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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[79563]2011年10月26日
hmt
[84569]2013年12月23日
hmt
[85278]2014年4月16日
hmt
[87833]2015年5月19日
hmt

[79563] 2011年 10月 26日(水)17:52:49hmt さん
「旧富山市」と「富山市」との違い 人口密度から見る変遷
[79560] むっくん さん
富山市市域の変遷(現在はリンク切れで、同種の別の年度のものがGoogleキャッシュにある。)

付けていただいたリンクを開いてみると、タイトルに「旧富山市」とあります。
「富山市」は 2005年4月1日に新設合併で生まれた自治体であり、その前に存在したのは「旧富山市」。
ごもっともですが、これによって「旧富山市」時代のHPに掲載されていた変遷資料が消えてしまったのですね。

そういえば、「旧富山市」の中核市指定も、新設合併により一旦キャンセルされ、現在の「富山市」が改めて指定されたのでした[53889]

旧富山市の推移表を見ていて実感したことは、市制施行当初の面積が 1.91km2と極めて小さかったことです。
市制町村制理由 には次のように記されています。(右頁13~14行、19行)
然れども都会の地に至ては 大に人情風俗を異にし 経済上自ら差別あり。故に之を分離して 別に市制を建て 機関の組織及び行政監督の例を異にせり。【中略】
今此市制を施行せんとするものは三府其他人口凡二万五千以上の市街地に在りとす。

「市」になる区域は、一般の町村区域とは人情風俗経済力が異なる「市街地」に限られていたわけです。
桜谷村が明治42年、大正6年、大正9年と3回に分けて段階的に富山市に編入されたのは、市街地化の実情に合わせたものだったのでしょう。
これにより富山市の面積は5km2を越えましたが、まだまだ限られ市域であり、人口密度も1万人/km2を越えていました。

大正末年の 東呉羽村編入 により 面積は倍増し、人口密度も6千人/km2になりましたが、富山市域が 一気に市街地でない地域に広がったのは、戦時色が濃厚になった 昭和15年の 9町村編入 であったと思われます。
この戦時合併により 2000人/km2を割った人口密度は、戦後も一時を除いて 1500人/km2前後を維持したまま 21世紀になりました。

そして迎えた 平成の大合併。ここで 富山市の面積は、200km2余から一気に約6倍に拡大。
これに伴い、人口密度は約 340人/km2と、日本全国平均を下回ることになりました。

平成の大合併は、確かに新設合併の名に値する大変化でした。
それは「市部は町村部と異なる都会である」という 明治以来 叩き込まれてきた先入観念を 破壊しました。

最新のデータによる 全国の市の人口密度ランキング の中で、全国の人口密度 343人/km2は、435位のところに来ます。つまり、ここから 786位までの 352市(785市の45%)は全国平均以下の人口密度ということです。
県庁所在都市人口密度をランキング下位から拾うと、山口市 194、盛岡市 336、富山市 338人/km2でした。
[84569] 2013年 12月 23日(月)17:10:21hmt さん
都市部の面積・人口密度
[84564][84576] 白桃 さん
(旧)三本松町の面積が、1.31km2(1935年)。
現在の 全国最小面積自治体(富山県中新川郡舟橋村[80258]) 3.47km2に比べて、昔の町が 小さな面積でまとまっていたことを実感します。

都市の面積と人口密度という視点では、富山市を例として [79563]を書いたことがあります。
これを再読してみると、市制町村制施行により最初に誕生した富山市の面積は 1.91km2。この狭い地域に6万人近い人口が住んでいたわけで、人口密度3万人/km2。
現在の全国市区町村人口密度ランキング上位を占める 23特別区の人口密度でも、大部分は 1万人/km2台であり、2万人を少し超えるのは、豊島区など3区にすぎません。

高層住宅が存在しなかった時代の 町場における 3万人/km2という人口密度の 密集度を想像してみます。
道路・公共施設など非住居用地も必要です。富山には お城があるので、非住居用地は2割では足りないでしょうが、仮に8割を住居地に割り振ると、1人平均8坪です。
しばしば「連たん」という言葉[81990]で表現された 檐(のき)を連ねた木造家屋。1軒の敷地面積を平均 40坪と仮定すると、ここに5人が住む勘定です。

富山市は、明治後期から大正にかけて 隣接して市街地化した村々を編入して面積7km2を越えましたが、市域の人口密度は 37年間1万人/km2を維持していました。
大正15年以後の編入や 新設合併により、市街地に限られていた「市」の性格は次第に変り、平成合併に至りその極に達したことは既報につき省略します。

