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[69000]〜[69099]



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[69099] 2009年 4月 2日(木)19:25:30山野[山野] さん
合併協定調印式
本日無事、新「湧別町」発足の為の調印式が行われました。
*リンク先は両湧別町合併協議会のHP。
[69098] 2009年 4月 2日(木)18:54:36むっくん さん
文字関村
[69084]らるふさん
しかし「文字関村」って何故そう命名されたのでしょうね。
市制町村制を施行するにあたり市町村の資力をある程度以上のものにするために、各府県では区町村の合併が盛んに行われました。企救郡文字関村も合併で成立した村の一つで、門司村、小森江村、田野浦村の3村が合併して明治22年4月1日に成立しました。
市制町村制施行時に資力がある程度以上あるかを確かめるべく、各府県には町村合併調書の作成が義務付けられました。幸いにも当時文字関村が所属していた福岡県企救郡の町村合併調書は現存しているようで、福岡県市町村合併史(編・発行:福岡県、1962)に転載されています。
そこで同書の39頁及び151頁より、文字関村の一部箇所を以下に引用します。

------------
1.町村合併を必要とする理由
門司村、田野浦村は現今戸長役場区域にして、小森江村は其区域の外なり。然れ共基地勢民情に至りては、更に異なる所なし。而して此数村は伺れも充分の資力なく、独立自治の目的を達する能はず。故に合併して以て有力村を構成するは、人民の情願を取る。

2.沿革
明治20年門司村、楠原村を合して門司村とし、田野浦村、田野浦町を合して田野浦村とせり。

3.新町村名の選定の理由
門司の称は、近時全国至る所知らざるものなきに至るも、之を取るときは、田野浦人民の苦情あるを以て、上古文字ケ関と呼び、歴史上著名の名所なるを以て之を取る。

4.備考(町村役場の位置等)
3村共に海に瀕し、伺れも船舶の碇泊に便なり。地勢風俗相同じく、交通亦便利なり。而して門司村其中央に在るを以て、役場位置をAに定む。
A:「玄玄」(ここ)。

注:引用者が漢数字をアラビア数字に、片仮名を平仮名に置き換えています。
------------
(引用終わり)

これを読む限りでは今も昔も、合併で成立する町村の名称を決めるのに、神経を使うのは変わらないようですね。
門司村が圧倒的に大きな村であったならすんなりと門司村となったのでしょうが、資力の各種指標が
種別門司村3村の合計
人口(人)16873060
山林(反)57106
田(反)72119
と3村合計の50%をかろうじて超える程度だったので、配慮する必要に迫られたのは止むを得ないといったところでしょうか。
[69097] 2009年 4月 2日(木)12:46:50【1】Hiro_as_Filler さん
郡のホームページの掲載基準について
こんにちは。公式ホームページコーナーの担当をやらせていただいております、Hiro_as_Fillerです。

今回は、郡のホームページの掲載基準について、みなさまのご意見をお伺いいたしたく、書き込みをいたします。
公式ホームページコーナーのトップには、
なお、郡および北海道の支庁のホームページも一部掲載していますがこの基準よりは多少甘くしています。
とあります。
基本的には、広域事務組合などが当該郡市により構成されている場合にURLを掲載してきましたが、市町村合併が進み、1郡1自治体というのが増えてきている現状、どこまで掲載すればいいのか判断が難しくなってきました。

今回メールにてメンバーの方から、佐賀県神埼郡のホームページとして「佐賀中部広域連合」のホームページをご推挙いただきました。確かに神埼郡吉野ヶ里町とその他の市での構成であり、現在の神埼郡の1町は網羅されていますが、他の構成を見ると神埼市はいいにしても、小城市・多久市は旧小城郡の町村で構成されていますし、佐賀市もだいたいは旧佐賀郡の町村で構成されているため、この広域連合を神崎郡のホームページとして掲載するのは個人的に違和感があります。
現在掲載されている郡のホームページにつきましても、同様のケースがあると思われますが、特に見直しを行っておりませんので、今回これを期に、掲載基準を有る程度はっきりしたいなと考えています。

ワタシよりもそういった事情に詳しい方がこちらにはたくさんいらっしゃると思いますので、是非このことについて、ご意見等いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

【1】表現を一部訂正
[69096] 2009年 4月 2日(木)03:45:07【2】EMM さん
♪昨日は何の日 ふっふ~
昨夜は寝られなかったので出てきましたが、今夜は半端な時間に目が覚めたので出てきました(爆)

[69094] かぱぷうさん
これが強烈に私の脳裏にこびりついており、2年目にしてようやく私も温めていたネタを投下できました。

そうですね、2年前の4月1日には確かにそう言うネタ振りをしてました。
で、

[69081]我がの
そうそう、その誘致活動に際して、こんな話も出ていました。
北国新聞によると、

…はい、そう言う事です。
今年は[69056]
そう言えば、そろそろ例年恒例のアレの時期ですが、今年は無理かな?ちなみに十番勝負の話ではありませぬ(爆)
と書いた通りで、今年は事前にネタを考えておらず(思いつかなかった、と言う事でもあり)、おまけに人事異動の準備でてんやわんやになっちゃったんで今年はエイプリルフール用のネタ投下はしないつもりでした。
ところが、昨夜はなかなか寝付けなかったので異動後用の名刺を印刷しようとベッドから抜け出して来たんですが、印刷中に[69077]般若堂そんぴんさんの記事を見ていたら小ネタを思いつきました。
で、それをバタバタっとまとめたのが[69081]でした。
ちなみに、今年は「一部嘘」型。
大河ドラマ「利家とまつ」に関する過去の誘致活動の話と、現在「木曽義仲(と巴御前)を主人公とした大河ドラマの誘致活動」が行われている話は、一応本当です。
(参考
後半部分の「新幹線開業に合わせて大河ドラマ化」の部分が嘘でした。
「木曽義仲」での誘致活動自体がごく最近動き出したものなので、まだそんな具体的なところまで話が出てません。
(但し、この件の長野県と富山県の連携話は元々北陸新幹線延伸に向けての観光面の連携構想の中で出てきた話のようなので、今後の展開によっては本当にそう言うことになってきても不思議ではない)
一応「北国」以外の仕込みとして、

ほろっと大河ドラマの話が出てきたんで
(中略)
という話はありません。

…と思っていたら、最近思わぬ動きが。
(中略)
今後3県が連携して誘致活動を行っていく事でしょう。

そうそう、その誘致活動に際して、
(中略)
今後どう展開していく事でしょう?

…と言う事で、前半2段落の文頭と文末の文字をつなげると「ほんとう」、後半の段落の文末と文頭が「うそ」としてあったんですが、本当の部分の参考の中に北國新聞の記事があったんで、後半部分の「北国新聞」に対して前半部分には「北國新聞」と入れておけば良かったかもしれません。
とにかく、今年のは思いついてから10分ぐらいで内容を作ったので、もうちょっと詰めたかったなぁ…と言うのが反省点。
来年の4月1日は…今から考えていると鬼に笑われるので、何か閃いたらまたやるかもしれないと言う事で………(爆)

おまけ。
[69094] かぱぷうさん
西日本新聞の「日」の字を曰く(いわく)に置換えております。
これは使えるかもしれない………いや、何でもねぇッス(^^;;;;;
[69095] 2009年 4月 2日(木)02:24:28YT さん
鹿児島県熊毛郡中種子町、沖縄県の伊平屋村と伊是名村、島尻郡鳥島
[69046] 白桃さん

もっとも、「区」と「郡」については関心ありませんので、全く無視しております。

自分は国勢調査前の明治31年、36年、41年、大正2年、7年の5回の『日本帝国人口静態統計』を含めた、合計23回の調査における全国の市町村別人口をまとめようと計画しておりますが、古い統計書は印刷が悪く、3と8、5と6などの判別が困難なことが多く、どうしても小計として郡の人口を比較チェックする必要があります。国勢調査以前の人口統計に関しては、男女別人口を毎回頭の中で計算しながら打ち込んでいます。

いずれにせよ需要がありそうなので、今後少しずつ過去の市町村別人口をまとめて行こうと思います。現在のペースだと一年間はかかりそうですが。

[69010]の『都府名邑戸口表』と『都府名邑戸口表』記載の明治17年の人口の比較については後回しにします。

[69051] オーナーグリグリさん
市町村別人口をまとめる際に、市町村変遷情報を参考にさせて頂いています。鹿児島県と沖縄県の市町村別人口をまとめている過程でいくつか気づいた点をまとめます。

1.熊毛郡中種子町は1940年10月1日の国勢調査では「中種子村」と記載されていました。特に町制施行について然るべきソースを調べておりませんが、町制施行は1940年11月10日の間違いではないでしょうか?

2.沖縄県の伊平屋村と伊是名村は、戦前は島尻郡所属で、琉球政府管轄の時期に北部地区(国頭郡)所属になり、1970年の国勢調査でも国頭郡で集計されています。1972年6月7日以降再び島尻郡所属になっていますが、このような郡の組み換えは市町村変遷情報の調査の対象外でしょうか?

3.戦前の国勢調査や日本帝国人口静態統計では、島尻郡鳥島という区分が存在します。鳥島という地名はいくつかありますが、おそらく硫黄鳥島のことでしょう。硫黄を産する火山島で、硫黄鉱の噴出をきっかけに1904年に久米島へ全島民が移住して人口がゼロとなりますが、その後再び硫黄鉱関連で定住者が集まり、戦後まで硫黄の採取が続けられたもののの、1959年の噴火で再び硫黄鉱が閉鎖して無人となっております。市町村変遷情報では鳥島の項目がありません。
[69094] 2009年 4月 2日(木)01:59:50かぱぷう さん
♪さ~よなら さくら 忘れないでね (さだまさし・「さよならさくら」より)
[69079]拙稿
年齢詐称をしていなのはホントですが、本題の部分は4月1日ネタでございます。大方の人は苦笑されたことでしょう。お許しください(笑)

長埼市が、九州新幹線長埼ルートが開通した際に…
長崎市の「崎」の字を「埼」とさせていただきました。また、
再来年2月29日に予定されているダイヤ改正
再来年(2011年)は閏年ではありません。
以上2点は[69093]k-aceさん・[69089]伊豆之国さんに「発見」していただきました。そして小細工を施しているところがもう一箇所。

さて本題。今日の西曰本新聞で…
西日本新聞の「日」の字を曰く(いわく)に置換えております。
[57681]EMMさん
この記事ではわざと間違えて「北国新聞」と書きました
これが強烈に私の脳裏にこびりついており、2年目にしてようやく私も温めていたネタを投下できました。


今回のネタ、[68696]k-aceさんの書き込みに反応しようと文章を作成してプレビューを行なったときにふと「今年の卯月壱日はこのネタを投下するぞ!!」という気が湧き起こったことが動機です。

九州新幹線の愛称、もちろん私も応募しました。内訳は「つばめ」20通と「はやぶさ」「あさかぜ」で3通ずつ。「さくら」は長崎に乗り入れてこそナンボとの思いがありましたので、ホントは一番つけたかった愛称なのですが、あえて封印したことを遅ればせながら白状しておきます(^^A
[69093] 2009年 4月 2日(木)00:59:11k-ace さん
続・東山公園
こんばんは、k-aceです。
センバツは清峰対花巻東の決勝のようで、利府高校残念、決勝進出ならず。

さて、拙稿[69080]の名古屋市の東山公園の部分はエイプリルフール用の嘘記事だったわけですが、完全に嘘というわけではありません(中日新聞社に関する部分は完全に嘘ですが)。
名古屋市の東山動植物園再生プラン基本構想(PDF)の14ページ「構想の実現に向けて」によると、
東山動植物園が「人と自然をつなぐ懸け橋」に生まれ変わるためには、施設を改修するだけでは不十分で、ハード面だけでなくソフト面でも改革が必要で、そのためには動植物園の資源、職員の意欲を生かすことのできる組織体系やマネジメントが必要とのこと。また、資金を調達するうえにおいても、ネーミングライツ(施設命名権)、ファンドなど民間企業等との協働を検討しているとのこと。
なので、今後名古屋市が東山公園の命名権を募集する可能性がないとは言い切れません。
開園80周年にあたる2016年度に動植物園区域の再生完了を目指しているようです。

なお、拙稿[69080]の東山公園の記事は岡山市の東山公園から思いついた即興の記事だったわけです(4月1日になってから思いつきました)。
そういえば、米子市にも東山公園があって、命名権によりどらドラパークになったんだよなぁ。で、名古屋にも東山公園があったよなぁと思い、名古屋で「ドラ」といえば「中日ドラゴンズ」が真っ先に思い浮かび、拙稿[69080]のエイプリルフール用記事が誕生したのでした。

[69079]かぱぷうさんの「長埼市」、「再来年2月29日」と[69083]熊虎さんの「モリケンサンバ」には思わず笑ってしまいました。
[69092] 2009年 4月 2日(木)00:06:24般若堂そんぴん さん
敗北宣言
言うまでもなく,[69077] はもちろん「嘘」です.
毎年「嘘」を考えてきましたが,今日は全く思いつきません.もうそろそろ限界でしょうか……
というのは本当.で,数日前に考えた嘘を……って,まるで子どもか!

[69083] 熊虎さん,「モリケンサンバ」には負けました……
[69091] 2009年 4月 1日(水)23:55:10futsunoおじ さん
また訂正
[69089] 伊豆之国 さん
吉本町
「本吉町」ですね。

お恥ずかしい。早速訂正しました。
[69090] 2009年 4月 1日(水)23:47:23油天神山 さん
地名コレクションガセネタ提供
>ぺとぺとさん

企業由来町名コレクションに情報提供です。

高槻市桜町
地図をご覧になればおわかりのように、コニカミノルタ高槻研究所が立地しています。これはコニカミノルタの前身である小西六写真工業の主要ブランドであった「さくらカラー」から来ているようで、コレクションに収録済みの日野市さくら町と同じ命名パターンであると言えます。
ご検討のほどよろしくお願いします。


・・・と、初めはここまでで投稿するつもりだったのですが、書いているうちに良心が疼き出したので、一足早くネタを割ってしまいます。上記の情報はエイプリルフールのガセネタであります。

高槻市桜町にコニカミノルタの研究所があること、日野市さくら町にもコニカミノルタの工場があり、町名が「さくらカラー」に由来していることは本当です。しかし、高槻研究所は2003年のコニカとミノルタの経営統合以前はミノルタに属していましたから、高槻市桜町とコニカの前身たる小西六のブランド「さくらカラー」とは何の関係もないのでした。

正直言ってペとぺとさんがこんなネタに引っ掛かるとは思えませんが、万が一でもコレクションを更新するような無駄骨を折らせてしまっては申し訳ないので、潔く(?)自首いたします。

というわけで、春らしく桜ネタで一席伺わせて頂きました。ぺとぺとさん、引き合いに出してしまって申し訳ありません。どうぞ笑って許して下さいませ。
[69089] 2009年 4月 1日(水)22:46:30伊豆之国 さん
花の雲 鐘は上野か 浅草か
今日は、まず初めに「卯月馬○」にふさわしい?ネタから。

[69021]興田小さん
南巨摩郡増穂町・鰍沢町の新町名は南巨摩郡富士川町となります
旧庵原郡富士川町にお住まいの、新富士市民は複雑な心境でしょうね
私はこの新町名について
ひょっとして静岡県から消える富士川町が「引越し」なんていうことに
[66995])と半ば冗談交じりで書いたのですが、まさか本当にそうなるとは‥

ところで、「四月一日」(「四月朔日」とも)という苗字が、嘘ではなくて実在します。読み方や由来など、詳しいことは[30220]EMMさんの書き込みに出ているので、ここでは割愛することにします。

[69063]油天神山さん
私などは「森林」と「山」はほとんど同義語のように感じていたものです
[69064]N-Hさん
平地の森林も「山」と称しておりました
[69066]Issieさん
手をかけて維持してきた雑木林こそが人工の「山」なのですね
森林を「山」というのに対し、山岳を「森」というところも。八幡平周辺やなど東北北部や、四国に集中しているようです(谷有二氏著「富士山はなぜフジサンか」より)。この中で「森」の語源について、「盛り上がったところ」などいろいろな説が書かれているようですが、私が思うには「森」というのは単に「盛り上がった」場所とか「林より木が多い」とかではなくて、「鎮守の森」という言葉があるように「守(もり)」からきていて、「神が守ってくれる、神聖な場所」ではないかと見ているのですが、いかがでしょうか‥。
「鎮守の森」といえば、昨日の新聞記事に「鎮守の森が消えてゆく」というのがありました。この30年ほどの間に、「鎮守の森」の3割が駐車場などに化けて消え、残っているところも人工の植林に植え替えられたり、外来種の樹木などが増殖したりして姿を変え、また森が失われた寺社は、住民から「日当たりが悪い」との苦情が出た、というところもあるとか‥。
逆に寺院では、平地にあるものでも「○○山△△寺」というように「山号」をつけているのが普通です。例えば浅草寺には「金龍山」という山号があり、境内の裏手の歓楽地は、深山でもないのに「奥山」と呼ばれていたりします。こちらは、おそらく元々は僧が山寺に籠って修行したというのが、後に「里」にも寺院が建てられるようになってもその名残が残ったということだそうですが‥。

さて、私は「中年オジサンの頭の体操」を兼ねて、「十番勝負」などのクイズにも参加してきたのですが、たまには「出す」側になってみたいと思い立ち、ここでクイズを。名づけて「1番アイアン・一発勝負」。

問一(想定解数:7市) 京都市、名古屋市、福井市、松本市、いなべ市(該当しない市:金沢市、富士市、廿日市市)

想定解が少ないので、既出の市を答えても差し支えありません。
なお、この他に「ボーナス」の市が出てくることがありえます。

ヒントを次に出しておきます。
その1:「鉄」系のマニアックなある「物」です。
その2:ある地方ではつい最近までごく当たり前に見聞きできましたが、今では「絶滅危惧種」になっています。
その3:想定解の残りの市は、お題の市のどれかと隣接しています。

それでもわからなければ、私の過去の書き込み、「メンバー紹介文」ができてすぐの頃のものを見れば‥。
そして、今回のタイトルにも、この問題を解くキーワードが‥。

ここで、ちょっと余計なお節介ですが、
[69075]futsunoおじさん
吉本町
「本吉町」ですね。
[69079]かぱぷうさん
長埼
ん?‥
[69088] 2009年 4月 1日(水)22:44:31ぴょん さん
南大沢署管内....
稲生さん

八王子市の主に京王線の南側と町田市の相原・小山地区を管轄します。大学の多い場所です。それにしても、警視庁の警察署名は1地点の地名を名乗ることが多いので、南大沢署と聞いて、すぐにピンとくる方は少ないのかもしれません。

お久しぶりです

多摩部で管轄域人口が多い町田と地勢的に遠い八王子由木地区にまたがる待望の警察署誕生ですね。
しかし、この管轄地域...地域に住む私としては少々違和感がありますね。
もともと由木+町田境地区の予定だったはずなのに何故由井地区(北野・長沼・小比企・片倉・みなみ野あたり)を加えたのでしょう?
単純に人口比だとするとそうなるのかもしれませんが、もともと由木と由井は峠を隔てた地域。その管轄域のネックがそもそもの理由の主だったはず..。
北野町なんて一部は八王子駅から徒歩10分程度の場所もあるのに..。
仕事上駐車許可証などで警察に赴くことも多いのですが、北野や小比企あたりの人が南大沢なんて名前以前にまずピンと来ません。
まぁJRをまたぐ道が常に混雑する市内なので署からのパトカー到達時間なら打越・絹ケ丘付近まで行くといい勝負かもしれないですが。

名称について
南大沢...まぁこのあたりでは一定の集積と知名度はあるんで仕方ないかと..
いまどき「由木」を積極的に使ってるのは市の機関くらいなもんですしね。
「八王子南」だと町田市域もあるし..
「ニュータウン西」も相原を抱えると変だしww
「多摩中央」に対しての「多摩西」だと奥多摩や羽村あたりの「西多摩」と勘違いしそうですしね。

ただ、民営化されたとはいえ郵便局の集配局の八王子南がこの管轄域の町田市域を除いたところとほぼ一致しますね。
なぜか八王子南局は南大沢からみなみ野に移転しましたが...。
[69087] 2009年 4月 1日(水)22:40:37林檎侍[花笠カセ鳥] さん
佐倉へ行きます
某は今年も4月26日に行われる「佐倉時代まつり」に参加いたします。
昨年、一昨年と衣装を借りた上で参加しておりましたが、今年は自前の甲冑で参加いたします。
今年は甲冑を運ぶ必要があるため、クルマでの訪問になります。

で、佐倉時代まつりに参加するうち、佐倉市の魅力にはまってしまいました。
そんなわけで今年は、祭りに参加してそのまま移住することにしました。
荷物が多くなるので軽トラックで行きます。
すでに昨年は山形から埼玉県行田まで軽トラックで出陣しております。

今年は、栃木県のさくら市で、佐倉時代祭りに対抗した時代行列が行われるそうです。
[69086] 2009年 4月 1日(水)22:10:42小松原ラガー さん
尼崎市 -- 今日は何の日?
小松原ラガーです。事情があって、ここ数日、尼崎市の実家で寝泊りしております。(恐らくこの状態が5月のGW明けまで続くと考えられますが・・・。)

[69051] グリグリさん
■4月1日(水)
(中略)
(2) 前橋市、大津市、尼崎市の中核市移行
中核市は1市減って(岡山市)3市増加し41市。

早速、尼崎市のホームページでもこのように過去形で紹介されています。また、神戸新聞でもかように紹介されていました。尼崎市のホームページには記載されていませんでしたが、神戸新聞には面積要件が撤廃されて中核市の仲間入りが出来た旨がしっかり書かれていました。

因みに、神戸新聞には、神戸市の市制120周年の記事も掲載されていましたが、タイトルが「ハイカラから150万都市へ」とは。ま、今でもハイカラな要素が無いわけでもない神戸市ですので、こう書かれると「もはや全くハイカラではない。ハイカラは過去の状態。」とでも取れ(うがった見方でしょうか?)、少々残念な気持ちにもなりますが。

※※
さて、この尼崎市ですが、人口が減少傾向(最近は横ばいから微増か?)にもかかわらず、面積要件に続いて人口要件も緩和されることを前提に、政令指定都市の仲間入りを目指すとか。その折には、今の支所の管轄をそのまま区に格上げし、中央区(または城内区)、小田区、大庄区、立花区、武庫区、園田区の6区体制で移行するとか。また、一方では、人口要件が緩和されないことを想定して、伊丹市との合併、あるいは西宮市との合併も視野に入れて政令指定都市化を目指すもようです。伊丹市との合併のケースでは伊丹区(旧伊丹市の西部を除くほぼ全域)、武庫区(伊丹市西部と尼崎市武庫支所管内)、立花区(立花支所管内及びその周辺)、東区(主に園田支所、小田支所)、浜区(主に中央・大庄支所)の5区体制で指定都市化し、西宮市との合併では東区(主に中央・小田・園田支所)、立花区(主に立花・武庫・大庄支所)、甲子園区(西宮市東部)、西区(阪神西宮駅を中心とした西宮市西部)、山手区(阪急西宮北口・夙川駅を中心とした西宮市北部)の5区体制で指定都市化するとか。
※※

って、すみません。※※~※※の部分、タイトルにあるように「今日は何の日?」ということで全くのウソです。すみません。はい・・・。

本題に戻しますが、中核市化された尼崎市ですが、今のところ市内でもあまり盛り上がりは無いようです。(ご近所さんでも商店街でも、そのような話題は出てきておりませぬ。)
[69085] 2009年 4月 1日(水)20:06:00じゃごたろ さん
なんとなく
ごぶさたしてます、じゃごたろです。
現在60日以内のメンバー紹介から消えてしまいましたが、実は一度書き込んで削除したものがありました。。。

さて、ようやく私の出身地の岩手県も甲子園の決勝進出校を出すことができました。東北地方では、秋田中(秋田県)、三沢(青森県)、磐城(福島県)、仙台育英、東北(いずれも宮城県)に次いでということになります。やはり一人の優秀な投手がいると全然成績が違うんだなと思います。白河越えは空路でいきなり北海道へと行きましたが、東北初の優勝になればいいなと思ってます。

これだけではなんなので、クイズというほどではないですが、以下に共通する事柄とはなんでしょうか?

