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[46895] 2005年 11月 26日(土)01:31:16【1】EMM さん
橋の名は岡村大橋
[46894] BEANさん
リンク先を見ると、県境が島にかかっているように見えますが、これは地図の精度が悪いからでしょうね。
まぁ、そう言うことですね。
縮尺を変えるとこうなります
水色が呉市、黄色が今治市です。島ごとに色が違っており、島の間の海に県境があることが分かります。
中ノ島と岡村島の間は200mほどでしょうか。
何でここに橋があるのか不思議なのですが、「とにかく近いから」と言うことから架けられたのでしょうか?

#橋の名は他の地図サイトで調べました。


※追記。岡村島~大崎下島~豊島間の橋は全て農道橋でした。
さらに豊島~上蒲刈島間に橋を架け、呉市本土と接続する計画があるようです。
[46897] 2005年 11月 26日(土)03:00:04【2】美濃織部 さん
安芸灘オレンジライン
[46895]EMMさん
何でここに橋があるのか不思議なのですが、「とにかく近いから」と言うことから架けられたのでしょうか?
みかんの輸送という目的があります。

広島県主要公共プロジェクト紹介コーナーのなかで、広域営農団地農道整備事業大崎下島地区として紹介されており、
大崎下島から岡村島までの3橋と農道は、安芸灘オレンジラインと呼ばれているそうで。(初めて聞いたような気もしますが)

EMMさんも触れていますが、さらに安芸灘諸島連絡架橋という計画もあります。橋だらけです。

開通前の中国新聞の記事にもある通り、橋ができる以前からつながりの深い島々のようです。その地域の方にとっては、県境があるという意識はそれほどないのでは。

県境の写真(?)もありました。今は県境の看板も、呉市&今治市と変えられているんでしょうか。それにしても呉市と今治市が接していて、しかも歩いて越えられるとは…
岡村島のとこに橋があることは知っていましたが、改めてそう考えると驚きです。
[46898] 2005年 11月 26日(土)03:36:06【2】EMM さん
広島の橋vs愛媛の橋
[46897] 美濃織部さん
みかんの輸送という目的があります。
なるほど、考えてみれば分かりそうなものですがそこまで思いが至りませんでした。
ところで、連絡架橋の方の予定を見ると、岡村島から大崎上島にも橋を架ける計画があるんですね。
広島県庁の事業なのに愛媛の島に2本も橋が架かるというのは、それだけ岡村島と広島側の島々との結びつきが深い、と言うことなのでしょう。
(でなけりゃ大崎下島から大崎上島に直接橋を架けるはず)

では愛媛県側は何も話が無いのかなと思い愛媛県庁HP内を捜してみると、愛媛県広域道路網マスタープランと言うのが出ていました。
これを見ると岡村島-大三島間の橋の絵も描かれているのですが、検討区間と言うことで将来どうするか考えると言う扱いのようです。
(農道の計画とかもないか捜しましたが、よく分かりません)
愛媛県の島だというのに、広島との考え方の差は何だろう。



※岡村大橋は[46678]でみかちゅうさんがピックアップされていたのを見落としてました。
さかのぼると5月にもグリグリさんが[40541]で触れていらっしゃいました。
さらには瀬戸コレにも出てます。
最初に確認したYahoo!地図には橋の名が出ていなかったのも気づかなかった原因と言えば原因ですが…やっぱり1回検索しとかんとダメだなぁ。
[47088] 2005年 12月 3日(土)20:14:35【3】いっちゃん さん
行ってきました
古くは[22779]グリグリさんの瀬戸コレクションにおける名前の揺らぎに始まり、
半年ほど前に[40541]グリグリさんや[40597]まなちゃんさんの都道府県隣接数ランキングにおいて言及され、
最近では越県行為ネタにおいて[46895]EMMさん
橋の名は岡村大橋
など、たびたび脚光(?)を浴びている彼の地へ本日行ってまいりました。
[46925]ゆうさんにご紹介いただいたルートを利用しました。

