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[73399] 2009年 12月 26日(土)10:41:44アルバトロス さん
町制施行100周年記念・松田町
おはようございます。アルバトロスです。

今年4月1日町制施行100周年を迎えた神奈川県松田町が、記念事業として今日(26日)から来年1月末まで、子供たちの絵や作文を飾ったイベントカー(6両と4両各2編成)が小田急線を走行します。町を紹介する広告も掲示するそうですが、掲出料は小田急電鉄のご厚意で無料とか。YAHOO!ニュースカナロコ
詳しくは松田町ホームページ
[73398] 2009年 12月 26日(土)02:05:31rigst さん
DIDとその問題点
[73392] 千本桜さん
南陽市のように2つのDID(赤湯地区と宮内地区)を合算して10,000人超とみなすことに抵抗を感じるのですよ。
 少なくとも、都市雇用圏に関しては合算"するべき"かと考えています。DIDや市街地の数・規模・分布にかかわらず市町村単位で集計されており、DIDだけを合算しないとなると却って信頼性が損なわれると思うのです。
 とはいえ実のところ、心情的には場合によりけりかなと思っております。というのも、距離が十分に近く結びつきの強いDIDであれば合算してもそれほど問題なく、そしてその結びつき度合いを判断するのがかなり難しいと考えているからです。
 例えば石狩市のDIDは幅100mもない防風林で分割されていますし、長岡市の大島DIDや酒田市の袖浦(若宮浦)DIDは長岡・酒田の中心DIDとは川一本隔てて橋で繋がっていますが別勘定になっています。また名張市などは10000人を超えるDIDが名張駅西の古くからある市街ではなくニュータウン(桔梗が丘駅東方)でして、そうなると「最大DIDだけで10000以上なんだから都市雇用圏の中心としての要件の1つをを文句無しに満たした!」とも「主要施設がある中心市街のDIDが10000未満ってのもどーなのよ」とも思えて悩ましく感じます。千本桜さんが例として挙げられた南陽市宮内・赤湯は内心確かに私も同意見なのですが、じゃあ石狩市とか長岡市とか名張市も合算しちゃいけんのかい?どの辺から"別"なの?などと考えだすと如何ともしがたいのです。
 もちろん、都市機能の分布だとかメッシュ昼夜間人口比とか距離的指向性とかを持ち出せば説得力をもたせられるのでしょうけども、そこまでやると恐らく学術論文にまで発展させられます。データさえ揃えば挑戦してみたいとは思うのですが……。

 身も蓋もない言い方をしてしまうと、DID自体がそれほど信頼性のあるものではないと考えております。最大の欠点は「人口関係が設定基準となっているにも関わらず、人口と無関係な設定もなされる点」です。例を挙げれば、三沢市や千歳市のDIDは空港施設を含むため非常に広大になるなど、DID人口密度やDID面積をもって市街規模を判断することが難しくなっています。また「連担が調査基本区に左右される点」も大きく、どれだけ大きな工場群でも"都市的地域"とみなされない場合があるという問題があります。DIDは上下水道ほかインフラ整備の優先度決定などにも使えるのですが、上記2つの問題が若干足を引っ張ることになっているという考えを持っています。都市圏もそうですが、地域性やより小さな単位を考慮せずに一元的に定義しようとすると矛盾まみれになるぞ、というのが師の教えです。

 それでも、DIDとか都市圏とか人口とかのデータ・分類はやっぱり好きなんですけどね。各市町村が記録したDIDの最大値とその年代分布だとか、1960年のn%通勤通学圏だとか、矛盾まみれを百も承知のリビドー全開で調べていたりもします。北海道・近畿・九州の分も忘れておりませんよ~。
[73397] 2009年 12月 25日(金)20:23:15右左府 さん
脇町の読みなど;市町村要覧での扱い
[73370] hmt さん
「全国市町村要覧」が昭和38年(1963)から存在します

大学図書館に初版からあるのでは?と思って漁ってみたものの、一番古いもので昭和43年度版でした。
とりあえずそこから現在のものまでざっと目を通してみたところ、「脇町」のふりがなは平成3年度版までは「わきちょう」であり、平成4年度版以降は16年度版まで「わきまち」となっています。
なお、昭和44・46年度版および50~59年度版については調べてません。

(それとたまたま気付いたのですが、昭和43年度版では福岡県若宮町の読みが「わかみや“ちょう”」になっていました。それ以降の版はずっと「まち」ですが……。)

結局のところ、自治体名称の「読み」とは何だろう?という疑問に行き着いてしまいますね。

****************************

ついでに。
個人的に前々から気になっていた 福岡県須“恵”町 および 大分県 本耶馬“渓”町・耶馬“溪”町 の字体がどういった扱いになっているのか、併せて確認しました。

須恵町は一貫して新字体の「恵」が採用されていますね。
一方、本耶馬渓町・耶馬溪町はかなり揺れがみられます。昭和60年度版までは両者とも新字体なのですが、同61・62年度版で耶馬溪町のみ一度旧字体になり、同63年度版から再び平成12年度版まで新字体に戻っています。同13年度版では両町とも旧字体に、翌年度以降は16年度版まで再び耶馬溪町のみ旧字体となっています。最終的には(両町の意向でもある)こちらのHPの表記[19208]や中津市編入の際の官報告示[37098]とも一致しているわけですが、何度も字体の変更が行われた経緯が気になるところです。
[73396] 2009年 12月 25日(金)19:11:01Issie さん
その昔…
[73391] 大龍エクスプレス さん
問題:jrの駅名で、一番総画数が多い駅はどこでしょう?

東京競馬場前(中央本線)

…は67画あったんですけどね。
そもそも「JR」じゃないや。まだ「日本国有鉄道」。
ま,聞き流して…。
[73395] 2009年 12月 25日(金)16:40:14桜通り十文字 さん
惜しくも
お久しぶりです。桜通り十文字です。
さて、
[73391] 大龍エクスプレス さん
問題:jrの駅名で、一番総画数が多い駅はどこでしょう?
惜しくも1番とはなりませんでしたが、北海道医療大学駅(学園都市線)も60画越えの61画です。ちなみに、逆にJRで1番少ない画数の駅は3画の、みの駅(予讃線)と思われます。
[73394] 2009年 12月 25日(金)06:50:06なお さん
旅路の前に
お久しぶりです。約三年半ぶりに書きこみます、なおです。大学受験もだいぶ前に終わり、書き込む余裕は十分あったのですが、コードの一部を忘れてしまったために、書き込むのに手間取りました(笑)
現在は地元大分を離れて上京していますが、今日はこの後青春18切符を使って2日がかりで大分に帰省します。初めての一人旅であり、初めて降り立つ県もあるので若干高揚しています(笑)


[73388]桜トンネル さん
問2だけ回答します。
A駅:素通りしない。
ある交通手段B:6駅は素通りしない。
C市:市の花が和洋折衷である。
D市:市の木と市の花に何かを付け足すと・・・・。
E市:昔は人口順位で驚かれない。
F市:夏が印象的。
G市:昭和と平成に核となる自治体と合併した自治体数が同じ。
ある交通手段H:略
J市:学術都市。
K市:国内の姉妹都市は全て人口増加傾向。
L市:記念ごとが今年は2つある。


おそらく次回は年内に書き込むかもしれません。桜トンネルさんのように問題にして一人旅の報告をするのもよいかもしれません(笑)
[73393] 2009年 12月 25日(金)01:11:13ニジェガロージェッツ さん
JR最多画数駅?
[73391] 大龍エクスプレス さん
問題:jrの駅名で、一番総画数が多い駅はどこでしょう?

うちの近所にも一駅。
須磨海浜公園(山陽本線・JR神戸線)64画

他に
上越国際スキー場前(上越線)も64画か。さて,JR最多画数駅はどこに?
[73392] 2009年 12月 25日(金)00:16:24千本桜 さん
都市雇用圏
[73386] 千本桜
都市雇用圏では勝山町・久世町が落合圏に含まれるのですね。
rigstさん、ごめんなさい。上記の件、勘違いして書きました。落合圏(落合町、勝山町、久世町、美甘村、富村:39,611人)は、金本・徳岡両氏が提唱した「都市雇用圏」に該当するものではなく、「都市雇用圏」の定義から「DID>10000」および「昼夜比>1.0」の条件を除いた上で、rigstさんご自身が編み出した圏域だったのですね。こういう独自の発想による圏域設定、大好きです!。ところで「DID>10000」ですが、南陽市のように2つのDID(赤湯地区と宮内地区)を合算して10,000人超とみなすことに抵抗を感じるのですよ。それなら10,000人以下でも迫や六日町を都市雇用圏の中心自治体として認めて欲しいと思ってしまう。たぶん、rigstさんも同じ考えでおられるものと思います。北海道、近畿、九州もよろしくお願いします。

[73388] 桜トンネル さん
人口も2000人以上増加しているようです
悩まされている人もいると思うので取り急ぎ。12,000人以上の間違いじゃない?
[73391] 2009年 12月 24日(木)23:21:34スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
Merry Xmas
落書き帳メンバーの皆さん、お久しぶりです。表題の通り今日はクリスマスイヴですが、皆さんはどのように過ごしているのでしょうか?
さて、僕は最近jrの入場券の収集をしているのですが、鉄道に関係のあるクリスマスプレゼント(?)を贈ります!

問題:jrの駅名で、一番総画数が多い駅はどこでしょう?

僕も一駅。
葛西臨海公園(京葉線)
62画です。(これが一位だったらどうしよう…)
[73390] 2009年 12月 24日(木)21:44:43Issie さん
世界の国からこんにちは
[73388] 桜トンネル さん
この『J市』は万博が開かれたこともあり

ああ,あれも「万博」ではあったんですねぇ。
私,今話題の「能登」(信越線経由だった)のシートの谷間に新聞紙を敷いてもぐりこんで,それでわざわざ会場まで行ったんですが,中身は全然おぼえていません。記憶にあるのは,スリランカ・パビリオンで食べた辛いカレーと,韓国パビリオンに飾ってあった彼の国の大統領と我が国の総理大臣のツーショット大写真(その少し前に首相が初の訪韓を行ったのでした)だけ。2人とも頭が薄かったなあ…。

市役所の北側を1キロくらい行くとまた、街の雰囲気が大きくガラッと変わりました。

先週,NHKの某番組でタモリが「ある発見」をしてはしゃいでいましたが(高低差!),気がつきました?

またそのあたりではあるイベント

20年前にもほぼ同じ場所で同じようなイベントが行われたのですが,こちらの評判はどうでしたっけ?
[73389] 2009年 12月 24日(木)21:12:27おがちゃん さん
息抜き
こんばんは。おがちゃんです。

冬休みは昨日からですが、宿題は7つ中5つが終わり、ようやく受験勉強に集中する時間が生まれました。本日もたくさん勉強をしたため、息抜きですが11日ぶりに落書き帳を開いてみました。

[73388] 2009 年 12 月 24 日 (木) 18:32:06 桜トンネルサンタ さん
問二の解答をしたいと思います。
A駅:今年の十番勝負に出てきましたね。
ある交通手段B:駅数は19駅。
C市:市名と同じ名前の人はレグザ??
D市:市の木と市の花は1文字。
E市:1文字駅が2駅あります。
F市:市の花はつい最近話題になりました。
G市:市名の中に花の名前が。勿論市の花では有りません。
ある交通手段H:省きます(笑)
ところで「I」は無いのでしょうか(笑)?
J市:ひらがな市ですね。
K市:将棋界でかなりの活躍をされた方やいつぞやの総理大臣(読みは違いますが)の苗字と同じ名前の区が有りますね。
L市:北陸の県庁所在地名と全く同じ名の区が有ります。

そうすると問一は上野原市あたりではないでしょうか?
どのルートから行かれたのかが気になりますが・・・。

息抜きはここまでで、もうそろそろ勉強したいと思います。
それでは皆様さようなら。
[73388] 2009年 12月 24日(木)18:32:06桜トンネル さん
クリスマス企画&妙高市
来年は新型インフルエンザの影響で、早くも仕事始めと同じ日から学校が始まってしまう桜トンネルです。ここまで早く始まるのは初めてです。
さて、それでは本題です。現在徳島県の話題で持ちきりのようですが、クリスマス企画として簡単な問題を用意しました。もう十番勝負もすぐありますが、簡単だと思うので、すぐに分かっちゃうと思います。
最初のものは学校の宿泊研修でした。もう3ヶ月も前の話となってしまいましたが・・・。

【問題文】
まず、午前7時半に『A駅』に着く予定だったのですが、寝坊をしてしまったため、午前7時半に家を出ることになってしまいました。ちなみに、この『A駅』は山手のほうにあり、三宮から地下鉄を使ったり、市バスを使って布引バス停で降りたりして出なければなりません。なんとか、集合時間に間に合い、その『A駅』から『ある交通手段B』で移動し始めます。『ある交通手段B』に乗って、1時間ほどで『C市』に到着しました。この都道府県に入るのは今回を含めて、3回目となりました。また、この『C市』は、市のみの人口順位で50位以内に入っていたり、ご当地ナンバーでないナンバープレートだったり、競馬場があったりと規模の大きい街だと言えます。しかしながら、駅前はちょっと寂しい感じがしていました。ちなみに、現在駅前はロータリーにするみたいで、工事中のようでした。(これは訪問当時の話ですので、今はどうなっているのかは分かりません。まだ、工事中だとは思いますが・・・。)

この『C市』からは別の交通手段に変え、2時間ほどで『D市』に着きました。この『D市』は人口が3万人をすこし下回ってしまっています。また、2町の合併により市制して、市制施行日は祝日となっていて、それ以来合併していません。そして、重要伝統的建造物群保存地区に選定されたところもあります。結果、この『D市』で宿泊をすることになりました。

翌日、『D市』からバスに乗って、『E市』へと着きました。ただ、この道中、バスからの眺めがきれいだと思って、起きていようと思ったのですが、前日の寝た時間が遅かった上に、前日にものすごい運動をしていたので、疲れで眠ってしまっていました。その時間は約1時間。約2時間かかるほどの予定だったにも関わらず、起きたところは『E市』の市役所などがある中心街のすぐ東側にある山を越えるトンネルのところでした。もちろん、そこから30分もしないうちに目的の場所に着いてしまいました。というわけで、ほとんど外の景色を見ることが出来ず・・・。ちなみに、この『E市』には以前、1回だけ来たことがあります。来たのは小学校のころだったので、覚えているところもあれば覚えていないところもありました。また、この『E市』は近年、9000人近く減っていることもですが、保健政令市に指定されていることにも驚きました。そして、市のみの人口順位は100位以内に入っています。それにしても、人口順位が100位以内に入っているのには驚きました。

『E市』からバスで有料道路に乗り、1時間もしないうちに『F市』に着きました。『F市』にも来たことがあり、これで2回目となりました。この『F市』では某資料館に行った後に自由行動となりました。ちょうどお昼の時間だったので、この『F市』で「ある有名な食べ物」を食べました。地域によって作り方が違うのですが、この『F市』のほうのもおいしいと思います。ちなみに、この『F市』は市のみの人口順位で20位以内に入っていて、都道府県庁所在地であり、政令指定都市でもあります。プロ野球の本拠地であるドームもあります。つまりは、この都道府県には全国の市の人口順位100位以内の市が3つあることになります。

ちなみに、この都道府県に来るのは3回目とありましたが、1回目は今回(つまりは3回目)の時とほぼ同じようなところを通ったり、行っていますが、2回目のときは全く違うところに行っています。その2回目のときに行った『G市』は隣接している都道府県は3つもあります。この地方では最多になるのでしょうか?

そして、『F市』を行きと同じ『ある交通手段H』で出発しました。この『F市』を出て、わずか1時間ちょっとで神戸に戻ってきました。ただ行きのときの時間とあんまり変わらないじゃないですか。これには驚きました。まぁ、乗った種類などが違うので、そりゃそうなのですが。

そして、家に帰ってきますが、1時間ちょっといただけですぐに出発をしました。そうしているうちに、翌日となりました。着いた先は『J市』でした。この『J市』は万博が開かれたこともあり、特例市になっています。2005年からの人口も2000人以上増加しているようです。そして、『J市』から電車を1回だけ乗り継いで、あるJR線に乗っていると途中で、『K市』を通過しました。この『K市』は県庁所在地ではない政令指定都市となっています。区名にも市名が使われていたりしていて、7つの区あります。この市の姉妹都市はアメリカ、中国、オーストラリアなどにあります。また、ベトナムのダナンともある関係を持っています。また、「鷺」のつく駅が市内にあります。

『K市』からあるJR線で移動するとすぐに政令指定都市であり、都道府県庁所在地の『L市』に入りました。『L市』は都道府県境である1市と隣接しています。その1市とは『L市』の北西の辺りで隣接しているんですね。
いや、それにしても大きい街ですよね。もう神戸と比べ物にならないんじゃないでしょうか?それでも、雰囲気は神戸によく似ていて、親近感を覚えました。それでも、市役所の北側を1キロくらい行くとまた、街の雰囲気が大きくガラッと変わりました。またそのあたりではあるイベントを大々的にしていたようですが、あまりお客さんが入らなかったというのをニュースでしていました。
そこで一泊をして、あとは市内観光をしてから『L市』内にある新幹線の駅から、この神戸まで戻ってきました。



【問一】:『A駅』から『L市』までの間の通過以上をした市の中で一番人口の少ないところはどこでしょうか?
※ただ、この問題は僕も推測しただけではっきりと分かっていない上に、問題文からは正確に読み取ることは難しいと思うので、「ここである可能性がある」というくらいで構いません。こちらはストレートに答えて頂いて構いません。

【問二】:問題文に出てきた『A駅』~『L市』をお答えください。
※もしかしたら、出題ミスがあるかもしれないので、そのときはご指摘をお願いします。また、問題文の説明不足で解答が分からないこともあるかもしれません。ただ、そして、多くの方に楽しんでもらうため、ほのめかした表現での解答をお願いします。正解発表は十番勝負前にと思っています。
[73387] 2009年 12月 24日(木)13:27:44【1】Issie さん
生見尾村
もしかしたらハズしているのではないかと危惧しながら…

[73386] 千本桜 さん
ところで、1889年に麻植郡 川島町, 桑村, 宮ノ島村, 山田村, 東山村の一部が合併して桑川村になりましたが、その桑川村は18年後の1907年に、単独で川島町に改称して町政施行しています。合併ではなく単独で町政に移行するだけですから、誰憚らず桑川町にすれば良さそうなものですが、川島町に改称したのは何故でしょう。

私はあの辺り,四半世紀前に徳島本線の列車で小松島港まで通過しただけで土地勘が全くないのですが,「桑川」とは 川島町 と 桑村 の合成なんでしょうね。しかも「桑」が先(ま,「川桑」よりは“自然”ではあるか…)。

さて,1889年の市制・町村制施行時,神奈川県橘樹(たちばな)郡に「生見尾村」が発足しました。恐らくはかなりの難読地名で「うみお村」。生麦村,鶴見村,東寺尾村 が合併して,それぞれから1字ずつとったものですね。昨今の平成大合併の最中,いっとき候補に挙がった「ひらなみ市」並みのセンスと言ったらよいか(結局「海津市」になったのは御同慶の至りです)。
村役場は 生麦 の,しかし歴史上有名な東海道沿いの集落ではなく,下末吉台地崖下の 岸谷 の集落に置かれました。
生見尾村は,1921年に単独で“町”になりました。その際に改称して「鶴見町」。この間に東海道線の駅のある 鶴見 の方が明らかに大きくなっていたのでしょうね。何より,「生見尾:うみお」という“奇妙な”地名が結局受け入れられなかったのだろうと思います。
鶴見町は1925年に鶴見川左岸(東側)の 潮田町 (これも「町田村」が1923年の単独町制時に中心集落名により「潮田町」と改称)を編入した後,わずか6年の命で1927年4月には横浜市に編入されてしまいました。そして半年後の10月,区制実施の際に他のいくつかの旧村の領域も加えて「鶴見区」として復活しました。
今では「生見尾」という地名は東海道線の踏切の名前になっているほかはあまり見かけることがありません。やっぱり,あまり好まれてはいないのではないでしょうか。

で,「桑川」は「生見尾」ほど奇抜な名前ではないけれど,単独町制の際に主要集落の名前に改称したのは,その点だけなら 生見尾→鶴見 や 町田→潮田 と同じケースであるように思います。「川島」に戻ったのも同じような事情ではないかと勝手に推測するわけですが…。
[73386] 2009年 12月 24日(木)08:08:05千本桜 さん
町並み歩き、徳島県、都市圏
[73342] 伊豆之国 さん
町並み歩きが話題にならなかった頃
町並み歩きが流行り出したのは、国鉄のディスカバージャパン・キャンペーンによるところが大きいと思いますが、それ以前から西日本の萩・津和野などは観光客を集めていましたよね。どうも、町並み歩きは西日本が優勢で東北地方などは劣勢に感じます。角館や大内宿は萩や妻籠宿に比べたら後発だし、宮城県の白石・岩出山・登米なども趣が有るにはありますが、観光客を集めるほどの古い家並が連続しているわけでもないし。それで、蔵の町村田をおすすめしたいのですが、景観未整備の現状では「通」の人たちに喜んでもらえても、普通の観光客からは「何だ、こんな街」と言われそうで怖い。本当は良い町並みなんです。これからでしょう。

[73362] oki さん
江戸時代の阿波国で「町」を名乗った地域は数少なく、脇町のほかは川島、富岡くらいです。
なるほど・・・。川島は古く江戸期からの町場だったのですね。私は長年、何故に税務署・警察署などの公的機関が鴨島ではなく川島に置かれているのを不思議に思っていました。これで疑問が解けたような気がします。ありがとうございます。下に、主な国機関の設置場所を一覧表にしてみます。
徳島市鳴門市小松島市阿南市牟岐町鴨島町川島町脇町池田町
法務局
税務署
労働基準監督署
公共職業安定所
地方裁判所
簡易裁判所
農政事務所
ところで、1889年に麻植郡 川島町, 桑村, 宮ノ島村, 山田村, 東山村の一部が合併して桑川村になりましたが、その桑川村は18年後の1907年に、単独で川島町に改称して町政施行しています。合併ではなく単独で町政に移行するだけですから、誰憚らず桑川町にすれば良さそうなものですが、川島町に改称したのは何故でしょう。


[73363] 白桃 さん
注目の脇町ですが、吉野川中下流域における首邑の座は次第に鴨島に奪われていったようです。
昭和31年改訂発行の徳島県新誌(初版は昭和26年発行)は川島町について「旧川島町は吉野川南岸の一地方的中心地
」と記述し、鴨島町については「最近中央橋の架橋によって吉野川北岸との交通が便利になり、町の成長発展をきたしつつある」と記述してあります。鴨島が「成長発展をきたしつつある」という記述。このことから、昭和20年代はまだ川島の中心性が高く、鴨島が(急激に)追い上げているように感じ取れます。中心性の点で逆転した時期は分かりませんが、いずれにしても昭和10年代・20年代の吉野川中流域では脇町・川島・鴨島が都市間競争を展開していたのでしょうね。[15425]で白桃さんが書かれた三本松~鴨島間の国鉄バスも、中央橋で吉野川を渡っていたのだと思います。昔なら三本松が鴨島を引っ張ったのでしょうが、今もバスが走っていたなら鴨島が三本松を引っ張る関係になっていたのでしょうか?。

[73365] suikotei さん
合併時の本庁舎は最も新しく延床面積も広い穴吹町役場
そういう事情があったのですか。今後、脇町と穴吹の関係がどのように変化するか気になりますね。

[73384] rigst さん
新たな都市圏定義方法に胸をはせながら過ごす師走の夜でしたとさ。
はじめまして rigstさん。私も都市圏に興味があります。都市雇用圏では勝山町・久世町が落合圏に含まれるのですね。新鮮な驚きです。種々の最新統計を見たいのですが、現在、Excelを開けない環境にあります。それで、手持ちの本の中では最新(1998年、古すぎ!)の東洋経済地域経済総覧を見ているのですが、微妙なところなんでしょうね。とくに落合と久世の関係は。
[73385] 2009年 12月 24日(木)04:47:31oki さん
脇町 富岡 橘
現在、年末進行で尻に火がついた状態ですが、これだけ徳島県の話題が出ているのに反応しないわけにはいきません(オッサン仕事大丈夫か?)。

[73370] hmt さん 地方公共団体名称末尾における「町」の読み方 徳島県美馬郡脇町の事例から
いつもながらのお見事な考証、恐れ入ります。
要するに、「わきまち」か「わきちょう」かについて、「町村制」でも現行の「地方自治法」でも法的な根拠は何もないし、「谷保・国立」の関係と違って「わきまち・わきちょう」では改称の対象にすらならない、ということですね。
おそらく、明治大合併期の読みは「わきまち」であったはずで、「わきちょう」が採用されたのは、hmtさんの仰るようにかなり後年、戦後も相当年数が過ぎてからだろうと思います。それも、一部の行政関係者の間の了解事項に過ぎず、町職員の間にすら徹底されていなかったのだろうと推測されます(国勢調査ですら、「わきちょう」は二回だけで最新の2000年調査も「わきまち」ですからね)。
「わきちょう」の読みが「点々」と残っている理由はもう少し追究したいと思いますが、当サイトデータベースの脇町の読みを「わき・ちょう」に変更する必要はないようですね。

[73382] 伊豆之国 さん  美馬さん、穴吹さん
okiさんの故郷・阿南市ではベスト100には惜しくも入りませんが、それでも30数件見られます。
小学校~高校を通じ、「美馬」という名字の同級生が一人だけいました。とても可愛い女の子でしたね、当時は。

[73383] hmt さん  徳島県人の北海道移住
徳島県立文書館の開館10周年記念特別展・北海道の開拓と徳島県人 を見ると、明治4年の稲田家臣団による静内地方移住がその先駆だったようですが、その後も 徳島県から北海道内各地への移住が行なわれています。
稲田家臣団による静内移住は、hmt さんの引用された展示図録pdfにもあるように、いわゆる庚午事変(稲田騒動)が原因です(この間の経緯は、「北の零年」という映画にもなったはずです)。
稲田氏は、徳島藩への淡路加増以降、洲本城代を勤めた藩の筆頭家老ですが、洲本に引っ越す前は脇城を預かっていました(それだけ脇が重要な場所だったということですね)。
徳島藩は、幕末に至るまで実効性のある地方知行を維持した藩で、淡路移住後の稲田氏も美馬郡を中心に多数の給知を持ち、それを支配するため脇町の隣の猪尻村に猪尻役所と言われる屋敷を置いていました。当然、そこには稲田氏の家臣がいましたが、「農民の出自で農業兼務するものが多かった(日本歴史地名大系)」ということですから、美馬姓の人もいたはずです。北海道の美馬さんには、「永山兵村」との関係のほか、このような稲田氏関係の人もかなり存在するのではないかと考えられます。

[73371] 千本桜 さん スーパータウン
[73373] 白桃 さん 名探偵アナン

人口は41,343人だそうです。昭和30年に4万人を超していた、このスーパータウンはどこでしょう。当時の町名と現在の市名をお答えください。落書帳メンバーの中には、あ!なんだ、と即答できる方がいらっしゃいます。
ではズバリ、香川県のお隣にある県の富岡町。(現在は阿南市)
私も前々から不思議だったのですが、富岡はなぜこの時点で市制施行しなかったのでしょうか?
(お二人まとめて引用してすみません)

ん~、当時の富岡町があの大河原にも匹敵するような「スーパータウン」であったとは、地元民ながら想像しなかったですね。
もっとも、1955年(昭和30)10月1日における富岡町は、54年3月に中野島村、、宝田村、長生村、大野村、55年1月加茂谷村、そして同3月に見能林村を合併した上での人口で、しかも58年5月には橘町と合併して阿南市が誕生しており、短い期間の水増しスーパータウンと言うべきかもしれませんね。
富岡町自体は、脇町などと並ぶ江戸時代からの町場です。脇と同じく小城下町で、蜂須賀氏の阿波入部直後、脇町の稲田氏に対し、こちらは賀島氏という家老が配置されています。城は本来牛岐城と呼ばれていましたが、賀島氏によって富岡と改名されています。
富岡町は、江戸時代を通じて阿波南方(みなみがた)の政治・商業の中心地でした。阿波南方とは、現在の阿南市を含む那賀郡、海部郡です。阿南市というのは、「阿」波「南」方を略した呼び方なのです。
阿波南方の中心地という富岡町の在り方は明治以降もそのまま維持され、現在に至っています。と言っても、阿南市を含む那賀・海部両郡の人口は、もっとも多いときでも15万人を超えたことがないという状態で、その面積は1500平方キロもありますから、人口密度は100人に達しません。

[73373] 白桃 さん
この富岡の街、1974年頃歩いたのですが、商店街は結構長かったです。ただ、アーケードはありませんでした。そして、言っちゃなんですが、なんとなく野暮ったい。

白桃さんが富岡の街を歩かれた1年後に、私はこの街の高校に入り、3年間を過ごしました。ま、白桃さんが仰るとおり、野暮ったいのは確かですね。上記のように阿波南方は人口希薄な地域で、徳島市や脇町など北方(きたがた)からも田舎扱いされているので、垢抜けていないのは紛れもない事実です。
で、誠に残念なことですが、白桃さんが歩かれた、長いけれどもアーケードのない、野暮だけれどもそれなりに活気のあった富岡の商店街は、現在壊滅状態です。街の東側、新しくできたバイパス沿いに2件の大型店が開業したため、駐車場のない旧来の商店街は顧客を奪われてシャッター通りと化しています。この商店街がかつての賑わいを取り戻すことは、まず望み薄です。まことに残念ながら。

私も前々から不思議だったのですが、富岡はなぜこの時点で市制施行しなかったのでしょうか?
群馬県に同名の市があるから???、まさかね・・・。橘との合併を待って、おもむろに、いや一挙に五万人超の市を目指したのでしょうか?

