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[76299] 2010年 10月 4日(月)19:31:39白桃 さん
禁煙で 唇さみし 安芸の呉
現在、白桃研究所では禁煙を励行しており、仕事中のちょっと一服がなくなったかわり、別の方向に遊んでしまいそうです。

ではそういうこと?で、2010年国勢調査における対2005年国勢調査の人口規模別クラス昇級、降級予測
(厳密に言うと、2005年の国勢調査人口ではなく、現行の市町村域に組み替えた2005年人口です)

○ほぼ確実 ●濃厚 △微妙

70万人以上クラスへ昇級 
●岡山

30万人以上クラスへ昇級
○春日井
30万人未満クラスへ降級
○盛岡、△青森

15万人以上クラスへ昇級
●東村山、△多摩、小牧、入間
15万人未満クラスへ降級
○周南、尾道

8万人以上クラスへ昇級
○稲城、日進、東大和、八潮、北名古屋、●牛久、あきる野、△尾張旭、和光、長岡京
8万人未満クラスへ降級
○石岡、大館、田辺、佐伯、栗原、●城陽、福知山、笠間、須賀川、△名張、たつの

5万人以上クラスへ昇級
○長久手町、亀山、野々市町、●野洲、△大網白里町、白岡町、東浦町、那珂川町
5万人未満クラスへ降級
○田川、館山、真庭、牧之原、大洲、富津、島原、洲本、●南あわじ、益田、南国、伊豆の国、△南島原、新城、鉾田、武雄

3万人以上クラスへ昇級
○大津町、△時津町、吉田町
3万人未満クラスへ降級
○那須烏山、伊佐、上天草、二戸、遠野、二宮町、壱岐、根室、山県、大竹、八幡平、竹原、嬉野、大月、香美、土佐、●輪島、
加茂、仙北、長井、水巻町、△大町、有田、御所、あわら

あわてて作ったのでモレがあるかも・・・
那珂川町の5万人超えは、△としましたが、無いと思います。
岡山の●を○にしたいのですが、あの市の統計だけはアテにならない・・・
[76298] 2010年 10月 4日(月)01:18:54【1】Issie さん
緊急地震速報
最近,福島,新潟と,関東の周辺で(関東自体ではない)やや大きめの地震が続いています。
某ポータルサイトのコメント欄なんかでは,最近の「異常気象」とあわせて(ついでに政治状況も)何か天変地異の前触れではないか,なんて不安が語られたりしていますが,そこはどうだかわからない。ただ,たかだか120年しか生きられない私たちと,誕生以来46億年の地球とでは時間のスケールが違うのではないか,と…。

さて,9月29日17時頃の福島県の地震では,私の携帯電話も「緊急地震速報」を受信しました。何か電話が鳴ってるな,と思ったら…。久しぶりのことなので,呼び出し音を忘れていました。
「久しぶり」…ってのは,前に2度ほど受信していて,これが確か3度目だから。
初めて受信したときは直後に本当に地震が来て,携帯電話の有用性を初めて実感した,なんてことをここにも書かせていただきました。2度目は悪評高い“打ち間違い”。地震は来ませんでした。

今回の速報でも,受信後しばらくたっても職場(横浜市)では揺れが来ず,気象庁のページを見たら最大震度は「4」。これは,今回も打ち間違いか,と思っていたら,後から現地調査をしてみたら,実は震源の近くでは「震度5弱相当」の揺れだったらしい,というニュースが流れてきました。「天栄村」の震度は「3」と発表されているのですが,これは村役場のある辺りでの揺れ。震源に近い 湯本地区 が地震計の空白地域であるために,それが記録に現れなかった。で,公式発表で最も揺れたのが,郡山市や須賀川市などの(市役所ではなく)合併された旧町村役場付近で記録した「4」,ということになるらしい。

ところでこの地震,最初に「福島」と聞いたとき,私は震源を福島県沖と考えたのですが(緊急地震速報が出されるくらいだから,プレート境界型の大地震と思いました),震源は内陸部でした。その日のお昼にも前触れの地震があって,翌日(30日)も余震があったらしい。…と思ったら,30日の夜には,今度は「福島県沖」で地震が発生しているのですね。しかし,29日の地震は“直下型”。本当に揺れのひどかった場所には間に合ったのでしょうか(理論上,直下型地震の震央付近では間に合わないような気もするのですが,これはやむを得ない限界だと思います)。

昨日(10月3日)は新潟県上越地方で地震がありました。今回は,こちら(相模原市)には緊急地震速報は届きませんでしたが,最大震度が「5弱」と気象庁の発表にも記録されてNHKの番組が中断しました。今回は“地震計の網”に引っかかったのですね。5弱を記録したのは,上越市牧区柳島と清里区荒牧でした。元の牧村と清里村の役場の位置です。
ところがNHKが映像を映していたのは 直江津港 と思しき風景でした。そして,「各地の震度」画面の地図で「5弱」の赤丸が打ってあったのは,たぶん 春日山 の市役所のあたり。
確かに,最大震度を記録したのが上越市であるのは確かで,それを市役所の位置で代表させるのも「あり」だと思うし,短時間で旧牧村や清里村まで入るのは無理だから,直江津や高田の風景を使うのも「あり」だと思うのですが,でも何となく釈然としない気持ちがあるのも事実です。何か,どこかに齟齬があるような。
ちなみに,気象庁発表の上越市中心部(高田大手町)の震度は「4」でした。
[76297] 2010年 10月 3日(日)23:17:38EMM さん
石川県公式ホームページ・続報
[76282]我がの
※追記
その後、0時頃から全般的に繋がらなくなりました。
何かメンテナンスしてるっぽいです。
「index.html」の有無の件に関しては、あとでまた確認した方がよさそうです。
その後メンテナンスが終わって通常どおり表示されるようになっていたので、石川県公式HPのURLを再確認しました。
その結果、「 http://www.pref.ishikawa.lg.jp/」でトップページに繋がりました。
また、旧来のlg無しのURLから接続しようとすると「 http://www.pref.ishikawa.lg.jp/index.html」にジャンプしてトップページが表示されます。

Hiro_as_Fillerさん、お手すきの時で構いませんので公式ホームページ一覧の修正をお願いします。
[76296] 2010年 10月 3日(日)21:28:24【1】オーナー グリグリ
栃木県さくら市
ずいぶん前に「さくら市論」と題して栃木県さくら市誕生に対する懸念を書きました。早いもので栃木県さくら市が誕生してすでに5年が経過しました。佐倉市と栃木県さくら市とが併存することによる致命的な社会問題はもちろんありませんが、当初想定していた以上に生活空間の中で多少の混乱を引き起こしています。一番気になるのがやはりテレビのニュース。とくにNHKの首都圏管内では頻繁に「さくら市」ニュースが流れます。アナウンサーの発声は「とちぎけんさくらし」「ちばけんさくらし」です。字幕は「栃木県さくら市」「千葉県佐倉市」または「佐倉市」です。画面を見ていなくてもニュースの冒頭を注意深く聞いていればどちらの「さくら市」なのかは分りますが、それでも地元のニュースかと一瞬反応してしまいます。

ところが問題は、同じニュースの中で「さくら市」が繰り返される場合です。二回目以降は、アナウンサーの発声はたいがい「さくらし」のみです。ニュースの冒頭を聞き逃しているとどちらのさくら市か分りません。我が佐倉市の事件・事故かと思わずテレビ画面に駆け寄ってしまいます。栃木県さくら市での事件・事故が何故か多い(多く感じられる)のも混乱の一因かもしれません。#つい最近も警官の飲酒運転事故がありましたね。

ニュースで頻繁に登場するため、最近になってようやく栃木県さくら市を認知した家内は、「なんでそんな紛らわしい名前にしたのよ。」と文句を言うようになりました。「さくら市って幼稚園の組みたいだね。桜市の方がまだましなのに。」とも言っています。決してさくら市民の方を誹謗中傷するつもりはありませんが、これは悪気のない一般的な反応だと思います。

以前の繰り返しになりますが、「さくら市」よりも「桜市」の方がまだよかったと思います。「さくら市」は、ひょっとしたら佐倉市のことかもしれず、栃木県さくら市と断定できないからです。しかも、「さくら市」と書いた方は栃木県さくら市のことだと疑いもしない点で、府中市や伊達市よりも誤解を招く可能性が高いと言えるでしょう。

[76273] hmtさん
今回の事例について言うと、町村の大小を判定する基準が「人口」なのかどうかはさておき、いずれも「歴史上著名の名称」が保存された事例であるように思われます。

やっぱり最初は、氏家喜連川市、あるいは、喜連川氏家市を選択した方がよかったのになぁと思ってしまいます。何年か後に、氏喜市、氏川市、あるいは、氏喜川市に改称するという道を残しつつ。
# 最初は違和感があった小美玉市もだんだん馴染んできました。茨城空港効果もありますが。

[76273] hmtさん
町村制施行に先立つ 1888年の 山縣内務大臣訓令[37482]による原則は、この時代になっても考慮されたものと思われます。
平成の大合併では、この原則は通用しなかったというか、国が適切な指導をしなかったということでしょうか。最近の一貫性のない政治ともつながっているように感じます。
[76295] 2010年 10月 3日(日)19:39:24オーナー グリグリ
国勢調査と国民ID
国勢調査は昨夜記入し今朝調査員の方に提出しました。郵送でも提出できるようになったのですが、郵送で提出しますと言っても、調査員の方は確認義務があるためか、毎日記入状況と提出見込みを聞き取りに来られました。で、結局郵送する意味がないので直接調査票を手渡しました。調査員の方はご苦労なことですが、もう少し合理的で正確な調査方法はないものでしょうか。[76158]にも書きましたが、国民IDの一元化は必須だと思います。国際的に日本がどんどん立ち後れて行く不安でいっぱいです。
[76294] 2010年 10月 3日(日)19:35:14桜通り十文字 さん
ほほえみを集める
[76293]油天神山さん
「5年前にはどこに住んでいましたか」という設問から連想して、5年前、10年前・・・と過去の居住地を思い起こしてゆく
そういえば、ずっと宇都宮に留まっていたなあとおもいつつ、私もやってみます。
2010年東京都新宿区
2005年栃木県宇都宮市
2000年栃木県河内郡上三川町
1995年なし(1996年・北海道札幌市手稲区)


こうして改めて見てみると、私も結構引っ越しているものです。(もっとも、2001年ごろにはすでに宇都宮に住んでおり、新宿区に引っ越したのは2009年なので、人生の半分以上を宇都宮で過ごしていますが・・・。)また、表の薄っぺらさから、人生経験のなさがにじみ出ています。
[76293] 2010年 10月 3日(日)09:54:18油天神山 さん
国勢調査票に記入しつつ、来し方に思いを馳せる
昨日、国勢調査の調査票を書き上げました。何しろ引っ越してきたばかりということもあって、
「現在の場所に住んでいる期間? 2日(笑)・・・あ、1年未満ね」
「ここの部屋の床面積なんか知らないぞ。えーと、4畳半と6畳と、台所が・・・1坪が3.3平米だから・・・大体こんなもんか」
「『9月24日から30日までの1週間に仕事をしましたか』という設問の後の『従業地』」欄はつくば市と書くのかなあ、東京都○○区って書いたらいいのかなあ」
「仕事の内容? この1週間は業務の引継ぎと挨拶回り、人事異動に絡む手続きや書類の整理・・・いや、そんなことを書くんじゃないよなあ」
・・・などと、いろいろ頭を悩ませつつ楽しんで書いておりました。

実際問題として、10月1日から新しい職場に移った私の場合、従業地や仕事の内容はどう書くのが正しいのでしょう? 9月24日から30日まで仕事をしていたつくば市か、10月1日からの勤務地である東京都か。一応東京で書いて出しましたが、これで良かったのかしら。

「5年前にはどこに住んでいましたか」という設問から連想して、5年前、10年前・・・と過去の居住地を思い起こしてゆくと、こんな風になりました。
2010年さいたま市浦和区
2005年高槻市
2000年大阪市福島区
1995年尼崎市
1990年池田市
1985年高槻市
1980年高槻市
1975年高槻市
1970年吹田市
1965年なし(年がバレる・・・)

こうしてみると、1985年以降、毎回居住地が変わっていることに驚きました。
親父も私もいわゆる転勤族ではなかった(と、去年までは思っていた)ので、ほとんど高槻市に留まってきたように思い込んでいました。事実大人になるまではそうだったんですが、二十歳以降の私は自分で思っているよりはずっとジャーニーマンなのでありました。
[76292] 2010年 10月 2日(土)19:33:43inakanomozart さん
合併で人口の少ない旧市名を採用した例
[76274] 2010 年 9 月 30 日 (木) 19:49:23  播磨坂さん
今市と日光が合併した際、人口の多い今市ではなく、知名度の高い日光の方が新市名として採用されましたが、
このような例は他にもないのだろうか

静岡県内の例では富士市があります。
旧吉原市>旧富士市 ⇒ 新・富士市
当時、人口の多かった旧吉原市の知名度が必ずしも旧富士市より劣っているとは言い切れないと思われますが
合併後の新名称で収集がつかず、市の名前というより富士山の知名度に寄り切られたと言ったところでしょうか。

また、合併前は市ではありませんでしたが御前崎市も同様な例です。
旧浜岡町>旧御前崎町 ⇒ 御前崎市
この例では「御前崎」の方が知名度があることに加えて、浜岡原発の負のイメージも影響していると思われます。
[76291] 2010年 10月 2日(土)19:29:16【1】hmt さん
国勢調査 (2)“有史以前”の統計行政 から 新しい統計法(2007)まで
「国勢」という言葉は、いつから使われたものでしょうか。
統計Today No.14 に、大隈重信が 明治14年(1881)に建議した 「統計院設置の件」という文書がありました。
現在の国勢を詳明せざれば 政府則ち施政の便を失ふ 過去施政の結果を鑑照せざれば 政府其政策の利弊を知るに由なし 故に 現在の国勢を詳明し 過去施政の結果を鑑照するは 是れ政府に在て 欠くべからざるの務なり

「国勢」とは、「国の情勢」という意味で、私たちが国勢調査票に書き込む「人と世帯の実態」だけでなく、産業・経済・社会制度・軍事などより広い分野に係るデータを対象とするものと思われます。

この建議により太政官に設置された「統計院」(内閣制度発足の明治18年以降は内閣統計局)により、明治15年(1882)を第1回とする「統計年鑑」がまとめられたことは、既に国土面積統計の変遷に関する記事[66993]で記しました。

大隈重信といえば、明治8年統計寮から発表された「第1回統計表」[67042]の時にも登場しました。
この「統計寮」は、明治4年太政官制度の下で発足した大蔵省統計司が改称したもので、租税・戸籍等に関する統計を所轄する機関でした。
もっとも、統計寮とは別に、太政官正院には「政表課」が設置されており、政策決定用のデータを整える 統計院>内閣統計局は、こちらが発展した組織でしょう。

人口調査についていうと、明治12年末現在で実施された「甲斐国現在人別調」が、統計院によって明治15年にまとめられています。画像
これは、明治時代の人口統計に使われた戸籍依存のものでなく、調査員による実地調査で、まさに後に行われる国勢調査のテストでした。

調査項目は、居住地及び住居の持借の別、姓名(家主は族籍も記入)、家主と家族の続柄、男女の別、身上(配偶関係)、年齢、生国、宗旨、職業など。
今年の調査票にないのが、族籍(士族・平民など)と生国、宗旨【江戸時代の人別帳を思い出します】。持家借家の別は、今年の調査票にもありましたね。
戸籍では「戸主」ですが、この調査では「家主」と呼んでいるようです。現在は「世帯主」。

調査に人手がかかるだけでなく、統計院での集計にも1年半かかったそうで、当時の予算事情や統計スタッフの不足から、山梨県でのテストを全国の実地調査に拡大するには至りませんでした。

しかし、明治28年(1895)に、万国統計協会から1900年の世界人口センサスへの参加勧誘があり、これが国勢調査実施を促進することになり、貴族院・衆議院で国勢調査に関する建議が可決されました。
[76281]で触れた明治35年法律第49号は、議員立法で成立したものだそうです。

1905年が日露戦争で実施できず、1910年の事情はよくわからないが、1915年も第一次世界大戦で実施できず。
このようにして、わが国の国勢調査は、1920年が第1回ということになりました。

国勢調査の目的は、大隈重信の建議に示されているように、政策決定の基礎となる資料の収集です。
戦前の「国勢調査に関する法律」[76281]は極めて短く、国勢調査の目的は記されていません。
戦後の国勢調査は、昭和22年の旧統計法 に基づいて行なわれてきましたが、この法律の目的にも、大隈が書いた政策の文字はありませんでした。

2007年に 統計法が全面的に改正され[68817]、ようやく下記の文言が法律の目的に書き込まれました。
公的統計が国民にとって合理的な意思決定を行うための基盤となる重要な情報であること

2010年の調査は、人口減少社会になって最初の国勢調査になるだけでなく、この新法に基く、最初の国勢調査でもあるわけです。
[76290] 2010年 10月 2日(土)16:50:26ぺとぺと さん
世帯主関連レス
[76273]hmtさん
九鬼氏の三田陣屋が、明治になってから 三田県庁>有馬郡役所を経て、現在の法務局出張所に続いているのでしょうか。
法務局出張所敷地内にある史跡案内板には、「九鬼藩主の御下屋敷のあったところ。(中略)明治11年(1878)、郡区町村編成法により有馬郡2町11カ村の郡役所がここに置かれた。」とありますので、法務局出張所のある場所に、“最初の”有馬郡役所が置かれたのは間違いないと思います。
その後、大正3年12月に、九鬼家の養子であり帝国博物館の初代総長も務めた九鬼隆一氏の提唱により、有馬郡役所の建物を洋風木造2階建に改築し、私設の「三田博物館」が開設されたようです。この「三田博物館」は九鬼隆一氏の所蔵品(書画・彫刻・陶磁器等)が数多く展示され、遠方からも多くの来賓客が訪れたようですが、経営不振により大正14年に有馬郡町村会に移管され、昭和16年11月に閉鎖されたとのことです。
一方で、Wikipediaのこの記事には、
1926年(大正15年)7月 郡役所が廃止され、兵庫県に移管して兵庫県土木出張所に充てられる。一部は、有馬郡町村組合、農会、畜産会、産業組合の事務所に充てられる。
とあります。
有馬郡役所が途中別の場所に移動したのか、旧陣屋の敷地内に別の建物を建て、それが兵庫県土木出張所を経て現在の法務局出張所につながっているのか、正確なところはよくわかりません。
幸い三田は実家から近いので、正月に帰省したときにでも、現地確認してみたいと思います。


[76274]播磨坂さん
数年前、今市と日光が合併した際、人口の多い今市ではなく、知名度の高い日光の方が新市名として採用されましたが、このような例は他にもないのだろうか、と当時思ったことを思い出しました。「こっちの方が発展(人口・商業etc)してるのに、なんであっちの名を採用するんだ」な市を収集しようと考えたのですが、結局芳しい成果が上げられませんでしたが…
霧島市なんかは、日光に類似した事例のような気がしますが、いかがでしょう。

[76276]白桃さん
第2次の笠間、市川なんかも世帯主がはっきりしているようで、はっきりしていないと思います。
似たような事例で思いつくのが藤井寺市です。合併前の旧藤井寺町と旧道明寺町は人口規模もさして変わらず、また交通の利便性(鉄道の開通時期は、むしろ旧道明寺町の方が早かった)にも差はありませんでした。だからこそ、両町の合併時には「藤井寺道明寺町」という長ったらしい名が採用されたのだと推測されます。
しかしながら、美陵町への改称を経て市に昇格した際には、いとも簡単に「道明寺」の名を捨てています。「旧来より、このあたりの中心地は藤井寺であった」というのであればわかるのですが、そうでなかったか、あるいはそこまでの優位性はなかったからこそ、「藤井寺道明寺町」なる自治体が存在していたのだと思うのです。
もっとも、藤井寺球場の存在により、市制施行した時点では「藤井寺」の知名度が「道明寺」を上回っていたであろうとは、何となく想像できますが…(羽曳野や松原の存在を知らなくても藤井寺は知っている、という人はそれなりにいると思います。)
[76289] 2010年 10月 2日(土)08:41:23オーナー グリグリ
第二十九回十番勝負のお知らせ
昨日は国勢調査の日でしたが、私はまだ記入していません。今日、記入する予定です。
猛暑から一転、もう冬を思わせるような冷え込みが来て、体調を崩された方も多いのではないかと思います。皆さんくれぐれも気候の変化にはお気を付け下さい。もっとも、今日は先ほどから陽が差し始めました。

