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落書き帳


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[86399] 2014 年 9 月 23 日 (火) 07:41:18 オーナー グリグリ
 高萩市長、六方/鹿放、下志津、岩室

[86389] BANDALGOMさん
こういったことを調べていて、高萩市の記事のある箇所に目が止まりました。市長の名前です。これは女性の名前だ、ということで検索した結果、茨城県では常総市(前職)に続く女性市長が誕生していたことが判明しました。
情報提供ありがとうございます。さっそく追加しました。全国市長会のページを時々チェックする必要がありますね。

[86396] NTJ会長さん
あ〜りゃ、ド地元の例が載ってない事に気づいてませんでした(^^;
むむっ、少なくとも「下志津」は気が付かないといけませんね。15年目の地元として。それにしても、六方・鹿放(ろっぽう)は目から鱗でした。意外で新鮮な自治体越え地名です。詳しい由来説明をありがとうございました。

[86397] ばいちょうさん
当該地の狭山側の「池之原」を挟んですぐ東に「(大字)岩室」の文字を見てしまいました。
なるほど、岩室も広域名だったんですね。「堺市南区岩室/大阪狭山市岩室…」の備考欄に「(非隣接)大阪狭山市大字岩室」の記述を追加しました。

[86398] 2014 年 9 月 23 日 (火) 05:51:21 ばいちょう さん
 訂正(書き忘れ)です

下の[86397]の書き込みは、拙稿[86383] の補足です。ページを汚し申し訳ありません。

[86397] 2014 年 9 月 23 日 (火) 05:00:36 ばいちょう さん
 「自治体越えの地名」情報 の補足

続けての投稿、失礼いたします。

>グリグリさま
早速のご対応ありがとうございます。
堺市南区岩室/大阪狭山市岩室○丁目

掲載ページで確認して喜んでいましたところ、リンク地図を見ていてゾッとしました。当該地の狭山側の「池之原」を挟んですぐ東に「(大字)岩室」の文字を見てしまいました。日本最古のダム形式のため池 狭山池 (大阪府HP) とその周縁部が(大字)岩室になっています。自分の無知をさらすとは実に恥ずかしいものです。自戒の念を胸に?大阪府立狭山池博物館に行ってきます。

[86396] 2014 年 9 月 22 日 (月) 10:16:50 NTJ会長 さん
 『自治体越えの地名』

あ〜りゃ、ド地元の例が載ってない事に気づいてませんでした(^^;

『ろっぽう』
・千葉県千葉市稲毛区六方町
・千葉県四街道市鹿放ケ丘

昔の発言で記載した気がしますが、元々は『六方ヶ原』に基づきます。
(原コレクションに採用して頂いてる奴ですね)
四街道側は軍用地への入植した組合が、雅称を使用したもののようです。
(近隣の鹿渡に因んだ?)

『下志津』
・佐倉市下志津
・佐倉市下志津原
・四街道市下志津新田

両者の間の地域もだいたい『下志津原』の領域なのですが、上記同様に入植時に『大日』という名称を付与されたため、大きく分断されてしまいました。
更に、地名としては残存していないかも知れませんが、更に南下した千葉市若葉区に『陸上自衛隊下志津駐屯地』が存在します。
かつての『下志津原』の広さを物語っています。
『六方ヶ原』の語源も、『八方中六方までが、どこまで行っても原しかない』といった意味合だったように思います。
『六方ヶ原』の方も、入植時に山王という入植組合に分断されています。

ちなみに、『六方ヶ原』と『下志津原』の境界は、現存の地名では花見川区宇那谷町が四街道市に深く割り込んだ谷津のように見えますが、
北方の佐倉市志津地区側からの呼び名が『下志津の先の原』で『下志津原』、南方の千葉市原町側からの呼び名が『六方ヶ原』だったのではないかと。
更に西方の犢橋町側からの呼び名が『長沼の向こうの原』で『長沼原』になるのではないかと。

まぁ…ここらへんは北総台地上の平坦部なため、自然水利に頼る農耕には非常に不向きだった為、明治期に入るまで原野のままでした。
その後は、軍用地化してゆくことになります…



って訳で…同じくド地元の編集者さん、追加のご検討を(苦笑)

[86395] 2014 年 9 月 21 日 (日) 23:45:18 菊人形 さん
 平成26年8月の役場巡りより

8月の役場巡りから、平成の大合併にて消滅した町村の庁舎ネタを紹介します。

8月に足を踏み入れたのは、福島県と長崎県でした。
なお、今回紹介する2件は、いずれも大合併前に訪問済みの町村を再訪したものです。

(以下、訪問順)
 ・福島県)旧:西白河郡大信村役場 → 白河市大信庁舎(?) → 移転/解体
こちらへは大信村時代の平成17年6月に訪問済み。今回訪問すると、県道に面していた2階建ての庁舎は解体されており、跡地は砂利が敷かれた空き地になっていました。大信庁舎は50m程離れた昭和63年竣工の複合施設(保健センター)内に移転しています。

 ・長崎県)旧:南高来郡加津佐町役場 → 南島原市加津佐総合支所(?) → 移転/解体(転用)
こちらへも加津佐町時代の平成14年9月に訪問済み(12年ぶり!)。現在の総合支所は、旧庁舎から直線距離で約1Kmの離れた、田んぼの中にある「定礎:平成20年」の新庁舎に移転しています。2階建ての洋館風だった旧庁舎は解体されており、跡地は「加津佐いこいの広場」として整備されており、旧庁舎時代にもあった門柱が、そのまま残っています。

[86394] 2014 年 9 月 21 日 (日) 23:33:20 みかちゅう さん
 解答する市は「どう考えても明らかに正解」なのを選択すべき

[86391]グリグリさん
共通項の境界線上の扱いについて
微妙なところは○でも×でも出題者の裁量ということで構わないのですが、誤答判定を承知であえてそういうところを狙ってくる解答者が問題なのです。既解答(正誤判定)の積み重ねが次のヒントになっている以上、「明らかに○」と「×にはしづらいから仕方なく○」が混ざっていると問題を考える際に迷います。

[86393] 2014 年 9 月 21 日 (日) 20:57:51 オーナー グリグリ
 Re:第11回落書き帳公式オフ会アンケートについて

[86382] でお願いしたオフ会アンケート、さっそく10名の方に回答いただきました。引き続き回答をよろしくお願い致します。→ 「第11回落書き帳公式オフ会アンケート」

スナフキんさんがアンケートのコメントに書かれていますが、11月3日の入間航空祭に合わせて、11月2日に入間近辺で開催するというアイディアもありますね。

オフ会、支援していただける方を探しています。宿の発掘、宿との交渉、当日の会計、当日の進行、日程調整、広報等々、ある程度まとめて責任を持ってご支援いただける方のご連絡をお待ちしています。よろしくお願い致します。

[86392] 2014 年 9 月 21 日 (日) 20:50:18 オーナー グリグリ
 変遷情報更新 & 岩室

ピーくんさん、溜っていたいただいている情報を先日更新しました。対応とご連絡が遅くなり申し訳ありませんでした。ご確認いただければ幸いです。

[86383] ばいちょうさん、大阪府の岩室(いわむろ)を自治体越えの地名に追加しました。綺麗な事例が残っていましたね。まだまだ見逃されている地名は全国に沢山ありそうです。情報提供をありがとうございました。

[86391] 2014 年 9 月 21 日 (日) 20:39:37 オーナー グリグリ
 十番勝負感想について

ふぉろ〜がすっかり遅くなってしまったこともあり、簡単にまとめます。

(1) 共通項の境界線上の扱いについて
これまでも何度か説明していますが、今回の問九(総画数が20画の市)で、具体的な扱いの好事例がありました。
・葛城市は、パソコン文字では21画、市の正式文字では20画
・宝塚市は、パソコン文字では20画、市の正式文字では21画
ですが、両市ともに正解とします。境界線に幅を持たせています(前回の鹿島市と鹿嶋市の「島・嶋」問題も同じ)。人口幅など境界線を明らかにする必要がある場合を除き、共通項の本質ではない境界線上の市を問題市や該当しない市の例示で明確にすることもしません。

(2) ヒントの早出しについて
ヒントなしで共通項に行き着ける問題のネタが枯渇気味であることから、ヒントを前提とした出題を今後は増やして行くことになります。出題と同時にヒントを付けると言うことも考える必要があるかなと思っています。

以上、ざっくりまとめてしまいましたが、ご理解とご協力の程、よろしくお願い致します。

「第三回クイ図五番勝負」が10月開始です。オフ会調整などバタバタする中での開催となりますが、今のところ10月後半の開始になると思います。お楽しみに。

[86390] 2014 年 9 月 21 日 (日) 20:13:14 オーナー グリグリ
 経国値について

[86314] 鵺 さん
こちらの「経県値」を利用させて頂いているのですが、都道府県ではなく令制国毎の経験値(経国値)を図示したらどうなるのか気になって、令制国版を作ってみました。
http://nue2004.info/provinces/
元々自分用に作ったものですが、差し支え無ければ拙サイトで公開したいと思っております。よろしいでしょうか?
返信がすっかり遅れてしまい申し訳ありませんでした。貴サイトを確認させていただきました。注意事項にしっかりと権利帰属等の記述があり、経県値を立てて丁寧に対応していただき恐縮です。どうぞ、経国値としてサイトを発展させてください。あらためて対応が遅くなったことをお詫びいたします。

[86389] 2014 年 9 月 21 日 (日) 14:06:23【1】 BANDALGOM さん
 県庁所在地経県値アップ、とっておき情報

私はかれこれ8年半、某英語試験や各種国家試験などの試験官業務をやっています。金沢・福岡・湯瀬・岐阜のオフ会参加費は某英語試験の試験官の給与から捻出しました。この委託会社が現金手渡しなので、別に取っておいたもので、現在メインでやっている委託会社は振り込みですが。

7月末、某国家試験の試験官業務で宇都宮に行ってきました。過去には千葉県の会場で3回、東京都の会場で5回、監督や監督補助をやった試験ですが、千葉県の会場ではいつもろくな事がないので、7月には東京都と埼玉県の会場だけ応募しましたが、見事に外れました。そして数日後、宇都宮と長野の会場の追加募集があり、長野はさすがに無理だが宇都宮なら、と応募したら採用となりました。交通費は最低限しか支給されず、前泊もあるので、思いっきり足は出ますが、1泊旅行と思えばいい、って感じです。

昨年には別の国家試験の試験官業務で、やはり泊まりがけで水戸に行きました。前日にも準備があり、当時も朝非常に早かったためですが、おかげで水戸光圀が日本で初めて食べたラーメンを再現したという「水戸藩ラーメン」や、埼玉の同名のものとは似て異なる「スタミナラーメン」にもありつけました。この水戸でやった試験は、過去には東京や埼玉、茨城県南の会場でも試験官をやりましたが、来月には甲信越3県だけで募集があり、甲府会場に応募しましたが外れました。また、宇都宮でやった試験は来月初め、埼玉県内の会場で試験官をやることがすでに決まっています。

宇都宮ではカプセルホテルに前泊し、当日の業務終了後には、駅前で軽く餃子を食べた後、烏山線で烏山まで往復しました。一部の落書き帳メンバーの方もしている「スーツで鉄活動」です。関東のJR線で唯一、国鉄型気動車が残る烏山線ですが、全線電化はせず、電化区間の東北本線(宇都宮線)宇都宮−宝積寺間と終点の烏山駅に設けた充電設備で充電し、非電化区間も走行できる蓄電車を導入、近い将来置き換えることになっているので、乗ってきた次第です。上下列車が行き違う大金駅では、その蓄電車とすれ違いました。そして宇都宮に戻ってきてからまた餃子を食べ、東武宇都宮から帰りました。

栃木県は小学校の修学旅行(日光)を皮切りに、過去3回の宿泊経験がありますが、宇都宮市については駅での乗り換えだけ、つまり「接地」でした。それさえも2007年3月の南東北旅行からの帰りに列車を乗り換えたのが初めてで、それ以前は「通過」だったわけですが、今回は県庁所在地経県値も「宿泊」にアップとなりました。ちなみに、昨年試験官業務で宿泊した水戸市は、母親の友人が住んでいるため、小学4年の夏休みと中学2年になる前の春休みに宿泊した経験があります。


ところで、試験官業務で宇都宮に行く前、NHKニュースの天気予報の地図を見ていて思ったのは、宇都宮って思っていたよりも北にあるんだなぁ、ということです。水戸よりもかなり北、日立よりも上になるのではないか。また、当日に烏山線で往復した烏山になると、高萩あたりと同緯度になるのではないかと思いました。

そこで、帰ってきてからウィキペディアで調べてみましたが、記事に書かれている緯度を単純に見比べると、宇都宮駅は日立市南部の常陸多賀駅とほぼ同緯度、そして烏山駅は日立市北部の小木津駅と十王駅の間と同緯度となり、高萩よりは南と分かりました。

こういったことを調べていて、高萩市の記事のある箇所に目が止まりました。市長の名前です。これは女性の名前だ、ということで検索した結果、茨城県では常総市(前職)に続く女性市長が誕生していたことが判明しました。

小田木真代(おだぎ まさよ)さん、50歳。2014年3月2日就任(1期目)、任期満了日は2018年3月1日ということになります。「とっておきの情報」とはこれでした。ということで、グリグリさん、更新よろしくお願いします。

[86388] 2014 年 9 月 21 日 (日) 12:32:54 BANDALGOM さん
 生存報告

ご無沙汰しております。
この間、「平成の大合併」終了によるネタ消失はありましたが、時々絡める話題を見つけながらも、書き込める余裕がなかったというのが正直なところです。

オフ会については、今年は北海道かなぁ、と踏んでもいましたが、新幹線や夜行列車、飛行機で遠くに行けるだけの余裕がないということもありますし、何よりもすでに関東という案が出ていたので、関東周辺の近すぎず、遠すぎない所に決まってほしいなぁ、と思うところです。

2カ月前に気付いたことですが、まだグリグリさん、ピーくんさん、山野さんとも気付いていない、とっておきの情報がありますので、後ほど書き込みます。

[86387] 2014 年 9 月 21 日 (日) 09:52:00 星野彼方 さん
 第三十九回十番勝負 感想

大変遅くなりましたが十番勝負の感想をお送りします。記憶が薄れ気味なので簡単にですが回答順に。

問六:佐世保市 平成の大合併以降2回合併
共通項が最近2回以上合併したと思って回答。ま、似たようなもんで助かった。

問一:野々市市 周りがすべて市に囲まれている(湖込み)
共通項は気づいたものの駄目もとで回答。答え合わせの前に入門編を見ちゃって、こりゃ駄目だと持っていた。だって、同じ問題が出題されると思わないから。なにはともあれ、これで石川県の市はすべて答えたことがあることになった。

問四:寒河江市 同じ文字を含む町村と接する
この共通項は以前別の問題で考えたことがあったので早めに気づけた。お題に上野原市があるので「村」も対象になっていると思ったが、上野原市は相模原市にも接しているので大事をとって「町」にしておいた。

問三:美作市 県内、県外とも一市のみに接する 誤答:土佐市
県内一市に先に気づいて早まってしまった。数がもっと多くなりそうだとわかっていたのに。要反省。

問五:佐倉市 接する市に含まれる漢数字の合計が10以上 誤答:加茂市
漢数字を含むしに複数接していればよいと錯覚した。原因は福島市が二本松市と接していることに気づかなかったから。というか私、ときおり須賀川市と二本松市の位置を逆に勘違いするんです。
ほんとに。なんで、って聞かれても困るんですが。
それと、佐倉市が4+8+8=20で最大だと思って答えたのは秘密です。九十九里町かぁ。

問八:石狩市 合併で面積三倍以上
久喜市以外は面積が大きい。久喜市も合併したな。で、合併前後の比較に気づいた。ここまででこりたので正確に共通項を把握したつもりで答えたのだが、回答後、いつの時点の合併まで対象なのかが心配になっていた。

問二:桐生市 「う」「み」に接する 誤答:飯能市
とりあえず、ひらがなの自治体に接していることはすぐに気づいた。それでは数が多すぎることにも気づいたが、そのまま答えちゃった。その後、「み」の市を答える人が続いたが、沖縄市がおかしい。「ま」行かなと思ったが数が合わない(うるま市もまんのう町も「ま」を含む)。ひらがな三文字限定も疑ったがこれも数が合わない(土浦市はつくば市)。それで「み」を含んでひらがな三文字のみどり市に接していることがあきらかな桐生市にした。「う」にはヒントが出るまで気づかなかった。

問七:佐伯市 七以上の自治体と一度に合併 誤答:京丹後市
悔いが残る問題。単純に京丹後市で数え間違えていた。市の変遷のページで数えたんだけど、郡も数えちゃった。あかんなぁ。

ここで東北へ。そしてヒント。

問九:生駒市 総画数20
もっと多かったり少なかったりしたら気づけたかもしれないけど、言っちゃぁわるいが中途半端な数なので気づけなかった。それっぽい画数の市を片っ端から確認して最初に見つけたのが生駒市だった。

問十:岩倉市 全域が可住地域
以前、こういうのもありかな、と思っていたことはある。でもいざ出題されるとさっぱり。

最後に毎回悩ませて頂きありがとうございます。次回のクイ図も楽しみにしておりますのでよろしくお願いいたします。

[86386] 2014 年 9 月 21 日 (日) 09:49:20 ピーくん さん
 広報メディア

Hiro_as_Filler さんへ
熊本県水俣市のフェイスブック確認しました。
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愛媛県東温市のフェイスブック確認しました。
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愛媛県東温市のツイッター確認しました。
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京都府与謝郡与謝野町のフェイスブック確認しました。
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山形県南陽市のフェイスブック確認しました。
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長野県駒ヶ根市のフェイスブック確認しました。
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福島県西白河郡西郷村のフェイスブック確認しました。
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奈良県生駒郡平群町のフェイスブック確認しました。
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宮城県白石市のフェイスブック確認しました。
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よろしくお願いします。

[86385] 2014 年 9 月 20 日 (土) 17:32:34【1】 hmt さん
 スコットランド

スコットランド独立 の是非を問う住民投票が 今週 突然の大ニュースになりました 。

コトの始まりは、2年前の「エディンバラ合意」だったのですが、当時のことは覚えていません。
改めて 当時のCNNニュースを見直すと、英国首相府がその発表に使ったメディアは なんとツイッターだったとか。

ニュースによると 当時の独立支持は28%。ガス抜き狙いの住民投票で、万が一にも 独立Yes になる可能性はあるまいと 文字通り多寡【普通の用法では高】を括っていた英国首相ですが、投票日近くになって予想外の接戦という情勢を見て大慌て。
連合王国の崩壊を食い止めなければならないと、独立による経済悪化を訴えるなど 必死の防戦を展開しました。
投票結果は 独立No が55%となり、英国は分裂を免れました。
自治体数でいうと、全32のうち28地区で反対派が勝利したとのことですが、最大票田のグラスゴーでは独立賛成票が多数。

大騒ぎを演じたものの、とにかく民主主義の老舗国が、多数決の厳しさを示すお手本を世界に示してくれたわけです。
投票率84.5%は英国政治史上最高とか。参考までに、1995年に行なわれたカナダ・ケベック州独立を問う住民投票での投票率は94%だったとか。この時の結果は 反対票50.6%と 更なる接戦でした。

今回の記事を書くための調査で、スコットランド政治の基礎知識2007 というページを知りました。
直接引用することはしませんでしたが、とてもよくまとまっているので、スコットランドに関心のある方には ご一読をお薦めします。


このニュース種に刺激されて落書き帳の過去記事を検索すると、独立問題に触れた記事は皆無で、目立ったのは「ライ麦畑」など歌の話題でした。
意外にも、キルト、バグパイプ、スコッチなどのKWに該当する話題はヒットしませんでした。

余談ですが、スコッチと言えば 3M社も有名です。もちろん酒類を指定商品として「スコッチ」マークを独占することはできませんが、「テープ類」のような全く別の商品については 商標登録で独占することができます。
アメリカ生まれのテープに何故スコッチ?
この会社、Minnesota Mining and Manufacturingという社名のとおり 砥石を採掘してサンドペーパーを製造する事業を目的とする会社だったようですが、現在は粘着テープの代名詞的存在として知られています。
それが何故「スコッチ」なのかと言うと、創業期の製品について 客から スコッチ【どケチ】野郎 と罵られたことがあり、これを逆手に取って商標にしたとか伝えられているそうです。

落書き帳には、英国内における地域文化に触れた 桃象さんの記事 がありました。
スコットランド・ヤード[1785]、Flying Scotsman[81959]など スコットランドの名に関連する単発の話題も。

ニュース種、過去記事検索KWに続いて、スコットランド由来の地名談義をします。

ヨーロッパから離れて、アメリカの「ニューイングランド」。
その北には、カナダの「ノバスコシア」【New Scotlandの意味】という半島があります。
英国王の特許状を受けたジョン・カボットの船団は、コロンブスより5年後の 1497年にカナダの南東岸に到着。その後フランス人が入り、更にスコットランド人が送り込まれて「ノバスコシア植民地」を形成。
その後 仏英両国による支配の変遷を経て 1867年カナダ自治領成立当初の4州の一つになりました。北側には半島と大陸とを繋ぐシグネクト地峡やケープ・ブレトン島。
地図 を見るとニューグラスゴーという町もあります。『赤毛のアン』のプリンス・エドワード島も近くです。

更に場所が変って太平洋。日本の南、赤道を越えた先に九州ぐらいの面積の ニューブリテン島[79420]があります。
「カレドニア」はスコットランドのラテン語名なので、「ニューカレドニア」というと その一部ではないかと誤解されそうですが、もっと南東【誤記訂正】・オーストラリアの東にある 四国ぐらいの大きさの別の島です。

西洋人に知られたのは 1774年 キャプテン・クック[45308]の第2回航海で、山の多い風景がスコットランドと似ていたのでニューカレドニアと命名されました。捕鯨船や白檀貿易商人、奴隷狩り、宣教師などが訪れた後、ナポレオン3世の時代にフランスが領有宣言して流刑植民地化。英国によるオーストラリア植民の前例に倣ったものでした。

この島の成り立ちは太平洋に多い火山ではなく、大陸移動の過程で分裂したゴンドワナ大陸の破片です。
オーストラリアから分かれたニュージーランドと同様の陸塊で、1860年代に豊富なニッケル鉱石が発見され、流刑植民地から露天掘り鉱山の島になりました。19世紀末以降、日本からの出稼ぎ労働者も数千人あり、現地で結婚して帰化した人も多いとか。
モームの短編「雨」の舞台・パンゴ【PagoPagoサモア】訪問記を、新聞で読んだことがあります。現地人に日本を知っているかと聞いたら、「ああ知ってるとも。ニューカレドニアの方の島だろ。」という返事。
南の島と日本との関わりには、こんな背景があったのですね。

いずれもフランスと関係あるスコットランドゆかりの地名を紹介。カナダには実際にスコットランド移民の歴史がありました。
天国に一番近い島 という太平洋のフランス領は 風景がスコットランドに似ていただけ でした。

[86384] 2014 年 9 月 20 日 (土) 07:35:19【1】 白桃 さん
 北海道三分の計

2040年秋のオフ会のお話です。

北海道に独立の機運が高まり、下手すれば外国になってしまう、今のうちに行ってしまおうということで、急遽、北海道で開催されることになりました。
「わしゃ、スコットランドが独立しようかというときに、ビックリしましたよ。100万人を超えていたグラスゴーの人口が60万人をきって、八王子なみになっていたからのう。」と26年も前のことを持ち出すちょっとボケタ爺さんも出席しております。米寿を迎えたこの爺さん、誰とは言いませんが、昔から人口のことばかり気にかけているのです。
八王子なみの人口、と言っても、それは25〜26年前の八王子で、今の八王子は55万を割り込んでいます。でもビックリするほど減少しておりません。
さて、北海道独立の件ですが、もし独立したら、国名をホッカイ、サッポを首都とし、新たに3つの州を置く声明文が出されています。詳細はというと、
州名領域州都州都人口 
イースト(道東)オホーツク、トカチ、クシ、ネムアショ4,500人
セントラル(道央)ソウヤ、ルモイ、カミカワ、ソラチナヨ23,400人
サウス(道南)イシカリ、シリベシ、オシマ、ヒヤマクッチャン11,600人
皆さんお気づきのこととは思いますが、北海道は国名、地名表記をカタカナとし、“市街”を表す字を「ロ」としています。
ということで、
サッポ(札幌)、クシ(釧路)、ネム(根室)、アショ(足寄)、ナヨ(名寄)のことでございます。
なお、旧北斗市は国名にあわせ、ホッカイとし、「市」をあわせていうときは、ホッカイロ、ということになります。
さて、さきほどの爺さん、相変わらず冷たい日本酒ばかりを飲んでいますが、北海道が日本ではなくなると、北海道で飲む日本酒は「ニホン酒」になるのだろうか・・・

と妄想する白桃でございました。いつでも、どこでも楽しいオフ会には参加します。(酒が飲めれば何処でも良い、と言うワケではありません。汗~~)
※タイトルは三分で思いついた作り話、ということではありません。^j^)~~

[86383] 2014 年 9 月 20 日 (土) 04:01:34 ばいちょう さん
 「自治体越えの地名」情報

>グリグリさま
メンバーの皆様の博学ぶりに触れるにつけ、「知るは楽し」を実感する毎日です。オーナーさまには深謝するとともに、貴サイトの益々のご発展を祈念いたします。
さて、地名コレクション『自治体越えの地名』情報です。
堺市南区岩室/大阪狭山市岩室○丁目
ご検討いただければ幸いです。
この付近で市の境界となっている尾根筋の西高野街道を挟んで向かい合っています。奈良時代に河内国から和泉国が分離した頃までさかのぼるのでしょうか。子供のころ行先に「岩室」を掲げた南海バスが走っていたのを記憶しています。

[86378] かすみさん
堺の布団太鼓・だんじりをご紹介くださりありがとうございます。私の居住地の周りでも両方が混在しております。

[86382] 2014 年 9 月 20 日 (土) 00:24:40 オーナー グリグリ
 第11回落書き帳公式オフ会アンケートについて

しばらく書き込みが空いてしまいました。その間、いろいろな話題で盛り上がっていますが、書き込んでいただいた方、ありがとうございました。ふぉろ〜が遅れている件もありますが、まずはオフ会についてです。

[85848]の書き込みで、いっちゃんさんの都合を優先して11月1日関東周辺でと提案いたしましたが、その後、いっちゃんさんの状況が変わり、今年も参加できるかどうか危うくなったとのことで、一旦、[85848]の提案をリセットさせてください。すでに、予定を確保された方がいらっしゃいましたら誠に申し訳ありませんが、ご了承いただきますようお願いいたします。

今年のオフ会については、あらためて皆様へのアンケートを実施して、日程と場所を検討したいと考えています。お手数ですが、下記の「ちょー助」のページにご希望を書き込んでいただきますようよろしくお願い致します。

「第11回落書き帳公式オフ会アンケート」

アンケートページにも記入方法が書かれていますが、11月1日(土)から12月6日(土)の間の休前日8か所について、次の基準でマークしてください。

◎:第一希望(2か所まで)
○:出席可能
△:微妙
×:出席不可

また、希望エリア欄には希望する開催地を都道府県名または温泉名など特定名称で、できるだけ具体的に記入してください(空欄でも構いません)。では、できるだけ今月中にご記入をよろしくお願い致します。

[86381] 2014 年 9 月 19 日 (金) 02:44:26【1】 山野 さん
 西之島

-すくすく成長中-
何時の間にやら旧島部分が略飲み込まれています。東京ドーム33個分
*昨年11月23日頃に噴火して僅か1年で此処まで成長しました。

(話題を変えて、昨日の話)
・(親父)帰宅早々一言。「スコットランド」ってどうなった?(投票の結果)って。
・(私)明日結果が出るんじゃないけ?

(追記)
スコットランドの住民投票の結果:反対多数で否決されました。
-開票結果-
(反対)54.3%
(賛成)45.7%

[86380] 2014 年 9 月 18 日 (木) 16:20:04 NTJ会長 さん
 湖水の島コレクション、補足?

[35325] 太古のぢぶん
追加情報(1):千葉県 富津市 (富津公園内)大池
島名が判りました。 『中の島』でした。
偶然、コイツの正体に行き当たりました。
つまりコイツは厳密には『湖水の島』ではなく、『堀を持った堡塁』の遺構という事になるようです。

そのほか、最近は航空写真を閲覧出来る地図サービスが増えてきたので確認してみた所、存在が確認し難い物がだいぶ混ざっているようです。
とくに印旛沼(甚兵衛広沼)に関しては、何れも「島とは言い難いのではないか?」という地形になっていました。
(逆に、コンナモノを見つけてしまいましたが…コレも島ではないなぁ^^;)
一方、亀山湖では、これが記載対象と思いますが、これも有ります。

みかちゅう編集長さま、如何いたしましょ?

※『地名コレクション』中でも『地形コレクション』的なモノに関しては、「地図」より「航空写真」のほうが識別に向いているようですね、やはり。。

[86379] 2014 年 9 月 18 日 (木) 12:25:12 NTJ会長 さん
 また ご無沙汰してました(^^;

ん〜、しょっちゅう行方不明になるNTJ会長です。スミマセン (^^;

[84921] 右左府さん
経県サイト上で作成した 経県マップ を、facebook等のSNSに投稿する機能というのは付けられないでしょうか。
[84998] オーナー グリグリさん
私も何となく呼んだ気がします。^^;
まずはこの件ですね(^^;
あたしはfacebookを使っていないので、facebookで「何が出来るか?」が不明なのですが…

一応、原状でfacebookへ[掲載]する方法としては、以下の方法が有ると思います。
1.自力で画像ファイルを生成してアップロード
 この方法は[84994]で述べた通りですが、まぁ色々と問題点があります。(自動で更新されないとか)

2.URLを掲載する
 この方法では見た目のインパクトは有りませんが、確実なリンクが出来ます。
 <やり方>
  a.自分の「経県マップ」のページを開く。
  b.そのURLをコピーする。
  c.URLを「URL短縮サービス」で短縮する。
  d.出来たURLを、facebookなりtwitterへ掲載。
 ここでポイントになるのは、「URL短縮サービス」の業者選択になると思います。
 私的には特段のオススメは有りませんが、「管理が可能」な業者を選択するのが妥当と思います。
 つまり…「作った短縮URLを後で削除や変更が可能」にしておく必要が有るという事です。


で・・・
実用性からゆくと、「Facebookアプリケーション」で経県マップを作ってしまうのが妥当かな?と思われます。
具体的には以下のページの手順が比較的判り易いのではないかと思います。
http://d.hatena.ne.jp/language_and_engineering/20110821/p1
この中での「(2)「Hello, Facebook」アプリを作成」で述べられている「Canvas URL」のトコへ上記のURLを記載すれば、「とりあえずは」使用可能になるのではないかなぁ?と。
更に進めて「落書き帳」側で「暗証コード」での要求に対して、「経県マップ」のURLを返すCGIを用意してやって、ソレを「Facebookアプリケーション」化してやると、かなり良いのではないでしょかねぇ?

