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落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[20601]2003年10月3日
まるちゃん
[37643]2005年2月8日
北の住人
[59567]2007年7月1日
hmt
[59605]2007年7月3日
北の住人

[20601] 2003年 10月 3日(金)17:58:04まるちゃん さん
のぞみ,酒呑学校?
[20581] 夜鳴き寿司屋さん
所用時間といい価格といい航空機と新幹線の両者の競争が厳しいところですね。
なるほど,広島市や福山市では,かなりの競争の激化が予想されますね.
広島空港の立地は,中途半端に離れた,両市のほぼ中間に位置し,空港までのアクセスの問題があるので,JRにも十分,逆転の勝機はありそうです.
福山市では,岡山空港も絡んだ,三つ巴の競争なんですね.
のぞみの姫路停車が上下15本に対して,福山停車が上下28本というところでも,福山に対する,JRの力の入れ具合が分かりますね.
情報ありがとうございました.

[20589] 深海魚さん
酒好きとしては由来が気になりますね。

(該当する方は多数いそうですが,)
深海魚さん,白桃さんには,ピッタリ(失礼をお許しを!)のこんな学校も過去にはあったようです.

第2大学区第9中学区第75番小学酒呑学校
とはすごい学校です.
http://www.hm2.aitai.ne.jp/~r50toyot/rekisi/rekisi.htm

さすがに学校の名前としては,マズイのか,まもなく改名されていますよね.
今は,酒呑北口というバス停が残っているようです.
http://www.toyotakita-h.aichi-c.ed.jp/annnai.htm
[37643] 2005年 2月 8日(火)21:35:48北の住人 さん
新しい市の名称はどう決めるべきか
[37581] sutekinaおじ さん からの引用
同じ記事の中で筑波大学、谷川教授の新市名を決めるときにしてはいけない5原則を掲げています。
 それによると、(1)ひらがな、片仮名は使用しない。 (2)他の地域と識別できない名称は使わない。 (3)東西南北は原則として使わない。 (4)人名は評価が変わってくるので要注意。 (5)濁音を2つ以上使わない。
すでに何度も出されたテーマで遅きに失してますが、私の考えを述べてみます。
谷川氏の原則は総論としては良いのですが、具体的な問題が生じた時にどうすれば良いかを考える必要があります。私は伝統を守るのと同様、変えるのも文化と思っていますので、伝統地名にこだわりは無いのですが、ここでは、伝統地名の定義が確立しており、その地域の総称名が決定していることを前提として進めます。実際にはこれを決めるのが大変な作業なんでしょうが。(谷川氏が伝統地名を重要視しているかどうかは、記事を読んでいないので分かりません。)

(1)については、逆になぜ漢字名称でなければならないのか疑問です。市名ではありませんが、漢字名称の興味深い例を手元の本から拾ってみます。変化については他に説があるかもしれません。
日暮里(新堀)「にいぼり」が「にっぽり」に。豊田市幸海町(酒呑)「しゃちのみ」が「こうかい」に。「飛鳥」と「明日香」。
漢字記載のため、読みや表記が変化した例は相当数あるようです。かな表記であればこのような問題はなくなります。「員弁」を「いなべ」とするのは、読み易い点と、今後、地名の揺れがなくなる点で評価できます。かな表記は漢字より長くなりますが、地名の本質とは直接関係ないと考えます。漢字地名が歴史を表す場合もありますが、誤って伝えられている例もあるようです。私は「日暮里」の意味、発音を間違えたり、「員弁」の意味、発音が分かりませんので、土地の歴史については郷土史誌にお任せします。かな表記にも発音の問題がありますが、将来の音の変化までは考えておりません。
ローマ字表記については、あえてそうする必要は無いと考えます。

(2)については、他の地域と重複した場合の命名という問題が生じます。伝統地名を守るため合体地名を認めるのか、合成にするのか。字体を変えるというのは解決にはなりません。(3)とも関連しますが、現実には記号的な文字の付加や県名、旧国名、地域の象徴などを付加するのが解決策となるでしょう。全く新しい名称をつける場合も起こり得ます。(北広島町が市になった場合の名称に興味が湧いてきました。南北広島市は無いでしょうから、同名となる可能性もあります。)

(4)は私も同じで、地域の皆さんが考えることでありますが、将来、改称する場合も出るかも知れません。

(5)については、日本語の音の美的観点からと思います。私は清濁より促音に注意すべきと考えます。「つ」と「っ」は読取上間違えやすいという理由ですが、これは振り仮名についてですので、深く考える必要はないかもしれません。余談ですが、他言語母語の人にこの「っ」の発音を苦手とする方もいらっしゃいます。
(かな表記で清濁を区別しなかったので、佐世保や金沢などの読みの揺れが起こったという話もありますが。また、残したい音に鼻濁音があります。「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の発音上の判別をしている地域があると言うことを聞いたことがあります。「ゃ」「ゅ」「ょ」は仕方ないです。)

