都道府県市区町村
落書き帳

�s���u�\�E���v�Ɋւ���L��

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[1266]2002年4月16日
Issie
[1282]2002年4月17日
Issie
[1291]2002年4月18日
夜鳴き寿司屋
[1293]2002年4月18日
たけもと
[1297]2002年4月19日
Issie
[46155]2005年10月25日
TN
[46169]2005年10月25日
Issie
[46211]2005年10月27日
実那川蒼
[46253]2005年10月28日
hmt

[1266] 2002年 4月 16日(火)00:39:59Issie さん
ソウル
> 他方、中国の地図では漢字表記が無いソウルに関しては、確か
> サンズイに「又」と云う字に「城」と続けて居た様な。それで
> 「ソウル」と読めるのでしょうか?

読めません。
「漢城=ハンソン」(サンズイに「又」というのは「漢」の“簡体字”ですね)というのが,李朝以来この都市の漢語名です。
それ以前の名前は「漢陽=ハニャン」。
いずれにせよ,「漢江=ハンガン」「北漢山=プカンサン」など,「漢」というのがこの辺りを表すキーワードなのでしょうね。恐らくは半島固有のものではなくて,中国文化の影響下での。

> ハングルは李朝時代の産物

ハングルが考案される以前には日本の万葉仮名や宣命のように,小さな漢字でテニヲハを書き込むような表記法があったようです。中にはカナのように,漢字の一部分を取り出したり,複数の漢字を融合させたりしたものもあったらしい。
でも,日本以上に中国の影響をモロにかぶっていた半島の場合,あくまでも漢文が唯一の正式な文章であって,このような表記法が発達することはできなかったらしい。
王様が制定したハングルでさえ,実際に公式の表記法としての地位を獲得するのは近代になってナショナリズムが高まってからのことです。

固有語については“音”を借りて表記することはあったようです。古代の「加羅」なんて地名はそういうものでしょうね。
でも,日本語のような「音・訓2本建て」の漢字の使用のしかたは発達しなかった,ということです。
[1282] 2002年 4月 17日(水)21:14:37Issie さん
京城
> ソウルは「京城」と表記していましたが(日本占領時代)、これは日本が付けたものなんですか?

今,手許に中国で刊行された「簡明中国歴史地図集」という地図帳があります。もちろん,中国の歴史地図帳であって,各王朝時代の地方区分図をまとめたものなのですが,隅っこの方には朝鮮半島も日本列島も入っているのですね。

で,この地図帳では,半島に朝鮮王朝が成立した時期に相当する明代の地図(1433年)以降,この朝鮮王朝の都を「漢城」と記載しています(もちろん,簡体字で)。
現在の地図で「漢城」となっている(ただし刊行されたのが中韓関係正常化以前の1985年のせいか,半島全域が「朝鮮」(日本で言うところの北朝鮮ですね)の領域で,首都は「平壌=ピョンヤン」)のはもちろん,日本統治下で公式に「京城」と呼んでいたはずの“民国時代”1926年の地図でも「漢城」です。
ところが,清代後期の1820年の地図だけは「京城」と記載しています。中国側でそう呼んでいたのでしょうかね。

一般に「京城」というのは日本の植民地支配で日本側が勝手に呼んだ名前だと言われていますが,話はそれほど単純ではないのかもしれません。
だからと言って,今どき「支那」などと言っているどこかの知事みたいに,今さら「京城」なんて呼ぶ必要性は全くないでしょう。地元の韓国では使われないのだから。

