都道府県市区町村
個性豊かな地理ネタ大好き人間の溜まり場

過去記事 [99200]〜[99299]
トップ > 落書き帳 > 過去記事 >

[99200]〜[99299]



… スポンサーリンク …

[99299] 2020年 3月 26日(木)19:56:50MI さん
全国および各都道府県の市区町村数推移一覧表(2020.3.26)
[99241] [99246] MI
整理でき次第ご連絡しますのでよろしくお願いします。
 あれこれ調べて時間がかかってしまいましたが、一通り修正が終わりました。
訂正した箇所を以下に列挙します。履歴情報と食い違っているが保留しているものや、ご確認いただきたいものについては稿を改めます。
 また、[99285] ekinenpyou さん、[99289] YT さんご指摘の広島県 甲第137号布達については、当方も『広島県市町村合併史』で確認いたしましたので、これも合わせて1878.11.1に修正しました。

全国の市町村数推移一覧表(ctv_total.xlsx)
各都道府県の市町村数推移一覧表(ctv_total_pref.xlsx)
郡の変遷(gun.xlsx)

 なお、説明において常に確認している参考文献を以下のように省略して示すことにします。

『市町村名変遷辞典』を『辞典』
『全国市町村名変遷総覧』を『総覧』
『幕末以降市町村名変遷系統図総覧』を『幕末』

●山梨県
18920329 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 783 12779 13602 +1村
18920401 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 782 12778 13601 +1市 -1町 +2村 -3村
19山梨 18920329 0 0 0 1 0 0 1 9 0 0 0 246 247 +1村
19山梨 18920401 0 0 0 1 0 0 1 9 0 0 0 245 246 +2村 -3村
 東八代郡で3村合併による黒駒村、南巨摩郡の穂積村、それに南都留郡長浜村の成立については、主に『辞典』の記載を元にしていたものが残ったままになっておりました。[69558] 88 さんからご指摘のあった明治25年3月31日 山梨県告示34号
町村制第四條第一項ノ順序ヲ經東八代郡上黒駒村(同郡下黒駒村が欠落?…MI註)同郡藤之木村ヲ合併シテ黒駒村南巨摩郡増穂村ノ内小室、高下ノ二組ヲ分離シテ穂積村南都留郡西湖村ノ内長濱組ヲ分離シテ長濱村トス
や、明治25年4月22日官報付録p2
山梨縣ニ於テハ町村制第四條第一項ノ順序ヲ經東八代郡上黒駒村下黒駒村藤ノ木村(ママ)ヲ合併シテ黒駒村(クロゴマ)、南巨摩郡増穂村ノ内小室高下ノ二組ヲ分離シテ穂積村(ホズミ)、南都留郡西湖村ノ内長濱組ヲ分離シテ長濱村(ナガハマ)トセリ此段公告ス
から、次のようにいずれも3.31に修正しました。
18920331 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 783 12778 13601 +3村 -3村
19山梨 18920331 0 0 0 1 0 0 1 9 0 0 0 245 246 +3村 -3村

●大阪府
18900401 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 728 12791 13559 +1町 +2村 -3村
27大阪 18900401 0 0 1 0 0 0 2 27 0 4 12 309 323 +1村 -2村
 志紀郡で道明寺村と沢田村の合併については、明治23年3月31日(府公報340号追加) 大阪府令27号
町村制第四條ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ受ケ志紀郡道明寺村澤田村合併及名稱左ノ通相定ム
より日付を3.31に改めて、以下のように訂正しました。
18900331 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 727 12791 13558 +1村 -2村
18900401 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 728 12791 13559 +1町 +1村 -1村
27大阪 18900331 0 0 1 0 0 0 2 27 0 4 12 309 323 +1村 -2村

19390701 0 1 3 43 14 0 149 626 0 82 1726 9427 11302 +5町 -2町 +2村 -15村
27大阪 19390701 0 0 1 0 0 0 6 7 0 15 30 160 196 +3町 -1町 -5村
 中河内郡で平岡町への町制施行について、当方は『辞典』『幕末』の日付を採っておりましたが、昭和14年7月12日 大阪府告示844
「中河内郡枚岡村ハ昭和十四年七月十五日ヨリ枚岡町ト爲セリ」
にしたがい、7.15に修正しました。
19390715 0 1 3 43 14 0 149 626 0 82 1725 9428 11302 +1町 -1村
27大阪 19390715 0 0 1 0 0 0 6 7 0 15 30 160 196 +1町 -1村

●奈良県
18900923 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 730 12791 13561 +3村 -1村
29奈良 18900923 0 0 0 1 0 0 0 15 0 0 11 148 159 +3村 -1村
 これは奈良県吉野郡龍門村を上龍門、中龍門、竜門三ヶ村に分割したと扱っていたものですが、[66971] むっくん さん、[66994] 88 さん を確認した上で、県告示にしたがい日付を9.29に、また分立に改めました。
18900929 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 730 12791 13561 +2村
29奈良 18900929 0 0 0 1 0 0 0 15 0 0 11 148 159 +2村

18911016 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 775 12777 13592 +3町 -3村
18911022 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 775 12778 13593 +2村 -1村
29奈良 18911022 0 0 0 1 0 0 0 15 0 0 16 144 160 +2村 -1村
 奈良県宇智郡阿太村を大阿太村と南阿太村に分割した日付を10.22としていましたが、[66971] むっくん さん、[66994] 88 さん にしたがい9.24に改めました。
18910924 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 772 12781 13593 +2村 -1村
18911016 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 775 12778 13593 +3町 -3村
29奈良 18910924 0 0 0 1 0 0 0 15 0 0 16 144 160 +2村 -1村

18930927 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 813 12777 13631 +1町 -1村
29奈良 18930927 0 0 0 1 0 0 0 15 0 0 18 142 160 +1町 -1村
 奈良県宇陀郡榛原村が榛原町になった日付。[66971] むっくん さん、[66994] 88 さん を確認した上で、日付を9.29に改めました。
18930929 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 813 12777 13631 +1町 -1村
29奈良 18930929 0 0 0 1 0 0 0 15 0 0 18 142 160 +1町 -1村

18940608 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 827 12774 13642 +2村 -1村
29奈良 18940608 0 0 0 1 0 0 0 15 0 0 18 143 161 +2村 -1村
 奈良県吉野郡国樔村を中荘村と国樔村に分割したとしていたものですが、[66971] むっくん さん、[66994] 88 さん を確認した上で日付を6.14に、また中荘村の分立に改めました。
18940614 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 827 12774 13642 +1村
29奈良 18940614 0 0 0 1 0 0 0 15 0 0 18 143 161 +1村

●島根県
19371228 0 1 3 43 14 0 146 628 0 80 1706 9533 11385 +1町 -1村
19380101 0 1 3 43 14 0 146 628 0 80 1707 9532 11385 +1町 -1村
19471218 1 1 2 43 14 0 220 624 23 57 1837 8542 10622 +1町 -1村
32島根 19371228 0 0 0 1 0 0 1 16 0 0 29 242 272 +1町 -1村
32島根 19390211 0 0 0 1 0 0 1 16 0 0 29 241 271 -1村
 島根県邑智郡粕淵村から粕淵町へと、同県八束郡恵曇村から恵曇町へ、それぞれ町制施行の日付を入力ミスしていたことが判明しました。いずれも1947(昭和22)年12月28日に改めました。
19380101 0 1 3 43 14 0 146 628 0 80 1706 9533 11385 +1町 -1村
から
19471228 1 1 2 43 14 0 220 624 23 57 1839 8540 10622 +3町 -3村
までと、
32島根 19390211 0 0 0 1 0 0 1 16 0 0 28 242 271 -1村
から
32島根 19471228 0 0 0 1 0 0 3 16 0 0 32 213 248 +3町 -3村
までが修正となります。

●福岡県
18970603 0 1 3 43 0 0 43 573 2 21 926 12038 13009 +1町 -1村
40福岡 18970603 0 0 0 1 0 0 2 19 0 0 31 352 385 +1町 -1村
 宗像郡津屋崎町への町制施行の日付ですが、『辞典』などを確認しまして履歴情報にあるとおり、6.4 に訂正しました。
18970604 0 1 3 43 0 0 43 573 2 21 926 12038 13009 +1町 -1村
40福岡 18970604 0 0 0 1 0 0 2 19 0 0 31 352 385 +1町 -1村

18990215 0 1 3 43 19 0 48 655 4 21 984 11964 13000 +2町 -2村
40福岡 18990215 0 0 0 1 0 0 2 19 0 0 36 347 385 +1町 -1村
 数年前に福岡県立図書館で調査したのですが、なかなか目指す典拠を探し当てられないものが多く残っております。この遠賀郡八幡町への町制施行日について、当方では『辞典』や『総覧』などの日付を採っていましたが、履歴情報は1900.2.10となっています。これは郡市町村廃置分合一覧表で許可日としているものであることを、[65629] 88 さん で確認したところですが、あれこれ探していたなかで『福岡県史資料第3輯』p813の明治二十二年以後市町村変遷には明治33.2.15とあるのを見つけました。10日許可で15日施行であれば、既存の資料は大正三年を二年と写し間違えたと納得もできますので、当方はこの1900.2.15に修正することとしました。
19000215 0 1 3 43 18 0 51 652 5 21 998 11944 12998 +1町 -1村
40福岡 19000215 0 0 0 1 0 0 3 19 0 0 36 346 385 +1町 -1村

19040101 0 1 3 43 16 0 55 640 5 21 1108 11484 12652 +1町 +2村 -6村
40福岡 19040101 0 0 0 1 0 0 4 19 0 0 38 340 382 +1村 -3村
 3ヶ村を合併した京都郡犀川村の新設ですが、履歴情報では郡市町村廃置分合一覧表より1905.2.1を採っていることを[65446] むっくん さん、[65629] 88 さん で確認いたしました。『福岡県史資料第3輯』p813の明治二十二年以後市町村変遷の明治37.2.1は誤りと判断して明治38.2.1に訂正いたしました。
19040101 0 1 3 43 16 0 55 640 5 21 1108 11486 12654 +1町 +1村 -3村
19050101 0 1 3 43 16 0 55 640 5 21 1114 11474 12648 +1町 -1町 -2村
40福岡 19050201 0 0 0 1 0 0 4 19 0 0 38 340 382 +1村 -3村

●熊本県
18981231 0 1 3 43 19 0 48 655 4 21 981 11967 13000 +1町 -1村
43熊本 18981231 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 28 345 374 +1町 -1村
 天草郡で町山口村から本渡町への町制施行ですが、当方の入力ミスで12.21正当でした。訂正します。
18981221 0 1 3 43 19 0 48 655 4 21 979 11969 13000 +1町 -1村
43熊本 18981221 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 28 345 374 +1町 -1村

18990324 0 1 3 43 19 0 48 655 4 21 991 11952 12995 +3村 -8村
43熊本 18990324 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 28 340 369 +3村 -8村
 宇土郡で三角村、不知火村、郡浦村の新設日ですが、『郡市町村廃置分合一覧表』の3.24許可を採っておりましたが、『熊本県市町村合併史』などの日付(三角村と不知火村が3.30、郡浦村は4.1)に修正いたしました。
18990330 0 1 3 43 19 0 48 655 4 21 991 11953 12996 +2村 -6村
18990401 0 1 3 43 19 0 51 650 4 21 989 11954 12998 +3市 +5郡 -10郡 +1町 -3町 +8村 -7村
43熊本 18990330 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 28 341 370 +2村 -6村
43熊本 18990401 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 28 340 369 +1村 -2村

19001010 0 1 3 43 18 0 53 640 5 21 1026 11923 13007 +1町 -1村
43熊本 19001010 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 30 337 368 +1町 -1村
 阿蘇郡で宮地町への町制施行について、『郡市町村廃置分合一覧表』の許可日を採っておりましたが、『熊本県市町村合併史』などの日付1901.1.1に修正いたしました。
19010101 0 1 3 43 18 0 53 640 5 21 1029 11918 13005 +2町 -2町 -1村
43熊本 19010101 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 30 337 368 +1町 -1村

19010314 0 1 3 43 18 0 53 640 5 21 1039 11907 13004 +1村 -2村
43熊本 19010314 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 30 336 367 +1村 -2村
 天草郡で栖本村の新設について、『郡市町村廃置分合一覧表』の許可日を採っておりましたが、『熊本県市町村合併史』などの日付4.1に修正いたしました。
19010401 0 1 3 43 18 0 53 640 5 21 1042 11894 12994 +3町 -4町 +3村 -12村
43熊本 19010401 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 30 336 367 +1村 -2村

●大分県
18921028 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 794 12776 13611 +2村 -3村
44大分 18921028 0 0 0 1 0 0 0 12 0 0 16 264 280 +1村
 北海部郡四保戸村を分割して保戸島村を置き、残部を四浦村に改称したものと、佐加村を佐賀村に改称したものについては、『辞典』『総覧』双方の日付を採用していましたが、[71721] 88 さんご説明の明治25年10月6日 大分県告示第66号の日付に修正しました。
18921006 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 794 12772 13607 +1村
44大分 18921006 0 0 0 1 0 0 0 12 0 0 16 264 280 +1村

18931214 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 818 12773 13632 +1町 -1村
44大分 18931214 0 0 0 1 0 0 0 12 0 0 19 261 280 +1町 -1村
 玖珠郡森町への町制施行ですが、『辞典』『総覧』『幕末』は共通の日付12.1でしたが、当方は誤って官報に記載された日付を採っておりました。[95577] むっくん さんにある1893年12月13日 大分県告示第116号:より、12.13に修正しました。
18931213 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 818 12773 13632 +1町 -1村
44大分 18931213 0 0 0 1 0 0 0 12 0 0 19 261 280 +1町 -1村

18970309 0 1 3 43 0 0 42 621 2 21 922 12667 13633 +3町 -3村
44大分 18970309 0 0 0 1 0 0 0 12 0 0 23 258 281 +2町 -2村
 東国東郡で安岐町と富来町のそれぞれ町制施行について、『辞典』『総覧』『幕末』いずれも採用している日付にしておりましたが、明治30年3月16日 大分県告示第32号の日付3.16に修正しました。
18970316 0 1 3 43 0 0 42 621 2 21 922 12667 13633 +2町 -2村
44大分 18970316 0 0 0 1 0 0 0 12 0 0 23 258 281 +2町 -2村

19011101 0 1 3 43 18 0 53 640 5 21 1060 11512 12630 +24町 -30町 +197村 -551村
44大分 19011101 0 0 0 1 0 0 0 12 0 0 26 253 279 +2町 -2町 -1村
 速見郡で御越町へ町制施行したものですが、『辞典』『幕末』の日付を採っておりました。これについては明治34年10月15日 大分県告示第197号の日付10.15に修正しました。
19011015 0 1 3 43 18 0 53 640 5 21 1067 11866 12991 +1町 +1村 -5村
44大分 19011015 0 0 0 1 0 0 0 12 0 0 27 253 280 +1町 -1村

●鹿児島県
19470905 1 1 2 43 14 0 217 624 23 57 1818 8566 10624 +1町 -1村
46鹿児島 19470905 0 0 0 1 0 0 4 12 0 0 52 83 139 +1町 -1村
 肝属郡で佐多町への町制施行したものですが、当方は『辞典』の日付を採っておりましたが、鹿児島県立図書館で昭和22年9月1日鹿児島県告示第287号を確認いたしました。
昭和二十二年九月一日鹿児島縣肝属郡「佐多村」を「佐多町」となすことを許可した
これにより、履歴情報同様の9.1に修正しました。
19470901 1 1 2 43 14 0 217 624 23 57 1817 8567 10624 +2町 +2村 -2村
46鹿児島 19470901 0 0 0 1 0 0 4 12 0 0 52 83 139 +1町 -1村

●沖縄県
19460516 1 1 2 43 14 0 207 624 35 56 1807 8608 10657 +1村
47沖縄 19460516 0 0 0 1 0 0 3 5 0 0 5 50 58 +1村
 国頭郡で羽地村から屋我地村を分村したものですが、当方では『辞典』や『総覧』に記された日付を採っておりました。しかし沖縄県公文書館で公開している1946年5月行政月報(83コマ)、および英文の111コマにより5.21正当であると判明しました。なおこの日付は『沖繩市町村三十年史』下巻p597にも記されております。
19460521 1 1 2 43 14 0 207 624 35 56 1807 8610 10659 +1村
47沖縄 19460521 0 0 0 1 0 0 3 5 0 0 5 52 60 +1村

19470201 1 1 2 43 14 0 210 624 35 57 1816 8597 10658 +1町 -1村
47沖縄 19470201 0 0 0 1 0 0 3 5 0 0 6 53 62 +1町 -1村
 宮古郡で城辺町への昇格については、『辞典』の日付を採っていましたが、『沖繩市町村三十年史』や『総覧』の記載によリ7.1に修正しました。
19470701 1 1 2 43 14 0 214 624 22 57 1816 8568 10620 +9町 -9村
47沖縄 19470701 0 0 0 1 0 0 4 5 0 0 5 53 62 +1町 -1村

19470901 1 1 2 43 14 0 217 624 23 57 1817 8567 10624 +2町 +2村 -2村
47沖縄 19470901 0 0 0 1 0 0 5 5 0 0 5 53 63 +1町 -1村
 八重山郡で大浜町への昇格日は『辞典』や『総覧』の日付を採っていましたが、八重山民政府指令第889号により、9.20(許可)と修正しました。
19470920 1 1 2 43 14 0 217 624 23 57 1818 8566 10624 +1町 -1村
47沖縄 19470920 0 0 0 1 0 0 5 5 0 0 5 53 63 +1町 -1村

19480701 1 1 2 43 14 0 233 622 23 58 1842 8503 10601 +1町 +2村 -3村
47沖縄 19480701 0 0 0 1 0 0 5 5 0 0 6 52 63 +1町 -1村
 八重山郡で竹富村から竹富町への変更は、辞典の日付を採っていましたが、1948年07月02日 八重山民政府指令地第175号により7.1に修正しました。
19480702 1 1 2 43 14 0 233 622 23 58 1843 8502 10601 +1町 -1村
47沖縄 19480702 0 0 0 1 0 0 5 5 0 0 7 51 63 +1町 -1村

19481201 1 1 2 43 14 0 234 622 23 58 1853 8485 10595 +3町 -1町 -4村
47沖縄 19481201 0 0 0 1 0 0 5 5 0 0 7 52 64 +1町 -1村
 八重山郡で与那国町への町制施行日は、辞典の日付を採っていましたが、1948年12月01日 八重山民政府指令第1024号により丸一年早い1947.12.1であることが分かりました。訂正します。
19471201 1 1 2 43 14 0 220 624 23 57 1835 8544 10622 +1町 -1村
47沖縄 19471201 0 0 0 1 0 0 5 5 0 0 6 52 63 +1町 -1村
[99298] 2020年 3月 26日(木)18:32:49オーナー グリグリ
東京都の感染者が急増しています
既に報道でも明らかになっていますが、新型コロナウィルスの感染者について、昨日、東京都の感染者が41名増加しました。本日も昨日を超える47名の感染者が確認されていると速報されています。厚生労働省のHPを見ればわかりますが、確認される感染者が発症しているのは5~10日前であり、明日以降さらに感染者は爆発的に増える可能性が極めて高くなりました。皆様、できれば自宅に留まり、必要最小限の買い物など、外出はできればしないようにしてください。本当に危険な状態だと思います。

東京都の3月25日の感染者数は47都道府県で突出しています(新型コロナウィルス有症状感染者増加数)

青森県や福井県でも昨日は2名の感染者が確認されました。長崎県でも初の有症状感染者が確認されました。有症状者のいない都道府県でも決して油断はできません。首都圏では東京都のほか、茨城県、千葉県、神奈川県で4名増えています。落ち着きを見せていた北海道でも新たに4名が確認されています。本当に危機的状況だと認識してください。
[99297] 2020年 3月 26日(木)02:16:20【6】YT さん
足柄郡
[99296] じゃごたろ さん

それは神奈川県の「足柄上郡」「足柄下郡」です。普通「上○○郡」「下○○郡」とか「北○○郡」「南○○郡」となるのが普通ですが、なぜここだけは「上足柄郡」「下足柄郡」とならずに、「足柄上郡」「足柄下郡」となったんでしょうかね?


明治維新の頃であれば、大和国には葛上(かつらぎのかみ→かつじょう)郡・葛下(かつらぎのしも→かつげ)郡、城上(しきのかみ→しきじょう)郡・城下(しきのしも→しきげ)郡、添上(そふのかみ→そえかみ)郡・添下(そふのしも→そえしも)郡、摂津国には島上郡(しまのかみ→しまかみ)、島下(しまのしも→しましも)郡、駿河国には長上(ながのかみ→ながかみ)郡・長下(ながのしも)郡(中世に消滅)があり、また古代には河内に堅上(かたかみ)郡・堅下(かたしも)郡(→大県郡)がありましたので、さほど珍しい名称ではないと思います(特に畿内と東海では一般的?)。ただ、足柄郡の例を除き、明治30年頃までに他はすべて合併等で消滅してしまったので、たまたま足柄上郡・足柄下郡の例が残ってしまったです。

一応『日本歴史地名体系』から解説を引用すると、奈良時代においては足上郡(あしのかみぐん)・足下郡(あしのしもぐん)が存在し、「足上郡」に関しては「続日本紀」霊亀元年(西暦715年)3月25日の条、「足下郡」に関しては正倉院文書の相模国封戸租交易帳(天平7年(西暦735年))にまで用例が遡るそうです。また倭名類聚抄では「足上」と書いて「足辛乃加美(あしがらのかみ)」と訓読させている例がみられることから、足柄上郡・足柄下郡の呼称も古代に遡り、郡名の起源は足下郡に属する郷の足柄「阿之加良(あしのがら)」に由来すると考えられます。「古事記」によると「足柄之坂本」でヤマトタケルが白い鹿に出会い、「常陸風土記」にも「足柄の岳坂」の記述があることから、「足柄」という地名は郡設置以前から存在し、「足柄郡」という呼称も地域名としては存在したが、郡としては最初から二分割されていたようです。

ただ様々な荘園の分割によりいつしか郡が意識されなくなり、平安後期の「更科日記」には「西富郡」という郡名が登場し、さらに後北条氏支配下の戦国時代の相模国は西郡(にしごおり=足柄上郡+足柄下郡に相当)・中郡・東郡・三浦郡・小坂郡(鎌倉郡)の五郡に再編され、「足柄(上・下)郡」は長らく記録から途絶えます。後に江戸時代の正保郷帳編纂の頃になって「足柄上郡」「足柄下郡」の古代に遡る(といっても完全には同じではない)地域区分が復活し、現在に至る、とのことだそうです。

【追記:江戸幕府による古代郡名の復活について】実のところ、郡というものは古代から脈々と伝わったわけではなく、荘園制度によって一度古代の郡域が乱され、そして幾つもの異なる郡へと再編されてしまっているケースが多いのです。江戸幕府は、郷帳・国絵図作成や朱印状の発給を通じて日本の国土を支配する過程で、国→郡→村という階層構造の把握と再編を行い、延喜式・倭名類聚抄に記された古代の郡名と郡域の復活を図りました。その修正の最大のものが寛文4年(1664年)の寛文印知で、正保郷帳記載の郡名や郡域がかなり訂正されています。しかしながら乱れた郡制を完全に正すことは不可能で、郡名を変えず領・庄名をもって郡名に変えざるを得なかったり、郡名を誤ったりと、色々なことが起こっています。例えば安芸国では寛文4年(1664年)古郡名復古の幕命により、安南郡を安芸郡、安北郡を高宮郡、佐東郡を沼田郡、佐西郡を佐伯郡と改めましたが、延喜式・倭名類聚抄や中世の郡域と異なり、豊田郡内の古沼田郡、高田郡内の古高宮郡とは全く違う地域となってしまい、民間ではなお従来の郡名も通用したという、古郡名復古の誤用が起こりました。

なお寛永17年~18年(1640年~1641年)の小田原領検地帳では「西郡」表記、正保年間(1645年~1648年)に作成された相模国の正保国絵図の写本とされる「慶安年間写 相模国国絵図」では「足柄上郡・足柄下郡」表記、万治元年~3年(1658年~1661年)の小田原領検地帳では「足柄上郡・足柄下郡」表記となっており、「足柄上郡・足柄下郡」の復古は正保の頃と思われます。ただし小田原藩領内の検地帳以外の行政文書では「小田原領西筋・中筋・東筋」という区分の方が一般的だったようです。
[99296] 2020年 3月 25日(水)22:00:58じゃごたろ さん
足柄上郡・足柄下郡
こんばんは、じゃごたろです。

以前関連する記事があったならすみませんが、以前からどうしても気になっていたことがあります。

それは神奈川県の「足柄上郡」「足柄下郡」です。普通「上○○郡」「下○○郡」とか「北○○郡」「南○○郡」となるのが普通ですが、なぜここだけは「上足柄郡」「下足柄郡」とならずに、「足柄上郡」「足柄下郡」となったんでしょうかね?
[99295] 2020年 3月 25日(水)15:50:18【1】白桃 さん
「昭和の大合併期」誕生市の市制施行時の人口増加率トップ10&ボトム10
1.1955年国調デビュー組
トップ10市名前身町村増加率A/B---ボトム10市名前身町増加率A/B
1真和志真和志村97.001.0001小千谷小千谷町-9.900.524
2調布調布町30.110.6552国分国分町-7.010.279
3府中(東京)府中町29.980.6683美濃美濃町-6.610.334
4三鷹三鷹町26.721.0004韮崎韮崎町-5.290.285
5相模原相模原町21.691.0005塩山塩山町-4.910.464
6昭島昭和町21.540.7596指宿指宿町-4.520.739
7御殿場御殿場町21.450.4067加世田加世田町-4.280.620
8尾西起町21.360.6998西大寺西大寺町-4.240.319
9多久北多久町20.000.3539安芸安芸町-4.230.400
10守山守山町18.490.88510水海道水海道町-3.800.312
トップ10について言えば、東京都、愛知県など大都市周辺の市が並ぶなかで、沖縄の真和志、御殿場、産炭地の多久が注目されます。小千谷の減少率が高いの不思議です。
注)A/Bについて
[99214]等では、「新市の中で前身町村が占める人口の割合」と言っていますが、正確にはA人口(前身町村の1950年国調人口)をB人口(1955年国調時の境域に組み替えた1950年国調人口)で除したもの。A人口が組替人口ではないので、1を超えることがあります。

2.1960年国調デビュー組
トップ10市名前身町村増加率A/B -------ボトム10市名前身町増加率A/B
1小金井小金井町50.751.0001垂水垂水町-10.771.018
2蕨町44.821.0002天竜二俣町-8.040.338
3大和大和町34.900.8223室戸室戸町-7.240.323
4コザ越来村32.341.0004安中安中町-6.271.002
5町田町田町22.160.5775南国後免町-5.880.041
6根室根室町19.390.6896五條五條町-5.610.391
7草加草加町18.430.9807角田角田町-5.511.000
8箕面箕面町17.050.9088竹原竹原町-5.320.598
9大東住道町16.360.4719土佐高岡町-5.300.690
10 与野与野町16.151.00010尾花沢尾花沢町-5.231.000
やはり、トップ10には大都市周辺の市が並びますが、コザと根室の急増に目が行きます。ボトム10の中に、単独市制のように見える垂水、角田、安中、尾花沢が入っていますが、いずれも1955年以前に合併した「疑似単独市制」市です。
※A/B・・・A人口(前身町村の1955年国調人口)をB人口(1960年国調時の境域に組み替えた1955年国調人口)で除したもの。

◎人口増加率とA/Bの関係
市制施行時の人口増加率を大きく左右するのは、(言うまでもありませんが)大都市に近いとか、その地域全体が増加している等の地域性ですが、同じような環境にある場合は、人口増加率はA/Bの値に関係してくるのではないかと調べてみたのが下表(埼玉県の1955年国調デビュー11市)です。
市名前身町増加率A/B
所沢所沢町7.780.815
飯能飯能町6.531.174
春日部春日部町4.47 0.479
東松山松山町3.180.420
狭山入間川町2.480.391
鴻巣鴻巣町1.770.435
加須加須町1.670.205
岩槻岩槻町1.570.378
羽生羽生町1.300.334
本庄本庄町-0.050.579
深谷深谷町-0.170.374
ま、「新市の中心となる前身町が多くの村と合併して出来た市」より「単独市制市」の増加率が高いというのは容易に想像できますし、結果も、ほぼ予想通りですから、この考え大きく間違ってはいないでしょう。
[99294] 2020年 3月 25日(水)13:24:41サヌカイト さん
いろはの市
再び投稿します。茶番で邪道の多いサヌカイト(次、高1・中3)です。
今回は短めに…。

現在の市でいろは歌を作ってみました。(もしかしたら、過去にあったかも…。)
いろは(ゐゑをを除く)が、最初の7行に1つずつ入っています。
形式は、仏足石歌体+aというか、俳句+a+都々逸というか…という微妙な感じです。
順番も地方は揃えましたが、あまり意味はありません。

あやせくれ      綾瀬 呉
さぬきうらそえ    さぬき 浦添
とすたけお      鳥栖 武雄
ゆふにほんまつ    由布 二本松
はちのへよこて    八戸 横手
なめりかわひみ    滑川 氷見
ねむろるもいし    根室 留萌市
いろはのし      いろはの市(詩)

留萌「市」は、「し」どうしても入らないための苦肉の策です。鳥栖 綾瀬 市を瀬戸 あしやす(芦屋+野洲)と
いうのもあります。いずれにせよきっかり入るのが思いつきませんでした。皆さんならすぐ思いつくかと思いますが、
時間があれば教えてください。

以上、茶番でした。
[99293] 2020年 3月 24日(火)18:44:35【1】hmt さん
明治12年当時の北海道 北見国網走郡と釧路国網尻郡
[99288] hmt  
そのつもりで 【公文録の】2コマに続く編制を見ると、疑問点があるようです。

一例を挙げると、リンク文書の16コマには、北見国網走郡8村があり、17コマにも同網走郡6村があります。
村名を見ると重複はないので、北見国網走郡が2群に分かれて記録されたのは単なる集計の不手際でしょう。

見逃せない本格的な疑問点として挙げておきたいのは、釧路国に存在したとされる「網尻郡」です。
この郡について 少し記します。

日本の北辺が騒がしくなった19世紀初頭。幕府により釧路国庶路から北見国に向かう「網走越」ルートが開通しました。
釧北峠【阿寒湖の西側】の北は 網走川沿い になりますが、現在の津別町・美幌町のあたりまでは釧路国の領域とされ、北見国とは同音異字の「網尻(あばしり)郡」とされたようです。

明治12年「公文録」では、釧路国に置かれた郡は 15-16コマに記され、網走越ルートの起点である 白糠郡庶路村や阿寒郡各村の名も見えます。しかし、網尻郡の存在は無視された状態です。

[99290]で紹介されたばかりの資料ですが、 府県及北海道境域沿革一覧第一編沿革図表 の 15コマ 左下付近を拡大してみると、北見国網走郡と釧路国網尻郡とが隣接していました。

大きな表を 境界線に沿って 上方に移動すると、明治14年の段に至り、「7月8日両郡の合併による網走郡」と記され、明治12年当時は「釧路国網尻郡」が存在していたことを確認できました。

最近落書き帳に紹介された資料の試用は この程度にして、北見国網走郡については、従前からの変遷情報も利用してみました。

今回の記事の冒頭に記したように、公文録の集計で2群に分かれていた村々。

16コマの 北見国網走郡8村
これは 1902年北海道二級町村制で網走町藻琴村最寄村が施行される前の旧村群でした。

そして、17コマ記載の同網走郡6村
こちらは 1915年北海道二級町村制で美幌村設置前の旧町村でした。

こんな具合で、郡区町村編制法>北海道二級町村制を経て現在の市町村への変遷ルートが追跡できるようです。

ここで新たな疑問が生まれました。
変遷情報検索で「網走」を検索すると、二級町村時代に網走町であった【ピンク地色の】北見町が出ます。
検索結果

明治35年の北海道二級町村制で誕生した「網走町」を構成した旧町村の一つである「網走郡北見町」です。この町は、明治12年の公文録に記載されておらず、その実体が不詳でしたが、網走町の市街地部分でしょうか?