[86378] 2014 年 9 月 17 日 (水) 14:59:11 かすみ さん
 「渓(渓谷・渓流)」コレ更新&近況報告

みなさまこんにちは。ご無沙汰しています。
久々に地名コレの更新をしたのでそれに乗じて生存報告を…。

[86376]EMMさん
情報ありがとうございます。早速追加しました。
地図上の位置の設定が難しくてずれているかもしれませんが周辺と分かればいいのかなと。

ここ最近のわたしは神社の祭りにはまっています。大阪市内は夏祭りが多いので夏の間は平日にもかかわらず仕事が終わってから突撃していました。そして秋祭りシーズンに入り、完全にはまったのが泉州の布団太鼓…(爆) ※堺百町HP

泉州の秋祭りといえば岸和田だんじり祭が有名ですが、勇壮華麗さでは堺の布団太鼓も負けてはおりません。(市内にはだんじりが出るところももちろんあります)
おかげで毎週末に堺市内に出没している有様です。そしてその間を縫って北の大地を始め、あちこちに出かけているので地名コレのメンテナンスどころか自宅もひっくり返っています(汗)

ライフワークの一つとして父方の西予市三瓶町某集落の風習、文化について調べたいと思っています。小出しになるか、ある程度まとめてになるか、そのうちにご報告できればよいのですが。

[86377] 2014 年 9 月 14 日 (日) 21:05:21 星野彼方 さん
 猫これ 連絡

ようやくですが、先日 [86299] あまてる さん提供の情報を追加しました。ただし、どうしても正確な位置が不明な宇城市の猫谷と香美市の猫谷の追加は見送りました。

あと、実は私、明石市在住ですので、明石市魚住町清水猫谷と思われる場所付近をぐるぐるまわってみたのですが、猫谷であることを示すものはまったくありませんでした。どうやら路線価などの行政の中だけに残っているようです。ま、それはそれとして、場所は特定できているのでコレクションに追加しています。

また、EMMさん、[86376] の情報ありがとうございます。Mapion にばっちり掲載されていますので近日中に追加いたします。しばらくお待ちください。

[86376] 2014 年 9 月 13 日 (土) 23:15:41【1】 EMM さん
 「渓(渓谷・渓流)」コレ&「猫」コレ情報提供

久しぶりに情報提供を。

>かすみさん
「渓(渓谷・渓流)」コレへの情報提供です。
富山県上市町に大岩山日石寺と言う古刹があるのですが、このお寺の境内と奥の院との間に「千巌渓(または千滝渓)と言う渓谷があります。
今年5月に現地訪問していますが、静かな良い感じの渓谷でした。
この渓谷もかつては日石寺の不動明王を信仰する人々の修行の場であったようで、途中にある岩窟には多数の石仏が納められていました。
現地訪問時に写真も撮ってきているので、レポートページも作る予定ではいるのですが、手をつけられるのは石川県に戻ってからになりそうです。
ご検討をよろしくお願いいたします。

#余談…この日石寺から細い県道をさらに登っていくと、映画「おおかみこどもの雨と雪」に出てくる古民家のモデルとなった建物があるそうです。(参考
ただし、県道はかなり細くて急な道です。
EMMは日石寺より奥は未踏。

−−−−−

>星野彼方さん
福島県内で新たな「猫」物件を見つけました。
場所は西郷村。
たまたま別件で地図を見ていたら、西郷村役場からそう離れていないところに「猫神社」なる神社があるのを発見。
ただ、これまで情報提供した他の「猫神社」と違い、ネット上にはここに関する関連情報や訪問記などがほとんど無いようです。
なので今日、実際に行ってみました。
住宅地の中にごくごく小さな神社があり、扁額には確かに「猫神社」とあったのですが、由来書き等々はありませんでした。
ただ、すぐ横に家畜の慰霊碑やペットだったとおぼしき犬・猫のお墓が建てられていたので、もしかすると個人の方が独自に建てたものなのかもしれません。
いかがでしょうか?

#西郷村と言えばpachiさんお住まいの地ですが、ここに関して何か情報はないものでしょうか???

−−−−−

書き込みのついでと言っては何ですが…
実は下記物件についてはお盆頃に星野彼方さんに直接話をする機会があり、情報提供という点ではすでにすんでいる話なのですが、落書き帳をご覧の皆様にもご紹介しておきます。
実は福島に来る直前に地図を見ていたら、福島市内に「猫」物件があるのを見つけたのです。
そして、こちらについても現地を見に行っています。
それは、福島市の中心にそびえる信夫山の山中にあるねこ稲荷
福島市内、と言うことで、こちらは7月に訪問済み。
羽黒神社の直下にある小集落の中の1軒のお宅の軒先を通り抜けるとその奥にある、小さめの祠でした。
で、なぜお稲荷さんなのに「ねこ」なのかですが…
信夫山に住んでいた御坊狐といういたずら者の狐が他の狐にだまされて神通力を失い、その後信夫山のお坊さんに諭されて猫に化身し蚕をネズミから守る養蚕の神として祀られるようになった、と言う言い伝えがあるとのことでした。
もう一つ、神通力を失った御坊狐がこの祠のある家で飼われていた猫(実は観音様の使い)に諭されて改心し、ともに蚕を食い荒らすネズミを退治するようになった、と言う言い伝えもあるそうです。
こういった所以で養蚕の神として個人宅で崇敬されてきたものが何かのきっかけで世に知られるようになり、現在では猫を飼っている人が猫の健康長寿を祈願するために参拝する人が多く訪れているようです。


※タイトルが中途半端なところで終わっていたので追記

[86375] 2014 年 9 月 13 日 (土) 18:34:13 今川焼 さん
 豊岡県

[86367] アクアさん
総論≠ノ関しては他の方に譲るとして、
豊岡県の豊岡は県庁としては北西に寄り過ぎてますし、当時は特に大きな都市でもなさそうです。
(豊岡県域での最大藩は篠山の現高3万6321石。対して豊岡は現高6032石。)

豊岡県の領域のうち現兵庫県分については幕末の所領配置図拡大図(もとページはこちら)をご覧いただくとわかるのですが、丹波・但馬地域のかなりの部分は天領・旗本領で、丹後にも熊野郡を中心に天領はかなりあったはずなのでその石高は篠山藩よりも相当多かったものと思われます(確たる資料はないので数字ははっきりしませんが)。
江戸期には丹後熊野郡の久美浜に代官所が置かれ、丹後と一部但馬の天領の管理を行っていました。1868年久美浜代官所が久美浜県となり、さらに丹波・丹後・但馬・播磨・美作の天領23万石を管轄する県庁が久美浜に置かれ大規模な県庁舎など県関連施設が造営されましたが…。

5カ国の広い範囲を北端の久美浜に統治所を置くことは、若干の問題があり、旧生野代官所支配地を中心に強い反対運動を起こしました。
明治2年8月但馬・播磨の180ヶ村が分割され生野県が置かれました。
分割は当時の中央政府の意に反することであり、合併をまとめるために、県庁所在地を地域の中央に移すことになり、明治4年(1871)11月「久美浜縣廃止、豊岡県設置」となりました。
久美浜百珍 歴史ガイドによる。

そして久美浜に建てられた県庁舎などは豊岡に運ばれて、豊岡県の県施設として利用されました。
結局、豊岡県内の小藩は、最初から県庁所在地としては問題外で、久美浜と生野の代官所(とその周辺)の力関係から妥協の産物として、たまたま豊岡が選ばれたということではないでしょうか。

[86374] 2014 年 9 月 13 日 (土) 18:29:53 白桃 さん
 東かがわ市よ!眠ることなかれ

旭天鵬が60年ぶりの40歳幕内に!
という事は、名寄岩が生まれたのが100年前になるのか・・・
名寄岩で思い出したのが、[19075]
信夫山とか鳴門海とか三根山とか名寄岩とか出身地?からとったと思われる四股名の力士が今より多かったかもしれません。
今年の春、ある方に福島市の信夫山に連れて行ってもらいました。その事を、職場で話をすると、「モロ差し得意の信夫山は私のマチの出身です。」 と伊達市(旧:保原町)出身の同僚が教えてくれました。じゃ、四股名を信夫山とせずに、阿武隈川とでもしとけば良かったのに・・・
いつものように前置きが長くなりました。
小さい頃、火山には活火山、休火山、死火山の三種があると習いましたが、今は休火山とか死火山とかという呼び方はしないようで。それはともかく、人口の増減をみていると市にも“活市、休市、死市”があるようで。
さすがに“死市”と呼ぶのは問題がありそうなので、四国の38市を例にとって次のように分けてみましょう。
◎まだ、寝そうにもない元気な市
高松

◎起きてはいるが、もう眠そうにしている市
松山

◎こっくり、こっくりしだした市
丸亀、香南

◎寝てはいないが、ベッド(蒲団)の中に入っている市
徳島、鳴門、小松島、吉野川、美馬、阿波、三好、観音寺、さぬき、東かがわ、三豊、西条、伊予、大洲、四国中央、西予、東温、高知、四万十、宿毛、南国、香美
三好なんかは、一番遅く起きたのに、もう寝るのか・・・※観音寺、西条、伊予、大洲、四国中央(川之江)、四万十(中村)、宿毛は、いったん寝る準備をしていたが、起きていた時期があった。鳴門に至っては完全に寝ていたのに、起き出したときがありました。8市が眠りから覚めた時期はいずれも1975〜2000年、すなわち地方都市に多少の人口還流があったときです。

◎熟睡している市
阿南、坂出、善通寺、今治、宇和島、八幡浜、新居浜、須崎、安芸、土佐清水、土佐、室戸
※一番深い眠りについているのは室戸かな?
宇和島や八幡浜は、名寄岩が引退した頃から眠りについている。

寝つきの良い、東かがわが本当に心配だ。

[86373] 2014 年 9 月 12 日 (金) 22:03:52【1】 今川焼 さん
 太陽のない8月

[86372] JOUTOU さん
ここのところ日本各地で観測している常識を超えた大雨。まさにゲリラ豪雨が猛威をふるっております。
十番勝負以外ではご無沙汰しております。
さて、当地丹波でもこの8月は異常な夏でした。
幸い私宅は被害は免れましたが、17日の豪雨で丹波市内で2軒、福知山市内で1軒、それぞれ親戚宅で床下浸水の被害が出ました。9月になってようやく、まともに太陽を見る日が続くようになりました。「やっと梅雨明け?」みたいな感じです。

丹波市(柏原)の8月の気象データを見ると。
降水量平均気温最高気温平均最低気温平均日照時間
平年141.2mm26.5℃32.2℃22.4℃168.7h
今年599.0mm25.2℃29.2℃22.3℃64.4h

降水量で平年の4.2倍、日照時間は38%と実感を裏付けています。

市内の山のあちこちに、緑の斜面を爪で引っかいたように赤土の地肌がのぞく箇所が散在しています。(全部で116ヶ所あるそうです)
国土地理院の平成26年(2014年)8月豪雨による被害状況に関する情報のページで多くの被害の出た広島市と、福知山市・丹波市の航空写真が見られるようになっていますが、人的被害、住宅被害の多寡は、山を削って造った住宅地がたくさんあったか、ほとんどなかったかの違いだったようです。
広島市の一例
丹波市の一例

[86372] 2014 年 9 月 12 日 (金) 09:26:30 JOUTOU さん
 Guerrilla downpours

寝苦しい夜から開放され、日に日に季節は秋めいてきましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?ご無沙汰しておりますJOUTOUです。

ここのところ日本各地で観測している常識を超えた大雨。まさにゲリラ豪雨が猛威をふるっております。被害に遭われた皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

私の住んでいる江東区の海面下、いわゆる東京0m地帯は、よく水害に見舞われていると思われがちですが、それは昔の記憶であって「そういう土地だからこそ“治水”が進んでいる」地域でもあります。それでも一昨日の局地的な大雨には耐え切れず、自宅の目の前の京葉道路(国道14号線)が冠水しました。ニュースでも流れていたのでご覧になった方もいるとは思います。

実は私が今の地域に住み始めてかれこれ30年が経過しようとしていますが、過去に道路が冠水した経験はこれで3度目だと記憶していますが、過去に2度は台風によって引き起こされたもので、今回のような局地的豪雨によるものは初めての経験でした。しかも、過去の2度よりも水かさが高かったという事実がさらに恐ろしいです。

[86371] 2014 年 9 月 11 日 (木) 22:44:09 山野 さん
 市役所移転

グリグリさんへ(市役所移転情報)
(1)守口市役所、三洋本社ビルに再来年度までに移転へ。
三洋電機の本社ビルと土地を約50億円で取得し、市役所本庁舎として使うと発表
(2)市議会、伊賀市庁舎移転条例を賛成多数で可決
伊賀市の現庁舎は改修保存する方向へ。

[86370] 2014 年 9 月 10 日 (水) 04:38:30 YT さん
 第一次府県統合と、それそれの府県での人口上位3位までの都市人口

[86367] アクアさん、初めまして。

2.非最大都市規模で非明治政府領を県庁に置いた県

おそらく旧領石高と城下町に比例関係があると仮定して都市規模を算出しているのでしょうが、大隈重信蔵書「府藩県石高人口表」を見てわかるように、石高と人口の相関は必ずしも良くありません。それに第一次府県統合では、各地に散らばっている各藩の飛び地を抹消しているので、単純に藩の石高で統合後の規模に順番を振るのもどうかと思います(旧高旧領取調帳で調べているのでしたらすみません)。

そこで明治6年頃の都市人口による各府県の人口上位3位までの都市と人口をまとめてみました。都市人口は『日本地誌提要』(明治6年1月1日調人口、[68751][68752][68793][68794][68845][68846][68962][68963][68964][68965]参照)を基礎とし、『明治八年 共武政表』(明治5年〜8年の本籍人口)の人口を用いると各府県別での都市人口順位が上がる場合には『共武政表』の人口で補正しました(●印をつけた都市)。但し明らかに人口に誤りがある場合(『日本地誌提要』の鹿沼の人口と『共武政表』の気仙沼の人口など)はこの限りではありません。また県庁所在地が4位以下の場合は別途記載しました。

使府藩県M5人口1位人口2位人口3位人口4位以下人口
開拓使123,668箱館28,825小樽3,903札幌1,785
東京府779,361東京595,905千住11,368品川10,293
京都府567,334京都238,663伏水22,334亀岡7,029
大坂府530,885大坂271,992天王寺16,560難波8,128
琉球藩166,789首里44,984那覇14,610久米9,800
神奈川県492,714横浜64,602神奈川10,660八王子7,675
兵庫県198,559神戸・兵庫40,900尼ヶ崎12,404西之宮8,699
長崎県630,487長崎29,656島原18,682福江17,787
新潟県635,484新潟33,152新発田18,312村上17,647
埼玉県426,989成田(忍)7,224岩槻5,077幸手4,294浦和1,750
入間県410,952川越9,357熊谷4,171本庄3,573
足柄県339,582小田原12,710浦賀●7,081鎌倉6,420
木更津県574,652木更津4,381一之宮4,215鶴舞3,126
印旛県456,689船橋9,494古河9,343佐倉6,681流山●1,946
新治県470,509銚子17,688土浦7,788石岡6,938
茨城県366,505水戸19,010那珂湊8,254下館4,947
群馬県382,697前橋15,063高崎11,285沼田3,828
橡木県388,934館林9,007佐野4,960鹿沼●4,201栃木3,968
宇都宮県234,124宇都宮15,061烏山2,435大田原2,284
奈良県418,326奈良21,158郡山14,988御所町3,507
堺県446,85238,838岸和田8,852佐野5,388
安濃津県413,86522,080桑名18,064上野12,385
度会県363,732山田22,473松坂8,781鳥羽4,746
名古屋県604,116名古屋125,193熱田15,211一之宮7,399
額田県606,252岡崎12,969大浜8,885豊橋7,506
浜松県414,928浜松11,103新居6,438横須賀5,516
静岡県368,505静岡31,555沼津10,684島田●7,461
山梨県360,068甲府15,529市川4,095鰍沢3,562
大津県305,232五別所・大津17,924膳所6,371膳所6,371
長浜県271,332彦根24,368長浜5,369高宮●3,754
岐阜県660,896今泉・岐阜10,800大垣10,158八幡5,364
筑摩県550,841松本14,275高山13,081飯田8,944
長野県466,652松代7,976長野6,928小諸6,152
仙台県404,577仙台51,998石巻10,325馬場谷地●4,964
福島県268,576二本松10,435白河7,250福島5,813
平県242,906三春5,0864,241白石●3,313
若松県203,722若松20,588坂下2,972高田●1,987
一関県372,562水沢5,166気仙沼4,377一之関●4,365
盛岡県319,486盛岡21,306遠野●5,175花巻4,426
青森県473,244弘前32,886福山16,092青森10,965
山形県299,291山形17,631新庄8,361谷地6,587
置賜県130,293米沢24,945宮内2,858上小松●2,331
酒田県203,676鶴岡24,964酒田18,619大山3,430
秋田県582,297秋田38,118横手8,169本荘6,423
敦賀県199,819小浜19,271敦賀11,476武生9,416
福井県346,700福井39,784大野9,052坂井9,044
金沢県403,357金沢109,685小松9,970大聖寺9,416
七尾県397,511高岡23,724新湊18,904七尾8,216
新川県480,638富山44,682魚津10,098八尾5,981
柏崎県718,249高田27,460長岡24,067柏崎14,081
相川県103,098相川12,632夷町3,400小木2,602
豊岡県505,073宮津9,398舞鶴9,073出石6,796豊岡4,926
鳥取県385,531鳥取20,782米子10,237倉吉4,809
島根県340,042松江37,808杵築7,674広瀬3,877
浜田県259,611津和野7,088浜田3,943益田●2,503
飾磨県635,791姫路24,521明石14,410赤穂7,134
北条県215,602津山15,411真島(勝山)2,747久世1,749
岡山県387,459岡山32,372日生●3,511牛窓3,219
深津県546,430福山17,643鞆津●8,495笠岡6,415
広島県919,047広島74,305尾道9,722三原8,565
山口県827,53645,318赤間関18,500岩国11,684山口9,279
和歌山県556,919和歌山61,124新宮9,134田辺7,485
名東県750,985徳島48,861洲本7,267由良5,935
香川県559,712高松32,736丸亀13,875坂出6,465
松山県418,561松山26,141今治12,000川江5,860
宇和島県357,413宇和島12,209外海●6,280吉田5,042
高知県524,511高知39,757高岡5,827安芸4,479
福岡県441,175博多20,985福岡20,650秋月5,178
三潴県391,535久留米20,381柳河8,865瀬高3,860榎津2,555
小倉県304,574中津11,538小倉7,459長洲4,500
大分県562,318臼杵10,738大分6,8215,975
伊万里県506,667佐賀21,660厳原8,806唐津7,987伊万里4,005
熊本県513,593熊本44,620長洲5,706川尻4,712
八代県439,444八代9,021牛深7,590御領●6,017
都城県310,121国府17,144加治木9,386都城7,390
美々津県201,798宮崎11,929延岡6,861広瀬●3,884美々津1,881
鹿児島県670,864鹿児島●89,374加世田31,595鹿籠24,902


平県(磐城平:都市規模4位/6藩)
更津県(桜井:都市規模15位/15藩、天領1)
群馬県(高崎:都市規模3位/8藩、天領1)
埼玉県(岩槻:都市規模2位/2藩、天領1)*
額田県(岡崎:都市規模3位/10藩)
豊岡県(豊岡:都市規模8位/9藩、天領2)
大分県(府内:都市規模3位/7藩)

都市規模としては平は1位と大差のない2位、桜井(木更津内)は1位、高崎は1位と大差のない2位、岩槻は1位と大差のない2位、岡崎は1位、豊岡はやや1位と差のある5位(4位は篠山の5,931人)、大分はやや1位と差のある2位です。

1番、2番、3番、それ以下の差異をどの程度考慮するかにもよりますし、また明治22年の市制町村制施行までは「都市域」の定義が曖昧であるため、資料によって集計範囲が異なるという難点がありますが、一部の例外(浦和、流山、榎津、伊万里、美々津)を除き、当時の県庁所在地はその地域の中心となる都市が選ばれていることが判るかと思います。

この掲示板等でも、県によっては人身一心の理由で県名を改めたということが言われていますが、具体的にどのような資料でそのようなことが書かれているのでしょうか?

これは多分中央にはまとまった資料がなくて、個々に地方史をあたらないとわからないと思います。宮武外骨の『[府藩県制史]』における賞罰的県名論も、細かいところで矛盾がありますし。

[86369] 2014 年 9 月 9 日 (火) 18:10:21【2】 hmt さん
 明治の府県 (2)府県名称変更はユニークな理由もあるようだが、大部分は県庁所在地変更に伴うもの

引き続き、[86367]アクアさんの質問に関連する 私の考えを示します。
[86368]で示した 「県役所の所在地名を県名とする原則」が下敷きになっています。

2) 第一次府県統合以降の府県の名称改めについて
名称変更の「理由」は、これを法令に記す必要はなく、存在するとすれば当事者の内部資料的なものと思われます。
愛媛県の 県名の由来 には『古事記』が引用されていまたすが、アクアさんが求めている「資料」は明治6年石鉄・神山両県合併時に「愛媛」が選ばれた経緯なのでしょうね。
愛媛県と言えば、その前身である松山県から石鉄県への改称 太政官布告明治5年40号 の理由も問題になっています。
司馬遼太郎の『街道をゆく』によると、松山県令の本山茂任が太政官に出した具申書に、松山が古臭く石鉄が新鮮で民心の統一に役立つという意味のことが書かれていたそうだとのこと[16400]
私もそれ以上のことは知りませんがアクアさんの質問も、これを踏まえたものでしょうか?

松山県・宇和島県という地名由来の県名が石鉄県・神山県に改称され、愛媛県になった特別ユニークな事例はさておき、県名を改めた理由の大部分は県役所(県庁)所在地変更に基づくものでしょう。

事例を数え上げれば弘前県から青森県へ[76243]、佐賀県から伊万里県を経て再び佐賀県へ[75097]、一関県から水沢県へ、更に磐井県へなどの例もあると思いますが、代表例として金沢県庁の石川郡美川町(現・白山市)への移転 太政官布告明治5年31号 を挙げておきます。県庁所在地が金沢でなくなったので石川郡の名に基いて石川県に改めたわけです。
県庁は翌明治6年金沢に戻りましたが、当時は大都市・金沢も石川郡の一部であったので 石川県のままで OK となり、金沢県には戻りませんでした。

県庁が移転ても県名が変らない事例。兵庫県の場合は兵庫と神戸とが一体化して同一都市内の移転と考えられたからでしょう。
明治17年(1884)年 栃木県庁が栃木から宇都宮に移転しましたが、この時には県名が変わりませんでした。
この頃になると「県役所の所在地名を県名とする原則」が崩れてきた証拠と思われます。

3) 府県統合での県庁の場所
統合した2県の県庁所在地のほぼ中間に新しい県庁を設け、その地を県名として名乗る例もあります。
印旛県【佐倉】と木更津県【木更津】とを統合した明治6年の 千葉県
明治8年に新治県を分割して現在の形になります。[1644]
群馬県【前橋】と入間県【川越】とを統合した熊谷県[36081]
こちらは明治9年に旧入間県部分が埼玉県に編入。栃木県に属していた3郡を加えて上野国全部を管轄する群馬県が復活しました。

【追記】
3) 府県統合での県庁の場所 についてのレスは、質問を十分に理解しないまま書いたので少し的外れでした。

アクアさんの記事は 明治4年11月の“いわゆる”第一次統合【注】に限定した整理だったのですね。
【注】明治4年11月 3府72県への “いわゆる”第一次統合 について
 太政官布告を見れば、そこには「統合」又はそれに類する言葉が使われていません。詳しくは[76179]をご覧ください。
 hmtも、過去には この言葉を使っていたのですが、明治4年11月は 統合でなく「リセット」であることに気がつき 改めました。
[86369]で提示した明治6年や明治9年の事例は、本当の統合です。

ちょっと気になった事項を逆質問します。 
3)の1において足柄県内で小田原を上回る規模の天領都市とは どの町を指しているのでしょうか?
少し先の年代になりますが、明治13年共武政表[81089]による 小田原の人口は 13695人であり、足柄県管内では 6000人余の三島や藤沢を始め、横須賀、浦賀、下田等を圧倒的に上回る都市でした。

[86368] 2014 年 9 月 9 日 (火) 17:49:00 hmt さん
 明治の府県 (1)県役所の所在地名を県名とする原則

[86367] アクアさん
都道府県市区町村落書き帳へようこそ。都道府県の歴史的経緯に関心を持っている hmt です。
ここでは、[228] Issieさん 以来 都道府県に関する多数の記事が語られています。検索機能も活用して楽しんでください。
自らの記事を主としたものですが、hmtマガジン の中に「都道府県」というテーマがあり、「府県」の誕生から廃藩置県まで などの特集で 過去記事の一部をまとめています。明治4年11月の3府72県でさえ序章の段階で中断状態ですが、追々書き進めてゆきたいと思っています。ご参考まで。

ご質問につき的確なお答えはできないのですが、私の考えを少し記してみます。

1) 明治期の府県庁について
府県庁所在地の根拠を探るのですね。
手始めに現在の「東京都庁の位置を定める条例」(昭和60年10月1日東京都条例第71号)を見ると、
地方自治法第4条第1項の規定に基づき、東京都庁の位置を次のとおり定める
  東京都新宿区西新宿二丁目
となっており、附則で東京都規則で定める日【平成3年(1991)4月1日】からの施行であることがわかります。

明治初期の府県は現在の都道府県と違い 自治体というよりも国の出先機関の性格が強く、このような条例はなかったでしょう。
役所の位置は国の都合で一方的に決め、それを周知する手続きも特に定められていなかったのではないでしょうか。

法令現行法では「兵庫県【という名の地方公共団体】の事務所が所在する地は 神戸市」 という関係になります。
しかし、府県誕生当初の感覚は その逆であり、「県役所の所在地名を県名とする」。
これが原則であったと思います。

慶応4年正月 鳥羽伏見の戦いの後で 幕府の兵庫奉行が引き揚げてしまった政治空白地帯に 新政府が作った組織は、兵庫鎮台>兵庫裁判所>兵庫県と名を変えながらも「兵庫」を使い続けました。このように役所の地名が県名になりました。[75495]

飛び地の集合状態だった第一次兵庫県は、明治4年に第二次兵庫県として小さいながらもまとまった県域(17万石)になり、更に明治9年の第三次兵庫県で一気に 県域を拡大 しました。[54430]

兵庫県庁の位置は、第二次兵庫県発足時は兵庫でしたが、その後 坂本村などを経て 1873年に現在地に移った[1776] とのことで、1780年の「兵神市街之図」[54297]でも神戸地区に記されています。
この間に 元は2つの都市であった兵庫と神戸とは融合し、1879年に「神戸区」、1889年に「神戸市」となっています。
このようにして、県名と県庁所在地名とは 原則を破って「別の地名」を名乗ることになりました。

府県庁をどこにするというのは書いてありません。一部関東には県庁まで書かれているところもありますが

明治4年太政官布告594号にある次の記載でしょうか。
足柄県 県庁小田原 入間県 県庁川越 埼玉県 県庁岩槻 印旛県 県庁佐倉 新治県 県庁土浦 茨城県 県庁水戸

同じ布告の中で県庁所在地が記されていないのは、神奈川県 東京府 木更津県 栃木県 宇都宮県 です。
「役所の所在地名を県名とする」原則からすれば、これらの府県は県庁所在地を特に記す必要がありません。
県庁所在地名が記されていた7県は 県名が郡名などに由来する いわば例外的な存在であったと理解しています。

明治の混乱期で、太政官令の記録の継承が不十分であったとみてかまわないのでしょうか?

太政官令という言葉は知らないのですが、布告などの記録継承体制は 不十分であったと思われます。
県庁所在地ではありませんが、明治4年11月山梨県発足前 は 法令全書668・地方沿革略譜 いずれも「甲斐県」としていますが、山梨県HPによると「甲府県」です。
日付についても、次のように こぼした経験があります。[75497]
明治元年法令全書の書物自体は 明治20年出版で、慶応4年当時の記録が残されていないものもあります。当時の日付が正確に伝えられていない可能性もあります。
[55181]には】越後府(第1次)の設置日が 法令全書の 5月29日説 の他に 公文録の 5月23日説 とがあることが記されていますが、地方沿革略譜 を見たら、こちらでは 6月3日 となっていました。こうなると、どれを信用してよいものやら。

長くなったので、ここで切ります。

[86367] 2014 年 9 月 8 日 (月) 17:15:34 アクア さん
 はじめまして

はじめまして。アクアと申します。
ふいに都道府県の成立について気になり、いろいろいろと調べていたらここにたどり着きました。私自身が気になっていること等がここであつく議論されていて、いろいろと勉強させていただいています。

さてさて、いきなりで申し訳ないのですが、いくつか質問させていたきます。

1)明治期の府県庁について
wiki等では、この県の県庁がどこにあったのかが載っているわけですが、命令元となった太政官令とかをみても、あまり府県庁をどこにするというのは書いてありません。一部関東には県庁まで書かれているところもありますが、すべての府県では記述がなさそうです。これは明治の混乱期で、太政官令の記録の継承が不十分であったとみてかまわないのでしょうか?

