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落書き帳


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[79699] 2011 年 12 月 3 日 (土) 22:32:23 EMM さん
 やっぱり書いとかないとネ

第八回落書き帳公式オフ会、二次会で企画進行中でーす。

オフ会書き込み係EMM

[79698] 2011 年 12 月 3 日 (土) 20:33:02 伊豆之国 さん
 野々市市誕生記念・ミニクイズ【共通項発表】

[79664]で出題した「野々市市誕生記念・ミニクイズ」、ここで共通項の発表を行うことにします。

問一:野々市市、武蔵野市、大野城市(該当する町:杉戸町)
■その市内にあるどの駅よりも、市役所までの距離が最も近い駅が市外にある
第一ヒント([79679])「加賀市が一位(かがしがいちい)」→「市外が近い(しがいがちかい)」
第二ヒント([79690])「予約も処理し(よやくもしょりし)」→「市役所最寄(しやくしょもより)」
今年の2月の前半、「駅から近い市役所・遠い市役所」が話題になったことがあり、私も[77638]で「市役所の最寄り駅が(市内に駅があっても)市外にある市」を話題にしました。その中でまず浮かんだのが上記の3市でした(野々市は当時は町でしたが)。

問二:野々市市、春日井市、尼崎市(該当しない市:相模原市、西宮市)
■その市内に市名と同名(社名等も付かない、文字・読み共に完全一致)の駅が、それぞれ別々の会社の路線にあり、かつ相互の距離が1マイル(約1.61km)を超える
第一ヒント「七尾は自前でも(ななおはじまえでも)」→「名前は同じでも(なまえはおなじでも)」
第二ヒント「今市・寄居も通る(いまいちよりいもとおる)」→「1マイルよりも遠い(いちまいるよりもとおい)」
野々市市には、JR北陸線と、北陸鉄道にそれぞれ「野々市」駅があり、その両者はお互いに約2.1km(Mapionの「キョリ測」で駅の「電車マーク」相互の距離を測定)離れた場所にあります(地図)。そこから、「市名と同名の、それそれ別会社の駅がお互いに離れた場所にある」市を調べることになり、まず浮かんだ春日井(JR中央線と名鉄小牧線、約4.5km)と、あと社名を冠して区別することの少ない関西の私鉄関係から当たってみて、その中から距離が離れていそうな尼崎(JRと阪神)を見ると「キョリ測」で2.0kmと出たので、この3市をお題にすることにし、同じく「キョリ測」で1.0kmと出た西宮(JR<西ノ宮改め>と阪神)をNGとしたのですが、ここで白状しますが、後になって尼崎を見るとその右上の数字に「198xm」と出ていて、「四捨五入だったか」と知って「検証が曖昧だった」と大いに焦ることに([79690])。NGとした西宮もやはり右上の数字が4桁ラインの上か下か微妙な数字が出たので、まず尼崎については「実際の歩行距離が2kmを超える」としようとしたのですが、ふと「1マイルは1.6kmぐらいだったな」と頭に浮かび、それを「境界線」とした次第なのでした(お粗末!)。

「お粗末」といえば、実を言うと問一・問二、どちらも同じ共通項を持つ市(区・町村を含めて)についてまだ調べきっていません。お後はオフ会の場でも大いに論議していただければ結構と存じます。[79667]星野彼方さん、[79686]桜トンネルさんの解答については、「フライング」とみなして採点対象にしないことにします。

[79697] 2011 年 12 月 2 日 (金) 23:27:29 スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
 オフ会前祝いクイズ

[79696]桜トンネルさん
分かった所から解答します。

問二 千葉県:6

おやすみなさい。

[79696] 2011 年 12 月 2 日 (金) 23:00:04 桜トンネル さん
 オフ会に参加しない方のために(2011年)&稲敷市

それでは、オフ会に参加される皆さんはオフ会の開催される会津地方に向かっている方が多く出発されているはずなので、今年も恒例となっている(?)「オフ会に参加することのできない人のために」を5年連続同様に、問題を出題したいと思います。出題方法は過去とまったく変わっていません。
もちろん、オフ会に参加された方々も解答可能です。皆さんの解答をお待ちしております。また、採点は解答の出にもよりますが、明朝にしたいと思います。また、終了は火曜日か水曜日くらいにしたいと思っています。
最後になってしまいましたが、各種のデータは2011年12月2日現在のものを使用しています。

【問題】

問一 群馬県:0 石川県:2 愛知県:9 和歌山県:1 沖縄県:4
ヒント:最近では石川県の数が増えました。

問二 岩手県:1 埼玉県:5 山梨県:2 大阪府:4 長崎県:2
ヒント:2006年に増加しました。僕も18歳になって関わりができ始めました。

問三 北海道:14 岐阜県:15 愛媛県:25 大分県:7 鹿児島県:28
ヒント:最後のものは抜きで考えてください。

これらの上の数字はある共通項に関する数字を表しています。答えが分かった方は「問× ○○県:□(□は数字)」の形でお答えください。ただ、厳密に調査しましたが、多少の数え間違いがあるかもしれませんし、別解が生じてしまう場合もありますので、そのときはご指摘をお願いします。
今回の難易度もまた問一<問二<問三をベースとして作ったのですが、どうなっているのかは分かりません。

[79695] 2011 年 12 月 2 日 (金) 21:39:12 オーナー グリグリ
 いよいよオフ会です@会津

芦ノ牧温泉での第8回落書き帳公式オフ会がいよいよ明日となりました。当初、21名参加予定でしたが、体調崩された方などがいて、19名参加となりました。すでに出発された方もいらっしゃるようです。私は明朝出発します。現地の天候は弱雨。早朝にはみぞれの予報もあるようです。冷え込みが厳しいようですが、参加される方は暖かくしてお越しください。年に一度のお祭り、しっかり楽しみたいと思います。企画もいくつか集まっているようです。私もサプライズ企画を目論んでいますが。

>星野彼方さんへ
芦ノ牧温泉駅到着予定が変更になる場合は、私宛に連絡をお願いします。もしくは、直接ホテルに連絡をお願いします。16:27到着予定2名が1名になる旨と、17:17に変更になり計2名になる旨をお伝えください。

丸峰観光ホテル:0242-92-2121

[79694] 2011 年 12 月 2 日 (金) 19:00:58 星野彼方 さん
 いわき市なう

皆さんこんばんは。オフ会に向けて移動中の星野彼方です。え、方向がおかしい?ん〜、みんなこういうもんですよねぇ。それはともかく、メールが利用できないんで、ここで連絡。明日は16:27芦ノ牧温泉駅到着予定ですが、それに乗っていなかったら17:17に乗っていると思ってください。会津若松の乗り継ぎがぎりぎりになのです。なんとかなると思っていますが、なんとかならなかったら次の列車で行きます。それだけです。

そうそう、西明石6:00発の「のぞみ100号」を利用しました。便利ですねぇ。9時前に東京駅に着いちゃう。これは使える。で、西明石で想像以上に乗ってくる。100人以上はいたなぁ。新神戸よりも利用者多そう。ちょっと以外でした。

あ、もひとつついで。伊豆之国さんの野々市市クイズ。問二にちゃんと該当する市を後で見つけてショック。桜トンネルさんにも迷惑かけちゃったかな。

[79693] 2011 年 12 月 2 日 (金) 18:22:28【2】 むっくん さん
 郡制施行前後の「郡再編」の経緯

[79688]hmtさん
京都府も「郡再編」がなかったが、明治23年(旧)郡制は施行されないまま、明治32年改正法の施行を迎えます。
(略)
東京府の場合は、3年前に三多摩移管があったばかりで、明治29年は豊多摩郡設置だけでした。
[79692]88さん
中野市
この2つの書き込みを読んで、明治29年4月1日付けで中野郡が京都府に成立しかけたことがあったことを思い出しました。以下にまずは東京府の「郡再編」とともにその経緯を紹介します。

明治29年3月4日に内閣において後述の二つの法律案を帝国議会に提出することを決定し、同月13日に帝国議会に同時に提出されました。
一 東京府下郡廃置法律案
一 京都府下郡廃置法律案

その中身とは次の通りでした。
------------
東京府下郡廃置法律案
東京府武蔵国南豊島郡及東多摩郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ南豊島郡ヲ置ク
附則
此ノ法律ハ明治二十九年四月一日ヨリ施行ス

東京府下郡廃置法律案理由書
南豊島東多摩ノ二郡ハ従来一郡治ノ下ニ属シ且地形民情トモ一郡ヲ成スニ適セリ依テ此ノ二郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ一郡ヲ置ク
新郡ヲ南豊島郡ト称スルハ旧南豊島郡ノ大ナルニ依ル

新郡名旧郡名町村数人口(人)戸数(戸)国税(円)地方税(円)町村税(円)
南豊島郡南豊島郡35,2717,55822,3449,8767,597
東多摩郡22,1433,58425,0609,5075,307
1457,41411,14247,40419,38312,904
------------
京都府下郡廃置法律案
京都府山城国愛宕郡及葛野郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ北葛野郡ヲ置ク
京都府山城国乙訓郡及紀伊郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ南葛野郡ヲ置ク
京都府山城国宇治郡及久世郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ宇治郡ヲ置ク
京都府丹後国中郡、竹野郡及熊野郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ中野郡ヲ置ク
附則
此ノ法律ハ明治二十九年四月一日ヨリ施行ス

京都府下郡廃置法律案理由書
一 愛宕葛野ノ二郡ハ各独立スルニ便ナラス其ノ地域ヲ合シ始メテ適当ノ一郡ヲ得ヘシ依テ此ノ二郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ一郡ヲ置ク 新郡ヲ北葛野郡ト称スルハ旧愛宕葛野二郡ノ地方ハ往古葛野ト称シ且其ノ北部ニ位スルニ依ル
一 乙訓紀伊ノ二郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ一郡ヲ置ク理由前項ニ同シ 新郡ヲ南葛野郡ト称スルハ旧乙訓紀伊二郡ノ地方モ亦往古葛野ト称シ且其ノ南部ニ位スルニ依ル
一 宇治久世ノ二郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ一郡ヲ置ク理由前項ニ同シ 新郡ヲ宇治郡ト称スルハ宇治ノ名顕著ナルニ依ル
一 中竹野熊野ノ三郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ一郡ヲ置ク理由前項ニ同シ 新郡ヲ中野郡ト称スルハ旧三郡名ヲ参互折衷セシニ依ル

新郡名旧郡名町村数人口(人)戸数(戸)国税(円)地方税(円)町村税(円)
北葛野郡愛宕郡1828,9745,03037,40611,24511,641
葛野郡1732,1875,52453,34521,14014,998
3561,16110,55490,75132,38526,639
南葛野郡乙訓郡1120,5593,51238,56110,60712,706
紀伊郡1244,1628,554125,35621,00215,982
2364,72112,066163,91731,60928,688
宇治郡宇治郡15,0202,56223,4926,9215,822
久世郡1022,9224,25038,35110,38512,830
1437,9436,81261,84317,30618,652
中野郡中郡1318,6664,13134,3438,83214,403
竹野郡1628,5765,59733,8968,68218,880
熊野郡17,4743,50322,8406,0039,766
3864,71613,23291,07923,51743,049
(注)原文のまま。数値が合わない箇所がある。
------------
この内、東京府の郡廃置法律案は、明治29年3月19日に衆議院で新郡名を南豊島郡より豊多摩郡へ変更する旨の修正がなされて貴族院に送られ、明治29年3月26日に貴族院でも修正案が可決されました。政府の主務官庁においても異議なしとされたので、法律第37号(M29.3.30)として公布され、明治29年4月1日に豊多摩郡が成立しました。
ところが、京都府の郡廃置法律案は明治29年3月21日に衆議院で否決され、成立しませんでした。


さて、話を東京府・京都府の「郡再編」の過程より全国の「郡再編」の過程へと拡げます。
多くの県での郡の廃置分合においては、郡廃置法律案が複数回、内閣より帝国議会に提出されました。そして、帝国議会の審議を経て内閣が再度法案を新たに提出する過程で様々な箇所が修正されていたようです。

郡廃置法律案のどのような箇所が修正されたのかを、他の県で見ることにします。

例えば兵庫県の場合ですと、明治28年末に次回の帝国議会に提出する新たな郡廃置法律案として考えていたものが現にそのまま法律第39号(M29.3.30)として成立することとなりました。
前回の法律案と比較すると訂正箇所は次の通りでした。
・赤穂郡と佐用郡が合併して赤穂郡となる合併をなくした。
・神崎郡を構成するのが神東郡及び神西郡の区域から, 神東郡及び神西郡の多可郡 越知谷村の区域へと替えた。
・川辺郡高平村が川辺郡から有馬郡に郡変更という事例を付け加えた。

郡の合併箇所の削減、郡の区域の微調整があったことが分かります。


また、三重県のある時点での郡廃置法律案は以下の通りでした。
三重県下郡廃置法律案

三重県伊賀国阿拝郡及山田郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ阿山郡ヲ置ク
三重県伊賀国名張郡及伊賀郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ伊名郡ヲ置ク
三重県伊勢国三重郡及朝明郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ三重郡ヲ置ク
三重県伊勢国奄芸郡及河曲郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ河芸郡ヲ置ク
三重県伊勢国飯高郡及飯野郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ以比郡ヲ置ク
三重県志摩国答志郡及英虞郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ志摩郡ヲ置ク
附則
此ノ法律ハ明治二十九年四月一日ヨリ施行ス

これを実際に行われた郡廃置分合の法律第46号(M29.3.29)と比較しますと、郡廃置法律案での新郡名の伊名郡及び以比郡が、後にそれぞれ名賀郡及び飯南郡に修正されたことが分かります。


また、千葉県のある時点での郡廃置法律案は以下の通りでした。
千葉県下郡廃置法律案

千葉県安房国安房郡、平郡及朝夷郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ安房郡ヲ置ク
千葉県上総国望陀郡、周准郡及天羽郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ君津郡ヲ置ク
千葉県上総国長柄郡及上埴生郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ長生郡ヲ置ク
千葉県上総国山辺郡及武射郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ山武郡ヲ置ク
千葉県下総国東葛飾郡及南相馬郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ東葛飾郡ヲ置ク
千葉県下総国印旛郡及下埴生郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ印旛郡ヲ置ク

これを実際に行われた郡廃置分合の法律第42号(M29.3.30)と比較しますと、法律においては長狭郡が新たに(新)安房郡の一部として郡の廃置分合に付け加わりました。


多くの事例は名称変更、郡の区域の微調整、そして後ろ向き(?)といえる郡の合併箇所の削減でしたが、前述の千葉県のように例外的に前向き(?)ともいえる事例もありました。

参照:公文類聚収録の東京府下郡ヲ廃置ス附京都府下郡廃置法律案衆議院ニ於テ否決ス(PDF)及び神奈川、長崎、新潟、山口、和歌山、福岡、佐賀、宮崎、大阪、... (PDF)

[79692] 2011 年 12 月 1 日 (木) 23:36:43【1】 88 さん
 市町村の因数分解について

[66530]白桃さんに始まる市町因数分解
これは、「町」に注目したものでした。村がとても多くて町が少なかった時代(市はもっと少なかった時代)、町に注目すれば、各地域の「街」を垣間見ることができました。

さて、私は市区町村変遷情報について、ここ数年、時代を遡る作業を重ねてきました。M22.4.1を初めとする市制町村制施行時の情報の作業を一通り作業を終え、皆様のご指摘に対する検証作業等を進めながら(悩ましい内容のものが多くなかなか進まない)、一方で、さらなる情報の遡りや試行品等の検討などを行っています。
以下に示すものは、一種の試行品とも言えますが(表示形式を変えただけ)、冒頭の「因数分解」に似た方法です。

全国的に明治の大合併・昭和の大合併・平成の大合併と進み、一つ一つの自治体の面積が大きくなり、その総数も2,000を切るまでに減少しました。しかし、ほんの百数十年遡って明治の大合併以前を見ると、全国に7万を超えるといわれる町・村がありました。これらは、現在と制度が異なるとはいえ、それぞれが「自治体」で、その多くは一千年以上の歴史を経た地名です。
[70785] 今川焼 さん で、
小学校の名称というのは、方角名、瑞祥名、最近流行のひらがな名などを除けば、昭和の大合併以前の旧町村名がつけられているパターンが一番多いと思いますが、そうすると旧町村名で一番多いのが、八幡村や八幡町だったのでしょうか?
「市区町村変遷情報」には、それらのデータはありますよね。「データベース検索」の市区町村変遷情報版があれば簡単に調べられるのですが。
というコメントがありました。私、市区町村変遷情報の作業の中で、結果的に明治初期の旧町村名(7万超)をエクセルで入力したのですが、感覚的に、多かったのは「八幡村(町)」「大野村(町)」あたりでした。きちんと数えていませんので、お暇な方は、市区町村変遷情報内で検索すれば把握できると思いますので、お試しください。

――――――――――
さて、「大野」といえば、現在「大野市」があり、トリオとなる「中野市」「小野市」があり、一方では大野市と同名回避の「大野城市」「豊後大野市」があります(「山陽小野田市」「下野市」というものもありますが・・)。
これら5市にもそれぞれ、元は「大野村(町)」「中野村(町)」「小野村(町)」があったのかというと・・・。
大野市は、M22.4.1付けで発足した大野郡 大野町などを元に、その後合併を経て現在の大野市となりました。市制町村制直前は「大野○○町」で、ズバリ「大野村(町)」が存在したわけではありません。実質的には、大野町ですが。
小野市は、M22.4.1付けで発足した加東郡 小野村などを元に、その後合併を経て現在の小野市となりました。市制町村制直前に「小野町」が存在していました。
大野城市は、M22.4.1付けで発足した御笠郡 大野村が元ですが、その後現在まで合併はせず、大野町を経て大野市、即日改称して大野城市となりました。市制町村制直前にはズバリ「大野村(町)」は存在しません。大野城市HP内の市の概要(市名の由来) によると、
「大野城」の名称は、白村江(はくすきのえ)の戦いで大敗を喫した日本が、大宰府防衛のために、天智4年(665)に大野山(今の四王寺山)に築いたわが国最古の朝鮮式山城「大野城」(おおののき)に由来しています。
とのことで、元をたどれば「『大野』山」となるようです。
豊後大野市は、M22.4.1付けで発足した大野郡 大野村などを元に、その後合併を経て、現在の豊後大野市となりました。市制町村制直前に、ズバリ「大野村(町)」が存在したわけではありません。郡名の「大野郡」由来、でしょうか。

一方、一つだけ上記で触れなかった、中野市。ちょっと手頃な分量でしたので、冒頭の「因数分解」形式にして、以下に記してみます。
因数分解をわかりやすくするために、市制町村制施行時の町村を A〜K として、次に記しておきます。
A(旧)下高井郡 中野町, 一本木村, 西条村
A'(旧)下高井郡 中野町, 一本木村, 西条村, 小田中村
B(旧)下高井郡 小田中村, 間山村, 新野村, 更級村
B'(旧)下高井郡 間山村, 新野村, 更級村
C(旧)下高井郡 三ツ和村, 桜沢村, 篠井村, 新保村
D(旧)下高井郡 江部村, 岩舟村, 吉田村, 片塩村
E(旧)下高井郡 大俣村, 七瀬村, 田麦村, 厚貝村, 壁田村
F(旧)下高井郡 竹原村, 若宮村, 金井村, 間長瀬村, 笠原村, 新井村
G(旧)下高井郡 安源寺村, 草間村, 立ヶ花村, 牛出村, 栗林村
H(旧)下高井郡 科野村
I(旧)下高井郡 柳沢村, 田上村, 岩井村
J(旧)下水内郡 上今井村, 豊津村
K(旧)下水内郡 永江村, 穴田村

すると、次のように分解できます。
H17.4.1〜中野市{(A', B', C, D, E, F, G, H, I), (J, K)}
=S31.9.30〜中野市(A', B', C, D, E, F, G, H, I), 下水内郡 豊田村(J, K)
=S29.7.1〜中野市(A', B', C, D, E, F, G, H, I), 下水内郡 豊井村(J), 永田村(K)
=M27.4.1〜下高井郡 中野町(A'), 日野村(B'), 延徳村(C), 平野村(D), 長丘村(E), 平岡村(F),
高丘村(G), 科野村(H), 倭村(I), 下水内郡 豊井村(J), 永田村(K)
=M22.4.1〜下高井郡 中野町(A), 日野村(B), 延徳村(C), 平野村(D), 長丘村(E), 平岡村(F),
高丘村(G), 科野村(H), 倭村(I), 下水内郡 豊井村(J), 永田村(K)
=〜M22.3.31下高井郡 中野町, 一本木村, 西条村, 小田中村, 間山村, 新野村, 更級村,
三ツ和村, 桜沢村, 篠井村, 新保村, 江部村, 岩舟村, 吉田村, 片塩村, 大俣村, 七瀬村,
田麦村, 厚貝村, 壁田村, 竹原村, 若宮村, 金井村, 間長瀬村, 笠原村, 新井村, 安源寺村,
草間村, 立ヶ花村, 牛出村, 栗林村, 科野村, 柳沢村, 田上村, 岩井村,
下水内郡 上今井村, 豊津村, 永江村, 穴田村
つまり、市制町村制直前の時点の町村で考えると、39町村に相当する区域が、現在の中野市の範囲です。

M3に中野村が中野町となり、M8に中野町が松川村を編入しています(他の村も、M22.4.1以前に合併が数件あり)。
この中野町が、その後の中野市のほぼ中心部としての位置を維持し続け、現在の中野市大字中野ほかにあたると想像されます。中野市三好町一丁目付近も、この(旧)中野町の一部かもしれません。

「中野」の由来を確認できていないのですが、現中野市付近の広域地域を「中野」と呼んでいたのではなく、(元)中野村付近だけが「中野」であり、この「中野」を核として拡大して来たのが、現在の「中野市」であると思われます。
つまり、(旧)中野村を除くと、例えば上記Aの一本木村、西条村などが一千年以上の歴史を持つ元来の地名であり、たまたま、現在「中野市」となってはいますが、元来の「中野」と呼ばれた地名はほんの一部であり、また、「中野」と呼ばれるようになったのはごく最近に過ぎません。現在は「中野」の一部になっているだけで元々は「中野」でない、と思われます。
中野市大字中野こそが、いわば「純」中野、とも言えるのではないでしょうか。

[79691] 2011 年 12 月 1 日 (木) 23:26:05 Issie さん
 キャサリンの記憶

[79690] 伊豆之国 さん
今夜の「森田一義氏」の番組で、「浮間」界隈の荒川の改修関連の映像が出たのですが、残念なことに「浮間が”元埼玉”だった」ことには触れられていませんでした‥。

そうでしたねえ。
“あのお婆さん”は戸田橋を渡ってお嫁にいらしたと言っていたけど,“あのお宅”自体が元々埼玉県なわけで。まあ,行政区画の変遷は今回のテーマではありませんからスルーでもしかたないですが,実際のところ,“埼玉県の痕跡”ってあの辺りに残っていないんでしょうかね。
行政区画と言えば,先週の「荒川放水路に消えた“大木村”」というのも惜しかった。木根川橋と木根川薬師までは行ったんですけどね。

柴又にまだ残る農地が紹介されていたけど,どうも私の記憶が曖昧なのですが,よく京成電車を利用していた1970年代前半,今は住宅に埋め尽くされている高砂の車庫から京成小岩駅の間には農地が広がっていた(少なくともたくさん残っていた)記憶があるのですよね。
何かの記憶違いかなあ…。

先週の日曜日は横浜に用事があったついでに,ふと思い立って元町から中村川沿いに蒔田まで“昔の道”と思われる道を歩いたのですが(思い立った原因は,“同番組”に出てきた元町公園),今度は久しぶりに柴又にでも行ってみようかな。何年か前に小菅駅から歩いた旧水戸(陸前浜)街道と佐倉街道の高砂駅以遠がまだ未踏だし。

[79690] 2011 年 12 月 1 日 (木) 22:12:10【1】 伊豆之国 さん
 野々市市誕生記念クイズ・第二ヒント&埼京線

[79686]桜トンネルさん
問一:江戸川区
問二:芦屋市
[79667]星野彼方さんと同じですが、「市」ではなくて「共通項」を問うクイズなんですがねぇ‥。
ここで二回目のアナグラムを出します。

 問一:予約も処理し(よやくもしょりし)
 問二:今市・寄居も通る(いまいちよりいもとおる)

♯問二ですが、今になって共通項の「境界線」がいまいち曖昧だったことに気付いてしまい、「ちょっと失敗だったかな」と‥。これで、OKの市とNGの市の境界がはっきりするはずですが。

【追記】
[79661],[79662]hmtさん
今夜の「森田一義氏」の番組で、「浮間」界隈の荒川の改修関連の映像が出たのですが、残念なことに「浮間が”元埼玉”だった」ことには触れられていませんでした‥。

[79689] 2011 年 11 月 30 日 (水) 23:15:49 山野[山野] さん
 次期合併構想が浮上中(もう、ですか?)

場所は茨城県かすみがうら市。
此処は6年前、(新治郡)千代田町と霞ヶ浦町が合併して誕生した出来立ての市。
昨日、かすみがうら市長は合併相手に「土浦市」を視野に入れているらしく、
土浦市へ赴き事務レベルの「広域行政研究会」の発足を求める文書を提出したという。
で、市長は、今後市民アンケートを実施する考えで選択肢を3つ。
1,土浦市+つくば市+かすみがうら市の3市
2,土浦との合併
3,合併しない
出典記事

「浮上」と言っても、他県の事なので基本、私の知った事ではありません。
…が、合併してからそんなに年数が経っていなくて再検討は時期尚早な気がするんだが。
過去に市制を敷いて2,3年で消滅した市なんかがあるからなぁ。(可能性は有りか?)
個人的には、合併後最低20年以上経過してから再検討するってなら話は分かるが、
前回の合併から高々数年しか経ってないのに再度話が出て来る事に如何も違和感が。

[79688] 2011 年 11 月 30 日 (水) 16:56:14 hmt さん
 明治30年前後、「地方自治体としての郡」を準備した「郡再編」

[79684] 白桃 さん
岩手県、千葉県なんかでは何と驚いたことに1年後の1897年4月1日に郡設置(郡の統合)が施行されているのですね。

明治初年の地方行政制度で一度は無視され、単なる「地理的名称」になっていた「郡」ですが、郡区町村編制法(明治11年公布)によって「行政区画としての郡」が復活しました。

そして明治中期になると、今度は町村と府県との間に位置する「地方自治体」として、「郡」の実体を整えることになりました。

「地方自治体としての郡」を規定した「郡制」という法律【注】は、市制町村制が施行された翌年(1890)に、明治23年5月17日法律第36号 として公布されたのですが、「郡制施行」に先立って「郡再編」という作業を行う必要がある府県が多数あり、すぐに全国に施行するというわけにはゆきませんでした。
【注】
「郡制」は、明治23年公布の旧法と、明治32年公布の改正法とがあり、実際に使われたのは主として後者なのですが、この記事は明治30年前後という時代背景なので、旧法施行のことを便宜上「郡制施行」と表記しています。

「郡再編」と「郡制施行」との日付は、[62662] 88 さんが 一覧表にまとめてくれています。
両者の関係に着目して45府県を分類してみます。

最初に、「郡再編」なしで、明治24年(特記以外は4月1日)に「郡制施行」したのが 11県あります。
青森県、秋田県、山形県、石川県(7/1)、福井県、山梨県(8/1)、長野県、愛知県、徳島県、高知県、大分県
「郡再編」がなかったのに、「郡制施行」が遅れたのは宮城県(M27/4/1)です。
京都府も「郡再編」がなかったが、明治23年(旧)郡制は施行されないまま、明治32年改正法の施行を迎えます。

[79671]埼玉県と同じ 明治29年4月1日に「郡再編」が行なわれたのが 22府県です。括弧内は「郡制施行」の日付。
福島県(M30/10/1)、茨城県(7/1)、栃木県(M30/7/1)、群馬県(7/15)、埼玉県(7/1)、東京府(旧郡制施行なし)、神奈川県(旧郡制施行なし)、新潟県(M30/1/1)、富山県(6/1)、静岡県(9/1)、三重県(M30/9/1)、大阪府(M31/6/1)、兵庫県(7/1)、和歌山県(M30/9/1)、鳥取県(9/1)、島根県(8/1)、山口県(9/1)、福岡県(7/1)、佐賀県(M30/6/1)、長崎県(M30/4/1)、熊本県(6/1)、宮崎県(M30/4/1)

1年遅れたものの、明治30年には岩手県・千葉県など7県で「郡再編」が行なわれました[79684]
岩手県(M30/4/1郡再編、即日郡制施行)、千葉県(M30/4/1郡再編、即日郡制施行)、岐阜県(M30/4/1郡再編、M30/8/1郡制施行)、滋賀県(M30/4/1郡再編、M31/4/1郡制施行)、奈良県(M30/4/1郡再編、M30/8/1郡制施行)、愛媛県(M30/4/1郡再編、即日郡制施行)、鹿児島県(M30/4/1郡再編、M31/4/1郡制施行)
その翌年には広島県(M31/10/1郡再編、旧郡制施行なし)

そして、白桃さんに関係の深い2県が、「郡再編」のラストランナーになるのですね。

香川県 の「郡再編」は 明治32年4月1日でした。既に全部改正された 「郡制」 (明治32年3月16日法律第65号)が公布された後ですから、当然のこととして(旧)郡制の施行はありません。

最後が 岡山県 の「郡再編」[71815]で、明治33年4月1日です。
これは旧「郡制施行」(M32/4/1)の後で「郡再編」が行なわれた唯一の事例です。

結局のところ、「郡再編」は45府県中32府県で行なわれたのですが、大阪府 のように大幅な郡の統合もあれば、小規模な府県もあります。東京府の場合は、3年前に三多摩移管があったばかりで、明治29年は豊多摩郡設置だけでした。

旧法時代の「郡制施行」が行なわれなかったのは、「郡再編」が遅れた広島県・香川県以外は、東京府・京都府・神奈川県のみ。もっとも、これに時間がかかっている間に改正法が公布され、明治32年7月1日には45府県揃って施行となりました。

本題の「郡再編」から離れますが、新旧の「郡制」が登場したついでに、この法改正により市制施行に対する郡の関与が排除されたという [62732] むっくん さんの記事を思い出しました。
白桃さんにも関心のある問題と思われるので、ご参考までに記しておきます。

[79687] 2011 年 11 月 30 日 (水) 16:12:42 Mujon さん
 長久手市誕生へ・官報掲載

お久しぶりです。一年半ぶりの書き込みです。

本日の官報に、愛知県愛知郡長久手町を長久手市とする告示が掲載されていました。
実施は、年明けの1月4日。
いよいよですね。

[79686] 2011 年 11 月 30 日 (水) 15:13:14 桜トンネル さん
 伊豆之国さんのクイズ解答&潮来市

お久しぶりです。前に書き込んでからなんだかんだで3ヶ月以上も経っていたんですね。近況報告としては最近、教習所に通い始めてぼちぼち進んでいることでしょうか。まだ外は走っていませんが・・・。
では、伊豆之国さんのクイズに解答します。

[79664] 伊豆之国さん

問一:江戸川区
問二:芦屋市

問一のアナグラムは解けていませんが、こういうことでしょう。問一の調査については手抜きをしてしまいました。これってまだ今年の話だったんですね。かなり前のような気がしたのですが。
問二はなるほどでした。伊豆之国さんだからとは思っていたのですが、ちょっと解くのに時間がかかってしまいました。かなり使っているんですけどね。

これからは稲敷市、牛久市、小美玉市、笠間市、鹿嶋市、かすみがうら市、神栖市、北茨城市、古河市、桜川市と行く予定です。

[79685] 2011 年 11 月 30 日 (水) 02:16:28【1】 Issie さん
 「都」とは言うものの

お久しぶりなので近況報告。

1;やや旧聞に属するのですが,9月にメガネを作りました。“遠い方用”ではなく“近い方用”。実は5年ほど前から地形図の境界線をなぞる作業に苦痛を感じ始めていたのですが,そういうことだったのですね。
で,今日(既に昨日)は職場にそれを忘れてきてしまって,いや,実に不便です。
坂を転げ落ちるよう。あっという間ですね。

2:最近足が遠のいているのは以下のような事情です。
最近,20年近く使用してきたMDデッキの調子が悪くなり始めました。この夏には本家本元のSONYがMD再生機から撤退しましたね。いよいよ手持ちのMDデータの将来に不安を感じ,PCに移植する作業を開始しました。まさかこうなるとは思わず去年の夏に購入していたMDウォークマンが役に立つとは(もう売っていませんからね)。
何分,中3の時から四半世紀以上にわたって録り貯めた延べ3300曲余り。20年ほど前に一度カセットテープからMDに移植したものも含めてMD150枚余り,というわけでこの半月ほど,夜の時間をそれに割いている次第。
ようやく3分の1ほどが終了というわけで,今年いっぱいこの作業は続くかな。

そんな中で,にわかに話題となった「大阪都」の話。

[79684] 白桃 さん
東京都23区だけを行政的に統括する責任者というか「長」というのが、果たして実在しているのかどうか理解できない私にとっては、当然ながら、「大阪都」というのが良くわかりません。大阪市長や堺市長がいなくなる、ということですか?
ということは、大阪市、堺市の2市が消える、ということですか?