記載がなかった原因を推測すると、明治12年から35年の間に【例えば】網走村からの分割 or 分立により誕生していたのか? それとも、公文録の記載漏れか?


ここで、変遷情報検索を使った お遊び。
北見市と、「その前身ではない北見町」を並んで出せるか?

普通に「北見」を検索すると、【ピンク地色時代の】北見町は hit しません。
苦し紛れに、「自治体種別:指定しない」 を外し 市町村だけにして 「北見」で検索を試みました。

結果オーライで、ピンクの網走郡北見町と【元・常呂郡野付牛町】現在の北見市とが 並んで hit しました
[99292] 2020年 3月 24日(火)17:47:47ピーくん さん
一宮市の動き
2020年3月24日一宮市議会が「中核市の指定に係る申出について」議案を原案可決
詳細
[99291] 2020年 3月 24日(火)11:42:27オーナー グリグリ
Re:植栽文字コレクション
[99254] 星野彼方さん
ひさしぶりに未採用の植栽文字を発見しました。兵庫県上郡町で「かみごおり」と書いてあります。
既に採用されている上郡駅の「かみごおり」とは別の場所です。山陽本線から見えます。
遅くなりましたが、植栽文字コレクションにふたつ目の「かみごおり」を追加しました。ありがとうございました。
[99290] 2020年 3月 23日(月)19:16:08【1】ekinenpyou さん
Re4:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
引き続き、[99252]MI さん・[99259] むっくん さん関連
(上記引用文中「第貳拾貳號」とは明治13年5月5日太政官布告第22号のことで、各府県の郡分割などを示したもの。)


法令全書のリンクはこちらですが、
後に出版された府県及北海道境域沿革一覧では、この布告を以て(郡区町村編制法施行に伴う)
郡区の新設・分割・改称が行われたという説明が複数あります、これについては不適切とみて良いでしょう。

(一例)沿革図表(M13の箇所)・愛知県(名古屋区設置・設楽郡、加茂郡、春日井郡の分割が同時扱い)

【参考】例えば日本全国郡区分人口表(M12.1.1現在)(国刊行の戸籍統計・M13.3編纂)では
既に多くの府県で新しい郡区名になっている。(当然ながらM13.5.5布告以前から存在していた点明白)

※ただし長野県(M12.1.4郡区町村編制法施行)はM13.1.1現在(M14.3編纂)から、
愛知県はM13.2.5春日井郡分割(東春日井郡と西春日井郡)を同じくM13.1.1現在から反映している。

また、滋賀県はM13.5.29浅井郡の分割(東浅井郡と西浅井郡)がM13.1.1現在には反映されず
M14.1.1現在(M15.2編纂)から反映している。

同書で区名のそばに郡名も併記されているのは何故か?
新旧名対照という目的もあるかもしれませんが、恐らく以下のような理由からです。
東京府下区郡ノ改正ハ行政上ノ区域ニテ地理上ニ於テハ旧ノ郡界ヲ存ス

【おまけ】滋賀県浅井郡の分割についてなど(以下、最初の投稿内容で説明に不備・不足があったので若干修正あり)
[99252]MI さん(従来の浅井郡は2つ)
明治12年の時点では浅井郡が2つあったが郡役所の名称だけは東西を付けて区別していた。13年に郡名も東西を付けて文字通り別の郡となった、と判断することにしました。

[99259] むっくん さん(従来の浅井郡は1つ)
滋賀県 甲第61号布達 M13.5.29 浅井郡→東浅井郡、西浅井郡


上記の通りお二人の見解が少々分かれておりますが、資料によっても説が若干異なっており

東浅井郡志. 巻3(S2発行)の左ページでは
従来は便宜上郡名を東西に分称→M13.5.5太政官布告第22号により完全に分割
(ややMIさんの解釈と近い?ただし従来の浅井郡が2つとまでは明記していない)、
滋賀県沿革略誌(M23.9出版)の右ページ真ん中付近では
5.29浅井郡に東西の字をつけて2郡に分割 (むっくんさんの解釈とほぼ同じ?)という内容になっています。

※東浅井郡志では便宜上郡名を分称とあるが郡役所名に使用されたぐらいなので、比較的通称?として
浸透していたらしく、滋賀県管内浅井郡誌(M13.3)その1その2にも記載が見られる。
また現行滋賀県布令類纂の内容はごくまれに誤記や後に変更した内容に置き換わってしまっていることがあるので、
郡長任命時の記述(57コマ)も確認したところ、確かに「東浅井郡郡長」「伊香・西浅井郡長」とあった。

(M13.5.5太政官布告第22号で)国側が東浅井郡、西浅井郡と布告を出してしまった原因ですが、
前述(紛らわしい郡役所名を記した布達)のほか岐阜県の石津郡のように地理的な要因もあり、
(郡区町村編制法施行に伴い)分割されたと誤解されたのかもしれませんね、
参考として布告第22号が出た頃に国が作成したと思われる地図のリンクを示しておきます。

公文附属の図・一八〇号 大日本分国輿地全図(郡区編制全ノ図)
公文附属の図・一八一号 府県新設区ノ図

以上で関連投稿を一旦終えます。(他にも書けることがありますが、いつごろ投稿するかは検討中)
[99289] 2020年 3月 23日(月)13:29:08【1】YT さん
広島県 甲第137号布達はM.11.11.11.ではなくてM.11.11.1では?
[99259] むっくん さん
[99285] ekinenpyou さん

広島県 甲第137号布達 M11.11.11 M11.11.11

郡区町村編制法 - Wikipediaでの施行日がM11.11.1とあったため、以下の資料類を再確認した。

広島県史. 第1編(左隅)
公文録・明治十二年・第百七十一巻・府県判任官進退録第九(2コマ)

以上より、布達がM11.11.11に出されたという点に少々疑問が生じました。
(絶対にあり得ない話ではないと思いますが・・・)

戦後改訂された版の『広島県史』調べてみましたが、『広島県史 近代現代資料編I』(1974年)の393~394頁によると
八〇 郡区編制 明治一一・一一・一
               〔「広島県報」〕
 県甲第百三十七号
 今般第十七号公布ニ依り、従前之大小区ヲ廃シ別冊之通郡区編制所轄相定メ候条、此旨布達候事
  明治十一年十一月一日
    広島県令藤井勉三代理
           広島県少書記官 平山 靖彦

    郡区編制

|沼田郡 郡役所位置 沼田郡 南下安村
|高宮郡
  但元ト(二・七)大区ヲ所轄ス

 安芸郡 同     海田市
  但元ト三大区ヲ所轄ス

 佐伯郡 同     廿日市
  但元ト四大区並第一大区庚午新開ヲ所轄ス

 山県郡 同     加計村

 高田郡 同     吉田村

 賀茂郡 同     四日市

 豊田郡 同     忠海村

 御調郡 同     尾道

|深津郡 同     深津郡 福山
|沼隈郡

|安那郡
|品治郡 同     芦田郡 府中市村
|芦田郡

|甲奴郡
|世羅郡 同     世羅郡 甲山町
|三谿郡

|三次郡 同     三次郡 上里村
|恵蘇郡

|奴可郡 同     奴可郡 西城町
|三上郡

 神石郡 同     小畑村

 広島区 区役所位置 広島大手筋一丁目
  但元ト一大区(庚午新開ヲ除クノ外)ヲ所轄ス


また『広島県史年表(明治) 明治元年(1868)~明治45 年(1912)』(pdf)(24コマ目)

1878 明治11 戊寅

11- 1大区小区を廃し広島区と22 の郡を置き,15 の郡区役所を置く〔甲137〕。
11- 1広島県,新設の郡区庁の事務分課を庶務・勧業・租税・勧学・出納の5 掛と定める。177
11- 1町村戸長選挙規則制定〔甲138〕。
11- 1福山支庁廃止〔甲144〕。
11- 1区長・学区取締・医務取締・浦役人を廃止〔丙201〕。
11- 1広島左官町の瀬川浅吉,本覚寺の上隣りへ四階楼を新築し,飲食店を開店〔広島新聞10.5〕。

少なくとも『広島県史』(1972年~1984年版)の方では、明治11年11月11日絡みの法令や記述を確認できませんでした。『広島県史』の活字化の過程で元史料(「広島県報」)の記述を写し間違えた可能性は否定できませんが、[99285]でekinenpyouさんが見つけた戦前の『広島県史』の記述と、公文録の記録からすると、広島県 甲第137号布達が出されたのは明治11年11月1日の可能性の方が高いと思います。

【誤字訂正】
[99288] 2020年 3月 23日(月)11:20:05hmt さん
公文録
KUMON式とは無関係です(笑)。
太政官が明治元年から明治18年に授受した公文書を整理編集した資料です。
落書き帳では、最近になり ekinenpyouさんによる 具体的な事例紹介に利用されています。
私自身は検索手段も知らず、利用するに至っていない入門者ですが、一筆したためておきます。
レファレンス協同データベースの解説

[99279] ekinenpyouさん
開拓使 乙第4号布達 M12.7.23 M12.7.23
[99259]リンク先のもの【府県…沿革一覧】は本文が大幅に省略されておりますので
こちら(2コマ)も参考になるかと思います。

開拓長官 黒田清隆の名で「郡区町村 別冊の通り編制」という結果が、乙第4号として布達されたのは、明治12年7月23日であることは、資料「公文録」の 2コマによって よくわかりました。

リンク資料冒頭の 簿冊表題に続く部分をクリックすると、表紙と目録 が現れます。

5番目に挙げられている「郡区編制の件」ですが、[99279]でリンクしていただいた本体の第1コマには、何故か明治12年7月28日付の上申書(乙第82号と朱書)が付けられています。

昨年(明治11年甲第22号)伺済であり、上記のように人民に対する布達も済んでいるのに、編制実施の際に重ねて上申を出した理由は何か?
私にはよく理解できないので推測になりますが、いざ実施段階になったら、決済を得ていた編制から少し変更していたので、改めて上申したのではないでしょうか。

北海道における 郡区町村編制法の実際の施行日は、M12/7/28? との疑惑。

そのつもりで 2コマに続く編制を見ると、疑問点があるようです。
せっかく詳細な編制を 公文録によって知ることができたと思ったのに、あらぬ疑惑を生じたのは残念ですが、とりあえず記しておきます
[99287] 2020年 3月 23日(月)08:12:02【1】白桃 さん
名邑三世代.その3(山口県)
山口県の【明治の名邑】は、下関(別格市街)、萩(市街)、山口(市街) 、徳山(筆頭名邑)、岩国、久賀、長府(代表名邑)、防府、福川、柳井、室積の十一。政治の中心が萩から山口に移ったことが人口推移からもうかがえます。なお、※長府は1911年(明治44年)、福川は1912年(明治45年)に町制施行。 
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
別格市街下関下関市赤間関30,525下関市58,254
市街萩市21,206萩町18,069
市街山口山口市山口11,447山口町21,100
名邑徳山周南市徳山村11,511徳山町13,930
名邑岩国(岩国市)岩国8,187岩国町10,802
名邑久賀(周防大島町)久賀8,129久賀町7,809
名邑長府(下関市)豊浦6,324長府村※ 9,012
名邑防府防府市三田尻6,098防府町23,916
名邑福川(周南市)福川5,439福川村※ 6,171
名邑柳井柳井市柳井4,486柳井町12,797
名邑室積(光市)室積3,747 室積町8,649
準名邑
第一表富田(周南市)富田6,283富田村7,100
第一表須佐(萩市)須佐3,935須佐村5,363
第一表仙崎(長門市)仙崎3,375仙崎村6,607
(参考)
第一表(防府市)宮市2,983(防府市)
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

山口県の【大・昭の名邑】=【秀邑】は、小野田、下松、宇部、岩国市(前身:麻里布町)、光、安下庄、厚狭、
小郡、富田、深川、秋穂、大嶺の十二。
【明治の名邑】で準名邑に甘んじた仙崎は、ここでも【秀邑】に届かなかった。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
条件一小野田山陽小野田市小野田町15,887小野田市52,877
条件一下松下松市下松町8,192下松市39,923
条件一宇部宇部市宇部村38,063宇部市128,569
条件一岩国市岩国市麻里布村 7,431岩国市61,532
条件一光市浅江村2,948光市35,090
条件二安下庄(周防大島町)安下庄町8,492安下庄町10,310
条件二厚狭(山陽小野田市)厚狭町7,936厚狭町18,348
条件二小郡(山口市)小郡町7,406小郡町13,127
条件二富田(周南市)富田町6,534富田町13,191
条件二深川長門市深川村9,217深川町13,037
条件二秋穂(山口市)秋穂村8,286秋穂町11,038
条件二大嶺美祢市大嶺村8,072大嶺町14,400
(参考)仙崎(長門市)仙崎町6,354仙崎町9,664
注:(人口)は国勢調査人口

山口県の【昭・平の名邑】=【卓邑】は、豊浦と和木の二つ。
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
条件二豊浦(0)(下関市)豊浦町22,132豊浦町20,499
条件四和木(7)和木町和木村5,627和木町6,732
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は9回の国調でDIDが存在した回数
[99286] 2020年 3月 22日(日)11:09:59オーナー グリグリ
新型コロナウィルス
新型コロナウィルスの感染拡大に歯止めがかからない状況でとても心配です。このところほとんど外出せず引きこもっています。都道府県データランキングに感染者数の推移を表してみました。

新型コロナウィルス

厚生労働省が報道発表している新型コロナウィルスの有症状感染者数です。無症状の感染者は含まれていません。また、クルーズ船およびチャーター便帰国者も含まれていません。なお、感染者数は該当日付の正午現在のデータになります。感染者数に加え増加数(右側日付データからの)についても一覧にしました。今後、概ね3日間隔でデータを追加する予定です。

当道府県別の増加数の推移を見ると、北海道では落ち着いてきそうですが、首都圏や大阪愛知などの都会では今後急拡大する気配もあり、本当に注意が必要です。不要不急の外出を控えたり、手洗い消毒の徹底など、皆様も十分にお気をつけください。
[99285] 2020年 3月 22日(日)10:37:15ekinenpyou さん
Re3:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
(大区小区制が廃止され)郡区町村編制法施行の布達が使府県より出されると、
ほぼ同時期に郡区長が置かれるという点はご存知の通りかと思いますが
当時の(郡区長)任命に関する記録(履歴)が多くの府県で残されており、いくつか実例を示します。

[99264]YT さん関連
熊本県(M12.1.20施行)(9コマ)・茨城県(M11.12.2施行)(199コマ)
新潟県(M12.4.28施行)(17コマ)・長野県(M12.1.4施行)(1および8コマ)

[99263][99270]白桃 さん関連
愛媛県(M11.12.16施行)(76コマ)・和歌山県(M12.1.20施行)(5コマ)

以上の通り、(おおむね)布達の日以降に任命を行っている事実が確認できますので
(郡区町村編制法)施行時期の実態を把握するという点で参考になるかもしれません・・・

【おまけ】[99259] むっくん さんで示された表について補足

高知県 甲第267号布達 M11.12.6 M12.1.1

上記の布達の後、甲第278号布達(M11.12.14)でM12.1より実施と示された。

広島県 甲第137号布達 M11.11.11 M11.11.11

郡区町村編制法 - Wikipediaでの施行日がM11.11.1とあったため、以下の資料類を再確認した。

広島県史. 第1編(左隅)
公文録・明治十二年・第百七十一巻・府県判任官進退録第九(2コマ)

以上より、布達がM11.11.11に出されたという点に少々疑問が生じました。
(絶対にあり得ない話ではないと思いますが・・・)
[99284] 2020年 3月 22日(日)10:31:34【1】白桃 さん
「平成の大合併期」誕生市の最初の国調人口トップ10&ボトム10
1.2005年国調デビュー組
トップ10市名(人口)---ボトム10市名(人口)---(参考)町名(人口)
1安曇野96,2661養父28,3061三好町56,252
2甲賀93,8532飛騨28,9022滝沢村53,560
3神栖91,8673にかほ28,9723岩出町50,834
4登米89,3164上野原28,9864府中町50,732
5栗原80,2485阿蘇29,636 5大網白里町49,548
6甲斐74,0626江田島29,9396白岡町48,389
7南アルプス72,0557山県30,3167東浦町48,046
8笛吹71,1908八幡平31,0798阿見町47,994
9丹波70,8109あわら31,0819野々市町47,977
10田原66,39010那須烏山31,15210寒川町47,457
〇トップ10の中にも単独市制はありませんが、編入/市制施行が、神栖市(波崎町を編入)と田原市(赤羽根町を編入、市制施行後、渥美町を編入)です。合併に関与した自治体数が3と比較的少ないのが甲斐市、逆に多いのが10の栗原市、9の登米市(登米郡にとどまらず、本吉郡までも含む合併、文字通り登米---とめどない)。合併に関与した自治体数が5ながら、前身町が3万人を超え、その他の旧)自治体人口も粒ぞろいだった安曇野、甲賀が1、2位となっているのも納得です。
〇ボトム10の中で、養父、飛騨、江田島は合併関与自治体数が4です---何かを言いたいのですがここは我慢。('◇')ゞ
上野原、阿蘇、江田島は前身町の名称と市名が同じですが、阿蘇と江田島は「継承」したわけでもないでしょう。前身町の名称を継承した(と勝手に思っている)上野原も、上野原町と秋山村の新設/市制ですがね・・・
ボトム10すべて、現在は3万人をきっています。
〇2005年国調時点で3万人を超えていた町村が90もありました。三好町と岩出町は、2010年国調では「市」として登場します。

2.2010年国調デビュー組
トップ10市名 (人口)---ボトム10市名(人口)---(参考)町名(人口)
1坂井91,9001香美28,7661滝沢村53,857
2あま86,7142嬉野28,9842長久手町52,022
3北名古屋81,5713三好29,9513野々市町51,885
4姶良74,8094宮若30,081 4府中町 50,442
5木津川69,7615中央31,3225白岡町50,272
6三豊68,5126本宮31,4896大網白里町50,113
7伊達66,0277国東32,0027東浦町 49,800
8 紀の川65,8408神埼32,8998 那珂川町49,780
9 みよし60,0989志布志33,0349阿見町47,940
10 下野59,48310平川33,76410寒川町47,672
〇トップ10を見ると、単独市制はみよし市のみですが、合併によって市となったところも、合併関与自治体数が2005年デビュー組と比較して少なくなっています(最多は三豊市の7)。また、みよし市の他、坂井、あま、北名古屋、姶良、木津川は前身町が3万人を超えています(北名古屋は前身の師勝町と西春町の両町が3万超え)。
〇ボトム10の中で、中央、本宮、神埼、平川の4市は意外?なことに、現在(2020年2月1日)も3万人をきっていません。村と合併した本宮はともかく、嬉野も前身町の名称と同じ市名となっていますが、合併の相方・塩田町がみかえりに市役所をとる、という約束があったようです。それにしても、6町村合併で市になった三好市、池田高校の「やまびこ打線」も今ではむなしいばかりです。
〇2010年国調時点で3万人を超えていた町村は72となっています。滝沢、長久手、野々市、白岡、大網白里は、2015年国調では「市」として登場します。
[99283] 2020年 3月 22日(日)08:24:45駿河の民 さん
小さいネタの寄せあつめ
一本で記事にすると短くなってしまうけど、いつかは書きたいな…と思っていたネタがいくつか集まったので一気に出してしまいます。
[99269]シノレパシクソさん
さて、この度大学受験があり、国立大学(理系)に合格することができました。高校を卒業し、4月からは大学生として新たな生活を送ることとなります。
おめでとうございます。自分も今年度人生初の受験が待っています。嫌だな…


3月から塾で社会の授業が始まったのですが、「県庁所在地と県名が違うのは戊辰戦争で賊軍だったところ」「北日本に限らず日本各地の地名はアイヌ語由来」といった俗説を信じていて、自信満々に披露するので、なんだかなあという気持ちになったり。ついに「静岡県は都道府県の中で唯一村がない」という発言も飛び出しました。静岡県以外の12県に全力で謝っていただきたいですね。


都道府県と県庁所在地名で一番同音異字の地名が多いのは「みと」ではないでしょうか。
三戸
御津
水戸
三津
弥刀(ただし地名としては消滅し学校名と駅名としてのみ現存)
美都
他にもあるような気がします…

#集めた結果すごく纏まりのない記事になってしまった…
[99282] 2020年 3月 21日(土)10:44:40ekinenpyou さん
Re2:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
昨日の続きです。(つなげると1投稿が長くなるので別投稿に分割しました)

[99252]MI さん
大島郡だけは同年4月8日太政官布告第15号で
鹿兒島縣管轄大島喜界島徳ノ島沖永良部島與論島ヲ以テ大島郡ト爲シ大隅國ヘ被屬候條此旨布告候事
とありますので、これのみ4月8日としました。

[99259]むっくん さん
(大島郡) 太政官布告第15号 M12.4.8 M12.4.8


上記は当方も郡設置を以て郡区町村編制法施行とみなしているのですが、初代郡長はM12.7.1に任免されている
らしく、この日を(郡役所設置&行政区画としての大島郡発足)施行日としているケースもあるようです。

大島郡 (鹿児島県) - Wikipedia

【参考】
日本の国郡区域と新しい広域行政区画の展望 - J-Stage(6~8コマなど)
奄美大島史その1その2
[99281] 2020年 3月 21日(土)06:29:29白桃 さん
大子まち 3万ごえも 市になれず ふくろだたきの ふくろだのたき 
[99277]千本桜さん
[99280]伊豆之国 さん
お付き合いありがとうございます。
袋田の滝(別名「四度の滝」)のある大子町はじめ、いっときは3万人を超えていたが結局市になれず、2015年人口では3万人をきっている現役の町が16あります。また、2020年国勢調査では3万きりが濃厚な町が四つです。(島本町は3万復帰の可能性大です。)
言わずもがなですが、3万人を超えていたからといって、市になれるわけでもなく、また大子町が市になれなかったのは、町長さんの責任でも、袋田の滝のせいでもありません。ただ、三名瀑の中で袋田の滝だけ国立公園内でも国定公園内でもないのが気になります。

町名2015年人口最高人口(年)3万越え回数
上砂川3,47931,406(1950年)1回
羽幌7,32730,266(1965年)1回
川西15,75130,294(1955年)1回
鞍手16,00730,794(1955年)1回
川崎16,78940,878(1955年)4回
大子18,05343,124(1955年)5回
高畠23,88235,333(1955年)2回
那須24,91931,034(1955年)2回
立山26,31731,285(1960年)1回
二宮28,37830,802(2000年)3回
海田28,66730,744(1990年)4回
水巻28,99734,927(1960年)9回
養老29,02933,694(1995年)7回
高根沢 29,63930,915(2005年)2回
時津29,80430,110(2010年)1回
島本29,98330,339(1995年)2回
松伏30,06131,153(2010年)3回
松前30,06430,564(2005年) 5回
猪名川30,83831,739(2010年)3回
小川31,17837,822(1995年)6回
[99280] 2020年 3月 20日(金)22:17:06伊豆之国 さん
本番さながら「模擬甲子園・開会式」
ご承知の通り、疫病流行で中止のやむなきに至った「選抜」。その出場予定校だった花咲徳栄高校が、開会式の予定日だった昨日、自校のグラウンドを使って、まさに本番さながらの「模擬甲子園・開会式」を行った、という話題がありました(こちら)。
この「模擬開会式」を提案したのは、野球部の監督だったといい、選手たちは、「本番」に使用するはずだった背番号入りのユニフォームを着用し、手作りのプラカードも使われた入場行進、校歌斉唱など、まさに「甲子園」での情景そのもの。「観客」こそ学校関係者数十人だけ、というものの、まさに「本番」で披露するはずだった光景を「再現」したのでした。

遅レスですが…
[99267] 白桃さん
1960年国勢調査では(中略)今日まで「町」として生き残っている?取り残されている?町が一つありますね
「滝」が有名な北関東の町ですね。「諸国漫遊など嘘っぱち」というかの時代劇のヒーローも、ここはおひざ元の領国内なので、その滝は多分見ているでしょう。4万人を超えていたのに市にならなかった(なれなかった)のは、やはり「必要条件」を満たしていなかったからでしょうか。その町の人口は、今では最盛期の4割以下に激減しているので、「市にならなくて正解」、それどころか、無理に市になったとしても、今や「村」に2段階格下げされても文句なし、という北の元炭鉱町ほどひどくはないにしても、「市としての資格喪失」の「自責」に耐え切れず、ひょっとしてその時代劇のヒーローが晩年を過ごした市に「編入」されていたかも…。
…そのヒントは、[99276]にもありますね。
[99279] 2020年 3月 20日(金)19:48:06ekinenpyou さん
Re:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
同日別投稿で失礼します、[99259]むっくん さん [99264] YT さんに補足
開拓使 乙第4号布達 M12.7.23 M12.7.23


リンク先のものは本文が大幅に省略されておりますので
こちら(2コマ)も参考になるかと思います。

熊本県 甲第5号布達 M12.1.20 M12.1.20


『新熊本市史』は、現在熊本市の主な境域となっている熊本区・飽田郡・詫摩郡分しか掲載しておりませんが


こちら(3コマ)に全文掲載されています。

新潟県 甲第42号布達 M12.4.28 M12.4.28


同日に甲第42号布達と甲第43号布達が出ており、郡区役所位置は分けて公布したようです。ただ最初に確認した『新潟県史 資料編15 近代三 政治編I』の方では「「県治報知」明治十二年」を典拠とする甲第43号しか収録されていなかったため、非常に混乱しました。困ったことに、『新潟県史 別冊1 年表・索引』の方では、以下のように謎のM12.4.9という数字が登場してしまいます。


甲第42号布達がM12.4.28であることが間違いないならばそちらが妥当と解釈します。
([99252]MI さんでも異論は示されなかった)

【参考】
新潟県郡区長ヘ委任条件并郡区名称区域表ノ件二条(9コマ)
南魚沼郡志その1その2

なお、新潟県のM12.4.9大区小区制廃止説については以下など色々拡散中のようですね・・・
新潟県年表を調べる明治11年~明治20年(PDF形式:385KB)
郡区町村編制法 - Wikipedia
[99278] 2020年 3月 20日(金)10:44:46ekinenpyou さん
Re:「茨城県民の日」の日付など
[99256]hmt さん
上記[55178]からのスレッド記事として、Issieさん [55181]、hmt [55199] があります。
古い日付の扱いに関して、参考になることもあると思うので、関心のある方はご一読いただければ幸いです。


本件ある程度目を通しました、以下コメントしておきます。

[55199]hmt さん
山川の便覧では、入間県だけが1日早くなっている


個人的には太政官布告594(M4.11.14)を根拠とみていますが、
M4.11.13説も色々と拡散しているらしく、例えば入間県 - Wikipediaでも
(明治4年太政官布告第594号と記載があるにも関わらず)そのようになっています。
(地方沿革略譜も同日でその影響を受けた???)