弟子屈町、十和田市、日光市、下田市、富士吉田市、軽井沢町、大町市、長野原町、志摩市、島原市、小林市、垂水市

ただし、市町村合併前後の自治体名に変えてあります。
[69084] 2009年 4月 1日(水)19:20:54らるふ さん
120周年
今日は何か大事なものの誕生から120周年ですよね。
まあそれとは直接関係ないのですが、何気なく「120周年」で検索すると北九州港開港120周年記念公式サイトが一番にヒットしてきました。1889年に門司港が国の特別輸出港に指定されたということで120周年だそうです。
当時、門司はまだ「文字関村」。1894年に「門司町」、1899年に「門司市」。あ~ら、門司って小倉市(1900年市制)より早く市になっていたのですね。特別輸出港に指定されるというのは都市化を促進するのに大きな力となったようです。
[68406]いっちゃん さん
1894/08/01に文字関村→門司町、1899/04/01に門司町→門司市と、5年8ヶ月(1,704日)で変身を遂げた例があるようですが。

しかし「文字関村」って何故そう命名されたのでしょうね。
[69083] 2009年 4月 1日(水)14:25:41BANDALGOM[熊虎] さん
千葉県の新知事、こんなことを・・・
既に報じられている通り、先月29日に行われた千葉県知事選で森田健作氏が当選しました。
私は40万票差で2位になった候補者を応援していたので残念の極みですが、森田健作さん、羽田空港と成田空港をリニアモーターカーで結ぶとのこと。
実現すれば便利になりますね。財源やルートはどうするのかという疑問はありますが・・・。

しかし、森田健作さん、こんなことも考えていたそうで、驚きです。
長野県といえば県歌『信濃の国』、群馬県といえば「上毛かるた」、そして千葉県といえば「なのはな体操」ですが、学校で覚えさせられた若い人たちの間ではすっかり有名になったものの、中高年層にはあまり浸透していませんし、若い人たちの間でも「恥ずかしい」という声が聞かれます。

そのことを意識したのか、森田新知事は「なのはな体操」をやめて、「モリケンサンバ」を全県に普及させる方針を打ち出したそうです。
「マツケンサンバ」の二番煎じじゃないかって・・・何でも振り付けは同じ真島茂樹氏だそうですが、「青春の巨匠」と言われる森田氏にふさわしい振り付けで、また「マツケンサンバ」は江戸時代の衣装を着て踊りましたが、こちらは森田氏にふさわしく、剣道着を着て踊るんだそうです。

まずは千葉県庁職員と千葉県警の全職員、県議全員を対象に講習会を開き、そしてこれまで「なのはな体操」でそうしてきたように、全県立高校と県立千葉中学校で体育の時間に必修とするとのことです。

しかし、私の知り合いの県議もやりたくないと言ってましたし、私もやりたくないですねぇ・・・。
千葉県在住の落書き帳メンバーの皆さんはいかがですか?

ところで、森田氏に40万票差で敗れた候補者は、2期8年務めて退任する堂本暁子知事の後継とされていましたし、3位となった候補者は唯一の女性でしたが、両者の支持層を取り込むために、森田氏はこんなことも決めたとか・・・。

全国3番目の女性知事だった堂本知事の退任とほぼ時を同じくして、全国唯一の女性村長だった([66451]がっくんさん)長野県下伊那郡清内路村の桜井久江村長も、先月31日の阿智村との合併で失職したわけですが、その桜井前村長が森田氏の招きで、千葉県の副知事に就任することが決まったようです。

いやー、びっくりしました。知事が堂本氏から森田氏に代わることで、女性施策が後退する、と私の知人の女性議員たちは危惧していましたが、まさかこんな手を用意していたとは。
ちなみにその桜井新副知事、招聘のお礼として、『信濃の国』をアレンジした新千葉県歌を制定したそうで、これも全県で普及を図ることになったようです。

今日も朝6時から昼1時過ぎまで仕事だったので、お知らせするのが遅くなりましたが、これらのニュースを聞いたのは朝8時のことです。
[69082] 2009年 4月 1日(水)10:37:09稲生 さん
岡山東警察署・岡山中央警察署、南大沢警察署
稲生です、こんにちは。

本来、mikiさんが得意とする分野なのでしょうが、2件ほどご紹介します。

本日より政令指定都市の仲間入りした岡山市に関連して、岡山県警は4.1より 岡山市内の警察署名称の一部変更pdf を実施しました。
岡山東署⇒岡山中央署 西大寺署⇒岡山東署 です。

私・稲生は岡山には少なからぬ縁がありまして、ここ6年で10日以上は訪問しており、岡山市の区制エリアと警察署管轄エリアについては、自分の趣味のためもあって若干ながらも詳しくなっておりますので、解説をしたいと思います。
リンクした境界線地図でもわかるとおり、設置した4つの区域と警察署管轄が全く一致するところはありません。
岡山南署は南区全域に加え、北区に属する岡輝地区の一部(奥田・青江など)を含み、
新・岡山東署は東区の大半を管轄するも、旧・瀬戸町は従来からの赤磐署の管轄です。
岡山北署は御津署の名称変更(3年前より)によるもので、北区の郊外である旧・御津町、旧建部町(及び加賀郡吉備中央町)の管轄に過ぎず、北区の大半は岡山西署の管轄となっています。
その北区の心臓部にあたる中央地区は新・岡山中央署が中区全域とともにカバーしています。

二つ目は東京都内で102番目の警察署 南大沢警察署の開設 についてです。4.20に誕生いたします。
八王子市の主に京王線の南側と町田市の相原・小山地区を管轄します。大学の多い場所です。それにしても、警視庁の警察署名は1地点の地名を名乗ることが多いので、南大沢署と聞いて、すぐにピンとくる方は少ないのかもしれません。
[69081] 2009年 4月 1日(水)04:09:20【2】EMM さん
Tiger Drummer
とりあえず前職場の片づけを済ませて帰宅したのが10時過ぎ。
で、晩飯食って風呂入って布団に潜ったんですが…なんだか寝付けませぬ。

[69077] 般若堂そんぴんさん
「大河ドラマに米沢がでてくるのは最後のごくわずかな部分ではないか」
大河ドラマでは「本拠地があちこち動いて歩いた人」が主人公となる事が多いんで、これはやむを得ないですね。
たとえば「利家とまつ~加賀百万石物語」でも、金沢が出てきたのは最後の方のみで、しかもその頃は前田利家は五大老筆頭として豊臣政権の中心的役割を担ってましたから、金沢よりも京や大坂にいる描写が多かったですし。
まぁそれはそれとして。

ほろっと大河ドラマの話が出てきたんで、ちょいと最近新聞とかで目に付いた話題をば。
その前に一応前振りからですが…
最近は「大河ドラマの誘致活動」ってのも多いみたいですね。
その地のゆかりの人を主人公として取り上げてもらう事で地域興しにつなげよう、見たいな。
東北が舞台となった「独眼竜政宗」が大ヒットした事がこういった動きの増加に繋がっているようですが、誘致活動自体は更に前から行われていたようです。
「石川ゆかりの人物を主人公に」という取り組みは1970年代前半から行われていたらしいですし。
(ただし、推薦する人物は銭屋五兵衛→前田利常→前田利家と変遷しています。しかも結局「利家とまつ」の真の主人公はお松の方だし)
「利家とまつ」で一応の結果が出たためか、その後「別の石川ゆかりの人物で新たな大河ドラマの誘致を」という話はありません。

…と思っていたら、最近思わぬ動きが。
現在、長野県と富山県が連携して「木曽義仲を大河ドラマの主人公に」と言う取り組みを行っているようなのですが、石川県としてもその取り組みに協力しよう、と言う話が出てきています。
確かに、石川県内には倶利伽羅峠の戦いや篠原の戦いの古戦場がありますから、もし大河ドラマの誘致が実現すれば結構良い取り上げられ方をすることになるでしょうし、結構な効果が想定される…という訳で。
話が出てそんなに経っていないので石川サイドではまだそんなに話は進んでないみたいですが、今後3県が連携して誘致活動を行っていく事でしょう。

※《ここから先の部分はエイプリルフールのネタ記事です》

そうそう、その誘致活動に際して、こんな話も出ていました。
北国新聞によると、石川県としては平成26年、ないしは27年に大河ドラマ化されるように働きかけを行いたい、との事。
なるべく早く…と行きたいところなのでしょうが、そうなるとライバルとの競争が熾烈になるため、余裕を持って取り組みを進める事で取り上げてもらえる可能性を挙げよう、と言う思いもあるようです。
しかし、それよりも重要なのは、北陸新幹線の長野~金沢間が平成26年度末に開業する予定となっている、と言う事。
細かい話をすれば具体的なルートは一致していませんが、木曽から北陸を通って京に上った木曽義仲軍と、長野から北陸へと伸びる新幹線を重ね合わせる事で、経済に与える効果をより高いものにしたい…と言う思いがあるようです。
ただ、工事の進捗状況次第では開業の前倒しって話もありますし、逆に新潟県の動向次第では遅れる事だってあるかもしれませんし、目標年次をガチガチに固めてしまうとあんまり良くないかもしれません。
さぁ、今後どう展開していく事でしょう?

※《ここまでエイプリルフールのネタ記事でした。大変失礼しました。なお、《》内は4月2日に追記しました。》
[69080] 2009年 4月 1日(水)02:35:49【3】k-ace さん
東山公園
こんばんは、k-aceです。

今年のセンバツは、郡部からは3校出場している(鵡川(むかわ町)、利府(利府町)、清峰(佐々町))のですが、ベスト4に2校(利府、清峰)残っているんですね。
こうなったら清峰対利府の郡部決勝対決を期待したいところです。

さて、4月1日になりました。岡山市政令指定都市移行おめでとうございます。政令指定都市移行で岡山市のさらなる発展を願います。
(結局本日も書き込んでいるので、結果的に拙稿[69067]でフライングお祝いする必要がなかったんですが…。)
それしても私の岡山市の宿泊地、訪問地って気がつけば北区ばかり。その他の区は散策程度(中区の東山駅・東山公園付近、東区の瀬戸駅周辺、南区の妹尾駅周辺)。中区、東区、南区エリアも訪問しなければ。

さて、東山公園といえば、米子市にも東山運動公園、東山公園駅がありますが、昨年11月1日より(3年5ヶ月間)東山運動公園が命名権(ネーミングライツ)により、呼称がどらやきドラマチックパーク米子(略称、どらドラパーク米子)に変更されましたが、
(以下は、エイプリルフール用の嘘記事部分です。お間違えのないようお願いします。4月2日、本注意を追加。)
一部報道によれば名古屋市が市内にある東山公園内の東山動植物園が「人と自然をつなぐ懸け橋」に生まれ変わるためには資金が必要とのことで、東山公園の命名権の募集を検討し、中日新聞社がその場合命名権取得を検討しているとのこと。その場合、呼称をドラゴンズドラマチックパーク東山(略称、ドラドラパーク東山)に変更する案が有力とのこと。
(嘘記事部分終わり)

#ん、宮城県吉本町!?
[69079] 2009年 4月 1日(水)01:57:57【1】かぱぷう さん
♪さーくら はなーふーぶぅーき (桜 花吹雪)
白桃さんにならってタイトルに歌のワンフレーズを持ってきました。曲は「ふきのとう」の春雷。
こんな歌を持ち出すと「お前、歳ごまかしてるだろ」とか言われそうです。4月1日ですが、三十ン歳かぱぷう年齢詐称はいたしておりません。

さて本題。今日の西曰本新聞で紹介されていた記事からです。
九州~山陽直通新幹線の愛称に決まった「さくら」ですが、白紙撤回もありうるとか。
長埼市が、九州新幹線長埼ルートが開通した際に新設される列車の愛称を念頭に「『さくら』の愛称は長埼に乗り入れる列車にこそふさわしい愛称であり、来たる将来まで使用を控えていただきたい」との申し入れをJRに行いました。
これに対しJR側は「再来年2月29日に予定されているダイヤ改正での運行開始を目指して、285系寝台特急用電車をベースとした585系電車の作成を鋭意進めている」とした上で「東京-長埼間を走る列車に『サンライズさくら』と命名することも検討課題として上がっている」とコメントしたとのことです。

この列車、実現すればいい夢がみられることでしょう。

=======
以下、 2009年4月2日AM2:00ごろ追記
この書き込み、出来映えはあまりよろしくありませんが「4月1日ネタ」でございます。
#拙稿[69094]にてネタ部分を自白しております
[69078] 2009年 4月 1日(水)01:11:59白桃 さん
♪恋の未練がなぜ斬れぬ~
は、侍ニッポン
WBCはなんだっけ?(笑)

・・・県民栄誉賞
♂「岩隈が県民栄誉賞だって!」
♀「何県の?」
♂「そりゃ宮城県に決まっているだろ」
♀「あぁ、それ、東国原さんが言ってたよね」
♂「・・・」

・・・利府の人
♂「明日は花巻東と利府で準決勝か」
♀「リフってどこ?、ギフのとなり?」
♂「理不尽なヒトがたくさん住んでいる所」

・・・白桃作ショート地理雑学ミステリー
その死体は、水上の温泉街のすぐ傍を流れる川の河原で発見されたが、死後相当な月日がたっていたこともあり、身元はまだわかっていない。
犯人である白桃は、前から以下の3人に深い殺意を抱いていた。
勤務先の上司:上野一郎
十番勝負のライバル:安芸春雄
恋敵:加賀武
はたして、この死体は誰だったのでしょう
[69077] 2009年 4月 1日(水)00:50:05般若堂そんぴん さん
・・「直江町」駅
毎年「嘘」を考えてきましたが,今日は全く思いつきません.もうそろそろ限界でしょうか……

で,こんな話.

 う れしいことに,今年の大河ドラマ「天地人」の主人公は現在の米沢の基礎を築いた直江兼続ということもあり,米沢市では「かねたん」というゆるキャラも登場するなど,なかなかの盛り上がりを見せております.そこで,JR米坂線の西米沢駅を所在地に因んで「直江町」(なおえちょう)駅と改称して「まちおこし」に結びつけようという話が米沢市西部地区から出てきています.さらに,近くにある「西部公園市民球場」を「直江兼続記念球場」と改称しようとする声もあるようです.
 そ んな声ばかりではありません.「それが本当に『まちおこし』につながるのか」(そもそも,「まちおこし」という言葉を言い出す時点で駄目なような気もしますが),「大河ドラマ人気などは所詮一過性のものではないか」,「視聴率も『篤姫』には敵わないではないか」,「大河ドラマに米沢がでてくるのは最後のごくわずかな部分ではないか」「南米沢駅雲井龍雄に由来する旧町名に因んで『雲井町』駅としてはどうか」,「主君である上杉をさておいて命名するとは何事か」,など,批判も多く,実現するかどうかは不明です.

それにしても,最近の地図サイトはやたら重いですね.私の環境ではマピオンのシンプル地図が精一杯です.
[69076] 2009年 4月 1日(水)00:42:10Issie さん
相摸横山
[69070] hmt さん
東に行く小道を進むと、相模川沿いの低地に通じる段丘崖があり、ここが「山」だったのです。

…というわけで,旧高座郡北部,つまり相模原市の“旧市域”のあたりでは,相模原台地の段丘崖を「横山」と呼んでいました。
もう少し局地的には,旧大沢村の下九沢から旧上溝町を経て旧麻溝村の下溝にかけて,相模原台地の“上段”(相模原面)と“中段”(田名原面)の間の段丘崖。
現在,JR相模線の上溝駅は,1931年の開業時には「相摸横山」駅という名で開設されましたが,台地中段から上段へ駆け登る,まさにその勾配の最中に設置された駅としては最もふさわしい駅名でした。後に,「本上溝」駅を経て,現在の「番田」駅と「上溝」の駅名を交換しています。

※つまり本来,上溝町に駅を設置しようとした旧相模鉄道としては,急な坂を登る前の平坦な場所に“高座郡北部の中心都市たる上溝町の代表駅”として貨物扱いもできる「上溝駅」を設置したのだけれど,何分ここは上溝町の中心からは南に離れて遠い。そこで,市街地中心に至近の位置にある勾配途中にジーゼルカーなら発着のできる乗降場として「相摸横山」駅を置いた。でもやっぱり,上溝の町の中心に近い駅が「上溝」を名乗るべきであり,暫定的な「本上溝」を経て,従来の 上溝駅 から「上溝」の名を奪い取ったのですね。結果,従来の 上溝駅 は,周辺の“字名”にならい「番田」駅を名乗ることになりました。なお,字名の“ばんだ”には「盤田」という表記もあるようです。

現在の相模原市では「横山」または「横山台」という地名は,かえって段丘崖ではなく,その段丘の上,上段の相模原面上の町名となっていて,本来の「横山」の意味は薄れてきているようです。

なお,相模原よりももう少し起伏の大きい 武蔵国多摩郡 では,「(武蔵)横山」というと八王子周辺の多摩丘陵を指すようです。
[69075] 2009年 3月 31日(火)23:43:03futsunoおじ さん
修正&訂正
[69056] EMM さん

もしやと思ったら真岡市と二宮町は合併になりましたね。担当分の反映実施しておきました。私の場合は、『吉本町(2009.9月、気仙沼市)』のような表現で逃げ道は作ってあるのですが、多くのコレクションを抱えている人にとっては結構負担になるでしょう。

日付順の市区町村変遷予定情報をもとに該当するコレクションの1年分の修正予定表を作っておいて定期的に確認するのが良いでしょうが、上のような逃げ道を作っておいて年に1回あるいは2回の決まった時期にしか修正を行いませんと宣言してしまうのも一つの方法かもしれません。


[69067] k-ace さん
「県境の交通路」コレクションの「10 群馬県-20 長野県」に「妻恋村」とあるのですが、正しくは「嬬恋村」ですね。

申し訳ありません。訂正しました。
間違えるのであれば、愛知県「愛妻市」も入れてバランスを取らないといけなかったですね。
[69074] 2009年 3月 31日(火)22:00:28いっちゃん さん
山のお話
[69064]N-Hさん
千葉県生まれ育ちの私の子供の頃、周囲の人たちは、おしなべて平地の森林も「山」と称しておりました。
そういう使い方をする地方、他の関東地方の方々はいかがでしょうか?
はい、他の関東地方の者です。ワタクシが育った栃木県小山市でも森林のことを「山」と呼びます。例えば「山にカブトムシを採りに行く」の「山」は近所の「雑木林」のことを指します。

ところで、そもそも市内の最高地点が海抜50メートルほどで市域に「山」が一つもないのに何故「小山」なのでしょう?
小山市役所のHPには
地名の由来については、諸説がありますが、思川西部の低地から見ると東部の台地が小さな山の形をしていることからその名がついたというのが有力です。
とあります。ワタクシも小学校(だったかな?)の社会科の授業でそのように習いました。思川西部の低地は今でこそ小山市内ですが、もともとの小山郷ではありませんから、そちらから見れば間違いなくその土地は「小さな山」です。
[69073] 2009年 3月 31日(火)21:47:31スナフキん さん
身近にあった、不思議な「山」
山の話題が出てきました。
[69064]でN-Hさんからも
そういう使い方をする地方、他の関東地方の方々はいかがでしょうか?
との呼びかけがあり、実家にいた頃のことをふと思い出しました。