橘は1955(昭和35)年3月に福井村、椿町、新野町という阿南市南部の町村を合併しています。おそらく、富岡と橘が合併して新市をつくるのは規定の方針で、富岡単独で市制を敷かなかったのはそれが原因だと思います(この点は今回帰省した際に確かめておきます)。
私の出身地は、富岡ではなく橘の方です(狭い町なので、ここまで言うと町民にはほぼ正体がバレてしまいますが、この掲示板を見ている人は居ない、でしょう)。結構古い港町で、室町時代には橘船籍の船が兵庫港に出入りしている記録が残っています。私が子供の頃も港町・漁師町で、5000人の人口が山と海の間の狭小な平地に密集する、それなりの町場でした。
今は、あまり口にしたくない惨状を呈しています。子供の頃に500人いた小学校の在校生が、現在は200人を切っているというだけで一端が分ると思います。5000人の人口が3000人台に減り、減少したのは若い世代、ということです。

以下は、個人的な愚痴なので読み流してください。
この町に、3箇所の火力発電所があります。昭和40年代にできた四国電力阿南発電所と、2000年に完成した四電の橘湾発電所、電源開発の橘湾火力発電所です。後の2つは小勝島という離島を埋立てた石炭火力発電所で、発電した電力はすべて、紀伊水道の海底に敷設したケーブルを通して近畿地方に送電しています。
江戸時代の近世村の範囲に3箇所の発電所がある町というのは、全国的にも例がないだろうと思います。それで町が発展するなら我慢もしますが、30年前と比べて人口が4割近く減っているわけで、発電所の誘致がわが橘町にとっては何の役にも立っていなのは明らかです。阿南市と徳島県のアホ役人、この惨状をどないしてくれるんじゃ。
あくまで個人的な愚痴です。読み流してください(私自身が現在は町を離れているわけで)。

日和佐、牟岐は行ったことが無いのでわかりません。「ウエルかめ」の日和佐は風光明媚だし、薬王寺さんもあるし、一度は行ってみたいです。
日和佐も牟岐も良い町です。日和佐は薬王寺(地元民は「おやくっさん」と呼びます)の門前町兼漁師町で、活気のある町でした(過去形です。残念ながら)。「ウエルかめ」はたまに見ているのですが、出演者の喋る阿波弁のアクセントが微妙にずれていて、気恥ずかしくなるのですぐに消してしまいます。でも、これで徳島の南方を多くの人が知って、訪れる人が増えればいいなとは思っています。
宮脇俊三氏が書いていたのですが、四国というのは、全国を行き尽し世界各国にも足を伸した旅人が「そういえば四国には行ったことがないな」と、ふと気づく地域だそうです(宮脇さんは香川が本貫なので、悪口ではなく実感でしょう)。
その四国の中でも、もっとも観光客が行かない地域が、阿波の南方と高知県東部です。大した観光地がないのと、室戸岬周辺は鉄道がなかったことが主因でしょう。したがって、日本国内でもっとも観光客の少ない地域、ということができるのではないかと思います。「ウエルかめ」の放送で、全国の皆様にこの地域を知ってもらい、観光客が増えることを切に願っております。
落書き帳の皆様も、暇な折には牟岐線と阿佐海岸鉄道に乗ってやって下さい(お前は徳島県観光課か?)。

愛郷心あふれるokiでした。今から仕事にかかります。
[73384] 2009年 12月 23日(水)23:46:15rigst さん
都市圏と中核的町村
時折眺めてはおりましたが、初めて書き込みをさせていただきます、rigstと申します。

金本・徳岡両氏が提唱した「都市雇用圏(wikipediaではよく見かけますね)」は、
中心自治体のDID人口が10,000人以上、昼夜間人口比が1以上であることなどが要件です。
しかしDIDが少なかろうと昼間の方が人が少なかろうと、地域の中心であることには変わらない市町村も数多くみられます。
先の研究はあくまで"都市"圏の定義が目的なので然も有りなんといったところですが、
少し拡張すれば"都市"に満たない「中核町村」を定義できるんじゃあないかと思いまして。

そこで試しに、10%通勤圏だけの合併で30,000人を超え市制可能だった町村たち(ただし人口は2000年基準)を探してみました。
北海道と近畿と九州はまだ途中なので、それ以外のところだけ……です。
条件は通常の都市雇用圏の定義から「DID>10000」および「昼夜比>1.0」を除いただけのものです。

岩手・千厩圏(千厩町、藤沢町、室根村:30,272人)
宮城・築館圏(築館町、一迫町、志波姫町、花山村:34,532人)
宮城・迫圏(迫町、登米町、東和町、中田町、米山町、南方町:75,471人)
秋田・仁賀保圏(仁賀保町、象潟町、金浦町:30,347人)
新潟・中条圏(中条町、黒川村、荒川町:45,833人)
新潟・小出圏(小出町、堀之内町、湯之谷村、守門村、広神村:43,338人)
新潟・六日町圏(六日町、塩沢町、大和町:65,492人)
新潟・佐和田圏(佐和田町、相川町、金井町、真野町:33,424人)
富山・福光圏(福光町、井口村、城端町:31,637人)
岐阜・下呂圏(下呂町、加子母村、萩原町、小坂町、金山町、馬瀬村:43,513人)
三重・阿児圏(阿児町、大王町、浜島町、志摩町、磯部町:61,628人)
岡山・落合圏(落合町、勝山町、久世町、美甘村、富村:39,611人)
徳島・池田圏(池田町、三野町、三好町、山城町、井川町、三加茂町:49,286人)
徳島・脇圏(脇町、美馬町、穴吹町:35,318人)

こうして見ると、平成の大合併で生まれた新市となかなか一致しますね。当然ではありますが。
また東北および新潟の多さが目をひきます。水原や中新田、鷹巣などもいいセンいってました。
これらは市街規模はともかく、役割的には市になるべくしてなったと考えてもいいのではないかと思われます。

通勤率と都市雇用圏の関係は面白いもので、例えば黒部市は現在魚津都市圏とされてはいますが、
黒部→魚津が12.29%なのに対し、魚津→黒部は11.35%とあまり差がなく、数字的には"連合都市圏"とでも称した方がいいような感じになっています。
また通勤率の10%を5%に引き下げると、六ヶ所村が三沢市を取り込んで約10万人の「六ヶ所都市圏」を形成したりもします。
大合併がなされた今では意義がだいぶ薄れたこの手法、新たな都市圏定義方法に胸をはせながら過ごす師走の夜でしたとさ。長々と失礼いたしました。
[73383] 2009年 12月 23日(水)23:03:35hmt さん
徳島県人の北海道移住
[73382] 伊豆之国 さん
【「美馬」という苗字が】3番目に多いのは、意外にも北海道。

明治2年に、新政府は北海道について「分領支配」という方針を打ち出しました [71731]
これは、政府直轄地としては一部の要地を確保するにとどめ、残る大部分を諸藩、省、士族、寺院等などに分割して、旧武士団をして北海道の開拓と北辺防備の任に当たらせるというものでした。

蝦夷地は、阿波に隆盛をもたらした藍栽培に不可欠な魚肥の産地であり、蝦夷地で活躍した豪商・高田屋嘉兵衛の出身地であった淡路も、徳島藩領でした。
江戸時代から蝦夷地と深い関りを持ち続けた徳島県の人々は、明治政府の分領支配方針に対して積極的に反応し、多くの北海道移住者を出したようです。

徳島県立文書館の開館10周年記念特別展・北海道の開拓と徳島県人 を見ると、明治4年の稲田家臣団による静内地方移住がその先駆だったようですが、その後も 徳島県から北海道内各地への移住が行なわれています。
全人口70万人の徳島県から、20万人を北海道へ移住させる計画案まであったというから驚きます。

道内では旭川市が最多です。

展示図録pdf の3/24には、明治24年に永山兵村の成立(旭川)とあります。
旭川の美馬さんは、この屯田兵の子孫なのでしょうね。
[73382] 2009年 12月 23日(水)20:08:31【2】伊豆之国 さん
美馬さん、穴吹さん
[73308]okiさんの書き込みから始まった「脇町」の話題がらみですが、今日は、まずその脇町がある美馬郡(市)をルーツとする、「美馬」という苗字についてのお話から始めましょう。
「美馬」さんは、全国に5千6百人ほどいると推定されますが、やはり徳島県が最も多く、全国の3分の1が集中、県ランクで100位以内に入り、徳島県ではごく普通に見かける苗字と言えそうです。更にその徳島県内を見ると、三好市など一部を除いて県内各地に分布しており、徳島市が最多で150件余りを数え、市ランク60位前後。発祥地の美馬市にも30件余り見られ、市ランク60位台に入ります。okiさんの故郷・阿南市ではベスト100には惜しくも入りませんが、それでも30数件見られます。
一方、隣接する四国の他の県を見ると、香川県に若干見られる(高松市に集中)ほかはほとんど見られず、徳島県に次いで多いところを調べてみると、やはり地域的に近く移住した人が多い大阪府。そして3番目に多いのは、意外にも北海道。道内では旭川市が最多です。北海道への移住者は東北・北陸が多いのですが、四国からも部分的に集団移住があったようで、例えば洞爺湖周辺には香川県に多い「大西」さんや「合田」さんが多く見られるなど、苗字の上でもそれを裏付ける資料があるようです。

次に、美馬市役所がある穴吹町から興った苗字、「穴吹」さん。全国に2千4百人ほどと推定されますが、こちらのほうは「美馬」さんと違ってルーツの地である徳島県にはほとんど見られず、隣の香川県に多い苗字で、全国の約半数が集中し、そのほとんどが高松市とその周辺に限定分布しています。「穴吹」と聞くと、つい最近倒産してしまったマンション業者の話題が世間を賑わせていましたが、ある年代以上の人にはやはり南海ホークスで活躍したあの選手(高松高校OB)を‥。

ところで話が脱線しますが、先日行われたバンクーバー五輪のスケート・ショートトラック予選の結果、女子の代表に「桜井美馬」という選手が決定した、という記事が出ていました。この「美馬」というファーストネーム、当然「みま」だと思いきや、なんと「びば」と読むそうな。恐れ入りました‥。
「美馬」=びば、で思い出したのが、JR北海道・富良野線の「美馬牛」(びばうし)駅。ドラマの舞台にもなった美瑛町にあり、いかにも「牛や馬がのどかに遊ぶ牧歌的風景」にぴったりですが、語源はアイヌ語で「沼貝のいる場所」という意味だとか。
余計なお節介ですが、徳島県美馬地方特産の牛肉があったら、「美馬(みま)牛」と呼ぶのでしょうか?

[73381]k-aceさん
複数の同一名称の自治体と隣接する自治体
政令指定都市の「区」まで対象を広げると、東京都稲城市と川崎市麻生区が、共に多摩市と多摩区に隣接している例があります。
来年4月1日以降は、町田市が横浜と相模原の二つの緑区に隣接することになります([68489]Issieさん、[68503]ヌオさん)。
[73381] 2009年 12月 23日(水)13:25:45【1】k-ace さん
複数の同一名称の自治体と隣接する自治体
こんにちは、k-aceです。気付けば前の書き込みは3週間近く前。

さて、来年3月28日に中之条町が六合村を編入することが確実となりました。
そこで新「中之条町」の隣接自治体を見てみると、群馬県高山村、長野県高山村と2つの「高山村」に隣接することがわかりました。

このような例が他にあるか調べてみました(但し、調査範囲は1999年4月1日(篠山市誕生)以降)。
なお自治体は市、町、村まで一致とします。

自治体名同一名称自治体名誕生・消滅年月日
山形県西川町、新潟県山北町朝日村(山形県・新潟県)2005年10月1日消滅(山形県朝日村→鶴岡市)
岐阜県揖斐川町池田町(福井県・岐阜県)2005年1月31日誕生(揖斐川町と5村が合併し、新「揖斐川町」に)
群馬県中之条町高山村(群馬県・長野県)2010年3月28日誕生(中之条町が六合村を編入)

#新潟県山北町、朝日村は2008年4月1日に合併で村上市に。

今現在では揖斐川町が複数の同一名称の町に隣接する唯一の自治体です。
なお、国道417号は2つの「池田町」を通っています。

市町村一致にこだわらなければ(こちらは2009年10月5日現在のみ)
・鶴居村(釧路市、釧路町と隣接)
・鯖江市、南越前町(越前市、越前町と隣接)。福井市も越前市と点隣接?で、越前市、越前町と隣接。
・本巣市、揖斐川町(大野市、大野町と隣接)
・松野町、黒潮町(四万十市、四万十町と隣接)
・高知市、いの町(土佐市、土佐町と隣接)
も加わります。

なお、2005年10月1日の山形県朝日村消滅までは、山形県西川町は山形県朝日町、山形県朝日村、新潟県朝日村の3つの「朝日」自治体と隣接していました。

なお、本記事作成にあたり、市区町村雑学大和市って市町村の親分?(同一名称の市区町村)を参考にしました。
#数え漏れがあったらすみません。

(訂正)タイトル微修正。
[73380] 2009年 12月 23日(水)11:43:5388 さん
市区町村変遷情報 小レス 市制町村制施行時(愛知県)について 2
[73379]の続きです。
■丹羽郡 小折村 となる旧町村名について 丹羽郡 小折村, 布袋野村, 五明村, 曽本村 or 丹羽郡 小折村, 五明村, 曽本村
「幕末以降総覧」・・・丹羽郡 小折村, 布袋野村, 五明村, 曽本村(布袋野村はM11に小折村より分立)
「辞典」・・・丹羽郡 小折村, 曽本村, 五明村
ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号により、「布袋野(小折村ノ一部改称)」と記載があることを確認し、ご指摘のように、従前の 丹羽郡 小折村 が、市制町村制施行に伴い合併して(新)小折村として発足するのに際し、大字小折 と 大字布袋野 となった(役場所在地は大字布袋野)ことを理解しました。「幕末以降」のM11の合併の記載を理解できませんが。よって、県令の記載を重視し、従前は 丹羽郡 小折村, 五明村, 曽本村 であったと判断し、修正しました

■知多郡 阿久比村 となる旧町村名について  知多郡 椋岡村, 矢高村, 植大村 or 知多郡 阿久比村, 椋岡村, 矢高村, 植大村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・知多郡 阿久比村, 椋岡村, 矢高村, 植大村
単なる入力ミスのようです。ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号により、知多郡 阿久比村, 椋岡村, 矢高村, 植大村 と修正しました

■知多郡 上阿久比村 となる旧町村名の一部について 知多郡 卯坂村 or 知多郡 卯阪村
「幕末以降総覧」・・・知多郡 卯坂村, 草木村, 白沢村
「辞典」・・・知多郡 白沢村, 草木村, 卯坂村
現在の知多郡阿久比町卯坂のようです。
M17.8.11付け愛知県告示第101号の、知多郡阿久比村を分割して発足する村が 卯阪村 との表記を確認しました。また、M22.9.24付け愛知県令第47号でも、卯阪村 との表記を確認しました。
M17.8.11の分割時も、M22.7.1の市制町村制施行時も、「坂」「阪」の揺れは同条件で、この頃の情勢として、揺れはあらゆる面で一般的と考えたほうが自然なのではないでしょうか。現在は「坂」ですで、阪から坂に変更したとの明確な資料がない限りにおいて、当時から「坂」であった、と考える方が自然ではないでしょうか。
よって、悩ましいのですが、卯坂村とそのままとしました

■知多郡 生路村 及び 知多郡 石浜村 となる旧町村名について
・知多郡 生路村 及び 知多郡 石浜村 がそれぞれ単独で町村制施行
   or
・知多郡 生浜村の一部がそれぞれ 知多郡 生路村 及び 石浜村に
「幕末以降総覧」・・・知多郡生路村は(旧)生路村が、石浜村は(旧)石浜村が、ともに単独で町村制施行(M11に生路村,石浜村が合併し生浜村に、M15に生浜村が分割し生路村,石浜村に)
「辞典」・・・生路村は生浜村の一部(旧生路村)が分立して、石浜村は生浜村の一部(旧石浜村)が分立して町村制施行
ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号を拝見し、生路村, 石浜村 ともに、「生浜村ノ内」との表記であることを確認しました。
「幕末以降総覧」の「M15に生浜村が分割し生路村,石浜村に」との記載がある点が不明なのですが、根拠である県令に従い、知多郡 生浜村の一部がそれぞれ 知多郡 生路村 及び 石浜村に と、修正しました(生路村石浜村)。

■中島郡 三輪村 となる旧町村名の一部について 中島郡 宮池花池村 or 中島郡 宮地花池村
「幕末以降総覧」・・・中島郡 宮地花池村, 戸塚村
「辞典」・・・中島郡 戸塚村, 宮地花池村
単なる入力ミスのようです。ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号とも一致しますので、中島郡 宮地花池村 と修正しました

■中島郡 祖父江村 となる旧町村名の一部について 中島郡 三十町村 or 三拾町村
「幕末以降総覧」・・・中島郡 下祖父江村, 三十町村
「辞典」・・・中島郡 下祖父江村, 三拾町村
ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号及びM20.7.13付け勅令第34号を拝見し、ともに「三拾町村」となっていることを確認しました。現在の稲沢市祖父江町祖父江三十町付近のようです。
同様の例として、中島郡拾町野村から中島郡長岡村中島郡祖父江町を経て現在の稲沢市祖父江町拾町野となっている例があります。ここは、今でも「拾」を使用し、先ほどの稲沢市祖父江町祖父江三十町とは異なっています(参考:稲沢市の町字名新旧対照表(Excelファイル))。
「三十町村」「三拾町村」は、やはり表記の揺れではないでしょうか。
悩ましいのですが、現在の表記と同様であると判断し、中島郡 三十町村 とそのままとしました

■中島郡 六輪村 となる旧町村名について 中島郡 塩川村, 城西村, 下起村, 娶振新田村, 勝幡新田村, 塩川新田村 or 中島郡 六輪村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・中島郡 塩川村, 城西村, 下起村, 娶振新田村, 勝幡新田村, 塩川新田村
ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号を拝見しました。
当該地域は、六輪村から中島郡平和村中島郡平和町を経て、稲沢市で、稲沢市の町字名新旧対照表(Excelファイル)によると、旧中島郡平和町大字六輪の中の字塩川・字城西など、合併後は稲沢市平和町塩川稲沢市平和町城西などのようです(余談:地番を見ると、平和町各地域を合わせて地番区域となっているようです)。
おそらく、明治以降・M22.10.1の市制町村制以前に、六村が合併して六輪村となり(合併数地名)、そのまま単独でM22.10.1を迎えたものと推測しますが、具体的な合併の愛知県告示等は発見できておりません。悩ましいのですが、「幕末以降総覧」「辞典」の記載が理由不明ですが、県令の記述に従い、中島郡 六輪村 と修正しました

■東加茂郡 豊栄村 となる旧町村名の一部について 東加茂郡 宮口村, 篠平村 or 東加茂郡 東宮口村, 南篠平村
「幕末以降総覧」・・・東宮口村, 南篠平村(宮口村がM7に改称し東宮口村に、篠平村がM7に改称し南篠平村に)
「辞典」・・・東宮口村, 南篠平村
単なる入力ミスのようです。宮口村→東宮口村、篠平村→南篠平村の改称の反映を失念したものです。ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号に従い、東加茂郡 東宮口村, 南篠平村 と修正しました

■東春日井郡 小野村 となる旧町村名の一部について 東春日井郡 中切村 or 東春日井郡 上中切村
「幕末以降総覧」・・・東春日井郡 松河戸村, 下条村, 「上」中切村, 下津尾村(M11中切村が改称し上中切村に)
「辞典」・・・東春日井郡 松河戸村, 「上」中切村, 下条村, 下津尾村
単なる入力ミスのようです。中切村→上中切村の改称の反映を失念したものです。ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号に従い、東春日井郡 上中切村 と修正しました

■東春日井郡 二城村 となる旧町村名の一部について 東春日井郡 大森垣内村 or 東春日井郡 大森垣外村
「幕末以降総覧」・・・東春日井郡 大永寺村, 大森垣「内」村, 金屋坊村, 川村, 守山村(M11に大森垣内村が牛牧村を編入合併)
「辞典」・・・東春日井郡 金屋坊村, 川村, 守山村, 大永寺村, 大森垣「外」村
ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号に従い、東春日井郡 大森垣外村 と修正しました

■幡豆郡 幡豆村 となる旧町村名について 幡豆郡 幡豆村 or 幡豆郡 西幡豆村, 鳥羽村, 寺部村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・幡豆郡 西幡豆村, 鳥羽村, 寺部村
単なる入力ミスのようです。ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号に従い、幡豆郡 西幡豆村, 鳥羽村, 寺部村 と修正しました

■幡豆郡 平坂村 となる旧町村名の一部について 幡豆郡 西小柳新田 or 幡豆郡 西小梛新田
「幕末以降総覧」・・・幡豆郡 平坂村, 楠村, 西小「柳」新田, 小栗新田
「辞典」・・・幡豆郡 平坂村, 楠村, 西小「梛」新田, 小栗新田
ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号拝見し、西小梛新田 であることを確認しました。
「新版 漢字源」(1999年4月1日改訂新版第6刷、学習研究社)によると、
(漢音)リュウ、(訓)やなぎやなぎ(やなぎ科の落葉高木または低木の総称)
(漢音)ダ、(呉音)ナなぎ(まき科の常緑高木 竹柏)
であり、別の漢字です。
当該地は、現在は西尾市西小梛町付近のようです。
現在の表記を鑑み、また、県令に従い、幡豆郡 西小梛新田 と判断し、修正しました

■碧海郡 畝部村 となる旧町村名の一部について 碧海郡 上宗定村, 下宗定村 or 碧海郡 宗定村
「幕末以降総覧」・・・碧海郡 中切村, 宗定村, 川端村, 上中島村, 阿弥陀堂村, 国江村, 配津村(M11に上宗定村,下宗定村が合併し宗定村に)
「辞典」・・・碧海郡 中切村, 宗定村, 川端村, 上中島村, 阿弥陀堂村, 国江村, 配津村
単なる入力ミスのようです。上宗定村, 下宗定村 → 宗定村 の合併の反映を失念したものです。ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号に従い、碧海郡 宗定村 と修正しました

■碧海郡 竹村 となる旧町村名の一部について 碧海郡 西田新田 or 碧海郡 西田新郷
「幕末以降総覧」・・・碧海郡 竹村, 大林村, 西田新田
「辞典」・・・碧海郡 竹村, 大林村, 西田新「郷」
ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号に従い、碧海郡 西田新郷 と修正しました

■碧海郡 中郷村 となる旧町村名の一部について 碧海郡 館出村 or 碧海郡 舘出村
「舘」は「館」の旧字体です。まったく同じ文字です。よって、[56275]拙稿の表記の方針により、「館」出村とそのままとしました

■北設楽郡 田口村 となる旧町村名の一部について 北設楽郡 八ツ橋村 or 北設楽郡 八橋村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・北設楽郡 田口村, 八橋村, 荒尾村, 和市村, 小松村, 長江村, 清崎村
単なる入力ミスのようです。ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号に従い、北設楽郡 八橋村 と修正しました

―――――――――――――――――――――――――
今回も、たくさんのご指摘、詳細な調査をどうもありがとうございました。本当に助かります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
[73379] 2009年 12月 23日(水)11:36:5588 さん
市区町村変遷情報 小レス 市制町村制施行時(愛知県)について 1
[72828][72829] むっくん さん 市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(愛知県)について
いつもご指摘、詳細な調査をありがとうございます。
まず、最初に言い訳です。愛知県の市制町村制時の情報は、編集・入力作業を行ったのが2年以上前です。当時はまだかなり試行錯誤しながら作業を行っており、現在、自分自身で見ても、編集方針が一貫していない面があります。もちろん、凡ミスも多々ありますが。

■愛知郡 猪子石村 となる旧町村の一部の所属郡及び変更種別について 愛知郡 猪子石原村 or 東春日井郡 猪子石原村(郡変更前置)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・愛知郡 猪子石村, 藤森村, 猪子石原村
■愛知郡 鍋屋上野村 となる旧町村の一部の所属郡及び変更種別について 愛知郡 鍋屋上野村 or 西春日井郡 鍋屋上野村(郡変更前置)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・愛知郡 千種村の一部, 鍋屋上野村
■愛知郡 豊明村 となる旧町村の一部の所属郡及び変更種別について 愛知郡 東阿野村, 栄村 or 知多郡 東阿野村, 栄村(郡変更前置)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・愛知郡 沓掛新田, 大沢村, 東阿野村, 栄村
■西春日井郡 金城村 となる旧町村の一部の所属郡及び変更種別について 西春日井郡 上名古屋村の一部 or 愛知郡 上名古屋村の一部(郡変更前置)
「幕末以降総覧」・・・西春日井郡 東志賀村, 西志賀村, 田幡村, 児玉村, 北押切村, 上名古屋村
「辞典」・・・西春日井郡 東志賀村, 西志賀村, 田幡村, 児玉村, 北押切村, 愛知郡 上名古屋村の一部
■西春日井郡 杉村 となる旧町村の一部の所属郡及び変更種別について 西春日井郡 上名古屋村の一部 or 愛知郡 上名古屋村の一部(郡変更前置)
「幕末以降総覧」・・・西春日井郡 杉村, 上名古屋村の一部
「辞典」・・・西春日井郡 杉村, 愛知郡 上名古屋村の一部
■知多郡 名和村 となる変更種別について 愛知郡 南柴田新田 or 愛知郡 南柴田新田(郡変更前置)
「幕末以降総覧」・・・知多郡 名和村, 南柴田新田
「辞典」・・・知多郡 名和村, 愛知郡 南柴田新田
■宝飯郡 前芝村 となる旧町村及び変更種別について 宝飯郡 日色野村, 前芝村, 梅藪村 or 宝飯郡前芝村 宝飯郡 日色野村, 前芝村, 梅藪村, 渥美郡 青野村の一部(郡変更前置)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・宝飯郡 日色野村, 前芝村, 梅藪村
■渥美郡 吉田方村 となる旧町村について 渥美郡 東豊田村, 西豊田村, 青野村 or 渥美郡 東豊田村, 西豊田村, 青野村の一部
「幕末以降総覧」「辞典」・・・渥美郡 東豊田村, 西豊田村, 青野村
■北設楽郡 武節村 となる旧町村の一部の所属郡及び変更種別について 北設楽郡 富永村 or 東加茂郡 富永村(郡変更前置)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・北設楽郡 武節町村, 川手村, 桑原村, 御所貝津村, 黒田村, 小田木村, 富永村

