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[85120] 2014年 2月 20日(木)23:52:59【2】hmt さん
JRの路線名(1)「駅が所属する路線」と「列車の運行系統」
[85111] 白桃さん
いろいろ調べましたら、有楽町駅、田町駅、蒲田駅なんかは「東海道本線の駅」らしいのですが、私はそうではないと思ってました。だって、東海道線各駅停車は、これらの駅には停まることはないのですが・・・

JRの路線名に関するスレッド。この分野では大御所の デスクトップ鉄さん も登場。
この機会に、最も素朴にして かつ的確と思われる 上記の疑問から出発して、私なりに問題点を整理してみます。
JR各社内の取り扱いなど、よくわからない点も多いのですが、皆さんに教えていただき理解を深めたいと思います。

前記の引用文では“東海道本線の駅”と“東海道線各駅停車”とが使われていました。
前者の“東海道本線”は、「駅が所属する路線」を指していました。
後者の“東海道線”は、「列車の運行系統」を指していました。
第1のポイント。駅が所属する路線なのか、列車の運行系統なのか?
第2のポイント。東海道本線なのか、東海道線なのか?

最初に JR東日本のサイト 駅・鉄道/旅行・観光 により、当事者の使い方を調べます。
有楽町駅を検索すると、“所属路線 京浜東北線,山手線”と記され、東海道本線や東海道線に所属するとは記されていません。
また、駅情報検索 を見ると、“路線名 東海道本線 区間 東京~熱海 駅数 21”とあり、東京 新橋 品川…が列挙されています。

JR東日本の旅客に対する案内では、「東海道本線」となっています。
そして、有楽町駅が これに該当しないことから、列車の運行系統の意味 で使われていると理解できます。

では、東海道線という言葉は使われていないのか?
サイト内を検索すると、“東北縦貫線の整備により、…各方面から東海道線東京・新橋・品川方面への直通運転…”のような 鉄道建設プロジェクト の記事がありました。どちらの意味で使われているのか迷います。
また、東海道線新橋駅改良工事の着手について と題する記事もありました。こちらは、明らかに特定の運行系統に関する記事ではなく、新橋駅が所属する路線を指しているものと理解されます。

もちろん、新橋駅の所属する路線は東海道線グループ内の「東海道本線」なのですが、現実には、これを省略して「東海道線」と呼ぶことが多いようです。
正式名称の「東海道線」は、東海道本線の他にも、山手線以下多くの支線を従えた一大グループを意味するのですが、現実には、この正式な使い方がされる例は稀でしょう。

JR東日本サイトの現状から、運行系統の表記は東海道本線であり、東海道線は 駅の所属路線を示すのに 東海道本線の省略形として使われている 可能性が大きいように思われます。

なお、冒頭の[85111]引用部分“東海道線各駅停車”は、JRに従えば おそらく“東海道本線普通列車”になると思いますが、一般人にとっては、運行系統の場合にも「東海道線」という省略形を使うのは、普通のことです。
また、東海道本線の普通列車は、プラットホームが設けられていない 有楽町など多くの駅を通過しますから、“各駅停車”という言葉を使っていないと思います。

このような現状認識を得た上で、制度がどのようになっているのかを検証します。

鉄道国有化よりも少し後の 鉄道院時代に定められた 国有鉄道線路名称 [80065][85118]
これが国鉄時代に「駅が所属する路線」を示す名称の根拠でした。
ここでは、東海道線の部の中に東海道本線・山手線・…福知山線があるという2段階の呼び方を採用しており、東京~神戸間の線路名称の正式な呼び方は、「東海道本線」になります。
そして 運行系統の中で、これに合致しているものは、例えば東京~小田原間の区間列車であっても、これを 東海道本線 と呼ぶことも自然に行なわれます。

一方、東京~横須賀間の列車は、昔から大船を境に東海道本線と横須賀線とを直通していました。現在の東京側は 品鶴線と通称された旧貨物線を使ったり、総武本線と直通する地下線になっていたりと専用の別線になっていますが、昔は東海道本線の列車と同じ線路を共用していました。それでも運行系統は、独自性のある支線の名を用いた「横須賀線」が使われていました。
最近では、横須賀線逗子発着列車の一部は、山手線(旧貨物線)新宿経由で 宇都宮方面に直通しており、その経路から 湘南新宿ラインと呼ばれる運行系統の 一変種を作っています。

