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落書き帳


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[74199] 2010 年 2 月 22 日 (月) 01:26:45【1】 右左府 さん
 小字の表示について (宮古島市城辺字保良小字平安名/印西市草深字原)

質問というか何というか、興味深いなあと思ったことが一つ。

昨年11月に宮古島を訪れたのですが、東平安名崎にある史跡 マムヤの墓 に立っていた解説板に気になる記述がありました。史跡の所在地が「宮古島市城辺字保良一二二一−一(小字平安名)」と書かれていたのです。
この「小字平安名」は内地の小字に相当するものなのか、沖縄では「市町村−字−小字」という内地のような住所(字)の階層が存在するのか、ならば土地の登記などでは「字保良小字平安名」といった表示がなされているのか、あるいは単に慣用的な表記に過ぎないのか、……等々気になりました。

沖縄の行政区画や住所表示に関して、かつての「間切−村」が「村−字」となったという点は過去記事([69542]など) でも触れられているのですが、それ以上の部分に触れた記事が見当たらなかったもので。


続いてもう一つ、字に関すること。

関東あたりの町名地番整理未実施の住所表示は「大字−地番」のみで、小字は日常生活では用いない……というのが通例だと思います。ところが、ちょっと不思議な事例を見つけました。
印西市の印西牧の原駅近辺にマクドナルドが2店舗(千葉ニュータウンジョイフル本田店・464印西牧の原店)あります。その所在地が前者は「印西市草深1921番地」、後者は「印西市草深字原2029-3」とHPなどに記載されているのです。
なぜ片方だけ小字らしき「字原」が付いているのでしょうか。

なお、このエリアは上記のマクドナルドがある北総線北側が町名地番整理未実施のようで、そこにある他の店舗の所在地表示も各HPで一通り調べてみました。すると、「字原」が付くかどうかはまちまち。中には同じ地番でも「字原」が付いたり付かなかったり。一部の例を挙げると……

マクドナルド 千葉ニュータウンジョイフル本田店印西市草深1921番地
吉野家 ジョイフル本田千葉ニュータウン店印西市草深字原1921
コナカ 牧の原モア店印西市草深2072
マツモトキヨシ 牧の原モア店印西市草深字原2072番地
サーティワンアイスクリーム 牧の原モア店印西市草深字原2072番外

こちらの住所表示で小字を見たのも新鮮でしたが、その扱いがまちまちなのも不思議に感じられたので、ちょっと書き込んでみました。

[74198] 2010 年 2 月 21 日 (日) 22:53:13 にまん さん
 一応法律で飯食ってますので、、

[74182][74183] むっくん さん
長文ご苦労様です。
この手のものにコメントするのは仕事しているようで気が進まないのですが。。。
あ、タイトルでは大げさに書いていますが、もちろん弁護士とかではないですので、念のため。仕事上、特定の分野の法令について、解釈を確認したり、部内の規程を作ったりしているレベルです。

引用されている部分しか見ていませんが、
S22年法の附則第2条と施行令の附則第2条は本件の検討に当たっては、無関係だと思います。
前者が効力があると規定しているのは、書いてあるとおり「東京都制第百八十九条乃至第百九十一条及び第百九十八条」だけですから、町村の廃置分合とは無関係でしょう。
後者も同様に、「東京都官制、北海道庁官制、地方官官制、都庁府縣等臨時職員等設置制及び地方世話部官制」だけですね。基本的に地方公務員の身分に関する部分と思われますので、やはり町村の廃置分合(の公示)とは無関係ですね。

これを前提にもう一度、論を組みなおされてはいかがでしょう。
一読した限りでは、どうも法文を難しく読みすぎている気がします。

[74197] 2010 年 2 月 21 日 (日) 20:39:19【4】 Issie さん
 油津のこと

[74136] 白桃 さん
日南市の中心は?

少し時間が取れたので「飫肥・油津周辺」について調べてみました。

【飫肥】
平安時代中期の「和名抄」に 日向国宮崎郡 管下の“郷”の1つ「飫肥郷」として現れます。
もちろん,近世以降現在まで続く 飫肥市街 に直結するものではなく,ずっと広い範囲を領域とする地名と考えるべきでしょう。そもそも「郷」(律令制初期は「里」)という区画は自然の村落ではなく,律令国家が口分田を支給し徴税と徴兵を行うための“戸籍”を編纂するために編成された“人工的な”区画です。
 ※律令制において「里(郷)」は50戸を単位に編成されました。だから「五十戸」と書いて「さと」と読みます。でも1郡内の戸数が50の倍数であることはまずないので,端数の戸で「余戸」を編成しました。のちに「余部」という表記も行われ,「あまるべ」「よべ」などと読まれます。中には,わざわざ旧字体の「餘」で表記するところもあります。

平安末期から鎌倉時代にかけて,飫肥は「北郷」と「南郷」に分けられ,日・隅・薩3ヵ国にまたがる広大な「島津荘」の“寄郡”とされました。“寄郡”というのがどういうものか,今一つわからないのですが,本来は荘園の領域内ではなく“国衙領”であるのだけれれども,実際は「島津荘」の支配下に置かれた区域,というほどの意味なのかな,と感じました。
ともかく,この 島津荘 の荘官・地頭(=現地管理人)として源頼朝に任命されたのが 惟宗(これむね)忠久。以後,彼の子孫は「島津」の名字を名乗り,南九州で繁栄します。したがって,飫肥南・北郷も島津氏の支配下に入りました。
 ※惟宗氏は渡来系 秦氏 の子孫で,平安朝廷では明法家(みょうぼうか:律令法の専門家)の実務官僚。平安時代後期,各国の在庁官人や荘官で「惟宗氏」を名乗る者が現れますが,都の惟宗氏との関係は怪しげ。幕末・廃藩置県まで続く対馬の 宗氏 も惟宗氏を名乗っています。一方,惟宗忠久の子孫は 島津氏 を名乗った後,忠久が頼朝の落胤だとか何だとか言って「源氏」に乗り換えてしまいます。

飫肥城を最初に築いたのは南北朝時代の地元武士団とされていますが,島津氏と戦国時代に日向国内で勢力を伸ばした 伊東氏 との抗争が激化すると,島津側の最前線となり,双方の争奪の場となりました。戦国最末期に一旦は島津氏に追い落とされた伊東氏が豊臣秀吉の九州征伐後の処分で領地を回復し,那珂郡と宮崎郡に合わせて5万石ほどの所領をあてがわれました。これが「飫肥藩」の始まり。
城下町の建設は戦国末期の島津氏支配下で始まったようですが,本格化するのは伊東氏の支配が安定してから。ほぼ完全に“近世の産物”です。
1889(明治22)年,城下町以来の市街地である 本町・今町 と 板敷村・吉野方村・楠原村 が合併して「飫肥村」,1900(明治33)年の単独町制施行で「飫肥町」となりました。
なお,伊東氏が支配した 飫肥藩 の領域は,ほぼ現在の日南市(北郷・南郷の両町編入後)と清武町を合わせた範囲に相当します。だから行政機構としては,飫肥藩と現在の日南市役所がほぼ等価値なのですね。日南市長が5万石のお殿様。

【油津・平野】
[74167] 千本桜 さん
江戸時代、油津は平野村の一部だった。

「油津」という港町は古く「油之津」と呼ばれ,古代以来,対外貿易拠点として栄えました。ただ,地名としては広域に用いられることはなく,例えば「飫肥郷」内の“地点名”として用いられたようです。
これは近世の伊東氏(飫肥藩)の支配下でも同じで,検地を通じて近世村が編成されたとき,油津の港町部分と広渡川左岸の農村部とを合わせて「平野村」としたのでしょうね。幕府から伊東家への領地宛行(あてがい)の際にも那珂郡39ヵ村の1つに「平野村」が現れます(「油津」は登場しません)。
伊東家(飫肥藩)は油津に「油津地頭」を置きましたが,その職掌が今一つわかりません。村方支配の責任者である 郡奉行(郡代) の配下にあるのですが,平野村の農村部と一体に管轄したのか,それとも港町部分だけを別個に管掌したのか。また,民衆の側も油津の商人独自の自治組織があったのか,それとも農村部の「百姓」と一体で「平野村」の自治を担ったのか,調べきれませんでした(これは史料に基づかない勝手な憶測ですが,城下町の建設に際して油津の商人たちも移転を命じられているかもしれません。すると,“本店機能”とともに町自治の担い手であるべき“旦那様”たちも飫肥城下に移ってしまい,油津の港町にあるのは船積みに必要な機能と人員だけだったかもしれません)。
ともかく,1882(明治15)年の「油津村」の分立は,農村を主体とする平野村の中から港町部分が独立した,と見ることができるのではないかと思います。そして,1908(明治41)年の境界変更は,この時点までに港町の隣接区域として市街化した部分を 油津町 に取り込んだもの。
小学校や鉄道駅などのようにある程度の広さの土地を必要とするものを(当時の)ビルトアップエリア(既存市街地)内に設けるのは困難ですから,行政上の町域が既存市街地に限定されるなら隣接する町村に設けられるのはよくあることです(ただし,小学校の系譜には注意が必要です。1872(明治5)年の学制発布を受けて設けられた最初期の学校は既存市街地内のお寺などを利用しているかもしれません。そして以後,現在の呼称と位置に落ち着くまでにさまざまな学校が合流しているかもしれません)。

【吾田】
平野村は明治22年に星倉村などと合併して吾田村になりました

実はこの「吾田(あがた)」こそ,この地域の地名の中で最も古いと言えるかもしれません。何しろ,「日本書紀」の 神武天皇即位前紀(巻第三) に登場するのですから。
アマテラス(天照大神)の孫として高天原から高千穂峰に降り立った(天孫降臨)ニニギ(天饒石国鐃石天津日高彦火瓊瓊杵尊)のさらに曽孫であるイワレヒコ(神日本磐余彦尊=神武天皇)が妃を娶(めと)る段にある

「長而娶日向国吾田邑吾平津媛為妃」
(長(ひととな)りたまひて日向国の吾田邑(むら)の吾平津媛を娶(ま)きて妃(みめ)としたまふ。)

の「吾田邑」がそれ。
ここに出てくるお姫様の名前にある「吾平津」を「あびらつ」と読んで「油津」の古い形という解釈があります。恐らくはこれが下敷きとなって,明治の大合併で平野村その他が合併して発足する新自治体の名前を決めるにあたって日本書紀に由来を求めたのでしょう。何しろ,神武天皇の最初のお妃の出身地ですから。
油津には 吾平津(あひらつ)神社 があり,祭神の1人が 吾平津昆売命(あひらつめのみこと)=吾平津媛 です。この神社の創建は元明天皇代の和銅2(709)年だとか。ちょうど日本書紀の編纂たけなわの頃ですね。

ただし,この「吾田」や「吾平津」を本当はどう読んだのか,実はわかりません。中には原典本文の割注に万葉仮名で読み方を明示しているものもあるのですが(その万葉仮名をどう読むかがまたわからないのだけど),「吾田」「吾平津」にはそれがありません。そこで,「吾田」を「あた」と読み薩摩の「阿多」(南さつま市)に,「吾平」を「あひら →あいら」と読んで大隅の「姶良」(姶良市)または「吾平」(鹿屋市)に比定する解釈もあります。
伝説上の“皇室揺籃の地”とは言っても,ヤマトから見れば“辺境”の地。古事記・日本書紀の地名記載は畿内・近国については詳細ですが,遠方についての地理感覚はとても大雑把です。「高千穂峰」は霧島火山であるという“通説”がある一方で,(西)臼杵郡にも堂々と「高千穂」があるくらい。
だからみんな自分に都合のよいように解釈するのでしょうね。

[74196] 2010 年 2 月 21 日 (日) 18:19:04 今川焼 さん
 久しぶりに地名コレクション

[74190]興田小さん
高原コレクションに、奥州市の旧江刺市と一関市の旧大東町にまたがる「阿原山高原」を推薦いたします。
ありがとうございます。高原コレクションには地図にはないものの、市町村のホームページなどを丹念に探すと見つかる物件が結構あるので、まだまだ出てきそうです。のちほど自分で見つけていたものと合わせて追加させていただきます。また、情報があればお寄せください。

らるふさんへ
先日徳島県へ行った際[74048]、つるぎ町の旧半田町へ行ってみて気がついたのですが、役場の半田支所のあるあたり(地図)は、吉野川流域の平地とは比高40メートルくらいの丘で隔絶されていて盆地地形になっていました。“半田盆地”で検索すると結構ヒットします。盆地コレクションにいかがでしょうか。

ところで、この半田と言えば名物なのが半田素麺。私は麺類は基本的に何でも好きですが、麺の細い素麺だけはあまり好みではありませんでした。しかし、半田素麺だけは別、これが素麺かと思うくらい太くて好みです。(秋田の稲庭うどんと太さや製法で通じるところがありそう)
ただ四国へ行って主要駅の売店や高速道路のサービスエリアを覗いても、産地が讃岐うどん、祖谷そば、徳島ラーメンという強者の“麺々”に囲まれているからか、なかなか見つからないのが玉にキズです。たまに見かけても“高級品”と称してごく普通の太さ(細さ)のものが売られていることがあるので要注意です。今回は、さすがに地元のつるぎ町まで行ったので、道の駅貞光を始め、直売所がいくつもあり無事買って帰ることができました。

おまけ
以前一部で話題になったぶどう饅頭も隣りの美馬市穴吹駅前の日乃出本店でゲットしてきました。おいしくいただきましたが、[70192]で食べた三本松のぶどう餅と比較は…、間が空いたので記憶が…どちらもおいしかったということでご勘弁ください。

[74195] 2010 年 2 月 21 日 (日) 08:09:13【1】 ピーくん さん
 単独市制

でるでるさんへ
宮城県黒川郡 富谷町
2009/10月 市制検討会設置予定ですが
2009/12/24 市制検討プロジェクトチームが発足しました。
広報とみや2月より
詳細
注:pdfファイル

愛知県愛知郡 長久手町
市制施行準備というページが開設されました。

石川県石川郡野々市町
市制に向けてというページが開設されました。早くて平成23年度下半期以降になりそうです。
新市名称検討委員会が開かれていました。野々市市以外も検討されています。公募して決めない案が出ています。ののいち市、石川市は?

福岡県,筑紫郡,那珂川町
町のHPアドレス変更に伴いページも移転しています。

各町役場のPR活動に力が入っています。
来年のこの時期には国勢調査の速報値の結果が出てそれから動きになりますが、市名など楽しみです。

宮城県黒川郡富谷町
石川県石川郡 野々市町
愛知県知多郡 東浦町
愛知県愛知郡 長久手町
福岡県筑紫郡那珂川町
今年の国勢調査で五万人を越えるかどうか微妙でしょうか?

時期未定の一覧市制と合併、中核市を分けてくれたら分かり易いと思います。

[74194] 2010 年 2 月 21 日 (日) 07:29:59 ピーくん さん
 解散

でるでるさんへ
埼玉県東松山市, 比企郡 滑川町,秩父郡 東秩父村
2008/8/22比企地域合併推進議員連絡協議会
ですが、2009/9/17に比企地域合併推進議員連絡協議会は解散しています。
広報東ちちぶ平成21年11月号4ページ参照
議員の方のブログにも載っていました。
その後の動きもないのでこの枠組みでの合併は当面なくなったと思います。
成立しなかった合併情報一覧に移動してください。

西尾市・幡豆郡三町合併協議会のHPが開設されました。

[74193] 2010 年 2 月 20 日 (土) 23:29:59 hmt さん
 「標準地名」改め「決定地名」で「奄美群島」に統一

[74190] 興田小 さん
国土地理院のプレスリリースによりますと、「奄美諸島」の名称を「奄美群島」に統一するとのことです。

かつて[40005]で、次のように記し、地図帳による検証を行っていました。

ところで 「奄美諸島」か「奄美群島」か。
現在の地図では「奄美諸島」という表記が多いように思いますが、「奄美群島復帰」(1953/12/25)当時以前には、「奄美群島」の方が普通のようです。

国土地理院発表によると、地図と海図との地名統一を図る会議 は1960年に設置され、両機関で一致した地名を 現在は 「決定地名」 と称しているそうです。
この落書き帳では、これまで以前使われていた 「標準地名」[53057] という名で書いていましたが、そういわれれば、1996年に刊行された資料は 「決定地名集」[53461]という名になっていました。

「硫黄島」の読み方の変遷史については[59286]に記してあります。こちらも一旦は海図に合せて「いおうじま」にしたのですが、2007年に小笠原村からの要望に応じて「いおうとう」に修正されました。

1954年【奄美復帰の翌年】の「主要自然地域名称図」[74009]は、「奄美諸島」でした。まだ地理調査所だった時代。
これが我々の目にする地図に使われていたのですね。

県のサイトでも鹿児島県ホーム > かごしまの紹介 > かごしまの島々 > 奄美群島振興開発計画のように表記されております。

たしかに、開発行政だけでなく、自然保護 の面でも「奄美群島」が使われているようですね。
今回の決定は、海図との統一という面もあるのでしょうが、硫黄島や歯舞群島と同様に、地元の要望に応じたという面もありそうです。

島群コレクションの扱いにも影響が出ますかね。

歯舞群島の時は集録対象外でしたが[67072]、奄美群島は影響が出ると思われます。

[74192] 2010 年 2 月 20 日 (土) 18:20:11 k-ace さん
 「群島」化?

こんばんは、k-aceです。

[74190]興田小さん
かつて佐々町−小佐々町(現・佐世保市)のペアがありましたが、佐々さんは作々さんの間違いですね。
さて本題。
奄美群島への統一ですか。そういえば一昨年の拙稿[64093]国土地理院)で歯舞群島(根室市)への統一を話題にしましたね。

国土地理院
「地名等の統一に関する連絡協議会」では、地図に表記する地名について、法令で使用されている名称を十分考慮しながら、現地で使用されている呼称を尊重して決定することとしています。
法令と呼称、どちらも間違いではないのでしょうが、国土地理院としては歯舞も奄美も「群島」使用を、ということなんでしょう。
個人的には「群島」より「諸島」「列島」のほうが馴染みがあるんですけどね。

「群島」「諸島」「列島」については[29851][30431]hmtさんの記事を参照。

[74191] 2010 年 2 月 20 日 (土) 18:07:17 YT さん
 112番元素のIUPAC正式名称が決定

[74188] 笠津前浜 さん
実は昨日がコペルニクスの誕生日(1473年2月19日)だそうで、昨日IUPACは112番元素をCopernicium, 化学記号をCnとすることを正式に発表しました。

http://www.asahi.com/science/update/0220/TKY201002200155.html (朝日新聞の記事)

http://www.iupac.org/web/nt/2010-02-20_112_Copernicium (英語による正式なプレス・リリース)

なお「コペルニシウム」という日本語字訳正式には決まっていません。ただ、日本化学会、日本物理学会の年会のある3月末には決まってそうですが。

さて113番元素は数年前に我が日本の理研チームが合成・検出に成功したことを公表しており、「ジャポニウム」、「リケニウム」などの名前を記者会見でしました。ただ命名権が理研に来るかどうか微妙です。

競争相手はロシアのドゥブナ、アメリカ合衆国のリヴァモアの合同チームですが、2003年7月14日〜2003年8月10日の間のドゥブナでの実験により、アメリシウム243とカルシウム48を衝突させて、115番元素288, 115番元素287を合成し、そこからα崩壊で生成した113番元素284と113番元素283を観測し、最終的にドブニウム267とドブニウム268までのα崩壊を観測したと主張しています。ただ既知核種への崩壊を観測していません。論文は2003年9月8日に投稿、2004年2月2日に刊行されています。(Yu. Ts. Oganessian, et al. Physical Reviews C, 69, 021601 (2004))

一方理研ではビスマス209と亜鉛70を融合させることで113番元素278を合成し、以下α崩壊を繰り返すことで既知の核種であるボーリウム267とドブニウム262へ崩壊することを確認しました。実験は2004年7月23日18時55分に行われ、論文投稿は2004年7月30日、論文刊行(2004年10月号)と記者会見は2004年9月です。(K. Morita, et al. Journal of the Physical Society of Japan, 73, 2593 (2004))

ところが露米合同チームは、先に報告した115番元素について、崩壊系列の最終生成物であるドブニウムの自発核分裂のエネルギーを測定し、これがドブニウムであることをより確実なものにしました。この実験は理研の実験に先立つ2004年6月11日〜2004年6月22日に行われ、2005年3月21日に論文投稿、2005年9月29日に刊行されています。(Yu. Ts. Oganessian, et al. Physical Reviews C, 72, 034611 (2005))

実は113番や115番元素に先立ち発見された116番元素、118番元素に関しては、州立カリフォルニア大学バークリー校所属の有名な研究機関であるローレンス・バークリー国立研究所が最初発見を1999年に公表しましたが、ポスドクが実験結果を捏造したことがばれ、2001年に論文を取り下げるというスキャンダルが発生しました。それもあってアメリカの研究チームはロシア・ドゥブナーの研究チームと協力関係を結ぶこととなったのでしょうが、現在まで発見されている114番から118番元素まではドゥブナーのグループが主導となって発見してきたものとなります。

まだIUPACからは命名権に関する結論は出されておりませんが、状況的には命名権は露米合同チームのものになるでしょう。それにも関らず、科学技術広報財団の「一家に1枚シリーズ」のポスターでは相変わらず113番元素に日本の旗を立てているのはなんか呑気な気がします。114番元素から118番元素を載せないのは、ドゥブナーとリヴァモアの実験結果への牽制の意味がるのでしょうか?

一番厄介なのは、記者会見で披露した「ジャポニウム」が今後使えなくなると判断されかねないことです。

[74184] むっくん さん
連合戸長制度の呼称に関する宮崎県の事例を挙げていただき有難うございます。調べた限りでは、地域によって呼び方が大分違うようです。「××村外3ヶ村連合」と称されている場合は、戸長の置かれた××村を含めて4つの村からなる連合村のようです。

現在北海道における連合戸長の区域の変遷を探していますが、道庁が編纂した「北海道史」、「新北海道史」には連合戸長の変遷がまとまっていません。鈴江英一著『北海道町村制度史の研究』というそれっぽい本も、具体的な変遷についてはまとまっていませんでした。良い資料をご存じでしたら教えてください。

[74190] 2010 年 2 月 20 日 (土) 14:37:17 興田小 さん
 地名コレクションで二題

今川焼さま
高原コレクションに、奥州市の旧江刺市と一関市の旧大東町にまたがる「阿原山高原」を推薦いたします。
財団法人岩手県観光協会
奥州市

佐々さま
国土地理院のプレスリリースによりますと、「奄美諸島」の名称を「奄美群島」に統一するとのことです。
「奄美群島」の名称については、15日の同協議会に提案され、法令や鹿児島県で「奄美群島」の名称が使用されていることから、決定地名として採用されました。
県のサイトでも鹿児島県ホーム > かごしまの紹介 > かごしまの島々 > 奄美群島振興開発計画のように表記されております。島群コレクションの扱いにも影響が出ますかね。

[74189] 2010 年 2 月 20 日 (土) 14:11:15 山野[山野] さん
 法定協設置へ(一関市)

でるでるさんへ
一関市と藤沢町は3月定例会に法定協設置議案が上程(提案)するとの事です。

[74188] 2010 年 2 月 20 日 (土) 06:24:01 笠津前浜 さん
 知らないことだらけ

[74172] Issie さん

番組では時間の制約もあって 原子番号1の水素 から 38番・ストロンチウムまでなのですが,フルバージョン(ようつべ)では 111番・レントゲニウムまで“今のところ名前の付いている”元素全部が出てきます(途中,聞いたことがない元素が出てくると思ったら,私が高校生の頃は103番・ローレンシウム までしか正式な名前が付いていなかったのでした)。

そういえば103番までがのっている周期表で学びました。ああいった「リスト物」を覚えるのは面白く、友人と競ったものでした。

[74176] YT さん

実は間もなく112番元素はコペルニクスにちなんで、Coperniciumと命名される予定です。このまま何事もなければ、今月中にIUPAC(国際純正応用化学連合)で承認されるはずです。

112番元素は既に発見されてるんですね。…今検索してみましたが、118番まであったとは。いったい何番の元素まで作ることができるのでしょう。

[74187] 2010 年 2 月 20 日 (土) 00:35:01 山野[山野] さん
 住民アンケートへ(安土町)

でるでるさんへ
[74158]での安土町の<続編>です。
昨日の話ですが、町は合併の賛否を問うアンケート用紙を発送し
その内容はというと、
合併の賛否
新市にふさわしいと思う名を近江八幡、安土八幡、近江八幡安土、安土、その他から選択
意見記入欄も設ける
上記の3つの問いがあるそうで。参照記事
それと、リコール成立による出直し町議選ですが、来月の9日告示で、14日に実施されます。参照記事

それから別件ですが、17日に佐野市と岩舟町の法定協が再開しました。記事はこちらです

[74186] 2010 年 2 月 19 日 (金) 23:35:10 BANDALGOM さん
 Re:県議会<千葉>

[74185]山野さん
でるでるさん

本日千葉県議会にて印西市他2村の廃置分合議案を可決されたとの事でした。
さて、群馬県議会<中之条と六合村の合併>の方は…。
今月14日、支持している地元の県議のパーティーに行きまして、その時話をしましたが、「迷っている」とのことでした。

この県議には、印西市議と印旛村議に仲間がいるんですが、印旛村議の方は合併推進派です。
私とも何度も会ったことがあり、14日にも話したのですが、前本埜村長が合併推進を公約して当選しながら、手のひらを返したことにはかなり憤っていて、リコール運動も支援したとのことでした。

一方、印西市議の方はというと、合併反対派だったのです。
こちらも昨年、前我孫子市長が主催する学習会の席で会ったのですが(合併政令市問題をテーマにする、という案内があったので行ったのですが)、ここでは「合併=悪」と決めつける空気で、私には居場所がなかったものです。

それはさておき、千葉県も群馬県も今日が定例会初日で、午前の開会。
千葉県議会については、合併議案を初日に採決する、と新聞に出ていましたが、群馬県も初日の採決があるかもしれないということで、私は群馬県議会の中継を聴きました(議場でのコンサートもあったので、それも・・・)。

結局、今日の採決はありませんでした(知事の議案説明では触れられていましたが)。
最終日の3月19日に採決していては、合併期日に間に合いませんが、3月9日の本会議で「委員長報告・議決」というスケジュールが組まれているので、ここに賭けようと思います。

