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落書き帳


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[75399] 2010 年 6 月 24 日 (木) 23:15:16【1】 88 さん
 市区町村変遷情報 苦悩日記 No.19 市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法について(完結編)

たいへん遅くなりました。

昨年末から提起していた、市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法についての完結編です。
過去の関連記事はこちらです。oki さん、むっくん さん、いろいろとご意見をいただき、ありがとうございました。また、取りまとめが遅くなってしまい失礼いたしました。
次のとおり方針を確定させていただきます。
(大量の編集作業実施に際し微修正はあるかもしれませんが、基本スタンスは変えないつもりです。)

――――――――――――――――――――
正直言って、ほぼ[74139] okiさんの意見のとおりです。
「近世村」(≒大字)に主眼を置く、ということです。

1 市制町村制施行時(県令等で判断)
(1) ○○村(本)、○○村(微)
・ 「飛地」「飛入地」「差込地」等、明確に表現で「本体地域」「微小地域」を判断できる場合
・ 「地番」「反別面積」「字(小字)」など、範囲等が「本体地域」「微小地域」であることを推認できる場合
(2) ○○村の一部、○○村の一部(※(本)(微)の区別をしない)
・ 近世村自体が2以上の集落で成り立っており、市制町村制時に分割される場合
・ 元々2以上の近世村が、市制町村制前に合併していた場合
・ 「本体地域」「微小地域」を推認することが困難なくらい大きい場合
(※(1)か(2)かを迷うような場合は、「(本)」「(微)」ではなく、「○○村の一部」を選択する)

2 市制町村制施行時以降(府県告示、自治省告示等で判断)
(1) ○○村(本)、○○村(微)
・ 「近世村の範囲未満の部分」(○○村(微))と「それ以外」(○○村(本))となることが表現から判断できる場合
(2) ○○村の一部、○○村の一部(※(本)(微)の区別をしない)
・ 近世村単位で分割される場合
・ (近世村単位ではないものの)大字単位で分割される場合
・ 「本体地域」「微小地域」を推認することが困難なくらい大きい場合
(※(1)か(2)かを迷うような場合は、「(本)」「(微)」ではなく、「○○村の一部」を選択する)

――――――――――
[74035] 拙稿で、前回での案に基づき、香川県の市区町村変遷情報の編集作業を試行したことを述べました。
今回、改めまして、上記方針に合わせて再修正しました。この香川県の例と同様に、各府県へと展開していく予定です。どんな感じになるか、参考までにご覧ください。
市制町村制施行時(香川県)市制町村制施行時以降(香川県)

★市制町村制施行時(M23.2.15)
1 ○○村(本)、○○村(微)
(1)「飛地」と県令に明記されている例
 ・・・事例なし
(2)「地番」「反別面積」「字(小字)」など、範囲等が「本体地域」「微小地域」であることを推認できる場合
・(旧)香川郡東浜村・・香川郡東浜村は東浜村(本)、高松市は東浜村(微)
・(旧)香川郡中村・・香川郡栗林村は中村(本)、高松市は中村(微)
・(旧)香川郡出作村・・香川郡多肥村は出作村(本)、香川郡百相村は出作村(微)
・(旧)山田郡高野村・・山田郡坂ノ上村は高野村(本)、山田郡三谷村は高野村(微)
・(旧)大内郡湊村・・大内郡白鳥村は湊村(本)、大内郡松原村は湊村(微)
・(旧)那珂郡津森村・・那珂郡六郷村は津森村(本)、那珂郡丸亀町は津森村(微)
2 ○○村の一部、○○村の一部(※(本)(微)の区別をしない)
(1) 近世村自体が2以上の集落で成り立っており、市制町村制時に分割される場合
・(旧)三野郡本大村・・豊田郡一ノ谷村は「本大村の一部」(川西)、三野郡本山村も「本大村の一部」(川東)
(川西と川東に二分割)
(2) 元々2以上の近世村が、市制町村制前に合併していた場合
 ・・・事例なし
(3) 「本体地域」「微小地域」を推認することが困難なくらい大きい場合
 ・・・事例なし
★市制町村制施行時以降
1 ○○村(本)、○○村(微)
(1) 「近世村の範囲未満の部分」(○○村(微))と「それ以外」(○○村(本))となることが判断できる場合
・S30.1.1付け(旧)綾歌郡川津村・・坂出市は川津村(本)、綾歌郡飯野村は川津村(微)
・S30.5.3付け(旧)綾歌郡飯野村・・丸亀市は飯野村(本)、綾歌郡宇多津町は飯野村(微)
鵜足郡飯野村(後の綾歌郡飯野村)は近世村である東分村,西分村及び東二村の3村の合併。このときに元の東分村が分割され、丸亀市へ編入された(旧)飯野村は現在の「丸亀市飯野町東分」「丸亀市飯野町西分」「丸亀市飯野町東二」。宇多津町へ編入された(旧)飯野村は現在の「綾歌郡宇多津町大字東分」(その後一部境界変更あり)(参考地図)
2 ○○村の一部、○○村の一部(※(本)(微)の区別をしない)
(1) 近世村単位で分割される場合
・S30.4.10付け(旧)三豊郡紀伊村・・三豊郡大野原町は「紀伊村の一部」(大字丸井,大字福田原及び大字青岡)、観音寺市も「紀伊村の一部」(大字木之郷)
※現在の「観音寺市大野原町丸井」「観音寺市大野原町福田原」「観音寺市大野原町青岡」「観音寺市木之郷町」(参考地図)
(2) (近世村単位ではないものの)大字単位で分割される場合
 ・・・事例なし
(3) 「本体地域」「微小地域」を推認することが困難なくらい大きい場合(※迷った場合はこちら)
・S33.3.31付け(旧)仲多度郡象郷村・・善通寺市は「象郷村の一部」(大字上櫛梨の大半、大字下櫛梨の大半)、仲多度郡琴平町も「象郷村の一部」(大字苗田の全部、大字上櫛梨の一部、大字下櫛梨の一部)
(4) その他
・S24.1.1付け、三豊郡観音寺町の一部(大字伊吹)が分立して三豊郡伊吹村発足
※大字伊吹は近世村では豊田郡伊吹島村

――――――――――
久々に、市区町村変遷情報の(一定規模の量の)編集作業及びちょっと長文の投稿となりました。「忘れかけていた『感覚』」を少し思い出しました。

[75398] 2010 年 6 月 24 日 (木) 22:23:54 ニジェガロージェッツ さん
 極東地方の分割

[75395]にて,k-aceさんの書かれた豊原市関連の日付の間違い指摘をしておきながら,私自身の過去記事にも間違った日付を書いていたことに最近気付きました。この場を借りて訂正させていただきます。

ニジェ[9178]にあるサハリン州のデータについてですが,その創設を
1932年9月20日
としてしましたが,正しくは1932年10月20日です。
[9178]を書いた当時,参考にしていたロシアのサイトМой Городサハリン州には1932年9月20日と書かれており,これを鵜呑みにした格好ですが,ロシア側の各種資料を多く当たっていると,どれも10月20日になっており,また同日付で極東地方(当時)の内部にはサハリン州を含めて4州設置されています。

なお,このサハリン州については,もちろん日本領土であった南樺太を含まない,北樺太だけの州です。このサハリン州が,日本から強奪し新設した「南サハリン州」を編入した経緯は前稿[75395]に記しました。ただ,前稿にちょっと触れている,今では別の行政体であるハバロフスク地方との絡みが分かり難いかもしれないので補足しておきます。

小生も永らく疑問に感じていたのが戦前の極東ソ連領の「州」についてであり,今ある「ハバロフスク地方」や「アムール州」などとは全く違っている州割りとなっていました。古い戦前の満州国周辺の地図に,「ウスリー州」とか「ゼーヤ州」など,今の地図では見られない州が多数存在しており,どのような変遷でこれらが今の行政区画になったのかが分かりませんでした。最近になっていろいろな資料を当たっているうちに,ようやくその疑問が以下のように解けてきました。

1929年当時,現在のロシア極東連邦管区の範囲にあったのは,1922年4月27日創設でヤクーツク市を首都とする「ヤクート自治共和国」(参考[9740])と,1926年4月1日創設でハバロフスク市を首都とする「極東地方(ダリネヴォストーチヌイ・クライ)」の2つでした。
今ではオホーツク海に面したハバロフスク地方およびマガダン州と,北極海に面したサハ共和国の境界は,両海の分水嶺よりもかなり北に入り込んでいますが,当時のヤクート自治共和国と極東地方は分水嶺を境界にしていました。また,極東地方には一時極東共和国の首都でもあったチタ市周辺までをも含んでいましたが,1930年7月30日にイルクーツク市を首都とする「東シベリア地方」の新設があり,チタ周辺はそちらに移管されました。

そして1930年12月10日,極東地方に含まれる形で,その北東部に次の3つの民族管区が新設されました。
「オホーツク=エヴェン民族管区」・・首都:ナガエヴォ → オホーツク
「コリャーク民族管区」(参考[9299]
「チュコト民族管区」(参考[9493]

「オホーツク=エヴェン民族管区」は,当初ナガエヴォ村(現在のマガダン市の港湾部分)を首都としていましたが,翌年オホーツク村(現在のハバロフスク地方オホーツク町)に移っています。この時,極東地方とヤクート自治共和国の境界は,現在のハバロフスク地方とサハ共和国の境界の線まで移動しています。

続いて1932年10月20日,極東地方内部に4つの州の設置がありました。
「アムール州」(参考[9125]
「サハリン州」(参考[9178])・・州都アレクサンドロフスク=サハリンスキー市
「カムチャツカ州」(参考[9299])・・既存のコリャーク,チュコト両民族管区が従属
「沿海州」・・州都ウラジオストク市

更に1934年5月7日,極東地方に含まれる形で「ユダヤ自治州」(参考[8825])が設置され,その46日後の1934年6月22日,極東地方内部に4つの州の設置がありました。
「ゼーヤ州」・・州都ルフロヴォ市(現在のアムール州スコヴォロジノ市)
「ハバロフスク州」・・州都ハバロフスク市
「ニジネアムール州」・・州都ニコラエフスク=ナ=アムーレ市
「ウスリー州」・・州都ニコリスク=ウスリースキー市(現在の沿海地方ウスリースク市)

以上,これでもって極東地方の内部は「8州,1自治州,3民族管区」に区分されました。

しかし,それも束の間,「オホーツク=エヴェン民族管区」が1934年9月15日に廃止され,その西部はニジネアムール州に,東部の現在のマガダン州に相当する領域は極東地方直轄地になりました。これには「死のコリマ街道」とも呼ばれた,マガダンに本部を置く「ダリストロイ」と呼ばれる金鉱山開発組織との関連が指摘されています。

その後,1937年9月26日に東シベリアにチタ州[11606]の設置があり,同日,極東地方のゼーヤ州はチタ州に併合され消滅しました。
そして,1938年10月20日に極東地方そのものが廃止となり,北の「ハバロフスク地方」(参考[8720])と,南の「沿海地方」(参考[8619])に2分割されました。
沿海地方には「沿海」と「ウスリー」の2州が含まれ,それ以外の5州,1自治州,2民族管区はハバロフスク地方に引き継がれました。

その後,これらの「小さな州」が相次いで廃止されたり,一方でハバロフスク地方から分離されていきます。
沿海地方では
・1939年6月5日,「沿海州」を廃止
・1943年9月18日,「ウスリー州」を廃止
・1948年,ソヴィエツカヤ・ガヴァニ周辺をハバロフスク地方に移管

ハバロフスク地方では
・1939年5月,「ハバロフスク州」を廃止
・1946年2月2日,日本からの占領地に「南サハリン州」設置[75395]
・1947年1月2日,「サハリン州」に「南サハリン州」を併せ,ハバロフスク地方より分離独立
・1948年,ソヴィエツカヤ・ガヴァニ周辺を沿海地方より編入
・1948年2月,「アムール州」にチタ州内の旧「ゼーヤ州」の領域を併せ,ハバロフスク地方より分離独立
・1953年12月3日,北部直轄地に「マガダン州」[9430]を設置し,カムチャツカ州に属していたチュコト民族管区をマガダン州に移管し,ハバロフスク地方より分離独立
・1956年1月23日,「カムチャツカ州」は「コリャーク民族管区」を併せたまま,ハバロフスク地方より分離独立
・1956年1月23日,「ニジネアムール州」を廃止

大体上記のような経緯で,ソ連末年までの行政区画が完成した訳ですが,一連の流れの中で,州界などの一部には更に細かな変更もあったことを含み置きください。異論,訂正があればお聞かせいただければ幸いです。
なお,当初の「民族管区」という呼称は,1980年に「自治管区」と改称されています。

ソ連解体に前後して以降では,
・1991年,「ユダヤ自治州」がハバロフスク地方より分離独立
・1992年4月27日,「サハ共和国」が共和国宣言
・1992年6月17日,「チュコト自治管区」がマガダン州から分離独立
・2007年7月1日,「カムチャツカ州」と「コリャーク自治管区」が合併し,「カムチャツカ地方」が成立
現在に至っています。

[75397] 2010 年 6 月 24 日 (木) 21:32:13 おがちゃん さん
 福島への道

こんばんは。おがちゃんです。

最近はだんだんと暑くなってきました。ようやく通学にも慣れ、いよいよ「夏」だと感じることが多くなってきました。

さて、そんな中、僕の学校では7月の真ん中に尾瀬を訪れることとなります。初めての尾瀬なのでどのような植物が生息しているのか、どのような環境なのか楽しみなのですが、個人的にはもっと楽しみなことがあります。
そう、それはいわゆる「越県行為」です。
福島には10年ほど前に行ったことがありますが、その時は栃木県から入りました。そのため、群馬県から直接福島県に入るのは初めてなのです。群馬と福島の県境は5年ほど前に流行った「行ったことがある県境」について幾度となく話題となりましたが、国道も県道も点線であるため尾瀬以外から通る道はなく、鉄道も通らないことから、この掲示板の猛者たちでも立ち入った方は少ないとされている所です。
そのため、今からすでに興奮しております。
それにしても、尾瀬に行くことで楽しみなことの一つに「県境」とはドン引きされそう・・・。

もっとも、尾瀬をエンジョイする前にテストという難関がありますが・・・。

#いつか、日本の88の県境全部に訪問してみたいなぁと思うおがちゃんなのでした。それを考えると去年のオフ会の石島・井島ツアーは非常に羨ましいです。

ではでは。

[75396] 2010 年 6 月 24 日 (木) 20:38:59 wicth さん
 はじめまして!

こんばんは。初投稿です。よろしくお願いします。

[75395] 2010 年 6 月 24 日 (木) 00:17:25 ニジェガロージェッツ さん
 豊原市の誕生と消滅

[75363] 2010 年 6 月 17 日 (木) 00:17:52 k-ace さん
一覧表に樺太・豊原を加えておられるのが嬉しくてたまりません。ただし,誤記はいただけません。
#だれか詳しい人が間違いを指摘してくれるものと期待していましたが,どなたも放置のようですから,のこのこ出てきました。
表形式のまま引用したかったのですが,要点のみ分かりやすくするため表を崩しています。あしからず。

豊原郡 (郡消滅年月日)1942/11/--?
まず,豊原郡の消滅については,当方これを精査する詳しい資料を持ち合わせておらず,断言できません。
豊原郡豊原町が豊原市になった1937年7月1日,同時に(豊原町を失った)豊原郡が北に隣接する栄浜郡と統合して豊栄郡となったとする説明もしばしば散見されますが,同日付の昭和12年樺太庁告示第144号(雪の字さんのサイト「樺太日和」より)には
豊原郡の区域を左の如く改む
とあり,豊原市設置以降も豊原郡が存在していたことを示しています。
この日に「豊原→豊栄」と変更になったのは支庁名であり,前出の昭和12年樺太庁告示第144号の冒頭に
「豊原支庁」を「豊栄支庁」に改む
とあります。
その後1942年11月1日に樺太庁の8支庁が4支庁に再編成され,豊栄支庁は南の大泊支庁と合流し新たに豊原支庁となっています。k-aceさんが豊原郡消滅年月日を 1942/11/--? としておられるのは,この日に合わせてのことでしょうか。

豊原市 (市誕生日)1937/4/1 (市消滅日)1945/8/--?
豊原市の設置(豊原町を廃止し,7月1日から豊原市をおく=1937年6月29日付,昭和12年樺太庁告示第138号)は前述の通り 1937/7/1 の間違いです。落書き帳には今年に入って紅葉橋律乃介さん作成の一覧[74352]にも提示されており,私も以前[4059]に書いていました。

一方,豊原市の消滅が1945年の8月中というのは,少し早すぎます。
ウィキペディアの豊原市のページには,その廃止日を1949年6月1日とし,廃止理由として国家行政組織法の施行のため(領有権の放棄)としていますが,小生は法律に疎いのでここでは置いておきます。

1945年8月以降の現地の状況を追っていくと,豊原にソ連軍の魔の手が及んだのは,樺太各地からの避難民でごった返していた豊原駅前を8月22日15時30分から16時20分にかけて,降伏を示す白旗が各戸に翻っているのを無視して,ソ連軍機Tu-2型6機,Yak-9型3機で非情にも空爆したのに始まります。既に停戦後のことでもあり,翌23日23時にソ連軍の先遣部隊500名が列車で豊原入りし進駐を開始し,24日早朝には鉄道の踏切などに警戒の兵を展開しています。国道を南下した戦車隊が市内に入ったのはこの後のことで,NHK豊原放送局や新聞社,金融機関が接収され,ソ連軍の軍政が始まったのは8月27日のことでした。
(樺太一九四五年夏 金子俊男著 1972年講談社)

では,その時点で豊原が(ソ連側から見ても)ソ連領になっているのかと言えば,それは違います。当然,豊原市も存在しています。
北海道総務部行政資料室が1971年に編集した「樺太基本年表」によれば,「12月6日,南樺太衛戍司令官アリモフ少将,樺太庁,豊原支庁,豊原市役所視察」とあり,そして「1946年2月20日,ソ連,樺太・千島の領有宣言」と書かれています。

一方,ユジノ=サハリンスク市の公式ウエブサイトにИстория города(街の歴史)のページがあり,ここにロシア側の行政の移り変わりが述べられています。
それによれば,
=====
・1946年1月,2月,日本の行政県(ニジェ注:樺太庁のこと),市町村行政機関を廃止
・1946年2月2日,ソ連最高会議幹部会令により南サハリンおよび千島列島の領域にハバロフスク地方に属する南サハリン州を設置し,その州都をトヨハラ市とする
・1946年6月4日,トヨハラ市をユジノ=サハリンスク市に改称する
・1947年1月2日,ソ連最高会議幹部会令により南サハリン州をサハリン州(州都・アレクサンドロフスク=サハリンスキー市)に統合し,サハリン州をハバロフスク地方より除外
・1947年4月18日,サハリン州州都をユジノ=サハリンスク市に移転
=====
と書かれています。
このことから,ロシア側の情報から樺太の現地では,豊原市の廃止は1946年2月ごろ,より具体的には2月2日の南サハリン州の設置に合わせてのことと推察します。

繰り返しますが1945年8月のことではありません。

[75394] 2010 年 6 月 23 日 (水) 23:01:03 オーナー グリグリ
 Re:不具合報告

[75383] EMMさん
[75382]に誤字があったので修正しようとしたら気づいたのですが、書込訂正をしようとすると元の記事にあった「外部サイトへのリンク」が消えたものが表示される…と言う症状が出ました。
この記事だけたまたまなのか、他の記事に関してもこうなるのかは分かりません。
ご指摘ありがとうございました。
返信が遅くなりましたが、一昨日、原因を確認し対応しましたのでご確認いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

[75393] 2010 年 6 月 22 日 (火) 10:17:30 Mujon さん
 若秩父

[75389] 白桃さん

この関取、ここの出身だったのですか。出身地をしこ名にしていたのですね。
前の理事長だった前・二子山さんが現役で若乃花だった頃、同じ花籠部屋にいまして、三番稽古の相手には事欠かないと、その名を覚えました。大相撲についての書籍からです。

それにしても大相撲は今、史上最大に揺れてますね。名古屋場所、やれるのだろうか。
私は行く予定はありませんが、親類が茶屋を通じてきっぷを買っているようです。

[75392] 2010 年 6 月 22 日 (火) 06:48:34 白桃 さん
 トン、ナン、シャ

昨日、静岡県から6月1日現在推計人口が発表されましたが、相変わらず浜松市の人口減少が続いております。
それはそうと、市町村人口の順位を見ると、30位から32位までが以下の通りになっております。
30位-東伊豆町14,359人
31位-南伊豆町9,479人
32位-西伊豆町9,417人

[75391] 2010 年 6 月 21 日 (月) 23:49:30 白桃 さん
 隔世の感

昨日のTVで「一番住んでみたい町」決定戦を見ていたら、北鎌倉、千歳烏山、牛込神楽坂、等々の人気スポットの中に、わが町「新浦安」が入ってました。(注:住んでみたい、といっても首都圏でのハナシ)
で、今日、寅さんシリーズ「柴又慕情」を見ていたら・・・
ふてくされて「とらや」を飛び出した寅さんが不動産屋で安い下宿を探すくだり・・・
不動産屋のオッサン(青空一夜)が従業員に「どっかない?浦安あたりにでも・・・」と訊ねる・・・。そうなんです。この映画(マドンナ役は吉永小百合)が公開されたのは1972年。
その頃の浦安といえば、葛飾柴又から見ても「安っぽい処」だったのでしょう。そして新浦安なんか陸地じゃ無かった。そういえば、カミさんのお母さんが「わざわざ浦安から新橋に魚売りが行商に来てたわヨ」って、浦安のことを小馬鹿にしてたっけ。もっとも、ウチに同居するようになったとき、新橋からその魚屋さんの車に乗せてもらって来たのだから可笑しくって・・・。

蛇足:松竹公式サイトで「柴又慕情」のロケ地の一つが、「岐阜県多度津」になっていたけど、多治見か八百津の間違いでは・・・。

[75390] 2010 年 6 月 21 日 (月) 23:03:12 futsunoおじ さん
 地名コレクションについて

EMM さん

「自治体の最高点コレクション」を承認いただきありがとうございます。近日中に収集できた範囲での暫定版を公開して進めていきたいと思います。
「地名自治体コレクション」については現状では無理がありそうですので、機会を改めて考えたいと思っています。

[75389] 2010 年 6 月 21 日 (月) 22:41:37【1】 白桃 さん
 ♪父は泣いちっち、記念「父の日」後夜祭スペシャルクイズ

まずは、「hmtマガジン」誕生おめでとうございます。

さて、昨日は父の日でしたが・・・
ワールドカップ、あまり関心をもって見ていないのですが、相変わらずセルビアにはナントカビッチ、ボクワナイチッチ、というように最後が「ッチ 」の名前が極端に多いですね。

そこで、クイズです。
我が国の市で、「チチ」と「お父さん」しか居ないのではないかという市があります。
それは、どこでしょう?
無用と思いますが一応ヒント:
ココ出身の力士は、セメントならぬ「お塩」が大好きで、わしづかみにして高々と撒いてました。そして、なぎらけんいちのアノ放送禁止歌の主人公にもなっています。

あまりにもバカバカしいクイズですので、解答はいたしません。かわりに駄句を一句。
・・・父の日に 自分で買うた 酒を注ぐ

[75388] 2010 年 6 月 21 日 (月) 19:05:27 hmt さん
 「hmtマガジン」誕生

昨日オーナーグリグリさんからのアナウンス[75381]があったように、「hmtマガジン」 が 落書き帳アーカイブズのリニューアル企画として 誕生しました。

スタート直後の現在は、僅かに下記の2テーマ、4特集ですが、追々充実させてゆくつもりです。
テーマ:都道府県
 特集:都道府県
 特集:「府県」が「地名」に使われるようになった事情を探る
テーマ:面積
 特集:国土の面積
 特集:「面積調」から探る市区町村の変容