橋下さんの言っていることを聞くと,「都」あるいは「特別区」という言葉を使っていてもどうも現行の「東京都」のそれとは微妙に違うような気がします。
東京都の「区」はご案内の通り結局のところ“市未満”の地位からいまだ抜け出していないわけですが,橋下さんが言う大阪市や堺市等を再編した「区(?)」には広範な自治権を与えるようなことを考えているみたいですね。「特別」の意味合いが“市未満”というより“市以上”の方に向いているような気もします。
いずれにしろ,まだかなり荒削りで具体的な制度設計はこれからなんじゃないでしょうかね。

かねがね「政令指定都市制度」の悪口を言って,実際いまだに自分の市がそうなって何が嬉しいのか全く理解できない私としては,橋下さんの言う政令指定都市批判に興味を持って聞いているのですが,それがどちらの方に進むのか。
で結局,この制度を変えるための法律を作る権限は大阪府や大阪市ではなく国会だけに与えられているわけですから,国政政党がどう受け止めるかにかかわってくる。
まだ当分,様子見の段階だと思います。

※むしろ気になるのは,橋下さんがどうこうということではないけれども,二大政党が全然有権者の支持を集められず,言っていることの中身は実際甚だ曖昧なのに見た目だけ元気なことを言っている勢力に支持が集まってしまう状況。
日本は一度,外の勢力を引っ張り込みつつお互いを攻撃することで政党が自滅し二大政党制に失敗した前科がありますから。
実に困った存在は二大政党です。

[79684] 2011 年 11 月 30 日 (水) 00:24:16【1】 白桃 さん
 改めて「郡の設置日」、その他「おおさかい市?」

「1896.3.29」は裁可日であり、翌日公布ですが、施行は「1896.4.1」であることが明記されています。
これは、埼玉県入間郡の設置日に関する私の疑問について、[79671]にてhmtさんより教えて頂いたことですが、岩手県、千葉県なんかでは何と驚いたことに1年後の1897年4月1日に郡設置(郡の統合)が施行されているのですね。
それがチャンと記録されている本落書き帳「市区町村変遷情報」の精緻さにも改めて敬服する次第です。

話はまるで変わります。
[79682]hmt さん
都市制度は 大阪だけの問題ではありません。
このサイト「都道府県市区町村」としても、もちろん大きなテーマです。
全くその通りだと考えます。
それはそれとして、「大阪都」に関する私の幼稚な疑問と正直な感想を。
東京都23区だけを行政的に統括する責任者というか「長」というのが、果たして実在しているのかどうか理解できない私にとっては、当然ながら、「大阪都」というのが良くわかりません。大阪市長や堺市長がいなくなる、ということですか?
ということは、大阪市、堺市の2市が消える、ということですか?
新市長や新知事が仰っていることの善悪、あるいはそうすることの必要性を、今すぐここで議論する気持ちはないのですが、東京都23区のようなものが大阪にも出来るとなると、行政区画というか市町村制度に対して、自分の頭の中でのおさまりが前にも増して悪くなってきそうです。

[79683] 2011 年 11 月 29 日 (火) 20:46:25 伊豆之国 さん
 悲しみ本線日本海

既にご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、

JRグループは、来春のダイヤ改正を機に寝台特急「日本海」(大阪-青森間)(以下、同列車)を、利用客減少や車両の老朽化を理由に廃止する方針を決めました。
 同列車は、「ブルートレイン」の一列車として旧国鉄時代から親しまれてきましたが、今回の廃止で関西発着のブルートレインは全て姿を消すこととなります
個人のブログより

東京駅発着の最後のブルートレイン「はやぶさ・富士」が消えて2年半余り(過去ログ)、今度は「日本海」が廃止‥。これで京阪神発着の定期運転のブルートレインが全て消えることに(季節運転の「トワイライトエクスプレス」は残るのかどうか、この記事からは不明ですが)。上記ブログの
何はともあれ、将来「ブルトレ」が「全廃」される日もそう遠くはない
というのは、もはや止められない流れなのでしょうか‥([62917]Issieさん)。

[79682] 2011 年 11 月 29 日 (火) 19:20:20 hmt さん
 大阪から投じられた 大都市制度改革への動き

[74494] k-ace さんが
まだ4月1日ではありませんが、ウソのようなホント?の話が飛び込んできました。
という書き出しで紹介された 「大阪都」構想は、昨年の記事でした。
橋下徹さんの仕掛けたダブル選挙で「大阪維新の会」が圧勝し、越えるべき三重のハードル(市議会、住民投票、法改正)はあるものの、にわかに現実味を帯びてきました。

落書き帳を検索してみると、橋下さんが登場する前にも 「大阪都」「横浜都」 の記事がありました。

それはさておき、せっかくの機会なので 大阪市の変遷 と大阪市HPとを参照しながら、大阪市の自治制度の歩みを復習してみます。

最初に、今度の選挙で橋下さんが選ばれた「大阪市長」という役職ですが、明治22年(1889)4月1日に発足した大阪市には存在しませんでした。三市特例法によって府知事が市長の職務を行い、市役所もなく、大阪市独自の職員もいないという状態でした。

三市特例法については、過去記事で何度も触れていますが、大阪市HP内の参考資料 資料1にも、
東京市・京都市・大阪市は、大都市なるが故にかえって市制の適用が実質上排除され、市長の職務は府知事が行うなど、一般の市に認められる自治権をも与えられない制度となった。
と記され、資料2には次のようにあります。
三市特例により、国が府を介して直接統制を行ったため、市の本庁組織(市役所)は存在せず、区役所の事務は市制施行前と比べて特に変わっていないと思われる。区長は、三市特例により、市参事会が選任する。

このような不完全な制度下にありながらも、明治30年(1897)には 第1次市域拡張により 大阪市の面積は格段に拡がり、大阪湾に面することになりました。この大阪湾における「築港」の実現こそは、大阪の市民にとり最大の願いであったと思われます。
大阪市の参事会は、第1次市域拡張に伴う区の新設を希望したが、内務省に反対されて実現しませんでした(参考資料6コマ)。
大阪市がまだ「一人前の市」として扱われていなかった証拠です。

三市を制約していた特例が廃止されたのは、大阪市第1次市域拡張の翌年でした。
大阪市歴代市長の在職期間[79677]は、明治31年10月12日から始まっています。
小規模ながら府庁舎から独立した 江之子島の初代市庁舎 も、この時に作られました。

大阪歴史年表 には、
長い年月にわたっての陳情・請願運動の結果、築港と淀川改修工事も進められており、特例が撤廃された大阪市は飛躍の時期を迎えていました。
と記され、築港線の二階建魚釣り電車[61533]の写真が掲載されています。大阪市電開業は1903年。

明治44年(1911)になると、勅令指定都市になった大阪市の4区は法人になりました。
しかし、大阪市では法人区の議決機関である区会を設置せず、行政区として運用しました(参考資料6コマ)。
その後大正14年(1925)には第2次市域拡張を機に5区を新設、第1次拡張時に新設を果たせなかった従来の4区も分区して8区にして、合計13区になりました。
地方自治法施行(1947)、政令指定都市指定(1956)を経て、1989年(初めて合区により2区減少)からは 24行政区。

橋下さんの「大阪都」構想は、大阪市・堺市と大阪市周辺の市を、中核市なみの権限を持つ自治体(20特別区)に再編成する 大都市制度改革により、大阪府と大阪市との二重行政解消を目指すもの と聞いています。

都市制度は 大阪だけの問題ではありません。
このサイト「都道府県市区町村」としても、もちろん大きなテーマです。
大阪の、そして全国の動きに注目したいと思います。

[79681] 2011 年 11 月 29 日 (火) 02:55:11【1】 EMM さん
 「40歳未満で就任した首長の一覧」情報提供(北海道・東北・関東の市長)

以前、拙稿[78862]
名前の読みや生年月日の調べがつかなかったのですが、こちらも引き続き調べてみようと思ってます。
(県内の図書館の蔵書検索で調べるのに役立ちそうな本を見つけてあるんですが、その本は石川県内では加賀市立図書館にしか無いらしい…)
と言う事を書きましたが、その後実際に加賀市立図書館に行ってその本を調べてきました。
その本とは、歴代知事編纂会という団体が1984年に出版した「日本の歴代市長−市制施行百年の歩み−」全3巻。
1984年当時の全国の市について歴代市長のプロフィールや代表的な施策等を取りまとめた冊子で、第一巻は北海道・東北・関東、第二巻は中部・近畿、第三巻は中国・四国・九州の各市が記載されています。
[78862]を書く前には石川県立図書館に調べに行っているのですが、実はここには第二巻しかありませんでした。(石川県関係の部分のみ寄贈されたらしい)
他の巻が石川県内にないか調べたところ加賀市立図書館に全巻あった…のですが、これが禁帯出だったため県立図書館や金沢市立の図書館での取り寄せができませんでした。
そこで、実際に加賀市まで行って調べてきた訳です。(ただ、なかなかまとめる時間がとれなかったですが…)

まず、一番に調べたかったのは[78862]で紹介した元山形市長の鈴木重屹氏のプロフィール。
そうしたらば、何と生年が明治22年4月と書いてある。あれ?これだと昭和22年には58歳と言う事に…更に別の資料も調べたいところですが、昭和22年4月7日付北國毎日新聞記事中の鈴木氏の年齢は誤記の可能性が高そうなので、「40最未満で就任した市長一覧」からは一度削除した方が良さそうです。
(この前後の記事中にも誤字程度では済まない誤報が見られたのですが…それについてはまた改めてご紹介します)

このことでちょっとがっくり来たのですが、気を取り直して各巻をくまなく見て行くとまだリストに上がっていない方が多数いらっしゃいました。
まず、北海道・東北・関東で未収録の方をまとめます。
なお、既収録の方でも、誕生日or就任日がより詳しく分かった方についても書いておきます。

名前読み生年月日自治体名就任日年齢就任日任期
五十嵐広三いがらしこうぞう1926(T15).3.15北海道旭川市37歳1ヶ月1963(S38).4.303
衆議院議員54歳3ヶ月1980(S55).6.225
山口哲夫やまぐちてつお1928(S3).?.?北海道釧路市37歳?ヶ月1965(S40).11.103
佐々木肇ささきはじめ1941(S16).5.17北海道赤平市33歳11ヶ月1975(S50).5.13
山内堯文やまうちぎょうぶん1915(T5).1.14岩手県久慈市32歳2ヶ月1947(S22).4.?2
39歳10ヶ月1954(S29).11.306
佐藤敬治さとうけいじ1920(T9).3.10秋田県大館市31歳1ヶ月1951(S26).4.234
衆議院議員52歳9ヶ月1972(S47).12.102
衆議院議員60歳3ヶ月1980(S55).6.224
千田謙蔵ちだけんぞう1931(S6).10.22秋田県横手市39歳6ヶ月1971(S46).5.15
阿部新あべあらた1919(T8).8.17秋田県鹿角郡花輪町37歳2〜3ヶ月1956(S31).11.?4
秋田県鹿角市52歳8ヶ月1972(S47).4.281
61歳1ヶ月1980(S55).4.282
本間重三ほんまじゅうぞう1909(M42).10.5山形県酒田市37歳5ヶ月1947(S22).4.73
前田一郎まえだいちろう1909(M42).2.14栃木県那須郡鍋掛村38歳2ヶ月1947(S22).4.?2
栃木県那須郡黒磯町
栃木県黒磯市61歳8ヶ月1970(S45).11.12
海老原一雄えびはらかずお1934(S9).2.8茨城県取手市37歳2ヶ月1971(S46).5.12
大塚伴鹿おおつかばんろく1915(T4).9.9埼玉県南埼玉郡越ヶ谷町36歳?ヶ月1951(S26).?.??
埼玉県越谷市43歳2ヶ月1958(S33).11.193
黒田重晴くろだしげはる1935(S10).6.25埼玉県越谷市38歳4ヶ月1973(S48).11.121
近藤克郎こんどうかつろう?1929(S4).9.30埼玉県入間郡福岡町39歳5〜6ヶ月1969(S44).3.?1
埼玉県上福岡市42歳6ヶ月1972(S47).4.102
宇井隻平1934(S9).8.12千葉県佐原市32歳8ヶ月1967(S42).5.13
52歳?ヶ月1987(S62).5.1?1
鈴木全一すずきぜんいち1944(S19).9.23千葉県佐原市34歳7ヶ月1979(S54).5.12
46歳?ヶ月1991(H3).5.13
仲村和平なかむらかずひら1936(S11).12.?千葉県八千代市34歳4ヶ月1971(S46).4.302
熊川好生くまかわよしお1932(S7).7.10千葉県東葛飾郡浦安町37歳2〜3ヶ月1969(S44).9.?3
千葉県浦安市48歳7ヶ月1981(S56).4.15
原田彰俊はらだあきとし1919(T8).10.25東京都北多摩郡保谷町37歳6〜7ヶ月1957(S32).5.?3
東京都保谷市47歳2ヶ月1967(S42).1.11
臼井孝うすいたかし1941(S16).1.3東京都秋川市36歳1ヶ月1977(S52).2.215
東京都あきる野市66歳8〜9ヶ月2007(H19).10.?2(現職)
葉山峻はやましゅん1933(S8).5.?神奈川県藤沢市39歳8〜9ヶ月1972(S47).2.262

中部地方以西は稿を改めます。

[79680] 2011 年 11 月 29 日 (火) 00:42:14 オーナー グリグリ
 首長の任期(就任日)

[79677]88さん、[79678]紅葉橋律乃介さん、首長の任期についてご指摘と説明をありがとうございました。

以前[78579]で書いた通り、任期開始日についての正確な定義が分らずにいましたが、今回のご説明で疑問が氷解しました。40歳未満で就任した首長の一覧女性首長一覧の就任日については、確認と見直しが必要と思われます。

なお、[79675]で平松市長の任期は今月末と書いたのは、田尻町長が今月末で辞任することと混同していました。橋下徹氏の任期は12月19日からで間違いありません。大変失礼しました。

[79679] 2011 年 11 月 28 日 (月) 23:46:02 伊豆之国 さん
 引越しセンター&野々市市

「平成大坂冬の陣」の結末、皆さんご存知の通りですが、
[79665]むっくんさん
堺と言えば泉州の一都市であると現在の多くの関西人は連想しますが
明治の初めの段階では堺の町の真ん中を摂津・和泉の国境が通っていました
[79668]hmtさん
「摂泉国境大小路」と記され、摂津国が 堺市街地の北半分に及んでいたことが確認できます
この「堺」という地名、「和泉・摂津・河内の国境近くに位置する」ことから付いた地名だということは前からずっと思ってはいたのですが、本当に「国境をまたいだ町」であったとは‥。「泉州堺」という言い回しは時代劇などでもよく耳にするので、堺の旧市街は今までずっと全部が和泉国だと思い込んでいたのですが‥。
「堺」というと、私の地元・町田市にもかつて「堺村」がありました。この旧堺村に属する相原・小山を初め、東京・神奈川の都県境(←武蔵・相模の国境)をまたぐ地名がいくつか見られることについて、「ご当地」のIssieさんの一連の書き込み([844]他)から
都県境の境川の川筋が変わったせいではなくて,あとから武蔵国と相模国に分断された結果です
今の町田市の西部から南部一体は「相模国高座郡」。
江戸時代になって,曖昧だった国境を高座川に確定し,「境川」となったようです
こちらの「堺」のほうは明治の新村名ですが、現在の堺市と同様、「国境が"引っ越して"きた」という共通項があるのが、偶然とは思えない面白いところです‥。
♯町田市には現在も「堺市民センター」があります。京王相模原線の「多摩境」という駅名も、「堺村」を意識したのでしょうか‥。

[79667]星野彼方さん
共通項はなんでしょう、ということですがまだ早いかと思うので該当する市を答えます
「市」を答えろ、とは言っていませんよ〜。
それはともかく、[79664]で出したクイズの共通項については、今回のオフ会(私は不参加の予定ですが)にあわせて発表しようかと思っていますので、それまでに各自で考えておいてくださいね。ここで第一ヒントとしてアナグラムを出しましょう。

 問一:加賀市が一位(かがしがいちい)
 問二:七尾は自前でも(ななおはじまえでも)

[79678] 2011 年 11 月 28 日 (月) 20:25:15 紅葉橋律乃介 さん
 首長任期?

[79675] オーナー グリグリさん
松井大阪府知事は本日から就任だと思いますので情報を更新しました。平松市長の任期は今月末までですので、更新は12月1日に行います。

 大阪府知事の就任日(任期起算日)は昨日ではないでしょうか? 根拠がどこにあるかは分かりませんが、欠員の場合は選挙日が就任日だったと思います。
 これは、北海道内のとある町村長が欠員となり、後任が無投票で当選した例が数ヶ月前にありました。この場合はどこが任期の起算か気になったのですが、新聞記事によると(投票の有無に関係なく)選挙日から起算されるとのことでした。確かに、投票の有無で任期の起算日が異なるのはおかしいですから。

 大阪市長の任期は、今朝のニュースでは12月中旬までと聞いたような気がします。
 こちらは根拠があります(大阪市 組織一覧)。12月18日に任期満了です。

[79677] 2011 年 11 月 28 日 (月) 20:23:51【1】 88 さん
 大阪府知事及び大阪市長の任期の始期について

まず冒頭に、[78584] にまん さん もふれていらっしゃいますが、公職選挙法の条文を掲載します。
(地方公共団体の長の任期の起算)
第二百五十九条 地方公共団体の長の任期は、選挙の日から起算する。但し、任期満了に因る選挙が地方公共団体の長の任期満了の日前に行われた場合において、前任の長が任期満了の日まで在任したときは前任者の任期満了の日の翌日から、選挙の期日後に前任の長が欠けたときはその欠けた日の翌日から、それぞれ起算する。

――――――――――
[79675] グリグリ さん
●(新)大阪府知事の任期の始期について
今回の事例では、大阪府知事は、橋下徹氏はすでに辞職していました。平成23年9月定例会知事退職に係る同意(平成23年10月22日)はありますが、辞職日の明記はありません。
平成23年11月1日付け大阪府告示第1583号は「大阪府知事職務代理者 大阪府副知事 小河保之」名で告示されており(参考(pdfファイル))、一方、平成23年10月31日付け大阪府告示1572号は「大阪府知事 橋下徹」名で告示されています(参考(pdfファイル))。
このことから、橋下徹氏は平成23年10月31日限りで退職し、平成23年11月1日からは、地方自治法
第百五十二条 普通地方公共団体の長に事故があるとき、又は長が欠けたときは、副知事又は副市町村長がその職務を代理する。この場合において副知事又は副市町村長が二人以上あるときは、あらかじめ当該普通地方公共団体の長が定めた順序、又はその定めがないときは席次の上下により、席次の上下が明らかでないときは年齢の多少により、年齢が同じであるときはくじにより定めた順序で、その職務を代理する。
の規定により、小河副知事が職務代理を務めていました。

そして、平成23年11月27日、大阪府知事選挙が行われましたが、冒頭の公職選挙法第二百五十九条の
地方公共団体の長の任期は、選挙の日から起算する。
のとおり、(新)大阪府知事は松井一郎氏は、平成23年11月27日から任期が始まりました。
#今日28日に大阪府選挙管理委員会から当選証書付与が行われ(大阪府選挙管理委員会報道発表)たようですが、任期は11月27日からです。

●(新)大阪市長の任期の始期について
大阪市長の任期は、大阪市HP内の大阪市歴代市長 (pdfファイル)にもあるとおり、平松邦夫氏の大阪市長の任期は平成19年12月19日から平成23年12月18日までであり、
但し、任期満了に因る選挙が地方公共団体の長の任期満了の日前に行われた場合において、前任の長が任期満了の日まで在任したときは前任者の任期満了の日の翌日から(中略)起算する
により、橋下徹氏の任期は平成23年12月19日からです。

仮に、の話ですが、平松邦夫氏が平成23年11月30日限りで大阪市長を辞職したとすると、
選挙の期日後に前任の長が欠けたときはその欠けた日の翌日から(中略)起算する
により、橋下徹氏の任期は平成23年12月1日からとなります。

時事通信社記事に、今日28日、大阪府選挙管理委員会から松井一郎氏に対し大阪府知事の当選証書が、大阪市選挙管理委員会から橋下徹氏に対し大阪市長の当選証書が付与された、との記事があります。また、松井一郎氏が28日に初登庁したとのことです。しかし、任期については上述のとおりです(松井新知事、橋下新市長の任期の始期についても記事中に言及があります)。

[79676] 2011 年 11 月 28 日 (月) 18:45:51 オーナー グリグリ
 25種類目の「はさま」発見

[79669] 油天神山さん
「はさま」コレクション候補です。
阿波市土成町高尾はざま
とうとう出てきてしまいました、ひらがなの「はざま」。
カタカナ以上に悩ましい案件ですが、ひとつご検討下さいませ。
ひらがなもありましたか。情報をありがとうございます。「はさま」として登録いたしました。表記は「はざま」ですが、カタカナ「ハサマ」と同じように、濁音のバリエーションについては別種として区別せず、「はさま・ハサマ」で代表させます。

ところで、

[78435] 大龍エクスプレスさん
「はさま」コレクションに情報提供します。
滋賀県米原市間田
はどうでしょうか。「はざまた」と読みます。よろしくお願いします。
こちらの情報提供を反映していませんでした。大龍エクスプレスさん、申し訳ありませんでした。遅くなりましたが、コレクションに追加させていただきました。ありがとうございました。

[79675] 2011 年 11 月 28 日 (月) 18:12:49 オーナー グリグリ
 女性首長、大阪府知事、橋下徹氏

[79673] k-aceさん
さて、女性首長の一覧に追加情報を。
知事選、大阪市長選と同じく、(前町長の辞職に伴う)大阪府田尻町長選挙も本日投開票でした。
結果、原明美さん(54)が当選しました。
新田尻町長原明美さんの情報を追加いたしました。情報提供をありがとうございました。

[79674] 大龍エクスプレスさん
昨日の大阪ダブル選挙での変更情報です。(公式ツイッター)
大阪府知事
橋下徹→松井一郎
大阪市長
平松邦夫→橋下徹
松井大阪府知事は本日から就任だと思いますので情報を更新しました。平松市長の任期は今月末までですので、更新は12月1日に行います。なお、40歳未満で就任した首長の一覧の橋下徹氏の情報も合わせて更新しました。こちらは大阪市長の情報も先行して掲載済です。情報提供をありがとうございました。

[79674] 2011 年 11 月 28 日 (月) 07:38:57 スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
 大阪秋の陣

グリグリさん
昨日の大阪ダブル選挙での変更情報です。(公式ツイッター)
大阪府知事
橋下徹→松井一郎
大阪市長
平松邦夫→橋下徹
となりましたので更新よろしくお願いします。

[79673] 2011 年 11 月 27 日 (日) 23:52:36 k-ace さん
 大阪府田尻町に女性町長誕生

k-aceです。
茨城県、埼玉県を日帰りで巡って来て帰宅したところです。

大阪府知事、大阪市長選の大阪維新の会の候補当選でで「大阪都」構想前進へ!?
まぁまだ先のことになるでしょうが。
さて、女性首長の一覧に追加情報を。
知事選、大阪市長選と同じく、(前町長の辞職に伴う)大阪府田尻町長選挙も本日投開票でした。
結果、原明美さん(54)が当選しました。

[79672] 2011 年 11 月 27 日 (日) 18:32:45 白桃 さん
 御礼

[79671]hmt さん
「1896.3.29」は裁可日であり、翌日公布ですが、施行は「1896.4.1」であることが明記されています。
なるほど。そういうことでしたか。大変ありがとうございました。
これで、安心してオフ会に・・・。(謎)

[79671] 2011 年 11 月 27 日 (日) 17:31:07 hmt さん
 Re:入間郡の設置日
hmt 埼玉県入間郡域

[79670] 白桃 さん
市区町村変遷履歴情報では「1896.4.1.埼玉県入間郡、高麗郡、比企郡の一部の区域をもって入間郡を設置」となっておりますが、「1896.3.29.」という資料が多いのですが・・・
非常に細かいことで申し訳ありませんが、事情に詳しい方がおられましたらお教えください。

地元のことで、ある程度事情に詳しい hmtがお答えします。
埼玉県では明治29年8月1日の(旧)郡制の施行[62662]に先立ち、同年4月1日施行で郡の再編成が行なわれました。法令全書 を引用します。
----------------------
朕帝国議会の協賛を経たる埼玉県下国界変更及郡廃置法律を裁可しここに之を公布せしむ
御名御璽
明治29年3月29日
法律第40号(官報3月30日)
埼玉県武蔵国北足立郡及新座郡を廃し其の区域を以て北足立郡を置く
埼玉県武蔵国入間郡及高麗郡を廃し其の区域と比企郡を廃し其の区域の一部(植木村)とを以て入間郡を置く
【比企郡、児玉郡、大里郡、北葛飾郡関係の廃置分合省略】
附則
此の法律は明治29年4月1日より施行す
----------------------

「1896.3.29」は裁可日であり、翌日公布ですが、施行は「1896.4.1」であることが明記されています。

明治29年の再編成より前の入間郡は、間に高麗郡が挟まって東西に分断されたような姿をしていました。[75353] 播磨坂 さん
もともと入間郡と高麗郡とは同根ですから、何かの都合で分かれていた両郡が再びドッキングしても不思議はありません。

[75353]へのレス[75357]でも参照した明治22年埼玉縣菅内全図[37601]を見ると、比企郡植木村は既に入間川とそれが合流した荒川の右岸に描かれています。ずっと前には入間川左岸だったために比企郡に所属していたと推測される植木村の入間郡編入は、河川改修の事後フォローによる「郡境変更」でしょう。

[79670] 2011 年 11 月 27 日 (日) 16:03:09 白桃 さん
 入間郡の設置日
hmt 埼玉県入間郡域

オフ会の準備をしていて気がついたのですが、市区町村変遷履歴情報では
「1896.4.1.埼玉県入間郡、高麗郡、比企郡の一部の区域をもって入間郡を設置」となっておりますが、「1896.3.29.」という資料が多いのですが・・・
非常に細かいことで申し訳ありませんが、事情に詳しい方がおられましたらお教えください。

なお、オフ会と本件は何の関係があるかと言うと、それは秘密です。(笑)

[79669] 2011 年 11 月 26 日 (土) 12:48:37 油天神山 さん
 地名コレクション棚卸し報告の序章と情報提供

こんにちは、油天神山です。

さて、以前から予告していた地名コレクションの棚卸し報告ですが、予告から一年近くたって、ようやくまとめに取り掛かり出しました。

棚卸しの動機や現在の私が担当する地名コレクションの収録基準については拙稿[77415]をご参照いただくとして、最終的に「Mapionの住所一覧に載っているのにコレクションに収録していない町名」「地名コレクションに収録しているのにMapionでは見当たらず、かつ国土地理協会の地名変更情報にも載っていない町名」それぞれ100件超を数えました。

これらの町名を追加・削除するだけなら、かなりの数に上るとはいえ決して苦労ではないのですが、この結果を詳細に見つめていると、どうも収録方針から見直す必要がありそうに思えてきまして、なかなかふん切りがつきません。
ただいま帰省中で手元に集計結果がないので、このあたり、今は詳述できません。もう少し考えをまとめた上で、改めて投稿するつもりです。

ということで本論はお茶を濁してしまいましたが、以下はこの棚卸し作業中に見つけた地名コレクション候補をご紹介いたします。それもややこしいのばかり。

>グリグリさん
「はさま」コレクション候補です。
阿波市土成町高尾はざま
とうとう出てきてしまいました、ひらがなの「はざま」。
カタカナ以上に悩ましい案件ですが、ひとつご検討下さいませ。

>ぺとぺとさん
「企業由来町名」コレクション候補です。
妙高市新工町
ダイセル(先月「ダイセル化学工業」から社名変更したんですね)の新井工場が立地していまして、「新工」が「新井工場」に由来しているのはまず確かでしょう。裏付けは取ってませんが。
ただ、現在の企業由来町名コレクション内の「企業名を由来とする町名」「製品(商品)やブランド名等を由来とする町名」「創業者名等を由来とする町名」「開発主体である不動産会社の企業名等を由来とする町名」のどのカテゴリーにも当てはまらないんですよね。
非常に悩ましい案件ですが、ひとつご検討下さいませ。

・・・と、他の方ばかり悩ませては申し訳ないので、私自身も悩んでしまいましょう。

>油天神山さん(笑)
「外来語由来町名」コレクション候補です。
佐野市あくと町
過去の記事を探してみると、[35369]YSK[両毛人]さんが、2005年2月28日の佐野市と田沼町・葛生町の合併の際に「大字葛生」が3分割され、その一つが「あくと町」となる旨を紹介しておられます。また、町内に「葛生あくとプラザ」とういう施設があり、佐野市のホームページによれば平成10(1998)年完成とのことです。
とすると「あくと町」は「葛生あくとプラザ」由来なのは確かで、また多分「あくとプラザ」の「あくと」は「act」と考えて良さそうに思えます。
しかし一方で「アクト・アクツ」とは「悪戸」「阿久津」「圷」などと表記されることの多い、低湿地などを意味する地形名称でもあるそうなのでややこしい。
ことによったら元々この辺に「アクト」地名があって、それに「act」を引っ掛けて施設に命名した、という可能性がなきにしも非ずです。
これは皆様に情報提供をお願いしないと解決しそうにありません。基本的には収録の方向で良いと考えますが、佐野市アクト町近辺に元々「アクト」という地名があったかどうか、またこの辺の地形が「アクト」地形に該当するのか、ご存知でしたらご教示願います。

[79668] 2011 年 11 月 25 日 (金) 15:29:50 hmt さん
 河川改修による県境・国境の変更事例、木曽川 そして 大和川
hmt 「県境」の変更

[79665] むっくん さん
明治期の木曽川周辺での郡・県変更の事例は松山中島村だけではありませんので、補足します。

明治13年(三重県 15村が愛知県へ)、明治16年(三重県 3村が岐阜県へ)、明治20年(岐阜県4村が愛知県へ、愛知県松山中島村が岐阜県へ)という流域3県(伊勢・尾張・美濃3国)間の変更事例をご紹介いただき有難うございます。
明治政府が治水事業に力を注いだ木曽川水系では、関東の利根川水系河川改修等に先立ち、かなりの規模の県境変更があったのですね。

明治の初めの段階では堺の町の真ん中を摂津・和泉の国境が通っていました。

リンクされた天保国絵図・摂津国の下端(南端)を見ると、太い赤線で描かれた紀州街道は、住吉大社の南の安立町で大和川を越え、七道村から堺の市街に入ります。赤線が切れた所に「摂泉国境大小路」と記され、摂津国が 堺市街地の北半分に及んでいたことが確認できます。

大小路から南は、国絵図の和泉国北端を右回転。記されているのは町名ではなくて南宗寺など社寺の名のようです。
東側に3つ見える山の中央が大仙陵、つまり仁徳天皇陵です。
三県境ならぬ「摂河泉三国の境界点」は、北側の反正天皇陵の近くになっています。

2005年12月には、摂河泉三国の「堺」と大和川との関係を話題にしました。記事集

しかしながらM4.9.30付けの堺県無号達で摂泉国境は大和川中央と定まり、摂津国住吉郡でも大和川以南の村々は、和泉国大鳥郡に国替えとなり、堺の町もすべて和泉国大鳥郡所属となりました。

明治4年(1871)11月の府県再編成の2ヶ月前に、大阪府と堺県との境界が変更されていた ということでしょうか。
府県境変更は、元禄17年(1704)の 大和川付替工事完成(新川切り通し)から 167年後のことでした。

現代の摂河泉三国の境界点 は、「三国丘」の石碑 から、4km足らず北東に移動しています。
この地点の上流側には、大阪市・松原市の境界(大阪・堺の旧府県境)と流路との不一致が残っています。
その中でも特に眼を引くのが、「注射針」のように南に突出している 矢田の阿麻美許曽神社参道 です。

[79667] 2011 年 11 月 24 日 (木) 23:00:18 星野彼方 さん
 Re:ミニクイズ 野々市市

[79664] 伊豆之国 さん

なんかわかったような気がするので答えます。共通項はなんでしょう、ということですがまだ早いかと思うので該当する市を答えます。問一はこうだろうと思うことに該当する市が見つからないので苦肉の策で区で答えます。

問一:浜松市南区
問二:伊丹市

どうかな?