>「金」を「キム」又は「クム」と発音する

これは地域差ではなくて,標準韓国語そのものが「金」という漢字に2つの読み方を持っているのですね。人名(姓)や地名については「キム」,普通名詞として,たとえば金属の“金”については「クム」。他の漢字との熟語をつくる場合も「クム」と読む,というような使い分けをしています。
[1291] 2002年 4月 18日(木)15:10:17夜鳴き寿司屋 さん
ソウルの書き方
 以前、新聞で在日韓国人の方が、日本の行政機関が外国人
登録証にソウルの事を「大韓民国京城特別市」と表記をしたら、
日本の植民地時代の地名を使用しないで欲しいと抗議を受けた
という記事を見た記憶があります。
 また、ある航空雑誌に「京城」と表記したところ翌号に不適切な
表現だったとの訂正が載っておりました。どうやら現在では韓国で
ソウルの事を「京城」と漢字表記するのはタブーだと思います。
 また、先日韓国からの土産(日本人向け)として頂いた菓子箱に
ある日本語の地名表記は「大韓民国SEOUL特別市」になって
いました。また余談ながら釜山とソウルを結ぶ鉄道の「京釜線」は
ソウルのある「京畿道」の頭文字だとおもいます。
[1293] 2002年 4月 18日(木)22:59:17たけもと さん
ソウル
現在のソウルを「京城」という呼びかたをしたのは日本統治時代からつかわれたと見て間違いないです。
ただ、都を「京城」と一般的に使う場合もありますが、これは固有名詞ではありません。
中国の地図は誤謬が結構あるのでISSIEさんのは誤植の可能性もなきにしもあらずです(^^;)。私もその地図持ってるんですけどね。

ちなみに「ソウル」は「みやこ」という意味です。日帝統治からの解放の際、中国語でも日本語でもない韓国固有の語をあえて都市名に用いたのです。
そのため漢字では書けません。ですので中国では昔ながらの「漢城」と表記するのは先にあるとおりです。

でも、日本語で「京城」だとタブーで中国語で「漢城」だとオーケーというのも何かおかしいよなあ・・・。
[1297] 2002年 4月 19日(金)21:04:47Issie さん
みやこ
>「京城」は「キョンソン」と読めそうですね。

そう読んで読めないことはないでしょうが,少なくとも朝鮮王朝自身がそう呼んだことはないのではないかと思います。あくまでも漢語での正式名称は「漢城=ハンソン」であり,それを固有語の「ソウル」と呼ぶこともある。
どうしても漢字(漢語)で表記する場合には「漢城」と書く。
(私,学生の頃に韓国へ旅行したとき,中国系つまり華僑である韓国人から,漢字では「漢城」と書くのだ,と教わりました。)

日本語の「みやこ」が本来は普通名詞であるのと同じく,朝鮮/韓国語の「ソウル seoul」も恐らくは「みやこ」とパラレルな普通名詞だと思います。ただ,同時に中国の皇帝と朝鮮王朝の国王とがそれぞれ1人ずつしかいない(はず)なのと同様に朝鮮王朝の都も1つしかありませんから,結果として「ソウル」は1ヵ所しかない,つまりは事実上の固有名詞と同じことになるのでしょう。
考えてみれば,日本語の「京都」も本来は固有名詞ではなく,普通名詞です。
ついでに「東京遷都」や都市名変更の詔勅が出ていない以上,“あの都市”の正式名称は今でも「平安京」であり,今でも「みやこ」でありつづけているのではないかと思われます。
ときどき,京都の人はこんなジョークを言いますね。「天皇は1869(明治2)年以来,ずーーーーーーーーーーっと“東京”へ「長い旅行」へ行ったきり,いまだに帰ってこない」。