郡変更については、各文献には記載がありませんが、ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第46号のとおりです。2郡にまたがる合併ではなく、例えば愛知郡の猪子石村の例では、
(1)東春日井郡 猪子石原村 を 愛知郡 猪子石原村 に郡変更し、
(2)愛知郡 猪子石村, 藤森村, 猪子石原村 がM22.4.1付けで合併して 愛知郡 猪子石村 として町村制施行、
ということです。愛知郡と東春日井郡の2郡にまたがる合併ではなく、郡変更を経ることにより愛知郡同士の3村の合併ということが明確になっています。
このため、ご指摘のとおり、M22.9.24付け愛知県令第46号に従い、修正しました。
また、宝飯郡 前芝村、渥美郡 吉田方村 の件も、M22.9.24付け愛知県令第47号に従い、修正しました。
愛知郡猪子石村愛知郡鍋屋上野村愛知郡豊明村西春日井郡金城村西春日井郡杉村
知多郡名和村宝飯郡 前芝村渥美郡 吉田方村北設楽郡武節村

■渥美郡 豊橋町 となる旧町村の一部について 渥美郡 豊橋八町 or 渥美郡 豊橋八町, 豊橋宮下町, 豊橋川毛町, 豊橋八幡町, 豊橋袋町, 豊橋土手町, 豊橋東町
「幕末以降総覧」・・・渥美郡豊橋町 渥美郡 豊橋船町, (中略), 豊橋吉屋町, 「豊橋宮下町」, 「豊橋川毛町」, 「豊橋八幡町」, 「豊橋袋町」, 「豊橋土手町」, 「豊橋東町」
編入 渥美郡豊橋八町 渥美郡豊橋八町,豊橋宮下町,豊橋袋町,豊橋東町,豊橋八幡町,豊橋川毛町,豊橋土手町 はなし
「辞典」・・・渥美郡豊橋23町(旧吉田城下23町及び武家地区を再編)(町の数から見ると豊橋八町への合併を反映済みの模様)
ご紹介のM19.7.19付け愛知県布達甲第63号を反映したM22.9.24付け愛知県令第47号に従い、豊橋八町への編入を反映するように修正しました

■海西郡 両国村 となる旧町村の一部について 海西郡 大谷新田 あり or 海西郡 大谷新田 なし
「幕末以降総覧」・・・海西郡 大谷新田 あり(大谷新田はM13に飛島村より分立)
「辞典」・・・海西郡 大谷新田 あり
ご紹介の各種文献とも大谷新田は記載がないようであり、「幕末以降総覧」のM13に飛島村から分立との記述は気になります。県令を含めた各種文献が大谷新田を落として誤りの連鎖になってしまった、との疑念も残るのですが、M22.9.24付け愛知県令第47号の記載を優先し、大谷新田を省くように修正しました

■海東郡 越治村 となる旧町村の一部について 海東郡 下切村 or 海東郡 下切村の一部
「幕末以降総覧」「辞典」・・・海東郡 椿市村, 下切村, 越津村, 百島村, 牛田村, 宇治村
ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号に従い、海東郡 下切村の一部 と修正しました

■海東郡 赤星村 となる旧町村について 海東郡 千音寺村, 新家村, 松下村, 正治村 or 海東郡 千音寺村, 新家村, 正治村
「幕末以降総覧」・・・海東郡 千音寺村, 新家村, 「松下村」, 正治村(正治村はM11に服部村を編入)
「辞典」・・・海東郡 千音寺村, 新家村, 「松下村」, 正治村
ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号を確認し、ご指摘の件を理解しました。「幕末以降総覧」の「正治村はM11に服部村を編入」との記述を考えると、M22.10.1付けで、正治村のうち旧服部村の区域を海東郡赤星村大字服部に、その他の旧正治村を海東郡赤星村大字松下に、とのことのようです。よって、海東郡 千音寺村, 新家村, 正治村 と修正しました

■海東郡 大井村 となる旧町村名について 海東郡 大井村 or 海東郡 犬井村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・海東郡 大井村
ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号を確認しました。確かに、「大井」ではなく「犬井」と読めます(印刷の汚れ等ではなさそうです)。しかし、当該地は海部郡佐屋町を経て、現在では愛西市大井町のようであり、「犬井」から「大井」と変わるのは少し考えにくいのではないか、と考えます。よって、県令の印刷誤りと判断し(他の文献は誤りの連鎖)、そのままとしました

■海東郡 津島町 となる旧町村名の一部について 海東郡 津島町 or 海東郡 津島村
「幕末以降総覧」・・・海東郡 津島「町」(M11に津島村と又吉新田が合併し津島町に)
「辞典」・・・海東郡 津島「町」
ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号に従い、海東郡 津島村 と修正しました

■額田郡 河合村 となる旧町村名の一部について 額田郡 才熊村 or 額田郡 才栗村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・額田郡 才栗村
単なる入力ミスのようです。ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号に従い、額田郡 才栗村 と修正しました

■額田郡 三島村 となる旧町村名の一部について 額田郡 天白, 久后崎村 or 額田郡 福島新田, 久後崎村
「幕末以降総覧」・・・額田郡 上六名村, 六名村, 明大寺村, 天白, 久後崎村(M11に額田郡 久後村, 国崎町が新設合併し 額田郡 久後崎村 に)
「辞典」・・・額田郡 上六名村, 六名村, 明大寺村, 天白「村」, 久後崎村
ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号により、「天白(福島新田改称)」と記載があることを確認し、ご指摘のように、従前の 額田郡 福島新田 が、市制町村制施行に伴い合併して三島村として発足するのに際し「大字天白」となったことを理解しました。
次に、後 or 后 の件です。
ご紹介の三河国額田郡誌(編:額田郡教育会、出版:額田郡、T13.3.20)では、M11.12.28付けで額田郡 久後村, 国崎村が合併し久後崎村となる旨の記載を確認しました。
「新版 漢字源」(1999年4月1日改訂新版第6刷、学習研究社)から解字などを抜粋します。
会意。幺(わずか) + 夂(おくれる) + 彳(いく)。足をひいてわずかしかすすめず、あとにおくれるさま。のち、后と通じて用いられる。
会意。上部は人の字の変形で、下は口(あな)。人体の後ろにあるしりの穴(后穴)を示す。後と同系で、後ろの意を示す。
確かに、何十年もある老舗の医療機関の看板で、診療時間の表示を「午前」「午后」としてあるのは以前からよく見ました(年齢がばれそうですが)。
これらのことからも、「後」と「后」は、あまり使い分けをしていないと見てもよさそうです。
そして、M11.12.28付けで額田郡 久後村, 国崎村が合併し成立した久後崎村の名称の由来は、合成地名によるとのご意見も納得です。
よって、従前の村名は 久「後」崎村 であると判断し、修正しました

■西春日井郡 熊之庄村 となる旧町村名の一部について 西春日井郡 熊ノ庄村 or 西春日井郡 熊之庄村
「幕末以降総覧」・・・市制町村制は西春日井郡熊「ノ」庄村、西春日井郡 熊「ノ」庄村, 薬師寺村
「辞典」・・・市制町村制は西春日井郡熊「之」庄村、西春日井郡 熊「之」庄村, 薬師寺村
現在の北名古屋市熊之庄のようです。「ノ」or「之」は、よくある表記の揺れだとは思いますが、ご紹介のM22.9.24付け愛知県令第47号その他資料に従い、西春日井郡 熊之庄村 と修正しました

次稿に続きます。
[73378] 2009年 12月 23日(水)11:14:0888 さん
市区町村変遷情報 苦悩日記 No.14 町村名の表記の揺れへの対応について
このタイトルで書くのは久しぶりです。
市区町村変遷情報の編集方針については、これまでに数度述べてきました。過去の記事集はこちらです。

M22(1889).4.1付けをはじめとする、市区町村変遷情報市制町村制施行時の情報の編集作業が、お蔭様で概ね半分を経過しております。ひとえに皆様のご高配、ご協力の賜物です。この場をお借りして、改めまして厚く御礼申し上げます。

さて、主としてむっくんさんから、市制町村制施行時の情報について、ご指摘を多数いただいております。特に、町村名の表記の揺れに関連した件が多いので、ここで考え方を整理しておきたいと思います。
各種文献によって表記が異なることがあっても、それはあくまで参考資料であり、「根拠となる資料」に基づくことが基本です。市区町村変遷情報の編集作業においても、この原則を重視しています。
しかし、明治初期などは、印刷技術等の問題もあってか、誤字脱字が多く、その修正が為されないこともしばしばです。また、表記方法も鷹揚で、例えば「坂」「阪」などは、資料により一貫しておらず、何よりも根拠となる府県告示の表記も疑念があるものが多いです。このため、上述の原則に敢えて捕らわれず、独自の判断により、編集作業を行っています。
独自の判断の例は、次のとおりです。
※対象となる表記の揺れ(例であり、これ以外にもある)
・「ノ」「之」「の」(有無を含む)
  例:一宮、一ノ宮、一之宮、一の宮
・「ヶ」「ケ」「が」(有無を含む)
  例:関原、関ヶ原、関ケ原、関が原
・「阪」「坂」
・「庄」「荘」
・「一」「壱」、「十」「拾」、など漢数字と多画漢数字
※考え方
・根拠となる府県告示等の例による。(原則)
・他文献と府県告示等が異なる場合、現在の町・大字の名称を確認する。状況により、現行の町・大字の名称を採用する。これは、現行の町・大字の名称は、基本的に以前からの町村名等を採用しており、表記を変更する例は僅少であることによる。

最近は、この「現行の町・大字の名称」を意識しています。これは、「藩政村=大字」という枠組みが大半であることを重視したためでもあります。
[73377] 2009年 12月 23日(水)10:27:19【1】BANDALGOM さん
県議会情報
埼玉県議会は昨日22日、新・加須市の廃置分合を可決しました。

中継を聴いたものの、午前と午後にまたがり、3時近くに始まった午後の会議で採決までは見届けられませんでしたが、県議会サイトを今朝見たところ、アップされていました。

これで、各県議会の12月定例会での合併関連議案の議決はすべて出揃いました。
次の関心事は官報告示、中之条町・六合村、印西市・本埜村・印旛村の動向ということになります。
[73376] 2009年 12月 23日(水)05:11:26inakanomozart さん
夜明けの晩
[73361] 2009年12月20日(日)17:06:39   なると金時さん
元旦は元日の朝のことなので、「元旦の夜9時」という表現はおかしいんじゃないでしょうか。
そうですね。
私も、個人的には「夜明けの晩」のような違和感をおぼえます。
でも最近は、ら抜き言葉と同様、「元旦の夜」と言った表現も広く使われている現実もあるようです。
さすがにNHKのアナウンサーは使わないようにしているようですが・・・
[73375] 2009年 12月 22日(火)22:10:52山野[山野] さん
法定協設置(幡豆地区)
でるでるさんへ
本日、吉良町議会でも法定協設置議案が可決された模様です。議決結果
尚、他3市町は18日に可決済みです。
[73374] 2009年 12月 22日(火)10:55:19白桃 さん
反省
[73373]白桃
徳島県のマチの格で言うなら
不用意な発言でした。
都市の「格」っていうのは、そもそもなんなんでしょうか?。大きさ、中心性、美しさ、雰囲気、たどってきた歴史・・・、そういったものを総合したもの?
大きさ、中心性はともかく、「格付け」をする人の主観が多分に入ります。
丸亀警察署長さんの方が東かがわ警察署長さんより、きっとエラいのでしょうが、それでもって「丸亀市が格が上」(香川県民の
99%はそう思っている)、って言えば、東かがわ市民の皆様に大変失礼にあたります。
今後は、「格」という言葉は極力使用しないように努めます。
[73373] 2009年 12月 22日(火)01:33:58白桃 さん
名探偵アナン
[73371]千本桜さん
人口は41,343人だそうです。昭和30年に4万人を超していた、このスーパータウンはどこでしょう。当時の町名と現在の市名をお答えください。落書帳メンバーの中には、あ!なんだ、と即答できる方がいらっしゃいます。
今、帰りついた常呂で壱岐もはずんでます。(笑)
ではズバリ、香川県のお隣にある県の富岡町。(現在は阿南市)
私も前々から不思議だったのですが、富岡はなぜこの時点で市制施行しなかったのでしょうか?
群馬県に同名の市があるから???、まさかね・・・。橘との合併を待って、おもむろに、いや一挙に五万人超の市を目指したのでしょうか?
この富岡の街、1974年頃歩いたのですが、商店街は結構長かったです。ただ、アーケードはありませんでした。そして、言っちゃなんですが、なんとなく野暮ったい。
徳島県のマチの格で言うなら、
1.徳島
2.鳴門
3.脇町
4.小松島
5.池田
6.富岡
7.鴨島
って感じですかね。日和佐、牟岐は行ったことが無いのでわかりません。「ウエルかめ」の日和佐は風光明媚だし、薬王寺さんもあるし、一度は行ってみたいです。
[73372] 2009年 12月 21日(月)22:38:49futsunoおじ さん
オフ会のこと少し書かないと・・
[73367] ペーロケ さん
まさか後続にfutsunoおじさん号が来ているとは思いもよらず、失礼しました。

右折と思ってハンドルを切ったらUターンだったので曲がりきれずびっくりしました。でも楽しかったですよ。

今回は新潟からの参加になり「高速千円」があったことで車での参加にしました。途中の大阪付近の混雑回避のため敦賀ICから舞鶴若狭道未開通区間を一般道でつなぎ、神戸JCT経由で岡山まで往復になりました。交通費は高速代4,000円と燃料費ということに。当初は若狭地域で寄り道して一泊するつもりでしたが天候が良くなりそうにないことと石島ツアーの魅力に惹かれ、変更しました。
数日前から岡山県の天気予報を気にしていましたが南部の方が北部よりわずかに好天という予報が前日には逆転してしまい少々不安でありましたが石島ツアー中は何とか持ちこたえたようです。(ツアー参加者の多くが言っていた)「オフ会よりも重要」というイベントは天が味方してくれたようです。


○付録:参加したオフ会の私的まとめ

場所途中で登った山主な交通手段参加のポイント
第1回:東京 御徒町なしJR電車
第3回:金沢医王山 939m(石川/富山県)夜行バス
第5回:秋田 湯瀬温泉姫神山 1124m(岩手県)新幹線(JR東)三連休パス
第6回:岡山 苫田温泉石島山 157m(岡山/香川県)自家用車高速道路千円


○おまけ: 高速道路3社のサービスエリア案内所で無料配布している案内地図などの紹介

NEXCO東日本
(1) 「HighwayWalker」 A4版変形44ページ、月刊
 この中に見開き4枚(8ページ)の地図(1/45万~72万)とSA・PAガイド9ページが含まれる。

NEXCO中日本
(1) 「高速家族」 A4版32ページ(この中に地図と案内図はなし)、隔月
(2) 地図(1/55万)(「東名・中央道版」と「名神・北陸道版」の2種類、これは\300で販売の全国版各面とほぼ共通)
 片面はSA・PAガイド

NEXCO西日本
(1) 「パスティ」 B4版24ページ 関西版、中国版、(四国版、九州版もたぶん存在)、隔月
 この中の見開き地図(1/66万~72万)とSA・PAガイドが抜き出せる(各版の地域範囲)
(2) 上記とは別の「高速道路ガイドマップ 関西地域版」(1/54万)B2版 も存在する。(他の地域版は不明)
[73371] 2009年 12月 21日(月)20:16:59千本桜 さん
スーパータウン
昭和31年12月改訂版発行、日本書院の「○○県新誌」によると、昭和30年10月1日における「○○町」の面積は137.7平方キロメートルで、人口は41,343人だそうです。昭和30年に4万人を超していた、このスーパータウンはどこでしょう。当時の町名と現在の市名をお答えください。落書帳メンバーの中には、あ!なんだ、と即答できる方がいらっしゃいます。
[73370] 2009年 12月 21日(月)19:07:39【1】hmt さん
地方公共団体名称末尾における「町」の読み方 徳島県美馬郡脇町の事例から
うだつの町並み・美馬郡の機能的センター・吉野川南北対比・庁舎と話題が続く 脇町 ですが、 [73320] okiさん の本題である「読み方」について考えてみました。

「脇」の名の由来[73362]は、岩倉城の東脇に築かれた支城があっったとしても、近世以降の感覚では、「脇町」と書いて「わきまち」と読む一体不可分な地名になっていたのだと思われます。この感覚は、脇高校ではなくて脇町高校[73326]である現在に引き継がれています。

町場の地名は「脇町(わきまち)」であるとして、その町場と周辺の村落を区域とする地方団体の名をどうするか。
1889年の町村制施行に先立つ明治21年6月13日に内務大臣山県有朋が発した訓令第6条[37482]には、
合併の町村には新に其名称を選定すべし。旧町村の名称は大字として之を存することを得。尤大町村に小町村を合併するときは其の大町村の名称を以て新町村の名称となし【以下省略する部分に、有名な“参互折衷”という言葉が出てくる】
とあり、旧脇町他2村で構成されることになった新しい法律にもとづく「町村」も、自然に 脇町 と命名されることになりました。
この時に徳島県に設置されたのは、1市2町137村です。町は板野郡撫養町と美馬郡脇町だけ。

個別の町村名の末尾の文字を音読みするか訓読みするかは、町村制の問うところではないと思われます。
要するに慣習であって統一する必要はない。事実、昔の文書を見ると、固有名の部分には「ふりがな」を付けていても、末尾の「町」や「村」には「ふりがな」がないのが普通です。

地方自治法の時代になっても、名称に関する本質的な変化はない(第3条)ものと考えます。
個別の自治体について「ちょう」と読むか「まち」と読むかをまとめた情報が出始めたのは、いつ頃なのでしょうか?

国立国会図書館の蔵書を検索すると、自治省行政局振興課の「全国市町村要覧」が昭和38年(1963)から存在します[67271]。但し、現在のように「町」の読み方が これに掲載されているか否かは未確認です。
[375] Issieさん は、市町村コードが導入された1969年4月1日現在の町村名で「まち/ちょう」「むら/そん」の読み方を数えてみたとのこと。

慣習である「町(ちょう/まち)」の読み方に関する全国的情報は、各地方自治体のデータを都道府県経由で集めて、自治省が最終的にまとめた上記の資料が最初と推測します。

[73320] okiさん
当サイトの「データベース検索」の結果でも「わき・まち」になっている
グリグリさんがまとめた都道府県市区町村データベースは、この自治省系の資料に基づいている故と思われます。

自治省関係とは別ルートで全国的な情報を収集した資料に、統計局による国勢調査があります。
Issieさん の コード一覧履歴 によると、脇町は2回の国勢調査報告書で「わきちょう(原文ローマ字)」と記されているとのことです。

更に別のルートによる全国の地名情報は、国土地理院の地名調書[56419]です。これも地方自治体から直接に集めた資料であり、その結果は面積調に反映されているはずです。脇町が存在した頃の一例として2002年面積調 を見ると、「わきちょう」です。

[73362] oki さん
町長自らが「わきちょう」と称しているのにいささか驚いた
公的な資料も含めてほとんどが「わきまち」
しかも、すべてが「わきまち」ではなく、「わきちょう」とする資料もポツポツあるので、判断に迷います。

徳島県は、全国的にも少数派である「村」を「そん」と読む地域であり、自治体の種別を表わす「町」については「ちょう」と読むべきであるという考え方が根強いのかもしれません。
先に、明治合併の際は徳島県に2町しかなかったと書きましたが、平成合併前には38町。脇町以外の37町はすべて「ちょう」と読みます。

こうなると多勢に無勢。さりとて「脇町(わきまち)」という固有地名に地方団体を表わす「町(ちょう)」を付けて「脇町 町」(わきまちちょう)とするわけにもゆかない。
国勢調査や地名調書を担当した役場職員だけでなく、脇町の町長自らが「わきちょう」と口にするに至りました。

[73320] oki さん
他の県内自治体に歩調を合わせて「わきちょう」の読みを採用したものの、固有地名が「わき」ではなく「わきまち」と認識されているため、誰からも「わきちょう」と読んでもらえず、

苦心の読み方も町民に受け入れてもらえなかったのはお気の毒。

法律の名は音読みの町村制(ちょうそんせい)でしたが、1889年の全国の町村名を見ると、脇町と同様に町や村が固有地名に付いていた地域では、長野県北安曇郡大町(おおまち)【>大町市】や、山梨県南都留郡谷村(やむら)のように「まち」「むら」を使っていました。それだけでなく、谷村は間もなく「谷村町(やむらまち)」になりました【>都留市】。

徳島県美馬郡脇町を「わきまち」と読むことに、本来はなんらの不都合もないはずでした。
当局による「わきちょう」という使い方が始まったのは、比較的近年になってからのことと思われます。
それも、脇町自身ではなく、徳島県が使い出したのではないでしょうか。

以上、私の推測を交えた読み方論でした。

最後に、疑問を一つ。
実際には行なわれなかったと思いますが、仮に「脇町(わきまち)」を「脇町(わきちょう)」に正式に変更するとしたら、これは地方自治法第3条の「名称変更」に該当するでしょうか?

[65108] 88 さんによると、
「改称」の対象となるのは、正確には「町」「村」を除いた部分です。
しかし、脇町にこれを適用しようとすると、「町」を除いた部分が「脇」だけになってしまい、「改称」の実体と外れてしまいます。
[73369] 2009年 12月 21日(月)17:46:24アルバトロス さん
相模原市の区の名称、区域が決りました
相模原市の政令指定都市の移行は、平成22年4月1日と決っていましたが、本日(12月21日)市議会定例会において、区の設置などについて定める条例が可決され、区の名称、区域などが正式に決りました。3区の名称は、「緑区」、「中央区」、「南区」で、今までの案と変更ありません。詳しくは、相模原市のHPトピック
[73368] 2009年 12月 21日(月)16:27:05BANDALGOM さん
県議会情報
静岡県議会は今日、富士宮市・芝川町の廃置分合議案を可決しました。

サイトの更新が遅いので、中継を最初から聴きましたが、今回は採決の際、廃置分合議案が最初の採決の対象となり、議案名にも触れたので、はっきり確認できました。

明日はいよいよ、合併議案を審議する12月定例会では最後となる、埼玉県議会の最終日です。

でるでるさん、よろしくお願いします。
[73367] 2009年 12月 21日(月)12:36:31ペーロケ さん
オフ関連レス
オフ会の感想を書かねばと思いつつ、なかなか時間が取れません。

[73366]かぱぷうさん
某部屋ではルームメイト4名が全問正解というカルテル臭プンプンの成績を納めておりました。
ハテ?何のことでしょう。その件に関しては、全て秘書に任せているので。。。

すみません。何を隠そう、談合の首謀者は私です。てっきり部屋対抗だと勘違いし(嘘)、「この山の形は大山に似てる」とか、みんなで色々な情報を集めて検討会を開催していました。これはこれで楽しかったですよ。次回はもう少し難易度を上げて、部屋対抗なんてのも面白いと思いますが、いかがでしょうか。

#きっと、個人戦であれば、羽咋市と米子市は自信もって答えられなかっただろうなあ。。。

[73356]ニジェガロージェッツさん
当日の昼,石島を後にして宇野港に到着後,ペーロケさんのお車に同乗させていただきオフ会会場の苫田温泉「乃利武」へ向かいました。後続にはあっちゃんさんを乗せたfutsunoおじさん車が続き,途中,児島湖締切堤防経由で岡南飛行場を見学しました。
石島で解散後、各車別行動で宿へ向かうということになっていましたが、EMM号と88号はまっすぐ向かわれたようですね。私はまだ時間があるし、せっかくなんで児島湖締め切り堤防周辺にニジェさんを案内したいと思い、岡南飛行場経由で向かいました。全く土地勘がない訳ではありませんが、カーナビを装備していないため、途中、曲がるべき交差点を通過してしまい、次の交差点でUターンをするというハプニングもありましたが、まさか後続にfutsunoおじさん号が来ているとは思いもよらず、失礼しました。
[73366] 2009年 12月 21日(月)02:40:43かぱぷう さん
オフ会旅行行状記◇後編
[73242]より続きです。
仕事のごたごたやら年賀状作成やらでなかなか時間がとれませんでした。もう旬の話題ではなくなりつつあるかもしれませんが、気にせず書き込みます(笑)

◆送迎バス、乃利武へ

私が集合地点にて皆さんと合流したときは10名くらいの方がいらっしゃったでしょうか。お会いするのは2年ぶり2回目の方と初めての方ばかりなのに、全くそんな気がいたしません。
リトルさん、hmtさんと初対面の挨拶を交わし、その隣にいらした方と二言三言の会話を交わしてバスに乗り込みます。バスの座席に座ったそのとき「はて?さっきの人誰だ??」という疑念が。謎が解けたのは乃利武に到着してからでした。答えは油天神山さん。いやぁ失礼しました。全く初対面という気がしなかったのは、やはりかつて落書き帳において徒党を組んで秘密結社を結成したご縁からでしょうか(謎笑)。
送迎バスの車中で、岡山にゆかりのある某さんが街の紹介をしてくれたのですが、これがまた迷ガイド。
「岡山市は人口70万、中核市になった経験があります」
「岡山市の花は菊、市役所の所在地は大供1-1-1です」
「もうすぐノートルダム女子大が見えてきます」
…第二十四回十番勝負の問一から問十まで全部出てきました(^^;
バスを降りてから、グリグリオーナーに「今日は後ろ(背中)に注意しておいたほうがいいですぜ」と進言しておきました。

◆オフ会の夜は更けて

いっちゃんさん(こちらも初対面という気が全くしませんでした)の絶妙な部屋割りプレイによって決められた部屋に赴き旅装を解いたもつかの間、今川焼さんの「ここはどこ?」クイズにしばし没頭。
私も同部屋のニジェさん・88さんと少しばかり鳩首会議を執り行いましたが、某部屋ではルームメイト4名が全問正解というカルテル臭プンプンの成績を納めておりました。結果発表の際に、良心の呵責にさいなまれた善良な容疑者(?)1名が「実はこれ…」と自白しましたが、それでも4人で全問正解を導き出すとはお見事です。今川焼さん、楽しかったです!

宴会場での1次会の流れそのままに、ヤニーズの皆さんの居城である通称“不良部屋”に全員が集まり2次会開始。
グリグリさんの十番勝負あり、ジャンル多岐な歓談ありで濃密で至福なひと時を過ごすことができました。
その2次会の中盤で、平成7年1月17日午前5時46分・その瞬間に遭遇された方々のお話を聞くことができました。「オフ」の話なので詳細はここでは記しませんが、私自身これまで実際に被災された方のお話を生の声で聞いたことはなく、心に残りました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。

◆帰り道はのんびりと!?

楽しい時間というのはなぜすぐに終わってしまうのでしょう。あっという間に朝が来て、出発の時間が来てしまいました。大方の皆さんより一足早い8時30分ごろ、リトルさん、MasAkaさんと一緒にfutsunoおじさんの車に乗せていただきで岡山駅でお別れ。岡山駅でお土産を購入後、帰宅の途につきました。
向かった先は山陽本線上りのりば、新幹線に非ず。この日は仕事だったのですが17時からの勤務でしたので、行けるとこまでは在来線でのんびり帰ろうという算段です。何を隠そう、日本全国のJR線の中で私が一番好きなのは山陽本線なのです。社会人デビューしてからはどうしても新幹線やヒコーキに乗ってしまうので「したみち」をゆっくり行く時間などありませんでしたが、今回は時間の都合で新山口から博多までは新幹線を使ったものの、瀬戸内の車窓を数年ぶりに堪能しました。
日本で一番好きな尾道あたりの車窓、いつ眺めてもいいです。最高です!