[79666] 2011 年 11 月 24 日 (木) 21:10:10 88 さん
 【追加】市区町村変遷情報 県の境界にわたる境界変更の事例について(S22.5.3以降告示)
hmt 「県境」の変更

[79523]で、県の境界にわたる境界変更を、官報情報検索サービスで抽出した結果を一覧で示しました。
このときは、検索文字列を「の境界にわたる」「境界変更」などとしたものでした。これは、通常の境界変更は、総務省等の告示の表題が「市町の境界変更」などとなるのに対し、県境の移動を伴うものは「県の境界にわたる町村の境界変更」などとなることによるものです。
単に「境界変更」では膨大な数となることが理由です。

[79662] hmt さん
リストには挙げられていませんが、その間にある 滑川駅対岸と 神崎の市街地上手(昭和40年12月13日自治省告示第167号)も 「県の境界にわたる境界変更」に該当すると思われます。
個別に示していただいたので、同告示を確認しました。
すると、この告示だけは表題が「県の境界にわたる町村の境界変更」となるべきところ、単に「町村の境界変更」となっており、[79523]では遺漏しました。
改めて、今度は、検索文字列を根拠法令である「地方自治法」「第七条第三項」で検索しました。なお、「条」は「條」の場合も確認し、また、S27.8.15法律第306号地方自治法の一部を改正する法律までは、根拠法令は第七条第二項であったことも反映しました。
その結果、ご指摘のS40.12.13自治法告示第167号とあわせてもう1件の遺漏を発見しましたので、[79523]のリストに追加する形で以下に記します。(通し番号は従前のものを生かすため枝番としました。法令の条の追加と同手法です。)

番号告示年月日告示番号施行年月日編入側編入される側
9-2S35.11.1自治省告示第150号S35.11.1栃木県下都賀郡野木村茨城県古河市
茨城県古河市栃木県下都賀郡野木村
13-2S40.12.13自治省告示第167号S41.1.1茨城県稲敷郡河内村千葉県香取郡下総町
千葉県香取郡神崎町茨城県稲敷郡河内村
千葉県香取郡神崎町茨城県稲敷郡東村

――――――――――
仮に、境界変更を「県の境界にわたる」という観点で頭出しするとすれば、都道府県市区町村においては、市区町村変遷情報ではなく、例えば市区町村雑学あたりが適切ではないかと考えます。この場合、面積の多寡に拘ららずに対応でき、また、岐阜県中津川市へ長野県木曽郡山口村を編入する例なども、容易に併記できます。
市区町村変遷情報で取扱うには、他の数多くの境界変更事例(大多数は面積が微小のため対象外としている)との棲み分けが困難であろうと考えます。

[79665] 2011 年 11 月 24 日 (木) 17:32:39 むっくん さん
 郡変更の事例(東海地方&近畿地方)

[79662]hmtさん
もっと前になると、木曽川沿いの松山中島村が1887年に愛知県から岐阜県に移された事例[79347]もあるし、江戸時代の初めには 木曽川の新流路が濃尾国境になったことにより羽栗/葉栗・中島・海西3郡が 美濃と尾張に分割されたという歴史[39454]もある
明治期の木曽川周辺での郡・県変更の事例は松山中島村だけではありませんので、補足します。

まず、明治13年に三重県(伊勢国)桑名郡の五明村、福原新田、小島新田、川原欠新田、加稻九郎治新田、加稻新田、加稻次新田、三好新田、富島新田、富島付新田、加稻山新田、稲荷崎新田、稲荷崎付新田、富崎新田、境新田が愛知県(尾張国)海西郡に編入されました。
参考:三重県甲第67号布達(M13.5.10)、愛知県甲第62号布達(M13.5.12)

そして明治16年には三重県(伊勢国)桑名郡の金廻村・江内村・油島新田の3村が岐阜県(美濃国)下石津郡に編入されました。
参考:岐阜県甲第90号布達(M16.12.27)

明治20年には岐阜県(美濃国)中島郡東加賀野井村・三拾町村・野村・馬飼村の4村が愛知県(尾張国)中島郡へ、愛知県(尾張国)海西郡松山中島村が岐阜県(美濃国)海西郡へ編入されています。
参考:勅令第34号(M20.7.13)


次に、近畿地方での郡変更の事例も紹介します。
1704年の大和川の付け替えにより、摂津国住吉郡の中を大和川が流れることになり、大和川によって村が川の北側と南側に分断されたところもありました。
参照:天保国絵図・和泉国天保国絵図・摂津国

また、堺と言えば泉州の一都市であると現在の多くの関西人は連想しますが、堺の地名の由来と境界について書いた堺県無号達(M元.10.30)では
堺とは摂津和泉両国の堺にある故の名に候、摂泉の堺は大小路にして、大小路より北を摂津国住吉郡とし、南を和泉国大鳥郡とす、北庄村と新田とは摂津にて候、戎島は和泉国にて候、右国境之儀心得違申間敷候、仍而此段及触達候もの也
十月
右之通町々不洩様可触知者也
辰十月晦日 宿老
と記載されており、明治の初めの段階では堺の町の真ん中を摂津・和泉の国境が通っていました。

しかしながらM4.9.30付けの堺県無号達で摂泉国境は大和川中央と定まり、摂津国住吉郡でも大和川以南の村々は、和泉国大鳥郡に国替えとなり、堺の町もすべて和泉国大鳥郡所属となりました。
[47315]逆太郎さんが御指摘のように、大和川以南に現在も所々に大阪市のエリアが残っているということは、この時の国替えは村単位であったと考えられます。

[79664] 2011 年 11 月 23 日 (水) 22:12:33 伊豆之国 さん
 ミニクイズ・野々市市

落書き帳が誕生して満12年。そして、オーナー グリグリさんの生誕の地・野々市町が市制施行。その「野々市市」とちょっと面白い共通項を持った市があることに気付いたので、「十番勝負もどき」ですが、クイズ形式にしてみました。

【問一】野々市市、武蔵野市、大野城市(該当する町:杉戸町)
【問二】野々市市、春日井市、尼崎市(該当しない市:相模原市、西宮市)

さて、それぞれの「共通項」とは何でしょうか?

[79663] 2011 年 11 月 23 日 (水) 17:10:42 オーナー グリグリ
 Re:オフ会初参加感想文

[79656] リトルさん、オフ会初参加の感想文投稿をありがとうございました。たくさんのありがたいお言葉をいただき、本当に嬉しく思っております。大感謝です。

さて、会津オフ会もいよいよ10日後に迫って参りました。現在の参加見込みは、20〜22名というところです。残念ながら例年よりも若干少人数になっております。私が予定日程を散々振り回したあげくに、年末迫っての開催としたことが原因ではと深く反省しております。とは言え、例年以上に中身の濃い充実したオフ会になるという予感もしておりますので、参加される皆様には、どうぞよろしくお願いいたします。

なお、まだまだ参加者は募っておりますので、ご興味のある方はご連絡をどうぞお急ぎください。

[79662] 2011 年 11 月 23 日 (水) 13:05:34 hmt さん
 県境の変更 (7)河川改修と県境変更
hmt 「県境」の変更

[79661]に引き続き、前小屋の事例から出発し、県境変更の原因となる河川改修について記します。

落書き帳を遡ると、利根川右岸(埼玉県側)にありながら群馬県太田市であった南前小屋地区の住民が、2006年に深谷市へ編入求め両市議会に請願を提出した記事があります。[52705] KMKZ さん
一見すると、前小屋地区における県境変更手続の歴史は、2006年からの4年弱のように思われます。

しかし、境界変更の原因になった河川改修は、明治43年の大水害を契機として内務省により立案実行された 大正から昭和初期にかけての利根川第三期改修工事(1918〜1929)です。
つまり利根川の流路が変更されて、左岸(群馬県)にあった土地が右岸になってしまってからでも 80年以上であり、この間には水面下を含めて多くの県境変更運動が行なわれたもの推察されます。
原因になった大水害から数えれば、境界変更リスト[79523] No.39の境界変更は、実に 100年越しの問題解決だったのでした。

付言すると、昨年オフ会への参加途中の Hiro_as_Filler さんが、“看板に誘われ深谷市前小屋にふらりと入りこむ ”[76893]際に渡った 小山川が利根川の旧河道で、38世帯 137人が住む前小屋の集落は 小山川と利根川との間の導流堤上に並んでいます。写真の(4)

[79523]で示された境界変更リストから、河川に関連しそうな箇所を拾ってみました。
利根川では印旛沼付近の No.6と 佐原付近の No.20。
リストには挙げられていませんが、その間にある 滑川駅対岸と 神崎の市街地上手(昭和40年12月13日自治省告示第167号)も 「県の境界にわたる境界変更」に該当すると思われます。
常陸利根川では No.19。上流部では No.39の前小屋。
利根川水系では、No.23が鬼怒川付近ですが、河川改修との関係は不明。矢場川付近(No16、22)も不明。

荒川は No.1、4(舟渡)とNo.10(白子川)で、いずれも既報。
東京・神奈川の都県境を流れる境川直流化がもたらした県境との食い違いとその是正(領地交換)については、過去記事 で度々話題になりました。境界変更リストでは、No. 28、32、35、38。

このように境界変更リストから拾い上げてみると、関東地方に集中しています。
明治時代の特別法による県境変更[47106][79538]も、江戸川(明治28年3月30日法律第24号)、利根川(明治32年2月8日法律第4号)、多摩川(明治45年3月28日法律第5号)と関東地方に集中。

もっと前になると、木曽川沿いの 松山中島村が1887年に愛知県から岐阜県に移された事例[79347]もあるし、江戸時代の初めには 木曽川の新流路が濃尾国境になったことにより 羽栗/葉栗・中島・海西3郡が 美濃と尾張に分割されたという歴史[39454] もあるのですが、現代の河川改修による県境変更が 概ね関東だけに見られる現象は何故なのでしょうか。

[4248] でるでる さん
【北川辺町や藤岡町】の他にも流路変更によって、現在の行政区域とが一致しないところは多いですよね。
利根川を挟んだ茨城県と千葉県(佐原市周辺)、同じく利根川を挟んだ群馬県と埼玉県、筑後川を挟んだ福岡県と佐賀県が特に目立つかなという印象があります。

筑後川の場合、江戸時代に行なわれた河川改修の後も、筑後国(柳川藩)と肥前国(佐賀藩)との国境は変更されず、これが現在の県境と流路との不整合に持ち越されているようです。mapion
佐賀県道・福岡県道19号諸富西島線が、「県境跨ぎ」の道路になっています。

これで何百年もやってきたのだから、今更県境を流路に合わせる必要はないのではないか。
そう言われると、それも御尤もな意見と思われてきます。

筑後川の地図を出したついでに、県境変更とは無関係の余談を。
河口部にある大野島(福岡県)/大詫間(佐賀県)は、元々別々の中洲であったものが、砂の堆積により陸続きになったもののようです。「2県にまたがる島」コレクション[41368]

[79661] 2011 年 11 月 23 日 (水) 12:46:06 hmt さん
 県境の変更 (6)埼玉県としては 80年ぶりの出来事
hmt 「県境」の変更

2010年3月1日に 埼玉県の面積 が 0.83km2広くなり、人口も 137人増えました。
埼玉県全体に対する比率で言えば 面積で 5000分の1、人口では5万の1という僅かな変化なのですが、「集落単位での埼玉県編入」という点では、実に 80年ぶりの出来事でした。

勿体ぶった表現で書き出しましたが、利根川の対岸・群馬県との間で行なわれた 前小屋県境手直し が、渡良瀬川の対岸・茨城県との間で行なわれた 伊賀袋県境手直し から数えて 80年ぶりだったということです。

この2つの事例は、変遷情報の主体になっている市町村の廃置分合に該当しない「境界変更」であるために、ある意味では市町村よりも上位の区分である【注】都道府県に関係する「県境変更」であるにもかかわらず、最近まで変遷情報の記録対象になっていませんでした。
【注】
「上位の区分」という言葉は、現行法では存在しないはずの自治体間の上下関係を思わせるので、「基礎的自治体」の対語である「包括的自治体」と言った方が適切かもしれません。

そこで、[76950][79438]で変遷情報への記載を提言したところ、 [78859][79522]とで編集対象と認められました。
もっとも[79660]によると、88さんとしてはこの編集方針を見直し、「近世村単位」のみに戻す考えもあるようです。
80年を隔てて実現した上記2件の「県域変更情報」が、このまま「都道府県市区町村変遷情報」の対象として生き残れるかどうかについて、楽観は許されない状況です。

埼玉県の県域の変遷については、2004年以降いくつかの記事 を書いています。

千葉県との境界が 明治8年に庄内古川から江戸川に移り、翌明治9年(1876)には熊谷県のうち武蔵国の領域(旧入間県)を編入し、“ほぼ” 現在の形 になりました。
しかし、その後で 東京府に隣接する 大泉(1891)、保谷(1907)、浮間(1926)が 埼玉県域を離れ、戦後も 舟渡(1950)、元狭山村(1958)と東京都域への編入が続き、長期的な県域面積は減少傾向と思われます。

ここで過去記事の誤記に気がついたのでお詫びしておきます。
舟渡の過去記事を検索したら、5件中4件まで「船渡」と誤記していました
大船渡に引きずられた?

埼玉県の面積に戻ります。
長期統計(統計局)の都道府県別面積 は 1920〜2000年に限られており、この間の埼玉県に大幅な変化はありませんが、伊賀袋編入や元狭山村転出による増減を見ることができます。
理解できないのが 昭和25年の面積で、この年だけ5km2以上増加し、5年後にはまた戻っています。
変遷情報 で前後の年の動きを見ても、県の面積に影響しそうなものが見当たらないのですが、何でしょうか?

戦後は舟渡や元狭山村の後、1961年に行なわれた 北足立郡大和町(現・和光市)と東京都練馬区との間の境界変更 を最後として県域に変化のない状態が続いていました。最後の事例は、告示中に「河川敷地」という文字が見えることから、都県境の白子川[65713]直流化改修に伴う手直しと思われます。

さて、前小屋の事例に関連して、「境界変更」という手続で行なわれた戦後の県境変更リストが、88さんから提示され、それを「きっかけ」として、今回の県境変更シリーズが始まりました 関係記事

この記事集の3番目[79523]に列挙された 40件の境界変更リスト。
埼玉県については、No.1と No.4が舟渡で、No.10(白子川)から 49年ぶりの事例が No.39(前小屋)ということです。

前小屋の事例[79438]は、約 140人の人口移動を伴った境界変更ということでも、最近の境界変更の中では特筆に値すると言えるでしょう。半世紀前のことながら 埼玉県としては直前の事例であった 白子川のケース(境界変更リスト[79523]の No.10)は、人口移動なしの無人地帯でした。
近年では 2004年町田−古渕間の境川での境界変更事例(リスト No.35)で 13世帯31人が移動したのが顕著な例だったようです(毎日2010/3/2)。

もちろん変遷情報の収録対象になっている大字単位の境界変更の場合には かなりの人口移動を伴います。
しかし、境界変更リスト番号が示すように、いずれも昭和中期の事例になります。 No.5 岐阜県三濃村→愛知県旭村、No.8 京都府亀岡市西別院町→大阪府能勢村、 No.9 群馬県矢場川村→栃木県足利市、No.11 岡山県日生町大字福浦→赤穂市。
変遷情報に収録してもらえない No.17 栃木県田沼町入飛駒→群馬県桐生市も、これらに次ぐ規模と思われますが、人口移動数は不明。

参考までに、21世紀になってからの県境変更で 最大の人口移動を伴った事例は、2000人規模の人口を持つ長野県木曽郡山口村の 岐阜県中津川市 への編入と思われます。
これは廃置分合ですから、40件のリストには含まれていません。

[79660] 2011 年 11 月 22 日 (火) 21:50:10【1】 88 さん
 市区町村変遷情報 対象とする境界変更の範囲について

[79559] hmt さん
S43.4.1付けで栃木県安蘇郡田沼町の一部(入飛駒)を群馬県桐生市へ境界変更する件
事実上独立した集落であったことに配慮すれば、入飛駒地区の境界変更は、他の 10事例と同様に、変遷情報に記録してもよいのではないでしょうか。
[79560] むっくん さん
T6.4.1付けで富山県婦負郡桜谷村の一部を富山市へ境界変更する件
しかしながら、村の半分強もの区域を失うような大きな境界変更ではありますので、市区町村変遷情報に追加できないものなのでしょうか。どうぞご検討願います。

御承知のように、市区町村変遷情報は、当初は境界変更は対象としていませんでした。

その後、[63303]でご報告したように、境界変更のうち大字単位(≒近世村単位)のものは、事実上の近世村の廃置分合にあたり、「町村」の変遷といえることから、対象として追加しました。趣旨は、あくまで「市区町村の変遷」であることから、境界変更のうち、大字単位未満であっても、市制町村制以前に廃置分合を実施した結果、結果として大字単位とはならなかったものの事実上近世村単位であるものは、「大字単位」未満であっても対象とする、というものでした。

ただし、この定義を、私は自ら広げてしまっています。[66979]では、S30.7.10付けで岐阜県美濃市大字東志摩を関市へ境界変更する件を、
大字東志摩は藩政村未満かもしれませんが、大字単位として、市区町村変遷情報の対象としました。
と述べ、近世村(藩政村)未満であることを承知の上で、「大字単位」であることを意識して、市区町村変遷情報の対象としました(参考)。

それ以降も、同様の考えで、いくつか同様のものを対象として編集作業を行いました。
――――――――――
[77488][79522]拙稿でも述べたましたが、私自身の考えでは、市区町村変遷情報から発展させて、市区町村内の町・大字を整理して示すことを目論んでいます。これを見据えて、市区町村の変遷を表形式で示す試行品を仮に作成し、「近世村≒町・大字」であることを簡便に表示することを意識してみました([57396][57435])。
最近は、この試行品を、もっと全国的に試行してみようと、手元作業で各県のものを一部作成しています。香川県は全市町が完成、徳島県・愛媛県は約半数が完成。青森県(つがる市)、福島県(いわき市・会津若松市)、石川県(白山市・かほく市など)、愛知県(豊田市)なども試行。近世村と町・大字との関係、地番区域に関しては、地域による相違も大きいでしょうから、あと数県、試行してみようと考えています。

幾つかの事例を作成する過程で、この試行品での町・大字表示についての様々な問題点も出てきました。
・都市部(近世期から城下町などで都市化が進んでいた地域、近代以降の都市化により近世村=町・大字がほとんど一致しない地域)では、試行品で町・大字を表示することは困難である。
・地番区域が大字単位でない地域(ほとんどは小字単位の地番区域と思われる)では、町・大字だけでは住所の表記が不十分であるため、やはり小字の表記も付記することが適切であろうと思われ、試行品では表記が困難である。
などです。

現時点での直観的な意見としては、試行品は、あくまで近世以降の市区町村の変遷を表形式でわかりやすく表示することを目的とするのにとどめ、別形式として、町・大字(地番区域が小字単位である地域はその小字も付記)の一覧を示すメニュー(地番区域、住居表示実施の有無も)を設ける手法があるかも、と考えています。
もっとも、これらについてはグリグリさんと調整した訳ではなく、現時点では私個人の独り言の域を出ないものです。

――――――――――
閑話休題。
まだ私自身の考えでも最終結論には至っていない段階なのですが、市区町村変遷情報をそのまま町・大字の表記メニューに活用するのはちょっと不便・不適当な点も多く、ある程度は転用できるとしても、最終的には「別のもの」として捕えて考える方がよいのかもしれません。この場合、「近世村未満の境界変更であっても町・大字単位であれば市区町村変遷情報の対象とする」という従来の方針は見直し、あくまで「近世村単位での境界変更のみを市区町村変遷情報の対象とする」と、編集方針を変更するべきではないか、とも思っています。その方が、対象の定義もより明確なのではないか、と考えています。その場合、境界変更の面積の多寡による判断も不要となり、客観的に対象を限定することも容易であると考えます。

いずれにせよ、この件についての皆様のご意見をいただければ幸いです。それを踏まえて、再度検討する予定です。

[79659] 2011 年 11 月 21 日 (月) 16:00:19 中島悟 さん
 趣味はプライスレス

[79648]MasAkaさん
労い有難う御座います。でも楽しんでやってます。

七戸町と東北町の2町は第3区に入れるほうが納得できます。
上北郡は、全国で唯一、地続きの郡域を新たに分割した所です。
(鳥取県東伯郡と沖縄県中頭郡は元々分割されていましたので)
分割に際しては、二通り考えてみました

簡易裁判所などの管轄
青森:野辺地,七戸,横浜,東北,六ヶ所
八戸:六戸,おいらせ

陸運事務所などの管轄
青森:野辺地,横浜
八戸:七戸,六戸,東北,六ヶ所,おいらせ

どちらが現地の実情に合っているのか判断がつかなかったので、より人口が平均化する前者を採用してみました。

左京区は現状でも東山区と山科区で第2区を構成していますが、異論は特にありません。上記の神奈川8区同様、この辺はたぶん変えようがないですね。
実は、こういうのも考えたんです
京都2400千伏見区(醍醐),左京区,東山区,山科区
京都3469千伏見区(醍醐除く),向日市,長岡京市,八幡市,乙訓郡,久世郡
たぶんこのほうが実情に合ってると思えるのですが、どうでしょう。
醍醐地域は東山区よりも人口が多いので、いっそ分区してくれたらいいのに。

福岡市周辺の区割りは地理的な制約もあるのでこれがベターなのかな……、といった感じです。これも異論はありません
福岡県は現1〜5区の範囲が福岡都市圏に一致しているので、あまり弄りたくなかったのですが、
2区の人口が基数の1.30倍になっているので調整しました。
一旦動かしてしまうともう選択肢は無かったのですが、古賀市と鞍手郡が一緒というのはやっぱり違和感あります。

[79658] 2011 年 11 月 21 日 (月) 08:23:17 千本桜 さん
 仙台区から仙台市に移行する時点での町名・まとめ2

88さんへ。[79657] の続きです

[79282] でも書きましたが、もう一度、明治41年発行「仙台市史」を引用しながら仙台区の町について書きます。なお、仙台市史は町数を載せていないので、私が町名を追いながら計算しています。

【ステップ1】郡区町村編成法が発布された明治11年から始めます。仙台市史は次のように書いています。
明治11年7月22日布告第17号を以て郡区町村編成法を発布せられ、庁下を仙台区と称し、区長一員を置かる、是に於いて仙台は一の独立行政区となれり、此年11月区内を5部に分ち毎部町場持4人乃至6人を置き、部内を4分又は6分して布告布達等の事務を取扱はしむ、之を区行政の区画とする
と記述して、第1部(河原町など31町)、第2部(片平丁など74町)、第3部(南町など50町)、第4部(国分町など59町)、第5部(八幡町など39町)を挙げ、計253町を掲出しています。しかし、この町数は要注意です。延長の長い町は2つの部に分割され、双方の部に町名が載っているからです。つまり重複記載です。このような重複記載が25ありますから、253-25=228で実際は228町になります。

【ステップ2】次に、市史は明治14年に行われた区画変更の記述に進みます。
明治14年4月15日、仙台区と宮城郡南目、荒巻、小田原各村の内、地所交換、区は差引6町1反7畝15歩余を増せり、同年10月24日、1名称にして数町に亘る市街区分を左の如く定めらる
と記述して、140の町名を掲出し、各町を幾つかの丁目に細分しています。具体的には、国分町(1丁目より5丁目まで)、北二番丁(1丁目より14丁目まで)のように書いてあり、丁目の合計数は402になります。この丁目区分は、本当に明治14年に定められたのかは疑わしい。なぜなら、明治13年出版の宮城県仙台区全図に既に丁目が表示されているからです。この区分は、市制直前の町名解決に繋がらないようなので思いきって無視します。

【ステップ3】次に、市史は明治15、18、19年に行われた行政組織と区画更正の記述に進みます。その全文を引用します。
同15年10月行政区画を改めて、各町組合を設け組毎に組長1人を置き、18年4月1日之を更正して140組とし、同時に組長設置規則を改め、組長は満25歳以上にして組内に不動産を所有するものより選挙し、任期を3ヶ年として専ら組内の布告回達、納税注意、戸籍方並に篤行者、極貧者の取調を司り兼ねて共同の事件に関係せり、其筆紙墨料は1ヶ年1戸に付拾銭を徴せり、明治18年10月15日追廻組を中ノ町組に合併、19年2月13日更に改めて56組とし、翌月29日北七番丁(堤通東)を北二、三、四、五、六番丁東組に、北七、八、九番丁(通町東 堤通西)を通町組に変更せり、其名称及区画は左の如し
として、八幡町組(八幡町、坊主町ほか3町)、花京院通組(花京院通、空堀丁ほか6町)など56組207町の名称を掲出しています。207町の名称は下記のとおりです。207町を原文のまま書き出せれば良いのですが、誤字脱字があったり、複数の組に跨がる町については重複記載の調整が必要なことから、私が手を加えています。[79282] に記載した207町をもう一度掲載します
河原町, 新河原町, 新河原町東丁, 南石切町, 新弓ノ町, 八軒小路, 南染師町, 南鍛冶町, 南材木町, 穀町, 三百人町, 五十人町, 六十人町, 畳屋丁, 保春院前丁, 成田町, 表柴田町, 裏柴田町, 元茶畑, 椌木通, 木ノ下, 西新丁, 東新丁, 荒町, 連坊小路, 清水小路, 北目町, 上染師町, 田町, 南町, 柳町, 大町一丁目頭, 大町一丁目, 大町二丁目, 大町三丁目, 大町四丁目, 大町五丁目, 大町五丁目新丁, 新伝馬町, 名掛丁, 二十人町, 榴ヶ岡, 舟丁, 堰場, 石名坂, 弓ノ町, 土樋, 猿牽丁, 姉歯横丁, 石垣町, 米ヶ袋上丁, 米ヶ袋中丁, 米ヶ袋下丁, 米ヶ袋十二軒丁, 米ヶ袋広丁, 米ヶ袋鍛冶屋前丁, 七軒丁, 鉄砲横丁, 桜小路, 道場小路, 伊勢屋横丁, 六軒丁, 片平丁, 本荒町, 良覚院丁, 狐小路, 袋町, 中ノ町, 琵琶首丁, 琵琶首新丁, 花壇, 花壇川前丁, 霊屋下, 越路, 越路六軒丁, 越路路地町, 宮沢, 川内大橋通, 川内柳丁, 川内中ノ瀬町, 川内大工町, 川内川前丁, 川内明神横丁, 川内元支倉, 川内澱橋通, 川内元支倉通, 川内新横丁, 川内数寄屋丁, 川内亀岡町, 川内亀岡北裏丁, 川内三十人町, 川内山屋敷, 肴町, 立町, 立町新丁, 本柳町,元櫓丁, 定禅寺通櫓丁, 元鍛冶町, 常盤町, 北材木町, 本材木町, 跡付町, 木町末無, 立町通, 定禅寺通, 南町通, 南光院丁, 教楽院丁, 薬鑵小路, 裏五番丁, 柳町通, 北目町通, 新寺小路, 国分町, 二日町, 北鍛冶町, 通町, 北田町, 堤町, 支倉町, 木町通, 新坂通, 土橋通, 支倉通, 半子町, 伊勢堂下, 神子町, 北山町, 八幡町, 坊主町, 江戸町, 覚性院丁, 石切町, 中島丁, 切通, 十二軒丁, 北五十人町, 滝前丁, 角五郎丁, 角五郎新丁, 澱町, 勾当台通, 表小路, 外記丁, 堤通, 外記丁通, 同心町通, 中杉山通, 光禅寺通, 二本杉通, 杉山通, 元寺小路, 茂市ヶ坂, 掃部丁, 末無掃部丁, 大仏前, 同心町中丁, 元貞坂, 空堀丁, 新名懸丁, 新小路, 花京院通, 長丁, 長刀丁, 北六軒丁, 鉄砲町, 車町, 小田原山本丁, 小田原裏山本丁, 小田原車通, 小田原宮町東裏丁, 小田原東丁, 小田原袖振丁, 小田原遣水丁, 小田原長丁通, 小田原高松通, 小田原金剛院丁, 小田原広丁, 小田原大行院丁, 小田原牛小屋丁, 小田原清水沼通, 小田原弓ノ町, 小田原北一番丁通, 小田原北二番丁通, 小田原北三番丁通, 宮町, 東一番丁, 東二番丁, 東三番丁, 東四番丁, 東五番丁, 東六番丁, 東七番丁, 東八番丁, 東九番丁, 東十番丁, 北一番丁, 北二番丁, 北三番丁, 北四番丁, 北五番丁, 北六番丁, 北七番丁, 北八番丁, 北九番丁, 北十番丁

