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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[18129]2003年7月11日
琉球の風
[21946]2003年11月11日
Pachi
[28320]2004年5月16日
作々
[29197]2004年6月11日
地名好き
[29258]2004年6月12日
キュッキュ
[45409]2005年10月4日
eiji_t
[45412]2005年10月4日
般若堂そんぴん
[45421]2005年10月5日
eiji_t
[45426]2005年10月5日
般若堂そんぴん
[45434]2005年10月6日
ぐりゅん
[45437]2005年10月6日
eiji_t
[45443]2005年10月6日
般若堂そんぴん
[45445]2005年10月6日
hmt
[45450]2005年10月6日
eiji_t
[45452]2005年10月6日
hmt
[45454]2005年10月6日
ぐりゅん
[45463]2005年10月7日
般若堂そんぴん
[45491]2005年10月8日
ぐりゅん
[45495]2005年10月8日
般若堂そんぴん
[45521]2005年10月9日
ぐりゅん
[45524]2005年10月9日
BEAN
[45527]2005年10月9日
般若堂そんぴん

[18129] 2003年 7月 11日(金)10:26:41琉球の風 さん
ドクター
[18121]両毛人さん
今しがたまで放送していました孤島の医者のドラマの撮影地は与那国島とか。
コトー医師の事ですね。個人的な感想を言うと、島民役の人々があまりに標準語を使いすぎていること、「~じゃ」と話すお年寄りがいたことが少々雰囲気を欠いたと思いましたね。全国の方々が聞いても理解できる程度に緩和した方言、訛を入れて欲しかったですね。といっても、八重山地方の方言がいからるものか私自身よくは知らないのですが、NHK「ちゅらさん」程度なら妥当だと思うのですが・・・・。

先日発表された、沖縄県福祉保健部による2002年県人口動態統計によると、沖縄県の合計特殊出生率が前年より0.07減の1.76で全国一位だったそうです。29年連続で一位の記録を保持。自然増加率は全国の4.5倍の、6.4だそうです。
[21946] 2003年 11月 11日(火)22:09:14Pachi[ペナルティキック] さん
白河地方について(今回のは考えという程ではありません。)
 白河市、並びに西郷村では毎年人口が増加しています。

 白河市と西郷村の人口増の要因は若干違っています。白河市は、西白河郡や東白川郡、石川郡の一部(石川町や浅川町など)の中心都市として、また東京方面のベッドタウンとしての人口流入の結果です。
 西郷村の場合にも東京方面のベッドタウンとしての性格はありますが、『市』と『村』の知名度の差からか、東京方面からの移住者が直接、西郷村に流入することは比較的少ないです。逆に白河市(街、内)からの郊外へという「白河の住宅地」としての比重が高いのです。
 またベッドタウンでは何処でもそうですが、住宅の購買層が若い夫婦世帯である事が多いので、出生率が高く、子供が多くなります。それも人口増の一因と言えますね。

 白河市内では東京方面通勤客をターゲットとした緑ヶ丘、みさか、の両ニュータウンがあります。地元住民の一戸建て移住と半々くらいですが、白2小では自分達の少し下の世代(平成9年春)でみさか小を新設し、学区を分割しました。
白2小は各学年の最大編成5クラス想定のはずが、各学年6クラスになりかけました。総児童数1200人という緊急事態です。少子化が叫ばれるこのご時世に分校です。なかなかありえません。小学校は分校し事態は落ち着きましたが、今度は、中学校が大変です。白2中は元々、白2小単独の持ち上がりで構成されていました。(つまり全部で16クラス程しか一般教室がありません。)間が悪い事にそれも30人(?だったと思いますが、)学級の実施と重なってしまい、一学年辺り7~8クラスが必要となりました。その為、新一年生はあおりを喰らって数クラスがプレハブで授業を受けています。(現在進行形で、です。)

 白河市と西郷村は新白河駅周辺を中心に市街地が連続しています。極端な言い方をすると(駅そのものは西郷村ですが、)東口(側)は白河市、高原口(側)は西郷村、というだけなのです。また西郷村から市内への通勤も10~20分程なので、人気も高いです。先述しましたが、東京方面から白河地方へ来た場合、当初は白河周辺の事を何も知らないので、とりあえず市内のアパートで生活しても、数年後に一戸建てを買う際には、西郷村へということが良くあります。(これが間接的な流入が多い要因です。)
 また、西郷村側の新白河駅周辺では中学校が遠いという理由から小学校の時点から白河市内の白2小に通う子供がたくさんいます。プロ野球選手の鈴木郁洋選手(近鉄)も出身は西郷村ですが、白2小、白2中卒でうちの姉と同窓です。