このズレが何故生じたかについて当方で推測している内容は以下の通りです。

1・M4.11.14前日付の太政官日誌(M4.11.13)で布告に先立って長官(県令など)が任命されている記述がある。
(法令全書には併記されない内容)

2・(廃藩置県より前、府藩県三治制当初の)法令には府県設置明記の記述が見あたらず、
(辞令の時点で設置とみなしている)ケースがある。

参考・2)最初の府県(Issieさんのサイト) より
「法令全書」が付した注のように,各府県を設置したことを明記する布告は見られない。したがって,「法令全書」では各府県知事の辞令をもって「府県の設置」としている。


以上より、地方沿革略譜で(入間県の執筆を担当した方に)前倒しで長官の任命されたM4.11.13が置県と
解釈(誤解?)された。ただしこの解釈は(法令として翌日付の太政官布告が存在していることもあり)異端であり、
埼玉県など多くは(布告通り)M4.11.14が置県と解釈された。(後年作成の法令全書でも注釈は入らず)

当時の府県の変遷(日付)には色々と面白いものがあり、書ききれなかったので日を改めて別途投稿予定です。
(過去ログと重複しないようにしたいとは思いますが、完璧には検索しきれない点もあるのでご容赦ください)
[99277] 2020年 3月 20日(金)08:14:32千本桜 さん
なぞなぞにはなぞなぞで
[99276] 白桃さん

どこの町長さんでっしゃろ?

かわいそうに、その町の町長は4度も叩かれているらしい。
[99276] 2020年 3月 20日(金)07:22:34白桃 さん
人口地理なぞなぞ
町や村の人口が3万人を超えたにもかかわらず市になれなかった、といって町長(村長)さんには何ら責任が無く、袋叩きにあうことはないのですけど、ある町長さんだけは、もう何度もフクロダタキにあってます。
どこの町長さんでっしゃろ?
[99275] 2020年 3月 19日(木)20:55:15【2】デスクトップ鉄 さん
祝大学合格
[99269]シノレパシクソさん
みなさんにお祝いの言葉の先を越されましたが、大学合格おめでとうございました。
[99270] 白桃さんがお書きになったように、第53回十番勝負に続き第1回全国の鉄道路線五番勝負も一抜けでした(おまけに、金2個銀3個を獲得)。
第1回全国のJR駅五番勝負の感想で「こんな言葉(特定都区市内)なんて聞いたことない」と書かれていましたが、この2年間半でめきめき実力をつけられました。今回は大学問題を2題出したので、受験直後の方には有利だったかもしれません。次回6月の第11回全国のJR駅五番勝負はシノレパシクソさんシフトを引きます。
ところで、アナグラムでメッセージ「若さは身体(わかさはしんたい)」。
[99274] 2020年 3月 19日(木)18:20:56オーナー グリグリ
市区町村の役所・役場一覧 SV追加(徳島県、香川県、愛媛県、高知県、沖縄県)
[99272] Nさん、四国のSVデータをありがとうございました。追加しました。また、沖縄県についてもSVを追加しました。大宜味村は役場の上部が見えている画像がやっとです。南大東村にはまだSVが設定されていないようです。

[99269]シノレパシクソさん
大学合格おめでとうございます。日本の将来を託したいですね。
[99273] 2020年 3月 19日(木)17:51:16白桃 さん
名邑三世代.その2(山梨県)
はじめに
【名邑】について以下の通り整理しなおしました。
〇【明治の名邑】
1.名邑・・・要件は[99245]に記した通り

2.名邑のうち、以下に適合するものを特に【市街】と称する。
2-1「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」)の現住人員が三千人以上で、1908年「日本帝国人口静態統計」記載された」現住人口が5万人以上
2-2「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」)の現住人員が一万人以上で、1908年「日本帝国人口静態統計」記載された」現住人口が1.5万人以上

3.名邑のうち、以下に適合するものを特に【別格市街】と称する。
3-1「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」)の現住人員が三千人以上で、1908年「日本帝国人口静態統計」記載された」現住人口が10万人以上
3-2「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」)の現住人員が三万人以上で、1908年「日本帝国人口静態統計」記載された」現住人口が5万人以上
3-3 札幌及び福岡

4.名邑のうち、以下に適合するものを特に【特選市街】と称する。
4-1「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」)の現住人員が五万人以上で、1908年「日本帝国人口静態統計」記載された」現住人口が10万人以上

〇【大・昭の名邑】
別称を【秀邑】とする
一種(条件一に適合)、二種(条件二に適合)、三種(条件三に適合)
〇【昭・平の名邑】
別称を【卓邑】とする
一種(条件一に適合)、二種(条件二に適合)、三種(条件三に適合)、四種(条件四に適合)
・・・・・・
山梨県

山梨県の【明治の名邑】は、甲府(市街)、市川大門(筆頭名邑)、谷村、鰍沢(代表名邑)の四つ。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
市街甲府甲府市甲府18,411甲府市49,882
名邑市川大門市川三郷町市川大門4,683市川大門町5,828
名邑谷村都留市谷村4,054谷村町6,914
名邑鰍沢(富士川町)鰍沢3,505鰍沢町5,358
準名邑
第一表韮崎韮崎市韮崎2,636韮崎町2,909
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

山梨県の【大・昭の名邑】=【秀邑】は、下吉田、塩山、大月の三つ。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
二種下吉田富士吉田市瑞穂村9,269下吉田町19,721
二種塩山甲州市七里村9,267塩山町14,764
二種大月大月市広里村5,964大月町11,128
注:(人口)は国勢調査人口

山梨県の【昭・平の名邑】=【卓邑】は、山梨市、韮崎、上野原、石和、増穂の五つ
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
一種山梨市(8)山梨市山梨市30,792山梨市32,505
一種韮崎(9)韮崎市韮崎市30,244韮崎市32,707
二種上野原(8)上野原市上野原町25,887上野原町27,771
二種石和(0)笛吹市石和町10,973石和町26,989
四種増穂(6)富士川町増穂町13,996増穂町13,070
準卓邑
竜王(4) 甲斐市竜王町8,242竜王町40,559
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は9回の国調でDIDが存在していた回数
[99272] 2020年 3月 19日(木)13:21:43N さん
役場SV(四国)
[99271] 2020年 3月 19日(木)13:04:35【2】hmt さん
大学の敷地面積
[99269] シノレパシクソ さん
昔、「東大の関連施設の敷地面積は国土の1%にもなる」なんて都市伝説を聞いたことがあるのですが、実際どれくらいなんでしょうね……。

おめでとうございます。大学の広い構内を楽しんでください。

Webによると、東京大学の総敷地面積は、およそ 320km2。出典
国土面積の 0.1%弱ですから、都市伝説は1桁違っていたようです。
北海道大学は 660km2で、国土面積の 0.17%。

落書き帳には、東大演習林の中で最大の富良野演習林 230km2 に関する過去記事[68625]があります。

【追記】
大学敷地面積の出典を追加

演習林どの施設は別として、大学のキャンパス単位では 約2.5km2 以上ある下記の3キャンパスが広いようです。
しかし、市町村面積【最小の富山県船橋村でも 3.47km2】には及びません。
九州大学・伊都キャンパス
筑波大学・筑波キャンパス
広島大学・東広島キャンパス
[99270] 2020年 3月 19日(木)09:55:18白桃 さん
祝:シノレパシクソ さん
[99269]シノレパシクソ さん
さて、この度大学受験があり、国立大学(理系)に合格することができました。高校を卒業し、4月からは大学生として新たな生活を送ることとなります。
おめでとうございます。十番勝負を一抜けしながら、デスクトップ鉄さんの五番勝負も一抜けしながら、合格していたとは驚きです。
ま、十番勝負は、どこの大学の入試問題よりも難しいので、余裕で合格も当然と言えば当然かもしれません。( ´∀` )
どうぞ、落書き帳を忘れない程度に大学生活を謳歌してください。('◇')ゞ

[99259]むっくん さん
(2)郡区町村編制法の施行に伴い設置された区の一覧
和歌山区が抜けていませんでしょうか?
[99269] 2020年 3月 18日(水)23:05:24勿来丸[シノレパシクソ] さん
役場SV、大学の話etc...
[99268]グリグリさん
SVの追加ありがとうございました。こういう作業は実際にやってみるとかなり大変なことが分かりますね。微力ながら私も頑張っていきたいと思います。
3月中は予定が多くまた4月から新生活で、時間を取ることがかなり厳しいですが、今後は北関東(埼玉→群馬→)という感じで進めようかと考えています。

さて、この度大学受験があり、国立大学(理系)に合格することができました。高校を卒業し、4月からは大学生として新たな生活を送ることとなります。
受験勉強の合間も、この落書き帳を読んで楽しんだり、自ら書き込んだり、十番勝負等のイベントに参加したりと、このサイトを利用しながら適度に息抜きをしつつ、何とか最後までやり遂げることができました。いつも関わってくださっている皆さんに本当に感謝します。
大学生活、どうなるかまだ分かりませんが、落書き帳には適度に(以前より活発に?)顔を出しつつ、このサイトのさらなる発展に貢献したいです。今後ともよろしくお願いします。
受験勉強の次は十番勝負の勉強をせねば……('◇')ゞ

私事で失礼しました。最後に『大学』つながりで地理に関係ある(?)話を。
大学の関連施設はキャンパス所在地以外にも、全国各地に点在していることが多いです。実験施設のようなものから、合宿で利用する遠方の寮まで様々です。あの東京大学、ともなるとその施設は北から南までずらり。→参考
昔、「東大の関連施設の敷地面積は国土の1%にもなる」なんて都市伝説を聞いたことがあるのですが、実際どれくらいなんでしょうね……。
[99268] 2020年 3月 18日(水)19:03:08【2】オーナー グリグリ
市区町村の役所・役場一覧 SV追加(北海道、新潟県、福井県、山梨県、長野県、静岡県)
[99265][99266] シノレパシクソさん、市区町村の役所・役場一覧へのSV情報の提供をありがとうございました。新潟県、福井県、山梨県、長野県、静岡県のSV情報を追加しました。ご協力に深く感謝いたします。とても助かります。また、記事に書かれているコメントもありがとうございます。全く同じような感想を持っています。SVも時々更新されますので、現在のリンクがずれたりすることもあるかと思いますが、できるだけ適切なリンクを保って行けるようにしたいと考えています。

残る都道府県は、北海道(現在作業中です)、宮城県、秋田県、山形県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、徳島県、香川県、愛媛県、高知県、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県となりました。私は北のほうから作業を進める予定です。

いろいろ所用が重なっていてなかなかまとまった時間が取れませんが、もう少しすれば比較的時間に余裕ができると思います。やりたいことも数多くありますので、一つ一つ着実に進めていくつもりです。引き続きよろしくお願いいたします。

追記:北海道について全てSVリンクを追加しました。今後は、沖縄県、宮城県、秋田県、…と進める予定です。
[99267] 2020年 3月 18日(水)10:22:12白桃 さん
「昭和の大合併期」誕生市の最初の国調人口トップ10&ボトム10
1.1955年国勢調査デビュー組
トップ10市名(人口)---ボトム10市名(人口)---(参考)町名(人口)
1相模原83,8411鶴崎27,9741三笠町57,519
2伊万里81,6252杵築29,5322宮田町51,795
3笠岡69,9263安芸29,8413豊平町49,613
4三鷹69,4664伊予30,0314江刺町49,356
5氷見68,6115両津30,0485稲沢町46,871
6芦別68,091630,0766越谷町45,001
7焼津67,2297鳥羽30,1217稲築町43,412
8西尾66,1438塩山30,2798大子町43,124
9花巻61,7289八日市30,4869安中町42,808
10藤枝61,46610滑川30,53110千歳町42,317
〇トップ10の中では、相模原、三鷹、芦別、焼津が単独市制ですが、焼津は市制後、1955年国調までに1町4村を編入しています。合併によって市になった組では、伊万里、笠岡、花巻、藤枝が新設/市制となっております。また、西尾は境界変更/市制という数少ないパターンで、氷見だけが純粋な編入/市制となっておりますが、その氷見は、市制施行時に3村を編入し、市になってから1955年国調までに14村を編入して氷見郡を食い尽くしてしまったことで有名です(正確に言うと、太田村は高岡市に編入された)。1955年国調デビュー全243市の中で5万人を超えていたのは32市です。
〇ボトム10の中では、旭、塩山、滑川が単独市制となっておりますが、市制施行前に周辺の村との合併を重ねており、純粋の単独市制ではありません。ボトム10の市で市制施行後、今日までの国勢調査で3万人をきらなかったのは、旭、滑川の2市のみで、鶴崎は3万人を超えることなく消滅してしまいました。
〇1955年国勢調査では、三笠町をはじめとする53の町が3万人を超えており、福岡県の穂波と(当時は米国の占領下にあった)沖縄の越来、具志川の3村も3万人を超えていました。参考に掲げた10町の中で、三笠、江刺、稲沢、越谷、安中、千歳が次回国勢調査に市として登場します。

2.1960年国勢調査デビュー組
トップ10市名(人口)---ボトム10市名(人口)---参考(町名)(人口)
1町田71,2691矢板29,085 1豊平町77,312
2和泉70,7012北条29,160 2浜北町53,548
3北茨城60,5673篠ノ井29,3293小平町52,923
4阿南60,1104有田29,3734宮田町51,200
5三笠56,1965羽咋29,5565保谷町46,768
6加賀54,5486室戸30,4986日野町43,394
7稲沢51,7357袋井30,817 7東村山町42,946
850,9528天竜31,1228稲築町42,612
9橿原49,9549勝浦31,1419大子町40,178
10 越谷49,58510尾花沢31,53810国分寺町39,098
〇トップ10の中で、三笠、稲沢、蕨、越谷が形の上では単独市制になっていますが、稲沢は1955年に、越谷は1954年に合併を行っていますので、純粋の単独市制とは言い難いのです。また、北茨城、阿南、加賀、橿原は新市の名称に旧町名を使用しておりません。また、1960年国調デビュー全66市の中で5万人を超えていたのが8市と、1955年組に比べ、若干低くなっております。
〇ボトム10の中では、矢板、北条、有田、羽咋、袋井、天竜、勝浦、尾花沢が形の上では単独市制になっておりますが、いずれも市制施行前の「昭和の大合併期」に合併を行っております(天竜は市制施行時に二俣から改称)。ボトム10の中では袋井のみが、今日まで3万人をきっておりません。また、篠ノ井は市としてと3万人を超えることなく長野と合併します。
〇1960年国勢調査では、豊平町をはじめ34の町と米国占領下の具志川村が3万人を超えています。参考に掲げた10町の中で、浜北、小平、日野、東村山、国分寺が次回国勢調査に市として登場します。町田より人口が多かった豊平は札幌に編入されます。今日まで「町」として生き残っている?取り残されている?町が一つありますね。
[99266] 2020年 3月 17日(火)21:58:48勿来丸[シノレパシクソ] さん
役場SV(中部その2)
続きです。

●長野県
松本市  上田市  岡谷市  飯田市   諏訪市  須坂市  小諸市  伊那市
駒ヶ根市 中野市  大町市  飯山市   茅野市  塩尻市  佐久市  千曲市
東御市  安曇野市 小海町  川上村   南牧村  南相木村 北相木村 佐久穂町
軽井沢町 立科町  青木村  下諏訪町  富士見町 原村   辰野町  箕輪町
飯島町  南箕輪村 中川村  宮田村   松川町  高森町  阿南町  阿智村
平谷村  下條村  売木村  天龍村   泰阜村  喬木村  豊丘村  大鹿村
上松町  南木曽町 木祖村  王滝村   大桑村  木曽町  麻績村  生坂村
山形村  筑北村  池田町  松川村   白馬村  小谷村  坂城町  小布施町
高山村  山ノ内町 木島平村 野沢温泉村 信濃町  小川村  飯綱町  栄村

・飯山市は少し左に動くと木にあまり邪魔されずに見ることができます。
・佐久市役所はどこから見ても遠いor見栄えが良くない、といった感じです。
・千曲市役所は見る場所によっては庁舎新築工事前の画像が見られます(工事は2019年9月に終了)。
・東御市役所はこのあたりから何とか見えるくらいですね。
・川上村役場(奥の赤い建物)はこの距離感でやっとです。道路沿いに動かすともっと良いアングルがあるかもしれません。
・北相木村役場はパラボラアンテナのついた建物のはずです。
・青木村役場は一本下の道路からのアングルです。
・高森町役場はかなり微妙です。
・売木村はかなり奥です。
・白馬村は相当きついです。


●静岡県
駿河区 清水区  中区   東区  西区    南区   北区  浜北区
天竜区 沼津市  熱海市  三島市 富士宮市  伊東市  島田市 富士市
磐田市 焼津市  掛川市  藤枝市 御殿場市  袋井市  下田市 裾野市
湖西市 伊豆市  御前崎市 菊川市 伊豆の国市 東伊豆町 河津町 南伊豆町
松崎町 西伊豆町 函南町  清水町 長泉町   小山町  吉田町 川根本町
森町

・中区役所は浜松市役所と同じなのですが、小さく『中区役所』とも書かれているこのアングルで。ちょうど反対側からのアングルもおすすめです。
・天竜区役所は全然見えないです。
・掛川市は木がすごいですね。
・南伊豆町役場がまともに見えるのは裏の道からだけですね。なお表側に『南伊豆町役場』と書かれた道路の入口があるのですが、そこから見えるのは役場隣の南伊豆郷土館だけです。


「美しい」アングルとは程遠いかもしれませんが、更新よろしくお願いします。
(※)グリグリさんと中々連絡が取れないのが不安です……
[99265] 2020年 3月 17日(火)21:46:24勿来丸[シノレパシクソ] さん
役場SV(中部その1)
『市区町村の役所・役場一覧』にSV情報の提供です。グリグリさんやNさんが進めておられると思いますが、少しでも作業に貢献出来たらということで、未完成の中部5県(新潟・福井・山梨・長野・静岡)のSVを収集して参りました。

●新潟県
北区   東区   中央区 江南区  秋葉区  南区   西区   西蒲区
長岡市  三条市  柏崎市 新発田市 小千谷市 加茂市  十日町市 見附市
村上市  糸魚川市 妙高市 五泉市  上越市  阿賀野市 佐渡市  魚沼市
南魚沼市 胎内市  聖籠町 弥彦村  田上町  阿賀町  出雲崎町 湯沢町
津南町  刈羽村  関川村 粟島浦村

・江南区は正面までSVがカバーされておらず上記リンクが限界です。もう少し先までSVが設定されるといいのですが……。
・長岡市は多くのサイトで使われているアングルのつもりではありますが、一目で市役所と分かるアングルはなさそうです。ちなみにこの複合施設(アオーレ長岡)は隈研吾氏の設計だそうですね。
・出雲崎町役場は道路の奥に何とか見えるくらいです。
・粟島浦村もアングルが結構悩ましいです。


●福井県
敦賀市 小浜市  勝山市 鯖江市 あわら市 越前市  坂井市 永平寺町
池田町 南越前町 越前町 美浜町 高浜町  おおい町 若狭町

・鯖江市役所は正面から見ようとすると石垣と草木が邪魔になります。
・坂井市も木々が邪魔で良いアングルが中々見つからないですね。
・おおい町は分かりやすいアングルを選ぶのに困ります。


●山梨県
富士吉田市 都留市  山梨市 大月市 韮崎市   南アルプス市 北杜市 甲斐市
笛吹市   上野原市 甲州市 中央市 市川三郷町 早川町    身延町 南部町
富士川町  昭和町  道志村 西桂町 忍野村   山中湖村   鳴沢村 富士河口湖町
小菅村   丹波山村

・都留市役所/身延町役場/山中湖村役場はそれぞれかなり奥に見えます。
・韮崎市役所を建物左脇の道路上から見ようとすると、建物の下半分及び入り口付近が見えなくなります。
・南アルプス市役所は正面アングルが取得不能です。ちなみに反対側の道路脇には『櫛形町役場』の文字が。
・北杜市役所のそばの道路はSVが設定されておらず、高速道路からでも見えないのでこれが限界です。
・富士川町役場は真正面アングルにゴミ収集車が……。
・小菅村役場は庁舎新築工事中の状態です(同地で建て替えをしただけ、工事は2015年3月に終了)。
[99264] 2020年 3月 17日(火)16:48:20【6】YT さん
長野県のM12.1.4布達は乙第1号布達
[99259] むっくんさん
郡区町村編制法時の各府県布達の状況を詳しくまとめて頂き、ありがとうございます。
読んでいて所々「?」の箇所があったので、その辺についてこちらで調べさせて頂きました。

1.熊本県の郡区

熊本県 甲第5号布達? M12.1.20? M12.1.20?

熊本県 熊本区 甲第5号布達? M12.1.20?~M22.3.31


新熊本市史 史料編 第六巻 近代I』(1997年)の243~247頁収録の「39 〔郡区町村編成〕(抄) 明治12.1.20 布達便覧」により、甲第5号布達、M12.1.20共に間違いないと思います。以下、細かい町丁村名については(中略)と省略して引用しますと:

甲第五号
 今般太政官第十七号布告ニ拠り、従前ノ大小区画ヲ廃シ郡区トナシ、郡区ノ分割及郡区役所ノ位置別冊ノ通相定候条、此旨布達候事。
  明治十二年一月二十日    熊本県令 富岡敬明

熊本区
 役所ヲ飽田郡新町三丁目ニ置キ熊本区役所ト称ス。
  所轄町百十八 内丸印中二ヶ所当時陸軍省所轄、一ヶ所県庁敷地
 細工町一丁目 細工町二丁目 細工町三丁目
(中略)
 新屋敷町 白川町
飽田郡 詫摩郡
 役所ヲ飽田郡春日村ニ置キ飽田詫摩郡役所ト称ス。
  所轄町三 村百三十九(注:明治十二年一月二十五日甲第二十九号二つにより、「村百三十九」を「村百四十」と正誤。)
 上立田村 下立田村 弓削村
(中略)
以下詫摩郡
 本山村 平田村 高江村
(中略)
 鹿帰瀬村 戸島村
     <以下他郡は略>


『新熊本市史』は、現在熊本市の主な境域となっている熊本区・飽田郡・詫摩郡分しか掲載しておりませんが、明治12年1月20日甲第5号布達には郡区の設置と郡区役場の設置がすべて含まれていたことがわかるかと思います。

2.茨城県の郡区

茨城県 丙第123号布達? M11.12.2 茨城郡→東茨城郡、西茨城郡
葛飾郡(茨城県管下)→西葛飾郡
相馬郡(茨城県管下)→北相馬郡


なぜ「?」を残したのか分かりませんが、リンク先の通りM11.12.2の丙第123号布達で間違いないと思います。一応『茨城県史料 = 近代政治社会編 II』(1976年)の76~77頁から「一八 郡役所設置位置」の「丙第百弐拾三号」を引用しますと:

 丙第百弐拾三号
本年太政官第拾七号公布ニ依リ従前ノ大小区画ヲ廃シ郡治分画及郡役所位置左ノ通相定候条此旨布達候事
  明治十一年十二月二日     茨城県令 野村維章
  郡治分画
 常陸国東茨城郡  東茨城郡役所  東茨城郡水戸
 常陸国西茨城郡  西茨城郡役所  西茨城郡笠間町
 常陸国那珂郡   那珂郡役所   那珂郡菅谷村
 常陸国久慈郡   久慈郡役所   久慈郡太田村
 常陸国多賀郡   多賀郡役所   多賀郡高萩村
 常陸国真壁郡   真壁郡役所   真壁郡下館
 常陸国鹿島郡   鹿島郡役所   鹿島郡鉾田村
 常陸国行方郡   行方郡役所   行方郡麻生村
 常陸国新治郡   新治郡役所   新治郡土浦町
 常陸国筑波郡   筑波郡役所   筑波郡谷田部町
 常陸国信太郡   信太
             郡役所  信太郡江戸崎村
 常陸国河内郡   河内
 下総国西葛飾郡  西葛飾
             郡役所  猿島郡境町
 下総国猿島郡   猿島
 下総国結城郡   結城
 下総国岡田郡   岡田郡役所   豊田郡本宗道村
 下総国豊田郡   豊田
 下総国北相馬郡  北相馬郡役所  北相馬郡取手宿
     〔茨城県布達〕


3.新潟県の郡区

新潟県 甲第42号布達? M12.4.28? 蒲原郡→北蒲原郡、中蒲原郡、西蒲原郡、南蒲原郡
魚沼郡→北魚沼郡、南魚沼郡、中魚沼郡
頸城郡→東頸城郡、中頸城郡、西頸城郡

新潟県市町村合併誌 上巻』(1962年)の157頁収録の「甲第四十二號」により、甲第42号布達、M12.4.28共に間違いないと思います。以下、「甲第四十二號」と「甲第四十三號」を引用しますと:

 甲第四十二號
 昨十一年太政官第十七號公布ニ依リ従前ノ大小区ヲ廃シ郡区名称区域別冊之通相定候条此旨布達候事
 明治十二年四月廿八日
                新潟県令 永山盛輝


 甲第四十三號
 今般郡区制定候ニ付郡区役所位置左ノ通リ相定候左番地並開庁日限等追テ相達候迄ハ旧大小区ノ事務従前ノ通都テ旧正副区長ニ於テ取扱候条此旨布達候事
 明治十二年四月廿八日
                新潟県令 永山盛輝
    新潟区     新潟西堀通六番町
    北蒲原郡    新発田町
    中蒲原郡    新津町
    西蒲原郡    巻村
    南蒲原郡    三条町
    三島郡     与板町
    古志郡     長岡町
    北魚沼郡    小千谷町
    南魚沼郡    六日町村
    中魚沼郡    十日町村
    刈羽郡     柏崎町
    東頸城郡    安塚村
    中頸城郡    高田町
    西頸城郡    糸魚川町
    岩船郡     村上町
    雑太郡     
    加茂郡     相川町
    羽茂郡     


同日に甲第42号布達と甲第43号布達が出ており、郡区役所位置は分けて公布したようです。ただ最初に確認した『新潟県史 資料編15 近代三 政治編I』の方では「「県治報知」明治十二年」を典拠とする甲第43号しか収録されていなかったため、非常に混乱しました。困ったことに、『新潟県史 別冊1 年表・索引』の方では、以下のように謎のM12.4.9という数字が登場してしまいます。

1879  明治12.4.9  郡区改正によって、蒲原郡を4郡、魚沼・頸城郡を各3郡、岩船郡、刈羽郡、三島郡、佐渡3郡に分け、新潟に区制を敷く。これにより大区小区制廃止される((6)619)
1879  明治12.4.28  初代郡区長として16人が任命される((6)619)。


ここで「(6)619」というのは同じ新潟県史の通史編6巻の619頁を指しますが、通史編には叙述的な一般通史が記載されているだけで、詳しい日付や典拠までは示されていません。

さらに『新潟県のあゆみ : 概説』(1990年)の方の年表では:
1879  明治12.4.9  郡区改正、1区17郡となる。大区小区制廃止

新潟県百年史 下巻』(1969年)の方の年表では:
明治12(一八七九)  4-9  郡区改正、蒲原郡を四郡に、魚沼・頸城郡を各三郡に分け、新潟に区制を布く。これにより大区小区制廃止(新潟市史)。

ここでM12.4.9というのが古い方の『新潟市史 上下巻』(1934年;1973年に複製版)を典拠としていることが示されましたが(新しい方の『新潟市史』(1990年~)の方では新潟区の成立日を確認できなかった)、これ以上調べる気力が無くなったので放置します【追記2:調べました】。とりあえず『新潟県市町村合併誌』ではM12.4.9の出来事について何も触れていないので、何かしら間違った日付が残ってしまったと思われます。また元々新潟県の郡の区分の方は、あらかじめ事前に決められているものなので、その時の布告を誤って判断してしまった可能性もあります。

4.長野県の郡区


長野県 乙第4号布達? M12.1.4? 佐久郡→南佐久郡、北佐久郡
 高井郡→上高井郡、下高井郡
 水内郡→上水内郡、下水内郡
 筑摩郡→東筑摩郡、西筑摩郡
 安曇郡→南安曇郡、北安曇郡
 伊那郡→上伊那郡、下伊那郡


長野県史 近代史料編 第二巻(二)政治・行政 郡政』(1982年)の27~29頁収録の「一四 明治十二年一月 県令十六郡名称並郡役所位置・所属・町村等制定達」により、「乙第4号布達」ではなくて「乙第1号布達」が正しいと思われます。以下山林反別の情報を(中略)と省略して引用しますと:

乙第一号
 明治十一年第十七号公布ニ依リ、郡町村ヲ編制シ、郡ノ名称及郡役所ノ位置、所属町村別冊ノ通相定候条、此是布達候事
 但 郡役所仮位置ノ箇所ハ、位置未定ノ義ト可相心得事
  明治十二年一月四日     長野県令 楢崎寛直

