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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[90564]2016年6月7日
hmt
[91229]2016年8月17日
hmt
[91329]2016年9月4日
hmt
[91405]2016年9月16日
hmt
[91406]2016年9月16日
hmt

[90564] 2016年 6月 7日(火)14:51:53【1】hmt さん
肥後と豊後とに跨る温泉
今年のオフ会開催地の候補として、熊本大分県境の杖立温泉(ひぜんや)が登場したようですね。
館内の渡り廊下「両国橋」に設けられた県境標識にあるように「肥後国と豊後国」に跨るのに 何故か「ひぜんや」。

杖を手放すことができなくなったhmtとして、「杖」という文字で変遷情報検索をしてみたら、奈良県宇陀郡御杖村の他に旧4村がありました。しかし 杖立という村名を見出すことはできませんでした。
…ということで、大字レベルの地名にもなっていないようで、杖立を 自治体越えの地名として扱うには 問題がありそうです。

何はともあれ 地図で確認してみると、阿蘇外輪山の北側で、熊本県北端の近くでした。
1970年頃に 大分県の天ヶ瀬温泉で 台風に遭遇してしまった経験があるが、その少し南か。

熊本県北端から リンクしてある地理院地図を少し東に進むと 熊本県小国町・大分県玖珠町・同九重町の境界点になり、そこで 拡大すると、 西に麻生鶴、北と東に麻生釣がありました。

これも大字レベル以上の地名ではありませんが、一応地理院地図に掲載されているので、自治体越えの地名として扱えるかもしれません。審査をお願いします。
「つる」の漢字表記が2種ありますが、本質的には同じ地名が県境により分断されたものと思われます。なお 麻生(あそ)も 阿蘇と同根でしょう。

敷地が熊本・大分両県に跨る温泉旅館ということでは 杖立と共通しますが、麻生釣の方は 広大な敷地内に分散した離れ造りであり、ホテル式の「ひぜんや」の建物とは全く違うようです。
旅館の住所は熊本県阿蘇郡小国町西里麻生釣と表記されていましたから、字名としては 熊本県側・大分県側 共に「麻生釣」であろうと推測されます。 麻生釣温泉・亀山の湯>アクセス【この節、追記により修正】

九重町菅原の麻生釣には、1984年に廃止されるまで宮原線に麻生釣(あそづる)駅がありました。

地図上で杖立温泉に戻り 杖立川を少し下ると大山川との合流点になり、付近は松原ダムのダム湖(梅林湖)になっています。
大山川側を遡ると「下筌ダム・蜂の巣湖」の文字があり、1960年頃に新聞を賑わせた 蜂の巣城の攻防戦 や「肥後モッコス」という言葉を思い出しました。

以上、熊本・大分県境に関係する雑談でした。
[91229] 2016年 8月 17日(水)18:59:19hmt さん
杖立への道
オフ会が開かれる杖立温泉に通じる道は 国道212号ですが、日田方面から向かう途中、熊本地震による通行不能箇所が生じています。
オフ会メーリングリストでは、既に 2016/7/2に かぱぷうさんの詳細な報告がありました。
福岡から日田・杖立温泉経由の黒川温泉行きの大型バス運行ルートが通行不能になり、熊本県小国町役場付近の「ゆうステーション」経由の迂回運転を余儀なくされている。
このことについては 現在も変らないのですが、乗用車の迂回ルートは、その後短縮されました。

現在の 国道212号迂回路図 には、日田IC~杖立温泉所要時間(乗用車)が1時間15分から45分へと30分短縮されたと記されています。
以前の乗用車迂回路は、杖立温泉東側の山中を広域農道経由熊本県に入るもので、小国町役場付近迄は南下しないものの、大型車迂回路に近いものでした。

もう少し詳しく記すと、日田市大山町汗入場(あせりば)地区の田北トンネル付近が9月末まで全面通行止めという状況は変わらぬものの、もう一つの規制区間である日田市天瀬町・下岩戸トンネル付近【杖立温泉のすぐ下流】は7月15日17時から片側交互通行可能になりました。これにより、乗用車は広域農道「スカイファームロードひた」(市道)と県道12号天瀬阿蘇線の一部を使って松原ダム付近の梅林湖畔に出て、開通区間の先にある杖立温泉に行くことが可能になりました。