落書き帳アーカイブズは、従来の状態で使えますから、引き続きご利用ください。

以下、蛇足
落書き帳に参入して約9ヶ月後の2004年に、[28768]“勝手にアーカイブズ”と題して、リンク形式で自分の記事をまとめたことがあります。

その翌年には、複数記事引用にタイトルを付けて ミニアーカイブズを作成する手段[41196]が提供され、これを早速利用したのが [42326]地理化学科? でした。
URL が glin のままになっているので、現在はリンク切れですが、ほぼ同じ内容が 提案アーカイブズ に採用されています。

このような歴史を持つ hmt の アーカイブズ作りも、遂に今回のような形で正式のものになったわけです。

[75387] 2010 年 6 月 21 日 (月) 04:33:08 ピーくん さん
 市制

石川県石川郡 野々市町の市制移行についての動き
2010/4/1〜2010/4/20 市制の施行へ向けた住民意識調査実施(全世帯対象)
結果の概要 市への昇格について 良いと思う89.7%良いと思わない7.7%不明・無回答2.6%
新市名を「野々市市」とする案に対して 適当であると思う65.6% 不適当であると思う
13.6% その他18.0% 不明・無回答2.0%
主な新市名称へのその他意見 ののいち市,石川市,野々市,椿市,つばき市,野々いち市 など
詳細

2010/5/11野々市町新市名称検討委員会が新市の名称は「野々市市」が適当との答申
詳細

2010/6/11町長が町議会で新市名について野々市市が適当との考えを表明
北國新聞
市制移行時期は2011(平成23)年11月以降

福岡県筑紫郡那珂川町の市制移行についての報道
朝日新聞
今年10月の国勢調査時点での5万人の突破について厳しい様子です。

オーナー グリグリさん、でるでるさん更新よろしくお願いします。

[75386] 2010 年 6 月 21 日 (月) 04:03:37【2】 ピーくん さん
 中核市

群馬県高崎市の中核市指定についての動き
2010/4/5高崎市が群馬県に「中核市指定の申出」の同意を申入れ
2010/6/15群馬県議会が「中核市指定の申出」同意議案を可決
2010/6/22(予定)群馬県から高崎市に「中核市指定の申出」について同意
高崎新聞
リンク先の修正☆高崎市:中核市推進室

沖縄県那覇市の中核市指定についての動き
2010/4/1市長事務局 企画財務部行政経営課 中核市移行準備室設置
市の組織
2010/4/23那覇市が沖縄県知事に中核市移行への協力を要請

移行目標時期は平成25年4月予定となっています。
詳細

大阪府豊中市の中核市指定についての動き
ページの開設☆豊中市:中核市にむけて

オーナー グリグリさん、でるでるさん更新よろしくお願いします。

修正 前橋市→高崎市
すみません。
修正2 リンク修正
すみません。

[75385] 2010 年 6 月 21 日 (月) 01:03:42 EMM さん
 EMMの地名コレクション編集メモ・第174号

[75384] futsunoおじさん

新規地名コレクションのご提案ありがとうございます。
(1).「自治体の最高点コレクション」
こちらはご提案のまま行けると思います。
「視覚系」に入れたいと思います。
(2).「地名自治体コレクション」
問題はこちらです。
「砂丘」コレクションなどで「面的な地形名」の位置範囲やネーミングのあやふやさが身にしみている身からすると、できればお止めしたいのが本音です。
特に過去に大論争に至った事のある「○○平野」の妖しさ加減は半端ではないです。
かなり覚悟をもって臨まないと収拾がつかなくなる可能性が高いと考えます。
また、「加賀」のように自治体名を含む地形名の多くがその自治体の外に位置する、なんてものもありまして…もし拾うものと拾わないものに分けるとすると「その基準から恣意性をどこまで低減できるか」が悩ましそうですし、そういうのはそもそも「拾う意義がどこまであるか?」という疑問もあります。
大変申し訳ありませんが、ご提案頂いた内容そのままでは不採用と言うことでご了承ください。

[75384] 2010 年 6 月 20 日 (日) 23:24:56 futsunoおじ さん
 地名コレクションの追加提案

EMM さん

地名コレクションとして以下の2つを始めたいので提案いたします。

(1).「自治体の最高点コレクション」
内容としては[75137] を全市区町村に拡大して、地図上から標高データを収集します。収集しにくい平地自治体はとりあえず後回しにしてと考えています。数県で試みた範囲では比較的短期間で出来そうです。

(2).「地名自治体コレクション」
自治体名称又は行政区分名称とこれと同名の自然地形などがそれぞれひとつ以上存在するものを対象にします。
例えば「石狩」という地名には石狩市,石狩郡,石狩振興局(旧支庁)があり、自然地形名称では石狩湾,石狩平野,石狩川,石狩岳,石狩山地 がありますので、これがコレクションの1件になるという具合です。
構想はだいぶ以前から持っていたのですが、なかなかやる気にならなかったので提案をしてから動き始めようと思っています。公開できるのは半年くらい先のつもりでいます。

[75383] 2010 年 6 月 20 日 (日) 23:24:20 EMM さん
 不具合報告

>オーナー グリグリ様

[75382]に誤字があったので修正しようとしたら気づいたのですが、書込訂正をしようとすると元の記事にあった「外部サイトへのリンク」が消えたものが表示される…と言う症状が出ました。
この記事だけたまたまなのか、他の記事に関してもこうなるのかは分かりません。

[75382] 2010 年 6 月 20 日 (日) 22:56:03【2】 EMM さん
 地名コレクション関係レス2件

[75351] むっくんさん

遅くなりましたが、ご案内頂きました「鳥居岬」を採用させて頂きました。
ただし、実は峠関係は「希少地名(一般)」コレの方にある(「希少地名」コレを3分割する際に山の方に入れなかった)ので、「希少地名(一般)」コレに追加をしております。
ギリで「山頂系の峠」のようでもあるのですが…ちょっと悩ましいですねぇ。
やや古い地形図などでは「鳥居峠」とかかれていたこともあるっぽいです。(参考サイト
予備知識がなければ「岬」の方が誤植だと思ってしまいそうです。

あと、地図リンクはウオッちずにしました。
やはりYahoo!地図が旧アルプス社の地図からゼンリンの地図に変わってしまったのがイタい。
町・大字の区域が表示されなくなったの方に目が行ってしまいがちですが、これはMapion(こっちも地図はゼンリン製)を使うという手があります。
むしろ「国土地理院の1/25000地形図にある地形名が網羅されてない」方がEMMとしてはヒッジョーにキビシー!
ゼンリン製のネット地図はデザインや主力となっている情報が違うものがいくつもありますが(いつもNavi、Googleマップ、Mapion等々。「新」Yahoo!地図はいつもNaviに近いような)、自然地形名に関してはどれも大差無いんスよね。う゛ーん。
自然地形名は基本的にウオッちずを使っていくことを考えていかなければならないのかなぁ。

#「旧」Yahoo!地図が無くなった訳では無いんですよね。
「ワイワイマップ」や「Yahoo!グルメ」などで使われているものは今でも「旧」の地図です。
つまり旧アルプス社製の地図はYahoo!内コンテンツでの使用に限られてるようになったろいうことでして…もしかすると「ユーザーの囲い込み」をしようとしているのか?と勘ぐってしまいたくなります。

##鳥居岬の南の方にある264.7mの三角点のあるピークは「十州台(としまだい)」というらしいです(参考サイト)。
これも採用するかどうか検討してみよう…

−−−−−

[75369] らるふさん
「穴水盆地」ですが、「用例として書籍が1冊あるが他にはない」ということですね。これでは判断が難しいのでしばらく「検討中」とさせてください。
正直言うと、能登半島地震関連のサイトを見つけるまでは「参考情報」または「情報提供未遂」として投稿するつもりでした。
ただ、地震関連のサイトでは「地層中の盆地状地形」としての表現のようでもあるので、書籍中の「盆地」とはイコールのではないのかもしれません。
そういった点も検討して頂ければありがたいです。

[75381] 2010 年 6 月 20 日 (日) 21:21:06 オーナー グリグリ
 ☆☆マガジン第一弾「hmtマガジン」誕生♪☆☆

さて、長らくお待たせしていました落書き帳アーカイブズのリニューアル企画がオープンしました。名付けて「hmtマガジン」誕生です。マガジン編集長はhmtさんです。hmtさん、よろしくお願いします。

hmtマガジン: http://uub.jp/hmt/

hmtマガジンは7万件を超える落書き帳記事の中から、hmt編集長がストーリィに沿って記事をピックアップし、新たな特集ページとして仕立て上げたものです。特集はテーマによってグルーピングされます。hmt編集長の個性によって面白い特集が続々と誕生することと思います。皆さん、期待しましょう。

なお、hmtマガジンのトップページ説明を読んでいただければ分りますが、落書き帳アーカイブズにつきましては、現状のまま凍結いたします。敢えてアーカイブズ企画を編成し直すことはやめ、同様の構成ではありますが、より編集長の個性を生かしたマガジン企画として新生展開したいと考えています。マガジンはどんどん増やすことができます。私もマガジン編集長になりたいという方がいらっしゃいましたら、どうぞ名乗り出てください。あるいは、こっそりメールを私に送ってください。マガジンの名前とURLに使う3文字を決めていただければスタートできます(実際はロゴ作成など少し時間を頂きます)。

なお、マガジン企画については、アーカイブズにあった推奨機能など一部の機能がまだ組み込まれていません。当面、手作業などでカバーする部分もありますが、できるだけ早く手が掛からないようにしたいと考えています。

マガジン企画についてのご意見やご感想をお待ちしています。

[75380] 2010 年 6 月 20 日 (日) 21:09:48 星野彼方 さん
 地名コレクション更新しました & 平荘湖

報告が遅くなりましたが、私担当の地名コレクションのいくつかを更新しました。いずれも[75351] むっくん さんの記事が情報源です。むっくんさんありがとうございました。

まだまだ収録されていない地名が隠されていると思います。皆様発見しましたら落書き帳まで報告よろしくお願いいたしします。

[75379] 2010 年 6 月 20 日 (日) 20:50:20 hmt さん
 Re:業務連絡♪

[75371] オーナー グリグリ さん
アーカイブズリニューアルを最優先で作業しており

ありがとうございます。
メールをお送りしました。

[75378] 2010 年 6 月 20 日 (日) 19:38:39 オーナー グリグリ
 Re:合併情報

さっそくのコメントをありがとうございます。

[75377] BANDALGOMさん
早速ですが、[75340]アルバトロスさんからの情報「南足柄市が小田原市との先行合併を希望」が抜けております。
この情報ですが、こちらにあります。この情報だけで新しい情報エントリーを作成するのはどうかなと思いますし、かといって、この情報だけで「県西地域合併検討会」を予定情報に復活させる訳にもいかないでしょう。このあたり見せ方として悩ましいところです。
正しくは平成23年(2011年)8月1日です。
こちらはミスでした。修正しました。ご指摘ありがとうございました。

[75377] 2010 年 6 月 20 日 (日) 17:35:42 BANDALGOM さん
 合併情報

[75375]グリグリさん

更新作業お疲れ様です。
早速ですが、[75340]アルバトロスさんからの情報「南足柄市が小田原市との先行合併を希望」が抜けております。

ソースはこちらです。

それと、松江市・東出雲町合併協議会の合併期日、「2010年8月1日」では、もう2カ月もない中で市町議会・県議会の議決、官報告示の手続きを経なければならず、いくら住民投票を経たとはいえ拙速すぎないかとの印象を持ちましたが(大船渡市・三陸町や奥出雲町、長浜市(今年の2次合併)などの実例はありますが・・・)、実は1年ずれています。

正しくは平成23年(2011年)8月1日です。

ということで、情報追加・修正お願いします。

[75376] 2010 年 6 月 20 日 (日) 17:33:56【1】 おがちゃん さん
 地名コレクション関係等

最近、めっきりと書き込み頻度が落ちました。おがちゃんです。

近頃は部活に熱中しており、本日も午前中に練習試合がありました。そんな中、十番勝負は夜開催とのことで非常に助かる・・・かと思いきや塾の夏期講習がありました。必修とのことで、サボるわけには(サボっちゃいけないのですが)いきません。次回の十番勝負では、金メダルはあきらめましょう。でも、最低一枚はメダルを取りたいです。

[75374] 伊豆之国 さん
早速コレクションに登録をお願いいたします。
ご指摘の通り、漏れていました。他にも漏れがあると思うのですが、機会があるうちに直したいですね。ひとまず、伊豆之国さんご指摘の場所のみを兄弟姉妹コレクションに入れさせていただくことにしました。ご確認願います。

それにしても、現在通っている学校へは電車を利用して1時間程度かかるのですが、つくづく便が悪いと思います。特に、新前橋方面から信越線への接続が悪いです。部活帰りに早く帰りたいと思いながら20分も30分も電車を待つのは辛い物があります。もっとも、それだけ通うのに価値がある学校なのですが・・・。
因みに、僕のクラスは31人いるのですが、31人中20人は高崎市民で郡部在住は2人・・・。なんだかなぁ・・・。

[75375] 2010 年 6 月 20 日 (日) 16:23:45 オーナー グリグリ
 久々の市区町村変遷情報の更新

[75371]での私のお願いに、山野さんが[75373]で更新情報を素早くまとめていただきました。ありがとうございました。これを受けて変遷情報に新規追加、更新を私の方で行いました。山野さんの記事にある情報リンクをもとに関連情報を検索して、できるだけ多くの情報を変遷情報に掲載するようにしました。これまでの編集よりもやや量が多い編集になっているかと思いますが、埋もれてしまいがちな貴重な情報ということでの処置です。情報リンクとしてYahoo!ニュースはすぐにリンク切れになってしまいますが、ニュースタイトルなどキーワードが残っていれば、関連する他のメディアサイトのニュースや記事を引用した個人ブログがほぼ確実に見つかりますね。

何年ぶりかでの更新作業でしたので、ちょっとおっかなびっくりでしたが、情報探索の楽しさが蘇り、変遷情報のもととなった変更情報を集め出した頃を懐かしく思い出してしまいました。

[75374] 2010 年 6 月 20 日 (日) 12:36:36 伊豆之国 さん
 尾張名古屋にはシラカネーゼ!?

今日はいろいろレスを‥

[75348][75359]スナフキんさん
[75358]Mujonさん
白つながり
三重県鈴鹿市の「白子」
私が生まれて初めて名古屋より西へと足を延ばしたその場所が、鈴鹿サーキット([67523])。近鉄特急で白子駅で降りたのですが、「しらこ」ではなくて「しろこ」、というのが不思議、かつ新鮮な響きでした。もっともこのときは電車が事故の影響で大幅遅れ、立ち往生の繰り返し。白子駅からタクシーでサーキット内のホテルに着いたのは、夕食の時間も終わった後。「ラウンジが開いている」と案内してくれて、やっとのことで遅い夕食に‥。
「白」といえば「白石」、苗字では大半が「しらいし」でしょうが、札幌・宮城・佐賀、地名も駅名もいずれも「しろいし」(佐賀のは駅名の頭に「肥前」。「白石」駅はもう一つ、熊本県の肥薩線。こちらもやはり「しろいし」)。みちのくへの初旅([74142])で車内放送の「次は"しろいし"」のアナウンス、この読み方は既に知っていたこととはいえ、やっぱり少々戸惑いも‥。ちなみに鶴見線の「武蔵白石」は「しらいし」。「日本鋼管」創業者の苗字に由来します(企業由来地名コレクションより)。

鈴鹿サーキットの所在地は「鈴鹿市稲生町」ですが、
[75364]稲生さん
鶴舞の読みは「つるまい」か「つるま」か?
名古屋の地下鉄駅名の「読み方」論議といえば、「御器所」をどう読むか、という話を以前どこかで見たことがあります。地名は元から「ごきそ」ですが、昭和40年頃にこの地域の一部で住居表示を行ったとき、「所」は「そ」とは読めない、ということで「ごきしょ」と読み仮名を振って公示した、というそうでした。しかし、地元の人は口を揃えて「"ごきそ"に決まっている、"ごきしょ"と言うのは聞いたことが無い」とかで、「ごきしょ」の町名ができた後に「御器所」(住居表示が行われなかった区域にある)地区に開業した地下鉄「"つるま"線」の駅は「ごきそ」と読むことになりました。ところで「郵便番号検索」で調べてみると、住居表示区域外の「御器所町」「御器所通」はもちろん、前記の住居表示区域の「御器所(○丁目)」もいずれも振り仮名は「ごきそ」。ということは、いつの間にか「御器所」の町名の読み方が変更された、ということでしょうか? その「御器所」の西隣にある町名が、「白金」。「しろがね」でも「しろかね」でもなく、「しらかね」。この読み方、「郵便番号検索」を見て初めて知りました‥。
「自治体越え地名の横綱級"鶴間"」([75235]白桃さん)も、元は「鶴が舞い降りた里=鶴舞」という伝説があるとか。

続いて、まだまだ「尾張」にならない「自治体越え地名」。今回は「湘南」から。
小田原市下大井/足柄上郡大井町上大井‥昭和31年に小田原市と大井町に分割合併された旧曾我村の区域でしょう。

[75360]YASUさん
旧国鉄幌内線の廃線跡を利用した三笠トロッコ鉄道
ところで、今年4月29日に営業運転を開始したこの路線、果たして法規上どのような扱いになっているのか気になるところです。Wikipediaで検索しようとしましたが、まだUPされていないようです。これが「遊園地などの遊戯物」のような扱いでよいのか、鉄道事業法に基づくれっきとした「私鉄」扱いなのか。もし「私鉄」だということになると、三笠市は「第22回十番勝負・問二」に「該当しない市」の仲間に入ってしまうことになります(しかもこの問の回答者はYASUさん!)。

[75368]よっしーさん
秋田市太平(タイヘイ)
「酒は天下の太平山」のCMで知られる、その山でしょうか。谷有二氏著「富士山はなぜフジサンか」([75091])には
竿燈祭りの掛け声「オエダラサッサ」は、「オオダイラサマ」から出たものだそうな。江戸時代の旅行家・菅江真澄は、「大平(おおだいら)といふ村の名より言ひうつれり」と書いている
という記事が書かれています。やはり元は「おおだいら」だったのでしょうか。
「大平」という苗字は、全国的には「おおひら」が一般的でしょうが、「おおだいら」という読み方は新潟県に多いようです。

>おがちゃんさんへ
「太平山」の周辺地図を見ているうちに、未収録の「妹」地名がありましたので早速コレクションに登録をお願いいたします。
飯田川和田妹川(いいたがわわだいもかわ、秋田県潟上市)

最後に、だいぶ遅くなりましが、[75249] で「後ほど」とした「都心部の各駅停車」についてちょこっとだけ。 
確かに、私鉄線から急行などできた電車が地下鉄に入った途端に各駅停車、というのは、実際に乗っている身としては時にはいら立つこともあるのですが、現実の問題としては乗換えや駅の改造工事などもあり、やむを得ないことなのかもしれません。ただ、都営浅草線だけは、羽田と成田を一本で結ぶ(こればかりはJR「成田EX」ではできませんね)という役割の一端を担うことから見て、少なくとも途中に1ヶ所でも「追い抜き」を作り、羽田と成田を結ぶ有料特急を走らせたほうがよいでしょう。現在も地下鉄区間を快速運転する「エアポート快特」があるのですが、運行を開始した頃は京成線内も特急として運転されていたのですが、京成線の停車駅が多すぎたこと、京成には京急「2100系」やかつての名鉄「パノラマカー」のような無料特急でもハイグレードなクロスシート車両が無く、長椅子式の通勤車両が使われていたため評判が悪く利用者も低迷していたため、結局京成線内は「快速」に格下げされ、しかも多くは佐倉止まりになって、その使命を放棄してしまい「看板に偽りあり」という状況になっています。京成「スカイライナー」の車両交代もあり、羽田―成田直通の有料特急を走らせて見たらどうでしょう。途中の停車駅は、品川・新橋・日本橋・浅草・押上といったところ、京成線内は京成成田までノンストップ(現在のスカイライナーと同様、船橋にも停めるか?)。ここで問題になるのは地下鉄線内の扱い。都市間直結高速バスのように短区間の乗降を禁止するのが理想なのでしょうが、地下鉄内(京急品川を含む)停車駅相互の利用者のために、普通運賃の倍額程度の「立ち席特急券」でもあったらよいかもしれません。

[75373] 2010 年 6 月 20 日 (日) 11:34:08【1】 山野[山野] さん
 合併情報一覧(って、ほとんど私の書き込みですが)

[75371]オーナー グリグリさん
未反映の情報は4月1日以降ですよね?
まず、ピーくんさんの場合は[75366](6月18日投稿)の松江市の件について(HPの開設)
で、私「山野」の場合。
(4月14日投稿)
[74937]4月13日に松江市議会に於いて東出雲町との法定協設置案が賛成多数で可決された件。
(翌日、15日投稿)
[74950]東出雲町で合併協設置案が否決された件。
(翌々日、16日投稿)
[74957]東出雲が住民投票を検討した件。
(4月18日投稿)
[74983]これは、愛知の東浦が今年の国勢調査での5万人突破が微妙になった件。
(4月20日投稿)
[75002]こちらは、東出雲の住民投票日が5月23日に決まりましたと言う事。
(4月22日投稿)
[75011]島本町が屎尿問題を巡り高槻との合併論云々。
(4月25日投稿)
[75029]斐川町の住民投票の結果。→賛成多数で法定協設置。(出雲市)
(4月27日投稿)
[75032]これですが、桐生市がみどり市に合併を持ちかけた件。(後にお断りの一方がありましたが)
     もう1つは西尾市が3町との合併の賛否を問う署名を始めましたと言う事。
(同日投稿)
[75035]こちらは、町長選の結果合併推進派が当選しましたので、「再燃する可能性がありますよ」と言う話。「山元・富士川」
(5月6日投稿)
[75076]一関市及び藤沢町の合併協HPの開設
(5月8日投稿)
[75086]鳩ヶ谷市の合併自棄提案の件。
(5月13日,14日,20日投稿)
[75107][75109]及び[75150] は西方町関連の話。
(翌日15日投稿)
[75112]岩舟町が栃木市と合併への署名活動開始の件。
(5月22日投稿)
[75166]出雲市及び斐川町の合併協HP開設の件。
(5月23日投稿)
[75179]東出雲の住民投票の結果。→斐川町同様に賛成多数で合併協設置。(松江市)
(5月26日投稿)
[75191]大治町で町長選があり、名古屋市との推進派が当選。
(5月29に投稿)
[75201]岩舟町の佐野市への編入時期が「平成24年3月末」に決定。(日時は未だみたいですが)
(6月18日投稿)
[75367]これが最新情報です。栃木市と西方町の合併期日が「来年の10月1日」に決定。(と言っても、目標ですが。)

合併情報って元々書いている人がそんなに多くないので、現状では大体こんな感じですが、抜けている所があるかも。

(追加分)
6月12日、[75340]アルバトロスさん
南足柄市が小田原市との先行合併を希望という記事。

[75372] 2010 年 6 月 20 日 (日) 09:37:16 ぺとぺと さん
 お礼&県下三都市決定戦

おはようございます。
まずは、[75296]88さん、[75297]オーナーグリグリさん、[75306]白桃さん、[75312]かぱぷうさん、[75316]なきらさん、[75321]JOUTOUさん、お祝いのお言葉&実体験に基づくアドバイスをありがとうございました。
オフ会に関しては、昨年岡山土産をたっぷり持ち帰っていますので、おそらく許可が降りるのではないかと思います(笑)

さて、少し話題に乗り遅れた感がありますが、県下三都市決定戦に関する皆様の書き込みを拝見していて、ふと自分が勤務する会社の支社の所在地との関係が気になりました。そこで、ひとつの都道府県で3都市に支社を配置している都県をピックアップしてみました。(4都市以上に支社のある道府県は除く。東京都は23区を除いた地域でカウント。)

