいたという。
[67268] 2008年 11月 13日(木)22:35:03【1】hiroroじゃけぇ さん
「灘崎」に幕。道州制基本法も。そして、京都エスカレーター
「御津」の地名については存続が確定的な、岡山市の住所変更後も残ることになりそうだと、以前報告しました。でも、もう一方の「灘崎」は廃止となるようです。住民アンケートの結果、「灘崎」または「灘崎町」の住居表記を残さない方がいいなんて結果が約半数近くにのぼりました。その為、「灘崎」の名が無くなることがほぼ決定しました。1906年に誕生した「灘崎」は103年間の歴史に幕を閉じることになりそうです。
岡山日日新聞

で、もう一つ。道州制基本法の検討が自民党内部の委員会で始まるようです。全体的なものではないようですが、今後の日本の将来を左右しそうな政策であるだけでに、できるだけの情報開示を願いたいものですね。

[67260]ペーロケ さん
いたんですねぇ、自分と同じことを考えていた人が。そして、同じことを感じていた人が。探してていただきありがとうございます(笑)
[67267] 2008年 11月 13日(木)18:32:01【1】hmt さん
国土面積統計の変遷(10) 境界未定地・統計局の面積データ
前報[67248]で 本州と四国にまたがる境界未定地 が登場しました。
このような境界未定地の面積は 驚くほどの大きさです。都県にまたがる境界未定地だけでも、2002年におけるその合計面積が 1万km2近くありましたが、2003~04年は 1万1千km2、そして 2005年以降は 約1万4千km2となっています。

阿蘇山から久住山にかけての地域を一例として、その実態を調べてみます。2002年には熊本県内に 435.75 km2、そして熊本・大分県境に 717.35 km2の境界未定地が存在しました。ところが 2005年の町村合併の結果、境界未定地域面積は新自治体全体に拡大して両者が融合、1559.44 km2の巨大な境界未定地になりました。その後一部の境界が確定したようで、2007年には県境の境界未定地は 886.00 km2に縮小したものの、熊本県内に 673.44 km2が復活。合計面積は不変。

市町村合併により境界未定が解消するケース[26634] [26672] もあるのですが、例えば境界未定地を抱えていた大分県久住町が合併すると、未確定の面積は 新しい竹田市全体に拡大し、上記のような結果になりました。
同様の仕組みで、富山市を取り込んだ 富山・長野県境の飛騨山脈に2,391 km2、鶴岡市を取り込んだ 山形・新潟県境の朝日山地に1,941 km2など 巨大な境界未定地域が出現しています。

【ここでお断りを追加】
以下の記載には、統計局HPにあるエクセルの表を直接にリンクした箇所があり、ダウンロード問い合わせ画面が出ます。
環境が整っていない方のためには、無料の閲覧ソフトがあります。[61440]をご覧ください。

第五十七回日本統計年鑑の都道府県面積xls を見ると、“各都道府県の面積には,都道府県にまたがる境界未定地域(14,547km2)を含んでいない” という注釈があり、平成18年10月1日の 富山県の面積は 2046 km2となっています。これは普通に使われる面積 4,247.40 km2の半分以下で[66902]、いささか実態からかけ離れた数値であると思われます。

ここで統計局による地方自治体面積データ登場したのを機会に、統計局が「境界未定」の問題をどのように扱っているか調べてみます。

このHPの面積データ更新にからみ、境界未定地の推定面積が話題になった 2003年の記事 を見ると、[21645] ゆうさん が統計局の推定値について最初に言及しています。

統計局が境界未定地の面積を推定するのは「国勢調査報告」の人口密度計算に用いるためです[22576]
2000年国勢調査の面積データは[22796]で紹介されていますが、現在はリンク切れ。

2005年のデータは、平成17年国勢調査 統計表一覧 から「男女・年齢・配偶関係,世帯の構成,住居の状態など(第1次基本集計)」の「都道府県結果」の「+」マークをクリックしてデータリストを開き、所望の県の「報告書掲載表」を開けば エクセル(xls)の表が現れます。例えば 富山県xlsの面積は4,247.39km2で、注2) に “(県境)の境界未定のため,総務省統計局において推定”と記されています。

5年ごとの国勢調査推定面積値は、統計局の 長期統計xls にも使われています。

当然のことながら、国勢調査報告は5年ごとしかないため、前記のように、日本統計年鑑では 境界未定地を除外した面積 2046 km2(平成18年)になっています。

境界未定地がもたらす問題を要約してみます。
一部の自治体には境界未定地があり、そのため「面積調」ですべての市町村面積確定値を記載することができません。
境界未定地は、これを明らかにして合計の区域の面積を出しておくというのが国土地理院の方針。
統計局の統計年報もこれに近い立場で、2つの県にまたがる境界未定地は県の面積から除外。
同じ統計局でも国勢調査となると、市町村別人口密度を計算するために、境界未定地の面積を按分した推定面積を必要としました。国勢調査報告(市区町村別あり)と長期統計(都道府県別のみ)に掲載。

もっと深刻な問題として、地方交付税算定にからむ問題がありす。
市町村間の境界が未定、即 市町村の面積判定不能ということになると、地方交付税の面積基準算定分(2,334,000円/km2)を失ってしまう。
これでは、山間部に境界未定地をかかえる市町村はたまりません。そこで「参考値」の登場になります。以下次回。
[67266] 2008年 11月 13日(木)09:14:19KK さん
茨交の経営破たんに思う
[67259]伊豆之国 さん
すでにご存知かもしれませんが、北陸鉄道は、石川線の末端部分・鶴来-加賀一の宮間を来年10月末限りで廃止するとの届けを出したとのことです。
地方の公共交通はどこも厳しいですね。こちら茨城でも、水戸を中心に路線バスを運行している茨城交通が民事再生法の適用を申請し経営破たんしてしまいました。茨城交通は以前から経営状態が厳しく、今年4月には鉄道部門を分社化するなどして合理化を進めていましたが、最近の燃料費高騰で止めを刺されたようです。
これとは直接関係はありませんが、日立市内の商業施設が、リーマン・ブラザーズの破綻を受けて突然閉鎖されたり(商業施設の運営会社がリーマンブラザーズから融資を受けていたそうで、破綻によって融資を引き上げられ運営に行き詰ったとか)、水戸駅前に西友が運営する商業施設が来年3月までに閉店することが決まったりと、県央・県北地域はとかく暗い話題ばかりです。県南地域では、つくばエクスプレスの開業に伴って人口も急増し、沿線では大型ショッピングセンターも続々とオープンするなど、明るい話題が多いのですが(もっとも、ショッピングセンターのあまりの乱立振りを心配する声も多いようです)。
[67265] 2008年 11月 13日(木)08:19:50千本桜 さん
再び、合併協の「字名取扱い」の何がダメなのかについて。詳細地図付き・その2。
[67208]の続きです。
大河原町には、このように大字名を付す区域と付さない区域が混在しています。また、昭和31年に大字大河原を廃止したことにより、現在の大河原町には「大河原」という字(あざ)がありません。合併して大河原町が消滅すると、「大河原」という住所地名もなくなります。「大字なし」の区域をどのように整理し、どこに「大河原」の名を残して柴田市に移行するかが課題になります。私は字の履歴を根拠に、次のように変更するのが適切だと考えます。
1・大字大河原の廃止で「大字なし」になった字の前には 「大河原」を付し、「柴田市大河原字○○」とする。
2・大谷から分立して「大字なし」になった字の前には 「大谷」を付し、「柴田市大谷字○○」とする。
3・金ヶ瀬から分立して「大字なし」になった字の前には 「金ヶ瀬」を付し、「柴田市金ヶ瀬字○○」とする。以上で字(あざ)の区域と名称の変更は完結します。何の問題も起きません。この案を図化してみました。地図をご覧下さい

ところが、合併協議会の考えは異なっていました。平成17年に破談解散した柴田町・村田町・大河原町合併協議会は、大河原町に係る字の区域と名称の取扱いを次のように結審しています。
1・「大河原町字○○」の名称は字の前に「大河原」を付す。
2・「大谷字○○」の名称は「大河原字○○」に変更する。ただし、「大谷字下川原」及び「大谷字中川原」は「大河原大谷字下川原」及び「大河原大谷字中川原」に変更する。
3・「金ヶ瀬字丑越」及び「金ヶ瀬字富田」は「大河原字丑越」及び「大河原字富田」に変更する。
4・その他は現行のとおりとする。
これを見て、ある疑念が涌いてきました。これは、地域の大字変遷史を知らない人たち、または意識しない人たちが立案し、審議し、結審に至らしめたものではないかという疑念です。地域の大字変遷史を意識し、字の地理的分布を意識する人なら、1・の「大河原町字○○の名称は字の前に大河原を付す」という案を立てたりしないはずです。歴史的にも地理的にも不具合が生じるのが明白だからです。2・の「大谷字○○の名称は大河原字○○に変更する」や「大谷字下川原は大河原大谷字下川原に変更する」および、3・の「金ヶ瀬字丑越は大河原字丑越に変更する」などは、その不具合を隠すために考え出された無益な字の変更です。

結審事項1・「大河原町字○○」の名称は字の前に「大河原」を付す。を検証します。
まず、ほとんどの住民は「大河原町字○○の名称は字の前に大河原を付す」の意味を理解していません。理解していないのですから、これが実施されると地域がどのように変わるのか想像できません。想像できないのですから、誰も合併協議会の結審に異議を唱えません。「大河原町字○○」の区域には町人口の59%に相当する13,800人が住んでいます。あるとき30名ほどの住民を前に、「大河原町字○○」の区域に住んでいる方はいらっしゃいますか」と質問する機会を得ました。相手はいわゆる地域における知識層の方々です。でも、誰も挙手をしませんでした。「大河原町字○○」の意味が分らないから挙手できないのです。行政は「議会だより」や「広報」で結審事項を住民に知らせていますが、「大河原町字○○」などの字句を用いた文章では伝わらないことを知るべきです。字の区域変更と名称変更を知らせるには、系統図や地図を添付する必要があると私は思います。
「大河原町字○○」とは、「大河原町字町」「大河原町字山崎町」「大河原町字南平」などのように、「字」の前に大字名を付さない字を指します。つまり「大字なし」の区域です。「大字なし」は、大字大河原の廃止で「大字なし」になった区域、大谷から分立して「大字なし」になった区域、金ヶ瀬から分立して「大字なし」になった区域に分類できます。かつては金ヶ瀬字下川原と呼ばれていた区域が「大字なし」の字南平になったのは、たかだか十数年前のことです。まだ金ヶ瀬の記憶を引きずっている区域です。しかし、字名の取扱い立案者はそのような分類をせずに、全部まとめて「大河原」を付すことにしました。歴史と地理の背景を無視したカパカパに乾いた事務的発想による処置だと思います。「大河原町字○○の名称は字の前に大河原を付す」と、どうなるのか。文章で伝えるより地図で伝えましょう。地図をご覧下さい。「大谷字○○」と「大河原字○○」が入乱れてしまいました。このままでは柴田市に引継げません。字名の取扱い立案者はこの不具合をどのような方法で解決しょうとしたのか。それについては項をあらためて後日書き込みます。
[67264] 2008年 11月 12日(水)18:06:12山野[揖斐の山] さん
出雲市
でるでるさんへ
一昨日、出雲市・斐川町は合併問題研究会を設立されました。
以上。
[67263] 2008年 11月 12日(水)08:50:38星野彼方 さん
ループとみなみちょう レス
そろそろオフ会前後の宿を予約しないといけないなぁ、と思いつつほったらかしの星野彼方です。

[67222] うえの さん
やや遅いレスですが、石鎚山SA付近のループ、残念なことに、ループしていることがわかるようなアングルはどころか、全体を写せるようところも見付けることができませんでした。なので、私も交差している部分しか写真を撮っていません。また、地図で見る以上に国道11号からは行きにくいので、仮に訪問するにしても、石鎚山SAから徒歩で行くことをおすすめします。まぁ、そこまでするほどの物件かと言われると微妙ですが。

[67261] EMM さん
「はぁ~い、みなみちょお~」
ははは、懐かしいですねぇ。あの運転手さんまだいるのかなぁ。
[67262] 2008年 11月 12日(水)03:14:53【1】EMM さん
エスカレーター
[67260] ペーロケさん
但し、日本エレベーター協会によると、一方に乗る行為は荷重の偏りから部品の摩耗が進み寿命が短くなるとして、実は2列に並んで乗ることを推奨しているようです。
実は駆け上がったり駆け下りたりするのもエスカレーターにとっては優しくない行為です。
瞬間的に一定以上の衝撃が加わると部品が破損し停止してしまう場合があります。
私が夏冬に参加している某イベントではそう言う事故や将棋倒しの防止などのため、「エスカレーター上の歩行の禁止」「一段に乗るのは2人以下、前の段があいていても絶対詰めない」と言うのが励行されています。
今年の夏は「例の逆送事故」が起きたイベントの1週間後にあった(最終日と十番勝負の開始日が重なっている)のですが、いつも通りエスカレーターでは「上記の注意」が厳守され、特に事故もなく日程を終えています。
ただ、「例のエスカレーター」が使えなかったのはともかくとして、会場や警察からの要請で「導線的に代替できる階段や通路がない、どうしてもやむを得ない一部のもの」を除きすべてのエスカレーターの使用が中止されてしまったのには参りました。
おかげで普段起きないところで「人波の渋滞」が発生し、別の事故が起きるんじゃないかとはらはらしました。
結果的には渋滞以外こちらも事故らしい事故はなかったのですが、渋滞発生の危険性を感じたイベント主催者が会場や警察にエスカレーターの稼働を要請したものの「1週間前の事故」を盾に何が何でもダメだと言われたとか。
渋滞の現場にいた者の感想としても、エスカレーターを動かさない方がよっぽど危険だと思ったんですけど。
あのときエスカレーターの使用の許可を出してくれなかった方たちは、「過去に起きたAの危険性を排除することにより、今のところは起きていないBの危険性が発生する可能性があり、両方を一度を防止することは不可能」場合により危険性が大きい方について対策を取ろうとする…リスクアナリシスなんて考え方はこれっぽっちも頭にないんだろうなぁ、と思ったEMMでありました。

#リスクアナリシスという考え方で行くと、「駅構内のエスカレーターの片側あけが良いのか否か」についても、機械へのダメージだけでなく、駅構内での人波の滞留抑制に効果があるのかどうかとか言うことも検討した上でどうするのが良いのか考える必要があるのでしょう。
そう言えば、どこかで駅構内の渋滞の再現実験をした、と言うニュースを見たような覚えが…
[67261] 2008年 11月 12日(水)02:10:20【1】EMM さん
地元ネタタイミング外し2題…加賀一の宮&「はぁ~い、みなみちょお~」
[67259] 伊豆之国さん
すでにご存知かもしれませんが、北陸鉄道は、石川線の末端部分・鶴来-加賀一の宮間を来年10月末限りで廃止するとの届けを出したとのことです。
こっちでは新聞やニュースでそれなりの枠で取り上げられていますから当然目に入っていたのですが、ちょうどその頃に仕事が忙しかったのと地名コレクション編集長業務の重要案件で思い悩んでいたので、結果として書き込み損ねておりました。
廃止が決まった区間は正月にはしらやまさんへの初詣客で超満員なのですが、平常時は鶴来駅を出た電車には5人しか乗っていない…となればやむを得ないのかも。
「でももったいないなぁ、たとえば朝夕だけに間引くとかなら」…と考えましたが、ほぼ並行してバス路線がある(参考)のでそっちでまかなえると言う判断なんでしょうね。
(でも料金は上がるし、西泉や新西金沢と加賀一の宮を利用しているような人がいたらてきめんに不便になるんですが)
「ならいっそのこと年末年始だけ臨時列車を走らせるとかはできないのかなぁ」…とも思ったのですが、保守点検費用を考えれば臨時バスを出した方がコスト的に安いのでしょう。
(でも渋滞ひでぇんだけどなぁ、と言うか実は正月には行ったこと無いのですが伝え聞いた話によると。石川県内ではほかに気多大社や倶利伽羅不動尊なんかも結構なことになります。しらやまさんと気多大社は新聞に交通規制の案内がでかでかと載ります。倶利伽羅は実体験。でもここ十数年は氏神様にしか初詣に行かないので、私自身は正月の間は基本的に渋滞と無縁)