もう10月です。十番勝負の季節です。ご案内が遅くなりましたが、第二十九回の十番勝負は今月23日(土)午前7時から開始したいと思います。早朝のスタートとなりますが、よろしくお願いいたします。
[76288] 2010年 10月 2日(土)08:19:57千本桜 さん
児島、日比、水城の御礼
[76203] hiroroじゃけぇさん
[76204] かぱぷうさん
[76205] 中島悟さん
[76263] hiroroじゃけぇさん
私の疑問にお応え下さいましてありがとうございました。拝読いたしましたのに、御礼の書込みが遅れて申し訳なく思っております。実は[76196]を書込んだ後に、敬老会、同級会などの準備や種々の会合が重なって舞い込み、落ち着いて書込みをする時間がとれない状態に陥っておりました。この後も、村の鎮守の秋祭りやカラオケフェステバルに追われますが、それらが終われば書込み可能な状態に戻れると思います。塩生・通生・宇野津をまとめて本荘と呼ぶ習慣はないのだろうか?など、お尋ねしたい事はまだまだあるのですが、取り敢えず御礼まで。
[76287] 2010年 10月 2日(土)02:46:18笠津前浜 さん
三がおおい。足が多い。
三次市のあたりは、「三」が多いなあ、という印象です。三次、三谿、双三、三良坂、三和、三原、三若…。

[76286] 山野 さん
職場周辺では、今年のムカデ出現率は昨年比3倍でした。見るだけで気持ち悪い…。蚊にはかまれなかったのですが…。
[76286] 2010年 10月 2日(土)02:02:40山野[山野] さん
「蚊」なのか「百足」なのか、本題は何だろうか?
[76282]EMMさん
「秋バテ」なんて言葉も耳に
「~バテ」に便乗して。
えー、こちらのは「秋」ではなく単なる「夏バテ」の話ですが、お相手は「人」ではなく「蚊」です。
こちらの記事には、今年は蚊も夏バテ!? 刺された人が減少とあります。
記事の一部を引用↓
「今年は蚊に刺されましたか?」と尋ねると、
「昨年より刺されていない」が56%と、「昨年より刺された」の13%を大きく上回った。
まぁ、本人が刺されたのに気付いていないだけだったりして。
そう言う私らは例年同様、刺されております。只、夏場は姉が子どもを連れて里帰りして居た為、
殆どの蚊は皆、子どもの方へ行っており(お陰様で、ブクブクでしたが…)
一方の私自身は去年より刺された回数が気持ち少なかった様に思います。

今年も暑かった。そして、ハムスターは「便所」でダラ~ンと寝てた。
現在、日によって寒かったり、暑かったり、昼暑く、夜寒い。毎年恒例、何なんだこの気温の差は。
で、冬は寒いんだろうな、また。
…これ書いてる傍から、耳元に蚊は寄ってくるし。

<今年の虫事情>
・ムカデが多い。兎に角多い。2010年は「寅年」ならぬ「百足年」だ。
<出没した場所>
・畑(計3匹)
・応接間(3匹)
・台所(1匹)
・私の部屋=座敷(1匹)
・今の部屋=諸事情により。(1匹)
・洗面所=(1匹)*但し、ここに居たのは「ゲジゲジ」。
半年の間に、計10匹
そして、3日前の夜中(就寝中)にムカデに左手小指を軽く「咬まれた」否、刺されたと言うべきか。
直後は相当痛い→3日後の現在、咬まれた所が「しこり」となり痒い。

去年、誰かに言われたが、私の書き込みは本当に「ブログ化」してるぞ。
読みたい人だけどうぞ。(本当に雑談なので居ないと思うが)
[76285] 2010年 10月 2日(土)01:19:47右左府 さん
大潟村の特異性
ちょっと興味深く感じた事があったので紹介します。大したことではありませんが……。

前回の国勢調査結果を基に大潟村の人口・産業等々を調べていたら、ある数字が目につきました。「昼夜間人口比率 121.9%」。
最初はどこの大都市かと思いました。村で昼間人口が夜間を上回るとは……。
そこで今度は、同様に昼夜間人口比率の高い村のデータを並べてみたのですが(下表)、そこでまた大潟村に際立つ数字を発見。「第1次産業従業者割合77.9%」

昼間人口(人)昼夜間人口比率(%)第1次産業従業者(%)第2次産業従業者(%)第3次産業従業者(%)
1飛島村 13,711313.813.628.856.2
2泊村 3,309151.48.835.156.0
3六ヶ所村 15,434 136.915.041.343.2
4大衡村 7,406132.116.429.753.3
5大滝村 2,282123.814.66.778.7
6十四山村 6,873122.39.731.957.8
7大潟村 3,970121.9 77.91.320.5
8恩納村 11,694121.417.312.168.7
9留寿都村 2,617120.929.37.563.3
(昼夜間人口比率120%以上の村を、その高い順に掲載)

こうして並べてみると分かる通り、他の村々は工業団地や発電所、リゾート地を抱えており、当然1次産業従業者割合は低くなっています。高くて留寿都村の3割弱。
その中で大潟村のそれは抜きんでており、これは全市町村の中でも最高値です。なお50%を超える村は下表の5村のみで、町も浜中町(52.2%)のみとなっています。、

昼間人口(人)昼夜間人口比率(%)第1次産業従業者(%)第2次産業従業者(%)第3次産業従業者(%)
1大潟村3,970 121.977.91.320.5
2川上村4,780 100.470.94.324.7
3北村3,308 91.457.19.533.4
4南牧村3,714106.356.56.136.8
5相馬村3,241 84.455.013.631.2

昼間人口が夜間人口を2割以上上回りながら、その8割近くが第1産業従業者。当たり前といえば当たり前なのですが、こうして実際の数字を見ると大潟村の特異性がよく分かりますね。
[76284] 2010年 10月 2日(土)01:15:49山野[山野] さん
う~ん、微妙。(単独市制)
日付はとっくに変わって、今日は10月2日。国勢調査日は昨日。1日ずれての書き込み(遅っ)

市制施行を目指して、気持ちが「やきもき」している福岡県の那珂川町。
やっとこさ基本台帳上では5万人を突破したようです。
参考記事:西日本新聞(福岡)
それで、役場のHPを覗き、その人口を確認したところ…。(9月30日現在)
50,003人
う~ん、確かに5万人以上はいるものの、何とも微妙の差。
僅かに3人上回っているだけなので、肝心な国勢調査でアウトになるような。

果たして単独市制を目指している、「野々市・東浦・那珂川」の行方は。
いずれ可能性のありそうな、「大網白里・白岡・長久手」はどうだろうか。

ところで、推計人口と国勢調査による人口の誤差って、どれ位あるんでしょうか。
[76283] 2010年 10月 1日(金)23:55:33にしさん21号 さん
既に23時間以上経過しましたが~国勢調査の結果を予想しよう
 既に23時を過ぎてあともう十数分で10月2日になるところですが、今日は国勢調査の実施日です。
 ということで、47都道府県と総人口を予想してここに書き込んでいきましょう!
もっとも、県によっては(それどころか、一部の市町村にもありました)国勢調査の人口予想の懸賞大会が行われているところもあります。

 というのですが、私自身どれくらいになるのかわからないと思います。詳細は以前書き込みましたが、県発表の推計人口の合計と統計局の発表が違いすぎるので、私自身なかなか予測ができません。
ちなみに、5年前の国勢調査では県発表の推計人口の合計(2005/10/01現在)は国勢調査より過大に出たのに対して、(但し、一部の県は2005年9月の修正前データを取るのが不可能なので、データ取得済みの県のデータから類推)統計局のデータでは10数万人国勢調査の人口より少なくなっていました。

 ちなみに、社人研推計上の2010年の予測では1億2718万人ですが、統計局推計でも総人口は1億2740万人近くとなっていますので(但し、5月以降は未確定)、1億2740万人以上はいくかとおもいますが、両者(県推計総計と統計局推計)の中間あたりの1億2760万人前後か1億2750万人台か、かなり難しいところです。
ただ、合計特殊出生率の仮定が1.2台で推移するなどとなっていながら、2006年以降回復して、2009年には1.37に上昇したというのがありますので、実際には「予測ほど少子化は進んでいなかった」ということになるとは思います。
[76282] 2010年 10月 1日(金)23:51:05【1】EMM さん
公式ホームページに関する情報提供
9月に入った頃から仕事の方が小忙しい状態に入っているのですが、それに加えて天候の極端な変化からか体調が今市状態で(「秋バテ」なんて言葉も耳にしますが、どうもそれっぽい)、飯能したい事があってもなかなか飯能できずにいます。
しかしながら、某所ではしょもない短文ですがなんとかつぶやいているのでありまして、さしあたり短い内容なら秋バテでぼんぼやっとした頭でも何とかいけそうです。
と言う事で…

>Hiro_as_Fillerさん
10月1日付けで石川県の公式ホームページがlg.jpドメインに変更になっていました。
トップページは次のとおり。
http://www.pref.ishikawa.lg.jp/index.html
公式ホームページ一覧の修正をよろしくお願いいたします。
(ちなみに、「index.html」無しではどこも表示されないようです。これがこのまま行くのか、今後修正される余地があるのかは分かりません)

※追記
その後、0時頃から全般的に繋がらなくなりました。
何かメンテナンスしてるっぽいです。
「index.html」の有無の件に関しては、あとでまた確認した方がよさそうです。
[76281] 2010年 10月 1日(金)23:25:35hmt さん
国勢調査 (1)日露戦争で延期された第一回国勢調査
第一回国勢調査が大正9年(1920)に実施されたことは承知していましたが、明治35年に制定された 国勢調査に関する法律 では、第一回は 明治38年施行(第3条) と定められたことまでは 知りませんでした。

日露戦争で 実施できなかったのですね。改正法

時刻が遅くなったので、国勢調査当日の書き込みは これだけ。
[76280] 2010年 10月 1日(金)21:21:19【1】k-ace さん
自治体越えの地名など
こんばんは、k-aceです。
本日は国勢調査の日。本日早速記入してポストに投函してきました。これで今回の国勢調査は八王子市でカウントされる(これまではすべて加西市でカウントされてたので)。

さて今度の3連休あたりに加西市に一時帰省するのですが、中央道経由の高速バスで帰省することにしました。で、中央道の通過自治体をMapionで確認していたら、コレクション未収録の「自治体越えの地名」がありました。
甲府市富竹○丁目/甲斐市富竹新田
韮崎市穂坂町三之蔵/北杜市明野町三之蔵
後、少し気になるところが。
茅野市中沖/諏訪市大字中洲・沖田町○丁目
諏訪市に食い込んでいる茅野市「中沖」の由来が気になります。「中」洲+「沖」田=中沖の合成なのか、そうではなくてたまたまなのか。

それとは別に印西市安食卜杭/栄町安食卜杭新田があります。「安食」は栄町にまだまだありますが。

[76239]じゃごたろさん
[76240]Issieさん
レスありがとうございます。寝てませんが、一夜を明かしたも宿泊とするということにして、新宿区○とすることにしました。

今週末首都圏JR大回り乗車をし、その途中、我孫子駅名物の唐揚げそばを食べるつもりなのですが、改札外には当然出ることはできませんが、過去ログ見てると、こういう場合は、我孫子市●も可のようですが、改札すら出てないのに●にするには違和感があるので△にするかなぁ…。
先日、檜原村と日の出町を散策してきました。檜原村役場は日曜でも「カフェせせらぎ」が営業してました。
[76279] 2010年 10月 1日(金)18:43:03hmt さん
種明かしをお願い
[76277] ニジェガロージェッツ さん
ところで,もうそろそろきちんとした都市名を挙げてみてはどうでしょうか。
こういう推測を好む人も多いことは間違いありませんが,読み難いことで好まない人もおられるでしょう。私はどちらかと言えば後者です。

私も同感です。

そこで、[76212] ペーロケ さん 夏休みの旅行も、10日以上経ったことだし、種明かしをお願いしたいと思います。

実は、私も[76213] Issie さんと同じで、日本ライン下りの翌日に長野市を訪れたものと思っていました。
[76214] いっちゃん さん により、保津川下りの翌日に 奈良市訪問という可能性にようやく気づき、改めて読みなおしてみると、百貨店閉店 のことも最初に書かれています。

トンネルやケーブルカーのある山を下り、路面電車が走る某市へと、最後まで いくつものトラップが仕掛けられているようですが、ここらで種明かしをして、読者の心を すっきりさせていただきたいのです。
[76278] 2010年 10月 1日(金)12:48:10淡水魚 さん
極東
逃亡先はハバロフスクでした!しかしガイドさんの話では、浦塩より5万人くらい多いような口ぶりでしたが…。機会があればウラジオストクも行ってみたいと思います。そして今から国勢調査の回答を書きます。
[76277] 2010年 10月 1日(金)10:31:25【3】ニジェガロージェッツ さん
近江俊郎 伊藤久男
[76267] 白桃 さん
逃亡先国の人口データにつきましては、(中略)コチラをご参照されることをお勧めいたします。(笑)
どこかと思えばうちですか(汗)。いつもご愛顧ありがとうございます。
最近はまともな運営を滞らせており,白桃さんのご宣伝通りのサイトには程遠い状態で申し訳ございません。
2009年1月1日も2010年1月1日の人口データも入手しておりながら,データの更新作業をサボっています。ということで,この場をお借りしてフォローさせていただきます。

[76266] 淡水魚 さん
この州は(中略)人口は約143万人
2010年1月1日現在の州(地方/クライ)の人口は1,400,426人です。丁度奈良県人口と同じくらいです。面積は日本国の約2倍強ありますが。

この州は17郡と7都市で構成
郡(地区/ラヨン)と都市(市/ゴーラト)の数としてのデータとしては間違いありませんが,行政区画構成を述べるのであれば誤解を招く表現です。
正しくは17郡と6都市です。7市のうちの1市は郡に属しています。

人口は578,000人だそうです。ガイドさんの説明では、物騒な名前の市より多いとのこと。
確かに,物騒な名前の軍港都市の人口をわずかに上回っていますが,これはここ2年前あたりからのことです。両市はこの地域(日本面積の16倍)の双璧をなす二大都市で,歴史的にも人口争いを続けています。今月行われる国勢調査の結果では逆転しているかも知れません。その程度の微妙な差です。そう言えば区の数も共に5区です。
以下,両市(便宜上,淡水魚さんの逃亡先を「大河市」,もう一方を「軍港市」と記す)の人口推移です。
日付大河市人口軍港市人口備考
1897年2月9日14,97128,933国勢調査
1939年1月17日207,347206,432国勢調査
1959年1月15日322,744290,608国勢調査
1970年1月15日435,962440,889国勢調査
1979年1月17日552,848554,789国勢調査
1989年1月12日597,678631,015国勢調査(常住人口)
2002年10月9日583,072594,701国勢調査
2005年1月1日579,047586,829国家統計局発表
2006年1月1日578,060583,673国家統計局発表
2007年1月1日577,409580,821国家統計局発表
2008年1月1日577,345578,800国家統計局発表
2009年1月1日579,168578,619国家統計局発表
2010年1月1日580,665578,213国家統計局発表
以上,市単独での人口です。
日本の市町村制度とは違うので分かりにくいですが,大河市は市と市域が一致している一方,軍港市の場合は市域が市外の農村人口26,613人(2010年1月1日)を含み,市行政区域全体の人口は604,826人(同)です。なお市行政区域の面積は大河市386km2,軍港市562km2です。

また,1939年1月17日の国勢調査結果については全国的に水増しの可能性が指摘されています。実はその2年前の1937年1月6日にも国勢調査がありましたが,「人口が予想外に少ない」と鋼鉄の男の逆鱗に触れ,関係者が処刑されたと聞きます。その「やり直し」調査が1939年の国調ですが,最近では幻となった1937年調査こそが実態に近いのではないかと言われています。国の体制が違えば国勢調査も命がけです。(平成22年国勢調査当日の書き込みに因み)

ところで,もうそろそろきちんとした都市名を挙げてみてはどうでしょうか。
こういう推測を好む人も多いことは間違いありませんが,読み難いことで好まない人もおられるでしょう。私はどちらかと言えば後者です。


追伸:
メンバー紹介のニジェ名義の変更有難うございました。なんだか照れくさいですが,メンバー紹介文にたがわぬように引き締めなければなりません。早速の更新作業に感謝申し上げます。
大変お手数をお掛けいたしました。
[76276] 2010年 9月 30日(木)23:37:05白桃 さん
酔蜜桃
最近、二行ぐらいの書き込みばかりで失礼をしている白桃です。
しかも、今日は、国勢調査日前夜祭とか、明日から禁煙!記念日とか、勝手に加古つけて飲んだ呉ております。
あ、三行以上になりそう。
[76265]白桃
世帯主がはっきりしない市
に、多くの方からご意見、ご感想等をいただきました。思ってもみなかったことでした。
書き込みの途中ですが、「萩・津和野2泊3日」の旅から帰ってきた奥様から「マメができたんだけど、どうすればよいの?」っていう相談を受けました。「針でつっついたら」と、いたって的確な回答をしときましたが、それで良いのでしょうか?
話がそれましたが、
第2次の笠間、市川なんかも世帯主がはっきりしているようで、はっきりしていないと思います。ま、古くは、(と言っても現行市町村制度が施行されるとき?の)福岡市もそうですし、神戸市もそんな感じがしないでもありません。
それに、倉敷市なんて、児島、玉島と一緒になったとき、まぁスンナリ「クラシキ市」で決まったもんだと、今でも不思議です。「鳴南市」、「宇島市」の例を持ち出すまでもなく、「表札」は重要なモノなんでしょう、か、どうなんでしょう。
[76275] 2010年 9月 30日(木)22:15:17BANDALGOM さん
3年ぶりの渡韓&合併情報
2010年ももう10月、早いものです。

3年前、福岡オフの時には、翌日に福岡空港から済州島へ飛び、韓国に2週間半滞在して、仁川空港から成田へ帰国したわけですが、今度は筑波山オフの前、10月19日から2週間、韓国へ行くことになりました。

今回は支援している県議と、その仲間2人+友人の計4人と一緒に行き、ソウルで3泊4日の行程を終えた後、前回と同じように仕事をしながら滞在する予定です。
いずれにしても3年ぶりの韓国ということになります。

さて、山野さんの書き込みで抜けている合併情報です。

栃木市と岩舟町の合併協議会設置議案ですが、岩舟町議会は9月24日の本会議で、賛成6人、反対7人で否決となりました(参照)。

川口市と鳩ケ谷市は27日、法定合併協議会の設置を埼玉県知事に届け出(参照1)、28日には第1回法定合併協議会を開いて、任意合併協議会での合意内容(川口市への編入合併など)を了承するとともに、合併期日を来年10月11日とすることなどを提案しました(参照2)。

また、これは山野さんの書き込みともかぶりますが、一関市・藤沢町合併協議会は27日、合併期日を来年9月26日とすることなどを了承して協議を終えました。今後は両市町で住民懇談会を開き、11月に合併協定調印式を行って、両議会の12月定例会に合併関連議案を提案するとのことです(参照)。
[76274] 2010年 9月 30日(木)19:49:23播磨坂 さん
市街地の移り変わり
[76253]白桃さんの
「市制施行前に館山北条町を名乗っており、しかも当時は旧北条町の人口が多かったのに、どうして館山市と言う名前になったの?」
からの皆さんの一連の書き込み、興味深く拝見しておりました。

数年前、今市と日光が合併した際、人口の多い今市ではなく、知名度の高い日光の方が新市名として採用されましたが、このような例は他にもないのだろうか、と当時思ったことを思い出しました。「こっちの方が発展(人口・商業etc)してるのに、なんであっちの名を採用するんだ」な市を収集しようと考えたのですが、結局芳しい成果が上げられませんでしたが…

逆に、合併当時は中心だった町が周辺町村を吸収したものの、様々な要因(鉄道から自動車へのシフト、商店街から郊外型店舗への移り変わり、昔からの町は土地がないなどなど)により、周辺町村に役所も中心市街地も奪われた、みたいな事例は多く見受けられました。たとえば、地元兵庫だと、揖保川対岸の小宅に駅も官公庁も市街地も奪われた龍野(たつの市)や、IC設置やロードサイドの発展で駅前が衰退の一途をたどり、市川対岸の田原に役場も市街地も奪われた福崎(神崎郡福崎町)などがあります。

で、書いていて思いついたのが、「相生と那波」(相生市)です。当初は那波が街道筋の町場であったと思うのですが、造船業のおかげで寒村に過ぎなかった相生が飛躍的発展を遂げ、合併後の市名は「相生市」、那波町に存した那波駅も「相生駅」と改称、
稼ぎ(人口)はあっても所詮は息子
の真逆を行く例かと思われます。