また、一般的に県庁がおかれた場所というのは、「地方沿革略譜」や、府県に残る資料等に由るもので、国からの命令というのはあまり残ってないのでしょうか?政体書に基づく府県の設置も、裁判所から府県へ改める命令がないことから初期の命令は失われていそうです。

2)第一次府県統合以降の府県の名称改めについて
この掲示板等でも、県によっては人身一心の理由で県名を改めたということが言われていますが、具体的にどのような資料でそのようなことが書かれているのでしょうか?「太政官令」をみる限りではそのようなことが載ってはいなさそうですし、「太政官日記」を見ても、日付順で記述されてはなさそうなので、該当するものは見つけられませんでした。(日付が前後しているようなので読みにくく・・・。たんに明治期の書体になれてないだけですが・・・。)

どこかのHPで県庁移転のお伺いを、大蔵省か何かの省あてに意見書を提出したとするようなことが書かれたのを見たことがあります。そういうように意見をうかがうような役所があって、県庁の移転や県の名称を変えることについて国との連絡係みたいなのが決まっていたのでしょうか?

3)府県統合での県庁の場所
第一次府県統合時、県庁が置かれた場所は、基本的に統合した場所での一番大きい町(石高が最大の旧藩)もしくは旧天領の中心地(県庁所在地)であると思います。 「府藩県石高人口表」を基に独自に調べてもそんな感じでしたが、例外がいくつかあり、それは以下のように整理できました。

1.天領が最大都市規模で、非明治政府領を県庁に置いた県
一関県(一関)、二本松県(二本松)、新治県(土浦)、足柄県(小田原)、筑摩県(松本)
*二本松はすぐに福島(天領)に移転したため、実質的には例外からはずれる。

2.非最大都市規模で非明治政府領を県庁に置いた県
平県(磐城平:都市規模4位/6藩)
更津県(桜井:都市規模15位/15藩、天領1)
群馬県(高崎:都市規模3位/8藩、天領1)
埼玉県(岩槻:都市規模2位/2藩、天領1)*
額田県(岡崎:都市規模3位/10藩)
豊岡県(豊岡:都市規模8位/9藩、天領2)
大分県(府内:都市規模3位/7藩)
*埼玉県は、県庁予定地の岩槻に県庁を置けず、仮県庁の浦和(天領)が後にそのまま県庁となったため、実質的には例外からはずれる。
*整理時に統合の藩県を間違えている可能性もあるので、正確でないかもしれません…。

3.非明治政府領の港町に県庁を置いた県
美々津県(美々津)、青森県(青森)
*青森は、正確には第一次府県統合前に弘前から青森に移転したのでここに置くのは適当ではないですが、とりあえずここに置いておきます。

4.城跡もしくは支城に県庁を置いた県
酒田県(酒田)、 栃木県(栃木)、 長浜県(長浜)、 三潴県(榎津)、 八代県(八代)

5.その他の理由で県庁を置いた県
入間県(川崎)、 長野県(長野)

特に2と4の理由がわからないところです。
(城についてよく分かってないので、この分類にならないものを含んでる可能性はありますが)
例として、豊岡県の豊岡は県庁としては北西に寄り過ぎてますし、当時は特に大きな都市でもなさそうです。
(豊岡県域での最大藩は篠山の現高3万6321石。対して豊岡は現高6032石。)
また、栃木県は最大藩であった壬生ではなく、その近く(約1.7km)にあった栃木城跡に県庁が置かれた?みたいなので、壬生付近が治安が悪かったとかならばここまで近くには県庁を置かないと思います。(監視目的?)
何故これらの場所に県庁が置かれたのでしょうか?


以上です。これらのことに何かご存じなことがあれば教えていただけるとありがたいです。

[86366] 2014 年 9 月 7 日 (日) 16:59:04【2】 hmt さん
 伊勢参りの国鉄路線

伊勢参りの私鉄路線[86363]に引き続き、それと対比すべき 伊勢参りの国鉄路線 に触れておきます。
タイトルに掲げた伊勢参りの枠から少し逸脱しますが、1885年(M18)内閣制度発足、1889年(M22)大日本帝国憲法発布、市制・町村制施行、1890年(M23)帝国議会招集を背景とした時代における本州中央部の鉄道建設・改良にも言及します。

鉄道ルートの選定には 山岳地帯や大河など 地形条件と、それを克服する隧道・橋梁・車両技術とがからみます。
東西両京を結ぶ幹線鉄道の、中山道ルートから東海道ルートへの変更は それを如実に物語る実例です。

今般中山道鉄道敷設を廃し更に工事を東海道に起すに決定す
この 閣令明治19年第24号の意味するところは 幹線鉄道の全線を近世東海道筋に改めるということではありません。
当時未完成であった名古屋以東の工事区間だけの変更です。
名古屋以東にしても箱根を避けた御殿場経由など、近世東海道沿いでない区間もあります。

国の幹線鉄道計画は、このルート変更よりも前から 鈴鹿峠の急勾配を避けた関ヶ原経由(伊吹越え)で進められていました。明治19年の東海道ルート復活でも、伊勢国の7宿(42桑名 43四日市 44石薬師 45庄野 46亀山 47関 48坂下)と近江国甲賀郡の3宿(49土山 50水口 51石部)とは 鉄道から取り残されたままです。【数字は東海道の宿場番号】

なお 東海道が中山道と合流する52草津から先は 現在の東海道線区間です。[61344]では京都-大津間【注1】に少し触れただけでしたが、琵琶湖東側を含む馬場【膳所】-米原- 関ヶ原間【注2】は 1889年に開通しました。
【注1】京都-大津間の改良
1880年の逢坂山トンネルにより最初に開通したのは、稲荷山の南を現在の名神高速道路沿いに大迂回するルートで、補機を必要とする25‰勾配線でした[61344]。東山トンネルと新逢坂山トンネルを通る現在の改良線は1921年に完成しました。
【注2】伊吹越えの改良
関ヶ原の西側は1882年に長浜への線路が通じていたのですが、1889年の新線によって 東海道線と北陸線とが米原で接続する形に改められました。その後西斜面で柏原経由の新線(1901)、東斜面で新垂井経由の下り列車専用単線【道路で言えば登坂車線】[9490] 増設(1944)というように、現在の形になるまでに勾配緩和工事が重ねられました。

それはさておき、
国の幹線鉄道計画から取り残された東海道筋は、三重県と滋賀県の後押しを得て、私設鉄道の建設に挑戦しました。
これが関西鉄道です。非力な蒸気機関車牽引の時代のこととて、伊勢から直接甲賀に入る鈴鹿峠は諦め、加太トンネルにより伊賀の柘植を経由してから甲賀に入るというルートを設定しました。
加太(かぶと)越えの難工事もやり抜いて、草津から四日市までの区間を1890年に完成。翌年には亀山から津までの支線を開業。これが伊勢参りの国鉄路線のルーツです。この勢いで名古屋進出を申請し 1895年に全通。
その後、大阪への路線を確立して官設鉄道と激烈な競争を演じた後、遂に国有化されたことは [61246]で記しました。

伊勢参りに戻ると、津から先は別会社の参宮鉄道として 宮川までが1893年、山田駅【現・伊勢市駅】開業は 1897年。
関西鉄道と共に鉄道17社の最後として1907年国有化。1909年の国有鉄道線路名称で 亀山-山田間が「参宮線」を名乗り、1911年には鳥羽まで延長されました。

文字通り伊勢参宮の重要路線であった戦前の参宮線は お召し列車もしばしば運行され、亀山-山田間の約35%が複線化される 幹線並みの扱いを受けていました。
戦前を代表する『汽車時間表昭和9年12月』で参宮線上り列車の行先を見ると、名古屋と湊町が多いのは当然ですが、草津線経由で京都・大阪以遠と結ぶ列車が6本(京都、大阪2、姫路2、宇野)もあります。食堂車付となっている姫路-鳥羽間の快速列車(の後身)は 1965年まで運行されていたとのことです。
関西鉄道時代からの歴史を考えれば、この列車の「草津線経由」が 由緒正しいものであることを知ります。
昭和9年時間表には、別に寝台車付東京行きも1本あります。

戦後の参宮線は、1970年に鳥羽線を開業して賢島までの直通ルートを開いた近鉄に完敗。天皇陛下も新幹線・近鉄を利用されています。
戦時中に単線化された参宮線は、戸籍上の地位も 1959年【紀勢線全線時】に亀山-多気間が紀勢本線になり縮小しました。

昔の地図で伊勢参りの鉄道を眺めましょう。
大正13年三重県地図
宇治山田だけでなく、松阪にも私鉄が来ておらず、参宮線が独占を謳歌することができた時代です。
参考までに 松阪-大石間の松阪鉄道は戦時中に廃止。相可口【現・多気】川添間の紀勢東線は 現・紀勢本線の一部。

日文研所蔵の 1931年宇治山田市街全図
中央やや左に参急と参宮線の山田駅。その南西に伊勢電の大神宮前駅。地図の西端を流れる宮川では、参宮線鉄橋の北からに参急、南に伊勢電と3本の鉄橋がほぼ等間隔になっています。

最後に参宮線がらみで忘れることができないのが 1956年に修学旅行生を乗せた列車が起こした 六軒事故 です。詳しくはリンク文書をご覧ください。
死者42人、負傷者92人の大事故被害者の多くは、東京教育大学付属坂戸高校(埼玉県)の生徒でした。
六軒駅の現在の所属は紀勢本線ですが、参宮線の大事故として記憶されています。

[86365] 2014 年 9 月 7 日 (日) 12:49:18 白桃 さん
 北海道・東北の市町村への人口還流

[86364]白桃
さて、次回は市町村単位で見ることにいたします。
都道府県単位で十分だとは思うのですが、なにせ「市町村人口研究所」なもんで。
「人口還流」と言っても、東京などに出て行った人が出身地に戻ってくるという文字通りの「還流」もあるでしょうが、若年人口を外に出さず域内に踏みとどませるのも広い意味で「還流」と言えるのではないでしょうか。
では、標題に書いたとおり、北海道と東北の市町村への人口還流を見ていきます。(時間がないので全国にしませんでした。汗)
まず、最初に1955年〜1975年の20年間に人口が減少した市町村を対象に、1980年、85年、90年、95年、2000年の五期に人口を増加させた市町村(2000年10月1日現在の名称)数を調べたものが、以下の表です。
人口ピーク対象市町村数 1980年増加1985年増加1990年増加1995年増加2000年増加
北海道1995年17521188 1415
青森1985年5720131611
岩手1960年461411365
宮城2000年5733329115
秋田1955年622211211
山形1950年401514664
福島1995年813336263215
518158135557656
道県全体をとれば、北海道、宮城、福島は高度経済成長終焉後も人口を増加させていますが、市町村単位でみれば、1980年〜1985年に人口還流が見られ、1990年にはそれがバッタリ止まったことが良くわかります。
ご参考のために、上表の対象ではない、つまり高度経済成長期に人口を伸ばした市町村(2000年10月1日現在の名称)を列挙いたします。(2000年10月1日の境域に直した人口です。)
北海道:札幌市、旭川市、函館市、釧路市、帯広市、苫小牧市、江別市、北見市、室蘭市、千歳市、岩見沢市、恵庭市、北広島市、登別市、石狩市、滝川市、稚内市、網走市、音更町、上磯町、伊達市、根室市、七飯町、留萌市、名寄市、幕別町、美幌町、中標津町、静内町、釧路町、白老町、遠軽町、岩内町、倶知安町、虻田町、羅臼町、標津町(以上37)
青森県:青森市、八戸市、弘前市、十和田市、むつ市、五所川原市、三沢市、野辺地町、下田町、三厩村(以上10)
岩手県:盛岡市、北上市、花巻市、一関市、水沢市、宮古市、滝沢村、久慈市、大船渡市、矢巾町、山田町、大槌町、種市町(以上13)
宮城県:仙台市、石巻市、名取市、塩竈市、多賀城市、気仙沼市、岩沼市、柴田町、富谷町、矢本町、利府町、大河原町、七ケ浜町、松島町(以上14)
秋田県:秋田市、大館市、本荘市、天王町、八郎潟町、西目町、大潟村(以上7)
山形県:山形市、酒田市、天童市、東根市(以上4)
福島県:郡山市、福島市、会津若松市、原町市、白河市、保原町、矢吹町、鏡石町、伊達町(以上9)
また、対象とした市町村の中で五期すべて増加したところは、
東神楽町(北海道)、階上町(青森県)、紫波町(岩手県)、古川市・亘理町・大和町(宮城県)、寒河江市(山形県)、須賀川市・二本松市・本宮町・西郷村・大熊町・大玉村・北会津村・中島村(福島県)の15しかありませんが、「平成の合併」をしなかった町村が多いことに気がつきます。

[86364] 2014 年 9 月 7 日 (日) 04:13:12【1】 白桃 さん
 「地方」への人口還流

政治に特別な関心は持っていないのですが、今回の組閣によって誕生した「地方創生担当大臣」が気になっております。別に石破茂氏についてどうこう言うのではなく、その分掌する仕事の中味、というか対象がピンときません。地理(学)でいうなら、経済地理、集落地理、交通地理などの系統地理の中に「地誌」が混ざっているような感じです。
多分、地方分権の推進を図るとともに、「国家戦略特区」に力を注ぐのだとは思うのですが、「縦割り行政」の中でやっていくのはサゾ大変でしょう。
ところで、やっぱり気になるのが“地方”という言葉です。「地方分権」と言うときの“地方”は大阪、いや東京までも入るのでしょうが、「地方は疲弊している」と言うときの“地方”は少なくとも東京は入らないでしょう。
なかなか本題に近づけず困っております。~j~
さて、今までに政治主導で地方を活性化させようとした試みとしては、「日本列島改造論」「田園都市構想」「ふるさと創生事業」等あるようですが、それが功を奏したかどうかは別として、1980〜1985年にかけて高度経済成長期に人口流出が激しかった地方への人口還流が見られます。
以下、都道府県単位でちょっと調べてみました。
まず、1950年から高度経済成長が終焉したと考えられる1975年までの6期の国勢調査において1期でも前回調査より人口を減少させたのは次の通り33県です。※( )内数字は期数
青森(1)岩手(2)秋田(4)山形(5)福島(3)
茨城(1)栃木(2)群馬(1)新潟(3)富山(1)
福井(3)山梨(5)長野(5)三重(1)滋賀(2)
奈良(1)和歌山(1)鳥取(3)島根(4)岡山(2)
山口(3)徳島(4)香川(3)愛媛(3)高知(3)
福岡(1)佐賀(4)長崎(2)熊本(3)大分(3)
宮崎(3)鹿児島(4)沖縄(1)
個人的に驚いたのは、福岡県が入っているが、北海道、石川県が入っていない。ともかく、いわゆる“地方”をイメージする県は大方入っております。

次に、国勢調査年毎に見た人口を減少させた都道府県数は・・・
1950195519601965197019751980198519901995200020052010
382625205111813233238
これを見ると、1980〜1985年に地方への人口還流があったことがはっきりと読み取れます。
因みに1980年に減少した1は東京都、1985年の1は秋田県です。1985年に関して特筆すべきことは、なんと、青森、和歌山、鳥取の3県が史上最高の人口を記録したことです。(沖縄は1947年のデータがないので、1950年の数には含まれていません。)
で、で、ですね。1980年〜1985年当時の東京がどうだったか、地方がどうだったか・・・当時のことを思い出そうとしているのですが、社会に出てから10年間、仕事に没頭しすぎて・・・まるでルビーの指輪?です。

さて、次回は市町村単位で見ることにいたします。
ニジゴリがじょこびっちに勝った!?蒲郡で僕は泣いちっチ←意味不明

[86363] 2014 年 9 月 4 日 (木) 18:17:31【1】 hmt さん
 伊勢参りの私鉄路線

[86351][86355] 伊豆之国さん
「伊勢電」と通称される 2代目伊勢電気鉄道 を中心に据えた 伊勢参宮をめぐる鉄道関連の大作を拝見しました。
せっかくなので、和久田康雄著『日本の私鉄』(岩波新書)などから得た知見に基き、私なりに理解するところを記してみます。
[86355]と重複するところがあるのはご容赦ください。

(初代)伊勢鉄道は、約100年前の大正4年(1915)から9年をかけ、当初の目的であった四日市と津との間 約32kmの蒸気鉄道を ひとまず完成させました。亀山経由の国鉄線【鉄道院線、1920年から鉄道省線】を16%以上短縮したことになります。

その後の飛躍は、【大正】15年に社長に就任した、四日市出身の実業家で「豪腕」として知られた熊澤一衛氏。

この人は 伊勢人であることを誇りに思い、大神宮の鎮座する「神都」が 大阪資本の参宮急行電鉄【参急】に侵されようとする状況を見て、防衛に大奮闘。しかし結果的には無残な敗北に終った。…というところでしょうか。

熊澤は社名を伊勢電気鉄道に改め、1500V電化だけでなく 積極的に南北への路線延長も行ないました。北は四日市-桑名間の約14kmで、南は津新地-大神宮前の約37km。この間に養老電気鉄道も合併しています。
北進は木曽三川鉄橋払下げがからみ、桑名で止りました。結果的かもしれませんが優先して実現したのは南進でした。

「参急に負けるわけにはゆかない」という伊勢人・熊澤の意地を感じる南進の実態を、1930年の両社路線の開業日で裏付けます。
参急の開業日 1930年3月松阪-外宮前 5月参急中川-松阪 9月外宮前-山田 10-12月榛原-参急中川 合計86.4km
伊勢電の開業日 1930年4月津新地-新松阪 12月新松阪-大神宮前 合計36.85km

目を見張るデッドヒートで張り合ったのはここまででした。
この先は無理な過剰投資をした伊勢電が経営困難に陥り、債権者の四日市銀行が休業に追い込まれました。
伊勢電名古屋線の免許は、鉄道大臣小川平吉のからむ五私鉄疑獄贈収賄事件の一つに問われて、伊勢電の熊澤社長は実刑に服することになりました。

その後の伊勢電の経営権は、愛知電気鉄道【愛電】 vs 大阪電気軌道【大軌】の争奪戦になりました。
熊澤は愛電を望みましたが、有力債権者の三井と興銀が 話をまとめた決め手は、苦境に立った伊勢電の足元を見るようなことをせず、正々堂々と交渉した大軌の種田(おいた)虎雄社長の人格であったと記錄されています。

このようにして伊勢電は大阪方の参急への合併(1936/9/15)という結果になり、桑名-名古屋間の延長が、別会社として設立された関西急行電鉄の手により1938/6/26に実現しました(1940年参急に合併)。

これにより現在の近鉄名古屋線の根幹が出来上がったことになりました。

少し補足します。関急名古屋-桑名間開通により従来の伊勢線(旧伊勢電)と併せて名古屋-大神宮間ルートが完成しただけでなく、名古屋-大阪上本町間のルートも【(江戸橋>中川)乗換を必要とするものの】繋がりました。
1936年の合併で同じ会社になったものの、中川から分岐していた参急側の標準軌路線の津駅と狭軌である伊勢線の部田駅【伊勢鉄道が1917年に開設、1924年のターミナル変更で移設改称】との間は 従来は 徒歩連絡でした。

名古屋開通を前にした1938/6/20に、参急の津駅から伊勢線江戸橋駅への連絡線が作られました。
そして同年末には 江戸橋-中川間を狭軌に改めて、名古屋方面からの狭軌線乗客は、中川での接続により伊勢・大阪両方向に向かう標準軌線に乗り換えるというシステムを確立しました。これが現在の近鉄名古屋線です。

ここに至り、伊勢電の作った大神宮前への狭軌直通ルートは、名古屋方面からの伊勢参りメインルートの地位を失ったわけです。

1959年、伊勢湾台風被害からの復旧に際して念願であった名古屋線標準軌化工事を実施したことは、みなさんご承知のとおりです。、翌年の短絡線により大阪方面へのスイッチバック運転も解消しました。近鉄ストーリー

名古屋線がらみで 先の時代に進んでしまいましたが、大軌は1941年に参急を合併、1942年には 軌道区間を鉄道に改め、大阪上本町-名古屋間は1社の鉄道路線にまとまりました。会社名は1941年改称の 関西急行鉄道【関急】を経て 1944年戦時合併による 近畿日本鉄道【近鉄】と変りました。

伊勢電が無理して並行路線を作った新松阪-大神宮前間は、戦時中の1942年に関急により廃止され、レールは名古屋線の複線化に使われました。戦後の1951年には江戸橋-新松阪間も廃止され、伊勢電が築き上げた伊勢参り路線【桑名-津新地-大神宮前間83.04km】は、約半分の 桑名-江戸橋間41.6km が近鉄名古屋線の一部として残るのみです。

熊澤の躓きの直接のきっかけは、[86355]でも触れられているスキャンダルですが、根本には世界恐慌の影響を受けた日本経済の悪化がありました。

最後は 「初代」の伊勢電気鉄道を名乗った時代もあった「三重交通神都線」。
宇治山田市の路面電車で二見、山田駅前、外宮前、内宮前などを結んでいました。
路面電車の中でも1903年開業の宮川電気に始まる歴史はかなりの古参。その名が示すように、元は電力系の会社 でした。

[86362] 2014 年 9 月 4 日 (木) 18:17:28 にしさん21号 さん
 車社会だから駅前が寂れている?

 先日、あることを検索中に偶然見つけた前橋市中心部の寂れた現状についての書き込みについて、少し的外れな主張があるのではないか、と思えます。

 例えば、ヤフーの知恵袋にある質問を見ても、以下のものがあります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1276182422;_ylt=A3xTwsteSwdUBUUAq1MjAPR7?pos=1&ccode=ofv
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1345733743;_ylt=A7dP5XNySwdUdxAAWFPL.vN7?pos=1&ccode=ofv

 確かに、群馬県を含む北関東は車社会であり、鉄道の駅を中心とした地域構造とは言い難い面はあります。しかし、仮に北関東で公共交通がもっと利用されていたとしても、この現状を打開することは困難だと思います。

 先日、関越道の通行止めで、埼玉県北西部の場所(具体的には本庄児玉〜花園間)の国道254号を通りましたが、東京から離れた場所だけあってやはり北関東と同様に大型SCが国道沿いの農村の間に存在しているイメージでした。
 北関東が車社会だというのはやはり「事実」だといえますが、だからといって地元の人を「公共交通に乗らない人たち」と考えるのはやめた方がいいと思います。

 よく考えてみれば、地上波テレビ番組で群馬県の平野部の町中(草津や嬬恋のような観光地ではなく)がでてくるのは正月に行われる実業団駅伝の「ニューイヤー駅伝」以外に出てくることはほとんどなく、関東1都6県にありながらテレビ番組ではひどい扱いをされています。(もちろん、茨城県や栃木県の主要都市や埼玉県などの東京都心から離れた部分も同様)
 しかも、この駅伝は、その翌日の「箱根駅伝」のコースと比較してもイメージが湧かないと思います。道路地図を見てもガイドブックを見てやっとわかった位ですから…

 1年に1回、群馬県内の主要5都市の街中が出てきてもこの程度なのですから、それ以外の時はなおさらイメージ自体がないと思います。実際、私もあの場所は関越道の上からしかまだ見たことがないのですが、(ネット上の道路サイトにはかなりあり)将来写真撮影をする場合は見てみたいと思っています。

 その一方で、箱根駅伝のコースの沿線は日本橋や品川駅や横浜駅、湘南海岸のようなよく知られた場所がほとんどで、両者には大きな差があります(もちろん、駅伝自体の人気もですが)

 この一例からも、いかに東京近郊の方が知名度やブランド度が高く、それに対して北関東は東京のキー局のエリア内にありながら、街の知名度もブランド度も低いという現状があります。

 これが災害などになるとさらに深刻な問題になります。3.11の時も北関東や千葉県の被災地についてあまりテレビで情報が入らなかったのですが、先日、ネット上で「茨城県は大して揺れなかった」といった内容の質問を見ました。茨城県内は全域が震度5弱以上、5弱もほぼわずかで(気象庁の推計震度分布図を見ればわかります)ほとんどが5強以上、震度6強のところもあったのです。確かに、茨城県内の直接死の死者数は24人で、東北3県より少ないからですが、一部破損の戸数だけで18万戸以上出たくらいですから、「大したことのない」では済まされないことです。
 このことについて、北関東ではキー局の範囲内にありながら、そもそもにおいて経営方針から実際の報道にまで軽視してきたのではないかと思います(さらに言えば、茨城県にテレビ局は存在しない)。実際、私の住んでいる神奈川県ですら県西部の一部はほとんど登場することがないのですから、さらに離れた場所ではなおさらといえます。

 災害や気象などではもちろんですが、テレビで出てくるレストランやラーメン屋などでも(この場合は全国に対して報道されている場合はもちろん全国を対象としなければ不平等なのですが)、東京23区だけがテレビで紹介されるといった不平等な面があります。

 私は現在、テレビでのキー局のある関東1都6県、あるいは47都道府県のお店や街中の登場頻度を調べていますが、前に調べた人もいないので結構難しいです。そもそも47都道府県となるとこういった話題で1度も登場したことのない都道府県があるのではないかと思ってしまいます。私もテレビの前に1日中いるわけではないので、この県が出てこないといえる県があれば教えてください。

[86360] 2014 年 9 月 4 日 (木) 13:40:23 山野 さん
 キノコ談話

キノコ好き(食べる方)なので、小ネタの心算が談話みたくなってます。

[86359]EMMさん
「何かすれば食べられるのでは無いか?」と思って試しちゃう人がいる
あーなるほど。分かるわーこの気持ち。興味津々でやってみたくなるよね。
スッポンタケ
名前は聞いた事あるが、食べられるんだ…。美味いのかな?
カンゾウタケ」みたいな奇妙なものもあります。色と言い形と言い…食べられる模様。

「強毒」なものと言えば下記みたいなのも。
「シャグマアミガサタケ」。煮ても焼いても駄目な毒キノコ。
茹でている最中にその蒸気を吸っただけで中毒になるとか。戦慄の“毒キノコ”画像まとめ
カキシメジ」一見すると食べられそうですが「毒」。
一方、此方の「タマゴタケ」は一見毒キノコっぽいですが、食べられるキノコだそうで。
ただ、猛毒種が属す「テングタケ科」のキノコなので、本当に無毒なのか定かではないんだが。

時たま、道の駅で販売されたキノコに毒キノコが混ざってて回収呼び掛けみたいな話聞きますよね。
素人が興味本位で摘んじゃいけませんね。見つけても写真撮るだけで食べようとはしませんが。

[86359] 2014 年 9 月 4 日 (木) 02:09:36 EMM さん
 カエンタケはかなりタチの悪い毒キノコ

[86354]  山野さん

カエンタケは経口毒性も高いのですが、さらにわけの悪いことに触っただけで皮膚がただれると言うタチの悪い毒キノコです。
おそらく、その赤くてとんがった形状に加え、触るとやけどのような症状が出ることから「火焔茸」と名付けられたものと思われます。
そんな触っただけでどうにかなるようなキノコを食べるヤツがいるのか?と思うわけですが、たとえば毒ビレがありうかつに触るとエラいことになるけど身は美味なオコゼなんて魚もいたりしますし、キノコでも形状は奇矯で悪臭を放つのに食べると美味なスッポンタケなんてものもあったりしますので、カエンタケみたいなものでも「何かすれば食べられるのでは無いか?」と思って試しちゃう人がいるんですよ。

キノコもなかなか難しいところがあり、見た目が変でもかなり美味なものもあれば、見た目おとなしく特に警戒感を抱かないような外観・香りでなおかつよく似た食用可能なキノコがある毒キノコもいろいろな種類があります。
特にコレラタケドクササコ辺りは見た目とは裏腹にかなり強烈な毒キノコ。
こと、野生のキノコに関しては生兵法は危険です。

[86358] 2014 年 9 月 3 日 (水) 23:46:06 hmt さん
 続・「悪」という字のつく地名

[86329]では、フジテレビの 「とくダネ!」2014/8/26を伝えた 記事 【注】などを根拠として、次のような前提事項を記しました。
「浄楽寺」ができたのが130年前だそうですから、蛇蛇落地から上楽地への変化は かなり古いことと推察。
「あしだに」も「悪」という字が嫌われて「芦谷」に変化。

このたび YT さん[86357]により、この前提が だいぶ疑わしいものであることを知りました。
「蛇落地」などという字名はなく、仮に蛇落地から上楽寺/地への改名が事実としても250年よりも前のこととなります。むしろ浄土真宗本願寺派である浄楽寺から上楽寺という字名となり、それが上楽地となったと考える方が素直です。
芦谷という地名は確認できませんでしたが、別所古墳発掘調査報告書収録の地図に足谷遺跡というのがあり、(中略)幕末にはアシヤと呼ばれる字名があり、明治の時に上楽地などに吸収されてしまった小字であると推測できます。

これをふまえると、[86329]の記事の 主テーマの信頼性 が薄くなったことは明らかなのですが、地名や防災に関する論議は 主テーマ以外にも及んでおり、特に防災についてはレスもいただいているので、安易に記事を削除すれば済む問題でもありません。

[86329]は そのままにしておきますので、ご承知ください。>落書き帳全読者の方へ

最後に、[86350] 災害関連記事について へのレスをいただいた方への釈明。

[86353] 「誰が」逆襲されたのですか?
逆襲されたのは、自然の摂理に従う大地の動きを克服したと慢心している「人類」全体です。
あなたも記されているように、都市部を含むすべての人は、今回「大蛇の逆襲を受けた人類」の一人として教訓を受け止め、普段から自分の住む地域の特性を熟知し、考えるべきことと思います。

[86352] hmtさんも、どちらかと言えば古来の地名「蛇落地悪谷」を復活させるべきだ、という意見のようですが
私はそのような意見を持っていません。地名は、その時々の風潮で安易に変えたり戻したりすべきものではありません。
もちろん、地名には先人の警告が必ず込められているものではなく、“変な地名が付いていない地域は何もしないでいい”わけはありません。

【注】
リンクページには番組名が記されていませんが、タイトルの上に表示されているサイト内の位置をクリックすれば、フジテレビ系 朝のワイドショーであることがわかります。

[86357] 2014 年 9 月 3 日 (水) 21:20:39 YT さん
 蛇落地からの改名は江戸時代?

