都道府県市区町村
落書き帳

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[90100] 2016年 3月 23日(水)19:57:11hmt さん
大きな人口異動を伴う境界変更 (1)入間市と狭山市
「人口異動を伴う境界変更」のリリース[90092]ありがとうございます。人口のからむ境界変更に関する過去記事を検索してみたら、2012年9月[81821]から10月にかけて急増した時期があったのですね。
その頃から始まった YTさんによる情報提供も、今回の形で結実に至ったことをお祝いいたします。

このサイトにおける境界変更の取り扱いについては、それより前から 変遷情報との関連で問題にされていました。2007年の[56539]あたりが、代表的な記事と言えるでしょう。

それはさておき、人口異動と言っても、その数は 1桁と2桁が大部分です。今回示された1980年以降の国勢調査で該当するとされた77組の中で人口異動の値が100人以上になる組み合わせは僅か14組でした。
その中で突出して多かったのが、1983/4/1 入間市と狭山市との境界変更で生じた数百人の人口異動でした。

狭山市の増加887と入間市の減少877の差 10人の行方もさることながら、それ以上に「境界が変更された場所」が気になります。

数百人もの異動にもかかわらず 市区町村変遷情報からは無視されているので、自治省告示で地名を確認しました。
狭山市に編入する区域は「入間市大字黒須」の一部でした。
入間市に編入する区域の中には、「狭山市入間川字飛地」という地名もありました。

現在の地図では入間市駅の北側にある「黒須」の方が目立ちますが、線路沿いに池袋方に約2km進んだ入間基地南端付近にも大字黒須が残っています。
黒須は扇町屋と共に豊岡町の市街地を形成した地名のようです。参考:黒須銀行

航空自衛隊入間基地の前身は米軍のジョンソン基地です。
戦前にあったのは 陸軍航空士官学校(修武台)ですが、現在の入間市である豊岡町黒須で開校後に、敷地が入間川町【現在の狭山市】側に拡張され、現在では本部所在地も狭山市になっているものと思われます。[87268]参照

入間市の基地跡地利用に関する年譜には、昭和57年に「ジョンソン基地跡地内行政境界変更案」について入間・狭山両市が合意し、翌年実施されたとあります。
異動した数百人の人口は、入間基地内宿舎の住民たちであったと理解できます。
[90105] 2016年 3月 24日(木)19:05:47hmt さん
大きな人口異動を伴う境界変更 (2)埼玉県入間郡東金子村 改め 西武町
[90100]を書いているうちに西武池袋線入間市【豊岡町から改称1967】と飯能の間、仏子(ぶし)・元加治という駅が続くあたりに「西武町」という自治体があったことを思い出しました。[12847][55648]

タイトルに記した関係市町村の変遷情報を もっと詳しく書くと 次のようになります。
1889/4/1(明治合併、町村制) 高麗郡(野田村+仏子村→)元加治村、飯能町、入間郡東金子村、豊岡町など成立
1896/4/1(郡再編) 入間郡・高麗郡など→入間郡【以下、郡名省略】
1943/4/1(戦時合併) 飯能町、元加治村など→飯能町新設
1954/1/1(市制) 飯能町→飯能市
1954/4/1(境界変更) 飯能市の一部【旧・元加治村の区域】が東金子村に編入
1954/4/1(町制) 東金子村→東金子町
1954/4/1(名称変更) 東金子町→西武町
1956/9/30(昭和合併最終日) 豊岡町、西武町の一部【旧旧・東金子村の区域】など→武蔵町新設
1966/11/1(改称/市制) 武蔵町→入間市
1967/4/1(編入) 西武町【旧・元加治村の区域が残っていた】→入間市に編入

複雑な変遷ですが、ポイントになる1954/4/1の境界変更に注目し、国勢調査記録によって人口異動を調べます。
[81919]には統計局からの情報が紹介されています。1954年のデータは昭和30年国勢調査です。
左端の昭和30年から統計表一覧を開き、末尾の13に掲載された「付表2…境界変更…一覧表」を見ると、注釈と県別データで合計4ファイルになっていることがわかります。これが右端の「PDF1,PDF2,PDF3,PDF4」に対応するので 埼玉県のデータは「PDF2」にあると判ります。これを開いてみると「55ah02b.pdf」というファイルで、飯能市は25/32コマに掲載されています。
29.4.1 (境)  一部の地域が入間郡東金子村へ   昭和25年人口 △5155
これで、昭和25年に飯能市として数えた人口は、境界変更により5155人減ったことが知れます。

念の為に人数の増加を東金子村のデータで確認したいところですが、昭和30年国勢調査時には既に消滅しています。そこで次コマの西武町を見ると
29.4.1 (名)  入間郡東金子町 34)が西武町になる   昭和25年人口 8627
注記の 34)【28コマ】には、東金子村イ) が東金子町になったこと、続くイ)の4行目には「飯能市の一部(5155)が東金子村に編入」が記されています。

S25の人口3472人だった【面積5.80km2の】東金子村には、【面積は4.78km2とやや小さいが、人口は1.5倍近い】旧・元加治村の区域の人口5155人が S29の境界変更により加わり、8627人【西武町境域のS25人口】になりました。
なお、面積は戦前唯一のデータである 『昭和十年全国市町村別面積調』 の値です。

このシリーズのタイトル「大きな人口異動を伴う境界変更」の極端な事例のように思われます。
[90145] 2016年 3月 30日(水)19:17:43【2】hmt さん
大きな人口異動を伴う境界変更 (3)県境の事例
人数では[90105]の5000人以上に及ばないものが大部分ですが、hmtが ずっと注目して 落書き帳に書き続けてきた 県境変更の事例中には、かなりの人口異動を伴うものもあります。