でるでるさんにおかれましては、山野さんの[74158][74161]の情報、また拙稿[74145]の熊本市・那覇市の情報についても、更新よろしくお願いします。

[74185] 2010 年 2 月 19 日 (金) 22:04:46 山野[山野] さん
 県議会<千葉>

でるでるさんへ
また、例によって印西市議員さんの個人ブログから何ですが、本日千葉県議会にて
印西市他2村の廃置分合議案を可決されたとの事でした。

さて、群馬県議会<中之条と六合村の合併>の方は…。

[74184] 2010 年 2 月 19 日 (金) 18:29:51 むっくん さん
 Re:連合戸長役場が置かれた行政区の名称について

[74083]YTさん
これらの連合村の呼称について、色々不明な点が多い状況です。現在「〜村外×ヶ村連合」、あるいは「〜市街」という呼称で統一しておりますが、これらが本当に正しい名称なのか確信が持てません。
郡区町村編制法が施行されていた時代の宮崎県の政府宛ての文書で、この呼称について触れられていました。
その文書では「◎◎村△△村××村◆◆村連合」と総ての町村の名称を書くことが正しい呼称である旨の記載がありました。
「◎◎村外3ヶ村連合」という書き方でも正しいかどうかについては私には分かりませんが、当時もこのように記載される場合もなくはなかったようです。この場合の◎◎村とは連合戸長役場が置かれたところとなるようです。

次に「〜市街」です。
郡区町村編制法が施行されていた時、各府県よりある一定の地域を「〜市街」や「〜準市街」と名付ける布達が出されています。
しかし、これは警察の管轄のために使われたものと私は理解しており、正しい行政区の名称というものではないと思います。こちらについてはあまり自信がありません。

[74183] 2010 年 2 月 19 日 (金) 16:01:34【1】 むっくん さん
 地方自治法施行以降の町村の廃置分合についての法的根拠(その2)

[74182]の続きです。

まずは昭和27年の地方自治法改正に絡む法令の紹介です。
-------------------
地方自治法の一部を改正する法律(PDFファイル、8.3MB)(昭和27年法律第306号)(S27.8.15)
(略)
 第二條第三項の次に次の二項を加える。
  第二項の事務の中で法律又はこれに基づく政令の定めるところにより都道府県が処理しなければならないものは、この法律又はこれに基く政令に規定のあるものの外、別表第一の通りである。
  第二項の事務の中で法律又はこれに基づく政令の定めるところにより市町村が処理しなければならないものは、この法律又はこれに基く政令に規定のあるものの外、別表第二の通りである。
 第二條第五項の次に次の三項を加える。
  地方公共団体に関する法令の規定は、地方自治の本旨に基づいて、これを解釈し、及び運用するようにしなければならない。なお、特別地方公共団体に関する法令の規定は、この法律に定める特別地方公共団体の特性にも照応するように、これを解釈し、及び運用しなければならない。
  地方公共団体は、その事務を処理するに当つては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない。
  地方公共団体は、常にその組織及び運営の合理化に努めるとともに、他の地方公共団体に協力を求めてその規模の適正化を図らなければならない。
 第三條に次の二項を加える。
  都道府県知事は、前項の規定による報告があつたときは、直ちにその旨を内閣総理大臣に通知しなければならない。
  前項の規定による通知を受けたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示するとともに、これを国の関係行政機関の長に通知しなければならない。
(略)
 第六條第二項中「所属未定地」を「従来地方公共団体の区域に属しなかつた地域又は所属未定地」に改める。
 第七條第一項中「これを定め、」を「これを定め、直ちにその旨を」に改め、同項の次に次の一項を加える。
  前項の規定により市の廃置分合をしようとするときは、都道府県知事は、あらかじめ内閣総理大臣に協議しなければならない。
 第七條第三項中「前二項」を「第一項及び前項」に改め、同條第四項中「前三項」を「第一項及び第三項及び前項」に改め、同條第五項中「第二項」を「第三項」に、「告示」を「告示するとともに、これを国の関係行政機関の長に通知」に改め、同條に次の一項を加える。
  第一項又は第三項の規定による処分は、前項の規定による告示によりその効力を生ずる。
 第七條の次に次の一條を加える。
第七條の二 法律で別に定めるものを除く外、従来地方公共団体の区域に属しなかつた地域を都道府県又は市町村の区域に編入する必要があると認めるときは、内閣がこれを定める。この場合において、利害関係があると認められる都道府県又は市町村があるときは、予めその意見を聴かなければならない。
2 前項の意見については、関係のある普通地方公共団体の議会の議決を経なければならない。
3 第一項の規定による処分があつたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示しなければならない。前條第七項の規定は、この場合にこれを準用する。
 第八條第三項中「若しくは市を町村とする処分又は」を「又は市を町村とする処分は第七條第一項、第二項及び第五項乃至第七項の例により」に、「若しくは町を村とする処分は前條第一項、第四項及び第五項の例により」を「又は町を村とする処分は同條第一項及び第五項乃至第七項の例により、」に改める。
 第八條の次に次の一條を加える。
第八條の二 都道府県知事は、市町村が第二條第十五項の規定によりその規模の適正化を図るのを援助するため、市町村の廃置分合又は市町村の境界変更の計画を定め、これを関係市町村に勧告することができる。
2 前項の計画を定め又はこれを変更しようとするときは、都道府県知事は、関係市町村、当該都道府県の議会、当該都道府県の区域内の市町村の議会又は長の連合組織その他の関係のある機関及び学識経験を有する者等の意見を聴かなければならない。
3 前項の関係市町村の意見については、当該市町村の議会の議決を経なければならない。
4 都道府県知事は、第一項の規定により勧告をしたときは、直ちにその旨を公表するとともに、内閣総理大臣に報告しなければならない。
5 内閣総理大臣は、前項の規定による報告を受けたときは、国の関係行政機関の長に対し直ちにその旨を通知するものとする。
6 第一項の規定による勧告に基く市町村の廃置分合又は市町村の境界変更については、国の関係行政機関は、これを促進するため必要な措置を講じなければならない。
(略)
附則
1 この法律は、公布の日から起算して三月をこえない期間内において政令で定める日から施行する。
(略)
4 この法律施行の際改正前の地方自治法第七条第一項若しくは第二項の規定により既になされている市町村の境界の変更に関する処分、改正前の地方自治法第八条第三項の規定により既になされている町村を市とし、若しくは市を町村とする処分若しくは村を町とし、若しくは町を村とする処分又はこれらの処分の効力については、改正後の地方自治法第七条第二項及び第七項並びに第八条第三項の規定にかかわらず、なお、従前の例による。
5 改正前の地方自治法第九条の規定に基き提起されている訴訟又は事件で、この法律施行の際現に裁判所に係属しているものについては、改正後の地方自治法第九条、第九条の二及び第二百五十五条の二の規定にかかわらず、なお、従前の例による。
(略)
11 この法律施行の際地方自治法第二百五十九条第一項又は第三項の規定により既になされている郡の区域をあらたに画し、若しくは廃止し、又は郡の区域を変更する処分の効力については、改正後の地方自治法第二百五十九条第四項の規定にかかわらず、なお、従前の例による。
(略)
16 前五項に規定するものを除く外、改正後の地方自治法の特別区に関する規定の施行に関し必要な経過措置は、政令で定める。
(略)
20 この法律の施行のため必要な事項は、政令で定める。
-------------------
そしてこの昭和27年法律第306号(S27.8.15)の施行日を定める政令では
-------------------
地方自治法の一部を改正する法律の施行期日を定める政令(PDFファイル)(昭和27年政令第344号)(S27.8.15)
 内閣は地方自治法の一部を改正する法律(昭和27年法律第306号)附則第一項の規定に基き、この政令を制定する。
 地方自治法の一部を改正する法律は、昭和27年9月1日より施行する
内閣総理大臣 吉田茂
-------------------
とあります。

昭和27年法律第306号が、町村の廃置分合についての法的根拠として考えられるのには以下の理由があります。
(1)市制町村制下でも町村の廃置分合には内務省の許可が必要であり、国は町村の合併を把握していたのに、昭和23年1月1日〜同年3月31日までの廃置分合・境界変更の記載が国の官報に掲載されていないこと
(2)地方自治法施行令(昭和22年政令第16号)附則第二條第二項についての改正がないこと
(3)昭和27年法律第306号による地方自治法の改正で、
第七條第一項中「これを定め、」を「これを定め、直ちにその旨を」に改め、同項の次に次の一項を加える。
  前項の規定により市の廃置分合をしようとするときは、都道府県知事は、あらかじめ内閣総理大臣に協議しなければならない。
という条文の一項を加え、さらに附則で
4 この法律施行の際改正前の地方自治法第七条第一項若しくは第二項の規定により既になされている市町村の境界の変更に関する処分、改正前の地方自治法第八条第三項の規定により既になされている町村を市とし、若しくは市を町村とする処分若しくは村を町とし、若しくは町を村とする処分又はこれらの処分の効力については、改正後の地方自治法第七条第二項及び第七項並びに第八条第三項の規定にかかわらず、なお、従前の例による。
という一文があることです。
(1)は、単に国の官報による告示が例示に過ぎず法的効果を及ぼさないため、官報に記載がないものとも考えられます。そして(2)については昭和27年法律第306号まではいっさいの言及がなく、(3)の昭和27年法律第306号の法改正で初めて、町村の廃置分合等に対し国の官報による告示が法的効力を及ぼすようになったとも考えられます。なによりも昭和27年法律第306号附則4号で明示されているのが大きいです。

以上より、昭和27(1952)年9月1日になって初めて、町村の廃置分合(但し分合で市となったところは除く)についての法的根拠が国の官報に記載された告示によることになったと考えます。

単に条文の文言だけをざっと見てきただけですのでいまいち自信がありません。皆様のご意見をいただければ幸いです。


余談1
市の廃止や新設に絡む市町村の廃置分合の法的根拠は、国の官報での告示です。これは市制町村制の時代から何の変わりもありません。

余談2
あと残るは、町村の市への編入合併の法的根拠です。これも町村の廃置分合(但し分合で市となったところは除く)と同様に考えて良いのでしょうか。私には良く分かりません。
仮に同じように考えてよいのならば、例えば奈良県添上郡大安寺村,東市村,生駒郡平城村の奈良市への編入年月日は、S26.5.28付け総理府告示第183号に記載のS26.4.1ではなくて、S26.3.15付け奈良県告示第97号,奈良県告示第98号,奈良県告示第99号に記載のS26.3.15となりますが。。。
参考:[65628]拙稿、[65812]88さん

[74182] 2010 年 2 月 19 日 (金) 16:01:23【1】 むっくん さん
 地方自治法施行以降の町村の廃置分合についての法的根拠(その1)

現在は町村の廃置分合においても、総務省告示が法的根拠となります([55225]88さん)。果たしてこれはいつまで遡るのでしょうか。
本稿では町村の廃置分合の法的根拠について考えます。但し議論の簡略化のため、町村の分合で市となったところは除きます。

まず、地方自治法施行直前の廃置分合の法的根拠を見てみます。
市の廃止や新設に絡む市町村の廃置分合の法的根拠は、内務省告示でした。
郡の存置の法的根拠は、法律や勅令でした。
市の廃止や新設に絡まない市町村の廃置分合の法的根拠は、都庁府県の告示等でした。(地方官官制(大正15年勅令第147号)の規定に拠ります)

その後、地方自治法(昭和22年法律第67号)(S22.4.17)がS22.5.3に施行されることになり、市制(明治44年法律第68号)と町村制(明治44年法律第69号)は廃止され、地方自治法施行令(昭和22年政令第16号)(S22.5.3)により、市制町村制施行令(大正15年勅令第201号)(T15.6.24)及び地方官官制 (大正15年勅令第147号)(T15.6.4)は廃止されました。
廃置分合に絡むところの抜粋をします。
-------------------
地方自治法(PDFファイル、51.9MB)(昭和22年法律第67号)(S22.4.17)
第三條 地方公共團体の名称は、従來の名称による。
2 都道府縣の名称を変更しようとするときは、法律でこれを定める。
3 都道府縣及び特別市以外の地方公共團体の名称を変更しようとするときは、この法律に特別の定のあるものを除く外、條例でこれを定めなければならない。
第六條 都道府縣の廃置分合又は境界変更をしようとするときは、法律でこれを定める。
2 都道府縣の境界にわたつて市町村の設置又は境界の変更があつたときは、都道府縣の境界も、また、自ら変更する。所属未定地を市町村の区域に編入したときも、また、同様とする。
3 前二項の場合において財産処分を必要とするときは、関係地方公共團体が協議してこれを定める。その協議が調わないときは、関係市町村の議会の意見を聴き、内務大臣がこれを定める。但し、法律に特別の定があるときは、この限りでない。
4 前項の協議については、関係地方公共團体の議会の議決を経なければならない。
第七條 市の廃置分合又はこれに伴う町村の廃置分合若しくは市町村の境界変更をしようとするときは、関係市町村の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
2 町村の廃置分合又は市町村の境界変更をしようとするときは、都道府縣知事は、関係市町村の議決を経、内務大臣の許可を得てこれを定める。所属未定地を市町村の区域に編入しようとするときも、また、同様とする。
3 都道府縣の境界にわたつて市町村の境界の変更をしようとするときは、関係普通地方公共團体の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
4 前三項の場合において財産処分を必要とするときは、関係市町村が協議してこれを定める。その協議が調わないときは、関係市町村の議会の意見を聴き、第一項及び第二項の場合においては都道府縣知事、前項の場合においては内務大臣がこれを定める。
5 前項の協議については、関係市町村の議会の議決を経なければならない。
第八條 市を設置し又は町村を市としようとするときは、その地方公共團体は、人口五万以上を有し、且つ、都市的形態を具えていなければならない。
2 町村を市とし又は市を町村としようとするときは、当該市町村の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
3 村を町とし又は町を村としようとするときは、町村はその議会の議決を経て、都道府縣知事の許可を受けなければならない。

附則
第一条 この法律は、日本国憲法施行の日から、これを施行する。
第二条 東京都制、道府県制、市制及び町村制は、これを廃止する。但し、東京都制第百八十九条乃至第百九十一条及び第百九十八条の規定は、なお、その効力を有する。
-------------------
地方自治法施行令(PDFファイル、71.3MB)(昭和22年政令第16号)(S22.5.3)
附則
第二條(略)
2東京都官制、北海道庁官制、地方官官制、都庁府縣等臨時職員等設置制及び地方世話部官制は、これを廃止する。但し、地方自治法附則において準用され又はよることとされている範囲内においては、なおその効力を有する。
-------------------
地方自治法第七條第二項によりますと、町村の廃置分合について法的責任を持つのが都道府縣知事とあります。そして、地方自治法施行令附則第二條第二項の規定と併せて考えますと、地方自治法施行直後での町村の廃置分合についての根拠法令とは、都道府県が出した告示ないしは県令等となることが分かります。
確かに昭和22年(地方自治法施行以降)の官報では、市制町村制の時代と同様に、市の廃置分合に関係するもののみが掲載されており、町村の廃置分合のみのものは掲載されていません。。

かつて[74096]拙稿で、S22.7.1北河内郡四條畷村→北河内郡四條畷町の参考法令として大阪府公報昭和22年6月25日第2883号(PDF)に記載されている
大阪府告示第三百十五號
昭和二十二年七月一日から北河内郡四條畷村を町とする件昭和二十二年六月二十四日許可した。
昭和二十二年六月二十五日 大阪府知事 赤間文三
を挙げました。上記地方自治法と照らし合わると、実は大阪府告示第三百十五號は単なる参考法令ではなく、町制施行の根拠法令だったということになります。


ではいつより町村の廃置分合についての法的根拠が官報に掲載されている総務省告示(or自治省告示or総理府告示or総理庁告示)になったのでしょうか。
まずは、地方自治法第七條第二項が現行と同趣旨に修正された時期をまず探してみました。すると下記の法律で現在と同趣旨に変更されたようです。
-------------------
地方自治法の一部を改正する法律(PDFファイル、24.6MB)(昭和22年法律第169号)(S22.12.22)
(略)
 第二條第二項中、「普通地方公共團体に属する事務」を「普通地方公共團体に属するものの外、その区域内におけるその他の行政事務で國の事務に属しないもの」に改める。
 第三條第三項中「これを定め」の下に「、都道府縣知事の許可を得」を加える。
 第六條第三項中、「その協議が調わないときは、関係市町村の議会の意見を聴き、内務大臣がこれを定める。」を削る。
第七條 市町村の廃置分合又は市町村の境界変更は、関係市町村の申請に基き、都道府縣知事が当該都道府縣の議会の議決を経てこれを定め、内閣総理大臣に届け出なければならない。所属未定地の市町村の区域えの編入も、また、同様とする。
2 都道府縣の境界にわたる市町村の境界の変更は、関係のある普通地方公共團体の申請に基づき、内閣総理大臣がこれを定める。
3 前二項の場合において財産処分を必要とするときは、関係市町村が協議してこれを定める。
4 前三項の申請又は協議については、関係のある普通地方公共團体の議会の議決を経なければならない。
5 第一項の規定による届出を受理したとき、又は第二項の規定による処分をしたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示しなければならない。
第八條 市となるべき普通地方公共團体は、左に掲げる要件を具えていなければならない。
一 人口三万以上を有すること。
二 当該普通地方公共團体の中心の市街地を形成している区域内に在る戸数が、全戸数の六割以上であること。
三 商工業その他の都市的業態に従事する者及びその者と同一世帯に属する者の数が、全人口の六割以上であること。
四 前各号に定めるものの外、当該都道府縣の條例で定める都市的施設その他の都市としての要件を具えていること。
2 町となるべき普通地方公共團体は、当該都道府縣の條例で定める町としての要件を具えていなければならない。
3 町村を市とし若しくは市を町村とする処分又は村を町とし若しくは町を村とする処分は前條第一項、第四項及び第五項の例によりこれを行うものとする。
(略)
附則
第一条  この法律は、昭和二十三年一月一日から、これを施行する。但し、第二十六条及び第二十七条の改正規定並びに附則第四条は昭和二十二年十二月二十日から、全国選挙管理委員会に関する規定は公布の日から、これを施行する。
(略)
第六条  この法律の施行に関し必要な規定は、政令でこれを定める。
-------------------
上記法改正により、昭和23年1月1日の廃置分合より町村の廃置分合も国の官報で告示されることになりました。
しかしながら、昭和23年1月1日〜同年3月31日までの廃置分合・境界変更について、国の官報で記されていません。これは前述の地方自治法施行令(昭和22年政令第16号)(S22.5.3)附則第二條第二項の規定によるものと考えられ、昭和23年4月1日よりは国の官報による告示が全市町村の廃置分合・境界変更の法的根拠となったものとも推測されます。

しかしながら私は、この解釈を支持しません。私は、法改正によっても町村の廃置分合の法的根拠については従前どおりの都道府県の告示によるものであり、国の官報による告示が法的根拠となったのは昭和27年法律第306号の地方自治法改正によるものと考えています。

次稿に続きます。

[74181] 2010 年 2 月 19 日 (金) 00:53:26 futsunoおじ さん
 八ヶ岳と蓼科山

[74179] Issie さん
[74178],[74180] じゃごたろ さん

八ヶ岳と蓼科山は同じ山域にあることから登山ガイドブックや登山地図などではまとめて扱われることが多いようです。
南八ヶ岳は岩肌の露出した高山性の山容ですが、北八ヶ岳は森林と湖水に恵まれた対照的な雰囲気で、蓼科山はそのさらに北にある独立性の火山になります。八ヶ岳の「八」は単にピークの数が多いという意味であるとの解釈もあります。

これらの山は登山道でつながっており山小屋泊で広範囲の縦走登山などが可能ですから、見方によっては蓼科山も八ヶ岳に含まれると考える人もいるでしょう。深田久弥著「日本百名山」では「蓼科山」と「八ヶ岳」が選定されています。(ここで八ヶ岳としては赤岳を中心とする南八ヶ岳が多く記述されていますが、北八ヶ岳にも触れています。)

[74180] 2010 年 2 月 18 日 (木) 22:53:51 じゃごたろ さん
 re:八ヶ岳火山群

[74179] Issie さん
地形的には蓼科山は 八ヶ岳火山群 の北端ととらえられています。

そういうことだったんですか。ちゃんと理解していなかったようです。まあ、心情的なものと学術的な分類では異なる場合があるというのは、いろいろな分野でままあることですね、と自分に慰めの言葉をかけることにします。。。

[74179] 2010 年 2 月 18 日 (木) 21:03:14 Issie さん
 八ヶ岳火山群

そう言えば,前回,申歳の御柱の時,観覧ポイントまで茅野駅から歩いて行ける上社の木落としを見に行ったのですが雪でした。中央線のガードをくぐった御柱は同じ日のうちに宮川を渡る“川越し”に移るのですが,雪の中,大変だったでしょうねえ。
今年はどうなるか。

[74178] じゃごたろ さん
某百科事典サイトに蓼科山を八ケ岳の一部に含まれるような記述がありましたが、、、、

「たてしな山」の名前の由来はともかく,地形的には蓼科山は 八ヶ岳火山群 の北端ととらえられています。南端の 編笠山 から北端の 蓼科山 まで全体で1つの“複合成層火山”を形成しているのですね。
「八ヶ岳」の名前で呼ばれる赤岳など“8つの峰”の部分は複合火山の中では「南八ヶ岳」と呼ばれます。夏沢峠を境にした天狗岳以北の「北八ヶ岳」の部分も火山。その一番北の部分が蓼科山です。
それぞれ少しずつ活動時期を違えながら全体で大きな火山が形成されました。それらの中では,高くて目立つ南八ヶ岳よりも,地味な北八ヶ岳の方が新しい時期まで活動が続き,火山の姿をとどめています。最も新しく形成されたのは,蓼科山の隣の横岳だとか。
南八ヶ岳は高く成長したけれども早い時期に活動を停止してしまったので侵食を受けて崩されてしまい,だから険しいのだ,と説明されています。
以上,町田洋ほか編『日本の地形5 中部』東京大学出版会,2006年 による。

ま,あそこの記述もあながち間違いではないのです。

[74178] 2010 年 2 月 18 日 (木) 20:10:40【1】 じゃごたろ さん
 re:JR新潟支社の「越後・庄内縦断号」と「信州・越後横断号」

こんばんは、じゃごたろです。
今朝1cm程の積雪からありましたが、今はもう乾いています。以前の立科町のくびれで出てきた蓼科山は真っ白です。そういえば某百科事典サイトに蓼科山を八ケ岳の一部に含まれるような記述がありましたが、、、、

[74177] hmt さん
羽越線に「縦断号」を走らせているところを見ると、今回のケースに限れば、JRは細長い新潟支社管内(又は越後国)の形を基準にして、羽越の「縦断」と信越の「横断」とを使い分けているようです。

縦断号の存在を知らずに書き込みましたが、この場合はhmtさんの仰る通りだと思います。日本列島に沿った「縦貫軸」が羽越線で、それと交差する「横断路」が信越線ということなんでしょうね。

※前書きのあとがき
蓼科山。町の名前が「立科」であるように「立科山」と昔は書いたようですね。縦を横にしてみても、この山が八ケ岳の一部には見えません。八ケ岳という山塊から離れて屹立しているから「立」科山だと思うんですけど。

[74177] 2010 年 2 月 18 日 (木) 14:08:11 hmt さん
 JR新潟支社の「越後・庄内縦断号」と「信州・越後横断号」

[74156] futsunoおじ さん
2008年10月の時刻表に信越線・長野−新潟間に快速「信州・越後横断号」(臨時列車)を見つけました。
このルートがなぜ"横断"なのかわかりませんけど。

平成20年 秋増発列車pdf の一部(4/7コマ掲載)ですね。
快速「越後・庄内縦断号」糸魚川−酒田
快速「信州・越後横断号」長野−新潟

[74175] oki さん
辞書を引いたところ、(中略)「縦断」を見ると、「縦または南北の方向に断ち切ること」となっています。

辞書の一般的な用法に限らず、具体的に信州の視点から考えても、長野から北上する信越本線は、信越国境を「縦断」するように思われます。

ところが、
[74173] じゃごたろ さん
これは多分信濃と越後の"国境を横切る"から"横断"なんだと思います。
という発言があったのですね。なんだか混乱。

羽越線に「縦断号」を走らせているところを見ると、今回のケースに限れば、JRは細長い新潟支社管内(又は越後国)の形を基準にして、羽越の「縦断」と信越の「横断」とを使い分けているようです。

古い話ですが、信州・越後横断列車と言えば思い出すのが、1962年から1985年まで 名古屋−新潟間 を運行していた 急行列車「赤倉」 です。本州「横断」列車 でもありますが、視点を変えれば 長野県内「縦断」列車 でもあり、日本海「縦貫」線も走ります。

「赤倉」は、1973年(中央西線電化)後も、463.6kmに及ぶ架線下の全区間を気動車で走っていましたが、1982年に 塩尻スイッチバック[18939][49796]解消、次いで 上越新幹線開業 という変化の時を迎え、電車化されました。
10(+2)両の長い編成で20年以上も長距離を運行した「赤倉」と、2008年11月に1往復だけ運行された定員の少ない 準お座敷列車 の「信州・越後横断号」とでは比べ物になりませんが、新潟仕立の信越横断列車ということで共通性があり、思い出した次第です。

[74176] 2010 年 2 月 18 日 (木) 04:37:04 YT さん
 ウンウンビウム

[74172] Issie さん

番組では時間の制約もあって 原子番号1の水素 から 38番・ストロンチウム までなのですが,フルバージョン(ようつべ)では 111番・レントゲニウム まで“今のところ名前の付いている”元素全部が出てきます(途中,聞いたことがない元素が出てくると思ったら,私が高校生の頃は 103番・ローレンシウム までしか正式な名前が付いていなかったのでした)。

実は間もなく112番元素はコペルニクスにちなんで、Coperniciumと命名される予定です。このまま何事もなければ、今月中にIUPAC(国際純正応用化学連合)で承認されるはずです。日本語名は日本化学会が提案し、日本物理学会が承認するまで決定されませんが、多分「コペルニシウム」になるでしょう。発見者グループはドイツ・ヘッセン州ダルムシュタットの重イオン研究所で、これまでボーリウム(ニールス・ボーアから)、ハッシウム(ヘッセン州から)、マイトネリウム(リーゼ・マイトナーから)、ダームスタチウム(ダルムシュタットの町から)、レントゲニウム(ヴィルヘルム・レントゲンから)と、107番元素以降を立て続けに発見しています。

