落書き帳、40万カウントおめでとうございます。
[19695] 両毛人 さん
40万ヒット目を踏んでしまいました・・・。
これもおめでとうございます。
私は400008でした。
[19692] ゆう さん
[19642] 両毛人さん
目に付くのが「○○分かれ」<中略>
広島県以外の地域でも、このような表現は使われているのでしょうか?また、同様の意味合いを持つ、別の言い回しはありますでしょうか?
「○○分かれ」の様に、○○の方に支線の「行き先」が入るわけではないのですが、「追分」は一般的な分岐路名称ですよね。
「新宿追分」と言えば、甲州街道と青梅街道の分岐点ですね。
追分の場合は、分かれて行く先「方面」を冠するのではなく、分岐点のある場所の地名を冠するのが普通ですから、
同様の意味合いを持つ、別の言い回し
ということでは厳密には違いますが。
中仙道と北国街道が分かれる追分は、追分の代名詞ですね。
ですが、このような著名な追分のほかにも、地元の人しかしらないような「追分」地名は結構、細かいところにも多いような気がします。「落合」同様。
私の実家の近くに「鍋屋横丁」なる交差点がありますが、この由来は、ここが青梅街道から堀の内妙法寺へ向かう「妙法寺みち」の分岐点だったので、「鍋屋」という茶屋があったことに由来しますが、
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=139/40/23.485&scl=10000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=35/41/39.318&size=500,500
ここから南西に分岐する「妙法寺みち」とは別に、中野駅方向に、同じように北西に45度の角度で青梅街道から分岐する小さな道(一方通行です)がありますが、これは地図にも記載されてはいませんが地元では「追分通り」と呼び習わしています。
明治くらいの地図を見ていただくとわかるのですが、青梅街道から中野駅方向へ向かう道は、現在の中野通りは、結構最近出来た道で、新宿方向から来て、45度の角度で分岐するこの「追分通り」が元々の道だったことが判ります。
青梅街道をもう少し先に行くと、今は区画整理で、直行する交差点に改められましたが、杉並区の馬橋(現新高円寺)で青梅街道と五日市街道が分岐する交差点も、45度の角度で五日市街道が分岐していました。
武蔵野などと言うところは、まあ、結局どう歩いても良いわけで、自然な道の出来かたとしては、直角分岐ではなく45度(あるいはそれより浅く)分岐していくのが、人の踏み均してできた道の分かれ方としては自然なのだと思います。
明治の地図では、斜めに分かれて行く交差点が多く、それらが、現在の地図では直角に交差する形に直されているところが多いことに気づきます。
そういう斜めに分かれて行く感じの分岐点のことを、「追分」と言いますね。
でも「○○分かれ」とは、ちょっとニュアンスが違いますね。
関東では「○○分かれ」は言わない感じがします。
新高円寺の五日市街道が分岐する交差点も「五日市街道口」という名称でしたからね。
青梅と五日市、現在の鉄道では、拝島で分岐しているものが、街道は早くも高円寺で分岐し、甲州と青梅も、鉄道は立川で分岐しているものが、街道は新宿で既に分かれている、というのは、最短距離を歩きたい心理が、自然に生み出した、「街道」分岐の深層真相かなあ、と明治の地図などを見ていて思います。