最近色々私的に忙しかったのですが、久々に投稿します。

先日広島の災害地について流れたニュースによると:

崩れ落ちて形が変わった山を眺める住民たちは「20年住んでいますが、こんなことはとても思わなかった」と話す一方で、山肌を指さしながら「あそこが水の通り道だと聞いていましたね」と語る。一帯は「蛇落地悪谷」(じゃらくじあしだに)とよばれていたという。

平野孝太郎さん(71)は「昔は蛇が降るような水害が多かったので、悪い谷・悪谷と名がついたそうです。八木蛇落地悪谷が八木上楽地芦谷と改名され、さらにいまは八木だけが残ったようです」という。名前が変わるうちに「土砂崩れ」の教訓も忘れ去られたらしい。

130年つづく浄楽寺の住職によると、竜がいて、その首をはねたところから「蛇落地」とついたという。「竜は水の神で、水害を収めたということかもしれません。記録にはないが、語り継がれてきました」

近くの光廣神社に残る絵には、竜を討伐した武将のかたわらを激流が走る。こうした伝えは水害への警戒を促すと解釈できる。

これについて、日本歴史地名大系や角川地名辞典を調べましたが、蛇落地という地名を確認出来ませんでした。また地図資料編纂会『正式二万分一地形図集成』を閲覧したところ、明治31年測量、明治33年印刷・出版の地形図が収録されており、これが今回災害のあった地域の地形図の最古のものと思われます。[86330]でペーロケさんが指摘されておりますが、この段階で「山手」「上楽地」「小原」という地名が書かれており、改名はこれよりも古いものと推測されます。また『広島県史』によると浄楽寺は
由緒 元和五年創立、貞享五年寺号免許、もと仏護寺末。
とあり、130年どころか400年近く前の元和5年(1619年)の創立となっており、また角川地名辞典にも、130年前よりも前の明治7年に境内で小学校開校とあり、記事がちゃんと調べられずに書かれているように見受けられます。

さらに『佐東町史』を閲覧したところ、宝暦12年(1762年)の「沼田郡八木村地こぶり帳」という、芸藩時代の近世村としての八木村の検地帳が収録されており、そこに既に字名として本百姓8人の名前が記載されている「字 上楽寺」(上楽地・浄楽寺ではない)や本百姓1人の名前が記載されている「字 山ノ手」、本百姓36人の名前が記載されている「字 小原」などの記述があり、一方で「蛇落地」などという字名はなく、仮に蛇落地から上楽寺/地への改名が事実としても250年よりも前のこととなります。むしろ浄土真宗本願寺派である浄楽寺から上楽寺という字名となり、それが上楽地となったと考える方が素直です。

『佐東町史』には八木村の村会議員の選挙定員を決める明治13年の公文書が収録されており、それによると
一ノ部 議員一人 字鳴ル渡リ/十歩一
二ノ部 議員二人 字真蒲/上細野/中細野/下細野
三ノ部 議員一人 字代/一ツ矢
四ノ部 議員一人 字迫田/細田/田中
五ノ部 議員二人 字関城/柏谷/室屋/野地
六ノ部 議員一人 字上楽地/浄光院/小原
七ノ部 議員二人 字市/土居
となっており、明治13年の段階では既に「字 上楽地」の漢字が正式なものとなっております。なお宝暦12年の字の数は大小50個ほどですが、上の明治13年の段階では20個程に統合されており(これら字名はほぼ全てが宝暦12年の検地帳に記載されている)、おそらく大区小区制がらみの字の統廃合があったものと推測します。また「字 山手」が消えておりますが、こちらは明治13年〜明治33年の間に復活したのでしょう。

宝暦12年と明治13年の間を補う地理書として、1820年代に完成した『芸藩通志』がありますが、こちらには近世村毎の地図が100枚前後収録されています。地図には字名が全て書かれているわけではありませんが、ヘツ所(別所)、浄楽寺、ムロヤ(室屋)、ノシ(野地)、コハラ(小原)などの地名を確認できます。芦谷という地名は確認できませんでしたが、別所古墳発掘調査報告書収録の地図に足谷遺跡というのがあり、宝暦の頃には字名としてはありませんでしたが、幕末にはアシヤと呼ばれる字名があり、明治の時に上楽地などに吸収されてしまった小字であると推測できます。何れにせよ『明治前期全国村名小字調査書』や角川地名辞典には旧八木村の明治初期の字名が漏れており、これ以上詳しく調べることはできませんでした。

最後に蛇の伝説ですが、これは江戸時代初期に書かれた『陰徳太平記』の「香川勝雄大蛇ヲ斬ル事」に詳しく載っており、天文元年(1532年)に香川勝雄が阿武山山中にて大蛇を倒したという話が既に17世紀には完成しておりました。物語によると香川勝雄は、阿武山の山頂に近い大きなカヤの木で眠っていた大蛇の首を切り落とし、落とした首が七八町飛んで「太刀ノブ」という湿地帯に落下し、さらにそれが飛び跳ねて一町先の「蛇王池」または「蛇王子」に落ちたとあります。『芸藩通志』附録の地図によると、阿武山(阿生山)の頂きの一つに「龍王」という地名があり、そこに大カヤと「竜王二社」があることになっています。「タチノフ」は麓の地名ということになっています。

『佐東町史』で「蛇落地」という地名に関して唯一触れているのが「蛇落地観世音像」ですが、これは弘化4年(1847年)に阿武山山頂にあった観音像を麓に移したとのことで、『芸藩通志』収録の八木村の地図では「龍王」の近くにある建物のマークの一つということになります。浄楽寺の住職によると蛇落地というのは蛇の首を切った場所と解説していますが、蛇の首を切った場所は阿武山山頂付近であり、蛇落地は山頂の地名といことになり、ますます上楽地との関係が不明となります。

結局のところ蛇落地が上楽地に改名されたというのは怪しく、仮に事実としても250年以上前のことです。また300年以上前にはすっかり地元の有力者が先祖の功績を讃える大蛇退治の物語として完成してしまっており、そこから土石流の伝承を読み説くことは不可能に近いといえます。大蛇退治の物語も、『陰徳太平記』の記述が『芸藩通志』や『広島県史』、『佐東町史』で繰り返し引用されており、『佐東町史』では地元なら誰でも知っている伝説とまで書かれています。そもそも今回土石流が発生した区域は「字 上楽地」だった地域でも「足谷遺跡」のある所でもなく、「字 小原」だった地域です。いくら地名が過去の教訓を示すと言っても、場所が微妙に異なります。そんなことよりハザードマップを周知徹底させたり、土砂災害警戒区域を設定するなど、最新の科学に頼った調査の方がはるかに重要で、信用出来ると言えます。

[86356] 2014 年 9 月 3 日 (水) 18:28:04 ピーくん さん
 中核市

今日の中国新聞に中核市の記事がありました。呉市、松江市、鳥取市の準備状況が書いてありました。
呉市は、小村和年市長が6月、「トップグループで行きたい」と早期移行を目指す考えを市議会に示した。庁内では、「15年12月の新庁舎完成に合わせたらどうか」との声もあるという。
鳥取市の中核市移行の最大のハードルは、保健所の設置による医師などの専門職確保だそうです。

気になったのは
来年四月の改正法施行と同時に移行できるのは既に30万人以上の特例市だけ。東京都八王子市や大阪府吹田市などが予定する。
とありました。吹田市はまだ議案などが審議されていないので間違いだと思います。

[86355] 2014 年 9 月 3 日 (水) 16:27:23 伊豆之国 さん
 Re:伊勢参宮をめぐる鉄道

前回[86351]の後半に続いて、「伊勢参宮をめぐる鉄道」についてこれまで調べたことから。

現在の近鉄名古屋線の一部(桑名〜江戸橋)の前身となっている、「伊勢電鉄」。元々、この路線は、現在のJR関西本線などの前身である「関西鉄道」が津への支線(後の参宮線→現在は紀勢本線の一部)を建設する際、大阪方面からの距離を短くするために亀山を起点としたため、県庁所在地の津に行くためには遠回りを強いられることになった四日市と津との短絡を図るために計画されたとされ(「鉄道ピクトリアル(以下、TP)」誌([86351])より)、明治44年に「(初代)伊勢鉄道」として創立し、大正4年に白子〜一身田(高田本山)間で「孤立路線」として営業を開始。大正13年までに当初の目的であった四日市と津の間がひとまず完成、14年には伊勢若松〜伊勢神戸(現・鈴鹿市)までの支線も開通しています。その後の飛躍は、15年に社長に就任した、四日市出身の実業家で「豪腕」として知られた熊澤一衛氏。社名を「(2代目)伊勢電気鉄道」(「初代」は、後の「三重交通神都線」となった宇治山田(伊勢)市内の路面電車([86351])が名乗っていたことがある)と改め、全線を電化、更に北は名古屋、南は伊勢への延長を計画。昭和4年に桑名まで、5年には外宮に近い「大神宮前」駅(この辺りと思われます)まで延長開業しています。しかし、名古屋への延長は、折からの「昭和大恐慌」や、木曽三川への架橋に際して国鉄の鉄橋を払い下げて再使用しようとした計画に絡むスキャンダルが発覚し、それが遠因となって「伊勢電鉄」は経営破綻。ライバル会社であった、現在の近鉄大阪線の東半分と山田線の前身「参宮急行」に吸収合併という異常事態に陥ります。結局、名古屋への延長は、合併後の昭和13年、「参宮急行」の子会社「関西急行電鉄」の手によりようやく実現、これにより現在の近鉄名古屋線の根幹が出来上がったことになりました。
一方、大阪からの伊勢直通を目指した「参宮急行」は、現在の近鉄奈良線などの前身、「大阪電気軌道(大軌)」(記事集)が、桜井まで来ていた現在の大阪線を伊勢方面へ延ばすことをもくろみ、「大和鉄道」(近鉄田原本線の前身)から株式を取得して系列会社化し、大和鉄道が取得していた伊勢への路線免許を譲り受け、「参宮急行」を子会社として設立。昭和5年までに山田(現・伊勢市)まで、その1年後にターミナル駅・宇治山田駅まで全通しています。これにより大阪・上本町から伊勢への直通ルートが出来上がり、直通特急の運転も始まり、この時点で全線非電化、SLが走っていた国鉄関西線〜参宮線を圧倒し、今日まで大阪〜伊勢間の直通客をほぼ独占するという状況が確立されています。
この両私鉄の開業により、松阪付近から伊勢までの間は、既存の国鉄参宮線に加えて私鉄2路線が加わって、3社による激烈な集客合戦が始まることになったわけですが、既に国鉄線があるところへ、競合路線といえる2私鉄に共に路線敷設免許を与え、そしてほぼ同時に開業したというのも不思議ですが、やはりこの「過当競争」の弊害が間もなく現れてくることになります。前述した通り、伊勢電鉄が不祥事もあって脱落し、ライバル会社に飲み込まれる、ということになったわけですが、この伊勢電鉄の「敗北」に関して、前記「TP」誌には、次のようなことが書かれていた記憶があります。

…伊勢電鉄が、名古屋延長を後回しにしても伊勢への路線建設を急いだ理由は何か。もちろん、その一つは同時期に名乗りを上げた参宮急行への対抗意識ですが、もう一つ、三重県人の熊澤氏にとって、「三重県内の鉄道として、何としても自分たちの手で完成させたい」という欲望があったようです。せっかく伊勢まで開通しても、起点が桑名では中途半端で、大阪方面から直通する参宮急行と比べてもやはり不利は否めない。当時、関西線は単線で列車本数も少なく、名古屋延長を優先しておれば、中京圏の客を獲得することによって発展が望めたのではないか…。

伊勢電鉄が参宮急行に合併され、関西急行電鉄を介して名古屋乗り入れが実現したことにより、名古屋〜大神宮前間の直通運転が行われ、この時点でようやく名古屋〜伊勢間で関西線〜参宮線より優位に立つことになったのですが、それもつかの間、程なくして太平洋戦争に突入、新松阪(この辺り)〜大神宮前間は「不要不急路線」として昭和17年に廃線となりました。新松阪から、既に参宮急行の支線として開業していた伊勢中川からの線と接続する江戸橋までの区間も単線化されます。名古屋と伊勢の間は、伊勢中川を境にゲージが異なるために(中川〜江戸橋間の支線は、参宮急行本線と同じく当初は1435mmゲージで開業したのですが、伊勢電鉄の合併後に、旧伊勢電鉄にあわせて1067mmに変更)、直通ができず、中川での乗り換えとなりました。
戦時中の大合併で「近畿日本鉄道」が発足(戦後間もなく南海電鉄が分離)後も、しばらくこの形が続いたのですが、昭和34年の伊勢湾台風による甚大な被害からの復旧に際し、名古屋〜中川間を旧大軌・参宮急行系統の大阪線・山田線と同じ1435mmゲージに広げるという思い切った大改修を行うことになります。これにより再び名古屋〜伊勢間の直通が復活し、また中川付近を短絡する新線も開業し、上本町・鶴橋と名古屋の間をノンストップで結ぶ特急も運行を開始しました。その後、昭和45年の鳥羽線開業、これに合わせてそれまで「孤立路線」(参宮線とは鳥羽駅で接続)だった志摩線(元・志摩電鉄−三重交通志摩線)の大改良により、名古屋・大阪・京都方面から賢島までの直通特急が運行され、現在に至っています。一方、旧伊勢電鉄の路線のうち、支線として戦後も残った江戸橋〜新松阪間は、中途半端な路線になってか、利用者の低迷が続き、伊勢湾台風による被災後もいったん1067mmのまま再開したのですが、結局昭和36年に廃線となり、その路線跡の多くは道路に転用されています。結局、伊勢鉄道〜伊勢電鉄が建設した区間のうち、ほぼ半分に当たる、競合区間であった津〜伊勢間が姿を消したことになったのでした。

一方、国鉄時代にも「元関西鉄道関係路線への冷遇」が続いたせいもあってか、これといった改善策も行われぬまま、時代の波から取り残され、うら寂れたローカル線に甘んじることになって久しくなったJR参宮線(現在は紀勢本線の一部になっている亀山〜津〜多気間を含む)。それでも、実は既に明治時代より一部複線化が行われ、増加するお伊勢参りの客に対応していたのですが、こちらも伊勢電鉄と同様、戦争による「受難」を迎えることになります。いくら当時のご時世、お伊勢参りが「国民的行事」とは言っても、いくらなんでも3路線もの競合は「輸送力過剰」とみなされたのでしょうか。複線区間のレールの一方は、戦時中の鉄材供出の対象とされ、昭和18年までにこれらの複線区間は全て単線化され、現在まで復活していません。こちらを見ると、
先の第二次世界大戦がなければおそらく国鉄参宮線は全線複線化+電化され近鉄名古屋線の現在の繁栄はなかったであろう
とあるのですが、仮に近鉄名古屋・山田・鳥羽線が今と同じように1435mmに統一・直通運転されて特急街道となったにしても、国鉄〜JRが以前から「やる気」を出し、名古屋〜鳥羽間の電化・完全複線化(現・(2代目)伊勢鉄道の部分も)を早期に行っていれば、特急を多数運行して近鉄と熾烈な争いを展開し、また現在の近鉄志摩線「志摩電鉄」も、1067mmのままJRと相互乗り入れし、JRの豪華リゾート特急が賢島まで直通して、逆に近鉄は鳥羽まで延ばすのが精一杯、という展開になっていたかもしれません(大阪〜伊勢志摩に関しては、やはり時間的にもルート的にも有利な近鉄の優位は動かなかったでしょうが…)。

>hmt さん、出来栄えはいかがでしょうか?
ご指摘があったら遠慮なくお願いいたします。

♯お伊勢参りと同様、社寺参拝を目的とした路線の競合は、「金比羅参り」にもありました。これに関しては、[24903] Issie さんの書き込みに詳しく述べられていました。

[86354] 2014 年 9 月 3 日 (水) 15:47:01【1】 山野 さん
 キノコ

キツネノエフデ(不食)
サンコタケ(不食)
カエンタケ(毒キノコ)
奈良県・生駒にて大量発生中(記事)。この「カエンタケ」。
猛毒だそうですが、こんな色のキノコを食べる人なんて居るんでしょうか?少なくとも「美味しそう」には見えません。
他2点のキノコも…う〜ん、不味そう。

*タイトル変更(翌々見たら、あんまり似てないので)

[86353] 2014 年 9 月 3 日 (水) 07:16:19 オッス、オラ全斗煥! さん
 返信感謝です。

[86352]ぺーロケ氏
こんにちは。同じ広島ですね(*^^*)
自分がボランティアに参加したきっかけはそんな崇高なものではないので、自分にできることをやることが大事だと思いますよ(*^^*)
よろしくお願いいたします。

[86350]hmt氏
返信感謝です。
確かに、防災意識を高めるのは大切なことです。先人の知恵を活かすという態度は重要でしょう。
しかし、やはり「逆襲」という言葉は非常に引っかかるものがあります。「誰が」逆襲されたのですか?
しつこいですが、犠牲者が72名に上り、行方不明者も未だ2名いる、避難者も800人存在し、自宅でボランティアの力を借りながら復興を目指す住人が多数に上る、そんな現状が目の前にあるわけです。せめて行方不明者の捜索が終了してからでしょう。今、目の前の被災者に「退治したはずの大蛇に逆襲されましたね」と言えますか?
自分が言いたいのはそういうことです。

あそこの地名は明治時代に改名されています。現在の住民にそんな昔の地名をほじくり出して防災意識がとか言うのは余りにも現状では酷と思います。

防災意識はそれこそ都市部ですら高めるべきことです。こういうことがあるから…ではなく、普段から自分の住む地域の特性を熟知し、考えるべきことと思います。

[86352] 2014 年 9 月 3 日 (水) 02:04:30 ペーロケ さん
 別に教訓を地名にしなくても。。。

[86349]オッス、オラ全斗煥! さん
 初めまして、ボランティアに参加されているということは、おそらく同じ広島の方でしょうか。他県のボランティアは受け入れていませんし、広島県内の人でもボランティアの締切が早く、ネボスケな私はなかなか参加できていません。その代わりといっては難ですが、私にできることといえば募金したり、こうして全国の皆さんへ情報提供するといったことくらいでしょうか。近くに住んでいるのに仕事もあったりして何もできない自分がもどかしい。。。

 拙稿[86330]は、別に回答を求めていた訳ではないですよ。[86328]山野さんの
そろそろ、消え失せた古来の地名を「復活」すべき時が来ているのではないか。
に対する反論として書いたのが[86330]です。

 人それぞれの考え方があるのは当然だし、例の番組を見られた他県の人からは「広島は古い地名を簡単に捨てる街」のように映ったのかもしれませんね。しかし、今さら「蛇落地悪谷」に戻すべきだ、という意見にはどうしても同意できません。hmtさんも、どちらかと言えば古来の地名「蛇落地悪谷」を復活させるべきだ、という意見のようですが、教訓として災害が起きた場所に人が近寄らないような恐ろしい地名を付ける、という考え方でいけば、例えば東日本大震災で被災した東北地方、特に福島の浜通りはとんでもない地名に改名させられかねません。ということで、私は災害があった地区の地名を元に戻すのには非常に抵抗がありますね。

[86350]hmtさん
それを偶発的な事故として扱っては防災に結びつきません。
 偶発的な事故として扱っているのではなく、防災についてはどこにいても考えられるリスクについて常に備える必要があるのではないでしょうか。地名を教訓にすべき、という意見は、裏をかえせば変な地名が付いていない地域は何もしないでいい、という危険な考え方になってしまいます。

[86351] 2014 年 9 月 2 日 (火) 23:21:02 伊豆之国 さん
 クイズの答え & 伊勢参宮をめぐる鉄道

まず、[86317]で出したクイズですが、

[86336] いろずー さん
まさにその通りです。

ついでに、これに関していくつか説明を記しておきます。
まず、熱海で乗り換えた電車の行き先は、大井川のすぐ手前の島田駅。興津駅始発の浜松行きがすぐ後を追っかけるので、その興津駅で降りたのですが、何しろお盆休みの真っ只中、同じような仲間が結構いると見え、想像以上に混雑。一度は座ったものの、前方の景色見たさに席を譲ると、それからずっと立ちっぱなし、結局座れたのは、「二部」でも苦闘中のジュビロの本拠地の駅でした。「地名コレクションにある湖畔の駅」は、弁天島駅。小学生の頃、この駅で降りて「湖水浴」を楽しんだ思い出もあり、当時は温泉旅館も立ち並んで盛況だったのですが、今では降りる客もまばら、駅の周辺にはホテルが2-3軒があるのみ、代わって高層マンションがずらり…。浜松で乗り換えた電車の終点は豊橋駅、ここから快速で終点の大垣まで乗り通し。米原まで行ってここからJR西日本の快速で、草津駅で寄り道して「草津宿本陣」([85829])を見学、「名物スィーツ」は「姥が餅」([79252])。裏道には「草津温泉」という名の銭湯([20908],[59019] YSK さん、[20921] カッパー さん)も確かにありました。
2日目の夕方、奈良見物を終えて、大和八木で乗り換え近鉄大阪線に。「三本松」駅([86283] hmt さん、記事)のある宇陀市は、私も26年ほど前、室生口大野駅で降り、室生寺を訪れています。県境を越えた三重県は、私の母方の祖父の故郷(南牟婁郡御浜町…[67290] )がある県。ちなみに、ぺとぺと さんも、私と同様にこの県の血が1/4流れている由([72822])。
他県の大都市の市名と同字異音の2文字が入る駅では、かつて近鉄の路線だった私鉄が分岐
は、元「近鉄伊賀線」だった伊賀鉄道が分岐する、伊賀神戸(かんべ)駅([74928] 白桃 さん)。
3日目、突然の足のアクシデントで苦しむ中で町歩きを続けた【F市】松阪市。「国学の大家」は、本居宣長(記念館HP)。三重高校の校歌([86336])にも歌われている旧家「鈴屋」は、元は市街地にあったのを明治時代に現在の城跡に移築したものです。駅前にあった銀行は、三菱東京UFJ銀行。元は東海銀行>UFJ銀行と思われます(旧三菱銀行は、県内では四日市にしか支店がなかったと記憶しています)。
(さくらって何ですか?高速バス?さくら野?)
「昔のさくら」とは、「三井住友銀行」。松阪は三井家発祥の地ですが、「三井住友」はありませんでした(住友家の発祥地にはしっかり支店を出しているのですが…[61364] ぺとぺと さん)。豪壮な商人屋敷を見て、いよいよ本題の伊勢参宮へ。
「東は宇治の翠巒を」で謎が解けなかったことを思い出す。
東はどうみても「伊勢」でどこが「宇治」なんやとツッコミしかない
「宇治」は、内宮の所在地。伊勢市は昭和30年まで「宇治山田市」でしたね。この「宇治山田」は、現在も駅名の他、学校などに名称が残っています(伊勢市駅は以前は「山田」駅でした)。

さて、お伊勢さんを目指した鉄道の話。現在はJR参宮線と近鉄山田線の2路線で、現状は近鉄が圧倒的な輸送力を見せつけてJRを圧倒している状況ですが(それでも近年は名古屋からの快速「みえ」の増発でわずかながら挽回はしていますが)、戦前にはもう一本「伊勢電鉄」という私鉄があり、お互いに壮絶な誘客合戦を繰り広げていました。このことを知ったのは、もう40年余りも前の少年時代、「鉄道ピクトリアル」という本を見てからでした。「伊勢電鉄」とその路線の歴史や、近鉄山田線(と大阪線の東半分)の前身「参宮急行」との激烈な争い。スキャンダルにも巻き込まれた挙句、結局敗者となり、経営破綻に追い込まれた伊勢電鉄は、「参宮急行」に吸収され、路線の北半分は現在の近鉄名古屋線の一部となりましたが、「参宮急行」との並行区間だった津〜伊勢間は、結局半世紀ほど前までに全て廃線の運命をたどったのでした。また、もう少し後になってですが、伊勢市内には「神都線」という路面電車が走っていたことも知りました。この伊勢参宮を巡る激烈な争い、「落書き帳」の過去ログにあるか、探してみましたが、どうもそれらしき記事は見つからなかったようです。私ももう少しこのことについてフォローできれば、と思っていますが…この方面にもお詳しい、大先輩のhmt さん。

[86350] 2014 年 9 月 2 日 (火) 14:12:54 hmt さん
 災害関連記事について

[86349] オッス、オラ全斗煥! さん
「大蛇の逆襲」という比喩は、被災者の気持ちを逆撫でするものなのでしょうか?

私も広島県に住んだことがあります。
今回ほどの大規模災害ではありませんが、風化した花崗岩の崩壊により隣家が埋められた経験もあり、それだけに他人事とは思えません。

落書き帳における災害関連記事について言うと、被災者に配慮して 徒に発言を“自粛”することよりも、防災という見地からして 適切な発言内容であるか否か、これこそが論じられるべきであると思います。

[86329]について言うと、地名に使われた文字「蛇落地悪谷」を題材にし、これが地域開発にとって目障りの少ない文字に変り、遂には住所地名から消滅したことが柱になっています。そして、不動産業者の発言を引用して
100年以上起きなかった土砂災害より 頻発する川の氾濫を目が向いて、川を避けて山側に宅地開発を進めた結果
であり、ハザードマップの整備や住民への周知対策が切実な課題であった と結んでいます。

問題とされた「大蛇の逆襲」の比喩については、広島市HPの八木ルート紹介にあった 戦国時代の大蛇退治をふまえたものです。
大蛇退治と昔の防災対策【おそらく危険箇所の回避】との結びつきは明確でないものの、その後の土砂災害は 100年に1回以下の頻度でした。
これが不動産業者や行政当局を油断させて 従来は避けていた危険箇所にも住宅が立ち並ぶことになり、今回の災害の遠因になったのではないでしょうか? ツケが回された入居者にはお気の毒な結果になりました。

問題にされた箇所は、このような趣旨を 短い言葉で表現した ものです。
[86329]の全体をお読みいただければ、防災を進める立場からの発言であることが理解できると思います。

同じように防災意識を喚起する趣旨から書いた 山体崩壊に関連する記事 を挙げておきます。ご参考まで。

そして、[86330]ぺーロケ氏の投稿に回答をされてみては如何でしょうか。

「地名が過去の災害の教訓を示すと聞きますが」以下のくだりでしょうか。
100年以上土砂災害が起きていなかったのは、やはり昔からの住民による危険箇所の回避の実践効果と推察します。たまたま稀に見る気象条件に遭遇したのは事実でしょうが、それを偶発的な事故として扱っては防災に結びつきません。
古い地名は、新住民にも共有されるべき文化遺産であり、それを単に「不都合な地名」と受け止めるか、「先人の警告が込められた地名」と解釈するかは 私達に委ねられています。

2011年に「須賀」という地名について書いたことがありますが、その後で起きた地震津波について千本桜さんからの報告がありました。
高須賀とは、洪水などで水が押し上げることのない高い砂丘の地形からきた地名です。まるで今回の震災で津波から免れることを予見したかのような的確な地名ですね。先人が残してくれた地名の重みを感じた次第です。
関係記事 をリンクし、ご参考に供します。

[86349] 2014 年 9 月 2 日 (火) 00:06:25 オッス、オラ全斗煥! さん
 はじめまして、と言いたいですが…

今まで見学専門で皆様の博識ぶりに目を見張ったものですが…。
[86329]hmt氏の投稿にある、「今回の災害は退治したと思った大蛇に逆襲された結果」云々とありますが、この発言はいただけません。
犠牲者72名、行方不明者がまだ2名いらっしゃる上に避難住民が多数に上る災害で、被災された方や犠牲者の家族等に余りにも配慮が欠けた発言と思います。自らが被災者の立場となった時にこのような発言を耳にしたときにどう感じるか、考えてみて下さい。
私はボランティアで現地の泥の掻き出しに行きましたが、比較的被害が軽微とされる地区でさえも災害の爪痕は生々しいです。その現場を一度ご覧になっていただきたいと強く感じます。

そして、[86330]ぺーロケ氏の投稿に回答をされてみては如何でしょうか。

[86348] 2014 年 8 月 31 日 (日) 23:27:00【1】 hmt さん
 観音下(かながそ) と 金ヶ瀬(かながせ)

2014年8月も最終日になり、気がついてみれば 落書き帳への書き込み履歴も12年目に入っていました。
松江オフ会2013でいただいた お誕生日新聞 で、落書き帳初書き込み日 2003年8月28日の毎日新聞第1面を見ると、トップは北朝鮮関係6カ国会議の基調発言で、北の発言は「核問題の解決は米国次第」。日米は拉致にも言及。この11年間に目立った進展がないことを感じます。他のニュースは、火星が6万年ぶりの最接近。コメ、10年ぶり不作。供給不安なし。

今年8月下旬の新聞では、残念ながら平成26年8月豪雨 が残した 広島での土砂災害が大きな記事になっていました。

そんなことを考えながら2003年の落書き帳を見ていたら、千本桜[軒下提灯]さん発の 「かながそ」についての質疑応答記事 が目にとまりました。大河原町にある 金ヶ瀬(かながせ)という地名が他に類例を見ないことに発した疑問とのことでした。

10年以上前の記事にレスを書くのもなんですが、せっかく思い出したので一筆。

確かに金ヶ崎町ならば岩手県にあるし、歴史的にも金ヶ崎の退き口【越前】で知られた地名ですが、金ヶ瀬となると 類例がありそうな地名なのに、見つかりにくいようです。

私も「かながせ」と「かながそ」の関係は解明できず、できるのは観音下石についての追加情報ぐらいです。

千本桜さんは 見たことがない とのことでしたが、観音下石は白山の火山灰に由来する凝灰岩で、温かみのあるベージュ色が落ち着いた雰囲気を醸す点が魅力とされています。
中日新聞に 小松市観音下の採石場や 東京都内の名建築での使用例 が紹介されていました。
日華石の名もありますが、目黒区駒場の旧前田侯爵邸【占領下ではマッカーサー元帥の宿舎として使われていた】では 大華石と呼んでいるようです。一般民家での使用例も挙げておきます。

小松市観音下(かながそ)町の方は 観音山 下の意味から出た地名であり、黄色は火山灰由来の石材の色であって 「金」を示唆するものではないようです。地図の中心、210mピークの北西が観音堂の位置です。
大河原町の金ヶ瀬(かながせ)も、付近に観音堂があるとのことなので、「観音ヶ瀬」という推測[22069]でよいのではないでしょうか?

