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落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[64972]2008年5月4日
hmt
[65954]2008年8月6日
Issie
[65959]2008年8月7日
油天神山
[65964]2008年8月7日
hmt
[66001]2008年8月11日
Issie

[64972] 2008年 5月 4日(日)19:02:51【1】hmt さん
みかん と 橘
[64969] 伊豆之国 さん
寄居町HPには、「…日本のみかん産地の北限として有名…」と記されています。
茨城県筑波山でもみかんが獲れます。

♪みかんの花が埼玉県[64968] の寄居町風布よりも北にある観光みかん農園は各地にあるようですが、戦国時代に由来する風布(ふっぷ)みかんは、群を抜いた歴史を持つ「北のみかん」なのでしょう。過去記事 参照。

「みかん」と言えば果実ですが、最近話題になった「橘」は、(実も結びますが)香りの高い花や常緑の葉の方が注目されてきた存在です。

♪橘かをる朝風に高く泳ぐや鯉のぼり[64950] まさにシーズンですね。

新宮生まれの詩人・佐藤春夫は、望郷五月歌で次のように歌っています。

あさもよし紀の国の 牟婁の海山
夏みかんたわわに実り 橘の花さくなべに とよもして啼くほととぎす
心してな散らしそ かのよき花を

熊野の山野には自生する橘でしょうが、関東となると 植物園 で見るくらいの存在になってしまいます。
それでも武蔵国に橘樹郡があったのは何故かと思ったら、弟橘媛陵とされる 富士見台古墳 があったからなのですね。

[64960] 淡水魚さん が紹介された田道間守(たぢまもり)の話。66年前に国民学校の国語で習いましたが、改めて 日本書紀巻6 を読んでみました。
(垂仁天皇)九十年の春二月。天皇(すめらみこと)は非時香菓(ときじくのかくのこのみ)の噂を聞き、田道間守を常世国に派遣した。今の橘のことである。
(九十九年天皇崩御の)翌年の春三月。田道間守が遠方から帰還した。橘の果実と樹木とを持参していた。

唐招提寺から近鉄の線路を隔てた北西にある 宝来山古墳 が垂仁天皇陵で、それを取り巻く濠の中の小島が田道間守の墓とされています。

[64964] 伊豆之国 さん
兵庫県豊岡市にある中嶋神社
の「中嶋」とは、大和国にある主君の周濠の中の小島のことでしょう。神社のある但馬国は田道間守の領地でした。

【追記】
田道間守関連資料 をまとめて示したページがあったので補足しました。

地理関係のこの場では、10年間の旅の行先「常世国」がどこなのか知りたいところですが、残念ながら不明。

弟橘媛 の話が記された 日本武尊東征は、次の代の景行天皇40年のことですから、「橘」は当時としては最先端を行く名前だったのかもしれません。

時代は下って奈良時代。[64923] Issie さんがちょっと触れているように「橘」という人物が活躍したことがありました。
宮廷女官の県犬養三千代(光明皇后の母)が賜った「橘」の姓。法隆寺に伝わる「橘夫人厨子」も彼女のものでした。
聖武天皇の天平9年(737)、当時の政府高官の大部分が疫病の流行で死んだ後、三千代の息子である橘諸兄が国政を牛耳ることになりました。
橘氏は「源平藤橘」の一つとして数えられていますが、その栄華は短期間で、橘奈良麻呂の失脚後に「橘」を名乗った有名人は楠木正成くらいのものでしょう。

「橘」そのものは「左近の桜・右近の橘」([64927] かすみ さん)と併称され、日本人にとって人気のある植物です。
向かって左側にあるので、左右を間違えた言い方をした例もみかけますが、もちろん紫宸殿から見て「右」なのです。
# 寄席文字 の家元・橘右近さんは 1995年死去。

近世以来、「橘」は 家紋 としても多用され、1937年制定の 文化勲章 のデザインにも採用されました。
原案は「桜」だったのが、昭和天皇の“文化は永遠”という意見により EVER GREEN の「橘」に変更されたとか。
[65954] 2008年 8月 6日(水)23:45:48Issie さん
Re:塚,冢
[65951] 般若堂そんぴん さん
中国語簡体字・繁体字,双方の入力メソッドで「zhong」と入力すると,「丶のある塚」の方が「冢」よりも早く出てきました.