余談ですが、梅林湖で杖立川と合流するのが津江川です。文字は違いますが、同じ「つえ」なのでしょう。
こちらの上流は下筌(しもうけ)ダムによる「蜂の巣湖」になっています。この名は 1959年ダム反対運動目的の監視小屋・「蜂の巣城」に由来しています。マクベスを戦国時代に翻案した黒澤映画は「蜘蛛巣城」。
「津江川」から思い出すのは2002年サッカーワールドカップでカメルーンのキャンプ地になった「中津江村」。落書き帳過去記事が多い有名村も日田市の一部になりました[21428]

それはさておき、大型車迂回路は、国道210号→大分県道12号→日田広域農道【スカイファームロード】→熊本県の小国広域農道→国道387号と結んだものです。

黒川温泉行き高速バスが停車する「ゆうステーション」があるのは、熊本県阿蘇郡小国町大字宮原(みやのはる)。1984年までは宮原線【久大線の支線】の終着駅がありました[90675]。東西に走る国道387号が 南北に走る国道212号と交差する少し東で、ここから212号を北上して県境に到達した地点が杖立温泉です。

宮原線は終着駅・肥後小国の先、どんな計画があったのか? 1922年の改正鉄道敷設法[79718]別表第113号
佐賀県佐賀ヨリ福岡県矢部川、熊本県隈府ヲ経テ肥後大津ニ至ル鉄道 及隈府ヨリ分岐シテ大分県森附近ニ至ル鉄道
最初の区間は佐賀線でした。矢部川=鹿児島線の瀬高【みやま市】から先を延長して豊肥線肥後大津を結ぶ線の途中、隈府【菊池市】から分岐して久大線豊後森付近の恵良に至る線の一部が宮原線だったのでした。
最後は、またも「杖立への道」と関係ない余談になってしまいました。
[91329] 2016年 9月 4日(日)16:33:32hmt さん
金山
[91324] 伊豆之国さん
[91327] Takashiさん

「金メダル」がランキング最高位を示す言葉であることは、この落書き帳の十番勝負などでも使われています。
金メダルの元祖?であるオリンピックの金メダルは、銀製メダルの表面に6g以上の金メッキしたものと定められているとか(規則70 付属細則2-2)。

それはさておき、金属としての素材価格は金と同水準の貴金属【白金やロジウム】もあるのに、それらを遥かに凌ぐ人気を集めているのは、金独特の「黄金色」と、金貨や工芸品として親しまれてきた?歴史の重さがあるためと思われます。

その金を産出する国と言えば…反射的に南アフリカと答えてしまうのは、10年前の知識でした。
金の国別産出量の推移を見たら、中国が躍進していることに驚きました。
世界全体の生産量も年間3000tで、白金の200t、ロジウムの30tとは桁違いの規模であり、旺盛な需要に応えています。

では、マルコポーロが 黄金の国ジパング と紹介した日本の現状は?
2013年の世界ランキングを見ると、金の生産量は世界40位の 7.4tでした。
生産量には廃棄物リサイクルや輸入鉱石からの生産量も含まれるでしょうから、国内金山からの産出量は これより少ないと思います。

その中で年間約7tの金を算出しているのが、鹿児島県伊佐郡菱刈町から 2008年に伊佐市になった菱刈鉱山です。規模は外国の鉱山よりも小さいながら、鉱石1tに平均40gの金を含む 高品位の鉱石を産出しています。

住友金属鉱山の特設ページには、日本の主要金山における産金量累計値(2015年3月末現在)がありました。
これによると、菱刈は長い歴史を持つ佐渡が閉山までに算出した金の2倍半以上を産出して稼働中。
3位の鴻之舞鉱山(北海道オホーツクの紋別市)も住友で、1955年の約3tが最高。
4位も鹿児島県で、三井串木野鉱山は、2009年に採掘再開とあり、また薩摩半島南端に近い知覧町【2007年南九州市】に赤石鉱山を操業し、金鉱石の採掘を行ない、国内の銅製錬所に販売しているそうです。