まず、大浦発10:10のフェリーに合わせ、8:30に自宅を出発。
原付でトコトコ走ること約30分で「安芸灘大橋」に到着。
料金所で\50を支払い、いよいよ瀬戸内の島々へ。
下蒲刈島から「蒲刈大橋」を渡って上蒲刈島と渡り、上蒲刈島は島の南側のルートを通って大浦港へ。
港に着く直前に愛車に食事を与えることにする。
80歳ぐらいのおじいさんが一人でやっているガソリンスタンドで、レジも何も無く暗算で代金を計算していた。\520。
9:40頃、大浦港到着。乗船待ちの人や車が意外と多い(結局、車はフェリーに隙間無く乗った)。
ここで人間1人&原付1台しめて\450を支払い船に乗り込む。
10:15定刻より5分ほど遅れて出航。航海は約15分、まずは豊島に到着。車数台と人数名を降ろすや否や、対岸の立花(大崎下島)に向けて出航。5分ほどで到着。
岡村島へ向けてエンジン再スタート!
大崎下島の北側のルートを進む。これはこの島に限ったことではないが、海とみかん畑の間をひたすら走ることになる。
島を3分の1周ほどしていよいよ橋が見えてきた。
1つ目は「平羅橋」そんなに高くない。
2つ目は「中の瀬戸大橋」結構高い。
そしていよいよ「岡村大橋」へ。橋を渡り、船に乗り、家を出てから約2時間半、いよいよ呉市脱出!!!
「中の瀬戸大橋」と「岡村大橋」はそっくり。
越県ポイント(92ヶ所バージョン)において1ポイントアップ!
岡村島を時計と反対回りに一周。途中、みかちゅうさん垂涎の「旧・関前村役場(現・今治市役所関前支所)」で一休み。遠くに「しまなみ海道」(来島海峡大橋)が見える。
そして、同じ橋を再び渡り、大崎下島は島の南側のルートを進む。
さらに「豊浜大橋」を渡って帰りは豊島からフェリーに乗り込む。
大浦港到着後、上蒲刈島は往路とは逆に島の北側を進み帰ってきました。

総費用は交通費(\1,000-)+ガソリン代(\520)と、とても経済的。
ゆうさんどうもありがとうございました。

写真も撮ってきましたので、後日「いっちゃん学園」に掲載します。
ただし、途中でデジカメがバッテリー切れを起こし、島に気の利いた電池が売っているはずも無く、大した写真はありませんが・・・。

[46895]EMMさん
さらに豊島~上蒲刈島間に橋を架け、呉市本土と接続する計画があるようです。
すでに橋脚が姿を現していましたよ。

[46904]みかちゅうさん
関前村は船で行ってしまえばさほど歩くこともないので楽なはずなのですが、何しろ船の便が悪いので…。結局、関前村は未訪問のまま、菊間町役場の撮影はできぬままに終わってしまいました。
写真、撮ってきましたよ。
[47126] 2005年 12月 4日(日)13:04:02【1】hmt さん
久しぶりに「島群」コレクションの新顔・安芸灘諸島
[47088] いっちゃんさんが バイクで走破された島々。
[40415] pipsonly さんの 航空写真(情報量が多いので読み込みに時間がかかります)の「G.瀬戸内海一帯」の中に、「10芸予諸島」として岡村島から中ノ島、平羅島を串刺しにして大崎下島への架橋がきれいに写されています。
[46897]美濃織部 さん引用の 広域営農団地… にも写真があります。

橋の名と共に地名コレクションでは古参の 瀬戸名 を列挙しておきます。どちらの航空写真も、上方から県界の岡村大橋(7号橋、戸町瀬戸)、中ノ瀬戸大橋(6号橋、中ノ瀬戸)、平羅大橋(5号橋、牛渡瀬戸)ですね。

ついでに大崎下島から更に西に進むと、豊浜大橋(4号橋、?)、仮称豊島大橋(2008年度完成予定の3号橋、?)、蒲刈大橋(2号橋、三之瀬瀬戸)、安芸灘大橋(1号橋、女猫の瀬戸)。

航空写真のG-11には、「芸予諸島と安芸灘大橋」というタイトルが付けられていますが、これは [40769] 愛比売命 さんご指摘のように「生口島と多々羅大橋」の誤りですね。
余談ですが、この落書き帳での有名地・県界のある瓢箪島は残念ながら写真の画面右外になり、写されていません。