◆家に帰るまでが旅行というなら

16:31博多着。博多駅に程近い勤務先に出勤します。が、仕事に実が入るわけもなく(^^A
日付が変わる少し前に帰宅して無事に「旅行」は幕を閉じたのでした。


オフ会に参加したかったがばかりに皆さんを無理やり福岡に呼びつけてから2年。あの時感じた「また参加したい」との願いを叶えることができました。よほど楽しかったのでしょう、もう1ヶ月近くも前のことなのですが、今でも余韻に浸っているときがあります。
グリグリさん、いっちゃんさん、皆さん、ありがとうございました。
今回また参加させていただいた後の思い、もちろん「また参加したい」です♪またお会いしましょう!
[73365] 2009年 12月 21日(月)00:51:37【1】suikotei さん
美馬市役所
美馬市の本庁舎が穴吹にある点について、ご案内の方もおられると思いますが、簡単に合併協議での経緯と現状を触れておきます。

合併協議では当然のごとく脇町・穴吹町が本庁舎をめぐって争いました。合併協議会に、合併時の本庁舎は最も新しく延床面積も広い穴吹町役場として分庁・総合支所方式を採用し、合併後4年以内に脇町内で新庁舎を着工(具体的な位置は美馬町の意向を尊重)する(合併期日は05年3月)という案が提案されます。いわば妥協の産物と言えそうです。しかしそれでも、脇町議の一部が穴吹町役場を本庁舎とすることに反対する要望書を出したり、穴吹町議会も新庁舎建設については意見集約ができていなかったりといった状況でした。
まず脇町議の一部の要望書は容れられず、合併時の本庁舎は穴吹町役場に決まるのですが、その後も穴吹町議会が新庁舎の着工時期を削除する要望書を出したり、脇町の住民が署名を集め脇町を本庁舎とすることを求めたりと混乱は継続しました。
最終的に原案通り(美馬町の意向を受け新庁舎の位置を脇町西部地区と明記する修正のみ実施)で合意し、脇町や美馬町にもかなりの部門を割く形の分庁方式でスタートします。
しかし07年4月に美馬市は旧穴吹町役場周辺の施設に、脇町や美馬町から本庁機能の大半を移転。07年9月に庁舎検討市民委員会は「新庁舎建設を急ぐべきでない」と報告し、新庁舎の先行きも怪しくなる一方、穴吹への集約は進んでいます。
私も市制施行後に旧脇町役場を外観だけではありますが見たのですが、古い建物だなあという印象は拭えませんでした(旧穴吹町役場は見ていませんので比較はできませんでしたが)。

追記:美馬市成立以降の流れは、あくまでも地方財政が厳しい中で行政の効率化や支出の見直しを検討した結果であり、脇町いじめとか、そういった意図ではないことを念のため申し添えます。
[73364] 2009年 12月 20日(日)22:33:11【1】BANDALGOM さん
西方町住民投票結果
今日投開票が行われた、栃木県西方町の合併に関する住民投票の開票結果です。

投票率:83.59%
「栃木地区1市4町」2,720票
「鹿沼市との1市1町」1,912票
(22時19分確定)

ということで、今後は新・栃木市との合併に向け進められていくと思われます。

【1】確定時間を追加
[73363] 2009年 12月 20日(日)19:31:54白桃 さん
吉野川南北
徳島県を西から東に流れる大河、四国三郎をはさんで並ぶ小都邑の人口推移(市町村制度実施年~昭和の大合併前まで)を見てみました。
なお、1889年は法令全書、1898年は日本帝国人口統計、他は国勢調査人口です。
北側の諸邑は鍛冶屋原線の終点であった松島以外は鉄道が走っておりません。対して南側の諸邑は徳島(本)線が通っております。この徳島(本)線ですが、徳島から川島まで1899年に開通しており、川田~阿波池田間の延伸により全線開通したのは1914年ということです。

こう見ますと、(といっても細かすぎるので分かりにくいですが)予想通り南側の人口増加率が北側を上回っています。
1920年(対1889年比)で、北は0.88、南は0.96
1950年(対1889年比)で、北は1.16、南は1.35
これだけでもって、脇町はじめとする北側の人口停滞が鉄道が通らなかったことによる、と結論付けることは乱暴ですが、一つの要因になったと言えるのではないかと考えております。
注目の脇町ですが、吉野川中下流域における首邑の座は次第に鴨島に奪われていったようです。

北:
1889(M22)1898(M31)1920(T09)1935(S10)1950(S25)
松島村---4,908松島村---4,550松島村---3,695松島村---4,019松島町---5,463
一條村---5,748一條村---5,768一條村---5,089一條町---5,564一條町---7,562
土成村---5,971土成村---5,747土成村---5,315土成村---5,206土成村---6,488
八幡村---5,322八幡村---5,195八幡町---3,970八幡町---3,909八幡町---4,863
市香村---5,350市香村---5,319市場町---5,245市場町---5,851市場町---6,854
久勝村---5,213久勝村---5,009久勝村---4,517久勝村---4,881久勝村---5,970
林村-----5,448林村-----5,331林村-----4,486林町-----4,791林町-----6,030
江原村---7,203江原村---7,282江原村---6,629江原町---7,118江原町---8,848
脇町-----7,085脇町-----6,895脇町-----5,960脇町-----6,706脇町-----8,060
岩倉村---7,733岩倉村---7,373岩倉村---6,926岩倉村---6,755岩倉村---8,219
郡里村---7,088郡里村---6,519郡里村---6,534郡里村---6,510郡里町---8,449
三野村---6,580三野村---6,653三野村---6,160三野町---6,646三野町---8,315
南:
1889(M22)1898(M31)1920(T09)1935(S10)1950(S25)
石井村---4,858石井村---5,074石井町---4,693石井町---4,967石井町---6,530
鴨島村---3,369鴨島村---3,187鴨島町---3,881鴨島町---6,246鴨島町---7,509
桑川村---4,647桑川村---4,823川島町---4,183川島町---4,303川島町---5,718
山瀬村---5,304山瀬村---5,047山瀬村---4,558山瀬町---5,086山瀬町---6,617
川田村---6,129川田村---6,184川田村---6,131川田町---6,177川田町---8,408
穴吹村---3,045穴吹村---2,877穴吹村---2,861穴吹町---3,289穴吹町---4,420
貞光村---4,989貞光村---5,142貞光町---4,805貞光町---5,623貞光町---6,711
半田村---6,956半田村---6,758半田町---6,809半田町---6,722半田町---8,313
加茂村---4,191加茂村---4,292加茂村---3,808加茂村---4,073加茂村---5,219
井川村---4,500井川村---4,983辻町-----4,391辻町-----4,043辻町-----5,227
[73362] 2009年 12月 20日(日)18:15:01oki さん
脇町関連レス
少しサボった間に脇町関係の書き込みが沢山。申し訳ありませんが、まとめてレス。

[73358] 美馬をみて美馬しょう 白桃さん
[73357] 頑張れワッキー 千本桜さん
[73352] ふと思い出して なると金時さん
[73342] うだつが上がらぬ話ですが‥ 伊豆之国さん
[73331] ワッキー 白桃 さん
[73326] 脇町 なると金時さん

脇町の地名の由来は、脇町市街の北にあった脇城です。元々は西隣の岩倉村に岩倉城があり、戦国時代、その東脇に築かれた支城に脇の名が付けられました。城下の町場をつくったのは、織田信長登場以前に畿内を制覇した三好長慶のようです。
最初は、「脇」と「町」が一体であったわけではありませんが、江戸時代を通じて吉野川中流部北岸における商業の中心地として発展し、その間に「脇町」が固有地名として定着したと考えられます。
白桃さんの仰るとおり、
徳島県は、高知県ほどではないいにろ、首邑の「一人勝ち県」だった
ため、江戸時代の阿波国で「町」を名乗った地域は数少なく、脇町のほかは川島、富岡くらいです。ほかに、池田にも村の一部に町場がありました(白桃さんご指摘の撫養は、村や町の名称ではなく、現鳴門市中心部にあった製塩地帯の総称です)。
これらの地域は明治以降も地域の中心で、各種の公共機関が置かれましたが、なると金時さんが言われるように
脇町の脇町地区にある高校だから、脇高校ではなく、脇町高校なわけですね
ほかの町場にできた高校は池田高校、川島高校、富岡西・東高校という具合で、「町」がついているのは脇町だけです。裁判所、警察署などの名称も同様で、江戸時代に定着した「脇町」地名の一体性は現在も強固に残っています。この場合の読みは、言うまでもなく「わきまち」です。

それだけに、町長自らが「わきちょう」と称しているのにいささか驚いたわけなのですが、公的な資料も含めてほとんどが「わきまち」なので、自分でも本当かいな、と思っている部分はあります。しかも、すべてが「わきまち」ではなく、「わきちょう」とする資料もポツポツあるので、判断に迷います。真鶴町のように官報か何かで確認できれば良いのですが。

ところで、恥ずかしながら、私自身は脇町に行ったことはないのですね。
私の育った徳島の県南地域と、脇町など県西部との間には直接の連絡ルートがなく、鉄道はもちろん自動車で行くとしても、いったん徳島市を経由する必要があります。そのため、両者間の交流が薄いことが一つの要因。
もう一つは、伊豆之国 さんが書かれているように、現在の脇町は「うだつ」で有名ですが、私が県人であった頃は県内でも知る人が少ない状態であったこと。当時、県内の小学生は、脇町の東隣、阿波町にある「阿波の土柱」は必ず遠足で行きましたが、脇町まで足を伸すことは皆無でした。「うだつ」が有名になったのは、おそらくは1980年以降で、全国的な知名度を得たのは1988年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されて以降だと思います。

[73357] 千本桜さん
たぶん、脇町の人口ピークは昭和20年代後半で、2万5千人程度いたのではないでしょうか。その後、急激に減少したはずですが、昭和45年から平成7年までは横這いで持ちこたえています。徳島市のベッドタウンに成り得ない距離に位置し、しかも、鉄道が走っていない環境での人口横這いは敢闘賞ものでしょう。工場誘致の賜でしょうね。ところが、何が原因か分かりませんが、平成12年には少し目立つ人口減になっています。
丁寧な考証、恐れ入ります。確かに、脇町の人口が横這いを維持し得たのは、工場誘致、具体的には松下寿電子工業(現パナソニック四国エレクトロニクス)の脇町工場を誘致できたからのようです。
1970年以降、脇町には多いときで2,000人以上の工場従業者が存在しました。その多くが松下寿や関連工場の従業者でしょう。就業者総数が8,000人程度の町ですから、波及効果を含めて工場の影響力はきわめて大きい。穴吹、貞光、美馬など周辺諸町の工場従業者は1,000人に届かない状態でしたから、その相違が人口増減の差に連動したと考えられます。
ただ、1990年以降、その工場従業者が急速に縮小をはじめ、2004年には935人まで減っています。原因は言うまでもなく、製造業の海外展開に伴う「空洞化」でしょう。平成12年の「少し目立つ人口減」はこれが主因と考えられます。今後も、国内製造業が雇用を増やす事態は予想しにくいですから、脇町地区も急激な人口減少に見舞われるかもしれません(とても悲しいことですが)。
[73361] 2009年 12月 20日(日)17:06:39なると金時 さん
十番勝負
ありゃ、正月すぐ始まりですか。
私は徳島のPCなし環境なので、いつも通りあとから追いかけます。
ところで、元旦は元日の朝のことなので、「元旦の夜9時」という表現はおかしいんじゃないでしょうか。
[73360] 2009年 12月 20日(日)16:33:34【1】オーナー グリグリ
第二十六回十番勝負の開始日時について
いろいろ反応したい書き込みや、ふぉろ~しなければいけない書き込みが沢山あるのですが、年末の慌ただしさの中で対応できないでいます。申し訳ありません。オフ会記録ページもコメントや写真の整理をしなければいけないのですが、もう少しお待ちください。

さて、そうは言いながらも次回十番勝負が目前に迫ってきました。落書き帳十周年の特別回を開催したために、間隔が短くなりお騒がせしていますがご了承ください。恒例の新年開催ですので予定通りお正月スタートとします。年明け開始(元旦午前零時)も考えたのですが、ちょっと間を空けて元旦夜の9時開始とさせてください。よろしくお願いします。

落書き帳十周年メッセージをくださった皆さん、取り急ぎ御礼申し上げます。ありがとうございました。
[73359] 2009年 12月 20日(日)15:46:04播磨坂 さん
噂ですが
1万分の1と5万分の1の地形図刊行が中止か?という記事を見つけました。
道道つれづれ線「地形図更新が一部中止に」

本当だったら非常に残念です。
[73358] 2009年 12月 20日(日)11:55:45白桃 さん
美馬をみて美馬しょう
[73357]千本桜さん
意外にも、鉄道が走っていない脇町・美馬町より、鉄道が走っている穴吹町・貞光町・半田町の人口減が激しいのですね。脇町に焦点を当ててみます。資料がないので推測で書きますが、間違っていたら教えてください。たぶん、脇町の人口ピークは昭和20年代後半で、2万5千人程度いたのではないでしょうか。
下表でもわかると思いますが、戦後の国勢調査人口の推移でも、脇町の人口減少率は、他の旧4町に比して低いです。ただ、脇町は本来の脇町以外に、江原、岩倉という小都邑と合併していることもあり、これだけでは脇町の停滞ぶりと徳島(本)線の関係を結論できません。
人口統計に興味のない方には大変申し訳ありませんが、項をあらためて、書きます。
ちなみに、合併前の江原、岩倉の人口が脇町と同等かそれ以上になっておりますが、面積が全く違うことを念のため書き添えておきます。

1947(s22)1950(s25)1955(s30)1960(s35)1965(s40)1970(s45)
脇町----8,225脇町----8,060脇町----7,754脇町---21,820脇町---20,051脇町---19,061
江原町--8,720江原町--8,848江原町--8,489脇町脇町脇町
岩倉村--8,096岩倉村--8,219岩倉町--7,580脇町脇町脇町
小計---25,041小計---25,127小計---23,823小計---21,820小計---20,051小計---19,061

郡里町--8,326郡里町--8,449郡里町--8,029美馬町-12,587美馬町-11,117美馬町-10,472
重清村--6,506重清村--6,611重清村--6,140美馬町美馬町美馬町
小計---14,832小計---15,060小計---14,169小計---12,587小計---11,117小計---10,472

半田町--8,383半田町--8,313半田町--8,016半田町-11,459半田町-10,114半田町--9,406
八千代村4,312八千代村4,525八千代村4,448半田町半田町半田町
小計---12,695小計---12,838小計---12,464小計---11,459小計---10,114小計----9,406

貞光町--7,009貞光町--6,711貞光町--6,779貞光町-10,747貞光町--9,938貞光町--8,812
端山村--4,960端山村--5,088端山村--4,991貞光町貞光町貞光町
小計---11,969小計---11,799小計---11,770小計---10,747小計----9,938小計----8,812

穴吹町--4,398穴吹町--4,420--穴吹町-16,460穴吹町-15,359穴吹町-13,575穴吹町-11,643
三島村--3,782三島村--3,605穴吹町穴吹町穴吹町穴吹町
口山村--5,001口山村--5,227穴吹町穴吹町穴吹町穴吹町
古宮村--3,790古宮村--3,985穴吹町穴吹町穴吹町穴吹町
小計---16,971小計---17,237--小計---16,460小計---15,359小計---13,575小計---11,643

美馬市の市役所が脇町にあらず穴吹だったり、ちょっと理解しにくいところがありますね。
エッ!穴吹に市役所があるのですか。知らなんだ。それは、東かがわ市役所が、三本松にあらず、白鳥にあることよりもオカシイ!!!(笑)
小野田=中心となる所がない。宇部=変な街。小郡=大河原より上。山口=静かだ。福山=情緒全くない街。笠岡=小さい。倉敷=大原美術館(100円)に入る。ゴッホの「アルプスへの道」とゴーガンの「タヒチにて」に感激す。岡山=整った街。宇野=バス待合所に寝る。坂出=商店街安っぽい。丸亀=葉書に丸亀城をスケッチ。
私は、街歩きをしても、写真も撮らず、スケッチもせず、ココロの中にメモをとるだけです。
例えば
鷹巣:こんなもんだろう
槻木:駅だけ立派!
山口:三本松とあんまり変わらない
笠岡:商店街が魚臭い(魚がキライなわけではありませんが・・・)
倉敷:市役所だけが目立つ
岡山:商店街は高松の圧勝!
宇野:なに、こんな短い駅前商店街・・・
坂出:この商店街のシャッターはいつ開くのだろう・・・
[73357] 2009年 12月 20日(日)08:35:30【1】千本桜 さん
頑張れワッキー
[73331] 白桃 さん
自分でもわかりませんが、吉野川の北側に鉄道が走っていたら、(鍛冶屋原線は無視)、脇町は遅くとも昭和の合併時に市制施行をしていたのではないか、
美馬郡の人口分布変遷と徳島本線の関連性を調べるのも面白そうですね。そのためには、明治期からの人口推移が分かればベストでしょうが、あいにく古い年代の資料を持ち合わせていませんので、昭和45年以降の国勢調査人口だけを表にしてみました。(昭和50年以降は確定値ですが、昭和45年の数値は速報値かも知れません)
調査年脇町美馬町穴吹町貞光町半田町一宇村木屋平村
昭和45年19,06110,47211,6438,8129,4065,0923,622
昭和50年19,02610,08110,3858,1218,4573,7323,098
昭和55年19,19410,2309,8788,0137,9152,9292,340
昭和60年19,33110,1489,2607,5287,2832,5301,950
平成2年19,1329,9348,4916,8996,7712,1241,602
平成7年19,0649,4838,1506,5296,3411,7441,505
平成12年18,3769,3107,6325,9635,5901,5471,314
意外にも、鉄道が走っていない脇町・美馬町より、鉄道が走っている穴吹町・貞光町・半田町の人口減が激しいのですね。脇町に焦点を当ててみます。資料がないので推測で書きますが、間違っていたら教えてください。たぶん、脇町の人口ピークは昭和20年代後半で、2万5千人程度いたのではないでしょうか。その後、急激に減少したはずですが、昭和45年から平成7年までは横這いで持ちこたえています。徳島市のベッドタウンに成り得ない距離に位置し、しかも、鉄道が走っていない環境での人口横這いは敢闘賞ものでしょう。工場誘致の賜でしょうね。ところが、何が原因か分かりませんが、平成12年には少し目立つ人口減になっています。
美馬郡の機能的センターが脇町なら、サブセンターは貞光でしょうね。平成の合併で、美馬市(脇町・美馬町・穴吹町,木屋平村)とつるぎ町(貞光町・半田町・一宇村)に分かれて合併したのは、そのような力関係が影響したからでしょうか?。でも、そうだとすると、貞光グループと関係が深そうな美馬町が脇町グループに組込まれていたり、美馬市の市役所が脇町にあらず穴吹だったり、ちょっと理解しにくいところがありますね。
脇町は未訪ですが、貞光・穴吹は自転車で走りました。ウン十年前の8月20日(晴れ)、高知市から徳島市まで走行。大歩危・小歩危の風景と、池田の町の繁華街を見たいという思いが強かったですね。川島か鴨島あたりで薄暗くなり、徳島市に着いたときは夜だったような。その夜は徳島駅で寝ました。元来めんどくさがりで記録するのが苦手ですが、自転車旅行中は気になった場所だけ、短いメモを書き残していました。たとえば次のように。小野田=中心となる所がない。宇部=変な街。小郡=大河原より上。山口=静かだ。福山=情緒全くない街。笠岡=小さい。倉敷=大原美術館(100円)に入る。ゴッホの「アルプスへの道」とゴーガンの「タヒチにて」に感激す。岡山=整った街。宇野=バス待合所に寝る。坂出=商店街安っぽい。丸亀=葉書に丸亀城をスケッチ。等々です。宇部が変な街とか、笠岡が小さいとか、坂出の商店街が安っぽいとか、いろいろ書いてますが、それは、笠岡はもっと大きな街で、坂出の商店街はもっと立派だろうと想像していたからにほかなりません。なので関係者の皆さん、気にしないでください。

追記
なかなか古い記憶が抜けなくて徳島本線と書きましたが、民営化後の1988年にJR四国は徳島本線を徳島線に改称していたのでした。
[73356] 2009年 12月 20日(日)00:30:36【1】ニジェガロージェッツ さん
第六回公式オフ会への御礼
第六回公式オフ会閉幕から早くもひと月が経とうとしていますが,未だにその余韻に浸っています。困ったものです。
時系列で言えば石島(井島)探検を終えた[72971]に続く形となりますが,第六回公式オフ会についての御礼かたがた,オフ本会を振り返えらせて頂きます。

当日の昼,石島を後にして宇野港に到着後,ペーロケさんのお車に同乗させていただきオフ会会場の苫田温泉「乃利武」へ向かいました。後続にはあっちゃんさんを乗せたfutsunoおじさん車が続き,途中,児島湖締切堤防経由で岡南飛行場を見学しました。隣県とはいえ,私には行く機会のなかった所だけに貴重な経験でした。ペーロケさんには深く感謝申し上げます。

飛行場で時間を取った分,乃利武へは少し遅れての到着です。グリグリさん,いっちゃんさんが受付で向かえてくれましたが,グリグリさんによれば当初は誰だか分からなかったとのこと。余程過去のオフ会でのニジェの印象が薄かったのかと思いきや,JOUTOUさんのお言葉を借りれば「もっとも変貌を遂げた男」
同室には最年長のhmtさん,第四回福岡オフ会幹事かぱぷうさん,石島探検隊長88さん,そして初参加のソーナンスさんと錚々たる面々。残る室長は皆勤の方とのことで誰だろう?と思いきや,何とグリグリ御大。見事な部屋割りにはただただ脱帽です。([73154] いっちゃんさん)

配られたのが今川焼さんの「クイズ ここはどこ?」。高砂などひと目で分かる市もいくつかあったがこれには大苦戦。参考に手持ちのソ連製世界地図帳の日本のページを見るものの分かる訳なし。

一次会を前に大浴場へ。これがまた迷路の連続。斜行エレベータで7階から3階へ「上がった」り,訳の分からない構造。とはいえ,浴場で石島の雨で冷えた汗を流し気分爽快に。さすがは温泉です。大変良いお湯でした。
一風呂浴びて体重を量ると68kg,2年前の福岡オフ当時とでは23kgの減。(500ml飲料に換算して46本分か。大袈裟な表現)
大浴場をあとにして,参加者が一同に会した一次会場「ニュー桃太郎」では石島ツアー行状記の発表の大役がありましたが,探検隊一同のご協力のもと良い報告が出来,これでひとまず「お役御免」。88隊長をはじめ,石島(井島)探検隊のメンバーの皆様には改めて感謝。
お題変って一次会「クイズ ここはどこ?」の答えあわせでは結局6問の正解。景品「地図中心 北極特集」をゲット。

二次会は喫煙可能な309号室,通称「不良部屋」にて全員集合。らるふさんの「日本のバルト海」を筆頭に秀作「ヘンテコ地図」の謎解きに夢中に。
続いて談笑の中で始まった岡山十番勝負では景品にイタリアの地図をゲット。今回のオフ会も地図三昧になりました。

ところで今回の幹事役のいっちゃんさんは裏方の準備に徹しておられたようで,酒類の飲めない小生に何度もコーラを持ってきて頂くなど,本当に畏れ多いことでした。そのときは雑談に夢中で,今にして何か手伝えることがあったのではと,後悔しております。次回こそいっちゃんさんにも楽しみの輪の中に入っていただくよう,気を配らなければなりません。

夜中1時30分ごろ散会,そして就寝。翌朝6時過ぎには目覚め,朝の大浴場から朝食会場へ。朝食の後はスナフキんさんの部屋でデジタル地図の実データ展示にお邪魔し,地図製作のご苦労の極々一端を垣間見たようで,いつも見て楽しむばかりの地図の裏側には,製作者の苦心が一杯詰まっている現実を知り勉強になりました。とはいえ,私などは「見てるだけ」の門外漢ですから,一枚の地図を見て製作者の「手抜き」や完成図の「粗」などは一生かかっても見抜けないことだと認識しました。

さて,いよいよ散会となり,次回での再会を誓いつつ旅館を後にして行きと同じくペーロケさんのお車で岡山駅へ。
ふと万歩計を見ると既に1843歩も歩いている。あの旅館,一体どういう構造しているんだと一同爆笑。

ああ,楽しかったオフ会も過ぎ去ること1ヶ月。今回のオフ会開催に尽力されたグリグリさん,いっちゃんさんをはじめ,ご参加された皆様,そして無念の参加断念にもかかわらずヨーグルトの差し入れを下さった中島悟さんにはこの場を借りて深く感謝を申し上げます。
次回も参加できるといいなあと願いつつ,次に皆さんにお会いする時に福岡オフ会に現れた過去の「ニジェガロージェッツ」が再登場するようでは,私としては健康の破綻を意味しています。どちらのニジェが現れるか,楽しみにしておいて下さい。
[73355] 2009年 12月 19日(土)16:56:09【2】山野[山野] さん
合併関連3件
でるでるさんへ
<栃木県>
岩舟町は21日にも法定協を再開するようにと佐野市へ申し入れを行うとの事。

<愛知県>
昨日、西尾市、幡豆町、一色町の各3市町議会に於いて法定協設置議案が可決されました。参照記事
<島根県>
一方、[73185](12月3日付け,山野)にて、タイトルに
法定協設置へ(斐川町)
と、書きましたが昨日の町議会(定例会最終日)に於いて出雲市との法定協設置議案が賛成6、反対9で否決されました。
参照記事
[73354] 2009年 12月 19日(土)00:54:03じゃごたろ さん
問題の訂正
[73353]でIssieさんに引用されましたので、元書き込みを訂正できないため、[73350]をあらためて。

Q. 酒田市と鶴岡市の積雪量の"違い"を与える地形的影響を答えよ。

とさせていただきます。
[73353] 2009年 12月 18日(金)23:48:12Issie さん
合併の弊害
[73350] じゃごたろ さん
鶴岡市櫛引(旧櫛引町)では積雪94cm

酒田市と鶴岡市の積雪量に与える地形的影響を答えよ。

あぁ,「鶴岡市」なんですね…。
[73352] 2009年 12月 18日(金)23:26:35なると金時 さん
ふと思い出して
本棚をゴソゴソ。
司馬遼太郎の街道をゆく「阿波紀行」の中の章に、脇町をゆく、てのがありますが、「わきちょう」とフリガナがついていました。司馬さんがつけたかどうかはわかりませんが、参考まで。
[73351] 2009年 12月 18日(金)23:25:41Issie さん
地図帳の地名表記
[73343] 興田小 さん
2006年11月に復刻された『中学校社会科地図~奥付「昭和25年 9月25日」』

この復刻版,私持ってます。…というより,ここでこの話題をふった言いだしっぺは私でした([25914])。すっかり忘れていましたが。

何回も触れているように,学校で使用する地図帳は「検定教科書」ですから,その内容については文部(科学)省の(しばしば瑣末で的外れな,得てして「政治的」と言えなくもなさそうなものも含まれるようにも思われる)チェックを通過したものであるわけです。したがって,地図の中の地名表記も,地図発行者の“自由な判断”ではなく一定の基準に基づいて行われます。
これについては,中学校の社会科教科書で大きなシェアを占めている 東京書籍 が このページ で紹介しています。
曰く,

--------------------------------------------------------------------------------------
そのよりどころは「検定基準」と「新地名表記の手引」です。

「検定基準」では,外国地名については次のように定められています。
・国名の表記は,原則として外務省外務報道官編集「世界の国一覧表」によること。
・地名及び人名の表記については,慣用を尊重すること。

「新地名表記の手引き」(以下「手引き」)は310ページにおよびますので,概略をお知らせします。ポイントは,
・地名はなるべく,その国なりその地域なりの呼び方によって書く。ただし慣用の熟しているものは,それに従って書く。
・現地での呼び方の基準として,それぞれの国における公用のほか国際的機関による統一表記を重視する。慣用についても,日本における慣用のほか,国際的慣用についても考慮する。
・片仮名書きの表記は,原則として,小学校,中学校,高等学校を通じて一定する。
--------------------------------------------------------------------------------------

これは現在のルールですが,「検定基準」についての基本的な考えはそう変わらないでしょう。なお,第2項にある「手引き」は,1978年に初版が作成され,東欧・ソ連の変革などによる地名改変を受けて2004年に改定された,とあります。
(このページ,もう1段フォルダをあがって 目次 を見ると,結構面白い話題が掲載されています。)