 (別冊)
 「明治十二年乙第壱号布達
  編制郡町村
     長野県」
南佐久郡     郡役所位置 臼田村
(中略)
北佐久郡     郡役所位置 岩村田町
(中略)
小県郡     郡役所位置 上田町
(中略)
諏訪郡     郡役所位置 上諏訪村
(中略)
小県郡     郡役所位置 上田町
(中略)
上伊那郡     郡役所位置 伊那村
(中略)
下伊那郡     郡役所位置 飯田町
(中略)
西筑摩郡     郡役所位置 福島村
(中略)
東筑摩郡     郡役所位置 北深志町
(中略)
南安曇郡     郡役所位置 豊科村
(中略)
北安曇郡     郡役所位置 大町村
(中略)
更級郡     郡役所位置 塩崎村ノ内篠ノ井駅
(中略)
埴科郡     郡役所位置 屋代町
(中略)
上高井郡     郡役所位置 須坂町
(中略)
下高井郡     郡役所位置 中野町
(中略)
上水内郡     郡役所位置 長野町
(中略)
下水内郡     郡役所位置 飯山町
(中略)
     (『乙号布達綴 明治十二年』 長野市 長野県庁所蔵)


【追記】なお長野県の場合、郡の分割の方は既に明治11年12月10日付で長野県令楢崎寛直が内務卿伊藤博文に宛てた『内務省宛県令十六郡設置認可伺』(庶第486号)の方に詳しい予定が示され、明治11年12月21日付で内務卿伊藤博文が「書面伺之通聞届候事」として印を押したとしています(『長野県史 近代史料編 第二巻(二)政治・行政 郡政』に収録の史料で、典拠は(『公文編冊 官省指令 一 職務之部 知事官房外 明治十一年』長野市 長野県庁所蔵)としている)。つまりあらかじめ県の方で郡区の分割を決定して内務省に提出し、内務省から返事を貰い、改めて布達を出して郡区の分割を正式に公布するという手続きが存在したことになります。よって新潟県の場合は、郡の分割がこれらよりも前に実施されたと誤解するような文書の混入で、明治12年4月9日実施という誤った情報が一部で採択されたものと思われます。

【追記2】『新潟市史 上巻』の608頁に以下の文章があるのを確認しました。

 明治十二年四月九日、郡区改正あり、県下を新潟区・北・中・西・南蒲原郡・三島・古志郡・北・南・中魚沼郡・刈羽郡・東・中・西・頸城郡・岩船郡・佐渡三郡(雑太・加茂・羽茂)の一区十七郡に割ち新潟一円寄居・白山外新田を新潟区となし、新潟町会所を新潟区役所と改め、市中を二百四十一町一村と定めたり。


とあり、どこにも布達等の情報がありません。さらに612頁には

 明治十二年郡区改正に際し、西島屋野島を出来島新田に復帰せしめ、寄居白山外新田を合して、新潟区新潟町と称し、新潟町会所を新潟区役所と改め、四月三十日を以て、改正による処務を開始せり。


とあり、郡区が成立したとされるM12.4.9の日付も、布告のあったM.12.4.28の日付もなく、新潟区自体の都合による業務開始の日時が掲載されているだけです。よって、M12.4.9は根拠の乏しい数字ということで無視して良いでしょう。

【追記3~6】誤字修正、及び新潟県の甲第四十三號布告の文章修正
[99263] 2020年 3月 17日(火)02:41:27白桃 さん
「市街」と「名邑」
[99259]で、むっくんさんがまとめて戴いた資料を眺めているうちに、私にとって非常に重要なことに気が付きました。(正確に申せば、そうではないかと、うすうす感じていながら放っておいたことです。)
[99259]の中の愛媛県甲第139号布達M11.12.16を見ていますと、
大内郡・寒川郡の郡役所→寒川郡津田村
三木郡・山田郡の郡役所→三木郡平木村
小豆郡の郡役所→土庄村
香川郡の郡役所→高松市街
阿野郡・鵜足郡の郡役所→坂出村
那珂郡・多度郡の郡役所→丸亀市街・・・
となっており、「市街」と「町」「村」「湊」が区別されているのです。
ところが私は、たびたび引用している「明治19年調査市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(以下、「戸口表」)の第一表に記載され、その現住人口が三千人以上、そして、明治時代に町制または市制施行したところを【明治の名邑】としておりました。それは、自分で勝手にやっていることなので構わないことかもしれませんが、どうも肝心なことを無視していたのが気になっているのです。
結論から言えば、「市街」と「名邑」は区別すべきだったのです。
「戸口表」の第一表は
「市街及ヒ市街ノ体裁ヲナシタル名邑」
第二表は
「市街ノ体裁ヲナサザル名邑」
となっており、「名邑」の中に
・市街の体裁をなしているところ

・市街の体裁をなしていないところ
の二種類があるわけで、その「名邑」より都会として位置するのが「市街」、という単純明快な事を無視して、「市街・名邑」と一種の対句としてとらえていたわけです。ですから、【明治の名邑】という造語を作るとしても、その中に「明治の市街」までも含めてしまったのは、チトまずかったのではないか・・・屁理屈を言うなら、私の言う「名邑」と「戸口表」の「名邑」は意味が異なるのだ、第一、「市街」と「名邑」の区別も明確にされていない・・・。
でも、意地の悪い検事から白桃被告に以下の証拠を突き付けられたら、困ってしまってワンワンワンなのです。
[75064]白桃
「名邑」の定義は一筋縄ではいかないのですが、イメージとしては、「大都市ではないけれど、小地域の中心として確固たる地位にある街区」といたします。
これに対し、白桃の弁護人は、「『邑』には「地方の町や村」の意味もあるが、「人の集まり住むところ」、ひいては「みやこ」の意味もある。」などと全く弱弱しい反論をするでしょう。
いずれにしろ、♪ざんげの値打ちもないけれど~を歌う羽目になるでしょう???
[99262] 2020年 3月 16日(月)23:42:31白桃 さん
「平成の大合併期」誕生市の前身自治体人口トップ10&ボトム10~その(2)
2010年国調デビュ-組の【前身自治体人口トップ10&ボトム10】です。

トップ市名前身町 A人口B人口A/B---ボトム市名前身町A人口B人口A/B
1みよし三好町56,25256,2521.0001南島原有家町8,84754,0450.164
2岩出岩出町50,83450,8341.0002雲仙国見町11,15149,9980.223
3姶良姶良町44,67174,8400.597 3南城佐敷町11,45639,6510.289
4北名古屋師勝町43,88878,0780.5624南房総千倉町12,38144,7630.277
5木津川木津町39,12963,6490.6155国東国東町13,03134,2060.381
6あま甚目寺町38,56385,3070.4526南九州川辺町14,80942,1910.351
7北斗上磯町37,25848,0560.775 7三好池田町15,69034,1030.460
8弥富弥富町36,95742,5750.868 8三豊高瀬町16,43771,1800.231
9坂井丸岡町32,46192,318 0.3529南丹園部町17,06136,7360.464
10合志西合志町29,07651,6470.56310中央田富町17,267 31,6500.54
語句の説明
A人口:前身町の2005年国調人口
B人口:2010年国調時の境域に組み替えた2005年国調人口
A/B---新市の中で前身町村が占める人口の割合(一部を他自治体へ分離した後に単独で市制施行した場合には1を超える。)
2005年国調デビュー組同様、トップ10には単独市制や比較的少数の自治体による合併で出来た新市の前身町が並び、ボトム10には多くの自治体による合併(代表:南島原市の8町)で出来た新市の前身町が並んでいます。それにしても、ボトム10の新市名に「南」がつくのが五つもある。これは偶然だろうか・・・
(参考)旧自治体の人口が拮抗する例:人口は2005年国調人口、〇は市役所所在旧自治体
坂井市:丸岡町(32,461人)、春江町(23,968人)、三国町(22,936人)…市役所は旧)坂井町
南島原市:有家町(8,847人)、深江町(8,228人)、西有家町〇(8,197人)
南城市:佐敷町〇(11,456人)、大里村(11,603人)、玉城村(10,568人)…「前身町」より人口が多い村がある。
南九州市:川辺町(14,809人)、頴娃町(14,795人)、知覧町〇(13,256人)
[99261] 2020年 3月 16日(月)21:21:49伊豆之国 さん
南房総の佐久間ダム
今晩のTV番組で、「南房総の山里で、バスを乗り降りして飲食店を探す旅」というのをやっていて、ゴールが鋸南町にある「佐久間ダム」というものでした。
この「南房総の佐久間ダム」、過去ログにも出ていて、今から11年前、浜松市民である稲生さんの記事[70747]
鋸南町の山間部に佐久間郵便局がありまして、事前の予習で佐久間小学校・佐久間ダムが近くにあることがわかっていましたので、郵便局で貯金する際に、静岡県の佐久間ダムのある浜松市からきましたと話を振ってみたのです。
すると、局員氏が佐久間小学校のOBだったようで、たちまち盛り上がって、小学校の修学旅行で箱根に行ったときのことを懐かしそうに話してくれました。集合時間になって「佐久間小学校の皆さん、バスに集まってください」とアナウンスがあると、なにやら自分たちの学校とは違う小学生も集まり出したとのこと。それが静岡県の佐久間小学校の児童だったようで、偶然同じ日に箱根旅行をしていたためこういう事態になったようでした。どちらも修学旅行ということで、偶然がなした出会いとはいえ、両方の小学生にとっては、強烈な思い出となったことでしょう
と、「偶然の鉢合わせ」となった子供のころの思い出話が紹介されて、最後に
鋸南町の佐久間小学校は統合され、今はなくなってしまったようです
(現在は統合で「鋸南小学校」に)と、今となってはもう見られない「珍風景」になったことも書かれていました。
余談ですが、佐久間小学校と同様に統合で閉校になった「保田小学校」は、現在は「道の駅」として活用されています。一方、浜松市天竜区の佐久間小学校は、現在も残っています(学校紹介)。
とこで、番組の中では、鋸南町の佐久間ダムは「桜の名所」と紹介されていましたが、鋸南町の観光サイトを見ると
散策路には河津桜、染井吉野、八重桜など約2200本の桜が植えられ、今日では桜の名所として知られています。4月上旬には「桜まつり」が行われ、多くの観光客で賑わいます
とあり、番組が収録されていた時に咲いていたのは、早咲きの「河津桜」と思われます。
この「佐久間ダム」から至近距離(「車で5分」と書かれています)に、「難読地名あいうえお」に出ている「をくづれ水仙郷」があります。既に花の時季を過ぎているためか、番組には登場しませんでしたが、「をくづれ」にリンクされていた画像にも、「水仙郷」と並んで「佐久間ダムお花見公園」の文字が見えます。
[99260] 2020年 3月 16日(月)18:49:07ekinenpyou さん
既存47都道府県の成立(設置)日について
簡単なものですが下記に示しておきます。(東京は府の成立日とした)
「地方沿革略譜」に記載のあるものは和暦の日付をクリックすると説明頁が表示されます。
(同書の詳細は[85015]hmtさん参照のこと)

道府県和暦西暦法令全書【おまけ】
北海道M19.1.2718860127布告118860126
青森県M4.11.218711213太政官布告56618760525
岩手県(※1)M4.11.218711213太政官布告56618760525
宮城県(※2)M4.11.218711213太政官布告56618760821
秋田県M4.11.218711213太政官布告56618711102
山形県M4.11.218711213太政官布告56618760821
福島県(※3)M4.11.218711213太政官布告56618760821
茨城県M4.11.1418711225太政官布告59418750507
栃木県M4.11.1418711225太政官布告59418760821
群馬県(※4)M6.6.1518730615太政官布告21418760821
埼玉県M4.11.1418711225太政官布告59418760821
千葉県M6.6.1518730615太政官布告21418750507
東京府※M4.11.1418711225太政官布告59418711114
神奈川県M4.11.1418711225太政官布告59418760418
新潟県M4.11.2018711231太政官布告60818760418
富山県M16.5.918830509太政官布告15同左
石川県(※5)M4.11.2018711231太政官布告60818760418
福井県M14.2.718810207太政官布告3同左
山梨県M4.11.2018711231太政官布告60818711120
長野県M4.11.2018711231太政官布告60818760821
岐阜県M4.11.2218720102太政官布告61418760821
静岡県M4.11.1518711226太政官布告60218760821
愛知県(※6)M4.11.2218720102太政官布告61418721127
三重県(※7)M4.11.2218720102太政官布告61418760418
滋賀県(※8)M4.11.2218720102太政官布告61418760821
京都府M4.11.2218720102太政官布告61418760821
大阪府M4.11.2018711231太政官布告60918711120
兵庫県M4.11.2018711231太政官布告60918760821
奈良県M20.11.1018871110勅令5918871104
和歌山県M4.11.2218720102太政官布告61418711122
鳥取県M14.9.1218810912太政官布告42同左
島根県M4.11.1518711226太政官布告60118760821
岡山県M4.11.1518711226太政官布告60118760418
広島県M4.11.1518711226太政官布告60118760418
山口県M4.11.1518711226太政官布告60118711115
徳島県M13.3.218800302太政官布告6同左
香川県M21.12.418881204勅令7918881203
愛媛県M6.2.2018730220太政官布告6018760821
高知県M4.11.1518711226太政官布告60018760821
福岡県M4.11.1418711225太政官布告59518760821
佐賀県M16.5.918830509太政官布告15同左
長崎県M4.11.1418711225太政官布告59518760821
熊本県(※9)M4.11.1418711225太政官布告59518760222
大分県M4.11.1418711225太政官布告59518760821
宮崎県M16.5.918830509太政官布告15同左
鹿児島県M4.11.1418711225太政官布告59518760821
沖縄県M12.4.418790404太政官布告14同左

※1)M5.1.8(18720216) 太政官布告1で盛岡県から改称
※2)M5.1.8(18720216) 太政官布告1で仙台県から改称
※3)M4.11.14(18711225) 太政官布告593で二本松県から改称
※4)M9.8.21(18760821) 太政官布告112で熊谷県から改称
※5)M5.2.2(18720310) 太政官布告31で金沢県から改称
※6)M5.4.2(18720508) 太政官布告108で名古屋県から改称
※7)M5.3.17(18720424) 太政官布告85で安濃津県から改称
※8)M5.1.19(18720227) 太政官布告14で大津県から改称
※9)M5.6.14(18720719) 太政官布告178で熊本県から(白川県へ)改称&
M9.2.22(18760222) 太政官布告19で白川県から改称

※地方沿革略譜ではM4.11.3(18711214)

(取り急ぎ)短時間作成のためミスなどがあると思いますがご容赦ください、本格的なものは
府県の変遷(Issieさんのサイト)などを参照のこと

【おまけ】[99241]MIさんで示されたリスト(ctv_total_pref)との対比も示しておきました。
(成立時をいつにするかの解釈の違いがありますので多くは一致しませんが・・・)
[99259] 2020年 3月 16日(月)17:49:00【1】むっくん さん
郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)
[99252]MI さん
上記リンクについては hmt さんが [99248] で書かれているとおり、そのままでは通らなくなっています。
http://kindai.da.ndl.go.jp/」の部分を「http://dl.ndl.go.jp/」に置換していただけると助かります。(以前 [99173] でオーナー グリグリ さんに対応していただいたのと同様です。)
既に30時間以上経過していますので私から修正ができないために、[76875]拙稿(郡区町村編制法時の各府県布達(ver.3))のリンク修正版を投稿します。
#愛知県の法的根拠を新たに付け加えました。

郡区町村編制法施行根拠、郡区町村編制法施行により成立した区の法的根拠の一覧、郡区町村編制法施行に伴い郡を分割した法的根拠、さらには郡区町村編制法施行後市制町村制施行以前に分割された郡とその法的根拠の一覧を紹介します。


(1)郡区町村編制法施行根拠
郡区町村編制法は全国同一時期に施行されたわけではありませんでした。郡区町村編制法をいつ施行するかは、各府県の布達に委ねられていました。まとめますと下記のようになります。

府県名郡区町村編制法施行根拠左記公布日郡区町村編制法施行日
開拓使乙第4号布達M12.7.23M12.7.23
青森県甲第14号布達M11.10.30M11.10.30
岩手県坤第1号布達M12.1.4M12.1.4
宮城県甲第225号布達M11.10.21M11.10.21
秋田県第379番布達M11.12.23M11.12.23
山形県乙第112号布達M11.11.1M11.11.1
福島県甲第8号布達M12.1.27M12.1.27
茨城県丙第123号布達M11.12.2M11.12.2
栃木県乙第274号布達M11.11.8M11.11.8
群馬県甲第93号布達M11.12.7M11.12.7
埼玉県甲第19号布達M12.3.17M12.3.17
千葉県甲第65号布達(PDF2-3コマ)M11.11.2M11.11.2
東京府(※)甲第49号布達M11.11.2M11.11.2
神奈川県甲第145号布達M11.11.18M11.11.18
新潟県甲第42号布達M12.4.28M12.4.28
石川県甲第143号布達M11.12.17M11.12.17
山梨県甲第267号布達M11.12.19M11.12.19
長野県乙第1号布達M12.1.4M12.1.4
岐阜県甲第10号布達M12.2.18M12.2.18
静岡県甲第36号布達M12.3.12M12.3.12
愛知県甲第190号布達M11.12.20M11.12.20
三重県甲第1号布達M12.2.5M12.2.5
滋賀県甲第32号布達M12.5.16M12.5.16
京都府第70号布達M12.3.14M12.3.14
大阪府天第22号達M12.2.10M12.2.10
堺県甲第36号布達M13.4.15M13.4.15
兵庫県甲第1号布達M12.1.8M12.1.8
和歌山県乙第6号布達M12.1.20M12.1.20
島根県甲第1号布達M12.1.6M12.1.6
岡山県甲第110号布達M11.9.20M11.9.20
広島県甲第137号布達M11.11.11M11.11.11
山口県甲第1号布達M12.1.6M12.1.6
愛媛県甲第139号布達M11.12.16M11.12.16
高知県甲第267号布達M11.12.6M12.1.1
福岡県甲第199号布達M11.10.12M11.10.12
長崎県甲第121号布達M11.10.28M11.10.28
熊本県甲第5号布達M12.1.20M12.1.20
大分県改第1号布達M11.11.1M11.11.1
鹿児島県甲第9号布達M12.2.17M12.2.17
(大島郡)太政官布告第15号M12.4.8M12.4.8
沖縄県郡区町村編制法未実施
(※)伊豆七島、太政官布告第44号(M13.10.8)で東京府管轄となった小笠原諸島には郡区町村編制法を施行せず。


(2)郡区町村編制法の施行に伴い設置された区の一覧
郡区町村編制法の施行に伴い区も設置されました。郡区町村編制法による区の一覧を以下にまとめました。下記表での存在期間とは、郡区町村編制法による区であった期間を意味します。

府県名区名成立根拠存在期間
開拓使札幌区乙第4号布達M12.7.23~M31.9.30
函館区乙第4号布達M12.7.23~M31.9.30
宮城県仙台区甲第225号布達M11.10.21~M22.3.31
東京府麹町区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
神田区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
日本橋区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
京橋区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
芝区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
麻布区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
赤坂区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
四谷区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
牛込区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
小石川区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
本郷区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
下谷区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
浅草区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
本所区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
深川区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
神奈川県横浜区甲第145号布達M11.11.18~M22.3.31
新潟県新潟区甲第42号布達M12.4.28~M22.3.31
石川県金沢区甲第143号布達M11.12.17~M22.3.31
愛知県名古屋区甲第190号布達M11.12.20~M22.9.30
京都府上京区第70号布達M12.3.14~M22.3.31
下京区第70号布達M12.3.14~M22.3.31
伏見区第135号布達M12.4.11~M14.1.9
大阪府東区天第22号達M12.2.10~M22.3.31
南区天第22号達M12.2.10~M22.3.31
西区天第22号達M12.2.10~M22.3.31
北区天第22号達M12.2.10~M22.3.31
堺県堺区甲第36号布達M13.4.15~M22.3.31
兵庫県神戸区甲第1号布達M12.1.8~M22.3.31
岡山県岡山区甲第110号布達M11.9.20~M22.5.31
広島県広島区甲第137号布達M11.11.11~M22.3.31
山口県赤間関区甲第1号布達M12.1.6~M22.3.31
福岡県福岡区甲第199号布達M11.10.12~M22.3.31
長崎県長崎区甲第121号布達M11.10.28~M22.3.31
熊本県熊本区甲第5号布達M12.1.20~M22.3.31
(注)上記表での存在期間とは、郡区町村編制法による区であった期間を意味します。


(3)郡区町村編制法の施行に伴い分割・改称された郡の一覧
郡区町村編制法の施行に伴い分割・改称された郡もありました。郡区町村編制法施行時のみならずその後明治13年末までに分割・改称された郡の一覧を以下にまとめました。

府県名成立根拠公布・施行日郡の分割・改称
青森県甲第14号布達M11.10.30津軽郡→東津軽郡、西津軽郡、中津軽郡、南津軽郡、北津軽郡
北郡→上北郡、下北郡
岩手県坤第1号布達M12.1.4岩手郡→南岩手郡、北岩手郡
和賀郡→東和賀郡、西和賀郡
磐井郡→西磐井郡、東磐井郡
閉伊郡→西閉伊郡、南閉伊郡、東閉伊郡、中閉伊郡、北閉伊郡
九戸郡→南九戸郡、北九戸郡
秋田県第378番布達M11.12.23秋田郡→南秋田郡、北秋田郡
山形県乙第112号布達M11.11.1村山郡→南村山郡、東村山郡、西村山郡、北村山郡
田川郡→東田川郡、西田川郡
置賜郡→西置賜郡、東置賜郡、南置賜郡
福島県甲第7号布達M12.1.27会津郡→南会津郡、北会津郡
白川郡→東白川郡
白河郡→西白河郡
蒲原郡(福島県管下)→東蒲原郡
茨城県丙第123号布達M11.12.2茨城郡→東茨城郡、西茨城郡
葛飾郡(茨城県管下)→西葛飾郡
相馬郡(茨城県管下)→北相馬郡
栃木県乙第274号布達M11.11.8都賀郡→上都賀郡、下都賀郡
群馬県甲第93号布達M11.12.7群馬郡→東群馬郡、西群馬郡
勢多郡→南勢多郡、北勢多郡
甘楽郡→南甘楽郡、北甘楽郡
埼玉県甲第19号布達M12.3.17足立郡(埼玉県管下)→北足立郡
埼玉郡→北埼玉郡、南埼玉郡
葛飾郡(埼玉県管下)→北葛飾郡、中葛飾郡
千葉県甲第64号布達(PDF1コマ)M11.11.2相馬郡(千葉県管下)→南相馬郡
葛飾郡(千葉県管下)→東葛飾郡
甲第81号布達(PDF18コマ)M11.11.18埴生郡(下総国)→下埴生郡
埴生郡(上総国)→上埴生郡
東京府甲第49号布達M11.11.2多摩郡(東京府管下)→東多摩郡
豊島郡→南豊島郡、北豊島郡
足立郡(東京府管下)→南足立郡
葛飾郡(東京府管下)→南葛飾郡
神奈川県甲第145号布達M11.11.18多摩郡(神奈川県管下)→西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡
新潟県甲第42号布達M12.4.28蒲原郡→北蒲原郡、中蒲原郡、西蒲原郡、南蒲原郡
魚沼郡→北魚沼郡、南魚沼郡、中魚沼郡
頸城郡→東頸城郡、中頸城郡、西頸城郡
石川県甲第143号布達M11.12.17新川郡→上新川郡、下新川郡
山梨県甲第267号布達M11.12.19山梨郡→東山梨郡、西山梨郡
八代郡→東八代郡、西八代郡
巨摩郡→南巨摩郡、中巨摩郡、北巨摩郡
都留郡→南都留郡、北都留郡
長野県乙第1号布達M12.1.4佐久郡→南佐久郡、北佐久郡
高井郡→上高井郡、下高井郡
水内郡→上水内郡、下水内郡
筑摩郡→東筑摩郡、西筑摩郡
安曇郡→南安曇郡、北安曇郡
伊那郡→上伊那郡、下伊那郡
岐阜県甲第10号布達M12.2.18石津郡→上石津郡、下石津郡
愛知県甲第190号布達M11.12.20設楽郡→北設楽郡、南設楽郡
加茂郡→東加茂郡、西加茂郡
甲第16号布達M13.2.5春日井郡→東春日井郡、西春日井郡
三重県甲第1号布達M12.2.5牟婁郡→北牟婁郡、南牟婁郡
滋賀県甲第61号布達M13.5.29浅井郡→東浅井郡、西浅井郡
京都府第70号布達M12.3.14桑田郡→南桑田郡、北桑田郡
和歌山県乙第6号布達M12.1.20牟婁郡→東牟婁郡、西牟婁郡
乙第9号布達M12.1.20牟婁郡が東牟婁郡, 西牟婁郡に分かれたのは行政上のみ
乙第96号布達M12.5.6牟婁郡が地理上においても東牟婁郡、西牟婁郡に分かれる
愛媛県甲第139号布達M11.12.16浮穴郡→上浮穴郡、下浮穴郡
宇和郡→西宇和郡、東宇和郡、北宇和郡、南宇和郡
長崎県甲第121号布達M11.10.28彼杵郡→西彼杵郡、東彼杵郡
高来郡→北高来郡、南高来郡
松浦郡→北松浦郡、南松浦郡、東松浦郡、西松浦郡
大分県改第1号布達M11.11.1国東郡→西国東郡、東国東郡
海部郡→北海部郡、南海部郡


(4)郡区町村編制法が施行されている時に分割された郡
郡区町村編制法が施行された後、市制町村制が施行されるまでに分割された郡の一覧を以下にまとめました。ただし(3)との重複を避けるため、明治14年以降のみに限定しています。

府県名成立根拠公布・施行日郡の分割・改称
宮崎県太政官布告第19号M16.6.4宮崎県諸県郡→鹿児島県南諸県郡、宮崎県北諸県郡
鹿児島県勅令第7号M20.4.2伊佐郡→南伊佐郡、北伊佐郡
大隅郡→南大隅郡、北大隅郡
囎唹郡→東囎唹郡、西囎唹郡
栃木県勅令第32号M22.3.13寒川郡、下都賀郡→下都賀郡(編入合併)

【1】訂正[99264]YTさんの指摘を受けて訂正。
[99258] 2020年 3月 15日(日)18:37:57MI さん
Re3: 郡区町村編制法による郡の制定
[99255] ekinenpyou さん、ご指摘有難うございます。早速修正しましたのでご確認いただけると幸いです。
郡の変遷(gun.xlsx)

既存47都道府県の誕生日も調べてみると結構面白いかも
 法令全書のデータも一部拾ってはあるのですが、これはこれで大変な手間がかかりそうで、現時点では深入りしないようにしております。
[99257] 2020年 3月 15日(日)17:48:03【2】hmt さん
埼玉県 明治時代の変遷
2月以降のhmt投稿は、「全国の市町村数」を柱にしてきたつもりですが、実際は脱線も多いようです。
最近の[99248]も、埼玉県ローカル、しかも市町村数ではなく、郡を主役とするものでした。関係記事

[99248]を見ると、明治12年の郡区町村編制法施行時の郡名・郡役所を紹介したことだけでは、物足りません。
そこで、明治4年から9年に遡る「埼玉県の成り立ち」や、明治29年に行なわれた「郡の再編」を加えて、「明治時代における埼玉県の略歴」という形にまとめておくことにしました。

素材は落書き帳の過去記事も使いましたが、最近になって「府県及北海道境域沿革一覧」という資料の存在を知ったので、これも利用することにしました。▲ 埼玉県の境域沿革概要

日付根拠記事沿革
M4/11/141871布告594[36047]埼玉県を置く(県庁:岩槻) 埼玉、葛飾の内、足立の内
M4/11/141871布告594[36047]入間県を置き横見、入間、…高麗、多摩の内 14郡を管す
複数回?1871-1872【入間県】多摩郡の内を神奈川県管轄に属せしむ
M4/11/141871布告594印旛県を置き下総国9郡を管す
M6/6/151873布告214印旛県を千葉県に編入
M6/6/151873布告214[36081]入間県を廃し熊谷県を置く
M8/8/301875[36159]葛飾郡金杉村外42村を埼玉県に属せしむ
M8/11/101875布告167 [36159]足立郡舎人町を東京府に編入
M9/8/211876布告112[36111]熊谷県を廃し新座郡以下13郡を埼玉県に属せしむ
M9/9/281876内務省布達甲37葛飾郡の内、寄巻村の内一部東京府管下葛飾郡下小合村に編入
M10/3/21877内務省布達甲5栃木県管下内野村飛地分割→埼玉郡小野袋村と群馬県海老瀬村
M12/3/171879埼玉県達甲14[99248]郡区町村編制法施行 18郡設置
M13/5/51880布告22下総国葛飾郡の内→埼玉県中葛飾郡、
武蔵国葛飾郡の内→北葛飾郡
埼玉県埼玉郡及び足立郡の内→北埼玉郡・南埼玉郡・北足立郡
M17/7/141884埼玉県達甲43戸長役場位置及び所轄町村改定
M17/10/311884[44653]秩父事件
M23/9/251890勅令213[22470]埼玉県庁を武蔵国北足立郡浦和町に移す
M24/6/91891[54575]新座郡榑橋村→東京府北豊島郡大泉村
M28/4/11895法律24東京、埼玉、千葉、茨城の境界変更 江戸川を境界とする
M29/4/11896法律40[90597]郡の再編 北葛飾郡と中葛飾郡を統合→武蔵国北葛飾郡、
13郡→北足立, 入間, 比企, 児玉, 大里の5郡に統合】
M40/3/161907法律8[36159]北足立郡保谷村を東京府管下北多摩郡に編入