ところが元素記号として提案された「Cp」に異論があり、―(1) かつてルテチウムの異名として却下されたカシオペイウム (Cassiopeium, 元素記号Cp)と通じる (2) 有機金属化学分野でよく使われるシクロペンタジエニル基(cyclopentadienyl, C5H5^-)の略号Cpと混乱する―などの理由により、IUPACは元素記号を「Cn」にするよう勧告を出し、発見者グループも了承しました。しかしながらかつてトリウムとは違う元素として主張されたカロリニウム(Carolinium, 元素記号 Cn)に通じるという問題点も指摘されています。

IUPACには、かつて他の元素と同じものであると示された元素名は二度と使わないという規則があり(よってテクネチウムと誤解され、レニウムであることが証明されたニッポニウムは使えないことになる)、これを元素記号に拡張するとなると、使える略称は「Ci」か「Cc」になりそうです。

ちょっと自分の表の顔の話題が入ったので、掲示板の話題とはズレますが割り込みました。

[74175] 2010 年 2 月 18 日 (木) 03:19:43 oki さん
 高松-宇野間の流動人口

[74170] hiroroじゃけぇ さん
四国と本州をつなぐ役割は他のどの連絡航路よりも大きかったと思っています。そして、その航路が廃止というのは、四国の歴史にとっては大きなニュースであると思ったのですが・・・。そうでないとすると、やはり「過去の幻想」なんでしょうね。

宇高航路が、四国と本州をつなぐ路線として他のどの連絡航路より大きな役割を果たしてきたのは紛れもない事実です。しかし、それに寄せる思いが、岡山・香川県民と、他の四国3県とで差があるのも否めないようです。
高知・愛媛県にとって、宇高航路は何よりも本州への連絡ルートでしたから、瀬戸大橋によってその機能が維持されていれば、現行の宇高フェリーが廃止されてもさほど痛痒を感じないようです。徳島に至っては、国鉄の時代から本州への連絡は南海フェリーが主であり、現在は明石海峡大橋がその機能を担っていますから、宇高フェリーの廃止を聞いてもほとんど感慨も抱かないでしょう。
一方、岡山・香川県民にとって、宇高航路は本四連絡ルートであるとともに、両県を相互に(たぶんもっとも安い価格で)結びつける「生活航路」としての機能を持ってきたのだと思います。宇高フェリーの廃止は、この「生活航路」の切断であるため、その直接関係者には見過ごせない事態であり、hiroroじゃけぇさんのように、過去にこの路線を利用されていた人たちにも衝撃として受け止められたのではないかと思います。

そこで、現行の宇高航路が、岡山・香川県間の日常生活でどの程度の役割を果たしているかを探るために、2005年国勢調査の流出入人口をもとに、次のような表を作ってみました。

    就業者通学者
岡山市366215151
倉敷市1147143
玉野市43385
その他281711
 計 551341210
岡山市491309182
倉敷市411215196
玉野市1067432
その他1235667
 計 1131654477
 岡山市857524333
倉敷市525286239
 玉野市14911237
その他1517378
  計 1682995687

宇高フェリーの特性を考えて、対象としたのは高松市と岡山県内各市との流出入人口です。
分りにくい表で恐縮ですが、「高松→宇野」の欄にあるのは、高松市に住んでいて岡山・倉敷・玉野その他の岡山県内に通勤通学する人の数で、計551人です。「宇野→高松」は岡山市等に居住して高松市に通勤通学している人で、計1,131人になります。両者を合計すると1,682人で、これが宇高フェリーを使って通勤通学している可能性がある人の最大限の数です。
最初は、岡山市や、倉敷でも玉野から遠い地域では宇高フェリーを使わないだろうと思っていたのですが、このフェリーの運賃が宇野−高松間で大人片道390円と信じられないほど低額なため(JRだと岡山−高松間1,470円)、会社が定期代を払ってくれる就業者(通勤者)はともかく、687人の通学者はすべて宇高フェリーを利用している可能性があります。玉野市関係の就業者112人も当然利用者でしょうから、合わせて800人程度は、通勤通学で毎日宇高フェリーを利用しているのではないかと思われます(往復で1,600人ですね)。

本来であれば、少なくともこの通勤通学者に対しては代替交通手段の提供が必要なのだと思います。トラックを含めた車両輸送の激減がフェリー廃止の主因ですから、代替交通手段は高速船のような旅客専用船が求められるだろうと思います。しかしこの航路では、1988年の瀬戸大橋開通後も残されたJRの高速艇が、90年に廃止されており、旅客専用船の運航は難しいでしょう。であれば、現在の通学生が卒業するまで、朝夕の通勤通学時のみ、現行のフェリーを自治体の補助金で運航させる、くらいのことしかできないのではないでしょうか(それもかなり難しいことでしょうが)。
なお、hiroroじゃけぇさんの指摘された宇高フェリーの物流機能に関しては、ほぼ考慮の余地はないでしょう。先のように、フェリー廃止の理由がトラックを含めた車両輸送の激減ですし、重機の輸送は現在でも内航海運が担っていると思います(そうでなければ、高松に本社を置く重機メーカーのタダノが、今回の件に沈黙を通すはずはありません)。

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話変わって、横断と縦断のことなのですが、ふと思い立って辞書を引いたところ、「横断」について「横にたち切ること。平行方向に区切ること」などのほかに「ある地域や海域を東西の方向に通ってゆくこと」という説明がありました(日本国語大辞典)。え〜そうなの、と思って「縦断」を見ると、「縦または南北の方向に断ち切ること」となっています。
念のために広辞苑を確認したところ、やはり横断に東西、縦断に南北方向に通り抜けるとの意味があると書いてあります。
春秋戦国期の中国ならともかく、現代日本語で、横断=東西、縦断=南北の意味があるとは今の今まで知らなかったのですが、皆さんはいかがですか?

[74174] 2010 年 2 月 18 日 (木) 00:35:14【1】 Issie さん
 かみゆき降らず

[74173] じゃごたろ さん
暖冬?

すでに今日ですが,うちの職場は年に1回の大イベントがあるのだけど朝方雪が降るらしいですね(まだ降っていませんが)。私自身の通勤の足も心配なのですが,何より,「年に1回のイベント」に来ていただける“お客さま方”の足が乱れないか心配です。もちろん,そのような場合には“上つ方”(県)から開始時間を遅らせる命令が来るはずですが,お客さま方に少なからず動揺を与えてしまいますから。

というわけで,今年の2月は多いですね,雪。「舞った」のも含めて,何回目だろう。
元々,「暖冬で雪が多い」というのが当初の気象庁の見立てだったわけで,2月になってそれが当たり始めました。そう,今年の2月は暖かいです。
予報に反して1月は寒かった。自宅の最寄り駅前に温度計があるので毎朝出勤時に温度をチェックしていくのですが,朝の7時,1月は“氷点下”の日が続きました。そして“水”はほとんど全く降らない。「正しい冬」です。
2月になり雪が降るようになって,朝の気温はほぼ0度。“暖かく”なりました…。

諏訪地方では山には積雪が多いいものの、里に積もることは少なく、本格的積雪は一度きり。

今年は「かみゆき」が降っていないんですね。
折に触れて気象庁のアメダスのページで積雪深をチェックしているのですが,松本はずっと0センチですね。一応は「日本海側」に入る長野も長く0センチの日が続いて,今シーズンの信州,大部分は本当に雪が少ないんじゃないでしょうか。もちろん,ドカ雪が降っている新潟県との県境近くは除いて。
私が松本市民であったシーズンは東京でもたびたび積雪があった年で,それに合わせて「かみゆき」もたびたび。諏訪も松本も年末から年明けに結構降って,春先まで積雪が解けることがありませんでした(そうそう,初めて投票に行った年末の総選挙の朝にドカッと降ったのでした)。
私の学生時代はほぼ「暖冬」だったけど,それが普通だったような気がします。

※補足
「かみゆき」:厳密には“春先限定”のものであるようだけど,私たちは冬の初めも含めて県内の南部の方で降る雪,というような意味で使っていました。

[74173] 2010 年 2 月 17 日 (水) 22:59:15 じゃごたろ さん
 暖冬?

こんばんは、じゃごたろです。
今日の諏訪地方のローカル新聞である長野日報の一面はオリンピックで、長島と加藤がメダルをとったこと。所属が下諏訪町の企業です。そして昨日は今年の御柱祭で上社のどの柱を担当するかの抽選結果。多分明日は、メダルはとれなかったけど吉井さんでしょう。

さて今年の冬の予報は暖冬でした。しかし関東では例年よりも降雪が多いようで、暖冬とは感じないのでしょうか?諏訪地方では山には積雪が多いいものの、里に積もることは少なく、本格的積雪は一度きり。気温も氷点下10度以下になることも少なく、こちらは暖冬だなあと思っています。

まだ冬の準備ができていない11月の寒波が今年一番の寒さのような気がしています。その後は暖かくなり12月に開花した桜もありました。桜が開花するには一度気温が低くなった状態から暖かくならないとダメらしいですね。11月から12月の寒暖差に桜もびっくりしたことでしょう。

一応冬の峠を過ぎたはずですが、三月にドカ雪というのもありますし、またまだ気を抜けないのでした。

そうそう、
[74156] futsunoおじ さん
2008年10月の時刻表に信越線・長野−新潟間に快速「信州・越後横断号」(臨時列車)を見つけました。
このルートがなぜ"横断"なのかわかりませんけど。
これは多分信濃と越後の"国境を横切る"から"横断"なんだと思います。

前置きがほとんどになりましたが、ではでは。

[74172] 2010 年 2 月 17 日 (水) 21:13:57【2】 Issie さん
 スイヘイリーベ

最近,「イベント」が終了すると途端に静かになってしまいますね。
そこで,というわけでもないのですが,まあ,無駄話を1つ。

話はお正月にさかのぼるのですが,視る番組が何もなくてたまたまチャンネルを合わせた教育テレビ。まとめて再放送していたアニメーション番組が意外に面白くてハマってしまい,その総集編を放送するというので土曜日の夕方に教育テレビを視るようになりました。そうすると必然的に前の番組の末尾も視ることになるのですが,そこで流れてきたのがその番組(別のアニメ番組)のエンディングテーマ。
最初,タイトルと同じ歌い出しが耳に入って(昔,化学の時間に教わったなぁ…),「もしや?」と思い続きを聞いていたら,やっぱり… ひたすら元素名を並べている歌でした。
番組では時間の制約もあって 原子番号1の水素 から 38番・ストロンチウム までなのですが,フルバージョン(ようつべ)では 111番・レントゲニウム まで“今のところ名前の付いている”元素全部が出てきます(途中,聞いたことがない元素が出てくると思ったら,私が高校生の頃は 103番・ローレンシウム までしか正式な名前が付いていなかったのでした)。

まあ,この手の歌は昔からありますよね。
10年ほど前の子どもたちはポケモンの歌を歌っていたし,「コーヒールンバ」でお薬の名前を並べて歌っている人もいました。小林旭もこの手の歌が多いですよね。そもそも「きらきら星」のメロディでアルファベットを(日本語訛りで)並べた歌はたいていの人が知っています。
だから別に珍しいものではないのですが,これが子ども向けアニメ番組のエンディングに出てきてビックリしたのでした。もっともこの番組,「元素」がテーマのお話ですから,このエンディングは十分必然性があるのです。
それにNHKには,もともとこういう歌が好きであるようなフシがあります。「みんなのうた」には伝統的に“変な歌”枠があるみたいだし(最近では「おしりかじり虫」),だいぶ古い話ですが“算数”の域をはるかに超えた「算数チャチャチャ」という歌を当時最先端の映像技術を用いた解説画面付きで流したこともあります(驚いたことにこの歌は,当時放送していた公募番組で入賞したアマチュアの作品なのですね)。

さて,間もなく「平成の大合併」も終了し,市の数と名前もある程度落ち着くことでしょう。
そこでどなたか,市の名前を全部歌いこんだ歌を作ってみませんか?
うまく企画が合えば,NHKが放送してくれるかもしれません。
残念ながら,私にはその才能がありませんが。

※追加
YouTube にアップされた「スヘイリーベ」の動画がバックに使用しているのは 科学技術広報財団 が文部科学省のサイトにアップしている「一家に1枚シリーズ」ポスターの1枚なのですが,このシリーズ,面白いです。お役所のサイトにも意外にセンスの良いものがあるのですね。

[74171] 2010 年 2 月 16 日 (火) 23:23:06 hmt さん
 Re:アメリカ村・沙市

[74166] k-ace さん
「アメリカ村」だけど実は「カナダ村」?

「アメリカ村」という地名は、昔から時刻表の索引地図でおなじみでした。でも実は「カナダ村」とは知らなかった。

明治時代、ハワイなどへの移民の出身地というと広島県・山口県が有名ですが、和歌山県もそれに次ぐ移民県でした。

和歌山市民図書館移民資料室 を見ると、カナダ・ハワイ・アメリカ以外にもオーストラリアの木曜島(真珠貝採取ダイバー)など各地に移民を出していたことがわかります。
移民の先人8人の伝記があり、その筆頭がバンクーバーの南・フレイザー河口のサケ漁に着目した 工野儀兵衛 でした。
ついでに、和歌山社会経済研究所 の頁。

[74164] Issie さん
「沙市」という地名…中国の長江中流域…日清戦争後の 下関条約 で開かせた開港場です。

バンクーバーからは遠ざかりますが、シアトルならぬ中国の「沙市」のこと。
下関条約による4つの開港場(沙市・重慶・蘇州・杭州)の筆頭に位する重要港湾だったのですか。
三国志にしばしば登場する「荊州」がこの地だということは知りませんでした。

それにしても、港町なのに“水が少ない”という字が使われているのに疑問を抱き、漢和辞典を見たら、「砂のある水辺の地」という意味があることも記されていました。
「沙州」ならば 敦煌 のこと。こちらは正真正銘 水の少ない 砂漠のオアシス都市でした。

[74170] 2010 年 2 月 16 日 (火) 23:18:47 hiroroじゃけぇ さん
 交通期間の選択肢は複数が望ましい

[74154]oki さん
宇高航路の廃止を聞いても、「相当な衝撃」を受けたわけではありません。
過去の幻想でしょうか。地元では「宇高航路こそ四国連絡航路で最重要ルートである」と今でも考えています。そして、過去の繁栄を今でも引きずっているのは確かです。「サンポート高松」などはその代表例です。それでも、四国と本州をつなぐ役割は他のどの連絡航路よりも大きかったと思っています。そして、その航路が廃止というのは、四国の歴史にとっては大きなニュースであると思ったのですが・・・。そうでないとすると、やはり「過去の幻想」なんでしょうね。

[74157]みかちゅう さん
「宇野の住民が岡山ではなくあえて高松に行く目的」も「高松の住民が岡山ではなくあえて宇野に行く目的」もいまいち思い浮かばないのですが、意外と通勤や通学の需要があるのでしょうか?
「生活航路」としては、通勤や通学の需要が高い比率を占めているはずです。hiroroじゃけぇが、児島から高松の高校に通学していたように、宇野から高松への通学需要はあるのです。実際、hiroroじゃけぇの知り合いにもフェリー通学者がいますから。

また、「振替輸送」についての重要度は見逃せないのではないでしょうか。松山から、あるいは高知からの旅客が香川県内で足止めを余儀なくされる。そのような状況下では、おそらくその旅客を宇多津〜丸亀〜多度津間で吸収するのは難しく、坂出・高松ということになるでしょう。しかし、本来のルート上にない都市に収容されるとなると納得できない人も多いのではと思います。そんな時の「フェリー」はありがたいものです。ただ、「振替輸送」の為だけに航路を維持するのは非効率なのは確かです。そういった点では、「振替輸送」は一つの参考点になるでしょうが、これを元に維持するということは無理だと自分自身思っています。

さて、oki さんもみかちゅう さんも、そして自分もですが人の移動手段の面でしか書き込んでいませんでした。しかし、フェリーは物流システムの一部であることを忘れてはいけません。橋の上では重量制限など様々な理由で、通過できない車両が多々あります。例えば、建設重機などがそれに当たります。もし、「宇高」などの「本四連絡航路」特に「直行航路」がなくなれば、重機の輸送コストが大幅に上がることになり、四国経済のテコ入れに水を差す結果になりかねません。逆に、四国から本州への重機の出荷にも影響がでかねません。また、同僚の元トラック運転手にきくと、「フェリーは休憩しながら前に進める唯一の機関。平日の料金などを考えるとフェリーで休んで、前後を走る方がいい」とのこと。このような利用のされ方も考えなくてはなりません。更に、このような利用方法は24時間運行しているフェリーだからできることなのです。「本四架橋」に移行となれば、与島P.Aなど中間点に宿泊施設が求められることになりそうです。物流という面からすれば、1時間に1本。特に夜間には確保してもらいたいというのが、物流業界末端の願いなのではと思います。

[74169] 2010 年 2 月 16 日 (火) 22:57:00【2】 EMM さん
 EMMの地名コレクション編集メモ・番外

年度末に向けて仕事の方が何かと気ぜわしいのですが、先週一山越えたら昨日今日と疲れが一気に出てきているような感じです。もーへろへろ。
外は雪も積もってきているようなので早く寝た方が良さそうなのですが、ちょっとだけ。


[74163] hmtさん
[74168] 星野彼方さん

地名コレクションへの海外地名の情報提供は久しぶりなので、念のため。
以前三山コレで海外・地球外情報の提供があった際、[49639]にてグリグリさんよりコレクション登録に対しての見解を頂いております。
基本的にはそれに沿って頂ければOK、っちゅう事で。
バンクーバーだと「オリンピック開催記念で番外篇として登録した」と言ったようなことを注釈にそれと分かることを書いといて頂ければ良いだろうと思います。

[74168] 2010 年 2 月 16 日 (火) 22:28:49 星野彼方 さん
 地名コレレス2題+α

[74163] hmt さん
バンクーバー市になったのはその翌年ですから、交通由来? まあ外国だから コレクション 集録対象外でしょう。

外国はこれまでに採用がないだけで、特に対象外というわけではないので、番外ということで採用しましょう。番外には小惑星までありますし。

[74166] k-ace さん
オマケ:地図内に猫コレクション収録の海猫島バス停あり。
ご紹介いただきありがとうございます。ところで、このバス停、読み方が不明なのです。「うみねこじま」だは思うのですが、確かめることができていません。一度18切符で御坊まで行って確かめようとしたこともあるのですが、バスの時間があわなくて断念したこともあるのです。どなたかご存知の方いらっしゃいましたら情報お願いします。

おまけ
以前、k-ace さんの記事で紹介された東播磨南北道、まだマピオンでは反映されていませんが、開通位置はこのあたり。水足住宅バス停付近から皿池の上を越えて、リハビリテーション病院の「院」の字あたりまで開通しています。そして、北側は「野々池」と「猫池」の上を跨いで延伸予定。…いや、それだけです。

[74167] 2010 年 2 月 16 日 (火) 08:22:37 千本桜 さん
 温泉ランキング。日南市。

宮城県の温泉クイズの答えです。年間宿泊客数50,000人以上のランキングと温泉名は次のとおりです。
順位温泉名平成20年平成15年
1位秋保温泉834,000人996,000人
2位鳴子温泉488,000人390,000人
3位遠刈田温泉346,000人411,000人
4位作並温泉276,000人326,000人
5位南三陸温泉166,000人0人県の資料では志津川湾温泉
6位中山平温泉103,000人141,000人
7位東鳴子温泉85,000人141,000人
40年ほど前の雑誌「旅」の記事を書きとめていたノートを見ると、当時の宮城県では鳴子温泉がトップでした。温泉地の盛衰も浮き沈みが激しいですね。個人的な感想ですが、遠刈田温泉が意外に頑張っていると感じました。また、2年前に松島でも温泉を掘りあてて松島温泉を名乗るようになりましたから、今後の統計には「松島温泉」の名も登場することになるでしょう。

ついでに、40年ほど前の雑誌「旅」に掲載してあった温泉ランキングも書いておきます。日本を東西に分けて相撲番付ふうに書いてありますが、ランキングの上位から下位に向って30位までを羅列します。
【東日本】
熱海、川湯、洞爺湖、鬼怒川、伊東、登別、湯ノ川、中禅寺、修善寺、小涌谷、定山渓、下田、小涌谷、片山津、中山、熱川、飯坂、層雲峡、下呂、宇奈月、日光湯元、東山、西浦、那須、和倉、草津、伊香保、温根湯、浅虫、芦原
【西日本】
雲仙、別府、白浜湯崎、観海寺、指宿、勝浦、霧島、内牧、道後、玉造、城崎、湯田、皆生、有馬、小浜、嬉野、三朝、長門湯本、鳥取、日奈久、湯ノ山、長島、雄琴、牧ノ戸、湯之児、戸下、二日市、鉄輪、宝塚、湯原
西日本のトップは「雲仙」ですが、狭義の別府に観海寺・鉄輪など広義の別府を加えると、やはり西日本最大の温泉地は別府になります。牧ノ戸温泉や戸下温泉のランクインが何とも奇異ですが、真偽のほどは分かりません。

[74142] 伊豆之国 さん
私が初めてみちのくに足を踏み入れた、その思い出の温泉(過去に書き込んでいます)。
みちのく初体験は作並温泉でしたか。私も伊豆之国さんと同じ旅館に泊まっています。また、奈良の今井町に行かれたとか。今井は未訪ですが、歩いてみたい街の一つです。


[74136] 白桃 さん
合併により成立した市の市役所の位置というのも、その後の人口推移に大きな影響を与えるもんですな・・・。
[74137] Issie さん
両者に優劣はつけられず,恐らくは妥協の結果 吾田 に市役所が置かれ

この手の話題に乗りたくなる癖があります。飫肥と油津の人口が減少し、市役所所在地の吾田が一人勝ちしていることをネタに、あれこれ調べながら遊んでみました。

まず最初に飫肥、吾田、油津の境界線チェックです。すると、飫肥駅は飫肥ではなく吾田(大字星倉)にあることが判明。飫肥市街を一歩出れば吾田(大字星倉)の領域です。油津駅周辺にも吾田(大字平野)の領域が伸びていて、油津市街を出るとすぐ吾田(大字平野)になります。どうやら飫肥と油津は領域内に市街地を広げる適地に恵まれていないようです。ことさら面積の狭い油津は既に可住地が満杯状態で、人口増加を望むのは絶望的です。開発余地のある吾田が人口受皿になるのは自然の成り行きだったようです。

油津と吾田の関係はミステリアスで、油津市街の中にも吾田(大字平野)の領域臭が漂っています。地図上で油津を歩いているはずが、実はここは吾田(大字平野)ではないかという疑念が湧いて来たのです。きっかけは、あるサイトの日南郵便局に関する次の記述です。
1951年(昭和26年)日南市大字油津町から同市大字平野に移転するとともに、日南郵便局に改称。
上記をストレートに解釈すれば、大字平野は近世村の平野村で、平野村は明治22年に星倉村などと合併して吾田村になりましたから、日南郵便局の場所は吾田ということになります。でも、そこは明らかに油津市街の真ん中です。いったい、油津市街は油津なのか吾田(大字平野)なのか。謎を解かずにいられません。

そこで、油津市街の古い地名を追ってみました。すると、光明院という寺名からも、岩崎という町丁名からも、昔は平野村または吾田村大字平野に属していた形跡が見つかったのです。さらには、日南市 大字油津平野 字古奥という変な地名まで出てきて迷は深まるばかり。明治22年に油津村が単独で油津町になったのだから、大字油津平野という名の大字はありえないはず。大字油津平野とは何者か。ここには、88さんが纏めて下さっている市区町村変遷情報に書かれていない区画変更が隠れているぞと思っていたら、わりあい簡単に謎が解けました。油津と平野は下記のように複雑な関係にあったようです。
江戸時代、油津は平野村の一部だった。
明治15年、平野村から油津村が分立し、油津村以外の区域は平野村として継続。
明治22年、油津村は単独で油津町になり、平野村は星倉村, 隈谷村, 戸高村, 西弁分村と合併して吾田村になる。
明治41年、油津町が吾田村大字平野の一部を編入。
油津市街の中に漂う吾田(大字平野)の臭いの正体は、油津町の「吾田村大字平野の一部編入」にあったのですね。平凡社や角川の地名辞典があれば一発で解明できる事柄でしょうが、あいにく所持していないので、ここに辿り着くまで結構遠回りしました。でも、この遠回りが楽しいのですよ。

では、吾田村大字平野の一部を編入する以前の油津町はどこかというと、現在の油津一丁目から四丁目にあたる狭い範囲だったようです。この狭い領域では市街地の拡張に対応しきれないのは当然で、明治41年の油津町による吾田村大字平野の一部編入は必然だったのでしょう。現在、誰もが油津そのものだと思っている市街(油津駅・山形屋・油津小学校などのエリア)は、かつての吾田村大字平野に形成されたことになります。間違っていなければ良いけど・・・少し、はらはらしてます。

どこが中心???昆明、混迷深まるばかり・・・
路線価を見て感じたまま書くと、昭和の頃の中心は油津で、A地点の山形屋・宮崎銀行前からB地点のアーケード街にかけてでしょう。今もA地点が日南市の最高路線価を保持しています。しかし、都市機能の郊外移転が進んだ現在では、A地点よりも路線評価額は低いものの、長い区間に亘って水準以上の評価額が続く吾田地区の国道222号沿道C地点が実質的な中心になっていると思います。でも見た目はやっぱりA・B地点でしょうね。お遊びですので間違っていたら笑って許して。

[74166] 2010 年 2 月 15 日 (月) 23:41:21【1】 k-ace さん
 「アメリカ村」だけど実は「カナダ村」?