 白河市では白河駅周辺の空洞化と新白河駅周辺の市街地化が同時進行しています。これは国道289号線(西大沼~昭和町)、主要地方道白河羽鳥線(昭和町~白河駅前)の区間と国道294号線(中町~天神町~西大沼)区間を比較走行すると顕著です。御来白の際には是非確認して下さい。

追伸、白2小(白河市立白河第二小学校)とは我が母校なのですが、いつの間にかHP上で校歌が聞けてしまういうトンデモぶりを発揮しております。是非にとまでは言いませんが、聞いてやってください。(TOPページから学校紹介、校歌の順です。)
http://www.shirakawa.ne.jp/~hakuni1/gakkou/index.html
[28320] 2004年 5月 16日(日)10:18:48【1】作々 さん
地図、新幹線、人口
お疲れ様です。

連続申し訳ありません。今朝の南日本新聞に興味深い記事が載っておりました。

まずは、三島、十島村の住宅地図が完成、ということで両村約700戸を網羅した住宅地図(ゼンリン)の販売が5月上旬より始まったということです。これにより鹿児島県の空白地も埋まり、九州・沖縄地区については離島を含む全市町村分が出揃ったことになるらしいです。
残るは小笠原諸島など26箇所らしいですが、それが何処なのかも気になるところです。
http://373news.com/2000picup/2004/05/picup_20040516_3.htm


武岡トンネルの騒音問題を抱える九州新幹線ですが、全面開通に先だって武岡トンネル南側に新トンネルを掘るという案が出されています。
九州自動車道の鹿児島インターチェンジ(IC)と鹿児島市中心市街地の約6キロを繋ぐ「鹿児島東西道路」の計画があるらしいのですが( http://www.qsr.mlit.go.jp/kakoku/hodo/h16/040507/040507_01.htm)、
整備するのは鹿児島ICから甲南高校前の中洲通りに設ける甲南IC(仮称)までの約3.4キロ。新トンネルは、武岡トンネルとほぼ並行する。2車線で、東側出口近くに建部IC(同)を設ける。武岡トンネルは鹿児島IC側から市街地向け、新設トンネルが逆方向の一方通行になる
とあります。
騒音は1/2になるということで妥協してくれということなのかしら。実は「鹿児島東西道路」のほうが興味あったりして…。
http://373news.com/2000picup/2004/05/picup_20040516_11.htm


そういえば昨日の新聞に「人口動態保健所・市区町村別統計」に関する記事が載っておりましたが、市町村別の合計特殊出生率上位30は全部九州かと感心したり、死亡に関する統計に興味を持ったり。余り深い話は言及できませんけど…。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/hoken04/index.html

*最後のパラグラフを追加
[29197] 2004年 6月 11日(金)07:45:45【1】地名好き さん
出生率1.29
出生率1.29というのが今朝のテレビニュースで大きく取り扱われていますね。
私みたいに数字に弱い素人が考えても、1カップル(男1女1)の寿命で二人が亡くなるのは必至で、その後継として二人の子供を生んで育てなければ、人口の現状維持は困難で、徐々に人口が少なくなっていくというのが理解できます。
年金は大丈夫か?とか、そういう方向のテレビニュースの内容になっていますが、深刻なのはそれだけじゃないですよね。人口が急激に減ってくると経済活動自体が困難になってきます。
自治体合併も、
[29096](この時の合併は、中央の側が地方分権を理由に半ば強制的に推し進め、今回の大合併のように関係自治体や住民の意見を聞いて進められる情況ではなくて、否応なしに一緒にさせられる気がします)
ここで私が触れたように、現実味が出てきた気がします。
[29258] 2004年 6月 12日(土)22:59:01キュッキュ さん
58番 こんにちは赤ちゃん
[29197]地名好きさん ほか
出生率・・・正しくは「合計特殊出生率」。1人の女性が一生の間に何人の子供を生むかを表す数値です。この数値が2.08を下回ると,人口が減少するといわれています。
日本では,昭和50年に2.00を切り,それ以降下降を続けています。その前,昭和41年の丙午の年にも一度1.58ということがありました。平成元年にこれを下回る1.57となったときは「1.57ショック」といわれ,そのときも大騒ぎだったそうです。来年の国勢調査は,おそらく日本の人口が最高を記録するだろうといわれています。以降は減少の一途で,西暦3000年頃には,日本の人口は1人になると予測されていますが,想像できますか?

