都道府県市区町村
落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[18449]2003年7月20日
Issie
[18455]2003年7月20日
グリグリ
[18899]2003年8月7日
グリグリ
[38669]2005年3月17日
平成少年
[38672]2005年3月17日
白桃
[38687]2005年3月18日
EMM
[41557]2005年5月23日
miki
[80464]2012年3月31日
グリグリ
[80465]2012年3月31日
EMM
[81170]2012年7月22日
Issie

[18449] 2003年 7月 20日(日)09:31:58【1】Issie さん
能美郡
[18429] グリグリ さん
ところで「能美郡」の名前の由来はどなたかお分かりでしょうか。

「能美郡」というのは823年に「加賀国」が「越前国」から分立したときに,「江沼郡」の北部が分割されて設置されました。加賀国府の所在郡ですね。

「太古から脈々と受け継がれてきた」

だから「太古」とまでは言えませんが,「古代」からの郡名であることは確かです。ただ,「のみ」という地名がどこから出てきたのかは,私は知りません。「能美」はもちろん当て字でしょうが。
同時にこのとき,北部の「加賀郡」からも「石川郡」が分立しています。「加賀郡」は後に「加北郡」または「河北郡」と呼ばれるようになり,明治以降は後者が採用されて現在に至ります。

ちなみに,「えぬま(江沼)」「かが(賀我)」というのはこの地に配置された国造までさかのぼれます。
同じく,能登半島の西岸(外浦)には「はぐひ(羽咋)国造」が,東岸(内浦)には「のと(能登)国造」が配置されています。能登国造の本拠地は現在の七尾のあたりであったようで,これが律令制下の「能登国」に拡大されて,国府所在郡は「鹿島郡」と呼ばれるようになったと思われます。
[18455] 2003年 7月 20日(日)16:12:18【1】オーナー グリグリ
Re:能美郡
[18436] EMM さん
小松市の北部に、能美町というところがあります。
Issieさんの説明からもわかるように、小松市は元々能美郡だったのでその中心が現在の能美町だったのかもしれませんね。

[18449] Issie さん
「能美郡」というのは823年に「加賀国」が「越前国」から分立したときに,「江沼郡」の北部が分割されて設置されました。加賀国府の所在郡ですね。
なるほどかなり由緒ある名前だったんですね。やっぱり「能美市」がいいですねぇ。
「加賀郡」は後に「加北郡」または「河北郡」と呼ばれるようになり,明治以降は後者が採用されて現在に至ります。
おおっ、これは知らなかった。#って他のことも知らないんだけど(苦笑
河北郡が加賀の北という由来だったとは意外でした。

いやぁ、自分の出身県のことを教えてもらうのは気恥ずかしいですが為になります。感謝です。
[18899] 2003年 8月 7日(木)08:08:39【1】オーナー グリグリ
Re:石川県能美市 新市名決定のお知らせ
[18890] はやいち@大内裏 さん
能美市に決定しました。
よかったです。昨日から実家の金沢に来ていますが、テレビのローカルニュースや新聞論調もほとんど歓迎ムードです。地元北國新聞朝刊一面トップです。おまけに、ゴジラ松井の談話『能美はもともと住所の一部で使っていたのでなじみやすくていい名前です』が写真入りで添えられていました。さすが地元、あっぱれです。松任市・石川郡協議会の関係者談話として、「手取市」が残りほっとしたというのも。「七尾市」「能美市」と由緒あるネーミングが続いています。「手取市」と続きそうな雰囲気でこれもいい傾向。惜しむらくは「かほく市」。何故に「河北市」にできなかったのか未だに残念。今にして思えば[18449]Issieさんの記事にある「かほく」の由来である「加北市」が最適だったのかも。
[38669] 2005年 3月 17日(木)16:30:53平成少年 さん
石川県かほく市
市区町村雑学「旧国名の入った市」に石川県かほく市も入るのでは?
かほく=加北(旧加賀国の北部)であり、同様の周南市やひらがな市であるさぬき市が入っているのにかほく市だけ入らないのは変です。
[38672] 2005年 3月 17日(木)16:57:43白桃 さん
Re:石川県かほく市
[38669]平成少年さん
市区町村雑学「旧国名の入った市」に石川県かほく市も入るのでは?
微妙な問題ですね。
「かほく市」の直接の意は「河北」だと思うのですが、この河北が「加賀の北部」の意味の「加北」が転用されたのか、浅野川の北の「河北」に由来するのか、とにかく二説あるようです。
[38687] 2005年 3月 18日(金)00:52:54【1】EMM さん
ホンコンカポック??
そりゃーカポックでなくシェフレラだよ、とか言う微妙なダジャレはさておいて、