こんばんは、k-aceです。

冬季オリンピック開催地のバンクーバーつながりで(本記事で取り上げるのは、バンクーバー郊外ですが)。
「アメリカ村」といえば大阪と言いたくなるところですが、和歌山県美浜町三尾地区(旧三尾村)にもあります。
三尾の地図。オマケ:地図内に猫コレクション収録の海猫島バス停あり。
ただ美浜町三尾の「アメリカ村」は日ノ御埼を望む漁村に過ぎません。なぜここが「アメリカ村」なんでしょうか?
歴史を紐解いてみると。
三尾浦は農耕地が少ないため漁業を生業とし、江戸時代には伊豆半島や銚子まで進出していたようです。
その三尾浦出身の工野儀兵衛が明治19年働いていた横浜で商船の乗組員から「カナダ・スティブストンは農業と漁業の将来性あり」という話と聞き、翌年渡航。冬季は農業、夏季は鮭漁業に従事。バンクーバー郊外、フレザー河口のスティブストンである日、河を上る鮭の大群に驚き、漁業の将来性を見て「フレザー河にサケが湧く」と伝え、三尾村の青年たちを招き寄せました。その後移民は増加し、最盛期には二千数百人に達した。漁業等に従事した移民たちは郷土に送金を行い、やがて三尾村の財政を潤していった。また、出稼ぎや長期生活を終えて帰国した人々がカナダでの生活習慣(パン食等)を三尾村に持ち込み、家屋を新築する際にも木造洋館造の家を建て、周辺の町村とは異なる世界をつくりあげました。三尾村は大正時代初期には「アメリカ村」と呼ばれるようになったそうです。ただ実態は「カナダ村」。なぜ、アメリカ?
実は、三尾村の人は「カナダ」行きのことを「アメリカ」行きと言っていたそうで、ここでいう「アメリカ」とは国名(アメリカ合衆国)ではなく北アメリカ大陸のことのようです。そういう背景があって「アメリカ村」と呼ばれるようになったそうです。
だから「カナダ村」ではなく「アメリカ村」なんですね。

今現在も、美浜町国際交流協会とカナダ・ブリティッシュコロンビア州和歌山県人会との間で交流があるようです。

参考:国際交流(和歌山県美浜町HP)紀の国の先人たち 工野儀兵衛(和歌山県HP)和歌山のアメリカ村工野儀兵衛(Wikipedia)アメリカ村:美浜町(Wikipedia)

なお、大阪のアメリカ村の北をカナダ村と呼ぶらしいのですが…。
カナダ村といえば、加西市北条町西高室にもカナダ村自治会というのがあるのですが、こんな感じですので、カナダとの交流の歴史があってこの名前になった、とは到底思えません。

[74164] 2010 年 2 月 15 日 (月) 16:46:35【1】 Issie さん
 沙市

[74163] hmt さん
1885年にカナダ初の大陸横断鉄道が開通し、その西側終着駅が大陸にある町のグランビルに作られました。
このカナダ太平洋鉄道(CPR)の駅がバンクーバー駅。バンクーバー市になったのはその翌年ですから、交通由来?

海峡もしくは川の向こう岸の地名を奪ってしまったという類似例を日本で探してみたら,一応思い当るものがありました。広島の「宇品」。本来は広島湾に浮かぶ島(宇品島)の名前で,1880年代に始まった築港工事で生まれた埋立地が奪ってしまったもの。本来の島の部分は1904年に広島市に編入された後に「元宇品町」という名前にさせられました。現在,「宇品町」という町名は造船所(元の陸軍施設)に呑み込まれた別の島(金輪島)が名乗っています。
のち,もちろん築港部分に「宇品駅」が開業しています(現在は廃止)。
バンクーバーよりはスケールが小さいかな。

横浜−沙市、晩香坡

「沙市」という地名は日本史の教科書に登場します。ただし,中国の長江中流域で,「沙港」とも言う。日清戦争後の 下関条約 で開かせた開港場です。なもんで,一瞬「おやっ?」と思ったのですが,シアトルのことだったのですね。
もっとも,敗戦後の占領が終わるか終らないかの頃,しかも中国に共産党政権が成立して間もない時期に,日本と中国本土の間の直接往来はまず不可能でしょうから,中国の「沙市」と混同されることはまずなかったでしょう。
ちなみに中国語でシアトルは「西雅図」。「沙市」とは日本独自の表記なんでしょうかね。では,いつ頃から行われていたものなのか。中国の本家・沙市と混同されることはなかったのか。
あるいは,中国で使う必要がなくなって,安心して“使いまわして”きたものなのか。
まあ,“日本が開港させた”(最恵国待遇によって他の条約締結国にも効力が及ぶ)とはいっても,上海や南京に比べてマイナーな存在だったのかもしれませんが(ただし,日中戦争の際に日本軍が占領しています)。

晩香坡

「香」は中国語(普通話)では「シァン」と読みますから,これも「バンクーバー」とは読めませんね。「ばんこうば」とは“日本語訛り”モロ出しです。中国語では「温哥華」と表記するらしい。日本語の“音読み”からは連想だにできません。

[74163] 2010 年 2 月 15 日 (月) 15:58:14 hmt さん
 晩香坡

[74155] Issie さん
バンクーバー は Vancouver と綴るのでした。

この地名は、18世紀に北アメリカ北西部を探検したイギリス海軍士官の名によります。オランダ由来の人名と思われます。

若い時はキャプテン・クックの航海[45308] [74155]に随行。Captain George Vancouver RN(1757−1798)本人が指揮した探検は 1791−1795年に行われました。カナダ以外では、オーストラリアの小さな半島、米国ワシントン州の都市、アラスカの山にも名を残しています。

冬季オリンピック開催中の大都市バンクーバーは大陸本土西岸にあり、戦前から日本との関係が深い港町でした。
しかし、地名としてはブリティッシュコロンビア州の州都ビクトリアがある「バンクーバー島」の方が先輩です。
1792年にこの島を探検中だったスペイン・イギリス両国の合意による複合名は、その後のスペイン勢力撤退により、「バンクーバー」だけが島の名として残っています。
地図では目立たない存在のバンクーバー島ですが、面積約 32000km2(九州よりやや小ぶり)というから、ずいぶん大きな島です。

1885年にカナダ初の大陸横断鉄道が開通し、その西側終着駅が大陸にある町のグランビルに作られました。
このカナダ太平洋鉄道(CPR)の駅がバンクーバー駅。バンクーバー市になったのはその翌年ですから、交通由来? まあ外国だから コレクション 集録対象外でしょう。

冬季オリンピックは、1924年に試験的に独立の大会を開催。日本は1928年のサン・モリッツ大会から参加。
戦後の1952年オスロ大会は、国際社会に復帰が決まったサンフランシスコ平和条約発効の直前。天才少年猪谷千春が出場。

その1952年の時刻表(12月号)最終頁を見ると、横浜−沙市、晩香坡の航路が出ています。横浜−サンフランシスコ間アメリカンプレジデントラインと違い、こちらは日本の貨客船です。シアトル、バンクーバーは漢字表記で字数を節約。

同じ頁にある航空路は、すべて外国航空。レシプロエンジンのダグラス DC-6やロッキード スーパー・コンステレーション が花形だった時代です。参考までに、日本航空の国際線再開は1954年。
バンクーバー行は週4便でカナディアン・パシフィック。1952年当時は、日本から世界各地への国際線を合計しても週39便ですから、バンクーバーは主要な行先地であったことがわかります。

[74162] 2010 年 2 月 15 日 (月) 01:51:52【5】 Issie さん
 ヴェトナム

[74159] ペーロケ さん
同じVでもベトナムはベトナムのままだし、どういう法則なのやら。。。

恐らく 外務省の公式表記 に準拠しているのだと思います。 現在の外務省は国名等について一貫して V を“ヴ”とする表記を採用していません。だから Latvia も「ラトビア」だし,Venezuela は「ベネズエラ」(もっとも,スペイン語ではVを [b] と発音するのでした)。ただし,これはたぶん戦後のことで,敗戦前には「ソヴイエト」などの表記が採用されています(例:大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間中立条約=日ソ中立条約)。

※余談:外務省のこのページには以前話題になった「中東」が一括りになっていますね。文部科学省所管の初等・中等教育では「西アジア」と呼ぶ区域ですが,何しろ外務省には「中東アフリカ局」という部局がありますから。

ヴァンクーヴァー

実は地理教科書界で最大手の帝国書院は“検定教科書”である高校用の地図帳で数年前からこの表記を採用しています。ご覧の地図帳の発行元である昭文社は学校教育用の地図帳は手掛けていませんが,基本的に足並みをそろえているのでしょう。ただし,個々の都市名等の表記については,それがマイナーなものであるほどバラつきがあるようです。まあ,「ニジニノブゴロド」も十分にマイナーですから。で,「ニージニーノヴゴロド」が“現地の発音に忠実”かというとどうかなぁ。
※ちなみに別件ですが,ウクライナの大統領の Ющенко さん。日本のマスコミではある時期から一律に「ユーシェンコ」と表記するようになりましたが,これはロシア語での読み方に近づけたものであって,ウクライナ語に忠実ではありません。むしろ朝日新聞等が最初のうち採用していた「ユシチェンコ」の方が近かったのにね(現代ロシア語の標準的な発音では ще は「シシェ」に近いような遠いような音になるのですが,ウクライナ語ではずっとはっきりと「シチェ」と聞こえるように発音するのです )。

そんなわけで,検定教科書にも採用されている表記なのですが,ずっと以前にも書いたことがある通り,私個人はこの表記を支持しません。日本語で(何よりも共通語≒標準語で)区別されない(できない)音を書き分ける必要を全く認めないからです。
これも以前に例示したことですが,しばしば目にする「デヴュー」などという見苦しい誤表記(元は debut というフランス語の単語なのだから「デビュー」でなければならない)は当人が b と v を区別できていない証拠です。
「原音に忠実」という原則は良いとしても,それが共通語で区別し書き分けることのできる範囲を超えてしまえば無意味だと考えます。
できもしない書き分けをすることを「公式」として強制されるなら,それはいやだな。まだ,それは個々の判断に任されているからいいのですが。

インドの「カルカッタ」と私は習った記憶がある都市は「コルカタ」

これはインドにおいて“英語の公式表記”が現地語に近い形に変更されたからです。同様に ボンベイ→ムンバイ,マドラス→チェンナイ。インドでの変更は1996年前後のことですが,日本ではそれよりやや遅れてこの“新しい表記”が定着しました。

ローマ字(ラテン文字)を使用する言語同士の場合は現地語の綴りをそのまま自分たちの言語に取り入れて,どう読むかを明示せずに知らんぷりしてしまう(たとえば,英語の文章に突然フランス語の debut がそのまま出てくる)こともできますが,残念ながら全く別の文字体系を採用している日本語では,いちいちそれをカナに転写しなければならない。その時にそれをどのように日本語の音の中に取り込むかというのは思っている以上に大変なことなのでしょう。たとえば,“長い音”と言ったって,それが「ー」で表すほど長いのかどうか判断することは難しい。当たり前のことですが,みんながみんなそれぞれの地域の言語の発音について熟知しているはずもない。
結局はたくさんの人が試行錯誤を重ねていった結果として,日本語の中で“あまり違和感を感じない”ものに落ち着いていくのだろうと思います。

[74161] 2010 年 2 月 15 日 (月) 00:58:15 山野[山野] さん
 協議開始(編入2件)

こちらは合併情報です。(でるでるさん、宛て)
一関市及び藤沢町で編入合併についての市民懇談会が11日に始まりました。

合併方式について停滞状態となっていた松江市及び東出雲町ですが、その後の経過は
東出雲町側にて議長は、
全員協で過半数に達し、一定の合意形成が図られた
として、編入合併とする事で合意した模様。
<町長>
今後の予定として、来月議会にて法定協を設置するかの賛否を問う住民投票条例案を提案する予定。

[74160] 2010 年 2 月 15 日 (月) 00:33:01【1】 EMM さん
 名古屋から飯田に行ったら思った以上に早くついたです

[74156] futsunoおじさん

「県庁までの距離や交通機関の便」と言うことでは長野県内にも似た条件の所(現状では長野市からJRで直行できませんから、むしろ悪条件)がありますので、その糸魚川市の話は長野県庁的には乗りにくい内容だと思います。

※追記。
今から20年近く前の学生時代、飯田市出身の同級生が「長野県版イミダス?」みたいな本を持っていて、確かその中に「上越はうちの県の浜だ…的発言をする人が入る」とか言うような事を書いてあった覚えがあります。
もし糸魚川市だけでなく上越地方ごととなればまたちょっと違ってきそうな気もしますが。

[74159] 2010 年 2 月 15 日 (月) 00:29:22 ペーロケ さん
 アンドラの面積

 オリンピックついに始まりましたね。私はリアルタイムで開会式を見られなかったため、録画放送で見ることができました。

で、フランスとスペインに挟まれた、アンドラの選手入場の際、NHKのアナウンサーが、国土面積を「金沢市とほぼ同じ」と紹介されたのが、ちょっと気になりました。
 確かに、手元の資料「なるほど世界知図帳」ではアンドラの面積は約470km/m2、金沢市の面積とほぼ同じということは間違いではありませんし、個人的には好きな表現ではあります(笑)。NHKのスタッフも同じような面積の市を必死に探したんでしょうね〜。しかし、どれくらいの人がイメージできたんだろうか、疑問です。そもそも金沢市の形がイメージできる人の方が、地元の人と一部の特殊な人(?)に限定されるような気がします(もちろん私も特殊な部類に入りますが)。
 面積とかでよく例えられる「東京ドーム何個分」とか、「山手線の内側」とか、日ごろから違和感があったりしましたが、初めて、その用法も一理あるのかな〜と思ってみたり。あるいは、離島として形がおなじみの「種子島」と言われたほうが、容易にイメージできそうな気がします。面積を比べる場合、基準となる対象物はせめて形がイメージしやすい物の方がいいような。。。

[74155]Issieさん
だからと言って,「ヴァンクーヴァー」なんて衒学的な表記は見たくありませんが。
 上記の資料(2005年発行)では、「ヴァンクーヴァー」と記載されています。インドの「カルカッタ」と私は習った記憶がある都市は「コルカタ」、ニジェさんお馴染みのあの都市の名前は「ニージニーノヴゴロド」と、長音符が入っていたり、結構現地の発音に忠実な表記なのでしょうか。しかし、同じVでもベトナムはベトナムのままだし、どういう法則なのやら。。。

[74158] 2010 年 2 月 15 日 (月) 00:23:34 山野[山野] さん
 リコール成立(安土町)

昨日14日は、安土町議会の解散の是非を問う住民投票だったのですが、結果は賛成多数で成立しました。

[74157] 2010 年 2 月 14 日 (日) 23:09:28 みかちゅう さん
 宇高航路の廃止の影響

[74151]hiroroじゃけぇさん
生活航路としている人は約3100人
とのことですが、どのような利用が主になされているのでしょうか。「宇野の住民が岡山ではなくあえて高松に行く目的」も「高松の住民が岡山ではなくあえて宇野に行く目的」もいまいち思い浮かばないのですが、意外と通勤や通学の需要があるのでしょうか? 岡山ではなく「宇野(の周辺)」と高松間の需要が一定以上なければ、瀬戸大橋経由で代替可能と判断されて当然でしょう。つまるところ、[74152]Issieさんのおっしゃるように
住民にとってなくなっては困るから絶対になくせない小さな島への航路よりも,宇高航路クラスの航路の方がかえって存続は難しいかもしれません。
ということになるのは仕方ないことだと考えます。

瀬戸大橋開通に当たっても海運業界に補償や雇用対策がなされたとは思いますが、[74154]okiさんがおっしゃるように
本州と四国との連絡を陸上交通化するのが本四架橋の本来的役割であり、それが両者間の海上交通を無用のものにするのは当然
なので、今回もフェリー関係者の雇用対策などをした上で廃止することになるのでしょう。瀬戸大橋を通行料無料政策の対象外とする理由が「宇高航路を守るため」では通らないでしょうね。それならば「温暖化の原因となるCO2の排出抑制」とすれば納得がいくかというと、宇高航路ぐらいの短い距離を船に替えたところで抑制効果は限定的なので納得することはできません。むしろ「結局は特定業界の保護のためか」と勘繰られても仕方のないことでしょう。

悪影響として一つ考えられるのは、四国フェリーの主要路線である宇高航路の採算悪化によって同社運航の他の航路に影響することです。小豆島航路に影響するようであれば、何らかの補填は別途考える必要があることになるかもしれません。

[74156] 2010 年 2 月 14 日 (日) 21:15:51 futsunoおじ さん
 糸魚川市、長野県への移籍論, JRの「横断号」

穏やかではない記事(朝日新聞記事2/12)がありましたので紹介します。

新潟県のしっぽでいるより、海を土産に長野県に「婿入り」した方が大切にされるはず――。糸魚川市の一部市議や経営者などの間では、長野県への移籍論がくすぶっている。

発言者は今のところ一部の人のようですが、根底には新潟県から取り残された存在であると感じている人が相当数いるかもしれません。

糸魚川市は新潟県の西端にあって、市庁舎から新潟県庁までは直線で140km(JR在来線駅間では175.1km)ですが、長野県庁までは51.6km(同、113.8km)、富山県庁までは69.5km(同、79.0km)で、石川,群馬の県庁でも新潟県庁より近い位置にあります。
2014年の北陸新幹線開業により新潟県以外のこれらの県庁所在地とは大きく時間短縮されますが、逆に新潟県庁へは並行在来線の第3セクター化により乗り換えが必要になるなど、時間・経費ともに増加する可能性があります。(現状でも高速道路の利用が便利かもしれません。) 映画「日本沈没」では富山県にされてしまった糸魚川市ですが、将来の道州制で新潟県の置かれる状態によっては波乱(?)があるかもしれません。


2008年10月の時刻表に信越線・長野−新潟間に快速「信州・越後横断号」(臨時列車)を見つけました。
このルートがなぜ"横断"なのかわかりませんけど。

[74155] 2010 年 2 月 14 日 (日) 00:46:42【1】 Issie さん
 サインはV!

NHKのオリンピック中継番組のオープニングを視ていて今さら気づいたこと。
オープニングの最後に“V”の字が画面に現れます。初めはスポーツ番組にありがちな victory のVかと思ったのですが,そういえば バンクーバー は Vancouver と綴るのでした。バンクーバーのVでもあるのですね。
だからと言って,「ヴァンクーヴァー」なんて衒学的な表記は見たくありませんが。

[74153] hmt さん
新旧適当に覗いてみましたが、時刻表でも「日本海縦貫線」という言葉は発見できませんでした。

そうですね。私がおぼえているのは本文の路線名ではなくて,1972年に羽越本線の電化(新津‐秋田間の全区間を一気に電化しているのですね。同時に白新線も)で「日本海縦貫線の電化完成」を報じる交通公社の時刻表のニュースのページ(表紙にもあったかも)です。
私はここで「日本海縦貫線」なる言葉を知りましたから。

「こちら側」と「向こう側」

海の場合は「こちらの岸」(此岸)と「向こうの岸」(彼岸)。
地中海の場合はヨーロッパからアフリカへ南北方向に「横断」し,東シナ海は長崎から上海へ東西方向に「横断」する。
“海の向こう”へ「横断」してみたら南北に長かった大西洋は,もちろん「旧大陸 対 新大陸」の東西方向がやっぱり「横断」ですが,インド洋はどの方向が「横断」でしょう?
太平洋では,支倉常長もペリーも咸臨丸も東西方向に「横断」しています。でも,最初に横断した“マゼラン様御一行”は南アメリカ大陸の南端からフィリピンへ“斜め”に渡っているのだけど,これも大きな目で見れば“東西方向”?
キャプテン・クックは第3回航海でタヒチから途中でハワイを「発見」しつつアラスカまで,太平洋の真ん中を経線に沿って北上しているけど,これは「横断」?

「此岸」と「彼岸」と言えば,三途の川の渡し船はあっても「横断」とはあまり言いません。どれくらいの川幅なんでしょうね。

[74154] 2010 年 2 月 13 日 (土) 23:55:34 oki さん
 宇高航路、もしくは本四間の海上交通と陸上交通について

[74152] Issie さん
[74151] hiroroじゃけぇ さん
[74148] みかちゅう さん

hiroroじゃけぇ さんには申し訳ないですが、宇高航路の廃止を聞いても、「相当な衝撃」を受けたわけではありません。ただ、一昨年玉野に行ったときに30分間隔で運行していたのを見て、「宇高フェリーは頑張ってるな」と思っていたので、南海の徳島〜和歌山航路より先に廃止するのはちょっと意外、というのが実感です。
徳島県民は、明石大橋の開通以前から宇高航路はほとんど利用せず、本州との連絡には南海フェリーを使うのが通例でした(県西部の池田周辺は別ですが)。私自身も、国鉄時代の宇高航路に数回乗船した程度です。
また、マスコミの反応を見ても、地元の四国新聞山陽新聞では相当な話題になっていますが、高知新聞は「高知県への影響 限定的」と冷静ですし、徳島新聞や愛媛新聞に至っては、ネット上には記事すらありません。あくまで、香川〜岡山間に限定された話題に留まっているようです。
もっとも、問題の構図から影響が宇高航路だけに限定されるとは考えられず、早晩南海フェリーにも同様の事態が生じるでしょうから、関心は強く持っています。
そこで、まず事実を把握するため、宇高航路の利用動向の推移を整理してみました。

  高松 〜 宇野      徳島 〜 阪神    
年度航送台数指数輸送人員指数航送台数指数輸送人員指数
1987年度1872933100.03968221100.0463763100.02399414100.0
1989年度132154070.6211523453.345723598.6227432094.8
1993年度126526067.6189251447.740754587.9224377893.5
1998年度108437257.9159493940.220859345.0114035447.5
1999年度104846656.0149692437.717995338.885691935.7
2000年度104939656.0150704438.018931640.866518327.7
2001年度105814056.5159138540.119173141.366120327.6
2002年度108669258.0162434940.919389141.860056625.0
2003年度102378354.7149005037.519054841.157970624.2
2004年度97782752.2138268734.818597440.155814223.3
2005年度96425951.5132977833.518569440.056723323.6
2006年度95291050.9131222533.118153839.154139522.6
2007年度93984750.2129910032.718105239.052657021.9
2008年度85131345.5119965530.216994536.649729020.7
                  
2008年度第2四半期23956233776350259150445
2009年度第2四半期137975-42.4227719-32.66862536.518117520.4

表の初年度である1987年度は、瀬戸大橋が開通した1988年4月の前年度です。参考のために徳島阪神航路の推移も示しています(阪神航路といっても、本州側の発着地は和歌山で、徳島側発着地は1999年4月に小松島港から徳島港に移っています。ちなみに明石海峡大橋の開通は1998年4月です)。
(※データは四国運輸局のこのページ所載のファイルから抜き出しています。車両の航送台数はトラックと乗用車、バスとの合計値です)

表から明らかなように、宇高航路の利用者は瀬戸大橋の開通に伴って大きく減少しています。ただ、08年度の旅客輸送人員が87年度の30%の水準であるのに対し、車両航送台数は46%に踏み止まっています。両者の差をもたらした主因が、瀬戸大橋の通行料金の高さにあることは言うまでもないでしょう。
徳島阪神航路の場合は航送台数が87年度の37%、旅客輸送に至っては21%という水準ですから、これと比べても宇高航路が健闘していたことは間違いありません。この記事によれば、88年以降も航路収支は黒字だったそうですから立派なものです。その影には相当な企業努力があったと思います。

問題は高速道路の1000円政策が導入された09年度4月以降です。年度を通しての数字はまだ出ていませんから、最新統計である第2四半期(7〜9月)の数値で代用します。
09年度第2四半期における宇高航路の車両航送台数は、前年同期に比べ、実に▲42%も激減しています。旅客輸送人員も▲33%の減少です。おそらく、09年度を通じてこのような数値なのでしょう。
87年から08年までの20年をかけて▲55%の減少であったものが、たった1年で▲40%も減少すれば、普通の私企業が対応できないのは無理もありません。今後も高速道路料金を抑える国の方針に変更がないとすれば、傷が大きくならないうちに事業撤退を選択するのは当然と言えます。

では、明かな総選挙目当ての人気取りであった前内閣の高速料金値下げ政策が悪いのか、それとも現政権のそれが原因か。しかし、非常に高額である瀬戸大橋(のみならず本四架橋全体)の通行料金を値下げしてほしいというのは、四国4県こぞっての願望だったはずです。
先の表からも分るように、宇高航路の航送台数が08年までの水準を維持し得ていたのは高速道路の料金が高かったからで、それを値下げすれば自動車が本四架橋に流れ、フェリー会社の経営を圧迫し、最悪の場合航路廃止に至ることは自明だったはずです。もしも、フェリー会社の経営維持のため、他の高速道路の料金を引き下げても本四架橋だけは従来通り維持する、などという政策が採用されれば、四国各県の行政も住民も黙ってはいないでしょう。
結局、あちらを立てればこちらが立たずです。しかし、きわめて冷徹な言い方をすると、行政と住民が本四架橋の建設を選択した時点でフェリー会社の命運は尽きていたのであり、開通後は地域経済や利用者、そして従業員に与える悪影響を最小限に保ちながら、一定の時間をかけて会社の安楽死を図るのが、Issie さんの仰る「総合的な交通政策」というものではなかったかと思います。本州と四国との連絡を陸上交通化するのが本四架橋の本来的役割であり、それが両者間の海上交通を無用のものにするのは当然ですから。
今回の航路廃止が突然に思えるのは、昨年3月からの唐突な高速料金引き下げ政策が引き金になったからですが、四国の行政や住民が高速料金の引き下げを望んでいるのであれば、フェリー航路の廃止はそれに伴う犠牲として甘受するしかないでしょう。あとは、激変緩和措置として、自治体段階の補助金で廃止期日を若干引き延ばすくらいの対応しかないと思います。

個人的なことを言えば、私は港町の生まれであり、自分では自動車を運転しないので、高速道路が伸びるより海上航路が維持された方がよっぽど良いと思っています。本四架橋に関しても、四国と本州の間に3本の橋を架ける必要などまったくなかったと思います(別に瀬戸大橋だけでも私は構いません。南海を利用すれば良いだけのことです)。しかし、現実に3本の橋をつくってしまった以上、これを活用する方策を見つけるしかないでしょうし、それが本四間の海上交通を圧迫するのは必然です。本四架橋は、四国の行政と住民が強く望んだ結果建設されたものです。その果実を享受するなら、マイナス面も併せて引き受けるしかないと思います。
結果として、徳島阪神航路も早晩廃止されるでしょう、残念ではありますが。

[74153] 2010 年 2 月 13 日 (土) 17:19:28【2】 hmt さん
 横断・縦貫

[74130] じゃごたろ さん
さてこの「中部横断道」ですが、南北に建設されているのに「縦貫」ではなく「横断」という名称はなぜでしょうか?
を発端とする 横断・縦貫論 に参加します。

「中部横断道」は細長い地形軸の横断という視点だが、「さがみ縦貫道路」のように南北方向軸を意識した事例もある。
そしてアメリカやオーストラリアの大陸横断鉄道となると、南北方向軸だけでなく、「海から海へ」という意味も考えられる。