脈絡のない文になってしまいましたが以上です。
[76273] 2010年 9月 30日(木)17:53:30【1】hmt さん
名前が売れているのが 世帯主
[76253] 白桃 さん
市制施行前に館山北条町を名乗っており、しかも当時は旧北条町の人口が多かったのに、どうして館山市と言う名前になったの?
[76264] Issie さん
たぶん,「北条」よりも「館山」の方が知られた地名だったのではないか,と考えます。
「館山」は海軍航空隊の基地として知られていました。時代が時代ですから,こちらの要素の方が大きかったかもしれません。
[76265] 白桃 さん
三田(対:三輪)、三次(対:十日市)、岩国(対:麻里布)なんかも館山に似たような経緯があったのではないかと思います。

この後の皆さんの反応を含めて、興味深く拝見しています。

話題になった各自治体の名称は、主として20世紀中頃に行われた合併の際に選定されたものですが、町村制施行に先立つ 1888年の 山縣内務大臣訓令[37482]による原則は、この時代になっても考慮されたものと思われます。

第6条 合併の町村には新に其名称を選定すべし
 旧町村の名称は大字として之を存することを得
 尤も大町村に小町村を合併するときは其大町村の名称を以て新町村の名称となし或は互に優劣なき数小町村を合併するときは各町村の旧名称を参互折衷する等適宜斟酌し勉めて民情に背かさることを要す
 但町村の大小に拘はらす歴史上著名の名称は可成保存の注意を為すへし

この条文は、折衷(合成)自治体名の根拠にもなっているのですが、それは 優劣ない町村を合併する際に、やむを得ず選ぶ手段であり、第一原則は「大小」です。
そして、「歴史上著名の名称は可成保存の注意を為すへし」という但し書きが付けられています。

今回の事例について言うと、町村の大小を判定する基準が「人口」なのかどうかはさておき、いずれも「歴史上著名の名称」が保存された事例であるように思われます。

館山北条町 1933(S8)年4月18日新設、館山市 1939(S14)年11月3日新設/市制
一旦は連称地名を採用したものの、市になった機会に長い名前に決別したのですね。先輩の「宇治山田市」が 伊勢市に改称するよりも前でした。しかし、その後も懲りずに、大湊田名部市や 山陽小野田市という連称市名が誕生しています。

岩国市 1940(S15)年4月1日新設/市制
[76270] にまん さん
あの辺りの中心は一貫して岩国です。というか、麻里布は基本的に文化期以後の開拓地で、明治から大正にかけて、岩国駅の設置と工場建設により急激に発展をとげたところです。
[76272] Issie さん
「麻里布市」が選ばれることは,…まず選択肢にはなかったでしょう。要は人口(稼ぎ)だけで物事が決まるのではなく…

他の3ケースは、川を隔てていても 市街地が隣接した双子の町ですが、麻里布は 岩国の城下町から少し離れており、別々の町であったと思います。岩国駅から西岩国駅まででも4km。錦帯橋や吉香公園はもっと先です。

自治体としては岩国とは別の「麻里布」でしたが、産業施設としては 岩国の一部として機能していました。
[76272] Issie さん による 鉄道 もその一例ですが、瀬戸内海の良港である 岩国港も 麻里布にあり、臨海部に出現した 帝国人造絹糸(1925)・山陽パルプ(1939)などの工業地帯も、岩国と認識されていました。
興亜石油(現JX日鉱日石エネルギー)麻里布製油所のように「麻里布」を名乗る施設もありますが、岩国市発足後の 1943年で、所在地は和木村(町)ですから、自治体名の麻里布町を使ったわけではありません。

短絡線は1934年に徳山まで全通し,こちらが 山陽本線,従来の海岸経由が 柳井線 と改称されました。
それなのに,山陽線の特急・急行列車は山越えを嫌ってせっかくの短絡線(山陽本線)を通過せず,従来のまま海岸(柳井線)経由で運転され,「岩国駅」には停車せず(通らないのだから),「麻里布駅」にばかり停車していました。

岩国・徳山間の山陽本線短絡線は、欽明路トンネルで山を克服したので、急行列車に嫌われることはありません。開通したのは、丹那トンネル開通と同日の 1934年12月1日でした。当時、日本全国で3本しかなかった特急の「富士」と「桜」は、この両トンネルによってスピードアップしました【注】。「岩国駅」は通過ですが、「桜」は「麻里布駅」に停車しました。
岩国の駅名は 岩国市街最寄の短絡線に譲っても、鉄道の基幹駅はやはり麻里布でした。
岩徳線が 幹線の地位を維持できなかったのは、勾配ではなく、複線化(と電化)に対応していなかったためです。

【注・追記】
1934年12月ダイヤ改正時には、岩国・徳山間だけでなく、全国的な改良が行われました。東海道本線・山陽本線以外にも、長崎本線が有明海沿いの新線になりました。7両+水槽車で御殿場を越えていた特急「燕」も、10両での8時間運転(神戸行ですが大阪までの所要時間)を実現しました。

三次市 1954(S29)年3月31日新設/市制
三次町は 1889年の町村制当初から、十日市町の町制は 1917年です。かつて郡名や藩名にも使われた「三次」が、差をつけていました。
しかし、1915年に 現在の西三次駅まで開通した 芸備鉄道により、巴橋の南側にある 十日市地区は、北側に比べて 発展が約束されました。
昭和大合併では、名が売れていた方の 「三次市」になり、「備後十日市駅」[72157]から 三次駅に改称された 芸備線が貫通する 十日市町が、三次の中心になっています。巴橋北側の 旧三次町地区に 鉄道が伸びたのは 1955年で(三江南線)、江津からの三江北線とつながったのは、ずっと後の 1975年でした。

三田町 1956(S31)年9月30日新設(1958年市制)
[76269] ぺとぺと さん
旧三輪村域に造られた駅の名は「三輪」ではなく、武庫川を隔てた町の名である「三田」。(中略)郡役所が廃止された後も、駅名や旧制中学校の存在などにより、「三田」の名のほうがメジャーであり続けたのではないでしょうか。

こちらも、明らかな知名度の違いがあったようですね。
九鬼氏の三田陣屋が、明治になってから 三田県庁>有馬郡役所を経て、現在の法務局出張所に続いているのでしょうか。
[76272] 2010年 9月 30日(木)01:15:01Issie さん
いはくにまりふ
[76265] 白桃 さん
岩国(対:麻里布)

[76270] にまん さん
稼ぎ(人口)はあっても所詮は息子

私も にまん さんに同意見です。

1897年に山陽本線(山陽鉄道)が開業した時,海岸沿いを走る鉄道を河口の上流にある岩国市街まで引き込むことができなかったので,やむなく 麻里布 に駅を設置したのですが,駅名は「岩国」としました。現に駅が所在する場所の名前でなく,近隣の大邑の名前を称してその玄関口となるのは,“川向う”の厚木駅,新潟駅,そして三田駅と,きわめてありふれた話です。

ところが岩国の場合は,大正・昭和期に山を越えて徳山への短絡線が建設されることとなり,第一弾として岩国市街の最寄までの路線が1929年に開業しました。こちらが本線になることが予想されていたから,市街地最寄りの新線の方に「岩国」の名を譲り,従来の岩国駅はその所在地から「麻里布駅」に改称しました。短絡線は1934年に徳山まで全通し,こちらが 山陽本線,従来の海岸経由が 柳井線 と改称されました。

それなのに,山陽線の特急・急行列車は山越えを嫌ってせっかくの短絡線(山陽本線)を通過せず,従来のまま海岸(柳井線)経由で運転され,「岩国駅」には停車せず(通らないのだから),「麻里布駅」にばかり停車していました。
列車運行上は,完全に 麻里布 にお株を奪われていたのですね。
結局,1942年に 麻里布駅 が再び「岩国駅」を名乗ることとなり,短絡線上のそれまでの 岩国駅 は「西岩国駅」と改称しました。さらに,1944年には「山陽本線」自体が元通りに海岸(柳井)経由となり,短絡線は「岩徳線」と改称されました。

「麻里布駅」が「岩国駅」に戻れた背景の1つに,1940年に 麻里布町 と 岩国町 が合併して「岩国市」が発足したこともあるようです。
この合併で「麻里布市」が選ばれることは,…まず選択肢にはなかったでしょう。要は人口(稼ぎ)だけで物事が決まるのではなく,言ってみれば“格”の面で明らかな開きがあっただろうと思います。「麻里布駅」を,わざわざ「岩国駅」に戻したくなるほどの…。
[76271] 2010年 9月 30日(木)00:57:47まかいの さん
オプショナル
[76234]油天神山 さん
行ってみた感想を一言で言いますと・・・うーん、どちらかというと小中学生向けの展示で、大人でもそれなりに楽しめるけどちょっと物足りない、というところですかね。
是非に、とまでは言いませんが、時間があるなら覗いてみても良いでしょう。入場料は無料ですし(笑)。

ありがとうございました。
なんとなくそのような雰囲気があったのですが、それなりに楽しめそうかな。
ちょっと気軽に立ち寄ってみようかなと思います。

そういえば、オフ会の際に、
[69978]hmt さん
渡良瀬遊水地 (2)県境錯綜地帯
の県道9号へと訪問される方もいらっしゃるかもしれませんが、こんな記事を見つけました。
下宮地区の編入問題 住民意思確認で協議 栃木市 来月6日、加須市と
編入はまだまだ先かもしれませんが、これまでのような県境またぎは今のうちですかね。
[76270] 2010年 9月 30日(木)00:13:25にまん さん
稼ぎ(人口)はあっても所詮は息子
[76265] 白桃 さん
三田(対:三輪)、三次(対:十日市)、岩国(対:麻里布)なんかも館山に似たような経緯があったのではないかと思います。
岩国は少し違うかと思います。あの辺りの中心は一貫して岩国です。
というか、麻里布は基本的に文化期以後の開拓地で、明治から大正にかけて、岩国駅の設置と工場建設により急激に発展をとげたところです。おそらく岩国と麻里布が合併すれば岩国を名乗るのは当然という感覚だったと思います。
[76269] 2010年 9月 29日(水)23:51:05ぺとぺと さん
稼ぎ(人口)が少なくても世帯主
[76265]白桃さん
三田(対:三輪)、三次(対:十日市)、岩国(対:麻里布)なんかも館山に似たような経緯があったのではないかと思います。

三田に関しては、私も白桃さんのおっしゃるとおりではないかと推測しています。
明治12年に有馬郡役所が設置されたのは、旧三田町域でした。(おそらくこのあたりではないかと思われます。)
その後、明治32年に阪鶴鉄道(現在の福知山線)が開通しますが、旧三輪村域に造られた駅の名は「三輪」ではなく、武庫川を隔てた町の名である「三田」。(ちなみに、その少し前の明治26年に開業した川西池田駅も、昭和26年に現在の名称に改称されるまでは、猪名川の対岸にある池田を名乗っていました。)
郡役所が廃止された後も、駅名や旧制中学校の存在などにより、「三田」の名のほうがメジャーであり続けたのではないでしょうか。

また、旧三田町と旧三輪町が合併する直前(昭和30年)の国勢調査人口は、旧三輪町が若干上回っているものの、人口密度で見ると逆に旧三田町が倍近い数値となっていることから、町の格(←こういう言い方が適切かはわかりませんが)としては、合併時においても「三田」のほうが上だったのではないかと思われます。
なお、現時点における比較は無意味かも知れませんが、旧三田町域の大半が都市計画法上の「市街化区域」となっているのに対し、旧三輪町域の多くは「市街化調整区域」となっています。
[76268] 2010年 9月 29日(水)22:02:38油天神山 さん
引っ越し完了
こんばんは。今日から埼玉県の住人になった油天神山です。
昨年の引っ越し[68572]のときには準備期間が短かった中で家族と話し合ったり、家電製品を始めとして日用品を買い揃えたりと大忙しでしたが、単身から単身への引っ越しは至って簡単なもので、昨年とはとはえらい違いです。まあ、移動距離が短いということもありますが。
ネット回線も即日つながりましたので、とりあえずご挨拶させて頂きます。改めましてhmtさん始めご近隣の皆さん、宜しくお願いします。

なんぼ気楽とは言え疲れたので今日はこの辺で。
[76267] 2010年 9月 29日(水)14:05:32白桃 さん
淡水魚さんへ
[76266]淡水魚さん
お宿にあった2010年案内冊子によると、人口は578,000人だそうです。
逃亡先の都市をはじめ、逃亡先国の人口データにつきましては、世界一詳しいと思われるコチラをご参照されることをお勧めいたします。(笑)
[76266] 2010年 9月 29日(水)12:39:28淡水魚 さん
逃亡先の人口
[76253] 白桃 さん
お宿にあった2010年案内冊子によると、人口は578,000人だそうです。ガイドさんの説明では、物騒な名前の市より多いとのこと。旅行社から先にもらった資料(2008~2009年)には、この州は17郡と7都市で構成されており、人口は約143万人で、都市部に集中していると書かれていました。
[76265] 2010年 9月 29日(水)02:11:42【1】白桃 さん
世帯主がはっきりしない市
[76264]Issie さん
館山について、いろいろ有難うございます。
三田(対:三輪)、三次(対:十日市)、岩国(対:麻里布)なんかも館山に似たような経緯があったのではないかと思います。
[76264] 2010年 9月 28日(火)22:35:16【1】Issie さん
館山
[76262] 白桃 さん
しかし、安房のもとは阿波だったとは・・・アワワ・・・

馬琴さんもそう言っているし,古代にこの地を支配した「阿波国造」の由来もそのようになっている,とても古い時代からの言い伝えなのですが,それが歴史上の「事実」かどうかは必ずしも定かではありません。
もちろん,過去に hmt さんが何度も紹介されているように,たとえば紀州と房総の間に密接なつながりがあったであろうことは多く指摘されていることですから,さらに足を延ばして四国の阿波とのつながりがあっても不思議ではないのですが。

[76253]
「市制施行前に館山北条町を名乗っており、しかも当時は旧北条町の人口が多かったのに、どうして館山市と言う名前になったの?」

館山駅も当初は「安房北条駅」という名前でした。北条にありますからね。1946年に「館山駅」と改称されたようです。「館山北条町」が「館山市」になるのが1939年だから,戦争をはさんで7年(正確には6年半)のタイムラグがありますね。

なぜに「北条」ではなく「館山」が選ばれたか,という問いに対する館山市の公式の答えがあればいいのですが,私はそれを知らないので勝手な憶測をすると,たぶん,「北条」よりも「館山」の方が知られた地名だったのではないか,と考えます。

まず,館山は戦国時代の里見氏の城下町でした。「里見」などというローカルな戦国大名,普通はみんな知らないはずですが,それを馬琴さんが空前のベストセラーで世間にあまねく知らしめてくれました。ただし,「南総里見八犬伝」はあくまでもフィクションであって,史実とはだいぶかけ離れているようです。でも,史実をフィクションが凌駕することはよくある話で,少なくとも「八犬伝ゆかりの地」として「館山」はそれなりに知られていたのではないか,と思います。あくまで,南房総ローカルな中心地である「北条」よりも。
ちなみに,戦国末期に房総の覇者であった里見氏は豊臣・徳川の両者から支配圏を狭められて安房一国に押し込められ,江戸時代最初の年号(慶長)が変わらないうちに改易されてしまったので,館山が近世城下町であった期間は最初期のごく短い間だけでした。田沼時代の天明年間に「館山藩」が復活しますが,それは1万石ほどの極小藩(里見氏の時代は安房一国で12万石)。これが廃藩置県まで続くけど,“城下町館山”とは言い難いものがあります。

もう1つ。「館山」は海軍航空隊の基地として知られていました。時代が時代ですから,こちらの要素の方が大きかったかもしれません。
航空隊が設けられたのが1930年。その後も館山には海軍の施設の集積が進んでいきました。北条ではなく,もっぱら館山に。
そんなわけで,むしろこちらとの関連で「館山」の地名が広く知られていたものと思います。

「館山市」の誕生は,実は中国で苦戦していた陸軍に比べて,まだ海軍は無傷で元気だった1939年。「名」という点では,館山の方が北条よりもずっと上を行っていたのではないか,と推測しています。
[76263] 2010年 9月 28日(火)22:09:57hiroroじゃけぇ さん
続 児島のあれこれ
[76196]千本桜 さん

[76203]でのその後です。
残念ながら、どの項目もはっきりとしたことが確認できていないのが本当です。しかし、ちょっとしたヒントらしきものもあったので、そちらを少し。

「引網村」についてですが、由来は「地引網に適している地だから」という他に、「網に地蔵尊がかかったから」という説もありました。このどちらも共通しているのが、「漁師」漁業関係者が当時から減少傾向にあったようです(地下足袋生産に移った?)だから廃れたのか?ここから先は良くわかりません。一方の唐琴は「崇徳天皇」の時代の伝説にまで遡ることができ、こちらの方が由緒正しい地名ともいえるようです。

「大畠」・「菰池」についてもどういった理由なのか分かりません。ただ、驚いたことが一つ。「大畠」は「おばたけ」だと認識していたのですが、「おおばたけ」でしか見つけ出せなかったのです。地元では「おばたけ」と言っているのにどういうわけか分かりませんが、こちらが正式な模様です。

「宇野津」ですが、「目的地」になりえなかったということもあげられそうです。最近でこそ「ナフコ」が立地し、「目的地」ともなりうるようになったのですが・・・。また、玉野市の「宇野」と紛らわしいことも要因の一つのようです。それを避けるために敢えて表さないということもあるようです。それともう一つ、「バスの経由地」表記も参考にできそうです。児島駅~倉敷駅には3つのルートがあり、「天城・上の町経由」「天城・小川経由」「大高・塩生経由」です。お分かりのように、「塩生」が経由地の代表させています。これは、旧来からの慣例であったと考えてもいいということのようです。

以上、ちょっとしたことですが、参考になれば光栄です。お力になれず申し訳ございません。今後も機会があれば調査しますので、その時はまた報告させていただきます。
[76262] 2010年 9月 28日(火)21:28:28【3】白桃 さん
総房
[76258] hmt さん
要するに、作者の曲亭馬琴としては、安房は「総(ふさ)の国」の一部だという認識を持っていたと思います。
原文を含め、ご親切な解説、大変有り難うございます。
しかし、安房の語源が阿波だったとは・・・アワワ・・・
[76261] 2010年 9月 28日(火)19:27:36油天神山 さん
筑波の山も今宵限り・・・
こんばんは、いよいよ明日引っ越す油天神山です。
本当はこんな書き込みをしている場合ではないのですが、タイトルの言い回しを使いたいばっかりに、荷造りの間を惜しんで書き込んでおります。
実際は、明後日は新居から現職場へ出勤する予定なので、このタイトルも偽りありなんですが(笑)

さあ、もうこれくらいにして、ネット回線も外さなくちゃ。
[76260] 2010年 9月 28日(火)17:56:17山野[山野] さん
新「西尾市」誕生/幡豆郡消滅へ
でるでるさんへ
9月定例会最終日の本日、西尾市議会及び一色町議会にて廃置分合議案が可決され
4市町全ての議決が出揃いました。今後は知事への申請をする予定。
参照記事:三河新報社より。
[76259] 2010年 9月 28日(火)12:41:14淡水魚 さん
逃亡先
[76255] ニジェガロージェッツ さん
[76256] Issie さん
[76257] YASU さん

淡水魚の逃亡中の金曜日、この市と知多を結ぶ道路の開通祝賀行事のため、午前中は市中心部の車両通行が制限されました。夜のニュースでは、3色の風船で巨大な国旗を作って空に飛ばしたり、記念プレートを花で飾ったり、柔道が得意な首相からの祝辞と思われる画像(ご本人様が臨席されたようではなく、首都からの中継か録画と思われます)が流れていました。
例の長い鉄道も、寝台車ではありませんが45分ほど乗車しました。この市名の元になった人物の名前を持つ列車で、青と白に塗られていました。大河はトンネルでくぐりました。
郷土史博物館には、1階にこの付近の動物の剥製や鉱物・化石が展示され、2階には先住民族の衣装や道具等、中2階・3階のような別館のような展示室は戦争関係の物品やポスター等でした。日曜日の教会では、尼さんが2人で10個の鐘を鳴らして曲を演奏していました。
[76258] 2010年 9月 27日(月)23:24:48hmt さん
Re:南で総なるの?
[76253] 白桃 さん
[13631]でken さんが南総里見八犬伝について
安房のお話なのに「南総」。
と仰っていますが、これも不思議です。

原テキスト には、次のように記されています。
安房は原(もと)、総国の南辺なり。…後にわかちて、上総下総と名けらる。…かくて総の南辺に、居民鮮かりしかば、南海道阿波国なる民をここへ遷し給ひて、やがて安房とぞ呼せ給ひぬ。