それはさておき、[47124] ゆう さん の“瀬戸内の橋”に引用されている「愛媛県知事に寄せられた提言」への回答中に、
大三島から関前諸島、安芸灘諸島を経て広島県に至る架橋ルート
という一句がありました。

「安芸灘諸島」という名は初耳でしたが、芸予諸島西部の島々を結ぶプロジェクトである 安芸灘諸島連絡架橋 という名前が、[46897]美濃織部さん引用の広島県のページに使われていました。

最初は広島県がこのプロジェクトのために付けた地名かもしれませんが、上記のように愛媛県側の発言にも使われ、「地名」として定着しつつあるようです。国土交通省・日本離島センター主催による、島のイベント アイランダー2003 にも使われていました。

既存の「島群」 との関連をつけると、芸予諸島の一部である、蒲刈群島、下大崎群島、関前諸島、上大崎群島の総称が「安芸灘諸島」ということになるのでしょうか。

建設中の3号橋が完成すれば、広島県の豊島と大崎下島を通って愛媛県の岡村島までが本州からつながり、安芸灘諸島の大部分が離島振興対策実施地域の指定 から外れることになります。
8号橋は先のことになるでしょうから、大崎上島だけが実質的な「離島」として残ります。
[60626] 2007年 8月 16日(木)21:20:57【2】太白 さん
しまなみ街道
 ここ数ヶ月、人口が全国最少の県庁所在地への引越しなどがありまして、久々の書き込みです。新しい方も増えて、少し雰囲気も変わった感じですかね。ログを読みつつ復帰していきたいと思いますので、メンバー紹介などはもう少しお待ちいただければと。

 引越しに伴い、経県値も1ポイント上昇しましたが、当面、経県値の上昇よりも、「人口10万人以上の市には全部行く」ことを個人的目標としておりますので、先週、周防灘を反時計まわりに1周し、今治を初めて訪問してきました。これで、残りは7市(鳥取、都城、酒田、三田、春日、鹿屋、薩摩川内)なのですが、最後の2市については、昨今のトレンドが進めば、数年後に(行かずとも)自動的に達成してしまう気がしております。

 今治では、日本古来の洞窟サウナである石風呂(桜井海岸で夏季のみ営業)を体験してきました。原始的な方法でシダを蒸すので温度調整ができず、火を入れた後すぐに入ると熱すぎて耐えられず、遅いタイミングで行くと温度が下がっていてサウナではない、という代物です。とはいえ、古来の石風呂が現在でも残っていて、実際に入れる場所は希少であり、一見の価値はあると思います。

 さて、その後、しまなみ街道で気になった道路ネタを。

1.本四架橋の通行料金は「1円単位」である。
 旧JH系の高速道路の場合、ETCでの通勤・深夜等の割引後の料金は「24捨25入により50円単位の端数処理を行う」(例:深夜割引の説明)のですが、本四高速のETC割引は、5.5%という中途半端な割引率で、私は、生口島北ICから向島ICまで乗ったのところ、料金所で「1039円」という表示が出て、「エラーかいな?!」と思ったのでした。(料金表)。

#ところで、このETC通勤割引というのは土日祝日も適用されることを知り、だいぶ得をしました。


2.平成21年度以降、しまなみ街道の交通量は減少するのではないか。
 すでに、[47126]にて「島の大家」hmtさんが詳細に触れられていますが、今治市と呉市にまたがる芸予諸島の西部では、現在、安芸灘諸島連絡架橋の建設が順次進められており(周辺地図)、平成21年3月末に、上蒲刈島と豊島を結ぶ豊島大橋が完成すると、呉市街方面から岡村島(旧愛媛県関前村)までが道路で結ばれます。
 ここで、大崎下島-今治間岡村島-今治間のフェリー運賃を見てみると、普通乗用車(3-5m)で2000~3000円台となっています。
 しかも、安芸灘諸島連絡架橋は、安芸灘大橋を除きいずれも無料ですから、広島・呉方面から今治・松山方面へ向かう人にとっては、直行フェリーやしまなみ街道-山陽道利用よりも、時間と料金の兼ね合いで、相当お得なルートに見えます。
 そうなると、利用者が安芸灘諸島連絡架橋へとシフトして、しまなみ街道は更に利用者が減るのでは? と余計な心配をしてしまいます。