恐らく,1950年頃を中心とする昭和20年代半ばというのは「試行錯誤」の時期ではなかったかと思います。その後,一般地名については“現地語に近いカナ表記”が定着するようになりますが,さすがに国名について「チョンホワ」「ハーヌ」とするのはラディカルに過ぎて,漢字表記の日本語音読みに落ち着いた,というあたりでは。世間ではまだまだ,「しょうかいせき」「もうたくとう」「りしょうばん」「きんにっせい」が当然の時代ですから。

※そもそも,この時期は「外国地名表記」という個別具体的な問題以前に,教育内容そのものからが試行錯誤の状態だったように思います。何より,全くの新設教科であった「社会科」については教育方法自体がまだ確立していない段階です。従前の地理・歴史(国史)教育の否定の上に新設されたわけですから。
「社会科」に限らず全教科にわたって,教育内容とその方法については大幅に現場の裁量にまかせるというのが当時の文部省の(少なくとも表向きの)姿勢でした。それを一番象徴するのが,当時の「学習指導要領」に付されていた「(試案)」という言葉。「こんなカリキュラムはいかが?」というスタンスです。
「学習指導要領」から「試案」の文字が消えるのは1955(昭和30)年度の改訂版からです。それも小・中学校の「社会科」から。この間の経験を踏まえて教育内容とその方法について一定の形が固まってきた結果であるのですが,何よりも「試案」時代の教育内容に対する批判(“体験主義”的で体系的知識に欠ける,など…)を受けてのことでもあります。この辺り,昨今の「ゆとり教育批判」とほぼ同じ。
要するに文部省の政策転換があったわけで,背景には政権交代による「民主党の鳩山政権」の発足と,その民主党グループが主流派となって「自由民主党」が結成されたことも関係があるようです(後に自民党内では旧自由党の吉田系2派の方が主流になり,それが旧民主党系左派的な「福祉国家路線」をとるようになりますが)。以後,文部省の「統制」は表向きにも強化され,学習指導要領も「ここにリストアップした内容を,このようにして教えなさい」というスタンスに変わります。中には「こうして教えてはいけません」なんて内容も。
当然,教科書検定もこのスタンスで行われるのですね。

話を件の地図帳に戻して,

この地図帳をよく見ると,中国や朝鮮半島の地名がカタカナ書きになっているのはよいとして,平壌がなぜか「ビエンヤン」。大田は「ターチョン」。何か,中国語っぽいですね。木浦は「モクポ」,清津は「チョンチン」と,こちらは明らかに中国語とは違う発音なのですが(かと言って,韓国/朝鮮語の発音ともちょっと違っているけれど)。
よく言えば,「現地語音をカナ表記する」ための表記法がまだこなれていなかったのでしょう。
地名ではありませんが,韓国の「第二共和国」を終焉させた朴正煕少将らによる1961年のクーデター。これを伝える朝日新聞だったかの記事に掲載された新しい政府指導者の名簿になぜか韓国語読みがカナで併記したあったのですが,「崔」という姓の読みとして併記されていたのが「チョイ」。現在なら「チェ」と表記するところです。
少し前の地図であっても,「天安:チョナン」が「チョンアン」だったり,「新義州:シニジュ」が「シンウイジュ」や「シヌイジュ」だったりと,“試行錯誤”は続いていますね。…今は,だいぶこなれてきたのでしょうか。

[73349] じゃごたろ さん
徳川光圀

この人の名前,「光」という字と一緒に“上様”(将軍)から賜ったものですが,将軍家光が「圀」なんて“変な字”を下さることはずがありません。本当は「光國」(光国)という極めてオーソドックスな名前でした。それが,唐土において一時的な流行に終わっただけの 則天文字 である「圀」をわざわざ引っ張り出して取り替えてしまうあたり,次の藩主の地位を自分の息子ではなく兄の息子に譲ったなんて話も併せて考えると,相当に偏屈で理屈っぽい人だったんでしょうかね。「ボス」としては,かなりウザくて扱いにくい方だったのかも。

「怪-1グランプリ」

“あのトンネル”も,その手の趣味のある人たちには有名なスポットであるようで,しばしば耳にします。私にはそういう「趣味」はありませんが。
[73350] 2009年 12月 18日(金)22:13:34じゃごたろ さん
なんとなく問題
続けて。

最強クラスの寒波で、鶴岡市櫛引(旧櫛引町)では積雪94cmという報道が今朝ありました。一方、アメダスで確認すると酒田市は20cm程度。

では問題です。

酒田市と鶴岡市の積雪量に与える地形的影響を答えよ。

命令形でありますが、単なるクエスチョンです。。。
[73349] 2009年 12月 18日(金)21:39:23【2】じゃごたろ さん
冬来たりなば
こんばんは、じゃごたろです。
冬来たりなば春遠からじ、とはいいますが、どうやら今日は今シーズン初の真冬日(最高気温が氷点下)のようで、「春」の前に来るのは「真冬」なのです。

さて、いろいろと。

[73318] 伊豆之国 さん
八王子‥八王「寺」と書いてしまう人が結構いるようです。
奈良県には「王寺町」というのもありますし、近畿圏では間違いやすいかもしれないですね。
もっとも地名のほうは江戸時代までは「松坂」と書かれたので、歴史的にはこちらが「正統」なのですが‥。
「大阪」ももとは「大坂」。「坂」から「阪」へ変えるのは縁起かつぎのようですね。


[73311] oki さん
簡単なところでは、源頼朝や徳川光圀を読めない人はまずいないでしょうが
話はそれますが「圀」の字は、国字(日本で作られた字、例えば「凧」「辻」「働」など。「働」は中国に逆輸入されているようですが)ではなくてもともと中国で発明された文字なのに本国ではすぐに廃されて、日本の人物の名前に生き残っているということらしいです。陳舜臣の「中国の歴史」(講談社文庫)にある唐の武則天に関する記述の中で、
武則天は自分の名の照に「※」という新しい字をあてるなど、約二十の則天文字をつくっていました。それも廃されたのです。則天文字は現在、十七字が確認されています。「國」の字にあてた則天文字の「圀」だけはどうしたわけか日本に生き残り、水戸黄門徳川光圀の名に使われました。
とあります。

※・・・「明」の下に「空」と書く文字。


[73305] みかちゅう さん
「隅(大隅)・隈(阿武隈)」
これはPCの文字変換をすればわかると思いますが、「おおすみ」「おおくま」とどちらを入力するとしても「大隅」「大隈」の両者が候補として出てきます。これらは明治になって誰でも名字を名乗れるようになった際に誤った字で登録してしまって、それがそのまま正しい名字の読みになったということなのでしょう。


[73298] Issie さん
地名をどこまで知っていればそれが「常識」か,という線引きはなかなか難しいですね。
確かにどこまで知っていれは「常識」かは難しいでしょうが、以前も書き込んだことがありますが四十七都道府県の名前と位置を知っているのが常識になって欲しいものだと思いますね。たいがい知らぬ中の会話で、どこへ行った行かない、というのが共通の話題になりやすいと思いますし。


[73273] Issie さん
両A面
この単語、死語になっているかと思いきや、CDシングルのレンタルで二曲ともシングルカット扱いということで「両A面」と表記していることがあったりします。


他にも幾つか書き込みたいこともあるのですが、この一年の目標は
誰にも噛みつかずに来年のオフ会を迎えること
なので、ぐっとこらえて、、、


最後に、今晩東京12chでやってた「怪-1グランプリ」。放送されたあの橋で話は知りませんでしたが、「名所」であることは確かに知っていました。。。
[73348] 2009年 12月 18日(金)20:46:09BANDALGOM さん
上州関連2題
でるでるさんへ

太田市南前小屋地区の深谷市への編入ですが、群馬県議会も9月定例会(10月1日または15日)で全会一致で可決していたことが分かりました(155号議案)。

「ミクシィ」で、とある落書き帳メンバーの方の日記を見ていて(利根川右岸のもう一つの群馬県の区域に行かれたという話ですが)、市区町村変遷情報を見てみたところ、そういえば埼玉県議会の議決情報しかない、と思って群馬県議会も見てみた次第です。


[73344]山野さん
本日、中之条町は六合村との廃置分合議案を可決しました。
次は県議会というわけですが、群馬県議会の次の定例会は2月19日~3月19日ですね。
最終日は合併期日の9日前ということになります。

日程表では、3月9日にも議決が行われることになっていますが、ここで議決し、その日のうちに総務相に届け出て、期日5日前の23日ごろに官報告示ということになるのでしょうか。
あるいは臨時会を開くのかどうか・・・。
[73347] 2009年 12月 18日(金)19:42:11hmt さん
Re:ハーヌ民国 チョンホワ民国
[73340] 千本桜さん
昭和29年発行開成館の中学社会科地図には ハーヌ民国(韓国) チョンホワ(中華)民国
[73343] 興田小 さん
帝国書院の復刻版地図帳 中学校社会科地図 昭和25年 ハーヌ(韓)民国 チョンホワ(中華)民国
【以上、いずれも省略・変形した形で引用】

戦後の国語審議会 は、昭和24年(1949)の改組までの間に、現代かなづかい や 当用漢字 の答申を行いましたが、その他に、現代(民国以後)中国の地名・人名の書き方について建議を行なっています。

昭和24年7月30日 中国地名・人名書き方の表 (国語審議会会長から文部大臣あての建議)によると、中国の地名・人名は かな書きとし、現代の中国標準音を標準とするとしています。

この建議がその後に正式のルールになったのか、単なる提案だけに終ったのかは、実施期間を含めて知りません。
しかし、ヤンツー川(揚子江)、チャンチェシー(蒋介石)など、この原則に従ったと思われる表記が、一部で使われた記憶はあります。

チョンホワ民国(中華民国)も、この方式に従った表記と思われますが、国語審議会の建議では江蘇省など行政単位は漢字で書くことになっているので、地図にチョンホワ民国と書いたのは「やりすぎ」ではないかという気がします。
正式のルールによるものではないと思われる朝鮮地名に適用したハーヌ民国と共に、社会に十分認知されなかったのではないでしょうか。

それでも、キムジョンイル とか ピョンヤン とか、固有名詞の現地読みは、勢力を拡大しつつあるようでもあります。
中国と違い、当該国の漢字離れがその理由かもしれません。事実、「イル」だけでは漢字が「一」か「日」かどちらかわかりません。
昔の新聞が犯した「金正一」のような誤表記を避けるためには、かな表記がベターなのでしょう。

大韓民国と中華人民共和国がそれぞれ独立した当時ですので、相対的、恣意的、便宜的な意図を感じてしまいますが、現在と同じ表現に改めたのはいつ頃なのでしょうかね (^^ゞ

大韓民国(1948/7/17)と朝鮮民主主義人民共和国(1948/9/9)とが相次いで成立したのが昭和23年ですが、昭和25年帝国書院の地図帳p.51では ハーヌ民国だけを南に記し、北の国名と 事実上の南北国境だった 38度線はありません。
実は文部省がこの地図を検定している最中の 1950/6/25に 朝鮮戦争が勃発しています。

中華人民共和国成立は、国民政府軍と中共軍との内戦のさなか、1949/10/1(昭和24年)です。半年ほど前に、中共軍は南京を奪取して 支配地域を拡大していました。
しかし、内戦中ですから昭和25年の地図が「中華民国」と「首府南京」になっているのは、やむを得ないでしょう。

南京を失った後の中華民国の事実上の首府は、広州>重慶>成都を経て、1949年12月には 台北に落ち着きました。
実はこの時点での(平和条約前の)台湾は 国際法上は日本の一部であり、台湾の国民政府軍は GHQの下で日本を占領する連合国軍 だったのだと思われます。
従って、台北は仮の首府であり、形式的には国民政府の首府は いまだに南京らしいのですが、こうなると、東京遷都も正式手続きがなく、日本の「みやこ」は 今でも京都であるという話[1297]に似てきます。

台湾の広場 によると、帝国書院昭和28年版までこの記載が続いていたが、昭和29年版で現実に沿った「中国(中華人民共和国)」に改められ、台湾には「中国(中華民国)」の表記が現れたようです。

実は、この少し前の昭和27年(1952)4月28日に「日本国との平和条約」が発効し、日本は連合国による占領状態を脱しました。昭和28年版までは朝鮮戦争の相手である“中共”を正統の国家として認めない占領軍の意向に従わざるを得なかった検定教科書も、日本独立と共に現実を正しく記すことになったのでしょう。

日本は、この後1956年に国際連合に加盟し、その国連では、1971年に中国の代表が 国民政府から 中華人民共和国に 入れ替わりました。泥沼化したベトナム戦争解決のために行なわれた 東西両陣営の駆け引きの結果と観測されています。

日本が中華人民共和国と国交を結んだのは、ニクソン訪中のあった 1972年ですから、文部省検定地図は、外務省が中国の新政権を認めるよりも 18年も早く「中華人民共和国」を記していたことになります。

なお、文部省検定地図には「朝鮮民主主義人民共和国」も記されていますが、この政権を承認していない 外務省のサイト では、今でも「北朝鮮」となっています。
[73346] 2009年 12月 18日(金)18:01:31スナフキん さん
仕事していてふと気がついたこと…
交通新聞社発行の時刻表さくいん地図を参照しながら、仕事していて気がついたのですが…

大手(と称する)私鉄の会社名、路線名から原則省くようになったんですねぇ。あれ、そんな表記でずっとやっていたんだっけ? と思ってバックナンバーを調べてみると、意外にこうなったのは最近のことで、2009年3月号から。

まぁ確かに、所詮「さくいん」なのであってデフォルメ図。会社名を調べるための図でも、路線の所属を確かめるための図でもないのは事実ですが、ただ…「多摩川線」とか「小田原線」で、いいのか? マニアでない人に対して、その表記がさくいんとしても適当なのか? という気はします。

「原則」から外れているのは、いわゆる「本線」と名のつく路線。これにはさすがに便宜的に社名を冠してはいます。しかし、その手法には全く統一性・一貫性が見られません。「京成電鉄本線」「相模鉄道本線」「京阪本線」「南海本線」…なまじ私のように、おかしな方向へ目が肥えているとこういうの、「えーっ?!」と思ってしまいます。それでいて「名古屋本線」「京都本線」があるのだから、もう何が何だか…。

しかも、略しているのは大手だけかと思いきや、「妙見線」…おいおい、いくら朝晩直通しているからって、能勢電鉄がどこかあさっての方向へ飛んで行っちゃっていいのかなぁ。「三岐線」…いつから近鉄の仲間になったんでしょ。

うーん、たかがさくいん図ですけど、いったいこのテーマ図はどこへ向かおうとしているんでしょうかねぇ。
[73345] 2009年 12月 18日(金)17:22:22BANDALGOM さん
県議会情報
新潟県議会は長岡市・川口町の、山口県議会は山口市・阿東町の廃置分合議案を、今日それぞれ可決しました。

新潟県議会はライブ中継がないですが、結果がすぐにアップされますし、山口県議会の方が気になっていたため、こちらの中継を聴いたわけですが、委員長報告では廃置分合議案のことは分かりませんでした。

やはり11月30日に可決されたのだろうか、と思いながらしばらく聴いていましたが、共産党議員の反対討論で廃置分合議案に言及されたため、ようやく分かった次第です。
その後、一括採決が4回ほど続いたところで席を外しましたが、ここまでの採決ではすべて可決されており、廃置分合議案も可決されたと判断しました。

ということで、でるでるさん、よろしくお願いします。
[73344] 2009年 12月 18日(金)17:17:26山野[山野] さん
合併議決(中之条町)/合併方式(松江)
でるでるさんへ
<1件目>
本日、中之条町は六合村との廃置分合議案を可決しました。
また、六合村でも今月9日に可決済みとの事。
合併協議会HPより。
<2件目>
松江市及び東出雲町の任意協にて合併方式は「編入合併」を提案されたとの事。島根日日新聞より。
[73343] 2009年 12月 18日(金)01:04:01興田小 さん
伊豆の方々は眠れぬ夜ですね (;□;)!!
落書き帳の皆さま、こんばんは。
東伊豆で午後からちょくちょくと震度1や2の小さな地震が起こってましたが、23:45発生のものは伊東市で震度5弱を観測し、都内のわたしも揺れを感じました。大きな災害にならなければよいのですが…

[73330] Issieさま
様々な例をご教示いただきどうもありがとうございます。「中央ユーラシア」はとても新鮮に感じました (+o+)
なお、「支那」という表現は呼び水の積もりで例示したもので、わたし自身の受けてきた教育の中にはありませんでした。
学校で(公式に)教わったとなると今ではかなりのご年配では
…ですが、誤解を招いてしまいましたね。「大英帝国」や「アイヌ」なんて例がより適切でした。どうも申し訳ありませんでした。
過去ログから判断しますに、わたしはIssieさまと同年代のようです。

ただしこの「流れ」,多分に恣意的で一貫性がないのも事実です。
教える側からすると、地理的、民族的、言語的、経済的、政治的、宗教的にと、いろいろな立場から言葉の取捨選択が必要となるのでしょう。ただ、教わる側としては、許されるのなら双方の立場をそれぞれに踏まえた上で教わりたいというのが理想です。
この国の主張は△△、あの国の主張は☆☆とか、現在は□□、過去は○○というような教育が為されれば、他者に対する理解も歴史認識もより深いものとなることでしょうね (^^)
デリケートにならざるを得ない民族間の問題にしても、‘くさいものに蓋’ではなく、なぜくさいか、なぜ蓋をしようとするのか、まできちんと学びたいものです φ(..)

「中央ヨーロッパ」という表現から、『2000年前はローマ!!』と発想してしまったわたしは、甚だバランス感覚欠如ですが (^.^A


[73340] 千本桜さま
ハーヌ民国 チョンホワ民国

[26632] のBerryBlossomさまの記事にもハーヌ民国・チョンホワ民国の記述がありました…恐るべし!!落書き帳 (゜_゜)
「帝国書院の復刻版地図帳 地図で見る昭和の動き」を読んでいて、終戦直後のものの中国と韓国のそれぞれの表記が「チョンホワ(中華)民国」と「ハーヌ(韓)民国」となっていたのが印象的でした。
千本桜さまがご覧の地図帳より4年ほど内容が古いもので、2006年11月に復刻された『中学校社会科地図~奥付「昭和25年 9月25日」』の記述のようです。中華民国の首都は南京に置かれているそうです。

大韓民国と中華人民共和国がそれぞれ独立した当時ですので、相対的、恣意的、便宜的な意図を感じてしまいますが、現在と同じ表現に改めたのはいつ頃なのでしょうかね (^^ゞ
[73342] 2009年 12月 17日(木)23:12:27伊豆之国 さん
うだつが上がらぬ話ですが‥
[73308][73320]okiさん
[73316][73331]白桃さん
[73326]なると金時さん
脇町
の話で盛り上がっているようですが、その脇町は「うだつ」の町並みで有名(実を言うと私は行ったことがないのですが‥)。この「うだつ」の並ぶ町並みは、脇町の他にも、岐阜県美濃市(こちらは10年ほど前に‥)などいくつかあり、街道筋の問屋町として栄えていたところに多く見られるようです。「うだつ」とは
屋根の両端を一段高くして火災の類焼を防ぐために造られた防火壁
のことで、
美濃市にはこの「うだつ」が多く残っています。裕福な家しか「うだつ」を造ることができなかったため、庶民の願望から「うだつを上げる・うだつが上がらない」の言葉もできました
(美濃市HPより)
ということのようです。
ところで「脇町」に戻りますが、私が持っている観光ガイドブックや「町並み歩き」の本を見ると、ただ「脇」と紹介されているものが多かったようです(それ以前に、町並み歩きが話題にならなかった頃の古いガイドブックではほとんど無視の状態でしたが‥)。

「うだつ」で連想したのが、金沢市の「卯辰山」。金沢城から見て「卯」と「辰」の間の方角(東南東)にあるからそうなのだろう、とずっと思っていたのですが、実際の地図を見るとそうではなくて、むしろ東北東、「寅」の方角に近いようなのです。ひょっとしたら「うたつ山」と「うだつ」は関係があるかも、と思ったのですが、やはりこの地域の話はご当地のメンバーの方に任せるのが一番‥。
[73341] 2009年 12月 17日(木)18:53:33淡水魚 さん
生存報告 蔦の細道
みなさまお久しぶりです。
昨日、ウォーキングに誘われて、岡部の坂下から蔦の細道を通り、静岡県庁前まで歩きました。
藤枝のマルナカでラーメンを食べ、バスで岡部へ。案内表示にしたがって地蔵堂で旧東海道と別れ、親水公園沿いに進んで細い橋を渡り、蔦の細道に入ります。かなりの上り坂で細く、ミカン畑の横を通って頂上到着。在中将の歌碑があり、岡部側の展望が開けています。静岡側に下って道の駅宇津ノ谷峠に到着。しばらく国道沿いに歩き、とろろ屋の横を通って、手越から安倍川を渡り、石部屋で安部川餅をいただきました。石部屋さんには古い写真が展示してあって、明治時代の橋や大正の町並みが見られます。眺めていたら店主さんが、「明治の橋は今の橋より少し下流にあった」とかいろいろ話してくれました。
[73340] 2009年 12月 17日(木)18:49:01千本桜 さん
ハーヌ民国 チョンホワ民国
[73329] 興田小 さん
かつては教えていたが現在は避ける傾向にある表現はほかにもあるのでしょうか?
わたしが思いついたのは「旧大陸」と「新大陸」や「支那」です。
最近は「南朝鮮」も耳にしなくなりましたね。

[73330] Issie さん
学校で(公式に)教わったとなると
記憶が定かではないのですが、中学校で教わったのは「北朝鮮」「南朝鮮」だったような。「北朝鮮」は工業国で、「南朝鮮」は農業国という教えられ方をしたような・・・。ところが、姉が残して行った昭和29年発行開成館の中学社会科地図には、南北ひっくるめて「ハーヌ民国(韓国)」と記載されているのですよ。ちなみに、中国の名称については、ページによって「中国」だったり、チョンホワ(中華)民国だったりしています。もちろん、私の時代はハーヌ民国とかチョンホワ民国という教えられ方はしていませんけど。
[73339] 2009年 12月 17日(木)17:19:16桜トンネル さん
十番勝負において運の良い市(第二十五回反映版)&村上市
それでは今回も発表します。
では、今回も「十番勝負において運のいい市」を発表したいと思います。「十番勝負において運のいい市」とは今まで25回行われた十番勝負で、メダルを獲得したことのある市のことを言います。それをメダルの色に分けて、発表します。また、市のみでなく都道府県単位でも発表します。(前回反映版:[72722]

~市バージョン~

●金メダルを受賞した市ランキング
1位岡山市 6個
2位金沢市 4個
3位いわき市、白山市、小浜市、敦賀市、東かがわ市、高松市 3個
4位夕張市、五所川原市、那須塩原市、長岡市、富山市、中央市、富士市、豊田市、大津市、福知山市、向日市
京都市、神戸市、豊岡市、西脇市、明石市、貝塚市、大和高田市、総社市、広島市、山陽小野田市、善通寺市
観音寺市、阿波市、松山市、大野城市、石垣市 2個

今回の十番勝負で、EMMさんが問六を白山市で解答されたため、白山市が3位に浮上して来ました。今までの2個のメダルは星野彼方さんによるものであるので、星野彼方さん以外での獲得は今回が初めてとなります。また、松山市が第三回(2004年8月開催)以来の金メダルで、4位に浮上してきました。愛媛県からのランクインはこれが初めてとなっています。

●銀メダルを受賞した市ランキング
1位金沢市 5個
2位彦根市、養父市、出雲市、高松市、鳴門市、西予市 3個
3位旭川市、村山市、一関市、日光市、足利市、館林市、館山市、伊勢原市、射水市、珠洲市、福井市、浜松市、伊東市
岐阜市、名古屋市、加古川市、玉野市、広島市、下関市、阿南市、八幡浜市、久留米市 2個

今回の十番勝負で射水市が第二十二回(2009年4月開催)以来の銀メダル獲得で、早くも3位にランクインしました。この調子で、一気に浮上してくるのでしょうか?また、珠洲市が第五回(2005年1月開催)以来の銀メダルを獲得し、ここもまた3位に浮上しました。これによって、3位には北陸の都市が3市もランクインすることになりました。

●銅メダルを受賞した市ランキング
1位山形市、横浜市、糸魚川市、南砺市、越前市、浜松市、阿南市、高知市、福岡市 3個
2位室蘭市、弘前市、大館市、男鹿市、酒田市、郡山市、つくば市、三郷市、浦安市、習志野市、旭市、勝浦市、調布市、藤沢市
新潟市、富山市、黒部市、金沢市、小浜市、飯田市、本巣市、新城市、東海市、京丹後市、尼崎市、大阪市
倉吉市、岡山市、広島市、高松市、西条市、春日市、串木野市 2個
3位網走市、常総市、那須烏山市、さいたま市、洲本市、五島市、中津市を含む157市 1個

※ 串木野市は合併して、いちき串木野市になりました。

今回の十番勝負で、問一でぺとぺとさんが新城市を解答されたため、第十四回(2007年1月開催)以来の獲得で、2位に浮上しました。ちなみに、この時の共通項も「温泉のつく駅がある市」で、類問となっています。また、倉吉市を星野彼方さんが解答されたため、第二十一回(2009年1月開催)以来の獲得となり、2位に浮上しました。まだ一年も経っていないにも関わらず、早くも2位への浮上となりました。また、西条市を白桃さんが解答されたため、第十三回(2006年10月開催)以来の獲得となり、2位に浮上しました。

●受賞した市の総合ランキング
1位金沢市 11個
2位岡山市、高松市  8個
3位浜松市、広島市  6個
4位横浜市、富山市、南砺市、小浜市、敦賀市、阿南市 5個
5位いわき市、糸魚川市、珠洲市、神戸市、東かがわ市、高知市、福岡市、石垣市 4個

金沢市の独走態勢に変化はありませんが、横浜市の銀メダル獲得により5位から4位へと浮上しました。また、珠洲市の銀メダル獲得によって、5位に新規ランクインしました。相変わらず、北陸地方の都市が目立っているように見えるのは気のせいなのでしょうか?

★すべてのメダル(金、銀、銅)を受賞している市

★つくば市(金1銀1銅2)
★横浜市(金1銀1銅3)
 富山市(金2銀1銅2)
 南砺市(金1銀1銅2)
 高岡市(金1銀1銅1)
 金沢市(金4銀5銅2)
 加賀市(金1銀1銅1)
●珠洲市(金1銀2銅1)
 敦賀市(金3銀1銅1)
 浜松市(金1銀2銅3)
 神戸市(金2銀1銅1)
 姫路市(金1銀1銅1)
 高槻市(金1銀1銅1)
 和歌山市(金1銀1銅1)
 広島市(金2銀2銅2)
 高松市(金3銀3銅2)
★五島市(金1銀1銅1)
 石垣市(金2銀1銅1)

※●はメダルの個数が増加、★は新規ランクインです。
前回の15市から3市(つくば市、横浜市、五島市)がランクインして、18市になりました。また、珠洲市だけでしたが、メダル数を増やしています。それにしても、五島市が入ってくるのにはすこし驚きました。

~都道府県バージョン~

●金メダルを受賞した都道府県ランキング
1位兵庫県 17個
2位香川県 14個
3位大阪府 13個
4位石川県、愛知県 12個
5位茨城県、静岡県、岡山県 10個

兵庫県が金メダルを1個獲得したことにより、2位の香川県とは3個差になりました。また、石川県が金メダルを2個獲得したことにより、5位から4位へと浮上しました。石川県の金メダルはいずれもEMMさんによるもので、3大会連続の獲得となっています。このままの調子を続けるのでしょうか?