[86347] 2014 年 8 月 31 日 (日) 23:18:40【2】 k-ace さん
 秘境駅

[86346]伊豆之国さん
一昨日の放送は高岡市にいたので見れませんでしたが、以前の牧場経営の娘さんの回の放送は見ています。室蘭本線の小幌駅(北海道豊浦町)ではなく根室本線の古瀬駅(北海道白糠町)ですね。
小幌駅等上位の秘境駅はアクセス道路がありませんので車での送迎は不可能です。2位の大井川鐡道の尾盛駅と1位の室蘭本線の小幌駅は徒歩でも到達が難しい(経験者によれば特に尾盛駅が難しいとのこと)ので、日常利用の一般人は皆無でしょう(小幌駅は釣り人という手がありますが、尾盛駅はまず無理でしょうね)。
3位小和田駅、4位田本駅となると徒歩のみ可能で、少し離れたところに人は住んでいるのでここが取材の限界でしょう。

今夏の秘境駅訪問では秘境駅ランキング180位の豊原駅(東北本線・栃木県那須町)。ここまで下位になると1時間に1本あり、気軽に行けます。ただ集落から少し離れて坂道(舗装路で車の往来もたまにあり)を上った木々に囲まれたところにあり秘境駅感はあります。この豊原駅、1925年から1948年まで下野豊原駅と下野を冠していました。当時、樺太の豊原(現、ユジノサハリンスク)と台湾にも豊原駅にも出来たことから同名回避での改称のようです。戦後、同名の駅が日本の施政化から外れ、下野豊原駅が豊原駅に戻り今に至っています。

ちなみに高岡市の件ですが。
その翌日、富山県が訪問から宿泊となり生涯経県値が1上がったんですが、早朝の高岡市での大雨で城端線、氷見線が早朝運転見合わせ(北陸本線も越中大門〜福岡間で徐行運転)で予定が狂い、城端線、氷見線乗車の後、親不知駅、筒石駅訪問の予定を急遽越美北線乗車に変更しました。で福井県大野市の九頭竜湖駅で九頭竜湖駅到着証明書(無料)を貰ってきました。
高岡駅は大雨だったけど、東の空(富山市方面)は明るかったし、津幡町や金沢市まで来ると晴れていたという正に高岡市だけ局地的大雨だったようで(道路が冠水するといった豪雨にはなっていないようですが)。

[86346] 2014 年 8 月 31 日 (日) 21:21:38【2】 伊豆之国 さん
 男鹿高原駅の存在価値

[86344]に続いて、最近に見たTV番組より。

以前、「幹線・大都会の秘境駅(閑散駅)」を話題にしましたが([84535],[85164])、今回は正真正銘の「秘境駅」の話題です。一昨日の夜のTV番組の中で、「関東最強の秘境駅」の異名がある、野岩鉄道会津鬼怒川線「男鹿高原」駅の一日が放映されていました。この男鹿高原駅、東武浅草から快速電車で一本で行けるのですが、駅の近くには緊急用のヘリポートと電車の変電所があるだけで、「いったい誰が乗り降りするんだ」([48847] みやこ♂ さん)という、まさに「何もない」辺鄙な場所。「秘境駅巡り」のマニアだけしか乗り降りしないのか、「本当に日常的にこの駅を利用している人がいるのか」というリポートというわけだったのでしょうが、こうした「マニア」数人以外に、果たして1人の男子高校生がこの駅で降り、自宅に向かうというシーンがありました。この高校生が住んでいるというところが、駅の北東約2kmにある、人口60人ほどの「横川」という集落。番組によると、「林業の衰退で人口が激減、小・中学校も廃校、現在はそれどころか小学生も中学生も誰もいなくなり、集落から通学する生徒は高校生が1人だけ」、そしてその通学路には熊も出没し([48886] BANDALGOM さん)、この高校生も小熊に遭遇したという話も出ていました。番組では、「開業(昭和61年)当時は集落総出で開業を祝い、駅には大勢の人が詰めかけ、[大げさな表現ですが]山手線状態だった」という話も出ていたので、おそらくこの駅は、「(鉄道開業によりそれまであったバス路線が廃止され、陸の孤島状態となることになった)横川集落の便宜を図る目的もあって設置された」とも考えられそうです。…ということで、この「男鹿高原」駅の定期的な利用者は、現在高校一年生というこの生徒ただ1人だけ、2年後に卒業すると、普段の利用者は皆無となり「秘境駅巡りのマニア」と、駅近くの変電所の点検作業職員(こちらによると「作業員はきっと車で来るだろう」とありますが、映像では2人の作業員が駅のホームに降り立つシーンが出てきたので、この作業員たちもおそらく電車を利用しているものと思われます)が時折乗り降りするだけ、ということになりそうです。
♯この横川地区は、会津西街道に沿う集落で、会津との境界近くに位置し、江戸時代には「口止め番屋」が置かれ、沿道には往時を物語る古い石仏・道祖神も残っているとのことです(秋田書店刊「歴史と旅」昭和62年5月増刊号[85664]より)。

「超秘境駅」というと、こちらも秘境駅ランキングで上位の常連駅、JR北海道・根室線の「古瀬」駅(HP)。国鉄時代は信号所で客扱いしていた「仮乗降場」らしく、周囲に人の気配がなさそうな駅ですが、実はこの駅にも「日常的な利用者がいるらしい」というのが、こちらも以前に見たTV番組で放映されていました。こちらの利用者も、通学に使う女子高生が1人。少し離れた場所にある牧場経営者の娘で、駅から距離があるため、親がマイカーで駅まで送り迎えするとのことのようでした。私も、この古瀬駅の状況を知ってから「なぜこんな誰も乗り降りせず、道路から駅にたどり着くのにも難儀するような駅が廃止にならなかったのか」と不思議に感じていたのですが、「この女子高生がいるために駅が存続している」という見方もできる、ということで理解できたのでした。こちらも、この女子高生が卒業すると普段の利用者は無くなり、駅自体の廃止、ということになることも予想されそうです…。

【1】[86347] k-ace さんのご指摘、ありがとうございました。「小幌(室蘭線)」を「古瀬(根室線)」に訂正、関連箇所の文章もこれに合わせて修正しました(何しろうろ覚えだったもので…)。

[86345] 2014 年 8 月 31 日 (日) 09:43:42 ピーくん さん
 広報メディア

Hiro_as_Filler さんへ
熊本県荒尾市のフェイスブック確認しました。
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岐阜県中津川市のフェイスブック確認しました。
詳細

埼玉県北足立郡伊奈町のフェイスブック確認しました。
詳細

埼玉県狭山市のツイッター確認しました。
詳細

度々の更新だと大変だと思うので月に一度チェックしていきたいと思います。何もなければ書き込みはありません。よろしくお願いします。

可部線緑井ー可部間は九月一日再開予定。安佐北区の避難指示、勧告解除復興に向けて動いています。一日も早く日常が取り戻せるよう願っています。

[86344] 2014 年 8 月 30 日 (土) 22:00:28 伊豆之国 さん
 十津川警部・故郷と新天地と

…といっても推理小説ではありません。今夕の某公共放送のTV番組より。

奈良県十津川村と、その十津川村が明治の大水害で甚大な被害を受け、多くの村民が移住した北海道新十津川町([80030] hmt さん)。それぞれの地域への、バス旅の道中を描いた番組です。最初に出てきたのは新十津川町。北海道移住の道筋に沿って、小樽港から新十津川に入るというルートをバス乗り継ぎでたどった道中で、今は無き「手宮線」の廃線跡や、やはり廃線となった幌内線の駅跡を整備した鉄道記念館([75360] YASU さん,HP)も映像に出てきました。
後半は、一般道を走る乗り合いバス路線としては日本最長という、近鉄大和八木駅から五條・十津川村・熊野本宮を経て新宮駅までを結ぶ、奈良交通「八木新宮線」([83343] k-ace さん、[70115] むっくん さん)で十津川村を訪れるというコース。同じ「十津川郷士」の一族で、明治の大水害で北海道に移住した人、十津川村に残った人、それぞれの子孫の物語も紹介されていました。

♯私が十津川村のほんの端っこだけに入ったことがあり、その「経村値」が△(接地)であることは、[79317]に…。

[86343] 2014 年 8 月 30 日 (土) 21:47:14 スナフキん さん
 (ちょっと宣伝)埼玉県立文書館に行ってきました

今日は、さいたま市浦和区にある埼玉県立文書館(埼玉の場合は<もんじょ>と読ませます)に行ってきました。

非常に恥ずかしながら明かしてしまうと私、本職でありながら文書館の存在はもちろんのこと、ここに地図センターが併設されていること、さらには2年前に岐阜の施設が閉鎖されたことで現在ここが国内唯一の都道府県単位での地図専門閲覧コーナーであることも、今日まで全く知りませんでした…と思って落書き帳を検索したら、今年の2月にすでに[85095]でhmtさんが、地図センターへの言及はないものの地図センターが外務省と共催した企画展については話題にされてましたね、さすがでした。

今日の訪問目的はコバトンカ…ではなく、現在行われている企画展「鳥瞰図の世界」(9月14日まで)の訪問と絵師の方との懇談だったので、地図センター内部の資料を詳細に閲覧できたわけではありませんでした。ただ、その経緯から学芸員の方に一通り説明いただいて、閉架の収蔵資料庫にも足を踏み込むことができ…正直、これは落書き帳メンバーであれば一見の価値があるなと思い立ち、ここに半分宣伝みたいに書き込んでいる次第です。くだけた話、絵師の方とは仕事での関わりもあり、挨拶がてらの意味合いもありましたが、懇談の中で制作の裏話や秘話なども聞け、充実した一日になりました。

収蔵点数7万点の大半は、施設の設置趣旨から埼玉県関連が圧倒的ですが、人づてで結構な寄贈資料類が寄せられていることもあり、これらを断らずに受け入れていることもあって、埼玉県に限定せずともかなり見ごたえがあります。圧巻なのは、道路や河川台帳の類いが明治の頃からのものがしっかり保存されており、その価値は重要文化財に匹敵するとのこと。また、空中写真類もかなり体系的・時系列に整理が行われ、閉架ながら閲覧が可能な状態になっている点も特筆されます。本当は、居住地域周辺の刊行物を過去のものからつぶさに眺めたかったのですが…今日本来の訪問趣旨から外れてしまうので、控えました、惜しい!

あえてこの書き込みを「半宣伝」としたのには理由があります。ここが単に国内唯一だから、企画展が面白く足を運んでもらいたいからというだけでなく、実は文書館自体が2年後に大規模改修され、その折に現在設置されている地図センターが一旦閉鎖されることがすでに決まっているためです。これまで収蔵・収集してきたこれら貴重な資料が、これを機に散逸・処分される恐れもあり、ベクトルをそちらへ向かわせないためには現在ある資料の重みを理解し、少しでも多くの人に活用してもらい、地図センターを欠くことが大きな損失になることを県に知らしめる必要があります。

閉架収蔵庫は、非常に厳しい運営費しかあてがわれていないにもかかわらず、歴史的資料類の劣化(洋紙は酸化しますし、放っておくと安い紙製品はカビが生えます)を防ぐべく空気清浄器・循環器を整備して涙ぐましい努力が払われています。もちろん自身の職場にも旧版地形図は山ほどあるのですけど、とても民間の零細企業では保存し切れないような大型資料までが図面ケースにしっかり保存されていて、正直ここにいたら1日潰せる自信があります。開架書庫には歴史資料・郷土資料類が収集・整理されていて、これだけでも見る価値は十分あります。最寄りの駅から中途半端に離れているのが少々痛いですが、湘南新宿ラインが浦和に止まるようになったこともあり、以前よりは足を運びやすくなっているはずで、会期が残り少ない企画展のみならず、ぜひ一度行ってみてはいかがでしょう?

[86342] 2014 年 8 月 29 日 (金) 20:30:03【1】 hmt さん
 紙の里 大竹

[86339] ぺとぺとさん
和紙の取引の関係で大正5年に今の四国銀行の前身である高知銀行が【大竹】市内に開店

大竹の海兵団跡地に製紙工場があるのは知っていました。
しかし、手漉き和紙が それよりもずっと前からの 大竹の特産品 であったことは知りませんでした。

そこで 紙の歴史 を調べました。室町時代以降に多くなった書院造建築で紙の需要が拡大。また雨傘用の厚く強い紙も美濃や土佐などを中心に全国で生産。江戸時代になると 野中兼山などにより土佐藩の財政政策にも利用されました。
幕末になると 土佐国吾川郡伊野【いの町[45511]】で大幅連漉き道具が考案されるなど技術の進歩もありました。
1901年には 全国の和紙生産戸数68562でピークを記錄。以降は洋紙化と和紙の機械化が進み、手すきの戸数は減少。
この年、高知県の伊野製紙などが合併して土佐紙合資会社設立。

日本紙業芸防工場 によると、この会社が大正14年の合併で 社名を日本紙業と改めた頃、合併相手の土佐紙は 高知県伊野町の他に 山口県和木村にも工場を有し、機械すき和紙の分野で独特の地位を占めていたとのことです。

これにより、[86323] hmt が記した疑問が解決しました。
どのような経済的背景が四国と大竹とを結びつけたのか?
つまり、土佐紙合資会社による山口県和木村進出があり、これに呼応して高知銀行も小瀬川対岸にある紙の町・広島県大竹に支店を開設[86339]、そして土佐紙と日本紙器製造との合併による日本紙業の成立に至る という流れだったのでした。

工場の名になっている「芸防」、つまり安芸・周防 両国の境界を形成しているのは「小瀬川」です。
そして、紙作りに欠かすことができない 水を供給して、この地を紙生産地たらしめたのもこの川でした。
西国街道 両国橋付近の大竹側の地名から「木野川」の呼び名もありますが[15926]、現在では大竹側でも小瀬川と呼んでいるようです。例1例2

例1の小瀬川干潟は、[83553]で臨海工業地帯の工場夜景を紹介した河口付近にあります。

[86341] 2014 年 8 月 29 日 (金) 02:17:11 白桃 さん
 にまんさんとぺとぺとさんに御礼

[86338]にまん さん
おそらく、自衛隊がらみでしょう。善通寺、多賀城には陸自の教育大隊、防府には空自の航空教育隊と新隊員教育が行われる部隊がありますから、新隊員が入ってくる4月に人口が増えて、7月には3ヶ月の教育が終わって他の部隊、学校に異動になるので、大きく人口が減る。そういうことだと思います。
自衛隊がらみではないかと見当をつけていたのですが、“教育期間”だったのですね。普通の人事異動(配置転換)にしては変だなと思っていたのですがすっきりいたしました。お教えいただき有難うございました。
ほかにも、横須賀や大津など同様の所はいくつもあるはずですが、人口の分母が大きいので目立たないのでしょう。
両市について調べてみましたが、減少率が大きいのが4月で、それに次ぐのが8月ではなく7月でした。

[86339]ぺとぺと さん
同市の自治会別人口の推移を見ると、7月から8月にかけて「自衛隊南基地」自治会の人口が1,000人規模で減少しています。これは防府市全体の減少数とほぼ同じです。
防府市が8月に大きな減少を示すのはマツダの人事異動かと思っていた私。内緒にしといて下さい。(笑)

[86340] 2014 年 8 月 28 日 (木) 23:39:37 ぺとぺと さん
 十番勝負感想文

今回はいずれもヒント後の解答でした。
そんな中で銀メダルを獲得した、問十についてのみコメントします。

可住地面積比率については、過去に目をつけていたテーマだったのですが、アナグラムヒントが解けるまでさっぱり閃きませんでした。苦戦した理由は、自身の感性の衰えによるところが大きいのですが、該当しない市の列挙の仕方が私の感覚にフィットしなかったことも多少影響したように思います。
本問は統計問題であり線引きも非常にクリアなので、該当しない市は次点の1市のみとするか、むしろ無くてもよかったのではないかと。該当しない市が多いと、どうしても「ややこしい条件や線引きのある問題」を想定してしまうんですよね。
出題者としては、列挙する市を多くすることで「大都市周辺の平野部の市」に目を向けさせようという意図だったのかもしれませんが、この問題に関しては「可住地面積」の存在を知らないと解けないので、あまり意味がなかったのかもしれません。

それにしても、東久留米市や豊中市のわずかな森林っていったいどこなんでしょうか。地図を見てもさっぱり想像がつきません。

[86339] 2014 年 8 月 28 日 (木) 23:20:22 ぺとぺと さん
 もろもろ

[86325]hmtさん
[86325]faithさん
フォローありがとうございました。また四国銀行の話、大変興味深く拝見しました。
すでにご確認済かもしれませんが、平成19年3月の大竹市議会第1回定例会の議事録に、
「和紙の取引の関係で大正5年に今の四国銀行の前身である高知銀行が市内に開店し、昭和39年から始まった指定金融機関制度開設当初より現在に至っている。」
との記載がありました。
これ以上の詳細はわからないのですが、横浜銀行高崎支店と同様、やはり遠隔地間の商取引の関係を契機として開店したようですね。

[86332] 白桃 さん
さて、ここで問題です。この4市が8月に大幅な減少を示すのはなぜ???
[86338] にまんさん
おそらく、自衛隊がらみでしょう。善通寺、多賀城には陸自の教育大隊、防府には空自の航空教育隊と新隊員教育が行われる部隊がありますから、新隊員が入ってくる4月に人口が増えて、7月には3ヶ月の教育が終わって他の部隊、学校に異動になるので、大きく人口が減る。そういうことだと思います。

少なくとも防府市については、お二人の推測に間違いはないと思われます。
同市の自治会別人口の推移を見ると、7月から8月にかけて「自衛隊南基地」自治会の人口が1,000人規模で減少しています。これは防府市全体の減少数とほぼ同じです。

[86338] 2014 年 8 月 28 日 (木) 22:36:53 にまん さん
 JSDF

[86332] 白桃 さん
さて、ここで問題です。この4市が8月に大幅な減少を示すのはなぜ???
(問題にしたのは、多分、アレだろう、と思いつつ、自分でも確証がないからです。汗々)
おそらく、自衛隊がらみでしょう。善通寺、多賀城には陸自の教育大隊、防府には空自の航空教育隊と新隊員教育が行われる部隊がありますから、新隊員が入ってくる4月に人口が増えて、7月には3ヶ月の教育が終わって他の部隊、学校に異動になるので、大きく人口が減る。そういうことだと思います。
ほかにも、横須賀や大津など同様の所はいくつもあるはずですが、人口の分母が大きいので目立たないのでしょう。

ただ、三沢は空自(米軍も)の基地はあるものの、実戦部隊だけですので、別の理由ではないでしょうか。人口の動きも三沢は9月に減少分を取り戻す動きをしています。

[86337] 2014 年 8 月 28 日 (木) 19:51:19 ピーくん さん
 みどり市

みどり市の石原条市長は22日までに、桐生市の亀山豊文市長から提案されている任意合併協議会の設置について、7月中の回答を見送る意向を固めた。
市議会は過半数の市議が合併協議を進めることに否定的。
ここも合併進みそうにないですね。
詳細
桐生タイムス初めて知りました。

8月30日はたけはら夏まつり花火大会だそうで、雨降りませんように。竹原市でも東部なので見に行けません。芸南地方というのを耳にしますが、竹原市と安芸津町(東広島市)、安浦町(呉市)三原市須波とか一帯のことでしょうかね。

オーナーグリグリさん
そろそろ情報更新していただけると嬉しいです。

[86336] 2014 年 8 月 28 日 (木) 01:32:37 いろずー さん
 松阪市ということで自分も…

[86335] 伊豆之国さん
伊豆之国さんも松阪市にお世話になっていたんですね。
自分は…
あれは、2月の真冬の事だった(詳しい行程は[85080]参照)。
それに追記
自分も駅中心部から離れたホテルに泊まりましたが
高い低いと大浴場があるかないか・徒歩15分以内か以上でホテルの名前命中でしょう。
ちなみに自分は「低い・大浴場ない・徒歩15分以上」ですね。
3月にも松阪・お伊勢さんへ([85179]参照)。
その裏ネタ。
この日松阪着いて鶏焼肉。牛肉だけではなく鶏肉も食べて欲しかった。
翌日お伊勢さんに向かう急行の中で
三重高の校歌を口ずさんだが「東は宇治の翠巒を」で謎が解けなかったことを思い出す。
東はどうみても「伊勢」でどこが「宇治」なんやとツッコミしかない。
北の城址は…チャリで外周のみ回る。
という松阪訪問記はおいといて

いろずー的、伊豆之国さんの[86317]クイズの回答!!
1.
A…静岡市(たぶん興津と見た。想像するのは興津藍←またボートレーサーか!!)
B…浜松市
C…大垣市(某きっぷ時には大垣ダッシュなるものまで、よい子はマネしちゃダメダメ。)
D…草津市(草〜津よいと〜こ〜、自分も間違える。)
E…宇陀市(イメージは榛原と室生口大野ですね。)
F…はもう出てた。
G…桑名市(この時期の花火…爆弾関係寸前に帰宅できたのは光栄で。)
2.小田原市
3.三本松(自分も通ったので)
4.三菱東京UFJ(さくらって何ですか?高速バス?さくら野?)

今度こそ姫路から帰ってくるまで、また。

[86335] 2014 年 8 月 27 日 (水) 18:28:12 伊豆之国 さん
 蛇崩川 & 淀川越え & 松阪牛

足の故障が予想以上に長引き、相変わらず自宅と病院との往復が続いています…。

[86328] 山野 さん
[86329] hmt さん
[86330] ペーロケ さん
八木蛇落地悪谷
地元の人が 昔は蛇が降りるような水害が多かったから 蛇落地(じゃらくじ)、悪い谷で 悪谷(あしだに) と伝えていた地名
「蛇」で思い出したのが、私が20数年間をその近くで過ごし、「面白い名前だなぁ」と思いながらも別になんとも思ってはいなかった、当時はまさにどぶ川だった(今は暗渠)「蛇崩(じゃくずれ)川」([77021])。世田谷区HPによると
川の名称の由来は、流れる形が赤土の地層を崩したように蛇行しているところから、そう呼ばれるようになったと言われています
とあり、広島の「蛇落地」に通じるような「地層の崩壊」「水害常襲地帯」を暗示させるような地形だった、と今更ながらも気づいたのでした。

さて、ご承知の通り、今年の夏の「甲子園」は、大阪桐蔭が三重高校を振り切り2年ぶり4度目の制覇を果たしました。
[86331] ペーロケ さん
猪名川しか越えなかった優勝旗
大阪桐蔭高校(&四条畷駅)がある大東市は、甲子園から見ると淀川を越えた南東側にあるので、「淀川越え」と表現したほうがわかりやすいのではないでしょうか。…その大阪桐蔭の所在地は、「大東市中垣内(なかがいと)」。しっかり「"かいと"コレクション」に登録されていました…。
惜しくも準優勝となった三重高校。失礼ながら、まさかここまで勝ち進むとは予想以上の大健闘でした。私が先月の遠出([86317])で、2泊目に投宿したのが、その三重高校のお膝元、松阪市。翌朝宿を出ていきなり足に異変、必死で痛みをこらえながらの町歩き、タクシーを初めいろいろとお世話になった松阪市の皆さんには、本当に大感謝です…。
そういうわけで、まだ誰も反応していない[86317]のクイズですが、ここで一つだけその答を発表します…。【F市】が、その松阪市ということになります。(残りの答えは、来月になってから発表する予定です)

[86334] 2014 年 8 月 27 日 (水) 17:45:57 ピーくん さん
 中核市

福島市の小林香市長は26日、市役所で会見しが2017(平成29)年度に中核市移行を目指す考えを示した。特例市には関心示していませんでしたが合併しても30万人に届かずようやくですね。いわき市、郡山市に続きますね。
詳細

北陸新幹線?の開業日が2015年3月14日に決まりました。サンダーバードの大阪からの特急金沢以東に富山県に停まらないことになりました。
詳細

大雨被害に遭った山口線が今月23日から復旧し、今日福知山線石生〜福知山駅間も復旧しました。大雨で大量の土砂が残る可部線緑井ー可部間の復旧の見込みはたっていないようです。

[86333] 2014 年 8 月 27 日 (水) 16:07:50【1】 桜トンネル さん
 第三十九回全国の市十番勝負の奮闘記&長久手市

では今回も感想文を提出します。今回はかなり長くなったものの1記事に入りきりました。1記事で感想文を書くのは第三十回以来なので、およそ3年半ぶりとなります。前よりも文字数制限が増えているような気がするんですが・・・。

また8月上旬からパソコンが壊れてしまい、十番勝負の感想文の提出が遅れてしまいました。

今回は7月20日の夜スタートということでした。
ただこの週は大学のテスト週間、おまけに翌週からはバイトの夏期講習がスタートということでできるだけ早めに終わらせたかったです。
そのためにはテストが始まる水曜日までの短期決戦で挑もうと思っていました。
また今回の予想問題としてタイトルにある通り、47都道府県の地図完成記念とのことだったので、その地図で一目瞭然となった隣接系の問題が出るであろうと踏んでいました。(その後、[85845]でも触れられていますね。)
その隣接系と出題日の翌日なのに案外皆さんが気づいていないであろう「海の日」関係の問題も出ると踏んでいました。
それでは以下、問題ごとに振り返っていきます。

●問三:酒田市【金メダル!!!】([85855])2014 年 7 月 20 日 (日) 21:05:17
■県内と県外の各々1つの市と隣接する市

実は今回の十番勝負を挑むにあたって、方針を立てておきました。
隣接系の問題はどんな風に出るのか全く予想できなかった、というか出題方法にレパートリーがかなり多くあるので、柔軟に対応することにしました。
まず5市検索をベースに隣接系の問題を探していく中で、特に今回は県跨ぎでの隣接問題が絶対に出ると踏んでいたので、県境にお題の市全部が触れている問題に着目していく方針で行きました。
またその過程の中で、名前系、海関係!の問題にも気付けたら、と思っていました。
するとお題の中で唯一問三のみがすべて県境に隣接していることに気づきました。
最初は相手が1市のみの条件かとも思いましたが、県内も1市ということに気づけばあとは解答探しです。
ただ解答探しには時間がかかりそうだったので、お題の鶴岡市や第三十八回問八第十四回問六などで話題になった酒田市を思い浮かべました。(第十四回の時も酒田市は自分が答えているんですね、すっかり忘れていました。)
ヒントには絶対になるであろうと考えましたが、スピード優先で「酒田市」を解答しました。

●問六:出雲市【金メダル!!!】([85856])2014 年 7 月 20 日 (日) 21:09:55
■平成の大合併以降複数回合併した市

実はこの問六はヒントまで別の共通項を思い浮かべていました。
検索した結果では明らかに最近の合併が乗ったサイトばかり引っかかるので、あとはどのように条件を絞るかを考えます。
ここで考えたのは間近の合併が「1市+1町」の編入合併であったということでした。
第二十一回問五でも想定解数は45市ぐらいでしたし、こんなもんだろうと思って4答県の島根県から「出雲市」を解答しました。
島根県からの解答は2012年1月に開催された第三十三回以来、2年6ヶ月ぶりの解答となりました。
ただその後の解答を見ても特に疑問はなかったんですが、ヒントで重の字が出てきて、「ああ、複数回合併か」という風になりました。
まったく気づきませんでしたが、どっちも該当するところをたまたま解答していたのが幸いでした。
だから平成の大合併の期限云々はまったく気にせずに解答していました。

●問一:町田市【銅メダル!】([85889])2014 年 7 月 21 日 (月) 01:12:23
■市に完全に囲まれている市(海岸線もない・内水面隣接は考慮)

ここからかなりの時間苦しみます。
検索をしてもダメ、いろいろ調べてみますがピンと来るものはないうえに頭もかなり働かない状態でした。
ということで1時間ほどの小休憩&晩酌を挟んでから再び問題に取り組むことにしました。
すると問二がひらめき(後述)、問二と問三が隣接系だったということはこれまでのグリグリさんの問題構成からして前半5問すべて隣接系の問題ではないかと考えます。
すると気になったのは問一です。
明らかにまわりが市ばかりのところですし、類似問題の第二十一回問九:で出題されたときに、琵琶湖と霞ヶ浦の対応で話題になった石岡市と草津市がありましたし。
あの十番勝負後に霞ヶ浦は境界が決定していますし、県境も越えているのも共通項に含めているので、今回は範囲を広く取ったんだろうな、と判断しました。
解答するところはやはり前回該当しなかった県境を越えたところかつ4答県から「町田市」を選んで解答しました。
東京都からの解答は2011年1月に開催された第三十回大会以来、3年6ヶ月ぶりの解答となりました。

●問五:二戸市【4位】([85891])2014 年 7 月 21 日 (月) 01:36:44
■隣接する市町村の「一から十」までの数字合計が十以上の市

その傾向に気づくことができれば、あとは隣接市町村に目を向けるだけです。
この問五は隣接市町村に数字が入っているところが多いことに気づきました。
ただそれだけではかなりの数になるはずなので、解答を絞る条件を該当しない市から慎重に導き出します。
北から見て行って、いろんな条件を思い浮かべては消えていった結果、御所市あたりで合計して10以上になればいいっていうのに気付いたような覚えがあります。
この問題は割と解答が集まっていたことで該当しない市を丁寧に一つ一つ調べることができたのがかなり大きかったです。
メダル圏内であれば、メダルに目がくらんでおそらく見切り発車をして誤答していたでしょう。
いろいろ解答条件にあてはまるところを調べていった結果、十のつくところに隣接するのはあんまり惹かれなかったので、二戸市か橋本市の2つに絞りました。
和歌山県からは前回大会でもう既に解答していたので、岩手県から「二戸市」を解答しました。
ただ解答を見ていたら「東金市」答えたかったなぁって思いました(笑)。
個人的にはこういう問題結構好きです。
いかにもグリグリさんらしい問題だと思いました。

●問四:行田市【銀メダル!!】([85892])2014 年 7 月 21 日 (月) 01:58:48
■同じ文字を持つ町村と隣接する市

この問題は隣接系というようにわかっていてもなかなか気づくのには時間がかかりました。
お題の隣接市町村は何回か見直してやっと隣接市町村にも同じ文字が入っているというのがわかりました。
こういう考えは参加したばかりのころによく考えたものですが、ことごとく当時は外れていましたね。
ただこの問題はお題をよく見るとちゃんとヒントがあるんですよね。
第二十七回問三のところで上野原市と井原市は出ているんですよね。
やはりこういうのにしっかり気付けていないところが金メダルを逃す一因になっているんでしょう。
解答はいろいろ見ていった結果、小田原市と行田市のどちらで答えるのかに迷いましたが、県境隣接であったことと千代田町と隣接している印象があんまりなかったことから「行田市」を解答しました。
埼玉県からの解答は2011年8月に開催された第三十二回以来、2年11ヶ月ぶりの解答となりました。