 ところで、その豊島の地図を見ていて、海上架橋を発見しました。
 以前、海上架橋のコレクション化の話があったと思うのですが、[58413] 今川焼さんの記事等を拝見する限り、どなたも手を上げていないようなので、数は多そうですが、気長にチャレンジしてみようと思いますが、よろしいでしょうか。>編集長。


以下追加。
[60623] まりんぶる~ さん
40.2℃ 宇和島 愛媛県宇和島市
最高気温ランキングには、熊谷・多治見をはじめ、盆地だったり平野の外縁等でフェーン現象が置きやすい都市が並んでいますが、ここだけは「暑い」というイメージがありません。例外でしょうかねえ。
[66904] 2008年 10月 2日(木)22:51:59【2】hmt さん
海を越える道-橋梁・堤防道路・海底トンネル(1) 日本
「海を越える道」について書いてみます。

海を越える道というと、オーナーグリグリさんの「海上架橋」[57062]があります。
最初に例示されているのは、海上をかすめたという感じの 房州大橋。道路の一部が海上を通過する場所を発見する面白さという観点でしょうか。

海上を通過する様子もさまざまです。陸が通りにくかった点は房州大橋と同じでも、はみ出した先が湾ではなく日本海そのものである親不知の北陸自動車道[57134]。まともに湾口を横切る真鶴道路の岩大橋[57156]。人工島に渡るための関西国際空港連絡橋(スカイゲートブリッジ)など。
[57062]は隅田川河口の埋立地を連絡する橋にも言及しており、境界線について のシリーズで海と陸との境界を考える契機になりました。

「海上架橋」は、最初は経県のオプション[57022]として取り上げられ、 書き込み が続いた後、[57151]で地名コレクションの方に誘導され、太白さん[60626]により準備中です。

今回は、海上をかすめたり、湾口・埋立地を連絡する短い橋とは少し異質の、普通には船が使われるような「海を隔てた地域」を結ぶ固定連絡設備の代表的なものを、取り上げてみます。

わが国において この種の固定連絡設備が建設された代表的なルートは、本州と四国とを連絡する3つの橋梁ルートですが、この他に、津軽海峡(鉄道トンネル)、関門海峡(単線並列の在来線・国道・新幹線の各トンネルと関門橋)、それに東京湾横断道路がよく知られています。
この6つのルートは県境でもあり、都道府県隣接数のまとめ[40541]にも記されています。

ここに6ルート以外で唯一の県境架橋として挙げられているのが岡村大橋。この7号橋を含む 安芸灘諸島連絡架橋 [47126] は、11月18日開通予定の 豊島大橋(3号橋、愛称は県の鳥にちなむアビ大橋)により、呉から愛媛県岡村島までの島伝い海上ルートが開通することになります。
その一部である大崎下島広域農道は安芸灘オレンジライン[46678]と呼ばれています。
島伝いに更に東に延長して西瀬戸自動車道(しまなみ海道)につなぐルートは構想段階。

【追記】
県境へのこだわりや、近年出現している長大橋の影で、つい書き落としてしまいましたが、架橋技術の上で一時代を画した「海を越える橋」として、西海橋と若戸大橋とを追加しておきます。

1955年 針尾瀬戸[18561]に架けられた 西海橋 は、当時世界第三位のアーチ橋でした。50年を経た現在、隣に新西海橋が作られています。

若戸大橋が完成したのは1962年9月。洞海湾の両側は(当時)若松市と戸畑市。北九州市発足 の少し前です。
1989年に2車線から4車線への拡幅工事(歩道廃止)をしましたが、更に沈埋トンネル工法による 新若戸道路 を工事中です。完成予定は2006年春から2年遅れる見通し。もうそれも過ぎていますね。

西海橋や若戸大橋によって培われた長大橋技術は、関門橋(1973)、南備讃瀬戸大橋(1988)、明石海峡大橋(1998)と記録を更新してゆきました。【追記終】

津軽海峡の公海の下を通る青函トンネルの場合は、海底の国有地[66873]として処理できない部分があり、自治体の海上境界問題の中では、やや特異な立場にあるものと思われます。閣議決定により特別な編入手続きが行なわれた[46750]のも、そのためでしょう。