[38669] 平成少年さん
[38671] 有明つばめさん
[38672] 白桃さん

えーと、「かほく市」と言うネーミングは河北郡から来ている、これは間違いないです。
かほく市役所HP内に残されている旧合併協議会のページにある、第5回合併協議会の会議資料中に書かれております。

では河北郡がなぜ河北郡なのか、っちゅうことになるのですが、[18449]Issieさんの書き込みによると、元々石川郡と河北郡を合わせた区域が「加賀郡」だったのが、823年に南側が石川郡として分けられ、残った北半分も加賀郡からやがて呼び名がかわり、加北郡または河北郡と呼ばれるようになった、とのことでした。
(表記が河北に固定されたのは明治以降、とのこと)
「加北」は「加賀の北の方」、「河北」は「川(ほぼ郡界となる浅野川?)の北の方」と言うことで当てられたと推測でき、この辺が白桃さんの言われる「二説」になってくるのです。
「ほんなんなら、具体的にはどっちながけ?」と言うことになるのですが、色々考えていくとどっちも排除できないんですよ。
「加賀の北」説の弱いところは、「河北郡と石川郡はかつて加賀郡という一つの郡だった」と言う話が地元でほとんど知られていないこと。
[18449]Issieさんの書き込みに対する地元民の反応([18455]グリグリさんと[18483]不肖わたくしめの書き込み)が如実に物語っています。
一方、「浅野川の北の方」の痛いところは、現在は流域が変わってしまっていますが、より大きな川である手取川がかつて石川郡と能美郡の郡界であったことが引っかかってきます。
石川郡は加賀郡、能美郡は江沼郡からそれぞれ分かれて新しく作られた郡なので、もし川からの位置が郡の名に関係してくるとすると、手取川を挟んで新しくできた郡が「河北」「河南」のような名になっていても良いような気がするのですが、そうはなっていない。
なら、それより多少(?)小さい浅野川が郡名の由来になっている、と言うのが疑問に思えてくるのです。
(このほかに、村域のど真ん中に浅野川が流れている旧湯涌谷村、浅野川が流れ込んでいる河北潟~大野川の北にある旧粟崎村が石川郡なのはなぜ?と言うことも引っかかります。しかし、湯涌谷村の方は山の中ですから川よりも尾根筋の方が境目となりやすかったのではないか、と考えられます。また、粟崎の方は北隣に向粟崎というところがあり、[38440][38447][38448][38451][38501][38561]で話題となっている「元宇品」と「向宇品」と同様に粟崎と向粟崎の間が分かれていた可能性もあるのかもしれません。ということで、旧湯涌谷村・粟崎村の位置関係からは「浅野川の北」説は排除しきれないと考えます)

まぁ一言で言ってしまえば、「加賀の北」と「浅野川の北」、どっちが現在の河北郡という郡名の直接の由来なのかは白黒つけがたいのです。
むろん両方から来ている可能性もありますし、もしかしたらまだ別の由来が隠れているのかもしれません。
そこら辺がはっきりとわからなくなってしまっている現状では、かほく市は「旧国名の入った市」には入れがたいのではないか、と金沢市内でも昔は河北郡だったところに住んでいる者としては思ってしまうのでありますよ。


※前振りを微修正f^^;
[41557] 2005年 5月 23日(月)15:59:30miki さん
良くできま市た・2
[41422]はほとんど郡名での合併でしたので、
今度はそれ以外(創作地名)をベスト10にしてみました。
1.南アルプス市(斬新!)
2.さいたま市(私の思うとおりになったのがうれしい!)
3.うるま市(沖縄弁を市名にした所が斬新)
4.四万十市(元の中村市より知名度が高くなりそう)
5.吉野川市(麻植市もいいけど響きが悪い)
6.千曲市(観光客が増えそう。雲仙市でも可)
7.牧之原市(知名度が高くなりそう)
8.かほく市(河北と加北の両方を兼ねているのでやっぱりひらがなが望ましい)
9.つがる市(漢字の「津軽市」もよかったけどこっちも案外よかったかな?)
10.北杜市(まだ八ヶ岳市の方がよかったけどこっちも案外よかったかな?)
[80464] 2012年 3月 31日(土)11:02:56オーナー グリグリ
乙原
半濁音(ぱぴぷぺぽ)の入った市区町村に関連して。