[45409] 2005年 10月 4日(火)20:54:35eiji_t さん
今度の国勢調査は歴史に残ることなるかもしれない
[31511]白桃 さん
次の国勢調査(2005年)とその次の国勢調査(2010年)のいずれが多いか、いいかえれば、どちらが国勢調査史上最高人口となるか、は大いに気になるところであります。ピークになる年は中位推計と変わらない、ということであれば、ピークは2006年あたりでしょうか。そうなると、やはり、2005年国勢調査が最高人口となることが予測され、市町村合併の結果ともあいまって、本当に待ち遠しい国勢調査となりますね。
最近の報道ですと、どうも今回の国勢調査が人口のピークになるのは確実らしいです。
ということは日本の歴史始まって以来の事を、私たちは経験するんですね。
以前にも飢饉や戦争で一時的に人口減少することはあっても、自然減少は初めての現象でしょう。以後自然増加に転ずる可能性は非常に少ないと思います。

縄文中期26万人
弥生59万人
奈良451万人
江戸中期3,127万人
明治33(1900)4,654万人
大正09(1920)5,596万人
昭和45(1970)10,466万人
平成15(2004)12,768万人
平成17(2005)   ?
※大正,昭和は国勢調査、2004年は推計人口
(鬼塚宏・上智大教授)

「本当の「少子化」は昭和20年代」(落合恵美子・日文研助教授)
これを聞いた時は、目から鱗でした。
1947年の出生率4.54をピークに1960年には2.00と急激に下がります。以後出生率は暫くの安定期を経て、徐々に下がって現在に至ります。
この1947-1960の急激な人口低下が世代間の人口比を大きく変え、将来の急速な高齢化を約束する事になったのです。
当時の政府は人口抑制政策をとっていたのです。「将来の事より、目の前の物資不足や住宅不足」だったのでしょうが、これが戦後最大の政府の政策の失敗だったのではないでしょうか?

戦前「産めよ殖やせよ」
戦後「産児制限」
現在「少子化対策」

国策に振り回される国民の姿が目に浮かびます。
[45412] 2005年 10月 4日(火)21:30:28般若堂そんぴん さん
Re: [45409]
[45409]eiji_tさん
この1947-1960の急激な人口低下が世代間の人口比を大きく変え、将来の急速な高齢化を約束する事になったのです。
当時の政府は人口抑制政策をとっていたのです。「将来の事より、目の前の物資不足や住宅不足」だったのでしょうが、これが戦後最大の政府の政策の失敗だったのではないでしょうか?
この山だらけの島国に世界第10位の人口がひしめいています.それも,一人あたりの資源消費・エネルギー消費とも決して小さくない人口が.それを考えれば,少子化は必然であるとも言えるのではないでしょうか.
現時点に於いて子どもの数を増やそうと言うことは,「将来のことより,目の前の年金財源不足」という発想ではないでしょうか?
労働力の不足を危惧する意見もありますが,「少子化対策」のかけ声につられてみたら,あらゆる産業分野でスリム化が要求され,職にあぶれる若者が増加,などという事態の方が深刻に思えます.

「戦後最大の政府の政策の失敗」と言うよりは,昭和前期の「生めよ殖やせよ」こそは「最大の失政」と思えるのです.
[45421] 2005年 10月 5日(水)18:25:16eiji_t さん
人口問題に関して
[45412]般若堂そんぴん さん
素早いレスありがとうございます。日頃からこの問題を考えている事が想像されます。
般若堂そんぴんさん は、日本の人口は減ったほうが良いとお考えのようですね。
実は私も基本的にはそう考えています。

問題は1947-1960年の急激な出生率低下です。私の[45409] は説明不足だったので、般若堂そんぴんさん に誤解を与えたようです。
戦後すぐの人口抑制政策は当然だったと思います。前に書いた理由の他に、教育の問題がありました。団塊の世代の話を聞くと、「すし詰め教室」「廊下まで児童生徒が溢れる」「代用教室」「午前と午後との二部授業」などで教室不足を補ったそうです。

急激な出生率低下が続くと、人口構成比に世代間のアンバランスが生ずるのです。
これが後に高齢化社会を齎すのです。
私が「戦後最大の政府の政策の失敗だったのでは」と書いたのは、政府が1947-1960年のどこかで政策の転換を図り、急激な出生率の低下を防ぐ手立てを打たなかった事にあります。後から人口の構成比を変えることは出来ないのです。
人口が減るにせよ増えるにせよ、急激な変化は後世に悪い影響を長く及ぼします。
過去の急激な出生率低下が生んだ高齢化社会を私たちはじたばたせず受け入れるしかないでしょう。