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ついでなんでもう1件「当日書きそびれてしまった話題」を。
以前[59641]で取り上げた金沢市の旧町名「南町」が11月1日に復活しました。
旧町名9例目となります。
[59641]でも触れましたが、金沢市内では初の「オフィス街での復活事例」であり、旧町名復活を模索している地域にとってはかなり重要な事例だと考えます。
ただ、これまで復活した案件(特に、街区と背割りにこだわらない形での復活となっている六枚町以降の事例)と比べるとオフィス街ならではのある出来事が起こっちゃってます。
実は、廃止された時点の南町の町域より、復活した南町の町域の方が大きいんです(復活区域はこの範囲)。
住居表示も実施するため敷地を横切る形で町界を引く訳にはいかなかった…と言うことのようで、袋町など他の復活事例でもそう言う部分があるにはあるんですが、南町はことさら「はみ出した部分が大きい」んです。
本来南町だった区域が敷地の鼻っ面をかすめる程度だった某新聞社の敷地がぜ~んぶ南町になってるのが特に影響がでかいかも。
(国道157号線に面した一部分を除き、ほとんどの敷地は本来なら旧高岡町上薮ノ内)
このおかげで、周りを南町に囲まれた形の香林坊1丁目の飛び地ができちゃってます。
一応道路を南町にしないことによりかたち上は繋がっていることになってますが…。
今後「オフィス街での旧町名復活」の可能性を探っていく事がある場合、こういった「町並みが町屋からビル群に変わった事により、線引きが過去の町界と一致させられない」ところをどうクリアするかが焦点になりそうです。

なお、今後の動きとしては、主計町の南隣(主計町から見て河岸段丘の上の段と言った方が良いかも)にあたる旧下新町、南町の北隣にあたる旧上堤町が来年中の復活を目指して準備を進めているところです。
水面下で動きがあるところも何件かある模様。(参考

#タイトル中のカギ括弧内の部分、私と星野彼方さんにしか分からないネタで多謝なのですが、高校の登下校時に乗っていた北鉄バスの運転手さんの中で1人、車内放送の抑揚に特徴があってやたらと耳に残る方がいたんです。
特に妙に印象に残っているのが、南町バス停到着時の「はぁ~い、みなみちょお~」と言うアナウンス。
ふと思い出してしまい、タイトルにしてしまった次第で(汗)。
具体的にどんなだったかは文章での表現が難しいので、オフ会の時にでも…(今年残念ながら不参加の方は来年度以降に、と言うことで…)
[67260] 2008年 11月 12日(水)01:35:39【1】ペーロケ さん
京都のエスカレーター事情
[67210]むっくんさん
 詳しい解説ありがとうございます。その後、自分なりにイロイロ調べていくと、一歩でも歩く距離が短い方に並ぶ説なんて説まで登場してますが(笑)、むっくんさんの「観光客説」が一番説得力があるような気がします。

京都駅ビル開業に併せて大々的に京都市交通局が「右歩左止」キャンペーンでもやったのでしょうか?
 やはり「旅と鉄の盲腸」の他のページによると、どうやら京都市地下鉄のみ左止右歩、他の関西大手私鉄(一部例外あり)では左歩右止を推進するような案内があったようですね。一部例外というのは、阪神や大阪市営地下鉄など、案内したことがないという事業者もいるようです。
 現在では、京都市内のどの事業者もエスカレーターでの空ける方向を指定する案内を廃止したようで、市営地下鉄の影響を受けた右歩派と京阪や阪急等の影響を受けた左歩派が混在していた京都では、別のページには、時間によって右になったり左になったり、まさに[67146]hiroroじゃけぇさんがおっしゃる現象が起きているとのこと。

 但し、日本エレベーター協会によると、
片側をあけると重量(荷重)バランスが崩れ、不具合を誘発することがあります。
(略)
慣例となっているエスカレーターの片側あけですが、危険や不便をともなう行為だということが、少しずつ浸透をしてきました。JR川崎駅前の地下街「アゼリア」や、名古屋市営地下鉄などでは、エスカレーターの歩行禁止の呼びかけを始めています。
とのこと。名古屋では市営地下鉄の事故以来、歩行禁止を呼び掛けているようで、係員まで出て2列に並ぶように指導しているとか。川崎でも指を切断という痛々しい事故があって以来、2列に並ぶような運動があるようです。東京でも満員のエスカレーターが逆走するという衝撃映像が報道されたことは記憶に新しいことですし、やがては2列に並ぶ方向に進むのかもしれません。
[67259] 2008年 11月 12日(水)00:02:09伊豆之国 さん
飛び地の電話番号
このところ「飛び地」の話題で賑わっている様子なので、私もここで「飛び地」にまつわる話題を‥

横浜市と、私の住む町田市とに周りを囲まれた川崎市麻生区岡上地区。私が町田市民になる以前から不思議に思っていた場所です。以前ここが「なぜ町田市に編入しないのか」という疑問に対し「川崎のほうが町田より税金が安いから」だという噂を聞いていたのですが、どうやら「柿生(現・麻生区)との歴史的つながり」があるらしい、と思っていたところ、このサイトの初期の頃にあったIssieさんの書き込み[817]からその経緯が納得できたようです‥。
ところで、この岡上地区ですが、電話の市外局番は、大部分は以前から川崎市の「本体」と同じ(044)になっています。逆に
岡上と柿生の間に挟まっている町田市三輪地区
が、川崎局番(MA)になっていて、川崎MAの地域は「飛び地」にはなっていません。結局[817]にあるように
三輪地区の帰属が一番不自然
なのかもしれません‥。

ところで、電話の市外局番にも「飛び地」になっているところがあります。近年では市外局番の3桁化が進み、全く離れた異なるMAの地域同士が同一市外局番(に偶然なってしまった)というところが増えているのですが、MAも同じ区域なのに、同じ市外局番の区域が別の市外局番の区域を挟んで「飛び地」状になっているところがあります。その一つは、調布市と西東京・東久留米・清瀬の各市(042-4xx、隣接市区との間に一部出入りがあります)。武蔵野・三鷹両市(0422)を挟んでお互いに「飛び地」になっています。MAは武蔵野・三鷹両市も合わせて「武蔵野三鷹MA」として同一で、調布市と北側各市との間の通話は以前は市外局番が必要だったと記憶していますが、現在は不要になっているようです。あと一つ、鎌倉・茅ヶ崎・綾瀬の各市と寒川町(0467)。藤沢市(0466)を間に挟んで3ヶ所に分かれています。こちらも藤沢市と合わせて同じ「藤沢MA」になっており、こちらも同様に以前は市外局番からでしたが、現在は市内局番からかけられるようになっているようです。もっともどちらも同一MAならば市外局番も統合して3桁にすればよさそうなものですが。

[67243]EMMさん、[67239]オーナー グリグリさん、[67207]星野彼方さん
すでにご存知かもしれませんが、北陸鉄道は、石川線の末端部分・鶴来-加賀一の宮間を来年10月末限りで廃止するとの届けを出したとのことです。利用客の減少と施設の老朽化が理由ということですが、無人になったとはいえ、加賀一の宮駅の風格ある駅舎、何とか残せないものでしょうか。因みに私は7年前に白山比■神社を参拝したときに利用しています(■は「口へんに羊」)。
[67258] 2008年 11月 11日(火)23:40:58山野[揖斐の山] さん
宮崎/和歌山/他
3市町の枠組みが崩壊し、新たに小林市へ野尻町は合併の申し入れを行いました。

一方、橋本市に合併を申し入れを行った九度山町ですが、高野口町と合併した
同市がまずは行財政基盤確立を最優先するとして受け入れは拒否されました。

他に拒否された所って、予定一覧表にて青森の新郷村は2回、五戸に拒否されているが、
去年、むつ市に申し入れた風間浦や今年2月に武雄市に申し入れた大町町って
その後、市からの回答が無いようですが、その後どうなっているんでしょうかねぇ。
[67257] 2008年 11月 11日(火)23:20:11ペーロケ さん
主従関係って。。。
[67256]N-Hさん
いや、グリグリさんの定義からすると、これは飛び地ではないということになりますね
 いやあ、昼休みでかなり時間がなかったので言葉足らずでした。この範囲だけを見ると飛び地のようにも見えますが、役所は別の島(白桃国で言うと淡路島)にあるので、あえてここを例示させていただきました。

グリグリさん理論では
あくまでも位相幾何学的に連続するかどうかだと思います。
が重要ということなので、陸続きの領域がある場合は、海を飛び越えるのではなく、陸続きで移動する方が優先され、その際に別の自治体を通らないといけない、という意図だろうと思います。それを、役所が別の島(すなわち、本体じゃない)の領域にも拡大解釈したわけですが、グリグリさんは本体が云々ということはおっしゃっていませんよね?

 そもそも、本体っていう概念もあまりシックリ来ません。仮に平戸市が波佐見町を編入した場合は、波佐見町域が飛び地になるんでしょうが、佐々町だったら飛び地じゃなくなるのも変ですね。あと、まずありえないでしょうが、三島村や十島村が内陸の自治体を編入した場合はどうなるんだろう?とか。。。
[67256] 2008年 11月 11日(火)22:00:12N-H さん
誰がどう見たって?
[67253]ペーロケ さん
現に[60435]般若堂そんぴんさんご指摘のここ、誰がどう見たって飛び地ですね。
いや、グリグリさんの定義からすると、これは飛び地ではないということになりますね(役所のある本体とは陸続きでないから)。

私は実のところ飛び地の定義としてはかなり狭義の飛び地信者でして、2つの領域のうち一方は他の自治体に完全に囲まれているもののみが真正な飛び地と考えております。
ですからアラスカはせいぜいアメリカ合衆国の準飛び地程度に思えます。
[67255] 2008年 11月 11日(火)21:00:13【3】じゃごたろ さん
飛び地に関する、定義と感覚
こんばんは、じゃごたろです。
立冬を過ぎ、今週は甲斐駒にも積雪が見られ、いつタイヤ交換をするかが話題になりはじめてきました。オフ会に参加する場合には、それが最大の問題です。

[67249] 白桃 さん
香川県と高知県と淡路島が白桃国だとします。で、東かがわ市が首都だとします。淡路は「飛び地」ではないが、高知地域は「飛び地」である???
だけど、南あわじ市が首都だとすると、香川地域も高知地域も「飛び地」にはならない???

[67252] N-H さん
[67253] ペーロケ さん

白桃さんの例。

香川県に首都があった場合、淡路は飛び地でなく、高知県は飛び地。
淡路に首都があったら、香川県も高知県も飛び地ではない。
では、高知県に首都があったとしたら、やはり淡路は飛び地ではなく、香川県は飛び地。

これらを総体的に判断すると、香川県と高知県は互いに飛び地の関係にあるが、淡路と香川県、淡路と高知県は飛び地の関係ではないということ。感覚的に受け入れられるかは別として、論理的には十分な定義と言えるでしょう。

逆にいえば、主従を逆にしたらとたんに破綻するするようでは十分ではないでしょうから、「定義」とするにはそれをも満たす必要があるでしょうね。


【追記】
和歌山県の北山村は、わかりやすい飛び地ですよね。もしこの北山村に和歌山県庁があったとしたら、和歌山県の多くは飛び地扱いということになるでしょう。しかし、現在はそうではありません。現在の状況で、和歌山県の多くが北山村に対して飛び地であると感じる人はそういないと思います。

しかしそれでも、互いに「飛び地の関係」であることは変わりないことだと思います。
[67254] 2008年 11月 11日(火)18:11:11淡水魚 さん
訂正 ほか
[67235] YASU さん
エアポートフェスタの土曜日は勤務先で防災訓練(雨天決行)があったため、行かずに終わりましたが、ご家族が出かけた同僚の話では、8時半に島田市内の自宅を出発し、到着したのは11時だったそうです。日曜日は谷口橋(旧島田地区と初倉地区を結ぶ、大井川に架かる橋)から渋滞気味だったとか。開港後は一般の人が入れないような個所を見られるので、行ってみたい気はしたんですけどね…。

[67227] とんかち☆ さん
さて、回答です。その前にお詫びをば。タイムオーバーで訂正もできなかったので…。最終設問の川はDではなくEでした。混乱させてすいません。
行き先はソウル(A)でした。ムーンライトながら(B)に乗って、品川で乗り換え、羽田から金浦(C)空港へ。最寄の静岡空港が無事開港すれば、ソウル便は仁川(D)空港を利用します。ソウルの地下鉄は、漢江(E)を越えるときは地上に出て橋を渡っていました。ところで「ムーンライトながら」は、夜間も照明が点いているし、ご近所でイビキかく人がいたり、しっかり寝て体力温存したい人には不向きかもしれません。
[67253] 2008年 11月 11日(火)12:54:22ペーロケ さん
従同士が飛び地であっても
[67249]白桃さん
だけど、南あわじ市が首都だとすると、香川地域も高知地域も「飛び地」にはならない???
飛び地にしていいと思います。現に[60435]般若堂そんぴんさんご指摘のここ、誰がどう見たって飛び地ですね。こうすれば、仮に尾道市役所が向島に移転したとしても対応できます。
[67252] 2008年 11月 11日(火)08:14:51N-H さん
飛び地
[67249]白桃 さん
香川県と高知県と淡路島が白桃国だとします。で、東かがわ市が首都だとします。淡路は「飛び地」ではないが、高知地域は「飛び地」である???
だけど、南あわじ市が首都だとすると、香川地域も高知地域も「飛び地」にはならない???

う~む、これはまた鋭いご指摘ですね。
確かに、飛び地という言い方には、どちらかが主で従のほうが飛び地という言い方をしますね。
さすれば、主に対して従が複数あった場合、主から見たら従はいずれも飛び地ではないが、従同士が飛び地とみなされうると。かようなことの起きないようにするためには、2箇所以上の領域のすべての領域間で一意に定義できる飛び地の規定が必要になるのか……
[67251] 2008年 11月 11日(火)02:01:55浪速っ子 さん
方角名が付いている交差点名における方角を重ねることの是非について。例『西天満東』など
こんばんは、浪速っ子と申します。数年前、日本にある銀座を探す企画で、『阿倍野銀座』と『安立銀座』を紹介したものです。ずいぶん久しぶりの書き込みになるのですが、この前から少し疑問に思っていることがあります。大阪市北区の国道一号線の交差点名に『東天満』と『西天満』というのがあります。そして、『東天満』交差点の次の神戸側にある交差点が『東天満西』、少し先にある『西天満』交差点の手前の東京側にある交差点名が『西天満東』になっています。両者の間は、交差点4つで、距離にしてみれば300m程の違いです。前から、なんとなく、 『紛らわしいなあ』と感じていたのですが、交差点の方角地名の上や下に、さらに方角を付け足すことに対して、皆さんはどう感じられているのでしょうか。また、こんな事例というのは、そこらへんに転がっているものでしょうか?気になったりもします。僕は、友達と自転車に乗っていて、もし待ち合わせなどをするとなると混乱すると思うので、なるべくそういった方式の名称のつけ方は、やめたほうが良いと感じていますが。
[67250] 2008年 11月 11日(火)01:56:09【3】山野[揖斐の山] さん
公式HP開設(山梨)/合併関連2件
でるでるさんへ。
11/4に増穂町・鰍沢町合併協議会のHPが開設されていました。
-追加-
(和歌山県)
新宮市と那智勝浦町は法定協設置に向け住民アンケートを実施する予定です。
(静岡県)
この間の沼津市長選で初当選された市長さんが合併方面については、
隣の三島市との合意を早急に進めたいと推進する考えを示した。
[67249] 2008年 11月 11日(火)01:42:58白桃 さん
能生が膿んで喜多方市
皆様の「飛び地」に関する論議、とても興味深く読ませていただきました。
でも、久しぶりにアタマを絞ったので、明日の仕事に費やす知力を使い果たしてしまいました。(^l^)~~
結局、皆様のお考えをまとめると、
A域とB域が
(1)陸地でつながっている場合、いかようにしても第三領域を経由せざるをえない場合は「飛び地」とする。
(2)陸地でつながることなく、間に海(内水)域を介するとき、A域、B域双方、または、いずれかが当該の海(内水)域に面していない場合を、「飛び地」とする。

ここで、クエスチョン:
香川県と高知県と淡路島が白桃国だとします。で、東かがわ市が首都だとします。淡路は「飛び地」ではないが、高知地域は「飛び地」である???
だけど、南あわじ市が首都だとすると、香川地域も高知地域も「飛び地」にはならない???