【ステップ4】次に、市史は明治22年3月に行われた区域変更の記述へ進みます。仙台区消滅直前の区域変更です。
而して区は22年3月31日更に区域を変更すること左の如し
と述べて、宮城郡荒巻村の一部(字山上清水, 字滝前, 字宮裏, 字上郡山, 字中丿沢)、宮城郡小田原村の一部(字小野田, 字杉山)、宮城郡南目村の一部(字柳沢, 字二軒茶屋)、宮城郡南小泉村の一部(字八軒小路, 字行人塚, 字五ツ谷, 字桃源院東, 字鍛冶屋敷, 字広瀬川橋下)、名取郡長町村の一部(字窪谷地の一部)を仙台区に編入。また、仙台区宮沢の一部を名取郡茂ヶ崎村に編入し、仙台区北六番丁の一部を宮城郡原町に編入したと記しています。

以上のことから、88さんが纏めておられる市区町村変遷情報に載せるべき仙台の町は、【ステップ3】で掲載した207町および【ステップ4】で掲載した周辺村との区画変更だと思いました。しかしその後、市史に町名書き漏れの疑念をいだき、各種資料を突き合わせてチェックしました。チェックの方法は[79312]に書いたとおりです。その結果、上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通の4町が書き漏れとして浮上しました。
しかし、大聖寺裏門通(現在の青葉区本町二丁目錦町公園付近)で頭を抱えてしまいました。地籍があっても家屋が消滅して無人になっていた可能性が見え隠れするからです。大聖寺裏門通という地籍があったとする根拠は歴史的町名復活検討委員会の29ページ「旧城下の町名(住居表示実施直前の町名)一覧」と36ページ右側の地図に大聖寺裏門通の表記があるからです。また、明治22年当時は無人になっていたかも知れないという根拠は、36ページ右側の地図に線引きされた大聖寺裏門通の区域が非常に狭いことに加え、明治後期の地図には家屋のない更地ふうに描かれているからです。
大聖寺裏門通が無人か有人かで引っ掛かり、前進できないでおりましたが、これ以上考えるのは止めましょう。仙台区から仙台市に移行する時点で、上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通の4町は存在していたと決着をつけます。そうしないと埒があきません。

上記を踏まえ、明治22年仙台区消滅直前の町数は、【ステップ3】に掲げた207町に上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通の4町を加え、211町に訂正したいと思います。【ステップ3】に掲げた207町のうち、六軒丁を南六軒丁に修正し、宮沢と北六番丁に(微)を付し、新たに加える上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通は、それぞれ適宜な位置に挿入しました。はたして判断が正しいのか否か自信はありませんが、自分なりに出した結論に従い仙台211町5村を掲出しますので、市区町村変遷情報を下記のように修正してください。

河原町, 新河原町, 新河原町東丁, 南石切町, 新弓ノ町, 八軒小路, 南染師町, 南鍛冶町, 南材木町, 穀町, 三百人町, 五十人町, 六十人町, 畳屋丁, 保春院前丁, 成田町, 表柴田町, 裏柴田町, 元茶畑, 椌木通, 木ノ下, 西新丁, 東新丁, 荒町, 連坊小路, 清水小路, 北目町, 上染師町, 田町, 南町, 柳町, 大町一丁目頭, 大町一丁目, 大町二丁目, 大町三丁目, 大町四丁目, 大町五丁目, 大町五丁目新丁, 新伝馬町, 名掛丁, 二十人町, 榴ヶ岡, 舟丁, 堰場, 石名坂, 弓ノ町, 土樋, 猿牽丁, 姉歯横丁, 石垣町, 米ヶ袋上丁, 米ヶ袋中丁, 米ヶ袋下丁, 米ヶ袋十二軒丁, 米ヶ袋広丁, 米ヶ袋鍛冶屋前丁, 米ヶ袋中ノ坂, 米ヶ袋鹿子清水通, 七軒丁, 鉄砲横丁, 桜小路, 道場小路, 伊勢屋横丁, 南六軒丁, 片平丁, 本荒町, 良覚院丁, 狐小路, 袋町, 中ノ町, 琵琶首丁, 琵琶首新丁, 花壇, 花壇川前丁, 霊屋下, 越路, 越路六軒丁, 越路路地町, 宮沢(微), 川内大橋通, 川内柳丁, 川内中ノ瀬町, 川内大工町, 川内川前丁, 川内明神横丁, 川内元支倉, 川内澱橋通, 川内元支倉通, 川内新横丁, 川内数寄屋丁, 川内亀岡町, 川内亀岡北裏丁, 川内三十人町, 川内山屋敷, 肴町, 立町, 立町新丁, 本柳町,元櫓丁, 定禅寺通櫓丁, 元鍛冶町, 常盤町, 北材木町, 本材木町, 跡付町, 木町末無, 立町通, 定禅寺通, 南町通, 南光院丁, 教楽院丁, 薬鑵小路, 裏五番丁, 柳町通, 北目町通, 新寺小路, 国分町, 二日町, 北鍛冶町, 通町, 北田町, 堤町, 支倉町, 木町通, 新坂通, 土橋通, 支倉通, 半子町, 伊勢堂下, 神子町, 北山町, 八幡町, 坊主町, 江戸町, 覚性院丁, 石切町, 中島丁, 切通, 十二軒丁, 北五十人町, 滝前丁, 角五郎丁, 角五郎新丁, 澱町, 勾当台通, 表小路, 外記丁, 堤通, 外記丁通, 上杉山通, 同心町通, 中杉山通, 光禅寺通, 二本杉通, 杉山通, 元寺小路, 茂市ヶ坂, 掃部丁, 末無掃部丁, 大仏前, 同心町中丁, 元貞坂, 大聖寺裏門通, 空堀丁, 新名懸丁, 新小路, 花京院通, 長丁, 長刀丁, 北六軒丁, 鉄砲町, 車町, 小田原山本丁, 小田原裏山本丁, 小田原車通, 小田原宮町東裏丁, 小田原東丁, 小田原袖振丁, 小田原遣水丁, 小田原長丁通, 小田原高松通, 小田原金剛院丁, 小田原広丁, 小田原大行院丁, 小田原牛小屋丁, 小田原清水沼通, 小田原弓ノ町, 小田原北一番丁通, 小田原北二番丁通, 小田原北三番丁通, 宮町, 東一番丁, 東二番丁, 東三番丁, 東四番丁, 東五番丁, 東六番丁, 東七番丁, 東八番丁, 東九番丁, 東十番丁, 北一番丁, 北二番丁, 北三番丁, 北四番丁, 北五番丁, 北六番丁(微),, 北七番丁, 北八番丁, 北九番丁, 北十番丁, 宮城郡 荒巻村(微), 小田原村(微), 南目村(微), 南小泉村(微), 名取郡 長町村(微)

[79657] 2011 年 11 月 21 日 (月) 08:13:39【2】 千本桜 さん
 仙台区から仙台市に移行する時点での町名・まとめ1

苦めのコーヒー飲みながら独り言。国土地理院地形図の集落名は地籍の字名・町名とは限りません。地籍があっても家屋がなければ字名を載せないし、家屋があれば地籍に関係なく通称地名でも載せています。内務省地理局は国土地理院の前身だから発想は似ていたかも知れない。内務省地理局編纂の郡区町村一覧、地方行政区画便覧が掲出した「仙台の町名」には、町名らしからぬ名称が多数混入しているようです。それを基に編纂したであろう新旧対照市町村一覧、幕末以降市町村名変遷系統図総覧もまた然り。ほかの都市については目を通していないので何とも言えませんが、「仙台の町名」を見ていると、郡区町村一覧、地方行政区画便覧、新旧対照市町村一覧、幕末以降市町村名変遷系統図総覧は、やはり要注意のようです。

88さんへ
[78879] [79092] [79249] [79282] [79289] [79312]のまとめです。仙台区から仙台市へ移行する際の町名確認は戸惑いの連続でした。資料によって記述がまちまちだからです。そんなこんなで時間が経ちましたが、私なりの結論を出さなくてはなりませんね。でも、ちょっと気が重いです。これまで見てきた資料10点・AからJまでを振り返ります。

A・【宮城県仙台区全図 復刻版 解説書】
平成17年に復刻出版された宮城県仙台区全図(明治13年 宮城県地理課編集)に関する解説書です。その一部分を引用します。
本図右上部に、「町数305、戸数12,151、人口55,170」と、当時の市勢を掲出している。この町数305には、村落の小字にあたる地区名称(例えば川内中ノ坂通、追廻山下丁、小田原袖振丁など)、及び地区内にある小道(例えば梅原前丁、石名坂横丁、八幡町三丁目横丁)なども加えられていて、県の布例等に記載されている数値とは大きな差がある。ちなみに、明治9年中の県の記録に残された町数は、次のとおりとなっている。
1・明治9年「陸前国仙台区各村町調書」町数280→県公文書館蔵
2・明治9年12月2日「県甲160号」町数137→県公文書館蔵
3・明治9年国史「内閣文庫59022号」町数137→県図書館蔵
なお、史料3に掲載されている「町名」のすべてを、本図発行以降の町名変遷の原点とみなし、原文のまま採録しておく。
と記述して、明治9年国史「内閣文庫59022号」の137町を列記しています。その町数と町名は、B・仙台の大小区変遷およびC・更正区画とまったく同じです。文献A・B・Cから分かることは、明治9年および明治11年3月に宮城県第三課地籍係が確認した町数は137町だったということです。ただし、この解説書に書いてある、明治9年「陸前国仙台区各村町調書」町数280という記述は誤りで、正しくは、発行年不明「陸前国仙台区各村町調書」町数254です。原本を見て町数を数えましたから間違いありません。

B・【1876(明治9)年 仙台の大小区変遷 宮城県史】
明治9年11月の町名が掲載されています。小六区に属するものが58町、小七区が35町、小八区が49町で計142町です。しかし、東一番丁、東二番丁、東三番丁、東四番丁、元寺小路の5町は、2つの小区に跨がっているため重複記載されています。この重複を差し引くと142−5=137になります。つまり、明治9年11月の町数は137ということです。


C・【1878(明治11)年  更正区画 宮城県第三課地籍係】
この文献は図書館に蔵書がないので、知人から複写版を拝借しました。原本は毛筆和綴本で、裏表紙には「明治十一年三月改正方記録係ニテ取調 改正セシヲ写而地籍方定備トス」と書いてありますが、なぜか表紙には「明治九年 更正區畫 第三課 地籍係」と書いてあります。この文献に書いてある町名は、B・仙台の大小区変遷の町名と全く同じです。つまり、明治11年3月の町数は137ということです。問題は、137町のまま仙台区へ移行したかどうかですが、仙台区発足時点(明治11年7月)の明確な町名記録がないので何ともいえません。ところが、下に掲げる資料D・E・Fでは305町に増え、資料G・Hでは297町となっています。1つずつ資料に目を通してみましょう。まず、D・明治13年 宮城県地理課編集 宮城県仙台区全図からです。

D・【1880(明治13)年9月14日出版 宮城県仙台区全図 宮城県地理課編集】
出版は明治13年ですが、調査はそれ以前で、明治11、12年ごろの仙台を描いていると推察します。この地図には、A・復刻版解説書で述べたように、「町数305、戸数12,151、人口55,170」と書いてあります。江戸期の絵図と違い、一定の図式に基づいて表示された実測図で、横丁や袋小路の小道も描かれ、その小道には名称(例えば角五郎川前丁ヨコ丁、北材木町一丁目末ナシなど)も付されています。これらの小道名も町名と見なしているので、町数は305に跳ね上がっています。E・郡区町村一覧と密接に連動しているようです。

E・【1881(明治14)年  郡区町村一覧 内務省地理局】
この文献はネット閲覧できます。明治12年12月調査に基づき305町を掲載しています。掲載してある町名は、D・宮城県仙台区全図の町名と一致します。ただし、Dはヨコ丁、末ナシ、サクラ小路などカタカナ表記も交えて自由奔放。対して、Eは「丁」と表記すべきもの(例えば北一番丁、片平丁など)も、「町」を用いて北一番町、片平町と表記しています。仙台の慣例を無視した誤記といえるでしょう。さらに、木町通を誤って本町通と表記しています。これらの誤記は、後に発行されるF・地方行政区画便覧に遺伝し、G・新旧対照市町村一覧とH・幕末以降市町村名変遷系統図総覧にも伝染していきます。余談ですが、郡区町村一覧は宮城県の最後に「伊達郡湯原村」という珍郡村名を掲出しています。誤記にしてはあまりに大胆。

F・【1887(明治20)年10月刊行 地方行政区画便覧 内務省地理局編纂】
この文献はネット閲覧できます。内容はE・郡区町村一覧の流れを汲んでいて、Eの誤記をそっくり誤記しています。さらに本荒町を木荒町、新寺小路を新小寺小路と誤記したほか、町名記入欄に記入漏れがあり、1マス空白になっています。この空白マスに記入すべき町名は北九番丁です。町数は305町でEと同数ですが、経年変化で町名が入れ替わっています。Eに記載された榴ヶ岡梅原前町、榴ヶ岡二十人町通、榴ヶ岡神明脇町は、榴ヶ岡という名称に1本化されて2町減。新たに有巴沢町一丁目、有巴沢町二丁目が加わって2町増。奇しくも差し引きゼロで、町数はEと同数の305になっています。ところで、当時の内務省地理局は、町の消滅や発生をどのように捉えていたのでしょうか。例えば、町が消滅するとは、地籍が消えることか、住民がいなくなることか?。どちらでしょう。

G・【1889(明治22)年11月15日 新旧対照市町村一覧 東京和泉橋警察署著】
この文献はネット閲覧できます。内容はF・地方行政区画便覧の流れを汲んでいて、Fの誤記をそっくり誤記しています。この文献に記載された町村数は297町4村(南小泉村ノ内、荒巻村ノ内、小田原村ノ内、南目村ノ内)です。Fの305町から1町増加し、9町減少して297町です。増加した1町は古城。減少した9町は川内追廻西町、川内追廻山下町、川内追廻川前町、川内追廻中町、川内追廻九軒町、川内追廻東町、川内追廻通、薬缶小路、大聖寺裏門通です。川内追廻を冠称する町々が消えたのは、この地が軍用地となり、かつての町並みが消滅したからです。それなのに、川内追廻川前町末無だけは新旧対照市町村一覧の中に残っています。川内追廻川前町が消えたのに、そこから枝分かれした袋小路の川内追廻川前町末無だけが存続するのは地理的に絶対無理です。記載ミスの可能性があります。また、薬缶小路、大聖寺裏門通については、本当に消滅したのか否か半信半疑です。

H・【1995(平成7)年8月発行 幕末以降市町村名変遷系統図総覧 太田孝 編著】
誤字を無視すれば、掲載された町名はG・新旧対照市町村一覧の町名と一致します。町村数も297町4村で同数です。この幕末以降市町村名変遷系統図総覧には以下の問題点があります。
1つ目。掲載された297町の中には、自治体町名にあらず、町の中を通る小道(横丁・袋小路)の名称が混在しています。例えば、東九番町一丁目横町、角五郎川前横町、北材木町末無、元材木町横町末無など、その他多数です。たとえこの横丁や袋小路に家屋が張り付いていたとしても、自治体を形成するほどの規模に達していたか疑問です。地図で北材木町末無を見てみましょう。はたして、この小道に戸数が何戸張り付くことができたでしょう。これらの小道が江戸期の市廛を起源とする明らかな自治体町(例えば大町、南町、国分町など)と同等に扱われていることが不思議です。これはE・F・G・Hに共通した問題点です。
2つ目。仙台は「丁」と「町」を使い分ける習わしがあります。「丁」を用いる例として、小田原山本丁、片平丁、東一番丁、北十番丁など、その他多数あります。しかし、E・郡区町村一覧はこの習わしに反して小田原山本町、片平町、東一番町、北十番町と書き表わし、画一的に「町」で統一しました。これは表記の「揺れ」や「おおらかさ」では済まないことで、明らかに誤記でしょう。これもまたE・F・G・Hに共通した問題点です。
3つ目。単純ミスによる誤字が散見されます。カッコ外が誤、カッコ内が正です。大町二丁目櫓町(大町二丁目横町)、川内裏下馬町(川内裏下馬通)、小田原振袖町(小田原袖振町)、新小寺小路(新寺小路)、外記通(外記町)、本町通(木町通)、立町新前通(立町新町通)。本来なら「丁」と「町」を使い分けるべきですが、原文のまま「町」で統一しました。

I・【作成年不明  陸前国仙台区各村町調書 宮城県地籍係】
毛筆和綴本の原本を宮城県公文書館で閲覧しました。調書には作成年が書いておらず、蔵書整理の上では明治9年の文献として扱われています。しかし、赤鉛筆で「明治9年村町調書は内容を見ると明治11年以降と思われる」と注意書きしてあります。また、この調書を原典とするJ・角川日本地名大辞典4宮城県 資料編 小字一覧は、調書の作成年を明治17、8年と推定しています。H・幕末以降市町村名変遷系統図総覧は297町を掲出していますが、この調書が掲出しているのは254町です。その差、43町。その差の主因は、この調書が横丁、末無の大部分(例えば竹屋横町、川内新横町末無、北目町末無など)を掲出していないからです。やはり、横丁、末無の多くは町名にあらず、小道の名称なのだという思いが深まります。

J・【角川日本地名大辞典4宮城県 資料編 小字一覧】
この小字一覧の原典は、I・陸前国仙台区各村町調書です。原典の町数は254ですが、小字一覧では1町少なく253です。薬缶小路という町名を書き漏らしているからです。さらに、河原町東裏町を河原町東新町、新坂通を新坂町と誤記しているほか、片平丁を片平町と表記するなど、「丁」を「町」と記した誤りが散見されます。日本地名大辞典4宮城県をお持ちの方は、どうぞチェックしてみてください。

以上、AからJまで10点の資料を挙げました。これを原典別に3グループに分類します。

グループ1:明治9年国史「内閣文庫59022号」または宮城県第三課地籍係更正区画を根拠とするもので、A・B・Cが該当します。掲出町数はいずれも137町です。

グループ2:宮城県地理課または内務省地理局を根拠とするもので、D・E・F・G・Hが該当します。掲出町数はD・E・Fが305町、G・Hが297町です。町数305と297の違いは経年変化で発生したものです。

グループ3:宮城県地籍係「陸前国仙台区各村町調書」を根拠とするもので、I・Jが該当します。掲出町数はIが254町、Jが253町です。Jが1町記載漏れしているので町数に違いが生じています。

ここまで書いても仙台市制直前の町名に結論が出せません。どの資料を信じて良いのやら、はっきり言って分かりません。やはり、頼りは仙台市史でしょうか。頁をあらため、仙台市史の記述に移ります。

書込訂正機能で、下から3行目、「D・Eが305町、F・G・Hが297町」を「D・E・Fが305町、G・Hが297町」に訂正しました。
書込訂正機能で、C・【1878(明治11)年  更正区画 宮城県第三課地籍係】の記述中、「仙台市発足時点(明治11年7月)」を「仙台区発足時点(明治11年7月)」に訂正しました。

[79656] 2011 年 11 月 21 日 (月) 01:22:24 リトル さん
 オフ会初参加感想文

長らく御無沙汰しておりました。
グリグリさんには御報告しましたが、残念ながら昨年に続き今回もオフ会不参加です…涙。

私は第6回(2009年11月岡山市苫田温泉)に1度参加しました。
その際に感じた初参加者の感想を思い付くまま書き出してみます。
参加を迷っている方の御参考にでもなれば幸いです。

▲一見さん大歓迎!
参加前の一番の不安は「常連ガッチリの閉鎖的な雰囲気では?」の心配だと思います、しかしそんな心配は無用でした。
・部屋割りは幹事さんの心遣いにより、ベテランさんと初参加者をうまく組み合わせてもらい安心でした。
・宴会も籤による席決めによりうまくミックス。
・二次会も、強制は無し。
(でも実際は皆が希望してほぼ全員参加でしたが)
・帰路の駅までの送迎も皆さんの協力で上手く手配していただきました。
→この様に完璧な運営で、基本的に何も心配は無く(初参加でも無理強いされず、孤立もせず、楽しめる)でした。

▲メンバーはどんな人?
・ここの書き込みから、参加前は「老練な学者風」の人ばかりの学会的なイメージがありました。
しかし参加してみると意外な平均年齢の若さにびっくりしました。
名前を聞くと「え!あの書き込みがこんな若い人?」なんて事も。
・一番の興味は「グリグリさんってどんな人?」で、くどいおじさんが現れたらどうしよう?と思っていましたが、実際に会うとニコニコした人で安心しました。
・更に心配(期待?)した「自分中心のくどい地理ヲタク」はおられず、皆さん紳士淑女で御親切でした。
(「帰路送りましょうか?」と何人かの方に御気使い頂き恐縮しました)

▲色々な方向の面白さ満載
・皆さん博識なので何を訊いても大抵答えが返ってくる感動がありました。
私は岡山の古い地図を持参し、色々質問しましたが深い回答が返ってきました。
・クイズ大会もハイレベルで、その景品も面白かったです。私は欲しかった「神戸の自販機で売っている焼き肉のタレ」を獲得出来ました。
・話題は軽いオヤジギャグ(?)から深い話まで多彩…。
二次会でのニジェガロージェッツさんの阪神淡路大震災の話で、私もしんみり色々思い出しました。かと思うと、その他多少マニアックな会話もOKでした。
・落書き帳での疑問を直に質問できます。
以前から気になっていた「市区町村変遷情報」の調査法について88さんに聞きましたが疑問氷解しました。
(88さん、宴会時に初対面の酔っぱらいおやじがにじり寄ってきて質問、びっくりされたでしょう?失礼しました)
・私は方言が好きですが、生の方言が聞けたのも良かったです。
特にかぱぷうさんの博多弁、格好良かった!
・副産物として、オフ会遠征旅の「前後のついで」も楽しく。私は前の「駅寝+水島臨海鉄道撮影」、
後の「岡山路面電車撮影+古書店調査」「山陽電鉄乗車」等々堪能しました。

▲私のその後
仕事で紹介された人はすぐ忘れる私が、オフ会では20数名の名前と顔を記憶しました。
帰宅後、あまりに私が何度も喜々として話すので、私の単独外出をあまり歓迎しない妻がその後毎年「今年の行き先と日時は決まったの?」と後押ししてくれました。
残念ながら今年も参加できませんが、次回は鉄道の話なども出来ればと思っています。

▲行かないと勿体ない!
この様に、ここのオフ会はぜひお薦めだと思います。
御都合と予算が合い参加が可能な方は、一人でも多くの方が参加されることを願っています。
あなたも「知の巨人」達に会いに行こう!


以上、長々と失礼しました。
当時、色々と御世話になった方々、改めてありがとうございました。

今年も開催日が近づいてきましたが、常連の皆様も楽しんできて下さい。
寒中ご自愛を。

リトル

[79655] 2011 年 11 月 20 日 (日) 23:35:07 いろずー さん
 赤穂は休み?

[79653]MasAka さん
同じ事考えていた都民です
高校は私立でしたが
設立記念日が都民の日だったので
普通に休むのが当たり前でした
県民の日以外で、自治体単位で休校日になる例
もうすぐ12月ですが
クリスマス前に赤穂市の一部の学校(かどうかうろ覚えですが)
毎年12月14日に休むと
先日のB-1会場で聞きました
その人曰くその日は義士祭です。

その日の仕事は休むかどうかは聞くの忘れたのでわかりません

[79654] 2011 年 11 月 20 日 (日) 21:19:52【2】 k-ace さん
 東播・西播・北播・中播

播州出身者から。
[79652]いろずーさん
現11区が旧姫路市で、現12区が旧姫路市を除く西播(西播+中播)。
私の認識では、西播(広義)を姫路市とそれ以外の地域に分けているのだと。
衆議院の小選挙区と地域及び県民局域が必ずしも一致するわけではないし、そもそも中播の括りがそれほど強いものとも思えないので、それに拘っていてもあまり意味ないと思うのですが。

仮11区のほうが既に人口多いわけだし。姫路市になった旧4町はともかく、現12区(また、中島悟さんの仮12区)の神崎郡を無理矢理仮11区にくっつける必要もなさそうだけど。まして神崎郡内で分ける必要は更に…。

まず播州を分けると、
おおむね「加古川水系」以東の自治体が東播で、「市川水系」以西の自治体が西播。
そこから必要に応じて、東播から北播(北播磨県民局域)・西播から中播(中播磨県民局域)が分かれると。
ということで、北播県民局地域は東播地区でもあるし、北播地区でもある。中播県民局域は西播地区でもあるし、中播地区でもある。
なので中播の枠組にとらわれなくてもいいのでは?
加西市の場合でも、学校の部活動の大会も、東播大会(広義)だったり北播大会だったりしたし。
あ、現兵庫4区だって、北播+神戸市西区だし。神戸市西区もそもそもは播州(明石郡)だけど。

この分割とは無関係に気象庁の気象警報発表区域の「市町村等をまとめた地域」では北播(北播丹波)は西脇市と多可郡で、それより南の東播(広義)はすべて播磨南東部。こちらは気候(山間部か平野部か)の関係でこの分け方になっているんでしょうけど。
(余談)宍粟市の波賀町・千種町あたりが奥播磨とか名乗ってたりもするけど。

[79653] 2011 年 11 月 20 日 (日) 21:09:06 MasAka さん
 県民の日以外で、自治体単位で休校日になる例

[79651]でhmtさんが話題に挙げた県民の日ですが、埼玉県出身の私は大学生くらいになるまでどの県にも県民の日があって、公立の学校は休みになるものだと思っていました(おとなり東京都でも都民の日が休みでしたし)。

ところで、「県民の日」がない神奈川県ですが、その代替措置として(?)、横浜市の公立学校では横浜開港記念日の6月2日が一斉休校となります(リンク→横浜市こども青少年局)。[68699]にてIssieさんが2010年からこの日の休みを廃止するという話を紹介していましたが、結局生き残っているようですね。また、同様に川崎市も市制記念日(7月1日)が休校日になるというのが[28625]むじながいりさんによって紹介されています。

ちなみに川崎市は川崎市立小学校及び中学校の管理運営に関する規則により各学校の開校記念日も休日ですが、横浜市の横浜市立学校の管理運営に関する規則を見ると開港記念日はあっても開校記念日はないので、横浜市より川崎市の学校のほうが休みが多いということになりそうです。

神奈川県内の他市町村でこういう休日が制定されているところを見つけられていませんが、このように市町村独自の記念日を一斉休校措置にする例は探せばまだほかにもあるのでしょうか。

[79652] 2011 年 11 月 20 日 (日) 18:13:05 いろずー さん
 それなら

[79646]中島悟 さん
姫路市に神崎郡を足すと、人口が581677となり、
上限値の569143を超えてしまいます
やってもたーorz
正直悩んだが神崎郡の内
神河と市川を12区へ
福崎を11区へ分けるしかないでしょう…

こうすれば11区は569143以下だろうと思うのだが

特に神河の場合通学地域が現段階でも複雑で
朝来地区の高校に通う人もおるではないでしょうか

問題は市川か。

[79651] 2011 年 11 月 20 日 (日) 17:37:09 hmt さん
 「県民の日」と「学校の休日」

「県民の日」が設けられているのは 11県。それに類する記念日を含めても 18都県と、47都道府県の中では少数派でした[79643]
「県民の日」は、関東地方で始まったことが、地理的分布から推察されます。

日付の由来は、明治4年の府県再編成と それに続く統合分離にちなむ日が大部分(15県)ですが、落書き帳では、学校の休日扱い に関する話題が多数を占めていました。

条例制定日では、1952年東京都条例第75号「都民の日条例」が最初と思われ、これは大正11年(1922)10月1日に定められた「自治記念日」遡ることができます。三市特例法によって「市」としては有名無実の存在であった「東京」が、市会によって選ばれた市長をもつ自治体として誕生した記念日(明治31年)[53890]です。
従って、名称は類似しているものの 「都民の日」は、「明治前期の府県誕生」を記念した「県民の日」とは 性格が異なります。

「県民の日」としては、昭和43年茨城県条例 が最初のものではないかと思われます。「明治百年」と呼ばれて、明治初期の歴史が世間の話題になった 1967年の翌年です。
これに続いて「明治4年の府県再編成」 100周年にあたる 1971年に 埼玉県も「県民の日」を制定しました。
この2県の学校が休みになり その様子が近県にも伝わり、波及効果で 千葉県(1984)・群馬県(1985)・栃木県(1985)・山梨県(1986)など続々と「県民の日」が作られるに至ったのは、それから 10年余を経た 1980年代でした。
静岡県となると 1996年制定とずっと後になり、しかも夏休み中の8月21日です。

休校となるケースの多い関東地方の中では、「県民の日」が休校日でない栃木県と、「県民の日」そのものがない神奈川県とが異色の存在に見えますが、全国的には「県民の日」にかこつけて学校を休むことの方が例外のようです。

蛇足?
「県民の日」がない神奈川県には 立庁記念日 というものがあるそうです。
たぶん一般の神奈川「県民」にとっては無関係な存在と思われますが、神奈川県庁の「中の人」にとっては どういう存在なんでしょうか?
“神奈川県の始まりはいつなのか?”という疑問に答えて、“幕府から新政府へという「体制の変化」こそが始まり”という見解を 「立庁記念日」という言葉で『県史』に記してあるだけ なのかもしれませんが。


ところで、学校の休校。実施している県においては、これが「県民の日」存在の周知につき、絶大な効果を発揮していると思われます。

しかし、少なくとも現行法では 「県民の日」だからと言って、「都道府県独自の休日」を勝手に作れるわけではありません。
この点について、[65454] EMM さんの発言があり、上記の記事集「学校は休み?」の末尾に収録してあります。
それによると、平成11年12月22日付で改正されている 地方自治法第4条の2の第3項によるものだそうです。

静岡県 県民の日に関するQ&A も、これを裏付けており、「自治体単位の一斉休日」は困難とのこと。
Q8 「県民の日」は休日にできないのですか。
A 地方公共団体が独自に休日を定める(地方自治法第4条の2第3項)場合。この場合は、特別な歴史的、社会的意義があって、住民がこぞって記念することが定着しており、その地方公共団体の休日とすることについて、広く国民の理解が得られる日であることが必要です。「盆、祭、市制記念日等」は、これに該当しないとされています(平成3年4月自治省行政課長通達)ので、「県民の日」を休日とすることは、現在のところ困難です。
なお、現在、沖縄県及び県内市町村の「慰霊の日」(6月23日)と広島市の「平和記念日」(8月6日)が、地方公共団体の休日となっています。
[68720] EMM さんも、「市民の祭礼の日」などが自治体独自の休日だったのが 取りやめになっている所が出ているようである と伝えています。

都道府県市区町村単位で、一斉に公立学校が休校なんて自治体はどこかある(あった)んでしょうか?