東京都 :八王子、立川、町田、
神奈川県:横浜、厚木、藤沢(その昔は平塚だったが、藤沢に取って替わられた)
静岡県 :静岡、浜松、沼津(競合他社もすべてこのパターン)
愛知県 :名古屋、豊田、岡崎(競合他社には刈谷に拠点を置く会社も複数あり)
兵庫県 :神戸、姫路、明石(意外なことに競合他社もすべてこのパターン)
福岡県 :福岡、北九州、久留米

ご他聞に漏れず、勤務先も国内市場の縮小で支社の統廃合を余儀なくされており、昨年度は苫小牧、土浦、春日部、豊橋、岸和田、徳島、佐世保などの支社が閉鎖になってしまいました。

[75371] 2010 年 6 月 20 日 (日) 08:09:36 オーナー グリグリ
 業務連絡♪

地名の読みの話題などいろいろ反応したいことや、対応しなければいけないことが沢山あります。
皆さんにはご迷惑をお掛けして申し訳ありません。

何回か書き込みでもつぶやいていますが、現在は、アーカイブズリニューアルを最優先で作業しており、この作業の中で派生する作業(気になること)がいろいろ発生し、あっちこっち道草をして時間がとんでもなく掛かってしまいました。言い訳ばかりですみませんが、ようやく準備が整いましたが正式公開にはもう少し時間が掛かると思います。
(hmtさんへ:メールをお送りしましたのでご参照いただければ幸いです)

自治体越えの地名コレクションの整理もしなければいけないのですが、本日時間がとれれば手を付けます。
他にも山積みですね。お伝えしなければいけないことなど少し列挙しておきます。

■市区町村変遷情報(予定情報)の停滞について
[75367] 山野さんのご指摘のとおりです。[75297] に書きました通りですが、でるでるさんも大変ご多忙のようで、現状のままでは更新作業は滞ってしまいそうです。もし、山野さんの方で、これまで皆さんから頂いている情報で未反映の情報について、できるだけ変遷情報のページの形式に合わせた形で整理していただければ、私の方で追加更新作業を行いたいと思います。追加更新作業が短時間でできるようにまとめていただけると非常に助かります。まとめ情報は書き込みでも私宛のメールでもどちらでも構いません。まことに勝手なお願いで恐縮ですが、ご協力いただければ大変ありがたいです。よろしくご検討をお願いいたします。あくまでも、もしご協力いただけるのであれば、という勝手なお願いですので、お断りいただいても一向に構いません。本来なら私の方で対処すべき事柄ですから。

■第二十八回全国の市十番勝負予定
もうすぐ7月ですね。早いですね〜...。まだ準備が全くできていませんので、W杯も終わった7月後半の24日(土)を開始日としたいと思います。午後7時開始予定。皆さん、ご準備のほどよろしくお願いします。^^;

■今年の公式オフ会について
皆さんのご要望を(ツイッターなどで)ちらほら聞いていますが、時期は晩秋(多分例年通り11月)で今回は東日本に戻って茨城県(筑波山が有力)での開催を考えています。皆さんのご意見も頂ければと思います。

■その他もろもろ
昨年のオフ会の写真整理、サイト全体の見易さ改善(トップページや市の変遷など一部は行っています)、などなど、いっぱいありますが、少しずつ対応して行きますのでよろしくお願いします。

[75370] 2010 年 6 月 20 日 (日) 02:58:18 播磨坂 さん
 高麗郡と入間郡
hmt 埼玉県入間郡域

こんばんは。

[75355]mul-sa さん
[75357]hmt さん
反応が遅くなって申し訳ありません。

1.当時の地理的なまとまりを単位として入間郡を設置
2.入間郡の一部に渡来人が数多く移住
3.従来の住民とは大きく異なる人々が住むことになった地域について、別々の行政単位を設けた方がよいと判断され、高麗郡を設置
これに関してはほぼ同じ認識です。最近司馬遼太郎氏の著作で、白村江後の百済人の関東への集団移住が坂東武士の始まりではないか、という興味深い説を見ました。大陸からの渡来人は西国ばかりかと思ってましたが、意外にも東国に多く移住しているようです。

ところで、一つの郡を複数に分けて「東」「西」等つけるのは、近代になってからの動きではないでしょうか。
たとえば、現在の姫路市域に当たる飾磨郡は、明治29年まで飾西郡・飾東郡として分かれておりましたが、wikipedia情報によりますと、鎌倉後期には既に分割されていたとあるので、近代になってからとは限らないかと。

町村制施行時に埼玉県が作成した地図によると、三芳野村と山田村とは、合流点から南にかけて、200mほどですが、入間川を介して隣接していると認められます。
つまり、入間郡は高麗郡名細村により2つに分断されていなかったことになります。
2つの入間郡が皮一枚でつながってるって感じでしょうか。分断されていないのなら、東西に名称が分かれていないことも当然なのでしょう。それにしても、改めて昔は郡やら村やらの領域が複雑になっていることを再認識しました(和歌山県は那賀郡上岩出村の例を思い出しました)。

[75369] 2010 年 6 月 19 日 (土) 12:41:45 らるふ さん
 「盆地コレクション情報提供」への返答

[75345] EMM さん
いつも返答が遅くてすみません。「穴水盆地」ですが、「用例として書籍が1冊あるが他にはない」ということですね。これでは判断が難しいのでしばらく「検討中」とさせてください。
盆地コレクションも今では豊富な件数があると実感しています(いつの間にやらウィキペディアの「盆地」にリンクされていたりします)。追加はゆっくりと検討して行こうと考えています。私のリストには、落書き帳で情報いただいたり、自分で見つけたりしても、用例が少ない、地域・地形が明確でないなど、保留している「盆地コレ候補」が数十件ありますが、それらはいずれ新しい情報次第で追加する可能性があります。

盆地コレクションの初期に、用例が1件でも採用したことがありました。記憶しているのが、6年ほど前に[26227]でBANDALGOM[月の輪熊]さんから情報いただいた「平久里盆地」と「長狭盆地」。最近あらためて、当時どちらも検索で1件しかなかったリンク先をクリックしてみると、どちらも「ページが見つかりません」。いやぁ、まいった、用例無しになったのか・・・。
ところが、長狭盆地をヤフーで検索してみると、6年前に比べて結構出てきます。一般市民の方々がブログなどで普通に使っておられるという感じです。あの時、コレクションに採用して良かったと思います。
対して、平久里盆地はサッパリ。当落書き帳と盆地コレクションと盆地コレをコピーしたと思われるモノ、それとヤフー地図(なぜ検索されたのか謎です。盆地コレに地図をリンクしてるからでしょうか?)、以上でした。
平久里は「平群」とも書くようなので(小学校や郵便局がそうなっています)、平群盆地で検索してみると、南房総市立富山国保病院の概要、千葉県による里山・森づくり推進プロジェクトの企画書、こういったものに記載がありました。そこで盆地コレクションでの表記を「平久里」から「平群」に変更しようと考えています。(同時に、奈良県の平群と思われるのも見つかったので、これは今後要検討)

情報は日々変化していますが、どちらかと言えば減るより増えることのほうが多いでしょう。「盆地」と実感できる地形・風景があって、その地域を表す地名Aがあれば「A盆地」という用例は自然と増えてくると思います。

[75368] 2010 年 6 月 19 日 (土) 12:37:48 よっしー さん
 地名の読み、飛び地、銀座

地名の読みが話題になってますね。時代とともに変化する例としては、秋田市太平(タイヘイ)の例を。町村制施行で誕生した南秋田郡太平村(オイダラムラ)。昭和29年に秋田市に合併しましたが、現在ではオイダラの読みは廃れてしまいました。戦後に米軍が作成した地図を見ますと、太平村は図の範囲外ですが、太平から秋田市内に流れる太平川には、「ODAIRA(TAIHEI)GAWA」(※Oの上に横棒)と書かれていますから、戦後にはオイダラとタイヘイの読みが混在していたのかも知れません。

宮城県登米市に岩手県藤沢町の飛び地を見つけました。

また、銀座コレクションにたかのす銀座(北秋田市)の追加をお願いします。

[75367] 2010 年 6 月 18 日 (金) 19:34:55 山野[山野] さん
 投稿した所で、無駄足の気もするが…

合併情報(予定)編集長が、お見えにならないので先月29日以降、投稿を見合わせていたのですが1つ。
栃木市と西方町の合併期日、飽く迄も目標期日ですが「来年の10月1日」を予定している模様です。下野新聞より。

情報が溜まってしまっている分ですが管理人(グリグリ)さんの方で何とかなりませんか。
私のだけではなく、[75366]ピーくん さんの分も放置される事になってしまいますので。

[75366] 2010 年 6 月 18 日 (金) 17:35:29 ピーくん さん
 合併協議会HP

島根県松江市・東出雲町合併協議会の公式HPが開設されました。

[75365] 2010 年 6 月 17 日 (木) 19:07:03【1】 hmt さん
 東京臨海部の陸地化 (5)江戸湊・江戸前島
hmt 東京臨海部の陸地化

東京臨海部の陸地化について、17〜19世紀の 江東 から始めました。
20世紀以降、つまり東京港築造と連動した埋立事業については後にして、江戸の本体に移ります。

江戸・東京が都市として発展する きっかけ は、全国制覇まで関東と奥羽を残すだけとなっていた豊臣秀吉が、天正18年(1590)に行った「小田原征伐」でした。
小田原への参陣を迷っていた 奥州の伊達政宗も 服属するなど 世の中の大勢は決まり、北条氏降伏(7月)による結末を前に定められた 統一政権に依る全国支配体制の構想。

そのポイントの一つに、東海を本拠として成長してきた実力者・徳川家康の関東移封がありました。

秀吉と家康との話し合いにより、関東を支配する武家政権の新たな本拠地は、北条氏100年の小田原ではなく、また頼朝以来300年の鎌倉(室町時代も関東公方)でもない 江戸 に決められました。
その記念行事が、小田原城を見下ろす石垣山からの 「関東の連れ小便」。
時代劇に登場する そんなシーン の真偽はさておき、秀吉による全国統一の完成直後の 天正18年八月朔日(ついたち) = 「八朔」が、徳川家康による 江戸開府の記念日になりました。

最初に、地図を3つ挙げておきます。ほぼ同じ時代を推定した図ですが、水系がそれぞれ異なっています。
A図:縄文と江戸の地勢図 1590年頃の江戸
B図:神田川のページ 太田道灌の江戸湊開発から家康入城まで
C図:大手町の歴史 家康入城当時の江戸図

A図の中央部(下の方)には「江戸湊」と記されています。
もっとも、最初の文献(吾妻鏡)に現れた「江戸」は地名ではなく、「江戸太郎重長」という人名でした。源頼朝が挙兵した際に、平家方として三浦氏[41805]の衣笠城を攻撃した武士です。
平川西岸に1457年に作られた太田道灌の江戸城(A図)は江戸氏の居館跡とされ、ここは江戸城本丸を経て、現在は皇居東御苑になっています。

この江戸氏は、「阪東八ヶ国の大福長者」と呼ばれるほどの経済力を持つ豪族とされます。その経済力の根源は、入江の戸口=江戸における流通業にあり、水軍的な性格を備えたこの武士団が、江戸を名字として名乗ったのではないでしょうか。

B図には地名が記載されていませんが、右側の不忍池から南下する(旧)石神井川の河口が江戸湊であり、ここには北西方向から平川も流れ込んでいます。江戸湊は、この2つの川の河口である入江に立地するものと理解されます。「戸」=「門」(と)については「津」の転化とも言われます。[35860]参照。

A図には、(旧)石神井川の名残[58642] である藍染川(谷田川)[61069] が描かれていますが、不忍池から江戸湊へと南下する流れがなく、平川も日比谷入江へ直行しており、水系の様子はB図と大いに相違しています。
C図の水系は両者の中間で、旧石神井川の河口に尼店と記された入江があります。

A図により隅田川から西の地形を もう少し眺めましょう。隅田川西岸の自然堤防上にある浅草の観音様や鳥越は古くからの陸地ですが、その後背地には、千束池・姫ヶ池などの水面を含む湿地帯が広がっていました。

A図北西には上野・本郷・小石川の台地。台地の間には藍染川(谷田川)・不忍池と小石川(谷端川[41575])。
そして、平川の谷を隔てた A図南西にも、牛込・麹町・麻布方面の台地。

南から深く入り込んだ日比谷入江の東には、本郷台地の続きが南東に向かい、日本橋から南西に向きを変えて連なる微高地が半島状に伸びています。この陸地が江戸前島と呼ばれていました。

徳川家康が江戸入府後に最初に手をつけた工事は、この江戸前島の付け根を切り通して、江戸湊から江戸城に物資を直接運搬できる舟入堀の開削でした。
幕府典薬頭の屋敷に由来するという「道三堀」の位置は、現在の東西線大手町駅付近で、明治の地図を見ると、堀の北側に道三町・東京特許局陳列場・銭瓶町などがあります。
御城近くのこの堀は1909年に埋立られましたが、一石橋[33433]から下流は、首都高速道路下という日陰の身になりながらも、日本橋川として現存しています。

「東京まで○km」という道路標識。東京都庁ではなく、日本橋を基準点にしています。
中央に「日本国道路元標」が埋め込まれている現在の日本橋[63949]は、慶長8年(1603)の初代木橋から数えて 20代目だそうです。東京オリンピックを大義名分に掲げた首都高速道路のために空を失っていますが、1911年建造の二連アーチ橋石橋は、来年100歳になります。

1603年というと、八朔の1590年から13年も後です。道三堀を渡って江戸前島に通じるローカル交通のための橋はもっと前からあったのかもしれませんが、本格的な幹線道路として江戸前島の中央を貫くルートが整備され、「日本第一の橋」が架けられたのが、江戸幕府が開かれたこの年だったのだと思います。

1604年に、日本橋は「五街道の起点」と定められました。道路元標が各市町村に置かれたのは大正時代だそうですが([65682] じゃごたろ さん)、日本橋の場合は 400年の歴史の重みがあったのです。
もちろん、A図の時代と異なり、日本橋・京橋地区は既に半島でなくなり、京への最初の橋である「京橋」を過ぎた東海道は、芝口橋(後の新橋)[74436]で汐留川を渡り南へ通じていました。

この日本橋・京橋・銀座を貫く現在の中央通り。京橋方面から見ると正面にスルガ銀行があり、日本橋を境に向きが変っていることが実感されます。これほど顕著ではないですが、京橋でも少し曲ります。
現在は国道4号・15号になっている中央通り、江戸時代の通り町筋は、江戸前島の尾根筋に沿っているそうです。江戸の道路と地形

ブラタモリ[73190]の着眼点にもなっていた「高低差」。
その微妙な高低差により導かれる水流を利用すべく、尾根筋に幹線道路と上下水道とを配した日本橋から銀座への町並み。これこそが、江戸前島の自然地形を正確に把握した都市計画の成果なのでした。

[75364] 2010 年 6 月 17 日 (木) 11:36:32 稲生 さん
 鶴舞

[75359] スナフキんさん
鶴舞の読みは「つるまい」か「つるま」か?

ある時、私が名古屋の人に、この疑問をぶつけると、
名古屋の人は「つるみゃー」と読むに決まっとるがや。
という、笑い話を思い出しました。

[75363] 2010 年 6 月 17 日 (木) 00:17:52 k-ace さん
 消滅郡名の市名、自治体を越える地名(沖縄県)

こんばんは、k-aceです。

拙稿[75282]で現存の郡の「消滅した郡名町村」を書きましたが、今回は現在「消滅している郡名」の市名一覧です(過去に郡市併存していても可)。市内に郡域がある場合に限ります。

(市名と郡名の表記一致)
都道府県郡名郡消滅年月日市名市誕生日市消滅日
樺太豊原郡1942/11/--?豊原市1937/4/11945/8/--?
北海道札幌郡1996/9/1札幌市1922/8/1
北海道千歳郡1970/11/1千歳市1958/7/1
北海道小樽郡1940/9/1小樽市1922/8/1
北海道室蘭郡1918/2/1室蘭市1922/8/1
北海道根室郡1957/8/1根室市1957/8/1
岩手県江刺郡1958/11/3江刺市1958/11/32006/2/20
宮城県名取郡1988/3/1名取市1958/10/1
宮城県栗原郡2005/4/1栗原市2005/4/1
宮城県登米郡2005/4/1登米市2005/4/1
茨城県行方郡2005/9/2行方市2005/9/2
栃木県足利郡1962/10/1足利市1921/1/1
埼玉県新座郡1896/4/1新座市1970/11/1
千葉県千葉郡1967/1/1千葉市1921/1/1
千葉県市原郡1967/10/1市原市1963/5/1
千葉県匝瑳郡2006/3/27匝瑳市2006/1/23
千葉県君津郡1991/4/1君津市1971/9/1
神奈川県鎌倉郡1948/6/1鎌倉市1939/11/3
富山県氷見郡1954/4/1氷見市1952/8/1
富山県射水郡2005/11/1射水市2005/11/1
石川県珠洲郡2005/3/1珠洲市1954/7/15
福井県敦賀郡1955/1/15敦賀市1937/4/1
福井県大野郡2005/11/7大野市1954/7/1
福井県坂井郡2006/3/20坂井市2006/3/20
岐阜県海津郡2005/3/28海津市2005/3/28
岐阜県山県郡2003/4/1山県市2003/4/1
岐阜県郡上郡2004/3/1郡上市2004/3/1
岐阜県土岐郡2006/1/23土岐市1955/2/1
岐阜県恵那郡2005/2/13恵那市1954/4/1
静岡県富士郡2010/3/23富士市1954/3/31
静岡県磐田郡2005/7/1磐田市1948/4/1
三重県鈴鹿郡2005/1/11鈴鹿市1942/12/1
三重県名張郡1896/4/1名張市1954/3/31
三重県伊賀郡1896/4/1伊賀市2004/11/1
三重県志摩郡2004/10/1志摩市2004/10/1
滋賀県野洲郡2004/10/1野洲市2004/10/1
滋賀県甲賀郡2004/10/1甲賀市2004/10/1
滋賀県高島郡2005/1/1高島市2005/1/1
京都府宇治郡1951/3/1宇治市1951/3/1
大阪府河内郡1896/4/1河内市1955/1/151967/2/1
大阪府和泉郡1896/4/1和泉市1956/9/1
大阪府交野郡1896/4/1交野市1971/11/3
兵庫県明石郡1951/1/10明石市1919/11/1
兵庫県加西郡1967/4/1加西市1967/4/1
兵庫県加東郡2006/3/20加東市2006/3/20
兵庫県飾磨郡2006/3/27飾磨市1940/2/111946/3/1
兵庫県宍粟郡2006/3/27宍粟市2005/4/1
兵庫県養父郡2004/4/1養父市2004/4/1
兵庫県朝来郡2005/4/1朝来市2005/4/1
岡山県赤磐郡2007/1/22赤磐市2005/3/7
岡山県児島郡2005/3/22児島市1948/4/11967/2/1
広島県三次郡1898/10/1三次市1954/3/31
山口県美祢郡2008/3/21美祢市1954/3/31
徳島県阿波郡2005/4/1阿波市2005/4/1
香川県三豊郡2006/1/1三豊市2006/1/1
高知県香美郡2006/3/1香美市2006/3/1
福岡県宗像郡2005/3/28宗像市1981/4/1
福岡県嘉麻郡1896/4/1嘉麻市2006/3/27
福岡県糸島郡2010/1/1糸島市2010/1/1
佐賀県佐賀郡2007/10/1佐賀市1889/4/1
佐賀県小城郡2005/3/1小城市2005/3/1
長崎県壱岐郡2004/3/1壱岐市2004/3/1
熊本県宇土郡2005/1/15宇土市1958/10/1
熊本県山鹿郡1896/4/1山鹿市1954/4/1
熊本県合志郡1896/4/1合志市2006/2/27
大分県大分郡2005/10/1大分市1911/4/1
大分県日田郡2005/3/22日田市1940/12/11
大分県宇佐郡2005/3/31宇佐市1967/4/1
宮崎県宮崎郡2010/3/23宮崎市1924/4/1
鹿児島県日置郡2005/11/7日置市2005/5/1
鹿児島県伊佐郡2008/11/1伊佐市2008/11/1

(その他)
都道府県郡名郡消滅年月日市名市誕生日市消滅日
福島県磐城郡1896/4/1--
福島県石城郡1966/10/1いわき市1966/10/1
茨城県鹿島郡2005/10/11鹿嶋市1995/9/1
茨城県筑波郡2006/3/27つくば市1987/11/30
富山県礪波郡1896/4/1砺波市1954/4/1
福岡県浮羽郡2005/3/20うきは市2005/3/20
鹿児島県谿山郡1897/4/1谷山市1958/10/11967/4/29
鹿児島県揖宿郡2007/12/1指宿市1954/4/1

高田郡−安芸高田市、大野郡−豊後大野市等の例は除いています。
また出雲郡−出雲市ですが、出雲郡域が現在の簸川郡斐川町域と一致していますので、出雲市と斐川町の合併が成立するならば該当例となります。

自治体を越える地名(沖縄県から)。
宜野湾市上原○丁目/中頭郡中城村字北上原
さらにその南で
中頭郡中城村字南上原/中頭郡西原町字上原
宜野湾市(上原○丁目)から中城村(北上原・南上原)を経て西原町(上原)まで南北に細長く続いている「上原」。これは偶然か?

浦添市西原○丁目/中頭郡西原町

[75362] 2010 年 6 月 16 日 (水) 22:40:19 BANDALGOM さん
 韓国の市郡合併

[75356]mul-saさん
[75360]YASUさん

韓国では1995年と98年に市郡の大合併が行われましたが、その際に多くの市は、合併前の市の名称を引き継いでいます。
市と郡の名称が同じだったケースが少なくないですが、市と郡の名称が違っていても、市の名称を取ったところが多いです。

しかし、益山市のほかにも、郡の名称を取ったところが9市あります。

合併前の市合併後の市旧市部の中心駅(空欄は鉄道なし、または旧市部に駅なし)
京畿道●金市南楊州郡南楊州市中央線陶農駅
忠清南道温陽市牙山郡牙山市長項線温陽温泉駅
大川市保寧郡保寧市長項線大川駅
全羅北道井州市井邑郡井邑市湖南線井邑駅
全羅南道東光陽市光陽郡光陽市
慶尚北道店村市聞慶郡聞慶市慶北線店村駅
慶尚南道長承浦市巨済郡巨済市
三千浦市泗川郡泗川市
忠武市統営郡統営市
※●はさんずいに「美」

これを見ると、益山市と同じ全羅北道にある井邑市も、旧井州市にある駅が「井邑駅」に改名されていることが分かりますが、他の道にはこうした例は存在しません。
全羅北道の2市だけが、中心駅の駅名を改称したという点で興味深いです。

牙山市には現在、長項線の牙山駅がありますが、2007年に開業した、KTX天安牙山駅との乗り換え駅です。

光陽市には慶全線の光陽駅がありますが、これは合併前の光陽郡光陽邑にあり、中心部の旧東光陽市からは離れています。旧東光陽市は製鉄所とともに建設された計画都市です。
(「邑」は日本の町に相当するもので、村に相当する「面」もありますが、韓国では郡が自治体で、郡庁や郡議会、公選首長の「郡守」がいます。)

聞慶市は廃線になった聞慶線(炭鉱線)に聞慶駅がありましたが、これも合併前の聞慶郡聞慶邑にありました。

当時は群山−長項間の湾の部分が接続されていなかったので、再訪することとなるでしょう(笑)
長項線は牙山市の新昌駅まで電化され、ソウル駅から日立製の電車特急が乗り入れるようになったので、これと合わせるのも一興ですね。

市名ではなく郡名(広域地名?)を継承したあたり、合併にあたっての事情があるのでしょうか?
95年の大合併の時には、住民投票が行われており、その結果が市名にも反映されたものと記憶しています。
98年に合併した全羅南道麗水市・麗川市・麗川郡の場合は、95年の大合併時に住民投票で反対多数となり、何度目かの正直で合併に漕ぎ付けました。

また、同道木浦市と務安郡の合併は、何度も住民投票をやっても、反対多数で合併に至りませんでした。

[75361] 2010 年 6 月 16 日 (水) 18:04:02 紅葉橋律乃介 さん
 同じ地名かどうか

[75360] 2010年 6月16日(水)15:23:19 YASUさん
北海道岩見沢市岡山町/三笠市岡山

 知ってはいたものの、どなたも挙げないので逆に該当しないのかと思っていました。
 これが該当し、自治体を越えて同じ地名…ということであれば、この近くにも存在します。

 北海道岩見沢市峰延町/美唄市峰延町東・峰延町本町・峰延町峰樺・峰延町公園

 また、合併してしまいましたが、合併前は別の自治体で同じ地名だったもの(合併後も別の町域として存続)しているものもあります(ポイントが微妙なところにありますが、境界線上のつもり)。

 北海道岩見沢市大願町/岩見沢市北村大願


 それはともかく、指定都市の区を含めた場合、こういうのはどうなのでしょうか。

 北海道札幌市??区北n条

 ちょっと分かりづらいのですが、JR札幌駅・函館本線から下の部分が中央区、中心点の左側が北区、右側が東区です。住所は「北n条西n丁目」や「北n条東n丁目」でずっと続いていきますが、あるところから急に区名が変わっています。
 まあ、「北1条」とか「北1条東」やらで1つの町域と考えれば…?

