都道府県市区町村
落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[54516]2006年10月20日
hmt
[75460]2010年7月8日
伊豆之国
[75461]2010年7月8日
hmt
[78145]2011年5月5日
hmt
[86778]2014年12月9日
hmt

[54516] 2006年 10月 20日(金)23:44:50hmt さん
「全国の天気予報」の地図は「サテ瞰図」
[54495] 小松原ラガー さん
「ん?お姉ちゃん、それ富山県やけど、さかさまに持ってるでぇ。」

都道府県シルエットクイズとは全く異なる状況であることを承知の上で、あえてツッコミを入れます。

富山県が作成した 「環日本海諸国図」 をご覧ください。
日本海からの視点でとらえると、日本列島は、沿海州・朝鮮半島・中国南部を結ぶ架け橋としての姿を現しています。
その中心にあって大陸に向き合った富山県。決して「さかさま」ではないと主張しているようです。
[5573] ken さん の記事にも、次のようにあります。
普通に考えたら、大陸に向いている方が「表」で、その反対側が「裏」じゃないですかね。

地図とは、本来このように目的・主題に応じて向きも図法も選ばれるべきものです。例えば「ミサイルの射程距離」の解説図[54480]は、発射地点を中心とした正距方位図法という具合に。参考までに、「環日本海諸国図」は、富山を中心とした正距方位図法で描かれていますから、かなりこの目的に近い地図と言えるでしょう。

「北が上」でなければならぬことはないし、「正積」が望ましい地図もあれば、それが必要ない地図もあります。

話題の発端になった「全国の天気予報」テレビ画面に出てくる衛星画像や地図について。
日本付近の衛星画像 は、適当な図法(Polar Stereo?)を使った表示なので、形の歪みはあまり感じませんが、「全国のお天気」を示す絵図は、全球衛星画像 の中から、北海道~九州の範囲を切り出した輪郭線を使っているようで、北が縮んでいます。[54474] 般若堂そんぴん さん

つまり、赤道上の静止気象衛星に視点を置いて眺めた日本の姿。サテライトから俯瞰した鳥瞰図ならぬ「サテ瞰図」でしょう。
南の方から斜めに見た日本の姿だから、距離が遠く、傾斜角度も著しくなる北海道は、九州の2倍以上の面積があるのに、それほど大きくは見えないことになります。
しかし、テレビ画面本来の目的は、全国各地の「概略の位置」を示すものだからそれでも良いのだろう。理屈っぽく言えば「正積」である必要はなく、形も識別に支障がない程度のデフォルメは許される。
…と、私は考えていたのですが。

[54477] futsunoおじ さん
心配なことは、これが本当の日本列島の形だと思う人がいるかもしれない事です。

なるほど。こんな心配もあるのですか。
「地図は北が上とは限らない。」と同じように、「地図は真上から見た姿とは限らない。」ことも、常識からは外れているのかもしれませんね。

[54480] Issie さん
始めに「周辺地域の天気」で関東地方周辺の甲信越+福島県+静岡県東部・伊豆の予報を流した後,関東地方(1都6県)だけになると,単に関東平野がアップされる(縮尺が大きくなる)だけでなく,フワリと地図の形が変わるのですね。

南の方から斜めに見ていた「サテ瞰図」が、真上から見た普通の姿に変わる様子は、まさにフワリという感じです。
ところで、この天気予報地図、伊豆半島の東にある筈の伊豆大島が無視されているのが、どうも気になります。

本来は用途に合わせた図法だった地図が、違う用途に使われた結果、よく問題にされるのがメルカトル図法[54479]ですね。
GPSなどの電波支援システムのなかった大航海時代。目的地に確実にたどり着くための航海術の道具として重要だった「正角図法」であるメルカトル図法。これが、船乗りとは関係のない一般用の世界地図に転用された結果、シベリアやグリーンランドの異常な巨大さが違和感をもたらすことになりました。
ロシアをことさらに巨大な姿として描くことにより、その脅威を感じさせるという意図で、広く使われたという説もあるようです。

グード図法あたりを使えば「正積」で大陸の形もまずまずの世界地図になりますが、日本付近は「極東」ゆえにかなり変形しているし、もちろん両極地方も不都合。そして断裂させた海の部分には皺寄せがきています。やはり、球形の地球を一枚の平面地図で表すことは、本質的に無理があります。
[75460] 2010年 7月 8日(木)22:22:22伊豆之国 さん
佐世保市VS志摩市 & 逆さ地図
今回のタイトルの前半、お分かりですかね?
こちらのほうでも盛り上がっているのでしょうか‥。

話は変わって、今日の日経新聞の夕刊から。
日本海を中心に、南北を逆転させた富山県発行の地図「環日本海諸国図」が、富山県刊行物センターで販売を開始して以来、売り上げ数1位を保っている。この地図は、富山県が交流を続ける極東ロシアや韓国・中国を含めた北東アジアを大陸側から見たユニークな地図で、極東ロシアでも教育機関などに掲示されている
ということだそうです‥。このような「南が上」になっている「逆さ地図」。オーストラリアやニュージーランドでは観光客向けのお土産として「逆さ世界地図」作られ、買ってくる人も多いとか‥。

