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[72100]〜[72199]



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[72199] 2009年 10月 16日(金)08:03:31【1】はやいち@大内裏 さん
久しぶりに新規サミット
市町村合併の進展により、「同名の縁」によるサミットはどんどん終了していったわけですが、
「国府」所在地であったことによるつながりを持つ市町村によって、国府サミットが開催されることになりました。
第1回は10月24日に東京・府中市にて。
継続的なものになるかどうかはまだわかりませんが。

[71980]拙稿
10/15 久喜市可決です。
[72198] 2009年 10月 16日(金)00:42:48【3】今川焼 さん
はぶ(余談)
[72174]白桃さん
そういえば、(旧)因島市の中心?も土生でしたよね。この「はぶ」っていう地名、なかなか曲者ですね。
しまなみ海道が開通するよりずっと前、今治港から土生港までフェリーに乗ったことがありました。今治駅から街中を歩いて鉄道の駅よりはるかに立派な港のターミナルビルへ入ると、船会社ごと(?)に切符売り場の窓口がいくつか並んでいます。その中から「土生」の文字を見つけ、さて切符を買おうとしてハタと気がつきました。「土生」ってどう読むんだ?なんとなく「はぶ」だったという記憶はあったのですが、ちょうどそのころ流行っていた演歌の歌詞に「ここは 瀬戸内 とのしょうみなと~」というのがあったぞと頭をかすめます。「土生」も読みようによっては「とのしょう」と読めなくもない。で、まぁ結局そこは無難に「因島までください」と逃げた訳ですが、白桃さんの記事を読んでそんなことを思い出しました。
そのとき頭をかすめた曲ですが、改めて検索してみると石川さゆりの「波止場しぐれ/1985年」だったようで、舞台は当然小豆島の土庄港でした。

もうひとつ余談
今治港から2時間くらい、島から島へと巡って因島の土生港に上陸して目についた看板がおもしろかった。
「正しく書こう因島 困った島ではありません」
今やパソコンの時代で、読みさえ知っていれば機械が勝手に正しい漢字に変換してくれますが、手書きの時代は「広島県困島市」と書く人が多かったのかもしれませんね。

さらにおまけ。
羽生、埴生っていうのもありますし・・・。
中間市の筑豊本線に筑前垣生(ちくぜんはぶ)という駅がありますが、他所に垣生駅がないのにわざわざ「筑前」がつけてあるのは山陽小野田市にある山陽本線埴生駅と紛らわしいからでしょうね。

♯何度も訂正失礼します。
[72197] 2009年 10月 15日(木)23:57:14今川焼 さん
韓国側から見た玄界灘
[72175]Issieさん
ともかく,ここでは「玄界灘」が 日韓間の海 の名前として使われていますね。当然,対馬はその海に浮かぶ島。
韓国の新聞社のサイト(もちろん日本語版)を見ていると、日韓間の海の名前としてよく玄界灘が出てきますね。それも九州と朝鮮半島の間の海の名というより“日韓間の国境”を象徴する名称として使われています。たとえば、朝鮮日報のサイトで「玄界灘」で検索すると
「韓国プロ野球選手の日本移籍は1996年から始まった。宣銅烈(ソン・ドンヨル)を筆頭に、数々のスター選手らが玄界灘を渡った…」
のような表現がいくつかヒットします。(記事の一部しか表示されませんが)
日韓間の移動の主力が航空機に移った今となっても、博多や下関と釜山を結ぶ“玄界灘”を渡る船が主力を担っていた時代の言い回しが残っているような気がします。
[72196] 2009年 10月 15日(木)23:41:14【1】hmt さん
国の隣接関係 (8.1)百夜月 と 紀和鉱山
[72190] むっくん さん
熊野の説話によりますと、百夜月は“対岸の和歌山県から渡し船で渡るしか行く方法がないという陸の孤島のような集落”

3県境M32 にリンクされていた地図を拡大して見出した和歌山県側のバス停・百夜月を記したのですが、三重県側の旧南牟婁郡紀和町の地名だったのですね。ご指摘に従い修正しておきます。

リンクしていただいた地名の由来により、下流の花井(けい)と対岸の九重(くじゅう)、そして上流の竹筒(たけと)【ここは両岸が奈良県吉野郡十津川村】が、百夜月(ももよづき)と関連する地名であることも知りました。
熊野の説話 がたくさん紹介されており、参考になりそうです。

[72189]の整理番号 KK53 百夜月 から北山川を遡ると、KK54 で右岸は奈良県の竹筒から和歌山県の嶋津へ。左岸は三重県になります。現在は熊野市紀和町になっているこの地帯が紀州鉱山の跡地です。

楊枝川と北山川との間の鉱山で掘り出された鉱石は、トロッコで板屋の選鉱場に運ばれました。[72115] リトルさん が紹介された 紀和鉱山の坑道バッテリーカー はその路線の一部で、紀州鉱山軌道路線図 に「営業線」と記されています。
1978年閉山とのことですが、現在でも石原鉱産の事業所があるのですね。

紀州鉱山とはこの辺一帯にあった三和鉱山や大谷山銅山、楊枝山銅山など数々の中小鉱山の総称である。
と書いてある 資料 もありました。鉱山跡の写真があります。
紀和鉱山の「和」は大和ではなく、三和鉱山かもしれません。紀和町と紀和鉱山とどちらが先か?

【追記】
[72190] むっくん さん
天保国絵図・紀伊国の牟婁郡の所では、(中略)石夜河村との記載があります。

「百夜月村との記載」ですね。「百」という字が「石」のようにも見えますが、西側の“九重村高百七拾七石余”にも使われている同じ字ですから「百」でしょう。

この国絵図では、北山川の中断により大和国に属する袋地(竹筒)の存在が際立っています。
紀伊大和国境は、川筋よりもむしろ尾根筋です。それ故に現在の北山村などの地域は紀伊国であり、明治になってからの線引き(河口=新宮に至る川筋の左岸を三重県とする)との間で、和歌山県飛び地として残ったのでした。
[72195] 2009年 10月 15日(木)23:20:1488 さん
市区町村変遷情報小レス(佐賀県)
[71726] むっくん さん 市区町村変遷情報(佐賀県)について

●M22.4.1付け市制町村制施行時
■佐賀県 杵島郡 山口村 となる従前の町村名について 杵島郡 山口村の一部, 八「町」村 or 杵島郡 山口村の一部, 八「丁」村
「幕末以降総覧」・・・杵島郡 山口村, 八町村
「辞典」・・・杵島郡 山口村, 八町村
佐賀県令を発見できていないのが残念なのですが(以下同じ)、ご紹介の佐賀県統計書明治22-23年度は、明治期当時の資料であることから県令に近い信憑性が期待できます。当地は現在の佐賀県杵島郡江北町大字八町付近のようです。
字体については、この頃の資料は「町」「丁」の表記はあまり執着していないのか、他の例でも一致していないものが多いです(「島」「嶋」、「坂」「阪」も同様)。とても悩ましいのですが、現在が大字八「町」であることを鑑み、そのままとしました

■佐賀県 杵島郡 東川登村 となる従前の町村名について 杵島郡 永野村, 内田村, 袴野村 or 杵島郡 永野村, 袴野村
「幕末以降総覧」・・・杵島郡 永野村, 袴野村(M6に永野村が内田村を編入合併)
「辞典」・・・杵島郡 永野村, 袴野村
単なる入力ミスのようです。ご紹介の佐賀県統計書明治22-23年度とも一致しますので、杵島郡 永野村, 袴野村 と修正しました
なお、「野」or「埜」については、現在が武雄市東川登町大字永野武雄市東川登町大字袴野であることから、「野」で間違いなしと判断しました。

■佐賀県 佐賀郡 春日村 となる従前の町村名について 佐賀郡 尼寺村, 北村, 久池井村 or 佐賀郡 尼寺村, 久池井村
「幕末以降総覧」・・・佐賀郡 尼寺村, 久池井村(M12に佐賀郡 尼寺村が北村を編入合併)
「辞典」・・・佐賀郡 尼寺村, 久池井村
単なる入力ミスのようです。ご紹介の佐賀県統計書明治22-23年度とも一致しますので、佐賀郡 尼寺村, 久池井村 と修正しました

■佐賀県 佐賀郡 松梅村 となる従前の町村名について 佐賀郡 松瀬村, 梅野村, 鹿路村の一部 or 佐賀郡 松瀬村, 梅野村, 「神埼郡」 鹿路「山」の一部
「幕末以降総覧」・・・佐賀郡 松瀬村, 梅野村, 鹿路村の一部
「辞典」・・・佐賀郡 松瀬村, 梅野村, 神埼郡 鹿路村の一部
手持ちの文献では上記のとおりであり、これ以上の有力な手がかりを発見できません。悩ましいのですが、ご紹介の佐賀県統計書明治22-23年度は当時(明治期)に作成された資料であり、ある程度の信頼性を期待でき、新旧対照市町村一覧大日本市町村名鑑大日本全国各府県市町村新旧対照一覧とも一致することから、誤りの連鎖ではないと推定し、佐賀郡 松瀬村, 梅野村, 「神埼郡」 鹿路「山」の一部 と判断し、修正しました

■佐賀県 佐賀郡 東与賀村 となる従前の町村名について 佐賀郡 下古賀村, 「立野村」, 「実久村」, 飯盛村, 田中村 or 佐賀郡 下古賀村, 飯盛村, 田中村
「幕末以降総覧」・・・佐賀郡 下古賀村, 飯盛村, 田中村(M初年に下古賀村,が立野村,実久村を編入合併)
「辞典」・・・佐賀郡 下古賀村, 田中村, 飯盛村
単なる入力ミスのようです。ご紹介の佐賀県統計書明治22-23年度とも一致しますので、佐賀郡 下古賀村, 飯盛村, 田中村 と修正しました

■佐賀県 神埼郡 三瀬村 となる従前の町村名について 神埼郡 三瀬村, 藤原村, 杠村 or 神埼郡 三瀬「山」, 藤原「山」, 杠「山」
「幕末以降総覧」・・・神埼郡 三瀬村, 藤原村, 杠村
「辞典」・・・神埼郡 三瀬山村, 藤原山村, 杠山村
手持ちの文献では上記のとおりであり、これ以上の有力な手がかりを発見できません。悩ましいのですが、ご紹介の佐賀県統計書明治22-23年度は当時(明治期)に作成された資料であり、ある程度の信頼性を期待でき、新旧対照市町村一覧大日本市町村名鑑大日本全国各府県市町村新旧対照一覧とも一致することから、誤りの連鎖ではないと推定し、神埼郡 三瀬「山」, 藤原「山」, 杠「山」 と判断し、修正しました

■佐賀県 神埼郡 脊振村 となる従前の町村名について 神埼郡 広滝村, 腹巻村, 鹿路村の一部 or 神埼郡 広滝「山」, 腹巻「山」, 鹿路「山」の一部
「幕末以降総覧」・・・神埼郡 広滝村, 腹巻村, 鹿路村
「辞典」・・・神埼郡 広滝村, 腹巻村, 鹿路村
手持ちの文献では上記のとおりであり、これ以上の有力な手がかりを発見できません。悩ましいのですが、ご紹介の佐賀県統計書明治22-23年度は当時(明治期)に作成された資料であり、ある程度の信頼性を期待でき、新旧対照市町村一覧大日本市町村名鑑大日本全国各府県市町村新旧対照一覧とも一致することから、誤りの連鎖ではないと推定し、神埼郡 広滝「山」, 腹巻「山」, 鹿路「山」の一部 と判断し、修正しました

■佐賀県 東松浦郡 厳木村 となる従前の町村名の一部について 東松浦郡 「笂」木村 or 東松浦郡 「#」木村
「幕末以降総覧」・・・東松浦郡 笂木村(「ウツボギ」)
「辞典」・・・東松浦郡 「#」木村
「#」は「竹」かんむり + 「巻」の旧字体の「卷」です。[71726] むっくん さん はきちんと書けており私も閲覧できるのですが、今回、投稿しようとすると文字化けして書き込みできません。よって、「#」で代用します。
「新版 漢字源」(1999年4月1日改訂新版第6刷、学習研究社)によると
「笂」 = 「竹」かんむり + 「丸」、国字、JIS区点コード6783、JIS16進コード6373、意味は「うつぼ」(矢を入れて持ち歩く道具)。
「#」 = 記載なし
「#」について、さらに調べると、JIS X 0212 (1990) to Unicode 補助漢字コード表によると、「#」は、JIS区点コード:5027、JISコード:523B、です(このあたりはまったく詳しくないのでこれ以上は説明できません)。
で、話は戻って、佐賀県統計書明治22-23年度、また、現在の佐賀県唐津市厳木町#木であること(Mapionでは「うつぼ木」となっていますが、正式にはむっくんさんご紹介の唐津市立#木小学校にもあるように正式には「#木」、登記情報サービスでも確認済み)から、 東松浦郡 #木村 と修正しようとしたのですが、やはりシステム上問題があるようで、文字化けしました。
よって、詳細欄で説明することで対応し、修正しました
#余談:佐賀県唐津市厳木町#木付近は、ほんの2週間ほど前に通過しました(JRに乗車)。

■佐賀県 東松浦郡 呼子村 となる従前の町村名について 東松浦郡 呼子村, 大友村, 小友村, 加部島, 小川島 or 東松浦郡 呼子村, 大友村, 小友村, 「殿ノ浦」, 加部島, 小川島
「幕末以降総覧」・・・東松浦郡 呼子村, 大友村, 小友村, 加部島, 小川島(M10に横竹村から殿ノ浦が分立、M14に呼子村が殿ノ浦を編入合併)
(横竹村は市制町村制施行時は他村と合併して東松浦郡打上村に、同郡鎮西町を経て現唐津市)
「辞典」・・・東松浦郡 呼子村, 大友村, 小川島村, 加部島村, 小友村
手持ちの文献では上記のとおりであり、これ以上の有力な手がかりを発見できません。悩ましいのですが、ご紹介の佐賀県統計書明治22-23年度は当時(明治期)に作成された資料であり、ある程度の信頼性を期待でき、新旧対照市町村一覧大日本市町村名鑑大日本全国各府県市町村新旧対照一覧とも一致することから、誤りの連鎖ではないと推定し、東松浦郡 呼子村, 大友村, 小友村, 「殿ノ浦」, 加部島, 小川島 と判断し、修正しました

■佐賀県 東松浦郡 七山村 となる従前の町村名の一部について 東松浦郡 「城」木村 or 東松浦郡 「白」木村
「幕末以降総覧」・・・東松浦郡 白木村
「辞典」・・・東松浦郡 白木村
単なる入力ミスのようです。ご紹介の佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)とも一致しますので、東松浦郡 白木村 と修正しました

■佐賀県 養父郡 轟木村 となる従前の町村名について 養父郡 轟木村, 藤木村, 真木村, 「今泉村」, 「高田村」, 鳥栖村 or 養父郡 轟木村, 藤木村, 真木村, 鳥栖村
「幕末以降総覧」・・・養父郡 轟木村, 藤木村, 真木村, 鳥栖村(M5に真木村が今泉村, 高田村を編入合併)
「辞典」・・・養父郡 轟木村, 藤木村, 真木村, 鳥栖村
単なる入力ミスのようです。ご紹介の佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)とも一致しますので、養父郡 轟木村, 藤木村, 真木村, 鳥栖村 と修正しました

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今回も、たくさんのご指摘、詳細な調査をどうもありがとうございました。本当にに助かります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
[72194] 2009年 10月 15日(木)23:20:1388 さん
市区町村変遷情報小レス(長崎県)
[71725] むっくん さん 市区町村変遷情報(長崎県)について

■M22.4.1付け市制町村制施行時 長崎県 長崎市となる従前の村について 西彼杵郡 上長崎村の一部, 下長崎村の一部 の有無
「幕末以降総覧」・・・西彼杵郡 上長崎村の一部, 下長崎村の一部 ともになし
「辞典」・・・西彼杵郡 上長崎村の一部, 下長崎村の一部 ともにあり
ご紹介のM22.3.5付け(長崎)県令第18号を確認しました。
西彼杵郡 上長崎村の一部, 下長崎村の一部が長崎区に「境界変更」し、同日付けで長崎区が区内の各町とともに新設合併して長崎市として市制町村制を施行したと判断します。
一般的に、「編入」か「境界変更」か、と考えるのは2通りの観点があります。
上長崎村も下長崎村も、この長崎区への一部移動の段階ではまだ存続していることから、両村とも消滅するわけではありません。この観点からは「編入」ではないと考えます。
一方、編入と同じ告示文の中で事実上の境界変更を行う例も、例えば地方自治法下では多いのですが、この場合、告示の表題も「市村の『廃置分合』」であり、事実上の「境界変更」を包含するような表現です(もちろん、単独の「境界変更」は標題も「市村の『境界変更』」)。このような場合、一連の「編入」とみなし、藩政村単位でない境界変更も、合わせて記載しています。同じ告示文中から、境界変更対象の町村名だけを省く不自然さを避けるためであり、大字単位(藩政村単位)の境界変更を編集対象とする原則に対する限定的な例外としての取扱いです。
今回の例では、境界変更はM22.3.5付け(長崎)県令第18号、廃置分合はM22.3.5付け(長崎)県令第19号と別の根拠であることから、「境界変更」をした後に「新設/市制」することになります。[70815]拙稿風に言えば、「境界変更→新設/市制」です。
(同様の事例は、例えば[66350]拙稿で検討したことがあります。)
ただし、この境界変更の範囲は、ご紹介のM22.3.5付け(長崎)県令第18号によると、大字単位(藩政村単位)ではなく、もっと小範囲のようです。このため、境界変更の根拠と、廃置分合の根拠とが別であることから、今回の境界変更については市区町村変遷情報の対象外とし、長崎市西彼杵郡 上長崎村西彼杵郡 下長崎村をそのままとしました。

■M22.4.1付け市制町村制施行時 長崎県 西彼杵郡 深堀村となる従前の村の一部について 西彼杵郡 深堀村, 大籠村, 「竿ノ浦村, 土井頸村, 平山村, 蚊焼村」, 香焼村 or 西彼杵郡 深堀村, 大籠村, 香焼村
「幕末以降総覧」・・・西彼杵郡 深堀村, 大籠村, 香焼村
M5に西彼杵郡 深堀村が同郡 大籠村, 竿ノ浦村, 土井頸村, 平山村, 蚊焼村, 香焼村, 高島, 沖ノ島, 伊王島 を編入合併、
M13に西彼杵郡深堀村から大籠村, 竿ノ浦村, 土井首村, 平山村, 蚊焼村, 香焼村, 高島村, 沖ノ島村, 伊王島村 が分立(深堀村は存続)
土井首村,平山村,竿ノ浦村はM22.4.1付けで合併して土井首村として町村制施行(#M22.3.5付け(長崎)県令第19号では「土井ノ首村」)
蚊焼村はM22.4.1付けで布巻村と合併して蚊焼村として町村制施行
「辞典」・・・西彼杵郡 深堀村, 大籠村, 香焼村
単なる入力ミスのようです。ご紹介の(長崎)県令第19号(M22.3.5付け)に従い、修正しました

■M22.4.1付け市制町村制施行時 長崎県 南松浦郡 北魚目村, 曽根村が合併して発足する村名について 南松浦郡 魚目村 or 南松浦郡 北魚目村
「総覧」・・・・・・南松浦郡 北魚目村
「幕末以降総覧」・・・南松浦郡 北魚目村
「便覧」・・・・・・南松浦郡 北魚目村
「辞典」・・・南松浦郡 北魚目村(ただし、曽根村の記載はなく北魚目村が単独で市制町村制施行)
単なる入力ミスのようです。ご紹介のM22.3.5付け(長崎)県令第19号に従い、修正しました

■長崎県 西彼杵郡 小榊村 の発足 及び 淵村 の消滅の経緯について
M31.7.1付けで淵村の一部が分立し小榊村が発足、淵村の残余はM31.10.1付けで長崎市と西彼杵郡浦上山里村に分かれて編入し消滅
or
M31.10.1付けで淵村の一部が長崎市と西彼杵郡浦上山里村に分かれて編入し、淵村の残余が小榊村と改称し淵村が消滅
「幕末以降総覧」・・・
M31.7.1付けで淵村の一部(小瀬戸郷, 木鉢郷)が分立し小榊村が発足
M31.10.1付けで淵村の一部は長崎市へ境界変更、
T9.10.1付けで淵村は長崎市へ編入
「辞典」・・・
M31.7.1付けで淵村の一部(小瀬戸郷,木鉢郷,大字神ノ島)が分立し小榊村が発足
M31.10.1付けで渕村の一部(竹ノ久保郷,稲佐郷,船津郷,平戸小屋郷,飽ノ浦郷,水ノ浦郷,瀬ノ脇郷,岩瀬道郷,立神郷,西泊郷)を長崎市へ境界変更
同M31.10.1付けで渕村の一部(寺野郷)を西彼杵郡浦上山里村へ境界変更
T9.10.1付けで淵村は長崎市へ編入
2年半ほど前、長崎県西彼杵郡淵村の変遷に関する議論がありました。このときには、T9.10.1に長崎市に編入されて消滅するまで存在した、との当初の編集作業についての疑問から起こったものでした。結局、このときには淵村はM31.10.1で長崎市と西彼杵郡浦上山里村に分かれて編入し消滅した、と言う結論でした。もっとも、この時にも、小榊村は登場しましたがその発足経緯は議論対象外でした。
ご紹介のM31.7.22付け(長崎県)告示第129号を拝見しました。この告示は地番を詳細に記載していることもあって長文なのですが、抜粋すると、M31(1898).10.1付けで
長崎市編入長崎市,西彼杵郡 下長崎村, 戸町村の一部, 淵村の一部, 浦上山里村の一部, 上長崎村の一部
西彼杵郡 小ヶ倉村編入西彼杵郡 小ヶ倉村, 戸町村の一部
西彼杵郡 浦上山里村編入西彼杵郡 浦上山里村, 淵村の一部
西彼杵郡 小榊村分立西彼杵郡 淵村の一部
ということのようです。消滅したのは下長崎村、戸町村及び淵村の3村です。(この一覧が、今回のご意見を踏まえての修正後のものでもあります。)
これらは、同告示の末尾にある「財産処分法」の各条文を各市村名に当てはめると(旧字体は新字体に引用者が改めた)、
第一条「全村ヲ廃シ」下長崎村
第二条「全村ヲ廃シ市村ニ合併シ及其一部ヲ独立セシムルモノ」戸町村,淵村
第三条「村ノ一部ヲ裂キ之ヲ市ニ編入スルモノ」 浦上山里村, 上長崎村
と判断できることにもよります。
小榊村は、「小瀬戸郷,神ノ島郷,木鉢郷ノ内・・(各字名等列挙)ヲ以テ一村ト為シ小榊村ト称ス」とあること及び上記第二条から、「淵村の一部を長崎市及び浦上山里村へ編入し、残余の淵村を改称して小榊村とした」ではなく、分立によって小榊村が発足した(残余は長崎市及び浦上山里村へ編入し、結果として淵村は消滅した)と判断しました。
これは、長崎県西彼杵郡淵村の変遷に関する議論の補強にもなったかと思います。
なお、上長崎村の一部の取扱いについては、上述のM22.4.1付けの長崎市発足の件で述べた理由により、逆に記載対象としています。