要するに、作者の曲亭馬琴としては、安房は「総(ふさ)の国」の一部だという認識を持っていたと思います。

この「総の国」は、現代では「房総」という言葉に変っていますが、それは安房・上総・下総という語源を超越した 自立した概念 になっていると思われます。

だから全域が安房国であっても「南房総市」だし、上総一の宮~勝浦の海岸も「外房」なんでしょう。
JRの「外房線」は路線の主要部が上総国であり、「内房線」も安房国内だけを考えれば、内外の路線長は半ばしています。

「総」と略すか「房」と略すかという違いはありますが、「総の国」→「房総」という概念は、昔から有力だったのではないでしょうか。
[76257] 2010年 9月 27日(月)23:09:39YASU さん
うらやましいなぁ
[76251] 淡水魚 さん
私が最初に訪れた海外の大都市に行かれたのですね。
もちろん目的は長~い鉄道に乗車するためです。
当時は物騒な名前の始発駅から乗車できず、この都市で乗り換えました。

[76254] Issie さん
川の下をくぐるトンネル
この都市から首都に向かう時は鉄橋を通ったのですが、川のそばの青年都市に向う夜行列車(こちらも同じ方向)に乗車した時(6年後)は川底トンネルを通過しました。
上下ではなく(海外の鉄道は複線でも両方向に走れるようになっている所が多い)列車の運行状態を見ながら適宜決めているのでは、と思います。

[76255] ニジェガロージェッツ さん
路線が変更されたのですね。また行かなきゃ(爆)
[76256] 2010年 9月 27日(月)22:27:58【1】Issie さん
太田裕美 または 大瀧詠一
[76255] ニジェガロージェッツ さん
この鉄道,以前[76254]Issieさんが行かれた頃とは違うルートで走っており,近年はうちの街を通っています。

そうでしたか。確かに私が乗った時には首都の終着駅と同じ名前の町を通過しました。
世界地図上ではやたらと目立つけど,実際に越えてみるとそれほどでもない山脈(話題の町から湖の近くの町までの区間で越える山の方がはるかに険しい)のあたりから西でルートがいくつかあるみたいですね。

実は私はこの鉄道を利用した時,どこを通過するのかよくわからないままに乗車していました。
事典などではよく,この鉄道の西側の起点を山脈東麓の町としていて,それならば今は「別の国」になっているところを通過するのかな,と期待していたのですが(この掲示板的には「連邦構成共和国の“経県値”」が1ポイント増える?),残念なことに地理の教科書に昔はよく出てきた石油の町を通って,結局は同じ共和国内を通過しただけに終わりました。
もっとも,こちら側を通過しても車内で寝ているか,せいぜい駅のホームに降り立って,ヒマワリの種か,ギョーザみたいな肉饅頭などを買うぐらいで,“▲”としても怪しいものではあったでしょうが。
[76255] 2010年 9月 27日(月)21:57:46【1】ニジェガロージェッツ さん
世界史的な大事件の日など
[76254]Issie さん
私が首都に滞在したちょうど1年後(同じ日付)に,世界史的な大事件が発生しました。
私の場合は,その事件発生の当日に淡水魚さんの逃亡先に居て,その日の便で新潟空港に着きました。空港に着くと報道陣に囲まれてしまいましたが,私たちの乗った飛行機が事件から一番早いあの国からの便だったとか。
しかし,事件そのものは遠い首都や保養地半島でのお話で,離陸時はまだ今回の淡水魚さんの逃亡先の都市では何も起こっていませんでしたから,私たちは新潟に着いてから事件の勃発を知りました。新潟駅前で新潟日報の号外を入手して,今でも記念に持っています。

[76251]淡水魚 さん
この国の東海岸と首都を結ぶとても長い鉄道
この鉄道,以前[76254]Issieさんが行かれた頃とは違うルートで走っており,近年はうちの街を通っています。
[76254] 2010年 9月 27日(月)21:00:40Issie さん
近江俊郎 または 三波春夫
[76251] 淡水魚 さん
逃亡先

前にも話題にしたことがあるかも知れませんが,私も行ったことがあります。国の名前が今のようになる前に。8月の初めでしたが,気温は30度くらいありました。全然涼しくない。首都に行って初めて気温9度という寒さを経験しました。天気の回復した翌日は首都も暑かったですが。私が首都に滞在したちょうど1年後(同じ日付)に,世界史的な大事件が発生しました。

川の下をくぐるトンネル

調べてみるまで,トンネルがあるなんて知りませんでした。有名な独裁者が掘らせたんですね。私がこの河を渡った時には単線の鉄橋を両方向で共用していたように記憶しています。この町を出たばかりの列車が鉄橋の手前で停まってしまい,しばらく待たされたんじゃなかったかしら。これは大きなボトルネックだな,と思っていたのですが。

緯度のためか夏時間のためなのか

この国はもともと年中“夏時間”で,まわりの国より時計の針が1時間進んでいます。その上,夏には“本当の夏時間”を実施しているので,都合,夏時間を実施していない国と同じ経度帯で2時間の時差が生じます。さらに緯度が高いので…,というわけですね。
この町から新潟または成田空港への飛行機の出発時刻と到着時刻を見ると,ビックリしますね。
[76253] 2010年 9月 27日(月)17:25:10白桃 さん
南で総なるの?
淡水魚さんは、飛行機をチャーターして寒い所に行かれたようですが、私も「大」恩師を偲ぶ会のため、昨日から新幹線をチャーターして山陽地方の政令指定都市に行ってきました。そう、昨年オフ会があった都市なんですが、ハバちゃんより行政区の人口は多いけれど、街並みは相変わらず貧相です。
それはともかく、会席で隣にいた後輩が館山市館山出身なので、「市制施行前に館山北条町を名乗っており、しかも当時は旧北条町の人口が多かったのに、どうして館山市と言う名前になったの?」と、どうでも良い質問をしてみました。ま、予想通りはっきりした回答はいただけませんでしたが、どうやら、北条が実(市役所)をとり、館山が名(市名)をとったというのが真相なのでしょう。
[13631]でken さんが南総里見八犬伝について
安房のお話なのに「南総」。
と仰っていますが、これも不思議です。
[76252] 2010年 9月 27日(月)15:20:45【1】hmt さん
3府72県へ (5)4県に分かれた江刺県
廃藩置県の2~3ヶ月後に行われた、明治4年10月28日から 11月22日にかけての府県再編成は、従来の3府302県を「統合」して3府72県に改めたものではなく、「組替え」て「リセット」する作業でした[76179]
単純な「統合」でなかった実例として、このプロセスにより、4県に「分属」することになった 江刺県の事例を紹介しましょう。

2006年に 水沢市などと合併して 奥州市 になった江刺市。
昭和合併前の町名は、岩谷堂箪笥 で知られる 岩谷堂で、ここが「江刺郡」の中心地でした。
ところが、明治初期の府県のことを調べていると、この地から遠く離れた場所に「江刺県」という名が出没します。

江刺県は、明治2年8月18日の布告748 により、戊辰戦争終結後の奥羽に新設された 10県の1つであることが、法令全書に記されています。つまり、福島の板倉氏が三河に移され[7123]、白石に移された南部氏は盛岡への復帰が認められ[75949]、会津の松平氏も下北半島での再興への道筋がついたところで、福島県・白石県・若松県などと共に、江刺県も誕生したわけです。

岩代国の前記3県は賊軍藩を退去させた跡地ですが、江刺県など三陸の5県は、減封された南部藩や仙台藩の旧領との差分に該当するものでしょう。
岩手県の誕生 には、8月に“松本藩取締地が江刺県に変った”と記してありますが、同じページの 明治4年7月の図を見れば、江刺県の範囲は、江刺郡周辺やその東側の陸前国気仙郡(元は仙台藩)、閉伊郡南部(上閉伊)だけでなく、(新)盛岡県の東側にある 広大な閉伊郡北部(下閉伊)にも及んでいることがわかります。

明治4年7月の図には、現岩手県域の北西部(陸奥国二戸郡)に 江刺県の飛び地が描かれています。
“(明治2年11月)…斗南藩が成立し、三戸県が江刺県へと合併になりました”と記されている地域がこれです。
この三戸県は、元の黒羽藩取締地に明治2年8月にできた九戸県が、9月に八戸県を経て三戸県と改称したものです。

[76243]で引用した「青森県の誕生」には、残念ながら図2の直前に相当する三戸県の時代が 図示されていないのですが、三戸県は旧盛岡藩領北部で、現在の青森県東部から岩手県・秋田県の一部に及んでいた県です。
明治2年8月の 10県新設布告には“陸中国九戸県”と記されていますが、翌月には八戸県(八戸藩と紛らわしい)を経て三戸県と改名しています。実際の管轄地域に合わせて 県庁を陸奥国に移したのでしょう。

短期間しか存在せず、しかも慌しく改名した三戸県ですが、その領域は 旧盛岡藩領の北端(下北半島)に及んでいたはずです。
三戸郡は県庁所在地だったと思われ、その南に続く二戸郡も三戸県の領域でした。
二戸・三戸と下北半島との間には、後の上北郡に相当する地域があります。ここには 明治2年8月の県設置より少し前に 七戸藩が成立しているので、三戸県は、七戸藩の南と北との2つの領域に分断されていたものと思われます。

三戸県について もう一つ。秋田県公文書館企画展 の一番下に、秋田県の成立を示す チャートがあります。
ここに示されているように、かつての盛岡藩領 陸中国鹿角郡(湯瀬オフ会2008)は、隣接する陸奥国三戸郡・二戸郡と共に三戸県の南の領域を形成しており、三戸県廃止後は江刺県を経て、明治4年11月の「府県組換え」で秋田県になりました。

戊辰戦争から岩手県成立へ) にも、“江刺県は遠野に本庁を置き、気仙・江刺・閉伊・九戸の一部・鹿角・二戸の各郡で構成されていた”と、鹿角郡への言及があります。
この資料にも、前記「岩手県の誕生」と同様の 廃藩置県後3府302県時代の 江刺県が描かれた地図がありますが、現岩手県域でない鹿角郡が、やはり描かれていないのは 残念なことです。

このような資料を材料として、三陸地域における明治2年の「県」の変遷を、8月と11月を転機として3段階にまとめると、次のようになります。

戊辰戦争で敗れた旧盛岡藩[75939]の領域のうち、岩手郡など盛岡付近には 13万石に減封された 新盛岡藩[75949]が成立したが、旧盛岡藩と新盛岡藩との差分は、同様に減封された 仙台藩の差分と共に 政府直轄地になり、当初は官軍諸藩の取締地とされていた。
官軍諸藩取締地には、取締県名が付けられたようである。後に三戸県になった黒羽藩取締地は、明治2年6月頃「北奥県」と呼ばれたらしい。「岩手県の誕生」に出ていた盛岡県(松代藩取締)・花巻県(松本藩取締)・伊沢県(前橋藩取締)、[75516]で言及した涌谷県(土浦藩取締)・栗原県(宇都宮藩取締)も同類と思われる。桃生県(高崎藩取締)も?

明治2年8月18日になると、太政官布告により、正式に九戸県・江刺県・胆沢県・登米県・石巻県が新設された。
旧盛岡藩北部の北奥県を引き継ぐ九戸県>>三戸県は、八幡平から下北半島に及ぶが、その領域は、県設置の少し前にできた七戸藩により、南側(三戸・二戸・鹿角の3郡)と北側(下北)とに分断されていた。

間もなく、明治2年11月に 旧会津松平家の家名存続が許され、三戸県内に 斗南藩3万石ができることになった。
こうなると、三戸県として残る政府直轄地は、南西部の 陸中国鹿角郡と陸奥国二戸郡の大部分だけ になるから、この2郡を江刺県に編入して、三戸県を廃止した。

これが、本来の「江刺郡」から遠く離れた「江刺県の飛び地」が生まれた経緯であると考えます。

明治4年11月の全国的な「府県組換え」では、江刺県の飛び地にある陸中国鹿角郡は秋田県2に、陸奥国二戸郡は青森県2に組み込まれました。
そして、江刺県の本体側の陸中国、すなわち 閉伊郡・江刺郡・和賀郡東部(黒沢尻)は 盛岡県2に、陸前国気仙郡は 一関県2になりました。

3府302県時代に例外的に大きな県だった江刺県は、3府72県体制の下では、盛岡・一関・青森・秋田の4県に分属することになったわけです。
もっと後まで書いてしまうと、二戸郡と気仙郡とは、明治9年5月に岩手県に戻っているので、現在の所属は2県です。

[23318] Issie さん 奥羽の境界
奥羽北部の4大藩である伊達・南部・津軽・佐竹(秋田)の領域(支藩を含む)と明治2年に奥羽再編で新設された陸前・陸中・陸奥3国の領域,そして現在の宮城・岩手・青森・秋田4県の領域が,いずれも少しずつずれているのがどのような事情なのか,興味深いものがありますね。

鹿角郡・二戸郡・気仙郡など、江刺県の周辺部にあった地域は、このような所属変遷の歴史・境界のずれを示す実例です。
四国4県にも変遷史がありますが、こちらは主として国単位の併合分割であり、郡単位で動いた奥羽4県の変遷史に比べると 動きは単純です。
[76251] 2010年 9月 27日(月)13:01:21淡水魚 さん
生存報告 ほか
皆様お元気ですか?淡水魚は4月に異動したばかりなのに9月にまた異動辞令をいただき、大井川をさかのぼって通勤しています。
ところで先週末、静岡空港を飛び立ち4日ほど仕事から逃避してました。逃亡先の気温は日中が12~15℃で、最低気温が2℃。冷房しないと30℃を超える勤務先から、約2時間半のフライトで季節が変わってしまいました。この市は大井川よりもっと大きい河川のほとりにあり、人名に由来する市名を持っています。この国の東海岸と首都を結ぶとても長い鉄道の停車駅があり、また市内には路面電車やトロリーバスも走っています。淡水魚は遊覧船に乗り、この大河にかかる橋を見物しました。橋は2階建てで、上が車道、下が鉄道です。しかし列車は常にこの橋を通るというわけではなく、川の下をくぐるトンネルもあるのです。上り・下りで使い分けているものと推測します。この国のお土産といえば、お酒の他に、この川で取れる魚の卵の塩漬けが有名です。しかし今は漁獲が制限されており、市内には出回っていないそうです。緯度のためか夏時間のためなのか、夜は8時くらいまで薄明るいですが、朝は7時半になっても明けきらない空に月が浮かんでいました。
[76250] 2010年 9月 26日(日)21:48:30オーナー グリグリ
第7回落書き帳公式オフ会のメーリングリストを開始しました
お待たせしておりましたが、オフ会参加予定者や参加検討者間で情報を交換するためのメーリングリストを開設しました。まず、参加予定者23名(アンケートで△以上の方)を登録し、最初のメッセージを送信しました。△以上の方でメッセージを受領されていない方がいらっしゃいましたらご連絡ください。

また、オフ会への参加を検討はしているがもう少し情報が欲しい、あるいは、落書き帳ではし辛い質問をメーリングリストで聞きたい、という方がいらっしゃいましたら、メーリングリストへの登録を私宛にリクエストしてください。あるいは、直接メーリングリスト宛にメッセージを送ってください。メーリングリストのアドレスは、off7%uub.jp(%は半角の@に変更してください)です。

なお、メーリングリストでは、落書き帳には書き込めないようなプライベートな連絡事項や質問事項について情報交換したいと思います。現地周辺情報、交通機関情報、観光情報、など、落書き帳に書き込んでも差し支えないような内容に関しては、引き続き落書き帳をできるだけご利用ください。参加希望者がもう少し増えて欲しいなと思っています。
[76249] 2010年 9月 26日(日)20:21:27【1】ニジェガロージェッツ さん
自分色変更
[76245]グリグリ さん
自分色変更についての勝手なお願いでお手数をお掛けしました。

今まで慣れ親しんだ自分色を変えるのはちょっと抵抗もあったのですが,旧自分色の登録[3052]から既に8年が経過し,あの時はまだパソコンを購入した直後のことで,まだまだ(今でもそうですが)PCを使いこなしておらず,色鉛筆でニジニ・ノヴゴロド市のクレムリ城壁や森や市街地をイメージしてメモ用紙に彩色し,それをネットで適当に見つけた色見本のRGB値をつけてお願いしたものでした。で,お願いした自分色が「落書き帳」に現れるや「あ~!やってしまった!!」と叫びたくなるぐらい,空気を読めていない弩派手な色彩に自分自身が引いてしまいました。因みに当時の落書き帳は「限りなく黒に近い濃紺」の背景に,書き込み文字は白でした。なお,まだ事前に確認画面で色を確認する機能はなかったように記憶しています。
[21240]グリグリさん
ニジェさん色登場の際は結構衝撃的だったんですが。(笑

ようやくまともに見れるようになったのが現在の背景色に変更になってからのことで,
[7515]グリグリ さん
明るい背景だと、いわさんや ニジェガロージェッツさん、Firoさんなどのちょっと明るめ濃いめの色がよく映えますね。

とはいえ,やはり自分色が拙かったというのは今に至るまで感じていたことで,同じニジニ・ノヴゴロドをテーマにしたにしても,もっと大人しい配色に変えるとか,雪に覆われた冬のニジニをイメージしてみようとか,あれこれ思案していたところです。
メンバー登録ページには
必要性の低い変更や頻繁な変更申請は回避していただければ幸いです。
と注意書きがあり,何度か変更を考える度にこの一文に引っ掛かり思いとどまっていましたが,今回はもう8年も我慢(自業自得ですが)したんだからいいだろうと,甘えさせていただきました。

[76245]グリグリ さん
これまでのオフ会記録ページの自分色は当時の色のままとします。
有難うございます。旧自分色については今でも結構愛着を持っているので,オフ会記録ページで形跡が残っているのは助かります。というより,過去に自分色変更をされたメンバーがオフ会ページに古い自分色で出ているのを確認したので,今回の自分色変更をお願いしたところです。
それで,新しい自分色については,こじつけて見れば冬の夜のニジニに見えなくもないですが,いつまでもニジニ・ノヴゴロドもないだろうということで,本当のところはこういった地理とは何の関係もありません。ミクシィかどこかで知っている方にはそれと分かるかもしれませんが,猫使いさんと同じ系統の配色です。

新自分色は地理と無関係ですので,以前にまがみさんが書いて下さったメンバー紹介文の自分色に言及しておられる部分が整合性が取れなくなってしまいました。メンバー紹介文を編集しておられるご担当の方にはお手数をお掛けすることになってしまいますが,おついでの時で結構ですので変更していただければありがたく存じます。もちろん,当該箇所のみの削除でまがみさんの紹介文そのままでも構いません。

それでは皆様,今後ともどうぞ宜しく御願い申し上げます。
[76248] 2010年 9月 26日(日)13:43:06【1】hmt さん
Re:最も魅力的な市区町村
[76247] オーナー グリグリ さん
ブランド総合研究所が毎年行っている「地域ブランド調査」… 最も魅力的な市区町村に札幌市が返り咲き!
トップ10は、札幌市、函館市、京都市、横浜市、小樽市、神戸市、鎌倉市、富良野市、金沢市、長崎市
主な評価項目として、認知度、魅力度、情報接触度、居住意欲、観光意欲、訪問率、産品購入意欲(食品)などがあるようで

タイトルにも示されているように、上記トップ10は、評価項目のうち 「魅力度」についての 「市区町村」ランキングですね。
居住意欲・観光意欲など他の項目にも関連する、ある程度 総合的な評価として、魅力度を取り上げたものでしょうか。

調査対象とされた 1000市区町村の「区」は、東京23区です。つまり、東京(23区)という都市は 調査対象外ですから、千代田区・中央区・新宿区・墨田区…などに票が割れてしまいます。

北海道は、1000市区町村ランキングでも、47都道府県ランキングでも 魅力度の上位にあります。
それに比べて、横浜市 49.6点 に加えて、鎌倉市・箱根町もある神奈川県が、都道府県では 34.8点に留まります。

最近訪問することが多い長野県は確かに見所の多い県だなぁと実感しています。

長野県内各地に見所が分散しているかと思いましたが、軽井沢町[75646][75647]が、意外にも屋久島町に次ぐ町村部2位で入っていますね。

この種の調査で気になるのが、大阪市の人気がないことです。
情報接触度で 5位(2009年調査では首位)なのに、魅力度ではランク外【追記:32位でした】。大阪府は都道府県 7位なのに。

類似の調査で、日経リサーチの「地域ブランド戦略サーベイ」に関する記事 [65499] を書いたことがあります。
こちらは、企業ブランド戦略が本筋で、それを地域に応用したものですから、着眼点は「ブランド」です。
こちらの調査も、大阪市の知名度がランク外であることなど、問題点をはらんでいましたが、やはり、北海道の人気は高いものでした。