5位の鯛生(たいお)金山も、昭和初期の全盛期には東洋一の金産出量で、従業員3000人の大金山だったそうです。
1972年閉山となった鯛生金山跡は、佐渡鉱山と共に経済産業省による 近代化産業遺産群33 の一つ「19.金山」として認定されました。
鯛生金山の年間産金量は1938年に2.3tを記録し、佐渡を上回る日本一の金山になった記録もあります。リンクの 68/121コマ。

鯛生金山の跡は、地底博物館・鯛生金山 として公開されています。
その所在地は日田市中津江村[91229]。9/18にオフ会が開かれる杖立温泉から梅林湖・蜂の巣湖沿いに遡り、国道442号に出た地点から西に進んだ大分・福岡県境付近です。

ここで会うたも何かの縁 遊んでいってくんなまし
オフ会にクルマで参加する方の中で、翌日に 鯛生金山跡を地底探検してみる気になった方が出現するようならば、ぜひとも連れて行っていただきたい。そんな下心も含めての金山紹介でした。
[91405] 2016年 9月 16日(金)15:19:05【1】hmt さん
杖立川
オフ会を前にして、天気を気にしながら、開催地付近の地理の「にわか勉強」を始めた hmtです。

「杖」を頼りに歩行する身としては、「杖立」という地名が 気になります。
甲州や四国には「杖立峠」があるようだが、九州の杖立の由来は?
温泉の薬効で寝たきりの人が杖で立てるようになったとか、各地に残る弘法大師の逸話とかもあるようだが、どうも温泉の宣伝くさい。

私が自分勝手に尤もらしいと思っている自説を紹介してみます。

大分県豊後国日田郡。東でなく、西の有明海に注ぐ筑後川の流域という異色の位置。
日田盆地には、大別して3方向から川が集まっています。一つは久住山北麓から日田へと西流する玖珠川で、かつては 流路の長いこの川が 筑後川の本流とされていたようです。

現在の本流は、阿蘇外輪山北側から 熊本県内を北西へと流れる杖立川です。
杖立川の上流を辿ると、南小国町東端付近から国道442号沿いに 田の原川 という名で流れており、小国町宮原で 志賀瀬川 を合流した後で 杖立川 という名になります。杖立温泉の少し先で 津江川 を合流していましたが、松原ダム完成後の合流点付近は 梅林湖 になっています。
松原ダムを過ぎると 大山川 という名になり、途中で大山ダムから流れてくる 赤石川 と合流し日田盆地に集まります。
川の本流の選び方はいろいろあるようです。阿賀野川の記事[67150]では 勾配説を支持しましたが、筑後川の場合は 流域面積の広さから 大山川・杖立川が本流に選ばれたようです。

3番目は、主として津江山と呼ばれた日田郡南西部の山地の水を集めてくる 津江川 です。その上流は鯛生金山[91329]のあった中津江村や、上津江村の 川原川 などで、下筌(しもうけ)ダムの蜂の巣湖[91229]を経て 前記松原ダムの手前で杖立川に合流します。

その 丁字形合流点の姿に基づいて、阿蘇の北から流れてきた方を「津江(つえ)竪川(たてかわ)」と呼んだのではないでしょうか。
参考までに、川の「たて・よこ」については、[75307]の末尾に説明してあります。

「杖立」に関する詮索はさておき、筑後川の範囲を国土交通省の地図で確認してみました。
筑後川河川事務所によると、「その源を熊本県阿蘇郡 瀬の本高原 に発する筑後川」と記されています。