●銀メダルを受賞した都道府県ランキング
1位兵庫県 14個
2位千葉県 11個
3位茨城県、埼玉県、福岡県 10個
4位神奈川県、石川県、愛知県  9個
5位北海道、富山県、静岡県、大阪府、愛媛県 7個

茨城県が銀メダルを獲得したことにより、3位に浮上しました。また、福岡県も銀メダルを2個獲得したため、一気に3位へと浮上してきました。また、神奈川県と石川県もそれぞれメダルを1個獲得したので、4位に浮上してきました。それにより、7個の都道府県もランクインするようになったので、2位以下は混戦となってきました。ただ、4位と5位の差は2個差なので、差は少し開いているようです。

●銅メダルを受賞した都道府県ランキング
1位北海道 14個
2位兵庫県 13個
3位富山県 12個
4位千葉県、愛知県 11個
5位茨城県、福井県、大阪府  9個

北海道が銅メダルを獲得したことにより、1位を死守しました。兵庫県も銅メダル1個を獲得しましたが、北海道に逃げ切られて2位になっています。また、愛知県も銅メダルを1個獲得しましたが、そのままの4位となっていて、茨城県も1個獲得し、なんとか5位に入ることが出来ました。ここもまだ混戦が続いているようです。

●受賞した都道府県の総合ランキング
1位兵庫県 44個
2位愛知県 32個
3位北海道、茨城県、大阪府 29個
4位千葉県 27個
5位福岡県 25個

兵庫県がメダルを2個獲得したので、2位の愛知県とは12個差になりました。ただ、愛知県も1個メダルを獲得し、ついてきています。また、北海道のメダル数も1個増え、4位から3位に浮上しました。また、茨城県もメダル数を2個増やして、5位から3位へと浮上してきました。そのため、福岡県が新たに5位にランクインしました。福岡県もメダル数を2個増やしてのランクインです。こちらはどの順位の間にも2個差以上はあるので、あまり変動はしないように思いますが、どうなるのでしょうか?

▼金メダルを受賞したことのない都道府県

佐賀県

今回もまた、変動はありませんでした。ただ、佐賀県は金メダルなしでメダル数10個を達成しました。(内訳:銀6銅4)

■金・銀・銅すべてが3位以内に入っている都道府県

兵庫県【1位・1位・2位】(11大会連続11回目)

■金・銀・銅すべてが5位以内に入っている都道府県

茨城県【5位・3位・5位】(2大会ぶり6回目)
愛知県【4位・4位・4位】(4大会連続9回目)
大阪府【3位・5位・5位】(12大会ぶり2回目)

※後ろの括弧の中のものは第十三回からの記録となっています。また、第二十一回と第二十二回は同じ記事で発表したため、2大会の記録をあわせているので、1大会分少なくなっています。

3位以内のほうは変動なしでしたが、5位以内のほうに茨城県と大阪府がランクインしました。この両府県とも銀メダルと銅メダルのランキングにて、順位が繰り上がったのが大きかったようです。茨城県は前回の十番勝負で陥落してしまったもののすぐに復活して来ました。また、大阪府にいたっては第十三回十番勝負以来となるランクインを果たしました。ただ、両府県とも5位が2つあるので、陥落の可能性は大きくあると思います。

#ちなみに前回と前々回と前々々回の運の良い市の最後に
>言ったとおりに今回の集計しなおしで、いろいろと詳しいことも調べました。その結果はテストが終わってからの5月後半に書き込みたいと思います。
と書いてありましたが、結局は公開できませんでした。現在は忙しいので、十番勝負も終わって、忙しくなくなりそうな年末に公開したいと思います。
と書いてありましたが、もしかしたらというか書けない可能性のほうが高いです。また、機会があるときに公開したいと思います。
[73338] 2009年 12月 17日(木)17:19:12桜トンネル さん
第二十五回全国の市十番勝負の奮闘記(後編)&南魚沼市
それでは、第一回採点以降の解答(問八、問六、問二)と解答できなかった問七です。

●問八:阿蘇市【4位】([73079]) 2009 年 11 月 29 日 (日) 00:57:06
■自分より人口の多い町村が隣接する市(人口は2008年10月1日推計人口による)

前の解答から少しすると、どんどんと問七が売れて行き、いつの間にか想定解終了になってしまい、完答はこの時点で不可能となりました。
それならば、解答数からいっておそらくまだメダルが確定していない問八に標的を定めました。
ただ、この問題は出題当時から人口が少ないことが関係しているのは目に見えているので、ずっと疑っていましたが、八幡平市、稲敷市、高浜市、宮若市は都道府県内で1番人口の少ないところでもなく、手がかりはまったくありませんでした。
人口減少率や人口減少、過疎のほうを疑いましたが、高浜市は人口が増加していますし、宮若市はほぼ横ばい状態でした。
しかし、たまたまこの検索結果を見てみると、八幡平市の人口が隣接する滝沢村の人口より少ないことが気になりました。
そこから、[56501]のKKさんの記事が思い浮かびました。
そして、金メダル解答者はKKさん・・・なんというか、「さすが」の一言しか言えません。
ただ、これは解を探し出すのに時間がかかりそうだったので、北海道から探そうと思ったのですが、おそらく夕張市とか歌志内市とかは普通に該当しているだろうから、面白くないと思って南から探していくことにしました。
すると、すぐに熊本県から見つかったので、「阿蘇市」を解答しました。
それにしても、今度は3分差で銅メダルを逃してしまいましたが、この問を答えられただけでも十分、満足しないといけませんね。

●問六:千歳市【16位】([73128]) 2009 年 11 月 30 日 (月) 17:44:11
■ビール工場がある市

そして、残り2問が解けないまま、平日へと突入しました。
問六はまだ残りがあるからいいものの、問二にいたっては残り数市という状況だったので、たぶん学校に行っている間に売切れてしまうだろうと思っていましたが、帰って見てみると奇跡的にどちらも残っているではないですか!
ただ、問二の解の出は依然としてよくなく、問六が急速に進んでいるではないですか。
そんなわけもあり、先に問六を片付けてしまおうと思いました。
最初はらるふさんと同じようにラグビー関係、そこから野球場へと飛んで、そして、大学を調べていました。
そこで、真っ先に「本宮市、守谷市、南足柄市、長岡京市、朝倉市、日田市、名護市」で検索をしてみると、このサイトが引っかかりました。
どこか怪しげな感じもしたのですが、一応お題と既出解はクリアーしているではないですか!
ただこの時点で、解として残っているのは北海道と宮城県と愛知県から2市ずつだけだったので、2答県からの解答も考えましたが、やはり北海道使用率を上げておきたいと思って、「千歳市」を解答しました。
そして、北海道からの解答は2大会連続となりました。
それにしても、解答時のコメントにも書きましたが、神戸市のはこの時、初めて知りました。
ただ、西宮市のは名神高速道路を走っていると、嫌でも目に入りますし、その工場の前を自転車で走ったこともあるんですから・・・。

ここで、2回目の採点、そして第一ヒントでした。

●問二:つくばみらい市【12位】([73139]) 2009 年 11 月 30 日 (月) 23:37:32
■郵便番号の上3桁に100のキリ番がある市

これは解答が固まっていたので、甲斐市や中央市、筑西市といったところを解答したくて仕方ありませんでした(笑)。
ただ、今回の目標は誤答なしだったので、それを達成すべく必死に我慢しました。
それでも、甲府市、中央市、南アルプス市という線から山梨交通の廃線や山梨環状道路が気になったことは間違いありません。
しかも、岡山環状道路や京都環状道路、岐阜環状道路(しかも京都と岐阜は県道で山梨と一致)があり、深みにはまってしまいました。
ヒントでも「コード」というのを見つけてやっと、「コードがキリ番」と分かったのですが、やはり皆さんと同じように自治体コードへと走った後、その次に進んだのが、金融機関・銀行のコードでつくば市にある銀行のコード番号を調べる始末^^;。
結局、「南アルプス市 コード」で検索をして出てきたこのページに郵便番号が載っていて、「そういうことだったのか!」と納得している自分がいました(笑)。
解答はこの時点で4市残っていましたが、解選びに苦戦しているとかぱぷうさんに抜かれてしまいました。
でも、ここはなんとなく使っておきたかった「つくばみらい市」を解答しました。
つくばみらい市は2回目の使用となりました。

●問七:未解答
■市名の文字がユニークな市

EMMさんが解答されたあたりで既出解から、なんとなく「苦手な名前系だろうなぁ」とは思っていましたが、アナグラムも分からなかったので終了まで分かりませんでした。
蕨市、堺市、呉市から一文字市である「燕市」を当てずっぽうから解答しようかとも思いましたが、誤答0を目指していた上に採点の間があるということで、諦めましたが、まさか正解だったとは(笑)。
う~ん・・・やっぱり名前系は苦手だなぁ・・・。

●総括

今回は9勝0敗(前回10勝1敗)、正答数ランキング6位(前回1位)、メダルランキング8位(前回9位)、メダル銀3銅1(前回銀4銅2)と前回と比べるとやはり少し成績が下がったように思います。
でも、今回は想定解数の少ない問題ばかりだったので、この9問正解やメダル獲得してながら文句を言ったら、バチが当たります。
また、今回で9回目のメダル獲得となりました。
そして、誤答数も今大会初めて、誤答0を達成することが出来ました。(だた、完答は出来ていないので、参考記録となってしまいますが。)
そのため、連続正答数記録も18連続正答でトップタイなっていますので、次回1問でも多く正答して、この記録を塗り替えたいと思います。
ただ、今回はスタートダッシュには成功したものの、解が出てから考えるというパターンでしたので、金メダルを獲得することが出来るわけがありませんでした。
そのためか、歴代メダルランキングでは一時、5位までに上り詰めたものの現在は8位と下落してしまっています。
次回からはぜひ、誰かの解答の前に答えて、久しぶりの金メダル獲得をしたいところです。
ただ、銀メダルの個数だけでもぺとぺとさんの個数を追い抜かすことになり、3位に浮上しました。(実はぺとぺとさんとは第十一回からの参加で、同期となっているんですよね。)
また、7人目の銅メダル10個に達成しました。
ちなみに、今回の平均問題解答順位は5.9位でして、完答出来なかった回のみでは第3位にはいる記録で、その中でも9問正答のみに絞ると第2位の記録となりました。
ちなみに、完答した時のも含めると第6位となりました。
やはり次回は今回より成績が悪くなってしまうでしょうが、出来るだけ悪くならないようにがんばりたいと思います。
ひとまず、次回の目標も完答とメダル獲得とします。
ただ、次回こそ正月開催が予想され、また学校も仕事始めと同じ日から始まるということで、不利な状況になることは間違いないと思います。
メダル獲得はおそらく難問ばかりが残ってしまう結果なので、獲得は難しそうですし、完答さえ逃すかもしれません。
また、今回は前回の感想文に書いていた目標である
次回の解答地域対象は「西日本シリーズ」(近畿・中国・四国・九州の2答府県)でいこうと思います。(全部で10府県が該当しています。)
でしたが、富山県、山口県、福岡県、佐賀県の4県を解答することが出来ました。
想定解数が少なく、解を選ぶ余裕がない中、ここまで解答できたのは想定外でした。
そこで、次回の解答対象地域は「東日本シリーズ」(東北・関東・甲信越・北陸の2答県)でいこうと思います。(全部で7県が該当しています。)
それでも、解を探す順番は未解答県庁所在地(神戸市のみ)=広島市>1答県(香川県のみ)>「東日本シリーズ」(2答県のみ)>その他の地域でいこうと思います。
ちなみに、そのシリーズが終わったら「西日本シリーズ」(2答県のみ)か近畿・四国シリーズで行こうと考えています。


十番勝負解答利用回数(都道府県版)

今回は西日本からの解答(特に九州)が多く、西に偏ったように思うかもしれませんが、4答県は東日本のほうが多くなっています。
ただ、やはり今回は香川県の解がなかった(問十の東かがわ市のみでしたが、それはお題にあります)ので、次回へと持ち越しになりました。
次回こそ、香川県を解答して、2答県減らしへと移りたいと思います。

十番勝負解答利用回数(県庁所在地版)

今回は名古屋市の使用解答が1回増えただけとなりました。
ただ、こちらも神戸市の解がなかった(問六のみでしたが、これもまたお題になっています)ので、次回以降への持ち越しとなりました。

メダル獲得数

今回の十番勝負により、1位だった関東と近畿地方を九州地方が抜かし、トップになりまして、計8個となっています。
しかも、九州地方は沖縄県を残すのみとなっていて、リーチということになっています。
また、富山県でのメダル数が3個となり、兵庫県、広島県に並び3県目となりました。

最後になってしまいましたが、今回も採点をしてくださったグリグリさん、また十番勝負に参加された皆さん、落書き帳をごらんの皆さん、いろいろとありがとうございました。また、次回も時間があれば、参加したいと思います。そのときはよろしくお願いします。
[73337] 2009年 12月 17日(木)17:19:09桜トンネル さん
第二十五回全国の市十番勝負の奮闘記(前編)&見附市
では、今回も感想文を提出したいと思います。今回は2分割になっています。
ただ、終了して2週間が経ってしまいました。おそらく僕が最後の投稿者になるのではないかと思います。遅くなってしまいましたが、「傾向と対策」に載せていただきますようお願いします。>グリグリさん

前回の感想文を書き込んだ後に、[72744]グリグリさんにより第二十五回十番勝負が約3週間後に開始されることが発表されました。
今回の開催日である11月28日の午前9時10分は、ちょうど学校が休みになっていましたので、スタート時からの参加が可能となっていました。
ただ、今回もまた学校がある期間中の出題となり、これで4大会連続となってしまいました。
しかし、今回は前回とは違い、想定解数が少ないため、土日に終わらせることが出来なければ、学校に行っている時間などに解が売り切れになってしまう可能性があったため、どのみち完答は無理だろうと思っていました。(しかし、結果は9問正解で予想以上でした。)
また、採点時間も長いということもあり、おっちょこちょいの僕にとっては、「これは誤答をしたら、終わりだ」という考えを持ったため、解答は慎重にすることを心がけました。
そこで、今回の目標は[72741]に書いていた「完答+メダル1個」を変更し、また油天神山の書き込みに触発されたため、「誤答0+メダル1個」を最低条件にして、その上に完答は二の次に持ってきて、出来ればすることに切り替えました。
また、解答する都道府県にもこだわりたかったのですが、おそらくはそれどころではなくなるだろうと思っていたため、こだわらないことにしました。
やはり、メダルを取るにはスタートダッシュがとても、重要なので朝は早めに起きることにしました。
ちなみに、今回は予想問題を1問のみ、作成しまして、想定解数がちょうど18市で、もしかしたら出題されるかもと思っていましたが、まったく出ていませんでした。(実はこの問題、ずっと前から「いつか出るのではないか」と思っていたのですが、想定解数の少なさで見送っていたものでした。)
他にも過去に作った想定解数の少ない問題にも目を通しましたが、1問も該当するものはありませんでした。
まぁ、今回は開催の期間があまりなかった上に、模試なども重なったため、前回の感想文に「いろいろと作れそう」と書き込みましたが、これは年末に持ち込み、次回の十番勝負の対策用としました。
そんなこんなで、当日を迎えました。
朝は8時に起き、そこからいろいろなセッティングを済ませ、9時25分にスタートです!

それでは、問題ごとの感想に移ります。ちなみに、解答順です。

●問九:豊前市【銀メダル!!】([72982]) 2009 年 11 月 28 日 (土) 09:40:10
■県外の市とのみ隣接する市

まずは問一から順に検索をしていきました。(ここで、本来ならば問六に気付かなければならなかったと思うのですが、大都市ばかりでたいした収穫がなかったのが、痛かったようです。)
そして、問九の市を入力しているとふと、ひらめきました。
すべて、県境に隣接している上に、新庄市といえば第十四回問六にて、[56351]に書かれている今川焼さんが、新庄市に隣接する湯沢市を答えて、金メダルを獲得されていますし、小浜市といえば、第十四回問五にて、今川焼さんが金メダルを獲得した市が小浜市であり、飯田市は県内隣接がないことも頭に入っており、鳴門市については[56100]白桃さんの問五のコメントが頭に残っていました。(ただ、これは第七回問九と同じ問題だったのですが、そこからはひらめきませんでした。)
そこから、鳥栖市はおそらく、みやき町で分断されているのだろうと推測しました。(この段階では地図を確認していない。)
おそらく、県境を越えての隣接のみのところだろうと思い、解答する市を探します。
ちょうど解答したい都道府県がありまして、それは2007年に解として使用した都道府県でした。
そこから、福岡県が目に入り、福岡県といえば[55961][56412]星野彼方さんの書き込みから豊前市がひらめきました。
というわけで、「豊前市」を解答しました。
金メダルだと思ったのですが・・・いや、それでも今回の目標であるメダル獲得はここで、達成しました。
また、問九とは相性がいいようで、金4銀2銅1となっていまして複数の金メダル獲得問題番号は問九のみであり、7個も最多となっています。
これからは真っ先に問九を考えようかな?
ちなみに、福岡県からの解答は2007年の10月に開催された第十七回以来、2年ぶりの使用となりました。

●問四:射水市【銀メダル!!】([72986]) 2009 年 11 月 28 日 (土) 09:47:54
■アナグラム読みの市がある市

問九を解答後も特にひらめくものはありませんでした。
そこで、落書き帳を更新してみると[72984]EMMさんの解答が目に付きました。
それを見て、「そーいやぁ、能美市ってアナグラム読みにしたら、美濃市になるよなぁー」と思って、お題を見てみると仙台市が大仙市に、白河市が柏原市に、富山市が大和市に、堺市が坂井市に、和泉市が出水市と射水市になるのはすぐに分かりました。
なにせ、第六回問六と同じ問題だったんですから(笑)。
名前系にはとことん弱くても、過去問にあれば途端に強くなる桜トンネルです(笑)。
ちなみに、このときの想定解数は14市でしたが、射水市や坂井市の誕生によって、4市増えて、今回の想定解数は18市となっています。
解答する市はあの当時、まだ出ていないパターンで本巣市とか洲本市を答えればよかったかもしれませんが、前に解答された方がEMMさんであったこと、最近調べた自己解答地域別割合で、北陸地方が低い割合であり、最近、北陸地方から解答をしていないということから、「射水市」を解答しました。
ただ、この射水市の解答はお題の和泉市と対称になっているので、これをきっかけにひらめかれた方も多いかったようですね^^;。
・・・まぁ、ヒントになろうが自分の解答ポリシーは変えるつもりはありませんけどね(笑)。

●問十:中津市【銅メダル!】([72989]) 2009 年 11 月 28 日 (土) 09:54:04
■問九の想定解市と隣接する市(架橋隣接も含む)

そして、問四を解答後、再び落書き帳を更新してみると、星野彼方さんが問十を解答されていたので、問十に目を向けました。
すると、新庄市と湯沢市、飯田市と浜松市、鳴門市と東かがわ市、鳥栖市と筑紫野市と問九と対称になっていることにはすぐ気がつきました。
しかし、僕が解答した問九と対称になっているのは中津市ですが、それでは味気がなさ過ぎると思い、ここから解答する市を探すのですが、なかなかみつかりません。
問九で解答された市も延岡市で、相手は佐伯市で同じ大分県となっていて、あまり心が惹かれませんでした。
やはり、解を探すよりもメダルにかけようと思い、「中津市」を解答しました。
すると、ヌオさんとわずか4秒差での銅メダルと相成りました。
このときはホッとしたのですが、後でヌオさんに3分差で銅メダルを取られるとは知る由もありませんでした。

●問一:武雄市【銀メダル!!】([72997]) 2009 年 11 月 28 日 (土) 10:09:58
■JRの○○温泉駅がある市

これはお題のラインナップからすぐに第十四回問九がひらめきました。(この出題されたときもすぐに「温泉駅」があるというのはひらめいていますし、こういう系は割りとすんなり解決します。)
しかし、解がこのときの半分となっているので、他の何かの条件付きとなっているか、他の温泉関連だろうと思い、出題時から探していました。
まずはやはり、郵便局ということで、郵便局を調べましたが、まったくといって該当しませんでした。
そこで温泉のつく住所やwikipediaから泉都や、温泉関連の文化財、百名湯、国民保養温泉地などを調べましたが、該当しません。
そんなことをしているうちに、なると金時さんがえびの市を解答されたので、そこを見てみるとやはり温泉駅があります。
ふとそこから、「もしかして、これって全部JRの駅とちゃうんか?」と思って、見てみると全部そうではないですか!
そこで、その過去問の中から七尾市を解答しようと思いましたが、私鉄と共用だったので、それが不安になり、九州から「武雄市」を解答しました。
ただ、この時点でまだ北陸地方の解である加賀市やあわら市が残っていたのですが・・・。
おそらく、加賀市は過去問ではお題にあったことからの気付かなかったパターンで、あわら市はどちらかというと私鉄のイメージ(えちぜん鉄道が福井平野を網羅しているイメージです。)が強かったので、解を避けたパターンだと思います。

●問三:名古屋市【5位】([73020]) 2009 年 11 月 28 日 (土) 10:56:56
■市を編入した市

そして、ここからは他の問題をあたって見ますが、ひらめきはありませんでした。
すると、問三の解答がどんどん出てきて、これは完答するのならば答えておかなければならない問題だったので、急いで考え始めました。
最初は前回と同じように、公立大学を疑いましたが、尾道市から皆さんと同じように市立大学へと行きましたが、何も見つかりませんでした。
そして、問三のお題のイメージといえば、やはり人口最多です。
そこでこのページを開いて、この中から13市を限定できるような共通項を考えました。
そうすると、ふと、岡山市=西大寺市、京都市=伏見市がひらめき、お題をすべて確認すると市を含む合併をしているではないですか!
「人口最大」と「市と合併」で、想定解数を数えてみるとちょうどぴったりとなったので、その中から「名古屋市」を解答しました。(長野市とかに心が惹かれたのですが・・・。)
解答後、都道府県市区町村内で検索をしてみると、いとも簡単にこのページがヒットしました。
そこから市を編入合併したところのみだと分かったんですが・・・「人口最大」かつ「編入合併」で残っていたのはどうやら名古屋市だけだったみたいで、何とも薄氷を踏む思いです。
ただ、尾道市が因島市と合併したことをすっかり忘れていたので、このページを発見するまで、尾道市が該当することには気付きませんでした。
ちなみに、これで名古屋市は2回目の使用となりました。

●問五:宇部市【7位】([73048]) 2009 年 11 月 28 日 (土) 13:57:06
■女性市長の市

他の問題をいろいろと調べて見ますが、まったくひらめきはありませんでした。
そんなことをしているうちに問五の解答が続々と出てきたので、問五を考えることにしました。
宝塚市と尼崎市から競馬場などのほうを連想しましたが、競艇場などにも手を回してもまったく該当はしませんでした。
すると、ヌオさんの平塚市という解答がありました。
wikipediaで平塚市を見てみると、歴代市長の欄があり、「へぇ~市長さんは女性の方なんや。」と思って、お題を見てみると前宝塚市が逮捕され、選挙した結果、宝塚市長が女性になったニュースを見たことを覚えていましたし、横浜市も前市長が7月くらいに辞めたことは頭に入っていました。
そこから落書き帳にそのような書き込みがあったことを思い出し、検索で[71089]がっくんさんの書き込みを見つけ出しました。
解答は出来るだけ最新のところであり、あまり解となっていない都道府県から山口県を選び、「宇部市」を解答しました。
ちなみに、山口県からの解答は2007年10月に開催された第十七回以来、2年ぶりとなりました。

ここで、第一回目の採点です。正答数ランキング5位、メダルランキング8位で、メダルランキングに関してはこれで確定となりました。

というわけで、ここで前編は終了です。第一回採点以降の解答は後編になります。

これからは南魚沼市、村上市、妙高市、横浜市、厚木市、綾瀬市、伊勢原市、海老名市、小田原市、鎌倉市と行く予定です。
[73336] 2009年 12月 17日(木)17:03:17【1】山野[山野] さん
「夾竹桃」伐採問題のその後
[73270]かぱぶうさん、他
話題に上がった福岡市の「夾竹桃」伐採問題ですが、安易に切るなという指摘が何件か寄せられて、
伐採は一転見送りになった模様です。参照記事
何やら過去に、佐世保市にて餌の中に混入していた夾竹桃を食べた牛が中毒死したとかで、
市花の取り消しを受けたという逸話もあるそうで…。

*誤字修正。
「誤」一時見送り
    ↓
「正」一転見送り
[73335] 2009年 12月 17日(木)14:04:02hmt さん
奈良盆地 転じて 「奈良湖?」
[73324] リトル さん 大和川河川事務所の記者発表資料

柏原市教育委員会と大和川河川事務所との共同発表のタイトルは、「亀ノ瀬トンネル(明治25年開通)の原型を発掘」となっています。新聞で明治開通の初代トンネルと報じられたのは、この発表に基づくものとわかりました。

廃線跡探訪に深入りし過ぎですが、発掘されたのが明治トンネルであるとする柏原市の推測には疑点があります。

広報のポイント という部分の記載。
大正13年の線路増設時(複線化)には先の単線隧道とはコースを変えて、単線隧道を2本設けた。
つまり、初代の明治トンネルから少し離れた山側に 2代目の大正トンネル2本(下りと上り)があり、右岸の旧鉄道トンネルは合計3本です。排水トンネルとの交差部平面図に隣接して描かれている2本を、明治と大正上りと推定するは不自然です。

工事概要平面図に示されている「旧鉄道トンネルのルート(推定)」は、大正トンネルの上下線【今回発見の2本】であり、もっと川の近くを通った明治ルートのトンネルは、排水トンネルとは交差しなかったと思われます。

この地すべり対策工事もかなり巨大ですよ、大和川が埋まったら奈良盆地のかなりの範囲が水没ですから。

確かに、廃線跡よりも重要なのは、奈良盆地を「奈良湖」にしないための国土保全対策です。

今回の発表資料にも、昭和6~7年地すべりで、現実に河床隆起による 大和川の完全閉塞 があり、上流に浸水被害が発生していたと記されています。
鉄道と王寺 によると、このような被害の一方では、多い日は2万人以上の地すべり見物客が殺到し、貸切列車・露店・絵葉書発売まであったとか。

地すべり被害以外にも、大和川は度々の浸水被害をもたらしています。記憶に残るのは 1982年夏、台風10号による水害。

大和川流域浸水実績図左下端付近。地すべりの現場・亀ノ瀬は 王寺町という文字の西の府県境あたり ですが、その少し上流で大和川の水が支流の葛下川に逆流し、2つの川に挟まれた王寺駅を含む市街地が水没しました。
留置中の電車100両は床上浸水。国鉄分割少し前のことで、首都圏で廃車予定だった101系54両を送ってしのいだ由。
余談ですが、この「57水害」では、東海道本線の富士川橋梁が流失する被害も出ています。

奈良盆地 転じて「奈良湖」 にまではならないとしても、地すべりや水害は、「地球は生きている」という ふだんは忘れがちな事実 を人々に思い知らせています。
[73334] 2009年 12月 17日(木)09:47:44【2】稲生 さん
浜名湖境界
[73332]山野さん
ずいぶん、古い記事をもってこられましたね。

その後、このような姑息な手段(?)では、国などの理解が得られないとして、湖岸同士の中間距離を結ぶ「等距離線方式」を採用することになりました。

山野さんのリンクした静岡新聞に載っている湖西市・新居町の奇策については、
静岡新聞内では、みつけられませんでしたが、中日新聞では、後半で取り下げられた旨、触れられています。

交付税の分け前を増やすというのなら、琵琶湖に遅れること2年、やることが遅いと思います。

※リンク先が違っていたので訂正
[73333] 2009年 12月 17日(木)08:46:22あおぞら さん
錦三丁目の今と昔
錦三丁目の歴史が気になりました。今は歓楽街としてにぎわいをみせていますが、昔はどうだったのでしょう・・・。
そもそも、錦三丁目でキャバクラやホストクラブのようなものがはやりだしたのはいつからなんでしょうか?