[75360] 2010 年 6 月 16 日 (水) 15:23:19 YASU さん
 自治体を超える地名、ほか

直前にトワイライトエクスプレスの個室寝台が取れたため、先週末に北海道へ行ってきました。札幌到着後、旧国鉄幌内線の廃線跡を利用した三笠トロッコ鉄道というところを訪問したのですが、その際に自治体を超える地名を見つけました。
北海道岩見沢市岡山町/三笠市岡山

[75354] ニジェガロージェッツ さん
スヴェルドロフスク=パッサジールスキーをエカテリンブルク=パッサジールスキーに
まだ駅名が変わっていなかったのですね。まあ日本でも「平」から「いわき」への改称は20年位後でしたが。
スヴェルドロフスクといえば、郊外のウラル山脈中にヨーロッパとアジアの境界のオベリスクがあり、シベリア鉄道乗車時に目を凝らして探しました。山脈という割にはなだらかな丘で、少し残念でした。

[75356] mul-sa さん
ここの中心駅裡里駅は、1995年のうちに益山駅に改称されています。
大田操車場−木浦(全羅南道)間の幹線である湖南線から麗水への全羅線、群山方面への長項線(当時は群山線)が分岐しているため、裡里駅時代に訪れたことがあります。当時は群山−長項間の湾の部分が接続されていなかったので、再訪することとなるでしょう(笑)
市名ではなく郡名(広域地名?)を継承したあたり、合併にあたっての事情があるのでしょうか?

[75359] 2010 年 6 月 16 日 (水) 13:06:40 スナフキん さん
 地名の読み、実は難しい概念

[75358]でMujonさんが紹介くださった「白鳥」。なるほどなぁと考えさせられます。

ただ、地名の読みって実は結構厄介。地名そのものは人間に使われるものなので、長い間の慣用で読み方が揺れたりすることは避けられません。読みやすい方向にどうしても流される…使い続ければ自然とそうなってしまいます、時の流れは無情なもの。ここでもかつて話題になっていた「輪厚」「月寒」などはいま、別の読み方が流布されつつあります。北海道という特殊な地域性を考慮に入れても、内地に比べれば音に漢字を当てた歴史はずっと浅いはずなのに…。まぁ、読みの流され方はイントネーションや方言など、国語学的知識が多少なりとも必要な分野に抵触するので突っ込んでいろいろは書けませんが、白鳥もひょっとすると、それに類する地名かもしれません。

一方で、地名にとっての「正しい」とか「本当」も、何か確固たる拠り所でもない限り断定し切れない部分もあります。本山において私が「正式読み」とあえて書けたのも、駅名にせよ居住地名にせよ、正しく読ませる典拠があってこその話。同じ名古屋市内で別の例を挙げると、「鶴舞」という地名があります。駅名や居住地名は、調べ物をすればすぐそれが「つるまい」と読むのだと分かります。これはこれで正しい…しかし、白川公園や久屋大通などと並んで市内でも有数の面積を有する「鶴舞公園」は「つるまこうえん」…恐らく、名古屋近辺の人や地名に造詣の深い人でもない限り、これをつるまと読める人は相当少ないと思いますが、これとて間違いではありません。私自身が何かの書物で目にしたのはこれ、「つるま」の音に「鶴舞」を当て、「舞」の字の読みに後年引っ張られて、駅名も居住地名も「い」がぶら下がってしまったというのが通説なのだそう。どちらの読みもよしとする、地名ならではの包容性が私はちょっと好きだったりします。

[75358] 2010 年 6 月 16 日 (水) 01:33:46 Mujon さん
 白つながりで

[75344]EMMさんの白尾で「しろお」を「しらお」と読むかで、同じ様なことがありました。
岐阜県の今は郡上市になっている白鳥町。かつては郡上郡白鳥町で幾つかスキー場がある「おくみの」の地、名古屋からはレジャーで出かける方も多いところです。

この落書き帳にお越しの皆様方は「白鳥」を普通に「しろとり」と読まれましょうが、私の子供の頃、いや今でも「しらとり」という方が多いんです。そんな子供の頃のある日、叔父の一人が「あそこは『しろとり』だヨ!」なんてこと言い出しました。私の親類は当時「しらとり」派。白鳥町へ仕事で出かけていた叔父が地元の方に注意されたのかな、今思うとそんな気がしてきました。

名古屋市内にも白鳥があります。21年前には世界デザイン博覧会が開催されその会場の一つが「白鳥会場」。熱田神宮近くで白鳥古墳がそばにあり、旧国鉄白鳥駅跡地という場所に白鳥会場が出来ました。でもここを「しらとりかいじょう」と言う方、多かったな。


本来の読み、正しい読みという点では、[75348] スナフキんさんの
名古屋の「本山」ネタでした。ニュアンスは若干違っていますけど、本当の読み方の影が薄くなって別な読み方が広く流布…という点は共通項ですね。
本山ネタは既出のようで、地下鉄駅構内の案内板を取替えた際に、正しい町名の読みをローマ字で記したところ、えらい勢いで元に替えさせた件ですね。ここまで市が公表している本来の読み方が地元内外問わず知られていない例は、他にもあるのでしょうか。

ここ本山から地下鉄で三駅東に行くと名東区。かつては猪高町大字○○と称していましたが、この「猪高」は二通りに読まれているんです。正しいのは「いたか」ですが、「いだか」の方が遥かに多数派ですね。そんな背景なのか今年4月1日に名古屋市バスの停留所名称変更があった際に「猪高」とつく四箇所の停留所の読み方を変更しております。

名古屋市には他に、今は無いですけど「明道町」、名鉄の駅にもなっている「栄生」が広く言われている呼び方と本来の読み方とが違っています。しかも栄生は、中村区では本来の栄生町「さこちょう」のところ、住居表示の行われた西区では栄生「さこう」です。西区のそれは、名鉄の駅名からとったのだろうか。

[75357] 2010 年 6 月 15 日 (火) 15:40:23 hmt さん
 高麗郡は入間郡を2つに分断していたか?
hmt 埼玉県入間郡域

[75353] 播磨坂 さん
つかんぼやとさんの市町村変遷パラパラ地図で埼玉県を眺めていたのですが、1つ妙だと思うことがあったので。
明治29年の入間郡への編入を以て消滅した高麗郡ですが、当地図を見ていると高麗郡が入間郡を2つに分断しているんですね。

問題の場所は、現在では国道254号(東京側では川越街道と呼ぶ道路です。この付近での通称は知りません)が入間川・小畔川・越辺川(おっぺがわ)の三川をまとめて渡る落合橋のすぐ上流です。
越辺川の北が入間郡川島町で、南は別の支流を境に東が川越市、西が坂戸市という境界地帯になっています。
この場所を、明治二十二年四月改正「埼玉縣菅内全図」[37601]で確認してみました。

入間郡川越町から比企郡松山町に通じる街道が越すのは、現在の越辺川に相当する西から東への流れ1本だけです。
南から流れてきた入間川はというと、この地点のすぐ上流で越辺川と合流していました。
その後の河川改修により、入間川はこの合流点よりも手前で越辺川と並行する新河道を約2km流れた後で、越辺川と合流するように改められています。

高麗郡が存在した時代は入間川改修前で、当時の地理を単純化して理解してみます。
西から東に流れる越辺川に、入間川が南から直角に合流。更に合流点めがけて南西からも支流の小畔川が合流。
この小畔川沿い(入間川西岸)が高麗郡名細村(なぐわしむら)でした。現在は 川越市

結局のところ、T字型をなす川の北岸は比企郡伊草村(現・川島町)、南岸は上流側が入間郡三芳野村(現・坂戸市)、下流側が入間郡山田村(現・川越市)なのですが、三芳野村の南、山田村の西に、小畔川に沿って高麗郡名細村が割り込んだ形です。

町村制施行時に埼玉県が作成した地図によると、三芳野村と山田村とは、合流点から南にかけて、200mほどですが、入間川を介して隣接していると認められます。
つまり、入間郡は高麗郡名細村により2つに分断されていなかったことになります。

現在の地図で、この関係を確認してみようとしたのですが、河川改修で入間川と小畔川とが東に向きを変えたために、判然としません。
Mapionで表示される字名ではどうなっているかというと、川越市大字平塚のようです。落合橋南詰の川越市大字福田ならば間違いなく旧・山田村ということになるのですが、平塚は旧・名細村だった大字です。
結局のところ、Mapionに現れる字名では、入間郡三芳野村由来の坂戸市大字紺屋と入間郡山田村由来の川越市大字福田とは隣接しておらず、高麗郡名細村由来の川越市大字平塚で分断されているということになりました。

入間郡が分断されていないことを当局が示した明治22年埼玉県管内図と、分断を疑わせる現代の大字のデータ。疑問は解けていません。

関連して、入東・入西。

[75353] 播磨坂 さん
普通、西入間郡・東入間郡のように郡名も分けるものじゃないですかねえ。
[75355] mul-sa さん
一つの郡を複数に分けて「東」「西」等つけるのは、近代になってからの動きではないでしょうか。

中世に入間川を境に東西に分けて入東郡・入西郡と呼んだことがあったようです。
正式のものではなく 通称かもしれませんが、1954年まで存在した 入間郡入西村 は、入西郡に由来すると思われます。
[7260][68432] Issie さんの記事もご参照ください。入西くどき という言葉もあるようです。

落書き帳を検索すると、幻になった2003年の2市2町合併構想の際に、「入東市」という名が7票が入っていたという記事[19277]があります。

[75356] 2010 年 6 月 15 日 (火) 07:26:08 mul-sa さん
 地名の変更と駅名の変更

[75354]ニジェガロージェッツさん

地名の変更に伴う駅名の変更ですか。
そういえば、三重県伊賀市にある「上野市駅」は、市町村合併に伴って伊賀市になった今も、駅名がそのままですよね。

一方韓国には、全羅北道に益山市というところがありますが、ここは1995年まで裡里市という名称でした(というより、裡里市と益山郡とが合併して益山市が生まれました)。
ここの中心駅裡里駅は、1995年のうちに益山駅に改称されています。

[75355] 2010 年 6 月 15 日 (火) 07:14:19 mul-sa さん
 高麗郡と入間郡
hmt 埼玉県入間郡域

[75353]播磨坂さん

「二つに分かれた入間郡」、確かに不思議ですよね。

>どうやら入間郡の一部(今の日高市と飯能市の一部)を割いて高麗郡を設置したのが始まり

とのことですので、

1.当時の地理的なまとまりを単位として入間郡を設置
2.入間郡の一部に渡来人が数多く移住
3.従来の住民とは大きく異なる人々が住むことになった地域について、別々の行政単位を設けた方がよいと判断され、高麗郡を設置

ということなのかなぁ、と勝手に想像しています。

wikipediaの「高麗郡」の項にも、

>716年、朝廷が駿河など7ヶ国に居住していた旧高句麗の遺民1799人を武蔵国に移したことにより高麗郡として設置されたのが最初である。

とあります。

ところで、一つの郡を複数に分けて「東」「西」等つけるのは、近代になってからの動きではないでしょうか。
高麗郡は新座郡(郡役所は北足立郡と同じ浦和町)と同様、郡内に郡役所がおかれず、入間郡川越町におかれていました。
高麗郡を早晩入間郡に編入し、分断状態を解消することが想定されていたので、特に分けられることもなかった……
そんな経緯だったのでは、と推察します。

[75354] 2010 年 6 月 15 日 (火) 00:51:35 ニジェガロージェッツ さん
 改称(露鉄の駅名)

わが国のお話ではなく恐縮ですが,自分の投稿した過去記事の内容が,その後変更になっていることでメンテナンスさせていただきます。

ニジェ[73479]
確かにゴーリキー州ゴーリキー市は改称されましたが,鉄道ターミナル駅はゴーリキー・モスコフスキー駅のまま
2009年の大晦日に書いたものですが,その3ヶ月後の2010年3月30日付けで件の駅名は「ニジニノヴゴロド・モスコフスキー駅」に改称されていました。
ロシア連邦政府決定第196号によるものです。
市名の改称から20年近くも経って,何を今更という気がしますが,それがあの国らしいところです。
上記リンク先はロシア連邦政府のサイト内にあるもので,全文ロシア語ですが,鉄道駅名の付与と改称についてのことで,鉄分豊富な諸兄の中には興味を持たれる御仁もおられるかもしれないので,参考まで微力ですが下記に逐語訳しておきます。
(因みに小生は「鉄」ではありません)

-----------------
2010年3月30日付 決定第196号
カレリア共和国における地理的対象への名称付与,およびニジニ・ノヴゴロド,スヴェルドロフスク両州における地理的対象の改称について

連邦法《地理的対象の名称について》に応じて,ロシア連邦政府は以下のように決定する:

公開株式会社《ロシア鉄道》の申し出により,国家登記、台帳および地図作成連邦局の提出に基づき:
a)カレリア共和国領内の公開株式会社《ロシア鉄道》支局,オクチャブリ鉄道のコチコマ=レドモゼロ-2線の14,39,62,83,102および121km地点に開設された鉄道駅に,《チョールヌイ・ポロク》,《クチョゼロ》,《ペトロゼロ》,《ルゴゼロ》,《チクシャ》および《レドモゼロ-2》の各名称を付与する

b)改称:
ニジニ・ノヴゴロド市内に存在する公開株式会社《ロシア鉄道》支局,ゴーリキー鉄道の鉄道駅,ゴーリキー=アフトザヴォードをニジニ・ノヴゴロド=アフトザヴォードに,ゴーリキー=モスコフスキーをニジニ・ノヴゴロド=モスコフスキーに,ゴーリキー=ソルチローヴォチヌイをニジニ・ノヴゴロド=ソルチローヴォチヌイにそれぞれ改称する。
エカテリンブルク市内に存在する公開株式会社《ロシア鉄道》支局,スヴェルドロフスク鉄道の鉄道駅,スヴェルドロフスク=トヴァールヌイをエカテリンブルク=トヴァールヌイに,スヴェルドロフスク=パッサジールスキーをエカテリンブルク=パッサジールスキーに,スヴェルドロフスク=ソルチローヴォチヌイをエカテリンブルク=ソルチローヴォチヌイに改称する

ロシア連邦首相 V・プーチン

#ニジェ注:
アフトザヴォードは自動車工場を表す名詞。また上記の場合,本来は形容詞だがソルチローヴォチヌイは操車場を,トヴァールヌイは貨物駅を,パッサジールスキーは旅客駅を名詞的に表す。

今回は駅名の変更だけで,支局名オクチャブリ(十月),ゴーリキー,スヴェルドロフスクには変更が及んでいない模様。
なんだか・・・

[75353] 2010 年 6 月 15 日 (火) 00:29:06【1】 播磨坂 さん
 武蔵国高麗郡
hmt 埼玉県入間郡域

こんばんは。

つかんぼやとさんの市町村変遷パラパラ地図で埼玉県を眺めていたのですが、1つ妙だと思うことがあったので。

明治29年の入間郡への編入を以て消滅した高麗郡ですが、当地図を見ていると高麗郡が入間郡を2つに分断しているんですね。最近では飛び地合併もよく見られますからそこまで珍しくもないんですが、近世以前で飛び地(しかも郡)ってのはかなり珍しいのではないかと思いまして(藩だと無数にありますが…)。

wikipediaで高麗郡の項を見てみると、どうやら入間郡の一部(今の日高市と飯能市の一部)を割いて高麗郡を設置したのが始まりのようで、それが徐々に北東へと拡大したことで入間郡を分断するに至ったものと推測します。

それにしてもこのような例は他にも存在するのでしょうか。郡域が大きく2つに分かれているのも珍しいと思い、つい投稿しました。以上です。

【追記】
普通、西入間郡・東入間郡のように郡名も分けるものじゃないですかねえ。

[75352] 2010 年 6 月 14 日 (月) 21:54:13 白桃 さん
 甲府、船橋、相模原、そしてカメルーン

最初の三都市の方々(人口的には、優に150万超え)に
「東かがわ市、あるいは三本松っていう名前に記憶ありますか?」って訊いても、おそらく1%もないでしょうね。ところが、東かがわ市、とりわけ三本松に住む人にとって、上記三市は、三本松高校が甲子園に出たにもかかわらず、負けてくれなかった高校、スナワチ、東海大甲府、市立船橋、東海大相模の所在地の市として心に刻まれていると思います。
つまり、スポーツ、特に団体競技の場合、格上と格下がありますが、一般的に言って、格下の方こそ相手のことをよく研究(戦法、戦略、戦術は勿論、その地の人口、歴史も含めて)しなければならない。研究しても負けるときは負けるのですが、研究することは、いやそんな大げさな事を言わなくても、相手の国や地域のことをチョコッと知ること、これは非常に重要なことだと思います。私、サッカーは詳しくありませんが、日本はカメルーンよりは格下なんでしょう。その割には旧:中津江村のことを思い出すくらいで、カメルーンのことは何も知らないのです。NHKもスポーツは国際親善にも貢献するものだと言うのなら、対戦相手国の実力や戦法以外に、もっともっと国民にいっぱい伝えることがあるのではないか、と思います。

補足:私の知っているカメルーン
・世界史年表では、旧宗主国がドイツとなっていた
・主都はヤウンデ、人口最大都市はドアラ
・国の形状が直角三角形?、残りの角度は30度?と60度?

[75351] 2010 年 6 月 14 日 (月) 13:30:57 むっくん さん
 自治体を越える地名など

まずは自治体を越える地名から。

東近江市君ヶ畑町/犬上郡多賀町大字大君ケ畑
元には愛知郡君ヶ畑村/犬上郡大君ヶ畑村です。前者は惟喬親王が当地に幽閉されたことより君ヶ畑村と呼ばれ、後者も惟喬親王に由来する王子ケ畑より大君ヶ畑村と呼ばれました。

堺市北区八下北/堺市東区八下町

大阪市此花区西九条/大阪市西区九条・九条南
隣接はしていませんが近接はしているものです。
本来は一体でしたが西成郡九条村の真ん中に1684年に河村瑞賢が安治川を開削したことにより、川の南東側の本村の九条に対して川の北西側のことを西九条と呼びました。この際、安治川両岸にそって安治川新地の各町が町立てされて大坂三郷に編入されたことにより九条と西九条は隣接しなくなりました。
九条村の部分の大阪市編入以降は町名は様々に変わりましたが、現在の西九条は明治22年以前の川の北西側の西九条の一部であり、現在の九条・九条南は川の南東側の本村の九条の一部です。

豊中市三国/大阪市淀川区西三国・東三国・三国本町
直接関係あるのは豊中市三国/大阪市淀川区西三国・東三国で、三国本町は直接には西三国・東三国としか関係がないです。ただこれら4者は神崎川の別称である三国川と関係があるのですべてで直接関係がある言うことも可能かもしれません。
(1)豊中市三国
元は豊島郡菰江村にありました。菰江村は1889年に庄内村大字菰江となり、1939年に庄内町大字菰江となり、1955年に豊中市菰江となり、1957年に豊中市菰江本町1〜2丁目となり、1973年にその一部が豊中市三国1〜2丁目となりました。私は三国2丁目にあった豊島郡菰江村字三国という小字が豊中市の三国の由来であると推測します。
(2)大阪市淀川区西三国・東三国
元は西成郡蒲田村にありました。蒲田村は1889年に北中島村大字蒲田となり、1925年に大阪市の一部となったのと同時に三国町となり、その後西三国と東三国などにわかれました。大阪市淀川区HP区の町名の由来によると
昔より大字蒲田の西部の一隅に三国島という小字地名があり、それによって阪急電車宝塚線の当地最寄駅名を三国駅と定めたことに影響を受けたのに由来します。桓武天皇が長岡京造営のさいに開削した神崎川を三国川と呼称したことにもよります。冠称の「西」・「東」は町域を東西に二分した際、その西部・東部に位置したことによります。
とあり、西成郡北中島村大字蒲田に1910年に出来た三国駅の存在が、大字蒲田を消滅させたので、これは交通由来町名とも言えます。
(3)大阪市淀川区三国本町
元は西成郡宮原新家村にありました。宮原新家村は1889年に北中島村大字宮原新家となり、1925年に大阪市の一部となったのと同時に三国本町となりました。大阪市淀川区HP区の町名の由来によると
三国駅に近い商工の町として「本町」の付称を用いたことによります。
とあることよりこれは交通由来町名であり、豊中市三国とは直接は関係が無さそうです。


次は地名コレクションへの情報提供です。

>星野彼方さん
「交通由来町名」コレクションに上記の大阪市淀川区三国本町大阪市淀川区西三国大阪市淀川区東三国をいかがでしょうか。

「瀬戸」コレクションに次のものはいかがでしょうか。
小江の瀬戸(乾の瀬戸)(香川県小豆郡土庄町)
参考:小豆郡誌(著・出版:香川県小豆郡役所、T10.3.29)、香川県観光交流局にぎわい創出課沖之島,沖之島へのアクセス

「猫」コレクションに次のものはいかがでしょうか。
猫塚公園(福岡県宮若市)(種別:バス停)
参考:猫塚の話
またこのバス停を北側に登ると猫塚峠(福岡県宗像市/福岡県宮若市)があります。
参考:宗像市HP>むなかた電子博物館宗像市の自然環境の概況1(PDF)1コマ

>牛山牛太郎さん
「文字数逆転」コレクションに次のものはいかがでしょうか。
鳴呼難儀坂(あなぎざか)(長崎県対馬市)
場所はウォッちずによります。

>かすみさん
「渓(渓谷・渓流)」コレクションに次のものはいかがでしょうか。
来栖(くるす)渓谷(香川県さぬき市)
参考:香川県HP乗車定員若干名。

>EMMさん
「希少地名 (山)」コレクションに次のものはいかがでしょうか。
鳥居岬(とりいざき)(千葉県君津市/富津市)
鞍部ではない稜線部を越えていくところにあります。名称としては鳥居峠、鳥居越、鳥居乗越などがより適当ではないかと思われますが、鳥居岬というのは珍しいのではないでしょうか。
歌川(安藤)広重の冨士三十六景・上総鹿埜山は鳥居岬から書かれたのであろうと言われています。場所はウォッちずによります。