つまり、筑後川とは 南小国町東端付近の高原から発する「延長143kmの幹線流路全体が筑後川である」ということのようです。
筑後川管内図indexは4段5列に分割されており、 杖立温泉は3段4列目の14図になります。
管内図 14を開いて見ると、その右下付近、赤丸「小国」の上流側に「筑後川」の名が明記されていました。普通の地図に記されている名は、田の原川→杖立川→大山川→三隈川→筑後川と変ってゆくのですが、河川管理上は一貫して「筑後川」ということなのでしょう。
【追記】
管内図の凡例(10図):赤丸は雨量観測所、緑丸は名所旧跡

三隈川→筑後川はアーカイブズ 場所によって名前の変わる川にも収録されていますが、日田の上流で更に3種類もの違う名前が使われているのは、特筆に値すると思います。

なお、管内図の筑後川源流部は3段5列目 15図の下方、南小国町東端付近です。少し西の国道442号沿いには赤丸「黒川」があり、こちらが福岡からの高速バス終点と推察します。【14図右端の緑丸「黒川温泉」は誤記?】

今回は日田盆地よりも上流部を話題にしました。
そこには、下流部の平野を蛇行する常識的な「筑後川」とは 大きく違う  林業地帯が広がっていることを認識しました。
国土交通省の 明日を拓く川~筑後川 には、歴史・地域・自然・災害の4章に亘る解説がありました。
最後に、本来の?筑後川に関する余談を2項目だけ付属しておきます。

1 早津江川【管内図11】  河口近くにも津江川の仲間がある? [42269] 2県にまがたる中州

2 ちっこ川 かぱぷうさんのメーリングリスト[off:00066]により、この呼び方を知りました。
[91406] 2016年 9月 16日(金)19:05:48hmt さん
地域創造に挑戦する大山町
[91405] 杖立川 を書く過程で眺めていた地図で、杖立と日田の間にある一つのダム湖が、なんとなく目に止まりました。

ダム便覧で 調べてみると、大分県日田郡大山町は 村起こしで有名な「一村一品運動」発祥の地でした。

大山町の立地は山間部で稲作の好適地ではない。でも頭を使って特色ある農作物を創造すれば、豊かな未来を実現できるのではないか。
50年以上前の話になりますが、1961年に始めたのが「ウメ・クリ植えてハワイへ行こう」というキャッチフレーズで始めた特産物の栽培、加工による村起こし運動でした。その成功を見た当時の大分県知事平松守彦により、「一村一品運動」は大分県全体に広がりました。

このような実績のある地域ですが、筑後川水系は1953年の大水害(梅雨前線)を始めとする治水問題もかかえ、国土利用を計画するにあたってのダムのあり方など、解決すべき問題が残されていました。
赤石川沿いの谷間にあった大山町が選んだ方策は、地域を良くする手法として国の事業を取り入れること。町としてはダム造りが目的なのではなく、地域振興のためのダム建設。

こうして 1979年には ポスト「ウメ・クリ運動」としての水資源対策活動がスタートしました。
1991年の台風による風倒木被害に教えられた水源林づくりを長期計画で推進。大山町の水の最大利用者である福岡市との協力体制。ユニークな発想による「おおやま生活領事館イン福岡」を実現。
河川維持流量を確保して、響き鮎の育つ大山川を再生。ウメ・クリ運動の原点とも言える「梅文化」をテーマにした観光施設を運営する会社組織。そして次世代の育成。

杖立訪問を機に調べた結果、偶然出会った 三笘町長の講演を題材にした 大山町の地域作りの概要です。
私の理解は未熟ですが、各地での地域振興の参考になれば幸いと考え、記事にしてみました。
末尾の まとめページをリンクしておきます。関心のある方は、全文にあたってみてください。

落書き帳関連ではダム湖コレクションへの情報提供>美濃織部さん
ダム湖の名は「烏宿湖」です。出典は冒頭付近でリンクしたダム湖便覧。
烏宿湖 うしゅくこ 筑後川水系赤石(あかし)川 大分県日田市大山町 大山ダム

もう一つ、熊本県側で偶々目についたダム湖
斑蛇口湖 はんじゃくこ 菊池川水系迫間川 熊本県菊池市龍門 竜門ダム


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