大学時代は実家からの通学であり、人文地理学のとある講義にて、身近な字名を調べてみぃ、という課題をやったことがあります。市立図書館でこもり切りになり、旧霞ヶ関村の中にある大字を片っ端から調べ上げて図化した上に、地名調査報告にあった聞き取りなどを元にした由来一覧など、ワープロで保存するほど気合を入れたものです。その後幸いなことに、ワープロ破棄の際に出力からOCR処理を行い、今ではマイPCに大切に由来のテキストが保存されていますが、その中に非常に不思議な小字がありました。

大字笠幡字山伝

さんでん、と読みます。実はこれ、1/2.5万地形図にも古くから記載されている地名でして、私自身課題への取り組み前から知っていた地名ではあったんですが、非常に不可解な地名だなと思っていました。この課題を通して、謎が解けました。保存してある由来テキストには…

『明治三十七年山伝東部開発、明治四十五年水久保・上野前開墾とあり単に「開墾」と呼ばれていた。しかし、明治三十七年に「神明」に霞ヶ関尋常高等小学校が設立され、年々学童数も増えてきてただ「開墾」というだけでは大変不便であるとのことにより、村の長老たち(主に倉ヶ谷戸)の有志が相はかり地名を決めることにした。倉ヶ谷戸より小学校までの間には八丁並木などといわれるように松柏が茂り、山を伝わって行かねばならぬことから「ヤマヅタイ」すなわち「山伝」と名付けた。時に昭和五、六年の頃といわれる。』
(ゴメンナサイ、詳しい出典のメモを当時忘れていたようです)

この文言を見ても一目瞭然なように、「松柏の茂る地」、普通に考えれば「林」や「森」に相当する土地利用部分をあえて「山」と称しています。

鉄な方ならお分かりのように(駅名にありますね)、笠幡は川越市の西端に相当する立地であり、奥武蔵の山々まで決して遠い場所ではありません。いやむしろ、自転車で30~40分も走れば高麗の山里であって、本来の「山」には関東平野の中でも相当近い場所に当たるはず。にもかかわらず、やっぱり森林を「山」と称する習慣があったんですね。

入力していて気がつきましたが、よく見聞きする上記の「里山」の「山」も、こんもり盛り上がったピーク状の土地…そういう意味では必ずしもないですよね。

あ、そのひっくり返しもありますね。特に北東北にはこの逆バージョン、本来は「山」なのに「森」と称するものも…。これだから、自然地名は奥が深いんです。これだから、きちんと拠り所を示さないと自然地名はすぐつつかれて、地図屋にとって鬼門になるんです(大汗)。
[69072] 2009年 3月 31日(火)17:00:34山野[山野] さん
[69071]の続編
(島根県)
東出雲町は松江市との広域行政研究会の設置を検討しているとの事。

…30分余りの間に書き込みが無いものの、以前話題になったので記事を分割したけども、まぁいいか。
[69071] 2009年 3月 31日(火)16:08:52山野[山野] さん
合併関連情報4件
でるでるさんへ。
一ヶ月分の情報が溜まって来ていますがこちらの4件も序でにお願いします。

(宮城県)
昨日の協議会にて新市役所の位置が決まり現在の大河原町役場になるとの事。
(栃木県)
栃木地区の合併予定日が決まり、来年の3月29日となりました。
(新潟県)
長岡市と川口町は5月にも任意協を設置する事で合意した。
(山梨県)
暫く音沙汰の無かった甲州地区ですが丹波山村との任意協設置を現時点では困難とし見送る方針となりました。
[69070] 2009年 3月 31日(火)14:14:40hmt さん
山が見えない
[69063] 油天神山 さん
これはよく言われることですが、【関東平野では、近くに】山が見えない。

近くにあったのに、「山が見えなかった」経験があります。

戦争が終って間もない1946年の春、私は中学生になりました。
信じられないと思いますが、当時、私の故郷の津久井には中学校がありませんでした。(津久井高校の前身は女学校)
同じ国民学校の高等科以外に進学する先は、10km余東の橋本にある相原農蚕が最も多かったのですが、私が入ったのは(旧制)厚木中学校。20kmほど離れていますが、それでも一番近い普通科の中学校です。

山を越えた半原まで出れば厚木へのバスもありましたが、親戚の家に下宿することになりました。
その場所が、神奈川県愛甲郡依知村山際。

「山際」に行ってみると、その名に反して、近くに山が見えません。
西には秀麗な大山の姿を望むことができましたが、20km以上も先です。

そのうちに、「山の際」である理由が、ようやく解りました。
東に行く小道を進むと、相模川沿いの低地に通じる段丘崖があり、ここが「山」だったのです。
[69066] Issie さんが
そう言えば,子どもの頃にアケビをとりにいった「山」は,実は幕張の台地末端斜面だったな…。
と書いたものと同じ性格の「山」です。
「山」は必ずしも上に見えるものでなく、台地上の住民にとっては、「山」は下にあるのでした。

中津原台地の縁にある集落の「山際」では、台地上を畑、低地を水田、間の段丘崖をヤマとして利用していましたが、もっと広い台地面にある 斜面がない地域では、平地もヤマとして利用しました。
台地上の雑木林(平地林)は自然林の伐り残しではなく,思いきり人の手の入った人工林です。

[34440]でも引用しましたが、国木田独歩の作品は、発表当初のタイトルが「今の武蔵野」であり、
昔の武蔵野は萱原のはてしなき光景を以って絶類の美を鳴らして居たように言い伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林は実に今の武蔵野の特色といっても宜い。則ち木は主に楢の類で冬は悉く落葉し、春は滴る計りの新緑萌え出づる…
と、「今の武蔵野」の平地林が、開拓民が薪炭や落ち葉を得るために育てた人工林であることを認識していました。

下にある「山」の例をもう一つ挙げます。フェーデ・グローフェの組曲・大峡谷の「山道を行く」。

今回のテーマとは、少し方向性が違うようですが、「山」については、

[53194] みやこ♂ さん
 何を持って一山とするかなんて,誰にもわからない

という記事もあります。ご参考まで。
[69069] 2009年 3月 31日(火)12:53:57ペーロケ さん
若狭
[69058]EMMさん
[69061]今川焼さん
 若狭方面の情報ありがとうございます。
名神経由に比べて500円安で済むわけで、実は金額的にもお得だったりします。
 しまなみ海道の場合は6時間以内、福山西or尾道~今治湯ノ浦or松山IC間の利用の場合は、残りの区間は「0円」になるという特例があるという話を聞いたもので、同じように大都市区間をまたがっても1000円で行けると思い込んでいました。小浜西~敦賀を一般道で行ったほうが、かえって安くなるんですね。とんだ裏技だったとは、こりゃ確実に混みますね(汗)。場合によっては国道162号経由(おそらく「酷道」)、または滋賀県に出て木之本ICを向かうという荒業も検討しなきゃ。。。
[69068] 2009年 3月 31日(火)09:51:27JOUTOU さん
やま
[69063]油天神山さん
先日大阪の岸和田まで行ってきましたが、確かに近いですよね。言われてみると雑木林といった類のものもあまり見かけないような気もします。

さて、私は少年時代というか、高校卒業まで殆ど関東一円から出ることがありませんでした。旅行でも修学旅行(中・高)で2回出たくらいです。住んでいたところも品川区→横浜市→新宿区→中野区。
大学時代に北海道岩見沢で生活するようになってから、休日札幌まで遊びに行って強烈に感じたことが、まさに「山が近い」でした。当時のわたしにとって、札幌も中心街は東京の繁華街と遜色ないナと思ったところに“山”がより印象的でした。
[69067] 2009年 3月 31日(火)01:18:08【1】k-ace さん
岡山市政令指定都市移行前日の書き込み
こんばんは、k-aceです。

futsunoおじさんへ
些細な指摘になりますが、「県境の交通路」コレクションの「10 群馬県-20 長野県」に「妻恋村」とあるのですが、正しくは「嬬恋村」ですね。修正お願いします。

[69056] EMM さん
清内路村は私担当の「坊主」コレクションだけだったようでビックリ。
(日南市、阿智村の合併の件については昨日修正済み。岡山市の政令指定都市移行に関しては明日以降更新予定)

日付も替わって、いよいよ明日、岡山市の政令指定都市移行ですね。1日フライングですが、岡山市政令指定都市おめでとうございます!
さて岡山市はどのような変貌を遂げていくのでしょう? 楽しみです。
そして、岡山市公式ウェブサイトのアドレスが明日4月1日に変更されるとのこと。
岡山市HP

長浜市の合併がなぜか早々と官報に告示されたようですが、これによって来年以降JR西日本の新快速で町に在る駅に停車するのが無くなる…と書きたかったんですが、上郡駅(上郡町)がありました。たぶん来年以降はここ1駅だけのはず。

[68946]オーナー グリグリさん
サイトの背景色とフォントサイズについて
亀レスですが、私としては現状で問題ないので今のままでいいのではと思っています。

[69021]興田小さん
甲南町残念。富士川町かぁ…。静岡県のが合併でなくなってから、まだ日がそんなに経っていないのが気になりますが。

(以下追記)
この書込で書込数500件達成となりました。
[69066] 2009年 3月 31日(火)00:05:03【1】Issie さん
ヤマ
[69064] N-H さん
周囲の人たちは、おしなべて平地の森林も「山」と称しておりました。

そう言えば,子どもの頃にアケビをとりにいった「山」は,実は幕張の台地末端斜面だったな…。

武蔵野の例ですが こんな説明 があります。
相模野(相模原)でも,同じように台地上に育成された雑木林を「ヤマ」と呼んできていたようです。
武蔵野のページには曖昧にしか書かれていませんが,こうした台地上の雑木林(平地林)は自然林の伐り残しではなく,思いきり人の手の入った人工林です。
このページでは「人が住む以前の昔の武蔵野は、常緑広葉樹林に覆われていた」と書かれていますが,相模野(相模原)台地の原風景は荒地であったと言われています(ただし,江戸時代に新田が開かれる以前は周辺農村共有の“草刈り場”であったので,こちらも逆に人の手が入って,わざと森ができないように管理していたかもしれません)。そこを新田として開発するにあたって,薪炭や肥料の供給源としてナラやクヌギなどの落葉広葉樹を中心とする雑木林が育成されました。
“大地の高まり”である自然の「山」がない台地上の新田集落にとっては,こうして手をかけて維持してきた雑木林こそが人工の「山」なのですね。
実は関東平野は河川に沿った低地である“沖積平野”よりも一時代古い堆積面である“洪積台地”の方が多くの面積を占めていて,ここがたとえば大阪平野や濃尾平野などとの大きな違いなのですが(私は名古屋の西の方や大阪の東の方に行くたびに,その地面の“低さ”に強い印象を受けます),武蔵野や相模野(相模原),北総(下総…,と言いつつ上総にもまたがる),常総といった関東平野周縁の洪積台地上にはそのようにして育成された平地林(ヤマ)が広がっているのです。

[69063] 油天神山 さん
これはよく言われることですが、山が見えない。

習志野で育った私にとって,山とは房総半島のそれにしろ,丹沢や富士山にしろ,東京湾の向こうに遥か遠く,青くかすんで見えるものでした(筑波山は見た覚えがありません)。そのあたり,今住んでいる相模原では山が近くに見えて,だいぶ感覚が違います。
もう25年以上前の3月3日,大学受験のために初めて長野駅に降り立ったとき,目の前に立ちふさがるようにそびえる旭山に閉塞感を超えて恐怖感すら覚えたことが今でも強く思い出されます。

(ゴミ)ああ,習高は残念だったなぁ…。
[69065] 2009年 3月 30日(月)23:51:53hmt さん
県境の謎を行く
NHK教育テレビで放送される4回連続の番組です。。県境の謎を行く
[68955]では番組紹介ページのURLを従来様式から推測して記しておいたのですが、新年度からリニューアルにより変更されていました。

明晩の第1回「“多国”県の陰に国策あり」は、予想通り兵庫県です。
ほぼ現在の形に近い兵庫県になったのは明治9年。明治政府主導の下、全国でも例のない強引な合併が断行された結果だった。政府はなぜ大きな兵庫県にこだわったのか。

第2回「不合理なる分断線」は、両毛地域とのこと。
両毛地域については、落書き帳アーカイブズ があり、県の領域については、私も いくつかの記事 を書いております。
[69064] 2009年 3月 30日(月)22:47:13N-H さん
「山」
[69063] 油天神山 さん
私などは「森林」と「山」はほとんど同義語のように感じていたものです。

これを見て思い出しました。千葉県生まれ育ちの私の子供の頃、周囲の人たちは、おしなべて平地の森林も「山」と称しておりました。
そういう使い方をする地方、他の関東地方の方々はいかがでしょうか?
[69063] 2009年 3月 30日(月)22:13:39油天神山 さん
関東平野のだだっ広さについて
[68360] YSKさん
 だだっ広い関東平野

お待たせしました。引っ越してきてから2ヶ月近く経ってしまいましたが、「関東のだだっ広さ」について感じたところを述べたいと思います。

引越しの日、秋葉原からTXに乗って車窓から外をぼーっと眺めていたのです、利根川を渡って茨城県に入るあたりの風景が印象的でした。
市街地でほぼ埋め尽くされた大阪平野で生まれ育った私には、正に「だだっ広い」としか表現しようのない眺めでありました。
まず、河川敷が広い。川幅は淀川とそう変わるところはありませんが、鉄橋が長い。そして堤防の反対側にも、(それが2月上旬だったせいもありますが)耕地とも荒地ともつかない、何だか茫漠とした眺めが広がっている。と思うとその向こうにまた帯状の丘が。・・・自然堤防というのですか、高校の地理の授業で習った覚えがありますが、実際に目にしたのは初めてでした。
そのとき、「あー、遠くまできちゃったなぁ・・・」と、いささかセンチメンタルに浸ってしまったのでした。

それにもう一つ衝撃を受けたのは「平地の森林」です。
例えば大通りに沿った一角に森林が切り開かれずに残っている。あるいは、大規模ショッピングモール「イーアスつくば」の裏手が森林だったり・・・。
この印象は強烈でした。大阪平野では市街地が平野部に入りきらず、山の斜面を駆け上がって行ってるような状態なので、平地で樹木がまとまって生えているところと言ったら公園か神社仏閣、古墳くらいしかないわけです。私などは「森林」と「山」はほとんど同義語のように感じていたものです。
この風景から連想したのが、新婚旅行で行った「森と湖の国」フィンランドはヘルシンキの都市風景でありました。お笑いになるかもしれませんが、外国に来たのに匹敵するくらいのインパクトだったのです。笑わないでってば(笑)。

そして、これはよく言われることですが、山が見えない。
つくば市ですと筑波山こそ良く見えますが、あとは270度ないし300度、視界をさえぎるのは建物か樹木か。
どこにいてもたいてい生駒山が目の前に迫ってくる大阪平野とはやはり広さが違う、ということを認識させられました。
[69062] 2009年 3月 30日(月)18:44:53【1】geo さん
木之本の警察署など&ETC
滋賀県警木之本署は一体どうなるのでしょうか?
これまでの経緯からすると長浜署に統合されるのではないかと思われますが...。
 恐らくそうなる可能性が高いでしょうね。
 もし残るとしたら,旧堅田警察署(現・大津北警察署)のように「長浜北警察署」と改称されてしまうかも・・・。

 以前の拙稿[64160]でも話題にしましたが,この編入合併を機に,新快速電車で直通する大阪の「高槻」駅と紛らわしい高月駅を「近江高月駅」,最後まで「木ノ本町」と誤記される原因(?)だった木ノ本駅を「木之本駅」,同一市内になる「ながはま」駅と発音が紛らわしすぎる永原(ながはら)駅を「西浅井」駅に改称してくれないかなぁ・・・なんて思ったり。

#本日付の官報(PDFファイル)で,滋賀県東浅井郡虎姫町,同郡湖北町,伊香郡高月町,同郡木之本町,同郡余呉町及び同郡西浅井町を廃止し,その区域を長浜市に編入する廃置分合が告示されました。これで2010.01.01の合併が正式に決定。

[69054]ペーロケ さん
[69061]今川焼 さん
1000円乗り放題
 遂に始まりましたね。クルマをよく使う我が家にとってはありがたいことこの上なし。
 ちなみに我が家から滋賀県の田舎までの通行料金を調べてみたのですが,入間IC(埼玉県)-木之本IC(滋賀県)が通常料金9,550円のところ,ETC休日特別割引(22時~6時)を利用すると85%割引の1,500円。
う~ん,素晴らしい。
[69061] 2009年 3月 30日(月)16:41:50今川焼 さん
1000円乗り放題 「舞鶴道」の効用
[69054]ペーロケさん
一昨年訪問した石川県にまた行こうと計画中なんですけど、関西経由を避け、舞鶴道から敦賀経由にするのが安全かな。渋滞を避けるためなら、余分にかかる2000円なんぞ、全く惜しくありません
期待の景気刺激策か、いや与党の選挙目当ての人気取りだとか、地球温暖化防止に逆行するとか、いろいろ賛否のある「高速道路1000円乗り放題」が始まりましたね。まぁ、そのへんの議論はさておき、昨日は私も尼崎市までの所用で「舞鶴道」を利用してその恩恵に浴してきました。もっとも、春日-宝塚間(1800円→950円)ぐらいではディスカウント率はしれているのですが。
ところで、この「1000円乗り放題」こと休日特別割引、
東京・大阪近郊以外最大で50%OFFまたは上限1000円
なのですが、この「以外」というのがくせ者で、たがために昨日の私の場合、西宮北-宝塚が大阪近郊区間なので900円にはならず950円だったわけです。(どういう計算なのかはよくわかりませんが)参考トクトクETC。休日特別割引

前置きが長くなりましたが、広島から金沢まで高速道路だけを使って行く場合、大阪近郊区間は通らざるを得ませんから、1000円(地方部分)+1500円(大阪近郊区間部分)=2500円必要ということになります。新聞テレビ等で「青森から鹿児島まで2500円」などといわれているのはこの数字ですね。
そこで「舞鶴道」の効用ですが、ペーロケさんの言われる渋滞を避ける効果というのもあるわけですが、大阪近郊区間を通りませんから、広島-小浜西(1000円)と敦賀-金沢西(1000円)と2度払っても名神経由に比べて500円安で済むわけで、実は金額的にもお得だったりします。細かい話ですがこのルートを使えば、「青森ー鹿児島2000円」となるわけです。
で、その「舞鶴道」こと舞鶴若狭道ですが、この道自体はGWなどでもほとんど渋滞することはありませんが、問題は[69058]EMMさんの言われるように、小浜西-敦賀を結ぶ国道27号線です。
神戸市など瀬戸内側の兵庫県から福井県を見れば、大阪府・京都府・滋賀県と通っていくわけですから「山の彼方の空遠く」感がありますが、県中北部の丹波市あたりからなら、舞鶴若狭道で1時間も走れば小浜西ICに達しますので、福井県は意外と身近に感じます。(もっとも木嶺以南の福井県へ行くときは「福井へ行く」とは言いませんが)そういうわけで北陸方面へのアクセス路として馴染みのある国道27号線ですが、大きな渋滞があるのは海水浴客が集中する夏休みの週末ぐらいだと思います。しかも大きなネックだった美浜町東部に昨日美浜東バイパスが開通しましたね。あとは、夏休み以外は美浜や小浜の市街地が多少混む程度かと思われます。しかし、今回のことで「舞鶴道の効用」が広く知れ渡ると思わぬ渋滞が発生する可能性もありますが。
[69060] 2009年 3月 30日(月)13:37:43BANDALGOM[熊虎] さん
議決は最終日ではなかった!?
小林市と野尻町の廃置分合議案について、[68881]拙稿では
宮崎県議会については、読売・毎日・西日本・宮崎日日・南日本の各紙とも掲載されていませんでしたが(県議会の定数削減のみ)、朝日新聞で「09年度一般会計当初予算案など計53議案を原案通り可決、閉会した」とありますので、小林市と野尻町の廃置分合議案も可決されたことになります。
と書いたものの、その後宮崎県議会HPの「議案・請願の採決結果」も一向に更新されないし、東国原知事のページの予定欄にも、宮崎市と清武町の廃置分合申請(25日)のことは書かれていても、小林市・野尻町の「合併決定の通知」については全く書かれていません。
そもそも、最終日の本会議の委員長報告を聴いていても、廃置分合議案については触れていませんでした。

可視的な資料が全く見つからなかったわけですが、合併協HPで第4回会議(26日)の議事録を見たところ、
3月9日に県議会での議決を経て、3月12日には県知事の決定をいただいたところであります。
とありました。
早速、改めて9日の県議会の録画中継を見て、この日に廃置分合議案が可決されたことを確認しました。

ということで、でるでるさん、よろしくです(また1カ月分たまってきましたね・・・)。
[69059] 2009年 3月 30日(月)09:22:47miki さん
滋賀県警木之本署はどうなる?
滋賀県虎姫町、湖北町、高月町、木之本町、余呉町、西浅井町の長浜市への編入で
滋賀県警木之本署は一体どうなるのでしょうか?
これまでの経緯からすると長浜署に統合されるのではないかと思われますが...。
<おまけ>
過疎地域とみなされる区域...宮崎県日南市北郷町
[69058] 2009年 3月 30日(月)02:25:07【1】EMM さん
実は一本道が故に
手短にとりまとめられそうなので、もう1件。

[69054] ペーロケさん
一昨年訪問した石川県にまた行こうと計画中なんですけど、関西経由を避け、舞鶴道から敦賀経由にするのが安全かな。渋滞を避けるためなら、余分にかかる2000円なんぞ、全く惜しくありません(笑)
石川への再来訪をご計画中という事で、有り難く思います。
が、そのルートは慎重な検討を要するかと思います。
実は舞鶴道~敦賀間というのは、大阪・京都方面を通らずに神戸以西~北陸を結ぶ「抜け道」として知る人ぞ知るルートでして、名神とは比べものにならないとはいえ意外とトラックが走ってたりします。
しかも、「観光地へのアクセスルートである」「敦賀~上中間はほぼ一本道」と言う事もあるので、観光シーズンには敦賀~小浜間の国道27号線は思わぬ渋滞が発生する事があるようです。
特に今年のゴールデンウイークは高速料金値下げの影響がどう出るか分かりませんから、交通情報をこまめに確認しながら、場合によっては大胆なルート変更も視野に入れつつ移動する必要があると考えます。