これは [68700] ただけんさん の疑問なのですが、「自治体単位の一斉休日」ではなく「自治体単位の学校休日」ならば、市町村の教育委員会規則などで決められるようです。例:皆野町
「埼玉県内一斉休校」のように見えるのは、市町村単位の処置が 「たまたま?」一致した 結果なのでしょう。

東京都の場合は、都民の日を休日にするか否かを 学校単位の裁量 で決めることができ、“教育委員会に届け出たら、かなり渋い顔をされましたが受理された”という報告もありました。出典2番目

[79650] 2011 年 11 月 20 日 (日) 14:00:17【1】 白桃 さん
 「平成の大合併」と自治体人口推移
白桃 「平成の合併」と人口減少

先だって「平成の合併の功罪について」をテーマとするテレビを見ていたら、ある地名研究家?が、多くの郡の消滅をもたらした平成の合併をなげいておりました。
私は、どちらかというと合併には批判的な立場をとっておりますが、そんなことで平成の合併を非難するのはどうかと感じました。
さて、10月26日に発表されました国勢調査確報では、旧市町村単位の人口も分かります。
そこで、「平成の大合併」と自治体人口推移との関連を、旧市町村からの視点で検証したいと考えております。

まず、旧市町村を次の4つに類型化します。
単独系:平成の合併を行わなかった市町村
併A系:合併に参加した他の市町村のいずれをも、1990年国勢調査時点での人口で2倍以上上回っている旧市町村
併B系:合併した旧市町村で、併A、併C以外の旧市町村
併C系:1990年国勢調査時点での人口において、参加中トップ人口市町村の人口の半分に満たない旧市町村

調査項目は
項目1.「平成の大合併が行われた10年間(2000年〜2010年)の人口増減率」・・・(A)
項目2.Aと「1990年〜2000年の人口増減率」・・・(B)の比較(A-B)
(私は項目2をより重視したいと考えます。)
偉そうなことを書いておきながら恐縮ですが、まだ三県しか調べておりませんので、途中経過報告とさせてください。

香川県愛媛県島根県
項目1項目2項目1項目2項目1項目2
県全体43-2.64%-2.59p70-4.13%-2.68p58-5.79%-3.29p
単独系地域8-4.34%-0.98p2-1.27%-2.57p62.04%1.08p
併A系地域60.40%-1.00p12-1.81%-3.01p10-4.19%-4.39p
併B系地域9-7.39%-4.26p14-5.31%-1.16p11-12.58%-4.48p
併C系地域20-5.64%-7.49p42-11.93%-3.72p31-10.17%-3.19p

注1)島根県の(旧)旭村は「併C系」でありますが、社会復帰促進センターの設立によって2000年からの増加率が異常な値を示しているので、特異な事例として統計調査対象から除外いたしました。
注2)pはポイント

わかりにくい説明と表で申し訳ありませんが、私は以下のように推測しております。
1.旧市町村単位で見た場合、「平成の大合併」は合併市町村の人口推移に影響を与えている。
2.人口が相対的に少ない旧市町村においては、人口減少率が他グループに比べ大きい。
3.1990年からの10年間の減少率に比して、2000年からの10年間の減少率は大きくなっており、特に「併C系」ではその傾向が顕著である。

訂正箇所:表中、「平均」を「地域」に変更、それに伴い数字を訂正。(統計手法上どちらにすべきなのか、迷ってますが・・・)

[79649] 2011 年 11 月 20 日 (日) 02:04:12 白桃 さん
 町の人口ポイントランキング

[79636]中島悟 さん
先月末に国勢調査確定値が公表され、白桃さん他早速遊んでらっしゃるようですね。
はい、夜更かしまでして思いきり遊んでおります。^]^)~~
次回の書き込みでは、珍しく真面目に人口推移からみた平成の合併について考察してみたいと考えておりますが、今回は「超(町)」お遊びです。

2010年10月1日現在「町」である全757町を、第1回から第19回までの各国勢調査人口(町域のみ)をポイント化、それを累計し、ランキングにしました。
◎ポイント表は以下の通り
1-7回8回-17回18回-19回
0点---1000人未満1000人未満1000人未満
1点---1000〜2999人1000〜4999人1000〜4999人
2点---3000〜4999人5000〜9999人5000〜14999人
3点---5000〜9999人10000〜19999人15000〜29999人
4点---10000〜14999人20000〜29999人30000〜49999人
5点---15000〜29999人30000〜49999人50000〜79999人
6点---30000人以上50000人以上80000人以上
◎例---三重県大紀町の場合
1回〜4回までは町部が無いので0点
5回は旧滝原町3498人で2点、6回は旧滝原町+旧錦町8264人で3点、・・・合計40点、376位(ポイントが同点の場合は2010年国勢調査人口が多い町を上位としました)

前段が長くなりましたが、トップ10は以下の通り

順位町名都道府県ポイント人口(2010年)
1.88点19,084
2.さつま鹿児島83点24,109
3.余市北海道81点21,258
4.南知多愛知81点20,549
5.蟹江愛知80点36,688
6.下諏訪長野80点21,532
7.加美宮城79点25,527
8.小山静岡79点20,629
9.八雲北海道79点18,896
10.柴田宮城78点39,341

栄えある第1位(しかもダントツ)をわざとブランクにしてみました。2位以下は予想された顔ぶれですが、1位は少し意外な町だと感じる方が多いと思います。
ヒント:このやり方だと、早くから町制施行した複数の旧町からなる町、悪くいえば、合併したものの市になりそこねた町が有利?です。

[79648] 2011 年 11 月 19 日 (土) 22:27:55 MasAka さん
 区割り私案(by中島悟さん)の感想

[79636][79637][79638][79641][79642][79645]中島悟さん

選挙区割りの私案、興味深く拝見いたしました。これだけのボリュームですので、大変な作業であったろうと想像します。お疲れ様でした。

以下、自分が居住経験のある県(というか住んだ市(区・町)の周辺のみですが……)の区割り案についての感想を。

青森県(七戸町):人口バランス的には概ね良いと思いますが、七戸町が青森市や下北地方と同じ選挙区というのは現地に住んだことがある者として不自然な感じがします。七戸町と東北町の2町は第3区に入れるほうが納得できます。

岩手県(盛岡市):今回コメントしている居住7県の中では一番きれいな分け方だと思います。

茨城県(つくば市):現第6区でもつくば市と土浦市は同じ選挙区を構成していますが、個人的にはこの2つの市は別の選挙区に分けたほうがいいのではないかと思っています。しかし、それを前提条件にした区割り案を考えようとすると、県南の他選挙区で不自然に感じる所が新たに出てきてしまうのでこれは現状維持しかなさそうです。

埼玉県(所沢市):第8区所沢市が富士見市と一緒というのはイマイチ実感がわきません。埼玉県は基本的に東京から放射状に伸びる道路や鉄道沿いにコミュニティが形成されているので、西武池袋線沿線と東武東上線沿線にまたがる区割りというのは違和感があります。富士見市と三芳町は第4区に入れて、代わりに新座市を第8区にするという案もありますが、現第4区を構成する4市は共同で一部事務組合を設置するなどしているので、こちらも分けづらいところですね。

神奈川県(横浜市青葉区):第8区を構成する緑区と青葉区はこれ以上いじりようがないのでこれも現状維持でしょう。もともと青葉区は緑区から分区した地域ですし(正確には一部に旧港北区もありますが)。

京都府(京都市左京区):左京区は現状でも東山区と山科区で第2区を構成していますが、異論は特にありません。上記の神奈川8区同様、この辺はたぶん変えようがないですね。

福岡県(福岡市東区、筑紫野市):福岡市周辺の区割りは地理的な制約もあるのでこれがベターなのかな……、といった感じです。これも異論はありません(もうちょっと居住経験の長い人から見るとまた違った視点があるのかも知れませんが)。

以上をまとめると、県庁所在地やその近辺の区割りは概ね妥当な感じですが、それ以外の地域の区割りはもう少し議論できる余地があるのかな、と思いました。もっとも、選挙区内で1人だけしか当選しない小選挙区制は民意が反映されにくいので廃止して、大選挙区制にして欲しいというのが私の本音です。

[79647] 2011 年 11 月 19 日 (土) 14:17:04 山野[山野] さん
 町名改称

6年前の合併時から燻っていた問題が再発。場所は美方郡新温泉町で町名変更の動きが出てきました。
町長の諮問機関・町名検討委員会は10月、「町名を変えるべきだ」とする方針を多数決で打ち出した。
変更に関して浜坂地区のある区長は、
「対等合併の際、新町名に旧町名を使わないのは常識だ」
いや、対等合併でも旧町名を継承している所は過去の合併に於いても、幾らでもある訳でこの意見は如何かと。
(現に、私の所の「神戸町」も継続組みだし…旧神戸町+下宮村+南平野村(一部)=神戸町)
中には合併解消(元の浜坂町・温泉町に戻す)の意見もある模様。

詳細はリンク先の記事でどうぞ。

[79646] 2011 年 11 月 19 日 (土) 12:44:02 中島悟 さん
 ホントに、融通きかないんです

[79644]いろずーさん
但馬をまるごと12区にする場合
神崎郡は11区でいいと思います(地図的にも神崎郡は中播になります)
したがって12区は西播地域4市3郡・但馬地域3市1郡
11区は姫路市・神崎郡でどうでしょうか?

一応、考えてはみたのですが、姫路市に神崎郡を足すと、人口が581677となり、
上限値の569143を超えてしまいます。もちろん北播にも付けられません。
実際に集計やってみれば分かると思いますが、選択肢はほとんど無かったのです。

[79645] 2011 年 11 月 19 日 (土) 12:10:17 中島悟 さん
 衆(以下略)6

[79642]のつづき ラスト、関東です
茨城笠間を2区にすると1区が分断されるので笠間は1区。1区が大きすぎるので下妻は7区へ
5区は小さ過ぎるので、4区から常陸太田を組み入れ
栃木2区と3区が小さ過ぎるので、2区からさくら市,塩谷郡を3区へ、1区,4区から下野,壬生,上三川を2区へ
群馬高崎市を4区に寄せると5区が分断されるので、高崎市は現状のまま分割
埼玉(1増)南埼玉,北葛飾の区域(飛地を作っている14区と13区,最大人口の3区,それと1区のうち岩槻)を横切りに4分割
あと、大きめの7区から富士見市を8区へ
千葉(1増)人口超過の4区(船橋市)に2区の習志野市を付けて二分割
東京(4増)区部で3増。ひとまず世田谷は単独で2分割して、
続く70万人級の大田,練馬,足立,江戸川は隣接する最小の区と併せて2分割
残りを適当に振り分けてどうにか3区新設
市郡部では南多摩の日野,多摩,稲城で新設し、八王子が人口超過なので由木を分割してこれに付ける
神奈(2増)東部では5区と10区が大きいので、間の6区,3区を挟んで組み直し
西部では14区,15区,13区が大きいので、15区を平塚と茅ヶ崎に分け、14区側と13区側からそれぞれ上乗せ

区名人口範囲
茨城1523850水戸市,笠間市,筑西市,桜川市,東茨城郡(城里町)
茨城2384309鹿行地域5市,小美玉市,東茨城郡(茨城町,大洗町)
茨城3473930稲敷北相馬地域5市2郡
茨城4313989ひたちなか市,常陸大宮市,那珂市,那珂郡,久慈郡
茨城5327422日立市,常陸太田市,高萩市,北茨城市
茨城6526130新治筑波地域5市
茨城7420140県西部5市2郡
栃木1511739宇都宮市
栃木2323123鹿沼市,日光市,下野市,河内郡,下都賀郡(壬生町)
栃木3393065那須塩谷地域5市2郡
栃木4339953小山市,真岡市,芳賀郡,下都賀郡(野木町)
栃木5439803足利市,栃木市,佐野市,下都賀郡(岩舟町)
群馬1429323前橋市,沼田市,利根郡
群馬2418360桐生市,伊勢崎市,みどり市,佐波郡
群馬3400741太田市,館林市,邑楽郡
群馬4358788高崎市(旧高崎市,南部2町),藤岡市,多野郡
群馬5400856高崎市(旧4町村),渋川市,北群馬郡,県西部2市2郡
埼玉1412047見沼区,浦和区,緑区
埼玉2561506川口市
埼玉3422764越谷市,吉川市,北葛飾郡(松伏町)
埼玉4438824朝霞市,志木市,和光市,新座市
埼玉5427202西区,北区,大宮区,中央区
埼玉6529658鴻巣市,上尾市,桶川市,北本市,北足立郡
埼玉7448365川越市,ふじみ野市
埼玉8487366所沢市,富士見市,入間郡(三芳町)
埼玉9498212飯能市,狭山市,入間市,日高市,入間郡(西部2町)
埼玉10401861東松山市,坂戸市,鶴ヶ島市,比企郡
埼玉11430928秩父市,本庄市,深谷市,秩父郡,児玉郡,大里郡
埼玉12460172熊谷市,行田市,加須市,羽生市
埼玉13402467久喜市,蓮田市,幸手市,南埼玉郡,北葛飾郡(杉戸町)
埼玉14458247草加市,八潮市,三郷市
埼玉15466480桜区,南区,蕨市,戸田市
埼玉16348457岩槻区,春日部市
千葉1507294中央区,稲毛区,美浜区
千葉2370730花見川区,八千代市
千葉3402337緑区,市原市
千葉4402千船橋市(二宮除く)
千葉5519千市川市(現5区),浦安市
千葉6428千市川市(現6区),松戸市(現6区)
千葉7495千松戸市(現7区),野田市,流山市
千葉8538029柏市,我孫子市
千葉9483706若葉区,佐倉市,四街道市,八街市
千葉10428491銚子市,成田市,旭市,匝瑳市,香取市,香取郡
千葉11455111山武長生夷隅地域5市3郡
千葉12463018君津安房地域7市1郡
千葉13351275鎌ヶ谷市,印西市,白井市,富里市,印旛郡
千葉14372千船橋市(二宮),習志野市
東京1373424千代田区,新宿区
東京2327893中央区,港区
東京3393117品川区,島嶼
東京4515千大田区(現4区)
東京5447千目黒区,大田区(現3区)
東京6457千世田谷区(世田谷,玉川)
東京7519242渋谷区,中野区
東京8549569杉並区
東京9500千練馬区(本庁除く現9区)
東京10500千豊島区,練馬区(本庁,現10区)
東京11535824板橋区
東京12335544北区
東京13535千足立区(現13区)
東京14352千荒川区,足立区(現12区)
東京15460819江東区
東京16442千墨田区,江戸川区(本庁,小松川)
東京17442586葛飾区
東京18513092武蔵野市,府中市,小金井市
東京19383546小平市,西東京市
東京20497328北多摩北部5市
東京21488125立川市,昭島市,国分寺市,国立市
東京22488427三鷹市,調布市,狛江市
東京23426987町田市
東京24467千八王子市(由木除く)
東京25395785青梅市,福生市,羽村市,あきる野市,西多摩郡
東京26382554文京区,台東区
東京27420千世田谷区(北沢,砧,烏山)
東京28485千江戸川区(葛西,小岩,東部,鹿骨)
東京29526千八王子市(由木),日野市,多摩市,稲城市
神奈1518544中区,磯子区,金沢区
神奈2512431西区,南区,港南区
神奈3440063神奈川区,保土ヶ谷区
神奈4390248栄区,鎌倉市,逗子市,三浦郡
神奈5430022戸塚区,泉区
神奈6377999旭区,瀬谷区
神奈7530742港北区,都筑区
神奈8481928緑区,青葉区
神奈9383820多摩区,麻生区
神奈10489506鶴見区,川崎区
神奈11466677横須賀市,三浦市
神奈12409657藤沢市
神奈13440789大和市,座間市,綾瀬市
神奈14541352相模原市中央区,南区
神奈15424373平塚市,伊勢原市,中郡
神奈16446160相模原市緑区,厚木市,愛甲郡
神奈17529196県西部3市2郡
神奈18436227高津区,宮前区
神奈19388137幸区,中原区
神奈20410460茅ヶ崎市,海老名市,高座郡

ここまでで複数区に分割された市区は次の17箇所
従来どおり分割市川市,松戸市,大田区,足立区,四日市市,鹿児島市
従来の分割線を変更世田谷区,練馬区,江戸川区,高知市,
人口超過により新規分割船橋市,八王子市
県内事情により現状維持高崎市,富山市,高松市
県内事情により新規分割松山市,長崎市
区制により分割解消相模原市,浜松市,堺市,岡山市,熊本市(予定)

全国でのワーストとベストは次のとおり
人口対平均値比対最小区比
鳥取2(県西部)2911030.6821
福島4(会津)2919440.6841.003
香川2(県東部)2955810.6921.015
人口対平均値比対最小区比
埼玉2(川口市)5615061.3151.929
三重4(県南部)5513081.2921.894
東京8(杉並区)5495691.2871.888
平均値=128057352÷300=426858(基数)

結果、これだけあちこちで縦横無尽に市町村合併が進んだ割には、それほど難なく区割りが出来てしまいました。
ちなみに、1+最大剰余で各都道府県に配分すると、福井県と佐賀県が最初から基数の2/3に届かず、格差2倍に収まりません。
また、単純最大剰余では鳥取県が基数の4/3を超えてしまい、会津と鳥取県の間で格差2倍を越えてしまいました。

[79644] 2011 年 11 月 19 日 (土) 01:28:40 いろずー さん
 姫路絡み

先日姫路B-1へ行って来ました

ただし当日金欠だったのでまともには楽しめませんでした…
えきそばも食べ損したし(涙
今回投票はどっちも「やきそば」絡み・被災地絡みでした
何って?浪江と石巻です。

結果は両方トップ3に入れず
首都圏某所で結果待ちしていたので
圏外か?!の心配もありましたが
4位と6位!!
ちゃんと結びついていました
この日自分はそば・うどんあわせて4つ(杯)!!食べ過ぎましたw
総合結果でゴールドはひるぜん焼そば・シルバーはホルモンうどん
カキオコも入って岡山勢圧勝でした

実は落書き帳見るまで「カキオコ」の存在そのもの知りませんでした
なので情報豊富な落書き帳に感謝です。

[79638]中島悟 さん
5区から但馬をまるごと12区へ
姫路については若干わかりにくかったのですがようやく解釈できます
自分だったら
但馬をまるごと12区にする場合
神崎郡は11区でいいと思います(地図的にも神崎郡は中播になります)
したがって12区は西播地域4市3郡・但馬地域3市1郡
11区は姫路市・神崎郡でどうでしょうか?

姫路は現在旧姫路のみ11区で合併した所全部現行12区ですが
バラバラを防ぐためにこれらを含めて11区ということですね
紛らわしくないのでいいです。

[79643] 2011 年 11 月 17 日 (木) 23:46:38【1】 hmt さん
 140年前の「府県再編成」に由来する「県民の日」

昨年夏に 「府県」の誕生から廃藩置県まで を書きました。
その要約:
形式的には慶応3年10月14日の「大政奉還」により発足した日本の新らしい政治体制。12月の王政復古クーデター→戊辰戦争(慶応4年正月〜)という経過をたどって、慶応4年4月には 江戸も新政府の手中に入りました。
その翌月(慶応4年閏4月)には、新政府の統治機構が「政体書」という形で発表され、2府5県から始まる府県が誕生してゆきます。明治2年6月に行なわれた版籍奉還により、形式的には全国が新政府の支配地になったものの、「藩」には旧支配体制が残りました。これを打ち破ったのが、薩長のごく一部の人物の企みによるクーデター「廃藩置県」(明治4年7月14日)で、その背景には御親兵という名の政府直属軍の武力がありました。

続いて、現在の地方制度に連なる重要なステップとして書き始めたものの、序論の段階で中断しているのが、シリーズ 3府72県へ です。
序論の要約:
明治4年7月14日に 261藩が廃止されて同数の県が加わった結果、3府302県になった地方体制。
財政基盤に乏しい小規模な県の乱立。しかも県の領域は分散しており、効率的な県政ができません。
地方行政を握った大蔵省(大輔は井上馨)がデザインしたのは、石高30〜40万石の 76府県案でした。
明治4年10月28日から11月22日にかけての太政官布告による3府72県は、3府302県の「統合」ではなく、すべてが「新設方式」により出発しました。

上記の日付はすべて旧暦表示で、グレゴリオ暦に換算すると 1871年12月10日から 1872年1月2日にかけてになります。
つまり、3府302県をリセットして3府72県に改める「府県再編成」が行なわれたのは、今から丁度 140年前の出来事でした。

[79627] k-ace さん
昨日【11月13 日】は茨城県民の日ということで
#本日【11月14 日】は埼玉県民の日ですが

茨城県と埼玉県との「県民の日」は、上記 140年前の「府県再編成」による誕生の日を由来とするものです。
太政官布告 は両県共通なのに、何故か「県民の日」が一日違いです。
“日付が1日違う「県民の日」”については、過去記事集 の中で、茨城県・埼玉県の後で少し考察していますが、明確な結論は得ていません。
この記事集では、全国のトップを切って明治4年10月に府県再編成が行なわれた群馬県、そして 2年後の明治6年(1873)に新発足した千葉県の「県民の日」についても、成立過程に関する記事を補足しながら まとめました。
最後の1件「都民の日」は、その由来が府県再編成・統合と無関係であり、異質な存在ですが、むりやり同居させました。

県民の日(同類を含む)を、その由来となった出来事の日付順に列挙しておきます。

秋田県の記念日(8月29日):廃藩置県により(久保田藩→)秋田藩が秋田県になった明治4年7月14日のグレゴリオ暦換算。
(群馬)県民の日:明治4年10月28日 府県再編成の第1号による第一次群馬県。最初はなかった「鶴の首」[54919]
(茨城)県民の日:明治4年11月13日(太政官布告の日付は14日) 当初の県域は常陸国北部(常陸国南部は新治県、下総国北部は印旛県)。
(埼玉)県民の日:明治4年11月14日 現在の埼玉県の東部。凡そ荒川以西は入間県。
(大分)県民の日:明治4年11月14日 県域は豊後国一円。(中津など豊前国は小倉県。)
(山梨)県民の日:明治4年11月20日 甲斐国一円 早々に新政府支配地になっていただけに、実質的には 府中・市川・石和の3県を統合した甲斐府[75516]が 甲斐県(甲府県?)[76187]を経て県名が変っただけでしょう。それでも「改称」ではなく「新設」により発足した山梨県です。
(和歌山県)ふるさと誕生日:明治4年11月22日 紀伊国の大部分。実質的には302県時代の和歌山県・新宮県・田辺県の統合でしょう。
以上、明治4年の日付は旧暦で、すべて新設。

(愛媛県)県政発足記念日:明治6年(1873)2月20日、石鐵県・神山県が合併して愛媛県が誕生。
(栃木)県民の日:明治6年(1873)6月15日 太政官布告 214号で栃木県【下野国南部と上野国東毛3郡(鶴の首)】が 宇都宮県を合併[36081]
(千葉)県民の日:明治6年(1873)6月15日 太政官布告 214号で印旛県と木更津県とを統合。
(三重)県民の日:明治9年(1876)4月18日 太政官布告 53号 で度会県を三重県に合併。
(福島)県民の日:明治9年(1876)8月21日 太政官布告 112号 で福島県(中通り)が 磐前県(浜通り)と若松県(会津)とを合併。
(静岡)県民の日:明治9年(1876)8月21日 太政官布告 112号で静岡県(駿河・伊豆)が浜松県(遠江)を合併。
(福井県)ふるさとの日:明治14年(1881)2月7日 石川県・滋賀県から越前・若狭を分離して福井県を設置。
(鳥取)県民の日::明治14年(1881)9月12日 明治4年11月の鳥取県は明治9年に島根県に統合されていたが、約5年後に分立再置。

最後の3つは、府県再編成と無関係ですが、便宜上「県民の日の同類」として挙げておきます。

(東京)都民の日:明治31(1898)年10月1日 三市特例法[53890][74335]が廃止され、実質に東京市が誕生[74320][78867]
(沖縄県)本土復帰記念日:昭和47年(1972)5月15日
(長野県)長野の日:平成10年(1998)2月7日 長野オリンピック開会式

もちろん、「県民の日」やその同類が存在しない県は多数あります。
参考までに、京都府のFAQをご紹介しておきます。
----------------
Q: 「府民の日」はありますか。
A:「府民の日」は設定していません。
 なお、昭和63年開催の京都国体を盛り上げるために設立された「府民運動推進協議会」が、毎月23日を「歩民デー」と定め、歩く健康づくりの普及、啓発に努めていた経緯がありますが、現在では実施しておりません。
----------------
「歩民デー」は「ふみんデー」と読むのでしょうか?

落書き帳には、「県民の日」と「学校の休日」に関する記事も多数あります。これについては別記事にします。

[79642] 2011 年 11 月 17 日 (木) 22:08:31 中島悟 さん
 衆(以下略)5

[79641]のつづき 関東を飛ばして北海道東北です
北海道札幌とその周辺への人口集中が進んでいる。1区と5区を一部削って4区(後志)と10区(空知)へ
青森(1減)すんなり三分割
岩手(1減)すんなり三分割
宮城バランスがかなり悪く、5区と6区が小さすぎる。6区から気仙沼,南三陸を5区へ
4区から大崎市,加美郡を6区へ、2区から泉区を4区へ
秋田現状維持
山形現状維持
福島現状維持

区名人口範囲
北海1431418中央区,西区
北海2534654北区,東区
北海3532996白石区,豊平区,清田区
北海4518925南区,手稲区,後志振興局
北海5475555厚別区,石狩振興局(南部4市)
北海6520365上川振興局
北海7327889釧路振興局,根室振興局
北海8469865渡島振興局,檜山振興局
北海9491610胆振振興局,日高振興局
北海10471089石狩振興局(北部1市2町村),空知振興局,留萌振興局
北海11348597十勝振興局
北海12383456宗谷振興局,オホーツク振興局
青森1471156青森市,むつ市,東津軽郡,上北郡(北部5町村),下北郡
青森2449159県南西部5市4郡
青森3453024八戸市,十和田市,三沢市,上北郡(南部2町),三戸郡
岩手1481699盛岡市,八幡平市,岩手郡,紫波郡
岩手2370212県東部6市4郡,二戸市,一戸町
岩手3478236県南西部4市3郡
宮城1481909青葉区,宮城野区
宮城2352894若林区,太白区
宮城3352549県南部4市4郡
宮城4486425泉区,塩竃市,多賀城市,宮城郡,黒川郡
宮城5347382石巻市,気仙沼市,東松島市,遠田郡,牡鹿郡,本吉郡
宮城6327006登米市,栗原市,大崎市,加美郡
秋田1323600秋田市
秋田2341201県北部6市4郡
秋田3421196県南部6市2郡
山形1377448山形市,上山市,天童市,東村山郡
山形2413014置賜地域3市2郡,北西村山地域4市2郡
山形3378462庄内地域2市2郡,新庄市,最上郡
福島1520253福島市,相馬市,南相馬市,伊達市,伊達郡,相馬郡
福島2438646郡山市,二本松市,本宮市,安達郡
福島3363150中通り南部2市4郡,田村市,田村郡
福島4291944会津地域2市4郡
福島5415071いわき市,双葉郡

まあ、、、あくまでも昨年10月の人口ですから。

[79641] 2011 年 11 月 17 日 (木) 21:10:55 中島悟 さん
 衆(以下略)4

[79638]のつづき
新潟2区は寺泊を失って分断される。6区が小さめなので2区の南半(柏崎)は6区に吸収、北半(西蒲)は1区と調整
富山富山市を1区に寄せてしまうと2区が小さくなりすぎるので、富山市は現状のまま分割
石川現状維持
福井(1減)すんなり二分割。南側が若干小さいが、奥越2市は北側に付けるのが良さそう
山梨(1減)ここは幾通りかの組み合わせが可能だが、峡北峡中をひとつの区にするのが最も妥当かと
長野現1区はかなり大きく、飛地の上水内郡を入れると人口がオーバーしてしまう
東部をまるまる3区へ、3区から佐久を4区へ、4区から木曽塩尻を2区へ
岐阜ほとんど現状維持
静岡(1増)減員になる前の94年の区割りに戻してみると、4区(清水)が小さすぎる
整った区割りなので勿体無いが、仕方ないので西側から御前崎市,藤枝市,駿河区を順次移動
愛知(1増)最大の10区を西部(一宮市)と東部に分割。東部は小さいので6区から犬山,小牧を、
6区には7区から瀬戸,尾張旭を、さらに7区には8区から東海市を移動
このほかに人口超過の12区から西尾市を14区へ移動

区名人口範囲
新潟1381360東区,中央区,佐渡市
新潟2312462西区,西蒲区,燕市,西蒲原郡
新潟3410615北区,上越東部5市3郡
新潟4380350江南区,秋葉区,南区,三条市,加茂市,見附市,南蒲原郡
新潟5431655長岡市,小千谷市,魚沼市,南魚沼市,南魚沼郡
新潟6458008県西部5市3郡
富山1324372富山市(旧富山市)
富山2311299富山市(旧6町村),県東部3市2郡
富山3457576県西部6市
石川1462361金沢市
石川2397491県南部4市2町
石川3309936県北部5市4郡
福井1470089福井市,大野市,勝山市,あわら市,坂井市,吉田郡
福井2336225県南部4市6郡
山梨1473854甲府市,県北西部5市1郡
山梨2389221県東部7市2郡,西八代郡,南巨摩郡
長野1405655長野市,上水内郡
長野2524138中信地域4市3郡
長野3444151北信東部3市3郡,千曲市,埴科郡,上小地域2市1郡
長野4418599佐久地域2市2郡,諏訪地域3市1郡
長野5359906飯田市,伊那市,駒ヶ根市,上伊那郡,下伊那郡
岐阜1413136岐阜市
岐阜2385021西濃地域2市4郡
岐阜3508482関市,美濃市,岐阜地域(岐阜市除く)5市2郡
岐阜4426049美濃加茂市,可児市,加茂郡,可児郡,県北部4市1郡
岐阜5348085東濃地域5市
静岡1397526葵区,藤枝市
静岡2365133島田市,焼津市,御前崎市,牧之原市,榛原郡
静岡3436310磐田市,掛川市,袋井市,菊川市,周智郡
静岡4460822駿河区,清水区
静岡5386028富士宮市,富士市
静岡6439574沼津市,御殿場市,裾野市,駿東郡
静岡7418641伊豆地域6市2郡
静岡8467467中区,東区,南区
静岡9393506西区,北区,浜北区,天竜区,湖西市
愛知1462405東区,北区,西区,中区
愛知2489578千種区,守山区,名東区
愛知3493921昭和区,緑区,天白区
愛知4460305瑞穂区,熱田区,港区,南区
愛知5519418中村区,中川区,清須市,北名古屋市,西春日井郡
愛知6518933瀬戸市,春日井市,尾張旭市
愛知7440794東海市,大府市,豊明市,日進市,愛知郡
愛知8421855半田市,常滑市,知多市,知多郡
愛知9467768津島市,稲沢市,愛西市,弥富市,あま市,海部郡
愛知10378566一宮市
愛知11481585豊田市,みよし市
愛知12410287岡崎市,額田郡
愛知13508915碧南市,刈谷市,安城市,知立市,高浜市
愛知14490201豊川市,西尾市,蒲郡市,新城市,北設楽郡
愛知15440784豊橋市,田原市
愛知16425404犬山市,江南市,小牧市,岩倉市,丹羽郡

長野がどうも面白くない。佐久と諏訪は一緒にしていいんでしょうか。
4分割ならぴったり収まるのに、他に良い区割りあるかな?