ところで、都道府県の最下位がなんと今度のオフ会開催県。

日経リサーチの都道府県ブランド力でも、北関東3県は軒並み低位でした。
最下位になった栃木県の議会で、「とちぎ県」に改名して影の薄さを返上しようという提案があったというニュース[65437]が、当時の話題の発端でした。
[76247] 2010年 9月 26日(日)11:15:09【1】オーナー グリグリ
最も魅力的な市区町村
今朝の東京新聞の記事です。Web版はこちらです。
札幌が首位奪還、街の魅力度 長崎も上位に

ブランド総合研究所が毎年行っている「地域ブランド調査」を取り上げたニュースです。今年の結果の詳細です。
「地域ブランド調査2010」の結果 ~ 最も魅力的な市区町村に札幌市が返り咲き!
トップ10は、札幌市、函館市、京都市、横浜市、小樽市、神戸市、鎌倉市、富良野市、金沢市、長崎市
と、やはり観光知名度の高い都市が続きますが、11位には屋久島町が続いています。世界遺産や日蝕観測などで上がったのかな。そう言えば私の周りでも屋久島リピータが何人かいます。

主な評価項目として、認知度、魅力度、情報接触度、居住意欲、観光意欲、訪問率、産品購入意欲(食品)などがあるようで、それぞれの評価項目の上位5位まで示しています。訪問率ってのは経県のことでしょうね。

一方都道府県でも北海道が強く、京都府、沖縄県、東京都、奈良県、神奈川県、大阪府、兵庫県、長崎県、長野県と続きます。やはり、大都市圏を抱えるところや観光名所の多いところが上位になっていますね。最近訪問することが多い長野県は確かに見所の多い県だなぁと実感しています。

ところで、都道府県の最下位がなんと今度のオフ会開催県。ブランド向上に少しでも寄与しましょう。

追記:上記詳細ページからリンクされている『地域ブランド調査2010パンフレット』(PDF形式)には、市区町村ランキング100位までのリストが公開されています。
[76246] 2010年 9月 26日(日)10:45:10オーナー グリグリ
昆虫採集
[76236]で調査した情報に追加です。竹富町からの返信はまだありません。

鹿児島県西之表市ツマベニチョウ
鹿児島県中種子町ツマベニチョウ

指宿市と合わせツマベニチョウも3件となりました。竹富町も確認できれば4件と単独最多となります。

ところで北杜市のオオムラサキのように「市の昆虫」の制定市町村も少し調査しました。

青森県青森市ホタル
福島県喜多方市ホタル
福島県南相馬市ホタル
長野県駒ヶ根市ハッチョウトンボ
長野県辰野町ゲンジボタル「特別シンボル」として制定
静岡県磐田市ベッコウトンボ
宮崎県小林市
鹿児島県さつま町ホタル
[76245] 2010年 9月 26日(日)10:38:00オーナー グリグリ
メンバー登録更新
久しぶりのメンバー登録情報の更新です。
更新日ニックネーム更新内容
2010.9.26ニジェガロージェッツさん自分色変更

ご確認ください。>ニジェさん
なお、これまでのオフ会記録ページの自分色は当時の色のままとします。

>ひろさんへ
9月15日にメンバー登録申請を受け付けましたが、過去の書き込みの確認のための問い合わせメールを9月20日にお送りしました。ご確認の上、返信いただければ幸いです。
[76244] 2010年 9月 25日(土)17:51:47白桃 さん
本人の仕事の内容
国勢調査の秋、到来です。
本日、調査員が調査票を置いていきました。
早速書き込んでみたのですが、やはり、もっと簡便にできないのかな、というのが正直な気持ちです。中でも面倒くさいのが、最終質問の「本人の仕事の内容」です。娘が勤務先でどういう仕事をやっているのか知らないですし、自分の仕事の内容も、非常に説明しづらい。正直に「国勢調査を中心とした人口統計調査」と書くと、勤務先の事業内容との整合性がなくなる。(笑)
ともあれ、今回の調査でも出来るだけ早く市区町村人口確定値を出してほしいものです。
[76243] 2010年 9月 25日(土)14:39:40hmt さん
3府72県へ (4)6県が合併した弘前県は、すぐに青森県になった
基本的には 明治4年7月14日に断行された 廃藩置県 ですが、これを中央集権国家による地方統治という 本来の目的に沿った制度にするためには、「適当な規模」と「まとまった領域」との2要件を満たすようにする 府県再編成 が必要でした。そして、その一応の成果が、明治4年11月の「リセット」を通じて出来上がった 3府72県でした。

実は、3府73県の大蔵省原案が正院に上申された明治4年9月2日の前後から、一部の地域では、早くも再編成が始まりました。
その第1号と思われるのが、天童県の山形県への合併(M4/8/29) です。9月4日の 太政官布告(458) では、佐賀県庁が伊万里に移り 伊万里県と改称すると共に、厳原県(対馬)を合併しています。

翌日の布告で、七戸県・八戸県・斗南県・黒石県・館県が 弘前県に合併と、大規模な統合が始まりました。
もっとも、ここ迄は「合併」という言葉が使われているように、府県の統合であり、10月末から11月にかけて行われた「リセット」ではありません。

本州の北端で行われた この再編成に伴い、ちょっと別の動きもあったので、少しフォローしてみます。
すなわち、同じ9月のうちに県庁は青森に移り、青森県と改称しました。布告(481) の文言は次のとおりです。
弘前県 青森へ相移り 改めて 青森県と称され候事

「○○県」という言葉が、現在慣れ親しんでいる「県の領域」ではなく、「行政組織」とか「役所」の名前という感覚で使われていることがわかります。 「府県」が「地名」に使われるようになった事情を探る 参照。

青森県の誕生 には、地域間の経済格差や、歴史的・文化的背景の違いを乗り越えるための提言から、この広域合併が実現し、県庁の位置も、南に偏りすぎている弘前から、県のほぼ中央に位置する青森に移った と記されています。
歴史的・文化的背景とは、言うまでもなく、津軽(弘前藩・黒石藩)と南部(盛岡藩・八戸藩)とによる分割統治であり、戊辰戦争の際の対応も、各藩で異なりました。藩政時代が図1、戊辰戦争後に会津から移された斗南藩が成立した時点の6藩時代が図2に色分け図示されています。黒石藩と斗南藩とはそれぞれ2領域に分離しています。

青森県になった M4/9/23 が 図3で、北海道の一部(松前)は、明治5年9月に開拓使に移管されました。
本州分も、旧八戸県に属していた九戸郡を含むなど、現在の領域と異なる点がありますが、ともかくも、藩政時代には津軽と南部とに分かれていた両地域を統合した 現在の青森県の原型が、明治4年9月には誕生したのでした。

青森県だけ先行した大規模再編は、2ヶ月後の11月2日には奥羽7ヶ国全体に及びます。今回は下記文言のように「リセット」なので、太政官布告566 には、新設された 11県につき、従前の「34県」ではなく、「7国」と必要に応じて「郡」によって その領域を規定しています。
引用では国郡名を省略し、再編前に同名の県が存在した場合は、便宜上2というような番号を付して区別しました。
今般三陸両羽磐城岩代諸国従前ノ諸県被廃更ニ左ノ県々被置候事
平県・二本松県2・仙台県2・若松県2・一関県2・盛岡県2・秋田県2・青森県2・山形県3・置賜県・酒田県2

青森県について、地方沿革略譜 の「置県」の項目は、
青森県1を廃し、更にこれ(青森県2)を置く
という 記述であり、これだけでは、同じ名の青森県の領域にどのような変化があったのか把握できません。しかし、青森県2の管轄区域には「陸奥全国及松前地方」と記され、二戸郡を取り込み九戸郡を手放したことがわかります(前記「青森県の誕生」の図3→図4)。
[76242] 2010年 9月 25日(土)10:38:15Issie さん
津久井郡
[76240] を書いていて改めて思っこと。

ご案内の通り,4月の相模原市政令指定都市移行・区制実施で旧津久井郡4町の区域は旧市域北部の橋本・大沢地区といっしょに「緑区」となりました。住居表示から旧町名が省かれ,行政上は緑区の下位区分として 城山・津久井・相模湖・藤野 という単位は残るものの,日常生活の上で意識される場面は減るでしょう。特に新住民にとっては。
緑区役所の所在地は橋本。明治以来,津久井郡役所→地方事務所→…→県政総合センター所在地として郡の中心であった 中野 は,旧津久井町の中心としては機能し続けるでしょうが,郡全体の中心としての地位を取り戻すことはないでしょう。
市郡の境界がなくなった今,旧城山町は橋本との一体化を一層深めていくものと思われます。もっとも,相模川を越えた上に地形上開発の余地がほとんどない「湘南」地区は微妙ですが。旧相模湖・藤野2町の区域は元々八王子方面,さらに中央線・中央道を介して東京方面への指向が強いし,相模原市編入で旧市域へのつながりが従来より少しは強まったとしても,中野は素通りしてしまうだろうと思います。

こうして考えると,「旧津久井町」という単位は今後も残るでしょうが,旧4町全体の総称としての「津久井(郡)」という地理的な単位は急速に薄れて消えていく,今がちょうどその始まりの時点なのではないかと,ふと思い立ったのでした。
[76241] 2010年 9月 25日(土)01:56:45【2】ペーロケ さん
某政令指定都市
[76212]に付き合っていただき、ありがとうございます。昨年に比べると、やはり出来がイマイチですなぁ。。。

[76214]いっちゃん さん
[76215]Issie さん
この市のJR駅は高架駅ですね。ただし、高架駅になりたてという感はありましたが。

[76217]YASU さん
少し前、物議を醸し出したキャラがいるところですね。
私は後発の方がいいですね~。

境界系の人にとっては、おいしい物件もありますね。
今回は車窓から見ただけでしたが、至る所にあるような、ごくごく普通の光景に驚きました。まさかあんな所の中に、アレがあるなんて。。。

[76221]inakanomozartさん
この街にある県庁の屋上はウッドデッキとなっていて一般に開放されています。
県庁は気づかなかったですねぇ。今度行くときはチェックしてみます。

オフ会、参加したいけど、実はその頃、老舗百貨店が8月下旬に閉店した、中心駅が巨大建造物で、市中心部が正方形区画で、ちょっと古い塔があって、スイーツが有名で、織田信長ゆかりの地から1駅で海無し県の北端の県都へアクセスできるような乗り換え駅に行ける、某政令指定都市にいる可能性が高いので、何とも言えません。と言っても、[76212]では行っていない方の市です。
[76240] 2010年 9月 25日(土)01:24:06【3】Issie さん
立川駅前
[76238] k-ace さん
立川駅前

駅前の景観という点では,やはりモノレールという巨大な構造物の有無が大きな決め手になるのかもしれませんね。
北口側はモノレールの開業以前と以後で,目の前をふさぐモノレールそのもの(と,旧立川基地跡地南東隅の再開発地区)を除けば実はそれほど大きな景観の変化はないのですが,南口側は激変しました。元は「裏口」然として,ロクな大きさの広場もなかったこちら側に,バスターミナルを備えた駅前広場が整備され,広場をめぐって大きなビルが林立するようになったのですから。

※本来,立川の古くからの中心は駅の南側にあるのですが,駅の出口は永らく北口側がメインでした。何より,旧陸軍施設,次いで米軍基地を抱えた“基地の町”として,戦前・戦後を通じた「昭和」の時代,立川の実際の中心は駅の北側だったのでしょう。

実は,南口の駅前広場はモノレールの開業時点ではまだ整備が完了していませんでした。JRの南口とモノレールの立川南駅との間の区画の用地買収が完了しておらず,まだ立ち退きが済まずに営業を続けている店舗がある区画のそばをすり抜けるように両駅間のペデストリアンデッキを先に作ってしまうなんて,けっこう乱暴なやり方をしたりもしていました。今ではきれいに撤去されて,そこに建物が建っていたことが想像しにくくなってしまいましたが。

立川駅前だけみるととても17~18万人都市とは思えません。30~50万人都市に見えます。

唯一の例外を除いて“昭和の大合併”以来全く合併の行われていない…どころか,昭和の大合併でもあまり合併の進んでいない北多摩地域のことですから,個々の市の規模は小さいですよね。立川駅前の景観も,やはり“立川市単独”のものではないでしょう。日野市の北部(浅川以北)や武蔵村山市,何より青梅線を介した昭島・福生・羽村市,さらに青梅市やあきる野市まで“引力”は及んでいるでしょうか。それらを後背地とした上での“あの景観”なのだろうと思います。

対する八王子の場合,同じ市内の由木(堀之内・南大沢)地区は,編入当時はともかく現在では多摩市(多摩センター,聖蹟桜ヶ丘)の勢力圏に組み込まれているように感じます。さらに,かつては都県境を越えて力を及ぼしていた相模原市北部(橋本地区)や津久井南部(城山・津久井)も八王子から離れて,橋本が独自の商業中心として成長してきました。今,八王子駅前の引力が働いているのは八王子市の,それも分水嶺を越えた(どちらも多摩川水系なのだけど)由木地区を除いた区域のみ,という印象があります。かつてのような「多摩地方の中心」(もっと以前は「神奈川県北部の中心」)ではなく,八王子市のローカルな中心,という感覚。
昔は勢力圏内にあった立川,橋本,町田(原町田)などが次々と“独立”していった今,南口再開発でどれだけ盛り返すことができるか…。

ところで,モノレール。
客観的なデータに基づくものではなくて,あくまでも私の感覚による独断によるものなのですが,立川駅の北側はいいとして,南側の日野市南部(浅川以南)や多摩市の住民を立川に呼び込むことに成功しているかというと,どうなんだろう? という疑問があります。
元多摩市民であった感覚でいうと,山を1つと川を2つも越えたところにある立川,モノレールが結んでくれても,やはり「遠い」という感覚は消えません。それにあのモノレール,遅い(ように感じる)し…。

おまけ。

経県値の「宿泊」の定義

睡眠をとろうがとるまいが,そこに“滞在”して一夜を過ごせば,私は「宿泊」と数えます。ただし,交通機関で移動しつつ一夜を過ごしたら,それは「宿泊」とは数えない。
こんな感じです。
[76239] 2010年 9月 24日(金)23:34:18じゃごたろ さん
胸先三寸
こんばんは、じゃごたろです。
つい先日まで暑い、暑いといっていたのが嘘のように、気温が下がってきましたね。十一月並みの気温ということで、あっというまに暖房が恋しくなってきた今日この頃です。

[76238] k-ace さん
立川駅前と八王子駅前、経県値の「宿泊」の定義

宿泊の定義ということですが、これは車中泊であろうがどうであろうが、各個人の思いで決めればいいのではないでしょうか。車中泊は宿泊とはみなさないというポリシーの方は含めないでいいだろうし、泊まったことには違いないというと思う方であれば宿泊にしてもよろしいかと。

私の場合、「宿泊」に迷うことがありませんが、「歩いた」に関しては他の方とはまったく異なる考えで計算していますから。私はカントリーサインの画像を撮影しているのですが、このカントリーサインはその自治体の境界付近に設置されているものです。そのためその境界しか歩いていないにもかかわらず「歩いた」としてカウントしています。それは、その活動がメインであって必ずしも自治体の中心地域を散策することだけが「歩いた」というわけではない、という個人的な考えからです。

ということで、しゃちほこばったことは抜きにして、各個人の行動パターンに合わせて決めればいいことではないかと思う次第でございます。
[76238] 2010年 9月 24日(金)22:44:39【1】k-ace さん
立川駅前と八王子駅前、経県値の「宿泊」の定義
こんばんは、k-aceです。
家にネット環境が整ってから半月ほど経ちますが、ようやく八王子市の家からの落書き帳初書き込みです。

さて休日に八王子駅前等八王子市内各地、立川市(立川駅前)と国分寺市(国分寺駅前)、松戸駅等松戸市内数駅の駅周辺、新宿区内を、訪問なり散策なりしてきました(一日で、ではありません)。
その中で立川駅前と八王子駅前は過去に話題になっていたので気になっていました。
立川駅前は初めて訪れたのですが、[17727]TNさんにあるとおり、ファーレ立川までのぺデストリアンデッキや多摩モノレール、グランデュオ、伊勢丹、高島屋等があり、南口地区再開発中の八王子駅前(北口)よりも駅前だけみると「都市」としての風格を感じました。2010年8月1日時点の推計人口は八王子市578,266人、立川市178,241人なのですが。立川駅前だけみるととても17~18万人都市とは思えません。30~50万人都市に見えます。中央線、青梅線(五日市線)、南武線、多摩モノレール等交通の要所であることも大きいのでしょう。八王子市は過去にも話題になっていますが、旧由木村の部分の影響で人口と八王子駅前に乖離があるのでしょう。といっても八王子駅も中央線、横浜線(相模線)、八高線、それに少し離れて京王八王子駅(京王線)があるんですが。

以下別件。
鳥さんのほうで既に呟いていくらか反応もあるのですが、いろいろ気になったので。
先日、新宿区内某barで一夜を明かした(夜11時から朝5時まで滞在)のですが、その際一睡もしていません。まぁ宿泊目的で新宿に行ったわけではないのですが…。実際に寝たのは帰りの京王線の車内とその後の八王子市の家。
この件での鳥さんでの反応は、OK(宿泊)に一票(小松原ラガーさん)、新宿区で寝ていないなら宿泊扱いにはしないに一票(BANDALGOMさん)との意見が出ました。
こういう場合皆さんなら訪問とします?宿泊とします?(鳥さんのほうで一度投げかけた質問で、既に回答いただいている方もいるので恐縮なのですが、あらためてこちらでも)

過去に宿泊目的で尼崎のネットカフェ([55563])に行ったけれど、結局寝たのか寝てないのかよくわからない状態(書き込み時間も05:57:38だし)だったのですが、尼崎市を一応宿泊とカウントしているのですが。
尼崎(・加西)の時は深夜が本来の睡眠時間。八王子の今は朝~正午が本来の睡眠時間となっているのが余計ややこしくなっています。とすると、尼崎市は宿泊で今回の新宿区は訪問のままとするのが自然?