なお、観光シーズンに国道27号線が渋滞する事は前からあったようですが、「抜け道」としての認知度が上がったのは阪神・淡路大震災の時のようです(参考)。

#金沢近隣で敦賀方面と状況が近い、と言うよりももっとすごい版だったのが白川郷に向かう国道156号線。
何せ白川郷にアクセスする道路のうち、西からの白山スーパー林道はゴールデンウイークはまだ冬季休業中、東からの国道360号線は知名度はあまり高くありませんが落石通行止が多発する結構な「酷道」なので、ほとんどの観光客は北or南から国道156号線を通って白川郷にやってきていた訳です。
この国道156号線の旧荘川村から旧平村にかけてが事実上1本道だったので、ゴールデンウイークはほおっておいても渋滞するし、事故でも起きれば目も当てられない事になる、と言う場所でした。
(そう言えば、数年前に実際に国道156号線でゴールデンウイークの事故渋滞に巻き込まれたメンバーの方がいましたね)
現在は東海北陸道が全通したので「2本道」になっている訳ですが、全通後初めてのゴールデンウイークなので、高速料金値下げと相まってどうなる事やら。

##私の知り合いで阪神・淡路大震災当日に有馬温泉に宿泊していて被災された方がいまして、「当分金沢には戻れないのではないかと思ったが、舞鶴道が通れたのでそっちに回ったら何とか17日のうちに金沢に帰ってこられた」という話をされていたのを思い出しました。
17日にはまだ舞鶴道~国道27号線はそれほど渋滞していなかったのか、あるいは西向きと東向きで状況が違ったのかは分かりません。


※誤字訂正
[69057] 2009年 3月 30日(月)02:01:51Mujon さん
三岳と王滝
こんばんは。

長野県木曽郡王滝村のお話が出ているようで、私からも是非。
王滝村は木曽町への合併には至りませんでしたが、木曽町では公共交通を確保するための町営バス「きそまちバス」を運行しており(おんたけ交通他に委託)、旧三岳村への路線である三岳・王滝線は、王滝村も運行回数に応じた費用を負担しています。

この三岳・王滝線、一度木曽町を抜けて王滝村に入り、そしてまた木曽町(旧三岳村)を経て王滝村に入るという経路を辿っています。運行開始当初は木曽町内200円で王滝村部分は運賃400円でした。そのために王滝村に入ってから再び木曽町に入る「おんたけ湖入口」と「カントリークラブ入口」の停留所は運賃が200円に下がる逆転区間がありました。
今は王滝村部分も200円で、全区間200円均一になりましたが、定期券や乗車証で制約があるようです。

長野県西部地震では、木曽町の旧三岳村黒沢口四合目にある当家の霊神碑も転倒しました。王滝村の大崩壊が何度も報道されていましたが、三岳村でも何箇所か崩壊して、林道に不通箇所がありました。
[69056] 2009年 3月 30日(月)01:06:11【1】EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第162号 2題
いきなり私事からで恐縮なのですが、4月付けの人事異動に引っかかってしまいまして、引き継ぎの準備やら3月中に作って行かなきゃいけない書類の作成やら荷物の整理やらでここ数日てんやわんやだったりします。
(実はこの土日も職場に行っていました)
それでなくても個々しばらくは反応したい事は山ほどありながら一部しか手がつけられず、なかなか全部反応できないまま時が流れていっているのですが、特にこの1週間ほどの期間は書きたい事がほとんど手がつけられ無さそうです。
短い書き込みで済むような内容なら良いのですが、思いつくものすべてそれなりのボリュームになりそうだし。
そう言えば、そろそろ例年恒例のアレの時期ですが、今年は無理かな?ちなみに十番勝負の話ではありませぬ(爆)
ただ、新たな部署に異動になるのではなくて出向先から元の所属に戻るので、4月に入ればちょっとは落ち着く…かな?これは4月に入ってみないと分かりませんです、ハイ。
そんなこんなな状況なのではありますが、下記は早めに書いておきたい内容なので、時間が取れる時に最優先で書いておきます。

-----
まず1件目。
1月にグリグリさんから[68270]にて、地名コレクション内のgoogle窓を利用して合併に関連した市町村名が含まれる地名コレクションを抽出する方法を紹介して頂きました。
実は、EMMは以前から自分が担当している地名コレクションの合併対応の際、まさにその方法で対象となるコレクションの抽出を行ってました。
一方、編集長としては「コレクションが走り出してからは、あまり担当者の方をせかせるような対応はしたくない」と言う風に考えておりますので、どのコレクションが該当しているか、について提示することは長らくしてきませんでした。
しかし、昨年あたりから「せかしたくないと言う考え方は変える気はないが、それはそれとしてあくまで情報提供という形で検索結果を提示するぐらいはしても良いのかも?」と考えるようになっていたところに、グリグリさんから[68270]の書き込みがあったのでした。
あの時は何となく反応し損ねてしまいましたが、3月後半に久しぶりに数件続けて市町村合併が続く上に岡山市の政令市移行も重なりますので、遅ればせながら編集長としてのレスをしよう…と思ったら年度末でバタバタし出し、異動の内示でとどめを刺された格好になっていました。

とりあえず、試行的に情報提示して見ようと考えていますが、事細かに「どのコレクションのどの部分が修正を要する」とか言うような形での情報提示はしたくありませんので(これに関しては私自身が以前一暴れした経緯がありますし…)、google窓での検索結果のURLをリンクしてあくまで「編集者の皆さんが確認をされる際の補助」という形にしたいと思います。
該当するコレクションの担当者の方以外の方が、検索結果を基に修正をせかすような書き込みをされる事はご遠慮願います。

前振りが長くなりましたが、3月の市町村合併(+4月の政令市移行)に係る市町村名の検索結果は次のとおりでした。

二宮町での検索結果
北郷町での検索結果
南郷町での検索結果
清内路村での検索結果
岡山市での検索結果

確認の際の参考にして頂ければ幸いです。
検索結果には同一名称の他の自治体、新旧市町村名併記などで合併対応済みのものを含む可能性があります。

-----

そしてもう1件。
[68902]でグリグリさんから呼びかけのあった「駅名に連続する地名」、いざ集まってみると結構良い感じの件数あるな、と思いました。
調査に参加した者としては、このまま「鉄な話題」と言われて終わるのは忍びない、HP「都道府県市区町村」らしいまとめ方をしてみてはどうか…と思いました。
と言う事で、我田引鉄…ではありませんが、地名コレクション編集長としてはこれを地名コレクションとしてまとめてみればどうか、と提案します。
「連続して並んでいる事が地図上で分かる」と言う事で、入れるとすれば視覚系でしょうか。
グリグリさん、いかがでしょうか?


※てにをはの修正など
[69055] 2009年 3月 30日(月)00:47:25【1】山野[山野] さん
新設か編入か
[69051]グリグリさんへ
1946年(昭和21年)
03.01 兵庫県 新設 姫路市 姫路市, 飾磨市, 飾磨郡 白浜町, 広畑町, 揖保郡 網干町, 大津村, 勝原村,余部村
同一市名で新設合併した市に上記の姫路市の表記が見当たりませんが、こちらは如何なんです?
姫路市HPには
21年 (1946) 飾磨市、白浜町、広畑町、網干町、大津村、勝原村、余部村と合併し、新しい姫路市誕生、
新生姫路市議会議員選挙
…と、ありますが。
[69054] 2009年 3月 30日(月)00:01:00ペーロケ さん
高松日帰り
 「高速道路1000円乗り放題」、始まりましたね。お陰でせいぜい児島止まりだった日帰り圏内が、四国上陸まで広がり、念願の高松日帰りをしてきました。適当に入ったうどん屋のうどんは美味しかったし、飯野山や大槌島の三角形は何度見ても美しいですね。瀬戸中央道は別料金(といってもやっぱり1000円)だったので、高速料金は計4000円なり。
 で、交通量ですが、報道されているとおり、いつもより2~3割程度多いかなといった程度でした。それだけETCの普及が進んでいないという裏返しなんでしょうが、注文待ちの人もかなりいらっしゃることでしょうか。普及が進むと思われる5月の連休頃が恐ろしいですわ。一昨年訪問した石川県にまた行こうと計画中なんですけど、関西経由を避け、舞鶴道から敦賀経由にするのが安全かな。渋滞を避けるためなら、余分にかかる2000円なんぞ、全く惜しくありません(笑)

[69009]hiroroじゃけぇさん
これについてはペーロケさんの勘違いです。
 いやあ、失礼しました。端から「玉野市は7万都市」という頭がありましたが、宇高連絡線の客を瀬戸大橋に持っていかれ、その上、造船業の衰退でいつの間に6万人台になっていたとは。高松や青森、函館などは、連絡線の発着地だった場所は折り返し駅ということもあり、そんなに衰退は激しくないんでしょうが、玉野市の場合は「終着駅」ということで、さらに辛い立場なんでしょう。
[69053] 2009年 3月 29日(日)23:11:37ニジェガロージェッツ さん
六甲の米軍基地
今日の神戸は晴天に冷たい風が心地よく,絶好の山登り日和でした。いつもは神戸の背山を歩くのですが,JRで灘駅まで行き,今日はちょっと東へ遠出して六甲山へ。
摩耶山の南東に突き出す山寺尾根は「摩耶最強」と言われる急峻な登り道で,神戸市発行の六甲全山マップにも記載が無く,どおりでハイカーの少ない登山道でした。麓の長峰堰堤から山上の掬星台まで55分と,休むことなく快調に登りましたが,ただ一人,ジャック・バウアー似の西洋人が体力任せにもの凄い勢いで通り抜けて行きました。何か見てはいけないものを見たような。(笑)
摩耶山掬星台からは六甲全山縦走コースを東へ進み,凌雲台を経由し六甲最高峰へ行き,南へ下山し,住吉川上流に沿った「住吉道」を下り,JRの住吉駅まで歩き通しました。

凌雲台へは拙稿[68456]以来2か月ぶりの訪問です。2か月前には
「回る十国展望台」の跡地は工事中のハゲ山で立入禁止
でしたが,今では跡地の整備工事は完了しており,展望広場として開放されていました。ですがここからも神戸方面の見晴らしは「六甲ガーデンテラス」のカフェの建物が邪魔でした。

六甲最高峰(標高931m)には1985年以来24年ぶりの訪問となりました。学生時代には趣味の六甲登山で頻繁に足を運んだ六甲最高峰でしたが,最高峰山頂は米軍に占領されており,両耳形の「ミッキーマウス」と呼んでいた巨大な米軍基地のパラボラアンテナが特徴的でした。我々が言う「最高峰」とは,基地外に設置された最高峰を示す石碑の立つ「仮の頂上」です。今日もそこを目指しました。
ところが,最高峰に近づくにつれ見慣れた威圧するかのようなミッキーマウスの形が違っていることに気が付きました。しかし,まあ見る角度によって違っているのだろうと軽く考えていたところ,最高峰に到着してみると,あまりの変化にただただ「唖然」。

米軍基地が・・・・無い!!!

神戸市の標高最高地点でありながらも,決して立つことの許されなかった六甲最高峰頂上。そこに,あまりにも呆気なく立っている。頂上でハイカーや最高峰近くの茶屋で米軍基地について尋ねると,「とうの昔の震災前」には撤去されたとのこと。今ある頂上よりちょっと下に建っているアンテナは震災後に設置された自衛隊の通信施設だそうな。

帰宅後,ネットで検索すると米軍基地は1992年に撤去され,六甲最高峰頂上は神戸市に返還されたようです。
「六甲山 米軍」で検索すると結構面白いページが多くヒットします。
「神戸市に返還」といっても,山頂が米軍に占拠されたのは終戦直後で,当時あそこは神戸市域ではなかったですがね。まあ,細かいことはさて置き,初めての最高峰登頂に感動しつつ,時代の流れと自分の無知をしみじみと思い知り・・(笑)
[69052] 2009年 3月 29日(日)22:10:08伊豆之国 さん
経市度(認市度)Part8(LAST)~九州・沖縄編
次回予定の九州・沖縄編で最後になります
[67128])と書いておきながら
またしても忘れた頃に書くことになってしまった
私の認市度。前回の四国編から5ヶ月余り経って、今回でようやく最終回の九州・沖縄編までたどり着きました‥。

[福岡県]
○:福岡
●:北九州、柳川、太宰府、福津、朝倉
△:久留米、筑後、筑紫野、みやま
▲:直方、大川、行橋、豊前、小郡、春日、大野城、古賀、うきは、宮若
×:大牟田、飯塚、田川、八女、中間、宗像、前原、嘉麻
[佐賀県]
●:伊万里、神埼
△:佐賀
▲:唐津、鳥栖、多久、武雄、鹿島、小城、嬉野
[長崎県]
○:島原、平戸、雲仙
●:長崎、佐世保、諫早、南島原
▲:松浦
×:大村、対馬、壱岐、五島、西海
[熊本県]
○:熊本
●:阿蘇、天草
▲:宇土、上天草、宇城
×:八代、人吉、荒尾、水俣、玉名、山鹿、菊池、合志
[大分県]
○:大分、日田、国東
●:別府、臼杵、豊後高田、杵築
▲:中津、宇佐、由布
×:佐伯、津久見、竹田、豊後大野
[沖縄県]
○:那覇
●:糸満、うるま、南城
▲:宜野湾、浦添、名護、沖縄、豊見城
×:石垣、宮古島
宮崎県、鹿児島県は「未経県」なので当然全市未踏です。

♯第一回公表の関東編([60168])から1年と8ヶ月を費やして、ようやく私の全国の「認市度」調べが終わりになりました。
次の機会に、各地方別の書き込み時点以後のUP分や誤りの訂正をまとめた上で、[67128]でも書いたように自分なりに集計・分析を行いたいと思うのですが、この調子では書き込み2周年(6月8日)までにできることも怪しい‥。
[69051] 2009年 3月 29日(日)21:53:49【1】オーナー グリグリ
3/30,3/31,4/1の合併等による更新を行いました
少し早いのですが、3/30、3/31、4/1の合併情報等による更新作業を行いました。

■3月30日(月)
(1) 宮崎県日南市、南那珂郡北郷町、同郡南郷町の合併による日南市の新設
同名の市による複数回市政施行(152例目) → 飯塚市は三回生まれ変わった?

■3月31日(火)
(1) 長野県下伊那郡阿智村の同郡清内路村の編入合併
村が村を編入するのは、2006年1月1日の同じ阿智村による浪合村の編入以来。
阿智村以外では、2005年11月27日の愛知県北設楽郡豊根村による富山村編入以来。

■4月1日(水)
(1) 岡山市の政令指定都市移行
18番目の政令指定都市。北区、中区、東区、南区の4区が誕生。→ 東北市ってあったっけ?平市ってどこにあるの?
各区の国勢調査人口、面積は岡山市のホームページの情報から設定。推計人口については国勢調査人口比で計算。
(2) 前橋市、大津市、尼崎市の中核市移行
中核市は1市減って(岡山市)3市増加し41市。
(3) 熊谷市の特例市指定
特例市は3市減って(前橋市、大津市、尼崎市)1市増加し中核市と同数の41市。
 → 政令指定都市・中核市・特例市 一覧
[69050] 2009年 3月 29日(日)21:28:10【2】Issie さん
イワシの島
[69048] hmt さん
琉球王国を征服した島津家が、日本では徳川家に臣従していたようなもの?

島津家は琉球を征服したけれど「琉球王」は名乗りませんでしたね。
奄美だけを直接支配下に編入して,(狭義の)沖縄と先島(宮古・八重山)は首里王府を存続させて間接支配下に置いた…。340年ほど後のアメリカ合衆国と日本との関係と同じ?
東アジアとヨーロッパとでは「国」や国際関係がお互いに別の理屈で成り立っていますから,一方で“よく似た面”を認めても,すべてを全く同じ概念でとらえることはできませんよね。

“封建制度”について,日本とヨーロッパで一番違う点の1つは,日本では1人のお殿様が同時に複数の「藩」の当主たり得ないこと。ヨーロッパでは1人の人が同時に複数の領域の当主であることは珍しくない。
たとえば,18世紀半ばのハプスブルク家の女当主である マリア・テレジア は「オーストリア大公」であると同時に「ハンガリー王」,「ベーメン(ボヘミア)王」であり,さらにオーストリア系ハプスブルク家相伝の“王未満”の各領地の領主でありました。ただ,ハプスブルク家が世襲してきた「神聖ローマ皇帝」の地位だけは,彼女が“女性”であるために継承できず,夫の ロートリンゲン(ロレーヌ)公フランツ・シュテファン(フランソワ・エティエンヌ) が フランツ1世 として皇位につきました。
ちなみに,マリア・テレジアとフランツ・シュテファンの娘の1人が マリア・アントーニア。フランス語では マリー・アントワネット と呼ばれます。

さて,ノルマンディー公ギヨーム(ウィリアム)や薩摩の島津家は,それぞれイングランドと琉球を武力で征服しましたが,「国際関係の妙味」の結果として“島の飛び地”を手に入れたのが後に「イタリア王家」となるイタリア北部ピエモンテの領主 サヴォイア家 の ヴィットーリオ・アメデーオ2世。
この家系は「サヴォイア」という“名字”が表すように,元々はアルプス南西麓の サヴォイア(フランス語では サヴォワ。1992年の冬季オリンピックが開かれたアルベールビルが属します)の領主でした。やがて,山奥から東の平地である ピエモンテ に支配地を広げ(三河の山奥から平地の岡崎に出てきた 松平氏 のように!),2006年の冬季オリンピック開催地の トリノ を首都としていました。
経過が複雑なのでここでは結果だけ書くと,1713年のスペイン継承戦争の結果,「サヴォイア公」であったヴィットーリオ・アメデーオ2世は,スペインのハプスブルク家が継承していた「シチリア王」の地位を手に入れました。そして,1720年には(オーストリアの)ハプスブルク家との間でシチリアとサルデーニャ(サルディニア)を交換し,「サルデーニャ王」を名乗ることになりました。その結果,サヴォイアとピエモンテとサルデーニャからなる「サルデーニャ王国」が成立しました。首都は相変わらず,ピエモンテのトリノ。それでも「サルデーニャ」なのは,「王」を名乗るこちらの方が「サヴォイア公」よりも格が上だからです。
後に,サヴォイア家のサルデーニャ王国はイタリア統一の主役となります。その過程で,サヴォイアとニッツァ(ニース)がフランスに割譲されました。「イタリア王」への道と引き換えに“名字の地”を失ったのですね。岩出山(のち仙台)60万石と引き換えに 伊達郡 を失った 伊達政宗 のように。

で,ここでまた「プロイセン」と同じ現象が…。
「サルデーニャ王国」にとって,“本体”とは王国の名前となっている サルデーニャ か,それとも首都トリノのある ピエモンテ か。あるいは,王家発祥の地の サヴォイア(サヴォワ) か。

※ところで,サヴォイア家の発祥の地は現在のイタリアとフランスにまたがる地域でした。ものの本によると,この地域で話される「方言」(地域語)は,“標準的な”イタリア語とフランス語の間,“遷移的”な特徴を示すのだとか。サヴォワは現在,フランスの領域に含まれますが,イタリアの領域に含まれる ヴァッレ・ダオスタ(アオスタ谷) はイタリアにおいてフランス語が公用語として認められている特別な地域です。
そして,サヴォイア家の宮廷では長くフランス語が公用語として用いられていたようです。イタリア統一の主役の1人である カヴール も,フランス語話者で実はイタリア語が苦手だったらしい。イタリア統一によって,サヴォイア家とその宮廷も「イタリア化」していったのですね。

なお,英語の サルディニア Sardinia は「イワシの島」という意味,…というのは逆で,この島の特産であったイワシをこの島にちなんで sardine と呼ぶようになった,と言われています。
[69049] 2009年 3月 29日(日)14:35:55hmt さん
かつては陸の孤島だったが、交通事情が一変した須賀利
[69047] 稲生 さん
尾鷲市の須賀利地区(中略)紀北町海山区の桂城地区からの陸路での訪問です。

陸路開通から27年。すっかり変った通学事情のレポートを読ませていただきました。
55年前には正しかった選択が、交通環境の激変により問い直される情況ということでしょうか。

伊藤光男先生(物理化学)による 須賀利風景(pdf、2/2)。1/2によると、須賀利の中学校は1997年、小学校は2001年休校。

今年1月に発表された「にほんの里100選」(朝日新聞社・森林文化協会が選定)に須賀利が入っているのですね。一覧表 No.049
瓦屋根の古い民家約200戸が、海から山へびっしり張り付く風景は壮観。
と記されています。

私の近所をこのリストに求めたら、三富新田 がありました。埼玉県では風布 [56491]も。No.023とNo.022
岡上[69048]の近く、小野路[33902]もありました。No.026
[69048] 2009年 3月 29日(日)12:52:18【1】hmt さん
「飛び地」の魅力 (12)内陸型飛び地・川崎市麻生区岡上
[69040] Issie さん
ノルマン朝は当然にイングランドの王家ではありましたが,大陸,つまりフランスではあくまでも「フランス王」であるカペー朝の歴代王の“家臣”でありました。

琉球王国を征服した島津家が、日本では徳川家に臣従していたようなもの? 
あちらさんは本拠地をイギリスに移したのに、こちらではあくまでも薩摩が本体という点は大きな違いですが。

