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落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[17623]2003年7月1日
せか
[22012]2003年11月15日
hmt
[22028]2003年11月16日
faith
[22066]2003年11月17日
hmt

[17623] 2003年 7月 1日(火)06:16:16せか さん
折半交流
[17453] 雑魚さん
実際に、どの様な基準で人選が行われたのか、御存知でしょうか。

ご存知かとは思いますが、1947年3月末時点での旧中・高女の1・2年生は同年4月から新制中学(併設中学)の2・3年生に、同じく3・4年生は1年間の準備期間を経て1948年4月から新制高校の2・3年生になりました。大阪府では、前者の各半数が居住地によって強制的に転校となり、後者は本人の希望による転校とされました。

大阪府外では姫路東・西高の例しか存じませんが、他にもあったのかな。

加古川東・西高校も該当します。姫路西高校と加古川東高校は兵庫県内の他の旧中系の高校とは異なり、校名に東西がついていますが、これは折半交流した高女系の高校があることを示しています。ちなみに、姫路西高校ではくじ引きで転校する生徒を決めました。

[17063]
藩校振徳堂の創設をもって篠山鳳鳴高校の創立とするなら、姫路西高校の創立は藩校好古堂の創設時でしょうね。

県立1749)姫路西藩校好古堂、4郡組合立勧開中学、6郡組合立姫路中学、播磨14郡組合立
姫路中学、県尋常中学、県姫路尋常中学、県姫路中学、県立姫路中学
1927)赤穂県立赤穂中学 / 赤穂南高校
私立1889)関西学院関西学院中学部
[22012] 2003年 11月 15日(土)23:44:56【3】hmt さん
併設中学校
[22009] カッパー さん
[22010] faith さん
新制の「高等学校併設中学校」のことです。
昭和22年度に新制(6・3・3制)への切り替えがあり、旧制中等学校が廃止されて新制高等学校に生まれ変わりました。
旧3年生以上は新制高等学校にそのまま受け入れればよいのですが、旧1、2年生の扱いが問題になります。理論上は新制高等学校から追い出して新制中学校に編入することも可能かもしれませんが、旧制中等学校の入学試験に合格している生徒を追い出すことは事実上不可能です。
そこで彼らを実質的に新制高等学校にそのまま受け入れるため、「併設中学校」を作りました。
昭和24年度には旧制中等学校最後の昭和21年度入学生も高等学校1年生になるので「併設中学校」は2年間で消滅します。当然のことながら併設中学校には新入生はいませんから、私たちは高校入試を免れた代りに昭和21年度から24年度まで最下級生の地位に甘んじていました。
私の学校は神奈川県立ですが、これに限らず全国的に設置されたものと思っています。

【1】訂正
4行目の「旧制中等学校が廃止されて」は間違いでした。
旧3年生以上には、新制高等学校への進学と、旧制中等学校に居残ることの2つの選択肢が与えられたのでした。従って旧制中等学校は、旧3年生が卒業する昭和23年度まで存続したのでした。同窓会名簿を見ると、最後の旧制卒業生として、昭和24年3月卒業が少数ながらおられます。【2】脱落部に気づき挿入訂正
たまたま制度変更の現場に遭遇した者が、自分なりに理解していた事情を説明したもので、違う学年のことになると、このようにボロガ出ます。
最終行の「全国的に設置された」との推測も資料に基づいたものではありません。
専門家が復帰されたら、何かフォローして下さるかもしれません。

【3】
4行目の「昭和22年度…」は「昭和23年度…」の誤りです。3行目、8行目も不正確な言い方です。[22046] をご覧下さい。
[22028] 2003年 11月 16日(日)13:46:03【1】faith さん
併設中学校
※以下は一度22028番として投稿しましたが、訂正が多くてややこしくなりましたので、元発言を削除して再投稿します。

[22012] hmt さん

解説ありがとうございました。
設置された趣旨はお話から良く分かりました。

手元の書籍には(元となった)旧制中学校などに併設されたようにありましたので、
そのように[22010]に書きました。
google でサーチしてみても、いずれの表現もあり、不思議に思いましたが、

http://www.kochinet.ed.jp/kennakamura-jh/enkaku.htm
http://www.ishikawa-c.ed.jp/~iidaxh/gaiyo/enkaku.html

の年表にあるように、
- 当初は旧制中学校などの旧制中等学校の併設中学校として設置(併設中学校自体は新制)された
- 新制高等学校の発足時に新制高等学校の併設中学校となった
と理解してよさそうです。

いずれにしろ、お話のように、いったん旧制に合格している生徒を5年制から3年制に移るときに
どう処遇するかということですから、設置主体は元の旧制中学校などと同じなのが当然ですね。
(元の旧制中学校が県立であれば、併設中学校も県立である、というように)
[22066] 2003年 11月 17日(月)15:17:25hmt さん
中学校併設中学校!
[22046] の修正版です。タイトルも変えました。
[22028] faith さんの
当初は旧制中学校などの旧制中等学校の併設中学校として設置
を見て、改めて新制高等学校発足年度を確認してみたら、私が[22012] で新制(6・3・3制)への切り替えと思い込んでいた昭和22年度ではなく、最初の卒業生の出る昭和23年度でした。
というわけで
6・3制発足の昭和22年度は 「(旧制)中等学校併設(新制)中学校」、
6・3・3制発足の昭和23年度は 「(新制)高等学校併設中学校」
というのが正解のようです。faith さんありがとうございます。

いやあ、正直なところ中学2年の時に「中学校併設中学校」という奇妙な学校にいたとは、当の本人も知りませんでした。
まあ本人は旧制中学校にそのまま在学しているという感覚で、ひょっとすると「併設中学校」という正式名称も卒業證書で初めて認識!したのかもしりません。
それ以後、履歴書を含めて、併設中学校という言葉を使ったことは今回まで一度もありません。
[22009] カッパー さんが「うまれて初めて聞いた言葉」であるのも当然です。

ネット検索なら高校の沿革表中の使用例がヒットしますが、日常用語としては「死語」とも言える「併設中学」が、以前にも話題とされたところがこの落書き帳のすごいところですね。

[17623] せか さんの「折半交流」を読んで、大学時代に友人(大阪出身の男性)が「オレは女学校出身だ」と言っていたことを思い出しました。聞いた時にそんな荒療治をした府県があったのかと驚いたものです。大阪府以外、兵庫県の事例は今回知りました。
というわけで大阪府立大手前高等学校の沿革を調べたら、「大阪府立北野中学校と生徒職員を交流し、男女共学を開始」は高等学校に改名した昭和23年であり、昭和22年度に大手前高等女学校併設中学校に男子がいたわけではないことがわかりました。

最初は不明瞭な記載の釈明にとどめるつもりの修正が、ニューマターを織り込み、すっかり要旨変更になったので、新出願にします。[22046] の内容は削除し、優先権は主張しません。

というわけで、最後に業界用語を思いきり使ったので、昔の仕事が ばればれさん になりました。


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