ただ、今回の新宿区の件、プライペートなので寝てしまっても構わないわけで(実際にそういう他の客いましたけど)、仮に寝る予定がなかったのに、30分でも寝てしまった場合は宿泊なんでしょうか?
宿泊目的でも結局一睡もできなかった、もしくは予定外に寝ずに一夜を明かしてしまったケースを考え出したらキリがない…。
う~む、悩ましい…。
[76237] 2010年 9月 24日(金)12:43:25【1】中島悟 さん
シモン、おまえのドリルで天を突け!←違う
[76236]
国蝶のオオムラサキが1件だけというのは意外?
オオムラサキと言えば下妻の性別不明キャラ、シモンちゃん。
てっきり下妻市はオオムラサキを市の蝶にしていると思ってましたが、
改めてHPで確認すると木(松)と花(菊)しかありませんね。
別に制定していたわけではなかったんですね。
[76236] 2010年 9月 23日(木)23:55:01オーナー グリグリ
県の蝶、市の蝶、町の蝶、村の蝶
都道府県プロフィールのページを9/20にリニューアルしたのですが、その際、都道府県のシンボルのページの情報もチェックして最新情報に更新しました。更新前と比較して、富山県や石川県の県の魚の制定を追加しました。他にも注釈や表記を県のHP表記に合わせるなど微修正を加えています。

ところで、県のシンボルには、木、花、鳥、魚、獣、蝶がありますが、蝶は今のところ埼玉県だけのようです。市町村レベルだと貝の制定もありますね。市町村についてもいずれデータ化したいと思っていますが、最新状態に保つのが大変そうです。

蝶には興味があることもあり、ざっと市町村の蝶の制定状況を調べてみました。

埼玉県ミドリシジミ
山梨県北杜市オオムラサキ「市の昆虫」として制定
山梨県南部町ギフチョウ
長野県飯山市ギフチョウ
長野県東御市オオルリシジミ
兵庫県姫路市ジャコウアゲハ
岡山県鏡野町ジャコウアゲハ、ギフチョウ
熊本県南阿蘇村オオルリシジミ
鹿児島県指宿市ツマべニチョウ
沖縄県石垣市オオゴマダラ
沖縄県名護市コノハチョウ
沖縄県うるま市オオゴマダラ
沖縄県宮古島市オオゴマダラ
沖縄県今帰仁村フタオチョウ
沖縄県本部町コノハチョウ、フタオチョウ
沖縄県与那国町ヨナグニサン

やはり圧倒的に沖縄県が多いですね。蝶の種類としては、ギフチョウ、オオゴマダラが3件、オオルリシジミ、ジャコウアゲハ、コノハチョウ、フタオチョウが2件です。国蝶のオオムラサキが1件だけというのは意外?かな。なお、与那国町のヨナグニサンは蝶ではなく蛾ですが、町の蝶として制定されています。

竹富町の町の蝶がツマベニチョウであるとWikipediaには書いてあるのですが、竹富町のHPでは確認できないので、町に問い合わせ中です。

上記以外に蝶を制定している市町村がありましたらお知らせください。よろしくお願いいたします。
[76235] 2010年 9月 23日(木)22:23:05スナフキん さん
オフ会のことなど
この寒暖差によるものではありませんが、見事に体調を崩してしまいました。気温差が追い討ちをかけてきそうで怖いです…皆さまご自愛のほど。

オフ会ですが、今のところ私はTX利用でほぼ確実といったところです。ただ、宿はつくば駅近くにあるのではないので、そこから別途バスに乗って筑波山麓まで詰めることを考えると、TXの発売する「筑波山きっぷ」がかなり有効に機能しそうです。「何が何でも東京中心からは往復高速バス!」と考える人は別(汗)にしても、TXを使われる予定の方はこのきっぷでいらっしゃるのがよろしいかと。もっとも、翌日マイカー組のお世話になって一部掛け捨てになったりするリスクはありますけど…。このきっぷ、webでは窓口売りのみで券売機では買えないような案内をしていますので、当日調達の際にはご注意のほど。

私などはついでで、筑波山の登頂もしたろうとか考えていたんですが…[76233]にまんさんの
例年、猛烈な渋滞が発生しています。
の書き込みを見て、やっぱりそうだよなぁ、と再検討。一番お手軽なのは宿からも程近いケーブル利用の往復ですけど、どうも往復同じ道ってのは芸がない…と考え当初はつつじヶ丘回りの往路ロープウェー、復路ケーブルを画策していました。でも…
筑波山口から筑波山神社入口まで1時間程度かかりました。つつじヶ丘まではさらに1時間程度かかるという案内が出ていました。
との書き込みにもあるように、このプランも実現させるのはかなり大変そうです。状況次第では、ケーブルカーもかなり押し込まれ状態になることも考えておかねばなりませんね。

国土地理院ですが、昨年のちょうど今頃に行った記憶が蘇ってきます。サイエンスツアーバスがお手軽でいいのですが、このバスは一方通行の循環で、地理院→つくばセンターはあっちこっち寄り道しながらなので著しく時間がかかり(地理院行はスンナリだったような…)、私はその利用も断念して本数の少ない関鉄パープルバスの下妻行に合わせて行動しました。関東鉄道のバス部門がさらに子会社として切り離したものなので、車も当たり外れが多いらしく帰りの車は床が木のバスで、いまだにこんなのが走ってるんだと驚いたものです。

もし行かれる場合、見学にたっぷり時間をかけるつもりなら「食事」は要注意です。ファミレスはもちろん、大した食事処は周囲にないと考えてください。研究学園駅から伸びてくる新しい道との交差点付近に、コンビニ+@程度の店はあったように記憶していますが、間違いなく選ぶのに迷うほどたくさんの店はないです。

廃線跡のお話が[76229]でまかいのさんから出ていますが、道路系・バス系の方にお勧めなのが「土浦高速」こと土浦ニューウェイ。つくばから土浦へ向かい、桜川を渡って始まる一種の自動車専用道路で、ほぼ全線が高架構造。面白いのはこの高架途中にもきちんとバス停があって、路線バスも走っていること。ただ、現状の土休日ダイヤでは夜に1本のみの事実上免許維持路線なので、マイカー組に走ってもらうのが無難でしょうか。確か、以前落書き帳でも少し話題になったような気がしますが…。また、距離はずっと短いですがつくばセンター至近の花室トンネルも、途中掘割化した部分にバス停があり、なかなか独特の構造をしていて面白いです。こちらは土浦行の一般路線バスがかなり経由していたはずで、普通の路線バス利用でも訪れることはそう難しくないと思います。私はここ、土浦行の急行バスで通ったんですが…そもそも急行便、廃止されてますね。当時、この急行便にさえ床が木のバスがあてがわれて驚いたのを覚えています。ちなみに、鹿島鉄道跡は石岡~四箇村と距離は短いながらも「バス専用道路」として再整備されたようです。土浦から一歩北へ踏み出す立地なので、常磐線の本数も大きく絞られるため、公共交通機関に足を限定すると意外に行きにくいかもしれません。
[76234] 2010年 9月 23日(木)21:08:02【2】油天神山 さん
地図と測量の科学館
[76229]まかいのさん
筑波近辺のスポットですが、やはりここはチェックすべきでしょうか。行ってみたいけど展示内容はどうなのでしょう?
国土地理院 地図と測量の科学館

昨年つくばに引っ越して最初の休日に行ったのがこの地図と測量の科学館でした。
行ってみた感想を一言で言いますと・・・うーん、どちらかというと小中学生向けの展示で、大人でもそれなりに楽しめるけどちょっと物足りない、というところですかね。
是非に、とまでは言いませんが、時間があるなら覗いてみても良いでしょう。入場料は無料ですし(笑)。

まず常設展示ですが、「地球に向かう」と題された測量関連の展示はいろいろ手に触れたりできるものもあり、私は結構楽しめましたが、正に「科学館」の展示なので、多少好みが分かれるかもしれません。
「情報に向かう」と題する展示の中では、何といっても伊能図を始めとする古地図の展示が興味深いのですが、ガラスケース越しに見なければならないのと、結構人だかりができるのとで、なかなかじっくり見られないのが辛いところです。特に、地図と見ると目を皿のようにして読みふけりたい人(落書き帳メンバーにはそういう方が多いんじゃないでしょうか・・・私もそうなんですが)にはフラストレーションが溜まるかも知れません。
最後の「暮らしに向かう」と題する地図の利用に関する展示は、日ごろ地図を読みなれている人だと、余り目新しいものがないように感じました。

特別展示室は何か面白い企画点をやっていれば良いのですが・・・私が行った時には「児童生徒地図作品展」だったかな、要は自由研究の発表みたいなもので、中には相当な優れものもありましたが、まあ大したものではなかったですね。

そのほかに興味深かったのはエントランスホールの床に描かれた日本地図で、二十万分の一の地図をタイルに焼き付けたのを敷き詰めてあったように記憶しています。
同様のものが屋外の「地球広場」にありまして、こちらは地球を模した球面上に日本地図が描かれていて、与那国島の辺りに立って北海道の方角を眺めやると・・・私は「おおっ!」と思いましたね。日本の広さを実感できます。

現地へのアクセスですが、関東鉄道が「つくばサイエンスツアーバス」というのを運行していて、休日はこれが唯一の公共交通機関です。場所としてはつくばセンターと筑波山の間に位置しますが、筑波山方面から直行するバス路線はなく、いったんつくばセンターに戻るしかありません。もちろん、参加メンバーのマイカーに同乗させてもらえれば話は別ですが。

というわけで、大した説明になってない気もしますが、参考になれば幸いです。

#訂正。
申し訳ありません。上記の
「つくばサイエンスツアーバス」というのを運行していて、休日はこれが唯一の公共交通機関です。
というくだりは誤りでした。[76235]スナフキんさんが言及されているように、関鉄パープルバスのつくばセンター発下妻行きも国土地理院を経由します。
因みに私はどうやって行ったかというと、自転車で行ったのです(笑)
[76233] 2010年 9月 23日(木)20:49:59にまん さん
渋滞注意報
残念ながら、オフには参加できそうもありませんが、ひとこと

[76227]
ところでこの時期、ちょうど紅葉も見頃かと思います。今年は紅葉時期が例年よりも遅れそうなので筑波山もちょうど見頃かもしれません。
まさしく、オーナー グリグリさんが言われるとおり、例年ですとこの時期は筑波山観光のピークです。
・・ということで、例年、猛烈な渋滞が発生しています。筑波山の場合、公共交通機関もバスしかありませんから、交通機関のいかんにかかわらず影響を受けます。
私が4,5年前にした経験では、筑波山口から筑波山神社入口まで1時間程度かかりました。つつじヶ丘まではさらに1時間程度かかるという案内が出ていました。その時は、途中で運転手を残し、歩いて山門近くまで行き、込んだ食堂で昼食をとり、運転手の食糧を買い込み、車に戻ったら丁度駐車場の入り口でした。
渋滞の原因は、駐車場不足で、駐車場待ちの車列がそのまま山麓まで続いているといった状況です。したがって、上りは本当に動きませんが、下りはスムーズです。
オフの集合時間は夕方なので、それほどではないと思いますが、一応警戒されておいたほうが無難かと思います。
[76232] 2010年 9月 23日(木)14:14:11【1】hmt さん
1ヶ月だけ存在した広島県安芸郡呉町
[76230] 88 さん
■呉市発足の経緯について(中略)二段階で間違いないと判断し、修正しました(4町村→呉町、呉町→呉市)。

ありがとうございます。
この件、[74500]を書いた後で気がついたのですが、落書き帳のごく初期に、[123] Issie さん による 問題提起がありました。

市の変遷 のページでも、安芸郡呉町からの市制に修正されています。
変遷情報が修正されれば、自動的に 「市の変遷」にも反映する 仕組みになっているのでしょうね。

でも、呉市 は、自分の歴史を次のように記録しています。
明治35年(1902)10月1日 宮原村・荘山田村・和庄町・二川町が合併し呉市誕生。

【追記のひとりごと】
できるだけ早めに訂正して下さい。
という要望が、そのうちに呉市に出されて、呉市HPでも修正が実現することを期待します。
参考:落書き帳での事例[482]

2003年に書いた[20917]は、既に「訂正しようにも手遅れ」の事例として 挙げたつもりだったのですが、埼玉県庁所在都市について言えば、2005年に岩槻市を合併したために、なんと辻褄が合ってしまったのでした。
[76231] 2010年 9月 23日(木)12:49:57hmt さん
千葉県の面積
[76226] オーナー グリグリ さん 都道府県の面積イメージ(千葉県って狭いんですね)
[76228] ニジェガロージェッツ さん
北方領土のポスターに「千葉県の面積とほぼ同じ」と書かれていた…,5000平方キロ程度だと数値が浮かびます。

千葉県の面積 = 約5000km2という数字は、私の頭の中では、面積を比較する際の「物差し」の一つになっています。
5000 km2という数字自体には 福岡県の方が近いようですが、なぜ 千葉県が物差しなのか というと、その形です。

銚子から関宿まで、利根川沿いに 100kmの北辺。
この北辺から垂直二等分線を南に降ろすと、印旛沼から館山まで 100km。
銚子・関宿・館山の3頂点を結ぶ千葉県の面積は、一辺 100kmの正方形の半分ですから 5000km2。

同様の論法で、一辺 100kmを基準にした 面積1万km2の物差しは、(正方形というよりも「おむすび形」ですが)ハワイ島です。

相対値としては、埼玉県の面積が 日本の面積 38万km2の 1%という値も、頭の中に入っています。
埼玉県の面積は、47都道府県平均の約半分 ということですね。
[76230] 2010年 9月 23日(木)12:33:3888 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時ほか) 小レス
ここのところ、時間の許す限り、[75399]拙稿の「市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法について」の方針に基づく修正作業、つまりは「○○村の一部」「○○村(本)」「○○村(微)」の修正作業に没頭しております。
こういう作業は、思い立ったら一気にやってしまわないと、かえって非効率になります。市制町村制施行時(既入力分である大阪府から鹿児島県まで)については作業を完了し、鹿児島県から順次北(東)へ向かって市制町村制施行時以降の修正作業を行っております。鹿児島県から始めようやく山口県に到達しました。
これらの作業においては、皆様からご指摘のあった修正作業も順次同時に行っておりますので、ここにその経過をお知らせします。

[74518] むっくん さん
いつもありがとうございます。また、遅くなり申し訳ありません。
◎山口県
■M39(1905).4.1付け 玖珂郡 岩国町 合併の変更種別について 編入 or 新設
「総覧」「便覧」「辞典」・・・M38(1905).4.1編入
「幕末以降総覧」・・・M38(1905).4.1(新設・編入の別不明)
山口県HPがきちんと県告示を踏まえているのかどうかは少し気になりますが、ご指摘のとおり、新設合併と判断し修正しました

■T4(1915).7.1付け 吉城郡 山口町 合併の変更種別について 編入 or 新設
「総覧」「便覧」「辞典」・・・T4(1915).7.1編入
「幕末以降総覧」・・・T4(1915).7.1(新設・編入の別不明)
山口県HPがきちんと県告示を踏まえているのかどうかは少し気になりますが、ご指摘のとおり、新設合併と判断し修正しました

■大島郡 安下庄村 → 安下庄村 の町制施行年月日について T4(1915).11.1 or T4(1915).11.10
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・T4(1915).11.1町制
「辞典」・・・T4.11.1(10)町制
ご紹介の各資料、特にいつもの信憑性が高いと判断している郡市町村廃置分合表により、T4(1915).11.10付け町制と判断し、修正しました

■T5(1916).6.1付け 玖珂郡 藤河村 から 玖珂郡 御庄村 が発足する変更種別について 分立 or 分割
「総覧」「便覧」「辞典」・・・T5(1916).6.1分立
「幕末以降総覧」・・・T5(1916).6.1(分立・分割の別不明)
ご紹介の各資料、特にいつもの信憑性が高いと判断している郡市町村廃置分合表により、分割と判断し、修正しました(玖珂郡御庄村玖珂郡藤河村)。

■熊毛郡 周南町 新設/町制 施行年月日について S13(1938).4.1 or S14(1939).4.1
「総覧」「便覧」「辞典」・・・S14(1939).4.1新設/町制
「幕末以降総覧」・・・S14(1939).4.1町制(新設・編入の別不明)
単なる入力ミスのようです。S14(1939).4.1付け新設/町制と判断し、修正しました

■大島郡 家室西方村 → 白木村 の改称年月日について S16(1941).11.1 or S16(1941).11.3
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・S16(1941).11.1改称
「辞典」・・・S16.11.3(1)改称
山口県HPの根拠は少し気になりますが、ご指摘のとおり、S16(1941).11.3改称と判断し修正しました

◎愛媛県
■越智郡 魚島村 が 越智郡 弓削村 から分立する年月日について M28(1895).9.12 or M28(1895).12.1
「総覧」「便覧」「辞典」・・・M28(1895).9.12分立
「幕末以降総覧」・・・M28(1895).9.12(分立・分割の別不明)
・・・M28(1895).9.12分立
・・・M28(1895).9.12分立
ご紹介の愛媛県告示に従い、M28(1895).12.1分立と修正しました

■越智郡 渦浦村 が 越智郡 亀山村 から分立する年月日について M32(1899).5.7 or M32(1899).7.1
■北宇和郡 御槇村 が 北宇和郡 清満村から分立する年月日について M32(1899).10.1 or M32(1899).7.1
「総覧」「便覧」・・・渦浦村はM32(1899).5.7分立、御槇村はM32(1899).10.1分割
「幕末以降総覧」・・・渦浦村はM32(1899).5.7(分立・分割の別不明)、御槇村はM32(1899).10.1(分立・分割の別不明)
「辞典」・・・渦浦村はM32.5(7).7分立、御槇村はM32.7.1分立
ご紹介の愛媛県告示に従い、M32(1899).7.1分立と修正しました(越智郡渦浦村北宇和郡御槇村)。

■伊予郡 下灘村の一部 を 喜多郡 満穂村 へ境界変更する年月日について M41(1908).9.30 or M41(1908).10.1
「総覧」「幕末以降総覧」「辞典」・・・M41(1908).9.30境界変更
「便覧」・・・記載なし
ご紹介の愛媛県告示に従い、M41(1908).10.1付け境界変更と判断し、修正しました

■周桑郡 福岡村 → 丹原町 の 町制/改称 年月日について T2(1913).12.1 or T2(1913).12.23
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・T2(1913).12.13町制/改称
ご紹介の愛媛県告示に従い、T2(1913).12.23付け町制/改称と判断し、修正しました

■T6(1917).5.1付けの 北宇和郡 宇和島町 の 丸穂村 との合併の変更種別について 新設 or 編入
「総覧」「便覧」「辞典」・・・T6(1917).5.1新設
「幕末以降総覧」・・・T6(1917).5.1(新設・編入の別不明)
ご紹介の愛媛県告示に従い、編入と判断し、修正しました

■北宇和郡 岩松町 が 高近村 と新設合併する年月日について S13(1938).10.10 or S13(1938).9.10
「総覧」「便覧」・・・S13(1938).10.10新設
「幕末以降総覧」・・・S13(1938).10.10(新設・編入の別不明)
「辞典」・・・S13.9(10).10新設
[62491]たもっちさんへの対応漏れのようです。
ご紹介の愛媛県告示に従い、S13(1938).9.10付け新設と判断し、修正しました

◎高知県
■幡多郡 宿毛村 → 宿毛町 の町制施行年月日について M32(1899).12.20 or M31(1898).12.20
[68520]むっくんさん、[69559]拙稿の修正誤りのようです。M31(1898).12.20町制施行と修正しました

◎長崎県
■西彼杵郡 淵村 から 小榊村 が分立する年月日について M31(1898).7.1 or M31(1898).10.1
[71725]むっくんさん、[72194]拙稿の修正誤りのようです。M31(1898).10.1分立と修正しました

◎熊本県
■八代郡 郡築村 の発足年月日について M42(1909).7.4 or M42(1909).4.7
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M42(1909).7.4
ご紹介の「熊本県市町村合併史」の方が誤っている可能性もあり、悩ましいのですが、M42(1909).4.7 八代郡 郡築村 発足と判断し、修正しました
なお、新たな資料を発見できれば、再修正もあり得ると思います。

◎鹿児島県 M22(1889).4.1付け市制町村制施行時
■M22(1889).4.1付け市制町村制施行時 川辺郡 東加世田村 となる従前の町村名の一部について 川辺郡 唐人原村 or 川辺郡 唐仁原村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・川辺郡 唐仁原村
単に入力誤りのようです。また、ご紹介の各種資料、特に鹿児島県令に従い、さらに、現在の南さつま市加世田唐仁原にあたると思われることから、ご指摘のとおり 川辺郡 唐仁原村 と修正しました

■M22(1889).4.1付け市制町村制施行時 西囎唹郡 国分村 となる従前の町村名の一部について 西囎唹郡 唐人村 or 西囎唹郡 唐仁町
「幕末以降総覧」・・・西囎唹郡 唐仁町
「辞典」・・・西囎唹郡 上小川村, 向花村, 野口村, 府中村, 新町村による合併
単に入力誤りのようです。また、ご紹介の各種資料、特に鹿児島県令に従い、さらに、現在の霧島市唐仁町バス停付近にあたると思われることから、ご指摘のとおり 西囎唹郡 唐仁町 と修正しました

■M22(1889).4.1付け市制町村制施行時 肝属郡 東串良町 となる従前の町村名の一部について 肝属郡 唐人町 or 肝属郡 唐仁町
「幕末以降総覧」・・・肝属郡 唐人町
「辞典」・・・肝属郡 川東村, 新川西村, 川西村, 岩弘村, 池之原村による合併
ご紹介の各種資料、特に鹿児島県令に従い、さらに、現在の肝属郡東串良町唐仁公民館付近にあたると思われることから、ご指摘のとおり 肝属郡 唐仁町 と修正しました

■M29(1897).4.1付け大島郡の郡区域変更について
ご指摘のM29(1897).3.30法律第55号鹿児島県下国界並郡界変更及郡廃置法律に従い、詳細欄において、
「川辺郡を廃し、その区域のうち硫黄島、黒島、竹島、口ノ島、臥蛇島、平島、中ノ島、悪石島、諏訪ノ瀬島及び宝島の区域を大島郡に変更する」
修正しました

■M41(1908).4.1付け大島郡名瀬村となる従前の町村名の一部について大島郡 根頼部村 or 大島郡 根瀬部村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・根瀬部村
ご紹介の鹿児島県令に従い、 大島郡 根瀬部村 と修正しました


◎広島県
■呉市発足の経緯について
M35(1902).9.1付け 安芸郡 二川町, 荘山田村, 和庄町, 宮原村 → 安芸郡 呉町
M35(1902).10.1付け 安芸郡 呉町 → 呉市
or
M35(1902).10.1付け 安芸郡 二川町, 荘山田村, 和庄町, 宮原村 → 呉市
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M35(1902).10.1付けで4町村が合併し、呉市市制施行(呉町存在せず)
さらに、呉市HP内の呉市の歴史でも、同様に呉町は存在しなかったような記述です。
[74500] hmt さんご紹介の郡市町村廃置分合一覧表(内閣統計局、明治31年12月31日-36年12月31日)の記述及び[74518] むっくん さん ご紹介のM35(1902).9.1付け内務省告示第63号の内容から、
・M35(1902).9.1付け 安芸郡 二川町, 荘山田村, 和庄町, 宮原村 → 安芸郡 呉町
・M35(1902).10.1付け 安芸郡 呉町 → 呉市
の二段階で間違いないと判断し、修正しました(4町村→呉町呉町→呉市)。