埼玉県達全書

大部分は市制町村制の施行前に行なわれた県域の変更ですが、千葉県との境界について、市制町村制施行後の変更があったことを知ったので、説明しておきます。
[36159]に記したように、1875年に下総国葛飾郡金杉村(現・松伏町)ほか42ヶ村の千葉県から埼玉県への移管は、河川がらみの埼玉県域修正の中で最大規模のものでした。
その後も呼び方の変化などはありましたが、今回の作業により、明治28の法律による再修正を知りました。
★東京、埼玉、千葉、茨城の 江戸川境界への変更

都道府県変遷情報にも収録されていない変遷の存在に驚き、調べてみました。
13項目にも及ぶ変更には「編入」という廃置分合用語が使われており、妙見島のような有名地名も含まれています。
しかし その実体は、大字規模ではない ように思われました。江戸川改修に伴う小規模地域の府県変更の集合体と理解し、都道府県変遷情報の対象から除外されている現状に、一応納得しています。

最後のあたりに記された M24年大泉村への合併、M29年の郡再編、 M40年の保谷村 は変遷情報収録済みです。
[99256] 2020年 3月 15日(日)11:59:17【1】hmt さん
「茨城県民の日」の日付
[99255] ekinenpyouさん
引用された『ロケットニュース24』は、2015年春の入試問題で ズレが発覚した と記載。

もっと古い指摘もあったことと思いますが、こちらの落書き帳では、2006年の記事で 話題にしていました。
[55178] hmt 日付が1日違う「県民の日」  ご参考まで。

【追記】
上記[55178]からのスレッド記事として、Issieさん [55181]、hmt [55199] があります。
古い日付の扱いに関して、参考になることもあると思うので、関心のある方はご一読いただければ幸いです。

蛇足:[55199]で 落書き帳の古参にとっては懐かしい言葉「げんみつ姫」[19319]を発見。(笑)
[99255] 2020年 3月 15日(日)10:27:36ekinenpyou さん
Re2: 郡区町村編制法による郡の制定
[99252]MI さん
チラ見ですが、下記に関連する日付のずれ?がまだ残っているようでした。

[99189]むっくん さん
公文式(M19.2.26)第十条では
凡そ法律命令は官報を以て布告し官報各府県庁到達日数の後七日を以て施行の期限と為す
とありますので、法律と勅令は裁可され、その後に官報に記載されて初めて公布されたことになります。


東蒲原郡の移管(M19.5.10裁可→5.12公布)

【おまけ】市制施行日・市の誕生日・市名誕生日というものはありますが、
既存47都道府県の誕生日も調べてみると結構面白いかも・・・(以下のような事例があったらしいので)

「茨城県民の日」は県誕生の日ではなかった!! 本当のお誕生日は明日11月14日!「1日ズレていた」ことに30年以上県も気付かず ロケットニュース24

【参考】M4.11.14太政官布告594(新暦では12.25)
(茨城)県民の日を定める条例
[99254] 2020年 3月 15日(日)09:37:17星野彼方 さん
植栽文字コレクション
皆さんおはようございます。十番勝負以外の書き込みが久しぶりの星野彼方です。

ひさしぶりに未採用の植栽文字を発見しました。兵庫県上郡町で「かみごおり」と書いてあります。
既に採用されている上郡駅の「かみごおり」とは別の場所です。山陽本線から見えます。

ところで、昨日は18きっぷで広島まで行っていたのですが、どこも18きっぷの時期ではありえないレベルですいています。
この時期なら座席の確保が困難な岡山発姫路行きの列車で岡山駅発車時点で空席が目立つ状態、三石駅時点では私の乗っていた車両は乗客が10名しかいませんでした。
先日JR西日本が前年比で新幹線の乗客が半減、というような発表がありましたが、ちょっと危ない状態です。早く収まればよいのですが。
[99253] 2020年 3月 15日(日)04:12:08【1】白桃 さん
名邑三世代.その1(和歌山県)
「明治の名邑」「大・昭の名邑」「昭・平の名邑」を47都道府県順番に見ていきます。・・・果たして無事終わるのかどうか・・・('◇')ゞ
なお、「名邑」の要件等の詳細については、[99245]を参照ください。また、「大・昭の名邑」「昭・平の名邑」については、「名邑」という呼称に違和感を覚え、「大・昭のマチ」、「昭・平のまち」に変更しようかな、どうしようかな・・・と迷っておりますが、とりあえずそのまま。
第一弾は~若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る~和歌の浦がある和歌山県です。
【明治の名邑】
和歌山県の「明治の名邑」は、和歌山(別格市街)、新宮、湯浅(代表名邑)、田辺、黒江、御坊、粉河、三輪崎の八つ。そして惜しくも名邑になれなかった街の中から、以下の五つを「準名邑」とします。
名邑名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
第一表和歌山和歌山市和歌山54,868和歌山市77,303
第一表新宮新宮市新宮9,590新宮町18,717
第一表湯浅湯浅町湯浅9,295湯浅町10,408
第一表田辺田辺市田辺6,281田辺町8,738
第一表黒江海南市黒江4,564黒江町7,184
第一表御坊御坊市御坊4,272御坊町6,163
第一表粉河(紀の川市)粉川4,153粉河町5,229
第一表三輪崎(新宮市)三輪崎3,116三輪崎町4,206
準名邑
第二表和歌浦(和歌山市)和歌4,323和歌浦町5,971
第二表加太(和歌山市)加太3,340加太町5,143
第一表日方(海南市)日方2,813日方町5,489
第一表南部みなべ町南部2,788南部町5,708
第一表箕島有田市箕嶋2,502箕島町10,734
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【大・昭の名邑】
和歌山県の「大・昭の名邑」は箕島ただ一つ。
名邑名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
条件二箕島有田市箕島町10,850箕島町17,733
注1:(人口)は国勢調査人口

【昭・平の名邑】
和歌山県の「昭・平の名邑」は橋本、かつらぎ、岩出、貴志川、那智勝浦、高野口、串本、白浜の八つ。
名邑名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
条件一橋本(9)橋本市橋本市32,015橋本市55,071
条件二かつらぎ(0)かつらぎ町かつらぎ町24,810かつらぎ町20,331
条件二岩出(0)岩出市岩出町12,810 岩出町48,156
条件二貴志川(0)紀の川市貴志川町10,099貴志川町21,079
条件四那智勝浦(9)那智勝浦町那智勝浦町25,775那智勝浦町19,417
条件四高野口(9)(橋本市)高野口町15,294高野口町15,398
条件四串本(8)串本町串本町22,000 串本町15,687
条件四白浜(6)白浜町白浜町16,631 白浜町19,722
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は9回の国調でDIDが存在していた回数
[99252] 2020年 3月 14日(土)18:16:02MI さん
Re: 郡区町村編制法による郡の制定
[99247] むっくん さん
[99248] hmt さん
 丹念にご確認を戴き、本当に有難うございました。当方の市町村データは市制町村制施行時から採っておりますが、それらが所属する郡については、自分でもはっきりとルールを定めていなかったことを改めて認識いたしました。
[76875] むっくん さん などに記されたリンクなどを確かめたり、国会図書館デジタルコレクションの図書館送信資料を調べたりして、少々時間がかかってしまいました。
 なお、上記リンクについては hmt さんが [99248] で書かれているとおり、そのままでは通らなくなっています。
http://kindai.da.ndl.go.jp/」の部分を「http://dl.ndl.go.jp/」に置換していただけると助かります。(以前 [99173] でオーナー グリグリ さんに対応していただいたのと同様です。)
 また明治11年千葉県甲第65号布達は菜の花ライブラリー(pdf)の2~3コマに、埴生郡を上埴生郡と下埴生郡に区別した同年甲第81号布達の18コマにあります。
 さらに明治11年東京府甲49号布達のリンクが切れていますが、これは国立公文書館デジタルアーカイブの太政類典で見ることができます。

 基本的に、むっくん さんに挙げていただいたものを反映したのですが、補足がいくつかあります。
・北海道は修正せずに保留してあります。これは当方のデータが都道府県と郡をセットにして扱っている関係上、開拓使時代も含めることは現時点では見合わせたいと思っているからです。
・滋賀県の浅井郡分割について。明治12年5月16日滋賀県甲第31号布達には既に「東浅井郡」「西浅井郡」と別々に記載されており、不思議に思ったのですが、明治13年5月29日滋賀県令甲第61号布達には次のように記されています。
本縣下淺井郡ノ儀ハ郡役所ノ名稱ニ限リ東西ノ文字ヲ冠冑シ來候處今般第貳拾貳號公布ヲ以テ右分割相成候ニ付テハ自今右郡名モ東西ノ文字ヲ冠胄稱呼スヘキ儀ト可相心得此旨布達候事
ということから、明治12年の時点では浅井郡が2つあったが郡役所の名称だけは東西を付けて区別していた。13年に郡名も東西を付けて文字通り別の郡となった、と判断することにしました。
(上記引用文中「第貳拾貳號」とは明治13年5月5日太政官布告第22号のことで、各府県の郡分割などを示したもの。)
・鹿児島県は明治12年2月17日に郡区町村編制法施行としましたが、大島郡だけは同年4月8日太政官布告第15号
鹿兒島縣管轄大島喜界島徳ノ島沖永良部島與論島ヲ以テ大島郡ト爲シ大隅國ヘ被屬候條此旨布告候事
とありますので、これのみ4月8日としました。

 修正済みのファイル郡の変遷(gun.xlsx)はこちら。
[99251] 2020年 3月 14日(土)12:49:42伊豆之国 さん
「白色の日」大特集
今日は「白色の日」。そこで、白桃さんの向こうを張るわけではありませんが、「白」の付く市町村の人口増減について調べてみました。
「白」の付く自治体は、現在6市7町3村があります。これを推計人口の多い順に並べてみると次のようになります。前回国勢調査からの増減率と合わせて表にしました。

市町村推計人口増加率
白山市110,1880.824
白井市61,9310.417
白河市59,730-3.526
白岡市52,0941.085
大網白里市47,990-2.428
白石市33,380-5.364
佐賀県白石町22,379-6.524
和歌山県白浜町20,470-4.937
北海道白老町16,357-7.796
山形県白鷹町13,050-7.937
千葉県白子町10,489-5.920
長野県白馬村8,647-3.158
岐阜県白川町7,499-10.641
北海道白糠町7,379-8.540
岐阜県東白川村2,032-10.128
岐阜県白川村1,520-5.531

御覧の通り、「市」でこそ6市中3市が増加傾向と「健闘」していますが、町村は軒並み減少、それもその大半は5%~10%台と厳しい状況です。「市」の中では、いったんは減少傾向になっていた白山市が再び増加に転じたのが注目に値します。一方、既に「仙南の中心都市」を"Supertown"に奪われて久しい白石市の低落傾向、4年前([91505])よりさらに状況は悪化しているのでしょうか。また、大網白里市は、「市」として国勢調査にデビューして以降、このまま行けば一度も5万人の大台を超えることがないまま、となるのでしょうか。町村の中では、白馬村・白浜町・白川村といった「観光地」の町村が比較的人口減が少なく「踏みとどまっている」感じなのは、やはり観光産業が自治体に与えている影響が大きいのでしょうか。

ついでに、政令指定都市の「区」では次の3区があり、こちらは全て増加傾向となっています。
市町村推計人口増加率
仙台市太白区230,8631.767
札幌市白石区212,3201.305
名古屋市天白区164,5221.130

…忘れていましたが、本当は1か月前の「あの日」にちなんで出したはずのクイズ([99161])
 【問V】 士別市、相模原市、海津市、彦根市、宿毛市
 …この各市の共通項は何でしょうか?
でしたが、シノレパシクソさんの「金メダル」([99215])以外に反応がなく、このまま放置するわけにも行かないので、 [99206]にも書いた通り、ここで「お開き」にします。
共通項は、「『愛』の付く市町(村は現存しない)と隣接している市」でした。この想定解は、こちらを見ればわかると思います。該当する市を次にあげておきます。カッコ内は隣接する「愛」の付く市町です。

士別市(愛別町)
相模原市、厚木市(愛川町)
津島市、稲沢市、弥富市、あま市、海津市、桑名市(愛西市)
彦根市、東近江市(愛荘町)
宇和島市、宿毛市(愛南町)

ところで、もはや「世界的大流行」となってきた「新型疫病」の恐怖には勝てず中止のやむなきに至った「選抜」。プロ野球もJリーグももちろん、海の向こうでも大リーグやフィギュアスケート選手権をはじめ多くのスポーツイベントが中止や延期に追い込まれ、来るべき東京五輪さえ「無観客」や「延期」、最悪なら「中止」もありうる事態という状況では、致し方ないのかもしれませんが、今度の「選抜」では「春夏」通じて初出場として「檜舞台」を踏むはずだった、「準・ご当地」の加藤学園、「21世紀枠」の平田、それに鹿児島城西の3校にとっては、とりわけ無念の気持ちが強いのではないのでしょうか。「超・地元」となった東海大相模高校、近所の商店街にもまだ「出場おめでとう」の旗やポスターがまだ残っているところも多く、「無念」と共にまだまだ「名残惜しい」といった気持ちが充満しているように見えました。「救済策」もネット上などで随分突飛な声も出ているようですが、プロ野球の世界でもPCで全選手のデータが叩き込まれ、ネット上で実戦さながらのゲームが行われていることから見て、「eスポーツ」とかで「選抜」に出るはずだった選手も参加して舞台を甲子園からネットの世界に変えて、「仮想・甲子園」として出場校が参加した「実戦・選抜野球ゲーム」でもやってみたら、と「妄想」もしたくなりました…。そういえば。私も少年時代に「野球盤」などで遊んだ記憶がよみがえってきましたが、あの時代からは想像もできなかった恐るべき「進化」に…。


 
 
[99250] 2020年 3月 13日(金)11:22:46白桃 さん
あの県、あのときの国勢調査人口トップ10(2000年第17回国勢調査)
いよいよ、このシリーズも「平成の大合併」の寸前まできてしまいました。私にとっては、つい最近の人口統計の感じがしますが、もう20年前の話になるのですね。これまで登場したのは1都1道2府40県。つまり今回登場して頂く3県で一回りすることになります。そして、今回登場する3県の共通項は・・・あまり大きな声で言いたくありませんが、「県全体が人口減少に悩む、とっても元気がない県」であります。この三県、21世紀に入ると人口減少がさらにひどくなりますので、今のうちに見ておこうという白桃のオヤゴコロ?であります。
(表中の累Pとは【国調人口都道府県内順位累積ポイント】です)

秋田県累P順位国調人口///////和歌山県累P順位国調人口///////島根県累P順位国調人口
秋田市1位317,625和歌山市1位386,551松江市1位152,616
大館市3位66,293田辺市2位70,360出雲市2位87,330
能代市2位53,266橋本市6位55,071益田市4位50,128
本荘市5位45,724岩出町8位48,156浜田市3位47,187
横手市4位40,521海南市3位45,507大田市6位33,609
大曲市6位39,615有田市5位33,661安来市5位30,520
鹿角市8位39,144新宮市4位33,133平田市7位29,006
湯沢市7位34,963御坊市7位28,034斐川町11位26,816
男鹿市9位30,469貴志川町11位21,079江津市8位25,773
鷹巣町12位21,818かつらぎ町10位20,331大社町9位16,020
〇秋田県
当時、市であったところは全部トップ10に入っておりますが、秋田と本荘を除く7市が既に人口減少の途を辿っています。この中で、戦前に市制施行した能代は、全盛時の面影が失われ、また、鹿角、湯沢、男鹿は市制施行以後、人口減少まっしぐら、であります。特に、男鹿に至っては、市制施行直後の国調人口から1万8千人減少という惨状です。それでも、3万人を辛うじて保っているというのが「2000年」なんですね。なお、累P10位は土崎港、11位は小坂です。
〇和歌山県
大将、和歌山市自体が既に人口減少時代に突入しているのですが、南海電車で大阪と繋がる橋本は、当時は順調に人口を増加させていました。古くからの都市では、田辺が横ばい状態でありますが、海南、新宮は、カイナン・シンクウ、いや、カンナンシンク(艱難辛苦)でした。既存の市の不振が目立つ一方で、和歌山市の通勤通学圏にある岩出と貴志川が人口を伸ばしていました。累P9位は「明治の名邑」の中でも名邑中の名邑、湯浅です。
〇島根県
上表で、現在の出雲市を構成する、出雲、平田、斐川、大社の旧2市2町がトップ10に入っていることに目が行きます。旧)出雲市ですが、当時、「地方で県庁所在地ではないが人口増加の市」として全国的に注目を集めていました。松江、出雲以外の市は人口減少傾向にありましたが、大田、江津の減少が激しかったのです。累P10位は、浜田を取り囲んでいた石見村(現:浜田市)ですが、ピンときません。余談ですが、益田市の前身町は旧・旧)益田町ではありません。旧)益田町の改称前は石見町でしたが、その石見町を構成した三町の中で人口最多は、町制施行が一番新しい吉田町だったのです。変遷詳細
◎ 三県の2000年DID人口十傑
秋田県-----和歌山県-----島根県
秋田265,711和歌山291,909松江106,413
大館25,917田辺36,626出雲29,477
能代23,118海南22,296益田16,116
本荘18,804新宮21,005浜田12,948
大曲17,954箕島9,008安来7,114
横手15,677毛見※9,001 大社6,477
湯沢12,141御坊8,372 雲州平田5,415
象潟7,100湯浅8,304大田5,089
鷹巣6,437橋本6,990
花輪5,245紀伊勝浦6,138
※和歌山市南部。「紀三井寺DID」とした方が良かった???
[99249] 2020年 3月 11日(水)15:53:52白桃 さん
「平成の大合併期」誕生市の前身自治体人口トップ10&ボトム10~その(1)
少し間が空きましたが、[99224]に引き続き、2005年国調デビュ-組の【前身自治体人口トップ10&ボトム10】です。
トップ市名前身町村A人口B人口A/B---ボトム市名前身町A人口B人口A/B
1栗東栗東町54,85654,8561.0001北杜長坂町9,25242,1070.220
2白井白井町50,43150,4311.0002西海西彼町9,87335,2880.280
3守谷守谷町50,36250,3621.0003安芸高田吉田町11,63234,4390.338
4豊見城豊見城村50,19850,1981.0004本巣糸貫町11,79933,9000.348
5富里富里町50,17650,1761.0005養父八鹿町12,01130,1100.399
6神栖神栖町48,57587,6260.5546かほく宇ノ気町12,57434,6700.363
7那珂那珂町45,98355,0690.8357壱岐郷ノ浦町12,60033,5380.376
8福津福間町41,48055,7780.7448江田島江田島町12,82432,2780.397
9湖南甲西町41,36253,7400.7709魚沼小出町12,94545,3860.285
10甲斐竜王町40,55971,7060.56610美作美作町13,02434,5770.377
語句の説明
A人口:前身町村の2000年国調人口
B人口:2005年国調時の境域に組み替えた2000年国調人口
A/B---新市の中で前身町村が占める人口の割合である。(一部を他自治体へ分離した後に単独で市制施行した場合には1を超える。)
〇トップ10の中でも上位(トップ5)は単独市制で、当然ながら5万人を超えています。2005年国調デビュー組の中で、その前身町(村)が3万人を超えるのは上掲を含め全部で17ありますが、単独市制5ケースの他に合併相手がひとつだけとなっているケースが9ですから、3万人を超えている自治体は、合併するにせよ多くの相手を欲していなかった事が窺われます(当たり前の話ですね('◇')ゞ)。そんな中、3万人を超えているにもかかわらず合併相手が四自治体となった穂高(安曇野市)と水口(甲賀市)の思惑を知りたいところです。それ以上に興味を惹かれるのが、自身が3万人を超えていながらも、後輩町である神栖に編入されてしまった波崎の心境?です。
〇ボトム10は、7町村の合併によって出来た北杜市の長坂に代表されるように、多くの自治体の合併によって成立した新市、あるいは、宇ノ気(かほく市)のように自治体の数はさほどでもないが、旧町の人口が拮抗した新市、の前身町に心ならずも?なってしまったところが目立ちます。このような前身自治体は、はたして新市の事実上の中心となっているのかどうかを検証するのは極めて困難であり、いや、検証の必要もない、と断言した方が良いでしょう。ともかく、当該「前身自治体」にはなんの責任もなく、合併前国勢調査の人口で無理矢理「前身」を決めてしまった私が悪いのです。
(参考:2000年国調人口)
北杜市:長坂町(9,252人)-高根町(9,218人)…市役所は(旧)須玉町
西海市:西彼町(9,873人)-西海市(9,001人)…市役所は(旧)大瀬戸町
本巣市:糸貫町(11,799人)-真正町(11,556人)…市役所は(旧)本巣町
かほく市:宇ノ気町(12,574人)-七塚町(11,270人)-高松町(10,826人)…市役所は(旧)宇ノ気町
[99248] 2020年 3月 11日(水)15:36:05hmt さん
郡区町村編制法による郡の制定
[99246] MI さん
郡の変遷を拝見しました。郡区町村編制法が施行された年月日については、既に[99247]むっくんさん の記事がありましたが、参考として末尾に記されていた[76875]により、各府県における施行根拠を知ることができました。

そこで、サンプルとして埼玉県の明治12年3月17日 甲第19号布達 を取り上げ、閲覧を試みました。
記事に付けられているリンクは近代デジタルライブラリー時代のものと思われ、そのままでは Not Found。

そこで、同じ番号を利用して 国立国会図書館デジタルコレクション書式に修正することを試み、新しいURLにより、『埼玉県達全書 明治12年甲第19号』を閲覧することができました。

甲第19号 明治12年3月17日
明治11年7月第17号公布を以て郡区町村編制法被相定候付本県治下従前の区画を廃し 各郡名称郡役所の位置左の通相定候条此旨布達候事 
郡制
北足立郡、新座郡北足立新座郡役所足立郡浦和宿
入間郡、高麗郡入間高麗郡役所入間郡川越町
比企郡、横見郡比企横見郡役所比企郡松山町
秩父郡秩父郡役所秩父郡大宮郷
児玉郡、賀美郡、那珂郡児玉賀美那珂郡役所児玉郡本庄宿
大里郡、幡羅郡、榛沢郡、男衾郡大里幡羅榛沢男衾郡役所大里郡熊谷宿
北埼玉郡北埼玉郡役所埼玉郡成田町
南埼玉郡南埼玉郡役所埼玉郡岩槻町
北葛飾郡 武蔵、中葛飾郡 下総北葛飾中葛飾郡役所武蔵国葛飾郡清地村

[99246] では 郡の成立日 18781001 となっておりますが、18790317 ではないでしょうか?

当然のことながれ、埼玉県以外の府県についても、同じ手法により確認できる「郡の制定日」が多数あると思います。
お手数ですが、よろしくご検討願います。

# 郡制制定と住所表記との関係
行政区画である「郡制」が制定されても、例えば 北葛飾中葛飾郡役所の住所表記は 「武蔵国葛飾郡清地村」。
埼玉県も北葛飾郡も使われていないのですね。
[99247] 2020年 3月 10日(火)18:41:02【2】むっくん さん
Re:郡の変遷
[99246]MI さん
郡の変遷を拝見しました。郡区町村編制法が施行された年月日が違うと思います。
#この施行された年月日が郡の成立年月日です。

北海道
開拓使に1879(M12).7.23に郡区町村編制法が施行されていますので開拓使時代の1879(M12).7.23に郡の成立としておいていいのではないでしょうか。

青森県
1878.7.1ではなくて1878(M11).10.30に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

岩手県
1878.10.1ではなくて1879(M12).1.4に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

宮城県
1878.4.1ではなくて1878(M11).10.21に郡区町村編制法が施行されました。

秋田県
1878.4.1ではなくて1878(M11).12.23に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

山形県
1878.5.1ではなくて1878(M11).11.1に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

福島県
1878.4.1ではなくて1879(M12).1.27に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

茨城県
1878.4.1ではなくて1878(M11).12.2に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

栃木県
1878.4.1ではなくて1878(M11).11.8に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。
寒川郡、下都賀郡→下都賀郡となってのは1889.3.12ではなくて1889.3.13です。

群馬県
1878.4.1ではなくて1878(M11).12.7に郡区町村編制法が施行されました。

埼玉県
1878.10.1ではなくて1879(M12).3.17に郡区町村編制法が施行されました。

千葉県
1878.5.1ではなくて1878(M11).11.2に郡区町村編制法が施行されました。
1878(M11).11.18に埴生郡(下総国)→下埴生郡、埴生郡(上総国)→上埴生郡となりました。

東京府
1878.3.31ではなくて1878(M11).11.2に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

神奈川県
1878.9.1ではなくて1878(M11).11.18に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

新潟県
1878.5.1ではなくて1879(M12).4.28に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

石川県
1878.6.1、1878.9.15ではなくて1878(M11).12.17に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

山梨県
1878.2.11ではなくて1878(M11).12.19に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

長野県
1878.3.1ではなくて1879(M12).1.4に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

岐阜県
1878.5.1ではなくて1879(M12).2.18に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

静岡県
1878.9.1ではなくて1879(M12).3.12に郡区町村編制法が施行されました。

愛知県
1878.5.1ではなくて1878(M11).12.20に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。
その後1880(M13).2.5に春日井郡→東春日井郡、西春日井郡の分割がされました。

三重県
1878.6.1ではなくて1879(M12).2.5に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

滋賀県
1878.1.15ではなくて1879(M12).5.16に郡区町村編制法が施行されました。
1880(M13).5.29に浅井郡→東浅井郡、西浅井郡が分割されました。

京都府
1878.2.11ではなくて1879(M12).3.14に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

大阪府
1878.11.3ではなくて1879(M12).2.10に郡区町村編制法が施行されました。

堺県
1878.11.3ではなくて1880(M13).4.15に郡区町村編制法が施行されました。

兵庫県
1878.9.30ではなくて1879(M12).1.8に郡区町村編制法が施行されました。

和歌山県
1878.1.1ではなくて1879(M12).1.20に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

島根県
1878.11.1ではなくて1879(M12).1.6に郡区町村編制法が施行されました。

岡山県
1878.8.1ではなくて1878(M11).9.20に郡区町村編制法が施行されました。

広島県
1878.10.1ではなくて1878(M11).11.11に郡区町村編制法が施行されました。

山口県
1878.4.1ではなくて1879(M12).1.6に郡区町村編制法が施行されました。

愛媛県
1878.4.1ではなくて1878(M11).12.16に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

高知県
1878.1.1ではなくて1879(M12).1.1に郡区町村編制法が施行されました。

福岡県
1878.9.30ではなくて1878(M11).10.12に郡区町村編制法が施行されました。

長崎県
1878.4.1、1878.5.9ではなくて1878(M11).10.28に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

熊本県
1878.6.1ではなくて1879(M12).1.20に郡区町村編制法が施行されました。

鹿児島県
1878.3.25、1878.2.1ではなくて1879(M12).2.17に郡区町村編制法が施行されました。
1887.4.1ではなくて1887(M20).4.2に
伊佐郡→南伊佐郡、北伊佐郡、
大隅郡→南大隅郡、北大隅郡
囎唹郡→東囎唹郡、西囎唹郡
の分割がされました。

参考:[76875]拙稿
[99246] 2020年 3月 7日(土)19:22:56MI さん
郡の変遷
[99241] MI でお知らせしている市区町村数推移一覧表ですが、その後も細かなミスが発見されております。整理でき次第ご連絡しますのでよろしくお願いします。

 当方のデータベースやそれを用いた集計などについては、これまでも触れてきました。そこでは
過去も含めた全市町村の成立日・消滅日データ
を用いて様々な作業を行っているという説明をしているのですが、実物をご覧いただかないと意味が通じにくいと思いました。そうはいってもデータそのものは膨大なものですからちょっと考えまして、郡に絞ってご紹介しようと思います。例によってエクセルファイルにまとめましたので、ぜひダウンロードしてみてください。マクロは使用しておりません。
郡の変遷(gun.xlsx)

 ファイルは計5枚のシートから構成されています。そのうちの「歴代郡成立消滅日」シートが、データベース本体から各郡の成立日・消滅日を拾い出したデータになります。なお郡の名称は当方の作業用にサフィックスが付いているものもあります。また現存している郡は「消滅日」欄を「★」にしてあります。
 「変更前」「変更後」欄は、単純な郡名変更や所属府県(支庁)の変更によるもののみ記載してあります。A列とH列、I列、それに「work」シートは作業用のものです。

 「郡数推移一覧表」シートは、上記データを分析して、変更にかかわる日付順に郡の増減をまとめたもので、推移一覧表に示してあるものの一部にあたります。

 「日付毎郡一覧表」シートは、そのA1セルに年月日(YYYYMMDD)を入力すると、その日に存在している郡のみをリストアップしてくれます。

 「日付毎郡数一覧表」シートは、上記年月日における各都道府県の郡数を表示します。

 このようにして、成立日・消滅日データから様々な集計やリストアップができることがお分かりいただけると思います。ご質問やお気づきの点をお待ちしています。
[99245] 2020年 3月 7日(土)13:50:18【1】白桃 さん
名邑三世代(改訂)
[99242]については誤入力があり、また、追加事項がありますので、申し訳ありませんが再投稿いたします。
【明治の名邑】(再掲)
白桃選「明治の名邑」とは、明治末における市町(村)であって、以下の3つの条件すべてをクリアする。
1.「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」)の第一表(市街及ヒ市街ノ体裁ヲナシタル名邑)に記載されている都邑を含む
2.1の戸口表に記載された1個の都邑・町村の現住人員が三千人以上
である
3.明治期に町制または市制施行
[77089]
新たに19世紀枠を設定し、運悪く名邑の条件をクリアできなかったけれども、なんら遜色のない34市町村を追加することになりました。
なお、選考にあたっては、私情をはさまず厳正な審査が行われたことを申し添えます。
で、その34市町村(明治末)とは
余市町、釧路町、岩内町、石狩町、室蘭町、増毛町、厚岸町(以上、北海道)、横手町、花輪町(以上、秋田)、磯浜町(茨城)、足尾町(栃木)、沼田町(群馬)、忍町(埼玉)、鎌倉町(神奈川)、鳴海町、常滑町、大浜町、瀬戸町(以上、愛知)、天王寺村、吹田町(以上、大阪)、門司市(福岡)、福江村、富江村、茂木村(以上、長崎)佐土原町(宮崎)、東南方村、指宿村、鹿屋村、垂水村、志布志村、加世田村、阿久根村、加治木町(以上、鹿児島)、糸満町(沖縄)
上記、石狩町を抹消し、旭川町を追加

【大・昭の名邑】
1950年(昭和25年)国勢調査時点における市町(村)であって、以下のいずれかの条件に適合するところ。(ただし、「明治の名邑」を除く)
1.1950年10月1日時点で市制施行している
2.1940年10月1日までに町制施行している町であって、1950年国勢調査においては1万人を超え、1920年国勢調査においては5千人を超えている。なお、1920年国調~1950年国調に廃置分合している場合は、1920年国勢調査においてその前身自治体が5千人を超えていること。
3.1950年国勢調査において3万人を超えている町村
「宮崎県及び鹿児島県の特例」
条件2を以下のようにする。
2.1940年10月1日までに町制施行している町であって、1950年国勢調査においては2万人を超え、1920年国勢調査においては1万人を超えている。なお、1920年国調~1950年国調に廃置分合している場合は、1920年国勢調査においてその前身自治体が1万人を超えていること。ただし、1920年10月1日時点で町制施行している場合は、1950年国勢調査において1万人を超え、1920年国勢調査において5千人を超えていれば可とする。
「沖縄県の特例」
条件2を以下のようにする
2.1950年10月1日までに町制施行している町であって、1950年国勢調査においては1万人を超え、1920年国勢調査においては5千人を超えている。なお、1920年国調~1950年国調に廃置分合している場合は、1920年国勢調査においてその前身自治体が5千人を超えていること。

【昭・平の名邑】
2000年(平成12年)国勢調査時点における市町(村)であって、以下のいずれかの条件に適合するところ。(ただし、「明治の名邑」、「大・昭の名邑」を除く)
1.2000年10月1日時点で市制施行している
2.2000年10月1日までに町制施行している町であって、2000年国勢調査においては2万人を超え、1960年国勢調査においては1万人を超えている。なお、1960年国調~2000年国調に廃置分合している場合は、1960年国勢調査においてその前身自治体が1万人を超えていること。
3.2000年国勢調査において5万人を超えている町村
4.1960年国調~2000年国調の全9回のうち5回以上DIDが存在した町村
「茨城県、栃木県、、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、静岡県、愛知県、大阪府、兵庫県、奈良県及び福岡県の特例」
条件2を以下のようにする。
2. 2000年10月1日までに町制施行している町であって、2000年国勢調査においては3万人を超え、1960年国勢調査においては1万5千人を超えていること。なお、1960年国調~2000年国調に廃置分合している場合は、1960年国勢調査においてその前身自治体が1万5千人を超えていること。ただし、1955年10月1日時点で町制施行している場合は、2000年国勢調査において2万人を超え、1960年国勢調査において1万人を超えていれば可とする。
「沖縄県の特例」
条件4を以下のようにする
4. 1970年の琉球政府による「国勢調査」~2000年国調の全7回のうち4回以以上DIDが存在した町村
[99244] 2020年 3月 5日(木)16:02:48【1】hmt さん
全国の市区町村数3
日本全国の市町村数はいくつ?