考えて見れば『中華古漢語字典』は中国語にとっての「古語辞典」であって,現代語に対する資料としては不適切でしたね。そこで,zhong という発音もわかったので『岩波中国語辞典・簡体字版』1990年 を見てみましたが,この程度の大きさの辞書では「塚,冢」のいずれも掲載されず…。
そういえば,「塚」の“音”が「チョウ」だとは知りませんでした。現代日本語でこの漢字を音で読むことはほとんどないですよね。漢文を読むための字書である『新字鑑』には音で読む(四書五経などに出典がある)熟語がいくつか収録されているのですが,現代日本語ではまず用いられない。
現代中国語ではどうなのか。もしかしたら「塚」という文字は事実上,日本語の固有名詞を中国語で表記するため(だけ)に必要な文字だったりして…。
[65959] 2008年 8月 7日(木)11:08:34油天神山 さん
つか(チョウ)
[65953]EMMさん
日本で「冢」の字が使われる事例ってまだあるんでしょうか?

[65954]Issieさん
そういえば,「塚」の“音”が「チョウ」だとは知りませんでした。現代日本語でこの漢字を音で読むことはほとんどないですよね。漢文を読むための字書である『新字鑑』には音で読む(四書五経などに出典がある)熟語がいくつか収録されているのですが,現代日本語ではまず用いられない。

「陪冢(または陪塚、読みは「バイチョウ」または「バイヅカ」)」くらいですかねえ、現在の日本における「冢」の用例、それに「塚」を「チョウ」と読む用例は。

「陪冢・陪塚」とは巨大古墳の周辺に散在する小さな古墳を指します(本当はもっと厳密な定義があるようですが、説明できるほど理解できていないので割愛)。考古学への関心が高い現在でこそ一般の人の目に触れる機会も増えていますが、まあ考古学用語と言っていいでしょう。

この「ばいづか」という重箱読みが私にはどうにも気持ち悪くて、誤用じゃないかとも思ったのですが、調べてみると広辞苑の第1版(1955年)にも「ばいちょう[陪冢・陪塚]」の項の最後に「ばいづか」とありましたから、昨日今日使われだした読みではないようです。
なにしろIssieさんですらご存じなかったという「塚」の音読みですから、知らずに重箱読みをする人は多く、いつしか誤用とは言えないほどに広がったとしても無理からぬことのように思えます。
[65964] 2008年 8月 7日(木)19:18:25hmt さん
土を盛り上げた大きな墓「塚」
[65948] Issie さん
そもそも「塚」という字自体が「丶」の有無にかかわらず「冢」という字(丶がある)の“俗字”であるとのこと。

「冢」は、土を盛り上げた大きな墓の意味ですが、この字を構成要素に分解すると、「ワ冠」と「豕」と「丶」になります。
いけにえの豚(豕)が「丶」で表される「足を縛られた形」で埋められ、その上の「ワ冠」は土で「覆う」ことを示しています。
俗字とされる「塚」は、この土を明示したものです。
なお、「塚」よりも更に大きな墓は、「墳」と呼びます。
「塚」は、一里塚のような、墓以外の土盛りにも使われます。

「冢」の「ワ冠」は、土で盛り上げて「覆う」だけですが、1画多い「ウ冠」になると、建物の「四方に垂れる屋根」の形です。
屋根の下で「豕」を飼っているのが「家」。「冢」とは「丶」の位置が違うだけで、意味はだいぶ変ったようですが、こちらもいけにえを捧げて神霊を祀った建物かもしれません。

中国語の漢字字典である 『中華古漢語字典』1997年で探してみたら,「塚」という字そのものが収録されていません。

中国では1955/12/22に発表された「異字体整理表」により「塚」を使わず「冢」に整理したそうです。諸橋:大漢和辞典13巻1174頁による。

[65954] Issie さん
「塚」の“音”が「チョウ」だとは知りませんでした。現代日本語でこの漢字を音で読むことはほとんどないですよね。

現代日本語における「塚」は、人名・地名で「つか」と読む場合が圧倒的ですが、[65959] 油天神山さん が示された「陪塚」(バイチョウ、[64972]で田道間守の墓をリンク)のほかに、「塚墓(チョウボ)」というような使い方もあります。京都新聞記事

[65946] 鳴子こけし さん  
前報[65962]において、一般の市民・国民の間だけでなく、市当局の内部でさえも、自治体名の表記が不統一になっている現状と それを是認する発言をしましたが、駅名については、自治体の名前以上に当事者まかせと思われます。

駅名標現地確認の結果は、戸塚・東戸塚が旧字体、平塚が常用漢字体で、交通新聞社の「JR時刻表」と一致していたわけですか。

索引地図が基準?それとも駅名標を基準に索引地図を作成しているのでしょうか?

