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[85244] 2014年 4月 7日(月)07:52:21白桃 さん
Re;国勢調査人口の修正箇所と変遷情報の要修正箇所
[85243]YT さん
先週よりようやく関東地方の修正に手を出した結果、以下のような入力間違いが見つかりました。
膨大なデータの内容チェック、本当にご苦労様です。
私自身の国勢調査人口データには元々「修正後」の人口等が入力されていたので影響はなかったのですが、以下の件につきまして一言御礼を申し添えておきます。
『大正14年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合境界更及名称変更 (大正八年一月一日乃至大正十四年十月一日)によると、大正14年5月10日の時点で既に北甘楽郡小幡村を北甘楽郡小幡町に改称しており、以下のように修正する必要があると思われます。
私が最初に「過去の国勢調査人口データ」を入手したのが群馬県でしたので、各国勢調査時点での群馬県の「市町村人口」と「市町村の別」には間違いはないと自信?を持っていたのですが、ある作業をするために変遷情報と照らしあわせていたところ、1925年国勢調査時点で「小幡村」か「小幡町」のどちらなのか疑問が出てきました。
そこで、
[83613]白桃
(余談ですが他町の事例で、旧町の町制施行年月日について、その地元の役場に問い合わせたことがあるのですが、親切に調べていただいたものの、結局、記録として残っていなかったのが分っただけ、という事がありました。)
実は、その役場というのが甘楽町です。以来、モヤモヤっとしてたのですが、お蔭様ですっきりいたしました。1925年国勢調査の人口データだけ残していたので、「市町村の廃置分合境界更及名称変更」の存在に気がつきませんでした。
正直申し上げますが、私の場合は「町制施行年月日がいつであったか」よりは、「各国勢調査時点で町か村のどちらであったか」の方が大切なのです。(笑)
[85247] 2014年 4月 8日(火)17:49:06【1】hmt さん
Re:国勢調査人口の修正箇所と変遷情報の要修正箇所(1)
[85243] YT さん
膨大なデータについて、きめ細かくチェックしていただきありがとうございます。
私が過去記事で取り上げた町村も登場しているので、少々フォローしてみます。

最初は、地元の埼玉県から。
【(A): 昭和19年2月11日~昭和23年3月31日の期間、志紀町が存在したのにも関わらず、昭和23年4月1日に分割・成立後の志紀町とまとめてしまっていた。】

単純誤記でしょうが、昭和23年4月1日に志紀町の分割で復活成立したのは「志木町」です。
参考までに、志紀町関連4町村の所属する郡の履歴を記しておきます。美笹村に編入された荒川東岸の飛地[85089]は省略。

1889年町村制施行で新座郡志木町成立(以前は志木宿)→1896年北足立郡(旧郡制施行前の郡再編)→1944年北足立郡志紀町(戦時合併)→1948年北足立郡志木町(4分割)→1955年北足立郡足立町(宗岡村と合体)→1970年志木市

1889年町村制施行で新座郡内間木村成立(以前は5村)→1896年北足立郡(旧郡制施行前の郡再編)→1944年北足立郡志紀町(戦時合併)→1948年北足立郡内間木村(4分割)→1955年北足立郡朝霞町(合体)→1967年朝霞市

1889年町村制施行で入間郡宗岡村成立(以前は宗岡村)→1944年北足立郡志紀町(戦時合併)→1948年北足立郡宗岡村(4分割)→1955年北足立郡足立町(志木町と合体)→1970年志木市

1889年町村制施行で入間郡水谷村成立(以前は水子村・針ヶ谷村)→1944年北足立郡志紀町(戦時合併)→1948年北足立郡水谷村(4分割)→1956年入間郡富士見村(入間郡の2村と合体)→1964年富士見町→1972年富士見市