続きます。
[72193] 2009年 10月 15日(木)22:35:33なると金時 さん
玄(くろ)は五行で北を司るので、「玄界灘」は「北方の灘」の意だと思います。
[72192] 2009年 10月 15日(木)22:03:31笠津前浜 さん
玄海と玄界
昔は「玄界灘に~」と歌いだす、いまはなきプロ野球ダイエーホークスの応援歌をよく聞いたものです。

さて玄という字の意味はくらい、くろ、奥深くて暗いさま…。とくれば玄海はくろい(くらい)うみ、というところでしょうか。界という字はさかい、さかいめ、区切りの中の領域…玄界はくらい領域くらいの意味かと。そこに灘がついている。

なんらかの理由で海がくろい(くらい)と認識されて名づけられたのですかね。いつごろから使われているのかしらん。
[72191] 2009年 10月 15日(木)21:34:38【1】Issie さん
空から日本を見てみよう
昔,わが家のテレビがまだ白黒テレビだった頃,学校から帰ってきて“テレビまんが”(←当時,「アニメ(ーション)」という言葉は専門家しか使わなかった)の再放送を見ていると,その合間に,東京の上空をヘリコプターで飛んでそれを中継する,という趣向の5分ほどのミニ番組がありました。NET(現テレビ朝日)だったかしら。提供は東京ガス。高島平がよく映っていた記憶があるのですが,これは志村のガスタンクとセットだったんでしょうね。

さて,12チャンネルの番組なのでもしかしたら関東ローカルなのかもしれませんが,今夜から「空から日本を見てみよう」という番組が始まりました。今,放送中。
まずは上空から地上の様子を眺めて,何か目にとまったものがあったら地上に降りて“種明かし”をするという趣向。1回目の今夜は東京湾で,芝浦・レインボーブリッジ上空から始まって逆時計回りに東京湾岸をグルっと一周。今,千葉市美浜区上空から幕張“沖”新都心を過ぎて,冒頭の番組を視ていたころのわが家上空を通過する,…と思っていたら,習志野市区間はスキップして船橋上空に行ってしまいました(ほんの少しだけ習志野市が映りましたが)。残念。

「日本を見てみよう」だから,全国ネットでも放送されるのでしょうかねぇ。
ともかく,10時からの「ブラタモリ」と並んで,木曜夜は“地理ネタ番組”のハシゴとなったようで。
[72190] 2009年 10月 15日(木)16:20:52【1】むっくん さん
百夜月
[72189]hmtさん

重箱の隅をつつくようですが、
KK53 大和紀伊 M32 瀞峡【旧熊野川町百夜月】
での【旧熊野川町百夜月】は【旧紀和町百夜月】(もしくは【旧熊野川町九重】)の誤りでは無いでしょうか。

天保国絵図・紀伊国の牟婁郡の所では、九重村,九重村之内・花井村,花井村之内・百夜月村との記載があります。

廃藩置県の後、明治4年11月の度会県の成立時に、北山川左岸の花井村の部分(ただし花井村でも小名・西の峯は右岸のため九重村所属となり、九重村でも小名・百夜月は左岸のため花井村所属となった)が度会県所属の花井村として独立したとあります。
(参考:『日本歴史地名大系 三重県の地名』『日本歴史地名大系 和歌山県の地名』(平凡社))

その後、花井村は明治の大合併で上川村の一部となり、昭和の大合併で紀和町の一部となり、現在は熊野市の一部となっています。


熊野の説話によりますと、百夜月は
現在でも対岸の和歌山県新宮市熊野川町九重(くじゅう)から渡し船で渡るしか行く方法がないという陸の孤島のような集落
とのことなので、対岸の旧熊野川町九重にバス停の百夜月(マピオンシンプル地図)があるのでしょうね。


#【1】[72196]hmtさんの御指摘により石夜河村を百夜月村へと訂正
[72189] 2009年 10月 15日(木)14:19:07【1】hmt さん
国の隣接関係 (8)南海道
現在の和歌山県と三重県とにまたがる広大な牟婁郡。「熊野」の名でも知られるこの地域は、古くからの聖地であり、修験道など独自の文化が育まれた地域でしたが、人口の少ない辺境であったために、中央政府から独立の国として認定されることなく、紀伊国の一部として扱われました。

「南海道」6ヶ国とは、その熊野を含む紀伊国、その名も阿波国への道すがらである淡路国、そして四国4ヶ国。
都道府県や8地方区分に慣れた現代人にとっては、奇妙に感じられる古代の地域区分です。
南海道は6ヶ国しかないのに、合計7県もの地域に及び、しかも8地方区分では、中部1県・近畿2県・四国4県に分散。

最初に、関係する三国境を列挙します。…と言っても、紀伊関係が3地点で、四国は2地点しかありません。
三国境でない三重奈良和歌山3県境が、北山川の瀞峡に5地点(KK53~KK57)あり、これも併せて記します。

整理番号国名#三国3県境地名
KK51河内和泉紀伊#28和泉山脈三国山
KK52河内大和紀伊M35行者杉峠
KK53大和紀伊M32瀞峡【旧紀和町百夜月(訂正あり[72196])】
KK54大和紀伊飛び地瀞峡【嶋津】
KK55大和紀伊飛び地瀞峡【玉置口】
KK56大和紀伊飛び地瀞峡【北山村小松】
KK57大和紀伊飛び地瀞峡【北山村七色】
KK58伊勢大和紀伊大台ヶ原堂倉山
KK76阿波讃岐伊予M40曼陀峠の0.7km西
KK77阿波伊予土佐#35M41三傍示山

例により、国ごとの陸上隣接国と三国境のリスト

紀伊国 (大阪湾) 和泉 KK51 河内 KK52 大和 KK58 伊勢(太平洋)
淡路国 (大阪湾) 陸上隣接国なし(瀬戸内海)
阿波国 (太平洋) 土佐 KK77 伊予 KK76 讃岐(瀬戸内海)
讃岐国 (瀬戸内海)阿波 KK76 伊予
伊予国 (瀬戸内海)讃岐 KK76 阿波 KK77 土佐(太平洋)
土佐国 (太平洋) 伊予 KK77 阿波

[72159] オーナー グリグリさんの国名の組み合わせリストによると、自治体名では★三重県度会郡 紀勢町。文字通り、紀伊国錦町と伊勢国柏崎村の合併で成立。1957~2005年の約半世紀存続。
三重県には、ほぼ同じ頃に南牟婁郡紀和町も存在しました。例の瀞峡飛び地地帯[68737]ですが、北山川で大和国吉野郡十津川村に隣接しており、奈良の大仏のための銅を採掘したという歴史のある紀和鉱山[72115]の所在地でもありましたから、紀伊・大和に由来するのかもしれません。

自然地名に移ると、最初に紀淡海峡。「南海道」という見方からすると、紀伊・淡路の2国がリンクしているのは納得できます。
淡路を経ないで紀伊・阿波を直接にリンクしてもよさそうですが、「紀阿」という用法は見当らず、紀伊水道。この紀伊水道で和歌山と小松島とを結ぶ南海汽船は、かつては大阪から四国へのメインルートの一つでしたが、本四架橋には到底かなわず、敗退。

紀淡海峡の他にも、備讃瀬戸・備讃諸島・芸予諸島・防予諸島・豊予海峡と 海を隔てた国名の組み合わせが目立ちます。

山では、金剛生駒紀泉国定公園・阿讃山脈・阿土山地とありました。
国土地理院は、地勢図に讃岐山脈と記しています。これを徳島県で阿讃山脈と呼ぶのはともかく、香川県立三本松高校の校歌にまで“阿讃の連峰”とあるとは。[72014] 白桃 さん

定番の鉄道関係は、紀勢本線・予讃線・土讃線・予土線・阿佐海岸鉄道。
それに加えて★紀和鉄道と紀和駅とがあります。
19世紀末に紀伊と大和とを結んだ和歌山-五条間の鉄道が紀和鉄道を名乗ったのは当然ですが、1968年に和歌山駅の改名によって生まれた「紀和駅」の由来がよくわかりません。

この駅が旧紀和鉄道のターミナルとして開業したのは事実ですが、それは1898年から5年間だけのこと。
1903年には南海鉄道和歌山市駅の開設と共に連絡線が作られて、ターミナルでなくなります[61246]。そして翌1904年には関西鉄道になって、「紀和」という会社名も消えます。

それから 64年後の 1968年。東和歌山駅が和歌山駅を名乗るに先立って、旧和歌山駅を紀和駅に改名したわけですが、日露戦争前という大昔の私鉄の名が、いまさら国鉄の駅名に復活というのは、どうも納得できません。
紀伊と和歌山の合成[72015] 又は紀州和歌山の短縮 という説も考えられますが、その根拠もわからず、謎に包まれた「紀和駅」です。

土讃線の終点は土佐の窪川。全線開通は戦後の1951年ですが、大正時代に須崎までできていた高知線が、瀬戸内海側(讃岐鉄道[61226] として開業した丸亀琴平間は 1889年という古さ)と1935年につながった時に、讃岐の多度津を起点とする土讃線の名がつきました。

[72014] 白桃 さん
讃岐と土佐は接していないのに土讃本線という名称のせいか、接しているようによく誤解されます。

日本国有鉄道線路名称の「本線」は、グループの親分でした。ところが、土讃線には長いこと子分がいなくて、一家を構えることができませんでした。ようやく支線の中村線を従えた「土讃本線」を名乗ることができたのは 1963年でした。

ところが、その中村線は国鉄末期に第3次廃止対象線になり、民営化1年後の 1988年4月から三セクに転換。またもや子分のなくなった土讃本線ですが、今度はJR四国が「本線」という呼称自体を廃止して、土讃線に戻りました(1988/6/1)。

土讃線が土佐から讃岐に出る前に経由するのは阿波。
中央構造線の南側に続く四国山地。土讃線は吉野川の流れに沿ってここを越えます。大歩危・小歩危・支流の祖谷川あたりの地図を見ているうちに、足を踏み入れたことのない四国の内陸部に行ってみたくなり、岡山オフ会の前日に宿泊を予約してしまいました。
[72188] 2009年 10月 15日(木)12:01:45【2】稲生 さん
信州(仮)完訪
稲生です、こんにちは。

昨日一昨日と信州の佐久・小諸・丸子・長和と郵便局めぐりに行ってきました。
二日で63局廻り、平成14年4月に下伊那郡上村(現・飯田市)で最初の1局を刻んでから、足掛け8年で、長野県の全市町村の郵便局637局を廻りました。ただ、訪問時一時閉鎖していて、その後営業を再開した簡易局が8局あるので、そこを廻らないと、本当の完訪とはなりません。
と、趣味の話はこの辺にしておいて・・・

[72168] hmt さん
[72169] Issie さん
お二人の大御所に早々のご回答・ご意見をいただいたのに、何の返事もなく日を空けてしまいまして申し訳ありませんでした。

特に[72168] hmt さんの
駅名先行の東久留米市もそうですが、特に駅名に武州を冠していたのに、新たに選んだ市名では「東」を冠することにした東松山市の場合は、まさに 稲生さん説の「東国」(東日本)を意識した命名のように思われます。
稲生新説に支持をいただきまして、ありがとうございました。また関東4市について、掘り下げてお調べいただき大変ありがたく思っています。

「東(ひがし)」を「東(あずま)」との意味とする説は、大変不思議なことに、京丹波町の地図を眺めていて、突然思い至りました。
地名には、いろいろな意味がありまして、公式見解以外に、多様な解釈をしていくことも大変意義のあることかと思っております。

話変わって、巷で話題になっているハブ空港の話を、波浮港や玄界灘に振ってしまう白桃さんのスゴ腕に感服いたします。
伊豆大島は今年6月に妻と出かけてきまして、波浮の港を高台から眺めたのですが、あの鞆の浦の景色と遜色ない、素晴らしい景観でした。(ぶらり伊豆大島

※1 最後のネタを追加
※2 少しだけ訂正
[72187] 2009年 10月 15日(木)09:30:10小松原ラガー さん
あらま、私が浦島太郎だったようですね。
小松原ラガーです。

[72184] Issie さん
[72186] JOUTOU さん

ありがとうございます。
ということは関東方面は割と4ヶ国語表示が進んでいるようですね。関西では日・英・韓までは普段の通勤途中でもそんなに苦労しなくても見かけることができるのですが、「中」まで入ったやつは、新しい施設を中心に最近やっと見かけるようになりだした、というところです。(と、私は思っています。)

さて、前稿の

ハカタ ハン ククチェ トミノル

ですが、

博多港国際ターミナル

となります。やはりビートルに乗って釜山からやってくる韓国人の存在を無視していないということでしょう。ほかのバスが英語(ローマ字)併記なのに、ここ行きのものがハングル併記というのも、おつなものかと。

P.S.
ハングルで入力しようとしたら、プレビュー時に怒られました。やはりこのサイト、ハングルでの記述はアウトなのですね。
[72186] 2009年 10月 15日(木)08:55:05JOUTOU さん
東京の地下鉄も・・・
[72180] 小松原ラガーさん
[72184] Issieさん

東京の地下鉄も4ヶ国語表示となっています。ちなみに4ヶ国語で表示が始まった時期は、わたしの記憶が確かならば、2002年の日韓サッカーW杯開催の頃だったと思います。
[72185] 2009年 10月 15日(木)07:33:02【1】はやいち@大内裏 さん
廃置分合・市制施行可決 / 告示予告
[71980]拙稿
10/14 豊川市,みよし市ともに可決されました。
尚、岩手県議会の最終日は10/23です。

熊本市の廃置分合決定が10/16付けの官報で告示見込みです。今日の午後には総務省プレスリリースに。
[72184] 2009年 10月 15日(木)01:09:59【2】Issie さん
ビートル号に乗って
[72180] 小松原ラガー さん
4ヶ国語表示

以前にも書きましたが,江ノ電の鎌倉駅ホームにある駅名表示板が4ヵ国語表記です。しかも,「鎌」「倉」の両方の字とも,日本の新字体と中国の簡体字の“形の違い”というよりも,日中で漢字自体が違うかのような違いなのですね。
というわけで,東京周辺ではJRの駅構内案内は4ヵ国語表記です。小田急や京王も,そう。あとは,どうだったろう…。

ポルトガル語の案内、標識

最近はどうだか確認していないのですが,以前は神奈中バスの厚木営業所と相模原営業所管内のバスが運転席後ろにポルトガル語とスペイン語の案内板を掲示していました。何が書いてあったかな…。確か,バスの利用のしかたに関する内容だったかしら。
事情はね,大泉町や浜松と同じです。特に,愛川町が。
[72183] 2009年 10月 15日(木)00:35:44油天神山 さん
「玄界灘」と「玄海」
大変ご無沙汰しております。気がついたらもう二ヶ月近く書き込んでいませんでした。

[72178]hmtさん
[38098] 佐賀県 さんによると、「玄界」と「玄海」の使い分けについて、昭文社「日本地図帳」には次のような記述があるそうです。
玄海というのは玄界灘の略称であって、玄界灘もしくは玄海だと解釈したらどうだろう。ということは、玄海灘と書くのは誤りで、玄海と書けば灘をつけないということである。

「信濃の国」を「信州」と呼び、「富士山」を「富嶽」と呼ぶのと同様に、「玄海」とは「玄界灘」の漢語的表現である、という話をどこかで読んだ記憶があるのですが、出典が思い出せません(てっきり落書き帳で読んだんだと思ってましたが、どうも違うようです)。
ですから「玄海灘」という表記は「頭痛が痛い」みたいなもので、よく考えると表現がダブっている訳ですが、ただ「海」と「界」が同じ読みであったために混同が起こりやすかったのでしょうね。

一方、明治から昭和戦前にかけてアジア主義を掲げて活動した政治結社「玄洋社」があります。
これは総帥頭山満を始めとする旧福岡藩士が中心となって創立されたとのことですから、この「玄洋」も玄界灘のことじゃないかと思います。裏づけは取ってませんが。
[72182] 2009年 10月 14日(水)23:37:47Issie さん
筑紫朝倉宮
[72179] かぱぷう さん
朝倉地域の筑前町に山の神の実家があります。これを今更言っても仕方のない話ですが、ここがなぜ「筑前町」になったのか、いまだ納得できていません。

とは言え,もともと朝倉地域は律令時代以来「筑前国」所属ですから,歴史的な立場からは「筑後町」とは名乗れないでしょうねぇ。きっと別の方角から紙つぶてが殺到するはずです。
なぜに「筑前国」か言えば,それは1300年前に立ち返らないと実際のところはわからないのでしょうが,律令制下で「上座(かみつあさくら)」「下座(しもつあさくら)」「夜須」の3郡に分割されるわけですが,“朝倉地域”全体で大宰府(←「遠(とお)のみかど」として,これは「筑“前”国」でなければならない)のバックヤードとでもみなされて,「前」の国に属させたのでしょうかね。
筑紫分割当時の朝廷指導部にとっては,まだまだ身近で生々しい歴史である 百済再興戦争 の際に,日露戦争の広島大本営よろしく,斉明天皇以下,朝廷の面々が大挙移動して臨時の宮を置いた地(筑紫朝倉宮)でもあるし。そして,ここで斉明天皇は死去した。
以来,1300年にわたって「筑前国」なわけで。

地形をみれば,北海道の千歳市周辺ほどではないにしても,ここもまた“標高の低い分水界”なのですね。筑紫野市の二日市市街のあたりがサミットになるのでしょうか。
筑紫を分割するに当たって,「前(さき)つ方」にあたる 那の津(博多) の方から見た場合,地域を分けるほどの境界とは意識されないのかもしれません。で,結果として筑後川の北側斜面である朝倉地域までが「前」の国に入ってしまった,…のかもしれない,というところでいかが?
[72181] 2009年 10月 14日(水)23:27:30伊豆之国 さん
伊豆国賀茂郡ハブ港
[72174]白桃さん
波浮の港
野口雨情作詞のこの曲の歌い出し、
 ‥磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る 波浮の港は 夕焼け小焼け
(でしたっけ?)とあるのですが、
[72175]Issieさん
本当は波浮の港からは夕日は見えないんですよ
実際の波浮港周辺には「鵜」は棲息しておらず、港の西側には険しい山を背負っているため「夕焼け」も見ることができないそうです。雨情は伊豆大島には行ったことがなく(実は私もですが)、故郷に近い北茨城市平潟漁港の風景を思い浮かべながら、この詩を書いたそうです。そういえば伊豆大島を歌った「あんこ椿」なんていう歌もありますが、平潟漁港は鮟鱇(アンコウ)で有名‥。余談ですが、島崎藤村作詞の「椰子の実」、愛知県渥美半島がこの歌の舞台ですが、藤村もやはり渥美半島には行ったことがなく、民俗学者の柳田国男から聞いた話を元にこの詩を書いたそうです。
ところで、この波浮港に鎮座しているのが「波布比め命(はぶひめのみこと)神社」(「め」は口へんに羊)。平安時代の「延喜式」にも載せられている由緒正しい神社で、その「延喜式」には「伊豆国賀茂郡」鎮座とあります。「延喜式」の伊豆国の式内社のところを見ると、他にも「賀茂郡鎮座」とされている神社の中に、現在伊豆諸島にある神社がいくつかみられ、その当時は伊豆諸島が「賀茂郡の一部」と認識されていたのではないかと思われます([60786])。

羽生
将棋の名人(「元」でしたっけ?)・羽生(はぶ)善治氏、最初この名を見たとき、まず埼玉県羽生市を思い浮かべ、てっきり「はにゅう」だと思っていました。「羽生」という苗字は全国に9千人余りいるようですが、やはり「はにゅう」が多く、「はぶ」はマイナーな読みになっているようです(「苗字の百貨店」より)。

話は変わって、
対馬
を「対島」と誤記してしまう人が多いようですが、伊豆にはかつて「対島」という村がありました。昭和30年に伊東市に合併されたこの村、「たじま」と読むようです。「伊豆大島に向かい合う」という意味で付けられた、明治の新村名でしょう。現在も市立対島中学校があります。「伊豆高原」は、この旧対島村に含まれるようです。
「対馬」という苗字は、長崎県対馬にはなく、遠く離れた青森県津軽に多く見られます([40956]トライランダーさん)。 長崎の対馬とは無関係で、元は「津島」だった(そういえば太宰治の本名も「津島修治」でしたね)のを字を変えたそうで、尾張の津島がルーツだとも言われていますが、はっきりしたことはわからないかもしれません。
[72180] 2009年 10月 14日(水)23:10:39小松原ラガー さん
ハカタ ハン ククチェ トミノル
小松原ラガーです。

なんのこっちゃよくわからないタイトルですが、実は私が見たのはこの言葉をハングルで見ました。場所はどこかと言うと、いま「もうゲンカイ」とばかりにホットな話題になりつつある北部九州の、言わずと知れた福岡市の博多駅前でした。この連休に福岡市内で用事がありました。いつぞやの鹿児島プチトリップの時のように1000円高速は利用せず、今回はさっさとレールスターで往復したのですが、博多駅到着後、近くのホテルにチェックインして、もう一度待ち合わせ場所の博多駅へ戻る時に信号待ちをしていたら、何と私の右から左へと通り過ぎて行ったバスの前面の行き先表示が、日本語表示に加えてタイトルの言葉がハングルで書かれてありました。確かに釜山とは定期船が就航しているとはいえ、流石韓国に近い土地柄なんだなぁと一瞬思ってしまいました。

そういえば、いつぞやにリレーつばめに乗車した時は車内放送が「日・英・韓・中」の4ヶ国語だったのですが、大阪の鶴橋などの一部の密集エリアを除けば、福岡市ってのはもっともハングルが違和感なくなじんでる街なのか、とも思いました。が、その後もバスの行き先表示をよくよく眺めてみれば、ほとんどが日本語と英語(ローマ字?)ではありませんか。な~んだ、行き先が行き先だからハングルだったのか、とも思った次第でした。

その後、自宅に帰ってふと「あれ、そういえば最近駅舎を改修した神戸市内の某駅でも出口の案内が4ヶ国語表示だったなぁ・・・。」思いだしました。ということは、これは地域に限ったことではなく、単に韓国・中国からの来訪者が増加している昨今の傾向からだけなのでしょうか?