ジョン・バ・イッシー

飛び地の話題からウィリアム征服王、ジョン失地王を経て Issie さんと「ご同名」の王様の話になるとは、意外な展開。
雑談の醍醐味ですね。

本筋の飛び地。
「飛び地」には、本体に対する飛び地だけでなく、天草上島の例で見たような「分体の飛び地」もあることがわかりました[69038]
これまで、飛び地に対する「親」の地域を本体と呼んできましたが、自治体の中で人口最大の地域でない分体についても、飛び地の存在を認めることにしたいので、飛び地域に対する本地域という意味で、「本域」と改めます。

「親」の地域である本域との関係に注目すると、飛び地は、以下の3分類に改めた方が適切と思われます。

内陸型 = 飛び地が内陸であるもの。本域は内陸・沿海の区別不問。
市浦(しうら)型 = 飛び地は沿海で、本域は内陸のもの。
沿海型 = 飛び地と本域の双方が沿海であるもの。

2番目の命名は異質ですが、五所川原市 市浦にちなんだものです。さしあたり思いつく類例としては、隣接した 中泊町 小泊がある程度です。共に2005年津軽半島で誕生。

内陸型飛び地に入ります。
そのトップスターとして挙げたいのは、川崎市麻生区の 岡上 です。過去記事
これは、昭和14年に行なわれた横浜市第6次(17町村編入)・川崎市第6次(2村編入)の市域拡張の際に行なわれた、都筑郡岡上村の 川崎市 への飛び地合併で生まれたものでした。

【追記】
むじながいり さん の パラパラ地図神奈川県 をリンクしました。
第6次市域拡張のあった1939/04/01と、その直前(1938/10/01)とを対比してください。

改正新旧対照市町村一覧(1913) で岡上村を見ると、役場は 柿生 と記されています。
現在は「おかがみ」と呼んでいるようですが、「ヲカノボリ」というフリガナが付いていました。

岡上村が 柿生村とのペア を組んだことは、既に [817]Issieさん によって紹介されています。
明治22年の町村制で組合役場を作った鶴川(鶴見川)流域の都筑郡柿生・岡上の2村ですが、間にある南多摩郡鶴川村(能ヶ谷、三輪)の領域により隔てられた「飛び地組合」でした。
現在の飛び地の淵源は、都筑郡の間に南多摩郡が入り込んでいた行政区画にありました。

もっと遡れば、江戸時代初期には多摩郡だったらしい岡上村が、都筑郡に移ったのが遠因だそうで[68630]

南多摩郡鶴川村の前身である小野路村や野津田村のことは、[33902]で書いたことがあります。
鶴川村になって4年後の明治26年には 東京府に移管され[33700]、岡上村から 役場のある柿生村に行くには 東京府経由ということになってしまいました。
# 東京府になって2年後の1895年、鶴川村の小島鹿之助(近藤勇の後援者で義兄弟)に孫娘が生まれました。私の母です。大昔のことを書いているようでも、私にとっては、ある程度は身近に感じることのできる時代と地域なのでした。

この地域は、かつて「禅寺丸」という小さな甘柿の産地でした。柿生という村名は、これに由来。現在は小田急の駅名。
子供の頃はよく食べたものですが、もっと見栄えの良い大きな柿が市場に出回っている現在、禅寺丸を口にする機会はなくなりました。

飛び地の岡上村に話を戻すと、1939年の横浜・川崎の市域拡張の際に、低い分水嶺を介して背中合わせ(こちらは鶴見川支流の恩田川流域)の田奈村[34657]と共に横浜市に合併すれば飛び地が解消したのでしょうが、組合役場時代の飛び地状態を維持したまま、川崎市への合併という結果になったのですね。

本域の川崎市は、もちろん沿海ですが、岡上飛び地の淵源は柿生組合村の飛び地であり、本域側が 1939年に大きな川崎市の一部となって海に面したことが、岡上飛び地に影響を及ぼすこともありません。
今回改めた分類で、「内陸型」の本域につき それが内陸であるか沿海であるかの区別を不問 にしたのは、このような理由によるものです。
[69047] 2009年 3月 29日(日)11:20:45稲生 さん
尾鷲市須賀利町
[69006]hmt さん
「飛び地」の魅力 (8)海続きの飛び地合併(桜島・須賀利・浦崎)
ここで、取り上げられた尾鷲市の須賀利地区に先日訪問してきました。自身初の和歌山県入りした[68877] 前日の3/17のことです。

須賀利簡易郵便局というのがありまして、紀北町海山区の桂城地区からの陸路での訪問です。
簡易郵便局は現地の受託者が運営していることがほとんどで、私・稲生は簡易郵便局では他に客がいない場合には雑談をしていくことを基本としております。
で、須賀利簡易局では小学生・中学生の通学方法について尋ねてみました。私の予想は須賀利渡船での尾鷲港往復だったのですが、現在はタクシーで紀北町海山区経由にて尾鷲小学校に通っているそうです。タクシーなのは、スクールバスで通うほどの人数ではないからだそうです。そして高校生になると須賀利渡船で通うそうです。
受託者の小・中学生の頃は、小学校は須賀利にあり、中学校は海山町(当時)の桂城中学校に越境通学をしていたということです。
昭和の合併の際には、陸の孤島であった須賀利地区の選択は、当然のことながら海路での尾鷲つながりだったのでしょうが、陸路が開通してからの生活は一変し海山町とのつながりが密になり、今では児童・生徒に余分な負担をしいることになっているようでした。
[69046] 2009年 3月 29日(日)09:17:02【1】白桃 さん
過去の国勢調査市町村別人口まとめ
[69045]YT さん
過去の国勢調査人口等をExcelなどで電算化してまとめた方というのは過去にいたのでしょうか?
データを打ち込む際に必ずしも過去の市町村の配列が、昭和45年以降の市町村コードと一致しないことに気づき、苦労しているところです。
仰っている意味というか意図を十分理解できていないと思いますが、「白桃市町村人口研究所」では、国勢調査市町村人口を各都道府県毎にExcelにして時系列でまとめてあります。もっとも、「区」と「郡」については関心ありませんので、全く無視しております。また、北海道、岩手、群馬、千葉、新潟、和歌山、岡山、広島、香川、沖縄の10道県以外については、1940年調査の町村部及び1930年調査の一部のデータが欠落しております。
市町村コードの配列が調査年次によって異なる、という点でありますが、私の場合、すべて手作業による打ち込みであり、まったく問題ありません。(かえって作業が注意深く、楽しくできました)
[69045] 2009年 3月 29日(日)02:42:48YT さん
過去の国勢調査の市町村別人口
急に思い立ったのですが、過去の国勢調査人口等をExcelなどで電算化してまとめた方というのは過去にいたのでしょうか?

自分は先日より統計局のサイトにある昭和55年以降の国勢調査のデータを基にして、昭和50年のデータまで一個のファイルにまとめましたが、昭和45年と昭和40年のデータを打ち込む際に必ずしも過去の市町村の配列が、昭和45年以降の市町村コードと一致しないことに気づき、苦労しているところです。

参考までに明治・大正期の沖縄の人口を第1回国勢調査通りに並べると以下の通りです。

コード地名区分1925年現在人口1920年現在人口1918年現住人口1913年現住人口1908年現住人口1903年現住人口1898年現住人口
47000沖縄県557,622571,572580,940534,415502,309476,230460,221
47201那覇市54,643
首里市20,582
那覇区53,88259,36255,54747,56243,13235,453
首里区22,83828,30324,10225,14123,82724,809
47340島尻郡147,248151,377146,486134,614127,740122,643124,473
小禄間切間切10,02114,434
豊見城間切間切8,6768,443
兼城間切間切11,38910,864
高峰間切間切3,5343,363
真壁間切間切3,9233,795
喜屋武間切間切2,0592,017
摩文仁間切間切2,0131,980
具志頭間切間切4,8314,660
玉城間切間切6,4816,543
知念間切間切4,8204,858
佐敷間切間切5,9225,548
大里間切間切12,46512,587
東風平間切間切7,1496,676
南風原間切間切7,5287,632
真和志間切間切8,4659,202
仲里間切間切4,3534,178
具志川間切間切3,4433,144
渡嘉敷間切間切1,3301,283
座間味間切間切1,1371,084
伊平屋島6,3195,863
粟国島4,9584,653
渡名喜島1,100996
鳥島66727670
大東島7,4437,393
小禄村10,24210,60511,19410,2199,996
47341豊見城村8,9869,5029,0938,3068,687
兼城村5,1095,3665,3254,9824,690
47342糸満町7,4957,8239,7379,3907,738
高峰村3,8343,9733,9263,5753,402
真壁村4,4294,5714,6604,3674,108
喜屋武村2,1382,2642,3132,2582,158
摩文仁村2,3102,4942,4772,3452,052
47344具志頭村6,2336,3946,1985,5595,148
47345玉城村7,1637,4716,9966,9596,753
47346知念村4,5874,9665,1745,1345,018
47347佐敷村6,0506,6396,9706,3146,096
47349大里村12,98613,91714,72413,56113,103
47343東風平村8,3208,9478,5647,9457,218
47350南風原村8,4328,5618,5017,8027,318
真和志村12,83812,78710,7868,5048,681
47351仲里村7,6757,1876,7375,7734,931
47352具志川村6,4316,3196,8565,4714,846
47353渡嘉敷村1,6181,5141,5371,4441,414
47354座間味村1,9971,7122,0701,4211,272
47359伊平屋村6,5326,5857,6777,4586,887
47355粟国村2,9513,1163,5584,5025,012
47356渡名喜村1,3831,2711,4131,3251,212
47320中頭郡140,819146,771152,442141,506135,122132,067129,520
西原間切間切14,60414,459
浦添間切間切10,73310,742
宜野湾間切間切10,52110,383
中城間切間切17,61717,447
北谷間切間切11,93611,408
読谷山間切間切13,60113,290
越来間切間切6,8986,674
美里間切間切13,99313,810
具志川間切間切15,71615,604
47329西原村10,05910,61514,88413,06113,934
47330浦添村11,37411,70711,98112,08811,467
宜野湾村12,56912,70412,61411,44210,932
47328中城村17,20017,77417,92417,85417,345
47326北谷村14,21815,26314,97913,09112,287
読谷山村15,46016,15716,17815,03914,083
越来村8,3528,9128,9048,1097,276
47321美里村16,09916,83017,22215,50714,329
具志川村17,11717,84217,83216,74816,099
47322与那城村10,86311,17712,27911,29910,397
47323勝連村7,5087,7907,6457,2686,973
47300国頭郡102,689111,543113,084105,864100,72694,00289,728
与那城間切間切9,8269,336
勝連間切間切6,6226,367
名護間切間切12,87711,829
恩納間切間切5,3305,348
金武間切間切7,1496,926
久志間切間切5,5815,158
国頭間切間切8,3708,390
大宜味間切間切7,9547,156
羽地間切間切11,42610,737
今帰仁間切間切12,27011,753
本部間切間切17,34316,761
伊江島5,7025,670
名護村13,31113,56011,51913,720
47310名護町12,460
47311恩納村5,8266,4636,8306,1995,692
47314金武村7,6167,7207,9367,4647,024
47314金武町
47312久志村4,3298,5177,7467,2046,035
47303東村3,170
47301国頭村10,11211,52511,15010,6129,485
47302大宜味村8,0268,7809,0769,2818,648
47304羽地村10,57411,61812,43812,48011,746
47306今帰仁村12,60914,15913,50714,11713,337
本部村21,85922,49223,87820,50219,096
47315伊江村6,1086,9586,9636,4865,943
47370宮古郡57,56653,09853,78949,17144,74141,35838,521
平良間切間切12,10511,144
下地間切間切8,5037,997
砂川間切間切17,17615,979
多良間島3,5743,401
下地村9,4438,8608,7487,9037,131
平良村21,27720,88219,28121,588
城辺村13,25212,26512,00710,7839,461
47374伊良部村7,9266,9997,9007,1226,561
47375多良間村3,8303,6974,2524,082
47380八重山郡34,07532,06327,47423,61121,27719,20117,717
石垣間切間切6,1815,710
大浜間切間切7,8617,373
宮良間切間切2,5542,348
与那国島2,6052,286
八重山村23,61121,277
石垣村15,32213,67412,528
大浜村5,5365,2564,912
竹富村9,0439,3316,384
与那国村4,1743,8023,650

ご意見をお願します。

[69036] むっくんさん

市坊に関する考察ありがとうございます。
[69044] 2009年 3月 29日(日)00:06:13BANDALGOM[熊虎] さん
大地震
[69035]むっくんさん
ちなみに王滝村と言われて私が即座に思いつくのは、今から25年前の1984年に、王滝村を震源地として発生した長野県西部地震(M6.8)です。私が初めて体感した地震で、この地震の大津での震度は確か2であったように記憶しています。
その後のテレビのニュースで映し出された、御嶽山の大規模土砂崩れの映像はかなり衝撃的で、今でも鮮明に覚えています。
私もこの地震は覚えています。体で感じた記憶はありませんが、あの土砂崩れの映像は覚えています。
まず、この年の6月に林間学校で菅平高原に行きましたが、大きく離れているとはいえ、同じ長野県で数カ月後に大地震が起こったという点で印象に残っています。

また、当時小学5年でしたが、同じ年頃の子どもたちが登校後に地震が発生し、家が土砂崩れに巻き込まれて親が犠牲になったという話もありました。

それにしても、この地震が「初めて体感した地震」でしたか・・・。
関東では震度2程度は日常茶飯事なので、関西ではいかに体感地震が少ないかということを感じさせます。
そのことから来る油断が、あの阪神大震災の甚大な被害につながるわけですが・・・。


27日夜7時からのNHKのドキュメンタリー。内容はアンジェラ・アキの『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』という歌が中学生たちの共感を得ているというものでしたが、この中で西宮市の中学校が登場しました。

考えてみれば、この春中学校を卒業した人たちはもう、阪神大震災を知らない世代になるわけですねぇ・・・。
誕生日が早い人で震災当時1歳9カ月、遅い人は9カ月だったわけですから・・・。
[69043] 2009年 3月 28日(土)23:36:51BANDALGOM[熊虎] さん
湖北合併
明日は千葉県知事選挙の投票日です。
千葉県民のメンバーの皆さん、投票に行きましょう。
♪よーく考えよう 選挙は大事だよー

さて、
[69033]山野さん
アンケートを無視した湖北町長に対する解職請求が起きた。
(廃分議決の前も長浜市民からも住民投票の請求がありましたよね)
[69041]クハ221-1さん
特に湖北町の住民の中に合併反対の声が強いので、悠長なことをしていて破綻に追い込まれることになると大変という危機感から、とっとと済ませてしまおう、という意図があると思います。それ以外にこれほど急ぐ理由は無いでしょう。
私が「住民投票をめぐる経緯など」と書いたのは、あくまで長浜市のことでしたが(市議会で住民投票条例否決→合併関連議案が委員会では「継続審議」→本会議で可決という経過をたどったため)、湖北町でも根強い反対の動きがあったのですね。

青森市と浪岡町、群馬県安中市と松井田町の合併の際、それぞれ官報告示後に浪岡町・松井田町で合併反対・慎重派の町長が誕生し、住民投票やアンケートでは合併反対が圧倒的に多い結果になりました。
それでも既に官報に告示されていることから、合併は撤回できなかった。

今回も恐らくこうした先例を見て、県議会での手続きや官報告示を急ぐよう根回ししたのでしょうね。
[69042] 2009年 3月 28日(土)23:27:18般若堂そんぴん さん
阪神なんば線
[69037] まがみさん,御教示頂き,ありがとうございます.

以下,妄想:近鉄「難波線」と阪神「阪神なんば線」が統合され,地下鉄「難波線」となる……
[69041] 2009年 3月 28日(土)22:26:19クハ221-1 さん
住民無視の湖北合併
[69032]熊虎さん

そうです。明らかに裏があります。
この場は政治的な議論や意見を述べる場ではありませんが、湖北合併は長浜市長の「湖北地方の天下取り」という野心以外の何者でもありません。
そもそもこの合併、行政側が熱心なだけで、住民側はそれほど強くは合併を望んではいません(勿論、合併に賛成の住民もおりますが)。
特に湖北町の住民の中に合併反対の声が強いので、悠長なことをしていて破綻に追い込まれることになると大変という危機感から、とっとと済ませてしまおう、という意図があると思います。それ以外にこれほど急ぐ理由は無いでしょう。
[69040] 2009年 3月 28日(土)21:40:57【1】Issie さん
犬のジョン
[69038] hmt さん
イギリスの本体はグレートブリテン島ですが、1180年の図(目次 背景) を見ると、イギリス王家はフランスの大半に及ぶ巨大な分体を領有していたことがわかります。

一応,念のために補足しておくと,この辺りの話について「近代国家」の概念で物語るのは少し問題があります。
ノルマンディー公ウィリアム1世(フランス語では“ギヨーム”)のイングランド征服(ノルマン・コンクェスト)により,ウィリアム(ギヨーム)のノルマン家は英仏海峡をはさんだ両側の陸地に領地を持つことになりました。ウィリアムをはじめとする征服者たちは,彼らがノルマンディーで使っていた(当時の)フランス語を話していたので,征服されたイングランドの宮廷では“ノルマンディー風の”フランス語が公用語となりました。だからそれ以降,現代に至るまで“標準的な”イングランド語(英語)は,ほかのゲルマン系諸語に比べてとても“フランス語っぽい”のです。
それはそれとして,イングランドを征服したノルマン朝は当然にイングランドの王家ではありましたが,大陸,つまりフランスではあくまでも「フランス王」であるカペー朝の歴代王の“家臣”でありました。フランスにおける領地は,形式的にではあってもカペー家のフランス王から“与えられる領地”(日本風に言えば,“将軍から安堵される領地”ですね)であって,「イングランドの領域」と言えるかというと,そこは無理があるでしょう。そこはあくまで「フランス」です。
とは言え,ノルマン朝を引き継いだプランタジネット朝第3代のジョン(ウィリアム1世の“やしゃご”=ひ孫の子;在位 1199~1216)は,彼の在位中に起きたフランス諸侯の抗争によってフランス内の領地のほとんどを失ってしまったために「失地王(John tha Lackland)」とあだ名されています(「失地王 the Lackland」というあだ名は,もともとは父王のヘンリー2世から“諸般の事情”で領地を与えられなかったことに由来するのですが,大陸の領地を失ってしまったことが“もう1つの意味”を与えてしまったことになります)。このあだ名からは,「昔はフランスに領地を持っていたのに…」という気持ちがうかがえますね。
大陸の領地を失ったジョンは,さらにイングランドの諸侯との対立も深めてしまうこととなり,それに屈服する形で受け入れたのが高校の世界史や政経の時間に必ず登場する「マグナ・カルタ」なのでした。
以来,イングランド(またはイギリス)において「ジョン」という名は不人気なのか,「ジョン」という王様は登場せず,“失地王”のジョンは今に至るまで「1世」を名乗らずにいます(ただし,少なくとも“失地王”からしばらくの間は,イングランドの王位継承順の高い位置に「ジョン」という王子がいたこともあるようですが,“たまたま”王位継承には至りませんでした。後に,時代が下るにつれて,「ジョン」という名を忌避する傾向が強まっていったようです)。
その後の百年戦争を経て,イングランドの王家は大陸(フランス)から完全に排除されることになりました。そして,その過程を通じてフランス,イングランドのそれぞれにおいて次代の「国民国家」,つまり,“フランス人のフランス王家ないしフランス国家”,“イングランド人のイングランド王家ないしイングランド国家”という意識につながる感情が醸成されることなります。そうしたことがあって初めて,シェークスピアが“イングランドの言葉”でお芝居を書くことができるようになったのですね。

※それでも,この後になっても「オランダ人」や「ドイツ人」がイギリスの国王になるなど,王様や貴族の世界はとてもコスモポリタンであって,支配階級と民衆の言葉が全く違うことはヨーロッパでは当たり前でした。ヨーロッパで王様(皇帝)から民衆まで皆が「同じ言語」を話すようになるのは,それほど古い話ではありません。

「国民国家」という概念の成立する以前のヨーロッパの王様や貴族(諸侯)の領地支配のあり方は,いろいろな点で江戸時代の幕藩体制下の大名や旗本の領地支配のあり方ととてもよく似ていました。要するに,飛び地だらけ。
特に,そのような諸侯の領地の集合体である神聖ローマ帝国や,それを引き継いだドイツ帝国内の領邦の境界線は複雑で,それはだいぶ整理されても結局は第1次世界大戦後の“ワイマール共和国”にまで引きずられることとなりました。
たとえば ここ(Wikipedia ですが)には「プロイセン(プロシア)」という領邦(または“州”)の各時代の領域の地図が掲載されています。1つ考えるべきは,第1次大戦に敗れた結果,ポンメルン(ポモージェ)のバルト海沿岸の領域(ポーランド回廊)を失った後のプロイセン州の領域です。
本来「プロイセン」とは,この時“東の飛び地”となった地域の地名でありました。ビスマルクが代表する“プロイセン王国”以来の首都(主都)はベルリンであり,こちらが「本体」と見なされがちですが,ベルリン周辺の本来の地名は「ブランデンブルク」。しかもややこしいことに,ドイツ統一へと向かう19世紀の過程で,ベリリンの“ブランデンブルク=プロイセン”は様々な手段でライン川流域の領地にベルリン周辺の「本領」よりも広大な「飛び地」として手に入れました。
…さて,「プロイセン」にとって,「本体」とはどこなのか。首都ベルリンは,「本体」にあるのか,「飛び地」にあるのか。

なお,このようなワイマール共和国における国内の複雑な境界線(要するに,プロイセン州の飛び地だけが問題なのではない)はナチス政権の支配下で大幅に再編され,ずっとスッキリした形となり,それをさらに再編したものが第2次大戦敗戦後の米英仏ソ4国による分割占領の区分けに応用され,東西分断後の両ドイツの行政区分の基礎となりました。現在の「ドイツ連邦」(旧西ドイツ)の行政区分はこうしてできあがったものです。