[79563]が拠り所にした「旧富山市」の人口・面積・人口密度の変遷。振り返ってみると 貴重なデータですが、これを書いた段階でも、Web上では辛うじて残されていた キャッシュが利用できるだけの状況でした。
ふと思いつき、国立国会図書館の WARP [82338]に、このデータが残されていれば 皆さんに直接開示できる可能性があると考えました。以下、試行結果。

WARP で キーワードを 「旧富山市 人口」 と入力します。簡易検索でも出るのですが、詳細検索を使って収集日を「2005年まで」に限定すると、古いデータが選別されます。
すると、9件のトップに 2005/6/8に保存された 旧富山市の統計データ のリストが出ます。
この中から、平成16年富山県統計書を選んでみます。表示されたページ自体は、富山市の1日(平成15年)という内容で、過去データはなく失望するのですが、頭に分野別索引へのリンクがありました。
分野別索引>人口>住民基本台帳人口の推移 とたどると、hyo008.xlsがダウンロードされました。
これが求めていたM22-H15の旧富山市人口リストで、面積欄もあり、摘要に廃置分合等も記載されていました。

すべての市町村でうまくゆく というわけではありませんが、新設合併により現自治体のサイトから消えてしまった旧自治体データを、このような形で発掘することができる場合もある という一例として紹介しました。
[85278] 2014年 4月 16日(水)19:52:05hmt さん
「市」になる要件
[85269] Shouta さん
【人口10万人を超えていた町が】なぜ市にならなかったのか疑問
[85271] 白桃 さん
ざっくりいえば、人口要件以外に都市的要素(中略)を満たしてはいなければならない

Shouta さん はじめまして。hmtマガジンの特集 市と町の違い を編集した hmt です。
この特集や、アーカイブズ 「市」になる要件 の記事をお読みになれば、「市」になるためには人口以外の要件を満たすことが必要であることがお分かりになることと思います。
この記事では 法令に記された要件や その解釈という観点から、少々フォローしておきます。

現在の地方自治法は、その第八条第一項で 市となるべき自治体が具えるべき要件を規定しています。
そこには、5万以上という人口要件(第一号)に加えて、中心市街地要件(第二号、しばしば連たん要件と呼ばれる)・業態要件(第三号)・都市的施設要件(第四号)が求められています。後の3要件は都市要件と総括してもよいでしょう。

今回のような戦前【正確に言えば、地方自治法施行前】の話になると、法律も変りますが、前記マガジンの特集に収録された むっくん さん の記事3件を参照すると、制度の変遷がわかります。
基本になるのは、「市」という制度を誕生させるにあたり明治21年に制定された 「市制町村制理由」の記載[62749]です。リンク文書右頁19行。
今此市制を施行せんとするものは三府其外人口凡二万五千以上の市街地に在りとす

数字や、具体的な都市要件など細かい規定の違いはありますが、基本的に 人口と市街地、この2つを要件とするという考え方は、現行法の 人口要件と都市要件 に引き継がれていることがわかります。

1930年当時に施行されていた 明治44年市制 という法律の第1条に記された“市は従来の区域に依る”も、明治21年の法律の基本的な考え方を踏襲する方針を示しています。

昭和戦前(1930年頃)の「市」は、建前上は この 明治時代に決めた制度から 変っていません。
しかし、日本の産業構造は 19世紀から20世紀へと変化しており、「市」の範囲にも 本来の市街地に加えて周辺部が加わり、広域の市域が形成されつつありました。[79563]で示した人口密度から見た旧富山市の変遷は、その実例です。
M22-H15の旧富山市人口リストは、リンクが切れていますが、WARPを辿れば、到達することができます[84569]

富山市の事例は、「市」の範囲が 「市制町村制理由」に記された“市街地”そのものだけではなく、市街地を核とする 都市圏 へと拡大したことを示しています。
つまり、昔ながらの“人口2万5千以上の市街地”は“市の核”として必要ではあるが、その周辺には市街地でない郊外部を含むことが 許容されるようになりました。

本来ならば このような実態をふまえて、法律「市制」を改正すべきであったと思われます。
しかし、実際には 都市要件を成文化した規定は、ずっと後の 昭和18年内務省発地第三六號 市制施行詮議内規[83139] として現れています。
人口5万人以上で都市的形態を具備するものと認められること
そして、これが現行法の第8条第1項第1号(人口要件)と第2~4号(都市要件)の起源と思われます。