また、頭が痛くなったので、話題を変えます。

白桃「ここんとこ、若年層の海外旅行離れが激しい」と、独り言。
桃娘「今のヒト、国内にめざめてきたのよ。」
白桃(ココロの中で)「じゃ、なんで袋田の滝が日光にあるの?」
[67248] 2008年 11月 10日(月)21:42:10【1】hmt さん
国土面積統計の変遷 (9) 面積データの現状
統計局HP(第1章2 統計対象) にあるように、昭和34年以前に用いられた「昭和10年全国市町村別面積調」[67057]の国土面積は、陸地測量部が5万分1地形図に基づいて測定したデータで、陸海の境界を満干両潮界の2分の1とし、湖沼面積も含めたものでした。

昭和35年(1960)以降は、国土地理院が毎年10月1日現在で 「全国都道府県市区町村別面積調」を公表 することとなりました。

1987年までの面積は戦前に引き続き5万分1地形図ベースの面積でしたが、2万5千分1地形図が全国整備完了し(1983)、昭和63年(1988)からは、面積データも2万5千分1地形図ベースに改められました。

国土面積公表値の推移 を見ると、昭和63年の国土面積は37万7719.76km2と、前年に比べて115.48km2減少しています。
ベースとなる地形図が変り、陸海の境界が満潮界に改められたことは、面積の測定値を根本から変えるものであり、面積データは1988年にリセットされたものと理解されます。

これより後は、昭和63年10月1日時点の市区町村別面積値を基礎とし、1年ごとの変更を加減した面積が公表されています。
(1)市区町村界の異動による関係市区町村の増減面積
(2)「新たに生じた土地」の確認が済み,都道府県公報に告示された市区町村別の埋立地又は干拓地の面積
(3) 関係市区町村長の確認により2万5千分の1地形図に表示する境界に修正が行われた場合,これに基づき,国土地理院で再測定して得た関係市区町村の増減面積

面積調トップページ の下の方には、要約すると次のような基準が記されています。
2万5千分1地形図の海岸線(満潮時)。河川及び湖沼は陸域に含める。河口周辺は、海岸線の自然な形状に従って両岸先端を直線で結ぶ。
行政界の一部が地形図上に表示されていない場合:「境界未定」と記載し合計面積を掲載。「全国市町村要覧」の面積に*を付し、参考値として記載。

毎年10月1日現在のデータは、翌年2月1日頃に公表され、冊子も販売されます。国土地理院HPでは 4月1日現在の速報値 も発表されています。

もちろん、統計局の 日本統計年鑑 にも国土面積は集録されます。
「1 - 1 国土構成島数,面積及び周囲」を開いてみると、[66996](明治15年)[66993](大正元年)[67072](昭和24年)と同様のスタイルの「国土構成島数、面積及び周囲」が現れます。現在掲載されている面積は平成18年10月1日となっています。
島数と面積データを示しておきます(周囲データは省略)。

地域構成島数面積割合本島面積
全国6852377,923100.00362,190
北海道50983,456220.877,984
本州3194   a)231,105   a)61.15227,963
四国626   a)18,790   a)4.9718,299
九州216042,17811.1636,738
沖縄3632,2750.601,207
a)地域の境界にまたがる境界未定の面積(118km2)を除く。

注記a)の本州・四国にまたがる境界未定とは何処か?と地図で見ると、石島/井島 の西海岸付近に僅かな境界未定部分があるために、岡山県玉野市と香川県香川郡直島町の全域(合計面積118km2)が宙に浮くことになっているのでした。

本州と四国の島の数が[66993]のように端数がついていない理由は、両地域にまたがる島が偶数(石島/井島、大槌島、瓢箪島、鳶小島の4島)であるためです。統計年鑑が用いた海上保安庁の資料で2県にまたがる島とされたのは7島であり、上記4島に甲島、二子島(2島)を加えれば[15404]で紹介された数字と合います。取揚島は見落とされています。

ついでに、全国の島の数 6852 に言及した 過去記事 を紹介しておきます。
[67247] 2008年 11月 10日(月)20:47:39【2】Issie さん
さがみ野市? …なんちゃって
[67245] アルバトロス さん
11月9日付朝日新聞地方版「さがみ野」にベタ記事でなく写真付きの記事で載っていましたので、情報としてこちらに書き込んだものです。フライングでしたね、これからはリンクが出来る記事のみ書き込むようにします。

9日の朝刊の地方版を開いてすぐに目に入ってきたのがこの記事でした。少なくとも朝日新聞の「さがみ野」版の読者には,ずいぶんとアピールした“大きな記事”なのではないでしょうかね。
内容もボリュームのある記事でしたから,それだけの情報をネット記事にないことを理由に紹介しないというのは,もったいないと思います。
ネット上の記事にリンクしてあれば,いろいろな意味で役に立つから望ましいことではあるけれども,必ずしもリンクはなくてもよいと思います。リンクを「義務化」しなければならないものではないでしょう。ネット上になくとも価値のある情報は少なくないのだから。今回の場合,「情報源」(=朝日新聞)ははっきり明記されています(だから,私が反応できたのですから)。

さて,4市の合併の実現性はともかく,地域の性格も歴史も違う船橋市や八王子市と単純に比較するのはどうかと思うし,「足し合わせた人口が全国24番目」などということ競ってもしかたのないことだし,何より「合併することが直ちに“善”である」とは全く考えていないのですが,たとえば記事にも書かれていたことですが,教育施策や公共施設を同程度の4市で別個に運営するよりも「1つの市」として運営していく方がよい,などという論点は考慮に値するものかもな,なんて思いました。
…でも,4つの市で合併なんて“噂”はこれまで何度も聞いたことがあるけれども,一向に実現しないんですよね。
[67246] 2008年 11月 10日(月)17:50:52【1】山野[揖斐の山] さん
北総市再び
以前北総市を目指そうとして破綻してしまった印旛地区にて今日合併問題懇談会が開かれ、
新合併特例法の期限である平成22年3月末までの合併を目標とし協議を進める方針となり、
先に印西・印旛・本埜の3市村で合併し白井市を後から追加する形になるようです。
今後は懇談会で法定合併協議会設置に向けた協議を進めて行くという。

*リンク先の差し替え。
[67245] 2008年 11月 10日(月)17:31:14アルバトロス さん
RE:RE:神奈川県県央4市の合併
こんばんは、アルバトロスです。

[67231]揖斐の山 さん
拙稿[67226]の神奈川県県央4市の合併の情報元は? は、[67234]でIssie さん が書き込まれた通りです。
Issie さん フォローありがとうございました。

ここに書くのであれば元の記事をリンクして下さい。
残念ながら、今日までのネット記事には載っていませんでしたので、リンクは出来ないです。11月9日付朝日新聞地方版「さがみ野」にベタ記事でなく写真付きの記事で載っていましたので、情報としてこちらに書き込んだものです。フライングでしたね、これからはリンクが出来る記事のみ書き込むようにします。

主催者の相原繁海老名市議は、合併推進者のようですね、講演会を催した目的は「合併について市民の声を高めよう」ということのようで、合併が実現するかは不明です。
[67244] 2008年 11月 10日(月)02:35:23【1】faith さん
飛び地の定義
ご無沙汰しております。飛び地の定義スレッドの皆様:

陸地でつながっているのか水面でつながっているのかを問わず、
・行政区画が連結(任意の2点を結ぶ曲線を、行政区画内のみを通るようにひける)であれば飛び地なし、
・そうでなければ飛び地あり、
と判断し、
「どれが飛び地か」を決める必要であれば、人口が最も多い連結領域以外をそう呼ぶ、というのはどうでしょうか。

何か私が知らないことがあるのかも知れませんが…
ただ、「飛び地」という概念自体は、もともと定義を与えずとも、何となく使われている単語なので、どのような定義を行っても、限界的な事例では見解が分かれるのは致し方ないのかなと思います。

※誤字訂正
[67243] 2008年 11月 10日(月)02:26:09【1】EMM さん
飛び地レス&ついでにループ関係も
[67241] 太白さん

[61174]グリグリさんの記事の関連(と言うか十番勝負第十六回問九関連)の書き込みを[61007]でしていたのを思い出しました。
もしかしたら準飛び地で扱ってもらえそうなところもあるかな?と思っていますので、ご検討頂ければ幸いです。
それから[67241]でご紹介頂いている邑楽町の飛び地ですが、地図サイト上で詳細に表示される地域が前より広くなっていますので、細かく探すと似たような「実は飛び地があるところ」はまだまだ出てくるんじゃないでしょうか。
試しにちょっと探してみたら1件見つけましたのでご案内します。
かほく市多田の中にある津幡町御門の飛び地?

逆に無くなったっぽいところもありまして、小松市内の加賀市の飛び地(実は加賀市内も小松市の飛び地もあったらしい)は整理されてしまい飛び地ではなくなってしまった可能性があります。
(しばらく前の石川県公報にその可能性がある変更が載ってました)
これはもう少し慎重に調査する必要がありますが…。

ついでですので、ループの方の話も。
金沢市山川町のループですが、拙ホームページのレポートは写真を入れ替えて再公開しております。(昨年4月に再公開)
ゴールデンウイーク中の写真なのでまだ草が茂って無くて多少は見晴らしが良かった…ようですが、それでも全体を見渡しきれなかったのはうえのさんと同様でした(汗)。
よろしかったらこちらもご参照ください。
あと、小矢部のヘアピン陸橋の写真も撮ってあるのですが、時間が無くてアップできてません。
こちらの方は「ループと扱うには結構無理がある」写真になっております…まとめられたら改めてご案内したいと思います。

とりとめのないレスになってしまいましたが、また今後ともよろしくお願いいたします。
[67242] 2008年 11月 10日(月)00:07:34右左府 さん
飛地の定義
以下のような定義はどうでしょう?

「他自治体のみ、もしくは他自治体+水面のみに囲まれた土地」
(「水面」は海面・内水面全般;当該自治体の内水面も含む)

……ぱっと思いついただけのものですし、穴だらけの定義でしょうが、一応書き込んでみました。
[67241] 2008年 11月 9日(日)22:29:44【2】太白 さん
飛び地の定義
何か、数年前(!)に議論した話題の続きの気もしますが(笑)

[67239]ほか グリグリさん
[67238]ほか N-H さん
 おそらく、基本的な考え方として、私は、お二人より飛び地を広く判断する(したい?)傾向があると感じました。(編集者として、できるだけ多く収録したい、という気持ちを含めて)
 タヒチや仏領ギアナはもちろんのこと、セウタだってスペインの飛び地だと認識しているし、[67236]でN-Hさんが例示されている飛び石状の島の配置ケースも、私から見れば立派な「飛び地」です。だからこそ、「飛び地の定義に直線を持ち込」んだうえ、佐世保市宇久町をリストに加えているわけです。

 他方で、「一般的な(というか、多数派の?)感覚として飛び地を収録する」というのが地名コレクションの趣旨にも合うと思います。

 そこで、具体的なケースに照らして確認ですが、[67237]でグリグリさんが提案されている、
(1) 他の自治体を通らないと到達できないもの
・・陸続きでない場合は海または内水面(湖沼)を通ってもよいが、それでも他の自治体を通らないと到達できないもの
という定義では、釧路市や尾鷲市、お台場(品川区)や関西空港(泉南市)は「飛び地」となるのでしょうか?
 釧路市や尾鷲市、お台場は陸続きだから、飛び地とするが、関西空港は陸続きでないから、飛び地でないということでしょうか?
 あるいは、関空は「橋でつながっている」から陸続きという判断も可能ですが。
 
 これまでの議論に照らすと、人によって飛び地の範囲の意見が分かれるため、異論のないケース以外は、
(2) 内水面(湖沼)でのみつながる場合は準飛び地とする
と同様、「準飛び地」としたほうがよい気がします。
 また、(2)の内水面のケースは、湖沼限定で、河川は除外するということですね?(河川を入れると収拾がつかないので)

 すなわち、以下の定義ではいかがでしょうか。長ったらしく定義していますが、「準飛び地」の範囲以外は、グリグリさんの定義と似たようなものです。

(1) (海や湖沼を通ったとしても)どうしても他の自治体を通らないと到達できないものは「飛び地」
 →完全に他の領域に囲まれているケースに加え、飛び地が海に面している場合を含む。直線の概念は関係ない。
(2) 陸続きの場合であって、陸路では他の自治体を通らないと到達できないものは準飛び地
 →釧路市や尾鷲市のようなケース。陸続きでないために除外される具体的なケースとして、関西空港。
(3) 内水面(湖沼)でのみつながる場合も準飛び地
 →琵琶湖のケース

#この場合でも、限界事例として、お台場と関西空港の扱いに差が出るようですので、やや違和感はあるのですが・・・。


【追記】それはそうと、こんなところに県レベルの飛び地があるとは知りませんでした。
[67240] 2008年 11月 9日(日)21:51:27【1】hmt さん
国土面積統計の変遷(8) 国土地理院面積データと長期統計面積データの違いを探る
日本の国土面積は国土地理院が測定していますが、国土地理院の公表値統計局の長期統計 における国土総面積 とが一致するのは、沖縄が復帰した昭和47年(1972)以降です[67221]

一例として、平和条約発効から3年後の 昭和30年(1955)の国土面積を示すと、統計局の長期統計値は 377,002km2となっています。
この値は国土地理院(地理調査所)の公表した 369,660.74km2よりも 7,341km2も大きな値です。
この違いを探ってみました。

実は、この2つの面積統計値、少し性格が異なるのです。
国土地理院の公表値は、地理調査所であった時代を含めて、公表当時の「ナマ」の数値と思われますが、統計局HP掲載の値は、長期統計という見地から、後でかなり「加工した」数値を用いているようです。

同じ統計局のデータでも公表時の印刷物、すなわち「第7回日本統計年鑑(昭和30・31年)」の冒頭には次のように記され、369,665.37km2となっています。完全には一致していませんが、国土地理院HPの昭和30年と近い面積です。
--------------------------------------------
この表は、他の諸表との関連的利用の見地から、現に行政権のおよんでいる地域のみについての数字を示す。【以下、簡略化して引用】小笠原群島、琉球諸島、歯舞群島および色丹島ならびにいまだ帰属が確定していない千島列島・国後島・択捉島・南樺太は便宜上含まれていない。
--------------------------------------------
# サンフランシスコ平和条約で既に放棄した千島列島・南樺太に、まだ言及しています。

要するに、統計局の方針は次のように理解されます。
昭和30年当時は、実態に合わせて、わが国の行政権が及んでいなかった外周地域を除外した面積で公表していた。
しかし、現在は、小笠原と琉球だけでなく、北方四島を含む外周地域すべての面積をも1945年に遡及して含めるようにしている。

# この記事では、琉球・小笠原・北方四島・竹島の総称を仮に「外周地域」と呼んでおきます。
類似の用語としては、1946年にSCAPIN-677によって日本の統治から外された際に用いられた「特定外周領域」[56190]という言葉がありました。こちらは、奄美群島も含み、一時的ですが伊豆諸島も対象になっていました[24269]

遡及はしませんが、国土地理院の面積データも、小笠原が復帰した昭和43年(1968)から外周地域を含むように改められました。
昭和25年~平成17年の国土面積公表値の推移 を見ると、昭和43年には前年より 7,531.82km2増加し、備考に“小笠原諸島、琉球諸島(硫黄鳥島除く)、北方四島、竹島追加”と記されています。

この年(1968)の 埋立面積 は 43.45 km2、従って追加された外周地域の面積は 7488.37 km2であり、その内訳は次の通りです。
小笠原諸島は 昭和43年現在の5万分1地形図により測定した 106.14 km2。未返還の琉球諸島 2386.24 km2[67073] と 北方四島合計 4995.76 km2[67072] とは 戦前(1935)の値を使用。竹島は 国有財産台帳上の 0.23km2。これが 1968年当時の数値でした。

外周地域の面積については、統計局HPでも、“一部の地域の基礎面積”として説明されています。
こちらは、北方四島・竹島・小笠原については上記国土地理院と同じですが、沖縄だけは 2239.22 km2と、異なる数値になっており、外周地域を総計すると 7341.35 km2になります。まさに最初に注目した国土地理院の公表値と統計局長期統計との差です。

これまでの検討から、面積に相違が生じたポイントは沖縄にあることがわかります。
沖縄の面積は、昭和46年復帰の前年に 4.36km2埋立があったにもかかわらず、復帰の昭和47年に再測定したら、古い面積より 145.26km2少なかったことが判明しました。更に、昭和44年より前のデータには、硫黄鳥島[28741](2.60 km2)が未算入でした。
従って、戦前から用いられていた沖縄の面積 2386.24 km2は、これら3点の修正を考慮した結果、実は 2239.22 km2が正しかったものと考えられます。
長期統計に遡及して用いられた面積は、このように後になってから「加工して作られた」数値だったわけです。

細部の検証になりましたが、これでようやく国土地理院の発表した測定値と、統計局HPの長期統計で使われた面積との整合性がとれました。

なお、上記の説明で使われた面積データは「過去の値」です。北方四島の面積は、1992年の再測定により 5036.14 km2に修正[67072]。小笠原諸島は 1988年に改測と西之島新島[56162]の加算が行なわれた結果 104.41 km2となっています。
[67239] 2008年 11月 9日(日)21:29:46オーナー グリグリ
Re:Re:Re:飛び地の定義の困難さ
[67238] 2008 年 11 月 9 日 (日) 21:21:06 N-H さん
なるほど。これならわかりますが1点確認です。陸続きの場合は陸地経由で他の自治体を通らないと到達できないならば飛び地とするということでよろしいでしょうか。
一方、陸続きでない場合は、どのように2つの領域がかけ離れていても両者ともに海に面している限りは飛び地とは言わない、ということですね。
はい、その通りです。

