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落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[67578]2008年12月12日
hmt
[67593]2008年12月14日
EMM
[67605]2008年12月15日
みのる
[67606]2008年12月15日
EMM
[71580]2009年8月10日
hmt

[67578] 2008年 12月 12日(金)23:20:52【1】hmt さん
まだスイッチバック
急にスイッチバックの話題が盛り上がったので、尻馬に乗って。

きっかけになった石北線では該当するものはありませんが、やはり正統的なスイッチバックと言えば、[67572] N-H さんが説明された第1のタイプ、すなわちジグザグ運転で斜面を昇り降りするものでしょう。

自動車の場合は、鉄道よりも急な坂を登ることができ、急カーブも曲がれるので、ヘアピンカーブで斜面を克服することはあっても、道路上でスイッチバック運転を必要とする場合は稀なようです。
米沢市の 姥湯温泉の紹介文には、
途中の道路はスイッチバックでの上り下りが必要なめずらしい道路です。
とありました。

大平台のあたりで3回のスイッチバックをする 箱根登山鉄道。この落書き帳の中で登場したのは、意外にも今回のN-H さんの記事が初めてだったようです。

普通の鉄道ではありませんが、立山砂防工事専用軌道。落書き帳の過去記事 [3277][18054] 深海魚さん他 にも登場するのですが、なぜかスイッチバックには言及されていません。
高低差約200mを一気に登る 樺平の連続 18段 を含め、戦後に整備された部分を含めて全部で 38段(文化庁の資料では42段)のスイッチバックとか。

昭和初期に開通してから 80年近くも維持・使用されているこの施設。その歴史的価値が評価され、2005年の文化財保護法改正により導入された「登録記念物」遺跡関係として、2006/7/28全国で初めて登録されました。

[61395] むっくん さんで言及されている2007年9月の 「立山・黒部」世界遺産暫定一覧表記載資産候補への提案書 からpdf資料を開くと、9/28や17/28にこの立山砂防軌道に関係する記載があります。

100年前の小型蒸気機関車が、数箇所のスイッチバックやループ線を使いながら、道路沿いにヒマラヤを登る ダージリン・ヒマラヤ鉄道 のような世界遺産になれるのか?

その前に、まず国内での審査を通って、暫定一覧表記載資産(現在8件) の仲間入りをする必要がありますが。

[67571] 木次線ですね。間に合えば誤記訂正をお願いします。>ペーロケ さん
[67593] 2008年 12月 14日(日)14:08:47【3】EMM さん
スイッチバック・自己フォローなど
[67574]は昼休みの短い時間の間でまとめたものですが、時間がなかっただけにせっかく見つけた参考サイトを生かし切れてません。
具体的には、桑ノ原信号場・羽尾信号場・旧関山駅に関する部分についてI love Switch Backを参考にしているのですが、反映しきれなかった部分がしっかりありました。昼休みがもう10分あれば…

[67575]Issieさん
二本木駅の貨物取扱に関する話は参考サイト中にもありました。そこまで読むことができたのは半日後…。
篠ノ井線乗車に関する話は、[67574]を書き出した時点では特急乗車の時の話だけで書いていたのですが、途中で「あれ?そう言えば鈍行に乗っていた時に特急をやり過ごしてなかったっけ?」というのが頭に浮かんできて、どっちが真の初体験だったか分からなくなったので併記して書いてあります。
いずれにしても、篠ノ井線を通った時まで3のグループのような運用をするスイッチバックが存在することを知らなかった、と言うことです。
子供向けの鉄道の本ではスイッチバックは「急勾配をクリアする為の方法」として紹介されていることは多いですが、「斜面にフラットな形で駅・行き違い施設を作るための方法」として取り上げられている事はあんまり無かったような気がします。
その事と、大学受験まで鉄道になる機会が皆無と言っていいぐらい無かったことが篠ノ井線での経験に繋がっております。