再び「日本海」に戻りますが、この日本海側から見た「逆さ地図」、どこかで「似たようなのを見た覚えがある」と思っていたら、樋口清之氏著「逆・日本史」([62640])第4巻に、「越の国は大陸からの玄関だった」と題して、7世紀頃の東アジアを大陸側から見た南北逆転の地図が載っていました‥。
[75461] 2010年 7月 8日(木)23:17:22hmt さん
環日本海諸国図
[75460] 伊豆之国 さん
日本海を中心に、南北を逆転させた富山県発行の地図「環日本海諸国図」

[54516]でこの図に言及した際に書いたように、
日本海からの視点でとらえると、日本列島は、沿海州・朝鮮半島・中国南部を結ぶ架け橋としての姿を現しています。

万国津梁 という言葉は、沖縄海洋博の時に世に知られたと思いますが、沖縄だけでなく、日本列島そのものが万国津梁(世界の架け橋)であり、富山はその中心であることを、この地図 は語りかけています。

興味本位から南北逆さになっているわけでなく、地図の目的・主題に応じて選ばれた向きや図法であることを申し添えておきます。
[78145] 2011年 5月 5日(木)15:33:53hmt さん
地図の向き
[78139] k-ace さん
「吉田のうどんマップ」の地図を見てみると、富士吉田市の地図がありましたが、南が上。
“独特なんです。富士吉田の地図の見方、、「南」が上になっているわけですが、市民にとっては、「富士山」が上にあってその下に街が広がっているというイメージです。” という説明書き

[78140] Issie さん
昔の江戸の地図も西,つまり富士山が上になっているものが多かったので,本当は「独特」というわけでもないし
富士吉田の場合,富士山を正面に見てその手前に町が広がっている様子を考えれば,南が上である方が合理的

他人に地域情報を伝えるために 自然発生的に出現した地図。
地図の描き方は、自分と相手とが共に重要と認識している目標物との関係で決められたはずです。
現在、私たちが書く略地図も、出発点をや目立つランドマークなどを基準にしています。
このように、地域情報から出発したローカル地図は、作成目的に応じた向きを使うのが正攻法であり、汎用的な「地図の向き」で統一する必要は、全くなかったものと思われます。

江戸時代の絵図を見ると、大きな絵図を四方から見るように地名が入っていたり、江戸切絵図の大名屋敷の名が正門の向きになっていたりします。すなわち、絵図の表題や凡例などのための「全体としての向き」はあっても、注記された個々の文字情報は、必ずしも絵図全体の向きとは一致していません。これも画一的な「地図の向き」という考え方を否定する一材料です。

やがて世界地図のような広い範囲を示す地図が現れ、万人に共通する基準を用いた「地図の向き」という考え方も生まれてきたようです。

地図の歴史の部屋 を見ると、3500年前のローカル地図の次に、2700年前のバビロニアの世界図があります。上方に 空を支える山、中央には ユーフラテス川が 上から下に流れて 海に注ぐ。
山を背景に 都市があり、川は 手前の海に流れ下る。
富士山を背景に 富士吉田【南が上】や 江戸【西が上】の町が描かれている 日本の都市図の原型がここにあります。
北山を背にして鴨川が流れ下る平安京【北が上】も同じ構図です。

リンクページの3番目に プトレマイオスの世界図があります。北極星の方角を上にして、東西に長く広がる世界を描いたこの図は、万人が受け入れる「地図の向き」として「北が上」を定着させる大きな力になったものと思われます。

もっとも、西洋世界でも、そのまま「北が上」が定着したわけではないことは、4番目左に紹介されている中世の「TO図」を見れば明らかです。聖書が絶対とされた時代には、地図の中心はエルサレムで、エデンの園があるとされた「東が上」でした。
なお、4番目右に描かれたイスラム世界における「イドリーシの地図」は、バビロニアの世界図の逆で、「南海が上」になっています。

話が広がりましたが 富士吉田に戻ると、南方の富士山を基準として上方に描き、その手前に町が広がる構図は、極めて自然です。
江戸の場合、下町にできた市街から見ると、西には富士山の手前に御城があり、これも江戸絵図の向きを決定する要素になっていました。

江戸全図の場合、西が上になる場合が多いのですが、江戸城中心に描いた 東京都公文書館・江戸の範囲 末尾掲載の 文政元年江戸朱引図[62550]は「東が上」になっています。大手門を上にしたためでしょう。
江戸切絵図は、御城の方角が上になっているものが多いものの、例外もあります。