皆さんの身近ではいかがでしょうか?
例えば大泉町や浜松市ではポルトガル語の案内、標識があるとか?

【問題】<-無理やり問題に結び付けるか!
さて、タイトルはある場所を示していますが、日本語に直すと何処?
尚、ハングルを無理やり片仮名にしたため、多少の言葉の揺らぎはご容赦を。

因みに、当然のごとく、夕方から宴会だったのですが、場所はソラリアプラザのすぐ近くの中華料理店。2次会までそのビルで楽しんだ後、春吉橋からちょちょいと錦小路に入ったとある店で、大学生を連れていったとはいえ、手羽先、水餃子、にんにくライス、キムチライス、やきそば、ラーメンに勿論ビール。更にそのあと、ソラリアの屋上のバーで歓談、ここでお開きと思いきや、やっと幹事の同級生と2人で語らいの時間。店を探してうろうろしてたら、かつて福岡でのオフ会の3次会でお邪魔した焼き鳥屋さんを発見。でもそこはスルーパスしてうろうろしてたらホテル街のほうに出てしまいました。アベック(今風にいえば「カップル」?)がちょろちょろする中、店を探すこと約15分。バリ島風のカフェでビールにジントニックで語り明かした次第でした。久しぶりの暴飲暴食。

さて、私の行動はよしとしても、途中で出くわしたオフ会3次会の焼き鳥屋さん、本当に懐かしかったです。焼き鳥屋さんを見かけた瞬間にあの時のことが思い出されました。(一人のどが渇いたと言って、やたらチューハイのお代わりを頼みまくっていたのはだ~れ?)ということで、今回の岡山はどうなることか。今から楽しみです。将来に「あぁ、そういえば昔あそこでいい思い出を作ったなぁ。」と言えること間違いないと思います。皆さんもジャンジャンとオフ会には参加しましょう。

ところで、新幹線から見ていて気がついたのですが、岡山駅の西側(北側?)、再開発が進んで、政令都市の玄関口らしくなってきましたね。って、新幹線の車内からしかわからなかったのですが、今では東側(南側?、とにかく岡山城側)よりも街らしくなっている気がせんでも、って感じました。表、裏という言い方はあまりしたくないのですが、どうしても、京都では烏丸口、博多では博多口、名古屋では広小路口(桜口)側がメインのほうで、八条口、筑紫口、太閤口が裏口的な雰囲気があるのですが、岡山の場合、どっちがメインか新幹線の車内からの風景だけではよくわからない状態でした。今回のオフ会、早めに行って街歩きでもしようか・・・。なんて、楽しみもあるかと思うので、皆さん、ドシドシオフ会に参加しましょう。

P.S.
プチトリップ・パート1を投稿してから、パート2をお待ちをみなさんへ。ってそんな方、いないでしょうが・・・。
早くしないと、プチトリップ・パート3、プチトリップ・番外編と続く予定なのですが、ちょっと暇な市、いや暇無し状態です。申し訳ありません。
[72179] 2009年 10月 14日(水)22:29:52かぱぷう さん
筑前とか玄海とか
2006年3月の、いわゆる「福岡県西方沖地震」で震源に近かった玄界島(福岡市西区)が「玄海島」と報じられているたびに憤りを感じていたかぱぷうです。
で、今PCを変換していて気づいたのですが「げんかいなだ」で変換すれば候補に「玄界灘」が挙がりますが「げんかい」で検索をかけても「玄界」は出てきません。ナンタルチア。

[72177]白桃さん
数年前、福岡ドーム(Yahoo!ドームに非ず)で試合観戦している最中、メートルが上がりっぱなしのオイサンがホークスビジョンに応援歌“いざゆけ若鷹軍団”の歌詞が映し出されているのを見て「あれくさ、“げんかいなだ”の字がまちごーとろーもん!」と突っ込んでました。間違っているのはそのオイサンなのですが、周辺の人たちも「お!ほんとや!まちがっとーバイ」なんて同調。膝元でもそんなもんです。

[72138]有明つばめさん
亀レス気味です。すみません(^^A
朝倉地域の筑前町に山の神の実家があります。これを今更言っても仕方のない話ですが、ここがなぜ「筑前町」になったのか、いまだ納得できていません。
有明つばめさんがおっしゃるように天気予報の地域区分は久留米地域。さらに朝倉地域の住民が取得する車のナンバープレートも「久留米」。歴史を紐解いてみれば筑前秋月藩の支配下にあったのですが現代においては朝倉地域は「どっちつかず」なので、こんなところが筑前を名乗ってもいいものか首をかしげてしまうのです。だって町民ですら「私、合併するまでここ筑後地方かと思いよった」(義母談)なんていう始末。もっとも、町内を流れる川も筑後川水系とあっては、住民をしてそう思うのは仕方のない話かもしれません。

以上、その筑前町からの書き込みでした(笑)
[72178] 2009年 10月 14日(水)22:28:16hmt さん
「玄界」と「玄海」
[72175] Issie さん
気象庁は日本近海を厳密に区切って各海域の呼称を定めています。

海上気象予報に関しては、「対馬海峡」という名が、玄界灘・響灘・朝鮮海峡などを含む海域に用いられるということですか。

同じ気象庁でも、地震分野では別の呼称を使っているようです。地震・火山月報平成21年1月号pdf の58/59を見ると、玄界灘を震央とする地震は「福岡県北西沖」で、壱岐対馬近海というのはその西側の別地域となっています。

[72177] 白桃 さん
歌詞では2番、3番も「玄海灘」になっていますし、佐賀県の町も玄海町、福岡県の旧町(現、宗像市)も玄海町

[38098] 佐賀県 さんによると、「玄界」と「玄海」の使い分けについて、昭文社「日本地図帳」には次のような記述があるそうです。
玄海というのは玄界灘の略称であって、玄界灘もしくは玄海だと解釈したらどうだろう。ということは、玄海灘と書くのは誤りで、玄海と書けば灘をつけないということである。

巨視的には、玄界灘は日本海の一部 なのでしょうが、地元では日本海と呼ばれることは皆無に近いとのこと。[42058] トライランダー さん
福岡湾と博多湾[52993] かぱぷう さん のような問題もあり、海域名というのは、玄界灘付近だけを考えてみても、なかなか難しいことを感じます。
[72177] 2009年 10月 14日(水)18:56:47白桃 さん
白桃はもう「ゲンカイダナ~」
いきなり駄洒落で失礼いたしました。

[72175]Issie さん
[72176]hmt さん
誠にご丁寧なメッセージ大変有り難うございました。

余談ですが、そもそも、「玄界灘」を「玄海灘」と打ち間違えて、気がつかなかった私はチト恥ずかしいです。
言い訳するつもりはありませんが、「♪無法松の一生」の歌詞では2番、3番も「玄海灘」になっていますし、佐賀県の町も玄海町、福岡県の旧町(現、宗像市)も玄海町でしたよね。で、ついつい、今後、気をつけます。
[72176] 2009年 10月 14日(水)18:29:34hmt さん
玄界灘の範囲
[72174] 白桃 さん
玄界灘の範囲は対馬まで及ぶのでしょうか。

最初に、6年ほど前に書き込まれた、響灘・玄界灘 に関する記事を紹介しておきます。

この中で、[22992] Issie さんは、
このような区分というのは結局のところ「便宜的」なもの
大事なことは,それぞれの場面で「合理的」であるかどうか
と、指摘しておられます。

白桃 さんが問題にしている場面が 演歌の世界 だとすると、海上保安庁を持ち出すのは場違いかもしれませんが、[72175]でも海上保安庁という言及があったので、海洋情報部の見解を紹介しておきます。

かつては 海洋情報部HP の中に 海の相談室FAQ があり、この中に「灘ってなに?」というテーマがありました。
現在は 海洋情報部日本海洋データセンター のいずれから入っても、これを探し出すことができません。

幸い、[23068] まるちゃん さんがリンクした ページ は生き残っていました。
これによると、玄界灘は、
東側を響灘、西側を壱岐水道~対馬海峡、南側を九州に囲まれた沖合海域
とされています。

それぞれの海域は、先人達が海象・気象などから経験的に付けた呼称ですから、海域の境界は向こうの埼から彼方の島の間とか、向こうの島から彼方の島と言ったようにアバウトです。
灘には区画整理が済んだ土地のようにハッキリとした境界線は有りません、あくまでもその付近の沖合いと言う事で、昔の人は物事をファジーに考えていたようです。
という意見も添えられていました。
要するに、海洋情報部では、九州から壱岐・対馬に及ぶ海域であると理解しています。大島の先の響灘との境界は不明確?

壱岐はともかく、対馬を「玄海灘に浮かぶ島」と言うのはドーかな

九州が「玄海灘に浮かぶ島」ではないのと同様に、対馬も、そして壱岐も「玄海灘に浮かぶ島」ではないでしょうね。
[72175] 2009年 10月 14日(水)01:28:47Issie さん
いちばん星
[72174] 白桃 さん
波浮の港

むか~し,NHKの朝の連続ドラマで我が国最初期の流行歌手である 佐藤千夜子 を主人公にした「いちばん星」という番組がありましたよね。主人公を演じたのは 高瀬春奈→五大路子。
普段は学校があって当然視られないから,きっと夏休みのことだと思うのですが(すでに主役が五大さんに交代していた),たまたま「波浮の港」が発表されたくだりを視ていて,そのときに作詞者の 野口雨情 役をやっていた 柳生博 さんが語りで「本当は波浮の港からは夕日は見えないんですよ…」と言っていた場面を何だかよく覚えています。

ま,空のハブの港をめぐってはちょっと厄介で,千葉県側の反応には何か 八ッ場ダム の問題と相通じるものがあるような気がします。…それ以上の深入りは,やめときましょうね。

日本の近海すべてが○○灘によって線引きされている

海の名前ではないですが,気象庁は日本近海を厳密に区切って各海域の呼称を定めています(→ ここ)。
だから,海上保安庁 あたりも厳密な区分をしているのではないかと思って眺めてみたのですが,すぐには見つかりませんでした。

ただ,そのような専門家たちの世界とは違って,私たちの日常生活ではもっと大雑把なものですから,さほど厳密にこだわる必要もないかと思います。
で,

対馬を「玄海灘に浮かぶ島」と言うのはドーかな

昔,BCLが流行った頃,残念なことに私はそれ用の短波ラジオを買ってもらうことができなかったので,普通のラジオでも受信できる近隣諸国からの中波放送をよく聴いていました。平壌放送とか,北京放送とか,モスクワ放送とか…。
その1つに韓国のKBSもあったのですが,この放送のプログラムの1つのタイトルが「玄界灘に立つ虹」というものでした。中身は忘れたけど,投書コーナーだったのかな。
ともかく,ここでは「玄界灘」が 日韓間の海 の名前として使われていますね。当然,対馬はその海に浮かぶ島。
…いや,今考えてみると,もしかしたら“あの海峡”を「対馬海峡」と呼ぶか「大韓海峡」と呼ぶかという微妙な問題があるせいかもしれないな,とふと思い当ることもあります。

私はこの放送で,当時の日本のテレビでは「さい・けいか」としか読まない韓国の大統領が「チェ・ギューハ(崔圭夏)」と読むのだということを知りました。
[72174] 2009年 10月 14日(水)00:03:12【1】白桃 さん
♪波浮の港から玄海灘へ
今、ちょっとした話題になっているハブ空港に関する事柄はさておき、小学生だか中学生だか覚えていないのですが、愛読書である地図帳の「地図の見方」みたいな頁に伊豆大島が例に取り上げられており、波浮の港はどこなんだろう、と一生懸命探した記憶があります。
そういえば、(旧)因島市の中心?も土生でしたよね。この「はぶ」っていう地名、なかなか曲者ですね。羽生、埴生っていうのもありますし・・・。

ところで、♪小倉生まれの玄海育ち、っていう「三本松の一升(?)」という演歌がありますが、この玄界灘の範囲は対馬まで及ぶのでしょうか。モノノ本によりますと、「その範囲は対馬まで及ぶ」となっておりますが、壱岐はともかく、対馬を「玄海灘に浮かぶ島」と言うのはドーかな、というのが正直な気持ちです。「灘」というのが陸地からある程度離れていて、波浪高い海域なんでしょう。とすると、日本の近海すべてが○○灘によって線引きされているとも思わないのですが・・・

いつもの蛇足:
桃娘「ハブ空港って、なに?」
白桃「対策として、マングースを飼育している空港のことさ」
余りにも無責任な回答でした。反省!
[72173] 2009年 10月 13日(火)22:03:53はやいち@大内裏 さん
廃置分合可決
[71980]拙稿

10/7 湖西市10/8 姶良市10/9 富士川町 各廃置分合議案が可決されています。
[72172] 2009年 10月 13日(火)17:51:55【1】山野[山野] さん
廃置分合議案可決(栃木)
でるでるさんへ
9日の3町に続き、本日、栃木市議会でも廃置分合議案が可決されました。合併協HPより。
[72171] 2009年 10月 13日(火)16:51:16【1】YT さん
本籍人口の訂正
[72110]のデータの訂正です。

明治5年の山城の本籍人口が329,030人となっておりますが、これは429,030人の間違いです。
同様に本籍人口の総数も、33,010,825人ではなく33,110,825人で、
府藩県使別人口の合計である33,110,825人と合致するはずです。

[72111]の現在の都道府県境による明治5年の本籍人口の試算では、山城の人口を計算に用いていないので、訂正はありません。
[72170] 2009年 10月 13日(火)16:01:20山野[山野] さん
廃置分合議案可決(富士宮)
でるでるさんへ
本日、富士宮市議会に於いて芝川町との廃置分合議案(賛成多数)と合併協廃止議案(全会一致)が可決されました。
参照記事:静岡新聞
[72169] 2009年 10月 12日(月)19:03:15Issie さん
Re^2:「東大和市」「東久留米市」「東松山市
[72167] 稲生 さん
同名回避の市の例を承知してなお発展的に、「東国」の意味もあるのでは?

そこまで考えてみるのも面白かろうし,そう考えた人もいるかもしれませんが,[72168] で hmt さんが紹介された「公式見解」以上のことは検証しようがないようにも思います。
“新説”に対しては,賛否どちらとも言えないというのが,とりあえずのところではないでしょうか。
[72168] 2009年 10月 12日(月)17:20:11【1】hmt さん
関東地方にある4つの「東○○市」
[72165] 稲生 さん
(東大和市が)敢えて「東」を冠したのは、東京都下の意味か、または律令時代の頃の東国の意味があるのではないか

関東平野の西部に展開する4つの「東○○市」。各市のサイトで「東」の意味を確認してみました。

東大和市HP に示されている「公式見解」は、“東京の大和市”。
東大和の名称の由来は、(中略)6か村が大いに和して一つになるということから「大和村」と称したのが起こりで、(中略)更に市制施行のときに、東京の大和市という意味をこめて付けられたものです。

もちろん、神奈川県大和市との 同名回避 という、平成12年以前の国の方針 に従うものでもありました。
そもそも、「東京」そのものが、西の京都に対抗する「東の京(みやこ)」なのですが、東大和市については、市当局が“東京の”と明言しているので、"「京」に対抗する意味での「東」"ではないということにしておきましょう。

東村山市 は、山形県村山市との同名回避ではなく、明治から用いられた村名であり、単純な方位説で説明されています。
明治22年5月町村制度が施行された。(中略)一説に、この地を 下村山とする話もあったが、方位をとって村山地方の東で東村山とする説が通り、「東村山村」が誕生した。

昔は川の流れの上下によって地名を区別しましたが、明治時代にもなると、現代の命名感覚と同じように、上下でなく東西南北などの方位を使った地名の方が主流になってきたように思われます。

東久留米市HP は、同名回避の目的と共に、西武池袋線の駅名由来と説明しています。
福岡県久留米市と行政的な混同を避けるためや、当時の町民から親しまれていた駅名の「東久留米」を希望する声も多く、現在の市名が決定されました(1970年)。

駅ができた1915年には北多摩郡久留米村でしたが、省線との連絡運輸をする武蔵野鉄道は、鹿児島本線久留米駅との同名を回避する必要がありました。このあたりの事情は、同じ頃に開業した東上鉄道上福岡駅[39241]と全く同じです。
違うのは新河岸川の支流・黒目川の「上下」ではなく、おそらく 九州地方(西日本)と関東地方(東日本)との対比から生まれた「東」の概念を持ち込み、これが市名に引き継がれたことです。

余談ですが、黒目川の名は、渦を巻く湧水、つまり「くるめく 水」が水源になっているためと理解され、久留米の地名も同じです。

埼玉県比企郡松山町は、東大和市・東久留米市(共に1970)はもちろん、東村山市(1964)よりも更に前の1954年に市になりましたが、これも当時の自治省から愛媛県松山市との同名回避を求められ、東松山市を名乗ったことが、データ東松山市・付表pdf の 6/9 に記されています。

なお、既に東武になっていた東上線(まだ蒸気鉄道)が松山町に通じたのは 1923年。ここでも予讃本線松山駅との同名回避の必要がありましたが、その時に選んだ駅名は「武州松山」でした。この駅名は東松山市なって3ヶ月後に東松山に改称しています。駅名優先の東久留米や上福岡とは別の道を選んだわけです。

駅名先行の東久留米市もそうですが、特に駅名に武州を冠していたのに、新たに選んだ市名では「東」を冠することにした東松山市の場合は、まさに 稲生さん説の「東国」(東日本)を意識した命名のように思われます。

東松山市の3ヶ月前、1954年4月1日に東京都府中市が誕生していますが、こちらは広島県府中市に遅れること僅か1日で、事実上の同時進行であったために、東府中市や武蔵府中市にならずに済みました。
地形図名では「武蔵府中」で、広島県に負けています[46749]

タイトル、黒目川の由来、武州松山駅など、記事の一部を修正・追加しました。

ついでに、データベース検索を試みたところ、「東」の前方一致は14市。うち4市は「とう…市」。
「東」のつかない「○○市」があるのは6市で、うち大阪市と広島市とは同一府県内、村山市と大和市とは東日本ですから、日本の東西という見方からの「東○○市」は、やはり東松山市と東久留米市ということになります。
同名回避でない市は、東松島市・東根市・東近江市・東かがわ市。
[72167] 2009年 10月 12日(月)13:53:46稲生 さん
RE:東
[72166]なきらさん

私の文が拙かったのでしょうが、同名回避の市の例を承知してなお発展的に、「東国」の意味もあるのでは?という、新説(もしくは珍説)を展開したつもりです。
[72166] 2009年 10月 12日(月)12:54:38なきら さん
[72165]稲生さん
「東大和市」「東久留米市」「東松山市」

稲生さん、こんにちは。
ほんとに何でこんなに東のつく市が・・と思いますよね。
これらの市については、「市区町村雑学」の一番初めの項目「高田市ってどこにあるの?」で、グリグリさんが教えてくださっています。
東村山市は、一番下(同名回避の市の一覧表の欄外)に記載されていますが、ご推測のとおり村山郷の東部にあることが起源で、もともと東村山という地名だったそうです。ご参考までに。
[72165] 2009年 10月 12日(月)11:05:43稲生 さん
「東大和市」「東久留米市」「東松山市」
稲生です、お久しぶりです。

ひょんなことから東京都多摩地区の武蔵村山市・東大和市・東村山市について、地図を眺めたりして調べてみました。

北多摩郡村山町・大和町・東村山町のうち、まず1964.4.1に東村山市が市制施行し、6年半遅れて1970.10.1に東大和市が、同11.3に武蔵村山市が市制施行したのは、都市化される順序が都心部からの交通の便などから東側から奥地へと進んだのだと推察できます。
次になぜ「東」が付くのかについてですが、東村山は東大和を挟んでいるものの「村山の東」だから問題がないのですが、東大和は奈良県の大和郡山市・大和高田市および神奈川県の大和市の先輩市に配慮して「東」を付けたものと推察されます。
武蔵大和市とか北大和市の方が、相応しいような気がしますが、敢えて「東」を冠したのは、東京都下の意味か、または律令時代の頃の東国の意味があるのではないかとの思いに至りました。すなわち「東男(あづまおとこ)に京女(きょうおんな)」などと言われるような「京」に対抗する意味での「東」ではないかと。
同じように武蔵国における、北多摩の「東久留米市」埼玉の「東松山市」の「東」もただ単に九州福岡や四国愛媛の東とだけ考えるよりも、より深い意味があるような気がして来ました。
京田辺市が山城田辺市ではなく、北広島市が石狩広島市ではないことは、それぞれ深い意味があってのことかとも思いました。
私の考察は、ここまでのすごく浅いものですが、タイトルの3市に付く「東」について、本当のところはどうなのでしょうか?識者の方の見解はいかがでしょうか?お分かりの方はお教え下さい。
[72164] 2009年 10月 12日(月)09:57:07【1】千本桜 さん
明治期の市町村名に影響を及ぼした町場名
角川地名大辞典は富来町の町名由来を中世以来の院名によるとしています。しかし、明治22年に町村制施行で誕生した富来村の村名決定にあたっては、院名「富来」よりも町場名「富来」が強く影響しているのではないかと思います。中世富来院の区域に位置する藩政村は明治22年、下記のようにA~Gの7村に統合されました。
合併前の藩政村町村制による合併後の新村名
A地頭町村・領家町村など7村富来村
B今田村・東小室村など16村稗造村
C相神村・八幡村など11村東増穂村
D酒見村・大福寺村など4村西増穂村
E風無村・風戸村など3村西海村
F鹿頭村・赤崎村など6村西浦村
G西谷内村・藤瀬村など9村釶打村
過去に富来院に属していたことを理由に富来村を名乗れるなら、A~Gの7村はいずれも富来村を名乗れたはずです。しかし、富来村を名乗ったのはAであり、Bは稗造村、Cは東増穂村、Dは西増穂村、Eは西海村、Fは西浦村、Gは釶打村を名乗りました。なぜAは富来村を名乗り、B~Gは富来村を名乗らなかったのでしょう。それは、すでにAの区域内に「富来」と呼ばれる町場が存在していたからだと思います。推測ですが、Fの鹿頭村やGの西谷内村の人たちは、Aの地頭町・領家町に形成された町場へ行くことを「富来に行く」と言っていたのではないでしょうか。地頭町村や領家町村は地籍上の名称で、これを公称というのでしょう。しかし、それと同等またはそれ以上に「富来」という通称が汎用されていたのだろうと思います。それは、天保国絵図が地頭町村を富木村と表記していることや、正保郷帳が地頭町村の代わりに富木村を用いて「富木村 領家町 町本江村」として高付していることからも推測できます。