次も埼玉県。
(2) 埼玉県大里郡久下村の分割編入
久下村の吹上町への編入を追加する必要があります。

熊谷付近、元荒川沿いの村々【久下村、太井村、下忍村】の分村については、[38111] で言及していました。
大里郡久下村は、17世紀の工事で新しい流路となった荒川と、それ以前の本流だった元荒川とに挟まれてしまったた村です。そして20世紀の工事で村の大部分が1km近い幅の荒川河川敷になってしまったこの村は、1940年(紀元2600年)に熊谷市からの合併交渉を受け、翌年に吹上隣接の最下流部・荊原(ばらはら)を分村して熊谷市と合併しました。

この分村編入事例は、[38111]で言及した私自身もすっかり忘れており、本来ならば言及すべき 戦時合併 と その解体 や、「廃止」記錄 埼玉県[85096] からも脱落したままでした。

なお、大里郡久下村の熊谷市編入記錄は、変遷履歴 の遡及入力が開始された 2006年になされたと思われます。
今回ご指摘のあった吹上町編入脱落は、8年近くも見落とされていました。

久下村から見ると元荒川の対岸になる北埼玉郡太井村の熊谷市・行田市・吹上町への分村編入(1955/9/30)は、変遷情報入力済。その下流の下忍村は、一旦 吹上町と合体し翌年の境界変更 により分村しています。

長くなるので、ここで切ります。
[85248] 2014年 4月 8日(火)17:55:16【1】hmt さん
Re:国勢調査人口の修正箇所と変遷情報の要修正箇所(2)
[85247]の続き。
3番目は東京府荏原郡平塚町。
【(B): 大正15年4月1日~昭和2年6月30日の期間、平塚町が存在していたにも関わらず(平塚村→平塚町→荏原町)、平塚村から直接荏原町に改称したかのように記述してしまっていた。】

1925年国勢調査で 人口 72,256人を記録した平塚村。1930年国勢調査で 人口 132,108人を記録した荏原町。
国勢調査の町村人口で史上最大の2冠を達成したこの自治体については、[83708]で語りました。
国勢調査がなかった平塚町時代は記錄に残ることができず、残念。

4番目は神奈川県津久井郡小淵村。
これは、特に取り上げるに値するものでありませんが、hmt出身地の津久井郡なので、小淵村>吉野町(1954)>1955年に自治体名となった藤野町の名が消える際に、「藤野」の由来を問い掛けたことがあります[73423]。小淵村の小字という説が有力[73446]

5番目は群馬県北甘楽郡小幡町です。
YT さんの[85243]には、
間違いの箇所:大正14年国勢調査町村制、修正前:群馬県北甘楽郡小幡村、修正後:群馬県北甘楽郡小幡町
と記されており、[84549]で提供された 47todofuken01.xlsでもそのようになっていました。

しかし、私が閲覧した『国勢調査報告. 大正14年 第3巻』36頁に記載された 市町村別世帯及人口 群馬県 には、「小幡町」と正しく記されていました。

ここから先は hmtの憶測です。
YT さんがが 47todofuken01.xlsで誤記された原因は、最初に閲覧した報告書に「小幡村」という誤記があったからではないか?

このような疑問を抱いた hmtは、群馬県統計書. 大正14年度 人口及雑之部 を閲覧してみました。そこには大正14年10月1日現在の世帯数及び現在人口 市町村別 のリストがあり、北甘楽郡小幡村 4684人 と記載されていました。
ところが、同じ資料の8コマ 郡市町村数 は北甘楽郡 6町17村 となっており、小幡町とした方が勘定が合います。
よくよく見たら、この資料の 3コマに正誤表が貼り付けてあり、“6頁3表 北甘楽郡小幡村は小幡町の誤”と記されていました。

このような誤記に振り回される危険は常に存在します。 [85244]白桃さん が記されている
1925年国勢調査時点で「小幡村」か「小幡町」のどちらなのか疑問が出てきました。
も、誤記との関係があるのかもしれません。

国勢調査報告書と言えども、神ならぬ人の作るもの。間違いが皆無とは言えません。
[80441] hmt では、昭和24年の埼玉県栗橋町からの静村・豊田村「分立」につき、3町村設置(分割)と記錄したのは誤記であることを示しました。[82289] 白桃さん により、人口の誤記も発見されています。