少なくとも日本では「京城」という表現は1910年の韓国併合よりもずっと以前,恐らくは明治初めの頃から使っていたようです。これが豊臣秀吉の朝鮮侵略の段階に使われていたかどうかは,私は知らないのですが。
韓国・北朝鮮の鉄道幹線である「京釜線」「京義線」「京元線」は日本が敷設したものです。少なくとも鉄道を計画・設計・敷設・運営した日本人は「京=京城」と理解していたことでしょう。
「京」が「京城」を表すかどうかは別にして,この字が首都を意味するという点では韓国の人でも共通なのではないかと思います。わざわざ「釜山」と等価ではない地域呼称(道名)である「京畿道」を出さずとも,「新義州」や「元山」と等価のソウルを「京」と表現することに,韓国の人が異を唱えることはないかと思います。
[46155] 2005年 10月 25日(火)08:52:35TN さん
首爾
「ソウル」の中国語表記、「漢城」から「首爾」へ
というニュースが昨日伝えられておりました。
現地語の発音に近い
というのも理由の一つに挙げられてますが、「首爾 shouer」は日本人の苦手な捲舌音(反り舌)+儿(アル)化音。舌をスプーン状にして(かつ、口腔の天井に舌を付けない)ショ、すぐさま口を尖らせウ、これを滑らかにショウ、すかさず舌をヒョイと持ち上げてウのような感じで。3声+3声なので前の3声(気落ちした時のあぁあ)が2声(驚いたときのえぇ)に変調(ニィハオの発音)、この声調をショウアルに被せる。
はたして現地音に近いのかな?
最近のCMに出てくる「好吃」、これも難しいですね。
[46169] 2005年 10月 25日(火)21:30:44【1】Issie さん
Re:首爾
[46155] TN さん
はたして現地音に近いのかな?

少なくとも,「漢城:han4-cheng2(ハンチョン)」よりは近い,とは言えそうです。

ここでも少し前に話題になっていたかと思いますが,

もともと「首爾」という表記を提唱したのは韓国側のソウル市長でした。
「首都」という字義を残しつつ「ソウル」に近い音の漢字表記を探して「首爾」という文字が選ばれたのだそうです。
しかし,この表記について中国側は甚だ消極的で,提唱以来10ヵ月を経てようやく受け入れたものであるようです。
以後は「首爾」で定着するのでしょうかね。
それより,北京政府の支配の及ばない台湾(中華民国)や東南アジアの華人社会ではどうなのでしょう。
(もしかしたら,以前にも書いたかもしれませんが,日帝三十五年=日本の植民地支配の象徴とも言われて現代の韓国では忌避される「京城」の出所は,いったいどこなんでしょう。)

日本の場合は幸いなことに,天皇の詔勅による“正式名称”を「平安京」と呼ぶはずの都市について,その後に定着した呼称が“漢語系”の「京都:きょうと」(奈良時代に「正式」とされた“漢音読み”の「けいと」ではなく,慣用的な“呉音読み”ですが)であったのでさほど問題にはならないのですが,これが「ソウル」の場合のように“固有語系”の「みやこ」が定着してしまっていて,しかも“固有語”を漢字にあてはめて“訓読み”を行う(「都」と書いて「みやこ」と訓で読む)習慣が成立していなかったら,つまり「みやこ」を漢字で書く方法が成立していなかったとしたらどのようになっていたことか。
実際,16~17世紀のヨーロッパではキリシタン文書経由で,たとえば Meaco(メアーコ) のような表記の方が行われていたようです。

“首都”ないしは“旧都”という字義を残しつつ,「みやこ」に近い音の中国語表記をするとしたら,どのような文字があるのでしょうね。
[46211] 2005年 10月 27日(木)00:31:02【1】実那川蒼[紫魔法師] さん
外国の地名表記のお国柄
[46169](Issieさん)
それより,北京政府の支配の及ばない台湾(中華民国)や東南アジアの華人社会ではどうなのでしょう。
台湾のある旅行会社では「首爾(漢城)」と併記していますから、台湾でも「首爾」を使うつもりのようです。台湾だけ意地を張ってみたところで、最悪ほかの国に相手にされなくなる危険性もありますし(つい最近も中華民国とセネガルと断交したという話題がありました)、現在となっては正当性に乏しい「漢城」を使い続ける意味もないと思います。

