[51244] じょにー さん
伊達
いやあ,このあたりの流れ,私,知りませんでした。
再度,確認しましょう。
1889(明治22)年4月1日
・伊達郡長岡村が単独で「市制・町村制」(明治21年法律1号)施行,「長岡村」発足。
・伊達郡伏黒村・箱崎村・中瀬村・小幡村が合体して「市制・町村制」施行,「伏黒村」発足。
1940(昭和15)年4月1日
・長岡村が町制を施行し,「伊達町」に改称。
1950(昭和25)年4月1日
・伏黒村のうち小幡・中瀬が分離し,保原町に編入。
1956(昭和31)年9月30日
・伏黒村が伊達町を編入。
1957(昭和32)年1月1日
・伏黒村が町制を施行,「伊達町」に改称。
2006年1月1日
・伊達町が市制を施行,「伊達市」が発足。
1956年に伏黒村が伊達町を編入に先立って,1950年に元の伏黒村のうち東部1/3ほどが保原町に編入されているのですね。
で,1956年に伏黒“村”が伊達“町”を編入している…
たぶん「形式上」,“存続法人”とされたのが「伏黒村」の方で,「伊達町」名義の法人が一旦吸収されて消滅し,然る後3ヵ月後に“存続法人”たる伏黒村が「町」になるにあたって「伊達町」という呼称を選んだんだよ…
って,話なんでしょうけど。
どう見ても,「連坦した市街地」を形成しているのは阿武隈川左岸の旧伊達町(長岡)の方で,右岸の旧伏黒村が長岡を凌駕しているようには見えないのですけどね。
[51250] じょにー さん
3ヶ月後の顛末まで、予測ができなかったのでしょうか?
私には,間もなく「町」になることを見越してのことのように思えるのですが。
つまるところ,興味の対象は
1:なぜ,より大きく見える 伊達町(長岡) ではなく,伏黒村 が伊達町を「編入」して“存続”したのか。
2:言い換えると,なぜ「伊達町」が存続せずに「伏黒村」を存続されたのか。
3:「伏黒村」が(すでに「町」である)伊達町を“編入”した後も3ヵ月にわたって「町」とならずに,「村」であり続けたのはなぜか。
…あたりかな,と思っているのですが,
要するに,なぜなんざんしょ。
あたしも,興味津々。
[51256] k-ace さん
コレクションに含めるべきか含めるべきでないのか?
この件についてROMである私が言うことでもないのでしょうが,
このあたり,とりあえずは気にせずに(本当は間違いでも)全部集めちゃうのがコレクションのコンセプトでであるように,私は理解しています。
それぞれの由来について,一応「公式見解」とされているものだって結構怪しげなものは少なくないし,二重・三重の由来を持つもの,直接・間接に年号につながるものも(無理やりつなげちゃうものさえも!)少なくないどころか,よくある話ですから。
気にしないで,どんどん集めちゃったら,いかが?
何でも,とにかく,集まっているだけでも十分意味のあるコレクションだと思いますよ。それが本当かどうか検証するのは,その次の段階だと思います。