[65215] 千本桜 さん
本題の前に一つ情報提供です。千本桜さんは、法務局の地図をご覧になったことはどのくらいおありでしょうか? 十分にご存知であれば、以下の冒頭の数行は読み飛ばしてください。
字(小字)について法務局で調べる場合、次の地図はご馳走です。
(1)国土調査(地籍調査)を実施している地域の場合・・・現在の地図(
不動産登記法第14条(第1項)地図)の前の「旧図」
(2)国土調査(地籍調査)を実施していない地域の場合・・・現在の地図=「公図」、「旧図」
「旧図」は、古いものは明治の地租改正のときの「土地台帳附属地図」であり、和紙に筆で書かれた小字単位を基本とした地図です。地目、地番などが表示されています(もちろん白地(無番地、農道・水路など)も)。「旧図」は、地域・時代により、何種類も(何代分も)ある場合があります。
国土調査をした後の地図(縮尺500分の1)は、精度はありますが字ごとではなく、普通に長方形で区切った地図です。これと異なり、国土調査実施以前の「旧図」や多くの「公図」は、小字単位などで作成された地図ですから、「そういう観点で」見るのにはうってつけです。
なお、この旧図などの写し(いずれかの地番を特定する必要あり)を正式に請求すると、確かに500円必要で、法務局の証明印がつきます。しかし、法務局にもよりますが、コインコピー機を備え付けてあり、自分で自由にコピーすることができるところがあります。地図は500円での請求とまったく同じもので、証明印がないことが相違点です。ぜひお試しください。
余談。法務局で正式に「地図」と言うと「
不動産登記法第14条(第1項)地図」のことです。国土調査を実施していない、上記(2)の「公図」は、「地図に準ずる図面」(
同第14条第4項)です。
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さて、ご質問の件です。
1・私としては、「町名地番整理」より「字名地番整理」の方がしっくりするのですが、「字名地番整理」という用語でも通用するのでしょうか。
私も
[42149][42202]で書いたように、町名地番整理という言葉にはまったく縁がなかったのです。今でこそ多少実例も知りましたが・・・。
町名地番整理(Google検索)はたくさん検索にかかります。
字名地番整理(Google検索結果)はわずか(大半が千本桜さん絡み)で、私は聞いたことはありませんが・・・。
2・町名地番整理時に大字名を温存するか省略するかについては、国の方針・指導がなくて市町村の判断に委ねられているのでしょうか。
残念ながら存じません。おそらく、国の指導は特になく、市町村の判断だろうと想像します。もっとも、「町名地番整理」にそもそも根拠法令があるようには思えないのですが・・・。
3・住居表示とは異なり、町名地番整理の場合は住所と登記簿の字番地は一致するんでしたよね・・・?。
川越市HPの町名地番整理にちょうどいい資料がありました。
一致はしますが、厳密に言うと、「住所・・・○○番地△」「登記簿(土地の所在)・・・○○番△」という違いはあります。また、地番区域が大字単位の場合(小字も存在する場合)、通常住所には小字は入りませんが、登記簿には小字が入ります。
ついでにもう一つ。小字必須の地域に住む者の素朴な疑問です。大字単位に地番を付す地域は、いつからそのようになったのか。これについては、明治22年市制町村制発足と同時に大字起番を採用した地域もあると思って良いのでしょうか。何か良く分らないのですが、小字必須が当たり前の地域に住んでいる者の観点からすると、場所特定を簡易にするために後になって大字起番が考えられたのであり、最初はどこも小字必須が一般的だったのではないかなどど考えているのですが、どうも分りません。
このご質問に関していい資料を発見しました。やはり明治初期の地租改正をあたる必要があります。
(参考資料:「地租改正と地籍調査の研究」塚田利和著、御茶の水書房、1986年2月20日第1版1刷発行、p.80~p.98など)
まず、地租改正は、次のとおり一群の法令として
M6.7.28太政官布告第272号として発布されたものです。
上諭 | 勅諭 |
地租改正法 | 太政官布告 |
地租改正条例 | 太政官布告に添付された別紙条例 |
地租改正施行規則 | 大蔵省布達 |
地方官心得書 | 大蔵省の地方官への通達 |
この勅諭に、地租改正の趣旨が書かれています。ちょっと長いですが、ポイントになるところだと思いますので引用します(原文は旧字体、句読点を前掲書により補記)。
朕惟フニ租税ハ国ノ大事、人民休威ノ係ル所ナリ。従前其法一ナラス寛苛軽重率ネ其平ヲ得ス。仍テ之ヲ改正セント欲シ乃チ所司ノ群議ヲ採リ地方官ノ衆論ヲ尽シ更ニ内閣諸臣ト弁論裁定シ之ヲ公平画一ニ帰セシメ地租改正法ヲ頒布ス。庶幾クハ賦ニ厚薄ノ弊ナク民ニ労逸ノ偏ナカラシメン。主者奉行セヨ。
つまり、新地租は公平画一で旧幕藩制割拠の不平等を除去するものであるという、新時代の理念を国民大衆に明らかにした詔勅です。
その後、
明治8年3月24日太政官達第38号で
第三十八号(三月二十四日輪廓附)
内務大蔵両省間ニ地租改正事務局ヲ置キ地租改正ニ関スル一切ノ事務管掌セシメ候条此旨相達候事
と、地租改正事務局を発足させて政府の地租改正事業の実施体制はほぼ完成しました。
同事務局は、地租改正に関するさまざまな通達を出しますが、その中で、明治8年7月8日付けで「地租改正条例細目」、「地所処分仮規則」を公布しました。
この中の「地租改正条例細目・第三章地番号ノ事」に、ご質問の答えがありました。
第一条 番号ハ従来ノ本田畑、宅地、新田・・・(引用者中略)・・・等地所ノ種類ニ不拘官民ノ所有ヲ不論一村所属ノ地ハ漏脱ナク地押順ヲ逐ヒ一筆限一村通シ番付ニスル歟又ハ大村ニテ地形ノ都合ニヨリ幾箇ニ区別シ別段ニ番付スルモ実地紛糺ナキ様処分スヘキ事
「一村通シ番付ニスル」か、又は「大村ニテ地形ノ都合ニヨリ『幾箇ニ区別シ別段ニ番付スル』モ実地紛糺ナキ様処分スヘキ事」と、村単位を主としているように読めます。
この文献は、なかなか読み応えがありそうです。現在は新刊では入手できないようですが・・・。またじっくり読んでみたいと思います。