------------------------------
最後に別件です。
[75350]hmtさん
一部ですが、一致しない町もあります。例えば現在の江東区役所が置かれている東陽4丁目近辺は、明治11年布達では既に深川東平井町として記されているのですが、変遷情報では見当たりません。変遷情報には“南葛飾郡平井新田の一部”が記されています。
類似の不一致は、深川本村町・深川千田町・深川西平井町・深川古石場町など、深川の中でも東部や南部に見えます。
hmtさん御提示の現行東京府布令類纂によると、これらの町は明治24年3月の東京府令第28号で成立したとあります。ゆえに明治22年の市区町村変遷情報(市制町村制施行時)東京府には記載されていないものと考えられます。
ただ、東京府令第22号(M20.5.4)で成立した洲崎弁天町一丁目などの記載が抜けていることも事実ですが。
#余談ですが、市区町村変遷情報(市制町村制施行時)の記載分に関しては当方で正誤のチェックは総て終えています。ただ、現在88さんがお忙しいようですので、これに関しての投稿は無期限延期としていますが。。。

[75350] 2010 年 6 月 13 日 (日) 23:20:12【2】 hmt さん
 東京臨海部の陸地化 (4)深川の町名 過去の分断地名「葛飾」
hmt 東京臨海部の陸地化

東京臨海部には約90km2もの埋立地があり、その3割は江戸時代に作られました。
日比谷入江など江戸城に近い重要地もあるのですが、大きな面積を占める深川地区を中心に、その様子 を記してきました。

このシリーズで毎回参照してきた 江東区の地名 に示されているように、江東区には45の町(便宜上、丁目による分割を無視)があります。
内訳は、明治以前の深川区が27、昭和に東京市に編入された城東区が6、新しい埋立地が12ということになり、横十間川以西に古くから開けた深川区域が多数の町に分かれていることがわかります。

[74334]で触れたように、郡区町村編制法を受けて、明治11年11月2日に東京府布達第49号(郡区名称区域) が出されています。
402〜407コマには、東京府深川区になった約100の町名(これも“佐賀町二丁”のようにまとめている)が列挙されています。現在の27町を多いと書きましたが、これでもかなり統合された結果であることがわかります。

明治22年東京市新設の変遷情報 には、市制町村制施行前の町村名等が列挙されています。その最後の方に記されている(深川区)深川佐賀町一丁目から(南葛飾郡)千田新田までは、上記明治11年東京府布達との対比により、大部分が一致していることがわかります。

一部ですが、一致しない町もあります。例えば現在の江東区役所が置かれている東陽4丁目近辺は、明治11年布達では既に深川東平井町として記されているのですが、変遷情報では見当たりません。変遷情報には“南葛飾郡平井新田の一部”が記されています。
類似の不一致は、深川本村町・深川千田町・深川西平井町・深川古石場町など、深川の中でも東部や南部に見えます。
【追記】
この件に関しては、[75351] むっくん さんにより不一致の理由を説明していただきました。
引用した資料は、ご指摘のように明治30年12月の「現行東京府布令類纂」に収録されたもので、東京市になってから後に成立した町名が追加されていたのでした。自分でも[74335]を書きながら、この事実に気が回りませんでした。

郡区町村編制法で、深川区になった区域は、事実上横十間川以東の南葛飾郡と分離することになりました。
昭和になって東京市に隣接する5郡には20区が新設され、南葛飾郡には城東区、江戸川区、葛飾区が誕生(1932)。
亀戸町・大島町・砂町から作られた城東区は、戦後の1947年に深川区と統合して江東区に。

江東区域の歴史を振り返ると、必然的に「南葛飾郡」という地名が出てきます。近くには「葛飾区」も現存します。
この「葛飾」こそは、[75298] オーナー グリグリ さんの、自治体越えの地名に関する発言
私の趣旨は、「同一地域を表す地名が自治体境によって分断された地名」にありました。
の代表例です。
アーカイブズ なぜ「葛飾」は複数の都県にまたがっているのか? があります。
もともとは下総国葛飾郡が、近世初期に概ね利根川以西が武蔵国になり分断。

明治になると、武藏國の葛飾郡は東京府南葛飾郡と埼玉県北葛飾郡の管轄になり、元々の下総国も千葉県東葛飾郡だけでなく、茨城県西葛飾郡と埼玉県中葛飾郡の管轄さえもでき、5つに分断されました。
[62795]でもリンクしておきましたが、郡区町村編制法を受けた 明治13年太政官布告第22号別冊 の68〜69コマに出ています。


石川県の4自治体に分散する「湖東、湖西、湖南、湖北」の例[75173]よりも雄大な「葛飾郡」は、分断地名として張出横綱格の存在ではないかと思われるのですが、地名コレクションでは、現存の地名という縛りのために正式の土俵入りは難しいことになるのでしょうか。
なにしろ、本家本元の千葉県東葛飾郡でさえ消滅してしまい、現存地名といえば東京都葛飾区と隣接していない埼玉県北葛飾郡が辛うじて残るのみ。

同様に遠い関係になっているのが、東京都足立区と埼玉県北足立郡の残存部。
佐賀県と長崎県に分断されている4つの松浦郡は、現在でも辛うじて残っていますが、これも隣接は失われています。南松浦郡は五島列島ですから、元々隣接は無理なのですが。

というわけで、現存地名コレクションとしては元々無理筋の郡名なのですが、埋立地>江東区の話を、無理やり自治体越え地名の話にまで結びつけたお粗末の一席。

【追記2】
原因不明なのですが、6箇所あったテキストリンクが すべて消失していたので、とりあえず復活しておきます。

[75349] 2010 年 6 月 13 日 (日) 22:04:25 星野彼方 さん
 ロータリーコレ 情報提供

しばらく前に発見して、現地も訪問しているのですが、ちょっと紹介し損ねていたロータリーの情報です。生存証明も兼ねて紹介します。

場所は兵庫県多可郡多可町鍛冶屋(地図(Mapion))、旧鍛冶屋線の鍛冶屋駅のまわりをぐるぐるまわる格好になっています。この駅跡、鍛冶屋線記念館となっていますが、正直展示品は貧相です。っていうか、中は入ることができるのですが、肝心の展示室(?)は鍵がかかっていて見ることができません。鍛冶屋線の資料館としては、同日訪問した西脇市にある旧市原駅の方が充実しています。

話がそれてしまいましたが、今まで見逃されていたのが不思議な物件です。EMMさんよろしくお願いします。

[75348] 2010 年 6 月 13 日 (日) 22:00:12 スナフキん さん
 いろいろレス

ボロが出そうだったので、しば〜らく書き込みしないでいましたが…。

[75344]EMMさんの書き込みを見て、そう言えばずいぶん昔に自分も似たような話題で何か書いた記憶があったなぁ、というのが[29294]で出した名古屋の「本山」ネタでした。ニュアンスは若干違っていますけど、本当の読み方の影が薄くなって別な読み方が広く流布…という点は共通項ですね。

私が勝手に思っているだけなのでアレですが、語感が似ているのでつい思い浮かべてしまうのが三重県鈴鹿市の「白子」です。これ、近鉄の駅名にもなっていて、読みは当然「しろこ」。しかるに、私を取り巻く環境下では例えば、埼玉県和光市の地名は「白子」と書いて「しらこ」ですし、千葉県は九十九里浜のそれもやっぱり「しらこ」。なので、ホント地図屋になるまではずーっと、鈴鹿のそれは「しらこ」だと信じ切っていました。今でも、読み「しろこ」にはどうにも違和感があります。

そういう感覚を持ち込んでしまうと、かほく市の「白男」も「しろお」と読んだり、「雨晴」を「あまばらし」と読んだりするのは何だかしっくりこないのですよね…何だろう、単純に自分の感覚がそうだというだけなんだろうか? 知名度を上げる何か(IC名や駅名)に物凄く引っ張られているせい? 感覚云々はそれこそ十人十色で人ぞれぞれですから一概には言えないと思いますけど、私が当初書き込んだ例の「本山<ほんやま>」も、何かこうちぐはぐな感じが…単に例が少ない、とかいうだけならどうして「しろお」「あまばらし」がしっくりこない感覚に陥るんでしょうか、不思議な気がします。

[75161]グリグリさん
拙データをお使い下さっているとのこと…おっしゃって下されば乗り入れ路線名無制限バージョンのデータ、グルグリさんにはご提供可能です(webには一応、フルデータから路線名を2本に絞っている旨明示しています)。むやみやたらにアクセス可能なネット上で、自分が苦労して手入力した全データをドカッと出しちゃうのはプライドが許さなかった(汗)のですが、落書き帳には公私共々お世話になっていますし、お申し出があれば快く(excelまたはそれに順ずる形式にて)ご提供します。ただ、駅データ.jpのサイトを見る限り、全く同一のもの、あるいはその代替品としては使えないようです。と言うのも、(相手にケチつけるようで恐縮ですが)あちらの路線名は随所に「?」な点が多くあり、私のデータ作成基準には到底適合しないようなちゃらんぽらんなものまで含まれたりしているため(例:成田エクスプレス・湘南新宿ライン)。

そうは言っても、乗り入れ路線名の解釈は実は、「乗換駅」とか「地下鉄」とかいう概念がいかなるものか(般若堂そんぴんさんにちょっと熱く語ってもらいたい気分?)を考えるのと同じくらいにファジーで難しい部分であるのも事実で、私のデータに記載の路線名こそがすべてで正しいもの、とも思っていません。結局、こういうあいまいな概念をデータ化するには、きちっとした拠り所が必要となるのであり、私はそれを国交省が監修する準公的文書「鉄道要覧」にした、というだけの話。なので、私のデータには「赤羽線」や「首都圏新都市鉄道常磐新線」が出てきてしまう反面、「神戸高速鉄道」を例外としながらも「千葉ニュータウン鉄道」が出てこないという…このあたり、鉄道にちょっと明るい方ならうなずいていただけるはず。

ただの羅列とばかり思っていたデータ、意外に活用できるのですね、作った本人がちょっとびっくりです。内容について誤植の可能性を否定はしませんが、実際に職場でもこのデータを何度か地図図面にテキストを飛ばす形で利用しており、そのたびに校正して誤植が発覚するとその都度直している上(データ流用って、実はこういう時に威力を発揮する側面もあるんです)、ありがたいことにwikipediaのデータにぶつけて差分を取ってくださった方もいらっしゃり、限りなく精度を上げることができています。思えば、当初のデータ立ち上げはWindows3.1時代…いや大学はまだDOSだったな…にLotus1-2-3で入力していましたっけ。自宅と大学とで暇があれば入力を進めていましたが、当時のしょぼい知識がベースにあって思い込みによる誤植が結構多く、データを長く引き継ぐことで精度を上げられたということを考えるにつけ、自分としては下らないと思いつつもデータを維持してきたことにはそれなりの意味があったなぁと、当時を懐かしく思い出したりします。ご承知のように、すでにLotusは表計算ソフトとしては完全に亜流と化し、自身のデータもexcelおよびファイルメーカーによるデータベース管理方式に改めています。総計10000件近いレコード数なので、DBとして扱う方がむしろ好都合と言えますかね。

ちなみに、プライオリティを付与する参考になればと、各駅にはあとからJTB時刻表などより県・市の代表駅やみどりの窓口の有無、始発終着列車の有無あたりを拾って属性付与までしてあります。必要があればそれら情報もお出しできますのであわせてお知らせください。

[75347] 2010 年 6 月 13 日 (日) 21:16:31 Mujon さん
 自治体を越える地名(名古屋市・他)

名古屋市の区境越えの地名から。

名古屋市東区東大曽根町・同区大曽根/名古屋市北区東大曽根町・同区大曽根
駅名にもある大曽根ですが、昔の大曽根村の中心は名鉄瀬戸線森下駅付近でした。明治初期に一部が名古屋区に編入され、残りは明治22年に他の村と合併し六郷村。そして名古屋市東区に編入され、昭和19年と21年に一部が北区に編入されております。
大曽根商店街のある森下駅から大曽根駅にかけてのエリアは、北区東大曽根町「上」とか「本通」とかが続く複雑な名前でしたが、平成16年に住居表示が実施され大曽根四丁目となりました。

昭和区高峯町・同区八雲町・同区宮東町・山手通/千種区の左記同町名
元は昭和区のエリアでしたが、昭和39年に名古屋大学の占める部分を千種区に編入。

北区桝形町/西区桝形町
ここは分割ではなく隣接地でなぜか同じ町名、しかも双方とも一丁目のみ。
北区桝形町は昭和19年に光音寺町から一部が分立。西区桝形町は昭和17年に稲生町から一部分立。

中川区烏森町/中村区烏森町
中村区岩塚町/中川区岩塚町
中川区野田町/中村区野田
西区栄生/中村区栄生町
西区枇杷島町・西区枇杷島/中村区枇杷島町[75299]伊豆之国さんと重複)
この五箇所はいずれも鉄道線路による分断。左の区より分離し右の区へ編入されております。


名古屋市は他に住居表示実施で、区を越えて同じ町名とする例が幾つかありますが、ここでは割愛しました。
で、名古屋を離れて。

愛知県岡崎市川向町/愛知県豊田市加茂川町(字)大川向
岡崎市と豊田市を分ける川の名は郡界川。岡崎側が旧額田郡、豊田側が旧西加茂郡。
岡崎市の川向へは、この図から西へ離れた川向バス停まで、東岡崎から名鉄バスが一日二回来ています。折返しの場所は岡崎市内ではなく、橋を渡って豊田市側の民地を利用して折り返しています。

愛知県豊田市閑羅瀬町/岐阜県恵那市串原(閑羅瀬)
豊田市の閑羅瀬は元は東加茂郡旭町。恵那市の閑羅瀬は元は恵那郡串原村。平成の大合併で現在の市になっております。
岐阜県では小字を住所に用いない方針だそうで、この図も閑羅瀬は載っていませんが、3000分の1には載っております。
閑羅瀬の名は、東海自然歩道のルートがここを通り、覚えました。

これで、私の把握分はここまで。あとは全国版を探してみようかな。


[75299]伊豆之国さんの枇杷島ですけど、
元は同じ地域だったのが、庄内川の流れが変わったために分かれたのでしょう。
これは今はありませんが、かつて庄内川には中島と呼ばれた中洲があり、この中島にかつての西春日井郡庁と西枇杷島町庁舎がありました。中島の形が果物の枇杷に似ているとも、また楽器の琵琶に由来があるともいわれておりました。
中島は名鉄橋梁のやや上流から今の新幹線の橋梁すぐ下流まで続いており、古い写真を見ると名鉄のトラス橋が二つにわかれ、島の部分で切れているのが分ります。
いずれにせよ、西枇杷島町も名古屋の枇杷島も、同じ枇杷の形した島を由来とした地名ですね。

[75346] 2010 年 6 月 13 日 (日) 07:19:57 白桃 さん
 現地実地調査

昨日、カミさんと二人で「人口の社会的増減に関する研究」のための実地調査に千葉県外に出かけてまいりました。新浦安駅から片道1,620円のところなんですが、目的地の駅の手前の駅は千葉県なんです。
調査のために舟に2回乗りました。2回乗った理由は、1回目の舟が、県内で一番人口の少ないソノ市のほんの一部をチョロっと往復するだけで、ウチのカミさん曰く「なに、これだけで千円」と、相当ご不満の様子だったからです。2回目の舟は千葉県エリアまで進出し、遊覧時間は70分でした。
舟の漕ぎ手は地元の女性で、田笠の紅緒をちらつかせながら、葦や真菰の間をクグリ抜けて行きます。で、ご当地を唄ったアノ2曲を美声で歌うのです。そして、ヨシキリの声が伴奏・・
てな、感じなんです。(ウソは書いてませんが、実態はイメージより、高齢化、人工化、殺風景化:)
舟に乗りあわせた酔っぱらいのオジさん(立川から団体専用列車で来たとか)が、「おネエさん、歌詞カード無いの、あれば、もっと盛り上がるんだけどな」と言うと、
漕ぎ手の女性「あんだけど、配るの面倒くさくて、田舎のババアだからヨ、ところで、お客さん、乗船切符もらった?、あれ回収しないと、お給料もらえないから。」
酔っぱらい客の奥さん「あら、いや〜ね。乗る時渡したじゃん」
もう、風情もなにもあったもんじゃありません。

♪ぎっちら、ぎっちら、ぎ〜ちぃら〜こ・・・だけが耳に残った小旅行でした。

[75345] 2010 年 6 月 12 日 (土) 22:47:44 EMM さん
 「盆地」コレクション情報提供

>らるふさん

拙稿[74962]
(実はもう1点見つけているのですが、用例が特殊なので詳細確認後ご案内したいと思います)
としていた「盆地」案件についての情報です。
実は、「穴水盆地」でネット検索するとそこそこの件数がヒットします。
Yahoo!検索結果google検索結果
ところが、検索結果を見ると、すべて「西川島・I 穴水盆地における中性遺跡群の調査」(穴水町教育委員会)という特定の書籍名であるのが分かります。
実質1つのデータである上に、書籍名だけでは内容が分からず、地層中に見られる「昔の盆地の痕跡」である可能性も捨て切れません。
なので、図書館に行ってその本を借りてきました。(地元ネタの強み)
紙面中から抜粋します。
7.ま と め
 奥能登玄関と言われ、内・外浦往来の要衝にあたる穴水盆地は、東西約1.7km、南北約1.2mをはかる。沖積低地の少ない奥能登にあっては、集落形成上、格好の立地条件を有している。
(75ページ)
また、調査対象となっている遺跡群はこのあたり、地図中の白山町交差点から穴水駅の間の地域に点在しています。

遺跡群の位置からすると内陸部を中心にして考えたくなるところですが、東西・南北の長さの表現からすると「穴水の集落のある平地全部」を指し示しているようです。
穴水湾には面していますが、平地と海の接する部分の距離は短く、湾の両サイドも山で挟まれていて「ほぼ山に取り囲まれている」と見なされているようです。
この「穴水盆地」と言う表現、この本と関連の本のタイトルでしかネット上には出てきませんが、「穴水は盆地状の地形である」という表現は能登半島地震関連の記事で散見されました()ので、検討してみる価値はあるのかなぁ、と考えました。
採否はらるふさんにお任せしますので、ご検討方よろしくお願い致します。

[75344] 2010 年 6 月 12 日 (土) 22:37:39【4】 EMM さん
 かほく市白尾(しろお)…広く通用している読み方を、地元の人がしていなかった事例

[75172] オーナー グリグリ様
これまた遅ればせながら、で申し訳ありません。

読めません^^;
昔は記憶にあったかもしれませんが、今は白尾そのものが記憶にないです。
読むとすれば普通に「しらお」です。中学の同級生にいましたから。

で、地図で調べて記憶が蘇ってきました。白尾ICがありましたね。で、頭の中の読みはやっぱり「しらお」です。
その白尾ICがあるもんですから、かほく市内の字名でも多分知名度トップなのが「かほく市白尾」。
特に金沢市の中心部・北部・東部から能登方面に行く時は「国道159号線か河北潟広域農道で宇ノ気まで出て、そこから白尾ICに乗る」のが能登有料道路ができてからの定番(能登海浜道路白尾IC〜柳田(やないだ)ICが開通したのは1973年、能登海浜道路と能登半島縦貫有料道路の名称が能登有料道路に統一されたのが1982年)なので、EMMはご幼少のみぎりから耳なじみの地名です。
で、ドライブの時に親がいつも言っていたのは「しらおインターから海浜道路乗るぞ」。
小学校のバス遠足で能登方面行く時も、先生やバスガイドさんの説明では「しらおインターから能登海浜道路に乗ります」。
有料道路にある標識のローマ字も「Shirao」。
当然身の回りの人たちの読み方もすべて「しらおインター」。
更に言うと、郵便番号簿を見ても七塚町白尾の読みがなは「しらお」。
だから物心付いた頃に刷り込まれて以来あそこの地名は「しらお」だと認識してた訳です。が…
実は、就職して間もない頃に配属された先に、宇ノ気町や七塚町に住んでいる方が何人かいて、その中には白尾に住んでいる方もいました。
その方達の会話を横で聞いてると、やたらと「しろお」と言う単語が出てくる。
早いうちに「しろお」=「白尾」のことだと言うのは分かったのですが、なんで「しろお」なのかが分からない。
あまりに気になったのである時に「しろお、ってしらおじゃないの?」と聞いてみたところ、「よその人は『しらお』って読んでるけど、住んでいる人は『しろお』と読んでいる」という答えが返ってきました。更に聞いてみると、

・もともと「しろお」だったのに、何かの弾みで「しらお」が広まってしまい、それで通用するようになってしまった。
(何の弾みだったかも聞いた覚えがあるんですが、記憶に残ってない…)
・自治会一丸となって、「白尾」の読み方を「しろお」で統一するように各方面に対して運動している

とのことで、「目から鱗」もんでした。
ちなみにこの「地元の運動」は後に実を結んでおり、かつて「Shirao」だった能登有料道路の案内標識、ある時期(たしか8〜10年ぐらい前)からすべて「Shiroo」に変更されました。
更に、かほく市の合併協議の中で白尾に「シロオ」と読みがなが振られ(参考PDF)、それを基にして郵便番号簿の読みも「しらお」から「しろお」に修正されてます。

…と、ここまで書いていて、ふと「歴史的にはどうだったんだろう」と気になりました。
で、角川日本地名大辞典で「白尾」を探したら「しろお」で出てきました。あれ?
では「しらお」では出てこないのか?と思ったら、「白尾海岸(しらおかいがん)」と言う項目立てで出てきました。
発端がインターなのか郵便番号簿なのか海水浴場の紹介記事なのかは分かりませんが、何かに「しらお」という読みが振られたことが広範囲に広まってしまった…と言うことのようです。
「米原」がJRの駅名に引きずられて「まいはら」よりも「まいばら」で通るようになってしまったのに近いのでしょう。
あちらは「まいばら」を正式名にしてしまいましたが、こっちは昔からの呼び名でお墨付きをとった…とその後の展開は違いますが。

ということで「一般に通用している読みが地元の人のする読み方と違う」事例でしたが、雨晴については具体的にどうなのかはちょっと分かりません。
町名にはなってませんから地名の読みのお墨付きがある訳でもないので、現地での使用事例がどうなのかを積み上げて「地元でのポピュラーな読み」を判断するしかないでしょう。
難しいのは、特に「濁点」に関しては地元の人が「付けても付けなくてもどっちでも構わん」と言う場合があること。
雨晴は…どうなんでしょう?とりあえず由来である「雨晴岩」の案内看板の写真が載っているサイトを見つけたので参考までにリンクしてみます(こちら


#白尾ICが供用され始めた時期を考えると、グリグリさんが「白尾」という地名の印象が薄いのもやむを得ないかもしれません。

[75343] 2010 年 6 月 12 日 (土) 14:00:06 らす さん
 ループ橋コレクション 追加情報(2010年春・追記)

2点書き漏らしました。

▼大崎下島ループ(3) [69265]自分(コレクションに未掲載)
現地訪問しています。
橋梁名称は 久比ループ橋 でした。

▼下蒲刈小学校前ループトンネル(仮名) [69265]自分(コレクションに未掲載)
現地訪問しています。
トンネル部名称は不明でした。

[75342] 2010 年 6 月 12 日 (土) 13:46:12 らす さん
 ループ橋コレクション 追加情報(2010年春)

およそ1年ぶりの書き込みです。
以前に比べると、ループ橋の現地訪問・調査の頻度は減りましたが、細々と続けています。

新規2箇所と、掲載済みループ橋の追加情報がありますのでお知らせします。


(新規)

石山坂峠ループ(仮称)

三坂杣谷林道ループ(仮称)


(掲載済み)