素朴な疑問を記した[99155]から4週間目、[99207]に続く3回目です。
ここで 集まったデータを紹介し、その比較を試みます。【甲】【乙】…は、便宜上付与したデータの記号です。

最初の手掛かりとして示したのが、当サイト内の【甲】 都道府県の市区町村数 でしたが、現在遡れる限度は 昭和合併後期の 1960/10/1 でした。

統計局の国勢調査に基づく「長期統計」については、存在だけ知っていた程度でした。
具体的なアクセスは ekinenpyouさんの記事を頼りに、【乙】「1-12表 都道府県別市区町村数」に到達しました。
これで、5年刻みながら 1920年まで遡及することができました。[99155]

その記事が縁となり、[99157] MI さんのレスで自作データの存在が明らかになりました。
【丙】ctv_total.xlsx と【丁】ctv_total_pref.xlsx です。最新版は[99241]
このデータは、グリグリさんの手によって 【戊】 全国の市区町村数の推移 という表になり 当サイトでリリース[99173]されています。

[99207]に記した上記経過 以外の情報:
政府統計ポータルサイト の中に【己】 市区町村数を調べる というページがあり、年月日を入力して検索することができます。
現在遡れる限界は 1970/4/1 であり、これは昭和合併終結の約9年後、平成合併事実上開始の 20年前という 市区町村数の安定した時期でした。

こうして、2月中に集めた 幾つかのデータから 1970/10/1 という日付を選び、調査結果を対比してみました。
MI さんのデータは、最終的には【戊】「全国の市区町村数の推移」に反映されるので、これに統合しました。

データにより、集められた項目や集計法に相違がありますが、項目は 概ね最新のリスト【戊】の順番に従い、特別区数 市数 町数 村数 市区町村数 政令区数 郡数 とし、参考までに 支庁数 を加えました。

1970/10/1データの 対比結果
記号データ名特別区数市数町数村数市区町村数-政令区数郡数支庁数
【甲】都道府県の市区町村数2358720207233353-72571nd
【乙】都道府県の市区町村の推移 T9-H17nd58820207233331-ndnd
【丙】ctv_total2358720207293359-7258114
【丁】ctv_total_pref
【戊】全国の市区町村数の推移2358720207293359-72ndnd
【己】e-Stat市区町村数を調べる2357820136843299-7249719

【戊】「全国の市区町村数の推移」の値、すなわち
23特別区+587市+2020町+729村【北方6村を含む】 合計3359市区町村
を標準とし、これと違う数値を説明しておきます。

【甲】:北方6村除外。  
【乙】:東京都23特別区は、1市として処理。
【丙】【戊】:3359市区町村で一致。
【己】:e-Statの検索結果は、[99207]でコメントした 北方6村の取り扱い だけではなかった。
 1970年は、沖縄復帰(1972/5/15)前々年のため、沖縄県の55市町村【9市7町39村】が未算入。

【追記】
【己】で集計されていた19支庁は、内訳によると、北海道14支庁・東京都4支庁・長崎県1支庁とされています。
長崎県には 2005年度改正前には 五島・壱岐・対馬の3支庁が存在した[71553]と思うのですが、何故に1支庁?
そう言えば、変遷情報長崎県にも見当たりませんね。
[99243] 2020年 3月 4日(水)16:55:07勿来丸[シノレパシクソ] さん
東京駅・新宿駅の高速バス
学生たちはいわゆる「コロナウイルス」の影響により自宅待機を余儀なくされている状況であります。かくいう私も(もうすぐ卒業なので元からこの時期はほぼ学校に行かないわけですが)家でのんびりと過ごしているところです。こういう時期でも出勤せざるを得ない大人の方々は本当に大変だろうと思います……。

さて、地元木更津はアクアラインのおかげで東京方面へのアクセスが非常に容易です。木更津駅からは東京・新宿・渋谷・品川・横浜・川崎・羽田空港と、たくさんの方面への高速バスがあり、また運行本数も多いです。東京や新宿へはバスで約1時間、片道1,500円前後?で、通勤客の利用がとても多くなっています。
先月私も(入試のため)、東京便・新宿便をそれぞれ利用しました。東京便は何度か乗ったことがありましたが数年ぶりで、東京駅付近に到着してから駅改札口に辿り着くまでの『地下道』の移動が長く大変でした。新宿便はそれまで乗ったことがなく、バスタ新宿を初めて見て「すごいなぁ」と思いました。
これらのバスを利用して一番驚いたのは、東京駅・新宿駅から出るバスの行き先。「こんなところにまでバスが行けるのかぁ」と思ってしまうような行き先がいくつかありました。

(1)東京駅発着のバス
●富里・航空科学博物館・多古・八日市場駅・匝瑳市役所(JRバス関東・千葉交通)……電車よりは便利?
●常陸太田・常陸大宮・常陸大子(茨城交通)……1日2往復でもすごい
●鉾田・麻生(関鉄グリーンバス)……もはや衝撃的
●知立・刈谷・知多半田(JRバス関東)……名古屋行きもあるけれど
西は山口県(萩)、北は青森(フェリー経由の苫小牧便もある)まで様々な路線がありますが、意外性のある路線は大抵近場。近畿や東北など遠方になると県庁所在地などの大都市行きが多くなります。

(2)新宿駅発着のバス
●常陸太田・常陸大宮(茨城交通)……こっちにもあるとは
●塩山(富士急バス)……とても意外。甲府行きもあるのですがね
●南アルプス市・八田・身延(京王バス・山梨交通)……まさかの南アルプス市は、とても、とても、意外
●可児(JRバス・東濃鉄道)……可児いいいいい!(謎)
西は京都や大阪、北は山形・仙台・石巻といったところまでの便があります。

参考:東京駅高速バスターミナル
   新宿高速バスターミナル


[99230]白桃さん
過去20回の国勢調査で、各都道府県内で人口2位になった回数です。
仙台と米沢でなんとなくそんな気がしました。
[99242] 2020年 3月 2日(月)13:38:38白桃 さん
名邑三世代
またまた、馬鹿なことを考え始めました。自分で忘れないように書き留めておきます。

【明治の名邑】(再掲)
白桃選「明治の名邑」とは、明治末における市町(村)であって、以下の3つの条件すべてをクリアする。
1.「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」)の第一表(市街及ヒ市街ノ体裁ヲナシタル名邑)に記載されている都邑を含む
2.1の戸口表に記載された1個の都邑・町村の現住人員が三千人以上である
3.明治期に町制または市制施行
[77089]
新たに19世紀枠を設定し、運悪く名邑の条件をクリアできなかったけれども、なんら遜色のない34市町村を追加することになりました。
なお、選考にあたっては、私情をはさまず厳正な審査が行われたことを申し添えます。
で、その34市町村(明治末)とは
余市町、釧路町、岩内町、石狩町、室蘭町、増毛町、厚岸町(以上、北海道)、横手町、花輪町(以上、秋田)、磯浜町(茨城)、足尾町(栃木)、沼田町(群馬)、忍町(埼玉)、鎌倉町(神奈川)、鳴海町、常滑町、大浜町、瀬戸町(以上、愛知)、天王寺村、吹田町(以上、大阪)、門司市(福岡)、福江村、富江村、茂木村(以上、長崎)佐土原町(宮崎)、東南方村、指宿村、鹿屋村、垂水村、志布志村、加世田村、阿久根村、加治木町(以上、鹿児島)、糸満町(沖縄)
上記、石狩町を抹消し、旭川町を追加

【大・昭の名邑】
1950年(昭和25年)国勢調査時点における市町(村)であって、以下のいずれかの条件に適合するところ。(ただし、「明治の名邑」を除く)
1.1950年10月1日時点で市制施行している
2.1940年10月1日までに町制施行している町であって、1950年国勢調査においては1万人を超え、1920年国勢調査においては5千人を超えている。なお、1920年国調~1950年国調に廃置分合している場合は、1920年国勢調査においてその前身自治体が5千人を超えていること。
3.1950年国勢調査において3万人を超えている町村
「宮崎県及び鹿児島県の特例」
条件2を以下のようにする。
2.1940年10月1日までに町制施行している町であって、1950年国勢調査においては2万人を超え、1920年国勢調査においては1万人を超えている。なお、1920年国調~1950年国調に廃置分合している場合は、1920年国勢調査においてその前身自治体が1万人を超えていること。ただし、1920年10月1日時点で町制施行している場合は、人口要件を緩和する。
「沖縄県の特例」
条件2を以下のようにする
1950年10月1日までに町制施行している町であって、1950年国勢調査においては1万人を超え、1920年国勢調査においては5千人を超えている。なお、1920年国調~1950年国調に廃置分合している場合は、1920年国勢調査においてその前身自治体が5千人を超えていること。


【昭・平の名邑】
2000年(平成12年)国勢調査時点における市町(村)であって、以下のいずれかの条件に適合するところ。(ただし、「明治の名邑」、「大・昭の名邑」を除く)
1.2000年10月1日時点で市制施行している
2.2000年10月1日までに町制施行している町であって、2000年国勢調査においては2万人を超え、1960年国勢調査においては1万人を超えている。なお、1960年国調~2000年国調に廃置分合している場合は、1960年国勢調査においてその前身自治体が1万人を超えていること。
3.1950年国勢調査において5万人を超えている村
4.1960年国調~2000年国調の全9回のうち5回以上DIDが存在した町村
[99241] 2020年 3月 2日(月)06:58:08【1】MI さん
 Re3:全国および各都道府県の市区町村数推移一覧表(改訂版)
これまでにご指摘いただいた点を極力反映したものができました。

[99237] ekinenpyou さん
★天塩郡Cは(520)幌延町で良いですが、★網走郡Bは(564)大空町と思われますがいかがでしょうか?
 おっしゃるとおりで、自分でも混乱してしまったようです。引用された3行を含む段落を次のように訂正します。

★の2郡のうち網走郡Bは、平成17年8月19日 総務省告示961号で
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七条第一項の規定により、網走郡女満別町及び同郡東藻琴村を廃し、その区域をもって同郡大空町を設置する旨、北海道知事から届出があったので、同条第七項の規定に基づき、告示する。
 右の処分は、平成十八年三月三十一日からその効力を生ずるものとする。
とされたものですが、上述の例と同様に従来の網走郡(01541~01544)ではなく網走支庁(当時)の末尾に大空町(01564)と付加されたことを踏まえて郡の区別をしました。

 また天塩郡Cは平成20年6月30日 条例78号によって留萌支庁から宗谷総合振興局に移管されたものです。宗谷支庁には従来から天塩郡Bがあるのですが、上述の■と同じ理由で郡を区別することにしました。

[99237] ekinenpyou さん
明治32年(1899年) 10月1日 北海道 北海道区制施行 3区設置以降とすべきではないでしょうか?
 ごもっともだとも思うのですが、
[99239] hmt さん
「区の数」だけの問題ならばともかく、「郡の数」にも影響するので
ということもあり、悩ましく迷っています。当方のデータはいじらずに保留しておきます。

[99236] MI
・神奈川県の区数(保土ヶ谷区の件)を修正しました。
・北海道で2級町村から1級に変更になったものや、同様の変更があったものを推移一覧表から外しました。
・府県をまたぐ郡や町村の移管に関して、全国の推移一覧表と同様に各都道府県の一覧表からも外してしまっており、不具合を生じていましたので、後者に関しては増減を反映させるようにしました。
・その他、気づいた点をいくつか修正しました。

全国の市町村数推移一覧表(ctv_total.xlsx)
各都道府県の市町村数推移一覧表(ctv_total_pref.xlsx)

お気づきの点やご指摘をお願いします。

#虻田郡Aの消し忘れを訂正しました。
[99240] 2020年 3月 1日(日)20:49:04伊豆之国 さん
明後日は「嬉しいあの日」のはずが…
明後日、3月3日は「雛祭り・桃の節句」。人形作りで名高いさいたま市岩槻区に「人形博物館」が先月22日にオープンした、という話題がありましたが、ご承知の通り全国的な「新型疫病」の蔓延により、「本番」を目前にして早くも明日から2週間にわたって臨時休館、という事態となりました(博物館HP)。本日開催の予定だった「流しびな」のイベントも中止されています(岩槻人形協同組合HPより)。

「桃」つながりで…
[99230],[99238] 白桃さん
[99234] デスクトップ鉄さん
北海道の「道」はなぜ省略されないのか?
確かに言われてみればそうですね。「北海道」の意味で「北海」という呼び方をしているのは、せいぜい「北海高校」と「北海盆唄」ぐらいしか思い浮かんできません…。
影が薄いのは、東山道
そもそも「東山道」というのは、「近畿・関西」の近江から始まって、「中部」の美濃・飛騨・信濃、「(北)関東」の上野・下野、更に「東北・奥羽」の陸奥・出羽と、文化も方言も違う地域の「寄せ集め」みたいなもので、お互いのつながりが薄い「人為的」な区分けだったからなのでしょうか。さらに、東山道に入っている上野・下野と、東海道に入っている武蔵など他の関東6か国とを合わせた「関八州」という言い回しが定着してきたこと、交通の面でも江戸を起点とした「五街道」が整備され、東山道内を西へ結ぶ「中山道」と東北へ向かう「奥州街道」ができて、「東山道」としての「一体感」が薄れたこともあるのでしょう。、ただ、「気候」の面からみると、「東山道」のうち、東北6県以外の範囲の大部分は、気候区分の上で「中央高地気候」の地域に入るようで、その面からだけは「東山道」の区分けに合理性がある、ということになるようですが…。

次に、クイズについて。
[99206]
【問F】JR北海道・根室本線、JR西日本・境線、上毛電気鉄道・上毛線、東京メトロ・丸ノ内線、名古屋鉄道・名古屋本線(該当しない路線…東武鉄道・東上本線、近江鉄道・近江本線)
デスクトップ鉄さんからのクイズが6日から始まりますので([99234])、これと「もどき」であるこの問は被りますのでここでお開きにします。
第一ヒント
「亀田で花よ」(かめだではなよ)
→「仮名では駄目よ」(かなではだめよ)
共通項は「『富士』の付く駅がある路線」でした。
この想定解は、[83651]を見れば一目瞭然です。
[83651]では、「富士山」駅と「富士急ハイランド」駅を共に「富士急」とだけ表していたのですが、富士急の路線は、「市街地のスイッチバック」になっている富士吉田改め富士山駅を境に、大月~富士山間を「大月線」、戦後の昭和25年(1950)に開業した富士山~河口湖間を「河口湖線」と呼ぶのが正式なので、先に開業している富士山駅は「大月線」に、富士急ハイランド駅は「河口湖線」に所属することになりますが、一般には「富士急線」として通用しており、「富士急行」「富士急」「富士急線」でも正答扱いとしていました(問題自体がAboutなので…)。
このほか、「番外」として河口湖のロープウェイ(河口湖富士山パノラマロープウェイ、富士急が経営)に「富士見台」という「駅」があり、こちらが出てもOKとしていました。
一方、NGとした東武東上線には「ふじみ野」、近江鉄道には「フジテック前」という駅があり、いずれも「富士」が語源(フジテックの沿革)なのですが、「仮名書きは排除」という線引きでした。
この問では、過去に「十番勝負」スタイルで出した過去問([93704])で、「富士」の付く市や富士山に近い市をお題に並べたのとは真逆に、お題に富士山が見えない地域(根室線…新富士、境線…富士見町、名鉄…富士松)や、見えるかどうかぎりぎりの場所(上毛電鉄「富士山下」)を意識的に並べて「迷彩」にしたつもりだったのですが、出題した日が「富士山の日」2月23日だったことと、問題名が「問F」で、そこから既に共通項が見え見えになってしまったのは少々「お粗末」でした…。

「富士山」「ひな」というと、静岡県富士市に「比奈」という地名があり、岳南電車の駅名にもなっています。この「比奈」の地名は、平安時代の「和名抄」に出ている「姫名郷」に由来するとされ、また地元では「竹取物語」の発祥の地としての伝承もあるようです(岳南電車HPより)。
[99239] 2020年 3月 1日(日)13:57:24hmt さん
明治30年11月5日に定められた北海道2区88郡
[99237] ekinenpyou さん
【おまけ疑問1件(ctv_total_pref.xlsx)】

このサイトの変遷情報は、原則として「市制町村制施行以後」を対象とし、「郡区町村編制法」などの旧制度時代の変遷は含めておりません。
変遷情報検索で、検索期間:-1900年、都道府県:北海道 を実行した結果は、下記の18件でした。
【括弧内は詳細記載事項の要点です】

#1 1899/10/1 新設/区制 函館区 【北海道区制施行】
#2 1899/10/1 新設/区制 小樽区 【北海道区制施行】
#3 1900/7/1 新設/村制 亀田郡大野村 【北海道一級町村制施行】
(中略)
#18 1900/7/1 郡変更/新設/町制 根室郡根室町 【花咲郡の一部を変更、北海道一級町村制施行】

1889年北海道区制による「札幌区」の脱落理由は不明ですが、「市制町村制施行以後」という対象範囲は文字通りではなく、「北海道区制」のような別の法律に基づく変遷も 含まれていることがわかります。
なお、変遷情報検索はオプション・メニューによる「市制町村制施行時前の履歴情報」選択も可能です。

このような事情や、1997年当時の全国的地方自治制度整備状況を考慮し、北海道庁官制に基づいて 「1897/11/5 に登場した 札幌区と函館区」も、北海道区制に先立って 全国の市区町村数の計上対象に加えておく。
これが適切であろうと考えた結果が、[99231][99232]でした。

「区の数」だけの問題ならばともかく、「郡の数」にも影響するので、グリグリさんの真意を確認した後にするのが本来であったかもしれません。
しかし、hmtマガジンの 区の分類であったので、「C pre2」は 独断で計上対象に組み入れました。

この記事を記すにあたり、全国の市区町村数の推移 1897/11/5 を確認したところ、19支庁と並んで88郡の増加も確認できました。
これにより、北海道庁官制に基づく変遷情報も 計上対象として扱うことが グリグリさんにも認められていることを確信しました。ご了承ください。
[99238] 2020年 3月 1日(日)11:36:31白桃 さん
でっかいどー北海道
[99234]デスクトップ鉄 さん
アーカイブに北海道はなぜ「北海」と略さないの?-都道府県に違いはあるのか-がありました。
やはり、アーカイブスにあったのですね。お知らせいただき有難うございました。Issieさんの解説はとても分かりやすくためになるのですが、私が気になっていたのは、
1.開発の歴史も浅い北海道の「道」は元々「都」「府」「県」とは異質のもので、「北海」+「道」と切り離せないものである。
2.本州、四国、九州と同じように、島の名称でもある。
3.東海道、東山道、あるいは、東北(地方)、近畿(地方)といった広域地域名称にもなっている。
・・・ということを多くの国民が深く認識することもなく慣習的に「道」を付けているのか、ということです。
それは、小学校で「北海道」のことを「ほっかいどう」以外の呼び方で教わったことがない(まさか、「エゾ」と呼ぶ先生はいないでしょう。)というあたりまえのような要因と、「ほっかい」だけではなんとなくものたりない、と感じる人が多いからではないでしょうか。そういえば、小さな「つ」(促音)が入る鳥取県もこころなしか、ハズミで「ケン」まで付けて言う方が多いような・・・
ひょっとして、「道」を付けることは北海道に対する(無意識ではあるが)一種の「尊敬と好意」の表れかもしれません。
[99237] 2020年 3月 1日(日)10:00:28ekinenpyou さん
Re3: 北海道の郡など
[99235] MIさん
早速の解説ありがとうございます(北海道の郡増減基準が)理解できました、以上を踏まえますと

★の2郡はいずれも平成20年6月30日 条例78号で、
留萌支庁 天塩郡A 幌延町→宗谷総合振興局 天塩郡C 幌延町
胆振支庁 虻田郡A 洞爺湖町→胆振総合振興局 虻田郡C
★天塩郡Cは(520)幌延町で良いですが、★網走郡Bは(564)大空町と思われますがいかがでしょうか?

虻田郡洞爺湖町(01584)と勇払郡安平町(01585)、むかわ町(01586)のコードは本来の虻田郡(01571~01573)、勇払郡(01579~01583)の場所ではなく、胆振支庁の末尾に付加された形となってしまいました。


上記は(北海道に関しては郡ではなく支庁をひとまとめにしますので)コードの仕様です。

「全国地方公共団体コード」仕様より
6.2.5 北海道の区域内にある町村 : 301 から779 までの数字を、301~329、331~359、
……751~779 の29 ずつのグループに区分し、各支庁の所管区域にそれぞれのグループを割り当て、
各支庁の所管区域内の町村を、各グループの範囲内の連番号で表示する。


【おまけ疑問1件(ctv_total_pref.xlsx)】
[99157] MIさん
市制・町村制以前はカウントしておりませんので


とあるので、札幌区・函館区のカウントは市区町村変遷情報に倣い
明治32年(1899年) 10月1日 北海道 北海道区制施行 3区設置以降とすべきではないでしょうか?

01北海道
18971105 +19支 +88郡 +2區
18991001 -1支 +1區

18971105 +19支 +88郡
18991001 -1支 +3區
[99236] 2020年 2月 29日(土)14:04:17MI さん
神奈川県の区など
[99233] ekinenpyou さん
・14神奈川 29区とあるが28区ではないか?
 はい、おっしゃるとおりです。昭和44年4月1日 横浜市条例19号(PDF)
同条中保土ヶ谷区を廃止し,港南区の次に,次の2区を新設する。
で、あらためて保土ヶ谷区と旭区が成立したのですが、当方のデータベースではこの際従来の保土ヶ谷区を消滅し忘れておりました。ご指摘のおかげで誤りを正すことが出来ました。

他、ctv_total_pref.xlsxの日付毎というシートで"20191001"と入れると内訳がマイナス値になる
箇所があるようです。
 ご迷惑をおかけして申し訳ございません。元のデータベースはテキストファイルで作成しており、そこから自作のプログラム(awk スクリプト)を使用して市区町村数推移一覧表(これもテキストファイル)は自動作成しております。最後にそれを excel に取り込んで保存したものを Dropbox に挙げているのです。データの入力ミスもありますし、また先日来、改称や郡変更だけの変遷をカウントしないようにするためにデータの修正及びスクリプトの改造、さらにはうまく動くために自分で定めてあるデータの「文法」の見直しなども同時進行で行っているために、不具合が残っていることに気づかずアップしてしまったことがあるようです。
 北海道で2級町村から1級に変更になったものが一覧表に残っていることなどを確認しておりますので、もう一度データの見直しを行っております。修正ができ次第、ご連絡いたしますのでしばらくお待ち戴ければ幸いです。
[99235] 2020年 2月 29日(土)12:40:32MI さん
Re2: 北海道の郡など
[99233] ekinenpyou さん、詳細な検証有難うございます。
・01北海道 78郡とあるが64(+5)=69郡ではないか?
(78郡をどのように数えているのか?複数支庁にまたがる郡を別々としても不足がある)
 いつも説明不足で申し訳ありません。当方のデータで78郡と数えている内訳は以下のとおりです。

振興局
石狩石狩郡
渡島上磯郡亀田郡茅部郡二海郡松前郡山越郡
檜山奥尻郡久遠郡瀬棚郡爾志郡檜山郡
後志虻田郡B磯谷郡岩内郡島牧郡積丹郡寿都郡古宇郡古平郡余市郡
空知雨竜郡A樺戸郡空知郡A夕張郡
上川雨竜郡B上川郡A上川郡B空知郡B中川郡A勇払郡B
留萌天塩郡A苫前郡増毛郡留萌郡
宗谷枝幸郡宗谷郡天塩郡B★天塩郡C利尻郡礼文郡
オホーツク網走郡A★網走郡B斜里郡常呂郡紋別郡
胆振虻田郡A■虻田郡C有珠郡白老郡勇払郡A■勇払郡C
日高浦河郡様似郡沙流郡新冠郡日高郡幌泉郡
釧路阿寒郡厚岸郡川上郡釧路郡白糠郡
十勝足寄郡河西郡河東郡上川郡C十勝郡中川郡B広尾郡
根室標津郡野付郡目梨郡▲択捉郡▲国後郡▲色丹郡▲蘂取郡▲紗那郡

北海道の市区町村末尾の説明にもありますが、
3つの上川郡と2つの中川郡は元々独立の郡であることから、上川郡(石狩)、上川郡(天塩)、上川郡(十勝)、中川郡(天塩)、中川郡(十勝)、と表記で区別します。
 これを当方では順に上川郡A[上川]、上川郡B[上川]、上川郡C[十勝]、中川郡A[上川]、中川郡B[十勝]と表しています。上川郡Bは当初増毛支庁でしたが、明治32年5月8日 勅令191号(5月9日官報)で上川支庁に編入されて以来、上川支庁に2つの上川郡が併存する形になっています。
 ここまでで郡の数は64です。

 また北海道の市区町村
虻田郡、空知郡、雨竜郡、勇払郡、天塩郡については、たまたま(総合)振興局の境界が同一郡を二つに分けているだけであり、本来1つの郡として捉えるべきですが便宜上分けて扱っています。
 これを当方では虻田郡A[胆振]、虻田郡B[後志]、空知郡A[空知]、空知郡B[上川]、雨竜郡A[空知]、雨竜郡B[上川]、勇払郡A[胆振]、勇払郡B[上川]、天塩郡A[留萌]、天塩郡B[宗谷]で区別しています。
 これで 64+5=69郡 になりました。

 さて、上記の表には■、★と▲の印のついた郡があります。■の2郡は(長い説明ご容赦ください)
平成17年8月19日 総務省告示958号
地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七条第一項の規定により、虻田郡虻田町及び同郡洞爺村を廃し、その区域をもって同郡洞爺湖町を設置する旨、北海道知事から届出があったので、同条第七項の規定に基づき、告示する。
 右の処分は、平成十八年三月二十七日からその効力を生ずるものとする。
平成17年8月19日 総務省告示959号
地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七条第一項の規定により、勇払郡早来町及び同郡追分町を廃し、その区域をもって同郡安平町を設置する旨、北海道知事から届出があったので、同条第七項の規定に基づき、告示する。
 右の処分は、平成十八年三月二十七日からその効力を生ずるものとする。
平成17年8月19日 総務省告示960号
地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七条第一項の規定により、勇払郡鵡川町及び同郡穂別町を廃し、その区域をもって同郡むかわ町を設置する旨、北海道知事から届出があったので、同条第七項の規定に基づき、告示する。
 右の処分は、平成十八年三月二十七日からその効力を生ずるものとする。
に拠るものなのですが、その説明には市区町村コードが関わっています。昭和45年4月1日(官報号外46号) 行政管理庁告示46号で定められたときは5桁でしたが、チェックディジットを6桁目に付加した形で上記総務省のページに掲載されています。実質的には5桁までをコードと扱ってよいと思います。(ウィキペディアの説明もご覧ください。
 北海道以外の道府県においては郡にもコードが振られており、所属する町村はそれに続く番号になっています。次の郡との間には番号の「隙間」が適宜空いていますから、町村が新設された場合にはそこに埋めることになるわけです。
 ところが北海道に限っては支庁のコードがあるものの郡のコードがありません。郡に所属する町村が終わると、「隙間」なしで次の郡の町村のコードが振られているのです。したがって上記の虻田郡洞爺湖町(01584)と勇払郡安平町(01585)、むかわ町(01586)のコードは本来の虻田郡(01571~01573)、勇払郡(01579~01583)の場所ではなく、胆振支庁の末尾に付加された形となってしまいました。
 この取扱いについては随分迷ったのですが、結局郡を区別する形で表現することにしてあります。

 ★の2郡はいずれも平成20年6月30日 条例78号で、
留萌支庁 天塩郡A 幌延町→宗谷総合振興局 天塩郡C 幌延町
胆振支庁 虻田郡A 洞爺湖町→胆振総合振興局 虻田郡C
それぞれ異なる支庁(振興局)に移管されたものです。宗谷支庁と胆振支庁には従来から天塩郡B、虻田郡Aがあるのですが、上述の■と同じ理由で郡を区別することにしました。

 最後の▲はひと目でお分かりのとおり北方領土に関するものです。
結局 64+5+2+2+5=78郡 でカウントしていることになりました。

#長くなってしまったので、神奈川県の区は稿を改めます。
[99234] 2020年 2月 29日(土)11:55:27【1】デスクトップ鉄 さん
Re:北海道の「道」はなぜ省略されないのか?
[99230] 白桃 さん
アーカイブに北海道はなぜ「北海」と略さないの?-都道府県に違いはあるのか-がありました。私の初投稿は、明治になって制定された北海道の旧国名についてでしたが、この議論当時はメンバーではありませんでした。
チコちゃんにも聞いてみたところ、「北海道は地名だから、省略できない」という答えでした。
北海道は、松浦武四郎が挙げた候補のなかから「北加伊道(きたかいどう)」を採用、それまでの五畿七道にならって「北海道」として命名されたとのこと。1869年道内の11国の成立と同時でした。なお、戦前の北海道の自治制度は内地と異なり、議会が「北海道会」、行政が「北海道費」だったそうです。
ところで七道は行政組織ではなく、単なる広域名称だったようですね。古代から中世にかけての幹線道路の意味では、現在も北陸道、山陰道、山陽道は高速道路名の略称として使われています。道を省略した東海市、西海市や、南海電鉄の例がありますが、影が薄いのは、東山道。
七道と令制国との関係は、旧国鉄の線路名称における部線体系に似ています。
東海道:伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河...東海道線:東海道本線、山手線、赤羽線、南武線、鶴見線...
北陸道:若狭、越前、加賀、能登、越中...北陸線:北陸本線、小浜線、越美北線、三国線、七尾線...
山陰道:丹波、丹後、但馬、因幡、伯耆...山陰線:山陰本線、舞鶴線、宮津線、因美線、若桜線...
山陽道:播磨、美作、備前、備中、備後...山陽線:山陽本線、加古川線、高砂線、三木線、北条線...