――――――――――――――――――――
[75292] むっくん さん
■愛知県 愛知郡 笈瀬村 → 愛知郡 愛知町 の町制/改称年月日について M37(1904).12.10 or M37(1904).12.20
「総覧」「幕末以降総覧」「辞典」・・・M37(1904).12.10
「便覧」・・・記載なし
しかし、ご紹介の資料、特に郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(内閣統計局、M42.12.10)により、M37(1904).12.20町制/改称と判断し、修正しました
――――――――――
[75350] hmt さん
[75351] むっくん さん
M22.5.1付けの東京府における市制・町村制施行に伴う従前の町村の廃置分合については、[75042] むっくん さんでもご紹介のあった、M22.4.11付け東京府令第25号(pdfファイル)を
踏まえ、全面的に再確認の上、修正しました

――――――――――
いつも皆様ありがとうございます。
その他のものも、順次対応してまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
[76229] 2010年 9月 23日(木)11:08:16まかいの さん
茨城観光
[76198]グリグリさん
書き込みで情報交換しませんか。筑波山周辺の情報、旅程、茨城空港利用可能性、云々。

オフ会楽しみです。当日は晴れるといいですね。宿から建設中のスカイツリーも見れるかも。

筑波近辺のスポットですが、やはりここはチェックすべきでしょうか。行ってみたいけど展示内容はどうなのでしょう?
国土地理院 地図と測量の科学館

他にはFe成分が多少混入している私にとっては筑波鉄道と鹿島鉄道の廃線跡が気になります。
筑波鉄道のほうは「つくばりんりんロード」として全線約40kmのサイクリングロードに整備されていますが、
土浦から筑波山まで自転車で来るようなつわものは・・・まさかいないでしょうね。
[76228] 2010年 9月 23日(木)09:41:04ニジェガロージェッツ さん
なんと心強い
[76222]グリグリ さん,[76223]JOUTOU さん
お車のお申し出,ありがとうございます。本当に心強い限りです。安心して飛行機の手配ができました。[76224]小松原ラガーさんと同じく,皆様の帰路(または翌朝の余韻)の邪魔にならない程度で,筑波山口のバス停まででも結構ですので,お送り頂ければ大いに助かります。

翻って5年前の神戸オフ会の際に,神戸在住のものとして,遠くから参加された皆様に何のフォローも出来ずにいたことが恥ずかしく感じるところです。

[76224]小松原ラガー さん
安い切符がどんどんなくなっているようで
情報ありがとうございます。昨晩私も手配しましたが「安い切符=通常料金でない切符」にもいくつかのランクがあるようで,そのうち最安値のものは既に売り切れだそうで,行きは次点のものが2席,帰りはこれも売り切れになっていました。

#私はネットで切符を手配するのが未だに抵抗があって,旅行社で購入して少々高くついても「安心料」だと割り切る時代遅れな人間ですが,実際はどんなものだろうか。旅行社で手配すると損をするのでしょうか。

[76222]グリグリ さん
皆さんの目に触れるようにして参加者を増やす施策の一つ
オフ会の情報交換は,現地情報などそれだけでも結構な地理ネタになり,仮にオフ会そのものに参加ができなくても,同じ方面へ出かける際には有用な情報が多いと推測します。どんどん書き込みしましょう。
まだ2ヶ月先ですが,オフ会関連の書き込みが多くなってくると触発されるメンバーもいるのでは。
#茨城県か。あの弩臭い委員長はどうしているだろうか。

[76226]グリグリ さん
都道府県の面積イメージ
小生の地元では,兵庫県がものすごく広い県だとの認識が共有されていて,うちの父などは「北海道の次に広い」という変な思い込みがあります。実際にはそんな訳はなく,東北6県のうち宮城県の除く各5県より狭く,同じ瀬戸内にあっても広島県よりも狭いのですが,それを言っても「そんなばかな」と信じてくれません。
千葉県の面積については,小学校の壁に貼ってあった北方領土のポスターに「千葉県の面積とほぼ同じ」と書かれていたのが頭に刷り込まれており,5000平方キロ程度だと数値が浮かびます。
[76227] 2010年 9月 23日(木)09:24:47オーナー グリグリ
筑波山オフ会参加者募集中♪
[76106][76113]でもご案内しています今年の落書き帳公式オフ会ですが、その後、参加希望者がなかなか増えません。久しぶりの首都圏開催ということもありますので、過去に参加された方や初めての方も気軽に参加してみませんか。参加してみたいけど大丈夫かなとか心配されている方、まったく心配ありません。過去のオフ会の様子をオフ会記録のページからご覧ください。皆さん初対面とは思えないほど盛り上がります。それも同じ地理という共通語があるからでしょうね。楽しいひとときを一緒に過ごしましょう。参加してみたいけど確実じゃないという方も、まずは参加アンケートに答えていただければ幸いです。

なお、オフ会開催日や場所などの詳細は開催概要をご覧ください。

オフ会参加希望者のメーリングリストは今週末に開設し情報交換する予定ですが、それまで(その後も)落書き帳でいろいろ情報交換して落書き帳を盛り上げましょう。参加予定の皆様、よろしくお願いいたします。

[76223] JOUTOUさん
小松原ラガーさん・ニジェさんを初め、筑波山OFF会の帰りに茨城空港神戸行きをご利用予定の方々へ。わたしで良ければ、茨城空港直行のオプションも含めマイカーでお送りします。(ちなみに運転手のわたしを除き6人まで乗車可能です)安心して帰りの旅券をご手配ください。
さっそくの嬉しいご提案をありがとうございます。毎年、車で参加の方にはお世話になっていますが、今年もよろしくお願いいたします。

[76224] 小松原ラガーさん
すみません。あとは野となれ山となれです。可能ならば茨城空港でもつくばセンターでも筑波山口でも結構ですので、車に便乗させていただけるとありがたいです。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
山は山でも筑波山です。私も車で行くつもりなので大船に乗っていてください。^^

ところでこの時期、ちょうど紅葉も見頃かと思います。今年は紅葉時期が例年よりも遅れそうなので筑波山もちょうど見頃かもしれません。茨城県にも紅葉の名所が沢山ありますから紅葉ドライブもいいかもしれませんね。袋田の滝、五浦海岸など、過去に話題になった名所もあります。国営ひたち海浜公園、大洗の水族館アクアワールドもお奨めです。アクアワールドは海浜に立つ水族館で太平洋の眺望と相まってダイナミックな水族館でした(新しくできた頃に訪問したので今はどうかな?)。

帰りは成田空港からとお考えの方、私の帰宅方向になりますので車同乗可能です。ご相談ください。
[76226] 2010年 9月 23日(木)08:41:36オーナー グリグリ
都道府県の面積イメージ(千葉県って狭いんですね)
[76209]で紹介しました47都道府県のデータサイトですが、千葉県のデータのメニューにある、全国の47都道府県ランキングにおける千葉県の順位「人口・面積・人口密度」を見ていてちょっと意外だったことがあります。都道府県の面積についてはあまり意識したことがなく、具体的な面積や都道府県間の大小についてもぼんやりとした知識(意識)しかありませんでした。

千葉県って意外に狭いんですね。房総半島の外形イメージが強く、茨城県や栃木県よりも広く、宮城県あたりとも同じくらいだろうという感覚でした。それが、茨城県や栃木県は千葉県の1.2倍前後、宮城県に至っては1.4倍の面積もあるというのは、私が単に無知だったというだけかもしれませんが意外でした。あらためて日本地図を眺めてみればなるほどと納得できますが、房総半島という形のイメージで作られる面積感(?)が多少影響しているのかなとは思いました。

ところで、地図を眺めていて、頭に描いていた面積イメージと落差がある都道府県がいくつかありました。まずは、和歌山県。もっと広い県のイメージがありましたが千葉県より狭いんですね。三重県ももっと広いかなと思っていました。次に、島根県。鳥取県よりは広いという感覚はもちろんありましたが、鳥取県の倍近くの広さもあるとは意外でした。あと、栃木県と群馬県がほぼ同じ面積で、栃木県が若干広いというのも意外。群馬県がもっと広いと思っていました。

みなさんはどうですか。#そんなん常識やでぇ~、という方はお聞き流しを_o_
[76225] 2010年 9月 22日(水)16:42:28【1】はやいち@大内裏 さん
新・川口市
お久しぶりです。

両市議会で法定協議会設置議案が可決されました。
[76224] 2010年 9月 22日(水)10:56:15小松原ラガー さん
有難うございます。
小松原ラガーです。

ニジェさん、油天神山さん、JOUTOUさん、グリグリさん、他関係の皆様へ。
コメント有難うございます。実は、私、昨日の投稿のあと、一旦はラッキーと思いました。で、スカイマークの予約状況を調べてみると、安い切符がどんどんなくなっているようで、慌てて往復航空券の予約・購入を済ませてしまいました。なんという慌て者、というかおっちょこちょいというか・・・。(昨日は一日へこむことばかりでした。)
すみません。あとは野となれ山となれです。可能ならば茨城空港でもつくばセンターでも筑波山口でも結構ですので、車に便乗させていただけるとありがたいです。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

あ~ぁ、自己嫌悪300%です。。。
[76223] 2010年 9月 22日(水)08:38:43【1】JOUTOU さん
業務連絡!スカイマーク神戸行ご利用のみなさまへ
みなさん関東から西(というべきか?南というべきか?)は未だ暑い日々が続いていますが、“暑さ寒さも彼岸まで”と言われるように、明日から急激に季節が進行しそうな感じです。みなさまは如何お過ごしでしょうか。JOUTOUです。導入部分が必要以上に長くなりましたが本題です。

小松原ラガーさん・ニジェさんを初め、筑波山OFF会の帰りに茨城空港神戸行きをご利用予定の方々へ。わたしで良ければ、茨城空港直行のオプションも含めマイカーでお送りします。(ちなみに運転手のわたしを除き6人まで乗車可能です)安心して帰りの旅券をご手配ください。

以上、業務連絡でした。
[76222] 2010年 9月 22日(水)08:24:03【1】オーナー グリグリ
茨城空港見学ツアー
[76220] ニジェさん
オフ会参加をお考えでない閲覧者には目障りかもしれませんがご容赦の程。
かもしれませんが、皆さんの目に触れるようにして参加者を増やす施策の一つと考えていますので(^^;、参加予定者はどしどし情報交換してください。
やはり帰りの神戸行き飛行機は難しいか。
いえいえ大丈夫です。油天神山さんも言われていますが、当日、マイカーで参加される方もかなり見込めますから、10:40便への送りを兼ねた茨城空港見学ツアーも組めるでしょう。私は車にするか電車にするかまだ決めていませんが、多分、車で行くことになるでしょう。翌日の茨城空港ツアーでも福島県探訪ツアーでも、渡良瀬遊水地県境巡りでも、いろいろアレンジ可能です。ただ、10年以上乗っている古い車で申し訳ありませんが。

宿から茨城空港へは一般道で40kmもありませんから、1時間ちょっとで行けるでしょう。宿を朝8時過ぎに出発すれば十分間に合うと思います。
[76221] 2010年 9月 22日(水)07:50:10inakanomozart さん
県庁舎から眺望できます。
[76217] 2010 年 9 月 21 日 (火) 20:28:03 YASUさん
この街って開発が制限されているためか、中心市街地から西に向って広大な原っぱを抜けたあたりの方が栄えているような気がします。
この街にある県庁の屋上はウッドデッキとなっていて一般に開放されています。
周囲に高い建物がないため、それほど高層の建物ではないにもかかわらずけっこう眺望がよく
一休みしてから周辺を散策するのには好都合な場所です。
なお、原則として平日の開放ですが、観光シーズンには土曜・休日にも開放されています。
[76220] 2010年 9月 22日(水)00:00:12ニジェガロージェッツ さん
わかりにくい
オフ会参加への情報交換について,本来ならばメーリングリストに書く内容ですが,[76198]グリグリさんからの「書き込みで情報交換しませんか」に甘えてここに書き込んでいます。
オフ会参加をお考えでない閲覧者には目障りかもしれませんがご容赦の程。

[76218] 小松原ラガー さん
ホテルから筑波山口までバスで行って、そこで乗り換えて、という方法で8:30のバスに乗れる

土地勘のない地方の状況は分かり難いのですが,この文面からはつくばセンター8:30のバスが筑波山口に寄るのかと解釈し,この1時間ほどいろいろと調べ回ったのですが,結局そのような路線ない。
では,8:30分に間に合うようにつくばセンターへ出るのだろうと調べたところ,「つくバス」の北部シャトル7便の筑波山口発7:35→つくばセンター着8:10に乗らないとだめなようです。
いや,その筑波山口へ出るのが,[76219]油天神山さんのご注進により,ホテル最寄の筑波山神社入口→筑波山口の登山バスで間に合う便が休日ダイヤには無いとのこと。油天神山さん,地元からのフォローありがとうございます。

人数さえ揃えばホテルに筑波山口バス停までの送迎を頼めるかもしれませんが,う~ん,やはり帰りの神戸行き飛行機は難しいか。
[76219] 2010年 9月 21日(火)23:27:52油天神山 さん
地元からご注進
こんばんは、いよいよ荷造りを始めた油天神山です。つくば暮らしもあと8日。

[76218]小松原ラガーさん
神戸便に搭乗するには8:30分のつくばセンター発のバスだったかと思いますが、よくよく調べるとホテルから筑波山口までバスで行って、そこで乗り換えて、という方法で8:30のバスに乗れるのですね。

いや、やっぱり間に合わないのですよ。小松原ラガーさんは平日の時刻表をご覧になったんじゃないでしょうか。
残念ながら休日はバスの始発が遅くて、ホテルの最寄りから出る一番バスが筑波山口に着くのが7:56です。接続よく8:00発のつくばセンター行きに乗れますが、つくばセンター着は8:35、わずかに間に合いません。

とは言え、ホテルに送迎を頼むとか、車で参加のメンバーに送ってもらうといった手もあるでしょうから、「ムリ!」と断じることもないと思います。
[76218] 2010年 9月 21日(火)22:18:47小松原ラガー さん
あぁ、勘違い・・・
小松原ラガーです。

[76207] ニジェガロージェッツ さん
帰りの便は茨城発10時40分→神戸着12時05分ですから,この10時40分に搭乗するのが無理だということでしょうか?

すみません。私の勘違いでした。神戸便に搭乗するには8:30分のつくばセンター発のバスだったかと思いますが、よくよく調べるとホテルから筑波山口までバスで行って、そこで乗り換えて、という方法で8:30のバスに乗れるのですね。申し訳ありませんでした。

ということは、これは往復スカイマークかな。新しい(と言っても国際線とD滑走路がメインですが)羽田というのも多少は魅力があるのですが・・・。
[76217] 2010年 9月 21日(火)20:28:03YASU さん
今回は。
前回[66612]は間違えてしまいましたが。

[76212] ペーロケ さん
少し前、物議を醸し出したキャラがいるところですね。
この街って開発が制限されているためか、中心市街地から西に向って広大な原っぱを抜けたあたりの方が栄えているような気がします。境界系の人にとっては、おいしい物件もありますね。一昨日このあたりを訪問したのですが、周りの山々はそれほど高くないためか、盆地ということをあまり意識しませんでした。
一昨日訪問した理由は、この三連休、普段は営業運転しない路線に乗り鉄するためでした。
[76216] 2010年 9月 21日(火)14:16:04hmt さん
十二社
[76211] 伊豆之国 さん
新宿区ではかつて「十二社天然温泉」が有名だったのでしたが、2年前に廃業に追い込まれてしまい、

昨年3月に 閉店 したのでしたか。
十二社温泉廃業の原因は、不景気のせいで 1900円の入浴料を払う客が減ったから ではなく、2007年渋谷「シエスパ」の爆発事故 後に定められた ガス抜き装置の設置義務 に対応するのが、構造的に困難だった という理由によるようです。

「閉店のお知らせ」には、開店以来50年間と書いてありました。
羽田近くの森ヶ崎で鉱泉が出たのが 1894年という東京の「黒湯」の歴史の中では、戦後に開業した 十二社の黒湯[38583](音無鈴鹿 さん)は、新参者でした。

十二社温泉の歴史は半世紀としても、池や滝のあった 角筈十二社 は、江戸時代からの景勝地で、将軍も鷹狩の際に立ち寄ったそうです。
明治以後は 大きな料亭が建ち並んだ 花柳界として賑わいました。
しかし、池の水質の悪化や埋立が 戦前から始まり、戦後の 1960年代には 池は完全に失われたようです。

池が残っていた1960年代までは、東京都新宿区十二社 という町名が 使われていました。淀橋浄水場跡の 新宿副都心に 高層ビル群が 建ち始める頃(第1号の京王プラザホテルは 1971年)になると、町名も 西新宿に変りました。

十二社 は、「じゅうにそう」と読みます。応永10年(1403)に 中野長者が 故郷・紀州熊野の十二所権現を勧請した 熊野神社に由来し、これが「熊野三山十二叢(じゅうにそう)祠」と呼ばれるようになったとか。

堺市 堺浜楽天温泉祥福

深井戸を掘れば、どこでも天然温泉ができるのですね。
でも、私にとっては、堺市の「○○温泉」から思い出すのは、普通の銭湯[59033]です。
[76215] 2010年 9月 21日(火)00:03:12【3】Issie さん
しか
[76214] いっちゃん さん
う~ん、わたしゃ高架駅だと思うのですが・・・。

そういえば,牛のお寺ではなく,鹿のお寺かも知れませんね。
だったら,高架だ(あたしゃ,地平駅時代しか知らないけど)。
「北端」でもあるし。

※なぜか,タイトルが「鹿」という漢字を受け付けない。
[76214] 2010年 9月 20日(月)23:28:42いっちゃん さん
Deer
[76213]Issieさん
[76212] ペーロケ さん
JRは高架駅となっており
間違っていなければ,ホームは地平にあって駅舎がそれをまたいでいる「橋上駅」ではないかしら。

う~ん、わたしゃ高架駅だと思うのですが・・・。
[76213] 2010年 9月 20日(月)23:05:32Issie さん
[76212] ペーロケ さん
JRは高架駅となっており

間違っていなければ,ホームは地平にあって駅舎がそれをまたいでいる「橋上駅」ではないかしら。
[76212] 2010年 9月 20日(月)22:42:51ペーロケ さん
夏休みの旅行
[75970]でもさりげなく書きましたが、先日、某所に旅行へ行ってきました。

 まず、初めの宿泊地である、とある都市へ向かう。この都市は私が住む広島から、ある交通機関1本で行くことができる政令指定都市である。先月後半に、この街を代表する老舗百貨店が35年前後続いた歴史に幕を閉じるという寂しいニュースもあったが、そんな寂しさを微塵も感じさせないほと活気があった。特に、中心駅の建物が周りの建物と比べてもひときわ巨大である。上にのぼると、正方形に整然と区画された町並みがよく見える。また、かつてはランドマークとしてこの都市を代表していた「塔」も見える。ちなみに、この都市で体験したエスカレーターは、ほぼ「関東型左止右歩」であった。
 この日のメインは「川下り」である。乗り場へ行くには、この駅から電車2本と連絡バスで向かう。順番が来て、20人乗りくらいの船に乗る。船頭さんは3人、竿を持った若者と、ベテランと思われるおっちゃん、そして、貫禄があるボス。ボスは本当によく喋る喋る。この川は日本を代表する大河ではあるが、このあたりではさすがに流れはそれほど大きくはない。が、水害の爪跡が至る所で見受けられた。「この前は、あのあたりまで水が来た」などと聞くと、本当にすごい災害だったんだなあということが実感できる。竿を持った若者は2年目の見習いらしい。竿で川底をさぐり、地形を頭に叩き込むらしい。急な場所もあるが、竿さばきで難なくクリア。見事である。流れがおだやかになった平野に入った所で川下りは終了。宿へと向かう。晩御飯は何故かフランス料理。。。別にここで食べなくても(苦笑)
 2日目は、嫁の希望もあり、この地で有名なスイーツを食べる。その後、織田信長ゆかりの地を訪れ、そこから一駅の乗り換え駅(主要駅ではない)で乗り換え、次の目的地へと向かう。隣県の県都、とはいえ、この市とはあまり繋がりが強くはなさそうだ。一応、この市と次の市は乗り換え無しで行ける。しらばくして、2日目の宿泊地に到着。この県は山に囲まれた海無し県であるが、県北端に位置するこの市付近は山も比較的なだらかであり、盆地の中に中小の都市が点在している。また、この市は、人口30万人代ではあるが、JRは高架駅となっており、私鉄が中心部のみ地下に潜っている。まず、この市を代表する寺院へと訪れ、そして街歩き。う~ん、30万人台の街にしては、ちょっと街の規模が小さいように感じた。
 3日目は、この県の北西部にある都市に移動、北西の県境にある山脈には、何本もトンネルが通っていたり、ケーブルカーもあったりと、乗り物の宝庫に子供は大興奮。山の上の絶景はもう、言葉を失った。そして、山を下り、路面電車が走る某市へ。せっかくなので乗りたかったが、時間の関係で見ることもできず、そのまま某駅から鉄路により帰路に着いた。