▼琴畑林道ループ [61150]牛山牛太郎さん
ループ道を見つけました。
こちらです。岩手県遠野市の琴畑林道にあるループです。
現地訪問してきました。

▼春日台ループ [62785]みのるさん
現地訪問してきました。
アンダーパス部分の名称は永犬丸地下道(えいのまるちかどう)でした。

▼美都板井川ループ(島根r34) [49718]自分
現地訪問してきました。橋梁名称は板井川大橋でした。

▼大邑ループ
現地訪問してきました。橋梁名称は奥畑大橋でした。

▼青部跨線橋(仮名) [69265]自分
現地訪問してきました。橋梁名称は青部与一跨線橋でした。
国道のバイパスとして建設されているので、ループとしては時限的なものと思われます。

▼青龍橋
以前、私が訪問したときはまだ建設中でしたが、2010年4月28日に開通しています。


(おまけ)

笠間県立自然公園内のループ状道路
現地を訪問した友人によれば、平面交差のループとのことです。
車両通行止め区域ですのでループ橋の定義からは完全に外れますが、珍しい構造ですので話のタネに。


私のサイトには、これ以外にもこちらのサイトには未掲載の現地情報を載せておりますので、ご興味ある方はどうぞ。
http://www.kubok.net/road/project/

[75341] 2010 年 6 月 12 日 (土) 10:08:26 伊豆之国 さん
 自治体を超える地名(From尾張・Part3)&三大都市(その3)

まだまだこのシリーズ、「尾張」にはなりませんねぇ‥
「ご当地」というMujonさんの一連の書き込み([75323]他)に触発されて、私も「名古屋周辺には他にもまだあったな」と再び探し出してきました。今回は知多半島からいくつか。

大府市森岡町/知多郡東浦町森岡‥苗字研究家の森岡浩氏の著書の中でも、この地名について触れていたものがありました。JR武豊線の「尾張森岡」駅は、東浦町側にあります。

知多郡美浜町豊丘/知多郡南知多町豊丘‥「南セントレア市」ができていたら、「過去帳入り」していたはずだったのですが‥。

知多郡阿久比町横松/半田市横松上町


さて、「県下三大都市」の残り4県。
岐阜:岐阜・高山・大垣→三番目で迷いましたが、人口で上回るほうを。
愛知:名古屋・豊橋・岡崎
兵庫:神戸・姫路・西宮→さんざん迷った末、夏の一大イベントの聖地を。宝塚歌劇の知名度も捨てがたいのですが‥
福岡:福岡・北九州・久留米

[75340] 2010 年 6 月 12 日 (土) 07:27:15 アルバトロス さん
 小田原市+南足柄市

お久しぶりです。アルバトロスです。

3月に解散した、神奈川県県西10市町合併検討会に入っていた、南足柄市の市長が市議会本会議において、「小田原市との先行合併を希望」と示したそうです。が、合併協議会などの設置はまだ先のこと、先行きは不明です。
    参考:YAHOO!ニュースカナロコ

[75339] 2010 年 6 月 11 日 (金) 22:38:59 ペーロケ さん
 微妙なライン

[75331]グリグリさん
なるほど、隣接していない物も対象に含むのですね。[75281]では、非隣接は対象外だろうという考え方で、「惜しい例」という書き方をしてしまいましたが、この基準では蟹屋町は対象内になりますね。

で、問題は番外に記した「大須/大州」の方。元は一つの名前だったので、同じものとも言えるし、表記は違うものの読みは同じで「表記の揺れ」の範疇か、それとも、改名したんだから「別の地名」と捉えるのか、判断が分かれるところだと思います。

個人的には、対象外にしたほうが、判断基準がスッキリするとは思いますが。。。類似事例が山ほど出てきそうで、検証が大変そうですね。

[75338] 2010 年 6 月 11 日 (金) 18:27:57 Mujon さん
 自治体を越える地名(一宮市の追加)

愛知県一宮市に係わる自治体を越えた地名で追加です。

愛知県一宮市浅井町河田/岐阜県各務原市川島河田町
この辺り、私が子供の頃遊んだ所です。木曽川を挟んで河田の名があります。
岐阜県側はかつて羽島郡川島町でした。住所表記すると「羽島郡川島町河田町」と、町の字が二つ続く表記。各務原市との合併で表記が変わりました。

私の投稿[75337]で、訂正です。
元は緑区鳴海町大字兵庫、
の行、正しくは「元は緑区鳴海町字兵庫」です。緑区鳴海町は大字が編成されておりません。

[75337] 2010 年 6 月 11 日 (金) 16:27:17 Mujon さん
 自治体を越える地名(名古屋市の小地名など)

名古屋市の東部には、隣接する自治体との境界付近で何故か同じ小字の地名があったりします。

名古屋市名東区猪高町大字上社字井堀・同市同区小井堀町/長久手町大字長湫字上井堀・同町井堀
小字名の井堀が名古屋市と長久手町の双方に共通しています。
名東区小井堀町と長久手町井堀は、後の町名と住居表示名ですね。

名古屋市名東区天白町大字植田字梅森坂・同区梅森坂・同区梅森坂西/日進市梅森町・同市梅森坂
名東区の天白町は元は昭和区で、昭和50年の昭和区から天白区、千種区から名東区の分離の際に、一部が名東区へ移っております。この地図の中心点より少し北に旧の昭和区・千種区境界、すなわち天白町と猪高町の境界があり、天白町大字植田字梅森坂、猪高町大字高針字梅森坂と、小字名の梅森坂が二つの大字に跨っていました。
そして日進市のこのエリアは元は梅森村で、随分広い「梅森」があったものですね。

名古屋市緑区白土/東郷町大字春木字白土
緑区の白土は、元は名古屋市緑区鳴海町字白土。住居表示が行われ字白土は無くなっています。ここと隣接してなぜか東郷町にも字白土があるんですね。
余談ですが、「白土」バス停、名古屋市にも東郷町にも両方あるんです。しかも全く異なった位置に。
名古屋市にあるのは市営バス、東郷町のバス停は名鉄バスが通っています。
さらに余談で、市営バスの白土は同名のバス停が二つあり(W停という)、住居表示が行われどちらの所在地も白土ではなくなりました。白土には存在しない白土停留所ですね。

名古屋市緑区兵庫/東郷町兵庫
ここは直接は接していませんが、極めて至近距離です。
元は緑区鳴海町大字兵庫、東郷町大字春木字兵庫で、小字名の兵庫が近い所で共通しています。

名古屋市千種区天白町大字植田字植田山/同市天白区植田山
こちらは自治体ではなく、政令指定都市の区を越えた同名の例です。天白町とは上にも書いた通り本来は天白区に含まれるはずですが、ここ東山植物園の敷地にかかる部分は、昭和50年の新区分離発足の際に、昭和区から千種区に移されました。
この図の中心点は、この2月までSL「C62 17」が保存されていた場所です。

名古屋市千種区猪高町/同市名東区猪高町
ここも昭和50年の分離の際に境界が変わった場所で、猪高町の西側一部が千種区のまま残されました。
今は殆どで住居表示が行われていますが、ごく僅かに昔の名前が残っています。

[75336] 2010 年 6 月 11 日 (金) 15:41:55 かすみ さん
 乗り遅れ二題

こんにちは。自治体越えの地名どころか、県下三都市決定戦にも完全乗り遅れ。(汗)
兵庫県ですが、ワンツーはいいとして、スリーはわが尼崎市でなくてもいいですよ。もちろん西宮市もボツ。
でないと、みんな南部地域になってしまって、それもどうかなと素直に思うからです。
豊岡で姫路ナンバーの車を見るたびに違和感を覚えます・・・。

自治体越えの地名をわたしも探したいのですが、既出が多過ぎて重複しそうです。
ある程度まとまるまで待ってチャレンジしようかな。

[75335] 2010 年 6 月 11 日 (金) 14:39:22 N-H さん
 多摩川で分断された地名

多摩川をはさんで東京都側と川崎市側で同じ地名がいくつかあることはすでにここでも過去何回か指摘もあり、今回もいくつかあがっていますが、まだ今回リストアップにはあがってきていないと思われるものを。

東京都大田区下丸子/川崎市中原区中丸子・上丸子ほか
東京都世田谷区等々力/川崎市中原区等々力
東京都世田谷区野毛・上野毛/川崎市高津区下野毛
東京都世田谷区瀬田/川崎市高津区瀬田

どうもこいつらはあがってないようです。検索が足りなくて既出のものが含まれていたらすみません。上記のうち等々力と瀬田は直接は接してはいませんが、明らかに元は同じ地名でしょう。
このほか、おしいのは二子。川崎市には二子という地名が現存しますが、世田谷区側には駅名としての二子玉川があるのみです。

[75334] 2010 年 6 月 11 日 (金) 01:18:09【1】 EMM さん
 「自治体越えの地名」石川県編追加

[75250]で全部拾ったつもりでしたが、しっかり見落としがありました。
しかも先に投稿した「羽咋市金丸出町/中能登町金丸」の真隣。

羽咋市下曽祢町/中能登町曾祢

平成の大合併で解消されてしまった事例もありましたです。
先の投稿の内日角/外日角と違ってちゃんと隣接してるものです。
とりあえず参考事例と言うことで。
能美市東任田町(旧寺井町)/能美市西任田町(旧根上町)

あと、「藩政時代の村名であれば該当」と言うのもありましたが、これはさすがに行きすぎでしょうから例示はパス。

ここまで挙げたもののうち「石川県と富山県の沢川」は[75250]で経緯を触れましたし、「金沢市と野々市町の押野」については過去記事で何度か触れられています。
その他のものについて、日本地名大辞典や日本歴史地名大系を紐解いてみるとこんな感じでした。

金丸/金丸出町…金丸村の外縁部に開拓された新村に村御印が与えられて金丸出村が村立てされた
曾祢/下曾祢町…大永六年十月写の気多社年貢米銭納帳の中に「そ禰」とあり、ここに曾祢・下曾祢が含まれていると考えられている。
粟崎/向粟崎…粟崎の村民から「向」(むこう)と呼ばれていた事から、「粟崎の向こう」→「向粟崎」となったとされる。分村関係では無さそうだが、中世にさかのぼると両村とも倉月庄に含まれていたとのこと。
山田町/山田先出…山田村の村民が開いた新村が山田先出村だという説と、元々1つの村だったものが手取川の氾濫により分断されて分かれたと言う説がある。
(参考)東任田町/西任田町…中世は郡家庄内中庄任田郷と呼ばれ一体の集落であったが、安永元年に集落の中央で大火があり、それを気に東西に分かれたとされる(実際の分村は更に前であるという説有り)。この2村、明治の大合併では同じ吉田村となったが、昭和の大合併では吉田村は分割合併されたため東任田は寺井町・西任田は根上町に分かれ、平成の大合併では同じ能美市に属するようになる…と歴史的にくっついたり離れたりを繰り返しているある意味不思議な存在。

#中世の「荘園」をどう評価するか、がちょっと悩ましいかも。

##かほく市の内日角(旧宇ノ気町)・外日角(旧七塚町)も中世には「金津庄日角」と言う一体のものだったと考えられているようなので、「隣接していること」を絶対条件としておかないと収拾がつかなくなりそうです。

###その内日角と外日角の間に挟まっている「かほく市白尾」の話[75168]の解答編、話のオチの所で自分の認識とちょっと違っていた点が出てきたため一度書き直す羽目に。
8割方できているので、土曜に仕上げて投稿します。

[75333] 2010 年 6 月 10 日 (木) 22:56:47 伊豆之国 さん
 自治体を超える地名(From彩の国)&三大都市(その2)

今日は、埼玉から。

越谷市千間台東・千間台西/春日部市千間‥一帯は「せんげん台」の宅地開発地域で、大部分は越谷市なのですが、一部が春日部市にかかっていて、両市に分断される形になっています。

ところで「三都市選び」ですが、2番目までは簡単に決まるのに、どうも3番目選びで苦労するところが多そうです‥(過去に「三大○○論議」があったのを思い出しました‥[16457]太白さん、[16470]kenさん)。とりあえず今回私が選んだものを。

茨城:水戸・日立・土浦
→やはり日立は外せないのではないかと思います。30年ぐらい前までは、常磐線の(昼間の)特急が停まったのは県内では水戸と日立だけだったと記憶しており、現在でも特急が全部停まるのは水戸と日立だけのはずです。寄り合い所帯で、つい近年まで「汽車も通わぬ地」であった(こちら)つくばは、現・元市民の方には申し訳ないのですが、ここでは「選外」でしょう。
埼玉:さいたま・川越・熊谷
→私の祖母の故郷でもある、この県で最古参の市「小江戸」は外せません。残る一つは北部から日本一暑い町を。
千葉:千葉・船橋・成田
→3番目選びでは繁栄度から柏、というのも考えたのですが、「日本の空の玄関」という重要性から成田、というのもあるような気がします。天気予報の世界では、やはり2・3番目は銚子・館山ですが‥
新潟:新潟・長岡・上越
→こちらは異論がなさそうです。
残りの県は、後ほど。

[75332] 2010 年 6 月 10 日 (木) 22:03:22 EMM さん
 EMMの地名コレクション編集メモ・第173号 2件

[75298][75331] オーナー グリグリ様

遅ればせながら、「自治体越えの地名」コレクションを登録しておきました。
特にご指示ありませんでしたが、担当はグリグリさんで良かったですね?
「町名その他」のところにありますので、ご確認よろしくお願いいたします。

※と書いてから、確認のメールが入っていたのに気づきました。
対応遅くなり申し訳ありません。

−−−−−

それからもう1件。
これはかなり前に打診があったものですが、私の準備が遅れたためご報告が遅れてしまったものです。
実はたもっちさんから、ご自身の担当コレクションすべてをどなたかに引き継いでほしいと言うことで対応をお願いされておりました。
各コレクションとも市町村合併対応や情報提供の投稿があったことから、それらの対応を行った上で落書き帳上でご報告しよう…としたのですが、なかなか作業に手を付けられず、遅れ遅れになってしまいました。
たもっちさんには大変お待たせしてしまったことをお詫びいたします。
とりあえず、市町村合併に関する修正は行いました。
(見落としはあるかもしれませんが)
情報提供に関しては、新たに担当して頂ける方に対応をお願いしようと考えています。
ただし、情報提供が大量に溜まっている「ロータリー」コレについては当面私が担当者として対応します。
(情報提供に対する対応は順次行いますので、今しばらくお待ちください)
それ以外の「一音地名」「字名の“村”」「返読」「回文」の4コレクションについて新規担当者を募集します。
引き継いで頂くのは1つでも複数でもかまいません。
引き続き新規担当者募集中の「浜」コレクションも含めて、ご希望の方がいらっしゃいましたら落書き帳、またはメールにてご連絡ください。
よろしくお願いいたします。

[75331] 2010 年 6 月 10 日 (木) 20:41:53 オーナー グリグリ
 自治体越えの地名

自治体越えの地名への沢山の情報をありがとうございます。地名コレクションとして立ち上げて整理したいと考えています。定義範囲などいくつか質問が有りますのでお答えしておきます。

[75304] BANDALGOMさん
ただ、船橋市丸山が「江戸時代延宝年間に新しく開かれた新田集落であり、藤原と同様に行徳と深いつながりがある」という記述からすると、鎌ケ谷市丸山も同じく新田集落で、両者とも小字として存在していた可能性はあり、確かに「直接関係ない」とは言い切れないかもしれません。
ということで疑わしきは対象とするですね。より正確に言うならば、全くの偶然で関係ないということが明確でない限り対象とする、ということです。

[75313] 播磨坂さん
ただこれだと、グリグリさんの言われる
私の趣旨は、「同一地域を表す地名が自治体境によって分断された地名」にありました。
には該当しないので、タイトルを少しいじりました。あしからず。
赤松と小赤松には関係があると思われますので派生的分断の一種としましょう。

[75317] 伊豆之国さん
習志野市/船橋市習志野・習志野台・西習志野

これが、只今落書き帳を賑わせている「自治体越え地名」の仲間に果たして入るのかどうか?ということ。ガイドライン([75298])から判断すると、(4)の「菊川」などのグループに入りそうな気がするのですが、オーナー グリグリさん、判定はいかがでしょうか?
[75319] BANDALGOMさん
「習志野」は現在の習志野市・船橋市・八千代市・千葉市花見川区にまたがる広域地名であり、現在の習志野市はその一部にある津田沼町が、幕張町の一部を編入して改称したにすぎないわけで、これを「自治体越え地名」に入れるのは微妙ではないかと・・・。
全く問題ないです。完璧な分断地名です。BANDALGOMさんは広域地名なので分断されたとするのは微妙と言われていますが、そもそも広域地名の定義は何でしょうか。複数の自治体にまたがるような地名を広域地名というのであれば、自治体境に分断される地名の間に論理が循環してしまいます。習志野という地名が習志野市と船橋市の習志野地名に分断されている絵に描いたような自治体越えの地名だと思います。

そもそも広域地名を明確に定義することは難しく、[75298]で書いた富士や旧国名などを広域名として対象外とすることにも本来無理があると思っています。[75298]では、分断後の地名が両方とも自治体名の場合は対象外とした訳ですが、このような事例もそれほど数がある訳ではないので対象としてもいいかもしれません。富士市・富士宮市・富士河口湖町・富士吉田市、常陸太田市・常陸大宮市、つくば市・つくばみらい市、という感じですね。ただし、この場合はあくまでも隣接を条件とし、共通地名を持つ隣接自治体という括りでまとめたいと思います。

[75328] 播磨坂さん
自治体を越える地名として[75253]で指摘した「文京区大塚/豊島区南大塚・北大塚」ですが、グリグリさん[75298]の言われる
私の趣旨は、「同一地域を表す地名が自治体境によって分断された地名」にありました。
には該当しませんね。
(中略)
とここまで書いてからなんですが、もしかしたらこれ
(3) 派生的分断
一方、旧来地名から派生してできたと思われる分断例も数多くあります。
ということでOKなんでしょうか(となると[75313]も該当ということになるかと)。
とおっしゃる通り対象として全く問題ありません。

[75314] Hiro_as_Fillerさん、[75330] だいてんさん、お久しぶりです。

[75330] 2010 年 6 月 10 日 (木) 17:28:59 だいてん さん
 本籍地の話、地番の話

みなさまご無沙汰しております。神出鬼没のだいてんです。
久しぶりに十番勝負以外の書き込みをしてみようと思って、思いっきり職場のパソコンから書いています。
(私の机の後ろは壁なので、誰も画面を見ないのです!)


で、亀レスなのですが、

[75279] hmtさん
「本籍地」の存在意義自体が、既になくなっているのではないでしょうか
というご指摘は、まさにそのとおりだと思います。
地番があるところにはどこにだって本籍地をおけるわけですし、最近では「離婚歴を消したいから」といった理由で本籍地を移転する方もいます(表面上見えなくなるだけで、離婚した事実がなくなるわけではありませんが。)。

私は仕事柄、他人様の戸籍やら住民票やらをご本人に無断で取得することが多々あるのですが(もちろん違法行為ではありませんよ。)、そのたびに思うことは、
「これが近くの役所で取れたらなあ」
ということです。
大阪に住んでいる人の戸籍を取ろうと思ったら本籍地は沖縄だった…なんてこともあり、そうなるとわざわざ郵送で請求しなければいけないことになるわけです。
速達で請求すれば1週間もかからずに届きますが、土日をはさむとやっぱり手続の遅れは否めません。
そういう意味では、
全国一括の管理
をしてほしいと思うんですよね。
何せ、本籍地をおいている土地自体の記録(すなわち登記)は、地番さえ正確に分かれば、全国どこの法務局でも取得できますし、最近では、手数料は必要ですが、インターネット上で登記記録を閲覧することすらできるわけですから…


ついでに、地番について思うところも。

地番というのもまた困ったところがあります。
「○○市○○町○○番」という地番の土地の登記簿を取り寄せることは、上記のように非常に簡単なのですが、いざ現地に行ってみて、その土地はいったいどこからどこまでなのかを探ってみると、これが全く分からないなんてことがあります。
地番ごとに土地を区切った図(公図といいます)が法務局には備え付けられているのですが、この公図、ほとんどは江戸時代や明治時代に歩測や目測で作られた地図を修正しながら使っているもので、現在の実態とは全く違っていることが多いのです。

特に山林はひどいです。
「公図に載っている川はどこだ?」とか、
「公図では道路が左に曲がっているようだが、えーと、3つあるうちのどのカーブだろう?」とか、
「そもそも縮尺率が分からん…」とか、
さんざんな目にあいます。
現在の不動産登記法に基づいて作成された正式な地図というのは、ごくごく一部の地域にしか整備されていません。


人と土地は国家成立の条件なのですから、それくらいきっちり把握しておいてほしいものです。


ちなみに、
東京都23区に本籍を定める人も多数いるはずですが、戸籍法第6条は「市町村」なのですね。
については、戸籍法第4条前段に
都の区のある区域においては、この法律中の市、市長及び市役所に関する規定は、区、区長及び区役所にこれを準用する。
とありますので、東京23区についても、本籍地を定めることができるという法的根拠はととのっていますよ。
(結局これが言いたかっただけ?)