●問八:新城市【銀メダル!!】([85894])2014 年 7 月 21 日 (月) 02:56:54
■平成の大合併で面積が3倍以上になった市(2000年面積比で同名の市に限定)

ここまでで隣接系の問題は片づけてしまったのであとはこの後ろ5問をいかに早く解答できるかが勝負のポイントとなってきます。
とはいえ、基本問題を中心に作っていると思っていたので、そうなれば合併系(問六)、名前系、鉄道系、人口系などがあると考えられます。
そしてこの問題のお題の市には全部JRが通っている、しかもその距離や駅の数が多いことから鉄道系だと考えました。
そう考えれば白山市、恵那市は私鉄だから除外で松阪市、飯塚市は基準を明確にするための該当しない市であると考えました。
結果、導き出したのが「駅の数が合併によって1.5倍以上に増えた」というものでした。
それでもあんまり自信はなかったので、駅の数が2倍以上に増えていた「新城市」を解答しました。
ただその後に星野彼方さんが「石狩市」を解答されたのを見て、「あ、これは間違えたな」と。
石狩市が該当するような条件で考えたら、面積が3倍以上になったというのに気付くのは案外容易かったです。
結構近いところにはいたんですが、そこからの詰めが甘いというか、鉄道系に考えを引っ張られすぎたなぁという印象です。
愛知県からの解答は2011年1月に開催された第三十回以来、3年6ケ月ぶりの解答となりました。

一回目の採点があり、この時点で6問正解、1位でした。

●問二:日進市【銅メダル!】([85916])2014 年 7 月 21 日 (月) 13:44:11
■「う」または「み」の文字が入る市町村に隣接する市(内水面隣接、点隣接も含む)

隣接系の問題5問はすべて自信があったんですが、問二だけ違いました。
ただこれは「ひらがな市町村に隣接」というのは関係大有りとして、そこからどのような条件で絞るかかなり迷いました。
ひらがなの共通文字、隣接の仕方、面積、人口などいろいろ考えましたが、しっくりきませんでした。
そんな中で北九州市、行橋市と解答があり、これは「みやこ町」との隣接は分かったんですが、やはり見ていくと「う」と「ま」の二文字のつくところに隣接していることに気づきました。
ただそれでもあまり自信はなかったので、みよし市に隣接している「日進市」を解答しました。
結果、銅メダルとなりましたが、午年でもないのになぁと思いつつもしばらくは「う」と「ま」に隣接しているところだとずっと思いこんでいました。
割と途中までこの勘違いをしていた方はいらっしゃるような気がするんですが・・・。
結局、第一ヒントの「海」で「う」と「み」ということに気づいたんですが、こんなに手こずった理由としては土浦市、三好市、八女市に隣接しているひらがな市町村が複数あり、どれが条件に当てはまるかが絞りにくかったからでしょう。
海関連の問題はほぼ確実に出るであろうとは思っていたもののこんな形で出されてしまうとやはり手こずってしまいますね。
このパターンの問題は第二十九回問二第二十六回問一でも出題されていました。
確かに気づきにくい問題だと思いますが、しっかり共通項に導くヒントがあった(筑波、海)ので、そんなに問題になるような出題形式ではないと思うのですが・・・。

●問七:上越市【6位】([85946])2014 年 7 月 22 日 (火) 16:18:56
■平成の大合併以降7つ以上の市町村が合併した市

これもメダル確定まで手も足も出ませんでした。
この問題もJRがお題、該当しない市すべてに該当していたのでずっと鉄道系の問題だと思っていました。
結構いろんな条件で思い浮かべましたが、「漢字四文字の鉄道駅が連続してある」とかだったと思います。
結局、鉄道系は全然当てはまらずに頭を抱えたわけですが。
その後解答が出てきて、出てきた全部の市が平成の大合併を経験していることから合併系へと頭を切り替えることができました。
バイトまで時間がなかったこともあり、市町村の組み合わせや合併方法などいろいろ詰めなければならなそうなことから、どんな条件でも当てはまっていそうな「上越市」を解答しました。
新潟県からの解答は2011年1月に開催された第三十回以来、3年6ヶ月ぶりの解答となりました。
なんとなく数に関する条件なんだろうなとは思っていたので、バイトから帰ってからしっかりと共通項を確認しました。
過去問の第二十六回問四でも7市町村以上の条件でしたし、何回も引っかからないようにしなければなりません。

結局、ノーヒントはここまででした。8問正解、2位で後半戦を迎えました。

●問九:木更津市【5位】([86009])2014 年 7 月 24 日 (木) 15:06:19
■市名の総画数が20画の市(ひらがな、カタカナを含む市は除く)

今回一番悔しかった問題です。
何よりもここまで名前系の問題が出題されてないのはおかしいと思っていました。
今までほぼ毎回出題されていますし、スタート時点でも名前系の問題は一度探してはないるんですよね。
やっぱり漢字の画数は一発ではなかなか気付けないです。
ただ、このいかにも共通するところやヒントがなさそうなお題の組み合わせから名前系を疑わなければなりませんでした。
今までも名前系には苦労しているだけに、やはりお題に共通しているところが少ないのは名前系だと刷り込んでおかなければなりません。
ヒントとしては該当しない市の宮崎市なんでしょうが、さすがにここから前回の問題を思い浮かべるのは難しかったです。
ただ都城市が出てきた時点で[85023]ぺとぺとさんの感想文の文章を思い出すことができたらなぁ。
しかも名前系の中でも漢字だけは得意分野だっただけに、こんだけ解答に時間がかかったのは本当に悔しいです。
共通項はなぜ気付いたかというと大学のパソコンで「市名 20」と検索していく中で
「20なんて何があるんや、そんなん年代とか何周年とかぐらいしかないやろ。まぁあとは画数とかぐらいやろ・・・あ!」
なんていう独り言でわかりました(笑)。
解答を見つけるのには解答対象都道府県をしらみつぶしに探していって、5県くらい探したところで「木更津市」を見つけ、解答しました。
千葉県からの解答は2012年4月に開催された第三十四回以来、2年3ヶ月ぶりのの解答となりました。

●問十:摂津市【4位】([86065])2014 年 7 月 26 日 (土) 23:56:28
■可住地面積率が100%の市

最後に残ったのはなかなかヒントが出ても解答が進まなかったこの問十でした。
見た目から明らかに大都市近郊でそれに当てはまるのだろうとは踏んでいました。
これもいろんなパターンを考えました。
大都市圏から何キロ圏内とか、電車に乗って何分圏内か、あとは人口密度が関係しているなどだったと思います。
ただどの考えで行っても柳川市が当てはまるものがなくて、困り果てていました。
第一ヒントではなにか土地に関係しているものではないかと考えて、地価ランキングや地価上昇率のほうに頭をとらわれすぎていました。
実際、十番勝負前に地価に関する話題も出ていたので、それだと疑わなかったのは事実です。
その最中で可住地面積、可住地のみの人口密度などを生活ガイド.comで見てはいたんですが、特に調べなかったです。
そんな中第二ヒントが出ました。
第二ヒントでは最初に手を付けて、解けたのが「どこにも無駄がない」で正直幸運でした。
「どこにも無駄がない土地」といえばやはり思いつくのは第一ヒント時にも見ていたので、可住地面積が思いつきましたが、虎の巻を見つけるのに苦労しました。
検索しても載っているページは出てこないうえにe-statの中でもわかりにくいところにあって、見つけるのに時間をかなり要しました。
確かに大阪市、柳川市あたりはかなり意外で、勉強になりました。
解答も見たところ大都市圏内しかなさそうだったので、大阪府から「摂津市」を解答しました。
[86258]にて白桃さんもおっしゃられていますが、ヒントはお題にたくさん散りばめられていただけに、今まで出たことがない分野(可住地面積)だからってここまで手こずっていてはいけません。
この第二ヒントでわかったクチなので偉そうなことは言えませんが、人の住めないところを無駄と言ってしまっているのは少し気になりました。

●総括
今回は10勝1敗(前回10勝2敗)、正答数ランキング4位(前回2位)、メダルランキング2位(前回2位)、金2銀2銅2(金2銀2銅2)となりました。
また23回目の完答、24回目のメダル獲得となりました。
前回と比べると誤答数、メダル数以外はすべて悪くなってしまいました。
今回は大きな課題点がたくさんありました。
序盤2問はハイペースで答えたもののその後は傾向になかなか気付けずに3時間ほど冷温停止状態になりましたし、問七、問九、問十あたりはメダルが狙えたにもかかわらず、結局4〜6位になってしまいました。
まぁ最初を突っ走ってしまうとあとあと行き詰っていくのは毎度毎度同じことなんですが、今回はかなりひどかったです。
結局、かなり正答数ランキングを落としてしまいました。
それでもなんとかメダル6個を獲得することができました。
今回は星野彼方さんやまつもとしろくまさんが解答の少ない、出ていない問題を開拓していった後をついて行ったようなものなので、コバンザメでしたね。
もうそろそろぶっちぎりで駆け抜けて完答したいんですが、やはり難しいですね。

今回は7月中旬の3連休のスタートでやはり初日から参加できなかった方は多くいらっしゃったと思います。
その方たちがいらっしゃればこの成績は残せなかったでしょう。
誤答も今回は問二で1回しただけですが、慎重にいけばなくせた誤答だっただけにやはり焦りがあったんでしょう。
今回の平均解答順位は3.1位でした。
これは今まで参加した大会の中で上から数えて7番目にいい数字でした。
またすべての問題を1ケタ順位で解答したのは2大会連続10回目でした。
今大会もかなり苦しんだ印象でしたが、割と早めにポンポンと解答していったのがよかったようです。
次回の十番勝負は1月ごろの開催になるようですが、おそらく冬期講習でいろいろ忙しくなっていそうです。
しかももしかしたら学生として最後の十番勝負となる可能性が高いので、学生時代9年間の有終の美を飾りたいです。

そして今大会の特徴は何よりもヒントが早く出たことが特徴的でした。
[86309]デスクトップ鉄さんによれば今までの十番勝負の中で2番目に早く出たそうですが、一番早かった第二十五回は十周年記念大会として行われたもので想定解数が少なく、終了自体も早いものでした。
そのため二十五回は少し通常の十番勝負とは違ったものだったので、通常の十番勝負の中では最もヒントが出るのが早かったといえると思います。
ここからは個人的な感想ですが、ノーヒント期間が1週間は長すぎると思いますが、ヒントが出るのはもう少し遅くてもよかったんじゃないかなと感じました。
もう少し十番勝負を解く苦しみや楽しみを味わいたかったです。
あと1〜2日ぐらい遅らせてもよかったんじゃないかなと感じました。

また前回の感想文にて
次回参加時の解答対象地域は4答県で行こうと思います。(全部で3都県が該当しています。)
と書いてありましたが、今回は解答対象地域から東京都と島根県の2都県を解答することができました。
そこで次回参加時の解答対象地域は四国&九州地方でいこうと思います。(全部で12県が該当しています。)
ただ何よりも4答県の解答を最優先したいと思います。
そのため解答を探す順番は神戸市=広島市>鳥取県>四国>九州>その他で行こうと思います。

十番勝負解答利用回数(都道府県版)
※兵庫県、広島県に関しては13回使用、千葉県、愛知県に関しては8回、茨城県、埼玉県、石川県、山口県に関しても7回使用、また北海道、山形県、岩手県、新潟県、滋賀県、京都府、大阪府、和歌山県、宮崎県に関しても6回使用ですが、ここに表示するために−5しています。よって見るときはこの17道府県には+5をしてください。

今回は4答県から東京都、島根県を解答しましたので、あとは鳥取県を残すのみとなりました。

十番勝負解答利用回数(都道府県庁所在地版)
※広島市に関しては13回使用、神戸市に関しても9回使用ですが、ここに表示するために−5しています。よって見るときは+5をしてください。

県庁所在地版は前回と特に変わりありません。

メダル獲得数
※兵庫県に関しては12個獲得、広島県に関しても9個獲得していますが、ここに表示するために−5しています。よって見るときは+5をしてください。

埼玉県は5個目、山形県、愛知県は4個目、島根県は3個目、東京都は2個目のメダル獲得となりました。

★入門編
こちらは手短に感想だけ。
問A:これは過去問にもあり、問一とも対になっていたので割と早めに気付きました。解答は山梨県唯一から。
問B:問二で大垣市を解答する前にこの問Bに気付くことができれば、もっと慎重になれたんでしょうが・・・。
問C:竹田市の複数県隣接はちょっと意外でした。
問D:想定解数243市を見て、驚きました。過去最多では?
問E:過去問にもあり、当時はお題の奄美市を答えていましたね。当時は高校生クイズ参加後にこの問題をひらめいていましたが、もう5年も経ったんですね・・・。
問F:こういう傾向の問題は何度も見ているはずなのに少し考えてしまいます。
問G:島関係の問題は出題されるだろうと踏んでいましたが、まさか入門編だったとは。
問H:甲信越、九州で当てはまるところが少なかったので、揃えるのが大変でした。
問J:このパターンもよく出ていますよね。相変わらず苦手ですが。
問K:以前もまんまと引っかかった覚えが・・・。(第十三回問六

最後となってしまいましたが、お盆前で忙しい中、20問も作成していただいた上に3週間近くもおひとりで採点していただいたグリグリさんをはじめ、参加された皆さんもありがとうございました。そしてお疲れ様でした。次回の五番勝負にも参加すると思うので、その時はよろしくお願いします。

#運のいい市はまだ集計できていないので、9月中までには作成して発表したいです。

[86332] 2014 年 8 月 27 日 (水) 06:47:13【1】 白桃 さん
 月単位の人口推移でその都市がなんとなくわかる?

国勢調査が10月1日現在で行われる理由として、総務省統計局のホームページでは以下の4つを挙げています。
(1)調査員が活動しやすい時期であること
(2)転居、旅行による不在の少ない時期であること
(3)会計年度の中央の時期であること
(4)一定の基準日に定めることによって、過去の統計と比較しやすくすること
私は、最も大きな理由は(2)である考えております。すなわち、
新しい学年や新しい会計年度が始まる4月には、就職や人事異動などで転居が多数発生するため、この時期は調査に適していません。
の通り、居住人口の変動が一番小さく安定しているのが10月である、ということでしょう。(最近はそうでもない、と思うのですが、それはまた別の機会に・・・)
逆に一番変動が大きいのが4月なのでしょうか???
ま、一般的にはそう言えるかもしれませんが、そうともいえない市町村があります。何度が触れている長野県川上村は特殊な例かもしれませんが、その他にもあるので(様々なパターンを含め)ご紹介いたします。
1月2月3月4月 5月6月7月8月9月10月11月12月
高梁-0.18-0.12-0.13-0.280.37-0.14-0.07-0.01-0.04-0.12-0.11-0.08
つくば-0.050.080.03-0.460.590.150.070.060.030.180.140.05
東広島-0.04-0.02-0.07-0.370.250.07-0.010.08-0.030.030.080.02
加東-0.13-0.02-0.10-0.530.20-0.01-0.010.14-0.050.080.030.03
天理-0.12-0.10-0.77-0.230.98-0.12-0.06-0.11-0.06-0.040.00-0.03
井原-0.11-0.18-0.08-0.18-0.14-0.16-0.10-0.25-0.06-0.10-0.08-0.18
東かがわ-0.11-0.13-0.13-0.37-0.06-0.19-0.05-0.17-0.07-0.14-0.16-0.09
岡山-0.04-0.03-0.04-0.160.150.040.010.030.020.030.050.03
高松0.01-0.04-0.04-0.500.430.050.000.050.02-0.030.070.02
善通寺0.04-0.01-0.13-0.641.200.05-0.14-0.92-0.07-0.01-0.05-0.15
多賀城0.020.020.04-0.301.080.090.04-0.640.09-0.040.070.08
防府-0.08-0.12-0.04-0.261.28-0.030.01-0.970.02-0.020.030.06
三沢-0.05-0.04-0.03-1.140.47-0.07-0.04-0.310.35-0.010.060.06
上の数字は、2013年各月1日現在推計人口の(前月からの)増加率(単位:%)です。
13市のうち、上から9市は一般的なパターンで、その中で高梁、つくば、東広島、加東、天理の5市はイワユル学園都市で、♪空にむかってあげた手に若さがいっぱい、そう、学園広場がありそうな都市。失礼、脱線。どの市も4月に大幅な減少(天理は3月)、5月にV字回復を示しています。(もっとも、これは住民票異動からおこる見かけ上の増減です。)
次の井原と東かがわは毎月着実に減少しており、一般的なパターンと呼ぶのにはふさわしくないかもしれません。それは置いといて、減少率が最も高いのが井原は8月、東かがわは4月で、最も低いのが井原は9月、東かがわは7月となっています。減少が最も大きいのが4月ではない井原は転勤族が少ないのでしょうか?逆に地場産業が頑張っている???
東かがわはサスが東讃を代表する都市で、4月にド〜ンと減少、5月に一気に回復・・・とならないのは、三本松高校を卒業した若者が、進学・就職で居なくなってしまう。ここで歌いたくなるのが、♪帰って来いヨ、帰って来いヨ、帰って来〜いぃヨ〜
次の岡山と高松は、4月に減少、5月に増加する一般的なパターンではありますが、共に県都である程度の中枢機能を持っている都市でありながら変動幅が違うのは、高松の方が国の出先機関が多く、支店経済に依存?しているからでしょう。
で、ここからが本題。(なんと長い前置き!!!)
山口県から発表になった2014年8月1日現在の推計人口で、防府が千人単位で減少しているので気になって調べ始めたのですが、善通寺、多賀城、防府、三沢の4市は5月にブワ〜ンと人口が増え、なんと8月にかなりの減少を示し(三沢以外は減少率最大)ております。
さて、ここで問題です。この4市が8月に大幅な減少を示すのはなぜ???
(問題にしたのは、多分、アレだろう、と思いつつ、自分でも確証がないからです。汗々)

補足:今日から8日間、海外旅行に出かけるので嬉しくて目が冴え渡り深夜からコノ書き込みをしました。
おことわり:出かけるのは、妻と娘の二人です。私はお留守番。でも何故かとっても嬉しい。(汗々々・・・)

[86331] 2014 年 8 月 27 日 (水) 00:45:10【2】 ペーロケ さん
 結局、猪名川しか越えなかった優勝旗

[86327]futsunoおじ さん
いつの日か真紅の大優勝旗が親不知の険を越えることを願っていますが、私の目が黒いのはあと5年か10年か?
いえいえ、近年の新潟勢の勢いを見ると、数年のうちに親不知越えも十分ありえますよ。

 しかし、北信越、新潟隣県、すごい勢いですね。中四国勢は9校中3校は(勝ち星を挙げた2校も含めて)大阪桐蔭にやられました><。今年は東日本がすごい、西日本どないなっとる?と言われていましたが、終わってみれば猪名川超えとは、分からないものです。

 しかし、[86324]にて三重が優勝したら「鈴鹿峠超え」と書きましたが、よく考えたら今の時代、国道1号利用はまずないですね。バスで名阪国道経由なら山添超え、あるいは月ヶ瀬超え?近鉄利用なら室生超え?いっそのこと、「青山高原超え」なんて言いたい所だけど、そんなこと言ったら伊賀の人は複雑な気持ちになるでしょうね。。。

(追加)大阪市内のごちゃごちゃを避けるため、新名神経由もありうるかなぁ。

[86330] 2014 年 8 月 27 日 (水) 00:13:45 ペーロケ さん
 八木上楽地

[86328]山野 さん
[86329]hmt さん
 手持ちの古地図では、明治31年(1898年)発行のものがあります。ちなみに、1898年は、まだ可部線がまだ通っていない時代。山陽本線は開通していましたが、宇品線も見えます。そういえば1895年に日清戦争があり、広島が臨時首都となったこともありましたが、その数年後の姿です。この古い地形図では、現在の梅林駅の裏あたりに「上樂地」という集落の記載があります。付近には、現在の浄楽寺がある位置に既にマンジの記号が見られますが、上樂地ではなく、隣の「山手」という集落にあります。当時の八木村の役場はというと、なんと城山と阿武山塊の間に挟まれて一番狭くなっている所。現在でいう「八木峠(たお)」と呼ばれる付近です。意外な位置に驚きましたが、当時の太田川の水害が多かったことを暗示しているのでしょうか。太田川の流れも、現在の本流が流れている位置の他に川内村と八木村、緑井村の間にも「太田川本流」よりも広い古川の河川敷が見られ、川内村は文字通り川の内側の中洲になっていました。

 さて、時が過ぎ、昭和47年(1972年)頃の地形図、八木村は緑井村と合併して佐東町となっていますが、この頃は広島市が周辺の町村を次々と合併し、佐東町も翌年、安古市町などと共に合併しています。可部線はもちろん開通しており、可部街道も八木峠の上を超えて山側を通るバイパスが開通しています。古川の広い河川敷跡は、太田川本流との間に堤防が築かれ、まだ家は少ないものの造成、陸地化が進んできている様子が見られます。さて、上楽地はというと、梅林駅から300メートルほど上に上がったあたりの集落に記載がありました。梅林小学校はまだありませんが、安川流域ほど大規模ではないものの宅地造成が始まったのもこの頃からではないかと思われます。

 その次にある地図は、昭和62年(1987年)頃の地形図。広島市は既に政令指定都市として発展を続けており、祇園新道が開通。梅林小学校が出来ており、人口急増の様子がわかります。地名は「八木3丁目」となっており、上楽地という地名は既に見られません。この間に住居表示が実施されたのでしょうか。

そろそろ、消え失せた古来の地名を「復活」すべき時が来ているのではないか。
 広島に土地勘がない方には分かりにくいかもしれませんが、安佐南区あたりではだいたいどこでも、町名としては無くなっている地名も、現在でも普通に使っています。住所こそ「安佐南区○○町○丁目」という変哲もない住所ではありますが、地の人が多い、古い地区は古地図に載っていた地名がそのまま今の町内会名と一致しており、新しい団地は団地ごとに町内会が結成されています。小学校の運動会でも、町内会ごとに席がきまっており、祭りももちろん町内会ごとに神輿を出します。つまり、地名復活どころか、地名は住所と関係ない所で脈々と生きているのですよ。
 とはいえ、その地名の「知名度」自体はせいぜい隣の学区まででしょうか。全く交流のない町内会は全くわかりません。私も八木に上楽地という地名があったことは初耳でした。

 あと、地名が過去の災害の教訓を示すと聞きますが、都市伝説的なものも含まれているような気もします。「悪谷」と呼ばれているならばしょっちゅう災害が起こってもおかしくないでしょうが、100年以上土砂災害が起きていなかったことはどう説明されるのでしょうか。あるいは、「沼田」という最も水に弱そうな地名もありますが、今回は人的被害は報告されていませんし、「安」という災害が起きそうもない地名だったら安心していいって話でもないでしょうし(実際、15年前は安を始めとした安川流域の方が被災しており、八木地区は無傷だったようです)。今回の災害は、1時間130ミリという猛烈な雨雲が八木地区に居座り続けたのが原因です。それが少しでもずれていたら、私の地区も危険でした。それは、全国どこでも起こりうること。古い地名を持ち出して「警告だ」みたいな話、個人的にはあまり信用できません。

[86329] 2014 年 8 月 26 日 (火) 18:58:40【2】 hmt さん
 「悪」という字のつく地名

[86328] 山野さん
この間の豪雨で多数の犠牲者が出ている、広島市安佐南区八木地区の古来の地名が「八木蛇落地悪谷」というそうで、これまた凄い地名だ。

地元の人が 昔は蛇が降りるような水害が多かったから 蛇落地(じゃらくじ)、悪い谷で 悪谷(あしだに) と伝えていた地名。
それが「八木上楽地芦谷(やぎじょうらくじあしや)」に変化し、現在の公式地名は「安佐南区八木3丁目」。
「浄楽寺」ができたのが130年前だそうですから、蛇落地から上楽地への変化は かなり古いことと推察。
「あしだに」も「悪」という字が嫌われて「芦谷」に変化。情報源

へび談義【追記あり】 はさておき、「悪」という字のつく地名の事例は 小字レベルまで含めると 100ヶ所以上になる[77020]「蛇地名」よりも ずっと少ないように思われます。

思いつくのは トカラ列島の「悪石島」と 赤石山脈の「悪沢岳」ぐらいです。なお、トカラ列島には「臥蛇島」もあります。
落書き帳を検索してみたら、[79669]油天神山さんの記事に
「アクト・アクツ」とは「悪戸」「阿久津」「圷」などと表記されることの多い、低湿地などを意味する地形名称
との記載がありました。
悪谷も、人にとって都合の悪い地形の仲間なのでしょう。

「悪」は含まれていませんでしたが、「負」のイメージを持つ漢字が使われている、地名を牛山牛太郎 さんが調べています。
[21611][21683]に加えて、KMKZさんが参加した追加版の「血」もあります。[25815][25819][25829]

参考までに、“漢字としての”ではありませんが、“言葉としての”マイナスイメージの地名について、hmtがリンクした記事集が[51911]にあります。修正版

【追記】
八木には大蛇退治を伝える碑があり、広島市HP内に 八木ルートが紹介されていることを夕刊で知りました。
今回の災害は、退治したと思って油断していた大蛇に逆襲された結果だったようです。

JCASTテレビウオッチには、100年以上起きなかった土砂災害より 頻発する川の氾濫を目が向いて、川を避けて山側に宅地開発を進めた結果 という趣旨の不動産業者の発言が記されていました。

[86316]ペーロケさんの発言で指摘されたハザードマップの整備や住民への周知対策は、まちの顔づくり事業 よりも 切実な課題であった ということのようです。

[86328] 2014 年 8 月 26 日 (火) 09:08:53 山野 さん
 古来の地名は「復活」した方が

(失われた伝承地名)
この間の豪雨で多数の犠牲者が出ている、広島市安佐南区八木地区の古来の地名が
「八木蛇落地悪谷」というそうで、これまた凄い地名だ。(今朝のフジTVでやっとった)
消されてしまって元々の地名が分からなくなっている場所が数多あるが、
「谷・沢・水・川、等」付く地名は昔水害があった事に由来すると何かで見た様な…。
そろそろ、消え失せた古来の地名を「復活」すべき時が来ているのではないか。

[86327] 2014 年 8 月 25 日 (月) 22:10:29 futsunoおじ さん
 真夏の夢

[86324] ペーロケ さん
予言とはただの願望であったということですね。

夏のKSE48戦は終わりました。北信越や東北勢の健闘はめざましいものでした。いつの日か真紅の大優勝旗が親不知の険を越えることを願っていますが、私の目が黒いのはあと5年か10年か?

さて[86285]に続く最終結果として 各地域の勝率をまとめてみました。おまけで[86318]に書きました新潟県及びこれと県境を接する5県(山形・福島・群馬・長野・富山)の勝率も出してみました。

勝率
北海道地方の代表校21233%
東北地方の代表校69660%
関東地方の代表校95936%
北信越地方の代表校513572%
東海地方の代表校47464%
近畿地方の代表校67558%
中国四国地方の代表校92918%
九州沖縄地方の代表校84833%
※ 新潟県とお隣の5県代表校615671%

[86326] 2014 年 8 月 25 日 (月) 13:19:36 いろずー さん
 お騒がせしました

本日、長期遠征1stが終わり帰ってくる事ができたいろずーです。

先日、美濃加茂市長逮捕の件で誤解を招いた投稿をし
グリグリさん他落書き帳メンバー一同にご迷惑かけてしまった事をお詫びいたします。
今日発表によりますと保釈され、「職に復帰します」とのコメント。

これで無事に市長に復帰するでしょう。
落書き帳内「若年で当選した首長の一覧」も変更ないみたいです。
しかし、条件があるようで…
保釈後も「海老和允(かずよし)副市長や一部の市幹部のほか、後援会関係者ら約30人との接触を禁止」
まだまだ課題は多いです。

29からまた姫路に行くので十番勝負の感想はまだまだ先になりそうです。

それでは、また。

[86325] 2014 年 8 月 24 日 (日) 13:09:40【1】 faith さん
 Re^2:意外な場所に意外な地銀が

[86322]白桃 さん
こちらこそ、貴重な資料のご紹介をありがとうございます。
大内銀行は三本松発祥の銀行だったのですね。
現在でもかなり残っていると感じる、三本松の志度に対するムラムラッとした対抗意識が町史からも読み取れます。(笑)
確かに、
三本松には明治十一年興民社が開設されて組合制金融が早くから商人金融の不備を補っていたので、銀行の出現が志度に先を譲ったのであろう。
など、読む方からは唐突に思えるぐらいに志度が意識されているようです。

大内銀行は、三本松が手袋経済時代もなお東讃地方の経済の中心地の位置を保持できたのは、この銀行が立地して歴史を作ったたまものである。
大内銀行が三本松の経済発展に果たした役割についても言及されていますね。
ところで、「手袋経済」(この言葉自体初めて目にしましたが)に、私も自動二輪用のグローブを東かがわ市所在のメーカーから何度か購入して貢献しております(笑)

本筋とはずれますが、それにしても、[86321]でもご紹介したてくてく近代建築に出ている東かがわ市内の旧支店、良い感じの建物です。

[86323] hmt さん
広島県に四国銀行【本店は高知市】の店があることも意外でしたが、その建物は予想外に立派なものでした。
広島市内に中四国に本拠を置く各行の支店があるのは分かりますが、確かに大竹は(失礼ながら)意外ですね。
四国銀行のあゆみにも
(昭和)5年 3月(株)高陽銀行を合併 (資本金1,229万5千円)
とあるだけでした。前身の大竹貯蓄銀行が高知に移転することになった経緯は調査できていません。
同行が、今日でも支店や出張所を大竹市に有するだけでなく、(広島銀行等をさしおいて)大竹市の指定金融機関に指定されているところ、大竹市にとっても「地元の銀行」という意識があるのでしょうね。

※誤字訂正 (1か所)

[86324] 2014 年 8 月 24 日 (日) 12:58:45【1】 ペーロケ さん
 真紅の優勝旗はどこを越える??