「戦後最大の政府の政策の失敗」と言うよりは,昭和前期の「生めよ殖やせよ」こそは「最大の失政」と思えるのです.
戦前の政策は軍事国家なら当然の政策だと思います。子どもを「小国民」と呼び、兵士の予備軍と考えていたからです。問題は軍事国家に突き進んだ事にあると思います。

労働力の不足を危惧する意見もありますが,「少子化対策」のかけ声につられてみたら,あらゆる産業分野でスリム化が要求され,職にあぶれる若者が増加,などという事態の方が深刻に思えます.
現在の政府の政策に国民は応えないと思います。政府が将来の展望を示し得ていない現状では、小手先の「少子化対策」(例えば児童手当を増やす)では、未来に子どもを託せないからです。これからも少子化は続くと思います。
[45426] 2005年 10月 5日(水)20:48:39般若堂そんぴん さん
Re: 人口問題に関して
[45421]eiji_tさん
人口が減るにせよ増えるにせよ、急激な変化は後世に悪い影響を長く及ぼします。
仰るとおりですね.変化に対応する知恵を出す余裕もない,というのが最も恐ろしい.
日本においては,変化に対応するための時間は十分にあったはずなのです.それを怠ったツケは「怠った世代」が担うべき,というのも,今となっては酷ですね……

私の住む米沢市も人口減少が確実視されています.それが「空間的余裕」という形で顕れそうもないのが不思議と言えば不思議です.商業集積地の偏在と公共交通機関の不足は自家用車の必要性を高め,結果として道路が慢性的に混雑する……高齢者など,交通弱者にはますます住みにくい都市になりそうです.
[45434] 2005年 10月 6日(木)02:03:28ぐりゅん さん
Re:人口問題に関して
地理ネタと外れるので、触れたくなかったのですが。

[45412] 般若堂そんぴん さん
「戦後最大の政府の政策の失敗」と言うよりは,昭和前期の「生めよ殖やせよ」こそは「最大の失政」と思えるのです.
[45421] 2005 年 10 月 5 日 (水) 18:25:16 eiji_t さん
戦前の政策は軍事国家なら当然の政策だと思います。子どもを「小国民」と呼び、兵士の予備軍と考えていたからです。問題は軍事国家に突き進んだ事にあると思います。

戦前・戦中の日本のことを「軍事国家」と称しているのだとすれば、
もう一度歴史や社会の勉強をしなおすことをお勧めします。

それはさておき、
国の人口は、それを養える経済力を確保できる、という前提でなら、
文字通り「国勢」の重要な指標となります。
当時の白人中心の国際社会(現在でもそうですが)に対して、それなりの発言権を得るためには、
影響力を行使できる証を示すことが必要ですから、
国力の増強および誇示のために人口増を目指すことは、
軍備の増強(それも目的だったでしょうが)以外にも意義のあることです。
[45437] 2005年 10月 6日(木)06:28:15eiji_t さん
Re:Re:人口問題に関して
[45434]ぐりゅん さん
地理ネタと外れるので、触れたくなかったのですが。
すみません。国勢調査について書いて、関連してしで人口問題に触れて、「戦後最大の政府の政策の失敗」などと書いてしまったのが始まりだと思います。

戦前・戦中の日本のことを「軍事国家」と称しているのだとすれば、
もう一度歴史や社会の勉強をしなおすことをお勧めします。
こちらもすみません。適切な言葉を想いつかなくて、自分でも「違うかな」と思いつつ、書込みして島しました。

言い訳に終始しましたが、今後とも適切なご指摘お願いします。
[45443] 2005年 10月 6日(木)10:47:39般若堂そんぴん さん
Re: [45434]
[45434]ぐりゅんさん
戦前・戦中の日本のことを「軍事国家」と称しているのだとすれば、
もう一度歴史や社会の勉強をしなおすことをお勧めします。
なるほど,クーデター等により前政府を転覆したわけではありませんからね.軍人首相も,明治の山県有朋,明治・大正の桂太郎,大正の山本権兵衛,寺内正毅,加藤友三郎(元海軍大臣,海軍軍縮を断行!),昭和の田中義一,斎藤実,岡田啓介,林銑十郎,阿部信行,米内光政,東条英機,小磯国昭,鈴木貫太郎……といった人々の総てが軍事優先策をとったわけでもありませんしね.
国の人口は、それを養える経済力を確保できる、という前提でなら、
その前提が確保できていなかったからこそ,無謀な対外「進出」が実行され,ABCD包囲陣により危機に陥ったのでは?
前提が確保できていなかったのですから,上記引用部分以下の行は空論と思えます.
[45445] 2005年 10月 6日(木)13:13:59hmt さん
“足らぬ足らぬは 夫が足らぬ”
[45421] eiji_t さん
戦前の政策は軍事国家なら当然の政策だと思います。子どもを「小国民」と呼び、兵士の予備軍と考えていたからです。