公称と通称の混用はどこにでもあることで、能登国でも公称の村名と通称の町場名が混用されています。そもそも、七尾・輪島・穴水という町場はあっても、七尾村・輪島村・穴水村という藩政村はありませんでした。七尾は藩政期の所口村や府中村などに跨がって展開する町場の名称です。江戸期や明治初期の能登の村人にとって、七尾の町に遊びに行くのは楽しみだったはずです。そのとき彼等は「七尾に行く」という言い方を多用し、「所口に行く」という言い方は少なかったと推測します。地名の汎用性としては、公称の村名「所口」より通称の町場名「七尾」が勝っていたように思います。明治22年、所口村・府中村・小島村・藤橋村が合併して町村制下の七尾町になります。同じように、輪島も藩政期の風至町・河井町に跨がる町場の通称です。この通称の町場名「輪島」が明治22年に発足した輪島町に繋がっています。また、穴水も藩政期の大町村・川島村に跨がって形成された町場の通称です。この穴水と言う町場の名が、明治22年発足の穴水村の村名決定に大きく影響していると思います。そして、富来もまた同じだと思います。

公称村名とは異なる通称町場名を持つものとして、[71220]で原ノ町宿(現・福島県南相馬市)、登米宿(現・宮城県登米市)、水沢宿(現・岩手県奥州市)をあげました。以上は、なじみの深い東北地方の中から3例をピックアップしたものです。このような事例は東北地方や能登地方以外にもたくさん転がっています。たとえば美作国の真庭郡(現・真庭市)では、藩政期の垂水村に通称「落合」と呼ばれる川舟港町があり、その名が明治22年に発足した落合村の村名に影響しています。同じく、藩政期の高田村に通称「勝山」と呼ばれる城下&宿場があり、その名が明治22年発足の勝山村に直接結びついています。しかも、高田村は他村と合併せずに単独で町村制の村に移行したのに、あえて勝山村に改称しています。と言うことは、当時すでに藩政村「高田」よりも町場「勝山」の名が地名として勝っていたのでしょう。勝山・落合と並ぶ真庭郡の拠点町場に「久世」がありますが、こちらは藩政村名も「久世」、町場名も「久世」ですから問題はなかったようです。

公称村名より通称町場名が勝っていたために改称したと思われる事例は宮城県にもあります。藩政村の小堤村は単独で町村制の町に移行したのに、町場名をとって亘理町に改称。同じく今村は吉岡町に改称。馬場谷地村は涌谷町に改称しています。岩手県の遠野や広島県の竹原もそうですね。藩政村の岩手県横田村は単独で町村制の町になり遠野町に改称。広島県下市村も単独で町村制の町になり竹原町に改称しています。亘理、吉岡、涌谷、遠野、竹原の共通点は、明治期に警察署が置かれたことからも分かるように、地域の中心性を担った町場だということです。このような場合、公称の村名より通称の町場名の方がステータスが高くなるのでしょう。小堤村、今村、馬場谷地村、横田村、下市村がそれまでの公称村名を捨て、通称町場名の亘理、吉岡、涌谷、遠野、竹原を新自治体名に採用したのは、そのような背景があってのことではないでしょうか。もっとも、亘理、遠野、竹原については、郡名、通名、荘名などの広域地名も絡んでいますから、それらと町場名の複合由来とすることもできます。しかし、直に影響を及ぼしたものは何かをつきつめれば、江戸期の町場名が明治期の町村名に影響している可能性は非常に高いのです。角川地名大辞典は宮城県亘理町の項で下記のように記述しています。
明治22年~現在の亘理郡の自治体名。小堤村の街衞地域を古くから亘理駅と称していたことから町名に採用。
小堤村の町場が古くから亘理駅と呼ばれていたので、新自治体名は「小堤」を用いず「亘理」にしたと言うことです。郡名、荘名、郷名などの広域地名と同じ名称の市町村については、その名称由来を郡名、荘名、郷名にあるとするだけでなく、域内に郡、荘、郷と同名の町場が存在していないかを確認する必要があると思うのです。

城下町、宿場町、港町、在郷町といった町場は、元来それ自体が一つの施設だろうと感じています。施設ですから名称が必要になります。その名称が地籍上の村名と同名の場合もあれば、異なる場合もあったのでしょう。

書込み訂正機能で下記のとおり訂正しました。
明治22年発足の穴水町の町名決定→明治22年発足の穴水村の村名決定
[72163] 2009年 10月 12日(月)07:44:43【1】白桃 さん
合併した市・しなかった市
少々気が早いかもしれませんが、「平成の合併」時の市の合併の有無を調べてみました。(既にどなたか数えている方、あるいはこの場で発表されているときは、ご指摘ください。)
まず、前提となる「平成の合併」の開始と終結の日の定義。
1999年4月1日(篠山市の市制施行日)を開始日とし、2010年3月31日を終結日としました。
なお、2010年3月31日までに合併予定がある(法定協議会が現在発足しており、かつ、休眠状態となっていない)場合も「合併市」に含んでおります。

前置きが長くなりましたが、それでは
篠山市発足より前に市となっていた670市のうち、平成の合併時に
合併有り293市
(うち市名変更)(42市)
合併無し354市
合併により消滅23市
なお、日光市の場合は、旧日光市を「消滅市」として、旧今市市を「市名変更市」としました。

また、篠山市発足以降に市になった(予定も含む)139市のうち
合併により市制施行132市
単独市制施行7市
なお、合併により市制施行した市のうち、(人によって見解が分かれると思いますが)17市が、構成自治体の中心であった旧町名を市名に引き継いでおります。

連休最後の今日は、「昭和の合併」の状況を調べてみたいと思っています。「平成」より、いろいろとややこしいので本日終了するかどうかはわかりません。

なお、この調査は、次回の十番勝負対策として行ったものではありません。(連休中に出題案を練られているオーナーを刺激、あるいは妨害した結果となりませんように・・・)

蛇足:うっかり、10月21日(水)に仕事の延長での飲み会を入れてしまいました。私が決めたことなので、今更取り消し出来ない市、どうしましょう・・・
また、10月23日(金)から1泊2日で秩父の山奥に植林に行かなければならず、今回の十番勝負、大苦戦、目にみえてます。トホホ・・・。
[72162] 2009年 10月 11日(日)20:49:11オーナー グリグリ
北陸ワイド周遊券
[72161] Issie さん
そこでふと疑問に思ったのですが,
信越線/上越線のいずれのルートをとるにせよ,北陸方面から東京へ向かう際には上野駅に向かう“北回り”ルートと,米原で東海道新幹線に乗り換える“南回り”ルートがあります。
金沢だと,北回りルートの方がメインでしょうか。敦賀なら間違いなく南回りでしょうね。福井も南回り?
だいたい,どのあたりが両ルートの境界になるのでしょう。
私が東京で就職し金沢に帰省していた際には、上越新幹線が開通する以前だとどちらを利用しても所要時間に大差はなかったと記憶しています。特急白山を使うか新幹線乗り継ぎを使うか、その時の気分で使い分けていました。加えて、当時は北陸ワイド周遊券がどちらのルートも使えてかつ一番お得でしたから。上越新幹線の開通後については北回りの方が多少時間的に早くなったと思いますが(ほくほく線開通後は確実に近くなっていますね)、その頃の帰省は子連れということもあり車利用がほとんどでした。最近は頻度が少なくなったこともあり空路を利用しています。

ところで今度の岡山オフ会には金沢経由で参加する予定で、空路ではなく上野から北回りルートで金沢に立ち寄り一泊し、翌日金沢から北陸線と新幹線を乗り継いで岡山入りする予定です。久しぶりに958.9km(運賃:11,660円)の長距離切符を購入することになりそうです。もっとお得な買い方がありますか。なお、帰りは空路です。
[72161] 2009年 10月 11日(日)20:04:23【1】Issie さん
Re:上越線経由
[72160] グリグリ さん
北陸から東京へ向かう特急や急行列車

以前に書いたことがあったかもしれませんが,私が小学校に上がる前の1969年に父方の祖父が亡くなって,お骨を納めに親族一同そろって能登へ行ったことがありました。当初の予定では上野駅から金沢行きの列車(「はくたか」?)に乗るはずだったのですが,水害か何かで不通になっていたために,急きょ東京駅へ移動して新幹線「こだま」で米原まで行って,そこから「雷鳥」→ 七尾線のSL牽引列車 → 北鉄能登線 というルートで目的地(志賀町)まで行きました。
というわけで,このルートはイレギュラー。私自身は既に祖父母が東京在住だったので能登へはほとんど行ったことがないのですが,祖母を始めうちの親族が能登との間を往復するときには(祖母も能登・鹿島郡の出身)もっぱら上野から向かっていたようです。それが信越線経由か,上越線経由か…。

上越線経由の列車としては、特急「北陸」「はくたか」と急行「能登」の他に何かあったでしょうか。

直江津までなら,上野-長岡-直江津間の急行「よねやま」がありましたけど,“親不知の向こう”まで行くのは,そのあたりでしょうかね。
上越新幹線の開業前でこの方面の優等列車が最も充実していた1978年10月改正ダイヤ(ゴーサン・トオ)では
 上越線経由
  特急「はくたか」 上野-金沢 2往復
  特急「北陸」 上野-金沢(夜行)
  急行「能登」 上野-金沢(夜行)
 信越線経由
  特急「白山」 上野-金沢 3往復
  急行「越前」 上野-福井(夜行)

昼間の列車が両ルート(はくたか・白山)合わせて特急5往復とは,現在の越後湯沢接続の“ほくほく線経由「はくたか」”13往復と比べると意外なほどの少なさですね。当時は航空機はまだ競争相手にはなくて,国鉄がほぼ輸送需要を独占していたのではないかと思うのですが。

さて,東京(上野)対北陸方面の特急列車が最初に現れたのは,1961年10月のダイヤ改正(サンロク・トオ)で全国の主要幹線に特急列車が新設される一環として,大阪-(北陸・羽越・奥羽線経由)-青森間の日本海縦貫特急「白鳥」が登場したときに,その付属編成を直江津で分けて信越線経由で上野まで運転した 大阪-直江津-上野 間のディーゼル特急「白鳥」でした。
1965年10月の改正でこの上野系統を分離して 上野-金沢 間の特急として独立させたのが「はくたか」です。この時は,前身の「白鳥」同様,信越線経由でした。
それが1969年10月の改正で電車化されることになったのですが,この時に 上越線経由 に変更されました。この改正に先立って 直江津-宮内 間の電化が完成したことによって可能となった措置です。信越線の 高崎-直江津 間の電化は既に1966年に完成しているので,これは途中の“長野廻り区間”に未電化区間があったからではなくて,恐らくは意識的にこのルートを避けたのでしょうね。碓氷峠を越える電車には編成両数の制限があり,通常の交直両用電車ではなく専用車両が必要であったからでしょう。
けれども,対北陸のメインルートは信越線で,上越線経由は「迂回路」という意識があったのか,しばらくの間,「はくたか」は 大宮-直江津 間では折り返しの 長岡 を除いてほとんどノンストップでしたよね。その後,だんだんと停車駅が増えていきましたが。もちろん,遠回りなので上野からみて対直江津以遠の運賃は近道の 信越線経由 で計算するという措置がとられました。
信越線経由の客車急行として残されていた「白山」が電車化されて特急となったのが1972年です。碓氷峠を長い12両編成で越えることのできる電車ができたことによるようです。

上野・北陸間の夜行列車の変遷については大変に複雑なので割愛しますが(以前に話題になったことがあったような気がします),こちらも本来は信越線経由がメインであるのに対して,“諸般の事情”で上越線を「迂回」する列車が設定され,信越線が分断された今は当然に上越線経由のみ,ということになるのですね。
ここでもやはり碓氷峠が大きなネックになったであろうことは予想できます。その意味からも,横軽線が廃止になったのは当然なのですね。

そこでふと疑問に思ったのですが,
信越線/上越線のいずれのルートをとるにせよ,北陸方面から東京へ向かう際には上野駅に向かう“北回り”ルートと,米原で東海道新幹線に乗り換える“南回り”ルートがあります。
金沢だと,北回りルートの方がメインでしょうか。敦賀なら間違いなく南回りでしょうね。福井も南回り?
だいたい,どのあたりが両ルートの境界になるのでしょう。
…いきなり「小松空港」は無し,ね。
[72160] 2009年 10月 11日(日)10:51:22オーナー グリグリ
上越線経由
72069] 2009 年 9 月 25 日 (金) 22:00:27 futsunoおじ さん
JR上越線は高崎駅(群馬県)と宮内駅(新潟県長岡市)とを結ぶローカル線として誕生したもので、開通当時の「上越線」の名称は自然であったと思います。その後東京・新潟間の鉄道のメイン路線となり、上野駅で『上越線経由新潟行き特急「ときxx号」が・・・』とアナウンスされた列車が、東北本線-高崎線- 上越線-信越本線を通って新潟へ行ったものです。「上越線経由」という言葉が加わるのは、かつて長野廻りの信越線の列車が存在した名残と考えられますが、新たな利用者には「上越線・新潟行き」だけが記憶に残ったかもしれません。路線名が新幹線にも使用されたことにはそんな背景も考えられます。
私が金沢にいた当時(昭和40年代)、北陸から東京へ向かう特急や急行列車は信越本線(長野)経由と上越線経由がありました。信越本線経由が主流として扱われていた記憶があり、上越線経由に関しては時刻表に「上越線経由」と特記されていました。加えて、信越線が本線で上越線は本線でないということから、上越線はマイナーな路線というイメージでした。上越線経由の列車としては、特急「北陸」「はくたか」と急行「能登」の他に何かあったでしょうか。信越本線経由は、白山、越前、黒部あたりでしたか。現在は信越本線の軽井沢-横川間が廃止になりましたから、金沢から上野直通列車はすべて上越線経由になっています。といっても、北陸と能登だけですね。そういえば思い出しましたが、北陸新幹線(長野新幹線)工事中には、能登の運行が信越本線経由と上越線経由が混在していた時期がありましたね。注意しないと長野途中下車できない列車があったはずです。
[72159] 2009年 10月 11日(日)10:40:30【3】オーナー グリグリ
旧国名の組み合わせ地名・名称(まとめ)
[72010]旧国名の組み合わせ地名・名称の書き込みへの反応が一段落しましたのでまとめたいと思います。表の掲載基準(採用基準)は[72036]で述べましたように、自治体名、自然地名、交通名までは、過去名(★)までリストアップし、他の用例については、学校名や公共施設関係はリストアップしますが、それ以外のローカルな呼称や過去名については、それしか用例がない場合にのみリストアップするようにしました。ただし、厳密にこの基準で掲載している訳ではありませんのでご了承ください。ご指摘等よろしくお願いいたします。

■旧国名の組み合わせ(★:過去の名前)
名称対象国名自治体名/地名/自然名交通名その他(用例)
奥羽陸奥/出羽奥羽山脈奥羽本線奥羽大学
陸羽陸奥/出羽陸羽東線,陸羽西線,陸羽街道
奥羽越陸奥/出羽/越後(奥羽越列藩同盟)
羽越出羽/越後羽越本線羽越河川国道事務所
常野常陸/下野★常野線(JRバス)
常総常陸/下総常総市,常総台地関東鉄道常総線常総学院,(常総地方)
上越上野/越後上越新幹線,上越線
上信越上野/信濃/越後上信越高原国立公園上信越自動車道(上信越地区)
上信上野/信濃上信電鉄
上武上野/武蔵上武道路,★上武鉄道上武大学
房総安房/上総/下総南房総市,房総半島,
房総丘陵
総武下総/武蔵総武本線,★総武流山電鉄
武相/相武武蔵/相模武相高校,相武国道事務所
甲武甲斐/武蔵甲武トンネル,★甲武鉄道
甲武相甲斐/武蔵/相模(甲武相国境)
甲武信甲斐/武蔵/信濃甲武信ヶ岳甲武信鉱山
甲相駿甲斐/相模/駿河(甲相駿三国同盟)
豆相/相豆伊豆/相模★豆相人車鉄道,★豆相鉄道(相豆新聞)
越佐越後/佐渡(越佐人物誌)
信越信濃/越後信越本線信越放送
甲信越甲斐/信濃/越後(甲信越地方)
飛越飛騨/越中飛越トンネル,飛越新道,★飛越線
加越加賀/越中/越前★特急加越
加越加賀/越中★加越トンネル
加越加賀/越前加越台地
加越能加賀/越中/能登加越能鉄道
能越能登/越中能越自動車道
加能加賀/能登(加能ガニ,加能人)
若越若狭/越前(若越ひかりの村)
越美越前/美濃越美北線,★越美南線越美山系砂防事務所
江若/若江近江/若狭江若交通,若江線(JRバス),
★江若鉄道
若丹若狭/丹後(若丹尾根/若丹国境尾根)(若丹建設)
甲信甲斐/信濃(甲信地方)
甲駿甲斐/駿河甲駿橋,甲駿街道
三遠信三河/遠江/信濃(三遠南信の別呼称)
三信三河/信濃★三信鉄道
濃飛美濃/飛騨濃飛横断自動車道,濃飛バス
濃尾美濃/尾張濃尾平野濃尾大橋濃尾地震
駿豆駿河/伊豆伊豆箱根鉄道駿豆線,★駿豆鉄道(駿豆地区)
駿遠駿河/遠江★静岡鉄道駿遠線
三遠三河/遠江三遠南信自動車道,三遠トンネル
尾三尾張/三河★尾三バス尾三消防本部
志勢志摩/伊勢鳥羽志勢広域連合
紀勢紀伊/伊勢★紀勢町紀勢本線
丹但丹波/但馬兵庫丹但酪農農業協同組合
丹但丹後/但馬丹但トンネル
播丹播磨/丹波播丹交通,★播丹鉄道
摂丹摂津/丹波摂丹街道
摂河泉摂津/河内/和泉(摂河泉展望コース)
紀泉紀伊/和泉金剛生駒紀泉国定公園紀泉高原スカイライン
播但播磨/但馬播但線,播但連絡道路
因但因幡/但馬因但県境自治体会議
播備播磨/備前★播備ライナー
紀淡紀伊/淡路紀淡海峡
阿淡阿波/淡路(阿淡交通社)
紀和紀伊/大和紀和駅,★紀和鉄道
因美因幡/美作因美線
因伯因幡/伯耆(因伯牛,因伯人)
伯備伯耆/備中伯備線
雲伯出雲/伯耆(雲伯方言)
雲石出雲/石見雲石路
防石周防/石見★防石鉄道
備作備前/備中/美作備作山地県立自然公園備作大橋
備讃備前/讃岐備讃瀬戸,備讃諸島本四備讃線,北備讃瀬戸大橋,
南備讃瀬戸大橋,★備讃ライナー
芸備安芸/備後芸備群島芸備線
芸予安芸/伊予芸予諸島芸予地震
防長周防/長門防長バス
防予周防/伊予防予諸島
阿讃阿波/讃岐阿讃山脈
阿土阿波/土佐阿土山地
阿佐阿波/土佐阿佐海岸鉄道
予讃伊予/讃岐予讃線
予土伊予/土佐予土線
豊予豊後/伊予豊予海峡
筑豊筑前/豊前筑豊本線,筑豊電気鉄道筑豊炭田
豊肥豊前/肥前豊肥本線
筑肥筑前/肥前筑肥線
筑肥/肥筑筑後/肥後筑肥山地★九州肥筑鉄道
肥薩肥後/薩摩肥薩線,肥薩おれんじ鉄道
日肥日向/肥後★日肥線(JRバス)
日豊日向/豊後日豊本線
薩隅日薩摩/大隅/日向(薩隅日三州)
薩隅薩摩/大隅(薩隅方言)

■明治以降新設された国
名称対象国名自治体名/地名/自然名交通名その他(用例)
天北天塩/北見★天北線
塩狩天塩/石狩塩狩峠
石北石狩/北見石北峠石北本線
根北根室/北見★根北線
釧北釧路/北見釧北峠
石勝石狩/十勝石勝線
狩勝石狩/十勝狩勝峠
根釧根室/釧路根釧台地,根釧原野
日勝日高/十勝日勝峠日勝線(JRバス)
磐越磐城/越後磐越西線,磐越東線,磐越自動車道
常磐常陸/磐城★常磐市常磐線,常磐自動車道常磐大学,常磐炭田
岩越岩代/越後★岩越線
野岩下野/岩代野岩鉄道

■国境が隣接していない用例(対岸隣接は隣接と考える)
名称対象国名自治体名/地名/自然名交通名その他(用例)
雲芸出雲/安芸雲芸南線(JRバス),★雲芸線(JRバス)
薩長薩摩/長門(薩長同盟,薩長戦争)
薩長土薩摩/長門/土佐
薩長土肥薩摩/長門/土佐/肥前(薩長土肥サミット)
土讃土佐/讃岐土讃線

■両○・三○
名称対象国名自治体名/地名/自然名交通名その他(用例)
両総下総/上総両総用水両総農業水利事業所
両野下野/上野足利両野保育園
両毛下(毛)野/上(毛)野両毛線両毛漁業協同組合
両丹丹波/丹後(両丹日日新聞,両丹経済新聞)
両備備前/備中両備バス
両備備後/備中(RYOBIの由来)
両筑筑前/筑後両筑平野用水★両筑軌道福岡県両筑家畜保健衛生所
三陸陸奥/陸中/陸前三陸海岸,南三陸金華山国定公園三陸鉄道,三陸自動車道三陸沖地震
三丹丹波/丹後/但馬(会社名)
三備備前/備中/備後(会社名)

【追記記録】
 志勢:[72358] 稲生さん
 甲駿:[73165] 稲生さん
[72158] 2009年 10月 10日(土)14:51:25【2】山野[山野] さん
廃置分合議決(大平・都賀・藤岡)
でるでるさんへ
[72153]にも書きましたが、昨日3町は廃置分合議案を、それぞれ可決しました。
残る栃木市も13日に可決する見通しで、15日に県へ申請となります。参照記事

*改行を訂正。(14時52分頃)
*県への申請予定日を修正。(18時53分頃)
[72157] 2009年 10月 10日(土)14:33:56hmt さん
国の隣接関係 (7)山陽道
山陽道は播磨国以下の8ヶ国。
[52196] むっくん さんは、光源氏が流された「須磨」が 摂津国の最西端であり、それに隣接する「明石」が畿外の播磨国というのは、実は絶妙の場面設定であることを指摘しています。