ただ、また仮定の話として、対馬の北端と南端に同じ自治体に属する離れた領域があったとしましょう。この場合、対馬は1つの島と考えれば飛び地になりますが、地峡が切り離された瞬間に飛び地でなくなるということになります。なんかしっくりこない気がしますが、まあ仕方ないのかな。
全くその通りで、[67233]で追記した佐世保市の例が同じケースです。まぁ、実際にはそのような事例がないので、とりあえずはこれでいいのかなと思っています。

佐世保市宇久町が飛び地でないのと同様フランス領ギアナやタヒチはフランスの飛び地ではないと。
ギアナやタヒチは海外領として広義には飛び地と言いたいですね。ただ、じゃぁどこまで離れていれば飛び地なのかという程度問題になってしまうので、やはり、飛び地の定義としては、

(1) 他の自治体を通らないと到達できないもの
(2) 内水面(湖沼)でのみつながる場合は準飛び地とする

と軽くまとめておきたい気がします。
[67238] 2008年 11月 9日(日)21:21:06N-H さん
Re:Re:飛び地の定義の困難さ
[67237] オーナー グリグリさん
(1) 陸続きでない場合は海または内水面(湖沼)を通ってもよいが、それでも他の自治体を通らないと到達できないもの
なるほど。これならわかりますが1点確認です。陸続きの場合は陸地経由で他の自治体を通らないと到達できないならば飛び地とするということでよろしいでしょうか。
一方、陸続きでない場合は、どのように2つの領域がかけ離れていても両者ともに海に面している限りは飛び地とは言わない、ということですね。
前者の例として、アラスカはアメリカ合衆国の飛び地、後者の例として、佐世保市宇久町が飛び地でないのと同様フランス領ギアナやタヒチはフランスの飛び地ではないと。
まあ、言わんとするところはわかります。
ただ、また仮定の話として、対馬の北端と南端に同じ自治体に属する離れた領域があったとしましょう。この場合、対馬は1つの島と考えれば飛び地になりますが、地峡が切り離された瞬間に飛び地でなくなるということになります。なんかしっくりこない気がしますが、まあ仕方ないのかな。
[67237] 2008年 11月 9日(日)20:56:13オーナー グリグリ
Re:飛び地の定義の困難さ
[67236] 2008 年 11 月 9 日 (日) 20:17:36 N-H さん
この話題にはこだわりがあります。
ふふふっ、私も拘りたいですね。
ただ、どうもN-Hさんと私の感覚は一致しているような気がします。
たとえば、小さな島AとBがあり、間を阻むようにやや大きな島Cがあったとします。
AとBは同じ自治体であり、Cは別の自治体とします。
A島のどこの領域からB島のすべての領域に直線を引いても必ずC島の上を線が横切ってしまいます。
このような場合、AとBは飛び地の関係にあるとはなかなか言いがたいような気がするのです。
はい、私の定義でも明らかにこれは飛び地ではないですね。飛び地の定義に直線を持ち込むのは賛成できません。あくまでも位相幾何学的に連続するかどうかだと思います。

私の定義である、
(1) 他の自治体を通らないと到達できないもの
をもっと厳密にくどく書き直すと次の通りです。

(1) 陸続きでない場合は海または内水面(湖沼)を通ってもよいが、それでも他の自治体を通らないと到達できないもの
[67236] 2008年 11月 9日(日)20:17:36N-H さん
飛び地の定義の困難さ
[67233] オーナー グリグリさん

早速の反応、ありがとうございます。以前「飛び地の位相幾何学的定義」をしようとしたこともあり、この話題にはこだわりがあります。

(1) 他の自治体を通らないと到達できないもの

これもまた、定義が広すぎるような気がします。
たとえば、小さな島AとBがあり、間を阻むようにやや大きな島Cがあったとします。
AとBは同じ自治体であり、Cは別の自治体とします。
A島のどこの領域からB島のすべての領域に直線を引いても必ずC島の上を線が横切ってしまいます。
このような場合、AとBは飛び地の関係にあるとはなかなか言いがたいような気がするのです。
いかがでしょうか?
[67235] 2008年 11月 9日(日)19:10:27YASU さん
静岡空港イベント
今日静岡空港で開かれた、「スカイ・レジャー・ジャパン &エアポートフェスタ2008 in 静岡」というイベントに行ってきました。
この静岡空港、未買収地の立ち木が航空法の高さ制限に引っ掛かってしまうとかで、開港が来年3月から7月に延期されてしまいました。滑走路を2500mから2200mに短縮して何とか開業するようです。航空灯火追加工事、滑走路標識の追加工事等で1億2千万円の追加費用がかかるとか。
次から次へと難問が出てくるような・・。
今回のイベントも自家用車での来場を中心に考えていたのか(それともそんなに人が来ないと思っていたのか)、ホームページや新聞にシャトルバス利用の駐車場以外に会場直近の駐車場も載せたため、そこに車が殺到し大変なこととなっていました。もちろんシャトルバスも周辺道路の渋滞に巻き込まれて、島田駅から会場まで1時間以上かかったとか。
何か先が思いやられます。

[67225] 淡水魚 さん
今年の4月、この都市に行ってきました。もうすぐD空港から市内へ直行する鉄道ができるようです(現在は途中で地下鉄に乗り換え)。
当静岡空港からも1日1便のフライト計画があるようです。
[67234] 2008年 11月 9日(日)18:20:58【1】Issie さん
Re^2:神奈川県県央4市の合併
[67231] 揖斐の山 さん
情報元は?

地方版(「さがみ野」版)の記事ですからねぇ。「横浜」版にも載っていないかも。
とてもとても重いのを我慢して朝日新聞のHPへ探しに行ったけど,見つからなかったなぁ(流れてしまったのかな…)。HPへの掲載はないのかもしれません。有料の記事検索なら到達できるかもしれませんけどね。
…それにしても,とても重い。地図ページもそうなんだけど,困ったものだ。できるだけ行きたくないページではあります。

でも仮に合併出来たとしても名称は何になるだろうか。中心はどこら辺なのか。

--------------------------------------------------------------------------------------
「県央4市を考える会」(会長・相原繁海老名市議)の主催。県市町村課の花田忠雄代理が講師となり,合併で行政が効率化できる一方,実現に向けては市の名称や市役所の位置が障害になる,などと解説した。
--------------------------------------------------------------------------------------
…云々。
今回は海老名市の議員が声掛けで,会場も海老名市だったけど,これは“たまたま”のようですね。
現状では“中心”はありませんね。どこかに意識して作ることが必要なのでは。
[67233] 2008年 11月 9日(日)18:16:34【1】オーナー グリグリ
Re: Re:飛び地の定義
さっそくのふぉろ~をどうもです。

[67230] 2008 年 11 月 9 日 (日) 17:33:45 N-H さん
(1)北海道と奈良県が同じ自治体だった場合
(2)洞爺湖の中島と札幌市が同じ自治体だった場合
私の感覚ではどちらも明らかに飛び地です。

なるほどねぇ、ということは、
(1) 陸続きの領域で他の自治体を通らないと到達できないもの
の定義は単に
(1) 他の自治体を通らないと到達できないもの
でいいのでしょうね。

追記:
いろいろなケースを検証すると定義も複雑になると思うのですが、私の定義でもなんとなくしっくりしない点もあります。例えば、佐世保市のここ(旧小佐々町)は、佐々町が海に面していると判断できますので私の定義では飛び地になります。次に仮に平戸市のこのあたり(平戸島の一部分)が佐世保市だったとしても、私の定義では飛び地になりません。これは平戸市が佐世保市と陸続きの部分(旧田平町)があることから違和感を感じてしまいます。
[67232] 2008年 11月 9日(日)17:43:00【3】k-ace さん
レスなど
こんばんは、k-aceです。本日もイオン加西北条ショッピングセンターは盛況でした。呼び出しに西脇市とあり、まだまだ周辺道路や駐車場は大渋滞。

[67209] hiroroじゃけぇ さん
赤信号無視が多発する交差点ですが、岡山駅前(東口)の交差点
先月、岡山駅前(東口)の交差点の横断歩道を渡った際には、みなさん青信号になるまで待っていましたが、偶然なのかな?
(岡山駅前では青信号になるまで待った私ですが、大阪駅前では周りの流れに乗っかって、ついつい赤信号でも渡ってしまいます。)


[60820] スピカ さん
由比ヶ浜カイト

タイトルはアジカン(AISIAN KUNG-FU GENERATION)の新曲『アフターダーク』のカップリング曲のタイトルですが、「由比ヶ浜ヶ谷戸」を想像してしまいます。前作『或る街の群青』のカップリングは『鵠沼サーフ』だったので、次は『小坪セイル』とかくるのかな。
多くのカップリング曲(一部そうじゃない曲もありますが)は結果的に、江ノ電の各駅(といっても、藤沢、鵠沼、江ノ島、腰越、七里ヶ浜、稲村ヶ崎、極楽寺、長谷、由比ヶ浜、鎌倉の10駅ですが)をモチーフとした、短編小説集的コンセプトアルバムのためのものだったんですね。
アルバム『サーフ ブンガク カマクラ』


三木市と小野市は、三木市民病院と小野市民病院を、2013年春をめどに統合することで合意しました。
経営悪化による赤字補填額の増加(三木市)や医師不足(小野市)が理由のようです。
私としては、産まれた病院が無くなることになるので複雑なのですが、これも時代の流れ、というより政治の結果なんでしょう。
神戸新聞
[67231] 2008年 11月 9日(日)17:36:03【1】山野[揖斐の山] さん
情報元は?
[67226] アルバトロス さん
神奈川県県央4市の合併
朝日新聞との事ですが、その根拠となる情報元の記事はありませんか?
ここに書くのであれば元の記事をリンクして下さい。
そうされませんと実際の話なのか創作なのか区別が付きませんので。

でも仮に合併出来たとしても名称は何になるだろうか。中心はどこら辺なのか。
[67230] 2008年 11月 9日(日)17:33:45N-H さん
Re:飛び地の定義
[67224] オーナー グリグリさん
(1) 陸続きの領域で他の自治体を通らないと到達できないもの
(2) 内水面(湖沼)でのみつながる場合は準飛び地とする

上記の定義ですと、「他の自治体に完全に囲まれている」か否かにかかわらず、陸続きでないと飛び地と認めないということですね?

しかしながら、たとえばこれは仮定ですが、
(1)北海道と奈良県が同じ自治体だった場合
(2)洞爺湖の中島と札幌市が同じ自治体だった場合
のようなケースはいずれも上記の定義では飛び地ではないということになりますが、これでいいのでしょうか?
[67229] 2008年 11月 9日(日)16:56:32とんかち☆ さん
あ・・・
連続書き込みスイマセン。

[67227]の書き込みなのですが、思い切り「漬物名」を書いてしまいました・・・。
本当に申し訳ございません!!
しかも間違っていたらどうしよう・・・。
[67228] 2008年 11月 9日(日)16:53:50とんかち☆ さん
レスなど
書き込みする機会が多くなり、レスできるのがとても嬉しいですね~!
そんな気持ちになるのは私だけかもしれませんが・・・。


[67203]hiroroじゃけぇさん
右→左→右→・・・のように、階が上がるにつれて、左右に揺れているのに気づきました。はじめに左に立ったとすると、次の階に上がる時は右に立ちます。その理由は簡単なものなのです。では、その理由は何か。エスカレーターは、次の階に上がる(下がる)ものが向かって右側にあるのが基本ですよね。ですから、はじめに「左」だと、くるっと回ると「右」に、次にくっと回ると「左」へと、ジグザグに動いちゃうのです。

確かにそう言う進み方もいいかもしれませんね~★
でもある意味で一番迷惑なことかも。
まぁ、他人がいるところでやらなきゃいいだけなのですが・・・。
でも分かりますねぇ~


[67210]むっくんさん
これが大きく変わったのが、京都駅ビル&伊勢丹開業にあわせて京都駅西側通路の更に西側に南北自由通路が新たに設置されてからなのではないでしょうか。南北自由通路にエスカレーターが設置されたこの時に階段しかなかった京都駅の西側通路にもエスカレーターが設置されました。そして近鉄京都駅の客が京都駅の西側通路を通らないようにされました。1997年頃のことです。

そうでした。
確かにあの時(去年の京都旅行)は伊勢丹のエスカレータを登ってましたね。
あ~だから東京と同じような感じだったんですね★
納得しました!!
この掲示板は地理(地名?)に関することだけではなくてこう言う習慣に関することも詳しい方がいらっしゃってすごいですよね。
ますます贔屓にさせていただきます!!(って店か)


ここからはレスのようでレスではないのですが・・・。
[67193]日本人さん
過去ログ読破を目指してる私には大変ありがたいご指摘でした。
全部読むには時間がかかりますが、知りたかったことや初めて理解できたことなどが増えていいんですよね。
まだ、3%ほどしか読めていない私でもけっこう知識が増えたような気がします。


一番の新参者なのに、なんか常連顔(ヅラ)してしまってすいませんでした!
[67227] 2008年 11月 9日(日)16:38:15とんかち☆ さん
お久しぶりです
といっても、前回の書き込みは約1週間前でしたね(笑)
風邪をひいてしまい、ちょっと死にそうになりながら仕事&ネットをしておりました・・・。

今回の「淡水魚さん」のクイズ?は答え分かりましたねぇ~★
ただ、Bは分かりません!!(スイマセン)
実を言いますとキムチの話で分かったんです(笑)
だからあまり自信はないです♪

しかし、みなさますごいですよね~。
こう言うクイズを作ったりして・・・。
私には到底できないことのようです(涙)
[67226] 2008年 11月 9日(日)16:35:42アルバトロス さん
神奈川県県央4市の合併
県央4市(大和、海老名、座間、綾瀬) の合併をテーマにした講演会が8日海老名市であったと、今朝の朝日新聞に載っていました。
厚木市、愛川町、清川村を合わせた県央圏5市1町1村の合併構想は神奈川県にあるようですが、相模川東岸の4市での合併構想、私的な講演会のようですが、もし、実現すれば人口約55万5千人になり、全国で24位になり船橋市、八王子市とほぼ同じ規模になるとか、まあ、合併新法の期限2010年3月末までの合併は無理としても、県央4市合併に向けての第一歩でしょうか。
[67225] 2008年 11月 9日(日)16:03:42淡水魚 さん
生存報告 ほか
[67220] 小松原ラガー さん
ほんとにハードですね~。お疲れ様です。淡水魚は数年前、上海から蘇州まで汽車で移動しました。切符の買い方がよくわかっていなかった私は、帰りの切符を手に入れるため長い行列に何度もならぶハメに…。さらに市内観光ではタクシーにぼられました。

[63323] N-H さん ほか皆様
本日、勤務先のオヤツに煎餅をいただきました。包みを裏返してみると…。
「福岡県直方市下境2400番地 字餅米もちだんご村餅乃神社前」
実物を拝見しました。

さて皆様はひねったクイズが作成できる周遊旅行をお楽しみのようですが、淡水魚は一都市滞在の小旅行でしたので、うまい問題が作れません。いちおうこんな感じ…。すぐ判っちゃうかも?

今回の目的地はA市です。来春の廃止がウワサされる夜行Bに乗って、一度乗り換えて空港に到着。A市にあるC空港まで約2時間のフライトです。A市へは、C空港のほかにD空港を利用する路線があり、D空港の方が規模が大きいです。C空港からA市の中心部まで地下鉄がつながっています。市内は地下鉄網が充実しており、若い人は積極的に年長者に席を譲っていました。A市の東西をDという川が流れており、高度経済成長期を指して「Dの奇跡」と表現します。C空港では自動小銃を持ったSWAT2人組を見かけたり、高速バスターミナルでも軍服の青年とすれ違ったり…。この国と隣の国は、今も緊張状態にあり、軍事境界線のことをその緯度で呼んでいます。過去の日本の行為について申し訳ない気持ちになりました。

この国の漬物は、日本では白菜や大根のモノを見かけますが、A市のデパートではサワガニやイカや牡蠣のモノも売っているのです。あまりの美味しさにすぐ食べてしまいました。A~Dがお分かりの方、賞品はございませんのでご了承ください。
[67224] 2008年 11月 9日(日)16:00:59オーナー グリグリ
飛び地の定義について
以下はあくまでも私の考えです。

[67200] 2008 年 11 月 5 日 (水) 21:16:25【3】 太白 さん
相当前に[61174]グリグリさんで御指摘を受けた、飛び地コレクションの考え方については、「いまさら感」もあるかも知れませんが、以下、編集担当としての考え方を整理したいと思います。
太白さんの考え方を理解いたしました。
その上で私の感想と言うか提案になります。結論を言うと、以下のような定義の方が私には違和感が少ないと感じます。

(1) 陸続きの領域で他の自治体を通らないと到達できないもの
(2) 内水面(湖沼)でのみつながる場合は準飛び地とする

(2)は琵琶湖で隔てられた高月町や湖北町のケースを想定しています。

私には、釧路市と、尾鷲市、尾道市、鹿児島市(桜島)などのケースを区別するのが気持ち悪いですし、佐世保市宇久町を飛び地とするのも違和感を感じます。

なお、分断部分が河口や港湾まわりの微小な場合については、できる限りリストアップするとした方がすっきりするかもしれません。この場合、河口など内水面の境界を明確に知る必要が出てきますね。まぁ、そのあたりはできるだけリストアップすると言うことでよいかなと思います。いかがでしょうか。
[67223] 2008年 11月 9日(日)15:41:11オーナー グリグリ
Re:面積データ確認中。
[67206] 2008 年 11 月 6 日 (木) 02:13:34【4】 がっくん さん
・北九州市の面積と、各区の面積の合計値があわない。
 →若松区の増加分が反映されていない?