鉄道路線が出たところで、宣伝させてください。全国のJR駅五番勝負と同じスタイルで、第1回全国の鉄道路線五番勝負をここで3月6日21時に開催します。落書き帳メンバーのご参加をお待ちしています。
[99233] 2020年 2月 28日(金)18:50:54ekinenpyou さん
Re:北海道の郡など
[99223] MIさん
明治24年時点での史料


北海道の郡数については法令全書. 明治2年で示された数から増減を行って(=86+3-2+1)88郡としているはずです。

なお、都道府県の市区町村数(2019年(平成31年-令和元年))
[99217] MIさんで示されたファイル内容には下記の相違点があるようです。
(現在の郡数・区数は)以下の通りではないかと思われますがいかがでしょう?

・01北海道 78郡とあるが64(+5)=69郡ではないか?
(78郡をどのように数えているのか?複数支庁にまたがる郡を別々としても不足がある)

・14神奈川 29区とあるが28区ではないか?

他、ctv_total_pref.xlsxの日付毎というシートで"20191001"と入れると内訳がマイナス値になる
箇所があるようです。(この点は[99195]で公開されたものでは問題なし)

以上、ご確認をお願いいたします。
[99232] 2020年 2月 28日(金)17:34:41hmt さん
hmtマガジン「区制度の変遷」の微修正

[99231] で言及した、1897/11/5施行の北海道庁官制に基づいて設置された 札幌区と函館区に対応して、hmtマガジン「区制度の変遷」を微修正しました。

このマガジンでは、根拠となる法律に基いてABCと数字を組み合わせた記号で整理しています。
ところが、1899年施行の「C2 北海道区制」の直前、1887/11/5に施行された「北海道庁官制」による新たな「区」が存在したことが明らかになったのです。

記事[99231]を追加収録するのはよいとして、記号をどうするか?
「C2」の直前に入れたいので、「C pre2」にします。安直な対応でごめんなさい。
[99231]のタイトルには 長いシリーズ名と番号とを追加しておきます。【長さ制限ギリギリ(笑)】


[99187] 東京都制の「特別な区」 と 地方自治法の「特別区」も追加しておきます。
こちらは、タイトル変更の機会を逃ししていますが、内容的に適切な場所【(6)東京都制、(7)敗戦直後の大都市改革 の後】に入れておきます。
[99231] 2020年 2月 28日(金)14:51:01【2】hmt さん
同じ「区」の名で呼ばれても 中身は区区(4.1)1897年 北海道庁官制施行に伴い設置された 札幌区と函館区
[99228] MI さん
1897(明治30)年11月5日は札幌区とともに函館区も設置され

[99223]でリンクしていただいた 19支庁表 を素直に読めば、
「北海道支庁の名称:北海道函館支庁」と その「管轄区域:函館区」とが定められています。

両者は 事実上同一の地域を指していますが、概念としては別個に存在しますから、[99227] hmt の
丸ごと函館支庁になった函館区は「自然消滅」し
は誤解であり、集計表から無視された原因ではなかったわけです。

本記事の冒頭でリンクしたように、北海道庁官制施行に伴い 郡区町村編制法を根拠とする 札幌区・函館区に変えて 同名の2区が設置され、「+2區」になりました。
当然のことながら、対象外の旧制度に関わる「-2區」は計上されません。

カウントから除外された原因は不明ながら、ありがちなミスと思われます。
むしろ当方が犯した「誤った深読み」をお詫びしたいところです。

【1】タイトル修正
【2】hmtマガジン収録に伴う分類【あまり使う機会はないかもしれませんが】「C pre2」にしました。[99232]
[99230] 2020年 2月 28日(金)08:16:03白桃 さん
北海道の「道」はなぜ省略されないのか?
東京都、大阪府、京都府のことを、東京、大阪、京都と「都」や「府」を省略した言い方は良く聞きます。徳島、香川、愛媛、高知といった43県も「県」を省略することがしばしば、というか省略することが多いような気もします。しかし、北海道だけは「北海」と言うのをほとんど聞きません。そういえば国立大学にしても、東京大学、京都大学、香川大学ってなっているのに、北海大学となっていないのはなんででしょう。
こんな、今さらながらの疑問について、この「都道府県市区町村落書き帳」において言及されたことがあったような気もするのですが・・・、記憶にある方はお教えいただきたくお願いします。

ついで:
[99215]シノレパシクソ さん
きちんと調べていませんが、
甲斐市……3
じゃあないですか?
おつきあい、ありがとうございました。
[99205]については、何の数字かをズバリ仰っていただければ良かったのですが、甲斐市……3は合っています。
過去20回の国勢調査で、各都道府県内で人口2位になった回数です。
因みに、南流山で会った方には、スグ見破られてしまいました。
[99229] 2020年 2月 27日(木)16:03:50むっくん さん
Re2: 1946年10月5日の変更について
[99226]MIさん
ここに13村が挙げられていますが、まず上平蘂村は小平蘂村の誤りではないでしょうか。また実際の官報によるとそれに加えて、
膽振支廰管内 幌別村
日高支廰管内 平取村、様似村
十勝支廰管内 浦幌村、廣尾村、大樹村
釧路支廰管内(ママ) 標茶村
根室支廰管内 別海村、標津村
も掲載されており、合計22村が一般の村になったのだと思います。
[67008]拙稿で記載した内務省告示第49号(S21.5.1)について訂正していただきありがとうございます。これら9村については、おそらく私の書き落としであると思います。
[67008]拙稿は法令全書の記載によったものでして、上平蘂村は小平蘂村の誤りであると当時も認識していました([67008]拙稿でも、記載しています)。
[99228] 2020年 2月 27日(木)12:44:01【1】MI さん
Re: 1897年 北海道庁官制施行に伴う 函館区の一時的消滅
[99227] hmt さん
このような理解でよろしいのでしょうか?
 まったくもって、申し訳ございません。「函館区が一時的消滅した」り「復活した」ように見えたのは当方のミスでした。
 市区町村数推移表の元となっている市町村変遷データベース上には、[99223] MI でご説明した明治30年10月30日 勅令395号による支庁、区、郡をもちろん記載しているのですが、あろうことか、函館区のみカウントから除外するという意味の記述にしてしまっていたことに気づきました。なぜそのようにしたのか、今となっては全く分かりませんが、状況はそういうことでありました。
 したがって、 hmt さんにご心配いただいたような事実はなかったというわけです。データを修正しましたので、ご確認戴ければ幸いです。

18971105 0 1 3 43 19 0 44 661 4 21 940 12016 13004 +19支 +88郡 +2區
18991001 0 1 3 43 18 0 51 652 5 21 994 11948 12998 -1支 +1區

 1897(明治30)年11月5日は札幌区とともに函館区も設置され、また1899(明治32)年10月1日には小樽区を含めて道内で3区になったことになります。
明治32年8月22日 内務省令44号
北海道區制明治三十二年十月一日ヨリ施行ス但シ其ノ施行ノ地ハ追テ指定ス
明治32年9月4日 内務省令46号
北海道區制第百十二條ニ依リ區制施行地ヲ左ノ通指定ス但シ現在ノ町村名ハ大字トシテ之ヲ存ス
札幌區 (略)
函館區 (略)
小樽區 (略)

 大変失礼いたしました。

#日付の誤りを訂正しました。
[99227] 2020年 2月 26日(水)13:59:50hmt さん
1897年 北海道庁官制施行に伴う 函館区の一時的消滅
[99223] MI さん
【北海道の郡の計上は】明治30年10月30日 勅令395号に拠っています。

同じ 1897/11/2官報に掲載された 勅令第392号 北海道庁官制により、設置された北海道庁内務部の所掌事項【20条】として
区町村の経済其の他区町村及公共組合に関する事項
が定められています。
これは、現在の 全国の市区町村数の推移では対象外とされている 郡区町村編制法 に基づく「区」でした。

このことを改めて認識した上で、本題に入ります。

1897/11/2官報掲載の 19支庁表の管轄区域を見ると、【郡区町村編成法による】札幌区と函館区とが掲載されています。
変遷情報にも同様に登場しています。変更年月日は 北海道庁官制施行日の 1897/11/5。

全国の市区町村数の推移を見ると、1897年11月5日以降の区数は 3となっています。

これは、北海道町官制の施行に伴う 例外的措置であると理解されます。
すなわち、今回のリストでは原則として対象外とされている「郡区町村編制法に基づく札幌区」を沖縄県2区に加わえ、3区と計上した結果と理解されます。

しかし、丸ごと函館支庁になった函館区は「自然消滅」し、集計表から無視される結果になりました。
函館区は、1899年の北海道区制で復活します。

このような理解でよろしいのでしょうか? 
函館区の一時的消滅。その根拠資料などありましたら、お教えください。
[99226] 2020年 2月 26日(水)12:19:44【1】MI さん
Re: 1946年10月5日の変更について
[99219] むっくん さん
#私のデータベースでは、広尾町が唯一の町としての指定町村となっているのですが。。。

[67008] 「北海道一級・二級町村制&指定町村制(後編)」にある通りなのですが、一点指摘させてください。
(20)次に、内務省告示第49号(S21.5.1)で13村が指定町村の指定から外れ、本州の町村と同等の町村となりました。
 ここに13村が挙げられていますが、まず上平蘂村は小平蘂村の誤りではないでしょうか。また実際の官報によるとそれに加えて、
膽振支廰管内 幌別村
日高支廰管内 平取村、様似村
十勝支廰管内 浦幌村、廣尾村、大樹村
釧路支廰管内(ママ) 標茶村
根室支廰管内 別海村、標津村
も掲載されており、合計22村が一般の村になったのだと思います。
 ご指摘の広尾村は同年9月20日に町制を施行している(昭和21年9月8日 道庁告示651) のですが、
廣尾郡廣尾村を廣尾郡廣尾町となし昭和二十一年九月二十日より施行することを昭和二十一年九月八日許可した。
(昭和21年9月20日 官報広告p136 にも記載されています。)
この時点では指定町村ではなくなっていたと判断しております。
[99225] 2020年 2月 26日(水)12:15:33オーナー グリグリ
Re3:全国および各都道府県の市区町村数推移一覧表(改訂版)
[99222] MIさん、さっそく説明と方針をいただきありがとうございました。ご説明に基づき、1922.8.17, 1946.10.5, 1952.2.10の日付データは増減なしということで全国の市区町村数の推移から削除しました。[99217]の1908.2.1の大島・八丈島関連については、変遷情報を精査する際に変遷情報の精度を上げていきたいと思います。
[99224] 2020年 2月 26日(水)09:23:21【1】白桃 さん
「昭和の大合併期」誕生市の前身自治体人口トップ10&ボトム10~その(2)
[99214]に引き続き、1960年国調デビュ-組の10【前身自治体人口トップ10&ボトム10】です。
トップ市名前身町村A人口B人口A/B---ボトム市名前身町村A人口B人口A/B
1三笠三笠町57,51957,5191.000 1南国後免町1,82644,4090.041
2江刺江刺町49,35649,3561.0002三田三輪町8,98133,6670.267
3稲沢稲沢町46,87146,8711.0003羽曳野 古市町9,57332,8490.291
4越谷越谷町45,00146,2500.9734室戸室戸町10,62932,8780.323
5安中安中町42,80842,7261.002 5更埴屋代町11,37933,8820.336
6千歳千歳町42,31742,3171.0006天竜二俣町11,44233,8440.338
7阿南富岡町41,34362,3740.6637橿原畝傍町12,07948,9510.247
8中間中間町40,42340,4231.0008菊池隈府町12,78835,7110.358
9谷山谷山町39,67139,6711.0009五條五條町13,59634,7530.391
10東根東根町39,02739,0271.00010塩尻塩尻町13,86332,8680.422
語句の説明
A人口:前身町村の1955年国調人口
B人口:1960年国調時の境域に組み替えた1955年国調人口
A/B---新市の中で前身町村が占める人口の割合であるが、一部を他自治体へ分離した後に単独で市制施行した場合には1を超える。
〇トップ10は阿南市以外、形の上ではで単独市制となっていますが、江刺町は岩谷堂町ほか9村、稲沢町は稲沢町ほか3村、越谷町は越ヶ谷町、大沢町ほか8村、安中町は安中、原市、磯部、板鼻4町と4村、東根町は東根町ほか5村、が1955年国調前に合併して出来た町なので、純粋単独市制は、三笠、千歳、中間、谷山の4市だけです。千歳は1950年国調人口が40,098年ですから、1950~1955の5年間で人口が倍増となっています。
トップ10以外で1955年に前身町(村)が3万人を超えていたのは27ですが、そのうち純粋な単独市制は9つで、その中で代表的なのは、越来村→コザ村→コザ市です。
〇ボトム10でも形の上では単独市制となっているのが三田市←三田町、羽曳野市←南大阪町、天竜市←二俣町、菊池市←菊池町でありますが、いずれも1955年国調後に合併を重ねたので、純粋の単独市制はありません。また、室戸市は室戸町、室戸岬町、吉良川町、佐喜浜町ほか1村という町沢山(ちょうだくさん)の合併です。
〇1960年デビュー組で市制施行までの経緯がゴチャゴチャして一番ややこしいのは南国市ですが、あまりにもややこしいので、ここは阿南市に登場してもらいましょう。
1954(S29).03.31(新設)富岡町: 中野島村, 富岡町, 宝田村, 長生村, 大野村(本)
1955(S30).01.01(編入)富岡町: 富岡町, 加茂谷村
1955(S30).03.16(編入)富岡町: 富岡町, 見能林村
1955(S30).03.26(新設)橘町 : 橘町, 福井村, 椿町, 新野町
1955(S30).04.15(編入)富岡町: 富岡町, 桑野町
1958(S33).05.01(市制)阿南市: 富岡町, 橘町
[99223] 2020年 2月 26日(水)07:24:54【1】MI さん
北海道の郡
[99220] ekinenpyou さん
 いつもご指摘ありがとうございます。ご質問をいただくことで誤りを発見したり、詳細を再確認することができ、当方としても助かっております。

北海道の郡を1897(M30)1105以降から計上対象としている
 これは明治30年10月30日 勅令395号に拠っています。
北海道廳支廳ノ名稱位置及管轄區域別表ノ通定ム
として札幌以下19支庁が定められ、それぞれの管轄区域として札幌区および88郡が挙げられました。なお、2つある中川郡(増毛支庁と河西支庁)はもちろん、3分割されている上川郡(石狩国=上川支庁、天塩国=天塩支庁、十勝国=河西支庁)もそれぞれ別個に計上しています。
 また附則には
本令ハ明治三十年勅令第三百九十二號北海道廳官制施行ノ日ヨリ施行ス
があり、同日の勅令392号にはその附則(次のコマになります)として
第五十條 本令ハ明治三十年十一月五日ヨリ施行ス
とありますので、以上のことをまとめて次のように推移一覧表は記されております。
18971105 0 1 3 43 19 0 44 661 3 21 940 12016 13003 +19支 +88郡 +1區
 ご紹介の明治24年時点での史料は未確認でしたが、どのように取り扱うべきなのかご意見を戴ければ幸いです。

#誤字の訂正を行いました。
[99222] 2020年 2月 25日(火)23:37:24【1】MI さん
Re2:全国および各都道府県の市区町村数推移一覧表(改訂版)
[99218] オーナー グリグリ さん

 素早いご対応有難うございます。その上でご指摘の件についてお答えします。

5 1922 8 17 +1市 -1市 北海道の4支庁の改称?
 札幌支庁を石狩支庁に改称した(大正11年8月16日勅令380号(官報は17日))ことによって、当方のデータでは札幌市を区別しているものですが、推移表からは外すべきものでした。訂正します。

6 1946 10 5 +112村 -112村 ?
 これは[99219] むっくん さんにご説明いただいたとおりで、北方領土の7村を含む112ヶ村が指定町村(すべて村)から一般の村になったというものでした。やはり推移表から外れるはずのものでした。訂正します。
石狩支庁 石狩郡新篠津村、札幌郡篠路村
渡島支庁 上磯郡茂別村、茅部郡臼尻村、尾札部村、落部村、砂原村、鹿部村、亀田郡尻岸内村、椴法華村、松前郡大沢村、大島村、児島村、吉岡村
檜山支庁 奥尻郡奥尻村、久遠郡貝取澗村、久遠村、瀬棚郡東瀬棚村、爾志郡乙部村、熊石村、檜山郡厚沢部村、泊村、太櫓郡太櫓村
後志支庁 虻田郡真狩村、留寿都村、岩内郡小沢村、島野村、歌棄郡歌棄村、熱郛村、島牧郡西島牧村、東島牧村、積丹郡入舸村、寿都郡黒松内村、樽岸村、古宇郡神恵内村、余市郡赤井川村
空知支庁 雨竜郡雨竜村、納内村、多度志村、秩父別村、北竜村、樺戸郡浦臼村、月形村、空知郡音江村、北村、幌向村
上川支庁 上川郡江丹別村、温根別村、下川村、空知郡中富良野村、東山村、南富良野村、山部村、中川郡智恵文村、常盤村、中川村、勇払郡占冠村
留萌支庁 天塩郡遠別村、豊富村、幌延村、苫前郡初山別村、天売村、焼尻村、留萌郡鬼鹿村
宗谷支庁 枝幸郡頓別村、宗谷郡猿払村、宗谷村、利尻郡仙法志村、礼文郡船泊村
網走支庁 斜里郡小清水村、常呂郡訓子府村、常呂村、紋別郡生田原村、雄武村、興部村、上渚滑村、渚滑村、西興部村
胆振支庁 虻田郡洞爺村、豊浦村、有珠郡徳舜瞥村、白老郡白老村、勇払郡穂別村、鵡川村
日高支庁 浦河郡荻伏村、沙流郡日高村、新冠郡新冠村、幌泉郡幌泉村
釧路国支庁 阿寒郡鶴居村、足寄郡足寄村、淕別村、厚岸郡太田村、釧路郡釧路村、昆布森村、白糠郡音別村、白糠村
十勝支庁 河西郡御影村、河東郡上士幌村、鹿追村、士幌村、十勝郡大津村、中川郡豊頃村、西足寄村
根室支庁 根室郡和田村、目梨郡羅臼村、択捉郡留別村、国後郡泊村、留夜別村、色丹郡色丹村、蘂取郡蘂取村、紗那郡紗那村、花咲郡歯舞村

7 1952 2 10 +2村 -2村 鹿児島県十島村と三島村関連?
 鹿児島県大島郡十島村(ジットウソン)は、明41年3月20日鹿児島県令17号
來ル四月一日ヨリ大島郡ニ沖繩縣及島嶼町村制施行ニ付村名稱及其區域竝村役場位置左之通之ヲ定ム
によって、中之島、宝島、悪石島、口之島、平島、臥蛇島、黒島、竹島、硫黄島、諏訪之瀬島によって構成されていました。村役場は中之島に置かれていたのですが、戦後すぐに1946年1月29日 連合国最高司令官の覚書若干の外かく地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書 (SCAPIN677)によって、
Japan is defined to include the four main islands of Japan (Hokkaido, Honshu, Kyushu and Shikoku) and the approximately 1,000 smaller adjacent islands, including the Tsushima Islands and the Ryukyu (Nansei) Islands north of 30° north Latitude (excluding Kuchinoshima Island);
and excluding (a) Utsuryo (Ullung) Island, Liancourt Rocks (Take Island) and Quelpart (Saishu or Cheju) Island, (b) the Ryukyu (Nansei) Islands south of 30° North Latitude (including Kuchinoshima Island), (以下略)
昭和21年2月2日に北緯30度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)は日本から除かれてしまうのですが、この結果十島村は北緯30度以北の3島だけが日本に存続することになりました。昭和21年2月28日 内務省告示22号では、これを追認する形で
大島郡十島村ノ内黒島、竹島、硫黄島
という記載がなされています。3島だけとなった十島村は鹿児島市に仮役場を設置したようです。
 一方、問題になるのは日本領土から「分離」された北緯30度以南の7島ですが、たとえば1947年5月15日 臨時北部南西諸島政庁公報第4号 p.5の「人口調査」には名瀬市ほか5町15村が記されており、その末尾に「十島村」が見られるのです。これはつまり日本領として存続している十島村とは別に米軍占領下にもう一つの「十島村」があったことを示しています。そこで当方のデータベースでは
19460202 1 1 2 43 14 0 208 624 35 56 1810 8607 10660 +1村
として、十島村が2つ(北部3島になった十島村Aと占領下の十島村B)存在したとみなしております。
 その後、1951年12月5日 若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件(SCAPIN677/1)
Paragraph 3 of reference a, as amended by reference b, is furthre amended so that the Ryukyu (Nansei) Islands north of 29° norh latitude are included within the area defined as Japan for the purpose of that directive.
によって、北緯29度以北の琉球(南西)諸島が日本領に復帰されることになりました。昭和27年2月4日 政令13号
鹿兒島県大島郡十島村の区域で北緯二十九度から北緯三十度までの間にあるもの(口之島を含む。)に地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)及びこれに基く命令を適用する。この場合において、この政令施行の際現にその区域に適用されている法令の規定によりその区域に置かれている村は、その区域をもつて、地方自治法の規定による鹿兒島県大島郡十島村となるものとする
北緯30度以南の区域は返還されて十島村B(トシマムラ)となります。
 一方従来の十島村Aは昭和27年2月9日 鹿児島県告示74号で
地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七条第一項の規定により、鹿兒島県大島郡十島村の境界を、北緯三十度以北(口之島を除く。)の区域に変更し、昭和二十七年二月十日から施行することに定めた
同日の県告示75号で
地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第三条第三項の規定により昭和二十七年二月十日から鹿兒島県大島郡十島村を三島村(みしまむら)(北緯三十度以北の大字竹島、大字硫黄島、大字黒島の区域)に変更する条例を許可した
さらに昭和27年5月14日 総理府告示132号で
地方自治法第七條第一項の規定により、昭和二十七年二月十日から、鹿児島県大島郡十島村の境界を北緯三十度以北(口之島を除く。)の区域に変更する旨、鹿児島県知事から届出があつた。なお、同日から同村は、その名称を三島村と変更した
 これらの経緯を改めて考えて、この1952(昭和27)年2月10日は
・3島だけの十島村Aは三島村(ミシマムラ)に改称
・米軍の占領下にあった十島村Bは返還された
ということで、当方のデータは市町村数の増減ナシと改めることとします。1946年2月2日の増減もご確認ください。
 以上3点について、データの修正を行いました。
 なお、『鹿児島県市町村変遷史』p.109 によると
その後、三島内の行政も安定したが、二十六年七月二十日近く下七島の日本に復帰する情勢もみえたので、三島においては、この際分村すべきであるとの声があったので、参考までに住民投票を行った結果、分村票が多数を占めていた。
という事情もあったようです。

#誤記の訂正や一部書き改めました。
[99221] 2020年 2月 25日(火)22:00:48伊豆之国 さん
クイズの答え合わせ & 〇空の鉄道
まず、クイズの答え合わせから。

[99161]
【問V】 士別市、相模原市、海津市、彦根市、宿毛市
[99215] シノレパシクソさん
問V:桑名市
金メダルです。おめでとうございます。
第二ヒントを出します。
 「稲荷とアリアに」(いなりとありあに)

[99206]
【問F】JR北海道・根室本線、JR西日本・境線、上毛電気鉄道・上毛線、東京メトロ・丸ノ内線、名古屋鉄道・名古屋本線(該当しない路線…東武鉄道・東上本線、近江鉄道・近江本線)
[99212] さざ波さん
西武・池袋線
金メダルです。おめでとうございます。
[99213] 駿河の民さん
JR東海・御殿場線
銀メダルです。
[99215] シノレパシクソさん
JR東海・東海道新幹線
銅メダルです。
やっぱりそれですか(笑)
もう見破られましたか…。これでメダルが全て決定しました。
こちらは第一ヒント。
 「亀田で花よ」(かめだではなよ)

ところで、昨日、六本木の高層ビルで開かれている「〇空の鉄道」なる展示会を見に行ったのですが、とにかく「六本木」という場所にはさっぱり土地勘がない。最後に六本木界隈を通って地上の景色を見たのも、もう二昔も前。それも、西麻布界隈への社用で通っただけ。それ以前もタクシーなどで通過した記憶はあるくらいで、そもそも「六本木」という場所にほとんど興味がなく、そこを目的に行ったことも全く記憶なし。新宿から大江戸線で六本木駅で降りたものの、出口までは行けたもののそれから目的地までどういったらいいのか、迷子になりそうでした…。帰りに、ビルの地下から渋谷駅まで直通バスが出ていたことを知り、その渋谷駅まで乗ったのですが、その渋谷駅とその周辺一帯が大規模工事中。こちらも、昔から頻繁に通った場所なのにすっかり様相が変わってここでも迷路に…。
その鉄道展の売店で、「東海道新幹線開業当時の復刻版(交通公社の)時刻表」をお土産として買ったのですが、今のJTBやJRの「大型」時刻表から見ると縦横のサイズも厚さも半分以下。「国鉄」の路線網だけは今よりもずっと多かったのに…。以前、「幹線の秘境駅」のあまりの多さを話題にした四国([63598] 拙稿,[63609] hmtさん)の欄を見ると、確かに予讃線の高松~多度津間をはじめ、こうした「鈍行もろくに止まらぬ」駅がぞろぞろ…。ちなみに、高徳線を見ると、一時期あった高松~徳島間ノンストップの急行はなく、三本松には全列車が停車していました…。
[99220] 2020年 2月 25日(火)19:16:46ekinenpyou さん
Re:全国および各都道府県の市区町村数推移一覧表(改訂版)など
予定外ですが取り急ぎコメントしておきます。

[99217]MIさん
更新ファイルを拝見しました、(想定外に)迅速な対応恐れ入ります、ありがとうございました。

伊豆七島などは所属する郡がないわけです。ところが郡が空欄のままですと記入漏れと区別がつかないので、便宜上ハイフン(-)を郡名の代用としております。そして更にはその郡の「成立日」も必要となる


上記内容もおおむね理解しました、一つ気になりましたが北海道の郡を1897(M30)1105以降から
計上対象としているのも独自の仕様ということでよろしいでしょうか?
【参考】大日本帝国内務省統計報告. 第7回(M24.12.31現在の北海道郡数は88)

[99218]グリグリさん
更新が必要な点については当方の認識と一致しています。
※以下は、今後都道府県別内訳も示す場合は必要

18930401 (+3郡 -3郡 +7町 -7町 +84村 -84村) 14神奈川→13東京

なお、[99217]MIさんで示された新しい都道府県別ファイル(ctv_total_pref.xlsx)では
東京の市町村計上から上記内容が欠落しているのを確認しておりますので

5 1922 8 17 +1市 -1市 北海道の4支庁の改称?