ところで,「犬のジョン」。
“ストン語”で「ジョン・バ・イッシー」と言います。元は“中東のどこか”にある産油国「ストン王国」の国王であらせられた「シャハジ・ポンポン・ババサヒブ・アリストクラシー・アル・アシッド・ジョージ・ストンコロリーン28世」が革命によって王位を追われ,亡命を余儀なくされたために名乗った変名。「イッシー」とはストン語で「犬」という意味だそうな。
…北杜夫の“さびしい童話シリーズ”第1作の「さびしい王様」の主人公のことです。
なお,この“王様の変名”と私のHNは全く関係がありません。
[69039] 2009年 3月 28日(土)18:54:45BANDALGOM[熊虎] さん
調印式
両湧別町合併協議会の合併協定調印式が、4月2日に行われることになりました。

でるでるさん、よろしくお願いします。

#現在の合併特例法下、北海道の合併はここだけになりそうですが、歌志内市などは一体どうするのでしょう・・・。
5000人を切っても「市」であり続けるのかどうかという点もありますが、それ以前に周辺自治体も含めて「第2の夕張」になる危険性もかなり高いわけですし、そうなる前に合併できないのだろうかと・・・。
[69038] 2009年 3月 28日(土)15:34:46【1】hmt さん
「飛び地」の魅力 (11)本体とは何か? 分体の飛び地も考えたい
飛び地のことを長々と記しながら、私は飛び地の定義には触れずにきました。
トポロジーでは、2つの領域の相対的な位置関係を対象とするにしても、人文地理的な用語の「飛び地」は「本体」と対比され、主従関係にある使われ方がされています。

では、「本体」とは何か?
過去記事を見ると、市役所・町村役場などのある地域を指すのが主流になっているようですが、 [11959][41297]等で指摘されているように、便宜上から村外に設置されることもある役場[19799]を基準にすることは、適切とは思われません。
「本体」とは、主たる居住地のある地域ぐらいでいかがでしょうか? 簡単に言えば、人口の多い方が本体。

ところが、前回[69023]ちょっとだけ登場した天草市倉岳町(天草上島)の、 棚底湾対岸 に関して、次のようなやりとりがありました。

【以下引用】
[67253] ペーロケ さん
【香川県と高知県と淡路島とからなる白桃国で南あわじ市が首都だとしても、香川地域も高知地域も】
飛び地にしていいと思います。現に[60435]般若堂そんぴんさんご指摘のここ、誰がどう見たって飛び地ですね。

[67256] N-H さん
いや、グリグリさんの定義からすると、これは飛び地ではないということになりますね(役所のある本体とは陸続きでないから)。
【引用者注: グリグリさんの定義[67237]は、“陸続きでない場合は海または内水面(湖沼)を通ってもよいが、それでも他の自治体を通らないと到達できないもの”となっており、市役所のある天草下島からならば、海を通って到達できる。】

[67257] ペーロケ さん
グリグリさん理論では
あくまでも位相幾何学的に連続するかどうかだと思います。
が重要ということなので、陸続きの領域がある場合は、海を飛び越えるのではなく、陸続きで移動する方が優先され、その際に別の自治体を通らないといけない、という意図だろうと思います。それを、役所が別の島(すなわち、本体じゃない)の領域にも拡大解釈したわけですが、グリグリさんは本体が云々ということはおっしゃっていませんよね?
そもそも、本体っていう概念もあまりシックリ来ません。(以下略)
【引用終】

この議論、直感的には飛び地肯定説に傾くのですが、天草市の本体は(市役所基準でも人口基準でも)天草下島ですから、こちらからの視点ならば、否定説に軍配が上がります。
つまり、問題の地域は、倉岳町など天草上島内の地域から見れば飛び地ですが、天草市の本体である天草下島内の地域からは飛び地でないということなのですね。

“(天草市の)本体に対する飛び地”という筋を通せば後者になるが、地理的に近接した前者を無視した考えには納得せず。
つまり、“倉岳町など天草上島内の地域に対する飛び地”という概念を取り入れる必要があると思います。

天草市のように、陸続きでない複数の地域からなる領域を、仮に「本体」と「分体」という言葉で区別すれば、問題の地域は、“分体の飛び地”ということになります。問題の地域も小さいながら分体ですから、正確に言えば、“(天草市の)主たる分体(であるところの天草上島地域)の飛び地”ということになるでしょう。

陸続きでない複数の地域が一つの領域を構成するのは、極めてありふれたことです。
日本そのもが島国だから、当然これに該当します。本州が本体であり、北海道・九州・四国などの主要な分体があります。分体のうち、小さなものは離島と呼ばれています。

[11853] 太白 さんが例示したデンマークは、コペンハーゲンがあるシェラン島が本体ですが、本体よりも面積が大きい分体であるユトランド半島は、大陸の一部です。両者の間にはフュン島(古都オーデンセ所在地)があり、これも主要な分体です。もちろん面積最大の分体はグリーンランドです。

大陸にある島国の分体として赤道ギニアも例示されていますが、歴史上の顕著な事例として、イギリスがありました。
1066年、イングランドを征服して王朝を開いたのはノルマンディー公。英語読みの名はウィリアム1世。
イギリスの本体はグレートブリテン島ですが、1180年の図(百年戦争 背景) を見ると、イギリス王家は、ノルマンディー地方だけでなく、フランスの大半に及ぶ巨大な分体を領有していたことがわかります。

急にスケールが小さくなりますが、長崎県平戸市も、本体が島にあり、分体の田平町が九州本土にあります。

上記やりとりの中で、[67257] ペーロケ さん (以下略)と書いた部分
仮に平戸市が波佐見町を編入した場合は、波佐見町域が飛び地になるんでしょうが、佐々町だったら飛び地じゃなくなるのも変ですね。

この場合、佐々町は、九州本土の分体に対しては飛び地になりますが、平戸市本体の飛び地ではありません。
内陸の波佐見町は、平戸市本体に対しても飛び地になります。

【追記】「棚底」という地名について
本文で“棚底湾対岸”と書きましたが、リンクしたMapionも、ウオッちずも“柵底湾”と記載しています。
しかし、25000分の1地形図の図名は「棚底」(たなそこ)であり、棚底開拓地、棚底川などの表記もあるので、棚底湾が正しいものと推測しました。
[69037] 2009年 3月 28日(土)02:12:48まがみ さん
阪神なんば線の正式名称
[68899]般若堂そんぴんさん
阪神電気鉄道西大阪線が「なんば線」に改称,阪神と近畿日本鉄道の相互直通がはじまりました
細かい点になりますが、“阪神”の文字を含む「阪神なんば線」が正式名称です。

路線名に会社名やその略称が入る例には、他に、西日本旅客鉄道の「JR東西線」、東京急行電鉄の「東急多摩川線」などがあります。

ちなみに、近畿日本鉄道の大阪難波~大阪上本町間は「難波線」が正式名称です。

[68937]蒼の狼さん
三宮ではいままでほとんど発車することのなかった3番線も使われてましたし
10年ほど前までは、3番線も、昼間でさえ1時間に5本の梅田行き快速急行(当時)が走っていたのです。1998年2月のダイヤ改正以降、この10年あまり、3番線は朝ラッシュ時に使用されるだけでほぼ放置状態でしたが、阪神なんば線開通でようやく再び活用されるようになりました。

10年前は、なんて言い始めると、なんだかすごく年をとった気分(笑)
[69036] 2009年 3月 28日(土)01:30:23【1】むっくん さん
市坊
私もかつて市坊という言葉に出会ったことがあり、その時に「市坊とは、城下町の総称、港町の総称、及び藩政村、の一つ下の区分」であると推測しました。

まずはこのように考えた背景です。[58209]okiさんの書かれた文章の一部をかなり長いですが引用します。

--------------------
[58109] 藩政村について~その5 で書いたように、
城下町を構成する町々は、藩政「村」とは別に扱うことが必要
というのが私の考えです。
城下町というのは、領主が家臣である武士を集住させるために建設した都市ですが、その政治的・社会的意義は、従来農村に居住して農民を直接支配してきた武士を農村から切り離し城下に居住させることによって領主直属の家臣団に組み込み、農村からの年貢を領主が直接収納する体制を造り上げることにあった、と思います(この体制が完成したのは地方知行が蔵米知行に転換した江戸中期で、城下町の軍事的意義についてはまた別ですが、くだくだしいので略します)。
江戸期の幕藩体制が封建制であった、つまり中国史の概念で言って「封とは支配すべき領域の境界を定めること,建はその領域に国を建てること」と解するなら、個々の藩は日本の中の自治国家であり、城下町はその首都であると考えることができます。城下町は、領主直轄の特別な地域であり、「年貢を納める藩政村の上に君臨する」もので、郡や村と同一のレベルにあるものではない、というのが私の考えです。
この意味から言うと、
[55501] 88 さん
(2)城下町は、「郡」(あるいは「郷」)には属するのでしょうか? 例えば、福岡の城下町の一つである「天神町」の、「那珂郡馬出村」に対応する呼称は、何でしょうか。 単に何もつかずに「天神町」?「那珂郡天神町」?「福岡天神町」?「福岡城下天神町」?
という問いに対する答えは、「天神町」は、それが属する城下町福岡が一体となって「那珂郡馬出村」などの村の「上」に君臨する存在で、馬出村と同一レベルで扱うことはできない、ということになります。
あえて住所として表記すれば、「筑前福岡天神町」となるでしょうから、福岡は郡と、天神町は村と同一レベルと言えるかもしれません。しかしこれは、福岡が黒田藩の首都であり、領下の村々から年貢を収奪する領主支配の拠点であるという事実を前提として、あえて言えばそう解釈することもできる、ということです。
ところが、このような城下町の存在形態は、当然のことながら明治維新によって激変します。
----------------------
(以上で引用終わり)

以上の[58209]okiさんの書かれた文章にもあるように、江戸時代では藩政村と城下町(及び港町など)は同列には扱えないものと考えられます。
また、当時の人々の認識としては、藩政村と同等の位置にあるのは、城下町の総称である福岡であって、福岡の城下町の一つである「天神町」ではありませんでした。これは港町でも同じで、藩政村と同等の位置にあるのは、港町の総称である博多であって、博多の傘下の町の一つである「中島町」ではないとも考えられます。
#このことを裏付けるのが内務省による明治7年10月付けの合併許可をまとめた内務省布達甲第4号(M8.2.8)での滋賀県滋賀郡大津の記載で、例えば
滋賀県近江国滋賀郡第3区大津町之内 米屋町、塩屋町→白玉町
と、港町の総称である大津が、傘下の米屋町及び塩屋町とは別個に記載されています。
#滋賀県では明治5年4月7日に既に区制が施行されているにもかかわらず、内務省は、自治体である米屋町及び塩屋町とは別に、総称である「大津」というものを別途扱っていることが注目されます。


その後明治維新を経て明治5年の区制(大区小区制)を迎えるにあたり、明治政府には、藩政村と城下町の各町(及び商業町の各町)を同列に扱う必要が出てきました。
また明治政府は、中央集権体制強化のために、廃藩置県までに存在した、従前から存在した町場特有の五人組などの自治組織を上手く取り込む必要もありました。

そこで同列に扱うための過程の一つとして、城下町の総称(e.g.福岡)、港町の総称(e.g.博多)、藩政村(e.g.馬出村)の一つ下の区分として市坊という言葉(概念?)を導入したのではないでしょうか。
つまり、城下町の各町(e.g.天神町)や、港町の各町(e.g.中島町)、村の中にある通称の町を市坊とみなしたのではないかと。

以下で、私の推測が妥当であるか検証してみることにします。

まずは例外となる3大都市(京都、大坂、東京)の検証です。
京都では、一つ下の区分は上京と下京ですので市坊2と整合的です。そしてその下位組織として上京33下京32合計65の番組があり、その下位に全1701町が所属していました。
大坂も、一つ下の区分は東大組、南大組、西大組、北大組ですので市坊4と整合的です。そして改正(大阪)区分町名録(M5.4.)によれば、その下位組織として東大組23南大組14西大組23北大組20合計80の区があり、その下位に全529町が所属していました。
東京についても「市制町村制と東京(都史紀要30)」(編・出版:東京都、1984)によると、東京という総称の一つ下の区分であるのは大区でその数は6とあります。市坊の数6と整合的です。東京も京都や大坂での事情と同じと考えて特に問題は無いものと推察されます。


次に、城下町の各町及び港町の各町の検証です。
日本地誌提要記載の市坊と明治7年5月(但し大坂は明治5年5月現在、堺は明治5年5月現在)に各府県が作成し内務省宛に提出した市町村名一覧記載(兵庫県のみは兵庫県布達第258号(M5.10.))の町の数とを比較しておきます。

当時の府県名国名都市名市坊の数(M6.1.1)構成する町の数町数の年月日
愛知県三河豊橋(明治2年吉田より改称)9153M7.5.__
愛知県三河西尾2727M7.5.__
愛知県三河岡崎3228町1駅M7.5.__
愛知県尾張熱田1515M7.5.__
愛知県尾張名古屋319325M7.5.__
岐阜県美濃加納2726M7.5.__
岐阜県美濃今泉(実質は岐阜)8047(岐阜のみ)M7.5.__
岐阜県美濃大垣4444M7.5.__
岐阜県美濃八幡1111M7.5.__
筑摩県飛騨高山3535M7.5.__
滋賀県近江長浜5562M7.5.1
滋賀県近江彦根122122M7.5.1
滋賀県近江八幡6566M7.5.1
滋賀県近江五別所(実質は大津)106101(大津のみ)M7.5.1
京都府山城京都2(大区65小区1701町)1701M6.1.1
京都府山城伏水266268(明治6年8月には266)M6.1.1
京都府丹波園部65M6.1.1
豊岡県丹波福知山1919M7.5.19
豊岡県丹後舞鶴(明治2年田辺より改称)2735M7.5.19
豊岡県丹後宮津3434M7.5.19
豊岡県丹後峰山1515M7.5.19
豊岡県丹波篠山1312or13M7.5.19
豊岡県丹波柏原1313M7.5.19
豊岡県但馬豊岡1515M7.5.19
豊岡県但馬出石1717M7.5.19
豊岡県但馬生野86M7.5.19
飾磨県播磨明石5942M7.5.__
飾磨県播磨高砂2828M7.5.__
飾磨県播磨姫路80104M7.5.__
飾磨県播磨飾磨津196M7.5.__
飾磨県播磨龍野2512M7.5.__
飾磨県播磨赤穂8083M7.5.__
兵庫県摂津尼ヶ崎4434M5.10.__
兵庫県摂津西之宮2222M5.10.__
兵庫県摂津神戸9790M5.10.__
兵庫県摂津三田97M5.10.__
大阪府摂津大坂4(大区79小区529町)529M7.5.__
大阪府摂津平野77M7.5.__
堺県和泉194194M7.5.__
#内務省宛に提出した市町村名一覧とあるのは、筑摩県区別調(筑摩県)、美濃国区別郡村名(岐阜県)、近江国区別帳(滋賀県)、京都府町村名(京都府)、豊岡県管内各区並村名調(豊岡県)、飾磨県管内各区並村名調(飾磨県)、兵庫県管下各区並村名取調書(兵庫県)、大阪府管下市中町名(大阪府大阪市街)、大阪府管下村名取調書(大阪府の大阪市街以外の区域)、堺県下区別並村名取調書(堺県)。これらは『明治前期全国村名小字調査書第二巻、第三巻(著:内務省地理局編纂物刊、出版:ゆまに書房、昭和61年)』に収録されています。兵庫県においては、兵庫県市町村合併史上巻(著:兵庫県総務部地方課、出版:兵庫県、1962)16-18頁に収録されている兵庫県布達第258号(M5.10.)の町数を採用しています。
#京都府の各都市においては、記載内容及び京都府布達から明治6年1月1日現在の町数が判明しているのでそれを記載しました。
#滋賀県、豊岡県の各都市においては、明治7年5月に行われた廃置分合が行われる直前の町数を採用しており、廃置分合が行われた(廃置分合の布達が出された)と推測される日の前日の日付を記しています。
#兵庫県布達第258号(M5.10.)での神戸の町数は90(神戸18、兵庫72)ですが、兵庫県管下各区並村名取調書(M7.5.)での神戸の町数は97(神戸30、兵庫67)となっており、日本地誌提要記載の市坊の数と一致します。
#大阪府の大坂においては、改正(大阪)区分町名録(M5.4.)による町数の数え方を採用しています。明治7年5月の大阪府管下市中町名(大阪府大阪市街)では、改正(大阪)区分町名録(M5.4.)と同じ町が記載されていますが、東大組23南大組19西大組23北大組20合計85区と区の数が変更となっています。

さて上記の表の分析です。
市坊と町の数が一致しているところが多いですが、それ以外のところを見てみます。

(1)市坊の数より町の数が多いところの場合
滋賀県の八幡や長浜では人が居住していない無人の町があります。無人の町には当然取り込むべき自治組織などありませんから、市坊より町の数が多くなっても特に問題はないものと考えられます。このことは名古屋においても言うことが出来ます。
赤穂では町を重複して数えている可能性が大きいです。
舞鶴と姫路については良く分かりません。

(2)市坊の数より町の数が少ないところの場合
大津は五別所村と大津に挟まれる神出村、五別所村、大津の東に位置する松本村に通称町と言える箇所があったのではないでしょうか。当時の松本村には、東海道沿いに家々が立ち並び、大津と連檐した町並みがある箇所もあったのではないかと考えられます(現に江戸時代には松本村の一部だった箇所が大津の町に編入されたということもありましたし)。少しばかり苦しい推測ですね。
次は豊橋です。豊橋53町の一つである八町は一つの町とされていましたが、実際のところは八町一丁目、八町二丁目、八町三丁目と分かれていました。とすれば八町は町としては1つだが市坊としては3つだと数えた、という解釈はいかがでしょうか。でもこれだけでは説明がつきそうにありません。あるとすれば、接する飽海村、仁連木村、瓦町村、野田村などに連檐していた町場があるということですが、これは[68801]YTさんが書かれている
『日本地誌提要』7,506 第1回『共武政表』10,585
第3回『共武政表』(明治13年1月1日調)豊橋駅8,469と豊橋村1,070人
第4回『共武政表』(明治14年1月1日調)で豊橋駅8,169人と豊橋村1,149人
という豊橋の人口から考えると、『日本地誌提要』は豊橋53町のみで、第1回『共武政表』こそが接する飽海村、仁連木村、瓦町村、野田村などの人口を含んでいると考えた方が良さそうです。結局、豊橋についても良く分からないということになりました。
#豊橋村とは、明治11年12月28日に豊橋53町の内の8町、仁連木村の飛地、飽海村が合併して成立した村です。

残りは全く相違の理由が分かりません。
可能性として考えられるのは豊橋の八町のような事例が他の都市にもあったからなのか、とも推測していますが実際のところは分かりません。
例えば大坂の場合、北大組第10区では「若松一番町、若松二番町、若松三番町」と分かれているにもかかわらずこれら3つを以て一つの町とみなしていましたし。。。


最後に村の中にある通称の町の検証です。
検証するには
「お上」が認定?した町場([68954]千本桜さん)
を見る必要があります。各府県が作成し内務省宛に提出した市町村名一覧のうち、岐阜県美濃国ではそのような記載が見当たりましたので、検証する材料に使えます。
村名市坊の数(M6.1.1)村に含まれる町(枝町)の数(M7.5.)
高須村77
今尾村1515
北方村1212
岩村1414
関村3231
上有知村1313

比較してみますと、ほぼ一致することが分かります。


以上で私の推測に対する検証を終えますが、何やら不完全な検証となってしまいました。


以下、余談です。
明治7年5月の時点では、規模の大きな城下町の各町、規模の大きな港町の各町などでは一個の独立した町となるところが大半でしたが、村の中の通称町ではその後も一個の独立した町とならなかったところが大半であったようです。
[69035] 2009年 3月 28日(土)01:21:49むっくん さん
王滝村
[69011]Issieさん
やはり,合併をめぐる問題は極めてデリケートなものであります。(中略)「純血」(あるいは「貞操」)を守っていることが“本人”にとって嬉しいことかというと,必ずしもそうではない。
Issieさんの話はまさしくその通りであると思います。[69002]拙稿では「純血主義」を話題に出すにあたって、「純血」と表裏の関係にある合併問題にからまないように出来る限りの配慮はしたつもりです。
私の出身県である滋賀県でも、合併がらみで大問題が持ち上がったところもありましたから。。。

ちなみに王滝村と言われて私が即座に思いつくのは、今から25年前の1984年に、王滝村を震源地として発生した長野県西部地震(M6.8)です。私が初めて体感した地震で、この地震の大津での震度は確か2であったように記憶しています。
その後のテレビのニュースで映し出された、御嶽山の大規模土砂崩れの映像はかなり衝撃的で、今でも鮮明に覚えています。
[69034] 2009年 3月 27日(金)22:35:52星野彼方 さん
地名コレ 連絡
交通由来地名コレクションの番外に小惑星イトカワ上の地形「フチノベ」を追加しました。KK さん、[68808] から随分お待たせしました。分類名にいいものが浮かばず結局なにやらよくわからないものにしています。ぴったりしたものが浮かべばまた変えておきます。

[69018] 伊豆之国 さん
猫股坂の情報ありがとうございます。ちょっと調べたところ、猫股坂、猫又坂、猫貍坂の三種類の表記があるようです。場所は伊豆之国さんのしめしたところで間違いないありません。近日中に更新しますので、しばらくお待ちください。
[69033] 2009年 3月 27日(金)22:33:04山野[山野] さん
異様な速さ
[69032]熊虎さん
住民投票をめぐる経緯などがあったため
これですか?アンケートを無視した湖北町長に対する解職請求が起きた。
(廃分議決の前も長浜市民からも住民投票の請求がありましたよね)
他の町でも監査請求だとか。
[69032] 2009年 3月 27日(金)22:12:08BANDALGOM[熊虎] さん
スピード合併
新・長浜市ですが、25日の滋賀県議会本会議で可決されていたことを確認しました。
(県議会で可決されたからこそ、官報告示の情報が出るわけですが・・・)