尽く書を信ぜば、書無きに如かず なのですが、小幡村→小幡町の日付については、1925/5/10とする国勢調査報告書の方を信じてよいのではないかと思います。

ところで、[85244]から引用されている[83613]を見ると、地元の【甘楽町】役場に問い合わせても、旧町【小幡町】の町制施行年月日が記録として残っていなかったとのこと。そして[38612]に記したように、地方自治法の時代になってからでさえ、岡山県英保町→吉永町の改称日が曖昧なまま。

NDL官報情報[84184]により、明治16年7月から昭和27年4月までの官報が閲覧可能になるなど、情報源は広がってきていますが、それでも全国市町村の変遷履歴を求める旅は、まだまだ続きそうですね。
[85250] 2014年 4月 8日(火)18:26:03【1】むっくん さん
市区町村変遷情報(群馬県と埼玉県)
[85243]YTさん

(1) 群馬県北甘楽郡小幡町の町制実施の年月日 (群馬県#25)
以前群馬県市町村課にメールで
官報第三八〇八号(大正十四年五月五日)では
○町村変更
北甘楽郡小幡村を小幡町と為すの件許可し本月十日より施行す
大正十四年五月 群馬県
とあることより、群馬県北甘楽郡小幡村の町制実施は1926(T15).5.10ではなくて1925(T14).5.10ではないか
と問い合わせをしたことがあります。その際に
「大正14年5月10日」が正しい
との回答を頂きました。市区町村変遷情報では
#25 1926(T15).5.10 町制 北甘楽郡小幡町 北甘楽郡 小幡村
とありますが、正しくは
#25 1925(T14).5.10 町制 北甘楽郡小幡町 北甘楽郡 小幡村
となります。


また、その際に碓氷郡川間村の改称された年月日についても尋ね、
明治23年県令第18号を確認したところ、
・碓氷郡臼井村を臼井町
・同  川間村を八幡村
・北甘楽郡坂牧村を小坂村
に改称するとされており、同年3月1日でなく3月11日発出でした。
 よって、八幡村への改称日は「明治23年3月11日」が正しい表記でした。
 また、併せて臼井町の町政施行、坂牧村・小坂村に係る改称の日付「明治23年3月1日」も「11日」が正しい表記と判明しました。
との回答を頂きました。
つまりは市区町村変遷情報では
#1 1889(M22).12.22 改称 碓氷郡八幡村 碓氷郡 川間村
#2 1890(M23).3.1 町制 碓氷郡臼井町 碓氷郡 臼井村
#3 1890(M23).3.1 改称 北甘楽郡小坂村 北甘楽郡 坂牧村
とあるところでの年月日がいずれも誤っており、正しくは
#1 1890(M23).3.11 改称 碓氷郡八幡村 碓氷郡 川間村
#2 1890(M23).3.11 町制 碓氷郡臼井町 碓氷郡 臼井村
#3 1890(M23).3.11 改称 北甘楽郡小坂村 北甘楽郡 坂牧村
となります。


(2) 埼玉県大里郡久下村の分割編入 (埼玉県#64)
この根拠は埼玉県告示第253号(熊谷市並ニ吹上町ニ編入スル町村区域ノ件)(S16.4.8)で
市制第4条第1項、町村制第3条第1項ニ依リ昭和16年4月10日ヨリ大里郡玉井村、大麻生村、久下村ヲ廃シ玉井村、大麻生村ノ区域及久下村ノ区域中大字新川ノ区域及大字久下字熊久、字古城、字鎮守、字上分、字下分、字横柳、字大曲ノ区域及字内荊原ノ区域ノ内左ノ土地及之ニ介在スル道路、水路、河川、堤塘ヲ含ム区域ヲ熊谷市ニ久下村大字久下字外荊原ノ区域及字内荊原ノ区域ノ内左ノ土地及之ニ介在スル道路、水路、河川、堤塘ヲ含ム区域ヲ北足立郡吹上町ニ編入ス
昭和16年4月8日

