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落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[79942]2012年1月4日
Issie
[79961]2012年1月5日
hmt
[80049]2012年1月10日
JOUTOU
[80065]2012年1月10日
hmt
[80080]2012年1月12日
faith
[80182]2012年1月22日
グリグリ
[80183]2012年1月22日
みかちゅう
[80215]2012年1月27日
hmt

[79942] 2012年 1月 4日(水)21:58:41Issie さん
山手線に新駅
…という ニュース が流れています。本質的には関東ローカルですが,全国ニュースなんでしょうかね。
山手線の中で最も駅間距離の長い 品川-田町間 というわけで,厳密には「山手線」(品川-新宿-田端)ではなく「東海道本線」(東京-神戸)の駅なのですが,“普通の人”の感覚ではグルリと一周する“山手線の駅”でいいのでしょう。読売新聞の記事では「並走する京浜東北線も停車する」なんて書かれています。

これは,新幹線用地への流用で分断された「東北本線」の東京-上野連絡汽車線を復活させて,東海道の湘南電車と東北(宇都宮)・高崎線の中距離電車をスルー化する事業の一環で,田町-品川間に広がる車両基地が不要になるのでここを再開発するのに関連した計画なのだとか。
記事に添付された写真によると,品川-田町間の線路全体を海側(新幹線側)に移転して再開発用地を生み出すものであるようです。実はこの区間は1872(明治5)年の最初の鉄道開業に際して陸上の用地を確保できなかったために“海の上に土手を作って”その上を通した区間です。今ではその痕跡はほとんど消えているのですが,このルート自体が歴史的な遺跡。
だから,このルートが変わってしまうのは鉄道史上の事件かもしれません。

※ちなみにもう1つの“海上区間”である 神奈川-高島町間 は,関東大震災後の1928(昭和3)年に横浜駅が“3代目”として2代目の高島町付近から現在位置に移転した際に,やや西に移設されました。現在の京浜東北・根岸線と箱根駅伝のルートにもなっている国道1号線にはさまれた 万里橋 を通る道路がかつての“海上鉄路”です。

もう1つ,鉄道史上のできごとになると思われるのは,これで上野駅の地位が決定的に下がってしまうであろうこと。
すでに昼間の長距離列車のほとんどが新幹線に移転してしまった今,8~9割方中距離電車のターミナルとなっている上野駅は,その中距離電車が東京・湘南方面へスルーしてしまうようになればその役割も失うことになります。恐らく,その頃には「あけぼの」の寿命も尽きているでしょうから(北海道新幹線の開業で並行在来線が3セク化されれば,「カシオペア」はともかく,既にJRが全く投資を放棄している「北斗星」も微妙),残るは新幹線網から取り残された常磐線の特急「ひたち」だけ。もはや,地平ホームはほとんど必要ないですね。
上野駅も両国駅の運命をたどるのかもしれません。
まさか,完全に消滅した飯田町駅や万世橋駅までは行かないとは思いますが。

とは言え,現行の山手・京浜東北線のルート上に駅を新設するのならともかく,記事に添付の写真の通りにルート変更を伴うのであれば,品川駅の抜本的な改造が必要であり,早ければ来年着工とは言え,そうすぐにできることではないようにも思います。
「山手線31番目の駅」ができるとき,周囲の景観だけでなく,東京近郊の鉄道ネットワークはどのようになっているのでしょうか。

※余談:
先日,すごく久しぶりに八王子駅へ行ったら,駅の南側にあった八王子機関区がなくなって更地になっていたのにとても驚きました。貨物輸送体系の変更や新型機関車の登場で既に八王子駅の役割は大幅に低下していて,その結果だということらしいのですが,今まで当たり前に見慣れていた風景が突然なくなってしまうのはさびしいものです。
[79961] 2012年 1月 5日(木)18:01:30hmt さん
芝浦の新駅
[79942] Issie さん
“普通の人”の感覚ではグルリと一周する“山手線の駅”でいいのでしょう。読売新聞の記事では「並走する京浜東北線も停車する」なんて書かれています。