どなたか、教えて頂けませんか。
[73332] 2009年 12月 17日(木)04:39:29山野[山野] さん
浜名湖
「浜名湖」って境界未定地でしたっけ?
何やら静岡新聞にはこんな記事が。
交付税増額を目論んでの事のようですが、記事を引用するには長いので、詳細は記事を読んで見て下さいませ。
[73331] 2009年 12月 17日(木)01:15:40白桃 さん
ワッキー
[73320] oki さん
白桃 さんのご解答は必ずしも間違いではない、とも言えます(どっちなんかはっきりせんかい)。お騒がせでした。
okiさん、「お気づかい」ご無用です。
白桃家の先代が、遺言で「脇町は、わきまち」って言ったもんですから、それに従っただけです。(死んだオヤジのせいにしてはいけませんね;笑)
徳島県は、高知県ほどではないいにろ、首邑の「一人勝ち県」だったと思います。しかしながら、徳島の次を名乗るとしたら、撫養(現:鳴門市)か脇町だったのです。「脇」じゃなくてあくまでも「脇町」なんです。この「町;まち」は自治体としての「町」ではなくて、脇町に対する尊称だったのではないかと思います。
なにをいわんとしているのか、自分でもわかりませんが、吉野川の北側に鉄道が走っていたら、(鍛冶屋原線は無視)、脇町は遅くとも昭和の合併時に市制施行をしていたのではないか、そのとき、「脇町市」になったか、「脇市」になったのかどうかは分かりませんが・・・
[73330] 2009年 12月 17日(木)00:30:39【1】Issie さん
私のラバさん
[73329] 興田小 さん
わたしが思いついたのは「旧大陸」と「新大陸」や「支那」です。

「東シナ海」「南シナ海」以外で「支那」を学校で(公式に)教わったとなると今ではかなりのご年配ではないかと思うのですが,「満洲」も地理では使用しません。日本史で使う場合も,「洲」が当用漢字でなかったせいか,ことごとく「州」に書き換えています。「南満洲鉄道」などは法人名としての固有名詞なのだから本当は書き換えるべきではないと思うのですが(“同じ漢字”の異字体に過ぎない「新日鐡」なんて表記にこだわるのだったら),なくなってしまった法人のアイデンティティにはこだわらないのでしょうかね。
「蒙古」も使いません。漢字に少なからず問題があることも理由かもしれませんが,それよりも「現地語尊重」という流れの方が大きいように思います。ただしこの「流れ」,多分に恣意的で一貫性がないのも事実です。
かつて「ソ連」であった地域について,とりあえず「CIS諸国」なんて呼称が使われましたが,いつまで続くことか。「スタン」語尾を連発するチュルク(トルコ)系諸国の地域(+イラン系のタジキスタン)については「中央ユーラシア」という呼称を用いることが増えてきているようです。中国が「新疆」と呼ぶ「東トルキスタン」も含むかどうかは微妙ですが。
東西冷戦下で“鉄のカーテン”以東の国々を指すものとして当たり前に用いられていた「東欧(東ヨーロッパ)」というとらえ方も,冷戦が終わってみればドイツ語圏とその周辺諸国の「中欧」というとらえ方がよみがえるのと入れ替わりに,どこか曖昧なものになりつつあります。

地域名ではありませんが「人種」という概念も積極的には用いません。まず混同されがちな「民族」との概念の違いを確認した上で(とは言っても,この2つが厳密に分けられるわけでもないのですが),3大人種(コーカソイド,モンゴロイド,ネグロイド ←“色”による表現は避ける)あたりをザッとさらった後は,あまり深くは触れません。もちろん,アメリカ合衆国や南アフリカ共和国のように「人種」がその国の社会に極めて大きな意味を持っている場合は別ですが。
「インディアン」も避けられています。同じ語でラテンアメリカの「インディオ」も最近ではその傾向が強いですね。「ネイティブ・アメリカン」や「インディヘナ」などへの言い換えの善し悪しには議論もありましょうが,少なくともそのような呼称に代わりつつあることは重要です。「エスキモー」についての議論もありますが。

「インディアン」つながりというわけでもないのですが,「酋長」も使われません。イスラム圏の「アミール」に対して用いられた「土侯」も同様。

[73255] hmt さん
古い訳語が不適切だった

というわけで,現在では「首長」という呼称を用いるのが普通です。
「酋長の娘」なんて歌はもう作られないでしょう。そうそう,実体がとっくに消滅してしまった「南洋(諸島)」も同様です。
[73329] 2009年 12月 16日(水)22:19:07興田小 さん
Re: 学校の地理教育の現場では…
落書き帳の皆さま、こんばんは。

[73327] Issieさま
だから,学校の地理教育の現場では「中東」という言葉は避ける傾向にあります。
「中東」はわたしの中でも避けたいと思う表現の一つではあります。けれど、『中東産油国』など、代わりになる言葉がなかなか見つからないのですよね… (-_-;

かつては教えていたが現在は避ける傾向にある表現はほかにもあるのでしょうか?
わたしが思いついたのは「旧大陸」と「新大陸」や「支那」です。
[73328] 2009年 12月 16日(水)21:52:33BANDALGOM さん
県議会情報
愛知県議会は今日、「あま市」の廃置分合議案を可決しました。

山口市・阿東町については情報がないですが、最終日の18日に議決の場合、官報告示がいつ頃になるか、というのを考えているところです。
今日でちょうど合併期日の1カ月前ですが、18日議決→週明けに総務相に届け出→年末年始を挟んで1月5日~10日頃の告示といったところでしょうか。

旧特例法下の合併ラッシュの時は道府県議会の議決から2週間余りでの告示もざらにありましたし、福山市と内海町・新市町の合併の時は期日の5日前、奥出雲町は6日前に告示という記録もあるので、山口市の合併も5日前の1月11日に告示という可能性も考えられます。
あとは今度の長浜市の場合、県議会の議決から5日後に官報告示という記録もあるので、山口市の合併も年内に告示となるかもしれません。

・・・と、こんな予想をするのも一つの楽しみではありましたが、来年3月以降にはこんな楽しみもなくなってしまいますね。寂しい限り・・・。
[73327] 2009年 12月 16日(水)21:44:43【2】Issie さん
中東
[73325] 般若堂そんぴん さん
う~ん,どう見ても「中東最初の地下鉄」ではありません.

まず,「中東」という地域概念が甚だ曖昧ですね。どこからどこまでが「中東」か。

一般に理解されているところでは,「中東 Middle East」は「近東 Near East」「極東 Far East」とセットで,19世紀,イギリスの植民地政策の観点から(ヨーロッパから見た)東方地域を3区分した地域概念,ということになっています。19世紀当時の世界地図でオスマン帝国の版図がバルカンも含めて(北アフリカ西部のマグリブは含まないらしい)「近東」,ペルシア帝国の版図が「中東」,インド以東が「極東」。
けれども,第1次世界大戦でオスマン帝国が崩壊・消滅すると「近東」という概念もあまり意味がなくなり,両方合わせて「中近東」,あるいは元はオスマン帝国の支配下であったアラビア半島や地中海沿岸にまで「中東」が拡大して理解されるようになります。もちろん,オスマン帝国の支配から離れたキリスト教地域であるバルカンやギリシアは含まない。
ここで問題なのが,トラキアとアナトリアだけになった“民族国家”としてのトルコ。ここが「中東」に含まれるかどうかは少し微妙なところがあります。

たとえば,ヨーロッパとアジアの境については,ウラル山脈やカフカス山脈を通り(ソ連があった頃は,ザカフカス3国(アゼルバイジャン,アルメニア,グルジア)をどちらにするか,これがまた微妙であったわけですが),ボスポラス・ダーダネルス両海峡で分かたれる,という理解が広く普及していますが(この線引きもまた,それはそれで問題があるのですけれども),「中東」はそれほどはっきりした概念ではない。トルコはどうか。“アフリカのエジプト”は?
あまり,そのあたりがはっきりされないまま「中東」という言葉だけが独り歩きしているようにも感じます。
だから,学校の地理教育の現場では「中東」という言葉は避ける傾向にあります。普通使われるのは「西アジア・北アフリカ」。もちろん,固有名詞である「中東戦争」は使用せざるを得ませんが。「極東」も使いません。ただし,これも固有名詞であるロシアの「極東地域(ダーリニー・ヴォストーク)」は例外。
あるいは,「近東」「中東」「極東」という概念がイギリスの植民地政策から出た,そもそも「ヨーロッパ中心」的な概念であることも避けられる理由かもしれません。だって,自分の国が「極東=世界の東の果て」なんてね…。
けれども,エジプトからアラビア半島をはさんでイランまでの地域をひとまとめにする地域呼称があれば便利なのは確かで,だからとても曖昧であるにもかかわらず「中東」という言葉が広く用いられているのでしょう。ということは,学校で「中東」という呼称が避けられていることが,なおのこと,この言葉の曖昧さを助長しているのかもしれませんね。

で,[73325] に戻ると,
トルコが「中東」かどうかは,ちょっと微妙。もし含まないとすればリストから多くの都市が消えますね。
でも,イランは初めから「中東」。イスラエルも「中東≒イスラム圏」という多くの日本人の勝手な思い込みからは外れるけど,位置的には「中東」ですね。アフリカ大陸にあるけれども「第2次中東戦争」の舞台であったエジプトともども,イスラエルは「中東戦争」のそもそもの当事国の1つです。
だからまあ,「ドバイが中東最初」というのに無理があることは確かですね。
ここは「中東=西アジアのアラブ諸国」という思い込みがあるのかもしれません。アラブの国ではあってもエジプトはアフリカ,西アジアにあってもトルコとイスラエルとイランはアラブの国ではない,ということで…。そうすると,残るのはUAEのドバイだけです。
[73326] 2009年 12月 16日(水)20:12:17なると金時 さん
脇町
美馬郡の時はわき「ちょう」だったとは。
そういえば、脇町高校はわき「まち」こうこうでした。
脇町の脇町地区にある高校だから、脇高校ではなく、脇町高校なわけですね。
ところで、○○町(まち)と読むところでも、そこの町長は〇〇「町長(ちょうちょう)」なわけで、ややこしいなあ、もう。
[73325] 2009年 12月 16日(水)19:46:21般若堂そんぴん さん
「ドバイに中東最初の地下鉄」?
本日のNHK夜7時のニュースで,今年ドバイに中東最初の地下鉄が開通したといっていたのですが,変ですね.

トルコのイスタンブール(ケーブルカー式):1875
イスラエルのハイファ(ケーブルカー式):1959
エジプトのカイロ:1987
トルコのイスタンブール(ライトメトロ):1989
トルコのアンカラ(ライトメトロ):1996
トルコのアンカラ(フルメトロ):1997
イランのテヘラン:1999
トルコのイズミール:2000 5月(試験運行)~8月
トルコのイスタンブール(フルメトロ):2000 9月
トルコのブルサ:2002
トルコのアダナ:2009 3月
アラブ首長国連邦のドバイ:2009 9月

う~ん,どう見ても「中東最初の地下鉄」ではありません.
どうも,放送関係者はものを調べるということをしないらしい.
[73324] 2009年 12月 16日(水)17:50:24リトル さん
■鉄ネタ2題+レス
■「関西本線 亀ノ瀬隧道」補足(初代?2代目?)
[73277]山野さん紹介の、先日見つかった関西本線「亀ノ瀬隧道」の件ですが。
[73285]hmtさん
この2代目亀ノ瀬隧道であると思われます。
廃線跡好きとしては大ニュースだったので、マスコミ発表に注目しておりました。
私も当初は「2代目隧道」とおもったのですが、切り抜いていた朝日新聞の記事(12/10付)に
「1892(明治25)年に開通した下り線の長さ66メートル分と、1924(大正13)年の複線化で増設された上り線の長さ48メートル分」という記述がありました。
どうも各新聞社の記事や図で「M25年開通の初代隧道」と「T13年開通の2代目隧道」の関係があやふやなので、ちょっと捜して見たところ、この資料に当りました。
新聞の記事元になったと思われる、大和川河川事務所の記者発表資料です。
担当機関発表の資料なのでかなりのヒントになると思います。
(現地踏査を行っていないので、現時点ではここらが限界でしょうか)
これで見ると排水トンネル工事は「初代」と「2代目」両方のトンネルに当ったようです。

「○将来、柏原市と共催で定期的に一般公開していく方向で検討中。」(大和川河川事務所)
との事ですが、この辺、意外に遠いんですよね…。

参考までに整理してみました。
「亀ノ瀬隧道の歴史」
1891(M24)初代隧道完成するも地すべり発見。
1892(M25)初代隧道、改築し開通。
1924(T13)2代目隧道にて複線化。
1931(S6)現地に地すべり確認。
1932(S7)旧線閉鎖。突貫工事で現在の新線開通(12/31)。
1962(S37)周辺地域、地滑り対策工事着手

その事務所に勤めていた人が言っていたのは「リトルさんは鉄道で注目でしょうが、この地すべり対策工事もかなり巨大ですよ、大和川が埋まったら奈良盆地のかなりの範囲が水没ですから。」でした。

■北陸の夜行急行「越前」…
[73259]EMMさん
来年3月に寝台特急「北陸」と急行「能登」廃止
この列車、今まで「北陸」「能登」を別列車で運行していたのが驚きです。

京都に住んでいると、関東~北陸の列車は、なじみが少ないのですが、昔、一度だけ優等列車に乗ったことがあります。
急行「越前」(福井~上野)の最終日に乗りました。
あまり乗る事には興味が無かったのですが…、スロ62というブルートレイン以前の緑帯付きの旧型客車のグリーン車に一度くらいは乗っておいても良いのでは?という先輩の誘いに乗りました。
お小遣いに全線乗る余裕はなく、福井~津幡という短い区間でしたが、ゆったりした座席は古き良き時代の鉄道旅行を再確認しました。
当時は、最終日のパニックも無く、静かなものでした。
※こちらでは、寝台「日本海」「きたぐに」の去就にヤキモキしています。

■レス
▲おがちゃん さん
[73199]「十番勝負・過去問分類」は大変参考になりました。
[73272]
父がオフコースの大ファン
お父さんに「中学や高校時代、オフコースの曲をテープに録って、友人と貸し借りした?」と訊いてあげて下さい。
他にも、アリス・さだまさし・松山千春・竹内まりや・ユーミン・浜田省吾…。
洋楽が好きなら今話題のマイケルやビリージョエル辺りかな?
懐かしいです…。
[73287]完全休業宣言
受験頑張って下さい。結果はどうであれ、悔いは残さないように全力を出して下さい。

▲かぱぷうさん
[73282]
「赤be」にTULIPが載ってて狂喜乱舞しておりました
見ました、舞台がかぱぷうさんお膝元の福岡市でしたね。
[73192]
関門鉄道トンネルをくぐって九州入りしたことがある方でご記憶の方、いらっしゃるのではないでしょうか。門司駅7・8番ホームの海側にそびえる巨大タンクとアルコールのほのかな匂い…サッポロビール九州工場です。
昨年、出張時に門司駅へ「富士」「はやぶさ」を撮りに行った際、跨線橋から海の方を見ると、空き地の向こうに巨大なレンガの廃墟が…。あまりにも立派なのでとりあえず1枚撮りましたが…。あれでしょうか?当時は広い空き地の向こうに見えましたが、その後周囲も整備されたとか…。
[73242]→掛け込み乗車には御注意下さい…。

リトル
[73323] 2009年 12月 16日(水)14:44:46山野[山野] さん
町長の次は議会リコール
でるでるさんへ
こちらは別件なので分割。
前町長と共謀して合併を進めたとして反対派住民からリコール請求署名が提出されていた例の安土町にて
提出された署名の内、159人分が無効とされたものの3693人分が有効とされ実施されることになりました。
今後、異議申し立てが無ければ本請求されるとの事。参照記事
[73322] 2009年 12月 16日(水)14:26:16山野[山野] さん
県西合併検討会、終了(解散)へ
でるでるさんへ
足柄地区の広域合併検討会ですが、各自治体の足並みが揃わず今年度一杯で解散となるようです。
ただ小田原市の市長は、今後合併(任意)の申し入れがあるようであれば受け入れる姿勢を示したとの事。
参照記事
…と、いう訳で予定一覧にある、この枠組みでの合併情報は「不成立情報」への移動をお願いします。
[73321] 2009年 12月 16日(水)13:06:33hmt さん
「斧の英雄」が「赤い英雄」に
[73315] Issie さん
どうやら,ソ連の見解としては,「英雄」とは スフバートル のことらしいですね。

ウランバートル(赤い英雄)の由来は、ダムディン(父称)・スフバートルでしたか。

「斧の英雄」という意味のスフバートルが本物の英雄になったのは「出来すぎ」で、革命家がよく使った変名かと疑いました。
しかし、本名だったようです。

参考までに
「レーニン」はペンネームで、意味は「レナ川の人」。本名はウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ。
「スターリン」もペンネームで、意味は「鋼鉄の人」。本名はヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ。
ベトナムの「ホー・チ・ミン」(胡志明)も、愛国者グエン = 「グエン・アイ・クォック」(阮愛国)という変名を使っていましたが、第2次大戦後は本名に戻りました。

いずれも、過去又は現在において有名な都市の名に使われた人名です。
なお、[73297]でスフバートル県【場所はモンゴル東部】の存在に触れましたが、名を聞くのは、むしろモンゴル北部セレンゲ県の県庁所在地「スフバートル」でしょう。

本題からは外れますが、ペンネーム由来のロシア都市名に筆が及んだ以上、これを落すわけにはゆきません。

ニジェガロージェッツさん ゆかりの ニジニノヴゴロド[8116] 生まれの作家 マクシム・ゴーリキーも ペンネームで、1932年から1990年までの間、ゴーリキー市が存在しました。
[73320] 2009年 12月 16日(水)11:55:35oki さん
みまぐんわきちょうおおあざわきまち
[73316] 白桃 さん
美馬郡脇町大字脇町→みまぐんわきまちおおあざわきまち
美馬市脇町大字脇町→みましわきまちおおあざわきまち
ではないのでしょうか。
脇町は行ったことが無いのですが、「ちょう」と呼ばれるところが多い中で、いつも「まち」と呼ばれていたのを覚えております。

誰しもそう考えると思います。私もずっと「わきまち」だと思っていました。しかし、ある資料によると、美馬郡脇町は「わきちょう」だったようです。
資料というのは「美馬郡東部・北部合併協議会会議録」の第12回分(2004年1月8日)。合併新市の字名に関する協議が行なわれた中で、脇町の読み方に関するやり取りがあります。少し長いですが、そのまま引用します。
------------------------------------------------------
【宇山勝委員】(美馬町学識経験者)
美馬町の宇山です。脇町は「ワキマチ」と読むんですか。「美馬市脇町(ミマシワキチョウ)字脇町(ワキマチ)」とくるんではないんですか?美馬町(ミマチョウ)、穴吹町(アナブキチョウ)、木屋平(コヤダイラ)云々で脇町(ワキマチ)って今、脇町(ワキマチ)というのは大字になるんではないのですか。この徳島県は大体、町村名は「チョウ」で、まあ独立した町ではないけど。
【西正二会長】(木屋平村長)
「チョウ」だそうです。脇町(ワキチョウ)。
【宇山勝委員】
分かりました。
【事務局・西岡】
すいません失礼します。この調整方針を頂いたときに町の担当者の方とも協議いたしたわけでございますが、その時には、私が聞いておりましたのは合併後脇町の名前は「美馬市脇町(ミマシワキマチ)」でいくっていうことで一応確認はさせていただいたのですが。
【佐藤浄委員】(脇町長)
今まで公式の町名表明の時は「ワキチョウ」あるいは「脇町長(ワキチョウチョウ)」という表示をしとったんですが、住所表示の場合は今まで「ワキマチ」という住所表示をしとるようであります。今後、住所表示については「ワキマチ」で統一したいと思います。
------------------------------------------------------

当時の脇町長の発言などにより、「地方自治体としての脇町」の名称は「わきちょう」であったと思われます。したがって美馬郡脇町は「みまぐんわきちょう」。自治体の下の住所表示は「わきまち」なので、「大字脇町」は「おおあざわきまち」。
一方、美馬市に合併後は自治体としての脇町は存在しなくなるので、どのレベルでも住所表示であり、「美馬市脇町」は「みましわきまち」と言うことのようです。
ですので、問題の答えは次の通り。

美馬郡脇町大字脇町→みまぐんわきちょうおおあざわきまち
美馬市脇町大字脇町→みましわきまちおおあざわきまち

しかし実際のところは、ごく一部の行政関係者を除き、町民を含めて誰も「わきちょう」とは言ってなかったと思います(自ら解答を否定するようですが)。Wikipediaには「合併前は徳島県内の町で唯一「まち」という読み方であった」と明記されており、それが一般的な理解だったと考えられます(Wikipediaの信頼性はともかくとして)。当サイトの「データベース検索」の結果でも「わき・まち」になっていますし。
ネット上で調べると、「わきちょう」になっているサイトがいくつかあり、一つがIssie さんのここ。ふりがなとして「わきまち」、「わきちょう」が併記されていて、「わきちょう」には「国調:70,85」の注があるので、この年の国勢調査だけ「わきちょう」だったようです。

おそらく、町としては他の県内自治体に歩調を合わせて「わきちょう」の読みを採用したものの、固有地名が「わき」ではなく「わきまち」と認識されているため、誰からも「わきちょう」と読んでもらえず、実態としては自治体名も含めて「わきまち」と呼ばれていたのだと思われます。
したがって、白桃 さんのご解答は必ずしも間違いではない、とも言えます(どっちなんかはっきりせんかい)。お騒がせでした。
[73319] 2009年 12月 16日(水)01:44:45【3】EMM さん
目撃したのは六分の二ぐらい
ワタクシの書き込み[73288]から結構話が広がってしまいました。
1つの話題から話が広がっていくのは落書き帳の常で有りますし、元の話とかなり違う方向に行くことも多い訳で、まさに「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」。

でも何となく、私が書き込みに至った「琴線に触れたポイント」をあえて強調してみたいので…
それは、「間違えやすい」のではなくて「実際に『かみす』を『かすみ』と読み間違えていて」、しかもそれが「異なる2つのテレビ局のニュース番組で繰り返された」と言う点。
多分、目撃したのがどちらか一方だけだったら、テレビ見ながらわめいただけでその後は特に書き込みすることもなくスルーしていたと思います。
そして、先の書き込みでは触れませんでしたが、もう一つ気になっていた点があります。

「いずれもそのテレビ局においてのニュース番組内での第1報であった」

ここから「ニュースを配信したところがルビの振り間違いをしていたのではないか?」と言うのが頭をよぎった…のですが、2局だけでは偶然の可能性も大いにある。
と言うことで、日本テレビ系とテレビ朝日系以外のテレビ局での日曜日のあのニュースの第1報が非常に気になっているところであったのですが…見た方いらっしゃらないですかね?
[73318] 2009年 12月 16日(水)00:56:43【1】伊豆之国 さん
松阪牛と松坂投手は、よく間違えそうですね‥
このところ「難読地名・誤記されやすい地名」の話で盛り上がっていますので、
苗字についての書き込み、地名の読み方や漢字の使われかた等、「文字」にこだわった書き込みも多い
(メンバー紹介文より)
ということになっているこの私も、談義に参加させていただきます。

まず、字は簡単なのに、知らない人はまず読み間違えるであろう市名。メンバーゆかりの市からいくつか。
・安中‥普通に読めば、まず「やすなか」でしょうね。私も最初に時刻表でこの駅名を見たとき、やはり「やすなか」だと‥。
・上尾‥その昔、上尾高校が甲子園に初めて出たとき、アナウンサーが「かみお?」と読んだとか。
・今治‥私はやはりこの地名を初めて見たとき、「こんじ」と‥。以前、我が家に「富山の売薬」がよく来ていて([68596])、その中に歯痛止めの「今治水(こんじすい)」という薬があり、子供の頃、その「今治水」の字が書かれた独楽をよくもらった記憶があります。「今治水」は今でも製造されており、薬局でごく普通に買うことができます。
‥話題になっている「小山」「三田」は、やはり「字が簡単で読みづらい市名」の代表なのでしょうね‥

次に、やはり字は易しいのに、書き間違えやすい市名。
・八王子‥八王「寺」と書いてしまう人が結構いるようです。中央線沿線に「高円寺・吉祥寺・国分寺」と「寺」の付く地名が多いのでつられやすく、小学1年で習う字ばかりの市名を誤記してしまうのでしょうか。「八王子」は寺院ではなく神社に由来する地名で、八王子神社は全国各地にあり、「八王子」の地名もさいたま市中央区・三重県四日市市など全国にいくつか見られます。八王子市の市名も、やはりこの神社名に由来するとされています(八王子市HP)。なお、熊本市の「八王寺町」だけは、「寺」の字です。
・菊池‥「きくち」という苗字に「菊池」と「菊地」の二通りの書き方があり、字面もよく似ているので、「菊地市」と書き間違えられることが多いようです([71948])。
・松阪‥書き間違え、読み間違えとダブルで間違えられる代表格?松坂大輔投手は「まつざか」、松阪市・松阪牛は「まつさか」。もっとも地名のほうは江戸時代までは「松坂」と書かれたので、歴史的にはこちらが「正統」なのですが‥。苗字ではやはり「松坂」のほうが多く、「松阪」はその1割強。読み方はともに「まつざか」のほうが多数派のようです(「苗字の百貨店」より)。

‥「苫小牧」とか「磐田」などは、スポーツの活躍で全国に知れ渡ったので、読み間違えられることはぐっと少なくなったのでしょうね‥。でも、いざ書け、と鳴門‥。
[73317] 2009年 12月 16日(水)00:13:05般若堂そんぴん さん
二連浩特
[73315] Issie さん
「中国地名録」(「録」は簡体字)(中国地図出版社,1997)で「二連浩特」を見ると,「Erlianhaote」の位置にありながらラテン文字表記は「Erenhot」です.他の少数民族地名も同様です.このような配慮はなされているのですね.
[73316] 2009年 12月 15日(火)22:38:05白桃 さん
つくばね
朝の通勤電車(京葉線)では大体、海(東京湾)側を眺めているのですが、本日は、反対側を眺めておりました。筑波山がくっきりと見え、なにか得した気分。来年のオフ会がひょっとしたら・・・、という鬼が笑いそうな話は置いといて、

[73307]いっちゃん さん
小山市は、[73304]カテゴリーBにランクです。

[73308]oki さん
美馬郡脇町大字脇町→みまぐんわきまちおおあざわきまち
美馬市脇町大字脇町→みましわきまちおおあざわきまち

ではないのでしょうか。
脇町は行ったことが無いのですが、「ちょう」と呼ばれるところが多い中で、いつも「まち」と呼ばれていたのを覚えております。

[73312]hmt さん
高松市屋島東町  こちらも、源平合戦の舞台(屋島の戦い)ですね。
前にも書きましたが、こちらは「檀ノ浦」のようです。
[73315] 2009年 12月 15日(火)20:32:48Issie さん
「英雄」はスフバートルらしい
[73297] hmt さん
1923年に急死した彼が、「赤い英雄」の呼び名に最もふさわしい人物のようでもあります。

ふと思い当って,「宗主国」であったソ連の ロシア語版Wikipedia を見てみました。
すると,ロシア語の対応訳は Красный богатырь (クラースヌイ・バガトゥイリ),「赤い英雄」の“単数形”です。
もう少し読みすすんでみると,「“白軍”の将軍の部隊や中国軍からモンゴルを“解放”した」スフバートルの名誉を記念して都市の名前とした,という意味のことが書いてあります。どうやら,ソ連の見解としては,「英雄」とは スフバートル のことらしいですね。

ちなみに,ロシア語で スフバートル は Сухэ-Батор(スヘバータル),そもそものモンゴル語(ハルハ語)では С〓хбаатар(スフバータル;〓は Y のような母音字)。同じキリル文字表記でも,モンゴル語とロシア語では微妙に違います。
「スフバートル」という名前は,つまり「スフ」と「バートル(バータル)」の2つの要素から成り立つのですが,実は「スフ」という名前は,私を含めてモンゴルことを本当に何も知らない日本人には例外的に知られているモンゴル人の名前。ただし,「スーホ」という形で。
小学校の国語の教科書にも掲載されていたためにある世代の人たちには知られている童話「スーホの白い馬」の主人公 スーホ は,本当はモンゴル語では「スフ」または「スヘー」と言います。
このお話が日本に紹介されたのは中国語のテキストからだ,ということだそうで,どうも「蘇和」という漢字表記のフィルターを通して入ってきたらしい。