[75329] 2010 年 6 月 10 日 (木) 15:19:43 hmt さん
 東京臨海部の陸地化 (3)越中島・平井新田・洲崎・東陽町
hmt 東京臨海部の陸地化

最初に[75315]の誤記を訂正。2行目の“重要な掘割である「小名木川」”の掘割脱落に加えて、新大橋開通後の芭蕉の句の漢字違い。「霜」を「雪」と書いていましたが、「雪」は橋が完成する前の句でした。
【完成前】 初雪や かけかかりたる 橋の上
【完成後】 ありがたや いただいて踏む はしの霜

蛇足ですが、ゴッホが模写した浮世絵の一つ、歌川広重が幕末に描いた名所江戸百景 大はしあたけの夕立 の「大はし」は 新大橋です。「あたけ」は深川側の地名で、幕府御舟蔵に置かれていた御座船の名に由来するとか。
なお、木橋時代の新大橋は、現在の斜張橋(1977)や 明治村 に一部保存されている 1912年の鉄橋[33199]よりも、少し下流に架けられていました。

それはさておき
江戸時代から明治にかけて(およそ17〜19世紀)の埋立により、江東の陸地は小名木川から約2km南まで拡大しました。

深川が、明暦大火後の江戸再編成で開発が進んだことは、[75315]で記しました。

永代橋よりも南の越中島につき、江東区の地名由来 には、
隅田川河口にできた寄り洲だった。播州姫路の領主榊原越中守の別邸があったので、俗に越中島と呼ばれた。
と記しています。
江戸東京学事典には“明暦・万治の頃”とあるので、榊原康政の孫の榊原忠次ということになりますが、この殿様は越中守に任官していません。越中守は通称なんでしょうか?
波による屋敷の流失を繰り返しながらも砂洲は次第に成長していったようです。
明治になると、越中島には練兵場や商船学校ができました。

ここで「越中島駅」につき記しておきます。
戦前にに国鉄は亀戸(正式には新小岩)からの貨物線を作り、1929年小名木川駅開業。戦後になると、ここから 晴海や豊洲ふ頭への臨港鉄道(専用線)が 東京都により建設されましたが、越中島駅までの区間は 1958年に国鉄に編入されました。
この駅の所在地なんですが、戦後にできた この駅のための埋立地 です。
上記のような江戸時代からの歴史のある土地ではないのに、越中島のネームバリューを借りたのでしょうか。
1990年に JR京葉線が東京駅に乗り入れる際に、今度は本当の越中島に 地下旅客駅ができました。そして、こちらが「越中島駅」を名乗り、従来駅は「越中島貨物駅」と改名しました。

少し脱線しましたが、隅田川の永代島・越中島、中川の宝六島のような河口のデルタがもとになり、陸化の進行と共に倉庫・問屋・木場・大名屋敷・社寺・その門前の歓楽街などが江東地区に生まれました。

[75307]で引用した 江東区町名図 でいうと、扇橋から千石にかけての5町は主として享保年間の造成地で、「十万坪」と呼ばれたとか。仙台堀川の南は現在の東陽6・7丁目が「六万坪」、西側の木場2〜5丁目が「十五万坪」という具合で、「○万」コレクションは江戸時代から始まっていたのでした。

江戸時代最後の大規模埋立は、明和年間(1764-1772)の「平井新田」で、海岸線はこれで ほぼ現在の永代通りの線になりました。
平井新田は 塩浜 として開発されたものの、間もなく廃止。明治の地図を見ると、深川東平井町(江東区役所を含む現在の東陽4丁目一帯)には養魚場が広がっており、陸地化したと言っても水面です。深川西平井町も東側は養魚池ですが、西側は陸地。そこに弁天社と東陽小学校があります。

名所江戸百景の 深川洲崎十万坪 に名を記す「洲崎」は、この平井新田のあたりです。

「洲崎橋」は交差点名として近年まで永代通りにあったと思いますが、現在は東陽3丁目。その南側の洲崎弁天町(現在の東陽1丁目)は、明治の埋立地でしょう。[66539]では大正時代と書いていましたが、これは間違いで、明治時代の海岸線は 現在の町名で言うと 東陽や木場の南縁、つまり汐浜運河の線まで進出しました。

明治の地図では 土手で囲まれた一角が見えます。城郭の「曲輪」にも例えられる この別世界に びっしり立ち並んだ施設 は遊郭です。一隅には病院も。深川洲崎警察署[24746]も、この施設の取締が目的でした。
根津遊郭が深川洲崎に移転したのは、明治20年代とのことです。洲崎橋から北にある「大門通り」という名も、最後には「赤線」という名で1958年まで存在したこの種の施設の痕跡を伝えています。

[66539]は初期のプロ野球が行われた洲崎球場のことも記しています。1937年修正測図の地形図 を見ると、満潮時にグラウンドに海水が入りコールドゲームになったという珍事があったことも納得します。

地形図の上端には錦糸堀・ 水神森からの城東電気軌道が見えます。3つある停留所の真ん中が四ツ目通りを南下してきた市電猿江線と合流する東陽公園前。現在の東西線東陽町駅です。左端の停留所が日本橋から永代橋を渡って来る東京市電の洲崎で、大正初期に開通した最も古い路線です。城東電車は昭和初めにここまで延長され、市電も東陽公園前まで乗り入れました。城東電車は戦時中に市電に統合。

明治の地図では養魚池だった東陽町近辺。本当の陸地になったのはずいぶん遅かったようですが、こんな具合にして、昭和初年には東京南東部における交通の要衝になっていました。小田急の創業者利光鶴松が計画した環状線[34571]の終点も「洲崎」だったし、東西線の前身とも言える東京成田芝山電気鉄道の起点も「東平井」でした。

その「洲崎」も「平井」も江東区の地名から消えました。
「玉ノ井」が東向島になったのと同じ理由で、「洲崎」は過去帳入りすることになったのでしょうか。
江東区役所も東京メトロ東陽町駅も、その所在地は江東区「東陽」4丁目になっています。
これは 1967年の統合・住居表示実施によるもの。
1964年以来部分開通を積み重ねて 1967年に「東陽町」以西が全通した営団東西線の駅名は、それ以前からの深川東陽町に基き「町」という字が入っており、現在までこの名で通しています。

江東区役所 は “東陽の地名には諸説があり定かでない” としていますが、「東陽小学校」に由来するという説が有力で、地名コレクション にも収録されています。この学校は、明治の地図では 深川西平井町(現在地よりも西)にありました。

明治時代の学校には、安易に番号や地名を付けるのでなく、漢語を使った個性的な名を多く見ることができます。
[62333]に記した雑感に現れた学校名。愛日・聚楽・待賢・教業・明倫・日彰・成祥・立誠・郁文・格致・成徳・豊園・開智・永松・醒泉・修徳・柳池・銅駝・鳴鶴・盛隆。地名の組合せですが、豊玉や三福もありました。そして忘れることができないのが「酒呑学校」。
「東陽」学校も、東から昇る朝日になぞらえた瑞祥名と思われます。

[75328] 2010 年 6 月 10 日 (木) 10:48:58 播磨坂 さん
 大塚

こんにちは。

自治体を越える地名として[75253]で指摘した「文京区大塚/豊島区南大塚・北大塚」ですが、グリグリさん[75298]の言われる
私の趣旨は、「同一地域を表す地名が自治体境によって分断された地名」にありました。
には該当しませんね。

「大塚」については以前どなたかが書いていらしたと思い探してみると、
[6171]Issie さん
この「大塚村」ですが,現在の大塚駅周辺のことではありません。ここは前述のとおり,「巣鴨村」。「大塚」というのは本来,現在の豊島区内ではなく,文京区(旧小石川区)内の地名です。
山手線の駅が設置されたときに駅の所在地ではなく近くのメジャーな地名をとり,駅周辺に繁華街が成立するにつれてその駅の名前が周辺地区の地名になった,ということでしょうね。
と分かりやすく書かれていましたので引用させて頂きます。

手元の「地形社編 昭和十六年大東京三十五区内 豊島区詳細図」を見ても、大塚駅周辺は「西巣鴨二丁目」となっておりますので、分断地名には該当しないということです。

とここまで書いてからなんですが、もしかしたらこれ
(3) 派生的分断
一方、旧来地名から派生してできたと思われる分断例も数多くあります。
ということでOKなんでしょうか(となると[75313]も該当ということになるかと)。

なんか引用がほとんどで中身のない書き込みでした(苦笑)が以上です。

[75327] 2010 年 6 月 10 日 (木) 00:56:58 伊豆之国 さん
 自治体を超える地名(From上総)&静岡県三大都市

出るわ、出るわ‥
今回は房総半島を少し南下。複雑に入り組んだところがいくつか。

木更津市根岸・上根岸、戸国、真里・真里谷、下内橋/袖ヶ浦市下根岸、戸国飛地、真里錯綜、下内橋錯綜
木更津市下宮田/袖ヶ浦市下宮田・上宮田
長生郡長柄町山之郷/市原市山之郷飛地
茂原市国府関/長柄町国府里
山武郡九十九里町西野、藤下ほか/東金市西野飛地、藤下飛地ほか‥とにかくこの両市町にまたがる住所の驚くほど多いこと。ちょっと地図を見ただけで七つ八つ。「西野」の「飛地」の付く東金市のほうが「(自治体の)飛地」になっていなくて、「飛地」の付かない九十九里町のが町の本体から飛地になっているのが皮肉‥

♯三都主、いや三都市アンケート。まず一つだけ、静岡県から。
静岡・浜松は間違いないとして、あと一つが沼津か三島かで大いに迷うところ。新幹線駅の開業で「それまで後塵を拝してきた沼津より初めて優位に立った」(原口隆行氏著「鉄道唱歌の旅・東海道線今昔」→[71790])「ご当地」の三島を推したいのですが‥

[75326] 2010 年 6 月 10 日 (木) 00:32:39 geo さん
 自治体越えの地名&県下三都市

 お久しぶりです。
 
 遅らばせながら,自治体越えの地名で思いついたものを情報提供します。

埼玉県蓮田市大字馬込/さいたま市岩槻区大字馬込
埼玉県上尾市大字平方領々家/さいたま市西区大字平方領々家

 いずれも元々同じ自治体の大字でしたが,のちに一部分離したものです。
 
 
 そして県下三都市アンケート,こちらも回答してみます。

茨城県: 水戸市,つくば市,日立市
埼玉県: さいたま市,熊谷市,秩父市
千葉県: 千葉市,銚子市,館山市
新潟県: 新潟市,長岡市,上越市
岐阜県: 岐阜市,高山市,中津川市
静岡県: 静岡市,浜松市,沼津市
愛知県: 名古屋市,豊橋市,豊田市
兵庫県: 神戸市,姫路市,豊岡市
福岡県: 福岡市,北九州市,久留米市
(番外編)香川県: 高松市,丸亀市,東かがわ市
(さらに番外編)滋賀県: 大津市,長浜市,近江八幡市

 なんか,当たり障りのないところばかり選んだ気がする・・・

[75325] 2010 年 6 月 9 日 (水) 14:24:49 有明つばめ さん
 輪郭重視の主要都市

[75306]白桃さん
私も選んでみました。
ただし、普通に三都市を選んでも面白くないので、この3都市を置いたら何となく県全体の輪郭が分かる、という基準で選んでます(汗)。

茨城:水戸・日立・土浦
(つくばはあまりに若過ぎる、ということで土浦に。)
埼玉:さいたま・本庄・秩父
(迷いに迷った挙句、熊谷も川越も選ばないという大胆な選択に。)
千葉:千葉・銚子・館山
(ここはわりとすんなり決まりました。)
新潟:新潟・長岡・上越
(ここもわりとすんなり決まりました。)
岐阜:岐阜・高山・中津川
(大垣は岐阜に近過ぎる、ということで代わりに東濃地区から中津川をノミネート。)
静岡:静岡・浜松・沼津
(ここはわりとすんなり決まりました。)
愛知:名古屋・豊橋・岡崎
(ここもわりとすんなり決まりました。)
兵庫:神戸・姫路・豊岡
(神戸・姫路はわりとすんなり決定、3つ目はまあ福岡県の選定基準と同じです。)
福岡:福岡・北九州・大牟田
(3つ目は地元贔屓も入ってますが、久留米は福岡に近過ぎるということと、福岡県には有明海沿岸もあるということを忘れられがちなので、忘れられないために敢えてノミネートしました。)

[75324] 2010 年 6 月 9 日 (水) 14:18:16 右左府 さん
 自治体越え地名、県下三都市

「自治体越え地名」、情報提供です。

川崎市宮前区野川/川崎市高津区野川
川崎市高津区梶ケ谷○丁目/川崎市宮前区梶ケ谷
高津区から宮前区が分区した際に生じたのでしょうか。いずれも左側に記した側が大部分を占めており、地元でも「野川=宮前区」「梶ケ谷=高津区」のイメージが強かったように思います。

山本郡八峰町峰浜坂形/能代市坂形
山本郡八峰町峰浜内荒巻/能代市外荒巻
いずれも元は同一の自治体(山本郡塙川村→峰浜村)に属していたのが、能代市との境界変更で分断されたものです。ちなみに、大字の(峰浜)坂形に属する「字強坂」も同様に分断されています。

秋田市金足追分/潟上市天王字追分
こちらは詳しい事情はよく分かりません。


県下三都市決定戦、秋田県の場合はどうだろうと考えてみました。
昔なら迷わず「秋田・能代・横手」だったでしょうが、今は「秋田・横手・大館」が無難のようにも思えます。(まさか「秋田・横手・男鹿」なんてひねくれたチョイスをする人は……。)

[75323] 2010 年 6 月 9 日 (水) 11:35:25 Mujon さん
 自治体を超える地名(愛知県一宮市)

こんにちは。
書込みは4年ぶりで、ほとんど「はじめまして」ですね。

自治体を超える地名、あります。地元愛知県一宮市関連で。

愛知県一宮市東加賀野井/岐阜県羽島市下中町加賀野井
元々は一つの美濃国の加賀野井でしたが、幾筋もあった木曽川の流路が定まらず、やがて本流が村を分断。
明治に入っても木曽川の東の加賀野井(東加賀野井村)も美濃国でしたが、明治20年に愛知県に編入。

一宮市上祖父江/稲沢市祖父江町祖父江
中世は一つの祖父江だったらしく、やがて上祖父江と下祖父江に分かれる。
下祖父江は後に祖父江村となり、合併で祖父江町大字祖父江、2005年に稲沢市と合併で稲沢市祖父江町祖父江に。
上祖父江は朝日村大字上祖父江を経て尾西市上祖父江に。2005年の合併で一宮市上祖父江。

一宮市萩原町/一宮市西萩原
こちらは今でこそ自治体を超えていませんが、2005年の一宮市と尾西市の合併までは別々の市でした。子供の頃から「なぜ尾西市に西萩原なのだろう?」と思っておりました。
元は一つの萩原だったのでしょうね。

[75322] 2010 年 6 月 8 日 (火) 22:02:35 千本桜 さん
 サントス生まれの編集者が選ぶ福岡県の三都市

茨城県:水戸、土浦、日立
(たとえ時代遅れといわれても、まだ この3都市に執着します。“つくば”をいまいち理解できていないからかな)
埼玉県:さいたま、熊谷、川越
(さいたまは浦和それとも大宮?、それが第3位選びに少し影響しますが、川越が伝統の重みで所沢を押し倒し)
千葉県:千葉、銚子、館山
(千葉県の形状を思うと銚子、館山を配置したときが最も安定感を感じます。柏、船橋ごめんなさい)
新潟県:新潟、長岡、上越
(第2位長岡、第3位上越、ともに順当かと思います)
岐阜県:岐阜、高山、大垣
(第2位は岐阜の勢力が及ばない高山。第3位は大垣と多治見が決戦して大垣に)
静岡県:静岡、浜松、沼津
(沈丁花は枯れても香しという諺は沼津のためにあるような)
愛知県:名古屋、豊橋、岡崎
(第2位はすんなり豊橋に決定。第3位は岡崎と豊田が決戦の末に岡崎の判定勝ち)
兵庫県:神戸、姫路、豊岡
(第2位は迷わず姫路。第3位は独自の都市圏を形成し小粒でもピリリと辛い豊岡。尼崎、西宮ごめんなさい)
福岡県:福岡、北九州、久留米
(サントス生まれでトスマニア島育ちの編集員は福岡、北九州、鳥栖を選びました。いくらトスマニアでも、やりすぎでしょう。でも鳥栖は福岡県三都市の一つに選ばれて喜んだそうです。唐津は福岡県三都市から漏れてがっかり。佐賀県って・・・)

[75321] 2010 年 6 月 8 日 (火) 18:29:53【1】 JOUTOU さん
 ちょいレス(祝ご成婚・3都市・江東区など)

まずは、ぺとぺとさんご成婚おめでとうございます。十番勝負はこれを機に若手有望株に任せて、気楽に参加されてはいかがでしょうか?(競っちゃダメ(笑))。かく言うわたしは問題を考える集中力が保てず、毎回問題を眺めるだけで終わっていますけど。ぺとぺとさんの場合は予備知識量がわたしとは格段に違うので、片手間ぐらいのハンデがあって丁度いいのかも知れませんけど。

[75306]白桃さんの「県下3都市アンケート」は概ね皆さんが出されている意見と同じなのですが、個人的にどうしても入れたい市は「茨城県には日立市」「千葉県には銚子市と館山市」「愛知県には一宮市」を入れたいです。理由は昔の名前で・・・といったところで。

[75307][75315]hmtさんの書込には、わたしにとって非常に身近で内容と一緒に情景というか背景というかが浮かんでくるくらい楽しく拝見させていただいております。すでにhmtさんによりご紹介のとおり、江東区は隅田川・旧中川・荒川(放水路)に囲まれた中に、縦横に河川が流れ(運河が張り巡らされ)ております。今はその運河の殆どは親水公園化され、区民の憩いの場となっています。(現在も小名木川では遊歩道を造成中です)
ちなみに江東区の河川については何を隠そうわたしの大学時代の卒論テーマでもあったため、当時区役所の土木課を始め、いろいろな所に立ち寄り、論文の資料を集め回ったことを懐かしく思い出しました。中身については○半世紀も昔のことで、しかも原文を手元に残しておらず、記憶もすでにうる覚えでしかありませんが・・・(^^;

※誤字及び文脈一部訂正

[75320] 2010 年 6 月 7 日 (月) 23:09:00 mul-sa さん
 各県主要3都市アンケート回答

地元埼玉の話とあっては、そしてご成婚の方がいらっしゃるとあっては物申したくなるmul-saです。

・人口等に代表される規模
・商業・業務等の中心機能
・地域ごとの割り振り
あたりが選定基準となるでしょうか。

さて、私の回答です。上記一点目に比べ、三点目についてはさほど重きをおかない回答といえるかもしれません。

茨城県:水戸市、土浦市、つくば市
(土浦とつくばは近接していますが、やはりどちらも外せないかなと)
埼玉県:さいたま市、川越市、熊谷市
(規模の(地元)川口より北部の中心地熊谷をとりました)
千葉県:千葉市、柏市、成田市
(現在の人口の偏在状況を考えれば、南部から選ばれないのは仕方ないかなと)
新潟県:新潟市、長岡市、上越市
(これはあまり他の組み合わせが思いつきません)
岐阜県:岐阜市、大垣市、高山市
(岐阜以外は迷いました。イメージ先行です)
静岡県:静岡市、浜松市、三島市
(東部は三島と沼津のどちらに?となり、新幹線駅のもつ中心性を重視しました)
愛知県:名古屋市、豊橋市、岡崎市
(西三河は岡崎と豊田のどちらに?となり、自動車の豊田より鉄道路線の多い岡崎としました)
兵庫県:神戸市、姫路市、尼崎市
(千葉県と同様に現在の人口の偏在を考慮し、三都市目は但馬ではなく阪神地域から選びました)
福岡県:福岡市、北九州市、久留米市
(三都市目はなんとなくのイメージです)

[75319] 2010 年 6 月 7 日 (月) 23:01:52 BANDALGOM さん
 東習志野

[75317]伊豆之国さん
習志野市/船橋市習志野・習志野台・西習志野
これが、只今落書き帳を賑わせている「自治体越え地名」の仲間に果たして入るのかどうか?ということ。
Issieさんが述べられている通り、「習志野」は現在の習志野市・船橋市・八千代市・千葉市花見川区にまたがる広域地名であり、現在の習志野市はその一部にある津田沼町が、幕張町の一部を編入して改称したにすぎないわけで、これを「自治体越え地名」に入れるのは微妙ではないかと・・・。

ただ、Issieさんの[804]にもあるように、習志野市に「東習志野」があり、「船橋市習志野」と隣接、さらに「習志野台」や「西習志野」へもつながっています。

従って、習志野市のうち「東習志野」は確実に「自治体越え地名」の仲間に入るわけですが、問題は旧津田沼町(+旧幕張町の一部)である習志野市ですね。
グリグリさんのご判断に委ねるしかないことになりますが・・・。

[75318] 2010 年 6 月 7 日 (月) 22:38:15 よっしー さん
 自治体を超える地名(秋田県)

5年ぶりの書き込みです。
幼いころに住んでいたところなので。
秋田県南秋田郡五城目町と八郎潟町
小池、川崎、野田

一帯はかつて面潟町(現八郎潟町)だった地域ですが、一部が五城目町に編入になったために自治体を越えた地名になったものです。現在でもこの辺りは境界が複雑に入り組んでいて、ほとんど飛び地状になっている場所もありますね。

この五城目町ですが、村制施行時は五十目村(ゴジュウノメムラ)、町制施行時に五城目町(ゴジョウメマチ)と改称しています。中世に5つの城に囲まれていたことにちなんで改称したものと言われています。ややこしいことに、かつての五十目(ゴジュウノメ)の発音に引っ張られてしまうのか、地元では主に年配の方は、「ゴジョウノメ」という人が多い。私も「ゴジョウノメ」と言ってしまいます。

あと、私の現在住む鹿角市から。
鹿角市の中心部は花輪ですが、県境を越えた岩手県八幡平市にも「花輪鉱山」の地名が見られます。鉱山が県境を跨っていたことによるものです。

[75317] 2010 年 6 月 7 日 (月) 21:25:57 伊豆之国 さん
 自治体を超える地名(From下総)

今日は、社用でIssieさんの故郷・習志野市へ。そこで気になるのが、そのIssieさんがアーカイブスで詳細に述べられている、

習志野市/船橋市習志野・習志野台・西習志野

これが、只今落書き帳を賑わせている「自治体越え地名」の仲間に果たして入るのかどうか?ということ。ガイドライン([75298])から判断すると、(4)の「菊川」などのグループに入りそうな気がするのですが、オーナー グリグリさん、判定はいかがでしょうか?

[75316] 2010 年 6 月 7 日 (月) 17:22:25 なきら さん
 祝ご成婚 ペトペトさん

遅れましたが、ペトペトさんおめでとうございます。

実は、ペトペトさんにおめでとうを申し上げたくて、でもそれだけじゃなぁと思って、ペトペトさんご成婚記念「県下三都市決定戦」にかこつけて、[75309]を書き込んだのに。肝心のお祝いの言葉を書き忘れてしまいました。全く何をやっているんだか、自分に呆れています。(どこかのおじさんと違って酔っぱらってはいないのに)

それから旅程の中で、「徳島−和歌山」は、当初フェリーで行く予定(運転者の休憩もとれる)だったのですが、前日夕方埠頭で確認したら、ちょうどいい便が、2便とも船の点検のため6月13日まで欠航していましたので、急遽陸路を取ったのでした。 

[75315] 2010 年 6 月 7 日 (月) 16:54:30 hmt さん
 東京臨海部の陸地化 (2)江戸時代の江東
hmt 東京臨海部の陸地化

東京湾臨海部に たくさんある埋立地。代表選手の江東区から始め、区内を「縦横」に走る掘割にも触れました[75307]
東西方向が縦なのか横なのかはさておき、歴史的に最も重要なである「小名木川」について記しておきます。

ここで 江戸初期の推定図 をリンクします。
利根川下流が分れて海に注いでおり、大きな流れは西から隅田川【角田川】・中川【古利根川】・(現)江戸川【利根川】の3本で、現在の江東区北部は図の左下あたりです。

徳川家康は 1590年の江戸入府直後に、江戸城と隅田川とを結ぶ道三堀を開き、引き続き隅田川の東、中川との間に小名木川を開削させました。
この水路は、江戸と塩の産地・行徳(図の右下)との間を結ぶもので、幅20間余(36m)、深さ6尺の規模。小名木川開削の浚渫発生土により作られた堤防は、水路の北側に広がる地域(現在の江東区北部と墨田区の一部)を海から守る防波堤として機能しました。
つまり、小名木川開削は、当時の利根川河口域における最初の本格的土地造成事業でもありました。

江戸初期の推定図では、左下の海岸線付近に小名木川があります。
前回リンクした現代の 江東区町名図 における小名木川の位置が、区役所より北にある「海辺」より更に北、扇橋と猿江の間だったのですから、400年間の水陸境界の移動は驚くべきものがあります。

小名木川により海と仕切られるより前の半陸地状態の江東区北部地域は、江戸川河口洲 「沖の百万坪」[25826] のような姿だったと想像します。

新編武蔵風土記稿によると、深川の開発は、慶長元年(1596)に摂津の人・深川八郎右衛門に始まるとか。
寛永6年(1629)には同じく摂津出身の8人により、現在の清洲橋から門前仲町付近が埋め立てられて深川猟師町8町ができました。彼らは江戸前の魚を幕府に献上したり、舟に関する役務を負担する代わりに、年貢免除の特権を得ました。

さて、江戸の都市構造を一変させたのが明暦の大火(1657)です。江戸を復興して防災都市に作り替える過程で使われたのが、北条氏長(正房)による「万治年間江戸測量図」(2600分の1)でした[56610]
それまで防衛上の見地から架橋を許さなかった隅田川にも両国橋が架けられ(万治元年=1658)、隅田川を越えた本所や深川の開発が進められました。
[75307]で記した竪川・横川などの人工河川も、低湿地の排水と交通のために、万治2年から整備が進められたものです。

両国橋。葛飾郡の南西部は江戸時代初期から武蔵国になっており、武蔵下総両国の境界ではなかったが、地名としての「両国」が伝えられており、橋の名になったものと思います。というか、隅田川の橋が一つだった時代には、「大橋」で通用したのでしょう。
だから元禄6年(1693)にできた2番目の橋は「新大橋」。この近くの居住者が詠んだ一句です。【深川芭蕉庵】
ありがたや いただいてふむ 橋の雪