アメリカ合衆国が 1862年に太平洋鉄道法を制定し、東西から建設した「大陸横断鉄道」の東側の起点は、大西洋ではなくて、ネブラスカ州オマハでした。オマハはミズーリ川西側の中西部にある町ですが、1859年に東部からの鉄道網が到達していました。

大陸横断鉄道つまり Transcontinental Railroad という言葉から考えられるのは、「大陸の向こう側」という視点でしょう。
「こちら側」(東部・中西部)から「向こう側」の新天地カリフォルニアへと、2つの世界を結ぶ鉄路。
ここでは、長軸とか南北軸とかいうものを考慮する必要はなく、むしろ「こちら側」と「向こう側」との交流を阻んでいた 大平原・大峡谷・大山脈などの障壁を乗り越えるという意味で、「横断」という訳語が使われていると思います。

求む男子。危険な旅。報酬は僅か。厳寒。暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証なし。成功すれば、名誉を得て有名になれる。
という有名な“求人広告”で知られる シャクルトンの南極横断探検隊(Imperial Trans-Antarctic Expedition)。
ここでも横断に対応する原語は「トランス」[42234]です。

最終的には失敗したものの、1914-1917年に行われた横断は、西半球のウェッデル海から東半球のロス海を目指すもの。
でもシャクルトン探検ルートは、もちろん西から東への横断ではなく南極点経由。つまり南北軸に沿った 縦貫?コースです。

【訂正】
“東半球のロス海”と書きましたが、ロス海は 経度180度の両側にまたがっており、探検予定コースの後半も僅かの差で西半球側でした。
ウェッデル海(大西洋側)・ロス海(太平洋側)と記すべきでした。

「中部横断道」など本州横断道路にも、南極やロッキーほどではないにしても、脊梁山脈を越す難工事区間があると思います。

「横断」の対語は、素直に考えれば「縦断」でしょう。
しかし、河北縦断道路の例もあるものの、使用例が多いのは「縦貫道路」です。

田中プラン[54429]には「縦貫」という言葉はまだ使われていないようですが、1957年の国土開発縦貫自動車道建設法では、国土の普遍的開発をはかるために「国土を縦貫する高速幹線自動車道」の開設が謳われています。
道路の世界で、「縦貫」という言葉が好んで使われるのは、この法律の影響が大きいと思います。

「縦貫」は、単なる縦断と違い、ルート上にある 複数の拠点を連ねる という意味合いがあるように思われます。
つまり、「横断」の時は 間にあるのは障害物 と意識されていたのに対し、「縦貫」の場合は、開発を待つ 又は既に開発された地域 を連ねる と理解されます。

鉄道における代表例「日本海縦貫線」は、まさに金沢・新潟などの拠点都市を連ねたものです。
もっとも、こちらは あくまでも運転系統から 便宜上使われる通称であり、JRの正式の線路名称ではありません。
新旧適当に覗いてみましたが、時刻表でも「日本海縦貫線」という言葉は発見できませんでした。
鉄道においては、秋田内陸縦貫鉄道や今はなき南部縦貫鉄道がある程度で、寂しい限りです。

登山の世界では稜線伝いの「縦走」という言葉がありましたね。
横断に関するコメントの最初に登場した「地形軸」に沿ったルートということでしょう。

[74152] 2010 年 2 月 13 日 (土) 12:24:15【1】 Issie さん
 船では行けない石垣島

[74148] みかちゅう さん
宇高航路の廃止

離島の生活航路と違って「税金を投入してでも存続させる必要がある」と判断されるかは分かりません。

[74151] hiroroじゃけぇ さん
共同運航で、便数半減でもよいので、補助金を投入してでも維持すべき航路だと思っています。

ご存知かもしれませんが,実は今,沖縄本島から宮古島・石垣島へ一般旅客が船で行くことはできません。
この航路で旅客船を運航していた2社のうち,まず琉球海運が2006年に博多航路も含めた全旅客航路の運航を休止し,次いで1999年の経営破綻後,県財界の支援で再建を図っていた有村産業も原油価格高騰が打撃となって2008年6月に無期限運航休止となり,結局有村産業は破産してしまいました。
結果,この2008年6月をもって沖縄本島−宮古・八重山間の定期旅客航路は事実上消滅しました。自動車そのものについては琉球海運が RO-RO船 という形態で輸送を続けているのですが,これはあくまでも貨物船。お客として乗船できるのは原則としてドライバーだけなようです。

もちろん大多数の旅客は航空機を利用するわけで,その意味では「生活路線」とは言い難いかもしれません。しかし,島々を領域とする沖縄県にとって拠点都市間を結ぶ幹線航路なわけで,これの存続がかなわないというのは,かなり危機的なことであるように思います。
だから当然,航路の存続がかなり危ぶまれるようになった2008年の5月以降,沖縄県当局も県議会も国などに対して盛んに支援を要請したりもしているのですが,あまり状況は芳しくなく,したがって現在に至るまで,時刻表の索引図から航路を示す赤い線が消えたままです。

宮古・石垣航路と同様,たとえわずかな人数の利用者しか想定できなくても住民にとってなくなっては困るから絶対になくせない小さな島への航路よりも,宇高航路クラスの航路の方がかえって存続は難しいかもしれません。それが地域経済にとって大打撃でも。

私はかねてからこの国に総合的な交通政策などというものがあるのか甚だ疑問に思っています。かつての官庁名でいえば,鉄道と航空と海運は運輸省(しかし担当は別),自動車は通産省,道路と港湾は建設省,環境問題は環境庁。最近は環境問題ともリンクした話をするけれども,交通と環境と産業全体をトータルした政策や取り組みがなされているとは到底思えない。官庁の統合が行われても,政権交代が起きても,あの人たちの発想と行動は変わらない。
ただ,そのような総合的な政策を打ち立てるとして,さしあたり,そもそも経営が成り立たなくてだから撤退した路線の存続のための支援をするにあたって,この不況下,“先立つもの”をだれがどれだけ負担するのか,という話に結局はなってしまうのでしょうね。

[74151] 2010 年 2 月 13 日 (土) 11:04:58 hiroroじゃけぇ さん
 宇高航路が消えたら・・・

[74148] みかちゅう さん
宇高航路の廃止は地元にとって、とても衝撃的なニュースです。今年で開設から100年となり、hiroroじゃけぇのみではなく、多くの地元民にとってあって当然なものでした。それが、なくなるというのは、相当な衝撃であったのです。落書き帳のメンバーの中にも四国出身者がいるので、おそらく同じような気持ちになっていると思います。

さて、
もっともこのまま自治体などが廃止を容認するとは限りませんが、離島の生活航路と違って「税金を投入してでも存続させる必要がある」と判断されるかは分かりません。
とみかちゅう さんは考えられております。しかし、宇高航路は他の本四連絡船に比べ、生活航路としての重要度も高いのです。実際、この航路を生活航路としている人は約3100人。これだけの人が、他の交通機関への乗り換えが必要となるのです。また、宇高航路は強風時の振替輸送機関であり、瀬戸大橋が通行止めとなると、四国は大きな孤島と化してしまいます。さらに、振替輸送の一部となる宇野線(茶屋町〜宇野間)についても、必然的にその存在意義を問われることになってしまいます。
また、宇野や高松では、フェリー待ちの人が買い物をしなくなり、更なる景気悪化ももたらします。そして、どちらの港も、せっかく整備した施設が有効利用できなくなり、不良債権化してしまう可能性もあります。
航路廃止が及ぼす影響が恐ろしくてたまりません。共同運航で、便数半減でもよいので、補助金を投入してでも維持すべき航路だと思っています。

[74150] 2010 年 2 月 13 日 (土) 01:27:17【1】 Issie さん
 着いた所が新開地

子どもの頃に聞いた歌の中には,これといった理由もないのに記憶に強くインプットされて消去されることなく,何かのきっかけでふと甦って頭の中から離れなくなる歌があるものです。

私がまだ小学校の低学年だった頃,というのはそろそろ40年ほど前になりますが,朝,登校する前に点けていたテレビ(某民放。NET=現テレビ朝日,だったかな)から,こんな歌詞の歌が流れてきました。

一番電車に乗り遅れ
二番電車が満員で
三番電車が車庫入りで
四番電車に飛び乗って
着いた所が新開地
……

この部分だけ鮮明に憶えていて,あとは全く不明。
男性4人のコーラスグループが駅員の格好で一番電車から四番電車まで順に1人ずつ歌い,着いた所が… でコーラスになる。
男性4人のコーラスグループと言えば,デュークエイセスか,ダークダックスか…。どうもボニージャックスではないような雰囲気。

何の歌なのかなぁ…,と思いつつ,はや40年近く。ふと思い立って,ダメ元で検索をかけてみました。そしたらヒットするんですね。
ここには未成年も出入りしているからあまり詳しい話は避けますが,どうやら兵隊さん関係の“その手の歌”らしい。あの時代,兵隊さんの歌と学生さんの歌はお隣同士ですから,いくつかの大学にも少し歌詞を変えて伝わっているようです。(昔の)若い男の子が好きそうな歌なんですね。

この手の歌の特性として,少しずつ歌詞を変えながらそれぞれの土地に合った地名が盛り込まれるものですが,初めて聴いた子どもの頃から気になっていたのが「新開地」。
後で「新開地」という地名が神戸にあるということを知って,しかも,新開地が神鉄の終点だから,この歌は神戸の歌なのかな,と長い間漠然と思っていました。
でも“その手の歌”だとすると,“あの手の施設”は得てして“新しく開けた地”に設置されることが多いから,この「新開地」は具体的な地名を表した固有名詞なのではなくて,“あの手の施設”を婉曲的に表した一般名詞なのかな,とも思ったのですが,
もう少し調べると,神戸の新開地のすぐそばに“あの手の施設”があって,そもそもその施設に隣接していることが新開地が栄えた理由である,ということもわかって,
そうすると,やっぱり神戸の歌なんでしょうかね。

1970年前後って,ドリフターズがまだ歌手活動をやっていて(もうバンドではなかったなぁ),さかんに兵隊さんソングや“その手の歌”を現代風に,そして放送できる程度までアレンジして歌っていました(スコットランド民謡の「麦畑」なんて,小学唱歌よりもドリフの方がはるかに原歌詞に近いですよね)。「のらくろ」もアニメになっていたよなぁ(のらくろの声はドラえもん)。デュークかダークかわからないけれど,これもそういう風潮の中で出されたものなんでしょうね。テレビ電波に乗るくらいだから,当然“安全”な歌詞にして歌っていたのでしょう。

あの頃の民放の朝の番組やCMって,今と比べてずっと「粗放的」で手間のかかっていなさそうなのが多かったですよね。NETか,12チャンネルか,5分か10分くらい延々と公営ギャンブルの開催予定を流している時間がありました。画面は動かず。子どものことですから何のことかは全然わからないのだけど,「戸田」とか「平和島」とか「花月園」とか,たくさんの地名を憶えるきっかけにはなりました。
そして,「新開地の歌」がふと思い浮かぶたびに,あの頃の朝の雰囲気が何となく思い出されてくるのでした。

※冬季オリンピックですね。そのたびに思い出すのは,札幌オリンピックと佐良直美が歌うSSKのCMソング。

[74149] 2010 年 2 月 13 日 (土) 00:57:36 にまん さん
 なるほど

[74138] hmt さん

三ツ子島埠頭という会社が落札した無人島は、中央部の低地を挟んだ2つの山が、それぞれ島ように見え(下の写真)、同社の輸入塩貯蔵基地[43120](上の写真説明)のある島と合せて「三ツ子島」なんですね。

おぉ!確かに2つの山が島のように見えますね。
というか、もともと2つの島だったところが繋がったか、埋め立てたかされたような感じもします。
しかし、この写真を見る限り、地形も厳しいようなので、1億はいくらなんでも高い気がします。それだけ他の人に落札されたくなかったんでしょうが。。

[74148] 2010 年 2 月 12 日 (金) 23:18:47 みかちゅう さん
 宇高航路の廃止

高速道1000円均一のあおりを受けて、宇野〜高松間の航路が3月26日で廃止すると届け出たとのこと(記事)。

採算を度外視したETC割引や普通車1000円均一といった税金を使ったキャンペーンのおかげで、いち民間企業が太刀打ちできる状態ではなくなったわけですね。検討中の高速道無料開放の対象からも「本四連絡道を無料にすると瀬戸内海航路に悪影響がある」という理由で除外されたわけですが、もはや限界だったようです。
もっともこのまま自治体などが廃止を容認するとは限りませんが、離島の生活航路と違って「税金を投入してでも存続させる必要がある」と判断されるかは分かりません。

私が房総半島南部に出かけるのに幾度となく利用した東京湾フェリー(久里浜〜金谷)も危ないかもしれません。燃料の高騰を口実にして大幅値上げしたのに、燃料費は落ち着いたはずでも運賃が戻らないのは気にいらないところですが、だからといって経営者がもうけているというわけではないのは明らかです。

あれだけ二酸化炭素の排出削減とか言っているくせに、公共交通機関は冷遇されているように思います。利用もされないのにローカル鉄道・バスへの補助金を出し続けることがいいとはいえませんが、もうすこし考えてもらえないものかと思います。

[74147] 2010 年 2 月 12 日 (金) 08:00:13【1】 inakanomozart さん
 大和の金は今井に七分

[74142] 2010 年 2 月 11 日 (木) 18:24:08 伊豆之国さん
まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような、往時の面影を完璧なくらい残している豪商の町並み「今井町」です。

「大和の金は今井に七分」と言われたほど繁栄していた今井町。
この言葉に引かれて今井町へは何度か訪れたことがあります。
一番最初は、80年ごろだったと思います。
そのころでもそれほど知られていなかったのか、休日にもかかわらず訪れる人もないようでした。
ほとんどの家が江戸期からという街並みを歩くと、本当にタイムスリップしたような錯覚を覚えたものです。
ただその街並みのなかにプレハブの家などもあったりして、現実に戻されてちょいと残念に思ったのも事実ですが、
ここは遺跡や博物館などではなく生活の場なので仕方がないでしょう。
(今世紀になってからは、訪れていないので多少様子が違うかもしれませんが・・・)

そのほか、関西では富田林市にある寺内町も街並みがよく保存それていて印象に残っています。
富田林の寺内町を紹介したサイト(音量に注意)

[74146] 2010 年 2 月 12 日 (金) 00:49:21 笠津前浜 さん
 「三ツ子島」一億一万円

応札者に取材した結果、落札額や法人名も報道されていますね。
100,010,000円の一万円が興味深いところです。他者所有となれば操業に影響がでかねない、ということであれば是が非でも落札したかったのでしょうね。

[74145] 2010 年 2 月 11 日 (木) 22:51:37【1】 BANDALGOM さん
 政令市熊本、中核市那覇

ご無沙汰しております。
この冬は寒く、素浪人との酒よりも、まず冬眠という今日この頃です。
今夜から明日にかけ、この冬3回目の雪という予報ですが、明日の夜は果たしていかに…。

ところで今日、「ミクシィ」を見ていて、ビッグニュースを見つけました。
那覇市が中核市移行に向け、2010年度に準備室を設置し、約3年をめどに移行作業を進めるとのことです。

那覇市など沖縄本島中南部都市圏の人口密度は北九州市を凌ぎ、那覇市と近隣自治体に限れば三大都市圏並みの高い人口密度を誇るところですが、合併政令市構想は浮上せず、中核市も長らく「面積100平方キロ以上」という要件があったため、中核市への仲間入りも果たせませんでした。
那覇の現状を考慮して、特例を設けてはどうか、とも考えたことがありますが、面積要件の撤廃で、ようやく中核市の仲間入りを果たせることになったというわけです。

一方、熊本市の政令市移行に向けた動きがなかなか伝わってきませんが、どうやら着々と進展しているようです。

まず、政令市移行は「平成24年(2012年)4月1日」をはっきり目標に掲げています。

区割りについては、12月に行われた「第4回行政区画等審議会」で、「5区案」と「6区案」が示され、これを基にして、1月から2月上旬に市民説明会やパブリックコメントの募集が行われました。

「5区案」と「6区案」の地図も掲載されていますが、先月の第5回行政区画等審議会では、5区案を支持する委員が最も多かったようです。

同じ人口規模の静岡市・岡山市・相模原市に比べると区が多いですが、平地が多いことによるものといえるでしょうか。
ただ、6区案では植木町が1区、旧富合町と城南町で1区となっており、ともに浜松市天竜区より人口が少ない区ということになります。

[74144] 2010 年 2 月 11 日 (木) 21:45:02 小松原ラガー さん
 福岡便はあて馬?

小松原ラガーです。

[74141] k-ace さん
どうやら4月以降、当分の間運休ということのようで。

神戸新聞にはこんな記事が出ていました。2番目の段落に注目!元々福岡便は茨城便が確定しない中での暫定措置だったとスカイマークさんはおっしゃっておられます。敢えて暫定措置であることを公表しなかったのも、茨城便が実現しなけりゃそのまま定期便で運行を続ける予定だったとか。事実としてもなんか往生際が悪い言い訳に聞こえるのは私だけでしょうか。この分じゃ、機材を増やしたとしても難癖をつけて「飛ばすと言っていた航路を飛ばさずに他へ回すのかな?」って勘ぐられても致し方なし。

個人的には茨城便も福岡便も今後飛ばす予定の鹿児島便もどれも定期便としてしっかり残してほしいのですが・・・。しかし、福岡便は20%台の搭乗率ですか。ANAやJALだったら間違いなく即撤退でしょうね。

#ま、いずれにしても今回の措置ですっごくスカイマークに不信感が出たのは事実です。はい。

[74143] 2010 年 2 月 11 日 (木) 18:26:19 Issie さん
 二海郡

[74140] EMM さん
このジャンルでは「地形的な軸」よりも「方向的な軸」の方で捉えられている、と言うことなんでしょうか…???

これは「海から海へ」という意味ではないかなぁ。
オーストラリアの「インディアン・パシフィック」というのがわかりやすそうです。インド洋 対 太平洋。「表・裏」という表現は嫌われそうですが,オーストラリア大陸にとっては片やニューギニア,こなた南極大陸と,陸に面している南北方向よりも2つの大洋に面した東西方向の方が「横断」にはふさわしいのかも。
アメリカ大陸についても,東西方向に長い合衆国だけでなく,南北アメリカ両大陸全体で南北に長くなるけれど,そこまで広げなくても,「大西洋と太平洋とを結ぶ」ということで十分「横断」の意味は成立するのでしょう。
ロシア(ソ連)は東西方向に長い国で,しばしばその国土の広がりを「バルト海から太平洋まで」,あるいはそれと同義の「クロンシュタットからウラジオストクまで」などと表現しますが,バルト海と太平洋を結ぶという意味でシベリア鉄道についてもユーラシア大陸を「横断」していることになるのでしょう。私,まだ“ソ連”だった1990年に横浜からの船を下りて上陸したナホトカでシベリア鉄道支線の列車に乗り込んだ駅は「太平洋(チハオケアン)」という名前でした。

“陸のシルクロード”の東の終点は長安(西安)ですが,これを日本まで延長すれば「地中海から東シナ海・太平洋まで」。その意味では,やはりユーラシア大陸を「横断」しているのでしょう。

[74142] 2010 年 2 月 11 日 (木) 18:24:08 伊豆之国 さん
 今井町

建国記念の日にちなんだというわけではないのですが、今日の話題は、その建国ゆかりの地とされる奈良県橿原市にある、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような、往時の面影を完璧なくらい残している豪商の町並み「今井町」です。

今井町は橿原市の中心部付近にあって、現在も江戸時代の情緒とたたずまいを残す町です。戦国時代に現在の称念寺を中心とした寺内町としてつくられた町で、周囲には東西600メートル、南北310メートルの範囲に環濠が巡らされていました。当初は外敵から身を守るための要塞都市として機能し、町内では自治制度が確立されました。江戸時代に入ると世の中も安定し、幕府からも一部自治権を認められたため、町内で大きな商いをする商店が繁栄しました。特に江戸時代には金融業が発展し、「大和の金は今井に七分」といわれるほどでした。しかし、近代になると、町を出る者も相次ぎ、衰退していきました。現在も江戸時代の建物が数多く残り、一部の建物は内部も公開しています。
橿原・高市広域行政事務組合HP)とある通り、現在もこの地域にある民家の6−7割は江戸時代に建てられたといわれ、国の重要文化財に指定されている民家が8棟。その中でもっとも古く豪壮なのが、地域の西側にある、代々「惣年寄」として町を支配していた「今西家」住宅。慶安4年(1651)に建てられたといわれ、複雑な構造の入母屋の大きな瓦屋根、漆喰を塗り回した外壁など、まるでお城を思わせるような重厚な造りになっています。この今西家や、これに次いで古い「豊田家」を初め、今井町の旧家の特徴になっているのが、1階は木の格子が露出しているものの、2階部分の外壁や窓を漆喰で塗り回す「塗り屋造り」になっていることで、「うだつ」と同じく防火を考慮した構造とされています(吉田桂二氏著「建築の絵本・日本の町並み探求」(昭和63年)より)。こうした民家の造りや、外敵からの防御に備えた丁字路の多い道路などが、外部の人を容易に寄せ付けない「息苦しさ」さえ感じさせる(馬渕公介氏著「小さな江戸を歩く」(平成5年)より)雰囲気を醸し出しているのかも知れません‥。
今井町については、スナフキんさん([47259])、YASUさん([53460])、桜トンネルさん([56882])も訪問されているとのことですが、私もこの町を12年前に訪れ、たっぷり町歩きと旧家見学を楽しんでいます。この町についての感想を一言で言うと、ともかく「凄い町並みが今も残っていること、まさに奇跡」。それこそ「世界遺産」に名を連ねても不思議ではありません‥。こんな「凄い町並み」が、惜しいことに世間にそれほど知られていないような気がするのは、目と鼻の先にある「飛鳥」を初め、奈良など「古代史跡の宝庫・大和路」にあるばかりに、これらに比べれば「ずっと新しい時代」の史跡だけにその影は薄いのでしょうか‥。手持ちの昭和40年代の「奈良・大和路」のガイドブックでも、飛鳥についてはかなり詳しく書かれていても、今井町には全く触れられていませんでした。今井町の「凄い町並み」が世に知られるようになったのは、どうも昭和50年代に入ってからではないかと思うのですが‥。
さすがに、建築・美術関係の方面ではそれ以前から知られるところだったようで、例えば昭和44年刊行の「日本の美術No.38 住居」では、倉敷・川越・飛騨高山の町並みと共に今井町が「これほどまとまって古い都市の様相を残しているところは他にあるまい」と紹介され、今西家が取り上げられて写真付きで詳しく解説されています。

[74112]千本桜さん
D温泉
老舗旅館の有名な露天風呂と、その露天風呂まで下る長い長い木造の階段は趣があります
私が初めてみちのくに足を踏み入れた、その思い出の温泉(過去に書き込んでいます)。そこでは、季節外れの雪見風呂‥。

[74141] 2010 年 2 月 11 日 (木) 17:58:47【3】 k-ace さん
 スカイマーク、神戸〜福岡便2か月あまりで運休??? その背景は?

こんばんは、k-aceです。

[74093]小松原ラガーさん
このスカイマークですが、昨年12月に神戸〜沖縄を就航させ、今月からは神戸〜福岡を就航させています。JALの神戸撤退に乗じて(と言えば言葉は悪いですが)着実に神戸を関西の基盤にしようという戦略が伺えますが、果たして経営上成り立つのか、「がんばれ!」と言いたいが、「やばいんじゃないの?」という思いです。因みに、神戸〜福岡ですが、価格が9,800円で両方の空港までのアクセスを考えても新幹線よりも安い。それでも初日第1便の搭乗率が30%台とか。本当に大丈夫なんだろうかと思ってしまいます。(個人的にはこの値段なら博多に用事があれば新幹線かスカイマークかで悩みますが、あとは時間帯・フリークエンシーの勝負かと思います。)
毎日放送によると、今月就航したばかりの神戸〜福岡便が2か月あまりで廃止(運休?)というニュースがありました。
見れなくなると思うので、以下記事全文です。
新興航空会社のスカイマークが、今月就航したばかりの神戸―福岡線をわずか2か月あまりで4月に廃止することを決めました。
 スカイマークは今月1日から神戸―福岡便を毎日1往復か2往復運航し、運賃が9,800円と新幹線より4,000円あまり安いことなどから、利用者から歓迎の声が上がっていました。
 しかし、3月に開港する茨城空港と神戸を結ぶ便を4月16日に就航させるため、「機材繰りがつかない」として、神戸―福岡線は4月12日に廃止することを決めたといいます。
「えっ、何で?」
「あーそうなんんですか、もう運休?茨城便って採算合うんですかね?」
「さみしいですね。ずっと使いたかったので、この便」(利用客)
 今のところ、神戸―福岡便の再開の予定はないということです。 (02/11 12:14)
神戸〜茨城便就航のために、神戸〜福岡便を廃止(運休?)のようですが、果たして福岡便、茨城便どちらが需要があることやら(もし福岡>茨城だったら…)。

毎日1〜2往復となっているのは、スカイマークのトップページでは2往復となっていますが、運休便ののお知らせを見ると結構1往復の日も多いから。

(追加)
朝日新聞では
就航したばかりのスカイマーク福岡―神戸、4月から運休
と運休となっています。以下記事の一部。
 同社営業推進部によると、同社は国内8路線を12機のボーイング737―800で結んでおり、3月11日に開港する茨城空港と神戸を結ぶ便を就航させると、機体が足りなくなり、福岡―神戸分を振り向けることにしたという。
 広報担当は「安い運賃によって北関東の新たな需要が開拓できる。福岡―神戸については、機体の確保や社内態勢のめどが立てば再開を検討したい」と話した。
どうやら4月以降、当分の間運休ということのようで。

[74140] 2010 年 2 月 11 日 (木) 17:55:31【1】 EMM さん
 ニューヨークへ行きたいかー!

Issieさんとじゃごたろさんのやりとりを見てふと思ったのですが…

この番組のタイトルは方向を軸として捉えたのか、地形を軸として捉えたのか…とふと気になってしまいました。
元々は「大陸横断鉄道」とか言うような表現があるところから来ていると思いますが、アメリカ大陸に限ってみれば確かにロッキー山脈〜アンデス山脈(更にアメリカ国内に限るならばミシシッピー川も?)を「縦軸のライン」を捉えれば確かに「東西に横断」という表現になるんだろうなぁ、と思いました。
ところが、wikipediaで大陸横断鉄道の項を見ると、大陸を横断していると見なされている鉄道って東西方向が多いようです。
特にオーストラリアの鉄道名の「日本語への訳され方」は典型的だと思います。
このジャンルでは「地形的な軸」よりも「方向的な軸」の方で捉えられている、と言うことなんでしょうか…???