関東大震災後の人口急増で出現した荏原町[83708] 等の新興住宅地の自治体。
これが「市」になれるのか? という問題に戻ります。
郊外にできた住宅地は、あくまでも東京都市圏の一部にすぎない存在である。市の中心市街地たる“核”が東京都心と 別個に存在するとは認められない。これが荏原市否定論の根拠でしょう。
渋谷になると、単独で市になる構想もあった[35674]ようです。
しかし、誕生後2年で京都市に編入された伏見市(1929-1931)のように、現実的ではありません。

1930年当時 東京市の周辺にあった 東京府5郡の町村が 「市」にならなかった【なれなかった】理由は、法律・市制の下での「市」という存在の捉え方に起因するのだと思います。

[64148]では「中心市街地」について記しました。
しかし、その捉え方は法律・市制の時代(戦前)と現在とでは変化しているようです。

背景が東京市の周辺町村とは異なりますが、1941年に大規模な戦時合併で誕生した相模原町。
この町は、中心市街地を欠く という理由で 「市」になることができませんでした[64153]
その後も 中心市街地がどこなのかは 定かでない状態が続いていたと思いますが、とにかく昭和大合併時代の 1954年には「相模原市」が誕生しました。

この間には 法律も 市制から地方自治法へ と変り、相模原町自体の発展もありました。
しかし、決定的に変ったのは、「都市圏の中心市街地」についての要求だったのではないでしょうか。
戦前・戦中までは市に対して厳しく求められた 都市要件が 戦後の政策変化により緩和されました。
平成合併では、平成17年施行の合併新法第7条で、一時的とはいえ都市要件が不要になった時代もありました 参考資料
これは極端な緩和の事例です。しかし、それよりもずっと前の昭和合併の時代から 匙加減により都市要件の緩和は進められてきました。そして、これにより多くの市が生み出されたものと思われます。
[87833] 2015年 5月 19日(火)15:50:15hmt さん
市部・郡部
都道府県データランキング 市部・郡部 の人口・面積が、最近更新されていました。
市部・郡部は、[83145]で発表された最古参 11テーマに入っていたのですね。

今更言うまでもないことですが、「市部・郡部」の区別は市制町村制施行の明治22年(1889)に始まりました。
当初は市の数が少なかっただけでなく、各市の領域は 極めて狭い範囲の市街地に限られていました。
例えば富山市の面積は 僅か 1.91km2でした[79563]。現在は 650倍の 1241.77km2です。
国土の大部分は「郡部」で占められており、「市部」は 狭いながらも 国土の中で特別な地であると認識されていたのでしょう。

「郡部」という言葉が一般に使われていた実例として、名古屋鉄道のサイトから大正元年(1912)の犬山線開通の記事を示しておきます。
名古屋電気鉄道は、名古屋市内線の拡充を進めると共に、最初の郡部線を開通させたことが記されています。
市街地内の交通機関としてスタートした電車が 郊外電車に進化して 市内線にも直通し、頻繁運転の恩恵が郡部に及び始めた。
「郡部線」という言葉は、電化した鉄道により農村地帯だった郡部が近代化してゆく様子を表していたようです。

やがて大正9年(1920)から始まった国勢調査。
国勢調査の集計には、当然のように市部・郡部という区分が使われました。
それから1世紀近くを経過した現在、市部・郡部の区分は本来の意味を失いつつあります[538]
世間使われることがめっきり減った「市部・郡部」ですが、国勢調査を拠り所として生き延びています。

時代は移り、日本全国を 黄色い「市部」で塗りまくった印象のある 平成の大合併
それでも、2010年国勢調査によると、国土面積の約43%は「郡部」だったのでした。但し郡部人口は 9.3%へと激減し、その後も減り続けています。

ここまで、郡部と市部で国土が二分されているような書き方をしました。実は 郡でも市でもない土地 があります。
ご存知、東京都の特別区。これは市部として扱われています。昔は東京市でした。
もう一つは、これも東京都の島嶼部。伊豆国時代から郡のない地域でした。[24190]
現在は大島・三宅・八丈・小笠原の4支庁管内で 郡部扱い。

市部・郡部の集計で もう一つ注意が必要なのが 所属未定地など[67286]の扱いです。
東京都の場合、中防外側4.82km2、中防内側1.96km2、荒川河口部1.12km2、合計7.9km2は、23区の何れにも属していませんが、特別区内です。
つまり、特別区の面積は23区の合計618.8km2に この値を加えた 626.7km2です。
これに26市の面積784.2km2を加えた1410.9km2が東京都の市部面積になります。

市区町村プロフィール東京都に掲載された面積は、国土地理院面積調H26に基づく上記計算と合っています。
しかし、最初に引用した都道府県データランキングの面積は数値が違います。所属境界未定地面積を市部に重複算入?
修正をご検討ください。>グリグリさん


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