山陽道諸国に関係する三国境に整理番号KKを付し、地名コレクションの #三国◎3県境| と対照させたリストは、便宜上 山陰道関係の分と一括して、既に[72155]で示しました。

例により、各国ごとに陸上隣接国(右回り順)と三国境を洗い出してみます。

播磨国 (瀬戸内海) 備前 KK66 美作 KK65 因幡 KK64 但馬 KK61 丹波 KK62 摂津(大阪湾)
美作国 (内陸)   備前 KK69 備中 KK68 伯耆 KK67 因幡 KK65 播磨 KK66
備前国 (瀬戸内海) 備中 KK69 美作 KK66 播磨
備中国 (瀬戸内海) 備後 KK70 伯耆 KK68 美作 KK69 備前
備後国 (瀬戸内海) 安芸 KK73 石見 KK72 出雲 KK71 伯耆 KK70 備中
安芸国 (瀬戸内海) 周防 KK74 石見 KK73 備後
周防国 (瀬戸内海) 長門 KK75 石見 KK74 安芸
長門国 (日本海)  石見 KK75 周防(瀬戸内海)

国名略称「備」について、分かれる以前の「吉備」と考えた方が自然ではないかというご意見[72022]88さん もありました。
しかし、大和政権が強大な吉備国を分割したのは7世紀と古いことです。「備讃瀬戸」は備前だけでなく、備中の海も含み、その両方を意識したものであっても、西は備後を含む古代の吉備国にまで遡るものではないでしょう。
なお、古事記の時代の 古代吉備東縁は加古川 だったというから、その勢力は播磨にまで及んでいたわけです。
吉備国が備前・備中・備後に「分割」された後、更に備前から美作が分立し、現代では、備作山地県立自然公園[72021] という使い方も現れています。

[72024] oki さん
現代の感覚では、「両備」というと岡山県内の備前・備中の意味で、広島県に属する備後とは少し距離があるのでは

Wikipediaには(初代)両備バスの商号は、出資者である西大寺鉄道(備前)と下津井電鉄(備中)とに由来すると記してありました。しかし、下津井は備前国ですよね。バス事業の展開地域は、もちろん備前と備中とを主力としていると思いますが。

もう一つの有名な会社は「RYOBI」。社名の由来 によると、創業地は備後府中。備後と備中と合わせて「両備」と呼ばれていた地域の呼び名を社名に採用(三菱電機との取り引きにちなみ「菱備」と表記)。こちらのリョービは備後・備中でした。

その他にも、国名組み合わせとして既出の事例は、例により交通関係に多く見ることができます。
[72010]防長バスは、周防の徳山を本拠地とし、長門の萩にもバス路線。
[72026]防石鉄道は、三田尻(防府)から佐波川を少し遡っただけで、石見の津和野・益田には到底届かない状態で1964年廃線。
姫路岡山間の[72016]播備ライナーは、短期間で消滅。

中国山地に分け入る鉄道では、播但線、因美線、伯備線、芸備線と、国名組み合わせが並んでいます。
この中で、1972年の新幹線岡山開業のチャンスをとらえ、一躍ローカル線から山陰連絡の幹線に変貌した伯備線が出世頭。
加古川線の前身の[72015]播丹鉄道(1943年 戦時買収)。丹波は、福知山線と連絡する谷川駅付近だけで、駅前タクシーが播丹交通[72035]

かつての雲芸線[72035] 今川焼 さん。隣接していない出雲と安芸とを組み合わせた「雲芸」は、異色の存在でしょう。

もともと木次線未開通の時代からの、広島・出雲今市間 陰陽連絡ルートですから「雲芸線」の名は理解することができますが、三次までは鉄道(芸備線)、バス路線は備後の三次から先ということで、安芸国を通らない国鉄バス雲芸線としてスタートしました。

時刻表昭和27年12月号[51787]を見ると、備後十日市(2年後、三次市 誕生後に三次駅と改称)24:00発、出雲今市05:20着という急行夜行便があります。直線距離60数km、山道であることを考慮しても、中国地方の半分を横断するのに夜行バスとは、現在では想像もつきません。
この時刻表では、既に三次広島間の雲芸南線もあります。1964年以降道路事情が改善され、特急バスによる雲芸短絡の直通線として機能した時代もありました。現状は雲芸とは名ばかりの広島近郊区間のみ[72035]

山陽道関係で特徴的なのは、海を隔てた国の組み合わせが使われることです。さすが瀬戸内海。
[72010] 備讃瀬戸・備讃諸島・芸予諸島・防予諸島。[72020] 芸予地震
[72156] 2009年 10月 9日(金)13:36:38hiroroじゃけぇ さん
地下街にも色々と
[72149] なると金時 さん
高岡駅前の地下街。自分も驚きました。そういう情報を収集することもなく、高岡に行ったからですが。それでも、やはりあの寂しさはどうにかしてもらいたいですね。駅前なのに・・・。万葉線もほぼアイトラムとなり、その対比がちょっと残念でした。

[72145] 笠津前浜 さん
「岡山一番街」は正式名称なのか?そのはずです。運営会社はJR西日本の子会社である「山陽SC開発」で、現在では「さんすて岡山」との一体運営となっています。一番街は「さんちか」や桃太郎大通り方面への地下道、高島屋、第一セントラルビル、OPAの地下階、そして岡山南地下道となどと繋がっており、中四国随一なのは納得していただけると思います。また、「ぺスカ岡山」となる「岡山三番街」とも接続予定です。岡山駅の駅ビル建設の代替として造られた地下街なので、今でも賑わいを見せているのがいいところでしょうか。
 そして、岡山市にはもう一つ地下街がありまして、それが表町の「てんちか」と「なかちか」で、双方が繋がっています。地下街としては、天満屋を中心として広がっているものですが、規模は比較的小さいので、見逃されがちです。


ここからは、オフ会のちょっとした情報です。
岡山駅から会場までは「約25分」かかります。15分での到達はかなりムリがあるので、その点はご注意下さい。また、「岡山県・香川県週末おでかけパス」が発売中です。両県の散策にはもってこいの切符となっているので、利用してみたらいかがでしょうか?
[72155] 2009年 10月 8日(木)17:05:19【1】hmt さん
国の隣接関係 (6)山陰道
現在は中国地方という区分が使われているので、山陰というと鳥取・島根の2県だけのように思いがちですが、昔の山陰道は丹波国から始まる8ヶ国でした。そういえば、京都駅の次の駅がもう「丹波口」。
山陰本線が実際に丹波国に入るのは、1989年に新設されたトンネル路線の間に設けられた保津峡駅。山陰街道は、その南の老の坂峠を越えて亀岡に向かいます。

最初に、関係する三国境を列挙します。便宜上、山陰道関係だけでなく、山陽道に属する諸国の分も一括して表示します。
「三国境でない3県境」が一つだけあり、これも併記(KK63の京都府大阪府兵庫県境)。
また、丹後丹波但馬三国境だけは、この表に2ヶ所記してあります。現在は KK59 江笠山ですが、明治35年に 丹後国与謝郡雲原村が 丹波国天田郡に編入されるまでは KK60 三国山でした。 [31129] 今川焼 さん、明治35年法律第14号[59173]参照。

整理番号国名#三国3県境地名
KK32若狭近江丹波#19M24朽木村奥の三国岳[52497]
KK33若狭丹後丹波#24三国岳(舞鶴若狭自動車道の南)
KK46近江丹波山城#20朽木村奥の三国岳[61177]
KK47丹波山城摂津 #41b高槻の三国橋[67465]
KK59丹後丹波但馬江笠山【大江山の西5km】 1902年以降の三国境
KK60丹後丹波但馬#25三国山【大江山の南西7km】 1902年以前の三国境
KK61丹波但馬播磨#26三国岳【生野の北東12km】
KK62丹波摂津播磨梅木峠
KK63丹波摂津M33能勢深山

ここまでは近畿地方です。中国地方は KK64からKK75までの 12地点。
備後国の北辺に4つの三国山(KK70~KK73)が並んでいるのが目を引きます。

整理番号国名#三国3県境地名
KK64但馬播磨因幡氷ノ山の約2km南
KK65播磨因幡美作M36江浪峠
KK66播磨美作備前(吉備高原)
KK67因幡伯耆美作#30恩原高原三国山【三徳山の近く】
KK68伯耆美作備中四十曲峠の南
KK69美作備前備中#43三飛峠
KK70伯耆備中備後#32M38【道後】三国山
KK71伯耆出雲備後#31M37【比婆】三国山
KK72出雲石見備後#33【赤名】三国山
KK73石見備後安芸#34可愛川【三国山の東1.5km】
KK74石見安芸周防M39冠山
KK75石見周防長門野道山の北東3km

例により、各国ごとの右回り順で、陸上隣接国と三国境整理番号とを列挙しておきます。

丹波国 (内陸) 山城 KK47 摂津 KK62 播磨 KK61 但馬 KK59 丹後 KK33 若狭 KK32 近江 KK46
丹後国 (日本海) 若狭 KK33 丹波 KK59 但馬
但馬国 (日本海) 丹後 KK59 丹波 KK61 播磨 KK64 因幡
因幡国 (日本海) 但馬 KK64 播磨 KK65 美作 KK67 伯耆
伯耆国 (日本海) 因幡 KK67 美作 KK68 備中 KK70 備後 KK71 出雲
出雲国 (日本海) 伯耆 KK71 備後 KK72 石見 
石見国 (日本海) 出雲 KK72 備後 KK73 安芸 KK74 周防 KK75 長門
隠岐国 (日本海) 陸上隣接国なし【海上で出雲と近接】

さて、国名を並べてみると、丹前・丹後のペアでなく丹波・丹後になっているところが気になります。
吉備が備前・備中・備後に「分割」されたのと異なり、丹後は丹波から「分立」したという成立の経緯による違いでしょう。
余談ですが、防寒室内着の「丹前」は、堀丹後守屋敷前にあった遊女風呂から流行したファッションでした。

丹波・丹後を併せて称する両丹[72021]。三丹(丹波、丹後、但馬)[72036]は、丹後分立(713)よりも更に前に、但馬も丹波から分立したという関係からでしょう。会社名などに使われているようです。
この地方の道路関係では、[72035] 今川焼 さんが、摂津と丹波を結ぶ国道423号池田-亀岡間の「摂丹街道」と 丹後と但馬を結ぶ「たんたんトンネル」 とを挙げています。

[72018] かすみ さん が企業名や大会名などで何度か目にした事のあるという「若丹」。
山歩きの人たちも 「若丹国境尾根」 と使っていますが、国土地理院公認の自然地名ではないようです。

因幡になると鳥取県ですが、兵庫県但馬との間の回廊地帯には、因但県境自治体会議(コリドー21) も存在するようです。
[72010]グリグリさん には 括弧書きで 因伯牛 がありましたが、鳥取県地域づくりセンターの情報誌が 因伯人。この地域に Impact を与えることを期待しましょう。

鳥取島根県境地帯(伯耆出雲国境地帯)は、更に密接な結びつきがある地域のようです。
[72021] oki さん 雲伯方言の存在は その証拠ですが、「雲伯」は それだけではありません。
出雲の安来から 伯耆の米子にかけて産出する 砂鉄に由来する、古代からの たたら製鉄技術。
1899年に、その伝統を引き継いだ 「雲伯鉄鋼合資会社」 が設立されました。

第一次大戦後の経営危機に際して、鮎川義介 が経営者として乗り込み、工藤治人により独自の技術を開発。
昭和になると、日本刀の原料として注目されます。
その後の安来製鋼所は、戸畑鋳物に合併し、日立製作所を経て1956年に現在の日立金属になります。
なお、鮎川の経営した戸畑鋳物は、ダットサン>日産自動車を生んだ会社として、産業史に名を残しています。

山陰道内の国名組み合わせで、両丹・三丹・因但・因伯・雲伯に続くのは雲石。
雲石街道 は、出雲と石見を結ぶ山陰街道のことではなく、広島からの出雲街道と石見街道を合せたもののようです。[72018] かすみ さん

地名ではありませんが、[33984] 出石隠 さんのニックネームが、山陰道内の国名組み合わせです。
[72154] 2009年 10月 8日(木)13:32:29山野[山野] さん
スピード協議
<松本市と波田町の合併>
昨日の初会合(法定協では)にて協議項目が全て確認され予定通り21日に調印式が行われるとの事。(合併協HPより)
因みに合併予定期日は「2010年3月31日」に決定しました。
任意協では期日以外は決まっていたようなので、異様に早く終わったのかな?
でるでるさんへ
更新の方、お願いします。
[72153] 2009年 10月 7日(水)20:33:24【1】山野[山野] さん
補足記事
[72152]雲雀山さん
栃木・大平・藤岡・都賀1市3町の合併協定書が調印されました
こちらの記事ですね。
内容は同じです。(*「こちら」のリンク先は、下野新聞です。)

あ、因みに廃置分合議決ですが3町は9日、栃木市議会は13日にそれぞれ審議予定との事。
でるでるさん、お願いします。
[72152] 2009年 10月 7日(水)19:14:14雲雀山 さん
栃木地区の合併
合併協議会のHPは更新されていませんが,
栃木・大平・藤岡・都賀1市3町の合併協定書が調印されました。

近いうちにUPされると思います。
http://www.totigi-gappei.jp/toft/index.html

※とちぎテレビのイブニング6で調印式の様子を放映してました。
3県に接する市が来年3月に誕生します。
[72151] 2009年 10月 7日(水)18:50:09山野[山野] さん
東出雲町
一昨日、松江市・東出雲町広域行政研究会は研究結果を纏め、来月にも任意協を設置する方針との事。
また、12月には法定協を設置するかどうかを問う住民投票を行う予定で、設置はこれの結果次第となりそうです。
参照記事
[72150] 2009年 10月 7日(水)12:31:38山野[山野] さん
時期の延長/リンク切れの件について
でるでるさんへ
昨日開かれた合併研究会にて、来年3月末の藤沢町編入の合併を目指していた一関市は
合併時期を2010年度中に変更する延長案を示しました。参照記事

あと、別件ですが、現在休止中の「東彼杵合併協」のHPは既にリンク切れとなっていますので修正の方お願いします。
[72149] 2009年 10月 6日(火)21:03:00なると金時 さん
地下街といえば
高岡駅前に地下街があったのは意外でした。
wikipediaによりますと1970年開業の北陸初の地下街だそうです。
ただ、かなりシャッターが閉まっている寂しい状態ではありましたが。
[72148] 2009年 10月 6日(火)18:57:09hmt さん
国の隣接関係 (5)北陸道
国名組み合わせ地名[72010] に関連して始めた 国の隣接 シリーズ。今回は 日本海側の北陸道7ヶ国。

[72021] oki さん
越佐人物誌(書名) これもあまり一般的ではない様子。
[72023] Issie さん
直江津から小木へ乗った船の名前が「えっさ丸」でした。

現代の感覚では、新潟県という言葉が普通に使われ、越後と佐渡を「越佐」で総称する必要はないようです。
♪佐渡は四十九里波の上 という一句が有名ですが、これは日本海の荒波に船頭が始終苦労したためとか。同じ佐渡おけさの中にも歌われている ♪ハアー佐渡へ八里のさざ波こえてヨ が、佐渡越後間の最短距離に近いようです。

陸上隣接国のない佐渡は別として、本州6ヶ国の中に「越」で始まる国が3つもあります。

「信越」といえば、その「越」が意味するところは越後です。信濃と隣接しているにもかかわらず、越中と解されることは皆無。険しい山岳によって隔てられていた信濃と越中を一体とする観念は生まれなかったのでしょう

北アルプス越えルートは、立山参りの裏参道として信濃の人が夏の間に細々と利用していたかもしれませんが、徳川家康に救援を求める目的で、ここを厳しい冬のさなかに横断したのが佐々成政の「さらさら越え」(1584)でした。ザラ峠で立山連峰を越えると黒部川の谷。更に針ノ木峠で後立山連峰を越えて、ようやく信濃国大町。

1958年、この後立山連峰を貫いて黒四ダム・発電所資材運搬用の大町トンネルが全通。以来半世紀、限られた条件下で公共交通にも供せられていますが、それは観光用の「立山黒部アルペンルート」の一部であって、実質的な「信濃と越中を結ぶ信越ルート」ではありません。
実質的に信濃と隣り合うのは、高田平野に出る北国街道と糸魚川に出る千国街道[71541]とで結ばれた越後です。

…というわけで、「越」が意味するのは、信越・上越・羽越・磐越(すべて国鉄線名)の場合は越後。
飛越・能越の「越」は、飛騨・能登と唯一隣接する越中。そして越美・若越も同様の理由で越前。
「加越」だけは、越中・越前両方の可能性を残しますが、列車名(消滅?)以外、どの程度に使われるのでしょうか。

明治9年から14年までの間、越前国敦賀郡は滋賀県に属しており、滋賀県は日本海に面していました。
そのくらいなので、越前・近江は密接な関係にあったと思いますが、「江越」という地名は聞いたことがありません。

「江若」ならば若狭まで到達できないまま廃線になった江若鉄道がありました。現在は江若交通[72019]
「OとW」のマークを持ちながら若狭にはバス路線がないので、ここに書くのは気がひけますが、余談を一つ。
このバス会社には「途中」停留所があります。時刻表 を見ると、途中止まりのバスが何本もあります。

北陸道諸国ごとに、それに隣接する国々と、その間にある三国境を列挙します。
三国境データは、最初に整理番号KKと共に表示します。#三国は、三国コレクション の番号です。
前回[72102]はリストの中で二度三度出てきてわずらわしい感じだったので、書式を改めました。

整理番号国名#三国3県境地名
KK07羽前岩代越後#3M05飯豊山
KK11岩代上野越後M08尾瀬ヶ原
KK17上野越後信濃#46M13三国山脈白砂山
KK24越後越中信濃#4M19白馬岳の1km北
KK25越中信濃飛騨#11M21三俣蓮華岳
KK26越中能登加賀#15宝達山南東4km木窪川東岸の崖上
KK27越中加賀飛騨M20(白山の北)笈ヶ岳
KK28加賀越前飛騨M22白山三ノ峰
KK29越前飛騨美濃白山一ノ峰と銚子ヶ峰の間
KK30越前美濃近江#16M23伊吹山地三国岳
KK31越前若狭近江#18琵琶湖北方野坂山地三国山
KK32若狭近江丹波#19M24朽木村奥の三国岳[52497]
KK33若狭丹後丹波#24三国岳(舞鶴若狭自動車道の南)

若狭国 (日本海) 越前 KK31 近江 KK32 丹波 KK33 丹後
越前国 (日本海) 加賀 KK28 飛騨 KK29 美濃 KK30 近江 KK31 若狭
加賀国 (日本海) 能登 KK26 越中 KK27 飛騨 KK28 越前
能登国 (日本海) 越中 KK26 加賀
越中国 (日本海) 越後 KK24 信濃 KK25 飛騨 KK27 加賀 KK26 能登
越後国 (日本海) 羽前 KK07 岩代 KK11 上野 KK17 信濃 KK24 越中
佐渡国 (日本海) 陸上隣接国なし
[72147] 2009年 10月 6日(火)01:19:50Issie さん
Re:地下街の愛称
[72145] 笠津前浜 さん
地下街にも結構愛称がつけられている

かつては船橋市の“国鉄”船橋駅南口広場の地下に「パール地下街」という地下商店街があって,広場に面する西武百貨店にもつながっていたのですが,いつの間にかなくなってしまいました。
さて,船橋の地下街がなくなった今,千葉県には地下街があるのでしょうか。
確か,JR千葉駅と京成千葉…,じゃなくて千葉中央駅の間の外房線と京成線のガード下商店街の千葉駅寄りの部分に地階があったはずだけど,これを「地下街」とみなすかどうか…。

ところで考えてみると,東京には大阪の梅田や名古屋のように「どこまでも続く地下商店街」というものがないような気がします。
東京駅の八重洲地下街などは結構大きな広がりを持っていますが,結局は駅前広場と駅ビル(大丸)の地下の範囲に限られる。渋谷や新宿もそうですね。新宿には靖国通り地下(サブナード)というのもありますが,これはそれほどの広がりがない。東京ではないけれど,横浜(西口:ダイヤモンド,東口:ポルタ)・川崎(アゼリア)もやっぱり 駅前広場+α の範囲に限られます。
“道路地下の商店街”として,昔々には上野(地下鉄上野駅~京成上野駅)や神田(地下鉄神田駅~須田町交差点)というのもあったけれど,もう「昭和」の最末期までいかないうちにほぼなくなっていました(神田の場合は今でも1軒ほど残っていたかな)。

「どこまでも続く(お店のない)地下道」なら,いくらでもあるんですけどね。
[72146] 2009年 10月 6日(火)01:07:16白桃 さん
「幹事市」と「官房市」
まずはレスです。

[72125]Issie さん
詳しいご説明ありがとうございました。

さて、この時間帯に白桃が書き込むことって、たいがい後で物議を・・・
それを無視して、
「政治的」な事柄は全く言及するつもりはありませんが、今回の政権交代で改めて思ったのは、幹事長と官房長官は結構大変なんだな、ということです。「政治オンチ」の私ですが、幹事長というのは、党務の総責任者。官房長官というのは、首相になり替わり閣内でなんか一言いわなければならないヤナ要職?です米代川?
そこで、イキナリ
都道府県幹事市官房市
北海道函館市江別市
宮城県石巻市多賀城市
埼玉県川越市上尾市
神奈川県藤沢市大和市
石川県小松市野々市町
愛知県豊橋市春日井市
大阪府堺市豊中市
岡山県津山市赤磐市
広島県福山市東広島市
香川県丸亀市さぬき市
福岡県久留米市春日市
沖縄県名護市浦添市
落書き帳EMMさんいっちゃんさん

注1)47都道府県全部書こうとしてたのですが、いつもの悪い久世、手抜きしました。
注2)異論などあるかと思われますが、皆様、許してください。
注3)最後の1行を書きたかっただけです・・・
[72145] 2009年 10月 5日(月)22:56:57笠津前浜 さん
地下街の愛称
かつては天神の地下街に「すごか~」と驚いたものですが・・・。最近の書き込みによって地下街にも結構愛称がつけられていることを知りました。そこでちょこっと過去ログから抜き出してみました。

