ここまで、ある地域で共通に使われる時刻、いわば普通名詞の“標準時”を主として使ってきました。
限定された意味を持つ「中央標準時」、「日本標準時」という言葉もあり、少し調べてみましょう。
明治28年、日清戦争後の下関条約で台湾と澎湖列島が日本領になりました。
そして、台湾及澎湖列島並に八重山・宮古列島には「西部標準時」(東経120度)が設けられ、従来の【東経135度】標準時は 1896年から「中央標準時」と改称されました。
明治28年勅令第167号
この西部標準時を定めた勅令の第2条は 1937年に削除されました。
標準時は1つになったのに わざわざ「中央」を残すこともないと思われますが、国際連盟脱退後の当時も日本が統治していた南洋群島
[35703][71808]で3つの標準時(東経135,150,165度)を使っていたためかもしれません。
とにかく、上記の勅令自体は今も生きており、理科年表でも「中央標準時」という言葉を見ることができます。
国立大学法人法施行規則 別表第一にある国立天文台の目的には次のように記されており、「中央標準時」は文部科学省の所管とわかります。
…天象観測並びに暦書編製、中央標準時の決定及び現示…
ところで、時刻と密接な関係のある時間の単位は、経済産業省所管の
計量単位令別表第一に記されており、「秒」はセシウム原子振動数を用いた値で定義されています。これは、1967年の国際会議決議に基づくものです。
昔の計量法の定義は平均太陽日基準でしたが、地球の自転が一定でないことがわかって回帰年基準になり、更に昭和47年改正で地球の自転観測値に依存せずに一定の時を刻む上記の原子基準へと再々定義され、現在の政令に引き継がれたわけです。
このように、時間を測ることについては厳密に定義された法令があるのですが、いくら正確な時計を使っても、「時刻合わせ」をしなければ「正確な時刻」にはなりません。
その「時刻合わせ」の拠り所となるものが 標準時を定めた法令 ということになるわけですが、これが上記の「秒」の定義のような厳密なものでないのです。
1896年から「中央標準時」と改称された明治19年の勅令
[73957]には、
明治21年1月1日より東経135度の子午線の時を以て本邦一般の標準時と定む
と書いてあるだけで、それが平均太陽時であることさえ示されていません。
旧暦時代の明治4年に始まった午砲(ドン)
[22989]でさえも 平均太陽時によっていたので、明治19年の標準時も明治28年に改称された中央標準時も、当然平均太陽時を想定していたと思われるのですが…
要するに、標準時の定義に関する法令は明治のまま放置されており、時間の定義に比べて厳密さを欠いた状態であることは明らかです。
明石の時計塔
[73827]には、JSTM = Japan Standard Time Meridian日本標準時子午線と記されていました。
この「日本標準時」とは、独立行政法人情報通信研究機構(NICT)の
日本標準時プロジェクト が使っている用語です。
小金井市に本部があるこのプロジェクトは、コールサイン「JJY」という無線局を運用して、
協定世界時UTCを9時間進めた 日本標準時 JST(Japan Standard Time) を通報しています。
運用状況
JJYの法令上の根拠は
総務省設置法 第四条七十三号と思われます。
周波数標準値の設定、標準電波の発射及び標準時の通報に関すること。
この法律に使われている言葉は“標準時”【普通名詞?】であり、「日本標準時」でも「中央標準時」でもありません。
本稿を書くにあたり主として参照した『青木信仰著 時と暦(1982 UP選書)』の254頁によると、発射する標準時の内容は郵政省告示【現在は平成11年総務省告示第382号?】で詳しく規定しており、
勅令の中央標準時が法的には生きており、郵政省の告示の標準時とは別ものである。というか「中央標準時」と「標準時」の間には法的関係がない。
と記されています。
東京天文台(当時)の先生の発言ですから“法的関係がない”ことに間違いはないでしょうが、筋道としては、国立天文台がその目的に沿って UTC+9時間 = 「中央標準時」という“決定”を行い、(総務省に?)“現示”し、総務省管轄下のJJYプロジェクトが“標準時の通報”を行うという実務関係があると推測します。「日本標準時」は JJYのサービスネーム(役務名称)でしょう。
結局のところ、現在の標準時の基準は協定世界時UTC(coordinated universal time)です。
歴史を遡るとグリニッチ平均太陽時GMT(Greenwich Mean Time)に行き着き、世界時UT(universal time)とも呼ばれます。
原子時計の精度が向上すると、これを時報の基準にも使うことになり、地球自転に基づくUTに近い時刻になるように操作した(旧)協定世界時が1960~1971年に実施されました。1972年以降は、「うるう秒」方式によりUTに近い時刻を保持する方式になっています。
JJYの説明でも
[71808]でも、説明なしに使った UTC は、このようなものでした。
「協定世界時の9時間先」は、実質的には東経 135度に相当しますが、
[5253] ゆう さんの発言にあるように、
現在の日本の標準時の定義を要約すると「協定世界時の9時間先」で、定義上は東経135°という言葉がなくなってしまいました。
この記事を書くにあたっては、上記の本(時と暦)と共に、
教えて!gooも参照しました。