あたりも(改良に伴う)影響があったのかもしれません、当該箇所の内訳増減は無しで良いと思われます。

以上お手数ですが、お時間のある時に確認をお願いします>MIさん
[99195]で公開されたものも控えてあるので個人的には特に支障はないです)
[99219] 2020年 2月 25日(火)16:23:42【3】むっくん さん
1946年10月5日の変更について
[99218]グリグリさん
6 1946 10 5 +112村 -112村 ?
MIさんから解説があると思いますが、これは、北海道の指定町村(旧 二級町村)に町村制が施行されたことを示しているのだと思います。
参考:[67008]拙稿
勅令第467号(S21.10.4)で市制町村制施行令が改正され、S21.10.5から施行されるました。S21.10.5に指定町村という制度が廃止されてようやく北海道の総ての自治体が本州などの自治体と同一の制度に属することになりました。(勅令第468号(S21.10.4)によれば、公民権及び議員選挙に関する規定は次の総選挙より施行されました)。
勅令第四百六十七號 市制町村制施行令を次のやうに改正する。
(中略)
第七十三條 3 第十章乃至第十二章を削る
附則
(中略)
その他の規定は、昭和二十一年十月五日から、之を施行する。
(略)

#私のデータベースでは、広尾町が唯一の町としての指定町村となっているのですが。。。
[99218] 2020年 2月 25日(火)15:19:44【1】オーナー グリグリ
Re:全国および各都道府県の市区町村数推移一覧表(改訂版)
[99217] MIさん
お待たせしました。改訂版を作成いたしました。
早速の改訂版をありがとうございました。改訂版に合わせて全国の市区町村数の推移を更新しました。改訂版に、中核市、(施行時)特例市の情報を追加しています。

この結果、改称のみの日付などが除外されたことにより、市区町村に増減のない日付は次の7件になりました。

増減詳細
1189169+1村 -1村埼玉県榑橋村と東京府石神井村の一部を東京府大泉村として新設
2189174+2村 -2村宮崎県南清武村と北清武村で清武村新設/宮崎県庄内村から西岳村が分立
31894723+2村 -2村福島県巖江村から小泉村が分立/京都府富庄村と本荘村で富本村新設
4190821[99217]
51922817+1市 -1市北海道の4支庁の改称?
61946105+112村 -112村
71952210+2村 -2村鹿児島県十島村と三島村関連?

上記のうち、1は、石神井村の一部との新設(かつ越県)によるプラスマイナスゼロで、2、3は、新設合併と分立の同時発生でプラスマイナスゼロのケースです。4はMIさんの[99217]の件。5と6は?です。7は変遷情報の記述も含め私には状況がよくわかっていません(三島村のプラス1のように見えますが)。ご教授いただければと思います。

[99195] MIさん
・空知郡奈江村から砂川村への改称
・空知郡滝川村から滝川町への町制
については当方のデータ 1903(M36).8.23と1910(M43).11.3 をそのまま採用することにします。変遷履歴情報のご確認をお願いします。なお、当方のデータベースでは日付欄の記載を「1903(明治36)0823告示」という表現にしていることを申し添えます。
この件や、変遷情報との日付違いについては、時間をかけてじっくり検証していくつもりです。
[99217] 2020年 2月 24日(月)20:07:24MI さん
全国および各都道府県の市区町村数推移一覧表(改訂版)
お待たせしました。改訂版を作成いたしました。

[99173] グリグリ さん
改称や郡変更だけの変遷日については一覧からは除いたほうが良いのではと考えています。
[99208] ekinenpyou さん
これらを別計上として表示させることは(元データの作りの関係で)難しいのでしょうか?

 これを以下のような方法で実現しました。[99211] MIで触れた
各市町村ごとに、その「名称」、「成立日」および「消滅日」を付加したファイル
を作成する際、単純な名称変更や所属する郡が変わるだけのものについては「変更後の名称」を、変更後の市町村には「変更前の名称」をそれぞれ付加することにしました。その上で日付毎の市町村数をカウントするとき、これらが付加されているデータについては「消滅日」「成立日」をカウントしないようにしたのです。これによってご要望を満たす形になったと思いますのでどうぞご確認ください。

全国の市町村数推移一覧表(ctv_total.xlsx)
各都道府県の市町村数推移一覧表(ctv_total_pref.xlsx)

#なお、ekinenpyou さんの
【おまけ】全国版(13東京)の19080201は増減の列に何も書かれていませんが、必要な行なのでしょうか?
はとりあえず「必要な」行だとお答えします。説明が難しいのですが、伊豆七島などは所属する郡がないわけです。ところが郡が空欄のままですと記入漏れと区別がつかないので、便宜上ハイフン(-)を郡名の代用としております。そして更にはその郡の「成立日」も必要となるために、明治40年3月16日 勅令45号および12月28日 内務省令29号
明治四十年勅令第四十五號ハ明治四十一年二月一日ヨリ之ヲ東京府大島及八丈島ニ施行ス
より、この日に成立したと扱っておりますが、実際に増減があるわけではないのです。分かりにくくてすみません。
[99216] 2020年 2月 24日(月)19:41:52倉田昆布 さん
地名にちなんで命名された小惑星
タイトルについては、小惑星センターの命名発表のたびに倉田のTwitterでツイートしています。

ただ、ここ最近は日本の地名由来の命名は少なくて、直近でも去年4月の (22355) Yahabananshozan[矢巾南昌山]があるくらいです。
[99215] 2020年 2月 24日(月)19:27:27勿来丸[シノレパシクソ] さん
天王山……?(謎)
こんな時に書き込みもどうなの?って話ですが、取り急ぎ。

[99206]伊豆之国さん
問V:桑名市
ヒントなしでも、まあ。

問F:JR東海・東海道新幹線
やっぱりそれですか(笑)。

[99205]白桃さん
きちんと調べていませんが、
甲斐市……3
じゃあないですか?

それでは、頑張ってまいります。
[99214] 2020年 2月 24日(月)18:52:55白桃 さん
「昭和の大合併期」誕生市の前身自治体人口トップ10&ボトム10~その(1)
[99199]で、「昭和の大合併期」と「平成の大合併期」に誕生した市については、市制施行時の(実質)人口増加率の詳細を取り上げると述べましたが、併せて、前身自治体の市制施行前国調人口、新市の市制施行後国調人口のトップ10&ボトム10も掲載いたします。
今回は、【「昭和の大合併期」誕生市の前身自治体人口トップ10&ボトム10】の1955年国調デビュー組ですが、[98607]と重複する部分があることをあらかじめお断りいたします。

トップ市名前身町村A人口B人口A/B---ボトム市名前身町村A人口B人口A/B
1相模原相模原町68,89868,8981.0001熊野木本町6,09030,6260.199
2芦別芦別町58,54759,5370.9832山梨加納岩町6,44131,4910.205
3三鷹三鷹町54,82054,8201.0003陸前高田高田町6,46132,6090.198
4赤平赤平町50,37149,3811.0204珠洲宝立町6,62738,1570.174
5所沢所沢町42,55952,1880.8155砺波出町6,86836,8050.187
6新津新津町37,37050,5060.7406大田大田町7,58440,4930.187
7内郷内郷町37,08237,9430.9777新見新見町7,59638,0010.200
8山田山田町36,37936,3791.0008松永松永町7,73435,8660.216
9逗子逗子町35,90835,9081.0009瑞浪瑞浪町7,90835,4650.223
10安城安城町35,18848,4620.72610加須加須町7,90838,6410.205
語句の説明
A人口:前身町村の1950年国調人口
B人口:1955年国調時の境域に組み替えた1950年国調人口
A/B---新市の中で前身町村が占める人口の割合であるが、一部を他自治体へ分離した後に単独で市制施行した場合には1を超える。
〇トップ10はすべて単独市制であります。(芦別と赤平の間で各一部の廃置分合があり、所沢、新津、内郷、安城は市制施行後に他自治体の全部または一部を編入)
三鷹、所沢など首都圏の市や芦別、赤平、内郷、山田の炭鉱の町が目立ちますが、上表以外で前身町(村)が3万人を超えていたのが、飯能、守山(愛知)、拳母、阿久根、江別、真和志、焼津、府中(東京)、寝屋川です。また、1950年国調時には高岡市の一部であった新湊も、その境域人口は3万人を超えていました。
〇ボトム10は多数の自治体の合併によって誕生したところばかりです。3町(飯田、宝立、正院)6村と九つの町村が寄り集まって誕生した珠洲市がその代表ですが、多核というよりはタコ足の市と呼んだ方が良いのではと思います。砺波市は形の上では礪波町の単独市制、ということになりますが、その礪波町は1952年に1町(出町)5村によって成立した自治体です。余談ですが、加須市は加須、不動岡の2町と6村の合併によって出来た市ですが、不動岡には埼玉県で最も歴史のある不動岡高校があります(って、そこの卒業生が自慢してました)。
上表以外で、前身町が1万人未満だったのは、大船渡、美濃加茂(古井町)、恵那(大井町)、柳川(柳河町)、庄原、両津、橋本、韮崎、平田、遠野、八日市、亀岡、土岐(泉町)、中村です。
[99213] 2020年 2月 24日(月)18:36:30駿河の民 さん
伊豆之国さんクイズの解答
僕の大好きな(そして過激派な)問題が出たので解答します。
[99206]伊豆之国さん
【問F】JR北海道・根室本線、JR西日本・境線、上毛電気鉄道・上毛線、東京メトロ・丸ノ内線、名古屋鉄道・名古屋本線(該当しない路線…東武鉄道・東上本線、近江鉄道・近江本線)
JR東海・御殿場線でいかがでしょうか。
[99212] 2020年 2月 24日(月)17:31:42さざ波 さん
昨日はあの日
これ関連のイベントも予定されていたようですが…。

[99206]伊豆之国さん
【問F】JR北海道・根室本線、JR西日本・境線、上毛電気鉄道・上毛線、東京メトロ・丸ノ内線、名古屋鉄道・名古屋本線(該当しない路線…東武鉄道・東上本線、近江鉄道・近江本線)
西武・池袋線
でお願いします(僕が答えることがヒントになるかもしれませんね)。問Vはまだ考え中です。

他にも書きたいことはあるのですが、時間がないのでまたの機会に…
[99211] 2020年 2月 24日(月)06:24:38MI さん
市町村数推移について検討します
[99208] ekinenpyou さん
現状では名称の改称、所属郡・支庁の変更、北海道の2→1級町村への変更など
市区町村数の内訳に変化が生じない場合もプラス・マイナス1として増減の列に含めて表示していますが、
これらを別計上として表示させることは(元データの作りの関係で)難しいのでしょうか?
 私も懸案として認識しております。廃置分合に加えて境界変更や官報告示された埋立地編入などを含め全国で6万6千件以上の元データがありまして、すべてこれを元に作業しております。以前にもちょっと触れましたが、各市町村ごとに、その「名称」、「成立日」および「消滅日」を付加したファイルを作成し、それを元にして日付毎の市町村数をカウントしております。「名称」は「県 郡 町村」セットで記載しておりますので、改称はもちろん所属郡の変更などがあれば別の市町村であると認識することから、現状の仕様となっていることをご理解いただきたいと思います。
 成立日消滅日ファイルにちょっと修正を加えて、[99173]グリグリ さんもおっしゃる仕様に変更できないか考え始めたところですので、しばらくお時間をいただきたく存じます。
[99210] 2020年 2月 23日(日)23:03:18とりぴー さん
小惑星の名前と都道府県名
ご無沙汰しております。年始の十番勝負は多忙で参加できず、しかもその間に倉吉市を桜トンネルさんに奪還されてしまったようです。残念ですが捲土重来ですね。

さて少し忙しさが落ち着いたので、時間があればぽつぽつと書き込みしていければと思います。
まずはこんなテーマから。「地名由来の小惑星名」です。
このテーマに関しては既にKMKZさんの素晴らしいまとめ([42578])がありますが、倉田昆布さんが[91578]で発言されているように、十数年も経てば命名された小惑星の数も大きく増えています。この掲示板の本筋からはちょっと外れますが、私の本来の得意分野がこれに近いところになりますし、せっかくだから改めてまとめてみようと思った次第です。

まずは都道府県名に由来するものを以下にまとめました。
(公式には府県名と同じ名称の府・県庁所在地名に由来するとされるものも含めています。これは一部の県について、県名と市名のいずれに由来しているかが明記されておらず、区別が難しいためです)

都道府県名小惑星番号名称備考
北海道3720Hokkaido
青森19701Aomori
岩手19691Iwate
宮城19534Miyagi
秋田(なし)人名に由来する"Akita"がある
山形7039Yamagata「山形市」"Yamagatashi"もある
福島(なし)人名に由来する"Fukushima"がある
茨城19713Ibaraki
栃木19731Tochigi
群馬3829Gunma
埼玉5618Saitama行田市埼玉に由来する"Sakitama"もある
千葉20613Chibaken
東京498Tokio日本由来の名前がつけられた最初の小惑星(1902年発見)
神奈川17683Kanagawa
新潟19509Niigata
富山(なし)人名由来の「遠山」"Toyama"がある
石川(なし)
福井(なし)ノーベル化学賞受賞者・福井謙一氏に因んで命名された"Fukui"がある
山梨5473Yamanashi
長野23638Nagano長野五輪開催の前年に命名。県名、市名または五輪に因む
岐阜6720Gifu岐阜市に因む
静岡(なし)
愛知5908Aichi
三重(なし)人名由来の「美絵」"Mie"がある
滋賀(なし)
京都4352Kyoto京都市に因む
大阪7434Osaka大阪市に因む
兵庫6879Hyogo
奈良7253Nara
和歌山(なし)
鳥取4720Tottori鳥取市に因む
島根(なし)
岡山2084Okayama岡山天体物理観測所と、その所在地としての岡山県に因む
広島2247Hiroshima広島市に因む
山口15841Yamaguchi
徳島6383Tokushima
香川(なし)人名に由来する"Kagawa"がある
愛媛48736Ehime
高知2396Kochi高知市に因む
福岡(なし)人名に由来する"Fukuoka"がある
佐賀(なし)北欧の散文詩「サガ」に因む"Saga"がある
長崎5790Nagasaki長崎市に因む
熊本9993Kumamoto
大分(なし)
宮崎(なし)人名に由来する"Miyazaki"がある
鹿児島4703Kagoshima
沖縄13188Okinawa

上記のように、府県名と同一名称の府・県庁所在地名に由来するものを含めれば、33の都道府県名に由来する小惑星がすでに存在しています。地域的には東高西低の傾向がありますが、これについては後述2.の事情も絡んでいます。

以下、特筆すべきトピックについて

1.  小惑星については発見者に命名権が与えられ、自由に命名できることになっています(たとえば彗星だとこれとは違い、発見者の姓がつけられることになっています)。しかしもちろん制約があり、その中でもこのような特に注意すべきと考えられるのが
 「既存の小惑星名と同じだったり、似すぎている名称はダメ!」
というルールです。市町村名ならまったく同じものもありますが、小惑星の場合は被っては困るわけです。したがって上の表の備考欄に、人名などに由来する命名によりアルファベット表記が県名と同じ小惑星がすでに存在していると書かれている県については、そのままでは県名に因んだ命名はできません。
なお、これを回避した命名になっている可能性があるのが「千葉県」"Chibaken"です。一説にはすでに存在していた"China"と紛らわしいから、とのことですが、真偽のほどはいかに…

2.  2012年5月に新潟で小惑星をはじめとする小天体に関する国際会議が開催されました。その際に日本にちなむ名称が多く承認され、特に前年の東日本大震災からの復興を願う意味で東北・関東の地名にちなむ命名が多数行われました。(この会議の際に承認されたものについては備考欄に「☆」をつけています。) これらの小惑星については小惑星番号も似通ったものになっていますね。
[99209] 2020年 2月 23日(日)21:57:10MI さん
千島列島3郡と樺太について
[99207] hmt さん
そのスピードに驚きました。
 事前にデータの摺合せが出来たほうが良かったのかもしれませんね。私もこんな展開になるとは予想を超えているところです。
北方6村の更に北にあった 千島列島の3郡【得撫郡・新知郡・占守郡】です。
 おっしゃるとおり、明治30年10月30日 勅令395号(官報11月2日掲載)で、北海道根室支庁の管轄区域として根室郡、花咲郡、野付郡、標津郡、目梨郡、国後郡、色丹郡につづいて得撫郡、新知郡、占守郡も示されましたから、北海道庁官制施行日である明治30年11月5日にこれら3郡も編制されたことになります。これについては町村は設けられないまま昭和20年8月ソ連に占領され、昭和27年4月28日 条約第五号(官報号外第50号)第二条(c)で
日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する
ことから、削除したというデータになっております。
18971105 0 1 3 43 19 0 44 661 3 21 940 12016 +19支 +88郡 +1區
19450899 1 1 2 43 14 0 207 624 35 57 1810 8606 +3郡 -3郡
19520428 1 1 2 43 14 0 283 617 23 59 1935 7959 -3郡 -5村

樺太は「内地」だったようです。
 これもおっしゃるとおりなのは承知しており、市町村変遷データベース(都道府県ごとに作成)には樺太庁のファイルも作成中なのですが、未確認のものが多いためもあって、集計する際に樺太は除外する仕様にしているところです。あしからずご了承ください。
[99208] 2020年 2月 23日(日)18:47:10ekinenpyou さん
Re4:北海道の市区町村数推移の照合(1922年8月17日まで)
[99195]MI さん
年月日(YYYYMMDD)を8桁の半角数字で入力すると、その当日における各都道府県の市区町村数および全国の市町村数を表示するようにしてみました。


上記新ファイル&優れた新機能?を拝見しました、(それを踏まえて1つ)お伺いしたいのですが・・・

現状では名称の改称、所属郡・支庁の変更、北海道の2→1級町村への変更など
市区町村数の内訳に変化が生じない場合もプラス・マイナス1として増減の列に含めて表示していますが、
これらを別計上として表示させることは(元データの作りの関係で)難しいのでしょうか?

一例を挙げますと、[99185]MI さんの
19090401 +1町 -1町 +28村 -8村


こちらを
19090401 +20村 (市区町村数の内訳変化を生じないものは)+1町 -1町 +8村 -8村

のような形で表示させるということになります、もし容易に実現できるならば
(市区町村変遷情報)で市制町村制施行時と施行時以降の履歴情報を別々にしているので

19090401 +1村 新規施行は+19村 (市区町村数の内訳変化を生じないものは)+1町 -1町 +8村 -8村

といった具合に表示できるようになると、一部拙稿[99174]の繰り返しになりますが

[99173]グリグリ さんの
改称や郡変更だけの変遷日については一覧からは除いたほうが良いのではと考えています。


複数の合併が重なってたまたまプラスマイナスゼロになるようなケース(例:1894.7.23の分立で+1村、新設で-1村)についても、市町村数の遷移という趣旨からは変化なしとして除くという考えもあるかもしれませんが、さすがにこのようなケースについては残したほうが良いと考えます。


といった条件にあうものを(データ利用者側で)容易に抽出できるため価値がより高まると思われます。

【おまけ】全国版(13東京)の19080201は増減の列に何も書かれていませんが、必要な行なのでしょうか?
このあたりを見る限りでは・・・(残りは後日コメント予定)
[99207] 2020年 2月 23日(日)18:40:36hmt さん
全国の市町村数2
2週間前に 「全国の市町村数」というタイトルで[99155]を書いたところ、早速 [99156] ekinenpyou さんと、[99157] MI さんのレスをいただきました。
更に [99159] グリグリ さんの提案、[99162] MI さんの快諾を経て [99173] グリグリ さん 「全国の市区町村数の推移」リリース! に至るまで 僅か5日間。
そのスピードに驚きました。

1889年に始まる 今回のリスト と 1960年が遡及限度であった 従来のリスト とで、【日付の範囲・詳しさを別として】異なるのは、収録対象地域の広さでしょう。

具体的に言うと、現状から出発した従来のリストは、日本の行政権の及ばない「北方6村」を対象外としています。
今回のリストは、年代が、日本の行政権が北方6村に及んでいた 1945年以前をも対象にしている関係で、収録対象が戦前の市区町村数にも及んでいます。

ここまで書いて 気になったのが、北方6村の更に北にあった 千島列島の3郡【得撫郡・新知郡・占守郡】です。
この3郡、郡の数には入っているかもしれませんが、町村制は施行されていなかったので、市町村数への影響はなさそうです。

気になる地域の もう一つは「樺太庁」が置かれていた サハリン島の北緯50度以南です。
ここには、1937/7/1に豊原町から市制が施行された「豊原市」がありましたが、今回のリストには見当たりません。
樺太は「内地」だったようです。共通法(大正7年法律第39号)・樺太の内地編入措置要綱(昭和18年)
しかし、MIさんが利用された資料には、その変遷が記録されておらず、樺太は対象外 として扱われたものと思われます。
[99206] 2020年 2月 23日(日)17:04:25伊豆之国 さん
こちらもクイズです。
今日は新帝陛下即位後最初のご誕生日。本来ならば、皇居では一般参賀が行われて盛大にお祝い、というはずでしたが、ご承知の通り…。

[99205] 白桃さん
「出題予定クイズ」ですが、まだすぐには共通項を見つけるのは難しそう。というわけではないのですが、こちらも「今日のこの日」に関係するクイズを出してみることにしました…。デスクトップ鉄さんの向こうを張るわけではありませんが、題して「鉄道路線一発クイズ」。

【問F】JR北海道・根室本線、JR西日本・境線、上毛電気鉄道・上毛線、東京メトロ・丸ノ内線、名古屋鉄道・名古屋本線(該当しない路線…東武鉄道・東上本線、近江鉄道・近江本線)

…これらの各線の共通項は何でしょうか?ざっと数えたところ、17路線あるようです。

クイズというと、ちょっと前に出しておきながら、反応がなくて忘れ去られている、こちらも別の「あの日」にちなんだクイズ([99161])。

【問V】 士別市、相模原市、海津市、彦根市、宿毛市
第一ヒントを出しておきます。
 会津は再開と(あいづはさいかいと)

こちらも想定解を数えたら、13市あるようです。こちらの回答期限は「白色の日」までとします。
[99205] 2020年 2月 23日(日)14:44:09【1】白桃 さん
出題予定クイズ
本日、午後五時、全国で最も人口増加率が高い千葉県の〇〇市の南〇〇駅で某氏と待ち合わせています。
某氏に下のクイズを出す予定です。その方は、白桃の身内とは比較しようがないほど地理雑学に長けた方なので簡単に解かれるかもしれません。
先んじてクイズを皆様に公開しますので、解けた方は午後五時以降に本落書き帳にご投稿くだされば幸いです。あるいは、午後五時までに南〇〇駅にお越しくださっても結構です。ご招待???します。('◇')ゞ
季節ハズレのカンカン帽をかぶっていきます。

【クイズ】
以下の数字は何をあらわしているのでしょうか???
弘前市---2  奥州市---1  仙台市---0  横手市---3  米沢市---7  福島市---5
 
[99204] 2020年 2月 23日(日)12:14:28白桃 さん
あの県、あのときの国勢調査人口トップ10(1995年第16回国勢調査)
今回取り上げた三県、共通点は何かというと、「宇都宮市、福井市、岐阜市と国勢調査全20回不動の人口首位県庁所在地がある。」と言ったって、そんなん、ほかにもいっぱいあるよ、と言われそうなので正直申し上げますが、他の回に登場してもらうほどの積極的理由の見当たらない県、要するに、あんまり混んでない時期に泊ってもらっても良いかな、という宿泊客のような県です。という裏事情は伏せて、地味ながら堅実で安定した県である、というのを表向きの理由としておきましょう。人口の順位変動もおとなしいものです。
(表中の累Pとは【国調人口都道府県内順位累積ポイント】です)

栃木県累P順位国調人口/-----/福井県累P順位国調人口/-----/岐阜県累P順位国調人口
宇都宮市1位435,357福井市1位255,604岐阜市1位407,134
足利市2位165,828武生市2位71,109大垣市2位149,759
小山市5位150,115敦賀市3位67,204各務原市5位131,955
鹿沼市4位93,053鯖江市6位62,890多治見市3位101,270
栃木市3位85,137大野市4位40,245可児市9位86,367
佐野市6位84,069小浜市5位33,496関市6位71,916
真岡市8位63,340丸岡町8位29,660高山市4位66,139
今市市7位60,811勝山市7位29,162土岐市8位65,631
黒磯市11位56,275三国町9位23,677羽島市10位63,962
大田原市12位53,683春江町10位21,749中津川市7位54,819
〇栃木県
日光、ぎょうざがある分、福井や岐阜よりちょっと派手かもしれません。人口順位も前回から黒磯と大田原が入れ替わっています。と言っても、この順位、前々回と同じなんです。ま、「平成の大合併」の前はこんな並びだったかな、とスグ思い出せるランキングです。累P9位は落ちぶれ果てた旧)日光市、累P10位はもっと前に落ちぶれ果てていた旧)足尾町です。
〇福井県
福井県で思い浮かべるのは、鯖江のメガネフレーム?、北陸初の甲子園優勝校・敦賀気比、白桃が宿泊経県全国制覇したバラックではない、きちんとした建物が並ぶオバマの街。ま、何と言ってもサスペンスドラマ最終シーンのトボジンボー。福井県も前回との順位変動は丸岡と勝山の入れ替わりだけ。累P十傑全部入っています。
〇岐阜県
岐阜県って市が21も有るのになんか地味です。高山、白川郷、下呂温泉、ウカイ、今やっている大河の舞台。結構あるのに、大野伴睦ゆかり?の岐阜羽島、木曽三川、西濃運輸、朴葉味噌の四文字熟語が曇りガラスをかけるのか???
♪あ~ああヤナガセの夜にないている~、ともかく人口順位は前回と変わらず。今回ここも、累P十傑全部入っています。
◎ 三県の1995年DID人口十傑
栃木県----- 福井県-----岐阜県
宇都宮330,621福井165,140岐阜274,389
足利88,328敦賀42,908大垣92,354
小山54,741武生27,402各務原55,430
栃木44,847鯖江23,351高山43,010
佐野41,289大野17,737多治見39,788
鹿沼34,804勝山12,38126,827
黒磯20,786小浜12,375鵜沼19,096
真岡20,420三国11,081竹鼻18,956
野木13,785丸岡7,175泉土岐津18,589
大田原13,260春江7,018穂積16,239
[99203] 2020年 2月 23日(日)11:49:04うっかりじゅうべえ さん
re: いかに短く言えるか?
皆様ご無沙汰しております。

「せな」に反応してしまいました。
北九州も「せな」を使います。
ただ、「しなければならない」は「せないかん」で、

「しなければならないのではないですか?」が「せな」です。
例:「早くしなければならないのではないですか」 が 「はよせな」になります。

ちなみに、「しなさい」は「し」一文字になります。
[99202] 2020年 2月 23日(日)04:54:14般若堂そんぴん さん
4文字
[99201] じゃごたろ さん
「しねばね」

ああ,なるほど.わかります.耳で聞いてもなんとなく分かりそうですね.
共通語が染みついた人は「死ねばね」と勘違いしそうですが,米沢言葉の「しなんね」も「死なんね?」などと勘違いされそう……

何れにしても,「せな」には敵いませんね.
[99201] 2020年 2月 22日(土)19:45:50じゃごたろ さん
re: いかに短く言えるか?
ご無沙汰しております、じゃごたろです。
ちょっと反応します。

[99194] 般若堂そんぴん さん
 いかに短く言えるか?

うちに実家では「しねばね」ですね。
「なければ」が「ねば」で、「ない」が「ね」
「食べなければならない」なら「食べねばね」となります。
[99200] 2020年 2月 21日(金)20:11:39般若堂そんぴん さん


おお,プレビューでは「波線」になっています.
早速の対応,ありがとうございます.


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
個性豊かな地理ネタ大好き人間の溜まり場

パソコン表示スマホ表示