路線名(線路名称)や駅の所属が ある程度固定的なものであるのに対して、運行系統は、その時代の求めに応じて 自在に変化します。
板橋駅に関して「線路名称」赤羽線と「運転系統」埼京線との混乱を生じた折に、次のように書いたことがあるので、古い記事ですが紹介しておきます[38397]
「線路名称」を本籍、「運転系統」を現住所になぞらえると分りやすいでしょう。

[85119]で示された譬えである「資産的」と「営業的」も、同じ趣旨の発言と思います。

では 運行系統については、どのようなルールがあるのか?
JR各社の社内規程で定められていると思うのですが、私にはこれがわかりません。
[85128] 2014年 2月 22日(土)22:16:30hmt さん
JRの路線名(2)京浜東北線
[85124] デスクトップ鉄 さん
各社の公告や通達を記載した「社報」が非公開なので、【JR運行系統についての規程を】調べることができません。
(中略)
国鉄時代に運行系統名は公式に定められたものではなく、JRになった現在も同じではないかと思います。

ありがとうございます。国鉄時代にもJRになってからも、運行系統名には非公式的な要素があるということでしょうか。

典型的な系統名である「京浜東北線」 (中略)と書かれていますが、「京浜東北線」という用語は使われていません。

鉄道省編纂 汽車時間表 昭和9年12月号には、“大宮・東京・桜木町間(東北・京浜線)(電車)”と記されていました。
この表記は、第二次大戦の前後に及ぶ かなり長期間使われたようで、少なくとも 日本国有鉄道監修 時刻表 昭和27年12月号 でも確認することができます。
間に中黒を挟んだ表記は、昭和30年か その少し前の私の記憶にもあるのですが、それは誤乗防止のため茶色の電車のドア上に掲げられていた「京浜・東北」のプレートでした[38388]。上記時刻表から間もない時期なのですが、順番が逆です。記憶違いか?

東海道本線の全線電化完成と同日である 1956(昭和31)年11月19日、田町・田端間の電車線4線化による山手線との分離運転開始。これにより、現在とほぼ同じ形の「京浜東北線」が出来上がりました。

出典は示されていませんが、Wikipediaにも“1956年11月19日から京浜東北線に改められた。”と記されています。

“現在とほぼ同じ形”と書きましたが、根岸線開業(1964)に伴う変更や日中の快速運転(1988)など、その後も運行系統の変更はあるのですね。

京浜東北線に深入りしたついでに、その名が付けられるより前、「京浜間鉄道」に関する過去記事を紹介して置きます。

最初に紹介しておきたいのは、[80215]でリンクした 100年以上の品川海岸 鉄道写真 です。
列車が走っている東海道本線【もちろん貨客兼用】上り線よりも手前にある線路が、明治32年12月25日に開通した市街地用ローカル列車専用線、つまり後の「電車線」の前身です。京浜間列車と山手線からの乗入列車が使っていました。

この写真では まだ複線化用地を残した単線で 架線も写っていませんが、明治42年には 烏森停車場(現在の新橋駅)ができて、山手線は電車運転になります。
そして、京浜間ローカル列車も、頻繁運転の競合路線・京浜電気鉄道出現(1905年末 品川~神奈川間全通)に対抗し、東京~横浜(高島町)間で 本格的な高速電車専用線による運転 を開始することになりました。

鉄道院によるこのプロジェクトは、大正3年(1914)12月18日の中央停車場(東京駅)開業式典に合わせて、第一次大戦の凱旋将軍を電車で送り込むという 華々しい演出により完成を祝う予定でした。
この演出自体は無事に行なわれたのですが、その後で 招待者を乗せた電車が横浜までの間で、初期故障で立往生という失態を演じる逸話を残してしまいました[39140]
[85134] 2014年 2月 25日(火)19:25:35hmt さん
JRの路線名(3)1909年由来の「線路名称」
火付け役の白桃さんも [85131]路線は続くよどこまでも? と呆れている気配ですが、まだ続けます。

ご承知にように、私の関心は自治体人口ではなく、どちらかと言うと地理的話題に関する歴史的背景や、それに伴うトピックスにあります。前回[85128]の京浜東北線など、その典型例であると言えるでしょう。

しかし、地理のフォーラムで話題にするからには、トピックスだけでなく、システムに立ち入った検討もしたいと思っています。

…というわけで、[85120]でこの話題に参加した際に、「駅が所属する路線」と「列車の運行系統」という観点に触れました。
そして、その末尾で触れた 運行系統ルールの不明 に応じ、デスクトップ鉄さんから、下記の教示がありました[85124]
国鉄時代に運行系統名は公式に定められたものではなく、JRになった現在も同じではないかと思います。