[79640] 2011 年 11 月 17 日 (木) 21:01:04 Issie さん
 緑区役所

最近夜なべ仕事が続いてこちらに来るのは久しぶり。皆様,いかがお過ごしでせうか。
さて,

[79634] むじながいり さん
まっさきに思い付いたのが、相模原市緑区役所です。イオン橋本店の入っている「シティプラザはしもと」の中にあります。

ご案内の通りですが,これは一応,単独の区役所庁舎が完成するまでの暫定措置です。
私はつい,開業当初の「ビブレ」という名前で呼んでしまうのですが,職場が変わってしばらく橋本から離れている間に,「サティ」→「イオン」と名前が変わっていたのですね。
これも むじながいり さんがご案内の通り,1990年代後半から進められた橋本駅北口地区再開発事業によるビルで,下層階の商業施設(ビブレ→サティ→イオン)と上層階の市の公共施設とが同居しています。この公共施設階に移転してきた 橋本出張所 が区制実施に伴って 緑区役所 に衣替えしたもの。このビルに移転してくる前の橋本出張所は,1941年の合併以前の 相原村役場 以来の位置にありました。
冒頭に述べたとおり,緑区役所は橋本駅から少し離れた「国鉄」(←JRではない)の工場跡地の再開発区域に新設される庁舎に移転する予定です。だから,将来にわたって商業施設と同居,というわけではないのですね。

ちなみに,残る2区の区役所ですが,中央区役所は市役所本庁舎の一画を区役所に模様替え,南区役所は従来の大野南出張所がそのまま区役所に使用されています。

[79639] 2011 年 11 月 17 日 (木) 16:43:32 山野[山野] さん
 グリグリさんへ(「白岡」ネタ)

資料はPDFファイル(広報11月号より)
(名称)白岡市/(発足日)来年10月1日
資料1
市への移行を検討中の「白岡町」で行われている、住民説明会での賛否の結果。
アンケート結果:(賛成)93.5%/(反対)6.5%
資料2

[79638] 2011 年 11 月 16 日 (水) 12:45:28 中島悟 さん
 衆議院選挙区私案3

[79637]のつづき
三重(1減)現4区の半分は既に1区の津市に呑まれているので、残りを5区と併せる
滋賀ほぼ現状維持
京都県内格差が大きいので、5区は南丹市,京丹波町を付けて増やし、6区は八幡市,久御山町を削って減らす
あと、2区も増やしたいけどちょっと無理(醍醐なら丁度良いが伏見区の不必要な分割を避けて見送り)
大阪(1増)摂津,河内,和泉の地域がはっきり分かれているため、大人口の割に融通がきかない
最大の9区も18区も周辺に増区の余地がないので、大阪市と河内に跨る6区を分割して周辺と調整
この影響で淀川北岸に無理やり付けられていた此花区も福島区側へ付け替え
兵庫許容値を超えているのは6区と7区。7区からは芦屋を1区,中央区を2区,長田区を3区と玉突き移動
6区からは川西市を5区へ、5区から但馬をまるごと12区へ
奈良ほぼ現状維持(山添村は1区)
和歌山2区を増やすにあたり、3区から有田市郡をまるごと移すと3区が減りすぎる
なので有田市のみ付け替え

区名人口範囲
三重1463237津市,名張市,伊賀市
三重2420千四日市市(現2区),鈴鹿市,亀山市
三重3420千四日市市(現3区),県北部2市3郡
三重4551308県南部6市4郡
滋賀1390120大津市,高島市
滋賀2319292彦根市,長浜市,米原市,愛知郡,犬上郡
滋賀3321044草津市,守山市,栗東市,野洲市
滋賀4380321近江八幡市,甲賀市,湖南市,東近江市,蒲生郡
京都1488638北区,上京区,中京区,下京区,南区
京都2345375左京区,東山区,山科区
京都3523519伏見区,向日市,長岡京市,八幡市,乙訓郡,久世郡
京都4448316右京区,西京区,亀岡市
京都5359953県北部6市2郡
京都6470291宇治市,県南部3市2郡
大阪1427274西区,天王寺区,浪速区,生野区,中央区
大阪2437079阿倍野区,東住吉区,平野区
大阪3474264大正区,住吉区,西成区,住之江区
大阪4430830都島区,福島区,此花区,港区,北区
大阪5446167西淀川区,東淀川区,淀川区
大阪6449700東成区,旭区,城東区,鶴見区
大阪7439518吹田市,摂津市
大阪8389341豊中市
大阪9542585池田市,茨木市,箕面市,豊能郡
大阪10386294高槻市,三島郡
大阪11407978枚方市
大阪12373444寝屋川市,四條畷市,交野市
大阪13509533東大阪市
大阪14530079八尾市,柏原市,羽曳野市,藤井寺市
大阪15491442堺市美原区,松原市,河内南部3市1郡
大阪16390753堺市堺区,東区,北区
大阪17411933堺市中区,西区,南区
大阪18539491岸和田市,泉大津市,和泉市,高石市,泉北郡
大阪19383027貝塚市,泉佐野市,泉南市,阪南市,泉南郡
大阪20404513守口市,大東市,門真市
兵庫1437097東灘区,灘区,芦屋市
兵庫2461533兵庫区,北区,中央区
兵庫3489510長田区,須磨区,垂水区
兵庫4534067西区,北播地域5市1郡
兵庫5413398川西市,三田市,篠山市,丹波市,川辺郡
兵庫6421827伊丹市,宝塚市
兵庫7482640西宮市
兵庫8453748尼崎市
兵庫9434506明石市,洲本市,南あわじ市,淡路市
兵庫10425047加古川市,高砂市,加古郡
兵庫11536270姫路市
兵庫12498490西播地域4市3郡,神崎郡,但馬地域3市1郡
奈良1370698奈良市,山辺郡
奈良2355144大和郡山市,天理市,生駒市,生駒郡
奈良3355549葛城地域4市1郡,磯城郡
奈良4319337橿原市,桜井市,五條市,宇陀市,宇陀郡,高市郡,吉野郡
和歌1370364和歌山市
和歌2308017県北部4市2郡,有田市
和歌3323817県南部3市3郡,有田郡

なんかもう、ほぼ自動的に決まっていく感じです。
何か見落としている事とか、あるかな?

[79637] 2011 年 11 月 16 日 (水) 01:29:19 中島悟 さん
 衆議院選挙区私案2

[79636]のつづき
西日本はこんな結果になりました。
鳥取最小人口県なので、なるべく均等にするため湯梨浜町を2区へ移す
島根はぼ現状維持
岡山玉野市が飛地になるので南区は北区から分離して2区へ。あとはバランスをとって調整
広島現5区が東広島市に分断されてしまうので、この辺りを大幅変更
山口はぼ現状維持
徳島(1減)すんなり二分割
香川高松市を1区に寄せれば2区が分断されるので、高松市は分割維持
愛媛4区に伊予市郡を加えて底上げすると、2区が小さくなり過ぎて松山市を分割するほかない
高知(1減)「高知市,南国市」と「それ以外」に分けても良いが、これではあんまりなので東西に分割
福岡現状とても整った区割りなのだが、県内格差が大きいので福岡市から豊前まで少しずつ移動
佐賀(1減)すんなり二分割。今までの歪な区割りが嘘のように解消
長崎県の独特の地形が大きな障害になる。現3区「東彼杵と離島」を底上げ出来ないので大幅組み替え
熊本(1減)現3,4,5区を2つに統合。現4区の宇城と天草は不可分で、これを現5区に付けるほか手がない
大分はぼ現状維持
宮崎現状維持
鹿児(1減)現1区を中心にしてドーナツを割るように三分割。
沖縄(1減)1増になる前の94年の区割りを少々調整

区名人口範囲
鳥取1297564県東部1市2郡,倉吉市,東伯郡(三朝町)
鳥取2291103県西部2市2郡,東伯郡(北部3町)
島根1328510松江市,安来市,雲南市,仁多郡,隠岐郡
島根2388887出雲市,飯石郡,石見地域4市2郡
岡山1315718北区,加賀郡
岡山2471487中区,東区,南区,玉野市
岡山3325115備前東部3市1郡,美作東部2市4郡
岡山4487727倉敷市,都窪郡
岡山5345229備中地域(倉敷,早島除く)6市2郡,真庭市,真庭郡
広島1389423中区,東区,南区
広島2465139西区,佐伯区,大竹市,廿日市市
広島3442077安佐南区,安佐北区,安芸高田市,山県郡
広島4327736竹原市,三原市,東広島市,豊田郡
広島5462505安芸区,呉市,江田島市,安芸郡
広島6312513尾道市,府中市,三次市,庄原市,世羅郡,神石郡
広島7461357福山市
山口1462726山口市,防府市,周南市
山口2344874県東部4市3郡
山口3324442宇部市,萩市,美祢市,山陽小野田市,阿武郡
山口4319296下関市,長門市
徳島1423716徳島市,名東郡,県南部2市3郡
徳島2361775県北部4市3郡,吉野川市,名西郡
香川1372217高松市(旧高松市),小豆郡,香川郡
香川2295581高松市(旧6町),県東部2市1郡,坂出市,綾歌郡
香川3328044県西部4市1郡
愛媛1362千松山市(本庁,東部),東温市,上浮穴郡
愛媛2374千松山市(西部),今治市,越智郡
愛媛3324013新居浜市,西条市,四国中央市
愛媛4371172南予地域4市4郡,伊予市,伊予郡
高知1391千高知市(本庁,北部東部),土佐郡,県東部5市2郡
高知2374千高知市(南部),県西部5市3郡
福岡1390956博多区,中央区
福岡2375755南区,城南区
福岡3503268西区,早良区,糸島市
福岡4506766東区,糟屋郡
福岡5510243筑紫地域4市1郡,朝倉市,朝倉郡
福岡6459623久留米市,大川市,小郡市,うきは市,三井郡,三潴郡
福岡7373567大牟田市,柳川市,八女市,筑後市,みやま市,八女郡
福岡8463188宗像市,古賀市,福津市,遠賀鞍手地域3市2郡
福岡9475648若松区,戸畑区,八幡東区,八幡西区
福岡10501198門司区,小倉北区,小倉南区
福岡11511756豊前地域3市3郡,飯塚市,嘉麻市,嘉穂郡
佐賀1454253佐賀市,小城市,県東部2市2郡
佐賀2395535県西部6市4郡
長崎1301千長崎市(本庁,南部)
長崎2309千長崎市(北部),五島市,西海市,西彼杵郡,南松浦郡
長崎3415113県央地域2市1郡,島原地域3市
長崎4401383県北地域3市1郡,対馬市,壱岐市
熊本1513千(仮)北区,中央区,東区
熊本2390千(仮)西区,南区,荒尾市,玉名市,玉名郡
熊本3384793山鹿市,県東部3市3郡
熊本4529338県南部5市4郡,宇土市,宇城市,下益城郡,
大分1474094大分市
大分2335329県南部5市,日田市,由布市,玖珠郡
大分3387106別府市,県北部5市2郡
宮崎1428716宮崎市,東諸県郡
宮崎2354097県北部3市3郡
宮崎3352420県南西部5市2町
鹿児1423千鹿児島市(現1区,郡山),鹿児島郡
鹿児2392千鹿児島市(現2区,松元),指宿市,薩南諸島2市2郡
鹿児3426255薩摩地域(鹿児島,指宿除く)9市2郡
鹿児4464443大隅地域(島嶼除く)6市3郡
沖縄1435228那覇市,先島諸島2市2郡,島尻郡島嶼(北部除く)7町村
沖縄2487307本島の宜野湾市以南(那覇除く)5市5町村
沖縄3470283本島の北中城村以北3市12町村,伊江,伊平屋,伊是名

意外にも、許容範囲に収める為には選択の余地がほとんど無かったのでした。
せいぜい島根の飯南町とか熊本の美里町をどっちに付けるかという程度。

[79636] 2011 年 11 月 16 日 (水) 00:39:08 中島悟 さん
 衆議院選挙区私案

先月末に国勢調査確定値が公表され、白桃さん他早速遊んでらっしゃるようですね。
それにしても家に居ながらにして入手でき、しかも入力の手間さえ要らないとは・・・
前回の5年前までは図書館に行ってコピーをとって家に持って帰っていたのとは隔世の感です。

ところで、国勢調査の結果を受けて衆議院小選挙区の区割り見直しがようやく進みそうです。
数字遊びの感は否めませんが、自分でも試案を作ってみました。

1.現在、合併によって複数選挙区に跨っている市町は、とりあえず人口が多い方に寄せる。
  (新政令指定都市で複数選挙区に跨っている区も同様)
2.このとき出来た飛地については個々の状況に応じて解消する。
3.各県への配分が「1+最大剰余」か「単純最大剰余」か決まっていないので、間のアダムズ式(1+ドント式)で配分する。
  増員または減員の場合、最大人口または最小人口の区を起点にしてその周辺で区の増設または統合をする。
4.総人口の1/300の4/3〜2/3(569143〜284572人)に収まっていない所は調整して解消する。
  ギリギリで収まっている所もできるだけ改善する。

各都道府県への配分は次のようになります。
配分A:1+最大剰余式
配分B:アダムズ式
配分C:単純最大剰余式
県名人口ABC
北海道550641912121213
青森13733394433
岩手13301474433
宮城23481656665
秋田10859973332
山形11689243333
福島20290645555
茨城29697707777
栃木20076835555
群馬20080685555
埼玉719455615151617
千葉621628913131415
東京1315938825272931
神奈川904833118192021
新潟23744506666
富山10932473333
石川11697883333
福井8063143322
山梨8630753322
長野21524495555
岐阜20807735555
静岡37650078899
愛知741071915161617
三重18547245544
滋賀14107774443
京都26360926666
大阪886524519182021
兵庫558813312121213
奈良14007284443
和歌山10021983332
鳥取5886672221
島根7173972222
岡山19452765555
広島28607507777
山口14513384443
徳島7854913222
香川9958423332
愛媛14314934443
高知7644563222
福岡507196811111112
佐賀8497883322
長崎14267794443
熊本18174265544
大分11965293333
宮崎11352333333
鹿児島17062425444
沖縄13928184433
全国128057352300300300300
格差1.831.581.64

(つづく)

[79635] 2011 年 11 月 15 日 (火) 22:59:11 k-ace さん
 鵯

[79629]山野さん
鵯といえば神戸電鉄有馬線の鵯越駅(兵庫県神戸市兵庫区里山町)がすぐ出てきます。

住所だと
福島県福島市南矢野目(鵯目)…鵯目東もあり
富山県富山市鵯島ひよどり南台もあり
愛知県一宮市小信中島(東鵯平)
兵庫県神戸市兵庫区鵯越筋兵庫県神戸市兵庫区鵯越町
(兵庫県神戸市北区にひよどり北町ひよどり台ひよどり台南町もあり)
島根県雲南市大東町畑鵯
高知県高知市春野町西分(鵯谷)
があるようです。

自然地形名だと
鵯峰(長野県北安曇郡小谷村)
鵯山(三重県南牟婁郡御浜町)
鵯越(兵庫県神戸市兵庫区・北区)…長田区・須磨区にも跨る?
鵯越(長崎県五島市奈留町)

ただ平仮名表記もあり、実際の「ひよどり」地名はこれより多いです。八王子市にも「ひよどり山」あり。

[79634] 2011 年 11 月 15 日 (火) 19:05:03 むじながいり さん
 間借りした役所庁舎

お久しぶりです。

[79633] まかいの さん

商業ビル内への区役所庁舎レベルの全面移転は珍しいと思うのですが、他の例はあるのでしょうか。
まっさきに思い付いたのが、相模原市緑区役所です。イオン橋本店の入っている「シティプラザはしもと」の中にあります。ただ、再開発ビルのようなので、岩槻区役所の前例となるかは?また、岡山市中区役所はRSK山陽放送のメディアコムというビルを間借りしています。どちらも移転ではなく、新設の話ではありますが。

また、最近は、閉鎖した旧商業施設を取得して役所庁舎とするケースが増えているようです。
・むつ市役所(旧アークスプラザ)
・石巻市役所(旧さくら野百貨店)
・新潟市東区役所(旧イトーヨーカドー)
・杵築市役所(旧マルショク)
新設するよりも経費削減としてはいいのかもしれませんが、逆にそれだけいい物件でも空いてしまっているということなのでしょうね。

[79633] 2011 年 11 月 15 日 (火) 13:12:20 まかいの さん
 区役所移転!

私の勤務先のある岩槻区役所が、今の庁舎の老朽化のため、来年年初から岩槻駅前の商業ビルに移転するそうです。

岩槻区役所庁舎は、ワッツ東館3・4階に移転します

出張所やサービスセンターなどの例は聞くけど、第三セクターのビルとはいえ、
商業ビル内への区役所庁舎レベルの全面移転は珍しいと思うのですが、他の例はあるのでしょうか。

[79632] 2011 年 11 月 15 日 (火) 12:51:58 まかいの さん
 いち、市、1

[79617]ありがたき さん
[79616]グリグリ さん
野々市市誕生♪

すこし遅くなりましたが、野々市市誕生おめでとうございます。
かつて私も少しばかりですがなじみのあった野々市が「市」になり、感慨深く感じます。
これからもさらに伸びゆくののいちに期待します。

しかし、残念だったのはせっかく1並びの日に市制施行したのに、
朝日新聞(朝刊)には「野々市」のいち文字も載っていなかったこと。
一都市の誕生がそんなに話題性のないことなのかなぁ。

かわりに話題だったのが、横浜の気温。
2011年11月11日11時11分に11.1℃を記録。
わがさいたまアメダスも11日11時に11℃ちょうどでした。
この時期の日中11時に11℃になるのはかなり珍しいのですが。
その時私は屋外の雨の中、案内係で立たされ中。寒かった〜

[79631] 2011 年 11 月 15 日 (火) 10:42:32 白桃 さん
 七五三の人口

今日は七五三とのこと。なぜ15日なのかな。7+5+3=15だから?
私は、自分の七五三の記憶がまるでありません。多分、三本松あたりではその風習がなかったのでしょう。(と、勝手に思い込んでおきます。)
ところで、七五三といえば青森の3つの町の人口推移が気になります。

1920年1925年1930年1935年1940年1947年1950年
七戸8,4009,0199,59210,38510,37712,68513,207
五戸6,4976,9877,4618,0388,23310,43311,157
三戸5,1205,6645,8855,7985,7367,4347,676

上のように1950年国勢調査までは、七・五・三と行儀良い順番に並んでいたのですが、昭和の大合併後は五・三・七の順番になり、平成の大合併によって五・七・三と狂ってきました。
ちなみに、2011年10月1日の推計人口(青森県発表)では
七戸町:16,538人、五戸町:18,486人、三戸町:11,045人
となっております。

[79630] 2011 年 11 月 15 日 (火) 09:55:26 N-H さん
 鵯

[79629]山野 さん
*ヒヨ=「ヒヨドリ」の事。(漢字で書くと、1字で「卑」しいに「鳥」だそうだが、変換が出来ん)
タイトルのとおり、一発で変換しました。

捨てるのも勿体無いし、しゃーない。2つに割って「ヒヨ」にでもやるか〜。

我が家の庭によくこのヒヨドリが来るのですが、嫁さんが目の仇にして追っ払うんですよね。
私は鳥さんたちと共生するのが本当は好きなのですが……

ところで、ここ数年、よく「観測史上最も遅い」とか「早い」とか以前よりもよく耳にするようになったと思うのですが、確かに気象現象の振幅の大きさが前よりも激しくなったということもないとはいえないのでしょうが、私にはどうにも現象を観測する側にも要因があるような気がしてなりません。
それは、ひとつには観測点が増えたことにより、以前は計測できていなかった「隠れ最高ポイント」が計測されるようになったこと。
ただ、これだと古くからの観測点で更新が続くことは説明できませんね。

どう思われますか、みなさん。

[79629] 2011 年 11 月 15 日 (火) 06:17:00 山野[山野] さん
 変な天候

初冠雪が早い所もあれば遅い所もある訳で。ところが…
札幌で初雪…戦後では最も遅く
真っ先に雪が降りそうな札幌で初雪が今頃になって降ったという。(記事によると、89年ぶりに遅いみたいです。)
札幌同様に岩手県(盛岡市)でも史上で最も遅い初雪が観測された模様。記事

(雑談:変な天候といえば…)
畑にある柿の木の事。
去年より実ったが、妙に柔らかく半分没に。
捨てるのも勿体無いし、しゃーない。2つに割って「ヒヨ」にでもやるか〜。

*ヒヨ=「ヒヨドリ」の事。(漢字で書くと、1字で「卑」しいに「鳥」だそうだが、変換が出来ん)

[79628] 2011 年 11 月 15 日 (火) 02:31:34 いろずー さん
 確実にムリでした

[79624]グリグリさん

今回のオフ会ですが
あいにく金欠とスクーリングでかぶってしまったので
欠席します…


また余談です。
今回の関西旅行で経県値に変動あります
奈良県が
未踏→訪問に
兵庫県も
訪問→宿泊に
グレードupしました

[79627] 2011 年 11 月 14 日 (月) 18:56:14 k-ace さん
 ときわ路パス、自治体越えの地名

k-aceです。
昨日は茨城県民の日ということで「ときわ路パス」を使って旅行してきました。範囲外の真岡鐡道にも別途料金払って乗りましたが。そして鹿嶋市で一泊。そして今日は鹿嶋市内を訪問・散策。鹿島神宮の大鳥居は震災による倒壊で未だ無く、再建にも費用や時間が掛かるようで、寂しい光景でした。その他にも震災の影響と思われるところがありました。
茨城県(鹿嶋市)宿泊により、生涯経県値が1アップしました。
#本日は埼玉県民の日ですが、埼玉県には入りませんでした。

グリグリさん
「自治体越えの地名」コレクション「過去に分断し合併により再び一緒になった例」で未収録のモノを。
蔵小田(くらおだ)
旧日置町大字蔵小田(現長門市日置蔵小田)/旧油谷町大字蔵小田(現長門市油谷蔵小田)
蔵小田村→日置村大字蔵小田(1889年)でした。
油谷町新設(1954年5月1日)
大津郡菱海村、宇津賀村及び向津具村を廃し、その区域並びに日置村大字蔵小田(一部を除く。)の区域をもって油谷町を置く
で大部分は油谷町大字蔵小田となり一部が日置村(後に日置町)大字蔵小田のまま残りました。
平成の大合併でどちらも長門市(2005年3月22日)となり再び一緒になりました。

[79626] 2011 年 11 月 13 日 (日) 10:43:59 オーナー グリグリ
 変遷情報更新

山野さん([79534][79542][79565][79595])、ピーくんさん(メールで)、いつも情報提供をありがとうございます。遅くなりましたが、いただいた情報をもとに変遷情報を更新いたしました。今後ともよろしくお願いいたします。

☆更新 栃木県栃木市と岩舟町の合併関係(岩舟町長のリコール、町長辞任表明)
☆更新 愛知県東浦町の市制施行(国勢調査確定値で5万人を下回り、市制施行断念)
☆更新 大阪府豊中市の中核市指定関係(閣議決定、政令公布)
☆更新 島根県松江市の特例市申出関係(県議会可決、知事同意、総務省申請)
☆更新 熊本県熊本市の政令指定都市指定関係(閣議決定、政令公布)
★その他、解散した法定協議会の更新(一覧からの削除)、URL更新など

[79625] 2011 年 11 月 13 日 (日) 10:12:28 オーナー グリグリ
 女性首長の一覧(更新)

[79558] 山野さん
以前、何方か女性首長一覧表みたいなものを作ってらした方、居ましたよね?
昨日行われた市長選にて女性首長が1人減りました。
該当箇所は所沢市で、新人が現職を破り初当選という結果になりました。
情報ありがとうございました。遅くなりましたが、元所沢市長 当麻よし子さんの情報を退任済として更新しました。
 女性首長の一覧
上記ページは、当サイト市区町村プロフィールの1メニューです。どうぞお見知りおきを(^^;

[79624] 2011 年 11 月 13 日 (日) 09:34:44 オーナー グリグリ
 オフ会に参加しませんか?

再三ご案内しておりますが、落書き帳オフ会が、来る12月3日土曜日から翌4日の日曜日に掛けて、福島県会津の芦ノ牧温泉にて開催されます。多くの皆さんのご参加をお待ちしています。詳細はこちらになります。この落書き帳をご覧頂いている方であれば、どなたでもご参加できます。昨年のオフ会の様子はこちらからご覧頂けます。初めての参加でも、全然平気です。地理好きという共通項で、気兼ねなく楽しむことが出来ますので、どうぞご検討ください。お待ちしています。

[79623] 2011 年 11 月 12 日 (土) 05:18:06【2】 YT さん
 天保郷帳からの新しい?発見

[79622]むっくんさん

天保郷帳の本来の原本においては、1頁に4村を記載するのが原則となっていたように見受けられます。とするならば、天保郷帳の編纂の過程、もしくは天保郷帳より天保郷帳(複製本)(編:史籍研究會、1984)を作成する過程で、中来島村、上来島村、八神村、角井村、長谷村、佐見村、和泉村、頓原村の8村を記載した2頁分を挟む位置を誤った、と考えるのが妥当です。

天保郷帳の原本は、四村ずつ書いていたんですね。今になって気付いたのですが、現在は天保郷帳の中身を国立公文書館のデジタルアーカイブで見ることができるようです。同じ紙に表裏それぞれ四村ずつ書き記すため、頁綴じを間違える時は合計八村ずつ間違えてしまうようです。

出雲国郷帳の場合、神門郡の中で中来島村、上来島村、八神村、角井村の四村が表(25/74頁左)、長谷村、佐見村、和泉村、頓原村の四村が裏(26/74頁右)に記載されていますね(頁へのリンクの仕方が分からないので、とりあえず郷帳の表紙にリンクしておきます)。これら全てが本来なら飯石郡に入るべきものなのでしょう。

村名石高
中来嶋村1,594.562000
上来嶋村1,417.101000
八神村1,085.685000
角井村805.478000
長谷村701.090000
佐見村527.351000
和泉村1,385.685000
頓原村153.110000
合計7,670.062000

村数差8村石高差7,670.062石と見事に一致しました。

一方土佐国高岡郡の7,454.235石の方は、どうも国立公文書館の方では修正済みで、ちゃんと高岡郡から吾川郡へ移されています(71/142頁〜72/142頁)。ここで16の村が2枚の紙ではなく、3枚の紙に渡って描かれていることから、国立公文書館で公開されている天保郷帳と、史籍研究會編の天保郷帳では、写本自体が異なることが分かります。【追記:後述のように両者は完全に同一の書類を撮影・印刷したり画像化したもので、「写本自体が異なる」というのは私の勘違いでした。】

村名石高
弘岡中ノ村1,470.395000
弘岡下ノ村1,585.227000
八田村1,058.820000
伊野村1,744.217000
賀田村175.083000
神ノ谷村239.551000
小野村121.875000
鹿敷村138.269000
勝賀瀬村119.459000
楠ノ瀬村62.783000
柳ノ瀬村150.413000
柏原村53.949000
上八川村214.407000
大窪村113.500000
野地村111.157000
寺野村95.130000
合計7,454.235000

村数差16村石高差7,454.235石と一致しました。

こうなってくると、国立公文書館で公開されている天保郷帳をチェックすると、伊那郡で欠けている8つの村が分かるかも知れません。そこで信濃国郷帳の伊那郡をチェックしたところ、61/211頁目の8つの村が、史籍研究會編『天保郷帳』に記載されていないことに気付きました。

村名石高
和知野村114.701000
千木村59.203000
小野村118.946000
早稲田村168.857000
小中尾村77.673000
田上吉田村152.144000
井戸村38.817000
帯川村10.160000
合計740.501000

村数差8村石高差740.501石と一致し、更に史籍研究會編『天保郷帳』から漏れた村の名前が今判明しました。

武蔵国上郷帳の場合、入間郡とされる150/190頁左〜152/190頁右の部分が高麗郡所属16村です。

村名石高
向郷村36.490000
川崎村112.851000
下川崎村163.462650
平松村224.941000
根岸村236.420000
野田村481.076000
篠井村799.419400
岩澤村414.159500
佛子村239.796000
阿須村153.663000
落合村154.590000
岩渕村273.650000
前ヶ貫村114.347000
川寺村281.364000
笠縫村194.328000
双柳村445.625000
合計4,326.182550

再び村数差16村石高差4,326.18255石と一致しました。

残るは上野国利根郡から碓氷郡に誤って入っているであろう16村ですが、国立公文書館の天保郷帳では、すでに利根郡の109/164頁〜110/164頁に収録されています。

村名石高
阿能川村36.686000
谷川村27.925000
鹿野沢村15.008000
吉本村3.634000
大穴村36.236000
幸知村11.822000
湯檜曾村9.279000
網子村30.719000
向山村3.977000
栗沢村18.094000
夜後村9.792000
藤原村339.023000
戸倉村91.556000
土出村220.328000
腰本村225.109000
東小川村277.213000
合計1,356.401000

村数差16村石高差1,356.401石と一致しました。

村数が一致していないのは、あと松前嶋(17村多い)と出羽国平鹿郡(2村多い)ですが、この辺は枝村の扱いの不一致などが原因でしょう。

【追記】 史籍研究會編の『天保郷帳』は、国立公文書館に所蔵されている内閣文庫の『天保郷帳』を撮影・収録したもので、現在国立公文書館のデジタルアーカイブで閲覧できる『天保郷帳』と完全に同じもののはずです。伊那郡の八郡が抜けたのは撮影・編者のミス、上野国利根郡の16村、土佐国吾川郡の8村の扱いが異なるのは、撮影・編者のミスなのか、後に気付いた人が並び替えたのかしたのでしょう。

[79622] 2011 年 11 月 11 日 (金) 17:05:44 むっくん さん
 天保郷帳での記載について

遅レスで申し訳ありません。

以前YTさんが[76916][76917][76918][76919][76920][76921]にて天保郷帳の複製本(編:史籍研究會、1984)(YTさんはこの本のことを『原本』と表記されています)とその『解読篇』についての詳細をまとめられていました。
そこで指摘された差異のうちの4箇所については説明がつくところですので、以下に記します。

まずは出雲國神門郡と同國飯石郡です。
---------
旧國旧郡村数『解読篇』石高村数『原本』石高石高差
出雲國神門郡9375,195.4700008567,525.4080007,670.062000
出雲國飯石郡5323,725.5180006131,395.580000-7,670.062000
---------
私もかつて天保郷帳(複製本)(編:史籍研究會、1984)と天保国絵図(出雲國)旧高旧領取調帳データベース鳥取県管内郡村名(編・出版:不明、M5.12.以降M6.10.以前)、改正島根県町村名(編:生松彦市、出版:翠益亭、M13.9.)などを比較したことがあります。
この差異は中来島村、上来島村、八神村、角井村、長谷村、佐見村、和泉村、頓原村の8村だと考えられます。

天保郷帳(複製本)においては中来島村、上来島村、八神村、角井村、長谷村、佐見村、和泉村、頓原村の8村は神門郡と記載されており、神門郡85村、飯石郡61村と記載されています。しかしながら実際に数えると神門郡93村、飯石郡53村です。
ところが天保国絵図(出雲國)と明治期各資料では中来島村、上来島村、八神村、角井村、長谷村、佐見村、和泉村、頓原村の8村は飯石郡となっています。
#和泉村は天保国絵図(出雲國)に載っていませんが、明治初期に頓原村の一部となっていることからすると飯石郡と判断するのが妥当であると考えます。

天保郷帳の本来の原本においては、1頁に4村を記載するのが原則となっていたように見受けられます。とするならば、天保郷帳の編纂の過程、もしくは天保郷帳より天保郷帳(複製本)(編:史籍研究會、1984)を作成する過程で、中来島村、上来島村、八神村、角井村、長谷村、佐見村、和泉村、頓原村の8村を記載した2頁分を挟む位置を誤った、と考えるのが妥当です。

上述のことが、YTさんの記載されている『解読篇』の村数と『原本』の村数で差を生じた原因と考えられます。


同様のことが土佐國や武藏國でも言えると考えます。
---------
旧國旧郡村数『解読篇』石高村数『原本』石高石高差
土佐國吾川郡5318,768.1700006926,222.405000-7,454.235000
土佐國高岡郡23680,438.92700022072,984.6920007,454.235000
武藏國 上入間郡277104,576.753770261100,250.5712204,326.182550
武藏國 上高麗郡8923,159.29989010527,485.482440-4,326.182550
---------
天保国絵図(土佐國)に従うならば、吾川郡69村高岡郡220村であり、天保郷帳(複製本)の時点で吾川郡の16村の記載されている4頁分が高岡郡の箇所に紛れ込んでいるようです。
また、天保国絵図(武藏國)に従うならば、入間郡261村高麗郡105村であり、天保郷帳(複製本)の時点で高麗郡の16村の記載されている4頁分が入間郡の箇所に紛れ込んでいるようです。


最後に信濃國伊那郡です。
---------
旧國旧郡村数『解読篇』石高村数『原本』石高石高差
信濃國伊那郡276133,302.630760284134,043.131760-740.501000
---------
長野県市町村合併誌(上巻)(編:長野県総務部地方課、出版:長野県、1965)pp.28-119(注)には、元禄15年(元禄郷帳)及び天保5年(天保郷帳)及び明治1〜7年及び明治8・9年及び明治11年及び明治18年及び明治22年の村名の変遷が記載されています。
具体的には、
元禄15年(元禄郷帳)・・・村名及び当該村の石高
天保5年(天保郷帳)・・・村名及び当該村の石高
明治1〜7年・・・町村名及び当該町村の戸数、人口、大小区、旧区
明治8・9年・・・町村名及び当該町村の戸数、人口、大小区
明治11年・・・町村名及び当該町村の戸数、人口、大小区
明治18年・・・町村名及び連合戸長管轄区域
明治22年・・・市制町村制施行の直前と直後の町村名
が記載されています。
ここで天保5年の伊那郡の村数を数えたところ284ありましたが、『解読篇』では伊那郡の村数は276しかありません。こちらは天保郷帳より天保郷帳(複製本)を作成する過程で伊那郡の8村の記載されている2頁分を抜け落としたのではないかと推察します。

(注)長野県市町村合併誌(上巻)(編:長野県総務部地方課、出版:長野県、1965)としていますが、長野県市町村合併誌(下巻)(編:長野県総務部地方課、出版:長野県、1965)であるかもしれません。

[79621] 2011 年 11 月 11 日 (金) 05:09:45 いっちゃん さん
 オフ会について

[79616]グリグリさん
いっちゃんさん、人数確認のタイムリミットは如何でしょうか。
確定は間際でも良いのですが、ひとまず現在確保している部屋数を減らす必要があるかどうかをはっきりさせたいので、この週末に2度目の点呼をお願いします。

[79620] 2011 年 11 月 11 日 (金) 04:21:03【1】 YT さん
 奥羽民政取締時代、三戸県は存在しなかった?