つまり「みやこ」を漢字で書く方法が成立していなかったとしたらどのようになっていたことか。
韓国の首都の表記問題がここまでややこしい話になってしまったのは、地名の表記や読み方に関わる常識が、漢字文化圏とそれ以外で大幅に異なることが原因です。世界の大部分の地域では、外国の地名は「(A)自国語の文字を用い、自国語で発音できる範囲で現地語に近い発音をする」というのが常識ですが、漢字文化圏では相手の地名に漢字の表記がある場合は「(B-1)その地名に使われている漢字を用い、現地語の発音に関係なく、自国語の漢字の発音を用いる」となり、漢字の表記がない場合は「(B-2)現地語の発音に近い発音を借りた漢字を用い、その漢字の自国語の発音を用いる」となります。基本的には漢字文化圏の内側で(B-1)、外側で(B-2)を適用することになりますが、もちろんいずれにも例外はあり、また漢字文化圏でも表音文字が普通に使われている日本語や韓国/朝鮮語では(B-1)のみを用い、(B-2)は用いません。

その中で、かつて「漢城」という地名で(B-1)だった都市が、元来漢字表記を持たない「ソウル」と改称してしまったために、(B-2)に変わってしまい、そこでボタンの掛け違えが生じてしまったのですね。韓国/朝鮮語には(B-2)の習慣がなく、ほったらかしにしていたら中国側はそのまま(B-1)に基づく「漢城」を維持し続け、ズルズルと21世紀まで来てしまったのです。

もし中国語が、漢字表記のない地名を注音符号で表記するといる表記法になっていたらどうなっていたことやら。

P.S.
稲生さん、TNさん、いっちゃんさん、inakanomozartさん、matsuさん(投稿順)、[45940]に対する返答ありがとうございました。今はまだ私個人の環境(ネット環境を含む)が落ち着いていないので、返答に対する私の回答はもう少し時間をください。
[46253] 2005年 10月 28日(金)13:54:29hmt さん
ソウル(みやこ)
[46155]TN さん
「ソウル」の中国語表記、「漢城」から「首爾」へ というニュースが昨日伝えられておりました。

これに関連して、この都市の呼び方に関する記事を過去ログから拾い、項目別に整理してみました。一つの記事を複数の項目に記した場合もあります。また、改行省略・中間省略など表記を若干変更した箇所があります。

中国での表記

[1263] 深海魚[雑魚] さん
ソウルに関しては、確かサンズイに「又」と云う字に「城」と続けて居た様な。それで「ソウル」と読めるのでしょうか?
[1264] たけもと さん
これは「漢城」の簡体字ですね。かつて李氏朝鮮時代のソウルのことをこう読んでいましたが、「ソウル」ではありません。
[1282] Issie さん
今,手許に中国で刊行された「簡明中国歴史地図集」という地図帳があります。……で,この地図帳では,半島に朝鮮王朝が成立した時期に相当する明代の地図(1433年)以降,この朝鮮王朝の都を「漢城」と記載しています(もちろん,簡体字で)。現在の地図で「漢城」となっているのはもちろん,日本統治下で公式に「京城」と呼んでいたはずの“民国時代”1926年の地図でも「漢城」です。
ところが,清代後期の1820年の地図だけは「京城」と記載しています。中国側でそう呼んでいたのでしょうかね。

[23994] miki さん
中国の地図は朝鮮半島が「朝鮮」1国で首都は平壤。ちなみにソウルは「漢城」です。
[24008] 夜鳴き寿司屋 さん
私の家にある地図(1992年製)もそうなっておりましたが、2003年4月に北京で購入した複数の地図では、日本と同じように南北朝鮮を別々に書いていました。
[24004] 熊虎[月の輪熊] さん
「漢城」と大書された中国語版のソウルの地図は見たことがあります。

ソウル

[1293] たけもと さん
ちなみに「ソウル」は「みやこ」という意味です。日帝統治からの解放の際、中国語でも日本語でもない韓国固有の語をあえて都市名に用いたのです。
そのため漢字では書けません。ですので中国では昔ながらの「漢城」と表記するのは先にあるとおりです。
[1297] Issie さん
日本語の「みやこ」が本来は普通名詞であるのと同じく,朝鮮/韓国語の「ソウル seoul」も恐らくは「みやこ」とパラレルな普通名詞だと思います。ただ,同時に中国の皇帝と朝鮮王朝の国王とがそれぞれ1人ずつしかいない(はず)なのと同様に朝鮮王朝の都も1つしかありませんから,結果として「ソウル」は1ヵ所しかない,つまりは事実上の固有名詞と同じことになるのでしょう。
考えてみれば,日本語の「京都」も本来は固有名詞ではなく,普通名詞です。