[72119] miki さん
さんちか
シャレオ
[72114]白桃 さん
まつちかTOWN
[71670] hiroroじゃけぇ さん
ぺスカ岡山
[67260] ペーロケ さん
アゼリア
[60522] スピカ さん
ダイヤモンド
[58196] hiroroじゃけぇ さん
岡山一番街
[56754] 小松原ラガー さん
ESCA
[55309] スナフキん さん
オーロラタウン

岡山一番街は正式名称かな?愛称ではないのかも。そもそも地下街って何箇所くらいあるのでしょう・・・
[72144] 2009年 10月 5日(月)20:17:29なると金時 さん
北関東
話題の三県ですが、全て県名と県庁所在地名が一致しないのが、知名度が低い一因かも。
前橋は微妙なんですが、宇都宮と水戸は、餃子と納豆のおかげでそれなりに知名度あるんじゃないのかなあ。
[72143] 2009年 10月 5日(月)19:09:43【1】inakanomozart さん
県教委と市教委
[72125] 2009 年 10 月 3 日 (土) 12:04:59【3】  Issieさん
都道府県・市(区)町村の区別なく,それぞれに設置される教育委員会は相互に「独立」した存在です。

通常は,給与の面倒をみているのだからということで,これらの学校の教員の人事権および研修にかかわる事務権限を都道府県教育委員会が持っています。もちろん,著しい財政規模の格差が予想される市区町村によって教育の格差があってはならないから,都道府県単位で“教育の均等”を保証する,というのが主旨ですが。

その辺のことは一応知っているつもりですが、実態としては例えば人事異動の業務などはある程度の規模の市教委などには下請でやらせていたりしないのでしょうか・・・
これらは、ほとんど公開されていないようなので、推測の域をでませんが・・・
[72142] 2009年 10月 5日(月)18:12:28【2】おがちゃん さん
「群馬栃木茨城」、「埼玉東京神奈川」、「千葉大島新島伊豆山梨中西部」
こんばんは。おがちゃんです。
オリンピックの開催都市が決まりましたね(よく考えれば2日前の話ですね)。
やはり、オリンピックといえば、開催都市に選ばれればそれだけ名誉あることなのでしょうね。必死にプレゼンテーションをしていましたが、やはりアジア地域での大会としては北京から2大会しか間を入れないことになることが選出されなかった大きな理由かと思います。
ところで、2016年のオリンピックの開催都市となったリオデジャネイロがあるブラジルですが、ブラジルといえば、群馬県では町の中で群馬県内トップの人口を誇り、総人口中のブラジル人人口の割合が日本一高いとも言われる大泉町ですね。その大泉町でも、リオデジャネイロがオリンピックの開催都市となったということで盛り上がっていそうですね。
そこで、少し調べてみると、やはり本当の様ですね。
日本とは地球の反対側の国ですが、いいオリンピックになるように陰から見守りたいと思います。

[72136] オーナー グリグリさん
ご指摘ありがとうございました。それぞれ修正等、対応しました。
お手数かけましたが修正ありがとうございます。少々贅沢だと思いましたが、本当にありがとうございました。

[72140] 伊豆之国 さん
この"Ryo"という名前、どうしても英語では「リオ」と発音されてしまうとか
そうしたらこち亀の主人公の愛称はリオさんか・・・。何か不思議な感じですね(笑)。
それはともかく、遼君には、ゴルフで本当に頑張ってほしいです。オリンピックの時には頑張って応援するか・・・。
ところで、先週木曜の「ケンミンSHOW」3時間特別版、北関東3県出身者の代表が「低認知度」克服を目指し大熱論。
代表者についてはともかく、北関東3県は確かに知名度が低いですね。実際、
[64949] hiroroじゃけぇ さん
27 茨城 58.7
42 群馬 52.2
44 栃木 51.2
と散々な結果。北関東3県は中間位(24位)よりもどの県も低いのです。
やはり、群馬と栃木は内陸県であり、特徴的な形をしていない(県外で鶴舞う形の群馬県なんて知ってるはずないよな・・・)ですし、何よりも、面積も大して変わらず、隣同士になっており、非常にややこしいため、群馬と栃木を反対にしてしまう人もかなりいるのでしょう。
では茨城は・・・というと、何故でしょうか?どうもわかりません。
まぁ、せめて自分が住んでいる国なのですから、都道府県の名前や位置(場合によっては+県庁所在地)ぐらいは覚えた方がよいのではないかと思いました。過去ログでも、丁度3年ほど前に都道府県の認知度などについての議論が交わされましたね。
[72141] 2009年 10月 5日(月)15:45:48山野[山野] さん
破談情報の補足
でるでるさんへ
合併情報の更新、ご苦労様です。
ついでと言っては何ですが、「新宮市・那智勝浦町合併協議会」は
先月18日、既に解散されていますので「不成立一覧表」の方へ移動お願いします。(合併協のHPで確認済み)
[72140] 2009年 10月 4日(日)23:12:25伊豆之国 さん
こちら葛飾、石川リオ君。リオ五輪でメダルを目指せ!
[72121]Issieさん
[72122]音無鈴鹿さん
リオに決まりましたね
この大会からゴルフが正式種目になる(復活した)ようですが、となると、(気が早いですが)日本の大エースとして期待されるのが「ハニカミ王子」石川遼くん。この"Ryo"という名前、どうしても英語では「リオ」と発音されてしまうとか。(こちらより)
ところで、先週木曜の「ケンミンSHOW」3時間特別版、北関東3県出身者の代表が「低認知度」克服を目指し大熱論。その中で茨城代表に出ていた渡辺徹さん、この人も「リオ君」と同じく「葛飾」の人なのですね‥。(→[12583]KMKZさんの記事を参照)

[72133]山野さん
(宮城)富合町
富「谷」町ですね。
[72139] 2009年 10月 4日(日)21:11:21【1】山野[山野] さん
安土町長選
本日、実施された安土町長選の結果です。
慎重派の方が当選されました。開票結果はこちらです。
結果が出たので記事修正。(22時27分頃)
[72138] 2009年 10月 4日(日)19:01:14有明つばめ さん
筑豊・三池
筑豊と三池という、2つの非常に好対照な炭田というか炭鉱地帯があった福岡県からの書き込みです(汗)。

[72047]Issieさん
返信が遅くなりました(汗)。

筑豊。
現地の地理に詳しくない立場で遠方から眺めていると,「筑豊」というと北九州の内陸部に両国にまたがる盆地があって,そこに炭鉱が散在する(していた),なんてイメージがあるのですが,地図を見ると両国の間にはしっかり分水嶺があって,厳然と分けられるのですね。

確かに飯塚市と田川市の間には山間部があり、両市間を通る国道や鉄道も峠やトンネルがあります。ただ、田川市を含む田川地域は、旧豊前国にありながら遠賀川の支流・彦山川の流域にあたり、むしろ同じ旧豊前国にあたる北九州市や行橋市・京都郡方面との間の方が地形的には急峻だったりします。
同様に、飯塚市や直方市も、同じ旧筑前国にあたる福岡市方面とは三郡山地で隔てられています。そのため、結果的に直方を基点として飯塚・田川を含めた地域が「筑豊」と呼ばれるようになったのかも知れません。

あと、直接関係はありませんが、旧「筑前」国にあたる朝倉地域は、実際には筑後川流域にあたるので、「筑後」扱いされることがよくあります。天気予報でも筑後地方扱いだし。

ともかく炭田としては全体で1つの「筑豊」。そこは恐らく,筑前 の博多・福岡地方や 豊前 の周防灘沿岸部のいずれからも独立した地域として,いわば福岡県北部には 筑前・筑豊・豊前 の3地方が鼎立する。そして,その「筑豊」に張り巡らされた鉄道網の総本線として,原田→若松間(石炭の流れに合わせて,あえて上下を逆に表記)のルートが豊前を通過していなくても全体の代表として「筑豊本線」を名乗る。
…なんて,ストーリーを考えてみましたが,いかが?

まさしくその通りでしょう。要するに、「筑前と豊前を結ぶ路線」ではなく、「筑豊という地域を貫く(通る)路線」という意味ですね。「筑豊電鉄」も然り。
でもそうなってくると、「筑肥線」や「筑肥山地」とは若干意味合いが違うような気も‥‥。
[72137] 2009年 10月 4日(日)18:56:28オーナー グリグリ
第二十四回 公式オフ会@岡山市開催記念 全国の市十番勝負(予告)
さて、いつの間にか(f^^;)10月に入りました。次回十番勝負は10月頃と[71608]で書き込んだのがついこの前のように思えます。次々回の十番勝負は正月開催となりますし、11月オフ会も控えていますので、次回十番勝負は次の予定で開始したいと思います。今回は、定例化してからはおそらく初めての平日夜のスタートを試してみたいと思います。

開始日時:10月21日(水)午後10時開始

まだ何も準備してないのですが、連休もありますので(予定が入っていますが)何とか間に合わせるつもりです。ということで、多くの皆さんのご参加をお待ちしております。また、岡山市公式オフ会を目前に控え、皆様に盛り上げていただければと思います。よろしくお願いいたします。
[72136] 2009年 10月 4日(日)18:38:38オーナー グリグリ
新しい湧別町の誕生
明日の上湧別町と湧別町の新設合併による新しい湧別町の誕生に関連して、市区町村のデータ、公式HP、ランキング、雑学などを更新しました。雑学では「上」の入る町が一つ減りました。

[72067][72086] おがちゃんさん、[72112] mikiさん、[72117] 大龍エクスプレスさん、ご指摘ありがとうございました。それぞれ修正等、対応しました。お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。

今までも何度かお願いしておりますが、書き込みにあたってはガイドラインの遵守をよろしくお願いいたします。また、相手に配慮した書き込み、誤解を与えない書き込みを心掛けていただくとともに、相手の意図を再確認するなど、書き込み者の意図を余裕を持って受け止めていいただければと思います。
[72135] 2009年 10月 4日(日)00:50:40【1】futsunoおじ さん
Re:最新状況が知りたいのですが
[72134] 先祖の土地はダムの底 さん

「町」と「村」音読み、訓読み、どっちが多数派?の、最新状況が知りたくなりました。


現時点の市区町村プロフィール にあります町村の「よみ」を基準に判断すると自治体数と主な分布は、
799町のうち 「まち」:302 (東日本),  「ちょう」:497 (北海道と西日本)
191村のうち 「むら」:163,         「そん」:28 (九州南部、沖縄)
ということになります。

【追記】10月1日合併分を修正。なお10月5日に北海道の上湧別町(ちょう)消滅の予定。
[72134] 2009年 10月 3日(土)21:13:49先祖の土地はダムの底 さん
最新状況が知りたいのですが
初めまして。
友人より勉強になるサイトがあると紹介されて拝見しました。

さて、その中の1つの記事なのですが
「町」と「村」音読み、訓読み、どっちが多数派?の、最新状況が知りたくなりました。
自分でも少しずつ時間をとってチェックしていこうとも考えているのですが、
こちらのように熟練した研究者の皆さんがチェックされて、
データベースとして一読できるような仕上がりになるほうが
より有用ではないかとも考えています。

何卒、ご検討の程よろしくお願いします。
[72133] 2009年 10月 3日(土)20:24:12山野[山野] さん
箇条書き
削除した記事と、新規の追加分。(内容の日付は昨日の話)
(宮城)
富合町は市制検討室設置へ。
(栃木)
西方町は2度目の否決
(島根)
斐川町は出雲市へ法定協設置を出雲市へ申し入れ。
[72132] 2009年 10月 3日(土)19:26:03【1】じゃごたろ さん
re: 改善を望む
こんばんは、あらためまして、じゃごたろです。

ニジェガロージェッツさんの反論は十分承知しております。

私の初めての書き込みが[18009]ということで、意識はしていなのですがこのサイトではずいぶんと古参になったものです。それ以前の書き込みも読破したので「爆弾投下」とは、「あえて波風をたてることを承知で物申す」という意味合いが多分に含まれるという印象を受けており、そのようなタイトルにあえてしました。ということで、

「手の届かないところから」または「衆人より高い位置から」ものを言っている

ということは決してないということでご理解いただければと思います。

ニジェガロージェッツさんのには、確か他の件でもお言葉をいただきましたので、もし私がオフ会に参加ができたとしたら、水泡に帰していただきたいと思うものです。


※追加

開き直るのは以前の私の書き込みでもそうですが。

タイトルは内容を端的に示すものと思っています。そういう意味では、ニジェガロージェッツさんには不快な思いをさせてしまったかとは思いますが、私自身としては決して間違った選択ではないということも、ご理解いただきたいと思います。つまり他者に不愉快な印象を与えたとしても、それ以上に発言したいことがあるということを。
[72130] 2009年 10月 3日(土)19:04:14ニジェガロージェッツ さん
改善を望む
[72129]
爆弾投下
記事の内容については私も常々感じていたことであり,「よくぞ言って下さった!」と感謝申し上げたいところですが,「爆弾投下」というタイトルは,「手の届かないところから」または「衆人より高い位置から」ものを言っている印象を強く受け,極めて不快です。
[72129] 2009年 10月 3日(土)18:30:20【3】じゃごたろ さん
爆弾投下
呆れた話

常々思っていたのですが、他の自治体がどうなろうとそれはその住民が選んだ道。部外者がとやかくいう問題ではないのではないでしょうか?

そのような状況は合併推進、市町村合併に興味がある方にはもどかしいのかもしれませんが、「合併しないことが悪」であるかのような発言を重ねる方には反旗を翻したいですね。




と思ったら、私が引用した記事は削除されました。
ですが、それをリファレンスしたこの記事は、「絶対」に削除しません。
[72127] 2009年 10月 3日(土)13:46:39hmt さん
人口と人頭税との関係
[72124] YT さん
第二次琉球処分の前後の2年間(明治11年~明治13年)で、ほぼ本籍人口が倍増しています。
人口が隠蔽された原因ですが、おそらく税の主体が人頭税であったことが考えられます。

人口と人頭税の関係は、中国の事例が有名ですね。

清の聖祖は、即位50周年記念に、1711年(康煕50年)の成人男子の数2460万人を定額として、増加する人口(盛世滋生人丁)に対する人頭税(丁税)の増額を行なわないことにしました(地丁銀制)。

この政策は、もちろん人口の自然増加もうながしたでしょうが、税金逃れのために政府にかくす必要もなくなりました。

中国の人口 が2億を越えたのは1759年、3億は1787年とか伝えられますが、1685年に既に1億の大台になっていたともいうので、かつて隠蔽されていた人口は多数いたのでしょう。
[72126] 2009年 10月 3日(土)13:20:17【1】山野[山野] さん
あま市
[72116]から記事を移転。
甚目寺・七宝・美和3町の合併調印式が昨日行われましたこちらを参照。
[72125] 2009年 10月 3日(土)12:04:59【3】Issie さん
知事がいくら吠えても…
まあ今回の話,最初に打ち上げたのが「オリンピックで日本を元気にしよう!」という極めて内向きなスローガンで,「環境五輪」なんて後からとってつけたような理屈ですからね。[72122] (音無鈴鹿さん)の通り,再度挑戦しなければ「それだけ」のことということになるだろうし,再挑戦で「環境五輪」の旗を下ろすようなら,やはり「ただの宣伝文句」に過ぎなかった,ということになるのでしょう。

…とはいえ次に日本開催を世界に訴えられるだけの都市と時期は「2044年広島市」以外にないのではないかと。

なるほど,そういう視点がありましたか。
しかし,選ぶ人たちが…。30年経てば一世代入れ替わると言われていますけど。

以下,“制度上の建前”の話。

[72123] 白桃 さん
政令市になると市の教育委員会が県から独立した権限を持ち、逆に県教育委員会は政令市以外のエリアだけを管轄することになるのでしたっけ?

都道府県・市(区)町村の区別なく,それぞれに設置される教育委員会は相互に「独立」した存在です。このあたりがよく誤解されているのですが,たとえば 檜枝岐村教育委員会 は 福島県教育員会 とは独立した存在であって,後者の「下部機関」ではありません。
ご存じのように占領下の戦後改革の目玉の1つとして導入された 教育委員会制度 は,もともと“公教育は地域共同体で運営する”ことをモットーとする“宗主国”,もとい,親切なアメリカ合衆国にならって取り入れられたものですから,地方自治の最も基礎的な要素の1つとして,各自治体の教育委員会は独立した存在とされているのですね。
さらに言えば,「教育の特性」の観点から,教育委員会は首長(知事・市区町村長)とも少し離れて,首長直属の部局とは別建てになっています。ただし実際には,教育委員の1人でもある 教育長 の下で様々な事務を処理する 教育委員会事務局(自治体によっては「教育庁」とか「教育局」などと称しています) のスタッフと知事部局または市町村長部局のスタッフの人事は共通に行われるのが普通であるようです。だから,“事務屋さん”は両方共通ということ。ただ,教育委員会事務局には「行政職員」としてではなく「教育職員」として採用された,つまり“現場の教員”出身者が多くいるという違いがあります(教員出身であっても,教育委員会事務局にいる間の身分は「行政職員」です。で多くの場合,現場の教員でいるよりも給料が少しだけ下がります)。

※なお,ここでいう「区」とは,“東京都の特別区”のこと。政令指定都市において教育行政権を持つのは 市教育委員会 であって,自治体ではない“政令指定都市の行政区”には独自の教育行政権はなく「区教育委員会」もありません。したがって,ある市立小中学校の学校が市内の複数の区にまたがっていても,全く何の問題もないのです。

教育委員会相互の関係については,「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地教行法:ちきょうぎょうほう)の第48条第1項および第51条で以下のように定められています。

--------------------------------------------------------------------------------------
第四十八条  地方自治法第二百四十五条の四第一項 の規定によるほか、文部科学大臣は都道府県又は市町村に対し、都道府県委員会は市町村に対し、都道府県又は市町村の教育に関する事務の適正な処理を図るため、必要な指導、助言又は援助を行うことができる。
(第2項略)

第五十一条  文部科学大臣は都道府県委員会又は市町村委員会相互の間の、都道府県委員会は市町村委員会相互の間の連絡調整を図り、並びに教育委員会は、相互の間の連絡を密にし、及び文部科学大臣又は他の教育委員会と協力し、教職員の適正な配置と円滑な交流及び教職員の勤務能率の増進を図り、もつてそれぞれその所掌する教育に関する事務の適正な執行と管理に努めなければならない。
--------------------------------------------------------------------------------------

第48条の第2項には第1項のいう「指導、助言又は援助」の具体的な例が列挙されており,また第49条と第50条および第50条の2には「都道府県委員会又は市町村委員会の教育に関する事務の管理及び執行が法令の規定に違反するものがある場合」等における文部科学大臣または都道府県教育委員会からの「是正要求」または「指示」「通知」についてが定められています。
このあたり,この分野については非常に「反動的」であった3代前の内閣(たった2年前!)の下での“改正”により少し内容が強められているのですが,それでも 都道府県教育委員会 が 市(区)町村教育委員会 に対してできるのは「指導、助言又は援助」だけです。
あくまでも,教育委員会相互は独立した存在であり“上下関係”にはないという「建前」があるからですね。

政令指定都市の教育委員会の権限(の特例)については,同法の第58条で以下のように定められています。

--------------------------------------------------------------------------------------
第五十八条  指定都市の県費負担教職員の任免、給与(非常勤の講師にあつては、報酬及び職務を行うために要する費用の弁償の額)の決定、休職及び懲戒に関する事務は、第三十七条第一項の規定にかかわらず、当該指定都市の教育委員会が行う。
2  指定都市の県費負担教職員の研修は、第四十五条、教育公務員特例法第二十一条第二項 、第二十三条第一項、第二十四条第一項、第二十五条及び第二十五条の二の規定にかかわらず、当該指定都市の教育委員会が行う。
--------------------------------------------------------------------------------------

ついでに中核市については第59条で,

--------------------------------------------------------------------------------------
第五十九条  地方自治法第二百五十二条の二十二第一項 の中核市(以下「中核市」という。)の県費負担教職員の研修は、第四十五条、教育公務員特例法第二十一条第二項 、第二十三条第一項、第二十四条第一項、第二十五条及び第二十五条の二の規定にかかわらず、当該中核市の教育委員会が行う。
--------------------------------------------------------------------------------------

ここでいう「県費負担教職員」とは,市(区)町村立小中学校および中等教育学校前期課程(中学校相当部分)と特別支援学校(盲・ろう・養護学校)の教職員等,つまり義務教育と,特別支援学校については高等学校相当部分の含めて,この部分の市町村立学校の教職員の給与を市区町村ではなく都道府県で負担する,というものです(市町村立高等学校等は対象外)。
通常は,給与の面倒をみているのだからということで,これらの学校の教員の人事権および研修にかかわる事務権限を都道府県教育委員会が持っています。もちろん,著しい財政規模の格差が予想される市区町村によって教育の格差があってはならないから,都道府県単位で“教育の均等”を保証する,というのが主旨ですが。
逆にいえば,市区町村立の学校に対して,あるいは公立小中学校における教育について(都道府県立小中学校はないので),都道府県教育委員会が直接関わることができるのは教職員の人事と研修の2つだけなのです。
で,政令指定都市に対してはこの2つともが,中核市に対しては研修に関する権限が移譲される,ということなのですね。
権限は移されても給与の負担は相変わらず都道府県に残されたままです。だから,神奈川県は横浜・川崎両市立小中学校・特別支援学校の教職員に対する人事権を行使できないのにもかかわらず,膨大な数の教職員の給与は県が負担しています。県としてはサイフを握りつづけている方がいいのか,サイフごと丸投げしてしまった方がいいのか…。
このあたり,「道州制」論議できちんと整理するべきなのですが,攻守入れ替わった与野党,お互いにどこまで本気なのか。道州の管轄区域や州都をどこにするかなどという議論はその後,一番最後で結構!

