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コモアしおつはバブル期、通勤圏が山梨県・福島県まで延びた時代の象徴ですね。
この入居の影響で上野原町の人口は一時2千人増えましたが。
上野原町には一時、大相撲の花籠部屋もありました。
竜ヶ崎市の式秀部屋の記録を抜き「両国から一番遠い相撲部屋」と注目され、次は那須や越後湯沢にも部屋ができるんじゃないか、と言われましたし、山梨県の相撲部屋ということで地元紙・山梨日日新聞も大々的に扱ったものですが、残念ながら(?)96年に両国近くへ移転しました。
親方(元太寿山)も進出当初は「八王子のちょっと先だ」と言っていたのが、「朝早く相撲教習所へ行く新弟子の送り迎えで、冬は道路が凍結して大変だった」と音を上げていましたが。
丘陵団地という点では、西宮名塩ニュータウン(ここも駅とエレベーターかエスカレーターで結ばれていますね)や、広島・瀬野のニュータウン(スカイレールで結ばれた所)と比較してみるのも面白いですね。
ちなみにコモアしおつには、著名な鉄道ジャーナリストが住んでいらっしゃいますね。
以前四方津まで行ってきましたが、木造駅舎にコモアしおつへ行くエスカレーターがミスマッチでした。
猿橋には桂台があり、新交通システムが通っていますし、駅舎の改築されています。
猿橋には、大手デベロッパーによる山梨県での住宅団地開発の先駆けとなった「四季の丘」がありますね。
1981年に分譲していて、その頃私の家でマイホームを探していた頃なので、小学2年の私も「住宅情報」をむさぼり読んでいたものですが、家族で蓼科高原へ行くのに山梨県を通り(この時初めて山梨県の存在を知った)、それで山梨県にも分譲住宅があると知って驚いたものです。
まだまだ地理的なことは分からなかった頃ですが、それでも山の中の、すごく遠いところというイメージがありましたから。
この「四季の丘」を分譲していたのが積水ハウスでしたが(当時からあの♪おおきくふくら~む・・・というCMソングは印象強かったのです)、コモアしおつの開発の中心になったのがまた積水ハウスで、一方桂台の開発の中心になったのはJR東日本ですが、その場所が「四季の丘」と同じ猿橋とあって、何かつながりを感じさせますね。