[85247]の続き。
3番目は東京府荏原郡平塚町。
【(B): 大正15年4月1日~昭和2年6月30日の期間、平塚町が存在していたにも関わらず(平塚村→平塚町→荏原町)、平塚村から直接荏原町に改称したかのように記述してしまっていた。】
1925年国勢調査で 人口 72,256人を記録した平塚村。1930年国勢調査で 人口 132,108人を記録した荏原町。
国勢調査の町村人口で史上最大の2冠を達成したこの自治体については、
[83708]で語りました。
国勢調査がなかった平塚町時代は記錄に残ることができず、残念。
4番目は神奈川県津久井郡小淵村。
これは、特に取り上げるに値するものでありませんが、hmt出身地の津久井郡なので、小淵村>吉野町(1954)>1955年に自治体名となった藤野町の名が消える際に、「藤野」の由来を問い掛けたことがあります
[73423]。小淵村の小字という説が有力
[73446]。
5番目は群馬県北甘楽郡小幡町です。
YT さんの
[85243]には、
間違いの箇所:大正14年国勢調査町村制、修正前:群馬県北甘楽郡小幡村、修正後:群馬県北甘楽郡小幡町
と記されており、
[84549]で提供された 47todofuken01.xlsでもそのようになっていました。
しかし、私が閲覧した『国勢調査報告. 大正14年 第3巻』36頁に記載された
市町村別世帯及人口 群馬県 には、「小幡町」と正しく記されていました。
ここから先は hmtの憶測です。
YT さんがが 47todofuken01.xlsで誤記された原因は、最初に閲覧した報告書に「小幡村」という誤記があったからではないか?
このような疑問を抱いた hmtは、
群馬県統計書. 大正14年度 人口及雑之部 を閲覧してみました。そこには大正14年10月1日現在の世帯数及び現在人口 市町村別 のリストがあり、北甘楽郡小幡村 4684人 と記載されていました。
ところが、同じ資料の8コマ 郡市町村数 は北甘楽郡 6町17村 となっており、小幡町とした方が勘定が合います。
よくよく見たら、この資料の 3コマに正誤表が貼り付けてあり、“6頁3表 北甘楽郡小幡村は小幡町の誤”と記されていました。
このような誤記に振り回される危険は常に存在します。
[85244]白桃さん が記されている
1925年国勢調査時点で「小幡村」か「小幡町」のどちらなのか疑問が出てきました。
も、誤記との関係があるのかもしれません。
国勢調査報告書と言えども、神ならぬ人の作るもの。間違いが皆無とは言えません。
[80441] hmt では、昭和24年の埼玉県栗橋町からの静村・豊田村「分立」につき、3町村設置(分割)と記錄したのは誤記であることを示しました。
[82289] 白桃さん により、人口の誤記も発見されています。
尽く書を信ぜば、書無きに如かず なのですが、小幡村→小幡町の日付については、1925/5/10とする国勢調査報告書の方を信じてよいのではないかと思います。
ところで、
[85244]から引用されている
[83613]を見ると、地元の【甘楽町】役場に問い合わせても、旧町【小幡町】の町制施行年月日が記録として残っていなかったとのこと。そして
[38612]に記したように、地方自治法の時代になってからでさえ、岡山県英保町→吉永町の改称日が曖昧なまま。
NDL官報情報
[84184]により、明治16年7月から昭和27年4月までの官報が閲覧可能になるなど、情報源は広がってきていますが、それでも全国市町村の変遷履歴を求める旅は、まだまだ続きそうですね。