[86318]futsunoおじ さん
日本文理残念でした。三重高校、おめでとうございます。

しかし、私は過去に[31967]にて津軽海峡超えを予想して見事的中したことがありますが、[86310] でさらりと書いた「疋田超え」も十分にあり得ますね!!今年の真紅の優勝旗が超えるのは疋田なのか、鈴鹿峠なのか。それとも、猪名川??

(追加)惜しくも疋田超えならず。敦賀気比、見ごたえある試合をありがとう。お疲れ様です。

[86323] 2014 年 8 月 24 日 (日) 11:57:55 hmt さん
 Re:意外な場所に意外な地銀が

[86217] ぺとぺとさん
[86221] 白桃さん
[86321] faithさん
[86222] 白桃さん
大内銀行の本店は讃岐三白の一つである砂糖の積出港として栄えた三本松に設置され

ここで思い出したのが、40数年前に口座を開いていた四国銀行大竹支店です。
広島県に四国銀行【本店は高知市】の店があることも意外でしたが、その建物は予想外に立派なものでした。
尋ねてみると 大竹○○銀行の本店であったとのこと。○○の部分は記憶喪失。

落書き帳で紹介しようと四国銀行の沿革を調べましたが、Wikipediaには出ていません。証券投資用語辞典にもなし。
銀行図書館 により、明治30年〜大正7年に存在した「大竹貯蓄銀行」を確認することができました。
大正7年9月に本店が高知に移り高陽貯蓄銀行と改称。更に高陽銀行と改称後昭和5年に四国銀行に合併。
大竹が四国に直接統合されたのではないので、調べにくかったのでした。

四国銀行は大竹市での地位を確保しているようですが、どのような経済的背景が四国と大竹とを結びつけたのか?
hmtが最も知りたかった この点については、残念ながら調査の成果を得ることができませんでした。

とりあえず、岡山から香川県への進出の逆ケースとして、高知から広島県への進出もあった事例を報告しておきます。

[86322] 2014 年 8 月 24 日 (日) 08:58:52 白桃 さん
 大内銀行

[86321]faith さん
岡山に本店のある中国銀行が三本松に支店を開設したわけではなく、香川県の大内銀行によって開設された支店が、1931年の香川銀行の中国銀行による買収によって、中国銀行の支店となったという流れのようです。
貴重な情報、大変有難うございます。「大内銀行」のことは全く知りませんでした。
大内銀行についての詳しい資料はないものの、行名からは、現在の東かがわ市と重なる、旧大内郡に本拠があった可能性が高いです。
ただの御礼だけでは申し訳ないので、何か資料はないか、あ、そうだ!
さる御方から送っていただいた「大内町史」を見てみよう。ということで、以下は「大内町史上巻」からの抜粋です。
三本松は、早くに開けた港町であった。嘉永六年(1853)に刊行された『讃岐国名勝図会』に「豪商富賈工人漁家等数多あり」と記されているように、近世末期から糖業で大発展した港町であった。(649頁)
このように旺盛であった金融事業が基礎となって、明治十一年の興民社勧業部という糖業者の組合制金融が開始され、さらに進展して明治三十年十二月には、株式会社大内銀行が開行され、東讃地方の金融の中心地としての態勢を整えたのであった。(中略)以来三本松は、東讃地方の金融の中心としての位置を持続してきているのである。(650頁)
大川郡に出現した最初の銀行は、文政二年砂糖会所が置かれ、明治七年には志度村製糖場が置かれて糖業の中心地として糖業資本の蓄積が大きかった志度の、明治二十三年開行の「私立東讃銀行」(中略)であった。これに続いて「株式会社大内銀行」が明治三十年に当町三本松三〇五番地第三に開行した。三本松には明治十一年興民社が開設されて組合制金融が早くから商人金融の不備を補っていたので、銀行の出現が志度に先を譲ったのであろう。(662頁)
株式会社大内銀行定款(明治四十年七月二十八日改正)
第三条 当銀行ハ株式会社大内銀行ト称シ本店ヲ香川県大川郡三本松町参百五番地第参ニ支店ヲ同郡引田村参百九拾番戸・同郡津田町千百番戸ニ設置ス(663頁)
以上から、大内銀行の本店は讃岐三白の一つである砂糖の積出港として栄えた三本松に設置され、支店を引田村(後に引田町、現東かがわ市)と津田町(津田は旧寒川郡、現さぬき市)に置かれたことが判りました。
脱線しますが、現在でもかなり残っていると感じる、三本松の志度に対するムラムラッとした対抗意識が町史からも読み取れます。(笑)
さて町史によると、この大内銀行は大正15年(1926)に綾歌銀行と合併し香川銀行となり、その香川銀行は昭和6年(1931)に中国銀行に合併、と書かれていますが、三本松における大内銀行の歴史的意義?をクドイぐらい強調している部分を最後に引用いたします。
三本松が、糖業経済が過ぎ去った後々までも地方経済の中心地の位置を保持できたのは、興民社勧業部(組合制金融)のあとをうけて、大内銀行がこの地に開行したからである。大内銀行は、三本松が手袋経済時代もなお東讃地方の経済の中心地の位置を保持できたのは、この銀行が立地して歴史を作ったたまものである。(666〜667頁)

[86321] 2014 年 8 月 23 日 (土) 16:26:37【3】 faith さん
 中国銀行三本松支店

[86217] ぺとぺと さん
[86221] 白桃 さん

ご無沙汰しております。

三本松に中国銀行があるのは、平塚に静岡銀行やスルガ銀行や静岡中央銀行の支店があるのと同じような理由のように思いますが、実際のところどうなのでしょう。

平塚に各銀行の支店がある経緯について、横浜銀行の店舗の歴史(PDF)
には以下のようにあります。
平塚の特徴は、近隣地区に本店を置く銀行が多くの支店を設置した点にある。秦野銀行、国府津銀行(小田原実業銀行を経て明和銀行となる)が、それぞれ平塚支店を設置したほか、すでに藤沢・厚木に出店するなど、神奈川県内への進出に積極的だった駿河銀行(現・スルガ銀行)も、45 年に平塚支店を開設している。
なお、秦野、明和の両行は上記資料にもあるように、1941年に横浜興信銀行(現横浜銀行)に合流します。
要するにスルガ銀行の平塚支店はスルガ銀行自ら開設したようです。(他の静岡県の2行についてもそうだと思われますが、調査ができていません)

一方、岡山に本店のある中国銀行が三本松に支店を開設したわけではなく、香川県の大内銀行によって開設された支店が、1931年の香川銀行の中国銀行による買収によって、中国銀行の支店となったという流れのようです。(参考:てくてく近代建築)
注: ここに出てくる香川銀行は、現在の香川銀行とは無関係です。

さらに言いますと、大内銀行についての詳しい資料はないものの、行名からは、現在の東かがわ市と重なる、旧大内郡に本拠があった可能性が高いです。
とすれば、まさに現在の東かがわ市にあたる地域を地元とする銀行が、地元に支店を開いているだけ、ということになります。

以上、三本松の重要性についてとやかく申し上げるつもりはありませんが、ご参考まで。

その他参考
地方金融史研究会「日本地方金融史」,日本経済新聞社
銀行変遷史データベース

※誤字・脱字訂正:「岡山に支店のある」→「岡山に本店がある」「三本松支店を開設したわけではなく」→「三本松に支店を開設したわけではなく」
※※香川銀行について注を追加
※※※参考のリストの記法を改めた

[86320] 2014 年 8 月 23 日 (土) 16:06:09 k-ace さん
 聖光学院

[86319]白桃さん
一番感心するのが、聖光学院。右袖には「福島」、左袖には「伊達市」ですから、言うこと無し。
聖光学院高校の右袖「福島」左袖「伊達市」ユニフォームですが、甲子園出場選手用の特別ユニフォームです。県大会や地方大会では右袖にはなにもなく、左袖の「伊達市」の部分が「福島」になっております(甲子園のスタンドの選手はこちらでした)。

でベスト4に残っているのが、三重(三重)、日本文理(新潟)、大阪桐蔭(大阪)、敦賀気比(福井)。北信越2校、東海1校、近畿1校。東北は消えてしまいました。

[86319] 2014 年 8 月 22 日 (金) 17:38:27【1】 白桃 さん
 袖に書かれた文字

ここは高校野球専科ではないので、高校野球がらみの記事が続くのは良くないと思うのですが、根がスキだからもうチョっとだけ。

甲子園の熱戦を見ていると、ユニフォームの袖に書かれた県名とか市名に目がいってしまいます。以下は49代表校プラス・ワンのユニフォームの袖に書かれた文字です。
地区代表校文字---地区代表校文字
北北海道武修館釧路三重三重松阪
南北海道東海大四札幌滋賀近江HIKONE
青森八戸光星八戸京都龍谷大平安
岩手盛岡大付岩手大阪大阪桐蔭OSAKA
宮城利府宮城兵庫神戸国際付
秋田角館秋田奈良智弁学園奈良
山形山形中央YAMAGATA和歌山市和歌山WAKAYAMA
福島聖光学院福島/伊達市鳥取八頭鳥取
茨城藤代茨城島根開星島根
栃木作新学院岡山関西 OKAYAMA
群馬健大高崎群馬広島広陵広島
埼玉春日部共栄埼玉山口岩国
千葉東海大望洋市原徳島鳴門
東東京二松学舎付東京香川坂出商
西東京日大鶴丘東京愛媛小松愛媛
神奈川 東海大相模SAGAMI高知明徳義塾KOCHI
新潟日本文理NIIGATA福岡九州国際付福岡
富山富山商佐賀佐賀北
石川星稜長崎海星長崎
福井敦賀気比福井熊本城北山鹿/KUMAMOTO
山梨東海大甲府Kofu大分大分
長野佐久長聖長野宮崎日南学園宮崎
岐阜大垣日大鹿児島鹿屋中央鹿児島
静岡静岡沖縄沖縄尚学
愛知東邦番外三本松東かがわ
ブランクになっている所は校名あるいは校章のみですが、坂出商だけはブルーのラインのみ。あっさりしたものです。全国の誰もが坂出がどこにあるか知っている、と思っているのでしょうか(笑)。そんなことでもないのでしょうが、伝統校のユニフォームはあっさりしたものが多いように感じます。
さて、こう見ると、一番感心するのが、聖光学院。右袖には「福島」、左袖には「伊達市」ですから、言うこと無し。「都道府県市区町村落書き帳賞」でも差し上げたいです。あと、好ましいのは三重高校。ちゃんと「松阪」と所在市名を書いている。もっとも、「三重」だと、それが校名か県名か判らないからネ。市名を入れれば良い、というものでもありません。番外の高校、以前は「香川」と書いていたような記憶があるのですが、「東かがわ」じゃ、なんとなく弱そうな感じがしませんか?
最後に、県大会で、どう逆立ちしても甲子園には行けそうもない学校が袖に県名を入れているのを見て、皆様は滑稽だと思いますか、それとも微笑ましいと思いますか?

注:いかにヒマな私でも全試合見ているわけではありません。ユニフォームに書かれた文字は
高校野球マイナー情報局を参考にさせていただいております。

[86318] 2014 年 8 月 22 日 (金) 00:26:21 futsunoおじ さん
 高校野球、????の法則

高校野球も3回戦が終わり、自分の住んでいる県代表校が勝ち残っているのはうれしいものです。
北信越や東北勢の好調が話題になる今大会ですが、勝敗に関わる重大な法則(?)を見つけましたので書き込みます。

新潟県を取り囲む県は山形・福島・群馬・長野・富山の5県ですが、まず各県の代表校(6校)は1回戦は全校勝ちました。
次の2回戦は長野県代表校(相手は福島県代表校)が敗れましたが他は勝ちました。
3回戦は山形(相手は群馬)と富山(相手は新潟)が敗れましたが他は勝ち。

ということで3回戦までは、新潟・山形・福島・群馬・長野・富山の6県の代表校は他の41都道府県(43代表校)との対戦には全部勝っている。
この法則の完成形は決勝戦が 群馬−福島or新潟 の組み合わせになることですが、さてどうなるでしょう。

[86317] 2014 年 8 月 21 日 (木) 17:23:57【1】 伊豆之国 さん
 真夏の大和〜伊勢路・苦難の道中記

[86305]で約束した通り、今月13日より2泊3日の旅の道中記ですが、似たようなルートをたどった4年前([76074])とは違った形で、最後はある意味悲惨なことになってしまったのは[86305]の最後に書いた通り…。クイズも織り交ぜて。

今回の旅は、当初は月末あたりに行く予定で考えていたのですが、職場の都合もあり、直前になってお盆休みの真っ最中に行くことに。ホテルは幸いにもどちらもネットから予約できましたが、道中の交通手段は、4年前のそれや、2年前の九州大遠征([81852])のときのような高速バスの利用は、渋滞を考えればまず不可能。新幹線も馬○高い上に座席確保も難しく、かつて若かりし頃によくやったような「東海道線・鈍行乗り継ぎ」でのんびり行くことに。小田原までは小田急、ここだけはまずロマンスカーでゆったり。小田原から「本題」の乗り継ぎ道中が始まります。まず熱海で乗り換え。同じような人が多いと見え、この先、乗り継いで行く列車はどれも大混雑…。薄雲が広がり、富士山の間近に来てもその姿は見えず。列車の行き先は「越すに越されぬ」大河の手前ですが、後を追う乗り継ぎ電車の始発駅である、【A市】内のある駅で降りて乗り換え。そこからしばらくすると海側に私鉄の路線が寄り添い、やがてその市の中心を過ぎ、大河を渡ると茶畑が広がる風景。終点は、その県内で人口最大の【B市】のターミナル駅。乗り継ぎに余裕があったため、駅前をしばしぶらぶら、駅弁を買って始発電車に。今回の道中ではJRで初めて向かい合わせ座席の車両に当たり、湖を右手に見ながら弁当を頬張ることに。途中にある湖に近い駅(地名コレクションにあり)は、かつて湖水浴?客でごった返した思い出も今は昔、だだっ広いホームが栄枯盛衰を…。終点は、大手私鉄も乗り入れるターミナル駅。ここから終発の快速電車に乗って、最近まで夜行鈍行の行き先として知られた終点の【C市】に。またまた乗り換え、古戦場を過ぎ、駅名由来市名?のターミナルで、ここからはJR西日本に。快速電車は座席も転換式、乗り心地も快適。古参メンバーのお膝元【D市】の駅で降りて、少し前にTV番組でも紹介されていた、宿場町の面影を残す貴重な「本陣」を見学。裏道には「パロディー」のような「温泉(?)」も…。この地の名物スィーツは駅前のスーパーで。京都駅に着いたのは午後5時過ぎ。近鉄の特急で大和西大寺へ、ここで乗り換えて次の新大宮駅で降り、1日目の宿へ。4年前([76074])と同じホテル(こちら)で、この地域では珍しい温泉もあり([76211])、駅からの道順は、4年前を思い出しながらの足取りを…。一風呂浴び、夕食ではサービスでついてきたワインにほろ酔い。この時季、夜の奈良市街で「明かり」のイベント「燈花会(とうかえ)」が催されていることを知り、酔いを醒ますのを兼ねて、電車に1駅乗って近鉄奈良駅へ。猿沢池のほとりに並ぶ蝋燭の明かりと、背後の興福寺の五重塔のライトアップが池の水面に映え、幻想的な光景が印象的でした。
翌日は、朝から雨模様、近鉄奈良駅に着いた頃には本降りに。「時間はたっぷりあるから…」と、まずは「奈良町」散策から。4年前には東側が中心だったので、今回は西側を主に。いくつか「街角資料館」を見て回り、前回は塔跡だけを見てきた元興寺は、今度は極楽坊を見学。昼前に中心市街に戻り、昼食後は天気も回復。「せっかく奈良に来たからには…」と、観光客の雑踏と鹿の群れを掻き分け、大仏殿へ。中学の修学旅行や、それ以外でも二、三度見ているのですが、気がつけば、最後に見てからもう30年以上もご無沙汰。最初に行ったときに不思議だった、堂内の「柱の穴くぐり」には、餓鬼どもの大行列が…。それから東側へ。観光客もずっと少なくなり、以前「コレクション」に投稿した「猫段」([83670])では、2人連れが降りてきたのを見ただけ。三月堂、二月堂、手向山八幡の一帯は、奈良の風景の中でも私がお気に入りにしていた場所。二月堂の回廊からは、奈良の町並みが一望に…。
それから近鉄奈良駅方面へ戻ろうとしたのですが、「抜け道」を回ろうとしたのが、これがその後の迷走の元。暑さもあって感覚も鈍り、ふと気づいたらとんでもない迷い道に…。そこで、とりあえずJR奈良駅方面に目標を変え、佐保川沿いに進んで行くと、やがて「大佛線」の跡([82931],HP)を発見。そこから南へ歩き、バスに。前の晩に見た興福寺をチラッと見て、近鉄奈良駅に戻ったのは午後3時過ぎ。本当は1時間前のに乗るはずだったバスで、国宝の仏像や建物が多く残る古刹、浄瑠璃寺へ。途中、「大佛線」のルートとダブる箇所を通るのですが、沿道の宅地開発が進んで、面影はほとんど見られないようでした。浄瑠璃寺は、庭園が発掘調査とやらで工事中だったのが残念でしたが、訪れる人も少ない山里の古刹、雰囲気はじっくり味わえました。ところでこの寺院、観光案内の本では「奈良・大和路」の中で紹介されていることが多いのですが(以前は観光バスのコースにも入っていたのですが、現在は季節運転になってこの時期は運休…)、住所は「京都府木津川市」。前日に京都駅を乗換えで「接地」しただけなので、これで今年の京都府の経県値がやっと「●」になったのでした。奈良方面へのバスはもうなかったのですが、加茂駅までのコミュニティバスがあることを、降りたバス停で確認していたので、帰りに茶店でかき氷をいただき、小休憩。小ぶりなバスで、駅は立派なものの、駅前が殺風景な加茂駅へ。しかも奈良・JR難波方面への電車は出たすぐ後。20分あまり待ってようやく電車に。JRと近鉄の奈良駅は離れているのでバスに。JR奈良駅の旧駅舎は、すぐ隣に移築されて市の観光案内所として活用されていました。近鉄奈良から、大和八木で乗り換え。【E市】にある、大物メンバーの故郷と同名の駅を過ぎると、私が(他の有力メンバーも)4分の1だけその県の血を受け継ぎ、そしてとあるメンバーが異常な執着心を燃やしている、その県に入ります。他県の大都市の市名と同字異音の2文字が入る駅では、かつて近鉄の路線だった私鉄が分岐。ようやく、その日の宿がある【F市】の中心駅にたどり着いたのは、夜も8時を回っていました。それで、夕食は近くのラーメン屋で我慢。
名物グルメで名高い【F市】ですが、豪壮な大商人の屋敷や、国学の大家のゆかりの史跡が残る町としても知られています。ホテルが中心市街とは反対側にあるので、翌朝、近鉄とJRの踏切を越えて駅の正面へ向かったのですが、その途中で突然、左足に硬いボールが当たったような激痛が…。急に足取りが重くなり、それ以降は苦難の連続。とりあえず、タクシーで城跡に向かいましたが、その先は自分の足で歩くしかありません。痛む足を引きずりながらもこれらの史跡を見学。名物グルメは案の定、大混雑でパス。保存の利く加工品をお土産で買ってお茶を濁すことに。最後に見た商人屋敷から、タクシーを呼んで駅に戻り、特急で今回の旅の最終目的地、伊勢へ。お伊勢参りは17年ぶり、人生3度目。まず、宇治山田駅からバスで。外宮の前にできた「せんぐう館」を見た後、外宮を参拝、それからバスで内宮へ。宇治橋を渡り、境内へ。足は依然として重く、休憩を繰り返しながらでしたが、ここまで来たからにはもう引き返すことはできません。ようやく、式年遷宮を昨年に終えたばかりの真新しい正殿の前にたどり着いたのは、4時を回っていました。バス停に戻り、すぐ前のうどん屋へ。迷わず、伊勢うどんと【F市】名物の○○○丼のセットを注文、皮肉にもようやく今度の旅で味わいたかった名物にありつけたのでした。もはや足が言うことを聞かないため、「おかげ横丁」はチラッと見ただけ、宇治山田駅に戻り、駅の売店で○福を。近鉄の特急で名古屋へ。途中、県境に近い【G市】に差し掛かった辺りで海側を見ると花火が盛大に…。もう当初の予定より大幅遅れ、新幹線のお世話になるしかありません。乗り換え列車は余裕を持って選んだのですが、とにかく改札からホームの、そして指定席のある車両までの遠いこと…。新横浜で降り、横浜線に乗り換え、最後はタクシーでやっと我が家に戻れたのでした。

ここで、クイズをいくつか…。
1.【A市】〜【G市】はそれぞれ何市でしょうか?
2.「浄瑠璃寺」の山号「○○山」には、今回の道中で通過した市(【A市】〜【G市】を含む)の名が入ります。その市名は何でしょうか?(寺のHPを見ればすぐわかるはず)
3.【E市】にある、県境近くの駅名は何駅でしょうか?
4.【F市】の駅前にある、この市内で唯一の都市銀行は何銀行でしょうか。(ヒント:昔の「さくら」ではありません)

[86316] 2014 年 8 月 21 日 (木) 01:44:25【1】 ペーロケ さん
 広島の防災ハザードマップ

 時を追うごとに広島の深刻な被害状況が明らかになり、驚かされます。大雨警報が出たのは19日の21時ごろでしょうか。久しく台風の直撃がなく、豪雨被害も周辺各県に比べて少なかった等の理由からか、周辺に比べて「警報が出にくい」として有名だった広島県でしたが、その広島県だけに警報が出ていたということが珍しく、話題にしてた人までいました。そして、22時頃になると、市中心部が冠水し始めたと騒ぎ出し、安佐南区も雨が強まり始めました。4時頃までバケツをひっくり返したような豪雨、テレビやPCも停電のために使えず、防災無線も何も聞こえませんでした。雨も落ち着き、停電が復旧した後でテレビを見て、自分が住んでいる地域に避難指示が出たことを初めて知りました。8・06の岩国豪雨も同じような時間帯ではありましたが、避難指示が的確だったために最小限の被害で済んだと聞いていましたが、広島は警報だけではなく、避難指示もなかなか出にくい所なんですねぇ。

 で、報道されている事のうち、いくつか事実誤認があるようです。
報道では、「市はハザードマップを作成しており、危険箇所として指定していた」と報じられていますが、市のHPには、
土砂災害ハザードマップは、土砂災害防止法により土砂災害警戒区域等に指定され、市民の皆様と行政が協働で策定した避難マニュアルによる避難訓練を行った地区から順次、作成を行っております。
とあり、ハザードマップが完成した地区より公開されています。安佐南区の現状では安川流域より公開されていますが、実は甚大な被害があった八木地区、緑井地区、山本地区について、実はハザードマップは作成途中であり、「危険箇所として指定」どころか、ハザードマップすらまだ公開されていません。どこに逃げればいいか分からなかった人もいたのではないでしょうか?安佐北区では、可部地区はすでに公開されています。

 一方、県が作成した土砂災害ポータルひろしまでも、警戒区域図では、安川流域は記載があったものの、今回被害があった緑井、八木、山本地区がすっぽり抜けています。市のハザードマップを元に作成されているのでしょうか。また、危険箇所図にて辛うじて「土石流の被害が想定される地域」と記載はありますが、今回の災害はテレビで見る限り、この想定を上回る規模の土石流が発生したのではないかと思われます。

 もちろん調査が追いついていなかったという事情があるのでしょうが、それならそれで真実を報じるべきで、なんか行政の責任逃れ的な発表をそのまま鵜呑みにした報道に違和感を感じずにはおれません。

[86312]ピーくんさん
 ご無事でなにより。今回の災害、本当に広島市と廿日市市だけのようで、東広島や呉は雨すら降っていなかったようで、広島の方で雷がピカピカ光っているのが見えたとか。

[86315] 2014 年 8 月 20 日 (水) 22:57:26【1】 オーナー グリグリ
 出張

明日から来週に掛けてしばらく出張のためフォローできません。鵺さん、はじめまして。明日の準備もあり時間がないので、出張から帰宅後にじっくり対応しますので、申し訳ありませんがよろしくお願い致します。

星稜は残念でした。8回の同点本塁打が痛かった。ちょっと油断したかな。それにしても敦賀気比は凄い。3試合連続2桁得点。それにしても昨日から東北対北信越の構図が続きましたね。東北の2勝1敗。

hmtさん、86277の記事は削除しました。

[86314] 2014 年 8 月 20 日 (水) 21:28:38 鵺 さん
 初めまして

初めまして。神奈川県在住の鵺と申します。
いつも楽しく拝見しております。

こちらの「経県値」を利用させて頂いているのですが、都道府県ではなく令制国毎の経験値(経国値)を図示したらどうなるのか気になって、令制国版を作ってみました。
http://nue2004.info/provinces/
元々自分用に作ったものですが、差し支え無ければ拙サイトで公開したいと思っております。よろしいでしょうか?


「北陸」の件、拝読しました。上の令制国版を作っているときにも思ったのですが、「中部地方」は扱いが難しいですね。「甲信越」という括りがありますが、すると残りは北陸と東海で良いのか? 静岡は東海なのか? 三重はどうするのか? など、考え始めると訳がわからなくなってしまいます。中部地方在住の方が「中部地方」という括りについてどう考えていらっしゃるのか、気になります。

[86313] 2014 年 8 月 20 日 (水) 19:37:40【1】 白桃 さん
 ついに新宮市が

本題に入る前に御礼を
[86308]EMM さん
金沢生まれ金沢育ち、新潟にも在住経験があり、現在福島長期滞在中の私めをお呼びのことと存じます。
お察しの通り、EMMさんのご登壇を期待してました。^j^)~~
地域区分としての「北陸」についてのご見解、じっくり読ませていただきました。
地理に親しんでいる人たちなら(程度の差こそあれ)誰でも「地域区分」に関心を持っていると思うのですが、気をつけたいのは、テーマによってそれぞれの地域区分があるということです。
EMMさんも触れられておりますが、気象区分と例えば方言による地域区分、これが同一のものであったら地域に対する認識を混乱させる、いや誤認を助長することになります。
マスコミ関係が、地域区分を自己に都合よく、しかも勝手に使っていることが多いと感じるのは私だけでしょうか。
少し脱線しましたが、EMMさんが仰っていることはご尤もです。ただ、ひとつ弁解を。
北陸に会津をいれているのは「やりすぎ」。
私が遊びで行っている人口の地域区分は、人口推移パターンによる区分でして、それ以外のなにものでもありません。会津若松の人口推移が郡山や福島よりは、長岡、福井の人口推移パターンに似ているから同一グループにしているのですが、仰るように「北陸」というククリ、名称はまずかったですかね。

いつものように本題を簡単に・・・
和歌山県新宮市の8月1日現在推計人口がついに3万人を割り込みました。
市制施行の古い市で3万人未満の市は
最初に市になった年月日
いちき串木野1950.10.1
水俣1949.4.1
美唄1950.4.1
留萌1947.10.1
枕崎1949.9.1
夕張1943.4.1
でしたが、これに加わることとなった新宮の市制施行日はなんと、1933年10月1日なのです。
これは、川口市よりは若干遅いものの、浦和や市川より早いのです。こんな由緒ある市が3万人を割り込んでしまう・・・非常に寂しいです。

[86312] 2014 年 8 月 20 日 (水) 17:33:19 ピーくん さん
 お見舞い

[86310]ペーロケさん
八本松は、幸いなことに雨降りませんでした。頑丈な建物に住んでいないのでいつ災害に遭うかわかりません。今回の集中豪雨で亡くなられた方にお悔やみ申し上げるとともに被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。集中豪雨が短時間、深夜早朝時間ゆえ避難も難しかったと思います。

三重高校46年ぶりのベスト8おめでとうございます。次勝てば夏は初めてのベスト4以上ですね。第51回大会で三重-広陵対戦していて8−7で広陵勝っていたのですね。

東出先輩もうひと花咲かせてください。
星稜は惜敗でした。胸をはって石川に帰ってください。
九州勢はふるいませんでした。沖縄地方のみ残りました。

[86311] 2014 年 8 月 20 日 (水) 16:09:40【1】 hmt さん
 海と島 (19)日本の島の面積・人口集計表【修正版】
hmt 日本の 海と島

少し前に 508島を選んだ 「島list500」 の面積・人口集計表 を発表しましたが、一部のデータに誤記を発見しました。
大きな表ですが、全体をこの修正版に差し替え、誤記を含む旧版記事[86277]は削除したいと思います。

【まえがき】
[86275]に記した趣旨で選定した 「島list500」 の集計表を、5大島・離島(47都道府県別)・北方領土の 順に示します。
項目は 面積(km2)・人口【原則:2010年国勢調査】のそれぞれにつき、各都道府県の総計値、収録島数、収録島についての合計値、収録した主な島が県全体の中で占める %です。
県面積は 人口に合わせて 平成22年面積調 の値を使いましたが、個別の島面積は H25年の値 であり、この点は不統一でした。
なお、北方領土総面積は 面積調で発見することができず、国土交通省データ を用いました。その面積は 付属島を含む区分値で集計されており、面積調における個別の島面積と少し違います。

【5大島】 本島人口は、便宜上 総人口から 島list500で収録した離島の人口を差し引いて求めた。
5大島(県)県総面積本島数本島面積対県面積%県総人口本島数本島人口対県人口%
北海道(01)78420.73177984.2799.44%55064191549401899.77%
本州(02-35)231219.111227972.1998.60%103976868110346162199.50%
四国(36-39)18806.54118300.7797.31%39772821389214097.86%
九州(40-46)42191.43136750.2787.10%1320396511268044596.04%
沖縄島(47)2276.1511207.9953.07%13928181125852390.36%
合計(01-47)372913.965362215.4997.13128057352512678674799.01%

【離島(北方領土を除く) 47都道府県別】 (石島/井島は岡山県と香川県とに分離)
北海道・東北総面積島数島面積対県面積%総人口有人島数島人口対県人口%
01北海道78420.7314447.900.57%55064197124010.23%
02青森県9644.54000%1373339000%
03岩手県15278.89000%1330147000%
04宮城県7285.761142.220.58%23481651157660.24%
05秋田県11636.25000%1085997000%
06山形県9323.4612.750.03%116892412280.02%
07福島県13782.76000%2029064000%
(01-07小計)145372.3926492.870.34%1484205519183060.12%

