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[71725] むっくん さん 市区町村変遷情報(長崎県)について
■M22.4.1付け市制町村制施行時 長崎県 長崎市となる従前の村について 西彼杵郡 上長崎村の一部, 下長崎村の一部 の有無
「幕末以降総覧」・・・西彼杵郡 上長崎村の一部, 下長崎村の一部 ともになし
「辞典」・・・西彼杵郡 上長崎村の一部, 下長崎村の一部 ともにあり
ご紹介のM22.3.5付け
(長崎)県令第18号を確認しました。
西彼杵郡 上長崎村の一部, 下長崎村の一部が長崎区に「境界変更」し、同日付けで長崎区が区内の各町とともに新設合併して長崎市として市制町村制を施行したと判断します。
一般的に、「編入」か「境界変更」か、と考えるのは2通りの観点があります。
上長崎村も下長崎村も、この長崎区への一部移動の段階ではまだ存続していることから、両村とも消滅するわけではありません。この観点からは「編入」ではないと考えます。
一方、編入と同じ告示文の中で事実上の境界変更を行う例も、例えば地方自治法下では多いのですが、この場合、告示の表題も「市村の『廃置分合』」であり、事実上の「境界変更」を包含するような表現です(もちろん、単独の「境界変更」は標題も「市村の『境界変更』」)。このような場合、一連の「編入」とみなし、藩政村単位でない境界変更も、合わせて記載しています。同じ告示文中から、境界変更対象の町村名だけを省く不自然さを避けるためであり、大字単位(藩政村単位)の境界変更を編集対象とする原則に対する限定的な例外としての取扱いです。
今回の例では、境界変更はM22.3.5付け
(長崎)県令第18号、廃置分合はM22.3.5付け
(長崎)県令第19号と別の根拠であることから、「境界変更」をした後に「新設/市制」することになります。
[70815]拙稿風に言えば、「境界変更→新設/市制」です。
(同様の事例は、例えば
[66350]拙稿で検討したことがあります。)
ただし、この境界変更の範囲は、ご紹介のM22.3.5付け
(長崎)県令第18号によると、大字単位(藩政村単位)ではなく、もっと小範囲のようです。このため、境界変更の根拠と、廃置分合の根拠とが別であることから、今回の境界変更については
市区町村変遷情報の対象外とし、
長崎市、
西彼杵郡 上長崎村、
西彼杵郡 下長崎村をそのままとしました。
■M22.4.1付け市制町村制施行時 長崎県 西彼杵郡 深堀村となる従前の村の一部について 西彼杵郡 深堀村, 大籠村, 「竿ノ浦村, 土井頸村, 平山村, 蚊焼村」, 香焼村 or 西彼杵郡 深堀村, 大籠村, 香焼村
「幕末以降総覧」・・・西彼杵郡 深堀村, 大籠村, 香焼村
・ | M5に西彼杵郡 深堀村が同郡 大籠村, 竿ノ浦村, 土井頸村, 平山村, 蚊焼村, 香焼村, 高島, 沖ノ島, 伊王島 を編入合併、 |
・ | M13に西彼杵郡深堀村から大籠村, 竿ノ浦村, 土井首村, 平山村, 蚊焼村, 香焼村, 高島村, 沖ノ島村, 伊王島村 が分立(深堀村は存続) |
・ | 土井首村,平山村,竿ノ浦村はM22.4.1付けで合併して土井首村として町村制施行(#M22.3.5付け(長崎)県令第19号では「土井ノ首村」) |
・ | 蚊焼村はM22.4.1付けで布巻村と合併して蚊焼村として町村制施行 |
「辞典」・・・西彼杵郡 深堀村, 大籠村, 香焼村
単なる入力ミスのようです。ご紹介の
(長崎)県令第19号(M22.3.5付け)に従い、