こまかい違いですが、当時の少国民だった者として、「小国民」ではなく「少国民」だったことを指摘させて下さい。
「少」には、「すくない」という意味の他に「おさない」という意味があります。
# 当時の表記は「少國民」ですが、字体の変化は問わないことにします。

[38110]では、「少国民新聞」(毎日小学生新聞)と「週刊少国民」(こども朝日)を例示しておきましたが、当時、私が愛読したシリーズ本に、新潮社の「日本少国民文庫」(大きい本です。まだ文庫判という言葉はなかった筈)と岩波書店の「少国民のために」がありました。

共に、なかなか優れた内容の本が集められており、「日本少国民文庫」の石原純『世界の謎』、山本有三『心に太陽を持て』、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』、「少国民のために」の日高孝次『海流の話』、中谷宇吉郎『寒い国』などを覚えています。武藤勝彦『地図の話』もこのシリーズです。「索引」の存在とその使い方も、このシリーズで学びました。

このような名著で育てられていた次世代の国民=「少国民」も、戦争末期になると、“兵士の予備軍と考え”られてしまった一時期があるのは事実でしょう。そのような極端な時代の用例として、勝ちぬく僕等少国民という歌を挙げておきます。
# 引用ページの表題も間違いです

“僕等の体に込めてある 弾は肉弾大和魂 不沈を誇る敵艦も 一発必中体当たり 見事轟沈させてみる…”というような、今から思うと物凄い言葉を連ねた歌詞(上村数馬)だったのですが、悲壮感あふれるメロディ(橋本国彦)と共に、今でも記憶の底に澱んでいる歌です。

人口対策にからめて言うと、いくら「兵士の予備軍」が必要になったからと言って、急に出生率が上るわけではありません。戦争末期には、“足らぬ足らぬは工夫が足らぬ”という標語から1字を削除したパロディ(本稿のタイトル)のような状態になり、「銃後」の女性がいくら頑張っても、出生率は激減しました。

以上は、1940年代前半の「少国民」ですが、歴史を遡ると、1889年(明治22年)に雑誌「小国民」が創刊され、1895年、日清戦争の頃に「少国民」と改題されています。

[7600] Issie さん を見ると、
『クオレ』には「統一イタリア」の“少国民”として期待されるべき少年像
とあります。

「少国民」という言葉は、19世紀の後半に統一を達成し、民族国家として発足した頃のイタリアで作られた言葉が、これも近代民族国家として清国からの勝利を得た時代に輸入され、更に、20世紀の日独伊三国同盟の時代に再輸入されたものなのでしょうか?
[45450] 2005年 10月 6日(木)21:51:30eiji_t さん
「小国民」「少国民」余波
[45445]hmt さん
私の安易な誤りに丁寧なホロー有難うございます。
大変勉強になりました。「少国民」は1940年代前半の言葉と思い込んでいました。
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』は、中学生の時に読んで世界に目を開かれた想い出があります。現在でも出版されていて、超ロングセラーになっていますね。
またIssie さんに「少国民」とイタリアの繋がり、お聞きしたいですね。

追記
「産めよ殖やせよ」は1939年厚生省(当時)の『結婚十訓』の中の言葉で「国の為」が後に続きましす。当時の流行語になったそうでうす。
「産児制限」は意外にも1910年代初めに"birth control"の訳語として作られ、戦前は弾圧の対象だったそうです。

私の不用意な発言が波紋を呼んで、般若堂そんぴん さんと、ぐりゅんさんの論争に発展しそうな雰囲気です。
ここはそういう場ではないと思うので、人口問題でどうしても発言したい方は私も責任を感じますので私宛に個人メールを下さい(あて先はメンバー紹介でお調べ下さい)。
お騒がせした事をお詫びします。
[45452] 2005年 10月 6日(木)23:14:51hmt さん
天地創造第6日
[45450] eiji_t さん
「産めよ殖やせよ」は1939年厚生省(当時)の『結婚十訓』の中の言葉で「国の為」が後に続きましす。

