[42151] Issie さん
創作当初は「トランスヨルダン Transjordan 」という名前でした。
Transjordan とは要するに「川向こう」という意味ですね。
1950年からの国名 al-Mamlaka al-Urdunniya al-Hashimiya の日本名は、「ヨルダン・ハシミテ王国」と思っていたのですが、外務省の頁を確認してみたら、「ヨルダン・ハシェミット王国」になっていました。近年、日本名を変更したのかな?
「向こう側」国名としては、ずっと昔のことですが、「トランシルバニア(Transylvania)公国」というのがありました。ルーマニア中部・北西部。
「森の彼方」という意味のこの地名、ローマ帝国からの視点かと思ったら、そこまでは遡らず、マジャール人がハンガリー平原からカルパチア山脈の方を呼んだ地名のようです。
「トランスバール共和国」というのもありました(1852-1877,1880-1902)。
南アフリカに植民したオランダ人の子孫など(ブール人、英語読みはボーア人)は、ナポレオン戦争後に流入したイギリス人にケープ地方を奪われ、1836年に大移動を開始し、バール(Vaal)川を渡った「向こう側」の奥地に新天地を開拓しました。この国(Transvaal)の最初の名は、「南アフリカ共和国」で、1954年には、その姉妹国の「オランニエ自由国」(英語ではオレンジ)も建国しました。
ところが、奥地だった所は1867-8年以降、金鉱やダイアモンドが発見された宝の山になり,セシル・ローズ(ローデシアという地名の由来)に代表されるイギリス人が入ってきて、国立公園に名を残すクリューゲル大統領の「トランスバール共和国」と衝突しました。そして、ボーア戦争に発展。結果はイギリスの勝利に終わり,「トランスバール共和国」は「オランニエ自由国」と共にイギリス領南アフリカに編入されました。「南アフリカ連邦」(1910-1961)を経て、現在は「南アフリカ共和国」。
20世紀の裏表国名
アパルトヘイト政策により、南アフリカ共和国内に作られた
アフリカ人自治地域に、トランスカイ(Transkei)とシスカイ(Ciskei)がありました。一応は「独立国」?だったそうですが。
# シス(こっち側)、トランス(向こう側)というペアは、元・ケミストにとっては、なつかしい名前です。