[79607][79611][79614]の続きです。[79614]を書いてからまだ一日しか経っておりませんが、そこで書いた意見を180度変えた結論に達しました。つまり奥羽民政取締時代、「三戸県」は存在せず、「北奥県」こそが採用されていた県名であろうということです。結論を変えるに至ったのは、『三戸町通史』(1979年)、及び『三戸町史』「上巻」(1997年)を閲覧し、より確かな裏付けが得られたからです。

まず『三戸町通史』の記述です。おそらく平凡社『日本歴史地名大系』「3.青森県の地名」(1982年)、『角川日本地名大辞典』「2 青森県」(1985年)の記述は、この『三戸町通史』が典拠となっていると思われます。

 こうして三郡の取締は、明治二年二月八日津軽藩から黒羽藩へと移された。しかし実際には津軽藩では最初から家中の士を派遣した形跡はみられないという。津軽藩は現地に出張しないうちに黒羽藩と交代させられたようである。
 黒羽藩では、藩主大関美作守の片腕として家老の職にあった村上一学を派遣した。

     4 三戸代官所引継ぎと三戸御所役所時代

 村上一学を中心とする黒羽藩の一行は、明治二年四月七日に盛岡に到着、四月二十六日「三戸代官所」において、南部藩代表新渡戸伝と黒羽藩代表村上一学との間で引継ぎを完了した。
 黒羽取締となった三郡は、この時から一般に三戸県であると考えられていた。
 ところが、次のような布告が管内に出されている。
  是迄官所或ハ仮屋ト相唱候由之処、県名被仰出候迄、三戸御役所ト可称事
                    (『萬日記』明治二年四月二十六日の条)
  明治二年五月八日 野辺地代官所及びその支配地は黒羽藩へ引渡。県名未決定で、三戸御役所と称す。
                    (西村文書『海陸日記』)
 ちなみに、三戸境沢石井家文書『萬日記』の右条項筆者石井久右衛門は、当時三戸代官所御物書であり、南部藩側の一員として黒羽藩への引継ぎに立ち合っている。
 以上の事から黒羽藩へ引き渡された当初は県名が定まっておらず、単に「三戸御役所」という名称が用いられていた。

     5 北奥県

 北奥県は、黒羽藩が陸奥国三郡の取締にあたって設けられた県名であるが、いつから呼称されたかは判然としない。
 明治二年五月十八日付黒羽藩「藩治職制」には村上一学の役名として「北奥県権知事」とあるが、『新渡戸日誌』に北奥県の名が出てくるのは、明治二年六月十九日が始めてである。
 また蟹他町の『安田家文書』には、北奥県が巳六月(明治二年六月)に仙台屋彦兵衛にあてた次の公文書「申渡覚」がある。藩政時代安田家は野辺地で仙台屋彦兵衛と称して、船問屋を営んでおり、文書の内容は、従来どおり船問屋職を認めるというもの。
          本町
            船問屋
               彦兵衛江
      申 渡 覚
  廻船地役 船問屋 地船取締
  並 冥加金取立 其外総而是迄
  之通 其方江申付もの也
    巳六月
      北 奥 県 (印)
                    (『安田家文書』)
 これらのほか、諸史料から北奥県の呼称が明確化してくるのは、明治二年六月であるといえよう。
 しかし果たして中央政府が北奥県を認めていただろうか。明治二年八月設置された按察府という中央政府の役所では、この北奥県は認められているが、それまでは認められた形跡はないようであるという。
 ただし、北奥県の名は、太政官制による三戸県の明治二年九月十九日開庁まで続くことになる。

     6 三戸県の設置

 明治二年八月七日九戸県が建置され、その管轄範囲は北・三戸・二戸・九戸・鹿角の五郡と決定したが、同年九月十三日八戸県と改称、さらに同年九月十九日三戸県と改称された。この間実際は、九戸県も八戸県も開庁されていないし、八月十八日付黒羽藩取締が免ぜられ、村上一学は、改めて八戸県権知県事に任命も三戸にいて陸奥三郡の支配をしている。三戸県に改称と同時に村上一学は三戸県権知県事に任命、三戸県御役所が開庁され、太政官制に基づく県政を開始することになる。
 三戸大神宮所蔵の「三戸県役所新築記念奉納額」(明治三年季春)には黒羽藩出身の三戸県庁員の氏名が記されている。(三戸城温故館出陳)
 三戸県は公的には明治二年十一月二十八日廃され、江刺県に併合されるが、明治三年三月三戸県権知事源朝臣光雄(村上一学)名で交付した褒状が三戸町に現存する。

大分長い引用となりましたが、このようにきっちり元文献を挙げて考察しています。一部『野辺地町史』「通説編第二巻」(1997年)と内容が被っていますが、本町船問屋彦兵衛への辞令は、『野辺地町史』では西村文書『海陸日記』からの引用となっているのに対し、『三戸町通史』では辞令を受け取った仙台屋彦兵衛こと安田家の『安田家文書』を元文献としており、後者の方が正しい引用をしております。

「三戸御役所」または「三戸県御役所」についても、もっと具体的なことが記述されています。『野辺地町史』では石井『万日記』から引用として「三戸御役所」と記述するなど、笹澤魯羊の著作である『田名部町誌』(1935年)と『下北半嶋史』の記述と微妙に異なる布告内容を記載しており、私は[79614]で疑念を表明しました。ところが『三戸町通史』によると、この布告文は南部藩の書記であった石井久右衛門が明治2年4月26日に書き記したものだとの、より具体的な説明があり、完全に同時期に記述されたものであることが明らかです。これに対し「三戸県御役所」を採用している『岩手県史』第六巻「近代編1」(1962年)、『むつ市史』「近代編(明治・大正時代)」(1986年)などは、笹澤魯羊の著作である『田名部町誌』、『下北半嶋史』からの引用であり、「三戸県御役所」という言葉は事実上笹澤魯羊の著作が元文献ですが、「三戸県御役所」設置の申渡覚は5月と少し遅れており、オリジナルからのコピーであることが伺えます。なによりも笹澤魯羊本人は、何の文書を元にこの文を書き起こしたのか記していません。笹澤魯羊とは、明治中頃に生まれた地元の政治家で、これらの地方史を熱心に書いているのはいいのですが、如何せん、当時としてはこれでもよかったのですが、元文献が何なのかという点に注意を払って執筆していません。

『三戸町通史』は、「三戸御役所」のみならず、「三戸県御役所」の存在も明らかにしています。即ち三戸県成立の明治2年9月19日に、「三戸県御役所」が開庁したと記述しています。こうなってくると、ますます笹澤魯羊のソースを疑いたくなります。笹澤魯羊の記述に比べ、石井久右衛門『万日記』の方が内容が長く、引継ぎ当日の布告文として日記に記していることから、後者の方がよりオリジナルに近いと予測されます。笹澤魯羊の文書は一月のズレがあり、おそらく何度かの文書の写しをはさんでいます。ほんの数ヶ月後には「三戸県御役所」が成立し、それが一年間以上役所として機能していた事実があり、写本作成の仮定で「三戸県御役所」と上書きしてしまうような事態が起こっても不思議ではありません。

北奥県については、『三戸町史』(1997年)にも記述がありますが、ほぼ『三戸町通史』(1979年)と同じ内容なので省略します。ただ、三戸県が廃止されたあとも「元三戸県」という官庁名が存続したことが指摘されています。『野辺地町史』と内容が被っていますが、より詳しい考察が書かれているので以下引用します。

 石崎宜雄教授(弘前大学教育学部)は、元三戸県が斗南藩と併存した固有の官庁名であると指摘している。
 『元三戸県について考察する』から要点を紹介してみる。
 元三戸県は、明治三年四月十八日、三戸県から斗南藩へ事務引継ぎが行われたあと、その残務整理のために暫定的に残された官庁であり、もともと、明治二年十一月三日、表むきには陸奥国において三万石支配を命ぜられ、斗南藩と名のるに至った松平容大が、年をあけてようやく明治三年五月十五日に至って、「斗南藩知事」に任命されるという不測の事態の結果、三戸県は事実上残存せざるを得ない破目におちいり、明治三年四月に至ってようやく、事実引継ぎに至るまで漕ぎつけることができたというなかから出て来る稀有の現象でもあったのである。
 太田家文書(五戸町大字手倉橋)御廻状御沙汰書写帳の中から、はっきり「元三戸県」と表示され、官庁印までも押捺した文書が発見された。
(内容省略)
 午とは庚午、明治三年のことであるがその四月十八日に、三戸県と松平家の間において、三戸・二戸・北郡の内から三万石の引渡しが完了したことを告げる公文書であるが、その後書に
「是迄取残御用之儀元三戸県ニ而万端取扱候条、為心得相達候。且村之社寺向江も可相達候事」といい、「元三戸県」という表示のもとに指示している。
 その意味で「元三戸県」とは、元の三戸県ではなく、固有の官庁名であるということが明らかになった。
    (中 略)
 明治三年四月十八日に「引渡済」とはいっても、それは単に書類の上のことであったろうし、斗南藩も藩として責任ある姿勢を打ち出しうるようなものではなかったはずである。三戸県から元三戸県へ、三戸県は元三戸県と呼称をかえつつ、「是迄取残御用之儀」といいつつ、万端にわたってとりあつかっていかなくてはならなかったものがあったのである。その点明治三年五月十五日の松平容大斗南藩知事はまさに可能なかぎりでの早期発令とみるべきである。

以上、時系列をまとめると以下の通りです。

日時(旧暦)出来事引用元
明治2年2月8日黒藩藩、陸奥国北郡・三戸郡(内八戸藩領を除く)・二戸郡の民政取締を拝命
明治2年3月29日黒羽藩取締地の県名確定まで「北奥県」と仮称黒羽藩史資料(『野辺地町史』引用)
明治2年4月26日三戸代官所において引継ぎ
上と同日三戸代官所に三戸御役所を設置万日記(『三戸町通史』『野辺地町史』等で引用)
明治2年5月8日県名未定につき三戸御役所と呼称海陸日記(『三戸町通史』等で引用)
明治2年5月三戸代官所に三戸県御役所を設置笹澤魯羊「田名部町誌」「下北半嶋史」
上と同月7ヶ条の「県治要領」を布告笹澤魯羊「田名部町誌」「下北半嶋史」
(『岩手県史』『むつ市史』『明治維新研究序説: 維新政権の直轄地』等でも引用)
明治2年5月18日「北奥県権知事」の記述黒羽藩「藩治職制」(『三戸町通史』等で引用)
明治2年5月28日七戸藩の分離・成立
明治2年6月彦兵衛への辞令安田家文書(『三戸町通史』『野辺地町史』等で引用)
明治2年6月19日「北奥県」の記述新渡戸日誌(『三戸町通史』等で引用)
明治2年8月7日県設置布告により九戸県を設置
明治2年8月18日黒羽藩取締地の廃止
明治2年9月13日九戸県を八戸県と改称
明治2年9月19日八戸県を三戸県と改称、三戸県御役所を設置
明治2年11月黒羽藩取締地を廃し三戸県御役所を設置する布告久慈毅一郎文書(『岩手県史』引用)
明治2年11月3日斗南藩の分離・成立
明治2年11月28日三戸県を廃し、江刺県に併合
明治3年4月18日旧三戸県の業務を斗南藩に引継ぎ(但し旧三戸県は暫く存続)太田家文書(『三戸町通史』『野辺地町史』等で引用)

こうまとめてみると逆に浮いてくるのが、笹澤魯羊が記述する「三戸県御役所」だけです。おそらく写本作成の際に「三戸御役所」と、5ヶ月後に改めて設置された「三戸県御役所」を混合したのでしょう。しかしこれが『岩手県史』などに引用されてしまいます。

一方『北奥県』の成立時期ですが、黒羽藩が仮の名を定めた明治2年3月29日で問題ないと思われます。『三戸町通史』等は6月を正式に定まった時期として想定しているようですが、5月18日には黒羽藩の藩政史料に「北奥県権知事」の記載があるようですし、なし崩し的に仮称が採用されたというのが実態でしょうから。

なお『黒羽藩史資料』其二、其三も閲覧しましたが、内容は慶応4年(明治元年)4月始〜12月末までの黒田藩の公的な従軍日誌の手書きの写本で、該当する部分は記載されていませんでした。
【重複除去、年表修正等】

[79619] 2011 年 11 月 11 日 (金) 01:21:05 山野[山野] さん
 「野々市市」誕生(石川郡が消滅)

2週間ほど前、グリグリさん宛てにメールを送りましたが、
http://www.city.nonoichi.lg.jp/
野々市市のHPは現時点では、既に開設されてます。

[79618] 2011 年 11 月 11 日 (金) 00:00:05【1】 EMM さん
 EMMの地名コレクション編集メモ・第180号 野々市市ほか2011年中の市町村変遷関連の検索結果

では、野々市市誕生一発目の書き込みは現役石川県民の私めが。
地名コレクション中の「野々市町」での検索結果を提示します。
併せて、昨年4月以降やってなかった、合併関連の検索結果についてもまとめました。
新しい合併が散発的になってからどうもタイミングを外してしまいやすいのですが、野々市市誕生に併せてやってしまいます。
確認の際の参考にしてください。

野々市町での検索結果
鳩ヶ谷市での検索結果
斐川町での検索結果
西方町での検索結果
藤沢町での検索結果
東出雲町での検索結果
一色町での検索結果
吉良町での検索結果
幡豆町での検索結果

なお、拙稿[50662]および[50651]グリグリさんの書き込みにて触れておりますが、市町村合併にかかる修正部分のみの情報提供については、事前にコレクションの担当者の了承を得た上で落書き帳への投稿(担当者が希望した場合のみメール送付でも可)を行うようお願いいたします。
EMMが編集担当しているコレクションについては、市町村合併にかかる修正部分のみの情報提供は無用ですので、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

[79617] 2011 年 11 月 10 日 (木) 22:57:26 ありがたき さん
 野々市町の一番長い日

市に変わるその瞬間を見ようと夜更かしをする町民(今日まで)が
たくさんいるから一番長い日なんじゃないかな?

とか思ったりした訳です。ありがたきです。ご無沙汰しています。

野々市市の誕生に合わせてお祝いコメントをとも思いましたが、
ボクの経県値の7つある5点のうちのひとつは野々市町のものでしたから、
最後の日にその跡を残したいと思いましての今の書き込みになりました。

思えば色々な地に住んできましたが、郡部に住んだのは野々市だけでしたので、
現行自治体名で表すとそれがなくなってしまいました。
もっとも、平成の大合併に飲み込まれた訳ではなく孤軍奮闘?の結果ですから、
これはこれで喜ばしいのかもしれません。

そんな訳で、ちょっとノスタルジックな気持ちになりました。

石川県の友達から聞いたところ、
先週くらいから『野々市市役所』の看板もお披露目されているみたいですね。
機会があればまた遊びに行ってみたいものです。

[79616] 2011 年 11 月 10 日 (木) 22:41:50【1】 オーナー グリグリ
 野々市市誕生♪

ご無沙汰しています。もうすぐ野々市市が誕生します。私の生誕地である野々市町の単独市制施行です。関連情報(変遷情報、市区町村プロフィール、市の変遷、雑学など)の更新を行いました。雑学は、石川郡の消滅、「々」の文字が入った初めての市の誕生、11月11日の市制施行は初めて、「市」の入った5つ目の市(市川市、市原市、四日市市、廿日市市)、などです(mikiさん、いつも情報をありがとうございます)。公式HPについても移行しますが、まだオープンしていませんので更新作業は、Hiro_as_Fillerさん、よろしくお願いいたします。公式ツイッターもプロフィール更新後に対応する予定です。

多忙につき、変遷情報などいろいろ情報をいただいていますが、更新作業はしばらくお待ちください。よろしくお願いいたします。また、サーバに負荷が掛かってしまい、現在、サーバアクセスに制限が掛かっています。記事検索などの際に、サーバエラーが発生する場合があります。制限が解除されるまでご不便をおかけします。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。

オフ会も迫っていますが、宿への連絡などそろそろ出欠の確認に入る必要がありますね。いっちゃんさん、人数確認のタイムリミットは如何でしょうか。参加予定者が、例年よりは少なめになっています。多くの皆さんのご参加をお待ちしています。よろしくお願いいたします。詳細はこちらをご覧ください。

[79615] 2011 年 11 月 10 日 (木) 09:26:22 N-H さん
 被災地の人口統計の意味

[79613]みかちゅう さん
実態を反映していない統計上の数字にどれだけの意味があるのでしょうか…?

横から失礼します。
私はこれは大いに意味のある数字だと思います。
すなわち、被災地に現在居住していない人のうち、
・死亡した人
・自らの意志で住民票を他所へ移動させた人
がこの数字に現れた減少分ということです。避難した方の多くは、いずれは元の土地に戻る意思があるからこそ住民票を移動しないのであって、これらの人と自ら住民票を移動させた人とを分けてカウントすることにこそ大きな意味があるのじゃないでしょうか。
これは、ある種の被災地の方々の「実態」をまざまざと反映している数字とさえいえると思うのですが、いかがでしょうか。

[79614] 2011 年 11 月 10 日 (木) 03:59:24【1】 YT さん
 三戸県→北奥県 か 北奥県→三戸県 か

[79607][79611]の続きです。

『田名部町誌』(1935年)の増補版(1937年)、『むつ市史』「近代編(明治・大正時代)」(1986年)、笹澤魯羊著『下北半嶋史』(1952年)の改定四版(1966年)、『野辺地町史』「通説編第二巻」(1997年)における北奥県・三戸県の記述をまとめます。

まず[79606]に記した『岩手県史』第六巻「近代編1」(1962年)からの引用と被りますが、『田名部町誌』では以下のように記述されています(旧字体は新字体に変換)。

依て明治二年二月九日更めて、上野国黒羽城主大関美作守へ、新に右三郡の取締を命ぜられた。同年四月廿六日、三戸に於て南部藩代表新渡戸伝氏と、黒羽藩権知県事村上一学氏等との間に、北郡の引渡手続を了した。三戸代官跡に、黒羽藩の役所を置きて、三戸県と唱ひ、三戸県御役所と称した。

          検断 宿老 老名 肝入
      申 渡 覚
今般田名部代官所附村々、天朝之御料被属大関美作守え御取締被仰付、権知県事支配と成候間今後天領と可相心得、此旨村々老名小前末末迄不洩様可申聞候
 猶其方共始め是迄領主より役筋申付置候分、如貫更に役儀申付候間弥以精勤可相励者也
  五月
是迄官所或は仮屋と相唱候由之処、県名被仰付候得者三戸県御役所と可称事

  五月
 田名部新町の南入り口と、柳町の北入り口との二ヶ所へ檜の標柱を建てた。標柱は七寸角総丈け一丈五尺にして、根本三尺を土入として、表面に「御領 大関美作守取締所」右側面に「陸奥国北郡田名部駅」と認めてあつた。

 (7ヶ条の覚を省略)

 明治二年五月十二日、黒羽藩、役人初めて田名部へ到着した。検断への申付に「其処有合之品にて取賄馳走ヶ間敷儀一切差出申間敷事、相成者宿茂壱軒に取計可申事」とある。同年七月七日、支配地観察のために権知県事村上一学氏以下十人到着した。田名部には調役大属高梨伴右衛門、戸上史生の両氏が在勤した。役向取扱上の達示が出て居る。

『下北半嶋史』もほぼ似たような記述ですが、申渡覚に年号が入っている点が微妙に違うので、別個書き出します。『むつ市史』の方は、『下北半嶋史』の記述を引用しています。

(前略)、明治二年二月九日、更めて上野国黒羽城主大関美作守(栃木県那須郡黒羽町)が取締を命ぜられた。同年四月二十六日三戸代官所にて、南部藩代表の新渡戸伝と、黒羽藩代表との間に、引継手続きを終わって、三戸代官所跡に開庁して三戸県と唱えた。田名部の検断、宿老、老名、肝入一統に対して、次の通り申渡された。
      申 渡 覚
今般田名部代官所附村々、天朝之御料被属大関美作守え御取締被仰付、権知県事支配と成候間、今後天領と可相心得、此旨村々老名小前末末迄、不洩様可申聞候
 猶其方共始め是迄領主より役筋申付置候分、如貫更に役儀申付候間、弥以精勤可相励者也
   巳五月(明治二年)
是迄官所或は仮屋と相唱候由之処、県名被仰付候得者、三戸県御役所と可称事

以上、『田名部町誌』、『下北半嶋史』、『むつ市史』及び『岩手県史』([79611])はすべて「三戸県」のみを記載し「北奥県」について何も触れていません。一方、平凡社『日本歴史地名大系』「3.青森県の地名」(1982年)、『角川日本地名大辞典』「2 青森県」(1985年)よりも後に出版されている『野辺地町史』「通説編第二巻」(1997年)では、むしろ「北奥県」しか取り上げていません。

 ともあれ、旧盛岡藩領は没収され政府直轄領となった。その北奥の地が津軽取締となて、廃藩置県に至るまでは変遷めまぐるしい。概括のために現上北・下北郡域でまとめると次のようになる。
明治元年(一八六八)
 一〇月一〇日、秋田・弘前藩、盛岡城請取に入城(盛岡藩領は政府直轄地となる)
 一二月 七日、南部信民、高一万意思をもって家名相続を許される。
 一二月一七日、弘前藩に陸奥国北郡・三戸郡(内八戸藩領を除く)・二戸郡の取締を命ずる。
明治二年(一八六九)
  一月二八日、南部信方、北郡七戸通外に一万石を与えられる。
  二月 八日、弘前藩取締御免、黒羽藩に右三郡の取締を命ずる。
  三月二九日、黒羽藩取締地の県名確定まで、「北奥県」と称する。
  四月二六日、三戸代官所において、旧盛岡藩領内の黒羽藩取締地への引き継ぎをする。
  五月二八日、南部信方、領地朱印状高一万石余を交付される(七戸藩の成立)。
  八月一〇日、黒羽藩取締地より、七戸藩一万石余を請取る。
  八月一八日、黒羽藩取締地を「九戸県」とする。
  九月一九日、九戸県を「三戸県」と改称する。
 一一月 三日、松平慶三郎、陸奥国の内に三万石を与えられる(斗南藩の成立)。
明治三年(一八七〇)
  一月――日、斗南藩、三戸県の内、北軍田名部通・野辺地通、三戸郡五戸通・三戸通(七戸・八戸藩を除く)を請け取る。
明治四年(一八七一)
  七月一四日、廃藩置県により「斗南県」「七戸県」となる。

このように最初から一環して「北奥県」であったとの記述となっています。

 黒羽藩は現栃木県にある藩であったから、南部彦太郎旧領の請取のための陣容をそろえて出立したのは、三月十二日であった。その間、県名は「北奥県、確定ノ県名ニアラズ、今マ姑ラクノ旧文ヲ存ス」(黒羽藩史資料)こととした。

ここに来て『黒羽藩史資料』という一次史料に、当初「北奥県」という仮称が黒羽藩内で提唱されたという記述があることが分かりました。

 四月二十六日、三戸代官所において引き継ぎが行われた。
 北奥県役員は、
  権知県事  村上一学
  権判県事  風間六之丞 小山勘解由
  調  役  小山権四郎 那須真小一 高梨伴右衛門(以下略)
であった。そして、次のような「達」が出され、ここに「北奥県」による取締が始まった。

   今般三戸官処付之村々、天朝御料ニ被属、大関美作守江御取締被仰付、権知県事支配たる間、今後天領ニ可相心得、此ノ旨村々老名・小前末末迄、不洩様可申聞セ候。猶、其ノ方共始メ是迄従領主役筋申付ケ置キ候分、如旧慣更ニ役儀申付ケ候。弥以テ精勤可相励もの也。
   付、此ノ度御一新御趣意申渡ス義茂有之候得共、三郡御引請之上追而可相達候。是迄官所或ハ仮屋と相唱候由之処、県名被仰出候迄、「三戸御役所」と可称事。(石井「万日記」)

石井「万日記」からの引用とされる布告の内容は『田名部町誌』、『下北半嶋史』、『むつ市史』及び『岩手県史』([79611])記載の布告と一部違いますが、何より大きな違いは「三戸県御役所」と書かず、「三戸御役所」と書いている点です。これは原資料の違いのせいなのか、それとも意図的なものなのか、よく分かりません。ただ石井「万日記」の記述を採用すると、「三戸県」という呼称の根拠がなくなります。

 北奥県役人が野辺地を通行したのは五月八日で、田名部に出張所を置いたのが十二日。野辺地は、この田名部出張所管内にあったと考えられ、権判県事―小山勘解由が責任者である。
 「西村家文書」には「北奥県分局野辺地御役所」と記されているから、これが代官所に代わる役所となったのだろう。そして、次に見られるような「覚」が出されている。
             本町船問屋 彦兵衛江
     申渡覚
  廻船地役 船問屋 地船取締並冥加金取立 其ノ外総而 是迄之通 其方江申付もの也
     巳六月  北奥県 (陸奥国黒羽役所)
                  (西村家「海陸日誌」)

このように明治2年旧暦6月頃に野辺地の分局に勤めていた西村家の何某により、北奥県の辞令が船問屋に出されています。『野辺地町史』にはこの原文のコピーが「北奥県辞令」という題とともに掲載されていますが、「北奥縣」「巳六月」「御役所」という手書きのサインで〆られ、「役」の漢字の上に「陸奥国黒羽役所」という字が細かく入った丸いハンコが押されているようです。ただ、「縣印」は押されておりません。平凡社『日本歴史地名大系』の
黒羽藩では初めその支配地に対し特定の県名を付けず「三戸御役所」管内として取り扱っていたが、おそらく同2年6月の前半頃 北奥(ほくおう)県 という正式の名称を決定したと思われる。
の根拠はこの西村家の「海陸日誌」(に挟んであった辞令の写し?)でしょう。

 ところが八月十日、七戸藩一万石余が成立。黒羽藩取締地「北奥県」のうちから、七戸通の格村々と五戸通十三カ村が七戸藩領となった。黒羽藩取締地は南北に分断されたことになって、これが後の斗南藩に甚大な影響を与えることになる。
 取締区域の変更によるのだろう。八月十九日、「今般、九戸県支配ニ被仰付候間、知県事着県次第同県ヘ引渡可申事。九戸県、今般改テ新県被建置候事」(太政官日誌)。正式名称が「九戸県」に決まったが、名称に齟齬があったとみられ、九月十九日、「三戸県」と改められる(この間「八戸県」改称があるが、これは疑問である)。
 この三戸県も、松平慶三郎に三万石が与えられることになる。十一月二十九日、「三戸県、今般其ノ県被廃江刺県ヘ合県被仰付候事」(太政官日誌)で、あっけなく消滅したが、実際として、会津藩士が移住してくる明治三年二月頃までは「三戸県」名が使用されている。
(中略)
 窮民の救済に「三戸県御役所」が立ち上がったことを証する文書がないばかりか、諸記録にすら痕跡をとどめていない。わずかに町の篤志家が穀物を提供した記録が残るのみである。
(中略)
 会津藩に新藩の設置が許されたのが明治二年十一月三日、これがようやく三戸に達したのは翌年の二月六日(石井『万日記』)。そして、引き継ぎが行われたのが四月十八日であることが、次の達で知られる。
   兼而相達シ置キ候通、松平家、三戸・北郡、二戸郡之内高三万石、今十八日引渡シ相済ミ候条、此ノ段、小前末々迄無漏早々可相触者也
    但シ是迄取残シ御用之儀、元三戸県ニ而万端取扱ヒ候条、為心得相達候。且村之社寺江も可相達候事。
         午四月十八日       元三戸県御役所 在判
(手倉橋・太田文書『近代化のなかの青森県』所収)

三戸県成立後は、全部わざわざ「三戸「県」御役所」と書き記していますが、それだけに石井『万日記』の「三戸御役所」表記が浮きます。現時点での自分の判断は以下の通りです。

明治2年旧暦2月8日 黒羽藩は弘前藩民政取締地を継承、「北奥県」を仮称(『黒羽藩史資料』による)。
明治2年旧暦4月26日 事務引き継ぎ、「三戸県」と呼称(『田名部町誌』他による、ただし一次史料名の記載なし)。
   ただし野辺地分所では「北奥県」の呼称を使用し続けたため、旧暦6月付の「北奥県」の辞令が残った(西村家『海陸日誌』による)。

つまり三戸県→北奥県ではなく、どちらかというと北奥県→三戸県ではないかと思います。黒羽藩取締地の役所の置かれた田名部町、むつ市の地方史では三戸県が優先して使われているようですし。

【追記】 読み返したところ、『田名部町誌』と『下北半嶋史』の著者は、同じ笹澤魯羊でした。よって『むつ市史』を含め、全て地元むつ市に保管されている史料を使って書いたと思われます。

[79613] 2011 年 11 月 10 日 (木) 01:01:54 みかちゅう さん
 Re:東北三県太平洋沿岸部市町村の年間人口推移
白桃 日はまた昇ってほしい

[79612]白桃さん
国勢調査(昨年10月)で判明した人口から、それ以降の出生・死亡・転出入などの届出数をもとに推定した人口なので、震災で他の自治体に避難しているのに住民票の移動を行っていない人数が加味されていません。実際に居住している人数となればもっと減少していてもおかしくないと思います。とりわけ福島第一原発周辺の警戒区域内の住民はほとんど域外に避難しているはずであり、統計の数字に表れる4〜7%の減少ですんでいるとは考えられません。実態を反映していない統計上の数字にどれだけの意味があるのでしょうか…?