[80461] 白桃さん
(福井県)雲浜(うんぴん)村・・・・・現:小浜市
(岐阜県)越波(おっぱ)村・・・・・・現:本巣市
(岐阜県)乙原(おっぱら)村・・・・・現:下呂市
(岐阜県)西乙原(にしおっぱら)村・・現:郡上市
[80463] 大龍エクスプレスさん
大分県大分郡別保村(べっぽむら)
1938.4.1消滅→消滅後は鶴崎町
情報提供ありがとうございます。さっそく追加しました。
名称由来は調査が難しいですね。雲浜は海岸由来でよいのかどうか(想定)、越波(えっぱ)の意味「防波堤などを越えて堤内に流入する波のこと」から川波として関連付けしてもよいかどうか、いずれもよく分りません。乙原はまったく分りません。越波と乙原は音に字を当てただけかもしれませんね。別保村についてはこちらのサイトに由来が書かれていました。古文書記載地名由来です。

ところでタイトルにもした乙原ですが、マピオンで住所検索すると6件(実際は美郷町乙原竹と美郷町乙原田水を入れて8件)が検索されました。面白いのはその読みです。下呂市の乙原と郡上市の西乙原はどちらも半濁音の入る「おっぱら」ですが、それ以外はすべて違う読みになっています。

・岐阜県下呂市金山町乙原(おっぱら)半濁音
・岐阜県郡上市八幡町西乙原(にしおっぱら)半濁音
・岐阜県揖斐郡揖斐川町乙原(おとはら)清音
・兵庫県三田市乙原(おちばら)濁音
・島根県邑智郡美郷町乙原(おんばら)濁音
・大分県別府市乙原(おとばる)濁音

ちなみに変遷情報で乙原を検索すると別府市の乙原以外がすべて抽出できました。

[80461] 白桃さん
一点、疑問なのが、リストに挙げられている静岡県伝法村ですが、(でんぼう)ではないでしょうか?
ネットでいろいろ調べたのですが、郵便番号検索やマピオン住所検索では「でんぼう(濁音)」ですが(つまり現在の読みは「でんぼう」が正しい?)、伝法村の読みについては「でんぽう」の読みとしているページが多いようです。ただ、元の出典が同じだとすれば怪しくなりますが。ということで、注釈を入れました。ところで、デジタルライブラリーなどで読み情報は調べられましたっけ?
今さら言うのも変なのですけれど、昔の市町村の「正式な読み方」って何かに定められているのでしょうか???
落書き帳でも何回か話題になっていますが、読みの「揺らぎ」は当然のごとくいろいろあるでしょうね。読みの揺らぎというよりも、呼称を表記する際の揺らぎというのが正確です。雑学として捉えていますので、なるべく幅広く柔軟に情報整理したいと考えています。

[80462] Issieさん
この語は,濁らず清音で「けんほく」と読んだり,濁音で「けんぼく」と読んだり,半濁音で「けんぽく」と読む3つの読み方が実際に行われ,しかも全く不規則に,それぞれの地域での慣習によって読まれている,逆に言えばよそ者には「正しく」読むことの難しい地域呼称です。
伝法町を「でんぽう」と呼称したか「でんぼう」と呼称したか、ひょっとしたら「でんほう」と呼んでいたかもしれない。同じことですね。あまり細部に拘り過ぎると雑学ページはまとまらなくなってしまいそうです。半濁音の呼称があったというくらいに捉えますか。

県北については、石川県ではあまり使わないんじゃないかなぁ。加賀地方で、加南、加北(河北)という言葉はあるけど。検索してみたらこんなページがありました。千葉県はどうだろう。北西部、北東部と県北は分かれていますし。
[80465] 2012年 3月 31日(土)11:37:49EMM さん
北は能登半島、そして日本海
出かけなければいけないので取り急ぎ。