運賃計算に 「東京山手線内の駅を発着する場合の特例」 と記されています。
もっとも、JR自身によるこの用例は「山手線内の駅」であり、「山手線の駅」ではありません。
「山手線内の駅」は、山手線(品川-新宿-田端)・東北本線の一部(田端-東京)・東海道本線の一部(東京-品川)で構成されるループ線に加えて、ループ線で囲まれた中央本線の一部(神田-代々木)、総武本線の一部(御茶ノ水-秋葉原)に関係する合計 36駅です。昔は「東京電環」という呼び名が使われていました[28537]

運転系統としては、上記のループ線が「山手線」と呼ばれており、乗客への案内にも使われています。
「運転系統としての山手線」に、30番目の駅ができることになります。
1周約 60分に 30駅ですから、大局的には 2分間隔ダイヤで、電車が各駅ごとに居るという形になります。

要するに、「山手線」という言葉は「線路名称」だけでなく、「運転系統としての山手線」や 走っている「山手線の電車」[38388] にも使われ、運賃計算上の用法もあるなど 多義的です。[38397]

読売新聞記事の「並走する京浜東北線も停車する」は、大先輩の「東京横浜間鉄道」[49808]の後身である京浜線電車[39140]に対して礼を失する感もありますが、おそらく 日中の快速も停車する というメッセージを伝えているのでしょう。

陸上の用地を確保できなかったために“海の上に土手を作って”その上を通した区間です。

西南戦争前の陸軍は鉄道の価値を認めておらず、軍事上の要地の高輪に、測量隊が入ることさえ拒否しました。
高輪海岸の土地を手放さない陸軍に対抗した大隈重信の策が、海上鉄路の建設だったそうです。

鹿島の軌跡 にも地図がありますが、フランス式迅速測図 をリンクしておきます。
図の中央でずれている継ぎ目の下に「泉岳寺」があり、その東の海上を鉄道線路が南下して品川の「乗車場」で上陸します。

現在の鉄道は、少し北の「札の辻」【注】の近くで元々の線路から東側に新幹線が離れます。
「東京横浜間鉄道」のルートを引き継いできた在来線も、再開発計画によって 新幹線と並走するように 東にルート変更され(地下の横須賀線は既に東側)、昔の地図だと 泉岳寺海岸の更に沖に 新駅できるのですね。
東京都下水道局芝浦水再生センターの隣接地(港区港南二丁目)で、港区芝浦四丁目にもかかるのかもしれません。駅名としては 著名な地名「芝浦」[42889] が適当なのではないでしょうか。
【注】札の辻
迅速測図では 品川湾[42889]と記載してある付近の交差点です。ここには、江戸時代初期に高札場が設けられましたが、高札場は その後 数百m南の 高輪大木戸に移され、地名だけが残りました。

※ちなみにもう1つの“海上区間”である 神奈川-高島町間
迅速測図 こちらもリンクしておきます。
右の方を見ると、「象の鼻」や不自然な「ずれ」を示す中華街の区画[65179]を 既に見ることができます。
[80049] 2012年 1月 10日(火)09:07:27JOUTOU さん
おめでとうございます
みなさまあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

そして、落書き帳80000記事達成おめでとうございます。


さて、話題の山手線新駅は、新規開業となれば西日暮里駅以来だそうですが、みなさんの様々な書き込みを、まさに“目から鱗”といった感覚で楽しく拝見させていただいております。新駅名についても概ね皆さんと同様の意見ですが、それでも長ったらしい名前だけは避けて欲しいなぁと思っています。

[80031]faithさん
私には単に京浜東北線の駅(ホーム)もできる、と言っているだけに読めました。首都圏の方が見ると、そのようなニュアンスを感じとれるものなのでしょうか。
日中の快速(京浜東北)と各駅停車(山手)への乗り換えの便宜を図るといった意味では、ホームが隣合わせでない品川駅では不便なため、隣接駅(現在は田町)に停車させるといった意味なのではないかと思います。
[80065] 2012年 1月 10日(火)23:35:17【1】hmt さん
東京横浜間鉄道?
[79961] 芝浦の新駅の記事を読み返してみると、“大先輩の「東京横浜間鉄道」”と書いています。
これまで私の頭の中にあったのは、「駅間」を使った「新橋横浜間鉄道」という路線名です。
例えば国立公文書館デジタルアーカイブに 新橋横濱之間鉄道之圖 があります。