[67578] hmtさん
普通の鉄道ではありませんが、立山砂防工事専用軌道。落書き帳の過去記事 [3277][18054] 深海魚さん他 にも登場するのですが、なぜかスイッチバックには言及されていません。
高低差約200mを一気に登る 樺平の連続 18段 を含め、戦後に整備された部分を含めて全部で 38段(文化庁の資料では42段)のスイッチバックとか。
[67574]を書いている時に初めて存在を知りました。隣県にこんなすごいものがあったとわ。
ちなみに、[3277]深海魚[雑魚]さんの記事中で
隣接の資料館見学を前提に、抽選に
当ると、工事見学ツアーの名目で乗車が認められる場合もあるそうで、是非試して見たいところ。
とありましたが、wikipedhiaによると2006年までは抽選の応募要項に「富山県在住者に限る」という非情な項目があったようです。
2007年からこの制限は撤廃されたようですが、2006年で抽選の倍率は約2倍~5倍であり、応募の制限撤廃により抽選倍率が上がっている可能性がありそうです。
しかも、荒天中止。やはりハードルは高いようで。
興味のある方は立山カルデラ砂防博物館HPをご参照ください。
せっかく近いんだから、来年に応募してみようかな…

[67584] YASUさん
今年7月5日に「スイッチバック街道惜別羽尾号」という列車が運転されました。
その翌日、羽尾信号場は廃止されたようです。現在では線路は残っていますが、架線は撤去されてしまいました。
[67574]を書いた際には参考サイトやその他の検索で出てきたサイトの記述が入り乱れていたので「休止?廃止?」と書きましたが、wikipediaに架線撤去の話が書かれていました。
記念列車運行が今年7月、架線撤去が9月と言うことで、関係サイトでもまだ十二分に反映され切れていないようです。

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クイズの正解発表でもあるオフ会レポートを下書きしたところ、4泊5日でしかもかなり欲張った日程であった事から恐ろしく長大なものになってしまいました。
なので、文章を圧縮するかどうか思案中。でも、文章を圧縮しようとするとまた時間がかかるし…
ああ、そう言えば写真もまだ整理できて無い。


※追記
本稿を書くにあたり参考にしたwikipediaの記事は、立山砂防工事専用軌道見学の応募の条件緩和に関する記述が十分でなかったようです。
詳細は[67605]みのるさんの記事をご参照ください。
[67605] 2008年 12月 15日(月)07:43:29みのる さん
立山砂防軌道への長い道のり
このところスイッチバックに関する話題が続いているようですが、EMMさんの[67593]に反応して立山砂防軌道についてつらつら書かせていただこうと思います。

まずは一般人が砂防軌道に乗ることができる唯一のチャンスである「立山カルデラ砂防体験学習会」ですが、毎年夏季に30回程度が実施されています。EMMさんが参照されたwikipediaの記述は少々説明不足でして、富山県在住者に限るという条件がなくなったのは1998年のこと。ただし、この年オープンした立山カルデラ砂防博物館の見学歴があることが新たな条件となりました。具体的には博物館の入館券に応募券がついており、これを所定の応募ハガキに貼る必要がありました。つまり応募のためには最低一度は立山へ行かなくてはならなかったわけで、依然としてハードルが高いものでした。
私などは一時、本気で富山県に移住しようかと考えたほどこの軌道に乗りたいと熱望していたのですが、博物館オープンを記念して「訓練軌道」に乗れるというイベントが実施されると聞き及んで開館初日に行ってきました。訓練軌道は延長800mほどと短いものですが、使用される車両は「本線」と全く同じものであり、途中には2段のスイッチバックも設けられているので砂防軌道の雰囲気を手軽に味わうことができました。
とはいえ、これで満足できるわけもなく、むしろますます本線に乗りたいという欲求が強くなりました。応募券も入手できたのでさっそく翌年の体験学習会に応募したものの、高倍率の前にあえなく落選という結果に終わったのでした。

それから数年、ついに博物館見学歴という条件も撤廃されました。正確な年次がわかりませんが、2003年あたりだったかと思います。応募方法もハガキのほかにネット経由が可能になり、1シーズンに何回でも応募できるなど、それまでより格段にハードルが低くなりました。
私が応募したのは2006年。博物館のwebサイトにある応募用ページには前年の開催日ごとの倍率が載っており、それによると7月の実施分が最も低倍率で2.5倍程度、お盆休みや紅葉シーズンと重なる8月中旬や10月中旬の実施分が4~5倍という数値です。そこで7月実施の2回分に応募したところあっさりと第2希望に当選。ついに砂防軌道に乗るチャンスを得たのです!
……が、この見学会は「雨天中止」なのです。ただでさえ土砂が崩落しやすいエリアだけに、ちょっとした雨でも安全最優先で中止の決定が下されます。聞くところによると前日午前発表の天気予報で降水確率が60%以上だと中止で、年間の実施率は66%前後。せっかく当選しても3分の1という高確率で中止の可能性があり、中止になっても代替日などの救済措置はありませんからまた応募からやり直しです。
かくして、喜び勇んで在住地の千葉県から前日に富山入りしたというのに、なんとそこで中止が決定。失意のうちに帰途についたのでした。