これにより、現住所的な性格である 運行系統 については、「鉄道事業者が 運輸業務の状況に応じて 適宜に設定し、利用者に対しては その都度案内する」という流動的な性格のものであり、どれが正しいか という論議には あまり馴染まないようだ という印象を受けました。
具体的には、東京と小田原・熱海方面とを結ぶ中距離電車系統について、私達がJRの案内する「東海道本線」に拘束されず「東海道線」と呼んでも、意味の取り違えを生ずるおそれはなく、一向に差し支えないということです。
なお、昭和25年の電車化後に盛んに使われた「湘南電車」という呼び方もありました。
これは、車両を意味するだけでなく、運行系統としても世間に認識されていたと思います。

一方、本籍的な性格である 路線名。こちらは、もっと明確な根拠に基づき、ある程度は固定的な存在であると考えます。

明治40年(1907)10月、幹線鉄道の国有化が達成されました[61108]
当時の組織は、現業部門が帝国鉄道庁、監督行政が逓信省鉄道局と分かれていましたが、国有化をきっけとして 内閣直属の 鉄道院 に統合されました(1908/12/5)。

その鉄道院が、傘下となった多数の路線を区別するために 明治42年(1909)に制定したのが、鉄道院告示第54号 国有鉄道線路名称 です。
その冒頭には、名称:東海道線 の部の最初に 次のように記載されています。
区間:東海道本線(新橋 神戸間 神奈川 横浜 程ヶ谷間 及 貨物支線)

東海道本線という名の一つの区間として表記されていますが、「新橋 神戸間」は 横浜駅を通らない 平沼経由の直通線であり、この他に、横浜【現在の桜木町】経由の別線がありました。こちらは市街地を通過することができないので、スイッチバックにより トライアングル[49808]を形成していました。

その後の東海道本線については、横浜駅移転(1915,1929)だけでなく 多数の変更があり、線路名称告示の改定は度々行なわれました。
国鉄時代の顕著な変更だけ挙げてみても、東京駅開業による起点の変更(1914)、品川・鶴見間の貨物線開業(1929)、御殿場回りだった経路を丹那トンネルが開通した熱海経由に変更(1934)、東海道新幹線開業(1964)などがあります。

もっとも、最後に挙げた 1964年の東海道新幹線は、東海道本線 東京・新大阪間の「線増」という扱いで、線路名称の告示に 区間やキロ数の追加はなされなかったようです。
Wikipediaによると、1982年に至り 在来線と同じ値の営業キロで 無名枝線の記載が「線路名称」に加えられたとのことです。

路線名の根拠は、長い間この 1909年由来の「線路名称」だけでした。
しかし、1981年に 国鉄を監督する行政サイドから、国鉄の「営業線」の名を列挙した別のリストが公表されました。
長くなるので、以下は別記事とします。
[85139] 2014年 2月 27日(木)15:17:53hmt さん
JRの路線名(4)1981年「営業線」由来の路線名
[85138] デスクトップ鉄さん
東北新幹線大宮・盛岡間が開業した1982年6月23日施行の日本国有鉄道線路名称の一部改正(5月19日付国鉄公示第41号)で、次のように記載されました。
東海道線 東海道本線 東京・新横浜・岐阜羽島・新神戸間
【以下引用省略】

1982年の 線路名称一部改正を、出典と共に示していただき、ありがとうございます。
既に開業していた山陽新幹線の一部を含む東京・新神戸間の 新幹線区間 が、「東海道本線」の一部を構成するバイパス線(Wikipediaの表現によれば“無名枝線”)として 線路名称に記載された ということなのですね。
品鶴線などの別線線増が、初めから線路名称に記載されていたことからすれば 当然の扱いと思われますが、東海道新幹線開業後約18年も経過した後の 1982年に「認知」とは驚きです。

[85118] で、線路名称には国鉄が制定し、JRが引き継いだ線路名称のほかに、国鉄再建特別措置法施行令別表第一の路線名 およびこれを引き継いだ 事業基本計画の路線名 があると書きました。