そういえば,以前は地理教育用の「検定教科書」である地図帳では,内モンゴルの地名について元がモンゴル語でも漢字表記を“普通話”読みしてそれを無理やりカタカナ表記にする,なんてややこしい表記をしていました。たとえば,モンゴル横断鉄道が中蒙国境を越えるところにある町「二連浩特」は「アルリエンハオトウ」というように。最近はモンゴル語から直接「エレンホト」と表記することが多くなっているようです。
[73314] 2009年 12月 15日(火)19:55:13なると金時 さん
地名にまつわるエトセトラ
[73310] N-H さん
お子さんは岐阜か滋賀で迷ったということは、関ヶ原と勘違いしたっぽいですね。受験の合格をお祈りします。
さて、標題のことについていくつか。
1 「鳴門」
前からずっと思っているのですが、鳴「戸」と誤記される例が恐ろしく多い気がします。プロ野球のオープン戦で日ハムが鳴門で一試合やってたことがあります。(今はしてないみたいです)フジテレビのプロ野球ニュースでは数年間ずっと鳴「戸」球場、と表記されてました。
先日も、とある雑誌の料理紹介で、「鯛は鳴戸産」とあってビックリ。お相撲さんで鳴戸親方がいるので更にややこしいのかもしれません。豆知識ですが、大鳴門橋(鳴門大橋、と間違える人も多し)はおおなると「きょう」ですが、隣の小鳴門橋はこなると「ばし」だったりします。
2 ややこしい地名
私は、宮城の小牛田のことをしばらく小「午」田だと思ってました。この場合は、形の似ている午後の午が「ご」なので、てっきりそうだと思っていたわけです。これだと牛じゃなくて馬だよ。
耳で聞く場合は、「堺市」と「高石」が凶悪だと思います。聞き取りにくい上にお互い隣接しているので、泥酔状態でタクシーに行先を言って間違われることもあるのでは?
海外地名では、ブラチスラバがブラ「スチ」ラバとごっちゃになって悩んでおりました。が、「スラブの」て意味でスラバなんじゃないか(違うかもしれません)と考えてから間違えなくなりました。
3 地方による読み方
前も書きましたが、三田は関西人なら「さんだ」、関東人は「みた」と読むと思います。
[73313] 2009年 12月 15日(火)18:05:41山野[山野] さん
斐川町
<合併関連情報>でるでるさんへ
本会議前の委員会にて出雲市との法定協設置案が、賛成少数で否決されました。
住民投票条例案については前提が変わった為、継続審議となったそうな。後は本会議にて決定されます。
[73312] 2009年 12月 15日(火)14:42:39hmt さん
壇ノ浦・徳川慶喜
[73310] N-H さん
「壇ノ浦」は現在のどの都道府県にあるか、漢字で書け。

本来「壇ノ浦」は 海の地名 です。12世紀の源平合戦場として知られますが、700年後に、またもや馬関戦争の戦場になりました。

山口県地先の海ですから山口県で正解とは思いますが、「福岡県」という回答が出たら、これをどのように扱うか?
古戦場の「壇ノ浦」は、山口・福岡両県の地先にまたがっていたと思われます。

なお、陸上の地名としては表記の異なる下関市壇之浦町があります。

ウオッちずで「壇ノ浦」を検索すると、2件がヒットしました。

高松市屋島東町  こちらも、源平合戦の舞台(屋島の戦い)ですね。

登米市迫町北方  こちらは内陸。昔は壇ノ浦という名の沼があったのかもしれません。

でも、良く考えるとどうして「慶喜」が「よしのぶ」なんですかね。

[43834]に記したように、公家や武家の男子が元服する時に名乗る「実名」(じつみょう)(名乗ともいう)は、本来、生前に他人から呼ばれる名ではなく、公の書類に署名するための「書き言葉」でした。
だから、正確な読み方はよくわからないのですね。

一橋家を継いで 1847年に名乗った「徳川慶喜」の場合、「慶」は12代将軍・家慶の「よし」[43497]としても、「喜」を何と読むのか?
江戸幕府のお役人はどうしたのか。「一橋さま」と呼べばよいのですね。必要ならば官職でもよい。

慶喜には「よしひさ」という別の読み方も伝えられ、これもかなり一般的に知られていたようです[43834]
Wikipediaには、本人による署名「Yoshihisa」の表記が残ると記されていました。
これが本当ならば「よしのぶ」ではないことになりますが、「Enomotto Takeaki」[43845] のような証拠があるのでしょうか?

なお、実名は「訓で読む」のが原則でしたが、明治になると、敬意や親愛の気持ちから他人の名前を「音読み」する習慣が一般化しました[43834]
実は、歌道や有識(ゆうそく)を伝える分野ではこの音読みが使われており、例えば藤原定家は、「ていか」と読みます。

明治になってからの慶喜は「けいき」さんと呼ばれることが多く、本人もそれを好んでいたとのことです[48812]
[73311] 2009年 12月 15日(火)13:40:13oki さん
簡単な地名の「読み」その2
[73310] N-H さん
あと、難読地名の話題になると私が必ず出すのが「大分」。
あまりに簡単な字だし、常識だから皆難読知名だとは思わないけど、これを「おおいた」と読ませるのは非常に難しいと思うのですが。

日本書紀巻七景行天皇十二年十月の条に次のような記載があります。
「冬十月。到碩田國。其地形廣大亦麗。因名碩田也。〈碩田。此云於保岐陀。〉」
同じエピソードが、豊後国風土記では次のようになっています。
「昔者 纏向日代宮御宇天皇 従豊前国京都行宮 幸於此郡 遊覧地形嘆曰 広大哉 此郡也 宜名碩田国 碩田謂大分 今謂大分」

以上から、「大分」を「於保岐陀=おほきた」と読むことが分かります。「おおいた」はイ音便の形ですね。
「分」は古語で「きだ」と読みます。白川静氏の「字訓」によれば次のような意味です。
「幾つもの部分に分れ刻まれているもの。「刻む」と同梱の語であると思われる。」
したがって「大分」とは、大分郡の地形が、低い丘陵と河川が錯綜し、多くの谷底平野と小台地からなって複雑であることを表現したもの、と考えられているようです。

同じように「分」を「きた」と読む地名として、筑前国鞍手郡新分(にひきた)郷があり、肥後国葦北郡は葦分郡と書かれることがあります。鞍手の新分は、現在新北と書かれています。

でも、良く考えるとどうして「慶喜」が「よしのぶ」なんですかね。
これは、いわゆる「名乗り訓」と呼ばれる読み方です。明治以前の公家、武家の実名に用いられる漢字を「名乗り字」と言い、名乗り字特有の読みが名乗り訓です。名乗り字以外の場合の訓とかけ離れた読みが少なくありません。
簡単なところでは、源頼朝や徳川光圀を読めない人はまずいないでしょうが、なぜ頼を「より」、光を「みつ」と読むのか、説明できる人も少ないと思います。
漢字が日本に伝わった当初は、さまざまな読みが当てられたものの、時代の変遷とともに常訓と言われる一定の読みが固定しました。名乗り訓は、常訓にならなかった古い読みが残存したものと考えられています。
詳しくはこちらの書籍をお読み下さい。
[73310] 2009年 12月 15日(火)11:39:10【1】N-H さん
中学校入試模擬試験(社会)から
丁度この前の日曜日、子供が表記の試験を受けてきました。
「壇ノ浦」は現在のどの都道府県にあるか、漢字で書け。
滋賀か岐阜で迷ったとの事ですが、いずれも「滋」と「阜」の漢字が正確にわからず難儀したとのこと。
⇒海の無い両県を考えるとは、わが子ながらお恥ずかしいことで……
正解が山口県だと教えたら、「これならサルでも漢字で書ける」と悔しがっておりました。
で、次は歴史なのですが、最後の徳川の将軍名を漢字で書く問題。「徳川喜慶」と書いて正解したと思い込んでました。
でも、良く考えるとどうして「慶喜」が「よしのぶ」なんですかね。

あと、難読地名の話題になると私が必ず出すのが「大分」。
あまりに簡単な字だし、常識だから皆難読地名だとは思わないけど、これを「おおいた」と読ませるのは非常に難しいと思うのですが。

※ 誤字を訂正しました
[73309] 2009年 12月 15日(火)11:12:27【1】BANDALGOM さん
栃木に始まり、栃木に終わる
[73296]拙稿

栃木県議会が昨日14日、栃木市・大平町・藤岡町・都賀町の廃置分合議案を可決したことが確認できました。
でるでるさん、よろしくお願いします。

中継は一般質問のみという栃木県議会、昨日の本会議については読売新聞にも出ていたものの、「合併に伴う条例案など16議案」というのが引っ掛かります。
「条例案」という記述、それに議案の数が知事の議案説明と合わないこともあり、心もとないものがありました。

毎日新聞の更新待ちかと思いましたが、合併協サイトで早くも更新されていました。

明日は愛知県議会、18日は新潟県議会と山口県議会、21日は静岡県議会、22日は埼玉県議会が最終日です。


[73305]みかちゅうさん
新潟県の「潟」や那覇市の「覇」はいい年した大人でも怪しい人は多いはず。
新潟県の「潟」を正しく書けたのは5年前のことです。
大学時代までは「湯」の右側の上に縦棒一本を付けていて、その後も「、、、、」のところを「ノノ」にしていました。

「隅(大隅)・隈(阿武隈)」
これはよく見ますね。
昔、電話局が「タウンページ」「ハローページ」とともに配付していた「テレホンガイド」の市外局番表で「大隅」が「大隈」になっていましたし、高校時代に泊まった夷隅郡のペンションのマッチでも「夷隈」になっていました。


[73306]山野さん
自分の町(読み)を基準にて他所の町を間違って読んで、覚えてしまっている事。
私も大阪府柏原市はある時期まで「かしわばら」だと思っていました。
中学生ぐらいでしょうか、「かしわら」だと知ったのは。


[73307]いっちゃんさん
落書き帳上の私の出身地は「こやま」と読まれることが多いのですが・・・。
小学校時代、クラスに「こやま」姓の人がいて、かの遊園地のCMソングをひねって「こやまゆうえんち~♪」とからかわれていたのを思い出します。

【1】誤字訂正
[73308] 2009年 12月 15日(火)08:27:39oki さん
簡単な地名の「読み」
次の地名は、平成の合併によって表記が変わっただけで、同じ場所を表しています。
両者の正確な読み方をひらがなでお答え下さい。

美馬郡脇町大字脇町
美馬市脇町大字脇町

ずっと読み方を間違っていました。同じ県内なのに。
[73307] 2009年 12月 15日(火)07:34:18いっちゃん さん
超難読地名←字が簡単過ぎるのも
落書き帳上の私の出身地は「こやま」と読まれることが多いのですが・・・。[53127]
[73306] 2009年 12月 15日(火)03:09:49【2】山野[山野] さん
読み間違いと言えば
[73301]futsunoおじ さん
難読市名
↑の話題で今更ですが、2005年9月以降ここで合併関連の話を長々と書いておきながら、
それ以前まで地名を結構間違って覚えて居まして、恥を晒すようですが、例として
<1つ目>
・苫小牧市を「こけこまき」と読んでしまった事があります。
理由として「苫」と「苔」の字が似ている為、間違って覚えていたパターンです。
その他に、稚内を「ちない」と読み、加須は「かす」、旧松任市は「まつにん」等々。

<2つ目>
こちらのは難読ではないのに、何故か間違って覚えていたもの。
例:「原宿」を、何故か「げんじゅく」と読んでいた事がある。(世田谷は読めたのに何故だ。)

<3つ目>
こちらの場合は、読みどころか、場所すら間違っていたパターン。
埼玉県にある、「熊谷市」を、「くまたに」と読んだ挙句、東京23区内の地名だと勘違いしていた事ある。
因みに上記のは、私が小6~中2の頃の話です。

<思い出した他所の方からの読み間違い。>
私が住んでいるのは岐阜県ですが、これは、2年程前の事。
宅配業者の方から電話で「これから、ご自宅の方に荷物を配達するので、住所を確認したいのですが」等々。
私の生んでいる所の住所は「安八郡神戸町(あんぱちぐん・ごうどちょう)」ですが、
これを宅配業者の方は、見事にこう読まれました。
安八郡(やすはちぐん)神戸町(かんどちょう)で合ってますか?
嫌、全く合っておりません。宅配業者の方に「郡名」と「町名」を2つ揃って読み間違われたのはこれが初めてです。
電話を受け取った「母」と、後で聞いた「私」は2人揃って???状態でした、はい。
まぁ、「安八郡」も「神戸町」も難読地名なので、仕方ありませんが…。

あ、逆に自分の町名(産まれてから、今現在でも同町民)が当たり前の読み方だと思っていたので、
小学生の頃「神戸市」を「かんべ&かんど」と読んでしまいました。(今思うと酷いな、これは…。)
他の方で、こういう事ってありませんか。
自分の町(読み)を基準にて他所の町を間違って読んで、覚えてしまっている事。
[73305] 2009年 12月 15日(火)00:44:15みかちゅう さん
誤記の原因
小中学生対象の試験の採点業務をやっていたことがあるので、「書く」方のミスの発生理由はだいたい分かります。

1、複雑な漢字が正しく書けない
新潟県の「潟」や那覇市の「覇」はいい年した大人でも怪しい人は多いはず。要するに国語の授業の方で習っていないといいかげんに書いてしまう傾向が高いですね。日本史に多い常用漢字表外の字は怪しいもの多し。
2、類似した別字との取り違え
「苫(苫小牧)・苦」や「札(札幌)・礼」など。参考書を漫然と見ているのか、板書を写す際に間違っているのか。読みを確認していれば絶対に間違えないはずのミスもけっこうあります。
3、別の用語で似た字を使うものがある
2の変形版ですが「隅(大隅)・隈(阿武隈)」や「埼(埼玉)・崎(高崎)」など。両方とも試験で問われる用語なので区別も必要なため、必然的に誤記率は上がります。


点画の過不足を含めて誤字は減点or不正解(試験の対象などによって異なる)ということなので、真面目に作業をしないと見逃しが多発するわけです。私は採点屋の意地をかけて「粗探し」をしていたので見逃しは少なかったのですが、見逃しが多発しているいいかげんな人もおり、そういう人のことを仲間内で「ザル」とバカにしていましたね(デタラメな校正のことは「ザル校」というらしいです)。
ま、本当に大変なのは国語の試験の方。文章で記述するような問題は内容と表記を同時に見ないといけません。「12字で抜き出せ」という問題では、該当箇所は正しいのに答案に写す際に間違えるようなものがけっこう多いんです。
[73304] 2009年 12月 15日(火)00:34:48白桃 さん
副読本「市名の読み方」
この度、文部科学省が国土地理院の協力を得て、首記の手引書を発行するようです。
発行の目的について
「学校でのおざなりな地理教育の弊害として、地名を誤読する女子アナ、バスガイドが横行している。とりわけ自治体名の誤読は、当該自治体関係者に対する冒とく以外のなにものでもない。ついては、取り急ぎ全国の主要な市について、その読み方、所属する都道府県名等に関する手引書を発行し国民に対する啓蒙の第一歩としたい」とその前文に書かれております。
手引書の内容ですが、全国の主要な市を次の5つのカテゴリーに分けております。

A.読み方及び所属する都道府県名はもちろん、正確に表記できなければならない市
B.正確に表記できなくても良いが、読み方及び所属する都道府県名は知らなければならない市
C.個性的性格を有する市、または、近年の市町村合併によって生まれた市の中で名称等に特色がある市など、社会常識として、認識していたほうが良いと思われる市
D.人口が概ね8万人以上で、どこらあたりにあるかぐらいは、知っていたほうが好ましい市
E.人口が概ね8万人以上であるが、知らなくても日常生活にはたいして差し障りないと思われる市

さらに、内容を読んでいきますと・・・
Aカテゴリーは64市あり、46道府県庁と政令市以外では、旭川、弘前、郡山、高崎、八王子、相模原、長岡、高岡、松本、豊田、豊橋、四日市、姫路、下関が入っております。
Bカテゴリーは91市。主だったところでは、函館、米沢、つくば、成田、浦安、鎌倉、高山、尼崎、倉敷、呉、久留米が選ばれている。
Cカテゴリーは184市。夕張、奥州、小美玉、佐渡、南アルプス、中央、蒲郡、栗東、明石、安芸高田、東かがわ、太宰府、人吉、
いちき串木野、志布志など。
選定基準は明らかにされていないが、人吉市の説明にはこう書かれている。
「熊本県球磨地方の中心都市。人口3万6千人弱。住んでいる人がすべて『おひとよし』であるというわけではない。」
Dカテゴリーは44市。岩見沢、茂原、習志野、高砂、西条など。
Eカテゴリーは78市。栗原、神栖、八潮、北名古屋、川西、筑紫野、糸島など。

注)今、気がついたのであるが、非常に恣意的な選択が目立ち、まだ生まれていない市名も見られることから、編集者のいい加減、かつ、異常な性格も垣間見られる。
[73303] 2009年 12月 15日(火)00:24:48笠津前浜 さん
人名地名の読みはむずかしい
[73302] 播磨坂 さん
地名の読みはきまりがないため覚えきれないですね。

「まち」としか読まない県があったり、両方が混在した県があったり

自分では、「日常会話ではまちと読もうがちょうとよもうが意思は通じるし、全部覚える必要はない」と決めています。正確に読む必要があれば事前に調べられますし。

戦前は文庫本には全ての文字にルビが振ってあった

全ての漢字ということだと思いますが、総ルビといえども数詞には振ってなかったそうです。

[72974] ニジェガロージェッツ さん

ありがとうございます、おかげで取り違えていた島がよくわかりました。
[73302] 2009年 12月 14日(月)23:14:11播磨坂 さん
読み仮名ほか
どうもこんばんは。

どうにも読めない地名なんてのは多々あるわけで、私も全市町村の読みを正確に答えられるかと聞かれると、そんな自信はないわけでありまして。
ちょっとずれますが、私の場合、濁点の有り無しなどは判然としません。先日も、豊川市に「とよがわ」とルビを振ったものに出会ったのですが、あれそうだったっけ?と思い、むしろ自分の知識のほうを疑ってしまいました。菊川、竹田などはよく迷います。
また、「町」の読みも同様です。兵庫県出身なので、つい「ちょう」と読みがちなのですが、「まち」としか読まない県があったり、両方が混在した県があったり。西日本は「ちょう」、東日本は「まち」と綺麗に分かれてくれれば、覚える方としては楽なんですがねえ。

話は変わりますが、読みつながりで、文庫本などの読み仮名の有無の基準ってのは何なんでしょう。単純に常用漢字云々ではないのだと思いますから、編集者の主観なんでしょうか。
たとえば、「訪う」なんてのはちょっとした小説に頻出の動詞ですが、常用漢字だからかなにか知らないけど読み仮名が振ってあるのを見たことがありません。確かに「訪」は常用漢字であり、小学校で習うような漢字ですが、「たずねる・おとずれる・ホウ」としか習わないわけで、「とう」なんて読みは常用漢字表にも載っていません。そりゃあ漢和辞典引けばすぐわかることなのですが、どうも不親切な気がします。
実際、漢字なんてものは、常用漢字でないもののほうが圧倒的に多いわけであって、読み(というか意味)に関しても、常用漢字表外のものが圧倒的に多いです。それを学校以外で、主に本を読みながら身につけるわけですから、ルビが振っていないというのはどうなんでしょう。何かの本に、戦前は文庫本には全ての文字にルビが振ってあった、というようなことが書いてありましたが、真偽はともかく、非常にうらやましく思います。確かに戦前は、難しい漢語が多用され旧漢字でかつ文語体という、ルビを振らざるをえない感じもあるのですが。
とにかく私が言いたいのは、確かに辞書を引くのも勉強なのですが、そもそも読めても意味が分からない言葉なんてのもあるわけで、せめて読み仮名くらい振ってくれよと。人名地名は特に。

[73283]oki さん
電子地図ですか。
以前、カシミール3Dの冊子を購入してチャレンジしてみたこともあるんですが、あまり上手くいかず、いつのまにか失念しておりました。
これらのDEMデータは、自由にDLし、利用することができます。
数値標高データって、本屋でDVDなんかで陳列してるのを見たことがあるので、高価なものだろうと思い、敬遠していたのですが、無料であったのですね。是非挑戦してみたいと思います。
[73301] 2009年 12月 14日(月)22:32:00futsunoおじ さん
難読市名
[73288] EMM さん
[73292] 小松原ラガー さん
[73294] ヌオ さん
[73298] Issie さん

テレビのニュースを聞いていて喜んでしまうのはアナウンサーの誤読に気がついた時ですが、その誤読の理由として思いつくものは次のような気がしています。多少同情しますがプロですからきちんと言ってほしいものです。

1) 読めない、思い出せない。(難しいと定評のある自治体名はむしろ忘れないものと思いますから、これは少ないでしょう。)
2) 混乱して読みの順番が代わってしまうが、それらしい市の名前に聞こえてしまうことで気がつかない。(「かみす市」→「かすみ市」)
3) 知識として理解しているが原稿を忠実に読んでいることで、うっかりそのように言ってしまう。(「明石市」→「あかいし市」)


現市名の中で読みが難しいと思われるものを次に抜き出してみました。(市名の選択と誤読の例はあくまで独断です。)

市名読み誤読の例
留萌市るもいしるもえし
苫小牧市とまこまいしとまこまきし
稚内市わっかないしちないし
赤平市あかびらしあかひらし
伊達市だてしいだてし/いたちし
弘前市ひろさきし
奥州市おうしゅうし
登米市とめし
能代市のしろし
男鹿市おがしおじかし
鹿角市かづのし
潟上市かたがみし
寒河江市さがえしさかえし
古河市こがしふるかわし
神栖市かみすしかすみし [73288]
行方市なめがたしいくかたし
鉾田市ほこたしむたし
小美玉市おみたましこみたまし
足利市あしかがし
真岡市もおかしまおかし
下野市しもつけししものし
行田市ぎょうだしいくたし
加須市かぞしかすし
羽生市はにゅうしはぶし
鴻巣市こうのすし
蕨市わらびし
三郷市みさとし
幸手市さってし
我孫子市あびこしがびこし
富津市ふっつしとみつし
八街市やちまたし
匝瑳市そうさし
山武市さんむしやまたけし
福生市ふっさしふくおし
新発田市しばたし
小千谷市おぢやし
滑川市なめりかわしなめがわし
砺波市となみし
珠洲市すずし
羽咋市はくいしはさくし
北杜市ほくとし
茅野市ちのしかやのし
東御市とうみしとうおんし
瑞浪市みずなみし
土岐市ときしどきし
各務原市かかみがはらし
可児市かにしかごし
瑞穂市みずほしずいほし
焼津市やいづしやきつし
碧南市へきなんし
蒲郡市がまごおりし
知立市ちりゅうしちたてし
向日市むこうしひゅうがし
八幡市やわたしはちまんし
枚方市ひらかたしまきかたし
和泉市いずみしわいずみし
箕面市みのおし
四條畷市しじょうなわてし
相生市あいおいし
篠山市ささやまししのやまし
養父市やぶしようふし
宍粟市しそうし
橿原市かしはらしだんはらし
御所市ごせしごしょし
香芝市かしばしこうしばし
宇陀市うだし
御坊市ごぼうし
江津市ごうつしえづし
高梁市たかはしし
赤磐市あかいわし
美作市みまさかしみさくし
防府市ほうふしぼうふし
下松市くだまつししもまつし
美祢市みねしみやし [73294]
阿波市あわしあなみし
美馬市みましみうまし
坂出市さかいでしさかでし
大洲市おおずしおおすし
宿毛市すくもししゅくもうし
直方市のおがたしなおかたし
宗像市むなかたし
嘉麻市かまし
嬉野市うれしのし
壱岐市いきし
宇城市うきしうじょうし
合志市こうししごうしし
杵築市きつきし
国東市くにさきし
日向市ひゅうがしひなたし
出水市いずみしいでみずし
指宿市いぶすきし
薩摩川内市さつませんだいしさつまかわうちし
曽於市そおし
宜野湾市ぎのわんし
明石市あかししあかいしし [73292][73298]
[73300] 2009年 12月 14日(月)21:46:54【2】Issie さん
バートル
[73297] hmt さん
モンゴル語の「バートル = 英雄」に単数・複数の区別があるか否かも知らないのですが

かつて唱えられた「アルタイ語族」と,日本語や韓国語もこれに属するという説は,現在では,少なくともインド・ヨーロッパ語族に見られるような“親族関係”を証明することは難しいとされているようですが,お互いに似た性格があることは事実で,たとえば名詞について“複数を表わす語尾”は持つけれども,それは文法上の必須事項ではなく,“特に複数であることを表したい場合のみ”に使用されるというのもモンゴル語やトルコ(チュルク)系諸語,ツングース諸語(満洲語など)に共通する性格の1つなのだそうです。日本語の「-ら,-たち」も同じですね。
だから,「ウラン・バートル」が「赤い英雄たち」がどうかはわからないみたい。

ところで,(現代)モンゴル語(ハルハ語)でウランバートルは Улаанбаатар (Ulaanbaatar),「オラーンバータル」と聞こえるようです。「ウランバートル」というのは,ロシア語の Улан-Батoр (Ulan-Bator) 経由の表記であるようです。
「バートル」というのは元々,中国から見た北方遊牧民の称号の1つで,古い形は「バガトゥル baghatur」(←適当な文字がないので gh と表記しますが,gha は「ガ」よりももう少し奥の方で息を擦るように発音する音,とされています)。それがチンギス・カンの時代には「バアトル」,そして「革命モンゴル」においてキリル文字で表記されるようになったハルハ語(現代モンゴル語)では「バータル」となりました。以前に話題になった「カガン(可汗)」→「カアン」→「ハーン」と同じです。「バートル」は称号としては「ハーン」よりもワンランク下の称号だったらしい。
「ハーン」が中央アジア遊牧社会から周辺地域に共通の称号ないし人名となったように,「バートル」もこの地域の各言語に取り入れられました。近世チュルク語(中央アジアのチャガタイ語,オスマン帝国のオスマン語)では「バハドゥル bahadur」,近世ペルシア語(ほぼ現代ペルシア語と同じ)では「バハードゥル bahadur」。「モンゴルの王朝」という意味のインドの「ムガル帝国」の宮廷語はペルシア語だったようですが,「バハードゥル・シャー」という皇帝がいました。
満洲族(清朝)の勃興を描いた司馬遼太郎の『韃靼疾風録』には満洲族側の重要なキャラクターとして「バートル」という人物が登場します。これが実在の人物かどうかわかりませんが,満洲語での正確な形は「バトゥル」というものらしい。やはり「英雄」という意味であるそうです。
ちなみに司馬さんがモンゴル語を学んでいたことは知られていますね。

現代のトルコやイラン,(北)インド・パキスタン,あるいは中央アジア諸国で「バートル」という名前が一般的なのかどうか知らないのですが,モンゴルでは共産主義政権時代でも人気のある名前で,私の学生時代,モンゴルからの留学生と友達になりましたが,2人とも名前の一部に「バータル」(名票には「バートル」と表記していた)という部分がありました。

※蛇足
ウランバートルは 川沿いの小高い平原で、「イフ・フレー」という名でしたが

キリル文字表記の現代モンゴル語では Их Х〓рээ (〓 はロシア語アルファベットにない文字で Y のような形の文字(小文字も)。通常は“u のウムラウト”で転写するが,こちらの方が у(u) よりも(特に唇を丸めない)日本語の「ウ」に近いらしい)。「イフ их」というのは恐らく現代語の形ですね。モンゴル文字で表記する古典(中世)モンゴル語の形は「イェケ yeke」。「偉大な」という意味で,“元朝”のモンゴル語名「ダイオン・イェケ・モンゴル・ウルス Dai〓n Yeke Mongol Uls」(〓の転写は o ウムラウト)にも登場します。漢字に直訳すると「大元大蒙古国」。「大元」をモンゴル語では「ダイオン」と読むのですね。


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