翌2007年、今度は比較的倍率が低く、かつ梅雨明け後の8月上旬に狙いを絞って応募したところ運良く当選! やっとのことで十数年来の夢をかなえ、実施当日を迎えたのでした。

体験学習会1回あたりの参加人員は40人で、現地では2班に分かれて行動します。1班は「往路バス・復路軌道」、2班はその逆となっており、これは応募の際に選択可能です。私は希望を出さずにいたら1班に組み入れられました。
まずは博物館で砂防に関する簡単なレクチャーを受けたのち、マイクロバスで有峰林道を経由して、通常は立ち入りを禁じられているエリアに突入。六九谷展望台、湯川砂防堰堤、立山温泉跡地(ここでお弁当)、泥鰌池、白岩下流展望台などをめぐります。
これらのダイナミックな山岳風景はまさしく絶景と呼ぶにふさわしく、一見の価値があります。明治以来いまだに砂防工事が進行しており、しかもいつ終わるとも知れないことは予備知識として知ってはいても、その途方もない規模の大きさを目の当たりにするとしばし言葉を失います。そもそもこの体験学習会は軌道に乗るのがメインではなく、砂防工事への理解を深めるのが第一義なわけですが、眼前に広がる迫力ある光景を前にすると、たとえここで軌道に乗れないまま引き返すことになったとしても悔いはないな~とさえ思えるほどでした。

さて、水谷連絡所からはお待ちかねの砂防軌道です。わずか18kmの道のりですが多数のスイッチバックがあり、所要1時間45分と乗りごたえはバッチリ。ボランティアガイドさんが解説してくれるほか、見どころでの一時停止もあります。編成はディーゼル機関車+6人乗りの客車3両という陣容。乗ってみると意外にスピードが速いのですが、それより驚かされるのがスイッチバックの切り返しの素早さです。行き止まりに突っ込んだかと思ったら一瞬だけ停止してすぐにバック。次の行き止まりに突っ込んだらまた一瞬だけ停止してすぐに前進。なんだか鉄道模型を操作しているような感覚で前進後進を繰り返します。有名な樺平の18段スイッチバックでは眼下にジグザグのレールを見下ろしますが、木々が生い茂っているのと列車のスピードが速いのとで撮影はなかなか困難です。
千寿ケ原に到着したところで体験学習会は終了です。

ということで、だらだら長文をしたためてしまい恐縮ですが、鉄道好きのみならず地理好きな皆さんにぜひとも体験学習会への参加をお勧めします。砂防軌道にこだわらなければバスだけのコースもあり、こちらは先着順ですから難なく参加できます。

なお、このエリアでは関西電力の見学ルートも人気があります。黒部ダムを出発して、トンネルバス→インクライン→黒部川第四発電所→上部軌道を経由して黒部峡谷鉄道の欅平に至るコース(逆もあり)です。
私は2005年に参加しましたがこちらも倍率は3倍前後。見学会開始当初は30~40倍というすさまじい状況だったことを考えると難易度は高くありません。参加される際には事前に吉村昭の「高熱隧道」を一読しておくとより深い感動を得られることと思います。
[67606] 2008年 12月 15日(月)12:56:24EMM さん
Re:[67605]
[67605] みのるさん
EMMさんが参照されたwikipediaの記述は少々説明不足でして、富山県在住者に限るという条件がなくなったのは1998年のこと。ただし、この年オープンした立山カルデラ砂防博物館の見学歴があることが新たな条件となりました。具体的には博物館の入館券に応募券がついており、これを所定の応募ハガキに貼る必要がありました。つまり応募のためには最低一度は立山へ行かなくてはならなかったわけで、依然としてハードルが高いものでした。
なるほど、本当は段階を踏んで条件緩和されていったのに、wikipediaでは最終的な年度のみ書いてある…と言うことですね。
[67574]を書くときはwikipediaだけでは心許なかったので時間が無いなりに他のサイトを探して付き合わせをしたのですが、[67593]ではその作業をはしょってしまいました。
今から書き換えるのもよろしくないんで、追記で注釈をつけておきます。

