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>門前町の長野は,つまり商業都市なわけで,そこには別のセンスもあるだろうし。
勿論、松本が総じて長野より上格と言う事ではありません。他地域の古参中等学校の
分布から考えて、徳川幕府時代に一定の向学精神が醸成されたと思われる城下町が、
明治時代の文教政策上、重視された傾向が窺える為、この様な発言となりました。
門前町にして商業都市の長野と城下町の松本のかような関係を、或る種の機能分化と
考えるなら、青森と弘前、酒田と鶴岡、上越市の直江津と高田、奈良と大和郡山、
福岡市の福岡と博多、日南市の油津と飫肥、那覇市の那覇と首里などでも、同じ様な
地勢が見て取れる様にも思います。上記の弘前と大和郡山、そして彦根は、県都より
尋常中学の設置が先行した街ですが、津軽藩の開港政策や大津と京都の近接性などを
考慮しても尚、有力な城下町という共通の印象が大きいですね。
一方、今でこそ県都移転すら取り沙汰される県央部の交通の要衝ながら、明治初期は
県都でも城下町でもなく、戊辰戦争の災禍を被り荒れていた郡山に福島県尋常中学が
設置された経緯は今一つ不明です。同校が元々は福島の師範学校に併設された存在で、
郡山の立地は移転の結果という事から、官民挙げた大型公共事業と目される開成社の
開発事業の尖兵、つまり筑波研究学園都市における筑波大学の様に位置付けられたと
いう事なのかな、という風に推しているのですが。
>これはもちろん長野に開設されたのですが,
信州大教育学部も、松本深志高と同様に開智学校が前身であると仄聞したのですが、
長野の設置となると、そうではないのでしょうか。長岡の国漢学校も、複数の後身校を
持っていますが、財政上の理由から、こうした学校に主要教育機関たるを委ねていた
明治期の財政事情が窺われます。一方、私立茨城高の起源である水戸藩校弘道館が、
正規の中等学校と位置付けられたのが昭和に入ってから。それまでの空白期間が少々
意外に感じられます。