う~ん、[66612]ほど出来はよくありませんねぇ~><
[76211] 2010年 9月 20日(月)20:00:04伊豆之国 さん
県庁所在地の温泉
ようやく秋めいてきた今日この頃、いよいよ秋の観光シーズン到来。そこで、前々から温めていた書き込みネタを披露しましょう。
それは、「県庁所在地の経県値」に便乗するような形ですが、各地で続々と「新顔」の温泉が登場し、また大合併によって市域を大きく広げた市も増えた現在、はたして「温泉のない県庁所在地」なんて今時あるのか、ちょっと調べて見たくなりました。

県庁所在地主な温泉
札幌市定山渓温泉
青森市浅虫温泉、酸ヶ湯温泉、蔦温泉、八甲田温泉
盛岡市繋温泉
仙台市秋保温泉、作並温泉
秋田市秋田温泉([74389]
山形市蔵王温泉
福島市飯坂温泉、土湯温泉、野地温泉、信夫高湯温泉
水戸市成沢鉱泉、常陸の湯(水戸市HPより)
宇都宮市仙鶴の湯(パワー温泉リフレ鶴田店)
前橋市あいのやまの湯粕川温泉富士見温泉(前橋市HPより)
さいたま市さいたま清河寺温泉
千葉市
新宿区
横浜市綱島温泉、横浜天然温泉SPA EAS横浜温泉チャレンジャー港北天然温泉スパガーディッシュ
新潟市岩室温泉
富山市呉羽山温泉おわら観光リゾートホテル
金沢市湯涌温泉、深谷温泉
福井市大安寺温泉佐野温泉(→佐野コレクション
甲府市湯村温泉積翠寺温泉
長野市松代温泉
岐阜市長良川温泉
静岡市梅ヶ島温泉
名古屋市大名古屋温泉([74389]
津市榊原温泉
大津市おごと温泉、びわこ温泉
京都市鞍馬温泉嵐山温泉桃山温泉[67523]
大阪市スーパーホテルCity大阪天然温泉スパワールド世界の大温泉
神戸市有馬温泉
奈良市奈良ロイヤルホテル(先月の旅行[76074]で私が泊まったホテルです!)
和歌山市加太淡嶋温泉、花山温泉([74389]
鳥取市鳥取温泉、吉岡温泉、浜村温泉
松江市松江しんじ湖温泉、玉造温泉
岡山市苫田温泉(第6回オフ会
広島市湯来温泉
山口市湯田温泉
徳島市八万温泉えびすの湯
高松市塩江温泉
松山市道後温泉、奥道後温泉
高知市高知ぽかぽか温泉
福岡市博多温泉
佐賀市古湯温泉熊の川温泉川上峡温泉(佐賀市HPより)
長崎市稲佐山温泉伊王島温泉
熊本市菊南温泉河内温泉
大分市塚野鉱泉
宮崎市青島温泉([73231]hmtさん)
鹿児島市古里温泉(桜島)、鹿児島市内温泉
那覇市ロワジールホテル那覇([74389]

‥こうして調べてみると、全国の都道府県庁所在地ではっきり「天然温泉」(鉱泉を含む。「新顔」の中には「ただ地下深く掘っただけ」([74389])で「本物」かどうか疑わしいものもありそうですが‥)とHPその他で確認できたものが検索できなかったのは、皮肉にも都庁のお膝元・新宿区と、あと千葉市だけ。新宿区ではかつて「十二社天然温泉」が有名だったのでしたが、2年前に廃業に追い込まれていまい、新宿区で「温泉」を地図上で検索しても出てくるのは「有名温泉地の旅館の東京営業所」ばかり(もちろん、対象を23区全体に広げれば「お台場」「後楽園」「豊島園」の「新御三家」(古い!)や蒲田界隈の「黒湯」など、いくらでも見つかります)。千葉市では「極楽湯 千葉稲毛店」というのが見つかったのですが、「天然温泉」かどうか断定できませんでした。
横浜市の綱島温泉は、かつて多数の料亭旅館が立ち並び、「京浜間の箱根気分」をうたい文句にした東京近郊有数の歓楽温泉として知られていましたが、現在はこうした旅館は全て廃業し、現在は「健康ランド」があるだけのようで(ビジネス旅館と思しき小規模旅館が数軒あるようですが、温泉を引いているか不明)、代わって新顔の「スパ」が増えています。奈良市には「三笠温泉」という老舗ホテルがありますが、現在は「温泉」の規定を満たさなくなっているようです。関西方面では、一般の銭湯でも「○○温泉」を名乗っているところが多いようです。
ついでに、府県庁所在地以外の政令指定都市についても調べてみました。

川崎市有馬療養温泉
相模原市藤野やまなみ温泉、美女谷温泉([74389]
浜松市舘山寺温泉、弁天島温泉
堺市堺浜楽天温泉祥福
北九州市河内温泉([74394]にまんさん)
[76210] 2010年 9月 20日(月)17:33:20山野[山野] さん
「本家」が潰れて「分家」に吸収ですか?
[76209]グリグリさん
「47都道府県のデータ」:新サイト誕生♪
ランキング、変遷情報、等が各都道府県別になったんですね。
…となると親サイトが、お役御免により区画整理で「検索」と「落書き帳」のみが残って他は更地になってたりして…
[76209] 2010年 9月 20日(月)17:06:38オーナー グリグリ
「47都道府県のデータ」:新サイト誕生♪
新規サイト「47都道府県のデータ」を立ち上げました。
市区町村の一覧、人口、面積、人口密度のデータ、公式HP一覧、合併など市町村の変遷情報、市の変遷、各種ランキングデータを、47都道府県ごとに独立サイトとして編集しました。都道府県市区町村の子サイトとしてよろしくお願いいたします。現状は、既存の都道府県市区町村メニューへのリンク集に近いものですが、ランキングデータ等、一部メニューでは独自の加工を行っています。また、今後は都道府県ごとに独自のメニューも追加したいと考えています。さらには、都道府県地図等をあしらって都道府県単位のサイトとして「らしさ」を出したいと考えています。特定の都道府県独自の面白いデータの掲載など、ご意見やご提案がありましたらぜひお願いいたします。

 北海道のデータ  http://hokkaido.uub.jp/
 青森県のデータ  http://aomori.uub.jp/
 岩手県のデータ  http://iwate.uub.jp/
 宮城県のデータ  http://miyagi.uub.jp/
 秋田県のデータ  http://akita.uub.jp/
 山形県のデータ  http://yamagata.uub.jp/
 福島県のデータ  http://fukushima.uub.jp/
 茨城県のデータ  http://ibaraki.uub.jp/
 栃木県のデータ  http://tochigi.uub.jp/
 群馬県のデータ  http://gunma.uub.jp/
 埼玉県のデータ  http://saitama.uub.jp/
 千葉県のデータ  http://chiba.uub.jp/
 東京都のデータ  http://tokyo.uub.jp/
 神奈川県のデータ http://kanagawa.uub.jp/
 新潟県のデータ  http://niigata.uub.jp/
 富山県のデータ  http://toyama.uub.jp/
 石川県のデータ  http://ishikawa.uub.jp/
 福井県のデータ  http://fukui.uub.jp/
 山梨県のデータ  http://yamanashi.uub.jp/
 長野県のデータ  http://nagano.uub.jp/
 岐阜県のデータ  http://gifu.uub.jp/
 静岡県のデータ  http://shizuoka.uub.jp/
 愛知県のデータ  http://aichi.uub.jp/
 三重県のデータ  http://mie.uub.jp/
 滋賀県のデータ  http://shiga.uub.jp/
 京都府のデータ  http://kyoto.uub.jp/
 大阪府のデータ  http://osaka.uub.jp/
 兵庫県のデータ  http://hyogo.uub.jp/
 奈良県のデータ  http://nara.uub.jp/
 和歌山県のデータ http://wakayama.uub.jp/
 鳥取県のデータ  http://tottori.uub.jp/
 島根県のデータ  http://shimane.uub.jp/
 岡山県のデータ  http://okayama.uub.jp/
 広島県のデータ  http://hiroshima.uub.jp/
 山口県のデータ  http://yamaguchi.uub.jp/
 徳島県のデータ  http://tokushima.uub.jp/
 香川県のデータ  http://kagawa.uub.jp/
 愛媛県のデータ  http://ehime.uub.jp/
 高知県のデータ  http://kochi.uub.jp/
 福岡県のデータ  http://fukuoka.uub.jp/
 佐賀県のデータ  http://saga.uub.jp/
 長崎県のデータ  http://nagasaki.uub.jp/
 熊本県のデータ  http://kumamoto.uub.jp/
 大分県のデータ  http://oita.uub.jp/
 宮崎県のデータ  http://miyazaki.uub.jp/
 鹿児島県のデータ http://kagoshima.uub.jp/
 沖縄県のデータ  http://okinawa.uub.jp/
[76208] 2010年 9月 19日(日)21:48:37白桃 さん
山車行列
本日、新浦安では弘前のねぷた、五所川原の立佞武多などの山車行列がありました。本物は見たことがありませんが、なかなか鮮やかなものですね。
[76207] 2010年 9月 19日(日)21:42:24ニジェガロージェッツ さん
Re:オフ会
[76206] 小松原ラガー さん
スカイマーク&茨城空港体験談を現地生中継できるかと思います。
私は現地生中継するつもりはありませんが,同じく神戸―茨城のスカイマークを利用しようと計画しています。
オフ会毎に各々の経県値が話題になっていますが,私の場合,過去の参加オフ会に関しては経県値の上昇に寄与しませんでしたが,今回の茨城県へは両毛人(当時)さん運転のお車で古河市域をかすめた通過のみで,実質無経県です。北に隣接する福島県へはかすりもしていません。参加が叶えば,それだけで3点増,福島県まで足を延ばせば更に3点増が期待できます。

スカイマークの神戸―茨城便の11月時刻は,神戸発8時25分→茨城着9時40分ですから,ちょっと無理すれば福島県いわき市への寄り道は出来そうです。しかし・・・

ただ、帰りがどうやっても日曜日の神戸行きのスカイはムーリーなので、
帰りの便は茨城発10時40分→神戸着12時05分ですから,この10時40分に搭乗するのが無理だということでしょうか?
[76206] 2010年 9月 18日(土)23:49:50小松原ラガー さん
オフ会
小松原ラガーです。鳥のほうが元気すぎてこちらご無沙汰しております。申し訳ありませんでした。

で、茨城オフ会ですが、まず間違いなく参加しているでしょう。かつ、今から皆さんに「スカイマークどうやった?」って聞かれているシーンが何度も何度も頭をよぎります。まだ予約できておりませんが、スカイマーク&茨城空港体験談を現地生中継できるかと思います。乞うご期待。

#ただ、帰りがどうやっても日曜日の神戸行きのスカイはムーリーなので、
#羽田から飛ぶべきか、チンタラチンタラとバスで帰るか、悩んでいます。
#いっそのこと羽田から国外逃亡したろかって考えましたが、その時は多分人生の国外逃亡です。はい。

#うぃ~。今日も焼酎「邑」がうまい。
[76205] 2010年 9月 18日(土)13:27:24中島悟 さん
私も
[76196]千本桜さん
私も[76204]かぱぷうさんとほぼ同じ意見です。
二日市と雑餉隈はよく使ってましたし、白木原もなんとかOKですが、そのほかとなると・・・
ちなみに私の住居は博多区と春日と大野城の市境
博多から二日市まで自転車で頻繁に行き来してはいたんですけどね。

1.水城:「高速くぐったとこ」
2.坂本:「分岐の手前」
3.通古賀:「分岐の先」
[76204] 2010年 9月 18日(土)02:21:41かぱぷう さん
Re:水城
[76196]千本桜さん
太宰府市近隣、例えば筑紫野市や大野城市の人たちは、水城という地名が及ぶ地理範囲をどのように捉えているか知りたいので教えてください。

申し訳ありませんが、私のルーツ(生活拠点)はもともと筑紫野市ではありません。2008年3月に[64001]
なぜか筑紫野市に関しては地名に対する関心、歴史的史実や昔の地名を調べようという探究心、裏道小道を探求しようとする好奇心が希薄なのです。居住して1年半、こんなのではイカン!と思ってはいるのですが…最近日中に自分の時間がなかなかとれないのが原因ということにしています。
という書き込みをしたのですが、正直に白状しますといまだもって筑紫野市が「おらが街」と歯切れ良く言い切れないでいます。この地域のいわゆる“地の人”の知人もおりません。こんなんじゃいけないんでしょうけど。

私が「水城」と聞くと連想するのは、JR鹿児島線の水城駅(&その周辺)、国指定特別史跡の水城跡の2点です。それはおろか水城駅自体が大野城市に所在していることも手伝ってか、水城=太宰府という意識すら希薄な有様です。地名ではなく名称で捉えているからかもしれません。

私がもし千本桜さんお尋ねの3地点について人に説明するとすれば
1・太宰府市水城あたりに行くこと
太宰府インターの近く(もしくは、都市高の水城の出口あたり)
2・太宰府市坂本あたりに行くこと
政庁跡のあたり、学業院中のあたり
3・太宰府市通古賀あたりに行くこと
西鉄電車の二日市と都府楼のあいだらへん

…と説明するでしょう。固有の地名で呼び習わすことはないと思います。また「太宰府」というキーワードがあまり出てこないのは、この辺りが筑紫野市・大野城市・太宰府市の境界があいまいで「○○市」と説明したところで訳が分からなくなるのも一因です。太宰府市通古賀に“新住人”で住んでいる会社の同僚がいますが、彼は「家どの辺?」と聞かれると「二日市駅の近く」と答えます。太宰府市に住んでいても周辺最大のランドマークは西鉄二日市駅ですから当然といえば当然です。

あまりお役に立てなくてすみません…
[76203] 2010年 9月 17日(金)20:27:43hiroroじゃけぇ さん
児島のあれこれと日比
[76196]千本桜 さん
ご質問のこと、自分がお力になれれば幸いです。なお、正確な答えが用意できていない部分もあるので、そのあたりは後日報告させて下さい。

まず1番目。
Q:
琴浦から少し離れた地域の人々、例えば下津井や日比の人は琴浦の地理範囲をどのように捉えているのでしょう。A・下の町・上の町の区域を琴浦と呼んでいる。B・下の町・上の町・田ノ口・唐琴・由加・白尾の全域を琴浦と呼んでいる。
(中略)
hiroroじゃけぇさん世代の感覚で捉えた琴浦。もう1つは70才以上の高齢者の感覚で捉えた琴浦。二者の立場からの琴浦を解説いただけたなら幸いです。

A:「琴浦」の 範囲ですが、下津井や日比の方々に訊ねたことがないので、詳細は分かりませんが、自分がその人達と話している感覚では、Aに田ノ口の平野部を含めた地域を「琴浦」と呼んでいるようです。つまり「田ノ口の平野部」が児島地域内での感覚とズレている部分となります。では、「田ノ口の平野部」以外はというと、「加茂路(かもじ)峠」あるいは「加茂路池のあたり」と言われることが多く、地名の「田ノ口」と地域内の感覚に整合性がありません。また、「白尾」は地域人口が少ない為、バス停のある「峠」を代表させることが多いようです。

年代による差異はほとんど見られません。というのも、現在でも親の世代からの地理感を引きついている為で、またそのように教えられて育つからです。

2番目
Q:
唐琴は明治22年まで存在した引網村のことではないかと推察します。もし、地理範囲に変わりがないなら、今も引綱と呼ばれて良いはずなのに、どうして唐琴に改称したのでしょうか。

A:地域としてはその通りです。「唐琴」はそもそも「唐琴の浦」(「唐琴乃浦」という記述や石碑もあるので、昔はこちらを使用していたようです)からきており、昔から海岸沿いは引網村の「唐琴」であったと思われます。よって、人口が集中する「唐琴」を採用したのではと推測しています。このことについては、後日改めて調べてみます。

3番目
Q:
塩生(しおなす)・通生(かよう)で1つの区域とした場合、宇野津はどこへ行ってしまうのでしょう。塩生に含まれるのでしょうか。

A:「宇野津」は児島地区にありながら、その立地上水島に近い感覚があります。また、この児島の西側の地域は「塩生」を代表させることが多く、「通生」も含めてしまうことが多いと思われます。

4番目
Q:
旧児島市の区域では、大字に相当する町丁名のほとんどが児島を冠して倉敷市児島○○と表記するのに、郷内村、下津井町および味野町の菰池だけは児島を冠称しません。何故でしょうか。

A:下津井については、児島としている地域からは独立した文化圏を構成しています。特に「方言」においては下津井は少々違った言い回しをする場合もあります。また、このようなことから、児島と下津井との間には軋轢もあったようで、それが原因で下津井は児島を冠さなかったと聞いたことがあります。菰池の詳細は分かりませんが、下津井に含まれる地域も内包しており、その為の処置だと推測しています。こちらも、後日ということにさせて下さい。

5番目
Q:
明治22年以前、下津井町の区域は下津井村、吹上村、田ノ浦村、大畠村に分かれていました。現在の住所表記は、下津井村の区域が倉敷市下津井、吹上村の区域が倉敷市下津井吹上、田ノ浦村の区域が倉敷市下津井田ノ浦なのに、大畠村の区域は下津井を付さずに倉敷市大畠です。大畠村の区域が児島も下津井も冠称しないのはなぜでしょうか。

A:こちらも詳細なことは分かりませんので、後日報告いたします。ただ、この地域は「児島」から「下津井」のアプローチとなる地域で、下津井へはこちらを通るのが一般的なルートであったようです。現在の児島I.C経由には旧ルート(現在でも通行可のトンネルあり)が利用されていたようで、あまり好まれていなかったようです。少し脱線しましたが、これらの経緯により、わざと「児島」も「下津井」も冠さなかったのではないでしょうか。また、大畠も菰池と同様、「下津井」の部分を内包しているのも、理由の一つかもしれません。

日比のこと
Q:
玉野市やその周辺に住む世間の人は、日比の地理範囲をどのように捉えているのでしょう。
A・日比という地名を耳にすると、藩政期の日比村に相当する区域を思い浮かべる。
B・日比という地名を耳にすると、日比に渋川、和田を加えた区域を思い浮かべる。
C・日比という地名を耳にすると、日比、渋川、和田に玉を加えた区域を思い浮かべる。

A:これは間違いなくAです。日比は「精錬」、玉は「造船」であり、わざわざ日比に「玉」を内包する必要はありません。また、和田はその地域を目的とすることが少なく、日比や玉に含める必要性はありません。ただ、上記のBとCで最も違うと断言できる理由はそこではなく、「渋川」を含んでいることにあります。確かに、日比と渋川の境界はあいまいですが、児島からでも宇野などの玉野市がわからでも中間点となり、多くのバス路線の終点となることから「渋川」は「渋川」として独立しています。なので、玉野市外から渋川にいく場合は「渋川に行く」とするのが一般的で、「玉野に行く」は宇野駅周辺の中心市街地を指してしまいます。そして、「日比」や「和田」、「玉」は「玉野に行く」に包括されてしまいます。なお、玉野市の「荘内」地区は「秀天橋(しゅうてんばし)」といわれることが多いので注意が必要です。この「秀天橋」は国道30号ある橋で、一部のバス路線で経由地などとして記載されています。

以上、現在のところこのようになります。後日また詳細を報告させてもらいます。
[76202] 2010年 9月 17日(金)17:41:33miki さん
ゲームキャラに地名使われる?
お久しぶりです。mikiです。
ところで、ようやく地名ネタを発掘しました。
「マリッジロワイヤル プリズムストーリー」というゲームの中に
出てくるキャラクター名がほとんど地名の組み合わせになっているんですね。
佐伯世羅...これだけでも私は噴き出してしまいます...。
http://d-game.dengeki.com/marriage/chara/sera.html
[76201] 2010年 9月 17日(金)12:21:40山野[山野] さん
似たような話題はあるようで
今年3月頃に、渥美半島と鳥羽市を結ぶ伊勢湾フェリーが廃止されるという話をニュースで聞いたが
*後日、一転存続する事になったとか。
…という話があったのを思い出して、他の新聞を見ていたら、似たような話はあるもので。

広島県の呉と江田島(秋月)間を結ぶ航路存続が困難になったという記事がありました。
記事の出所:中国新聞

只、こういう話詳しくないので、得意な方お願いします。
[76200] 2010年 9月 17日(金)11:58:08山野[山野] さん
リコール不成立(西尾市)
市民団体が先月から署名活動をしていた、市長リコールの件ですが
必要署名数が足らず、リコールは不成立となりました。参考記事


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