東京地図の場合、明治4年の「東京大絵図」は、全体としては西が上で、個々の地名は周囲から取り囲んで見る江戸スタイル。
郡区町村編制法の明治11年 内務省地理局地誌課による「実測東亰全図」になると、現在と同じ「北が上」の地図になり、これ以後の官製地図に引き継がれました。地名「東亰」については、[75459]参照。
しかし、民間の地図では、明治になっても西を上にして描く習慣が普通に行なわれていました。
例えば、明治28年改正東亰全図(嵯峨野彦太郎)。明治45年最新番地入り東京市全図(忠誠道)。

落書き帳の過去記事から拾い出した 地図の向き
2003年 地名における上と下 から派生し、なぜ地図は「北が上」なのか? というアーカイブズも作られていました。

富士吉田でも使われていた「南が上」の地図については、[3446] だいてんさん
オーストラリアでは南が上になった地図が主流ですね。
がありましたが、[17578] U+3002 さん、[75460] 伊豆之国 さん の発言にあるように、
オーストラリアの「南が上」地図は、観光客向けのみやげものらしいです。

富山県が作成した 「環日本海諸国図」 も、ほぼ「南が上」になっていますが、これは日本海を中心として日本列島の位置を把握するための配置で、南や東を基準方位として選んだ結果ではありません。

開拓使による北海道・千島・樺太の地図 が「南を上」にしているのは、図外にある日本本土を意識し、これを上位に置いた結果なのでしょう。
[86778] 2014年 12月 9日(火)19:53:46【1】hmt さん
甲州へ (2)石和温泉
上野原から大月まで乗った電車は、銀色塗装ながら115系でした。
駅前案内所でパンフレットなど見ていたら、富士山を眺めるスポットを教えてくれましたが、雲がありそうだったのでトライせず。

石和温泉駅で下車。駅前に足湯があったので一休みしているうちに白桃さんの姿を見たので声を掛け、ホテルに同行。
珍しくも一番乗りで到着? 受付時間前なので、ホテルの前の温泉通を散策。中央に水路【近津用水】のある真っ直ぐな桜並木の道路ですが、明治40年(1907)の洪水前には 笛吹川の流路だったことを思い、俳句など眺めながら歩きました。

明治40年の洪水が流れ込んだ鵜飼川は、更に古い時代の笛吹川だった時もあったことでしょう。
宿場町の南と北とにある2本の流れ。自然の力は、笛吹川の本流を何度も変えたのでしょうが、大正年間の工事によって、本流は現在の南側に確定したものと理解します。

かつての鵜飼川や鵜飼橋【笛吹市役所付近】の名が示すように、夏には 石和鵜飼 が催されるのですが、船上からでなく鵜匠が水中を歩いて鵜を操る「徒歩鵜(かちう)」なのですね。

温泉湧出は 1961年(昭和36年)とのことですから、この地が温泉地に変貌してから 約50年の歴史です。

くせのないお湯にゆっくり浸かった後は、恒例の一次会。

近況報告の中で私が注目したのは、MasAkaさんが 東京都を通らずに横浜から会場に来たルートでした。
橋本からバスを2本乗り継いで相模湖に出たとのことでしたが、この2本目のバスこそ、96年前に hmtの母が人力車で旅した道[86777]をなぞるものでした。

道志橋[85669]は 川底から橋床まで 100m という高層橋 と説明されています。そして 相模ダム[43001] の堤高は 58.4m。
1918年当時の橋は 道志川・相模川の水面のすぐ上に架けられていたはずですから、人力車はこれだけの深さの谷を降り、そして登らなければならなかったのでした。

宴会の後、会場いっぱいに広げられた自治体パンフレット[86773]は壮観でした。
とても選びきれませんでしたが、いくつかいただきました。後でゆっくり拝見するつもりです。

中国雑技を30分見た後は、これも恒例の二次会です。掘りごたつに座を占めました。
「40問○×クイズ」の中に、キリ番関連の質問がありました。
[30000]【注】をゲットした当人は もちろん覚えていたのですが、質問の意味を誤解したらしく、何故か誤答。
こんな調子で、かなり当てずっぽうに解答。まあ平均的な成績だったようです。
【注】数字の付く島群
この機会に収録洩れの四十島[67135]を記しておきます。

希望者募集に応じて 手を挙げて頂戴したのが、一次会で紹介のあった 富山県作成「環日本海・東アジア諸国図」です。

佐渡市作成による 「東アジア交流地図」 が落書き帳オフ会で紹介されたのは、昨年だったでしょうか。
類似した企画ですが、今年紹介された富山県版の方が先輩で、落書き帳記事 もあります。

富山県と言えば、来年のオフ会開催地の第一候補。hmtは白熱した議論の中で沈没。ごめんなさい。

翌日朝食は和食の膳。揃って朝食は第9回岐阜以来の2度目。

帰路は、JOUTOUさんのクルマに3人が便乗したものの、あまりの好天気に2人は勝沼ぶどう郷駅で下車。
新宿まで送ってもらったのは私だけでした。


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