それにしても、稀に見るスピード合併ですね。
「平成の大合併」でのスピード合併には、2001年の大船渡市・三陸町、05年の奥出雲町のケースがありますが、県議会での可決から官報告示までの期間の短さは両者を抜きます。

何か裏があるような・・・住民投票をめぐる経緯などがあったため、既成事実を作ってしまおうという意図も感じられます。
[69031] 2009年 3月 27日(金)21:29:33BANDALGOM[熊虎] さん
Re:官報告示
[69030]山野さん
来週月曜日にも長浜市の官報告示が出るとの事です。それにしても、妙に早くないですか?
まだこれから(5月以降に)県議会で審議というのに、おかしいですね。
何かの間違いじゃないかと思いますが。

と、書いたところで滋賀県議会のHPを見たのですが、23日に追加提案されていたことが判明しました。
最終日は25日だったので、ここで可決されたと思われますが、それにしても早いですね。
気仙沼市の合併は宮城県議会で可決されてから官報告示まで2カ月もかかっているというのに・・・。
[69030] 2009年 3月 27日(金)21:16:13山野[山野] さん
官報告示
来週月曜日にも長浜市の官報告示が出るとの事です。それにしても、妙に早くないですか?
[69029] 2009年 3月 27日(金)21:05:04白桃 さん
墨廼江
[69022]千本桜 さん
明治8年共武政表での人口2,599人は井内を含み、日本地誌提要の人口2,221人は井内を含まないものと考えてはいかがでしょう。
ご丁寧に調べていただき有り難うございました。「湊村」に関しては、私もダンダンそのような感じがしてきました。
たまには墨廼江も呑んで下さい。
私、銘柄にはこだわりません。アルコールランプ以外はOKです。
[69028] 2009年 3月 27日(金)15:31:01maki さん
新宮・湖西
Yahoo!ニュースより。
第4回合併協議会において、合併後の新市名称を住民意識調査した結果が報告され、

「新宮市」:1269人  「那智勝浦市」:189人

と、新宮市が圧倒的な数を占めました。
他の候補としては、「南紀州市」「新宮那智勝浦市」「新宮勝浦市」などがあがったとのこと。

来月24日の協議会において、候補を1つにしぼった上で提案する見込みです。


また、湖西地区(静岡)は合併期日を来年3月23日とする案が提示されたとのこと。
[69027] 2009年 3月 27日(金)12:50:04敷守ほむら さん
日本国内の姉妹都市などの提携関係をつないでいったら最長解は?
こんにちは。

ふと思ったのですが、日本国内の市に限定して、姉妹都市などの提携関係がある市を重複なしでつないでいった時、最長解はどうなるでしょうか。
思いつきなので、まだ、まったく調べてません(^^;
[69026] 2009年 3月 27日(金)09:11:59BANDALGOM[熊虎] さん
糸島市
福岡県議会は26日、前原市・二丈町・志摩町の廃置分合議案を可決しました。

でるでるさん、よろしくお願いします。
[69025] 2009年 3月 26日(木)23:58:58Hiro_as_Filler さん
公式ホームページ編集長通信
毎回お久しぶりですと書いてしまい申し訳ありませんが、お久しぶりです。

[69016] Mujon さん
神戸市のホームページがリニューアルしました。
URLに「lg」が入った形式となり、各区役所のアドレスも同時に変わっています。

情報ありがとうございました。
時を同じくして、メールでも情報提供をいただき、本日更新をいたしました。
神戸市各区につきましては、区名が明示されたアドレスになってわかりやすくなりましたね。

同じ政令指定都市では、今度4月1日に指定されます岡山市のアドレスは、政令指定都市の地域型JPドメイン名であるcity.okayama.jpを使用して、 http://www.city.okayama.jp/ となる予定です。cf. http://www.city.okayama.okayama.jp/kikaku/seirei/addreshenkou.html
[69024] 2009年 3月 26日(木)21:51:05山野[山野] さん
法定協設置へ
でるでるさんへ
近江八幡市議会は今回が最後の機会だとし、安土町との法定協設置議案を可決しました。
また、安土町議会側も25日に可決済みで期限内の合併を目指し4月1日にも、法定協が発足する予定です。
[69023] 2009年 3月 26日(木)14:01:25【1】hmt さん
「飛び地」の魅力 (10)過去帳入りした沿海飛び地
飛び地合併で生れた沿海型飛び地のうち、現存するものは、海続きの桜島・須賀利・浦崎 [69006]と 前回(音別・三厩・笠利・矢野・小佐々)[69019] の5ヶ所とを合せた8ヶ所です。

一応、グリグリさんの十番勝負解説[61174]で分離型として挙げられた9市を、この8ヶ所と対比しておきます。
釧路市、尾鷲市、広島市、尾道市、佐世保市、鹿児島市は一致。静岡市蒲原は、2008年の由比町編入で飛び地状態解消。

残る2市のうちの土佐市。リアス式海岸の浦ノ内湾(横浪三里)周辺の地域は、大部分が浦ノ内村(現・須崎市)でしたが、東端だけは宇佐村(現・土佐市)で、横浪半島(浦ノ内半島)先端の土佐市宇佐町竜は、町村制施行の1889年から存在した宇佐村の飛び地でした。従って、その後の飛び地合併には該当しませんが、飛び地のタイプとしては、桜島型の海続きでした(現在は架橋済み)。
天草上島の棚底湾対岸にある天草市(旧・倉岳町)の飛び地には、人家はなさそうです。何らかの経済的理由?

逆に沿海型飛び地合併現存組のうち十番勝負の分離型9市に入っていなかったのは、「市」でない三厩と、一体型とされていた奄美市笠利でした。

平成合併では、現存する三厩(外ヶ浜町)、音別(釧路市)、笠利(奄美市)、小佐々(佐世保市)【他に桜島が拡大】だけでなく、更に2件の沿海飛び地合併がありました。
一旦は沿海飛び地が形成されたが、その後の合併で飛び地状態は解消し、過去帳入った2件を列挙。

旧・新潟県西蒲原郡岩室村 2005年3月 新潟市 の沿海飛び地になったが、同年10月 巻町編入で飛び地状態解消
旧・静岡県庵原郡蒲原町 2006年 静岡市 の沿海飛び地になったが、2008年 由比町編入で飛び地状態解消

次に、昭和に生まれた沿海型飛び地が、平成合併で解消した出水市の事例を紹介します。

1954年、鹿児島県出水郡米ノ津町が出水町と合併して 出水市 になりましたが、米ノ津町には高尾野町を隔てた西側に飛び地(荘地区)があったので、この区域に関しては飛び地合併の形になりました。
その5年後、高尾野町 は江内村と合併するのですが、両者はこの出水市荘地区と野田村とによって隔てられており、これも沿海型飛び地合併でした。

2組の飛び地合併の結果、出水市と高尾野町との領域が入り乱れ、平成合併で生じた津軽半島飛び地模様[68989]のミニ版という情況を呈していましたが、2006年3月の合併 で、出水市荘・高尾野町江内という2つの飛び地状態は解消しました。
【追記】
この2件の飛び地については、[40211] 作々 さんの記事がありました。

もっと古い沿海型飛び地もあります。一応列挙しておきます。

旧・三重県三重郡塩浜村 1930年 四日市市 の沿海飛び地になったが、1941年 日永村編入で飛び地状態解消
旧・和歌山県西牟婁郡南富田村 1955年 白浜町 の沿海飛び地になったが、1958年 田辺市の一部(旧西富田村)編入で飛び地状態解消
旧・宮城県牡鹿郡荻浜村 1955年 石巻市 の沿海飛び地になったが、1959年 渡波町編入で飛び地状態解消
旧・山口県熊毛郡阿月村 1956年7月 柳井市 の沿海飛び地になったが、僅か2ヶ月後には 伊保庄村編入で飛び地状態解消

最後の事例に関連して、現在の地図で柳井市の市域を見ると、本体の市街地から室津半島の東側を南に伸びて、更に海を越えた平郡島に至ります。地図だけ見れば、いかにも柳井市域は南へと伸びていった感じです。

しかし、実際の編入経過を見ると、海を隔てた大島郡平郡村が1954年。2年後の半島部も、上記のように先端の阿月村が先で本体に近い伊保庄村が後となっています。
柳井と元々同じ郡であり、柳井港の東に連なる大畠となると更に後で、平成の新設合併により 2005年に柳井市になりました。
桜島が鹿児島市になったのが、遠い側の東が先で、近い西が54年後であった事情と、共通するものを感じます。
[69022] 2009年 3月 26日(木)08:58:13千本桜 さん
湊村、大区小区、市坊
[68834]白桃さん
でも、それなら何故「日本地誌提要」の湊村の人口が2,221人になっているのか。(湊村は、明治22年に石巻町と稲井村に分割されていますが、これと関連するのか・・・)
[68874]千本桜
推測するに、湊村の井内・磯田地区は時に、湊村本体とは別の地域として取扱われていた可能性が無きにしも非ずです。すると、「日本地誌提要」の湊村の人口2,221人は、井内・磯田地区を除いた人口ではないかという推測が生まれます。勿論あくまでも推測です。
井内・磯田地区が湊村本体と切り離されて別の地域として扱われていた可能性があると推測したのは、古い地形図の読図を通してのことでした。町場を成す湊村本体と井内集落の間には、人家の無い非居住区間があって隔絶感がありましたからね。どうやら、その推測が当たっている可能性が濃厚になりました。大小区制の資料を見ているうちに、それを決定づけるような記述を目にしました。
明治5年の大小区制では、幾つかの藩政村を併せて1つの小区にしているのが一般的です。しかし、人口の多い村は単独で1つの小区になりました。石巻村、門脇村、湊村は人口の多い村なので、それぞれ単独で1つの小区です。牡鹿郡は第13大区で、その1小区は石巻村。2小区は門脇村。4小区は湊村です。ですから、1小区の欄には石巻村、2小区の欄には門脇村、4小区の欄には湊村と記載すれば済むことなのに、1小区「石巻村、石巻村の内 墨廼江、石巻村の内 袋谷地」、2小区「門脇村、門脇村の内 釜」、4小区「湊村、湊村の内 井内」と書いてあります。このことから、石巻村は石巻本体墨廼江袋谷地に、門脇村は門脇本体に、湊村は湊村本体井内に区分される慣習があったのではないかと推測できます。石巻村の本体は共武政表で言うところの石巻港駅、門脇村の本体は門脇港に当たると考えて良いのではないでしょうか。
井内が湊村と分れて稲井村になったのは明治22年のことですが、湊村はそれ以前から湊本体地区と井内地区(磯田を包含)に分けて扱う慣習もあったということになるでしょう。明治8年共武政表での人口2,599人は井内を含み、日本地誌提要の人口2,221人は井内を含まないものと考えてはいかがでしょう。たまには墨廼江も呑んで下さい。

[68958]YTさん
「市坊を置かず」とは大区小区制が制定されていない地域で、小区に所属する町村の数が確定していなかったのだと理解しています。
でも、東北地方で「市坊を置かず」と記載された名邑は、羽前の長瀞、羽後の大曲および百三段新屋の3名邑ですが、それらは大区小区に組みこまれていたのではないですか?。鹿児島とか仙台のような大城下町以外のありふれた小名邑においては、市坊と大小区制の関連は無いのではないかと感じています。明確な裏づけの無い、ただの勘ですが。長瀞、大曲、百三段新屋を結びつける共通点って何だろう。新たな謎ですね。
[69021] 2009年 3月 26日(木)08:17:41興田小 さん
新町名決定
落書き帳の皆さま、おはようございます。

[66995]伊豆之国 さま
[67625]はやいち@大内裏 さま
[67751]k-ace さま
[68344]熊虎 さま
[68871]山野 さま
[68884]maki さま
[68921]運び屋A さま

南巨摩郡増穂町・鰍沢町の新町名は南巨摩郡富士川町となります。
ソース

2010年 3月 8日に合併予定の増穂、鰍沢両町の新町名が25日「富士川」に決まった。
新町名の公募には重複する名称を除いて599点が寄せられ、両町の歴史や地理などを考慮し、候補に
・川の都
・峡南
・甲南
・富士川
・富水
の五点を選定していた。
25日の法定合併協議会で、この中から最もふさわしいとして「富士川」を選んだ。

旧庵原郡富士川町にお住まいの、新富士市民は複雑な心境でしょうね・・・
[69020] 2009年 3月 25日(水)22:37:27BANDALGOM[熊虎] さん
合併情報
愛知県議会は今日、清須市と春日町の廃置分合議案を可決しました。
この議案についての賛成討論があり、その後この議案についてのみ採決が行われたため、確認できました。

また、佐世保市と江迎町・鹿町町の合併協定調印式が今日、予定通り行われました。
[68809]の後、まだ更新されていませんが、合併期日は来年3月31日です。

でるでるさん、よろしくお願いします。
[69019] 2009年 3月 25日(水)21:57:47hmt さん
「飛び地」の魅力 (9)まだ沿海飛び地 不思議な海岸もある
飛び地合併の実例として、[68989]では、三つ巴の津軽半島・平成と昭和の大規模飛び地を示しました。
続く[69006]では、飛び地を陸型と沿海型とに分け、沿海型のうち海続きの関係を優先した飛び地合併になった3件を示しました。

面積第2位の釧路市音別や、津軽半島の外ヶ浜町三厩の飛び地(いずれも[68989])も、トポロジー的には鹿児島市桜島・尾鷲市須賀利・尾道市浦崎と同じ沿海型です。

オーナー グリグリさん [67224]
私には、釧路市と、尾鷲市、尾道市、鹿児島市(桜島)などのケースを区別するのが気持ち悪い
という発言は、このことを指していると思われますが、人文地理的には少々情況が異なります。
釧路市飛び地と本体とを結びつけているのは、白糠町を通る陸上交通が主体であり、海続きの隣接関係はありません。
前記海続きのグループ3例に比べて、他の市町村経由の交通に頼るこちらの方が、飛び地度?は高いのかもしれません。

同類に入れてよさそうなのが、奄美市 の笠利飛び地です。
ペーロケ さんが 名瀬市を「日本のパナマ」[24153] として挙げた後 笠利町との飛び地合併があり、龍郷町の領域で分断されている現在の奄美市の姿は、運河地帯の米国租借地により南北に分断されていた 1999年までのパナマ共和国の姿に、ますます似てきました。

オーナー グリグリさんは、十番勝負解説[61174] の中で、“奄美市 一体型”と記しています。
旧・名瀬市部分だけでも一体型として該当するのですが、笠利の存在を考慮すれば分離型でもあります。

奄美市笠利は奄美空港の所在地でもあります。笠利と名瀬との間は国道58号で結ばれ、役チャンさんの 訪問記[58906] にあるようにバスが通じています。漁港はあるが、名瀬港との間の定期船はないでしょう。沿海飛び地ですが、龍郷町経由で行き来する飛び地であり、海続きの隣接関係はないと思われます。

「沿海」という言葉に、特別な意味が込められているように思われる飛び地は、広島市安芸区矢野地区です。

広島県安芸郡矢野町が 広島市 に編入されたのは 1975年でした。
坂町の沿革 の“昭和59年1月 海田湾埋立工事完成 <北新地と命名>”という記載を参照すると、1975年(昭和50年)当時は、瀬野川が広島湾に注ぐあたりの海域(海田湾)には、まだ埋立地が出現していなかったと思われます。
編入された矢野町は、呉線矢野駅の北西に数百mの海岸線を持ち、広島市の沿海飛び地になったと推定されます。

現在の地図 に示された境界線は、これまた不思議な形です。
海田湾には安芸郡坂町北新地と広島県安芸区矢野新町、そして一部は安芸郡海田町に属する埋立地ができています。海田大橋取付道路の北に沿って、100×800m程度の大きさの細長い沿岸地が、広島市安芸区矢野新町2丁目として記されています。

[4119] 夜鳴き寿司屋 さん は、この飛び地に注目し、
おそらく以前の公有海域の区割りどうりに町割りを決めた為だとおもいます。
と記していました。なお、当時のYahoo!地図やMapionでは南区月見町になっていたようですが、安芸区矢野新町2丁目の間違い([4121] ゆう さん)だったようで、現在は修正されています。

私が想像するに、1km弱という長さは埋立前に存在した矢野町の海岸とほぼ同じであり、その沿岸権(そんなものがあるかどうか知りませんが)を引継いで、北西の埋立地の海岸に移動したような印象を受けます。

私が矢野地区をここに記したのは、合併当時の海岸を引き継いだ広島市の沿海型飛び地であると見たからなのですが、[4119] にリンクされた海田大橋入口交差点付近のYahoo!地図を見ると、境界線が少し食い違っています。
厳密に言えば、矢野地区の本体は内陸飛び地になっており、別にごく小さな沿海型飛び地があるのかもしれません。

佐世保市 小佐々[67233]も、判定がいささか微妙な沿海飛び地合併です。
佐世保市本体と旧・小佐々町とは、北松浦郡佐々町小浦免で隔てられていると思われます。
しかし、小浦免と小佐々の間は海なんでしょうか?
地図には 佐々浦 と書いてあり、佐々川の延長のような細長い水面にポインタを置いても地名が出ないことは「海」であることを支持しているようです。
境界線が書き入れてある点に注目すれば、普通の海と違う内水面のようでもあり、もしも、南に突き出した佐々町境界線の先で、佐世保市本体と小佐々とが内水面で隣接しているのであれば、飛び地でなくなるかもしれません。

佐々町[69017] の佐世保市への合併が実現すれば、この飛び地は消滅します。
[69018] 2009年 3月 25日(水)21:21:50伊豆之国 さん
気になるホテル業界の行く末
このところ、経済誌に相次いで「旅行・ホテル業界の苦境」に関する記事が出ていたので、まずこれらについての話題から。
「ダイヤモンド」では、超高級ホテルでさえ「破格の特価」、外資系も参入見合わせが相次ぐ、といった記事が出ていたりしていたのですが、中でも他人事ではないと思ったのは、EMMさんのお膝元・石川県加賀温泉郷の老舗旅館の相次ぐ倒産・廃業・身売り。かの「皇室御用達」の名門旅館の突然の店じまいや、「格安リゾート」への身売り騒動などの顛末が‥。そういえば、もうだいぶ前に倒産した湯涌温泉の「白雲楼」、建物の老朽化で取り壊し、などという噂を耳にしたのですが、今どうなっているのでしょうか‥その「白雲楼」が経営にかかわっていた近くの「江戸村」も、今の地図や観光ガイドから消えているようなのですが、これらも「白雲楼」と命運を共にしたのでしょうか? 「東洋経済」でも、「『今市』旅館の再生への模索」などの記事が。かく言う私も、伊豆の温泉地の衰退を目の当たりにしていますし([64080])、これまでに泊まった旅館の中に今は休廃業となったものが結構あるのです。
温泉といえば、今日のTVの旅番組で日本人さんの地元・磯部温泉や秋間梅林が。このところご無沙汰しているようですが‥

[68968]Issieさん
岡山の玉電
「タマデン」というと、和歌山電鉄の「猫駅長」の「タマ電車」が運行を開始したとか。「猫」で思い出したのが、少し前に話題になった「猫コレクション」。東京都文京区に「猫又(股)坂」という坂があります。横関英一氏著「江戸の坂 東京の坂」(昭和45年初版)によると、「猫股(ねこまた)坂 文京区千石2・3丁目の境、不忍通りの坂(以下略)」とあり、この辺りではないかと思います。私は確か二昔以上前ですが、この辺りを通ったことがあり、由来も書かれた案内板も出ていたので間違いないと思うのですが、web地図にはどこにも出ていないので、とりあえず保留、になるのでしょうか?
[69017] 2009年 3月 25日(水)14:53:21山野[山野] さん
佐々町
佐世保市との法定協設置を求める住民投票が来月19日に実施される予定で同日、投開票される。
[69016] 2009年 3月 25日(水)12:40:10Mujon さん
神戸市ホームページリニューアル
非常にお久しぶりです。三年ぶり、事実上のはじめましてかな。

神戸市のホームページがリニューアルしました。
URLに「lg」が入った形式となり、各区役所のアドレスも同時に変わっています。

新しいアドレスは次の通り。

神戸市
http://www.city.kobe.lg.jp/

東灘区
http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/higashinada/

灘区
http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/nada/

兵庫区
http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/hyogo/

長田区
http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/nagata/

須磨区
http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/suma/

垂水区
http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/tarumi/

北区
http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/kita/

中央区
http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/chuou/

西区
http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/nishi/


本日お昼頃に切り替えが行われたようで、今このPCのキャッシュには、旧アドレスのページと新アドレスのページ、双方がキャッシュで残っています。リニューアルで広報公聴のKOBEムービーチャンネルが行方不明です。
[69015] 2009年 3月 25日(水)11:45:20【1】右左府 さん
ニュースでの「町」の読み方
[69013] 2009 年 3 月 25 日 (水) 08:46:31 miki さん
今日のNHK「おはよう日本」での中継では「かわもとちょう」と呼ばれていました。
私も聞きました。てっきりこれが正解かと思ってたんですが、島根県にも「まち」があったんですね。

NHKの中で実際にどういったルールがあるのか分かりませんが、「町」「村」の読み方は原則として“正式”なものを採用しているのではないでしょうか。アナウンサーが正式でない読み方をした後で正式な読みに訂正することもたまにありますから。

そういえば先日も、NHKの他の番組で青森県南部町を「なんぶまち」と読み上げてました。他にも同様の“間違い”はしばしば聞かれます。
この南部町にしろmikiさんがお聞きになった島根県の例にしろ、おそらくアナウンサーが「東は『まち』、西は『ちょう』」などといった大原則を念頭に置いたがための間違いでは?とも推測されます。