旧約聖書(創世記1-28)の時代から、「産めよ殖やせよ」は、陸海空の征服と結びついていたようです。

神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
[45454] 2005年 10月 6日(木)23:34:59【1】ぐりゅん さん
人口と活力
[45443] 般若堂そんぴん さん
その前提が確保できていなかったからこそ,無謀な対外「進出」が実行され,
対外進出し、領土の拡大を図ろうとすれば、
経済的にも人的(数だけでなく質も)にも莫大なコストがかかるであろうことは、
素人にもわかります。
ハンパな規模の国では、そんな政策は検討案にすらならないと思いますよ。

曲がりなりにも実行できるだけの国力が、当時の日本にはあったと考える方が自然です。

ABCD包囲陣により危機に陥ったのでは?
列強の進出に呑み込まれないために国力を貯え、後発ながら「勝ち組」に加わろうとしたところ、
古株連のイジメにあって、引っ込みがつかなくなったようなものですね。

日本の存在を脅威に感じたからこそ、よってたかって潰そうとしたんじゃないですか。


まぁ歴史観は人それぞれですので「議論」をしても始まらないですが、
 # そもそもここはそんな場ではありませんし
当時の日本が、国内の人口増を支える経済力を確保できていなかった、
という点については、上記の通り反論します。

住民増を政策の一つに掲げる(国はわかりませんが)自治体は、いくつもありますよね。
その目的はたいてい地域の活力向上のたぐいだと思いますが。
また、事実として、
人口は、国・地域・自治体等の活力を表す指標の一つとして、現在でも使用されていますよね。
[45463] 2005年 10月 7日(金)09:39:15【1】般若堂そんぴん さん
Re: [45454]
[45454](おお,回文にしてフルハウス!)ぐりゅんさん
基本的に,耕地面積・居住面積が不足していると考えたからこそ,「満州」に「進出」,また南米等への移民を促進したのでは? だからこそ多くの方々がそうした「新天地」に新たな生活を求めたのでしょう.
経済的にも人的(数だけでなく質も)にも莫大なコストがかかるであろうことは、
素人にもわかります。
対ロシア防衛策としても,「素人以下」の判断でしょう.
また,国内の鉱物資源が不足していたことが対外進出の「必要性」を幻視することにつながり,さらにはABDC包囲陣による打撃になったのでは?
日本の存在を脅威に感じたからこそ、よってたかって潰そうとしたんじゃないですか。
その「脅威」は対中国戦争で顕在化しましたね.
列強の進出に呑み込まれないために国力を貯え
た,その「国力」の中で「軍事力」こそがその「脅威」でしょう.
当時の日本が、国内の人口増を支える経済力を確保できていなかった、
という点については、上記の通り反論します。
とありますが,反論が成立しているとは思えません.
また、事実として、
人口は、国・地域・自治体等の活力を表す指標の一つとして、現在でも使用されていますよね。
未だ幻想醒めやらず,の感あり.
社会構造・経済構造の変化に伴い,人口集積の条件が変化するのは当然のこと.狭い地域,集落の「活力を示す指標」としては有効であると思いますが,より広い範囲に対してはどうでしょうか.人口はさほど多くなくとも暮らしやすい国,人口は多いけれども多くの問題を抱えた国,様々ですね.
[45491] 2005年 10月 8日(土)00:13:32ぐりゅん さん
前提とは
[45463] 般若堂そんぴん さん
(おお,回文にしてフルハウス!)
ありがとうございます。Cool head, but warm heartですね。
かなりオフトピになってしまってますが、続けさせていただきます。

論旨を整理します。
まず私[45434]は、
戦前の日本が、当時の人口増加(ないし版図拡大)政策を許容しうる経済力を持っていたことを
「前提」(=当たり前に成り立っている)と表現しました。
それに対し、般若堂そんぴん さん[45443]は、
それは間違いであるとして、その根拠に「無謀な対外拡張政策を採ったこと」を挙げました。

で、それに対する私の反論[45454]は、
国外に新たな領土を求める政策を「選択肢に持てたこと」自体が、
国力(経済力を含む)が十分にあった証だ、というつもりだったのですが、
私の表現が稚拙で伝わらなかったでしょうか。
ロシア相手にその考えは甘いとか、ABCDで打撃を受けたのは資源がない証拠だとかは
私は、この話題には全く関係ないと思っています。