~以下同様の理由と思われる部分~

・福岡市(→東区の増加分)
・広島市(→佐伯区の増加分)
・神戸市(→兵庫区・中央区の増加分)
・大阪市(→此花区・東淀川区の増加・減少分)
面積データのご指摘をありがとうございました。とても助かりました。上記は、政令指定都市の合計データの更新が抜けていたことによる情けない単純ミスでした。修正しましたのでご確認いただければ幸いです。なお、名古屋市についても区の面積の増減がありましたが、こちらは合計値は変更無かったためにたまたま不整合が表面化していませんでした。

今回の修正は増減分による補正で行ったため、合計値などの確認が不十分です。まだまだミスがありそうな気がしています。お気づきの点がありましたらよろしくお願いいたします。
[67222] 2008年 11月 9日(日)09:24:58うえの さん
遅レスですm(__)m
「ループな道♪」のうえのです。2回目の登場です。

[65828]星野彼方さん

大幅な遅レスとなって申し訳ありません。

石鎚山サービスエリアまで歩いて行って来たのですが、そこで、ループを発見しました。
どうやらループコレクションに採用されていないようです。太白さん、うえのさん
(はじめまして)どうでしょう?

地図で見る規模から幣サイトで呼んでいる「ミニループ」に属するのかなと思います。
問題は、現在新潟県在住に私にとって愛媛県は遠い・・・ということでしょうか(笑)。
情報ありがとうございました。

[67204]太白さん

ループ橋コレクションにてリンクさせていただいている、「ループな道♪」の
現地レポートは大変わかりやすく、楽しく拝見させていただいております。
今後ともよろしくお願いします。

専門的な内容もなく見たまんまのレポートですが、ご覧頂きありがとうございます。

いろいろな事情により行動範囲を広げることができませんが、みなさんからの
ループ情報を見ると、どうやって行く機会を作ろうかと考えてしまう私がいます(笑)。
まだ東北方面の訪問レポートが3つ程残していますが、1~2ヶ月に1回のペースで更新
していきたいと思っています。これからもよろしくお願いいたします。
[67221] 2008年 11月 8日(土)22:30:56【1】hmt さん
国土面積統計の変遷 (7) 地理調査所から国土地理院へ、そして面積データの公表
中断していた「国土面積統計の変遷」シリーズを再開します。関係記事

明治初期に統計寮による集計データがありました。しかしここで使われた租税寮の調査は、民有地のみが対象と思われる上にデータの不備もありそうで、国土面積統計と言えるものでありませんでした。

明治政府が国土全体の面積統計を公表したのは明治15年であり、「日本帝国統計年鑑」に記載されています。
その最初のデータは、主として伊能大図に基づいて内務省地理局が測定した値でした。
明治17年以降、参謀本部(陸地測量部)に一本化された国土の測量・基本地形図の作成事業に伴なって、明治実測図による面積が集計されてきました。

1882年から1941年まで発行され、戦争で中断した日本帝国統計年鑑は、戦後の1949年に「日本統計年鑑」の名で復刊しましたが、最初は戦前のデータを使ったものでした。
統計年鑑のタイトルは、ずっと「日本帝国…」だったものが、1937年の第56回から「大日本帝国…」に改題され、戦後は「日本…」と変遷しています。
「大日本帝国憲法」発布は1889年でしたが、年鑑のタイトルが「大日本帝国…」に変更されたのは、ずっと後のことでした。

戦後の地図つくりの歴史は、その任にあたる組織の変更から始まりました。
すなわち 1945年の敗戦による陸軍解体に伴なって、陸軍参謀本部陸地測量部の業務は、内務省(建設院1948を経て建設省) 地理調査所 に移され、更に1960年には、現在の 国土地理院 という名称になりました。
国土地理院は、駒沢練兵場跡地内の目黒区側にありましたが、1979年に筑波研究学園都市に移転しました。
世田谷区側の池尻には、現在も防衛省技術研究本部があります。

既報[67072]のように、1949年に総理庁統計局による戦後第1回の 日本統計年鑑 が発行されましたが、この段階では、まだ地理調査所による新しい面積データは使われていません。
国土地理院HPの 国土面積公表値の推移 によると、戦後の国土面積の公表は、昭和25年(1950)からとなっています。

政府(統計部門・測地部門)による公表は、当然のことながら冊子(印刷物)によるものでしたが、現在は電子媒体による公表も行なわれ、過去のデータもある程度知ることができます。

国土地理院HPで知ることができる全国の面積は、上記のように1950年以来の値です。
都道府県市区町村別面積調 は平成14年(2002)以来の値があります。

一方、統計局HP掲載の 日本の長期統計系列第1章 の中には「1- 7 国土総面積(明治元年~平成16年)」という表があります。
「1-11 都道府県別面積(大正9年~平成12年)」もあります。

日本の国土総面積の推移を、国土地理院HPと統計局HPによって比較してみると、昭和47年(1972)以降の数値は一致していますが、それより前は一致しません。
次の記事で、この違いを探ります。
[67220] 2008年 11月 8日(土)18:09:40小松原ラガー さん
中国
小松原ラガーです。

[67177]のからくり発表です。

さて、先日のハードトリップですが、行き先は皆さんのご想像通りタイトルのお国。出発したのは日本の祝日、午前の便で関西空港から上海に向けて出発。2時間半ほどのフライトで到着したのは上海の浦東空港。市の中心地から見れば東側、海から程近いところにあります。東シナ海まではすぐそこ。ご存知のように市の西側には虹橋空港があり、浦東は新しく出来た空港。ここから市街地(の手前というべきか?)まではリニアモータカーが運行されていますが、今回は上海は降り立っただけで素通り。目的地は尾形大作の「無錫旅情」で有名になった無錫、ではなくて歌の中で「♪上海、蘇州と汽車に乗り~、太湖のほとり~、無錫の町へ。」と出てくる蘇州。蘇州までは車で2時間くらいと聞いていましたが、ガタガタと地道を走るのかと思っていたら、何車線もあるハイウェイの旅。上海の市街地を迂回するように走り、それもひたすら平原というか、山が見当たらないところを走り、たどり着いたのが蘇州の東部の工業団地。まだ開発中なのか、目的地の敷地の回りはほとんどが空き地。昼過ぎから、この地での用事を済ませ、日が暮れてからホテルに移動。ホテルは蘇州の中心街にと思しきところにありましたが、旧市街ではありませんでした。ということで、大きなビルと整備された道路がやたら印象的でした。現地の人に確認したら、旧市街はそうではないが、シンガポールの支援で開発された部分が多いとか。市の西側には前述の太湖があり、市内にも運河が多いそうです。また、上海蟹の産地としても有名です。ということで、

【回答1】蘇州市

次の目的地は杭州。蘇州からは高速道路を経由して車で2時間半ほど。但し、私が乗車した車は途中でかなり飛ばしていたので、本来はもう少しかかるのかも。今回訪れるまで全く知らなかったのですが、この杭州って中国でも有数の観光地だそうです。市の中心部の西側にその名も「西湖」という湖があり、みなさんここを訪れるとのことです。夜に到着して、夕食は西湖のほとりで中華料理を堪能。いや、本当によかったです。^^;やはり観光地なんだなぁと感じたのが、空港で見かけた団体旅行客の多さ。20~30人程度の団体さんがわんさかおられました。ということで、

【回答2】杭州市

さて、杭州からは飛行機で2時間ほどの旅。ぐっと北上し到着したのは大連。飛行機が多少遅れたこともあり、22時半頃に空港に到着しましたが、幻想的な霧。もっと寒いかと思っていましたが、それほどでもなくちょっとラッキー。^^;上海、蘇州、無錫じゃなくて杭州と巡る中で感じていたことが一つ。それは全く山というものを見ることが出来なかったこと。が、この大連に来て初めて「山」ではないが、「丘」というものを見かけました。思わず「おぉぅ!」と思うくらい、久々の「丘」でした。宿泊したホテルは大連駅のすぐ近くのホテル。「へぇ~!」と思ったのが、この大連、路面電車が健在なのですね。ホテル到着時は夜遅くだったのでよくわからなかったのですが、翌朝チェックアウトしてからホテルの前で車を待っていると、霧の中に浮かぶ大連駅、その前をゆるゆると左に右にと路面電車が行き来し、駅前の停車場からは出勤途中の人々がわんさか降りてくる、という結構よい情景でした。大連での用事のあった場所は市内南西部のソフトウェアパークというところ。ハイテク企業が集結している場所でした。大連は大変シーフードがおいしい場所と聞いていたのですが、今回は前泊、かつ、翌日の夕方には大連から移動というスケジュールだったため、それもお預け。残念無念。また、問題文中にも少し触れましたが、昔は旅順、大連と2つの都市があり、一時期は「旅大」と呼ばれたことがあったかと思っていたのですが、今ではまた「大連」に戻っているようですね。ということで、

【回答3】大連市。

最後の訪問地はこの国の首都である北京。大連からの飛行機は時刻表では1時間半ほどかかるようになっていたのですが、実際には40分で到着。なんなんだ、この時刻表は。ニュースなどで北京首都空港には第3ターミナルが出来たという話は聞いていたが、どこに到着したのかは、到着直後は不明。あとでわかったことだが第2ターミナルに到着した模様。ただ、飛行機からはボーディングブリッジを使った降機ではなく、広いエプロンの隅のほうに駐機し、バスでの移動だった。それにしても、この段階で既に「でかいなぁ・・・」という感あり。北京での宿泊は市内中心部のやや西側。翌日の訪問地は北京の秋葉原と呼ばれている中関村。言われてみれば確かに繁華街という感もあり。北京での要件を済ませて帰国の途に付きましたが、大連からの到着時と異なり、今度は北京首都空港第3ターミナル。「現時点で世界最大」とのふれこみだが、タクシーを降りたところはそれほどでも無いなぁという感じ。「これだったらチャンギ(シンガポール)の第3ターミナルのほうが大きいのでは?」とさえ思った次第。ところが、やはり大きかったです。チェックインを済ませて出国審査へ向かおうと思いましたが、出国審査へ向かうためには、まず関西空港にあるようなシャトルに乗って、一番奥のビルまで移動しなければなりません。途中にはオリンピックのときに使用された(らしい)臨時のターミナルビルもあり、「な、な、なんじゃ、こりゃ?」というモード。シャトルを降りたところに出国審査があり、その奥には搭乗ゲートがたくさん・・・。いや、その大きさには参りました。北京から関西空港までは約3時間。考えてみれば神戸からだと上海よりも北京のほうが遠いわけですね。知らなかった・・・。というわけで、

【回答4】北京市

てなわけですが、今回の出張、行く前は日本での仕事もたまっており、「強行軍でもさっさとまわってさっさと帰ってこよう。」ということで6日間で4都市という日程となりましたが、やはり少々無茶でした。もう少し余裕を持ったスケジュールにすべきでした、とさ。

P.S.
北京の国家体育場ことオリンピックスタジアムですが、帰国前日の夜に現地の人の勧めで訪れました。ほとんどライトアップされていなかったのですが、逆にそれが闇の中に浮かぶ巨大な競技場の存在を際立たせていました。現地の人に「なぜライトアップしないの?」と問いかけると、「そんなことしたら観光客だらけで身動き取れなくなる。」と言われました。ということで、わざと早い段階でライトを消しているようです。
[67219] 2008年 11月 8日(土)17:03:36miki さん
ズムスタ
[67205]ペーロケさん
広島では新球場の名前が「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」となるという衝撃的なニュースでもちきりでした。いかにも舌を噛みそうな名前です。個人的には、まだ
「ゆめタウンスタジアム」の方がいいような気がしますが。。。
長い球場名でもやがては自然に略称がつくものではないかと思われますが。
「クリネックススタジアム宮城」がマスコミでは「Kスタ宮城」、さらに略して「K宮城」ですね。(地元では何と呼ばれているのでしょうね...。)
広島の方もやがては略称「ズムスタ」あるいはマスコミ風の「Zスタ広島」や「Z広島」などというのができるかもしれませんね。
私も将来「ズムスタ」と呼ぶかもしれませんが。

P.S.
鹿児島県警大口署が伊佐署に名称変更しましたね。
[67218] 2008年 11月 8日(土)01:17:08山野[揖斐の山] さん
公式HP
でるでるさんへ
10月30日に長野市・信州新町・中条村合併協議会のHPが開設されました。
[67217] 2008年 11月 8日(土)00:24:13【1】EMM さん
ロータリー関係レス
これまた遅れレスですが…

[67064][67078] にまんさん
[67066] ぺとぺとさん

嬬恋のロータリーの話、そう言えばありましたね。
あのころはGoogleマップで探すのが主力でしたが、最近はYahoo!地図も詳細表示のエリアが広がっているので結構使えますよ。
航空写真の詳細に表示されるエリアがYahoo!とGoogleで違うので、場合によって付き合わせると単独では分からなかったものが見えてきたりします。
(そう言えば、地図の方の詳細なエリアが両社同じ範囲のような…)
たとえば、にまんさんが「ここも多分そう」と言うことで挙げておられる場所、Yahoo!地図ではこのとおり
そのほか、周りをぐるぐる見渡していたら、こんなところも発見。
スクロール地図の方で航空写真を拡大していくとロータリーであることが確認できます。
(シンプル地図の方の航空写真は1/8000で打ち切り…)
あと、ここここもGoogleマップの航空写真と付き合わせてみたらロータリーでした。
ほかにもまだ怪しげな場所があるような気がします。地図や航空写真の詳細な部分が拡大すると、さらに出てきそうです。

ついでに、と言うことで山を越えて軽井沢の方を探したら、見つけちゃいました。こことかこことか。ここはちょっと微妙かな?
終点ロータリーもいくつもあるようですし(今回は省略)、やっぱり別荘地って穴場ですなぁ。

ついでのついでで、以前見つけたものを忘れないうちに。多分まだ紹介されてないはず。
八戸市新井田
ほかにもまだ何件か見つけてあったんだけど、投稿しないまま置いておいたら忘れてしまった…

※追記で追加。
八戸市河原木
ポイント:1つ見つけたら必ず周辺を見渡せ。
[67216] 2008年 11月 7日(金)21:21:14【1】むっくん さん
市区町村変遷情報その2
[67215]の続きです。

◎神奈川県
8 1901.04.01 編入 横浜市 横浜市, 久良岐郡 戸太町, 中村, 根岸村, 本牧村, 橘樹郡 神奈川町, 宮川村
19 1909.04.01 新設 橘樹郡保土ケ谷町 橘樹郡 保土ケ谷町, 矢崎村
橘樹郡宮川村の合併先は誤りではないでしょうか。
明治41(1908)年末の「市町村別現住人口」を表した官報(M42.10.30)では、橘樹郡宮川村は1908.12.31には存在しています。
郡市町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明39)4コマ及び郡市町村廃置分合表(明治42年1月1日-大正2年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大4)5コマの記載によると、
1901.04.01 編入 横浜市 横浜市, 久良岐郡 戸太町, 中村, 根岸村, 本牧村, 橘樹郡 神奈川町
1909.04.01 新設 橘樹郡保土ケ谷町 橘樹郡 保土ケ谷町, 矢崎村, 宮川村
と橘樹郡宮川村は1909.04.01に橘樹郡保土ケ谷町の一部となったとあります。
なお、横浜市市政記録2007年版第1部市勢編(PDF)3コマでは、1901(明34).4.1に編入されたのは
久良岐郡 戸太町, 中村, 根岸村, 本牧村, 橘樹郡 神奈川町, 保土ケ谷町の一部
と保土ケ谷町の一部も記載されています。IssieさんHPによると、保土ケ谷町の一部とは旧・岡野新田とのことだそうですが。。。

