[52705] KMKZ さん 群馬県太田市南前小屋地区、深谷市へ編入求め両市議会に請願提出
[53313] いっちゃん さん 国盗り物語
新聞記事(読売2006/9/29)によると、埼玉県深谷市と群馬県太田市とのそれぞれの市議会は、9月28日に、群馬県太田市南前小屋地区から出されていた深谷市への編入合併を求める請願を全会一致で採択したそうです。
大正年間の利根川改修工事で集落が分断され、利根川南側になってしまった南前小屋地区(20ha)には、36世帯147人が住んでいるそうですが、小中学校への通学を含めた生活圏は、当然のことながら、完全に深谷市側になっています。
今回の請願採択で県境変更への道が開けたことは確かですが、両市の間や県、国との間の県境変更手続きに要する時間があり、実現は2~3年後の見通しとのこと。
河川改修から80~90年という年月を要したのは、どのような事情があったのでしょうか。
そして、ようやく方向性が決まっても、行政手続に更に2~3年とは。
明治時代の「小さな政府」は、大規模な変革を、もっと素早く実現させたのに。
少し下流の熊谷市妻沼小島地区(利根川北岸)の場合では、住民の足並みの乱れと熊谷市の消極的態度とがあいまって、太田市への編入運動は、実現性が薄いようです。
埼玉県の県境変更については、
[36159]で概略を記しました。
その中に記した戦後の事例は、船渡(1950)と元狭山村(1958)だけでしたが、1961年の
北足立郡大和町(現・和光市)と東京都練馬区との間の境界変更 が最も新しい事例のようです。
と言っても、50年近く前のことになりますね。県境変更を阻むいろいろな思惑の存在が推察されます。