したがって、今日のおはよう日本の中継もキャスターの間違い……かと思うのですが、さすがに中継先としてとり上げられる町の読みを単純に間違えたとはちょっと考えづらいですね。

(上述のとおりNHKはこの点にある程度気を遣っているようですが、民放だとかなりいい加減に扱われているように思います。大分昔、ある番組(録画)で「秋田県フジサトチョー」を連呼していたときは流石に呆れました。)
[69013] 2009年 3月 25日(水)08:46:31miki さん
かわもとまち?かわもとちょう?<島根県「川本町」の読みについて>
http://cpf.uub.jp/shimane.html
では「かわもとまち」になっていますが、
今日のNHK「おはよう日本」での中継では「かわもとちょう」と呼ばれていました。
これには何か理由があるのでしょうか?
そういえば、同じような事が合併前の旧・大社町や旧・広瀬町などでもありましたが...。
[69011] 2009年 3月 25日(水)01:24:27Issie さん
合併してもらえない村
[69002] むっくん さん
王滝村は今まで純血主義を守っています。

まあ,結果としてそうなっているけれども,王滝村自身は“純血主義”を守りたくないらしいですね。本当は木曽福島町ほかとの大合併に参加したかったのだけれども,スキーリゾート問題などにかかわる債務問題があって,仲間に入れてもらえない。結局,しかたなく,嫌なのに,純血主義を守らざるを得ないはめに陥っている…。

私は,平成の大合併前夜に当時の長谷村を訪れたことがあります。村役場の人からは,なかなか合併の対象としてもらえない村の辛さを伺いました。その後,長谷村は伊那市に合併してもらえましたが。
あるいは,合併直後の旧楢川村では,塩尻市への合併をめぐる様々な話を伺ったこともあります。

やはり,合併をめぐる問題は極めてデリケートなものであります。
合併して新しい自治体が誕生することを単純に喜んでいいかという,必ずしもそうではない。
一方で,「純血」(あるいは「貞操」)を守っていることが“本人”にとって嬉しいことかというと,必ずしもそうではない。
少なくとも,“部外者”が合併が進まないことに不満や批判を述べたり,逆に合併しないことを称賛したりすることは控えるべきだろうと思います。すべての決定権は,その地域の人々に委ねられるべきです。よそものが勝手な口をはさむべきことではない。

ところで,すでに“昨日”になりましたが,神奈川県議会の2月定例会の最終日,若干の議論があり,反対案もだされましたが,相模原市の政令市指定を要求する意見書が可決されました(今期議会では,知事が提案した禁煙条例からずっと後退した「受動喫煙防止条例」の方がずっと話題になりましたが)。
これで,相模原市の政令市指定に向けて,また一段階段を昇ったことにはなりますね。
[69010] 2009年 3月 25日(水)01:10:05YT さん
明治17年の日本の本籍・現住人口
『日本地誌提要』は明治6年1月1日調の県治・名邑の人口をまとめております。また明治8年の第一回『共武政表』の方は統計の基準となる統計年月が不明ですが(大部分はおそらく明治6年のもの)、『日本地誌提要』を上回る数の輻輳地(1000人以上)が収録されています。さらに明治12年1月1日~明治14年1月1日調の人口をまとめた第二回から第四回の『共武政表』では、第一回『共武政表』を上回る数の輻輳地(100人以上)を収録しており、第一回に比べて本の厚さが五倍程度となり、データベース化も大変です。

しかしながらこれらの資料では、都邑・輻輳地を連担接続したとして定義しており、都市範囲の基準が曖昧で、1年ごとに輻輳地の範囲が変わってしまっています。

一方明治17年1月1日調の『都府名邑戸口表』と明治19年12月31日調の『市街各邑及町村二百戸以上戸口表』は、主要都市について本籍人口・現住人口を載せており、都市の範囲がある程度は定まったように見えます。この内『都府名邑戸口表』については近代デジタルライブラリー等で閲覧することができませんので、『都府名邑戸口表』掲載の本籍・現住人口を次にまとめてみようと思います。

ところで明治17年1月1日調の各戸長毎の本籍人口を載せたものとして、『地方行政区画便覧』がありますが、『地方行政区画便覧』記載の本籍人口と『明治十七年一月一日調日本全国戸口表』記載の本籍人口には多くの点で違いが目につきます。そこでまず『明治十七年一月一日調日本全国戸口表』記載の本籍・現住人口と『地方行政区画便覧』記載の本籍人口について府県別にまとめてみました。

下の表のうち、左側の本籍人口・出寄留・入寄留・現住人口は『明治十七年一月一日調日本全国戸口表』記載のもの、右側の本籍人口・調査年月は『地方行政区画便覧』記載のものです。『地方行政区画便覧』は明治19年の行政域に従って明治17年1月1日調の人口を書きだしているだと思っていましたが、実は一部の府県では明治17年1月以外の統計を用いていたようです。あと残念ながら沖縄県が調査の対象外です。奈良県、香川県は大阪府、愛媛県に含まれ、多摩三郡はまだ神奈川県です。明治17年は、逃亡失踪者、陸海軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者、外国行きの者の統計が存在しないため、現住人口=本籍人口-出寄留+入寄留です。

府県本籍人口出寄留入寄留現住人口本籍人口調査年月
東京府1,020,41113,692210,8231,217,542997,490
京都府845,4087,00512,843851,246845,408
大阪府1,601,4049,28461,0371,653,1571,606,390
神奈川県814,8345,58821,905831,151828,785M18年1月
兵庫県1,447,8869,4309,7431,448,1991,447,886
長崎県702,3372,6967,963707,604702,337
新潟県1,606,85519,0141,4631,589,3041,606,855
函館県119,7785,96727,148140,959119,778
埼玉県984,6239,33710,603985,889984,623
千葉県1,124,27415,8945,2711,113,6511,124,274
茨城県930,7317,9446,960929,747942,085M18年1月
群馬県625,4065,82116,497636,082625,406
栃木県620,7454,14510,841627,441630,898
三重県880,1895,9633,440877,666880,189
愛知県1,375,81413,2518,0131,370,5761,387,879M17年7月
静岡県997,73918,9383,711982,5121,014,713M18年1月
山梨県416,7323,0712,836416,497418,871M18年7月
滋賀県647,51212,6414,763639,634647,512
岐阜県879,82410,2433,439873,020879,824
長野県1,044,3606,1615,1421,043,3411,044,360
宮城県643,7701,3491,996644,417643,770
福島県853,4763,2247,581857,833853,476
岩手県621,3406,8961,172615,616621,340
青森県498,8827,2571,510493,135498,882
山形県707,6712,849687705,509709,685M18年1月
秋田県641,6652,4651,375640,575641,665
福井県589,7497,608924583,065589,749
石川県743,6769,093895735,478743,676
富山県702,9452,173850701,622702,945
鳥取県383,3702,958888381,300383,373
島根県680,1552,8771,535678,813681,295
岡山県1,038,7804,7033,1621,037,2391,038,780
広島県1,262,5626,1592,7451,259,1481,262,562
山口県900,0135,5262,809897,296900,013
和歌山県616,0834,7341,156612,505616,083
徳島県653,1844,1012,026651,109655,941M18年1月
愛媛県1,515,4157,7894,1941,511,8201,515,415
高知県548,1333,6442,488546,977548,133
福岡県1,136,6943,5952,3971,135,4961,136,694
大分県752,6873,7593,233752,161752,687
佐賀県519,9442,0691,837519,712523,927
熊本県1,000,8911,6931,8131,001,011998,347M17年7月
宮崎県381,585552846381,879383,247M18年1月
鹿児島県937,1993,3241,219935,094932,278
沖縄県363,83614879364,701対象外
札幌県65,1212,25232,87595,74492,383
根室県6,0391657,29813,17217,089M18年1月
総人口37,451,727288,913524,83137,687,64537,178,998原則M17年1月
※皇族37人(東京府26人、京都府11人)を加えた明治17年1月1日の本籍人口は37,451,764人

見比べると、案外一致する数字が多かったようです。以上より『地方行政区画便覧』記載の本籍人口は、『明治十七年一月一日調日本全国戸口表』と同一の資料を基に作成されており、一部の統計については、行政の範囲が変わった・別の年月調の数字を用いた等の理由により数字が合わなかったということが推測されます。
[69009] 2009年 3月 25日(水)01:03:04hiroroじゃけぇ さん
児島のライバルは玉野市?
67000番の時と同様、k-aceさんにキリ番とおしえられたhiroroじゃけぇです。69000番。次はいよいよ70000番となりますね。歴史を感じさせられます。

さて、表題は[69007]のペーロケさんの疑問によるものです。
児島のライバルは玉野かと思っていましたが、「児玉」なる言葉は存在するんでしょうか?
これについては地元ではそういうものはないですね。そもそも、児島から玉野という動線は細く、児島・玉野ともに、岡山・倉敷への動きとなっています。児島と玉野といえば、高松へは宇野に、買い物などは児島方面にといった感じでしかないと思います。もっとも、自分自身は瀬戸大橋開業後のほうが長いですから、開通前の事情はよくわからないといった点もありますが。

とりあえず、児島と玉野の動線の境目は渋川と日比の間となります。渋川自体は玉野市ですが、児島方面への通勤は多く、買い物なども児島に向かう住民のかたがたが多いようです。また、児島駅と宇野駅では利便性に格段の差があることはお分かりいただけると思いますので、その辺も考慮に入れることができると思います。

何度訪れても、玉野が児島よりも人口が多いのが信じられないのですが、玉と宇野の合わせ技の勝利??
これについてはペーロケさんの勘違いです。児島地区の人口は7万5923人で、一方の玉野市は6万6501人(どちらもH21年3月1日現在)児島地区の方が人口は多いのです。このデータから読み取れる面白いことといえば、もし児島が旧来の島域で合併していたら、旧児島市・玉野市・旧灘崎町・岡山市の一部で、約15~16万人の都市であったわけで、ひょっとしたら特例市を狙えていた可能性もあると考えています。

とりあえず、児島と玉野はライバルでもパートナーでもない、なんかちょっとした友達関係のような存在です。
[69008] 2009年 3月 25日(水)00:00:55トミ さん
ご無沙汰しています
久しぶりに書き込みします・・・。

今日は人生で初めて大阪に行きました。
自分の中では「方言=テレビや田舎で聞く言葉」というイメージが少しあったので
大阪のような大都会で自分に馴染みのない関西弁にひたるのはとても新鮮でした。

[63634]伊豆之国さん
「○本○」のうち
「三本杉」‥東京都世田谷区(陸橋・バス停)
「一本松」‥神奈川県愛川町(バス停)
情報提供ありがとうございました。今更ですが更新しました。
[69007] 2009年 3月 24日(火)23:50:11ペーロケ さん
インター連続ほか
 WBCの決勝戦、96年夏の松商vs熊工の決勝戦を見ているような試合でした。しかし、同じ相手と5度も戦うことになるとはねえ。。。

[69001]futsunoおじさん
 インターチェンジは面白いですね。こんなのも見つけました。

豊田南~(豊田JCT)~豊田東~(豊田東JCT)~豊田松平~豊田勘八~豊田藤岡

 伊勢湾岸道から東海環状道にまたがるのですが、豊田東JCTはまだ分岐していないので、実際は1本の道と言ってもいいのではないでしょうか。豊田JCTも入れるとなんと6連続(豊田東JCTを入れると7連続)。

 阪神高速湾岸線には、純粋にインターチェンジだけで6連続もあります。(但し、ハーフランプも名称が異なれば1つとみなしました)

 魚崎浜~深江浜~南芦屋浜~西宮浜~甲子園浜~鳴尾浜

[68999]hiroroじゃけぇさん
実は、地元児島にも昔はそういうのがありまして、その対になる都市は坂出。「児坂」というのがそのセットでした。
 瀬戸大橋の開通前は、児島のライバルは玉野かと思っていましたが、「児玉」なる言葉は存在するんでしょうか?つい1ヶ月前、児島、玉野を訪問しました。何度訪れても、玉野が児島よりも人口が多いのが信じられないのですが、玉と宇野の合わせ技の勝利??

[68994]般若堂そんぴんさん
 実は、問七は別解が出るかもしれないな~と気づいたのは出題後のことです。想定解もちょっと苦しいもので。。。(汗)
[69006] 2009年 3月 24日(火)17:27:08【1】hmt さん
「飛び地」の魅力 (8)海続きの飛び地合併(桜島・須賀利・浦崎)
[68993] オーナー グリグリ さん 落書き帳アーカイブズ障害の原因判明

迅速な対応をしていただき、ありがとうございました。これにて [68989]でリンクした アーカイブズ“純血主義…”も復活。

[68997] Issie さん
南箕輪村の成立は「筑摩県」時代の 1875(明治8)年2月18日。
筑摩県は長野県に分割編入される前に中南信地域で近世以来の町村の整理を行っているのですね。
[69002] むっくん さん
この時期、筑摩県全域で大々的に合併が行われています。その嚆矢となったのは、…安曇村の成立…でした。明治7年9月のことです。

これも筑摩県だった木曽の読書村について、合併した與川・三留野・柿其3村の頭音からの合成であることを書きましたが、過去記事 [28294] を確認したら、明治7年を明治4年と誤記していたことに気が付きました。

主テーマとは関係はありませんが、この機会に訂正します。

飛び地に戻ります。
このシリーズ の冒頭で、私が「飛び地」の魅力として第一に挙げたのは「もの珍しさ」でした。

本来は地続きで一体になっていると思われる区域が離れ離れになっている希少性。
それを地図上で直感的に訴えているものは、その位置関係 トポロジーpdf であり、珍しい飛び地を生じた原因を理解させるものは、その土地の持つ歴史的ないきさつです。

海との位置関係に着目すると、地続きであるが隣接していない2つの陸地は、双方が内陸、内陸と沿海、双方が沿海の3種類に分類できます。
少なくと片方が内陸であれば、飛び地であることについての疑問はないのですが、(双方共に)沿海型の飛び地は、海上交通により直結しているという疑いを抱かれており、準飛び地などという呼び方をされる場合もあります。

確かに、鹿児島市の桜島地区は、フェリーにより本体と直結しているというのが、人文地理的な見方でしょう。
元々、桜島という名のとおり鹿児島湾内の「島」であり、「島」のままだったら飛び地とは別の扱いであり、たとえ鹿児島市と合併しても飛び地になることはなかったのでした。

ところが、大正噴火で流れ出した溶岩によって1914年に対岸の大隅半島、ひいては鹿児島市のある九州本土と、他の市町村を介して地続きになっているので、トポロジー的には飛び地と認定するのが適切ということになってしまいました。

桜島地区に、現実に鹿児島市の領域ができたのは、戦後、1950年に行なわれた鹿児島県東桜島村の 鹿児島市 への編入合併でした。この際の合併呼びかけに対して、鹿児島市から遠い側にある東桜島村(噴火の影響が大きく、財政も苦しい)は合併を歓迎したが、西桜島村(観光客が来る)は合併に反対したと伝えられています。

東桜島村は、鹿児島市から西桜島村(1973年から桜島町)を隔てているから「飛び地」であったようにも見えますが、そうではなく、大正溶岩で地続きの九州本土の一部であるからこそ、「飛び地」なのですね。
だから、平成になって桜島町も 鹿児島市 に編入され、(フェリー経由)鹿児島市内だけを通って本体と東桜島とが結ばれても飛び地解消にはならず、逆に西桜島までが「拡大した飛び地」になったのでした。

昭和大合併の時に、尾鷲市 誕生に参加した三重県北牟婁郡須賀利村。1982年の県道開通までは、尾鷲からの巡航船が唯一の交通手段という陸の孤島でした。海の熊野古道
これも本当の「島」でなく、「陸の孤島」だから「飛び地」なのですね。
この沿海型飛び地の落書き帳への登場は、十番勝負の想定解の一つという形でした。共通項は、“他の自治体により海岸線を分断されている市”で、その一類型としての分離型(すなわち飛び地)9市に含まれていました[61174]

少し遅れて、尾道市 に編入されたのが、広島県沼隈郡浦崎村です。
十番勝負出題よりも前に、過去ログ [7832][19039]がありました。
これは沼隈半島の西に突き出た岬の先端で、一見すると須賀利同じような形の飛び地に見えます。
浦崎は、陸続きの福山市松永にも道が通じているので「陸の孤島」ではありませんが、生活の実体から、「海続き」である尾道への合併を選択したのでしょう。
[69004] 2009年 3月 24日(火)13:43:52山野[山野] さん
削除忘れ?
当サイト内の合併予定面積一覧表に真岡市がありますが
こちらは昨日合併が成立していますので削除されても構わないのではありませんか?
[69003] 2009年 3月 24日(火)05:49:43YASU さん
背景色など
[68946] オーナー グリグリさま
サイトの背景色とフォントサイズについて
私も今の落ち着いた雰囲気が好きです。

フォントサイズについては、一回りぐらい大きくてもいいのですが、可変にすると表が崩れてしまいそうですね。

たいした意見ではありませんが、よろしくお願いします。
[69002] 2009年 3月 24日(火)01:02:00むっくん さん
純血主義
[68997]Issieさん
筑摩県は長野県に分割編入される前に中南信地域で近世以来の町村の整理を行っているのですね。岐阜県に編入された飛騨分については確認していませんが。
この時期、筑摩県全域で大々的に合併が行われています。その嚆矢となったのは、西安曇郡(当時は安曇郡)安曇村の成立(平成17年に松本市の一部となり消滅)でした。明治7年9月のことです。その後、現在の長野県中南信地域の大半の町村と、現在の岐阜県飛騨地域のすべての村において廃置分合が行われ、明治8年9月の伊那郡小野村の成立にてこの大合併は終了しました。

この大合併前には筑摩県には飛騨239村、信濃(ただし筑摩県管轄下に限る)965町村、計1204町村もありました。しかしその内で廃置分合に関与しなかったのは西筑摩郡(当時は筑摩郡)の贄川村と奈良井村と奈川村と王滝村の4村のみ。

このうち贄川村と奈良井村は明治22年の市制町村制施行で楢川村となり現存しなくなりました。奈川村は昭和23年に南安曇郡と郡変更をした後も合併を経ずに純血主義を保ってきましたが、平成17年についに合併で消滅し現在は松本市の一部
それに引き換え、王滝村は今まで純血主義を守っています。

さて[68989]hmtさんの
南箕輪村は明治22年の町村制施行時もそれ以後も合併がなく、120年間 純血主義を守る市町村 だった
という言葉に触発されて純血主義を一番長く保っているのはどこなのか少しばかり調べてみました。
私は、天保国絵図~現在までの市区町村の変遷を作っており、このうち既に作成した滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、岐阜県、愛知県の6府県の分を見てみました。
しかしながら残念ながら長野県木曽郡王滝村よりも純血主義を守ってきたという市町村は無し。

次に王滝村について、天保国絵図を見てみました。天保国絵図によりますと、王滝村だけでなく王滝村の枝郷である滝越村の記載があります。天保郷帳を見ていないので正確なところは分かりませんが、○○村枝郷△△村という形式で国絵図に描かれている村のほとんどの場合は天保郷帳に記載されており、一つの村として扱われています。おそらく滝越村も天保郷帳に記載されており、一つの村として扱われていたものと考えられます(滝越村の場合は無高と記載されていることより天保郷帳に記載されていない可能性もありますが。。。)。
以上からすると、王滝村は江戸時代から延々と純血主義を守ってきたという村であったということは惜しくも言えそうにもありません。言うなれば、準・純血主義の村といったところでしょうか。

それではと、筑摩県の管轄下ではなかった、長野県の東信・北信地域の市町村を調べてみました。
長野県の東信・北信地域の市町村の中で一番純血主義を守ってきたのは南佐久郡の南相木村及び北相木村のようです。これら2村は少なくても江戸時代の元禄年間より純血主義を守ってきているようです。
#Wikipediaの北相木村及び南相木村によりますと永禄8年(1565年)に信濃国佐久郡相木村が南北に分かれて成立したとありますが。。。


とりあえず滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、岐阜県、愛知県、長野県の7府県に限定すると、最も長い間、純血主義を守ってきた市町村は長野県南佐久郡の南相木村及び北相木村ということになりそうです。


以下、独り言。
日本で最も長い間、純血主義を守ってきた市町村は一体どこなのでしょうか。
[69001] 2009年 3月 24日(火)00:55:49futsunoおじ さん
インターチェンジ名に連続する地名
駅名だけでなくバス停まで出てくるようなら、これもアリでしょう。

新潟西IC-新潟中央JCT(IC)-新潟亀田IC-新潟空港IC-豊栄新潟東港IC

ここで微妙なのが新潟中央ICで、本線上は新潟中央JCT(ジャンクション)になっていますが、実質はJCTとICが一体化したものと解釈すれば連続していることになります。
[69000] 2009年 3月 24日(火)00:15:12hiroroじゃけぇ さん
落書き帳の背景について
自分は何一つ問題はないと思います。

で、フォントを可変とするのは歓迎です。どうしても、PCなどでは読み取りづらい文字がありますよね。そういうのがハッキリとさせられるという点で、とっても印象がよかったです。特に、文字の違いは自治体名においては重要(葛城市のような例もありますし)ですから、歓迎されるべきことだと思います。

また、背景の明度などは、現状維持がいいものと思われます。明るすぎると見づらいですし、落ち着きません。

こちらは、わがままな要望でもあるのですが、記事にカテゴリの分類ができるとありがたいですね。ブログなどでは採用されていますが、記事は現状どおり全てを書き込み順に表示するものの、投稿者が指定したカテゴリに縛ることで、やり取りを分りやすくすることはできないでしょうか。なお、先日[68931]で通りすがり さん書かれたように、話題毎にまとめるという方法もありますが、それぞれの記事が、何かしら違う話題に影響していることも多々ありますので、上記の方法であったら嬉しいと思います。


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