16 1908.07.01 新設/町制 高座郡茅ヶ崎町 高座郡 松林村, 茅ヶ崎村, 鶴嶺村
1908.07.01新設/町制ではなくて1908.10.01新設/町制ではないでしょうか。
郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明42)4コマでは明41(1908).10.1実施とあります。
IssieさんHPでも1908.10.1町制とあります。茅ヶ崎市消防団第21分団HPでも明41(1908).10.町制となっています。

27 1913.04.01 町制/改称 三浦郡逗子町 三浦郡 田越村
1913.04.01町制/改称ではなくて1913.04.05町制/改称ということはないのでしょうか。郡市町村廃置分合表(明治42年1月1日-大正2年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大4)5コマには大2(1913).4.5実施とあります。ネット上には1913.04.05町制/改称と書かれているものもあります。
採用されるかどうかの判断は88さんに一任します。

◎新潟県
357 1954.04.01 編入 新潟市 新潟市, 北蒲原郡 松ヶ崎浜村
1954.04.01編入ではなくて1954.04.05編入ではないでしょうか。
参考:新潟市農林水産部農業政策課HP新潟市の農林水産業(平成20年4月版)第1章新潟市の概要(PDF)2コマ、IssieさんHP

◎京都府
1 1890.10.01 町制/改称 加佐郡河守町 加佐郡 河守下村
1890.10.01町制/改称ではなくて1890.12.10町制/改称ではないでしょうか。
京都府市町村合併史(編:京都府立総合資料館、1968)1074頁によりますと、京都府知事発内務大臣あての『村名改称の義ニ付伺(坤第9号)』を提出したのが明23(1890).11.24で、明23(1890).12.5に村名改称許可(内務省許甲第169号)があり、内務省許可を受けて出された京都府告示第104号(明23.12.10)により町制を迎えたとあります。

2 1892.02.13 分立 愛宕郡野口村 愛宕郡 鷹峰村の一部
1892.02.13分立ではなくて1892.1.29分立ではないでしょうか。
京都市地名・町名の沿革(編著:京都市、平成6年8月)361頁には
明治25年1月29日鷹峰村より分離独立
と記載されています。この分立の根拠は京都府告示第8号(明25.1.29)です。

3 1892.03.30 分割 中郡口大野村 中郡 大野村の一部
4 1892.03.30 分割 中郡奥大野村 中郡 大野村の一部
1892.03.30分割ではなくて1892.03.05分割ではないでしょうか。
京都府市町村合併史1142-1143頁によりますと、京都府告示第21号(明25.3.5)で分割をされたとあります。
大宮町誌(編:大宮町誌編纂委員会、発行:大宮町役場、1982)918頁でも
大野村が分村して口大野村と奥大野村となったのは明治二十五年三月五日である
とあります。

5 1893.04.01 町制 相楽郡木津町 相楽郡 木津村
1893.04.01町制ではなくて1893.11.25町制ではないでしょうか。
京都府市町村合併史(編:京都府立総合資料館、1968)880-881頁によりますと、京都府知事発内務大臣あての『町制施行許可申請』を提出したのが明26(1893).10.26で、明26(1893).11.22に町制許可(内務省許甲第126号)があり、内務省許可を受けて出された京都府告示第178号(明26.11.25)により町制を迎えたとあります。
木津町の歴史(編:木津町の歴史編纂事務局、発行:木津町、1993.10.)100頁でも
木津町制は1893(明治26)年11月
と記載されています。

7 1894.10.15 分立 与謝郡岩屋村 与謝郡 市場村の一部
1894.10.15分立ではなくて1894.10.13分立ではないでしょうか。分立の根拠は京都府告示第172号(明27.10.12)です。この告示には実施日が記載されていませんが、岩屋村誌(発行:岩屋村役場、1933)148頁には
明治二十七年十月十三日市場村より大字岩屋を分割し、大字岩屋独立して一村を立つ即ち現今の岩屋村なり
と記載されており、野田川町誌(編著:野田川町、1969)236頁には
さきに市場村大字岩屋は「市場村」に属していたが、しかるに、1894年(明治27)10月13日、単独で一個村を立てた
と記載されています。

8 1894.11.27 町制 熊野郡久美浜町 熊野郡 久美浜村
1894.11.27町制ではなくて1894.11.24町制ではないでしょうか。
京都府市町村合併史(編:京都府立総合資料館、1968)では、京都府告示第199号(明27.11.24)の公布日の1894.11.24を町制施行日としています。
久美浜町誌(編著:久美浜町、1975)でも京都府市町村合併史(編:京都府立総合資料館、1968)よりと断った上で、京都府市町村合併史の推測の1894(明27).11.24を町制の施行日として採用しています。

14 1903.12.01 新設 葛野郡嵯峨村 葛野郡 嵯峨村, 下嵯峨村
合併方式は新設ではなくて編入です。
京都府市町村合併史(編:京都府立総合資料館、1968)543頁によりますと、この合併の根拠は京都府告示第546号で
町村制第四条に依り府参事会の議決せる葛野郡下嵯峨村を同郡嵯峨村に合併するの件内務大臣の許可を得たり
合併嵯峨村の人口は5373人とす
明治36年12月1日 京都府知事 大森鍾一
とあり、どこにも「廃し」や「新たに」といった文言がありません。

1918.07.01 編入 中郡峰山町 中郡 峰山町, 丹波村大字杉谷
が抜けていないでしょうか。京都府告示第255号によりますと、
中郡峰山町に左記の地域を編入するの件府参事会の議決を経内務大臣の許可を得たるに付大正7年7月1日より之を施行す
大正7年5月7日 京都府知事 木内重四郎
(中略)
一 同郡丹波村の内
大字杉谷の全部
とあります。杉谷村の大部分は明治22年4月1日の市制町村制施行時に丹波村の一部になりましたが、杉谷村の町場は明治22年4月1日の市制町村制施行時に峰山町の一部になっているために、この編入は概ね大字単位の原則に合致するかどうかよく分かりませんが。。。
参考:京都府府令第26号(明22.2.23)

◎大阪府
1894.2.10 境界変更 堺市 堺市 大鳥郡向井村の一部(大字七道)
が抜けていないでしょうか。
大阪府公報明治27年2月10日号外(PDF)1コマには
大阪府告示第30号
市制第4條第127條町村制第4條第130條に依り大鳥郡向井村の内大字七道を割き之を堺市に編入し大鳥郡向井村と堺市に係る境界を変更す
明治27年2月10日 大阪府知事 山田信道
とあります。大字七道とは、明22.4.1に向井村の一部となった旧・七道村の区域です。
参考:堺市HP大阪府府令第17号(明22.2.20)

◎愛媛県
15 1899.07.31 境界変更 温泉郡道後村 温泉郡 道後村, 御幸村の一部
境界変更の時期は誤りではないでしょうか。
境界変更の根拠となるのは1900年に出された愛媛県告示第158号(明33)(参照12)で、この県告示で御幸村大字祝谷村を道後村に編入することになるのですから。

19 1901.11.22 町制 周桑郡小松町 周桑郡 小松村
1901.11.22町制ではなくて1898.11.22町制ではないでしょうか。
平成19年度版愛媛県市町要覧第2章資料編にある1市町の変遷(2)市町村変遷一覧(PDF)8コマでは明31.11.22町制とあります。
このことは日本帝国人口統計明治31年(著・出版:内閣統計局、明34.3)で明治31(1898)年12月31日は小松町となっていることと矛盾しません。
また、根拠となるのは愛媛県告示第187号(明31)(参考)で、同じ明治31年愛媛県告示第187号で北条村が北条町となり川之江村が川之江町となったのが明治31年であることと整合的であると思われます。

34 1914.10.01 境界変更 温泉郡浅海村 温泉郡 浅海村, 立岩村の一部
この境界変更は大字単位ではないのではないでしょうか。
平成19年度版愛媛県市町要覧第2章資料編にある1市町の変遷(2)市町村変遷一覧(PDF)には記載されていません。
また、愛媛県統計書第5冊大正2年第1編(著・出版:愛媛県、大3.9.30)に記載されている大2.12.31現在の浅海村及び立岩村に存在する大字と、愛媛県統計書第9冊大正3年第1編(著・出版:愛媛県、大4.12.25)に記載されている大3.12.31現在の浅海村及び立岩村に存在する大字とでは、一切の大字の変化が見受けられません。

◎高知県
17 1909.06.01 町制 長岡郡本山町 長岡郡 本山村
1909.06.01町制ではなくて1910.06.01町制ではないでしょうか。
郡市町村廃置分合表(明治42年1月1日-大正2年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大4)6コマでは明治43(1910).6.1実施とあります。
また高知県統計書第26冊明治42年(著・出版:高知県、明44.4.11)の欄外に、
備考 安芸郡室戸村は43年1月長岡郡本山村は同年6月何れも町と改称せり
と記載されています。

◎大分県
161 1955.03.31 新設 大分郡 野津原村 大分郡 野津原村, 今市村
変更種別は新設ではなくて編入ではないでしょうか。
大分市例規集・大分市の沿革によりますと、
佐賀関町及び野津原町の区域の沿革
野津原町
昭和30年3月31日 今市村を編入
となっています。余談ですが、大分市例規集・大分市の沿革には
1947.3.1 境界変更? 大分郡 野津原村 大分郡 野津原村, 大野町の一部(大字沢田)
と現在未収録の境界変更?も記載されています。大字沢田は明22.4.1に土師村の一部となった旧・沢田村の区域にあたります。

169 1956.02.01 境界変更 大分市 大分市, 鶴崎市の一部, 大分郡 挟間町の一部
大分県の統計資料では1956.02.01境界変更ではなくて1955.07.01境界変更と書かれています。1956.02.01境界変更であっているのでしょうか。
参考:大分県HP大分県統計年鑑平成18年版中2県・市町村の変せん(エクセル形式)

以上、大量になりましたが、よろしくお願いします。
[67215] 2008年 11月 7日(金)21:21:00むっくん さん
市区町村変遷情報その1
>88さん
市区町村変遷情報に誤り・記載漏れと思えるところがありましたので報告します。
#県令・府令・県告示・府告示中のカタカナは平仮名に、漢数字はアラビア数字に引用者が置き換えています。


まずは、[66846]拙稿で書き忘れていたところです。

◎岐阜県
1 1889.07.01 新設/市制 岐阜市 厚見郡 岐阜米屋町, (中略), 岐阜中竹屋村, (中略), 中河原新田村, 古屋敷新田村, 明屋敷村, 忠節村
488 1889.07.01 村制 厚見郡上加納村 厚見郡 上加納村
ではなくて
1 1889.07.01 新設/市制 岐阜市 厚見郡 岐阜米屋町, (中略), 岐阜中竹屋町, (中略)富茂登村, 稲束村, 上加納村の一部
488 1889.07.01 村制 厚見郡上加納村 厚見郡 上加納村の一部
ではないでしょうか。
参考:県令第39号(明22.6.27)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)
#余談ですが、富茂登村は中河原新田と古屋敷新田が明8.1.に、稲束村は明屋敷村と忠節村が明8.1.にそれぞれ合併して成立した村です。

719 1889.07.01 村制 池田郡粕河原村 池田郡 粕河原村
85 1897.04.01 新設 池田郡養基村 池田郡 田中村, 脛永村, 沓井村, 粕河原村
粕河原村ではなくて粕ヶ原村ではないでしょうか。
当時の資料である、(1)岐阜県美濃国区邑名(編著・出版:玉井忠造、明9.10.)においても、(2)明治14年12月末の町村を表した岐阜県統計書第1冊明治14年(著・出版:岐阜県、M18.3.)においても、(3)明治22(1889)年末の「市町村現住人口」を示した内務省告示第34号(明23.10.6)においても、(4)池田郡養基村が成立したときの県告示第58号(明30.3.31)においても総て粕ヶ原村となっており表記に揺らぎは見られません。


次にかなり以前の書き込みがらみのところです。

◎山口県
168 1959.08.01 境界変更 下関市 下関市, 豊浦郡 豊西村の一部
この境界変更は、以前[65628]にて1954.08.01境界変更として追加できないかと私が記載し、88さんもそれを受けて[65812]で、
境界変更が大字に満たないと勘違いしていました。よって、追加しました。
と書かれた時に追加されました。
確認なのですが、[65628]拙稿で書き込んだ1954.08.01境界変更ではなくて、本当に1959.08.01境界変更でよろしいのでしょうか。[65812]において、私の書き込んだ境界変更の年月日が誤りであるとの言及が何もされていなかったもので。。。

◎徳島県
25 1921.01.01 改称 那賀郡今津村 那賀郡 今津浦村
以前私が[65446]で1921.01.01改称ではなくて1915.01.01改称ではないかと指摘し、88さんもそれを受けて[65629]
諸文献と6年ずれたT4(1915).1.1町制施行と判断し、修正しました。
と書かれているのですが、未だ修正されていません。


次は新規の情報提供です。

◎北海道
25 1899.10.01 新設/区制 小樽区 小樽郡 若竹町, (中略), 色内町, 手宮町, (中略), 高島村

25 1899.10.01 新設/区制 小樽区 小樽郡 若竹町, (中略), 色内町, 高島郡 手宮町, (中略), 高島村の一部
ではないでしょうか。
参考:内務省令第46号(明32.9.4)

42 1900.07.01 新設/町制 根室郡根室町 根室郡 本町, (中略), 穂香村の一部, 花咲村, 友知村の一部
この根拠は内務省令第19号(明33.5.19)なのですが、この時同時に郡変更も行われていますので
42 1900.07.01 新設/町制 根室郡根室町 根室郡 本町, (中略), 穂香村の一部, 花咲郡 花咲村, 友知村の一部
と書いた方がよいのではないでしょうか。
#なお、友知村の残部は1915.4.1に歯舞村の一部となりましたが、そこでは友知村が所属していた郡が花咲郡となっています。

44 1901.05.01 町制 宗谷郡稚内町 宗谷郡 稚内村
1901.05.01町制ではなくて1901.5.11町制ではないでしょうか。
郡市町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明39)10コマでは明34(1901).5.11改称とあります。IssieさんHPでも1901.5.11町制となっています。

216 1910.04.05 改称 紋別郡下湧別村 紋別郡 湧別村の一部
217 1910.04.05 分立 紋別郡上湧別村 紋別郡 湧別村の一部
上記の記載ですとどのような廃置分合が行われたのかが分かりません。
1910.04.05 分立 紋別郡上湧別村 紋別郡 湧別村の一部
1910.04.05 改称 紋別郡下湧別村 紋別郡 湧別村
にした方がよいと私は考えますが。。。
なお、郡市町村廃置分合表(明治42年1月1日-大正2年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大4)7コマでは
1910.04.01 分立 紋別郡上湧別村 紋別郡 湧別村の一部
1910.04.01 改称 紋別郡下湧別村 紋別郡 湧別村
と日付が異なっており、IssieさんHPでは
1910.04.01 分割 紋別郡下湧別村 紋別郡 湧別村の一部
1910.04.01 分割 紋別郡上湧別村 紋別郡 湧別村の一部
と日付のみならず変更種別も異なっています。

279 1918.02.01 区制 室蘭区 室蘭郡 室蘭町
は正しくは
1918.02.01 区制 室蘭区 室蘭郡 室蘭町, 輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村
ではないでしょうか。
参考:郡市町村廃置分合表(大正3年1月1日-大正7年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大9)5コマ室蘭市HP(PDF)1コマ
#室蘭町には北海道一級町村制が既に施行されていますが、輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村の3村は未だ町村制が施行されていない地域です。そのため、将来的に北海道においても市区町村変遷履歴情報市制町村制施行時の情報に分離して記載するとき、記載方法にどのように記載するのが良いのやら。。。

323 1920.06.01 改称 中川郡美深村 中川郡 下名寄村の一部
324 1920.06.01 分立 中川郡智恵文村 中川郡 下名寄村の一部
上記の記載ですとどのような廃置分合が行われたのかが分かりません。
1920.06.01 分立 中川郡智恵文村 中川郡 下名寄村の一部
1920.06.01 改称 中川郡美深村 中川郡 下名寄村
もしくは
1920.06.01 改称 中川郡美深村 中川郡 下名寄村
1920.06.01 分立 中川郡智恵文村 中川郡 美深村の一部
のいずれかにした方がよいのではないでしょうか。とは言え、私にはどちらが適切であるかが分かりませんが。。。