※追記。
オーストラリアの場合は、グレートディバイディング山脈か、あるいは人口の多い東岸の都市群のラインが「縦軸」っちゅうことなんでしょうかね?うーん。

[74139] 2010 年 2 月 11 日 (木) 17:27:59【1】 oki さん
 市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法

[73436] [73497] [74035] [74123] 88さん
[73753] [73754] [73755] [73756] むっくん さん

しばらく本業が疾風怒濤でROM状態になっていましたが、上記の点は気になっていました。遅くなりましたが、私の考えを述べておきます。

最初の前提として、88さんが市区町村変遷情報を整理・入力されている基本的な目的は、「確実な資料をもとに、全国の自治体の廃置分合の変遷を明らかにする」ことだと思います。そして、現時点では明治大合併期が起点になっていますが、全国統一の史料が存在する天保郷帳(天保国絵図)の時点までは遡ることが可能である、と考えています。
この場合、常に天保郷帳時点の近世村に立ち戻って考えることが可能な状態にしておく、ことがベストであると思っています(これはかなり難しいことですが)。

以上を前提とした場合、第一に、市制町村制施行時とそれ以降とで分けて考える必要があると思います。第二に、市制町村制施行時に関しては、1.「本体と飛地等に分かれる場合」と、2.「本体が複数部分に分割される場合」を区別することが必要と考えます。

まず市制町村制施行時について。
1.本体と飛地等に分かれる場合:
「飛地等」としたのは、、むっくんさんが引用された徳島県の「差込地」などの例があるためです。飛地とは限らないので、一般化して「微少部分」と表現した方が良いと思っています。
いくつかの府県令を見ましたが、「微少部分」は、「番地単位」、「反別面積」、「字単位」で記載されることが多く、あるいは徳島のように「飛入地、差込地」等の表現をとっているため、本体と混同することはまずないと考えられます。
また、山梨県の場合、「山梨県令達全書」に「飛地ハ各其所在市町村ノ地籍ニ編入ス」とだけあって、飛地の具体的な記載がありません。この場合、飛地情報は不明なわけです。これから考えれば、微少部分の情報は県令等に記載のある場合、とせざるを得ないと考えます。
市区町村変遷情報での表現は次のようになるでしょうか。

香川郡多肥村:香川郡 出作村(本), 上多肥村, 下多肥村
(詳細情報で「出作村のうち字松ノ上、松ノ下、下町を除く」と記述)
香川郡百相村:香川郡 百相村, 出作村(微)
(詳細情報で「出作村(微少部分)は、字松ノ上、松ノ下、下町」と記述)

(本)は本体、(微)は微少部分の略です。(本体)、(微少部分)と記述しても構いませんが、見た目がうるさくなるので簡略な記載とし、どこかに注を付けておけばいいと思います。後でも示しますが、微少部分と「○○村の一部」との混同を避けたいので、(一部)などの記述には賛成できません。

市制町村制施行時により問題となるのは、微少部分ではなく、本体が分割されてそれぞれが「一部」となる場合で、これには主に次の2つの要因があると思います。
1)近世村そのものがいくつかの集落からなっており、町村制施行にあたって近世村の範囲が分割される場合
2)明治維新〜町村制施行までに複数の近世村が合併して1つの村になっていたが、町村制施行にあたって元の近世村単位で分割される場合

1)の事例は少なからずあると思います。実際のところ、近世村が1つの集落から成る事例というのは畿内やその周辺を除くとあまり多くなく、複数の集落から成っているのが通例だからです(枝村が分割される場合もこれに含めます)。
事例を挙げます。現在の八戸市にあった浜通村ですが、明治合併時に、浜通村のうち湊、白銀の部分が大久保村と合併して湊村に、鮫、持越沢などが金浜村と一緒になって鮫村を構成しています(県令はこちら)。
現在は八戸市大字湊町、大字鮫町などに当たる場所です。

近世村県令の記載明治合併村現在の住所
浜通村浜通村ノ内湊湊村八戸市大字湊町など
同上浜通村ノ内白銀同上八戸市大字白銀町など
大久保村大久保村同上八戸市大字大久保
浜通村浜通村ノ内鮫鮫村八戸市大字鮫町
同上浜通村ノ内持越沢同上
同上浜通村ノ内二子石同上
同上浜通村ノ内白浜同上鮫町白浜の地名あり
同上浜通村ノ内深久保同上
同上浜通村ノ内種差同上八戸市大字鮫町字種差
同上浜通村ノ内法師浜同上鮫町法師浜の地名あり
同上浜通村ノ内大久喜同上鮫町大久喜の地名あり
金浜村金浜村同上八戸市大字金浜

浜通村は、湊、鮫など複数の集落からなる広大な村でしたが、これらの集落は実際上それぞれが村であり、浜通村はその総称と考えられています。
この場合、変遷情報での表現としては次のような形態をとれば良いと思います。

湊村:浜通村の一部、大久保村
(詳細情報で「浜通村のうち湊、白銀」と記述)
鮫村:浜通村の一部、金浜村
(詳細情報で「浜通村のうち鮫、持越沢、二子石、白浜、深久保、種差、法師浜、大久喜」と記述)

次に2)の事例では、先にも話題になった八幡浜浦があります。県令の記載では、西宇和郡八幡浜浦が「字本浦」、「字栗野浦」、「字向灘浦」に三分され、字本浦は単独で八幡浜町になり、字栗野浦は矢野町などと合併して神山村、字向灘浦は大平村などとともに矢野崎村を構成したことになっています。ところが、天保郷帳では栗野浦、向灘浦は八幡浜浦とは別の独立した村です(国絵図はこちら)。(※向浦ではなく向灘浦です)。
時期は特定できませんが、明治合併期までに八幡浜浦、栗野浦、向灘浦が合併して八幡浜浦を構成し、合併時に分かれたようです。
町村制施行時までに先行して合併が進められた山梨、岡山、宮城などの諸県では、このような事例が少なくないと思います(明治大合併期に下九一色村と上九一色村に分裂した九一色村もそうですね)。
この場合には、基本的に近世村単位で分割がなされるはずで、それぞれを「○○村の一部」とし、詳細欄にそこに含まれる地域(=近世村)を記述すればよいと思います。例えば次のように。

八幡浜町:八幡浜浦の一部
(詳細情報で「八幡浜浦のうち字本浦」と記述)
神山村:矢野町, 八代村, 五反田村, 国木村, 八幡浜浦の一部
(詳細情報で「八幡浜浦のうち字栗野浦」と記述)
矢野崎村:大平村, 高野地村, 八幡浜浦の一部
(詳細情報で「八幡浜浦のうち字向灘浦」と記述)

この場合、どこが八幡浜浦の本体か、にこだわる必要はなく、すべて「○○村の一部」とすればいいと思います。もともと独立した村だったわけですから。

以上の考え方で問題が生じるとすれば、「微少部分」が比較的大きい場合、あるいは微少部分なのか上記1)のような近世村内集落なのか区別できない場合はどうするか、です。端的に言うと、「分らない場合はすべて『○○村の一部』の表現をとる」ということで良いと思います。
詳細な歴史的経緯を調べているのでは、88さんに非常な負担がかかります。88さんが分る範囲で判断し、判断がつかない場合は「○○村の一部」としておいた上で、その旨を落書き帳に明記しておく。その部分は他の人が調べて88さんに報告する、とすれば良いと思います。
もちろん、私も調べて報告するようにします。現在、自発的に市区町村変遷情報をチェックされているむっくん さんも、これまで同様にフォローしてくれるでしょうし、ほかの方からの情報も入ると思いますので、それらをもとに88さんが判断して必要な場合に修正を加える、という仕組みにするのはいかがでしょうか。

以上のようにする場合、本体分割(または分割区分不明)を意味する「○○村の一部」と、「本体 対 微少部分」との混同は避けたいところです。したがって、「本体」の表現は常に「微少部分」との対の形で使用し、[74123]で88さんが提起された「○○村(一部)」の表現は使用しない方が良いと考えます。


次に市制町村制施行時以降の変遷ですが、本質的には上記と同様です。ただ、明治合併期以降は近世村が複数集まって一つの市町村が構成されているのが原則ですから、「微少部分とは近世村の範囲が分割された地域」と定義しておけば良いと思います。
つまり、大合併期以降の市町村が分割される場合、「近世村の範囲以下の部分とそれ以外」になる場合は「○○村(微)と○○村(本)」とし、それ以外(近世村単位で分割される場合)はすべて「○○村の一部」の表現でよいと考えます。例えば、徳島県の次の事例のように。

「○○村(微)と○○村(本)」の例
1954.03.31
新設 那賀郡富岡町:那賀郡 中野島村, 富岡町, 宝田村, 長生村, 大野村(本)
(詳細に「大野村は字妙見を除く」と記述)
編入 那賀郡羽ノ浦町; 那賀郡 羽ノ浦町, 大野村(微)
(詳細に「大野村(微少範囲)は字妙見」と記述)
※字妙見は、大野村を構成する3つの近世村(上・中・下大野村)のうち下大野村の小字で、那賀川以北の部分です

「○○村の一部」の例
1955.01.01
編入 徳島市:徳島市, 名西郡 入田村の一部, 名東郡 新居町
(詳細に「入田村の一部は大字入田」と記述)
編入 名東郡国府町:名東郡 国府町, 名西郡 入田村の一部
(詳細に「入田村の一部は大字矢野」と記述)

また、ここでも「判断がつかない場合は『○○村の一部』」の原則を適用します。つまり、[74035]で88 さんが事例にあげた仲多度郡象郷村は次の通り。

1958.03.31
編入 仲多度郡琴平町:仲多度郡 琴平町, 象郷村の一部
(詳細に次のように記述
「象郷村のうち次の部分を含む:
 大字苗田の全域
 大字上櫛梨の本体(字川西の一部を除く部分)
 大字下櫛梨の一部(字船磐、川原、平石、泉田、上新田の各一部を除く部分)
 大字上櫛梨、下櫛梨の残余は善通寺市へ」
編入 善通寺市:善通寺市, 仲多度郡 象郷村の一部
(詳細に次のように記述
「象郷村のうち次の部分を含む:
 大字上櫛梨の微少部分(字川西の一部)
 大字下櫛梨の一部(字船磐、川原、平石、泉田、上新田の各一部)
 大字上櫛梨、下櫛梨の残余は琴平町へ」

象郷村の場合は分割形態が複雑なので、琴平町に編入された部分を象郷村(本)、善通寺市部分を象郷村(微)とするより、上記のように両方とも象郷村の一部とし、それぞれの範囲を「詳細」に記述する方が良い、と私は考えます。が、皆さん色々な意見があると思いますので、決着がつくまではとりあえず「象郷村の一部」にしておけば良いのでは、という意味を含めています

かなりゴチャゴチャして分りにくい記述になってしまったので、もう一度簡潔に書きます。

明々白々に微少部分と本体に分かれる場合は「○○村(微)と○○村(本)」に。
それ以外はすべて「○○村の一部」
詳しいことは「詳細情報」に記述。

以上、ご参考になればと思います。

[74138] 2010 年 2 月 11 日 (木) 13:13:34 hmt さん
 呉市音戸町三ツ子島

[74132] にまん さん
しかし、二つの島なのに「三ツ子島」なんですね。

[73284]でも同じ疑問を投げかけたのですが、その後で理由がわかりました。
朝日新聞の写真 をご覧ください。

三ツ子島埠頭という会社が落札した無人島は、中央部の低地を挟んだ2つの山が、それぞれ島ように見え(下の写真)、同社の輸入塩貯蔵基地[43120](上の写真説明)のある島と合せて「三ツ子島」なんですね。

[74137] 2010 年 2 月 11 日 (木) 13:05:11 Issie さん
 Re:日南市の中心は?

[74136] 白桃 さん
油津の港も飫肥の外港として発展した

両地区間の主従関係は単純ではなくて,歴史的には遣唐使の時代からその中継基地として知られる 油津 の方がずっと古いようです。飫肥 に最初にお城が築かれたのは南北朝時代なのだそうですが,城下町が成立するのは島津・伊東両氏による争奪戦を経て豊臣秀吉の裁定で伊東領として確定する,たかだか戦国末期以降のことで,これは対外貿易港である油津を扼する位置にあることもその立地条件の1つなのでしょう。とすれば,ここでは 油津 が主で,飫肥 が従。
もちろん藩政時代,藩行政の上では 飫肥 が主で 油津 が従であったことでしょうが,藩経済の上では御城下と外港のどちらに主導権があったか。

というわけで,両者に優劣はつけられず,恐らくは妥協の結果 吾田 に市役所が置かれ,「飫肥市」でも「油津市」でもない“中立的”な名前である「日南市」となったのでしょう。

[74136] 2010 年 2 月 11 日 (木) 12:25:51【1】 白桃 さん
 日南市の中心は?

本題の前にまずは御礼から
[74109]Issie さん
「仙道七郡」についてのご教示大変ありがとうございました。

さて、これだけ市町村合併がすすんでいくと、その市の中心である(だった)旧町の名前を忘れることがありませんか?また、それとは別に、そもそもその市の中心は旧○○町である、とか、今も旧○○町であるべきだ、とか自分勝手に決めつけたい衝動にかられたことはありませんか?
ここにお集まりの皆様、ま、世間からみると尋常でない方が多いと思われますが、そんな皆様にあってもほとんどの方は、「そんなこと、どうでもヨロシイ」とお考えになろうかと思います。でも私は、どうしてもこのあたりのコトが気になって気になって仕方がありません。明日で18歳になるというのに・・・
そんな私は今、日南市にはまっております。まず、行政区画の変遷を
1950.01.01.吾田町、飫肥町、油津町、東郷村が合併し日南市が成立
1955.02.11.細田町、鵜戸村を編入
1956.04.01.酒谷村、榎原村(一部)を編入
2009.03.30.北郷町、南郷町と合併し「新」日南市が成立
以上のことから、日南市の中心は次の旧3町に絞ることに問題はないでしょう
・油津(市町村制度施行時からの町で、名の知られた港町)
・飫肥(小京都として著名な城下町)
・吾田(町制施行は新しいが、市役所所在地)
心情的には、「吾田は飫肥と油津の中間に位置していることで市役所が置かれたのであり、油津の港も飫肥の外港として発展したので飫肥に決定!」なんですが、市制施行直前の1947年国勢調査人口はどうかというと、
吾田村:10,286人
飫肥町:11,558人
油津町:11,558人
ウソみたい。(飫肥と油津の人口は記載ミスではありません)
じゃ、今どうなってんのか、日南市のHPで見てみました。(2010年2月1日現在)
地域人口
吾田18,958
飫肥6,280
油津5,744
東郷5,037
細田4,107
鵜戸1,046
酒谷1,230
北郷4,694
南郷10,727
なんと、吾田の圧勝!
合併により成立した市の市役所の位置というのも、その後の人口推移に大きな影響を与えるもんですな・・・。
で、どこが中心???昆明、混迷深まるばかり・・・

[74135] 2010 年 2 月 11 日 (木) 12:02:38 Issie さん
 圏央道神奈川ローカル線

[74134] じゃごたろ さん
いまでは「祭日」という言葉はなくなったのですね。

神道に基づく皇室祭祀に由来する「祭日」という言葉は,現行憲法20条の政教分離規定に抵触するからでしょうね。だから「国民の“祝日”」(国民の祝日に関する法律;昭和23年法律第178号)。でも今日が「祝日」になったのは,この法律ができてから18年も経ってからのことでした。

はい、もちろんその点は承知の上での書き込みです。

ああ,あれはもしかしたら“クイズ”だったのかしら。だったら,あたら野暮なことを…。

でも,話はあそこで述べたほど簡単ではないようで,
[74116] で話題になった圏央道。これの神奈川県区間の呼称は「さがみ縦貫道路」です。
県の中央を貫く相模川に沿い県土を南北に…,しかしこれは県域を“短軸”方向に突き通すものです。
一方,[74130] に出てきた「第二東名」。いつできるのか,本当に完成するのか,全くわかりませんが(私は全く期待していない),県土を東西に…,“長軸”方向に貫くこのルートを,多くの神奈川県民は「横断道路」と理解することでしょう。別に「第二」を持ち出すまでもなく,東名高速も246も新幹線も東海道線も,みんな県土を「横断」しているのでした。こちらを「縦貫」という人はあまりいなさそう。

ここでは列島全体の軸に合わせた“縦・横”とも,県の輪郭の長軸・短軸に合わせた“縦・横”とも違う方向認識が現れています。
この場合は,北を上にした地図が頭の中にイメージされているのでしょうか。
もともと神奈川県の輪郭では長軸・短軸の違いがあまり明確ではありません。陸地部分だけでなく,南に突き出た真鶴半島と三浦半島の先端を結んだ線で相模湾を丸ごと入れてしまえば,なおさらです。
その中で さがみ縦貫道路 が通過する相模平野だけを取り出せば,これを南北に貫く相模川の線が強く意識されて“縦”のラインと感じられるのかもしれません。
あるいは,全域が“太平洋斜面”である神奈川県にとっては,北部県境の山から南の相模湾へ斜面を一方的に下るだけ(というイメージ)では「横断」という感覚が生まれないのかもしれません。
これが,東西方向の長軸性がずっと顕著な東京都の多摩地域では,武蔵野を南北に横切る南北ルートが「横断」であると容易に理解できるように思います。

物事は,そうそう単純化して話ができるものではないのかもしれませんね。

[74134] 2010 年 2 月 11 日 (木) 09:18:17 じゃごたろ さん
 縦貫軸
hmt 琉球の文化

おはようございます、じゃごたろです。
本日は祝日。いまでは「祭日」という言葉はなくなったのですね。

[74133] ひぃ さん
[74131] Issie さん

はい、もちろんその点は承知の上での書き込みです。
国土の縦貫軸に沿った方向が「縦貫」で、それを結ぶように交差するのが「横断」。
ですから、
本州の脊梁山脈を“横切る”のだから,私はごく当たり前に「横断」だと思っていました。
専門家の仰る通り、まったくもってごもっともです。

国道1号から国道5号まで線引きすると、札幌〜函館、青森〜仙台〜東京〜名古屋〜大阪〜広島〜下関〜北九州〜熊本〜鹿児島というように、日本列島に沿うように一本の線(函館から青森もつながってるとして)となります。これが国土を縦貫する主たる路線。そして国道6号から国道12号までが、それを補完する縦貫軸の別路線ということになります。

国道13号から国道40号までは、この縦貫軸が通過しない県庁所在地や北海道の主な支庁所在地、かつて鎮守府であった重要な港(室蘭、横須賀、敦賀、呉、佐世保)、そして伊勢神宮を結ぶネットワークを形成するもの。国道41号から国道57号は後で追加されたもので、さらに沖縄返還後に鹿児島から那覇をつなぐ縦貫軸として国道58号が追加されました。

ちなみに「中部縦貫道」というものもちゃんと存在していますね。
そもそも、中国自動車道という営業路線名の高速道路も法令上では「中国縦貫自動車道」、徳島自動車道と松山自動車道(川之江東JCT〜川之江JCTは高知自動車道)は「四国縦貫自動車道」として東西方向に縦貫してるのでした。

[74133] 2010 年 2 月 11 日 (木) 07:27:49 ひぃ さん
 縦貫・横断

[74130]じゃごたろさん
[74131]Issieさん

ちなみに「中部縦貫道」というものもちゃんと存在していますね。
先日の無料化実験の対象となった安房峠道路や、
既に無料供用化されている油坂峠道路、上志比道路など、
これらが福井と松本を東西に結ぶ中部縦貫道の一部になっています。

[74132] 2010 年 2 月 11 日 (木) 00:32:49 にまん さん
 さらに続報

[74122] 小松原ラガー さん

広島県の無人島のさらに続報です。
毎日新聞の記事によると落札したのは、隣地(というか隣島)の所有者のようです。結局のところ現実的な動機のある人が買ったということなんですね。

しかし、二つの島なのに「三ツ子島」なんですね。

[74131] 2010 年 2 月 10 日 (水) 22:22:06【3】 Issie さん
 縦か横か

[74130] じゃごたろ さん
さてこの「中部横断道」ですが、南北に建設されているのに「縦貫」ではなく「横断」という名称はなぜでしょうか?

視点の違いでしょうね。
太平洋側と日本海側を結び,本州の脊梁山脈を“横切る”のだから,私はごく当たり前に「横断」だと思っていました。むしろ,「縦貫」と呼ぶ方が違和感ありまくり。

「縦貫」と言えば,国鉄(JR)で「日本海縦貫線」という呼称が用いられることがありますね。神戸・大阪を起点に 東海道→湖西・北陸→信越→羽越→奥羽 とつないで青森まで結ぶ運転系統に対する呼称。これがすんなり理解できるのは,列島の長い軸に沿って延びるラインを呼ぶからだと思います。これを「横断」と呼ぶのは,ちょっと変(この方向を「列島横断」と呼んでいる例に遭遇することもままありますが)。

「地図は北が上」が当然なわけでは決してありませんから,南北軸が“縦”であるとは限りません。まずは,この図式から離れることが必要です。
ネギやナマコを見たとき,どちらの方向を「縦」「横」と認識しますか。たぶん,多くの人は“身体の軸に沿った長い方”を「縦」と認識し,それに直交して分断する方を「横」と認識するだろうと思います。
この感覚をそのまま日本列島のように細長い国土に投影すれば,択捉島から北海道→本州→四国→九州→南西諸島 と延びる軸の方を「縦」と認識するのが自然であるように思われます。「日本海縦貫線」という呼称は,まさにこの感覚によるもの。
その視点から見れば,太平洋側と日本海側を結ぶ線はおのずから「横断」ということになるのではなかろうかと思います。

それに対して,たとえば“南北に長い”長野県だけを取り出した場合,今度は北信の栄村から千曲川・犀川をさかのぼり,善知鳥峠を越えて伊那谷を突き抜け南信南端の根羽村へ至るルートの方が「縦貫」で,飛騨高山から安房峠を越えて信州に入り,松本→上田→軽井沢を経て碓氷峠を越えて上州に抜けるルートの方を「横断」と呼ぶ方が感覚的には自然に思われます。

結局のところ,川の左岸・右岸と同様,どこに視点を置くかによって変わってくることであり,地図の“上”を北に固定して考えるものではないように思います。

※追加の補足
「合従連衡」という故事成語があります。
中国の戦国時代末期,戦国七雄と呼ばれた主要国の中で,強大化し他を圧倒している 秦 に対して残り6国がどうすべきかという問いへの答えに由来します。
1つは残り6国が連携して西の秦に対抗しようというもの。秦に対して東に位置する6国が“縦”(従)に手を結ぶので「合従(がっしょう)」。
もう1つは,6国がそれぞれ別個に秦と手を結び,他に対して有利な立場に立とうというもの。西の秦と東の各国がそれぞれ横(衡)に手を結ぶので「連衡」。
で,これを盛んに説いて回った思想家(?)たちが諸子百家のうちの「縦横家」。

実際には6国が南北に並んでいるわけではないけれど,イメージとしては 南北=縦,東西=横 という図の上に成り立つ言葉ですね。
視点によっては,そのような空間認識もある,ということです。

[74130] 2010 年 2 月 10 日 (水) 21:32:19【1】 じゃごたろ さん
 第二東名

こんばんば、じゃごたろです。

[74128] 淡水魚 さん
下流から旧国道1号、バイパス(現国道1号)、第2東名かなあ?

さっそくですが、淡水魚さん大正解です。

ポイントはまだ供用されていない「第二東名」が出てくるかどうかです。地図によっては第二東名の予定路線が表示されているものもあるでしょうが、普通に地図を見ると金谷近辺で大井川に架かっているのは東海道本線、旧国道1号、現国道1号の三つの橋梁です。実は私もこの三橋梁を撮影していたと思っていました。しかし地図で確認すると角度的にどうもおかしい。

角度的にJRの鉄橋が見えるのかどうか
まったくその通りです。見事に見透かされてしまったようです。というかそれに気づいてもらうために大井川鉄道を含めた光景の表現を入れたわけですが。

正面に大井川鉄道の放物線状の軌跡が見えるので、東海道本線はその外側を通っているためその方向を考えると目の前の風景に合致しない。しかし第二東名の存在を考慮すると、東海道本線の橋梁は右側にフレームアウトしてしまっていると考えると腑に落ちる、といったところでした。

今回静岡を通過していて地図には明記されていない建設中の高速道路に何回か遭遇しました。ここの第二東名の他、裾野市近辺で国道246号及び現東名高速に並行して建設されている第二東名。また国道52号からそれた山中で遭遇した中部横断道など。

さてこの「中部横断道」ですが、南北に建設されているのに「縦貫」ではなく「横断」という名称はなぜでしょうか?

[74129] 2010 年 2 月 10 日 (水) 21:20:11 だんな さん
 企業由来町名?

皆さんご無沙汰しております。金沢のだんなです。

国土地理協会の地名変更情報を見ていたら、宮城県黒川郡大衡村に中央平(ちゅうおうだいら)という地名がありました。

この村では大規模な工業団地を開発しており、そこにトヨタ系企業の本社および工場が移転進出するのですが、その企業は「セントラル自動車」という名称です。
で、その工場周辺を4月から字名を「中央平」と変更することになったと「広報おおひら1月号」に掲載されてました(6ページ目・PDF)。
一応、
「中央平」は、大衡村が宮城県の中央部、当地が大衡村の中央部に位置しており、これからの産業振興の拠点(中心)となることを期待して決定したものです。
とは書かれていますが、河北新報の記事では
セントラルを和訳した。
とも書かれています。

確かにセントラル→中央というわけで、広義にとらえれば企業由来町名に該当するような気もします。
いかがでしょうか。

また暇ができたら遊びに来ます。

[74128] 2010 年 2 月 10 日 (水) 19:27:47 淡水魚 さん
 大井川と静岡空港

[74121] じゃごたろ さん
この三つの橋は何の橋でしょうか?
下流から旧国道1号、バイパス(現国道1号)、第2東名かなあ?角度的にJRの鉄橋が見えるのかどうか、検証に向かうにはちと寒いので思いつくままです。
未だ完成後の空港を見ていません。今日は空港で感染対策の防災訓練があり、空港に到着した便に新型インフルエンザを発症したらしい乗客がいるという想定で実施したようです。

[74119] オーナー グリグリ さま
お気遣いありがとうございます。なんとか思い出しました!