修正しました。
■M22.4.1付け市制町村制施行時 長崎県 南松浦郡 北魚目村, 曽根村が合併して発足する村名について 南松浦郡 魚目村 or 南松浦郡 北魚目村
「総覧」・・・・・・南松浦郡 北魚目村
「幕末以降総覧」・・・南松浦郡 北魚目村
「便覧」・・・・・・南松浦郡 北魚目村
「辞典」・・・南松浦郡 北魚目村(ただし、曽根村の記載はなく北魚目村が単独で市制町村制施行)
単なる入力ミスのようです。ご紹介のM22.3.5付け
(長崎)県令第19号に従い、
修正しました。
■長崎県 西彼杵郡 小榊村 の発足 及び 淵村 の消滅の経緯について
・ | M31.7.1付けで淵村の一部が分立し小榊村が発足、淵村の残余はM31.10.1付けで長崎市と西彼杵郡浦上山里村に分かれて編入し消滅 |
| or |
・ | M31.10.1付けで淵村の一部が長崎市と西彼杵郡浦上山里村に分かれて編入し、淵村の残余が小榊村と改称し淵村が消滅 |
「幕末以降総覧」・・・
・ | M31.7.1付けで淵村の一部(小瀬戸郷, 木鉢郷)が分立し小榊村が発足 |
・ | M31.10.1付けで淵村の一部は長崎市へ境界変更、 |
・ | T9.10.1付けで淵村は長崎市へ編入 |
「辞典」・・・
・ | M31.7.1付けで淵村の一部(小瀬戸郷,木鉢郷,大字神ノ島)が分立し小榊村が発足 |
・ | M31.10.1付けで渕村の一部(竹ノ久保郷,稲佐郷,船津郷,平戸小屋郷,飽ノ浦郷,水ノ浦郷,瀬ノ脇郷,岩瀬道郷,立神郷,西泊郷)を長崎市へ境界変更 |
・ | 同M31.10.1付けで渕村の一部(寺野郷)を西彼杵郡浦上山里村へ境界変更 |
・ | T9.10.1付けで淵村は長崎市へ編入 |
2年半ほど前、
長崎県西彼杵郡淵村の変遷に関する議論がありました。このときには、T9.10.1に長崎市に編入されて消滅するまで存在した、との当初の編集作業についての疑問から起こったものでした。結局、このときには淵村はM31.10.1で長崎市と西彼杵郡浦上山里村に分かれて編入し消滅した、と言う結論でした。もっとも、この時にも、小榊村は登場しましたがその発足経緯は議論対象外でした。
ご紹介のM31.7.22付け
(長崎県)告示第129号を拝見しました。この告示は地番を詳細に記載していることもあって長文なのですが、抜粋すると、M31(1898).10.1付けで
ということのようです。消滅したのは下長崎村、戸町村及び淵村の3村です。(この一覧が、今回のご意見を踏まえての修正後のものでもあります。)
これらは、同告示の末尾にある「財産処分法」の各条文を各市村名に当てはめると(旧字体は新字体に引用者が改めた)、
第一条 | 「全村ヲ廃シ」 | 下長崎村 |
第二条 | 「全村ヲ廃シ市村ニ合併シ及其一部ヲ独立セシムルモノ」 | 戸町村,淵村 |
第三条 | 「村ノ一部ヲ裂キ之ヲ市ニ編入スルモノ」 | 浦上山里村, 上長崎村 |
と判断できることにもよります。
小榊村は、「小瀬戸郷,神ノ島郷,木鉢郷ノ内・・(各字名等列挙)ヲ以テ一村ト為シ小榊村ト称ス」とあること及び上記第二条から、「淵村の一部を長崎市及び浦上山里村へ編入し、残余の淵村を改称して小榊村とした」ではなく、分立によって小榊村が発足した(残余は長崎市及び浦上山里村へ編入し、結果として淵村は消滅した)と判断しました。
これは、
長崎県西彼杵郡淵村の変遷に関する議論の補強にもなったかと思います。
なお、上長崎村の一部の取扱いについては、上述のM22.4.1付けの長崎市発足の件で述べた理由により、逆に記載対象としています。
続きます。