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落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[12380]2003年4月3日
夜鳴き寿司屋
[42163]2005年6月9日
hmt
[42173]2005年6月10日
Issie
[42234]2005年6月11日
hmt

[12380] 2003年 4月 3日(木)19:41:53【1】夜鳴き寿司屋 さん
南アフリカにあった飛び地国家
 誤解されるようですが国際的にはまったく承認されていなかった国の話です。かつて南アフリカが悪名高きアパルトヘイト(人種隔離政策)を行っていた当時に、国内の被差別住民(黒人)を部族ごとに10箇所の「ホームランド」と称する不毛の土地に収容していたのですが、南アフリカ政府は彼らの住むホームランドのうちトランスカイ、シスカイ、ベンダ、ボプタツワナの4カ国を「独立」させ、彼らの南アフリカ国籍を剥奪し、国内の鉱山で働かせる場合には「外国人労働者」として差別的待遇をして、いかにも「合法的」に扱っていますというポーズをしていたが、国際社会が騙されるはずもなく南アフリカ以外には承認すらされていなかったです。

 これらの「国」は白人政権にとって利用価値の無い土地をかき集めたため、「国土」も南アフリカ各地に散らばっており、とてもまともな行政はしていなかったのは確実でした。

南アフリカのホームランドの分布地図
http://www.lib.utexas.edu/maps/africa/south_african_homelands.gif

「ボプタツワナ共和国」の地図
http://www.lib.utexas.edu/maps/africa/bop_77.jpg

 これらの国には「大統領」と「議会」が存在し、独自の郵便切手も使用していたのですが、マンデラ政権が成立し南アフリカの政治が正常化して「独立」も取り消されたので、現在では「消滅」国家になりました。かつては地理の教科書にアパルトヘイト(人種隔離政策)が掲載されていたのですが、現在では過去のものになって本当によかったです。

ちなみに上記のリンク先ですが「世界の飛び地領土研究会」のHPからの引用ですが、世界には本当に多くの飛び地が存在しているのですね。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/index.html
[42163] 2005年 6月 9日(木)23:43:16【2】hmt さん
西洋版・裏表の国名
[42151] Issie さん
創作当初は「トランスヨルダン Transjordan 」という名前でした。
Transjordan とは要するに「川向こう」という意味ですね。

1950年からの国名 al-Mamlaka al-Urdunniya al-Hashimiya の日本名は、「ヨルダン・ハシミテ王国」と思っていたのですが、外務省の頁を確認してみたら、「ヨルダン・ハシェミット王国」になっていました。近年、日本名を変更したのかな?

「向こう側」国名としては、ずっと昔のことですが、「トランシルバニア(Transylvania)公国」というのがありました。ルーマニア中部・北西部。
「森の彼方」という意味のこの地名、ローマ帝国からの視点かと思ったら、そこまでは遡らず、マジャール人がハンガリー平原からカルパチア山脈の方を呼んだ地名のようです。

「トランスバール共和国」というのもありました(1852-1877,1880-1902)。
南アフリカに植民したオランダ人の子孫など(ブール人、英語読みはボーア人)は、ナポレオン戦争後に流入したイギリス人にケープ地方を奪われ、1836年に大移動を開始し、バール(Vaal)川を渡った「向こう側」の奥地に新天地を開拓しました。この国(Transvaal)の最初の名は、「南アフリカ共和国」で、1954年には、その姉妹国の「オランニエ自由国」(英語ではオレンジ)も建国しました。
ところが、奥地だった所は1867-8年以降、金鉱やダイアモンドが発見された宝の山になり,セシル・ローズ(ローデシアという地名の由来)に代表されるイギリス人が入ってきて、国立公園に名を残すクリューゲル大統領の「トランスバール共和国」と衝突しました。そして、ボーア戦争に発展。結果はイギリスの勝利に終わり,「トランスバール共和国」は「オランニエ自由国」と共にイギリス領南アフリカに編入されました。「南アフリカ連邦」(1910-1961)を経て、現在は「南アフリカ共和国」。

20世紀の裏表国名
アパルトヘイト政策により、南アフリカ共和国内に作られたアフリカ人自治地域に、トランスカイ(Transkei)とシスカイ(Ciskei)がありました。一応は「独立国」?だったそうですが。

# シス(こっち側)、トランス(向こう側)というペアは、元・ケミストにとっては、なつかしい名前です。
[42173] 2005年 6月 10日(金)01:29:57Issie さん
ツィス/トランス
[42163] hmt さん
トランスカイ(Transkei)とシスカイ(Ciskei)

1866年の普墺戦争に敗れ北・中ドイツに対する覇権を失ったハプスブルク帝国(オーストリア)は帝国内のハンガリーに広範な自治権を与えて,それぞれに独自の憲法と行政府・立法府および軍を持つ オーストリア と ハンガリー の2つの“国”が外交・財政・軍事政策に関する“共通の政府”を持つ「二重帝国」に編成替えされました。
このとき,オーストリア部分は「ツィスライタニア」,ハンガリー部分は「トランスライタニア」と呼ばれました。ウィーン南方の ライタ川 が,両国の境界とされていたからです。
…ウィーンから見た呼称ですね。

ツィスライタニア = オーストリア には,
現在のオーストリアのほかに,チェコ,ポーランド南部,ウクライナ南西部,スロベニア,ダルマチア(クロアチア西沿岸部)などが,
トランスライタニア = ハンガリー には,
現在のハンガリーのほかに,スロバキア,クロアチア,トランシルバニア(ルーマニア西部)などが,
それぞれ含まれていました。

「道前/道後」なんてイメージ,ですかねぇ。
[42234] 2005年 6月 11日(土)17:06:50hmt さん
シス・トランス
[42219]faith さん
「シザルパン」という(おそらく)TEE の列車がありました。(中略)"Cisalpin" だったんですね。

「シザルパン」は、ミラノ・中央駅とパリ・リヨン駅を結ぶ TEE列車でした。
「トランザルピン」という列車もありました。これは チューリッヒとウィーンとを結んでいました。
アルプスの南側(日本流に言えば「山陽」?)のイタリアから見た「こちら側」「あちら側」です。

シス・トランス地名として、国名[42163]ではありませんが、世界史上に重要な地名として、「トランスオクシアナ」も出しておきましょう。「オクサス川(アムダリヤ)の向こう側の土地」の意味です。

乾燥地帯が大部分を占める中央アジアの中で、トランスオクシアナは、アム川とシル川との間にある豊かな土地で、アレクサンドロス大王もチンギズハンもここを征服しました。
その後の時代の征服者・チムールは、ここ「マー・ワランナフル」が本拠地でした。

この名はイスラム時代になってからの呼び名で、「川の間」という意味です。現在はウズベキスタンなど数ヶ国に属しています。
サマルカンドは、トランスオクシアナと呼ばれた頃からの代表的な都市でした。

どうやら、地名としては、「トランス○○」(=○○の彼方)という用例が普通で、「シス」の付く地名はあまりないようです。

その希少な実例である「シスカイ」。地図を示しておきましょう。着色で示してあるホームランドの中で、最も南にある国です。

それにしても、この南アフリカの地図。飛び地ファン?にとっては、こたえられない地図でしょうね(笑)。


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