リンク先の6年前の記事[49808]により、“首都と開港場とを結ぶ「東京横浜間鉄道」”からのコピペと判明。
引用した明治天皇の勅語にも“東京横浜間ノ鉄道”とあります。
考えてみれば、この鉄道を「都市間鉄道」とするのは正しい認識であり、「東京横浜間鉄道」という表記は、単純な誤記であると片付けられないように感じられます。
そこで、路線名を少し詮索してみました。

改めて調べてみると、明治天皇の御案内役を勤めた 山尾庸三の伝記 に 鉄道開業当時の詳細な経過が記されていました。
これによると、引用した勅語は 横浜ではなく、新橋に戻った後に 東京で行なわれた開通式典で発せられたとあります。
ともかくも、勅語の中に「東京横浜間の鉄道」とあるのは確かなようです。

山尾は鉄道掛を所管する工部省の少輔(次官補?)ですが、この役所では何と呼んでいたのか?
明治5年9月3日工部省無号布達 の「汽車運転之時限並賃金表」には、横浜・神奈川・鶴見・川崎・品川・新橋と6駅が記されていますが、路線名を直接に見出すことができませんでした。
開業当時は、他の路線と区別する必要がないので、路線名なしで当然かもしれません。

しかし、時刻表の下には次のように「駅間」でなく「都市間」で区間を表記した文があります。
九月十日より旅客の列車此表に示す時刻の発着にて日々東京横浜各ステイション間を往復す
手回り荷物は東京横浜の間目方30斤迄は25銭…

明治7年 阪神間鉄道の仮開業 にも路線名の記載はありません。
要するに、正式の路線名が制定されていない明治初期には、「東京横浜間鉄道」「新橋横浜間鉄道」など、適宜に呼んで よかったように思われます。

なお、国有鉄道線路名称 が正式に定められたのは、ずっと後、鉄道国有化2年後の明治42年(1909)でした。

この時に定められたのは、本州 12線(東海道線・北陸線・…・総武線)、四国2線、九州5線、北海道4線で、「東海道線」の部の中に「東海道本線」など6線がありました。「東海道本線」に括弧書きで(新橋神戸間、神奈川横浜程ヶ谷間及び貨物支線)と記されています。

余談ですが、“神奈川横浜程ヶ谷間”とあるのは、神奈川程ヶ谷間直通線【注】が作られる前からあった、横浜駅【桜木町】でスイッチバックする路線[49808]、つまり「トライアングル[49640][49796]の2辺」のことです。
【注】
日清戦争の兵員輸送目的で建設。戦後東海道本線に転用され、17年間使用された。

話を芝浦の新駅[79961]に戻すと、この新駅ができる区間は、現在の線路名称規定でも、この「東海道本線(東京神戸間)」に引き継がれているはずです。
しかし、JR東日本のサイト において隣接駅「田町」を検索すると、“京浜東北線 山手線”と運転系統で表示され、線路名称の東海道本線は出てきません。

“普通の人”の感覚からすれば、ニュースのタイトルが“山手線に新駅”[79942]になるのは、当然のことなのでしょう。
“京浜東北線に新駅”でもよい筈ですが、こちらは少し遠い地域に及ぶ線です。
都心に近い「山手線」の方がより馴染みがある路線ということになります。

路線名の詮索はこれで終り、明治5年(1872)の鉄道開業時のことを少し補足しておきます。

品川横浜間は、旧暦5月7日に仮開業。法令全書
本営業が旧暦9月にずれ込んだ原因は、やはり高輪海岸に海中鉄路を建設しなければならなかったことが、大きかったと思われます。
陸軍[79961]だけでなく、品川湾に軍艦を停泊させる海軍も鉄道敷設に反対でした。
明治4年東京大絵図を見ると、品川ステーションの直前に、八ツ山下海軍用地がありました。
海軍用地が使えないために、ここまでが海上ルートになったのでした。