ということで、地名関係、歴史関係、郷土史関係の皆さんには様々な考え方があると思いますが、結局はその土地の人が考えることになります。私なんか、信用できるあの人が決めたことだからそれで良い、なんてことになりそうです。お上が決めたことだからそれに従う、長いものにまかれるといった感じです。住民投票なんてする必要は無く、自ら選んだリーダーに託すということで、お上というよりお神に近いです。変な名前になっても、それに慣れていくと思います。地名に当てはまるかは分かりませんが、珍しい名のほうが印象に残るという場合もあります。
以上、市名に限っての意見でした。(この意見も時と場合によって変わったりしますが。こんにゃくのような性格なので。)
[59567] 2007年 7月 1日(日)18:39:52【1】hmt さん
地元の人々が支えた公立学校
[59523] MasAka さん 所沢市若狭小学校(1972)から若狭という地名
[59535] ぺとぺと さん 伊丹市立緑丘小学校(1955)と瑞穂小学校(1967)から「緑ヶ丘」、「瑞穂町」

歴史のある公立学校関連の名が、地図に残されている事例を紹介しておきます。

明治9年(1876)、当時の東京府豊島郡中新井村に開校した「豊玉小学校」。
その学区は、豊島郡(現・練馬区)だけでなく多摩郡(現・中野区)の村々にも及んでいたというから、現代では想像もつかない広さでした。学校名は、2つの郡から名付けたものですね。

地元民は、子女の教育のための公立学校経費にあてるために、官有地開墾などの労力を提供し、その田んぼは、学田(まなびた)といわれたそうです。
地図 の左にある南蔵院は、「豊玉小学校」開校の地。現在地は右側。下の方に「学田(がくでん)公園」があります。

1940年、東京市板橋区だった時代の区画整理で、小学校の名に由来する「豊玉」の地名が生まれました。現在の練馬区豊玉〇(〇=上,中,南,北)が、もと多摩郡の地でないことに疑問を抱いて調べた結果が[35838]に記されています。
過去記事のリンクが切れていたので、代りに 練馬の地名今むかし をリンクしておきます。

既に[59528] faith さん の記事
公式の地名ではなく、通りの名称(京都市では地名のように使われることもありますが)ですが、京都市立紫明小学校も、校名が先行しているようです。
にあるように、京都では、公立学校に由来する「元学区」の名が、地名のように使われるようです。

現在も自治組織として活動している「元学区」は、かつては地形図の地名にも使われていました[49021]
昭和26年測量の地形図には、「柳池」・「初音」・「立誠」・「生祥」など、「元学区」[48954][48969]の名が表示されています。
Old Map Room 参照。(昭和26年に切り替えてください)

【追記】
明治時代の小学校名に関連して補足。
[20601]まるちゃん さん
深海魚さん,白桃さんには,ピッタリ(失礼をお許しを!)のこんな学校も過去にはあったようです.
第2大学区第9中学区第75番小学酒呑学校

幸海小学校の歴史 によると、「小学酒呑学校」は、明治7年~14年に存在。
「名鉄バス(矢並経由)酒呑北口下車南西1km」とあるので、「酒呑」という地名は現存するようです。
たぶん、地名の方が学校名よりも先でしょうが。
[59605] 2007年 7月 3日(火)00:30:48北の住人 さん
酒呑
流れからすると既に終了した話ですが。私の小学校入学前の頃なので、かれこれ30年以上も前のこと、一升瓶を持って近くの牧場に牛乳を買いに行くのが、私のお使いでした(初めてのお使いだったかどうかは記憶の彼方)。当時、一升瓶には醤油や油も入っていましたが、今でも同じでしょう。私と違い、父が酒呑なのも、あの時と変わっていないことの1つです。私も変わらず牛乳呑ですが。

さて、私にとって懐かしい地名を[59567] hmtさんの記事中に見つけました。最近、自分の過去記事を全て読み返したことがありますが、たいそう恥かしい記事が続出していましたので、心新たに書いてみます。なお、地形図上、「酒呑」は「サチノミ」と呼ぶようです。(以下は、『日本歴史』2004年1月号、塚本学氏の「文字による地名の変改メモ」に拠ります。)

豊田市「幸海(こうかい)町」は、江戸期の「シャチノミ」という村であり、『愛知県史資料編』復刻の「正保国絵図」には「サチノミ」と記されているそうです。これに「酒呑」という漢字を充て、公式表記・村名となっていくのですが、明治に入り「酒呑学校」ができます。その後「幸海」の字を案出し学校名としたのが明治9年。この「幸海(サチノミ)学校」が「幸海(コウカイ)学校」と変化し、ついには「幸海(こうかい)町」となった、とこういう話です。


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