そういえば2・3日前の朝日新聞に「被災地の地図作成が悩ましい」という記事が出ていました。更地で真っ白な地図を発行する意味や、被災者感情への配慮の問題などで悩んでいるようなことが書いてありました。紙媒体だと出版されるまでにタイムラグもあり、発行されたころには地図と実際が大きく異なるという事態も予想されます。

[79612] 2011 年 11 月 8 日 (火) 16:22:00 白桃 さん
 東北三県太平洋沿岸部市町村の年間人口推移
白桃 日はまた昇ってほしい

岩手、宮城、福島県で2011年10月1日現在の推計人口が公表されましたので、震災で特に大きな被害に遭った沿岸部の市町村について、2010年国勢調査以降1年間の人口推移をまとめました。
(南三陸町と女川町については推計人口が出されておりません。)
2010年2011年増減率(%)
岩手県宮古市59,430人57,952人- 2.49
大船渡市40,737人39,097人- 4.03
釜石市39,574人37,271人- 5.82
久慈市36,872人36,515人- 0.97
陸前高田市23,300人20,252人-13.08
山田町18,617人16,903人- 9.21
洋野町17,913人17,559人- 1.98
大槌町15,276人12,681人-16.90
岩泉町10,804人10,574人- 2.13
野田村4,632人4,446人- 4.02
田野畑村3,843人3,747人- 2.50
普代村3,088人3,015人- 2.36
宮城県仙台市1,045,986人1,049,493人+ 0.34
石巻市160,826人150,774人- 6.25
名取市73,134人71,925人- 1.65
気仙沼市73,489人69,146人- 5.91
多賀城市63,060人61,517人- 2.45
塩竃市56,490人55,828人- 1.17
岩沼市44,187人43,798人- 0.88
東松島市42,903人40,409人- 5.81
利府町33,994人34,764人+ 2.27
亘理町34,845人33,579人- 3.63
七ヶ浜町20,416人19,834人- 2.85
松島町15,085人15,010人- 0.50
山元町16,704人14,535人-12.98
南三陸町17,429人
女川町10,051人
福島県いわき市342,249人334,280人- 2.33
南相馬市70,878人66,542人- 6.12
相馬市37,817人36,606人- 3.20
浪江町20,905人19,454人- 6.94
富岡町16,001人14,847人- 7.21
大熊町11,515人11,049人- 4.05
新地町8,224人7,933人- 3.54
楢葉町7,700人7,367人- 4.32
双葉町6,932人6,430人- 7.24
広野町5,418人5,178人- 4.43

[79611] 2011 年 11 月 8 日 (火) 03:10:13【3】 YT さん
 『岩手県史』における羽黒藩取締下の三戸県の記述

[79607]の続きです。

『角川日本地名大辞典』と『岩手県史』における北奥県・三戸県の記述をまとめます。

まず『角川日本地名大辞典』「2 青森県」(1985年)による「北奥県」の記載は以下の通りで、平凡社『日本歴史地名大系』「3.青森県の地名」(1982年)とほぼ同じ資料に基づいて書いたと推測されます。

この黒羽藩取締は,はじめ単に三戸御役所などと称されるだけであったが,やがて北奥県と県名を称するようになった。県名の由来は,陸奥国の盛岡以外に通称名である北奥にちなむものであろう。

平凡社の『日本歴史地名大系』と『角川日本地名大辞典』はほぼ同時期に出版されていますが、青森県に関しては平凡社の方が先に出ており、もしかしたら平凡社版の記述をそのまま持ってきたのかも知れません。

一方『岩手県史』第六巻「近代編1」(1962年)の方は、「第二章 直轄期」のために272頁〜397頁を割いており、「第三節 三戸県治」は、323頁〜335頁まで記載があります。以下県名等と関りのありそうな文章を抜粋します。

 官においては、これによって明治二年二月八日、津軽越中守の取締りを免じて、その跡役に黒羽藩主(下野)である大関美作守(増勤)を任命し、取締りを交替させた。そこで黒羽藩においては、藩士の中から民政に長じた村上一学(光雄)以下を選抜し、現地に派遣して、その事務に従わさせた。
 村上一学は、明治二年四月七日盛岡に到着し、同十三日盛岡において、南部家側から一先づ諸帳簿類の引渡しを受け、同十六日現地に向けて出発し、四月二十六日、三戸御代官所において、正式に三郡の事務を引継ぎ、目録を交換している。

この辺の引継ぎの史料として、『出陣日記附録』、『南部家記録』、『太素日誌』、『野田日記』からの引用を挙げています。

     四 庁舎の設置と新旧役員

 明治二年四月二十六日、三戸代官所において、陸奥三郡の事務を引継いだ村上権知県事は、三戸代官所跡を治所とし、その管轄を三戸県と称して見治を行ない、庁舎を三戸県御役所と称したが、同五月には、北郡田名部通り代官所から、このことについて「申渡し」がおこなわれている。
 その趣意は、今度天領となり、大関美作守の取締りに属して権知県事の支配になったから、肝入・宿老・検所三役をはじめ末端の百姓までよく徹底するように。なお村役等はいままでどおり任命するし、また従来代官所のことを官所とか仮屋と唱えて来たが、県名がつけられたことであるから「三戸県御役所」と称するようにとのことであった。

中略

申渡覚

今般田名部代官所附村々、天朝之御料被属、大関美作守ヘ御取締被仰付、権知県事支配ト成候間、今後、天領ト可相心得
此旨村々老名小前末末迄不漏様可申聞候。
 猶其方共初メ是迄領主ヨリ役筋申付置候分、如貫更ニ役儀申付候間、弥次精勤可相励者也。
  五月
是迄官所ハ仮屋ト相唱候由之処、県名被仰付候得者、三戸県御役所ト可称事。
  五月               『田名部町誌』より

中略

     五 三戸県の廃合

 明治二年八月、九戸県が置かれ、黒羽藩取締りの三戸県は解体された。しかもこの九戸県は、置県後四十幾日にして八戸県(三戸県)と再度県名をあらため、九月十九日には三度三戸県と改称し、また村上一学(光雄)は、九月十三日同県の権知事に任ぜられた。
 従って知事以下の諸官員は、おおむね黒羽藩士がそのまま新しい三戸県の官吏に就任している者が多い。これが四転して、三戸県が江刺県に合わせられた時にも、黒羽藩士が江刺県官吏として、少なからず出仕している。
 新しい三戸県は、陸奥国の二戸郡・三戸郡・北郡と、陸中国の鹿角郡と九戸郡を管轄におさめ、これを支配することになり、その治所を「三戸県御役所」と称し、いろいろな願書や伺い書や届け書などを受付けすることになった。そして肝入・宿老・検断などの村方役も、前々の通りそのまま役目を継続させられている。

            九戸郡野田北野守 久慈吉野右衛門
                     烏谷 孫右衛門

是迄黒羽藩取締之場被免、今般改而三戸県被置、別紙写之通拝命、且陸奥国・二戸郡・三戸郡・北郡、陸中国・鹿角郡・九戸郡・管轄被命、依之已以来可為支配事。
一、以来三戸県御役所ト相称シ、諸願伺届宛右同断可相認事。
一、其方共、後モ如旧慣申付候条、弥以精勤可相勤事。
   附 御一新以来御趣意可申渡儀有之御役共近々其地出張之上可相達候事。

右之通扱中、小前末々迄無脱漏可申聞者也。
 明治ニ巳年十一月            三戸県御役所
              九戸郡侍浜 久慈毅一郎文書、森氏筆者本による

まあこのぐらいで、後は北奥県に関する記述はありません。

一方今日、『青森縣史』(1926年)の方を読んできましたが、色々とがっかりする内容でした。『青森縣史』は「通史」としてまとまっておらず、全ての項目が「年表」の形で羅列されていました。しかも第2〜3巻 藩政時代(津軽篇)、第4〜6巻 藩政時代(南部篇)と分かれており、明治初期の内容は第3巻と第5、6巻に分かれているのですが、内容はもっぱら藩の政治や人事で、他藩取締期に関する記述はほとんど見当たりませんでした。

2001年より新しい『青森県史』の執筆が始まったようですが、まだ資料編しか出ていないようです。『青森県史』「資料編 近現代 1 近代成立期の青森県」が該当しそうですが、中身は見ていません。

北奥県の元記述にあたれるとすれば、あとは『岩手県史』が引用している『田名部町誌』(1935年)ぐらいでしょうが、nacsis webcatに登録されている所蔵図書館は弘前大学だけで、閲覧が困難です。増補再版(2版)(1937年)や3版(1939年)も、内容が同じなら、なんとか閲覧できる目処は立ちますが。

[79610] 2011 年 11 月 7 日 (月) 14:29:07 かすみ さん
 近況報告(小笠原諸島、父島に行ってきました)

お久しぶりです。って、毎度こればっかりのような…。
貴重な女子落書き帳メンバーがただいま浮上してまいりました(笑)

さてさて、ツイッターなどでは報告&実況中継していましたが11月1日東京発のおがさわら丸で生涯2度目の父島に行ってきました。
前回は2年前の4月、特別企画のふじ丸でのクルーズの付き添いで半日だけの上陸でしたから今回は初めて自分の足で行ったという感じです。

やはり世界遺産登録後の客足の伸びは著しく、また、謝恩ツアーの企画もあったそうで例年とは比較にならないほどの乗客を乗せていたようです。指定席は限りがありますが2等(自由)ならまだ詰め込めるとラウンジやサロンもあてがっておりました。わたしは混雑を見越して特2等(指定)にしていたので多少は気持ちの余裕もありましたが、行きは波が高くて子供のとき以来の酔い止め薬のお世話になりました。びっくりするくらいの揺れで到着初日は何もする気になれませんでした。
わたしが滞在していた期間には小笠原村のお祭りが3日間にわたって開催され、相撲大会やカラオケ大会、お神輿の練り歩きなど、島中の人がわんさか集まって活気に溢れていました。
ただ、一番楽しみにしていた南島への上陸は滞在の間、快晴にもかかわらず波がずっと高かったため(ははじま丸が2日連続で休航という前代未聞の状況に)付近のクルーズに留まって叶わず、再び来る!と決意を新たにして5日の帰りのおがさわら丸に乗り込んだのでした。帰りは船酔いもなく無事に帰ってきました。
現在職場でもまだ身体はゆ〜らゆら揺れていますが(苦笑)

今月は月末に八ヶ岳南麓でのイベントのため足を運ぶ予定です。南国の島から冷たい風の吹く標高1,000メートルの高原へ…。日本は広いですね。

それからオフ会の出席のお返事を保留にしたままですが、状況としてまだなんとも言えず、もうしばらくこのままでお願いします。

[79609] 2011 年 11 月 7 日 (月) 09:54:41 スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
 地名コレクション情報提供

今日は文化祭の振替休業日で休みです。

みやこ♂さん
「佐野」コレクションに情報提供します。

千葉県印旛郡本埜村佐野屋→千葉県印西市佐野屋
神奈川県津久井郡藤野町佐野川→神奈川県相模原市緑区佐野川
福岡県山門郡山川町佐野→福岡県みやま市佐野?

宮城県遠田郡湧谷町佐野崎→宮城県遠田郡涌谷町佐野崎

みやま市の佐野はMapion、Yahoo!地図、MapFanなどの地図サイトでは発見できませんでした。

[79608] 2011 年 11 月 7 日 (月) 01:10:04 みやこ♂ さん
 七差路コレ お返事

みなさま,ご無沙汰しております。

[79411] anndue さん
ご覧になっていますか。お返事が遅れましたこと,お詫び申し上げます。
さて,ご提案のあった「北参道交差点」につきましては,コレクションに加えようと思っているところです。
ただ,北東から進入する一本の道が,電子地図では首都高4号線の高架の下になっており,どのような形で接続するかわたくしには不明です。結構頻繁に車で上京するので,「今度見てこよう」と思いつつも,なかなかソッチ方面には行かなくて・・・。
確認次第,追加させていただきたいと考えます。

[79607] 2011 年 11 月 6 日 (日) 15:45:32 YT さん
 北奥県、奥羽民政取締地、大名預所の変遷の謎

[79604] hmtさん

[75939]の末尾付近では“これらの「県」の性格は よくわかりません。”と書いたのですが、改めて考え直してみた結果、“正式なもの”の意味次第ではあるが、否定的な結論に傾いています。

貴重な意見ありがとうございます。

昨日『角川地名大辞典』の各巻の附録に含まれている府藩県変遷図を見比べ直しましたが、確かに『宮城県』の巻では涌谷県、栗原県という県名をわざわざ書き加えていますが、『青森県』『岩手県』『福島県』の巻では、花巻県、伊沢県、桑折県等の県名を変遷図から外しています。これらの県は法的には同格のはずですが、『角川地名大辞典』では各巻毎に編集者の意見が異なるのか、ばらばらの対応をしていることになります。『角川地名大辞典』で採用されているからといって、正式な県と考えるのは妥当ではないかも知れないことになりますね。

登米県に関する宮城県の行政区画の変遷の図は、多分日付等が若干間違っています。

地方沿革略譜 では置県2年8月7日となっていますが、先にリンクしたように太政官布告は8月18日です。このような食い違いは多々あります。

宮城県の行政区画の変遷の図で間違っていると感じたのは、置県の日付の方ではなくて、涌谷県を完全に併合したのが9月28日となっている点です。9月28日は石巻県を合併した日であり、涌谷県は8月中旬段階では廃止されている筈なので、変遷表の作成者がミスしたのでしょう。


平凡社の日本歴史地名大系2青森県のp.16下に次のように記されています。(p.36、p.42も言及あり)
黒羽藩では初めその支配地に対し特定の県名を付けず「三戸御役所」管内として取り扱っていたが、おそらく同2年6月の前半頃 北奥(ほくおう)県 という正式の名称を決定したと思われる。しかしまもなく 8月18日に各藩に取締を命じていた地域に正式の県を置くことになり、新たに九戸県が設定されて、それに包括された。

一昨日、『岩手県史』<第6巻・近代編1>の記述を確認したところ、コピーを取らなかったので正確には記憶しておりませんが、奥羽民政取締時代のためにわざわざ独立の章を設けていました。50頁ぐらいに渡り、三戸県、花巻県等の県政(それぞれ節の名称にしている)をまとめており、斜め読みする限り黒羽藩民政取締時代の項目に「北奥県」の名前を確認できませんでした。

しかしながらhmtさんの書き込みを読み、昨日晩に慌てて図書館に駆け込んで平凡社の『日本歴史地名体系』「青森県」の巻を確認したところ、確かに近代以降の概説内で北奥県について書いてます。しかしながら『日本歴史地名体系』「岩手県」の巻の方では、北奥県については特に触れられていないようです。少し残念なのは『日本歴史地名体系』「青森県」では、何の文献を元にこの文章を書き下したのかが書いてなかった点です。

一方同時に『角川地名大辞典』を読んだところ、こちらも「岩手県」の巻では特に「北奥県」に触れていませんが、「青森県」の巻の「北奥県」の項目を読んだところ、同じ人が執筆したのではないかと錯覚するぐらい、ほぼ同じ文章の説明を確認しました(この辺は昨日コピーを取ったのですが、その後深夜まで色々仕事をした関係でうっかり仕事場にコピーを置いてきてしまいました)。しかし残念ながら、『角川地名大辞典』「青森県」の説明でも何の文献を元に記述したのかが書いてありません。

おそらくですが、私が想像するに、岩手県側の執筆で使われる地方史書籍と、青森県側の執筆で使われる地方史書籍とで、「三戸県」・「北奥県」に関する扱いが異なるのでしょう。『岩手県史』や、『岩手県史』を元に作成されている『千田稔、松尾正人『明治維新研究序説: 維新政権の直轄地』(1977年)の「東北地方民政取締諸藩」では「三戸県」しか扱われていませんでした。そうなってくると、例えば[『青森県史』での明治初期の黒羽藩民政取締地の記述がどうなっているのかが気になります。これについては月曜日以降に調べてみます。


現時点で奥羽民政取締地について多少なりとも包括的な文章を書いている書物として確認しているのは、『明治維新研究序説: 維新政権の直轄地』だけです。できれば奥羽民政取締地のみならず、各地に大量に存在していた藩預所の変遷を詳しくまとめた書物があるだけでもかなり色々な謎が解けるのですが。[79270][79307]でまとめたように、『明治二己巳年 租税取調帳』(pdf)によると、明治2年末の時点で福井藩、岡山藩、彦根藩、大垣藩、龍野藩、松代藩、岸和田藩、高槻藩、津山藩、高知藩、大洲藩、金沢藩、人吉藩、佐伯藩、名古屋藩、伊勢神宮領?の各預所があることになっていますが、『当巳年御収納高帳(諸府藩県明治二年収納高帳)』(pdf)の目次には他に見慣れない藩の名前もありますし、服藤弘司『大名預所の研究』創文社(1981年)によると、慶応4年の段階で以下の大名預所があることになっています(原資料は小野清『徳川制度史料』(1927年))。これらの預所はどこに行ったのでしょう。

藩預所石高旧国
高取39,000大和
彦根34,000近江
高槻32,000摂津河内
岸和田11,000和泉
大垣69,200美濃
福井45,000越前
金沢14,000能登
松本54,000信濃
松代20,000信濃
飯田700信濃
桑名48,000越後
高田48,000越後
新発田15,000越後
米沢13,000越後
会津74,000下野陸奥越後
松前14,000出羽
龍野46,000播磨美作
津山16,000美作
岡山6,000備前
松江12,000隠岐
高松2,000讃岐
松山19,000伊予
大洲1,000伊予
久留米22,000豊前
佐伯2,000豊後
熊本22,000豊後
柳河9,000筑後
島原15,000肥後
人吉500日向
延岡6,000日向
飫肥8,900日向(原書では高欠)
高鍋8,800日向(原書では高欠)

[79606] 2011 年 11 月 6 日 (日) 14:06:48 いろずー さん
 公式ガイドブック届きました

いよいよ今週末B−1姫路が始まります
自分は今回これらが食べたい!!
特にこの2点の思いは強い
なみえ焼きそば(被災地の中の被災地で頑張っているからこそ)
アーモンドトースト(某番組から1年、今年こそ!)

後は現地で相談。

これを踏まえた遠征に行くんですが
まだ奈良県を踏んでいないので
何としてでも!!

ところでメンバー内でB−1行く人にお聞きしたいのですが
何かオススメのグルメはありますか?

[79605] 2011 年 11 月 5 日 (土) 18:42:44 白桃 さん
 数えなくても良いのですが

数えてみました。
・DIDを有しない市の数:124
・DIDを有する町村の数:165
調べてみました。
・DIDを有するが、DID人口が最も少ない町:山形県高畠町(5,017人)
・DID人口=人口、DID人口率100%の町:大阪府忠岡町

ところで、全国のDIDを歩くのがユメなのですが、ゆっくり歩いて、くまなく見て廻る場合、その人口3万人のDIDなら一日かければ可能でしょうか???

[79604] 2011 年 11 月 5 日 (土) 16:15:12【1】 hmt さん
 明治2年頃、奥羽民政取締地の知られざる「県」

[79597] YT さん
一般的な廃藩置県関連の書籍や明治政府の公式の文書では全く取り上げられていない、これらの諸藩の民政取締の下で称された県名(伊沢県、花巻県、栗原県、涌谷県、桑折県、三戸県、盛岡県、北奥県)というのは、正式なものとみなすべきでしょうか?

[75939]の末尾付近では“これらの「県」の性格は よくわかりません。”と書いたのですが、改めて考え直してみた結果、“正式なもの”の意味次第ではあるが、否定的な結論に傾いています。

YT さんご紹介の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」という名からも知れるように、明らかに臨時の制度です。
“新縣御取建ノ場所ヘ検分”とあり、県の範囲を試験的に定め、従来の藩政に変るべき県政をテストしたもののようです。
「慶応4年閏4月21日(1868年6月11日)の 政体書 [75494]」【注】に則り、中央政府が決定し、太政官布告で全国に公示した「県」とは、性格が異なること明らかです。
【注】
この部分、最初は「府藩県三治制」と記していたのですが、修正しました。
府藩県三治制という用語は、普通には版籍奉還[75521]が全国的に実施された後の体制を指すもののようです。今回対象とする奥羽民政取締時代はその直前であり、府藩県三治制を使うのは適切でないと判断しました。

62万石の領地を持っていた旧仙台藩を例として、戊辰戦争後の地方行政を見てみます。
敗戦国であることは、旧盛岡藩[75939][75949]と同様でしたが、仙台藩は遠い場所に移封されることなく、旧領の中心地に所領を得ることができました。但し、新仙台藩は 28万石【藩知事表 でも16位に転落】と大幅な減封ですから、34万石に相当する土地は新政府に没収されました。このうち、白石 13万石には盛岡の南部氏を移封しました。

新政府としても、仙台・盛岡・会津など賊軍諸藩からの膨大な没収地の直轄支配体制を直ちに整えることはできませんでした。
そこで当座の地方行政は、官軍諸藩を使った間接取締でをしのぐことになりました。
この藩政から県政への移行実験は、官軍諸藩にとっても、新体制の行政を実地教育するのに役立ったかもしれません。

宮城県の行政区画の変遷 を見ると、明治元年12月に、白石藩(移封された盛岡藩)・新仙台藩・土浦、宇都宮、高崎諸藩の取締地ができたことがわかります。概ね南からの順番。

[79597]でリンクされた太政官布告明治元年第1129号の宛先には、宇都宮藩主(戸田土佐守)が見えます。土浦藩主(土屋相模守)は見えませんが、同様の指示がなされているものと思われ、遠田郡・登米郡は「土浦藩取締地」になりました。変遷図には、この地が明治2年3月から「涌谷県」[75516]と呼ばれるようになったことが示されています。

変遷図は、明治2年8月に新しい4つの県名(白石・登米・胆沢・石巻)が登場したことを示しています。この4県は「府藩県三治制」による県であることが 太政官布告明治2年第748号 で示されています。

要するに、明治2年8月には大部分の地において、中央政府の直轄統治体制に移行することができ、新しい県名が付けられたということでしょう。
この時点より前の涌谷県、栗原県、桃生県も、「正式」の手続を踏んで名付けられたものでしょうが、その内容は、やはりローカルなテスト的存在と評価され、多くの資料では無視されているのだと思われます。言わば、「仮免状態の県」なのでしょう。

なお、明治2年8月の4県のうち白石県は、試運転から本運転に移行した他の3県と違い、南部氏が 念願だった盛岡に復帰[75949]【注】した跡地 への県の新設です。11月には県庁が移転して角田県と改称。
明治4年7月の仙台県は、言うまでもなく廃藩置県。そして同年11月の再編成で、全国は3府72県になります。
【注】
藩知事表の 29位 白石藩(磐城 13万石)に“旧盛岡移封”と注記されているようです。

登米県に関する宮城県の行政区画の変遷の図は、多分日付等が若干間違っています。

地方沿革略譜 では置県2年8月7日となっていますが、先にリンクしたように太政官布告は8月18日です。このような食い違いは多々あります。

hmtさんが書かれた北奥県については、自分の方では確認できていません。

平凡社の日本歴史地名大系2青森県のp.16下に次のように記されています。(p.36、p.42も言及あり)
黒羽藩では初めその支配地に対し特定の県名を付けず「三戸御役所」管内として取り扱っていたが、おそらく同2年6月の前半頃 北奥(ほくおう)県 という正式の名称を決定したと思われる。しかしまもなく 8月18日に各藩に取締を命じていた地域に正式の県を置くことになり、新たに九戸県が設定されて、それに包括された。

YT さんの表の備考“ 2年2月8日に弘前藩民政取締地を継承、三戸県を称す”や、[75939]で紹介した 岩手県の誕生 記載と違い“北奥県という正式の名称”と記されています。
なお、平凡社『青森県の地名』の筆者によると、明治2年8月18日よりも前の 北奥県 も「正式の名称」であるが、それは「正式の県」ではなかったとしているようです。

[79603] 2011 年 11 月 5 日 (土) 12:11:32 白桃 さん
 白桃市町村人口研究所入所試験問題

問題文のA〜Eにあてはまる語句または自治体名を下に騎西するそれぞれの群の中から選んでください。
(ただし、人口等のデータは平成22年国勢調査集計確報による。)

1.さぬき市にあって東かがわ市に無いのが(A)で、そのことは非常にくやしい。
2.因みに、(B)は町のクセしてAの人口が同県の白石市を上回っている。
3.Aを持たない市の中で、市の人口が最大なのは(C)である。
4.対照的にAを持つ町村の中で、自治体人口最少は(D)である。
5.また、Aを持つ町村の中でAの人口が最大なのは(E)である。

A群:ア)DID イ)繁華街 ウ)歓楽街 エ)中華街
B群:ア)利府町 イ)大和町 ウ)大河原町 エ)松島町
C群:ア)栗原市 イ)安中市 ウ)南アルプス市 エ)三豊市
D群:ア)江差町 イ)真鶴町 ウ)田尻町 エ)琴平町
E群:ア)白岡町 イ)野々市町 ウ)長久手町 エ)府中町

注1)本問題は、九州・沖縄の調査が未終了なので問題ミスが発生するかもしれません。(そのときは、差し替えをいたします。)
注2)はっきり言って何も見ないで全問正解するのは難しい。かといって、出来ても何の自慢にもなりません。
注3)全問正解者は当人口研究所に入所する資格がありますが、入所するかしないかはご本人の勝手です。

[79602] 2011 年 11 月 4 日 (金) 20:19:59【2】 ピーくん さん
 白岡市

埼玉県南埼玉郡白岡町は、9月29日から10月9日の期間で開かれたまちづくり住民説明会で市名:白岡市(しらおかし)、市制施行日:2012年10月1日、市役所位置を現在の白岡町役場とすることを住民に説明しました。
資料注:pdf

毎日新聞
の報道では、まちづくり住民説明会でアンケートが実施され、回答者433人のうち市制施行に賛成が405人(93.5%)反対28人(6.5%)となりました。

同じ記事では10月27日の白岡町議会全員協議会で、小島卓町長は「12月議会で市制移行決議案を提案したい」と表明されました。
市制移行決議案は、白岡町を白岡市とすることについてといった市制施行に関する議案かもしれません。
11月30日開会予定の12月議会についての会期日程や議案などは白岡町議会のページを随時参照ください。

[79601] 2011 年 11 月 4 日 (金) 12:23:09 k-ace さん
 Re:自治体越えの地名

[79600]ひぃさん
池田町広津/生坂村東広津は[76056]EMMさんが挙げており、コレクションにも既に収録済みです。

参考「過去に分断し合併により再び一緒になった例」
として、
長野県安曇野市の穂高(旧穂高町穂高)/穂高北穂高(旧穂高町北穂高)/豊科南穂高(旧豊科町南穂高)
これは私も先月見つけたんですが、過去に分断した形跡がないんです(なので触れませんでした)。1874年?に合併で東穂高村(1921年、穂高町に)、北穂高村、南穂高村ですから。なので1889年の町村制施行時は単独村制になってます。西穂高村もあったのですが、こちらは現在の安曇野市穂高牧、穂高柏原のようですね。
#「過去に分断した」がないと膨大な量になると思いますよ。

安曇野市の豊科光(旧豊科町光)/明科光(旧明科町光)
こちらは該当例のようなので補足。
分断されたのは、1955年1月15日のこれこれの上川手村(1875年?までは光村)の一部がここのようです。地図

[79600] 2011 年 11 月 4 日 (金) 07:38:35 ひぃ さん
 自治体越え地名

ふとコレクションを見ていたら
地元のもので載っていないのがあったのですが、
これはいかがでしょうか?

長野県 北安曇郡 池田町 陸郷
長野県 安曇野市 明科南陸郷(旧:東筑摩郡明科町南陸郷)
長野県 東筑摩郡 生坂村 北陸郷
(地図はこちら

そしてもう一つ、同じく池田町と生坂村です。
池田町 広津
生坂村 東広津
(地図はこちら


あと、
参考「過去に分断し合併により再び一緒になった例」
として、
長野県安曇野市の穂高(旧穂高町穂高)/穂高北穂高(旧穂高町北穂高)/豊科南穂高(旧豊科町南穂高)

同じく安曇野市の豊科光(旧豊科町光)/明科光(旧明科町光)
はいかがでしょうか?


最後に、これは細かいことですが、同じく
参考「過去に分断し合併により再び一緒になった例」
にある長野・岐阜県の旧神坂村の「詳細」の部分ですが、
旧長野県山口村神坂(現岐阜県中津川市神坂)/岐阜県中津川市神坂
現在は「岐阜県中津川市馬籠」です(参考


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