京城

[1282] Issie さん
ところが,清代後期の1820年の地図だけは「京城」と記載しています。中国側でそう呼んでいたのでしょうかね。
一般に「京城」というのは日本の植民地支配で日本側が勝手に呼んだ名前だと言われていますが,話はそれほど単純ではないのかもしれません。
[1293] たけもと さん
現在のソウルを「京城」という呼びかたをしたのは日本統治時代からつかわれたと見て間違いないです。
ただ、都を「京城」と一般的に使う場合もありますが、これは固有名詞ではありません。
中国の地図は誤謬が結構あるのでISSIEさんのは誤植の可能性もなきにしもあらずです(^^;)。
……でも、日本語で「京城」だとタブーで中国語で「漢城」だとオーケーというのも何かおかしいよなあ・・・。
[1294] 深海魚[雑魚] さん
片仮名表記の不正確さは在りますが「京城」は「キョンソン」と読めそうですね。
[1297] Issie さん
そう読んで読めないことはないでしょうが,少なくとも朝鮮王朝自身がそう呼んだことはないのではないかと思います。あくまでも漢語での正式名称は「漢城=ハンソン」であり,それを固有語の「ソウル」と呼ぶこともある。
……少なくとも日本では「京城」という表現は1910年の韓国併合よりもずっと以前,恐らくは明治初めの頃から使っていたようです。これが豊臣秀吉の朝鮮侵略の段階に使われていたかどうかは,私は知らないのですが。

漢城・漢陽

[1266] Issie さん
「漢城=ハンソン」…というのが,李朝以来この都市の漢語名です。それ以前の名前は「漢陽=ハニャン」。…「漢」というのがこの辺りを表すキーワードなのでしょうね。恐らくは半島固有のものではなくて,中国文化の影響下での。
[24004] 熊虎[月の輪熊] さん
「漢城」と大書された中国語版のソウルの地図は見たことがあります。
「漢城」は朝鮮王朝時代の呼び名です。「漢陽」とも呼ばれていましたが、現在、両方の名前を冠した「漢城大学」と「漢陽大学」(ともに私立)があります。
[38328] hmt
東西に流れる河では、陽ざしのあたる側(sunny side)である北岸の斜面が「陽」、南岸の斜面が「陰」。
李成桂が「朝鮮国」の都にした「漢陽」も漢江の北岸ですね。現在のソウル。

補足

古くは帯方郡に属したこの地は、8世紀、新羅(この時代のソウル(みやこ)は慶州)の景徳王の時代に漢陽郡が置かれました。揚州とも言われた高麗時代(ソウル(みやこ)は開京、現在の開城)のはじめには、北漢山の霊域が名高いだけの寒村でしたが、11世紀に南京留守官が置かれてから都市として発展。
漢陽府と改称されたのは高麗忠烈王34年(1308)。
朝鮮国(1392-1910、1897年に大韓帝国と改称)の時代になると、太祖李成桂の3年(1394)に開城から遷都し、翌年漢城府と改称。これ以降約500年間の大部分の期間は、漢城が朝鮮国のソウル(みやこ)として繁栄しました。

1910年の日本統治よりも古い時代に使われた「京城」[1282][1297]については、特に材料を持っていませんが、「みやこ」を表わす普通名詞としては、日本だけでなく、中国や朝鮮でも使われた言葉なのではないでしょうか。つまり、正式の都市名は「漢城」であっても、話し言葉の「ソウル」や、それに対応する?慣用的な書き言葉として「京城」が使われるケースもあり、たまたま1820年の中国の地図にはその表記が記録されてしまったというような事情を想像します。

過去の記事内容を少し整理してみました。引用を主とする記事で失礼します。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示