関電の見学ルートも併せて、機会を見て応募してみよう…
[71580] 2009年 8月 10日(月)17:22:44【1】hmt さん
山が動く!
土井たか子さんが 「山が動いた」と語ったのは、1989年の参議院選挙の結果でしたが、タイトルは選挙とは無関係。

[71550] Issie さん
1911(明治44)年に大崩壊を起こして土石流が当時の北小谷村の中心部を埋め尽くし,姫川を流れ下って糸魚川にまで甚大な被害を及ぼした稗田山

孫子の「動かざること山の如し」は、軍隊の進退に関係した「たとえ」ですが、時には山が動いて大災害を引き起こします。

独立行政法人防災科学技術研究所防災システム研究センターHP内には、既往斜面災害の発生状況一覧表 があります。
地すべりの誘引としては降雨が最も多いようですが、歴史的に名を残す 大規模な山崩れ の原因は、地震が目立っています。

火山噴火も 山崩れを起こします。近年では セント・ヘレンズ山の大噴火(1980)の際にも 山頂付近の山体が崩壊し、2950mだった標高は500mも低くなりました。

稗田山崩れの23年前の明治21年(1888)には、磐梯山で大規模な水蒸気爆発があり、小磐梯山の山頂を含む北側が崩壊しました。岩屑流は山麓の村落を埋没し、桧原湖、秋元湖などを生じました。死者461名。[23960]の45

更に1世紀前の18世紀末には、肥前国雲仙普賢岳の噴火が眉山の山体崩壊→島原湾への落下→肥後国の津波災害という連鎖(島原大変・肥後迷惑)を引き起こしました [23960]の95。
迷惑なことではありますが、肥前と肥後との密接な関係を示しています[9212]

では、98年前の夏に、姫川支流浦川の上流に位置する稗田山で起きた山崩れの引き金は何だったのか?
これが「不明」なんですね。豪雨でも地震でもなく、突然襲った大災害。

以下は 山川事務所のサイト による状況です。 1911年8月8日、全山 地すべりだらけ と言ってもいいこの地帯で大きな崩壊が発生。流出した崩壊土砂は姫川本川を塞き止め天然ダムを形成。そして4日後には、怖れていたとおり天然ダムが決壊して、下流の集落を押し流した。天然ダムは翌年にも決壊。

この稗田山崩れは、「三大○○」を集めたサイトの 自然の部 に、「日本三大崩壊地」の一つとして集録されていました。
静岡県安倍川上流の大谷崩れもその仲間で、山川事務所 によると、
この三大崩壊とやら、M田先生が若い頃、論文を書いておられます。M田先生、自分で言い出したんじゃ.....まさかね。

もちろん、「三大○○」は 落書き帳の話題 になっています。

後回しになりましたが、日本三大崩壊地の筆頭が 鳶(とんび)崩れ
安政5年の飛越地震により、立山カルデラ稜線の大鳶山と小鳶山が大崩壊して消滅しました。

立山カルデラ は、この鳶崩れに代表されるような崩壊・浸食作用により拡大してきた地形で、浸食カルデラと呼ばれます。
立山カルデラの中には、全部流出したら富山平野を埋没させてしまうほどの大量の土砂が溜まっており、かつての常願寺川は、流出する土砂が原因で洪水氾濫を繰り返す「日本一の暴れ川」でした。

明治39年に富山県の手で立山カルデラ内の砂防工事が開始されましたが、自然の猛威は 県の手には負えないレベルで、大正15年(1926)から国の直轄工事に移管され、以後 70年間に最高の砂防技術による施設が設けられた結果、ようやく災害がなくなりました。
砂防工事は現在でも継続しています。

昨年末に 立山砂防工事専用軌道 のスイッチバック(地図 )を話題にしたことがありますが、これは「山が動いた」後始末工事の 資材と人員輸送 を目的とした施設だったのでした。


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