[80464] オーナー グリグリ様
県北については、石川県ではあまり使わないんじゃないかなぁ。加賀地方で、加南、加北(河北)という言葉はあるけど。検索してみたらこんなページがありました。千葉県はどうだろう。北西部、北東部と県北は分かれていますし。
石川県内で「県北」という言葉はあまりどころかほぼ全く使わないです。
何と言っても石川県の北側は「能登」ですから。
(県北部は稀に聞くかも)
ところで 、「こんなページ」が開けないです…
[81170] 2012年 7月 22日(日)23:22:52Issie さん
基準の“河”は?
[81159] グリグリ さん
そう言えば、かほく市も参考データにすべきでしょうね。

この市の発足当時に話題になっていると思いますが,これはこの市自体が“川(河)の北”にあるのではなくて,旧所属郡の「河北郡」に由来するのでしょうね。
その 河北郡 は加賀4郡の最北の郡で浅野川以北を区域としたので,“浅野川の北”という意味で理解してよいようにも思いますが,若干保留すべき点が無きにしも非ず。
「河北郡」という呼称が現れるのは中世後半の室町時代のことで,この郡はもともと「加賀郡」という呼称でした。古代を通じて「越の国」はその区分がめまぐるしく変遷し,その都度各国間の境界が移動し,最終的に823年に 越前国 のうちの北部2郡(加賀,江沼)を分けて「加賀国」が設置され,そののちまで続く5国体制(越前・加賀・能登・越中・越後)となりました。そのうちの1郡が 加賀郡 であったことが「加賀国」の国名の由来ですね。合わせて,加賀・江沼両郡がそれぞれ2分割されて,加賀・石川・能美・江沼の4郡を治める国となりました。
で,以来何百年も経ってから“おもむろに”「加賀郡」から「河北郡」に郡名が変わっていくわけですが,単純に“浅野川の北”という意味なのかどうか。むしろ,“加賀国の北”の「加北郡」から表記が変わってしまったということも考えられないか。実際に近世(場合によっては明治)までの過程で郡名の漢字表記が換わってしまうことは珍しくないことですから。

[81164] hmt さん
北海道河西郡、同河東郡

これも意外に難題。
河西郡の芽室町が十勝川左岸を合併してしまったために現在の 河西・河東 両郡の境界は北に移動してしまっているのですが,もともとは十勝川が両郡の境界でした。だから“十勝川の西/東”という意味だ,と言いたいところですが,この区間の十勝川はほぼ西から東へ流れています。素直に考えれば「河南郡/河北郡」とした方が自然です。
河東郡の場合は,より上流の 上川郡 との間で十勝川がほぼ南へ向かって流れているので“河の東”と無理やり解釈することもできそうです。一方,河西郡の方も“東”の 中川郡 との境界が川とは関係なくなっていますが,これは 中川郡幕別村 の一部が編入された結果であり,少なくとも十勝川との合流点に近い区間では 札内川 が両郡の境界であったようで,その意味では“札内川の西”という意味であるのかもしれない。
とすると,「河西郡」と「河東郡」は実はお互いに“対になる郡”ではないのかもしれません。
いや,もっと単純に,北海道に国郡が設置された1869(明治2)年の段階では十勝平野の内陸まで実測が行われてはいないでしょうから方位の測量も完全ではなく,やっぱりサックリと“十勝川の西と東”ということなのかもしれませんが。

[81151] グリグリ さん
島根県 1951(S26).4.1 那賀郡 江東村 新設 1954(S29).4.1 江津市 新設/市制

これも一瞬,“江の川の東”という意味かと思いましたが,この区域は江の川とは山一つ隔てた北の日本海岸で,川とは関係ないようです。地図を見ると現・江津市の北東端に当たり,しいて言えば「江津町の東」という意味であるのかもしれません。

ところで「“江”シリーズ」にはもう一つ,“拡大新潟市”の「江南区」があります。
この区も直接には大きな川を“北の境界”にしてはいないのですが,位置関係からするとこの“江”はやっぱり 信濃川 なんでしょうかね。
区名選定の際にどんな議論をしていたんでしたっけ。


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