そりゃあ、もちろん現地の駅名標基準でしょう。部外者である交通新聞社の時刻表が基準になるわけはありません。
念のため古いJR時刻表(2004年4月)を見たら、戸塚・東戸塚も「丶」がない常用漢字体を使っていました。

日本国有鉄道時代に編纂された「停車場一覧」は、戸塚駅・平塚駅・宝塚駅共に旧字体B。これは1972年だから当然。
東戸塚駅は、常用漢字表が行なわれた前年の1980年開業。
JR東日本HPJR西日本HP 共に常用漢字体C を使っていますね。
「会社として」の使い方、「それぞれの駅の現場として」の使い方、それらが統一されているようには思われません。

要するに、「丶」のある旧字体B も「丶」のない常用漢字体C も“同じ字”で誤認混同のおそれはないから、そんな違いを気にする必要はないということだと思います。
[66001] 2008年 8月 11日(月)21:39:13【1】Issie さん
音で読めない漢字
「塚」の話題は,そろそろ終息に向かっているのでしょうかね。

[65959] 油天神山 さん
「陪冢・陪塚」

やはり,思いきり“専門用語”でしょうねぇ。
「バイづか」という重箱読みは,たとえば,「埼京」について「さいキョウ」と(奇妙な)湯桶読みをするのと同じ気持ちかもしれません。音の「キ」よりも「さいたま」の「埼」というイメージが強い(本来の訓は「さき」なのだが)のと同じように,「塚」は「つか」としか読めないのでしょうね。

そこで以下,「俺が基準!」という,思いきり恣意的な話。

地名や人名(姓)に多用されているのに,音の読み方がわからない,という字に「尻」という字があります。
つい,「ケツ」と読んでしまいたくなりますが(下品!),本当の音は「コウ」。右下のパーツである「九」が“音符”なのですね。でも,この字を「コウ」と読むのを私は聞いたことがない。
[65948] で触れた『新字鑑』でさえ,「礼記」や「楚辞」で単独で使われている用例(免去尻。其尻安在。…この場合は「しり」と訓読するのか)ほかに,音で読む熟語としては「尻坐」(コウザ:うづくまりすわる。尻をすゑて坐す。)という語が収録されているのみで,後は「しり」と読む和製熟語(尻切,尻取,尻押,尻馬,尻鞘)が載っているのみです。
「しり」と読む例は,おびただしく存在するのですけどね。

もう1つ,「弥」。
こちらは,「弥縫策(びぼうさく)」なんて単語もあるし,何より,「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」,「阿弥陀仏(あみだぶつ)」,「須弥山(しゅみせん)」などなど,仏教関係では「ミ」と読むおなじみの文字で,仏教系ないし修験道系の地名でも「弥山(みせん)」などというのが多くあるのですが,でもそのフィールドを離れると,とたんに「み」と読めなくなるような気がします。
「弥右衛門」とか「弥次喜多」などといった用例があるせいで,「や」が音だと思ってしまうのですね。本来は「いや」「いよよ」「いよいよ」という純粋和語の“縮約形”で,まぎれもない訓なのですが。
「弥栄」は,普通名詞としては「いやさか」と読み,地名としてもそのように読ませるか,あるいは「やさか」と縮約形で読む例が多いのですが,相模原ではこれを「やエイ」と湯桶読みで読ませます。
相模原の「弥栄」については,戦時中(1943年)にこの地に陸軍機甲整備学校(戦後,米軍キャンプ淵野辺を経て,現淵野辺公園ほか)が進出した頃,その“門前”に当たる 大字上溝 の一部に「弥栄荘:やえいそう」という字名が起立していますから,「やえい」という湯桶読みは少なくともその頃から行われていたようです。
でもこれを湯桶読みとは思わずに,普通の熟語と考えて「や」を音と思いたくなってしまうのですね。


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