さて先月、箱根の旧街道ウォーキングコースを下ってみました。久しぶりに霜柱を踏んだ淡水魚です。

[74127] 2010 年 2 月 10 日 (水) 16:37:51 アルバトロス さん
 RE:川の左右 (右岸,左岸)

[74118] Issie さん
相模川右岸(海老名市近辺)
「左岸」ですね。
書き込むときに右岸、左岸どっちだろうと迷いました。南から見て、右手が右岸、左手が左岸と思っていて、時代物の小説で左右逆じゃないかと疑問に感じたことがありましたが、
[74120] じゃごたろ さん
上流から下流を向いて左が「左岸」、右が「右岸」。相模川は北から南に流れているので、海老名市は相模川左岸となるのですね。
ということで疑問が解けました、ひとつ勉強になりました。[74116] は、訂正しないで原文のままにしておきます。

圏央道って,ちょうど相模川と相模線の間に割り込むように通っていて,車窓から,たとえば倉見付近からの富士山の眺望がだいぶ失われてしまうことになってとても残念ではあるのですが,ま,いたしかたないというところ。
先日、用事で相模線に乗ったら、倉見付近で富士山がよく見えました。相模原市の我が家から絶対見えないので、嬉しくなりました。圏央道ができると見えなくなるのでしょうか、残念です。

しかし,2012年とは再来年ですが,果たして実現するのかどうか。
あくまで目標でしょう。実は最初の書き込みでは、後ろ3行目の最後に、自分なりに「?」をつけていましたが、訂正3で削除しました。

並行区間の国道16号の八王子バイパスが無料化されるのでしたね。
昔、利用したときは、通行車両が少なかったけど、無料化したら増加しますかね。どうでしょうか。

[74126] 2010 年 2 月 10 日 (水) 09:02:26 山野[山野] さん
 新「中之条町」誕生へ

中之条町と六合村は昨日、県へ合併申請を行いました。
東京新聞より。

[74125] 2010 年 2 月 10 日 (水) 08:06:40【2】 山野[山野] さん
 添田町って…

[74124]がっくんさん
福岡県田川郡添田町の山本文男氏が共に10期40年目の村政・町政を指揮しています。
長すぎて何か町長選とか無関係な町ですね。(中には親子2代に渡って無投票みたいなのが、小さな町や村にはありますよね。)
でも、この添田町。先週だったか前副知事らと共に贈収賄で逮捕されましたので、町長は交代ですよね。
また、同町の町長は「全国町村会」の会長も兼任されているようなので、逮捕後は小竹町の町長が代行されるとの事。該当記事

[74124] 2010 年 2 月 10 日 (水) 07:46:53 がっくん さん
 現役最長は誰に?

本日2/10をもって、10期40年間貝塚市の市政を指揮してきた吉道勇市長が引退されます。

それでは、2/11以降現役ではどなたが最長市長となるのでしょうか?・・・ということで調べてみましたところ、
群馬県高崎市の松浦幸雄氏が6期で23年目の最長記録となっているようです。
以下、4選以上の多選市長を調べてみましたので参考までに。


(多選市長:'10 2/11現在)
当選
市名市長のお名前(敬称略)回数任期
.
高崎市松浦 幸雄 (まつうら ゆきお)61987.5.2〜2011.5.1
.
大田原市千保 一夫 (せんぽ かずお)51990.4.8〜2010.4.7
鹿島市桑原 允彦 (くわはら まさひこ)51990.5.12〜2010.5.11
金沢市山出 保  (やまで たもつ)51990.12.10〜2010.12.9
習志野市荒木 勇  (あらき いさむ)51991.4.27〜2011.4.26
大館市小畑 元  (おばた はじめ)51991.5.1〜2011.4.30
御坊市柏木 征夫 (かしわぎ いくお)51992.6.11〜2012.6.10
野田市根本 崇  (ねもと たかし)51992.7.4〜2012.7.3
新座市須田 健治 (すだ けんじ)51992.7.26〜2012.7.25
入間市木下 博  (きのした ひろし)51992.11.18〜2012.11.17
裾野市大橋 俊二 (おおはし しゅんじ)51994.1.29〜2014.1.28
.
善通寺市宮下 裕  (みやした ゆたか)41994.5.10〜2010.5.9
泉南市向井 道彦 (むかい みちひこ)41994.5.22〜2010.5.21
松戸市川井 敏久 (かわい としひさ)41994.7.3〜2010.7.2
東松山市坂本 祐之輔(さかもと ゆうのすけ)41994.8.5〜2010.8.4
高山市土野 守  (つちの まもる)41994.9.4〜2010.9.3
大村市松本 崇  (まつもと たかし)41994.10.16〜2010.10.15
可児市山田 豊  (やまだ ゆたか)41994.11.7〜2010.11.6
大船渡市甘竹 勝郎 (あまたけ かつろう)41994.12.3〜2010.12.2
八街市長谷川 健一(はせがわ けんいち)41994.12.11〜2010.12.10
小牧市中野 直輝 (なかの なおてる)41995.2.6〜2011.2.5
小金井市稲葉 孝彦 (いなば たかひこ)41995.4.27〜2011.4.26
敦賀市河瀬 一治 (かわせ かずはる)41995.4.30〜2011.4.29
室蘭市新宮 正志 (しんぐう まさし)41995.5.1〜2011.4.30
芦別市林 政志  (はやし まさし)41995.5.1〜2011.4.30
東大和市尾又 正則 (おまた まさのり)41995.5.1〜2011.4.30
清瀬市星野 繁  (ほしの しげる)41995.5.1〜2011.4.30
池田市倉田 薫  (くらた かおる)41995.5.1〜2011.4.30
加茂市小池 清彦 (こいけ きよひこ)41995.5.10〜2011.5.9
美濃市石川 道政 (いしかわ みちまさ)41995.7.26〜2011.7.25
狛江市矢野 裕  (やの ゆたか)41996.7.7〜2012.7.6
岩出市(※)中芝 正幸 (なかしば まさゆき)41996.10.19〜2012.10.18
昭島市北川 穰一 (きたがわ じょういち)41996.10.21〜2012.10.20
宇治市久保田 勇 (くぼた いさむ)41996.12.19〜2012.12.18
豊前市釜井 健介 (かまい けんすけ)41997.4.20〜2013.4.19
日野市馬場 弘融 (ばば ひろみち)41997.4.27〜2013.4.26
各務原市森 真   (もり しん)41997.5.20〜2013.5.19
川口市岡村 幸四郎(おかむら こうしろう)41997.5.31〜2013.5.30
船橋市藤代 孝七 (ふじしろ こうしち)41997.7.17〜2013.7.18
久喜市田中 暄二 (たなか けんじ)41997.9.6〜2013.9.5
多久市横尾 俊彦 (よこお としひこ)41997.9.17〜2013.9.16
都留市小林 義光 (こばやし よしみつ)41997.12.8〜2013.12.7
岐阜市細江 茂光 (ほそえ しげみつ)41998.2.24〜2014.2.23

※那賀郡岩出町時代を含めて4選

なお、新設合併後に旧市の市長が引き続き当選した場合でも当選回数はリセットしています。


ちなみに、区町村にまで範囲を拡大しますと、
奈良県吉野郡野迫川村の高田幸篤氏、福岡県田川郡添田町の山本文男氏が共に10期40年目の村政・町政を指揮しています。

[74123] 2010 年 2 月 10 日 (水) 00:38:08 88 さん
 市区町村変遷情報 苦悩日記 No.18 市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法について(続)

[74035] 拙稿で、市区町村変遷情報における市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法について、例として香川県の市区町村変遷情報(M23.2.15付け市制町村制施行時市制町村制施行時以降)の編集結果を具体的に示してみました。投稿後、「これでは具体的過ぎてルールがわかりにくい」、また、「やはり少し複雑すぎてわかりにくい(*)のでルールを変更しよう」と思いましたので、ここで改めて編集方針(案)をまとめてみました。ルール変更分の反映は、数日後に行いますので、よろしければ見比べてみてください。
(*)「市制町村制施行前の町村名等」「変更対象自治体名/変更内容」の欄に、町村名と併記して大字名を羅列するのは、「市区町村の変遷」の観点から、やはりバランスが悪いと感じました。

以下の記載例では、市区町村の変遷の「施行後:施行前」を表しています。
なお、根拠法令である府県令や総務省告示が確認できること(不可の場合は諸文献により確認できること)を条件とします。
●1 新設合併・編入合併の場合
■(1) 本体と一部(数筆、田数枚等)に分かれることが明確である場合
ex.A村・B村・C村で、C村のうち2%程度がB村へ、他の98%がA村となる場合(C村は消滅)
A村:A村,C村(本体) / B村:B村,C村(一部)

■(2) 本体と飛地に分かれることが明確である場合
ex.A村・B村・C村で、C村のうち飛地がB村へ、他がA村となる場合(C村は消滅)
A村:A村,C村(本体) / B村:B村,C村(飛地)
(注:「飛錯地」などの場合もあり)

■(3) 本体と一部(概ね大字単位以上)に分かれることが明確である場合
ex.A村・B村・C村で、C村の3つの大字のうち2大字がA村へ、他の1大字がB村となる場合(C村は消滅)
A村:A村,C村(本体) / B村:B村,C村の一部

■(4) 2分割や3分割等であり、どの部分が「本体」であるかを判断することが不明な場合
ex.A村・B村・C村で、C村の2つの大字のうち1大字がA村へ、他の1大字がB村となる場合
(C村は消滅、どちらの大字が主たる部分か判明しない場合)
A村:A村,C村の一部 / B村:B村,C村の一部

●2 境界変更の場合
■(5) 一部(数筆、田数枚等明らかに大字未満)が境界変更することが明確である場合
ex.A村・B村で、B村の一部がA村へ境界変更する場合
市区町村変遷情報対象外
※ただし、他の市町村の新設・編入と同一告示が根拠となる場合のみ、例外的に対象

■(6) 一部(概ね大字単位以上)が境界変更することが明確である場合
ex.A村・B村で、B村の一部(大字単位)がA村へ境界変更する場合
A村:A村,B村の一部

つまり、表現の使い分けは次のとおりです。
C村(本体):明らかに「本体」である(他の村等へ分離される部分が僅かに存在する)
→変遷を主眼として見るときには、単にC村と読み替えても大勢には影響しない
C村(一部):明らかに「一部」である(他の村等へ分離される部分は明らかに「本体」である)
→変遷を主眼として見るときには、概ね無視しても差し障りがない程度の範囲である
C村(飛地):明らかに「飛地」である(他の村等へ分離される部分は明らかに「本体」である)
→変遷を主眼として見るときには、概ね無視しても差し障りがない程度の範囲である
C村の一部:概ね「大字単位」以上である(他の村等へ分離される部分が大半であったり、大半部分はそのまま存続する)
→変遷を主眼として見るときには、当該情報に関しては村の一部分であるが、概ね近世村単位であることも多いので注意に値する

「C村(一部)」と「C村の一部」を使い分けするのが、現在までの入力作業を極力生かし(手直し箇所が少ない)、「本体」「一部」の意図を明確に表現でき、表示も鬱陶しく感じない程度のシンプルさを維持できるのがミソです。
皆様のご意見をいただければ幸いです。

[74122] 2010 年 2 月 9 日 (火) 23:11:16 小松原ラガー さん
 島、売れちゃった・・・ようです。

小松原ラガーです。

[73276] 小松原ラガー
にて、広島県の無人島を丸ごと競売にかけた話を引用しましたが、続報です。
朝日新聞の記事によると1億1千万円で落札されたようです。ちゃんと土壌汚染や地下埋設物の可能性も財務局側から説明があったそうですが、27組が競売に申し込み、法人8組、個人10組の18組が応札したとか。ま、「俺、島を持っているんだ。」って言ったら確かにステイタスにはなるのかもしれませんが・・・。

[74121] 2010 年 2 月 9 日 (火) 22:52:18【1】 じゃごたろ さん
 牧之原台地から俯瞰する

続けて。
先月の30〜31日に静岡県をメインに活動しました。合併でなくなる芝川町・新居町と、翌日には消滅してしまった愛知県の小坂井町を目的としてです。

その時に見た風景から一つ問題というか、何か。

東名高速の相良牧之原ICから国道473号を北上して島田市に入り、金谷の中心市街地に向かうために台地の縁を下り、その途中に大井川流域の光景が目に入ってきました。そこで風景写真を撮影しました。撮影した方向は北北東といったところ。写真には台地の縁に広がる茶畑、正面には大井川鉄道の放物線状の軌跡が見えます。その奥には大井川に架かる橋。そしてその上流にはさらに二つの橋が架かっているのが見えます。

さて、この三つの橋は何の橋でしょうか?

私の撮影した風景写真は、明日の私のサイトで公開します(宣伝)。

では、さやうなら。


※ 追記

「牧之原台地」とはよく言ったものです。今回初めてそれを実感しました。東名高速では大井川を越えるとひたすらの上り坂。台地の途上からみた大井川流域の標高差も実感しました。それと相良牧之原IC付近の標識で見られるあの「富士山静岡空港」。「こんなところにあるの?」と思いつつも、地図で再確認すると飛行機の離発着に適地の台地上だったのですね。でも利用者に適地かというと。。。

[74120] 2010 年 2 月 9 日 (火) 22:03:25【2】 じゃごたろ さん
 not bowling, but boring

こんばんは、じゃごたろです。
ひさびさの登場です。
本来なら一年で一番寒いはずの今日この頃、諏訪地方でも雪ではなくて雨が降っていました。御柱祭のある今年ですが、御神渡りは今年はなさそうですね。

[74115] 千本桜 さん
温泉とは無縁に思える地域でも掘れば温泉が涌くのですね。
どうもそのようです。近年ボーリング技術(球技の方は『ボウリング』)の進歩によりそれが可能となったようです。温泉法第二条には「温泉」の定義として、

この法律で「温泉」とは、地中からゆう出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガス(炭化水素を主成分とする天然ガスを除く。)で、別表に掲げる温度又は物質を有するものをいう。

とあります。で、その別表には、

1.温度(温泉源から採取されるときの温度とする。)
摂氏25度以上
2.物質(左に掲げるもののうち、いづれか一)
(以下省略)

とあります。つまり条文では「温度又は物質」とありますから、別表2の物質を含んでいなくても(いわゆる効能があるとされる物質を含んでいなくても)、湧出した水の温度が25℃以上なら温泉ということになります。近年のボーリング技術では地下1000mよりも深く穿つことが可能となっています。これくらいの深さにある水は必然的に高温であり、ボーリングがその水脈に当たると地表では25℃以上の水を得ることができます。これらは法律上の「温泉」と認められますから、「○○温泉」と名乗ることも可能となるわけです。

全自治体に温泉があるなどというのも珍しくないのは、このボーリング技術のおかげです。

しかし古くから温泉場として名の通っているのは「源泉かけ流し」の温泉が多いのでしょうね。上のように25℃以上で温泉となりますが、こんな温泉には誰も入りませんよね。ですから、温泉であってもそれをボイラー等で沸かしている温泉は多い。また湧出量が少ないために、湯船からあふれたお湯を循環して使用するのは実はあたりまえ。無理やり地下から掘り出すわけですから。

「源泉かけ流し」とは、源泉を沸かす必要もなく、循環して再利用する必要もない贅沢な温泉です。諏訪の人はそれが自慢の一つのようで、市内の各地区(小字単位)に共同温泉があります。ただし利用できるのは自治会に入っているひとだけ。アパート暮らしの人は不可。まあ逆に資源物のゴミ捨て時に立ち会ったり、地区の行事に強制的に参加させられることもありませんが。。。



[74118] Issie さん
「左岸」ですね。
上流から下流を向いて左が「左岸」、右が「右岸」。相模川は北から南に流れているので、海老名市は相模川左岸となるのですね。

[74119] 2010 年 2 月 9 日 (火) 21:46:13【1】 オーナー グリグリ
 淡水魚さんへ ほか

[74117]の書き込みは統合しました。
暗証コードをお忘れになったとのこと。メールでお伝えしようとしましたが、メールアドレスが配信不能で戻ってきました。私宛にメールをお送りいただければ暗証コードを折り返しご連絡いたします。よろしくお願いいたします。

いろいろふぉろ〜しなければいけない書き込みがありますが、返信には時間がかかりそうです。あしからずご了承のほどお願い申し上げます。首の怪我はほぼ全快しました。ご心配をおかけしました。

>hmtさんへ
アーカイブズの件でメールを差し上げていますが、いかがでしょうか。ご検討よろしくお願いいたします。

[74118] 2010 年 2 月 9 日 (火) 20:06:19 Issie さん
 川の左右

[74116] アルバトロス さん
この開通で、今まで厚木ICを使用していた相模川右岸(海老名市近辺)の利用者は便利になります。海老名市役所から厚木インターまでの所要時間が約40分から、海老名IC利用で10分に短縮され、相模大橋や周辺の渋滞が緩和される

ああ,そうでしょうねぇ(←しみじみと…)。
厚木市内のどうしようもない渋滞も少しはマシになるでしょうか。
圏央道って,ちょうど相模川と相模線の間に割り込むように通っていて,車窓から,たとえば倉見付近からの富士山の眺望がだいぶ失われてしまうことになってとても残念ではあるのですが,ま,いたしかたないというところ。
しかし,2012年とは再来年ですが,果たして実現するのかどうか。
地図の上では谷間であるはずのところが不法投棄で逆に山になっている城山IC南方の旧湘南村区間とか,何より高尾山のドテっ腹に穴を開ける話はどうなったのか…。

そう言えば並行区間の国道16号の八王子バイパスが無料化されるのでしたね。

ところで,

相模川右岸(海老名市近辺)

「左岸」ですね。

[74117] 2010 年 2 月 9 日 (火) 19:22:46 淡水魚[淡水魚(仮)] さん
 生存報告及び大井川鉄道

みなさまお久しぶりです。あまりの久しぶり度にパスワードを忘れてしまい、淡水魚(仮)で書き込みます。
ただいま大井川鉄道では、井川線の擁壁工事期間を利用した秘境探検ウォーキング(2月28日開催)参加者募集中です。保線作業体験もできるそうです。

[74116] 2010 年 2 月 9 日 (火) 14:28:03【3】 アルバトロス さん
 圏央道、神奈川県初開通

こんにちは、アルバトロスです。

また、申し訳ございませんがローカルニュースです、圏央道、神奈川県初といっても、圏央道神奈川県区域全長34Kmのうちの、東名高速道に接続する「海老名JCT」と「海老名IC」間1.9Kmで、ほんのわずかですが、2月27日15時に開通します。

この開通で、今まで厚木ICを使用していた相模川右岸(海老名市近辺)の利用者は便利になります。海老名市役所から厚木インターまでの所要時間が約40分から、海老名IC利用で10分に短縮され、相模大橋や周辺の渋滞が緩和されると、県の広報に記事が載っていました。
尚、東名上り(静岡方面)から、圏央道に行くときは、厚木IC手前から海老名JCTまでの専用連絡路が同日に開通(厚木IC出口へ行くのと共用)、その連絡路を通行しないと圏央道へ入れないそうですので、注意が必要です。(圏央道から東名下り(静岡方面)に入るのには、連絡路を通って厚木ICの先にでるそうです)

県の広報に圏央道(さがみ縦貫道)の神奈川県内全線開通目標は、平成24(2012)年度だそうです。

「神奈川 県のたより」2月号、NEXCO中日本のHP、よここくnaviのHP を参照しました。
なお、HPは、「神奈川 県のたより」 で検索してください。

   訂正:後ろ2行加筆訂正、後ろ1行目字句訂正、後ろ3行目字句削除訂正。

[74115] 2010 年 2 月 8 日 (月) 23:50:46 千本桜 さん
 温泉クイズ

[74113] 白桃 さん
A温泉:読み方が試験に良く出る温泉ですか?
ありふれた漢字二文字ですが、なぜ、あの字が「う」なのか、「読み」は確かに難解ですね。

B温泉:「こけし」で有名ですか?
C温泉も「こけし」で有名ですが、B温泉の「こけし」は首を回すとキイキイ鳴ります。

C温泉:帰り道は近かった?
まだマイカーを保有していなかったころ、C温泉まで何度か自転車で行ったことがあります。向う時は遠がったなぁ。でも帰り道は近かった。これ、ほんとの実感です。自転車というのは微妙な地形の変化を体感させてくれるのですね。

D温泉:松本清張「山峡の章」に出てきますか?
ここは「山峡の章」の舞台でしたね。A温泉と共に「仙台の奥座敷」と言われていましたが、近年ではA温泉に水をあけられてしまいました。

E温泉:人口17,441人(1月1日現在推計)の町にありますか?
いまでは本吉郡も1郡1町になってしまいました。温泉とは無縁に思える地域でも掘れば温泉が涌くのですね。この温泉を掘り当てた「ホテルK」からの眺め。何が凄いかというと、ホテルに入ったとたん、延長160メートルにも及ぶロビーの窓から、○○○湾の風景が丸ごと目に飛込んで来るのです。何に感動するかは人それぞれでしょうが、私はこのオーシャンビューに感動しました。

[74114] YT さん
一方E温泉は食事も景色も最高でした。
ホテル関係者ではありませんが、お褒めいただいて感謝します。食事は値段に左右されて当たり外れがあるとは思いますが、あの素晴らしい景色は、低額料金で宿泊した人も、高額料金で宿泊した人も、みんな平等に眺めることのできる最高のサービスですよね。

[74114] 2010 年 2 月 8 日 (月) 22:42:48 YT さん
 E温泉

[74112]千本桜 さん

自分の祖父の実家が宮城県の山奥で、数年前の祖母の一周忌、三回忌の際にA温泉とE温泉に行きました。

A温泉は、まあよくある感じの温泉です。

一方E温泉は食事も景色も最高でした。
露天風呂の直下にカモメが泳いでおり、明け方には日の出が見られます。
確か中国雑技団か何かの出し物も毎日やっていたようです。

[74113] 2010 年 2 月 8 日 (月) 19:59:53 白桃 さん
 宮城県温泉クイズ

[74112]千本桜 さん
このクイズ、私が答えるのは反則だと思うのですが、実際良く分からないので質問をさせてください。

A温泉:読み方が試験に良く出る温泉ですか?
B温泉:「こけし」で有名ですか?
C温泉:帰り道は近かった?
D温泉:松本清張「山峡の章」に出てきますか?
E温泉:人口17,441人(1月1日現在推計)の町にありますか?

[74112] 2010 年 2 月 7 日 (日) 23:28:14 千本桜 さん
 宮城県の温泉クイズ

宮城県内の温泉に関するクイズです。年間宿泊客数が5万人を超える温泉をまとめてみました。ランキングは平成20年の宿泊客数を基準にしていますが、参考までに平成15年の宿泊客数も掲載しました。数値は敢えて千人未満を四捨五入しています。宮城県内にはこの他にも多数の温泉がありますが、年間宿泊客数が5万人に満たないために残念ながらランクインできなかった主な温泉として、北から順に鬼首温泉、川渡温泉、青根温泉、鎌先温泉、小原温泉をあげておきます。さて、ここで問題です。1位から5位までの温泉名を伏せてあります。A・B・C・D・Eにあてはまる温泉名をお答え下さい。いずれも宿泊客数の多い著名な温泉ですから、旅行好きな人には簡単すぎるかもしれません。でも、5位のE温泉だけは難問のはずです。

宮城県の温泉・年間宿泊客数50,000人以上の温泉ランキング
順位温泉名平成20年平成15年
1位A温泉834,000人996,000人
2位B温泉488,000人390,000人
3位C温泉346,000人411,000人
4位D温泉276,000人326,000人
5位E温泉166,000人0人
6位中山平温泉103,000人141,000人
7位東鳴子温泉85,000人141,000人

A温泉のヒント:大規模な高級旅館が多く、500人以上の宿泊客を収容できる旅館だけでも6軒あります。年間の宿泊客数で比較すると四国の道後温泉と同等規模の温泉になりますが、湯の街歩き楽しむほどの街並みはありません。そもそも、A温泉には温泉街など有るのかしら?といった雰囲気です。遊興も買物も大規模旅館内で完結するので、温泉街が不要なんでしょうね。ちょっと淋しい。最大規模の旅館は収容力およそ1,000人の「S」。

B温泉のヒント:A温泉と違って湯のまち歩きが楽しめます。宮城県で最も大きな温泉街を形成していますが、観光機能だけの街並みではなさそうです。周辺集落にとっては日常生活圏の中心で、4年前までは町役場もありましたが、合併で総合支所になりました。最大規模の旅館は収容力およそ600人の「Nホテル」。

C温泉のヒント:背後に控えた山岳観光地への基地としての性格を有し、近くには県内最大規模のスキー場もあります。B温泉より小規模ですが、整った街路形態をした温泉街があります。温泉街としては宮城県で二番目に大きな街並みでしょう。最大規模の旅館は収容力およそ1,000人の「ZRホテル」。

D温泉のヒント:旅行計画で宿泊地を設定する際に、A温泉と競合関係になりやすい地理的位置にあります。歓楽街などとは無縁の温泉地ですが、老舗旅館の有名な露天風呂と、その露天風呂まで下る長い長い木造の階段は趣があります。最大規模の旅館は収容力およそ1,000人の「ホテルG」。

E温泉のヒント:温泉とは無縁の海沿いに建つ一軒宿が増改築し、それまで最大だった福島県のホテルハワイアンズの宿泊収容力を抜いて東北最大規模でグランドオープンしたのは1997年のことでした。そのホテルが温泉を掘り当てて6年ほど前に開湯したのが、この温泉です。旅館は収容力およそ1,300人の「ホテルK」だけです。ただ、温泉名が不確かです。県の資料には「○○○湾温泉」と記載されていて、○○○は平成17年に合併消滅した旧町名と同名です。しかし、当事者のホテルは「×××温泉」を名乗っていて、×××は合併で誕生した新町名と同名です。ですから、解答は「○○○湾温泉」、「×××温泉」どちらを答えても正解にします。

[74111] 2010 年 2 月 7 日 (日) 22:38:14【1】 小松原ラガー さん
 茨城空港定期便−−今年のオフ会は?