361 1923.04.01 改称 新冠郡新冠村 新冠郡 高江村
368 1923.04.01 新設/村制 新冠郡高江村 新冠郡 高江村, 去童村, 泊津村, 姉去村, 大狩部村, 葉朽村, 受乞村, 万揃村, 滑若村, 元神部村, 比宇村
この表記からすると、新冠郡新冠村と新冠郡高江村の2村が存在するように見えます。
実際は内務省告示第80号(大12.3.30)で11村が合併して高江村として1923.4.1に北海道二級村となり、同日に改称して新冠村となったのですから、
1923.04.01 新設/村制 新冠郡高江村 新冠郡 高江村, 去童村, 泊津村, 姉去村, 大狩部村, 葉朽村, 受乞村, 万揃村, 滑若村, 元神部村, 比宇村
1923.04.01 改称 新冠郡新冠村 新冠郡 高江村
と並べて記載する、もしくは
1923.04.01 新設/村制/改称 新冠郡新冠村 新冠郡 高江村, 去童村, 泊津村, 姉去村, 大狩部村, 葉朽村, 受乞村, 万揃村, 滑若村, 元神部村, 比宇村
とした方がよいのではないでしょうか。

◎秋田県
26 1901.07.23 町制 仙北郡刈和野町 仙北郡 刈和野村
28 1902.06.04 町制 平鹿郡沼館町 平鹿郡 沼館村
37 1904.07.23 町制 平鹿郡大森町 平鹿郡 大森村
これら3村の町制は同時期に行われたのではないのでしょうか。
郡市町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明39)8コマではこれら3村の町制について明34(1901).7.17許可となっています。
つかんぼやんと年表ではこれら3村の町制は総て1901.7.23に行われたことになっています。つかんぼやんとの記載だと、1901.7.17に内務大臣からの許可がおり、1901.7.23に県告示が出て3村に町制が布かれたと考えれば何の矛盾もなさそうですが。

大森町については秋田県統計書第17冊明治35年(著・出版:秋田県、明37.6.30)では明治35(1902)年の時点で大森町と記載されており、明治36(1903)年末の「市町村別現住人口」を表した官報(明37.12.12)でも大森町と記載されていることより、1904.07.23町制ということはないのでは、と私は考えます。
沼館町については郡市町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)以外の当時の資料が見つからないので、何とも私には判断しかねますが。。。
採用されるかどうかの判断は88さんに一任します。

◎福島県
36 1902.06.01 町制 双葉郡久之浜町 双葉郡 久之浜村
1902.06.01町制ではなくてその前年の1901年に町制を施行したのではないでしょうか。
郡市町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明39)8コマでは明34(1901).6.7許可とあります。
福島県統計書第16冊明治33年度(著・出版:福島県、明34.11.15)では明33(1900).12.31は久之浜村との記載があります。ところが福島県統計書第17冊明治34年度(著・出版:福島県、明35.11.25)では明34(1901).12.31は久之浜町との記載になっています。

38 1903.12.01 町制 西白河郡矢吹町 西白河郡 矢吹村
1903.12.01町制ではなくてその前年の1902年に町制を施行したのではないでしょうか。
郡市町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明39)8コマでは明35(1902).12.22許可とあります。
福島県統計書第17冊明治34年度(著・出版:福島県、明35.11.25)では明34(1901).12.31は矢吹村との記載があります。ところが福島県統計書第18冊明治35年度(著・出版:福島県、明36.10.28)では明35(1902).12.31は矢吹町との記載になっています。

◎群馬県
23 1925.05.10 町制 北甘楽郡小幡町 北甘楽郡 小幡村
1925.05.10町制ではなくて1926.05.10町制ではないでしょうか。
群馬県HP中の群馬県市町村名変遷早見表(PDF)11コマでは大15(1926).5.10町制となっています。
群馬県統計書第70冊大正14年度人口及雑之部(編著:群馬県、大15.10.15)では、大14(1925).10.1は小幡村となっており、群馬県市町村名変遷早見表(PDF)の記載と矛盾はありません。

次稿に続きます。
[67214] 2008年 11月 7日(金)18:22:20山野[揖斐の山] さん
上郡町
赤穂市との合併が破綻し現在、相生市と協議を再開しようとしている上郡町が同市側に
意見照会をしたところ、議会に付議する方針との事。
-回答理由-
相生市も財政難や人口の伸び悩みで将来展望が開けないので、改めて上郡町との合併を検討していく事になった。
[67213] 2008年 11月 7日(金)00:11:20【1】EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第160号
ちょいと遅れレスですが。

[67135] hmtさん
「四十島」は、以前[30000]記念の記事で、思い出すままにいくつか挙げた「数字のつく島」からは洩れていました。
[30120] オーナー グリグリさんのコメント
地名コレクションにはし辛いですが。(中略)何と言っても数が少ないなぁ。
もありましたが、地図をこまめに探せば、地名コレクションになる数が集まるかもしれません。

「四十島」だけでも、上記の松山市高浜沖の岩礁の他に、愛媛県大三島沖(広島県大久野島との間)と広島県因島沖とにあります。どなたか集めてみては?

四十島は3件とも「数字地形名」コレに収録済みだったりします。
ですが、すでに「数字地形名」コレに対しては「四十八滝」コレがありますし、「数字地形名」コレでは一桁台の数字は対象外となっているので、「島の名に特化する」事で並立させても良いんじゃないかと思います。
むしろ気にしたいところは「島群」にこだわるか、数字さえついてれば可とするか…でしょうか。
それによって適した名前も変わってきそうな気がします。島群だったら「nつ島」とか、何でも有りなら「数字の島」とか…とりあえずこのあたりでコレクション案に登録しておこうと思います。
[67212] 2008年 11月 7日(金)00:03:36hiroroじゃけぇ さん
「木綿のハンカチーフ」の彼女は山陰出身じゃないでしょうか?
落書き帳アーカイブスを覗いていると『「木綿のハンカチーフ」旅立ちの地はどこか』というものがありますね。なぜか今まで気にもならなかったのですが、今回ちょっぴり気になったので、忘れてしまった過去ログを読んだ記憶を復活させることも兼ねて閲覧してみました。で、自分もそのカップルの出身地を知りたくなったわけです。

で、ここからは自分の推理です。

まず、旅立ったのは「彼」の方であること。ここが肝心だと思います。彼女は地元に残っている!!で、これだけの恋愛をするのだから、きっと早婚率の高い地域(化粧をしていないのも、20歳にもなっていないから)。つまり内陸県ではないということが推測できます。そして、一般的には漁師が多い地域ほど早婚であるとのことなので、それなりの漁港を想像しました。

次に、作詞した人が問題です。そう、歌っているのは「太田裕美」さんですが、作詞家は「松本隆」さんなのです。で、松本さんの出身地を見ると東京。結局同じかよっと突っ込みたくなりますが、松本さんの曲には、ちょっぴり暗めのものも多いですよね。つまりイメージ的にそういった感のある場所であると感じます。

最後に、東に向かう列車ですよね。すると、丁度この年1975年の3月ダイヤ改正で「山陰」がデビューしているじゃないですか。そして、この曲は12月の発売。作詞作曲がスムーズだったという逸話からも、3月以降に完成した曲に違いない。また、その行き先は京都。京都なら都会に当てはまりますよね。

よって、草に寝転ぶを山裾辺りと仮定すると、大山と日本海に挟まれた「米子市」辺りが有力地ではないかなぁと思います。
[67211] 2008年 11月 6日(木)23:17:52hiroroじゃけぇ さん
京都のエスカレーター hiroroじゃけぇ案
[67210]むっくん さん
ひょっとしたら、「観光客」だけが原因ではないかもしれません。で、その他の原因ですが、自分もその一部であった「学生」ではないでしょうか?京都は、日本最大の学生の街であることは、多くの人に知られています。実際、「大学コンソーシアム京都」のように、京都では「学生」が大きな影響力を持っています。「京都学生祭典」もその一つでしょう。

さて、話がズレました。話を「エスカレーター」に戻しましょう。京都の場合、全国各地から「学生」がやってきます。その「学生」達はほぼ毎日公共交通やショッピングの場でエスカレーターを利用します。その、「学生」達は勿論左右混在しているわけですよね。近鉄線や地下鉄線の左右逆転現象は、この「学生」の動向によるのではないでしょうか。私見としては、京都駅の東側地下通路へ(から)のエスカレーターも、左右が混在していたと思います。

でも、今から考えると、ある程度時間は決まっていたかもしれません。朝や夕方などは右止めの「関西型」昼間は左止めの「関東型」のような感じです。このような統計データがあればいいのですが、感覚としてはそんな感じもしています。だとすれば、昼に関しては観光客に圧されて関東型と化してしまったと推理した、むっくさんは正解である可能性はとても高いと思います。一日をスケジュール化すると、地元(通勤者)→地元(学生)→観光客→地元(学生)→地元(通勤者)といった感じになるのではないでしょうか。だとすると、「学生」達は京都のエスカレーターにおける、左右の揺れの橋渡し的存在になっているとも考えられます。そうなれば、「学生」の存在は、京都の生活リズム全体の「ブリッジ」となっているとも考えられ、その辺りの研究をすすめてみるとおもしろいかもしれませんね。
[67210] 2008年 11月 6日(木)22:36:14【2】むっくん さん
京都のエスカレーター
[67145][67174]ペーロケさん
[67146][67203]hiroroじゃけぇさん
「関西型左歩右止」と書きましたが、関西の一部である京都も、実は左歩と右歩が錯綜しているという意見もあったりします。
[67175]とんかち☆ さん
去年・今年と京都&奈良に旅行に行きましたが、京都では左側に奈良は右側に立っていました。
以前は基本的には「関西型左歩右止」でした。ただ、ごくまれに「右歩左止」の人がいましたが、それでもその人より後にエスカレーターに乗って立ち止まる人は右側であったと思います。そして「右歩左止」の人でも上りエスカレーターでは混雑時には、下の方から歩いて昇ってくる人がいると右側によけたものでした。
下りエスカレーターでは、「右歩左止」の人で右側によける人というのは少数派で、歩いて下りてくる人が「右歩左止」の人を右側によけておりていっていました。
これは京都でも、私の住んでいた大津でも同じでした。

ペーロケさん御紹介のHP旅と鉄の盲腸の別のページには京都市営地下鉄にはエスカレーターの「右を空けてください」という看板があると書かれています。以前は地元・京都の人間は右側で立ち止まり、観光客が左側に立ち止まって、エスカレーターを歩いて上る人の動線が確保できないこともありました。そこで上る人の事故防止のために、京都市交通局が地下鉄烏丸線の竹田延伸時(1988年)に取り付けたものだったのではないか、と記憶しています。うろ覚えですが。。。
上述のように京都市営地下鉄では以前は「関西型左歩右止」でした。他の場所、例えばJR京都駅東側通路からのエスカレーターでも近鉄京都駅のエスカレーターでも以前は「関西型左歩右止」でした。

これが大きく変わったのが、京都駅ビル&伊勢丹開業にあわせて京都駅西側通路の更に西側に南北自由通路が新たに設置されてからなのではないでしょうか。南北自由通路にエスカレーターが設置されたこの時に階段しかなかった京都駅の西側通路にもエスカレーターが設置されました。そして近鉄京都駅の客が京都駅の西側通路を通らないようにされました。1997年頃のことです。
もちろん設置当初は従前どおり「関西型左歩右止」でした。しかしながらペーロケさん御紹介のHPでは2001年には少なくても、JR京都駅西側通路(京都・JR京都駅中央口から新幹線乗り場)でも、京都駅南北自由通路(京都・近鉄京都駅からJR駅への連絡通路)でも「右歩左止」が主流となっているようです。別のページでは地下鉄は「右歩左止」が主流となっていると書かれています。

なぜこのようになったのでしょうか。
京都を訪れる観光客は基本的には京都駅を利用します。そしてここ10年で約1000万人も観光客は増加しました。
増加する観光客に押されたのでしょうか、そして近鉄の乗客も通らないように分離されてしまったこともあり、完全に観光客が主流派となってしまった京都駅西側通路では「右歩左止」になっていました。それがJRと近鉄を乗り換える人の行動にもすりこまれ、今では近鉄京都駅からJR駅への南北自由通路のエスカレーターでさえも「右歩左止」が主流となっています。
ただ、これはある意味仕方がないのではないか、と私は考えます。何はともあれ、京都駅西側通路では観光客の方が地元民よりも圧倒的に多いのですから。

ただ、私個人の意見としては、京都駅での調査箇所として一番適切な箇所は、地下を通るJR京都駅東側通路からの上りエスカレーターであると思います。こちらだと観光客よりも地元民の方が多いと思われますので。
誰か調査してくれないかな~。。。


次は地下鉄です。
私は、京都に戻ってきた(住み始めた)1999年4月に地下鉄を3年ぶりに利用したときに強い衝撃を受けました。「いつの間にかエスカレーターが右歩左止になっている、前に利用していたときは左歩右止だったのに」と。このことは今でも鮮明に覚えています。京都駅ビル開業に併せて大々的に京都市交通局が「右歩左止」キャンペーンでもやったのでしょうか?
なぜ「関西型左歩右止」から「右歩左止」への逆転が起こったかはこの当時、一切地下鉄を利用していないので分かりません。
ただ、この完全な逆転がが起こった背景には、「関西型左歩右止」というのはあくまでも相対的なものであって、別に「右歩左止」であっても特に問題はない、と京都人が思っているからなのではないでしょうか。あくまでも、私の推測ですが。
[67209] 2008年 11月 6日(木)21:19:50hiroroじゃけぇ さん
SCの出店は地域性にもよるようです
今話題のショッピングセンター(SC)のことですが、岡山県民としてはその様相がよく分らないのが現状です。岡山県内には、大型ショッピングセンターまたはモールと呼ばれるものは、「イオンモール倉敷」のみであり、「イオン津山ショッピングセンター」を含めたとしても、周囲の県に比べその人口比率おける立地数は、かなり少ないといっても過言ではありません。例えば、香川県。香川には「ゆめタウン高松」を筆頭に、「イオン高松ショッピングセンター」、「イオン綾川ショッピングセンター」があり、今後、「ゆめタウン三豊」及び、「ゆめタウン丸亀」が開業します。岡山県と香川県の地域性の違いがここにも現れえているのかもしれません。しかしながら、同じイオン系列の「マックスバリュ」は岡山県南にドミナント出店を行なう計画を持っています。赤字店舗ができようが開店する。そのような感じすらあるこの計画。児島店は1年以上前に閉鎖され、現在は「トライアル」になっていますが・・・。さて、さて、中小スーパー激戦区である、岡山県南でどのように展開するのか、楽しみにしたいと思います。

[67205]ペーロケ さん
赤信号無視が多発する交差点ですが、岡山駅前(東口)の交差点や中央郵便局前の交差点などが挙げられます。小さい交差点ならば、県庁通りのスクランブルの2つの交差点が多発地帯です。これ以上については、岡山の恥さらしになっちゃうのでこのあたりで止めておきます(笑)ホント、信号無視はゼッタイにダメです。
で、カウント式の信号機ですが、桃太郎大通り、柳川筋、市役所筋、県庁通りなどが交わる交差点に多く設置されています。また、岡山駅西口にもちらほらと。また、LEDの方ですが、岡山県では積極的に交換されているイメージがあります。視認性のよさに好感がもたれているようで、主要な交差点はほぼ交換が済んでいる模様です。一方で、スクランブル交差点の導入は進んでいません。路面電車があるのがその大きな要因ではありますが、県庁通りの2点と岡山大学の交差点ぐらい。倉敷市を含めても、5交点程度です。
[67208] 2008年 11月 6日(木)10:19:55千本桜 さん
再び、合併協の「字名取扱い」の何がダメなのかについて。詳細地図付き・その1。
「柴田町、村田町、大河原町合併協議会」は3年前に破談解散しましたが、また同じ枠組みで協議を再開しています。合併に漕ぎつけるかどうかは、私には分かりません。ただ、合併するとなった場合、協議事項の「字名の取扱い」については慎重に熟慮した上で決議してもらいたいと思っています。3年前に解散した合併協の決議をそのまま引継いではいけません。あんな「いい加減」な「字名の取扱い」を容認することはできません。もう一度、あの「字名の取扱い」の何がいけないのかを振り返ってみましょう。まずは、どのような経緯をたどって現在の大字区分になったのかを検証します。こういうことは文言で伝えるには無理があります。地図を付しますので参照いただければ幸です。

江戸期から明治22年まで、現在の大河原町域は平、堤、新寺、小山田、福田、大河原、大谷の7村に分かれていました。これらの村は藩政村と呼ばれています。このうち、街道沿いの平村には「金ヶ瀬宿」、大河原村には「大河原宿」が設けられて町場を形成していました。現在の地形図に藩政村の境界を描き入れました。地図をご覧下さい

明治22年4月、市制・町村制が施行されて近代的な地方制度が確立します。この時、平、堤、新寺の3村が合併して金ヶ瀬村になり、小山田、福田、大河原、大谷の4村が合併して大河原町になりました。合併して消滅する旧村は大字として新町村に引継がれました。大字とは明治22年まで存続した村のことです。地図に当時の大字区分を描き入れました。地図をご覧下さい