1970年代になると、道路や空港の整備・自動車増加に伴い 旅客・貨物輸送における国鉄の役割は低下し、経営は悪化しました。
日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(昭和55年法律111号 略称国鉄再建法) は、赤字ローカル線を抱え行き詰まっていた国鉄経営改善のため、全国一律運賃の見直し、輸送密度の低い線区の廃止・転換などを盛り込んだ国鉄再構築のプランでした。
この法律に基き、幹線と地方交通線とを仕分けする基準を設けたのが 日本国有鉄道経営再建促進特別措置法施行令(昭和56年政令25号)で、その別表第一として「営業線」の五十音順リストが公表されました。

監督行政のサイドから公表された国鉄の「営業線」は、本来の用途である地方交通線の仕分けだけでなく、後の分割民営化に際して、JR各社が免許を申請する際の「事業基本計画」にも使われました[85118]

では、リンク資料により、156番目の営業線である 東海道線の 区間を見ましょう。
東京から川崎、横浜、新垂井及び大阪を経由して神戸まで、
品川から新川崎を経由して鶴見まで
及び 大垣から垂井を経由して関ケ原まで
並びに 東京から新横浜及び岐阜羽島を経由して新神戸まで
並びに 品川から分岐して浜川崎まで、【以下19区間省略】

東海道本線でなく東海道線になっていることなど、従来の 国有鉄道線路名称 と異なる点はありますが、概ね当時の「線路名称」を反映したものであると理解されます。
但し、4行目の新幹線区間については逆で、この別表第一の記載が、翌年の線路名称改正に反映しました[85138]

1行目は 東海道線下り列車の通る典型的な区間です。
2行目は 1929年に貨物線として加わり 現在は横須賀線に使われている品鶴線(通称)です。
3行目は 関ヶ原越えの勾配を10‰に緩和した 新垂井[9459]経由の下り新線(1944) を作るまでは、上り下りの本線でした。
4行目は 1982年に「線路名称」に加えられたという“無名枝線”で、その実態は、もちろん新幹線です。
5行目は 東京貨物ターミナル駅のある貨物線です。

読みやすいように区間毎に改行して示しましたが、この24区間全体が「東海道線」で、1909年の簡単な記載[85134]に比べて 多数の枝線により複雑化していました。引用を省略した19区間の中には、汐留など現在は廃止されている貨物区間もあります。

この政令は、国鉄にとり最後の自主再建プランを実施するためのものでしたが、現実には 1985年7月 国鉄分割民営化に向けた舵が切られ(第二次臨調基本答申)、1986年11月成立の国鉄改革関連8法を受けて、昭和62年(1987)3月20日政令第54号で廃止されています。
国有鉄道線路名称を定めた明治42年以来の鉄道院>鉄道省>運輸通信省>日本国有鉄道の告示・公示も、もちろん廃止。

国有鉄道を前提として定められた路線名の規定が、民営化された現在のJR各社にそのまま適用されないのは当然です。
しかし、前記の政令は自主再建を諦めて廃止される直前に「ひと働き」をしたようです。
[85118] デスクトップ鉄さん
旧国鉄路線を承継したJR各社は、その時点の営業路線を「事業基本計画」として届けることにより免許が与えられました。その営業路線のリストは、1981年3月11日公布の「日本国有鉄道経営再建特別措置法施行令の別表第一」の路線・区間名が使われました。
[85138] デスクトップ鉄さん
1987年のJRの事業基本計画においては、東海道新幹線(東京・新大阪間)、山陽新幹線(新大阪・博多間)、上越新幹線(大宮・新潟間)のように独立路線として表示されました。事業基本計画に基づく「鉄道要覧」では、すべて独立路線として表示されています。

…という次第で、前記の別表第1「営業線」に由来する路線名は、現在でも役所による許可対象【注】に使われ、「鉄道要覧」 の記載も、これに基いてされているわけですね。
【注】1999年改正で鉄道事業法は許可制になり、許可は「路線」及び「鉄道事業の種別」について行なわれます。

昭和56年政令第25号別表第1による「営業線」に由来する路線名につき、長々と記してしまいました。
役所関係の仕事では、こちらが使われ「東海道線」なのでしょう。

しかし、最初に[85120]で確認したように、利用者の私達が JRの運行系統案内から得る情報は、「東海道本線」優位です。
1909年由来の「線路名称」は、下記のように JR各社独自の「線路名称」に継承されています。
東海道本線という案内は、これに基づく取り扱いであると理解します。
[85118] デスクトップ鉄さん
これとは別に、JR各社は国有鉄道線路名称を継承した独自の線路名称をもっていますが、JR四国は線路名称からも本線を外しました。


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