関東地方総面積島数島面積対県面積%総人口有人島数島人口対県人口%
08茨城県6095.72000%2969770000%
09栃木県6408.28000%2007683000%
10群馬県6362.33000%2008068000%
11埼玉県3798.13000%7194556000%
12千葉県5156.7010.030.00%621628910.00%
13東京都2187.5025398.7118.23%1315938813278150.21%
14神奈川県2415.8621.370.06%904833129310.01%
(08-14小計)32424.5228400.111.23%4260408516287460.07%

中部地方総面積島数島面積対県面積%総人口有人島数島人口対県人口%
15新潟県12583.812864.316.87%23744502630932.66%
16富山県4247.61000%1093247000%
17石川県4185.66247.241.13%1169788230860.26%
18福井県4189.83000%806314000%
19山梨県4465.37000%863075000%
20長野県13562.23000%2152449000%
21岐阜県10621.17000%2080773000%
22静岡県7780.4210.440.01%376500713160.01%
23愛知県5165.0449.310.18%7410719440860.06%
24三重県5777.27814.600.25%1854724844800.24%
(15-24小計)72578.4117935.91.29%2357054617750610.32%

近畿地方総面積島数島面積対県面積%総人口有人島数島人口対県人口%
25滋賀県4017.3611.520.04%141077713430.02%
26京都府4613.21000%2636092000%
27大阪府1898.47110.550.56%8865245110.00%
28兵庫県8396.139630.557.51%558813381827663.27%
29奈良県3691.09000%1400728000%
30和歌山県4726.29412.340.26%1002198211610.12%
(25-30小計)27342.5515654.962.40%20903173121842710.88%

中国地方総面積島数島面積対県面積%総人口有人島数島人口対県人口%備考
31鳥取県3507.28000%588667000%
32島根県6707.958349.635.21%7173976257603.59%
33岡山県7113.211937.60.53%19452761944150.23%石島は部分
34広島県8479.5835430.465.08%2860750341305054.56%
35山口県6113.9532263.074.30%145133832605844.17%
(31-35小計)31921.97941080.763.39%7563428912212642.93%

四国地方総面積島数島面積対県面積%総人口有人島数島人口対県人口%備考
36徳島県4146.67821.210.51%785491583371.06%
37香川県1876.5328219.8611.72%99584227382573.84%井島は部分
38愛媛県5678.1840230.014.05%143149337371962.60%
39高知県7105.16613.20.19%764456613520.18%
(36-39小計)18806.5482484.282.58%397728275851422.14%

九州・沖縄地方総面積島数島面積対県面積%総人口有人島数島人口対県人口%
40福岡県4977.241127.430.55%50719681047940.09%
41佐賀県2439.65913.680.56%849788824930.29%
42長崎県4105.33861835.8344.72%14267797619467113.64%
43熊本県7404.7321876.5411.84%1817426201286607.08%
44大分県6339.71917.670.28%1196529943160.36%
45宮崎県7735.9945.200.07%1135233410570.09%
46鹿児島県9188.78372675.0729.11%17062423218752910.99%
47沖縄県2276.15551054.4746.33%1392818491342959.64%
(40-47小計)44467.582326505.8914.63%145967832086578154.51%

離島合計(離島合計数は石島/井島の重複調整のため 小計の和より1つ少くなる)
離島合計総面積島数島面積対総面積%総人口有人島数島人口対県人口%
離島合計372913.9649310554.772.83%12805735243612706050.99%
参考:【3地域の離島集計値】(石島/井島は本州と四国に分離)
3地域離島県面積島数島面積対県面積%県人口有人島数島人口対県人口%
本州地域231219.111663116.701.35%1039768681465152470.50%
四国地域18806.5482484.282.58%397728275851422.14%
九州地域42191.431775451.4212.92%132039651595235203.96%

【北方領土】
北方領土総面積島数島面積対総面積%
北方領土5036.14105032.1999.92%

【日本全土】 北方領土は総面積と収録島面積に算入するが、有人島数及び人口には不算入扱いとする。
区分総面積収録島数収録島面積対総面積%総人口有人島数有人島人口対総人口%
47都道府県372913.96498372770.2699.96%128057352441128057352100%
北方領土5036.14105032.1999.92%
収録した島の合計377950.10508377802.4599.96%128057352441128057352100%
収録外の無人小島多数147.650.04%
(収録島面積合計/総面積)=99.96% が [86275]で記した“「島list500」は…面積でも国土の 99.9%以上をカバーする”の根拠です。

グリグリさん これでよろしければ、[86277]の削除をお願いします。

[86310] 2014 年 8 月 20 日 (水) 04:46:16【2】 ペーロケ さん
 信濃は何地方?

 広島市内は昨晩からの集中豪雨が降り続いています。リアルタイムでは本通りや広島駅で冠水しているとのこと。私の家は停電を繰り返していますが、さきほど復旧しました。しかし、依然として雷が酷くて眠れません。

 さて、甲子園では北信越勢の活躍が伝えられていますが、「信」である信濃は新潟以上に中途半端な所ですね。金沢目線でも、長野は新潟以上に仲間?という感覚が希薄なのでは??長野県は、関東地方整備局の管内だったり、名古屋と同じ区分に入れられたりと様々。いっそのこと、「信」と「越」のみ独立地方と言った方がスッキリするのでは?なんて言ったら元も子もありませんがw

 東北勢も大躍進が伝えられますが、よく「悲願の白河超え」なんて事をよく聞きます。しかし、「栃の木峠越え」(敦賀気比だったら疋田超えですかね?)という声はあんまり聞きません。北陸地方も悲願なのは一緒でしょうが、過去に松商学園(長野)の優勝経験があるだけに、「北信越にはもう優勝旗行ってるでしょ?」ということで、あまり悲願とは言いづらいんでしょうか。

 今はなくなりましたが、初戦は東西で対決があった時代、富山は東で石川は西と、北陸地方の中心で見事に分断されていましたね。[20398]-8。どうしても数合わせという事情があったにせよ、大人の事情で区分が翻弄された地方なんだなぁと改めて感じます。

 しかしまあ中国地方は、去年は全敗、今年も八頭の1勝のみ。四国も明徳負けて早々に全滅です。


(追加)安佐南区にある我が家は無事でしたが、安佐南区の他地域は被害が出たようで。。。[86290]ピーくんさんは無事でしょうか?

[86309] 2014 年 8 月 19 日 (火) 23:05:17【3】 デスクトップ鉄 さん
 十番勝負難易度分析:ヒントの効果

[86302] オーナー グリグリさん
今回の偏差値は48.9ということで、平均を下回っています。狙い通り、問題そのものの難易度は高くても、ヒントの早出しによって難易度を下げることができました。
検証してみました。第1ヒント呈示時間と、平均銅メダル獲得時間、最初の十問完答時間、ヒント呈示後のメダル数を回ごとに比較すると、次のとおりです。
ヒント呈示銅メダル十問完答
108 14:39.0701 06:09:3501 14:04:440 00
209 17:47.3901 15:45:0804 16:20:310 00
305 12:25.3202 02:21:4805 14:32:530 01
404 15:39.4800 22:47:2401 09:53:220 00
505 16:42.4602 13:01:4903 23:13:150 00
603 04:13.5701 02:31:2402 03:31:560 00
704 00:22.2900 20:04:4403 18:25:240 00
804 01:54.0800 08:14:3001 10:35:470 00
907 03:52.0002 16:30:1808 20:25:480 11
1006 20:36.2902 18:41:5106 16:45:510 12
1112 00:35.4703 05:34:5411 01:33:420 12
1208 15:06.4701 07:09:5604 18:13:360 00
1305 01:03.1000 15:24:1701 18:53:170 00
1405 11:59.1202 11:55:0207 03:11:030 12
1506 11:17.1300 05:27:1001 15:03:220 00
1604 08:22.3800 22:24:1901 10:42:050 00
1706 12:06.3000 12:53:0202 04:45:280 00
1808 12:35.4701 01:28:1901 16:57:230 01
1905 15:44.5700 09:07:4601 05:32:490 00
2006 11:05.5300 15:21:3201 01:06:390 00
2106 21:33.5200 07:08:4101 17:07:100 00
2206 16:01.2300 12:33:4203 04:48:050 00
2307 10:42.4101 17:40:0403 23:35:260 02
2403 12:03.2200 13:21:5102 20:55:120 01
2502 12:44.3500 04:53:1701 00:32:330 00
2607 21:00.3601 09:43:0702 22:07:590 00
2707 01:00.0200 06:16:5700 17:57:590 00
2806 23:59.5901 00:57:4003 05:35:360 01
2908 10:00.1501 02:54:1003 06:16:210 00
3007 19:00.4600 04:59:3400 19:20:150 00
3106 12:00.1501 08:54:4001 17:45:270 11
3205 23:00.0700 05:14:5801 23:48:380 00
3306 18:54.4800 19:20:4501 23:16:070 00
3409 02:53.1201 10:31:4400 22:51:010 00
3507 00:00.3800 05:57:0401 00:22:380 00
3607 13:15.4200 22:56:4002 08:39:500 00
3706 21:00.0401 05:31:1406 21:52:020 11
3809 23:17.2905 11:56:2611 02:42:521 13
3903 00:03.4701 08:42:4803 02:56:352 22
ヒント呈示時間と銅メダル獲得時間、十問完答時間との相関係数はそれぞれ、0.435、0.488で高くありません(銅メダル獲得時間と十問完答時間との相関係数は0.864)。解答が出尽くした後ヒントが提示されることがほとんどだったためでしょう。十問完答者が出る前にヒントが出たのは、第3、9、14回と第37-39回の6回にすぎません。

今回のヒント呈示は第25回に続き2番目に早く、問九、問十のメダルはすべてヒント呈示後のものです。最難解だった前回のヒント呈示は第11回に続き2番目に遅く、ヒント呈示後に5個のメダルが出ました。もし今回のようにヒント呈示が早かったら、銅メダル獲得時間も完答所要時間もここまで遅くならなかったでしょう。

このように十番勝負の難易度は、さまざまな要素からなりたっています。過去問の学習効果もその一つですが、今回の問六と同じ問題の第27回の問十を比較すると
問題想定解数共通項所要時間同偏差値誤答率同偏差値総合偏差値
27-1042平成の大合併で複数回合併を行った市0 00:02:2344.05.1%42.343.2
39-0646平成の大合併以降複数回合併した市0 00:21.5344.16.3%43.243.7
と、若干難易度が上がりました。回ごとに参加者も変わり、同じ参加者でも解答環境が変化しています。第27回当時(2010年4月)の方が平成の大合併の記憶が新しかったということもあるかもしれません。というわけで、十番勝負の難易度分析は同じ回の十問間の分析にとどめておくのが適当なのかもしれません。

# 十問完答時間のデータに誤りがあり、[87179] グリグリさんの許可を得て、訂正しました。(2015/01/20)

[86308] 2014 年 8 月 19 日 (火) 22:04:56【3】 EMM さん
 東海道という地方区分と対比するのなら許す

[86307] 白桃さん
ご当地出身の方々のご見解を伺えれば幸いです。
金沢生まれ金沢育ち、新潟にも在住経験があり、現在福島長期滞在中の私めをお呼びのことと存じます。
甲子園で東北・北信越の高校が好調な状況については、「たまにゃこういう年もあってもいいやろいね」っちゅうことですわ。
その「たま」が今まで無かったと言うことなんですが、今後は「しょっちゅう」になって欲しいな、と思うものです。
(正直言うと、大阪桐蔭がまだ残っているのが不気味)

そして地域区分の話し。
新潟については、金沢視線で見ると「北陸に入れる場合も、入れない場合もある」。
入れない場合がある理由としては「石川富山福井三県と新潟県一県で面積・人口がほぼどっこい」であること、「親不知が未だにいろいろな障壁として機能している」こと、「石川富山福井三県は関西・中京方面とのつながりがある程度あるが、新潟県はかなり希薄である」こと、「石川と新潟ぐらい離れていると、同じ時間軸における気象状況ががらっと違うことが多い」ことなどを挙げたいですね。
特に一番最後のは実害が出る場合がある。
たとえば、新潟で大雪になっていて、石川富山福井ではたいしたことない…と言う状況は多々あるのですが、北陸4県の気象観測の元締めは新潟管区気象台なので、ニュースでは「北陸地方で大雪」と言われる。
そうすると、関西にいる親族から「そちらの雪は大丈夫ですか?」と電話がかかってくるんですね。
これは身内の笑い話ですが、これが積もり積もると時に風評被害を伴う場合があるのです。
こういったことから、石川富山福井三県と新潟県を別の区域として見た方が、いろいろと都合がよい。
それに、4県を一区域とした場合、東西に長すぎると思うんですよ。
たとえば、金沢市役所と新潟市役所間の距離は浦安市役所〜豊田市役所間とだいたい同じぐらい。
海岸線ベースで新潟県の一番東と福井県の一番西を直線で結ぶと、浦安市役所〜南あわじ市役所とだいたい同じぐらい。
浦安と豊田、浦安と南あわじを1つの地方として扱いますか?と言うようなことを思うんですよ。
正直なところ、旧来の「東海道」を1つの地域区分として扱うのであれば、北陸四県を1つの区分として扱うのをゆるす、そういう思いがあります。
実際住んでいると金沢から新潟って遠いんで、一帯の地域区分という感覚を持ちにくいのです。
親不知から向こうは遠〜くの地方、そんな感じ。
金沢目線で、と断り書きを入れましたが、新潟に住んでいた頃の実体験として、新潟に住んでいる人で「新潟を北陸だと思っていない」「金沢は別の地方と思っている」人がかなりいる、と言うことも合わせて申し述べます。

ついでに言うと、北陸に会津をいれているのは「やりすぎ」。
もし明日出張先に出勤して「会津って北陸ですかね?」なんて聴こうものなら、おそらく「こいつとうとう暑さでおかしくなったか」と思われ、こんなようなことを言われるのがオチです。
確かに、国土交通省の地域区分では会津地方、と言うよりも阿賀野川水系は北陸地方整備局の管轄ですが、これはあくまで河川管理上の区分です。
また、阿賀川〜阿賀野川や会津街道で交通上の繋がりもありますが、会津からみて越後はあくまで交流先であり、地域的な一体感は希薄だと感じます。
職場には会津出身の方も多数いますが、それらの皆さんからは「京と奥州を結ぶ街道の本来のルートは白河から会津若松を通って北へ向かっていた(故に福島県の本来の中心地は会津である)」と言う話を何度も聞かされています。
歴史的な交通上の繋がりも東山道方向の方が強固であり、今でもそういう感覚が残っている、と言うことらしいのです。
正直なところ、北陸四県と会津を一体の区分としてみるというのは石川の人間の感覚としても奇矯に感じますし、会津の方にとっても同様と思います。
極端な言い方をすれば、香川県を関東や東海地方の一部に入れているのと変わらないような感じがします。
新たな地域区分として設定するのと言うのであればそれはありかなと思いますが、その場合は北陸など歴史上使用されてきた名称では無い、新たな地域区分名を創造すべきだろう、と石川新潟福島に縁があるものとしては思うものです。

(追記)
正直なところ、ここで書いている感覚は、金沢・新潟・福島でそれぞれ2〜3ヶ月過ごしていただいて、地元の方とふれあっていただかないと理解していただけないのかなぁ…という風にも思ったりします。

※接頭辞がくどい部分を修正

[86307] 2014 年 8 月 19 日 (火) 07:34:35 白桃 さん
 北陸は三県か四県か?

今夏の北信越勢、本当に凄いですね。
それを記念に書き込みます。(ず〜と昔、出た話題とは思いますが・・・)
ご当地出身の方々のご見解を伺えれば幸いです。

高校野球では、長野県を加えた「北信越」という“括り”が用いられていますが、世間一般で良く言われる「北陸(地方)」となると、「信」の長野県がはずれます。問題は「越」の新潟県を入れるかどうかです。ここで、脱線。

脱線1.富山県→「越中」、福井県(一部)→「越前」なのに、なぜ新潟県の一部にすぎない「越後」をもって「越」を代表するのか?
脱線2.北陸と似た「北越」は、越中を含めるが、特には越後を指している言葉らしい。なるほど、北越急行も新潟県内だけであり、北越銀行の本店は長岡市にあります。

元に戻って・・・
本落書き帳で検索すると、北陸四(4)県より、北陸三(3)県のほうが多くヒットします。むろん、新潟県を含めるかどうかで言い方が変わっているのですが、新潟県は入れるとその存在感が強すぎ、入れないとなるとこれまたオカシイので、金沢あたりの人が別格扱いにしているのか???
微妙なのが、福井県の若狭地方。福井県は若狭を含め一般的には北陸地方なんでしょうけど、特に若狭なんかは近畿地方と言っても差し支えないように思います。
こうなると、“北陸の中の北陸”というと、石川県と富山県、となるのでしょうか???
そいでもって、“北陸の中の北陸の中の心臓部”・・・イメージ的には能登、ってこと???

脱線3.
私の「地域別人口ランキング」で「北陸」とは
福島県会津地方、新潟県(佐渡・越後)、富山県(越中)、石川県(能登、加賀)、福井県(越前・若狭)及び岐阜県飛騨地方、となっております。
付録1.
北陸地方のうた:
雪椿、佐渡おけさ、会津磐梯山、奥飛騨慕情、能登半島、加賀の女、こきりこ、越中おわら節、
福井が見当たらないので、21世紀枠特別参加曲
「君に会いたい」(ザ・ジャガーズ)・・・若狭ゆえ苦しみ 若狭ゆえ悩み
「ふりむけば日本海」(五木ひろし)・・・福井県美浜町出身?歌自体は良く知りません。

[86306] 2014 年 8 月 19 日 (火) 01:58:09 MasAka さん
 第三十九回十番勝負・感想

インドは8月15日が独立記念日、16・17日が土日でさらに18日がジャンマシュタミという祝日だったため4連休でした。独立記念日は日付固定で振替休日なし、ジャンマシュタミは太陰暦ベースで祝うため毎年日付が変わることから、インドで日本のお盆のように8月に連続して休むことになるのは珍しいと言えます(もっともお盆は祝日ではないため、多くの日本国民が一斉に休暇を取っているだけですが)。

それはさておき、忘れないうちに十番勝負の感想を。このところ参加する余裕がなく、ずっとROM状態でしたが、今回は2度目の長期海外出張中で、最初の渡航時よりも精神的に多少余裕があったことと、時間的にも日本にいる時よりは仕事の量が少ないため、約2年ぶりの参戦が可能となりました。

まずは入門コースから参戦し、その後一般コースで売り切れ間際の一発解答を狙ったのですが、あえなく撃沈しました。問二はまだ想定解が残っていた状況ですが、その後バタバタしているうちに問三が売り切れてしまったので、これ以上挑戦するのはやめました。やはり一般コース参戦にあたり、2年のブランクは長かったようです。

問A・問一 野々市市・つくば市
最初に入門コースから解いたのですが、その時一般コースと想定解数が同じということにはまだ気づかず。ただ、お題の市と解答状況を見て第二十九回の問四と共通項が同じだということはわかったので、これ以降に新たに想定解に加わった野々市市を解答。一般コースは居住経験のあるつくば市がまだ残っていたので迷わずそれをチョイスしました。

問B つくばみらい市
お題の市と金・銀メダルの市の地図の周囲を眺めると平仮名の市が目立つのでたぶんそうなんだろうな、と。解答は、お題の市のつくば市と、第一ヒントの「平」から、つくば…平…つくばエクスプレスみらい平…つくばみらい市が連想されてしまったのでこうなりました。たまたま共通項に合致していたのはラッキーです。

問C 唐津市
第二十二回問一と同じということがひらめいたので、前回解答をためらった唐津市で解答。ちょうど前回の出題では開催当日に鷹島肥前大橋(共通項発表記事[86245]に解説あり)が開通して想定解入りしたという市です(当時、グリグリさんはこれに気付いていなかった[69907])。

問D 西宮市
想定解数が多すぎるので、逆に意外と悩んだ問題でした。わかってしまえば何てことはないのですが。想定解数が多い割には面白そうな隣接市がなかったので、時期的に今後テレビに映る時間が最も長くなるであろう西宮市(甲子園球場所在地)を解答。

問E 魚沼市
共通項は比較的早くわかったので、どの市で答えようか考えましたが、県外かつそれぞれ異なる県にある村と隣接する魚沼市にしました。結果、金メダル獲得。

問F 飯山市
入門コースの中でかなり解答ペースが速く、お題の市と解答市が北に寄っているのでこれも早くわかった問題。「北」つながりで「北」陸新幹線の駅が設置される飯山市を解答。

問G 対馬市
入門コースの中では難しい部類の問題でした。第三十三回問七の類題ではあったのですが……。前回は東側の釧路市で答えたので、今度は西側の市で答えておこうということで対馬市に。

問H 高山市
第一ヒントが出てようやくわかった問題。無難なところで一番広い市を答えておきました。一昨年の第9回公式オフ会の後に立ち寄った市でもあります。

問J 三郷市
[86013]倉田昆布さん、[86026]鳴子こけしさん、[86027]いたがさきさんの「ミヨシ市」3連続コンボ解答が美しいと思いましたので、私の出身地埼玉県で「ミ」から始まる三郷市を解答。ところで、埼玉県人で「みさと」と言うと三郷と美里、どっちを思い浮かべる人が多いんでしょうかね。

問K 南アルプス市
誤答連発で始まっていましたが、これで逆に共通項が明確になったのでわかりやすくなりました。なるべく東か南のつく市で答えたいと思ったので、中央リニア新幹線の着工が近いと言われていることから南アルプス市を解答。

問四 大館市
これはヒントそのままから。第5回公式オフ会の前に立ち寄った市で解答。

問五 小千谷市
足し算するのが面倒だったため、単独で条件を満たす十日町市に隣接する市で解答することに。第二ヒントに「千万は除外」とあったので、除外されてしまった小千谷市をチョイス。

問六 一関市
これは北の方から共通項に合う平成の大合併で複数合併した市を単純に調べていきました。

問七 東近江市
これも問六同様。はて、そういえば東近江市を選んだ理由はなんでしたっけ……?

問八 松本市
共通項はヒントそのままからわかっていましたが、比較できる資料を探すのが面倒だったので思いついた市を決め打ちして調べることに。しかし、簡単に思いつく市は大体すでに解答済。そんな中、そういえば母の出身地である松本市も合併でかなり大きくなったはず、と思って調べてみたらドンピシャでした。

問九 柏崎市
共通項はわかっても残りの想定解を探すのが非常にきつい問題でした。北から順番に探していって辿り着いたのがこの柏崎市。偶然ですが、柏崎市は父の出身地であるため、自分にとっては問八と対になる市の解答となりました。ちなみに残った解は葛城市と新見市だったということで、実は南から探した方が早かったという説が。

問十 蕨市
残り想定解も1桁になったことだし、これはもう人口密度最大のこの市しかないだろうということでこの市を解答。

今回は慣れない海外生活の中、久々の参戦ということで勘が結構鈍っていることを実感しました。次回はやはり日本国内で落ち着いて考えながら解いていきたいと思いますが、日本に帰ったら帰ったで時間がなかなか取れないんですよね……。

[86305] 2014 年 8 月 18 日 (月) 22:46:49 伊豆之国 さん
 第39回十番勝負を振り返って(番外編)〜富士は日本一の山〜

[86298]で書き込んだ通り、前回(第38回)と同様に「気分転換」も兼ねて「入門コース」にもいくつか。こちらの感想文は先の「七番勝負」スタイルで。

問A〜花の武蔵野扇に描けば〜
一般コースの問一と全く同じと気づく。お題の市の選び方で難易度に差が出たというわけか…。「意外性」がありそうな三笠市と美祢市の代わりに、例えば国分寺市とか守口市をお題に入れれば更にやさしくなったかも。問一の銅メダルが出ていた地元の市に。実は周りを市に囲まれていることを失念していた。

問B〜遥かなるアラモ〜
オールひらがな市に隣接。以前、一般コースに出ていた同類問題で「銀」を取った、祖母の故郷の埼玉県最古参の市がお題に出ていたので、今回は茨城県から。

問C〜煙を水に横たえて渡る浜名の橋の上〜
こちらも過去問。そのときに答えた、もしかしたらこの地を代表するご当地グルメが味わえなくなるかもしれない、楽器作りでも名高い、ルーツの県で最も人口が多い市を再び。

問D〜逢いたい気持ちがままならぬ〜
自分の県、隣の県を問わず「県庁所在地に隣接」とわかる。運河で名高い北国の市。

問E〜頭を雲の上に出し〜
これまた過去問。「複数の村に隣接」は早々と気づいていた。「高嶺の花」だと思っていたメダルを初めて取った、記念すべき市がまだ残っていた。

問F〜目には青葉山ほととぎす初鰹〜
お題の宗像市から、「市役所の位置」でなく「市域が最北」とわかる。これも問Eと同じ県から。

問G〜秋の夕日に照る山もみじ〜
過去に類題も、線引きが2倍に。これまた以前に答えた世界遺産の島がある市は、文句なく条件を満たしていた。

問J〜三は佐倉の惣五郎〜
やっぱり過去問と同類の、同音異字の問題。オーナーさんのお膝元を初めて解答。

…問Hと問Kも、もちろん共通項はとっくにわかっていましたが、[86130]に書いた通り、その時点で想定解の残りが1桁になっていたため、これから参加したいという人に迷惑をかけたくないということで、辞退することにしました。今回の「入門コース」は、「コース分け」がなかった頃に出たものと同じか類題が多く、侮れないものが多くなった感じがはっきり読み取れました。

♭それぞれの問の選曲は次の通り。
問A:「町田音頭」の歌い出し([68731])。
問B:「取手」と「砦」の引っ掛けで、西部劇の名作より。
問C:汽車が浜名湖を渡る情景を歌った、鉄道唱歌(東海道編)28番より。
問D:ある年代より上ならすぐ浮かんでくるでしょうが…。
問E:これはすぐお分かりでしょう。
問F:もうとっくに季節は過ぎましたが、よく知られたこの句の作者、山口素堂は北杜市(旧白州町)にゆかりの人。
問G:こちらはまだ時期が早いですが、名物「もみじ饅頭」と、「アキの宮島」に引っ掛けて。
問J:数え歌のバージョンにこういうのがあるそうです。「一番初めは一宮、二は日光東照宮」…

♯先週の旅の道中、最終日になって突然足にアクシデント、その日は何とか我慢はしたものの、帰宅した翌朝に病院に直行。今朝再び病院で診てもらったところ、全治3週間の診断。しばらく自宅静養となりそうです…。道中記は後日。

[86304] 2014 年 8 月 18 日 (月) 21:57:38 星野彼方 さん
 猫コレクション 情報提供感謝

[86299] あまてる さん
猫コレクション担当の星野彼方です。既にオーナーグリグリさんからもお礼の言葉がありましたが、情報ありがとうございます。また、情報をまとめたサイトも作っていただきありがとうございます。

これから少しずつ確認&作業を行っていきます。いまのところ9月中に作業が終わればいいな、くらいの気持ちだったりしますので気を長くしてお待ちください。

[86303] 2014 年 8 月 18 日 (月) 21:00:17【1】 オーナー グリグリ
 北信越9勝

[86300] じゃごたろさん
今日も日本文理と星稜が勝って北信越は依然として全校勝ち残っているのですね。
富山(富山商)2勝、福井(敦賀気比)2勝、新潟(日本文理)2勝、石川(星稜)2勝、長野(佐久長聖)1勝、合計9勝は、1995年の星稜4勝+敦賀気比4勝+佐久長聖1勝=北信越9勝の最多に並びました。明日、佐久長聖が福島の聖光学院に勝てば5校すべて2勝で負けなしの快挙となります。

3回戦(準々決勝)の組み合わせも決まっていて、星稜が八戸学院光星(青森)と、敦賀気比が盛岡大付(岩手)と明後日対戦します。そしてなんと、富山商と日本文理が明々後日直接対決。残念ながら北信越全勝はこの時点で途切れることが決まってしまいましたが、一方で、北信越最多の10勝も約束されることになりました。

今年の甲子園は目が離せなくなりました。

[86302] 2014 年 8 月 18 日 (月) 20:46:51【1】 オーナー グリグリ
 十番勝負感想戦

いろいろ取り込んでいる間に、十番勝負へのコメント記事が溜ってしまいました。どちらかと言うと課題指摘の内容が多いのが辛いところですが、整理してフォローしたいと思います。

ところで、[86259]デスクトップ鉄さんの十番勝負分析『難易度分析(開催回別)』(総合難易度順)によれば、今回の偏差値は48.9ということで、平均を下回っています。狙い通り、問題そのものの難易度は高くても、ヒントの早出しによって難易度を下げることができました。

デスクトップ鉄さん、難易度分析をありがとうございました。

[86301] 2014 年 8 月 18 日 (月) 20:30:10 オーナー グリグリ
 Re:地名コレクション 猫に、情報提供いたします

[86299] あまてるさん
猫谷という地域を探している中で、このサイトにある「地名コレクション 猫」に非常にお世話になったのですが、それ以外にも「猫谷」という地域がある(過去にあった)ようなので、情報提供致します。
あまてるさん、はじめまして。猫コレクションへの情報提供をありがとうございました。

>星野彼方さん
よろしくお願い致します。ゆるゆると.....

[86300] 2014 年 8 月 18 日 (月) 20:29:50 じゃごたろ さん
 H

こんばんは、じゃごたろです。
まったく地理とは関係なので申し訳ございませんが・・・。

[86279] 白桃 さん
岩手県立福岡高校の選手の始球式、見事でした。
そんなことがあったんですね。今年は高校野球を全くみていないので知りませんでした。ネットで調べたらいろいろとありました。

ところで、実にシンプルな白地のユニフォームの左胸と帽子に丸みを帯びた臙脂の「H」一文字があったのをご覧になったと思いますが、普通なら「F」となるところがなぜ「H」なのかご存じでしたか?

とお聞きしたものの、どうやら過去ログを検索したら依然それについてすでに書き込んでいたようでした。


今日も日本文理と星稜が勝って北信越は依然として全校勝ち残っているのですね。


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