重陽の節句に予定していた開業式は、暴風雨で3日遅れの旧暦9月12日【太陽暦換算10月14日鉄道記念日】になりました。
引用文にあったように 開業式翌日“九月十日”に予定していた一般旅客相手の本営業開始も、当然3日遅れになりました。
[80080] 2012年 1月 12日(木)01:26:49【1】faith さん
京浜東北線のホーム
[80049] JOUTOU さん

日中の快速(京浜東北)と各駅停車(山手)への乗り換えの便宜を図るといった意味では、ホームが隣合わせでない品川駅では不便なため、隣接駅(現在は田町)に停車させるといった意味なのではないかと思います。

なるほど。そこまでは読み取っておりませんでした。ありがとうございます。
東海道新幹線から品川で下車することが多いのですが、おっしゃるようにこの駅では山手線・京浜東北線が線路別の複々線なので少し不自由に感じています。(山手線、京浜東北線のどちらのホームで待ってもすぐに電車は来るわけですが。)
これもお書きのように、田町では方向別複々線になるのですが、現在の交差位置は新駅予定地の北側にあたるようですね。ただ用地もあるのでこのあたりはなんとでもなるでしょうし、新駅も方向別のホームが作られることでしょう。

※出だしの表現を修正。
[80182] 2012年 1月 22日(日)10:04:51【1】オーナー グリグリ
芝浜
今朝の東京新聞朝刊一面トップ記事がJR山手線の新駅名について。

記事中に出てくる新駅名候補には、「新品川」「芝浦」「泉岳寺」「芝浜」(地元民やマーケティングコンサルの挙げたもの)。Issieさんも推していた「芝浜」は良いかもしれません。芝浦だと既存町名との混乱(浜松町や田町が最寄りの芝浦一丁目や二丁目あたり)があるかもしれません。

記事にはJR東日本の話として「地域に根ざした駅名にすることはよくあるが、JRの既存駅と同名は避け、片仮名やアルファベットが入る名称が選ばれることもあまりない」ともありましたが、その通りになってくれると良いですね。ちなみに既存駅で「芝」の入る駅は以下の13駅です(スナフキんさんのデータを利用)。

横芝よこしば千葉県横芝光町JR東日本 総武本線
芝山千代田しばやまちよだ千葉県芝山町芝山鉄道
芝公園しばこうえん東京都港区東京都営 三田線
竹芝たけしば東京都港区ゆりかもめ東京臨海新交通 臨海線
芝浦ふ頭しばうらふとう東京都港区ゆりかもめ東京臨海新交通 臨海線
新芝浦しんしばうら神奈川県横浜市鶴見区JR東日本 鶴見線(海芝浦支線)
海芝浦うみしばうら神奈川県横浜市鶴見区JR東日本 鶴見線(海芝浦支線)
芝川しばかわ静岡県富士宮市JR東海 身延線
遠州芝本えんしゅうしばもと静岡県浜松市浜北区遠州鉄道 鉄道線
初芝はつしば大阪府堺市東区南海高野線
上野芝うえのしば大阪府堺市西区JR西日本 阪和線
香芝かしば奈良県香芝市JR西日本 和歌山線
琴芝ことしば山口県宇部市JR西日本 宇部線
[80183] 2012年 1月 22日(日)13:26:40みかちゅう さん
山手線の芝浦新駅
[80182]グリグリさん
新駅名候補には、「新品川」「芝浦」「泉岳寺」「芝浜」
どれになるのか予想するのも楽しいものなので、候補をひとつずつ検討していきましょう。