大正9年以来の「都道府県間の境界変更」は、[90107]で紹介されているように 国勢調査の一覧表 参考6 に集められています。
今回は、その中から人口異動を伴うものを抽出し、面積異動や関係過去記事、変遷情報収録状況と共に示すことを試みました。

県境変更に伴う面積異動の値については、栃木県「入飛駒」のように過去記事[79559]に記した例もありますが、ほとんど未調査でした。栃木県菱村や京都府樫田村のように「村ごと」の場合は、変更前の1955年国勢調査に村の面積があるので容易に知ることができます。
2005年に県境変更した長野県山口村の場合は、国土地理院の2004年面積調の値が使えます。

では、分村のケースで面積を知るには? 
1958年に境界変更により分村し、翌日岐阜県白鳥町に編入した 福井県大野郡石徹白(いとしろ)村を例に 計算で求めてみます。

一部を福井県に残すために 前日実施した境界変更(分村)による面積異動を計算します。
1955年当時 (178.22+128.29=)306.51km2であった穴馬2村の面積が、1960年和泉村332.26km2となっていることから、福井県に残留した面積は 25.75 km2であったことが判ります。
越県合併の相手方・岐阜県郡上郡白鳥町の面積は、石徹白村併合により22.39から110.78へと88.39 km2増加しています。
合計114.14 km2は、1955年の石徹白村面積103.07km2と少し合いませんが、岐阜県に越県合併した面積が大部分であることは知れます。人口異動も1297人で、昭和30年国勢調査人口1402人の大部分です。

1955/4/1に岐阜県恵那郡三濃村から愛知県東加茂郡旭村に越境した事例の面積異動も、同様の計算で求められると思ったのですが、1950年国勢調査は人口だけであり、面積がなかったので1955年面積との比較ができません。
現在の地図で見ると豊田市浅谷町(あざかいちょう)を主とし、須渕町の部分もあるので、豊田市の町別面積人口表から両町の面積を加えて、越境合併した面積は 5.59km2と見積りました。

2010年 前小屋の県境手直しにおいては、面積調でも交換した面積異動の差0.83km2迄しかわからなかったのですが、変遷情報の詳細には深谷市への編入119.6haという値が記録されていました。

こんな具合に、いろいろなデータから面積異動の値を求めて作ったのが、下の表です。
面積異動の値が不明や、計算不一致で信頼できない結果となった地域も含まれています。ご容赦下さい。
境川を挟む領地の交換について:人口異動は国勢調査の実数(4件合計61人)が示されていますが、面積異動は「無人地帯と併せてほぼ0」の差額で発表されており、面積異動の実態は不詳です。

都道府県境に関係する人口異動を伴う市町村変遷情報(大正9年国勢調査以降)【注】

関係自治体(数字は県code)地域名*日付人口異動(人)面積異動km2記事変遷情報
08新郷村→11川辺村伊賀袋1930/7/1 144?[78789]境界変更
08河内村→12栄町利根川1956/1/1930.71[79523]の6番未収録
09田沼町→10桐生市入飛駒1968/4/15575.65[54264] [79523]の17番[81913]未収録
09菱村→10桐生市菱村1959/1/1572421.90[2878][14592]編入
09足利市←10矢場川村矢場川1960/7/131313.66[2878][14616] [79523]の9番境界変更
10太田市→11深谷市前小屋2010/3/11391.20[79438][79661] 境界変更
11元狭山村→13瑞穂町元狭山1958/10/1521303.53[4049] [54264] 編入
11戸田町→13板橋区舟渡1950/4/1289 [65713] 未収録
11横曽根村→13岩淵町岩淵1926/10/1412 [65713] 境界変更
13町田市→14相模原市境川1999/12/13[79523]の32番未収録
13町田市←14相模原市境川2004/12/142[79661] [79523]の35番未収録
13町田市←14相模原市境川2007/12/110[79523]の38番未収録
13町田市←14大和市境川1985/2/16[79523]の28番未収録
18石徹白村→21白鳥町石徹白1958/10/15129788.39[31291][54264]編入
20神坂村→21中津川市神坂村1958/10/15143236.53[25925][54264] 編入
20山口村→21中津川市山口村2005/2/13204024.67[46924][54264] 編入
21三濃村→23旭村浅谷*1955/4/118055.59[46981][54264] [79523]の5番境界変更
26亀岡市→27東能勢村牧・寺田*1958/4/13868.08[79559] [79523]の8番境界変更
26樫田村→27高槻市樫田村1958/4/188918.00[31152][54264] 編入
33日生町→28赤穂市福浦1963/9/116407.50[41400][46914] [79523]の11番境界変更
34八鉾村→32八川村三井野原*1953/12/1571.01[90148][79523]の2番未収録

* 地域名のうち、従来使っていた三濃村などの旧町村名は 現在ではあまり使われなくなっていました。
これを今回改め、現在の地図でも見ることのできる 浅谷(あざかい)、牧・寺田、三井野原にしました。

【注】
1 この表よりも前の明治時代には、特別法による県境変更が行なわれました。[85062]の前半は特別法による事例です。後半は県境にある自治体の境界変更による事例で、この記事の表の旧版と言えるでしょう。
2 この表の21件のうち、人口異動最大の菱村を始めとする6件が「編入」として変遷情報に収録されていました。いずれも元の自治体の消滅を伴うもの、すなわち廃置分合の1種としての編入です。
変遷情報に「境界変更」として収録された7件の大部分は自治体の領域が変るだけで消滅しないものですが、矢場川村と三濃村のケースは分村によって消滅しました(廃置分合)。
変遷情報未収録の8件は主として比較的小規模の境界変更ですが、入飛駒だけは未収録で残されていることを不自然と感じさせるほどの規模です。


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