一方、橋梁よりももっと陸続きに近い固定連絡設備として、連絡堤防があります。こちらは埋立地扱いかもしれません。

国内で代表的な連絡堤防は、沖縄県うるま市の平安座(へんざ)島と勝連半島との間 約5kmを結ぶ「海中道路」です。
これは、米軍が水陸両用車を使って、文字通り海中の干潟を通行した頃に由来する名とか。
島民悲願の道路建設は 1961年から具体化し、村人総出の石運びによる基礎作りも、台風被害により断念。
そこにガルフ石油の石油備蓄基地(現在は出光系の沖縄石油)建設計画が登場し、1971年「海中道路」開通。
【追記】全部土手の上かと思っていましたが、斜張橋 の部分があるのですね。地図

中海の大根島に通じる 大海崎堤防と森山堤防 は、2005年の合併前は、松江市・八束町・美保関町の境界にありました。
[69265] 2009年 4月 17日(金)22:32:21らす さん
新規ループ橋(2009年春)
5月の大型連休でほぼ1年ぶりのループ橋詣でに出かけるべく、日々地図とにらめっこしております。
が、仕事の都合で遠出できないかも知れないので、新たに見つけた場所を書いておきます。
下蒲刈島から大崎下島にかけては安芸灘とびしま海道と名付けられているようですが、ループ橋街道でもあります。今年はこのへんを攻めようかと思っています。

青部跨線橋(仮名)

大崎下島ループ(3)

下蒲刈小学校前ループトンネル(仮名)
[80971] 2012年 6月 17日(日)01:42:41千本桜 さん
♪安芸灘の風
安芸灘とびしま海道のイメージソング♪「安芸灘の風」を聴きながら空想旅行をしています。還暦を過ぎたシンガーソングライター・レーモンド松屋が、エレキギターを弾きながら唄うロック調の歌謡曲である。歌詞には関前、観音崎、とまちせと、御手洗、大長港、下蒲刈、恋ヶ浜、十文字山の地名が織り込まれていますが、東北地方に住む私には馴染みの薄いものばかりです。以前から名称と場所を知っていたのは関前と下蒲刈だけ。御手洗と大長は何かで見覚えのある地名でしたが、場所を探すのに少し手間取りました。なお、安芸灘に浮ぶ島々の中に観音崎、とまちせと、恋ヶ浜、十文字山なる場所があるのは全く知りませんでした。どんな所だろう、ちょっと調べてみよう。という訳で、5万分の1地形図を引っぱり出して空想旅行に出発です。

1番の歌詞。歌い出しは「青くやわらかなこの海は島々つつむゆり籠」。とびしま海道のイメージソングにぴったりな良い歌詞だと思います。そして「関前の空~」、「観音崎からあなたを見送る~」と続きます。どうやら舞台は岡村島のようです。しかし、「とまちせとで その日が来るのを待ってた~」の歌詞に、はたと困りました。地形図に「とまちせと」の表記がない。「とまちせと」とは何ぞや。分からないのは後で調べるとして先に進むことにする。

2番の歌詞。舞台は岡村島から大崎下島に移りました。「御手洗の古い町並み歩いた~」、「大長港みかん船~」、「きっと来るあなたは来る安芸灘の風に乗って~」。どうやら、この歌は東から西へ向かって進んでいるようです。最後は本州島の川尻か仁方に辿り着くのでしょうか。

3番の歌詞。「下蒲刈のあかりの館訪ねた~」。あれれ・・・、豊島と上蒲刈島を飛び越えて一気に下蒲刈島まで行っちゃいました。飛び過ぎですよね。豊島と上蒲刈島を素通りしてはまずいと思ったか、レーモンド松屋氏はくるりと方向転換して東へ逆戻り。上蒲刈島へ戻って「恋ヶ浜の海まぶしく~」、豊島へ戻って「十文字山で遥かに見つめる~」、「きっと来るあなたは来る安芸灘の風に乗って~」と唄いあげます。