そして、3番目の永代橋(元禄11年)で、深川は江戸の中心部と直結し、急速に発展しました。
元禄15年の師走に 本所一つ目の吉良屋敷に討ち入りした 赤穂浪士は、警戒の厳しい両国橋を避けて 永代橋を渡り、泉岳寺に向かったと伝えられます。
吉良の屋敷が 呉服橋門内から 本所に移されていたのは、高家職辞任に伴い 江戸城内の社宅を追い出されたためでしょうが、この時代の本所には、既に多くの大名・旗本が屋敷を構えていたことを物語っています。

明暦大火後の市街地再編成で、陸地化が進行すると共に江戸の倉庫地帯になった深川。
正保図ではまだ海だった富岡八幡宮も、貞享5年(1688)には社殿建立。門前仲町は、富岡八幡の別当寺である永代寺の門前に由来する町名です。富岡八幡の祭礼は大変な賑わいで、文化4年(1807)には見物の群衆が集まった永代橋が落下する事故がありました。
# 2001年の明石花火大会歩道橋事故の時に、これを思い出しました。

[75314] 2010 年 6 月 7 日 (月) 12:58:40 Hiro_as_Filler さん
 Re:本籍地 薄れゆくその存在意義

大変ご無沙汰しております。
もう忘れられてるんじゃないかとも思いつつ、このままメンバー紹介から消えているのもよくないし。。。
というわけで、ワタシの専門分野に関するお話が出ましたので、レスさせていただきます。

[75279] 2010 年 6 月 4 日 (金) 23:14:40 hmt さん
# 東京都23区に本籍を定める人も多数いるはずですが、戸籍法第6条は「市町村」なのですね。

これについては、戸籍法第4条に
第四条  都の区のある区域においては、この法律中の市、市長及び市役所に関する規定は、区、区長及び区役所にこれを準用する。地方自治法第二百五十二条の十九第一項 の指定都市においても、同様である。
と準用規定がありますので、市の記載を区と読み替えるようになります。

[75313] 2010 年 6 月 7 日 (月) 12:25:20 播磨坂 さん
 自治体を越える地名っぽい地名(兵庫県)

こんにちは。
グリグリさんよりガイドラインが提示されました[75298]が、近接もありということなので。

赤穂郡上郡町赤松/佐用郡佐用町小赤松

元来は赤穂郡旧赤松村の二大字であったのですが、昭和30年の同村の分割合併でそれぞれ別の自治体に属することとなりました。もとより、赤松村赤松・赤松村小赤松と別個の大字として存していたので、赤松から分かれたのが小赤松というわけではなさそうですが、角川地名大辞典の「小赤松」に「赤穂郡赤松に類似した地形から、小さい赤松と呼ばれるようになったと思われる」とあるので一応関係はあるかと。

ただこれだと、グリグリさんの言われる
私の趣旨は、「同一地域を表す地名が自治体境によって分断された地名」にありました。
には該当しないので、タイトルを少しいじりました。あしからず。

[75312] 2010 年 6 月 7 日 (月) 11:41:54 かぱぷう さん
 妻帯者における十番勝負の参戦方法に関する一考察

お久しぶりです。最近は早朝からの勤務が多く、どうにもネットにありつく時間がありません…

[75294]ぺとぺとさん
☆さらに番外編

これからも落書き帳との距離感を変えるつもりはないのですが、十番勝負については「円満な家庭生活を壊さない」程度に抑えないといけない状況になりました(笑)
家庭環境、つまりは今後の生活において亭主関白指数がどのくらいになるかにもよるのでしょうが(あ、うちはゼロかマイナスです…)、あらかじめ「このイベントは年に3〜4度ある僕の心のよりどころで、君と三度の飯の次に大事なもんなんだよ」くらいの勢いで刷り込んでおけば大丈夫でしょう。
実は我が家の山の神も、[75296]88さんの奥様
「早く十番勝負を完答して終わらないと、横で見ていてイライラする」とのこと
と同じような状況で
アナグラム解凍や共通項検討に多大な協力
を得ております。我が家の場合は多大な協力かどうかは分かりませんが、旦那が“わけの分からんクイズ”にかかりっきりになるのは困るらしく、アナグラムを書いた紙を「ちょっと貸してん」なんていいながら取り上げて解いたりもします。ぺとぺとさんがこのようなシーンに持ち込み、これを“一家だんらんのほほえましい姿”と解釈すれば良く(^^A

オフ会は、かぱぷう家の場合、私の仕事の休みが不確定であることと家庭の財政事情が火の車であること、まぁつまりはトーチャンの甲斐性がないことから「オフ会行くけん!」と宣言できないのが痛いところですが、これもやはり88さんがおっしゃっている
「オフ会は今年はいつ? どこ?」と、私が申告する前から配偶者から聞かれ、オフ会への出席は、何よりも優先順位が高いことを我が家では配偶者に十分に認知されている(認知させている?)ことも、参考までにお知らせしておきます。
これこそを実践されることが最善でしょう。

なにはともあれ、おめでとうございます!!

[75311] 2010 年 6 月 7 日 (月) 08:35:41 千本桜 さん
 Re:県下三都市決定戦

[75271]で書いた
広島県には3つの都市を記載して広島県であることを伝えようとしています。広島、福山、もう1つはどこでしょう。
答えは廿日市でした。

[75306] 白桃 さん
以下の9県で3つの都市をお選びください。
時間がないので取り敢えず、番外・大阪府の「酒の肴編」です。
市りとりマニアの編集者は大阪府の地図に大阪、門真、松原の3都市を表記しました。これにクレームをつけたのは先輩編集者でした。3都市が近くに固まりすぎているというのです。そこで先輩編集者は手本を示しました。いいか、よく見ておけ。大阪府全体を見渡して摂津、和泉、河内の3国にそれぞれ1都市ずつ配置するのがベストなんだ。そして大阪、貝塚、河内長野を選びました。どうやら、この先輩も市りとりマニアだったみたいですね。こんな末期症状の地図編集現場を見て、堺、岸和田、高槻、枚方の面々は、あまりのばかばかしさに第2都市、第3都市に立候補するのをやめたそうです。

[75310] 2010 年 6 月 7 日 (月) 07:03:02 白桃 さん
 訂正

[75306]ペトペトさんご成婚記念「県下三都市決定戦」ですが、どうもおかしいと思ったら、岐阜県がダブッて、埼玉県を抜かしておりました。酔っぱらいはダメですね。お詫び申し上げます。

[75309] 2010 年 6 月 6 日 (日) 23:33:29 なきら さん
 北山村

こんばんは。お久しぶりです。

昨日、7泊8日の旅から帰ってきました。
柏を出発して最初の訪問地が岡山の閑谷学校、最初の宿泊地は岡山市(大変残念でしたが、昨年のオフ会の開催地・乃利武には泊まれませんでした)、初日の走行距離が717kmという厳しい旅程で始まり、その後、備中、備後、伊予、土佐、阿波、讃岐、(再度阿波を経て)淡路、播磨、摂津、河内、和泉、紀伊、最後の宿泊地が伊勢・菰野という旅でした。全走行距離2859km(ただし私は運転未熟者のため全く運転せず)、無理にならないよう、毎日17時までには必ず宿に入るということを守りましたが、さすがに疲れました。
この旅では、いろいろなものを見、学び、また楽しみましたが、いちばん感激したのは、和歌山県北山村を訪問したことです。この地が、地図の上で和歌山県の色に塗られているのを見つけて、これは何んだろうと思ったのが、少年の日に私が地理に目覚めた原点の1つですから。ここの皆さんのことですから、北山村を訪問された方もいらっしゃると思いますし、私が訪問したいという気持ちもお分かりいただけると思いますが、運転者の友人に説明するのは少し苦労しました。休憩をとった北山村の道の駅には、なぜ和歌山県に所属しているか、なぜ(三重県の町と)合併しないのかという、村の考えを説明するビデオがあり、友人はそれを熱心に見て、それなりに理解してくれたようでしたが。
私は、新宮市(元の熊野川町)の飛地経由(国道169号)で入りましたが、これは相当危険な道でした。ここの飛地もぜひ訪ねたいとは思いましたが、運転に自信のある方でないとお勧めできません。

[75306]白桃さん ペトペトさんご成婚記念「県下三都市決定戦」
以前、[20997]深海魚さんが、御三家、四天王という話題を提供されていましたね。こういうのは結構気になって、3つならどこを選ぶか、4つならどうかと、日ごろもつい考えています。平成の合併前と後で、選ばれる市が変った都道府県はあるでしょうか。
埼玉県なら、私は さいたま市、川越市、熊谷市 です。(川口は入らない・・・)

[75308] 2010 年 6 月 6 日 (日) 22:22:15 futsunoおじ さん
 ペトペトさんご成婚記念アンケート回答

[75306] 白桃 さん

酒の肴です。
(一つを除いてATOKで一発変換できました。)


茨城: 日立市、つくば市、鹿嶋市
千葉: 銚子市、西船橋市、館山市
新潟: 佐渡市、新潟市、燕三条市
岐阜: 奥飛騨市、岐阜市、各務原市
静岡: 静岡市、浜松市、伊豆市
愛知: 名古屋市、愛妻市、豊田市
兵庫: 宝塚市、神戸市、姫路市
福岡: 福岡市、北九州市、大牟田市
(番外)香川: 高松市、東かがわ市 ・ ・ 2つしか知らない

[75307] 2010 年 6 月 6 日 (日) 21:43:57 hmt さん
 東京臨海部の陸地化 (1)水に囲まれた江東区
hmt 東京臨海部の陸地化

少し前になりますが、JOUTOU さんが紹介された江東区北端[75128]である柳島橋付近に関する記事[75130]を書きました。
ここは、北十間川と横十間川との交点で、江東区が「くさび形」に墨田区の中に入り込んでいる場所です。
江東区HPの中に 江東区の地理と地名 という町名を図示したページがあり、この「くさび形」がよく示されています。
今回は、最初に この江東区町名図をリンクしておきます。

この図を見て最も目を引くのは、江東区は、その南半分が、運河で隔てられた多くの埋立地で構成されていることです。
昭和22年に江東区が誕生した時点の南限は、豊洲(豊洲ふ頭を除く)・枝川・潮見の線であり、その面積は 18.42km2でした。
現在の面積は、その2倍以上の 39.94km2となっており、約60年間に 20km2以上の埋立地が加わったことになります。

実は、この地域における臨海部の陸地化は、江戸時代から続けられており、現在の江東区の殆どが近世以降に海上に現れた土地と言ってよいくらいです。

もちろん、東京湾の埋立地は江東区特有のものではなく、東京都の臨海6区、更には千葉県と神奈川県にも及んでいます。
国土庁大都市圏整備局によると、東京湾全体の埋立面積は 1990年現在で 約250km2、うち東京都は、江戸時代の埋立が 27km2、明治以降が 60km2だそうです(東京湾−人と水のふれあいをめざして 1993)。

京浜工業地帯[49270]では大正時代から盛んに埋立地が作られ、戦後は千葉県の東京湾岸で大規模な埋立地造成が行なわれ、工業用地・流通業用地・住宅地・遊園地など多彩な目的に役立っています。
統計局の長期統計 で 1950年と 2000年の面積を比較したところ、東京都は 49.64km2増加、神奈川県は 54.28km2増加、千葉県は 124.03 km2増加でした。

境界変更や面積測定基準の変更もあるので、上記の計算値が直接に埋立面積を示しているわけではありませんが、戦後の埋立の規模を知る参考になると思います。比較までに、海なし県の埼玉県の値は、同じ期間に 10.79km2減少でした。

明治以来の市区町村単位で考えた場合、比率では 浦安[25784]に負けるのですが,戦後だけでも 20km2以上という 埋立地面積の絶対値では 浦安をはるかにしのぎ、近世以降の累計で考えれば 約40 km2の大部分が埋立地というは、やはり特筆に値する江東区です。
# 東京湾に限らなければ、全部が干拓地という秋田県大潟村 170km2があります[37037][37058]

まず江東区を題材にして、東京臨海部の陸地化を見て行きたいと思います。

リンクした江東区町名図をご覧ください。西に隅田川、北東に旧中川と記され、その南に「荒川」とあります。
荒川の部分は、1910年の大水害を契機として掘削された「荒川放水路」(幅500m、長さ22km、1965年に荒川と改称)の河口部で、昔は中川の河口部でした。
つまり、東京低地を形成した利根川の3本の流れのうち、中川から隅田川の東岸までの間の河口部が江東区です。

大きな2つの川に囲まれた「隅田川の東」=「江東」区ですが、区内にも 縦横に掘割が通じています。
すなわち、「くさび形」の江東区北端から南に向かって真っ直ぐ引かれた線、この江東区を東西に二分する線が「横十間川」です。その西の線は「大横川」。

これと交差する東西方向の掘割も何本かあります。その中で最も明瞭なのは、常磐・高橋・森下・猿江・大島(おおじま)と、清澄・白河・・北砂・東砂との間にある横線の「小名木川」です。
その南側で、清澄・平野・千石と佐賀…東陽との間が「仙台堀川」。
小名木川の北で亀戸と大島との間の横線は、西に伸びて墨田区両国の南で隅田川に出る「竪川」です。現在は首都高速7号小松川線が上空を走っています。

竪川・横十間川・大横川の名は、北を上に描く地図に慣れた現代人にとっては、たて横逆転と感じますが[29720]、江戸の地図は、御城のある西を上に描くのが標準的[33199][33296]だったのでした。
# 墨田区内の竪川沿いにある町名「たてかわ」は、1967年に表記が竪川から立川に変りました。

[75306] 2010 年 6 月 6 日 (日) 21:00:09【1】 白桃 さん
 ペトペトさんご成婚記念「県下三都市決定戦」

[75271]千本桜さん
どんな地図かというと、県の輪郭と主要都市が3つ4つ載っているだけで、他の情報は一切なし。たぶん、こういう簡略な地図を真剣に見る人は少ないと思うのですが、主要都市の選択が実に面白い。
こういうの大好きです。そこで、20市以上ある県のみに絞って、良識ある皆様にアンケートをお願いする次第であります。

アンケート:以下の9県で3つの都市をお選びください。
なお、市でなく、町村を選んでいただいてもなんら差し支えございませんが、単なる「へそまがり」というそしりを受けても企画者としては責任を持てません。

茨城県、埼玉県、千葉県、新潟県、岐阜県、静岡県、愛知県、兵庫県、福岡県

いっちゃんさんが、どっかでつぶやいていましたが、二つまでは順当に決まりますけど、3つ目が面白いものです。

では、飯田市っぺの私から
茨城:水戸、つくば、土浦
埼玉:さいたま、川越、熊谷
千葉:千葉、浦安、成田
新潟:新潟、長岡、上越
岐阜:岐阜、大垣、高山
静岡:浜松、静岡、沼津
愛知:名古屋、豊田、岡崎
兵庫:神戸、姫路、豊岡
福岡:福岡、北九州、久留米

番外として、香川県は高松、丸亀、坂出です。ここで、坂出に代えて「東かがわ」と答えるようでは、「良識派」
にはなれません。(笑)

注:今回のアンケートは決して世に公表するものではありません。でも、私的な酒の肴にするかもしれません。

[75305] 2010 年 6 月 6 日 (日) 20:32:01 YASU さん
 自治体を超える地名(浜松市内)

なるべく従来の地区を分割しないような区割りなので、あまり見つかりませんでしたが。
浜松市南区瓜内町/中区瓜内町
馬込川が区界となっているため、分割されています。他にも馬込川の両岸に同じ地名の所がありますが、同じ区となっています。
浜松市中区法枝町/南区法枝町
こちらは飛び地になっているため厳密には隣接ではありませんが、従前は同じ浜松市だったので、挙げてみました。

[75304] 2010 年 6 月 6 日 (日) 16:38:49 BANDALGOM さん
 丸山

[75298]グリグリさん
船橋市丸山/鎌ケ谷市丸山は直接関係ないとされていますが、明確に関係ないと言える何かがあるのでしょうか。これだけ近接していると関係あると考える方が妥当のような気がします。
船橋市丸山は、ウィキペディアの記事によると、昭和12年まで法典村に属していたところで、15年に「丸山町」と命名された後、51年に住居表示が実施され、「丸山1〜5丁目」に変わったとのことです。

私が生まれてから小学2年まで住んでいた所の目と鼻の先、車でしょっちゅう通ったり、父親と散歩に行ったりしたところですが、記事にある通り、確かに「丸い山のように見える台地」にあります。

一方、鎌ケ谷市丸山は、まだ私が鎌ケ谷市民だった昭和56年頃に住居表示が実施されたと聞いていましたが、中学1年の時、部活の練習試合に行った時に通りました。
ここもまた、鎌ヶ谷駅から「丸山」を経て、目的地の学校へ着く直前に坂を下っていった記憶があり、台地にあるといえますが、その時たまたま目に入った家の表札には、「鎌ケ谷町鎌ケ谷」と書いてあったのを覚えています(市制施行から15年たっていましたが・・・)。

つまり、鎌ケ谷市鎌ケ谷の一部だったところで住居表示が実施されたもので、その辺の歴史の違い、また近接してはいるものの、船橋市丸山との地形的なつながりも薄いという印象から、「直接関係ない」と書いた次第です。
ちなみに、両者の間にある「東道野辺」のうち、東武野田線の車窓から見えるところは、いわゆる谷津田地形です。

ただ、船橋市丸山が「江戸時代延宝年間に新しく開かれた新田集落であり、藤原と同様に行徳と深いつながりがある」という記述からすると、鎌ケ谷市丸山も同じく新田集落で、両者とも小字として存在していた可能性はあり、確かに「直接関係ない」とは言い切れないかもしれません。

検索してみたら、こんな記述が出てきました。
私は千葉県北西部に住んでおりますが、すぐそばに丸山という飛び地があります。丸山は船橋市ですが、周囲を鎌ヶ谷市に取り囲まれております。
(中略)17世紀に入り、丸山に入植する人が現れ開墾が始まりますが、先に発展した周囲の村々が次々と合併していく中、丸山のみ取り残される形となりました。
20世紀に入り、丸山は鎌ヶ谷市には編入されず、船橋市に編入されました。

これに対するレスとして、
境が決められた当時の両市町村の力関係で決まった例です(ここは調べました)。明治22年当時、鎌ヶ谷村と(現船橋市)法典村とでは、鎌ヶ谷村の方が強かったのでしょう。 稲作ができる馬込沢までを鎌ヶ谷村が主張しましたが、丸山地区は、行徳と深い関係があったらしく、推測ですが南側に残りたかったようで、こうなったようです。 
とのことですが、これが事実だとすると、鎌ケ谷市丸山(鎌ケ谷市鎌ケ谷の字丸山?)も行徳と関係がある新田集落だったとして、ここだけが鎌ケ谷に編入されたというのは、謎として残るところです。

生まれ故郷のことでもありますし、手がかりを求めて、近く行ってみようと思います。

[75303] 2010 年 6 月 6 日 (日) 15:07:18 オーナー グリグリ
 書き込み不具合

本日8:30以降、先ほどまで落書き帳の新規書き込みにおいて書き込めないという障害が発生していました。ご迷惑をお掛けして誠に申し訳有りません。先日のメンテナンスの影響です。現在は復旧しています。なお、この間に書き込みをトライされた方で二度以上試された方につきましてはログデータが残っており、そのデータをもとに書き込みを復元していますのでご確認ください。具体的には、[75300]mul-saさん、[75301]N-Hさん、[75302]伊豆之国さんになります。とくに伊豆之国さんにつきましては[75299]への訂正追加で[75302]の内容を一旦書き込んでいただきましたが、[75299]につきましては訂正前に戻しています。お手数をお掛けして申し訳有りませんでした。なお、一度トライしてエラー表示が出てあきらめてしまった方につきましては、あらためて書き込みしていただければ幸いです。お手数をお掛けして誠に申し訳有りませんが、何とぞよろしくお願いいたします。

[75302] 2010 年 6 月 6 日 (日) 12:59:01 伊豆之国 さん
 自治体を超える地名(From尾張・Part2)

前回に引き続いて、名古屋から。

名古屋市西区上小田井・中小田井・山田町大字上小田井・山田町大字中小田井/清須市西枇杷島町小田井‥前回の「枇杷島/西枇杷島」と同じく、同一地名が位置を表す文字によって分割されています。前に「山田町大字」の付く地域は、「枇杷島町」と同様に河川敷と、それと「庄内緑地公園」の敷地内に当たる部分で、やはり住居表示の行われなかった地域が取り残されたものと思われます。この地域を貫通する名鉄犬山線には、「下小田井」「中小田井」「上小田井」の駅が揃っています。駅の住所は「下小田井」が清須市、他の2駅は名古屋市です。「上小田井」は以前は「平田橋」駅でしたが、路線の高架化によって平成3年10月27日に現在地に移転すると共に、現在の駅名に変わり、めでたく「小田井三兄弟」の揃い踏みとなりました。この地域には「城北線」(東海交通事業)に「小田井」という駅もありますが、こちらは「三兄弟」よりも遅く、「上小田井」の駅名誕生の1月余り後、同年12月1日の路線開通と同時の開業です

[75301] 2010 年 6 月 6 日 (日) 10:26:34 N-H さん
 自治体を超える地名(横浜市内)

グリグリさんからガイドラインが示されましたので、横浜市内で区で分断された地名をあげます。
横浜市西区久保町・元久保町・東久保町/横浜市保土ヶ谷区西久保町
横浜市保土ヶ谷区川島町/横浜市旭区川島町・西川島町
横浜市中区桜木町1〜3丁目/横浜市西区桜木町4〜7丁目
横浜市中区花咲町1〜3丁目/横浜市西区花咲町4〜7丁目
横浜市中区赤門町1丁目/横浜市西区赤門町2丁目
横浜市青葉区荏田町・荏田西・荏田北/横浜市都筑区荏田東・荏田東町・荏田南・荏田南町
この中に私の自宅の住所が含まれていることは内緒です(笑)。他にもいくつかあるかもしれませんけれど、取り急ぎ。

[75300] 2010 年 6 月 6 日 (日) 09:57:55 mul-sa さん
 区境を越える同一大字・町名

おはようございます。
「政令指定都市の区を越える事例も対象とする」とのお話ですので、私にとって身近なさいたま市の
事例を紹介します。

ご存じのようにさいたま市は、平成13年5月に浦和・大宮・与野の3市合併により誕生し、
平成15年4月に政令市移行・9区が誕生、平成17年4月に岩槻市を編入して現在の10区体制
となりました。
区を設定するにあたり、一部において区をまたぐ大字・町名がいくつか生じています。
おまけに、区名を冠する他は住居表示に変更は加えられなかったので、例えば
神明一丁目と神明二丁目がそれぞれ浦和区・南区にまたがるといった状況です。

1.合併以前に市境をまたいでいた地名
西区(旧大宮市)昭和/桜区(旧浦和市)昭和
西区(旧大宮市)塚本・塚本町/桜区(旧浦和市)塚本
この他、かなり距離は離れていますが見沼区、北区見沼、緑区見沼というのもあります。

2.中間答申「行政区画の編成及び区役所の位置」(平成13年8月)の段階で大字・町名が分割されたもの
大宮区三橋(1〜4丁目)/西区三橋(5・6丁目) ―makiさんご指摘
大宮区櫛引町(1丁目)/北区櫛引町(2丁目)
大宮区大成町(1〜3丁目)/北区大成町(4丁目)
緑区太田窪(1・3丁目)/南区太田窪(2・4・5丁目)・大字太田窪 ―makiさんご指摘

3.最終答申「行政区画の編成及び区役所の位置」(平成13年10月)の段階での微調整案が採用され、分割されたもの
南区神明/浦和区神明
浦和区大原(1〜5丁目)/大宮区大原(6・7丁目)
南区大谷口緑区大谷口

この他の市でも、最近政令市に移行した市については、区割りに関する資料が市HP上に残っていることと思います。
記憶があやふやですが、岡山市、相模原市、浜松市では、区割り時の微調整等に伴い複数区にまたがる同一大字・町名が存在していたように記憶しています。


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