大字 字   地番  地目 地積
              反
久下 内荊原 86ノ1 田  、307
同  同   87ノ1 田  、210
同  同   88ノ1 田  、223
同  同   89ノ1 畑  、3
同  同   90ノ1 畑  、13
同  同   90ノ2 田  、21
同  同   91   田  、824
同  同   92   田  、913
同  同   94ノ1 畑  、109
同  同   95ノ1 田  、218
同  同   96   田  、929
同  同   97ノ1 畑  、110
同  同   97ノ2 田  、23
同  同   98   田  、818
同  同   99ノ1 畑  、225
同  同   99ノ2 田  、112
同  同   100ノ1 田  、411
同  同   101ノ1 田  、512

同区域内ニ介在セル道路、水路、堤塘、河川
上記埼玉県熊谷市ニ編入ス

大字 字   地番 地目 地積
             反
久下 内荊原 1ノ1 田  、418
他 112件 省略

同区域内ニ介在セル道路、水路、河川、堤塘
上記北足立郡吹上町ニ編入ス
とあります。

省略されてしまったところの詳細に付きましては、官報第四二七九号(昭和十六年四月十五日)に記載があります。
○村廃止町区域変更
市制第四条及町村制第三条に依り本月一日より本月十日より大里郡玉井村、大麻生村、久下村を廃し、玉井村、大麻生村の区域及久下村の区域中大字新川の区域及久下村大字久下字熊久、字古城、字鎮守、字上分、字下分、字横柳、字大曲の区域及字内荊原の区域の内左の土地に介在する道路、水路、河川、堤塘を含む区域を熊谷市に、久下村大字久下字荊原の区域及字内荊原の区域の内左の土地及之に介在する道路、水路、河川、堤塘を含む区域を北足立郡吹上町に編入せり
昭和十六年四月 埼玉県
(後略)
現在、市区町村変遷情報では
#64 1941(S16).4.10 編入 熊谷市 熊谷市, 大里郡 玉井村, 大麻生村, 久下村
とありますが、正しくは
# 1941(S16).4.10 編入 熊谷市 熊谷市, 大里郡 玉井村, 大麻生村, 久下村(本)
# 1941(S16).4.10 編入 北足立郡吹上町 北足立郡 吹上町, 大里郡 久下村(微)
とすべきものであると考えられます。
[86602] 2014年 11月 4日(火)07:41:28【1】オーナー グリグリ
市区町村変遷履歴情報の更新について
当サイトの参考情報の参考HP「鉄道旅客輸送統計【懐古編】を掲載させていただいているekinenpyouさんから、104件の市区町村変遷情報(履歴)の訂正情報を10月7日にいただきました。訂正情報の詳細はこちらのエクセルファイルの内容になります。訂正内容の大部分は、官報の確認による変更年月日の訂正ですが、変更種別や郡名の訂正なども含まれています。詳細はエクセルファイルをご覧ください。

この資料に基づき、今後訂正作業を実施しますので、ご異議等ありましたらお知らせください。訂正記録についても個々の変遷情報に追記するようにします。
ekinenpyouさん、詳細な情報をありがとうございました。また、対応が遅くなり申し訳ありませんでした。

ところで、むっくんさん、YTさん、MIさん、hmtさん、白桃さんから寄せられている変遷情報の修正や改善提案について対応が遅れており申し訳ありません。忘れないようにするため何らかの対応や確認を必要とする記事を備忘録としてまとめておきます。漏れなどありましたらご指摘ください。

■むっくんさん記事
[83624](1,2,3,4,5,6,7,8,15,16,17,18項)[83646][84181][85037][85068][85084][85102][85122][85250]
■YTさん記事
[84605][84612][85243][85558][85563][85568][85559][85560]
■MIさん記事
[84630][85567][85569][85570][85571]
■hmtさん記事
[85087][85089][85729]
■白桃さん記事
[85561][85566]

以下は対応済みです。

[84595]で対応 -- [84593](名古屋市・西柳村、名古屋市・区編入)
[84684]で対応 -- [83624](9)
[84685]で対応 -- [83624](11,12,13,14)
[84698]で対応 -- [83624](10,19)[83625]
[84775]で対応 -- [84741]
[85725]で対応 -- [85723]

【修正】エクセルファイルの格納場所を変更


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