地理的に見れば♪「安芸灘の風」は順路が変だと思う。しかし、レーモンド松屋氏の優れた音楽性がそれを吹き飛ばしてしまう。それに、私の周りにいるカラオケ好きのオジさんたちは、関前がどこにあり下蒲刈がどこにあるかなど一向に気にしない。たぶん「とまちせと」が何であるかも気にしないだろう。「とまちせと」の正体を追って、マピオンを拡大してみました。すると、ありました。岡村島の西端に戸町鼻というのが・・・。この戸町鼻と中ノ島の間の水域が戸町瀬戸なのだろう。では、なぜレーモンド松屋氏は「戸町瀬戸」と書かずに、ひらがなで「とまちせと」と書くのだろう。ここから先は全くの推測ですが、戸町瀬戸を単なる地名に終わらせたくなかった。「とまちせと」と表すことで膨らみを持たせたかった。レーモンド松屋氏は「とまちせと」と唄う時、きっと頭の中では「ひとまちせと」と唄っているのではないだろうか。そうあって欲しいと願いながら♪「安芸灘の風」を唄ってみよう。「あれからずっと ひとまちせとで その日が来るのを待ってた あなたは来る きっと来る いくつもの橋を渡って~」。すばらしいイメージソングだと思います。被災した三陸の海辺にも、こんな力強く期待に満ちたイメージソングが作られ、観光キャンペーンが展開される日が来ることを願っています。
[80973] 2012年 6月 17日(日)13:58:03hmt さん
架橋のみで隣接した数少ない県境 戸町瀬戸
[80971] 千本桜 さん
「とまちせと」の正体を追って、マピオンを拡大してみました。すると、ありました。岡村島の西端に戸町鼻というのが・・・。この戸町鼻と中ノ島の間の水域が戸町瀬戸なのだろう。

地図に記されていない「戸町瀬戸」の存在は、もちろん私も知りませんでしが、念の為に落書き帳を検索。
なんと! [22695]くはさんによる現地調査報告がありました。関連する他の記事と共に 戸町瀬戸 岡村島 をまとめておきます。

地図には書いていないことが多いのですが、橋の両脇にはしっかり瀬戸の名前が彫ってありました。
確かに、地名コレクション中の名門 「瀬戸」コレクション の 広島県,愛媛県の部 にも収録されていました。
なお、戸町瀬戸の1行上・大崎上島との間の明石瀬戸にも「岡村大橋」と記されていますが、これは誤記と思われます。

第六管区海上保安本部の 海の豆辞典【URLが[24417]から変更されている】 「22 瀬戸内海の瀬戸 その1瀬戸内海西部」リストには、現在も未掲載。

あまり名の知られていない戸町瀬戸ですが、ここは県境の道路交通が架橋のみという数少ない事例の1つです。
グリグリさんの記事[40541]にあるように、トンネル・架橋のみによる県の隣接のうち、架橋関係は4組5橋。
架橋の古い順に関門橋(1973、もっと前に国道トンネルあり)、大鳴門橋(1985)、下津井瀬戸大橋(1988)がありました。
その後 1995年に完成した岡村大橋により、広島県と愛媛県とが道路で結ばれました。
もっとも、この時点では広島県側の大崎下島も 本州との間の広域農道が全通していなかった[66904]ので、架橋県境と言っても離島同士でした。
愛媛県が本州と道路で結ばれたのは「しまなみ海道」でした。多々羅大橋は 1999年。

[80971] 千本桜 さん
安芸灘とびしま海道のイメージソング♪「安芸灘の風」を聴きながら空想旅行をしています。

「安芸灘とびしま海道」の名も初耳。調べてみたら、2008年に公募した愛称 なのですね。
豊島大橋の開通により結ばれた、安芸灘大橋から岡村大橋までの陸路の愛称『安芸灘とびしま海道』。全国3,118件の応募作品の中から選ばれたこの愛称は、「瀬戸内海に浮かぶ島々は、あたかも庭園をわたる飛石(とびいし)のようで、安芸灘へと通じる海の道…」をイメージしたものです。

前記落書き帳記事集には「安芸灘オレンジライン」[46897]の名が登場していますが、こちらは農産物輸送の視点からの命名でした。
「アビ大橋」の開通を機会に、観光地として 新しい愛称を使い始めたものと理解します。


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