基本的に,耕地面積・居住面積が不足していると考えたからこそ,「満州」に「進出」,また南米等への移民を促進したのでは?
その通りだと思います。
しかしその当時、日本は貧困にあえいでいたのですか。違いますね。
# 念のためですが、「国の総体」で考えた場合であって、貧困層が存在しなかったという意味ではありませんよ。
それなりに活発な経済活動が行われ、国として成長・発展していたからこそ、
完全に飽和して大きな問題にいたる前に、領土を増やそうという選択肢を採ったわけです。
進出できるだけの力を持っていたから、そういう手が打てたのです。

出先を間違えたとか引き際を誤ったとか、突っ込みどころはいろいろあるでしょうが、
「能力を持っていたかどうか」と、それを「どう使ったか」「結果がどうなったか」は別問題です。
# もっとも当時の欧州の主要国(本国の面積は狭いですね)は、いずれもその戦略で植民地を拡大していましたから、
# 日本がそれに倣ったこと自体は、特におかしな判断ではないと思いますが。

現在の日本だって、本土の面積は大して変わりませんが、人口は当時より増えています。
持っている国力を、かつての「領土拡大」の代わりに例えば「貿易の振興」等に振り向けることによって、
本来のキャパ以上の人口を支えているわけです。
そして「金を出すだけ」と揶揄されつつも、一応大国のひとつとして、国際的に一目置かれる立場にあります。

その「国力」の中で「軍事力」こそがその「脅威」でしょう.
当時の日本は軍備の増強に傾倒しており、その軍事力は列強でさえも脅威と感じていた、ということですね。
では、それほどの軍事力を確保するためには、何が必要だと思いますか。
強力な武器・兵器を開発・装備し、練度の高い兵士を育成・訓練し、統率された組織体制を維持運営し…
そのための原資はどこから出てくると思いますか。
当時の国家予算や、そのうち軍につぎ込んだ割合など、調べる気もありませんが、
それでも少なくとも、特に通常の国民生活を混乱させることはなかったのですから、
十分な経済力を持っていた、以外の結論が出せますか。
[45495] 2005年 10月 8日(土)03:13:09【1】般若堂そんぴん さん
Re: [45491]
[45491]ぐりゅんさん
しかしその当時、日本は貧困にあえいでいたのですか。違いますね。
# 念のためですが、「国の総体」で考えた場合であって、貧困層が存在しなかったという意味ではありませんよ。
それなりに活発な経済活動が行われ、国として成長・発展していたからこそ、
完全に飽和して大きな問題にいたる前に、領土を増やそうという選択肢を採ったわけです。
進出できるだけの力を持っていたから、そういう手が打てたのです。
その経済活動の土台は何だったのでしょうか? 資源小国である日本においては「人口」だったのではないでしょうか? このように書くと,「人口は国力の指標のひとつである」という主張に与するもののように思われるかも知れませんね.しかし,そこにはもう一つ,「その人口を養うためには他国との経済協調が不可欠である」という前提が必要ではないでしょうか.「人口そのもの」よりも,経済協調の方がより重要であると思います.経済協調を失った状態での人口の増大は,経済活動の原動力となるどころではありませんね.逆に,巨大な人口を持たずとも良き経済活動を行う国もあります.
このように見た場合,「進出」(あくまでも「かぎかっこ」付きで)は,国に力があったからというよりは力(能力)不足を腕力(暴力)で補おうとした結果に過ぎない,と私には思えます.

国が本当に「貧困」でなかったのなら(もちろん,「国の総体」で考えた場合),無理な対外「進出」も,包囲陣に苦しむことも,なかったでしょう.

現在の日本はたいそう豊かに見えます.しかし,その基盤は脆弱に思えてなりません.

【追記】
あ,でも世界各国・都道府県・市区町村の人口やその変化の話題は好きですよ.
[45521] 2005年 10月 9日(日)00:04:39ぐりゅん さん
一気に、脱力してしまいました。
[45495] 般若堂そんぴん さん
要するに、ご自分で「軍事力を背景とした勢力の拡大は、拡大とは認めない」と結論づけただけですね。

私は、始めに般若堂そんぴんさんが、進出の文字をかぎかっこ付で書かれていたのを見た時から
「そういう思想」の方なんだろうなとは思っておりました。
それで、歴史観の絡む議論はしないと釘を刺したのです。
特に近代日本の採った政策の功罪については諸説あるので、そこを言い合っても結論が出るとは思えない、
で、「何を買ったかはともかく、そのためのお金があったのかどうか」という面にしぼりたい、
とずっと主張していたつもりですが、
「オレ定義で言えばアウトだから」で片付けられるとは、正直、予想できない結末でした。