神奈川県教育委員会の管轄人口

いうまでもなく,相模原市が政令指定都市になっても市内の県立高等学校・中等教育学校・特別支援学校は神奈川県の「管轄」です(「管轄」という言葉が何を意味するのか,よくわからないのですが)。以前にも触れたように,相模原市は情けないことに小中学校以外の市立学校をほとんど設置せず,それにかかわる負担(責任?)を放棄していますから,この部分については相変わらず県が面倒をみなければならないのですね。
したがって,相模原市が政令指定都市になろうがなるまいが,神奈川県教育委員会が教育行政の対象とするのは横浜・川崎を含めた全県域,全県人口900万超です。

*あっ,タイトルに対する答えを忘れた。
つまりね,市町村教育委員会 は 都道府県教育委員会 の“下部機関”ではないし,知事に直属する機関でもないから,たとえば学力テストの成績が悪いから知事が何か「命令」を下したつもりでいても,それが 府 とは独立した市町村の教育委員会に直接伝わるものではない,ということです。
[72124] 2009年 10月 3日(土)03:51:30【2】YT さん
琉球の不自然な人口増加
[72118] hmtさん

明治治12年(1879)の本籍人口[72084]が、明治5年からの7年間で何倍になったのか、調べてみました。
全国では1.08倍ですが、トップは沖縄県の1.86倍。

この人口統計は1月の数値ですから、3月に行なわれた 琉球処分 で沖縄県が設置される直前です。
沖縄にとっては、激変の時代だったのでした。

実のところ琉球の人口変動には相当不自然な点があります。

琉球の人口に関しては、薩摩藩の藩政史料により1632年ごろより本籍人口の統計が残っています。人口は薩摩藩の指導の下で琉球王国がまとめたものですが、これら沖縄・奄美の人口は、徳川吉宗以降に幕府がまとめた全国人口調査には含まれて居ません。つまり当時の幕府の認識では琉球も奄美も、国外でした。一方で蝦夷地は、1807年以降は樺太を含めすべて日本の領土であることを主張し、統計でもアイヌ人の人口までカウントするようになります。

元号西暦本琉球(沖縄群島)道之島(奄美群島)
寛永9年1632年108,958
寛永13年1636年111,669
万治2年1659年112,764
寛文5年1665年110,241
寛文年間1670年頃110,21131,377
寛文12年1672年116,483
延宝5年1677年122,213
貞享元年1684年129,995
元禄3年1690年128,567
元禄12年1699年141,187
宝永3年1706年155,10849,472
宝永4年1707年155,261
正徳3年1713年157,760
享保6年1721年167,672
享保14年1729年173,969
宝暦11年1761年188,530
明和9年1772年174,21174,910
寛政12年1800年155,65074,593
文政9年1826年140,56577,667
嘉永5年1852年132,67885,125

その後第一次琉球処分により琉球藩が成立し、薩南諸島こと奄美群島は統計上薩摩国の一部となっています。どういうわけか明治12年の第二次琉球処分(沖縄県成立)後は、奄美群島は統計上大隈国の一部となっています。この辺はどういう根拠で移動したのかは定かではりません。

元号西暦本籍人口現住人口備考
明治5年旧暦1月29日1872年3月8日166,789166,789第一次琉球処分,明治6年2月調の数字で代用
明治6年1月1日1873年1月1日166,789166,789実際は明治6年2月調
明治7年1月1日1874年1月1日167,073166,766
明治8年1月1日1875年1月1日167,320167,156
明治9年1月1日1876年1月1日167,572167,218
明治10年1月1日1877年1月1日167,822
明治11年1月1日1878年1月1日168,064
明治12年1月1日1879年1月1日310,545第二次琉球処分,明治13年1月調の数字で代用
明治13年1月1日1880年1月1日310,545
明治14年1月1日1881年1月1日356,801357,266入寄留人口のみで現住人口を計算
明治15年1月1日1882年1月1日358,880359,584入寄留人口のみで現住人口を計算
明治16年1月1日1883年1月1日360,770361,877入寄留人口のみで現住人口を計算
明治17年1月1日1884年1月1日363,836364,701
明治18年1月1日1885年1月1日366,864367,874
明治19年1月1日1886年1月1日372,508373,587
明治19年12月31日1886年12月31日377,290378,809
明治20年12月31日1887年12月31日373,145375,280
明治21年12月31日1888年12月31日372,437374,266
明治22年12月31日1889年12月31日378,852381,142
明治23年12月31日1890年12月31日405,031406,622

と、まあ明治23年までの琉球藩、沖縄県の人口変遷をまとめましたが、『日本全国戸籍表』などに記載の明治5年と明治12年の人口は、実は明治6年と明治13年の数字で代用されています。そして明らかに人口増加のおかしい点があります。すなわち第二次琉球処分の前後の2年間(明治11年~明治13年)で、ほぼ本籍人口が倍増しています。いくらなんでも2年間で人口(しかも本籍人口)が倍増することは、たとえ本土から集団移住があったとしてもありえないので、解釈は一つしかあり得ません。つまり本土からの役人が介入したことにより、それまで隠されていた人口が明らかにされたということです。

人口が隠蔽された原因ですが、おそらく税の主体が人頭税であったことが考えられます。これに対し本土では地租が税金の主体であり、人頭税が敷かれた藩は余り多くありません。そのため比較的本土の本籍人口は実態を反映していると考えられています。

また本土での人口調査のきっかけは、元々はキリシタン取締りのための宗門人別改帳の導入にあるわけですが、琉球では薩摩藩と清国の二重支配構造のために、余り寺請制度が徹底されなかったのでしょう。
[72123] 2009年 10月 3日(土)03:41:17白桃 さん
神奈川県教育委員会
例のバッジを数えてみたら、山梨県小菅村の人口には及びませんが、福島県檜枝岐村に住んでいる人に一個ずつ配ってもまだ余るほどありました。

[72121]Issie さん
南米で初めてのリオを強く応援していたので,大変満足です。
あまり大きな声では言いませんが、私も好きで招致バッジをたくさん持っているわけではありません。マ、支持もしていない政党の選挙事務所で働いている運動員の心境、ってところですかね。

大臣の口から「政令都市移行内定」を伝えられたとか。
神奈川に3つの政令指定都市か・・・。それも仕方ないかもしれません。以前にもお伺いした記憶がありますが、政令市になると市の教育委員会が県から独立した権限を持ち、逆に県教育委員会は政令市以外のエリアだけを管轄することになるのでしたっけ?
もし、そうであっても神奈川県教育委員会の管轄人口は300万以上なんですね。これまたスゴい。
[72122] 2009年 10月 3日(土)03:00:56【1】音無鈴鹿 さん
リオデジャネイロオリンピック
ご無沙汰しております。音無です。
最近はヒトデ不足なんですっかり書き込めない…というかほとんど見ていない状況です。

[72120]白桃さん
やはり、というか東京、残念でしたね。
リオデジャネイロの「南米初」という訴求力の前に、東京が「2008年の北京から間隔が近い」「なぜ2回目なのか」といった問いに対する明確かつ合理的な回答を持ち合わせず、あるいは招致の熱意の低さとかまあいろいろ「やはり」な要因はあったんですが、結論としては残念でした。その投票行動なんですが。
・1回目
 Madrid: 28 
 Rio de Janeiro: 26
 Tokyo: 22 
 Chicago: 18

・2回目
 Rio de Janeiro: 46 (+20)
 Madrid: 29 (+1)
 Tokyo: 20 (-2)

・3回目(決戦投票)
★Rio de Janeiro: 66 (+20)
 Madrid: 32 (+3)

なんだろな2回目の投票行動は?北米ぶんの投票プラスアメリカの持ち票が南米に行ったのは相応としても、減るってのはいったい…。

いずれにしても今回は残念でしたなのですが、招致の熱意に関してはここでやめてしまうようでは所詮その程度の決心と足もと見られかねません、3回目の挑戦のマドリドよろしく「2020年もめざすぞ!」と躊躇なくいえるくらいの熱意じゃないとアピールできませんって。

…とはいえ次に日本開催を世界に訴えられるだけの都市と時期は「2044年広島市」以外にないのではないかと。


さて。
大変勝手な申し出なのですが、地名コレクションに関するお願いです。
私が担当となっている「浜コレクション」の編集ですが、たぶんまだ解任はされてないと思いますので長いこと放置になっているのではないかと思います。
当初は、マイペースに東日本の太平洋側から順番に、さらには「砂浜・礫浜の区別」「海水浴場の有無」「鳴き砂」などの情報も盛り込みたいと思っていたのですが、中部地方に取り掛かったのを最後におそらくここ2年ばかり放置してしまっていまして、日本海側に至ってはなにもしていない状態です。放置してしまって大変申し訳ないと感じております。
編集権を返上するとこのまま疎遠になってしまうのではないかと少々迷ったのですが、現時点で編集できていないのは事実ですから、この状況が劇的に改善する目処もなく。私の勝手でこのまま更新できない状態で放置しておくよりは、どなたか熱意のある方にぜひ担当を引き継いでいただいて「浜コレ」の情報をより充実させてもらったほうが、総合的に有益ではないかと思い、お願いをする次第です。是非やりたいという方がいらっしゃると大変助かります。
中途半端になってしまって申し訳ないのですが、どうかご検討くださいますようお願いいたします。

※お願いの文章を修正しました
[72121] 2009年 10月 3日(土)02:06:38Issie さん
一月川
[72120] 白桃 さん
リオかマドリか

リオに決まりましたね。
私,個人的には同じ国で夏冬合わせて4度目になるトーキョーよりも(ほかの2つも同じ国内の別の都市で最近開催したばかりですね)南米で初めてのリオを強く応援していたので,大変満足です。

ところで,読売新聞に こんな記事 が。
何でも,知事と市長が連れだって総務大臣に“例のお願い”をしに行ったところ,大臣の口から「政令都市移行内定」を伝えられたとか。
こちらは,「あ~あ…」。
[72120] 2009年 10月 3日(土)01:30:22白桃 さん
リオかマドリか
やはり、というか東京、残念でしたね。
白桃家には、今、ひょっとしたら全世界中で一番沢山あるのでは、という代物があります。とにかく、クサルほど、いや腐ったりはしない、とにかく一杯、イ~パイあります。東京オリンピック招致運動バッジなんですが、来週の燃えないゴミの日にこっそり捨ててもいいものかどうか悩んでいます。(将来、プレミアがつくかもしれないので持っているか、オフ会で皆様にお分けするか・・・笑)


[72115]リトル さん
「紀和」といえば紀和鉱山を思い出します。
あら~、そうですか!45年前の東京五輪よりまだちょっと昔、白桃の近親者がその近くにおりました。

は結局何だったんでしょう…。
シラフではあまりに恥ずかしくて言えません。オフ会までお待ちを^\^)

■酒量
ところで、皆様は、どれくらい飲まれるんでしょうか?
個人情報なので、知ってても他の方のことは言えませんが、私の場合はオチョコ一杯程度で、ものすごくご機嫌になります。(ウソ)
ま、銚子が三本松ってとこですか、いや関の五本松???
とにかく、アルコールがなくても楽しいのがオフ会ですヨ。

なにやら、関係ないことばかり書いてスミマセン
[72119] 2009年 10月 3日(土)00:07:34miki さん
地下街というと...。
[72114]白桃さん
どうもありがとうございました。

私は地下街というと、私は神戸三宮のさんちかを思い浮かべます。
シャレオができていない時に地下街が珍しかったので...。
神戸牛のヒレ肉をヘレ肉と呼ぶ所が印象的でした。
[72118] 2009年 10月 2日(金)23:52:17hmt さん
47地域の人口変化
[72110] [72111] YT さん
明治5年の3府72県時代の本籍人口を現代の都道府県に相当する47地域で集計していただき、ありがとうございます。

明治12年(1879)の本籍人口[72084]が、明治5年からの7年間で何倍になったのか、調べてみました。
全国では1.08倍ですが、トップは沖縄県の1.86倍。

この人口統計は1月の数値ですから、3月に行なわれた 琉球処分 で沖縄県が設置される直前です。
沖縄にとっては、激変の時代だったのでした。

2番目が開拓が緒についた北海道の1.31倍。そして東京が1.18倍。本籍人口ですから、東京といえどもこの程度の増加です。
7年間に10%以上増加したのは10地域程度で、大部分は平均的な数%の人口増。

明治時代における本籍人口の増加を、もう少し長期間のデータで調べてみました。
今度は、明治三十一年日本帝国人口統計(12月31日現在)のデータを明治5年と対比するので、約27年の本籍人口変化ということになります。

北海道庁によって支庁も設けられ、開拓が本格的になっていた北海道が 5.03倍でダントツ。
全国平均は 1.32倍で、 2.72倍とペースが落ちた沖縄以下、栃木 1.58倍、東京 1.57倍と続き、最下位の島根でも 1.15倍と、地域差はあまり大きくないと言えるでしょう。

この明治31年の統計は、それまで内務省による戸籍事務の片手間として行なわれてきた人口統計が、内閣統計局による独立の事業になった最初の成果です。

上のリンクページには、府県別の本籍人口と現住人口とがまとめられているので、両者の比率をとってみましょう。
北海道 1.41をトップに、東京府 1.39、大阪府 1.22、神奈川県 1.19が寄留人口比率の多い地域と、予想されるような結果。
以下、長崎県が 10%、群馬、京都、栃木までが 5%以上。大部分はプラスマイナス 2%以内。5%以下はなく、全国的に見ると、人口の大部分は 本籍地のある地域に居住していた と見てよいでしょう。

ここで 1898年末の現住人口が出てきたので、1920年 第1回国勢調査人口と比較してみましょう。
全国では約22年間で 1.23倍という人口増加。
人口増加の著しい地域は、北海道 2.74倍、東京府 1.76倍、大阪府 1.62倍、福岡県 1.53倍。
以下、神奈川宮崎兵庫静岡京都鹿児島愛知群馬栃木長崎沖縄福島長野までが全国平均の 1.23倍以上。
大部分の県はこれと1倍との間でしたが、7県は僅かながら人口減少(島根石川香川徳島福井富山滋賀)。

ついでに、国勢調査以降 85年の人口変化(2005年/1920年)。
総人口 5600万人から 1億2800万人で 2.28倍。
最近は人口減少が問題になっていますが、長期的に見れば、過去の急速すぎる人口増の反動と思い知らされます。
地域別では、神奈川県が 6.64倍、埼玉県 5.35倍、千葉県 4.53倍、以下、愛知、大阪、東京が3倍以上。
85年間で人口が減少した県はありませんでした。
[72117] 2009年 10月 2日(金)21:28:35スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
エラーメッセージ
グリグリさんへ

市区町村雑学 石川市って石川県にあったっけ?のページの真ん中に、
都道府県名でない都道府県庁所在地の名前が市名の一部に入っている市には、上記の他、三重県の県庁所在地である津市も該当しますが、「津」の漢字が入っている市は全部で22市あります(津市は除き、泉大津市は含む)。
とありますが、22市のリンクをクリックすると、「エラーメッセージ」というのがでてきてしまうので、修正をお願いします。
[72116] 2009年 10月 2日(金)18:42:57【5】山野[山野] さん
議決結果
本日、加須市にて廃置分合議案が可決されました。合併協議会HPより。
(議決日は以下の通り。)
・加須市:10月2日に可決。
・騎西町:9月15日に可決。
・北川辺町:9月18日に可決。
・大利根町:9月18日に可決。

あま市の件は[72126]に移転しました。
[72115] 2009年 10月 2日(金)18:17:27リトル さん
■予習+その他
■NHK「街道てくてく旅 山陽道」~大宰府から平城京まで~
の秋編(9/28~11/13)が今週から始まりました。
オフ会の岡山県の予習に…と思って見ております。
昨日放送分から岡山県に入り、今朝は井原市周辺を通過中でした。
途中の通過予定は、下記の通りです。
10/6「川辺宿」(倉敷市)
10/7「板倉宿」(岡山市)
10/8「岡山城下」(〃)
10/20「姫路城下」(姫路市)
10/28「元町」(神戸市)
11/5「芥川宿」(高槻市)
11/6「山崎宿」(島本町)
11/13「平城宮跡」ゴール(奈良市)
(以上は、放送日ですが、現地を実際に歩くのは前日になると思います。)
▲放送時間
BS-hi,BS-2:(月~金) 8:00~8:15(生放送).
BS-2:(月~金) 19:45~20:00(再放送).
BS-hi:(月~木) 22:45~23:00(再放送). (土) 午前0:00~0:15再放送((金)深夜)
※関西地域向け→総合:(日)10:05~11:21(5日分をまとめて放送)

[71950] 白桃さん
35年前このあたりで白桃がしたこと
は結局何だったんでしょう…。

■酒量
ところで、皆様は、どれくらい飲まれるんでしょうか?
私、以前は酒量無制限で、バブル期なぞは「祇園へ週8日飲みに行く」と言われたのですが…。
ここ数年、節制したせいか、はたまた歳のせいか?急に弱くなりまして。
昨年の忘年会あたりから、ビールをジョッキ2杯程飲んだだけで動けなくなり、それ以来、家でも酒量激減であります。
お手柔らかにお願いします。

▲旧国名2題
(1)「旧国名の組み合わせ地名・名称」で出た「紀和」といえば紀和鉱山を思い出します。ちょっと行くには不便なところですが、いまでも坑道のバッテリーカーに乗る事が出来ます(乗り場は「瀞流荘」より)。終着の湯ノ口温泉につかっても良いですし、近くの紀和鉱山資料館も見応え有りましたよ。
(2)先日、新聞で見たのですが、ランドセルの株式会社セイバン(兵庫県たつの市)の社名は「製カバン」と「西播地方」に掛けているそうです。

リトル
[72114] 2009年 10月 2日(金)12:10:50白桃 さん
四国屈指の地下街
[72112]miki さん
まつちかTOWNでしょう。
屈指というか、四国にはここだけらしいから唯一ですね。
[72113] 2009年 10月 2日(金)10:48:46【1】山野[山野] さん
リンク先の移動(栃木/松本)
西方町による合併破談(事実上)に伴い栃木地区の合併HPが変更されています。→新HP
現在休止中の合併協→旧HPに移動。

また、松本市及び波田町の法定協設置に伴い、(元)任意協のHPが法定合併協議会のHPに変わり、
任意協のHPはこちらに移動しました。

*松本市(合併)の情報を追加。(10時57分頃)
[72112] 2009年 10月 2日(金)09:08:48miki さん
四国屈指の地下街は?
[72109]白桃さん
一:中四国屈指の地下街、一番街(桃太郎のハタは「日本一」)
中国地方が岡山の一番街(広島はシャレオ)なら、
四国屈指の地下街はどこなのでしょうか?

P.S.
グリグリさんへ
http://uub.jp/zat/index.html
6月1日現在のままなのでお知らせします。
[72111] 2009年 10月 2日(金)03:27:43YT さん
現代の都道府県境による明治5年、6年の本籍人口 その2
[72110]のデータから求めた、現代の都道府県境での明治5,6年の本籍人口は以下の通りです。

都道府県明治5年明治6年計算方法(明治5,6年当時の府県使藩、旧国)
北海道121,310121,310開拓使-樺太
青森県443,742443,810青森県-二戸郡
岩手県557,325560,324(陸中国-鹿角郡)+二戸郡+気仙郡
宮城県568,802574,081(陸前国-気仙郡)+刈田・亘理・伊具郡
秋田県582,297581,859秋田県
山形県633,260640,764酒田県+山形県+置賜県
福島県700,509703,059(磐城国-刈田・亘理・伊具郡)+岩代国
茨城県820,903826,082常陸国+結城・豊田・岡田・猿嶋郡+北相馬郡+西葛飾郡
栃木県498,520501,849下野国
群馬県507,235509,941上野国
埼玉県849,983856,023埼玉県+入間県+中葛飾郡
千葉県1,035,4101,042,089安房国+上総国+印旛・埴生・千葉・香取・海上・西瑳郡+南相馬郡+東葛飾郡
東京都962,913980,460(武蔵国-埼玉県-入間県-橘樹・都筑・久良岐郡)+伊豆七島
神奈川県517,734522,812相模国+橘樹・都筑・久良岐郡
新潟県1,471,5261,475,669越後国+佐渡国
富山県615,663623,977越中国
石川県665,843669,647加賀国+能登国
福井県546,519540,042越前国+若狭国
山梨県360,068362,973山梨県
長野県919,115924,867信濃国
岐阜県759,274766,970飛騨国+美濃国
静岡県914,443917,984駿河国+遠江国+(伊豆国-伊豆七島)
愛知県1,210,3681,217,444尾張国+三河国
三重県777,597783,633度合県+三重県
滋賀県576,564578,099近江国
京都府775,943779,721京都府+(豊岡県-但馬国-多紀・氷上郡)
大阪府977,737982,327大阪府+堺県
兵庫県1,295,7531,302,596兵庫県+飾磨県+但馬国+淡路国+多紀・氷上郡
奈良県418,326423,004奈良県
和歌山県556,919562,410和歌山県
鳥取県357,000357,445鳥取県+隠岐国
島根県628,184630,998島根県-隠岐国
岡山県944,360948,608美作国+備前国+備中国
広島県1,124,1781,132,410備後国+安芸国
山口県827,536830,060山口県
徳島県586,046590,048阿波国
香川県559,712564,351香川県
愛媛県775,974778,556伊予国
高知県524,511526,285高知県
福岡県1,019,2701,027,308福岡県+三潴県+(小倉県-下毛・宇佐郡)
佐賀県506,667480,034佐賀県
長崎県630,487665,123長崎県
熊本県953,037950,389肥後国
大分県680,332684,621大分県+下毛・宇佐郡
宮崎県353,140358,802宮崎県-南諸県郡
鹿児島県829,643830,664鹿児島県+南諸県郡
沖縄県166,789166,789琉球藩
(樺太)2,3582,358樺太
総人口33,110,82533,300,675

現住人口で計算すると、東京都が8万人ほど、大阪府が3万人ほど増え、共に100万人を超過するはずです。個人的には千葉県の人口が多いなと感じました。
[72110] 2009年 10月 2日(金)03:20:50【1】YT さん
現代の都道府県境による明治5年、6年の本籍人口 その1
[72084] htmさん

…と言っても、明治5年の3府72県時代の府県別人口では、県の範囲が違いすぎて、現代との比較ができません。

折角なので、明治5年(1872年)、明治6年(1873年)の本籍人口のデータを使って、現代の都道府県に相当する地域の人口を求めてみました。
もっとも郡レベルでの再編、按分は試みましたが、郡未満の細かい県境の変更は無視しています。

まず基礎となる都道府県別、旧国別人口です。元資料は『国勢調査以前日本人口統計集成』収録の『日本全国戸籍表』と『明治四十一年十二月三十一日調 日本帝国人口静態統計』です。