昭和31年、大河原町と金ヶ瀬村が合併して現行の大河原町が成立しました。この時、次の大字改編がありました。
1・大字の名称は「大字」の字句を省いて表記する。
2・大字平を金ヶ瀬に改める。
3・大字大河原を廃止する。
以上の3点です。この中で不可解なのは、大字大河原を廃止してその区域を「大字なし」にしたことです。本来、「大字なし」は藩政村が単独で町村制下の町村に移行した自治体に見られるものでしょう。例えば、亘理郡小堤村が単独で町村制下の町になった亘理町は大字を編成しませんでした。亘理町とは小堤村のことですから大字小堤を置く必要がなかったのです。同例に、藩政村馬場谷地村が単独で町村制の町になった涌谷町や、藩政村不動堂村が単独で町村制の村になった不動堂村などがあります。ですから、いまでも亘理町の旧小堤村、涌谷町の旧馬場谷地村、美里町の旧不動堂村などの区域は「大字なし」になっています。しかし、大河原町は大河原村が単独で町村制下の町になったわけではありません。小山田、福田、大河原、大谷4村の合体ですから、大字小山田、大字福田、大字大谷と共に大字大河原があって当然です。それなのに、昭和の合併時になって大字大河原だけを廃止したのはなぜだろう。町名と大字名が同名なら、大字名を省いても支障がないと思ったからだろうか。しかし、他の自治体では角田市角田村田町村田利府町利府富谷町富谷女川町女川浜のように市町村と同名の大字を廃止しないでいるところをみると、「町名と同名だから」だけでは済まされない何かがありそうです。私はそこに、当時の字取扱い担当者の公平性に欠けた地域観を見る思いがします。大字大河原の区域は大字名を省略して「大河原町字○○」と書いていいですよ。でも、他の大字に属する区域は「大河原町小山田字○○」のように、「町」と「字」の間にちゃんと大字名を付して書きなさいと言うのですから、これは差別でしょう。大河原町と同じように、昭和の合併時に白石市も大字白石本郷を廃止してその区域を「大字なし」にしています。昭和の合併時に特定の大字だけを廃止したのは、宮城県内では大河原町と白石市だけです。地図に当時の大字区分を描き入れました。地図をご覧下さい。そこで皆様にお尋ねします。大河原町と同じように昭和の合併時に特定の大字だけを廃止し、その区域を「大字なし」にした市町村をご存知でしたら教えてください。

大字大河原の廃止で「大字なし」が出現した大河原町では、その後も別の理由で「大字なし」が発生し、大谷、金ヶ瀬地区にも拡散しています。大河原町では土地区画整理事業が済んで地番整理をすると、なぜか大字名を外して「大字なし」にしてしまいます。例えば、大谷字高田と大谷字砂田の区域を地番整理して字高砂町としました。住所は大字名を付さない大河原町字高砂町になりました。でも、地番整理から外れた区域は従前どおり大字名を付して大河原町大谷字西原前と書かなければなりません。金ヶ瀬字板の前などの区域を区画整理して生まれた字緑町は、金ヶ瀬を付さない大河原町字緑町になりました。しかし、隣接する字丑越は大河原町金ヶ瀬字丑越のままです。このような字施策により、大字名を付さない区域は新しくて進んだ地区、大字名を付す区域は古くて遅れた地区というイメージが生まれてきました。西原前や丑越には、住所から大谷、金ヶ瀬を外してくれと要望する住民もいます。本当は住所の表記形式に問題があるのに、いつしか大谷、金ヶ瀬という地名が嫌われ者になってしまいました。他の市町村でも町名地番整理をしていますが、大字名を外すことはしません。例えば、角田市角田字町尻ほかを区画整理して豊町という字にしましたが、住所は角田を付したまま角田市角田字豊町にしています。それなのに、大河原町はどうしてこんな差別的偏見を生む字施策を続けてきたのでしょう。大字区域の中に「大字なし」が散在して非常に複雑です。地図に現況大字区分を描き入れました。地図をご覧下さい。そこで皆様にお尋ねします。大河原町と同じように町名地番整理区域を「大字なし」にしたために、大字区域の中に多数の「大字なし」が虫食い状態に散らばっている市町村をご存知でしたら教えてください。

さて、本題はここからです。大河原町はこのように複雑な大字区分をどのように整理して柴田市に引継ごうとしたでしょうか。このことについては項をあらためて後日書き込みます。
[67207] 2008年 11月 6日(木)08:55:17星野彼方 さん
姫路駅とレスのレス
12月に姫新線と播但線が高架化される姫路駅ですが、フェンスが取り払われほぼ全容が見えるようになってきました。姫新線側に階段やエスカレーターがないぞ、とか、あのスペースはキオスクか駅そばかどっちだろう、とかいろいろ観察しております。それはともかく。

[67194] k-ace さん
イオン姫路大津ショッピングセンターとマックスバリュー熊見店(姫路市)が目と鼻の先にあるケースもあったり。
そういえば、開業したてのはりま勝原駅から降りたらマックスバリュの工事をしてて驚いたのを思い出しました。あれ、最近開店したんですよ。いや改装らしいんですけど、どういうつもりなんでしょう。マルアイつぶし?

それと、カルフール跡に入ったマックスバリュ、フードコートがあるのですが、入っているのは31のみ。アイスじゃご飯になんないよ。今月中にたこ焼き屋も入るみたいですが、とても淋しい状況。カルフール時代はそのフードコートに当初10店舗以上あった飲食店あったのですが、どんどん撤退していき末期は3店舗になってましたから、入りづらいよな。最後まで残ったミスタードーナツすら入っていないし、大丈夫かな。

私が[67189]で出店の字を間違えてます。
[67206] 2008年 11月 6日(木)02:13:34【4】がっくん さん
面積データ確認中。
おひさしぶりです。なんだかんだで2ヵ月ぶりの書き込みです。
高知県の標識の話題など食いつきたい話題も確認しておりますが、これは現地確認をしてから改めて書き込もうかなと思います。(日頃見慣れているはずなのに記憶が曖昧なもので(笑))

さて、現在ぼくのエクセルデータを最新版に更新する作業をしております。そこで気になる点を発見しましたのでご報告いたします。

・北九州市の面積と、各区の面積の合計値があわない。
 →若松区の増加分が反映されていない?

~以下同様の理由と思われる部分~

・福岡市(→東区の増加分)
・広島市(→佐伯区の増加分)
・神戸市(→兵庫区・中央区の増加分)
・大阪市(→此花区・東淀川区の増加・減少分)


上記の点について確認をお願いいたします。>グリグリさん
[67205] 2008年 11月 6日(木)02:11:37ペーロケ さん
ずむずむずむ
 世界的ニュースにあやかり、本人にあまり関係ないと思われる日本海沿岸の「とある市」では大騒ぎのようですが、広島では新球場の名前が「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」となるという衝撃的なニュースでもちきりでした。いかにも舌を噛みそうな名前です。個人的には、まだ「ゆめタウンスタジアム」の方がいいような気がしますが。。。

[67183]YSKさん
そんなことは無いですよ。二十人町や鉄砲町では建物の撤去が進み、拡幅や区画整理の済んだエリアではマンションなどが建った部分と更地の部分とがモザイク状に展開している光景を目にすることができます。
 すみません。私の書き方が悪かったですね。土地区画整理事業は最終的には減歩などが絡む為、古い建物は原則として全て取り壊される運命なのですが、一度にすべてを壊すのではなく、少しづつ壊して少しづつ新しい建物を建てていくといったイメージですね。移転などで準備する仮住まいも少なくて済みますし。
 もっとも、私はYSKさんみたいに歩いたわけでもなく、車で10番丁通り?を通っただけで、区画整理について語る資格などないのかもしれませんが。ただ、広島で身近に行われている段原再開発に比べて、まとまった更地がはるかに少ないなと感じた訳です。

 仙台で気になっている地域がもう一つあります。それは、川内追廻。仙台城の直下で青葉川沿いの1等地、道路が密に敷かれている割には住戸もまばらで、ここも区画整理でもやっているのでしょうか?google mapでチェックし、実際に車で徘徊しましたが、やっぱり不思議な空間です。

[67203]hiroroじゃけぇさん
えっ、岡山のことですか。フツーに「赤」で渡ってる人がいますけど・・・。
 柳川交差点のように大きな通りを想定していますが、岡山って、信号無視しやすいくらい小さな交差点でも、カウント式信号機が設置されていましたっけ?そういや信号のLED化が結構進んでいたような気もします。

[67200]太白さん
 お久しぶりです。琵琶湖のファンキーな飛び地、あれは「厳密には飛び地ではない」と否定した記憶もありますが、実は個人的には好きだったんですよ。境界線確定により削除となり、残念です。

[67194]k-aceさん
 イオンの出店ラッシュには、確か「まちづくり3法」により床面積1万m2以上の大規模店舗の立地が原則として商業地域、近隣商業地域、準工業地域に限定されること、つまり、都市計画の変更なしに郊外に出店できなくなることから、その法律が施行される前に駆け込みで、各地に作りまくったという背景があります。だから、採算性というよりも、「とりあえず作れるうちに作っとけ」といった感覚で出店したのでしょう。その出店ラッシュに原油高による車離れも加わり、2008年2月期のイオンの連結決算は、前年に比べ売上は上がっているものの利益が減少しているようです。

#そういや広島にも、「イオン祇園」が建設中ですが、当初、今年の夏開業予定と聞いていたものの、未だに鉄骨を組んでいるような状態と思われます。一体、いつできるのやら。。。
[67204] 2008年 11月 6日(木)00:53:09太白 さん
ループ橋コレクション
 長らく更新をさぼっていましたが、[62785] みのるさん、[66261] 桜トンネルさん、[65021] らすさんから情報提供いただいた、新規のループ橋を収録しました。
 また、[61257] スピカさん、[61283] ぺとぺとさんによる五分一陸橋につきましては、分岐する道路がループより狭い道路の場合には、ループ橋として収録している例があるものの、途中分岐がメインストリートなのでいったん収録を見送っていましたが、、番外編に収録します。
 最近のループ橋業界(?)の話題といえば、佐賀県の三瀬峠のループ開通でしょう。これによって、福岡~佐賀の最短コースの所要時間が5分短縮されたとのこと。(5分のために、このループ道路が必要かどうか、という、別な議論になりそうですが…)

[65826] うえの さん
 亀レスで恐縮ですが、ループ橋コレクションにてリンクさせていただいている、「ループな道♪」の現地レポートは大変わかりやすく、楽しく拝見させていただいております。今後ともよろしくお願いします。
 最近貴サイトにアップされた、「上越牧ループ」「さいたま宮前ループ」「上西ループ」をコレクションに収録しました(さいたま宮前ループの名前は、そっけない正式名称を採用してしまいましたが・・・)。また、いくつかリンクを追加しました。
[67203] 2008年 11月 5日(水)22:46:37hiroroじゃけぇ さん
エスカレーターと信号談
[67174]ペーロケ さん
[67175]とんかち☆ さん
そう、自分の感覚では京都は不思議空間。はっきり言って右でも左でもどちらでもいいのです。その場がすんなりといけばいいんですよね。でも、後で「なんで左に並んでたんだ?」って言っているかもしれませんが(笑)

で、自分はというと・・・、

右→左→右→・・・のように、階が上がるにつれて、左右に揺れているのに気づきました。はじめに左に立ったとすると、次の階に上がる時は右に立ちます。その理由は簡単なものなのです。では、その理由は何か。エスカレーターは、次の階に上がる(下がる)ものが向かって右側にあるのが基本ですよね。ですから、はじめに「左」だと、くるっと回ると「右」に、次にくっと回ると「左」へと、ジグザグに動いちゃうのです。まぁ、これは岡山人である自分の特性かもしれませんが・・・。まぁ、こんなことどうでもいいですね(笑)

[67174]ペーロケ さん
よく残り時間をカウントする信号で、大阪人は残り30秒くらいになったら横断し始めるなんて、テレビなどでよく聞きます。残り時間をカウントする信号は他の県庁所在地クラスの都市にも大きな交差点にはだいたい設置されていますけど、大阪以外で残り時間が残っている状態で渡り始める人を見たことがありません。
えっ、岡山のことですか。フツーに「赤」で渡ってる人がいますけど・・・。先日は、赤信号で渡った先に警察官がいて、驚いている人も見かけましたが・・・。あっ、でも、自分はマイペースなので、「青点滅」で止まる派。で、「青」になってから左右を確認してから渡ります。かなり、安全通行な人間です(笑)
[67202] 2008年 11月 5日(水)22:20:32BANDALGOM[熊虎] さん
官報告示
でるでるさんへ

[67167]はやいち@大内裏さんから案内がありましたが、前橋市・富士見村、長野県阿智村・清内路村、福岡県八女市と4町村の合併が今日付の官報に告示されました。

更新よろしくお願いしますでふ。
[67201] 2008年 11月 5日(水)22:12:38オーナー グリグリ
千畳敷コレクション1件追加
太白さん、お久しぶりです。お元気でしたか。
飛び地の件、また改めてふぉろ~します。

さて、こちらも久しぶりに千畳敷を見つけました。
尾道市の千光寺にある千畳敷です。
千畳敷コレクションに追加しました。

#オフ会参加者が18名になりました。もう少し増えそうです。楽しみですね。
[67200] 2008年 11月 5日(水)21:16:25【3】太白 さん
久々の書き込み(自治体の飛び地コレクション)
 ごぶさたしております。1年3か月ぶりの書き込みなので、「誰だよ」と言われそうですが。西日本に引っ越したこともあり、兵庫・佐賀での宿泊を経て、残る未宿泊県は滋賀のみとなりました。経県度比率ランキング で宿泊者比率46位の佐賀は何とかクリアしたものの、メンバーの半分以下しか泊まったことのない、同47位の滋賀はやはり、難攻不落です…。

 落書き帳も、もうすぐ9年を迎えられる中、最近は貢献しておりませんで、メンバー紹介文担当も、先日かぱぷうさんと日本人さんに引き継いでいただき、ありがとうございました。一方で、担当コレクションの更新が滞っておりましたので、自治体の飛び地コレクションについて、ご指摘を受けていた分を含め、更新しました。

 相当前に[61174]グリグリさんで御指摘を受けた、飛び地コレクションの考え方については、「いまさら感」もあるかも知れませんが、以下、編集担当としての考え方を整理したいと思います。

 まず、相当前に「飛び地論争」があった際にここに書き込みましたが、できるだけ、「飛び地といえそうなところは広く収録したいが、定義は客観的にしたい」という、編集者個人としての「思い」があります。
 飛び地コレクションにおいて、
(1)他の自治体に完全に囲まれているもの
に当てはまる場合、飛び地と判断することに異論はないと思いますが、

(2)他の自治体と水域に囲まれており、本体と結んだ直線上に他の自治体が挟まっているもの
は、まさに、釧路市のようなケースを飛び地として収録したいと考えたからです。より正確には、「他の自治体と水域に囲まれており、本体と結んだ最短距離の直線上に他の自治体が挟まっているもの」ということでしょうか。これによって、グリグリさん御指摘のとおり、佐世保市宇久町のケースも飛び地として収録される結果になっています。

 一方で、琵琶湖で隔てられた高月町や湖北町のケースは、上記の定義には当てはまらないので、ある意味番外として、「準飛び地」として収録しています。いま思えば、これをごっちゃにしていることが、「基準のわかりにくさ」を生んでいるなあと反省しています。

 もし、条件を緩和して、単に、「海岸線で分断されていれば飛び地」だとすれば、射水市や浦添市、福山市といったケース、さらにはお台場とか関西空港のようなケースまで、すべて飛び地に当てはまることになります。川で分断されている場合は、「内水面で隔てられているだけで、川も自治体の領域だから、飛び地とは言わない」といえるにしても、このようなケースをすべて、準飛び地として収録してよいか、編集者として迷うところではあります。
 また、グリグリさんが書かれている「分断部分が河口や港湾まわりの微小な場合」の「微小」は、客観的な定義が困難であることを懸念しています。

 選択肢としては、
(1)自治体の飛び地コレクションの定義を厳格に適用する。準飛び地として掲載されている例は、すべて削除する。
(2)外水面で隔てられているもののうち、本体と道路等で直接つながっていない領域については、(飛び地ではないが)「番外編」として収録する。(飛び地リストからは区別する)

 個人的には、「視覚的に面白い領域」であれば収録したいので、上記(2)の方向で編集できればと思います。あまりに数が多い場合、収拾がつかなくなりますが。

 いずれにせよ、琵琶湖周辺のケースは、内水面の境界が確定したこともあり、涙を飲んで(?)飛び地リストからはずしたいと思います。

#ループ橋のほうは、さらに多くの情報提供等をいただいているので、稿を改めます。


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