開国以降、列強の砲艦外交に翻弄され、不利な内容の和親条約や貿易契約を結ばされつつも
決してその軍門に下ることなく、国際協調路線を堅持(そうしないと滅ぼされていたでしょうが)して
着実に国力を高めていった、明治前半の努力は無視ですか。

次のステップを踏み出す時に軍拡路線(?)を選択したことが悪と思うなら、それはそれでかまいません。
しかしその時、さらなる協調路線を採ることも、選択肢としてあったのかもしれません。
つまり、少なくともこの時点においては、
対外侵攻に頼らずとも、国が進む方向を自力で選択できるだけの国力を得ていたわけです。

それを一歩間違えただけで、それまでの連綿と続く歴史を全て否定するのですね。

<チラシの裏>
いや、経済協調が最重要なのは当たり前じゃないか、
いくらそれまでの行いがよくても、一瞬でも武力に頼る選択をした時点で台無しだよ
などと「現在の価値観」できれいごとを並べる御仁は、きっと
昔も今も、「戦争」も外交戦略の一つである、とか
「当時は」武力侵攻による植民地政策は列強のトレンドだった(日本の開国もこれが原因ですね)、とかの
正論を言っても受け付けてはくれないのでしょうね。
</チラシの裏>
[45524] 2005年 10月 9日(日)00:52:54BEAN さん
なぜ少子化は起こったか、または国家の適正規模とは
この話題は膨らませるほど地理から離れていきそうですが、私も参加します。

まず、少子化は世界的な傾向です。
ヨーロッパでは、すでに人口減に転じている国がいくつもあります。将来はアジアも(中国やインドも)高齢化、そして人口減少の時代を迎えるでしょう。
その理由は、子供を育てるための負担が大きくなったことです。社会の発展・複雑化に伴い、一人前になるために学ぶべきことが多くなりました。すなわち、教育が極めて重要になります。(現代の「教育問題」の原因は、これです。)
もはや、家族にとっても、国家にとっても、頭数が多いほど稼げるという社会ではないのです。そんな時代において、少子化は必然と言えるでしょう。

以上は21世紀の話です。しかし、20世紀前半はそうではありませんでした。
[45463]般若堂そんぴんさん
人口はさほど多くなくとも暮らしやすい国,人口は多いけれども多くの問題を抱えた国,様々ですね.
21世紀の世界には、小さいけれど(小さいから)栄えていると考えられる国がいくつかあります。しかし、そんな国のほとんどは、小さいがゆえに第二次世界大戦の荒波に飲まれることになりました。そして、当時の日本に「人口小国に戻る」という選択肢はありえません。足りない資源を得るための貿易も、世界恐慌のために困難になりました。
第二次世界大戦で傷ついた列強は植民地を手放すことになり、帝国主義の時代は終わりましたが、今でもスケールメリットが有効と考えられている例として、EU統合の動きがあります。「頭数」は、消費者としては今も重要なのです。
EUが今後もうまくいくがどうかわかりませんが、そのゆくえは国家の適正規模を考えるためのよい材料となるでしょう。このテーマは自治体の合併の話題にも似ていると思います。私は残念ながら、これに確立した主張を持つことができていません。
[45527] 2005年 10月 9日(日)01:36:07【3】般若堂そんぴん さん
人口 res 二題 (pro e contra)
[45521]ぐりゅんさん
「そういう思想」の方なんだろうなとは思っておりました。
それで、歴史観の絡む議論はしないと釘を刺したのです。
「そういう思想」とも異なる場所からの発想ですなのですが.
で、「何を買ったかはともかく、そのためのお金があったのかどうか」という面にしぼりたい、
私は基本的に「人口」のことを考えておりました.その「人口」を,無理なく支えることが出来るか?
あるいは,ぐりゅんさんに言葉をあわせようとするならば,「無理なく人口を支えるための買い物をできるだけのお金があったのかどうか」でしょうか.
それを一歩間違えただけで、それまでの連綿と続く歴史を全て否定するのですね。
部分を否定しただけで「それまでの連綿と続く歴史を全て否定する」と判断されてしまうのですね(絶望).
【追記削除しました.そこで触れた現役自衛官を含む方々にも「そういう思想」というレッテルを貼られるのを避けるためです】

[45524]BEANさん
第二次世界大戦で傷ついた列強は植民地を手放すことになり、帝国主義の時代は終わりましたが、今でもスケールメリットが有効と考えられている例として、EU統合の動きがあります。
EU統合は「人口 + 面積 + 多様性」ですね.単に人口のみを増大させるわけではありませんし,周囲との敵対状況を生み出そうとしているわけではありませんので,仰るとおり,「有効」な例だと思います.


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