旧国明治5年本籍明治6年本籍府県使藩明治5年本籍明治5年現住明治6年本籍明治6年現住
山城国329,030431,453東京府779,361859,367813,504887,346
大和国418,326423,004京都府567,334578,003569,733581,297
河内国237,678239,191大阪府530,885556,788530,885553,725
和泉国209,174212,251神奈川県492,714535,984479,180523,907
摂津国729,444730,943兵庫県198,559207,909200,058210,586
伊賀国97,16497,190長崎県630,487631,527665,123667,199
伊勢国585,988581,669新潟県635,484629,035637,576629,652
志摩国37,43946,943埼玉県426,989428,765429,094430,379
尾張国727,437731,974入間県410,952416,252414,824420,330
三河国482,931485,470足柄県339,582314,717342,298338,197
遠江国414,928416,543木更津県574,652568,580578,927573,051
駿河国368,505369,731印旛県456,689455,426458,619456,616
甲斐国360,068362,973新治県470,509475,396474,170471,919
伊豆国149,749150,549茨城県366,505369,599368,560371,059
相模国356,638359,598群馬県382,697394,083384,796399,076
武蔵国1,943,2111,968,753栃木県388,934395,479392,106398,474
安房国154,683155,331宇都宮県234,124238,382234,888239,836
上総国419,969423,596奈良県418,326418,426423,004422,718
下総国645,029648,394堺県446,852449,204451,442454,690
常陸国648,674652,955三重県413,865413,498419,068417,862
近江国576,564578,099度会県363,732362,300364,565363,112
美濃国660,896668,148愛知県604,116602,6101,217,4441,215,913
飛騨国98,37898,822額田県606,252605,992
信濃国919,115924,867浜松県414,928412,247416,543411,921
上野国507,235509,941静岡県368,505365,009369,731361,167
下野国498,520501,849山梨県360,068360,596362,973363,400
磐城国348,608349,594滋賀県305,232302,509578,099574,013
岩代国427,933430,163犬上県271,332270,051
陸前国534,609539,614岐阜県660,896656,936668,148664,200
陸中国510,521513,273筑摩県550,841550,414554,657553,181
陸奥国473,244473,317長野県466,652469,169469,032471,428
羽前国560,984567,361宮城県404,577406,386408,088408,682
羽後国630,036630,575福島県268,576273,815268,959273,472
若狭国85,48785,813磐前県242,906244,553242,941244,036
越前国461,032454,229若松県203,722207,225206,053209,147
加賀国403,357405,268水沢県372,562372,735376,079376,712
能登国262,486264,379岩手県319,486315,176320,731316,510
越中国615,663623,977青森県473,244465,225473,317466,578
越後国1,368,4281,372,116山形県299,291299,471302,743302,771
佐渡国103,098103,553置賜県130,293130,475131,162131,461
丹波国295,359295,681酒田県203,676203,196206,859206,090
丹後国160,932162,084秋田県582,297581,430581,859580,286
但馬国187,086187,980敦賀県199,819196,229200,832196,593
因幡国162,842162,920足羽県346,700340,478339,210332,091
伯耆国194,158194,525石川県403,357404,017669,647666,270
出雲国340,042340,222七尾県397,511396,556
石見国259,611262,035新川県480,638477,247623,977621,362
隠岐国28,53128,741柏崎県718,249710,316719,646712,082
播磨国635,791639,576相川県103,098102,697103,553102,821
美作国215,602215,676豊岡県505,073502,250507,465502,047
備前国331,878333,714鳥取県385,531384,399386,186385,129
備中国396,880399,218島根県340,042339,700340,222339,933
備後国456,461459,109浜田県259,611259,579262,035261,808
安芸国667,717673,301飾磨県635,791635,171639,576638,846
周防国497,034498,732北条県215,602217,167215,676217,283
長門国330,502331,328岡山県387,459387,320333,714334,490
紀伊国613,925620,241小田県546,430546,033605,666605,118
淡路国164,939165,485広島県919,047917,788925,962925,059
阿波国586,046590,048山口県827,536828,327830,060829,620
讃岐国559,712564,351和歌山県556,919554,253562,410558,643
伊予国775,974778,556名東県750,985750,653755,533753,942
土佐国524,511526,285香川県559,712561,041564,351565,160
筑前国441,175445,278石鉄県418,561420,585420,303422,251
筑後国391,535393,656神山県357,413357,077358,253357,983
豊前国304,574307,535高知県524,511524,158526,285527,160
豊後国562,318565,460福岡県441,175441,859445,278445,898
肥前国1,074,4601,082,488三潴県391,535391,950393,656393,780
肥後国953,037950,389小倉県304,574304,497307,535307,635
日向国376,527382,564大分県562,318563,613565,460565,666
大隅国256,816220,578佐賀県506,667505,546480,034479,346
薩摩国549,440586,324白川県513,593514,582950,389951,460
壱岐国33,01032,929宮崎県382,564383,761
対馬国29,68429,740八代県439,444438,469
琉球藩166,789166,789都城県310,121310,724
石狩国6,0036,003美々津県201,798202,675
後志国19,09819,098鹿児島県670,864667,671806,902802,261
胆振国6,2516,251開拓使123,668122,684123,668122,684
渡島国75,83075,830琉球藩166,789166,789166,789166,789
日高国6,5746,574
十勝国1,4641,464
釧路国1,7341,734
根室国832832
千島国437437
北見国1,5111,511
天塩国1,5761,576
樺太2,3582,358
総計33,010,82533,300,675総計33,110,82533,238,04033,300,67533,416,970

本当は旧国別現住人口もまとめたかったのですが、現在のところ現住人口が掲載されている資料は、[68708]でまとめた『日本地誌提出要』記載の明治6年1月1日調のもののみです。数値が『日本全国戸籍表』のものと矛盾するので採用しませんでした。また都道府県別本籍・現住人口に関しては、『維新以後帝国統計材料彙纂』に修正された数字が掲載されております。しかしながら多くの資料では『日本全国戸籍表』の本籍人口を引用しているので、ここでは古い方の数字を使います。

なお上の表での本籍人口、現住人口には以下の皇族の人口を含めています。明治5,6年頃の段階では、皇族を日本の人口として数えていましたが、明治19年以降は皇族の人口を省くのが慣習となっており、『日本帝国人口静態統計』などでは皇族の人口が除かれています。

旧国明治5年明治6年
山城国京都府77
武蔵国東京府2224
合計2931

また開拓使(北海道)と琉球藩(沖縄)に関しては、明治5年に本籍人口の調査が完了しておらず、明治6年の人口で代用されています。その意味では明治6年の戸籍人口の方が、日本の総人口を調べ終えた最初のものだと評価する人もいます。地域別の族称、職業の統計も、明治6年以降のものが残っています。

現住人口について余り情報が得られなかったので、今回は本籍人口についてののみ求めます。明治8年出版の『共武政表』は、明治5年から明治8年までの調査結果を載せており、記載の郡別人口を按分して、明治5年、明治6年の推定本籍人口を求めました。

旧国・郡共武政表明治5年明治6年現代の所属
陸奥国473,317473,244473,317
二戸郡29,50729,50229,507(岩手県)
陸前国539,539534,609539,614
気仙郡42,22541,83942,231(岩手県)
武蔵国2,118,9561,943,2111,968,753
橘樹・都筑・久良岐郡175,666161,096163,214(神奈川県)
丹波国295,681295,359295,681
多紀・氷上郡109,497109,378109,497(兵庫県)
豊前国307,532304,574307,535
下毛・宇佐郡119,160118,014119,161(大分県)
下総国650,833645,029648,394
結城・豊田・岡田・猿嶋郡102,615101,700102,230(茨城県)
印旛・埴生・千葉・香取・海上・西瑳郡339,573336,545338,300(千葉県)
相馬郡60,63060,09060,403(更に按分,下参照)
葛飾郡148,015146,694147,461(更に按分,下参照)
日向国382,110376,527382,564
諸県郡116,243114,545116,381(更に按分,下参照)

相馬郡、葛飾郡の分割や伊豆七島は、明治12年1月1日調の『日本全国区分人口表』の本籍人口によります。
明治12年明治5年明治6年現代の所属
相馬郡計62,56660,09060,403
北相馬郡46,01044,18944,419(茨城県)
南相馬郡16,55615,90115,984(千葉県)
葛飾郡計157,142146,694147,461
東葛飾郡116,026108,312108,878(千葉県)
中葛飾郡12,90012,04212,105(埼玉県)
西葛飾郡28,21626,34026,478(茨城県)
伊豆国166,880149,749150,549
伊豆七島20,88318,73918,839(東京都)

諸県郡の分割は、明治17年1月1日調の『日本全国戸口表』の本籍人口によります。
明治17年明治5年明治6年現代の所属
諸県郡計128,708114,545116,381
北諸県郡102,42991,15892,619(宮崎県)
南諸県郡26,27923,38723,762(鹿児島県)

他の郡の人口は、以下の式で求められます。
●鹿角郡=秋田県+酒田県+山形県+置賜県-羽前国-羽後国
●刈田・亘理・伊具郡=岩代国+磐城国+越後国-若松県-福島県-磐前県-新潟県-柏崎県
[72109] 2009年 10月 2日(金)01:11:38白桃 さん
岡山市かぞえ唄?
しつこく、岡山「市リーズ」を

一:中四国屈指の地下街、一番街(桃太郎のハタは「日本一」)
二:路面電車は、わずか二路線(全国最短の路面電車)
三:吉備線、岡山駅の次は備前三門駅
四:政令市だけど区はたった四つです
五:岡山市出身、江田五月参議院議長(ごく最近、ちょっと話題に)
六:旧制高校は、第六高等学校
七:合併で水増し、やっと人口七十万
八:十番勝負獲得メダル数、八個(by 桜トンネルさん)
九:岡山空港から出国者数、全国空港の第九位(2008年)
十:岡山大学、国立大学中十番目(ただし、学生数)

五番目以降は、探すのちょっとシンドかったです。
[72108] 2009年 10月 1日(木)20:20:34おがちゃん さん
赤城村>妙義町>榛名町
こんばんは。おがちゃんです。
タイトルは今年の運動会の綱引きの団ごとの強さ順です(超ローカルだ・・・)。

[72103] JOUTOU さん
秋田・岩手で「県境」線引き?
なぜだか分かりませんが、県境を決める綱引きは日本全国に多いものですね。調べてみただけでも結構見つかりました。
例えば、山形県遊佐町と秋田県にかほ市の「三崎山国盗り合戦」は、綱引きをして、勝ったほうの県の代表者が3本の弓矢を放ち、的に書いてある1(m)2(m)3(m)の点数にしたがって、県境を動かすというものです。
他には、静岡県浜松市天竜区と長野県飯田市の「峠の国盗り綱引き合戦」というものもあれば、長さ400m、参加者600人にも及ぶ、福岡県大牟田市と熊本県荒尾市の県堺大綱引きというものもあります。さすがに長さ400mにもなると想像できませんね。

[72107] 大龍エクスプレス さん
市りとり(表記編)が、2市長くなりました!
以上49市です。(津山-山鹿の間に山武-武蔵村山を追加)
ご指摘ありがとうございます。ただ、未だに原町問題から立ち直りきれていませんね。50市はきついでしょうか?個人的には志布志市が使えないのが悔しいですね。
#それにしても重要なコンビを忘れてしまうとは・・・。

[72095] 山野 さん
ご指摘ありがとうございます。[72091]は即座に直させていただきました。
[72107] 2009年 10月 1日(木)18:37:43スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
市りとり2市更新!
[72091]おがちゃんさん
市りとり(表記編)が、2市長くなりました!

春日-日向-向日-日高-高浜-浜松-松江-江別-別府-府中-中津-津-津山-山武-武蔵村山-山鹿-鹿沼-沼津-津島-島田-田村-村上-上天草-草加-加須-須坂-坂出-出雲-雲仙-仙北-北上-上尾-尾張旭-旭-旭川-川西-西宮-宮古-古河-河内長野-野田-田川-川越-越前-前橋-橋本-本宮-宮古島-島原

以上49市です。(津山-山鹿の間に山武-武蔵村山を追加)
[72106] 2009年 10月 1日(木)17:09:02山野[山野] さん
法定協設置を要請(斐川町)
斐川町は昨日、期限内の合併を目指し出雲市へ合併法定協設置を申し入れる方針を示しました。
[72105] 2009年 10月 1日(木)14:28:19山野[山野] さん
廃置分合議案可決(印旛・本埜)
<本埜村>
賛否を問う住民投票は不可能となりました。
その理由はこちら。(該当記事を引用)
村長が提案した補正予算案が、村議会で住民投票経費260万円など約4700万円が削除され修正可決
その代わり、議員発議と思われる廃置分合議案は賛成多数で可決されました。参照記事
さて、どうされますか村長さん。

一方、印旛村議会でも同様に合併関連議案を賛成多数で可決されました。
[72104] 2009年 10月 1日(木)12:59:51むっくん さん
名古屋市の区設置の根拠
かつて[63657]拙稿、[63761][65266]88さんにて、名古屋市の区設置の法的根拠について少々議論がありました。[65266]では88さんが
明治41年の名古屋市告示を確認できれば、もう少し詳細がわかると思うのですが
と書かれておられます。

さて、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーに先ほど追加されました名古屋市例規類集(著・出版:名古屋市役所,T2.4.30)に名古屋市告示第18号(M41.3.12)が記載されていましたので紹介します。
市制第六十条に依り事務処弁の為め其筋の許可を得たるを以て明治四十一年四月一日より本市を四区に分け各区に区役所を置く其区の名称位置及区域左の如し
(略)

ということで、名古屋市の区設置の根拠は市制町村制(明治21年法律第1号)の市制第六十条となるようです。

参考までに市制町村制(明治21年法律第1号)より市制第六十条を引用しておきます。
第六十条 凡市は処務便宜の為め市参事会の意見を以て之を数区に分け毎区長及其代理者各一名を置くことを得(略)
2(略)
3(略)
[72103] 2009年 10月 1日(木)09:32:10JOUTOU さん
秋田・岩手で「県境」線引き?
みなさんこんにちは。もともと喘息持ちなのですが、少々咳き込むと今まで以上に回りの視線が気になってしまうJOUTOUです。

さて、この記事のタイトルだけを見て、思わずこんなところに県境未定地があったっけ?地図を広げてしまいました(笑)。

(以下、読売新聞記事のほぼ原文そのものを引用しておりますが、一部個人名などについては割愛しております)
「秋田vs岩手、綱引きで「県境」引き直し?」

 県境をかけ、いざ出陣――。秋田、岩手の県境に位置する岩手県西和賀町の巣郷温泉で10月4日、新しく県境を“線引き”する権利を巡り、両県民が綱引きをするイベントが行われる。
 題して「いわて・あきた県境国取り合戦」。

 このほど横手市役所で行われた記者会見では両県の関係者が「名誉をかけた戦い」と早くも闘志を燃やした。

 綱引き対決は、当日の参加者から互いの人数を統一して原則1本勝負で行われる。勝者は、現在の県境を、20センチほど敗者側の土地にずらすことができる。

 もっとも、総務省には県境変更の申請をしないので、本当に県境が変わるわけではない。だが、新たな「県境」には高さ約2メートルの「記念支柱」を立てる予定で、関係者らはやる気満々だ。

 岩手県を代表して巣郷温泉観光協会の会長が、「県民を挙げて勝利を誓う」と宣言。
 すると、秋田県代表で山内観光協会の会長が「この勝負はうちがもらう」と応じ、舌戦で火花を散らした。

 イベントの主目的は、あくまで県民同士の交流だ。当日は朝から、横手市の山内芋と、岩手県北上市の二子芋を使った「いものこ汁」の食べ比べが行われたり、綱引きやフライングディスクで9枚の板を射抜くイベントに参加した人は無料で、巣郷温泉郷にある6軒の宿の温泉に入浴することができる。

 イベントは午前10時スタート。 問い合わせは、西和賀町観光協会(0197・81・1135)へ。

(2009年9月30日16時06分 読売新聞)

観光協会のみなさんもいろいろとおもしろい企画を考えるものだと思います。わたしは残念ながら予定があり行くことは叶いませんが、イベント開催は今週日曜日、機会のある方は是非参加されてみてはいかがでしょうか?
[72102] 2009年 9月 30日(水)23:33:44【1】hmt さん
国の隣接関係 (3)東山道
1週間お休みしている間に、国名組み合わせ[72010]地名の新しい発言はなくなっていますが、その関連で始めた「国の隣接関係」[72037][72038][72054]の続編です。追記により、三国境の内容を充実させました。

東山道諸国ごとに、それに隣接する国々を右回りで列挙します。内陸国の場合は京都に近い隣接国から。隣接国の間は、当然のことながら /三国境/ になっているので、これを次の書式によって示します。

先ず、三国コレクション に集録されている場合はその番号。
現在の3県境である場合は◎を記し、県境の交通路コレクション の地図リンクつき3県境番号(M01~M44)を記載。
そして三国境の地名。「三国山」というような同名・類似名が多いので、できるだけ山脈名を併記しました。

近江国 (内陸) 山城 /20朽木村奥の三国岳[61177]/ 丹波 /19◎M24朽木村奥の三国峠(山頂)[52497]/ 若狭 /18琵琶湖北方の三国山/ 越前 /16◎M23伊吹山地三国岳/ 美濃 /17◎M29鈴鹿山脈三国岳/ 伊勢 /22鈴鹿山脈油日岳の東/ 伊賀 /21◎M30南山城村三国塚/

美濃国 (内陸) 近江 /16◎M23伊吹山地三国岳/ 越前 /白山三ノ峰の南2.6km/ 飛騨 /12御岳山南西方の三国山/ 信濃 /13◎M26木曽山脈南端三国山/ 三河 /14瀬戸市東方の三国山[61177]/ 尾張 /◎M28長良川/ 伊勢 /17◎M29鈴鹿山脈三国岳/

飛騨国 (内陸) 美濃 /白山三ノ峰の南2.6km/ 越前 /◎M22白山三ノ峰/ 加賀 /◎M20(白山の北)笈ヶ岳/ 越中 /11◎M21三俣蓮華岳/ 信濃 /12御岳山南西方の三国山/

信濃国 (内陸) 美濃 /12御岳山南西方の三国山/ 飛騨 /11◎M21三俣蓮華岳/ 越中 /4◎M19 白馬岳の少し北/ 越後 /46◎M13三国山脈白砂山/ 上野 /5◎M12関東山地三国山/ 武蔵 /6◎M16甲武信ヶ岳/ 甲斐 /10◎M25三峰岳/ 駿河 /光岳/ 遠江 /◎M27天竜川小和田駅付近/ 三河 /13◎M26木曽山脈南端三国山/

上野国 (内陸) 信濃 /46◎ M13三国山脈白砂山/ 越後 /◎M08尾瀬ヶ原/ 岩代 /◎M07黒岩山/ 下野 /◎M11渡良瀬第一貯水池南西/ 武蔵 /5◎M12関東山地三国山/

下野国 (内陸) 上野 /◎M07黒岩山/ 岩代 /37那須三本槍岳/ 磐城 /◎M06八溝山/ 常陸 /結城の東/ 下総 /38◎M09貯水池南東渡良瀬川/ 武蔵 /◎M11渡良瀬第一貯水池南西/

岩代国 (内陸) 下野 /◎M07黒岩山/ 上野 /◎M08尾瀬ヶ原/ 越後 /3◎M05 飯豊山/ 羽前 /◎M04龍ヶ岳/ 磐城 /37那須三本槍岳/

磐城国 (太平洋) 常陸 /◎M06八溝山/ 下野 /37那須三本槍岳/ 岩代 /◎M04龍ヶ岳/ 羽前 /熊野岳/ 陸前(太平洋)

羽前国 (日本海) 羽後 /◎M03軍沢岳/ 陸前 /熊野岳/ 磐城 /◎M04龍ヶ岳/ 岩代 /3◎M05飯豊山↑ /越後(日本海)

羽後国 (日本海) 陸奥 /炭塚森/ 陸中 /◎M02栗駒山/ 陸前 /◎M03軍沢岳/ 羽前(日本海)

陸前国 (太平洋) 磐城 /熊野岳/ 羽前 /◎M03軍沢岳/ 羽後 /◎M02栗駒山/ 陸中(太平洋)

陸中国 (太平洋) 陸前 /◎M02栗駒山/ 羽後 /炭塚森/ 陸奥(太平洋)

陸奥国 (太平洋) 陸中 /炭塚森/ 羽後(日本海)
注:八幡平における三国境[67641]は無視

東山道諸国に由来する広域地名の代表であった「奥羽」ですが、社会科地図帳を見ると、1950年「奥羽地方」、1973年「東北地方」となっており、「奥羽」の名が衰退しているように思われます。

国名組み合わせを多用しているのが鉄道関係で、ここでは、東北本線と奥羽本線とを使い分けています。
更に陸奥・出羽の組み合わせには、奥羽本線以外に、東西を結ぶ陸羽東線・陸羽西線があります。
では、南北を結ぶのが「奥羽」で東西を結ぶのが「陸羽」かというと、そうでもないようで、陸羽街道(現在は国道4号)は昔の奥州街道ですから、南北ルートです。
信越本線・上越線・上信電鉄・磐越東線・磐越西線(もと★岩越鉄道[61304] [72013])・羽越本線・越美北線と枚挙にいとまなし。なお、[72010]記載のうち、越美南線は過去名称★です。

両毛・三陸について、[72036] グリグリ さんは「参考扱い」とされていますが、立派な国名組み合わせであると思います。
確かに「しもつけ」の表記は下野であり下毛ではありませんが、「こうづけ・しもつけ」を組み合せた地名(総称というよりも上野・下毛の境界地帯か)であることは、紛れもない事実です。
三陸も明治以降の近代の国ですが、磐越なども同類であり、特に問題にすることはないと思われます。
[72101] 2009年 9月 30日(水)22:39:09k-ace さん
春日とレス
こんばんは、k-aceです。

もうすぐ春日町が清須市に編入されます。これで「春日」のつく町村名が日本からなくなります(「春日」のつく市名はあります)。

ということで「春日」のつく自治体一覧です(現存の場合は「合併後自治体」の欄は「→」になってます)。

「春日」自治体合併後自治体消滅年
春日部市
東山梨郡春日居町笛吹市2004年
揖斐郡春日村揖斐郡揖斐川町2005年
春日井市
西春日井郡春日町清須市2009年
氷上郡春日町丹波市2004年
春日市


[72025]星野彼方さん
そういえばウチ(明石市)の近所の交差点もいつの間にか名前がついていたりしてましたので、交差点名は抜けがまだまだありそうです。皆さんよろしく。
「猫」コレクションとは関係ないのですがレス。
加西市、加東市あたりでも同様の現象が発生しています。
加西市のここでは、交差点名が変更されていたりもします。少し前までは地図のとおり「飯盛」交差点だったのですが、最近「フラワーセンター前」交差点と名称が変わりました。長年「飯盛」交差点だったこともあり「飯盛の信号」で馴染んでいるので、「フラワーセンター前」とすんなり呼べるにはまだまだ時間がかかりそうです。
[72100] 2009年 9月 30日(水)21:53:08オーナー グリグリ
清須市と春日町の合併
清須市の春日町の編入合併に関連して、市区町村のデータ、公式HP、ランキング、雑学などを更新しました。


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