小松原ラガーです。

[74110] KK さん

このニュース、私も携帯のニュース速報で知りました。感想は、「しかし、思い切ったことやるなぁ・・・」という感じです。まだ整備員を茨城に置くの置かないのともめているという報でしたが、プレスリリースに出ている以上、まぁ確実なのでしょうね。神戸の空から撤退するJALは勿論、ANAでさえ神戸発着については仙台や鹿児島など路線を廃止して行っている中、「本当に大丈夫なんかなぁ・・・」という懸念が消え去りません。
と、言いながらも、「そうか定期便か・・・。今年のオフ会がつくばになったらこれで往復の経路は決まったも同前だ。」なんてちょっぴり思ってしまいましたが。(笑)

以下、いくつかつぶやき。
私もやや某知事と同様の意見で、街中のあの空港さえもうひとつの空港ができる時に当初の予定通りに廃止しておけば・・・なんて思っていますが。

[74110] 2010 年 2 月 7 日 (日) 15:04:49 KK さん
 茨城空港に神戸便の就航が決定

[74093] 小松原ラガー さん
開港時に国内線の定期便が就航しない茨城空港ですが、4月16日よりスカイマークによる神戸便の就航が決定しました(スカイマークのプレスリリース)。1日1往復で、片道1万2千円。水戸から神戸まで、JRを利用すると約1万7千円だそうですから、正規運賃でも約3割安いことになります。茨城空港が羽田、成田に次ぐ首都圏第三空港として需要が見込めることに加えて、開港日のチャーター便が即日完売したことも、就航決定を後押ししたようです。

[74109] 2010 年 2 月 7 日 (日) 12:05:44【2】 Issie さん
 Re:仙道七郡

[74108] 白桃 さん
松本清張は「奥羽の二人」の中で、
「(伊達政宗は)会津四郡と白川、石川、岩瀬、安積、信夫、伊達の仙道七郡をへ併領し、」
と書いておりますが、これでは六郡しかありません。

清張さん,大雑把ですねえ。

私がもともと「郡」の領域に関心を持つきっかけになったのは,このあたりを舞台とした大河ドラマ「独眼竜政宗」で,たびたび「郡」を単位に伊達領の拡大・縮小を語っていたことにありました。

とりあえず,「仙道七郡」という語を調べてみると,政宗が芦名氏などを制圧して南奥州を併呑した事柄について述べる文章でよく使われているようですね。
そこで,清張さん の6郡と 白桃 さん引用の7郡を比べると

清張:白川石川岩瀬安積×信夫伊達×
白桃:白川石川岩瀬安積安達信夫×田村

というわけで,清張さんには 安達郡 と 田村郡 がなく,白桃さん引用には 伊達郡 がありません。
ちなみに,白河の関以北,海道筋と合流する 名取郡 までで仙道筋にある“明治以降の郡”(消滅したものも含めて)は,

 (西)白河,(東)白川,石川,岩瀬,安積,田村,安達,信夫,伊達,刈田,伊具,柴田

の12郡。12郡のうち,最後の3郡は現在,宮城県の所属です。南部の 白河・白川・石川 3郡は元は「白河/白川郡」1郡だったものが近世までに分割されたもののようで,「白河/白川」の併存とともに,やや錯綜した事柄があるようです。その他,中世の時期には郡の領域や呼称の変動はかなりあったものと思われます。
「独眼竜政宗」には「塩松(四本松)郡」というのが登場していましたが,これは 安達郡 のこと。出羽国の領域になりますが,政宗が生まれた頃,戦国後期の伊達氏の本拠であった 置賜郡 は「長井郡」ですね。ライバルの 羽州斯波氏 が山形盆地(村山地方)を本拠にするのに「最上氏」なのは,戦国時代までは最上川中流において 最上郡 が上流(南)側で 村山郡 が下流(北)側であったものが,近世になって入れ替わったからです。山形は 村山郡 ではなく,最上郡 であったのですね。

さて,南奥州攻略で会津とともに新たに併呑した七郡,という意味であれば,清張さんの「伊達郡」は変です。そもそも伊達氏の“名字の地”。出自の怪しげな国人領主出身の伊達氏にとって(由緒正しい足利一族で羽州探題の最上氏とはエラい違い)本来の領地ですから。
では,引用の七郡でいいかというと,米沢のある 長井郡 と 伊達郡 との間の往来には 信夫郡 もあった方がいいわけで,ここも元からの伊達領であったはず。とすると,この数え方にも少し難があるかもしれません。

よく調べてみると,ここ にあるように,「北仙道七郡」という括りもあるようです。この場合は,信夫・伊達・亘理・黒川・名取・宮城・刈田 の7郡。遅れて豊臣秀吉に臣従した政宗が“本来の領地”として安堵された9郡のうちの奥州分(残りは羽州分の長井2郡)。侵略で得た新領地を放出させられて,本来の領地に封じ込められたとは,まるで敗戦後の日本のよう。この場合の豊臣秀吉役は連合国で,サンフランシスコ条約が「奥州仕置」。
ともかく,ここでは現在の仙台よりも北の黒川郡や,海道筋の亘理郡まで「北仙道」に含まれています。

このほか,上杉景勝が会津転封で得た新領地について「会津4郡+仙道7郡」という表現もあるようです。実際の支配領域とは別に,結局のところ「七郡」には伊達郡が入ったり,田村郡が入ったりするようです。

何となく漠然としたイメージとして「あの辺」というものはあるようですが,具体的にどの郡か,というと意外に曖昧なものなのかもしれませんね。

※後から思いついて,清張さんが6郡なのは 安達郡 がなくなったからかも…,と書きかけたのだけど,1965年に消滅したのは「安積郡」でした。ちなみに,信夫郡が消滅したのが1968年。安達郡は今もまだ残っていますね。
結局,何で清張さんが「安達郡」を落としたのか,謎。

[74108] 2010 年 2 月 7 日 (日) 09:22:46 白桃 さん
 仙道七郡

[1261]Issie さん
「浜通り」「中通り」という地域呼称がいつ成立したか私はわからないのですが,戦国末期から江戸時代を通じて「海道筋(古代東海道の延長,勿来関の先)」・「仙道筋(古代東山道の延長,白河関の先)」という呼称があったようですから,
大変古い記事を持ち出して恐縮ですが、今、読んでいる文庫本には「仙道」という語句が頻繁にでてきます。
松本清張は「奥羽の二人」の中で、
(伊達政宗は)会津四郡と白川、石川、岩瀬、安積、信夫、伊達の仙道七郡をへ併領し、
と書いておりますが、これでは六郡しかありません。
そこで、「仙道七郡」を調べてみると---丁寧には調べてませんが、白川、石川、岩瀬、安積、安達、信夫、田村、となっておりました。
どっちゃでも良いことなんで、そんなに気にはしてませんが、このあたりのこと、もし詳しい方がいればお教えいただければと思います。

※昨日の2時間ドラマの中で十津川警部が、「しらいしざおう」と言ってました。それを聞いた途端、急に眠気がおそってきました。(笑)

おまけ:
[74099]白桃
気のせいか、酔っぱらっている精華、落書き帳の画面の文字が大きくなっております
単に私のPCの拡大レベルが125%になっているだけでした。あ〜恥ずかしい!

[74107] 2010 年 2 月 7 日 (日) 00:00:00【1】 k-ace さん
 「カミチョウ」カラキマシタ

こんばんは、k-aceです。

[73470]グリグリさん「同一名称市町村変遷表」案の類似で、「同一読み市町村変遷表」案の中で特筆すべきものを。
「フジカワ」(庵原郡富士川町、南巨摩郡富士川町)は静岡県では富士市に編入され消滅しましたが約1年4か月の空白の後、山梨県で南巨摩郡2町が合併して誕生します。
さらに限定して、同一都道府県内で「平成の大合併で誕生した自治体名」と同一読みの「平成の大合併で消滅した自治体名」があるところを調べてみました(一部、同一名称とかぶりますが)。但し合併自治体の構成自治体は除く。

併存例
都道府県自治体(読み)新自治体・理由誕生日併存期間消滅自治体・理由消滅日
兵庫県カミ(城崎郡・美方郡3町→)美方郡香美町2005/4/17か月多可郡加美町(→多可郡多可町)2005/11/1
.

消滅後誕生例
都道府県自治体(読み)消滅自治体・理由消滅日空白期間新自治体・理由誕生日
秋田県センボク仙北郡仙北町(→大仙市)2005/3/22約6か月(仙北郡3町村→)仙北市2005/9/20
茨城県サクラガワ稲敷郡桜川村(→稲敷市)2005/3/22約6か月(西茨城郡・真壁郡3町村→)桜川市2005/10/1
長野県ナガワ南安曇郡奈川村(→松本市)2005/4/16か月(小県郡2町村→)小県郡長和町2005/10/1
徳島県ミヨシ三好郡三好町(→三好郡東みよし町)2006/3/1なし(三好郡6町村→)三好市2006/3/1

三好市誕生と同時に東みよし町も誕生だから、三好市と三好町は併存せずということで、消滅後誕生例にしました。

短期間併存例は兵庫県の「カミ」(加美町、香美町)だけでした。その期間中[39565]逆太郎さんの記事の事例もあったようですが。

(追記)
これが私にとって初めての「0時ジャスト」の書き込みです(書き終えたのが前日の23時59分だったので、ついでに狙いました)。

[74106] 2010 年 2 月 6 日 (土) 19:36:51【1】 inakanomozart さん
 Re:ぶらり途中下車の旅

[74105] Issieさん
開通したころは,西船橋を出てすぐのカーブから,ひたすら人気(ひとけ)のない田んぼの真ん中を風を切って突っ走る。
当時、習志野市へ転居した友人宅を訪ねるため、東西線経由で行ったことがあります。
本当に何もなかったですね。

来週,東西線の次は南北線だそうです。
でも,これって,きっと関東ローカルなんでしょうね。
静岡県でも同時放送されていますよ。
(ほかに山梨県、宮城県にも同時ネットされているらしいです。また、BSでも時差放送されていますね。)
そのせいか、何年か前に静岡鉄道静岡清水線が取り上げられたことがありました。

[74105] 2010 年 2 月 6 日 (土) 10:49:17【2】 Issie さん
 ぶらり途中下車の旅:東西線の巻

毎週土曜日の午前中に放送している日本テレビの「ぶらり途中下車の旅」。先週はお仕事で出勤したため([74074] は職場からの投稿だったのでした。だからあさってが代休)視られなかったのですが,今週は東京メトロの東西線。
毎度のことですが,荒川以東の地上区間,沿線風景の変貌に感慨無量です。
開通したころは,西船橋を出てすぐのカーブから,ひたすら人気(ひとけ)のない田んぼの真ん中を風を切って突っ走る。人家があるのは市街地の真上を通過する浦安と,街路に沿った葛西と原木(ばらき)の農村だけ。快速が東陽町までノンストップだったのは当然です。以前にも書いた記憶がありますが,荒川の鉄橋の辺り,荒川と中川の仕切り堤防が海に消え入るさまなど,荒涼とした「地の果て」の趣でした。
今は全区間,普通の市街地ですねぇ。最後まで泥田(稲ではなく蓮の)しかなかった 妙典信号場 のまわりも街になって…。
まあ,私の東西線の沿線風景は30年前で止まってますから。

来週,東西線の次は南北線だそうです。
でも,これって,きっと関東ローカルなんでしょうね。

[74104] 2010 年 2 月 6 日 (土) 10:02:28 伊豆之国 さん
 Winter Again '10

暦の上ではもう春なのに、こちらでもこのところ真冬に戻ったような寒い日が続く今日この頃‥。
このところ書き込みのペースも「今市」芳しくないようなので、今日の話題は「日光」から。

以前、[68596]
福井では水羊羹は冬に食べるお菓子
だということを書き込んでいたのですが、さっきまで見ていたTVの旅番組の中で「日光でも水羊羹を冬に食べる」ということが紹介されていました。そこで、「日光の水羊羹」についていろいろ調べてみると、この店のHPの中で
水羊羹も日光の特産品の一つで、昔は日光の各店鋪も冬しか製造しておりませんでしたが、近年になって冷蔵技術の発達によりそのみずみずしい美味しさを通年味わえるようになりました
とあり、福井と違って現在では夏でも作られているようですが、やはりもともとは「冬のお菓子」だということは確かなようです。

[74103] 2010 年 2 月 5 日 (金) 20:42:45【1】 山野[山野] さん
 合併協解散へ

でるでるさんへ
昨年7月以降から協議を休止している鬼北・松野両町の合併協(法)ですが来月31日を以って廃止される事になりました。
参照記事:愛媛新聞より。

<追加記事>
法定協議会一覧表にて、先月合併した山口市・阿東町の情報が未だに掲載されていますが
既に合併済みですので修正の方をお願いします。

[74102] 2010 年 2 月 5 日 (金) 12:57:32【1】 hmt さん
 火山名:福徳岡ノ場、別名:新硫黄島
hmt 東京都に属する 南の島々

[74100] JOUTOU さん
南硫黄島近海で白煙、新島出現の可能性も(2月4日読売新聞)
少し気が早いのですが、仮にこの場所(硫黄島と南硫黄島の間)に新島ができたとしたら、何と命名するのか興味があります。

南硫黄島 は 東京の南 1200km以上。伊豆諸島・小笠原諸島と連なる島々の最南端です。その先はマリアナ諸島。
高さ 916mもあり、171mの大槌島[72964]よりも はるかに大きい 「海のピラミッド」は、手付かずの自然が残された 貴重な存在のようです。
2007年、硫黄島の読み方変更[59286] に合せて、こちらも「みなみいおうじま」から「みなみいおうとう」になりました。

なお、沖ノ鳥島と南鳥島とは、行政的には 東京都小笠原村に属していますが、地理的には 伊豆・小笠原からグアム島へと続く島列の西と東に およそ 1000kmも 離れています。

その南硫黄島の北東約5kmにある「福徳岡ノ場」([23901]の84)では、1904年以来、海底火山活動が繰り返し観測されており、最近では2005年の活動に際して [42817] KK さん の記事がありました。

1904年〜1905年にかけてと 1914年〜1916年にかけて、それに 1986年には新島「新硫黄島」が出現しています。とくに 1914年の噴火で出現した新島は高さ300m、周囲11.8kmと相当大きな島でしたが、残念ながら2年後には水没しています。

この記事にあるように、過去に島ができており、「新硫黄島」という名で呼ばれていました。

海洋情報部の 海域火山DB から 福徳岡ノ場 に入ると、“日本火山学会発行第四紀火山カタログより”として、“火山名:福徳岡ノ場、別名:新硫黄島”の概要が記されているので、関係者の間ではある程度認められた名前なのでしょう。
【追記】
「日本の第四紀火山カタログ」のWEB版[24080]を思い出し、“別名 新硫黄島”の記載を 原データ により確認。

火山噴出物により海の一部が陸地になり、日本の国土面積が増加するというのは、気分的には 楽しいことです。
しかし、火山の噴火で生まれた新島は、現実には 直ちに利用できる土地ではなく、災害の可能性も伴なう、どちらかというとマイナス面が目立つ自然現象です。

1914年(大正3年)の 桜島噴火 では、南東側火口からの溶岩は海を埋め、1月29日に桜島が大隅半島と陸続きになりました。しかし、北西や西側の集落が蒙った火砕流・溶岩流被害は甚大なものでした。
桜島の昭和溶岩流(1946)、島原市を襲った雲仙平成火砕流(1991)も海岸に達し、少しは日本の面積増加に寄与したかもしれませんが、もちろん被害の方が大でした。

今回の伊豆小笠原海域における海底噴火が報道される理由も、青ヶ島の南に出現した明神礁における第五海洋丸遭難(1952年)【 [23960]の75】 のような海難事故の防止が最大の眼目でしょう。

明神礁の外輪山は、ベヨネース列岩(19世紀にフランス船が命名)ですが、その別名は「ハロース」(波浪の巣)です。
火山で生まれてくる岩礁には、天敵として待ち構える波浪の攻撃にさらされる運命が待っており、自らの爆発でも破壊されます。
「明神礁」は 噴火を報告した漁船に因む名ですが、新しい島は 名前だけを残して 短期間で水没しました。
調査船の全乗員31名殉職という明神礁事件は、1954年の映画「ゴジラ」の中でも取り上げられていました。

大島・三宅島・御蔵島・八丈島・青ヶ島・ベヨネース列岩・鳥島の線を南に延長すると、父島などのある小笠原列島の線よりも少し西に外れた西之島を経て、火山列島(硫黄列島)に至ります。

その西之島近海の海底噴火で 1973年に形成された 西之島新島 は、翌年には更に拡がって西之島と繋がりましたが、国土面積に正式に編入されたのは 1988年でした[57361]。かなり長い間の様子を見て、永続的な陸地と認定されたのでしょう。
この島も波浪による侵食を受け続けていますが、20世紀生まれで、辛うじて生き残った貴重な存在です。[23960]の79

西之島もベヨネース列岩も間違いなく日本の領土ですが、南方四島[22460] 最大の島で、かつては気象観測が行われた鳥島でさえ 現在は利用はされていない のが現状です。[23960]の77

[74101] 2010 年 2 月 5 日 (金) 01:12:46 geo さん
 中国地方旅行記

 こんばんは。
 昨日は立春ということで,もういいかげん暖かくなっていいだろうと思っていましたがそんなことはなく,埼玉では今週だけで2回も降雪に見舞われました・・・。

 
さて本題。もはや毎年恒例となっている年末年始の旅行記を綴りたいと思います。

☆行き先の決定
 今回の旅行では当初,“岡山”と“山口・門司”の2つのプランを考えていました。なぜ岡山かといいますと,今までまともに訪れたことがなく,[68531]でhiroroじゃけぇさんが,
はぁっ。岡山は通過されている・・・。無念(泣)
 と嘆かれているように,過去2年岡山県は“山陽道で通過のみ”でしたので,まあ三度目の正直(?)ということで(笑),もうすぐ工事に入る姫路城と絡めて「姫路→岡山→山陰」のルートを立案しました。
 もうひとつの“山口・門司”は,今まで未踏だった九州に足を踏み入れるという悲願達成のために「門司→山口→広島→山陰」というルートを立案。

 ・・・結局,親の休みが平年より長く取れたこともあり,「門司→山口→広島→山陰」のルートに決定。岡山は3年連続通過になりました。ごめんなさい。


☆1日目:2009年12月27日(日)
 日付が変わって1時半過ぎに自宅を出発,2時に圏央道の川島ICから高速に入り,圏央道・中央道・名神高速・中国道・山陽道・再び中国道と経由し,正午過ぎには関門海峡目前の壇ノ浦PAで休憩。ここから1分もしないうちに関門橋,橋を渡ってすぐの福岡県の門司港ICから高速を降りて,ついに念願の九州上陸です(笑) 一般道を5分ほど走り,最初の目的地“門司港レトロ”へ。旧門司税関などのレトロ建築物や九州鉄道博物館,新名物の焼きカレーを堪能したりしていたら5時近くに。門司港レトロから少し離れて,九州北端の企救半島のさらに端,めかり公園の展望台で九州側から関門橋を展望。もうちょっと暗かったらさらにキレイな景色だったと思います。そこから南に10km下がった門司駅近くのスーパー銭湯で休憩,R3,R2と関門国道トンネルで再び本州に戻り,この日の宿泊地「道の駅 きくがわ」へ。

☆2日目:2009年12月28日(月)
 9時前に道の駅を出発し,30分で下関市街に到着。唐戸市場や下関条約講和記念館,壇ノ浦古戦場を巡った後,関門人道トンネルで再び九州へ。九州では特に何もせずに(笑),来た道を戻りました。山口と福岡の県境表示に少しばかり感動(笑)
 昼過ぎに市街地を出発しR191をひたすら60km北上し,長さ1600mあまりの角島大橋を渡って角島へ。ここも下関市なんですね。島では灯台に上がりましたが,ただひたすら寒かった・・・。
 3時半に島を出発し再びR191を走り,17時過ぎに萩へ。松下村塾と松陰神社を巡ったところで日没時間切れ,萩の中心部巡りは次の日になりました。阿武川温泉で休憩後,「道の駅 萩しーまーと」で宿泊。

☆3日目:2009年12月29日(火)
 ということで朝から萩の城下町巡り。萩城や博物館,毛利家屋敷などを訪れ,14時過ぎには中心部から離れた“日本一標高の低い火山”笠山へ。火口まで降りられる道があるみたいでしたが,フェンスで閉鎖されていました。そんなに危なそうには見えなかったのですが・・・。
 そこから萩有料道路やR262・県道を経由し,16時にカルスト台地の秋吉台へ。ちなみに秋芳洞は入場料金が少しばかり高めだったのでやめました(笑)
 秋吉台からR435・R9を経由して島根県入り,「道の駅 津和野温泉なごみ」で休憩。県道・R186で再び山口県入りして,岩国市山間部の「道の駅 ピュアラインにしき」で宿泊。

☆4日目:2009年12月30日(水)
 ここからは2年前の旅行と結構(というかかなり)被ります。8時過ぎに道の駅を出発し,R186・R2を40km南下し,この日の最初の目的地,錦帯橋へ。2年前と違ってこの日はあいにくの雨でしたが,それはそれできれいでした。他に吉香公園も巡り,11時過ぎに出発,R2を東に進み,正午前に宮島口へ。ここからJRフェリーで宮島に向かいます。大鳥居前を経由して10分で宮島着。昼食には広島本場のお好み焼きを堪能しました。2年越しの念願達成です(笑) 厳島神社ではちょうどいい具合に干潮になり,大鳥居まで歩いていくこともできました。前回とまた違った側面から宮島を楽しめましたね。
 16時すぎに宮島口へ戻り,R2・R54を経由し安佐北区の可部のスーパー銭湯で休憩。さらに北上しこの日の宿泊地,三次市の「道の駅 ゆめらんど布野」へ。

☆5日目:2009年12月31日(木)
 朝起きたら外は極寒の雪景色・・・この冬でもかなり強い寒波が西日本を覆っていたのでした。7時に道の駅を出発し、赤名峠を越えて再度島根県入り。9時過ぎに松江城に到着するも,まさかの猛吹雪。寒さに震えながら天守と隣接する資料館を見学して,正午に松江を出発,13時過ぎに足立美術館へ。そこには2年前とあまり変わらない風景が広がっていました(笑) 本当のところはもう少し他のところで観光したかったのですが,かなりの悪天候でトラブルも少々あったりで,早めに東へ向かうことにしました。というわけでR9をひたすら走り,19時半には兵庫県の「道の駅 但馬楽座」で休憩。21時にはこの日の宿泊地,府県境の「道の駅 やくの農匠の里」に到着,ということでここで年越しです。ちなみにこの日は1日中雪に見舞われたのでした。

☆6日目〜:2010年1月1日(金)以降〜
 8時過ぎに道の駅を出発,R9をひたすら南下です。降り続いていた雪も福知山市の三和あたりでやっと止んで,今年初青空を見ることができました(笑) 11時前に京都市内に到達し,市内中心部を迂回するように西大路通りと北大路通りを走り,R367を抜け,途中トンネル経由で大津市の堅田へ。またもや大原〜堅田で雪に見舞われました。琵琶湖大橋を通過し,湖岸道路へ出ればもう馴染みのある道。彦根までは雪なんてちっとも無かったのですが,米原市に入った途端雪が降り始め,長浜市に入った途端いきなり積雪が。やはり滋賀県の気候って極端ですね・・・。
 15時過ぎに田舎へ到着,ここで旅行は終了です(笑) 編入合併に伴い,この日から長浜市になりました。今年は例年以上の大雪に見舞われ,すでに積雪は70cm超。ひざ上まで雪に埋まり,危うく動けなくなる程・・・。
 翌日は朝から雪除け。雪が重いもんだからこれがかなり重労働でヘトヘトになりました・・・。 そして親戚回り。雪で空き家がつぶれていなくてよかった(笑)
 3日は念願の湖北のスキー場へ。旧余呉町の“余呉高原リゾート・ヤップ”で今シーズン初滑りをしてきました。降雪もあり,積雪も申し分ないのですが,雪質がけっこうベタベタ。ちょっと日本海に近すぎるせいもあったかも・・・(敦賀湾から直線5km)。同時にここも長浜市になったんだなぁと妙な気持ちになりました・・・
 そして4日の正午過ぎに田舎を出発,19時に埼玉に戻り,長い旅行が終了。


 長々と書き綴りましたが,今回はとりあえず,未踏の九州に上陸できたこと,ようやく本場の広島お好み焼きを堪能できたこと,湖北のスキー場で行ったこと,と3つ悲願達成できたので,かなり満足な旅でした(笑)
 今回の旅行で経県値は,福岡県初訪問,山口・広島両県初宿泊に伴い,5点アップの156点となりました。

 ちなみに長浜市になって変わったことですが,正月の合併だったということもあり,田舎滞在中に確認した範囲では,市立湖北病院など避難所の標識が「長浜市」に変わっていた程度で,道路標識などに関しては合併以前のままでした。今現在は変更されているでしょうね,たぶん。あとは除雪が妙に雑になったくらいです(笑)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ここからはマイペースにレス。

[74097] Issie さん
ドラマ「とめはねっ!鈴里高校書道部」
 普段はドラマ,そしてそもそもNHKを見ない私ですが,このドラマは欠かさず見ています(笑)
 というのも原作の単行本は現在6巻まで出ていますが,すべて持っているほど好きな漫画なのです。
 文化系なのにスポ根(しかもライバル校までいる)という今までになかったストーリーもそうですが,漫画ながら読んでいて勉強になったりしますね。

[74100] 2010 年 2 月 4 日 (木) 13:28:20 JOUTOU さん
 東京都の面積が拡がる?

みなさんこんにちは。相も変わらずウダツが上がらないJOUTOUです。(笑)

さて、読売新聞の記事によると・・・
南硫黄島近海で白煙、新島出現の可能性も(2月4日読売新聞)
3日午前7時45分頃、東京都小笠原村・南硫黄島の北北東約5キロの太平洋で、煙が上っているのを第3管区海上保安本部(3管)の巡視船が発見した。(中略)東京工業大学の野上健治教授(地球化学)の話「1986年の噴火では軽石などの噴出物が積もって新島ができた。島は波で流されたが、その後の海底隆起で、99年には水深が22メートルまで浅くなっていた。火山活動の活発さを考えると、今回は安定した島になってもおかしくない」
とのこと。

少し気が早いのですが、仮にこの場所(硫黄島と南硫黄島の間)に新島ができたとしたら、何と命名するのか興味があります。場所が場所だけに方角で表現するのは妥当ではなさそうなので「新硫黄島」とか「平成新島」とかいったところでしょうか?


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