1、「新品川」
既存駅と重複するから「新○○」と命名するというのは古くからある方法ですが、本家の「品川」に新幹線が停車している以上、紛らわしくなる命名はしないはず。
2、「芝浦」
既存の地名から採用するならば無難に思えますが、鶴見線の新芝浦・海芝浦駅との関係が気になるところ。鶴見線のほうはほとんど工場職員専用駅といってもいいほどなので、紛らわしいという心配はしなくても良さそう。開発地区が港区芝浦よりも港南側だというのが障害になるかもしれない。
3、「泉岳寺」
山手線の線路が現在の国道寄りから海寄りに移設され、都営地下鉄・京急の泉岳寺駅からは250m以上離れることになります。地下鉄との乗り換え客はそれなりにいるとは思いますが、あえて同一名称にはしないのではないでしょうか。また、せっかく海側の新駅なのに山のほうにちなんだ駅名は考えにくい。
4、「芝浜」
落語の題名で有名だからこの名前が挙がっているのかもしれませんが、4つの候補の中ではいちばんありそう。開発地区名に突飛な名称がつけられなければ素直な命名に思えます。

いろいろと検討してみましたが、最近の流行からすると開発地区名で駅名も命名されるような気がするんですよね。さいたま新都心、越谷レイクタウン…といったように。
[80215] 2012年 1月 27日(金)23:10:15【1】hmt さん
田町・品川周辺地域 184haを「特定都市再生緊急整備地域」に指定
「山手線に新駅」というお正月ニュースを発端に、話題になった 田町品川間新駅 ですが、政府が 1月20日に発表した「特定都市再生緊急整備地域」に指定されたとのニュースが入っています。

読売新聞にあるように、国際競争力強化【注】のための重点開発地域で、税制支援などがあり、184haが指定されたとのこと。
【注】
国際競争力強化施策については、過去にコンテナターミナルやバルク貨物に関する 国際港湾 の話題でも登場。

今回の一連の動きのきっかけは、 [79942]に示されているように、「中距離電車スルー化事業」→「車両基地用地の再開発」です。そして、田町車両センターの広さは 20haほどで、スルー化に生み出される再開発用地は 約15haとされています。

今回指定された 184haとの違いが気になったので、昨年9月の東京都による 指定申入れ資料 に付けられた 地図 により、指定範囲を確認してみました。
鳥のような形の頭の部分が田町駅周辺です。首から南が車両基地で、品川駅周辺へと続きます。JR関係以外にも、東側の下水処理場、西側のホテル地区が指定地域に含まれていることがわかりました。

なお、指定地域は 東京の4地域を含めて 全国で 11地域あり、2012/1/20 国土交通省発表資料 の添付資料1で見ることができます。

[79942] Issie さん
実はこの区間は1872(明治5)年の最初の鉄道開業に際して陸上の用地を確保できなかったために“海の上に土手を作って”その上を通した区間です。今ではその痕跡はほとんど消えているのですが,このルート自体が歴史的な遺跡。

海上の築堤上を単線で通った『新橋横濱之間鉄道之圖』(地図)は [80065]でリンクしました。
今回紹介するのは、東京都立図書館デジタルライブラリー所載の東京名所写真帖(1913) 品川海岸を走る列車の写真 です。

新橋~品川間は、早くも明治9年(1876)12月に複線化。
列車が走っている上り線よりも手前にある線路は、明治32年12月25日に開通した市街地用ローカル列車専用線で、山手線からはこの線に乗り入れました。
国有化3年後の明治42年(1909)12月16日には 烏森停車場【現在の新橋駅】が開設され、烏森発上野行の山手線は電車運転【赤羽行きは汽車】になりました。

掲載写真には架線が写っておらず、1909年以前の写真であると思われます。
写真集の発行日自体は、京浜間の電車専用線[39140]開通(中央停車場 = 東京駅 開業と同時 1914年)の前年です。

線路の曲り具合から、撮影地は 札の辻付近の海岸と推測しました。
今回の再開発計画によると、京浜東北・山手線の新ルートは、現在の新幹線沿い、つまり札の辻付近から東側に移るとのことなので、この写真では画面背景の海上に出て、そこに新駅ができることになります。
今度できる駅の位置は、海岸を意味する「芝浜」さえも通り越した、正真正銘の「海」(Shinagawa bay[42889])の中だったことを、約100年前の写真で実感した次第です。


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